三鷹市美術ギャラリーが収蔵する作品群を5回に分けて紹介する『三鷹市美術ギャラリー収蔵作品展』。その第2回となる展覧会が12月4日(土)より前後期に分けて開催される。作品を分野や時代による区分ではなく、作家名を50音順に並べ、作家名順に作品を紹介する同展。前期は、前衛芸術家、作家、路上観察家、エッセイストなど多彩な顔を持つ赤瀬川原平、絵画、版画、映画、小説など芸術のあらゆる分野で活躍したマルチアーティスト・池田満寿夫、版画家の池田良二ら9名の作品計82点。後期は、油彩、水彩、フォト・デッサン、版画それぞれに独自の表現を求めた瑛九の版画作品112点を展示する。三鷹市に収蔵されたがゆえ、偶然隣り合わせに展示されることとなった作品たち。その偶然の出合いを楽しみたい。前期:赤瀬川原平/荒木十畝/池田龍雄/池田満寿夫/池田良二/一原有徳/上前智祐/宇佐美圭司/宇留河泰呂後期:瑛九瑛九《指》1957年池田良二≪不在の気配(7)≫1996年宇佐美圭司《連帯》1968年上前智祐(無題)2000年【開催概要】『三鷹市美術ギャラリー収蔵作品展Ⅱ』会場:三鷹市美術ギャラリー前期:2021年12月4日(土)~2022年1月16日(日)後期:2022年1月22日(土)~2月27日(日)時間:10:00~20:00(入館は19:30まで)休館日:月曜(1月10日は開館)、1月11日(火)、12月29日(水)~1月4日(火)料金:無料■公式サイト:
2021年11月19日1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督による名作『2001年宇宙の旅』。映画の時代背景となった2001年から20年を経過した今年、『2021年宇宙の旅 モノリス_ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ』と題した展覧会が2月19日(金)より東京・表参道のGYRE GALLERYで開催される。映画『2001年宇宙の旅』は、人間とテクノロジーの関係、人類の進化をテーマにしたSF映画の傑作だ。物語は、猿人が謎の黒い石板「モノリス」に触れたことで道具を手にし、「ヒト」へと進化。そして2001年、人類は「モノリス」の謎を解き明かすべく、初の有人木星探査に出発するが、旅の途中、宇宙船ディス カバリー号をコントロールしていた人工知能「HAL9000」が乗組員に反乱を起こす。同展は、映画に登場する「HAL9000」や「モノリス」のヴィジョンなど、描かれた宇宙観について問い直し、「宇宙旅行」「AIの反乱」「非人間的な知性」「人工的な進化」といった現代の宇宙や人工知能にまつわる問題をアート作品によって探求していくもの。宇宙を閉じ込めた「宇宙の罐詰」、宇宙でも人間が生きられるように臓器の機能を拡張するコルセット、市場から見捨てられたキャラクターが月面を彷徨う映像作品など、国内外9組のアーティストによる作品を展示。映画『2001年宇宙の旅』の世界を読み解きながら現代における宇宙観、未来観について問いかける、刺激的な展覧会となるだろう。【出展作家】赤瀬川原平(日本、1934〜2014)、アニッシュ・カプーア(イギリス、1954年〜)、ピエール・ユイグ(フランス、1962〜)、オノデラユキ(日本、1962〜) 、森万里子(日本、1967〜)、 ダレン・アーモンド(イギリス、1971〜)、ネリ・オックスマン(アメリカ、1976〜)、ジェームズ・ブライドル(アメリカ、1980〜)、プロトエイリアン・プロジェクト(Proto-A)【開催情報】『2021年宇宙の旅 モノリス_ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ』2月19日(金)~4月25日(日) 、GYRE GALLERY(東京都渋谷区神宮前 5-10-1 GYRE3F)にて開催。赤瀬川原平《宇宙の罐詰》1964/1994年アニッシュ・カプーア《Syphone Mirror- Kuro》2008年オノデラユキ《Darkside of the Moon No.1》2020年森万里子《トランスサークル》2004年ダレン・アーモンド《Intime (4 x 2)》2014年ネリ・オックスマン《Mushtari : Jupiter’s Wanderer》2014年作家蔵ジェームズ・ブライドル《Se ti sabir》2019年 作家蔵プロトエイリアン・プロジェクト(Proto-A)《プロトエイリアン・プロジェクト(Proto-A)》2020年作家蔵
2021年02月03日「原作本にある末井さんの女装姿の表紙写真を見たら、アレ、なんか俺と似てるなと。冨永昌敬監督も、佑くんはそのままでいいからって(笑)」 そう話すのは、映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』(3月17日全国ロードショー)に主演する柄本佑(31)。母親が隣家の若者とダイナマイト心中を遂げるという、衝撃のエピソードから幕を開ける本作は、昭和のアンダーグラウンドカルチャーをけん引した希代の雑誌編集長・末井昭の自伝的エッセイの映画化。柄本が演じるのは末井本人である。 「原作を読んで思ったのは、文体の魅力です。つかみどころのなさというか、大変そうなことを大変に書かなかったり。きっと困ってるし、いろいろ考えてるんだろうけど、他人から見てそれがわからないようにしようという、熱量のあり方が非常に面白くて」(柄本・以下同) 荒木経惟、南伸坊、赤瀬川原平など気鋭の文化人を起用する一方、発禁と創刊をくり返し、愛人問題やあやしい投資話で莫大な借金を背負う末井の人生をどう演じたのか。 「前半部分は青春映画。現代の末井さんに近づくにつれて、モンスター化していくという。まわりから見て何考えてんだかわからない人にしようとは、監督と話し合いました」 時代背景となる’60年代からバブル期の空気を知るために参考にしたことは? 「特別ないですね。ただ、高校のころから名画座に行ったり昔のロマンポルノにハマっていたので、自分が憧れているものに感覚的に近いのかも。劇中に当時のキャバレーのシーンがあるので、映画『キャバレー日記』は見直しましたが何度見てもむちゃくちゃに面白ぇなと。参考というより、1回多く見ただけという(笑)」 現場に来た末井自身の前で演じることもあったという。 「撮影前に末井さんとの飲み会がありまして。末井さんと俺が同じ紺のニューバランスを履いてたんですけど、先に帰った末井さんが俺のを履いてっちゃって。これラッキーだなと。俺も末井さんのを履いて撮影終わりまでずっとその靴で過ごしてました(笑)」
2018年03月19日「現実の末井さんが時代を駆け抜けていってるので、荒木経惟さんをはじめ会う人会う人が変わってる。演じるのも濃い俳優さんばかりで、毎日がボスキャラとの戦いでした!」 こう語るのは、映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』(3月17日全国ロードショー)に主演する柄本佑(31)。母親が隣家の若者とダイナマイト心中を遂げるという、衝撃のエピソードから幕を開ける本作は、昭和のアンダーグラウンドカルチャーをけん引した希代の雑誌編集長・末井昭の自伝的エッセイの映画化。柄本が演じるのは末井本人である。 荒木経惟、南伸坊、赤瀬川原平など気鋭の文化人を起用する一方、発禁と創刊をくり返し、愛人問題やあやしい投資話で莫大な借金を背負う末井の人生をどう演じたのか。 「前半部分は青春映画。現代の末井さんに近づくにつれて、モンスター化していくという。まわりから見て何考えてんだかわからない人にしようとは、冨永昌敬監督と話し合いました」 そんな柄本にON/OFFブームを聞いた。 【ON】唐組芝居のDVD 「唐十郎さん作の『秘密の花園』という舞台をやっていて(取材時)。まぁ、よく見てますね、昔の唐組芝居を。家帰って酔っぱらっちゃなんとなく。いまやっているお芝居の役に立つわけではないんですけど、面白いので」 【OFF】映画観賞 「以前は『生活』と言っていた映画観賞が、子どもが生まれてからは奥さん(安藤サクラ)の手前なかなかね。『いいよ、行っといで』と言ってくれるのが、逆に俺を引き止めます(笑)。だから、いまはマイブームぐらいかな」
2018年03月19日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。「棚上げ」というと難しい問題にかんする意思決定を先延ばしするだけのようで、何となく“無責任”な印象を受けますよね。でも、実際の世の中にはあえて棚上げにすることによって関係者の良好な人間関係と面子が保たれている場合が多々あります。間もなく夫婦生活30年目を迎える筆者から、夫婦の間の問題であえて”棚上げ”にした方がいいことを具体的な例を挙げてお話ししたいと思います。●お互いの“実家”の悩みはあえて”棚上げ”に先ず第一に、夫婦の間の問題でもお互いの“実家”にかんする悩み事や不安については、無理して性急な結論を出さずに”棚上げ”にすることをおすすめいたします。田舎で代々続く地場産業の商売を営んでいるパパの御両親から「もうそろそろ郷里(くに)に帰ってきて店を継がないか?」と言われたとしても、そもそもその気がないから都会に出てきてサラリーマンになりママと出会って自分の家族も持つことができたパパにとっては、困ってしまいますよね。もちろんママにとっても同じ。子どもたちにとってはもっとカルチャー・ショックが大きい話でしょう。そうかといって年を取って気弱になっているおじいさん・おばあさんに「そんなことできるわけないだろう」と突き放すように言い切ってしまうのもちょっと……。こんなときは、課題に対する意思決定を”棚上げ”にするべきです。期限を定めずに、すごくいいアイデアが思いつくまで無期限に棚上げ することです。いいアイデアが浮かばずにズルズルと都会のサラリーマン生活が続いて行ったなら、それはそれで仕方ないし。そのうちにパパの勤務先の会社が傾いてヤバそうな気配になったならここぞとばかりにみんなで田舎の実家に移り商売の見習いを始めるのもよし。この態度こそ、ママと要らない喧嘩もせずに済むしそうかといって課題を無視するわけでもない、最も賢明な態度であろうかと思います。ママの実家の独身の弟が40代にさしかかってきたというのに定職に就かずバイト暮らし。ママの御両親から「どうしたもんかね」と相談されたとします。こんなときも、”棚上げ”にしましょう。働いてはいらっしゃるのだから、いいではありませんか。すぐにママの弟さんだって50代になり、定職に就いていたとしたって“定年退職”の年齢になります。ママの御両親にしても70代・80代になっていて、弟さんがそばにいてくれた方が何かと心強いでしょう。棚上げにすれば現状をこれ以上に悪化させることもありません 。<h3棚上げし、節約生活をしながら対策を練る次に、夫婦間の問題で”棚上げ”の効用を活かすべきなのは、経済面での諸問題においてです。「あなたのお給料、もうちょっと上がらないものかしら?」「ママのパートの方も、もう少し時給がいい仕事はないの?」こんなことを言い合ったところで何にもなりません。パパもママも家族のために毎日精一杯働いています。生活が楽でないのはパパやママの努力不足のせいではありません 。この四半世紀に目を当てれば経済規模で10傑に入る世界の主要国の中で唯一名目GDPの総額が減少しているわが国で暮らしているのですから、楽じゃないのは当たり前なのです。ですから、お金の問題で夫婦で愚痴をこぼし合うことは、一旦棚上げにいたしましょう。今はとにかく外食だったランチをお弁当持参に切り替え、間食を半分に減らし(ダイエットにも効果抜群ですよ!)、ストレスにならない程度の節約生活をしながら年度替わりなどの“時期”を待つことです。しかるべき時期さえ来ればパパにも”早出手当”が付く部署への異動のチャンスが来るかもしれませんし、ママの新しいパート勤務先として時給の高い外資系のストアーが近所にオープンするかもしれません。マイナス思考は棚上げにして、慌てずに時期を待ちましょう。●芥川賞作家も”棚上げ”をオススメお互いのことをよく解り合っているはずの夫婦の間でも、“お互いの実家にかんすること”と“経済面での諸問題”については、性急な答えを出そうとせずに問題を一旦「棚上げ」にして時期を待つことを、筆者は強くおすすめいたします。芥川賞作家の赤瀬川原平さんは「優柔不断術」という1999年の著作の中で、次のように言及しています。『日本人は様々な問題に遭遇したときに、すぐに解決しないで、時間というものを上手に利用して、棚上げしてきた。例えば、ひとまずこの問題は後で考えてみることにして…などと、会議でよく耳にすることがあるだろう』(赤瀬川原平・著「優柔不断術」より)----------いかがですか。さすがは前衛芸術家でもあった赤瀬川さん、ものの見方が違いますよね。今わたしたち日本人は、何かにつけて“白黒をつけたがる”傾向があるように思います。“決定を急ぎすぎている”ようにも見えます。重要な問題であればあるほど、「パパにとっては100点だけれどママにとっては0点」の回答ではなくて「パパにとってもママにとっても60点」の回答を求めるべきです。そのためにはしばらくの間“棚上げ”にして課題を放っておき、時間の手助けを借りてよりよい結論を模索する態度が必要なのではないでしょうか。●参考文献 『優柔不断術』赤瀬川原平・著(毎日新聞社)、1999年●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/香南・TOYO
2017年11月14日各ブックストアがFASHION HEADLINE読者に向けて「今読むべき1冊」をコンシェルジュ。毎週木曜日は、アート・ブックショップ「NADiff(ナディッフ)」各店がオススメする1冊をご紹介。今回は東京・銀座のNADiff du Champ(ナディッフ デュ シャン)です。■『Provoke-Between Protest and Performance』本書は今年1月にウィーンにて開催された、「PROVOKE展」に合わせてドイツのSteidl社から発行されたカタログである。当展覧会は、ウィーンに続いて、スイスのヴィンタートゥール、パリ、そしてシカゴの美術館へ巡回予定である。『プロヴォーク(Provoke)』とは、1968年に創刊された写真同人誌の名前である。ひいては、その創刊者たちやその周辺の作家が表したその作風を「プロヴォーク的な」と言ったり、または彼らが活躍した時代を「プロヴォークの時代」と呼んだりすることもある。それは「思想のための挑発的資料」というサブタイトルに分かるように、「挑発」を意味する言葉だ。創刊者は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦といった面々であった。そして、2号から参加することになる森山大道も、もちろんプロヴォークにおける主要な写真家である。わずか3号までの発行で廃刊となったにも関わらず、「プロヴォーク」という言葉は写真史に強烈に記憶され、いまなお議論や研究の対象となっている。一体彼らは、何に挑んでいたのか。ベトナム戦争、キューバ危機、そして東大安田講堂事件を始めとする学生運動などが盛んに行われていた60年代から70年代の社会情勢において、写真はその役割を問い直された。写されたものは、本当に「リアル」なのか。もしくは、写真が提示する「リアル」とは一体何なのか。その場に行かずとも目撃することができる、世界中に共有される出来事の「イメージ」とそれに対応する「言葉」はもはや形骸化していた。『プロヴォーク』の総括集となった『まずたしからしさの世界を捨てろ』において、中平卓馬は、溢れる戦争の写真に対し不感症になっている自分や社会への違和感について、こう述べるのである。「それはおそらくこれらの膨大な写真が、みずから〈記録〉写真と名のりながらも、実は世界にまっすぐ眼をむけることなく、使い古した言葉による図式、戦争→悲惨→戦争反対にのってそれらの言葉をイラストレートすることしか望んでいないことに関連する」本書に収められた写真はどれも、粒子が荒く、ピントはあっておらず、ざらついて、一体何を写したのやら判別できないものもある。いわゆる「アレ、ブレ、ボケ」と揶揄もされたその作風は、自分自身が世界を「見る」という行為を見つめ直した痕跡である。それは必ずしも、美しくピントがあっているものではない。決定的瞬間などでもない。日々流れていく風景を、横目に流し見、時にフラつきながら、時に何かに吸い寄せられ、そして中には忘れてしまうものも、記憶に残るものもある。それは、もはや「これ」と言葉で名づけることのできない残像なのである。そのようにして世界を見るということ、そして写すということ、その行為そのものを問い直した写真家たち各々の戦いは、『プロヴォーク』にはじまり、それぞれの道へと分岐していく。通底していたのは、カッコつきの「リアル」への懐疑と挑戦である。当時にも増して、「それっぽい」写真や言葉によるイメージが増幅する現代において、当時の日本の写真家たちの戦いは、世界の目にどう映っているのか。作品が収録されている主な写真家は、中平卓馬、東松照明、森山大道、高梨豊、北井一夫、細江英公、榎倉康二、荒木経惟など、挙げきれないほど。また寺山修司や赤瀬川原平など、『プロヴォーク』に近しかった芸術家たちも取り上げられ、写真のみならずプロヴォークに影響を与え、プロヴォークに影響を受けた界隈の作品まで見通すことができる1冊だ。『プロヴォーク』の第一人者たちへのインタビューはもちろんのこと、当時の社会情勢にフォーカスしながら、海外の出版社による印刷とセレクトによってここまで結集した『プロヴォーク』を見直すことは、今もって現代における私たち自身の世界の見方を問い直す、新鮮な驚きになるはずである。【書籍情報】『Provoke-Between Protest and Performance』版元:Steidl判型:190mm×250mm/ソフトカバー/680ページ(写真点数600枚)定価:1万240円
2016年06月02日東京都・銀座の資生堂ギャラリーは、赤瀬川原平、畠山直哉、内藤礼、伊藤存、青木陵子の5名によるグループ展「椿会展 2015- 初心 -」を開催する。会期は5月24日まで(月曜休館)。開場時間は、平日は11:00~19:00、日・祝は11:00~18:00。入場無料。同展は、時代とともにメンバーを入れ替えながら、70年近くにわたり継続してきた「椿会」によるグループ展。2013年からは、赤瀬川原平、畠山直哉、内藤礼、伊藤存、青木陵子の5名で結成されており、同展は同メンバーによる3回目の展覧会となる。「初心」というサブタイトルは、「3.11」から復興していく過程において、初心を問い直す時期にあるのではないかと考えた同メンバーが決めたもので、「何かをやろうと思い立った当初の純真な気持」をこめている。また「初心忘るべからず」という言葉は、芸の智恵を説いた世阿弥の書に、人生の様々な段階において未経験のことに挑戦していく心構えであることと記されているということだ。なお、展覧会のロゴは、常に「初心」に立ち返る象徴として、グラフィック・デザイナーの仲條正義が毎年新たにデザインしている。また、赤瀬川氏は昨年10月に病気により急逝したが、今後の椿会展でも赤瀬川氏の作品が展示される予定となっており、今回は赤瀬川氏が1987年から1988年まで雑誌に掲載した絵日記を展示するということだ。また、畠山氏は、ドイツ各地に存在する、氷河によって運ばれた巨大石を撮影したシリーズを展示。内藤氏は、2013年から続けて出展している「color beginning」と「ひと」の最新作、伊藤氏は、昨年銀座周辺で行った生きもの調査をもとに制作した刺繍作品など、青木氏は、意識的に作品を作る傍らで、無意識的にできた小さなドローイングを数点展示する予定となっている。そのほか、関連企画として同会場にて、現在ドイツ・フランクフルトのザ・フォーサイス・カンパニーで活躍するダンサーで、新たに椿会メンバーに加わる、島地保武によるダンスパフォーマンスが開催される。開催日時は4月25日19:15~20:00。参加費は無料。そのほか、ワードホール(資生堂ビル9階)にて「伊藤存 ギャラリートーク」が開催される。開催日時は5月17日14:00~16:00。なお、いずれも参加に際しては資生堂ギャラリーのWebサイトより申し込みが必要となる。なお、申し込み多数の場合は抽選となるということだ。
2015年04月08日銀座の資生堂ギャラリーでグループ展「椿会展 2015 -初心-」が開催される。期間は4月4日から5月24日まで。今回作品を出展する第七次椿会は13年に画家の赤瀬川原平、写真家の畠山直哉、彫刻家の内藤礼、および現代美術作家の伊藤存と青木陵子の5名によって結成された。震災復興からの過程において、初心を見直す必要性を感じたことから、各展示会ではそれをサブタイトルに指定している。これにより世阿弥の書に言うところの、“人生の様々な段階において未経験のことに挑戦していく心構え”を表現した。なお、会場では14年10月に急逝した赤瀬川原平の作品のうち、87年から88年までに雑誌で掲載された絵日記を出展。そこには、日々の出来事が赤瀬川ならではの視点で記されており、文筆家と挿画家、それぞれの顔を持つ彼の姿を見ることが出来る。一方、畠山は氷河に運ばれた巨大石を収めた写真を、内藤は「color beginning」と「ひと」の最新作を、青木は無意識的にできた小さなドローイングをそれぞれ出展。伊藤は昨年から銀座周辺で行っている生き物の調査を元に、今回新たな刺繍作品を発表する。また、椿会では赤瀬川に代わる新メンバーとして、ダンサー兼振付家のウィリアム・フォーサイス(William Forsythe)率いる「フォーサイス・カンパニー」で活躍中の島地保武が参加している。今回は出展作品にインスパイアされた即興ダンスを、4月25日の19時15分から披露する予定だ。更に、5月17日には伊藤が来廊し、ギャラリートークが行われる。【イベント情報】椿会展 2015 -初心-会場:資生堂ギャラリー住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階会期:4月4日から5月24日時間:11:00から19:00(日曜日・祝日は18:00まで)休館日:月曜日料金:無料
2015年04月03日