主に障害者、高齢者に向けた住宅リフォームを行うNALU合同会社(所在地:埼玉県川越市新宿町1丁目、代表:田口 浩)は、義足使用者がスリッパやサンダルを履いた時に飛散しない補助具「Slipper Clipper」のクラウドファンディングサイト「GoodMorning」にて2022年8月12日(金)から10月22日(土)まで販売しております。「GoodMorning」クラウドファンディングサイト 商品装着時全体イメージ■開発背景代表の田口の経験上、義足だとスリッパを履くと飛んで行ってしまいます。そのため、旅館等では館内中を裸足で移動する必要があります。自宅のスリッパを始め、同じ悩みを抱えた人が多いことを知り、今回の商品開発に至りました。(実用新案登録出願中)■特徴*着脱式*ほとんどのスリッパやサンダルに対応できる*類似の物を自分で作る手間が省ける※今まではスリッパを買い替えるたびに自分でゴムバンドをスリッパに縫い付けてかかとを固定する必要がありましたが、本商品は着脱可能なので、新しいスリッパや既存のサンダルにすぐに取り付けて使用することが可能です。対象アイテム■リターンについて1,500円 :モニターコース(義足使用の方を対象で先着30名)3,000円 :商品は不要と言う方のコース(お礼のメールをお送りさせて頂きます)10,000円:おすすめ焼物コース(大堀相馬焼の小タンブラーでお好きな色1個)※その他のリターンに関しましては募集サイトをご参照ください。※価格は全て税込みです。■プロジェクト概要プロジェクト名: 主に義足の方向けスリッパ・サンダル着用補助具期間 : 2022年8月12日(金)10:00~10月22日(土)23:59URL : <製品概要>商品名 :Slipper Clipperカラー :ベージュ素材 :クリップ部、アジャスター部:ポリカーボネイトゴム部:レーヨン80%、ゴム20%販売場所:当社WEBサイト(お問い合わせ先: info@nalu-llc.info )■会社概要商号 : NALU合同会社市場 : 法人番号:4030003015914代表者 : 代表社員 田口 浩所在地 : 〒350-1124 埼玉県川越市新宿町1丁目17-17 ウエスタ川越508設立 : 2020年9月事業内容: 障害者、高齢者に向けた住宅リフォーム及び外構工事資本金 : 100万円URL : 企業ロゴ【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】NALU合同会社TEL : 049-293-6936お問い合わせフォーム: info@nalu-llc.info 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年08月22日映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』の沖縄先行公開が開始となり、6月3日(金)よりTOHOシネマズ日比谷で先行公開、6月10日(金)より全国公開となる。この度、本作の東京上陸を迎え、沖縄での初日舞台挨拶映像が到着した。『キナタイ -マニラ・アンダーグラウンド-』(2009年)で第62回「カンヌ国際映画祭」監督賞を受賞、『ローサは密告された』(2016年)など、不条理な社会でもがきながら懸命に生きる人々を撮り続けてきたフィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサ。社会派監督の最新作となる『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、プロボクシングライセンスが取得できない日本からフィリピンへと渡り、プロボクサーを目指した“義足のボクサー”を描く。国際派俳優として活躍する尚玄が、友人である土山直純氏の実体験を基にした感動作だ。解禁映像となったのは尚玄の母校・那覇高校で行われた学生試写会のもようからスタート。学生たちとセルフィを撮り「頑張って下さい」と気さくにサインに応じる姿が映し出される。続いて場面は日本初上映を迎えたシネマQへ。初日舞台挨拶には製作も務めた主演の尚玄、土山直純、BEGINの島袋優、タレントの崎山一葉が登壇。そして尚玄が「10年来の友人である土山直純君から半生を映画化する承諾を得て、紆余曲折あり8年もかかってしまったのですが、このように沖縄から皆さんにお披露目することができて感激しています」と挨拶。さらに「俳優が企画を立ち上げて映画を作ることが日本ではまだ一般的ではない。だから映画を作ること自体が僕にとって挑戦で、ここでは言えないトラブルなどもあったが、本当に感無量です。僕の想いが詰まっている。何かを感じてほしい」と、満員の観客に熱く語った。ツアーの合間をぬって駆けつけた島袋は「この映画を観た後、よい言葉に出会った。砂浜の道は歩きづらい。アスファルトの道は歩きやすい。でも、砂浜の道は足跡が残る。(主人公の)足跡がしっかり残っている映画だ」とコメント。15歳からボクシングを始めたという土山は「プロになって10年、チャンピオンにもなれなかったけれど、(尚玄の尽力で映画化されたことで)応援してくれた人に違った形で恩返しができたかなと嬉しく思います」と言葉を寄せた。映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』TOHOシネマズ日比谷で先行公開中6月10日(金)全国公開
2022年06月03日映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』が5月27日(金)より沖縄先行公開、6月3日(金)よりTOHOシネマズ日比谷で先行公開、6月10日(金)より全国公開となる。この度、本作をいち早く鑑賞した著名人&アスリートからのコメントと本編映像が公開された。『キナタイ -マニラ・アンダーグラウンド-』(2009年)で第62回「カンヌ国際映画祭」監督賞を受賞、『ローサは密告された』(2016年)など、不条理な社会でもがきながら懸命に生きる人々を撮り続けてきたフィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサ。社会派監督の最新作となる『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、プロボクシングライセンスが取得できない日本からフィリピンへと渡り、プロボクサーを目指した“義足のボクサー”を描く感動作だ。公開された本編映像は、プロボクサーを目指してフィリピンへと渡った尚生が、初めてジムに足を踏み入れた瞬間。充実したボクシング器具を揃えるジムのオーナーは「トロフィーだ。何人ものチャンプが生まれた」と説明する。実はこのジム、マニー・パッキャオを輩出したジェンサンエリアにあり、本作の原題である『GENSAN PUNCH』は地名に由来している。常に台本無し、3台のカメラを同時に回して撮影を続けたフィリピンの名匠メンドーサ監督は、新たな希望を全身で受けとめる主人公・尚生の心の動きを、360度回転する撮影で見事に捉えた。この後、夢を追いかけて新しいジムに到着した“義足のボクサー”には真の試練が待つ。この後の展開は劇場で確認してほしい。寄せられた著名人からのコメントは以下の通り。<WBA世界ライトフライ級王者:京口紘人>実話に基づいた映画だったのでとても惹き込まれました。NAOさんの感情に一喜一憂し、自分自身とても勇気づけられました。今ボクシングが出来る喜びを噛み締めながら、自分も頑張りたいと思います。<映画監督:阪本順治>ことさらに障碍を強調せず、こころが矛盾を乗り越える。尚玄の意志のある面構えに魅了された。そして、この作品は沖縄とアジアの現在地をも示している。<元WBA世界ライトフライ級王者:具志堅用高>日常と栄光、現実と夢、ハンディと情熱、こんな人生が描ききられている。カンヌ国際映画祭監督賞受賞のメンドーサ監督が凄すぎる。<元WBA世界ライトフライ級王者:渡嘉敷勝男>すべてのアスリートが常に活躍し続けているわけではない。これまでスポットが当たらなかったアスリートに凄まじいドラマがあった!!気合いだ!勝利だ!栄光だ!ではない。Naoというアスリートの人生が凝縮された作品<元WBC世界スーパーライト級チャンピオン:浜田剛史>日本のルールでは無理だと言われてフィリピンに渡り、何がなんでもプロになりたいという情熱が伝わってきた。アマチュアで3回勝てばプロになれると言われそれを信じ努力を続ける中、トレーナーが相手に金を渡してでもケガをさせずに勝たせたいという気持ちは理解出来ないではないが、それを知った津山選手の心情は痛いほど分かる。フィリピンの英雄マニー・パッキャオを目標にトレーニング・試合をする実直な姿に、見ていて勝たせてやりたいという気持ちに自然に傾いた。フィリピンのスタッフ・家族のチームワークを見てどれだけ愛されているか、深い想いを感じた。撮影風景、沖縄・フィリピン、津山選手の試合、全ての映像に熱い思いと迫力を感じずにはいられなかった。<義足老舗メーカー小原工業社長:秋山七奈子>義足をテーマにはしているが、それに留まることなく、世界中のさまざまな問題がテーマとなっており、向き合うNaoの人生の物語が凄い!日本人にチャレンジする勇気、ハンディキャンプを抱える全ての人への勇気を与えてくれる!!<プロボクシング・プロモーター / 協栄ボクシングジム会長:金平桂一郎>必見!この映画は全てのボクシング関係者にとっての灯火となるであろう!この先のボクシングを照らす灯火なのだ!<脳科学者:茂木健一郎>この「パンチ」は日本人の眠りを覚ます「風」だ。震えたぜ。<ジャーナリスト:早川和宏>台本もなく、カメラを回しっぱなしの現場で、役になりきることを求められる臨場感がメンドーサ監督のカット一つ一つから伝わってくる問題作!黒澤明監督の「影武者」を思い浮かべた。<ムエタイ史上初の外国人王者 / キックボクシングの神様 / ジャパン・マーシャルアーツ・ディレクターズ(JMD)理事長:藤原敏男>タイ人以外で初のムエタイ王者となったときの感動が蘇ってきた作品。義足だけではないハンディキャップを克服して成長する主人公に自分の人生を重ねた。<アトランタ五輪レスリング日本代表選手 / アイアンガード株式会社(警備会社)代表:西見健吉>この映画には、日本人が忘れた魂がある、実話に基づくストーリーが凄い。映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』5月27日(金)沖縄先行公開6月3日(金)TOHOシネマズ日比谷で先行公開6月10日(金)全国公開
2022年05月27日フィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサ監督の最新作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』より、尚玄が演じる主人公をとらえた場面写真4点が6日、公開された。『キナタイ -マニラ・アンダーグラウンド-』(09)で第62回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞、『ローサは密告された』(16)など、不条理な社会でもがきながら懸命に生きる人々を撮り続けてきたブリランテ・メンドーサ監督。最新作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、プロボクシングライセンスが取得できない日本からフィリピンへと渡り、プロボクサーを目指した“義足のボクサー”を描く感動作だ。主人公・尚生は、義足のために日本でのプロボクシングライセンスが取得できず、夢を叶えるためフィリピンへと渡る。そこでは毎試合前にメディカルチェックを受け、アマチュア戦で3戦全勝すれば義足であってもプロライセンスが取得でき、プロのリングに上がれるのだ。実話の映画化に挑んだのは、沖縄出身の国際派俳優、尚玄だ。自ら主演し、製作にも名を連ねた尚玄は、構想から約8年間もの歳月を費やして映画化を実現。プロデューサーの山下貴裕とともに数年にわたり東奔西走し、フィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサとのタッグを実現させた。脚本は渡されず、当日セリフが教えられるという異色の演出方法の現場でプロボクサーとの試合シーンにも全力で挑み、コロナ禍で撮影が一年以上中断になった際もストイックに体型を維持、尚生を体現している。今回解禁された場面写真は、真摯なまなざしで夢に向かって突き進む義足のボクサー尚生の4つの場面をとらえている。ライセンス申請却下の通知を見つめる表情からは、日本で夢を絶たれた痛切な思いが滲む。初めてフィリピンのジムに足を踏み入れた場面をとらえた1枚は、一転して新たな挑戦への希望に満ち、スパーリング中に相手を見据える瞳は夢を諦めない力強さを感じさせる。リングに立ち、対戦相手と拳を合わせる尚生の姿は、義足でありながら、一人のボクサーとして特別なことなど何もないと体現。並々ならぬ熱意で映画化を実現した尚玄と、夢を諦めずにフィリピンへ渡った主人公・尚生の人生の重なりが、演技にさらなる深みを持たせている。『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、5月27日沖縄先行公開、6月3日TOHO シネマズ日比谷にて先行公開、6月10日全国公開。(C)2022「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会
2022年05月06日アメリカ・メリーランド州に住むジェシカ・ロングさんはアメリカ代表のパラリンピック水泳選手です。ロシアで生まれたジェシカさんはヒザ下にある腓骨(ひこつ)が部分的または完全に欠損している先天性腓骨欠損症のため、生後18か月の時に両足を切断しました。幼い頃から義足をつけて生活している彼女は、運動が大好きな女性に成長。現在28歳のジェシカさんはこれまでに4つのパラリンピックに出場し、13個の金メダルを含む23個のメダルを手にしています。 この投稿をInstagramで見る Jessica Long(@jessicatatianalong)がシェアした投稿 義足のアスリートが切実な訴えジェシカさんには日常的に困っていることがありました。それは駐車場で障がい者用スペースに駐車すると見知らぬ人から非難されること。この日も見知らぬ女性から「あなたはそこに停めるべきじゃない」といわれた彼女は、障がい者マークを見せて「私には両足がないんです」と説明したのだとか。この出来事の直後、彼女はTikTokに動画を投稿しました。@jessicatatianalongTo the handicap police... be kind! ##amputeelife ##fyp♬ orijinal ses - cagritanerこういうことがたびたび起きるの。私は子供の頃にいじめられたことはなかったし、障がい者用スペースに駐車することで大人からいじめられることになるなんて思わなかった。(人がなぜ私を非難するのか)理解できるわ。私は若いし、運動をしていてたくましい。でも両足がないの!私が平気そうに見えるのも知っているわ。でも本当に大変なの。義足は重いし、痛いのよ。だからハンディキャップの人専用スペースに駐車しているの。『ハンディキャップ警察』のみなさん、ただ親切にしてください。人がなぜ障がい者用スペースに駐車しているかなんて、あなたたちは知る必要ないでしょう。jessicatatianalongーより引用(和訳)またジェシカさんはInstagramで、このようなことが週に2回から4回起きると説明。見知らぬ人から怒鳴られたり、ワイパーにメモが挟んであったり、車の窓を叩かれたり、ただ文句をいうために彼女が車から降りるまで待っていた人もいたそうです。また高齢の夫婦がスーパーの中でジェシカさんについて回り、彼女をしつこく非難し続けたこともあったのだとか。彼女が義足のことを伝えても「このウソつき!」といい返されたといいます。ジェシカさんの投稿には共感と励ましのコメントが寄せられています。・私も義足で、同じことがよく起きるわ。誰もが他人には見えない何かと闘っている。だから親切でいましょう。・子供より大人のほうがより意地悪になれるのかも。・俺も義足だけど、もしそんなことが起きたら義足を投げつけてやりたいぜ!・あなたの美しいエネルギーをそんな人たちのために無駄遣いしないで。 この投稿をInstagramで見る Jessica Long(@jessicatatianalong)がシェアした投稿 私たちは知らない人がどのような苦労をしているかなんて分かりません。元気そうな人でも、周りには見えない健康上の問題を抱えている可能性があります。ジェシカさんのような若い人が障がい者用スペースに駐車していたとしたら、きっと何か事情があるのだろうと推測する優しさを持ちたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月27日暗闇のステージが、音楽のスタートとともに、青と白の照明に彩られた。舞台袖ではモデルの海音(19)が、右足の膝下に装着した銀色に光る義足を見やる。義足の女性が出演する「切断ヴィーナスショー」のトップバッターを任されたけど、気負いはない。直前に「緊張はない?」と聞かれても「全然」と笑顔で即答した。ステージに歩み出ると、久々のスポットライトを浴びて、ランウェイに進んだ。前の晩は“義足、合わへんかったら、どうしよう”って心配だったけど、大丈夫だ。厚底の靴でもしっかり歩ける。コロナ禍で、ランウェイの両サイドにお客さんの姿はない。でも、カメラマンの向こうに、大勢の人が見えた。今、強く思える。“義足も含めて私を見て”と――。海音は幼いころからキッズモデルとして活動し、小学生からアイドルグループに所属。原宿を歩けばスカウトが行列をなすこともあったほど。将来は、芸能の道に進もうと夢を抱いていた。だが、小4から体調の変化が起き、小6で右足の激痛に見舞われ、難病だと判明したときには右足先が壊死し、切断しか選択肢が残されていなかった。「義足を人に知られるのが怖かった。知らない人とすれ違ったときも“義足なんだ”って変な目で見られているって、ビクビクして……。窮屈で苦しかったです」だが、今はコンプレックスを武器に換えることができた。それは、両親の愛、海音の可能性を信じて支援してくれた人、そしてモデルへの強い思いがあったからだ。義肢装具士の臼井二美男さんが振り返る。「切断したばかりの海音ちゃんは、薬の影響もあってむくんでいたけど、4~5年ぶりに会うとすっかり大人っぽく、美人さんになっていて、ファッションセンスも抜群。“この子は、普通じゃない”と感じました。そこで、切断しても義足を個性だと感じ、心を解放できるようにとはじめた“切断ヴィーナス”のプロジェクトに参加してほしいって思ったんです」海音も、モデルの夢を完全に捨てきれなかった。再び、新しい義足を受け取りに、臼井さんに会いに行った。「ちょうど屋上で撮影をしているから、見学してみない?」臼井さんは、偶然を装っていたが、事前に写真集『切断ヴィーナス』のカメラマン・越智貴雄さんに連絡していたのだ。テスト撮影に応じるも、まだまだ義足をオープンにする勇気は湧かなかったと海音は言う。「でも、その直後に越智さんは(海音の暮らす)大阪までやってきて、これまでの作品も見せてくれたんです。義足ってかっこいいなあって思いはじめました」義足であっても、それも含めて海音は海音だ。「やるなら大々的にカミングアウトしたい」 海音は決心する。越智さんは、そんな海音の覚悟を感じたという。「テスト撮影をしたとき、身のこなしはプロのモデルなのに、表情がぎこちなかったんです。それが義足をオープンにすると決意してからは、表情が一変。義足に血が通いだし、モデルとしての天性の才能を感じました」写真集だけにとどまらず、越智さんの「切断ヴィーナスショー」への出演オファーも「やります!」と即答。今年8月、人前で初めて義足姿を披露したのだった。高校時代、ミニスカートをはけなかったため、ショーには、ミニスカートの制服姿にこだわった。この日、使用した“魅せる”ための銀色の義足には、ある思いが込められている。「臼井さんに『海音ちゃんは、まだ未来があるからね。金はゴールだから、その一歩手前の銀色にしたんだよ』と言われて、すごく私らしいって思えました。だからランウェイを歩くと、緊張はまったくなくて、楽しくてしょうがなかった。コロナで家にいることが多くて、まだ思うような活動はできませんが、カラに閉じこもっている人とか、同じ境遇の人たちが勇気を持てるように、どんどん活躍の場を広げていきたいです」色とりどりに照らされた人生というランウェイ。その先にある、金色に輝く未来に向けて、今、さっそうと歩みだす――。「女性自身」2020年11月10日号 掲載
2020年11月01日世界初となる義足の図書館をつくりたい!義足ランナーとエンジニアがプロジェクトを立ち上げUpload By 発達ナビニュース自分の足で、歩く、走る。行きたいところがあれば移動する、疲れたら座って休憩する…両足を自由に使える人ならば無意識に行なっている日常の行為も、義足を使っている人にとっては「当たり前」ではありません。日常生活で義足を使っている人を目にしたことがある人は多いかもしれません。だけど、そうした日常用の義足では、その人は「走る」ことができないのです。「歩く」「走る」それぞれの用途により、義足の種類や性能は異なり、走るためには競技用の義足という、通常より高価な義足が必要になるからです。そうした状況に対して、「走ることが出来る競技用の義足を体験出来る場をつくりたい」と活動している義足のランナーと義足エンジニアの方々がいます。現在、オンライン上で個人が寄付をすることができる「クラウドファンディング」のプラットフォーム「Readyfor」で、総額1500万円の立ち上げ資金支援を集めるプロジェクトを展開。7月10日の午後11時まで募集をしています。Upload By 発達ナビニュース足を失った人々が「走る」ことへ一歩を踏み出せる場を創りたい!プロジェクトメンバーの一人には、発達ナビ「100人のストーリー」インタビュー記事にご登場いただいた、義足開発研究者の遠藤謙さんも。この記事ではプロジェクトの目標や、義足を取り巻く背景や課題、プロジェクトメンバーの方々の思いをご紹介します。世界初となる義足の図書館をつくりたいUpload By 発達ナビニュース健常者にとって当たり前の「走る」という行為は、義足歩行者にとってはとてもハードルが高いものだそうです。その理由として第1に、私たちがよく目にする義足はそもそも走るように作られていないということ。走るためには歩行用の義足ではなく競技用の義足が必要となってきます。そして第2に、この競技用の義足というものはとても高価だということ。1本あたりの値段は約20万~60万円と高価にも関わらず、試し履きができる場所はほぼなく、使ったことがない方がほとんどだそうです。またお金の問題が解決出来たとしても、第3の課題として環境の問題があります。競技用義足を使って走るためには、安全面に配慮し、陸上競技場など障害物のない安定した場所が必要になります。また、誤った装着は怪我の元となるため、義肢装具士の同伴が必要となります。そこで、このプロジェクトチームは、「自分の足で走ってみたい」と願う子どもから大人まで全ての義足歩行者を対象とした、競技用義足の貸し出しシステム「義足の図書館」を作り、これらの課題を解決したいと考えているそうです。Upload By 発達ナビニュースクラウドファンディングが成立したら、この走ることが出来る競技用の義足を体験出来る場になる「義足の図書館」には、子供用から大人用まで世界で多くの人が使用している競技用義足25本程(およそ1200万円分)の設置が予定されているとのこと。「そんなに設置する必要があるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、競技用義足(板バネ)の硬さは、ユーザーの体重に合わせて、それぞれ5~9カテゴリーに分かれているため、多くの方にご利用いただけるようにするためには、少なく見積もってもこのくらいは必要になるのです。学びたいと思う全ての人々が自由に本を手にすることができるように、「走りたい」と願う全ての人々が自由に競技用義足を手にすることができる、そんな空間を目指しているそうです。技術の力で障害を取り除くUpload By 発達ナビニュース今回紹介したクラウドファンディングの主催者の1人である義足ランナーの佐藤さんも、中学はサッカー部に所属する根っからのスポーツ少年でした。しかし中学3年のときにユーイング肉腫と診断され、右足膝下を失ったそうです。佐藤さんのような根っからのスポーツ少年にとって、当たり前のようにできていた「走る」という行為が日常生活から消えてしまうかもしれないことは本当に怖かったということ。そして、そんな思いをしている人が他にもいるんだったら今度は自分がそうした方々の力になりたい、そう思って今の活動を行っているそうです。これまで発達ナビでは、発達障害のある人が直面する課題をテクノロジーの力を使って解決する取り組みについて多く紹介してきました。技術の力で困難を取り除き、一人ひとりが制約なく自分の「やりたい」ことを追求できるようになったなら、障害はもう「障害」ではなくなっていく…発達障害や身体障害といった障害の種別にかかわらず、こうした取り組みが広がっていくことで、少しずつ社会は変わっていくのだと思います。クラウドファンディングの募集期間は7月10日(月)午後11:00まで。プロジェクトに共感した方は、ぜひ応援を!足を失った人々が「走る」ことへ一歩を踏み出せる場を創りたい!
2017年07月05日今回は、ソニーコンピュータサイエンス研究所の研究員として、そして株式会社Xiborg(サイボーグ)の代表として、義足の研究開発をされている遠藤謙さんにお話をお伺いします。ご自身が立ち上げたXiborg社の公式サイトには「すべての人に動く喜びを」と掲げ、「才能がない、障害を抱えている、高齢だからといって、この喜びが奪われる事はあってはならないと考えています。」とあります。社 公式サイト「人間の身体にはまだまだ隠された機能があります。それを引き出すことによって人間の生活スタイルは激変する可能性を秘めています。例えば、損なわれた機能を補うだけでなく拡張することができれば、障がい者、健常者、高齢者の身体機能の境界線がなくなり、身体能力の欠如に対するネガティブな考え方も変えることができるのです。私のゴールは、世の中から身体の障がいをなくすことです。」そう語る遠藤さん。一体どのような幼少期・学齢期を過ごしてきたのでしょうか。そのライフストーリーをお伺いしたいと思います。なぜ「義足」の道を進んだのか?編集部:遠藤さんがおっしゃる「世の中から身体の障がいをなくす」という言葉、とても共感しているんです。そのお話からまずは。遠藤:ありがとうございます。僕は人の身体にまだまだ可能性があると思っているんですよ。目の前の目標としては、義足の開発を通して障害を無くしたいと考えてます。2020年のとオリンピック・パラリンピックでは、障害の定義が「脚があるかないか」と関係なくなってくる。じゃあ、一体何が「障害」なんだろうとか、そういう議論が起こるだろうと。編集部:義足の開発は、その議論を起こすきっかけになりそうですか?遠藤:なると思います。具体的にいうと、今僕たちは陸上競技用の義足を作っているのですが、それはこれまでの義足のように「無い脚を埋める」だけの義足ではありません。脚のない人が、義足によって「より自分の能力を引き出せる」ことを目指して作っている。陸上選手で言えば、「義足の方がより早く走れるようになる可能性を秘めている」ということです。すると健常者のほうが障害者よりいいタイムが出るという、これまでの概念が崩れていくのではと考えています。編集部:すごい。遠藤さんは初めからそういう考え方で研究をされていたのでしょうか?それとも徐々にそういう志が生まれてきたのか。遠藤:もともとはロボットの研究をしていました。ASIMOが2000年に発表されて注目されて、これは面白いと思った。それまでロボットというといかにも機械っぽくてメカメカしかったのに対して、可愛らしい要素が取り入れられたところに興味があって。編集部:ご自身でも開発をされていたのでしょうか。遠藤:はい、最初に開発に関わったのがPINOというロボットでした。松井龍哉さんというデザイナーがデザインしたロボットで、宇多田ヒカルさんの「Can you keep a secret」のPVに出たので見たことがある方も多いかもしれません。編集部:みんなびっくりしましたよね。友達のような、ロボットとの距離感が新鮮だったのを覚えています。でも、そこから義足の研究に切り替えたのは何かきっかけがあったのでしょうか。遠藤:友達がガンになり、お見舞いにいったんです。その時僕の研究の話をしたら「ロボットで歩くんじゃなくて、自分で歩きたい 」と言われて、ハッとしたんですね。編集部:なるほど。遠藤:誰かの役に立つ技術開発をしたい、そう思いました。そこから色々なことがあって、マサチューセッツ工科大学(以後MITと表記)のヒューハー教授のことを知りました。出典 : 遠藤: 彼はもともとはロッククライマーなのですが、事故に遭い両足を失くしたんです。そのとき彼はロッククライミングを諦めるのではなく、自分で義足の設計をしようと勉強し始め、研究の後に教授になった人物です。編集部:またすごい人物ですね。遠藤: 彼に会いに行った時、「MITに来たらいい、受かったら教えて」と言われて、それで受験したら幸運にも合格したんです。ただ、入学後はこれまでの専門とは違う学問を学ぶので、それはもう猛勉強の日々でしたね(笑)。「できなかったらどうしよう」は考えない編集部:語学の壁、学問分野の壁、と困難続きだったと思いますが、辞めたいと思ったことは?遠藤:何回もありますよ。最初のうちは授業に全然ついていけなかったです。解決策は、「寝ないで頑張る」。2〜3年はそんな感じでした。遠藤:でも、1年中力を入れっぱなしというわけではなく、アメリカの場合、授業があるのは8ヵ月だけなので、その8ヶ月はとことん勉強して、残りの4ヵ月、夏休みなどはゆっくり過ごす。そして学期が始まったら、また集中して…、という過ごし方でした。期間を決めて、その間だけは先の事とか考えずに没頭するんです。編集部:でも先の事を考えずに没頭するって、意外と難しいことではありませんか。遠藤:うーん、僕の中に「できなかったらどうしよう」というのがあまり無いのかもしれません。編集部:あーーー、なるほど。だから今に集中できる。遠藤:一番になりたいけど、一番にならないと悔しくて死んでしまうってほど執着したことも、あまり無いんですよ。結果的に二番になってもいいと思っているのかも。知的好奇心が原動力。支えてくれた親の存在は…編集部:ただ、没頭したことを、さらに続けていくのって大変なことだと思うんです。遠藤さんを支えたものは何だったのでしょう。遠藤:知的好奇心。勉強しているのが単純に楽しかったんです。知的興奮を覚える、といいますか、勉強はもちろん大変だけど面白い。もっと知りたい、だから頑張っていられたんだと思います。編集部:とってもシンプルですね。知的好奇心。ちなみに、高校時代にも一度留学をしたいと、ご両親に相談したことがあると伺いましたが…。遠藤:あ、そうなんですよ。高校の同級生に帰国子女がいたことで英語に興味が湧いて。それでアメリカの大学に行きたいと両親に伝えたら、もう大反対でした。編集部:なぜでしょう。遠藤:留学したい理由を聞かれて「英語を身に着けたい、若いほうがいいと思うから」って答えたんです。そしたら「その語学を身につけて、何を勉強したいんだ」と聞き返されて、僕は何も答えられなかった。反対された時に、押し通すほどの理由や熱量が無かったんです。そんな状態で行っても意味がないなと自分でも思い、その時は行きませんでした。でも、大学を卒業してMITに行こうと思った時には明確な目的があった。だから受験をしたし、両親も応援してくれましたね。その時に「学費をどうまかなうか」という話をしたのがとても印象的で、今でもよく覚えています。編集部:そのお話、ぜひ伺いたいです。次回は、遠藤さんのご両親とのかかわりや幼少期の過ごし方についてお伺いします。株式会社 Xiborgソニーコンピュータサイエンス研究所 プロフィール
2016年10月17日東京大学山中研究室、SIP MIAMI プロジェクトは、「Designing Body美しい義足をつくる」展を開催している。会期は6月14日まで。会場は東京大学生産技術研究所 S棟1階ギャラリー。入場無料。同展は、デザインエンジニア/東京大学教授/慶應義塾大学・山中俊治氏が2008年より取り組んでいる「美しい義足プロジェクト」を紹介するもの。これまで同プロジェクトで制作されてきた義足が一堂に会すと共に、東京大学生産技術研究所で発足した先端技術(3Dプリンティング)を駆使した新プロジェクトの展示も行われる。また、同展は3部構成になっており、義足の実物や山中氏のスケッチ、デザイナー/プログラマーの奥田透也氏によるデータビジュアライゼーション作品などが展示されているということだ。
2015年06月08日東京都・恵比寿のTRAUMARIS|SPACEにて、両足義足のアーティスト・片山真理の初個展「you’re mine」展を開催している。開催期間は2月15日まで(月火休)、開場時間は13:00~24:00(日曜は14:00~22:00)、入場は無料。同展では、片山自身の身体を型取りした石膏像になめし革のパッチワークを施した立体と、等身大のセルフポートレート写真から構成される新作「you’re mine」を発表している。フェミニンな装飾をほどこした少女時代の義足や小さなオブジェなどの親密な品々でびっしりと飾られた部屋を再現したインスタレーションや、自身の身体をなぞる行為としてのセルフポートレート、特注したハイヒールの義足を着け190cmという迫力のプロポーションを生かしたパフォーマンスと、片山の作品はすべて、生まれもった特別な身体を媒介に、これまでの人生で身につけた生活の知恵と想像力から生まれてきた。さらに2013年には、フランス・マルセイユでダンスカンパニー「BABY Q」のパフォーマンス公演と仏ブランドのファッションショーに出演。2014年は、NHK「バリバラ!」でのインスタレーション作品発表、同番組制作のドラマ「悪夢」に出演するなど、その表現活動はさらに領域を広げている。なお、片山真理は1987年埼玉県生まれ、群馬県育ちのアーティスト。2010年、群馬県立女子大学文学部美学美術史学科卒業。2012年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。9才の時に先天的な理由で両足を切断して以降、義足で暮らしている。東京藝術大学大学院に進学した後、2012年の「アートアワードトーキョー丸の内」ではグランプリを受賞、2013年には「あいちトリエンナーレ」に最年少で参加を果たすなど、作家としての活動を本格化させている。
2015年01月23日