今井哲也著『ぼくらのよあけ』が映画化されることが発表された。『ぼくらのよあけ』は、『アフタヌーン』(講談社刊)にて連載され、星雲賞候補にもなった傑作SFジュブナイル漫画。舞台は2049年、宇宙とロボットが大好きな主人公の少年は、まもなく地球に大接近するという彗星に夢中になっていた。そんなある日、彼が出会ったのは、宇宙からきたという“未知なる存在”。公開されたティザービジュアルに描かれているのは、何やら怪しく輝く少年らが住む阿佐ヶ谷団地と、その奥にひっそりとそびえ立つ給水塔。そして、黎明の光が差し込む中、団地の屋上に佇む少年とロボットの姿。そんな彼らに訪れた、前代未聞の極秘ミッションとは?あわせて公開された特報映像では、ホルスト作曲の組曲『惑星』第4曲「木星」の有名なフレーズに合わせて、ティザービジュアルに描かれた団地屋上が美しく光り、徐々に朝陽が登っていく様子が映し出され、宇宙の壮大さを感じられる映像となっている。本作の映画化について、原作者の今井哲也からは「たくさんの方がすてきなアイデアを持ち寄って、作品がどんどん出来上がっている最中です。未来ってすごいですね。わくわくしています。みなさんもぜひわくわくしてください」と興奮のコメントが到着。さらには、映画化を祝う描き下ろしイラストも寄せられている。『ぼくらのよあけ』2022年初秋公開(C)今井哲也・講談社/2022「ぼくらのよあけ」製作委員会
2022年03月18日仲よし3人組の旅のひとコマ女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、食にまつわる出会いと岸田今日子さんの食べっぷりについて言葉を紡ぐ。渡哲也さんとの相席いまから何十年前だっただろう、日活の食堂でのこと。1人でご飯を食べていると、向こうからザッザッと草履の音が聞こえてきた。突然、その音が私の前で止まり、「ここに座ってもよろしいでしょうか」と声をかけられた。食堂はすでに満席。どうやら2人席にいる私の前の席しか空きがないらしい。申し訳なさそうな声が印象的だった。声の主の足元からゆっくりとパンナップすると、草履なのにジーパン。そして、凛とした顔つきの男性が目に飛び込んできた。雑誌『少年倶楽部』の表紙みたいなお顔。まだ新人だったころの渡哲也さんだった。可愛らしさと精悍さがないまぜになったような。たとえるなら、私が大好きな大谷翔平選手のような印象。当然返事は「もちろんです」。といっても、実は渡さんに会ったことがあるのはその一度。昭和を代表する俳優のおひとりだから、お芝居の世界で顔を合わせていそうなものだけれど、不思議と日活の食堂で会ったきりお会いすることはなかった。一方、渡さんの実弟である渡瀬恒彦さんとは、山城新伍さんが監督を務めた『せんせい』という作品で共演したことがある。その撮影の合間、渡瀬さんが月島でもんじゃ焼きをごちそうしてくださった。上手に焼いて、同席している人全員にサーブする姿に感動してしまった。渡瀬さんは、ケンカが強いことから“芸能界最強”なんて噂もあるらしいけど、女性の前では紳士そのもの。どうしてそんな噂があったのか不思議でならないけれど、それも魅力かな。気持ちのよい人という意味では、中村勘三郎さんもその筆頭格だったなぁ。吉行淳之介さんが亡くなったとき、和子っぺ(吉行和子)を慰めようと勘三郎さんがお声をかけてくださり、私と、歌舞伎にまつわるエッセイを数多く執筆されている関容子さんと、朝方まで飲んだことがあった。またあるときは、私と和子っぺ、岸田今日子ちゃんの3人組に勘三郎さんご夫妻が参加する形で、オペラを見に行ったことも。勘三郎さんはとても人付き合いがスマートな人。記憶に残る気持ちのよい人だった。今日子ちゃんの名前が出てきたから、彼女にまつわるエピソードも披露しようかしら。彼女はとってももの静かな顔をしているけど、実はすごい大食漢。端から見ていると、あっという間に消え去るように、静かに品よく食べてしまう。私の記憶の中では、親しかった戦中生まれの友人は、食に関して敏感なところがあった。ある人は、食べることそのものに過度に意識を払い、ある人は貪欲に食を探求した。今日子ちゃんは、自分が気に入ったものに関しては、食べることに夢中になる人だった。彼女とは、和子っぺと私、3人でオーストラリアやハワイなど、いろいろなところを旅した。今でいう、女子旅のさきがけかもしれない。旅先で今日子ちゃんが、あの独特な口調で「あらぁ~おいしい」と言ったら、それでおしまい。そのお言葉は「これはみんな私のものよ」といった勅令のようなもので、誰もその料理に箸をつけられなくなる。でも、和子っぺは、本当におっとりしていて気にしない。「あらぁ~おいしい」と、飴を一袋取り上げられたこともあった。私は、その様子を面白がってしまったから、いつも楽しい3人組だった。台湾に行ったときは、とってもおいしい小籠包があって、今日子ちゃんがひと口ほおばるや、「あらぁ~おいしい」が発令してしまった。お肉と、細かく刻んだほうれん草がぎっしりと詰まった、熱々の汁がしたたる小籠包。ゆったりと微笑んで、それを次々に口に入れていく今日子ちゃん。あの小籠包は、私も思いっきり食べてみたかったな。〈構成/我妻弘崇〉冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。
2022年02月27日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Spring 2021『白鳥の湖』が、3月24日に開幕。ひと足早く鑑賞したゲネプロの様子をレポートする。芸術監督の熊川による演出・再振付で2003年に初演され、レパートリーとなった本作。今回の目玉は新プリンシパルとして1月に入団した日髙世菜のほか、カンパニーの次代を担うダンサーが集結したことだろう。取材日にオデット / オディールを演じていたのは、成田紗弥。王子ジークフリードには2020年10月にプリンシパルへ昇格した堀内將平、悪魔ロットバルトに栗山廉がキャスティングされた。ゲネプロは、オデットがロットバルトに翻弄される紗幕越しのプロローグから幕開け。成人祝いのパーティーを抜けたジークフリードは、湖で舞う白鳥オデットに出会う。彼女に惹かれながらも城へ戻り、花嫁探しの舞踏会に参加した王子は、ロットバルトに伴われて現れたオデットそっくりの黒鳥オディールに求婚してしまう。彼らが選んだ愛の結末とは──。白鳥に姿を変えられた身の上を嘆くオデットに対して、自信たっぷりに王子を誘惑するオディール。一人二役に扮する成田は、この二面性を全身で表現する。指先から爪先まで意識を張り巡らせながらも、はかなさと気高さを両立させる繊細なオデット像を覗かせた。一方で、オディール時は口元に絶えず笑みを浮かべる勝気な表情を見せ、王子の気持ちを手に入れた勝利宣言といえる30回転以上のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンで観客の心も躍動させる。堀内は、王子の感情の起伏を体現するようなバラエティ豊かな踊りで劇世界を支える。特に空中でもう一段高く弧を描くような跳躍力に目を見張った。初役でロットバルトに扮する栗山は常に妖しさをたたえ、チャイコフスキー作曲の有名な旋律に乗せて舞う2幕冒頭のシーンで客席を魅了。このほか、完成度の高いコール・ド・バレエを繰り広げる白鳥たちの静謐な美しさにも思わず息を飲んだ。クラシックバレエの代名詞といえる定番の演目を、熊川はレパートリー化に際して再構成。オデットと出会って恋に落ちる高揚感、オディールに翻弄された挙げ句の絶望など、ジークフリードの心の軌跡を主軸に置いたストーリーテリングが最たる特徴だ。なお、このKバレエ版を小説化するアートノベル『白鳥の湖 Swan Lake』の巻末には、熊川によるインタビューも収録。クライマックスの意図やオリジナリティの発揮方法など舞台裏を明かしている。公演は3月28日(日)まで、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。ぴあでは、座席指定できるチケットを販売中。取材・文:岡山朋代
2021年03月24日渡哲也さん1971年3月の結婚翌年から48年。葉間肋膜炎、膠原病や直腸がん、大腸がん、心筋梗塞、呼吸器疾患など多くの病気と闘ってきた渡哲也さんが、2020年8月10日に肺炎で亡くなった。だが、その事実が石原プロから発表されたのは4日後のことだった。「発表を遅らせたのは、 “静かに送ってほしい”という渡さんの強い希望からです。葬儀はごく身内だけで、同じ事務所の神田正輝さんや舘ひろしさんも立ち会えませんでした」(スポーツ紙記者)実直な人柄で日本中の人気を集めた渡さん。その人間味あふれるイメージは映像の外でも変わらなかった。「2007年にNHKでドラマ『新マチベン』を撮っていたときだったかな。何人かを連れて渡さんが局内の食堂に現れたんです」(NHK関係者)一般客は入れないとはいえ、単なる社食。いったい何を食べるのかと思いきや、「食堂でいちばん安い280円の“しょうゆラーメン”を全員のぶん注文したんだよ。特別なものが入っているわけでもない、普通のラーメンをね」(同・NHK関係者)そのラーメンの味を全員で共有することが、とてもうれしそうだった。「“NHKに来るといつも食うんだ”と言ってたな。連れていたカメラマンが写真を撮ろうとすると、 “撮るな撮るな”って言いながらラーメンを指さして“早く食え、麺がのびちゃうぞ”と急かしてたっけ。単に写真が照れくさかったのかも(笑)。“うまいなあ。うまいだろ”とニコニコしてたのを、今でも覚えてるよ」(同・NHK関係者)■石原裕次郎とのCMはどうなる?渡さんが美味しいものを口にして微笑む場面といえば、なじみ深いのは日本酒『松竹梅』のCM。最新作では石原裕次郎さんと合成映像で共演も果たしたが、11月末に終了していた。発売元の宝酒造に聞くと、「故人を使い続けるのは失礼と思い、11月末で放映をいったん終了しました。ただ、渡さんとのCM契約は来年の9月までですので、再放映の可能性もあります」(広報課)『松竹梅』の顔だった2人の後継は、石原プロの誰かに決まっているのか。「今のところ、そういった話はありません」(広報課)石原プロにも聞いてみたが、「決めるのは宝酒造さんですので、こちらが口を出すことではありません」2021年1月16日で事務所じまいとなる石原プロだが、渡さんを慕い続けた神田や舘の進退はまだ発表されていない。浅野謙治郎専務に彼らの今後を聞くと、「神田や舘は渡の遺志を守り事務所じまいまでは何も決めない、と誓っています。彼らが行き先を決めるまで、私たちは協力を続けるだけです」事務所がなくなっても渡さんの思いは受け継がれていく。
2020年12月20日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Autumn 2020『海賊』が開幕。ひと足早くゲネプロを鑑賞する機会に恵まれた。芸術監督の熊川による演出・振付で全幕作品として2007年に初演され、レパートリー化された本作。19世紀イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンが発表した長編の詩をもとに多くの振付家が生み出した様々なバリエーションを、熊川は再構成。ストーリーを編み直し、起承転結に呼応する音楽を選ぶことによって、七つの海を渡る屈強な海賊コンラッドらの壮大な冒険譚に仕立て上げた。ゲネプロは、船の難破を活写するプロローグで幕開け。海賊の首領コンラッド、その部下ビルバントやアリの躍動する姿が、紗幕越しに浮かび上がる。トルコ領ギリシャの浜辺に打ち上げられた彼らは、メドーラとグルナーラ姉妹から介抱されることに。メドーラの美しさに心を奪われ、恋に落ちるコンラッド。しかし姉妹と仲間の娘は奴隷商人ランケデムに捕らえられ、市場へ売りに出されてしまう。彼女たちを奪還すべく、立ち上がった海賊の行方は──。強い絆を前面に押し出した勇壮な踊りの中に見え隠れする、個性豊かな海賊たちのキャラクター。中でも、かつて熊川も扮した従者アリは命がけの忠誠心をもって首領を守り抜く存在感を見せつける。取材日にこの役を演じていた山本雅也は、1月に上演された『白鳥の湖』でプリンシパルに昇格した次世代の踊り手。2017年の『海賊』出演時にも見せた高い跳躍力で、鳴り響く銃声に立ち向かう。周りを取り囲むダンサーも実力派が揃い踏みだ。コンラッド役の堀内將平は、リーダーにふさわしい堂々たる踊りを披露。伸びやかな舞いで観客を魅了した成田紗弥は、柔らかい肢体の中に可憐なメドーラ像を覗かせた。なお、回替わりでコンラッドを務める遅沢佑介とメドーラを務める中村祥子は、本作でKバレエのラストステージを飾る。ゲネプロ後には熊川からコメントが到着。約半年の活動休止期間を経てカンパニー再始動を果たす思いを『海賊』に乗せ、「この作品が持つ力強さこそ、カンパニーが踏み出す新たな第一歩にふさわしく、かつてないほどのエネルギーと感動が劇場を満たすはず」と語った。なお、熊川は10月28日(水)に刊行される小説版『海賊 Le Corsaire』の巻末インタビューで演目の成り立ちや舞台裏などを明かしている。公演は10月15日(木)~18日(日)に、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。チケット販売中。なお15日18:30、17日(土)12:30、18日12:30開演回ではオンラインでの生配信も。それぞれ翌日23:59までアーカイブ視聴できる。取材・文:岡山朋代
2020年10月15日舘ひろし8月10日に肺炎で死去した渡哲也さんの四十九日法要が9月16日、都内で営まれた。法要には家族のみが参列し、神田正輝や舘ひろしなど、所属事務所の俳優らの姿はなかった。「渡さんが“大げさにしないでほしい”と生前から伝えていたんです。そのかわり、四十九日の前に神田さんと舘さんはふたりで渡さんの自宅を訪れ、遺骨の前で手を合わせたそうですよ」(スポーツ紙記者)日本の芸能史に数々の伝説を残してきた“石原軍団”だが、そのピリオドは来年1月16日と決まっている。「石原プロが解散し、俳優のマネージメント業務も終了することになっています。さっそく移籍を決めた俳優もいますね」(同・スポーツ紙記者)金児憲史は8月31日をもって移籍を発表したが、神田や舘も身の振り方をすでに考えているのだろうか。「舘さんは、解散の前に移籍することはなさそうです。“1月16日まで石原プロはあるんだから、わざわざその前に出ていくことはないだろう”と周囲に話していますからね。事務所じまいがすっかりすんでから、どうするのかを決めるといいます。事務所の解散は、もともとは石原裕次郎さんの遺言で、渡さんもそれを気にかけていました。仏前で、渡さんに“石原プロの最後を見届けます”と、改めて約束していたのかもしれませんね」(芸能プロ幹部)■うさぎの着ぐるみでCM出演責任感の強い舘は、石原プロのスタッフの処遇についても考えているようだ。「『マイナポイント』のCMでうさぎの着ぐるみを身につけるなど、これまでなら考えられないような仕事もいとわずに“石原プロ”として引き受けているようです。最後まで“石原軍団”の一員として仕事をこなし、事務所の売り上げに貢献しようということなんでしょう」(広告代理店関係者)『西部警察』で共演した渡さんに心酔して1983年に石原プロ入りしてから37年。今や軍団の一翼を担う役者に成長した。そんな舘を慕い、背中を追う仲間も現れたという。「徳重聡さんや池田努さんも、今後の進退を解散まで明かさない、としました。舘さんの男気に共感し“ついて行きます”と宣言した形ですね」(前出・スポーツ紙記者)徳重は2019年9月の週刊女性のインタビューで、《オーディションの賞金として1億円いただいていたので、まだその金額分は仕事していないから辞められないな……》と冗談まじりに話していたが、気持ちは本気のよう。「池田さんも、徳重さんと同様です。来年まで石原プロとして受けた仕事があり、“けじめ”をつけるため解散まで出ないと言い切ったようです。石原プロに重きを置いてくれた彼らのために、解散後は舘さんが個人事務所を立ち上げ、ふたりはそこに所属すると言われています」(前出・スポーツ紙記者)昭和の男くさい友情が、まだ彼らには残っている。
2020年10月14日もうすぐ開幕される「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」(SSFF & ASIA2020)にて、別所哲也、河瀬直美、「King Gnu」常田大希が参加するオンライントークイベントが配信されることが決定した。今回のイベントは、ソニー株式会社と、ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社が、共同で新しい映像文化や潮流を次世代クリエイターと一緒に探求する「Creators’ Junction partnered with XperiaTM(クリエイターズ ジャンクション パートナー ウィズ エクスペリア)」のオンライントークイベント。モデレーターに映画祭代表の別所さん、河瀬監督がゲスト出演。さらに、スペシャルゲストとして「King Gnu」常田さんが参加する。トークでは、コロナ禍におけるエンタテインメント・映像業界の変化や、ニューノーマル時代の映像クリエイティブの在り方、スマートフォンでの映画製作の可能性などについて、三者の目線から可能性を探る。また、先月からスタートした2021年度の「オフィシャルコンペティション supported by Sony」および「スマートフォン 映画作品部門 supported by Sony」などの作品応募に向けて、これからの映像製作のヒントにも迫っていく。「Creators’ Junction partnered with XperiaTM」は9月28日(月)20時スタート予定「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」は9月16日(水)~27日(日)開催。(cinemacafe.net)
2020年09月10日米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)の代表を務める俳優・別所哲也が、8月28日、東京都庁にて小池百合子都知事を表敬訪問した。「(ニュー)ボーダレス」~変化を力に変えていこう~をテーマに掲げる今年の映画祭は、9月16日(水)より開催。本映画祭について都知事は「今年は、withコロナの中で、新しい日常との両立に合わせて、客席を減らしたりセレモニーのライブ配信をしたりと、まさしく新しい日常の一つのパターンを表しているかと思います。そして、各会場には新型コロナの感染予防対策をしっかりおこない、安心・安全な運営をして頂くことを期待しております」と語った。映画祭と東京都が共同で行っている映画製作プロジェクトが今年で3回目を迎える。本年の作品には、主演に森崎ウィン、シンガポール・中国で活躍するジネット・アウを迎え『This is Tokyo』を製作。作品に対して都知事は「森崎ウィンさんはミャンマー出身でいらっしゃいますよね。女優さんもシンガポール出身とのことで、アジアの魅力がそっくりそのまま映画の中に表現されていると思います」とコメント。本編は公式サイトにて公開されている。一方、東京の魅力を国内外に発信するショートフィルムを全世界から募集する「Cinematic Tokyo」部門では、全世界から今年は236本の応募があり、その中から優秀賞作品として、オーストラリアの監督が手掛けた『グッピー』が選ばれた。別所さんは「東京を訪れている若い外国人カップルが、ある出来事をきっかけにお互いを見つめなおす、というシンプルなストーリーの背景に、映画的な東京の街、主人公の繊細な感情が最もうまく表現されていました」と称賛した。この『グッピー』は、9月27日に行われるアワードセレモニーにて都知事賞が授与される。今回の表敬訪問後、別所さんは「今年はコロナ禍で、海外チームと連絡が取れなくなるなど、様々な試練がありましたが、どうやったら皆様に映画を届けられるのか、世界とどう繋がれるのかを何度も協議し、今回の映画祭実施に至りました。オンライン開催も実施しますので、より多くの方々に楽しんで頂ければと思います」とメッセージを寄せた。●『This is Tokyo』(監督:鈴木勉)2019年秋、ラグビーワールドカップ開催で、街に活気があふれる東京。シンガポールの企業との提携を進めるチームに抜擢された健人は、来日したクァン社長をアテンドする仕事を任されるが、彼女の冷たい態度に困惑する。2人で東京を観光するうちに、互いの心に小さな変化が生まれ──。▽予告編●『グッピー』(監督:Charles Richardson)外国の地、東京で若いカップルの片方が最終電車に乗りそびれ、2人はバラバラになってしまう。コミュニケーションだけが2人を引き戻せる唯一の手段だったが、携帯電話の充電と共に緊張の糸も切れてしまった2人。彼らの関係はどうなるのか…。「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2020」は9月16日(水)~27日(日)オンライン会場および東京計4会場にて開催予定。『This is Tokyo』『グッピー』は映画祭のオンライン会場にて無料先行配信。(cinemacafe.net)
2020年08月28日俳優の別所哲也が28日、映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア(略称:SSFF & ASIA)2020」の代表として東京都知事の表敬訪問を行った。同映画祭は米国アカデミー賞公認、日本発・アジア最大級の国際短編映画祭で、9月16日~27日までの開催が決定している。もともとは6月開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の状況で延期することに。オンライン開催を拡大するとともに、「客席数も減らしまして、感染症対策もしっかりして、リアルな上映会も試行錯誤で行なっていきたい」(別所)と語る。東京都知事・小池百合子は「長い間世界への発信を映像を通じてアートという形でお伝えいただいていること、大変嬉しく思います」と称える。「新型コロナウイルス禍にあって、ウィズコロナの認識のもとで、新しい日常との両立ということになろうかと思います。会場では感染防止宣言も行い、安心安全な運営に期待をしているところです。大変楽しみにしております」と期待を寄せた。同映画祭では、シネマスポーツプロジェクト 特別製作作品として森崎ウィン主演の映画『This is Tokyo』も上映されるが、小池都知事は「森崎ウィンさん。ミャンマー出身で、小学校4年の時に日本に来られた。そしてシンガポールの女優さん(ジネット・アウ)が出られる。アジアそっくりそのものがつまってる感じで、楽しみであります」と語る。都知事により、東京の魅力を伝える「Cinematic Tokyo部門」の優秀賞・東京都知事賞としてオーストラリアのCharles Richardson監督の作品『グッピー』も発表され、最後に2人は握手代わりのグータッチで締めくくった。改めて取材に応じた別所は、「中止をしたりひるむのではなく、できることを工夫をして世界発信する。祭りの意味をもう1回考える。人間には祭りが必要だと常々言っております。カンヌやベルリンも試行錯誤しているし、僕らも世界に示すことが1つの勇気につながると信じて開催をしていきたいと思います」と宣言。「9月になってどのような状況かによって考えるところなんですが、関東圏以外の監督、審査員のみなさん、どこまでお招きするかは東京の状況に合わせて様々なプランを用意してお迎えしようと思っています」と明かした。
2020年08月28日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。78歳でした。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声芸能界からは、渡さんを悼む声が次々とあがっています。渡さんと親交の深かった、女優の吉永小百合さんもその1人です。吉永小百合「泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」渡さんと映画『愛と死の記録』で初共演して以降、宝酒造株式会社『松竹梅』のCMなど、数々の作品で共演をしてきた吉永さん。長年渡さんを先輩として慕い、突然の訃報に驚きを隠せなかったそうです。同月14日、吉永さんはさびしい胸の内を、こう明かしました。この日、本紙など報道各社に寄せた直筆の追悼コメントには「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟で俳優の渡瀬)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」と寂しさを隠せず。渡さんが天国に旅立ったことがいまだに信じられない様子で、「大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です」と無念の思いをつづった。サンケイスポーツーより引用俳優の渡瀬恒彦さんは、渡さんの実弟で2017年に亡くなりました。吉永さんは、渡さんが大好きな夏の海を泳いで天国の弟のもとへ行ったのではないかと感じたようです。長年、渡さんの背中を見てきた吉永さんだからこそ感じた最後の思い。きっと海を渡り、天国で恒彦さんと再会できたことでしょう。渡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月18日8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。この数年、渡さんは肺気腫のために苦しんでいた。本誌が渡さんの闘病生活を目撃したのは、昨年4月、東京都内にある病院の前。酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、バッグからは鼻まで酸素を送るためのチューブがのびていた。通院に付き添い、車の乗り降りを介助していたのは、愛妻・俊子さん(77)だった。ベテランの映画関係者は言う。「俊子さんは大手鉄鋼会社の役員の令嬢で、青山学院大学では渡さんの1年後輩。渡さんの一目ぼれだったそうです。しかし結婚にこぎつけるまでは何年もかかりました。当時の渡さんには大勢の女性ファンがいたため、なかなか公表することができなかったのです。ハワイで2人きりの結婚式を挙げたのは’71年3月、渡さんが29歳のときです」渡さんと俊子さんの結婚生活は49年と5カ月。しかしその間に、渡さんは幾度も病魔に襲われた。48年前の’72年7月には、京都でテレビドラマ撮影中に高熱を出して病院に運ばれた。「その後、俊子さんの伯父が院長を務めていた東京都内の病院に転院します。当時の俊子さんは妊娠中でしたが、病院食が苦手な渡さんのために、自宅で食事を作っては、運んでいたのです。肉体的・精神的負担が大きかったためか、俊子さんは何度も流産の危機に襲われました」(前出・映画関係者)’74年に放映されたNHK大河ドラマ『勝海舟』では主演だった渡さんだが、肋膜炎のため途中で降板。さらに’91年には、直腸がんに襲われる。その大手術後、渡さんは妻・俊子さんへの感謝の気持ちを雑誌のインタビューで語っている。《女房にも助けられました。(6月)二十日に手術して二十八日抜糸があったんですが、直腸をとっていますから猛烈に痛むのです。看護というのは患者と一緒に痛がっていたら絶対にできないんですね。私が痛がっていることは当然わかっている。その上で、一つ次元の高いところで、ある意味では冷静に患者を見なければいけない》(『文藝春秋』’92年2月号)実は俊子さんは、渡さんの入院中に看護法を看護師から直接指導してもらっていたという。’15年に渡さんは、急性心筋梗塞のため緊急手術を受けたが、俳優復帰のためにリハビリのフォローをしたのも俊子さんだった。当時、夫妻の知人は、その奮闘ぶりについてこう語っていた。「渡さんの退院前から、俊子さんは自宅にリハビリ用のマシンを運び入れていました。室内ランニングやウオーキング用のトレッドミルなどです。マシンを使用する運動のほかにも、階段の上り下りもリハビリになりますが、俊子さんはいつも付き添っているのです。もともと食事にうるさい渡さんですが、いまは減塩食になっており、味つけの工夫も大変です。しかし、かつて石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤の手術後に、奥さんのまき子さんが作った減塩食の写真付きレシピがあるそうで、俊子さんもそれを参考にしているようです」渡さんと俊子さんのかつての姿について、石原プロモーションで常務取締役を務めていた仲川幸夫氏はこう語る。「渡さんの自宅には松田優作さんや地井武男さんたちも遊びに行っていましたが、もてなしてくれるのは俊子さん。彼女はとっても料理が上手なので。俊子さんは聡明な女性で、渡さんは何でも彼女に相談していました。芸能界以外の人脈も広くて、そこから得た情報を、渡さんに伝え、彼も仕事の参考にしていたようです。ただ俊子さんは、“表”に出ることは一切ありませんでした。渡さんが石原プロの社長を務めていたときも、もちろんプロダクションの経営に口をはさむこともしなかった。渡さんの長年の介護は本当に大変だったと思いますよ。できればお会いしてお悔やみも申し上げたいです……」この数年、石原裕次郎さんも食べたという俊子さん手作りの減塩料理を口にしながらも、渡さんの頭から離れなかった課題が、“石原プロの幕引き”だったという。実は昨年4月、本誌は石原プロの関係者のこんな証言を報じていた。「渡哲也さんが、ついに俳優引退と石原プロモーションの幕引きを決断したのです」当時、渡さん本人に決断の理由などについて取材を試みた。すると渡さんは目をつぶり、数秒間真剣な表情で黙考した後、付き添っていた運転手に、「事務所に連絡するように伝えなさい」と、静かに言い残して、自宅へと戻っていったのだった。だが石原プロの元幹部は次のように語っていた。「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。ほかの(勝プロや三船プロのような)“スタープロダクション”のような終わり方にはしたくないということです。渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎さんの名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。’11年に健康上の理由で社長からは退きましたが、渡さんが決定したとなれば、ほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」しかし俳優たちの移籍先を探す必要もあったからなのだろうか、石原プロが’21年1月をもって解散することが発表されたのは1年後の今年7月17日。“幕引き”を見届けたかのように渡さんが逝去したのは、それから3週間後のことだった。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」と、伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。“幕引きは静かに”……、石原プロのみならず、自身の人生の終幕にも美学を貫いた渡哲也さん。その傍らにはいつも辛苦をともにし続けた妻・俊子さんがいた。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日俳優・渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。78歳だった。訃報を受け、日活映画時代から50年以上も親交のある吉永小百合(75)が追悼メッセージを14日に発表した。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします」66年に映画『愛と死の記録』で初共演した2人。渡さんは印刷会社に務める原爆症の青年役で、吉永扮する楽器店で勤める娘との悲恋物語だ。当時若い2人の迫真の演技は、感動を巻き起こしたという。「当初は、吉永さんと“青春・純愛路線”を築いた浜田光夫さん(76)がキャスティングされていたといいます。ですが浜田さんは右眼を負傷し、降板。アクション専門だった渡さんが、代役に起用されました。原爆がテーマの本作は、当初『被爆者の描写が刺激的すぎる』とカットを命じられたそうです。ですが吉永さんと渡さんは、原爆の悲劇を自分のことのように受け止めていました。そのため、スタッフたちと撮影所前で座り込みの抗議をしたほどだったそうです」(映画関係者)その後も『白鳥』(66)や『青春の海』(67)、『嵐の勇者たち』(69)などで共演し、“日活黄金期”を支えた2人。互いにキャリアを積んでからは、『時雨の記』(98)で中年男女のプラトニックな恋愛を好演。だが、00年の『長崎ぶらぶら節』で共演したことが最後となった。いっぽう渡さんが長年出演した宝酒造「松竹梅」のCMには、10回も登場した吉永。19年末に公開されたCMでは、令和初のお正月を2人で飾った。各メディアによると、この撮影が2人にとって最後の現場になったという。「17年のCM撮影時、闘病中だった渡さんは『最後の1本は大ラブシーンをやりましょう』と吉永さんに呼びかけていました。98年の『時雨の記』では、吉永さんが渡さんを相手役に指名したといいます。歳を重ねても、日活時代で築いた“あうんの呼吸”があるのでしょう。吉永さんも渡さんの“最後のお願い”に、『老夫婦の恋愛作品を作りましょう』と応えていました」(制作関係者)叶わなかった最後の共演。だが残された2人の作品は、これからも愛され続けるだろう。
2020年08月15日渡哲也さんが肺炎のため亡くなったと8月14日に発表された。78歳だった。各メディアによると渡さんは10日、妻の俊子さんに見守られて息を引き取ったという。渡さんの俳優人生には、“闘病”がつきものだった。71年3月に結婚したものの、翌72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養。さらに73年には膠原病との診断を受け、74年2月には胸膜癒着症にかかった。そして91年には直腸がんが見つかった。がんは渡さんの父、そして師である石原裕次郎さん(享年52)の命を奪った病でもあった。「お父さんと裕次郎さんを亡くした経験から、渡さんは『がんは早期治療が肝心だ』と理解していました。病名を公表することでいっそう、がんと向き合いたいと考えていました」(芸能関係者)そんな渡さんを支えたのは、俊子さんだったという。「渡さんが仕事で穴をあけることになり、俊子さんは関係各所に頭を下げて回りました。また医師には『どんな形でもいいから生きてほしい』と頼み込んだといいます。そんな姿に、渡さんのお母さんは『あなたには苦労のかけっぱなしで……』と涙ながらに感謝したそうです」(前出・芸能関係者)97年にも早期の大腸がんが見つかった渡さん。15年6月には、心筋梗塞で緊急入院をしている。「渡さんが突然胸の苦しみと息苦しさを訴え、俊子さんはすぐに病院へ。俊子さんが素早く異常に気付いてくれた甲斐もあって手術は1時間30分ほどで済み、数日後には一般病棟へ移りました」(病院関係者)渡さんの窮地を救った俊子さんは、献身的に看護し続けた。「俊子さんは1カ月もの間、病室に泊まり込みで看病していました。退院前から自宅にリハビリ用のマシンを運び入れ、さらに退院後には食事を減塩食に切り替えました。その際には、裕次郎さんの奥さんであるまき子さんのレシピを参考にしていたそうです」(渡夫妻の知人)晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった渡さん。結婚翌年から48年。病との戦いだった人生を支えたのは、俊子さんという“戦友”だった――。
2020年08月15日2020年8月10日、肺炎により逝去していたことが判明した、俳優の渡哲也さん。連続ドラマ『大都会』(日本テレビ系)や『西部警察』(テレビ朝日系)などで一世を風靡した俳優の死に、人々からは悲しみの声が広がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声同月14日、お笑いコンビ『ドランクドラゴン』の塚地武雅さんがTwitterを更新。テレビドラマ『おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』(テレビ朝日系)にて、渡さんと共演した際のエピソードを明かしました。ドランク塚地が感じた、渡哲也の『プロ根性』ドラマの撮影中、主演である渡さんが、椅子を手刀で割るシーンがあったといいます。しかし、本番になると、渡さんは手刀ではなく、頭で椅子を割ったというのです!渡さんのサービス精神と勇ましさに感動した塚地さんは、「プロだ!僕もこうならなければいけない!」と、身の引き締まる思いだったといいます。渡哲也さん…おいしいごはん というドラマで師弟の役でご一緒させていただきました。椅子を手刀で割るというシーンで本番、いきなり頭で割る姿を見て驚きとサービス精神と漢気を感じ、プロだ!僕もこうならなきゃいけない!と思ったのを覚えています!— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 茶目っ気あるエピソードも明かす塚地さんは、ドラマの撮影をしていたある日、渡さんに「塚地くん、ちょっと!」と呼ばれたといいます。「僕のお芝居がよくなかったのか」と怒られる覚悟で向かうと、各国のミス・ユニバースが写る新聞を広げて、「塚地くんはどの子がタイプ?」と聞いてきたそうです。渡さんの意外な問いかけに、「茶目っ気のある面白い人」だと感じた塚地さん。「短い間でしたが、近くで色々見せていただいたことは勉強になることばかりで忘れません」と、渡さんへ追悼の言葉を贈りました。ある日、渡哲也さんに前室で「塚地君、ちょっと!」と呼ばれ、僕のお芝居が良くなかったのか…?怒られると思いながらむかうと新聞のミス・ユニバースの各国の代表の写真を見せて「塚地君はどの子がタイプ?」と。茶目っ気たっぷりの面白い方で。笑— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 塚地さんの投稿には、さまざまなコメントが寄せられています。・とてもお優しい人だったのですね…。・素敵なエピソード。渡さんの人柄がよく分かります。・すごくいい話。思わず泣いてしまいました。茶目っ気あふれる行動は、塚地さんを和ませようとした、渡さんなりの心遣いだったのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが肺炎のため亡くなったことが発表されました。渡さんは、昭和時代を彩る数々の名作に出演。俳優の石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションに所属し、ドラマ『西部警察』シリーズなどでも活躍しました。渡さんはテレビドラマで活躍する一方、多くのCMにも出演しています。裕次郎さんがCMキャラクターだった清酒『松竹梅』を引き継ぐ形で、渡さんがオファーを受けました。同年7月29日からは、2人が共演するCMが公開されており、多くの人が悲しみにくれながら動画に注目をしたようです。酒を飲みかわす渡さんと裕次郎さん。生前、2人が『松竹梅』のCMで共演することは叶いませんでした。裕次郎さんがCMキャラクターを務めて50年となる節目に、合成技術を使って夢の共演となったのです。動画を見た人たちからは悲しみの声が寄せられていました。・合成だと分かっていても、このCMで2人の姿を見ることができてよかった。・悲しいです。天国でもおいしいお酒を飲んでもらいたいです。・昭和の名俳優がまた1人亡くなってしまい、言葉がありません。きっと今頃、天国で裕次郎さんとゆっくりお酒を飲んでいるのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日俳優の渡哲也(本名:渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳だった。石原プロモーションは、公式ツイッターに文書を掲載し、「弊社 渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と伝え、「誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます」と記した。そして、「尚、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」と呼びかけた。
2020年08月14日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが逝去したことが分かりました。78歳でした。サンケイスポーツによると、同月10日に肺炎で逝去したとのこと。すでに近親者のみで密葬を行っています。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。サンケイスポーツーより引用渡さんは、俳優・石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションが制作した連続ドラマ『大都会』や『西部警察』シリーズなどに出演。渋い演技が好評を得て、数多くの作品で活躍しました。ご冥福をお祈りいたします。渡哲也さんについての記事はこちら[文・構成/grape編集部]
2020年08月14日「SSFF & ASIA」代表の別所哲也、フィルムメイカー・俳優の斎藤工、「SSFF & ASIA」アンバサダーのLiLiCoが参加するオンライントークが、8月6日(木)に配信される。米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)は、「ショートフィルムの日」を皮切りに、映画祭が延期となった秋までの間、未曾有のパンデミックにより大きく変化しようとしている映像制作や映画祭、映画配給・興行といった映画業界の各立場からゲストを迎え、現状と未来像を語るトークセッションシリーズをYouTubeチャンネルでオンライン配信中。そのシリーズ第5回目では、別所さんがホストを務め、LiLiCoさんと共に斎藤さんを迎え、ビヨンド・コロナ(アフターコロナ/with コロナ)と言われる中で挑戦する映画業界についてトークを展開。斎藤さんがスタートさせたリモート製作の『TOKYO TELEWORK FILM』の挑戦や経緯について、「A TAKUMI SAITOH FILMS」として自らの監督、出演作をオンライン発信するプラットフォームをローンチした意図、岩井俊二監督作『8日で死んだ怪獣の12日の物語』出演で感じた俳優としての視点。そして今後、映像制作や俳優としての仕事がどんな新たな局面を迎えていくのかトークをしていく。ライブ配信中には、本年の「SSFF & ASIA」とのコラボレーションイベントについて発表もあるという。トークセッションシリーズ第5回「別所哲也×斎藤工×LiLiCo 映画業界が挑戦するビヨンド・コロナを徹底トーク」は8月6日(木)20時~SSFF & ASIA YouTubeチャンネルにてライブ配信。(cinemacafe.net)
2020年07月16日つい先日『カルミナ・ブラーナ』という大作を世に送り出したばかりの熊川哲也が、早くも次なる新作を発表する。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を全幕バレエ化する『マダム・バタフライ』だ。『カルミナ・ブラーナ』がBunkamura開業30周年記念公演なら、こちらはKバレエ カンパニーの20周年記念公演。本日9月27日に東京・オーチャードホールで幕を開けたあと、10月10日(木)からは東京文化会館 大ホールでも公演を行う。過去には『カルメン』でもオペラのバレエ化に挑んだ熊川。その時はオペラの物語に忠実に沿う形だったが、今回は肉付けを施すと言う。開国まもない長崎で、遊女見習いのバタフライと米兵ピンカートンが出会い、つかの間の結婚生活を送る……という骨子はそのままに、ピンカートンのアメリカ時代や、彼がバタフライを見初めた過程などを追加。アメリカのシーンではドヴォルザークの音楽も使うなど、演出・振付・台本をひとりでこなす、熊川ならではの手法で悲恋物語を描き出す。舞台美術を手がけるのは、オペラやミュージカルでも多くの実績を持つダニエル・オストリング。西洋で生まれた日本が舞台のオペラを、日本人振付家が西洋人デザイナーとともに、西洋の踊りであるバレエで表現する本作。和と洋がどのように融合するのかにも注目だ。文:町田麻子
2019年09月27日フリーアナウンサーの宇垣美里と俳優の別所哲也が17日、都内で行われた「Amazon Bar~Tasting Fest~」記者発表会に出席した。同所は東京・天王洲にあるキャナルエリアに、明日18日から23日までの6日間限定でオープンする完全予約制のポップアップバー。Amazonで販売されているビール、日本酒、焼酎、洋酒など約720種類が用意されている。お酒は大好きだと言う宇垣は「友達との女子会でもお酒は欠かせない。和食は日本酒、イタリアンはワインなど食事にあわせてお酒を選ぶのも大好き」とご満悦な様子。高級ブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」の赤ワインを試飲すると「エレガントな気持ちになります」とうっとりとした表情を浮かべた。宇垣は、別所が1人でお酒を飲む際は、「カウンターバーで、1人で飲む時もある」と話すと、「大人~」と関心した様子で、別所から「今度ぜひご一緒に」と誘われると「ぜひ大人の一歩、歩いてみたいと思います」と満面の笑みで応じていた。
2019年09月17日熊川哲也が英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルとして活躍後、Kバレエ カンパニーを設立したのは1999年のこと。古典作品を独自の視点で演出した作品群のほか、稀有なダンサーである熊川の審美眼によって創り出される意欲作も、Kバレエの魅力だ。2014年にはオペラ原作の『カルメン』、2017年には台本や音楽などすべての構成を担当した『クレオパトラ』を世界初演。毎日芸術賞特別賞を受賞するなど、高い評価を得ている。そして今年、カンパニー創立20周年を迎えた熊川が次に挑戦するのは、オペラ『蝶々夫人』の全幕バレエ化だ。都内で行われた制作発表に足を運んだ。【チケット情報はこちら】物語は明治時代、開国間もない頃の日本で展開する。長崎の武家に生まれたバタフライ〔蝶々〕(矢内千夏、中村祥子、成田紗弥のトリプルキャスト)は、家が没落したことで、今では遊女見習いとして遊郭にいた。その頃、海軍士官としてアメリカから赴任してきたピンカートン(宮尾俊太郎、山本雅也、堀内將平のトリプルキャスト)は、たまたま訪れた遊郭でバタフライと出会う。可憐な一輪の花を思わせるバタフライに惹かれ、ピンカートンは港を見下ろす邸宅に彼女を住まわせることにする。ピンカートンに一生を捧げるものと信じて、嫁入り道具や父の形見の短刀を携えやってきたバタフライだったが……。会見では熊川と矢内、中村、成田、そしてピンカートン役のほか本作では振付補佐も務める宮尾が登壇。 和と洋が融合する新たなバレエの舞台を、今まさに制作中という熊川は、「自分自身に“必ず成功する!”と言い聞かせているところ」と笑わせながらも、「非常に悩みましたね」とクリエイティブの苦労を明かす。「我々ダンサーは“アウト”(身体や脚を常に開くバレエの基本)にするという西洋の伝統を受け継いできたわけで、対照的な日本の“イン”の動きを同時にするのは、やはり難しい。なので、日本的な要素はスピリットなものに込めようと思っています」と熊川は語る。その“イン”の象徴ともいえるバタフライ役の矢内は、昨年プリンシパルに昇格したばかり。「日本人だからこそ感じ取れる心情はあると思うので、そこを大切に演じたいです」と真剣な面持ちだ。一方、同じバタフライ役でも、ベルリン国立バレエ団やハンガリー国立バレエ団でプリンシパルの経験を持ち、スケールの大きさが魅力の中村。「自分と一致する部分があまりないので大変ですね」と笑いつつ、熊川の振付には「いつも感銘を受けています」と新たな挑戦を楽しんでいる様子だ。また注目のホープ、成田は「国籍や身分の違いも超える愛を、ステップや音楽に乗せて演じられたら」と初々しく語った。「バタフライが物語でどう見えるかを考え、客席からブーイングが起きるほどのピンカートンにできれば」と話す宮尾ともども、意気込みは充分。Kバレエならではの『マダム・バタフライ』の誕生を、今から楽しみに待ちたい。9月27日(金)から29日(日)までオーチャードホール、10月10日(木)から14日(月・祝)まで東京文化会館大ホールにて上演。取材・文/佐藤さくら
2019年08月01日渡哲也「今年も年末から放送される恒例となった日本酒のCM『松竹梅』への出演が決まりました。撮影は9月の予定で、今回で10回目の共演となる吉永小百合さんも決まっているようです」(テレビ局関係者)今年4月、体調不良で俳優業を引退すると一部で報じられていた渡哲也。「’91年に直腸がんが見つかり、手術後は人工肛門をつけています。その後も肺気腫やぜんそくといった呼吸器系の持病とも闘ってきました」(スポーツ紙記者)さらに、’15年には急性心筋梗塞の手術も受けている。「持病の経過もよくないため、今は外出時に酸素ボンベのバッグを持ち歩いているそうです」(同・スポーツ紙記者)そんな状態にもかかわらず『松竹梅』のCM出演だけは断らなかったという。なぜそこまで出演にこだわるのか?「このCMは、’88年に石原裕次郎さんから渡さんに引き継がれて今年で32年目になります。“どんなに体調が悪くても、これだけは譲れない”という彼の強い意志を感じますね」(前出・テレビ局関係者)■縮小傾向にある石原プロ渡は’71年、故・石原裕次郎さんが設立した石原プロモーションに入社。「その後、舘ひろしさんや神田正輝さんなどの人気俳優を輩出。結束の固さから、『石原軍団』の愛称で親しまれてきました」(芸能プロ関係者)’87年に裕次郎さんが亡くなってからは、渡が石原プロの顔として会社を支えてきた。「裕次郎イズムを受け継いだ渡さんは、24年間にもわたって石原プロの二代目社長を務めていました。今は“相談取締役”という役職ですが、その思いは変わっていないようです」(同・芸能プロ関係者)渡だけでなく、裕次郎さんにいまだに心酔する石原プロの社員は多い。「“持ち家制度”というものがあり、社員は家を買うために事務所から住宅ローンを無利子で借りることができるんです。これは裕次郎さんの“男たるもの家ぐらい持て”という教えから生まれた制度で、やはり男気がありますよね」(前出・スポーツ紙記者)そんな中、石原プロ自体は縮小傾向にあるという。「ビルのワンフロアを使っていた事務所も、今では4分の1ほど。事務所が抱えていた車両もすべて手放していて、解散説も流れています」(前出・芸能プロ関係者)石原プロに確認すると、「縮小はしているが、解散は考えていない」17日には裕次郎さんの三十三回忌の法要が行われる。“石原裕次郎”という偉大な名の灯は、たとえ小さくなっても消えることはなさそうだ。
2019年07月18日熊川哲也のKバレエがおくる『シンデレラ』は2012年に初演された。誰もが知るシンデレラの物語を、美しさと上質なユーモア溢れる演出で見せる今舞台が5月24日(金)から上演される。その公開リハーサルでは、今シーズンにプリンシパル・ソリストとして入団し、初主演に抜擢されたふたりの稽古シーンがお披露目された。【チケット情報はこちら】シンデレラを演じる成田紗弥は、韓国のユニバーサル・バレエ団から移籍。芯の通った身体と儚げな表情の、健気なシンデレラだ。1幕より『シンデレラと継母たち』の場面では義姉妹(杉山桃子、高橋怜衣)と義母(ルーク・ヘイドン)にこき使われ、働かされる。布、ほうき、鞄、ドレスなど小道具の多いシーンで、段取りが難しい。指導の浅川紫織が「火を焚く時はオーバーに全身を使って小道具を見せて」と示すと、とたんに客席からも見やすくなる。自然な動きを心がけ、物語を繋いでいく浅川の指導を受け、成田は「振付を覚えるのと、表現力をつけるのが大変」とくらいついていく。働かされ耐え忍ぶシンデレラだが、ひとりになると亡き母親の形見を取り出し、幸せだった思い出に浸る。その時間だけは、愛された少女のように軽やかだ。成田の持つ儚さとあいまって、幸せと寂しさを同時に表現する。2幕より披露されたのは『シンデレラと王子のパ・ド・ドゥ』。矢内千夏の明るいシンデレラに対し、高橋裕哉の王子は少し控えめで初々しい。指導する遅沢佑介が高橋に「相手の体重が右肩に乗るまで待って」「ここはシンデレラの動きに自分の動きを重ねて」と、身体の状態を具体的に示していく。ハンガリー国立バレエ団から移籍したばかりの高橋は「的確にステップを押さえていかないと綺麗に見えない」と、演技よりもまずひとつひとつの振りを身体に落とし込んでいく。高橋の身体が安定感を増せば、矢内が輝いて見える。そのシンデレラを見つめて嬉しそうに笑う王子。ふたりの表現がなめらかに重なり合い、恋人たちのうっとりとした場面ができあがっていく。本番にはほかプリンシパルの宮尾俊太郎、中村祥子らが出演。4人のシンデレラと4人の王子によるKバレエ『シンデレラ』は、5月26日(日)まで東京・東京文化会館、5月31日(金)から6月2日(日)まで東京・Bunkamura オーチャードホール、6月4日(火)に静岡・アクトシティ浜松、6月6日(木)に大阪・フェスティバルホールにて上演。熊川独自のアイデアが光る夢のような『シンデレラ』の世界へ誘う。取材・文:河野桃子
2019年05月20日東京都内にある病院の前で、酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、車から降りてきたのは俳優・渡哲也(77)だった。本誌が渡を目撃したのは4月上旬。実はその直前に驚きの証言をキャッチしていた。「渡哲也さんが、ついに俳優引退と、石原プロモーションの幕引きを決断したのです」そう語ったのは石原プロの関係者だった。石原プロは、故・石原裕次郎さんにより’63年1月に設立された。「’71年には渡哲也が副社長に就任。舘ひろし(69)や神田正輝(68)など人気俳優を擁し、その結束の固さから所属俳優たちは“石原軍団”と呼ばれたのです。’87年に社長の裕次郎さんが逝去した後は、渡が24年間にもわたり二代目社長を務めました」(芸能関係者)社長辞任後も、専属俳優や“相談取締役”として石原プロを支え続けてきた渡。なぜいま“石原軍団解散”を決断したのだろうか?前出の石原プロ関係者は次のように語る。「以前から“高齢化”は問題視されていました。現在、代表取締役会長を務めている石原まき子さん(※石原裕次郎夫人)が85歳、そして渡さんが77歳。渡さんが辞任してから8年になりますが、社長職は空席のまま。それは、まき子さんの『後継者が決まるまでは、社長の席は空けたままにしましょう』というご意向があったからです。しかし結局、裕次郎さん、渡さんの跡を継いで“三代目社長”に名乗りを挙げる人材は現れなかったのです」渡の体調の問題もあるという。渡は’91年に直腸がん、’15年に急性心筋梗塞と2度の大手術を受け、さらに肺気腫やぜんそくといった持病もある。「実はこの4月に幕引きを発表する予定だったのですが、移籍先がまだ決まっていない若手の所属タレントたちもおり、資産の整理もまだめどが立っておらず、公式発表はとりあえず延期することになりました」(前出・石原プロ関係者)設立から57年目、そして裕次郎さんから受け継いで32年で迎えた終幕について渡自身はどのような感慨を抱いているのだろうか。自宅付近で本人に取材を試みた。「渡さん、石原プロを閉めることを決断されたそうですが、いまのお気持ちをお聞かせください」と記者が問いかけると渡は目をつぶり、なんと語るべきか真剣な表情で黙考しているようだった。だが付き添っていた運転手に「事務所に連絡するように伝えなさい」と静かに言い残すと、自宅のなかに入っていった。石原プロで専務取締役を務める浅野謙治郎氏は本誌に次のように語る。「『石原裕次郎さんの名前を冠した“石原プロモーション”を傷つけてはいけない』、それは渡のみならず私たち社員が常に肝に銘じていること。また(渡のように)会社の舵取りをする立場なら、会社を存続させないという選択肢も頭の中にはあるでしょう。しかし現時点では、(幕引きは)決定事項ではありません。石原プロは映画・ドラマ・音楽について多くの版権を持ち管理していますから、会社自体を解散するということはできないのです」浅野氏の語った“石原裕次郎の名を傷つけない”ということを、誰よりも強く意識し、それを美学としているのが渡なのだという。石原プロの元幹部社員は言う。「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。つまりほかの“スタープロダクション”のようにはしたくない、ということです」映画会社から独立したスターたちが、自分の名前をつけた個人プロダクションを相次いで設立した時代があった。石原プロのほかには勝新太郎の勝プロ、三船敏郎の三船プロ、中村錦之助の中村プロなど。だが石原プロ以外は、いずれも経営不振で倒産したり、分裂騒動を起こしたりしている。「渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎の名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。社長ではありませんが、渡さんが決定したとなればほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」(前出・元幹部社員)渡は“20年までには石原プロの資産を、まき子さんにお戻しする”と、知人に語っているという。「おそらく今後、石原プロは芸能プロダクションとしての活動を休止し、裕次郎さんを中心にした映像や音源の権利を管理する会社へ移行していくのではないでしょうか」(芸能プロダクション関係者)渡哲也は肺気腫と闘いながら、自身の美学を貫く道を歩み続けている。
2019年04月16日阿川佐和子撮影/廣瀬靖士インタビュアーとしても、作家としても大活躍を続けている阿川佐和子さん。作家・阿川弘之さんの長女として生まれ、若き日は自分が何をしたいかわからずに模索を続けていたが、その後、ニュース番組出演からキャリアをスタート。1年の海外生活を経て、40代で雑誌対談を開始、50代最後に出版した『聞く力』がベストセラーになった。還暦に差しかかってからは父母の介護を担いつつも、ドラマ出演、新聞小説の執筆など新しいことにも果敢にチャレンジ。一昨年には、63歳にして人生初の結婚もして、全方面で充実期を迎えている。なぜ、年を重ねるごとに、輝く力を増しているのでしょう?「私にはご期待に沿える答えはありません(笑)」という阿川さん。そんなことは言わずに輝きの秘密を語っていただきましょう。■輝きのヒミツは4つの力芋づる式に人を結ぶ『つながる力』昨年の11月に65歳になり、前期高齢者となりました。まぁ、またひとつ年を取っただけで特別、感慨はないのでございますが、誕生日にたまたま友人と行ってた宮城県気仙沼で祝ってもらっちゃいました。小さい復興支援ではあるんだけど、東日本大震災直後、『TVタックル』に、津波で港を流されてしまった気仙沼の人が出てくれて、「この人のために何かしたい」と思うようになってね。まずは友達を誘って遊びに行くってことから始めたんですよ。知り合いと一緒に、チャリティーコンサートをやったらそのあと、いろんな人とつながって。銀座の老舗の人たちと「とにかくできることからコツコツやろう」という会を作ったら、また協力してくれる人が増え、『三陸・銀座つながりスクエア』というイベントもしました。私はそんなに働いちゃいないんですけど、地味に動いているうちに芋づる式で人と人とがどんどんつながっていくんですよ。ただ、誠意がある人同士を紹介しても合わない場合もあるし、うまくいかないことだってあります。でも、それはしょうがない。失敗を恐れては何も進まないし、失敗から学習すればいいわけですからね。今も人とつながりながら、「やっぱり現地に来てほしい」という声に応えて、ちょびちょびと活動を続けています。褒め言葉を信じてみる『のせられ力』私は根が小心者だから、褒められたり、おだてられたりすると、つい調子に乗って引き受けちゃうのね。『全国マン・チン分布考』という本の帯文を依頼されたときも、「阿川さんにぜひ」と言われて。女性と男性の秘部の名称について、学術的によく取材してあるなぁと本当に感心したので、引き受けてしまいました。ドラマ『陸王』の出演を引き受けたときは、ほかの仕事とのスケジュール調整が大変でねぇ。アシスタントは泣くわ、担当編集者は機嫌悪くなるわ(笑)。その対応だけでヘトヘトになってたから、撮影現場は楽に感じられるぐらいでした。役者さんの力を現場で目の当たりにしたのも、いい経験だったし。やってるときは大変でも、のど元すぎりゃ、よかったと思えるものなんですよ。その場しのぎでもなんとかする『やりくり力』先日、5か月半ぶりに美容院に行きましたが、普段は自分で髪を切っています。美容院ってけっこう時間とられるでしょ。カットやカラーリングの最中、仕事の資料を読もうとしても、老眼だから眼鏡なしでは見えないしねぇ。親の介護を始めたときに時間を節約したくて、鼻毛切りでちょいちょいと髪を切ってみたらなんとかなったので、それ以来、自分で切るようになったんです。その場しのぎでなんとかするのが私のやり方。原稿の締め切りが重なって「無理だよ」と思うときは、とりあえずいちばん短いものからやっつける。1本仕上げれば、達成感があって次に進めるんですよ。そうやってその場をしのいでしのいで、今にいたるという感じですかね。つらい状況も楽にする『笑っちゃう力』実は私、更年期障害の時期、けっこうつらかったんです。突然イライラしたり、泣き出したりすることも多くて。いちばんひどかったのはホットフラッシュ。テレビ局でメイクをしている最中に、締め切りが延ばせないという連絡が入ったとたんに、ぐわぁぁって体温が上がって、「目玉焼きが焼けそうです」と言われるくらい頭が熱くなっちゃったこともありました。そうなると、髪もお化粧もぐっちゃぐちゃだし、症状がおさまるまで待つしかない。こんな状態では「仕事は続けられない」と思いつめたこともありますよ。『うから はらから』という小説は連載途中で、「更年期でつらいから書けない」と担当編集者に訴えたら、「じゃあ、それをテーマにしましょう」と言われて。登場人物が更年期で苦しんでるという設定にして、なんとか物語を展開させて、乗り切りました。自分をネタに笑っちゃうと少し楽になれるというのはありますね。突然泣いてる私って、ほかの人から見たらおかしいよなぁなんて思いながら、よく泣きながら笑ってました。自分はつらいと思うことでも、角度を変えてみると、笑い話だねってこと、けっこうあるもんですよ。■Sawako’s Life Style息抜きでしていることは?「ゴルフ!スコアはそのときどきでよかったり悪かったりいろいろ。“ムラの(多い)女”と呼ばれています」。最近は、仕事が忙しくゴルフを楽しむ日が少なくなっているのが不満だという。「でもときには、翌日のゴルフをニンジンにぶらさげて、原稿書きのスピードを上げることもある」とのこと。得意料理は?「惣菜。冷蔵庫の残り物でぱぱっと作る普通のおかず。“もう使ってもらわないと、僕は死にます”というような残り物……例えばショボくれたナスを蒸して中華風にするとか、しょうがじょうゆで焼きナスにするとかして、おいしいものになったとき、“わしゃ天才か!”と思ったりします。まぁ、たまにお腹を壊す場合もありますけどね(笑)」毎日、必ず行う習慣は?「体重を量ること。まぁ、朝シャワーを浴びるとき、ついでにって感じですが。今朝はちょっと多かったんですよ。ヤバいなぁ。……という感じで、体重さえ量っておけば、飲みすぎや食べすぎ、食事の時刻など、多少は意識するでしょ。そうすれば、夜遅くに大ごちそうが出ても、うーんと考えて、結局はやっぱり食べちゃおうってなるんだけども(笑)。頭の片隅に入れておくと少しは違うかなぁって思うんですよね」好きな時間は?「原稿を書き上げて、何を食べようか考えているときがいちばん楽しい時間ですね。例えば、冷蔵庫においしいお漬物があるから、うちでご飯を炊いて、あとは何を作ろうか……と献立を考えてるときが、食べるとき以上にワクワクする。レストランに行ったときも、メニューを見てあれこれ迷った末に1品目が出てくるころがいちばん幸せな瞬間かもしれない」2019年の抱負は?「1年の計が守られたためしがないので、もはや計画なんて立てないんだけど」と、しばし考えたあと、「1週間ぐらい休んで、どこかに行きたい!」との答え。毎日忙しい状態が続いており、「“先に旅行の計画立ててくれていいです”とアシスタントは言うんですけど、立てる前に仕事が入ってきちゃうもんで」と、今のところ長期休暇は取れそうにないが、「贅沢な悩みでございますよ。ハッハッハ」と現状を笑い飛ばした。■おしゃれの匙かげん若いころは、「自分は黒子的な仕事をやってるんだから地味でいい」と無難な服ばかり着ていたんですけど。スタイリストの中村抽里ちゃんと40代で出会ってから、自由におしゃれを楽しめるようになりましたね。彼女のすすめでポップなものを着てみたら、意外に似合うんだなぁなんてこともわかって、可能性が広がったんです。中身の性格がこんな感じですので(笑)、そこに見合ってるおしゃれかどうかというのは重要な要素だと思います。ロングヘアの縦巻きロールでエレガントなファッションというのにも憧れはしますけど、それで私のこのしゃべりだと違和感があるでしょう?この体形と、性格と、仕事の仕方と……ということも考えて、自分に似合うものを選ぶようにしています。阿川さんは「スタイルで気になる部分がキレイに見えるように」という希望なので、ワンピースは、胸元やウエストがすっきり見える斜めにギャザーが入ったデザインです。パンツスタイルは、小柄な方にも似合うハイウエストタイプ。色みをおさえたフリル付きのトップスで、大人可愛い雰囲気に。(スタイリスト 中村抽里さん)いちばん気をつけているのは肌の質感ですが、最近の阿川さんはとても肌の調子がいいので、さらにイキイキとした印象になるようにパール入りの下地を使って内側から一段明るく見えるようにしています。ポイントメイクのアイラインとチークはしっかり入れて、はっきりした印象に仕上げました。(ヘアメイク大島知佳さん)■楽しい今日を送るためにたまにはズルすることも必要3年前、94歳で亡くなるまでは父のケアをして、今は91歳で認知症の母を介護中ですが、世の中にはもっと深刻な介護をしている人がいっぱいいますからね。私は極めて楽をしてると思います。兄ひとり弟ふたりと、たまに意見の食い違いはあれど、基本的には協力して交代でやってますし。安心してお任せできる方が平日は面倒をみてくれているので、めちゃくちゃラッキーなんですよ。介護や家事をすべて完璧にして、しかも対外的には笑顔を絶やさないというまじめな人も世間にはいらっしゃいますけど、私はいっぱい人に助けてもらってるし、ときにはズルもします。「頭に来た!」とむしゃくしゃしたら、介護をサボってゴルフに行っちゃう。そのぶん誰かにシワ寄せがいったり、本人を我慢させることになるんだけど。自分がズルしちゃったと思うと、その後は優しくなれるでしょ。私の場合は、介護の経験が仕事にもつながってますしね。「絶対無理」と断っていた新聞小説も、介護のことなら書けるでしょと乗せられて、『ことことこーこ』という小説を書き上げることができました。若い時より今のほうが楽しい親がだんだん弱っていく姿を見るのは情けないし、寂しいことですけど。昔と比べてもしょうがない。年取るとこうなっちゃうのかぁ、ハッハッハ、と笑うしかない。今いいところ、面白がれるところを、見つけるようにしています。昔と比べてもしょうがないというのは、自分自身にも言えることですよね。今の自分と若いころの写真を比べたら、シワも増えたし残念に感じますよ。でも、生きてるかぎりは枯れていくもんだし、それをもとに戻そうなんてのは、不遜でしょ。よく「20代に戻りたい」っていう人いるんですけど、「なんで?」って思っちゃう。だって私は今のほうが楽しいもん。まぁ見た目は若いほうがいいかもしれないけど。あのころのほうが心はつらかったなぁ。うるさい父親から脱したいと思いながら何もできなかったし、恋に悩んでどうせ私はダメな女だと落ち込むことも多かったから。今は忙しくてつらいと思うほど仕事があって、それはありがたいことですしね。いろんなことを笑っちゃうぐらいの余裕もできた。年を取るとともに失ったものをもあるけど、得たものはたんとありますもんね。だから、あまりマジマジと鏡は見ないことにしてるの。今のほうがシアワセだぞって思うためにね。週刊女性の読者に向けてそうねえ……。、週刊女性に書いてあることすべては信じないように。(編集長の「そんなこと言わないで」という突っ込みを受け流す阿川さん)このページも含め、勝手なこと言ってるゼって笑ってやってくださいませ。【出演テレビ】TBS系『サワコの朝』毎週土曜午前7時30分~テレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』毎週日曜午前11時55分~PROFILE●あがわ さわこ●1953年11月1日、作家の阿川弘之さんの長女として誕生。慶応大学文学部卒業後は、織物職人を目指していたが、’81年からテレビの仕事を始め、『筑紫哲也のNEWS23』などのアシスタントを担当するなどして活躍。’92年、30代の終わりにそれまでの仕事をいったん辞め、1年間アメリカで過ごした。帰国後、『報道特集』でキャスターに。40代からは『週刊文春』の対談の聞き手となったり、『ビートたけしのTVタックル』で個性の強い出演者と絶妙なやりとりをしたり、新しい魅力を発揮。’99年、初小説『ウメ子』を発表、執筆活動にも力を入れるようになり、2012年『聞く力』がベストセラーに。’17年結婚。現在、91歳の母親を介護しつつも、多方面で活躍を続けている。(構成・文/伊藤愛子)
2019年01月14日新日本プロレスの内藤哲也が5日、東京・テレビ朝日で行われた同団体のイベント「WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム」の記者会見に出席した。王者クリス・ジェリコと内藤哲也のIWGPインターコンチネンタル選手権試合に加え、オカダ・カズチカとジェイ・ホワイトによるスペシャルシングルマッチなど、新たな対戦カードも発表された。会見に登場した内藤は、王者ジェリコがフライトの関係で会見に出席できない旨が通達されると、「なぜこの場にクリス・ジェリコがいないのか!?」と憤慨した。「ジェリコのスケジュールを抑えるべきでしょ」と述べ、「なんか、最近の新日本プロレスはその辺すごく雑ですよね」と非難した。続けて「彼には今日この場に来てもらって、彼の言葉で彼の意志を聞きたかったですね。残念ですわ」と語った内藤は、「大ウソつき野郎クリス・ジェリコもいないことですし、俺も帰りますわ…」と言い、最後に「2019年1月4日、東京ドーム、クリス・ジェリコを沈めてやるぜ! アディオス!」と宣言。質疑応答に応じることのないまま会見場を後にした。また会見には、オカダ・カズチカとジェイ・ホワイトも登場。ホワイトが「もうお前の手元から金の雨が降ることはない。雨を降らせるのは俺であり、新時代を築くのは俺だ」と挑発するも、オカダは「率直に、このカードが東京ドームで良いのかな? と思いました」と一蹴し、「ジェイが『いつでもどこでも(試合をして)いい』と言っていたので、今ここでやってもいい」と余裕の態度を見せていた。
2018年11月06日現在公開中のオムニバス映画『ウタモノガタリ-CINEMA FIGHTERS project-』の公開記念舞台あいさつが30日、都内で行われ、岩田剛典、別所哲也が出席した。映画『ウタモノガタリ-CINEMA FIGHTERS project-』の公開記念舞台あいさつに出席した別所哲也、岩田剛典(左から)EXILE HIRO率いるLDH JAPAN、別所哲也が代表を務めるショートショートフィルムフェスティバル&アジア、そしてEXILEなどに作詞を提供してきた作詞家・小竹一人がコラボレーションしてショートフィルム6本が生み出された『ウタモノガタリ-CINEMA FIGHTERS project-』。この日はその1本となる石井裕也監督作品『ファンキー』で主演を務めた岩田剛典、そしてショートショートフィルムフェスティバル&アジア代表の別所哲也が登壇して舞台あいさつが行われた。主演を務めた『ファンキー』について岩田が「エキセントリックというか、かなり奇抜かつインパクトのある作品になっていると思います。台本を読んだ時、節々に『これどういう意味なの?』といろんなクエスチョンマークが浮かびましたが、石井監督と相談したら監督の中ではゴールが見えていて、明確な作品像は監督のみぞ知る作品でした。だから僕は石井監督を信じて撮影に臨みました」と撮影時の心境を明かしつつ、劇中で演じた"純司の兄貴"という役柄は「ほぼ全編サングラスは初めてで、目の芝居が伝わらない苦労はありましたね。17~18分という短い尺の中で、山と谷じゃないですが、クライマックスに向かうシーンメイキングを意識して撮影に臨んだので、ワンシーンワンシーン情報を詰め込むことを考えていました」と回顧した。そんな岩田について別所は「岩田さんの兄貴像の半端ない感じの世界観を楽しんでいただけたと思います。石井監督が描き出す"ファンキー"さというものに対し、表現者としての岩田さんの半端ないチャレンジしている姿が素敵でしたよ。僕は大学の先輩ではあるんですが、今ここでかしずきたいです」と絶賛して思わずひざまずくと、岩田は「そんなことないですよ。止めてください(笑)」と困惑した。また、映画のタイトル『ファンキー』にちなみ、「最近ファンキーだと感じた出来事は?」という質問に、岩田は「最近海外でフランスに行ったんですが、フランスの人って昼からワインを飲んでいたんです。その後に打ち合わせとかあるのに、国民性の違いというかファンキーですよね。それでも仕事ができるというスタンスには驚きました」と回答していた。
2018年07月01日別所哲也俳優の別所哲也(52)がエグゼクティブ・プロデューサーを務めるアジア最大級の国際短編映画祭『ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2018』(今月4日〜24日まで開催)。■鼻につく私物化ぶり「今年でちょうど20回目。長年続けていることには敬意を表しますが、運営の仕切りがひどすぎる」と、情報番組ディレクターはカンカンだ。会場ではスチールカメラマンの怒号が飛び交ったという。「カメラマンはプレスのシールに書かれた番号順に入場できるのですが、案内スタッフがまったくそれをチェックしていない。後から来たカメラマンが先に着席していたり、着席した後に目の前に映画祭側のオフィシャルムービーが入ることを知らされて、“それじゃ写真が撮れない!”って大混乱。もう一度、着席をし直すというお粗末ぶりでした」(前出・情報番組ディレクター)レッドカーペットでの撮影も、外国からやって来た映画人に、きちんと外国語で説明できるスタッフも配置されていない。撮影場所のセンターがどこかもきちんと指示できない。さらに別所哲也の、”いかにも自分の映画祭です”という私物化ぶりも鼻についたという。「入場口で別所がお客さまをお迎えするために、開始時間からして30分も押していました」(ウェブサイト記者)出席者もあっけにとられた場面もあったという。「レッドカーペットで、映画人たちが次々に紹介され、撮影タイムが設けられていたんです。途中、叶姉妹の叶美香が、招待客として来場した。そのまま客席に行くのが普通ですよ。映画と関係ないんですから。ところが別所は、どうぞどうぞとレッドカーペットを歩かせ撮影時間も急きょ、設けたのです。進行表にはまったくないことをブチ込むんですから、私物化もいいところ。それで時間も押すわけですからね」(前出・ウェブサイト記者)短編映画を根付かせた働きは周囲も認めるところだが、取材者を不愉快にさせる運営や別所の君臨はどうにからないのだろうか。<取材・文/薮入うらら>
2018年06月20日今年で20回目を迎える短編映画の祭典「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)」の代表を務める別所哲也が5月25日(金)、映画祭を共催する東京都の小池百合子知事を表敬訪問した。1999年に始まり、米国アカデミー賞公認、アジア最大級の国際短編映画祭として20年の歴史を刻んできたSSFF&ASIA。2016年からは“東京ブランド”を発信すべく、東京を撮影地とするか、東京をイメージした物や場所を扱った作品を対象にした「Cinematic Tokyo部門」がコンペティションに加えられた。■20周年を小池都知事も祝福「継続は力なりですね」別所さんは小池知事に、今年も130を超える国と地域から過去最高となる10,000を超える応募があったことを報告。また、映画祭の初期から『スターウォーズ』シリーズのジョージ・ルーカス率いるルーカス・フィルムが同映画祭を応援してきたが、今年から、「オフィシャルコンペティション」のグランプリが「ジョージ・ルーカスアワード」と改称されることも都知事に伝えた。小池都知事は、同映画祭が20回目を迎えたことに「おめでとうございます。継続は力なりですね。敬意を表したいと思います」と祝福。「フィルムを通じて東京を世界に発信できる発信源でもあり、インキュベーター(=起業支援者)でもあると思います。都も2020年に向けてスポーツの発信をしていますが、これまで成功した大会は、ちゃんと文化の発信もしてるんですね。世界中から集まったいろんなアーティストが、(同映画祭を)スプリングボード(=契機、きっかけ)にされる、いい出発点を提供されてると思います」と称えた。■都庁展望室でもロケ!忽那汐里も出演の『シェイクスピア・イン・トーキョー』この日、別所さんは、Cinematic Tokyo部門で上映されるオーストラリアの女性監督ジェネヴィエーヴ・クレイ=スミスによる作品で、日本から忽那汐里、千葉真一らも出演し、東京の魅力を発信する『シェイクスピア・イン・トーキョー』の予告編を都知事に紹介。都内の様々なロケーションが撮影に使われており、予告編でも都庁の展望台が使用されているのを見て、小池都知事も笑顔を見せた。表敬訪問後、報道陣の取材に応じた別所さんは「都知事にも女優として参加してもらいたいです。東京の魅力を発信する役どころで(笑)」とニッコリ。記念すべき20回目を迎えたことについて改めて「感無量です。1999年にスタートし、ジョージ・ルーカスにも応援していただき、1年、1年、積み重ねてきました。映画は長さじゃない。(同映画祭は)若い映像作家の想いを伝えるお祭り。東京から世界に発信し、(世界中の映像作家に)東京を映画にしたいと思ってもらいたい」と熱く語っていた。ショートショート フィルムフェスティバル&アジア 2018は、6月4日(月)より開催。(text:cinemacafe.net)
2018年05月25日いまにも雨が降りだしそうな曇天の下、東京の下町にある商店街の理容室に、一台の車が止まった。開いたドアから現れたのは、俳優・渡哲也(76)。運転手に支えられるようにして、理容室に入っていく渡は右手で紺色のバッグを持っており、その中から半透明のチューブが彼の鼻へと伸びていた。 本誌が渡を理容室で目撃したのは5月上旬だったが、実はそれに先だち、編集部にはある広告代理店関係者からこんな証言がもたらされていたのだ。 「4月に東京都心の寿司店で、渡さんをお見かけしました。私が驚いたのは、渡さんが以前より痩せていたことと、酸素吸入器を鼻につけたまま、ご来店したことでした」 渡が’65年に映画で宍戸錠(84)とW主演という形でデビューして以来、すでに半世紀以上がたつ。ずっとスター街道を歩んできた彼だが、幾度も病魔に襲われている。映画関係者は言う。 「’91年には直腸がんが発見されました。さらに’15年に、急性心筋梗塞で手術を受けています。肺気腫やぜんそくといった持病もあるため、いまは自宅療養を続けています」 昨年秋に女優・吉永小百合(72)と宝酒造の日本酒『上撰松竹梅』のテレビCM撮影を行った際、渡本人は自宅療養生活について次のように語っていた。 「食欲はありますよ。週に2、3回、(治療のために)理学療法士に来ていただいています。(リハビリとしては自宅で)ストレッチやスクワットをしたり、エアロバイクに乗ったり、あとは自宅周辺を歩いたりしています」 体力づくりに励んでいるということだったが、持病の呼吸器疾患の治療は難航しているのだろうか。以前から酸素吸入器を使用していることは明かしていたが、現在は外出時には手放せない状態になっていたのだ。現在の病状について、所属事務所の担当者は次のように答えた。 「歩いたりすると呼吸が苦しくなることもありますから、(外出時に)酸素吸入器を使用していますが、ご心配には及びません。渡は、今後もずっと俳優としての仕事を続けるために、懸命にリハビリや治療を続けています。直近の仕事としては、今年も秋に、宝酒造さんのCMを撮影することは決まっています」 呼吸器疾患との壮絶な闘いの支えになっているのは、結婚47年の夫人の存在と、渡自身の“ずっと俳優として現場に立ち続けたい”という強い思いだという。 「自宅でのリハビリには、いつも奥さんが付き添っています。もともと渡さんは、食事にうるさいほうですが、いまは減塩食中心になっており、味付けの工夫も大変なのです」(渡の知人) また前出の映画関係者はこう語る。 「昨年秋の宝酒造CM撮影の際には、吉永小百合から『大人の恋の物語を(いっしょに)やりましょう』と、映画共演を誘われ、彼も『“大ラブシー”のあるやつを!』と、笑顔を見せていました」 渡哲也と吉永小百合、2人のスターの共演が実現する日は――。
2018年05月15日