2016年4月14日、熊本県熊本地方で震度7の地震を観測。その後も、数日にわたって震度6強や震度7といった大きな揺れが襲いました。内閣府の発表によると、2019年4月12日までに273人がこの地震によって亡くなり、8667棟もの住宅が全壊したそうです。大きな被害は、熊本県を代表する熊本城にまでおよびました。一部が崩れ落ちた熊本城の姿は、熊本県民のみならず多くの人に衝撃を与えたでしょう。熊本地震から5年、さまざまなメッセージが熊本地震から5年がたった、2021年4月14日。熊本城は、まだ完全復旧はしていないものの、同月26日から天守閣の内部公開が始まるなど復興が進んでいます。熊本市民の心の拠り所である熊本城。完全復旧はまだですが、4月26日からはようやく天守閣の内部公開が始まります。これまで多くのご支援を頂いておりますことに心から感謝申し上げます。これからも復興の歩みを止めることなく、前に進んでいきます。 pic.twitter.com/GYihEXYyqR — 熊本市 (@kumamotocity_) April 14, 2021 また、熊本県のマスコットキャラクター『くまモン』も、Twitterを更新。「復興に向けて1歩ずつ進んでいく」と、前向きなコメントを投稿しました。おはくま〜!今日で熊本地震から5年。みなさん、いつも応援ありがとうございますだモン。復興にむけて一歩ずつ、一歩ずつ進んでいくモン☆これからも心をひとつにがんばるモン! pic.twitter.com/pxtN36EdYK — くまモン【公式】 (@55_kumamon) April 13, 2021 熊本県と交流のある、アイルランド大使館もTwitterを更新し、犠牲者に追悼の意を表しています。熊本地震の発生から5年。犠牲となられた方々に改めて哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われたすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。アイルランドは、熊本アイルランド協会や小泉八雲熊本旧居のある熊本と交流があります。皆様の安全と被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/jhG71Y4SjT — アイルランド大使館 Ireland in Japan (@IrishEmbJapan) April 13, 2021 それぞれの投稿には、熊本県の被災者だけでなく、多くの人たちから応援などの声が寄せられていました。・長かったような、短かったような5年でした。・復興のためにも、また熊本県に行きたいです。・当時の記憶は忘れることはないと思う。熊本城が少しずつ戻ってきてよかった。・もう5年が経つのですね。地震は忘れた頃にやってくるので、気を付けたいです。熊本城の天守閣が復旧するなど嬉しいニュースがある一方、今もなお、避難生活を続けている人がいます。心に見えない傷を負っている人もいるでしょう。1日も早い復興、そして以前のように暮らせる日がくることを願っています。[文・構成/grape編集部]
2021年04月14日東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災から10年。その後も日本各地で大きな地震があり、つい先日も東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震がありました。世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている現在、また大きな地震が襲ってきたら……。大切なわが子を守るためにも、慌てずに適切な対応を取りたいですよね。今回は、食事に関することをまとめました。 食中毒をおこさないために手洗いは必須食中毒予防の基本は、手洗いです。流水が使える場合は、こまめにせっけんを使って手を洗いましょう(特に、トイレ後、調理前、食前)。水が使えない場合は、ウエットティッシュで汚れを拭き取り、アルコール手指用消毒液を使いましょう。指先、親指の付け根などは汚れが残りやすいので注意しましょう。 食事をする時に気をつけたいこと●食べる前に色や臭いを確認して、異常がないか確認しましょう。●賞味・消費期限や容器・包装に破損がないか注意しましょう。●避難所で出された食事は、できるだけ早く食べましょう。長時間、常温で放置していると、食中毒のリスクが高まります。●一度開封したものは保存せずにその場で食べましょう。どうしても食べきれないときは、思い切って捨てましょう。 参考:国立健康・栄養研究所「避難生活で生じる健康問題を予防するための栄養・食生活について「2.衛生管理リーフレット」の解説資料」 パッククッキングをやってみようパッククッキングとは、ポリ袋に食材と調味料・食材を入れ、鍋に沸かしたお湯で加熱する調理方法です。災害時には、ひとつの鍋で同時に複数の料理が作れて、なおかつお湯は再利用できるというメリットがあります。直接袋から食べることで食器も使わずにすみます。味付けや柔らかさの調整もしやすいため、離乳食を作ることもできます。 【用意するもの】・ポリ袋☆半透明のシャカシャカしている袋(高密度ポリエチレン)☆食品包装用でマチがなく、耐熱温度130度程度のもの・深めの鍋、または電気ポット・水 【調理の手順】1.ポリ袋に材料と調味料を入れ、袋の上から揉んで混ぜ合わせます。2.水圧を利用して、ポリ袋の空気を抜きます。3.上のほうで口をしばり、材料を平たくします。4.お湯を沸騰させたあと、弱火にしてポリ袋を入れます*。*鍋の場合は、鍋底に皿やシリコン製の落とし蓋など置きましょう。袋をしっかり鍋の中に入れて、吹きこぼれ防止のため蓋はしません。ポットの場合は、一度沸騰させたあと保温の状態になったら袋を入れましょう。 【ご飯を炊いてみよう】材料(1人分)・無洗米60g(ペットボトルキャップ8杯分)・水90ml(ペットボトルキャップ12杯分) 作り方1.ポリ袋に米と水を入れて、1時間浸水させます。2.鍋またはポット(98℃設定)に入れ、約25分加温します。3.湯から取り出し、10分蒸らします。 【さばと大根の味噌煮を作ってみよう】材料(1人分)・さば味噌煮缶80g・だいこん50g(中央部分なら2cmの輪切りの1/2、先端に近い部分なら3~6cmの輪切りの1/2)・しょうが1g(ひとつまみ程度) 作り方1.だいこんを1cm幅のいちょう切り、しょうがをせん切りにします。2.ポリ袋にさばの味噌煮缶の中身とだいこんを入れ、約20分加温します。3.湯から取り出し、しょうがをのせます。 参考:兵庫県栄養士会「災害時に役立つパッククッキング」 食器がないときのライフハック■ペットボトルや牛乳パック・新聞紙などを活用ペットボトルや牛乳パックを切って、お皿の代わりにできます。食べ物を入れる前にラップを敷いておけば、洗い物が少なくてすみます。▶︎左)新聞紙などで器を作り、上からビニール袋をかぶせた器右)牛乳パックの側面を切ってスプーンに ▶︎左)ペットボトルを半分に切ればコップ代わりに右)四角いペットボトルを切ってお皿代わりに 参考:東京都総務局総合防災部防災管理課「東京防災」 手指を清潔に保つことで、食中毒以外の感染予防にもつながります。もう一度正しい手洗いの方法を確認しておきましょう。また、日頃の防災対策の一つとして、被災時の調理方法を実際に試してみるのもいいかもしれませんね。 6回に渡り、災害時に役立つ情報を紹介させていただきました。コロナ禍ということもあり、感染対策とともに、非常時の備えもしっかりして少しでも安心して過ごせると良いですね。 監修者:管理栄養士 医療社団法人愛弘会 みらいウィメンズクリニック 越坂(平野) 美由紀
2021年03月30日東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災から10年。その後も日本各地で大きな地震があり、つい先日も東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震がありました。世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている現在、また大きな地震が襲ってきたら……。大切なわが子を守るためにも、慌てずに適切な対応を取りたいですよね。そのためにまず、知っておきたいことをまとめました。 妊婦さんや乳幼児は災害時要配慮者災害弱者という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。行政上は「災害時要配慮者」もしくは「災害時要援護者」と呼んでいます。 災害時要援護者は、「災害から身を守るため、安全な場所に避難するなどの一連の防災行動をとる際に、支援を必要とする人々」のことを指し、1.心身障害者(肢体不自由者、知的障害者、内部障害者、視覚・聴覚障害者)2.認知症や体力的に衰えのある高齢者 3.日常的には健常者であっても理解力や判断力の乏しい乳幼児 4.日本語の理解が十分でない外国人 5.一時的な行動支障を負っている妊産婦や傷病者などが含まれます。参考:日本赤十字社「災害時要援護者対策ガイドライン」 地域によっては、専用の避難所(福祉避難所)が設けられます。備蓄品やスタッフに特別な配慮があり、妊産婦も対象となります。事前に場所の確認をしておくと良いでしょう。 避難のタイミング(警戒レベル)災害が起きたとき、その場にとどまるのか、避難所に行くのか、判断に迷うことがあるかもしれません。そんなときに指針となるのが、「警戒レベル」です。災害の危険性が高まったときには、住んでいる市町村などから避難情報が出されます。警戒レベルによって避難行動が変わってきますので、今がどの警戒レベルにあたるのか把握し、早め早めに行動することが大切です。避難情報は、テレビやラジオ、インターネットなどのほか、防災行政無線や広報車などで伝達されます。 警戒レベルとは?警戒レベルは5段階あり、災害発生の危険度が高くなるほど数字が大きくなります。各レベルの状況は以下のようになっています。 警戒レベル1:災害への心構えを高める災害発生の危険性はまだ低い段階。最新の情報に留意し、災害への心構えを高めておきましょう。 警戒レベル2:ハザードマップなどで避難行動を確認災害発生に対する注意が高まってきた段階。ハザードマップで災害の危険性のある区域や避難場所、避難経路、避難のタイミングの再確認など、避難に備え、自らの避難行動を確認しておきましょう。 警戒レベル3:高齢者や要介護者等が避難市町村から「避難準備・高齢者等避難開始情報」が発令された段階。避難に時間を要する人(高齢者、障害のある方、乳幼児など)とその支援者は避難を開始しましょう。その他の人は、避難の準備を整えましょう。 警戒レベル4:対象地域住民の全員避難市町村から「避難勧告」や「避難指示(緊急)」が発令された段階。速やかに避難場所へ避難をしましょう。外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、近くの安全な場所か、自宅内のより安全な部屋に避難をしましょう。 警戒レベル5:“命を守るための最善の行動を”市町村から「災害発生情報」が発令された段階。すでに災害が発生している状況のため、命を守る最善の行動をとってください。警戒レベル5になってからでは、安全な避難が難しい場合があります。空振りをおそれずに、レベル3、レベル4の段階で安全かつ確実に避難を終えましょう。 警戒レベルは、現在内閣府の作業部会より見直しが検討されています。常に最新の情報を確認するようにしましょう。参考:首相官邸 「避難はいつ?どこに?」内閣府「早め早めの避難を行うために」 家族で情報共有・共通認識を!ハザードマップ・避難所の確認ご自身が住んでいる市町村が作成しているハザードマップや地域防災計画を見て、自宅や学校(保育園・幼稚園)・職場などにどのような危険があるのか確認しておきましょう。 また、避難場所の確認や経路、移動手段についてもご家族で計画しておきましょう。災害発生時の行動や緊急連絡先などをまとめたものをご家族全員で持っているといざというとき安心ですね。 災害時には、一般の避難所内に母子専用のスペースが用意される場合があるほか、専用の母子避難所が設置される場合もあります。なお、避難場所は災害種別ごとに異なります。またコロナ禍ということもあり、避難場所や収容人数などが変更されている可能性もあるので注意が必要です。 家族との連絡手段災害発生時にご家族が別々の場所にいた場合、すみやかに安否・居場所確認ができるよう、事前に緊急時の連絡方法を決めておきましょう。 ■伝言ダイヤル171・災害用伝言板(web171)の活用伝言ダイヤル171・災害用伝言板(web171)は、電話を使用した音声による伝言板システムです。地震、噴火などの災害の発生により、被災地への通信が増加し、つながりにくい状況になった場合にNTTによって提供が開始されます。参考:総務省「災害用伝言サービス」 ■公衆電話の活用災害等の緊急事態下において通信規制がかかっても、公衆電話は通信規制の対象外として優先的に取り扱われます。停電時に電話をかけることができ、また、大規模災害時には硬貨を使わずに通話できる場合があります。 参考:総務省「公衆電話の特徴と使用方法」 ■自分のアイコンを変更LINEやTwitterなどのSNSを活用している方も多いかと思います。現在、さまざまなサイトで緊急時のプロフィールアイコンがダウンロードできます。あらかじめこのようなアイコンを準備しておき、災害時に変更すれば、返信をしなくても自分の状況を伝えられるため、スマホや携帯電話のバッテリーを温存できます。またLINEでは、名前欄やステータスメッセージを変更するという方法もあります。ただし、タイムリーに変更できない場合もあるので、あくまでも手段の一つとして知っておくと安心でしょう。 災害はいつ、どのような形で襲ってくるかわかりません。防災グッズを揃えておくことはもちろん、情報を収集して共有することも大切です。災害時要配慮者となる妊婦さんや乳幼児がいるご家庭では、いざという時の備えが一層重要になってきます。今ここでもう一度各自の防災対策を見直してみませんか? 監修者:管理栄養士 医療社団法人愛弘会 みらいウィメンズクリニック 越坂(平野) 美由紀
2021年03月25日2021年3月11日で、東日本大震災発生から10年が経ちます。この地震に見舞われ被災をした一人、フィギュアスケーターの羽生結弦選手。同日サンケイスポーツは、羽生選手が被災した人々へ向けてつづった『メッセージ』を公開しました。羽生結弦「でも、やっぱりいわせてください」震災から10年を経てもなお、故郷へ戻ることができない人や行方が分からない人も多くいます。仙台市の自宅が全壊し、自身も避難生活を経験したという羽生選手。さまざまな心の傷を負いながら、日々生きる人たちへこのようなメッセージを贈っています。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。(中略)本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張りますサンケイスポーツーより引用羽生選手は、復興に向けて懸命に生きてきた人々へ、簡単にはいえないことを理解しつつも、「頑張ってください。僕も、頑張ります」という言葉を改めて贈ったのです。震災だけではなく、世界という舞台でさまざまなプレッシャーや厳しい練習に耐えてきた羽生選手。誰よりも「頑張れ」の持つ力を知っている、羽生選手だからこそいえる言葉に、ネット上ではさまざまな声が上がっています。・電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。まだまだ復興の途中。一歩ずつですね。・あの時から「頑張れ」って言葉が嫌いでした。でも、羽生くんの「頑張れ」は何か違うものを感じますね。ありがとう。・羽生さんの頑張る姿に、どれだけの人が励まされたことか…。失ったものは元には戻らないけど、少しずつ前へ進んでいきたいと思えました。10年が経過してもなお、被災した人々は、あの時の傷跡と向き合いながら生きています。私たちがやるべきことは、震災の経験を風化させることなく、次の世代へ正しくつなげていくことだといえるでしょう。投稿全文はこちら何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。あの日のことはすぐに思い出せます。この前の地震でも、思い出しました。10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろうそんなことを考えると胸が痛くなります。皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。でも、たくさん考えて気がついたことがあります。この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張ります2021年3月羽生結弦サンケイスポーツーより引用[文・構成/grape編集部]
2021年03月11日東日本大震災から10年になる、2021年3月11日。震災の復興支援を続けてきた、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさんは、ブログを更新し、東北への想いをつづりました。伊達さんは、震災当日も含め、毎年3月11日は宮城県気仙沼市を訪れているとのこと。ブログでは観光キャラクター『ホヤぼーや』とのツーショット写真を公開し、気仙沼市の現状を伝えています。震災から10回目の3月11日。当日もいたから、11年連続で気仙沼に来てる事になるのか…。もう、すっかり気仙沼にも知り合いが出来たり良く行くお店もあったり、今は気仙沼に来るのが楽しみで仕方ない。素敵なお店や美味しいお店も来る度に増えて、新・気仙沼になっている。変わらないのは、人の温かさと魚の旨さ!日本屈指の港町は健在だ。震災直後、泣きながら前を向いて生きてきた地元の方々を見てきたから…今、そんな方達と笑顔で会うと、10年という時間の経過も感じる。サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログーより引用また、震災から10年目を迎えるにあたり、改めて決意の言葉をつづっていました。今日で10年。歯を食い縛り、本当によく頑張ってきました。この地に、縁もゆかりも無いボランティアの方々が泥まみれになって助けてくれたから今がある。縁もゆかりもある我々は、もっと懸命に頑張らないといけない。じゃないと、助けて下さった方々に失礼だ。たった10年経っただけ。行方不明者はまだ2500人以上。捜索は今も続いている。整理がつかない方も多い。遺族は10万人を超える。これからも、我々は何も変わらず共に生きて行きます。サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログーより引用この10年、被災地の人たちは、いろいろな想いを抱えながら懸命に生きてきたことでしょう。人々の努力があって、少しずつ復興が進んでいます。その一方で、未だに行方不明者も多く、福島第一原発事故などの影響によって同月4月現在も4万人以上が避難生活を余儀なくされている状況です。伊達さんの言葉には、「震災を過去のものにしない」「生き残った者として伝えていく」という強い決意が感じられます。コメント欄には、さまざまな声が寄せられていました。・10年が経つなんて信じられません。被災した人々が頑張っている姿にいつも励まされています。・ずっと東北を励まし続けてくれて、ありがとうございます。これからも応援しています。・宮城県や東北、被災地について教えてくれてありがとうございます!私もずっと心を寄せていきたいです。災害はまたいつ起きるか、分かりません。時間の経過とともに、震災の記憶や教訓が薄れることのないよう、日々心に留めておくことが大切ですね。伊達さんの投稿は、多くの人の心に響きました。[文・構成/grape編集部]
2021年03月11日東日本大震災の実録第6話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 東日本大震災の実録第6話 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あの時必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月10日福島第一原発事故から、間もなく10年。“復興”の影に深い闇が見えてきた。現在も首都圏の国家公務員宿舎に避難を続けている区域外避難者34世帯に対し、コロナ禍で2度目の緊急事態宣言も出される寒空のもと、福島県が追い出しをかけているというのだ。「経済的な事情で転居できない避難者を、まるで犯罪者のように福島県は扱っています。使用料(家賃+駐車場代)を通常の2倍請求し続けたあげく、福島県に住む老親の元に押しかけたり、書留で文書を送りつけたりして、あなたの娘(息子)さんは『○百万円の家賃を滞納している。支払って1月中に退去するよう親から言ってくれ。さもないと法的手段に訴える』などと、脅しのようなことをしているんです。これが被災者に対して、することでしょうか?」そう訴えるのは、原発事故避難者「2倍請求」撤回訴訟を支援する会(以下、支援する会)の瀬戸大作さん。暮れも押し迫った12月25日、支援する会は記者会見を開き、福島県に対してそう憤った。なぜ、こうした事態になっているのか――。「10年前の福島第一原発事故のあと、災害救助法に基づき、被害者に対して公営住宅を無償提供してきました。ところが福島県は、2017年3月に国の避難指示区域外から避難している“区域外避難者”の住宅支援を打ち切ったのです」こう説明するのは、支援する会のメンバーで、自身も福島県から東京に避難中の熊本美彌子さん。この住宅支援の打ち切りが問題の発端だった。区域外避難者には、東電からの賠償金はほとんど出ていない。避難で仕事を変えることを余儀なくされ、派遣やパートの仕事しか見つからず収入が大幅にダウン。妻や子どもだけ避難している母子世帯もいる。こうした事情から、経済的に困窮している人たちも少なくない。そこにコロナ禍による収入減が追い打ちをかけている。「福島県は、〈経済的な理由ですぐに退去できない世帯に関しては、国家公務員と同等の家賃を支払えば2019年3月まで住んでもよい〉という2年間の期限を設けました。しかし、2年過ぎても退去できない場合は“使用料を2倍”請求するというおかしな条項が契約書に入っていた。県は、事前にそれをきちんと説明もせず、しかも2017年4月になってから契約書を送ってきたのです」(熊本さん)使用料を2倍請求されることを知らずに契約を結んだ避難者がほとんどだった。この日の記者会見では、福島県から嫌がらせのような行為を受けている避難者からの手紙も読み上げられた。そこには原発事故から10年目の、こんな悲痛な叫びがあった。「“死ね”そんなふうに(福島県から)言われているように思えてしまう。正直もう死んだほうがいいのかと、何度も頭をよぎったこともあります」「私は生活すべてを面倒見てくださいなんて言っていません。生活する分は自分で精一杯なんとかするから、どうか住むところだけは奪わないでくださいとお願いしているだけなのです」(Aさん)このAさんは40代女性。原発事故のあと、福島市から東京に単身で避難。斡旋された国家公務員宿舎で避難生活を続けてきた。パートや契約社員として働いてきたが、心身のバランスを崩し、1年間ほど働けなくなったこともあった。現在は、ようやくパートで食いつないでいるが、それでも収入は月10万円程度。前出の熊本さんは、こう付け加える。「彼女は福島に住む老親に心配かけまいとがんばっていたのに、自宅にまで押しかけて『損害賠償金はいくらいくら溜まっている。分割でいいから払ってほしい。そうしないと私たちは給料をもらえない』などと言って、法的手段に訴えることをちらつかせています。そもそも、彼女は通常の家賃なら払うと言っているのに、福島県は“2倍”の額を記した請求書を毎月送りつけてきているのです。生存権の侵害です」2倍請求された額は、ひと月で約4万円。手取り10万円の給料から支払うのはギリギリで、引っ越し費用を貯めることは難しい。福島県は「ていねいに寄り添う」と言って、住宅に関する相談会などを開いたこともあるというが、住宅斡旋業者を連れてきて避難者に紹介するだけ。Aさんも参加したが、その後、具体的に住宅を紹介されることもなかった。「だったら福島に帰ればいいと言う人もいます。しかし、原発事故から10年経って、避難先での生活が日常になっている。子どもの学校、仕事、コミュニティ……。実家との関係が悪く、帰る場所のない人だっているのです。“原子力緊急事態宣言”はいまも発令中で、原発事故はまだ終わっていないのに、一般的な災害に当てはめて住宅支援を打ち切るのはおかしい。原発事故の犠牲者に、これ以上の“自助”を強いるのは間違っています。原発事故に即した新たな法整備を進めるべきです」(熊本さん)そもそも、原発は国策によって進められてきた。現在行われている数々の原発事故の責任を問う裁判では、「東電や国が対策を怠っていなければ原発事故を防ぐことができた」という判決も多く出ている。これ以上、被害者の生活を奪うことがあってはならない。
2021年01月07日さまざまな災害が発生する日本。夏から秋にかけては台風が発生し、毎年各地に多大な被害を及ぼします。家族の安全を確保するためにも、いつでも避難所に移動できるよう必要な物は把握しておきたいもの。ちくまサラ(@chikumababy)さんは、2020年9月1日に発生した台風10号が接近した時、家族で避難所に行きました。その際の反省点や発見などを漫画に描き、多くの人々に情報共有をしています。『台風で避難した話』身体の不調から手術を受けたちくまさんは、術後の1週間、子どもたちの送迎を夫と義母さんに頼んでいました。その間、夫は会社も忙しくなり疲労が蓄積。台風直前にダウンしてしまったのです。ちくまさんは1人で台風の準備をすることになり…。猫を連れて避難したちくまさん一家。受付そばにペットケージを置くようにいわれたため、その通りにしました。教室では、避難のために準備したグッズが役立ちます。避難所でのコミュニケーション避難所では、ちくまさんが準備してきたルームライトや凍らせたペットボトルなどが役立ちました。一方で、必要な物も見えてきます。台風通過後も大変!今回のまとめ。そして新しく荷造りしたもの(短期用の非常袋)です。モバイルバッテリーや通帳等は普段のリュックへ。着替えはその時使っているものを別のバッグ(長期用)に入れて持ち出す予定です。まだ改良が必要なので頑張ります。 pic.twitter.com/gTm2RayKwN — ちくまサラ@5y&1y (@chikumababy) October 8, 2020 幸いなことに大きな被害もなく、避難所で貴重な体験をすることができた、ちくまさん一家。実体験を元にした有益な情報に、「とても勉強になりました」「参考になります!」などの声が多数寄せられています。宿泊設備が整っていない場所での集団生活は、たった1日であっても不便なことがたくさんあります。また、子供や高齢者、ペットと一緒に避難する場合は必要な備えも異なるはず。避難先で体調を崩さないよう、普段から準備を入念にしておきましょう。そして避難した人は体験を共有し、多くの人が避難所でより快適に過ごせるよう、情報を更新していけるといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月14日「9月1日は防災の日。コロナ禍で自粛生活を経験した今こそ、災害時に命を守る食の備蓄について考えてみませんか?」そう語るのは、主婦の視点での防災対策を提唱する危機管理アドバイザーの国崎信江さん。「非常食=特別な食ではありません。『ステイホーム』の際に、多めの食料をスーパーで買いましたよね?この“多めに買う習慣”はそのまま災害への備えになるんです」日々のスーパーでの買い物が、そのまま非常食になると国崎さん。「まず家に食材が何日分あるかを確認しましょう。冷蔵庫の中身を全部食べると3日分はありませんか?さらにお米や麺類、缶詰、レトルト食品など常温保存している家の中の食料すべてで7日分くらいになるのではないでしょうか?」たしかに、今、家にある食料だけで10日分くらいはあるかもしれない。「『非常食は10日分備蓄してください』というと、皆さん、難しそうな顔をされます。でも、毎日のスーパーの買い物で、すでに準備できているご家庭も多いんですよ」と国崎さん。「日ごろから、食料を多く備えておき、それをふだん食べて消費しながら、買い足していくことで、一定の量の食料がいつも家に備蓄されているようにしましょう」主婦で3人の子どもの母でもある国崎さんは、「家庭内流通備蓄」として、こう提唱した。この考え方は、現在「ローリングストック」と呼ばれ、広く普及している。「アルファ米や缶パンなどのいわゆる“非常食”は、費用の面でも割高ですし、栄養の偏りや、賞味期限の管理も負担になります。一方、日ごろから食べるものを多めに買い、消費したら買い足す、という方法なら、賞味期限もこまめにチェックできますし、ふだんから栄養バランスに気を配れば、災害時の健康管理にもつながります。食べ慣れた味は、災害時のストレスを軽減する効果も」何より、特別なことをするのではなく、スーパーでの買い物という日常の中で、非常時への備えができるのだという。「私もふだんの生活でローリングストックを行っています。非常食は、ふだん買い物に行くスーパーで少し多めに買う。これで十分そろいます」そう笑顔で話すのは、主婦の目線で防災情報を発信するサイト「いつもしも」のママさんライターであるトコさんだ。災害時には、栄養不足、精神的ストレス、衛生環境の悪化など、健康を悪化させる要因が増加する。だからこそ、自分で備えられる食料で、「栄養」面を対策したいもの。そこで、栄養面の観点で、ふだんからスーパーで買っておきたい食材についてトコさんに聞いてみた。「ライフラインが途絶える災害時、私たちの“いのち”をつなぐのに、もっとも必要なのは、水です。飲み水としてはもちろん、水がないとご飯も炊けませんし、カップ麺も作れません。また、栄養不足で疲れやすくなり、動けなくなって、さらに身体機能が低下する、という悪循環に陥りがち。ゆえに、エネルギー源となる、米や麺類などの主食は必須です。わが家では10日分常備しています」まずはカロリー摂取が基本となるが、東日本大震災では「カップ麺などカロリーばかり重視した食事が多く、栄養の偏りによる体調不良も多かったそうです」と、トコさん。「特に、ビタミンやタンパク質、食物繊維が不足しがちになると聞きました。そこで、ふだんの買い物をするときにも、不足しがちな栄養素が取れる食品を選ぶように心がけています」たとえば、タンパク質が不足すると、筋力低下、低血糖や低体温などが起こりやすくなる。「私は大豆が好きなので、タンパク質は豆乳などの大豆製品をメインに。水でもどして食べる大豆ミートはケチャップやマヨネーズで味つけするとおいしいし、日もちもするのでいいですよ。パウチのサラダチキン、魚や肉の缶詰もよく買っています」野菜の摂取が難しくなる災害時はビタミンや食物繊維の不足から便秘、肌荒れ、口内炎が起こりやすくなる。「ビタミンは、玉ねぎやかぼちゃ、芋類などの常温保存できる野菜や、ほうれん草、アスパラガスなどを冷凍保存したもの、野菜ジュースで摂取したいと思っています。さらに最近、スーパーでよく見るようになった『パウチ野菜』は、ごぼうやじゃがいもなど種類も多く、使い切りサイズなどでふだんから消費しやすくておすすめ。食物繊維は、切り干し大根や干し芋などの乾燥野菜で、生で食べるより栄養価も高そうです」現代人はミネラル不足といわれているが、避難生活の偏った食事ではさらに足りなくなる懸念が。トコさんはミネラル摂取のために、ドライフルーツや海藻、海苔をふだんから購入している。「災害時にはメンタルを安定させてくれる“心の栄養”になるものも必要です。私の周りには、大好きなコーヒーの香りを嗅ぐだけで、落ち着けるという人も多い。私もコーヒーとチョコの組み合わせが好きで日ごろからストックを欠かさないようにしています。うちの子はカップスープが好きで毎朝飲んでいますが、これも非常時の“心の栄養”として多めに買っています。きっと、災害時に重要なのは、ふだんの暮らしを思い出せる食事なのだと思うんです」スーパーの食材は、災害時の健康を栄養面だけでなく、精神面からも支えてくれる。「女性自身」2020年9月15日 掲載
2020年09月04日「天皇皇后両陛下には、この度の大雨災害で多数の方々が犠牲となり、また、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めておられます」7月6日、宮内庁の池田憲治次長は会見でこのように述べ、天皇陛下と雅子さまのお見舞いの気持ちを明らかにした。7月に入ってから続いている長雨は九州や島根県、岐阜県、長野県などで豪雨災害を起こし、多くの犠牲者、行方不明者を出している。皇室担当記者は次のように話す。「両陛下は昨年12月26日、昨年10月の台風19号で大きな被害が出た宮城県と福島県の被災地を訪問され、被災地の方々に直接話しかけられてお心を寄せられています。また両陛下は被災の現場をご覧になり、痛ましい状況を理解されているだけに、今回の豪雨被害についてもたいへんに心配されていることと思います」両陛下の被災地でのお姿には、常にお二人で力を合わせ、国民のことを思い、お心をお寄せになっているという姿勢が感じられる。そのスタイルが被災地ご訪問で色濃く出て、印象に残った場面があった。平成も残り少なくなった’18年9月、両陛下は’17年7月の九州北部豪雨で最も被害が大きかった福岡県朝倉市の復興状況を視察されている。この時、約100人の被災者が暮らしていた朝倉市杷木地区の仮設住宅「林田団地」をお訪ねになった。この仮設住宅の入り口で両陛下のご到着を待っていた人々の中にいたのが、当時97歳の古賀チトセさんだった。お車から降りられた雅子さまはすぐに車椅子に座っていた高齢の女性に気づき、チトセさんの前で膝を折られ話しかけられたのだ。雅子さまはチトセさんの手を両手で包み込むようにして「冷たくなっていますね」と温められ、「長生きしてくださいね」と声を掛けられた。長時間外で待っていたチトセさんの体が冷えているのを、雅子さまは気遣われたのだ。雅子さまのご様子を隣でご覧になっていた天皇陛下も、思わず手を伸ばされて、チトセさんの手を握られた。古賀さんは「天に昇るような気持ち。私は本当に幸せ者です」と、喜びを語っていた。「この時のご様子から、これがご即位された後の国民との触れ合いのスタイルとなると感じられました。雅子さまの国民への寄り添い方を陛下が理解され、ともに国民を励ましたいというお気持ちがはっきりと出ていたのです」(前出・皇室担当記者)古賀チトセさんは、今年5月14日に亡くなったという。享年101だった。三女の公子さんが、チトセさんの気持ちを話してくれた。「母は、3年前に雅子さまとお会いしたことを支えにして生きてきたと思います。『雅子さまはお車を降りられて、まっすぐ私の方に歩いてきてくれました。この嬉しい気持ちがわかりますか?』と、なんどもなんども口にしていました。戦前生まれの母にとって、天皇陛下と雅子さまに励ましていただいたことは、きっと天にものぼるような気持ちだったのだと思います。高齢になって、先祖代々300年以上住んできた家が流され、避難生活を送ることになった母にとって、雅子さまの励ましは本当にありがたかったのです」亡くなった当日の5月14日は、チトセさんの80回目の結婚記念日でもあった。結婚式の写真は’17年7月の豪雨で自宅が水害で全壊した時に行方不明になっていたが、偶然にも亡くなる1週間前に見つかったのだ。チトセさんの遺骨は、その結婚式の写真と、両陛下と一緒にチトセさんが写っている写真とともに、納骨堂に置かれている。葬儀の日、チトセさんの孫(公子さんの息子)は、参列者への挨拶にこう述べた。「祖母は両陛下に励まされたことを生きがいとして、今日まで頑張ってきたと思います……」これまで両陛下がお見舞いに訪れた被災地の人たちのなかには、チトセさんのように天皇陛下と雅子さまと触れ合ったことで、全てを失っていてもこれから頑張らないといけないと、生きる力が湧いてきたという人もいる。公子さんはこう気持ちを話す。「今年も災害が続き、雅子さまはお辛い気持ちでいらっしゃることでしょう。このコロナ禍が終わったのちに各地にお出かけになり、母を励ましてくださったように、被災者に寄り添って欲しいと思います」「女性自身」2020年7月28日・8月4日合併号 掲載
2020年07月21日2018年7月の豪雨で、私の住んでいる九州北部地方も大雨にみまわれました。激しい雨が降り続け、私の住む市にも大雨特別警報と避難勧告が発令……。わが家には当時小学校1年生の長男・4歳の長女・生後5カ月になる次男の、3人の子どもがいました。初めての避難勧告に、私はどうすればいいかわからず焦るばかり……。避難勧告が発令されたときの体験と学んだことをお話しします。 激しい雨が続いて不安に…激しい大雨が降り続いたのは、2018年の7月5日のことでした。はじめは気にとめていませんでしたが、ニュースで大きく報道され始めたのでだんだんと不安になってきたのを覚えています。 前年の九州北部豪雨以降、ニュースでは大雨について細かく報道するようになっていました。大雨が降り続くなか、ニュースで警報の種類や概要を学んで過ごしました。このときは、まさか大雨特別警報が発令されることになるとは思っていませんでした。 なかなか避難する決断ができず…ニュースでは、数十年に一度の大雨が予想されるという情報が流れていました。すでに避難指示が出ている地域もあったのですが、夕方の時点で私の住む地域は避難準備の段階でした。わが家は山が近いため土砂崩れが心配でしたが、なかなか避難する決断ができず……。 いつでも避難できるように、とりあえずバッグに子どものおむつやお菓子を詰め込みました。夜になり仕事から帰ってきた夫に相談し、そのまま家で夜を過ごすことになりました。 ママ友からのLINEで避難を決意!夜の間も激しい雨が降り続け、早朝には私の住む地域に避難勧告が発令されました。夫は避難勧告が出る前に出勤してしまったので、避難するかどうかの判断は私が下すことになります。 避難するべきか迷っているときに、幼稚園のママ友とのグループLINEからメッセージが届きました。そのLINEで近所の道路状況を教え合う、避難するかどうかを伝え合うことができ、災害に向き合う意識が高まったと思います。結果、私は比較的安全と思える姉の家へと避難することに決めました。 河川が氾濫寸前、そして大雨特別警報発令!車で30分のところにある姉の家は、平地にあるマンションの高層階です。赤ちゃん連れで避難所は大変そうだと思い、姉の家への避難を決めたのです。しかし夕方には大雨特別警報が発令……! さらに姉の家のそばにある大きな河川が氾濫寸前になりヒヤヒヤ! どうにか寸前のところで雨がやんで水位が下がりましたが、マンションから出られなくなるところでした。一方指定された避難所は被害がなかったそうです。翌7日の朝8時ごろには大雨特別警報と避難勧告が解除され、私たちは帰宅しました。 今回の大雨では、近所の人と関係を築いておくことの重要性を実感しました。LINEでママ友と近所の道路状況などの情報を交換したことが役に立ったからです。それから、経路を含めて非難する場所をよく考えることが大切だと思いました。今は新型コロナウイルスの影響で避難所の利用も悩むところです。情報交換しつつ、安全な避難先を見極めることが必要だと思わされました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて事前にお住いの地域の災害に応じた自治体に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年07月10日親だって…1人になりたい時はある!Upload By 丸山さとこ生活においてサポートが必要だったり目が離せなかったりする子どもがいると、保護者は思うように休憩をとれなくなりがちです。長期休みに入れば尚のこと、「一瞬でもいい!1人にさせて…!」と思う時もあるのではないかと思います。私も一日中「ねーお母さん」な息子コウに構われ過ぎて、干からびそうになることもしばしばです。(ほぼ毎日かもしれません。)そんなコウとの毎日の中でも何とか小さな息抜きをするべく、あの手のこの手で“物理的・精神的な距離”を置くようにしています。用事を済ませているフリをしつつ“さり気なく休憩“Upload By 丸山さとこおやつは既に食べ終わりDVDやゲームで気をひくにもネタが尽きてしまった時、さり気なーく「用事を済ませるね」と声をかけながら部屋から出ることで“短い休息”をとるようにしています。「洗濯物を干してくるね」「物置の整頓してくるね」「庭で草むしりしてくるね」等の用事を言いつつ、スマホと飲み物を持って一時避難します。嘘にはならないようある程度家事も進めながら、気分転換のひとときを楽しみます。水分補給をしてスマホを見たりボンヤリしたり…ゆっくりと首肩のストレッチをするだけでもいくらかリフレッシュできます。足音がしてドアが空いた時は「休憩がバレた!」と慌てる必要はありません。休憩をしつつ作業を進めるのは何も悪い事ではないからです。「どうしたの?」と堂々とたずね、「まだー?」と聞かれれば「あと10分くらいかな」と目安を答えます。「見に来て!」「〇〇やろう」と誘われれば、「いいよ、待っててね。」と応じます。後は、1~3分ほど気持ちの切り替え時間をとってからコウのところに行けばOK!コウが来た時点で既にリフレッシュが完了しているのであれば、「手伝ってくれる?」と聞くこともあります。乗り気の時は「助けてあげる!」と張り切ってくれますし、お手伝いをしたくない時であれば逃げてくれるので、それはそれで好都合です。※お手伝い好きの子だと、「手伝おうか?」と毎回付いてくるようになるかもしれません。コウがそうなった時には、「じゃあ、あっちの部屋でタオルたたみお願いしていい?分担して一気に片付けちゃおう!」と頼むようにしています。“そっとしておいて欲しい人”を、そっとしておくということUpload By 丸山さとこ多かれ少なかれ、人にはそっとしておいて欲しい時があります。心身が疲れていたり辛かったりする時に「今自分はそっとしておいて欲しいのだ」と気付いて、それを人に伝えるのは大切なことです。そして、それを人から伝えられた時に「今はそうなんだね」と受け入れることも、同じように大切なことだと思っています。「“そっとしておいて欲しい人”をそっとしておくことは、他人と関わって生きていく中で必要なスキルだ」と考えている私は、コウにもそれを理解してもらえたらいいなと思っています。「コウにカームダウンエリア(気持ちを落ち着ける場所)が必要なように、他人にもそれが必要な時があるんだよ」と説明をすると、コウも「そうだよね。『ねぇねぇ、どうしたの?』って言われるのも辛い時があるもんね」と納得してくれました。我が家のリビングダイニングの一角にはソファにもベッドにもなるデイベッドが置いてあり、そこは親の一時避難所になっています。明確な区切りがないと判断が難しいコウに対して、ハッキリとした“視覚的に分かりやすいルール”を提示することで「ここは自分が入ってはいけない場所だ」と理解してもらっています。“完全にコミュニケーションを遮断する場所”ではないため外から声をかけることはできますが、コウも「用事がない限りそっとしておく場所」だと思ってくれているようです。とても助かります。Upload By 丸山さとこどうしても伝えたいことがあって我慢できない時は話しかけても良いとした上で、「ちょっと我慢できそうだけど忘れちゃいそうな時は、紙に書いておくのはどうかな?」とコウに提案すると、「それはいいね」と喜び、休憩が終わるのを待って手紙や折り紙を渡してくれるようになりました。「お母さんへの手紙」のイメージだからなのか、「お母さん、いつもありがとう。」などの言葉が書かれた“母の日のような手紙”をくれることが多いです。あるいは、遠く離れた母への手紙のようなものをしたためてくれることもあります。「お母さん、元気ですか?僕は今、ポメラニアンを折っています。お母さんに会えたら、一緒にゲームをしたいです。」という手紙を読んだ時には「心の距離が遠かったの?」と、コウと2人で笑ってしまいました。親にも“カームダウンエリア”は必要Upload By 丸山さとこ発達障害のある子どもには“カームダウンエリア”が必要だとされることがあります。カームダウンエリアとは「気持ちを落ち着かせることのできる場所」のことで、刺激から離れて落ち着くことのできるスペースを用意するのが一般的なようです。リラックスできるグッズを置いたりすることもあります。カームダウンエリアを普段から用意しておくことで、不安・癇癪・パニックなど“感情やストレスが高まって辛い時”はそこへ避難して落ち着くことができます。私自身、発達障害があり過度の刺激からパニックを起こしてしまうことも珍しくないため、必要に迫られてカームダウンエリアを作っているところがあります。そんな私ですが、「刺激から隔離された場所で気持ちを落ち着かせること」は発達障害のあるなしにかかわらず、誰にでも必要なことなのではないかと思います。動物だって構われ過ぎたらノイローゼになったり弱ったりします。人間も同じことの筈です。しかも人間の子育て期間は長く、発達障害の傾向のある子どもはモラトリアム期間が長くなることも少なくありません。「長い距離を歩くためには休憩が必要だ」と考えることは、大切なことなのではないかと私は考えています。積極的な休憩をとるにあたって予めコウに伝えてあるのは、「コウのことが嫌だから1人になりたいわけではないんだよ」ということです。「アイスが大好きでもお腹いっぱいなら食べられない。スキーが楽しくても疲れてきたら滑れない。それと同じことかなと思う」と話すと、コウは「そっか。それは嫌いになったのとは違うし、回復するのに時間が必要だね」と頷きました。“あなたの疲れと私の疲れは違う”ということ。そして、“あなたの気分と私の気分は違う”ということの理解が難しいASD・ADHDのコウです。そんな彼が他人と「程よい距離のいい関係」を築けるように…そして、今一緒に暮らす家族であるコウと私が仲良く暮らせるように、「1人の時間」を大切にしつつ一緒の時間を過ごしていけたらいいなと思っています。Upload By 丸山さとこ
2020年05月22日東日本大震災発生から9年を迎えた。死者・行方不明者が1万8千人を超えた未曾有の大災害。当時、被災者を励ますため、上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)はいち早く動かれた。震災発生から19日後には被災者が避難してきた東京武道館をご訪問。武道館の床に膝をつきながら一人ひとりに声をかけ、激励された。この日から、両陛下は7週間連続で福島・宮城・岩手の東北3県や茨城などの被災地へ。被災地に負担をかけないよう、すべて日帰りという過密スケジュールだった。その年、美智子さまの誕生日の際に公開された写真にも、被災地を励ます思いが込められていた。皇居でたたずむ両陛下のそばには、真っ白なハマギクの花が咲いていたのだ。この花は、1997年に両陛下がお泊りになった、岩手県大槌町にある「浪坂観光ホテル」から贈られたものだった。岩手県大槌町には22mもの津波が襲い、『浪坂観光ホテル』も営業停止に追い込まれた。両陛下へハマギクの苗を献上した社長の山崎龍太郎さんも、行方不明となってしまう。社長の弟・千代川茂さんは悲嘆に暮れていたが、美智子さまの誕生日写真を見て、「兄が贈った花を両陛下が大切に育ててくださっていた」と感激。ハマギクの花言葉でもある、“逆境に立ち向かう”精神で、ホテルの再建を決意した。そうして再建された「三陸花ホテルはまぎく」に、上皇陛下と美智子さまが宿泊されたのは2016年のことだった。平成最後の東日本大震災被災地の訪問は、2018年6月の福島県。震災後、両陛下が福島県を訪れるのはこれが6度目だった。「スパリゾートハワイアンズ」では、避難生活を送る被災者を元気づけるとともに“復興のシンボル”となったフラガールたちのダンスをご鑑賞。美智子さまは、1曲目の『花は咲く』のときに、“花は咲く”の歌詞に合わせるように、胸元に両手で小さな花を作られた。そのお姿を見たフラガールは、踊りながら涙がこぼれそうになったという。震災から時が経っても、被災者へ心を寄せられてきた美智子さま。癒しと労いのメッセージは、これからも被災地に希望の花を咲かせ続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日「災害時にできることは限られています。大切なわが子の命を守れるかどうかは、災害が起こる前にいかに準備できているかにかかっています」。これは、子育て中のママ向けに防災講座を行う永吉美さとさんの言葉。9月1日の「防災の日」がよいチャンスです。いま一度見直してみませんか?まず準備・確認すべきこととして挙げられるのが“室内の安全”、“避難経路と避難場所”、“備蓄品”の3つ。これらについて詳しく聞きました。地震直後に死なないために!~室内の安全確認~はじめに家族が一番長く時間を過ごす寝室、リビング、キッチンの安全確認から始めましょう。地震直後の“1秒”で動ける動作を想像し、落下物や倒れてくるもの、移動してくるものがないか確認します。1秒では2、3メートル動くのが精一杯。テーブルで食事中ならテーブルの下に、リビングで過ごしているなら照明の真下を避け部屋の隅っこに移動する、また膝かけなどをかぶるなど、1秒でできそうな動きをイメージしてみるのです。大きな家具は転倒防止の対策を、テレビもテレビ台や壁にしっかり固定しましょう。ピアノやキャスターつきのベビーベッドも横揺れで激しく動くので要注意!ストッパーで対応しましょう。そして各部屋で、何も落ちてこないであろう場所=“安全スペース”を確保し、いつでも逃げ込めるようにしておく準備も。津波や火災で死なないために!~避難経路と避難所の確認~災害の種類によって避難経路や避難所は異なります。例えば津波、火災、川や山からの土石流では逃げるルートも変わってくるでしょう。それぞれの場合を想定して、避難ルートを再確認。家から出る際も玄関だけではなく、裏口やベランダから出られるか確認しておくことも必要です。私も引っ越してきたときに、子どもと避難ルート確認のために山道を歩きました。子どもたちは土地勘ゼロなので、1回ではなく何回か歩いてみることが必要で、また家族間の連絡方法もあわせて確認しておかねばと思いました。栄養不足やストレスで死なないために!(災害関連死)~備蓄の準備~3.11の東日本大震災までは、食糧の備蓄品は3日分と言われていましたが、現在は最低でも7日分となっているようです。水は多めに、食品は缶詰に偏ってしまうと塩分を摂り過ぎになるので、バランスを考えた備蓄を心がけましょう。野菜不足になりがちなので、食塩無添加の野菜ジュースはおすすめのアイテム。子どもは食べたことのないものを嫌がる傾向がありますので、子どもが食べて慣れているものを中心に準備するのもポイントだそうです。それに加えておやつも必要だと聞き、驚いた私。永吉さんいわく、「災害時は非日常で、それだけでもストレス。子どものストレス緩和のためにも、おやつは必要です」とのこと。実際の避難生活では、ストレスや栄養失調での災害関連死も問題視されているので、再度チェックしておきたい点です。その他、オムツ等は配給で子どもにぴったりなサイズを受け取れるとは限らないので、日常から1カ月分はストックしておくよう心がけましょう。あったら便利なグッズとアプリ非常時用持ち出し袋は多くの家庭で準備していると思いますが、小さな子どもを連れて避難する場合は荷物が重すぎたり、また子どもをおんぶするなどでリュックを背負うことができない場合も。そんなときは持ち出し袋の代わりに、“防災ベスト”がオススメ!背負う子どもの体重+防災ベストで10kgを目安に荷物を準備をするとよいそうです。ベストのポケットに入る量は限られますが、最低限入れてほしいものは、”ヘッドライト、水、行動食、呼子、そしてゴミ袋”。ゴミ袋は雨具や風よけにもなります。魚釣り用のベストやカメラマンベストでも代用可その他、便利な防災アプリも。永吉さんがインストールしているアプリを見せてもらいました。永吉さんが使っている防災関連のアプリ「避難所ガイド」は出先でも最寄りの避難所を確認できるそうなので、私も早速インストールしました。「ゆれくる」は緊急地震速報以外にも観測後の震度情報、津波警報・注意報の発表・解除も教えてくれます。使えそうなアプリを事前に調べ、インストールしておくことも準備のひとつです。子どもを守る=災害前にいかに準備ができているか永吉さん自身は3歳と0歳児を育てるママ。ママになってから防災の"抜け"に気づき、“子連れのための防災が必要”だと、改めて学び直したのだそう。子育てママ応援サロン「ほっこり~の」にて、ママ向けの防災講座実際に永吉さんの防災講座を受講したママからは、「何とかなるだろうと思っていたけど、自分の考えの甘さに気づかされた」、「 自分が死ぬ可能性を想定していなくて、親が死んだときに子どもがどう生き抜くかを考えたことがなかった」と、リアルな感想が聞かれます。「子どもを守れるかは、子どもと一番長く過ごす母親(または父親)にかかっています。実際に災害が起こったときにできることはほとんどなく、災害が起こる前にいかに準備するかです」と、永吉さん。そしてまずは夫婦で災害や防災について話すことが大切だと話してくれました。これまでそれなりに準備をしてきたつもりのわが家ですが、今回の取材で、災害情報やアプリ、また私たちの心構えも定期的にアップデートしなければいけないなと、改めて感じました。何事もイメージが大切。もしものときを想定し、子どもを守れるようにしっかり備えておきたいですね。取材協力:<文・写真:ライター林未香>
2019年09月01日フリーアナウンサーの滝川クリステル(41)と自民党の小泉進次郎議員(38)が結婚すると8月7日に発表された。さらに滝川は第一子を妊娠しているという。ネットでは祝福の声が相次いでいる。同日小泉議員は、ブログで「この度、結婚することをご報告致します。お相手は、滝川クリステルさんです」と報告した。「私たちは昨年からお付き合いを始め、お互いに結婚を意識するようになり、彼女が福島県から引き取った保護犬のアリス(ラブラドールレトリーバー)と一緒に2人+1匹の時間を過ごしてきました」とつづっている。さらに「参院選が終わってから、横須賀の実家にクリステルさんとアリスを連れて行きました」と明かし、「それまで一度も恋愛中に外で会ったり、一緒に移動したこともなかった私たちにとって、一緒に移動できるだけでも本当に嬉しく、幸せな気持ちになりました」「これからは二人で助け合い、支え合い、時には周りにも頼りながら、私たちらしい結婚生活を送っていきたいと思います」とも語っている。2人の結婚はTwitterで「滝川クリステル」「小泉進次郎」がトレンド入りするほどの反響を呼び、《滝川クリステルと小泉進次郎!!!なんとおめでたい》《めっちゃビッグカップルなんですけど!!》といった祝福の声が上がった。さらに保護犬・アリスにふれて、こんな声も上がっている。《クリステルさん、保護犬の活動にも積極的で犬好きの私が尊敬する方なのだけど、進次郎さんがブログでワンコの存在も家族として触れて下さってて何か嬉しかった》《小泉進次郎氏と滝川クリステルさんのご結婚に至るきっかけのひとつは、保護犬のアリスちゃんだと聞いていぬ好きたちはほっこり。きっとアリスちゃんの恩返しだね》《保護犬アリスちゃんも嬉しいでしょうね》滝川は12年9月、アリスとの出会いについて本誌に明かしている。11年3月に発生した東日本大震災の被災犬であるアリスは、福島第一原発からほど近い浪江町の警戒区域で保護された。以前から保健所で殺処分される犬たちの存在に心を痛めていた滝川は本当の飼い主が見つかるまでの3カ月間、”一時預かりボランティア”としてアリスを引き取ったという。しかし1人で犬を飼うのは初めてのことであり、さらにアリスは大型犬。しばしば家の中のモノを壊すこともあったという。滝川は「最初はちょっと怖かったですね。目もつり上がってピリピリしていたし、呼んでもぜんぜん来ないし」と笑顔で回想しながらも、こう明かしていた。「あるとき、福島の映像が流れているテレビを、この子、ジーッと見てたんです。そして、寂しそうに遠吠えして。つらいんだな、本当は故郷に帰りたいんだなって思ったら、私もいっしょに泣いてしまって……」アリスの表情もだんだんと柔和になってきた頃、ついに約束の3カ月が過ぎた。滝川はボランティア団体から「本当の飼い主が見つかった」という連絡を受けたが、避難生活を余儀なくされている飼い主はアリスを放棄する決意を告げたという。こうして正式にアリスを引き取ることになった。滝川は「正直、犬を”途中”から引き取るのはたいへんです」と話しながらも、こう語っていた。「私自身も変わりました。“このコが私のかけがえのない存在であるように、私もアリスにとってかけがえのない存在でありたい”と思うんですよ。放棄犬を引き取ることは、飼い主自身を成長させてくれる。最近は、すごくいろんな人に『変わったね』と言われるんです。アリスのおかげ、ですね(笑)」8月7日はRAINBOW RIBBON DAYという、保護された犬や猫を亡くなるまで飼うことの大切さを伝える日だ。8年前のアリスは、滝川の半生にこうして大きく関わることになるとは夢にも思わなかっただろう。
2019年08月07日“愛を仕事にする”とは、どういうことなのか。連載「社会のじかん」でお馴染み、ジャーナリストの堀潤さんが、これまで取材で出会った数多くの人から、若くして今の社会の問題に気づいた人物に再取材しました!紛争や貧困、あらゆる社会の歪みは真っ先に子どもに向かっていく。フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん、31歳。激しい内戦や紛争の渦中にあるシリアやイラクをはじめ、中東、アジア、アフリカ、東北の被災地など、困難と向き合う地域で生きる人々の日常を記録し続けています。穏やかで冗談交じりの笑顔を絶やさない安田さんの人柄そのままに、彼女の写真は体温を感じさせます。両手で包み込んだろうそくの灯りのように、ほのかな明かりが破壊された街や荒涼とした大地に道しるべを添えるような写真です。そんな安田さんはつい先日も、シリアの取材に行ってきたばかり。絶えずどこかの現場に足を運んでいます。何度も、何度も。何年も、何年も。なぜ彼女は通い続けるのでしょうか。「避難生活を送っている方々の生活が厳しいことに変わりはないですし、故郷の町というのは戦闘が続いていたりする。でもシリアの方にかけていただいた言葉の中で忘れられないのは、『自分たちのことを本当に苦しめている、追いつめているのは、爆弾を落とすような勢力でもないし、IS(イスラム国)のような過激派の勢力でもない。これだけのことが起きているのに自分たちに関心を寄せない世界だ。無視している。それが自分たちを追い詰めるんだ』という訴えです。それって、東北の被災地でかけられる言葉にも似ていて。例えば、どうしても大きなメディアの中では、節目という言葉で語られがちです。3年目の節目、5年目の節目。じゃあ節目というものが通り過ぎてしまったら、自分たちのことって伝わらなくなるのか、という不安の声をいただくようになって。忘れるはずがないですよと、震災でお世話になった方々に意思表示ができるには、多くの方々に関心を持ってもらっているという、その土壌が必要だなと思ったんですよね」安田さんが初めて現場で取材をしたのは16歳の夏休み。NGO「国境なき子どもたち」がカンボジアに派遣する「友情のレポーター」の募集に応募したことがきっかけでした。安田さんは、中学2~3年の時に父親と兄を相次いで亡くし、強い喪失感を抱いていたといいます。家族の結びつきとは何なのか、自問自答する日々でした。そうした中、初めて訪ねたカンボジア。人身売買の被害にあった子どもへのインタビューは価値観を大きく揺さぶるものでした。「騙されてお金で売り買いされたり、虐待を受けながら働かされていたということも衝撃的だったんですが、やっぱりそれでも家族を支えるために仕事に就きたい、自分以外に『この人を守りたい』っていうものを持っているカンボジアの子どもたちの姿勢に、とにかく驚かされたんですよね。自分は今まで自分しか守るものがなかったからモヤモヤしていたんだなということに気がついて。どうして友達はもっと優しくしてくれないんだとか、家族はどうしてもっと理解してくれないんだろうとか、自分しか守ろうとしてこなかったんだなと思って。だから私も彼らみたいに自分から誰かを守りたいっていう、そういう姿勢を持てる人になりたいと教えてもらいました」帰国後、安田さんは高校、大学時代を通じ写真や文章での発信を本格的にスタートさせます。2010年にカンボジアを取材しHIVと共に生きる子どもたちを記録した初の個展を開催。震災後は、夫の両親が暮らしていた岩手県陸前高田町で被災地の記録を続けている。初めての取材から15年。安田さんに気持ちの変化はあるのでしょうか。「軸は変わっていないと思うんです。カンボジアに初めてお邪魔した時、子どもって社会の指標みたいなものなんだなっていうことに気がついたんですね。紛争だったり貧困だったり、あらゆる社会の歪みって、真っ先に子どもに向かっていくんだなと。子どもの表情を見ると社会の実相がわかるし、子どもが笑えていない社会ってやっぱり豊かな社会とはいえない。だから、子どもたちの尊厳が傷つけられる現場があれば、それは憤りを持ってシャッターを切りますし。逆に子どもたちの命や魂が輝く現場があるのであれば、それは本当に喜びを持ってシャッターを切っていきます。その軸は変わっていないように思います」やすだ・なつき1987年生まれ。「Dialogue for People」所属。16歳の時、「国境なき子どもたち」のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。その後、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の現場を取材。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って』(日本写真企画)ほか。(2枚目写真)取材の合間に、シリア北部の集落の子どもたちと。2018年5月。滞在していた集落で、近所の子どもたちとカメラを通してコミュニケーション。ほり・じゅんジャーナリスト。「GARDEN」CEO。NPO法人「8bitNews」代表理事。様々な社会問題や、国、地域、そして人を精力的に取材、発信している。※『anan』2019年3月13日号より。写真(人物)、取材、文・堀 潤(by anan編集部)
2019年03月08日9月4日は超大型の台風21号が来襲して関西を中心に甚大な被害が生じ、6日の未明には震度7の地震が北海道で発生し、いまだに行方不明者がいます。ここ最近、地震や台風、大雨等で避難指示が出たりするなど、日常的に災害が起きているように感じます。ペットと暮らしている方は、災害時のペットの対処についても考えておかないといけません。知識を得て、人間のために備えるのと同時に、ペットの対策もしておきたいですね。全体的なことは以前、「災害時に愛犬、愛猫はどうする?ペットの防災対策ですべきこと4つ」の記事でも取り上げられていましたが、今回は代表的なペットの種類別にまとめてみました。大前提として、動物が怖い人、嫌いな人、アレルギー等がある人も当然いますので、避難場所での対応にはくれぐれも注意しましょう。■ 犬を飼っている人が災害時に対処したいこと3つ1.日頃の訓練どの動物も、日頃の訓練が大切です。ただし、犬の場合は次の点を特に意識しておきましょう。特に、無駄吠えと噛み付き防止の訓練は必須です。知らない場所で不安になってしまう子も多いので、日頃からしっかり、しつけておきたいところです。また、きちんと飼い主の指示に従うようにしつけておきましょう。普段から飼い主にあまり従わない子は、非常時にも従ってくれません。おすわり、伏せ、止まれ、あたりはしっかりできるようにしつけましょう。2.大型犬と小型犬では対応が大きく違う大型犬と小型犬では対応が大きく異なります。それぞれの対応を検討しておきましょう。小型犬はキャリーバッグなどに入れておくことができますが、大型犬は避難所の外などにリードなどでつないでおくか、自動車などに乗せることになるかと思います。しかし力も強く、飼い主以外には威圧感も与えかねない大型犬は、特に日頃のしつけが重要です。小型犬は大型犬に比べて寒さや暑さに弱いので、避難所での待機場所に注意をしなければならないなど、避難場所を想定して対処を検討しておく必要がありそうです。また犬種によっても性格はずいぶん違いますので、それぞれの犬種に合った避難方法を事前に検討しておきましょう。3. 犬の避難場所での注意点、ポイントなど避難所によって、気温、湿度などの環境や人の多さは異なりますので、特に大型犬を待機させておく場所などは注意しましょう。とんとん / PIXTA(ピクスタ)犬が苦手な人もおられますので、なるべく人にプレッシャーを与えない、また犬にとってもなるべく静かにいられる場所を探すことを心がけましょう。トイレの場所も、確認が重要です。安全と清潔を確保できるよう、気を配りたいですね。aijiro / PIXTA(ピクスタ)小型犬も大型犬も、ずっと同じ場所に居続けるのは苦痛です。お散歩などに連れ出して気分転換をさせてあげましょう。ただし、あくまでも集団避難生活をしていることを忘れずに、なるべく人に触れない場所を確保したいところです。■ 猫を飼っている人が災害時に対処したいこと2つペットでも犬と猫では大違いです。家にいると落ち着く性質の猫を避難させることを想定し、人を怖がる猫の場合は特に注意しましょう。1.日頃の訓練日頃の訓練も、犬とは大きく違います。キャリーバッグにも日頃から入る訓練をしておきましょう。トイレも、日頃のトイレ以外してくれないと、避難時は大変です。別な場所でもトイレができるよう、しつけておきたいところです。2.猫の避難所での注意点、ポイントなど猫は逃げてしまうと探すのも大変になります。特に家ではない場所に連れて行って迷子になると、帰ってこられるかとても心配ですね。避難所に行く前に、首輪に迷子札を付けておきましょう。また、できれば首輪にはリードを付けて、外さないようにしておくのが安心です。Fuchsia / PIXTA(ピクスタ)ご飯やトイレなどで外に出したら走って行ってしまったなどといったことにならないように、事前に対策を立てておきましょう。また、威嚇やひっかくなどのトラブルもあるかもしれませんので、キャリーバッグからはなるべく出さず、気分転換をさせてあげる時はリード等でしっかり管理をしておきましょう。Graphs / PIXTA(ピクスタ)■ うさぎ、鳥などの小動物を飼っている人が災害時に対処したいこと2つ犬や猫とはこれまた大違いです。動物の特性を考えた避難計画を立てておきましょう。1.避難計画を事前に練っておく騒音が嫌いな種、暑さや寒さに弱い種、どうしても声を出してしまう種など様々です。避難生活はどうしてもストレスになりがちで、普段とは違った行動を見せる子もいると思いますので、その子に合った避難方法を事前に考えておくことが何より大切です。また、掃除や餌やり等の隙に逃げられたりしないように、十分に注意しておく必要があります。その辺りの対策も、事前に練っておきましょう。2.小動物ならではの避難グッズを日頃から準備しておく災害時には、電気が使えないことも多いです。heinteh / PIXTA(ピクスタ)寒さに弱い子には「カイロ」や「毛布」を用意しておくなど、災害がいつ起きても大丈夫なように準備しておきたいですね。音に弱い子は、キャリーバッグを二重にするなどの対策も検討しておきましょう。■ つい忘れがち!ペットのために必須な防災グッズ3つ1.ビニール袋とトイレットペーパーご飯等に意識が行きがちでつい忘れてしまうトイレ対策に必須です。他のゴミ処理にも使えるので必ず用意しましょう。2.使い捨てカイロ被災時期が暖かい時期とは限りません。また急に冷えることもあるので、使い捨てカイロは複数必ず準備しておきましょう。3.フリースブランケット100均などでも小さめのフリースブランケットを売っています。バスタオルより温かいので、冬場の避難の際の体温キープに。キャリーバッグにかければ防音にもなり、ペットの安心に繋がります。■ ペットのために絶対にオススメの便利グッズ3つ1.折りたためるペット皿場所をとらず、お水やご飯をあげるのに便利です。100均でも売っています。2.折りたためるキャリーバッグ多頭飼いや大きなバッグが持ち込めない場所、カート代わり等のサブバッグに最適です。日頃は畳んでおくと場所を取らないので、とても便利です。3.ペットライト暗い中でもペットの位置がわかって安心ですし、他の人にもペットがいることを知らせることができます。最近は100均でも売っていますので、揃えておいてはいかがでしょうか。いかがでしたか?ペットも大切な家族です。人間と同様に災害対策を万全にしておきたいですね。※掲載している商品名は2018年9月時点の内容です。【参考】※環境省災害時におけるペットの救護対策ガイドライン
2018年09月07日福祉避難所とは福祉避難所とは、一般の避難所での生活が困難であったり、配慮が必要な高齢者や障害のある方のための避難所です。平成28年時点で全国に2万185施設が設置されています。災害時、自宅が倒壊したり危険な状態にあるときに、一定の期間、避難所での生活を余儀なくされる場合があります。ただでさえ災害に見舞われた恐怖や慌ただしさの中で避難所では不安な状況にありますが、障害がある方、持病をお持ちの方やお年寄り、妊娠されている方などはより一層困難な状況におかれます。福祉避難所では、そのような配慮を必要とする方々が避難し、円滑な施設の利用や、助言や支援を受ける体制を整え、適切な生活環境の確保を目指しています。内閣府令で定める基準は、次の通り(災害対策基本法施行規則第1条の9)。・ 高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(以下この条 において「要配慮者」という。)の円滑な利用を確保するための措置が講じられていること。・ 災害が発生した場合において要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受けることができる体制が整備されること。・ 災害が発生した場合において主として要配慮者を滞在させるために必要な居室が可能な限り確保されること。出典:平成28年度避難所における被災者支援に関する事例等報告書|内閣府福祉避難所の対象の人は?福祉避難所の利用対象者は「要配慮者」とされています。実際にどのような人が当てはまるのか詳しくみていきましょう。以下が内閣府による要配慮者の定義です。「災害時において、高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者」(災害対策基本法第8条第2項第15号)「その他の特に配慮を要する者」は、一般的な避難所での生活では支障をきたしてしまい、何らかの配慮が必要となる方を指します。つまり、福祉避難所を利用することができることになるのは以下のような方です。・障害のある方(身体障害者、知的障害者、精神障害者)・高齢者・妊産婦・乳幼児・難病患者・傷病者また、内閣府の示すガイドラインによると、要配慮者の家族も同行することが可能であるとしています。ただし、避難所の運営は民間企業やNPO、ボランティア団体などが指定管理者となり、自治体主体で行われています。そのことから、それぞれの地域で異なる決まりがなされている場合もあります。お住まいの地区がどのような対応をしているのか事前に確認しておくことが重要です。どんな場所が福祉避難所になるのか?出典 : 困りごとのある方々を受け入れる福祉避難所の候補となる場所は、「バリアフリー」であり「支援者をより確保しやすい」ところです。この2つのポイントに重きを置いてみると、以下のような施設が想定されます。・一般の避難所となっている施設(小・中学校、公民館等)・老人福祉施設 (デイサービスセンター、小規模多機能施設、老人福祉センター等)・障害者支援施設等の施設(公共・民間)・児童福祉施設(保育所等)、保健センター、特別支援学校・宿泊施設(公共・民間)市区町村などの自治体はこれらの施設の設備や、そこで支援を行うことのできる人材などの状況をあらかじめ情報収集し、福祉避難所として活用できるように準備しています。要支援者の災害時の避難所での困難とは?出典 : 避難生活は、多くの方にとってストレスフルと言えますが、要支援者の方々はさらに困難を感じがちです。特に一見障害があるとわかりにくい方は、困りごとが理解されにくく窮屈な思いをしたり、過度なストレスを感じてしまうこともあります。さらに、一般の避難所での生活が困難であることから自宅避難や車中泊に切り替える方もいます。そのため、支援物資などが行き渡らないなどの問題や、狭い場所での寝泊まりでエコノミークラス症候群などのリスクも高まります。福祉避難所では支援を必要とする人、困りごとのある人が適切な施設の利用や配慮を受けられるように開設されます。福祉避難所の課題福祉避難所に関しては、住民に周知されていない、支援者側の人手不足、施設入所者以外の困りごとの把握が困難であること、などの問題も指摘されています。熊本地震では想定よりも少ない開設数と利用者数になってしまいました。住民への福祉避難所についての周知に関しては、26.5%の自治体が行っていない現状があります。周知することが困難である理由として、内閣府の調査によると・二次避難所としての位置づけだが、受け入れる体制が整う前に直接避難してきてしまう可能性がある(支援者側も被災することや、福祉施設などでは通常運営と並行して行われることなどによる人員不足)・要支援者が対象だが、一般の人が直接避難してきてしまう恐れがあるの2つが大きな課題としてあげられていました。出典:平成28年熊本地震における福祉避難所での要配慮者の受入状況出典:指定避難所等における良好な生活環境を確保するための推進策検討調査報告書|内閣府(防災担当)そのため、事前に要支援者の大まかな人数の把握や事前通知、避難所でスクリーニングを行い要支援者を把握して二次避難所として福祉避難所を提供するなどの対応が検討されています。ただし先述のとおり、避難所の開設の流れは国で統一せず市区町村など自治体により異なるため、自分の住む地域の周知が不十分であったり、他の地域とは異なっていたりする可能性もあります。事前に自分はどこの避難所に行き、どのように福祉避難所にたどり着けばよいのかを確認することが必要です。避難までのステップ福祉避難所の利用の仕方を調べる場合、お住まいの地域の市区町村のホームページを検索し、防災・災害時に関するページから情報を得たり、「地域名避難」などで検索してみてください。もしも情報の記載がなかったり、不十分であった場合は市区町村の福祉課や防災課に問い合わせを行うなどして、いざというときの行動をイメージできるようにしましょう。ここでは、発達障害のある方が避難する場合の一般的な流れを紹介します。ただし、命を守る緊急の避難を終えた後に、避難所での生活を余儀なくされた場合についてです。それぞれの災害における緊急の避難は、命を最優先に避難勧告や指示に従いましょう。状況によって判断できるようにあらかじめ準備をしてみてください。命の安全が確保された後自宅での生活が困難な場合、まず最初は市区町村などから指定された避難所に移動しましょう。次に指定された避難所では多くの人が集まるため、その場で生活することが困難になってしまう場合に、その避難所内(もしくは近く)に設置される福祉避難室への移動を相談しましょう。ここでは専門性の高いサービスなどは必要ではないが、配慮を必要としている要支援者の方が生活できます。しかし、福祉避難室での生活が困難な人もいます。二次避難所である福祉避難所の利用が必要な人たちは、受け入れ側の体制が整い次第、福祉避難所へ移動することが可能となります。細かな指示や流れは自治体ごとに異なるため、必ず事前に確認をしておきましょう。Upload By 発達ナビ編集部準備しておくべきこと・もの出典 : 避難のイメージをつけると同時に、防災用品の準備も大切です。ここでは発達障害のあるお子さんのいるご家庭向けに一般の防災グッズに合わせて、特に準備したいものについてまとめました!・常備薬とその説明書・ヘルプマーク、ヘルプカード、サポートブックなど・偏食があっても食べられる飲食物・耳栓、アイマスク、簡易トイレなど、苦手なもの対策・いつも使っていて安心できるもの(毛布、ぬいぐるみ、ゲームなど)・家族での防災マニュアルなどリタリコではお子さんにどのような困りごとがあり、どのように接してほしいかを書くことのできる「サポートブック」を配布しています。また、目に見えない困難がある人のためのヘルプマークについての記事も載せているので参照してみてください。サポートブックテンプレート|LITALICOジュニアさらに、発達障害のあるお子さんが、いつもと違う場所や行動をすることでパニックになってしまわないためにも、平常時に避難の予行演習などに積極的に参加したり、予習として実際に足を運んでみることもよりスムーズな避難のために大切なことです。まとめ出典 : 災害などのもしもの時に、困りごとがあり配慮が必要であるなど、災害時の避難所での生活を不安に思われている方は特に、お住まいの地域の福祉避難所の利用をご検討ください。また、避難の流れや防災用品の準備に加えて、もしもの時にどのように行動するのか、防災の日をよい機会に、ご家族で話し合ってみてはいかがでしょうか。
2018年08月31日暦の上では秋になりましたが、真夏と変わらぬ暑い日が続いていますね。外を少しでも歩くと、もう汗が止まらない!気が付くと、髪の毛は濡れ、ベタベタに……なんてこと、ありませんか?そんなときに、いつでもどこでもサッとサラサラヘアを取り戻せるドライシャンプーはまさに救世主。今回は3種類ご紹介♪防災グッズとしても活躍してくれますよ。〔資生堂〕の《水のいらないシャンプー》まずご紹介するのは、誰もが知る〔資生堂〕が出しているドライシャンプー。ボトルはコンパクトで、デザインも少しレトロな雰囲気。中身は見えないのですが、振ってみるとどうやら液体のようです!使い方としては髪の毛に適量をスプレーした後マッサージをし、タオルなどで拭き取れば完成だそう。液体なのに、サラサラになるのか少し半信半疑でしたが、使ってみると、すぐに髪の毛の指通りがよくなったように感じました!少しせっけんっぽさもあるすっきりとした香りは男女問わず、気になる汗のにおいもカバーしてくれそうです☆しかも、つけた後はなんだか少しスーッとしか感じがして、涼しく感じました♪中身の状態:液体使いやすさ:☆☆★香り:☆★★持ち運び:★★★〔サボリーノ〕の《髪を洗いまスプレー》ユーモラスな名前のこちらは朝パックなどで大人気の〔サボリーノ〕のもの。他の商品と似た雰囲気のデザインで、元気にが出そうな黄色が目印です☆こちらも中身が見えないので、振って確認するとどうやらスプレーのようです。使い方は、髪の毛にスプレーした後全体になじませてから、ブラシなどで整えるだけ!使うときはよく振ってから髪の毛にかけるだけで、どこでも簡単♪〔サボリーノ〕らしいハーブ系の香りです!中身の状態:スプレー使いやすさ:★★★香り:☆★★持ち運び:☆★★〔LUSH〕の《ドライミー》ソープやバスボムで有名な〔LUSH(ラッシュ)〕からも《ドライミー》というドライシャンプーが登場!透明のボトルで、中身は白っぽいパウダー状のもの。使い方は、これを適量手にとり、髪全体になじませるだけでとってもシンプル☆タルクとコンスターチが余分な皮脂を吸い取ってくれるそうです。使ってみると、やはり白いパウダーをそのままつけるのには少し勇気がいりました(笑)。でも、髪の毛になじませると白っぽさが残ることはなく、ベタついていた髪の毛はサラサラになりました!ただ、つける途中で手からパウダーをこぼすと大変なので、気を付けてくださいね♡香りはライムとグレープフルーツのような爽やかな柑橘系でした♪中身の状態:パウダー使いやすさ:☆★★香り:★★★持ち運び:☆★★まとめドライシャンプーを3種類ご紹介しましたが、どれも効果は◎気になるベタつきやにおいをしっかり抑えて、サラサラヘアを取り戻してくれますよ!1つ持っておけば、暑い日の外出だけではなく、リフレッシュしたいとき、時間がないけどシャンプーをしたいとき、髪の毛についてにおいが気になるときにも使えます。さらには、入院してしまったときや災害が起きた後の避難生活でもとっても役立つので、普段から準備しておくのもいいかもしれませんね。ドラッグストアや〔LUSH〕の店舗で買えるので、ぜひ行ってみてくださいね♪
2018年08月28日わが家の防災の日(家庭で行う防災訓練の日)は突然やってきます。そのタイミングは、備蓄している食品の消費期限が切れそうなとき。今年も日付切れ間近の備蓄食品の消費、現在の住まいでの避難経路確認も含めて、電気・ガス・水道を使わずに過ごす、“非常時シュミレーション訓練”を行いました。関連記事:まずは“非常時訓練のルール”決めまずは食卓に集まった娘たちと、ミーティング。「これから実際にここで非常時の生活を体験するけれど、どんな約束にしたらいいかな?」と質問を投げてみました。過去に東京で同じような訓練をしたことがある長女と次女からは「電気、ガス、水道を使わない」とすんなり言葉が出てきました。話し合いの結果、使ってしまいそうな冷蔵庫、電気や水道には直接貼り紙を、スイッチにはマスキングテープでバツ×をすることになりました。これなら分かりやすい。トイレは、面倒ですがお風呂の水をくんで、流すことにしました。これも経験しておくとおかないでは違います。備蓄品と持ち出し品の日付チェック次に、備蓄品と非常時持ちだし袋のチェック。テーブルに出して、日付が切れそうな順から食卓へ並べていきます。これは大人がやってしまうのではなく、子どもと一緒に確認するのがポイント。何が入っているのか、何が必要なのかを、子どもたち自身に認識させることができるからです。消費期限が切れたものを“買い足しリスト”にし、後日一緒に買い出しもしました。「5年間1度も使わずに消費期限切れを迎えるということは、ある意味幸せなこと、ありがたいことだよね」と娘たちと話しながら、東京で経験した東日本大震災がよみがえります。夕飯は“アルファ化米”。カセットコンロで湯を沸かして、1人に1袋与えて作らせてみることにしました。中からスプーンとシリカゲルシートを出し、お湯を注いで、待つこと20分。「おいしいじゃん!」、久しぶりにアルファ化米を食べた娘たちの第一声でした。しかしそのうち飽きてきて「うーん、もういらない」、「おいしくなくなってきた」と。これも想定内の反応です。物足りないのは分かっているけれど、本当に避難することになったら食べられない日もあるかもしれないので、夕食はこれで終わり。あとは日が暮れて、暗くなるのを待つのみです。何もやることがないよ…食べ終わった娘たちから「何もやることがない…ヒマ」という声が聞こえ始めました。そうです、お風呂もシャワーもなし、テレビも見られないので何もやることがありません。あとは歯を磨いて眠るだけです。この日はランタンの明かりの元、カードゲームなどをして時間を過ごし、雑魚寝で眠りにつきました。避難生活をすると、避難場所でこの状態が続くわけです。想像しただけでも疲れます。子どもたちからは「持ちだし袋に、トランプかUNOを入れておかない?」との提案があり、わが家の持ちだし袋にはトランプが追加されることになりました。避難所・避難ルート確認もこれら以外に、わが家が一番やっておかねばならない大切なこと、それは“新しい土地での避難経路、避難場所の確認”です。土地勘ゼロの娘たち、どこにどう逃げたらいいのか分かりません。翌朝、実際に町を歩いてみることにしました。避難所となっている高台まで上がってみると、思っていたよりも低く海が近い。3年前に東日本大震災の被災地、女川地区や石巻を見てきた長女は「ここじゃ低くない?」と。確かにあの時の波の高さを考えると、ここでは安心できません。「ここまで上がってきて海を見て、まずいなと思ったらこの裏山を上がって行きなさい」と伝え、裏山も歩きました。最後に「もし母さんがいないときに、避難しなければならなくなっても、探さないでいいからね。自分たちだけで逃げて、何とか生き延びるんだよ。生きていたら、探し出せるから」と、家族の約束事も確認し合い、非常時訓練を終えました。「それぞれが逃げていると信じ、自分で自分の命を守ること」、この意識が大切なのです。自分の命は自分で守るたまたまこの体験をした数日後と1週間後に豪雨にみまわれた西日本。幸いわが家は被害がなく、実家の店の道が土砂崩れにあっただけで済みました。後日、町内の災害訓練キャンプで聞いた専門家の講話によると、やはり一番大切なのは“自分の命は自分で守る”こと。「大人は子どもたちの命を守る義務があり、また子どもたちは大人がいなかったとしても、自分だけでも行動できるよう、準備、トレーニングをしておくことが大切」なのだと聞き、納得。いつやってくるか分からない自然災害、日頃の備え、トレーニングは大切だと実感した2018年の夏でした。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2018年08月18日平成30年7月豪雨での甚大な被害。避難者7,000人以上、約25万戸が断水2018年6月28日から発生した台風第7号や梅雨前線の影響により西日本を中心に多く発生した豪雨は「平成30年7月豪雨」と名付けられました。この豪雨により、各地で土砂崩れ、家屋倒壊、土砂流入、河川氾濫などの被害が相次ぎました。消防庁の発表によると、今もなお多くの方々が避難をされています。また厚生労働省によると、2018年7月11日時点で約25万戸が断水状態となっています。平成30年7月豪雨による被害状況等について(第15報) | 厚生労働省平成30年7月豪雨による被害状況及び消防機関等 の対応状況について(第20報)| 消防庁避難生活で発達障害のある子どもがおかれる環境豪雨による被害の拡大にともない、発達障害のある子どもを取り巻く環境についても、不安に思われる方は多いのではないでしょうか。発達障害のある子どもの中には、慣れない環境や集団での行動が苦手があるなど、避難所生活が難しい子もいます。感覚過敏や偏食などがあり、特別な配慮や対応が必要になる人もいます。しかし避難するにあたって、障害のある人に対する配慮が難しい場合や、見えにくい障害であることも影響して、なかなか理解を得にくい場合もあるようです。東日本大震災の際も、避難所生活をあきらめて車中生活を送った家族が少なくありませんでした。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の発達障害情報・支援センターが東日本大震災(2011年)の翌年、岩手、宮城(仙台市を除く)、福島の3県で、発達障害がある人(もしくは、家族が代理で回答)にアンケートしたところ、276人が回答。避難所を利用した人は23%で、そのうち避難所で問題なく過ごせた人は18%にとどまった。偏食で配給食が食べられない▽見守りが必要で配給の受け取りに行けない▽夜中に目を覚まして声を出してしまう――など、障害特有の行動で、本人だけでなく、家族の負担も大きかった。周囲に遠慮し、避難所生活をあきらめて車中生活を送った家族もいた。朝日新聞デジタル, 帯金真弓「発達障害の人たちに理解と支援を避難所で孤立の恐れ」, 2016.04.20また、熊本地震でも避難所施設などでの問題も報告されています。住まいを失い、行き場を失った被災者がたどり着くはずの仮設住宅が、そこでトイレもできず、お風呂にも入れなかったりするなど、障害者への配慮はほとんどありません。ある避難所へやってきた車椅子の障害者が、「ここは階段ばかりだから」と断られたり、発達障害で自閉症があり、水の配給の列に並べない子どもの分を求めた親に、「平等ですから」ともらえなかったり、「迷惑をかけるから」と避難所を追い出されたり・・・。NHKハートネット,熊本地震「また取り残されるのか」被災地での障碍者支援の実態,2018,04,13避難所での配慮、知っておきたいポイント避難所での生活は、食べ物やトイレ、他人との距離感などが普段と大きく異なります。どんな方にとっても大変な状況であることは間違いありませんが、とりわけ発達障害のある子どもにとっては大きなストレスがかかる環境です。「走り回る」、「大声を出す」といった行動も、その子の不安の表れであることが少なくありません。限られたスペースのなか、少しでも不安やストレスを軽減するには、どのような配慮をすれば良いのでしょうか。以下では、発達障害のある方への避難所での配慮のポイントをご紹介します。発達障害は、見た目からはわかりにくい障害ですが、他人との関わりや集団生活で困りごとを抱えることも少なくありません。特に子どものうちは、困っていてもなかなか言葉で説明することができません。避難所を運営する方は、ご高齢の方や、病気や身体障害等のある方への配慮と同じく、発達障害によって特別な配慮が必要な方がいないかを、あらかじめ確認しておくと良いでしょう。人が多く、にぎやかな所が苦手な子もいます。そこで、パーテーションや仕切りを設置し、視界的にさえぎられる場所を作りましょう。パニックになった時に落ち着ける場所としても活用できます。インターネット上などでも簡単な手作りパーテーションのアイデアが載っています。ぜひ参考にしてみてください。出典 : 特定の食べ物しか食べられない方やアレルギーのある方のために、避難所で支給する食べ物の配慮が必要です。避難所を運営する方は、食べ物への配慮が必要な方がいないか、ご本人やご家族に事前に確認すると良いでしょう。これから避難所に食料を送られる方は食材や成分のリストを添えるといったことも心がけましょう。また、どんな食べ物かわからない時は不安が大きくなり、食べられないことがあります。パンは袋から出して、飲み物はコップに注いで、実物が見える状態で渡すことで安心して食べられることもあります。発達障害のある子どものなかには、長時間立って並ぶことや、順番を守ることが難しい子もいます。列に並んでの物資の受け取りが難しい子どもやその家族に対しては、直接手渡しをすることをおすすめします。また、発達障害のある子どものなかには、指示の内容が理解できない、困っていることが伝えられない、人とコミュニケーションをとるのが困難な子もいます。そのような手助けが必要な子に対しては、一斉のアナウンスだけでなく個別に声掛けをしましょう。トイレやお風呂に強いこだわりがあり、みんなと同じ環境での排便や入浴が難しい子どももいます。簡易式トイレや洋式便座を用意する、入浴の際は付き添いの方がつく、など安心してトイレやお風呂に行けるような配慮すると良いでしょう。それでも、トイレに行けないという方のために大人用のおむつを避難所で用意しておくこともおすすめです。発達障害の特性があること、配慮やサポートが必要であることがわかりにくく、周囲の人に誤解されてしまう可能性があるかもしれません。どんな配慮や理解が必要か、周りに知らせるかどうかなどを本人や家族と相談した上で、周囲の人に理解を広げることも大切です。LITALICO発達ナビでは、災害時に避難所等で過ごす、発達が気になるお子さんの保護者さまや周囲の方々へ向け、避難所等でサポートが必要なお子さまの存在を知らせる「ヘルプマーク」を作成し、以下のリンクに設置しました(東京都申請済)。避難所での掲示などにぜひ、プリントしてご活用ください。Upload By 発達ナビ編集部出典 : お絵かき道具、本、音楽プレイヤー、ゲームなどお子さんが楽しめるものを用意できれば、不安やパニックを緩和しやすくなります。物資や電気・ネットが限られている環境では難しいことはありますが、身近なもので子どもの気をまぎらわせる方法がないか、ご家族と相談してみましょう。出典 : 暑さが本格化し始めるこの時期には、熱中症の危険性が高まります。気温・湿度が高い、風が弱いなどの場所では以下のポイントに気を付けてください。■症状めまい、立ちくらみ、手足のしびれ、筋肉のこむら返り、気分が悪い、頭痛、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感、いつもと様子が違う。(重度:返事がおかしい、意識消失、けいれん、からだが熱い)■水分補給こまめな水分補給などの調節は通常でも忘れやすいことなので、意識的にのどが渇いていなくてもこまめに水分・塩分・経口補水液の補給を促してください。■暑さ対策発達障害のある人は、体温調節が苦手であることなどで暑い場所にいつづけてしまう危険性もあります。感覚鈍磨がある人は、体調不良や痛みに気づきにくいことや、子どもの場合、体調不良をうまく人に伝えられないこともあります。健康状態をこまめに観察し、なるべく日陰や風通しの良い涼しい場所に移動するようにしましょう。厚生労働省がまとめている熱中症対策が以下のリンクにあるので参考にしてください。熱中症予防のために | 厚生労働省避難所生活を過ごされる方々の 健康管理に関するガイドライン | 厚生労働省避難所での生活は普段とは大きく異なるため、障害の有無に関わらず一般の方々も意識して留意すべき点がいくつかあります。避難されている全ての方衛生・健康面で気を付けるべき項目とポイントが載っているリンクを以下に載せます。■食中毒高温多湿な夏場では食材が腐りやすくなります。食中毒対策について以下のリンクを参照ください。厚生労働省|食中毒予防のために■エコノミークラス症候群多くの人がいる避難所や車中などにいる方は、思うように体か動かせなかったり一定の姿勢を強いられる状況です。軽いストレッチやマッサージを心がけましょう。以下のリンクに実践可能な予防策が載っています。厚生労働省|エコノミークラス症候群の予防のために■破傷風避難中のがれきや木片などでけがや切り傷がある場合、小さな傷であってもそこから感染症が広がる可能性があります。土砂災害の場合、破傷風の感染に注意が必要です。以下のリンクでは症状や注意点、対処法などが記載されているのでぜひ、参考にしてください。厚生労働省|破傷風についてのお知らせ一般避難所が難しい方のための「福祉避難所」があります障害などのさまざまな理由で一般避難所での避難生活が難しい方のために、「福祉避難所」が市区町村ごとに設置されています。ここでは、専門的なスタッフや物資・備品による支援が受けることができます。各自治体によって、福祉避難所の設置数や設置場所、相談窓口は異なるため該当する自治体のHPなどでご確認下さい。以下のリンクでは広島市、岡山県、愛媛県での福祉避難所がまとまって確認できます。参考にしてください。広島市広島市|福祉避難所について岡山県岡山県|岡山県内の福祉避難所の指定状況一覧愛媛県愛媛県|福祉避難所一覧車中泊の方の注意点出典 : 車中泊をすることになった場合は、配給リストから漏れたりする可能性があるため、以下の注意点をご参考にしてください。車中泊をしている家族の中には、配給の受け取りに行きたくても、子どもを置いて行けない、連れて行けないといった状況におちいる方々もいます。避難所を運営される方は、そういったご家族が近隣におられないかコミュニケーションをとり、直接配給するなどの配慮をご検討ください。適切な配慮で避難生活を乗り切りましょう発達障害のある子どもが避難生活を乗り切るためには適切な配慮が必要になります。避難所を運営される方や外部から支援に入られる方が、ここでご紹介した配慮のポイントをご参考にしていただければ幸いです。以下のリンクでご紹介しているハンドブックやマニュアルもご参照ください。みなさんのご無事と1日も早い復旧をお祈りしております。|災害時障害者のためのサイト社団法人 日本自閉症協会|自閉症の人たちのための災害ハンドブック国立障害者リハビリテーションセンター研究所|災害時 発達障害児・者支援エッセンス東京都福祉保健局|高次脳機能障害のある方のための災害時初動行動マニュアル
2018年07月12日長女(5歳)と長男(3歳)の子育てを、平日はほぼワンオペで行っている、整理収納アドバイザーのトノエルです。この連載では、防災の専門家ではない主婦が、家族を守るために考えた、もしもの備えをご紹介します。前回は、非常時の3つの場面のうち「CASE3:在宅避難」の状況を詳しく想像していきました。次回は、自宅避難のための食糧備蓄法「ローリングストック」をあきらめてたどり着いた備蓄法をご紹介します。あなたのお家の、非常時の備えはどうされていますか?もしものときのために備えておかないといけないとは思いつつ、まだ何もできていないという方に、こんな一例もあるよと参考にしてもらえるとうれしいです。和尚 / PIXTA(ピクスタ)■ 「在宅避難」って、どんなとき?一口に非常時とか、避難とかいっても、その状況はケースバイケース。だからって、そのケースごとに備えるのはムリがある。そこで非常時の状況を、緊急性に合わせて想像してみました。今回は、その中で一番可能性の高い「在宅避難」です。・CASE3:在宅避難■ 災害時の食料備蓄法「ローリングストック」って知ってます?災害時に自宅で避難生活を送るときに、必要になるモノの代表格、食べ物。その備蓄法として有名な「ローリングストック」という方法をご存知でしょうか?内閣府防災情報のページより内閣府の防災情報のサイトによると、「ローリングストック」とは日常的に非常食を食べて、食べたら買い足すという行為を繰り返し、常に家庭に新しい非常食を備蓄する方法のことをいいます。dorry / PIXTA(ピクスタ)つまり、普段からレトルトや缶詰をちょっと多めに買いだめしておいて、食べつつ買いつつを繰り返す、ということだそう。■ 「ローリングストック」は素晴らしい!だけど、あっさり挫折内閣府も推奨する食糧備蓄法「ローリングストック」。この方法の利点は以下の2つになります。普段から食べ慣れているものを災害時にも食べられて、安心して食事をとれること。一般的な備蓄方法と違って、賞味期限が短めなものも備蓄食品として取り入れられること。ローリングストックすごい!筆者もやってみよう!と挑戦しました。でも、あっさり挫折……。筆者にとって、難しかった理由はこれです……。毎日使う食品は、キッチンのそこそこ取り出しやすい場所に収納したい!(上の写真の開いている引き出し)↓非常時には1週間分の備蓄がのぞましいらしい。↓食品の在庫が多くなる。↓引出しに入りきらないー!たくさんの種類や賞味期限を管理しきれないー!!という事態になり、早々に挫折してしまいました。■ あなたのご家庭では「ローリングストック」できそうですか?人工知熊 / PIXTA(ピクスタ)内閣府の防災情報のページでオススメされているように、被災後3~7日目の5日分の食事をローリングストックで備えようとすると、4人家族の筆者の場合は……1日3食 × 家族4人 × 5日間 = 60食分60食分を缶詰、乾麺、フリーズドライ品などで用意しておくことになります。これを日々の生活の中で消費しながら、買い足しながら、やりくりするためには……。取り出しやすく、しまいやすい場所に収納しておくスペースが必要になるしっかりと在庫の管理をして、こまめに買い足しをする必要があるということに気づきました。これは、筆者には難易度が高すぎます!この失敗から、ローリングストックは、キッチンに大きなパントリーがあって、収納上手で、モノが多くても管理できる人向けだ……ということを悟りました。■ 「ローリングストック」をあきらめて、たどりついたもっと凄い食糧備蓄法とは?ローリングストックできなかった……と、落ち込みぎみな筆者は、あらゆる賢者のブログを読みあさり、勉強させていただきました。結果、わが家の非常時の食事はこんなふうに用意することに。【被災1~2日目】冷蔵庫やキッチンの食品庫に入っている普段使いの食品を食べる。【被災3〜7日目】この引出しに入れている食品を一段ずつ食べる。非常時って、日常からは想像もできないほどの精神状態になるんでしょうね。不安ななかで、食べ物も喉を通らないかもしれない。だけど、食べないと余計に身体も心も良くない状態になってしまうのではないかと。そんなときに、何も考えず、用意したモノを食べる。家族にも食べさせる。そのためのシステムが、これということです。いかがでしたか?今回は、在宅避難のための食糧備蓄法「ローリングストック」をあきらめてたどり着いた備蓄法をご紹介します。次回は、筆者が備蓄している食糧を、ひとつひとつ詳しくご紹介します。丁寧な暮らしに憧れがあっても。まず大切なのは、家族と自分の命。日々の暮らしと、防災、どちらかに偏ることなく、ほどよいバランスを見つけていきたいですね。このシリーズが、あなたの家のもしもの備えについて考えるきっかけや、ヒントにしてもらえるとうれしいです。「丁寧っぽい暮らし」をめざす、トノエルでした。【参照】※内閣府 防災情報のページよりこれまでの記事をよむ「トノエル防災研究室」・序章「もしもの備え、一緒に考えてみませんか?」・CASE1:超緊急避難「3つに分けた「もしも」の場面とは?」・CASE1:超緊急避難「マンション火災、土砂崩れ…。「超緊急避難」ってなに?」・CASE1:超緊急避難超緊急避難のときに持つ「非常持出し袋」に入れるモノとは?・CASE1:超緊急避難 「いつものバッグ」に入れている「こどもポーチ」と「おでかけポーチ」って?・CASE1:超緊急避難「いつものバッグ」の置き場所は普段も緊急時も同じ」・CASE2:緊急避難「「緊急避難」=非常時の対策って考えてますか?」・CASE2:緊急避難「非常持出袋の中身、32アイテム全部見せます!・その1」・CASE2:緊急避難「非常用持出袋を車にも置くべき理由って?」・CASE2:緊急避難「非常用持出袋には「リュック」が一番!な理由」・CASE2:緊急避難「非常用持出袋の中身、32アイテム全部見せます!・その2」・CASE2:緊急避難「非常用持出袋の中身、32アイテム全部見せます!・その3」・CASE2:緊急避難「非常用持出袋の中身、32アイテム全部見せます!・その4」・CASE2:緊急避難「「布ガムテープ」「トイレットペーパー」をコンパクトにする方法」・CASE3:在宅避難「災害時に「在宅避難」する場合に必要なことって?」
2018年04月20日東日本大震災から7年を迎えた。その直前、両陛下が6月の福島県ご訪問の際に、原発周辺をご覧になると報じられた。6月9日にいわき市に入られる両陛下は、避難生活を送る原発事故被災者を激励される。その後、南相馬市で全国植樹祭、そして相馬市を訪れ、犠牲者を慰霊される予定だ。 「いわき市から南相馬市への移動には常磐自動車道を使うのですが、途中、福島第一原発が見えるほど接近するのです。両陛下の強いご希望もあり、自動車道から原発周辺の視察をされることが検討中です。来年4月末までのご在位中に、未曾有の事故を起こした福島第一原発を、ご自身の目でご覧になりたいとお考えなのです」(皇室担当記者) 実は、陛下と美智子さまは7年前の震災直後から原発ご視察を望まれていたのだ。東大地震研究所の地震火山情報センター長・佐竹健治さんが、震災翌月のできごとを語ってくれた。 「4月20日、私が震災被害の状況を説明するために皇居へ参内すると、当時の侍従長・川島裕さんが困惑した様子で『天皇陛下が、原発を見たいとおっしゃっているのです』と言うのです。当時は放射線量も高く、難色を示す川島さんに、陛下は『自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう、それでもだめなのか』とかなり強硬なご様子だったそうです」 ’11年5月以降、両陛下はこれまでに5回、福島県を訪問されている。原発事故にお心を痛め、常に福島に思いを寄せてこられてきた両陛下が、7年間切望しながらも実現しなかったのが、原発のご視察なのである。おふたりの思いをより強くする出来事が昨年あったと、皇室ジャーナリストが語る。 「昨年7月、ご静養中に訪れた那須高原の『藤城清治美術館』で、両陛下が熱心にご覧になった作品があります。影絵『福島 原発ススキの里』です。荒廃した原発近くの川に鮭がのぼる様子が描かれ、事故の甚大さと同時に、再生への希望がこめられています。これは’12年11月、当時88歳の藤代さんが原発のある大熊町に防護服を着て入り、命がけで2日間デッサンしたものです。天皇陛下と美智子さまは、そんな藤代さんの行動力にふれて、さらに思いを強くされたのだと思います」 福島第一原発の事故を、絶対に忘れてはいけないーー。陛下と美智子さまが、自ら現地に足を運ばれることで、そのメッセージが国民にも伝わるはずだ。
2018年03月16日いつくるかわからない地震や天災。備えはしっかりしておきたいけれど、何を、どのくらい用意すればいいか悩ましかったり、置き場所に困ったりしているご家庭もあるかもしれません。今回は、3人のお子さんのママで整理収納アドバイザーの本田和さん宅の、非常用グッズ&備蓄品」を拝見。日頃から、モノを増やす前に、使うシーンや家族の導線を念入りにシミュレーションし取捨選択されている、本田さんならではの工夫がたくさんありました。■非常用グッズ「何を、どのくらい備えている?」5人家族の場合もしも、大きな地震や災害が起きたら、まずは安全な場所に避難し、落ち着いた頃に自宅での避難生活を送ることが想定されます。そこで、本田さん宅では非常時の備えを、以下の2つを軸に用意されています。・一時避難用の持ち出し袋・自宅での避難生活用の備蓄品では、どんなものを用意されているのか、具体的に見せていただきました。<一時避難用の持ち出し袋(大人用)>大人の持ち出し用バッグがこちら。中には、以下のグッズを入れています。・絆創膏、ガーゼ、消毒綿、テープ、常備薬・ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、マスク・カイロ、アルミの保温シート・携帯用トイレ・水、お菓子「備えはじめると、あれもこれもあった方がいい、とつい詰め込みたくなりますが、私の場合は迅速に動けることを最優先にし、持ち出し用バッグには最低限必要なものだけ入れています」と本田さん。また、持ち出し用袋はリュックではなく、あえて斜めがけバッグを用意。「夫が家にいない時に、私ひとりで3人の子を連れて避難するケースを想定すると、3歳の子と5歳の子はおんぶと抱っこで連れ出すことになるかもしれないと思っています。そうすると、リュックより斜めがけバッグの方がいいだろうと考えました」(本田さん)斜めがけバッグには、すぐに使えるようにヘッドライトもセットしています。両手をふさがず、子どもも一緒に素早く避難できるよう、工夫されているのです。<一時避難用の持ち出し袋(子ども用)>本田さん宅では、7歳の長女用の持ち出し袋も用意。・大人用とほぼ同様のものを少しずつ・ホイッスル・懐中電灯ちなみに、まだ下の子がオムツをしていた頃は、オムツやおしりふきを子ども用持ち出し袋に入れていたそう。ある程度大きいお子さんなら、負担にならない程度の非常グッズを入れた専用の持ち出し袋を用意しておくのも一案です。これらの持ち出し用グッズは、玄関横のシューズクローゼットのすぐに手が届くところにセット。いざという時、どこからどうやって避難するかは家庭によってそれぞれなので、わかりやすく、手に取りやすい場所をあらかじめ家族と話し合い、共有しておくと安心です。■自宅で避難生活…もしもの時に備えたペットボトルは○○本次に、自宅で避難生活を送ることになった場合の備えです。本田さん宅では、5年間保存できる非常食の1週間分セットを2つ、水は500mlのペットボトルを約100本ストックしています。「面倒くさがりな私でも楽に管理できるよう、セットのものを用意しています。セット品なら賞味期限がほぼ同時期なので、頻繁にチェックせずにすみます。ケースにも賞味期限を記したシールを貼っておけば、よりわかりやすくなります。水は、2Lのペットボトルにするか迷いましたが、コップに移さず直飲みできる点と、賞味期限が近くなった時に、おでかけ用などに使い回せる点を考え、500mlで用意しました。ただ、これだけの量の水を保管するには、けっこうなスペースが必要になります。もし、置き場所に困るようなら、使用頻度の少ないスーツケースやトランクの中で保管するのもひとつの手です。その場合も、マスキングテ―プなどに賞味期限を書いて貼っておけば、うっかり忘れを防止できますね。また、家族にも『ここに水が入っているよ』と共有しておけるといいですね」(本田さん)日常的に食べているものを多めにストックしておくローリングストックについては、こんなアドバイスをいただきました。「火を通さなくても食べられる食品が中心になるかと思いますが、非常用にと普段食べないものを用意すると、結局食べないままムダになってしまうことがあります。ローリングストックには、あくまで『いつも食べている、加熱の必要がないもの』を多めにストックするのがおすすめです」(本田さん) ■夜、地震が起こったら…? 暗闇でも対応「寝室の防災グッズ」就寝中に大きな災害が起こり、停電となった場合、真っ暗な中避難することになります。そんなもしもの備えとして、本田さんが寝室に用意しているものがこちら。・防災ソックス・ホイッスル・ランタン型ライト「暗がりでも左右を気にせずさっと履けて、脱げにくいものを、と考えて防災ソックスにしました。いざという時、どっちが夫ので、どっちが私の? とあわてなくていいように、男女兼用サイズのものを2足用意。置き場が省スペースですむのも、ソックスタイプを選んだ理由のひとつです」(本田さん)また、寝室とリビング、玄関といった要所には、震度4以上の揺れを感知すると自動点灯するライトを設置。「普段はコンセントにさしたままですが、コンセントから外しても自動点灯するので、懐中電灯としても使えます」(本田さん)今回は、本田さん宅の非常時の備えを見せていただきました。本田さんのお宅でも、昨年までは用意していた下の子のオムツが今年は不要になっているように、家族構成やお子さんの年齢、住環境、ライフスタイルによって、必要な備えは変わってきます。「整理収納も、自分や家族がよりスムーズに動くにはどうすればいいかな? と考えながら進めていきます。災害への備えもこれと同じで、いざその時、起こりうることに対し、どんな行動が必要になるかをじっくりシミュレーションすることが大切だと思うのです」(本田さん)せっかく用意した非常用の備えも、いざその時にすぐ手にできるところになかったり、使い勝手がよくなかったりすると、意味がなくなってしまいます。そういえば最近、非常用グッズの中身を確認していないな…と心当たりがある方にとって、防災意識を見つめなおすきっかけになれば何よりです。<お話をうかがったのは…>▼本田 和さんパーソナルスタイリングサロン「フルリール」主宰。整理収納アドバイザー1級、ルームスタイリスト1級。自宅を開放してのお片づけセミナーや、骨格、パーソナルカラーに基づいたパーソナルスタイリングを手掛ける。7歳、5歳、3歳のお子さんのママ。HP: フルリール
2018年03月04日たとえば全国で避難訓練が行われる防災の日(9月1日)など、きっかけがあれば防災について考えるものですが、ふだんはとくに意識することもなく…。しかし、災害は忘れたころにやってくるもの。何もないときだからこそ、意識を強くする必要があります。防災意識の高いママたちに日ごろ、家庭でどんなことを心がけているか聞いてみました。■通学路を散歩しながら、子どもと一緒に危険ポイントをチェック「子どもと散歩しながら、通学路の安全性をチェックします。上から看板が落ちてきそうな場所や、崩れやすそうな壁など、登下校中に災害にあった場合を想定し、こういう場所には普段から近づかないように話します。うちの子の学校では、授業中などに災害が起きたら親が迎えに行くのですが、必ず行けるとは限りません。そのため、どのルートで帰ってくるか、家が倒壊していたらどの避難所に行くかといったことも教えました」(38歳・小学4年生のママ)子どもと離れているときに災害が起きたら…。考えただけで不安になりますよね。自分がそばで守ることができない分、通学路などのチェックはこまめに行いましょう。防犯にも役立ちそうです。■停電になっても大丈夫! 暗闇でも歩ける、モノが探せる蛍光シール「家の中や防災グッズに蛍光シールを貼っています。東日本大震災の計画停電のときに、これが便利だとママ友から教わりました。電気がつかなくてもモノがある場所や、玄関までのルートもわかります。たまに家中を暗くして、このシールだけでも歩けるか、防災袋を持ち出せるか、子どもと一緒に試しています」(33歳・小学6年生のママ)蓄光するタイプの蛍光シールは、電池などが不要なので、いざというときにも心強い存在です。 ■あの大震災の経験をもとに、枕元にはいつも靴を常備「高校を卒業したくらいだったかな、阪神・淡路大震災を経験しました。大阪南部に住んでいましたが、今まで経験したことがないくらい大きな揺れで、しかも早朝だったからパニックになってしまいました。本当にこわくて、何もできなかったことを思い出します。また同じような災害が起きたときに冷静に行動できるかはわかりませんが、あのときはモノが散らばってしまい、部屋から出るのもひと苦労でした。そのため、今でも枕元には靴を置いています。もちろん、子ども部屋にも!」(42歳・小学3年生のママ)過去の経験が生かされているようですね。あれから靴が役立ったことは幸いにもないとのことですが、旅行先でも枕元に置いて寝ているそうです。■100%安全はない! 万が一のために避難所を複数チェック「地域の指定避難所まで子どもと一緒に歩きました。自宅からだけでなく、学校から、駅からなど、複数のルートを確認します。もしものときにはここへ来ることを教えるだけではなく、さらにそこが壊滅的な被害にあったときのために、別の場所も何カ所か教えています」(29歳・小学3年生のママ)避難所として指定されている場所は、災害が起きても比較的安全な場所ではあります。しかし、100%安全で被災しないという保証はありません。複数をチェックしておくのはいいアイデアですね。■両親に感謝! 家庭で「抜き打ち避難訓練」を実施最後に、筆者が子どものころに体験した「抜き打ち避難訓練」をご紹介しましょう。早朝に両親が突然、「地震だー!」「火事だー!」と叫びながら子ども部屋に入ってくるのです。最初はパニックになることしかできず、「本当に地震だったら助からないよ」と言われました。それからはベッドのそばに着替えや靴を置いておき、抜き打ち避難訓練がはじまると慌てつつも何をするべきか考えられるようになったと思います。回数を重ねるごとに、だんだん慣れてきてしまうのですが、毎回点数をつけられていて「今日はだらけていたからおやつはなし」など、親なりに緊張感を与える工夫をしていました。これを夫にも試したところ、大人でもすぐには行動できず、ちょっと情けなかったです。でも、これをきっかけに防災について夫婦で話し合うことができました。避難訓練というと、学校などで行う大規模なものをイメージするかもしれません。しかしこのように、自宅でもできることはたくさんあります。子どもの年齢に合わせて、できることから始めてみませんか? 年末年始で忙しくなる前に、家庭でもできる避難訓練に挑戦してみましょう。
2017年11月12日昨年3月、経歴詐称騒動で全番組を降板したショーンK(49)。フジテレビの新ニュース番組『ユアタイム』キャスターに抜擢されると報じられた直後のことだった。その後、多くのメディアが彼を追ったが、その行方はわからぬまま。 「古くからの友人には“地方で避難生活をしています”というメールが届きましたが、その後は何の連絡もなくなっていました」(知人の1人) 騒動から1年半。その彼が都内に舞い戻っているという。 「彼はいまも騒動時に所属していた事務所に在籍しています。事務所社長の紹介で都内の不動産会社に“顧問”として籍を置いていて、毎月50~60万円の給料をもらっていると聞いています。不動産会社にたまに出社もしているそうです」(芸能プロ関係者) ニュース番組キャスターの座を目前にして、年収1億円を棒に振ったショーンK。 「所属事務所としても、時間が過ぎれば復活の目はあると考えているようです。そのため、いまも彼を在籍させて面倒を見ているんでしょう」(前出・芸能プロ関係者) 10月下旬のある日、都内の高級マンションから大きなマスクをして顔を隠した男性が出てきた。間違いなく、ショーン本人だ。関係者だろうか、年配の女性が見張りのように立っているが、知性的なイケメンぶりは変わってない。ショーンはタクシーに乗り込む。都内のオフィスビルの前で降りたところを直撃した。 ――今、不動産会社で顧問をされていると聞きました。 「それは何の会社のことでしょうか?ピンと来ませんが。今は普通に仕事をしていますよ。世に出ている情報などは違うことも多いです。今はまだメディアの仕事は(再開)していませんので、そっとしておいてくださいませんか?」 ――復帰するつもりは? 「今はまだ立て直しをしているところです。もう少し見守っていていただければ」 それだけ言い残し、ビルの中へ消えて行った。所属事務所に改めて聞くと、「うちも働いてもらわないと一銭にもなりませんからね。今後に関しては本人の気持ち次第です」(事務所社長) とのこと。キャスターになるはずだった『ユアタイム』は、この9月末で打ち切りになった。ショーンも早く復帰しないと、賞味期限が“打ち切り”に――。
2017年10月31日くまモンの魅力に迫る展覧会「大くまモン展」が、松屋銀座にて2017年12月13日(水)から12月28日(木)まで開催される。熊本県のPR活動のキャラクターとして誕生したくまモン。2011年にはゆるキャラグランプリで優勝し、それをきっかけに熊本県内だけでなく全国区の人気者となった。今では熊本県営業部長としてアジア・欧米等の海外へも進出し、外国人がくまモンを目指して来日するなど、世界にも活躍の幅を広げている。そんな中、2016年4月に熊本地震が発生。それから1年半が経ち、復興作業も進んでいるものの、今でも多くの方々が避難生活を送っており、復旧の目途が立っていない地域も多いのが現状だ。くまモン自身も、被災地への慰問をはじめ、被災者支援をしてくれる全国の人々へ感謝の気持ちを伝える訪問などを続けている。 同展では、くまモンの誕生からこれまでの国内外での活動を紹介し、イベントなどで実際に着用した衣装や絵本の原画、熊本をはじめ海外の観光名所を訪問した際の写真、企業とのコラボレーショングッズが展示される。これまで、日本中・世界中に元気を与え続けてきた“くまモンの魅力のすべて”が解き明かされる。また、同展はくまモンを通して被災地での現状を多くの方々に知っていただくとともに、少しでも早い復興を願い、より多くの支援を募る展覧会でもある。そのため入場料は無料。会場には、くまモンをデザインした募金箱が設けられ、熊本地震義援金として寄付される。 【詳細】大くまモン展 会期:2017年12月13日(水)~12月28日(木) 会場:松屋銀座8階イベントスクエア 住所: 東京都中央区銀座3-6-1時間:10:00~20:00(入場は閉場の30分前まで。最終日は17:00閉場) ※12月15日(金)~24日(日)は20時30分閉場。 入場:無料 問い合わせ:松屋銀座 03-3567-1211(大代表) ©2010熊本県くまモン MIYAI OFFICE
2017年10月20日避難行動要支援者って?災害時に避難しにくいのはどんな人?出典 : 地震や津波、水害などの災害が起きたとき、自力で避難が難しかったり、避難に際して特別な配慮が必要な場合があります。阪神淡路大震災や東日本大震災の時などにも、高齢者や障害のある方の中には自ら避難するのに何らかの困難を抱えた方も多くいました。たとえば以下のような人は一人では避難しにくいと考えられます。・視覚・聴覚障害があり、災害発生時に周りの状況の把握がむずかしい。災害情報が得にくい・高齢者・身体に障害がある人で、自力での避難が困難な人・知的障害や精神障害などがあり、地震や災害が起きた時に、どう行動したらよいかわからない障害のある人・重度心身障害者、人工呼吸器や温度調整が必要な人そのため、このような人を避難行動要支援者とし、名簿を作成してスムーズな支援ができるように平成25年6月、災害対策基本法が改正されました。またこれらの周知のため、今年(平成29年)パンフレットや事例集も作成されました。リーフレット「災害時に備えて今できること」|厚生労働省避難行動要支援者の避難行動支援に 関する事例集|内閣府災害対策基本法改正によりできた「避難行動要支援者名簿」の制度出典 : この法律で、市町村に避難行動要支援者名簿の作成が義務付けられました。簡単に言うと、上記のような一人では避難が困難な人が、災害時にサポートを受けられるように事前に登録しておくという制度です。自治体が特に支援が必要な人を把握するとともに、災害時にスムーズに支援ができるよう、消防機関や警察、民生委員などの避難支援に関係する人に情報が共有できるようにすることが定められました。名簿には個人情報が含まれるため、災害対策基本法で個人情報漏えい防止のための規定もあります。実際に名簿をつくり、運用するのは市町村です。具体的な支援や制度については、自治体によって異なる場合があるので、お住まいの市町村に問い合わせることをおすすめします。発達ナビのユーザーの皆さんの中には、療育手帳や精神障害者福祉手帳の取得時などに名簿への登録や、情報提供の同意などを求められる場合があるかもしれません。また、災害があったときに一人で避難することが難しそうだと感じている人もいるかもしれません。避難行動要支援者がどのような支援を受けられるのかを知り、必要に応じて名簿に登録することで、災害への備えの一つとしてはいかがでしょうか?災害対策基本法避難行動要支援者名簿の作成等に係る取組状況の調査結果どんな支援をしてくれる?出典 : ・避難のための情報伝達情報を得ることが難しい人のために、その人が情報を得やすい方法で災害情報を得られるようにサポートします。・避難支援災害時、避難行動を支援します。また、要支援者の特性に合わせた個別の避難計画の作成や防災訓練をする場合もあります。平常時も支援者による声かけや見守りにつなげておくことも含まれます。・安否確認名簿が災害時の安否確認に活用できます。・避難場所以降の避難行動要支援者への対応避難した後も、避難場所での支援者への引き継ぎがスムーズに行えることがあります。名簿への登録は?出典 : 災害対策基本法では、以下を避難行動要支援者と定め、市町村に把握と名簿の作成を義務付けています。当該市町村に居住する要配慮者のうち、 災害が発生し、又は災害が発生するおそれがある場合に自ら避難する ことが困難な者であつて、その円滑かつ迅速な避難の確保を図るため 特に支援を要するもの具体的な対象者の範囲はお住まいの市町村によって異なります。以下に千葉市の場合をご紹介します。名簿に掲載される方65歳以上のひとり暮らしの方で、介護保険の要介護認定区分1・2の方、または要支援認定区分1・2に該当する方要介護認定区分3~5に該当する方次に該当する障害がある方視覚障害(1級又は2級)、聴覚障害(2級)、上肢機能障害(1級又は2級)、下肢機能障害(1級又は2級)、体幹機能障害(1級、2級又は3級)、乳幼児期以前の非進行性の脳病変による運動機能障害のうち上肢機能障害(1級又は2級)、乳幼児期以前の非進行性の脳病変による運動機能障害のうち移動機能障害(1級、2級又は3級)、呼吸器機能(1級)、小腸機能(1級)、精神障害(1級)、知的障害(AまたはⒶ)難病患者で身体障害者手帳1・2級の方及び小児慢性特定疾病等で療養負担過重患者の方制度の運用も自治体によって異なります。自分が名簿に登録されているか確認したいときや、定められた対象ではないが一人での避難が困難な場合などで、名簿への登録を希望するときはお住まいの自治体に問い合わせてください。制度の運用方法は市町村によって異なりますが、以下に大まかな流れをご紹介します。1. 市町村が支援が必要な人の情報を集め、避難行動要支援者名簿を作成します。避難行動要支援者名簿には、掲載者の氏名、生年月日、性別、住所、電話番号その他の連絡先、避難支援等を必要とする事由、その 他避難支援等の実施に必要な事項が掲載されます。参考:災害対策基本法49 条10 第 2 項2. 名簿情報を平時から支援者に提供していいか、確認がされ、問題なければ同意します。3. 同意した人の名簿情報が消防、警察、民生委員などの支援者に提供されます。4. 支援者が日常の声かけなどの見守りや避難訓練などの支援を行います。5. 災害時には市町村や支援者により避難行動に関する支援や安否確認などが行われます。個人情報が支援者に提供されることに不安を感じる人もいるかもしれません。災害対策基本法によって、避難行動要支援者名簿を提供した支援者には守秘義務が発生します。また各自治体で名簿情報の漏えいの防止のため必要な措置を講ずることも定められています。参考:避難行動要支援者の避難行動支援に関する取組指針|内閣府名簿に登録がなくても避難行動に配慮が必要な人もいます出典 : 避難行動要支援者として名簿に登録していない人でも、災害時の避難に困難を抱える要配慮者の人がいます。たとえば発達障害のある人は、自閉症などの特性から、いつもと違うことに強い不安を感じたり、パニックになってしまうことがあります。学習障害がある場合、電光掲示板や掲示物などから情報を得るのが難しいかもしれません。障害が軽度で、名簿に登録していない人でも避難時に思わぬ困難が生じる可能性があることを覚えておきましょう。また外国の人は、日本語での緊急避難速報や避難誘導の声かけが理解できないかもしれません。このほかにも外見からは障害があることがわからない人もいます。もちろん妊娠している人や乳幼児、高齢者なども避難の際に配慮が必要です。全ての人が一人ひとり日ごろから、防災意識を持ち準備することが、地域に住むさまざまな人を災害から身を守ることにつながります。また災害時には、まず自分の身を守ることが第一ですが、周りに困っている人がいないかどうかにも目を配るように心がけたいですね。参考:要援護者の特性ごとの避難行動等の特徴|大阪市住吉区まとめ出典 : 避難行動要支援者というと、高齢者や身体に障害がある人をイメージすることが多いかもしれません。ですが、その他にも避難に際して支援が必要な人もいます。知的障害や精神障害のある方の中には非常時の状況判断が一人では難しい場合もあるでしょう。言語障害のある人は見た目からはわかりませんが、緊急事態を言葉で人に伝えることが難しい場合も考えられます。災害はいつ発生するかわかりません。まわりに様々な困難のある人がいること、そして災害が起きたときのことを想定して事前に対策をすることが、もしもの時の大きな備えとなります。避難行動要支援者名簿への登録はその一つです。行政や避難支援者に受けられる支援にはさまざまなものがあり、避難時のサポートだけでなく、もし避難生活がはじまっても引き継がれます。情報の共有をすることで、日ごろから地域の支援者ともつながりが持てます。また、名簿への登録がない人でも、避難時に支援を必要としている人がいるかもしれないことを心に留めておきましょう。
2017年09月01日こんにちは、金融ライターの齋藤惠です。毎年9月1日は“防災の日”ですが、皆さんはいつもの防災グッズや食糧にプラスして、お金の対策も行っているでしょうか?大きな災害ともなれば、何日も銀行でお金が引き出せない場合や、 通帳・印鑑・保険証券などを紛失してしまい自分の資産を把握できなくなってしまう場合もあります。今回は、万が一の事態に備えて、自分たちの資産を守るためにできる日頃の防災対策をご紹介します!●対策1:家族全体の資産リストを作成するまずは家中の資産をわかりやすくリスト化することから始めましょう。現金、預金、保険、株など、お金に関わる全ての項目を記録したノートなどを非常用バッグに入れておけば、災害直後にすぐ見返してどこから復興費用を捻出すべきかを考えることができます。特にリストに書いた方が良いのは以下の項目です。・取引銀行……銀行名、支店名、口座名義、口座番号、残高、連絡先・証券会社……会社名、支店名、口座名義、銘柄、残高、連絡先・保険会社……会社名、保険種類、契約者名義、証券番号、保険金額、連絡先・不動産……所有地名(自宅、建物、駐車場など)、所有者名義、連絡先・債務……借入先、借入金額、完済予定日、借入目的、連絡先・車両……運転免許証番号、車体番号、車種、自動車保険会社名、連絡先・その他……クレジットカード番号、健康保険証番号、基礎年金番号、パスポート番号なお、このリストには個人情報がたくさん記載されることになりますから、保管はくれぐれも厳重に行ってください 。●対策2:通帳や保険証券のコピーを用意するリストが完成したら、次は各種資産の契約書や証明証のコピーを取りましょう。これで災害直後でもよりスムーズに手続きができる ようになります。こちらも個人情報の漏えいには注意しながら、ファイリングするなどして非常用バッグの中に入れておき、定期的にコピーを取り直して最新のものを常に保管しておきましょう。●対策3:お金が必要になったときのシミュレーションを行う最後は緊急時の資産に関わる手続きについて、災害直後に慌てることがないようシミュレーションをしてみましょう。たとえば、地震や水害では家財などが破損することが考えられますから、不動産や家財保険などのスムーズな手続きが重要になってきますし、何日も避難生活が続くことを想定して災害時に銀行から預金を引き出すための手順 を事前に確認すれば、早くお金が手元に戻り安心です。現在ではどの金融機関でも災害時の対応を決めているはずですから、万が一のときに「最低限必要なものは何か」や「どんな手続きを行うのか」について質問すれば教えてくれるでしょう。命を守るためには事前の準備と避難訓練が大切なように、資産を守るためにも日頃からの備えとシミュレーションが大切です。今年の“防災の日”にぜひ実践してみてください!【参考リンク】・災害に備えるくらしとお金の安心ブック | 日本FP協会()●ライター/齋藤惠(金融コンシェルジュ)●モデル/貴子(優くん、綾ちゃん)
2017年08月24日「トルコやエジプトから送られてくる刺繍などの台紙のサイズがバラバラで、整理するときに少し困っています」 「たしかにね。でも、彼女たちが、ときには命がけの大変な状況のなかで、苦労して送ってくれているのも、よくわかりますしね」 6月最初の日曜日、東京・上野の貸しオフィスの一角。「イブラ・ワ・ハイト」の主要メンバー8人が集まり、定例会議が行われた。イブラ・ワ・ハイトとは、アラビア語で「針と糸」のこと。紛争の続くシリアの女性たちが伝統技法で手縫いした刺繍を適正価格で買い取り、日本で販売することで自活支援を続けている。 ’11年3月の内戦勃発以来、人口およそ1,850万人の半数以上が国外へ避難し、50万人近くが命を落としたとされるシリア。今年4月も、北西部のイドリブ県への空爆でサリンが使用された可能性があるとされ、口から泡を吹いて痙攣する子どもたちの映像は世界中に衝撃を与えた。最近では、「イスラム国」との関連で語られることも多い。 イブラ・ワ・ハイトの始まりは、シリアで紛争が勃発した2年後の’13年5月。考古学者の山崎やよいさん(59)が中心となり、仲間と立ち上げた。 山崎さんは広島大学文学部史学科で考古学を専攻し、さらに大学院在学中の’83年、初めてイラクでの移籍発掘に参加。 「私、どんくさくて、遺跡の測量の水準器を蹴飛ばして、『また、お前か』なんて言われてましたね(笑)。ただ、“いま、掻いている土は私が最初に見ている”と思うとロマンを感じて、どんどんのめり込んでいきました」(山崎さん・以下同) 大学の同級生と学生結婚したのが、イラク行きの直前。’87年には長女の奈々子さん(29)が誕生し、子育てにも奮闘していたときだった。奨学金を得て、中東の発掘調査へ参加できることになった。 「本当はもう一度イラクに行きたかったんです。ただ、イラン・イラク戦争の真っただ中でしたから、仕方なくシリアへ変更に。ほとんど国に関する知識はありませんでした」 こうして、はからずもシリアとの縁が生じるが、唯一の心残りは子どものことだった。 「娘は実家の両親に預けることになりましたが、自分の意志を通していいのかと、強い罪悪感を感じていました。夫婦の仲がぎくしゃくし始めたのも本当です。ただ私にしたらもう現場に戻ることはないと思っての決断でした」 シリアに旅立ったのは、くしくも、長女の2歳の誕生日だったという。その後、山崎さんは、20年間もの間、シリア第二の都市であるアレッポに暮らし、多くの遺跡を発掘するとともに、シリア人の学芸員と再婚し、’90年に連れてきた幼子の子育てもするなど、イスラムの生活を肌身で体験してきた。それだけに、現在のシリアが置かれている状況に加え、この国が日本ではテロと結び付けられて語られることが悔しくてならないと嘆く。 「シリアの人たちほど、柔軟な生き方をし、相手に対して寛容な民族はいません」 この活動が軌道にのるまで、簡単な道のりではなかった。 「シリア人女性の作った刺繍が、わざわざ他国から発送されるのには理由があります。作り手である、のべ40人すべてが、母国シリアから逃れ、他国での避難生活を余儀なくされているからです。最初に作ってくれていた首都ダマスカスの5人は’15年に突然、消息不明に。いまはトルコやエジプトの避難所や、ヨルダンの母子センターの女性たちとスカイプなどで連絡を取り合っています」 そんな過酷な状況のなかでも、山崎さんは当初から、女性たちへの一方的な支援ではなく「協働作業」にこだわった。 「糸などの材料と売り上げを日本から送り、それでシリア人女性たちが刺繍したワッペンや“くるみボタン”などの商品を送ってもらうシステムですが、いずれ国の状況が安定したときには、彼女たちのビジネスとして自立してほしい」 イブラ・ワ・ハイトの刺繍は現在、通販や国内ミュージアムなどでの販売が主だが、素朴でカラフルな味わいが口コミで広がり、入荷待ちの商品も多い。 「日本でこれほどシリア刺繍が求められていることが、いま、苦しい毎日を送る現地の女性たちの頑張りの支えになっています」
2017年06月15日