あなたの持つ“良妻”とはどんなイメージでしょう。料理上手、家事が完璧、人あたりが良い…。いろいろなイメージがあると思います。しかし、そんな“理想の妻”を目指して努力をしているのに、夫の心がどんどん離れていってしまう。「こんなにがんばっているのに夫から愛されている気がしない」と感じている人も少ないくないようです。今回は、良妻に対する夫婦間のギャップ、そこから生じる問題についてお話しましょう。■夫と妻でギャップあり? 夫婦間で異なる「良妻」イメージ家事も育児もソツなくこなし、スキがない家庭人。これが、多くの女性の良妻イメージでしょう。何でもできる“ザ・良妻”が身近にいて、同性ながら憧れている人もいるかもしれませんね。では、夫の抱く良妻イメージは、それと同じなのでしょうか? よく「男性の理想の女性像は自分の母親」なんてことをいいますよね。実はこれ、夫が求める良妻イメージにもつながるんです。多くの男性が、自分の母親を良妻のベースとしてイメージしていることが多いようです(反面教師として、母親と真逆のタイプを理想とする場合もあります)。妻の目指す良妻と、夫が望む良妻には、大きな隔たりがあるのがおわかりでしょう。では、夫にとって「母のような妻」というのは、どんな女性なのでしょうか?それは、「緊張しない場所を提供してくれる存在」。実は男性はプレッシャーのない、適度に自分をゆるめられる状態を常に求めているのです。。そして、それを持っているかどうかが愛情度に関係しているのです。■妻目線の「良妻」を夫はどう感じている?妻が思う良妻を、夫はどう見ているのでしょう。良妻は家のなかをいつもキレイに保ってくれたり、食事を用意してくれるありがたい存在です。仕事で忙しい自分にはできないことなので「すごい! ありがたい!」という尊敬の念や感謝の気持ちを持つ夫は多いでしょう。けれどその感謝が「優秀なハウスキーパー 兼 子どもの教育係」という思いに傾き、必ずしも女性に対する愛情に変化するとは限りません。料理が上手、常に家のなかをキレイにしてくれるという部分では自分の母親、あるいはこうであってほしかった母親像と同じですよね。でも夫は妻に「スキのない完璧さ」を求めているわけではありません。例えば、きれいに整理整頓された部屋にいると気をつかってしまうから、多少ちらかっているほうがくつろげると感じることはないでしょうか。人間関係も同じで、スキがない人と一緒にいると、人間は「自分も完璧でいなければ」というある種の緊張を感じます。そのため、妻が完璧すぎると「ここはくつろげない」と夫はプレッシャーを感じ、“自分をゆるめられる居場所”を妻ではなくほかに求めてしまう傾向があるようです。家のため、家族のために尽くしている妻から見れば「何を甘えてるんだ!」と思うかもしれませんが、男性はいくつになっても甘えたい、癒されたいという気持ちがあり、それを許してくれる相手に愛情を持つようです。では、夫から感謝だけではなく愛情も得たいと願うなら、妻は一体どうしたら良いのでしょう? ■「愛してる」「ありがとう」夫から両方勝ち取るには?「完璧じゃなければ良い妻じゃない」「良い奥さんでいなければ愛されない」という気持ちで良妻を目指しているけれど、実はそれが辛い…。もし、そう感じたことがあるなら、これまでやってきたことを少しやめてみてはいかがでしょうか。妻が理想とする完璧な妻を夫は求めていません。男性が理想とするのは、ありのままの自分を受け入れてくれる適度なゆるみのある妻なのです。そのためにはスキをつくることを意識してみましょう。「しんどいけど完璧にやらなきゃ」という妻の気持ちは、知らず知らずのうちに夫へプレッシャーを与えてしまうことがあります。自分が好きでしているならまったく問題ありませんが「とにかく良い妻でいなければ」という思いにかられているのであれば、意識してスキをつくる必要がありそうです。なかには「これまで完璧にやってきたし、今さらスキをつくれといわれても…」という人もいるでしょう。最初は抵抗があるかもしれませんが、「~しなければ」という気持ちを捨て、手を抜いて2人で楽になる時間を意識してつくりましょう。夫は妻が担当している家事育児の大変さに気付いていないことが多いもの。もし、手抜きを夫に指摘されたら「ちょっと今日は疲れてて。ごめんね」と素直な気持ちで話してみましょう。言葉で伝えるだけでも「そうだったのか」と妻の気持ちを理解するキッカケとなり、そんな弱音をかわいく言う妻のスキに愛情を感じるのです。良妻を目指さなければ夫から愛されないと怖がる必要はありません。男性はどこかで自分の弱さをさらけ出せる場所、人間関係のゆるみを求めています。それが家のなかにあれば、家族ひいては妻への愛情も自然と育っていくものではないでしょうか。
2018年05月21日心配事は現実のものになるとはよく言ったもので、「こうやってヨメのことをネタに原稿を書いていたら、いつかヨメにバレて怒られるだろうな」と心配していたら、先日、本当に怒られました。「わたしのことを書くのなら、先にわたしの許可をとるべきでしょ?」とだけぼくに言ってくるのなら、まだかわいげがあるというものです。がしかし、我がヨメはあろうことか、「良妻賢母として書いてよ」と、ケチをつけてきました。いや、リクエストをしてきました。びっくりぽん!です。さて、年上の女性を取材していたら見えてくる、良妻賢母という言葉のむかしながらの解釈があります。たとえば60歳の、見るからに良妻賢母そうな女性がスナックで働きはじめたところに以前、取材中に遭遇したことがあります。彼女は言いました。「夫は弁護士で、『おれの稼ぎだけでやっていくから、お前は(!)専業主婦になれ。おれが帰宅するまで寝るな(以下、ご想像のとおり)』と、結婚当初わたしに言ったので、35年間わたしはずっと専業主婦でした。でも、最近は夫婦愛も覚めて、子供もうちに寄りつかず、ゆえに夫に内緒で、若い頃にしたくてもできなかったことをしたいと思っています。そのひとつが、スナックでバイトすることです。」35年のあいだに、外で伸ばす羽が錆びついてしまったのか、彼女は3日でスナックを辞めていきました。妻のことを「お前」と呼ぶことがすでに物語っているとおり、むかしながらの良妻賢母の解釈が、今の時代に通用しないことを物語っている、典型的な例かもしれません。では現代版「良妻賢母の解釈」とは?これは、男女平等と言われている現代の風潮にならって(?)、あるいは女性の読者の反感を買わないようにするため(?)、まずは男のことを考えてみようと思います。つまり「良夫賢父」のことを考えてみる。「良夫賢父」をなんと読めばいいのか知りませんが、パソコンで1文字ずつ打つと、こういう文字列が完成します。良き夫であり、賢い父親である…これはたとえば理性がちゃんとはたらく男であれ、ということである、という仮説がすぐに浮かびます。理性なき「良」も、理性なき「賢」も、ともに成立しないから。理性をはたらかせるためにはなにが必要か?むかしの賢者たちはこう言います。「思い込みで判断しないこと」「つねに、正しい判断とはなにかを『意識すること』」「自己愛を少なめにして真理を追究すること」などなど。すべて、かの有名なデカルトさんと、その周辺の哲学者たちの言葉および、その意訳です。夫婦はお互いに、相手を映す鏡なのだから、ダンナが「良夫賢父」であろうと努力すれば、ヨメも良妻賢母であろうと努力するかもしれない。これも一般論として言えることだろうと思います。鏡であるというのは、こういうことですよね。「そうあろうと努力する」のに必要なことは、デカルトさんたちの言葉をお借りするなら、たとえば「思い込みで判断しない」ように日々「意識すること」となります。冒頭に戻ると、我がヨメはぼくの原稿を読みながら「良妻賢母として書いてよ」と、のたまわりました。我がヨメは「ぼくが彼女のことを良妻賢母として書いていない」と、思い込みで判断し、その判断が、ヨメをしてそう言わしめたのかもしれません。もしそうであるなら、そして、夫婦の鏡の法則から判断するなら、ぼくもヨメのなんらかを思い込みで見、判断している、ということになります。あるいは、ぼくがヨメのなんらかを思い込みで見、判断しているという、ぼくが意識していない事実を、ヨメはすでに知っている、ということになります。他人が意識していないことを知り、それを相手にうまく指摘できるというのは、先人いわく「良」き人であり、「賢」い人です。「人」を拡大解釈すれば、女性の場合、妻や母という言葉と入れ替え可能でしょう。ということは、ヨメはすでに良妻賢母だということになります。びっくりぽん!です。(追伸。我がヨメよ、こんなんでええか?)(ひとみしょう/文筆家)
2017年12月20日夫が恐れる鬼嫁ですが、皆さんはどんなイメージを持っていますか?よく勘違いされますが、鬼嫁=ダメ嫁ではありません。鬼嫁だと言われていても、実は良い妻であることは充分に考えられます。今回は、そんな鬼嫁と良妻のお話です。鬼嫁誕生の理由最初は違ったのに、気付いたときには鬼嫁になっていた、ということは珍しくありません。では、なぜそうなるのでしょうか?それは、頼りたいときに限って夫は頼りにならないことが多く、嫁が強くならないとやっていけないからです。夫に期待してもムダなら最初からアテにしない方がマシ、と考えるようになり、何でも自分で出来るようになろうとします。もし夫が、どんな小さな話も聞いて励ましてくれて、少しでも家事や育児を手伝ってくれて、感謝の気持ちや愛情をちょっとでも伝えようとしてくれていたなら、鬼嫁になるほど嫁が強くなる必要はなかったハズ。そうして、新婚の頃は「出張や残業ばかりだと寂しい」と言っていた可愛い奥さんが、「亭主元気で留守がいい」と言うようになるのです。夫をまったく頼らなくなると、妻に充分な収入があるなら離婚を選ぶ可能性も高いでしょう。逆に嫁が夫に甘やかされすぎてしまうと、何も出来ないダメ嫁が誕生します。夫を頼らなすぎ=鬼嫁、頼りすぎ=ダメ嫁、とも言えるでしょう。鬼嫁+謙虚=良妻鬼嫁と良妻の最大の共通点は、しっかりしていることです。例えば、よく話題にあがる旦那さんのお小遣い制の話。家庭を守るのが妻の役割ですから、夫に言われるがままにお金を渡すのが良い奥さんだとは言えません。夫が頼りないせいで鬼嫁が生まれたということは、そんな夫に任せていたら家庭が崩壊する危険もあるということです。では、なぜ鬼嫁の評判は悪いのでしょうか?それは、男性にはプライドがあるためだと考えられます。男性から見て、分かりやすく夫を立てられる女性だけが良妻と呼ばれる傾向があるようです。基本的に、鬼嫁は夫に対して態度が大きい特徴があります。もしそんな鬼嫁が、謙虚な態度で夫に接するようになったら…?きっとそれだけで180°違って見えるでしょう。稲穂が実るほど頭を垂れると言われるように、賢い人ほど低姿勢です。そして、良妻と呼ばれる女性はこれを実践しています。これこそが、鬼嫁と良妻の決定的な違いではないでしょうか。誰でも、「いつも私ばっかり!たまには○○してよ!」と言われるより、「○○してくれたら助かるんだけど、お願いできる?」と言われた方が、やってあげようと思うもの。強さも大事ですが、夫婦にとってはお互いの思いやりが何よりも大切です。謙虚=思いやりのある態度で接してあげてくださいね。
2017年05月29日