プランピット(代表:樋口義高)主催、『崎元讓・西森記子・小川和隆ファンタスティック・トリオ』が2024年3月29日 (金)にすみだトリフォニーホール小ホール(東京都墨田区錦糸1-2-3)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 プランピットホームページ 本コンサートのポイントプランピットでは、「時ノ空間」というテーマで過去10回にわたり楽器のもつ素晴らしい響きをデュオ・トリオといった編成で企画してまいりました。今回は、「ハーモニカ」と「ヴァイオリン」そして「ギター」というトリオで演奏いたします。クラッシックをハーモニカで演奏?と思われている方に是非一度は、聴いていただきたいコンサートです。ハーモニカを他の楽器と肩を並べることができる表現を持った演奏することを掲げられ音楽家生活55年以上活躍されている日本を代表するアーティスト崎元讓さんを中心に今回はハーモニカの他にヴァイオリンそしてギターを加えたトリオの演奏です。名曲を3人の息のあった演奏で披露するほか、ハーモニカとヴァイオリン、ハーモニカとギター、また各楽器のソロなど、魅力満載の演奏会です。当日はコンサートホールとしての機能をコロナ前の状態に戻した大人向けの趣向を加えた夜の音楽会にふさわしいBARコーナーをOPENしてワンドリンクサービスをさせて頂きますので、ごゆっくり金曜日の夜を是非お楽しみください。メンバー崎元 讓|さきもとじょう(クロマティックハーモニカ)1967年リサイタルデヴュー。1970年に渡欧。オランダで開催された第13回世界ハーモニカコンクールソリスト部門第2位入賞。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア各地で演奏。日本国内では各地でリサイタルを開催。岩城宏之指揮N響、小澤征爾指揮新日本フィル他、各地のオーケストラと共演、TV、ラジオにも出演している。崎元のために作曲された曲は、200曲以上に及ぶ、また映画、TV、CMの音楽の演奏、の他、後進の指導にも当たっている。2022年10月21日に上野の東京文化会館小ホールで「音楽家生活55周年記念」のコンサートを開催した。現在、(公社)日本芸能実演家家団体協議会理事、実演家著作隣接権センターCPRA運営委員長、(一社)演奏家権利処理合同機構MPN副理事長を務めている。西森記子|にしもりのりこ(ヴァイオリン)東京藝術大学附属音楽高等学校、同大学音楽学部器楽科卒業。2000年 音楽の友ホールにて外山準氏の伴奏で初リサイタルを行う。2005年 無伴奏ヴァイオリンによるSOLOライブ活動を始める。2016年 松尾ホールにて外山準氏と「ソナタの夕べ」を行う。2017年 アンビエンテにて第10回ソロコンサート・ライブを行う。2019年 下北グレースガーデンチャーチでバッハ無伴奏Ⅴn全曲演奏会を行う。両国門天ホールにて崎元讓氏とデュオコンサートを行う。2022年すみだトリフォニーホールにて崎元氏とデュオコンサートを行う。現在 スタジオミュージシャンとしてCMをはじめ、J-POPやドラマ、映画などのレコーディングに携わるかたわら、さまざまなアーティストのライブやコンサートのサポートミュージシャンとして演奏活動の幅を広げている。無伴奏Violinの作曲・編曲も手がけている。これまでに大谷康子、故 山岡耕筰、徳永二男の各氏に師事。小川和隆|おがわかずたか(十弦ギター)東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。第22回東京国際ギターコンクール第1位。ギターを小原聖子に師事。スペインにてナルシソ・イエペスに十弦ギターを学ぶ。ソロのほか、歌や他のアンサンブルで活動の場を広げている。6枚のソロCDと、曲集「決定版ギターエチュード集」CD付曲集「ギターは素」「斬新的ギター二重奏曲集/F.カルッリ」を発表、好評を得ている。2017年9月発表のハーモニカの崎元讓とのデュオによるCD「優しき玩具」はレコード芸術誌の特設版となる。また「野口体操」を基に、身体の自然な動きと重力にのっとった奏法の研究を続け、演奏・教授に活かしている。公益社団法人日本ギター連盟正会員。スエルトン・ギタースクール(八王子)主宰。西方音楽院(栃木)、NHK文化センター町田教室などの講師を務める。団体概要日本語を大切に、日本語のもつ美しさをジャンルにとらわれず、日本中に広めたいと考えて、活動を開始。そして言葉だけではなく空間に響く音やリズムによって日本が係ってきた文化と音色の素晴らしさをシリーズ「時ノ空間」と題して、様々な楽器にスポットをあて、楽器の可能性をコラボなどにより伝えていくコンサートを開催している。開催概要プランピット~3つの楽器が名曲を奏でる大人のための贅沢な夜のひととき~『崎元讓・西森記子・小川和隆ファンタスティック・トリオ』開催期間:2024年3月29日 (金)会場:すみだトリフォニーホール小ホール(東京都墨田区錦糸1-2-3)■出演者崎元讓(クロマティックハーモニカ)西森記子(ヴァイオリン)小川和隆(十弦ギター)■スタッフプランピット■開催スケジュール2024年3月29日 (金)開場18:00開演18:30休憩20分■チケット料金前売:4,500円当日:5,000円(全席指定・税込)※ワンドリンクサービス付き 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年11月22日プランピット(東京都江東区、代表:樋口義高)主催による『崎元讓&西森記子ファンタスティック・デュオ』が2022年5月21日 (土)にすみだトリフォニーホール・小ホール(東京都墨田区)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて1月21日(金)より発売開始です。カンフェティにて1月21日(金)10:00よりチケット発売開始予定 公式ホームページ ハーモニカとヴァイオリンによる魅力溢れる音色と新たなる音楽の扉プランピットは、「時ノ空間」というテーマで、音楽を通じて日本の生活・歴史・文化に目を向けて、魅力ある響きと新しいサウンドを企画しお届けしています。今回は「ハーモニカ」と「ヴァイオリン」のデュオとソロの演奏です。ハーモニカの演奏は、ハーモニカという楽器を他の楽器と十分に肩を並べることのできる表現を持った演奏をすることを掲げられ、2022年には音楽生活55周年を迎えられる、日本を代表する音楽家、崎元讓さんです。ヴァイオリンは、東京芸術大学音楽学部を卒業後大谷康子氏、山岡耕筰氏に師事。卒業後JAZZとの出会いにより、「東京ホット倶楽部バンド」に参加。多彩なる音楽ジャンルにヴァイオリンの華麗なる音色を奏でられ演奏活動中の、ヴァイオリニストの西森記子さんです。お二方の魅力溢れる音色と新たなる音楽の扉を開くサウンドを是非お楽しみください。プランピット日本語を大切に、日本語のもつ美しさをジャンルにとらわれず、日本中に広めたいと考えて、活動を開始。そして言葉だけではなく空間に響く音やリズムによって日本が係ってきた文化と音色の素晴らしさをシリーズ「時ノ空間」と題して、様々な楽器にスポットをあて、楽器の可能性をコラボなどにより伝えていくコンサートを開催している。公演概要『崎元讓&西森記子ファンタスティック・デュオ』開催日時:2022年5月21日(土)13:00開場/13:30開演会場:すみだトリフォニーホール・小ホール(東京都墨田区錦糸1-2-3)■出演者崎元讓(ハーモニカ) / 西森記子(ヴァイオリン)■チケット料金前売:4,000円→ カンフェティ席3,000円!(全席自由・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月12日《text:西森路代》津村記久子のデビュー作を原作に吉野竜平監督によって映画化された『君は永遠にそいつらより若い』が公開中である。本作は、就職も決まって後は卒論を残すのみという時期をすごしている大学生のホリガイ(佐久間由衣)を中心に描かれた物語だ。ホリガイは飾り気がなく、まわりからは変人扱いされたり、今も処女であることを周りの男子学生から指摘されたりもしていて、それに対して「もっとカジュアルかつポップに言えないかな」「ポチョムキンとか」と言い返したりもしている。そんなホリガイがひょんなきっかけから一学年下のイノギ(奈緒)に出会って、様々なことが変化していく。こうしたあらすじを読めば、ホリガイが自分の自意識と、どうつきあっていくかということを描いた作品だと思うかもしれない。大学生のモラトリム期間の葛藤の物語としても成立しうるのだが、この映画は、また別の面も持っていて、そこが筆者がこの映画に強く惹かれる所以でもある。ホリガイは、児童福祉士として地元での就職が決まっているが、そこには、一言では言い表わせない理由があった。それは、高二のときにテレビを見ていて知ったある事件に起因していた。ホリガイは、傷つけられた人を見て、常に心を痛めてしまう人であった。そして、そういう人だからかだろうか、彼女の周りには、様々な傷ついた人が存在していた。イノギも、やはり傷を抱えた人であったし、飲み会で出会ったのもつかの間、そのままこの世を去ってしまうホミネ(笠松将)にしても、バイト先で出会う、ちょっとお調子者に見えるヤスダ(葵揚)にしても、それぞれに何か痛みやコンプレックスを抱えていた。ホリガイは、そんな人の痛みに出会う度に、自分に何ができるのだろうかと考え、彼女自身も誰かを助けられないことで人知れず傷ついてしまう。実は、ホリガイが処女であることですら、自意識としての彼女だけの悩みというだけではなく、「経験」がないということで、人に本当の意味で向き合うことができるのだろうかという悩みでもあるのだということが、だんだんと分かって来るのだ。恥ずかしながら私は当初『君は永遠にそいつらより若い』というタイトルを聞いて、「若い」という言葉は、この物語の登場人物の若さの素晴らしさや可能性を称えるためにあるのかと思っていた。そうであれば、この映画もストレートに大学卒業間近の若者たちの青春群像劇になっていただろう。しかし、冒頭でも書いたように、この映画が青春群像劇であり、青春群像劇だけではない面があるのは、このタイトルの「若い」ということが、ホリガイが傷つけられた弱き存在に向けて放った言葉であるということが重要になっている。そもそも、この映画には、傷つけられた当事者と、傷つけられた人が周りにいるけれど、自分はその経験をしたわけではない非当事者で構成されている。後者はもちろんホリガイのことである。こうした当事者と非当事者の問題は難しい。現実の世の中を見渡しても、災害にあった地域の人たちと、その地域以外にいる人達や、差別されている人たちと、その差別をいたましく思っている人たちなど、当事者と非当事者はたくさん存在している。非当事者は、実際に体験していないから本当の意味での理解はできないだろうとあきらめてもいけないし、体験していないからこそ何かの力になろうとしても、「経験」がないからこそ、この行動は正解なのだろうかと思い悩んでしまったり、どんな言葉も空虚になってしまうのではないかと思ってしまうこともあるだろう。けれども、この映画を見ていると、同じ経験をしたわけではない自分にも、そうではない立場から、一緒に痛みを分かち合ったり、その原因をつきとめようと共に動くこともできるのだと思えてくる。この映画での当事者は、暴力や、児童虐待やネグレクトの被害者である。常にホリガイは、こうした当事者たちの痛みと出会ってしまい、自らの非当事者性と知らず知らずに向き合ってしまっているのである。もしかしたら、ネグレクトを前にして無力感を味わったホミネも大きな意味でいえば当事者だったかもしれないし、そう考えれば、ホリガイだって当事者になってしまう可能性もある。当事者をどうにか助けたいと思う非当事者たちは、「あのとき自分に何ができたのだろうか」ということで悩んでしまうものなのだろうし、その経験が人を優しく強くしていくのかもしれない。このように、ホリガイが自分自身だけを見つめるのではなく、他者の痛みに寄り添わずにいられないことは、彼女が児童福祉士という職業を選んだことにも大いに関わってくるし、そのことで、彼女の物語は終わらずに、この先もつらいけれど続いていくのだということがわかる。この映画は、個人的な痛みを描きつつも、その痛みをどうすれば分かち合えるのか、この痛みを味わう人をひとりでも少なくするにはどうしたらいいのかということに向き合っている。実は、そのことを突き詰めると、身近なものの善意や優しさで助け合うことだけではなく、公共の福祉や、もっと言えば行政などの働きが切実に必要なのだということが見えてくるのだ。そういう意味でも、この映画は、若者のある一時期のキラキラした季節を切り取っただけではない作品になっているし、その先も終わらずに続いていく物語になっているのだと思う。(西森路代)■関連作品:君は永遠にそいつらより若い 2021年9月17日よりテアトル新宿ほか全国にて順次公開©「君は永遠にそいつらより若い」製作委員会
2021年09月19日《text:西森路代》2021年4月から、様々なドラマがスタートしている。個人的に注目しているのは坂元裕二脚本の「大豆田とわ子と三人の元夫」であるが、昨今のドラマは、王道のラブ・コメディと、ラブ・コメディではないが、その中にひとつではない愛の形を問うような作品とが存在しているように思う。王道のラブ・コメディの昨今の特徴としては、今まで、ラブ・コメディには出演しなかったような、もしくは20代前半には出演していても、その後はそれ以外の作風のものに多く出演していた人が、ここへきて、王道のラブ・コメディに抜擢されるということがあるように思える。例えば、この昨今の流れの原点にあるのは、佐藤健がTBSの「恋はつづくよどこまでも」で、ヒロインの恋する毒舌でドSな医師を演じたことで、彼がラブコメのど真ん中の役を演じると発表があったときには、その意外性に驚かされた。同じTBSの火曜日の枠では、その後も「私の家政夫ナギサさん」で大森南朋がヒロインの家にやってくる家政夫のナギサさんを演じて、またもやその意外性に驚かされた。その後もこうした傾向は続き、今期は、TBSの「リコカツ」で永山瑛太がヒロインとお互いに一目ぼれしたことにより結婚、そして離婚に向かう自衛官を演じているほか、フジテレビの「レンアイ漫画家」には、大河ドラマ「西郷どん」の西郷隆盛役や、「銭形警部」で銭形を演じたりと、ラブコメのイメージのない(「東京タラレバ娘」にはその要素はあったが)鈴木亮平がヒロインと不器用ながらも恋に落ちる漫画家役を演じている。また、日テレの「恋はDeepに」には、「MIU404」の刑事役や、映画『ホムンクルス』の主演が記憶に新しい綾野剛が石原さとみと共にラブコメに挑戦した。石原さとみで日テレのドラマというと、「高嶺の花」の峯田和伸の出演も思い出される。こうした、意外な俳優がラブコメに出演するのには、さまざまな理由があるだろう。ひとつは、俳優もシリアスな役や、自分のイメージにあった役ばかりをやっていたため、新たなことに挑戦してみようと思っているというタイミングもあるのではないか。それに加え、やはりこの流れの元にある「恋つづ」の佐藤健の成功に続けという思いもあるだろう。そして、世の中にラブコメのファンというのが幅広く存在していて、そのニーズに応えたいということや、制作側としても、意外性のある俳優をキャスティングすることで、注目してほしいということもあるだろう。しかし、その一方で、その効果だけを期待して、ラブ以外の部分でのテーマをはっきり持たせず、俳優の魅力を活かし切れていないと、高視聴率にもつながりにくかったりもする。ラブコメ人気があるからこそ、こうした企画が今後も毎クール生まれるとも考えられる一方で、ラブコメの企画が頭打ちであるということも感じさせられてしまう。今後も様々な俳優がラブコメに参入するのは楽しみであるが、せっかく俳優がこうした企画に挑戦するからには、演者も視聴者も納得のいく企画が生まれることを期待したい。冒頭に挙げた「大豆田とわ子と三人の元夫」はロマンティックコメディとうたわれているが、そのテーマは多岐にわたっていて、主人公の大豆田とわ子と三人の元夫の関係性のほかにも、突然現れたオダギリジョー演じる外資系ファンドの本部長との恋も描かれる。この作品では、決してラブコメの主人公の恋愛が成就すればよいとは描かれず、主人公のみならず、登場人物が迷ったり別れを経験したりしている姿を描いている。特に、主人公のとわ子の幼なじみであり、彼女のことをずっと想ってきた、生きることに不器用な、かごめの突然の死のシーンを見て、世の中には、筋書き通りにいかないことがある、ままならないことがあるということに、どう向き合って生きていくのかが描かれているように思われた。また、NHKの「半径5メートル」「今ここにある危機とぼくの好感度について」などのような、テーマは恋愛ではないが、ときに恋愛が印象深く描かれる作品も多い。「半径5メートル」は、芳根京子演じる、とある女性週刊誌の編集者が、取材を通してさまざまな真実に真摯に向き合う姿を描いている。このドラマでは「恋はつづくよどこまでも」で広く注目されるようになった毎熊克哉が、主人公の先輩記者を演じており、どこかつかみどころがないけれど、主人公がその魅力に振り回されている様子が描かれている。その時間はドラマ全体の中でもたった数分にしかすぎないが、全編がラブコメディなものよりも、ラブコメパートの印象が強く残るものがある。どこかつかみどころのない男性キャラクターと言えば、先述の「大豆田とわ子」のオダギリジョーも同様で、仕事ができて、公私がはっきり別れていて、恋愛には意外と疎い(と本人は言っている)キャラクターながらも、やはり、主人公のとわ子と近づいていく様子は、ロマンティック・コメディの色が強く出ていた。「今ここにある危機とぼくの好感度について」については、架空の国立大学内で起こる危機に対峙していくうちに、松坂桃李演じる元アナウンサーの広報部員の主人公が成長していく姿を描いたブラック・コメディであるが、やはり主人公が、鈴木杏演じる非正規の研究者の生きる姿勢を見て、初めて愛というものを知る過程が描かれていて、社会派のドラマの中に描かれる恋愛模様が印象に残った。こうしてみてみると、昨今のドラマは、王道のラブコメディと、テーマはそれぞれに違うがその中に微量の恋愛が描かれていて、それが印象に残るというものとが同時に存在しているように思えるのだ。(text:西森路代)
2021年06月11日《text:西森路代》映画『ミナリ』への出演により、各国の映画賞で評価され、4月26日に行われる米アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされているユン・ヨジョン。『ミナリ』ではアメリカで娘と息子と暮らす韓国人夫婦のもとに呼び寄せられ、韓国からやってきた一家のおばあちゃん役を演じている。しかし、このおばあちゃんが、幼い長男からすると、想像していた「おばあちゃんらしい」ところのない人物で、最初はうまくコミュニケーションができないのだが、次第に長男とおばあちゃんが打ち解けていく様子が描かれる。しかし、アカデミーの作品賞にもノミネートされているだけあり、単に温かい家族像を描くだけでなく、当時の移民の現実や、家族の中にある問題点などにもフォーカスが当てられ(ときには娘の存在などにフォーカスを当てないことで気になることすらある)、表に見える以上のことが込められているように思えて、後々まで、「あれはどういう意味があるのだろう」と考えを巡らせたくなる作品となっている。この『ミナリ』で重要な役割を演じたユン・ヨジョンは1947年生まれで、1966年から演技活動を開始。『パラサイト 半地下の家族』にも影響を与えたというキム・ギヨン監督の映画『下女』のセルフリメイク『火女』(1971年)に出演し、韓国の映画賞で新人女優賞や主演女優賞などを受賞した。同じ年には、韓国を代表する歴史上の悪女と言われてきた人物を描いたドラマ「張禧嬪」で主演するなど活躍。しかし74年に結婚し渡米。10年足らずで離婚して再び芸能界に復帰した。この結婚していた時代にアメリカ生活も経験しており、英語も習得。『ミナリ』では韓国からアメリカにやってきた役のため、英語を話すシーンは少ないが、ほかの作品でも英語を使う演技を見せることも多い。復帰後は、母親役、祖母役などを数多く演じている。「がんばれ!クムスン」、「棚ぼたのあなた」、「家に帰る道」など、ホームドラマへの出演も多く、何かしらの問題や悩みを抱えながらも、力強く生きる役も多い。一方で、映画の世界では世界的にも評価の高い監督、ホン・サンス作品の常連でもあり、2010年の『ハハハ』に始まり『3人のアンヌ』、『自由が丘で』などに出演。出演時間は少なくても、どこか印象に残る役を演じている。先述の『下女』をイム・サンス監督がリメイクした『ハウスメイド』では、主人公とともにハウスメイド役を演じ、この演技が認められ、韓国の青龍映画賞などで助演女優賞を受賞している。また、2015年の『チャンス商会~初恋を探して~』では、主人公のおじいちゃん・ソンチルと恋におちる花屋の女主人を演じた。2016年に主演を務めた映画『バッカス・レディ』は、『ミナリ』でユン・ヨジョンに興味を持った人にオススメしたい作品だ。この作品でユン・ヨジョンは、ソウルにある鐘路という地域の公園に集まる高齢者男性相手の売春で生計を立てるソヨンという主人公を演じた。こうしたソヨンのような女性は実際にも韓国に存在しており、彼女のような女性や、彼女が相手をする男性たちも含めて、高齢化社会の現実に迫った作品になっていた。同時に、ソヨンの暮らすアパートにはトランスジェンダーのティナ(アン・アジュ)、義足の青年ドフン(ユン・ゲサン)が暮らしており、またソヨンがひょんなことからフィリピン人の母親を持つ少年の面倒を見ることになったり、またソヨン自身が息子と生き別れていたりと、普段は見えにくい韓国社会の別の一面が描かれていた。近年、日本で公開される映画でユン・ヨジョンに出会う確率は高い。今年公開の『チャンシルさんには福が多いね』では、主人公のチャンシルが住む家の大家さんを演じ、主人公と不思議な連帯を感じさせる役になっていた。また『藁にもすがる獣たち』でも、ペ・ソンウ演じる主人公の母親役で出演。演技活動以外にバラエティ番組にも出演しているユン・ヨジョン。日本でもCSや配信で見られる「ユン食堂」シリーズでは、素の姿も見える。これらの番組では、『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョン・ユミ、「梨泰院クラス」のパク・ソジュン、「チェオクの剣」や「イ・サン」などの時代劇で活躍のほか、昨今はバラエティへの出演も多いイ・ソジンらも出演しており、俳優の後輩たちとの関係性を見るのも楽しい。このように、ユン・ヨジョンは、ドラマでは、いわゆる橋田壽賀子作品のような大衆的なホームドラマの中でのどこにでもいそうな母親やおばあちゃんを演じ、映画では、社会的な意義のある作品や、作家性のある監督作品にも出演し、孤高の人物や自立した人物、一筋縄ではいかない人物などを演じていて、その活躍の幅は広い。しかし、どんな作品でも、どこかすんなりとは収まらず、何かをこちらに訴えかけるような役を演じているような印象がある。『ミナリ』のおばあちゃんらしくないおばあちゃん役は、これまでに演じてきた役とどこか重なるようでいて、また新たな役のようにも思える。『ミナリ』を見て興味を抱いたら、彼女の他の出演作を見て、様々な顔に注目してみるのも良いのではないだろうか。(text:西森路代)■関連作品:ミナリ 2021年3月19日よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開©Photo by Melissa Lukenbaugh, Courtesy of A24
2021年04月23日《text:西森路代》韓国映画が面白いのは、緻密な脚本だったり、複雑な人間性が描かれていることなど、たくさんの理由が挙げらるが、俳優の多様さもその中のひとつだろう。今年は『パラサイト 半地下の家族』が米アカデミーの作品賞など4部門で受賞し、ドラマ「愛の不時着」も流行語大賞のトップ10に選ばれるなど、韓国のエンターテインメントの話題に事欠かなかった。そんな韓国に注目集まる中、テレビドラマと映画の世界を縦横無尽に駆け巡るまったくタイプの異なる俳優を紹介したい。大人の存在感増すチュ・ジフン2003年に「冬のソナタ」が放送開始したことで始まった日本の韓流ブーム。その直後のラブコメブームをけん引したのはコン・ユやヒョンビン、チュ・ジフンなど、今も活躍を続けている若き俳優たちだった。チュ・ジフンは演技の経験がほとんどない状態で2006年に「宮~Love in Palace」というドラマにいきなり主演。しかし、終盤にかけてどんどん成長を見せ、大人気となった。日本でも5,000人規模のファン・ミーティングを開催したり、毎月のように韓流雑誌の表紙を飾るほどであった。その後、兵役につき、除隊後もドラマや映画で活躍していたが、ここ5年くらいのチュ・ジフンは、デビュー当時に多くのファンを沸かせたときよりも、もっと多様で充実した仕事をしているのではないかと思える。特に2016年の映画『アシュラ』では、チョン・ウソン、ファン・ジョンミン、クァク・ドウォンという一癖も二癖もある先輩俳優にくらいついた。今や映画の世界では、こうした先輩にも負けない存在感を放つ存在に成長し、『暗数殺人』などを観ても、キム・ユンソク相手に、一癖も二癖もある役を演じられる俳優へと変化している。またドラマの世界でも「キングダム」「ハイエナ」などに出演。特に「ハイエナ」では、自信過剰な若き弁護士を演じていて、ハイエナのような先輩弁護士のグムジャと出会い、その鼻をあかされながらも、成長していく。グムジャとの間柄も、仕事の関係性だけが描かれるのではなく、緊張感のある大人の恋愛が進んでいくのも見逃せない。同年代、いや韓国の俳優の中でも、セクシーで洗練された大人の存在感を、ときにちょっぴりユーモラスな部分もはさみつつ、自然と醸し出せる唯一無二の存在となったのではないだろうか。抑えた演技で魅せるチョ・スンウ2000年に映画『春香伝』でデビューしたチョ・スンウは、韓流ブームの頃は、その活動の場がミュージカルや舞台、そして映画に重きをおいていて、ドラマには出演していなかった。特に2005年の『マラソン』はマラソン大会に挑む自閉症の青年を演じ、高く評価されたし、ミュージカル「ジキル&ハイド」でも、最高のキャストと呼ばれるなど、誰かと比べられることなく、確固たる技術を持ち、実直に演技の仕事を重ねている人というイメージであった。個人的に気になるようになったのが2015年の映画『インサイダーズ/内部者たち』だった。この作品で、チョ・スンウは検事ではあるが、コネもなく、学閥にも入れず、それでも出世の糸口を見つけようともがく中で、イ・ビョンホン演じるヤクザのサングと出会い、ある事件を告発することになるという役を演じた。生きるために必死なことだけが共通点だが正反対のふたりの姿にくぎ付けになった。『インサイダーズ』を観ていても、チョ・スンウは比較的表情の変化を大げさに出さない俳優だと思っていたが、2017年に主演した「秘密の森」では、子どもの頃に受けた手術で感情を失った検事を演じていて、ますます表情の変化を出さない演技をしている。しかし、次第に相棒のハン・ヨジン刑事と行動を共にする中で、もしかしたら自分にも感情が沸いている瞬間があるのではないかと思えるようになる。そういうときに、垣間見せる安堵や喜びの表情は、筋肉を少し動かしただけであるのにも関わらず、こちらにはなぜかその心の動きがストレートに響く。大げさに表す感情よりも、何倍も伝わるものがあるのだ。目覚ましい進化を遂げるチョ・ジヌンチョ・ジヌンがデビューしたのは2004年の『マルチュク青春通り』と言われているが、長い間、出演本数は多いものの、目立つ役を演じていたわけではなかった。2010年前後からは「ソル薬局の息子たち」など、ホームドラマなどの出演も多くなる。今よりもふっくらしていて、気のいい親戚のお兄さんという雰囲気の役の印象が強かった。そんなチョ・ジヌンだが、2012年の映画『悪いやつら』に出演した頃から、少しずつノワール作品への出演も増えていく。特に2014年にイ・ソンギュンと共に主演した『最後まで行く』では、殺しても簡単には死なないくらいの、不気味な強さで圧倒的な存在感を示す。2016年のパク・チャヌクの『お嬢さん』にも抜擢されるなど、この頃からぐっと活躍の幅が広がり、主演作も多くなってくる。また2016年のドラマ「シグナル」でも注目され、数々のドラマ賞でも評価された。現在のチョ・ジヌンはシリアスでカッコよさを体現するような役も多い。かつて、ホームドラマで気のいい親戚のお兄さんという脇役を演じていたことが信じられないほどの目覚ましい変化である。特に2018年の主演作『毒戦 BELIEVER』では、麻薬取締官として、麻薬犯になりすまして、敵をあざむくシーンもある。ギリギリの危険な任務に就く取締官の過酷さも感じられたが、同時にそんな危険の中にいることの高揚感が漏れ出るような演技に魅せられた。近年も『完璧な他人』『王と道化師たち』『権力に告ぐ』などが次々と出演作が日本でも公開されている。韓国には数多の俳優が存在しているが、ドラマで人気を博したからと言って、主演映画が何本も続けて作られるような活躍を続けるのは難しい。そんな厳しい世界において、確固たる地位を確立したチョ・ジヌンは、個人的に今、もっとも新作が観たい俳優である。(text:西森路代)
2020年12月11日先日大好評のうちに終了したドラマ『MIU404』を執筆していたのが、脚本家の野木亜紀子さん。いま最も響くセリフを書く野木さんの魅力を、ライターの西森路代さんに聞きます。野木亜紀子の書くセリフがなぜ、いま私たちに響くのか。’16年から4年間、優れたテレビ番組を選ぶ「ギャラクシー賞」の選考委員を務めていたライターの西森路代さん。以降、それまで以上に熱心にドラマや映画を見るようになったそうで、当時まず目に留まったのが、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(’16年)。「テレビはわかりやすさが重要と思われているので、原作ものも、わかりやすく再構築されることが多いのですが、『逃げ恥』の場合は、原作の持つ主題を読み込み、ドラマを通じて言いたいことをより深めている、そんな印象を持ちました。このドラマの中に、石田ゆり子さん演じるキャリアウーマンの百合ちゃんの手掛ける化粧品の広告ビジュアルが、会社の上層部の判断で商品コンセプトに合わないピンク色に改悪されているというシーンもあり、それは原作にはない。でもこのシーンによって、見ている視聴者は自分たちと地続きの感覚も得ました。もしこの作品をほかの脚本家が作ったら、みくりと平匡さんの間の性別による役割分業の話なんかも薄くなったかもしれない。『逃げ恥』のときの野木さんの脚本には、原作にある問題意識を掘り起こし、かつ視聴者との距離を縮める力を感じました」いま野木さんの作品に支持が集まる理由の一つに、彼女が持つ“社会への批評的な眼差し”が脚本に反映されており、本質をつくようなセリフがあること、と西森さん。「例えば一番最近の『MIU404』は、それが顕著です。月収14万円で暮らす女性や日本で働く外国人労働者といった、社会からこぼれ落ちてしまいそうな人たちの問題を描いている。しかも、耳触りの良い癒し的な言葉ではなく、厳しい現実に気づき、はっとさせられるセリフを書く。問題に蓋をし目をそむけるのではなく、見ている側も他人事にしないで考えていこう、という野木さんの意志を感じました」一昨年の秋に放送された『獣になれない私たち』では、日本の若い世代の働き方や恋愛のリアルを盛り込んだ脚本が、大いに話題に。「主人公の晶(新垣結衣)の恋人・京谷(田中圭)の家には、前カノの朱里(黒木華)が住み着いていて、出ていかない。晶と朱里が、お互いに自身の思いや葛藤を吐露し合うシーンで、恋人を挟み反目し合う関係にもかかわらず、晶は相手も生きづらさを抱えていることに気がつき、“私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね”というセリフをつぶやきます。そのひと言によって、見ている日本の女性たちにも、“自分が思うままに生きてこられなかったのではないか”“これでいいんだろうか”と気づかせたのではないでしょうか。また同じ年の春のドラマ『アンナチュラル』は、殺伐とした日常の中でも“食べること”が随所に描かれるのですが、“食事”が、主人公・ミコト(石原さとみ)の絶望を救う小さな鍵になっている。なんでもないシーンなんですけど、妙に刺さるんです。これら3作の脚本からもわかるように、野木さんのセリフには、懸命に生きているのにままならない自分たちや、弱い立場の人たちへの眼差しが、確実にある。そこが、いま多くの人の心に響く大きな理由ではないでしょうか」絶望してる暇あったら、美味いもん食べて寝るかな『アンナチュラル』(2018年)法医解剖医のミコトを中心に、UDIラボで不自然な死を解明していくドラマ。このセリフは第2話、ラボのメンバーである夕子(市川実日子)に「絶望しないのか?」と問いかけられたときの、ミコトのセリフ。悟ったような諦めたような表情が印象的。私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね『獣になれない私たち』(2018年)第7話、部屋に転がり込んできた朱里と、晶が夜中に語り合うシーン。仕事や恋など、これまでの経験をお互いに口にする中で、朱里の言葉を聞いた晶が口にするセリフ。本当に、自分たちは主体的に生きているのか、それを自問自答する言葉が、私たちの胸にも響く。ジャパニーズドリームは全部嘘だ『MIU404』(2020年)警視庁機動捜査隊に属する伊吹(綾野剛)と志摩(星野源)の刑事バディドラマ。第5話、ベトナムから来日し日本で働く女性が登場。借金を負い日本語学校で事務員をする男(渡辺大知)が、日本における外国人労働者の過酷な状況に絶望し、叫ぶセリフ。にしもり・みちよフリーライター。ドラマや映画など、エンタメにまつわる批評を数多く手掛ける。『ユリイカ』(青土社)9月号、「女オタクの現在」特集にも寄稿を。※『anan』2020年9月23日号より。写真・中島慶子イラスト・石山さやかサイトウユウスケ(by anan編集部)
2020年09月21日《text:西森路代》あと数話でいよいよ佳境を迎える「MIU404」。最終回がきてしまうのが寂しく、いつまでも見ていたいと思わせるこのドラマの中で、そう思わせてしまう理由として、やはり伊吹と志摩のキャラクターや関係性というものは大きいだろう。性格が正反対、過去に何かがあった二人物語が始まったころは、お互いにまったく知らない同士が突然、組まされてしまったことから、それぞれの過去に謎が多く、伊吹と志摩にとっても、そして視聴者にとっても、わかっている情報は少なかった。二人が組まされた当初は、志摩が署内のあちこちに伊吹について聞いても誰も一様に口が重く、しいて言えば「足が速い」というエピソードが得られるだけだった。ただ、実際に伊吹にあってみると、そこまで感じが悪いわけではなく、マイペースな伊吹にあてられて、ちょっとあっけないというような、ほっとしたような顔を見せる志摩がいた。一話では、伊吹に粗暴なところがあり、かつては捜査中に拳銃を抜いたことがあるということもわかる。そして何より伊吹には、志摩にはない勘の鋭さがあるということが描かれている。一方で志摩は新人の九重からも「優秀だった」と過去形で語られるような人物だ。また、伊吹が破天荒で野性的なところがあるのに対し、志摩は慎重でルールや規則に忠実。志摩は理屈が勝っている人のようにも描かれる。伊吹と志摩は、組んだ初日に車で捜査に出るが、伊吹の運転は案の定粗く、街中で派手にクラッシュする。しかし、志摩もその後、捜査中にもっと派手な事故を起こし、結局はその後、ふたりが捜査でメロンパンの営業車を使うきっかけとなるのだが、このシーンは、規範にがんじがらめな志摩が、規範を超えた伊吹に、知らず知らずに「感電」しはじめているように思えるものであった。それは、相棒を組んで一日の勤務が終わり、上司である隊長から、伊吹の適正について尋ねられた志摩が彼を「バカですね」といいつつも、「ひとまず、保留でお願いします」といいうところからもわかる。志摩は、どこか楽しそうにその伊吹との一日を振り返っているようにもみえた。同じ痛みを知ることで本物の「相棒」へと近づくその後は、ふたりのより深くてつらい過去や現在が見えてくる。例えば志摩は、署内で「相棒殺し」と呼ばれていた。それは何かの比喩であり、真実ではないと思っていた伊吹だったが、実際にあったことだとわかる。しかも、志摩にもその相棒の死の全貌はわかっていない。そして、彼に対して自分に何かできたことがあったのではないか、死へ向かうスイッチを自分が押してしまったのではないか、分岐点があったのではないかという後悔があったからこそ、誰にも過去を言えずにいたのだった。伊吹の屈託のない性格はそれを乗り越える。九重や陣馬の協力もあり、相棒の死の理由があきらかになる。それは、志摩が考えていたものは違っていた。事実がわかった後、屋上で伊吹が「安心しろ、俺の生命線は長い」と志摩におどけて手のひらを見せるシーンに、もう相棒が死ぬなんてことを考えないでいいよと言っているような、今の相棒は僕だよと言っているような優しさと、それ以上の感情が見えた。伊吹にもつらいことは起こる。少年時代に自分を信じてくれ、刑事になるきっかけをくれた元刑事が、連続殺人事件を追っていく中で、関係者として浮上し、しかも話を聞いていくうちに、その事件の根幹にかかわっていたことが見えてくるのだった。志摩は彼を疑うが、伊吹には疑問を心の底で持ちつつも、どうしても疑うことができない。しかし、何かに気づきながらも感情でその気持ちに蓋をしている伊吹をみて、これまで彼が「勘」や「感覚」でものを言っていると思われていたことが、実は「動体視覚や聴覚や嗅覚が鋭い分、人より多くの情報が脳に入る」が「思考力と語彙力が足りないせいで、論理だてて説明ができない。うまく言語化できない」ことだったのだと志摩は気づくのだった。そして、かつて世話になった刑事が犯人だとわかったとき、伊吹もまた、自分が彼に対して何かしていれば、分岐点を間違うことがなかったのではないか、よいスイッチを押せたのではないかという、志摩と同じ痛みを持つ(刑事は、彼のせいではないと告げるシーンはあるが)。ふたりは、感覚派と理論派で、まったく正反対の性格ながら、同じ痛みを知る者同士となった。それは悲しいことだが、だからこそ、お互いを補いあってより本物の「相棒」へと一歩、一歩と近づいていっているのだろう。ふたりが本物の「相棒」になったのはどこなのかという議論があれば、それはここだと様々な箇所があげられることだろう。しかし、一話で二人が地下の駐車場で言葉を交わしたときから、ふたりには何か感じるものがあったのではないかと思える。「MIU404」第9話あらすじ桔梗の自宅に盗聴器が仕掛けられた一件が進展する中、伊吹、志摩らのもとに、虚偽通報事件で逃走中の高校生・成川が暴力団の関係先に出入りしているという情報が入る。成川を取り逃がしたことに責任を感じていた九重は捜査を志願し、陣馬と共に成川を捜し出そうとするが…。一方、成川は久住の世話になりながら、ナウチューバ―・RECに接触し、賞金一千万がかけられた羽野麦の捜索を依頼する。そんな中、桔梗宅への住居侵入事件の主犯が、エトリと繋がりのある辰井組の組員だったことが分かり、関係各所への一斉ガサ入れが決行される。桔梗はエトリを再び取り逃がすことを恐れ、伊吹、志摩らにエトリにつながる人物を探すように命じるが…。(text:西森路代)
2020年08月21日《text:西森路代》『パラサイト』が米アカデミー賞で作品賞など4部門を受賞により話題となっている。そんな中、もっといろんな韓国映画を見てみたいと思い始めたけれど、何から手をつければいいか迷っている人も多いのでは。コロナウィルスの影響で、仕事がテレワークとなったり、自宅で過ごす時間も多くなった今、入門編から、中級編、上級編とわけ、気軽に見れるものから、見ごたえのある作品まで、6本の韓国映画をオススメします。入門編『サニー 永遠の仲間たち』この作品は、日本でも篠原涼子主演、大根仁監督で2018年に『SUNNY 強い気持ち・強い愛』というタイトルでリメイクされたから知っている人も多いのでは。元になった韓国映画は2011年に公開された。がんで余命いくばくもない40代の女性が、同級生たちと再会し、過去の思い出とともに紡がれるストーリーだ。かつては輝いていて希望に満ち溢れた「サニー」と呼ばれるグループの仲間たちも、今やそれぞれが人生の岐路に立たされていた。あるものは結婚したものの夫に浮気されていたり。またあるものは、かつてはミス・コリアにあこがれていたが、今は酒場で働き、生活は安定していない。こんな風に、決して順風満帆ではない人生を送っている女性たちのリアルを描きつつ、仲間が再会したことで、少しだけ前に向いて歩きだす姿に心をゆさぶられる。『グッバイ・シングル』韓国のスター、キム・ヘスがわがままなトップ女優に扮し、また彼女を支えるスタイリストをマーベルの『エターナルズ』に出演することも決まっているマ・ドンソクが演じたコミカルな一作。ある日女優のジュヨンは仕事も落ち目で年下の彼氏にもふられ、自分だけの味方を作りたいと妊娠を計画する。彼女は妊娠を発表することになるが、それは偽装で、とある望まぬ妊娠をした少女の子供を自分のところで隠れて引き取ろうとしていたのだった…。わがままな女優と少女が同居生活を始め、当初は反発しあうときもあったが、次第に姉妹か親子かというような関係性になっていくのが見もののシスターフッドな作品。普段は強くて正義感ある姿がトレードマークのマ・ドンソクの、わがままな女優に振り回されつつも、細やかな気遣いを忘れない新境地のキャラクターにも注目だ。中級編『新感染 ファイナル・エクスプレス』ソウルと釜山を結ぶ高速鉄道で、謎のウィルスの感染によって乗客がパニックに陥る様子を描いた作品。要はゾンビ映画と言っていいだろう。主演は、今年『82年生まれ、キム・ジヨン』の公開も決まっているコン・ユ。彼が演じる役は仕事にあけくれ決して模範的とはいいがたい父親だった。そんな彼が娘を連れて高速鉄道に乗り釜山に向かう中で、自身の父親としての在り方についても気づいていく。先述の『グッバイ・シングル』にも出演のマ・ドンソクの繰り広げる力強いアクションや、「気は優しくて力持ち」なキャラクターにも注目だ。パニック映画として、終始ハラハラドキドキもできるし、その中にある人間ドラマにも深みがあって、満足度が高い一作。また『パラサイト』でソン・ガンホの長男役を演じたチェ・ウシクも重要な役どころで登場するので目が離せない。『タクシー運転手 約束は海を越えて』『パラサイト 半地下の家族』のソン・ガンホ主演。韓国で実際に起こった光州事件当時のソウルと光州を描く。タクシー運転手として、娘とつつましいながらも幸せに暮らしていた主人公のマンソプが、ひょんなきっかけから、ドイツ人記者のピーターを乗せて光州に向かうことに。しかし、光州に到着してみると、そこは警戒軍が民衆に向かって発砲を繰り広げる、武装闘争の場となっていた。自分の半径数メートルの幸せを求めていたマンソプも、この事態を見て、自分だけではどうにもできないことがあるという憤りを感じることとなる。平和な状況に満足していたならば響かないかもしれないが、何らかの危機感を感じているものならば、自分はそんなときにどうあればよいのかを考えさせられ、心にズシっとしたものを感じさせる。上級編『新しき世界』ファン・ジョンミンとイ・ジョンジェが主演。犯罪組織に属するイ・ジャソンとチョン・チョン。しかし、ジャソンは警察から捜査を任された潜入捜査官であった。こう書くと、香港の『インファナル・アフェア』を思い起こさせるものがあるが、こうした潜入捜査官ものの物語を更新し、また韓国ノワールというジャンルを確立した一作と言っても過言ではないだろう。可愛げがあって憎めないチョン・チョンと、そんなチョン・チョンにやれやれ感で応じるクールなジャソンのキャラクターの対比も良いが、そんな2人が友情というだけではとどまらない気持ちを持ちつつも、ジャソンが潜入捜査官であるという秘密を抱え持っていることで起こる悲劇。そして彼がどう運命を受け入れるのか…。とにかく描かれている気持ちが濃くて何度でも見てしまいたくなる。『生き残るための3つの取引』先述の『新しき世界』の監督のパク・フンジョンが脚本を担当し、『ベテラン』など、今や韓国のアクション映画の代表格となったリュ・スンワンが監督をした一作。凄惨な連続殺人事件が起こり、その容疑者をある刑事が過って射殺してしまう。警察庁広域捜査隊のチョルギ刑事(ファン・ジョンミン)は、警察庁から依頼され、その連続殺人事件の犯人をでっちあげるという暴挙に出る。チョルギは作戦を実行するため、元暴力団の不動産会社社長チャン・ソック(ユ・ヘジン)に協力を仰ぐ。一方、検事のチュ・ヤン(リュ・スンボム)は自らも賄賂を受け取る汚職検事であるが、チョルギを不信に思い彼を追う。正義をベースに進む韓国映画が昨今は多い中、正義のない3人の男の運命を描くという複雑な作品だけに、上級編としておススメしたい。(text:西森路代)■関連作品:生き残るための3つの取引 2011年4月29日より銀座シネパトス、シネマート新宿ほか全国にて公開© 2010 CJ Entertainment Inc. All Rights Reservedサニー 永遠の仲間たち 2012年5月19日よりBunkamuraル・シネマ 、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開© 2011 CJ E&M Corporation. All Rights Reserved新しき世界 2014年2月1日より、丸の内TOEIシネマート新宿ほか全国にて公開© 2012 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & SANAI PICTURES Co. Ltd. All Rights Reserved.新感染 ファイナル・エクスプレス 2017年9月1日より新宿ピカデリーほか全国にて公開© 2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved.タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜 2018年4月21日よりシネマート新宿ほか全国にて公開© 2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.
2020年04月08日《text:西森路代》山田裕貴のことを「そこにいるだけでその場が彼(この場合は村山を指していたが)の空気になる」と言ったのは、映画『HiGH&LOW』シリーズや『HiGH&LOW THE WORST』の監督・久保茂昭である。筆者が彼の存在を意識するようになったのは、五反田団の前田司郎が演出した2016年の舞台「宮本武蔵(完全版)」であった。山田裕貴が演じることで際立つ役の“人間性”この舞台の中で山田さんは主人公である宮本武蔵を演じたのだか、この舞台の宮本武蔵は単に剣豪や伝説的なヒーローというものではない。普段は友人たちと普通に日常を楽しむ当時の若者として登場するのだが、時代が時代とはいえ、人を何人も斬るというのは、どういう心理状態、メンタルの持ち主だったのだろうと思わせる出来事がじわじわと示される。そしてそんな日常にひそむ歪な感情と、でもそれは誰にもどうすることもできないという複雑さ。そんな武蔵のことを見守る伊織(金子岳憲)との関係性がせつなくも、温かくも描かれていた。こう書くとシリアスな展開にみえるが、山田さん演じる武蔵のひょうひょうとした日常があるからこそ、人を斬って生きている武蔵から、どうしようもない強い人間性が際立ってみえた。この舞台に出る前に、山田さんは前田氏のワークショップに参加し、「役半分・自分半分」という考え方を学んだそうだ。思えば、このときから、山田さんはその場を彼の空気にするということに繋がっていたのかもしれない。『HiGH&LOW』シリーズで大きく飛躍次に彼の作品で思い出すのは、ドラマ「伊藤くん A to E」での、相田聡子(池田エライザ)と神保実希(夏帆)との間で揺れるクズ男であった。このドラマに登場する男性たち(田中圭、中村倫也、岡田将生)はどの人物もクズだらけなのだが、山田さんはそんな中でも、ある種の男性の甘えの見えるクズをやりきっていたし、そのことで女性たちの心に変化をもたらしていた。なにより、山田さんの知名度を上げたのは、冒頭でも触れた『HiGH&LOW』シリーズだろう。本作は、事前にプロデューサーや脚本家たちが、ひとりひとりと面談し、その本人から感じ取った印象からキャラクター作りをしたと言われている。また、その上で、撮影現場で出てきた俳優のアイディアが採用されることもあり、自分の役作りがいかされるほか、俳優の持つ個性が引き出され、役がもう一人の別の自分のようになっていく作品でもある。この作品では、たくさんの若手俳優が出演し、その存在をアピールしてきた。そんな中でも、特に愛され、大きくなっていったのが、山田さんの演じる村山良樹だろう。『HiGH&LOW』シリーズはそんなスタイルで撮っているからこそ、いまも新たな若手が参加し、ここで存在感を少しでも多く示そうと切磋琢磨し、その結果、次世代を担う若手がどんどん生まれる場所になりつつあるが、そんな空気を作ったのは、山田さんのような前例があったからかもしれない。“自分”を演じ、物語の中に存在する2019年は、朝ドラ「なつぞら」に、ヒロインの幼なじみの雪次郎役で出演。しかも、雪次郎は、ヒロインとともに上京した後、岐路に立たされた週は、「雪次郎の乱」と呼ばれるほどの話題となった。山田さん自身も土曜スタジオパークで「シンクロ率100%」「雪次郎の発してるセリフが自分のものかのように思える」と語っていたが、朝ドラがある週では、やはり「彼の物語」になっていた。昨今の俳優を形容する言葉で「カメレオン俳優」という言葉もある。彼もそう呼ばれることもある。2017年にはたくさんの役を演じたし、その幅が確かに広かったから、その表現ももちろん彼を表すひとつであるとは思う。しかし、11月の初旬から上演されている舞台「終わりのない」、をみて彼はむしろ、彼の持つ独特の空気のままに、物語の中に存在するタイプであり、そんな強い彼の個性がいま、求められるのではないかと確信した。そして、この舞台は、まさに彼の物語であった。様々な世界で生き、様々な状態の自分を演じる山田さんが、どこの世界にあっても、山田さんそのものであること、彼であることが重要な物語であり、まさに「その場を彼の空気にする」ことが求められている舞台だと思った。(text:西森路代)
2019年11月08日9月に最終回を迎えた『凪のお暇』は、人気コミックが原作のドラマであったが、原作とドラマの違いとは何だったのだろうか。現在6巻まで出ている原作を読んでみて思ったのは、原作はまだ旅の途中であるが、ドラマは夏に放送されたこともあり、「夏休み」を「お暇」に重ねて描き、それがいつかは「終わる」ということにポイントがあると感じた。「夏休み」は終わるものである。だいたいのドラマもワンクールで終わるものだからドラマではよく「夏休み」をモラトリアムやいつかは終わるものの象徴として描いたり、終わったときに登場人物が成長しているものになっているということはよくある。ドラマの『凪のお暇』も、「夏休み」=「お暇」が終わるときに、凪(黒木華)をはじめ、登場人物は、何かを見つけて前を向いてあるいていく性格がより濃くなっていたのではないだろうか。原作漫画はまだ終わってはいないのだが、ドラマは終わるからこそ、凪だけでなく、凪以外の人たちにも同じように「夏休み」の終わりには、何かの変化が訪れることが一話から明確に描かれていたと思う。変化を描くためには、その人の弱点もあからさまに描かれたほうが、視聴者に伝わりやすい。凪の場合は空気を読みすぎて、同僚に対しても、あわせすぎて関係性がぎくしゃくしていることが描かれていた。彼氏である慎二(高橋一生)にも、思ったことを言えず、自分を偽って接していたが、それだけが自分の切り札だと思っていた。いっぽうの慎二は、「空気は作るもの」とうそぶき、なんでも卒なくこなし、同僚の男性の間でもマウントをとるようなふりをしていたが、心の中には澱が溜まっているということが描かれていた。だからこそ、慎二は原作よりもとにかくよく泣いていた。また、凪が引っ越した先で出会うゴン(中村倫也)は、イベントオーガナイザーで、女性関係が激しく、「メンヘラ製造機」と呼ばれていた。誰とでも仲良くなれるオープンマインドだが、人を本気で好きになったことがないという性質でもあった。原作では、主人公の凪の変化が中心に描かれているし、まだ終わっておらず続いていくものなので慎二もゴンもはっきりとした進路は描かれないが、ドラマでは凪だけでなく、慎二やゴンもどう変化していくかに、きっちり落とし前をつけていた。そのことで最終回を見て、いろんな意味でスッキリした気分になれた。最終回、凪は取り壊しによってアパートを離れ新たな道を歩んでいく。ゴンは凪に出会ったことで自分にも誰かを本気で向き合う気持ちがあると気づけたし、お隣の緑さんもまた家族との長い確執を乗り越え故郷に向かい、またドラマの中では凪に空気を読ませることを強要する嫌な同僚として描かれた足達さんや、仕事ができるが常に周囲にあざといと思われている恋敵として描かれた市川円が、オフィスのはみだしもの同士として友情が芽生えるかも?というシーンまで用意してくれていて、個人的にはありがたかった。なぜなら、悪役、敵役の駒としてだけ存在しているキャラクターには胸が痛むからだ。そうやって、誰もが「長いお暇」を終え新たな道を歩んでいく。仲でも特筆すべきは慎二である。ドラマを第1話から見ていると、凪よりもいろいろなものをこじらせて路頭に迷っているのは慎二のほうではないかと思えていたが、慎二もまた「お暇」の期間を過ごしたことで、凪と同じように空気にとらわれている人間であり、壊れる寸前だったことに気付くのである。だからあんなに泣きじゃくっていたのだ。しかし、泣けるということは、自分の感情を無視せず向き合っているという証拠でもある。泣いて泣いて自分の気持ちに向き合って、慎二も前を向いて歩んでいく結末となったし、最後には凪と慎二は“空気とかそんなの関係なく”純粋に一緒に楽しく過ごすためにデートをすることになる。ここで慎二は心の中を素直にさらけ出して笑いあうこともできたし、最後に凪とハグをするかしないかで小さな言い争いもできるようになっていた。この言い争いのシーンを見て、凪と慎二の間に、よくあるハッピーなラブコメのような、「ケンカしてるけど一番よくわかりあっている」ふたりの空気を感じた。ふたりは完全に別れ、別々の道を歩む結末にたどり着いたが、ふたりが心の中の膿を出し切って、素で会話できるようになったのであれば、もし偶然に再会しても、恋愛感情のあるなしにこだわらず良い関係が築けるのではないかという気さえした。良い「お暇」の終わりであった。【PROFILE】西森路代(にしもり みちよ)ライター。1972年愛媛県生まれ。大学卒業後、テレビ局でのOL時代を経て上京。編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーライターに。俳優や監督へのインタビューやテレビ、映画についてのコラムを主に執筆。現在、朝日新聞、TVBros.などで連載を持つ。
2019年10月29日現在、業界の根本的な改革を求められているお笑い界。先月には、その旧体質を象徴するようなこんな事件があった。若手お笑いコンビ「カフカと知恵の輪」の小保内太紀(26)は、ライブのフリートークで、相方の女性が、ほかの男性芸人から「エロい」などのいじりを受けたと6月15日にTwitterに投稿した。「カフカと知恵の輪」は今年組み始めた若いコンビであるにも関わらず、このツイートは6,000回以上リツイートされ、90件を超えるコメントが付いた。今回の話題以外にも、女性芸人への容姿や性別によるいじりは日常化していて、異を唱えることすら最近までは難しかったのではないだろうか。■女性芸人のなかには“性別いじり”にNOを突き付ける人もそんな状況に対して、ふとしたときに異を唱える女性芸人もいる。Aマッソ・加納愛子(30)は、2018年2月10日に放送された『ゴッドタン』(テレビ東京系)でこう語った。「面白いと思われたいのに、番組アンケートが全部『彼氏いますか』『つきあった人数何人ですか』とかしかない」「デブとブスしか求められてないんですよ、結局」また、にゃんこスターのアンゴラ村長(25)は、2017年11月29日放送の『1周回って知らない話 旬の女芸人&大物俳優は謎だらけSP』(日本テレビ系)で、尼神インターの誠子(30)から「『かわいい芸人出てきた』みたいに言われてますけど、あんた、そないやで」と言われると、「顔とか生まれとか、変えられないものをさげすむのはちょっとなんか古い」と返して話題となった。これらのエピソードは、バラエティ番組で新鮮なエピソードやバトルを求められて出てきたものともとれるし、2017年の古い話を何度も記事で取り上げて、その話題のイメージだけが独り歩きすることは申し訳ないとも思う。しかし、これも彼女たちが感じていることの一部だし、そんなことを気にせずに、思う存分、自分の追求する笑いが作りたいというのが本音ではないだろうか。■“いじり”が正当化されるのはお笑い業界だけこうしたエピソードからお笑い業界の旧体質が話題になると、「男性芸人だって姿かたちでいじられている」「本人もそれがキャラクターでいじられておいしいんだから、外部が言うことではない」「そんなしばりがあると面白くなくなる」という意見も出てくる。日常ではこんなことはやめようと言われていることが、なぜかお笑いではまだまだアリになっている状況なのだ。これは、テレビのひな壇や、たくさんの芸人が出るライブでのトークコーナーで、「いじる」ことがお約束になっていたり、誰もが笑いのために、弱点でもなんでもさらけだし、とにかくウケることがその場にいる人たち全体への貢献となると考えているという状況から波及しているのではないだろうか。■若手芸人は“女芸人だから”と思いこまないしかし、こうした状況に異を唱える若手芸人も少しではあるが増えてきた。冒頭で紹介したカフカと知恵の輪の小保内は、ハフィントンポストのインタビューに対し、こう語っている。「女性が舞台に上がると『女芸人』とくくられてしまうんですよ。お笑いにおいて女性が少ないという男女比率的なこともあって、『女である』がキャラのように扱われてしまうと感じていました」また筆者が雑誌『芸人芸人芸人』(コスミック出版)でゆりやんレトリィバァ(28)に取材した際“女芸人枠”でくくられることについて「女が面白くないってことはないし、女やからできることもあるし、女捨てることもないし」「最近はほんと『関係ないね!』って感じで」と語っていた。■お笑い業界の“旧体質”は徐々に変化お笑いの世界を離れて世の中や特にSNSを見てみると、容姿や性別でいじることや、女性にだけ強いられる様々なことに対して、NOを言う人々は増えている。また、実際にも、多くの若手芸人(男女ともに)のコンテストなどで見るネタの中にも、容姿や性別を笑いにするネタはかなり減っていて、それがなくても(ないからこそかもしれないが)笑える、精度の高いネタの多さに舌を巻く。そんな状況があるからこそ、「テレビの容姿いじり、性別によるいじりが多くて見るのをやめた」という話を聞くと、個人レベルでのネタづくりにおいての意識は変わってきているのにと、お笑いファンとして「残念」な気持ちもなる。自然な流れで変わろうとしている芸人、いじりや因習なしで次々と面白い芸を作り出している芸人のためにも、お笑い界、テレビバラエティも変わるべき部分では変わっていかなくてはならないのではないだろうか。【PROFILE】西森路代(にしもり みちよ)ライター。1972年愛媛県生まれ。大学卒業後、テレビ局でのOL時代を経て上京。編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーライターに。俳優や監督へのインタビューやテレビ、映画についてのコラムを主に執筆。現在、朝日新聞、TVBros.などで連載を持つ。
2019年07月03日4月からスタートしたNHKの連続ドラマ小説『なつぞら』。戦災孤児のなつというヒロインが、十勝で育ち、やがて日本初の女性アニメーターになるまでを描いている。そのなつが父の戦友に連れられて家族となる柴田家には、なつと同じ年の夕見子という長女がいた。新たに家族となる家に同じ年の同性がおり、諍いが怒る作品は多々あるが、本作ではどう描かれているだろうか。【なつと夕見子、2人の全く違う女性像が一つの家に同居する】『なつぞら』の夕見子は、同い年のなつが家にやってきてすぐの2話では、自分の洋服を貸してあげることに渋い顔をし、母親に向かって「それは大事にしているものだから絶対にやりたくない」「ずるい」と泣いて訴える。なつは家においてもらっているという負い目があるため、酪農を手伝い家族の中での優等生になっていく。しかし、このドラマでは二人の関係性は徐々に変わっていく。第4話では、夕見子が父・剛男から「父親が戦争で死んだのが、たまたまなつの父親であっただけで、自分が死んでもおかしくない。だから夕見子となつが入れ替わる可能性だってある」と説かれて、夕見子はなつを受け入れる決心をするのだ。二人の性格はまったく違う。なつは、境遇からどうしても健気に生きるしかないが、夕見子は自尊心が高く、冷静な目線を子供のころから持っている。大人同士の農協をめぐる諍いでも、思ったことははっきり言う。そんな竹を割ったような性格だからこそ、時にはなつにするどい指摘をしながら、姉妹のように暮らしている。【“家に縛られない姉妹役”という新しい女性像】やがて成長したなつは牛の世話をしてきたことから農業高校に、夕見子は進学を考えて普通科のある高校に通うように。高校卒業を間近に控えると、なつは絵の道を頭の中でちらつかせながらも、家の仕事を続けるか考えていたときに、祖父から血のつながらない兄との結婚によって、後継ぎになってほしいと言われるのだ。歴史ドラマであれば、誰が家を継ぐか、選ばれるかということで争いが起こるものだが、『なつぞら』の夕見子となつの間ではそれは起こっていない。なぜなら、夕見子が、家に縛られるのをもっとも嫌がっているキャラクターになっているからだ。もしかすると夕見子は、なつが家族の期待に沿う方向で生きているからこそ、自分は家に縛られず勉強に道を見つけることで、同じ土俵で比べられることを回避しているのかもしれない。もしかしたら、お互いが自浄作用でまったく別の生き方を求めているのだろうかとも思えてくる。だが、夕見子とてなつを家に縛りたいわけではない。ときおり、「あんたにだって人生選ぶ権利はあるんだからね」「やるなら自分のためにやんなよ、じいちゃんのためとかごまかしてないでさ。それなら私も応援してやる」となつを励ますことがあるのだが、そんな夕見子の言葉を受けて、なつの人生が今後どんな風にアニメーターという選択へと向かっていくのかが気になるところである。【『獣なれ』、『ガガガ』でも描かれる“立場の違う女性たちがお互いを理解し合う”道 】最近は『なつぞら』以外にも、まったく交わらなさそうな女性同士、いわばこれまでのドラマでは、いがみ合ってしまいそうな女性たちであっても、お互いの誤解が解ければ、いがみあう必要がないと描かれている作品が多いと感じる。例えば、去年放送された『獣になれない私たち』(日本テレビ系)では、当初はヒロイン(真面目なOL)と、その彼氏の元彼女(引きこもりニート)は、相いれない関係性のように見えていたが、実は彼氏の存在によって、同じように前に進めなくなっていた者同士だとわかり、シンパシーが生まれ急接近する。また、今年放送の『トクサツガガガ』(NHKドラマ10)では、ヒロインの職場にいるぶっきらぼうな同僚が、実は単にアイドルオタクであることを隠そうとしているがために、同じオタクでもスタンスが違うからと敬遠していただけとわかり、やはり友情をはぐくみ始めるという描写があった。これらの作品の女性たちは、今までであれば、恋愛や趣味・仕事へのスタンスの違いだけが強調されていて、歩み寄ることはないまま終わっていたのかもしれない。しかし、昨今は、それぞれのキャラクターが、価値観に違いがあることを自覚している。自分の価値観を口にしてわかり合えば、決して仲たがいする必要がないのだとわかる。現在、放送中の『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)などにしても、ワーキングマザーであれ、独身者であれ、正規社員であれ、派遣社員であれ、それぞれの事情や働き方に対する考えの違いで分断させられる必要はないというメッセージを感じる。これからのドラマには、こうした視線のものが少しずつ増えていくのではないだろうか。(文:西森路代)【PROFILE】西森路代(にしもり みちよ)ライター。1972年愛媛県生まれ。大学卒業後、テレビ局でのOL時代を経て上京。編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーライターに。俳優や監督へのインタビューやテレビ、映画についてのコラムを主に執筆。現在、朝日新聞、TVBros.などで連載を持つ。
2019年05月16日●土砂降りにあって、CMのように海に飛び込んだ2007年の俳優デビュー以来、様々な作品で活躍を見せる俳優・永山絢斗。どこか文学的な佇まいで存在感を発揮している。NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』では、繊細で几帳面なヒロインの夫を演じ、幅広い層に支持された。そんな永山が出演する最新映画『海辺の生と死』(7月29日公開)は、映画化もされた島尾敏雄の私小説『死の棘』に、その妻・島尾ミホの小説『海辺の生と死』、俊雄の短編『島の果て』などの内容を織り交ぜて描かれた作品。第二次世界大戦中の奄美群島・カゲロウ島(加計呂麻島がモデル)に駐屯してきた海軍特攻艇の朔中尉(永山)と、国民学校教員の大平トエ(満島ひかり)が出会い、愛を育んでいく。『死の棘』では、夫の浮気をきっかけに究極に追い詰められている夫婦の姿が描かれたが、同作では2人の出会いとも言える島の青春と恋が、奄美という場所で繰り広げられる。実在の人物をモデルに、やがて追い詰められることがわかっている恋人たちを、永山はどのような気持ちで演じたのだろうか。○予定より早く坊主に――原作や台本を読んでの最初の印象はいかがでしたか?台本を先に読んで、その後、島尾ミホさんが書かれた『海辺の生と死』を読み返しました。台本もすごく文学的に書かれていて、気持ちの良いような悪いような……せつない恋愛の話だと思いました。今まで見たり演じたりしたことのある戦争映画とは違っているとも思いました。台本には、歌や、細かい自然への描写なんかも書いてありましたけど、そこは想像しかできないので、奄美という島に行ってしまうのが早いのではないかと思って、予定よりも早く坊主にして奄美に入りました。――やっぱり行くと違いましたか?違いましたね。石垣や西表など南の島には行ったことはありますが、どの場所ともどこか色が違うなと思いました。「なんだろうこの島は」と思って、初日か2日目に、島尾敏雄顕彰会の方とスタッフさんと、加計呂麻島の実際の学校にいって、その後、ひとりで帰ろうとフェリー乗り場で待ってたんです。そしたら急に土砂降りになって、かと思ったらまたぱっかーんと晴れて。それを見て何を思ったか、服を脱いで防波堤を走って、海に飛び込みたくなってしまったんですよ。なんかCMみたいだなとは思いながら(笑)。実際に飛び込んだら、海から陸に上がるまでにけっこう距離があって怖くなって。結局、びしょびしょでフェリーを待ち、その後バスに乗ってホテルまで戻りました。それが、奄美での始まりだったんです。――その後はどんな風に過ごしたんですか?島を探索しましたね。加計呂麻島には、島尾敏雄さんとミホさんのお墓があって、そこをよく掃除しに行ったりしました。あとは、島の古本屋で島尾敏雄さんの本の初版を持ってるのに欲しくなって買ったり、詩集を買って海辺で読んだり。――実際に生きていた人を演じるわけですけど、そういう小説や詩集を読んだことは、演じる上で生かされましたか?景色とか虫とかブランコだったり、かわいらしい言葉遊びだったりが書いてある一方で、ものすごく破滅的な怖い部分もあって、そういう言葉選びをする人なのだということは考えたりはしていました。図書館の中に、島尾敏雄記念室があって、そこに畳と実際に書いていた机が置いてあったので、「演じさせていただきます」という気持ちで見たりしていました。でも、プレッシャーはなかったです。実は、初めて実在する人物を演じるので、いままでとはちょっと違う感覚でした。●どんどん顔が変わっていった、満島ひかり○「なんという顔をするんだ」と思いながら――島尾ミホさんをモデルにしたトエさんの人となりを、どう感じられました?最初お話いただいたときに、『死の棘』の、あんな激しい2人のお話をやるのかって思ったんですけど、詳しく聞いたら、2人が出会ったところから戦争が終わるところの、キラキラした部分の話だということで。もし続編があるなら、そういうことも考えて演じると思いますが、今回は『死の棘』のような世界がその後に待っていることは、あまり意識せずに演じました。それに、この作品を撮り終えるまでは『死の棘』を観返さないようにしようと思いました。――撮影中で覚えていることはありますか?現場でやってたことに真実味があって、それをカメラで撮られてただけという感覚はあります。僕が演じる朔が外に出て煙草を吸っていて、トエさん(満島)が少しずつ精神的に追い込まれ、僕を押さえつけるシーンがあるんですけど、そこはこの映画の中に描かれる、唯一の『死の棘』であり、「『死の棘』の始まりを描くシーンだから」と監督から言われて、みんな興奮しながら撮影してましたね。それと、僕の目を通してみた画が本当に素敵だったなと思っていて。トエさんはなんという顔をするんだと思いながら見てました。トエさんの涙が僕の顔に落ちてくるくらい、真に迫っていて。ほかにも、島の夕暮れのシーンで、日が暮れるのを待っていたときにも、スタッフさんが、機材や荷物を、演じる僕らの目に入らないようにそっとどかしてくださったり。そういうことをしているうちに、だんだん演じる僕らもスタッフさんたちも島の空気になじんできて。○島に許されているという感覚――いつもはなぜか撮影をしようと思っても、いろんなことが起こって撮影ができない場所でも、すんなり撮影ができたりということもあったそうですよね。なにか急にトラブルが起こったら、「今は撮らないほうがいいのかもね」と言って、ちょっと待ってみたりしていました。そんな風にしていたら、ほかの撮影の時には毎回、何かが起こって撮影ができなかった家での撮影もできて、島の人から「あそこで撮影できたってすごいね」と言われたり。今の時期は絶対出てこないという夜光虫が光っていたり、不思議なことがいっぱいありましたね。――それは、島に許されたみたいな感じなんですかね?許されたかどうかはわかんないですけど、でもちゃんと島尾敏雄さんとミホさんという2人のことを撮っていいんだよ、と言われてる感じがしました。2人だけでなく、島が主役になった作品だと思います。島の子供たちを始め、地元の方々にも出ていただいて、島がちゃんと映っている作品になっていると思います。――今まで、永山さんは満島さんとの共演は何度かありましたが、満島さんは、奄美にルーツもあるということで、この作品では何か違う部分がありましたか?初日に奄美に入って、ホテルのロビーでスタッフさんたちとしゃべってたときに、満島さんもやって来たんですけど、島にいる鳥の鳴き声の話なんかをしていました。満島さんは、製作のスタッフさんと一緒に島をまわって、いろんなことを聞いていたんですね。そのときに、今まで共演してたときとは顔が違うなと思いました。撮影に入ってからもどんどん顔が変わっていって。僕自身の顔もポスターのビジュアルを今見てみると、ぜんぜん違っているなと思いますからね。――この作品は、演技をする上で何かターニングポイントになったのかと思いますが。すごくいい経験をさせてもらったなという感じがあります。なにか、演技をするときに大事にしないといけないものがわかった現場だったなというか。――それって、何だと思われますか?これはもう感情的なもので、たぶん口で説明しても伝わらないものなんだろうなという感じなんです。――私も聞いておいてなんですが、そういう答えでよかったと思いました。みんなに足りないものはこれだよとか、これがあったらいいですよというものでもない感じですからね。人からしたらくだらないことかもしれないし、何も響かないかもしれないけど、俺がそこで感じたことだからって。そういうの、みんなにもあるんじゃないかと。それがたまたま、このタイミングで、僕にはあったという。この作品に対しても、こうだから観てくださいってはっきりとは言えないんですけど、見てもらったら、何かが残っていく作品にはなってるんじゃないかと思います。<著者プロフィール>西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。(C)2017 島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ
2017年07月26日●大学を卒業したら地元で就職すると思っていた現在放送中の関西テレビ・フジテレビ系ドラマ『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』『緊急取調室』、8月からスタートのWOWOW『連続ドラマW プラージュ ~訳ありばかりのシェアハウス~』と立て続けにドラマ、映画に出演する俳優・眞島秀和。独特の存在感で求められ続けている。6月17日公開の映画『心に吹く風』では、『冬のソナタ』ユン・ソクホ監督のもと、北海道の豊かな自然の中で初恋を蘇らせた。眞島は主役のリョウスケを演じ、高校時代に愛し合い23年ぶりに再会した男女が過ごす数日間が描き出された。俳優を志した意外と知られていないきっかけや、『フラガール』『怒り』等で知られる李相日監督との出会い、そして今回の映画でのユン監督とのやりとりなど、眞島本人に話を聞いた。○幸せな役があまりない――俳優を志したのは、大学生のときだそうですね。東京の大学に入ったのは、単純に地元の大学に落ちたからなんです。そのころは、大学を卒業したら地元に帰って就職しようと思ってたんですけどね。――ダンスをやっている友達を見て、自分も何かをやろうと思ったのがきっかけだとか……。そうです。同じ年頃の友人たちが、ダンスや音楽をしているのが、楽しそうに見えたんでしょうね。それで自分も俳優をやってみようと。でも、よく考えたら、10代のときから、すごくテレビを見るのが好きで、ドラマの中のセリフを自分でも言ってみたりとか、そういうことはしてたんです。だから、ちょっとは興味があったのかもしれないですね。ただ、自分が俳優になるということは全く考えてなかったです。――俳優をやろうと決めてからは、どんなことをしていたんでしょうか。劇団の研究生をやったり、仲間と自主映画を撮ったりしていました。――その後1999年、李相日監督の卒業制作『青~chong~』主演に抜擢されたのがデビューになりましたが、どんなきっかけで出演することになったんでしょうか。僕は俳優の養成所に通っていたんですけど、その養成所が、李監督のいた日本映画学校(現・日本映画大学)に「うちの研究生を使ってください」と資料を持参していたらしく、それがきっかけで映画に出ることができました。でも、主演できたとはいえ、まだ当時はどうなるかわからないと思っていました。――その後、転機はありましたか?『青~chong~』に出られたのも転機ですし、今の事務所に入れたこともあります。作品で言うなら、NHKの『海峡』(2007年)や、WOWOWの『なぜ君は絶望と闘えたのか』(2010年)だったのかなと思います。その2作で「この先もどんどんやっていって、年を重ねたらどうなるのかな」と思ったというのはあります。ただ、役をいただいて、それをいかに演じていくかということに対しての考えは、ずっと変わらないですね。――そして今では、毎クールドラマで眞島さんを見ないときはないくらいですが。自分としては、そんなにたくさんという感じではないんですけどね。いろんな役をやりたいので。それがこの仕事の楽しいところだし、なんでもやってみたいというシンプルな考えなんです。――今年ですと『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』や、『連続ドラマW プラージュ ~訳ありばかりのシェアハウス~』などのドラマに出られていますし、『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』にも、もうひとつのバイプレイヤーズとして出演されていましたが、ご自身で演じられる役には傾向はありますか?いろんな役があるし、それが楽しみでもあるんですが、幸せな人物の役があんまりないのかなとは思います(笑)。――いろんなドラマで眞島さんを見て、気になっている方もたくさんいるんじゃないかと思いますけど、ご自身が今の自分をどう捉えられてますか?結局、今になっても、この仕事を続けていくのは大変だなと実感しているし、だからこそやっていきたいなとは思っています。――これからこうなりたいという俳優像はありますか?仕事をしていると、先輩の役でこういうのがいいなとか、面白いなというのはたくさんあります。僕が50代、60代になったときに、そういう先輩たちの役を演じられていたらいいなと思いながらやっています。●初恋の思い出はしまってある○『冬のソナタ』を見返した――17日からは『心に吹く風』が公開されますが、ユン・ソクホ監督と初めてあったときのことを教えてください。面接を受けたときですね。そのときは、映画や役についていろいろ聞かれたというよりは、普段のことを話したり、世間話をした感じでした。ユン監督の作品は『冬のソナタ』や、スペシャルドラマを見たことはありました。やっぱり、とても話題になっていたので、どんな作品なのだろうという興味で見ました。今回も作品に出演することになって、また見返しました。――ユン監督と実際に撮影してみていかがでしたか?ユン監督の撮影スタイルが通常の撮影スタイルと違っていて、最初のほうは戸惑いました。通常は段取りを確認して、テストをして、それで本番に入ることが多いんですが、ユン監督は最初からカメラを回していて、それがもう本番なんです。この映画が「偶然」を大事にしているからなのかなと思いました。――ユン監督は、眞島さんが初恋の相手と再会して、高校時代の思い出の歌を歌うシーンで、眞島さんが演じるリョウスケが少し恥ずかしそうな雰囲気だったのを見て、日本と韓国の文化の差なのかなと思われたというエピソードを聞きましたが、そういう感情表現の違いは感じられましたか?実は、その初恋の歌を歌うシーンが、初めて撮影したシーンだったんです。それで、どういう風に演じるか、探りながらやっていたところ、そういう恥ずかしそうな感じになったのかもしれません。自分自身の感覚だと、照れくさいなと思う部分もあるんですけど、リョウスケというキャラクターは、照れないでいられる人だと思うので、監督の求めるものを演じたいとは思っていました。――映画の中で印象的だったシーンはありますか?ピアノのシーンですね。音楽を担当されたイ・ジスさんが実際に撮影現場で即興でピアノを弾いてくれて、すごく感動しました。それを聞いて、この音楽がひとつのテーマになるのだなと思ったし、物語に説得力を与える素敵な曲だと思いました。――ユン監督の要望というのはありましたか?リョウスケというキャラクターに関しては、アーティスト特有の頑固さを持ちながら、優しい男でいてくれということはありました。監督は、ヒロインの春香を演じる真田(麻垂美)さんと僕との2人がとにかく空気がいいようにと気を使ってくださって、それですごく楽しく撮影できました。○いろいろな縁があってここにいる――この映画は初恋がテーマですし、ユン監督も常に初恋をテーマに描かれてきた方ですが、眞島さんは初恋に対してはどういう考えを持たれてますか?ユン監督ほど語れないかもしれないけど、いい思い出としてどこかにしまってある感じですね。――ユン監督にも取材したんですが、ちゃんと話すには徹夜の覚悟がいりますよと言われました(笑)。眞島さんは、この映画のように初恋の人と再会したりは?そういうこともないですね。きっとユン監督もそうなんじゃないかな。――そうですね。ユン監督もあえて再会しなかったと言われていました。やっぱりそうですか。――最後に、『心に吹く風』を見られる方に、一言お願いします。大人のラブストーリーなんですけど、生きていく中で、誰しも初恋を胸に抱いていたり、いろんな偶然があったりするもんだと思うんですよ。だから、大人の人が見たら、そういう思いってあるんだ、偶然ってあるんだと思える作品になっているんじゃないかと思います。――眞島さんも偶然ってあるんだなと思うときはありますか?もちろんです。特にこの仕事って、偶然がたくさんあると思うし、いろんな縁があってここにいるんだなと思います。(C)松竹ブロードキャスティング(ヘアメイク:佐伯憂香 スタイリスト:M&E)<著者プロフィール>西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2017年06月13日●ロックにダメ出しはないから心配ロックミュージシャンとして独特の存在感を放ち、更には映画・ドラマ・バラエティにも多数出演、自身の経験から『成り下がり』『タネナシ。』『育爺。』といった著書を上梓するなど、多方面にわたって活躍するダイアモンド・ユカイ。さらに2016年、世間を驚かせたのが、初めてのミュージカル出演という発表だった。しかも演目は『ミス・サイゴン』。アメリカ・ブロードウェイでロングランを重ね、世界中で公演が行われており、日本でも1992年の初演以来24年間定期的に上演が続けられている。芸歴30年にしてオーディションを受け、この大作に挑む。ベトナム戦争下のサイゴンで売春宿を経営するしたたかな"エンジニア"役について、どのようにとらえているのだろうか。○子供の頃に憧れた世界――ミュージカルとユカイさんの出会いはいつ頃でしたか?初めて見たのが劇団木馬座の『ピーターパン』で、「大人にならない子供だよ」っていうセリフが今も残ってますね。その後も、アメリカのエンタテインメントに対するあこがれはずっとあるから、映画で見るジーン・ケリーのタップとか、フレッド・アステアとかフランク・シナトラとか、歌って踊る人のことはかっこいいなと思ってた。でも、中学でビートルズに出会ってからは、ロックの道をまっしぐらだったんで、離れていったけど、根底には歌って踊れる人に対する憧れはあったね。――ミュージカルという世界に50代で新たに挑戦する心境はいかがですか?それが、初めて『ミス・サイゴン』を見た時、ロックで表現したかったものが、このミュージカルに詰まってると思ったんだよね。エンジニアが歌う楽曲も、まさにダイアモンド・ユカイが歌いたかった曲で。ほかのミュージカルも見てきて、その中の曲がいい歌だなと思うことはあったけど、自分の表現したいドンピシャの曲があるとは思ってなかったから、雷に打たれたみたいだったね。――どういう部分に打たれたんでしょうか。全部だね。エンジニアの曲『アメリカン・ドリーム』は、デイヴィッド・リー・ロスの『カリフォルニア・ガールズ』とか、マリリン・モンローの『Diamonds Are a Girl’s Best Friend』とか、マドンナの『マテリアル・ガール』をよりぶっ飛んだロックの世界だなと。ダイアモンド・ユカイとしても、そういう世界をやってきたつもりではあったんだけど、ミュージカルの物語の中で、そういう曲をやる意味ってまた格別で。興味深いなって。『ダイ・イン・ベッド』に関して言えば、戦争で荒れ果てて混とんとした中から這い上がっていくエンジニアの姿はワイルドだし、ロックそのものだなって。歌いたいと思ったね。――芸能生活30年で新たにオーディション受けるって、怖くはなかったですか?ロックにオーディションなかったからね。でも、ダメでも仕方ないと思ってたから。経験も少ないし、どういう表現をしたらいいかわかんない中で受けたオーディションなんでね。自分のやりたい表現がそこにあって、歌いたいと思うことって、一生のうちでも、そんなにあることじゃないからさ。これから稽古じゃない? 役者さんって、演出のときにダメ出しがあったりするけど、ロックにダメ出しもなかったから、俺、ダメ出しあったら立ち直れるかなって思ってたりもするよ(笑)。でも、凹んでる暇はないからね。あと、新人だからさ、あんまり偉そうにしないように、粗相のないようにというのが、第一の目標ですよね(笑)。もちろん、エンジニアという役については、自分でぶつかって切り開いていかないといけないんだけど。●役者の仕事と言われ行ったら、『さんま御殿』○足かせの中を逆走してきた――"エンジニア"に自分の姿を重ねたりしますか?俺はそこまでワイルドな人生じゃないけどさ。公務員の息子で平々凡々と生きてきたから。でも、ロックの世界に入ってからは、ああしろ、こうしろっていう足かせの中を逆走したっていうのはあるけどね。――どういう形で逆走してきたんでしょうか。俺の中高生のときは、いい大学に入っていい会社に入って一人前という道筋がはっきりしてて、そこに向かわないとお前はアウトロ―なんだという日本全体がそんな学校教育だったから、個性みたいなものが尊重されないところがあったんだよ。俺はかたい家庭で育ったから、ロックなんてもってのほかで、その上、当時はロックが商売になるなんて夢のまた夢だったね。中学2年でロックに目覚めて、大学5年生でデビューしたけど(笑)、ロックスターになるか、親が喜び安心させる事ができる公務員になるかと言う選択で迷ってたね。――好きなことをやることを選んでも、続けることは大変だったのでは。22のときに本を読んでさ。自分が自分の人生の主役。好きなことを選ばないと本当の幸せは得られないっていう言葉が、響いちゃったんだよね。そんなとき、親父が死んだ。悲しかったけど、そこでひとつの山は越えた。でも、鮮烈なデビューをして西武球場や武道館でLiveもやったんだけどバンドは解散して、好きなことでお金にならなかった時代もある。『成り下がり』って本を書いた。でも、自分で選んだ好きな道だから苦労を苦労とは思わない。○あのころ罵倒していたバラエティにも――その後、第2の山はありましたか?耐えずジェットコースターみたいな感じだよ。バラエティを始めたのも転換期だったと思うしね。レッド・ウォーリアーズというバンドを知ってる人からしたら、あの時代からしたら、最も遠いバラエティの世界に出てるのを見て、「コイツ大丈夫かな」と思ってただろうしね。でも、挑戦するっていうのは、意味があると今はそう思ってる。――バラエティをやってみて、得たものってありますか?最初は、役者の仕事が入ったって言われて、いざ行ってみたら『踊る!さんま御殿!!』だったんだよ。自分としては素で話してたんで、何が面白いかわからなかったけど、やってくうちに、これはこれで一つのエンタテインメントだなと。お客さんを楽しませるという意味ではロックと共通してるよね。――そこにはすぐ気づいたんですか?最初はオファーが来るからやってたんだけど、一年たったらやめようと思ってました。でもやってるうちに勉強することも多いし、新しい発見も沢山あって、そんなときに子供を授かったりもして、世間の人達の見え方も変わって来たような気がして、目の前にあることは、実は意味があるんだなと思えるようになった。――この『ミス・サイゴン』に今出会うことも意味ですよね。もちろん。「アメリカン・ドリーム」に雷に打たれて、歌いたいって思って、オーディションを受けてさ。でも果たして俺にできるのかっていうプレッシャーは今も持ってて、大きな関門だね。でも、挑戦することに意味があるんだ。挑戦してるときって、魂がキラキラするんだよね。――これから稽古、そして本番ですけど、どういう舞台にしていきたいですか?今は、何がどうなっていくのかまったく分からないけど、小さな光だけは見えていて、それに向かってるところです。俺って、いつもロックロック言ってるけど、見に来てくれる人には、キムとクリスのストーリーはとても痛くて悲しい事であるからこそ、ベトナム戦争時代の混沌とした八方塞がりの中で自分の夢に向かって逞しく生きるエンジニアのロック精神を感じてもらえたら嬉しいな。ロックミュージシャンである自分にしかできない自分なりのエンジニアを表現できたらなって思っています。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年09月09日この夏はオリンピックや選挙でイレギュラーな放送が多く、そんな中、全5回で放送された日本テレビ系ドラマ『時をかける少女』(毎週土曜21:00~21:54/7月9日~8月6日)。それぞれのキャストの新たな魅力を発見したり、青春時代のみずみずしい気持ちを感じられる作品だった。例えば、未羽(黒島結菜)は、今時の高校生にしては幼いけれど、簡単に大人の真似事をしない、まっすぐなところが新鮮に映った。また、翔平(菊池風磨)は、未来からきたため、世間知らずな一面があり、あのヤンチャそうな見た目なのに恋を知らない。仮の母親(高畑淳子)との関係性も疑似親子ならでは(一方はそれを知らないが)の、優しさを見せ、Sexy Zoneのファンには、これぞ菊池風磨という姿をドラマで堪能できたという声も聞かれた。また、吾朗(竹内涼真)が葛藤の末、未羽に告白をする四話は彼の物語になっていた。こうした人物に焦点を当てる物語になってたからこそ、それぞれの思いと関係性が視聴者にも共有され、胸がキュンとするような甘酸っぱい思いを感じられた人は多かったようだ。○「胸キュン」をちりばめればいいのか昨今の若者向けドラマに「胸キュン」をテーマにしているものは多い。イケメン俳優やアイドルを配し、「胸キュン」シーンを何分かに一回ちりばめる。それを見て、「キュンキュンきた!」というツイートをする視聴者がいることで、相乗効果も狙える。しかし、「胸キュン」のパワーをかいかぶりすぎている製作者もいるのではないだろうか。まるで「胸キュン」シーンを、人の感情を盛り上げるスイッチであるかのように使っているものも存在しているように思う。もちろん、それも番組側のサービス精神であり、いかに視聴ターゲットに喜んでもらえるかを考えてのことだとも言えるが、単に「胸キュン」シーンをちりばめれば若い女性たちが食いつくと考えていたのでは、今後は手詰まりになってしまうだろう。『時をかける少女』と「胸キュン」をちりばめた作品を単純に比べることはできないと言われるかもしれない。なぜなら、『時かけ』は、その物語の軸が「時をかける」ことにあるからだ。しかし、もうひとつの軸は、NEWSの歌うエンディングテーマのタイトルにもある通り「恋を知らない君へ」と考えていいだろう。○「恋を知らない君へ」劇中の未羽、翔平、吾朗は、確かに恋をしているが、それがなんたるかを知らないからこそ、お互いの気持ちを手探りで知りたいと思いながら、恋を知っていった。その「知らなさ」は三者三様だ。翔平は未来から来て、現代の高校生の恋の仕方を知らないからこそ、大胆でストレートだ。三話の終わりでは、学園祭でやった「ロミオとジュリエット」の劇さながらに、クラスメイトたちの前で翔平が未羽に告白するシーンもあった。未羽は、近所のコンビニに憧れの大学生はいたが、それは恋とはまた違うものだと思っていたし、幼馴染の翔平、吾朗との関係性が変わりつつあることにも、知らないふりをしたい部分があった。そして、吾朗は未羽への恋を自覚しながらも、学園祭後に仲間からキスを煽られる未羽と翔平を見ても、「ちょっと待った!」と言うこともできないくらいには、恋に不器用だ。2人を見守る吾朗の複雑な表情を残酷なまでに映し出したことで、3人のせつない気持ちがより強く伝わってきた。決してこの作品の視聴率が良いわけではない。しかし、「胸キュン」は、視覚的にスイッチを入れたら見ているものが簡単に共鳴するものではなく、物語の中で人物の思いや葛藤を描いた結果、感じられるものではないかということを、改めて知ることができた作品だったのではないだろうか。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年08月20日●「悪役をやってみたい」と思っていた"天才子役"として人気を集めた須賀健太。現在21歳となり、"子役"からひとりの役者へと変貌を遂げている。その活躍は映像作品のみにとどまらず、バラエティ番組出演、そして舞台で同世代をまとめる座長として、ベテランキャストからも一目置かれる存在感を示すようになった。最新映画『シマウマ』(5月21日公開)では、奇抜なメイクで快楽殺人犯を演じるなど、一筋縄ではいかない役を怪演する一方で、ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』では、まっすぐすぎるほどに熱い少年漫画の主人公となる。振り幅の大きい役者に成長したが、その途中には、あせりや葛藤も存在したという。○口にだすことで、決まることはある――以前から悪役をやってみたいと言われていましたが、『シマウマ』でアカという役を演じることになって、どう思われましたか?前から悪役をやりたいということがあったので、機会をいただいてうれしかったです。悪役といってもいろいろな形がありますが、今回はすごく振り切ってやってくれということだったので、非日常的な濃いキャラクターになったのではないかと思います。――ビジュアル的には須賀さんが演じられたライブ・スペクタクル『NARUTO-ナルト-』の我愛羅にも近い感じがします。ちょうどこの映画の撮影と、ライブ・スペクタクル『NARUTO-ナルト-』の舞台が重なっていたので、昼は我愛羅で、夜はアカを演じていました。だから、その頃は現実世界を離れたような感覚でしたね。でも、我愛羅とアカの本質は違っているので、その違う本質を意識しながら演じていました。――今回のアカはどういう本質を意識しながら演じられましたか?やってる事は非道なんですけど、かっこいいビジュアル像はあったので、そういう風に見える瞬間を意識しながら演じていました。作品自体が残酷で他ではなかなか見られない感じなので、だからこそどういうテンションを作っていくかということは考えました。撮影になると、「いいね」という基準が、どれだけ暴力的な表現ができるかになる空気はありましたね。誰しもが持っている闇を表現できたらと思いました。――これから公開される映画『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』でも、残忍で狂気的な男を演じられて、そういう役が続きますが、これは偶然ですか?偶然ですね。悪を演じるにしても『シマウマ』が動だったら、『ディアスポリス』は静という感じで、対照的です。アカは濃いお芝居だったので、そこから減らしていくという感覚でした。どちらの作品でも、新しいものを引き出してもらえたので、いい環境にいるなと思います。昔から悪役がやりたいと言ってきたんですけど、言うことで始まるのだなということは実感しています。――どうして悪役に起用されたのか、監督に理由は聞きましたか?深くは聞いていないんですが、皆さんが言ってくださったのは、「須賀君のイメージをぶち壊したい」ということでした。僕としても、ひとつのイメージよりも、いろんな雰囲気を出せる人になりたかったので、ありがたいなと思いました。●周囲には止まって見えているのでは? という葛藤○明石家さんまさんや、森田剛さんのあり方に憧れ――子役のときのイメージに対しての葛藤もあったとのことですが。高校生の頃はありましたね。どこに行っても過去の作品の話題が出てくるので、現在進行形で役者をやっていても、周りには止まって見えるのではないかと。でも今は、過去の作品が自分の財産になっていることは間違いないので、マイナスに感じなくなりました。――先ほども出てきましたが、ライブ・スペクタクル『NARUTO-ナルト-』やハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』などの、2.5次元の世界でも活躍されています。それも見ている側からすると新しい一面に思えました。漫画原作がこれだけたくさんありますが、すごくやりたい作品、役でもあったし、舞台でもお芝居したかったというのはありました。自分の中では、「2.5次元なめんなよ」という気持ちもあって、勝負させてもらっています。――特に『ハイキュー!!』では座長で、共演者の方からも頼れる座長だったとの評判でしたが。座長だからという気構えは特になかったんです。でも、以前、明石家さんまさんと舞台『七人ぐらいの兵士』で共演させていただいたことがあって、そのとき、理想の座長像を見たんですね。周りを楽しませることに重きをおいていて、稽古場でのあり方みたいなものを見て憧れました。また、舞台『鉈切り丸』で共演した森田剛さんは、袖から毎日でもお芝居を観ていたいくらいだったので、僕も芝居で現場をひっぱれたらとも思いました。○自信がなくなるのは、良いこと――そうやって芝居をつきつめるほどに、悔しい気持ちが出てくるということのことですが……。年々、自分の芝居に自信がなくなっているというのがあって。でも、良いことかなとも思うんです。もっと吸収しないといけないし、最近はつらい思いをしただけ良い作品ができるという経験をしています。映画『スイートプールサイド』でも、松居大悟監督に「新しい須賀健太を見たい」と、それまでとは違うやり方をするために、かなりボロクソに言われて。でも僕はそれにしがみついて新しいものを見せないといけないし、そういう苦しさはいいことだなという思いが、ここ数年あるんです。――悔しさというのは、他の人に対してですか、自分に対してですか?同世代の役者さんの芝居を見て「この雰囲気いいな」と思うこともあるし、この作品に自分も出たかったなとか、両方ありますね。さっき、森田剛さんが今度の映画『ヒメアノ~ル』に出演されるのは、監督が『鉈切り丸』を見たからだと聞いて、そうかー俺の演技も見てたはずなのにって思いましたし(笑)。――今まで子の仕事をしてきて、誰かに言われた言葉で響いたものはありますか?色々な人に言われた、「あせらないで、自分のやりたいことをやるのが一番」という言葉が心に残っています。高校生の時などは、どうしても自分のイメージを変えたいということが一番になっていて、あせっているように見えたのかもしれません。でも、今は少しずつ自分のやりたいことが出来るようになってきたし、巡り合いとか、ちょうどいいタイミングというのが、あるんだなと思いました。映画『シマウマ』美人局で仲間達と一緒に金稼ぎをしていた倉神竜夫(竜星涼)は、ある日ヤクザを引っ掛けてしまったことから、転がるように闇へと堕ちていき、"回収屋"の"ドラ"として、禁断の世界へ足を踏み入れることになるが……。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年05月27日先日、Hey! Say! JUMP中島裕翔主演のフジテレビ系ドラマ『HOPE~期待ゼロの新入社員~』(2016年7月スタート 毎週日曜21:00~)の制作が発表され、韓国ドラマ『ミセン-未生-』のリメイクということで話題になっている。このドラマ、韓国ではケーブルテレビ局のtvNで放送されたが、視聴率はケーブルテレビでは異例の10.3%を記録(ケーブルテレビ視聴率歴代2位 ※放送時)。また、韓国のエミー賞と言われる百想芸術大賞など、2014年度のドラマ賞を総なめにし、"ミセンシンドローム"と呼ばれる社会現象を巻き起こした。原作を書いたのは、韓国のWEB漫画(ウェブトゥーン)作家、ユン・テホ。社会派の物語が得意な彼の他作品も、イ・ビョンホン主演で『インサイダーズ/内部者たち』という映画になり、韓国で動員数900万人を超えるヒットを記録している。○「生き返った石」になるためにタイトルの「ミセン」という言葉を聞きなれない人も多いかもしれないが、これは囲碁用語で、漢字で書くと「未生」となる。「死に石」に見えても、まだ完全な「死に石」ではなく、どちらにも転ぶ石のことを言う。つまり、ドラマでは主人公が、どっちにいくかはまだわからない状態をあらわしている。ドラマの主人公のグレは、幼い頃からプロ棋士を目指しており、囲碁の世界では神童と呼ばれていた。しかし、父親が他界してその夢も途絶え、商社のインターンを経て、非正規社員として社会に出る。学歴社会の韓国では、最終学歴が高卒認定検定試験合格のグレがいくら頑張っても、正社員への道は閉ざされている。しかしグレは、「未生」の示す通り、社会人として「まだ死んでもいないしどうなるかわからない状態」であり、社会の中で絶望を感じながらも、生き返った状態の石「完生(ワンセン)」になるために奮闘する。ドラマの中には、「俺たちはまだ弱い石だ」というセリフがあるのだが、その言葉には、社会に理不尽なことはたくさんあるけれど、考え、動いたものには、それだけの何かがあるのではないかという希望を感じさせた。○「演技ドル」の活躍このグレを演じたのが、アイドルグループZE:Aのメンバーであるイム・シワンだ。彼は、このドラマ以前にも時代劇『太陽を抱く月』などに出演しており、その演技力から「演技ドル=演技のできるアイドル」のひとりとして注目されていたが、この作品の出演により、若手俳優の中でも確固たる地位を確立した。アイドルグループに所属しながら、リアリティのある働く若者の役を数多く演じてきた中島裕翔とも重なる部分がある。主人公のグレ以外にも、魅力的なキャラクターがドラマを彩る。グレが所属することになる営業3課のオ課長(イ・ソンミン)は、仕事熱心で半ば強引な部分もあるが、実は部署や会社全体のことを冷静に見つめることができ、情に厚い人である。グレの同期も、それぞれに葛藤を抱え、最初は競争相手であったが、次第に強い友情で結ばれる。また、会社のチェ専務(イ・ギョンヨン)や、人事異動でやってきたパク課長(キム・ヒウォン)など、個性豊かで一筋縄ではいかないキャラクターが物語を盛り上げた。すでにドラマを見ている『ミセン』のファンは、中島裕翔以外にも、どんな俳優がキャスティングされるか、ドキドキしながら見守っているようだ。『ミセン』は、韓国のドラマではあるが、非正規雇用問題、パワハラ、セクハラ問題、社内の人事抗争、ワーキングマザー問題など、日本でも関心のある話題が毎回のテーマとなっている。これらの問題が、どんな風に日本の問題へと置き換えられ、料理されるのかも、大いに期待されている。(C)CJ E&M Corporation,all rights reserved .「ミセン-未生-」幼い頃から棋士を目指していたチャン・グレ(イム・シワン)だったが、父の他界を機にその道をあきらめ、大学にも行けず、26歳になってもバイトにあけくれていた。しかし、母の伝手で大手総合商社のインターンに。会社員経験も学歴もないグレはコピーの取り方すらわからず、遅れをとっていたが、同期とチームを組んでのプレゼン発表で合格点をもらい、なんとか社員として入社し、営業三課に配属される。やがて将棋で培った洞察力を生かして仕事でも微力ながらも課の役に立つようになり、次第に配属先の営業三課のオ課長(イ・ソンミン)やキム代理(キム・デヨン)に認められ、課にはチームワークが生まれつつあった。一方、グレの同期入社の紅一点、アン・ヨンイ(カン・ソラ)はインターンでいきなり大きな契約を取り付ける優秀な人材だったが、入社後配属された資源課では、男性上司から疎まれ、なかなかまともな仕事を与えられずにいた。DVD-BOX1&2(各12,500円+税)発売中。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年05月07日働く女性たちに、キラキラしただけではないリアルなエピソードを聞いていくこのシリーズ。今回は、ある地方都市で働く女性に話を聞きました。○好きな分野の仕事がなかなか見つからないカルチャー関係の商品を扱う店舗で10年以上働いたものの、突然のリストラにあったBさん(39歳)。その後は地元で転職活動中とのことですが、以前のように好きな分野での仕事はなかなか見つからないと言います。そんな地方の転職活動について、聞かせてもらいました。――Bさんは、現在は地方都市で働いていますが、それまではどんな職歴だったんですか?実は、親戚の伝手で一度は関東の飲食店で働いたことはあるんです。その後、地元に戻って、カルチャー関係の商品を扱う店舗で働いていたんですが、経営が厳しくなり、店舗をたたむか、従業員が辞めるかの二択を迫られてしまいました。――説明の仕方によっては、不当な解雇になるかもしれないですよね。ただ10年以上も、好きな仕事に携わってきたし、お店の苦しい状況もわかっていたしで、それに抗うことはできなかったですね。私たちが辞めなくても、お店がなくなれば、どっちみち自分自身は職を失うことになるので。――不当だとは言えない空気っていうのはありましたか?職場の環境は、割と自由だし、女性も長く働いていたしで、そこまで窮屈ではなかったんですが。いざというときには、好きでやっている仕事だから、職があるだけでもありがたいことだったよね、だから今更文句を言うなんて……という思いがあったかもしれません。――Bさんの友達はどんな働き方をしていますか?仕事を通じて知り合った同じような業種の人は、やはりお店の経営がなりたたなくなって、別の仕事に就く人は多いです。地元で事務職に就いたり、東京に出て、もう一度好きなことをしたり、東京に出たけどまた別の仕事をしていたり。自分が独身なので、独身の友達が集まってきますね。そういう意味では、同じ境遇の友達には恵まれていると思います。――Bさんは、仕事を辞めてからは、就職活動はしていますか?やっているんですが、なかなか見つからないですね。私の職歴では事務はできないし、車を運転できないので営業も難しい。となると、やはり接客業になるんですが、それも年齢でやんわり断られてしまったり。田舎は交通網も整っていないので、遠くの地域で募集があっても、私のようにバイクで一時間かけて毎日通うのは物理的に難しい。もちろん、私が以前のように好きなカルチャーの仕事にこだわっていると、仕事はないと思うから、それは捨てて就職活動をしているつもりなんですが、難しいですね。――確かに、私も地方で働いていて、ひとつめの会社を辞めた後、そのあとも前職と同じモチベーションと賃金が確保される仕事がほかにもあるはずだと思ったら、もう地方にはそんな仕事は見つかりませんでした。そうですね。都会ならば、転職でキャリアアップということもあるかもしれませんが、地方ではなかなか難しいかもしれません。役職を目指すとか昇給があるなんてことは望んでなくて、同じ職場で年をとっても働けるということだけでも、貴重だと思います。○ずっと続けていられる仕事を探したい――それでも、何度か短期の派遣やアルバイトをしているんですよね。百貨店に派遣社員として短期でいきましたが、生まれて初めていじめのようなものを経験しました。というのも、百貨店のパートさん、アルバイトさんの時給よりも、派遣のほうが時給がよかったりするんですね。急な求人であったり、短期の契約であったりするから、仕方ないことだと思うんですが、経験の長い自分よりも、仕事ができない新人のほうが時給が高いことはやっぱり納得いかないんだろうなと思います。――そうですよね、時給が違うのは、いじめたパートさんの責任でも、新入りの派遣さんの責任でもないのに、その違いのせいで微妙な関係になってしまうと。それでも、なんとか仕事で迷惑をかけないように、いろいろ覚えようとしていたんですけど、逆にパートさんのテリトリーを奪う行為に見えたらしく、一生懸命に仕事をすることも阻まれて。なんとか派遣の契約期間終了までがんばったけれど、つらかったですね。――東京には、比較的、地方よりは仕事があるということは、地方から上京して派遣の仕事をしていた自分の実感としてはありますが、上京するということは考えていないんですか?地方から募集を見て履歴書を送ったこともあるんですが、なかなかうまくいかないですね。腰を据えて東京に住んで履歴書を送るほうがうまくいくのかなと。――それは私も経験があります。地方から履歴書を出しても、その本気度が見えないのか、返事が来た事はなかったです。もちろん、私のやり方がうまくなかったのかもしれません。ほかの方に聞くと、募集がなくても、好きな業種の会社に熱い手紙を書いて採用されたという話もありましたし。ただ、今は東京に行こうという気持ちも薄らいでいます。両親がまだ元気で、姉は結婚して子どももいるし、私が突然仕事を失った経緯も知っているので、今の状況には、そこまでうるさく口出ししてはきません。それに同じような仕事をしてきた趣味の合う友達もいるので、思いとどまっているのかもしれません。――その状況だったら、確かに無理して東京を目指す必然性は感じないかもしれませんね。私の場合は、仕事のない状態で家族とも以前よりギスギスしていたし、友達も結婚ラッシュで、気軽に遊びにいく仲間が少なくなっていたところでした。そういう辛い状況があったからこそ、上京する気力がわいたということは考えられます。今は、友達が紹介してくれた観光地の飲食店で土日と祝日に働きながら、この土地で長く続けられる仕事を探しています。今まで、ほぼひとつの仕事しか知らなかったし、かつ、それが自分の好きな仕事だったので、そこに甘えていた部分もあったかもしれないなと。今は、いろんな仕事に触れてみて自分に何ができるか勉強する期間だと思ってやっているんです。今度は、好きな仕事ではないかもしれないけれど、ずっと続けられる仕事が見つかればいいなと思っているんです。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年02月03日名古屋を中心に活躍する、エンタテイメント男性集団「BOYS AND MEN」略して「ボイメン」。東海エリア出身、在住の男性たちで結成され、東海のローカル局すべてにレギュラーを持つだけでなく、タイ、インドネシア、シンガポール、ミャンマーで番組を持つなど、活躍は著しい。地方創生が叫ばれる今、地方発のエンタテイメントがここまで大きくなった理由について、フォーチュンエンターテイメント 代表 谷口誠治さんに話を伺った。○男性版の宝塚を名古屋から――谷口さんは、学生時代には、ローラースケートでご自身もステージに立たれていたんですよね。学生時代、ローラースケートブームがあったんです。その時、知り合いにスケート場を作りたいという人がいて、そのアドバイスをしたら、たまたま当たりました(笑)。それを機に4か所のスケート場をプロデュースしましたが、両親ともに公務員だったので、自分も一度公務員として就職しました。しかし、やっぱり好きなことをしたいと思い辞めました。世界に通用する人間になりたい! そう思って、ミュージカル"スターライトエクスプレス"の世界ツアーのオーディションに参加したら、合格。出演したことで夢は叶ってしまったので、今度はミュージカルを作りたい! と思い、プロデューサーを経て芸能プロダクションを作りました。――谷口さんは、出身は関西で、その後のプロダクションの仕事は東京でされていたそうですが、名古屋でタレントプロデュースをしようと思ったのは、どういう経緯があったんですか?2009年に初めて名古屋に行く機会がありまして。それまでは東京、大阪で仕事をしていたのですが、初めて訪れた名古屋は人口も多いし、三大都市だし、自分の芸能プロダクションで何かできるんじゃないかと思いました。それで行動を起こし始めたのですが、当時は名古屋のメディアに知り合いはいなくて、最初は相手にしてもらえませんでしたね。その後、徐々に話を聞いてもらえるようになって、名古屋で活動するタレントさんが活躍する番組や、名古屋色を出した番組はないの? と聞いたら、ラジオにはあるけれど、テレビではあまりないと聞いて、それならうちで作ろうじゃないかと思ったんです。――それで、NAGOYA DREAM PROJECTが始まったわけですね。若者たちの夢を形にしよう、名古屋で活躍したら東京に行くというのではなく、名古屋で活動してタレントとして飯が食えるようなプロジェクトにしようと思いました。プロとしてやっていくためには、発表の場がないといけない、それにはテレビ番組と常設の劇場だと思いました。それで、男性版の宝塚を作ろうと思ったんです。――なぜ、男性版の宝塚にしようと思ったんですか?やっぱり、誰もやってないことに惹かれるからですね。東京にも大阪にも、男性タレントというのは存在します。東京はアイドルや俳優で、大阪はお笑いが多いですよね。でも、名古屋には存在しないので、何もないところに自分のイメージを描いて、実現することができる。そこでイメージしたのが宝塚だったのですが、これは僕が通っていた大学が宝塚にあって、昔から好きでよく見ていたことが大きいです。兵庫県の宝塚市という、中心部から離れた場所へ、舞台を見るために全国からファンが集まってくるのはすごいことです。名古屋でも宝塚のように、場所が関係なく人が集まるエンタテイメントをつくれるのではないかと思いました。――メンバーを選ぶ時の基準はあったのでしょうか?やっぱり、東京や大阪とは違うキャラクターのタレントを育てたいと思っています。それにボイメンは、まっすぐに夢を語る、そして夢を見られるグループだから、純粋じゃないとやれない。だから、一生懸命で真面目で夢を持っているかは選考の基準としてありますね。売れたら錯覚するような人に育てるつもりはないですし、今後の名古屋のタレントの見本になってほしいと思っています。よく、プロデューサーがひとりでタレントを選ぶとタイプが似てくるといわれるんですけど、うちの場合は見た目もキャラもばらばらです。それは、最初に舞台を作るときに、物語のキャラに合わせて選んだためですし、「何かひとつ取り柄がある子」を選んだためかもしれません。メンバーにはいつも、何かで一番になりなさい、自信を持ってやりなさいと言っています。※次回は1月22日(金)掲載の予定です西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トークラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2016年01月20日●『マッドマックス』は試写段階ですごいと思った社内の公用語が英語になったり、海外の会社と取引をしたり、ビジネスの中で英語を使うことが日常になっている人も多い昨今。「英語のプロ」である翻訳者は、一体どのようなことに気をつけながら仕事を行っているのだろうか。話題の映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の訳を手がけたアンゼたかしさんに話を伺った。<取材対象者>アンゼたかし映画『クリード チャンプを継ぐ男』『インターステラー』『ダークナイト ライジング』『ハングオーバー』シリーズ『シャーロック・ホームズ』シリーズ『マッドマックス 怒りのデスロード』(吹替・字幕)、『ホビット』シリーズ(字幕)、『ゼロ・グラビティ』『トータル・リコール』『永遠の僕たち』(吹替)、など多くの映画の字幕・吹き替え訳を担当。翻訳の専門校フェロー・アカデミー講師としても活躍している。○翻訳者に必要なのは、日本語力――英語に興味を持たれたのは、何がきっかけだったんですか?子どもの頃、家にあった洋楽のレコードの歌詞カードを見ていたので、その頃から興味を持っていました。職業にしようと思ったのは、大学時代です。就職活動の時期に、自分にはサラリーマンは無理かもしれないと思って。ずっと音楽が好きで、雑誌に載っている翻訳されたインタビュー記事を見て、この道もありかなと思いました。――音楽の翻訳から、映画の翻訳もされるようになったわけですが、その違いはありましたか?フリーになったばかりの頃は、CDのライナーノーツや歌詞を訳したりしてました。でも、歌詞はやっぱり難しかったですね。アーティストの世界観がわからないと、これはもっと意味が込められてるんじゃないかと悩んだり。韻を踏んでいることもありますしね。特にプログレの歌詞などは、これでいいのか? と……。映画の翻訳も難しいですね。説明的にならないよう気をつけて、原文の英語と等価値の日本語で表現することを心がけています。――英語の言葉も時代によって変わっていくこともあるのではそれに対しては、興味を持って見ていくしかないですね。映画、音楽、ドラマ等々、常にアンテナをはるようにしています。――そういうとき、仕事のことを思い出したりは若干ありますね。頭の片隅には仕事のことがあるんでしょうね。ここの表記はどうなのかなと気になるときもありますが、楽しんで見ていますよ。――映画の字幕には文字数制限などもありますが文字数が決まっているから、ギリギリまで使うということではなく、その文字数の中で、できる限りの表現をすることを心がけています。短めのセリフでも、その映画の雰囲気を伝えられる訳がいいのではないかと。○「人食い男爵」は「あしゅら男爵」「オマツリ男爵」から思いついた!?――アンゼさんは、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の訳を手掛けられたそうですが面白かったですね。字幕の入っていない状態のものを試写で見たときに、これはすごいなと思いました。――セリフは少なめでしたが……あの映画はシチュエーションやキャラクターを説明するセリフも少なく、いろいろなことがギュっと詰め込まれているので、そんな中で、どう世界観を伝えるのかは苦労しましたね。――人物の名前なども、悩まれたのでは輸血袋なんかはそのままなのですが、例えば、人食い男爵の場合は、元が「ピープルイーター」で、直訳すると「人食い」です。武器将軍は「バレット・ファーマー」。「バレット・ファーマー」も、「ピープルイーター」も偉い立場じゃないですか。それで、そういえば『マジンガーZ』には、あしゅら男爵、ワンピースにはオマツリ男爵ってキャラがいたなと思って、仮のつもりで「ピープルイーター」に人食い男爵という名前でつけたら、採用されて。「ピープルイーター」が男爵ときたので、「バレット・ファーマー」の方は、将軍はどうだろうということで、武器将軍になったんです。○解釈の難しかった「Mediocre」――『マッドマックス』では、「Witness me」というセリフも印象的でした何度か出てくるセリフですが、「おれを目撃しろ」という意味なので、そのままで「オレを見ろ」ということになりました。ほかにも、何度も出てくるセリフとしては、「Mediocre」というセリフがあるんですがこれは悩みましたね。直訳すると「平凡な、並の」ということなんですけど、ウォーボーイズの一人、ニュークスがはりきって失敗したときにイモータン・ジョーが言う「Mediocre」は、画に合わせて「間抜け」と訳しました。でも、ウォーボーイズのモーゾフが亡くなる場面で、同じくウォーボーイズのスリットも「Mediocre」と言っている。ここでは、「よく死んだ」と言う字幕にしたのですが、彼らは意味がわからなくて言っているのかもしれないし、イモータン・ジョーがいつも使っているから言ってるということかもしれないなと。――いつもイモータンが言ってたから、なんとなく流行ってたとか影響されてたのかもしれないということでしょうか?たぶん……。それと、ウォーボーイズたちは病弱なので、その死に方が悪い意味で平凡というわけではなく、彼らにとってふさわしい死に方をしたんだという記号でもあるのかもと思って「よく死んだ」と訳しました。●映画の翻訳には、全体を踏まえた上での解釈が必要○立川の爆音上映を観に行った――『マッドマックス』を翻訳してからの反応はいかがですか?会う人、会う人に「何回も見ました!」と言われましたが、そんなことは初めてですね。通常は、「よかったです」とか「あれはどういう意味なんですか?」というのが多いんですが。――ご自身は、映画館で見たりはされたんでしょうか僕自身も、公開になってから二回見ました。一回目は時間があいたときに普通に見に行って、二度目は立川の「極上爆音上映」を見に行きました。すごい音でしたね。映画って、効果音が大きくて聞こえないセリフもあって、そういうセリフは省略することもあるんです。でも、立川だと、音がいいので、小さなセリフも全部聞こえました。音が本当にクリアでしたね。――字幕をつける作業の間、何度くらい見るんでしょうか字幕制作ソフトを使いながら作業をすると何度も見ることになります。訳を作る上で大事なのは、このセリフはどことどうつながっているのかということ。ときおり、映画の中で意訳に見えることがあるとしたら、それは全体を踏まえた上での訳だったりもします。ドラマの帰結に向けてセリフのひとつひとつが成り立っています。全体をどう捉えて訳すかということが、翻訳者に問われる部分だと思います。――映画翻訳は、映画作品を解釈する仕事でもあるわけですね。そういうことは、最初から意識されてましたか?僕が師事した先生も「ドラマというのは……」「セリフのひとつひとつは……」とよく言っていたので」、実際に仕事をしてみて、やっぱり先生の言うとおりだと実感しています。数を見れば、この作品のここがポイントだということは分かるようになると思います。問題はそれを日本語のセリフでどう表現するのか、ということです。○翻訳者でも一度しか見せてもらえなかった『インセプション』――これまでで、印象に残っている仕事というのはありますか?たくさんありますが『インセプション』は、特に印象に残っています。世界同時公開ということで、日本だけでなく世界中で、公開まで関係者やマスコミに向けての試写を一切しませんでした。翻訳者の僕も日本では試写がないから、アメリカまで行って、秘密裏に一度だけ見せてもらいました。設定が夢の中なので、シーンが急に変わったり、一度見ただけでは、すべてを理解しきれなくて大変でした。吹き替え版の声優さんも、映像は見ていなくて、自分が話すときの俳優の口元だけが抜かれた映像を見て合わさなければいけない。自分が吹き替える俳優が後ろを向いていたら、口元が見えないわけです。だから、吹き替え版が完成したときには、よくできたと拍手をしたくなりました。――この仕事をやっていて、よかったなと思えるときはどんなときですか?実際に字幕を入れて、初号試写を見て、違和感がなかったときには「今日のビールはうまいかな」と思いますね。――自分で翻訳したものを、客観的に評価できないといけないんですねそれまでの作業は一旦忘れて、ひとりの観客として違和感がないかどうかを見るということは、最初はなかなかできませんでしたね。――この仕事をするうえで気を付けているのは、どんなことですか?翻訳家は作家とは違うので、個人のカラーというものはいらないと思います。作品のカラーに合わせて、カメレオンのようにセリフによりそう、ということを心がけています。――ありがとうございました西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トークラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年12月20日停滞した毎日に新風を吹き込む人生の“転機”は、幸せな人生に舵を切るために不可欠な存在。でも、この転機とは一体何なのでしょう?詩人、社会学者・水無田気流さんとライター、評論家・西森路代さんに女性にとっての転機を教えてもらいました。「就職、結婚、出産、転職…と、女性の人生はさまざまな選択の連続といっても過言ではありません。生涯未婚率は軒並み上昇。“専業主婦一択”だった昔に比べて生き方が複雑になっているぶん迷いも大きく、結婚や出産といった、いわゆる“女の幸せ”が“個人の幸せ”とイコールにならないケースも増えてきています」(詩人、社会学者・水無田気流さん)“女の幸せ”の定義がここまで複雑化している今こそ、自分の人生をいかに良い方向へ動かすかを考える必要がある。「まわりに流されてやみくもに転機を探すのではなく、まずは“自分がどんな生き方をしたいのか”を考えることが大事。無理に自分を変える必要はありませんが、“自分だけの転機を迎えたい”と思っているのなら、自ら能動的に行動していく必要も。その時のために、焦らずにしっかり準備をしておくことも大事です」(ライター、評論家・西森路代さん)みんなにも、このような転機はやってきているのか、聞いてみました。Q.人生にターニングポイントを感じたことはありますか?9割近くが「YES」と回答。ちなみに、「ターニングポイントを欲していますか?」という質問に対しては、7割以上の人が「欲している」と答える結果に。「ターニングポイントを、“自分が変われるきっかけ”というふうに捉えている人が多いようです」(西森さん)Q.ターニングポイントは自分で作りましたか?過半数以上の人が「自分で」と回答。この結果には、「転機は自分で努力した結果、導き出されるものだから」(25歳・広告)という頼もしい意見も。「周囲に“評価されにくい”状況の中で、能動的に転機を引き寄せている女性が増えているのでは」(水無田さん)Q.転機のきっかけは?1位:入学や入社、転職など、状況の変化。2位:新しい恋や結婚など恋愛の変化。3位:人との出会い。女性の生き方が多様化する中で、もはや仕事は恋愛以上に女性の転機を左右する要因となっているよう。「“メンター”(指導者)という言葉が一般に定着したように、“人との出会い”がきっかけに挙がっているのも、大きな特徴です」(西森さん)※『anan』2015年12月16日号より。文・瀬尾麻美(C)PeopleImages
2015年12月09日明治大学法学部から映画の道へ、助監督を経て31歳のときに分岐点を迎え、以来映画監督として数々の作品を撮ってきた篠原哲雄さん。最新作の『起終点駅 ターミナル』を11月7日に公開した監督に、その仕事論について伺った。――篠原監督は、大学時代は法学部専攻で、卒論は映画論だったとお聞きしました本当に私的な映画論でした。僕は法学部と言っても、専攻していたのが法文化論、法社会学だったので、法の周縁にあるもの、文化的な側面すべてをひっくるめて論文の対象にできたということもあり、あえて「極私的映画論」を書きました。担当教授の栗本慎一郎氏に映画で論文を書きたいと相談したら、映画の為の映画論ではなく、社会の為の映画なら書く意味があるかもと言われましたが、書いているうちに自分にとって何故映画なのかということを問いながら書いてしまった。個人的こだわりこそが普遍的なものにつながることを願いながらでしょうか。――実際には、どんな論文だったんですか?屁理屈こいてたんじゃないですか(笑)。当時の僕は、助監督をやったり、自主制作をかじったりしていました。でも、映画に目覚めるのは遅かったんですね。10代後半に面白いなと思い始めたので。だから、映画の為の映画論には興味がなかったので、自分がなぜ映画をやっていきたいかとか、自分で作った自主映画について、なぜこんな映画を作ったのか、ひょっとしたら世間には簡単に受け入れられないけど、そこにこそオリジナリティがあるのでは? という問いかけがあり、社会に対するアピールにもならないかと自問自答しながら書いていたと思います。でも映画っていうのは、光とか音とか構成要素があって、それによってできている。もし原作があったとしても、演出の仕方や、役者の表現によって、変わっていきます。だから、「映画というのは、人間を表現できる媒体だ」ということを、最終的には言っていたように思います。――映画というと、テレビで二時間のドラマを見るのと、映画館で二時間を過ごすのとは、違う感覚があるのですが、それは何なのかということも気になります映画は映画館に観客を縛るものだけど、テレビは途中退場してその間見ていなくても、すぐにその世界に戻れるようなところがないといけないかもしれません。映画は、ほかのことをすべて忘れて集中する時間を与えてあげないといけないと思うので、そこは意識してやっているつもりではあります。それが成功しているかは、観客の人が判断するんですけど。最新作の『起終点駅 ターミナル』でも、佐藤浩市さん演じる鷲田完治という男が法では裁けない罪を背負い自分に罰を与えながら、北海道の果ての地、釧路にやってきて、静かに密かに生きていく。25年の年月を経て本田翼演じる敦子という女性と出会い、彼は自分の過去を想起することになる。そして敦子の人生の痛みを知り事となり、敦子は完治によって彼女の起点へと導かれていく。そして完治も変わっていく。すなわち終点駅から起点として出発していく様をどう描くかがテーマでした。○監督の判断がすべてを左右していく――大学時代に、助監督と自主制作をしたというのは、どういう経緯だったんですか?僕らの時代ですと、プロになるためには、ぴあフィルムフェスティバルに応募して受賞する道がポピュラーになりつつありましたが、一方で、助監督という経験を積んで監督になる道もありました。僕の場合は、学生時代に映画サークルに入っていたわけでもないし、映画を基礎から学んだこともなかったので、修行が必要だと思ったんです。それで、あるシナリオスクールで出会った人が、実際に助監督をされていたので、その人にお願いして自分も助監督になったんです。その出会いがひとつの運命ですね。――助監督というのはどんなことをしていたんですか?最初は見習い助監督だったので、半分は衣装部だったり、小道具もやったりしていました。だから、エキストラに演技をつけたりしていると、照明さんに「なんで演技をつけてるんだ?」と聞かれて、「いや僕、助監督なんですよ」なんてやりとりをしたりもしていました。でも、この助監督の経験があったことで、映画というのは技術に基づいて作っていくもので、自分の観念だけではどうすることもできない、総合的な芸術なんだとわかりました。それに、監督というのは、ひとつひとつをジャッジする存在です。監督の判断が間違えば、その映画は間違っていくと思うし。助監督をしながらも、映画監督になるためには、自分なりのアプローチを磨いていかないといけないといけないなと思っていました。――そして、助監督から映画監督になるわけですが、その決断をするときに、戸惑いはありませんでしたか?助監督でそれなりに仕事ができる人は、仕事が途切れなくなるから、自分でそろそろつくるべきだという決断をしなければと思っていました。僕は自主映画として撮った『草の上の仕事』という作品がある映画祭で評価されたので、ここをひとつのステップにしようという気持ちが芽生えました。そのころ、助監督時代の先輩が新作を撮るということで、助監督をしてくれないかと頼まれたんですけど「モントリオール映画祭に行くのですみません」と断ったら、それが一つの宣言になった。あいつはもう助監督をやらないんだという認識になったんですね。31歳のときのことでしたけど、それが分岐点になりました。――それからは、自分の映画で生きていかないといけないわけですね映画会社に企画を持ち込んで、いいところまでいったのですが、それは実現せず、その代わりに別の企画を打診されました。それが『月とキャベツ』という作品になっていくのですね。『草の上の仕事』からだいたい三年経っていたんですが、その間も大変でしたけど、何かきっかけはあるだろうと、怖いもの知らずなところはあったかもしれないですね。○人の評価を受けて自分も変わっていくもの――監督は、『月とキャベツ』のようなスタイルの作品を自分が撮ると考えていましたか?僕はもともとロバート・デニーロの『タクシードライバー』が好きだったんで、ハードな社会的なメッセージの強い作品が好みだったんですね。でも、最初の作品のイメージというのはその後も影響しますよね。ファンタジックなラブストーリーが得意というイメージがついていきました。その後も『はつ恋』とか『天国の本屋』とか、人間の小さな機微を大切にする作品をふられることが多くなってきて、そんな作品をやっていくうちに、そういうスタイルの作品が自分の領域だったのではないかと思えてきたんですよ。でも、『タクシードライバー』も、ひとりの人間が事件に遭遇して、正義を見出していく物語です。その間に女の子を助けることになったりして。考えてみると、一番新しい『起終点駅 ターミナル』と言う映画も、釧路で鬱屈して生きている佐藤浩市さん演じるひとりの男が、本田翼さん演じる女性に出会う。人間のくすぶりを開放していく物語を、アクティブに描くか、内省的に描くかの違いであって、この二作品ってけっこう根本は同じなんだなと。大学時代の論文の、「映画というのは、人間を表現できる媒体だ」ということと、つながっているんじゃないかと思いました。――お話を伺っていると、作家性というものができていく過程が見えた気がしますねそうですね。作家性というものも、自分自身で決めていくのではなく、人がどう評価するか、観客がどう受け入れたかで変わっていくもので、それがあるから、今の僕がいるんだなと。いろんなことを経験した延長線上で、新たな映画も存在していくんだと思いますね。『起終点駅 ターミナル』■出演:佐藤浩市 本田翼中村獅童 和田正人 音尾琢真 泉谷しげる 尾野真千子■原作:桜木紫乃「起終点駅ターミナル」(小学館刊)■脚本:長谷川康夫■監督:篠原哲雄■主題歌/「ターミナル」My Little Lover(TOYSFACTORY)■配給:東映(C) 2015桜木紫乃・小学館/「起終点駅 ターミナル」製作委員会11月7日(土)全国ロードショー西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年11月09日○『テッド2』と『ど根性ガエル』の共通点映画『テッド2』を見たあとにドラマ『ど根性ガエル』を見ると、この二作品には共通点が多いことに気づきました。成人男性と、人間ではないが人間の感情を持つ相棒が主要な登場人物であるということや、人間以外の相棒のほうがタイトルにくること、成人男性と相棒は、子供のときから共同生活を送り、親友以上の関係性であること、成人男性がダメなキャラクターであることなどが共通点としてあげられるでしょう。ぬいぐるみのテッドとジョンは30年近くを共に過ごし、平面ガエルのピョン吉とヒロシも16年を一緒に過ごしました。また、テッドはクマのぬいぐるみであるだけに、人間と同じ生活をしていても、所有物と判断されると、その尊厳をはく奪される恐れが描かれているし、ピョン吉は、カエルの寿命よりもすでに長く生きているために、いつか死んでしまうのではないかという恐れが描かれています。テッドとジョン、ピョン吉とヒロシの間には、長年一緒に生きてきたのに、かけがえのない存在を失うかもしれないという恐怖があるからこそ、親友以上のより強い感情、それも、どこかホモソーシャル的な(ミソジニーやホモフォビアがあるかないかはおいておくとして)関係があることも感じられます。○京子ちゃんの「人として仲間に入れてよ」そして、もう一つ共通するのが、ホモソーシャルに関わってくる女性の存在です。『テッド1』では、ジョンには、広告代理店に勤務する彼女のローリーという存在がありました。ところが、『テッド2』では早々に別れていることが示され、テッドとジョンの前には、見習い弁護士のサマンサという女性が現れます。一方、ヒロシの場合は、幼なじみで離婚したばかりの京子ちゃんが町に戻ってきます。ヒロシは、京子ちゃんが離婚して町に帰ってきた途端、京子ちゃんにプロポーズをします。でも、小学生の時と何ら変わらないヒロシに京子ちゃんは「バカ」と一蹴。その後、同じくヒロシや京子ちゃんと同級生で区議会議員選挙に立候補しているゴリライモにも、「当選したら結婚してほしい」とプロポーズされます。そんなふたりに対して京子ちゃんの言う「そうじゃなくてさ、人として仲間に入れてよ」というセリフは、心に刺さった人も多く話題になりました。京子ちゃんが、涙ぐみながら「人として仲間に入れてよ」と願うのは、ヒロシにもゴリライモにも、自分を選挙と言う勝負事の結果によってもたらされる商品のように(トロフィーワイフのように)扱わないでよという意味にとれました。○テッドやジョンから「仲間」として受け入れられたサマンサさて、『テッド』の場合はどうでしょう。『テッド1』では、代理店勤務のローリーは、テッドとジョンの強すぎるホモソーシャルな関係性に対して辟易していました。だから、その関係をあきれ気味に揶揄してもいましたし(その揶揄がテッドとジョンにホモフォビアの感覚を呼び起こしたりもします)、男と男の友情と、男と女の恋愛は別であるべきと考えているように見えました。ローリーは、「私と仕事どっちが大事なの?」ならぬ、「私(との恋愛)と、テッド(との友情)どっちが大事なの?」と二者択一を迫るタイプの女性でした。だからこそ、『テッド2』では、早々にローリーとジョンは別れていることが描かれます。ところが、この映画が面白いのは(あれだけ差別発言があったり、ミソジニーが強いにも関わらず)、『テッド2』で登場した若くて美しいサマンサを、なぜだかテッドもジョンも「女」として見たり「性愛」の対象として意識していないところなのです。サマンサは、テッドやジョンと最初からかなり自然に仲間として存在していて(女性がホモソーシャルに認められるのにマリフアナという不良な趣味が一致したというのは、ちょっとわかりやすすぎますが)、三人でテッドの裁判のために図書館で調べ物をしたり、旅に出たりもする。もちろん、そこは映画なので、恋愛感情は生まれないこともないのですが、サマンサは、ローリーのように、ジョンに「恋愛と友情、どっちが大事なの!」と詰め寄るようなことは、この先もないでしょう。なぜなら、ローリーとジョン、そしてテッドは、まず友情があり、「仲間」であったからだと思います。○ホモソーシャルに関わってくる女性の変化京子ちゃんが「人として扱ってよ」というのも、この話につながっているのではないかと思えます。京子ちゃんは、「みんなと同じで、友情でまずつながらせてよ」という気持ちを、あの言葉に込めていたのではないかと思うのです。でも、ヒロシだってわかっていたのです。京子ちゃんに聞かせようと彼女のアパートの前で、ピョン吉と漫才をするヒロシの、「当たり前じゃないですかそんなこと、だって幼なじみですよ、ガキの頃からずっとずっと見てきたんだ。昨日今日ちょっとかわいいから惚れたのとはわけが違うんですよ」「決まってんじゃないですか。人として仲間なのなんて当たり前じゃないですか。何があったってね、仲間は仲間ですよ、死ぬまでね。いや、死んだって仲間だよ、そうでしょピョン吉くん」という言葉は、京子だけでなく、死期の近づいているピョン吉に言っているようでもありました。実は、死ぬかもしれない(テッドの場合はさらわれていなくなるかもしれない)男の友を男がどうするかというのは、ホモソーシャルを描いた作品(例えばやくざ映画など)の定番でもあります。そして、ホモソーシャルを前にすると、女性は仲間ではなく、性愛の対象でしかないというのも定番だったのです。『テッド1』はまさにその構図で終わっていたのですが、『テッド2』と『ど根性ガエル』は、そこから一歩進んで、男性と女性が性愛の関係ではなく「仲間」になるにはどうするかということを描いているということで、共通していると思うのです。<著者プロフィール>西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。※写真と本文は関係ありません
2015年09月18日ミュージカル『テニスの王子様』舞台『弱虫ペダル』『デスノート The Musical』『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』など、日本が誇る多くの漫画・アニメ・ゲームを原作とし、舞台化した「2.5次元ミュージカル」。2014年3月に発足した一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会は、世界を視野に一体どのような展開を考えているのだろうか。代表理事の松田誠氏にお話を伺った。○それぞれの会社の個性がある――現在、日本2.5次元ミュージカル協会の作品には、海外に目を向けた作品もたくさんありますよねそうですね。『デスノート The Musical』なんかは、英語で台本を作ったりしていて、韓国でもミュージカル化されて、JYJのジュンスさんが出演しています。でも、たぶんですけど、ジュンスさんも、単に日本のミュージカル作品だから出たいっていうのではなく、原作ファンだからっていうことが大きいのではないかと思うんですよね。――確かに、ジュンスさんは、幼少時から『デスノート』原作の熱烈なファンと公言しているようですね。『デスノート The Musical』の場合は、ほかの舞台と違って、海外でその国の人が演じるという海外進出を推し進めていますよね『デスノート The Musical』の場合は、やはり最初から欧米を狙っているんだと思います。『デスノート The Musical』のホリプロ、舞台『弱虫ペダル』のマーベラス、『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』のネルケプランニングと制作もそれぞれ違うし、作品性も違う。それぞれのアプローチ方法で、海外戦略については考えています。そうした考えや戦略を協会で共有し情報交換しながら、最終的にはオールジャパン体制で海外に臨もうと考えています。――でも、ネルケプランニングの代表取締役である松田さんが、なぜそこまで全体の音頭をとって盛り上げようとするんだろう? という目線もありそうですよねそれはよく言われます(笑)。「なんで、そんなことをわざわざやってるの?」って。でも、2.5次元ミュージカルっていうのは、日本の財産だと思うんです。独り占めしようなんてそんなしょぼいことをするよりも、ちゃんと道を作れたほうがいい。僕だって20年もたてばおじいちゃんになりますよ、それなら、細い道をうちの会社だけで作っていくよりも、大きな道をみんなで作っていくほうがいいじゃないかって思うんです。――そういうことを意識したきっかけってあるんでしょうか僕は、2.5次元ミュージカルは、日本発のオリジナルミュージカルとして十分世界で通用できるコンテンツだと思っています。でも、国レベルで考えた時に、そういった認識をされていない。韓国なんかは、K-POPや韓流をアジアに持っていくときに、オールコリアできていたというのに、このまま1社でやっていても、なかなか広がらないと思ったんです。ジャパン エキスポなんかでも、協会があれば、ちゃんとブースを出したり、スポークスマンを派遣したりできますよね。会社単体だと難しいことも、協会があればできることが増えるんです。○協会に属するのはコンテンツ保有社だけではない――いま、松田さんは、ネルケプランニングの代表取締役として、日本2.5次元ミュージカル協会の代表理事として、海外戦略をどう考えてらっしゃいますか?シンプルだけど、まずはアジア市場での展開をと考えています。今は中国でも、オリジナルの2.5次元舞台が出てきているみたいなんですね。国内でヒットしたゲームのミュージカル化なんですけど。そんな風に、いずれは日本発からアジア発のムーブメントになればいいなとも思うんです。協会全体としても、やはりまずはアジア市場ですね。テストマーケティングの意味も込めてライブビューイングを実施しています。また、実際の公演もミュージカル『テニスの王子様』が香港、台湾、韓国で、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」が上海、『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』がマカオ、マレーシア、シンガポール、『デスノート The Musical』に関しては、冒頭でも出ましたが、韓国人のキャストによって韓国で公演が行われています。ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」に関しては、海外からの問い合わせもかなり多くて、ブラジルやアメリカにもコミュニティができているんです。――国内で、海外からの観光客向けの試みなども始まっているのでしょうかオリンピックに向けて、海外からの興味が増えることが考えられますし、今は、実績作りの段階ですね。インバウンドのお客さまにも見てもらいたいと思い、渋谷区の観光協会と協力して、ハチ公前にある"青ガエル"を始めとした数カ所の観光案内所や、渋谷区内のホテルにチラシを置いてもらったりしています。このチラシを見て、実際に2.5次元ミュージカル専用劇場「アイア 2.5 シアタートーキョー」に来てくれるお客さまもいます。京都の駅ビルにある京都劇場にも、そういった外国からのお客さまも多いようです。やはり、日本に来たら、日本ならではのものが観たいと思うんです。海外でも人気の高い漫画やアニメ、ゲームを原作とした2.5次元ミュージカルについてご案内していただくと、とても興味を持ってくれるようです。――海外から見に来るときに、気になるのはチケットなのですが、その辺はどうなってるんでしょうかそこに関しても、海外からチケットが買えるサイトを協会で準備しました。今までは海外から公演を見に来るのに、わからないことや不便なこともあったかもしれませんが、協会ができたことで、環境がやっと整ってきています。――日本2.5次元ミュージカル協会では、情報の共有も進んでいるんでしょうかそうですね。どんな国でどういう漫画が読まれているかを調べたり、ライブビューイングの実績等のリサーチを共有していたりします。ぴあ総研さんにもご協力いただき、2.5次元ミュージカルの市場分析もしています。また、クリエイターの情報も共有しています。ファンに向けては、ミュージカル『テニスの王子様』舞台『弱虫ペダル』といった各演目ごとではなく、協会が紹介する演目についての情報を、なるべく早く届けられるよう"2.5フレンズ"という会員組織も運営しています。協会での情報共有は会員の皆さまにとっても、お客さまたちにとってもマイナスは全くないと考えています。――今は協会には何社が参加されているんですかすでに74社にご参加いただき、更に協会の活動を知って今もなお、入会の申し込みが続いています。――どういう会社が参加されているんでしょうかプロダクションや広告代理店ももちろんいらっしゃいますが、多種他業種の方たちにご参加いただいています。観光業、システム開発会社など様々です。――これからの2.5次元ミュージカル全体に対するビジョンというのは、どうお考えでしょうか協会としては、2.5次元ミュージカルというものを、世界的にスタンダードにすることですね。ブロードウェイのミュージカルには、それだけで見にいこうと思えるくらいの信頼がありますよね。それってスタンダードだからだと思うんです。2.5次元ミュージカルも、世界的なジャンルにするというのが目標です。それも、10年とか20年ではなく、5年でやりたいと思っています。でも、海外戦略ももちろん考えていますが、国内においてもブームで終わらせず、しっかりとしたジャンルに育てたいと思っています。そのひとつが渋谷の専用劇場「アイア 2.5 シアタートーキョー」の運用で、ここでは、海外からのお客さまにむけて「字幕メガネ」も導入しています。国内外に向け、2.5次元ミュージカルを日本発、世界標準ミュージカルとして発信し続けたいと思います。――ありがとうございました西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年08月07日ミュージカル『テニスの王子様』舞台『弱虫ペダル』『デスノート The Musical』『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』など、日本が誇る多くの漫画・アニメ・ゲームを原作とし、舞台化した「2.5次元ミュージカル」。2014年3月に発足した一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会は、世界を視野に一体どのような展開を考えているのだろうか。代表理事の松田誠氏にお話を伺った。○観客が求めていることを見極める――2.5次元ミュージカルというとミュージカル『テニスの王子様』が今となっては代表的だと思いますが、ミュージカル『テニスの王子様』以前というのは、どういう状況だったんでしょうかそれまでにも2.5次元ミュージカルと呼べる作品はけっこうあって、古くは宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』(1974年)がそうですし、僕のほうでも『HUNTER×HUNTER』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『姫ちゃんのリボン』などの舞台化に携わり、2.5次元ミュージカルのはしりのようなことをしていました。『テニスの王子様』は、漫画でもアニメでも人気があって、舞台化できたらいいなと思っているときに、演出家の上島雪夫さんのダンスを見て、この人とだったらいけるんじゃないかと思って、原作を持って会いにいったんです。そうしたら、「わかった、やりましょう」と言ってくださって。先生のセンスにかけていたので、そこで「うん」と言ってもらえなかったら、今のような2.5次元ミュージカルもなかったかもしれませんね。――2.5次元ミュージカルに世の女性たちが惹かれる理由はなんだと思われますか?そもそもミュージカル『テニスの王子様』の場合は、恋愛の話でもありませんよね。でも、その物語の中の関係性が美しくて汚れがない。女性は良い意味で夢やイメージや妄想の世界に投資が出来るのだと思うんです。男性の場合はもう少し俗的な意味合いが強い。だから握手会等に行くのではないかと。もちろん、舞台によってはもっとフレンドリーに接したいというものもあるかもしれませんが、やはり即物的なところは少ないんじゃないかなって。『テニミュ』(ミュージカル『テニスの王子様』)を見ている人は、キャストと握手したいという思いよりも、ちょっと距離のあるところから、つまり舞台上にいる彼らを見ていたいと思っているような気がします。――その違いをちゃんと見て対応するのは思ってるよりも難しいことではないでしょうか僕の場合は姉がいるということもありますけど、「男くさい」気持ちのほうがわかりにくくて、女性の気持ちのほうが共感しやすいってことはあるんですよね(笑)。それに、2.5次元ミュージカルを見に来てくださる女性だって、お金に余裕がある人ばかりじゃないわけだから、演目を吟味したいですよね。そうなると、自分が欲しているものと合っているものにお金を使うと思うんです。人気のあるコンテンツだからとか、人気漫画が原作だからってなんでも見にいくかというとそうじゃない。なんなら好きだった作品だからこそ、その世界観が崩れるとアンチにもなることがあります。だから、いかにファンの欲求にフィットするかをちゃんと考えないといけないんですよね。――あと、これは自分の場合もそうなんですが、ドラマや映画の中で原作があるなしに関わらず、キャラクターをその役に似合った人が演じていると 、ファンになるということは多いですそれもありますね。例えば『イタズラなKiss~Love in TOKYO』に主演の古川雄輝くんが中国で人気と聞きましたけど、それも、物語の中の入江直樹というキャラクターに古川くんがあっているということで注目されたわけですよね。そういう話を聞くと、キャラクターと俳優を結びつけて見るということに、女性は長けていると思いますね。でも、物語に対して思い入れがあるからこそ、その思い入れを裏切ると見てくれなくなることもあります。やはり、舞台を作るときに、原作の世界と、全体の空間がフィットしていないといけないということは、いつも気にかけていますね。だから、『テニミュ』と、舞台『弱虫ペダル』のアプローチはやはり違うものなんです。例えば、『テニミュ』のアプローチを舞台『弱虫ペダル』にそのまま持っていくと、「なに歌ってるの?」って思われたりもするでしょうね。作品によって求められているものが違うんです。○プロデューサーの役割は――その求められていることが違うことを見極めるのは誰になるんでしょうかそれはやはりプロデューサーだと思います。最初のビジョンを考えてからじゃないと、スタッフィングできないですからね。設計図を描いてから、誰に託すかを決めるのはプロデューサーの仕事なんです。その後は設計図をもとに話し合っていきます。『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』は、『テニミュ』のように、キャラクターにハマるタイプの人気というよりは、その物語や普遍的な世界が好きという人が多いと思うんですね。だから、僕は『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』を手掛けるときに、ファンの納得するビジュアルにとことんこだわって、再現率をどこまであげるかに力を注いだんです。「ここまで本気でやってくれるんだったら見に行ってやろうじゃないか」って、そう思ってもらわないといけないなと思ったんです。その上で、例えば『NARUTO-ナルト-』に出てくる大蛇丸(オロチまる)というキャラクターの怖さを舞台上でどう表現するかと考えた時、何か、漫画とは違うやり方を探さないといけない。そこで、歌を使うことにしたんですけど、原作の世界を表現するときに、どういうことをすれば一番効果的なのか、それは作品によってぜんぜん違いますね。――舞台を作る上で、やっぱり稽古や本番を経て変わっていくもんですよね。その辺はどうとらえられていますか?もちろん客席でお客さまの反応は見てますね。これは良いところでもあるし、悪いところかもしれないのですが、演劇って最後の最後までねばれるんですよね。だからと言って、最後が一番良いってわけではなくて、初日には初日だからこその緊張感もあるし、日によって楽しみ方も違います。まったく同じものはないというのは、ライブならではの面白さですよね。――そんな舞台でかなり重要なのがキャスティングじゃないかと思うんですが、こだわっていることって何ですか?実は容姿を似せることはそんなに大変じゃないんですよ。髪型やメイク、衣装である程度なんとかなります。もちろん、体格とかは変えられないんですけどね。でも、もっと重要なのは、役者がそのキャラクターと同じ"種"を持っているかなんですよね。例えば、リーダー格のキャラや正義感のあるキャラを、そういう"種"のない人では演じられないんです。――キャスティングのためのオーディションはどのようにやっているんでしょうか書類審査が終わってからの面接が全部で3~4回くらいありますね。僕の場合は、絞り込まれてから面接をするのですが。一応は役ごとにオーディションはしてるんですけど、面接を重ねるうちに、「こっちのほうがいいんじゃないか」ってことは多いんです。それで、別の役のセリフを読んでもらって、オーディションを受けたのとは別の役になることも多いんです。それに、「この役のセリフ、一回も読んでないのに、この役に決まったんだけど……」なんて役者さんたちが言っているということもあります。見ているのはセリフを読んだときの感じではなく、その人の中にある"種"なんですね。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年08月05日「2.5次元ミュージカル」という言葉をきいたことがあるだろうか? ミュージカル『テニスの王子様』、舞台『弱虫ペダル』、『デスノート The Musical』、『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』……日本が誇る多くの漫画・アニメ・ゲームを原作とし、舞台化したこの分野は、今大きな注目を浴びている。2014年3月に発足した一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会は、世界を視野に様々な企業が力を出し合い、発展し続けている。日本の文化を世界に発信するためにどのような施策があるのか、協会を発足したメリットはどこにあるのか、またどんな人が活躍できるのか。日本2.5次元ミュージカル協会代表理事 松田誠氏に話を伺った。○「舞台はビジネスになりにくい」というイメージを払拭したい――松田さんは、俳優もされていたそうですよね。今のような仕事に関わるようになったのはどういう経緯だったのでしょうか25歳まで俳優をやっていて、26歳で辞めて会社を設立しました。俳優を辞めようと思ったのは、あるCMのオーディションを受けにいったときに、控室に30人くらいの人がいたことがきっかけです。見渡すと、自分よりかっこいい人、背の高い人、芝居のうまい人、個性のある人がいっぱいいるように思えた。そのときに「俺は、30人の中で一番になれなかったら、東京でも、日本でも勝てるはずがない。これはダメなんじゃないか」ってふと。当時からすでに制作なんかもやっていたので、役者ではなく、裏から演劇を活性化したほうがいいんじゃないかなって思ったんです。当時はバブル時代で、ビジネスショーや見本市などで芝居をプロデュースしてたりもしたので、そのお金を元手に、本を読んで、登記セットを購入して、法務局の方にいろいろレクチャーしてもらって、舞台制作会社を立ち上げました。――役者をやっていたことが、今の仕事の役に立っていたりしますか?俳優をやっていたので、役者のメンタルがわかりますね。でも、どちらかいうと、俳優時代からしゃべることや人前に立つことが嫌いではなかったというメリットのほうが大きいですね。経営者って、会社の顔であり営業でもありますからね。どこに行っても臆することがなかったので、それはよかったです。――2.5次元ミュージカルの転機になった作品は何だと思われますか?以前は2.5次元という言葉もありませんでした。ファンの方から自然発生したもので、意識したのは3年くらい前からでしょうか。やはりミュージカル『テニスの王子様』がヒットして、たくさん人の話題にのぼったり、こうして取材を受けたり、フィールドが広がってきましたね。以前は、演劇というだけで、「大変ですね」「お金にならないでしょう」と思われがちで、ビジネスになるものだと認識してもらえてなかったんです。成功例がないと、良い人材は集まりません。だから、会社の顔として自分もなるべく前に出るようにしています。例えば昔の演劇人が現在に生まれていたら、果たして演劇を選んでいたでしょうか。もしかしたら、演劇人の何人かは、ゲームクリエイターの道を選んでいたのかもしれないなと。だから、いろいろな分野で活躍している才能が、今の演劇界にも入ってきたら、もっといい作品ができるんじゃないかと。そういうメッセージを出すべく自分がスポークスマンになろうと思っています。――2.5次元ミュージカルの動向を見ていると、そういうマイナーなイメージは払しょくしているようにも思いますそんなことはないですね。まだまだ見ていない人もいっぱいいると思います。100人いて1人でも見ているかどうか……。まだまだ市民権は得ていないと思います。――現在、『テニミュ』(ミュージカル『テニスの王子様』)の動員数はかなり増えているんじゃないですか?『テニミュ』を見ている人は、ライブなども入れて昨年一年間で全国延べ30万人います。それでもやはり、まだまだだと思います。○演劇プロデューサーを名乗るわけ――松田さんがスポークスマンを務めていることや、協会を設立したことで、2.5次元ミュージカルを支える人材というのは現れ始めていますか?僕は、こだわりを持って演劇プロデューサーという肩書きを使い続けているんですよ。この仕事って、これまではプロダクションにいて辞令を受けた人がやってることが多かったと思うんですね。でも、演劇プロデューサーっていう職種があるということが知られれば、そういうところ以外からも、若い人材が入ってくるのではないかと思うんです。最近は、舞台のチラシを見ても、プロデューサー表記がちゃんとされていることが多くなりました。確かに、ものすごく小さな舞台でゼネラルプロデューサーって書いてあると、もうちょっと頑張ってから「ゼネラル」は使ったほうがいいんじゃないかって思ったりすることもあるけど(笑)。でも、みんな背負ってるんだなと思うんです。――今はそういうことを学ぶ場なんかも増えてきているんでしょうかそうですね、専門学校や短大なんかでも、演劇のプロデューサーコースというものはあります。でも、そこで学ばないとできないものでもないですから、やりながら覚えていくということもあると思います。例えば、プロダクションで演劇に関わっていた人が独立して演劇プロデューサーになる場合もありますし。それに、そういうことを学べる場としても日本2.5次元ミュージカル協会は機能しています。――具体的には、どういうことができるんでしょうか例えば、日本2.5次元ミュージカル協会の協会員となっている会社には、旅行会社とかメーカーとかもあるんですね。そういう会社の人が、プロデュースすることがあったっていいですよね。演劇プロデューサーって免許があるわけじゃないので、版権とって会場予約して、役者にオファーしてってやっていけば、できるんですよ。テレビ局のプロデューサーになるには、テレビ局に入社しないと難しいかもしれないけれど、演劇のプロデューサーになるには、もちろん舞台を作るための知識は必要ですが、どんな企業や団体の方でも出来なくはないと思うんです。高校生や大学生も、舞台の公演をやっているんですから。それに、今は、原作もドラマ化、映画化に加えて舞台化を考えている時代ですから、話を聞いてくれるんじゃないかと思います。――欧米だと演劇プロデューサーというともっと確立した仕事だったりするんでしょうかそうですね、名門大学を出て、エリート証券マンになるか、演劇プロデューサーになるかで悩む、みたいな状況もあるんです。ブロードウェイの舞台、ロングランで何十年も続く企画であればビジネスとして大きいし、ファンドを集めたりする部分でも証券マンと似たところもある。当たれば海外に権利を輸出することもできるし、中には億万長者になる人だっています。そういう仕事であると認識されているから、人材も集まるんですね。日本にはまだまだそういうイメージはないからこそ、僕自身が演劇プロデューサーとして、こうしたことを伝えていきたいと思うし、確立させたいと思っています。※次回は8月5日(水)更新予定です。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年08月03日女性が主人公のドラマや映画には嫉妬がつきものです。最近見た、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』には女性同士の嫉妬がなくて新鮮でしたが、まだまだドラマの世界では女性の嫉妬がテーマのものは作られ続けるのかもしれません。現在放送中のドラマで嫉妬が描かれているといえば、『エイジハラスメント』があります。第2話までのあらすじとしては、総合商社に入社してきた武井咲さん演じる新人の吉井英美里(22)が総務課に配属され、稲森いずみさん演じる大沢百合子(40)や総部部の女性たちから、その若さゆえにやっかまれ、また総務部の男性たちからは若さと美貌だけを利用されて板挟みとなり、毎回、英美里の怒りが頂点に達すると「てめえ、五寸釘ぶちこむぞ」という決まり文句が出てきて、突然ぶちキレるという……、もしかしてこれはコメディなのかもしれないとも思えてくるドラマです。○「てめえ、五寸釘ぶちこむぞ」とキレるポイントは?しかも、英美里がキレるポイントが不安定です。第1話では、英美里は苦労して総合商社に入れたと思ったら配属が総務部と決まった瞬間に、小声で「てめえ、五寸釘ぶちこむぞ」とつぶやき、また最後には、自分を若さだけで扱う竹中直人さん演じる総務部長と、「お茶出しも雑用も後で役に立つ大事な仕事」と注意する大沢課長と、男性たちから特別扱いされていることで協力をしぶる同僚女性という全方位に対して、再び「てめえ、五寸釘ぶちこむぞ」と怒りをぶちまけてしまいます。さすがにここまで言ってしまって会社にいられないと思った英美里は、第2話の冒頭で辞表を出しますが、家に借金があることを思い出し、辞めることを撤回。雑用も真面目にやろうと決心します。それなのに今度は、繊維二課の増田(高橋光臣)との不倫疑惑をかけられます。そんな英美里が第2話でキレるのは、乗り込んできた奥さんに「お前イタいんだよ、40歳らしくしてろ」と告げる増田に対してでした。第2話にして英美里は増田の奥さんという他人のためにブチ切れるので、ちょっとだけスカっとできそうなものなのですが、そうとも言えません。なぜなら、第2話の途中で、英美里が麻生祐未さん演じるベテラン一般職のことは「イタい」と言っておきながら、旦那も子どももいる大沢課長のことは「イタくない」などというセリフがあったり、増田に対しても「脳みそ垂れ流しまくりの若いだけのバカ女としか付き合えないの」と若い女子までも敵に回すようなことを言ったりしているために、モヤモヤが残るのです。○原作の小説ではパート主婦が主人公ところが、気になってこのドラマの原作を読んでみたら、今、ドラマを見てツイッターで突っ込んでいる人たちが、絶賛ツイートをするのではないかと思われる内容でした。小説では、パートの主婦の蜜(34)というドラマにはないキャラクターが主人公です。蜜は自分より年上の40代女性が「今の自分が一番輝いている」などと強がっている(ように見える)ことをイタいと思いつつ、自分も日々失っていく若さに対して異常な恐怖心を抱いています。そんな蜜に対して、若さを誇示してくるのが、旦那の妹で女子大生の英美里でした。小説の英美里は、一貫して自分の若さだけに自信を持っていて、若さのない蜜に対してはイジワルです。でも、若さを蜜につきつければつきつけるほど、英美里が若さ以外に自信がないことが透けて見えるのでした。ドラマでは、この英美里が主人公になるわけですから、そこまでイジワルにも描けません。しかも、ドラマ版では、最後に必ず「てめえ、五寸釘ぶちこむぞ」という、原作にはまったく出て来ない決まり文句で、表向き「スカっ」とさせないといけないわけですから、企画に忠実になればなるほど、小説のキャラクターがブレてしまうのは否めません。でも、もしも世の女性がスッキリできるドラマにしたいのならば、英美里が世にはびこるエイジハラスメントに対して疑問を持っている人なのか、実はエイジハラスメントに対して自分だけは無関係でありたいのか(小説版の英美里は若さが男性社会に対して利用できるものだと自覚しているキャラクターです)、白黒はっきりしているほうがよかったのではないかとも思えるのです。小説のあとがきで、著者の内館牧子さんは「言われた本人たちにはオバサン意識もなく、ババア意識もないのに、他者が勝手に女の立ち位置を決める。それが日本の現実ではないか」と、2008年の時点で綴っています。私が、このドラマを2話まで見て感じたのは、「なぜ全ての女性が、若いか若くないかという尺度を基準に生きていて、そのことで嫉妬しあうことになっているのだろう」という疑問でした。そういう意味では、小説のテーマであった「他者が勝手に女の立ち位置を決める」ということを、ドラマを見て強く感じているとも言えるのですが、現時点では、ドラマ版が、最終的にこのテーマに対してのスカっとした答えを出してくれるのか、まだちょっと心配しながら見ています。※写真と本文は関係ありません<著者プロフィール>西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年07月21日働く女性たちに、キラキラしただけではないリアルなエピソードを聞いていくこのシリーズ。今回は、新卒からずっと企画職に携わってきたのに、異動でこれまで働いていた内容とまったく違う部署に配属され、今まで出会ったことのないタイプの人たちとの仕事に戸惑っているKさん(35歳)に話を聞きました。女性の中間管理職の板挟み感が伝わってくるインタビューになりました。○店の中でのヒエラルキーが決まってしまった――会社に入ったときはどんな仕事をしていたんですか?さまざまな企画を実行していました。上司はいるけれど、部署の人はみんなそれぞれの仕事を持っていて、独立している感じでしたね。だから、前の部署ではさほどストレスはなかったんです。――それが、今の配属先ではどのように変わってしまったんですか?販売の部署配属されたので、まず休みが土日ではなくなりましたね。それと、今まで企画の部署にはいなかったような、叩き上げ系というかヤンキー系の店長の上司と、接客一筋の女性と、一緒に働くようになりました。――叩き上げ系の店長はどんな人なんですか?熱くていいところもあるんですが、その反面、自分のできないことを隠すために威嚇してくることもありますね。お店では 接客もあるけど、バックヤードでの準備もありますよね。私がバックヤードのコンピューターで、必要な資料作りをしていたら、その間に店舗でお客さん同士トラブルがあったようで、それに気づかなかったことで、大声で「何やってんだ!」と怒られてしまいました。――怒鳴られてもそのあとは普通に仕事できるもんですか?それがケロっとしてて、そのあとはちょっと悪かったな、みたいな感じで気を使われたりもしました。怒鳴られて困ったのは、ほかの店員に、「この人は店長が怒鳴った人だから舐めてもいい人だ」とみなされたことですね。――それはどういう風に……怒鳴られたことで、お店の中でのヒエラルキーが決まってしまった感じで、私の提案がことごとく聞き入れられない感じになっていきました。何を提案しても、反対する意見ばかりが寄せられて。それに対して、私は「反対するなら代案を出すのが前にいた部署でのルールです」と会議で言ったんですが、代案は出してくれないんですよね。――企画系だったら、すぐに代案が出せるか もしれないけれど、ずっと接客だった人だと、なかなかすぐには代案って出せないことはあるかもしれないですねそれだけじゃなくって、仕事の分担なんかの提案も、これはイヤだ、私にはできないということで、却下されるようになりました。でも、そこで叩き上げ系の店長の凄さがわかったんです。○店長の扱いも完璧なバイト学生たち――叩き上げには叩き上げのメソッドがあるんですね私は分担を勝手に割り振っていたのですが、叩き上げ系店長は、その分担を一旦白紙にして、本人と話しながら決めていったんですね。こういう風にすれば、人は受け入れてくれるのかと思いました。――自分で選ぶっていうのは大事ですよね。ほかに、どんなことがお店にいるとありますか?バイトで来ている大学生がみんな優秀で気が利いてかわいかったりかっこよかったりします。なんとなく、店舗の空気も、その大学生たちが決定している気すらするくらいで……。――店長も年上の女性社員もいるのにバイトの大学生が空気を決めるんですか?そうなんです。叩き上げ店長の扱いも完璧で。最近の若い子、特に女子によくあるんですが、すごく自分のことを謙遜するんです。で、口でいろいろ意見してと言ってもなかなか答えてくれないんですが、こういうことが知りたいので、まとめて来て、とお願いすると、ものすごい詳細なレポートができていたりして。私が扱いかねている女性社員の気持ちも、店長の気持ちも、完全に掌握してますし、もうついていくしかないなと……。――最近の若い子は、全方位的に優秀なんですねただ、優秀なぶん、私の失敗とかにすぐ気づいてチクられるのはちょっと……という感じではあるんですが(笑)。――今、Kさんは会社に入ろうとしたときにしたかった仕事とは別のことをしているわけですが、今後はどうしようと考えているんでしょう?今は、新しい職場でなんとかうまくいくようなメソッドを見つけることが楽しくなってはきています。ゲーミフィケーションじゃないですけど、こういう風にやったら、叩き上げ系の店長も納得させられるのかなとか、そういうことがわかるとうれしいし。それで、ビジネス書を読んでそのまま実行してみたり。――どんなものを参考にしているんですか?デール・カーネギーの『人を動かす』を読んでるんですけど、まだリンカーンがいかに凄いかのところなので、そんなに役に立ってないですし、周りの友人には「自己啓発書をそのまま実行するのはどうなの!?」とつっこまれたりもしています(笑)。でも、大学を卒業してからずっと、同じような人の中にいたので、こうして、今まで全然会ったこともないような人と仕事をすることも、経験になるのかなと思って。叩き上げ系上司に、「店長がいないとやっぱりダメですよ」って言ったら、すごくうれしそうに協力してくれたりとかもあったので、もし、その経験がうまくフローできたら、今の部署でも、別の部署にいっても、楽になるかもしれないなと思ってるんです。○まとめ今までのこのシリーズのインタビューでも、自分には合わない職場にいったときに、いかに頑張ったり抗ったりしてみるかということが、後になって役立つということは多いようです。でも、あまりにも合わないところにいるのに、それに過剰に適応しようとしすぎるのもオススメはできないので、見極めも必要そうです。Kさんの場合は、会社の給与体系などがしっかりしていることなどもあり、今は試行錯誤している真っ最中のようです。なんとか自分で仕事に対するモチベーションを見つけて楽しもうとしているところを見ると、中間管理職として、うまく上司や部下とやっていく方法を見つけられるといいなと、素直に思いました。西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トークラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年07月16日