田村正和さん4月3日は、田村正和さんの一周忌だった。「亡くなっていたことが公表されたのは、1か月以上がたった5月18日でした。プライベートを見せないという“美学”を最後まで貫きました」(スポーツ紙記者)田村さんが暮らしていた東京・成城では、今も故人を偲ぶ声が聞かれる。近所に住む女性に話を聞いた。「子どものころ、田村さんの娘と仲よくさせてもらっていて、自宅にも遊びに行っていました。当時は今の大きな家の敷地に3軒の家が立っており、田村さんたち兄弟がそれぞれ住んでいたんです。たまに田村さんがいると、優しい笑顔で私たちが遊んでいるのを見守ってくれて。スタイルがよくてカッコいいおじさんだと思っていました。最後に会ったのは、亡くなる2か月前。朝の散歩をしていて“お父さんとお母さんは元気?”って、ニコッと笑ってくれました」いつも違う花が添えられていて現在は、残された妻が成城の家を守り、娘もよく訪れているという。「奥さんが1人だと広すぎるかもしれませんが、今もお住まいです。会えば挨拶もするし、変わらずお元気ですよ。田村さんは晩年、軽井沢に所有していた400坪超の土地にある別荘で過ごす時間が長くて、そちらに引っ越すという話もあったんです。でも、やっぱり田村さんは“成城で死にたい”と言って、引っ越しはやめたそうです」(別の近所の住民)田村さんの墓は、横浜市郊外の霊園にある。山を切り開いた広大な敷地の中、高台ではなく、低い場所に位置している。周囲の墓の5倍はあろうかと思われる広さだが、隅に五輪塔があり、その隣に小さな墓石が据えられている。来ていた人に話を聞くと、「いつも違う花が供えられていますよ。霊園との契約で、年5回の草むしりと、花も毎月替えてもらえることになっているようです。ご家族を見かけたことはありませんが、ファンの人が来ているのを見たことはあります」田村さんは’88年に“生前墓”として、この区画を購入。しかし、四十九日に納骨されても、墓石はないままだった。墓石が建てられたのは、亡くなって4か月以上がたってから。田村さんは墓の造りにこだわりがあり、専門家からアドバイスを受けていたという。「この墓は“吉相墓”と呼ばれるものです。一般的な墓は、先祖が建てた1つの墓に代々入るのですが、吉相墓の場合は、代が替わるごとに子が墓石を建てます。敷地内にどんどん墓が建つことになりますが、今は田村さんの墓石があるだけ。田村さんの名前は黒で刻まれていますが、奥さんの名前も生きていることを指す赤文字で入っています」(墓地の関係者)墓地代は“数千万円”墓の向き、石の色や文字などにも細かい決まりがある。高低差のある霊園内でも低い位置を選んだことにも理由があった。上のほうに墓を建てると、財産が増えないとされているためだ。「田村さんは“墓相学”を大事にしていたそうで、京都の専門家に聞いていました。墓石が小さいのは、高さがあると金銭的に“凶”といわれるから。土は、田村さんの本家の墓がある京都の業者から『備前土』という黄色い山土を運びました。砂利や小石は、子どもが病弱になるとされ、土を敷くことをこだわったそうです。広い敷地の隣にある区画には、祭壇のような笠石があって、墓地代は合わせると数千万円になります」(前出・墓地の関係者)3月下旬、週刊女性が田村さんの墓の前にいると、男性2人と女性1人がやってきた。聞けば、そのうちの男性1人は田村さんのマネージャーだったという。そこで、一周忌の予定について問うと、「特に何もないと思いますよ」亡くなってしばらくは墓石がなかったことについては、「そっと送ってほしいということだったんだと思います」と語る。田村さんの父・阪東妻三郎さんの墓は京都にある。熱心なファンが墓参りをしやすいようにと、道すがらに立っていた“案内板”を見た田村さんは、怒って引っこ抜いたという逸話が残っている。自分の死は、そっとしておいてほしいと考えたのだろう。この男性マネージャーに田村さんとの思い出話も聞いた。「私は50年前から正和さんを担当していました。いちばんの思い出深い作品といえば『古畑任三郎』になるのでしょうが、若いころは『眠狂四郎』ですね。木村拓哉さんが古畑任三郎のものまねをしていましたけど、嫌がる様子もなく、笑って見ていましたよ」「これで仕事を辞めたい」最後に会ったのは5年ほど前だったそう。「『眠狂四郎 The Final』というドラマで、これで仕事を辞めたいと言っていました。でも、最後に話をしたのは昨年の2月で“コロナが落ち着いたら、ご飯食べよう”と言っており、声も元気そうだった。まさか、その2か月後に亡くなるなんて、本人も思っていなかったはずですよ」それでも田村さんは死を予見していたのか、その発表を遅らせたのは、本人の遺言だったと明かしてくれた。「そう奥さんがおっしゃっていましたから。亡くなったときに、私にすら連絡はなかったんです。四十九日が終わった5月18日に連絡があって、急きょ、私が発表したんです」長年の苦楽を共にしたマネージャーにも死を知らせないという徹底した管理。生前は仕事でロケに行ったときなど、外に姿を現すことを避けていたのは有名な話だ。「外食はせず、食事は個室。付き人が食べ物を運んでいました。私と、時々部屋で食べるくらいでしたよ。打ち上げも個室でした」晩年は軽井沢に移住しようとしていたという話についても聞いてみると、「確かに、軽井沢には毎年、夏になると行っており、そっちに住むという話もあったと思います。でも、軽井沢はあくまでも別荘という感覚だったのでは。正和さんは、やっぱり成城にいたかったんじゃないでしょうか」軽井沢での生活より、住み慣れた成城で最期を迎えることを選んだ田村さん。今、その成城の家は妻が守り、本人は自らデザインした墓所で安らかに眠っている。
2022年04月06日インペリアル・エンタープライズ株式会社(所在地:東京都荒川区、代表取締役社長:原 良郎)は、桂正和画業40周年を記念して「ウイングマン オフィシャルウォッチ」を、PREMICOオンラインショップで販売開始いたしました。ドリムノートを開けば、憧れのヒーロー『ウイングマン』が躍動する――『ウイングマン』 『電影少女』 『I”s』 など数多くの名作を生み出してきた漫画家・桂正和先生の画業40周年を記念して、『ウイングマン』の世界観を表現したオフィシャルウォッチが誕生しました。異次元空間を想起させる深いブルーの文字盤に広がるのは、少年時代に憧れた愛と正義の世界。ウイングマンのマスクや翼の立体意匠、クロムレイバーの時分針など、あの頃の感動が蘇るアイテムを盤上に散りばめながら、クロノグラフとしての造形美にもこだわり抜いた、まさに夢の逸品。桂正和先生のデザイン監修により、『ウイングマン』の世界観がスタイリッシュに再現された限定版です。限定1000点、裏蓋にエディションナンバーを刻印。「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。2022年2月21日(月)より、PREMICOオンラインショップにて販売開始いたしました。商品特設ページ: 桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチストップウォッチ機能を搭載し、盤上にストップウォッチ分計・24時間表示・ストップウォッチ秒計の3つのインダイヤルを装備。3時・9時の位置に並ぶインダイヤルは、ウイングマンが「デスボール」を発射する時に開くソーラーガーダーの胸元部分がモチーフ。異次元空間を想起させるワイヤーフレームが描かれた盤上に、ウイングマンのマスクと翼、ロゴを立体加工。ソーラーガーダーのランプに着想を得た青・黄・赤の配色でエネルギッシュなイメージに仕上がっています。時針・分針は長剣「クロムレイバー」をデザイン。裏蓋にはウイングマンの姿と限定の証であるエディションナンバーが刻印されます。物語のきっかけにして夢のノート「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。ボックスを開くと、蓋裏に桂正和先生のサインの箔押しが施されています。■商品情報商品名:桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチ価格 :39,800円(税込43,780円)限定数:1000発売日:2022年2月21日(月)お届け:2022年4月下旬 発送予定発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)URL : (c) Masakazu Katsura /SHUEISHA■商品仕様材質 :ケース・裏蓋・バンド=ステンレススチール 文字盤=真鍮 風防=ミネラルガラスケースサイズ(約):縦47.5×横45.5×厚さ9.6mm手首回り(約):S=16cm、M=18cm、L=20cmムーブメント:MIYOTA製クオーツ(日本製)精度 :月差±20秒以内防水性能 :5気圧防水保証 :1年間品質保証生産国:中国■PREMICO(プレミコ)についてPREMICO は、“プレミアムな価値を持つ限定版コレクターズアイテム”をコンセプトに誕生したブランドです。アニメキャラクターやスポーツ選手などの公式アイテムを通じ、夢や感動といった目に見えない大切な宝物をお届け。ここでしか手に入らない商品を販売しています。PREMICO オンラインショップ: ■会社概要会社名:インペリアル・エンタープライズ株式会社所在地:東京都荒川区東日暮里5-7-18 コスモパークビル代表者:代表取締役社長 原 良郎設 立:昭和57年(1982年)9月1日資本金:100,000千円URL: 事業内容:通信販売■お問い合わせ先<商品内容等> フリーダイヤル:0120-989-808(9:30~17:00/土日祝休)<ご注文専用番号> フリーコール:0120-247-417(6:00~21:00/無休)※本リリースに記載しております内容は、発表日現在の内容となります。予告なしに内容が変更される場合があります。予めご了承ください。※製品の仕様や外観は、改善のため予告なく変更することがあります。※限定数に達した場合、販売を終了させていただきます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年02月21日(左上から)田中邦衛さん、田村正和さん、西田敏行、内野聖陽、陣内孝則、ムロツヨシ「いまの家庭に昔ほど昭和的なお父さんも減っていると思いますが、その“生き残り”といいますか~」と、主演を務める吉田鋼太郎が話す、ドラマ『おいハンサム!!』(東海テレビ・フジテレビ系土曜日23時40分~)が1月8日からスタートする。昨今、見かけなくなった“ザ・昭和”ながんこ親父を吉田が演じる。振り返ればドラマ史には視聴者のハートをわしづかみにした父親が少なくない。そこで今回、全国40歳以上の女性800人を対象に「ドラマに登場する父親の中で、理想のキャラクターと思う人は誰ですか?」というアンケートを実施。あなたの“理想の父親”は入っている!?◆◆◆■“親父”といえばこのふたりドラマキャラ理想の父親ランキング<1〜5位><第1位>『北の国から』黒板五郎(田中邦衛さん)140票<第2位>『パパはニュースキャスター』鏡竜太郎(田村正和さん)133票<第3位>『池中玄太80キロ』池中玄太(西田敏行)127票<第4位>『おかえりモネ』永浦耕治(内野聖陽)104票<第5位>『1リットルの涙』池内瑞生(陣内孝則)88票(票は複数回答)第1位は、『北の国から』(フジテレビ系’81年~)の黒板五郎(故・田中邦衛さん)。「純や蛍にはもちろん、周囲の人に対する温かい心の持ち主だと思います」(鳥取県63歳専業主婦)「不器用だけど明るくて、子どもを見つめるときの優しい眼差しが好き」(富山県73歳専業主婦)といった声が寄せられたように、名優の田中さん演じる不器用だけど優しさにあふれた父親の姿は、今なお多くの人の心に残っていることを証明した。20年近く放送された長編ドラマだとしても、「やるなら今しかねえ」、「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」など数多くの名言を残した父親は、彼をおいてほかにはいない。そして、第2位も昭和ドラマの父親がランクイン。『パパはニュースキャスター』(TBS系’87年)の鏡竜太郎(故・田村正和さん)に支持が集まった。「クールでシャイだけど娘思いの気持ちが見えるから」(神奈川県48歳パート)「カッコよくて、とってもモテるタイプだと思うけど、面白い部分があって娘を溺愛しているところが好き」(広島県58歳専業主婦)単純に「父親が田村正和さんみたいな顔だったら」という票だけではなく、時折見せる激烈なまでの家族への愛情も人気の要因のひとつ。ドラマウォッチャー&コラムニストの吉田潮さんも、「鏡竜太郎以外にも、第8位の『パパとなっちゃん』(TBS系’91年)で田村さんが演じた志村五郎は、とにかく怒鳴ったり、娘とケンカしたりすることが多いけど、見せ方がうまかったですよね。子どもの幼少期から嫁ぐまでのシーンを毎回順に見せていくなど、田村正和さんの感情が伝わるようなドラマだった」と評する。■好きと嫌いは表裏一体続く、第3位は『池中玄太80キロ』(日本テレビ系’80年~)。西田敏行が演じた池中玄太に対しては、「再婚相手の連れ子にもあれだけ親身に接してくれる人なら、自分の子どもに対してはなおさらだと思います」(岡山県66歳パート)「子どもと同じ目線でいて、包み込む優しさがあった」(愛知県65歳専業主婦)と、人間味のある父親像に共感の声が多数。こうしてみると、昭和の父親強し!という気もするが、実は今回のアンケート、「逆にこんな父親はイヤだというキャラクターは誰?」とも聞いている。そのワンツーフィニッシュを飾ったのが、なんと『北の国から』の黒板五郎&『池中玄太80キロ』の池中玄太。五郎には、「自分の勝手な考えで田舎に連れていかれた子どもたちの気持ちを考えると、こんな親は絶対にムリ」(和歌山県44歳パート)玄太に対しては、「知性がなくて熱量がありすぎる人は苦手なので」(東京都71歳専業主婦)などなど、散々な言われようのふたり。「五郎は妻に浮気され、子どもを連れて北海道へ移住という強硬手段だったし、玄太は血のつながらない親子だったがシングルファーザーとして娘3人を意固地になって育てる話。どちらも独善的でがんこな父親だけど血の通った、心根は温かい人。言葉が足りない、直情的なだけで、子どものことを愛してやまない。それだけに賛否が分かれるのも納得(笑)」(吉田さん)■“昭和の親父像”からの変化ドラマキャラ理想の父親ランキング<6〜10位>第6位『過保護のカホコ』根本正高(時任三郎)84票第7位『青天を衝け』渋沢市郎右衛門(小林薫)81票第8位『パパとなっちゃん』志村五郎(田村正和さん)74票第9位『親バカ青春白書』小比賀太郎(ムロツヨシ)63票第10位『カムカムエヴリバディ』雉真千吉(段田安則)60票(票は複数回答)4位以下、中位に名を連ねるのは、『おかえりモネ』(NHK’21年)の永浦耕治(内野聖陽)、『1リットルの涙』(フジテレビ系’05年)の池内瑞生(陣内孝則)、『過保護のカホコ』(日本テレビ系’17年)の根本正高(時任三郎)。「モネちゃんのことを本当に考えていて、亭主関白ではなく奥さんに優しいところ」(大阪府53歳専業主婦)「正高は子どもに対して甘いんじゃないかな、と思ってしまうくらい優しい人」(東京都45歳専業主婦)彼らに共通するのは、昭和の父親像とは違い、子どもに寄り添うよき理解者ということ。こうした点を踏まえ、前出の吉田さんは、「愛があったとしても、大声で怒鳴りちらしたり、早く嫁にいけだのといった男尊女卑発言をする父親像は、受け入れられなくなってきた気がする」と語り、こう続ける。「個人的には、『デート』(フジテレビ系’15年)で杏の父を演じた松重豊は、現代的な理想の父親だったと思います。娘の人生と性格を何よりも尊重し、配慮と思いやりがある。また、『義母と娘のブルース』(TBS系’18年)で父親を演じた竹野内豊も素晴らしかった。自身が余命宣告を受けると、ひとり娘を優秀な女性(綾瀬はるか)に託す知恵と行動力。父親としての最善を尽くした姿は印象的」第7位には、『青天を衝け』(NHK’21年)で栄一の父・渋沢市郎右衛門(小林薫)がランクイン。「最後には子どもの意思を尊重して、やりたいようにやらせてくれるところ」(兵庫県71歳パート)といった感想が寄せられているように、栄一を送り出すシーンは、同ドラマ屈指の名シーンとして記憶に新しい。「この時代、農家の長男が家業を継がずに、好きなことをするのはありえないこと。背中を押してあげるだけではなく、立派になった息子に対して感謝と敬意を口にする点も寛大さを表していますよね。大河や朝ドラでは、自分の子どもに対して尊敬を口にする父親はあまり出てこない。それだけに小林薫の市郎右衛門は父親像として、とても新鮮に見えた」(吉田さん)そして、第9位に入った『親バカ青春白書』(日本テレビ系’20年)の小比賀太郎に扮したムロツヨシは、娘のことが好きすぎて、同じ大学に通い始めてしまう父親を熱演。しかし、さすがにコメディーとはいえ、バカすぎるという理由から「イヤな父親」でも票を伸ばす形に。「娘を大好きなことが行動にあふれ出しているところ」(秋田県48歳専業主婦)という意見がある一方で、「いつも一緒にいようとすることは、完全にストーカー。キモいです」(茨城県57歳会社員)とバッサリ。吉田さんも、「確かに気持ち悪い」と前置きしたうえで、「『親バカ青春白書』はやりすぎだけど、今の父親や母親と子どもたちって、とても仲よく距離感が近いですよね。そういう意味では、令和の父親像っぽいともとらえられる」と評価が分かれる背景を分析する。■「頑固親父」から「寄り添う父」へドラマキャラ理想の父親ランキング11~20位第11位『とんび』市川安男(堤真一・内野聖陽)54票第12位『ルパンの娘』三雲尊(渡部篤郎)43票第13位『おとうさん』進藤士郎(田村正和さん)39票第14位『オヤジぃ。』神崎完一(田村正和さん)34票第15位『ファイナルファンタジーXIV光のお父さん』稲葉博太郎(大杉漣さん)32票第16位『リコカツ』水口武史(佐野史郎・平田満)31票第17位『パパは年中苦労する』巽耕作(田村正和さん)28票第18位『アイムホーム』家路久(木村拓哉)26票第18位『24 JAPAN』獅堂現馬(唐沢寿明)26票第20位『モコミ~彼女ちょっとヘンだけど~』清水伸寛(田辺誠一)23票(票は複数回答)あらためて印象的な父親が登場するドラマを振り返ると、昭和の父親=ホームドラマ、平成以降の父親=ヒューマンドラマの傾向が強いことが見えてくる。とりわけ時代が下るにつれホームドラマが少なくなるが、吉田さんは、「家族が集まって肩を組んだりケンカしたりするホームドラマは、個の時代である現代ではリアリティーに欠ける」と語る。「能楽師の家庭に育ちながらも、プロレスラーになった『俺の家の話』(TBS系’21年)のようにトリッキーな設定でもない限り、家族を描くことは難しいと思います。ひとつ屋根の下にいてもLINEで会話するような時代ですからね(笑)。また、会社で働いて、家に帰ってきてダラダラしているような“何もしない父親”は、女性たちからしてもご遠慮くださいという時代。『極主夫道』(読売テレビ・日本テレビ系’20年)がウケたのは、見た目こそ怖いけど、家事が完璧だから。前時代的な父親像は拒否反応も強いのでは」(吉田さん)あえて昭和の親父を見せる『おいハンサム!!』──。令和の時代に、どう昭和の父親を融和させるのか?見ものだろう。吉田潮(よしだ・うしお)●コラムニスト。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆し、『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターも務める。著書に『親の介護をしないとダメですか?』など<取材・文/我妻アヅ子>
2022年01月17日2021年に亡くなった(左上から時計回りに)細木数子さん、瀬戸内寂聴さん、古賀稔彦さん、小林亜星さん、田中邦衛さん、田村正和さん2021年も多くの著名人・有名人が惜しまれながらこの世を去ってしまった。週刊女性が撮り溜めた秘蔵写真で振り返る「追悼2021」。その輝きに夢中にさせてもらったこと、教わったこと、エンターテイメントの楽しさを伝えてくれたこと……決して忘れない。■昭和・平成・令和を駆け抜けた名優もオリンピック柔道金メダル「平成の三四郎」3月24日、’92年バルセロナオリンピックの柔道金メダリスト・古賀稔彦さんが53歳の若さでがんのため亡くなった。関係者によると古賀さんは、’20年にがんの手術を受けて治療を続けていたという。現役引退後は、日本代表のコーチや大学の柔道部総監督として選手を指導。’04年のアテネ五輪では、教え子の谷本歩が金メダルを獲得した際、抱き合って喜ぶ姿が世界中に放送された。「平成の三四郎」と呼ばれた古賀さんの3人の子どもたちも柔の道に入り、父の背中を追って戦っている。12月9日には、毎日スポーツ人賞の功労賞を受賞し、愛弟子であり五輪2連覇を果たした谷本歩が代わって受け取り「天国で古賀先生も笑顔で喜ばれていると思う」と微笑んだ。●【追悼】古賀稔彦さんが語っていた『古賀塾』教え子たちへの想いと“将来の夢”寡黙で不器用な「黒板五郎さん」古賀さんが亡くなった同日、『北の国から』で黒板五郎役を演じた、俳優の田中邦衛さんが老衰のため88歳で亡くなった。田中さんといえば映画『若大将シリーズ』で加山雄三演じる若大将のライバル・青大将で人気を博す。その後の『北国から』で国民的な俳優となった。脚本を手掛けた倉本聰さんは「気持ちの中に大きな穴があきましたね。とにかく人間的にも友人的にも無二の人です」とコメント。息子・純役の吉岡秀隆は「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」、娘・蛍役の中嶋朋子は「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在に出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として、人として、大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしまう少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます。天国でも、たくさんの人を幸せにしてくださいね。ありがとうありがとうありがとう」と田中さんを偲んだ。●田中邦衛さん、自ら語っていた「引退宣言」と語り継がれる全身全霊の役作り●田中邦衛は本当に「元気」なのか、近隣住民の証言でわかった妻との自宅闘病昭和・平成の名俳優「古畑任三郎」逝く田中さんの死からわずか10日後、またも日本の名優が旅立った。4月3日、心不全で77歳で死去したのは田村正和さん。時代劇のスター・阪東妻三郎さんの三男で兄・高廣さんと、弟・亮ともに俳優の道に進み「田村三兄弟」と呼ばれた。田村さんの訃報を受けて、弟の亮は「兄は幸せな人生を送ったと思います。仕事でもプライベートでも何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います」とコメント。ドラマ『パパはニュースキャスター』(’87年)、『ニューヨーク恋物語』(’88年)など、主演ドラマは軒並み大ヒット。『古畑任三郎シリーズ』(’94年〜’08年)は最高視聴率34.4%を記録。来年1月11日には『古畑任三郎 DVDコレクション』の発売が発表された。●田村正和さん「もしお元気だったら」三谷幸喜も待ち望んだ『古畑任三郎』の復活●田村正和さん、結婚3年目に“100点の妻・和枝さん”にしていた「浮気話」●田村正和さんが愛用した『古畑任三郎』“30万円セリーヌ自転車”は健在だった■芸能界に“アイドル文化”を確立最高視聴率は34.2%!『渡鬼』生みの親田村正和さん死去のニュースで悲しみに暮れる中、4月4日、橋田壽賀子さんが急性リンパ腫のため95歳でこの世を去った。亡くなる前日に闘病中の病院から退院したばかりで、静岡・熱海の自宅に戻っていたが翌日に帰らぬ人に。橋田さんといえば『おしん』(’83年〜’84年)や『渡る世間は鬼ばかり』(’90年〜2019年)の脚本家として活躍し、女優の泉ピン子とは家族同然の付き合いをしていたこともあり、泉は橋田さんの最期を看取ったという。「ママって呼んだら、目を開けて。安らかに眠るように亡くなりました」とコメントし、ピン子が最後の化粧を施した。10月に開かれた「東京ドラマアウォード2021」では橋田さんに特別賞が授与され、60年にわたりコンビを組んで『渡鬼』を制作してきた、石田ふく子プロデューサー(95)が代理でトロフィーを授与した。●【追悼】橋田壽賀子さん、生前に語っていた「私がお墓に入るとき」●【追悼】橋田壽賀子さん、連載担当者に聞いた「最期の2年間」●橋田壽賀子さん「幸楽は宅配とテイクアウトで…」『渡る世間は鬼ばかり』新作のテーマは“コロナ禍”だった「〜じゃあ〜りませんか」で一世風靡4月18日、吉本新喜劇座員のチャーリー浜さんが4月18日、誤嚥性肺炎、呼吸不全のため78歳で亡くなった。「〜じゃあ〜りませんか」のギャグで一世を風靡し、’91年『新語・流行語大賞』で年間大賞を受賞し、その後『ごめんくさい』などのフレーズも人気を呼んだ。チャーリー浜さん訃報を受けて、吉本新喜劇座長の小籔千豊は「先人の頑張りがあったから僕は吉本新喜劇でおらせていただいています。流行語大賞をとった新喜劇の人間はチャーリー浜さんだけです。全国の方々に吉本新喜劇を知っていただくきっかけをつくった最大の功労者のひとりであり、偉大な先輩です。」とコメントを発表。昭和の頑固オヤジ『寺内貫太郎』作曲家・俳優として活躍した小林亜星さんが心不全で88歳で亡くなったのは5月30日だった。小林さんといえば『北の宿から』『この木なんの木』『ガッチャマンの歌』『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』など、多くのヒット曲を手掛けただけでなく、’74年『寺内貫太郎一家』で昭和の大家族の頑固オヤジに大抜擢され人気を博す。最期は早朝の自宅で倒れ、そのまま同日に亡くなってしまったため多くの関係者、ファンが悲しみにくれ、数多くのCMソングを手掛けた縁もあり、日立製作所、日本生命、積水ハウス、明治、サントリーホールディングス、メガネドラッグなど多くの企業から追悼コメントが発表された。’21年の『第63回 輝く!日本レコード大賞』では特別功労賞を授与された。●小林亜星さんを悩ませた、絶縁8年「不肖の60歳息子」と「4億円遺産」の憂い“ジャニーズの母”として芸能界に貢献多くのアイドルを誕生させたジャニーズ事務所の名誉会長・藤島メリー泰子さんが8月14日、肺炎のため都内の病院で93歳で亡くなった。弟のジャニー喜多川(’19年死去)さんと二人三脚で日本の芸能界に男性アイドルという文化を確立させ、多くのアイドルタレントを輩出した。お別れ会を開催し、盛大に見送られたジャニーさんとは対照的に、メリーさんは近親者のみでひっそりと見送られたというが、息を引き取った同日には、所属タレントが次々と病院に駆けつけ故人にお別れの言葉をかけたという。事務所の“長男”である、東山紀之は「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました。私の人生でなくてはならない存在のメリーさんが天国に旅立ちました。(略)行く先々を明るく照らしてくれて本当にありがとう。天国のジャニーさんによろしくね」とコメントを発表した。●メリー喜多川さん“女帝”ではない「衣装おばさん」の顔と、滝沢秀明に託した“遺言”●木村拓哉、インスタに添えた「2枚の匂わせ写真」が示すメリー喜多川さんとの親密度■生き方を問う2人が相次いで……日本を代表するアクション俳優メリーさん死去から5日後の8月19日、今度は日本を代表するアクションスターがこの世を去った。「千葉真一さん、新型コロナウイルスによる肺炎で死去」のニュースはコロナの恐ろしさを再認識させ、改めて感染防止の必要性を訴えた悲しい出来事だった。週刊女性は千葉さんが亡くなるわずか1か月前にインタビューをしており、そこでは長男の新田真剣佑に対し「俺を超えたな」と認め、次男の眞栄田郷敦とともに親子共演を望んでいた。真剣佑は海外での撮影中に父の訃報を知り、帰国しても遺骨に会えないまま納骨されたことが明らかに。●【千葉真一さん死去】先月語っていた息子・真剣佑と郷敦のこと、そして「新たな夢」●千葉真一さん、80歳を超えてハマった“意外な趣味”と真剣佑と郷敦との最期の夢●千葉真一さんが売り込んだ、真剣佑と郷敦を従えた「ハリウッド時代劇」の中身“生きる道しるべ”を示してくれた2大女性の相次ぐ訃報六星占術の創始者でタレントとしても多くのテレビに出演して人気者となった細木数子さん死去のニュースが駆け巡ったのは11月8日のこと。心不全のため都内の自宅で83歳で亡くなった。その翌日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが同じく心不全のため99歳で死去したニュースが報じられると、「生き方を問う2人が相次いでなくなるなんて……」とネット上では多くのコメントが上がった。お二人とも高齢のため晩年はメディア露出を控えていたが、訃報に悲しみの声が広まったのは言うまでもない。●【追悼】細木数子さん「絶対に忘れてはいけない」後継者に語っていた慈愛と予言●瀬戸内寂聴さん、5年間干された過去と「酒・肉・イケメン」を愛した波乱万丈人生鬼平犯科帳、人間国宝とのお別れ11月28日、歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さんが、心不全のため77歳で亡くなった。吉右衛門さんは’21年3月に急性の心臓発作で倒れ、その後は治療に専念するため舞台の休演が続いていた。兄である松本白鸚は「別れは何時の刻も悲しいものです。今、とても悲しいです。たった一人の弟ですから。幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。播磨屋の祖父そっくりでした」とし、悲痛な胸のうちを語った。●中村吉右衛門、心臓発作の現状と「跡継ぎがいない」播磨屋の”空位危機”●【秘話】中村吉右衛門さんの娘婿・尾上菊之助が叶えたかった「養子縁組」「復帰公演」歳での急逝に悲しみの声、続々……12月18日、札幌のホテルの高層階から転落し、多発外傷性ショックのためこの世を去った神田沙也加さん。夢であった舞台、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』出演のために滞在していた。父・神田正輝と母・松田聖子は沙也加さんの遺骨を位牌を胸に、“親子3人”で記者会見し、その姿に多くの人が涙を流した。沙也加さんの悲報は年の瀬が迫った12月末まで続き、今でもなお悲しみは続いている状態だ。●神田沙也加さんが生まれた日、立ち会った関係者が語る「本当に幸せな親子だった」●神田正輝、沙也加さん急逝の計り知れない悲しみ 記者に明かしていた「親子を超えた関係性」◆いのちの電話【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル0570(783)556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル0120(783)556※毎月10日にフリーダイヤル(無料)の電話相談を受け付け毎月10日:午前8時~翌日午前8時■2021年にお別れした主な著名人・有名人1月23日坂本スミ子さん(84・歌手・女優、脳梗塞)4月11日隆大介さん(64・俳優、頭蓋内出血)4月25日神田川俊朗さん(81・料理研究家、コロナ肺炎)4月39日立花隆さん(80・ジャーナリスト、急性冠症候群)5月5日 富永一朗さん(96・漫画家、老衰)5月6日 三浦健太郎さん(54・漫画家、急性大動脈解離)5月23日片岡秀太郎さん(79・歌舞伎役者、慢性閉塞性肺疾患)6月18日寺内タケシさん(82・ギタリスト、肺炎)6月22日李麗仙さん(79・女優、肺炎)6月26日和田圭さん(68・元フジテレビ解説委員、急性心不全)6月30日大島康徳さん(70・元プロ野球選手、大腸がん)7月16日酒井政利さん(85・音楽プロデューサー、心不全)8月14日ジェリー藤尾さん(81・歌手・俳優、急性肺炎)8月17日笑福亭仁鶴さん(84・落語家、骨髄異形性症候群)9月17日竹下亘さん(74・政治家、食道がん)9月20日風間ルミさん(55・女子プロレスラー、不明)9月30日すぎやまこういちさん(90・敗血症性ショック、作曲家)10月14日 森山真弓さん(93・元政治家、老衰)10月21日 杉本沙織さん(56・声優、食思不振症)11月4日川嶋辰彦さん(81・紀子さまの父親・学習院大名誉教授、中皮腫)みなさまのご冥福をお祈り致します。
2021年12月27日最後までダンディズムを貫いた故・田村正和さんの少年時代女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、4月3日に心不全で逝去した故・田村正和さんとの若かりしころの思い出を綴る。■高3のころ、撮影現場でシクシク泣いていた正和ちゃんが亡くなられた。多くの方は、古畑任三郎をはじめとした知的でダンディーなたたずまいの田村正和をイメージすると思う。でも、私は、まだデビューしたばかりのころの、身体が弱くて泣き虫で愛くるしい正和ちゃんの姿が忘れられない。初めて共演したのは、1962年に公開した、大女優の田中絹代さんが監督をされた『お吟さま』という映画だった。原作は今東光さん。千利休の娘・お吟とキリシタン大名の高山右近の悲恋を描き、お吟さまは大美人の有馬稲子さん、右近を仲代達矢さんが演じた。千利休を(二代目)中村鴈治郎さん、奥方を高峰三枝子さん、豊臣秀吉を滝沢修さん……錚々(そうそう)たる役者が集う中、私はお吟さまの女中役・宇乃。正和ちゃんはお吟さまの弟役として出演。新人若手はふたりだけ。お吟さまの女中だから、ずっと出番がある。長時間、現場にいる。その間、弟役である正和ちゃんと時間を過ごすことが多かった。彼は、前年の『永遠の人』で本格デビューを果たしたものの、芸歴はまだ浅く、当時は東京・世田谷の成城学園高校に在学する高校3年生だった。撮影場所は京都太秦。彼は、「家に帰りたい。学校に行けない。日数が足りないと受験ができない」と不安がつのり、いつもシクシク泣いていて。私は話し相手になって「大丈夫よ!」なんてなぐさめていた。撮影は半年もかかった。今だから話せるけど、実は『お吟さま』は製作の裏側がドタバタだった。正和ちゃんが、「家に帰りたい」と嘆いていた気持ち、それもわかるのよね(笑)。まず、監督である田中絹代さんに……申し訳ないけれど、監督としての才能に疑問符。もともと田中さんは、小津安二郎さん、溝口健二さん、成瀬巳喜男さんなど名だたる監督に重用された本当の大女優。だからといって、監督としての才覚があるかどうかは別問題。『お吟さま』は、田中さんの6作目にあたるわけだけど、撮影が全然進まない。私たちへの演技指導も不確かで自信がなく、振り付けで伝える。「ここで何歩か歩いて、振り返る」という具合に、踊りのようにディレクションなさるんだけど、よくわからないから私も正和ちゃんも困っちゃって。■「お坊っちゃま、ご立派になられて」なのに我を通そうとなさるから、新人ふたりはうさの捨てどころ。田中さんはベレー帽をかぶってブルゾンを着て、格好は超一流監督だったけど、中村鴈治郎さんや滝沢修さんを前にすると何もおっしゃらない。脚本やセリフの直しが多く、あまりに撮影が進行しないので、(『人間の條件』などを担当した)撮影監督の宮島義勇さんが「うーん、困った」とよく愚痴をこぼしていらした。おまけに、主役の有馬稲子さんは、萬屋錦之介さんと結婚したばかり。撮影には気分が乗らず、早くお家に帰りたいお気持ち。脚本もお気に召さず、有馬さんの気持ちも十分わかるけれど、撮影もままならなくて、正和ちゃんじゃなくても泣きたくなったわよ。かつらを使わず、すべて地毛で結っていたから、現場入りは朝の5時。せっかく早朝から待機していても、ヒロインが来ない!暇を持て余すと、私は髪を結ったまま撮影所でキャッチボールや野球をしていたから、一緒になって正和ちゃんも遊んでいたの。美少年だけど、おとなしくてどこか恥ずかしそうにしている、そんな姿が印象的だった。やっと撮影がアップすると、みんなで京都駅まで正和ちゃんを見送りに。ホームで「受験がんばってねー!」って大声を上げながら手を振ったことを覚えている。その後、正和ちゃんは本当にハンサムな、素敵な俳優になった。『古畑任三郎』(フジテレビ系)を見るたびに、あのときの弟役の姿を思い出し「お坊っちゃま、ご立派になられて」なんて、テレビの前で思っていたわ。冨士眞奈美●ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。(構成/我妻弘崇)
2021年06月25日老若男女問わず愛された田村正和さん(享年77)が鬼籍に入ってから約2カ月。田村さんのキャリアを代表する作品の一つが『古畑任三郎』(フジテレビ系)だ。「第2、第3シーズンの平均視聴率は25%超を記録するなど国民的ドラマに。’06年の『ファイナル』でひとまず完結となりましたが、実は第4シーズンを制作する計画がありました。田村さんもさらなる続編制作に前向きだったそうですが、体力的な理由もあって実現にはいたりませんでした。昨年には、キャストを一新した『2代目古畑』の制作をフジが計画しているという報道もあり、主演候補の一人としてオダギリジョーさん(45)の名前が挙がっていました」(テレビ局関係者)今も続編を望む声が絶えない『古畑』。フジテレビに『2代目古畑』計画について尋ねると、「そのような事実はございません」との回答が。しかし、あるフジテレビ関係者はこう語る。「田村さんの訃報から3日後に追悼番組として『古畑』が放送され、13%超えの高視聴率を記録。再放送としては異例の数字です。この結果を受けて、上層部でも『2代目古畑』の制作が水面下で本格的に検討され始めたと聞いています」『古畑』の脚本を手掛ける三谷幸喜(59)もかねて続編を熱望していた一人だ。昨年、三谷は田村さんにこう“ラブコール”を送っている。《条件が揃えば、僕はいつでも映像版「古畑」の新作を書く準備は出来ていますよ、田村さん》(’20年5月28日『朝日新聞』夕刊)田村さん主演での続編はかなわぬ夢となったが、「2代目古畑」として白羽の矢が立った俳優がいるという。阿部寛(56)だ。「阿部さんは’11年の映画『ステキな金縛り』で三谷作品に初参加。三谷さんならではの脚本と演出にほれ込み、“いつかまた参加したい”と考えていたそうです。三谷さんも法廷でタップダンスを踊る型破りな弁護士を完璧に演じきった阿部さんを『日本を代表するコメディアン』と絶賛。アドリブ力にもたけた阿部さん主演の作品を描きたいとずっと考えていたといいます。そんな関係性からフジ社内でも、“もし『2代目古畑』が実現するとしたら阿部さんを”と推す声が強いそうです」(前出・フジテレビ関係者)正統派の二枚目から三枚目まで演じてスターとなった田村さん。阿部にも通ずるだけに、古畑ファンとしては期待したいところだが。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』で、動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」を公開。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんの知られざる人柄について語った。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫。台本の読み合わせで、共演者の柳沢慎吾が、セリフにあった「最中」という漢字を“もなか”ではなく、“さいちゅう”と読み間違えたそうだが、「芸人魂で、一瞬ツッコもうかと思ったんですけど、そんな空気じゃないんですよ。初めての本読みだから、ものすごい緊張感なんです」というエピソードを披露。その後、主演の田村さんのセリフにも、「最中」が登場したため、「被せてわざと“さいちゅう”って言ってくれるんじゃないかって、ものすごい期待して。なんとなくみんなも期待してた」というが、田村さんは、柳沢に被せることなく、“もなか”と発言。「大スターの役者さんが、被せなんかせーへんかって。周りの人も一瞬、そりゃあ言わないよねっていう空気になった」そうだが、「その瞬間、ちょっと間を置いて『……“さいちゅう”って言った方が良かった?』って。うわー! おしゃれー! って。おしゃれな笑いの取り方で。素敵やろ?」と、懐かしそうに振り返った。チャーミングな一面をのぞかせた田村さんだったが、ドラマ撮影中も、「僕のことを、現場に行くたびにイジってくれた」と言い、「最高に素敵な方やったんですよ。本来なら、俺みたいな若手の芸人が声をかけられるような人じゃないのに、すごくそこを開けてくれるんですよ」「おしゃれで素敵な人で、どんだけ憧れても、あんな人にはなられへん」と、分け隔てなく接してくれた田村さんに感謝。打ち上げの飲み会でも親交を深めたことを明かしつつ、最後は、「本当に残念なのは、どんな形でもいいから、お仕事を一緒にしたかった」と神妙に語っていた。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』に出演。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんとのエピソードを明かした。この日公開された動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」で、田村さんとの思い出を振り返った宮迫。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫は、「連ドラが初めてで、すごく緊張してて。若手のお笑い芸人が連ドラに出ることが、ほぼほぼなかった時代なので、周りに知り合いも友達もいなかった」と話し、「初めての顔合わせのときに、そうそうたる出演者のみなさんがいる中で、誰とも口をきかない状態で端っこの方にいたんです」と、当時の撮影現場を回顧。慣れない環境で人見知りをしていた宮迫が、リハーサル室に置いてあった椅子に座ると、「なんか周りがヒソヒソ不穏な空気が流れてた」と言い、「当時はまだ尖ってた時代でもあったので、『芸人が場違いな場所にいる』みたいなことを言われてんやろうなと思って」と、誰とも目を合わせずうつむいていたそう。しばらくして、人の気配を感じて顔を上げると、主演の田村さんが目の前に立っており、「おはようございますも言えないくらいビックリして。だって、子供の頃から観てたスーパースターが立ってるわけですよ」と、突然のことに大焦り。すると、田村さんが「それ、僕の椅子」と笑顔で話しかけてきたそうで、「僕、現場のルールを知らなかったんですけど、“田村チェア”っていう田村さんの特別な椅子がどの現場にも置かれてたんです」「『すみません! 僕、全然知らなくて……』って言ったら、『構わない。ただ、僕の椅子に座ってた人は初めてだよ』って。初対面がそれやったんです」と述懐。何も知らずに、“田村チェア”に座ってしまった宮迫だったが、「優しいフォローをしていただいて。その場も盛り上がって、ちょっと俺も打ち解けた感じになって」と、田村さんの優しさに大感激したことを打ち明けていた。
2021年06月01日田村正和さん5月18日、田村正和さんが亡くなっていたことが発表された。追悼企画として5月20・21日に放送されたのは、『古畑任三郎ファイナル~フェアな殺人者~』(フジテレビ系)。「2006年の再放送なのに、視聴率は13・4%を記録。田村さん演じる主人公の古畑が、当時野球選手だったイチローさん演じる殺人犯と対峙するストーリーでしたね」(スポーツ紙記者)久しぶりの古畑の登場は大反響だったが、もうひとつ話題になったことが─。「自転車ですよ。古畑が愛用するセリーヌの高級自転車で、物語には欠かせないアイテムなんです。ネット上では、懐かしむ声が上がっていました」(同・スポーツ紙記者)この自転車は、ブリヂストンがフランスの高級ファッションブランド『セリーヌ』とコラボして限定販売され、世界に30台しか出回っていない。「24金メッキを使った、超豪華な自転車で、値段は1984年の販売当時で30万円もしました。『古畑』で使われていたのは、都内にある自転車店が店内で展示していたもので、撮影のたびに借りていたんですよ」(テレビ局関係者)■「売ってくれ」と頼まれたけど番組が終了して15年たった今も、その自転車店に保管されているという。店主を訪ねてみると、懐かしそうに目を細めながら話してくれた。「あの番組で使ってもらうようになってから、見にくる人がいっぱいいたね。いろんな人から売ってくれと頼まれたけど、全部断ってきた。今はお店を営業してないから、晴れの日とか、連絡して見にくる人がいる日は店の外に飾ってる。雨の日は、自転車が傷んじゃうから外には出さないんだよ」自転車はかなり年数がたっているため、多少の傷は見られたが、故障はしていない。店主の“愛”がうかがえた。店内を見渡すと、田村さんのサインがあった。テレビ局を通じてもらったものだと話すが、これは珍しいこと。「彼は撮影現場のスタッフとも気さくに話すタイプではありませんでした。人と接するのに、自分なりの距離感があるので、めったにサインにも応じない」(前出・テレビ局関係者)店主に田村さんへの思いを聞くと、表情を曇らせた。「もう1度、ドラマで使ってくれないかと首を長くして待ってたんだけどね。田村さんには会ったことがなかったから、一度会いたかったな……」愛車の輝きを守り続けた店主に、田村さんも草葉の陰から感謝しているだろう。
2021年06月01日5月18日に逝去が公表された田村正和さん(享年77)。いまも多くの友人・知人たちが、名優の死を悼み、生前のエピソードを語り続けている。スターは私生活を見せるべきではないという美学を貫いたことから、“人前で食べる姿を見せることは決してなかった”という伝説まで残した田村さん。だが、30年ほど前から交流してきた仕事関係者はこう語る。「実は『正和会』という親睦会を年に数回開催していたのです。正和さんがドラマで仕事をした監督やカメラマンなど、気心の知れた関係者を招いて食事をする会合でした。その会場としてよく指定していたのが『南国酒家』でした」南国酒家は、原宿に本店がある老舗中華料理店。田村さんの一人娘であるAさんは、’01年に南国酒家グループ社長(当時)の子息と結婚し、現在は社長夫人となっている。田村さんは、かつて週刊誌の対談で娘・Aさんとの関係について次のように語っていた。《子供とはあまりつき合わないですね。子供が嫌いだから。とにかくぼくはうるさいのが一番いやだから。(中略)子供って奥さんが面倒みるものでしょ?じかに接するのは母親で、父親っていうのは遠い所から見守るものだと思う》(『ヤングレディ』‘76年4月12・19日合併号)前出の仕事関係者が続ける。「取材などでは“家族には関心がない”というスタイルを見せていましたが、本当はお嬢さんのことを溺愛していました。私にも娘がいたもので、『いくつになっても可愛いから甘やかしてしまう』といった話をすると、田村さんもしみじみと『本当は誰のところにも嫁がせたくなかったんだけど、いまでは良かったと思っているよ』と語ってくれました。娘婿さんのことも可愛がっていて、だから彼がいる南国酒家の原宿店に仕事関係者たちを招いていたのだと思います。田村さんは『ここのものはなんでも美味しいんだよ』と言っていて、本当に美味しそうにラーメンをすすっていた姿が忘れられません」南国酒家のHPによれば、『水菜、チャーシュー入りネギつゆそば』『野菜入りあんかけつゆそば』といった麺類は1400円(税・サ別)からあった。スターであることを忘れ、“愛娘の嫁ぎ先”でラーメンを味わうひとときは、田村さんにとって至福の時間だったことだろう。
2021年05月30日最後まで、スターの姿勢を崩さなかったーー。4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん(享年77)。その訃報は、葬儀をすべて終えてから公表され、田村さんの旅立ちは静かなものだった。日本映画界創成期の名優・阪東妻三郎の三男として生まれ、兄弟とともに俳優として活躍した。ダンディーを絵に描いたような人なのに、ドラマ『古畑任三郎』シリーズではちゃめっ気たっぷりな警部補を演じ、10年以上続く大ヒット作に。年を重ねるほどに魅力も増していったが、プライベートは一切公表せず、鉄壁のガードを貫いた。本誌では、田村さんの当たり役だったドラマ『眠狂四郎』の撮影現場に、’72年、’89年と2度にわたり密着。黒のロングコートにスカーフを合わせたおしゃれな私服姿で撮影所に入ってきたり、撮影の合間も物憂げな表情で椅子に座っていたりと、大人の男の色気を感じさせる人だった。【’72年】ドラマ『眠狂四郎』京都ロケ初めて眠狂四郎を演じたのは29歳のとき。当時その美しさが話題に。【’89年】ドラマ『眠狂四郎』撮影密着45歳で2度目の『眠狂四郎』を演じる現場に密着。撮影所へ笑顔で入っていく田村さん。現場にケーキを差し入れるなどの心配りも。【’93年】ドラマ『ローマの休日』イタリアロケあの名作のリメークドラマ撮影のためローマへ。安田成美(54)演じるヒロインとバイクに乗って。田村さんと共演した女優は、こう思い出を振り返る。「一緒に焼き肉屋さんに行っても、私の分ばかり焼いて食べさせてくれて、自分の分は後回し。レディファーストで優しくて、ふだんでも『田村正和』していてカッコよかったです」また、ドラマ関係者は次のように語る。「地方ロケだと、田村さんから『ホテルのカーペットやバスタブを赤にしてほしい』、と要望があったりして、作品はもちろん、現場への気持ちの持っていき方にまでこだわる完璧な人でしたね」俳優の美学を体現したスター・田村正和さんの姿は、私たちの中に輝き続けている。
2021年05月30日田村正和さんと妻の和枝さん「以前、和田誠さんが亡くなったときにね、いろいろなところからコメントを求められて、それがとてもつらかったんです。なので田村さんのことは、新聞で連載しているコラムでだけ、お伝えすることにしました。ごめんなさい」小雨降る中、わざわざ自転車を止めて言葉少なに語ってくれた脚本家・三谷幸喜。“田村さん”とは、言うまでもなく三谷脚本の人気ドラマ『古畑任三郎』シリーズでタッグを組んだ俳優・田村正和さんだ。5月18日、心不全のため亡くなっていたと公表された田村さん。名実ともに芸能界トップを走り続けてきた超大物俳優とは思えないほど、その最後はひっそりとしていた。「田村さんが都内の病院で息を引き取ったのは公表の1か月以上も前の4月3日。葬儀も近しい親族だけですませた、と」(スポーツ紙記者)■田村正和さんの“遺言”昭和を代表する銀幕スター“阪妻”こと阪東妻三郎の三男として生まれ、同じく俳優として活躍していた長兄の故・田村高廣さん、弟・田村亮とともに“田村3兄弟”と呼ばれた。『眠狂四郎』『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』そして『古畑任三郎』……と、数々のドラマを大ヒットに導いた名優である。芸能界には親しい知人や友人、関係者も数えきれないほどいたに違いないが、遺族はその死を、冒頭の三谷を含め誰にも知らせなかった。「すべて、田村さんご本人の“もう、静かに消えていきたいんだ”という意向……遺言だったと聞きました。田村さんはもともと心臓に持病があって50歳を過ぎたころ、手術も受けたと聞いています。3年前のスペシャルドラマ出演を最後に事実上、引退して都内のご自宅で“悠々自適の生活を送っている”なんて報じられていたので、落ち着いていらっしゃるとばかり……」(別のスポーツ紙記者)松竹の専属映画俳優としてデビューした田村さんの1年後輩にあたる女優・中村晃子も突然の訃報に驚いたという。「ただ、正和ちゃんは昔から“達観”しているようなところがあって。“引き際”っていうのが、わかっていたのかもしれませんね……」田村さんは、当時から輝いて見えたという。「昭和の垢抜けない時代なのに、正和ちゃんだけは洗練されていて。きれいで礼儀正しくて紳士で……。真っ赤なスポーツカーに乗っていたんですが、それで家まで送ってくれたりね。一時は兄妹のように仕事で一緒だったけれど、共演しなくなってからは連絡も取らなくなって。最後にお会いしたのは覚えていないくらい昔です。年賀状やお中元、お歳暮のやりとりをいっさいしない方でしたから」■役のイメージを壊したくないがゆえに『古畑任三郎』で“犯人”として刑事・古畑と対峙した田中美佐子にとっても、田村さんは特別だった。「現場では、ジョークを言っては静かに笑っていたりもする田村さんですが、リハーサルでも本番でも1発OKでNGは見たことがありません。台本を持っている姿すら見たことがないんです。私は共演というだけで緊張してしまって、お芝居以外ではひと言もお話しできませんでした。田村さんに話しかけられるのは芝居のときだけ。普段は話しかけてはいけないって」トレンディードラマで主演を務めた女優をして、そう言わしめてしまうほど、田村さんは俳優という“生き方”に強いこだわりを持っていた。彼と公私にわたって付き合いがあった数少ないドラマ関係者のひとりが振り返る。「食事をしている姿を他人に絶対見せなかったというのは有名な話。撮影の合間でも、食事はいつも控室か宿泊先のホテルの部屋でひとりでとっていましたから。そういうところを周りに見せて“俳優・田村正和”のイメージや、あるいは役のイメージを壊したくないと考えていたんでしょう。世の中の人に、いいドラマを見てもらうためにね。“1シーンごとにその場で映像チェック”とか“撮影は朝8時から夜10時まで厳守”も同じ理由です」(ドラマ関係者、以下同)夜10時きっかりにスタジオを後にすると、まっすぐ自宅に帰ることが常だった。「だから“気難し屋”なんて誤解されたりしていましたけど、正和さんはむしろ話し好きで人好き。誰に対しても気さくでしたし冗談も言う。だから仕事帰りに飲みに行けるような親しい仲間はもちろんいたけれど、でも、そうしないんですね、正和さんは」■海外ロケにも和枝さんを連れてスタッフや共演者、誰からも愛される存在だったが、彼らを連れ歩いたりはせず、仕事が終わるとパッと自分から離れていく─。「オフもほとんど自宅で過ごしていたから、どんなに親しくても俳優仲間と会ったりすることはなかったんじゃないか。仕事に“私”を持ち込まないのが彼の美学でした」それは逆に“私生活に仕事を持ち込まない”ためでもあった。’70年に結婚し50年以上連れ添った妻・和枝さんとの時間を何よりも大切にしていたからだという。東京・銀座の紳士服店の社長令嬢であり、カナダの大学への留学経験もあった和枝さんは結婚以来、専業主婦として家事はもちろんひとり娘の子育てまで、すべてをひとりでこなし、田村さんを支え続けた。私生活を仕事場に持ち込まない田村さんが唯一、彼女のことだけはしばしば自慢していたという。「“ウチの奥さんは100点満点”って。『ニューヨーク恋物語』の撮影でニューヨークに滞在したときは、和枝さんを日本から呼んで3か月間向こうで暮らしたんですから。家族の目もマスコミの目も届かない海外での長期ロケとなれば普通は羽を伸ばしたくなるでしょ?そこに奥さんを呼ぶ俳優なんて正和さん以外いませんよ。それだけいつもそばにいてほしい存在だったんでしょうね、和枝さんが」その田村さんが1度だけ、こんな問いかけを和枝さんにしたことがあった。結婚して3年ほどたったころのこと。「当時は正和さんも20代半ばで若かったから夜遅くまで遊び回っていたんです。何せ周りが放っておかないからねぇ(苦笑)。それで和枝さんとケンカになって。“俺が浮気してないとは思ってないだろ?”と言ったそう。もちろん本当に浮気していたわけじゃなくて、ちょっとした意地悪だったんですが、和枝さんは笑いながら“するなって言ったって無理なんだから、それは考えないようにしているの”って。正和さんは、その日以来、飲み歩くのをピタッとやめたそうなんです」最愛の女性に見送られ田村さんは旅立った。比翼連理の誓いは昔も今も永遠に。
2021年05月25日4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲んで、田村さんの代表作「古畑任三郎」シリーズの第3弾が、5月24日(月)よりカンテレにて放送されることが決定した。「古畑任三郎ファイナル~ラスト・ダンス~」の放送に続き、今回急遽放送が決定したのは、1999年4月13日から放送された田村さんが古畑任三郎を演じる「古畑任三郎」シリーズ第3弾。古畑任三郎が犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていく大人気ドラマシリーズは、毎話登場する犯人=豪華ゲストたちの対決が見どころとなっており、この第3弾では、真田広之、大地真央、津川雅彦、市村正親、福山雅治、江口洋介らが出演している。「古畑任三郎」(シリーズ第3弾)は5月24日(月)~6月7日(月)、15時45分~カンテレにて(関西ローカル)放送。(cinemacafe.net)
2021年05月21日俳優の田村正和さんが亡くなっていたと5月18日に発表された。77歳だった。数々の作品で名演を残してきた田村さん。その中でも’94年から放送され、10年以上続いた主演ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)は代表作の一つと言えるだろう。「同作は、田村さん演じる警部補・古畑任三郎が巧みに犯行を解明していくというストーリー。田村さんの存在感はもちろんのこと、犯人を追い詰めていく展開やユーモラスなやりとりも人気の秘訣でした。また犯人役に中森明菜さん(55)や明石家さんまさん(65)、さらにSMAPといった豪華キャストが登場したことも話題に。第3シリーズまで放送され、視聴率20%以上は当たり前。最高で34.4%を記録しました」(テレビ局関係者)そんな同作の脚本を務めたのが三谷幸喜(59)だ。昨年に三谷が『朝日新聞』で寄稿した小説『一瞬の過ち』に、古畑任三郎が刑事役で登場。大きな反響を呼び、いまだ根強いファンがいることを証明した。「三谷さんの書いた脚本を見て、田村さんは古畑任三郎のイメージを膨らましていったそうです。そのため三谷さんは『古畑任三郎は僕と田村さんの共作だ』と話していました。名キャラクターを一緒に編み出してくれて、感謝しきりともいいます」(前出・テレビ局関係者)いっぽう、田村さんは三谷をリスペクトしていたという。「田村さんのマネージャーは当初、刑事ものに難色を示していました。ところが脚本を読んだ田村さんは、『これは面白い!ぜひやりたい』と即答したんです。撮影中も『よくこんな面白い本が書けるな』と感心しきりでした。また『三谷くんが僕の新しい魅力を引き出してくれた』と喜んでいましたね」(前出・テレビ局関係者)名作を作り上げた“同志”である2人。その絆は永遠だ。
2021年05月20日2021年4月3日に心不全のため亡くなった、俳優の田村正和さん。往年のスター俳優の訃報に多くの人が悲しみました。田村さんといえば、数々の名作ドラマに出演。中でも、刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)は幅広い世代に大人気です。急きょ『古畑任三郎』再放送フジテレビは、追悼特別番組として『新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル』を2日間にわたって急きょ放送することを決定。『フェアな殺人者』前編を2021年5月20日、『フェアな殺人者』後編を同月21日、『ラスト・ダンス』を同日20時から放送します。『フェアな殺人者』は、元プロ野球選手のイチローさんが出演しており、『ラスト・ダンス』は俳優の松嶋菜々子さんが出演。『フェアな殺人者』は、瞬間最高視聴率29.6%、『ラスト・ダンス』は32.8%を出すほど注目が集まった作品です。田村さん演じる、古畑任三郎を目に焼き付けたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年05月20日俳優の田村亮が18日、公式サイトを更新。同日に訃報が報じられた兄で俳優の田村正和さんについてコメントを発表した。「兄 田村正和が天国に旅立ちました」と報告した亮は、「4月3日、正和兄貴の奥さんからの突然の知らせで一瞬何の事か理解できず茫然としました。私の妻が3カ月ほど前に兄の奥さんと話をした時も兄は元気で散歩していると聞いていたのに……」と、当時の心情を吐露。続けて「兄は幸せな人生を送ったと思います。仕事でもプライベートでも何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います」と自身の思いをつづり、「葬儀も派手にせず静かに見送ってくれと家族に言っていたそうです」と、正和さんの生前の言葉を明かした。そして最後に「生前、兄に関わって下さった方々に、私からも心より厚く御礼申し上げます。合掌」と、関係者に向けて感謝の意を表しながら追悼した。
2021年05月19日俳優・田村正和さんの訃報を受け、フジテレビ系ドラマ『古畑任三郎』シリーズで共演した俳優の石井正則が19日、追悼コメントを発表した。19日に自身のツイッターを更新した石井は「一報を聞いた時、その場で動けなくなりました。2~3時間そのままでいたみたいです」と、田村さんの訃報を知った際の状況を説明。続けて「『古畑任三郎』で、田村さんと過ごした時間は、自分の礎です」と記し、「今はまだとても動けそうにありませんが、古畑さんの部下として、これからもしっかり動けるよう努めて参ります。ですので、ゆっくり休まれてください。古畑さん。ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。そして最後に「田村正和さんのご冥福を心よりお祈りいたします」と哀悼の意を表した。田村さんが主人公・古畑任三郎役を演じた人気ドラマ『古畑任三郎』。石井は同作で、古畑をサポートする刑事・西園寺守役を演じていた。
2021年05月19日フジテレビでは、4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲び、5月20日・21日の2日間に渡って追悼特別番組として代表作のひとつ「古畑任三郎」が放送される。本シリーズは、田村さん演じる古畑任三郎が、犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていくドラマで、毎話登場する豪華ゲストが演じる犯人たちとの対決が大きな見どころだ。1994年、「警部補・古畑任三郎」としてスタートし、連続ドラマとして3シーズン続いたほか、数々のスペシャル・スピンオフなど12年間にわたって愛され続けた本シリーズから、今回はラストとなる2006年1月放送の「新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル」のうち2編。イチローが“イチロー選手役”で出演し、宿泊する都内某ホテルの地下駐車場に停めてあった盗難車の中から男の死体が発見されることから物語が展開する「フェアな殺人者」前編&後編。松嶋菜々子が、売れっ子の作家の加賀美京子こと大野かえでともみじ、双子を2役演じる「ラスト・ダンス」を放送する。(cinemacafe.net)
2021年05月19日田村正和さん(享年77)が4 月3日に心不全のため都内の病院で亡くなっていたと、5月18日に報じられた。田村さんの死を悼む声が広がっている。‘61年に映画『永遠の人』でデビューした田村さん。平成に入ってからは三谷幸喜氏(59)が脚本を手がけ、田村さんが刑事役を演じた『古畑任三郎』(フジテレビ系)が大ヒット。‘94年4月にシーズン1が放送され、10年以上続く人気長寿シリーズとなった。田村さんのクセのある口調や独特な仕草は瞬く間に人気を博し、社会現象になるほどだった。‘96年4月には木村拓哉(48)が『SMAP×SMAP』(関西テレビ、フジテレビ)で、「古畑拓三郎」としてパロディ化。そのことによって、作品や田村さんの役柄はいっそう知名度を上げた。そんな木村は‘96年1月に放送されたシーズン2で、犯人の爆弾魔としてドラマ初出演を果たしていた。この回で田村さんは、稚拙な犯行動機を挙げた木村の頬をスパーンと平手打ちしたのだ。田村さん演じる古畑は温厚なキャラクターなだけに、この演出は視聴者をあっと驚かせた。田村さんの訃報を受けて、SNSではこの“ビンタ回”を懐かしむ声が上がっている。《やっぱり古畑任三郎が好き。中でもキムタクに裏平手打ちした回はキャラ的にも展開的にもびっくりしたし最高でした。田村正和さん、安らかに…》《古畑任三郎シリーズ、大好きで見てましたキムタクが犯人役の時、普段温厚な古畑さんが、キムタクにビンタした回が特に印象に残ってます》そんな木村は‘15年12月放送の『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(TOKYO FM)で、田村さんと『古畑任三郎』で共演したことを振り返っている。“ビンタ回”は田村さんが唯一犯人に手を挙げた回だったと明かし、「僕は名誉に思っている」と述懐。そして田村さんについて、「僕大好きなんです」「またチャンスがあったらご一緒したい」と語っていた。■田村さんに学んだ“プロ魂”『HERO』(フジテレビ系)や『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)、『教場』(フジテレビ系)など数々の主演作品で活躍する木村だが、役者としての“プロ魂”は田村さんに触発されてきたようだ。「ほぼNGを出さない田村さんは、撮影現場に台本を持ち込まないことでも知られています。木村さんが’99年1月放送の『古畑任三郎スペシャル』にSMAP全員で参加した際も、田村さんは台本10ページ以上もあるシーンを滞りなく演じ切ったといいます。その様子を間近で見ていた木村さんは、『自分もこうなりたい!』と強く刺激を受けたそうです。様々な作品で座長を務める木村さんですが、“田村さんの教え”を受け継いでいるようです。『HERO』で木村さんと共演した吉田羊さんも、『木村さんは共演者のセリフだけでなく、動きも把握している』と感心していました。最近では映画『ハウルの動く城』で声優を務めた木村さんですが、鈴木敏夫プロデューサーは『アフレコで台本を持たずに最後まで演じ切っていた』と驚くほどです。影響を受けるほど、田村さんの存在は大きかったようですね」(テレビ局関係者)田村さんの教えを胸に抱き、木村は歩み続けるだろうーー。
2021年05月19日人気ドラマシリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)などで知られる俳優の田村正和さんが4月3日、心不全で亡くなった。77歳だった。ドラマへの出演は、18年放送の「眠狂四郎The Final」(フジテレビ系)が最後となった田村さん。晩年は表舞台から姿を消し、隠居生活を送っていた。その傍らで田村さんを支え続けていたのが、3歳年上の妻・和枝さん(80)だ。田村さんは、70年に銀座の一流テーラーの娘である和枝さんと2年の交際を経て結婚。出会いは友人宅のパーティーで、そのときすでに結婚の予感があったという。70年9月に本誌が取材した際、2人は互いの第一印象についてこう語っている。「無心にゲームしてる彼がクールで純情そうで」(和枝さん)「彼女は初対面から親切で気がついて」(田村さん)結婚式は両家の親族11人と、父親代わりだった木下恵介監督のみという芸能人としては質素なものだった。それは田村さんの、「母の心臓が悪いので負担をかけないように」という配慮からだった。プライベートについてはほとんど明かしてこなかったが、妻との関係については「夫婦って、お互いにいるかいないかわからないんだけれど、いないと大変困る。でも、そばにいると、いて当然と思う。そういうもんじゃないですか」と語っている。19年に本誌が取材した際にも「夕方になったらカミさんと食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」と夫婦の時間を満喫しているそぶりを見せていた田村さん。葬儀・告別式は和枝さんが喪主を務め、ひっそりと家族で見送ったという。その旅立ちは、穏やかなものだったに違いない――。
2021年05月19日歌手で俳優の泉谷しげるが19日、オフィシャルブログを更新。18日に訃報が伝えられた田村正和さんとの思い出をつづった。投稿冒頭、泉谷は「田村正和さんの訃報には驚くしかなかった」と率直な思いを吐露。テレビドラマの共演経験が何度かあったそうで、「その頃は乱暴者キャラで生意気だったオイラだったもんで、田村正和の"孤高"な振る舞いが理解できず、気分は勝手に“一触即発"だったかも(笑) 」と振り返った。続けて、「それにしても正和センパイの演技の素晴らしさったら〜とにかく、読めない! どう来るかわからない〜素晴らしすぎ!」と絶賛。「演技することに対して興味持ってなかったオイラを、大袈裟に目覚めさせてくれた人でもあった」と、役者として大いに影響を受けたことを明かした。また、「色男だが痩せてて声は小さいが、オフでは意外と男らしいところも」と語る泉谷。「オイラが、ロケ弁当が冷えてて美味しくない〜とブーたれてると『出されたモノはありがたく黙って食え!』と正和センパイに怒られてしまったではないか……」と、2人の関係性がうかがえる共演秘話も披露した。そして「オイラは“天才”と共演してたことに気づき〜愕然としたもんさ」と改めて田村さんを讃え、最後は「『古畑任三郎』に出たかったな…」と漏らしながら、「本当に心よりの哀悼を」と追悼した。
2021年05月19日2021年5月18日、俳優の田村正和さんが同年4月3日に心不全のため死去したことが分かりました。77歳でした。サンケイスポーツによると、葬儀・告別式は親族で既に行ったとのこと。田村さんは、俳優・阪東妻三郎さんの三男として生まれ、兄弟ともに俳優という芸能一家で育っています。1961年にデビューして以来、映画やテレビドラマでさまざまな役をこなし、注目を集めました。1994年からスタートした刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)では、主役の古畑任三郎役を熱演。独特な存在感を放ったキャラクターが人気を呼び、田村さんの代表的な作品の1つになりました。ネット上では田村さんの訃報を受け、追悼するコメントが相次いでいます。・長きに渡り楽しませていただき、ありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。・時の流れを感じますね。独特な雰囲気でとても素敵な俳優さんでした。・さびしくなります。『パパはニュースキャスター』を子どもの時に楽しく見ていました。田村さんの存在は作品を通して、人々の心に永遠に生き続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2021年05月19日田村正和さん(2012年)俳優の田村正和さんが4月3日に都内の病院で心不全のため亡くなっていたことが明らかになった。葬儀、告別式は親族のみで行われたという。1967年のデビュー後、時代劇からトレンディードラマ、はたまたコメディーまで数多くの作品に出演し、独特の風貌と確かな演技力でお茶の間を楽しませていた田村さん。中でも代表作の一つとして、視聴者が毎週テレビの前で放送を待っていたのが『古畑任三郎』(フジテレビ系)だ。脚本家・三谷幸喜の名前を広く知らしめた同作は1994年4月の第1話から、田村さんが最後にメイン出演した2006年1月の『古畑任三郎ファイナル』まで10年以上にわたって放送された人気シリーズ。「視聴率も2シーズン目以降は20%は当たり前で、時に30%超えを記録する回もありました。放送翌日には“モノマネ古畑”がそこかしこにいたものです(笑)。ゲストの犯人役も第1回の中森明菜さんに始まり、菅原文太さん、明石家さんまさん、福山雅治さん、SMAPにイチローと各ジャンルの大物ばかりが登場。ほとんどの方が出演オファーを快諾、それだけやりがいのある、楽しみな現場だったと」(テレビ誌編集者)ファイナルから2年後の2008年に制作、放送された特別版『古畑中学生』では、古畑任三郎の中学生時代を山田涼介が演じ、オープニングには田村さん本人も出演。これが田村さんが演じる、最後の“古畑任三郎”の姿となったのだ。「フジ局内にもファンが多く、古畑に影響されて“ドラマを作りたい”と入社を志した局員も多かったと聞きます。そんなキラーコンテンツの終了を惜しむのは当然のことで、以後も三谷さんにシリーズ続編やスペシャル版の制作を打診したそうです。が、ドラマや映画、そして本業の舞台と多忙を極めていた三谷さんは、“もう終わったんですから”と新作を断り続けたと聞きます。一方の田村さんも60代半ばに差し掛かり、世間で言えば定年にあたる年だけに“いや、もうやらないよ(苦笑)”と。それからは主に単発のスペシャルドラマを選んで出演するようになりました」(テレビ局編成部スタッフ)そして2018年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』(フジテレビ系)を最後に、静かに表舞台から姿を消していった田村さん。これが遺作となったわけだが、実は昨年に『古畑任三郎』再始動の動きがあったのだという。■三谷が「古畑」の新作を執筆きっかけは昨年4月、朝日新聞に掲載された三谷の短編小説『一瞬の過ち』だった。全4回からなる同作の主人公は《毛量が多くやけに襟足が長い》黒いスーツを着た細身の男。そう、古畑任三郎だ。そして犯人は「脚本家の三谷」と、ファンにはたまらない“掟破り”のストーリーだ。「突然の“古畑熱”の再燃に制作サイドも見過ごすわけにはいかず、“なんとかドラマ化を”と持ちかけられたようですが、三谷さんはというと“そんなつもりでは”と。三谷さんとしては、コロナ禍で舞台やイベントなどの中止が相次ぐ中で、少しでも明るい、楽しい話題を提供したい思いからペンをとったのだそう。それに近年、心臓に持病を抱えていた田村さんの容体は三谷さんもご存知だったはず。ならば主役を変更して、というリニューアルという声もあったみたいですが、今までも“古畑任三郎は絶対に田村さん”と譲らなかった三谷さんは了承しなかったでしょう。“たられば”になりますが、もしも田村さんがお元気だったならば、オファーを受けてくださったとしたら、三谷さんも喜んで『古畑任三郎』を復活させたのではないでしょうか」(前出・テレビ局編成部スタッフ)田村さんは「古畑任三郎」になれる唯一無二の俳優だった。
2021年05月19日5月18日、俳優の田村正和さんが4月3日に心不全で東京都港区の病院で亡くなっていたことがわかった。77歳だった。田村さんは’61年に映画『永遠の人』でデビュー。80年代には、『眠狂四郎』(関西テレビ、東映)や『鳴門秘帖』(NHK)といった時代劇ドラマで存在感を発揮。平成に入ってからは、人気シリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)や『協奏曲』(TBS系)、『そうか、もう君はいないのか』(TBS系)など多くの作品で人気を博した。しかし’16年3月放送の『松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女~作家・杉本隆治の推理』(テレビ朝日系)に出演以降、田村さんは表舞台から姿を消していた。そのため、健康状態を不安視する声が上がっていたのだ。本誌は’17年4月、そんな田村さんの“激やせ”ぶりを報じている。当時、自宅近くでウォーキングに励んでいた田村さんを目撃。スポーツウェア越しでもわかるほど、その姿は痩せ細っていた。田村さんは記者の直撃に苦笑しつつも、こう語ってくれた。「よく言われる。体重も下がったしね。今は52kgぐらいかな。歳を取ると、やせる人と太る人がいるでしょう。俺はやせたんだよね」’18年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』(フジテレビ系)が遺作となってしまった田村さん。その撮影は、病と闘いながら挑んだという。「田村さんにとって大切な代表作なだけに、『最後の作品にする』と意欲を持って撮影に臨んでいたといいます。役者としてプロ意識が高い田村さんは、『俳優をやっている間は体にメスを入れたくない!』と撮影期間中は手術を拒んでいたようです。撮影が終わったことで、ようやく手術を決断したといいます。奥さまを安心させたいという気持ちもあったのでしょう」(田村の知人)田村さんは’19年6月、本誌に心臓手術を受けたことを明かしている。その日も田村さんは、午前中からウォーキングに励んでいた。記者が体調について訊ねると、快くこう答えてくれた。「う~ん、それは普通かな。前に心臓を悪くして、手術もしたからね。だから無理はできないんです。生きるうえで、体はいくつになっても大切だからね」穏やかな老後を過ごしていた田村さんは、“死生観”についてもこう語ってくれた。「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」そして「あとは静かにフェードアウトするだけだね」と役者としての再起を否定し、こう続けた。「映画もテレビもやったし、舞台もやった。昭和から始まって、平成まで。もう十分じゃないかな。令和はまだだけれどね。フフフ」およそ半世紀にわたって、役者人生を全うした田村さん。その活躍は多くの人々の心に刻まれている――。
2021年05月19日新浜レオン撮影/森田晃博今年5月1日、“令和初日”にデビューした歌手・新浜レオン。大学を卒業したばかりのフレッシュで初々しく、まっすぐな彼は、なんと週刊女性初登場!記念すべき今回は、トレードマークの緑色のジャケットを脱いだ、“素”のレオンくんに大接近♪「いつものグリーンの衣装以外での撮影は、まだあまり慣れていなくて。すごく緊張しちゃいました」そうはにかみながら、照れた笑顔もまた可愛らしい。■野球少年から歌手の道へ「もともと緊張しいで、いつもステージに上がる前までは不安でジタバタして、周りのみなさんに迷惑をかけてしまうくらいなんです(笑)。でも、いざステージに立つと“緊張している場合じゃない”と。“ひとりでも多くのお客様の心に届くような歌を歌いたい”という思いのほうが、強くなるんです」子どものころは、卒業文集に“プロ野球選手になりたい”と書くほど、野球漬けの毎日。そんな彼が歌手を目指すきっかけは父親で、同じく歌手である高城靖雄さんの存在が大きかった。「“僕から野球を取ったら何が残るんだろう”と思うくらい、高校までずっと甲子園を目指して野球しかしてこなかったので、いざ引退して“これから何を目指して頑張ればいいんだろう”と悩んでいたときに、父のイベントの手伝いをさせてもらって。歌を通じて感動を与えている父の姿を見て、改めて父の偉大さ、そして歌の素晴らしさを感じ、“僕もあんなふうに人を励ましたり、感動してもらえるような歌手になりたい”と思ったんです」しかし、母親はまさかの大反対!?「野球では試合に来てくれたり、お弁当を朝早くから作ってくれたりと、いつも応援してくれていた母が、まさかの大反対だったので僕も一瞬、戸惑いはありました。母はこれまで、父とふたりでたくさんの苦労を経験してきたからこそ、同じ思いを僕にさせたくなかったんだと思います。でも、僕が本気だと理解してくれた今では、いちばんの応援者です」■歌謡界の「ハンカチ王子」20代にしては珍しい口癖の「かしこまりました」からもわかるように、謙虚で腰の低い、まさに絵に描いたような好青年。「父には人への感謝の気持ちを忘れないことを背中から学び、また野球から礼儀やマナーを教わりました。ただ、現役時代は今より20キロくらい体重も重かったですし、ダンスなども習っていたわけではなかったので、もっと父からたくさんのことを学んでおけばよかったなと思うことも。でも、野球をやってきたからこそ得られた仲間との貴重な時間や経験、また今につながっている体力もあるので、後悔はまったくないんです」デビューから約半年。一歩ずつ、確実に成長を遂げる彼に、改めてこれからの目標を尋ねると、「演歌歌謡曲には、日本の伝統が詰まっていて、その伝統を引き継ぎながら自分の世代など、普段はあまり聴く機会の少ない方々にも感動していただけるような歌を届けたいと思っています。また、演歌歌謡曲というジャンルでデビューしましたが、大黒摩季さんのステージにご一緒させていただいたりと、違うジャンルも勉強できる環境にいるので、同世代のみならず幅広い世代の方々から愛される歌い手になれるよう、これからも頑張りたいと思います」Q.愛してやまないもの「野球と地元・千葉県白井市です。特に野球は、チバテレさんで『はじめまして!僕、新浜レオンです!!』をやらせていただいているんですが、“いつも野球の話しかしない”と番組スタッフさんから言われてしまって。ついに、台本に“野球の話NG”と書かれてしまいました……(笑)」Q.持っていないと落ち着かないもの「ハンカチですね。野球をやっているときから、常にポッケに入れていて。デビューしたてのころも、舞台袖で握りしめていたハンカチを持ったままステージに上がってしまいそうになったくらい(笑)。ちなみに、弟もハンカチが大好きで、これを話すといつも弟から怒られるんですけど、小学校6年生まで弟は口元にハンカチがないと寝られなくて。でもそれがまた可愛かったんです。ハンカチ好きは家系かもしれないですね(笑)」Q.見つけるとつい買ってしまうもの「イメージカラーであるグリーンのものを見つけると、つい手がのびてしまいますね。最近だと抹茶にハマっていて、母が料理の先生なので、教わりながら抹茶味のマドレーヌを作って人にプレゼントしたり。昔から人に喜んでもらいたいという思いが強いので、喜んでいただけるとすごくうれしいんです。味のバリエーションは抹茶だけですが……(笑)」にいはま・れおん。’96年5月11日生まれ。’19年5月1日“令和初日”に、シングル『離さない 離さない』で歌手デビュー。現在、『はじめまして!僕、新浜レオンです‼』(チバテレ、毎週月曜夜9時~)やYouTube番組『新浜レオンの歌ってレオン♪』など幅広く活躍中。スタイリスト/網野正和ヘアメイク/大森由貴(HAPP’S)デザイン/I’ll Products衣装協力/CIAOPANIC baseyard tokyo店、WHO’S WHO GALLERY baseyard tokyo店
2019年11月02日フジテレビ系の人気ドラマシリーズ「古畑任三郎」などで知られる俳優の田村正和(74)が発売中の写真週刊誌「フライデー」で"引退宣言"し、話題になっている。 同誌によると、田村は周囲のごく一部に対し引退する意向を告白。今月中旬には、田村の功績を労う食事会が都内で行われたという。 同誌は日課の早朝ウォーキングに出かける田村を直撃。すると田村は「自分の中で辞めてもいいかなと思った」「自分としては、もう十分にやったなと」と事実上の引退宣言。 引退を決断したきっかけは今年2月放送の主演ドラマ「眠狂四郎The Final」(フジテレビ系)。完成試写を見て「これじゃダメだな」と思ったという。 「ここ数年は年に1本単発のドラマに出演するぐらい。父が名優・阪東妻三郎というサラブレッドの田村さんは、父を9歳でなくし10代後半から仕事に打ち込んできました。それもあって、もう十分やったという気待ちになられたのでしょう」(テレビ局関係者) 出演作品をしぼったこともあり、圧倒的に露出が減っていた田村。ここ数年は体調不良説も飛び交っていた。 「13年には死亡説が流れ、自宅に報道陣が集結。結局これはデマでしたが、以前のように声を張り上げるのが困難になっていたようです。インタビューでは近づかないと声が聞き取れないと、周囲も体調を心配していました」(芸能記者) そうしたなか、ひっそりと身を引いたのは田村の流儀だったのだろう。
2018年04月25日約半世紀ぶりに帰ってくる田村正和による時代劇、「眠狂四郎」シリーズ総決算となる「眠狂四郎 The Final」が、2月17日(土)に放送されることが決定。今作には、時代劇初挑戦となる女優・吉岡里帆が出演することが明らかになった。■ドラマスペシャル「眠狂四郎 The Final」って?「眠狂四郎」は、柴田錬三郎の豪剣小説の主人公。これまで幾度となく映画やテレビでシリーズ化され、何人もの名俳優たちが眠狂四郎を演じてきた。田村さんは、1972年~73年の連続ドラマで主人公を演じ、今回フジテレビ系の制作としては、およそ半世紀の時を経て「田村正和×眠狂四郎」が復活を果たす。今作では、複雑な生い立ちを持ち伝説の剣を操る孤高の眠狂四郎(田村正和)が、江戸に戻り自らの出生や運命に立ち向かい、さらに、シリーズ史上最強の敵となる狂四郎と同じ円月殺法を使う妖術の使い手、加賀美耀蔵(椎名桔平)が立ちはだかる!果たして、狂四郎は最強の敵を前にして、自らの残酷な運命を切り開けるのか…というあらすじ。「メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断」「カルテット」「ごめん、愛してる」などに出演し、現在放送中のドラマ「きみが心に棲みついた」では連続ドラマ初主演を務め、いまテレビで見ない日はないほど引っ張りだことなっている若手女優・吉岡さん。今回吉岡さんが演じるのは、武家の娘・操。彼女はある日突然、狂四郎の前に現れ、狂四郎のことを「父上」と呼び皆を驚かせる美しく快活な娘。狂四郎を慕うが、本当の娘なのか、その正体は…?■吉岡里帆、田村正和との初共演に喜びいっぱい!「私の中では“生きるレジェンド”」時代劇初挑戦、田村さんとは初共演となる吉岡さん。出演決定時は、「私の祖父母が時代劇好きで、父が歴史好きなこともありつつ、私自身やっと念願の時代劇に出演できるという喜びでいっぱいです。また京都で撮影出来るのもうれしかったです。私は撮影所の近くの太秦で育ち、18歳のころ、エキストラとしてお世話になったこともありました。そのときは“いつかちゃんとセリフを言いたいな”と憧れていたので、自分のセリフを持って、自分の役を担って帰って来られてとてもうれしいです」と感無量の様子。田村さんとの共演については、「とても驚きました。田村さんは、私の中では“生きるレジェンド”と言いますか、“本当に実在されるんだろうか?”と思うくらいの銀幕スターという存在です。そんな田村さんのお芝居をそばで見られること、眠狂四郎として存在していらっしゃるお姿を拝見できることは、役者としてとても貴重な経験で、一生忘れることのない時間を過ごしているんだろうなとかみ締めています」とコメント。いままでの時代劇ではあまり見ない、新しい風が吹くような女性ととらえて演じたと言う吉岡さん。「やはり時代劇の所作はとても難しく、先生に横について頂き、1シーン、1シーン丁寧に撮影しました。仕草やそぶりは役の延長線上にないといけないと思っているので、表現がとても難しかったのですが、微妙な機微やニュアンスは撮影しながら日本人が忘れかけている仕草やあり方を学ばせていただきました」と時代劇に初挑戦した感想を明かし、「この作品は、当時の宗教や差別のある世界で生きてきた人たちの“叫び”や言葉にして発せられなかった繊細な思いが詰まっている切なく、そして求心力のある作品です。狂四郎が長年抱えてきた想いが今作でこぼれ落ちるのではないかと操からみていて思います。ぜひ見て下さい」とアピールしている。なお、本作には田村さんと吉岡さんのほかにも、八嶋智人(金八役)、津川雅彦(松平主水正役)、名取裕子(文字若役)、椎名桔平(加賀美耀蔵役)らが出演している。ドラマスペシャル「眠狂四郎 The Final」は2月17日(土)21時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2018年01月22日現在テレビ東京系にて放送中のTVアニメ『牙狼<GARO>-炎の刻印-』の本日1月23日25:23より放送される第15話「職人 PROJECT G」に、漫画家・桂正和氏がゲスト声優として出演することが明らかになった。『ウイングマン』『電影少女』『I"s』『ZETMAN』など数多くのヒット作を世に送り出してきた桂氏だが、今回は声優として出演。桂氏は、『牙狼<GARO>』シリーズの原作を務める雨宮慶太氏とは同じ美術専門学校出身という旧知の仲であり、雨宮氏の"強引な無茶振り"で実現した。桂氏と『牙狼<GARO>』シリーズは並々ならぬ縁があり、2014年に放映された特撮TVドラマ『牙狼<GARO>-魔戒の花-』では役者としてもカメオ出演を果たしている。なお、桂氏の大ファンだった林祐一郎監督は、オファーOKの知らせを聞いて非常に喜んだという。第15話「職人 PROJECT G」は、第6話で師匠ジョルディを失った武器職人の少年・フリオ(CV:山口勝平)が再登場し、彼を中心に街の職人たちが集まり、伝説の"光の騎士"の鎧を完成させようと奮闘する物語。桂氏が演じるのは、ベテラン職人のひとり眼鏡屋のブルーノで、小柄だが運動能力が高いため、伝説の"光の騎士"の鎧を自ら着ることになるキャラクターとなる。重要な役柄で全編にわたって台詞も多く、「これは素人にやらせる役じゃないよ(苦笑)」とこぼしていたという桂氏。アフレコが行われたのは、昨年11月末で、収録現場には、『ZETMAN』のジン役を務めた浪川大輔や『I’s Pure』で瀬戸一貴役を務めた野村勝人など、桂氏に縁の深い声優陣がそろっており、彼らにアドバイスを求めながら膨大な量のアフレコに挑んでいった。最初はブルーノの人物像にマッチした声のトーンを探り当てようと試行錯誤していたが、徐々に感覚をつかんでいき、叫び声といった高度な技術を要求される演技にも見事に対応。最終的には林監督や久保宗一朗音響監督らも絶賛するほどの熱演を見せたという。収録を終えた桂氏は、「当たり前だけど、やっぱりプロの声優さんたちはすごい」と改めて感じながら「一生懸命やりましたけど、自分の芝居が浮きまくっていないか、オンエアが今から心配です」と不安を覗かせて、"無茶振り"と書かれた色紙を残していった。アフレコに立ち会ったスタッフたちから好評を得た桂氏が出演する第15話は、1月23日25:23からテレビ東京で放送。ほかにも、テレビ大阪、テレビ愛知などの系列局、スターチャンネル(BS)やファミリー劇場(CS)でも順次放送される。『牙狼<GARO>-炎の刻印-』は、雨宮慶太監督が手がける特撮TVドラマ『牙狼<GARO>』シリーズの基本設定をそのままに、世界観や登場キャラクターを一新した完全オリジナルストーリーのアニメーション作品。期待の新鋭となる林祐一郎氏を監督に迎え、数々の特撮作品をはじめ、TVアニメ『進撃の巨人』『ジョジョの奇妙な冒険』などを手がける小林靖子氏がシリーズ構成・脚本を担当する。現在は2クール目の新章に突入しており、黄金騎士ガロの鎧が、主人公レオンから王子アルフォンソに変移する……という衝撃の展開を迎えている。(C)2014「炎の刻印」 雨宮慶太/東北新社
2015年01月23日漫画家・桂正和氏の画業30周年記念で発刊された『桂大全』に収録されている、韮沢靖氏が描いたもうひとつのウイングマン「カオス・ウイングマン」と同氏が新たに考案したオリジナルカラー版の「アンジェル・ウイングマン」が、プレックスによって特大サイズで立体化され、バンダイの公式ショッピングサイト「プレミアムバンダイ」にて予約受付がスタートしている。2015年2月発送予定で、価格はともに54,000円(税込)。韮沢氏は、クリーチャーデザイナー、造形作家、イラストレーターとして知られ、桂氏の盟友。今回は韮沢氏のイメージを忠実に再現すべく、背面や横、斜め、脚など、新たに設定イラストを書き下ろし、全高約63cm・全幅約38cmの特大サイズを生かして、細部まで緻密に造形されているという。『カオス・ウイングマン』は、原作に近い黒と青をベースに、生物的な立体感のある透明パーツやメタリックのグラデーション塗装により悪魔的雰囲気を醸し出すウイングマンを表現。積み重なる髑髏の山をイメージした台座も付属する。そして「プレミアムバンダイ」限定でオリジナルカラー版の『アンジェル・ウイングマン』は、韮沢氏がベース色から塗装色、羽や剣、髑髏などの色まで、すべての彩色を考案。原作の雰囲気に近い色をベースとした悪魔的雰囲気の『カオス・ウイングマン』に対し、オリジナルカラーの『アンジェル・ウイングマン』は白をベースに金を施し、異形の天使を思わせるカラーリングで立体化している。セット内容は両商品ともに本体、剣、台座で、全高約63cm・全幅約38cm。商品価格はともに54,000円(税込)で、予約締切は準備数に達し次第終了。商品の発送は、2015年2月を予定している。(C)Yasushi Nirasawa(C)桂正和/集英社
2014年12月05日人気コミック『ZETMAN』の原作者、桂正和氏初の個展「桂正和の世界展」にて、『ZETMAN』『I”s』『ウイングマン』『SHADOW LADY』など人気歴代作品のグッズが会場先行・限定販売で登場する。この個展は、4月からの『ZETMAN』アニメ化を記念して、30日から4月16日までパルコファクトリー(渋谷パルコ・パート1・6F)にて開催。その会場において、ここでしか手に入らないレアグッズが販売される。『ZETMAN』からは、ZETMANストラップ、アルファスストラップ、ゼットマン&アルファスTシャツ、ジンアクションTシャツ、ZETMANストレートタンブラーなど計7商品、『I”s』からは、伊織クリアファイル、伊織カラビナ、伊織グラビアTシャツなど計6商品、『ウイングマン』からは、ウイングガールズTシャツ、ウイングマントートバッグ、ウイングマンクリアファイルなど計5商品、『SHADOW LADY』からは、SHADOW LADYストレートタンブラー、SHADOW LADYクリアファイルの計2商品が発売される。おもな商品の価格帯は315~3,045円。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年03月29日