《真似のしようがない人でした。感服です》3月18日、ラリードライバー・篠塚建次郎さん(享年75)の訃報に接し、こうコメントを発表したのは三浦友和(72)。日本屈指のドライバーだった篠塚さんは数年前からすい臓がんを患っており、今月に入って容体が急に悪化したのだという。篠塚さんは’87年に友和の姉・ひろ子さんと結婚。友和・百恵さん(65)夫妻の義理の兄にあたる。世界一過酷といわれる自動車耐久レース「ダカールラリー」で日本人初の総合優勝(’97年)をはたすなど、ラリー界をけん引してきた偉大な義兄の現役中、百恵さん夫妻はレースのことを常に気にかけていた。「海外でのレース結果をニュースで聞いては、日本で留守番をするひろ子さんに電話をかけていたそうです。たとえいい結果が出なくても、まずはケガがなかったことを喜んでいました」(自動車業界関係者)篠塚さんは’71年に三菱自動車工業に入社し、30年以上専属ドライバーとして活躍した後、’03年に日産自動車がバックアップするチームに移籍している。このチーム遍歴が“三浦家の愛車”と密接なかかわりがあったと芸能関係者は語る。「百恵さんは’86年末ごろに運転免許を取得していますが、最初に購入した車は三菱自動車のギャランでした。じつは、篠塚さんがドライバー業と並行して営業を担当していた三菱車がギャランなんです」長男・祐太朗(39)、次男・貴大(38)の成長に合わせ、愛車はギャランからやはり三菱のパジェロへ。4WDの大型車を、百恵さんは軽快に乗りこなしていた。当時、本誌の取材に近所の主婦は次のように語っている。「百恵さんは運転をお義兄さんの篠塚建次郎さんに習ったと言っていました。三菱車を購入したのも、お義兄さんの影響だそうですよ」伝説のアイドル百恵さんなら、どんな高級輸入車に乗っていても不思議ではないだろう。それでも国産車を選んだ背景には、義兄を尊重する思いがあったのだ。百恵さんは世界的ドライバー直伝のハンドルさばきで、ぜんそくを患っていた実母の通院、子供たちの幼稚園への送迎、ときには家族を乗せて山梨県の清里にある友和の両親が経営するペンションへ。家族だけでなく、キルト教室の仲間を乗せてイベント会場へ出かけるときもパジェロは大活躍。百恵さんにとって、三菱車はともに人生を歩んできたといっても過言ではない愛車だった。ところが、友和と百恵さんの結婚25年の銀婚式のタイミングで、愛車は日産自動車の銀色のエクストレイルに変わっている。「この少し前、篠塚さんは『自分としては、あくまで現役のドライバーとして、新しい可能性を求めて、退職の道を選択した』と話し、日産のチームに移籍しています。日産車への買い替えは、百恵さんの義兄を立てる優しさだったのでしょう」(前出・芸能関係者)友和もまた、篠塚さんのことを尊敬し、ひろ子さんに対しことあるごとに、「いい旦那さんだよ。おれは好きだし、誇りに思う」と話していたという。篠塚さん夫妻の結婚から37年にわたって、2つの家族は車以外の“絆”でも強く結ばれていた。清里のペンションで過ごす際は、祐太朗、貴大、そして篠塚さん夫妻の長男・建太さん(36)が“3人兄弟”のように遊んでいたと、以前の本誌インタビューで篠塚さん夫妻は語っている。「祐太朗も貴大も、百恵に『もう寝なさい』って言われると、ちゃんと言うことを聞くんです。ところが、建太だけは『イヤだもん、僕』って(笑)。好き嫌いも多くて、しょっちゅう弟(友和)から『わがまま言わずに食べろ』って怒られていました。建太にとって弟はとっても怖い存在だったんです」(ひろ子さん)海外のレースで家を空けることの多かった篠塚さんに代わり“厳しい父”の役割を担うこともあった友和にあこがれた建太さんは、絲木建汰として俳優デビューをはたした。’90年代半ば以降は、友和の両親を東京・国立の自宅に迎え、やがて百恵さん夫妻が介護にあたった。前出のインタビューで、ひろ子さんはこう感謝を述べている。「2人でいつも90代の両親の面倒をみてくれて。とくに百恵は、絶えず両親のことを気にかけてくれます。両親にとっても、百恵は私以上に娘らしいんじゃないですか。私以上に、両親のことを知っていますしね」家事、育児、介護の苦労などをみじんも見せずに、いつも自然体でいる義理の妹を、篠塚さん夫妻は“百恵ちゃんは主婦の鑑”と称賛し、感謝していたのだ。やがて、篠塚さん夫妻が国立を訪れる機会が増えると、ひろ子さんが夕食を作り、その間に百恵さん夫妻が映画デートに出かけることもあったという。2つの家族が互いを尊重し、エールを送り合う、そんな関係性は、百恵さんにとっても心の支えの一つだったに違いない。篠塚さんの座右の銘は「継続は力なり」だった。愛車の運転席に座るたび、百恵さんは情熱と優しさにあふれた“お義兄さん”を思い出すことだろう。
2024年03月27日「“兄”の祐太朗(33)と貴大(32)とで、たまに集まって話すんですよ。『いやぁ、すげぇな』って。 叔父(三浦友和・66)が叔母(百恵さん・59)と結婚したのが、28歳でしょう。“息子3人”そろって全員、もうその年を超えているんですね。でも、誰ひとり結婚していない。だから『僕らはその年で結婚なんてありえなかったよな』って」 目を輝かせてそう語る絲木建汰(30)は、三浦友和の実姉・篠塚ひろ子さん(67)の一人息子だ。母のひろ子さんが経営する山梨県・清里のペンション「La VERADURA」で生まれ育った彼は、祐太朗や貴大の従兄弟にあたるが、兄弟同然の間柄。三浦家の3男坊的存在で、「息子3人」「兄」という言葉が自然と出てくる。役者の道を歩む彼は現在、音楽劇『ブルースな日々~夢に向かって~』(築地ブディストホール)を控え、稽古の真っ最中。多忙ななか、インタビューに答えてくれた。 「幼いころは、祐太朗が貴大をいじめて(笑)。『貴ちゃんが泣いてるよ!』と僕が叔母に言いつけ、祐太朗が叱られる。そんな日々でした。僕も小学校のころはかなりの悪ガキで。授業中に教室から抜け出すようなザ・問題児でした。 実は、僕だけ叔父から殴られたことがあるんです。自分の息子たちは1度も殴ったことがないのに(苦笑)。あれは小学校のころ。祐太朗や貴大、彼らの幼なじみの男の子たちと清里の天文台に行ったんです。ただみんなは家族で来ているのに、僕だけ父親が来ていない。そんな寂しさがあったんでしょう。僕がスネて、聞き分けのないことばかり言っていたんです。そしたら突然、バシ~ン!とビンタされたんです」 建汰の父は日本屈指のラリー・ドライバー、篠塚建次郎さん(69)。パリ・ダカールラリーをはじめ、1年のうち8カ月は海外を転戦。ほとんど家にはいなかった。 「父はとても優しかったけど、キャッチボールをしてもらった記憶が僕にはないんです。叔父はそんな僕を見て、『自分が父親代わりになって叱らなきゃいけない』と思ってくれたんでしょう。 父がパリ・ダカのレースで大事故を起こしたとき、僕はまだ15歳でした。『もうパパは助からないかも』と言われて、僕なりに考えたんです。これから母と2人きりになったら、どうやって母を守っていこうかって。 そのとき真っ先に頭に浮かんだのが、叔父のいる芸能界だったんです。それが、僕が役者の道を選ぶきっかけになりました」 そんな叔父とは、幼いころと変わらない“父子”のような関係がいまでも続いている。 「叔父の家へ遊びに行って、男2人でお酒を飲みます。父はお酒が弱いんですが、叔父は強くて。遅くまで一緒に飲めるので、気兼ねせずにいろんなことを話せます。叔父の家には良いお酒がたくさんあります。先日も『じゃあ、今日はこれ、開けてみようか。60年くらい前のものじゃないかな?』と言って叔父が開けてくれたのが、レミー・マルタン!2人で『すごいもんだねぇ』って頷きながら飲んでいました」 健汰は今日も、偉大な叔父の背中を追っている――。
2018年05月16日映画『64-ロクヨン-前編』(5月7日公開)に出演する俳優の三浦友和と佐藤浩市が、5月6日放送のTBS系バラエティ番組『ぴったんこカン・カンスペシャル』(19:56~)に出演する。今回のテーマは、「佐藤浩市さんと一緒に三浦友和さんに一歩でも近づく旅」。安住紳一郎アナウンサーは、約6年前に三浦が同番組に出演した際、聞きたいことをほとんど聞き出せなかった苦い過去を持ち、今回、三浦と旧知の仲である佐藤に協力してもらい、三浦から前回聞けなかったこと聞き出す作戦をとることになった。そこで佐藤と安住アナは、三浦に会うため、山梨県八ヶ岳山麓の清原高原にある三浦の姉が営むペンションを訪問。安住は事前に聞きたいことを付箋に書き出し、質問内容によって付箋を色分けする徹底ぶりで挑んだ。作戦会議を経て訪れたペンションでは、三浦友和本人をはじめ、三浦の姉・弘子さん、弘子さんの夫でパリ・ダカールラリーで日本人初優勝した篠塚建次郎氏、三浦の甥っ子・建太くんなど、三浦の親族が登場。三浦の幼少時代からの秘話や、俳優になったいきさつ、さらには三浦の妻・百恵さんの話などが語られる。三浦が妻・百恵さんのことを書いたことでも話題になった『相性』を熟読してきた安住アナは、視聴者が聞きたがっていることを代表して三浦に直撃。「結婚生活36年なのに、夫婦喧嘩をしたことがない!?」「夫婦円満の秘訣は!?」「二人の恋心がどう芽生えたのか!?」など、本人にぶつけた。また、陶芸が趣味で、自身の窯を持っているという三浦の作品も披露。佐藤と安住アナも、三浦と共に陶芸の蔵元を訪ね、ろくろ体験をする。さらに、三浦一家をよく知る人物と懐かしい再会も実現する。(C)TBS
2016年05月06日