米アラスカ州アンカレッジで3月24日、凍った川から犬を抱いた女性の遺体が発見された。地元ニュースサイトAnchorage Daily Newsなどが報じている。見つかったのは、救急と小児ホスピスで看護師を務めていたアマンダ・リッチモンド・ロジャースさん(45)。昨年12月23日の結婚18周年記念日に、夫のブライアン・ロジャース医師と2匹の愛犬と共にノース・フォーク・イーグル川沿いを散歩していたとき、グルートと名付けられた飼い犬の1頭が川に張った氷を踏み抜いて落ちてしまった。アマンダさんはグルートを助けるため、ためらうことなく川に飛び込んだという。氷の下ではなかなかグルートを見つけることができず、アマンダさんは一度水面に顔を出した。ブライアンさんは「もう行くな」と叫んだが、彼女はグルートを探しに再度氷の下へ潜り、その後上がってくることはなかった。アラスカ潜水捜索救助チームは懸命にアマンダさんを探したが、捜索は12月29日に打ち切られていたと、NBCは報じている。3月初めには、遺体が見つからないままお別れの会が開かれた。ロジャースさん夫妻には4人の息子がおり、長男は20代、四男はまだ10歳。次男のリアムさん(17)は「母はとてもユニークで特別な人でしたから、神も天国で彼女に会うのが待ちきれなかったのでしょう。僕は神を責めません」とスピーチし、出席者の涙を誘ったという。アマンダさんが川に飛び込んでから約3カ月。ノース・フォーク・トレイル沖で通行人が犬を抱いた女性の遺体を発見し通報。アラスカ検視局によって、遺体はアマンダさんであることが確認された。ブライアンさんは「アマンダは子どもたちと同じくらい犬を愛していました。妻は“ただの犬“ではなく家族の一員を助けるために飛び込んだのです」とAnchorage Daily Newsにコメントした。
2024年04月01日掃除は大変でした」きみ子さんは、ときに仕事とはまったく無関係な長電話に付き合うこともあるという。「関東に住む、30代と思しき女性からでした。幼いときから関係が悪く交流の途絶えていたお母さんが、急逝したと連絡が来て、彼女は直葬で済ませたんだそうです。でも『ずっと引っかかってる』と言ってました。『戒名もつけてあげなかった』『ちゃんとしたお葬式を出してあげられなかった』と」いしはら葬斎のホームページを見て、自分の胸の内を聞いてほしくて電話をかけてきたという。涙ながらに語る女性に、きみ子さんは優しく、こう諭したという。「いいんじゃない、別に戒名はつけなくても。それで困って戻ってきたって人、私は見たことないもの。それよりも、ずっとわだかまりがあったお母さんを、あなたはきちんと送ってあげた。そっちのほうがずっと大事。偉かったわね」電話の向こう側では女性の啜り泣きが長い時間、続いたという。連日のように、人の死と向き合う石原さんたち。「正直言うと、それぞれの詳細はあまり覚えていないの」ときみ子さん。「引きずらないことが、この仕事を続けるコツなのかも」とも。だが昨年末、引きずらないはずのきみ子さんの胸を、いまなお締めつける、そんな仕事があった。「遠方から車でこっちに来て、自殺してしまった男性がいて。彼のことを迎えにきたご両親と会ったんですけど……。親御さんたちの姿を見ていたら、もう……」朗らかに、インタビューに応じてきた彼女の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。「いつもどおり出て行った息子が、変わり果てた姿で見つかったわけだから。ご両親、警察から引き取った車をそれは丹念に調べたそうです。そうしたら、ドライブレコーダーに、彼の足取りや最期のようすが鮮明に映っていたと……」人生最後の日、彼は大好きな祖母とよく訪れた店にランチに立ち寄るなど、思い出の場所を巡っていた。やがて、いわき市に入った車は、遺体が発見された駐車場へ。目元を拭い、きみ子さんは続けた。「彼は車内で練炭をたいて命を絶ってしまったんですが。ドライブレコーダーには、彼が車窓に淡々と目張りをする様子まで残っていたそうです。それを見たというお母さん、誰に向けてでもなく、絞り出すように言ったんです。『このとき、あの子はどんな気持ちだったの?』って。それ聞いて私、一緒に泣くことしかできなくて……」それまでも、一人さみしく自死した人を、何人も送ってきた。「自ら死を選ぼうとする人に向かって『頑張れ』と言うのは、酷なこととはわかってますけど……」こう前置きしながら、きみ子さんは言葉を継いだ。「自分で選んで、そして逝くことができたってことは、神様の許しが出たってことかもしれないですよね。でもね、あのときのお母さんの、打ちひしがれた姿を見たら、息子さんに『そんな勇気があるのなら』って言ってやりたくなった。『どうしてなの?』って、どうしても思ってしまうんです……」自身も3人の子の母であるきみ子さん。潤んだ目で語るその表情は、すっかり母の顔になっていた。■「震災のご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」創業から1年ほどたった2011年3月11日に発生したのは、多くの人にとって忘れ難い出来事となった東日本大震災。それは、石原さん夫妻にとっても、同じだ。いわき市を襲った地震は震度6弱を観測したものの、石原さんたちのいた好間地区の被害は比較的軽かったという。石原さんたちは、震災翌日からドライアイスを遺体安置所となった総合体育館に運び込むなど仕事を再開。そして、いしはら葬斎では震災の犠牲となった4人を弔うことになった。そこには、孤独死の遺体を見送るときとはまた違った二人の気持ちが込められていた。それは「なんとしても家族のもとに返してあげたい」という、祈りにも似た思いだ。発災から間もない3月下旬から4月上旬にかけて、犠牲となった女性3人の火葬を任された。「思い出すと、いまも涙が出てくる」と充さんは目頭を押さえ語り始めた。「瓦礫の下から発見されたご遺体でした。しかも、亡くなってから、日数も経過していた。それなのに、うちがお預かりしたとき、体は傷だらけで、髪は砂まみれでも、お顔だけは驚くほどきれいだった。3人が3人とも、そうなんです」充さんは、彼女たちの一念が起こした奇跡のように感じていた。「きっと、離れ離れになってしまった家族に向けた『早く見つけて、私はここよ』という強い願いが、お顔だけは状態のいいままで見つけさせたんだな、そう思いました。私が常々『生きてる人と同じ』と考え、ご遺体と接しているのも、そういう経験があるからなんです」翌年にも犠牲者を一人、送った。きみ子さんが振り返る。「震災から1年ほどたって、やっと少し落ち着いてきたころ。警察からの連絡で、市の沖合で見つかったご遺体を預かったんです」海中を1年間も漂っていた遺体。さすがに身元はすぐには判明しそうになかった。充さんが続ける。「そのご遺体に手足はなく、顔の形もすっかり崩れていた。警察はDNAを鑑定し、被災各地の不明者情報と照合する作業をしていましたが、うちに来たときはまだ、どなただかわからない状況でした」身元がわからないまま、この犠牲者を火葬した。それから、およそ半月後。市役所から連絡が入った。きみ子さんは、12年も前のことを振り返りながら、まるで昨日のことのように顔をほころばせた。「ご遺体の身元が判明したんですよ。宮城の南三陸で津波に遭い流されてきた人だと。それを聞いて、私と夫はもちろん、いっしょに収骨してくれた火葬場の職員さんたちもみな、感激して泣きましたよ。『よかった、これでご家族のもとに帰れるね』って。姿形はすっかり変わってしまっても、帰るべき場所に帰ることができて、故人様はきっと、幸せだったと思います」■「私たちには“お墓”はいらない。」「みながみな、直葬や家族葬にする必要もないとは思います。でも、子どもの数も減り、コロナ禍も経て、家族の形もどんどん多様化した現代に、私たち世代や上の世代のいう『一般的な葬儀』とか、『ちゃんとしたお葬式』という考え方にとらわれるのは、もうあまり意味がないと思いますよ」きみ子さんはこう話す。石原さん夫妻が過去に立ち会ったなか、もっとも理想的と思えた葬儀。それは伝統やしきたりに縛られない故人の送り方だった。「奥様を亡くされた70代のご主人が喪主を務めたのですが、考え方がとても現代的で。『戒名も読経も墓も不要、家族でにぎやかに送れれば、それでいい』と。その葬儀は、本当に印象的でした。参列したご家族、みなさんがゆったりと時間を過ごしながら、笑顔で故人様をしのぶ、温かな家族葬でした」取材の最後、石原さん夫妻の思い描く「自分たちの最期」を聞いた。語られたのは案の定、一般的でもなければ、伝統やしきたりも度外視した最期だった。「私たち、献体するって、結婚当初に決めたんです」きみ子さんは愉快そうに笑った。「私も夫も、子どもはいますがどっちも当てにはならないし、当てにもしたくない。二人で『お墓なんていらないもんね』と話をして。それで。献体を申し込んだんです。お骨はみなさんと一緒の永代供養墓に納められることになってます」インタビュー中も、事務所の電話はひっきりなしに鳴った。夫婦二人だけの小さな葬儀社は、今日も、開いている。どんな最期を迎えた人でも、受け入れるために。「はい、いしはら葬斎です」(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日誰にもみとられず、自宅などで亡くなる人は年間約3万人もいるという。また総務省によると、2018年4月からの約3年で、遺体の引き取り手がなかった死亡者は10万5773人にも上った。けっして、珍しいものではなくなった孤独な死。そうして亡くなった人に寄り添い続ける葬儀社が福島県いわき市にある。いしはら葬斎。夫婦二人だけの小さな葬儀社の電話は今日も鳴りやまない。(全2回の1回目)■「おつかれさまでした」。孤独な遺体を見送る夫婦「この人はAさん。まだ70代前半なのよ。早すぎるよねぇ」線香を上げ、手を合わせていた石原きみ子さん(63)は柔らかな笑みとともに振り返ると、まるで懐かしい知人でも紹介するように、棺の中の男性について説明した。どこの家にもありそうな和室の8畳間。ようすが少し違っているとすれば、凍えるほど室温が低いことと、防臭剤の独特な香りが立ち込めていることぐらいだろうか。「普通に眠っているみたいな、きれいなお顔をしているでしょう」棺をのぞき込むと、きみ子さんは「あっ」と小さく声をあげた。「お父さん、Aさんのお顔、やってあげて。お口からちょっと、よだれかな、出てきちゃってるから」声をかけられたのは夫の充さん(68)。「どれどれ」と棺の脇にしゃがみ込むと、小さな道具箱の中から脱脂綿を一つつまみ出し、丁寧にAさんの口元を拭い始めた。石原さん夫妻は、福島県いわき市で小さな葬儀社「いしはら葬斎」を営んでいる。Aさんが横たわっていたのは、この葬儀社の遺体を安置しておくための部屋だ。もともと、二人は大手の葬儀社に勤めていた。立派な祭壇にたくさんの花、大勢の参列者に豪華なお斎(食事)……見栄えのいい葬儀は、当たり前のように高額の料金が設定されていた。そんな葬儀を間近で見てきたきみ子さんは「もっと安価にできないのか?」と長年、疑問に思ってきた。そして、充さんを巻き込むようにして’10年、独立を果たした。以来、スタッフは夫婦二人だけ。だから、余計な人件費はかからない。祭壇や香炉台などは、手先の器用な充さんがホームセンターや100円ショップで材料を調達、自作した。徹底的にコストを抑えた結果、破格の料金の家族葬を実現、提供してきた。すると、思いがけないことに、地元市役所や警察署から、ちょっと“訳あり”な葬儀の仕事が舞い込むように。多くに共通するのは、ひとりきりで最期を迎えた、いわば孤独死した人たち。一般的な葬儀は行われず、石原さんたちが預かった遺体は火葬場に直接運び込まれる、いわゆる「直葬」だ。いま、目の前に横たわるAさんも、じつは直葬で旅立つ一人。そのAさんを気遣うようにして、きみ子さんは声をひそめ、話した。「彼は生活保護の受給者でした。病院で亡くなったけど、誰もいないんです、お身内の方が一人も。だから、火葬の日もAさんを見送るのは、私たち二人だけなんです」Aさんのように、荼毘に付され骨になるそのときすらも立ち会ってくれる者が誰もいない、そんな人は少なくない。充さんは言う。「本当に身寄りがない人もいますが、なかには家族や親族が見つかった人もたくさんいました。でも、役所や私たちが連絡をとると『関わりたくない』と、参列を拒まれることも。というか、最近ではそんな人ばっかりです。だから、多くの場合、火葬場で私たち二人だけで故人様をお見送りするんです」遺体が火葬炉に入れられるとき、二人はそれぞれ、こんなふうに言葉をかけるという。きみ子さんは優しい母のようなまなざしで、「たいへんだったね、頑張ったね。お見送り、私らだけでごめんね。でも、幸せに逝ってね……」いっぽう、充さんの手向けの言葉は、いつも決まって「おつかれさまでした」。「大往生だろうと、若死にだろうと、世知辛い世の中を、そのときまで生き遂げたのは間違いないんです。だから、私は故人様、みなさんに『おつかれさまでした』と」創業からまる14年。独立の1年後に発生した東日本大震災の犠牲者も含め、これまで2千人近い人を見送り続けたきみ子さんと充さん。そう、ここはどんな遺体も温かく迎え入れ、寄り添い、そして送ってくれる。そんな不思議な、小さな葬儀社だ。■「葬儀社、やっから」。妻の一言で脱サラが決まった「私は生まれも育ちも、ここなんです。じつはここ、もとは私の母の実家だったんですよ」いわき市の好間地区にある葬儀社の事務所で取材を始めると、きみ子さんはこう言ってほほ笑んだ。きみ子さんは1961年に生まれた。地元の高校を卒業後、バス会社に就職し、バスガイドになった。「5年間、双葉郡浪江町の営業所に、寮生活しながら勤めました。その間だけです、地元を離れたのは。その後、女性司会者を養成したい地元の結婚式場に『バスガイドなら人前で話すの、得意だろ』と誘われ、転職したんです」転職先で知り合ったのが、最初の夫。きみ子さんは23歳のときに結婚し、男の子3人をもうけた。しかし、その結婚生活は10年で幕を閉じ、33歳で離婚。「ずっと専業主婦でしたが、前の夫が『もう、結婚式場が繁盛する時代じゃない』とよく話していたんです。『この先は葬祭場の時代だ』とも。それを覚えていたので離婚後、葬儀社に職を求めたんです」そこで出会ったのが、やはりバツイチだった充さんだった。やがて二人は再婚。このとき、きみ子さん38歳、充さん45歳。再婚後、充さんが葬儀社でのキャリアを重ねるいっぽう、きみ子さんは退職し、高齢者施設で調理の仕事を見つけ働いていた。そんなある日、きみ子さんは葬儀社時代から顔なじみの写真館の店主に、こんな話を聞かされる。「ご主人、中間管理職だろ。なんか、大変そうだ、上司と部下の板挟みで、いつも疲れた顔してるぞ」夫の身を案じたきみ子さん。ちょうど同じころ、ニュース番組が報じたある事件に目を止めた。「お金がなくて葬儀代が出せないばっかりに、亡くなった妻の遺体を庭に埋めた男性が、死体遺棄の容疑で逮捕された事件でした。それを見て改めて思ったんです。『そんなにお金かけなくても、葬儀はできるんじゃないかな』って」その瞬間、きみ子さんのなかで「夫を会社勤めのストレスから解放してあげたい」「もっと安価な葬儀を実現したい」、この2つの思いが掛け合わさった。「そうだ。だったら二人で新しい葬儀社、始めればいいんだ!」きみ子さんいわく「そこからは、起業のノウハウを猛勉強、二人で独立の準備に奔走した」という。ところが、妻の話を横で聞いていた夫は苦笑いを浮かべていて。「いえいえ、全部妻がひとりで勝手に決めてしまって。私は『会社、辞めたい』なんて一言も。それに、このかた、勉強もなんも……、ただただ私に『葬儀社、やっから』って。それだけですよ(苦笑)」夫のこの言葉に、妻は笑顔をはじけさせた。「あれ、そうだったっけ?ま、私としては、夫の経験さえあれば、どうにかなんだろって(笑)」こうして2010年2月1日、小さな葬儀社「いしはら葬斎」は、その産声をあげたのだが。起業したものの、仕事はなかなか入ってこない。充さんはひたすら事務所で電話番。きみ子さんは居酒屋のアルバイトをして、糊口をしのいだ。■生活保護者の「福祉葬」から行政とのつながりが……最初の依頼が舞い込んだのは、その年の6月。バイトの合間にきみ子さんがせっせと配ったチラシを目にした人からの電話だった。「隣町の市営住宅に暮らす年老いたご両親と、別棟に住む子供さんたち家族。その、70代後半のおばあさんが病院で亡くなって。『自宅に連れて帰って、家族葬をしてあげたい』、そんなご依頼でした」石原さん夫妻は、早速仕事に取り掛かった。遺体を病院から自宅に搬送し、棺に寝かせると、祭壇を飾りつけた。先述した、充さんお手製の祭壇だ。この、初仕事となった家族葬、二人にとって印象深いものに。しみじみとしたようすで、きみ子さんは述懐した。「決して広いわけではないご自宅に、お子さん、お孫さんたち大勢が集まって。お孫さんには『おばあちゃんにお化粧してあげて』と言って、ご遺体と触れ合ってもらったり。そうやって、手をかけたほうが、ご遺族もちゃんと思い出に残るし、故人様も幸せにお別れできると思うんです。もちろん、涙ハラハラなシーンはありましたけど、とてもにぎやかに、ご家族の多くが、笑顔でおばあちゃんを送り出していた。『こういう葬式もいいもんだね』って言っていただけました」好評の理由をきみ子さんは「ご遺族をお客様扱いしなかったからかな」と分析した。充さんも言う。「うちでは、ただ参列すればいいって葬儀はやりません。私ら葬儀屋は送る手伝いをするだけ、あくまでも主役は、ご家族なんです」初仕事から1カ月ほどたった夏のある日、別の市営住宅で息を引き取った男性の葬儀を引き受けた。その打ち合わせのなかで、故人の弟から「兄は生活保護を受けていた」と打ち明けられる。「『それが、なにか?』というのが最初の率直な感想。というのも、私も夫も福祉葬、生活保護を受給している人の葬儀は、それまでやったことがなかったからなんです」「福祉葬」とは、喪主が経済的に困窮状態にある場合や、故人に葬儀代を払える身寄りがない場合に、国が費用を肩代わりし、最低限の葬儀が行える制度。生活保護法でも「葬祭扶助」として定められている。葬儀形式は火葬のみを行う直葬に限られ、費用には自治体ごとに決められた上限額がある。以上のような説明を、市役所の担当者から聞いたきみ子さん。そもそも、小規模で安価な葬儀を執り行うことを目的に起業した自分たちにも、ここにビジネスチャンスがあると考えた。「いわき市ではそれまで、主に全国チェーンの葬儀社さんが、福祉葬を担っていました。でも大手にとっては、あまりもうかる葬儀ではないので、多くの場合、上限額いっぱいの見積もりを出していたと思います。いわき市の葬祭扶助の上限額は当時18万3000円でした」ここでも、石原さんたちは、超破格値の見積もり額で入札に挑む。「金額は言えませんけど、上限額をだいぶ下回る金額。もうけなんか本当にちょこっと。でも、私たちは夫婦二人が食べていければそれでいいという考え方ですから」税金を投入する手前、1円でも安く引き受けてくれる葬儀社は市としてありがたい。そのうえ、いざ任せてみれば、丁寧な仕事ぶりで利用者の評判も上々となれば……。「そこからです。どんどん福祉葬の依頼が入るようになって。さらに行政同士、つながりがあるみたいで。そのうち、今度は警察署からの紹介の仕事も入るように」こうして、いしはら葬斎には、孤独死した身寄りのない人や生活保護を受けていた人、さらに事件や事故の犠牲者、自殺者など、込み入った事情のある葬儀の依頼が次々寄せられるようになった。【後編】小さな葬儀社がみた3.11「東日本大震災で亡くなったご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」へ続く(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日米コロラド州コロラドスプリングスで葬儀場を営んでいた夫婦が、少なくとも190体以上の遺体を不適切に扱ったとして8日に逮捕された。The New York Timesなどが報じている。ジョン・ホールフォードとカリー・ホールフォードが経営していた「Return to Nature Funeral Home(自然に還る葬儀社)」は、化学薬品やコンクリート製の保管庫などを使わず、微生物によって分解される棺やカゴを用いる、いわゆる“グリーン葬”を提供していた。遺体をそのまま埋葬するオプションも用意されていたそうだ。当局によると先月、ひどい悪臭の発生源を突き止めるため捜査員が葬儀社に入ると、建物内には100体を超える腐乱した遺体が積み重なる“恐ろしい光景“が広がっていたという。郡検視官のランディ・ケラーは「保管状態は不適切で、人の健康に有害な現場」と表現した。Return to Nature Funeral Homeでは火葬も行っていたが、遺灰の管理も非常にずさんで、誰のものともわからぬ遺灰が適当に遺族へ配られていたようだ。たとえば、クリスティーナ・ペイジさんは’19年、警察によって射殺された20歳の息子デイヴイッドさんの火葬をReturn to Nature Funeral Homeに依頼した。彼女は愛する息子の遺灰が入った赤い骨壺を腕に抱いて記者会見に臨み、コロラド州議会やワシントンD.C.の連邦議事堂へも訪れて警察の構造改革を訴え続けてきた。しかし、この遺灰はデイヴィッドさんのものではなかった可能性が高いとAP通信は伝えている。「4年間、私はこの骨壺を息子だと思ってこの国中を旅してきました。それなのに、息子はあそこで4年以上も腐敗するままになっていた……これまで生きてきた中で、何よりも恐ろしいことです」とペイジさんはAP通信に語る。惨状が最初に発見されて以降、遺体は8日までに190体が回収され、検視局に運ばれた。ホールフォード夫妻は逃亡先のオクラホマ州で拘束され、今も拘留されている。保釈金は200万ドル(約3億円)に設定されたという。
2023年11月09日兵庫県西区にある草むらの中で、スーツケースに入った状態で遺体となって発見された穂坂修(なお)くん(享年6)。発見現場から800メートルほど離れた一家のアパートは警察による鑑識のため、ブルーシートで覆われたままになっている。ときおり同じ年ごろの子どもや孫を持つ人たちが花やお菓子を持ってきては、ブルーシートの前で手を合わせる姿が見られた。6月24日夕方遅く、10代の男性が一人でアパート前を訪れた。すでにやってきた人が置いてあったお供えの前にたたずみ、手を合わせている。男性はコロナになる前まで、修くんが通う保育園を手伝っていたという。彼がお供えとして置いたのは、ペットボトルのアップルジュースだった。「修くんはすごく人懐っこくて、いつも笑顔で元気で活発な子でした。いろんなことを話して、みんなを楽しい気分にさせてくれてました。そんな子が、なんで……。どうか夢であってほしい」あまりにも凄惨な事件。この男性が語ったのは、そんな現実からは程遠い母子の意外な姿だったーー。■三輪車を押して保育園に登園「すごい仲のいい親子でした」発端は、修くんの母で長女の穂坂沙喜容疑者(34)と次男の穂坂大地容疑者(32)、双子で次女の穂坂朝美容疑者(30)と三女の穂坂朝華容疑者(30)の4人が監禁と傷害の疑いで逮捕されたことだった。4人には今年3月ごろから修くんの祖母を繰り返し押し入れに閉じ込め、鉄パイプで複数回殴りケガをさせた疑いが持たれている。押し入れの外側には、鍵が取りつけられていた。祖母は監禁されていた自宅から逃げ出し、20日深夜に車いすに乗った状態で保護された。修くんはこの前日に死亡したとみられ、母・沙喜容疑者は「息子の遺体をスーツケースに入れて、4人で運んだ」と供述しているという。そうして発覚した修くんの遺体現場。だが前出の10代男性によると、「すごい仲のいい親子でした」と語る。「私は保育士になることをめざして勉強中で、コロナの前までは保育園へ手伝いに行っていました。というのも僕自身、その保育園の卒園生だったからです。そこに修くんも通っていました。通園は、お母さんとふたりでした。いつもお母さんが修くんの手を繋いで歩いてきて。修くんの機嫌が悪いときには、お母さんが抱っこしてくるときもありました。またあるときは修くんが三輪車に乗って、それをお母さんが押して保育園に来る日も。とにかく見るからに楽しそうで、仲のいい母子でした」■「天国で大好なアップルジュースをいっぱい飲んで」コロナ前といえば、2019年ごろ。修くんはまだ3歳前後だった。このときの沙喜容疑者について、男性はこう振り返る。「お母さん(沙喜容疑者)は、すごく子どもが好きでした。すごく修くんをかわいがっていて、修くんの機嫌がよくなるまでずっと抱っこしてあげるような方だったんです。なので、『優しいお母さんなんだな』という印象です。それだけでなく他の園児にも話しかけてあげたり、ぐずっている子がいたら抱っこしてあやしてあげたりもしていました。自主的に保育園にやってきては、保育園の作業を手伝うボランティアのようなこともされていました。保育園の先生とも仲良くされていましたし、他のお母さんともママ友同士で一緒に話しながら保育園の送迎をされていました。だから、報道を見て『あのお母さんがそんなことをやれるはずがない。まさか、嘘だろ』と思ってしまいました。あまりにも、知っている姿とのギャップが大きすぎて。本当なのかと信じられないんです」最後に男性は、お供えとしてアップルジュースを持ってきた理由をこう語った。「修くん、このジュースが大好きだったんです。保育園でおやつの時間で出てくると、誰よりも先に手を伸ばして飲み干していました。機嫌が悪くなったときでも、あげるとすぐ笑顔になってね……。だから天国に行っても、大好なアップルジュースをいっぱい飲んでほしいなと思います」評判の「優しいお母さん」が豹変してしまうまでに、いったい何があったのだろうか。一家の闇は深い。
2023年06月25日職場の葬儀場から遺体を盗み、ネット上で知り合った男に売りさばいていた女が無罪を主張していることがわかったと、NBC NEWSなどが報じている。NBC NEWSによると、米アーカンソー州リトルロックの葬儀店で働いていたキャンディス・チャップマン・スコット被告(36)は、運ばれてきた遺体から一部を盗み取り、Facebookで繋がったペンシルベニア州在住のジェレミー・リー・ポーリー被告に売っていたという。’21年10月から9カ月間で脳や心臓、肺といった臓器のほか、大きく切り取った皮膚や胎児などと引き替えに、計16回、総額10975ドル(約150万円)を受け取っていたと訴状には記されている。また訴状によると、スコット被告はアーカンソー中央遺体安置サービスに勤務しており、遺体の運搬やエンバーミング、火葬などに携わっていたそうだ。この施設にはアーカンソー大学医学部が実習に使った遺体が運ばれてきていたため、スコット被告の方から「医学部から来た遺体を火葬する前に買わないか」とポーリー被告に持ちかけたという。スコット被告は郵便詐欺、盗品の州間輸送など12の罪状で起訴されたが、全て無罪を主張している。現在収監されており、2日に保釈されるか否かの審問が開かれる。またポーリー被告もすでに起訴されており、6月にも審理が開かれる予定だとNBC NEWSは伝えている。Daily Mailによると、ポーリー被告は眼球を含む全身にタトゥーを入れ、頭皮にピアスをした人体改造趣味のある男で、彼の家からはおびただしい数の遺骨や歯のコレクションが押収されたという。
2023年05月01日今年2月15日、米ニューヨーク・ジェニーヴァのアパートで、デイヴィッド・コンデさん(59)と息子のデイヴィッド・コンデJr.くん(2)が遺体となって見つかった。それから約9カ月経ち、2人の死因がようやく明らかになったとNBC NEWSなどが伝えている。オンタリオ郡保安官事務所は、父親は生まれつき患っていた心血管系の病気が原因で突然死した可能性が高いと発表した。デイヴィッドJr.くんは先天性の疾患で、複数の手術とリハビリを経てようやく歩けるようになったばかりだったそうだ。父親が突然死して以降、養育者が他にいなかったため餓死してしまったという。PEOPLEによると、父親のコンデさんがデイヴィッドJr.くんの看病と子育てに人生を捧げていた一方で、母親は息子の人生にまったく関与していなかったとオンタリオ郡保安官事務所はコメントしている。生きている2人が最後に目撃されたのは1月22日。コンデさんに連絡が取れないことを心配した親戚から通報があり、警察がコンデさん宅を訪れるとドアには内側から鍵がかかっていた。やむなくドアを壊して中に入ると、部屋の中は冷え切り、ベッドの上に父親が横たわり、その近くに2歳の息子が寄り添って息絶えていたという。住宅内に争った形跡はなく、2人の死は事件ではなく事故として処理されるようだ。
2022年11月18日米ペンシルベニア州警察は10月4日、10年前に発見されていた身元不明の遺体が、53年前から行方がわからなくなっていた14歳の少女のものであることを確認したと発表した。The Washington Postによると、同州ウィルクスバレーのジョーン・マリー・ダイモンドさんは、1969年6月のある日、夕食後に「散歩に行ってくる」と家族に伝え家を出たきり戻ってくることはなかった。2012年11月に、ダイモンドさんの自宅からおよそ20kmほどの場所にある旧炭鉱で、遺物を掘っていた人によって身元不明の遺体が発見された。遺体は10代半ばから20代前半と推定され、何らかの犯罪に巻き込まれて死亡したと見られていたが、その身元は長らくわからないままだった。ダイモンドさんの家族がDNAサンプルを提供しており、今月になってようやく、この「ジェーン・“ニューポート”・ドウ」と名付けられた遺体がジョーン・マリーさんのものだと確認されたという。ジョーン・マリーさんの父ジョージさんは1984年に、母アン・ローズさんは2000年に亡くなってしまっている。しかし親族は事件の解決を強く望んでおり、州警察のパトリック・ドハーティ警部も、「我々は答えを追求することを決して諦めません。捜査も未だ非常にアクティブな状態です。全力を尽くしていきます」という声明を発表している。
2022年10月06日9月19日に執り行われた英エリザベス女王の国葬で、棺の警護を担ったジャック・バーネル=ウィリアムズ騎兵隊員(18)が、兵舎で遺体となって発見された。Sky Newsなどが報じている。ウィリアムズ隊員は、ウェストミンスター寺院からハイドパークのウェリントンアーチまで女王の棺に付き添って行進していた。そのわずか9日後、現地時間の9月28日にハイドパークの兵舎で亡くなってしまったという。警察によると彼の死に事件性はないとのことだが、死因などは検視の結果が出るまでは不明。欧米のニュースサイトの中には、記事の末尾に精神的苦痛や自殺願望を抱いている人に向けたメッセージを掲載しているものもある。父親のダン・バーネルさんはFacebookに、「息子が女王の最期の旅に付き添う任務に就いている。ジャック・ウィリアムズ、君が誇らしいよ」と、国葬のテレビ中継を写したと思われる写真を添えて投稿していた。
2022年10月03日米テネシー州メンフィスで誘拐されたエリザ・フレッチャーさん(34)と見られる遺体が、誘拐現場からおよそ20分の場所で発見された。Daily Mailなどが報じている。フレッチャーさんは、メンフィスの大物実業家であり、慈善家として知られる億万長者、ジョセフ・オージル3世(2018年に死去)の孫娘だ。2人の子どもを育てながら、幼稚園教諭として働いていたフレッチャーさんは、9月2日の早朝、ジョギングしていたところを襲われ、黒いSUVで連れ去られた。US Sunによると、同日7時頃に行方不明者として捜索が開始され、家族は有力な目撃情報に5万ドル(約700万円)の報奨金を出すとしていた。当局は誘拐現場で回収したフレッチャーさんの遺留品から採取されたDNAからクレオサ・アブストン(38)を容疑者として逮捕。9月5日には、加重誘拐と証拠改ざんの罪で起訴された。Daily Mailによると、アブストンはフレッチャーさんが行方不明になった当日、車のカーペットを念入りに洗っている様子を目撃されていたという。アブストンは1990年代に、窃盗や暴行、レイプなどで少年として裁かれた記録が残っているという。2000年には弁護士を誘拐し強盗した罪で20年間服役。今回の犯行は出所して2年後に行われたことになる。保釈金は50万ドル(約7085万円)だが、支払い能力がないため現在も拘留されていると、Daily mailは伝えている。地上での捜索に加え、ヘリコプターによる上空からの探索の結果、6日に容疑者の兄・マリオの自宅から90メートルほどの場所でフレッチャーさんの遺体が発見された。アブストンは当局の取り調べに対して、非協力的な態度で臨んでいるという。
2022年09月06日7月25日に亡くなった女優の島田陽子さん(享年69)。さみしいことに、亡くなった後も実妹たちが遺体を引き取らなかったと本誌は8月2日発売号で報じたが、その直後、編集部に衝撃的な情報が寄せられた。「島田さんの遺体はまだ火葬されていません。渋谷区の施設に安置されたままなんです」電話の主は、島田さんの元マネージャー・福島浩一朗氏だった。「遺体は毎日ドライアイスを詰め替えて、保管していると区の担当者から聞いています。私が引き取ろうにも、渋谷区の場合は三親等以内の親族に限られているそうです。2人の妹のどちらかが私に委任してくれれば、渋谷区は私に遺体を渡すと。その後は、ハリウッド女優らしくきらびやかな葬儀をして送り出してやれたらと思っています。そんな話をケント・ギルバートさんにしたら『絶対に呼んでください』と言っていましたよ」福島氏は島田さんが生前、埼玉県にある長泉寺に墓地を購入していたと言う。住職にも話を聞いた。「島田さんがここにお墓を建てると決めたのは’20年2月のことです。墓石はまだありませんが、すでにお金はいただいています」本誌が渋谷区役所に確認したところ、福祉部管理課民生係の担当者は困惑しながらも「火葬はまだ行われていません」と認めた。8月5日時点でも2人の妹から福島氏に委任状は届いていない。今後、島田さんの遺体はどうなるのか。終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんによれば、今回のように遺体の引取り手がいないケースは日本全体でも増えているという。「病院で引取り手が見つからなかった遺体は自治体が管理します。第三者でも引き取れますが、委任状はあったほうがよいでしょう。腐敗等の問題で、火葬までの期間は決して長くはとれません。遺骨はしばらく保管されますが、その後合葬され無縁仏として埋葬されると、同じような遺骨と交ざってしまうので、島田さんの骨だけを返すことは難しくなるかもしれません」実は編集部には、さらに別の人物からも連絡があった。島田さんが出演したボイスドラマ『Romeo,Juliet』を演出・プロデュースした水野哲氏だ。9月から電子チケットサイト「ZAIKO」で販売される同作では、島田さんはジュリエットを演じたという。「『10代の役でも私はできる。ほかの人には決して負けませんよ』なんて言っていました。体調が悪くて録音が何度か中止になることもありましたが、『点滴を一日やれば楽になるから大丈夫』なんて女優魂を見せていましたね。やっぱり声はちょっと出にくかったり、苦しい感じもあったけど、セリフなんかしっかりしてて、今聞くとすごく感動しますね。国際女優の彼女の一面をちゃんと残せたというのは良かったです」晩年も演技で仕事関係者をも魅了し続けた島田さん。しかし、プライベートでは寂しげな姿も見せていたという。「お金があるように振る舞う場所ではめちゃくちゃ使っていました。フランス料理を豪勢に奢って振る舞うこともあれば、そうでない場所では実にお金がないという一面も見せます。ジュース代の小銭を財布から出すのに10円、20円を数えて『あるかな、あるかな』なんて不安そうなときがありました。妹さんと縁が切れて『きょうだいなんてそんなもの。私はもう全く一人になりました』とも言っていました。本当に変わった方でね、一言ではいえないですよ。サービス精神がありすぎて誤解されることもありましたが、優しい方であったことは確かです」(水野氏)そんな大女優の遺体の行き先が宙に浮いてしまっている事実に愕然とせざるをえない。元マネージャーにより供養される日は来るのだろうか。
2022年08月09日「未体験ゾーンの映画たち 2022」にて上映される、2022年アカデミー賞国際長編部門ハンガリー代表作『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』より、日本版ビジュアルと予告編が解禁となった。舞台は、第一次世界大戦後のハンガリー。死者と遺族の最後の写真を撮ることを仕事にしている「遺体写真家」のトーマスが、長期にわたる戦争とスペイン風邪により大量の犠牲者が出たとある村を訪れる。しかしその村は死者が悪霊となって棲みつく呪われた村だった。トーマスは村に住む少女アナと協力しながら霊を写真に写すことでその秘密を明らかにしていくが、悪霊は2人に容赦なく襲いかかる。果たしてトーマスとアナは、真実を明らかにし悪霊に打ち勝つことが出来るのか?第88回アカデミー賞国際長編部門で外国語映画賞を受賞した『サウルの息子』をはじめ、『ニーチェの馬』『心と体と』『この世界に残されて』などの良作を送り出してきたハンガリーのアカデミー賞国際長編映画部門代表作。2022年に開催となる第94回の代表作に選出された本作だが、「ホラー映画」が選出されるのは異例のこと。世界の映画祭でも24部門受賞43部門ノミネート(2021年12月時点)、映画批評サイト「ロッテントマト」でも支持率100%(2021年12月時点)となっており、世界中の批評家・映画ファンか注目を集めている作品だ。監督は、ハンガリー史上初の国際エミー賞にノミネートされたTVシリーズ「Trezor」の監督を務めたピーター・ベルゲンディ。子どもの頃からホラー映画が好きだった彼が、ハンガリーの歴史と密接に関わるホラー映画を作りたいとの構想のもと、第一次世界大戦直後のスペイン風邪の大流行の際に犠牲となった「歴史的な痛みを伴う」幽霊をモチーフにストーリーを紡ぎあげた。美術セット小物にも、そんな時代背景を表現するこだわりのアンティークが使用されている。また主人公の職業となっている「遺体写真(ポストモーテムフォトグラフィー)」は歴史上実際に行われていた経緯もあり、特にヴィクトリア朝時代には自然に庶民の間で行われていた。歴史的な背景と異色の設定を持つ新しいホラー作品となっている。この度解禁された日本版ビジュアルは「死んでも終わらない恐怖」というコピーとともに、主人公のトーマスが苦悶の表情で叫び声をあげる1枚。その様子からトーマスの想像を絶する恐怖を感じさせる。併せて解禁となった日本版予告は、遺体写真家のトーマスがスペイン風邪で亡くなった子どもの死体と、その家族を撮影する不気味なシーンから始まる。少女の誘いでスペイン風邪に大量の犠牲者が出たとある村に訪れるのだが、トーマスは村が隠す奇妙な異変に気づいていく。その異変は徐々に激しさを増し、ついに悪霊の怒りがクライマックスに…。果たしてトーマスは秘密を暴き、悪霊に打ち勝つことができるのか?クオリティの高い映像とビジュアルに、本編への期待が高まる。『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』は2022年2月4日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、2月よりシネ・リーブル梅田の「未体験ゾーンの映画たち 2022」にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス 2022年2月4日より「未体験ゾーンの映画たち2022」にて公開©SZUPERMODERN STÚDIÓ
2021年12月08日ホラー映画『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』が、2022年2⽉4⽇(⾦)より順次公開される。アカデミー賞国際⻑編部⾨ハンガリー代表作は“異例”のホラー映画映画『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』は、『サウルの息⼦』『ニーチェの⾺』『⼼と体と』『この世界に残されて』など良作を世に送り出してきたハンガリーのアカデミー賞 国際⻑編映画部⾨代表作。2022年の代表作として、“異例”のホラー映画が選出された。『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』は、世界の映画祭でも24部⾨を受賞。また、43部⾨にノミネート(2021年11⽉時点)されており、注目を集めている。<ホラー映画『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』あらすじ>作品の舞台は、第⼀次世界⼤戦後のハンガリー。死者と遺族の最後の写真を撮る事を仕事にしている「遺体写真家」のトーマスが、⻑期にわたる戦争とスペイン⾵邪により⼤量の犠牲者が出たとある村に訪れるのだが、その村は死者が悪霊となって棲みつく呪われた村だった。トーマスは村に住む少⼥アナと協⼒しながら霊を写真に写す事でその秘密を明らかにしていくが、悪霊は2⼈に容赦なく襲いかかる。果たしてトーマスとアナは、真実を明らかにし悪霊に打ち勝つことが出来るのか?第⼀次世界⼤戦やスペイン⾵邪...“史実”から構想監督は、ハンガリー史上初の国際エミー賞にノミネートされたTVシリーズ「Trezor」のメガホンを取ったピーター・ベルゲンディ。幼少期からホラー映画好きだった彼が、「ハンガリーの歴史と密接に関わるホラー映画を作りたい」との思いから作り上げたのが、『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』だ。第⼀次世界⼤戦直後のスペイン⾵邪の⼤流⾏の際に犠牲となった「歴史的な痛みを伴う」幽霊をモチーフに、物語を構想した。美術セットや⼩物にも、そんな時代背景を表現するこだわりのアンティークを使⽤。また、『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』のモチーフとなっている「遺体写真(ポストモーテムフォトグラフィー)」は、歴史上実際に行われていたもの。特にヴィクトリア朝時代には、庶民の間でも一般的なものだったという。【詳細】映画『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』公開日:2022年2⽉4⽇(⾦)「未体験ゾーンの映画たち 2022」にて監督:ピーター・ベルゲンディ出演:ヴィクトル・クレム、 フルジナ・ハイス、 ガブリエラ・ハモリ、 ユディット・シェル2020年/116分/ハンガリー/ハンガリー語/カラー/シネマスコープ/5.1ch/字幕翻訳者:船越智⼦/⾃主規制G相当/原題:POST MORTEM/配給:プレシディオ
2021年11月29日米コロラド州の田舎町で、ミイラ化した女性の遺体が発見された。サワチ郡保安官事務所によると、遺体にはクリスマスの電飾が施されていたという。この女性はカルト教団「Love Has Won」のリーダーで、自称“母なる神(Mother God)”のエイミー・カールソン(45)。先月28日に同州モファットの家で寝袋に入れられ、クリスマスのライトで飾り立てられた状態で見つかった。遺体はミイラ化し、目の周りにはラメのようなもので化粧された状態である種の神社のように祀られていたという。カールソンは自らを“神の化身”と称して人々を洗脳し、財産を巻き上げていた。以前はハワイに活動の拠点を置いていたが、警察の捜査が入り、昨年9月にカリフォルニアへ移住したことが話題となっていた。信者の一人が、「2歳の息子を教団が監禁して返してくれない」と相談したことが、今回の遺体発見に繋がった。7人の信者が遺体損壊、及び児童虐待の容疑で逮捕、起訴された。捜査官は信者たちがカリフォルニアからカールソンの遺体をコロラドへ運んできたと見ているが、死因や詳しい経緯は現在捜査中だ。地元紙The Denver Postによると、郡検視官事務所のトム・ペリンが、「カールソンの死亡時期は2週間かそれ以上は経っている」とコメントしているという。
2021年05月07日米カリフォルニア州の湖で8日に消息を絶ち、捜索が続けられていた女優のナヤ・リヴェラさん(33)。13日、当局は湖の北東部で見つかった遺体がリヴェラさんであることが確認されたと発表した。TMZが速報で伝えている。リヴェラさんは、息子のジョージーくん(4)と州内にあるピル湖に訪れ、ボートを借りて遊んでいた。その後、ジョージーくんを残してリヴェラさんは消息を絶ち、溺れた可能性が高いとしてダイバーやドローンなどによる捜索活動が行われていた。リヴェラさんはジョージーくんをボートに乗せ、自身は泳ぎながらボートを押していたという。ジョージーくんはライフジャケットを着用していたが、大人用のライフジャケットはボート内に残されていた。遺体に犯罪や自殺の痕跡は残されておらず、溺水による事故死と見られている。リヴェラさんは幼い頃からモデル・子役としてCMなどに多数出演。テレビドラマ『glee/グリー』のサンタナ・ロペス役で世界中にその名を知られるようになった。『glee/グリー』のメインキャストで命を落とした俳優はリヴェラさんが最初ではない。フィン・ハドソン役を務めていたコリー・モンティスさんは2013年に薬物とアルコールの過剰摂取により、31歳の若さでこの世を去った。2017年にはノア・パッカーマン役のマーク・サリングが自殺している。リヴェラさんが発見された7月13日は、奇しくもモンティスさんの命日にあたる。
2020年07月14日先週水曜日(現地時間)から、カリフォルニア州のピルー湖で行方がわからなくなっていたナヤ・リヴェラの遺体が発見された。すでに亡くなっているとして遺体の捜索が行われていたが、地元当局は遺体が見つからない可能性も示唆していた。ベンチュラ郡の保安官によると、ナヤの遺体は湖の水面に浮いていたといい、「息子をなんとかボートに上げることに力を使い、自身のための余力は残っていなかったのではないか…」とコメントしている。奇しくもナヤが見つかったのは、「glee/グリー」共演者のコリー・モンティスの命日(2013年没)と同日の7月13日。ドラマで行ったコリーの追悼エピソードで、ナヤ演じるサンタナは「ザ・バンド・ペリー」の「If I Die Young」を歌った。現在、そのときの映像がSNSで拡散されている。ナヤの遺体が発見されたことを受け、「glee」の共演者がSNSで追悼メッセージを送っている。クリス・コルファーは「だれかに対する愛や敬意を、たった1つの投稿ではどうやって伝えきれるだろうか。10年間の友情と笑いを、言葉だけでどうやってまとめることができるだろうか。ナヤ・リヴェラと友だちだった人には、そんなことはできないんだ」とつづり、ナヤがいかに素晴らしい人物であったかを称え、「彼女の素晴らしい家族と美しい息子にぼくの愛のすべてを送ります」と締めくくった。ネネ・リークスは「奇跡を信じていたのに!お子さんのために家に帰ってきてほしいと心から思っていた。本当にツラい!あなたと過ごした時間、笑い、撮影中にカットさせちゃった良い思い出を心にとどめておくね。楽しい時間だった。ナヤの家族に祈りを送りましょう」とつづった。ジェーン・リンチ、ジェナ・アウシュコウィッツ、クリスティン・チェノウェス、ベッカ・トビンらもナヤを悼んだ。(Hiromi Kaku)
2020年07月14日1月末、ヘリコプター墜落事故で命を落としたNBAのスター選手コービー・ブライアントさん。現場で撮影された遺体写真を保安官がシェアしていたと複数メディアが報じていた問題で、ロサンゼルス郡保安官事務所のアレックス・ヴィラヌエヴァ氏が事実であると認めた。米国の法システムの下では、保安官事務所に1人の保安官が配置され、その部下は全て「保安官代理」と呼ばれる。TMZによると、写真を所持していたのは保安官代理8人。ヴィラヌエヴァ氏はこの事実に「腹にパンチを食らったようなショックを受けている。悲劇で愛する家族を失った人への裏切りだ」とコメント。保安官代理全てに写真を即刻消去させたという。同氏によると、現場で写真撮影の権限を持っていたのは検視官と国家運輸安全委員会の調査官のみで、写真を最初に外部へ漏洩させた人物はまだ特定に至っていない。この問題が発覚したのは墜落の数日後、保安官代理訓練生がバーでコービーさんと共に亡くなった女性の遺体写真を見せびらかしていたことがきっかけだった。これに気が付いたバーテンダーが保安官事務所に苦情を申し立て、世間の知るところとなった。コービーさんの妻ヴァネッサさんの弁護士は、事故当日に保安官事務所へ赴き、事故現場とその周辺の上空を飛行禁止区域に指定させたという。言うまでもなくメディアに撮影されないようにするためだ。しかし、メディアではなく当局の人間により遺体写真が流出してしまったことにヴァネッサさんはひどくショックを受けており、保安官の責任を追及する構えだという。
2020年03月03日元プロ野球選手の野村克也さん(享年84)の義理の息子・団野村氏(62)が、2月16日にTwitterに克也さんの遺体写真を投稿した。団氏は野村沙知代さん(享年85)が実母で、克也さんは継父にあたる。克也さんの葬儀は、14日に身内だけで密葬が行われたという。ネットでは克也さんの遺体写真が賛否を呼び、物議を醸している。《最期の姿が見れて良かった》や《色々な弔い方があっていいのだと思います》といった賛同の声も。しかし、批判も多く寄せられている。《非常識なので消してください ノムさんもこんな風に大々的にSNSで亡骸を載せられて嬉しいわけありません》《野村監督の遺体がTwitterに載ってるけど有名人だからといってあまり見たくない……。それなら見なきゃいいとかいってるけどTwitterに載せるのは常識的にどうかと思う》メジャーリーグ「シカゴ・カブス」に所属するダルビッシュ有投手(33)も、19日にTwitterで苦言を呈した。《本人がいいって言ってたならわかるけど、そうでないならダメでしょう。賛否の賛の意味がわからない》と克也さんを慮った。団氏は17日にTwitterで、多くの人々が克也さんの死を悲しんでいることを疑問視。克也さんの写真を添えて、「彼の旅立ちを私と同じように祝うべきだ」と英語で綴っていた。「野村克也さんのように、家族葬において故人の写真撮影が許可されている場合があります。最近では葬儀社側が写真撮影サービスを用意しているところもあるので、撮影自体は悪いことではありません。しかしSNSへの投稿は、意図せずとも不特定多数の目に触れてしまう可能性があります。現に、『Twitterを開いたら画像がタイムラインに流れてきた』という声も上がっています。いくら故人に敬意を抱いていたとしても、写真の取り扱いに対する配慮は必要でしょう」(社会部記者)SNSの普及により、死生観も変化してきているのだろうか――。
2020年02月19日いま映画やドラマに引っ張りだこの若手俳優・白洲迅が出演する最新作『葬式の名人』がもうすぐ公開。この度、公開に先駆けて、今作でなんと“遺体役”に挑戦した白洲さんの場面写真がシネマカフェに到着した。大阪府茨木市を舞台に、奇想天外な高校の同級生のお通夜を体験する人々を描く本作。茨木市で生まれ育った川端康成の作品群をモチーフに、茨木市にてオールロケを敢行。前田敦子が女手一つで息子を育てる渡辺雪子、雪子ら同級生を不思議な一夜に巻き込む豊川大輔を高良健吾が演じている。そして、主人公たちの同級生で中心的人物である吉田創役を白洲さんが務めている。『BACK STREET GIRLS -ゴクドルズ-』では主演を務め、「僕はまだ君を愛さないことができる」ではW主演。現在放送中の「刑事7人」にも出演し、刑事・野々村拓海役で活躍。『HiGH&LOW THE WORST』「ハル~総合商社の女~」など待機作にも注目が集まる白洲さん。今作で演じる吉田は、高校生の頃、甲子園を目指す野球部のエースだったが、怪我により野球部はもといクラスメートのもとからも去ってしまう。到着した場面写真では、そんな去ったあとから10年後、再び母校を訪れた吉田の姿が。吉田は校門前で遊ぶ子どもからの球を受けると「ええ球や」と爽やかスマイル。取りにきた野球部の中には、母校の教師となり、野球部顧問、さらに吉田とバッテリーを組んでいた豊川が…。また、当時のエースの面影感じる見事な投球モーションを披露する吉田。豊川はそこで目の前にいるのがかつてのバッテリー吉田だと気づき、まさかの再会もつかの間、驚きの展開に発展していく――。最後は、吉田のクラスメートであった雪子、息子・あきお(阿比留照太)、そして豊川らがあることがきっかけで高校時代に入り込んでしまうシーンでの1枚。昔と同じように応援団として太鼓を叩く姿があり、3人に気づき「俺を見てくれ!」と言わんばかりの表情を見せている。突然去り、再び現れた吉田。本作では、全く読めない行動を起こす彼中心でストーリーが進む、重要なキーパーソンとして登場している。『葬式の名人』は9月20日(金)より全国にて公開。※8月16日(金)茨木市先行(cinemacafe.net)■関連作品:葬式の名人 2019年9月20日より全国にて公開、8月16日茨木市先行(C) “The Master of Funerals” Film Partners
2019年09月12日「私たちは“遺体ホテル”とは呼んでないのですが、メディアでそう取り上げられたことで名前が定着してきたようです」と話すのは、ラステル新横浜の横田直彦さんだ。現在の日本には高齢化の波が押し寄せ、これまで以上に多くの人々が日々亡くなっている。その現状を指して“多死社会”と呼ばれているが、いっぽうでは火葬場の数が不足。火葬が追いつかず、“火葬難民”となる遺体が現れている。そんな順番待ちの遺体を安置する場所が、「遺体ホテル」と呼ばれている。ラステルとは“ラストホテル(最後のホテル)”の略称だ。「今までは、葬儀会社それぞれが独自の霊安室に遺体を収めていました。ですが死後すぐに安置される上、ご遺族はご葬儀のときまで故人様と対面できないということもありました。『安置されている間、故人がどういった扱われ方をされているのか』と不安の声をよく耳にしましたので、“安心して故人様を安置でき、いつでも面会できるようにしよう”と始めたのがラステルです」ラステルはその不安を解消するため、24時間いつでも遺体と面会できるシステムを採用している。「面会室のルームタイプは2つあります。1つは、ご葬家が貸し切りで利用できる個室タイプ。もう1つは、20体の故人様を安置できる安置室の隣に共用面会室があるタイプです。後者はご遺族がいらっしゃったときに、故人様が自動で出てきてご対面いただけます。面会室はどちらも白を基調としており、清潔感を意識しております。お客様からも好評です」遺体ホテルは都市部を中心にあり、神奈川や大阪にも存在する。今後も各地に多死社会の波が押し寄せるとみられており、火葬場が遺体の数に追いつかない限り遺体ホテルは必要となる。しかし遺体を扱うという業務内容から、「不吉だ」と地域住民による建設反対の声が上がることも。「しかし弊社では場所を選んで建てておりますので、そういった声をいただくことはありません。とはいえナイーブな問題ですから、その点につきましては気を使っております。たとえばラステル新横浜はオフィス街にあるため、住民がほとんどいない地域です。もう一つのラステル久保山こそ住宅街にありますが、もともと葬儀会館だったところを改装して作りました。どちらも町から受け入れていただいております」実際、死を扱う業種について年々理解は深まってきているという。「当社では葬儀に関するセミナーを行っているのですが、近年参加者が増加。40名の定員が満席になることもあります。足を運んでくださったお客様の多くから『身近なことなんだ』との声もいただくようになってきました」しかしこのまま多死社会が進めば、火葬難民の数が“ホテル”に追いつかないこともあるのでは――。そんな疑問を口にすると、「今のところ、安置室が満員になったことはありません」と横田さんは言う。「亡くなる人数から、さらに多くの人数を見越した部屋数にしているからです。多死社会は団塊の世代が多く亡くなるだろうとされる2030年がピークと言われており、そこを見越しています。新たな火葬場が横浜に建設される予定ですが、完成は7~8年後といわれています。ですから、ラステルはまだまだ必要とされるわけです。これからも今まで得たノウハウを活かし、ニーズにあわせて拡大していきたいです」
2018年10月27日歌手のティナ・ターナー(78)の長男クレイグ・レイモンド・ターナーさんが亡くなった。7月3日(火)午後12時38分(現地時間)、カリフォルニア州の自宅で遺体が発見された。死因は、銃による自殺とみられている。享年59歳。「ET online」によれば、今後、検死と警察による調査が行われる予定だという。クレイグさんはティナが18歳のときにバンド「キング・オブ・リズム」のサックス奏者レイモンド・ヒルとの間にもうけた子ども。ティナはその後、同バンドのメンバーのアイク・ターナーと結婚し、アイクはクレイグさんを養子として迎え、名字を与えていた。クレイグさんは生前、カリフォルニア州のサンフェルナンド・バレーで不動産業に携わっており、自身のFacebookでも仕事ぶりをアピールしていた。また、ティナとの関係は良好だったようで、ツーショットやティナが2013年に再婚したアーウィン・バッハとの写真も掲載。Facebookは6月2日まで更新されていた。現在のところ、クレイグさんが自ら命を絶った理由は不明だが、2005年にティナはクレイグさんについて「とても感情的な子どもだった」と語っている。後にティナが“DV夫”であったことを明かしたアイクとの結婚生活において、クレイグさんは虐待されているティナにいつも「お母さん、大丈夫?」と心配していたという。(Hiromi Kaku)
2018年07月04日右から3人目がJ.ガイルズ(写真:Shutterstock/アフロ) 1970~80年代にかけて活動した「J. ガイルズ バンド(The J. Geils Band)」のギタリスト、J・ガイルズが米国時間11日、マサチューセッツの自宅で遺体となって発見された。71歳だった。死因はまだわかっておらず、地元警察が調査中だが、事件性は薄いという。 J. ガイルズはカウント・ベイシーやデューク・エリントンといったビッグバンドを聴いて育ち、ノースイースタン大学ではトランペットとドラムを学んだ。しかし、当時ボストンを席巻していたフォークシーンに魅せられて大学を中退し、マサチューセッツ州のウースター工科大学に編入。1967年にピーター・ウルフ、セス・ジャストマンらと共に「J. ガイルズ バンド」を結成した。 1970年にR&B色の強いブルースロックバンドとしてメジャーデビューし、「Lookin’ for a Love」「Cry One More Time」「Must Of Got Lost」などのヒット曲を連発。70年代後半からポップ志向が加速し、大衆受けを意識した曲が多くなっていく。1980年代に入るとニュー・ウェイブの要素を取り入れ、「Love Stinks」がロマコメ映画『ウェディング・シンガー』の劇中歌に採用されるなど幅広いファンの獲得に成功したが、「商業主義的」との批判も浴びた。 83年にボーカルのピーター・ウルフが脱退、その2年後にバンドは活動を停止した。1999年に再結成するも、2012年にはガイルズがバンドを正式に脱退。自らの名を冠した「J.ガイルズ バンド」のバンド名を使わぬよう元バンドメンバーを訴えていた。
2017年04月12日19日(現地時間)、デミ・ムーアのロサンゼルスの自宅にあるプールで若い男性が遺体で発見された。21歳の男性がデミ宅のプールの底に沈んでいるのが発見されたとき、デミは海外に滞在中で不在だった。留守宅では管理人がパーティを開いていて、亡くなった男性は管理人の家族だという。「TMZ.com」によると、男性は泳げなかったという。管理人と友人たちが短時間外出して戻った後、遺体を発見した。捜査は続けられているが、事件性はないと見られている。デミは「大変なショックを受けています。誕生祝いをするために、海外にいる娘たちに会いに旅行に出た先で、悲報を知りました。子どもを亡くすのは考えられないほどの悲劇であり、亡くなった男性の家族や友人のみなさんにお悔やみを申し上げます。このつらい時期、関係者全員のプライバシーを尊重していただけるよう、お願いいたします」とコメントを発表した。(text:Yuki Tominaga)
2015年07月21日死後35年以上経った今なお、世界の喜劇王として語り継がれているチャールズ・チャップリン。なんと、実際に起きた“チャップリン遺体誘拐事件”が遺族の全面協力でまさかの映画化!世界が驚愕した実話をもとに描かれた話題作『チャップリンからの贈りもの』の全貌とは?スイスのレマン湖畔にある小さな町で、刑務所を出所したばかりのエディは、親友のオスマンの元を訪ねる。真面目に働いていたオスマンだったが、小さな娘を抱えながら、病に倒れた妻の医療費さえ払えず苦しい生活を強いられていた。そんなとき、同じ町に住んでいたチャップリン死去のニュースが2人の元に飛び込み、お調子者のエディはとんでもない計画を思いつく。それは、チャップリンの遺体を誘拐し、身代金で新たな生活を手にしようというものだった。悩みぬいた末、追い込まれたオスマンはその計画に賛同し、2人は決死の犯行に挑むことに。しかし、詰めの甘さと運の無さにより、どんどんと追い詰められていくエディとオスマン。人生のどん底に突き落とされた2人が迎えるまさかの結末とは……?現在も不朽の名作として愛され続けているチャップリン作品の数々へオマージュを捧げている本作。事前にそれらの作品を予習していけば、随所にちりばめられている演出をより楽しめること間違いなし。そして、実際にチャップリンが住んでいた邸宅や埋葬されている墓地で撮影されただけでなく、チャップリンの息子と孫娘が家族役で特別出演しているのも大注目です。「笑いのない一日は、無駄な一日である」という名言を遺したチャップリン。笑いと感動で世界中を魅了したチャップリンは、亡くなった今でも私たちに多くのことを教えてくれます。そんな“弱者の味方”チャップリンが、悩めるエディとオスマンを再び笑顔にした最高の贈りものとは?ちょっとドジで憎めない2人の姿に、天国のチャップリンも私たちと一緒に笑って鑑賞しているかも!?イベントデータ:『チャップリンからの贈りもの』公開表記:7月18日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA 他全国順次公開配給: ギャガ©Marie-Julie Maille / Why Not Productions
2015年07月17日