お笑いタレントの、くまだまさしさんは以前、訪れたコーヒーチェーン店の『スターバックス』で、耳の不自由な店員に接客をしてもらいました。スタバでくまだまさしが目にした光景耳の聞こえない店員が?店員は、メニュー表を指で示しながら、くまださんに注文内容などを確認していたのです。くまださんは、その出来事に思わず感動したと、Twitterに投稿。すると、投稿を知ったファンがくまださんに、ある『スターバックス』の店舗を教えました。さっそく、くまださんが家族とともに、すすめてもらった店舗を訪れてみると…。その店舗でも、耳の不自由な店員がメニュー表を指でさしながら、丁寧に接客していたといいます。先日、耳の不自由な方が働いてらしたスターバックスに行って、凄く清々しい気持ちになりました☺️皆さんに『国立にも素晴らしいスタバがあるよ』と教えてもらったので、今日家族で行きました障がいを持った方が何人も働いていましたが、みんな凄く笑顔で働いてて、今日も清々しくなれました(^_-) pic.twitter.com/cZRFPeXx7o — くまだまさし (@kumadamasashi) August 15, 2022 客がくまださんだと気付いた店員は、ボードに「この間のスターバックスでの投稿を見ました」と書いたとのこと。ボードに言葉を書いてコミュニケーションを取ることに、くまださんは最初、緊張していたといいます。しかし、慣れると心が和らぎ、店員と円滑にコミュニケーションを取ることができたようです!くまださんのエピソードに「心が温かくなった」「言葉を書いてコミュニケーションすることは、最近していない気がしたので今度やってみようと思います!」といった反響が上がりました。帰り際、手話を通じて「ありがとうございました」と店員にお礼を告げたというくまださん。くまださんだけでなく、店員もすがすがしい気持ちになったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年08月16日子供は、幼くとも意思を持った1人の人間。理由の説明もなく、親に何かを指示された時、納得がいかないこともあります。ミカヅキユミ(@mikazuki_yumi)さん一家でも、子供と夫の間で衝突がありました。理由を教えてもらえなかった息子2児の母親であるミカヅキユミさんは、生まれつき耳が聞こえません。対して、夫と子供たちは耳が聞こえます。夫婦が別々の部屋にいる場合、夫が声を出しても、ミカヅキユミさんは気付くことができませんが、9歳の息子さんと5歳の娘さんには声が届くのです。ミカヅキユミさんは以前、すでに夫に「基本は自分で呼びなさい」と伝えていました。それをもう一度思い出してもらおうと、ミカヅキユミさんは夫がいる部屋に向かいます。すると、夫には夫なりの事情があったことが判明しました。動けなかったワケじぶんでよべばいいのに【4/4】 pic.twitter.com/Z7kUakJI1w — ミカヅキユミ (@mikazuki_yumi) August 9, 2022 夫は、自分の上で眠ってしまった娘さんをどう降ろせばいいのかが分からなかったようです。起き上がれないため、息子さんに声を掛けたのですが、伝えるのが「面倒くさい」という心情から、動けない理由をまったく説明しませんでした…。自分の都合で説明を省くことは、相手の心を無視し、軽んじる行為ともいえるでしょう。息子さんからの『間違いの指摘』に納得した夫は、自身の行いを反省。よりよい家族の形にするため、自分の言葉で意見を伝えられるようになった息子さんに、ミカヅキユミさんは成長を感じたのでした!「子供なら親に従え」と、立場によって相手の意見を潰してしまっては、居心地のいい家庭は作りがたいもの。家族だからこそ、自分たちの家庭に合ったルールなどを話し合い、模索していきたいですね。ミカヅキユミさんは、ブログでも日々の出来事を描いた漫画を公開しています。もっと読みたい人は、こちらも覗いてみてはいかがでしょうか。ブログ:背中をポンポン[文・構成/grape編集部]
2022年08月13日森ノ宮医療大学は2024年4月、総合リハビリテーション学部に言語聴覚士を養成する「言語聴覚学科(仮称・設置構想中)」の設置を予定しています。新学科設置によって、総合リハビリテーション学部には、理学療法学科、作業療法学科、言語聴覚学科(仮称)の3分野が揃います。この3学科が連携することで、リハビリテーション分野における本学の学びの領域は大きな広がりをみせ、さらに学びが深まります。また、総合リハビリテーション学部だけではなく、大学全体としても新たな職種・領域が加わることで、本学の教育の特徴である「チーム医療教育」もより充実したものへと進化します。※本件は設置構想中であり、変更が生じる可能性があります。言語聴覚士とは言語聴覚士は超高齢社会、小児の発達障害など、言語聴覚士の社会的ニーズは年々高まっており、活躍の場は広がっています。<仕事の内容>ことばによるコミュニケーションには言語、聴覚、発声・発音、認知などの各機能が関係していますが、病気や交通事故、発達上の問題などでそれらの機能が損なわれることがあります。言語聴覚士は、言語や聴覚に障がいをもった人に対し、機能の改善や維持、代わりとなる手段獲得などの訓練を行います。また、医師や歯科医師の指示のもと、嚥下訓練や人工内耳の調整も行います。患者さんのハンディキャップ軽減のために、家族などに情報提供や指導を行うことも大切な仕事となります。<活躍の場>言語聴覚士によるリハビリテーション医療は、医師や歯科医師をはじめ、看護師・理学療法士・作業療法士などの医療専門職、ケースワーカー・介護福祉士・介護支援専門員などの保健・福祉専門職、教育、心理専門職などと連携し、チームの一員として行われます。活躍の場は、医療機関はもちろんのこと、福祉・介護施設、教育機関など多様な領域に広がっています。具体的には、総合病院や一般病院のリハビリテーション科、耳鼻咽喉科、口腔外科などの医療機関、福祉施設、保健所、教育機関など、さらには研究施設、言語聴覚士教育施設などがあります。新たな学びの校舎が誕生2024年4月、7つ目の棟となる新校舎を建設予定。新たに設置される言語聴覚学科(仮称・設置構想中)の実習室のほか、全学部・学科の学生が利用でき、学生生活を豊かにする新たな空間が誕生します。※新校舎の画像は計画中のため、変更となる可能性があります。森ノ宮医療大学は、多岐にわたる医療系専門職養成学科を擁する関西最大級の医療系総合大学です。各学部・各学科・専攻科・大学院はそれぞれ高度な医学教育・研究を展開しており、また専門領域の垣根を超えた横断的医療教育プログラムにより魅力的な多職種連携チーム医療教育を実践していきます。■看護学部:看護学科■総合リハビリテーション学部:理学療法学科、作業療法学科■医療技術学部:臨床検査学科、臨床工学科、診療放射線学科、鍼灸学科■大学院保健医療学研究科■助産学専攻科■はり・きゅうコスモス治療院(森ノ宮医療大学附属鍼灸施術所)【関連リンク】・森ノ宮医療大学ホームページ ・森ノ宮医療大学公式YouTubeチャンネル お問い合わせ先森ノ宮医療大学総務部企画課電話番号:06-6616-6911E-mail: kikaku@morinomiya-u.ac.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年07月26日・素敵な出会いに、読んでいて心が温かくなった。・やり取りができたことに、店員も自信がついたんじゃないかな。・誰もが働きやすい社会が必要だよね。お笑いタレントの、くまだまさしさんがコーヒーチェーン店の『スターバックス』を利用した際の出来事に、こうした感動のコメントが上がっています。くまださんが同店で商品を注文した際、応じたのは、耳の不自由な店員でした。店員は、くまださんに対し、品物やサイズ、テイクアウトするかどうかを、すべてメニュー表を指で示しながら聞いたというのです。スターバックスに行った。女の子の店員さんが耳の不自由な方だった。品物も大きさも持ち帰りかも全部メニューを見ながら指差しでの注文でした。僕が偉そうに言える立場ではないですが、本当に頑張って女の子に感動してしまった。そしてスターバックスを良いお店だと思いました(^_-)— くまだまさし (@kumadamasashi) July 3, 2022 客からの注文を受け付けてから、ドリンクを作り始める同店。そのため、注文時、店員と客の丁寧なコミュニケーションが必要になります。耳が聞こえなくとも、指で示しながら客からの注文を受け付ける方法に、くまださんは感動したようです。世の中には、障がいを理由に、就労することが困難だと感じる人がいるでしょう。しかし、くまださんが同店で目にした店員のように、障がいがあっても自分なりの行動で仕事をできる人がいます。誰もが安心して働ける環境のためには、社会における理解が必要といえますね![文・構成/grape編集部]
2022年07月04日「グレーを白にしたかった」診断はADHD、LDも大生さんは小さなころから多動や言葉の遅れがみられたが、和枝さんは大生さんの発達の遅れに気付くまでに時間を要した。離婚後、家計を支えようと、看護師の資格を取得するべくパートの仕事の傍ら看護学校にも通っていたため、育児が二の次になってしまったからだ。大生さんは頻繁に忘れ物をし、夏休みの宿題はろくに手がつけられず、外食に行けばじっとしていられず、ときに癇癪を起こしていた。小学校中学年のある日、和枝さんが連絡帳を開くと、中は真っ白だった。授業のノートも見ると、板書のメモは一行だけで終わっており、作文の文字はマス目に収まっていなかった。「どうしてできないのかが分からない」「僕なんてダメなんだ」と、家の柱に頭を打ち付けたり、自分に包丁を向けるなど、自傷行為もするようになっていった。「私もイライラしていたんです。今からでもフツウになれるんじゃないかと思って、とにかくやりなさいって、型にはめようとしていました。グレーを白にしたかったんです。でも、母親として切ないというか、大丈夫かな、ウチの子は楽しいのかなとか。毎日毎日泣いて帰ってくる大生を見て、そんなに嫌な思いして学校に行くならほかの子と一緒じゃなくてもいいかなって思ったんです」(和枝さん)Upload By 桑山 知之ほかの保護者からの指摘を受けて調べたところ、発達障害の特性が当てはまった。発達検査では全検査IQは“普通の中”。スクールカウンセラーのすすめで受診した病院で、ADHDと診断を受けた。学習障害もあった。さらに、医師から「お母さんも“抑肝散”を飲んでみてはどうか」とも提案されたという。抑肝散(ヨクカンサン)とは、精神疾患や神経疾患の補助薬として処方される漢方薬だ。「え、私?って。看護師なのでそれがどういう薬なのかわかるから、驚きました。それと同時に、子どものしんどさの導火線は私が握っているんだなっていうか。この子だけをどうにかしようと思うんじゃなくて、私もこの子のつらさに拍車をかけちゃいけないんだなと思いました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之「死んでやる!」どん底で見つけた一筋の光大生さんは地元の公立中学で通常学級に進学したが、遅刻や早退がほとんど。教師の理解は乏しく、よく説教を受けた。クラスでは仲間外れにされ、「遅刻してきたのによく堂々と入ってこれるな」「勉強面で遅れてて終わってんな」などと言われることもあった。登校時間になると嗚咽が止まらなかったりと、休みがちになっていった。大生さんの自傷行為を防ぐため、和枝さんは家中の刃物を隠した。「死んでやる!と言って大生が自分の首を絞めていたこともありました。私も家に帰るのがつらいっていうか…。一緒に死んでもいいのかなって思ったりもしました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之中学2年に進学したある日の夜、和枝さんは『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ系)でキャリアチェンジ犬のことを知る。キャリアチェンジ犬とは、身体面や性格面など何かしらの理由により介助犬に向かないと判断された犬のこと。かつて犬を飼っている知人の家に行った際、大生さんが柔らかい表情をしていたのを思い出した。「手は尽くした。これしかない」と、日本介助犬協会に問い合わせた。※介助犬…肢体不自由者の日常生活のお手伝いをする犬のこと。盲導犬、聴導犬とともに身体障害者補助犬の1つとして定められている。人懐っこい“魔法使い”がやってきたUpload By 桑山 知之10ヶ月が経ったある日、1頭のキャリアチェンジ犬とマッチングした。名前はオズ。介助犬を目指して訓練していたものの、好奇心が旺盛でほかの犬が好きな性格のため、介助犬には不向きと判断された犬だった。お試し期間として2週間、自宅で一緒に過ごすことになった。和枝さんが「オズにわかりやすいように笑顔で、感情を込めて『よしよし』ってなでるといいよ」と伝えると、大生さんは少しずつ一言添えてなでるようになった。人懐っこくいつも顔をペロペロなめるオズに、思わず大生さんにも笑顔が戻ったのだった。「大生は最初は興味なさそうだったんですけど、だんだん感情を込めてオズに接するようになったんです。大生も笑うんだ…って思ったぐらいでした」(和枝さん)Upload By 桑山 知之さらに、3個下の弟と適切な距離感がつかめずケンカが絶えなかった大生さんだが、オズを介してコミュニケーションが取れるようになった。かつて喫茶店に行くのが趣味だった和枝さんに「俺たち大丈夫だから、喫茶店に行ってきていいよ」と大生さんが言ってくれたり、最近では料理もするという。「(オズを)迎え入れてよかったです。人と違う接し方ができて楽だし、オズと散歩に行ったときに近所の人から空気感が変わったね、って声をかけてもらったり、話したりするようになりました。オズは家族です」(大生さん)Upload By 桑山 知之「最初、見学会でご家族を見たときは空気が張り詰めている感じがありました。でも、犬にはすごいパワーがあって、もたらす効果も大きいんです。その中でもオズはフレンドリーで、マイペースで、明るくて動じない性格だから尾崎さん家族に合うのかなって。オズが来たことがきっかけで変わって、本当に良かったです」(日本介助犬協会・柴原永佳さん)オズが来て半年。これまで集中力が続かず、不登校だった大生さんは自ら勉強に励み、「高校に行きたい」と言うようになった。大生さんは現在、専修学校2年生。専門課程までの5ヶ年一貫教育を経て、就職できるよう力をつけていく。「自分で働いて、自分が暮らせる分ぐらいは稼げるようになってほしい」と和枝さんは願っている。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)家族関係の中に動物が介在することで、共通の話題やプラスのコミュニケーションが生まれてきます。また、家族同士の関係性や価値観も変わってくるのだと思います。今回のケースでは、オズ自身の性格もさることながら、キャリアチェンジをして頑張っているオズという存在自体が、「チェンジしたい」と願う家族それぞれが自分と重ね合わせることで大きな力になったのではないかと感じました。
2022年06月28日幼いころのゆいの様子を思い返してUpload By 吉田いらこ幼いころのゆいは素直で大人しく、いわゆる育てやすい子でした。就学前までは子育てで特に大きな苦労を感じたことはありません。ただ、ゆいは勉強の苦手な子ではありました。年中のころから幼児向けのコースもある学習塾に通わせていたのですが、小学校1年生のころに本人がどうしても辞めたいというので退会させたことがあります。続けていけなくなったのは、ちょうどそのころから塾の勉強の内容が幼児向けの簡単なものからお勉強系に切り替わったからだと思います。この塾のシステムは、できない問題があればずっと同じところを繰り返し、理解し、解けるまで次に進むことはできません。ゆいは算数のある一ヶ所でつまずき、ずっとその問題を繰り返し解くことがつらかったようです。このときは辞めさせることをとても悩みました。勉強を嫌がるのは甘えではないのか、それを許していいのか…と。結局、ゆいがとてもつらそうにしているのがかわいそうになって辞めさせてしまいました。それに、まだ低学年だし勉強は無理にさせなくてもいいやとも思っていたのです。今思えば、このころに軽度知的障害の予兆に気づいていればできたこともあっただろうなと感じます。小学校三年生、テストの点数はいつも低く…Upload By 吉田いらこ小学3年生あたりから「この子は勉強が本当に苦手だなあ」と感じることが増えました。小学校で実施される小テストやカラープリントの点数がとても低かったのです。ゆいはいつも点数の低いテストを申し訳なさそうに私に見せてくるので、私は「次頑張ったらいいよ」「ほら、ここは○が多いじゃない」と数少ない、できていたところに目を向けてほめるようにしていました。内心では「この内容だったら、ほかの子は高得点を取っているのでは…?」と思いましたが、成績が悪いことをわが子に注意するのはかなり抵抗がありました。さらに勉強を嫌いになってしまうかもしれないと思い怖かったのです。きっといつか、勉強の大切さがわかったときには自主的に始めるだろう…と楽観視していました。かといって、ゆいに勉強に興味を持たせられるような効果のある声かけもしていなかったので申し訳なく思っています。小学校4年生のある日のことUpload By 吉田いらこそして何も解決しないまま小学四年生になったある日、担任の先生から呼び出しがありました。教室に入ると担任の先生と支援担当の先生がいて、ゆいの学校での状況を教えてくれました。ゆいは勉強についていくのがとても難しそうだということ。必死で板書を書き写そうとしているが間に合わず、授業を理解する以前の状態だということ。そして最後に、一度専門機関で発達の検査をしてみてはと言われました。そのときは「ああ、とうとうか…」と感じました。なんとなくそのままにしてきたことをはっきり指摘されたような気がしました。現在のゆいは…その後小学校5年生で新版K式発達検査を受けた結果、療育手帳(B2)が申請できると伝えられました。つまり、軽度知的障害があるということです。ゆいの場合は、学年が上がって勉強につまずき始めたことがきっかけで障害があることが発覚しました。ただ、こうやって第三者に指摘されない限り、家族だけではなんとなくそのままにしていただろうと考えています。学校の先生方に指摘された当時はショックを受けましたが、そのおかげでいろいろな対応を進めることができたので今では感謝しています。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)「子どもに知的障害があるかもしれない」という発想は、普通に子育てをしていてはなかなか浮かんでこないものです。ただ一方で、気づかずに一般的な勉強方法を繰り返していては、本人にとってつらいだけのこともあります。特性に気づいて最適な方法に出会えると、少しずつ前に進めて良いですね。
2022年06月03日障害のある職人たちが手がけるボーダーレスなウォレット「UNROOF×SHIPS made in Japan」シリーズ第2弾、発売中Upload By 発達ナビニュースジョッゴ株式会社が運営する革製品ブランド「UNROOF(アンルーフ)」では、発達障害や精神障害のある革職人たちが活躍しています。障害のある方たちの新たな働き方のスタイルや、妥協のないものづくりが注目され、人気ブランドと共同開発した製品も続々と誕生しています。現在、発売中の革小物シリーズ「UNROOF× SHIPS made in Japan」は、セレクトショップ「SHIPS」とのコラボレーション第2弾。「UNROOF」が大切にするのは、性別問わず使えるデザイン、そして左利きの人でも使えるようなデザイン。「SHIPS」 が大切にしているのは、シーンを問わず、また性別も問わないジェンダーレスに使えるデザインと素材。この2つがコラボレーションしたことによって、あらゆる面でボーダレスなウォレットが誕生しました。製作は全て東京都東村山市にある「UNROOF」の工場で、革職人が一つひとつ手づくりしています。素材、生産工程の全てが「Made in Japan」のコラボレーション商品です。「SHIPS」の一部店舗、オンラインショップにて販売中です。〈「UNROOF X SHIPS made in Japan」取り扱い店舗 〉SHIPS 銀座店SHIPS 新宿店SHIPS 有楽町店SHIPS 大宮店SHIPS グランフロント大阪店SHIPS 広島店*一部変更の可能性があります※クリックすると発達ナビのサイトからSHIPSオンラインショップに遷移します。障害福祉×デザイン×地域の協働。JR東⽇本⼭⼿線沿線で、オリジナル電⾞カードが配布中Upload By 発達ナビニュース「障害の壁を越え、持ち味を生かし『好きなことを仕事にする喜び』『他者と協働する楽しさ』を誰もが目指せる世の中をつくる」をミッションに、2020年に創業したデザインチーム「想造楽工(そうぞうがっこう)」。全国各地の福祉施設と企業や自治体とコラボレーションを手がけています。今回、東京都池袋にある障害者⽀援施設「社会福祉法⼈フロンティア いけぶくろ茜の⾥」、JR東⽇本とのコラボレーションが実現。オリジナル電⾞カードが4月より配布開始されています。非売品のオリジナル電車カードの表⾯にはユニークな電⾞や⾞掌などのイラストが、裏⾯にはJR東⽇本池袋 運輸区からのメッセージが掲載されています。 デザインは2種類。池袋運輸区の⼭⼿線運転⼠、⾞掌からお子さま限定で受け取ることができます。「想造楽工」のさまざまなコラボレーションはInstagram、ホームページでご覧ください。「想造楽工」nstagram※クリックすると発達ナビのサイトから想造楽工のホームページに遷移します。「ちがいをちからに変える街」渋谷からうまれたシブヤフォントUpload By 発達ナビニュース「シブヤフォント」を知っていますか?渋谷区内の障害者支援事業所に所属する方々が描いた文字や絵を、渋谷区にある専門学校桑沢デザイン研究所の学生が「フォント」や「パターン」としてデザインしたものです。これまで400種類以上のデータが作成されています。眺めるだけでわくわくするようなデザインの数々のフォントは「渋谷区公認のパブリックデータ」として公開されています。「シブヤフォント」は渋谷区役所の新庁舎や、LINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)などの公共施設の案内、渋谷区職員の名刺にも使用されています。さまざまあるフォント・パターンは、これまで企業の広告や商品などに起用されており、もしかしたら既にどこかで目にしているかもしれません。企業とのライセンス契約による売上の一部は、渋谷区内の障害者支援事業所の工賃に還元。ワンコインからできる個人利用は、新しいソーシャルアクションとしても注目されています。ギャラリーでは、シブヤフォントをもっとよく知ることができます。ぜひ足を運んでみてください。〈「シブヤフォント」ギャラリー〉【所在地】:東京都渋谷区桜丘町23-21渋谷区文化総合センター大和田8F一般社団法人シブヤフォント【開所日】:平日10:00~17:00※クリックすると発達ナビのサイトからシブヤフォントのホームページに遷移します。車いすユーザーが「何本も電車を見送らずに、電車に乗れる駅間連絡の仕組みづくり」への署名、1万5千人を突破Upload By 発達ナビニュース余裕をもって駅のホームに到着したにもかかわらず、目の前の電車に乗れなかった経験はあるでしょうか。車いすユーザーは、発車の10分前、場合によっては20分前にホームにいても目の前の電車を見送らざるを得ないというケースが日常的にある、という現状があります。スムーズに乗車できる鉄道がある一方で、全国には「降車駅に連絡がつくまで、スロープを使う車いす利用者を電車に乗せられない」という原則ルールがある鉄道もあります。その場合、電車に乗っている時間が長い時間であったとしても、乗車する前に降車駅に連絡がつかない限り、目の前の電車に乗ることはできません。現在、この仕組みを変えてほしいという署名活動が行われています。全国での「駅間連絡の仕組みづくり」実現のための活動は、多くの賛同と署名を得ています。障害の有無にかかわらず、また全国のどこにいても全ての人が乗りたい電車に乗れる社会に近づくため、ご関心あれば、ぜひ以下より署名サイトをご覧ください。※クリックすると発達ナビのサイトからChange.orgに遷移します。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2022年05月17日人と人のつながりによって、社会は成り立っています。誰もが日常生活を送るうえで、他者とつながっているのです。そして、出会いと別れを幾度と繰り返す中で、時には運命を感じる出会いを経験することも。2児の母親であるミカヅキユミ(@mikazuki_yumi)さんは、ある日『不思議な人』との出会いを果たしたといいます。耳が聞こえない女性が出会った『不思議なママさん』生まれつき耳が聞こえない、ミカヅキさん。そのため普段は手話や筆談、口の動きを読み取る『口話』を使って、コミュニケーションをとっています。そんなミカヅキさんは、数年前に子供たちを連れてホームセンターを訪れた際、同じく幼い子供を連れた母親と出会いました。後に『サヤちゃん』と呼ぶことになるこの女性に対し、ミカヅキさんは初対面の時から不思議な感覚があったといいます。『不思議な感覚』の理由は…ホームセンターで出会った不思議なママさんの話(2/2) pic.twitter.com/TzsXk9iUpr — ミカヅキユミ (@mikazuki_yumi) May 12, 2022 ホームセンターで会話を交わし、交友関係を深めるようになった、いつも笑顔で物腰の柔らかい『サヤちゃん』。彼女と接するたびに、ミカヅキさんは不思議な感じがしたといいます。彼女はいつも自然と、耳の聞こえない人に合ったコミュニケーションをとっていたのです。視線を合わせるようにしたり、背中や肩を優しく触れて合図をしてくれたり、音声アナウンスの内容を伝えてくれたりと、『サヤちゃん』はいつも心地よい対応をしてくれました。不思議に感じたミカヅキさんが話を聞くと、実はミカヅキさんの友人でつながっていたことが発覚!これは『運命の出会い』といっても過言ではないでしょう。・うまく言葉にできないけど、心がじわっと温かくなって泣いた。・なんだか自分まで嬉しくなっちゃった!素敵な人間関係だなあ。・「運命って本当にあるのかも」と思えた。自分もこうなりたい。これまでも『サヤちゃん』だけでなく、聴覚障害者が近しい間柄にいた人と、何度か出会ったことがあるというミカヅキさん。そういった人たちの柔らかい接し方に触れ、「その人たちが過去に出会った聴こえない人に『ありがとう』といいたくなる」とコメントしています。きっと聴覚障害に限らず、いろいろな人は無意識のうちに人とのつながりを経て、優しさを身に着けていくのでしょう。そしてその優しさは、他者と交流をすることによって自然と社会に広がっているのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2022年05月14日生まれつき耳が聞こえないミカヅキユミ(@mikazuki_yumi)さん。9歳の息子さんと、5歳の娘さんを育てる中で、大人と子供の関係性について悩むことがあったといいます。その理由の1つは、子供の頃の経験。小学生の頃、ミカヅキさんは先生に教わりながら文章を書く練習をしていました。日常の出来事や自身の想いをつづることが楽しかったという、ミカヅキさん。しかし、先生のコメントをきっかけに、自身を抑えつける『黒い手』の存在に気付いたのです。子供の頃に見えていた『黒い手』『黒い手』という名の、大人からの否定『黒い手』を振り切ったものの…?気付いたら、自分も『黒い手』を持つ側の人間に!?子どものころ見えていた「黒い手」の話(4/4) pic.twitter.com/k7VxNcnEGV — ミカヅキユミ (@mikazuki_yumi) April 2, 2022 子供の頃、自身がよく理解しているはずの『聴こえない』という感覚を大人に否定され、ショックを受けたミカヅキさん。きっと、ほとんどの子供は「大人は正しい」と思い込んでいるはず。当時のミカヅキさんも、例外ではありませんでした。だからこそ、否定されたことで「自分が間違っているのかも」「この感覚は間違いなの?」と悩んでしまったのでしょう。ミカヅキさんの漫画は拡散され、多くの人が共感する声を寄せました。・「そうか、子供の頃に感じたあのモヤモヤは『黒い手』だったんだ…」とハッとした。・自分も『黒い手』があります。最後のコマの言葉が心に刺さる…。・とてもいい終着点だった。自分も考え続けていきたい。多くの大人が無意識のうちに持っているであろう『黒い手』は、これまでの人生によって形成された価値観やプライドによるものといえます。簡単に『黒い手』を捨てることはできません。ですが、自身に『黒い手』があることを認め、向き合い続けることが大事なのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年04月04日小3でついたアダ名は「忘れ物の女王」Upload By 桑山 知之筆者と広野さんとの出会いは2019年に遡る。ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材のため、連絡を取ったのがきっかけだった。底抜けに明るい性格について触れると、広野さんは「このくらいじゃないと生きていけない」と笑い飛ばした。その言葉の重みに、筆者の胸が苦しくなったのを今でも覚えている。Upload By 桑山 知之広野さんは幼少期から、目の前にあるもの以外はすぐに忘れてしまう子どもだった。小学校に入ってからは管理しなければいけないものが増え、何かをこなすことは「全く無理だった」。宿題を出され、その場ではやる気でいても、家に帰れば宿題を出されたことすら忘れている。翌日提出を求められて初めて思い出す。小学校2年生の通知表に「忘れ物が多い」とはっきり書かれ、3年になると周囲からは「忘れ物の女王」とアダ名をつけられた。「どうしてみんなができるのか分からないんですよ。頑張らなきゃいけないんだけど、どう頑張ったらいいのか分からない。困るんですよね、『ちゃんとやって』って言われると。ちゃんとやっているつもりなので。一人だけ違うことしてたりするんですけど、それを問題だとも思っていない。だから怒られますよね」(広野さん)Upload By 桑山 知之学校のあちこちには、広野さんの持ち物が散らばっていたという。5年生ぐらいのころには、遠足で河原に行った際、飯盒炊飯でカレーをみんなでつくって食べるとき、広野さんは肉を持ってくる係だったが、肉を忘れてしまい、広野さんの班だけベジタブルカレーになってしまったこともあった。成績や勉強よりも「生きていくこと自体が難しかった」といい、時間に遅れないようにするなど社会生活に食らいつくのに必死だった。片づけできず夫から罵倒…「私はいても意味ない」地元の中学を経て静岡県内の高校を卒業後、青山学院大学に進学。当初は国語の教員になろうと思っていたが、LD(学習障害)の傾向があるのか、時折、字が正確に書けないことがあった。ずっと続けて文字を書いていると、例えば「春」の横棒が四本になってしまうことがあるらしい。「これでは黒板の字が不正確になってしまう」と思い、教師の夢を諦めた。落ち込んでいたところ、ゼミの教授の紹介で、都内の大学病院の教授の秘書になった。しかし、当時は自身がADHDとは知らず、自分のスケジュールの管理も難しく、何より察して動くことが全くできず、とんちんかんなことばかりしてしまい、周囲から「使えない」と言われ、思い悩むことも多かったという。Upload By 桑山 知之「若いときは、できなくても頑張らなきゃいけないとか、頑張ったらできるかもしれないとか、そういう気持ちが強かったんです。でも半年でおかしくなっちゃって。電車に乗っていられなくなったり、起きたら午後だったり、色々できなくなっていきました。生きていてもしょうがないと、思いつめていました……」(広野さん)生きることもできず、死ぬこともできず、「しんどい」毎日を過ごしていたが、23歳で当時交際していた男性と“デキ婚”。実家の両親からサポートを受けながら家事や育児に勤しんでいたが、やはり片づけがどうにも苦手だった。家の中は物で溢れかえり、食卓には書類などが大量に積まれ、食事を摂ることもままならなかった。そして29歳のころ、鬱病と診断された。Upload By 桑山 知之「旦那からは『こんな家に帰ってくる俺の気持ちになってみろ』とか『お前、一日家にいて何してるんだ』とか言われて。そのときは診断も受けていなかったので、『私はいても意味ないな』ってどんどん落ち込んでいきましたね。頑張って専業主婦をしていたときが一番つらかったです」(広野さん)そんな中、2000年に刊行された『片づけられない女たち』(WAVE出版/サリ・ソルデン著)を読み、驚いた。自分によく似た人がこんなにいる。そして、対処方法がある。そこから、発達障害というものがあることを知り、同じ悩みを抱える人とともに当事者グループをつくって理解を深めた。「最初は自分がとにかく喋りたいからつくった」と笑うが、家庭の悩みなどを打ち明けられる居場所ができたのだった。「言い訳だ」夫から度重なる暴力、そして離婚30歳を過ぎてからADHDと診断を受けた広野さん。発達障害のことを夫に打ち明け、「家事を一緒にやってほしい」「手伝ってほしい」と伝えたが、「そんなのは言い訳だ」と理解してもらえなかった。むしろ、診断を打ち明けたことをきっかけに、夫との関係は余計に悪化。物を投げられ、時には暴力を受け、外に出られないぐらいひどいあざが顔面にできることもあった。「自分が(夫の)ストレスの捌け口になっていたんだと思います。私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)Upload By 桑山 知之夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。Upload By 桑山 知之「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」とも指摘している。できないことは恥ずかしいことじゃないUpload By 桑山 知之広野さんはなぜこれほどまでに明るく前向きなのか。どうやら心理学の勉強をした上で、「訓練をした」という。「世の中落ち込むことばかりでうまくいくことよりも失敗することの方が多いんです。でも、いちいちそれを真に受けて反省して頑張ろうと思っても、また失敗しちゃうんです。そんな人生を普通のメンタルでやっていけない。いちいち落ち込んでいたら生きていけないだろうってことで、それを転換して、できる方に目を向けるように、自分を変えていきました。とにかく、自分が快適に生きていける状態がどこか?が大事であって、みんなと同じようにできるかは関係ないんです」(広野さん)できないことを「否定しない」。それは2人の娘の子育てでも実践していた。娘には、自身の障害のこともオープンに話した上で、スーパーの惣菜を買うなど家事をなるべく減らし、対話の時間を増やした。時には、娘が母である広野さんのサポートにも回った。現在、長女(25)はIT企業でデザイナーの仕事に就き、次女(23)は海外の大学に進学し、心理学を学んでいる。Upload By 桑山 知之「個を重視する世の中になりましたよね。個の時代というか。発達障害のある人たちが受け入れられるような方向に行っている気がします。でも、例えば子どもに発達障害があると診断されて、周囲に分かってもらわなきゃとか、説明しなきゃとかやっちゃうと、子どもの自尊心が下がるんですよ。あ、人と違っちゃいけないんだ、って。でも開き直って、文句ある人は近寄ってこないで!ぐらいでいいんです。分かってくれる人とやっていけばいい。大人が変わらないと子どもが変わりませんから。発達障害のあるなしに関わらず、娘たちにはやりたいことを自由にさせてあげたいと思ってきましたし、すべての子どもたちにそういう環境があることを願っています。発達障害のある子どもが生まれるということは、楽しいんだって思ってほしいです」(広野さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生から)広野さんのお話のように、発達障害がある人に対する支援や制度、仕組みは少しずつ充実してきています。しかしながら、現在そうした支援や制度を利用しようとすると、その多くは発達障害があるという診断や障害者手帳などが必要です。これを第一段階とすれば、その次の段階は発達障害の診断がなくても、その支援を必要とする人が必要な時にいつでも受けられるような支援や制度が広がっていくことではないかと思います。このような「障害という診断を必要としない社会」から最終的に「障害のない社会」につながっていくのだと思うのです。
2022年03月28日聴覚過敏の指摘聴覚過敏とは感覚過敏の一つで耳に入ってくる環境音に対して、不快感や苦痛をともなう状態を指します。むっくんが聴覚過敏を指摘されたのは診断を受けた3歳半のころでした。それまで音によく反応する耳のいい子だなとは思っていましたが、耳をおさえたり音を嫌だと訴えたりすることはなく音でつらい思いをしているなんて考えたことはありませんでした。だけど、音と癇癪を記録してみると音に晒されると過度に疲労してしまうようで、いつも以上に癇癪を起こしがちになっていたことが分かりました。Upload By ウチノコむっくんの苦手な音むっくんは大きな音や特定の音が苦手というよりは、人の会話に長時間晒されることをつらく感じるようです。自分に関係のない周囲の人の会話を次々と聞き取り脳内で理解し反応するため、それが長時間になると疲れ果ててしまうのです。また、怒りを含んだ声なども全て自分に向けらているように受け取りがちで、関係ない時も必要以上に恐怖を感じてしまいます。また、むっくんの音に対する反応は不安感の強さや体調によって変化するようで、不安や緊張を感じていたり疲れや眠気があったりするといつも以上に音に過敏になりストレスを感じるようです。Upload By ウチノコ音を減らす工夫4歳のころに21db程度の遮音性のあるイヤーマフを購入しましたが好んで使うことはなく「イヤーマフで音が聞こえにくくなることも不安だ」と訴えていました。生まれ持って音を聞き取りやすい特性があるため、暮らしの中で聴覚情報に頼る場面が多いからではないかと感じています。ただ、弟が泣くと自分からつけることもあり一定の効果はあるのだと思います。Upload By ウチノコイヤーマフで音が小さくなることが不安だけど、音をつらく感じるときは遮音性の低い耳栓を好んでつけています。私が付けてもさほど変化を感じませんが、本人は「ないのとあるのは違う、あると安心できる」と話します。外出時は耳栓を好むことが多いのでカバンに常備していますが、イヤーマフよりも持ち歩きやすいので助かっています。6歳のときに買いましたがイヤーマフと同様にあまりつけることはありませんでした。ところが、8歳になった今はヘッドホンをつけて好きな曲をかけながら自宅学習しています。普段なら気になってしまう周囲の雑音が聞こえないので学習に集中しやすいと話しています。高額なため購入時に家電量販店の店員さんに相談しましたが、その方が聴覚過敏をご存じでその上で商品説明をしてくださって。それがとても嬉しかったことを覚えています。Upload By ウチノコ音の少ない環境づくりむっくんは長時間音に晒されると疲れるので、テレビを長時間つけないなど音の少ない暮らしを心がけています。小学生になり自室をつくったことで、家族の生活音に疲れたら自分から部屋へ行き静かに過ごす様子も見られるようになりました。また、音に晒される時間が2時間を超えてくると疲れて自制が難しくなる傾向があるので、外出や友達と遊ぶ時間などは2時間を目安にするなど疲れすぎないように計画的に過ごしています。Upload By ウチノコむっくんは人が多いところ苦手なため一緒に出かけるときはできるだけ人の少ない場所や時間帯を狙い、買い物などは30分~1時間くらいで終える努力をしています。また、外出はできるだけ車を使います。というのも、車は静かな個室になるのでどこへ行ってもすぐに休むことができるからです。集団生活はやはりつらいようで、周りがうるさくてやりたいことに集中できないと訴えていました。少しでも楽になるように集団生活の場にはイヤーマフや耳栓を持っていきました。また、むっくんは園時代に声の大きい友達を過度に怖がり他害に至ることもあったため、保育所等訪問支援をしていただいた専門家から「声の大きい子とは別のクラスにしたり席を離す」「教室が騒がしいときは別室で休める」などの配慮を行い安心できるようにしてあげてとのアドバイスを受けたこともあります。小学校ではむっくんは特別支援学級を選択しましたが、これも音を意識した部分が大きいです。特別支援学級は通常学級よりも人数が少ないので音も少なくてすみますし、音に疲れたときに休むスペースが確保しやすいのです。現在は不登校を選んでいますがそれでもときどき学校に行けるのは特別支援学級だからだと感じています。音に敏感なことは強みにもなる感覚過敏と聞くとデメリットが浮かびやすいかもしれませんが、一方でむっくんは耳からの情報だけで学ぶことが得意で聴覚情報を使った学習に強い人だなぁと感じています。英語の発音などの聞き取りも得意で、調子がいいときは複数の人の会話を同時に聞き取り理解できることもあるようです。こういった部分はむっくんの人生を豊かにする力を秘めているように感じています。今はまだ聴覚過敏との付き合い方を模索している途中ですが、さまざまなツールの力を借り環境を整えながら持って生まれた聴覚の力と上手に付き合って生きていけたらと思っています。執筆/ウチノコ(監修:初川先生より)冒頭「音と癇癪を記録してみると」が、まず素晴らしいですね…!保護者の方の感覚として、“こういうときはこんな風になる気がする”という法則性ももちろん大切ですが、そこに客観的に見てみるために記録をつけられたのですね。自分の感触の裏づけ、予想との違いなど、さまざま気づくことができるので記録をつけてみるのはおすすめです。聴覚過敏に限らず感覚過敏は一般的に、本人のコンディションによって、特に不安によって増悪することが研究からもここ最近指摘されているところです。コンディションがよくないときには、いつも以上に過敏になってしまう面はその通りです。そして、聴覚過敏とうまく付き合うためのツールとしてのイヤーマフなどを試してみたことの詳細も、同じように悩む親子の方にとって、とても参考になりますね。もちろんどれを好み、使っていくかはその子次第ですが、情報として知っておくと導入しやすくなりますね。
2022年02月18日岡山県津山市で、縫製工場を営む笏本達宏(@shakunone)さんがTwitterに投稿したエピソードをご紹介します。なぜか毎回電話で注文してくる客忘れられない出会いを経験したことがあるという、笏本さん。それは、笏本さんの工場で作っているネクタイを、毎回、電話で注文してくる客との出会いだといいます。しかも、客は使用用途やシーンを伝えて相談した上で、注文してくるのだそう。ネットが普及し、オンラインショップ全盛期の現代。笏本さんも、ネクタイをはじめ工場で作った商品をオンラインショップで販売しています。だからこそ、なぜ毎回電話で注文してくるのか、笏本さんは不思議に思っていました。※写真はイメージそんなある日、いつものように電話で注文をしてきた客から、イベントに出展する予定があるのかを尋ねられたといいます。ちょうど、催事への出展が近かったこともあり、予定を伝えたところ、出展当日、客が笏本さんがいるブースを訪れ、2人はついに対面を果たしたのでした。客の言葉に涙をこらえたこれまで、電話越しでのやり取りしかしてこなかった笏本さんと客。なぜ電話で注文してくるのかを不思議に思っていた笏本さんですが、イベント当日、客が白杖をつき、サポートを受けながら歩く姿を見て、すべてを察しました。※写真はイメージ客は視覚が不自由なため、ネットで商品のデザインを見ることもできず、一人では店頭を訪れるのも難しかったのです。それでも、自分たちに会いに来てくれた客に、笏本さんはこう問いかけました。なんでいつも、ウチを選んでくださるんですか?続く客の返答に、笏本さんは初めて仕事の現場で涙を堪えたといいます。目が見えていた時からネクタイが好きなんです。かっこいいから。今はもう『デザイン』も『色』も誰かに説明をしてもらわないと分からないけど、生地や縫製のよさは、人一倍分かるんです。だから選んでいます。今日はどうしても、作り手さんに会いたくて来ました。長年ジレンマを抱えていた作り手としての思い笏本さんは、客との出会いをブログにもつづっており、長年抱えていた作り手としてのジレンマを明かしています。長年培ってきた縫製の技術には自信はあれど”私たちのこだわり”や”モノの本質的な良さ”は伝わるのか?伝わっているのか?というジレンマは常に抱えていました。実際、「デザインが素敵だね」といわれることはあっても「縫製が素敵だね」って言われることはほぼありません。SHAKUNONEーより引用しかし、客との出会いで「今までモヤモヤしていた心を洗ってくれたような、救われたような気持になった」と語る笏本さん。客との出会いを通して、作り手として、自分たちが生み出してきたものに自信を持てるようになったといいます。「涙が出た」と感動の声も笏本さんと客の出会いは多くの人の心を打ち、「涙が出た」「誇りを持つとはこういうこと」とさまざまなコメントが寄せられました。・いい行いは、必ずどこかで誰かが見ている。・職人の私には、涙が出るいい話でした。・職人を大切にしてくださる想いが、心に刺さります。笏本さんのエピソードを通し、思いを相手に伝えるということ、そして仕事に対する誇りとは何かを知った人は多いことでしょう。笏本さんが出会った客は、笏本さんだけでなく、多くの人の気持ちをも動かしたはずです。投稿全文はこちらずっと不思議だった。いつも電話で注文くださるお客様。なんでネットじゃないんだろう?と思ってた。デパートの催し場でお会いしたときに理由がわかった。白い杖をつきサポートをされながら歩いてる。視覚に障害がある方だった。思わず「なんでいつもウチを選んでくださるんですか?」と聞いたところ…— しゃく。町工場の三代目|笏本達宏 (@shakunone) February 8, 2022 「目が見えていた時からネクタイが好きなんです。カッコイイから。今はもう”デザイン”も”色”も誰かに説明をしてもらわないとわからないけど、生地や縫製の良さは人一倍わかるんです。だから選んでいます。今日はどうしても作り手さんに会いたくて来ました」と答えてくれた。もう、泣いてもいいですか。— しゃく。町工場の三代目|笏本達宏 (@shakunone) February 8, 2022 [文・構成/grape編集部]
2022年02月11日アメリカで、ロクサーヌとリースという2匹の犬と暮らしているサマンサ・ラモスさん。まだ子犬のリースは、2022年1月にサマンサさん夫婦の家族に仲間入りしました。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る Roxanne & Reese (@roxx.and.reese)がシェアした投稿 耳が聞こえない子犬が『吠える』と?リースがサマンサさんたちの家に来てからまもなく、彼女はリースが物音にまったく反応しないことに気付きます。「この子は、耳が聞こえないのではないか」そんな彼女たちの予想は的中。獣医に診てもらったところ、リースは耳が聞こえていないことが分かったのです。それからサマンサさんは、耳が聞こえない犬にしつけなどを教える方法を学び、根気よくリースを訓練していきました。@samanthas.ramoswork in progress open to tips/advice on owning a deaf fur baby♬ You - Petit Biscuit元気いっぱいのリースは、誰に教わることなく、あるスキルを身につけます。それは『吠えること』。耳が聞こえないリースは、一体どのようにして吠えるのでしょうか。@samanthas.ramos who’s gonna tell her #dogsofttiktok #deafdog ♬ original sound - Samantha Ramosたとえ声が出ていなくても、リース自身は一生懸命に『吠えている』のです。リースはロクサーヌが吠えている姿を見て、「こうすればママやパパに気付いてもらえるんだな」と学んだのでしょう。この動画には760万件の『いいね』が集まり、たくさんの温かいコメントが寄せられています。・最後のひと吠えが、かわいすぎる!・とっても上手に吠えているね。・この子はパーフェクトだ。動画の最後で成功したように、リースはまれに鳴き声が出せることもあるのだそう。でも声が出ていても、出ていなくても、サマンサさんたちがリースが吠えたことに気付けば、それは成功といえますよね。 この投稿をInstagramで見る Roxanne & Reese (@roxx.and.reese)がシェアした投稿 「リースは私に、新しいレベルの忍耐と共感を教えてくれた」というサマンサさん。そんな優しい家族に愛されて、リースはこれからもずっと幸せに過ごしていくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年02月02日家庭は「落ち着けない場所」アルコール依存の父とDV母Upload By 桑山 知之manaさんは、公務員の父親と保険などの営業を行う母親のもとで、2人姉妹の長女として育った。父親はアルコール依存症、母親は包丁を突きつけたり首を絞めてきたりと、たびたびmanaさんに暴力をふるっていたという。喘息などアレルギーにも悩まされた。家庭は「落ち着けない場所だった」と振り返る。「母親に崖に連れていかれたこともありました。家出もよくしていたんですよ、母親は。ただ、そういったことも最近まですっかり忘れていたんです。母親の影響もあって、私のメンタルがやられていたのかなって思い至るようになりました」(manaさん)Upload By 桑山 知之授業中も、椅子に座っていられない不快感や衝動があり、とても苦痛だった。中学1年から不登校気味になり、15歳で小児科の「思春期外来」を受診した。診断は「心身症」。25年以上前の当時は発達障害の認知が今ほど進んでいなかったこともあり、ストレスによるものだと医師から言われた。普通科高校に進んだが、中学3年のころに無理して登校していた影響などから、過食のため胃腸の調子が悪くなり、夏休みの宿題に着手できなかったことがきっかけとなって退学し、通信制高校を転々とした。「自分は人と違う」と自覚した。その後、福祉の専門学校に進み、発達障害について学ぶ機会があった。教科書を読み進めれば読み進めるほど、自分にあてはまることが多かった。家でその話をすると、「知らんほうがいいこともある」と父親に諭された。物をよく失くすなど、どうやら父親も発達障害の特性が見られたらしい。manaさんが26歳のころ、父親はアルコールの飲みすぎなどが原因で、食道ガンにより亡くなった。母親に相続の放棄をさせられたため、遺産を受け取ることはできなかったという。28歳で診断生きづらさと向き合ってUpload By 桑山 知之専門学校を卒業後、高齢者施設に半年ほど勤めたが、父親が倒れてからは仕事を辞め、看病をしていた。父親の死後、就いたのはコンビニ店員のアルバイト。マルチタスクを処理する能力が求められるため、ADHDがある人は苦労すると言われる職種だが、manaさんにはこれが合っていたという。のべ13年間働き、トレーナーも経験した。「バイトで来る人にもいろいろな方がいて。店の様子を把握しながら、その日の進行管理を考えつつ、レジ打ちしつつ、発注書を書いたり、レンジをチンする40秒の間にほかのことをやったり。なぜだかわからないんですけど、自分の傾向がたまたますごく合っていたんですよね」(manaさん)Upload By 桑山 知之専門学校の実習先で知り合った男性と、28歳のころに結婚。その後、ADHDかつ双極性障害だと診断を受けた。また、言語性IQと動作性IQに明らかな違いが見受けられた。不注意で忘れ物が多く、家が散らかってしまうこと、聴覚過敏のことも、特性だと思えば肩の力を抜いて生活できるようになった。現在、8歳の長男と4歳の次男、夫と4人で暮らしている。スマホは紛失補償のある保険に入り、夫や妹がGPSを見られるようにしているほか、予定を詰めないために小さな手帳を使っている。財布がわりの透明なケースは、著名な料理家がジップロックを使っているのをテレビで見て参考にした。Upload By 桑山 知之「家は極力モノを少なくしています。荷物もいっぱい持つとなんだか訳がわかんなくなって落としちゃうので、そもそも減らすっていうか、カバンを小さくしました。学生時代は登山用のリュックサックで登校していたんですよ(笑)」(manaさん)福祉×アートで世の中をより良く学生時代、家庭の方針でテレビはNHKしか見ていなかった。好きだったのはドキュメンタリー。「いろいろな人が世の中にはいっぱいいる」と興味が湧いた。マイノリティと言われる人々の生きざまに、自然と惹かれていた。そんな中、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』をテレビで見て、「生きることを認められている」気持ちになった。育児がひと段落し、昨年夏には障害者支援施設で働いた。しかし猛暑の中頑張りすぎてしまったためか、パニック発作が出た。“日本一暑い町”多治見市は、感覚過敏のmanaさんにとってなかなか酷である。来年度からは、多治見市が委託する「母子保健推進委員」として活動する予定。無理をしすぎないよう調整しながら、障害のイメージを「ポジティブに変えたい」と話す。Upload By 桑山 知之「自分にも見えない障害があって、周りにもそういう人がたくさんいるわけで。もっといろいろなことを知って、パッと見ではわからない困りごとがある人と、行政やサービスを結ぶ活動をしていきたいです」(manaさん)気軽に話せる相手がいなかった幼少期。誰かに助けてもらうという選択肢すらなく、今も当時の記憶は断片的なまま。子どもを社会全体で育てていく、そのチームの一人になりたい。それが当面の目標だ。中でもアートが大好きだというmanaさん。子どものころには、鼻血を出すまで集中して絵を描いていた。引きこもっていたころも、アートに支えられた。「アートには力がある」。福祉とアートをつなげる仕事ができたらと、一歩を踏み出していく。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)専門学校で福祉を学んだり、実際にその分野で働いたり、子育てを経験する中で、ご自身の特性や診断に向き合ってきたということは、同じような特性や診断のある人や支援に対して非常に役立つだろうと思います。障害者支援の仕事は、一方では利用者の方々の得意なことにスポットをあてていく仕事だと思います。そういった視点はmanaさんにあっているのではないかと思います。ただ、福祉や支援サービスの現場は過酷な面もあり、合理的配慮が得られにくい場合もあります。ご自身の特性を踏まえて、働く時間や内容をアレンジするなどして、ご自身が無理しすぎない環境を整えることも大切です。職場の中で理解や配慮が得られるようにしつつ、当事者であり支援者であるということを活かし、またご自身の得意な分野でmanaさんらしい仕事を続けていっていただけるよう応援しております。
2022年02月02日「難しいとは思いますが、この感謝の気持ちが届きますように」2022年の正月に、そういったメッセージをTwitterに投稿したのは、まよい(@mayoi_torihiki)さん。元旦に、まよいさんは息子さんを連れ、愛知県名古屋市にある熱田神宮を参拝していました。しかし、境内を歩いていたところ、息子さんは補聴器である人工内耳をどこかに落としてしまったのです。聴覚障害を持つ息子さんにとって、補聴器は身体の一部も同然。身に着けていないと、息子さんの日常生活にも支障が出てしまいます。まよいさんたちが境内を探す中、声をかけてきたのは20歳前後とみられる3~4人の男性たち。なんと彼らは並んでいた出店の列を抜けると、補聴器を探すため協力をしてくれたのです!【拡散希望】本日1月1日、熱田神宮の境内にて歩行中に落としてしまった息子の人工内耳(補聴器)を探してくださった、20歳前後の3〜4人の男性グループの皆様。その節は誠にありがとうございました。無事に見つかりました!碌にお礼も言えず後悔しております。難しいと思いますが感謝が届きますように pic.twitter.com/xrG26cBizA — まよい@取引アカ (@mayoi_torihiki) January 1, 2022 先述したように、補聴器は息子さんの身体の一部。また保険適用外のため、紛失すると高価な機器を買い直す必要が生じてしまいます。補聴器を探していた時は気が動転しており、男性たちに感謝の言葉を満足に伝えられなかったという、まよいさん。彼らの親切な行動に心打たれ、「感謝の気持ちが届きますように」という一心でTwitterに投稿しました。その想いは多くの人に伝わり、投稿は8万回以上にわたって拡散され続けています。このまま男性たちの目に留まるといいですね。「情けは人のためならず」ということわざのように、他人にかけた情けは巡りめぐって、いつかその人に返って来るといわれています。困っていた親子を助けた男性たちに福が訪れるよう、投稿を見た多くの人が願ったことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年01月03日小学2年生だった次男がいじめにあう発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなっていくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの、猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。Upload By 桑山 知之「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きがわかるようになったという。息子が苦手なことは自分も苦手――自身も発達障害の診断をUpload By 桑山 知之次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが、息子の担当医によれば「間違いない」という。こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を忘れたらいつも学校まで届けた。「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやってあげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)Upload By 桑山 知之思い返してみれば、猫ママさん自身も子どものころ、空気が読めなかった。周囲の様子をきちんと理解できていなかった。相手の表情や、何を喋っているか、あらゆる情報が今でもほとんど思い出せない。でも母親や教師からはよく怒られた。当時を知る高校の同級生からは「あのころはマシンガントークがすごくつらかった」とも言われた。どうやら、しょっちゅう友達の間に割って入って自分の話をまくしたてていたらしい。発達障害一家だからこそわかること「ゆっくりだけど、みんな学んでいる。」これはドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の中に差し込まれたコピーだ。猫ママさん一家も、決して例外ではない。Upload By 桑山 知之社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いんじゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)Upload By 桑山 知之苦しんで育ってきた自分だからこそ、息子3人が一体どういったことに苦しんでいるのかがわかる。そのサポートをしながら、親がレールを敷くのではなく、本人の意思を尊重してきた。そのうえで、子育てにおいて大切なのは、「何ができるか」ではなく、「愛される人間であること」だという。「いちいち他人を敵に回すようでは、困ったときに助けてあげようと思ってもらうことはできません。逆に、できることが少なくて手がかかっても、いわゆる憎めない人には、ピンチのときに誰かが必ず助けてくれると思うんです。特性ゆえにわからないならなおのこと努力が要るのではないでしょうか。そのためには、障害を受容し、許容することが大前提になるのだと思います。まず親が一番最初に、わが子をしっかりと受け止め、許容すること。できないことを受け止め、その中で一緒に歩いていくこと。そしていつか必ず『手を離す』覚悟を持って」(猫ママさん)長男は25歳になり工場用機械を作る会社に就職。次男は21歳で名古屋のアパレルショップで働いている。三男は全日制の高校に通う1年生だ。猫ママさんは10年前から、発達障害や家族のことを知ってもらおうとブログなどを通じて発信を続けている。特性と躁鬱の症状で仕事は途切れがちだったが、現在はクローズ(※障害があることを申告せずに一般雇用で就労すること)でサポート側として2年半継続して勤務している。ゆっくりだけど、みんな学んでいる。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文/桑山知之取材協力/若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・三木先生より)「誠意をもって生きること」「愛される人間であること」はすごく大事ですね。どういった苦手さを持っているかももちろん人生に大きく影響するのですが、その困難に直面したときに誰かに助けてもらえたり許してもらえるようなキャラクターだったり振る舞いができたりすることは、実は何よりも強い武器なのかもしれません。
2021年12月22日子どもの”発達障害がある可能性”に気づいた、私の母のケースUpload By 丸山さとこ私には発達障害のある小6の息子がいます。また私自身、大人になってから(息子が生まれる前)自分に発達障害があることが分かりました。息子のコウは、幼少期から「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの発達障害あるあるの行動がよく見られましたが、私は3歳児健診まで息子に発達障害があることに気がつきませんでした。一方で私の母は、私の幼少期に「娘には発達障害があるかもしれない」と感じていたそうです。今回は、私自身の幼少期と母が感じていたことについて書きたいと思います。私と発達障害の関係の始まりは、私が幼児だったころにさかのぼります。今よりもずっと発達障害に関する情報が少なかった昭和50年代でしたが、私の母は「娘は何かしら発達に障害を抱えているのではないか」と感じていたそうです。幼いころの私について、母は「言葉の発達は早いものの言葉づかいが子どもらしくなかったり、力は強いのに歩く姿が不器用でよく転んだりしていたのが気になっていた」と言います。その母は、『さとこが少しでも歩きやすいように』と”少しでも軽い靴を探す”などの工夫をしていたそうです。Upload By 丸山さとこ幼いころの私に対して、コミュニケーションの遅れは特に感じたことがなかったそうです。しかし「とにかく子どもらしくないような違和感があった」「甘えない・後追いをしない・大喜びをしない・おままごとをしない、などの行動に引っかかりを感じていた」と母は振り返って言います。幼いころのコウのように「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの、分かりやすい発達障害がある傾向は見られなくとも、母は私の”日常の中のささいな姿”に対して違和感を覚えることが増えていったそうです。Upload By 丸山さとこ健診で総合病院に行った際など、母は何度か娘の発達に関する違和感について医師に相談してみたそうです。しかし「知的にも順調に発達しているし動作にも問題は見られない」と言われ、”不安症な母親への軽い子育てアドバイス”をもらってその場は終わったそうです。私はその後、成人してから発達障害(ASD・ADHD)の診断を受け、現在ではADHD治療薬を服用しています。今になって振り返れば、幼い私に対して母が抱いていた違和感は正しかったわけです。Upload By 丸山さとこ保育園に入園してからの私は、”指示の通らなさ”や”こだわりと見られる行動”によって集団の中でも目立っていたそうです。現在の基準であれば「発達障害がある可能性」を指摘されたかもしれません。ですが、母が違和感を抱き始めたのは私が未就園児のころであり、集団の中での違和感が目立つよりも、もっと早い段階の話だったのです。『なぜ違和感に気づくことができたのだろうか?』と先日改めて母に聞いたところ、意外な…けれど、とても腑に落ちる答えが返ってきました。”自分の子ども”以外の子どもと接することで、分かることもある!?現在60代の母が若かったころは今より子どもの数が多く、近所や親戚の子どもを預かったり見かけたりすることもかなり多かったそうです。公園や広場や園で見かける姿とも少し違う、子どもたちの”家庭での素の姿”を目にする機会も多かったため、経験から漠然と『個性はいろいろあるけれど、子どもには大抵こういうところがある』という”一般的な子ども像”を持つに至っていたのだと思う…と母は言いました。Upload By 丸山さとこ「だから、さとこを育てていて『子どもなら多かれ少なかれするはずの行動をとらない』ことが引っかかったんだと思う」「発達障害の知識はなかったけれど、とにかく子どもらしくなくて妙だな~…と感じていたよ」…と続く母の話を意外に思いつつ、同時に「あ~、でも、ちょっと分かるかも! そういえばそういうことあったな!!」と思い、私はヒザを打ちました。コウが小学生になったころ、未就園児だった親戚の子を預かったことがあります。そのときに「これが定型発達とされる子どもか~!」と発達の違いに驚いた経験があったからです。私も、大人になってからコウ以外の子どもに関わった経験がなかったわけではありません。親戚の子どものお守りをしたことや、友人の子どもと遊んだ経験はありましたし、コウが産まれてからは公園でほかの子どもの様子を見ることもありました。けれども、当時の私はコウとほかの子どもを比べたり周りを見たりする発想が(今以上に)乏しかった気がします。私自身に発達障害があるから…ということも理由かもしれませんが、単純に、初めての子育てで周りを見たり比べたりする余裕がなかったからなのかもしれません。Upload By 丸山さとこそんな私であっても、3歳児健診のおかげでコウが発達障害である可能性に気づくことができたので、「今の時代でよかったな~」と思います。周囲と比べて焦らなくてもよいと考えてはいますが、その時々のコウの発達状況における"必要な手立て"が見つけられるように「『周りの様子』と『コウの現在位置』を見ることは大切なんだな~!」と思う私でした。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)幼児期は女の子の場合、男の子よりコミュニケーションの発達が早い傾向があるため、発達障害の特性は目立たないケースが多く、今のお医者さんでも女の子の発達障害を早期に診断するのは難しいものです。お母さんがこの当時、さとこさんの発達の偏りに気づいていたということは、周りの人と比較するだけでなく、さとこさん自身を本当によく観察されていたのだと思います。同じ母という立場で、自分の母親と子育ての話をする中で、これからもプラスのヒントが見つかるといいですね。3世代のよい親子関係性が築けているのがすてきだと思いました。
2021年12月09日生まれて初めて母親の声を聞いた瞬間を、覚えている人はいないでしょう。もしその瞬間を覚えていたら、どんなに感動的でしょうか。初めて母親の声を聞いた赤ちゃんが?クリスティーナ・パカラさんの娘であるライリーちゃんは、生まれつき、聴覚障がいを持っています。娘が1歳になった時、クリスティーナさんはTikTokに1本の動画を公開しました。それはライリーちゃんが初めて、補聴器をつけて母親の声を聞いた瞬間。ライリーちゃんは、どんな反応を見せたのでしょうか。こちらをご覧ください。@christina_paxAllll the emotions hearing Mama’s voice for the 1st time ##deafkidsrock ##deafawareness ##hearingaidsgang ##babytok ##momsoftiktok ##momtok ##toddlertok ##fyp♬ Pieces (Solo Piano Version) - Danilo Stankovic最初は、突然聞こえてきた音に戸惑っているように見えるライリーちゃん。しかし、その声が大好きな母親の声だと分かったとたん、安心したような笑顔を見せました。この動画は110万回以上再生され、多くの感動のコメントが寄せられています。・あなたの娘と一緒に、私も泣いて、笑ってしまったわ。・彼女は、いろんな感情が一気に込み上げてしまったのね。・なんて美しい瞬間だ。何度見ても感動するよ。@christina_paxRiley being able to communicate so young has been v helpful for both of us ##babytok ##toddlertok ##asl ##babysign ##momtok ##momsoftiktok ##babytalk♬ original sound - Christinaクリスティーナさんは、娘に聴覚障がいがあると分かってから、耳が聞こえない人たちについて猛勉強したそう。そして、聴覚障がいは「治さなくてはならない」ものではないと気付いたといいます。それから彼女は手話の大切さを知り、ライリーちゃんと手話でコミュニケーションをとっています。ただ、ライリーちゃんが補聴器をつけて、初めて彼女の声を聞いた瞬間はやはり特別なものだったそうです。ライリーちゃんはいつでも元気いっぱいで、2週間に1つのペースで新しい手話のサインを覚えているのだとか。これからも両親の愛情をたっぷりと受けて、ライリーちゃんは幸せに成長していくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年11月29日アメリカのオハイオ州で飼い主のケイリーさんと暮らす、犬のタマレ。生まれた時から目が見えず、耳が聞こえないタマレは、生後4か月の時にケイリーさんの家族になりました。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by Tamale (@t.thedoublemerle) ウェブメディア『The Dodo』によると、タマレは障がいをものともしないほど、フレンドリーで活発な性格なのだとか。目が見えないため、しばしば物にぶつかることはあるものの、それ以外は普通の犬そのものだといいます。そんなタマレには、大親友がいます。名前はジミー。ドッグパークで出会ったタマレとジミーはすぐに仲よくなり、今ではお互いの飼い主が2匹を毎週、一緒に遊ばせています。ある日、ケイリーさんはその2匹の日常の動画を撮り、TikTokに投稿しました。すると、56万件を超える『いいね』が集まったのです。@t.thedoublemerle1i love these two ##bestfriend ##bestfriends ##deaf ##blind ##doublemerle ##aussie ##goldenretriever ##fyp♬ hell never love you like i can - Evie
2021年11月19日ある父親が、幼い娘と交わした『会話』をTikTokに投稿。大きな反響が上がっています。ザッカリーさんは聴覚障がいをもっています。娘のマディソンちゃんは耳が聞こえるため、日頃から言葉とともに手話も教えているそうです。ただ、マディソンちゃんはまだ1歳なので、たくさんの言葉は話せません。そんなある日、親子は買い物へ行きました。マディソンちゃんがスポンジを両手に抱えて歩いていると、どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。すると、マディソンちゃんが立ち止まり…何が起きたのかはこちらをご覧ください。@oursignedworldThis was a WOW moment ##deaf ##deafdad ##coda ##fatherdaughter ##daddysgirl ##viral ##4u ##fyp ##ForzaHorizon5GO ##signlanguage ##asl ##toddlersigning♬ In The Forest (Acoustic Indie No Copyright) - Instrumental - Lesfmマディソンちゃんは手に持っていたスポンジを下に置き、ザッカリーさんに向かって手話で「あっちで赤ちゃんが泣いているよ」と伝えたのです。ザッカリーさんは「ワオ!彼女が初めて、僕に手話で通訳をしてくれたよ」と大感激。その様子を撮影した動画を投稿すると、530万件の『いいね』が集まり、驚きの声が上がりました。・彼女は聞こえたものを手話で伝えただけじゃなく、あなたが聞こえていないことも理解している。信じられないよ。・この年齢で2つの言語を同時に学び、使いこなせているなんて、とても賢い子ね。・なんて素敵な瞬間。心が温かくなった。 View this post on Instagram A post shared by Court, Zach & Madi (@oursignedworld) ザッカリーさん親子のSNSには、ユニークな子育ての様子が公開されています。妻のコートニーさんは、英語と手話を同時に使ってマディソンちゃんと会話をします。一方、ザッカリーさんは手話のみで娘とコミュニケーションをとります。こうしてマディソンちゃんは、2つの言語を相手によって使い分けているのです。本当に賢いですね。赤ちゃんの声が聞こえていない父親に、手話でそのことを教えてあげようとしたマディソンちゃん。娘が初めて、自分のために手話で状況を伝えてくれた瞬間は、ザッカリーさんにとって一生忘れられない思い出になることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年11月17日MCU映画『エターナルズ』に登場するマーベル初の聴覚障害者のスーパーヒーロー、マッカリに注目が集まっている。マッカリの活躍によって、「手話を学びたい!」という人が激増しているというのだ。オンラインで言語を教える個別指導スタッフと生徒をつなぐサービスを提供している「Preply」の調べによると、本作の影響により「初心者向けの手話を学ぶ」の検索数がここ1年で250%増加。マッカリを演じるローレン・リドロフの検索数は11月1日以降550%増加し、「初の聴覚障害者のスーパーヒーロー」の検索数は昨年から2倍になっているという。ローレンは生まれつき聴覚障害を持つ俳優で、ブロードウェイのリバイバル版「愛は静けさの中に」でブレイク。2018年のトニー賞演劇主演女優賞など、複数の賞にノミネートされた。詩人でアメリカ手話に詳しいデヴィッド・リドロフと2006年に結婚し、2人の息子をもうけており、2人ともローレンと同じく聴覚障害を持っている。ローレンは「ニューヨーク・タイムズ」紙に、『エターナルズ』で聴覚障害者のスーパーヒーローを演じることについて次のように語っている。「私の2人の息子も聴覚障害者なのですが、彼らにとってすごく意味のあることだと思います。聴覚障害者のスーパーヒーローがいる世界で成長するということですから。少しでもよりワイルドに夢を持つことができるんじゃないでしょうか」。ローレン・リドロフ、クロエ・ジャオ Photo by Tim P. Whitby/Getty Images(Hiromi Kaku)■関連作品:エターナルズ 2021年11月5日より全国にて公開
2021年11月11日アメリカのシカゴでブリジット・エバンスさんと暮らす、2匹のラブラドールレトリバー、リリーとキンリー。2歳のリリーは、身体に障がいがあるブリジットさんの生活をサポートする介助犬です。また、9歳のキンリーは子犬の頃から耳が聞こえません。リリーは、そんなキンリーのことも支えているのです。 View this post on Instagram A post shared by Lily Evans (@lily_evans_service_pup) 耳が聞こえない犬に「お散歩の時間よ!」。ブリジットさんが、TikTokに投稿したある動画に反響が上がりました。2匹を散歩に連れて行こうとした彼女が、リリーに向かって「散歩の時間よ。キンリーを連れて来てちょうだい」といいます。するとリリーは…続きはこちらをご覧ください。@lily_service_pup##dogsofttiktok ##doglove ##deafdog ##servicedog♬ original sound - lily_service_pupすぐにブリジットさんの言葉の意味を理解して、キンリーがいる部屋へ向かったリリー。そして2匹は「やったー!お散歩だ!」というように、仲よくそろってハイテンションで戻ってきました。実はこれは偶然ではなく、いつものこと。リリーは毎日、散歩の時間になると、こうしてキンリーを呼びに行くのです。@lily_service_pup##dogsofttiktok ##servicedog ##deafdog♬ original sound - lily_service_pupリリーはキンリーを呼ぶ時、自分の鼻を軽くぶつけて知らせるのだとか。動画には、2匹の友情に感動した人たちからのコメントが寄せられています。・仲よしの姉妹の姿に、ハートがとろけた。・こんなかわいいシーン、今まで見たことないよ!・ラブラドールレトリバーは、本当に賢くて優しい犬だよね。 View this post on Instagram A post shared by Lily Evans (@lily_evans_service_pup) ブリジットさんいわく、キンリーのガイド役を務めているリリーは、年上のキンリーから振る舞いなどを学んでいるのだそう。サポートの形は違っても、2匹はお互いに助け合っているのですね。誰もが誰かを支えることができる…ほほ笑ましいリリーとキンリーの姿から、そんなことを教えてもらった気がします。[文・構成/grape編集部]
2021年11月05日人の話し声、工事現場で機械が作動している音、自動車の走行音…私たちの身の回りには、さまざまな音が発生しています。そうした音の中には、音量が大きいあまり「うるさいな」と不快になるものもありますよね。あんずもち(@AHAMA92686882)さんの娘さんは、『聴覚過敏症』という症状を抱えています。『聴覚過敏症』とは、電車のアナウンスや、お皿同士がぶつかって鳴る音など、何気ない音が大きく響いて聞こえて、苦痛や不快感を抱く症状のこと。どのような音の時にどんな症状が出るか、娘さんはイラストで描きました。娘が少しずつ描いてた短いお話。自分の聴覚過敏を周りの人に知って欲しくて描いたそうです。沢山の人に見てもらえたら嬉しい、と言ってるのでTwitterにあげてみます。良かったら見てやってください #聴覚過敏 #感覚過敏 pic.twitter.com/zAruNRMbXq — あんずもち (@AHAMA92686882) October 3, 2021 人の泣き声、キャーキャーといった話し声、ざわざわとする音、大きな音…。いずれも、日常生活で耳にすることが多い音ですが、娘さんは聞くと体調が悪くなるのだとか。そのため、『イヤーマフ』と呼ばれる、聴覚を保護する防音具を使っているといいます。娘さんが描いたイラストに、「涙が出てきます」「説明力がすごいですね」と多くの人の関心が集まりました。聴覚過敏症は、見た目には分からないことから、周囲からの理解が得られにくいものです。また、イヤーマフの見た目がヘッドホンに似ていることから、あらぬ誤解を受けることも。娘さんのイラストを機に、より多くの人に、症状や苦しんでいる人への理解が広まることを願うばかりです。[文・構成/grape編集部]
2021年10月28日YouTubeチャンネル『なーすけFitness』を運営している、なーすけ(@Naasuke_fit)さん。肉体の美しさを競うコンテストへの出場経験があり、大会に向けたボディメイクの様子などを公開しています。ジムで体験したエピソードをTwitterに投稿し、12万件以上の『いいね』が集まりました。※写真はイメージある日、見知らぬ男性から、スマートフォン(以下、スマホ)の画面を急に見せられた、なーすけさん。画面には、このようなメッセージが表示されていたといいます。「耳に障害あるけど動画見てます」なーすけさんは、すべてのYouTube動画にテロップを付けて配信しています。男性は、動画の視聴者であることを伝えてくれたのですね。これを見た、なーすけさんは「泣きそうになった」とつづり、その時の思いを記しています。「これからの動画も全部フルテロップにする。僕の生きがいはこれだ」今日ジムで男の人に、急にスマホの画面を見せられて、なんだろうって思ったら、耳に障害があるけど動画見てますって文字に起こしてあって、泣きそうになった。これからの動画も全部フルテロップにする。僕の生きがいはこれだ。— なーすけ@筋トレ (@Naasuke_fit) October 15, 2021 なーすけさんは、今回の出来事を通して、今後、制作する動画についての決意を新たにしたようです。投稿を見た人からは、さまざまな声が寄せられました。・素敵な話!応援しています。・私も耳が聞こえません。フルテロップにするのは大変だと思いますが、助かっています!・なーすけさんの心づかいが、嬉しいです。・なーすけさんに気持ちを伝えてくれた人も、ありがとう。「1本1本の動画を丁寧に作りたい」と考え、テロップを付け続けてきた、なーすけさん。その想いが誰かに届いていたことを、意外な形で実感しました。なーすけさんの気持ちを思うと、胸に迫るものがありますね。これからも、多くの人が楽しめるコンテンツを広めてくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年10月21日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日インターホンが押された時、誰が来たのかをしっかりと確認してからドアを開けたいですよね。ですが、訪問者の立ち位置が悪いと、インターホンの画面にしっかりと相手の姿が映らないことも。聴覚障害を抱えている、うささ(usasa21)さんの場合、相手の声が聞こえないため画面しか確認手段がありません。宅配便の兄ちゃんありがとうある日、宅配便の配達員に、聴覚障害があることを伝えたうさささん。すると、配達員が素晴らしい対応をしてくれたのです!うさささんのために、配達員は立ち位置や、荷物の持ち方を調整。インターホンの画面を見ただけで訪問者が分かるよう、映り方を工夫していました。また、うさささんの事情を聞いたガス会社のスタッフたちも、大きなスケッチブックを使った筆談で対応。それぞれの心遣いに、うささんはいたく感動しました。優しさに満ちたエピソードは、読んだ人の心も揺さぶっています。・素敵なエピソードですね。感激!・宅配便の人たちがちゃんと覚えてくれるの、嬉しいですよね。・ガス会社の方たちも素敵です!・私も聞こえないことを伝えたら、風呂修理の人がジェスチャーで教えてくれました。個々の事情に合わせた、柔軟な対応に心救われている人は多いでしょう。感謝の気持ちが、当人たちに届いてほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年09月22日世界中が大騒ぎ。聴覚過敏の次男の世界こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』ほか、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。現在中学2年生のうちの次男には、小さなころ「聴覚過敏」がありました。そのため、園や学校、お出かけ先などの人の多い場所には、行って帰ってくるだけでもぐったり疲れてしまっていたので、引っ込み思案で積極的に人と関わることも苦手でした。ですが今では、本人の自然な成長と、家庭でのケアと工夫、周囲のサポートなどもあって、次男の聴覚過敏はかなり緩和されつつあるようです。人より多少疲れやすくはあるものの、日常生活に大きな支障はなく、中学では特別な配慮をお願いしなくても、ほとんど欠席もせず、友達とワイワイとにぎやかに遊べるようにもなりました。でも、私はそんな次男の成長を喜ばしく思う反面、少しだけ、寂しいような、もったいないような気持ちにもなるのです。なぜなら、過敏症からくる繊細さは「感受性の豊かさ」の表れでもあるように思えるからです。では、次男に聞こえていた「聴覚過敏」の世界とは、一体どんなものなのでしょうか。Upload By 楽々かあさんうちの次男は、「発達障害」の診断がつくほどではないものの、ややASDの傾向があるグレーゾーンで、聴覚過敏がありました。そんな次男が幼稚園のころの、ある日の帰り道。「ねえ、まま。なんでせかい中、まい日こんなにおおさわぎしてるんだろうね…?」と、彼は私の背中でぽつりと言いました。あたりは公園帰りの親子連れがちらほらいる程度の人もまばらな夕暮れどきで、到底「おおさわぎ」だとは思えませんでしたが、きっと私には聞こえない音の洪水で、次男の世界は騒々しく溢れているのだろうな、と思いました。実は私自身も、小学校高学年くらいまでは似たような聴覚過敏の傾向があり、当時をよくよく思い出せば、次男の言わんとする感覚は、なんとなく想像できました。ザワザワと葉っぱを揺らす風の音、ゴーッと遠くの道を通り過ぎる車のタイヤ音、行き交う人々の笑い声、近所の家の赤ちゃんが泣く声、お散歩中の犬同士の喧嘩、カラスの羽ばたき……。大人から見れば「雑音」の一言でまとめてしまえるような、これらのごく普通の日常生活に溢れる音たちが、大事な情報も、そうでない情報も、分別されることなく、鮮烈なまま同じ重さで次男の耳から入ってきていたのです。……そりゃあ、疲れるよね。そして、これは本人の意思ではどうにもならないことでもありました。例えば、当時、兄弟でハマってめちゃくちゃ楽しみにしていた大好きなライダーたちが大集合する特撮映画も、大迫力の爆発音に顔面蒼白で固まってしまい、母と一緒に泣く泣く無念の途中退場を余儀なくされたこともあったほどです。ですから、これは決して「ワガママ」や「気にしすぎ」などではなく、本人の努力や気の持ちようでは解決できない、体質的なものなのだと私は実感しました。こんな調子だったので、次男はうるさい場所やザワザワした場所が特に苦手で、おでかけにも消極的……。「園・学校は別に嫌いなワケじゃない」とは言うものの、人が多い場所であること自体に負担が大きいのでしょう、登園・登校も毎日なんとなくしぶりがちでした。耳ふさぎは、自己防衛の手段Upload By 楽々かあさんそして、次男は時折耳ふさぎをしていました。ドライヤーやトイレのエアータオルの空気がブォーンと吹き出す音、広い体育館やプールやホールの反響音、拍手やパンパンと手を叩くときの音、テレビやDVDで使われる幾つかの特定の効果音、ゴボゴボという排水音、大勢の人の笑い声、パパのくしゃみ…。こんな日常生活の至るところに、強く「怖い」「耐えられない」と感じる音が多かったので、そこから自分を守るための手っ取り早い手段として、次男は自分の両手で耳をふさいでいたのです(パパもくしゃみをする度に、隣の部屋に駆け込んでくれました)。ただし、これらは本人にとっては負担が大きく、不便で不愉快極まりないことではあるものの、私は耳ふさぎをする次男を見ていると、「想像力が豊か過ぎるから」でもある気がしました。なぜ、彼がほかの人にとっては何でもない音を「怖い」と感じていたか、というと、そこから瞬時にいろんなことを連想し、想像してしまうから…ではないかと思うのです(私もそうでした)。例えば子どものころ、台風の日などに、夜中にびゅうびゅうと吹き込む風の音が人の叫び声のように聞こえて、なかなか眠れなかった経験などがある方もいるでしょう。あるいは、運動会のピストルの合図や、パーティクラッカーのパアンと弾ける音に、「心臓が止まりそう!」と感じて、ついビクッとしちゃう…という方も多いのではないでしょうか。聴覚過敏のある子は無意識に、こういった想像力がもっと広い範囲の種類の音に咄嗟に強く働いてしまうからこそ、「怖い」「苦手」「不安だ」と感じる場面が多いように思います。次男はいくら静かな場所が好きでも、完全に一人きりになることをとても恐れ、全くの無音状態も不安になるようなので、ヘッドフォンで好きな音楽を聴いたり、小さな音でテレビをつけっぱなしにしたり、家族となんとなく一緒にいることで安心できるようでした。人一倍優しく繊細だからこそ…Upload By 楽々かあさんそして、次男が小学校に上がってからは、クラスがにぎやか過ぎると体調を崩すので、合理的配慮をお願いし、負担が大きなときだけイヤーマフを持ち込ませてもらって大丈夫だったこともあれば、しばらく欠席が続いたこともあります。学校というのは、次男にとっては常にザワザワとして騒々しい場所であり、仲良しの友達が同じクラスにいようが、担任の先生の指導力が高かろうが、負担が大きなことには変わりなく、帰宅してからはいつもぐったりとしていました。ですが、こんな次男の「耳の敏感さ」は、「ほかの人の心への敏感さ」と、根っこは同じものではないか、と私は思っています。親から見れば、次男は人一倍優しく、繊細で、共感力が高い気がするのです。そして、近くに先生から大きな声で怒られている子がいると、自分までも辛くなってしまっていました。例えば、次男は慎重で注意深く滅多に忘れ物をすることはありませんでしたが、クラスに忘れ物を叱責された子がいると、自分までも不安になって何度も何度も、持ち物を確認せずにはいられませんでした。そうかと思えば、クラスが大騒ぎとなって先生が大変そうな時期が続くと、「〇〇先生、大丈夫かな」と心配しては、登校前になんだか胃を痛めて食欲を無くしたり、お腹の調子が悪くなってトイレから出れなくなってしまうことも…。そして、そういったつらさや不安も、毎日3人の子育てと在宅ワークで大変そうにしている私を気遣って、なかなか言い出せずに遠慮して、一人で溜め込んでしまいがちでした。一般的には、「優しい」というのは素晴らしい長所です。でも、そんな次男の姿を見ていると、毎日整腸剤を飲みながらの生活と引き換えの優しさは、彼にとって本当にいいことなのだろうか、と母である私は思わずにはいられませんでした。いっそ、「人は人、おれはおれ」と、アッサリ割り切れてしまう長男のほうが、適応力という点ではマシなのかもしれません。だけど、かつての私がそうであったように、子どもに「強くなれ」「気にするな」といったところで、できません。だって、本人には「どうしたら、気にならないか」が分からないし、耳から音と一緒に流れ込んでくるいろんな人のいろんな感情は、自分ではコントロールができなかったからです。成長と共に和らぎ、失われていく次男の世界Upload By 楽々かあさんこんな次男の「耳の過敏さ」は、成長とともにある程度緩和されて、中学2年生の今ではかなり大丈夫になりました。少し前に、家族で例の大ヒットアニメ映画を観に行った際も、念の為イヤーマフを持参したものの結局使わずに、大音響の中、最後の最後まで楽しめました。今でも次男は、クラスに休みがちな子や、引っ込み思案の子がいると、「なんか、人ごとじゃないっていうか…」といって、さり気なく話しかけてみたり、一緒にオンラインゲームで遊んだりしているので、本質的に優しいところは、たぶん変わらないのでしょう。でも、ほどほどに大事な情報と、不要な情報の区別がつくようにもなってきて、兄の影響もあるのか、クールに割り切る一面も見せるようになりました。最近の次男は、「前期更年期母 vs 後期思春期兄」の家庭内バトルが始まると、さっさと自分の部屋に退散し、ごろ寝しながら涼しい顔で漫画を読んでいます。中学ではそれなりに自己主張できるようにもなり、時々、兄やクラスメイトとも意見が対立し、一歩も引かずに口論して衝突することもあります。私に対しても、なんだか理屈っぽくなってきて、正論で論破されたり、「全く、いい年してかあちゃんは大人げないよね」などと、ドライに切り捨てられることも…(笑)。うーん、生意気!腹立つわあ〜。とはいえ、私は次男が感情をため込み過ずに健全に日常を過ごすためには、これはいい傾向だと捉えています。過剰な音の負担が減って体調も安定し、物事にあまり動じなくなってきたことを心から喜ばしくも思います。その反面……。成長とともに、かつて、音の洪水の中であらゆるモノに心を震わせていた次男の、繊細で豊かな世界が失われてゆくことに、私は少しだけ寂しさを覚えるのです。絵と文:大場美鈴(楽々かあさん)作品提供:次男〇次郎(監修:井上先生より)聴覚に過敏性がある方の場合、他の人と比べて疲れやすかったり、特定の音によって話し声などがマスキングされてしまって聞き取りづらくなる聴覚マスキングが生じることで、授業が理解しづらくなったりすることもあります。刺激に対する過敏性には、不安や疲労、睡眠不足などとの関連性が指摘されています。過敏性の出方によって、聴覚以外への支援も必要になることもあります。楽々母さんのお子さんのように、環境調整や支援によって、年齢とともに過敏性が緩和されていく方もおられます。学齢期では、保護者や学校の先生方の共通理解が重要だと思います。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2021年09月06日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」7月19日(月)から渋谷で期間限定開催!Upload By 発達ナビニュース障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」が2021年7月19日(月)~25日(日)の期間、渋谷スペイン坂の多目的スペース「no-ma」にて開催されます。主催のヘラルボニーは、福祉実験ユニット。障害という言葉の裏にある先入観やこれまでの常識を超え、福祉を起点に新たな文化を作り出し続けています。7月24日に設立3周年を迎えることを記念し、今回の展覧会を開催。展示では三重県にある障害のあるアーティストの支援等をする、特定非営利活動法人 希望の園に所属する作家、森啓輔の原画作品展示、ヘラルボニーの取り組みと活動の展示、ヘラルボニーが手掛けるアートライフブランド「HERALBONY」の出店があります。入場は無料。※7月22日~15:00、23日~14:00、7月24日~14:00は、チケット購入に限り来場可能アーティストが放つ「異彩」との出会いがここにある。3周年記念イベントとして、チケット制の有料イベントも開催します。2021年7月22日(木)、23日(金)はスペシャルイベントとして、常設展示のほか、ヘラルボニー代表や特定非営利活動法人 希望の園理事長のあいさつ、コンテンポラリーダンサーによるダンスパフォーマンスなどがあります。設立3周年、当日となる7月24日(土)にはヘラルボニーの「異彩」との出会いとこれまでの3年間、そして今後の展望をテーマに、創業メンバーによるトークイベントを開催します。(尚、緊急事態宣言発出に伴い、イベントの縮小及び一部内容を変更があります。詳しくは、公式ページからご確認ください。)【作品募集のお知らせ】「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展、受付は8月14日(土)までUpload By 発達ナビニュース「パラアート TOKYO」は、世界中から障害のある人による芸術作品を集めて、公益財団法人 日本チャリティ協会が開催する国際交流展。「才能は障がいを超え、国境を越える 」というスローガンのもと、障害のある人の芸術作品(パラアート)の感性、才能価値を世界へ発信しています。「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展の開催が決定し、作品を募集しています。期間は2021年8月14日(土)まで。世界にひとつしかない作品を応募してみませんか。【募集対象】国内外を問わず、障害のある方が制作した平面(書・絵画等)作品。子どもの部:10歳~17歳 / 大人の部:18歳以上【受付】2021年8月14日(土)まで Eメールinfo@paraart.jpまたは郵送【お問合せ先】(公財)日本チャリティ協会「2021 パラアートTOKYO」実行委員会事務局住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷 1-19 アーバン四谷 4 階TEL :03-3341-0803FAX :03-3359-7964E-mail: info@paraart.jp昨年開催した「2020 パラアートTOKYO」の全ての作品は、オンラインギャラリーで観ることができます。こちらもぜひご覧ください。発達障害のある人の困りごとにやさしく寄り添う「mahora」ノートが第30回日本文具大賞のデザイン部門、優秀賞を受賞!Upload By 発達ナビニュース「mahora」ノートは、発達障害がある100人の声を聞き、大栗紙工株式会社が一般社団法人UnBalance(アンバランス)と共に開発したノートです。お子さんがノートを使っているとき、なんだか書きにくそうだなと感じることはありませんか?視覚が敏感な場合、白い紙からの反射がまぶしく感じることがあります。特性によっては、罫線が見分けにくいために気づいたら書いている行がかわってしまっていたりすることも…。このような発達障害のある人たちが日ごろノートを使うときに感じているさまざまな困りごとの声から、「mahora」ノートは「光の反射を抑えたやさしい色の中紙」「見分けやすいオリジナルの罫線」「シンプルなデザイン」を採用。老舗ノートメーカーならではの高い技術により丈夫で書き心地よく、目にやさしいノートがうまれました。その機能とデザインで、「みんなが使いやすいノート」として、第30回日本文具大賞でデザイン部門優秀賞を受賞。既存のノートがなんだか使いにくいなと感じているすべての人におすすめのノートです。「書きにくい」が「心地いい」に。カラーとサイズ、全24種類から選べる「mahora」ノートは、以下WEBサイトから購入することができます。京都障害児教育研究センターによる夏季研究集会、8月1日(土)オンラインで開催。特別支援学校や特別支援学級の実践報告、ゲスト講師による講演から障害児教育について考えよう。Upload By 発達ナビニュース京都障害児教育研究センター(障教研センター)が8月1日(土) 10:00~15:40にオンライン学習会を開催します。内容は、実践報告とゲスト講師による講演。特別支援学校、特別支援学級の実践報告では、教育現場で大切にしたいことを考えます。講演で講師をつとめるのは、自閉症児の授業づくりについて研究、各地で講演をする三木裕和さんと、「書く」ことと子どもの育ちについて研究する川地亜弥子さん。発達の視点から子どもをみることを学ぶ講演です。支援者向けの内容ですが、どなたでも参加できるオンライン学習会です。〈詳細〉【日時・場所】2021年8月1日(日)10:00~15:40(途中入場・途中退場可)オンライン(Zoomを用いて行います)【対象】どなたでもご参加ください【講師】三木裕和さん(元鳥取大学地域学部)川地亜弥子さん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)【料金】1,000円(税込)【お問い合わせ先】mail : sho-ken@kyoto-fuko.comtel: 075-751-1645京都府教育会館障教研センター事務局LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月18日