歌手でタレントの森口博子が16日に自身のアメブロを更新。あまりにも早すぎる訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、森口は「小金沢昇司さん65歳、あまりにも早すぎます」と11日に呼吸不全のため亡くなった歌手の小金沢昇司さんの訃報について言及。「昨年、キングレコードのスタジオで、偶然お会いしたのが最後でした」と明かし「どうして……心からお悔やみ申し上げます」と追悼した。続けて「はじめてお会いした時、私の19歳の時のファースト写真集を持っていると言うお話しを、恥ずかしそうにして下さり」と初対面の際のエピソードを紹介し「とても感激しました」と回想。「それから何度もご一緒させて頂きました」と述べ「敏感肌の私に『お水が変われば、肌質も変わるから』とミネラルウォーターをわざわざ送って下さった」と明かした。また「一番忘れられないのは、以前、レタスしゃぶしゃぶを一緒に食べに行った時の事」だといい「この日以来、私はレタスを食べる度に小金沢さんの事を思い出す程に」とコメント。「『残りの歌手生活の事を考えたら、今まで、以上に緊張感持って、ひとつひとつ、自分も、スタッフも真剣に取り組まなくては!』と。まっすぐな眼差しで熱く熱く熱く語っていた」と説明し「その熱量に共感しました」とつづった。最後に「歌番組でデュエットさせて頂いた時の、あの素敵なお声がもう聴けないなんて本当に残念です。淋しいです」と悲痛な胸中を吐露し「どうか、心から安らかな旅立ちを」と追悼。「小金沢さん、シャイな笑顔と共に素敵な時間を下さり、本当にありがとうございました」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「驚きました」「本当に残念です」「御冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月17日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおが17日に自身のアメブロを更新。“まさか”と驚いた何度も共演した人物の訃報についてつづった。この日、伊達は「エスパー伊東さんが亡くなられました」と16日に亡くなったお笑い芸人のエスパー伊東さんの訃報について言及し「我々がやっていたテレビ東京のパチンコ番組に、何度もゲストで来て下さいました」と回想。「エスパー伊東さんが、お家芸でもあるボストンバックに入り、僕がそのバックを担いで登場した事もありました」(原文ママ)と振り返り「番組、お陰様で凄く盛り上がりましたしエスパーさんは本当に優しい方でした」とつづった。続けて「体調不良で休業されているとは聞いていましたが、まさかお亡くなりになられるとは」と信じられない様子で述べ「驚いております」とコメント。「エスパー伊東さん、ありがとうございました!お疲れ様でした」と呼びかけ「心よりお悔やみ申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「年齢的にも早過ぎます」「残念ですね」「御冥福お祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2024年01月17日2024年1月16日、お笑いタレントのエスパー伊東さんが亡くなったことが分かりました。63歳でした。上半身裸に黒スパッツ姿で登場し、ボストンバッグの中に全身を入れる芸でブレークした、エスパー伊東さん。テレビのバラエティ番組で活躍するほか、結婚式の余興などでも人気を博し全国各地を営業でまわりました。サンケイスポーツによると、エスパー伊東さんは右変形性股関節症を患い、2018年に芸能活動を休業することを発表。その後、認知症を発症し関東圏の老人ホームに移って生活をしていたといいます。エスパー伊東さんの訃報に、関係者から追悼の声が寄せられており、お笑いタレントの狩野英孝さんは、X(Twitter)で「エスパーさんがいつも現場を楽しく明るくしてくれました。本当にありがとうございます」とつづっています。エスパー伊東さんが亡くなられた事を今、知りました。子供の頃テレビで大笑いさせて頂き、芸人になってからは「スリーピース」という番組をずっと一緒にやらせて頂いてました。エスパーさんがいつも現場を楽しく明るくしてくれました。本当にありがとうございます。ご冥福をお祈りします。— 狩野英孝 (@kano9x) January 16, 2024 また、ネット上では「成人式に来てくれて大爆笑した思い出がある。本当にお疲れさまでした」「エスパー伊東さんが出るコーナーは毎回笑った!さびしくなる」「ボストンバッグに潜んで、ひょっこり出てくる鉄板ネタも大好きでした」など故人を惜しむ声が多数寄せられていました。温和で真面目な性格で知られていたという、エスパー伊東さん。数々の芸でお茶の間を笑顔にしてきた功績は、多くの人の心に残り続けていくことでしょう。エスパー伊東さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月17日歌手のアグネス・チャンが16日に自身のアメブロを更新。本当にショックな訃報に胸中を吐露した。この日、アグネスは「八代亜紀さん、菅ニ郎さんに続き」(原文ママ)と11日に呼吸不全のため亡くなった歌手の小金沢昇司さんの訃報について言及。「この一ヶ月の間にたくさん歌手の仲間が天に召された」と述べ「それぞれ輝かしい充実した人生を送ってこられた方々です」とつづった。続けて「私たちに素敵な音楽を聞かせてくれた」と回想し「本当に感謝の気持ちでいっぱいです。心からご冥福をお祈りします」と追悼。「ファンは決して皆さんのことを忘れることはないと思います」と述べ「それにしても、寂しいですね。本当にショックです」と胸中を吐露し、ブログを締めくくった。
2024年01月16日2024年1月15日、音楽会社であるキングレコード株式会社がウェブサイトを更新。同社に所属する、演歌歌手の小金沢昇司さんが亡くなったことを明かしました。65歳でした。演歌歌手である北島三郎さんの付き人を経て、1988年にデビューを果たした小金沢さん。ノド用治療薬『フィニッシュコーワ』のCMで『歌手の小金沢君』として出演し、ブレイクしました。本業の歌手としてではなく、俳優として一躍有名になるという、異色の経歴。演歌歌手としても、『おまえだけ』や『ありがとう…感謝』など、多くの楽曲を届けてきました。キングレコード株式会社によると、小金沢さんは2024年1月11日に呼吸不全のため、神奈川県内の病院で息を引き取ったといいます。なお、通夜や告別式は、遺族の意向により、近親者のみですでに執り行われたとのことです。同月9日に歌手の八代亜紀さん、そして11日には演歌歌手の冠二郎さんの逝去が明かされたこともあり、日本の音楽界を盛り上げた人の相次ぐ訃報に、多くの人がショックを受けた模様。小金沢さんの逝去に、彼の楽曲から元気をもらった人たちから感謝の声が上がりました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月15日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおが13日に自身のアメブロを更新。訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、伊達は「長年、演歌の女王として歌謡界を牽引されていた八代亜紀さんが亡くなられました」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及。「我々、実は何度か八代さんとお会いしておりまして」と説明し「東日本大震災の後、仙台での生放送だったり、被災地を励ます為のイベントなど」と振り返った。続けて「NHK『サンドウィッチマンのお風呂いただきます!』では、八代さんの別荘へお邪魔して豪華な露天風呂にも入らせて頂きました」(原文ママ)と写真とともに明かし「とにかく、お優しい方で。。」と八代さんの人柄についてコメント。「別荘の隅々まで見せて頂いたり、絵を描くところも見せて頂いたり…。東北の被災地には、何度も足を運んで下さり被災した皆さんを勇気づけて下さいました」と述べ「感謝しかありません」とつづった。最後に「まだまだお若いのに。。本当に残念です」と悲痛な胸の内を吐露し「謹んで、お悔やみ申し上げます」と追悼。「年始から、様々な辛いニュースばかりの今年。。ここから、何とか良い1年になりますよう全員で巻き返して行かないと」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当に残念です」「私もビックリしました」「辛くて悲しい事ばかりです」などのコメントが寄せられている。
2024年01月14日女優の三田佳子が11日に自身のアメブロを更新。突然の訃報を受け寂しい思いをつづった。この日、三田は「年明け早々、ともに同じ時代を駆け抜けた篠山紀信さんの突然の訃報に、心痛みました」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報を受け心境を吐露。篠山さんについて「何度も雑誌やポスターの撮影でご一緒した」と明かし「1989年公開の映画『極道の妻たち 三代目姐』のポスターで私を撮ったのも、篠山さんでした」と振り返った。続けて「一歳違いの親近感もあり、その頃ちょうど準備中だった私の初エッセー本『てとテと手』の中に、是非撮り下ろしの写真をとお願いした」といい「快諾してくださいました」と篠山さんが撮影した自身の写真を公開。「ここしばらくはご一緒の機会もない中でのご逝去の報に、寂しい思いで一杯です」と述べ「ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月13日歌手で俳優の黒沢年雄が11日に自身のアメブロを更新。同い年の人物の波乱の訃報を受けて心境をつづった。この日、黒沢は「今…速報が入り、演歌歌手の冠二郎ちゃんが亡くなった…」と1月1日に心不全のため亡くなった演歌歌手の冠二郎さんの訃報について言及。冠さんが「同い年なのに僕の事”兄貴,兄貴”」と言っていたそうで「僕が何着も舞台衣装を差し上げたら、喜んで吹聴して楽しんでいた!」と回想した。続けて「過去に同じ病院でガンの手術を受けていたが…」と明かしつつ「再発したのだろうか?」とコメント。「いずれにせよ…二郎ちゃんは…本当にいい人だった」と冠さんについて述べ「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「びっくりです」「心が傷みます」「心よりご冥福をお祈りします」「切なくなるばかりです」などのコメントが寄せられている。
2024年01月13日演歌歌手の水森かおりが12日に自身のアメブロを更新。再会できると信じていた大先輩の訃報に心境をつづった。この日、水森は「冠二郎先輩」というタイトルでブログを更新し「大先輩との悲しいお別れがまた」と1月1日に心不全のため亡くなった演歌歌手の冠二郎さんの訃報について言及。「冠先輩とも、いつかまたお会い出来ると信じていました」とコメントした。続けて、冠さんについて「お会いするたびに気さくにお話してくださって」と述べ「毎回言ってくださるのは『お父さん元気?』というお言葉」と回想。「実は冠先輩と私の父は昔からの顔見知り」と明かし「東京の上野に有名な演歌店のレコード屋さんがありましてそこの社長さんと私の父が小学校の同級生で」「冠先輩のキャンペーンをやる時に父がお手伝いに行っていたそうなんです」と説明した。また「私がまだ生まれる前のことです。家にも来てくださったことがあったようで、まだ小さかった姉を抱っこしたり遊んでくださったと父がよく話してくれました」と回想。「私がデビューをして初めて冠先輩にお会いした時に父の話をしたら感激してくださって、それ以来ご一緒した時は必ずと言っていいほど父のことや当時のキャンペーンの思い出話を聞かせてくださいました」と冠さんとの思い出を振り返った。最後に「父が亡くなった時も涙を流してくださった冠先輩。いつも優しくて大好きな先輩のおひとりです」とコメントし、冠さんとの2ショットを公開。「いつも優しくしてくださってありがとうございました」と感謝をつづり「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「残念ですね」「大先輩の訃報が続き哀しいですね」「心からご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月13日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけしが10日に自身のアメブロを更新。大先輩の非常に残念な訃報について言及した。この日、富澤は「『サンドのお風呂いただきます』や『これが東北魂だ 九州魂だ 駅弁で日本がつながる!』でお世話になった八代亜紀さん」と述べ、2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及した。続けて「大先輩ですが僕らなんかにも優しく接していただき、明るく、可愛らしい方でした」と回想し「非常に残念です」とコメント。八代さんについて「地元熊本や東北の震災の際には直接訪れて頂き、元気づけられたと聞きました」と明かし「お悔やみ申し上げます。ゆっくり休んで下さい」と追悼した。この投稿に読者からは「驚いています」「心が追いつきません」「ご冥福をお祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2024年01月12日歌手でタレントの森口博子が11日に自身のアメブロを更新。訃報を受けて悲痛な胸中を吐露した。この日、森口は「続く悲しみ。」というタイトルでブログを更新。「こうも、訃報が続くのはほんとに辛いです」と明かし「八代亜紀さんが旅立たれたなんて信じられません」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及した。続けて「闘病から、戻ってきて下さるとばかりに」と述べ「お会いする時は、いつも笑顔で温かいお言葉をかけて下さいました」とコメント。「歌番組で亜紀さんの生の歌声に触れたり、ジャズライブで亜紀さんの楽曲をカバーさせていただく度に、その偉大さを感じました」と回想し「優しさの裏側にある憂いや強さ」とつづった。また「ラジオのゲストにお越しいただいた時に、その事、お伝えしました」と明かし「曲がかかっている、オフトークで『舟唄』の歌唱指導をして下さって感激しました」とコメント。「あのわずかなひと時、胸にしっかりと刻まれています」と述べ、八代さんとの2ショットを公開した。さらに「歌番組で楽屋にご挨拶に伺った時のあの日のお言葉もずっとずっと私の支えになっています」と明かし「いつもの柔らかな笑顔で『リハーサルの歌、聴いてたよ。上手!難しい歌ね~!』と、褒めて下さり、励まされました」と回想。「レコーディングでかなり、苦労した曲だったので心の底から、嬉しくて…」と述べ「カッコイイステージとは真逆のお茶目な素顔も大好きでした」とつづった。最後に「本当に、もうお会いできないなんて、悲しすぎます」と悲痛な胸の内を吐露し「今はきっと天国でお父様や大切な方々に歌を聞かせて上げていらっしゃるのでしょうか」とコメント。「亜紀さん、心に沁み入る歌声と、優しさを本当にありがとうございました」と感謝を述べ「心から、お悔やみ申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「辛いですね」「悲しいです」「信じられないです」などのコメントが寄せられている。
2024年01月12日歌手で俳優の野口五郎が10日に自身のアメブロを更新。信じられない訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、野口は「八代亜紀さんの訃報」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「信じられません」と心境をコメント。八代さんについて「1971年デビューの同期!素敵なお姉さんでした」と述べ「いつも『五郎くん,元気?』」と声をかけてくれたそうで「温厚で優しい方でした」と人柄をつづった。続けて「二年前に矢吹健さんの『貴方のブルース』を亜紀さんと歌う事になりました」(原文ママ)と明かし「僕にとって13~4才の時,デビュー前の練習曲でした」と説明。「演歌ではない僕が,お姉ちゃんの胸を借りるつもりで歌わせて頂きました」と述べ「本番での亜紀さんの迫力には驚かされました」と振り返った。最後に「半世紀,ご一緒させて頂きました!亜紀さん,ずーっと変わらなかった」と明かし「ずーっといい人でした」とコメント。「悔しくて悲しい」と悲痛な胸の内を吐露し「しばらくは思い出す度,涙が出て来ます」とつづった。この投稿に読者からは「信じられません」「本当に残念です」「寂しいですね」「辛くて言葉が出ないです」などのコメントが多数寄せられている。
2024年01月11日タレントのモト冬樹が10日に自身のアメブロを更新。言葉を失った突然の訃報に心境をつづった。この日、モトは「昨日夕方に突然八代亜紀さんが膠原病の急速進行性間質性肺炎で12月30日に亡くなられていたというニュース」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「言葉を失ってしまった」とコメントした。続けて「大晦日の日本の歌なんかに八代さんが出演していないのはおかしいとは思っていた」といい「仕事で何度かご一緒したことがある八代さん 気さくで親しみやすく可愛いらしい方だったな」と回想。「まだ73という若さだ」と述べ「今年は正月早々悲しいニュースが多すぎるよ」とつづった。最後に「八代亜紀さん本当にお疲れ様でした」と労いの言葉を送り「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悲しいですね」「残念すぎる」「いまだに信じられません」などのコメントが寄せられている。
2024年01月11日HOUNDDOGのボーカル・大友康平が10日に自身のアメブロを更新。突然の訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、大友は「もう一度逢いたい・・」というタイトルでブログを更新。「夕方のニュースで、また突然の訃報が入った。八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していました」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「73歳でした、早過ぎます・・」とつづった。続けて「また、“昭和の輝く星”が天に召されてしまいました」と述べ「数々のヒット曲は全て口ずさむことができるほど名曲揃いです」と説明。「数年前、BS11『八代亜紀のいい歌いい話』という番組に出演させていただきました」と回想し「MC時はまるで少女のように無邪気で明るく いざ歌を歌えば一曲で勝負をつけてしまうほどの存在感のある歌唱力に魅了されたのをはっきり覚えています」とつづった。また「番組内では、“ff”と“もう一度逢いたい”をデュエットさせてもらいました」と明かし「一生の宝物です!!」とコメント。「高倉健さんと倍賞千恵子さんが寄り添いながら“紅白歌合戦”を見ているシーンで流れていた『舟唄』は本当に心に沁みました」と述べ「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。
2024年01月11日歌手でタレントの早見優が10日に自身のアメブロを更新。驚いた突然の訃報に心境を吐露した。この日、早見は「八代亜紀さんの突然の訃報に驚いています」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及。八代さんについて「デビューの時から、いつもやさしい先輩で、どんな時も笑顔でお話ししてくださり」と述べ「年下の私ですが、いつも可愛いとコメントさせていただきました」と振り返った。続けて「そんな時、亜紀さんは、『うふふ。ゆうちゃんも可愛い』と言ってくれ」と明かし「そんな何気ない会話が大切な想い出です」としみじみコメント。「亜紀さんの情の深い、ハスキーで温かい独特な歌声も大好きです」と述べ「演歌はもちろん、ジャズを歌う亜紀さんもとても素敵でした」と称賛した。また「昨年の夏に番組にご出演いただいた時にも、チャーミングで素敵でした」と回想。最後に「亜紀さん、たくさんの優しさを照らしてくださりありがとうございます」と感謝を述べ「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。この投稿に読者からは「信じられないです」「突然の訃報を受け、残念でなりません」「驚きました」「凄くショックでした」などのコメントが寄せられている。
2024年01月11日2024年1月11日、音楽会社である日本コロムビア株式会社がウェブサイトやSNSアカウントを更新。同社に所属する、演歌歌手の冠二郎さんが、同月1日に亡くなっていたことを明かしました。79歳でした。日本コロムビア株式会社によると、冠さんは心不全のため、埼玉県内の病院で息を引き取ったとのことです。1992年に、英語の歌詞が含まれた演歌『炎』がヒットし、演歌の固定観念を打ち破った斬新な発想から『ネオ演歌』『アクション演歌』と呼ばれた、冠さん。その後も、ロック調やフラメンコ調などのアレンジを加えるなど、当時若かった人たちにも演歌の魅力を伝え、さまざまな挑戦を続けてきました。冠二郎に関しての大切なご報告冠二郎(享年80)は体調不良のため長期療養中でございましたが 令和6年1月1日心不全のため埼玉県の病院にて逝去いたしました。生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。… pic.twitter.com/ixqDbtIlTK — 日本コロムビア (@NipponColumbia) January 11, 2024 通夜や告別式は生前の冠さんと遺族の意向により、すでに近親者のみにて執り行われたそうです。なお、お別れの会などを開く予定はないといいます。長年、日本が誇る演歌という文化を伝えるため、あらゆる手法で魅力を発信してきた冠さん。炎のような熱い想いは多くの人に届いたようで、「英語の歌詞が含まれた演歌は、本当に衝撃的でした」「まさに革命的な人。素晴らしい演歌歌手だった」といった声が上がっています。冠さんの演歌に対する熱意は、ほかの演歌歌手にも引き継がれていることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月11日タレントのキャシー中島が9日に自身のアメブロを更新。突然の訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、キャシーは「今日は笑顔になれません」と切り出し「突然のニュース」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及。「最後にお会いしたのは、桜新町の並木道」と振り返り「打ち合わせを終えて、車に向かう私を呼ぶ声」「落ち着いた色の車の窓から私を呼んでいるのは、八代さん」とエピソードを紹介した。続けて「嬉しく、手を握って、お元気ですかと聞いた時、元気よーー、キャシーはどう?と私を気遣ってくださいました」と明かし「いつも自分のことより周りの人のことを考える人です」と八代さんの人柄についてコメント。「近いうちに絶対お家にお邪魔しますねと約束をして別れたのは、去年の11月の終わりの頃でした」と振り返った。最後に「いやです亜紀さん!」と述べ「約束を守ってません、お家のギャラリーで絵を見せていただきたい」とコメント。「箱根のお家であの頃のように、ガールズトークしましょう!いやです、嫌です、嫌です!これからたくさん会えたのに!」と悲痛な胸の内を吐露し、ブログを締めくくった。
2024年01月10日歌手のアグネス・チャンが9日に自身のアメブロを更新。信じられない訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、アグネスは「今yahooニュースで八代亜紀さんの訃報を知りました」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「嘘。。。信じられない」と悲痛な胸中を吐露。「最後にお会いしたのは2022年の11月でした」と明かし、八代さんとの2ショットを公開した。続けて「『デビュー頃に一緒に新宿音楽祭で受賞したね』『懐かしいね』と二人で話したりしました」と振り返り「『あっというに間時間が経ったね』と話したのが昨日の様でした」とコメント。「いつも優雅で、本当に美しい八代さん」と述べ「デビュー頃はほぼ毎週会ってました」と回想した。また「八代さんの歌が大好きでした」といい「魂が込められた歌声は人々の心を揺さぶる。。。そんな力がある八代節です」と絶賛。「惜しい。。。寂しいですね。辛いですね」と心境を明かし「まだ実感が湧きません。嘘であって欲しいです」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「急な訃報に驚きました」「本当に寂しく残念です」「信じられない」「ご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月10日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。イラスト:エトラちゃんは見た!<父の訃報を聞いた妹の衝撃発言>主人公は両親と兄と妹の5人暮らしをしていました。末っ子である妹は両親はもちろん、兄や主人公からも甘やかされて育ちました。その影響か、少しワガママな性格になってしまいます。幼い頃は友達のおもちゃを奪って返さなかったり、学生時代も兄の財布からお金を盗んだりとやりたい放題。ある日自宅へ妹宛の督促状が届き、200万円の借金が発覚します。両親は激怒し、200万円を手切れ金に妹を家から追い出しました。それから十数年が経ち、依然として妹からは音沙汰がないまま…。すると父が急病に倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいます。父が急病で亡くなり…出典:エトラちゃんは見た!母もこのときばかりは妹へ連絡し…。「お父さん亡くなったの…」と父が亡くなったことを伝えます。問題さあ、ここで問題です。父が亡くなり、借金を作り絶縁していた妹に連絡。しかしその後、妹が見せた最低すぎる反応とは?ヒント妹は父のことより他に気になることがありました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:エトラちゃんは見た!正解は「すぐに遺産の話をした」でした。「そう、じゃあ…」と早々に話を切り上げた妹。続けて「いくらもらえるの?」と呑気に遺産の話を始めます。母は妹の言葉に唖然とするのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年01月10日歌手の小柳ルミ子が9日に自身のアメブロを更新。涙が止まらないショックが強すぎる訃報に心境をつづった。この日、小柳は「亜紀ちゃんが亡くなったなんて」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「体調が悪く入院している事は聞いていました」と説明。八代さんについて「73才で私と1才違いの同期」と明かし「ショックが強すぎて」「まだ信じられなくて」と悲痛な胸の内を吐露した。続けて更新したブログでは「訃報を知ってからずっと泣いてます」と自身の様子を告白し「亜紀ちゃんの歌が頭の中をぐるぐる回ってます」とコメント。「未だに信じられず夢であって欲しい」と述べ「歌謡界全盛だった昭和を共に駆け抜けて来た同期で仲間でした 数々のヒット曲を持つ偉大な亜紀ちゃんでした」とつづった。また「私の肖像画を描いてくれました」と明かし「そっくりで上手であの画は何処にあるのかなぁ」とコメント。「悲しいよ 淋しいよ こんなに早く逝っちゃうなんて」と述べ「昭和を共に頑張って来た仲間が1人又1人いなくなってしまう 胸が苦しいです」と心境をつづった。最後に「亜紀ちゃん痛みから解放されて大好きな画を沢山描いてね」と呼びかけ「心より心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵な歌手でした」「本当に残念です」「いまだに信じられません」「何とも言えないですね」などのコメントが寄せられている。
2024年01月10日演歌歌手の藤あや子が9日に自身のアメブロを更新。悲しすぎて言葉にならない大好きな人物の訃報に心境をつづった。この日、藤は「合掌」というタイトルでブログを更新し「八代亜紀さん」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及。「大好きな大好きな大先輩」と述べ「『八代さん』いつもそう呼ばせていただいておりました」と明かし、八代さんとの2ショットを公開した。続けて「昨年八代さんの番組にピンチヒッターとして出演させて頂いた時」と回想し「マネージャーさんにメッセージカードを届けて頂きました」と報告。「わずかふた月前くらいのこと」だったそうで「信じられません 悲しすぎます 言葉になりません」と悲痛な胸の内をつづった。最後に「女神さまのような慈悲深い笑顔が忘れられません」と述べ「八代さんありがとうございました」と感謝のコメント。「安らかにおやすみください」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「とても残念です」「寂しいです」「本当にショックです」「大好きな演歌歌手でした」などのコメントが寄せられている。
2024年01月10日2024年1月9日、歌手の八代亜紀さんが亡くなっていたことが分かりました。73歳でした。この日、所属事務所の株式会社ミリオン企画はウェブサイトを更新し、八代さんが2023年12月30日に息を引き取ったことを報告。同社によると、八代さんは指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症しており、同年9月から闘病生活を送っていたといいます。生前の八代さんの遺志を受け、葬儀は同社のスタッフのみで執り行われたとのこと。その最期は、とても穏やかな顔だったといいます。同社は、八代さんのファンに向けてこのようにコメントをしました。代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりましたこれから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思いますミリオン企画ーより引用八代さんは1971年に楽曲『愛は死んでも』でデビューし、1973年に発表した『なみだ恋』で一躍有名に。同楽曲で『日本レコード大賞』歌唱賞を受賞し、その後も日本を代表する歌手として美しい歌声で笑顔を届けてきました。これまで、八代さんの楽曲に元気をもらってきた人は、日本全国に存在します。ネット上では、多くの人から「素晴らしい歌を本当にありがとう」という感謝の声が相次ぎました。時代が変わっても、八代さんの歌声の力は色あせることがないでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月09日俳優の黒田アーサーが8日に自身のアメブロを更新。突然の訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、黒田は「突然の悲報!」というタイトルでブログを更新し「僕が芸能界のお母さんと慕う中村メイコさんが亡くなった事をネットニュースで先程知りました」と12月31日に肺塞栓症で亡くなった女優の中村メイコさんの訃報について言及。「えっ!嘘でしょう!」と驚いた様子で述べ「12月クリスマス前に久しぶりに電話でお話ししたばかりなのに」(原文ママ)とつづった。続けて「いつもの明るい声で『あら、あなた元気にしてたの?』」と中村さんに言われたことを明かし「お正月が明けたら会う約束してたのに…」とコメント。「久しぶりにお会い出来ると楽しみにしてたのに」と述べつつ「信じられない!頭が真っ白です」と吐露した。最後に「とにかく今言えるのは…メイコママ、どうか安らかにお休み下さい」と呼びかけ「心から御冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月08日女優の高岡早紀が6日に自身のアメブロを更新。あまりにも突然だった訃報を受けて心境を吐露した。この日、高岡は「あまりに突然過ぎて…」と切り出し「篠山紀信先生との出会いのアルバムジャケット」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんが撮影したというCDのジャケットの写真を公開。「14歳の私」と説明し「この写真から全てが始まりました」とつづった。続けて「思い出がたくさんあり過ぎて語れない」と述べ「感謝しかありません」とコメント。「先生、ありがとうございました」と篠山さんへ感謝をつづり「ご冥福お祈り致します」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵なジャケットですね」「寂しい限りです」「御冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月07日歌手のアグネス・チャンが7日に自身のアメブロを更新。4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報を聞き大丈夫かなと思うことをつづった。この日、アグネスは「シンシアは南沙織さんの英語の名前」と切り出し、篠山さんの妻で元歌手の南沙織さんについて「一緒にアメリカンスクールに通いました」と説明。「デビュー当時は学校で私に友達を紹介してくれて、優しくしてくれました」と回想し「一時期カナダへ引退する時も心配してくれました」と振り返った。続けて「日本に戻ってきて、シンシアは篠山さんと結婚していました」と述べ「連絡しあって、食事をしたり、お茶飲んだりしました。美しいなお母さん、奥様です」とコメント。一方で「最近はお会いしてない」と明かし「篠山さんの訃報を聞いて、シンシアは大丈夫かなと遠いカリフォルニアから思う」とつづった。最後に「元気で居てくださいね」と南さんに呼びかけ「日本に戻ったら、連絡しますね」と述べ、ブログを締めくくった。
2024年01月07日タレントの神田うのが6日に自身のアメブロを更新。哀しみの渦に飲み込まれた父親的存在だった人物の訃報についてつづった。この日、神田は「篠先生…報道で知ってから哀しみの渦…」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及し「私にとって心のお父さん的存在だった」と説明。「篠先生とは今から30年前まだモデルをしていた18歳の時に出逢いました」と明かし「幻冬社立ち上げの一発目(最初)の写真集を是非UNOで撮りたいとの事で話が進んでおりました」とつづった。一方で「その内容を知った父が『衣装もレオタードも着せないで撮影だなんてダメだ!!』と激怒し撮影は中止になりました」と告白し「これは肉体美を見せる芸術だと(決していやらしい目線の作品ではないと)篠先生始め、出版社側や事務所側もそう父を説得致しました」と説明。しかし「何が芸術だ 何も着せないでトーシューズだけ履かせて撮影するだなんてバレエという芸術を冒涜している!!」と言われたそうで、さらに「芸術を全く分かっておらん篠山紀信をここに連れて来なさい!!」と言われたことを明かした。また「途中で両親の猛反対を受けてしまい、でも話は進んでしまっていたので、その結果、37人のモデルとUNO含め38人のモデルの写真集『少女革命』の巻頭ページをするという事でなんとか着地致しました」と述べ「まだ18歳だった私はもちろん成人前ですから親の管理下にある訳でして、ダメなものはダメと理解致しました」とコメント。「でも話が進んでいただけに篠先生や周りの大人達をガッカリさせてしまった事に対しては申し訳ない気持ちでした」と当時の心境を明かしつつ「篠先生は世には出なくていいから、それでもどうしてもUNOを撮影したいとの事で」「誰もいない篠先生のスタジオで2人だけで私はトーシューズを履いて伸び伸びと踊り(撮影し)ました。2人だけの秘密の撮影です」と振り返った。さらに「タレントになった後も」「ちょくちょく撮影でご一緒する事もありその際にはいつも、変わらずぶっ飛びなUNOを優しく見守ってくれていました」といい「フィルターを通してお互い少年少女のように心を通わす事が出来た方」と篠山さんについて説明。「こんなカメラマンさんは後にも先にも篠先生だけでしょう。と大人になってから気付いた事です」と述べ「若かりし頃何度もお食事にも連れて行って下さった事もとても懐かしい思い出です」とつづった。最後に「神田うのが神田うのになる前から好きでいてくれた方。篠先生、UNOの事を見つけて下さり(関わって下さり)ありがとうございました」と感謝をコメントし「心からのご冥福をお祈り致します」と追悼。「どうかどうか安らかにお眠り下さい。大好きです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月07日歌手の小柳ルミ子が5日に自身のアメブロを更新。偉大なる人物の訃報を受け心配なことを明かした。この日、小柳は「今朝 又 訃報が飛び込んで参りました」と切り出し「偉大なる写真家 篠山紀信さんが亡くなられました」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及。「私も何度も先生に撮って頂きました」と明かし「撮影が始まると被写体である私を褒めて褒めて褒めちぎって下さりとても良い表情で紀信さんの前に立つ事が出来ました」と述べ「正に激写でした」とコメントした。続けて「紀信さんの奥様は私と同期であり私と同じ誕生日7月2日生まれ(私より2才下)の南沙織ちゃんです」と篠山さんの妻で元歌手の南沙織さんについて紹介。「ルミちゃん私結婚するの」と言われ「えーっ?!誰と?!」と尋ねると「篠山紀信さんと」と返答があったことを明かし「沙織ちゃんから打ち明けられた時は驚いたものです」と南さんから結婚報告を受けた当時を振り返った。また「沙織ちゃん大丈夫ですか?沙織ちゃんの事が心配です」と南さんに呼びかけ「今は沢山泣いて泣いて泣いて良いのですよ どうか気を強く持ってこの悲しみを乗り越えて下さい 沙織ちゃん頑張って」とコメント。最後に「偉大な芸術家 篠山紀信さん 心よりお悔やみ申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈りします」「驚きました」「悲しみは計り知れないですね」「本当に残念無念です」などのコメントが寄せられている。
2024年01月07日歌舞伎俳優の片岡孝太郎が5日に自身のアメブロを更新。とても驚いた訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、片岡は「今朝、篠山紀信先生の訃報に接しとても驚いています」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及。「先生には沢山お世話になりました」と述べ「歌舞伎界では大和屋のお兄さん玉三郎兄さんが一番じっこんにされていたと思います」と明かした。続けて「三島由紀夫先生が篠山先生と大和屋のお兄さんの縁結びの神様とか」とつづり「某編集者の先生の親友曰く、暮れはお元気だったとか」とコメント。「色んなお写真を撮って頂いた中で唯一僕が雑誌の表紙にして頂いたお気に入り写真は、演劇界と言う雑誌『廓三番叟』と言う当時お正月に踊らせて頂いた舞踊の写真です」と述べ、雑誌の表紙の写真を公開した。最後に「寂しい」と心境を吐露し「御冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵なお写真ですね」「心よりご冥福をお祈りしております」「本当にびっくりしました」などのコメントが寄せられている。
2024年01月06日歌舞伎俳優の市川團十郎白猿が5日に自身のアメブロを更新。大好きで尊敬する人物の訃報についてつづった。この日、團十郎は「大好きな巨匠が、、」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及し「若い頃から」「可愛がってもらい、遊んでもらい教えてもらい撮って頂き」と回想。「私の代表している、環境問題の理事でもあり」と明かし「團十郎襲名と新之助襲名初舞台の写真の一つも巨匠でした」と振り返った。続けて「数えきれない写真を撮ってもらいました」と述べ「私自身の写真を一番多く撮ってくださった方です」と写真とともに説明。篠山さんについて「大好きで大好きで尊敬する方です」と明かし「カメラマンの真髄はコレ!!って言葉では言わないけど私にはそうか、、と感じるものがありました」とつづった。最後に「これからも巨匠の教えを胸に日々を過ごしたい、そう思います」としみじみ述べ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「とても残念です」「ご冥福を心よりお祈り致します」「ビックリしました」「大切な宝物ですね」などのコメントが多数寄せられている。
2024年01月06日モデルのアンミカが5日に自身のアメブロを更新。20代の頃から縁があった人物の訃報に心境を吐露した。この日、アンミカは「写真家・篠山紀信さんの訃報に、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及。「昨年、春のBRUTUSの篠山紀信さんのページの撮影&対談を、仲良しのSASCHAさんとした記憶が新しい」と述べ「私が大阪在住の20代に、東京のスタジオにアサヒカメラの撮影で呼んでくださってからのご縁でした」と振り返った。続けて、篠山さんについて「時代を象徴する人物を撮り続けられ、60年以上にわたって第一線で活躍された」とコメント。最後に「皆さんの一番美しくたおやかな瞬間を切り取られ、思い出に残してくださいましたことに感謝すると共に、心より敬意とご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくった。
2024年01月05日