7月にファンクラブ会員に向けた有料イベントを開催すると発表した、歌手の中森明菜(58)。’17年12月のディナーショー以来、6年半ぶりにファンの前に姿を見せることとなり、ファンの間では《本物の歌姫、やっと帰ってきたか。お帰りなさい!》《明菜ちゃんのやりたいようにやってください!》と、再始動への期待値が高まっている。そんな明菜は現在、5月1日に迎えるデビュー記念日に向けて毎週水曜日にセルフカバー動画をYouTubeにアップ。4月3日に公開された第一弾「TATTOO-JAZZ-」は479万回、そして第2弾の「BLONDE-JAZZ-」は254万回もの再生回数を記録するほどの評判ぶり。そして17日には第三弾として「ジプシー・クイーン-JAZZ-」が公開された。もともと’86年にリリースされた「ジプシー・クイーン」だが、これまでアップされた「TATTOO」や「BLONDE」同様、今回もジャズ風にアレンジが施されている。動画では、まずレコーディングブースへと向かう明菜の姿が。椅子に座るとカメラを見つめてニッコリ。そしてハスキーな声で囁くように「ジプシー・クイーン」を歌い始めた。ムードたっぷりな楽曲の冒頭で、明菜が見せた笑顔ーー。この“明菜スマイル”にはファンも悶絶したようだ。X上では動画を視聴したファンたちから、楽曲だけでなく笑顔に感激する声が相次いだ。《え、歌う前の笑顔可愛すぎない!?最初でやられた》《優しい笑顔だぁ。ぐわぁぁぁ最高!!!》《最初の笑顔可愛すぎる、、歌い出しめっちゃ好き!!!》《魅せられました~ 歌いはじめの笑顔も可愛い》《ジャズアレンジがすごくいいし 歌唱前の笑顔も見れて嬉しい》
2024年04月17日2024年4月15日、歌手の中森明菜さんが、59歳の誕生日を迎える同年7月13日に、コンサートを開催することが明らかになりました。中森さんのコンサートは、2017年12月に行った、ディナーショー以来で約6年半ぶりになるそうです。サンケイスポーツによると、コンサートは、ファンクラブ『ALDEA』の会員を対象にしているとのこと。会場等の詳細については、ファンクラブの会員にのみ案内するといいます。2018年以降、活動を休止していた中森さん。その後、2022年には個人事務所を立ち上げて再始動を宣言しており、YouTubeチャンネルを開設するなど、話題を集めていました。ネットでは、ファンを中心に、祝福と期待のコメントが相次いでいます。・おめでとうございます!中森さんの元気に歌う姿を楽しみにしています。・明菜さんお帰りなさい!名曲『DESIRE-情熱-』を聴きたいなぁ。・ファンクラブ会員になるしかない!・本当に嬉しい!無理をしない程度に頑張ってほしいです。6年ぶりとなるステージで、どんなパフォーマンスが披露されるのでしょうか。ファンは楽しみで待ちきれないでしょうね![文・構成/grape編集部]
2024年04月16日4月15日、歌手の中森明菜(58)が自身の誕生日である7月13日にファンクラブ会員向けのイベントを開催することが明らかになった。ただ、各メディアによると、あくまでもファンクラブ会員向けのもので、今後の案内についても会員にのみ行うという。スポーツ報知の取材に対して、明菜の所属事務所でもある「ALDEA」は「「一部報道にございます『復活ライブ』や『復活コンサート』はミスリードを招く情報でございます」と回答している。17年12月のディナーショー以降、表舞台での活動を休止していた明菜。デビュー40周年の22年8月に個人事務所を立ち上げ、再始動を表明していた。「その後はなかなか表立った活動はできずにいましたが、昨年12月に公式YouTubeチャンネルを開設。現在はデビュー42周年を迎える今年5月1日に向けて毎週セルフカバーの最新動画を投稿しており、再始動が徐々に本格化しています」(スポーツ紙記者)4月3日に投稿された往年の名曲『TATOO』のジャズバージョンは15日現在で466万回再生を突破。変わらぬ人気を見せつけたが、注目を集めたのは明菜の表情だった。「昨年12月には『北ウイング』の動画を投稿しましたが、その際の切なげな表情からは一変。今回の『TATOO』の動画に登場した明菜さんは、歌いながらダンスするなど、非常に楽しんでいる様子でした。歌い終わるとカメラに向かって笑顔でダブルピースを見せるなど、終始ノリノリ。ポニーテールという髪型も快活な印象を与えました」(前出・スポーツ紙記者)再始動を表明して以降、テレビ出演はまだない。「ファンクラブ会員限定のラジオやグッズ販売を行うなど、明菜さんはこの2年間ファン向けの活動に特化してきました。今回告知されたイベントもファンクラブ会員限定なので、応援してくれる人に感謝を示したいというのが一番の思いなのでしょう。現時点で歌を披露するかは定かではありませんが、ファンとしては期待が高まるところでしょう。いっぽうで、ファンクラブ会員ではなくても明菜さんのことを気に掛けるファンは少なくありません。YouTubeはファンクラブ会員以外も明菜さんの姿を見られる貴重な場だけに、『TATOO』で見せた陽気な姿に安心した人も多かったのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)歌姫・明菜の熱唱に期待したい。
2024年04月16日「明菜ちゃんが楽しそうに歌う姿を久しぶりに見られました。カラー映像なので、顔色もよくわかって……。ずっと体調を心配していましたが、生き生きとしていたので安心しました」(ファンの女性)中森明菜(58)が約10年ぶりに色づいたーー。4月3日、YouTubeを更新した明菜。往年の名曲『TATTOO』のジャズバージョンを披露した。「昨年12月24日にもYouTubeに『北ウイング』の歌唱動画が投稿されましたが、このときはモノクロ映像でした。明菜さんがテレビに出演したのは’14年の『NHK紅白歌合戦』が最後。つまり今回の『TATTOO』の動画は、’14年の『紅白』以来、実に10年ぶりのカラー映像なのです」(音楽関係者)明菜は5月1日にデビュー42周年を迎える。「明菜さんはデビュー40周年の’22年に個人事務所を設立し、再始動を表明しました。ところが、表立った活動はほとんどできずに2年が経過。芸能活動から離れているうちにかつての関係者とのつながりが薄くなり、再始動のために頼れるスタッフがいなかったのです」(芸能関係者)しかし明菜自身は復帰への意欲を絶やしてはいなかった。「昨年から明菜さん自ら音楽関係者と連絡を取り、本格復帰に向けて協力を求めてきました。そうした思いが実ったようで、1月には最新肉声インタビューがBS-TBSで放送され、4月1日には36年前の未発表曲が配信されました。再始動がようやく本格的になってきました」(前出・芸能関係者)5月1日に向けて、毎週水曜日に自身の楽曲をカバーした動画をYouTubeに投稿するといい、その第1弾が『TATTOO』だったのだ。「『TATTOO』を歌う明菜さんは終始ノリノリでカメラに向かって笑顔でピースする場面もありましたが、実は明菜さんがジャズの楽曲を披露するのは今回が初めてです。前回の『北ウイング』を切ない表情で歌い上げたのとは対照的な明るい雰囲気でした」(前出・音楽関係者)58歳にして初のジャズに挑んだ明菜。その背景には、あるライバルの存在があったと前出の音楽関係者は言う。「松田聖子さん(62)は明菜さんより先にジャズの分野にチャレンジしていて、今年2月には3作目のジャズアルバムを発表しました。’17年に発売した1作目は、アメリカの大手配信会社のチャートで2位を獲得するほどヒットしています」試練のときにも聖子のそばにはジャズがあった。「’21年に愛娘の沙也加さん(享年35)が亡くなりました。以前からジャズに取り組んでいましたが、沙也加さんの亡き後はアップテンポな曲ではなくじっくりと聴かせるジャズにさらにのめり込んでいったようです」(前出・芸能関係者)“不仲”と報じられることも少なくなかった明菜と聖子だが、実際のところは少し違うようだ。「明菜さんは聖子さんのレコードをほとんど持っており、カラオケで聖子さんの曲を歌うほどリスペクトしています。聖子さんも、明菜さんとは“認め合う仲”だと話しており、高め合うよきライバルといった関係なのでしょう」(前出・音楽関係者)明菜は免疫力低下による体調不良で’10年に活動休止するなど、長らく思うようにいかない時期を過ごした。「’17年末にもディナーショーを開催しましたが、その後は再び活動休止状態になるなど、歌える環境がなかなか整わなかったといいます。それだけに、悲しみを抱えながらも歌い続ける聖子さんには勇気づけられたのではないでしょうか。明菜さんがジャズに興味を持ったのには、聖子さんの背中を追うような気持ちもあったのかもしれません」(前出・音楽関係者)聖子が一歩前に進めば、明菜もそれに追いつこうとする。まるで呼応するかのように、歌姫2人がそろってジャズにーー。音楽評論家の富澤一誠さんはこう話す。「最近は’70~’80年代のポップスが再注目されています。しかし、昔の歌謡曲をそのまま歌っても飽きられてしまいます。そこで明菜さんは、『TATTOO』をジャズバージョンにすることで、新しさが感じられるようにしたのでしょう。ジャズは“大人の音楽”なので、“大人になった明菜”という印象も受けますね」また、ジャズは年を重ねても“ありのまま”で表現できるという。「たとえばロック調の『DESIRE -情熱-』は声を張り上げなければならないので、今歌うと息切れしてしまうかもしれません。いっぽうでバラードも、低音をしっかりと響かせなければならないため、これもなかなか難しいです。中音域でアップテンポすぎないジャズなら、無理せず自然に歌うことができるはず。今の明菜さんにとっていちばん歌いやすいジャンルだと思います」(富澤さん)聖子と明菜がそろってジャズに挑戦しているといっても、そこには違いがあるようだ。「聖子さんが“きれいなジャズ”だとすると、明菜さんは少し“アク”が強いジャズ。双方とも並び立っている感じで、非常にいいと思います」(富澤さん)3月に中央大学法学部通信教育課程を卒業し、年を重ねてもなお歩み続ける聖子。明菜にもさらなる不屈の精神が芽吹いたはずだ。歌姫が長い冬眠から目を覚ましたようだ。10年ぶりのカラー映像で明菜が歌い上げたのは、初のジャズ楽曲。もう一人の歌姫・聖子を追いかけ、明菜の42周年が幕を開けようとしている。
2024年04月11日4月10日、歌手の中森明菜(58)が新作動画をYouTubeにアップした。近年、表舞台での活動から遠ざかっていた明菜。しかし’22年8月に個人事務所を設立し、再始動に向けて動き出したことを発表。’23年12月にはYouTubeチャンネルを開設し、「北ウイング-CLASSIC-」を歌う動画を投稿した。また5月1日のデビュー42周年となる記念日に『ベスト・コレクション ~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~ COMPLETE BOX』の発売を予定しており、この日に向けて、4月3日から毎週水曜日にセルフカバーの最新動画をYouTubeで公開していくと宣言している。活動が徐々に活発化している明菜。3日にはセルフカバー第一弾として、ジャズアレンジ版「TATTOO」をYouTubeにアップ。さらに10日には’87年にリリースされた「BLONDE」のジャズバージョンを披露した。「BLONDE」の動画では前奏を織りなすトランペットやフルートの映像が続いた後、レコーディングブースに笑顔で佇む明菜の姿が。リズムに乗り、ハスキーな歌声で歌い始めた明菜は、両腕の二の腕あたりにスリットが入ったドレスを着ている。また間奏では、レコーディング中に真剣な表情で話す明菜の姿も確認できる。明菜の再びの熱唱動画はファンの心を打ったようで、Xでは歓喜する声がこう上がっている。《サムネの明菜ちゃん可愛すぎない!?!?》《ん~やっぱり明菜ちゃん良いな?またこうやって歌声聴けて嬉しいよねぇ~》《サムネの笑顔がまたドキドキ》《中森明菜さんを画面越しで見れる幸せ》《明菜ちゃん、いい意味で時間が止まってるなあ。アンニュイでええやんけ。頑張れ、マジ頑張れ》
2024年04月10日4月3日、歌手の中森明菜(58)がYouTubeを更新し、’98年のヒット曲『TATTOO』のJAZZバージョンを歌唱する動画を公開。最新の“明菜の姿”に注目が集まっている。’14年の紅白歌合戦への出演を最後にメディアから遠ざかっていた明菜だが、’22年8月に個人事務所を設立し、Twitter(現X)で再始動に向けて動き出したことを公表。’22年12月には公式ファンクラブを再始動させた。’23年12月、YouTubeチャンネルを開設して、『北ウイング-CLASSIC-』を歌うモノクロの映像を投稿し、約9年ぶりに歌唱姿を披露。’24年5月1日の42周年となるデビュー記念日に、『ベスト・コレクション ~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~ COMPLETE BOX』の発売を予定している明菜は、同日に向けて、4月3日から毎週水曜日にセルフカバーの最新動画をYouTubeで公開していくという。明菜は今回の動画に、ポニーテールの髪形にグレーのニット姿で登場すると、伸びのあるハスキーな美声を震わせた。真剣に歌っているシーンが多かった『北ウイング』の歌唱映像から“激変”し、『TATTOO』では音楽にのり、ダンスをするなど楽しむ余裕も垣間見え、動画の最後にはダブルピースも飛び出した。SNS上では、歌姫の元気な姿を喜ぶ声が多数あがっていた。《最後の明菜ちゃんの笑顔ピースが可愛すぎてハート射抜かれました》《明菜さんもノリノリで楽しく歌われていますね》《元気そうで何よりです》
2024年04月04日中森明菜の未発表曲「HELLO MARY LOU」が、デビュー42周年記念日の5月1日(水) に発売されるベストアルバム『ベスト・コレクション~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~』にスペシャル・ボーナス・トラックとして収録されることが決定した。「HELLO MARY LOU」は、1957年にアメリカで発表された「Merry, Merry Lou」をもとにした楽曲で、1960年にカントリー歌手のジョニー・ダンカンが最初に歌唱。1961年のリッキー・ネルソンによる歌唱バージョンが全米9位&全英2位を獲得、さらにヨーロッパ各国でもヒットを記録し、特にノルウェーでは14週1位となっている歴史的名曲だ。英語でカヴァーした中森のバージョンは、実は1988年にCMソング用に制作され、テレビCMとしてオンエアされていたが、公式音源として発売されることはなく、ファンの間でも知る人ぞ知る楽曲となっていた。だが、2024年3月15日(金) にファンクラブ会員限定配信ラジオ「ALDEA RADIO」で突如同曲がオンエアされ、本人の口からベストアルバムに収録されることが発表された。ベストアルバムには「HELLO MARY LOU」に加え、「スローモーション」「セカンド・ラブ」「駅」「少女A」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE -情熱-」など、ワーナー時代の全シングル28曲を含む全36曲が収録される。<リリース情報>中森明菜 ベストアルバム『ベスト・コレクション~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~(+2)<2024ラッカーマスターサウンド>【完全生産限定三方背BOXデラックス・エディション(2CD)】』5月1日(水) リリース価格:3,850円(税込)※全シングル合計31枚のジャケット・セット(CDサイズ)付き予約リンク:中森明菜 ベストアルバム『ベスト・コレクション~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~COMPLETE BOX【6枚組完全生産限定(2CD+4LP)】』5月1日(水) リリース価格:18,150円(税込)※全シングル合計31枚のジャケット・セット(CDサイズ)付き予約リンク:中森明菜『ベスト・コレクション~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~』ジャケット【CD収録曲】■DISC 1:ラブ・ソングス(30th anniversary mix)<2024ラッカーマスターサウンド>01. スローモーション02. セカンド・ラブ03. 目をとじて小旅行(イクスカーション)04. トワイライト―夕暮れ便り―05. SAND BEIGE -砂漠へ-06. SOLITUDE07. ジプシー・クイーン08. Fin09. 駅10. BLONDE11. 難破船12. 恋路13. AL-MAUJ(アルマージ)14. LIAR15. 乱火16. 水に挿した花17. 忘れて・・・■DISC 2:ポップ・ソングス(30th anniversary mix)<2024ラッカーマスターサウンド>01. 少女A02. 1/2の神話03. 禁区04. 北ウイング05. サザン・ウインド06. 十戒(1984)07. 飾りじゃないのよ涙は08. ミ・アモーレ[Meu amor e…]09. DESIRE -情熱-10. LA BOHEME11. 危ないMON AMOUR12. ノンフィクション エクスタシー13. 赤い鳥逃げた14. TANGO NOIR15. TATTOO16. I MISSED "THE SHOCK"17. Dear Friend18. 二人静 - 「天河伝説殺人事件」より19. HELLO MARY LOU(未発表曲 / CDのみのボーナストラック)※ボーナス・トラックのM13「赤い鳥逃げた」、M14「HELLO MARY LOU」は〈2024 mix〉となります。■4LP(COMPLETE BOXのみ収録)※33回転DISC 3:ラブ・ソングス(SIDE A:DISC 1のM1~M4)(SIDE B:DISC 1のM5~M8)DISC 4:ラブ・ソングス(SIDE A:DISC 1のM9~M12)(SIDE B:DISC 1のM13~M17)DISC 5:ポップ・ソングス(SIDE A:DISC 2のM1~M5)(SIDE B:DISC 2のM6~M9)DISC 6:ポップ・ソングス(SIDE A:DISC 2のM10~M13)(SIDE B:DISC 2のM14~M18)公式サイト:
2024年03月16日中森明菜の『BEST III』が、デビュー40周年記念 ワーナーイヤーズ・全アルバム復刻シリーズとして、2024ラッカーマスターサウンド(アナログレコードの原盤「ラッカー盤」にカッティングし、レコード針で再生した音をデジタル化)&全曲オリジナル・カラオケ(2024 Remaster)の2CDでリリースされる。本作は4枚目のベスト・アルバムで、オリジナル盤がリリースされたのは1992年。アイドルからアーティストへと完全に脱皮を果たした時期の中森明菜の、ヒット曲から隠れた名曲まで、全12曲が収録されている。ポップな友情ソングも!歌姫の七変化が聞こえるベスト・アルバム。妖艶さが極まった「二人静‐「天河伝説殺人事件」より」。竹内まりやが作詞・作曲を手掛け、のちに彼女自身がセルフカバーをしたバージョンも広まった「駅」。その後の中森明菜の実力と個性を知らしめる、エスニックな路線を切り拓いた「ミ・アモーレ〔Meu amore…〕」の別歌詞&ラテン・ロング・バージョン「赤い鳥逃げた」。他にも、様々な角度から大人の女性が描かれた楽曲が揃っているが、特に24thシングルの「Dear Friend」は、彼女らしさを作り上げてきたしっとりとしたバラードでも、情熱的なラブソングでもない。〈Come on〉〈hey〉など明るいフックを交えながら、カラリと女性の友情を歌っているのだ。当時、中森明菜が、初めて“等身大のお姉さん”に見えた。さらに、そのカップリング「CARIBBEAN」も、穏やかに幸せを噛みしめるカリプソ調のナンバーで、その軽さは新鮮だった。歌い方も、ジャンルも、感情も、楽曲によって七変化できる中森明菜の実力が発揮された本作。「Blue On Pink」などの、囁くような、それでいて存在感のある歌い方からも、“すぐれたシンガーは、大きな声を張って歌うもの”という単純なイメージを、メジャーシーンで覆した革新性を改めて感じる。何度かの活動休止を経ながらも、2021年にデビュー40周年イヤーに突入してからは、テレビやラジオでの特別番組の放送や、Xでの自身のメッセージの発信など、現在進行形の姿を見せている中森明菜。今こそ真の“歌姫”に触れてみてほしい。ラッカーマスターサウンドで進化した、ワーナーイヤーズ・全アルバム復刻シリーズ第9弾、アルバム『BEST III』。【通常盤(2CD)】¥2,750【完全生産限定盤(2LP)】¥5,940【COMPLETE BOX 5枚組完全生産限定盤(2CD+2LP+CT)】¥11,550(WARNER MUSIC JAPAN)なかもり・あきな1982年デビュー。「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE ‐情熱‐」「難破船」など、多数のチャート1位ヒット曲を誇る。2023年にはセルフカバー「北ウイング‐CLASSIC‐」が発表された。※『anan』2024年2月28日号より。文・高橋美穂(by anan編集部)
2024年02月27日12月26日、歌手の中森明菜(58)の肉声インタビューが来年1月2日放送の『中森明菜女神の熱唱~新たな歌声&独占メッセージ~』(BS-TBS)で公開されることが発表された。今回明菜は6年ぶりのレコーディングとなった、作曲家・林哲司氏のトリビュートアルバム『サウダージ』に参加した際の胸中を明かすという。今月24日、Xに《いつも応援してくださるファンのみなさまへ。クリスマスプレゼント…とは言えないかもしれませんが…レコーディングの様子をお届けしますね。みなさまにとってステキなクリスマスとなりますように…!》と投稿し、公式YouTubeチャンネルの開設に合わせて「北ウイング-CLASSIC-」のMVを公開したと報告した明菜。動画内での笑顔が反響を呼ぶなか、右手の薬指に指輪を嵌めていたことも注目を集めた。‘22年8月に、《ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思います》と再始動への思いを綴った明菜。その宣言から1年以上が経ち、ようやく本格的な活動再開の兆しが見えてきた。しかし、これまでの道のりは平坦ではなかった。明菜は、’22年8月まで個人事務所『ファイス』に所属していたが、再始動宣言と共に、新たな個人事務所『HZ VILLAGE』を立ち上げ、移籍したことを報告している。「『ファイス』の代表で、明菜さんのマネージャーを務めていたA氏は明菜さんの恋人ともいわれていた人物でした。明菜さんとしては’22年には、デビュー40周年を迎えることもあり、歌手活動をしたいと考えていたそうです。しかし、Aさんが協力的な姿勢ではなかったことから、明菜さんは新たに個人事務所を立ち上げることに。この移籍を機に二人の間では、破局説や、トラブルも報じられるようになりました」(芸能関係者)A氏から離れて、新たな道を模索しようとした明菜。しかし、明菜とA氏の関係に異変がーー。今年1月ごろ、新事務所の監査役にA氏の姉であるB氏が就任したのだ。「もともと明菜さんは’17年末にディナーショーを開いて以来、5年以上も活動休止状態にあり、芸能界と距離を置いてきました。かつて所属していたレコード会社からも『もう明菜とは関係ない』と突き放され、頼れる人や後ろ盾もないそうです。そこで前事務所の役員で、旧知の仲でもあるB氏を頼るしかないという状況となってしまったよう。しかし、B氏を頼るということはA氏との交流が復活する可能性が……。それでも明菜さんはファンを思い、苦渋の選択をしたのでしょう」(音楽関係者)また明菜は、体調面でも困難を抱えていた。「明菜さんは’10年に帯状疱疹を患ってから思うように体調が回復しませんでした。さらに病気のため精神的な不調にも見舞われ、人前で歌うどころか会う人すら選ぶ状況だったそうで、自宅からほとんど出ない生活が続いていたそうです。しかしその間も、歌への情熱を絶やすことはなく“いつか自分が歌うために……”との思いで、歌詞をノートに書きためているといいます。20代のころ、作詞家の先生のもとで本格的に学んだこともある明菜さんは、’00年以降は『Miran:Miran』というペンネームで作詞を担当することも。常に『諦めない』という意志があるのです」(前出・音楽関係者)公式YouTubeチャンネルの登録者数は開設から3日で30万人を超え、投稿された「北ウイング-CLASSIC-」の動画は255万回という驚異的な再生数に。この数字は明菜の再始動を応援するものになるだろう。不屈の歌姫、中森明菜。その想いは多くの人に届いているようだ。
2023年12月28日中森明菜(58)が突然、公式X(旧Twitter)と公式サイトを開設してから1年が経過した。「当初、ディナーショーの開催や、『NHK紅白歌合戦』への出演が取り沙汰されましたが実現せず、ここまでの目立った動きとしては、昨年12月に新たなファンクラブが発足したことと、7月にグッズの販売イベントが行われたことくらいです。’16年と’17年にディナーショーが開かれた際には、9月上旬までに開催がアナウンスされていましたが、いまだに発表がないため“今年も難しいのか”と残念がるファンも。しかし現在、明菜さんは水面下で、本格復帰に向けて動いているそうです」(音楽関係者)’17年に開催されたディナーショーを最後に、歌手活動を休止している明菜。だが’22年8月のX開設とともに発表された《ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思います》という言葉に嘘はなかったようだ。「実は8月末に公開されたファンクラブ限定のラジオで明菜ちゃんが、デビュー曲『スローモーション』をアカペラで歌ったのです。久々に聴いた明菜ちゃんの生声は格別でしたね」(明菜のファン)6年ぶりの歌唱でデビューシングルを披露した明菜。彼女にとって思い出の詰まった曲だ。「明菜さんの人生を一変させた初のヒット曲は、2枚目のシングル『少女A』です。しかし、テレビ番組で“『少女A』よりも『スローモーション』が好き”と話していました」(芸能関係者)さらに9月に入って重大発表が。前出の明菜のファンは明かす。「明菜ちゃんがファンクラブの会員向けに、“セルフカバーの楽曲のレコーディングを終えた”と報告していましたよ。明菜ちゃんの楽曲が再録されたアルバムの発売が待ちきれません」今回、セルフカバーを選択したのにはある理由がーー。「何よりも歌が好きな明菜さんは活動休止中も作曲を続け、新曲の準備をしてきました。しかし6年ぶりの復帰に際して、待ち続けてくれるファンのためを思い、なじみの深いセルフカバーの楽曲を収録したそうです。ラジオで披露していたデビュー曲『スローモーション』も必ずやアルバムに収録されるのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)復活に向けて明菜は、“スローモーション”ながら、着実に歩みを進める。
2023年09月14日「デビュー記念日である5月1日にファンへの感謝のコメントを投稿して以来、明菜さんのTwitterは更新されていません」(テレビ局関係者)7月13日、58歳の誕生日を迎えた中森明菜。それに伴い、13日から4日間、東京・渋谷でファンクラブ限定のグッズ販売イベントが開催された。女性ファンはこう語る。「『今日はありがとう』などの明菜ちゃん直筆メッセージや写真が展示されていましたが、メインはグッズの販売。タオルは明菜ちゃんが実際に使用して気に入った今治のメーカーのもの。Tシャツも国内生産品で、明菜ちゃん自身が制作に携わったとのことです。『おはようございます』などの明菜ちゃんの声が吹き込まれた目覚まし時計も人気でした」なかでも特に目を引いたのは、「アロマキャンドルの5種類セットで、明菜ちゃんが調香したそうです。それぞれ、彼女の楽曲『スローモーション』『北ウイング』『ジプシー・クイーン』『BLONDE』『TATTOO』をイメージした香りだと説明がありました。爽やかな香り、柑橘系、甘い香りなど、どれも素敵でした」(前出・女性ファン)往年のヒット曲を、アロマキャンドルに――。ファン垂涎の品のように思えるが、別の男性ファンは複雑な胸中を明かす。「アロマキャンドルセットは、5万5千円もするのです。日本の工場で丁寧に作られたものなので、値段が高くなるのも仕方ないとは思うのですが……。イベントには入場料として5千500円もかかったので、購入は諦めました」ほかにも、Tシャツは9千350円、タオルセットは1万8千150円、目覚まし時計は7千150円。どれも強気の価格設定のようだが、前出の男性ファンは言う。「グッズの販売もいいのですが、やっぱり“歌を聴きたい”“姿を見たい”というのが本音です。イベントのために明菜ちゃんがかなり準備を重ねてきたことは伝わってきました。ただ、そこにエネルギーをかけた分、歌手活動ができなくなってしまっているのなら、ファンとしてはやるせない思いです」昨年12月にはファンクラブが新たに発足。活動が本格化していくかと思われたが、「再始動を表明してから8月末で1年となりますが、明菜さん自身はまだ一度も公の場に姿を現さないままです。音楽番組も明菜さんの出演を熱望していますが、形になっていません」(前出・テレビ局関係者)肝入りの“明菜キャンドル”だったが、再始動は先延ばしに。“歌手活動の灯”をファンは第一に見たいはずだが――。
2023年07月24日昨年、テレビで放送されるや大きな反響を呼んだ伝説のライブが劇場で公開される!『中森明菜イースト・ライヴ インデックス23劇場用4Kデジタルリマスター版』(4月28日公開、全国192館で上映予定)は、中森明菜(57)が’89年によみうりランドEASTで行ったデビュー8周年記念ライブを収録した貴重映像。デビュー曲『スローモーション』から『LIAR』までの全24曲を歌い上げた。当時23歳。日本レコード大賞を2年連続で受賞後、歌手として最盛期を迎えていた明菜は、抜群の歌唱力と豊かな表現力でヒットナンバーを熱唱。時には可憐に、時にはミステリアスに、全身全霊のパフォーマンスで観客を魅了した。なかでも注目なのが、つぎのセットリスト!■No.1『TATTOO』(’88年リリース)オープニングナンバーはボディコン衣装が印象的でセクシーなこの曲。■No.2『DESIRE-情熱-』(’86年リリース)2年連続、2回目の日本レコード大賞を受賞した代表曲。会場の雰囲気も一気にヒートアップ。■No.13『飾りじゃないのよ涙は』(’84年リリース)井上陽水から楽曲提供された10枚目のシングル。アイドル歌手からアーティストへの転機となった記念碑的な楽曲。■No.15『少女A』(’82年リリース)デビュー作『スローモーション』よりも、“不良”路線に変えたこのセカンドシングルでブレーク。彼女がデビューした’82年は、小泉今日子やシブがき隊ら“花の82年組”が活躍した、現在も語り継がれるアイドル全盛期。歌番組のトークでは口数は少ないものの、振付や衣装を自分で手がけるなど、その優れた表現力とセルフプロデュース力でほかのアイドルと一線を画した。近年は、フォークや演歌をカバーしたアルバムを発表するほか、ディナーショーなどを中心に活動。この数年はステージ活動を休止していたが、昨年末にファンクラブを新設。本格的なステージへの復帰が期待されているなか、「劇場へ足を運んでくれる全国のお客様へ感謝のメッセージを送りたい」という本人の希望で、映画本編の最後に音声メッセージが流されることも発表された。誰もが口ずさめる名曲の数々。映画館では、リアルなライブを見に行ったつもりで楽しもう!
2023年05月06日「明菜ちゃんが出演していた『バカ殿様』が放送されていて……。生き生きとした笑顔の明菜ちゃんが見られてうれしかったです」(ファンの女性)3月21日、『ドリフ&志村けんのバカ殿様 豪華絢爛!笑いの春祭りSP』(フジテレビ系)が放送された。そこには、ゲスト出演していた若かりしころの中森明菜(57)の姿も。明菜は’22年8月の再始動宣言後、表舞台に現れていない。しかし春の訪れとともに、彼女もついに目覚めたようで……。「’22年12月に明菜ちゃんのファンクラブが新設されましたが、4月以降にファンクラブ向けのラジオ番組が始まるそうです。2月にはグッズの販売もありました。本格的な再始動が見えてきて楽しみです」(前出・ファンの女性)活発化する明菜の活動だが、それには理由がありそうだ。「明菜さんは再始動に伴い、新事務所『HZ VILLAGE』を立ち上げ、前事務所『ファイス』から移籍しました。その新事務所に、最近になって明菜さんの元恋人・Aさんの姉であるBさんが監査役として就任したのです」(音楽関係者)新事務所の登記簿を見ると、確かに1月下旬にB氏が監査役に就任したとの記載が。「Aさんは前事務所『ファイス』の代表兼マネージャーだった人物です。さらに、明菜さんの20年来の恋人とも報じられてきました」(制作関係者)しかし明菜が再始動を表明した際には、A氏と明菜の破局も報じられた。「明菜さんはデビュー40周年を迎える’22年こそ歌手活動をしたいと考えていましたが、Aさんは協力的な姿勢ではなかったそう。不信感を抱いた明菜さんはAさんと決別し、新事務所を立ち上げました。しかしAさんはそのことを事前に知らされておらず、激怒したといいます」(前出・制作関係者)本誌は2人のトラブルをたびたび報じてきた。その内容は、新事務所が権利関係の譲渡をA氏に求めたが、怒り心頭のA氏はそれに応じなかったというもの。また、前事務所はファンクラブを’22年12月に閉鎖。その際にファンクラブ会報につづられたのは、前事務所側からの明菜に対する攻撃的な文言だった。《大切な皆様の情報を新機関へと引き継ぐことを検討してまいりましたが、現状では信頼できる機関への譲渡が困難》1月中旬に本誌が新事務所に、前事務所との引き継ぎに進捗はあったのかと問い合わせると、次のような回答があった。■「私と明菜さんの関係は一切変わっていない」「各種権利の譲渡などは完了しているものもありますが、未対応のものも多く引き続き行っていく予定です」この時点では明菜と前事務所との引き継ぎトラブルはまだ解決していなかったようだが、このわずか8日後、B氏が新事務所の監査役に就任したのだった。本誌が今回の人事についてB氏に聞くと、次のように返答が。「私と明菜さんの関係は、長年一切変わっていませんよ」前出の音楽関係者は言う。「Bさんは前事務所時代も役員として名を連ねており、明菜さんとは旧知の仲。とはいえ、Bさんと再びビジネスパートナーになると、Aさんとの交流が復活する可能性も出てきます。別れた後もトラブル続きのAさん側との関係修復には抵抗があったはずですが、苦渋の決断だったのではないでしょうか」明菜がそうまでして因縁の相手と再び手を組んだ背景とは――。「明菜さんは’17年末にディナーショーを開いて以来、5年以上活動休止状態にあります。そのうちに芸能界とのつながりも薄くなり、以前所属していたレコード会社からも『もう明菜とは関係ない』と突き放されるなど、頼れる人や後ろ盾がいないようです。そのため、いくら因縁があるとはいえ、長い付き合いのあるBさんにすがるしかなかったのかもしれません」(前出・音楽関係者)さらにB氏との関係回復には、明菜のファンへの思いが深くかかわっていて……。「『復帰のステージはファンの前で』と決めている明菜さんは、今年の秋冬にディナーショーを開催して、完全復活を目指しているといいます。しかしこれまでのように前事務所との断絶が原因でさまざまな引き継ぎが滞り、再始動も本格化しないままでは、ディナーショーの実現も危うい。前事務所側であるBさんと渋々でも手を組むことで、秋冬のディナーショーに間に合わせたいと明菜さんは考えているのでしょう。実際、Bさんが監査役となって以降、ファンクラブ向けの活動が少しずつ発表されています」(前出・音楽関係者)テレビへの本格復帰も視野に入れているようだ。「NHKをはじめとするテレビ局は、事務所トラブルを嫌います。昨年『紅白歌合戦』も明菜さんの出場を強く望んだそうですが、前事務所とのトラブルにより、NHKは断念したという経緯があります。そうした側面からも、明菜さんはAさん側との問題を早く解決したかったのでしょう」(前出・制作関係者)まさかの“復縁”となった明菜。それもすべてはファンのための悲壮な覚悟からだった――。
2023年03月28日「1月19日、テレビ朝日系列で昭和の名曲を紹介する特番が放送されました。明菜さんの過去の歌番組の映像も流れ、ツイッターでは《明菜ちゃん》というワードがトレンド入り。根強い人気を感じさせました」(スポーツ紙記者)昨年8月に再始動を表明した中森明菜(57)。メディアへの登場はいまだないが、昨年12月には新ファンクラブが発足。会員向けにボイスメッセージも公開された。1月に入ってからは、所属事務所が《ファンの方へのメッセージを考えたり、撮影を行ったりしている》と『スポーツ報知』の取材に近況も明かしている。少しずつ本格復帰へ近づく明菜だが、今、頼りにしている女性がいるという。「明菜さんは、仕事を通じて知り合い、40年来の仲だというAさんを非常に信頼しています。Aさんは明菜さんと同年代で同じ独身。会社経営もしているため、仕事の相談もできるそうです。頻繁に会っているわけではないそうですが連絡は取り続けていて、明菜さんはAさんに『一緒に住もう!』と懇願していると聞いています」(音楽関係者)長年明菜を取材する芸能リポーターの城下尊之さんは言う。「明菜さんのこれまでを振り返ると男性とはうまくいかないことが多かったですから、今度は自分のことをよく知っていて安心できる女性に頼っているのだと思います」再始動にあたって、明菜には“ある男性”の妨害があったと本誌は報じてきた。前事務所「ファイス」の代表であるB氏だ。「B氏は、新事務所にファンクラブ会員情報などの各種権利を譲渡することを渋って、新事務所の運営がスムーズにいかないようにしていたのです」(芸能関係者)B氏の妨害の裏には、明菜への愛憎があるようだ。「B氏は明菜さんと20年以上恋人関係で、2人はB氏が所有するマンションの別の階に住んでいたと報じられてきました。ところがB氏は、デビュー40周年の昨年、歌手活動に意欲を見せた明菜さんにまったく協力的な姿勢を見せなかったそうです。それで2人は関係を解消したようですが、B氏は明菜さんが無断で新事務所を設立したことに激怒しているといいます」(前出・芸能関係者)現在の状況について新事務所に本誌が問い合わせたところ、次のように回答が。「各種権利の譲渡などは完了しているものもありますが、未対応のものも多く引き続き行なっていく予定です」■歴代の恋人たちから受けた数々の“裏切り”“男運がない”とされた明菜の男性トラブルは数知れない。「明菜さんの恋人としてもっとも有名なのは近藤真彦さん(58)でしょう。交際は6年間続きました」(前出・芸能関係者)交際中だった’89年、近藤が松田聖子(60)とニューヨークで密会していたと報じられた。「その5カ月後に明菜さんがマッチの自宅で自殺を図った一件はショッキングでした。当時明菜さんは23歳。明菜さんはマッチに非常に尽くし、結婚も考えていたそうですが、マッチにはその気はなかったのです」(前出・芸能関係者)その後、明菜と恋人関係になったのは1歳年上のC氏。交際期間は13年に及んだ。「Cさんが勤めていたレストランに明菜さんが客として来ていたことが出会いのきっかけ。交際が始まると、明菜さんはCさんによくご飯を作っていたそうです。明菜さんはCさんを信頼し、マネジメントまで頼むようになりました」(前出・スポーツ紙記者)ところが、Cさんには妻がいた。「2人の不倫はCさんの妻も黙認状態だったそうですが……。結局、Cさんの妻に子どもが生まれたこともあり、Cさんは明菜さんから離れていったそうです。のちにCさんは週刊誌の取材に対し、明菜さんの愛を重く感じていたことを明かしています」(前出・スポーツ紙記者)家族との関係も、男性への不信に拍車をかけたようだ。「’95年の明菜さんの実母の葬式以来、明菜さんは家族に会っていないそうです。原因は家族との金銭トラブル。明菜さんは、家族が経営していたカラオケスナックの資金に『私のお金が使われている』と思っているようなのです」(前出・スポーツ紙記者)’13年に本誌の取材に応じた明菜の実父は「使ってなんかいない」と訴えていたが、「その後も和解できていないのでしょう。’19年に亡くなった実妹の葬式にも明菜さんは現れませんでした」(前出・スポーツ紙記者)信じた男性と幾度となく絶縁してきた明菜は、還暦を目前に、心から信頼できる女性・Aさんとの共同生活を考えているようだ。「過去の経験から、『男はもう、こりごり』と考えているようです。明菜さんは頼れる人が必要なタイプですし、今は家族とも絶縁状態。60代以降を寂しく過ごしたくないと思っているのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)明菜の新事務所は前出の『スポーツ報知』の取材に対し《(明菜の)体調はその日その日で異なる》と明かしている。「’10年に帯状疱疹を患って以降、明菜さんは体調が万全になっていないそうです。Aさんとは同じ女性ですから、健康面の不安もわかり合える部分が大きいのでしょう」(前出・音楽関係者)散々だった男性たちとの関係を断ち切って、明菜は新しい人生を歩もうとしているーー。
2023年01月25日2022年12月31日、バレーボール選手の西田有志さんと古賀紗理那さんが結婚したことを、連名で発表しました。西田有志・古賀紗理那、結婚発表コメント全文同日、お互いのSNSでそろって結婚を発表した2人。ともに現役のバレーボール選手ということもあり「競技レベルも向上できるよう一層精進してまいります」と、つづっています。応援してくださるファンの皆様支えてくださる関係者の皆様いつも温かい応援をありがとうございますこの度、西田有志と古賀紗理那は結婚しましたことをご報告させていただきます。まだまだ未熟な2人ですがこの出会いに感謝し、支え合い、高め合いながらいい家庭を築いていきたいと思います。また、2人とも現役プレーヤーの中で大変なことが沢山あると思いますが、2人で乗り越え、競技レベルも向上できるよう一層精進してまいります。私達は皆様に応援していただけるように努力して参りますので、これからもよろしくお願い致します。@volleyball1301ーより引用ご報告皆さんいつも応援ありがとうございます。まだまだ未熟者の僕ですが、成長できるよう精進して参りますので、応援の程よろしくお願いします。 pic.twitter.com/6BA6gxFzBW — 西田 有志 (@volleyball1301) December 31, 2022 バレーボール日本代表である、西田さんと古賀さん。ビッグカップルの誕生は注目を集め、祝福の声が寄せられています。・年の終わりにビッグサプライズ!・おめでとうございます!今年一番のサプライズが年末に起こりました。・年末に幸せなお知らせをありがとうございます!同じバレーボール界からも祝福の声が相次いだ2人の結婚。西田さん、古賀さん、ご結婚おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2022年12月31日今年デビュー40周年を迎え、再始動への意欲を見せていた中森明菜(57)。しかし、ファンのある行動に頭を悩ませているようだ。’17年のディナーショーを最後に公の場には一切姿を見せていなかった明菜だが、今年8月末に新たな個人事務所「HZ VILLAGE」を設立すると再始動を宣言。ファンの注目を集めたものの、今後の具体的な活動に関しては言及されないまま年末を迎えてしまっていた。そんななか、クリスマスイブの12月24日、明菜からファンに“クリスマスプレゼント”が。公式サイトが更新され、新しいファンクラブ「ALDEA」の設立が発表されるとともに、明菜からのメッセージが掲載されたのだ。《40年の節目に、何がみんなの幸せにつながるのだろう?何がみんなに受け入れられるのだろう?何がみんなにとっての正義なんだろう?と、今のわたしに何ができるのかを日々考えてきました。すぐに正解を求めようとするわたし。自分で答えを出すことに覚悟が必要でしたが、私はこの道を選びました。だからこそ、私もみんなの選んだ道を尊重したいと思っています。すべてはあなた次第。すべては「自分」から始まる、と今はそう信じています。》このようにコメントし、復活への覚悟を示した明菜。しかし同時に、ニュースページにはスタッフ名義でファンの行動にくぎを刺す文章も投稿されていた。《現在、ファンのみなさまからファンレターやプレゼントを受け取る体制を用意しておりません。そのため、会社宛にお送りいただいても中森明菜自身は受け取れず、また返送対応もできませんので、あらかじめご了承ください。受け取る体制が整い次第、またご案内させていただきます。》事務所宛てに送られてくるプレゼントやファンレターは“明菜に届かない”と明言。そのうえで、過激なファンの行動に悩んでいることを明かした。《また、会社及び当社の提携委託先へのご訪問もご遠慮いただくようお願い申し上げます。すでにいくつかの訪問があり、スタッフならびに近隣の方にご迷惑をかけている状況です。》つづけて、このような行為は今後の活動の妨げになりかねないとも警告。事務所等への訪問を自粛するよう求めた。《このような状況が続きますと、会社を移動することになり、当社ならびにファンクラブの運営にもネガティブな影響が出る可能性がありますので、何卒ご理解をいただけますと幸いです。》明菜の今後の活躍も「すべてはあなた次第」。静かに見守ることも、必要なのかも。
2022年12月26日「夏ごろ寺林さんから電話をもらって“明菜どう思う?”なんて聞かれていたのですが……。突然の訃報で、驚きました」(芸能ジャーナリストの渡邉裕二氏)11月28日、音楽プロデューサーの寺林晁さん(享年77)が肺炎のため亡くなった。中森明菜(57)の“育ての親”として、音楽業界では伝説的な人物だった。「寺林さんは“明菜以上に衝撃を受けた新人はいない”とその才能に惚れ込み、デビュー前からの8年間、制作や宣伝を統括してきました。矢沢永吉さんも手掛けていたため、永ちゃんの大ファンだった明菜はすぐに距離を縮めたそうです」(スポーツ紙記者)2年連続で「日本レコード大賞」を受賞するなど輝かしい実績を誇る明菜。寺林さんはそんな彼女の楽曲制作やメディア活動に携わっていた。さらに、寺林さんと明菜の関わりは“表の仕事”にとどまらなかったという。「恋愛スキャンダルや事務所とのトラブルなども目立った明菜さんでしたが、寺林さんは公私にわたって支え、後ろ盾となりました」こう語るのは、古参のレコード会社関係者だ。「当時交際していた近藤真彦が地方公演で滞在していたホテルに、明菜さんを送り届けるようスタッフに指示をしていました。のちに明菜さんの恋人とも報じられた前事務所のマネージャーA氏も、寺林さんの紹介だそうです」明菜は’89年に所属事務所から独立すると、芸能界で孤立無援となってしまう。そこでも手を差し伸べたのは寺林さんだった。「’02年、寺林さんは明菜さんのデビュー20周年に合わせたカバーアルバム『歌姫』シリーズをプロデュース。大ヒットとなり、14年ぶりに『紅白』にも出場。明菜さんを見事に復活させたのです」(前出・レコード会社関係者)明菜は今夏、新たに個人事務所を立ち上げ、’17年末のディナーショー出演以来の再始動を宣言。しかし、3カ月が経過しても具体的な動きは伝わってこない。噂されていた『NHK紅白歌合戦』の出場者リストにも、現時点では明菜の名前はない。今回は寺林さんによるプロデュースではなかったのだろうか。前出の芸能ジャーナリスト・渡邉氏に聞いた。渡邉氏は著書『中森明菜の真実』(MdN新書)を10月に出版し、寺林さんとは長年の親交があった。「明菜さんが『歌姫』シリーズの選曲の際に、『最終的には寺林さんに任せています。私のことをいちばんわかってくれている人だから』と話していたのが印象に残っています。活動休止中の明菜さんが公式ツイッターを開設したのが8月30日。ニュースで見たあとに、寺林さんから電話がありました。“こっちも(明菜の活動再開に向けて)いろいろ動く”と。寺林さんが亡くなったことで、明菜さんの復帰が遠のいてしまったのは間違いないでしょう」明菜を知る別の音楽関係者も、寺林さんの動向を聞いていた。「2人は今年の夏以降に復帰プランを話し合うことになっていたそうです。体調を崩していた寺林さんですが、まさかこんなに早く亡くなるとは……。明菜さんにとっても想定外だったでしょう」キーパーソンの急逝で、明菜の復活に暗雲が立ち込めている。
2022年12月09日「11月4日、明菜さんの秘蔵映像を蔵出しした特番がBS-TBSで放送されました。SNS上では《歌姫》《明菜ちゃん、帰ってきてくれ》などと感想があふれていました」(芸能関係者)8月末に新事務所を設立し、“再始動”を表明した中森明菜(57)。’10年に帯状疱疹で芸能活動を休止し、’14年には再開させたが、’17年末のディナーショー以降は再び表舞台から遠ざかっていた。「新曲を制作中だそうですが、発表は来年になりそうです。体調もまだ安定せず、年末の『NHK紅白歌合戦』への出場オファーも難航しているそうです。復帰ステージは’23年の秋冬のディナーショーを予定しているとのことですが、ファンは早く明菜さんの姿が見たいと待ちわびているでしょうね」(前出・芸能関係者)そんななか、最近になって明菜ファンであることを告白する芸能人が増えてきているようだ。「今年1月に清原和博さん(55)が大の明菜さんファンだとラジオ番組で言っていました。中学生のころにレコードのジャケットに写る明菜さんを見て一目ぼれしたそうです。西武ライオンズ時代は明菜さんの地元である東京都清瀬市をドキドキしながら車で移動したこともあったとか。周囲に“僕は明菜さんと結婚する”と宣言していたそうです」(スポーツ紙記者)また、岡村隆史(52)は今年になって明菜ファンになったとラジオ番組で話した。「きっかけは7月にNHKで放送された明菜さんのライブ映像の特番。放送後、NHKには感想のメールが多数寄せられたそうで、明菜さんの絶大な人気を改めて感じました。岡村さんもこの番組を見ていたそうで、歌われていた20曲以上の曲を全て知っていたことで明菜さんのすごさを実感し、今更ながらファンになったといいます」(前出・スポーツ紙記者)稲垣吾郎(48)は小学生のころからの“隠れ明菜ファン”だとラジオ番組で告白した。「稲垣さんは松田聖子さん(60)や早見優さん(56)といった’80年代のアイドルが好きだそうですが、なかでも明菜さんは特別なようです。子どもながらに明菜さんの歌う大人っぽい曲が心に響いたと話していました。明菜さんが出演する音楽番組を家族そろって見ていたそうです」(前出・スポーツ紙記者)番組では、稲垣は明菜についてこうも語っていた。「僕は俳優目線でも尊敬しています。ステージの世界観を作って、曲によってそれぞれの女性を演じているんですよね。この年齢になって、彼女がいかにすごいことをしていたのか改めて実感しています」■稲垣吾郎は初共演時に大緊張あるレコード会社関係者は言う。「明菜さんは“自己プロデュースの天才”とも言われていましたからね。デビュー当時から振付、衣装、メークに積極的に意見を出していました。’84年に発売されたシングル曲『十戒』は、イントロや間奏で足を開いたり閉じたりするステップが有名ですが、これは明菜さん自身が考案したものです」過去に稲垣は明菜と共演する機会もあったが、残念ながらその気持ちを伝えることはできなかったという。「’96年に『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の初回が放送されましたが、そのときの歌のコーナーのゲストが明菜さんでした。SMAPの人気曲『がんばりましょう』を明菜さんが歌うなど、非常に貴重なコラボでした。しかし稲垣さんは緊張のあまりポーカーフェースを保つことで精いっぱいだったそうです。今年になって初めて“明菜ファン”を明かした稲垣さんですが、国民的アイドルだった三谷幸喜(61)、マツコ・デラックス(50)、篠原涼子(49)らはかねて明菜ファンを公言している。また、一時的に芸能活動を再開させていた’16年のディナーショーには真矢ミキ(58)、GLAYのTAKURO(51)、ローラ(32)など、豪華芸能人が集結していた。「稲垣さんは“もう一度明菜さんが歌っている姿を見たい”と言っていましたが、みんな同じ気持ちです。芸能界の多数のファンも復活を願っていると知り、明菜さんも感涙していることでしょう。これから再始動を本格化させるにあたっても心強いでしょうね」(前出・レコード会社関係者)“明菜救援隊”は明菜の復帰への“ディザイア(情熱)”を再燃させるはずだ。
2022年11月10日「11月4日にはBS-TBSで明菜さんの特番が放送されます。『ザ・ベストテン』などTBSに残されている歌番組の映像資料を蔵出しするそうです。12月にはデビュー曲『スローモーション』などシングルチャート1位を獲得した楽曲を収録したアルバムが、明菜さんがかつて所属していたレコード会社から発売される予定です」(音楽関係者)8月に新事務所設立を発表し、“再始動”が期待される中森明菜(57)。デビューから40周年という節目を盛り上げようとテレビ局やレコード会社は動きだしているが、肝心の明菜からはいまだ今後についての具体的な発表はない。「ベストアルバムの発売に際して、レコード会社は明菜さんにコメントを寄せるようお願いしたそうですが、明菜さんはそれを断ったといいます。明菜さんは活動休止中も作詞を続け、新曲の準備もしています。アルバムへのコメント提供を見送ったのには、過去の自分ばかりではなく今の自分を見てほしいという気持ちもあったのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)今年の『NHK紅白歌合戦』への出場も期待されているが、NHKによる交渉は難航しており……。「明菜さんはまだ人前に出られる状態ではないそうなのです。というのも、第一線で活躍し続ける同世代の歌手と比較してしまい、“長年表舞台に立っていない私は見劣りする……”と、不安を抱いているそうです」(レコード会社関係者)さらに明菜にはもう1つ懸念が。「’10年に芸能活動を休止した一因でもある帯状疱疹です。活動再開の報告文に『まだ万全な体調とは言えない』とあったとおり、完全によくなったとは言えない状態なのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)中野皮膚科クリニックの松尾光馬院長は言う。「帯状疱疹後神経痛といって、10年以上症状が長引くケースはあります。また、帯状疱疹の痛みが酷いと、神経線維の過敏化や痛みが脳に記憶されて、些細な刺激でも強い痛みとして感じることもあります」前出の音楽関係者は言う。「制作中の新曲は来年には発表し、ディナーショーを復帰のステージとする意向だといいます。40周年の今年中に復帰したい気持ちはやまやまだったかと思いますが、自身の体調を考慮して苦渋の決断を下したのでしょう」しかしディナーショーでの復帰は“明菜らしい選択”だという。「ファンを大切にしている明菜さんは、ずっと待っていてくれたことのお礼を直接伝えたいと考えています。それにはファンとの距離も近く、フランクに話せるディナーショーが最適なのでしょう。コンサートとは異なり時間も短いので、体調面の負担も少なく済みそうです」(前出・音楽関係者)一進一退の明菜。今の彼女の姿を見られる日が待ち遠しいーー。
2022年11月02日「明菜さんの、長年の休業からの再始動宣言に世間の期待は高まるばかり。ただ今後の具体的な活動は発表されていません。彼女は新たな個人事務所を設立しましたが、元恋人といわれる前事務所の代表が、ファンクラブなどの権利の譲渡に応じておらず、活動を“妨害”しているような状態だというのです」(音楽関係者)先行き不安な中森明菜(57)の今後。明菜を始めとして、小泉今日子(56)、早見優(56)、松本伊代(57)、堀ちえみ(55)ら、“花の82年組”の面々は、今年デビュー40周年の記念すべき年だ。彼女たちの最新の動向は――。9月に同期の小泉今日子の出演舞台を観劇していたのは、“82年組”の三田寛子(56)。舞台の感想を《とても尊敬するし刺激になりパワーを頂いてきました!》とSNSに投稿していたのだが、“パワー”が必要な理由があって……。「昨年末に夫で歌舞伎役者の中村芝翫さん(57)の3度目の不倫が発覚。8月に別居報道も出ました。三田さんは、別居について隣家の工事の騒音がすごいから夫が出て行ったと話しつつ、《主人が今の生活がいいというのであれば》とも話しています」(スポーツ紙記者)ある歌舞伎関係者によると、「三田さんの気持ちは、完全に“夫離れ”していますね。いまの彼女の生きがいは歌舞伎役者である3人の息子。歌舞伎座の主役を務めるまでに成長した彼らのため、今年8月も毎日、歌舞伎座の玄関前に立って挨拶をしていましたよ。不倫報道でミソがついたことで芝翫さんの収入が減っていることもあって、三田さんは個人の仕事も率先してやり始めています。『ひるおび』(TBS系)のコメンテーターのほか、ラジオ番組のレギュラーも始めました。今後は長くやっていなかった女優業を再開することも考えているようです」夫離れする三田の一方で、逆に現在夫の体調ケアに心を砕いているのが、石川秀美(56)だ。「’90年に同期でシブがき隊の薬丸裕英さん(56)と結婚した彼女は、同時にスパッと引退。家庭に入って5人の子育ては大変だったんじゃないでしょうか」(城下さん)去年は、初孫も生まれている。「一時期は7年間ほど、秀美さんはハワイで生活し、薬丸さんが日本から定期的に通うという夫婦生活を送っていたそうですが、この数年は秀美さんも、日本を拠点にして生活しているようですよ」(前出・スポーツ紙記者)そんななか、コロナ禍で夫の体調に異変が……。「昨年9月に薬丸さんは帯状疱疹を発症。医療機関を受診し、ほどなくして完治したようですが、帯状疱疹といえば同期の中森明菜さんが長年苦しんでいた病いです。秀美さんもそのことが頭をよぎったのではないでしょうか。薬丸さんは、今年の7月にも、腹部の激痛を訴え、胃アニサキス症だと診断されて、出演している朝の情報番組を休んでもいます。帯状疱疹は過労やストレスがたまると発症しやすいといわれますし、今後、同じように体調を崩すことがないか秀美さんが心配していて、食事面でサポートしているようですよ」(テレビ局関係者)10代後半だった彼女たちも50代後半に。40周年のその先も、まだまだ“花”を咲かせてほしいーー。
2022年10月28日株式会社ステレオサウンドは、オリジナル選曲・構成によるアナログレコード・コレクションの新作として中森明菜『歌姫 -Stereo Sound Selection- Vol.6』を2022年11月16日に発売します。ジャケット中森明菜:歌姫 -Stereo Sound Selection- Vol.6(LP)URL: ■アルバム紹介「歌姫シリーズ」は1994年に始まり、日本が誇る名曲の数々を斬新なアレンジの下、中森明菜が表現力豊かな歌声と類稀なるセンスで歌いこなしてきた人気作品です。これまでの累計CDセールスは150万枚以上といわれています。彼女の歌い手としての新たな魅力に迫るため、日本を代表する編曲家たちが原曲の魅力に異なる角度から光を当てています。中森明菜がそれに応えることで、多くの名曲がオリジナリティ溢れる歌唱で次々と蘇ってきました。「歌姫シリーズ」のアナログレコードはその底知れない魅力を、既発のCDとは一味違った音で楽しんで欲しいと考えたステレオサウンドのオリジナルレコード企画です。ステレオサウンドのオリジナル選曲・構成による中森明菜のアナログレコード第6弾となる本作は、誰もが一度は耳にしたことがある曲ばかりを8曲収めています。「色彩のブルース」「魔法の鏡」「瑠璃色の地球」の3曲は、「歌姫シリーズ」でお馴染みの編曲家・千住明が新たな魅力を注ぎ込んでいます。中森明菜は千住明による編曲の意図をくみとりながら、独特の世界観で歌いこなしています。たとえ原曲を聞いたことのない方でも、彼女の歌唱力に惹き込まれていくことでしょう。鳥山雄司・編曲の「スタンダード・ナンバー」、「そして僕は途方に暮れる」、森村献・編曲の「真夜中のドア ~stay with me」、竹上良成・編曲の「接吻」、そして村田陽一・編曲の「面影」に耳を傾けても、中森明菜色に染め上げられた歌唱が味わえます。この奥深い音楽とサウンドの魅力を存分に感じてほしいと、本作ではLPカッティングを松下真也氏(PICCOLO AUDIO WORKS主宰)に委ね、レコード会社が保管してきたオリジナルマスターの持ち味を巧みにアナログレコードの音溝に刻んでいます。気鋭エンジニアのセンスが貫かれた本作を通して、中森明菜ならではの歌の魅力をたっぷりとお楽しみください。■収録曲/オリジナル・シンガー[Side A]1.色彩のブルース/EGO-WRAPPIN'2.スタンダード・ナンバー/南佳孝3.魔法の鏡/荒井由実4.そして僕は途方に暮れる/大沢誉志幸[Side B]1.瑠璃色の地球/松田聖子2.真夜中のドア ~stay with me/松原みき3.接吻/ORIGINAL LOVE4.面影/しまざき由理■商品概要商品名 : 中森明菜:歌姫 -Stereo Sound Selection- Vol.6品番 : SSAR-076発売日 : 2022年11月16日(水)形態 : アナログレコード 33 1/3回転 180g重量盤カッティング エンジニア:松下真也(PICCOLO AUDIO WORKS)定価 : 8,800円(税込)JAN : 4571177053008販売場所: ステレオサウンドストア、一部オーディオ専門店での取り扱いありURL : ■会社概要商号 : 株式会社ステレオサウンド代表者 : 代表取締役社長 原田 知幸所在地 : 〒158-0098 東京都世田谷区上用賀5-12-11設立 : 1969年6月2日(創立1966年1月10日)事業内容: オーディオ専門誌の制作・出版・販売高音質音楽ソフトの企画・制作・販売オーディオビジュアルのポータルサイト運営資本金 : 1,800万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月18日「この秋の音楽特番で明菜さんの過去の歌番組の映像を使おうとしたところ、新事務所と前事務所の意見に食い違いがあり、映像使用に“待った”がかけられていると聞きました」(テレビ局関係者)帯状疱疹などによる長年の活動休止からの“再始動”を宣言した中森明菜(57)。これまで所属していた個人事務所「ファイス」から新たに立ち上げた個人事務所「HZ VILLAGE」に移籍し、世間では彼女の復帰ステージを求める声は高まるばかりだ。しかし1カ月が経過してもなお今後の活動について新たな発表はない。それどころか、早くも暗雲が立ち込めているという。「ファイスの代表でありマネージャーを務めていたA氏(53)は明菜さんの恋人とも報じられていました。2人は’01年ごろから交際していたといいますが、今回の事務所の移籍に伴い彼女はA氏と別れたといいます」(スポーツ紙記者)過去に何度も事務所を移籍してきた明菜。「彼女のことだから感情的になってA氏ともめたのだろう」と話す知人もいるが、ある芸能関係者は2人の別離の理由を明かす。「明菜さんはデビュー40周年を迎える今年こそ活動したいと考えていました。ところがA氏はまったく動こうとせず、不信感を募らせた明菜さんは20年来の関係を解消する決断をしたのです」新事務所の監査役に就任した弁護士のB氏は一部メディアの取材に次のように回答している。《中森はなんらかの形でファンと交流をしたいとの思いを長年にわたり抱えており、前事務所では満足できなかったということです》A氏と訣別し、今後は存分に活動できるかと思いきや、いまだ彼の存在が障壁になっているという。「明菜さんが新事務所を設立し活動を再開させることをA氏は事前に知らされておらず、寝耳に水だと憤慨しているそうです」そう語るのは音楽関係者。「所属事務所を移籍する際には前事務所から新事務所に権利関係を引き継ぐのが通例です。明菜さんの新事務所も速やかに移行できるようA氏に内容証明郵便を送ったそうですが、A氏はこれを無視。B氏が明菜さんの代理人として交渉をしているようですが、A氏はその交渉に一切応じてくれないというのです。明菜さんに未練があって執着しているのか、自分をないがしろにされた恨みで妨害しているのか……。A氏は明菜さんを手離す気がないのかもしれません」明菜の新しい公式サイトでは、ファンクラブの移行について《12月を目処にこちらでご案内させていただきます》と書かれている。ところが、ここにもある懸念がーー。「今のところA氏はファンクラブの運営権の譲渡にも応じていません。そのため明菜さんサイドは会員名簿を入手できておらず、正確な会員数すら把握できていないのです。それどころか9月末現在でも前事務所時代のファンクラブサイトが残されており、いまだに入会金を支払える状態のままになっています」(前出・芸能関係者)明菜は過去のインタビューで、《私のコンサートにいらっしゃるお客さんはみんないい人ばかりで会場の雰囲気もすごくいいの》(『コスモポリタン』’01年6月)と語っていたことがあるほど、ファンに絶大な信頼を寄せている。■年末の紅白にも悪影響が…「明菜さんはファンクラブは絶対に存続させたいと考えていますが、無事に引き継ぎができるのか気をもんでいるそうです」(前出・芸能関係者)さらには、明菜の出演が期待される今年の『NHK紅白歌合戦』にまでA氏の妨害工作が影響する恐れがあるという。「『紅白』が視聴率の低迷に苦しんでいるということもあり、NHKはなんとしてでも目玉として明菜さんに出てほしいと考えています。NHKのプロデューサーが明菜さんとすでに接触しているという情報もあります。ですが、NHKはトラブルを極端に嫌うのです。実際、大物アーティストでも問題が発生したら出演をNGにしたことがありました。明菜さんもトラブルが解決できないかぎり、『紅白』は危ういでしょう」(前出・テレビ局関係者)行く手を阻む元恋人。それでも明菜はくじけていないようだ。「松田聖子さん(60)や井上陽水さん(74)を手掛けた日本でも有数の音楽プロデューサーC氏が、レコード会社に『明菜の新曲を作ります』と報告しています。明菜さんも再始動に前向きな気持ちでいます」(レコード会社関係者)権利関係の譲渡に前事務所が応じていないことは事実なのか、新事務所の監査役であるB氏に本誌が問い合わせたところ、「当職が中森の代理人として前事務所ファイスと交渉中なのは事実」としたうえで、「当職としては、ファイスに対し、従前のマネジメント業務及び会計について明らかにするよう求め、現在返答をお待ちしているところであり、権利関係についてもまだ調査未了の段階です。なお、ファンクラブについては、ファンのみなさまにできるだけご迷惑をおかけしない形で移行する仕組みを検討しております」と説明。前事務所との引き継ぎが完了していないことを認めた。また、新曲制作について聞くと次のように回答があった。「新曲の制作計画については存じ上げておりませんし、中森の再始動はまだまだ先の話です。いずれにしろ、当職としては、中森の権利保護(実演家等としての著作権法上の権利、アーティスト印税等の契約上の権利、パブリシティ権を含む)を主眼として、関係各社と交渉していく所存です」前出の芸能関係者は言う。「明菜さんは歌声も見た目も完璧な状態でステージに立ちたいと考えています。ですが’17年末のディナーショー以降、公の場に姿を現していないこともあり、今はまだ明菜さん自身が完全に納得できる状態になっていないそうです。自ら衣装や演出を考えるなど、セルフプロデュース能力が高く評価されてきた明菜さんですから、トラブルが解決し、『紅白』に出場できるとなれば急ピッチで仕上げるでしょうね」元恋人の執着から逃れ、晴れやかな彼女の笑顔を見ることはできるだろうかーー。
2022年10月04日《ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思います》今年5月にデビュー40周年を迎えた中森明菜(57)が、8月30日に突如Twitterと公式サイトを開設し、個人事務所の設立と再始動を発表した。フォロワー数はすでに42万人を超え(9月1日時点)、日本中の注目を集めている。明菜といえば’10年に帯状疱疹で芸能活動を無期限休止。’14年末には『NHK紅白歌合戦』にサプライズ出演したが、’17年末のディナーショー以降はふたたび活動休止にはいった。そんな明菜の最盛期を本誌秘蔵ショットで振り返る。【’84年】名曲『飾りじゃないのよ涙は』を’84年に発売。アイドルからシンガーへの転機となった。【’86年7月】ツアーの東京公演にて。ラストは『DESIRE-情熱-』で会場を沸かせた。【’86年】『夜のヒットスタジオ』に出演。同年には日本レコード大賞を2年連続で受賞した。【’95年】神戸で行われた阪神・淡路大震災救済イベントに出演し、被災者たちを励ました。8月30日のコメントでは、《まだ万全な体調とは言えません》としながらも、メッセージからは前向きなパワーが感じられた。自分らしく輝くステージを、またたくさん見せてほしい!
2022年09月10日《いつも応援してくださるファンのみなさまへ。ご無沙汰しております。中森明菜です》8月30日、長い沈黙を破ってメッセージを発信したのは中森明菜(57)。ツイッターアカウントと公式サイトを開設し、“再始動”を宣言したのだ。’10年に帯状疱疹で芸能活動を休止した明菜。その後’14年の『NHK紅白歌合戦』にサプライズで出演し活動を再開させるも、’17年末のディナーショー以降は公の場に姿を現していなかった。それでも人気が衰えることはなく、デビュー40周年の今年は“復活”が期待されていた。「7月にはNHKで過去のライブが放送されましたが高視聴率。反響はとても大きく、視聴者からお礼の声が殺到するほどだったそうです。各局の音楽番組もこぞって出演オファーをかけていたと聞きます」(テレビ局関係者)高まるラブコールに応えるように、再びステージに立つという明菜。心機一転、新たな個人事務所も立ち上げたが、今回の復活宣言にはある“予兆”があったという。「40周年ということで民放の音楽番組が通常の手続きを踏んで明菜さんのライブ映像の一部を使ったところ、事務所から映像の使い方について物言いがついたと聞いています。これまでそんなことはなかったので明菜さんサイドに何か変化があったのではと噂されていました。今思えば、新しい事務所になったことで方針も変わったのかもしれません」(前出・テレビ局関係者)明菜の私生活にもある変化があったようだ。「これまで明菜さんが所属していた事務所の代表でありマネージャーを務めてきた4歳年下の男性は明菜さんの恋人とも報じられていました。ですが今回、そこから移籍しての活動再開ですから、恋人と決別したということなのでしょう」(芸能関係者)2人が交際を始めたのは’01年ごろといわれている。男性が所有するマンションの別の階に2人は住んでいたというが……。「ここ最近は男性も明菜さんも見かけませんね。転居されているんじゃないですか」(近所の住人)本誌は明菜の元事務所の役員に名を連ねている、男性の姉に話を聞くことができた。彼女は今回の件に困惑している様子だった。「今回の明菜さんの移籍に関しては、私は全然聞いておりませんし、お話しできることはありません」以前から実家との不仲が報じられており、’19年に亡くなった実妹の葬儀にも姿を現さなかったという明菜。ここにきて20年来の恋人とも決別ーー。孤独を深めているようにも思えるが、明菜は決して独りぼっちになったわけではない。心強い“応援団”がいるという。「日本でも有数の音楽プロデューサー・Aさんが再始動をバックアップしていると聞いています」(音楽関係者)A氏は松田聖子(60)や井上陽水(74)などを手掛けた大物だ。「明菜さんもAさんとは何度もアルバムなどを制作してきましたから、信頼を置いているはずです。Aさんは小泉今日子さん(56)とも親交がありますが、その小泉さんと明菜さんは仲が良く、小泉さんは今でも明菜さんとひそかに連絡を取り合っているという話も聞いたことがあります。そういった背景もあり、Aさんはこれ以上ないほど頼りになる存在でしょう」(前出・音楽関係者)本誌はA氏にメールで取材。次のようなやりとりがあった。ーー明菜さんの新曲を手掛けていると聞きましたが?「そのような噂が音楽業界に出回っていますが、制作をお手伝いする予定はありません。本人から依頼があったらお知らせします」ほかにも、明菜を後押しするこんな顔ぶれが。「’17年のディナーショーなどを手掛けたイベント関係者のBさんが今年もディナーショーの開催に向けて始動したとも聞いています。また’14年の『紅白』の際に明菜さんが『Cさんからのオファーなら受ける』と言った、信頼の厚いプロデューサーがいます。Cさんは現在もNHKに在籍しているはずなので、今年の『紅白』に出る可能性もかなり高いと思います」(レコード会社関係者)このタイミングで活動再開を発表したということにも、彼女の今後の活動への意欲が読み取れる。「8月末というのは例年、年末のディナーショーや『紅白』が打診される時期です。40周年にふさわしいステージを用意するためには、今がベストだと動きだしたのでしょう」(NHK関係者)いまだ万全ではないという彼女の体調が懸念されるが……。「’14年の『紅白』でニューヨークからの中継で出演したように、別のスタジオなどから中継ということもありえますし、事前収録という方法もあります。また、’19年の『紅白』で登場した“AI美空ひばり”のように、明菜さん自身が登場できなくても成立する見せ方などを多角的に検討しています」(前出・NHK関係者)もう一人の歌姫・聖子の存在も彼女の背中を押している。「明菜さんにとって聖子さんは共に時代を彩った仲間。聖子さんは昨年12月に愛娘の沙也加さん(享年35)を亡くしましたが、それでもステージに立ち続ける姿に明菜さんも胸を打たれたのではないでしょうか。明菜さんは活動休止中も“いつか自分が歌うために”と作詞を続けていました。披露される日も近いかもしれませんね」(前出・芸能関係者)5年前、35周年のディナーショーでは「ファンと一緒に年の瀬は盛り上がりたい」と話していた明菜。40周年の年の瀬も、日本中を沸かせてほしいーー。
2022年09月07日2022年8月30日、歌手の中森明菜さんが個人事務所『HZ VILLAGE』を設立し、再始動することを発表しました。同日に設立された、中森さんのTwitterに投稿された内容が、こちらです。いつも応援してくださるファンのみなさまへ長い間、ご心配をおかけしており申し訳ありません。ほんの少しですが、体調が良くなってきましたので、この度、お手紙を書かせていただこうと思いました。今年2022年は、デビューをさせていただいてから40年になります。デビュー40周年として、何らかの活動をと日々体調と向き合ってきておりましたが、まだ万全な体調とは言えません。ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思いますので、どうか見守っていただけると嬉しいです。また、再始動に備えて新たな個人事務所を設立したことを併せてご報告させていただきます。今後は新しいウェブサイトakinanakamoriofficial.comにて情報を発信させていただく予定です。一方的なお知らせとなってしまい大変申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。2022年8月30日中森明菜@akinan_officialーより引用中森さんは、1982年5月に歌手デビュー。『少女A』や『飾りじゃないのよ涙は』、『DESIRE -情熱-』など、数々の名曲で人々を魅了してきました。2010年10月に体調を崩して以降、活動をセーブしながらも、音楽活動は意欲的に取り組んでいた様子の中森さん。突然の発表に、ネット上では「楽しみ」「嬉しい!」「待っていました!」など、驚きと感動の声が上がっています。力強くも美しい中森さんの歌声が再び聞ける日が待ち遠しいですね![文・構成/grape編集部]
2022年08月30日「7月9日に放送された『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』(NHK)は、デビュー時からのシングル曲だけを歌ったもので、ファンの間では“伝説のコンサート”といわれています。放送後、NHKにはお礼のメールが多数寄せられました。親子2代で視聴した人も多かったようで、明菜さんの圧倒的な人気を改めて感じました」(NHK関係者)5月1日、デビュー40周年を迎えた中森明菜(57)。“伝説のコンサート”は4.6%の高視聴率を記録。15日には『中森明菜スペシャルライブ 2009・横浜』(NHK BS)も放送された。しかし、当の明菜本人は’17年末から公の場に姿を現していない。「明菜さんは’10年に帯状疱疹で芸能活動を無期限休止しました。’14年末には『NHK紅白歌合戦』にサプライズ登場して歌手活動を再開させましたが、’17年末のディナーショー以降は再び活動休止しています」(スポーツ紙記者)現在でも思うように体調は回復せず、闘病生活は12年にも及ぶ。「病気のため精神的な不調にも見舞われ、人前で歌うどころか会うのさえ限られた人のみ。自宅からほとんど出ない生活が続いているといいます」(音楽関係者)中野皮膚科クリニックの松尾光馬院長は言う。「帯状疱疹は男性に比べ女性に1.5倍ほど多く発症します。85%の人は3カ月ほどで治りますが、6カ月以上長引く人は4%います。帯状疱疹が長期化するのは、神経障害性疼痛という神経が傷つく痛みが長引いたためではないでしょうか。最初の発疹が重症な人や、発疹が出る前の『前駆痛』という痛みが強い人が長引きやすい傾向にあります」しかし今でも明菜は歌への情熱を持ち続けていると、前出の音楽関係者は語る。「“いつか自分が歌うために”と歌詞を書きためているんです。これまでも明菜さんが作詞した楽曲はいくつもあり、20代のころには作詞家の先生のもとで本格的に学んだこともありました。’00年以降は『Miran:Miran』というペンネームで作詞をしています」明菜の復帰を望む声は、今も根強い。「今年は40周年とあって明菜さんのレコード会社には音楽番組から出演オファーがいくつも届いています。なかでも明菜さんサイドとつながりが強いNHKは『紅白』に出演してもらえないかと狙っています」(テレビ局関係者)歌姫が闘病の傍ら綴った作詞ノート。彼女の才能の一編をまた聴ける日をファンは待っている――。
2022年07月25日「明菜は毎回、死ぬ気で歌っていた。過酷な芸能界で命を削ってきた。デビューしたころ、多忙な彼女は番組で出番が終わると、横でウトウトすることもありました。指で肩をつつくと、目を覚まして笑うんです。その笑みが何のゆがみもなくて、純真無垢だった。芸能界にいちゃいけない笑顔だなって」同じ’82年デビュー組の川田あつ子(56)は、間近で見てきた印象を思い返す。5月1日、中森明菜がデビュー40周年を迎える。なぜ、彼女は多数のライバルをはねのけ、時代を切り開けたのか。そしてなぜ、活動を休止しているのか――。明菜の歌はデビュー前から聴く人の魂を震わせてきた。’79年、中学2年の少女は山口百恵らを輩出した『スター誕生!』(日本テレビ系)に応募した。同番組の地区予選の審査員兼ピアノ伴奏を務め、のちに明菜を指導するヴォイストレーナーの大本恭敬氏(86)はすぐに素質を見抜いた。「鼻にかかった声に独特の艶っぽさと憂い、低音の魅力を感じました。ただ、通過後の本選で歌った岩崎宏美の『夏に抱かれて』は音域の広い難しい曲で、自分のよさを生かしきれなかった」不合格となった明菜は翌夏、再度挑戦して松田聖子の『青い珊瑚礁』を歌う。審査員の松田トシは「顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」と酷評した。明菜は「スタ誕では童謡を受け付けてないじゃないですか」と毅然と反論した。2度の不合格をバネに、翌年3回目の挑戦で番組最高得点を出し、本選を通過。’81年11月18日の決戦大会で11社のプラカードが上がり、事務所は研音、レコード会社はワーナー・パイオニアに決まった。ワーナーの邦楽宣伝課の富岡信夫氏(70)がプロモーションに使える材料を探すため、明菜にアンケートを記入してもらうと、「尊敬する人物」に「矢沢永吉さん、桃井かおりさん」と書かれていた。■デビュー直後のコンサートで『帰らないで!』と泣きながら歌っていた「16歳で2人の名前を挙げるコを初めて見た。新しいカルチャーを作りそうなセンスを感じました」歌手デビューという夢をつかんだ明菜は、東京・恵比寿にある大本氏の自宅でレッスンを重ねた。「周囲は『第二の山口百恵』に育てようという雰囲気がありましたが、百恵に似ないように独自の『個声』と『表現』を徹底的に磨きました。明菜には『ア』『オ』の間の声に独特の響きがあった。この特徴を鍛えると、下からすくうようなビブラート、花が咲くような表現ができるようになった。これが、明菜のオリジナリティになりました」’82年5月1日に『スローモーション』でのデビューが決まったが、メディア露出は難航した。当時、研音もワーナーも大手ではなかった。状況を冷静に分析した富岡氏は、地方のテレビ局やレコード店を地道に回る“演歌作戦”を敢行した。「札幌や福岡など7大都市をデビュー前に2周しました。仕事があるわけではなく、ただ単に挨拶回りをしました。明菜さんは嫌がらずにやってくれました。『なんとしても売れたい』という気持ちが全身から伝わってきました」デビュー4日後の5月5日、としまえんの野外ステージで複数のアイドルが出演するコンサートが開催された。明菜の出番になると、雨脚が強まった。観客が去ろうとすると、悲痛な叫びがこだました。「『帰らないで!』と泣きながら歌っていた姿を見て『たいしたものだ』と感心しました」(大本氏)いかに数少ないチャンスで人を引きつけるか。明菜にとって、すべてが勝負だった。一方、納得できない仕事には抵抗した。アイドル誌『平凡』で自宅の部屋を紹介する特集があった。出演の意味を理解できない明菜はスタッフ5人を前に、撮影を拒否した。困り果てた編集者から電話を受けた富岡氏が会社から急行すると、明菜は不満顔で「なんでやらなきゃいけないの。矢沢さんは出ないでしょ?」と述べた。富岡氏はこう説得した。「矢沢さんはメディアに出ない。その代わり、全国の小さな街でライブをして、自分の歌を伝える。君は今、同じやり方をできない。だから、テレビや雑誌を通して自分を伝える。部屋を見た読者が君に興味を持って、歌を聴いてくれるようになる。方法は違うけど、矢沢さんと同じことをしているんだよ」納得した明菜は満面の笑みでカメラに収まった。「理由を説明すれば、全力で取り組んでくれる。一つひとつの仕事に妥協しないコでした」(富岡氏)明菜は2曲目『少女A』で9月16日、『ザ・ベストテン』(TBS系)に初登場。一気にスターダムへ駆け上がっていく。作詞した売野雅勇氏(71)が述懐する。「実際に歌を聞くと、自分のイメージを超える歌い方をしていた。『少女A』は明菜ちゃんが歌ったから、売れたと思います。彼女は感情の幅が広くて繊細なので、いろんな歌を歌える。アイドルの歴史を塗り替えた歌手で、誰よりもスターの存在感を持つ女性です」その後、明菜は来生えつこ・たかお姉弟の『セカンド・ラブ』『トワイライト』という聖少女系、売野氏作詞の『禁区』『1/2の神話』というツッパリ系の歌を交互に発売し、ヒットを飛ばしていく。「ああいう詞を書ける歌手がほかにいなかったから、すごく楽しかった。アルバムのレコーディングで初めて会ったとき、驚くほどきれいでかわいかったですよ。ただ、愛想はよくなかった(笑)。きっと僕の詞があまり好きではなかったのだと思います。でも、嫌な気持ちにはならなかった」(売野氏)四方八方に笑顔を振りまき、大人の立てた戦略に素直に従う。当時のアイドルは、周囲の作った虚像の世界に置かれていた。だが、明菜は違っていた。川田が回顧する。「私はその枠から踏み外しちゃいけないと思っていたし、自分の意見は言えなかった。取材で困ったら『よくわかりません』と答えなさいと教わりました。明菜は周りと同化しないタイプで、独特な世界観を持っていましたね」1,500人以上のタレントを指導してきた大本氏が話す。「強くて芯のあるコで、レッスン中も自分をごまかさなかった。たくさんのアイドルがいましたけど、“中森明菜”という自分を持っているコは彼女しかいなかった。唯一無二、孤高の存在感があった」■久しぶりの再会に「泣きながら『先生に会いたかった』と」人を寄せつけない雰囲気を醸し出す一方、困った人を放っておけない一面も持っていた。『ザ・ベストテン』で’85年から司会を務めた小西博之(62)が振り返る。「僕が始めて4週目、(司会の)黒柳徹子さんがお休みだったんです。すごいプレッシャーですよ。その日、6位のサザンオールスターズは欠席でした。歌い終わった明菜ちゃんが横に来てくれて『申し訳ございません』と視聴者のために一緒に頭を下げてくれた。本当にうれしかった。ほかの日も、僕が何か間違えるとCM中に『コニタン頑張ってね!』と優しく声をかけてくれた。困ったらすぐ手を差し伸べてくれる下宿先のお姉さんのような存在でした」多忙を極めるなか、明菜はリハーサルにも必ず顔を出し、わずか3分の歌唱に魂を振り絞った。「あるとき、控室から『なんで衣装が届いてないの!』と怒る明菜ちゃんの声が漏れてきました。スタッフが言い訳すると、『じゃあなんで前の日に無理って伝えないの?』って。まさにそのとおりですよね。『私は命懸けて歌ってるの。手抜いちゃダメよ!』と聞こえてきて、自分も身が引き締まりました」’85年に『ミ・アモーレ』、’86年に『DESIRE -情熱-』で2年連続日本レコード大賞を受賞。明菜は名実ともに“歌姫”となった。だが、人生は過酷だ。’89年には自殺未遂、’90年代には度重なるトラブルに見舞われ、世間を騒がせた。そのころ、大本氏は六本木のバーで深夜に明菜と偶然再会した。「泣きじゃくりながら抱きついてきたので、しばらく『よしよし』と子供をあやすようにしていました。『元気か?』『先生に会いたかった』と言葉を交わした記憶があります。明菜は、一緒にいた私の家内にも『ママ?』と同じように抱きついて泣きじゃくっていました」余計な言葉などいらない。大本夫妻はただ明菜を優しく包んだ。よく一緒に食事やカラオケに赴いていた川田が思い返す。「いつだって、私の知っている明菜の笑顔はデビューのときと同じで純真無垢でした」■《あんまり幸せだといい歌にならない》数々の困難に遭った明菜には悲劇のイメージがついた。後年、本人は《中森明菜というキャラクターは、あんまり幸せだといい歌にならない》(『スポーツニッポン』’03年5月1日付)と漏らした。衝撃的な発言にも取れるが、川田と売野氏はこう分析する。「俯瞰で自分を見られる。これが彼女のすごさなんですよ」(川田)「普通の人を理解するような感覚で、明菜ちゃんの気持ちを勝手に捉えちゃいけない」(売野氏)’02年、20周年の明菜は復活を遂げる。カバーアルバムがヒットし、『NHK紅白歌合戦』にも復帰。当時、取材でこう語っていた。《歌って、思い出を作ってくれるじゃないですか。時間もそうだし、呼吸、空気、香りも…。その歌に、宝箱のように、ある瞬間までをも、皆さん大事にしまっているんですね。その思い出を、絶対に崩さないというのが大前提》(『日刊スポーツ』’02年12月15日付)’17年から活動休止中の彼女の心境を、川田が推し量る。「ファンへの感謝が強い人ですし、『万全の状態で表に出たい』という葛藤があるのかもしれない。とことん自分に向き合って妥協しないから……。周りが完璧だと褒めても、自分が納得できなければ満足しなかった。友としては、彼女が本当に歌いたくなるまではそっとしてあげてほしいな」それでも、「明菜待望論」は根強い。40周年記念の番組やリリースが相次いでいるのはスターの証しだ。歌の師である大本氏は断言する。「年齢を重ねたからこそ出せる味や歌声がある。それが自然だし、それでいい」いつになっても構わない。孤高の歌姫が解き放つ今の歌声をファンは待っている。(取材・文:岡野誠)
2022年05月01日抜群のセンスと数々のヒット曲で日本歌謡界のトップスターに君臨し続けた中森明菜(56)がまもなくデビュー40周年を迎える。ここ数年は公の場に姿を見せていないが、デビュー日の5月1日、並びに6月17日には40周年を記念してWOWOWで過去のライブ映像が配信されるなど、今もなおその人気は衰えていない。しかし、’89年に自殺未遂を起こして以降、90年代には事務所トラブル、’10年に無期限活動休止を発表するなど波乱の多い人生でもあった。’81年、15歳で『スター誕生!』で山口百恵の『夢先案内人』を熱唱したことをきっかけに芸能界入り。翌’82年に“ちょっとエッチな美新人娘”というキャッチフレーズでデビューし、同年発売した2枚目のシングル『少女A』ですぐさまブレイクを果たした。松田聖子を代表とするそれまでの可愛らしいアイドル像とは異なる、明菜の不良っぽい雰囲気と歌声は、多くの人を魅了。瞬く間にトップアイドルの座へと登り詰めたのだ。‘85年の『ミ・アモーレ』と、その翌年に発売した『DESIRE-情熱-』では、史上2例目となる2年連続の日本レコード大賞受賞の快挙を達成。その後も数々の賞を受賞し、明菜はアイドルとしての絶頂期を迎えることになる。何もかも順調に見えた明菜だが、プライベートでは悩みを抱えていたようだ。’89年7月11日、当時交際していた近藤真彦(57)の自宅で左肘の内側を刃物で切って自殺を図ったのだ。帰宅した近藤に発見された明菜は、病院へと緊急搬送され一命を取り留めた。明菜は近藤と共に’89年12月31日の大晦日に、一連の騒動に関する会見を開いたが、その会見は”結婚を連想させる金屏風の前での謝罪”という異様なものに。明菜の辛そうな面持ちに、世間からは心配の声が相次いだ。その後、近藤とは破局した。この件を境に、明菜の周りではトラブルやスキャンダルが多数報じられるようになる。女優として活躍したり、『Dear Friend』(‘90年)などのヒット曲を発売したりする一方で、事務所やレコード会社の移籍を繰り返す。その後、徐々に活動の範囲を絞っていった明菜。’10年には体調不良により無期限の活動休止を発表したのち、’14年末に『紅白歌合戦』に出演。’16年からはカバー・アルバムを発売するなど本格的に再始動したが、’17年のディナーショーを最後に公の場には一切姿を見せていない。デビュー40周年を迎える今年、明菜の歌声を聞くことはできるのだろうかーー。
2022年04月30日1982年5月1日にシングル「スローモーション」で衝撃のデビューを果たした中森明菜。数多くの名曲を世に送り出し、1985、1986年には2年連続で日本レコード大賞を受賞するなど、いまや日本を代表する伝説の歌姫となった彼女。MUSIC ON! TV(エムオン!)では、今年デビュー40周年を迎えることを記念して、過去のライブ作品から「ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)」「Live in '87・A HUNDRED days」「Live in '88・Femme Fatale」「~夢~ '91 Akina Nakamori Special Live」の4ステージを4時間30分にわたって、デビュー日である5月1日に一挙放送!「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」「セカンド・ラブ」などのヒット曲の数々が、圧倒的な歌唱力で歌い上げられる華やかなステージをお見逃しなく!\4ライブ、4時間30分放送/■■番組情報■■M-ON! LIVE 中森明菜 「ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)」<放送日時>2022/5/1(日)13:00~14:00<番組内容>1985年9月22日、東京・東京厚生年金会館で開催されたライブの模様を放送。代表曲「飾りじゃないのよ涙は」をはじめ、「十戒(1984)」など華やかなライブステージをお届け。M-ON! LIVE 中森明菜 「Live in '87・A HUNDRED days」<放送日時>2022/5/1(日)14:00~15:00<番組内容>1987年に行なわれたツアーより、10月17日の東京・東京厚生年金会館公演の模様を放送。アルバム『CRIMSON』『BITTER AND SWEET』『不思議』からの楽曲を中心に、「飾りじゃないのよ涙は」などのヒット曲も楽しめるステージをお届け。M-ON! LIVE 中森明菜 「Live in '88・Femme Fatale」<放送日時>2022/5/1(日)15:00~16:00<番組内容>1988年10月26日の東京・中野サンプラザ公演の模様を放送。「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」といった昭和懐メロや洋楽のカバー曲も楽しめる、バラエティー豊かな彼女のステージをお届け。M-ON! LIVE 中森明菜 「~夢~ '91 Akina Nakamori Special Live」<放送日時>2022/5/1(日)16:00~17:30<番組内容>1991年7月27日・28日に千葉・幕張メッセで行われたスペシャル・コンサート。「DESIRE-情熱-」「セカンド・ラブ」などのヒット曲を圧倒的な歌唱力でお届け。以上MUSIC ON! TV(エムオン!)は、スカパー!、J:COM、ケーブルテレビ、ひかりTVなどでご覧いただける音楽チャンネルです。詳しくは、MUSIC ON! TV(エムオン!)公式サイト( )まで。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月26日ピアニスト、音楽監督、そして作曲家として、数々の名声を得ている日本人ミュージシャンの西田 衣見が、アメリカのマサチューセッツ州にて開かれる著名なコンサートに出演します。西田 衣見2022年4月23日に世界的に名高いウェルズリー大学にて、大学の合唱団と室内合唱団が出演する、著名な「バウム・メモリアルコンサート」に、西田 衣見がリードピアニストとして出演します。1870年に創設されて以来、ウェルズリー大学は“世界で最も力のある女性のネットワーク”として、初の女性国務長官マデレーン・オルブライト、前大統領夫人兼、史上3人目の女性国務長官ヒラリー・クリントンなどの卒業生を輩出してきました。有する専攻の中で、この高レベルな大学は、日本語学を含む人文科学の学士号を授与しており、この権威あるウェルズリー大学の合唱団の中で、中心的な役割を果たしているのが日本人ミュージシャンということは、非常に象徴的です。神奈川県出身の現在28歳である西田 衣見は、同世代の中で、最も成功した日本人女性ミュージシャンの一人と言えます。ウェルズリー大学のリードピアニストであることに加え、先日アカデミー賞作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」の題材となった世界的に有名なボストンのバークリー音楽大学(彼女が奨学金を得て学んだ大学でもあります)でもリードピアニストを務めています。世界的な活躍を目指す、若い日本人女性ミュージシャン達にとって、彼女はまさにロールモデルのような人材です。ヤマハ音楽教室にて音楽を学び、千葉県在住時、わずか6歳の時に自作曲が毎年開催されるヤマハ主催のジュニアオリジナルコンサート(JOC)に選出されました。その時以来、彼女がミュージシャンとして輝かしい道のりを進んでいくことは、誰にとっても明らかでした。2003年、10歳の神童の作曲家は、福岡県のメルパルクホールにて開催されたJOCの九州大会にて演奏し、既に知名度の高くなっていた2010年には国際ピアノデュオ協会の大会にて、2台ピアノ4手のための自作曲「Into the Wild」で会長特別賞を受賞しました。約10年が経った今では、作曲家たちを率いる1人として、実験的で入り組んだピアノのアンサンブル曲を紡ぎ出しています。彼女のピアノデュオ「Kakinishi」は、ハーバード大学のピアニストも務めている、アメリカにて活躍中の日本人ミュージシャン、垣本 拓海との著名なプロジェクトです。西田 衣見の作曲した1台ピアノ4手のための作品は、業界に新しい風を吹き込み、アカデミー賞受賞作曲家の坂本 龍一氏を始め、有名なコンサートシリーズなどアメリカ中に受け入れられています。“熟練した達人”とも呼ばれる西田 衣見は、様々なスタイルで作品の作曲、監督を務めています。バークリー音楽大学とウェルズリー大学のリードピアニスト、そしてKakinishiのピアノデュオプロジェクトのための作曲に加え、2021年ユニバーサルミュージック賞を受賞したJポップデュオ「Streepz」も率いています。そして「Crunchyrolll Anime Award」にノミネートされた作曲家、YUKI KANESAKAのリードオーケストレーターを務めています。西田 衣見は、日本中で大人気の漫画「Dr. Stone」シリーズのために書かれたKANESAKA氏の珠玉の楽曲のオーケストレーションとアレンジをこなし、豪華さを加えています。10代の科学者をモチーフにした小学館漫画賞受賞のベストセラー「Dr. Stone」は、アニメやコンサートとしても人気を博しており、彼女の比類なき創造性を生かしたコンサートバンド・金管バンド・弦楽器・打楽器など様々な楽器のオーケストレーションを通して、力強いサウンドを作り出し、多くの観客を呼んでいます。木管楽器や金管楽器のアレンジに関して、彼女には特筆すべき才能があり、2020年の作品「At the night, we saw a shadow」は世界最高峰の大学機関の一つで、アイビーリーグに属するダートマス大学の著名な吹奏楽作曲コンテストに入賞し、2022年5月3日にはバークリー音楽大学にて行われる「Berklee Symphonic Winds: Winds of Change」をリードします。しかしまずは、西田 衣見の待望の演奏が聴ける、2022年4月23日のウェルズリー大学の「バウム・メモリアルコンサート」にご期待ください。“日本人の熟練した達人”とウェルズリー大学の合唱団が織りなす中国語、ドイツ語、ヒンディー語、スペイン語など世界中の言語の歌の響きに魅了されることになるでしょう。<コンサート概要>名称 : Wellesley College Choir and Chamber Singers: The Baum Memorial Concert開催日時 : ボストン現地時間 2022年4月23日 午後7:30(日本時間 2022年4月24日午前8:30)会場 : Houghton Memorial Chapelチケット料金: 無料イベントURL : <ストリーミング配信概要>配信日時: ボストン現地時間 2022年4月23日 午後7:30(日本時間 2022年4月24日午前8:30)配信URL : 視聴方法: 上記リンクより担当:エレナ・ゾウレコヴァ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月22日