思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。末期ガンで入院する父方の祖母と、認知症になった母方の祖母の世話をひとりでするユズさんの母親。ある日母親が過呼吸症候群で倒れ、ユズさんに「あんたがいてくれて良かった」と呟きます。ユズさんはその言葉に心をつかまれ、共依存に。その後、父方の祖母が他界。母親から祖母のアパートを売ったお金120万円を学費に充てると言われて勉学に励む中、ユズさんはパチンコに通う母親と、認知症の祖母の汚れものを毎日洗濯する父親が気がかりで……。ユズさんの両親は、お互いの不満をユズさんにぶつけるようになります。両親の不満を受け止めて ユズさんの両親は面と向かっては何も言わず、どちらかがユズさんといるときだけ延々と愚痴をこぼします。 ユズさんは話し合えばいいのにと思う半面、母親の自由な振る舞いを見て父親の負担が大きいと感じていました。 父親に食器洗いは自分がやるとユズさんが提案すると、働いてないくせに偉そうに! と怒鳴られ、母親に家事を手伝えないか掛け合ってみても、また過呼吸になってもいいの? と言われるだけ。 そんな中、認知症の祖母が突然の事故で他界。ユズさんは悲しむ一方で、両親の負担が減ることにほっとします。しかし両親の生活や態度が変わることはなく、さらに溝が深まるのでした。 どの家庭でも、夫婦がお互いの不満を持つのはよくあること。しかし、それを子どもに当たっても何も解決しませんよね。 大人でも、人の悪口を聞かされるとモヤモヤしたり嫌な気持ちになったり、マイナスの感情が芽生えてしまうはず。 それを逃げ場のない中学生の子が聞かされるのは、精神的な負担が大きすぎるのではないでしょうか。 ユズさんは夫婦の不仲を仲裁しようと奮闘しますが、それも本来は子どもの役目とは思えません。夫婦の問題は、お互いが向き合って解決してほしいものですね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月17日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。末期ガンで入院する父方の祖母と、認知症になった母方の祖母の世話をひとりでするユズさんの母親。ある日母親は認知症の祖母を蹴り倒し、それをユズさんが止めました。その後、母親が過呼吸症候群で倒れ、ユズさんはさらに勉強や家事に励みます。父親は飲酒するばかりで頼れず、「あんたがいてくれて良かった」と呟く母親。ユズさんは心をつかまれ、共依存になっていきます。ある日ユズさんは、県の作文コンクールで賞をとり……。自慢の娘でありたい 県の作文コンクールで賞をとり、新聞に名前が載ったユズさん。すぐに母親に電話すると、「あんたは自慢の娘よ!」とほめられます。 同じ時期、認知症の祖母も老人ホームに入居でき、母親は過呼吸の症状が緩和。再び趣味のパチンコへ通うようになり、末期ガンの祖母の世話の頻度が少なくなりました。 そしてそのまま祖母が他界。祖母の住んでいたアパートは父親によって売却され、ユズさんは母親から学費に充てると120万円が入った通帳を渡されます。 その後母親は今まで介護に費やしていた時間をパチンコにすべて使い、認知症の母方祖母の洗濯などは毎日父親がおこなうように。 ユズさんはひたすら勉強に励む一方で、家庭の空気がピリピリしていることを感じるのでした。 自分の母親の世話を、お互いに任せっきりにするユズさんの両親。父親の目線で見れば、自分が毎日の仕事と帰宅後に洗濯をしている間、妻はパチンコに行っているなんていい気がしないでしょう。 しかしユズさんの母親は、これまでずっと父方の祖母の世話をしてきた経緯があります。父親に対して、「次はあなたの番」という気持ちがあったのかもしれませんね。 ただ、ピリピリした空気のままでは家族全員の居心地が悪くなるだけ。話し合って役割分担するなど、なんとか良い方向にもっていけないものか悩ましいところですね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月16日■前回のあらすじ常識のない親の子どもである自分と結婚することに不安はないのか…ちえ子が聞くと、サト君は、結婚するのは「ちえ子」であって、親は関係ない! とハッキリと言うのでした。親は関係ない…本当に?親は変かもしれないけれど、結婚する相手はあくまでちえ子。介護だってプロの手を借りればいい。意外にドライなサト君の考えを聞き、ちえ子は親と自分を一緒に考えていたのは自分の方だったのではないかと思うのでした。そして、サト君の「ちえ子だったら大丈夫」という言葉の意味は…?次回に続く 「こんな親の娘ですが結婚してくれますか?」(全40話)は21時更新!
2023年10月15日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんが中学生のころ、近くに住む父方の祖母が末期ガンに。母親は長男の妻という理由で、入院する祖母の世話をひとりで背負います。父親には弟妹もいますが顔すら見せず、母親は家でもピリピリするように。そんな中、母方の祖母が認知症に。徘徊で警察にお世話になるなど日に日に症状は重くなり、板挟み状態の母親にストレスの限界が……。自宅にいるのに自分の家じゃないと騒ぐ祖母。ユズさんが声をかけ見守る中、ついに母親がキレました。母と娘の親子関係 「母親らしいこと何ひとつしてこなかったくせに!」母親は祖母を蹴り倒し、今までの不満をぶつけます。 ユズさんは母親を引き止めながら暴力はやめようとやさしく諭し、後日祖母は特別養護老人ホームに入ることになりました。 しかしすぐに入居はできず、ユズさんは精神的に不安定な母親のストレスのはけ口に。学校があっても家事をしろと、理不尽に怒鳴られる日々が続きました。 そんな中、母親が突然倒れ救急搬送。医師から母親が倒れた原因は過呼吸症候群と告げられます。 ユズさんはもっと自分が頑張らなければと思い、成績を維持しながら母親の介抱や家事に励むように。 「あんたがいてくれて良かったわ…」何もしない父親にも頼れない中、母親が呟いたこの言葉に心をつかまれたユズさん。母親の役に立てることで存在意義を感じ、共依存になっていくのでした。 ずっと母親から否定ばかりされ、「もっと必要とされたい」「もっと褒めて欲しい」と願ってきたユズさん。母親が弱ったことで、思いがけない形で願いが叶ってしまいました。 追い詰められた状況や閉鎖的な環境では、何かにすがりたくなることもあるでしょう。しかし、親が子どもに頼りきりになってしまっては、その子の人生に大きな影響を与えてしまうのではないでしょうか。 母親もまた、祖母から母親らしい愛情をもらっていなかった様子。ですが母親も苦しんでいたなら、なおさらユズさんには同じ思いをさせてほしくはなかったですね。>>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月15日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。小学生のユズさんは両親の結婚記念日に、サプライズで手料理をつくりました。母親は喜んでくれましたが、父親は「汚いから食わない」と言い捨てられてしまいます。その言葉にユズさんはショックを受けました。中学生になるころ、母親はより教育熱心に。訪問販売の高額な教材を大量に購入し、入学後に学校の副教材費が必要だとわかると激怒。学校にクレームを入れ、担任と副担任のおかげで事態は収拾しますが、それ以降ユズさんはことあるごとに母親から「退学させる」と言われるように……。当時、ユズさんの近所には父方の祖母が住んでいました。母親は祖母と同居していたことがあり、自由やお金を制限されて嫌な思いをしてきたと話しますが……。父方の祖母との思い出 ユズさんは、いつもあたたかく迎えてくれた父方の祖母のことが好きでした。しかしユズさんが中学2年生のころ、祖母が末期ガンに。 母親は入院する祖母の世話で病院に通いますが、父親の弟妹が顔を見せることはなく、自分ひとりが世話をすることに不満を募らせます。家庭がピリピリする中で、今度は同居する母方の祖母に認知症の症状が見られるように……。 徘徊で何度も警察のお世話になるなど認知症の症状は日に日に重くなり、母親は両家の祖母の世話で板挟み状態になるのでした。 長男の妻というだけの理由で、父方の祖母の世話をしなければならなくなった母親。自分の母親も認知症で大変なのに、さすがにひとりで背負うには荷が重すぎますよね。 本来なら、父親や弟妹が率先して世話を行わなければならないはず。できない理由があったとしても、母親だけに世話を押し付けるのは問題でしょう。 学校や勉強があるユズさんに負担をかけるわけにもいきません。周りの理解と協力がない状況では、ストレスが溜まってもおかしくないですよね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月14日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。高熱で寝込んだ母親を必死に看病する小学生のユズさん。しかし母親の望み通りの着替えを用意できず、激怒した母親に叩かれます。ユズさんは母親に喜んでもらおうと誕生日や修学旅行でプレゼントを用意しますが、母親は趣味じゃないから要らないと言い、ユズさんの目の前でほかの人に譲る始末。しかもユズさんは、自分の誕生日に両親から一度もプレゼントをもらったことがないのでした。まだ小学生のユズさんはそれでも両親に喜んでもらおうと、今度は料理をプレゼントすることに。両親の結婚記念日にサプライズ 母親はユズさんの手料理を見て喜びます。ユズさんも達成感と母親の喜ぶ顔を見て幸せな気持ちに。お酒を飲む父親は「まだいい」と言いますが、ユズさんは台所におかずが捨てられているのを見つけました。 「汚いから食わない」父親はそう言って、ユズさんは自分が汚いと思われていることにショックを隠せませんでした。 月日は流れて中学生になるころ、母親はより教育熱心に。訪問販売で高価な教材セットを大量に購入しますが、入学後に副教材費が必要なことに激怒して学校に連絡します。 担任と副担任と話し合う事態になり、母親はしぶしぶ納得したものの、これ以降少しでもユズさんに気に入らないことがあると「退学させる」と脅すのでした。 訪問販売の教材費に高いお金を支払ったからと、学校にクレームを入れる母親。お金がもったいないのはわかりますが、自分が早まって購入したことが原因であり、学校を責める理由がありませんよね。 学校側が大人の対応をしてくれたものの、これではただの八つ当たり。娘にまで気を遣わせて、母親には子どもっぽい印象を持ってしまいますね。 教材費のお金はとり戻せませんが、大人ならミスしてしまったことを受け入れ、自分の機嫌を自分でとることも大切なのではないでしょうか。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月12日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんは学校でいじめにあいしばらく登校を控えますが、家では些細な意見の食い違いで母親の怒号が響き、無視や食事を出さないなどの罰を与えられます。体調が悪い母親を心配しても突き放され、いつしかユズさんは吃音症の症状が出るように。同居している祖母が入院し、近くにパチンコ店があったのをきっかけに、母親は朝から夕方までパチンコに入り浸る日々が続きます。ユズさんが家族で出かけたいと言うと、「私の自由時間を束縛するな」とまた怒鳴られて……。ユズさんは家族で出かけられない寂しさよりも、母親にとって家族との時間よりパチンコのほうが大事なのだと悲しみます。母の喜ぶ顔が見たいだけ ユズさんが小学5年生のとき、母親が高熱で寝込みます。父親は夜勤で不在のため、「何かあったらすぐ呼んでね」と看病するユズさん。 真夜中、母親から着替えを持ってきてほしいと起こされますが、何を選んでも文句をつけられ焦りが募ります。 「役立たず!!」すると背後からいきなり叩かれ、怒鳴り散らす母親。ユズさんは何度も謝りますが、いつまでも役立たずという言葉が耳から離れないのでした。 それでもユズさんは、誕生日や修学旅行などイベントごとに、母親へのプレゼントを欠かしません。 しかし喜んでほしいと思って選んだものは、母親の趣味に合わなければいらないと言われ、ユズさんの目の前でほかの人にあげるとまで……。 ユズさんの両親へのプレゼントは続きますが、ユズさんの誕生日には今まで一度もプレゼントをもらったことはなかったのでした。 ユズさんの喜んでほしいという気持ちをことごとく否定する母親。 ユズさんがすることに対して文句が多く、その気持ちを汲んで感謝の気持ちを表すことができないのは、悲しいことですね。 親として、子どもへの愛情の注ぎ方はそれぞれ。しかし、とても愛情を持っているとは思えない行動の数々に胸が苦しくなりますね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月11日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。まだ義母が自分のことは全部できていたころの話です。義母から電話があり、何事かと思って部屋に駆けつけると、布団に横たわったままの義母が助けを求めていて……。 当面の間の移動手段として登場したのは… 同居する義母からの電話。様子を見るために駆けつけると、そこには布団に横たわったままの義母がいました。 どうやら、寝返りをして筋違いを起こしてしまったようです。 というわけで、見つけた移動手段がこれ。 移動手段は見つけたものの、そこに運ぶまでもひと苦労です。 同居する義母から電話がかかってきたので、すぐに様子を見に行きました。そこには、布団の中で横たわっている義母の姿がありました。事情を聞いてみると、寝返りを打ったときに筋違いを起こしてしまったようでした。 このときはまだ知識が浅かった私は、義母の言うことを信じていて、数日で良くなるだろうと思っていました。しかし、歩くことができないということで、当面の間の移動手段を探さなくてはいけません。 そこで思いついたのが、パソコン用の椅子。車輪が付いているので、座ってしまえば移動はラクなはず。その代わり、座らせるまでがひと苦労でしたが……。でも実際に使ってみると、車輪が360°回転するのでコントロールが難しく、不安定。少しの凹凸でも引っかかるなど、課題点も多くあったのです。 --------------まだ身の回りのことが自分でできるうちは、突然「動けなくなる」という状況になるとは想定できないものですよね。課題は残るものの、応急処置的に移動手段を見つけられて、少しホッとしたのではないでしょうか。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 介護カレンダー編集部では、自宅介護や老々介護、みとりなど介護に関わる人やシニア世代のお悩みを解決する記事を配信中。介護者やシニア世代の毎日がハッピーになりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター まる子
2023年10月11日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。父親が違う8歳年上の姉も母親の束縛から逃げ出し、ユズさんは母親からいい子であることをさらに強要されるように……。小学2年生になると学校ではいじめられ、母親の勧めもあり登校を控えるように。しかし些細な意見の食い違いで家では母親の怒号が響き、無視や食事を出さないなどの罰をユズさんは与えられます。体調が悪い母親を心配すると「死んで欲しいってこと?」と突き放され、いつしかユズさんは吃音症の症状が出るように……。母親はユズさんの吃音症状を理解せず「イライラする」と怒るばかり。ユズさんは次第に、人と話すことが億劫になっていきました。わが家に新しい家族が ユズさんが小学3年生のころ、新しい家族として犬を迎えることに。母親とペットショップに出かけますが、その前に立ち寄った店が、のちに消費者金融だったとわかります。 小学4年生になると、同居していた母方の祖母が入院。母親はお見舞いついでに病院近くのパチンコ店に通うようになり、祖母が退院してもパチンコ通いが続きます。 ユズさんは家に戻らない母親の代わりに、父親と家事をするように。休日に出かけることはまったくなくなり、小学5年生のときゴールデンウイークは出かけたいと母親に相談しました。 しかし「あんたに私の自由時間を束縛する権利なんてないの!!」と怒鳴られ、ユズさんはよその家の子が普通にしていることが、なぜ自分にはしてもらえないのかと疑問に。なによりも、母親が家族との時間よりパチンコを優先していることが悲しいのでした。 「よそはよそ、うちはうち」と、ゴールデンウイークの外出を拒否する母親。わがままを言う子どもに言い聞かせるために使われがちな言葉ですが、ユズさんの母親の場合、自分の趣味を優先したいだけに思えますよね。 そもそも、いままでユズさんが友だちと遊ぶことや、好きな絵を描くことを禁止してまで、いい子になれと言ってきたはず。 親にももちろん、自分のための時間は必要です。しかしながら家族をないがしろにし、さらには子どもに家事をさせてまで、自分の自由の権利を主張するのは違うように感じます。 ユズさんの母親も周囲とうまく連携をとりながら、子どもと向き合う時間と自分のための時間が作れるようになると良いですね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月10日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。怒りに任せ、日常的に叩いたり怒鳴ったりするユズさんの母親。突然家からいなくなることもあれば、公園へ友だちとユズさんが遊びに行くことすら許しません。ユズさんは絵が得意になり、母親も珍しくほめますが、将来の夢が漫画家だと聞いて大激怒。そんなとき、8歳上の姉が突然家にやってきます。姉は母親と前夫との子どもで、ユズさんはすぐに親しくなりました。しかしその姉も母親の束縛から逃げ出し、ユズさんはいい子であることをさらに強要されるように……。ユズさんは母親の期待に応えようと、勉強も家事も努力します。いい子でいることが、母親から愛情をもらえる方法だと信じて疑いませんでした。学校ではいじめのターゲットにされて… 小学2年生になったユズさんは、学校で物を隠されたり無視されたりと、いじめられるように。母親に打ち明けると、学校に行かなくていいと言ってくれ、学校に連絡もしてくれました。 しかし家では母親と少しでも意見が違えば怒鳴られ、数日間の無視が続きます。機嫌がなおるまでは食事も出ず、ユズさんは学校にも家にも居場所がないと感じるように。 ある日、体調が悪いと言う母親と夏祭りに出かけたときのこと。心配したユズさんは、「死んじゃったりしないよね……?」と聞きました。 すると母親は「あんたそれ私に死んで欲しいってこと!?」と言い放ち、ユズさんはそれからどう接していいかわからくなります。 いつしか話そうとすると、吃音症の症状が出るように。母親は理解がなく話せないことを怒るばかりで、ユズさんは人と会話することが苦手になっていくのでした。 学校でも家でも、心から安らげる場所がないユズさん。吃音症になったのは学校でのいじめだけでなく、母親からの虐待があったからではないでしょうか。 悲しみや不安を言葉にして伝えるのは、大人でも大変なもの。目に見えないストレスから吃音の症状にまで発展してしまったことを否定されたり突き放されたりしては、どんどん心が壊れてしまうでしょう。 ユズさんは子どもながら葛藤し、ずっと自分を犠牲にしていたのかもしれませんね。>>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月09日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんが幼いころから、怒りに任せ叩いたり怒鳴ったりしていたユズさんの母親。ユズさんのご飯も用意せず突然家からいなくなったり、ユズさんが友だちと遊ぶ宿題が出たと言えば嘘つき扱いして外出も禁止します。ユズさんが絵を描くことが得意になれば、珍しくほめたものの、将来の夢が漫画家だと聞いて大激怒。そんなとき、母親に1本の電話がかかりました。電話は、ユズさんの実の姉が家にやってくるというもの。ユズさんは8歳のこのとき初めて、自分に姉がいたことを知らされます。憧れだったお姉ちゃん 両親は遊んでくれず、兄弟に憧れがあったユズさんは、姉がいたことに喜びます。姉はユズさんより8歳年上で、母親の前夫との子どもでした。 実際に会った姉は見た目は派手でしたが、気さくに遊んでくれ、しばらく一緒に暮らすことに。ユズさんにとって姉との生活は、刺激的でたのしいものでした。 しかし姉はすぐに姿を消し、その理由はユズさんの母親の束縛がイヤで家を出たとのこと。母親が前夫と離婚するときも、姉は母親と暮らすことを選ばなかったと言います。 「あんたは私を捨てないよね?」それからも母親は姉を悪く言い続け、ユズさんに「いい子」になるよう圧をかけるように。 ユズさんもそれに応じることが母親から愛情をもらえる手段だと、信じて疑わないのでした。 ユズさんと同じように、姉にも束縛をしていたユズさんの母親。思い通りにさせようと決めつけてきた結果、2度も子どもが離れることになりました。 実の娘から「息が詰まる」と言われて、母親も少しはショックを受けたのかもしれません。しかし、姉を悪者にしたり、ユズさんにさらなる期待を寄せたりするのは、負の連鎖になるだけですよね。 母親は本当に子どもを大切に思うのなら、自分の発言を冷静に振り返ることも大切だったかもしれませんね。>>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月08日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんが幼いころから、怒りに任せ叩いたり怒鳴ったりしていたユズさんの母親。ユズさんを下着姿のまま寒い冬に家から追い出し、保育園で作った作品はゴミ扱い。便秘や膀胱炎になると、恥ずかしがるユズさんを無視して周囲に笑い話として広めます。親子遠足の動物園では、ユズさんを連れて飲食店で時間をつぶし、一緒に見てまわることすらありませんでした。ある日、ユズさんが目を覚ますと、そこに母親の姿はありません。おなかがすいて食べる物を探しますが、幼いユズさんがすぐに食べられるものはなにもなく……。母親とのつらい思い出の数々 母親が不在のまま、仕事を終えた父親が帰宅。ユズさんは昼2時を過ぎてようやく食事にありつけました。 別の思い出では、母親とおもちゃ売り場へ行けば何を選んでもダメと言われ、じゃあ買わないと言えば時間の無駄だったと余計に怒られます。 小学校にあがるタイミングで引越すことになったユズさんは、友だちと離ればなれに。新しい友だちをつくろうにも、人見知りなうえに母親から放課後の外出はダメだと言われます。状況を知っているはずの父親も知らんぷり。 そんな家庭環境の中で絵を描くことが好きになったユズさんは、珍しく母親から絵をほめられ、漫画家を目指すようになりました。しかしそれを知った母親は大激怒。 自分が褒めたことも忘れ、ユズさんの進路も将来も決まっていると言います。さらに、ユズさんが反抗的でかわいくないとも……。 ユズさんは自分の考えが母親と違うことがダメなのだと思い込み、その後は母親の希望通りの将来図を人に話すように。すると母親は、満足そうにするのでした。 ユズさんの話もろくに聞かず、頭ごなしに怒るだけの母親。自分の好きなことや話すことを否定されるのは、大人でもいい気持ちはしませんよね。 すぐ近くにいる父親が見て見ぬふりなのも、ユズさんは裏切られた気持ちになったでしょう。 両親にとっては「子どもの言うこと」と軽い考えなのかもしれませんが、ユズさんにとってはたった2人の両親。 味方であるべき存在の両親が、しっかりと子どもの気持ちを尊重してあげてほしいものです。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月07日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんの母親は笑っていると思いきや、いきなり怒鳴りだすこともしばしば。物心ついたユズさんは、そのころから母親の顔色を伺い、怒らせないようやり過ごす毎日でした。ある日、まだ幼いユズさんは、何でもないことがきっかけで母親を怒らせてしまい……。母親の怒りスイッチを押してしまうと… 激怒した母親はごめんなさいと謝るユズさんを、寒い冬の日に下着姿のまま家から追い出します。ユズさんは偶然近所の人に助けられましたが、「あんたのせいで恥かいたわ!」と頬を叩かれました。 3歳になり、通っていた保育園で作った工作を道に落としたユズさんは、母親からどうせゴミになると見捨てられます。ユズさんが腹痛で病院のお世話になった際はおもしろがって周囲に話し、恥ずかしいからやめてと言っても暴言を並べて聞き入れられませんでした。 5歳になったユズさんはある日頻尿と痛みに苦しみますが、母親に言い出せないまま血尿に。そのときも母親は怒るばかりでまた笑い話にします。 さらに親子遠足で動物園に行ったときも、母親はユズさんを連れて飲食店で時間をつぶし、園内を一緒に見てまわることすらしないのでした。 幼いころから、日常的に暴言や否定される言葉を受け、親の務めを放棄されてきたユズさん。手をあげられた記憶が1回だったとしても、十分深い傷を負っているはずです。 しかし、小さな子どもが母親のおかしい点に気付き、誰かに助けを求めることは難しいでしょう。 どんなに母親が外でいい顔をしていても、子どもが下着姿で外に出されていた事実や、動物園で親子の姿がないなど、よく考えれば「あれ?」と思うサインは意外と近くにあるのかもしれませんね。>>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月06日現在、実家の実母(要介護3)と同居の義母(要介護1)2人の世話をしている私。2人とも可能な限り自宅で過ごせるよう、きょうだいと協力したり介護サービスを利用したりしながら生活しています。在宅でのお世話は、できないことが少しずつ増えていくのを見つめる日々でもあります。今回は、要介護1で基本的なことは自分でできる義母だけれど、やはり介護が必要な部分もあるのだと再認識させられた出来事についてお話しします。何事? 真夜中に義母の叫び声ある晩、「痛いよ~、痛いよ~、肩が痛いよ~」と、階下の義母の部屋から悲鳴のような声が聞こえてきて、眠っていた私はその声で目覚めました。義母はもともと大きな声で寝言を言う人で、義母の寝言で夜中に起こされたことも一度や二度ではありませんでした。ただ、今回ほどの大声は初めて。しかも、呪いのように同じ言葉を繰り返しています。様子を見に行こうかと思いましたが、何となくおっくう……。同居する義母への対応が実母と違うのは自覚しています。しかし、少し距離を取って接しているのは自分を守るためでもあります。これから長く介護していくことになる義母に善意だけで関わるのは無理。要介護1は入浴、排泄など基本的なことは自分でできますが、洗濯、料理などの家事はもうできません。よかれと思って手助けをすると、あれもこれもと用事を頼んできて、閉口することになるのは経験済みです。出来の悪い嫁で良いと思っています。義母の叫び声はしばらく続きましたが、じきに静かになったので私もそのまま眠りに就きました。叫ぶ原因は何? 今夜も夜中に起こされるところが話はここで終わりませんでした。その後、頻繁に義母は真夜中に叫ぶようになり、夫も私も夜中に頭を抱えることになりました。義母が腕や肩が痛いのは昔からで、いつも湿布を何枚も貼っていたのですが、昼間は叫ばないのに夜中だけ叫ぶなんて何かの嫌がらせかとまで思いました。隣近所の家が離れているから良いものの、街中だったら虐待しているのではないかとご近所から疑われるようなレベルの大声です。義姉も心配して義母を整形外科に連れて行ってくれたのですが、いつも湿布を処方されて終わり。違う整形外科で診察してもらっても、「もうお年ですからねぇ」のひと言です。離れて暮らしている義姉は、痛い痛いという義母の言葉を、電話で何回も聞かされるので心配を募らせていったようです。一緒に暮らしている私たちは、食欲もあるしけがもしていないことがわかっているので、それほど心配していませんでした。このギャップが原因で言い合いになることもありました。医師次第で、状況は変わるその後、叫ぶ原因がわかりました。 近所の個人病院ではどうにもならなかったので、夫が整形外科の専門医がいる総合病院に連れて行ったのです。「精神的なものかもしれないですね」と、医師に言われたようです。その日は大学病院から派遣されている女医さんが来ていて、その方が診察してくれたのもよかったのかもしれません。「夜中に誰か助けてと叫ぶほど痛いはずはないですね」と血液検査をしてくださり、血液中の鉄分の不足や夜間のドーパミン不足が原因かもなどと、今までと違う側面から診察、治療してくれました。現在は軽い精神安定剤が処方されています。おかげで、夜間の叫び声は随分少なくなり、私も不眠でイライラすることが減りました。また、これが精神科病院だと診察に連れて行きづらいのですが、総合病院の整形外科です。湿布と一緒に精神安定剤を出してもらえるので、本人も嫌がることなく通院してくれます。痛みを訴えるときは精神的なことが原因の場合もあるのだとわかりました。まとめ要介護1の義母は、自身の身体的なことは大体こなせるのですが、要介護という文字が付く通り、何かしら支援が必要な部分があります。それが精神的な問題だと、一緒に住んでいる私たちはかなり影響を受けるのに、原因がわかりづらいので対応が難しかったです。今回は知識のある医師に巡り合えてラッキーでした。まだまだ続く介護生活。私自身がまいってしまわないように、適度な距離を取りながら過ごしていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。介護カレンダー/ウーマンカレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月05日皆さんは、家族の発言に衝撃を受けた経験はありますか?今回は、母に家族の介護を押しつけ続けた父のエピソードと、感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!人生を棒に振る?主人公の母は看護師で、頼まれると断れない性格です。そんな母に、父は自分の家族の介護を押しつけてきました。父方の祖母や伯父、伯母の介護を数十年続けた母ですが、やっと介護から解放され…。ある日、主人公の姉が「結婚したい人がいる」と報告をしてきます。しかし、姉の結婚相手に同居の祖父がいるという話を聞いた途端、父は結婚に反対をしました。理由を聞いたところ、なんと「介護をさせられるから」だというのです。「介護で人生を棒に振るな!」と発言する父に、主人公は真っ青になって母のほうを見ます。父の家族の介護を続けてきた母は、絶望した表情で…。母に問い詰められ…出典:エトラちゃんは見た!母は「私は人生を棒に振ったんですか?」と父を問い詰めます。母の気迫に、返す言葉がない父でした。読者の感想母方の家族の介護ならともかく、自分の家族の介護を押しつけてきた父は無責任すぎますね。母の心情を思うと胸が痛いです…。(30代/女性)今まで頑張ってきたことを否定するような言い方で、怒るのも納得でした。主人公たちの優しさが、お母さんを支えていたのかなと思います。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年09月25日皆さんは若かったあの頃、どうしても親を許せないと感じたことはありますか?今回は、10代の頃に「実の親でも許せない!」と感じたというエピソードを紹介します。イラスト:しのささむつ大学受験のとき…大学受験のときの話です。私はほぼ無名の地方公立高校から旧帝大を目指していました。私が夜遅く出歩くのを親がいい顔しなかったので塾にも行かず、高校1年生の時から毎日10時間以上勉強して、なんとか現役で第一志望に入ることができました。親に合格を知らせたら、「合格させてやった感謝がない」と叱られました。叱られた理由出典:愛カツ親が言うには、私が合格できたのは毎日勉強できる環境を整えた親のおかげ(家の手伝いをさせなかった・バランスいい食事を出してやった・勉強にうちこめる経済状況である)であって、同じ環境なら誰でも合格できるそうです。だから本来なら「合格させてくださってありがとうございます」と言うべきなのに、その言葉が真っ先にないのは性格がおかしいと言われました。ちなみに親は私の合格をすぐ吹聴し、近所で「子供を優秀大学に入れた親」としてチヤホヤされていました。(33歳/女性/研究職)親の協力も重要だけど…もちろん志望校に合格するためには、親の協力も重要かもしれません。でも自分の両親には最初に「合格おめでとう」と言ってほしいものですね…。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2023年09月17日親の遠距離介護、家計破綻しないためにできること。最も多かった回答は「仕方ないので現状維持」が40.3%。次いで「親を自分たちの住まいの近くに呼び寄せる」が17.7%。SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするICTスタートアップのPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)は当社が運営・開発する社会デザインプラットフォームSurfvoteで、2023年6月20日から8月31日までの期間、イシュー(課題)「実家の親元への遠距離介護。帰省の交通費が月8万円。家計破綻を防ぐために、するべきことは?」について、ユーザーの意見投票を行いましたので、その結果をお知らせいたします。 投票詳細イシュー(課題):実家の親元への遠距離介護。帰省の交通費が月8万円。家計破綻を防ぐために、するべきことは?問題提起の背景:「急に具合が悪くなった」「転倒した」など、突発的なことが多く、緊急に帰省を要する介護は交通費が4~5万円という人がザラで10万円かかるという人もいる。老親と別居するケースが増加しているなかで、老親の多くは自宅で最期を迎えたいと切望する割合が高い。遠距離介護で家計破綻をまねかないためにも子どもが選ぶ選択肢がどのようなものか?Surfvoteで意見投票を行った。調査主体:社会デザインプラットフォーム Surfvote(Webサービス) 調査方法:Surfvote上でアカウントを持つユーザーが投票調査対象:Surfvote上でアカウントを持つユーザー投票期間:2023年6月20日〜2023年8月31日有効票数:62票投票結果投票結果各選択肢のコメント紹介(一部抜粋、コメントなしの選択肢は未掲載、原文ママ)仕方ないので現状維持居住の自由がある。職業選択の自由もある。 自分や家族が選んだ居住地から移動するのに、何を求めるのでしょうか? 都会の人は都会の利便性と給与の高さを選んだのだからその中から必要な費用を捻出するなり対応すればいいのではないですか? 田舎に住んでる人はそういったものを得られない代わりに、得るものがあるのだと思います。その差を都会の人の論理で捻じ曲げる必要を僕は感じません。 親の介護をしたかったり親の死に目に逢いたければそれに備えて準備をすればいいだけです。 権利や願望の主張に全て付き合う必要はないと思います。(賛同数41)このコメントの全文はこち 帰省手段を見直す(飛行機を高速バスに変更するなど)行かない・回数を減らすことができないという前提で答えています。(賛同数28)親本人(または、自分のきょうだい)に、交通費を負担してくれるよう相談する遠くない将来直面しそうな問題です。(賛同数15)親を自分たちの住まいの近くに呼び寄せる自分だけで介護しなきゃならないなら、 近くにいてくれた方が、何かあったときに 対応しやすいし、安心できる。(賛同数20)その他介護サービスなども頼ったりして、行く回数を減らし 少し出費を抑える。(賛同数25)問題提起いただいたオーサー 太田 差惠子氏京都市生まれ。1993年頃より老親介護の現場を取材。「遠距離介護」「高齢者住宅」「仕事と介護の両立」などの情報を発信。AFP(日本FP協会)の資格も持ち「介護とお金」にも詳しい。著書に『親が倒れた!親の入院・介護ですぐやること・考えること・お金のこと 第3版』『高齢者施設 お金・選び方・入居の流れがわかる本 第2版』(以上翔泳社)『遠距離介護で自滅しない選択』(日本経済新聞出版)『知っトク介護弱った親と自分を守る お金とおトクなサービス超入門』(共著,KADOKAWA)など。太田 差惠子氏Surfvoteとは?当社が提供するSNS「Surfvote」は社会にあるさまざまな課題を問題提起し、それについて誰もが簡単に意見を投票できるサービスです。Surfvoteでは「イシュー」と呼ばれる各テーマ(課題)に対して複数の選択肢から自分の意見を投票できます。また他のユーザーのコメントを見たり、評価(いいね)したりすることもできます。イシューは当社編集部だけでなく大学の先生やさまざまな分野の専門家にも執筆のご協力をいただき発行しています。投票結果はイシューの内容に応じて、適宜関係省庁や政治家へ提出し報告を行なっています。 Polimill株式会社Polimill株式会社は社会デザインプラットフォームSurfvoteを運営・開発するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは社会課題や困りごとに特化し、ユーザーがあらゆるテーマについて自分の意見を投票できるだけでなく、他のユーザーの意見を傾聴できるサービスです。地方公共団体版のSurfvoteも拡充中で自治体と連携し住民による住みやすい街づくりを促進します。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年09月13日祖父母ともに要介護状態となったとき、3人きょうだいのうち唯一祖父母と同じ町に住んでいた母が、自身も苦しみながらも祖父母を献身的に支えてきました。そんな母が、祖父母ともに他界した今、振り返って感じる介護をしている中でやっていてよかったこととは。★関連記事:父の介護で外出できない日々にひと筋の光が!憂うつな気持ちを軽くしてくれたものとは母が直面した介護のある生活私の母は、3人きょうだいの末っ子。生まれ育った田舎に残り結婚し、私を含む3人の子どもを育ててきました。やがて、祖母が認知症を患い始めたことにより、母に訪れた介護問題。祖母のサポートをしながら慣れない家事を頑張る祖父に、母も全面的に協力していました。そんな中、祖父がある日、外出先で突然倒れ、そのまま寝たきり状態に。そのときには既に介護施設で過ごす時間が多くなっていた祖母と、突然入院した上に祖母とは別の介護施設で過ごすこととなった祖父。母は祖父母の入所後も、祖父母の寝具や衣類の洗濯、各施設との打ち合わせ、祖父母宅の管理など、母自身もフルタイムで働きながら懸命に祖父母のサポートをする日々でした。末っ子の私は当時高校生でしたが、母は私の負担が大きくなるような手伝いはさせず、私が学校や部活に集中できるよう配慮してくれていたのだろうと思います。そんなふうに毎日祖父母のために忙しくしている母を間近で見ていたため、少しでも力になれるよう、祖父母の面会にだけは私も一緒に連れて行ってもらっていました。祖母はどんどん私たちのことを忘れていくし、祖父はほとんど声も出せません。それでも、大好きな祖父母が少し反応してくれるだけで母も私もうれしいものでした。そのころから10年以上たち、祖父母ともに他界した今、母には介護をしているときにやっていてよかったと思うことがあるそうです。介護中にやっていてよかったこと母が教えてくれたのは、次のような内容でした。・介護にかかった費用、収支の記録をつけておく母が祖父母の通帳を管理していたのですが、パジャマや毛布などの生活用品から、施設の利用料金まで細かく収支をつけ、祖父母のお金の動きがわかるようにしていました。それが親戚など周りからの信頼につながったと言います。「何にどのくらい費用がかかったのか」「計算は合っているのか」とわざわざ親戚が見返すことはないのですが、しっかり管理しようとする母の姿勢や、実際にきちんと記録してきた事実に、これなら信用できると親戚にも安心してもらえたのでしょう。・自分のきょうだいと情報共有をする大きな金額が動くときや、入所先が変更になったとき、体調に変化があったときは遠くにいるきょうだいにも母は情報をシェアするようにしていました。叔父や叔母からすると、離れているからこそ、今の祖父母がどんな状態なのか把握できるだけで安心するとのこと。さらに、きょうだいと連絡を取り合うことで、母自身もひとりで悩みを抱え込むのを回避できたそうです。距離があるため、物理的に助けることが頻繁(ひんぱん)にはできない叔父と叔母は、母のこまめな連絡や金銭管理に安心して任せることができ、「あなたに助けられた」と母の頑張りにとても感謝したと言います。一番大事なのは自分自身も大切にすること忙しい介護の中で、疲労やストレス、不安に恐怖などさまざまなものと闘っていた母。祖父が入院してからも、毎日仕事帰りに各施設を訪ねてから帰宅し、夕飯作りやその他の家事をしていました。 そんな生活が続き肉体的にも精神的にも疲れ果てている中、母の友人から、「自分の時間も作っていいんだよ」という助言が。それからは、意識して自分の趣味に費やす時間を増やしていったことで、自身の心の健康を守ることができたと母は言います。その体験があったからこそ母も、知人がかつての自分と同じような境遇だと知ったとき、「自分のことも大切にしてあげてね」ということを伝えたそう。その知人もまた、母のその言葉に救われたのか涙を流したと言います。介護で悩む方はたくさんいて、やるべきことをしていたら1日が終わってしまった……という多忙な毎日を過ごしている方も少なくないのだと思います。そういった境遇の方一人ひとりが、意識して自分をいたわる時間を作っていけたらいいよね、とよく母と話しています。まとめ祖父母の介護を通じて、寂しさや焦り、不安などさまざまな葛藤を抱えながら、とても苦しい思いをした母。自分のきょうだいが近くにいないならなおさら、しっかり金銭管理をし、きょうだいとこまめに連絡を取り合うことが重要だと言います。 身内間のトラブル防止になるのに加え、厳しい状況を理解してくれる人がいるだけで、介護する側の精神的な安定にもつながるのだと教えてくれました。そして何より重要なのは、自分自身をいたわる時間を作ること。精神的にも肉体的にも大きな負担がかかる介護。私も介護問題に直面したときには、自分のできる範囲で、周りにもうまく頼りながら、サポートしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年09月06日ずっと気になっていた介護脱毛をするために、動き始めました。やらなくてはと思っていたものの、先延ばしにしていた介護脱毛についての私の体験談をお話しします。★関連記事:蒸れによる湿疹や悪臭対策に!「おまたの悩み」が劇的に減ったVIO脱毛【体験談】介護脱毛は「今のうちに」介護脱毛とは、将来介護されるときを見越して、排せつ物などの拭き取りで介護者の負担にならないようにデリケートゾーンであるVIO脱毛をしておくことをいうそうです。きっかけは保険の見直しをしてもらったときに言われた「40代で若いと思っていても、元気な人が脳卒中になり、倒れてからは寝たきりになった人を知っている」の言葉です。前日まで元気だった人でも、寝たきりになるリスクがある……。私はアラフォーで、まだまだ元気なものの、前に健康診断で再検査になって大学病院に行った過去もあり、老後準備は早めにしておかなくてはいけないことを実感しました。アラフォーやアラフィフで、ムダ毛が白髪交じりになってしまうと、美容脱毛やレーザー脱毛の効果が薄れます。理由は、黒いメラニン色素に反応できなくなってしまうからだそうで、そういったこともあり、早めに動かなくてはと思っていました。かといって、一気に高額な出費は無理な話です。そんなとき、介護脱毛ができるサロンの予約サイトを見ていたところ、「都度脱毛」の文字があり、これなら通えそうだと感じました。「都度脱毛」の初回料金は安かった選んだのはエステサロンの美容脱毛で、種類は光脱毛。そして、料金形態は1回ごとに料金を支払う都度払い形式。私はこれまで、脇、腕、足の脱毛は独身時代に完了しているため、なんとなくの相場を知っています。脱毛は、エステサロンでだと割安ではあるものの、コースで契約するとどうしても金額が高くなってしまうイメージがありました。しかし、1回ごと支払う都度払いなら、そこまで家計負担にならず、いいように思いました。また、初回は安く「顔を除く全身脱毛」は12,980円が6,900円とお試し価格でできました。この都度脱毛は、脱毛コースを一気に契約するほどお金に余裕がないことをカバーできることはもちろん、白髪になったら通えなくなるので都度払いがよかった点。脱毛を始めるなら早めがいいと聞いていたこともあり、見つけてすぐに申し込み。決断は早かったです。初回の施術が終わって次は2回目久しぶりに施術を受けた光脱毛、過去に脱毛経験がある私は、事前にシェーバーでムダ毛を剃っていきました。もしシェービングを忘れた場合などでサロン側でシェービングをすると有料になるそうです。その点は注意が必要だと思いました。気になっていた痛みはほぼなく、全身脱毛も約20分くらいで終了。過去には脱毛でゴムで弾く痛みを感じたので、1回目の効果が本当にあるのか不安ではあるものの、とりあえず無事に終了しました。まとめ都度脱毛を選び、介護脱毛をスタートさせたアラフォーの私、できる限りやっておこうと思っています。エステティシャンによると、VIO脱毛が完了すると、お手入れが不要になりラクになるとのこと。白髪になってしまうと、VIO脱毛に限らず、脱毛全般ができなくなってしまうため、注意も必要だと思っています。「あのときやっておけば」を防ぐため、今のうちから動いてみました。あとは、結果が出るのみ。次はいつ行くかはまだ決まってはいないものの、飽きずに通っていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/Kumiko3(41歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2023年09月06日自分の親やパートナーの親が要介護に、という現実はそう珍しくないでしょう。元気だった親が歩けなくなったり、認知能力が落ちたりする姿を見ると、「将来、要介護にはなりたくない」と思ってしまいます。健康寿命を延ばそうと国でもいろいろな施策をおこなっていますが、今回は国も注目する、日本人に不足しがちな栄養素を紹介します。産婦人科医の駒形依子先生にアドバイスをいただきました。教えてくれたのは…監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。★関連記事:要介護にならないために!日本人に不足しがちな「たんぱく質」をうまく摂取するコツを解説【医師監修】知っておきたい「フレイル」とは?要介護になりやすい状態のこと最近、メディアで目にしたり耳にしたりすることが増えた「フレイル」という言葉。どんな意味を持つのでしょうか。「フレイルとは、虚弱という意味を持ち、加齢とともに心身の活力が低下し、将来的に要介護状態となる危険性が高くなった状態をいいます。健康と要介護の中間に位置し、放っておくと要介護につながる危険が高まります。しかし、早めに気付いて適切な取り組みをおこなうことで、その進行を防ぎ、健康寿命を延ばせます」(駒形先生)。要介護というと70代、80代のイメージが強く、40代、50代の自分たちにはまだ先という気もしますが……?「健康とフレイルの間には、プレ・フレイル(前虚弱)という期間もあります。心と体のちょっとした衰えを感じ始める時期のことです。フレイル予防は、このプレ・フレイルの時期に自分の心と体の衰えに気付き、自分事として捉えることが第一歩とされています」(駒形先生)。フレイルを予防するには?たんぱく質を積極的に摂取フレイル予防には「栄養」「運動」「社会参加」が3本柱が必要とされています。中でも「栄養」について、厚生労働省は2020年4月に生活習慣病やフレイル予防を目的に、たんぱく質摂取推奨量を1日50gとしました。「女性ホルモンのエストロゲンには筋肉の再生機能もあるのですが、更年期にエストロゲンが減ることで筋肉の再生が鈍く、遅くなります。 例えば、今までと同じ生活をしていて筋力が“1”衰えていたのが、更年期になると“5”衰えるイメージ です。筋肉は合成と分解を繰り返していますが、その合成の材料になるのがたんぱく質です。筋力が衰えやすい更年期こそ、意識的にたんぱく質をとる必要があります」(駒形先生)。たんぱく質の効率的なとり方は?間食をたんぱく質に置き換え!「たんぱく質による筋肉合成は上限があるため、とりだめはできません。3食になるべくたんぱく質を多く含む食品を加えることが望ましいですが、できる方とできない方がいると思います。そこで、間食にたんぱく質をとるようにするだけでも、摂取量を上げることができます。パンやケーキ、お菓子を、ヨーグルトやサラダチキンにするだけでも十分効果的です。コンビニでも買えるもので手軽にとるのが長続きの秘訣でしょう。そして最後に。気を付けて欲しいのは、たんぱく質をとっても運動しなければ筋肉量は増えず、肥満の原因になるということ。筋肉量低下の予防は、たんぱく質の摂取と運動のセットで考えてください」(駒形先生)。まとめたんぱく質をとるだけではフレイル予防にならない……。食べるのは大好きでも、運動はできればしたくないという私にとって耳の痛い話でした。20年後、30年後も元気で若々しくいるには、まずは要介護になる可能性が自分にもあるという現実を捉えることの大切さを実感しました!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(49歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/駒形 依子 先生2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
2023年08月30日頭痛と異常なイビキで病院に行った父。良性の腫瘍があることがわかり手術することになったのですが…まさかその後、突然家族を忘れてしまうことになるなんて。愛する人が変わってしまっても、愛し続けられますか?とはいえ腫瘍は良性。手術すればよくなるはずだったのですが…父は家族を忘れてしまったなんとか一命をとりとめた父。しかし…そして父は奇妙な言動を繰り返すようになりました。一生愛すと誓いあったはずの人に忘れられてしまった母。そして、父を介護する日々が始まります。母は娘たちの助けはほとんど借りず、ひとりで20年もの介護生活を送ったのでした。もう自分を愛してくれない夫との壮絶な日々を乗り越えた母の原動力とは?こちらは吉田いらこさんの体験をもとに2023年7月9日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントをご紹介します。家族の気持ちに想いを寄せる読者の言葉元気だったのに突然家族を忘れてしまった父。多くの読者が人生のはかなさをかみしめていました。・他人事ではなく明日は我が身と考えさせられました。・健康で元気な状態でいることはすごいことなんだと改めて思います。・ある程度年取ると人間いつどうなるかわかりませんね。生きてることが不思議なんですよね壮絶な介護の現場。自身の経験を思い出した読者が目立ちました。その中でやはり国や公的機関のサポート、そして情報発信が大事だという声があがっていました。・ 私も、義両親が認知症になり大変でした。一番上の孫は、じいちゃんっ子だったんで、泣き出しました。徘徊するじいちゃんを原付で追いかけてくれたりと、いろいろ世話を手伝ってくれました。今でも思い出します。家族の結束と協力が必要だと思いました。家族が、全部負担するのは大変なので上手に施設の利用をおすすめします。・このコミックを読んで、いろいろ思い出しました。でもきっときっとご本人が一番辛いのだと思います。・ 認知症のリアルが描かれていて、勉強になります。私も20年以上前に、認知症の父の介護を経験しました。 当時は情報が乏しかったし、病気に関する周囲の理解も進んでいませんでした。 病気の本人はもちろん辛いと思いますが、家族の心のキズも計り知れません。 病気に対する理解を広めるために、ぜひ情報発信を続けて頂きたいです。・ 亡き祖母も認知症でした。読んでいて切ないですが、自分や身近な人が認知症になるかもしれない今、このマンガをスタートに理解を深めていくことの大切さにも気づかされました。・国全体でもっとサポートすべきかと。障がい者の家族の実情を少しだけ知ることができたので、自分ができることをしたい。寄付や傾聴くらいしかできないかも知れないが。母親はもっぱらひとりで介護をし、娘たちは独立した後戻ることも少なくなって、のちに主人公は母親に介護のほとんどを任せたことを後悔します。しかし読者からは後悔などしなくて良いと主人公を慮る声があがっていました。・老人福祉介護施設で働いています。 仕事でなら何回も聞かれても、笑顔で答えますが、自宅で自分の親に何回も同じことを聞かれたら、それはもう殴りたくなる気持ちになるのは当たり前です。このお話の中でまだ高校生の主人公には大変辛い経験だったと思います。・無事に育って自立するのが恩返しですよ。気に病むことはない。・お母さんお疲れ様でした。娘さん視点のようですが、お母さんからみれば大変な家庭環境で無事に立派な大人になってくれてそれだけでも助かったというような心境だと思います。お母さんが介護に明け暮れてる中自分は学校生活を続けて家を出て家庭を築いてお母さんに負担を強いたという気持ちもあるかもしれないけどそれは反面お母さんの望みでもあったはずですよ。子どもの幸せは親の一番の願いです。・作者の方の勇気に感謝します、ありがとうございました。高校生の頃の話が自分をみているようで泣きそうになりました。家族のことを周りに言いづらいし、相手の負担になるから結局言えない。でも誰かにわかってもらいたい気持ちもある。自分だけで抱えるのは重過ぎる。・私の父は転倒して頭を強打、その後しゃべることができなくなり、だんだん歩くこともできなくなり寝たきりになりました。元気な時は大きな声で私の名前を呼んでいたので、もう一度名前を呼んでほしいと言う気持ちがあふれました。父と重なり涙がが出ました。 寝たきり、誤嚥、胃瘻、延命、私も経験しましたが決断するまで調べたり悩んだり本当に辛かったです。お母さんは強くて優しくて、長年の介護、本当にお疲れ様でした。 素晴らしい作品をありがとうございました。愛する家族が突然別人のようになってしまい、自分のことを忘れてしまったら…? それでも、相手を愛し続けることはできるのでしょうか…?▼漫画「若年性認知症の父親と私」
2023年08月22日介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子氏が提起。自分の親が倒れて要介護となった場合、何が最も重要だと思うか?回答者の26.8%が「介護サービスなどの情報」、25%が「介護するためのお金」。SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするICTスタートアップのPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)は当社が運営・開発する社会デザインプラットフォームSurfvoteで、2023年5月29日から7月31日までの期間、「親を介護するためにもっとも重要なことは?」というイシュー(課題)について、ユーザーの意見投票を行いましたので、その結果をお知らせいたします。Surfvoteは、社会のさまざまな課題や困りごとをイシュー(課題)として発行し、ユーザーが自分の意見を投票してコメントすることのできるプラットフォームです。投票詳細イシュー(課題):親を介護するためにもっとも重要なことは?実際のイシュー問題提起の背景:とある30代以上の男女に行った調査によると、3割以上が親を介護を将来行う「可能性がある」と回答し、さらに介護に備えてすでにやっていることについて、「何もしていない」と回答した人は全体の6割以上に上った。実際に介護が始まった人の中には、「何から始めたらいいのかわからない」という声もあり、これらの背景から問題提起を行った。調査主体:社会デザインプラットフォーム Surfvote(Webサービス) 調査方法:Surfvote上でアカウントを持つユーザーが投票調査対象:Surfvote上でアカウントを持つユーザー投票期間:2023年5月29日〜2023年7月31日有効票数:56票投票結果投票結果各選択肢のコメント紹介(一部抜粋、コメントなしの選択肢は未掲載、原文ママ)介護サービスなどの情報お金、協力者、時間、専門家全てのことを考え決めるためには、まずは幅広い情報収集が必要だと思うから。確かに、いつ自分の親が介護が必要になるか、親の年齢に限らず、日頃から自分ごととしてアンテナを張っておかなければ!と気付かされました。ありがとうございます。(賛同数32)介護をするためのお金自分が労働力を提供するか、お金を払って確保した労働力が介護の実働を担うので、介護を提供しながら自分が仕事を続けるためにはお金が必要だと考えるから。(賛同数29)このコメントの全文はこちら→ 介護をおこなう協力者介護を一人でやるのは難しいと思います。 介護疲れで、鬱になってしまったり、 両親を殺害までしてしまったり。 協力者がいた方がいいと思います。(賛同数17)介護するための時間介護をしてあげたくてもそのためには時間や蓄えが必要。 仕事をしている人が多いと思うので なかなか介護に時間が取れないと思います。(賛同数22)相談にのってくれる介護や医療の専門家介護が必要になった時に、一つ一つ情報を集める時間も労力もありません。無料で総合的にアドバイスをくれて、不安などを誰でも気軽に相談できる地域の専門家が常に必要かと思います。 介護は、お金や時間の問題もありますが、それ以上に弱っていく自分の親の姿を見て不安になったり、孤独を抱え込んだりしてしまう介護する側の精神的サポートなどが、1番必要かと思います。(賛同数29)親がどういう介護を望んでいるのか、その希望を知ることこの状況では、主役は親であるはずなので、親の望みを丁寧に聞きたいと思いました。(賛同数29)その他前提として、認知だけではなく、物理的なものも含めてということに今更気づきましたが、 同じくどのように物理的な介護を行うか、様々な手続き、利用するにしても施設やサービスのタイプ、介護対象者はそれを利用できるか否か、想定する予算と乖離がないか、予算対効果といった前提知識面が重要となると考えています。(賛同数23)このコメントの全文はこちら→ 問題提起いただいたオーサー 太田 差惠子氏京都市生まれ。1993年頃より老親介護の現場を取材。「遠距離介護」「高齢者住宅」「仕事と介護の両立」などの情報を発信。AFP(日本FP協会)の資格も持ち「介護とお金」にも詳しい。著書に『親が倒れた!親の入院・介護ですぐやること・考えること・お金のこと 第3版』『高齢者施設 お金・選び方・入居の流れがわかる本 第2版』(以上翔泳社)『遠距離介護で自滅しない選択』(日本経済新聞出版)『知っトク介護弱った親と自分を守る お金とおトクなサービス超入門』(共著,KADOKAWA)など。太田差惠子氏Surfvoteとは?当社が提供するSNS「Surfvote」は社会にあるさまざまな課題を問題提起し、それについて誰もが簡単に意見を投票できるサービスです。Surfvoteでは「イシュー」と呼ばれる各テーマ(課題)に対して複数の選択肢から自分の意見を投票できます。また他のユーザーのコメントを見たり、評価(いいね)したりすることもできます。イシューは当社編集部だけでなく大学の先生やさまざまな分野の専門家にも執筆のご協力をいただき発行しています。投票結果はイシューの内容に応じて、適宜関係省庁や政治家へ提出し報告を行なっています。 Polimill株式会社Polimill株式会社は社会デザインプラットフォームSurfvoteを運営・開発するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは社会課題や困りごとに特化し、ユーザーがあらゆるテーマについて自分の意見を投票できるだけでなく、他のユーザーの意見を傾聴できるサービスです。地方公共団体版のSurfvoteも拡充中で自治体と連携し住民による住みやすい街づくりを促進します。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月15日■前回のあらすじ華は自分の家が介護で、どうなったかを語りだす。仲の良かったふたりの仲がだんだんと険悪になっていく様子は耐えがたかったという華。そうはなりたくないから、施設を検討してほしいと訴えるが、義母は息子や夫に世話されるのは嫌だと再度話してくる。義母が施設への入所を嫌がる本当の理由…それは「家族に見捨てられるのではないかと不安だったから」。そんなことあるはずない!と家族みんなで伝えると、義母は安心したようでした。涙を流しながら、施設への入所を前向きに検討してみると言ってくれました。そしてーー。次回に続く(全8話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 日野光里 /イラスト・ 玄米(監修:アトリエPP合同会社)
2023年08月02日■前回のあらすじ同居はしない約束だったのに、同居して介護をしろってことかと悩む華。しかし、そこは夫がきっぱりと拒否してくれる。家には義弟がいるのだから、もっとしっかり考えるように叱ってくれたのだが…。義弟が不純な動機で婚活アプリをしたのは、義母が勧めたからと言うのを聞いて愕然としました。外部の方や身内の男性を頼らず、嫁だけに介護をさせたいという義母の考えをどうにかできないかと考えていたとき、ある出来事が起こってしまいます…。次回に続く(全8話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 日野光里 /イラスト・ 玄米(監修:アトリエPP合同会社)
2023年07月30日■前回のあらすじ脳梗塞で倒れた義母の主張としては「介護は他人にはできない。身内がやるもの」「身内でも嫁がやるもの」「手が空いてるからといって男に介護はさせられない」というものだった。泣きながら介護をしてくれと言う義母に華は…。義父と義弟に言われ、「やはり私がつきっきりで介護をするべきか…でも…」と不安でいっぱいになる私の代わりに、夫はきっぱりと「華が引き受けなきゃいけない義務はない」と言ってくれました。しかし夫に叱られた義弟は何やら思いついた様子。嫌な予感がしたのですが、この予感は間違いではありませんでした…。次回に続く(全8話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 日野光里 /イラスト・ 玄米(監修:アトリエPP合同会社)
2023年07月29日■前回のあらすじ脳梗塞で倒れた義母。義実家には仕事をしていない義弟がいた。そのことで大人の手があることに安心する華夫婦だったが、いざ病院に行くと、介護は長男の嫁である華に頼むと言われてしまう。泣き出してしまった義母に申し訳なく感じると同時に、なぜヘルパーさんを頼らないのか不思議に感じていました(その理由は後々分かることになるのですが…)。そんな中、今後の義母のサポートについて急遽設けた義父と義弟との家族会議では、義父と義弟の発言に私はさらに悩まされることになるのです…。次回に続く(全8話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 日野光里 /イラスト・ 玄米(監修:アトリエPP合同会社)
2023年07月28日30年老親介護を取材してきた太田差惠子氏が問題提起。さまざまな事由から親を1人で住まわせることが不安であるにも関わらず親が最期まで自宅で過ごすことを希望する場合、子どもはどのように判断するか?SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするICTスタートアップのPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)は2023年7月26日、新イシュー「1人で過ごさせることに不安を感じる独居親から『施設は嫌だ、最期までこの家で暮らす』と言われたら?」についてSurfvoteで意見投票を開始しました。 皆さんはどちらを優先させますか?長年、老年取材を取材してきた太田氏は、子どもが親の施設入居を考えるきっかけとして、親が1人でトイレに行けなくなった、火の始末をできなくなった、食事を取れない、要介護4になった、そして介護している子どもが倒れそうになってしまったケースをあげています。自宅は介護を受ける当人にとって、住み心地がよく自由度も高いため施設に入らず最期まで自宅で過ごしたいと考えるのは自然なことでしょう。しかしながら、介護が必要である親が家で1人で過ごすことに不安を感じる子どもにとっては、その親の希望を押し切って施設に入居させるべきなのか、それとも他の方法で親の希望を叶えてあげることを優先するのか、さまざまな意見があります。Surfvoteではこれをイシューとして発行し、ユーザーの意見投票を9月30日まで受け付けています。Surfvoteとは?当社が提供するSNS「Surfvote」は社会にあるさまざまな課題を問題提起し、それについて誰もが簡単に意見を投票できるサービスです。Surfvoteでは「イシュー」と呼ばれる各テーマ(課題)に対して複数の選択肢から自分の意見を投票できます。また他のユーザーのコメントを見たり、評価(いいね)したりすることもできます。イシューは当社編集部だけでなく大学の先生やさまざまな分野の専門家にも執筆のご協力をいただき発行しています。投票結果はイシューの内容に応じて、適宜関係省庁や政治家へ提出し報告を行なっています。各イシューで投票・コメントしていただいた1人1人の意見を大切に扱い、社会を前進させるために寄与したいと考えています。 Polimill株式会社Polimill株式会社は目的特化型SNS【Surfvote】を運営・提供するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは社会課題に特化し、ユーザーがあらゆるテーマについて自分の意見を投票できるだけでなく、他のユーザーの意見を傾聴できるサービスです。地方公共団体版のSurfvoteも拡充中で自治体と連携し住民による住みやすい街づくりを促進します。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年07月27日■前回のあらすじ父のことは学校の誰にも話していなかった私。誰かに聞いてほしいと、ある日友達に話すけれど…。戸惑う友人の様子に、人に話すことは聞いてくれる人に負担をかけることじゃないかと感じるのでした。■この人になら話せるかな…■キャンパスライフが始まり…普通に学生時代を過ごして、普通に就職で家を出て。普通に人生を楽しんだ私。母は私の進路を応援してくれて、「介護があるから進学諦めて」とか「はやく就職して家にお金入れて」なんてことも言われませんでした。若い頃は自分本位に生きてきたことを「これで良かったのかな」と後悔したこともあったけれど…。今は自分が親になったから分かります。「子どもには介護でやりたい事を諦めさせたくない」母の心にはそんな気持ちがあったのかもしれません。次回に続く「若年性認知症の父親と私」(全21話)は22時更新!
2023年07月20日半数以上は介護に際して「特にトラブルはなかった」と回答介護施設内でおきたトラブルについて教えてください(複数回答可)アンケートの結果、最も多かったのは「特にトラブルはなかった」で51.3%でした。なお、実際にトラブルが起こったものでは、「ほかの入居者との喧嘩」が16.7%で最も多いことがわかりました。実際に起きたトラブルの実態は?次に、実際に介護施設内で起きたトラブルについて、詳細を聞きました。<入居者同士のトラブルに関するユーザーの声>・物音や話し声がうるさいと喧嘩になった・義母の部屋へいきなり認知症の男性の方がいきなり入ってきて色々と怒鳴ったことがあった<スタッフ・職員とのトラブルに関するユーザーの声>・人手不足だと思いますが目配りが足りない印象・やはり忙しいと思うが、やっつけ仕事のような感じ<介護サービスにまつわるトラブルに関するユーザーの声>・嚥下障害が起きた時の対処、胃瘻の処置などに少し不満がありました・介護職員の方が、車椅子に乗せる際、うまく乗せられず、骨折した<金銭・盗難にまつわるトラブルに関するユーザーの声>・わずかな金額のお金の紛失が度々あった・引き出しに入れていたお金が無くなったトラブルの対処法、最多は「スタッフに伝えて改善してもらった」起きたトラブルをどのように対処・対応したのか教えてください(複数回答可)実際にトラブルが起きた時は「スタッフに伝えて改善してもらった」ケースが51.4%で最も多い結果となりました。一方、「解決しなかった」と回答した人が13.4%いることから、介護施設に対して不満を強く言えない、相談先を知らないという人がいることも見受けられました。調査概要【調査手法】・調査実施機関:インターネットリサーチ・調査期間:2023年6月30日~7月1日・調査対象:300人(アンケート回答者は、事前アンケートで「介護施設に入っている」または「入っていた(退去済)」被介護者か、「(被介護者)を介護施設に入れる予定」にチェックをつけた人を対象とした)【調査目的】介護経験者に対する、介護の悩みや不満に関する調査ケアスル 介護:(マイナビ子育て編集部)<関連記事>✅7割の人がもつ実家への「ある不安」、しかし6割超は親と話したことがない、その理由は?✅孫の帰省、うれしい反面「食事の用意」が大変…。祖父母の8割以上が「帰省時には特別な料理を用意する」一方、食材選びなどの準備に苦戦✅ 義理の実家への帰省が憂鬱な妻は6割以上!過去の嫌がらせや嫌味の経験が影響
2023年07月20日腰椎を圧迫骨折した86歳の義母を自宅で介護していたわが家。一生懸命介護したかいあって、義母は手すりにつかまって歩いたり、手引き歩行をしたりすることができるまで回復していました。そんな矢先、今度は義母が脳梗塞を発症して入院。退院後にはさらに過酷な介護生活が待っていました。★関連記事:突然始まった介護生活! 義母が腰椎圧迫骨折をして入院後、自宅介護に【体験談】義母が脳梗塞に!腰椎を圧迫骨折してから、あまり動かない生活をしていたからかもしれません。ある日のこと、義母の左側の手脚の動きがちょっと悪いなと思ったのですが、そのままデイサービスに送り出しました。帰宅したとき、デイサービスの方にも左脚の動きが悪いようですから病院で診てもらったほうが良いですよとの助言を受けました。そこで、早速かかりつけ医に診てもらうと、すぐに大きな病院に行ってくださいとのこと。次の日、かかりつけ医に紹介された大きな病院に行き、MRI検査を受けました。診断結果は脳梗塞(のうこうそく)でした。私も画像を見せてもらいましたが、白い影がいくつかありました。その中でひときわ白い場所があり、医師によると、これが今回脳梗塞になったところだということでした。退院後、介護施設に入るか自宅介護か迫られ先生からは脳梗塞ですから、すぐに入院してくださいと言われました。幸いにも義母の場合は脳梗塞でも細い血管の脳梗塞のため症状は軽いほうだということでした。とはいっても、左側の手脚がうまく動かせず、また、左側全体的にまひがあるせいで食事のときの飲み込みが弱くなってしまいました。入院中は血流を良くするための点滴を受けながら、手足の動きを良くするためのリハビリを受けました。2週間で退院となったのですが、退院時指導では医師から認知症もあり本人のリハビリの意思が弱いので、退院後はリハビリ病院に行っても効果が期待できないと言われました。このまま介護施設に入るか、自宅に帰ってデイサービスに通いながらリハビリをするかの選択を迫られたのです。いつもお世話になっているケアマネジャーさんとも相談し、とりあえず自宅介護をしてみて、大変だったら介護施設を探しましょうということになりました。車椅子生活となった義母の介護自宅にはすでにあらゆるところに手すりはついていましたが、義母は完全に車椅子の生活になってしまいました。新たに室内用の車椅子をレンタルし、ベットの手すりもL字型に開くものに変えました。さらにトイレの中にも立ち上がり用の手すりを設置しました。玄関の上がりかまち(玄関の段差)は、なんとか車椅子でも降りられるのですが、玄関の外側に3段くらいの階段があり、そこにはスロープを設置して、車椅子でもスムーズに降りられるようにしました。一番大変だったのは、左側のまひがあるせいで力が入らず、車椅子からベットやトイレに移乗させる際に義母の体を持ち上げるのが重くて重くて。私のほうも腰や背中が痛くなってしまいました。あとは食事の飲み込みが弱いため、ご飯をおかゆにしたり、スープや飲み物で栄養をとれるようにしたりしていました。まとめ今日こそ限界だと思いながら、義母を毎日デイサービスに送り出してリハビリをしてもらうという生活を続けたところ、義母は3カ月くらいで手すりにつかまったまま立ち上がれるようになりました。さらに半年後には、左側の手脚が少しだけ動くように。元の状態には戻りませんが、車椅子から移乗させるのがだんだんラクになってきました。食事もおかゆだったのが、ご飯を飲み込めるようになり、果物やトマトが食べられるようになりました。自宅介護は大変ですが、ケアマネジャーさんやデイサービスの職員さんに助けられながら、できるところまでは自宅でお世話していこうと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/おみき著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年07月04日