対話のファシリテーション事業を行うみなものふたりは、長野県辰野町と民宿を貸し出す人向けのウェブサイト「Airbnb」を運営するAirbnb Japan株式会社(以下 Airbnb Japan)が合意した協業事業の一環として、2021年11月に辰野町が発表した「たつのWORKTRIP補助金」(以下、本事業)に採択されたことをお知らせいたします。メンバー全体写真本事業は、辰野町への関係人口創出、移住定住促進や企業誘致に関するプロジェクト推進を目的としています。みなものふたりは本事業を活用して辰野町の地域住民との交流・首都圏と辰野町との多拠点生活を行い、「移住離婚」という課題に着目し実証実験を実施。辰野町に移住したご夫婦と共に「暮らしの価値観を擦り合わせる支援」を実験的に実施。移住後の幸せな定住に、みなものふたりがどのような貢献ができるかを検証しました。*本事業は辰野町が実施主体となり、審査、採択及び交付を行う補助金となります。Airbnb Japan株式会社が交付等を実施するものではありません。■「たつのWORKTRIP補助金」について2021年9月、辰野町とAirbnb Japanが「辰野町への移住定住や企業誘致の促進、ならびに関係人口の創出を推進」を目的にパートナーシップを締結。辰野町ではAirbnb Japanと合意した協業事業の一環として、2021年11月19日「たつのWORKTRIP補助金」の採択団体を発表。みなものふたりが採択されました。本事業では「たつのWORKTRIP補助金」として各社30万円が付与され、辰野町内のAirbnbリスティングでの宿泊代や、町内コワーキング利用料、二次交通費(レンタカー、レンタサイクル及び公共交通機関等)に充当しながら、地域の人たちと交流・多拠点生活・仕事を実施していきます。■「たつのWORKTRIP補助金」を活用し取り組んだ実証実験の概要暮らしの価値観を擦り合わせる支援を、首都圏から辰野町への移住前後の夫婦を対象に実施。移住後の幸せな定住に、みなものふたりがどのような貢献ができるかを検証する。■実証実験の背景<ライフスタイルを見直し増える地方移住>新型コロナウイルスの蔓延以来、仕事・ライフスタイルの見直しが進み、移住や多拠点・二拠点生活を考える人たちが増えてきました。ふるさと回帰支援センターが2021年10月に発表した調査によれば、首都圏の地方移住希望者は推計309万人。特に20代~30代が具体的な検討を進めている状況だそうです。このような20代~30代は結婚・出産・転職などライフステージの変化が激しい世代。自分にとってぴったりのライフスタイルや働き方を模索した結果として、地方移住を選択するという方も多いと考えられます。実際に、今回実証実験のフィールドとして協力くださった長野県辰野町には、自己実現を求めて移住された方、理想の生きるバランスの実現を求めて移住された方の事例があると伺いました。<高まる移住促進の風土の中に隠れる、移住離婚>このように自らのために決めた移住の中で全て理想通りに進むかというと、もちろんうまくいかないケースも存在します。例えば「移住離婚」と呼ばれるのがそうしたケースの1つ。初めての土地・新しい人間関係・慣れない暮らしというストレス環境下でうまく支え合えなかったり、夫婦間での移住に対する温度差が埋められなかったりと、移住した後に夫婦関係が難しくなってしまうのがこのケースです。<地域移住についてのヒアリング>実際に移住をサポートしたり、移住者のご友人がいる方に移住後の夫婦が困難に感じるポイントについて、以下のように声を集めております。「子育て移住で母親が父親をひっぱるように移住したが、父親の気持ちが移住後もついていけず地域で孤立してしまった。」「地域活動が盛んになり、家族水入らずの時間が取りづらくなった結果、知らないうちに片方の我慢が溜まってしまっていた。」こうしたヒアリングを通して、みなものふたりは以下を課題仮説として置きました。「移住そのものが目的になり、移住後の夫婦・暮らしの理想像を描けていない」そこで今回は、「理想の暮らしの在り方」を夫婦間で擦り合わせる支援を実験的に実施しております。■実証実験の概要<内容>・「理想の暮らしの在り方」を描くことを目的として、移住前後のご夫婦とみなものふたり専属ファシリテーター2名で対話する「セッション」を実施・1月~2月の期間中に90分×2回のセッションを実施(完全オンライン)・セッション後、実験協力者のご夫婦と今回の体験の影響について振返りを実施(オンラインと辰野町現地にて)<実証実験協力者>1) 移住前(東京と辰野町で二拠点居住を実践中)のご夫婦2) 辰野町移住後半年のご夫婦3) 辰野町移住後3年のご夫婦<方法>毎回の対話セッションではファシリテーターが第三者として夫婦間の対話をファシリテートし、グラフィックレコーダーが添付図のように対話内容を可視化※参考/セッションイメージ動画 Y様セッション1回目グラフィックレコーディングY様セッション2回目グラフィックレコーディング■実証実験結果移住者が、自分たちらしい暮らしや幸せを「意思をもって」選ぶお手伝いができた。ふたりだけで移住について話すのではなく、今回みなものふたりがファシリテーターとして存在したことで、表面的な議論ではなく考えの背景や気持ちを互いに伝えきることができ、暮らしに対する納得度を高められた。(詳細は、以下体験者の声参照)ファシリテーターとユーザーさんのセッション実施画像<体験者の声>●NPS平均:9.0●体験後のご感想「ふたりだけで話すと、夫が“話すこと”妻が“聴くこと”を諦めてしまう。夫は『まあいいか』と飲み込んでしまい、妻は『また否定される』と思って聞くことを辞めようとする。ただファシリテーターがいると、“最後まで話す”“最後まで聞く”ことができるようになり、自分の中にある勘違いに気づけた。「普段は抽象的な話ばかりだったが、問いをもらうことで理想が具体になった。ふたりだけだと、辰野町の話、社会の話になっていたのが、自分たちの暮らしの話をする機会がそもそもなかったので新鮮な体験になった。」「辰野町に関わることが自分たちにとってどんな意味があるのか、自分たちは何を求めているのか、が言語化され二拠点生活の継続によりリアリティが増した。なので今後は実現するための現実的な話(お金など)をしていきたいと思った。」「移住するとめちゃくちゃ忙しくなるので、こうやって立ち止まってふたりの暮らしについて話す機会がなかった。中長期的なふたりの理想についてこうやって話す機会は全員必要だと思う。暮らしに意思を持てる。自分たちも継続したいが、移住した人に対してプレゼントしたい。」今後も引き続き辰野町のみなさまや地域のみなさまと関わらせていただきながら、サービス開発を進めてまいります。サービスイメージ画像■みなものふたりについて“みなものふたり”は、いつか子どもが出来た時、親も子どもも自分らしく育っていけるような「家族の土台作り」をサポートしています。2020年8月に創業し、現在まで60組以上のカップル・夫婦のみなさまに出会ってきました。子どもの発育は、両親の夫婦関係に多大な影響を受けるということが言われています。ですが「夫婦仲良くしよう」と言っても、もともと他人同士のふたりが家族を築く過程では、ちょっとした「?」がつきもの。「なんでこうしたんだろう?」「なんでこんな言い方したんだろう?」「こんなこと言ったら嫌かな?」そんな、相手を思いやるからこその自己完結が当たり前になると、いつの日か無意識に我慢したり無理する関係に。我慢は愛情のひとつのかたちだから大切だけど、無理のしすぎはどこかにダメージがくるもの。お互いが自分らしくいられる関係を探究したい。もし将来子どもを育てることになった時も、自分たちがそうあることで子どもに自分らしく居てほしい。そんな想いを持つ方がこれから家族を作っていく過程を、みなものふたりが「価値観をすりあわせる対話」をガイドします。HP : Facebook Page: ※参考文献2021年11月30日プレスリリース:辰野町とAirbnb Japanとのパートナーシップによる「たつの宿泊施設開業補助金」の採択団体・3社が決定!新規Airbnbホストコミュニティの充実で「関係人口」を推進 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月07日夏休み本番!どこかに旅に出るのも楽しいけれど、東京の街中に佇む、好奇心を満たしてくれる場所も気になるところ。東京駅、銀座からも歩ける距離にある日本橋。古くから栄える日本橋の街に、この夏注目を集めること間違いなしのスポットが。今夏、重要文化財に指定された「日本橋三越本店」。歴史と趣きに満ちた日本橋三越本店の見所をお届け。今に残る西洋建築は、日本橋という街の矜持江戸の城下町であった日本橋、明治期以降は日本経済の中心地として発展してきた。明治、大正と移りかわる時代の中、次々と近代的な商業ビルが建ち街を変貌させてきた。日本建築界の重鎮・辰野金吾による「日本銀行本店」、アメリカンルネッサンス仕様の「三井本館」、古今東西の美を集めた「日本橋高島屋」、そして日本一有名な橋「日本橋」など、徒歩10分ほどの圏内に、重要文化財に指定されている名建築が建ち並ぶ日本橋。そんな中、新たに「日本橋三越本店」が国の重要文化財として指定されることに。そこで日本の百貨店建築のパイオニアともいえる「日本橋三越本店」の見どころをご案内しよう。現在(2016年)の日本橋三越本店日本の百貨店建築の礎となった日本橋三越本店日本橋三越本店の歴史を紐解くと、延宝元年(1673年)創業の“現金掛け値なし”を掲げて、現金販売をいち早く実現して江戸庶民に喝采をあびた呉服店「三井越後屋」が出発点。明治37年(1904年)に呉服商としての商いからさらなる発展を、とロンドンの老舗百貨店ハロッズにならい“デパートメントストア宣言”を発表、日本最初の百貨店として名乗りを上げた。大正3年(1914年)に誕生した5階建て鉄筋コンクリート造りの日本橋三越本店は、ルネサンス様式の外観、採光天井の中央ホール、エレベーターなど、美しい装飾と最新設備がそなえられ日本の百貨店建築の礎となる。その後、関東大震災で被害を受けながらも、修復・増改築を行いながら新たな魅力をたずさえて日本橋三越本店は復活してきたのだ。大正3年(1914年)当時の日本橋三越本店昭和10年(1935年)当時の日本橋三越本店商業神マーキュリーとライオンが迎える本館ライオン口そんな歴史のある日本橋三越本店。まずはライオン像が鎮座する本館正面入口側の外観をじっくり観察。増改築を繰り返したとは思えぬ統一感ある意匠は、大正時代より一貫して同じ会社(現・横河建築設計事務所)が施工していることが大きな理由の一つであろう。装飾が施された壁面を輝かせる金色の像は、イタリアの商業神・マーキュリーだ。その下には、通称ライオン口と呼ばれる本館の正面入口があり、2頭のライオン像が鎮座する。明治時代にイギリス視察に出向いた当時の支配人・日比翁助が、トラファルガー広場のライオン像に感動。すぐに製作依頼をして大正3年(1914年)から三越でお客様をお出迎えする存在になった。合格祈願などの都市伝説を持つライオン像には、詩人・谷川俊太郎さんが像をモチーフに詠んだ詩が飾られているので注目して欲しい。本館正面入口に鎮座するライオン像下からも上からも眺めて欲しい天女像。ホールの壁にはアンモナイトそして本館にある五層吹き抜けの中央ホールへ。大理石張りの柱や梁、ステンドグラスを配したエキゾチックな装飾の天井、手摺や回廊のガラスへのアールデコ装飾、パイプオルガンなど見どころが満載。またホールの中央には、10年もの歳月をかけて手がけられた「まごころ像」と呼ばれる天女像が置かれている。柔らかな微笑みをたたえる天女像はその前面だけではなく、かわらしい鳥たちやサイケデリックな球体など背面の細やかな彫刻装飾もじっくり鑑賞してほしい。ちなみに1階と3階が天女像を見るベストビューポイントだ。そしてホールの壁のあちらこちらにアンモナイトの化石が「こんにちは」と顔をのぞかせているので、こちらもお見逃しなく。いたるところに発見のある中央ホールは、何度訪れても楽しい場所かも。毎週水・金・土・日の10時半、正午、15時の1日3回パイプオルガンの音色を聴くことができる。中央ホールには圧巻の「まごころ像」が出迎える屋上で金字塔を見終えたら大人もOKなお子様ランチでひと息大正時代を思わせるレトロモダンな意匠のエレベーターに乗り屋上ガーデンへ。青空にそびえたつような建築物は、大正10年(1921年)に作られた金字塔だ。日本橋三越本店の象徴でもあるので、ここは必ず押さえておきたい。また屋上には向島の三囲神社があるので、楽しい一日を祈念してお参りを。ほかにも豪華絢爛な装飾に圧倒される三越劇場などへも足を運びたい。さて館内の重要文化財スポットをぐるりと巡った後は、名物メニューをいただきにカフェ&レストラン「ランドマーク」へ。昭和5年(1930年)の登場以来、子どもたちがこぞっておねだりする「お子様ランチ」(800円)はランドマークの目玉メニュー。シュシュと煙を出しながら供される蒸気機関車の器には、チキンライス、エビフライ、スパゲティなど、お子様ランチといえど本格的な洋食プレート。大人の注文もOKなのでビールのお供にどうぞ。またライオン像よりずいぶんとかわいい「ライオンパンケーキ」(600円)は、子どものみならず大人女子から人気だとか。昭和5年(1930年)の登場以来人気の「お子様ランチ」(800円)さて日本橋三越本店では、その同店の歴史や館内の名物スポットを詳しく知りたい人に向けて「日本橋三越本店 店内ツアー」を開催中。お買い物ついでに、名建築を学ぶ知的ホリデーなんていいかもしれない。【日本橋三越本店 店内ツアー詳細】毎月第2土曜日:第1部11:30~ 第2部14:30~所要時間:約70分定員:各回15名参加費無料※申し込みは本館1階ライオン口案内カウンターにて受け付ける※小・中・高生生を対象とした「日本橋三越本店 歴史ツアー」もHPにて受付中
2016年08月08日美術館でのアート鑑賞は、慌ただしい日常から離れ、インスピレーションを受けたり、リフレッシュをするのにはぴったりの過ごし方。ですが、ゆったりしたイメージとは裏腹によく歩き回ることになるので、見終わった頃には少し疲れてしまったという覚えがあるのでは?そんなとき、頼りになるのが美術館併設・あるいは近隣のカフェ。建物に歴史があったり、そこならではのメニューがあったりと、疲れを癒やすのみならず、見所も多いものです。今回ご紹介するのは東京駅丸の内駅舎にある「東京ステーションギャラリー」。2012年にリニューアルされ新しくなった重要文化財でもある丸の内駅舎に、美術館とホテルがあるのは知っていましたか?そう、丸の内北口ドームには「東京ステーションギャラリー」、南口ドームには「東京ステーションホテル」があり、日々、たくさんのお客様を迎えています。東京駅丸の内駅舎が、辰野金吾の設計によって創建されたのは、1914(大正3)年のこと。東京駅は、日本の鉄道の上りと下りの基点であり、多くの幹線の0キロポストが設置された「中央駅」として位置づけられ、日本の近代史の舞台として、幾多の激動の時代をくぐりぬけてきました。東京ステーションギャラリーは、1988年に誕生し、東京駅の歴史を体現する煉瓦壁の展示室をもつ美術館として親しまれています。赤煉瓦と絵画のコントラストは、この美術館ならではのもの。当時の煉瓦自体も貴重な歴史の資料で、それを間近に見ることができるのも魅力。煉瓦の凹凸は劣化などではなく、創建当時、漆喰の定着をよくするために、きれいな表面をあえて削った跡。表面に塗られていた漆喰を職人が手作業で取り除いたためにみえる歴史の名残といえるでしょう。そして、東京ステーションギャラリーのある北口ドームの反対側、南口ドーム側にエントランスのある「東京ステーションホテル」があります。そのロビーラウンジが、今回のくつろぎスポットです。東京ステーションギャラリーからは、東京駅の外観を楽しみながらのんびり歩いて約3分。歴史ある東京駅を感じながらお茶を楽しめます。「東京ステーションホテル」は2012年秋、東京駅とともに内装を一新して生まれ変わったホテル。かつての文豪が愛した客室など大正の時代からの伝統が息づく場所として、今もなお国内外からのお客様を迎えています。ロビーラウンジは宿泊客以外も利用ができ、朝は打ち合わせのお客様、昼は会話を楽しむマダム、夜は丸の内で働く皆様が仕事帰りに立ち寄られます」と広報の濱氏。この時期、注目したいのは「ホテル開業100周年記念 マンゴーフレンチトーストセット」(2,650円(消費税込、サービス料別))。もともと東京ステーションホテルのロビーラウンジで人気メニューのフレンチトーストですが、こちらは7月1日からわずか10日間のみ提供される限定メニューで、マンゴー好きには見逃せない一品。シェフパティシエの瀧澤氏によると「この時期にしかお楽しみいただけない国産のマンゴーを贅沢に使用しています。大きくカットしたマンゴーに加えて特製のマンゴーバターも一緒にお出ししていますので、焼きたてのレンチトーストにのせてとろける食感をお楽しみいただければ」とのこと。バターをたっぷり使ったブリオッシュ生地を使用してじっくり焼き上げているため、口に入れた時のリッチな香ばしさもたまりません。また、セットで共されるティーはフランス、パリの老舗高級紅茶ブランドのベッジュマン&バートンとのコラボレーションで誕生した、オリジナルブレンドの「エバーラスティング ストーリー」。チョコレートフレーバーを隠し味にした、ここでしか味わえないフレーバーティーもぜひ堪能してみてくださいね。駅舎創建当時のままの高い天井と大きな窓を持つヨーロピアンクラシックの落ち着いた雰囲気の中、時には贅沢に、アート鑑賞の余韻に包まれながら極上のスイーツを楽しんでみてはいかがでしょうか。「東京ステーションギャラリー」では、7月20日まで、北陸新幹線開業記念として 「没後30年鴨居玲展踊り候え」が開催中。自己の内面を掘り下げた精神性の高い作品を描き続けた金沢出身の画家、鴨居玲。油彩の代表作をはじめ、素描、遺品など約100点を一堂に展示し、その画業を回顧しています。
2015年07月01日タレントの菊川怜、映画監督の松江哲明、映画評論家の松﨑健夫が18日、東京・港区のWOWOW本社で行われた、ドキュメンタリー映画『もしも建物が話せたら』の特別試写会に出席した。国際共同制作プロジェクトとなる本作は、6人の監督によるオムニバス・ドキュメンタリー作品。独自の視点を持つ監督たちが、建物と社会の関係性に迫る内容で、建物からのメッセージが“一人称”で語られていく。映画は、5月16日13時から前編、23日13時から後編を放送する。東京大学工学部建築学科卒業の菊川は、「建物が語る映画を初めて見てビックリ。人がどういう風に使うかは考えたことがあるけど、建物からの視点に衝撃を受けました」と感想を。その中でもお気に入りは、米・サンディエゴのソーク研究所だそうで、「青空に映える建物で、構造もシンプルで綺麗」と語ったが、ノルウェーのハルデン刑務所が話題に上がると、「きれいでしたね。入りたくなりました」と衝撃発言で笑わせていた。また、「歴史的なものを改修したり、人によって建物は変化していく。今は、何でも壊す時代ではないし、使われてこその建物なのかな」と熱弁した菊川。最後は、『もしも建物が話せたら』で見たい建物について、建築家の辰野金吾らが設計し、開業100周年を迎えた東京駅を挙げ、「歴史もあるし、人間もたくさん集まるので面白いと思う。そこにある人間模様とか、"人間交差点"的なドラマが起こってるんじゃないかな」と目を輝かせていた。
2015年04月19日佐賀県はこのほど、森永製菓がJR東京駅 GRANSTA(グランスタ)内に期間限定で開店した『Hi-CROWN 2Tsubo Shop』(ハイクラウンふたつぼショップ)とコラボレーションし、有田焼や同県産食材を使ったコラボチョコレートの販売を同店にて開始した。『Hi-CROWN 2Tsubo Shop』は、森永製菓が「森永ハイクラウンチョコレート」発売50周年を記念して10月27日~12月7日まで展開する期間限定ショップ。このほど、日本磁器発祥の地(有田町)や、日本の茶栽培の発祥の地(吉野ヶ里町)など、日本の名産品の発祥地を県内に持つ佐賀県と、日本で初めてチョコレートをカカオ豆から一貫製造した森永製菓がコラボレーション。森永製菓創業者で、日本の「菓子王」と呼ばれた森永太一郎氏は佐賀県伊万里市の出身でもあるなど、両者の縁は深いという。コラボレーション商品は4種類。「ハイクラウン東京」は、同県出身の建築家・辰野金吾氏がデザインした東京駅が描かれた有田焼に、森永製菓の新商品「ハイクラウン50周年アニバーサリー」8種類をセットにした。有田焼は、香蘭社が手掛け、100個限定で販売する。価格は1万円。「ハイクラウン東京マンディアン」は、有田焼の窯元・福泉窯が手掛ける有田焼の器に、同県産の白石レンコンやいちじくなどをトッピングした。購入した人には「嬉野 深蒸し緑茶」をプレゼントする。価格は2,300円。開業100周年を迎える東京駅をモチーフにした、三段重ねのお重も販売する。有田焼の窯元・福泉窯の職人が一段一段デザインし、「完全受注」で生産する。ハイクラウンその他の菓子付き。価格は32万8,000円。その他、同店で販売する棒付チョコレート「ロリポップ」(8種類)の中に、同県産のさがほのかを使用した商品も登場する。価格は280円。また、近隣のはせがわ酒店東京駅グランスタ店には、"チョコ"と"おちょこ"のコラボ「おチョコ BAR」が登場する。ハイクラウンチョコレートに合う同県の日本酒をはせがわ酒店が選び、チョコレートと日本酒という今までにない新しい組み合わせを提案する。ハイクラウンと日本酒3種類を楽しめる「おチョコ BAR セット」は600円。販売は11月30日まで。※価格はすべて税別。
2014年11月04日鉄道博物館(埼玉県さいたま市)は11月22日から、東京駅開業100周年記念の特別企画展「100年のプロローグ」を開催する。今年12月20日に開業100周年を迎える東京駅の、開業に至るまでの変遷を写真と資料を通して振り返る。1872(明治5)年、日本最初の鉄道が開業した際は新橋停車場が起点となり、東京から西日本へ向かう路線のターミナルとして成長した。その後、方面別に上野・飯田橋・両国橋といったターミナルが開設され、それらを集約する形で中央停車場(現在の東京駅)の建設が計画され、1914(大正3)年に完成したという歴史がある。当時、国内では都市部での高架鉄道の建設経験がなく、ドイツ人技師が高架鉄道の設計指導と中央停車場のレイアウト・建築の提案を行い、明治建築界を代表する建築家の辰野金吾が、そのレイアウト案をもとに壮大な駅舎を設計した。今回の企画展では、中央停車場開業前の各ターミナル駅や、後に建設された高架鉄道の古写真、辰野金吾設計による丸の内駅舎の完成予想図など、数々の興味深い資料を展示。中央停車場設計時に作成された図面「中央停車場西立面図」も初めて公開する。会期は2015年2月16日まで。一般1,000円、小中高生500円、幼児200円の入館料のみで観覧できる。
2014年10月23日以前、日本らしさを感じる地域に関するアンケートを行いましたが、今回は歴史を感じる場所についてです。都内に限定すると回答もかなり絞られてくる気がしますが、実際はどんな回答になるのでしょうか。ということで、日本在住の外国人20名に、「浅草、秋葉原、池袋、東京駅(丸の内)、六本木、お台場、銀座」などのエリアを示し「東京都内で最も"歴史を感じる"場所は?」と質問してみました。■浅草(トルコ/30代前半/女性)■浅草(ロシア/20代前半/女性)■浅草(タイ/30代後半/女性)■もちろん浅草です。(フィリピン/40代前半/女性)■浅草(ドイツ/40代前半/女性)■浅草です。(中国/20代後半/女性)■浅草(台湾/40代前半/男性)■浅草です。(韓国/40代後半/男性)■浅草(スペイン/30代後半/男性)■浅草(アメリカ/20代後半/男性)■浅草(アルゼンチン/30代前半/男性)■浅草がもっとも歴史的だと感じています。(マレーシア/30代前半/男性)■浅草(スウェーデン/40代後半/女性)■浅草(ペルー/30代前半/男性)■浅草(イスラエル/30代後半/女性)■浅草(オーストラリア/40代前半/男性)圧倒的多数を占めたのは浅草。予想通り、日本の歴史を感じる場所として認識されているようですね。奈良時代からすでに浅草寺の門前町として発展したという、記述が残る由緒ある土地。江戸時代になると、浅草御蔵(蔵前)に米蔵が設置され札差(商人)が登場したことで近辺に大富豪が集まり、東京随一の繁華街としてにぎわうようになりました。新吉原遊郭や芝居小屋でにぎわった時代、演芸場や松竹の映画館などが進出した明治時代と時代ごとの盛り上がりを経て、今もなお寺社仏閣や商店街、和食専門店などの佇まいから江戸の下町情緒を感じることができる場所です。■丸の内、銀座(イギリス/20代前半/女性)■銀座です。(ブラジル/20代後半/男性)■東京駅です。(ベトナム/30代前半/女性)和の歴史を感じる場所が浅草なら、銀座や丸の内は日本の近代化以降の歴史を色濃く残す地域でしょう。赤レンガ造りの丸の内口駅舎を持つ東京駅は、辰野金吾らが設計し1914年に開業。皇居の正面に建設され皇室専用の貴賓出入口がつくられるなど、国家の象徴的な位置づけがされている駅です。この東京駅を含む丸の内は、1800年代後半から現在まで東京のオフィス街として発展してきました。1894年丸の内初のオフィスビルとして竣工した「三菱一号館」を中心に、ロンドンのロンバード街に倣った赤れんが街「一丁倫敦」があった場所でもあります。この三菱一号館は2009年に再建され「丸の内ブリックスクエア」としてオープンしたので、イギリスの方からすれば自国の歴史を感じる場所なのかもしれませんね。■池袋だと思います。(チュニジア/40代後半/男性)日本らしさのアンケートでは浅草を挙げておられた方ですが、こちらは池袋。日本の伝統や歴史感は薄い土地という印象だけに、自国の歴史を想定されているのかも。池袋はインドやチュニジアなど多国籍料理レストランが多い地域ですが、その関係の方なのでしょうか。何か独特の歴史感がありそうです。歴史を感じる場所、と言ってもいろいろありますよね。日本人の私たちであれば、示されたエリア以外の場所も想像できるはず。海外の方々と同じになるか、それとも違うのか…一度考えてみてはいかがでしょうか。
2014年10月09日九州の中でも控えめでおっとりした県民性だと言われる佐賀県人。そんな佐賀県がくまモン人気に影響を受けたのか、独自のゆるキャラを生み出し、そのキャラクターを駆使してご当地グルメを大々的にアピールしているという。早速突撃取材を試みた。そのキャラがいる場所は、佐賀県唐津(からつ)市。そう!佐賀市の西北に位置し、あの伝統工芸品「唐津焼」で有名な焼き物の町である。この町の頭文字をとって名付けられたのが、唐津城のイメージキャラクター「唐ワンくん」。唐津を一つにというスローガンを体現して、「唐ワン(一)」というネーミングという。この唐ワンくん、唐津城築城400年を記念して、2008年に誕生した。熊本県のくまモンのようなインパクトはないが、優しい笑顔が印象的な犬のキャラクター。きりりとした紫のかぶとをかぶっているのも特徴で、しつこさがなく上品な雰囲気のキャラクターである。ちなみに、かぶとにもいわれがある。唐津藩最後の藩主、小笠原長行(ながみち)のかぶとなのだ。今、このゆるキャラ「唐ワンくん」が熱烈にPRしているのが、唐津市の「唐ワン伽哩(カリー)」だ。佐賀県のご当地グルメといえば、シシリアン・ライスくらいしかなかった。そこで、この唐ワン君を旗振り役に唐津市が街をあげて応援しているのが、この唐津市の食材を駆使したオリジナルカレーなのだ。それにしても一体なぜ唐津焼のふるさとで、カレーなのか?どう考えても焼き物とカレーは結びつかないのだが、実は佐賀県は、一世帯あたりのカレールゥ消費量が全国1位だというのだ。この2008年度の総務省家計調査の結果を受け、唐津市では「唐ワン伽哩」企画を立案。日本で初めてカレーを食べたとされる教育者・山川健次郎(1854年~1931年)が、唐津出身の建築家・辰野金吾の義弟というご縁もあり、開発を進めてきたらしい。「唐ワン伽哩」を提供している市内の飲食店は、目印に黄色ののぼり旗を掲げている。店のカレーが「唐ワン伽哩」であるか否かの判断基準は、「カレーの中に1品以上唐津産の食材を入れること」などの3カ条が守られているかどうか。登録料3,000円を支払うと、販促ツール(=のぼり旗×1本、ランチョンマット×100枚、卓上POP×5枚)をもらえるので、それを使って各点イメージを共有してこのご当地グルメをPRしていくのだ。つまり広告フレームさえ統一すれば、あとは各店舗が自由にアイデアカレーを「唐ワン伽哩」として展開できる。この、ゆるい縛りが実に佐賀県らしい。参加第1号店として有名な、同市新興(しんこう)町の「檸檬樹(れもんじゅ)」を訪れてみた。この店では、パンを器にしたカレードリア(800円)で、焼きカレーやキーマカレー、カレーパン など多彩な味わいが楽しめる。早速、ユニークさで異彩を放つカレードリアをオーダーしてみた。字面を追うと、食パンの上にカレーが塗られているだけだと思うかもしれない。しかし違うのだ。焼きたての食パンの中央がくりぬかれており、カレードリアを盛る器として改造されているのだ。その焼きパンで作った入れ物の中に、あつあつのドリアがずっしりと盛り付けられている。つまり、器まで食べられるカレー。初の体験である。オーナーは「唐津の食材にこだわりました。うちの料理が地域活性化に役立てられれば」と話す。店舗には「唐ワン伽哩3カ条」なる、事務局のただし書きが飾られていた。読んで思わず、ほのぼのとする、3カ条である。一カレーライスの他、麺やパンにするも良し!二必ず、一品以上、唐津市の食材を入れるべし!三唐津ならではの、店主のこだわりを入れるべし!この優しさ。ストイックだが決してヒステリックにならないただし書きに、佐賀県らしいがにじみ出ている。地域の人々への愛情あふれる3カ条といえよう。このゆるーい縛りでそれぞれの店舗の魅力を最大限に発揮した「唐ワン伽哩」、唐津へいらした際にはぜひご賞味あれ! ●information檸檬樹(れもんじゅ)唐津市新興町2936-7【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月30日NEXCO中日本とグループ会社である中日本エクシスは、運営する中央自動車道辰野パーキングエリア(上り線)を11月27日にリニューアルオープンする。同パーキングエリアは、上り線において10月から改良工事を行っていた。このほど、テナントに新しく信州らーめん「麺屋 龍王」が登場。信州らーめんの発信地として生まれ変わる。新しいラーメン店は、塚田兼司氏監修の個性的なラーメン各種に加え、丼類や各種定食も数多く取りそろえる。濃厚豚骨じょうゆをベースとした名物「肉玉ラーメン(750円)」は「日本一ご飯に合うラーメン」を目指して開発。ガッツリ系ラーメン「辰次郎(たつじろう、850円)」は、こってりスープにたっぷり野菜を乗せて仕上げた。さらに、スタミナたっぷり「豚玉丼」や「山賊丼」などの丼ものや、「山賊焼定食」「焼肉定食」などの定食も用意する。辰野パーキングエリア(上り線)は、11月27日の6時オープン(予定)。店舗営業時間は、6時~22時。年中無休。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月21日東京都千代田区のJR東京駅丸の内口駅舎の復元、保存工事が終了し、約100年前の東京駅の開業当初の姿を取り戻した。6月から駅の1階部分など順次開業がしていたが、10月1日にグランドオープン(全面開業)となる。JR東京駅丸の内口駅舎は大正3年(西暦1914年)に完成。当時から繁華街であった京橋側に作らず、皇居に面した丸の内口につくるなど、駅機能としての実用面のみならず、象徴的な意味もあった建築物だ。平成9年に関東の駅百選、平成15年には国指定の重要文化財に指定された。駅舎の設計は明治、大正と日本の建築界をリードしてきた辰野金吾だ。辰野金吾はこのほか、日本銀行本店や旧岩手銀行本店本館、大阪市中央公会堂、旧第一銀行神戸支店、旧大阪教育生命保険などを設計。赤レンガに白のラインをほどこした建築様式に特徴がある。辰野金吾はジョサイア・コンドルに学んだことでも知られる。ジョサイア・コンドルは明治10年から来日し、三島由紀夫の戯曲や芥川龍之介の小説で知られる鹿鳴館や、上野の旧岩崎邸庭園洋館、北区にある旧古河庭園などを設計したほか、日本の建築家を育成した。丸の内口駅舎は太平洋戦争終戦直前の昭和20年5月、東京大空襲により焼夷弾が着弾、多くの建造物が破壊された。終戦後に規模を縮小して修理され、屋根の小屋組みは5年くらい持てば良いという考えで応急処置的に修復された。その後60年以上にわたり本格修理できないままとなっていたが、平成11年に本来の姿に復元することが決まった。平成19年に復元工事を開始。現存している駅舎の外壁など、可能な限り保存、活用して外観を創建当時の姿に再現しつつ、機能を拡大。さらに巨大地震に備える工事がなされた。平成23年には屋根材に使用予定だった宮城県産の天然スレートの一部が東日本大震災の津波で被害を受けるなどの障壁を乗り越えてのグランドオープンだ。10月3日には駅舎内の東京ステーションホテルも開業する。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年09月27日JR東日本は3日、中央線神田~御茶ノ水間にある旧万世橋駅の遺構を整備し、公開することを発表した。旧ホーム部では展望カフェや屋外デッキを整備し、高架下のアーチ内部空間では商業施設を展開。2013年夏の開業を予定している。万世橋駅はいまから100年前の1912(明治45)年に開業。駅舎は辰野金吾氏の設計(辰野氏は東京駅丸の内駅舎の設計に携ったことでも知られる)で、当時は中央線の一大ターミナルとしてにぎわったという。同駅は中央線が東京駅まで延伸された後、1943年に営業を休止したが、赤レンガ高架橋や旧ホーム部、階段は現在も残っている。JR東日本は現在、旧万世橋駅付近の交通博物館(鉄道博物館への移転にともない2006年に閉館)跡地にて、「JR神田万世橋ビル」の建設工事を進めており、街のさらなる魅力向上をめざして同駅の遺構を整備・公開することに。旧ホーム部に屋外デッキと展望カフェを設置し、2カ所ある階段の遺構を活用することで回遊性のある施設になるという。高架下においては遺構と一体となった商業施設を展開するほか、神田川沿いに親水デッキを設置し、新たな水辺の風景を創出。周辺環境との調和も図る。「JR神田万世橋ビル」の竣工は2013年1月、続いて春以降に万世橋高架下開発が完成、夏に旧万世橋駅遺構整備が完成する予定となっている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月04日東京駅丸の内駅舎の復原工事が仕上げの段階に入ろうとしている。大正3年当時の本来の東京駅が姿を現し、今年10月に完成する。その工事現場の活気と、東京駅に集まる人々の雑踏を感じつつ、100年前から始まる東京駅の歴史に想いを馳せてみよう。小説『東京駅物語』(1996年刊。文春文庫版にて発売中)は、明治35年から昭和21年までの東京駅を描いている。東京駅の開業は1914(大正3)年。『東京駅物語』はそれより前の明治35年から物語が始まる。第1話の主人公、立花新平は横浜の実家を飛び出し、東京にやって来た。パン職人として働こうと思っていたところ、鉄道好きの娘と出会う。第2話は開業7日後の東京駅待合室が舞台。主人公は女流歌人。東京の暮らしに疲れ、実家に帰ろうとしながらも決心できずにいたとき、たまたま居合わせたパン職人の男に話しかけられる。第2話に登場するパン職人は、第1話の主人公、立花新平だ。同作品は全9話の短編集で、それぞれの話は独立しているけれど、ある話の主人公が、別の話では脇役として登場する。東京駅の時の流れの中、登場人物同士の縁がもつれ、ほぐれていく。読み進めながら、この人物は別の話の誰かだな、などと縁を追っていく楽しさもある。立花の下宿の主人である左官職人が塗った東京駅待合室の壁を、別の話で同業者が見物に来るなど、緻密で遊び心のあるしかけも楽しい。このように、ある場所に居合わせた登場人物それぞれにスポットを当てるスタイルを「グランドホテル形式」という。1932年のアメリカ映画『グランドホテル』がその名の由来だ。近年の日本映画では、『THE 有頂天ホテル』『ハッピーフライト』がグランドホテル形式の作品。小説では北方謙三氏の『ブラディ・ドール』も該当するだろう。『東京駅物語』のおもしろさは、グランドホテル形式に時間の経過を加えたところ。各話の主人公の後日談が、以降の話で描かれる。出会い、別れ、恋愛、友情、裏切り、憧れ、親子の情愛などが東京駅で繰り返される。別々の人生を歩んでいるようで、じつはつながっている。登場人物たちはお互いに気づかないまま、物語は終わる。すべてを知るのは読者と、丸の内駅舎のドームだけ。いまも、そしてこれからも、東京駅を訪れる誰もがそれぞれのドラマを持っている。他人だと思ったら、じつは縁があるかもしれない。東京駅を訪れるとき、もしかしたら自分もこの物語の登場人物たちとつながっているかも……。そう考えると楽しい。その意味で同作品は、未来永劫続く「東京駅物語」の序章ともいえるだろう。1890年代、東海道本線の新橋駅と、日本鉄道(後の東北本線)の上野駅を結ぶ高架鉄道が計画された。東京駅はその途中駅で、国を代表する中央駅として建設。設計は辰野金吾事務所で、その名は同作品にもある。登場人物に辰野事務所と、そのライバル、宍戸肇事務所の設計士たちもいる。誕生時の東京駅の構造は、乗車口ひとつ、降車口が汽車用・電車用にひとつずつ、そして皇室用の乗降口がひとつあったという。開業時の丸の内側は広大な野原であった。こういう情報は、資料をひも解けば書籍や鉄道雑誌の記事など、いくらでも見つけられるだろう。同作品では、登場人物が「乗降口と降車口が別なんて不便」と言っていたり、「三菱が原」と呼ばれた野原に少しずつ建物が増えたり、新しいビルの前に行き倒れがいたり、着物から背広に着替えて闊歩する詐欺師がいたりする。人間模様を描きつつ、当時の人々にとっての旅や東京駅に対するの価値観が描かれていて、興味深い。東京駅の建設当時、旅はまだ徒歩が主だったようだし、通勤も徒歩圏内。時代が進むにつれて、移動が汽車になり、電車に変わっていく。こういう描写によって、鉄道ファンにとって資料としての存在だったかつての東京駅を、生き生きとした生活空間として疑似体験できる。小説という、想像力を刺激する作品ならではのおもしろさだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月13日