子どもの学習の悩み、もしかしたら学習障害かも?字が読めない、書けない、計算ができない…子どもの学習の悩み、もしかしたら学習障害かも?3つのタイプがある学習障害。症状や困りごとは人それぞれです。一体どのような特徴があるのでしょうか。今回はそんな学習障害についてのコラムをまとめました。文部科学省の定義によると、学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことと言われています。英語ではLearning Disabilityと呼ばれ、LDと略されることも多いです。医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」に限定されます。学習障害は大きく分けて・読字障害(ディスレクシア)・書字表出障害(ディスグラフィア)・算数障害(ディスカリキュリア)の3つに分けられます。しかし、一人ひとりその症状はさまざまです。その子に合った学習の方法を見つけていくことが重要です。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。参考:学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症について|文部科学省「LITALICO発達ナビ2021ユーザーサーベイ」にて行った「お子さまに対して、特にしてあげたいと思っていることについて教えてください」のアンケート項目の結果を見ると、多くの方が子どもに合った学校の選定をしてあげたいと答えており、子どもの学力だけでなく、学びについての環境も大事にされていることがわかります。併せて学習障害のある子どもに対して活用できることの多いICT教育(PC、タブレット、スマートフォンなどの積極的な活用)にも興味のある方が多いことも伺えます。学習障害についての基礎知識を知り、子どもの特性を理解し、適切な支援につなげることで子どもの学びやすい環境を整えていくことは可能です。さまざまな体験談と解決策を描いたコミックエッセイからも、学習障害の悩みの解決のヒントを見つけられるかもしれません。Upload By 発達ナビ編集部学習障害について学べる情報コラム学習障害(LD)がある子どもはどのような状態で、何に困っているのかご存知ですか?イラスト図解などで分かりやすく解説します!学習障害にはさまざまなタイプがあります。また人によって症状の現れ方も違うので、診断が難しい障害でもあります。このコラムでは、学習障害の3つの種類とそれぞれの症状、そして、具体的な特徴や受けられる支援を説明します。大人になってから学習障害と診断される人は近年増えています。学習障害の大人が仕事で直面する困りごとや、それらに対する対処法などをまとめました。子どもが学習障害の場合、どのように接するべきでしょうか?子育ての困難への対処法、個性を伸ばすための最良の手段やその子が感じている困難さを乗り越えれるサポートなどを解説。マンガで学ぶ学習障害マンガで分かりやすく学習障害を解説!学習障害チェックシートや困難の理由、相談先や治療法、具体的な接し方の手立てなどを専門家が解説します。学習障害についてのコミックエッセイADHDとLD(学習障害)があり、本人自身勉強をあまりしたくない様子の次男くん。親のスガカズさんとしては毎日の宿題を習慣づけたいところですが…そんなときに救世主が現れて…!?学習障害がある息子2号くん。中学3年生となり、高校進学を考える時期になりました。しかし特性から読み・書き・計算のとらえ方に偏りがあり、学校の授業や受験勉強も悪戦苦闘。果たして無事に高校生になれるのでしょうか!?まとめ苦手さの理由や原因は一人ひとりのケースで違います。その子がどこに困難を感じているのか、またその理由はどこにあるのかを観察してみるとよいでしょう。環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。その子の困難の背景を考え、寄り添ってサポートをすることが大切です。
2022年05月02日知的障害・自閉症スペクトラムで療育園に通う、5歳のえぬくんと、えぬくんママの日常を紹介するYouTube「えぬくんちゃんねる」をご存知でしょうか。 知的障害・自閉症スペクトラムのえぬくん(5歳)は、ママとパパと3人暮らし。強いこだわり・かんしゃくはあまり無く、おしゃべりは喃語(なんご)が多く踏切の音の「カンカンカン」や「やったー」など、数語話すこともあります。愛嬌があって、人と関わることが大好きです。 「障害はあるけれど、こんなに可愛くておもしろいえぬをみんなに見てもらいたい。困りごとや悩みを共有できるきっかけになれば」とYouTubeを始めた、えぬくんママ。 今回は、1番大変な時間と言っても過言ではない、帰宅〜お風呂に入る前までのワンオペ・ナイトルーティンを紹介します。 15:00療育園にお迎え自転車で療育園にお迎えに行き、帰るところから動画はスタート。えぬくんは、1歳10カ月から療育園に通っています。3歳までは週5日で通っていましたが、現在は週4で療育園、週1で作業療法に通っています。 ※療育園とは:障害を持つ子どもの発達を支援する施設※作業療法とは:運動や遊びを通して発達を支援する療育のこと 自宅ですが、マンションのエントランスで必ずピンポンを押したいえぬくん。自宅ドア前のピンポンも押して、ドアが開くと靴のまま自宅へ突入! ママさんが追いかけます。 ゆる〜くトイトレを実践中という、えぬくん。 療育園ではパンツですが、まだまだ成功しないので家ではおむつに履き替えます。療育園からは、毎日お漏らししたパンツとズボンを大量に持ち帰ります。 16:00えぬくん大好きなお米を催促 えぬくんは白いご飯が大好き! 療育園で、お昼ごはんもおやつも食べているえぬくんですが、大好きなお米が炊き上がるのを待ちきれず、茶碗を持って「お米をください」アピールしています。 ママが夕食を作っている間、えぬくんはお気に入りの毛布を持ってYouTube鑑賞。大好きな電車や自分のYouTubeを観ていることが多いそうです。 16:30早めの夕食 えぬくんが待ちきれず、16時半ごろに早めの夕食スタート。おかわり地獄が始まります(笑)。茶碗2つをママに向けて、「ご飯を入れて!」とアピールをするえぬくん。多いときは3個の茶碗を出すそう(気分によって、食べてくれない日もあるそうです)。 白米の上の部分だけを食べては、何度もおかわりのポーズ(ママに向けて茶碗を差し出します)。おかずのソースを何度も「かけて!」とアピール。何度も席を立たないといけないので、ゆっくり食べることもできず、ママもイライラMAX! おかわりでは大きな声を出したり、机を叩いたりする様子は見られませんが、何度もご飯とソースを要求されるのでついにママが拒否! すると、床に寝転んで抗議します。機嫌が悪くなって対応がさらに大変になってしまうので、つい要求をきいてしまうそう。 おかわり地獄の食事タイムが終わったら、ママはお風呂のお湯をためている間に食器洗い。パパは仕事で帰宅時間が遅いので、一緒に夜ごはんを食べられるのは週1回くらいです。 18:00お風呂えぬくんは、お風呂が好きなので嫌がらずに入ってくれることが多いそうです。 18:30 お着替えまだ、自分でお着替えはできないので、ママに着替えさせてもらいます。 19:00 寝る準備が完了動画はここで終了。少し遊んで20:30頃には寝室へ移動しますが、寝室に行くとハイテンションになるえぬくん。ママさんは隣で寝たふりをして寝かしつけますが、寝たと思ってもベッドを出るときに何度も気づかれてしまい、結局寝るのは23時ごろ。もっと遅くなるときもあるそうです。えぬくんに終始やさしく微笑み、正面から向き合って接しているえぬくんママさん。特性のあるお子さんの子育ては大変だと思うのですが、えぬくんと笑顔で楽しく過ごしている日常を見ていると、ほっこりやさしい気持ちになります。 この動画には「怒らず、できる限り要求に応えてあげてるママさん本当にすごい」「優しくていつも笑顔で明るくて、尊敬しかない」など、ママたちから多くの賞賛コメントが多数寄せられていました。えぬくんママさんのやさしい子育ての様子に、励まされるママも多いようです。著者:ライター 廣瀬尚子二児の母。女性誌の編集を経て、フリーランスに。広告やアパレルブランドの撮影、雑誌やWEBマガジンの執筆などを手がける。
2022年04月28日小3でついたアダ名は「忘れ物の女王」Upload By 桑山 知之筆者と広野さんとの出会いは2019年に遡る。ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材のため、連絡を取ったのがきっかけだった。底抜けに明るい性格について触れると、広野さんは「このくらいじゃないと生きていけない」と笑い飛ばした。その言葉の重みに、筆者の胸が苦しくなったのを今でも覚えている。Upload By 桑山 知之広野さんは幼少期から、目の前にあるもの以外はすぐに忘れてしまう子どもだった。小学校に入ってからは管理しなければいけないものが増え、何かをこなすことは「全く無理だった」。宿題を出され、その場ではやる気でいても、家に帰れば宿題を出されたことすら忘れている。翌日提出を求められて初めて思い出す。小学校2年生の通知表に「忘れ物が多い」とはっきり書かれ、3年になると周囲からは「忘れ物の女王」とアダ名をつけられた。「どうしてみんなができるのか分からないんですよ。頑張らなきゃいけないんだけど、どう頑張ったらいいのか分からない。困るんですよね、『ちゃんとやって』って言われると。ちゃんとやっているつもりなので。一人だけ違うことしてたりするんですけど、それを問題だとも思っていない。だから怒られますよね」(広野さん)Upload By 桑山 知之学校のあちこちには、広野さんの持ち物が散らばっていたという。5年生ぐらいのころには、遠足で河原に行った際、飯盒炊飯でカレーをみんなでつくって食べるとき、広野さんは肉を持ってくる係だったが、肉を忘れてしまい、広野さんの班だけベジタブルカレーになってしまったこともあった。成績や勉強よりも「生きていくこと自体が難しかった」といい、時間に遅れないようにするなど社会生活に食らいつくのに必死だった。片づけできず夫から罵倒…「私はいても意味ない」地元の中学を経て静岡県内の高校を卒業後、青山学院大学に進学。当初は国語の教員になろうと思っていたが、LD(学習障害)の傾向があるのか、時折、字が正確に書けないことがあった。ずっと続けて文字を書いていると、例えば「春」の横棒が四本になってしまうことがあるらしい。「これでは黒板の字が不正確になってしまう」と思い、教師の夢を諦めた。落ち込んでいたところ、ゼミの教授の紹介で、都内の大学病院の教授の秘書になった。しかし、当時は自身がADHDとは知らず、自分のスケジュールの管理も難しく、何より察して動くことが全くできず、とんちんかんなことばかりしてしまい、周囲から「使えない」と言われ、思い悩むことも多かったという。Upload By 桑山 知之「若いときは、できなくても頑張らなきゃいけないとか、頑張ったらできるかもしれないとか、そういう気持ちが強かったんです。でも半年でおかしくなっちゃって。電車に乗っていられなくなったり、起きたら午後だったり、色々できなくなっていきました。生きていてもしょうがないと、思いつめていました……」(広野さん)生きることもできず、死ぬこともできず、「しんどい」毎日を過ごしていたが、23歳で当時交際していた男性と“デキ婚”。実家の両親からサポートを受けながら家事や育児に勤しんでいたが、やはり片づけがどうにも苦手だった。家の中は物で溢れかえり、食卓には書類などが大量に積まれ、食事を摂ることもままならなかった。そして29歳のころ、鬱病と診断された。Upload By 桑山 知之「旦那からは『こんな家に帰ってくる俺の気持ちになってみろ』とか『お前、一日家にいて何してるんだ』とか言われて。そのときは診断も受けていなかったので、『私はいても意味ないな』ってどんどん落ち込んでいきましたね。頑張って専業主婦をしていたときが一番つらかったです」(広野さん)そんな中、2000年に刊行された『片づけられない女たち』(WAVE出版/サリ・ソルデン著)を読み、驚いた。自分によく似た人がこんなにいる。そして、対処方法がある。そこから、発達障害というものがあることを知り、同じ悩みを抱える人とともに当事者グループをつくって理解を深めた。「最初は自分がとにかく喋りたいからつくった」と笑うが、家庭の悩みなどを打ち明けられる居場所ができたのだった。「言い訳だ」夫から度重なる暴力、そして離婚30歳を過ぎてからADHDと診断を受けた広野さん。発達障害のことを夫に打ち明け、「家事を一緒にやってほしい」「手伝ってほしい」と伝えたが、「そんなのは言い訳だ」と理解してもらえなかった。むしろ、診断を打ち明けたことをきっかけに、夫との関係は余計に悪化。物を投げられ、時には暴力を受け、外に出られないぐらいひどいあざが顔面にできることもあった。「自分が(夫の)ストレスの捌け口になっていたんだと思います。私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)Upload By 桑山 知之夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。Upload By 桑山 知之「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」とも指摘している。できないことは恥ずかしいことじゃないUpload By 桑山 知之広野さんはなぜこれほどまでに明るく前向きなのか。どうやら心理学の勉強をした上で、「訓練をした」という。「世の中落ち込むことばかりでうまくいくことよりも失敗することの方が多いんです。でも、いちいちそれを真に受けて反省して頑張ろうと思っても、また失敗しちゃうんです。そんな人生を普通のメンタルでやっていけない。いちいち落ち込んでいたら生きていけないだろうってことで、それを転換して、できる方に目を向けるように、自分を変えていきました。とにかく、自分が快適に生きていける状態がどこか?が大事であって、みんなと同じようにできるかは関係ないんです」(広野さん)できないことを「否定しない」。それは2人の娘の子育てでも実践していた。娘には、自身の障害のこともオープンに話した上で、スーパーの惣菜を買うなど家事をなるべく減らし、対話の時間を増やした。時には、娘が母である広野さんのサポートにも回った。現在、長女(25)はIT企業でデザイナーの仕事に就き、次女(23)は海外の大学に進学し、心理学を学んでいる。Upload By 桑山 知之「個を重視する世の中になりましたよね。個の時代というか。発達障害のある人たちが受け入れられるような方向に行っている気がします。でも、例えば子どもに発達障害があると診断されて、周囲に分かってもらわなきゃとか、説明しなきゃとかやっちゃうと、子どもの自尊心が下がるんですよ。あ、人と違っちゃいけないんだ、って。でも開き直って、文句ある人は近寄ってこないで!ぐらいでいいんです。分かってくれる人とやっていけばいい。大人が変わらないと子どもが変わりませんから。発達障害のあるなしに関わらず、娘たちにはやりたいことを自由にさせてあげたいと思ってきましたし、すべての子どもたちにそういう環境があることを願っています。発達障害のある子どもが生まれるということは、楽しいんだって思ってほしいです」(広野さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生から)広野さんのお話のように、発達障害がある人に対する支援や制度、仕組みは少しずつ充実してきています。しかしながら、現在そうした支援や制度を利用しようとすると、その多くは発達障害があるという診断や障害者手帳などが必要です。これを第一段階とすれば、その次の段階は発達障害の診断がなくても、その支援を必要とする人が必要な時にいつでも受けられるような支援や制度が広がっていくことではないかと思います。このような「障害という診断を必要としない社会」から最終的に「障害のない社会」につながっていくのだと思うのです。
2022年03月28日カナダ「National accessArts Centre(NaAC)」とはUpload By 発達ナビニュースカナダの障害者芸術団体「National accessArts Centre(NaAC)」。発達障害、身体障害、後天性障害のある人々に芸術的トレーニング、創作、展示の機会を提供しています。その活動は、障害のある人への経済的自立支援にもつながっています。NaACは、カナダで最も歴史ある障害者芸術団体です。創立から45年経った2020年、現代表・ジョンソク・リュウ さんが中心となり団体のコンセプトや支援の仕組みを刷新。団体名を「National accessArts Centre(NaAC)」とし、さらに躍進的に、障害者芸術の新しい支援の形を作り出し、唯一無二のアーティストたちを輩出する団体へと進化しました。NaACで最も大切にしていることは所属するアーティストが「障害のある人」として作品を提供するのではなく、「アーティスト」として仕事をし、適正な対価を得るということ。実際に芸術に関するサポートを受けた人々はすばらしい作品を生み出し、それらは芸術作品として高い評価を得ています。NaACの活動は、海外から見ても障害者芸術への支援の先駆けであり、その支援の仕組みや所属するアーティストたちの芸術性は、カナダ国内にとどまらず注目されています。その活動は芸術的支援のみならず、2021年の国連気候変動会議(COP26)では、カナダの代表として展示会「Conference of the Birds 」を開催しました。のホームページNaACの代表、ジョンソク・リュウさんに活動について伺いました。発達ナビ編集部(以下、ーー)NaACの活動を通して伝えたい思いを教えてください。Upload By 発達ナビニュースジョンソク・リュウ:NaACでの仕事を通じて私が学んだことは、機会を提供すると、驚くべきことが起こる可能性があるということです。長い間、障害のある人のコミュニティは無視され、差別されてきた印象があります…特に芸術の世界では。私たちはこれを変えるべく活動を始めましたが、これからもたくさんやるべきことがあると考えています。私たちはNaACのアーティストと、世界で活躍するさまざまなアーティストとのコラボレーションする機会もつくっています。今ではNaACに所属する12人以上のアーティストが、海外を旅して文化交流活動に参加しています。活動を通し、今までにないすばらしい芸術作品がうまれ、新しい価値を創造していると感じています。また2021年からNaACでは、音楽に関する活動も始めました。障害のある人々によって革新的な音楽が次々に作曲されています。さらに世界中でアーティストの作品を展示しています。アートの力で、障害のある人に対する社会の誤解や偏見を変えたいと思っています。NaACは、障害者芸術団体にとどまらず、よりよい社会をつくる最前線にいると感じています。展覧会「マイ・イマジネーションー創造性は無限だ!」の見どころそのNaACの展覧会「マイ・イマジネーションー創造性は無限だ!」が、東京都港区にあるカナダ大使館高円宮記念ギャラリーで022年5月25日(水)まで開催されています。※新型コロナウィルス感染拡大防止のため2022年1月17日(月)より一般公開を一時休止しています。今回日本で行われている展覧会では、発達障害のある5人のアーティストが手掛けた約20点の作品が一堂に並びます。Upload By 発達ナビニュースアーティストの一人、ジェーン・キャメロン(1949―2000)は、「発達障害のある芸術家が活躍できる」という道を開きました。 展覧会「マイ・イマジネーション ー創造性は無限だ!ー」というタイトルは、彼女の記した「My imagination is so many things」という言葉に由来しています。そして、アディール・サディク、デビッド・オポン、ドナルド・グリノー、レイ・ワンの4人は、ジェーンと共通する創造性を持って新たなメディアやその組合せを開拓している注目のアーティストです。世界中でこの2年の間に生活様式が変わり、今までのような制作活動が難しい面もありました。その中で彼らは新しい方法での制作に挑戦し、心ゆさぶられるような作品の数々をつくりだしています。キュレーターを務めるカーリー・モーティマーさんにこの展覧会について伺いました。Upload By 発達ナビニュースーー展覧会「マイ・イマジネーションー創造性は無限だ!」の見どころを教えてください。カーリー:全て注目してほしい作品なので、お気に入りをひとつ選ぶのは難しいですね。ジェーン・キャメロンの「Calgary Boy」は、パワーにあふれ、私たちが暮らすカルガリー市(カナダの都市)がよく表現されており大好きな作品です。Upload By 発達ナビニュースまたデビッド・オポンの作品は、自然災害からの復興という観点でも重要だと思います。 2013年、カナダのカルガリー市では約10万人が避難を余儀なくされる洪水があり、私を含めて多くの人々が家を失いました。デビッド・オポンは、困難に見舞われたあともアーティストとして芸術作品をつくり続けました。その前向きに進もうとするアーティストの力は、人々に希望を与えるものであると思います。Upload By 発達ナビニュース私はアーティストには世の中を変えていく力があり、あらゆる問題の捉え方を変えていく存在だと思っています。そして作品をつくるためには、アーティストたちは多くの課題に取り組む必要があります。 ドナルド・グリノーの作品「Sheriff Rug」は、それを強く印象づけるものです。 彼はこの作品を完成させるのに、なんと8年の年月を費やしました。彼が作品を完成させた日、私たちは作品を誇らしげに掲げる彼の写真を撮りました。Upload By 発達ナビニュース障害のある子どもたち、そして保護者へ伝えたいことジョンソク・リュウ:ぜひ展示会を見に来てください。今回ギャラリーまで足を運べない場合でも、インターネットで障害のあるアーティスト、ダンサー、ミュージシャンの芸術を見ることができます。きっと、芸術を通して自分自身の価値観を表現している人がたくさんいることに気づくでしょう。芸術にふれ、「やってみたい」と感じているか、ぜひたしかめてみてください。あなたの視点と創造性にワクワクして、あなたが持つその価値観をすばらしいと感じている人たちが、身の回りや世界中にいることを忘れないでくださいね。表現することを恥ずかしがらなくて大丈夫。障害があってもなくても、あなたはあなたなのです。もし『自分の感じていること、思っていること、表現したいことを誰かと共有したい』と思うのならば、ぜひ一歩踏み出してみてください。そこに共感してくれる人がきっといますよ。のYouTubeチャンネルはこちらカーリー:価値観を限定せず、思い切ってのびのびと作品をつくること、表現をすることを恐れないでくださいね。今回の展覧会でアーティストたちは、今までにない新たな挑戦をしました。私はそこから今まで以上に彼らの力強さを感じ、とても胸を打たれました。世界中の人たちが、発達障害のある人々の視点や価値観からもっと多くのことを学ぶ必要があると感じています。あなたが何かをつくり出すことで、あなたのすばらしい視点や価値観がきっとたくさんの人に伝わると思います。ジョンソク・リュウ:私たちはみんな、障害のある人々にとってより良い世界をつくろうと思っている仲間です。私はたまたま、発達障害のある人々が驚くべき創造性と可能性を持っていることを世界に証明しようとしている芸術団体の代表をしています。障害のあるお子さんを育てる保護者のみなさんも、いろいろな形でより良い世界をつくるための行動をしていらっしゃることでしょう。やっていることが何であれ、それがときには挑戦的で、落ち込んでしまうようなことがあるということを私は知っています。私たちの挑戦や苦悩を知らない人たちは、「どうして、さらに求めるの?」と聞くかもしれません。 私はNaACの活動する中で「今のままでも十分ではありませんか?」とこれまで何度も聞かれました。難しいことではあるのですが、そんなとき「いいえ、まだまだ」と言う勇気と力を持ち、子どもたちにとって最高のサポートと環境を求めることが大切ではないかと思っています。お子さんは、やがて成人へと成長し、その可能性を開いていくことで、自分らしい充実した生活を送ることができます。お互いに、そして私たちのようなグループや団体からインスピレーションを得てみてください。良い世界をつくっていく勇気と力をみんなが持てることを願っています。カーリー:みなさんのお子さんは世界を変えていく存在であり、将来の仕事などにつながる新しい方法を見つけるでしょう。彼らはイマジネーションの力と考える力を秘めていて、私たちがこれまでに見たことのないような芸術的な表現をすることがよくあります。保護者の方はお子さんや、そのほかの障害のある方たちの一番のサポーターになることができます。彼らのために一番よい方法に出合ったら、それが今までにないサポートだとしても怖がらず挑戦してみてください。障害のある人たちの才能と能力がたくさんの人たちに知られることで、みんなにとっての壁がなくなるのではないかと思います。NaACは、いつでもその味方になります。※クリックすると発達ナビのサイトからカナダ大使館のホームページに遷移しますUpload By 発達ナビニュース〈詳細〉【会期】:2021年12月6日 (月)~2022年5月25日(水)10:00~17:30(入場は17:00まで)休館日:土曜、日曜および、2022 年 3 月以降は、3 月 21 日(月)、4 月 15 日(金)~18 日(月)、5 月 3 日(火)~4 日(水)※新型コロナウイルス感染予防のため、同時のご入場は 5 名まで※2022年1月17日(月)より一般公開を休止しています。詳しくは以下へお問い合わせください【会場】:カナダ大使館 高円宮記念ギャラリー(東京都港区赤坂7-3-38)【観覧料】:無料※ ご入館に介助を必要とされる方は事前にご連絡ください。【問い合わせ】:カナダ大使館広報部(tel) 03-5412-6310現在、オンラインでも展示会の紹介動画を公開しています
2022年03月06日癇癪と発達障害って関連はあるの?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンたびたび癇癪が起こるからといって発達障害があるというわけではありません。ですが発達障害のある子どもに強く見られる傾向が癇癪が起こるきっかけと絡んでいる場合があります。自閉スペクトラム症、ADHDなど発達障害のある子どもによく見られる4つの傾向と癇癪の関係自閉スペクトラム症のある子どもには、感覚過敏がある場合が多くあります。周りの子が大丈夫な刺激でも過敏に反応して癇癪を起こしてしまうことがあります。また、自閉スペクトラム症のある子どものこだわりや不安の強さによって、普段と違うことが起きたり、突然の予定変更に気持ちがついていかず、癇癪に繋がってしまうこともあります。強い癇癪の背景には、言葉の理解と表出の発達に関するアンバランスさが影響している場合があります。また、知的障害を合併する場合は言葉の発達全般に遅れが見られたり、身振りや手振りなど言葉以外での表現も苦手であることで、その伝わらないもどかしさや要求を伝えるための手段として、癇癪を起こしやすくなると考えられます。このほかにも感覚の過敏性がある、決まったパターンが乱れることが苦手(同一性保持)、余暇の乏しさなどが、癇癪の背景にある場合もあります。私たちは、自分の意思と相手の意思の両方を考えながら、時には譲ったり、自分の願いを優先させるために交渉したりして、他人との関わりの中で生きていきます。発達障害のある子どもたちは、他者の意思と自分の意思を調節することが難しい傾向があります。自分と他者の意思を調整するためには、まず相手の気持ちを把握した上で、「これぐらいなら譲れる(または要求できる)」という2つのステップが必要です。自閉スペクトラム症といわれる発達障害のある子どもの場合、まず最初に必要な相手の気持ちや意図を理解するというステップを通過することが難しく、そのために自分と相手の意図を調節するための材料を持ち合わせていない状態に陥りやすいのです。こだわりがある、他人のペースに合わせるのが苦手、ということもあります。また、ADHD(注意欠如・多動性障害)がある場合は、「やりたい」という気持ちを抑えるのが難しいために、相手の気持ちが分かったとしても、その気持ちを譲ることができないことと、感情がすぐに表面化することで、爆発的に怒ってしまうことがあります。成長するにつれて人は自分のストレスを減らすために工夫を行います。発達障害のある子どもたちは、この自己調整や衝動性のコントロールを行うことが難しい傾向があります。このような行動の工夫を行うことが苦手なので、不快な状況をそのまま経験することになり、ストレスが蓄積されていきます。最後には自分の気持ちをコントロールすることができずに不満や怒りが爆発して癇癪を起こすことがあります。まとめ癇癪の原因は必ずしも子どもに発達障害があるから、というわけではありません。ですが発達障害のある子どもに強く見られる傾向を知っておくことで、子どもに癇癪が起きたときにより良い対応が取れる可能性があります。イラスト/かなしろにゃんこ。
2022年03月05日子どもをうまく愛せない……。そう深く思い悩み、心療内科を受診した私の行き着いた先は「愛着障害の疑いがある」という診断でした。なぜ愛着障害になったのか? それは私自身の生い立ちにありました。 なぜ無性にイライラするの?私は現在2児の母親ですが、上の子どもを出産したときは実家との折り合いが悪く、里帰り出産をしませんでした。したがって、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならず、毎日とても必死だったのを覚えています。そんなストレスフルな環境で、上の子どもが1歳半くらいのときから、子どもに対して無性に腹立たしくなってしまうことがありました。 子どもは特にかんしゃくがひどいとか、何か成長に関して大きく気になることがあるといった問題もありません。冷静に考えてみれば、ごく一般的な子どもが、ごくごく普通にママに愛情を求めて泣いたり、自己主張したりしているだけなのに、それだけでもイライラしてしまう自分がいたのも事実です。 2人目もワンオペ。そして精神の限界へ本格的に上の子に対して嫌気がさしてきたのは、下の子を出産したときでした。このときも里帰りはせず、退院直後から3歳になった上の子と新生児をワンオペで見る毎日。もう私の精神も限界に達していたのでしょう。思わず感情的に怒鳴り散らしたり、またある日は突然涙が止まらなくなったり。 そんな状態が下の子を出産して半年。私の情緒は落ち着くばかりか、ますます不安定になっていき、ついに意を決して心療内科を受診することに。結果は「適応障害」と「産後うつ」。おまけに「発達障害の疑いがある」とも言われ、後日心理テストを受けることになったのです。 発達障害を調べるテストを受けた私発達障害などを詳しく調べる検査は2日かかりました。1日目は臨床心理士さんとの面談があり、具体的にどのような家庭で生まれ育ったか、また学業成績など客観的な私の過去のデータについて話したのです。2日目はIQテストや、日常生活においてどれほど困難さを感じるかの自己記入式テストをしました。 2日合わせて3~4時間ほど費やして、精密に検査をしていただきましたが、結果は「発達障害はない」との所見でした。しかし、私の症状や実親からの虐待などの出来事から「愛着障害である可能性がある」と聞かされたのです。 検査を通してわかったこと「愛着障害」とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなど適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。 愛着障害と聞かされたときは「やっぱりな」と腑に落ちる私がいました。しかし、この検査を通して愛着障害と判明したことで、今までの生きづらさの理由がわかり、それを私の子どもたちに味合わせたくないと強く感じたのです。 イライラの理由が明確にわかったことで、これからは自分のつらかった過去とも向き合いながらも、子どもたちを育てていこうと心に決めることができたので、私は検査を受けてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラストレーター/あさうえさい著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年03月03日人づき合いが苦手な息子は、中学校でもトラブル多発Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子、リュウ太。小学生のときは、意見が合わないと周りの子と衝突してしまい、うまく人間関係を築けなかったり、人づきあいの悩みがありました。不器用な息子を見ては、親の私も心配で悩んでいました。小1から小6まで息子は、「からかい甲斐がある」と同じ学年の男子からケンカを売られることが頻繁にありました。息子がからかいに対してすぐ反応するのを面白がっていたようです。そんな息子も中学生になると気の合う友達ができて、グループ行動になり、楽しい学校生活を送っていました。しかし、仲の良い友達以外の人との小競り合いは中学校になってもありました。息子は、目立ちたがり屋で、状況を考えずに大声ではしゃいでしまうところがあります。そんな息子をよく思わない同級生もいて、それがトラブルに発展してしまうことがよくありました。違うクラスの話したことがない同級生から、突然文句を言われることもあったようです。息子は「なんで急に関わりがあまりない人に文句を言われなくちゃいけないんだろう?」と家に帰ってきてはいつもグチを言っていました。中2のころ、大けがをするトラブルがUpload By かなしろにゃんこ。人づき合いが苦手な息子は、小学生のときは同級生に暴力をふるってしまうというトラブルが何度もあり、親子でその謝罪ばかりしていました。そのときに「今後は何があっても絶対に暴力はふるわないこと、手を出さないこと」を約束しました。ケンカっぱやい息子ではありますが、中学生になってもそのことだけは、ずっと守ってくれていました。そんな中2のころ、息子は当時足を骨折していたにもかかわらず自分よりも体格のいい男の子とトラブルになり、さらにケガさせられてしまいました。息子は手は出さなかったものの、相手を言葉で挑発して刺激してしまったのです。息子は「お母さんとした『相手に手は出さない』って約束を守ると、逆に自分を守れないよな~」と不満気でした。このトラブルでは、相手のお子さんが学校から厳しく指導される案件となりました。Upload By かなしろにゃんこ。相手は、わが家まで親子で謝罪に来てくれました。息子とトラブルになった同級生は(オレは謝りたくない)というような顔をしていて、頭を軽く下げた程度の謝罪でしたが、保護者の方は誠心誠意謝罪してくださいました。私は、「ケンカは両成敗」「相手がけがをしてもおあいこ」と思っています。ケガをさせてしまった方だけが悪いとは思っていないので、謝りに来てくれた保護者の方には「うちも悪いんです。すみません」と言いました。「申し訳ない…」と頭を下げる相手の保護者の方の気持ちがとても分かるので責める気になれませんでした。小学生のころは、息子が友達に手を出してしまい謝罪をするということばかりでしたが、このトラブルで”けがをさせられた親”の立場になりました。息子にはヒドイと思われるだろうと思い、本人には話せませんでしたが、「うちの子が傷ついて悲しいな、イヤだな」という気持ちよりも、「息子が相手にケガをさせたのではなくてよかった」とホッとしてしまったのが本心でした。ケンカになる前に感情をコントロールするUpload By かなしろにゃんこ。このトラブルのあと、ケンカを売られても怒らずに気持ちをコントロールする方法を改めて息子と話し合いました。息子は、性格上イラっとしたときにスルーすることはできないけれど、相手に嫌なことを言われたら文句で返すことはやめて、“相手にしたくない”という態度で受け流すことにすると言いました。その甲斐があってか、文句を言われたり、「からかいがいがある」と思って声をかけられたりしても、あまりケンカにならずに済むようになっていきました。Upload By かなしろにゃんこ。それでもなお、ケンカを売られるようなことがなくなったわけではありませんでしたが、受け流すことで相手とこじれることはなくなりました。全てをうまくコントロールができるわけではなく、売られたケンカの3割くらいは受け流すことができたというレベルですが、“腹が立って、相手を強く攻撃したい気持ちが消えずにイライラしてしまっていた”という以前に比べて、息子はだいぶ我慢できるようになりました。息子に聞いたところ、ケンカを仕掛けてくるような人は「退屈でイライラしてしまう幼稚な人」というキャラクターに置き換えることで、感情のコントロールが少しずつできるようになったのだそうです。それからしばらくして息子は中3になり、卒業前はなんと、中2までしょっちゅうケンカをしていた子とゲームの話で盛り上がり、家に遊びに行くほど仲良くなりました。もしかしたらお互いに気になっていて素直に仲良くなれずにケンカという関わりになっていたのかもしれないな?なんて思いました。中学は人づきあいで子どもの気持ちもいろいろ複雑になりますが、その後、わが家では息子に「つき合いのコツ」だけを提案して、あとは本人に任せるという方法にしました。反抗期なので、親のアドバイスに対して「干渉してくるなよ!」と息子は文句を言っていましたが、あとから「お母さんのアドバイスは大事な場面で取り入れてた」と教えてくれました。Upload By かなしろにゃんこ。現在、23歳になった息子は23歳になった現在、息子は、混んでいる商業施設などの駐車場で2台分の駐車スペースに斜めに停めている(通称:番長停め)人に腹が立って仕方がないんだそうです。そんなときには「車の持ち主は、トイレのために急いでいて、きちんと停められなかった可哀想な人」というキャラクターに置き換えて「怒りの気持ち」を「笑い」に転換する方法でイライラしないように工夫しているそうです。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)感情のコントロールは、とても大きな課題だと思います。本人は頭で理解していても、その場では感情をコントロールするのが難しいということはとても多くあることだと思います。かなしろさんのお子さんが言われるように、怒りの感情が起き上がりそうになったときに怒りの対象をユニークな捉え方に変換するというのはとてもいい方法だと思います。また受け流し方を具体的に学ぶこともすごく大切です。それも具体的なセリフを考えてあげるのはお子さんにとってすごく分かりやすいと思います。またうまく感情がコントロールできたとこに対して周囲の人が「よく我慢したね」と伝えるように、肯定的な態度で接することもとても重要だと思います。
2022年02月28日家庭は「落ち着けない場所」アルコール依存の父とDV母Upload By 桑山 知之manaさんは、公務員の父親と保険などの営業を行う母親のもとで、2人姉妹の長女として育った。父親はアルコール依存症、母親は包丁を突きつけたり首を絞めてきたりと、たびたびmanaさんに暴力をふるっていたという。喘息などアレルギーにも悩まされた。家庭は「落ち着けない場所だった」と振り返る。「母親に崖に連れていかれたこともありました。家出もよくしていたんですよ、母親は。ただ、そういったことも最近まですっかり忘れていたんです。母親の影響もあって、私のメンタルがやられていたのかなって思い至るようになりました」(manaさん)Upload By 桑山 知之授業中も、椅子に座っていられない不快感や衝動があり、とても苦痛だった。中学1年から不登校気味になり、15歳で小児科の「思春期外来」を受診した。診断は「心身症」。25年以上前の当時は発達障害の認知が今ほど進んでいなかったこともあり、ストレスによるものだと医師から言われた。普通科高校に進んだが、中学3年のころに無理して登校していた影響などから、過食のため胃腸の調子が悪くなり、夏休みの宿題に着手できなかったことがきっかけとなって退学し、通信制高校を転々とした。「自分は人と違う」と自覚した。その後、福祉の専門学校に進み、発達障害について学ぶ機会があった。教科書を読み進めれば読み進めるほど、自分にあてはまることが多かった。家でその話をすると、「知らんほうがいいこともある」と父親に諭された。物をよく失くすなど、どうやら父親も発達障害の特性が見られたらしい。manaさんが26歳のころ、父親はアルコールの飲みすぎなどが原因で、食道ガンにより亡くなった。母親に相続の放棄をさせられたため、遺産を受け取ることはできなかったという。28歳で診断生きづらさと向き合ってUpload By 桑山 知之専門学校を卒業後、高齢者施設に半年ほど勤めたが、父親が倒れてからは仕事を辞め、看病をしていた。父親の死後、就いたのはコンビニ店員のアルバイト。マルチタスクを処理する能力が求められるため、ADHDがある人は苦労すると言われる職種だが、manaさんにはこれが合っていたという。のべ13年間働き、トレーナーも経験した。「バイトで来る人にもいろいろな方がいて。店の様子を把握しながら、その日の進行管理を考えつつ、レジ打ちしつつ、発注書を書いたり、レンジをチンする40秒の間にほかのことをやったり。なぜだかわからないんですけど、自分の傾向がたまたますごく合っていたんですよね」(manaさん)Upload By 桑山 知之専門学校の実習先で知り合った男性と、28歳のころに結婚。その後、ADHDかつ双極性障害だと診断を受けた。また、言語性IQと動作性IQに明らかな違いが見受けられた。不注意で忘れ物が多く、家が散らかってしまうこと、聴覚過敏のことも、特性だと思えば肩の力を抜いて生活できるようになった。現在、8歳の長男と4歳の次男、夫と4人で暮らしている。スマホは紛失補償のある保険に入り、夫や妹がGPSを見られるようにしているほか、予定を詰めないために小さな手帳を使っている。財布がわりの透明なケースは、著名な料理家がジップロックを使っているのをテレビで見て参考にした。Upload By 桑山 知之「家は極力モノを少なくしています。荷物もいっぱい持つとなんだか訳がわかんなくなって落としちゃうので、そもそも減らすっていうか、カバンを小さくしました。学生時代は登山用のリュックサックで登校していたんですよ(笑)」(manaさん)福祉×アートで世の中をより良く学生時代、家庭の方針でテレビはNHKしか見ていなかった。好きだったのはドキュメンタリー。「いろいろな人が世の中にはいっぱいいる」と興味が湧いた。マイノリティと言われる人々の生きざまに、自然と惹かれていた。そんな中、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』をテレビで見て、「生きることを認められている」気持ちになった。育児がひと段落し、昨年夏には障害者支援施設で働いた。しかし猛暑の中頑張りすぎてしまったためか、パニック発作が出た。“日本一暑い町”多治見市は、感覚過敏のmanaさんにとってなかなか酷である。来年度からは、多治見市が委託する「母子保健推進委員」として活動する予定。無理をしすぎないよう調整しながら、障害のイメージを「ポジティブに変えたい」と話す。Upload By 桑山 知之「自分にも見えない障害があって、周りにもそういう人がたくさんいるわけで。もっといろいろなことを知って、パッと見ではわからない困りごとがある人と、行政やサービスを結ぶ活動をしていきたいです」(manaさん)気軽に話せる相手がいなかった幼少期。誰かに助けてもらうという選択肢すらなく、今も当時の記憶は断片的なまま。子どもを社会全体で育てていく、そのチームの一人になりたい。それが当面の目標だ。中でもアートが大好きだというmanaさん。子どものころには、鼻血を出すまで集中して絵を描いていた。引きこもっていたころも、アートに支えられた。「アートには力がある」。福祉とアートをつなげる仕事ができたらと、一歩を踏み出していく。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)専門学校で福祉を学んだり、実際にその分野で働いたり、子育てを経験する中で、ご自身の特性や診断に向き合ってきたということは、同じような特性や診断のある人や支援に対して非常に役立つだろうと思います。障害者支援の仕事は、一方では利用者の方々の得意なことにスポットをあてていく仕事だと思います。そういった視点はmanaさんにあっているのではないかと思います。ただ、福祉や支援サービスの現場は過酷な面もあり、合理的配慮が得られにくい場合もあります。ご自身の特性を踏まえて、働く時間や内容をアレンジするなどして、ご自身が無理しすぎない環境を整えることも大切です。職場の中で理解や配慮が得られるようにしつつ、当事者であり支援者であるということを活かし、またご自身の得意な分野でmanaさんらしい仕事を続けていっていただけるよう応援しております。
2022年02月02日マンガで学習障害・限局性学習症(LD・SLD)を学ぼう!マンガで分かりやすく発達障害が学べる『マンガで学ぶ発達障害』シリーズ。学習障害・限局性学習症(LD・SLD)について分かりやすく解説した4つのコラムをまとめてご紹介します。知的発達自体に遅れはないものの、先天的な脳機能障害によって「読み」「書き」「計算」などに困難を示す学習障害。一人ひとりその症状は異なると言われています。そんな学習障害の原因や困難の理由、治療や療育法、学習障害のある子に対する接し方・関わり方などを公認心理師の井上先生の解説とともに詳しく解説します。学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。その特徴や原因を解説します。※限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」に限定されます。学習障害・限局性学習症の原因、症状を解説します。困難の理由などを理解して環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。学習障害って治療できるの?どこへ相談すればいい?早期発見・早期療育が望ましいとされる学習障害ですが、一体どのような治療法、療育法があるのでしょうか。気になるお悩みについて詳しく説明しています。接し方で大きく変わる学習障害。読字障害(ディスレクシア)、書字表出障害(ディスグラフィア)、算数障害(ディスカリキュリア)の3つの学習障害のタイプ別に、子どもへの接し方のポイントをまとめてみました。まとめ学習障害と言っても、苦手さの理由や原因、症状は一人ひとりさまざまです。学習障害は、教育面・生活面での環境調整や療育といった支援で困難さが軽減されます。子どもが一体どこに困難を感じ、その理由はどこにあるのかなどを観察し、その子に合った環境調整や、やり方の工夫などを見つけてあげることが大切です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2022年01月30日数々の収納アイテムを試しているわが家。職業柄、収納用品にはかなりこだわりを持っている方ですが、今回発売されたアイテムは、名品とも言える優秀アイテムなのでは?シンデレラフィットを求めすぎるあまりに、お片付けに疲れてしまった方にも必見! 収納スペースに融通の利く、布製の収納ボックスをご紹介します。その名も「bon moment 高さが調節できる収納」。折り返して高さを変えられる、布製収納ボックス融通が利く、というのは収納においてもとても便利なことなんです。モノをある場所に収めたいと思った時に、収納用品がぴったりはまらず、もどかしい思いをしたことがありませんか? きっと誰にでもある経験ですよね。それがお片付けの弊害になってしまうのはもったいない。そんな時は、形がしっかりしたボックスをはめ込むことから離れ、布製のボックスを使ってみるのはいかがでしょう?「bon moment 高さが調節できる収納」はポリエステル100%素材の布製ボックス。ハリのある素材で、2枚の生地を合わせて縫製されたデザインなので、しっかり自立をキープ。底面もマチがしっかりと縫製されているので、布製でありながら安定感のあるボックス型を保ちます。サイズは正方形のSサイズと、長方形のMサイズの2つ。折り返して高さを調整することができるので、整理整頓がトントン拍子で簡単に運ぶうれしさ。“使う場所”と“収納したいモノ”との組み合わせを考えるのも楽しくなります。収めたい場所の高さに合わせて高さを調整。スレスレに置くよりも、ちょっと手が入るくらいの隙間を残すのがミソ。プラスティック製のボックスでは、高さがぴったりハマらないという場所にも、「bon moment 高さが調節できる収納」なら、折り返してぴったり。カラーは、アイボリーとグレーの2色展開。ご自宅のインテリアに合わせてお選びいただけますよ。融通が利くのは高さだけじゃない 「ここにはめ込みたい!」にフィットキッチン、洗面所、リビング、クローゼット…。どこに置いても使いやすい「bon moment 高さが調節できる収納」。棚にはめ込んだり、無造作に置いたりと、活用方法も自由自在。わが家はクローゼットの引き出しの中で、Sサイズをこんなふうにはめ込みました。Before⇒Afterをご紹介しますね。まずはBefore。家族の冬小物をまとめている引出しの中。大きな引出しの中で、アイテムがごちゃごちゃして、家族が引出しを使う度に乱れる…。こんな場所はありませんか?分かりやすく収納するなら、引出しの中を区分けするのがポイント。カテゴリー別に収納すると使いやすくなります。引出しの中に「bon moment 高さが調節できる収納」を3つ並べて区分けし、引出し内を区分けして整えます。布製ボックスだから、きっちり計って合っていなくても、収納スペースにフィット。ここにぐちゃぐちゃになってしまう冬小物をカテゴリー分けします。After。手袋は、Sサイズの収納ボックスに立てて差し込んで、取り出しやすく収納。ホッカイロは、まとめ買いしてどっさりここに。カテゴリー分けして収納するだけで、どこに何があるか一目瞭然になるのです。使いたい時に、使いたいものがすぐ見つかる効率の良さ。片付けたい時に、どこに片付ければいいのかすぐわかる収納の仕組み。これぞ、家族が使っても乱れない収納。この引き出しを開けば、家族のお出かけ前の冬支度が完成です!中に収めるモノの形と容量に馴染む。Mサイズは、パントリー収納で使います。ここでは、調味料のストック収納として使っている場所。おしゃれなマルシェ収納をつくります。Before。奥行がある収納棚の中に調味料をそのまま置くと、こんなふうに奥のものが死蔵してしまいがち。何をストックしたか忘れてしまい、2度買いをしてしまったり、賞味期限を切らしてしまったり…ということが多いのがこのケース。「bon moment 高さが調節できる収納」Mサイズを2つ使って、食品を立てて収納します。これを同じ場所にはめ込むと…。After。引き出せば奥のものも取ることができる収納に変身。少しくらいパンパンに詰めても、布製だから中のモノの形にぴったり馴染んでくれる融通の良さ。収納はカッチリはめすぎると、入らなかった時に悔しい思いをすることがありますが、そんなに完璧すぎなくていいのです。使わない時はコンパクトに畳んで置けるのも、布製ボックスのいいところ。使わない間も収納を圧迫せず、“持ちやすい”収納用品。シンデレラフィットを求めすぎて、収納を考えることに疲れてしまっているのはもったいない。融通の利くアイテムを上手に使って、柔軟にしなやかに。暮らしにぴったりフィットする収納をつくれるといいですね。 【ご紹介したアイテム】正方形型の布製収納ボックス。折り返して高さを調節しながら、ぴったり収納。「ここにはめ込みたい!」を叶える収納用品。⇒ bon moment 高さが調節できる収納 S/ボンモマン 【ご紹介したアイテム】長方形型の布製収納ボックス。引き出して使えば、奥のものも手に取りやすくなります。⇒ bon moment 高さが調節できる収納 M/ボンモマン nami sasaki整理収納アドバイザー。夫と三兄弟と5人暮らし。毎日の暮らしを楽しむ工夫探しが好き。収納で暮らしを心地よく。
2022年01月16日成長曲線から外れることなく、順調に育ってきた息子。1歳までに歩き、私のまねをして「ママ」と言うこともありました。しかし、まねをしているだけで言葉の意味はわかっていないようでした。1歳半まで意味のある発語が見られないまま健診の日を迎え、そこで発達の相談をし、発達支援施設に通うことになった体験談をご紹介します。体の発達は順調だったけど…“もしかして、育てにくい子なのかな?”と感じることは何度かありました。生後5カ月のころ、息子を連れて結婚式に参列したときのことです。披露宴会場では私たちの席の近くにスピーカーがあり、音楽や拍手の音がするたびに息子は泣いていました。生後10カ月のころは、かんしゃくを起こすと何でもかんでも物を投げていましたし、知らない人が近づいてきただけで泣くこともありました。すごく警戒心の強い子だったと思います。 集団健診で他の子と比べると…1歳半健診は初めての集団健診で、息子と同じぐらいの子たちが落ち着いているように見えて驚きました。というのも、息子はじっとしているのが苦手だったのです。人見知りが激しく、初対面の大人がいると泣き出すこともしょっちゅうでした。健診は母子で受けている方が多かったのですが、私は夫にもついてきてもらいました。息子は体重計に乗るのを嫌がり泣き叫んでしまったので、夫と一緒に計り、夫の体重を引くという形でおこないました。積み木を積むなんてできるわけもなく、積み木を投げて終了しました。 発達検査を受けることに…健診後に相談し、後日詳しい発達検査を受けることになりました。そのときも人見知り全開で、私が口頭で質問に答え、検査項目のチェックをしてもらいました。予想通り、言葉の遅れが顕著にみられました。意味のある発語がないだけでなく、言葉の意味を理解していないのです。元々意思の疎通ができていないと感じていたので、あまりショックではありませんでした。それよりも今後どうするべきかを教えてもらえることに安心していました。 安心した専門家の言葉 紹介してもらった発達支援施設に初めて行ったとき、「お母さん、よく頑張っていますね」と言ってもらえたことで、私の育て方が悪いわけではないのだとホッとしました。2歳9カ月になった今は発語が増え、人見知りもなくなり、簡単なコミュニケーションがとれるようになりました。今でも偏食や感覚過敏な部分はありますが、お友だちと仲良く遊ぶことができています。 わが子が発達障害かもしれないと思うと不安になり、何度も検索しました。発達のスピードも、タイミングも、子どもによってそれぞれ違うものです。私は、これからも専門家のサポートを受けながら、息子の個性を尊重し、成長を見守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師 松田玲子著者:大森りさ0歳と2歳の兄弟の母。長男は発達支援施設に通っている。主に妊娠・出産・子育てについての記事を執筆している。
2022年01月08日小学2年生だった次男がいじめにあう発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなっていくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの、猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。Upload By 桑山 知之「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きがわかるようになったという。息子が苦手なことは自分も苦手――自身も発達障害の診断をUpload By 桑山 知之次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが、息子の担当医によれば「間違いない」という。こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を忘れたらいつも学校まで届けた。「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやってあげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)Upload By 桑山 知之思い返してみれば、猫ママさん自身も子どものころ、空気が読めなかった。周囲の様子をきちんと理解できていなかった。相手の表情や、何を喋っているか、あらゆる情報が今でもほとんど思い出せない。でも母親や教師からはよく怒られた。当時を知る高校の同級生からは「あのころはマシンガントークがすごくつらかった」とも言われた。どうやら、しょっちゅう友達の間に割って入って自分の話をまくしたてていたらしい。発達障害一家だからこそわかること「ゆっくりだけど、みんな学んでいる。」これはドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の中に差し込まれたコピーだ。猫ママさん一家も、決して例外ではない。Upload By 桑山 知之社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いんじゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)Upload By 桑山 知之苦しんで育ってきた自分だからこそ、息子3人が一体どういったことに苦しんでいるのかがわかる。そのサポートをしながら、親がレールを敷くのではなく、本人の意思を尊重してきた。そのうえで、子育てにおいて大切なのは、「何ができるか」ではなく、「愛される人間であること」だという。「いちいち他人を敵に回すようでは、困ったときに助けてあげようと思ってもらうことはできません。逆に、できることが少なくて手がかかっても、いわゆる憎めない人には、ピンチのときに誰かが必ず助けてくれると思うんです。特性ゆえにわからないならなおのこと努力が要るのではないでしょうか。そのためには、障害を受容し、許容することが大前提になるのだと思います。まず親が一番最初に、わが子をしっかりと受け止め、許容すること。できないことを受け止め、その中で一緒に歩いていくこと。そしていつか必ず『手を離す』覚悟を持って」(猫ママさん)長男は25歳になり工場用機械を作る会社に就職。次男は21歳で名古屋のアパレルショップで働いている。三男は全日制の高校に通う1年生だ。猫ママさんは10年前から、発達障害や家族のことを知ってもらおうとブログなどを通じて発信を続けている。特性と躁鬱の症状で仕事は途切れがちだったが、現在はクローズ(※障害があることを申告せずに一般雇用で就労すること)でサポート側として2年半継続して勤務している。ゆっくりだけど、みんな学んでいる。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文/桑山知之取材協力/若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・三木先生より)「誠意をもって生きること」「愛される人間であること」はすごく大事ですね。どういった苦手さを持っているかももちろん人生に大きく影響するのですが、その困難に直面したときに誰かに助けてもらえたり許してもらえるようなキャラクターだったり振る舞いができたりすることは、実は何よりも強い武器なのかもしれません。
2021年12月22日「助けて」運良く空きがあった発達クリニックへ2歳の後半からほぺろうの癇癪は悪化。一日のうち10回は癇癪が起爆し、一回につき1時間ほど引きずるという毎日を繰り返し、当のほぺろうも、つき合わされる私も満身創痍でした。さすがの私も「成長を待てば何とかなるものではないかも」と察し、誰かに助けを求めなければと思い始めました。調べてみると、ちょうど近所に発達クリニックがあったので意を決して電話。一般的に発達クリニックは予約を取るのが大変だと聞いていたので、半年は待つことを想定していましたが、運良く「2週間後に空きがあります」との返事に私は飛びつきました。Upload By ぼさ子初めて訪れた発達クリニック。病院っぽい佇まいを見ただけで、ほぺろうは案の定、大号泣!!パニックを起こし、抱きかかえるのも至難の業でした。待合室に検査の人が来て「こんなに泣かれては検査できません。本当に今日検査しますか?」と聞かれました。そう言われて「発達検査って、泣かない子しか受けられないものなの!?」と頭をよぎりましたが、当時の私は発達クリニックをよく知らなかったので、この時点で「ほぺろうは発達クリニックでも手に負えないんだ」と愕然としました。でも今日を逃したらもう予約は取れないと思った私は、「すみません、すみません…やれることだけでもお願いします」と必死にお願いしました。Upload By ぼさ子ほぺろうに検査は到底できないので、暴れるほぺろうを抱えながら行った”保護者の聞き取り調査“。待合室中にほぺろうの泣き声が響き渡り、ほかの患者さんやクリニックに申し訳ない気持ちで心が折れそうでした。検査の人にも「今日は無理じゃないですか?」と何度か声をかけられましたが、当時の私はほぺろうの困りごとを助けてほしくて「聞き取り調査だけでもお願いします!」と必死でした。しかし、やがてベテランらしきスタッフが登場し強い調子で言われました。「こんなに泣くなんて、すごい声」と。お子さんは連れてこないでさらに、「聞き取り調査の結果は10日後に出ますが、説明が泣き声で聞こえないのでお子さんは連れてこないでください」と言われました。結果が出る日は夫にもほぺろうを預けられないことが分かっていたので、「どうか子ども連れでもお願いします」と私は頭を下げましたが、「無理なら諦めてください。その日しか予約は取れませんよ」と言われてしまいました。そして当日、嫌な顔をされると分かりつつ この日しか話を聞けないということなので、号泣するほぺろうを抱えて再び来院。待合室に入るなり、「詳しい説明はいらないでしょう」と言われてしまい、そのまま追い返されるように帰りました。Upload By ぼさ子「今 本当に困っているけど、ほぺろうもしんどいし周りにも迷惑かけるから、ほぺろうに手がかからなくなる日まで診察は諦めるべきなのかな…」そのときすでに心身擦り減っていた私は、何が正しい判断か分からなくなっていました。そして「私たち親子は、発達クリニックにも助けてもらえない存在なんだ」と、ますます孤独が深まりました。Upload By ぼさ子クリニックが変われば対応も変わる時が経ち、その後、引越しを機に現在お世話になっている発達クリニックを発達支援センターより紹介してもらいました。そこでもほぺろうは変わらず大号泣。申し訳なさすぎて、以前の発達クリニックでの経験から「次回から先生のお話だけの日は、息子を夫に預けてきた方がいいですか?」と恐る恐る聞いてみました。すると先生が、「お子さんの様子を見るのも診察のうちなので、なるべく連れてきてほしいです」と仰ってくださり、存在を否定されなかったことに私は目頭が熱くなりました。Upload By ぼさ子医療・療育関係のみなさまへの願い初めて発達クリニックを訪ねてから数年が経ち、優しく親身になってくれる方々にたくさん出会うことができました。今なら「初めて行った発達クリニックは、配慮がなかったな」と思うことができますが、何も知らなかった当時の私は、発達障害のある子を助けてくれるはずの機関に見放されるなんてと思い詰めていました。あのような対応は滅多にないと信じたいですし、現在お世話になっている発達クリニックのような対応が一般的なのかもしれません。『もしかして発達障害?』とわが子の発達に心配を抱える親子は、おそらく診断が出る前が一番精神的に不安定なのではと想像できますし、心身がすでにボロボロになっている可能性が高いと思うのです。医療機関や療育関係のみなさまにとっては、数多くいる相談者の中の一組かもしれません。でもその一人ひとりの親はわが子を心配し、とまどい悩み必死です。どうか保護者の気持ちにも寄り添っていただけたらと願ってやみません。Upload By ぼさ子執筆/ぼさ子(監修:初川先生より)あぁ、なんと最初のクリニックのひどいこと…!!拝読しながら衝撃を受けました…!困っているから受診しているのに、そんな親子をさらに追い詰めて、一体何がしたいんだと怒りすら湧いてきます…。同じ支援者界隈の人間として、つらい思いをさせてしまったことをお詫びしたいくらいです。ほんとにもう…!さて、しかしながら、残念な支援機関や医療機関が存在するというのは、私も各所で耳にすることです。それを回避する方法として、一つには、地域の相談機関や子育て支援機関にまず相談して、その中でおすすめの医療機関など地域の情報を得るという方法があります。行政の相談窓口だと、特定の医療機関をおすすめすることは実は難しいことですが、それでも実際には、「このあたりの人がよく受診する医療機関」については教えてくれたりします。ぼさ子さんが最後のイラストで描かれているように、「子どもの安心って親の安心からつくられる」はまったくその通りです。保護者の方をまず支えるのが支援機関の最低限の務めだと思います。クリニックであれ、相談機関であれ、最初に訪れる際にはとても勇気が要ったことと思います。「相談に来てよかったです」や、「あのとき勇気を出してよかったです」と感じていただけるのが支援者の使命だと多くの支援者は思っています(なのにほんとに、どうしてあんなことに…!)。みなさまが良き支援者・機関と出会えることを祈りつつ、支援者として気が引き締まるお話でした。
2021年12月17日1歳となった次男は、先天性の外耳形成不全という診断を受けています。また、生まれてすぐの聴力検査をパスすることができず、中度難聴との診断を受け、大学病院の難聴外来を受診中です。受診や検査の様子、家族の思いなどについてお伝えします。診断、受診までの経緯出産後、産院で外耳形成不全との診断を受けた次男。大きな産声の次男を見つめ、うれしさと不安が同時にわき上がる感覚を鮮明に覚えています。その後の聴覚検査をパスできず、大学病院への通院が決まりました。 1回目の診察は、問診と検査の予約だけというもどかしいものでした。4度の通院で4種類の聴力検査をおこない、中度難聴と診断されました。次男の未来を考え、親としての責任と不安に押しつぶされそうになりました。 家族の気持ちの変化診断を受けた直後は、受け入れる難しさや焦燥感に襲われました。義母は、ふとした瞬間に「かわいそうだ」「どうして」という言葉を発し、その言葉を聞くたびに体がこわばったことを覚えています。 それでも、夫婦で治療方法や次男の成長過程への影響などについて情報を集め、通院の回数を重ねました。次男の症状や考えられる成長への影響を家族間や医師と相談し、ポジティブな感情で向き合えるようになってきました。 障害とともに生きる覚悟次男の中度難聴は改善するかもしれないし、一生そのままかもしれません。今後、定期的な受診を続けて様子を見ていくこととなっています。一方の外耳形成不全については、ある程度体が大きくなった10歳ごろに外耳形成の手術をすることができるそうです。 いつか次男にとって困難なことが訪れるとき、親として本人に寄り添い、心身をケアし、家族全員で本人が安心感を得られる家族をつくることを、パパや義母と確認しました。 現在、次男は1歳となりました。保育園に通い、周りの人を意識するようになりました。他者との関わりが形成され始め、本人が自分と他人の耳が違うと気づくとき、しっかりと寄り添い、本人の支えになれるような母でいたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、1歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2021年12月13日子どもの”発達障害がある可能性”に気づいた、私の母のケースUpload By 丸山さとこ私には発達障害のある小6の息子がいます。また私自身、大人になってから(息子が生まれる前)自分に発達障害があることが分かりました。息子のコウは、幼少期から「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの発達障害あるあるの行動がよく見られましたが、私は3歳児健診まで息子に発達障害があることに気がつきませんでした。一方で私の母は、私の幼少期に「娘には発達障害があるかもしれない」と感じていたそうです。今回は、私自身の幼少期と母が感じていたことについて書きたいと思います。私と発達障害の関係の始まりは、私が幼児だったころにさかのぼります。今よりもずっと発達障害に関する情報が少なかった昭和50年代でしたが、私の母は「娘は何かしら発達に障害を抱えているのではないか」と感じていたそうです。幼いころの私について、母は「言葉の発達は早いものの言葉づかいが子どもらしくなかったり、力は強いのに歩く姿が不器用でよく転んだりしていたのが気になっていた」と言います。その母は、『さとこが少しでも歩きやすいように』と”少しでも軽い靴を探す”などの工夫をしていたそうです。Upload By 丸山さとこ幼いころの私に対して、コミュニケーションの遅れは特に感じたことがなかったそうです。しかし「とにかく子どもらしくないような違和感があった」「甘えない・後追いをしない・大喜びをしない・おままごとをしない、などの行動に引っかかりを感じていた」と母は振り返って言います。幼いころのコウのように「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの、分かりやすい発達障害がある傾向は見られなくとも、母は私の”日常の中のささいな姿”に対して違和感を覚えることが増えていったそうです。Upload By 丸山さとこ健診で総合病院に行った際など、母は何度か娘の発達に関する違和感について医師に相談してみたそうです。しかし「知的にも順調に発達しているし動作にも問題は見られない」と言われ、”不安症な母親への軽い子育てアドバイス”をもらってその場は終わったそうです。私はその後、成人してから発達障害(ASD・ADHD)の診断を受け、現在ではADHD治療薬を服用しています。今になって振り返れば、幼い私に対して母が抱いていた違和感は正しかったわけです。Upload By 丸山さとこ保育園に入園してからの私は、”指示の通らなさ”や”こだわりと見られる行動”によって集団の中でも目立っていたそうです。現在の基準であれば「発達障害がある可能性」を指摘されたかもしれません。ですが、母が違和感を抱き始めたのは私が未就園児のころであり、集団の中での違和感が目立つよりも、もっと早い段階の話だったのです。『なぜ違和感に気づくことができたのだろうか?』と先日改めて母に聞いたところ、意外な…けれど、とても腑に落ちる答えが返ってきました。”自分の子ども”以外の子どもと接することで、分かることもある!?現在60代の母が若かったころは今より子どもの数が多く、近所や親戚の子どもを預かったり見かけたりすることもかなり多かったそうです。公園や広場や園で見かける姿とも少し違う、子どもたちの”家庭での素の姿”を目にする機会も多かったため、経験から漠然と『個性はいろいろあるけれど、子どもには大抵こういうところがある』という”一般的な子ども像”を持つに至っていたのだと思う…と母は言いました。Upload By 丸山さとこ「だから、さとこを育てていて『子どもなら多かれ少なかれするはずの行動をとらない』ことが引っかかったんだと思う」「発達障害の知識はなかったけれど、とにかく子どもらしくなくて妙だな~…と感じていたよ」…と続く母の話を意外に思いつつ、同時に「あ~、でも、ちょっと分かるかも! そういえばそういうことあったな!!」と思い、私はヒザを打ちました。コウが小学生になったころ、未就園児だった親戚の子を預かったことがあります。そのときに「これが定型発達とされる子どもか~!」と発達の違いに驚いた経験があったからです。私も、大人になってからコウ以外の子どもに関わった経験がなかったわけではありません。親戚の子どものお守りをしたことや、友人の子どもと遊んだ経験はありましたし、コウが産まれてからは公園でほかの子どもの様子を見ることもありました。けれども、当時の私はコウとほかの子どもを比べたり周りを見たりする発想が(今以上に)乏しかった気がします。私自身に発達障害があるから…ということも理由かもしれませんが、単純に、初めての子育てで周りを見たり比べたりする余裕がなかったからなのかもしれません。Upload By 丸山さとこそんな私であっても、3歳児健診のおかげでコウが発達障害である可能性に気づくことができたので、「今の時代でよかったな~」と思います。周囲と比べて焦らなくてもよいと考えてはいますが、その時々のコウの発達状況における"必要な手立て"が見つけられるように「『周りの様子』と『コウの現在位置』を見ることは大切なんだな~!」と思う私でした。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)幼児期は女の子の場合、男の子よりコミュニケーションの発達が早い傾向があるため、発達障害の特性は目立たないケースが多く、今のお医者さんでも女の子の発達障害を早期に診断するのは難しいものです。お母さんがこの当時、さとこさんの発達の偏りに気づいていたということは、周りの人と比較するだけでなく、さとこさん自身を本当によく観察されていたのだと思います。同じ母という立場で、自分の母親と子育ての話をする中で、これからもプラスのヒントが見つかるといいですね。3世代のよい親子関係性が築けているのがすてきだと思いました。
2021年12月09日何の心配もなく、すくすく育った長男。気軽に受けた2歳児健診で、言葉の遅れを指摘されました。一歩を踏み出し、発達の専門医の診察を受けて、前向きに考えられるようになった私の体験談を紹介します。とても育てやすい、ママ思いのいい子初めての妊娠で育児の右も左もわからず、大きな不安を抱えたまま長男との生活が始まりました。ところがそんな頼りないママを思ってか、長男は何の問題もなく育ちました。 毎月の身体測定でも、成長曲線のド真ん中を走り続け、発育もまったく問題なし! 離乳食にもすぐに慣れ、よく食べてくれました。1歳児健診では、「順調です!」と先生のお墨付きをもらい、母子健康手帳にも「何も悩みはありません」と、自信を持って書いたことを覚えています。 かかりつけの小児科で2歳児健診を受けて…2歳を目前にして、かかりつけの小児科へ任意の2歳児健診を受けに行ったときのことです。これまで通り「順調です!」で、すぐに終わるものと思っていました。少し長い健診ののち、先生から「目は合うし、こちらが言うことはわかっているようだけど、もし2歳半になっても二語文が出なかったら、一度専門のところで診てもらいましょうね」と言われたのです。 言葉は交わさなくても、長男とのコミュニケーションはできていたので、先生からの言葉にとても驚かされました。 焦らず、温かく見守ること確かに同じ月齢の子どもに比べ、長男は言葉が出ていませんでした。2歳半になっても二語文がほとんど出なかったため、子どもの発達の専門機関である療育センターを受診しました。発達のテストの結果、発達障害と判断がつかないグレーゾーンの診断。 もうすぐ3歳になる長男は、その後も定期的に専門医のサポートを受けながら、マイペースに成長中です。最初は心配しましたが、専門医からアドバイスをもらい、安心して育児に向き合えています。 周りの子どもと比べたわけではありませんが、長男の発達状況を素直に受け止め、プロに相談したことはよい判断だったと思います。長男の特性をより理解できたことで、以前より楽しく育児ができるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:鍜治すみの生後6カ月と2歳、2男の母。長男妊娠時の切迫早産により、9年続けた製薬会社のMR職を退職。前職では主に産婦人科領域製剤を担当。培った知識をフルに活かし執筆活動や育児に奮闘中。
2021年11月29日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月29日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月29日接し方で大きく変わる!学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))のある子どもへの接し方のポイントUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害の子どもは知的発達に遅れがないため、自分に障害があると認識するのに時間がかかります。できるようになりたい気持ちはあるのにできないというモヤモヤした気持ちはとてもデリケートです。何気なくかけた言葉や行動が本人を傷つけてしまう場合もあるので、注意して接しましょう。そこで、3つの学習障害のタイプ別に、子どもへの接し方のポイントをまとめてみました。学習障害は一人ひとり特性の偏りが異なりますので、以下をヒントにさまざまな方法を試してみましょう。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。読字障害(ディスレクシア)のある子への接し方■文字を見やすくしてあげる例えば、文字を大きくしたり、UDフォント(※)を使うなどして分かりやすい字体にしたり、読む範囲以外の上下左右を隠したり、黒板のチョークの色をユニバーサルデザインのカラーチョークにしたりすることで、本人にとって文字が読みやすくなることがあります。ほかにも、文字が小さすぎて読むのが困難に見受けられる場合は拡大コピーなどの工夫が効果的です。また蛍光ペンで重要と思われる部分にだけ色をつけることで、読む情報量を調整できます。このような工夫により、文章を読むことに対しての抵抗感を減らすことができます。※UD Font (Universal Design Font:ユニバーサルデザインフォント )ユニバーサルデザインに基づき「できるだけ多くの人が利用可能であるように」をコンセプトに配慮や工夫をしてつくられたフォントです。Upload By 発達障害のキホン■音声にする耳からの情報は理解できることが多いため、問題文などの文章を音声にして聞かせると宿題がはかどることもあります。教科書を見ながらその音声を聞くことにより、文字・音・意味が繋がる可能性があります。最近では電子教科書もあり、音声での読み上げシステムが備えられているので活用するのもよいでしょう。■ふりがなや分かち書き、スラッシュを利用する漢字などが分かりづらい場合、ふりがな(ルビ)を振ることが効果的な場合もあります。教科書にふりがなを振ったり、テストにふりがなを振ってもらうのも効果的な場合がありますが、学校の先生の理解を得ることが難しいこともあります。また、文章のどこまでがひと固まりなのか理解できないことがあります。このような場合はまとまりごとに空白を開ける「分かち書き」をしたり「スラッシュ」(/)を引いたりして、どこが文章の区切りとなっているのか、明確に表してあげると文章を読みやすくなることがあります。Upload By 発達障害のキホン■スマートフォン・タブレットなどのICTを活用するスマートフォンやタブレットを使うと、文字を拡大できたり、音読機能があったりと便利です。学校の理解があれば、板書を写真撮影したり、録音機能などにも利用できます。学習用の無料アプリなどを使って楽しく勉強することも可能です。■書字表出障害との合併に注意した対応を読字障害がある場合、結果として文字を書くことにも困難を感じることもあります。以下の書字表出障害への対処法も試してみましょう。書字表出障害(ディスグラフィア)のある子への接し方■漢字を分解して、漢字のパーツごとへの理解を促す書くことを苦手とする場合、位置関係をつかむことを苦手としている場合があります。そのため、漢字そのものを覚えさせるのではなく、「へん」や「つくり」に分けそれぞれの意味を教えてあげることにより、漢字を覚えやすくなります。また、パーツを足し算して漢字をつくるゲームをするなど、楽しみながら文字を学ぶのも一つの手です。パーツの配置のバランスがつかみやすくなるので、漢字に対しての苦手意識が薄れる場合があります。Upload By 発達障害のキホン■視覚過敏を緩和するように支援する読字障害においても同じことが言えますが、視覚過敏がある子の場合、紙の白さを過敏に目が感じ取ってしまいます。文字の黒さと紙の白さのコントラストに目がちかちかしてしまうこともあり、長くノートに向き合えない場合があります。光の反射の少ない紙質など、その子に合わせたノートを選んでみるのも方法の一つです。■マス目やケイ線を用意する書字表出障害の子の中には、手先の不器用さが目立つ子もいます。大きなマス目のノートを用意してあげたり、文字のバランスをつかむためにリーダー線が入った漢字練習帳を使用するのも良いでしょう。また、黒板を見て書きうつすにわかりやすくなるよう、マス目黒板を使ってもらうのも効果的です。Upload By 発達障害のキホン参考:カラーマスノート(日本医療福祉教育コミュニケーション協会)■ICTを使用する書字障害のある子は、文章をすらすら読むことができても、書くとなると困難さを伴います。合理的配慮により、学校内でのスマートフォンやタブレット利用が許可されるところが増えてきています。学年が上がるにつれて学ぶ内容も難しくなるので、授業についていけるよう、タブレットなどのICTを利用してノートを取ったり、文字を書くことの代替となるものを利用するというのも有効です。算数障害(ディスカリキュリア)の子あるへの接し方■位ごとに色を変える算数障害の子は、2桁以上の計算をするとき、無意識に頭の中で位を入れ替えてしまうことがあります。位をまたぐ計算をするとき、位ごとに色を変えることによって、計算の混乱を防ぐことができます。一の位は赤で書き、十の位は青で書き…のようにルールを決めて計算に取り組むと、「赤は赤と足す」、「青は青と足す」という認識が生まれ、計算がしやすくなります。Upload By 発達障害のキホン■計算の際には枠を引いてあげる算数障害の子の中には、読字障害のある場合もあります。そのため数字の問題を読み取るときに困難を示す場合があります。二桁以上の計算問題を解くときは、どの桁がどの桁と計算すべきかを理解するために、桁ごとを分ける線を引いてあげるのもよいでしょう。Upload By 発達障害のキホン■視覚的な手がかりになるものを利用する算数障害の子は「数」という概念の理解に困難を示す子が多いです。そのため、おはじきなどを使って実際に数えて計算を行ったり、絵や図に文章問題を書き換えて理解を促すことも効果的です。Upload By 発達障害のキホン■電卓を利用する簡単な計算が理解できるようになっても、学年があがるにつれ内容が難しくなるので、授業についてくことが困難となってしまいます。ある程度算数の概念が理解できるようになったら、担当の先生に理解を仰ぎ、電卓の使用を許可してもらうのもよいでしょう。■ICTを利用するパソコンやタブレットなどを使って楽しく算数を学べるソフトもあります。算数に対して苦手意識を強く持ってしまうと、本人がさらにつらい思いをしてしまうので、まずは苦手意識を持たないよう、楽しく算数を学ぶということを意識しましょう。最近では算数を学べるスマートフォンのアプリもたくさん出ています。まとめ■その子に合った学び方を探す例えば、文字を読むことが難しい子どもでも、耳から入ってくる情報であれば覚えることができる場合があります。その子どもに合っている情報のインプットの仕方とアウトプットの仕方を探しましょう。特に、ICTを活用した学びと相性がよい子どもが多いです。学習障害は、見方を変えれば視界が広がります。「できない」に目を向けるのではなく「できる」に目を向けることはとても大切なこと。人と同じではなくていいのです。子どもひとりひとりに合った指導法や接し方は、その子の未来を広げるだけでなく、今の親子関係も明るいものに変えます。専門家や周囲の人のアドバイスを元に適切な環境で学び、生活しやすい場所をつくってあげましょう。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年11月21日コウの発達障害に気づかなかった私Upload By 丸山さとこ以前コラムでも書いたことがありますが、息子のコウは幼児のころ、”発達障害あるある”とされる行動が多い子どもでした。「物を並べる」「回転するものを長時間見つめる」「パニックになり壁に頭を打ちつける」などの行動をよくしていたコウ。『そういう性格なんだな』『それが好きなんだな』と捉えていた私は、息子に発達障害がある可能性を考えていませんでした。Upload By 丸山さとこ当時は本当にそう考えていましたし、その言葉に嘘はありません。ただ、今改めて振り返ってみると、正確には「(診断されるレベルの)発達障害がある可能性を考えたことはありませんでした」と書くべきだったのかもしれません。今回は、その辺りの少し複雑な心境について書いていこうと思います。コウの発達障害に気づかなかった私私は、自分自身が大人になってから医師に「発達障害のある可能性は高いが、就労と結婚をしているので検査は不要でしょう」と告げられるという経験をしています。コウが未就園児のころには『発達障害の特性はグラデーションである』ことを既に知っていました。ですが、そのことはコウに対する支援を探すきっかけにはならず、むしろ「積極的に情報を取りに行かない理由」になってしまいました。Upload By 丸山さとこ自分の経験から「発達障害がある傾向があって生活上つまずきを感じたとしても、つまずきの程度がよほど重くなければ、診断を受けることはないのだろう」と考えていたのです。2歳の誕生日を迎えたコウは、発語自体はあるものの会話のバリエーションは少なく、決まった形の問いかけ以外に答えることはほとんどありませんでした。そのため、公園でコウに話しかけてくれた近所の子から「この子はどうして話さないの?」「大きいけど赤ちゃんなの?」と聞かれたこともありました。この時点で、保護者によっては既に違和感を覚えるような状況だったのかもしれないな…と思います。Upload By 丸山さとこですが、私は前述の経験から「よく笑い、目が合うこともあり、(ある程度は)意思の疎通が可能なコウは、発達障害がある傾向があったとしても診断を受けるほどではないのだろうな」と思っていました。発達の凸凹自体は何となく認識していたものの、「彼の凸凹は得意・不得意の範囲とされるものであって、発達障害があるとはいえないのだろうな」と考えていたのです。2歳後半になり”セリフとして覚えた2語文”を話すようになったコウは、言葉による要求も行うようになってきました。それは”覚えたセリフ”をカードのように使っている状態だったので、「オウム返しを使って望ましい状況を再現しているだけ」と感じた私は『これで会話が成立していると言えるのだろうか?』という疑問を少し抱きました。Upload By 丸山さとこそれでも、私と話すときのコウは言葉での意思疎通が可能なため「コミュニケーションがとれている」と言えなくはない状態でした。しかし、コウの話せる文章が増えるほどに違和感が増えていきました。その後、児童館で人から話しかけられたコウが”話しかけられたセリフ”を延々と繰り返したことをきっかけに「これは何かあるのかもな」と薄っすら思い始めました。そして、3歳児健診でハッキリと息子に発達障害がある可能性を告げられたとき、『このくらいでも”発達障害がある可能性あり”として対応していくのか~!』『確かにほかの子どもと様子が違うからな~!』…という2つの気持ちを同時に味わっていました。”意外に思う心境”と”納得する心境”が一度にやってくる印象深い体験でした。Upload By 丸山さとこ私自身、発達障害にネガティブなイメージはなかったことから「発達障害がある可能性」と告げられたこと自体に対しては大きな戸惑いもなく、「コウは発達障害がある可能性が高く、支援が必要なのだ」と認識が切り替わりました。そこからの私は、コウの発達に関して改めて情報収集をしつつ、知能検査を受けたり療育園へ申し込みに行ったりするなどの”支援のための行動”を開始しました。不安や迷いがなかったのは、『ありのままのわが子を受け入れる愛情深い母親だから』ではありません。状況に対応するだけで手一杯だった当時は、「必要だ」とされることを「必要なんだな」と思うがままに取り入れていっただけの、流されるままに進んでいくような日々だったな~…と思います。Upload By 丸山さとこ家庭では以前から「コウに伝わるように」と意識して接していたことから、発達障害がある可能性を告げられてからも接し方が大きく変わることはありませんでした。しかし、改めてコウの様子を観察しながら「なるほど、確かに”発達障害あるある”な行動なんだな…!」と納得したりしていました。「すべて今だから言えることなんだろうな」と思う現在の私です1歳半健診で「反応が薄いのでちょっと様子を見ましょう」と言われたときや、2歳の健診で「コミュニケーションに不安があります」と心理士に言われたときなど、今になって振り返れば、コウの発達障害にもっと早く気づけたチャンスは何度もあったのだろうなと思います。3歳児健診まではハッキリと発達障害の名前を出されなかったことや、療育園を勧められなかったこともあって、息子の様子は「個性の範囲なのだろう」という判断をしていました。ですが、それについても、私の方から「気になるんです・心配なんです」と専門家の先生に伝えていたらハッキリと告げられていた可能性もあったかもしれません。Upload By 丸山さとこ早く気がつけばもっと選択肢があったかもしれないし、コウにとってより適切な環境を用意できたかもしれません。一方、2歳まで住んでいた自治体には通える療育園がなかったことから、実際には早く発達障害があることに気づいていたとしても焦るばかりだった可能性もあります。可能性をあげればキリはありませんが、それらはすべて「今だから言えることなんだろうな」と思います。Upload By 丸山さとここれからも、さまざまな可能性の山をかきわけて右往左往しながら選択をしていく中で、「こういう選択肢もあったのか!」「もっと早く考えていれば…」と思うことは山のようにあるのだろうなと思います。選ばなかった選択肢の結果が分からない以上、”ベストな選択だったのかどうか”という判断自体があとからできるようなことではないのかもしれません。それでも、定期的に足跡を振り返って検証をしつつ進んでいくことは大切なのだろうと思います。せめて、「いつでも予想外の展開や方向転換はあるのだろうな」という覚悟だけは持っておくといいのかな~と思う、予想外の展開に弱い私でした。(監修:三木先生より)とても良い振り返りですね。とてもバランスが難しいところなのですが、「まあこんなもんかな」と思って気楽にすることと、「この子にはこれが必要だ」と意気込むことは両方とも必要だと思います。そういう意味では、結果的にいいタイミングで気づかれたんじゃないかなと思いました。
2021年11月18日最初に「もしかしたら発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころUpload By かなしろにゃんこ。小学4年生のときにADHDと広汎性発達障害と診断を受けた息子のリュウ太。「もしかしたらうちの子って発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころからでした。リュウ太が小学校に入学してすぐに集団行動ができないことで担任の先生から相談がありました。教室が落ち着かなくて机に座っていられずにソワソワしたりイライラして鉛筆をかじってしまうことがあり、鉛筆はいつもボロボロでした。思い返すと「発達障害なのかな?」と感じたことはいろいろとありますが、「ん!?やっぱり変わってるかも」と思ったのはクラスの子とのコミュニケーション。小学校低学年から小5まで、息子は半端なく人づき合いが苦手でした。それはこんなことからでした。相手の反応は気にせず、話し続ける息子Upload By かなしろにゃんこ。息子は学校から帰ってくると「みんな僕の話を聞いてくれない! 無視する!嫌がって文句言われる!」と頻繁に愚痴を言っていました。私は、(この子ってみんなに嫌われているのかしら…?)と思い心配しました。担任の先生からの説明ではこうでした。「リュウ太くんは早口でまくし立てるように話すので相手が圧倒されてしまったり、突然自分が話したい話題を前置きもなしに長く話すので話された子は困ってしまって、逃げてしまうことがあるんです。話したいことをセーブしたり相手の顔色を伺って話すことは、年齢的にもまだできなくても仕方がないのですが、うまくいかないと感じた経験から少しずつ周りの子とのつき合い方を覚えていけるといいですね」担任の先生からそう聞いてから改めて息子を見てみると、相手の反応を見て“今聞いてもらえそうか?話題に興味がありそうか?”などを考えいないようでした。そんな様子を見て「コミュニケーションが下手すぎるな」と感じました。特に低学年くらいの時期はまだ相手の気持ちを尊重してつき合うなどは難しいのかもしれませんが、息子の場合は特に自分の話題やタイミングがまずかったんじゃないかな?と考えずに同じことを何度も繰り返すことが多くありました。それでさすがに「この子は自分以外の人の気持ちや状況を判断する力が乏しいかもしれない、これって発達障害なのかも?」と思うようになりました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。こんなことを小3のときに担任の先生に相談した際に「教育相談所にお話ししてみませんか?」と勧められました。そして、市が運営する生涯支援センターの教育相談所に息子と通うことになります。そこから相談員の方に「発達障害の心配があるのならクリニックで検査を受けてみるのもいいですよ」と勧められて、クリニックを受診しました。でも、発達障害があることが分かっても療育が進むわけではなく、息子の人づき合いの苦手感は高学年になっても続きました。Upload By かなしろにゃんこ。周りの子と趣味が合わないことでも浮いてしまいます。複数の子に混ざって雑談の輪に入っても流行りの話題についていけずうまく混じれない。ですので、輪の中でも仲の良い友達とだけ話そうとするので雑談の雰囲気を壊してしまい、結果仲間に入れてもらえなくなってしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。息子に雑談の空気について聞いてみると、一人ひとりの会話を拾って返答することが結構難しかったのだそうです。だから一対一でつき合う関係が楽なんだ、と。趣味の幅を広げられるようになった中2のころからはいろいろな人と話せるようになったと言います。小学生時代は人間関係でつまづいてしまったときに「自分のやり方の何がいけなかったかな?」と考えて、成長するスピードが遅くて失敗続きの息子を見ては心配してハラハラしていました。勉強ができない心配よりも友達とうまくやれないことが一番心が痛かった母でした。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:初川先生より)お子さんが帰ってきて「みんな話を聞いてくれない!無視する!」と訴えたら、とても心配になりますよね。その後かなしろさんは担任の先生のお話を聞いて、リュウ太くん目線の出来事と、周りの子目線での出来事の見え方の違いに気がつかれたのですね。自分の言動に自覚的であることはなかなか難しいので反省して次に生かすことはとても難しいです。そのために、特別支援教室などでは、スキルとして「人の話を聞く」「自分の好きな話をする」ことをロールプレイやゲームなどを通して学び、その後、生活場面での実践へと至ります。さて、お子さんが人づき合いで苦戦しているのを見ているのは保護者としてハラハラしますし、つらくなることもあると思います。お子さんがそのことについて家でこぼした際に、叱咤激励するのではなく、苦戦を労いつつ、「一対一で話すほうが楽」の話のようにお子さんなりの工夫を聞いてみるのはとてもいいですね。お子さんなりに試行錯誤するのを見守るのはハラハラしますが、そうして身につけたスキルは一生ものだと思います(※あまりにもお子さんが苦戦していてつらそうな場合は、担任の先生や教育相談所の方など、教育・心理の専門家にぜひその旨ご相談くださいね)。
2021年11月08日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の治療法・療育法Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害って治療できるの?治療と聞くと薬物治療を思い浮かべる方もいますが、今のところ手術や薬物などで医学的な方法による根本的な治療法はありません。学習障害における治療とは子どもの将来を広げるための手助けのようなものです。学習障害のある人は多くの場合、教育面・生活面での環境調整や療育といった支援で困難さが軽減されます。学習障害のある人は脳機能の偏りのため特有の見え方・感じ方をしており、生活上や学習上、努力だけで乗り越えづらい困難があります。そのため日々過ごしていく上で、周りからのサポートが必要になってきます。まずは学校や地域の専門機関などの力を借りて専門家チームの検査・評価のもと、子どもの特性を理解しましょう。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害なのではと感じたらどこへ相談すればいい?専門機関とは子どもの場合、発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などを指します。大人の場合は発達障害者支援センター、障害者就業・生活支援センター、相談支援事業所へ行ってみましょう。まずは身近な相談できる専門機関に行ってみて、障害の疑いがある場合には専門医を紹介してもらうこともできます。また、家庭での対応も重要となります。子どもへの接し方は、子どものやる気や達成感を養い、うつ病や引きこもりなどのいわゆる二次障害を防ぐ上で大切な役割を担います。学習障害の発見が遅くなったり、誤った障害の理解により「自分は何をやってもできない」と子どもが思い込んでしまうことが原因となり、勉強意欲の低下、不登校などの二次障害と総称される症状や状態を引き起こしてしまう可能性も少なくありません。やる気、達成感を育てることは学習障害の子どもにとって最良の対応法といえるでしょう。学習障害の治療の判断基準は?いつから始めるべきなの?学習障害は知的発達に遅れがみられないことから、発見が難しくなります。そのため、実際に読み書きや算数などの学習が開始される小学校入学後に気づくケースが多くなっています。また英語だけに現れる学習障害の場合もあり、中学進学後に分かることもあります。このように特性のタイプや障害の程度によって症状に気づく時期が異なります。どのような症状があれば治療を行うべきなの?文部科学省の定義によると、学習障害(LD)とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD)」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」の3つに限定されます。このように読みに困難さがある人もいれば、読むことはできても、書くことに困難さがある人もいます。「学習障害」の状態や特性の現れ方は人によって異なります。子ども本人が学習に困難を感じていたり、同年齢の子どもと比べて著しく習得に遅れが見られるなど、子どもの様子から学習障害があるかもしれないと感じた場合は、まず学校や発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などで相談してみましょう。その後、専門家の検査により学習障害と判断されてから治療を行うのが一般的ではありますが、医師による診断がつかなかった場合や検査を受ける前であっても、その子に合った環境を整え、学習方法を見つけてあげることが大切です。治療を始める年齢は何歳?治療を終える判断基準は?学習障害があることに気づいたら、すぐにその子にあったサポートを進めることが望ましいです。学習障害にはいくつかタイプがあり、さらに一人ひとり、学習に得意不得意の偏りがあります。また、その人の現在の年齢によっても学ぶ内容は変わってきます。そのため、一人ひとりに適している治療や支援方法は異なると考えることができます。同様に、治療を終える判断もそれぞれです。通常学級で勉強をしながら、理解できなかった部分だけ通級指導教室で個別に指導を受ける方法もあります。学習障害の治療法・療育法早期発見・早期療育が望ましいとされる学習障害ですが、一体どのような治療法、療育法があるのでしょうか。今回はその方法についてご紹介していきます。◆学習障害の療育方法療育とは、社会的な自立をめざしてスキルを習得したり、環境を整えるアプローチのことです。このような療育は、発達障害を専門とする病院や公立・民間の児童発達支援事業所などで行われています。学習障害はその子の認知特性や苦手な部分によって、それぞれ直面する困難や課題が変わってきます。そのため、その子の特性に合わせた学習方法を獲得することが目的となります。療育法にはさまざまなものがありますが、学習障害の療育で最も大切なのは、その人に合った学び方や環境をつくることで、その人が困難を感じている分野に対する苦手意識を解消することです。苦手意識を持ってしまうと、その分野の学習に対して取り組む意欲がなくなり、困難は改善されないまま育ってしまいます。そのため、一人ひとりの子どもの成長速度や学び方に合わせて、できるだけ成功体験を増やしてあげることが大切です。つまり、子ども自身が「これなら学びやすい・学ぶことができる」という方法を探すということです。学校や療育施設などと連携し、学習方法を変えたり、環境を整えたりといった工夫を組み合わせ、さまざまな方法を試しながら、その子に合った学習方法を探していきます。・その子にあった覚え方や学び方を工夫する…クイズにして覚える、漢字のパーツを分けてパズルを作るなど・環境的な配慮をする…プリントはゴシック文字を使う、文字の色を変えるなど・代替手段を使用する…タブレットの音声読み上げ機能を使う、計算機を使うなど言葉や社会性など、それぞれの能力を習得する時期に近い段階で早期に療育を開始することで、障害による困難さが軽減されやすくなると考えられています。一般的に年齢が低い段階で、その子にあった療育を始めると、その後の社会適応力も高くなるといわれています。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年11月06日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の原因は?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害の原因は、医学的にはまだはっきりとは解明されていませんが、以下のようなことが研究から分かってきています。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。Upload By 発達障害のキホン中枢神経は脳や脊髄、体のさまざまな部分の働きを指令する部分です。学習障害の症状は、情報を伝達し処理する脳の機能がスムーズに働いていないことで引き起こされると考えられています。◆見え方に偏りがある「視覚認知」の問題じっと見つめたり、視線を上手に動かすことが困難で、行を飛ばして読んだり黒板の文字を写すのが苦手な場合があります。見た情報を脳が処理する視覚認知の機能が弱く、文字を認識するのが難しいこともあります。また見え方に特性があり、文字がぼやける、黒いかたまりになって見える、逆さまに見える、歪んで見えるなど違った見え方になってしまうという人もいます。学習障害の症状・困難の理由を理解しようUpload By 発達障害のキホン◆音韻認識が苦手文字と音を結びつけるのが難しいため、音声を聞いて文字を書いたり、文字を見て即座に読み上げるのが難しいことがあります。◆書く動作が苦手文字を書くという動作自体が苦手です。脳内で身体に指示を出し手を動かすという伝達機能がうまくいっていないからだという説が有力です。文字を揃えて書く、バランスを考える、筆圧を調整する、文字間の距離感を取るなどが苦手です。そのため、筆算の際に桁がずれることも多くなり、間違えやすくなることもあります。◆ワーキングメモリーの弱さ一度にいろいろなことをするのが苦手で、聞きながら書く、読みながら意味を考えるなどが難しいこともあります。記憶するのが苦手な場合、漢字の形や読み方をなかなか覚えられないこともあります。記憶や推論することが苦手だと、数字そのものの概念、規則性、推論が必要な図形の領域を認識するのが難しかったり、文章題を読み、意味を理解することや、グラフや表、図形などからイメージすることが苦手だったり、算数障害につながることもあります。その子の困難の背景を考え、寄り添ってサポートを苦手さの理由や原因は一人ひとりのケースで違います。その子がどこに困難を感じているのか、またその理由はどこにあるのかを観察してみるとよいでしょう。環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。現在は、見分けやすいチョークやユニバーサルフォント、音声読み上げ機能のある電子教科書、タブレットやキーボードなど、学習障害のある子をサポートする道具や機器もあります。その子がうまくいきやすい方法があれば、学校での合理的配慮を求めることもできますので、ぜひ、学習障害について理解を深め、サポートしていきましょう。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年10月31日「学習障害(LD)」「 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」とは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン文部科学省の定義によると、学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。英語ではLearning Disabilityと呼ばれ、LDと略されることも多いです。学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症について(文部科学省)医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」に限定されます。※「限局性学習障害・限局性学習症」が正式名称ですが、一般的に「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害の原因はいまだにはっきりとは解明されていません。有力視されているのは、先天性の遺伝要因にさまざまな環境要因が相互に影響し、脳の中枢神経系に何らかの機能障害が生じることが原因だという説です。親のしつけや養育方法、本人の努力不足が原因ではないことが医学的にわかっています。「読めるのに書けない」など苦手や困りごとは、人によって一部だけに極端に表れることもあれば、いくつか重複していることもあります。自閉スペクトラム症やADHD、協調性運動障害や感覚過敏などのほかの障害を合併している人もいます。特定の学習にだけ困難がある場合、周りから理解されにくく、「怠けている」などと誤解され、苦しんだり、不登校やうつなどの二次障害に陥ってしまう子どもも少なくありません。障害の名称や診断の有無などにこだわりすぎず、一人ひとりどのような特性や困りごとがあるか理解し、対処していくことが非常に重要になります。学習障害の3つのタイプと特徴・症状学習障害の困りごとには以下の3つのタイプがあります。症状や困りごとが全てあてはまる人はかえって少なく、特徴は人それぞれです。年齢によって困りごとや特性が変化したり軽減することもあります。複数のタイプが混じっていることもあります。※以下で紹介する症状・困りごとは年齢や学習の習熟度などによって、誰にでも見られるものもあります。当てはまるからといって学習障害であるとは限りません。◆読字障害(ディスレクシア)…「見た文字を判別し、音にして読むのが苦手」学習障害と診断された人の中で一番多く見られるタイプで、見た文字を判別して読んで理解したり、音にするのが苦手です。読むことに障害があると、結果として文字を書くことにも困難を感じる場合が多いため、読み書き障害と呼ばれることもあります。Upload By 発達障害のキホン◆書字表出障害(ディスグラフィア)…「文字を書くという動作が苦手」「文字が書けない」「書いてある文字を写せない」などの書く能力に困難があるタイプです。文字が読めるのにもかかわらず書けない場合もあります。Upload By 発達障害のキホン◆算数障害(ディスカリキュリア)…「算数、推論が困難」数字や数式の扱いや、考えて答えにたどり着く推論が苦手な学習障害のタイプを算数障害・ディスカリキュリア(dyscalculia)と呼びます。数字に関する能力にのみ障害がある人が多いため、算数の学習を始めてから発見される場合がほとんどです。「1」「2」「3」などの基本的な数字や、「x」「+」などの計算式で使う記号を認識することに困難をもっていることもあります。Upload By 発達障害のキホン
2021年10月24日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日癇癪を起こした息子をほったらかして家から飛び出しましたUpload By かなしろにゃんこ。こんにちは、かなしろです。ADHDと広汎性発達障害がある息子は、気性が荒く幼少期から癇癪持ちでした。過去に癇癪のときの息子の気持ちなどをコラムに書いたことがありますが、今回は私がしていた「息子が癇癪になったときの対策」についてお話ししたいと思います。息子がまだ3歳だったころ、遊びの中でうまくいかなかったとき息子は、頻繁にプンプン腹を立てていました。オモチャを投げたり、足を踏み鳴らしたりして、体全体で怒る息子の様子を見て「なんでこの子はこんなにイライラしているんだろう?」と不思議でしたし、怒っている子と同じ空間にいると、とってもイヤな気持ちになって子育てがつらく感じてしまっていました。ミニカーを並べて遊んでいて、思っていた場所に置けずにずれたりするとキーキー怒り出してしまう息子。そんな息子に「怒らないの、大きな声を出さないの、泣かない」などと私もついつい口を出してしまっていました。口を出すと息子はさらに泣いたり叫んだり、余計に怒ってしまいます。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。当時私は「癇癪」という言葉がどんな状態を表す言葉なのかよくわかっていませんでした。だから息子はうまくいかないとよく怒るけど、本人の経験不足から我慢が足りずに怒っているだけで、大きくなったら癇癪はなくなるものだと思っていました。しかし息子のうまくいかなかったときのイライラや爆発する怒りは、成長しても収まることはなく、「これが癇癪というものなのか!」と知りました。そんなある日、我慢の限界が来て…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。癇癪持ちは治らない!おもちゃの線路がうまくはめられない、時間内にクリアしないといけないゲームは焦ってできない……など、できなかった場合「そんなこともあるよね」と諦めることができない息子。あるとき癇癪を起こした息子がイヤで、私は息子の視界から少し離れました。すると息子は、(なぜ母はいなくなったのか?)と気になったのでしょう。怒るのをやめてポカーンとしていました。少し離れたところから息子の様子を見ると、息子のさっきの怒りは鎮まっていました。これは効果がある、息子が癇癪を起こしたら離れるといいのかも!Upload By かなしろにゃんこ。それから、息子がうまくいかなくて怒っているときに離れることができない場所では、徹底的に「見ざる聞かざる言わざる」にしてみました。(もちろん、荒れた息子が人の迷惑になったり、危ない行動をとらないように視界の端で気にしながらですが)そうすると、干渉しないことで息子の場合は早く怒りが治まることがわかりました。私が機嫌をとろうとして関わると余計に荒れてしまう。息子自身沸きあがる自分の感情をどうしたらいいのか分からずに、戦っている形が「癇癪」なのかもしれません。癇癪に同調して寄り添う姿勢ももちろん大切だと思います。ですが、今まで息子が癇癪を起したときに、私が無理に止めるような関わり方をしていたせいで、怒りが長引いていたのかもしれないな、と思いました。Upload By かなしろにゃんこ。この経験をきっかけに、癇癪は息子自身の心の問題で、もしかしたら親が必要以上に干渉しなくてもいいのかもしれない。怒りや喜びなど、本人がいろいろな感情を味わい、それが成長につながっていくのかな、と思うようになりました。癇癪のときにどうしてほしかったか、その後成長した息子本人に聞いたコラムもありますので是非読んでみてくださいね。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:三木先生より)大人のコンディションが悪いときは、寄り添っても逆効果になってしまうこともよくあります。寄り添いと見守りを大人のコンディションによって使い分けるのはとても良い方法だと思います。つまるところ、「しんどいときは無理をしない」で良いのかもしれません。
2021年09月09日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日お手伝いカードで、お金を稼ぐことを学んだ娘。わが家では、2年前からお手伝いカードというものを導入しています。一回のお手伝いで、スタンプを一つ押し、20マス(一枚)で500円と交換というシステムです。小学5年生になる広汎性発達障害の娘は、このお手伝いカードを長い間続けていて、もう何度も欲しいものをお手伝いカードで貯めたお金で買っています。Upload By SAKURAお手伝いはたくさんしてくれるようになり、お金を稼ぐ大変さもわかったおかげか簡単に物をねだらなくもなったし、いいことだらけです。欲しいものがあるときは、頑張ってくれるけど…しかし・・・ずっと続けてはいるものの、お手伝いに対する意欲は、不安定。欲しいものがあるときは、自分からお手伝いを見つけて自主的に動いてくれますが、特に欲しいものがないときは言われたら仕方なくやってくれる・・・という感じです。Upload By SAKURA最初のうちは、これでも満足だったのですが、正直・・・もう5年生。中学生も近づいてきたこともあって、常に自主的に動くというお手伝いもしてほしいのが、本音です。察してほしい!でも…しかし、娘は特性上、察するというのが苦手で「状況を見る」「気を利かす」ということができません。Upload By SAKURA家庭内では、場合によって状況を伝えて「こんなときは、こうしてくれたら助かるんだよ」と、繰り返し教えるようにしていますが、なかなか自分から動くことはありません。Upload By SAKURA将来的にも、いつかは自分で気がついて、動くことが必要になってきます。その力を身につけるためにも、「察する」「自分から動く」という練習もしてほしいと思っていました。「察する」より先に「自分から動く」習慣づけ。夫に相談すると…Upload By SAKURA「察する」より、「自分から動く」の部分を習慣化したほうがいいと言われました。そこで、時間帯によって必要なお手伝いを理解してもらうため、「毎日やるお手伝い」を決めることにしました。いきなり複数のことを頼むと持続できないため、まず決めたのは、朝と夜、食事の前の支度のお手伝いでした。Upload By SAKURA朝ごはんのときは、「私が準備をしている間、マーガリンやジャムを出す」夕ごはんのときは、「私が準備をしている間、箸を並べる」この2つを、固定のお手伝いにすることにしました。これだけは、求めてしてもらうことではなく、自分から動いてほしい。そのことを娘に説明し、さっそく実行してもらうことにしました。朝は勝手にやってくれるけど、夕方は難しい。朝のお手伝いに関しては、起きたらやる・・・という習慣が身につきやすかったようで、何も言われずに、すぐに自分から動けるようになりました。Upload By SAKURAしかし、夕飯のときは…Upload By SAKURA時間が不規則なことや娘の自由時間なこともあって、ゲームをしていたり本を読んでいたり、テレビを見ていて、娘は忘れてしまうことがほとんどでした。声かけを繰り返し、パターンを覚えてもらう。何か…娘が思い出したり、気がついたり、習慣づける絵カードなどの工夫が必要かな~と考えたのですが、Upload By SAKURA夫からのアドバイスで、このお手伝いに関しては、補助アイテムを使うことはやめました。その代わり、気がつくようヒントは与えることにし、「あーさん?ママごはんの用意してるけど、何するんだっけ?」「あれ?何かない・・・」と言った声かけや、咳払いをして気がついてもらう・・・ということを繰り返しています。しかし、やはり察することが苦手な娘。なかなか気がつかず「え?なに?呼んだ?」と言ったり、こちらが何を言いたいかがわからず、硬直したりすることも多々あります。Upload By SAKURAただ、今は練習。この時間帯に私が何に困るか、何を手伝ってもらったら楽になるかを時間をかけて覚えてもらい、ここからパターンを増やして教えていければ将来的にきっと役立つと信じ、同じことを毎日繰り返しています。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)お手伝いを自主的にお母さんや家族の状態を見て、察して行うことはとても困難な課題だと思います。SAKURAさんの実践のように、状況に寄らず具体的にするべきことを固定化するのも1つの方法です。さらにもう一歩踏み出すためには、お父さんの言われているようにカードなど視覚的な刺激ではなく、あえて言葉を使う方法があります。同じ言葉による指示でもいくつかのステップがあります。「箸を並べましょう」という直接的な指示⇒「お母さんが準備しているよ」などの間接的な指示⇒咳払いのような状況に注目させる非言語的・間接的な指示です。もちろん、お手伝いができたあとはたくさん褒めてあげることが大事になってきます。一生懸命なお母さんと、状況を客観的に見ながらアドバイスをされるお父さんの役割分担はとても素晴らしいと思います。
2021年08月25日私には現在小学3年生の長男がいるのですが、発達障害であるADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が下りたのは小学校2年生のときでした。さらに3年生になった今年、自閉症スペクトラムの診断が下りたのです。私は、小学生になるまで長男の障害を見つけてあげられなかったことを後悔。乳幼児健診のとき、こうしておけばよかった! と思ったことをお話しします。 1歳半健診では育てにくさを伝えられずハイハイをし始めたころから活発な長男でしたが、1歳になるころには多動が目立ち始めていました。他の子とちょっと違うなと感じつつも、気にするほどでもないと思う中で、1歳半健診の日を迎えました。 1歳半健診の質問項目に「育てにくさを感じますか?」とあったのを見て、一瞬戸惑う私……。買い物先や支援センターでよく脱走し、かんしゃくがひどいことに悩んでいたからです。 しかし育てにくいレベルに入るのかわからず、悩みながらも「いいえ」にマルをしたのです。このとき「はい」または「わからない」にマルをしていれば、支援に繋がったのかなと思います。 3歳児健診でも育てにくさを伝えられず!その後長女が生まれ、育児に奮闘しているうちに年月が経ち、長男の3歳児健診の日を迎えました。3歳になるころにはお喋りもじょうずになり、手先も器用になってきていた長男。一方で相変わらずかんしゃくが酷く、2歳下の妹を叩いてしまうこともしばしば……。 しかし私は3歳児健診での問診票でも、「育てにくいですか」の質問に悩み、「いいえ」にマルを付けてしまったのです。さらにあらかじめ相談内容を固めていなかったため、悩みをどう伝えたらいいのかわからず健診は終了。私はまたもや悩みを伝えられないまま、健診をスルーしてしまったのです。 次男のおかげで保健師さんに相談でき…3歳児健診を過ぎると、市の乳幼児健診の場はありません。仕事が忙しくなったこともあり、日々の家事、育児をこなすだけで精一杯の私……。そして長男が小学校に入るころ、転機が訪れました。わが家に次男が生まれたのです。 育てやすい次男ですが体が小さく、4カ月健診で経過観察となってしまいました。おかげで市の保健センターから、よく電話がかかってくるようになりました。長男のかんしゃくに悩んでいた私は、すがるように保健師さんに相談することに! すぐに専門的な相談施設を紹介され、小学2年生になったころにADHDの診断が、さらに1年後に自閉症スペクトラムの診断が下りました。 長男の幼児期を振り返ると、後悔するのはやはり乳幼児健診で悩みを伝えられなかったことです。伝えるべきか迷う程度の悩みでも、困っているなら相談するべきだと思いました。今では主治医や臨床心理士さんに相談しています。次男が3歳児健診を迎えるときには事前に悩みをリストアップし、細かく相談したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年08月17日