7月某日、都内某所の篠山さんの事務所に取材に伺う。編集者、カメラマン、ライター、全員ド緊張。仕方がない、だって写真界の巨匠が、扉の向こうにいるわけだから…。ドキドキしながら部屋に入ると、テレビや雑誌で見たことがある“お馴染みの髪型”の篠山紀信さんが、いた!うわ、本物だ!――はじめまして。アンアンという雑誌の者です…。篠山:知ってるよ(笑)。僕も最初の頃は、結構いろいろやってたんですよ?‘90年代に入ってからも、貴花田撮ったり、(ビート)たけし撮ったり…。随分やりましたよ。僕が写真家になった‘60年代、そして‘70年代は、雑誌が元気だったからね。アンアンも相当おしゃれな雑誌だったんだよ。とんがっててさ。でも、よその会社がアンアンを真似した、しかももうちょっと大衆寄りの雑誌を出しちゃったら、そっちが売れちゃってなぁ。マガジンハウスはおしゃれなんだけど、大衆向けっていうのが下手なんだよな(笑)。――今のアンアンの読者は、20~30代の女性がメインなのですが、その世代にとっては、篠山さんは“気がついたらもう巨匠だった”という存在です。改めて伺うのもなんですが、篠山さんはそもそもどんな活躍をされて、今この場所まで来られたんですか?篠山:えー、そんな話したら、1冊自伝が書けちゃうよ?(笑)僕がデビューしたのは‘60年代だったんだけど、もともとはね、広告会社でカメラマンをやってたの。――あの、なんで写真をやろうと思われたんでしょう…?篠山:そこから?!あのね、僕は新宿のお寺の次男でね。僕が高校生の時は経済成長の真っ盛りで、いい大学に入って銀行とかに入るのが、良い人生とされてたの。僕もそういうふうに生きるんだろうなって思って、中学高校を過ごしてて。まあ、主体性のない少年だったんだろうね。でも大学受験に失敗しちゃって。その時に、予備校の広告でも見ようと新聞を開いたら、まだ募集してる大学の広告が出ててね。そこに、“写真学科”って文字を見つけて、“あ、ここ行こう”って、直感で思ったんだよ。写真を仕事にしようって。写真部に入っていたわけでも、カメラを持ってたわけでもないのに。それで大学に入って、3年の時になぜか広告会社の入社試験受けたら、受かっちゃったもんで、写真家になったというわけ。――まったくもって、偶然だったわけですね?篠山:そうそうそう。そこで広告写真をいろいろ撮りながら、自分が撮りたいと思う作品も作って…ってやってるうちに、いろいろな雑誌からお声がかかるようになって、雑誌でも写真を撮るようになった。雑誌って、広告ほどお金は儲からないんだけど、名前が出るから目立つわけ。しかも、当時は雑誌が本当に売れていて、100万部売れるとか、よくあることだったから、そんなにたくさんの人が見てくれるって、楽しいんだよね。それでおもしろくなってきちゃって、芸術カメラマンをやめて、芸能カメラマンになっちゃった(笑)。――写真を撮って発表する。その根っこには、ご自身のことを知ってほしいとか、いろんな人に認められたいっていう気持ちもあったんでしょうか?篠山:うーん、それよりも写真ってさ、撮ったときは1枚だけど、印刷して複製することによって本当にたくさんの人の手に渡るでしょう?これって写真特有の可能性だと思うわけ。そこがおもしろかった。芸術的な写真を撮って、「はい、これがアートでございます。さあ皆さんありがたく鑑賞しなさい」って見せるのは、僕はつまんない。それよりも、毎週毎週100万人が僕の写真を見てくれて、おもしろいとかカッコいいとか反応があるというほうが、社会を受け入れて、時代を撮ってるって感じがして、自分には向いてる気がしたんですよ。だから僕はアーティストではないの。写真は、時代の映し鏡。その時代の社会の突出した人や物や事を撮って、雑誌というメディアを使いながら写真をばらまいてきたっていうのが、篠山紀信という写真家。逆に言うと、今この印刷メディアがしぼんじゃってる時代には、‘70年代の僕みたいな写真家は絶対出てこない。活躍する人もいるけれど、僕とは違うスタイルの写真家だよね。――数々の著名人を撮影されていますが、ご自身で撮りたいと思う人を選ばれているんですか?篠山:誰かを撮りたいなんて思うヒマもないほど、仕事ばっかりしてきたからなぁ…。というか、僕は頼まれれば何でも撮るの。あのね、人事権は僕にない。時代に人事権がある。時代に「篠山くん、この人を撮りたまえ」って言われるの。――すごい名言…!篠山:ハハハ(笑)。あのね、基本、僕は受け身なんですよ。頼まれれば、金魚だって撮る。――金魚?!篠山:そうそう。金魚のカレンダーを撮影したんだけどさ。最初は「金魚?!蜷川実花に頼めよ!」って言ったんだけど(笑)、実は金魚、撮ったことなかったから、いざ撮るとなったらちょっと緊張しちゃってさぁ。50年近くやってきたけど、意外とまだ撮ったことがないものってあるんだよね。そういう被写体を前にすると、やっぱりちょっとドキドキするんだよ。――9月3日から、原美術館で「篠山紀信展『快楽の館』」という展覧会を開催されますが、“原美術館で撮影した写真を、原美術館に飾る”という内容だそうで…?篠山:おっしゃるとおり。最初はね、「展覧会やりませんか?」ってお話を頂いて。僕も原美術館は知っていたけど、それほどちゃんと建物を見たことがなかったから、一度見せてくださいって言って、伺ったの。そしたら、それはそれは素敵な建物で、そこで写真が撮りたくなっちゃった。――西洋モダニズム建築のデザインを取り入れた、レトロで素敵な建物ですよね。ロマンティックな雰囲気も漂っていて。篠山:今から78年前に建った建物で、戦争も越えて、ずっとあの土地に建ってるんだよね。いわゆる美術館のホワイトキューブの無味乾燥な展示場とはまったく違って、空間に色気があるんだ。窓から入ってくる光とか、壁の質感とか、あの土地の持つ磁場とか、すべてが魅力的で。それで、この建物の持つエネルギーを受けて、僕がこの場所で作った作品を、同じ場所に戻してみんなに見てもらうっていうことを、やってみたいと思ったんです。それで原俊夫館長にお願いをしたら、快諾してくださって。しかも、ヌードをやりたいっていったら、「どうぞ、どうぞ」と。公立の美術館だと、ヌードを飾るんでも大変なんだよ?あれはダメ、これは無理、とか。でも館長は、「篠山さんがやりたいようにやってください」って、10日間も美術館を僕の撮影のために開けてくれた。こんな贅沢、後にも先にもきっともうないだろうな。――館長はどんな方なんですか?篠山:80代の男性で。そういえば、毎日撮影を見に来て、僕の横にぴたっとくっついてたのは、僕を監視してたのか…?いや、たぶんレンズの先の女の子を見てたに違いない(笑)。いや、とにかく、すごく懐の深い方ですよ。写真って、カメラの前のものを写すということではなくて、被写体が存在する場のありさま、空気、雰囲気を撮るものだと思うんです。だから僕にとって、“場”っていうのは本当に大事なもの。そういう意味で原美術館は、本当に“撮りたい!”という気持ちにさせてくれる場なんです。10日間、飽きるどころかアイデアがどんどん湧いてきてしまって、終わりが近づくほどに、もっと撮りたい気分になりましたね。素晴らしいでしょ。――空間の持つ力、すごいですね。篠山:いや、それは私の才能の力です。――そうでした!大変失礼いたしました(笑)。篠山:んなことない(笑)。冗談冗談。――それにしても、確かに篠山さんといえばヌードのイメージはありますが、なぜ今回、この空間でヌードを撮ろうと?篠山:僕が撮りたいと思ったことを直截に表現できるのは、何も身に着けていない身体なんです。被写体が服を着てたりメイクをしていると、そっちのイメージが先行してしまうというか。別にヌードってことで客を呼ぼうとか、そんな気持ちはないよ?10日間、延べ30人以上のモデルさんに来てもらって、どんどん撮影してね。確かに体力的には大変でしたけど、撮ってるうちに、どんどん気持ちよくなってくるんだよ。アラン・ロブ=グリエって人のフランス文学で、『快楽の館』という本があって、それがとてもおもしろいんだけども、原題は、『ランデブーの館』っていうんです。――出会う、という意味に近い?篠山:そうそうそう。原美術館という建物との出会い、モデルさんたちが毎日やってきて出会って去っていくということ、その10日間を切り取った写真たちと、見に来てくれるお客さんとの出会い…。この場所での出会いっていうのが、この展覧会の一番のコンセプトなんだ。他の美術館でこの作品を見せても、なんにも意味がない。ここで見ることに、意味がある。だから、終わったら何をするかっていうと、全部破いちゃう。――え?!破いちゃう?!篠山:だって、壁に貼ったのは引っぺがすしかないし。――もったいない…。篠山:もったいないって思うところがダメなんだよ。いっときの快楽っていうのが、清々しくてかっこいいじゃない。1回きり、その場限りっていうのが素敵じゃない。僕はそこがいいなって思うんですよ。今はみんな、情報に触れると見た気になっちゃうことが多いけれども、その場に行かないと感じられないことっていうのもあるわけだから、ぜひ足を運んでほしいね。◇しのやま・きしん写真家。1940年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒。広告会社勤務を経て、‘67年にフリーカメラマンに。以降、広告、写真集、雑誌などのメディアで、数えきれないほどの名作を生み出している。アイドルから建築物、歌舞伎まで、被写体は幅広い。◇9月3日から‘17年1月9日まで、原美術館で展覧会「篠山紀信展『快楽の館』」が開催される。原美術館の建物や庭で撮影された、70点あまりのヌード作品が飾られる。巡回の予定は一切なく、この4か月のみで終了予定。空前絶後の貴重な機会。詳しくは美術館のサイトで。※『anan』2016年8月31日号より。写真・内田紘倫
2016年08月24日先日、女優の宮沢りえさんが、プライベートで新たな一歩を踏み出したことを発表しました。「役者として、母として、一人の人間としてこれからも前進していこうと思います」とのメッセージが印象的でしたよね。かつてのアイドル的なイメージから一転、今や押しも押されぬ大女優となった宮沢さん。年齢を重ねるごとに輝きを増していく彼女の魅力や今後の展望を、占星術で読み解いていこうと思います。◆宮沢りえさんの星回りをチェック!宮沢りえさん(1973年4月6日生まれのホロスコープ)ホロスコープによると太陽星座は牡羊座、月は牡牛座。「ずば抜けた芸術センスを持つ人」を表す星回りです。先日の日本アカデミー賞での司会ぶりに、「なんてかわいらしい人だろう」と憧れを抱いた女性も多かったのでは?男女問わず、世代を超えて愛される存在ですよね。宮沢さんの太陽星座は牡羊座。牡羊座の本質は「この瞬間」と「No.1」。究極をいえば、牡羊座の人生のテーマは「始まり」と「キッカケ」作りです。牡羊座は、出会った瞬間のときめきや直感に従って、パートナーや環境を選択します。始まりをこの上なく大事にするので、出会うたびに新しい関係を作り出すことでしょう。◆宮沢りえさんの結婚観は?また、彼女が生まれた1973年代頃の世代的な結婚観は「理想を叶える結婚」です。天秤座に天王星と冥王星がある世代は、いつまでも若々しくて多少身勝手にも見られますが、お互いに認め合う関係を求めて恋愛や結婚を築こうとする傾向があります。宮沢さんの本質である牡羊座と、この世代の結婚観の天秤座は180度反対の性質を持っていますので、「理想を叶える結婚」に対して、過度な期待をしてしまう恐れあり。特に彼女の場合は、牡羊座に太陽と金星が並んでいます。この並んだ星は、ホロスコープ上にある他の星すべて、月、水星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星と関わっているようです(占星術用語で言うアスペクト)。一般的に、星々が関わりを持つほどに多面な性質を帯び、その影響力も大きくなります。◆見えない力に支配されていた?また、宮沢さんの月星座は牡牛座。牡牛座の本質は「生まれ持つ感覚」と「所有欲」。月星座はプライベートを表します。牡牛座は愛されたい欲求がとても強い傾向があり、いつも愛されていないと安らげないのです。宮沢さんの性質を解釈していくと、牡羊座の活発さに加えて牡牛座の生まれ持つ感覚もあり、アイドル的な要素も抜群であることがわかります。ただその一方で、期待したモノへの失望を恐れしがみつくところも。一度選んだ相手に絶対的な忠誠心を持つか、あるいは何か見えない影や力に支配されているようです。若い頃はこういった「生まれ持つ感覚」が感傷的な姿勢となり、コントロールしがたい愛や重い責任に敏感に反応します。本質に目覚めるまでは、所有され所有することで身の安全を確保しようとするでしょう。時折見せていた大人びた落ち着きは、数々の経験値から自然と身につけたものかも。ガムシャラに突っ走ると、重い責任やプレッシャーに太刀打ちできず、吉凶混在する運命のようですが、年齢や経験を重ねるごとに「理想を叶える結婚」や人生に近づきます。そして実力派女優としても君臨していくでしょう。◆りえママの存在はやはり絶大?星を辿ると、宮沢さんが重い責任やプレッシャーから解放されたのは2002年3月頃。2002年といえば、映画『たそがれ清兵衛』が公開され、翌年2003年で日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞に輝いた30歳の頃です。芸能界デビューの頃から星を遡ると、1992年10月頃に一度、解放されそうな、突破可能な星の兆しがありました。昔話ですが、貴花田関(現・貴乃花親方)と世紀の結婚と注目されたのがこの頃です。この時は婚約解消にいたりましたが…。2014年3月から6月頃も、解放ではないけれど、何か圧しかかっていたものが急変する星の兆しがあり、りえママが他界されたのがその数ヵ月後の9月でした。コントロールしがたい愛や重い責任、プレッシャーが、必ずしもりえママの存在というわけではありません。でも、親子の絆なのでしょうか、宮沢さんの内側にはりえママが常にいて、抑圧された環境でないと「愛」を感じにくいところがありそうなのです。そのため、愛が極端になったり、大胆になったり、期待を大きく持ちすぎたり、苦しささえも愛と捉えてしまうため、これだけの絆を失うと、その代わりのお相手が現れても不思議ではありません。◆今年の秋に何かが大きく変わる?今年2016年9月は、1992年に世紀の結婚が注目されたのと同じく、解放されそうな、突破可能な星の兆しがありそうです。離婚成立の発表から半年後、何かが公になるのでしょうか…?筆者は、宮沢さんは2002年3月頃からご自身の本質に目覚めたと思います。彼女の過去の記録を調べたところ、 30歳で出演した舞台『透明人間の蒸気』で己の無力さに驚き、できるだけ舞台に専念すると決めたと書かれていました。実際に、2014年の映画『紙の月』で二度目となる日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞するまでの数年間は、舞台での活躍のほうが目立っています。『ドラクル』『人形の家』『パイパー』『ザ・キャラクター』『下谷万年町物語』『THE BEE -日本語版-』『今ひとたびの修羅』『MIWA』など、数々の舞台に出演。『おのれナポレオン』では準備期間たったの二日で、急病のため降板した天海祐希さんの代役をみごとに演じたという話題も記憶に新しいのではないでしょうか。◆まるごと好きなことに向かう運命この原稿を書くにあたり、ひさしぶりに『紙の月』を観たのですが、「だから、したいことをしたんです」「本物に見えても初めから全部偽物」といった台詞が、今回の占いで見えてきた宮沢さんの性質と少し重なるように感じました。もちろん映画のヒロインと彼女は全くの別人ですが。それにしても、宮沢さんの演技は各界で高く評価されていますね。日本アカデミー賞での最優秀主演女優賞のみならず、東京国際映画祭の最優秀女優賞 、報知映画賞の主演女優賞受賞、山路ふみ子女優賞、日刊スポーツ映画大賞の主演女優賞など、たくさんの大きな賞を受賞しています。星々が関わりを持ち多面な性質を帯びる宮沢さんは、お仕事も恋愛も私生活も、まるごと好きなことに向かう運命。ご本人が願わずとも、その影響力は計り知れないところがありそうです。今後はさらに飛躍していきそうな彼女。まばゆいばかりに光り輝く女優・宮沢りえさんから目が離せませんね。(文=はゆき咲くら)【プロフィール】土と陽の独自メソッドで占い。新宿、町田、東京タワーの占い処に不定期で出没中✴略歴:相性研究家・プロ占い師。メディア&雑誌多数連載。昭和レトロな商店街生まれ。お風呂から見上げる宙とタロットと猫と格安ランチが大好き♡
2016年03月21日