2021年4月4日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、東京五輪の代表に内定しました。池江選手は100mバタフライ決勝で57秒77の記録を打ち出して優勝。また、400mメドレーリレーの派遣標準記録を突破しています。インタビュー中では感極まり、美しい涙を流した池江選手。代表の内定について、このようにコメントをしています。「57秒台が出るとは思わなかったし、リレーの派遣標準記録も切れると思わなかった。一番戻ってくるのが時間がかかる種目だと思っていた。優勝も狙っていなかったけど、何番でもここにいることに幸せを感じようと思った。仲間たちが全力で送り出してくれて、とても幸せ。本当にうれしかった。言葉にできない。ものすごく自信がついたレースだった」サンケイスポーツーより引用池江選手は2019年2月に、白血病であることを公表。当時、東京五輪は2020年に開催が予定されていたため、多くの人から惜しむ声が寄せられていました。五輪は多くのアスリートにとって、目標といえる大会です。池江選手は白血病の発覚に加え、東京五輪への出場が絶望的だったことに大きなショックを受けたことでしょう。つらい治療を乗り越えた後、リハビリや練習に励んできた池江選手。今回の内定に対し、多くの人から祝福する声が寄せられています。[文・構成/grape編集部]
2021年04月04日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日女優でモデルの鈴木美羽がYouTube公式チャンネル『鈴木美羽のみうチャンネル』を開設し、14日18時にバレンタイン特別企画を配信する。新垣結衣や川口春奈を輩出した「二コラモデルオーディション」第16回大会でグランプリを獲得し、ファッション雑誌『nicola』(新潮社)、『Popteen』(角川春樹事務所)でそれぞれ専属モデルとして活動してきた鈴木。WOWOW放送のスペインサッカー「リーガ・エスパニョーラ」を盛り上げる“2018-19WOWOWリーガール”を務めたほか、ABEMAの恋愛リアリティー番組『太陽とオオカミくんには騙されない』に出演するなど活動の幅を広げている。記念すべき第1回目の配信「【初投稿】鈴木美羽100の質問! チョコフォンデュ100個食べて100の質問!? に答える限界チャレンジしました【バレンタインSP】」は、チョコレートフォンデュを1個食べるごとに質問に1つ答え、最終的に100個を食べて100個の質問に回答することを目指した企画。鈴木は「生年月日は?」「どんな習い事をしていた?」などの基本的な質問から「初恋はいつ?」「好きなタイプは?」「垢ぬけ方法は?」など恋愛や美容に関するものまで、様々な質問に笑顔で回答していく。「鈴木美羽ってどんな子?」という質問には、「学級委員をしていたり、昔からしっかりしているね! と言われるけど、今日の朝PASMOを失くしてしまった」とおっちょこちょいな一面が明かされた。実はハードなこの企画だが、「逆境の時こそやれるタイプなんです」、「1個でも多く食べて、みんなに私のことを知ってもらえるように頑張ります」と言いながら真剣に取り組む鈴木。負けず嫌いを発揮しつつも、さすがに「今日も明日も何も食べたくないです……」と少し弱気な一言が飛び出すが、果たして鈴木は100の質問に答えることができたのか。今後同チャンネルでは、YouTubeの定番企画や、これまで見せてこなかった鈴木の知られざる一面を見ることができる体を張った挑戦企画など、様々な動画を配信していく予定。鈴木は「私がよく見るのは視聴者さんと友達のような距離感を持っているチャンネルで、見ていると1人でいても友達といるような明るい気持ちになります。私も背伸びせず、飾らず、みんなと楽しくお話しするようなチャンネルに出来れば」と展望を明かし、「メイクやファッションはもちろん、今まで他のSNSでは中々出来なかったような面白い企画にもどんどん挑戦していきたいです」と意気込む。そして「YouTubeの世界に名前が並ぶことにはまだドキドキしていますが『チャンネル登録、グッドボタン、コメントよろしくお願いします!』これを言うのがとっても楽しみです! 皆さんぜひ見てください!」と呼びかけた。
2021年02月13日モデルで女優の江野沢愛美が、auじぶん銀行の動画コンテンツ「au じぶん銀行 住宅ローン 連続10秒ドラマ『運命の借換』」に出演。動画は13日より、auじぶん銀行の特設サイトとYouTube公式チャンネルで公開される。住宅ローンの借換えを恋愛ドラマに見立て、擬人化された住宅ローンによる1人の女性をめぐる恋模様を描く物語。2人の男性の間で揺れ動く女性“マナミ”役を江野沢が演じ、「じぶんに借換えしませんか」という積極的なアプローチでマナミに迫る“じ銀さん”役を俳優の平田雄也が演じる。今のローンと付き合っているマナミの元に突如現れたじ銀さん。マナミはじ銀さんに次第に心惹かれていくが、親友からの助言、今のローンとの喧嘩、裏切りの疑惑を経て、2人の恋の行方は――。1本約10秒の動画が10本で1つのストーリーになっており、その後を描いた特別編も配信される。合わせて、江野沢へ恋愛トークや今後の展望についてインタビューした動画も公開された。憧れの出会いのシチュエーションを聞かれた江野沢は「友達の紹介とかはすごく素敵だなと思います。そういう経験は自分にはないんですけど、すごく大事な友達が紹介してくれる人だったらすごくいい人なんじゃないかなと思うので、そういう出会い方は良さそうだなと」と友達の紹介を挙げる。作中の肉じゃがをおすそ分けするシーンにちなみ、恋人に作ってあげたい料理を聞くと「肉じゃがじゃない!?(笑)ちがいますか!?」と熱弁し、「和食が良いと思います。魚料理ができる女の人はかっこいい」と語った。惹かれる男性のタイプについては「気持ちを察することができる器用な人はすごいなと思いますね。自分が落ち込んでいる時とか、疲れている時とかに、さっと声をかけたり、手を差し伸べたりできる人は男女問わず素敵な人だなと思うし、好きになるポイント」と回答、気遣いのできる人に魅力を感じるようだ。最後に、昨年やり残したことと今年やりたいことを聞くと「2020年は結構いろんなことに挑戦した年だったので、あまりやり残したことは正直ないんですけど、2020年が世界的に難しい状況になってしまっているから……。韓国旅行が好きなので、2021年くらいには韓国に行きたいなと思います。無理かもしれないけど、願いです」と切実な夢を明かした。
2021年01月13日人気声優の花江夏樹が、先日公開決定が発表された明石家さんまプロデュースの劇場アニメ『漁港の肉子ちゃん』にメインキャストのひとりとして出演することが決定。「新春大売り出し!さんまのまんま」の番組内にて発表された。本作は、西加奈子の累計発行部数35万部超えの同名小説のアニメーション映画化。監督は『海獣の子供』の渡辺歩、脚本は「凪のお暇」の大島里美が担当し、「STUDIO4°C」がアニメーション制作を手掛ける。今回出演が明らかになった花江さんは、「東京喰種」の金木研役や「四月は君の嘘」の有馬公生役など人気作品のメインキャラを演じ、いま大人気の「鬼滅の刃」でも主人公・竈門炭治郎を演じている人気声優。今回、「鬼滅の刃」で共演する同じく声優の下野紘と共に、「新春大売り出し!さんまのまんま」へゲスト出演すると、『漁港の肉子ちゃん』への出演を花江さんが快諾したことについて、明石家さんが感謝の気持ちを伝え、作品についてのトークが広がった。また。下野さんもオーディションがあれば受けたいという展開にも。漁港の船に住む2人きりの母娘、肉子ちゃんとキクコの軌跡と成長を描いた本作で花江さんが演じるのは、物語を支える重要な少年役だ。なお、肉子ちゃん役、キクコ役のキャストは、後日発表される予定だという。『漁港の肉子ちゃん』は2021年初夏、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)
2021年01月02日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー難波寿和さん島根県を拠点に、フリーランスの臨床発達心理士・公認心理師として働く難波寿和さん。子どもから大人まで、発達障害がある人のカウンセリングや療育に携わっています。そんな難波さんは、ASDの当事者でもあります。当事者が当事者を支援する中で感じることについて、難波さんのこれまでの歩みと共にお聞きしました。いい関係を築きたいのに、うまくいかない。「問題児」扱いされた幼少期――難波さんは、「臨床発達心理士」の資格をお持ちですよね。臨床発達心理士の仕事は、どのような内容なのでしょうか?難波寿和さん(以下、難波):臨床発達心理士は、発達心理学をベースに、子どもから大人までの成長・発達をサポートする仕事です。発達障害のある人だけでなく、幅広い人が対象となります。具体的な仕事内容としては、発達障害のあるお子さんの療育に関わったり、大人の発達障害当事者の方のカウンセリングをしたりしています。昨年、新たに国家資格として定められた「公認心理師」の資格も取得しました。Upload By 姫野桂――難波さんは幼い頃、どんな子どもでしたか?難波: 家の中ではやんちゃでしたが、母と離れることへの不安が強かったですね。喘息の症状緩和のために、3歳ぐらいからスイミングに通っていたのですが、そこで母親から強制的に引き剥がされたのが嫌で、母子分離不安になってギャンギャン泣いていました。感覚過敏もあり、母親以外に抱きかかえられると、嫌で噛みついたりもしていましたね。4歳から入った保育園でも、母はいつ迎えに来てくれるのだろうかとずっと不安に感じていました。――お母さんから離れることへの不安は、小学生でも続いたのでしょうか。難波:いえ、小学生からは、学校へ行くことの不安に変わっていったと思います。授業などの細かいスケジュールの変更や、何分後に何が起きるかわからない行事が苦痛でした。先の見通しが立たないので、トイレに行くタイミングがわからず、授業中に漏らしてしまうこともありました。感覚過敏だけでなく、感覚鈍麻もあって、僕は今でも便意がギリギリまでわからないことが多いんです。小学2年生のときに、トイレは休み時間のうちに必ず行っておく、授業中に行きたくなったら「トイレに行きたいです」と言えばどうにかなる、ということに気づき、それでなんとか漏らさずにすむようになりました。――そうだったんですね。他にも、学校生活で何か困ることはありましたか?難波: 落ち着きもなく、忘れ物もひどかったです。ほとんど毎教科で何かしら忘れ物をしていました。授業では、先生の話を記憶しようとした瞬間に、もう次の話に移っているので、なんの話をしているのかが全然わからなくって。1年生の時点で遅れをとっていました。友人関係も、いい関係を築きたいというイメージはありましたが、うまくいきませんでしたね。保護者会が僕の話題でもちきりになるぐらい、問題のある行動をしてしまっていて……。例えば、友人に暴言を吐いたりとか。それでいじめられるようになりました。僕もひどいことを言いたいわけじゃなかったんです。でも、そうしないと友達が自分のほうを向いてくれなかった。学校の先生は、「人の気持ちを考えなさい」と言いましたが、具体的にどうしたらいいかは教えてくれなかったので、どうすることもできませんでした。そのころは、全部人のせいにしていましたね。学校が悪い、先生が悪い、いじめる友達が悪いという考え方でした。――そんなとき、幼少期の難波さんにとって安心できる存在だったお母さんは、どのような対応をされたのでしょうか。難波: 母親は、「とにかく生きとりゃいい」「死ななかったらなんとかなるわ」みたいな考え方で(笑)。具体的な対処法は教えてくれませんでしたが、小学校6年生ぐらいまで、僕が帰ると膝の上で30分ぐらい話を聞いてくれました。「こんなことした」「あんなことされた」と泣きながら話すと、「おう、いけんかったなあ」とただただ慰めて支えてくれたのを覚えています。友達を模倣することでなんとか切り抜けてきた難波:僕、小学校の卒業式のときに、「僕は生まれ変わるんだ」と決めたんですよ。小学生のときの記憶に全部蓋をして、もう何も言わない、何も感じないようにするんだ、と。その決意の通りに中学校では比較的おとなしく過ごし、一緒に遊べる他の小学校出身の友達もできました。その一方で、乱暴に振る舞う人をコミュニケーションのお手本にしてしまうなど、まだまだうまくいかないこともありました。授業は黙って座っていれば問題ないことに気づき、耳も慣れてきて、小学生のころよりは聞けるようになりましたね。塾にも通って、成績は中の下ぐらいまでには、なんとかもちなおして。きちんと出席していたこともあって、推薦入試を受けることができ、全寮制の高校に進学しました。Upload By 姫野桂――寮ということは集団生活になるかと思いますが、その点は苦ではありませんでしたか?難波: むしろ、いろんなモデルがいて、いい模倣の場になりましたね。僕はこれまで、「この人をコピーする」と決めた人の話し方や動き方を模倣して学び、問題行動を修正して切り抜けてきたんです。寮生活では、他の人の掃除や洗濯、勉強の方法を模倣し、学ぶことができました。でも、この学習スタイルには問題があって。理屈がわからないまま覚え、そのまま真似しているから、応用がきかないんです。だから、学校でのテストでは90点取れるのに、模試になると数学2点、のようなことが起きていました(笑)。――応用がきかないという点、すごく共感します。高校生は進路を考える時期でもありますよね。難波さんは「モテたい」という理由で心理職を目指したと小耳に挟みました。難波: そうなんです。当時やっていたドラマを見て、「カウンセラーってモテそうだな」と思った、という不純な動機でした(笑)。一応、他の理由として「自分はなんでこんな変な生き方をしているんだろう?」と思ったこともあります。自分から関わりに行っても、なぜ人が離れていってしまうのか知りたくて、勉強したらわかるかなあと思い、岡山にある大学の心理系学部に進みました。――実際に大学で心理学を勉強してみて、いかがでしたか?難波: 全然楽しくなかったし、「これ、モテるのか!?」と思いました。ユングとかフロイトとか、いろいろ勉強しましたが、もう言葉の意味や解釈がわからないし、なぜそんな心の動きになるのかもわからない。基礎心理学の方面に行こうかとも思いましたが、数学が苦手なので統計学ができず、それもあきらめました。そんなとき出会ったのが、発達障害のある子どもたちでした。大学3年生から4年生ぐらいのころですね。はじめはうまく関わりが持てず、「なんだこの子たちは!」と衝撃を受けました。でも、関わっていくなかで「僕と似ているじゃないか」と感じるようにもなったんです。言うことも聞かないし話も通じない、幼少期の僕にそっくりでした。「自分でも、力になれるのではないか」と感じて。そこから、障害のある人たちを支援する職へ就こうかなと考え始めました。ここだけは、まともな動機でした(笑)。「支援者」というプライドが受診を遅らせた。仕事のつまずきから30歳を過ぎてASD診断を受ける――発達障害のある子どもたちが「自分と似ている」と感じたとのことですが、ご自身が発達障害の診断を受けたのもその時期なのでしょうか。難波:それが、そうではないんです。大学院に入り、障害児教育について研究するにつれて、自分も似ているところがあるぞと思うようにはなりましたが、なかなか受診には至りませんでした。指導教員が主催するペアレント・トレーニング(保護者向けの、子どもとの関わり方を学ぶプログラム)に大学院生たちで参加したときです。振り返りの時間に、他の学生が「あのお母さん、しんどそうだったね」「あの人は、こんな思いを持っているよ」と話していたのですが、僕には全くわかっていなかったんですよ。表情を読んでいなかったし、言葉尻しか掴めず、相手の心情も全然わからなくって。「自分はやっぱり...」と思いました。でも結局、自分は発達障害じゃないという結論にそのときはなったんです。Upload By 姫野桂――どうしてそう思ったのでしょうか?難波: これまで、さまざまな問題行動を模倣で改善してきていたので、自分で直せばなんとかなると思っていたからです。忘れ物があれば忘れないようにする、レポートは期日を決めて出す、片付けが難しいのは片付ける気がないからだ。23歳のときにはそんな風に思っていたので、病院を受診するまでにそこから7年かかりました。――30歳で病院を受診し、ASDと診断されたとのことですが、受診のきっかけは何でしたか?難波: プライベートと仕事での困難が重なり、うつ病になったことがきっかけです。大学院卒業後は、心理士として福祉施設で働いていました。これまで勉強したことを活かせる仕事で、自分に合っていると思いましたし、障害のあるお子さんの支援に関しては保護者の方からも評判がよかったのですが、職員さんとの関係に問題があって。あとから振り返ってみると、自分は書類の不備や忘れ物など日頃のミスが多く、よく指摘されていたんですね。それに、対人関係はどうでもいいと思っていた。そんな中で、会議では自分の思う理想の支援のために「こんなんじゃダメだ」などと強く主張したりしていて...周りからすると、信用するのが難しいですよね。トラブルが多く孤立し、業務を減らされてしまうこともありました。プライベートの人間関係でも悩んでいましたが、それでもなかなか受診しなかったのは、どこまででも改善できるはずだと思っていたのに加え、「支援者」としてのプライドがあったからです。自分のメンタルの管理もできずに人の支援なんてできないと、当時は思っていたので。でも、うつ病になってしまったことで、「これはもう精神科に行かんといけん」と思って、泣きながらようやく病院に行きました。――いざ診断を受けてみて、どんな心境になりましたか?診断が下りて安心したと話す人も多い印象ですが。難波: 「やっぱりな」という思いと、「これからどうしよう」という絶望感の両方がありました。これまで勉強して得た知識から、立て直しは大変だろうと感じ、途方に暮れましたね。当時は障害者差別解消法(2013年)ができる前で、職場等での合理的配慮もなかなか期待できない状況だったので、何も受けられる支援がないと思っていたんです。診断が下りて公私ともに行き詰まった状態になり、もう死のうと思ったこともありました。でも、そこでもう一度自分の人生を振り返ることにしました。1人で記憶の蓋を開けていく中で、これまでの自分の過去と向き合うのが怖くて、自分のことをちゃんと見ていなかったのに気づいたんです。小学校の卒業式で記憶を押し込め、自分の人生をなかったことにしたのもその一つでした。自分では責任を持たず、周りのせいにして問題を放棄していたんですね。そこと向き合いながら、自分はどんなことを辛く感じ、どんな援助が必要なのか、どんな課題があるのかを書き出して、自分ですること・他人に頼ることを分けて整理していきました。そのときに、「やれば普通になれる」という考えはやめ、代わりに「生きやすく、自分なりに生きよう」と思ったんです。仕事はパズルを解くような面白さ。「共感」ができなくても心情は聞き取れるUpload By 姫野桂――そのような経験を経て、いま再び心理士として働いていらっしゃるんですね。心理士の仕事をする上で、ご自身のASD特性がどのように影響するかや、困りごとがあったときの対応方法などについて、お聞きしたいです。難波: 自分のできる方法で自己対処しつつ、自分の特性についてはあらかじめクライエントさんに伝えるようにしています。子どもの療育であっても、発達障害のある大人のカウンセリングであっても、僕は相手に「共感」することってほとんどないんですよ。基本的に共感性がないんです。表情などの視覚的な情報から相手の気持ちを推し量るのも、挑戦はしましたが、自分には無理だとわかりました。それでも、スキルとして話の聴き方や声のかけ方は身につけましたし、耳からの情報なら相手の感情が若干読み取れるので、徹底的に聴いて理解するトレーニングをしました。30歳以降もずっと続けた結果、今はわりとうまくカウンセリングで寄り添えるようになったように思います。そして、僕はクライエントさんやその保護者にも、「発達障害があります」「コミュニケーションに難があります」と開示していますが、それによってカウンセリングをやめていく方はいないですね。僕の本を読んでくださっていて、「知ってますよ」と答える方もいます(笑)。守秘義務等も含む約束事や支援方針について、最初にきちっと話し、了解を得てから仕事に取り組んでいます。――反対に、ご自身も発達障害の当事者であることが役立つこともあるのでしょうか。難波: 忘れ物対策や、怒りの感情のコントロールを支援するときは、すごく役に立っています。また、僕自身が服薬していると話しているので、薬への抵抗感が強い人にも、試してみるという選択肢を増やすことができているかなとは思います。療育を受けているお子さんの保護者さんからすると、僕自身が「こうやって乗り切ってきた大人がいる」という一つの希望にもなるかもしれないですね。――たしかにそうですね。どんなときに仕事のやりがいは感じますか?難波: えーっと、「やりがい」っていうのは正直あまりなくて、基本的にはプレッシャーばかりです。相手の人生を背負っているわけですし、大学院生のときからこの道一本で、他の仕事は多分就けないだろうと思っているので、1回1回が勝負という気持ちでやっています。でも、僕は発達障害や障害のある人たちの療育・カウンセリングに、パズルを解くような楽しさを感じるんです。何か困りごとがあってクライエントさんは来るわけなので、その問題をどうすればその人たちが面白く、楽しくできるか、パズルを解くように考えていく。それで、うまく支援を組み立てて実行できると楽しいんです。そうやって、どんどん来るパズルのピースを解きまくっているような感覚で...。それが、やりがいと言えばやりがいなのかもしれません。できないことはできないから、福祉的な支援を借りる――毎回真剣に仕事に取り組みつつ、そういった楽しさも味わっているのですね。少しプライベートな話になってしまいますが、現在難波さんはご結婚されていて、パートナーの方もASDの診断を受けていると著書で書かれていますよね。パートナーシップに関して意識していることがあればお聞きしたいです。難波:気をつけていることがいくつかあって、一つはギブアンドテイクです。自分がした分の見返りを求めるという姿勢は、経験上ダメになりやすいので(笑)、相手がやってくれたことに関して、自分もできることを探してやろうというスタンスでいます。もう一つは、それぞれの人生がある個人として考えること。彼女には彼女の人生があり、子どもには子どもの人生があって、僕はその人生に一緒にいるだけなので、相手の考えや意見を尊重する。自分は自分で、まだまだうまくできませんが、自分のしたいことを言葉で伝えるようにしています。「察して」は、どちらにとってもやっぱり難しいですね。あとは、できないことはできないので、福祉的な支援を借りることでしょうか(笑)。今は、それぞれが訪問看護、病院、カウンセリングなどから必要な支援を受けています。僕は僕で悩みを話すし、彼女は彼女で話すと思うので、主治医が板挟みにならないよう、主治医はそれぞれ違う人にしています。診断時にプライドを捨てることができたからこそ、今はできないことを「できない」と言って助けてもらったり、適切に声を上げたりすることができていると思います。Upload By 姫野桂――適切に声を上げるというと、なかなか難しいですよね。何かコツはありますか?難波:困りごとに応じて、相談相手を変えることですかね。全て同じところに相談したり、相談先を間違えたりすると、適切な支援が受けにくくなってしまうので。問題が出てきたときに、これは福祉の相談支援専門員の人に相談するのか、それとも主治医か、カウンセラーか、親か...などと、妻と話し合って考えるようにしています。「生きやすく生きること」がゴール――このインタビューの読者には、進路や人間関係で悩みを抱えている人もいるかと思います。そんな人に向けて、何かアドバイスをお願いしたいです。難波:僕がいつも発達障害の当事者さんに言うのは「まあ、ほんとによぉ生きとぉわ!」ということです。みなさんがその場に存在していること自体が、僕にとっては嬉しいんです。苦しさや不安を抱えながら生活している人も多いと思うので、そんなときは、藁にもすがる思いで相談したり、しんどさを打ち明けたりしてもいいんだよ、と伝えたいですね。これから頑張ろうと思っている人たちには、チャレンジをやめないでほしいです。僕も30歳で、他人の感情がわかりにくいと言われるASDの診断が下りましたが、それでも心理士を続けています。僕は周りに「(心理士は)無理じゃない?」と言われ続けてきましたが、結果がどうなるかはわからないことだったとしても、自分がやりたいことには、まずはチャレンジしてほしいなあと思います。あとは、「いい会社」「いい学校」に入ろうとするのではなく、自分が大切にされる場所を選んでもらいたいですね。理想を掲げるのはいいのですが、居場所がないことも実際はあるので...大切にされない思いをしてまでそこに行くというのはちょっとおすすめできません。これは、すでに働いている人たちにも言えることですが、自分の居場所になりそうな場所を考えて動いていってもらえたらいいなと思います。就職しても、進学しても、なんとでもなりますよ。ちょっとでも無理だと思ったら、二次障害になって調子が悪くなる前にさっさと辞めてしまったらいいと思います。人生はいろんな選択肢があって、いろんな生き方ができるから、「こうでなくてはいけない」というものはないと伝えたいです。働くこと、進学することがゴールではなくて、生きやすく生きることがゴールだと思うので。自分なりに納得した生き方をすることを、応援したいと思っています。――では最後に、今後の目標を教えてください。難波:理想としては、当事者ファーストの支援ができたらと思います。日々、困っている人たちの最前線で寄り添いながら、講演会や啓発活動、カウンセリングなどの活動をしていきたいです。「ありえへんことが、ありえる」のがこの発達障害じゃないですか。いろいろな当事者さんが社会に出て行って、「別にいいじゃん」「みんな一生懸命生きてるじゃん」「君は君でいいじゃん」と受け入れられて、生きやすく生きることが社会で実現するような流れになったら、僕の出番はなくなるかなあと思います。僕はこんなぐちゃぐちゃした人生ですが、行き着いたところが心理士なので、なんとかやれるところまでやってみたいなと思っています。あとは、いつかテレビに出てみたいですね(笑)。Upload By 姫野桂終始、穏やかな語り口で、時折冗談も交えてお話をしてくれた難波さん。「仕事にやりがいがない」と言われると、「なぜその仕事を続けているの?」と疑問を持つこともあるかと思いますが、難波さんの場合は、やりがいとはまた違う仕事の面白さを感じているとのことでした。このお話からは、難波さんならではの思考と特性が見えた気がします。難波さんの話すとおり、身を守りつつチャレンジしていく精神を、わたしも持っていたいと思ったインタビューでした。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月20日声優の花江夏樹が、「Yahoo! 検索大賞2020」で「声優部門賞」を受賞したことが9日、明らかになった。花江は、劇場版も異例の大ヒットとなっているアニメ『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎役をはじめ、『東京喰種 トーキョーグール』金木研役や、『四月は君の嘘』有馬公生役など数々の話題作で主演を演じる売れっ子声優。登録者数約180万人を超えるYouTubeチャンネルでも活躍するほか、9月に双子の父になったことを発表したり、10月に6年間出演していた子供向け番組『おはスタ』卒業したりと、話題に事欠かない1年となった。ともに検索されたワードは「鬼滅の刃」「ユーチューブ」「おはスタ」「双子」など、作品から活動内容、プライベートまで幅広いものとなっている。花江は、「多くの方に検索していただいた結果、このような賞に繋がったと思っています。まだ僕のことを知らないよ、という方々にも、知っていただく機会がより多く増えたことがすごく嬉しいです」と喜びのコメントを寄せた。■パーソンカテゴリー10部門賞大賞佐藤健アイドル部門NiziUアスリート部門朝倉未来お笑い芸人部門賞フワちゃん作家部門賞辻仁成女優部門賞上白石萌音声優部門賞花江夏樹俳優部門賞佐藤健ミュージシャン部門賞Official髭男dismモデル部門賞山之内すずスペシャル部門賞藤井聡太
2020年12月09日声優・花江夏樹が、現在配信中のParaviオリジナルストーリー「その恋もう少しあたためますか」にて、主人公のペット・ハリネズミの大福の声を担当することが分かった。本作は、現在放送中の火曜ドラマ「この恋あたためますか」のオリジナルストーリーで、森七菜演じる主人公・井上樹木の親友、スーこと李思涵(古川琴音)を取り巻く恋の四角関係を描いていく作品。コンビニ「ココエブリィ」を舞台に、スー、バイト仲間の碓井陸斗(一ノ瀬颯)、店長の上杉和也(飯塚悟志)、そして常連客の石原ゆり子(佐野ひなこ)が繰り広げるラブコメディとなっている。そんな本作の第5話に登場するハリネズミの大福の声を担当するのが、いま劇場版が大ヒット中の「鬼滅の刃」シリーズで竈門炭治郎役を務める花江さん。ほかにも、「東京喰種」の金木研・佐々木琲世役、「四月は君の嘘」の有馬公生役など、人気作で主人公を演じている花江さんが今回声をあてる大福は、樹木とスーが飼っているハリネズミ。ドラマ本編とオリジナルストーリーに毎回登場しているものの、声が聞けるのは今回が初めて。可愛い見た目だが、声や口調は男前という設定の大福。収録を終えた花江さんは「ギャップを意識して演じさせていただいたんですけれども、すごく楽しかったですね。(登場人物たちの)恋を全部わかっていて、恋愛上級者のようで楽しかったです」と感想を語り、「大福が家を飛び出してコンビニへ行ったりするのですが、大福のおかげで恋が進展する部分もあるので、そういう活躍を『実はこういうことをやっているんだ!』と見て楽しんでいただけたら」と見どころを話している。なお、12月8日(火)には番外編「あの時、大福の本音!の巻」を急遽配信することが決定・花江さん演じる大福目線のショートコンテンツとなっている。Paraviオリジナルストーリー「その恋もう少しあたためますか」は12月1日(火)「この恋あたためますか」放送終了後に第5話配信開始予定。火曜ドラマ「この恋あたためますか」は毎週火曜日22時~TBSにて放送中。(cinemacafe.net)
2020年12月01日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー高梨健太郎さん都内で会社員として働く、高梨健太郎さん。働く中でのつまずきをきっかけに、ADHD(注意欠如・多動性障害)の診断を受けました。現在ではご自身の経験を活かして、就労支援のトレーナーや、タスク管理支援ツール「タスクペディア」の企画・発案といった活動もされています。今年の4月、仕事をやりやすくするための秘訣をまとめた『要領が良くないと思い込んでいる人のための仕事術図鑑』(サンクチュアリ出版)も上梓しました。現在はいい環境で働けていると語る高梨さんですが、今の働き方にたどり着くまでには、紆余曲折があったと言います。会社員として働きつつ、「タスク管理」をテーマに就労支援も――(名刺を交換して)会社の管理部門と広報部門、リワークトレーナー、タスク管理支援ツール「タスクペディア」の広報…。高梨さんは今、4つの名刺を持って活動しているのですね。高梨健太郎さん(以下、高梨):はい。障害者雇用枠で入社した会社で、今は一般枠の社員として週5日働いています。広報部門と管理部門の業務を週4日。残り1日は、会社の業務の一環で「EXP立川」という就労移行支援事業所に行き、タスク管理に関する就労支援のプログラムをしています。わたしのタスク管理方法を元に、プログラマーの友人が開発してくれた「タスクペディア」は、EXP立川を運営する社会福祉法人SHIPから、無料でリリースされているクラウドツールです。自分が担当するプログラムでも、使っています。タスクペディア公式Upload By 姫野桂――高梨さんも診断されているADHDには、忘れ物をしやすかったり、優先順位を決めるのが苦手だったりといった、まさにタスク管理術を役立てられそうな症状もあるかと思います。高梨さんの場合は、どんな症状がありますか?高梨:段取りをつけることや整理整頓が苦手だったり、物事を忘れやすかったりします。多動性や衝動性よりも、不注意の割合が大きいですかね。会社の代表電話をとるような、誰からかかってきて、どこにつなげばいいかをすぐに考える必要があるものも、混乱してしまうので苦手です。また、叱責されると、しばらくの間、頭が真っ白になってしまうことがあります。だから、今の会社の入社面接で「配慮してほしいことはなんですか?」と聞かれた際には、「怒るのではなく、提案という形で改善点を教えてほしい」と伝えたりもしました。症状は出ていたが自覚はなく、「天真爛漫」な子ども時代――これまでお話いただいたような症状は、昔からありましたか?どんな子ども時代を送ったのでしょうか。高梨:今思えば、子どものころから症状はありました。小学1年生ぐらいのときには、とにかく片付けができなくて。学校の夏休みの前って、机の中身を空にしたり、朝顔の植木鉢を持ち帰ったりするじゃないですか。あれが嫌で仕方ありませんでした(笑)。他の子たちは毎日少しずつ持ち帰っていたのですが、わたしは最終日まで全然持ち帰らなかったので、大荷物で。それを見越していたのか、親から「とにかくなんでも全部入れて帰ってきなさい」と、ものすごく大きい袋を渡されたことがありました。当時の自分は、素直に「うん、わかったー!」と荷物を詰め込んで持ち帰り、褒めてもらっていましたね。自分の中ではすごく楽しい、笑える思い出として印象に残っています。とにかく不器用で、人より行動が遅く、必ず1回は失敗するような子どもだったのですが…親の理解があったんでしょうね。あまり怒られることがなかったからか、「天真爛漫」と言われるような性格でした。この「できなさ」は何なのか?行き当たった「発達障害」という言葉――小さいころから発達障害の特性は出ていたものの、それにひどく悩まされることはなかったのですね。高梨:はい。本格的に困り始めたのは、20代後半になってからです。大学を卒業後、司法書士を目指して勉強する中で、実務経験を積もうと司法書士事務所でアルバイトを始めたのですが、面白いくらい仕事ができなかったんです(笑)。Upload By 姫野桂――具体的には、どのような業務を担当していたのでしょうか?高梨:「補助者」というポジションで、事務作業や法務局へ書類を持っていくおつかいなどをしていました。仕事としては簡単ですが、責任重大な内容ですね。うまくできないながらも数ヶ月働いていたある日、所長である司法書士の先生にクビを言い渡されてしまって。職場に迷惑をかけているのはわかっていましたが、人並み程度だと思っていたので、ものすごくショックでした。――高梨さんからすると、本当に突然の出来事ですものね。衝撃は大きそうです。高梨:それでも、回復はなかなか早かったんです。落ち込みはしましたが、「こんなこともあるだろう」ぐらいに捉えていたので、次のアルバイトを始めました。今度は不動産会社でのアルバイトだったのですが、またしても仕事がうまくいかず、ミスばかり。そのときに、「あれ、何かおかしいな」と思い始めました。そんなときに、不意に「死にたい」という言葉がこぼれてしまったことがあって。「今、自分なんて言った⁉」と驚き、メンタルがすごく落ち込んでいるんだなあと気づきました。もともと、一部の人間関係でやりづらい状況だったこともあり、そのアルバイトは辞めさせてもらいました。――自分の特性に関わることでそこまで落ち込んだのは、初めてだったのですね。そこから、どのようにして診断を受けるに至ったのでしょうか?高梨:「何かおかしいかも」と思ってからは、自分が一体何者なのか、どういう状態なのかが知りたくて、「仕事できない」や「仕事忘れるミス」といったワードで検索していました。そこでようやく「発達障害」という言葉にたどり着いたんです。そこから、都内の精神保健福祉センターや、発達障害専門の支援機関に行って相談し、紹介してもらったクリニックで、晴れてADHDの診断をもらいました(笑)。30歳手前のことですね。期待に応えたいと頑張りすぎてしまい、二度の休職Upload By 姫野桂――診断を受けたときの心境を教えてください。高梨:自分の努力不足ではなかったのだと、それはもう安心しました。でも、職場での経験から、完全に自信を失ってもいました。あるとき、喫茶店でアイスコーヒーを頼んだら、ちゃんとアイスコーヒーが出てくることにすごく感動しちゃったんですよ。オーダーを間違いなく取り、厨房に伝え、作られたコーヒーを正しい席に運ぶ……。そういう、一般的にはできて当たり前だと思われているようなことが、きちんとおこなわれている。当時の自分には、そんなこととてもできる気がしなかったんです。それでも、自分で仕事をして収入を得ていきたいと悩んでいたときに、クリニックのソーシャルワーカーさんと話す機会がありました。そこで初めて、障害者雇用や合理的配慮というものを知り、障害があっても安心して働ける場所があるとわかって。「ああ、自分でも働けるかもしれない」と、すごく嬉しかったというか…安堵したのを覚えています。――ソーシャルワーカーさんと話したことで、障害者雇用という選択肢が見つかったのですね。その後、IT企業の総務として、障害者雇用で入社したとのことですが、実際に合理的配慮は受けられたと感じますか?高梨:とくに最初のほうは、配慮があったと思います。具体的には二つあり、一つは苦手な電話対応を、最初の3ヶ月はしなくてもいいように調整してもらえたこと。もう一つは、同じ部署の先輩社員が、関わり方を考えてくれたように感じたことです。先輩の机には、「精神障害の人と働く方法」といった内容の本が置いてあったんですよ。「ああ、この人は勉強してくれているのだな」と、すごく嬉しかったです。やりとりをするときにも、言い回しを工夫してくれているように感じました。その会社には5年勤めましたが、だんだんと1人あたりの仕事が多くなり…。結果として、十分な合理的配慮を受けるのが難しい状況になりました。実は、途中で障害者手帳の更新を忘れ、雇用枠も障害者雇用から一般雇用に切り替えることになったのですが、「こんな自分を採用してくれたのだから、頑張って働いて恩返ししなくては」という思いで、わたしもすごく頑張ってしまって。毎日終電帰りのようなときもありました。Upload By 姫野桂――それは、心身ともにすごくハードそうですね…。高梨:気持ちではまだ頑張れると思っていましたが、4年目後半ぐらいには体が追いつかなくなりましたね。アルコールに弱いのに毎日お酒を飲んだり、乗り換えが嫌で、電車で600円のところをタクシーで12,000円払って帰ったりするようになってしまい、ある日「ああ、もうこれはダメだ」と思って休職。その後そのまま退職しました。退職後は、半年で障害者雇用と一般雇用、合わせて250社程度の採用試験を受けまして。有名な不動産会社の一般雇用で、クローズ(障害を伝えずに就職すること)で入社することを決めました。――半年で250社ですか!最終的に一般雇用を選んだのは、何か理由があったのでしょうか?高梨:そもそも内定をいただいた企業が一般雇用のみだったのですが、妻との結婚を、その時点で決めていたからというのもあります。妻も働いていましたし、わたしがADHDだということは伝えていたので、障害者雇用について何か言われたわけではありません。ただ、出産や育児などでもし私だけの給料で生活することになったら、比較的給料が低い障害者雇用では難しいのではないかと思ったんですよ。――経済的な面での判断もあったのですね。クローズで働くとなると、特性由来で苦手なことについて、理由を説明するのが難しく、大変なこともありそうです。高梨:そうなんです。しかも、主任という立場を任せていただいたので、「主任なのに、なんでできないんだろう」と周りから思われているのではないかと苦しくなり…。1社目と同じような流れで、また休職してしまいました。4ヶ月後、復職したときには、自分にほとほと愛想が尽きていました。でも、今思えば、それが転機になったような気もしているんです。できない自分も受け入れた先に、タスク管理術があった高梨:自分で言うのもなんですが、わたしは勉強が得意で、偏差値の高い大学を卒業しました。そこでの優秀な同期たちがどんどん出世していくのを見て、自分も同じはずだとこれまでは思っていたんですね。だから、失敗することがあっても「そんなはずはない」「自分はできる」と考えていたのですが…。2回の休職を経て、「いや、やっぱり自分ダメなんじゃない⁉️」と思い始めたんです。できるはずだと思って頑張っては、しんどい思いをするのを繰り返して、やっとできない自分も受け入れられたんだと思います。それと同時に考えたのが、忘れたりミスをしたりするなら、そうじゃない自分になろうとあがくのではなく、忘れない・ミスが起きない環境をつくることで、このままの自分でなんとかやれないか、ということです。――自分を変えるのではなく、周りの環境を整える。発想の転換があったんですね。高梨:そうなんです。復職直後は時間の余裕もあったので、勉強も兼ねて、自分ができないことをカバーする仕組みをExcelでつくっていきました。例えば、段取りがその場でうまく組めないのなら、あらかじめ組んでおいて、実行するときにチェックすればいいようにする。先送りするなら、やることを細かい手順に分けて、全てに締め切りを入れ、「今日はこれだけやればいい」とハードルを下げるようにする。いつも仕事のことを考えてしまうなら、自分と相手、どちらが作業中なのかわかるようにしておいて、自分が担当でない期間は安心して忘れられるようにする。そんなことを考えながら、どういう仕事があって、いつ発生して、いつ締切で、次に何をやるのか、見るだけですぐに状況がわかる表をつくりました。Upload By 姫野桂Upload By 姫野桂――たしかに、ここまで可視化すると、頭の中を整理できそうです。高梨:作成当時、我ながら傑作だと思いました(笑)。そして、同じようなことをしている人がいないか検索してみたところ、初めて「タスク管理」という言葉に行き着きました。そのとき、わたしはすごく希望を感じたんです。自分の特性をカバーできる方法論を突き詰めていったら、仕事ができると言われるビジネスパーソンが活用する「GTD(Getting Things Done)」という手法とそっくりだった。ADHDのわたしも、自分がエリートだと思っていたビジネスパーソンも、仕事を効率化する上でやっていることは一緒なんだ、と。このときの表を改善して、クラウド上で使えるようにしたのが、タスクペディアです。Upload By 姫野桂高梨:タスクペディアは、誰でも無料で、パソコンからもスマートフォンからも使えるように開発してもらいました。Excelだと、使える環境が限られるじゃないですか。必要な人が気軽に使えて、仕事がうまくいったとか、仕事が見つかったという話が聞ければ嬉しいなと思って、クラウド化してもらい、2018年にリリースしました。――そのような背景でタスクペディアはつくられていたのですね。タスク管理ができるようになってから、仕事のしやすさは変わりましたか?高梨:それはもう、劇的に変わりました。ただ、自分にとってのタスク管理の目的は、仕事ができるようになることそのものではありません。タスク管理をして、無理なく仕事を進められるようになった結果として、落ち着いて仕事ができるようになる。その気持ちの安定が、自分にとっては目的だったのかなあと思います。挫折経験もむしろアリ。背伸びはせず、考え方を変えてみるUpload By 姫野桂――2社目への復職後、転職を経て、現在の職場は3社目ですよね。今の高梨さんからは、とても充実した日々を送られている印象を受けます。高梨:たしかに、幸せだなと感じることは多いです。途中でまたしても障害者手帳の更新を忘れてしまい(笑)、障害者雇用から一般雇用への変更はありましたが、現職は勤続6年目になりました。すごくいい環境で働かせてもらえていると感じます。わたしの感覚では、自分の特性を受け入れて、苦手なことをカバーできたら、その時点ですごく幸せだと思うんですよ。そのタイミングで、自分の強みにも目を向けやすくなりますし。それに加えて自分は今、これまでの経験すべてを、人に役立つ活動へと還元できているように感じるんです。就労移行支援事業所でのプログラムもそうですし、本の出版もそうです。無料でおこなっている活動もありますが、それが巡り巡って勤め先の新たな仕事につながり、会社の利益に貢献できたりもします。このような活動は、すべて自分のしくじり、もっと言うならばADHDの特性が元になっているんですよね。そう考えると、挫折体験って普通はあまりしたくないものかもしれませんが、得るものもあるんじゃないかと思えます。――特性についてのポジティブな捉え方も発見されたのですね。高梨さんは、仕事で苦手と向き合いながら、ご自身の特性を受け入れていったかと思います。自分の特性や診断に悩む子どもたちに、何か伝えたいことはありますか?高梨:そうですね…。「背伸びしなくていいんじゃないかな」と伝えたいです。苦手なことについて、ある程度の努力でカバーできるのならカバーしたほうがいいという考え方もあるとは思うのですが、どうしてもカバーが難しかったり、努力すればできるけれど、代わりに体を壊してしまったりする場合もあると思うんです。そんなときは、別の考え方をする手もあります。背伸びせずに、「あ、これできないんだ」と、自分を少し離れたところから見て、「じゃあ、どうする?」と、直接カバーする以外の対策を練るだとか。自分1人で対策を考えていると、できない自分を認めたくない気持ちも襲ってくるかもしれないので、客観的に見てくれる、頼れる存在がいるとすごくいいですよね。わたしも、妻や家族、担当医や支援機関の方など、たくさんの人に話を聞きました。似たような悩みを持つ同志と、ファミレスで9時間ぐらい話して、励まし合っていたこともあります。苦手なことに対して、自分だけで・直接取り組む以外の方法も、ぜひ試してみてほしいですね。Upload By 姫野桂仕事を始めてから発達障害の特性に悩まされ、一時は休職し、転職も複数回経験した高梨さん。「できなさ」にふさぎ込むのでなく、そんな自分も受け入れて発想を転換し、苦手をカバーする方法を身につけました。高梨さんの場合は、タスク管理術を身に付けたことで自分らしさを取り戻したのではないか――彼の笑顔を見て、そう感じました。何かにつまずいた際は、どうすれば自分らしくいられるか、自分のよさを発揮できるかを考えてみると、少し違う見方ができるようになりそうです。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年11月25日フリーアナウンサーの赤江珠緒、ミュージシャンでタレントのデーモン閣下が16日、東京・霞が関の厚生労働省で行われた「上手な医療のかかり方」特別対談イベントに出席した。厚生労働省では、病院・診療所にかかるすべての国民と、国民の健康を守るために日夜力を尽くす医師・医療従事者のために、令和元年度より「上手な医療のかかり方」プロジェクトを推進。プロジェクト2年目となる今年度は、新型コロナウイルス感染症とインフルエンザの同時流行に備える「上手な医療のかかり方」特別対談イベントなどを実施した。イベントには昨年から同プロジェクトの大使を務めるデーモン閣下とフリーアナウンサーの赤江珠緒が登壇。赤江が「受診を控えるのは(新型コロナウイルス等の)感染が怖いからという心情と、これぐらいの病気だったら遠慮した方がいいんじゃないかというお気持ちで受診を控える方も多くいらっしゃると思います。良かれと思って行動していたことがかえって医療現場の経営を圧迫しているという実態を招いているんだとうかがい、上手な医療との関わり方をバランス良くやらないといけないと思いましたね」と感想を。対するデーモン閣下は「かかりつけ医は普段から自分の身体のことを良く知ってくれていて相談できるし専門でなければ専門の医者を紹介してくれるメリットがあります。コロナ禍になってから他に気をつけなくてはいけないのに受診に距離を置く人が多いと思いますが、コロナ禍になっても冷静に他の病も見直していただければと思います」とかかりつけ医とコロナ禍でも受診する重要性を説いた。今年はこれまでにない新型コロナウイルスが発生。寒さも増して感染も拡大しているが、4月後半に新型コロナウイルスに感染した赤江は「この病気は人によって症状に差があります。病気の難しさ、人同士のコミュニケーションの取り方とかこの病気にどう向き合っていけばいいのかとても難しくて厄介な病気だと思いますね」と罹患者だからこその重みがある発言を。症状自体は中等症で37度5分の微熱が続いたそうだが、「私がかかった頃は4月頭だったので、保健所も逼迫している状態。かかりつけの耳鼻科に相談して保健所に連絡を取っていただきました。自分だけでなくかかりつけ医の方に尽力していただけたので心強かったです」とかかりつけ医に感謝しきりだった。
2020年11月17日俳優の木村多江さんが、2020年11月8日にInstagramを更新。祖母とのツーショット写真を公開し、話題となっています。木村多江、102歳の祖母とツーショット木村さんは、102歳の誕生日を迎えた祖母と、久しぶりに再会したことを明かしました。見頃を迎えたイチョウの木の下で、祖母と写真を撮る木村さんの姿がこちらです。 この投稿をInstagramで見る 木村多江(@taekimura_official)がシェアした投稿 - 2020年11月月7日午後10時18分PST美しいイチョウの木が見守る中、身を寄せ合う2人の表情からは、再会の喜びがあふれています。木村さんは、祖母への想いを次のようにつづりました。検査してやっと会えた祖母は確実に時間の経過を感じたけれど元気だったぁ。たまに笑う、その笑顔にこちらまで嬉しくなる。会えない間も祖母が元気で幸せでいてくれたこと。それがとっても嬉しい。美しい秋に生まれたんだね、おばあちゃん。taekimura_officialーより引用2020年は、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の流行にともない、多くの人が遠方への旅行や帰省を断念しています。特に、高齢者に対しては感染のリスクを考えて、面会を控えた人もいるでしょう。木村さんは、検査をして体調が万全なことを確認した上で、高齢の祖母と久しぶりの再会を果たしたのでした。投稿に対し、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられています。・涙が出そうになりました。大好きなおばあさまに会えてよかったです。・素敵な写真ですね。2人の嬉しそうな笑顔がいいと思います。・102歳の誕生日おめでとうございます!いつまでも元気で長生きしてほしいですね。多くの人が、コロナウイルスの影響で、大切な家族や友人と気軽に会うことが叶わず、さびしい思いやストレスを感じています。以前とは異なる制限がある中で、実際に相手と会って触れ合うことのできる環境が、どれほど貴重で幸せなものか、改めて気付いた人もいるでしょう。大切な人と一緒の時間を過ごせる、何気ない時間を大切にしたくなりますね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月09日当事者研究、仲間たちとの関係についてーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。インタビュー後半では、綾屋さんたちが取り組む「当事者研究」について、また活動を通して出会った仲間たちとの関係について、お話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。当事者研究を続けるのは、新たな仲間に伝えたいから――綾屋さんは、「当事者研究」をテーマに研究者として活動されていますよね。お仕事についてもお聞きしたいです。綾屋:研究職に就いたのは偶然の重なりのようなもので、わたしはいただいた仕事を一生懸命やってきているだけという感覚があります。自分たちの発達障害当事者としての経験をもとに当事者研究をするだけでなく、専門家の研究にマイノリティ当事者の視点を反映させるための研究をするのが、わたしの主な仕事です。どのようにしたらマイノリティの人たちのニーズや感覚からずれずに研究を進められるのかを突き詰めながら、組織づくりを考えたりしています。Upload By 姫野桂綾屋:学術研究のフィールドでも、自分のマイノリティ特性を研究テーマとして掲げる人はまだまだ少ないので、そういった当事者としての視点も活かせる立場での働きが求められていると感じます。例えば、無理なことはしないとか、「こういう場面では無理をしそうになっちゃうな」ということにちゃんと気づいて記録し、そこにある苦労を細かく拾ったり、普通とは異なるオリジナルの方法で同じ目的にたどりつけるかどうかトライしたりして、発表という形で外に出していくとか。こうしてさまざまな人との人間関係や利害関係が広がっていったことで、当事者研究だけでは対処できない新たな苦労が発生し、当事者研究と同時に、「ソーシャル・マジョリティ」の研究も進んだように感じています。――「ソーシャル・マジョリティ」の研究とは、具体的にはどんな内容なのでしょうか?綾屋:発達障害当事者をはじめとする社会的マイノリティの立場から、多数派社会のルールやコミュニケーションを研究するのがソーシャル・マジョリティ研究です。新しく経験する人間関係の苦労は、わからないことの連続でした。以前であれば怖くなって撤退していましたが、当事者研究で培った研究マインドや、そこで出会った仲間の存在のおかげで、そうしたわからないことに研究的に向き合うことができるようになっていました。そして、いろいろな人とのやりとりを観察し、「あの場面ではどんなことが起きていたのか」「こういうときはどこまでなら言ってもいいのか」などを後から教えてもらい、意味付けを介助してもらうことを重ねました。自分がメールの返信を担当しなければいけないときには、失礼がないか一つずつ確認してもらい、さまざまな視点があることを教えてもらいました。そのようにして3年ほどを過ごすうちに、いわゆる定型発達の人が多い社会……わたしは「娑婆(シャバ)」と呼んでいるんですが、その仕組みを頭で理解できるようになり、「怯えていたほど、シャバの仕組みも難しくないかもしれない」と思える程度にはなりました。こうした経験を、多分野の専門家と共に、研究として整理・分析して発表していくのがソーシャル・マジョリティ研究という試みです。――「シャバ」、思わず使いたくなる表現ですね。シャバのルールが自然とわかるわけではなくとも、頭で理解できれば、スムーズになる物事もありそうです。綾屋:そうですね。知識体系があるとわかったことで、重要なポイントをうっかり踏まないように気をつけることができたり、「あのよくわからないルールを使わなければいけなそうだから撤退しよう」と判断できたりと、サバイブには役立ったと思います。Upload By 姫野桂――今の綾屋さんは、自分のことも、自分を取り巻く環境のことも、学生時代に比べれば理解が深まってきているわけですよね。そうなってくると、自分自身の困りごとを起点とする「当事者研究」は一段落ついてもおかしくないように思うのですが、それでも関連活動を続けているのは、何かモチベーションがあるのでしょうか?綾屋:一段落はしましたが、新しい環境や身体の変化に直面するたびに、「今の自分には何が起きているんだろう」という問いが生まれる自分は、あいかわらずなくなりませんでした。現在のわたしは「生きていく態度」として、当事者研究が一生続くのだろうと感じています。また、それとは別に、仲間に伝えていく、という責任も感じています。自分の当事者研究がある程度終わり、生きやすくなってきたときには、これからどうするのだろうとやはり思いました。当時は「自分は一体何者なのだろう」という問いが、終わってしまった感じがして。今後に悩んでいたときに見学参加した薬物依存症からの回復施設のミーティングで、たまたま読んだ文章が、「今まで誰かにしてもらったことをありがたく思っているのなら、新しい次の仲間に返しなさい」といった内容でした。それで、「ああ、そうなんだ」と思ったんですよね。ちょうどその頃、「次はあなたが当事者グループをやる番だよ」と言われていたけれど、わたしはそんなことできないと思っていたんです。でも、そのときに「あ、やらなきゃいけないんだ」と受け入れて。今もその延長線上にいます。わたしは前に出たいタイプでもないし、人づきあいに対する負担も大きくて、当事者グループを続けて10年目になるのに、いまだに「当事者グループの運営なんて、わたしには向いてない!」と、始まる前は緊張して毎回泣きそうになっています(笑)。「みなさんにお世話になったんだし、新しい仲間に返していくんだよな…」という気持ちに動かされ、また、参加してくれる仲間たちに助けられながら、なんとか続けられている感じです。仲間と出会って得られるものがある。ただ、そこはユートピアというわけではない――これまでのお話に、「仲間」という言葉が何度か出てきましたよね。綾屋さんにとって、仲間とはどんな存在ですか?綾屋:ささやかなつながりを感じられたときに泣いてしまうくらいにうれしい存在です。ただ、しょっちゅう仲良く遊びに行くような感じではなく、数ヶ月に一度、ミーティングの中で近況報告を聞くような関係が何年も続くのが、自分にとってちょうどいい距離感の仲間ですね。依存症当事者の人たちの言葉に、「迷惑をかけられたりしても、仲間だから仕方がない」というものがあるのですが、それもすごくしっくりきます。いいことばかりをもたらしてくれるわけではないけれど、大変なときも相手の状態を想像して、受け入れられる人たち。本名も、年齢も、バックグラウンドも全然知らないこともあります。でも、その人の困っていることや考えてきたことなど、内面をわかちあえる関係です。学生時代も含めたシャバでの人間関係というものは、なんだか虚勢を張り合っていて、なかなか自分の弱さは見せられないようだな、という印象を持っています。でも、今の仲間とのつながりは弱さを公開し、自分の恥ずかしくて情けない話からスタートできる。正直すぎるぐらい正直に話しても大丈夫、という基準が共通しているのは、すごく楽ですね。「ああ、人とつながれて、自分ともつながれた」と思えたのは、本当にこの10年ほどのことです。Upload By 姫野桂――近い特性を持つ人同士なら、問題なくつながれることもあるんですよね。わたしも発達障害の当事者ですが、サバイブのためにシャバに対応していく必要性や、それによって楽になる部分があるのを理解しつつも、なぜマイノリティだけがそこに力を割かねばならないのだろうと、やるせなさを感じることがあります。綾屋:それは、本当にそうですよね。わたしはたまたまマイノリティに囲まれた場所を選べているので、職場ぐらいまでなら自分の話も認められるし、恵まれた環境にいる、助かっているなあと思います。でも、わたしの仲間の多くは、それこそシャバで障害者就労等をして、苦労しているわけで。そこにどうやってわたしたちが貢献していけるのかを考えて、今、組織側をマイノリティに合わせて変えていくためのアプローチもし始めたところです。――もし、今後の働き方や生き方に悩む発達障害当事者から相談を受けたら、綾屋さんはどんな話をしますか?綾屋:そうですね……人それぞれですし、難しいですが。先ほど話したような職場環境を変えていくための働きかけには、賛同してくれる企業も少なくはないんです。おそらく、どう対応したらいいか企業側もわかっていないような状況なのだと思います。そんな中で、長期的に考えたときに勧めたいのは、仲間とつながる場を作っていくことです。世代を超えて縦につながることと、若い人同士で横の仲間とつながることの両方が、早めにできたらいいのではないかと思います。――仲間とつながることで、何が起こるのでしょうか?綾屋:当事者研究というやり方にこだわらなくてもいいのですが、自分たちは確かにこうなんだな、ということが、似た身体を持つ人と出会うとわかるようになります。あるあるネタが見つかったり、似た人と集まっても残る違いに気づき、「この部分は障害ではなく、自分のオリジナルなのかな」と思うことがあったり。そういうマイノリティ性に関する共通点や差異は、多数派の中にいては絶対に見つけられないんです。シャバ以外の場所で仲間と出会うことで、「ああ、ここだったら自分の当たり前が、他の人にとっても当然のルールになるじゃん」と感じられることもあります。それが、自分の安心材料になっていくんですよね。例えば、以前、発達障害の当事者が集まっていたとき、準備中にマイクのハウリングが起きたんです。すると、その場にいた人がみんな、耳を塞いだり、しゃがみこんだり、ギャーッと言ったり、大騒ぎになりました。シャバだと多分、「それぐらいで耳を塞ぐの?」と思われるような状況でしたし、わたしも我慢していたかもしれないのですが、そこではわたしも含め、一斉にみんなが耳を塞いだことに何か「文化」のようなものを感じました(笑)。そういう風に仲間同士の空間では、相手と仲がいいか悪いか、相手の性格を好きか嫌いかなどを超えて、身体的な感覚を分かち合い、つながりを感じられるんですね。そんな経験があれば、自分の感じ方に素直に振る舞っても大丈夫な場所が確かにあると思えます。多数派の中だけで過ごしていると、そこのルール以外を知りにくいので、どうしても適応する方向へ動きがちです。でも、仲間と出会えていれば、自分の身体を承認できて、シャバにいるときでもちょっと適応しきらないような、工夫した対応の仕方もできるようになると思うんです。それに、仲間と一緒にいれば、大学選びやきちんと対応してくれる企業に関する情報、生活保護の取り方のルートなど、多数派の間ではなかなか話されないような情報についても、重要情報として交換できるかもしれません。発達障害に関しては、そういったコミュニティが、これからできていくところだと思います。わたしたちの世代では残された時間で達成するのが難しいかもしれないので、そこは若い世代に託したいところですね。Upload By 姫野桂――そのような仲間とのコミュニティを作っていくときに、何か気をつけたほうがいいことはありますか?綾屋:「似たような人たちで集まればユートピアになる」とは限らないのを、認識しておくといいかもしれません。シャバの中では排除されがちな人たちが集まるわけですから、そこで初めて人間関係を結ぶ場合もあるわけですよね。当然、うまくいかないことはたくさん起きます。しかし、そのときようやく、シャバではできなかった、自分たちにとって「わけのわかる」ケンカを初めて経験したり、解決の仕方を学んだりする場にもなりうるわけです。発達障害当事者の集まりでなくとも、そのような人間関係のトラブルは起こりうるものです。上の世代が手助けしたり、気を配れる部分は配ったりして一定の安全を保ちつつも、高校生ぐらいになったら、管理や監視のない空間で、仲間との関係性を味わえるような場所を自分たちで作れるようになったらいいなと思っています。――綾屋さんは、お子さんが2人いらっしゃいますよね。保護者と子の距離感については、どうお考えでしょうか?綾屋:子どもに対する愛情は十分に持ちつつも、手を出し過ぎず、見守るような距離が必要だと思います。親と子では親のほうが当然権力が強かったり、子がマイノリティでも親がマジョリティだったりするので、どんなに親が親切にしようとしても、できることには限界があるんですよね。親が一生懸命、子どもと環境を適応させようと支援することで、本人が学ぶべきことを取り上げてしまい、経験するはずだった苦労を奪ってしまうこともある。一概には言えない、匙加減が難しい話をしていますし、もちろん、マイノリティ性があるかどうかにかかわらず、ひどいいじめに合っている子どもを放っておくのは論外です。ただ、もし親が子どものマイノリティ性に対して「なんとかしてあげなきゃ」と不安に思ったり、熱心に頑張ってしまったりしている場合は、自分と子を切り離して考えて、「子どもが親以外の手を借りて対応していけるようにするためには何をするべきか」を考えることが重要だと思っています。そのときに子どもが頼れる相手として、仲間や、医師・教師・カウンセラーなど親以外の支援者もいますし、介助者を利用する方法もあります。家庭で親がなんでも先回りしてやってあげてしまうと、自分主体で動く力を子どもが養うことはできません。例えば、ある程度、言葉を扱えるお子さんであれば、将来的には本人が主体的に「ご飯作りをお願いできますか」「片付けを手助けしてほしいのですが」と自らのニーズを伝えていけるような関係や距離でやっていけるようになるのが理想かもしれません。周囲の人々の目の厳しさやしがらみ、親としてきちんとやれているのだろうかと不安な気持ちはわかります。わたしも暗中模索で今までやってきました。それでも、仲間とつながるためのサポート等のできることはしながらも、子は子でやっていけるように、親と子を分離していく意識を持っていたいです。(終わり)和やかな語り口で濃厚な話をしてくださった綾屋さん。幼い頃の「自分自身のわからなさ」を、大人になってから時間をかけて受け入れていくまでの、苦労や発見を教えてもらえた気がします。綾屋さんとシャバ(マジョリティ)との関係性も、興味深いものでした。マイノリティの仲間とつながった後には、シャバと交わることで学べるものや新たに知れることもあるかもしれません。Upload By 姫野桂取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月29日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。自分の身体や他人との「つながれなさ」を感じていた綾屋さんが、自分を理解し、社会とつながっていくまでのプロセスをお話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。子ども同士の「暗黙のルール」がわからなかった――綾屋さんは、発達障害のある人を中心に当事者研究を行う会「おとえもじて」の発起人で、ご自身も大人になってからASDの診断を受けていますよね。幼少期はどのように過ごされていましたか?綾屋紗月さん(以下、綾屋):3〜4歳の頃、家では、「なんでこんなに自分の思っていることが両親に伝わらないのだろう」「どうしてわたし、いつも泣いているのかな」と感じていました。父に怒られたわたしは悔しくて泣くのですが、後から「あのとき、あなたはこういうつもりだったんだよね」と通訳のように言葉にしてきて。「わかってるんだったら、なんでさっきあんな風に怒ったんだよ」と腹が立って、余計に泣いてしまうようなこともありました(笑)。母はわたしが何を考えているのかが本当にわからなかったようで、「この子も大きくなれば、自分のことを自分で説明できるようになって、生きやすくなるだろう」と思いながら育てていたらしいです。それでもどうにか家庭の中ではやっていけたのですが、幼稚園に入ってからは、子どもたちの間にあるルールや、今何が起きているのかがよくわからなくて。ちょっと怯えながら様子を見ているような状態でした。Upload By 姫野桂――集団の「暗黙のルール」のようなものの難しさを、幼稚園ですでに感じ取っていたんですね。綾屋:他の子たちが遊んでいる輪に、わたしが「入れて」と言ったら「ダメ」と言われるけど、他の子が言うと「いいよ」と言われる。他方で、何も言わなくても自然と一緒に遊び始める子もいて。どうしたらあんな風に加われるのかがわかりませんでした。先生の指示に従うのも難しかったですね。手順が明確でない説明がだらだらと続くと、まず何から始めればいいのか、具体的な行動が把握できないし、そもそも園内では音がすごく反響しているようにわたしには聞こえていたので、聞き取るのがとても難しくて。わからないから質問をすると、「さっき言ったでしょ」「ちゃんと聞いていなさい!」と怒られてしまいました。――ちゃんと聞いていたにもかかわらず、そのように怒られてしまうのはつらいですね……。小学生になって、変化はありましたか?綾屋:小学校に入って過ごす校舎が変わっても、音がワンワンと反響して聞き取りづらいのは続きました。人との関わり方については、成長するにつれてだんだんわかるようになるだろうと予想していたので、ますますわからなくなったのにはちょっと驚きましたね。「もしかすると、いじめだったのかな?」と思うようなこともあったのですが、嫌なことをされたら反撃したりもしていたので、ある意味ではやり過ごせていました。集団のルールのようなものがあるらしいことや、自分がそのルールを理解していないので仲間はずれにされているようだ、ということは感じていましたが、わたし以外にもいろいろな人が順に仲間はずれの対象になるのが見えていたので、そんなに気にすることでもないのかなとも思っていましたね。――綾屋さんはその後、中学受験をして私立の女子校に進学されたんですよね。綾屋:はい、中高大一貫でエスカレーター式の私立女子校に入りました。いじめのようなものをさほど気にしていなかったとはいえ、「自分には友達ができないなぁ」ということを気にしてはいたんですよ。そんなときに、親が「勉強ができる子たちのところに行けば、お友達ができるかもしれないよ」と中学受験の話をしてきたので、そんなものかなあと信じて近くの私立を受験し、進学しました。「自分は一体どうなっているんだろう」という疑問――中学に入って、人との関係に変化はありましたか?綾屋:わからなさは、むしろ増しましたね。小学校の頃とは違い、やり返したら大変なことになりそうだと感じたので、攻撃されないようになるべく無難に動くようにしていましたが、孤立していました。今になって振り返れば、周囲の環境にも原因があったのだと考えることができますが、当時は「人とうまく関われないのは、自分のせいなんじゃないか」と自分を責める気持ちにもなりました。人間関係に向かう以前に、「自分は一体何者なんだろう」というような感覚があったんですよ。ものの見え方や聞こえ方、たくさんの人の中にいるとすぐに具合が悪くなってしまうこと。そういった他の人との「ズレ」に、一つひとつ気づいては驚いていました。自分の身体との付き合い方もわかりませんでしたし……。自分のことも、自分を取り巻く社会のことも混沌としていて意味付けができない。檻の中に閉じ込められているような窮屈で息苦しい感覚でしたね。それは30歳を超えて、仲間とつながるまで続きました。Upload By 姫野桂――学生時代からさまざまな症状があったようですが、「心療内科を受診してみよう」といった話は持ち上がらなかったのですよね?綾屋:親から言われたことはなかったですね。「心療内科」ができたのはわたしが成人してからですし、当時は「発達障害」という言葉もメジャーではありませんでした。そもそも父方の家系には強烈な特性をもつ人がたくさんいて、むしろわたしはマイルドなほうだったんですよ(笑)。だから、親も単に「神経質な子」ぐらいに捉えていて、病院に行くなんて考えつきませんでした。ただ、わたし個人としては、「この原因不明の心身の具合の悪さを抱えて、社会で働くことに耐えられるわけがない」と就職をあきらめていたので、大学を卒業する頃、覚悟を決めて精神科を受診しました。しかし「あなたは大丈夫ですよ」という言葉と、体に合わない大量の薬を処方され、「医者でもわたしの困難を見つけてくれないのだ」と思い、それ以上、医者に期待するのをやめました。ASDという「物語」を通じて、これまでの記憶が整理された――綾屋さんは大人になってから発達障害の診断を受けたとのことですが、そのきっかけを教えてください。綾屋:書店で見かけて手に取った本の中に「自分によく似た体験が載っている!」というものがあって、それがASD当事者の書いた本だったんです。それまでも心理学などの専門書は読んできましたが、そこには当事者の視点から見たことは書かれていませんでした。専門家が使っている言葉が具体的にどんな体験を指し示しているのかピンと来なくて、自分のことを書かれているという意識も持っていませんでした。「コミュニケーション障害と言ったって、別に親との日常会話は成立しているしなぁ」などと思っていたんですよ。でも、その本に書かれている具体的な経験には、自分と重なる部分が多かった。ASDの診断を取ることで人とつながれるようになるのなら、自分にも診断がほしいと思い、31歳のときに医療機関を受診しました。ASDと診断されたときは、特にうれしくはありませんでしたが、少しホッとしたような感じでした。――診断を受けたことで、何か変化はありましたか?綾屋:記憶に時間軸ができました。それまでは、わたしの記憶は瞬間ごとの写真を平面にぶちまけたように散らばっている状態だったんです。それが、自分の中にASDという「物語」を得たことによって、「ああ、幼稚園のときはこういう理由で大変だったんだ」という風に意味付けができるようになりました。ばらばらだった記憶が一直線に並び、今の自分にしゅーんとたどり着いていくような感覚でした。そのときに過去から現在へ続く「時間」というものがわたしの中にできたのだなと思っています。とはいえ、学生時代に同級生にされたことなど、まだ自分の中で疑問が残っていて意味付けができていないものは、今でも整理されておらず、時々バーンと写真のように頭に浮かぶことはあります。――一部ではあるものの、幼少期からの「わからなさ」が、少し解消されたのでしょうか。周囲には、診断について話されましたか?綾屋:親や当時の夫、つながりの残っていた高校・大学時代の同級生には言いました。親は「それで何が変わるの?」という感じで、ピンと来ていませんでしたね。夫はその後離れていきましたが、今から振り返れば、そもそもお互いにいろいろなことを共有できていなかったんだなと思います。親戚には親から話が伝わり、わたしの研究活動も知っているので、困りごとを抱えている子どもたちの相談を受けることはありました。いとことは「わたしたちの特性って、ただの家系だよね」「『ちょっと変わった子』ぐらいだったのに、社会的にマッチしてないことになっちゃったね」みたいな感じで話しますね。Upload By 姫野桂――現在も、感覚過敏の症状はあるのですよね。何か対策されていることはありますか?綾屋:人がいるところに行きたくても、無理だなと思ったら早めに引き返すとか、耳栓をするとか。具合が悪くなってきたら、とりあえずその場で15分ぐらい寝て、帰宅するだけの力を回復させる、などはしています。あともう一歩行きたいというときに、自分のキャパシティを踏まえて「いやいや」と撤退することが増えましたね。「実際はそんなにいいものじゃないよ」と言われても、ワイワイ楽しんでいるところを見ると惹かれるんですよ。先日も学生街の駅付近で盛り上がっている人たちを見かけて、面白そうにしているなあと近くに寄ってみたら、思ったよりもドロドロした感じであまり楽しくなさそうで。「遠くから見ると楽しそうでも、近くではこんな感じなのかあ」となんだかしょんぼりして帰ったり(笑)。わたしは「セクシャルよりソーシャルが好物です」と表現しているのですが、触れるだけで痛い感覚過敏の特性も影響しているのか、恋愛などのセクシャルな関係への欲望よりも人の輪に入っていくというソーシャルなことへの欲望が強いんです。今は、適度な社会的なつながりを仕事を通じて得られているので、それがすごく幸せですね。(後編に続く)「自分は一体何者なんだろう」と、ずっと違和感や疑問を抱いて生きてきたという綾屋さん。自分の経験に意味付けをし、記憶を整理することができたのは、同じASD当事者の物語との出会いがきっかけでした。インタビュー後編では、綾屋さんが取り組む「当事者研究」について、そして、研究を続ける中で出会った仲間たちとのつながりについてお話しいただきます。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月28日俳優として数々のドラマや映画で活躍している鈴木亮平(すずき・りょうへい)さん。その明るく優しい人柄と抜群の演技力で老若男女問わず、人気を博しています。そんな鈴木亮平さんが結婚をブログで報告したことや妻、子供、連続テレビ小説『花子とアン』(NHK)の結婚エピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!鈴木亮平が結婚をブログで報告映画『俺物語!!』やドラマ『銭形警部』(日本テレビ系)などの数々の作品で主役を務め、活躍している鈴木亮平さん。プライベートでは2011年7月に年上の一般女性と結婚しており、同年12月には第1子が生まれる予定であることをブログを通じて報告しています。いつも、大きなご声援ありがとうございます。今日は、突然のことで驚かせてしまうことになり申し訳ないのですが、皆さんにきちんとご報告しておきたいことがあります。この度、私鈴木亮平は、かねてよりお付き合いさせていただいておりました女性と結婚することになりました。学生時代からお付き合いしていた年上の女性で、一般の方です。先日挙式をさせていただき、そして、12月に誕生予定の新しい命も授かっています。この年に新たな命を授かったこと、その意味をかみしめながら、子供という奇跡が時代の希望として生まれてきてくれることを心待ちにしています。守るものを得られたことで今、ようやく男としてのスタートラインに立てたという想いです。まだまだ未熟な自分ですが、それでもこうして今の自分があるのは、間違いなく、応援し支えてくれる皆さんのおかげです。今後も地に足をつけ、これまで以上の情熱と誠意を持って表現者としての自分を磨いていきますので、これからの鈴木亮平にもご期待いただければ幸いです。繰り返しになりますが、突然のご報告で驚かせてしまってすみません。変わらぬご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。2011年7月28日 鈴木亮平鈴木亮平オフィシャルブログーより引用この報告にファンは「おめでとうございます」と祝福。その一方で、「ショック…」「悲しいけど、幸せそうで何よりです」といった悲喜こもごもな反応を示しています。 この投稿をInstagramで見る まだまだオフショットも。タキシードを着た早坂さん。誰かを見つめているのか、優しい目線…。最終回の早坂さん、本当に破壊力あります。全女子必見! #タラレバ #東京タラレバ娘 #東村アキコ #3月22日最終回 #理想の旦那像凝縮したら #きっとそれは早坂さん #見つめる先に何があるのか #それは最終回を見てのお楽しみ #優しい笑顔も見納めかと思うと #寂し #鈴木亮平 スペシャルドラマ『東京タラレバ娘2020』【公式】 (@tarareba_ntv)がシェアした投稿 - 2017年 3月月20日午前2時33分PDT鈴木亮平さんは結婚報告から3日後に『感謝』というタイトルでブログを更新。ファンから寄せられた祝福のメッセージに答える形で謝辞をつづっています。こんにちは。皆さんからの沢山のメッセージ、本当にありがとうございます。大事に読ませていただきました。そして、あらためて、自分は本当に人に恵まれ、支えられているなと、感動しました。また、この2日間で仲のいい友達や知り合いからも沢山のメールと電話をもらいました。周りへの感謝を忘れずにいたいと、あらためて思いました。これからも、想いと言葉を大切にしながら、皆さんと向かい合っていきたいと思います。本当にありがとう。今後とも、どうぞよろしくお願いします。鈴木亮平オフィシャルブログーより引用真面目で誠実な人柄の鈴木亮平さんらしい文章ですね。そして、心の底から妻と子供を幸せにしたいという気持ちが伝わってきました。鈴木亮平の妻は年上!鈴木亮平さんの妻は年上の一般女性。結婚する6年前に知人の紹介で知り合い、学生時代から交際をスタートさせています。妻はどんな人かというと、マイペースな性格なのだとか。鈴木亮平さんは、自分にないものを持っているところに惹かれたとコメントし、「彼女となら互いを尊重し、よりよい人生を歩んでいけると思い結婚を決意した」と話しています。 この投稿をInstagramで見る 早坂さんみたいな人、いそうでいないんだよな〜。いるけど気づいてないだけ?とにかく今夜は早坂さんに癒されたい気分。 #タラレバ #東京タラレバ娘 #東村アキコ #第4話まであと3日 #日テレ #好きなタイプが #結局は優しい人に落ち着く #若い頃には気づかないかもだけど #てか好きなタイプってなんなんだ #結局は好きになった人がタイプ #そーゆーもんだよ #鈴木亮平 スペシャルドラマ『東京タラレバ娘2020』【公式】 (@tarareba_ntv)がシェアした投稿 - 2017年 2月月5日午前3時44分PST鈴木亮平の子供は女の子!2011年11月に無事、第1子となる女の子が誕生したことを報告している鈴木亮平さん。当日は出産に立ち会い、感動の瞬間を目の当たりにしたようです。そして、ブログには生まれてきてくれたことへの喜びとともに、父親としての決意をつづっています。いつも温かい応援、本当にありがとうございます。皆様に、今日は大切な報告をさせていただきます。本日午後12時53分、都内の病院にて、無事に女の子が誕生いたしました。予定日より早い出産でしたので体重は2440gと小さめですが、母子共に健康で、泣き声の大きな女の子です。出産にも立ち会うことができ、生命が生まれる奇跡を肌で感じることができました。今隣で息をしている小さな命を見つめていると、これまで経験したことのない大きな感情が沸き上がってくるのを感じます。これからも、決意を新たに、表現者として、父親として、人間として、より一層精進していきますので、変わらぬご声援の程、どうかよろしくお願いいたします。感謝2011年11月17日 鈴木亮平鈴木亮平オフィシャルブログーより引用鈴木亮平さんは『花子とアン』やドラマ『テセウスの船』(TBS系)などの作品で優しい父親を演じていました。 この投稿をInstagramで見る 和子お母さん❣️ おたん生日おめでとう❣️ 慎吾〜❗️ ケーキの下で雨宿りしちゃだめぇ〜☔️ #テセウスの船 #佐野家 #和子お母さん #文吾お父さん #心さん #心さんと一緒 TBS日曜劇場「テセウスの船」公式 (@theseus_tbs)がシェアした投稿 - 2020年 2月月14日午前12時12分PSTそして、実生活でもイクメンぶりを発揮しており、娘の幼稚園の送り迎えをする姿などが目撃されています。これからも愛する妻と娘を支える、一家の大黒柱として活躍してほしいですね。鈴木亮平が『花子とアン』での結婚について語る!鈴木亮平さんは『花子とアン』で女優の吉高由里子(よしたか・ゆりこ)さん演じるヒロイン・花子の夫となる村岡英治役を好演。物腰柔らかで知的な御曹司という役どころがぴったりとハマり、その名が世間に広く知れ渡るきっかけになりました。そして、村岡英治が花子にプロポーズする回について鈴木亮平さんは「朝ドラ史上に残るプロポーズシーンの1つになった」と豪語。その言葉通り、視聴者の反応も上々で同放送回は視聴率23.5%を記録しています。そんな鈴木亮平さんが2014年7月27日にブログを更新。結婚式のシーンで着用した羽織姿の写真を公開しています。2人の結婚式のシーンでは、ヒロインの父親役を演じた俳優の伊原剛志さんがおかしなセリフをいい出したことをきっかけに、ほかの共演者もつられ、グダグダな雰囲気に。すると、吉高由里子さんがツボにハマり、笑いが止まらなくなるという事件が起こります。それでも表情を一切崩さず、その場面を乗り切った鈴木亮平さん。「僕は役にしっかり入り込むタイプなので」といい、吉高由里子さんから「ずるいわー」とつっこまれています。和気あいあいとした雰囲気の撮影現場だったことが伝わってきますね。そんな同作には関東大震災や戦争といった悲しい時代背景も描かれていることから、鈴木亮平さんはブログに「村岡家にとって大きな意味を持つ撮影だった」とつづっています。先週の予告にもありましたが、明日からの花子とアンは震災を描く、とても重要な週の放送になります。村岡家にとっても、宮本家や安東家にとっても、そして僕自身にとっても大きな意味を持つ撮影でした。鈴木亮平オフィシャルブログーより引用この作品を通じて、改めて家族の絆の強さを確認したのでしょうか。つらい出来事があっても支えあいながら前に進んでいく夫婦の姿は多くの人を勇気付けています。鈴木亮平さんにはこれからも妻と子供を守り抜いて、素敵な役者人生を送ってほしいですね。鈴木亮平プロフィール生年月日:1983年3月29日出身地:兵庫県身長:1863最終学歴:東京外国語大学英語専攻特技:英会話、英検1級、テーブルマジック、裁縫所属事務所:ホリプロダクション2006年、ドラマ『レガッタ〜君といた永遠〜』(テレビ朝日系)で俳優デビュー後、2007年に映画『椿三十郎』でスクリーンデビューを果たす。そして2013年には映画『HK/変態仮面』で主演を務め、人気俳優の地位を確立。2014年に連続テレビ小説『花子とアン』でヒロインの夫役を好演してさらに知名度を高めた。2018年には大河ドラマ『西郷どん』(NHK)で主演・西郷隆盛役に抜擢。現在もドラマや映画、CMなどで活躍している。鈴木亮平の体は変幻自在?結婚した時の言葉や、役者としての考え方がカッコイイ![文・構成/grape編集部]
2020年10月12日1902年に開通して以来、神奈川県内で親しまれている江ノ島電鉄線(通称:江ノ電)。レトロな雰囲気をかもし出す深い緑色の車体は、江ノ島を経由して藤沢駅と鎌倉駅をつないでいます。由比ヶ浜駅や七里ヶ浜駅、江ノ島駅などのエリアでは海沿いを走っているため、車窓から海を眺めることができるのも評判です。『江ノ電』の駅にあった優しい貼り紙ある日、由比ヶ浜駅の隣駅である長谷駅を利用した、びねこ(@bnekop)さん。駅の掲示板で目にした一風変わった貼り紙に心癒され、Twitterに投稿しました。長谷駅で働く駅員の優しさが詰まった、素敵な貼り紙をご覧ください!只今の季節、朝晩を中心にホームやトイレ内にカニがかっぽしている時がございます。お足元には、十分ご注意ください。な、なんて優しい!さらに、続きの文章を読んでみると…。また、おにぎりと種の交換はご遠慮ください。カニに青柿を投げつける行為も、お止めください。江ノ電の長谷駅から、カニさんのお願い pic.twitter.com/8T2AGB3an6 — びねこ (@bnekop) July 25, 2020 長谷駅は海沿いにある駅のため、駅構内にカニがやって来ることもあるのでしょう。小さなカニたちを駅の利用者が踏んでしまわないよう注意喚起をするため、こういった貼り紙を掲示することにしたのですね。また、貼り紙には「おにぎりと種の交換」や「青柿を投げつける」など、昔話である『さるかに合戦』のネタまで!投稿は拡散され、「駅員さんの優しさにキュンとした」「これはサルにも見てほしい貼り紙だ」といった声が寄せられました。きっとこの貼り紙によって、長谷駅はカニがケガを負うことのない安全な場所になるはずです![文・構成/grape編集部]
2020年07月27日2008年に初主演映画『ぐるりのこと。』で、『日本アカデミー賞』最優秀主演女優賞を受賞し、注目を集めた木村多江(きむら・たえ)さん。同映画公開時の木村多江さんの年齢は37歳でしたが、その当時から変わらない美貌が話題になっています。そんな木村多江さんの若い頃と現在の写真を比べてみました!木村多江 若い頃の写真は?木村多江さんは1999年に放送されたドラマ『リング~最終章~』、『らせん』(フジテレビ系)での山村貞子役で注目されました。2008年には映画『ぐるりのこと。』で初主演を務め、一躍トップ女優に。その1年前、2007年の写真がこちらです。木村多江 2007年さらに2010年には映画『東京島』で男性たちをほん弄する体当たりの演技を見せ、注目の的に。木村多江出演映画『東京島』その頃の姿はというと…。木村多江 2010年次に紹介するのが、2012年の木村多江さんの写真です。この頃も数々のドラマや映画に出演し、作品に欠かすことのできない存在感を発揮していました。木村多江 2012年木村多江のインスタには現在の魅力的な姿が…木村多江さんは公式インスタグラムを開設しており、素敵なプライベート写真やオフショットを投稿しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 木村多江 (@taekimura_official) on May 24, 2020 at 12:32am PDT View this post on Instagram キンカンをいただいた。 自然の色は どうしてこんなに 美しいのだろう。 小さなキンカンも 一生懸命生きてるんだね。 ありがとう #いっぱい食べて #残りはビン詰め #とけていく #氷砂糖 #毎日 #ささやかな喜びを見つける #幸せへのちか道 A post shared by 木村多江 (@taekimura_official) on May 7, 2020 at 9:56pm PDT View this post on Instagram A post shared by 木村多江 (@taekimura_official) on Apr 23, 2020 at 1:14am PDT View this post on Instagram よし、頑張るぞっー! が。 5時間。。 もう眠くて腹ぺこ〜 しぼむあたし。。 #FNS春の祭典 #映画チーム #一度死んでみた 3月28日(土)OA 寝ること 食べること ただそんな当たり前が 幸せです A post shared by 木村多江 (@taekimura_official) on Mar 26, 2020 at 2:22am PDT2020年7月現在49歳の木村多江さんですが、アラフィフとは思えない美肌の持ち主ですね。インスタグラムでは写真が投稿されるたびにファンからは「きれいすぎる」「癒しをありがとう」と絶賛するコメントが寄せられています。今や日本を代表するベテラン女優として君臨している木村多江さん。これからもその美しさで、私たちを魅了し続けてほしいですね。木村多江の旦那はどんな人?性格や明かした私生活に「そんな人だったんだ…」と驚きの声[文・構成/grape編集部]
2020年07月07日2020年7月4日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手がInstagramを更新。そこには、20歳の誕生日を迎えた池江選手が実姉手作りのケーキを持ち、嬉しそうに微笑む姿が写っています。2019年2月に白血病であることを公表した、池江選手。時には「つらい」と正直な気持ちを吐露しながら、苦しい治療に耐えていました。競泳の池江璃花子が公式サイトを開設直筆の『本音』に、反響無事に退院し、こうして20歳の誕生日を迎えることができたのは、池江選手や家族にとって奇跡でもあるのでしょう。池江選手は投稿でこのように想いをつづっています。20歳になりました大好きなお花と姉の手作りのケーキ(3つ)に囲まれて幸せですこんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします!ikee.rikakoーより引用 この投稿をInstagramで見る Rikako Ikee(@ikee.rikako)がシェアした投稿 - 2020年 7月月4日午前5時25分PDT東京海上日動火災保険株式会社は、池江選手の誕生日を記念して1本の動画を公開。動画では幼い頃の姿や、トレーニングに励む池江選手の姿が映っています。池江選手の投稿に対し、多くの人から「お誕生日おめでとうございます!」「自分のことのように嬉しいです」といった祝福の声が寄せられました。闘病中は同じ病気の人たちを励まし、勇気付けるメッセージを送っていた池江選手。今後は素晴らしい泳ぎで、さらに多くの人に笑顔を届けてくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月05日2019年2月、白血病であることを公表し同年12月に退院した競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手。2020年5月には、闘病によって短髪になった姿を公開したくさんの応援の声などが寄せられていました。短髪姿を初披露した、池江璃花子選手その理由に「泣いた」「素敵すぎる」同年6月24日、池江選手は「みなさんに手紙を書きました」と直筆で書いたメッセージを、自身のTwitterとInstagramに公開。短髪姿の撮影時の裏側とともに、短い髪を公開した際の想いをつづっていました。いつも応援してくれて、ありのままの自分を見せる力をくれてありがとうございました。皆さんに手紙を書きました。ぜひ読んでください。 @SKII_Japan pic.twitter.com/tubwUUcL3N — 池江 璃花子 (@rikakoikee) June 24, 2020 先日公開した手紙に、想像をはるかに超える反響をいただき、みなさんにどうしたら感謝の気持ちを伝えられるかずっと考えていました。入院していた時も今も、みなさんが応援してくれて、温かい言葉をかけてくださり、信じられないほど恵まれているなと感じています。あの日、決心はついていたものの「シェア」のボタンを押すまで緊張していました。ですが、次々と届く皆さんからの温かいメッセージを見ると、ポジティブに受け取ってくださっていることが分かりとても嬉しかったです。新しい一面を公開し、ありのままの自分を表現する力を与えてくれたのは他の誰でもないみなさんです。SK-Ⅱとの撮影はどんな感じだったのですか、という質問をいただきましたが撮影時の写真がこれです。今までこんな風にカメラの前に立ったことはなかったのですが、SK-Ⅱと一緒だったからこそ、ありのままの自分、本当の自分を見せることができました。大変なことが多い中で、少しでも私のストーリーが皆さんの力になったら嬉しいです。この第一歩を踏み出すことができたのは、みなさんのおかげです。たくさんの方がご自身のストーリーや経験を投稿してくれて私も心が動かされました。今、私はまた少し前進して学校やトレーニングを少しずつ再開し始めています。ありのままの自分でいること、一歩前に進むための力を与えてくれてありがとうございます。@rikakoikeeーより引用「決心はついていたもののシェアボタンを押すまでは緊張していた」という池江選手。しかし、短髪姿を公開してからは温かいコメントがたくさん届き「嬉しかった」とコメントしました。池江選手の直筆手紙を読んだ人たちからは、「ずっと応援しています」「こちらこそ元気をもらいました」など改めて応援する声が続々と届いています。プールで練習に励んだり、トレーニングをしたりする姿も公開している池江選手。池江選手のペースで復帰し、再び試合で活躍する姿が見られるよう応援し続けたいですね![文・構成/grape編集部]
2020年06月24日白血病であることを2019年2月に公表した、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手。当時18歳という若さで数々の日本記録を持つ池江選手の発表に多くの人が衝撃を受け、「回復を祈っています」と応援する声が寄せられました。池江選手は「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と前向きなコメントを発表し、つらい治療に専念。2020年5月現在は無事に闘病生活を終え、競泳のトレーニングに励んでいます。池江璃花子、『闘病によって短髪になった姿』を初公開した理由同月18日、池江選手はTwitterやInstagramで「今日、みなさんに初めてこの姿をお見せします」という一文とともに自身の写真を公開。そこには、髪の毛が短い池江選手の姿が写ってしました。白血病が発覚する以前は、セミロングだった池江選手。抗がん剤の副作用によって、髪の毛が抜けてしまうこともあります。髪の毛を大切に伸ばしていた人にとって、それは大きな精神的苦痛でしょう。帽子やウイッグを着用して頭部を隠す人も少なくありません。今回、スキンケアブランド『SK-Ⅱ』とパートナーシップを組んだ池江選手は、短髪姿を披露しこのようにコメントしました。今日、みなさんに初めてこの姿をお見せします。白血病の闘病生活中、私に強さをくれたみなさんに。私にとっては、生きていることが奇跡です。ここにいられることが、まるで奇跡のようです。1年間、私は自分自身との戦いに、絶対負けまいと誓いました。そして家族や友人、温かい応援をくださったみなさんのおかげで、病気を乗り越えることができました。今のありのままの自分を見てもらいたいという私の気持ちを、SK-Ⅱは大事にしてくれました。私の心の準備ができた時に、私らしいやりかたで。回復への道のり、少しずつ前進していく姿を、メッセージとして発信することをサポートしてもらい感謝しています。現在、世界中が不安でつらい日々を送っています。このメッセージが、アスリートの仲間にとっても、また同じように苦難と闘っている誰かにとっても、小さな希望になれば嬉しいです。私たちは1人ではありません。恐れのない日が1日でも早く来ますように。どんなトンネルにも必ず出口はあります。みんなで乗り越えていきましょう。動画で「髪の毛がないことは恥ずかしいことじゃない。今の自分に誇りを持っている」と話す池江選手。池江選手のメッセージはネットで拡散され、「元気をもらいました、ありがとう」「ショートヘアも素敵です!」「池江さんの強さを尊敬します」といった声が寄せられました。5月現在、世界中で新型コロナウイルス感染症が感染拡大し、多くの人が非日常的な生活に疲弊しています。池江選手の前向きな姿は、きっと多くの人に元気を与えてくれたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年05月18日《色々とご心配をおかけしましたが、このたび退院となりましたので、取り急ぎご報告いたします》5月6日、『赤江珠緒たまむすび』(TBSラジオ)で、パーソナリティを休業中の赤江珠緒アナ(45)のメッセージが紹介された。『報道ステーション』のチーフディレクターである夫に続き、赤江アナが新型コロナウイルス感染症を発症したのは4月15日のこと。当時、番組のリスナーに寄せた手記で、「わが家は3人家族で、親が共倒れになった場合の子供の面倒は誰がみるのかという問題があります」と、2歳になる愛娘のことを心配していた彼女だが、結局、4月25日から5月4日まで入院生活を送ることになった。自宅での家族3人の生活に戻った赤江アナに取材を申し込んだところ、メールで回答してくれた。――退院後は、どのような生活を送っていますか?「現在は、自宅でふつうの生活です。1カ月1歩も外に出ない闘病生活なので、体力が落ちてはいます」――コロナで入院して、あらためて気づいたことはありますか?「治療現場に人が近づけないので臨床医の先生の声があまり取材しきれていないように思いました」――お子さんにうつさないために、入院前はどのような対策を講じられたのでしょうか?「子供にうつさないような隔離は正直、2歳の子供相手にはできませんでした。ご飯も一緒、寝るのもお風呂も一緒、子供と2人だけの、超濃厚接触でした」赤江アナと同じように“自分が感染したら子供はどうなるのか?”、そんな不安を感じている人も多いのではないだろうか。高知大学名誉教授で感染制御に詳しい小川恭弘医師はこう語る。「家庭内での親子の隔離は非常に困難です。しかし祖父母などの高齢者や、心臓病・糖尿病などの持病のある人に預けることは絶対に避けていただきたいです。症状の軽重によりますが、親子で自宅内隔離を続ける、もしくは親子同室で入院することをおすすめします。中国の7万2千人以上の感染者データによれば、10歳未満の死亡者はゼロでした。ただ親御さんが感染した場合、PCR検査を受けられなくても、お子さんも『感染している』という前提で対応したほうがよいでしょう」また「のぞみクリニック」の筋野恵介院長にも自宅療養での注意点について聞いた。「いっしょに生活する場合は、マスクと手袋をしてお子さんと接してください。飛沫がかからないように、なるべく対面でしゃべらないように心がけてください。しかし空間をともにしていれば完全な予防は難しいのも現実です。お母さんであれば、わが子を感染させてしまうことが心配で仕方がないでしょうが、子供の死亡率が非常に低いことに望みをかけて、耐えるしかないと思います」確かに赤江アナのメッセージからも、わが子を感染の危険にさらさざるをえなかった“母の悲痛”が伝わってきた。「女性自身」2020年5月26日号 掲載
2020年05月15日俳優の木村多江さんが、2020年4月23日にInstagramを更新。自宅で配達員と交わした心温まるやり取りを明かしました。木村多江「優しさに救われた気がしました」同月現在、日本では新型コロナウイルス感染症の影響により、全国で緊急事態宣言が発令され、外出自粛を余儀なくされています。ある朝、外出自粛で木村さんが在宅していると、1人の配達員が荷物を届けに来ました。配達員は、玄関先に現れた木村さんを見て「お変わりありませんか」と声をかけてくれたといいます。 この投稿をInstagramで見る 木村多江(@taekimura_official)がシェアした投稿 - 2020年 4月月23日午前1時14分PDT思いやりのこもった配達員の声かけに、木村さんは救われるような想いがしたのだそうです。今朝、宅配便を届けてくださった業者の方が「お変わりありませんか」と声をかけてくださいました。思いやりが伝わりその優しさに救われた気がしました。今日もたくさんの方々が不安の中、誰かのために頑張ってる。そう思うと、ありがとう、が溢れてきます。みなさんへ今日もたくさん、ありがとうtaekimura_officialーより引用木村さんは、非常事態といえる日々の中で、誰かのために懸命に働き続けている人に向けて感謝の気持ちをつづりました。投稿に対し、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられています。・暗いニュースが続いていたので、心が癒されました。・大変な中でも気遣いを忘れない配達員の人は素敵ですね。・自分も配達員から「一緒に乗りこえましょう」と声をかけられて嬉しくなりました。木村さんは、投稿の最後に次のようなメッセージを送りました。私たちが今出来ることは少ないけれど思いやりとありがとうの気持ちこんな時だからこそ大切にしたいですねtaekimura_officialーより引用外出自粛で、慣れない生活がいつまで続くか分からない中、多くの人がストレスや不安を抱えていることでしょう。そういった中で、ちょっとした優しさに触れると嬉しくなるものです。相手に感謝や思いやりを持って接することの大切さに気付かされますね。[文・構成/grape編集部]
2020年04月29日2020年4月18日、フリーアナウンサーの赤江珠緒さんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の陽性反応が確認されたことが分かりました。赤江珠緒のPCR検査結果が出ましたので、ご報告致します。赤江珠緒本人は新型コロナウイルス「陽性」。娘は「陰性」でした。4月15日に発症。今のところ自宅で療養中です。念のため11日以降は家族揃って社会活動を一切止めておりました。回復してラジオに復帰しましたら、私どもの体験をお話できたらと思っております。赤江珠緒さんの新型コロナウィルス感染につきましてーより引用赤江さんは、同月16日に放送された、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『たまむすび』(TBSラジオ)で夫がコロナウイルスの陽性が確認されたことを発表していました。万が一のことを考えて準備をするべきこと赤江さんは同ラジオ番組内で、自身の経験を踏まえて事前に考えておいた方がよいことを6つに分けて紹介しました。1.2週間分の隔離生活の用意をしておく。2.家を少しでも片付けて、できるだけスペースを作っておく。3.必要なものを届けてくれる存在を確認。4.外出できないことを考えて置き薬を用意する。5.両親が陽性だった場合、子供の面倒は誰が見るのかを考える。6.PCR検査で陰性、回復が確認されてからの社会復帰についての世間の理解。赤江さんは1つ目で挙げた、隔離生活の用意については具体的に必要なものを紹介しました。2週間分の隔離生活の用意を、スーツケースなどにある程度まとめておく。発熱してからだと、慌てます。その中で意外に忘れがちな入院グッズは、サンダル、シャンプー、リンス、洗顔料、ドライヤー、冷却できるものもあれば、おすすめとのことです。夫は上記のものをすべて忘れていたので、Amazonで取り寄せたそうです。赤江珠緒たまむすびーより引用また、2歳の娘さんを持つ母でもある赤江さんは、子育ての不安も吐露しています。40度近い熱の上がり下がりの中でオムツを変えたり、具合が悪くなく遊び回りたい、まだ病気のことなど理解できない子供と同室ではたして療養できるのだろうか。赤江珠緒たまむすびーより引用解決策が見つからなかった赤江さんは、「夫と私の発症のピークがせめてずれることを願うばかりです」とコメント。また、コロナウイルスに対する理解について「コロナを忌み嫌うあまり、この病の本来の致死力以上の怖さを、この病に与えてしまってはいけないのでは」と心配の声を上げていました。【ネットの声】・これこそ報道の鏡!多くの人に知ってもらいたい。・とても大切なアドバイスだと思う。・素晴らしい。真似したいと思います。赤江さんのコロナウイルス感染が確認されましたが、おそらく夫が感染した時に準備していたことで、落ち着いて行動できたことでしょう。『備えあれば患いなし』と考えて、準備の大切さに改めで気づかされます。【お詫びと訂正2020年4月20日10時32分】記事中、「赤江珠緒さんが家族の感染前に備えていた」とありましたが誤りでした。訂正し、お詫び申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2020年04月18日2020年4月7日、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の感染拡大を受けて、政府が東京などを含む7都府県に『緊急事態宣言』を発令しました。対象の都府県に対し、政府は不急不要の外出を避けるよう要請。食料品や日用品を扱うスーパーマーケットやコンビニエンスストアは、原則通常通り営業するため、「在庫がなくなる心配は無用」「不要な買い占めは控えてほしい」と呼びかけています。池江璃花子選手が呼びかけ同日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、Twitterを更新。多くの反響が寄せられた、メッセージがこちらです。皆さんスーパーは、慌てて行かず、買い溜めせず、いつも通り必要な分だけ買いに行きましょ!スーパーも、ちゃんと量は確保してあるみたいだし、感染してても無症状の人もいるから、今、大勢の人が一気にスーパー押し寄せたらって思うと怖いです— 池江 璃花子 (@rikakoikee) 2020年4月7日 コロナウイルスの感染力はすさまじく、中には無症状のまま周囲にウイルスをうつしてしまう感染者もいます。池江選手は、パニックにおちいった人が店につめかけることを恐れ、「慌てず、買いだめせず、いつも通りの行動をしましょう」と訴えました。【ネットの声】・本当にその通りです。必要な分だけ買いたいと思います。・大切なことを発信してくれてありがとうございました!・大変な中、働いている従業員の人たちには感謝しかありません。従業員のみなさんを困らせないためにも、節度ある行動を心がけましょうね。非常事態の中で混乱し、不安に襲われる人もいるでしょう。感染のリスクを減らすには、一人ひとりが不急不要な外出を避けることが大切です。正しい情報を受け取る姿勢を持ち、周囲への配慮ある行動が望まれています。[文・構成/grape編集部]
2020年04月08日ショートは外国人のようなメリハリのあるスタイルが得意です!丸みやくびれをカットで作り出し、外国人のような骨格を目指します。昔から海外に強く憧れがあるので、どうしたら外国人のような髪型になれるだろう?どうしたら外国人のような顔になれるだろうってことばかり考えていました。ワンカールパーマ大人のマニッシュショート大人のショートスタイルです。前髪を長く残すことで大人っぽさを出しています。後頭部は丸みを出しつつも襟足をしめてカットすることで骨格も綺麗に見えます。毛先にパーマをかけることでスタイリング簡単になります。ワンカールパーマ大人のマニッシュショートを見るアッシュ☆オトナモードなフレンチショート耳にかけたフレンチショートです。耳周りと襟足を切り込み、スッキリさせつつ、丸みを残すことで女性らしいシルエットにしています。カラーは暗めのアッシュブラウンで染めることで、大人モードな雰囲気にしています。アッシュ☆オトナモードなフレンチショートを見る大人のフレンチ丸みショート☆耳掛け大人フレンチショートです。後頭部に丸みが出るようにカットしています。乾かして、柔らかめのワックスをもみ込むだけで簡単にスタイリングできます。カラーは9トーンのアッシュベージュで仕上げました。大人のフレンチ丸みショート☆を見る骨格が違う以上、全く一緒にはなりませんが、少しでも近づきたいと思い日々色んな事を考えていたことが今のヘアデザインにつながります。骨格矯正カットで後頭部の丸みを出すと、不思議なことに横顔の凹凸が現れるのです。毛先パーマの大人ショートセンターで分ける大人ショートです。毛先にワンカールパーマかけることで日々のスタイリングが楽になります。また、カラーは9トーンのイルミナベージュに仕上げています。毛先パーマの大人ショートを見るアッシュベージュの大人フレンチショートナチュラルな中にメリハリのあるショートスタイルです。パーマをかければワックスをもみ込むだけで立体感が出ます。カラーもイルミナカラーでダメージも少なく明るめに染めることで軽い印象のショートになります。アッシュベージュの大人フレンチショートを見るまた前髪などの顔周りのデザインも重要で、顔の形やおでこの広さを見て、一人一人の顔の余白を調節します。顔の形によっては、毛で隠した方がいい場合もありますが、逆に切って余白を作った方が顔が小さく見えることもあります。ショートは一人一人の調整が難しく技術が必要になります。大人かわいい☆抜け感ハンサムショート前髪を作った耳掛けハンサムショートです。耳周りと襟足は、骨格を綺麗に見せれるようにスッキリとカットし、かっこよくなりすぎないように少しだけ前髪を作りました。前髪がいい抜け感になり、大人かわいいショートになります。大人かわいい☆抜け感ハンサムショートを見る大人可愛い☆柔らかセンシュアルショート毛先にワンカールパーマをかけたショートスタイルです。襟足をタイトにしてメリハリもありつつ、柔らかさもあるショートに仕上げています。カラーは9トーンのアッシュで柔らかさをプラスしています。大人可愛い☆柔らかセンシュアルショートを見るこだわりを持って一人一人にあったショートを提供します!ぜひ一度ご来店ください♪
2020年03月31日「ちょっと気になる子」を理解できると関わり方が変わるこの本には、「ちょっと気になる子」を理解するために必要なことが書かれています。1章「ちょっと気になる子の理解」では、「ちょっと気になる子」は、具体的にどんな子どもなのかが見えてきます。発達障害の名称をつけるのではなく、たとえば「こだわり・興味の狭さが気になる子」とか、「ことば(コミュニケーション)が気になる子」として、園でよくある風景の描写から、どんな様子が見える子なのかがこまやかに紹介されています。そして、こういう子に共通して想定される「脳の中のちょっとした不具合」について、感覚統合の考え方から分かりやすく説明されています。Upload By 発達ナビBOOKガイド大脳が働くとは、豆電球がピカピカ光ることなのですが、そのためには、豆電球に向かって電気がスムーズに流れるよう電線を整備しなくてはなりません。「脳の働き方に、ちょっとした不具合があるかもしれない子どもたち」は、電線が細くて電気がうまくながれなかったり、つまりぎみだったりする可能性があります。そういう子どもたちには、意識的に体を動かして元気に遊ぶことで、電気が通りやすいよう電線を整備することができます。これが、感覚統合を進めるかかわりということです。(P66)この「配線」について理解することが、気になる子の理解に通じることになります。2章「子どもを支える配慮と工夫」では、「ちょっと気になる子」に有効な支援「目で見て分かる支援」と「分かりやすい話し方」について、簡潔に説明されています。また、それは「ちょっと気になる子」だけでなく、特に気になるところのない子も含めて、すべての子どもたちにとって、いいことだと述べられています。たとえば、「ひとりへの配慮が、みんなのために」として、こんなエピソードが紹介されています。ちょっと早口なある先生が、難聴の子どもがクラスにいたときに、はっきりゆっくり分かりやすく話すように心がけていたことがあったそう。そのときは「クラス全体が落ち着いて、子どもたちも授業に集中してくれていたような気がします」(P68)と書かれています。また、「目で見て分かる支援」では、いくつもの工夫が示されていますが、「お部屋の中の装飾を見直す」として、こんな例もあります。先生の説明に注目したくても、お部屋の飾りつけやロッカーからはみ出したバッグ、床に散らばっているブロックなどが視野に入って注目を阻害していることもあります。カーテンはひもで固定してはためかないようにする、室内装飾は少なめに、ロッカーの整理かごは色をそろえるなど、過剰な刺激を避ける工夫をします。(P78) By 発達ナビBOOKガイド絵を見ると、一見落ち着いているように見えた子も、部屋がすっきりすると前よりちゃんと先生の方を見ていることが分かります。すべての子どもは「地続き」で、白黒はっきりわかれているのではない、ということも伝わってきます。3章「こんなときどうすればいい?」では、さまざまなシーン別に、対処法が紹介されています。「席から離れてしまうとき」「大人から離れられないとき」「外遊びに出たがらないとき」など、保育の日常の中にありそうな、子どもの姿と、具体的にどうしたらいいか、について書かれています。「登園しぶりがあるとき」では、もしかしたら先生の声かけが元気すぎるのかも、ということから、子どものそばに行って小さな声で「おはよ」と言ってみたり、Upload By 発達ナビBOOKガイド自由遊びは「ほんとうの自由を保障する」時間として、お友だちの輪に入りたがらない子には、無理をさせずに見守ってあげたりといった保育者からのアプローチが提案されています。Upload By 発達ナビBOOKガイド4章「つながりの中で育てる」では、ここまでの3章を受けて、子どもたちの園以外の場にいるときの姿へとつながっていきます。子どもの居場所だけでなく、過去と未来についても考えられています。「子どもたちは成長とともに居る場所が変わる」ということをふまえ、今まで受けてきた支援や配慮、これから入って行く学校生活への見取り図が示されています。ここでは、なんとなく敬遠してしまいがちな、保護者と保育者が、お互いに協力していくための具体的な話し方も示されています。1秒だって気を抜けない息子のことを「まったく疲れちゃうんです」と愚痴った時、保育園の先生は笑顔でこう言ってくださいました。「○○ちゃんの頭の中、開けてみてみたいって、私たちはいつも言ってるんですよ。次々と新しいことを思いついて、ほんとうにおもしろいから!」。(P156) By 発達ナビBOOKガイド同じ子どもでも、保育の場からと家庭からでは、違う角度で見えるものです。子どもの未来、特に就学を考えるときに、「就学までにできるようにしておかなければ」と焦るのではなく、「就学してからも、支援を受けてのびのび育っていけばいいんだ」と思えてくる、希望を持つことができる。この本にはそのためにできる具体的な工夫や例が、たくさん登場するのです。保育と療育の間にいる子どもたちをどう見守るか、という課題ところで、この本の内容はもともと、臨床育児保育研究会発行の隔月刊誌「エデュカーレ」で、特別支援教育をテーマに連載されていたものだそう。実はこの「ちょっと気になる子」というタイトルとも、関連しているそうです。著者の中川信子先生にお話を伺いました。Upload By 発達ナビBOOKガイド発達ナビ編集部(以下――)「気になる子」は、保育と療育の間にいる子どもとして、この本では書かれていますが、もう少し詳しく、「気になる子」はどんな子どもなのか、あらためて教えてください。中川先生:『気になる子』とは『気にしている大人の目から見て気になる』です。はっきりした障害名がつき、『気になる子』が『障害のある子』になると、大人の中では気にならなくなるということもあります。でも、障害名の助けを借りなくても、どういう子なのかが理解でき、どう接してあげればいいのかが分かれば『気にならない、かわいい一人の子』になるのではないかと思います。『気になる子』という名称は、『エデュカーレ』の発行母体である『臨床育児保育研究会』と関係があります。保育の現場から上がってきた『子どもたちにもっと的確な保育ができるようになりたい』という願いから始まった『気になる子研究会(気に研)』が発展して『臨床育児保育研究会』になりました。私はずっと『障害』の側から子どもたちを見てきたので、『気になる子』がいたら、可能性のある障害特性を仮定し、それにもとづいた適切な対応をさぐろうとしました。それに対して、保育者の方たちは、子どもたちの行動を見て『なぜ?』『どうして?』『どうしてあげたらいいの?』と『気になる』様子だったのです。『気になる子研究会』では、『気になる子』について、『あてはまる障害名を探す』『白黒はっきりさせる』ではなく『気になる』行動の背景に想定される、さまざまな行動特性や障害の特徴などを、私からお伝えしました。そのことで、目の前の子どもたちが単に『気になる子』ではなく『こういうふうに対応したらいい子ども』となっていく。連載を依頼されたときには、そのことを読者にお伝えしたいと考えて書きました。「気になる子」には、安心できる環境が必要――現状では、療育は、保育とは別の場所で行われていることが多いと思います。このことについてはどう思われますか。中川先生:本来、障害児保育と一般保育は同じところを目指すはずだと思います。私は発達障害ということばをあまり使いたくないので、「発達系」と呼んでいるのですが、この発達系かも?という子が増えて、今、療育はパンク気味です。これを転換期ととらえ、今後は、保育園・幼稚園などの生活の場で、療育に近い関わりが行われ、わざわざ別の場所での訓練に通わなくてもすむようになればいいと思います。保育園、幼稚園での「療育に近い関わり」「ていねいな配慮のある関わり」をこの本では提案したつもりです。でも、そのためには、集団の人数の問題は避けてはとおれません。どうしても大人数だと配慮は行きとどきにくいし、子どもの側の集中もとぎれがちになるからです。また、『分からない』と声をあげればちゃんと助けてもらえる環境があって、安心して『分からない』『教えて』と言えることが大事なんですよね。そこで子どもの学びは進むのですから。それはやはり、大人数のクラスでは、かなえられないことだと思っています。安心できる環境はとても大切です。『アタッチメント』ということばは、日本語では愛着と訳されて、何だか「母の愛」というようなイメージがありますね。でも本来アタッチメント(attachment)とは、しがみつくという意味。風が強いときに飛ばされないように柱のようなものにしがみつく、そのことがアタッチメント。困ったときや不安なときでも、頼れる人がいれば安心していられます。集団生活の中でも子どもが安心して過ごせるかどうか、園の先生の態度が大きな意味を持つと思います。感覚の違いを理解できたら、「気になる子」の理解は進むはずUpload By 発達ナビBOOKガイド――本の中には、感覚が敏感な子どもへの理解についての話も登場します。過敏さを理解するには、どんな風に考えたらいいですか。中川先生:たとえば、私たちだって、押し入れに頭をつっこんで探し物をしているようなときに、急にうしろから背中をたたかれたりすれば、びっくりして飛び上がりますよね。でも、後ろに人がいることが分かってさえいれば、そんなにびっくりはしないものです。過敏さがある子たちはいつもこんな感じなのでしょう。不安な環境にいるからびっくりして、大人から見ると気になる行動に出てしまう。でも、安心できる環境にいれば、そんなに過敏にはならずにすむ。本の中でふれた、感覚統合の考え方を知ると分かりやすいと思います。保育士さんは、元気な人が多いので、大きな声で『おっはよー!』って挨拶なさいますよね。でも、耳が敏感で音に過敏な子は、その声にびっくりしてしまうわけです。前向きな方には、遊びが嫌いな子、みんなのところに参加したがらない子の気持ちも分かりづらいんじゃないかなと思います。この本を読んでくださる保育者には、『気になる子』はこう感じているかもしれないと気づいていただけたら、と思っています。子育てには正解はないから、保護者がひとりぽっちにならない子育てを――ところで、保護者の方たちは、保育者よりも長い時間子どもと接する中で、どうしていいか分からなくなることも多くあります。そんなときはどうしたらいいでしょうか。中川先生:保護者の方は、子どもの発達について『自分の育て方が悪いのではないか』と悩むことが多いのも事実です。だからこそ、脳の働きについて正しく理解することが、すべての子どもの育ちがよく見える助けになるのではないでしょうか。それでも、こうしたことは頭で理解していても、日々の子育ての中でやっぱりイライラしたり怒ってしまうことはありますね。人間は感情の動物、カッとなることはありますよ。でも、手はあげないでください。もし、つい手が上がってしまったら、その手はそのまま自分の頭にのせておいてくださいね。腹が立ったときは、じょうずに感情を別のところに吐き出して。クッションや枕に口を当てて『もうやだー!』って20回くらい叫んでごらんなさい、だんだんクールダウンしますよ。つらいことは、体で表現すると楽になります。理屈をこねても鎮静しません。『怒っている私』を、子どもに当たる以外の方法で解放してあげてほしいです。子育てには、正解はありません。叱って育てても、その子らしさを受け入れて育てても、結果は親子ごとに違うかもしれない。でもあとになって、できなかったことをいろいろと引っ張り出してもしょうがないことなんです。『みんなとちがう』ことが心配になるのは親であれば誰しもですが、どうか、分かってくれる人や、同じ思いをしている人を見つけて、『ひとりぽっちじゃない』状態で、長丁場の子育てに取り組んでいってほしいと願っています。そして、保護者の方はお子さんのことがよく分かっていても、先生に伝えるのはなかなか難しい場合がありますよね。この本の中に、お子さんにあてはまるような例があったら、コピーを先生に渡していただき、『こんな風に書いてある本がありました。うちの〇〇と似ているので、お持ちしました』と、『さりげなく』お伝えになる助けになればと思います。「気になる子」を理解することが、幸せにつながってほしい――気になる子は、その子自身が困っていることが多いです。どうしたら、気になる子自身も周りのお友だちや大人たちも、困ることがなくなるでしょうか。中川先生:昔から、『いっぷう変わった子』や『元気過ぎる子』や『ひとつのことに熱中すると他のことが目に入らない子』というのは、たくさんいましたし、今もいます。私自身もそうです。私は家族全員がちょっと変わった人たちだったので、特に問題視されない恵まれた環境だったと思いますが、それでも悩み深い少女でした。自分のそういう部分を、もしかしたら心理学を勉強したらコントロールできるかな?と思い、『人の幸せのために役立つ心理学』を学ぶことができたことで、今の私があります。ところが、今はちょっとでも『みんな』から外れていると、親も保育者・先生方も『発達障害ではないでしょうか?』と、心配するようなご時世になってしまいました。『多様性の尊重』とか『一人ずつに合わせた教育(保育)』と言いながら、その一方で社会の規範がどんどん狭まり、そこから少しでもはみ出た子には『障害』のレッテルを貼って『特別な支援』につなげなくては!と焦る風潮が強まっていると感じます。障害は、英語ではdisorderで、これは本来、列の乱れ、列からちょっと外れた状態を意味します。今の日本では、ちょっとでも列から外れると、列に入れようと、ぎゅーぎゅー引っ張るやり方をしていますが、ほんとうは、列には入ったり、戻ったりすればいい。列への参加のしかたはいろいろでいいはずなんです。『全ての子を、こういうふうに見て、こういう配慮をすればいいのね』と『集団の中での個別配慮』についての認識を、子どもを理解することで深めていってもらえたらと願っています。そのために、例えばこの本の中の一つのお子さんの例を題材に、保育の場で先生方同士でお話しいただき、『○○組さんの○○くんのこともこんなふうに見ると分かりやすいね』と共通認識を持つために役立てていただけることもできるのではないかと思います。ある意味『ふつうとは違う』側の中に、人間としての豊かな可能性や、人と協力し合いながら生きていく大切さが潜んでいると思います。これから育っていく子どもたちと、そのご家族が『幸せだなぁ』って思っていただけるといいなと思いながら、この本を書きました。Upload By 発達ナビBOOKガイド絵によっても、子どもへの理解がより深まるこの本には、たくさんの場面についてのイラストが登場します。子どもがどんな風に感じているのか、子どもの表情や、ちょっとした体の使い方に表現され、「こういう子、いるね」「こういうことある!」というリアルさがあります。大人の接し方によって、子どもはこう変わるといった様子も、おおげさではなく描かれています。また、実は表紙には違うイラストが入る予定だったそうです。子どもはニコニコして前を向き、ママもスカートをはいていて余裕が感じられる様子でした。(p148にあります)。でも、中川先生は「ちょっと気になる子は、なかなかこうはいかないでしょう」と提案され、その結果、ちょっと不機嫌そうな子どもの様子と、笑いつつもちょっと困り顔のお母さんの表情の絵となったのだそうです。こういう子いるね、うちの子と似てる、と思ったら、そのページからまずは読んでみてもいいかもしれません。育児する人、保育する人へ、「この子はこんな風に感じているかもしれないから、こうしてみたら?」という温かい提案を、少し先の成長した姿とともに見せて、安心させてくれる「保育園・幼稚園のちょっと気になる子」です。取材・文/関川香織写真/鈴木江実子
2020年03月31日お笑いコンビ阿佐ヶ谷姉妹の姉・渡辺江里子(47)のTwitterへの投稿が話題を呼んでいる。2月13日、江里子はハッシュタグを「#聖阿佐ヶ谷姉妹」とし、《姉妹を応援して下さっている皆様へ》と切り出し、こう続けた。《あからさまな日程でお恥ずかしいのですが、日頃の感謝をこめて、2020/2/14にコメントを下さった方にお返事させていただこうかと。すぐのお返事とならないかもですが、もしよろしければご参加下さいませ》と、バレンタインプレゼントとしてファンへの“コメント返信”を実施した。すると、800件以上ものコメントが寄せられることに!《なんて素敵なバレンタインギフトでしょう!お忙しいのにありがとうございます!やはり #聖阿佐ヶ谷姉妹 でございますね!》《素敵な企画、ありがとうございます》《ほのぼのしたお二人にいつも癒されております。これからも応援しています》そんななか、江里子は17日にTwitterを更新。《14日のコメント返しですが、予想を上回る数頂きながら、私の返信能力スキルの低さで、800件近いコメントに対し現在100件もお返し出来ていません》と返信が追い付いていないことを明かした。そして、《ひとまず埋もれないよういいねをさせていただき、返信するする詐欺にならぬよう、ぼちぼち返信してまいりますので、何卒ご了承下さいませ~》と綴った。約束通り、現在も一件ずつ返信している江里子。返信内容も単なる一文ではなく、《コメントありがとうございます》と丁寧にフォロワーのコメント内容に触れているのだ。その律義さにも称賛の声が上がっている。《エリコさんまじ優しい、素敵すぎ。今どき普通の人でもそんな人なかなかいないのに、芸能人でここまで売れてこの素敵な対応》《江里子さんのその誠実さが大好きです。どうぞ無理のないようにしてくださいね》《予想以上に返信が来てアタフタしているお姉さまの姿が目に浮かびます(笑)ご無理なさらず!》
2020年02月18日3年前、小学5年生のときから一緒に、解決策を考えてきたUpload By 発達ナビ編集部発達障害がある音娘(いんこ・仮名)さんは、公立の中学校に通う中学2年生です。3年前から、LITALICO研究所所長・野口 晃菜(以下、野口先生)と一緒に「どんなことに困っているのか」「どうしたら解決できそうか」を考えてきました。野口先生と音娘さんが出会ったのは、小学5年生のときのこと。野口先生が訪問した小学校の校長先生に紹介されて出会いました。それ以来、毎月1回、音娘さんとお母さま、野口先生の3人で会って「今困っていること」を整理し、「どうしたらいいのか」一緒に考えています。たくさんのこだわりの背景にある要因や、そのこだわりのために彼女自身が困っていることを丁寧にひもとき、自分自身で「どうすればいいのか」を導き出せるように対話を続けます。生きづらさを抱えながらも自分の思い描く未来に向けて、支援者と一緒に考えながら少しずつ足を踏み出そうとする姿は、発達障害があるお子さんや保護者、そして支援者にとってもヒントとなりそうです。今回は、野口先生が音娘さんにインタビュー。こだわりや苦手なもの、その背景にあるもの、見出した解決策について、発達ナビにシェアしてくれました。たくさんの苦手なこと、その理由とは?音娘さんなりのライフハック方法もUpload By 発達ナビ編集部野口先生音娘さんには、どうしてもイヤだなって思うものがあるんだよね。例えば、特定の数字や、嫌なことが5回続くこと、日没の時間、冬…。イヤなことやものの理由、どういう風に対処しているのかを話してもらえるかな?まず、嫌いな数字から聞いてもいい?音娘さん24と58が嫌い。昔、24日に嫌なことがあってから24が苦手になった。24日が来ると逃げたくなる。日にちだけじゃなくて、24分も嫌い。24て数字は、「しつこい人」に見える。野口先生へー、しつこい人に見えるんだ! 24への対処法も見つけたんだよね?どういう風にしてるのかな?音娘さん24分がくるときは、時計をかくす。あとは、(24分って考えずに)23分60秒って考えて、それから15秒間息を止めて、23分75秒までタイムトリップするの。24分を秒単位まで分解して、(24分がまるまる全部あるんじゃなく)最初の15秒をカットする。24分45秒までしかない、24分は3/4しかないって考えると、イヤな感じがちょっと減る。でも、タイムトリップ中にメール受信とかをしちゃうとイヤな気持ちになる。受信履歴に24分の時間が残るのもイヤ。時計をカスタマイズできたらいいのに…。23分75秒のつぎに24分15秒がくるように。それから、58も嫌い。58分も、24分と同じ風にしてやりすごしてる。58は「声が甲高いおばさん」に見える。数字を見ていると、おばさんの声がして、細かいこと注意してくるからイヤ。朝起きて、着替えとか朝ごはん食べたりするほかに、ペットのインコに餌をあげるんだけど、インコを起こす時間や餌やりは気に入った数字(7時55分)のときにしたいし、嫌いな数字(24分や58分)の時は目をつぶって息を止めてやりすごすから、タイミングが難しくて、いつも遅刻しちゃう…。野口先生でも嫌いな数字は(秒単位に)分解して考えることでイヤな感じを減らせるようになったんだね。これは音娘さんが自分で考えた「ライフハック(生き抜くための術)」だね。Upload By 発達ナビ編集部音娘さんは、他にも「イヤなことが5回続く」のはイヤなんだよね。音娘さんうん。学校に連続5回行くのがイヤ。野口先生だから、一週間は、月・火・水・木・土・土・日、っていう風に考えているよね。曜日についての考え方をかえることで、対処してるんだね。音娘さんそう。LITALICOの人って、土曜日も働いてて大変だね。イヤなことが連続するのがイヤだから、電車に乗っているときも、急行に乗って、5駅飛ばすのもイヤ…。野口先生音娘さんは、冬も嫌いだから、冬眠したいんだよね。先生にも毎年「冬眠券」くれる。(注:音娘さんは毎年「冬眠券」をつくり、LITALICOのスタッフなどに配ってくれます。これを枕の下に入れて寝ると冬眠できるという設定です)Upload By 発達ナビ編集部音娘さん11月30日から3月5日までは冬だから冬眠する。5年前にひどい風邪をひいてずっとなおらなかったのがイヤで。寝込まないためにはどうしたらいいんだろう?って考えたとき、「冬眠すればいいじゃん」って思いついて。でも、それから毎年冬眠に挑戦するけど、どうしても次の日に目が覚めちゃう…。でも、冬眠しているって設定で…野口先生お、「っていう設定で」って初めて聞いた。これまでは「冬眠」することが音娘さんにとって当たり前って話し方をしていたけど、それを「設定」って捉えるようになったんだね!Upload By 発達ナビ編集部冬眠に毎年チャレンジするものの、挫折が続いた音娘さん。今年は「冬眠か安眠を選べる」設定にして、少しずつ折り合いをつけられるようになっています!将来に向けての不安Upload By 発達ナビ編集部中学2年生の音娘さんは、そろそろ中学卒業後の進路についても決めなくてはいけない、というプレッシャーを感じています。日々の生きづらさに加えて、将来の仕事までを見据えた進路選びへの不安は、彼女の心をしめつけているようです――。音娘さん将来のことが不安。将来の仕事を考えて進路を考えろって言われるから、仕事を決めないといけないし、ぼーっとしているとそれで一日が終わっちゃうから。何か決めたら頑張れるのかなって思うけど、明日から何したらいいか分からない。お母さま発達障害があると、将来のことを考えて高校選びしましょうって言われがちで。どんな専門性を身につけたらいいのかって…。娘は(それを生真面目にとらえてしまって)不安になっている面があるのではと。Upload By 発達ナビ編集部野口先生そんなに将来の仕事のことを今から心配しなくてもいいと思うよ。今幸せならきっと将来も幸せだと思う。どんな風だったら楽しいか考えてみよう。音娘さんチェックのスカートに胸元リボン、ブレザーの制服の高校に行ってみたい。かわいいヘアゴムで髪を結びたい。野口先生先生はアメリカの高校だったから、高校生のときに髪を染めて学校に行ったよ。先生は「アキナ、クール!」って褒めてくれた(笑)音娘さんいいな。今の学校は飾りのないゴムじゃなきゃダメだよ…。有名ブロガーになってブロガー会を開きたいUpload By 発達ナビ編集部たくさんの生きづらさを感じている音娘さんですが、自分で決めた「がんばりたいこと」があります。それが、ブログで有名になって、ブロガー会に出たいという目標。でもなかなか難しいことにも気付いているので、「それならば自分で会を開こう」と心に決めます。野口先生音娘さんは、ブログをやっているよね。どんなブログか説明してもらえますか?音娘さん「インコと住む日々」っていうブログ。基本は、インコについて書いてる。ブログにイラストを書きたくて、ペンタブも使えるようになった。参考:インコと住む日々野口先生音娘さんは、ブロガー会を開きたいんだよね?音娘さん有名ブロガーになると、選ばれた人しか出席できないブロガー会に招待されると知って、「いいなぁ」と思って会場になったホテルの外まで行ってみたことがある。(まだ自分には参加できる権利はないから)自分で企画してLITALICOの人を招待して会を開いてみたいなぁと思って。それを開きたいから、今年は冬眠をしないでおこうかって思ったりもする(注:取材時は11月)。でも、会を上手くできなかったらどうしようと思って不安になってる。野口先生じゃあ、どうすればいいか、整理してみようか。Upload By 発達ナビ編集部今年度、音娘さんは会を開くことができるのでしょうか。でも、挑戦しようと思うその気持ちも、大きな成長だと感じます。試行錯誤しながらも、前に進もうとする姿Upload By 発達ナビ編集部どうしても気になってしまうコトやモノ…たくさんのこだわりや苦手がありながらも、どうにか折り合いをつけられる方法を見つけ出し、ライフハックを試みながら成長していく音娘さん。まだお母さんと片時も離れられなかったり、がんばりすぎて呼吸ができなくなって具合が悪くなってしまったり…、困りごとはたくさんあるけれど、「好きなこと」を手掛かりに、少しずつ世界を広げていこうとしています。音娘さんとの対話を3年間続けている野口先生は、次のように話します。「音娘さんと出会ったとき、嫌悪感や不安な気持ちを音娘さんに抱かせる刺激、出来事の多さにびっくりしました。毎分毎秒嫌悪感や不安と向き合っていることを教えてくれ、その中でどうやって過ごしていくか?をこれまで一緒に考えてきました。出会ってからの大きな変化は二つあります。一つは好きなことややりたいことが増えたことです。好きなブロガーのブログを読むこと、ブログを書くこと、LITALICOに来ること、LITALICOで出会った先生たち、プログラミング。好きなことをしているとき、好きな人と話しているとき、好きな場所にいるときは、これまで毎分毎秒一緒にいた不安や嫌悪感を少し忘れることができると分かりました。そして、もう一つは不安や嫌悪感との付き合い方です。今回教えてくれたように、音娘さんなりの“ライフハック”がたくさんあります。不安や嫌悪感について、どう折り合いがつけられそうか?どう対処できそうか?をこれまでたくさんお話ししました。音娘さんの対処方法は本当にクリエイティブで私も自分が不安なときに使わせてもらっています。」野口先生と一緒に、丁寧に困りごとを整理し、どういう風にすればいいのか自分で考え、日常のなかでその「ライフハック」を試していく姿は、不器用だけれども一生懸命で、彼女のペースでゆっくり歩んでいってほしいと心から願わずにはいられませんでした。たとえ難しくても自分自身の中に「解決のための答え」はきっとある。そこに丁寧に寄りそい、一緒に考えるプロセスこそ、周りの大人が大切にしなくてはいけないのです。そしてまた、思春期らしい悩み――音娘さんが、将来への不安、進路選びでの不安を抱える様子からは、試行錯誤しながらゆっくり成長していく発達に課題がある子どもたちに、将来の仕事を決めてそこにむけてまい進するよう、早々に求めてしまう今の社会の側の課題も感じられました。撮影/鈴木江実子
2020年01月06日フリーアナウンサーの赤江珠緒が、11日に放送されたTBSラジオ『たまむすび』(毎週月~金曜13:00~)を病欠した。番組冒頭、水曜パートナーを務めるお笑いコンビ博多華丸・大吉の博多大吉が「赤江珠緒さんが今日は体調不良ということで。声が出なくて、咳が止まらないということで」と説明し、「本人は来る気満々で、タクシーに乗り込もうとしたらしいんですけど、番組プロデューサーが『やめてください。逆に迷惑です』ということで、お帰りいただいたそうです」と報告した。赤江の代打として、13時台は前番組のパーソナリティを務めるジェーン・スーが、14時台は『金曜たまむすび』パーソナリティを務める外山惠理アナが出演した。ジェーン・スーは「赤江さん、聴いてますか? お願いだから寝てくださいね。あと、しゃべらないでくださいね。無理やり、乗り込んで来ないように(笑)」と呼びかけ、大吉も「メールを打とうとか、メッセージテーマの発表を待とうとか、やめてください。先に言います。読みませんからね。リスナーさんからのメール読みますので、あなたからのメールは読みません(笑)」と話していた。
2019年09月11日フリーアナウンサーの赤江珠緒が5日、TBSラジオの番組『赤江珠緒たまむすび』(毎週月曜~金曜 13:00~)で、女優の蒼井優と結婚した南海キャンディーズ・山里亮太について言及した。山里は、同番組の火曜日パートナーを務めている。番組冒頭、赤江は「ドラマチックプログラム。『たまむすび』はドラマチックプログラムと最近言ってましたけども、こんな筋書きありますか」と切り出すと、水曜日パートナーのお笑いコンビ博多華丸・大吉の博多大吉は「みなさんも驚いた。そして我々も驚きましたよ」と語った。しかし赤江が「山里亮太さんが…」と言うと、大吉は「あ、そっちの話? もう1個の方かと思った。初公判の話かと…(笑)」と返答。5日は、同番組で木曜パーソナリティを務めていた、ピエール瀧こと瀧正則被告の初公判も東京地検で行われた。赤江は「だから言ったでしょ。ドラマチックプログラムって。いろいろありすぎて。"全部乗せ"はやめてくれっていう」と言い、「初公判で言うとね、その方から『山ちゃんにおめでとうって言っといて』って。アンタは裁判に集中しなさいよっていう」と明かした。4日夜、山里から電話で結婚報告をされたという赤江。お相手が蒼井だと伝えられた際の心境を「『は~~!?』って。そこから衝撃過ぎて。すさまじい衝撃でしたね」と振り返った。続けて「あの透明感抜群の蒼井優ちゃん? ちょっとお会いしたことあるんだけど、めちゃくちゃキュートでめちゃくちゃ良い子よって言ったら、『うん、知ってます』って(笑)。『ゴメン、そうだよね』って」と話していた。
2019年06月05日女性ファッション誌『non-no』専属モデルの江野沢愛美(22)が令和初日となる5月1日、東京都渋谷区のヴィレッジヴァンガードで、カレンダー発売記念イベントを行った。4月14日に発売された『江野沢愛美 2019-2020 卓上カレンダー』は、令和が始まる5月からスタートするカレンダー。衣装は、頭からつま先まですべて江野沢の私服のコーディネートになっており、本人のお気に入りは、表紙と同じ衣装で撮影した9月のカット。「撮影した日が寒かったのですが、ニットで暖かい感じで自然な感じで撮影することができました」とその出来栄えにも自信をうかがわせる。さらに、「ふわふわのチュールのスカートが好きで、今日も着ているのですが、カレンダーの中ではチュールのスカートにMA-1を合わせています。あえて甘いスカートにライダースやロゴTなどメンズのアイテムを取り入れてコーディネートするのが好きで、夏にはこんな感じでファンのみんなも真似してくれたらうれしいです」とおすすめのコーディネートを紹介した。令和始まって初日のイベントであったが、普段こういったファンとのイベントもあまりないという江野沢は「こんな日にも関わらずたくさんの方が来てくれてうれしい。私はあまり緊張するタイプではないのですが、ファンの方が『こんなに近くで会えるなんてうれしい』と声をかけていただき、私もうれしい」とファンとの交流も楽しんだ。そして最後に、「モデルでは令和1年の間にまた『non-no』で表紙を飾りたいですし、雑誌もショーももっと頑張りたいです。また、新時代ということで映画とかバラエティなど活躍するフィールドを広げていけたらいいなと思います」と令和でのさらなる活躍を誓った。
2019年05月03日