1月30日に亡くなった有賀さつきさん(享年52)。人知れず闘病生活を送っていたが、有賀本人は死期を悟っていたようだ。 有賀さんは昨年末までに銀行口座などを整理し、年明け以降の仕事も家族の介護などを理由に断っていたという。フジテレビに同期入社した八木亜希子(52)は訃報を受け6日、同局の「とくダネ!」にVTR出演。昨年は有賀と会う機会がなかったが、年末まではLINEでやり取りをしていたと明かした。 「もちろん彼女はそういうこと(=病気のこと)を言わない人なので、全然そういう様子はなくて。昔からあんまり人に辛いこととかを言わなかったり、なんでも1人でやってしまったり、頼らない人なので…」 とはいえ、周囲の人間はその異変に気づいていた。有賀の先輩にあたる山村美智(61)は6日、自身のブログをアップ。昨年7月、有賀さんに「痩せた?」と指摘したときのことをブログで回想している。 「痩せすぎなようにも、少し思ったけれどいつもダイエットに失敗した話を聞いていたので良かったね、と答えると彼女は、嬉しそうに笑ってくれました」 髪質の不自然さにも気づいていたが、有賀さんは「これ、カツラなんですよ!」「カツラ、便利ですよ」とすかさず返したそうだ。 山村は「とくだね!」に5日、電話出演。当時は有賀の体調について心配になったものの、明るく振る舞う様子を見て「仕事に対する意欲や、頑張って生きていかなきゃという思いがヒシヒシと伝わってきました」と語った。 昨年2月、有賀さんにとって最後の更新となったブログには「私は抱え込むタイプなんです、、、」とある。その言葉は、彼女の心の叫びだったのかもしれない。
2018年02月06日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が18日、「ふと、、、」というタイトルで自身のブログを更新した。麻央は「闘病されていた方の訃報にふれると自分のなかのどこかの小枝がポキって折れるような気持ちになります」と心境を吐露。「面識がなくても、遠い遠い方でも、どこかで 不思議に 仲間意識というか、あるのだと思います」とつづった。そして、「だから私も 癌を公表しているものとして少しでも長く生きていきたいです」と続け、「そんなことをふと思いました」と記した。ブログでは名前は書かれていないが、胆のうがんで闘病していた俳優の渡瀬さんが多臓器不全のため14日に死去したことが、16日に報じられた。
2017年03月18日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が29日、自身のブログを更新し、体重の変動を明かした。「体重」というタイトルで更新した麻央は、栄養について書かれた資料の写真をアップし、「改めて、大切な栄養を勉強」とコメント。「この1年間で11キロの体重変動がありました。病気で、何故か人生で一番太った状態(むくみもあるのかな?)と一番痩せた状態を体験しています」と明かし、「以前は、体重計にはのらないずぼらな性格でしたが、最近は特に、確認をするようにしています」と記した。そして、「私は、ベスト体重プラス2キロを理想に考えています」と打ち明け、「何かあると、すぐに減ってしまうので、闘える蓄えを常にもっておくためです」と説明。「これから4キロ太ることがまず目標です!」と宣言し、「太るのが目標だなんて、3年前の私が聞いたらひっくりかえるでしょう」とつづった。
2017年01月29日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(53)が、25日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ワイドナショー』(毎週日曜10:00~10:55)で、乳がんの闘病生活をブログから発信し続けているフリーアナウンサー・小林麻央(34)の姿勢をたたえた。今月1日にブログ「KOKORO.」を立ち上げ、がんが見つかるまでの経緯やその後の心境などをつづっている麻央。この日、ゲスト出演したWBC世界スーパーバンタム級世界王者・長谷川穂積選手の試合展開に触れ、「攻撃は最大の防御」とコメントした。そして、「暗くなっていてもしょうがないから、こうなったら打って出るぞというのがこのブログなんでしょうね」と麻央の真意を察し、「お子さんへの思いとかもあるんじゃないでしょうかね。暗い思いにさせたくないとか」と推測した。がんの転移についても打ち明けるなど、多くの人の心を揺さぶる麻央のメッセージ。松本は「なかなかできない」と正直な感想を口にし、その存在を「偉人に近い感じ」と表現した。
2016年09月25日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が6日、自身のブログを更新し、今後、乳がんと診断されたときのことや治療について、ブログで書いていくと伝えた。麻央は「今後、乳癌がわかったときのことや治療のことなど少しずつ書いていきます」と宣言。「『知らぬが仏』で本当に知らないで生きていられたら穏やかで幸せなこともたくさんあると思います。不安や怖れ、時に、憎しみや怒りが生まれるときは、特にそうです」とつづり、「私は、病気になって初めて知った感情がありました。31年間も知らないで生きてきた感情があったのです。しかも、いっぱい。そして、皆さんのコメントを読んで知る感情も、たくさんありました」と明かした。続けて、「もしかしたら、今後、私のブログを読んで、悲しく感じたり、知ってしまうことで不安になってしまったり、何かを思い出し怒りを感じてしまう方もいるかもしれません」とした上で、「でも、私の体験をどんな形でも、活用してくれる方がいたらと願い、書きたいと思います」と自身の決意を伝えた。
2016年09月06日歌舞伎俳優・市川海老蔵(38)の妻で乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が1日、新ブログ「KOKORO.」を開設した。「なりたい自分になる」というタイトルで、「今日から、ブログを書くことにしました。家族はとても、驚いています」と報告。先生の「癌の陰に隠れないで」という言葉に心が動かされたといい、「力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」とブログを立ち上げた思いを明かし、「一度きりの人生なので、なりたい自分になろうと決意できたことはうれしいです」とつづった。また、「時間の経過とともに、癌患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたことに気がつきました。元気になったら元の自分や生活に戻れるのだからそれまでは、誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、と思ってきました」と自身を振り返った麻央。病気が公になって環境が大きく動き出したことで、「これまで以上に病気の陰に隠れようとして心や生活をさらに小さく狭いものにしてしまいました」と、さらに陰に隠れるようになったことも明かした。さらに、「癌になってから1年以上が経ち、いつものようには身体が動かなくなった時元気いっぱいの娘や息子を前に途方に暮れる思いでした」という心境も告白。「子供に、『いつも一緒にいられなくてごめんね。何にもしてあげられなくてごめんね。』と胸を痛めてるママがいたら、あなただけでなく、私も同じですと伝えたいです」と同じように苦しんでいる母親に向けてメッセージを送った。
2016年09月01日90年代の人気TVシリーズ「ビバリーヒルズ高校白書」でブレンダ・ウォルシュを演じたシャナン・ドハーティが乳がんで闘病中だが、インスタグラムを介して闘病生活をシェアする彼女に激励の声が寄せられている。「バフィー~恋する十字架」のサラ・ミシェル・ゲラーがシャナンとのツーショットをインスタグラムにアップした。45歳のシャナンは昨年8月に乳がんで闘病中であることを公表し、今年5月には乳房の1つを切除、いまも治療を続けている。先月には抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまうことへの対策として髪を剃り落とし、その過程を6回に分けてインスタグラムにアップした。「Entertainment Tonight」のインタビューで「結婚の絆は以前から常に強かったけど、(乳がんになったことで)1,000倍強くなった。夫なしでは、これを乗り越えることはできなかったわ」と語った。現在受けている全8回の抗がん剤治療は10月まで続く。「良い日もあれば、悪い日もある。治療の4、5日後は本当に本当につらいの」と言うシャナンは「先のことがわからないのが一番こわい」と明かす。「痛みも、乳房を失って生きることも、なんとかすることはできる。ただ、自分の未来についての不安、そして自分の未来が愛する人たちにどんな影響を与えるかを思うと不安になる」。不安に揺れる心を隠さず、それでも強い気持ちで病と向き合い、闘病生活についてSNSで発信するシャナンに対してファンはもちろん、「ビバヒル」共演者だったジェイソン・プリーストリーや、サラ・ミシェル・ゲラーなどセレブの友人たちもエールを送っている。9日(現地時間)にはサラ・ミシェルが、頭にピンクのスカーフを巻いたシャナンとのツーショットをインスタグラムに投稿。「私の月曜日の女神(実際は毎日のミューズでもある)は勇敢な友人、シャナン・ドハーティです。私はずっと、彼女は最も誠実な友人の1人だと言ってきました。彼女は人生最大の試練に直面していますが、その試練を1度も会ったことのない友人たちとシェアすることで、同じく闘病中の人々を勇気づけています」とシャナンの勇気を讃えた。(text:Yuki Tominaga)
2016年08月10日ロバート・ダウニー・Jr、クリス・エヴァンス、グウィネス・パルトロウが、がん闘病中の『アベンジャーズ』ファンをお見舞いに訪れたという。マーベル好きのライアン・ウィルコックスさん(18)がその中でもクリス演じるキャプテン・アメリカの大ファンだと知ったグウィネスが、自身がペッパー・ポッツ役で出演した『アイアンマン』の主役であるロバートも合わせてカリフォルニア州サンディエゴの入院先を訪問しようと企画したのだという。グウィネスはライアンさんが2人の憧れの俳優と写った写真と共に「今日ライアン・ウィルコックスにはちょっとしたサプライズがありました。クリス・エヴァンスとロバート・ダウニー・Jr、ありがとう。そしてウィルコックス家のみなさん、お世話になりました!」とその様子を報告している。以前にグウィネスは、インスタグラムで今回の企画を実現させると宣言していた。その際には「彼はキャプテン・アメリカとアベンジャーズが大好きなの。だからライアンにアベンジャーズの出演者、特にキャプテン・アメリカを演じているクリス・エヴァンスと会わせてあげたいの。病状は思わしくないけど、元気づけるすごくいい方法だと思うし、自分のヒーローに会える人生最高の時間となると思うの!」とコメントしていた。今回の訪問の後、クリスはツイッターで「今日ライアン・ウィルコックスという真の戦士と握手を交わすことができたよ。彼はこれ以上ないくらいにクールな男だったね。ウィルコックス家のみなさん、お世話になりました! そして今回のことを実現させてくれたロバート・ダウニー・Jrとグウィネス・パルトロウに大きなハグとキスを送るよ!」と報告していた。(C)BANG Media International
2016年05月25日ロバート・ダウニーJr.とクリス・エヴァンズ、グウィネス・パルトロウが、闘病中の『アべンジャーズ』シリーズのファンの少年のもとをサプライズ訪問した。3人は23日(現地時間)、カリフォルニア州サンディエゴに住む18歳のライアン・ウィルコックスさんを訪ねた。『アべンジャーズ』シリーズの大ファンで、中でもクリスが演じるキャプテン・アメリカが大好きだというウィルコックスさんは、現在がんで闘病生活を送っている。ロバート扮するアイアンマンの秘書ペッパーを演じているグウィネスは自身のインスタグラムのアカウントに、ウィルコックスさんとクリス、ロバートの3ショットをアップ。「今日、ライアン・ウィルコックスにちょっとしたサプライズがありました。ありがとう、素晴らしいクリス・エヴァンズと私の仕事のパートナーであるロバート・ダウニーJr.。そしてウィルコックス家のみなさんのおもてなしに感謝します」とコメントした。実は2週間ほど前にグウィネスは、ウィルコックスさんの友人がインスタグラムで『アべンジャーズ』シリーズのキャストとウィルコックスさんが対面できるよう拡散を呼びかける投稿を見つけ、ロバートとクリスに「私が運転するから、一緒に出かけない?」と呼びかけていた。多忙な3人ながらスケジュールを調整、ウィルコックスさんの夢が実現した。クリスは訪問後にツイッターで「今日、僕はライアン・ウィルコックスという名の真の戦士と握手することができました。彼は僕が望む以上にクールだ。ご家族のおもてなしに感謝します!そして、これを実現させてくれた大好きなロバート・ダウニーJr.とグウィネス・パルトロウにハグとキスを!」とツイートした。(text:Yuki Tominaga)
2016年05月25日人気TVシリーズ「ダウントン・アビー」のミシェル・ドッカリーの婚約者が13日(現地時間)、がんと闘病の末、34歳の若さで亡くなった。20世紀初頭のイギリスの貴族の館の生活を描いた人気シリーズで、舞台となるクローリー家の長女・メアリーを演じるミシェルの婚約者、ジョン・ディニーン氏はアイルランド出身でファイナンシャルPRの仕事をしていたが、がんの診断を受けた後は故郷に戻り、両親と過ごしていた。2人は2013年9月、ミシェルと「ダントン・アビー」で共演しているアイルランド出身のアレン・リーチ(トム・ブランソン役)の紹介で知り合い、今年2月に婚約した。ディニーン氏がアイルランドのコークにあるホスピスで息を引き取った際、ミシェルも最期を看取ったという。ミシェルの代理人は「(ディニーン氏の)家族は皆さんから受けた支援や優しさにとても感謝していますが、身内で喪に服すために、そっとしておいてほしいと願っています」とコメントを発表した。(text:Yuki Tominaga)
2015年12月16日テイラー・スウィフトが、白血病で闘病中の11歳のファンに5万ドル(約604万円)を贈ったことが明らかになった。6月下旬に急性骨髄性白血病と診断された11歳のナオミ・オークスさんは、闘病を決意し、大好きなテイラーが歌う「Bad Blood」を自らのテーマソングに、自らのストーリーを伝える動画を制作。5日(現地時間)にYouTubeに投稿した。動画でナオミさんは、治療のため半年から9か月間入院しなければならず、8月18日にアリゾナ州フェニックスで予定されているテイラーのコンサートに行けなくなったと語った。そして、テイラーがインスタグラムに「#Team Naomi」のタグを付けたメッセージを投稿してくれることを願っていることも付け加えた。動画投稿から2日後の7日(現地時間)、テイラーは早速行動を起こした。ナオミさんの治療費支援を募るために彼女のおじが寄付サイト「Go Fund Me」に開設したページに5万ドルを贈ったのだ。これはオークス家が設定した目標額3万ドル(約362万円)をはるかに上回る金額。4月に母ががんで闘病中だと明らかにしたテイラーは「美しく勇敢なナオミ、今回は残念だけど、コンサートはこれからもたくさんあるわ。あなたがよくなることに集中しましょう。大きなハグを、あなたとあなたの家族に送ります」とメッセージも残した。ナオミさんのおじは、朗報に大興奮の姪の様子を動画に収めて早速アップ。ナオミさんは「息が出来ない」「本当に気絶しちゃうかも」と大喜びしていた。(text:Yuki Tominaga)
2015年07月09日チャーリー・シーンが悪性腫瘍で闘病中の10歳の少女に7万5,000ドルを寄付したことが明らかになった。チャーリーはカリフォルニア州・ハモサビーチで警官と話をしていたとき、彼の10歳になる娘・ジャスミンちゃんが横紋筋肉腫を患っていると知った。自身も5人の父親であるチャーリーは「自分の子どもが苦しむのを見なければならないなんて」と言い、翌日、ハモサビーチの警察協会宛てに7万5,000ドルの小切手を送ったという。協会はジャスミンちゃんに敬意を表して基金を設立した。芸能サイト「TMZ.com」によると、長年チャーリーの出演作で吹き替えを務めているエディ・ブラウンも2万5,000ドルを寄付したという。横紋筋肉種は10歳以下の小児に多く発生する悪性腫瘍で、化学療法や放射線療法などの高額治療を1年間続けなければならない。ジャスミンちゃんの家族はチャーリーたちの行為に深く感謝しているという。ちなみにチャーリーは先月、『最終絶叫計画』の最新作で共演したリンジー・ローハンが財政難と知るや、10万ドルの小切手を送ったが、彼女からは何の連絡もないという。「金に困ってると聞いたから、『どうぞ』ってね」とチャーリーは語る。「彼女から『ありがとう』ってメールが送られてくるのをいまも待ってるんだ。何か聞いてないかい?」。(text:Yuki Tominaga)© Abaca/AFLO■関連作品:チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ [海外TVドラマ]
2012年12月12日末期がんで闘病中だったデニス・ホッパーが29日午前(現地時間)、前立腺がんの合併症により、ロサンゼルスの自宅で死去した。享年74。友人のアレックス・ヒッツさんによると、ホッパーはベニス・ビーチの自宅で29日午前8時15分、家族や友人らに見守られながら息を引き取ったという。1950年代から俳優として活躍し、『理由なき反抗』、『ジャイアンツ』でジェームズ・ディーンと共演、1969年には『イージー・ライダー』で監督・脚本・出演を兼ね、アカデミー賞の脚本賞候補となった。その後、アルコールとドラッグに溺れてキャリアは低迷したが、依存症を克服して、1986年の『勝利への旅立ち』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。反骨精神旺盛な俳優、監督として活躍を続ける一方、私生活では5度の結婚で4人の子供をもうけたが、昨年10月に体調不良を訴えて入院したところ、前立腺がんと診断された。その時点で転移が確認され、余命宣告も受けたホッパーは今年1月にヴィクトリア夫人との離婚を申請、4月にはヴィクトリア夫人にホッパーへの接近禁止命令が出ていた。『イージー・ライダー』に主演した盟友、ピーター・フォンダは「デニスは私にポップ・アートと、“失われた映画”の世界を教えてくれた。私たちはアメリカのハイウェイをバイクで乗り回し、ハリウッドで作られる映画の在り方を変えた。私は彼の情熱と友情に恵まれていた」とコメントを発表、90年の監督作『ホット・スポット』でヒロインを演じたヴァージニア・マドセンは「さよなら、デニス。あなたから沢山のことを学びました」とTwitter上で追悼をつぶやいた。今年3月にハリウッドの殿堂入りを果たし、わが子たちや親友のジャック・ニコルソンに囲まれて授賞式に出席したのが公の場に姿を現した最後だった。(text:Yuki Tominaga)写真はアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた『勝利への旅立ち』より主演のジーン・ハックマンとの一幕。© Everett Collection/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.ヘルライド 2009年1月17日よりシアターN渋谷、銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 The Weinstein Company,LLC.All rights reserved.■関連記事:末期がん闘病で余命わずかと宣告されたデニス・ホッパー、念願のハリウッド殿堂入り「妻に看取られたくない」!?がん闘病中のデニス・ホッパーが離婚申請ペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待映画賞レースもいよいよスタート!インディーズ映画のゴッサム映画賞授賞式が開催
2010年05月31日末期がんで闘病中のデニス・ホッパーが、余命わずかとささやかれる中、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェイム」の星を授与され、26日に行われた授与式に出席した。現在5人目の妻のヴィクトリア・ダフィと離婚訴訟中のホッパーは昨年前立腺がんを患っていることを公表したが、その後、転移が進み、担当医は今後回復の見込みはないと診断している。このため、数日前に行われた離婚裁判への出廷にはドクターストップがかかったが、栄誉を讃えられる授与式への出席という経験はポジティブな方向に働くとの判断で、出席にゴーサインが出た。ホッパーの名前が刻まれた星型プレートを設置したハリウッドのエジプシアン・シアターの前には、1969年のホッパー監督・出演作『イージー・ライダー』で共演したジャック・ニコルソン、ヴィゴ・モーテンセン、デヴィッド・リンチ、ドワイト・ヨーカムら友人が駆けつけた。ニコルソンは『イージー・ライダー』をモチーフにした柄のシャツを着て、盟友の肩を抱き、祝福の言葉をかけた。ホッパーはスピーチで「今日ここに私が招待した人々も、そして招待しなかった人々も言うまでもなく、私の人生をとてつもなく豊かなものにしてくれました」と半生をふり返り、「私は全てをハリウッドから学びました。ここは私のホームであり、学校でもあった。みなさんを愛しています。ただ、ありがとうと言いたい。(殿堂入りは)私にとって本当に大きな意味のあることです。みなさん、本当にありがとう」と心から感謝の言葉を述べた。闘病の結果、体重が100ポンド(約45キロ)を切ったというホッパーは弱々しい姿だったが、45分間のセレモニーの間は自力で歩き、過去の結婚でもうけた子供たちや孫や友人に囲まれ、幸せそうな笑顔を絶やさなかった。ちなみに額と右手に包帯が巻かれていたが、これは彼の前に飛び出してきたパパラッチとぶつかって転倒したため。「顔から倒れ込んだんだ。手には眼鏡を持っていたし、大変なことになっちゃったよ」と本人は苦笑いしながら語っていた。両親は離婚係争中でも、7歳の娘は大好きなパパに抱きついて記念撮影。ハリウッドの悪童で鳴らした老優が愛娘を見つめる瞳は、優しく澄んでいた。(text:Yuki Tominaga)© REUTERS/AFLO■関連作品:エレジー 2009年1月24日よりシャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開© 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.■関連記事:ペネロペ・クルスを新たな高みに導いた『エレジー』 イサベル・コイシェが描く恐怖年齢差30歳の男女が織り成す愛の傑作『エレジー』試写会に15組30名様をご招待映画賞レースもいよいよスタート!インディーズ映画のゴッサム映画賞授賞式が開催【TIFFレポート31】ペネロペの一押しで傑作ラブストーリーを映画化『エレジー』
2010年03月29日昨秋、前立腺がんで闘病中であることを公表したデニス・ホッパーが、約14年間連れ添ったヴィクトリア夫人との離婚を申請したことを明らかにした。73歳のホッパーにとって5人目の妻であるヴィクトリアとの離婚の理由は、先週木曜(14日)にホッパーが提出した申請書によれば「和解しがたい性格の不一致」。申請書には夫妻が別居した日付も記入するが、それによると別居したのは申請書提出の2日前の火曜日だという。発表された声明でホッパーは「ヴィクトリアの幸せを祈る。だが、この辛い時期にそばにいてもらいたいのはわが子たちと親しい友人だけだ」と、闘病生活をヴィクトリアさんと過ごしたくない意思を綴った。ホッパーとヴィクトリアは1996年に結婚、2003年に娘が誕生していて、過去の妻たちの間にも3人の子供がいる。最初の結婚で生まれた娘のマリンさんは「デニスは勇敢よ。すごく困難な闘いに挑んでいる」と父の闘病について語っている。ホッパーの広報担当者は、夫妻の間にトラブルがあり、がんが骨に転移し余命わずかと言われるホッパーが静かな生活を望んでいることが離婚申請につながったと説明。夫妻は資産の取り扱いなど、婚前契約を交わしていたため、財産分与に離婚による変化は生じないという。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:ヘルライド 2009年1月17日よりシアターN渋谷、銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 The Weinstein Company,LLC.All rights reserved.
2010年01月20日昨年、すい臓がんを患っていると公表し、闘病中だったパトリック・スウェイジが14日、ロサンゼルス近郊の自宅で亡くなった。享年57。スウェイジの代理人は「パトリック・スウェイジは過去20か月間の闘病の末、家族に見守られながら安らかに眠りにつきました」と声明を発表した。スウェイジは昨年1月にすい臓がんの4期と診断され、化学療法を受けていた。経過は良く、昨年9月にはガン撲滅運動「Stand Up to Cancer」に参加、今年からスタートしたTVシリーズ「The Beast」(原題)に主演するまで回復した。治療を続けながらの撮影だったが、病状の悪化によりシリーズは13話で打ち切りとなっていた。バレエダンサーとしてキャリアをスタートさせたスウェイジはブロードウェイの舞台からハリウッドへと活躍の場を移し、1983年にフランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』で注目を浴び、1987年の『ダーティ・ダンシング』で人気を不動のものにした。彼にとって最大のヒット作であり代表作『ゴースト/ニューヨークの幻』(’90)で共演したデミ・ムーアは「あなたは多くの人に愛されました。そしてあなたの光は私たちを永遠に照らし続けるでしょう」とコメントを発表。同じく同作の共演者であるウーピー・ゴールドバーグは「私は『ゴースト/ニューヨークの幻』のメッセージを信じています。これからも彼はいつもそばにいてくれるでしょう」と話している。TVインタビューで病に倒れた気持ちを聞かれて「とても怖いし、怒りもある。なぜ僕が?と思っているよ」と正直に答えながら、希望を捨てずに闘病していた彼の冥福を、心よりお祈りいたします。(text:Yuki Tominaga)今年1月、「The Beast」に出演した際のパトリック。© Splash/AFLO
2009年09月16日70年代にTVシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」のジル役で一世を風靡し、先頃より末期ガンで闘病中だったファラ・フォーセットが25日午前中、サンタモニカの病院で亡くなった。享年62。ファラは2006年に肛門ガンと診断されたが、翌年、60歳の誕生日である2月2日にガン克服を宣言。残念ながら、3か月後に再発が見つかったガンは今年5月に肝臓への転移が判明し、手の施しようのない末期にあることが報じられた。彼女は2007年から2年半にわたる闘病生活を、パートナーで俳優のライアン・オニールの協力を得て記録し、5月に「Farrah’s Story」としてNBCで放映された。『ある愛の詩』や『ペーパー・ムーン』で知られるオニールとの交際は80年からスタートした。何度か破局を迎えながらも関係を修復してきた彼らの間には24歳になる息子もいるが、正式に結婚はしていなかった。オニールは、26日に放映予定のABCの番組「20/20」で、病床のファラに求婚し同意を得たと明かし、「彼女が『イエス』と言えるようになったら、すぐに挙式したい」と話していた。その希望は叶わなかったが、彼は臨終のときも彼女の枕元に付き添っていたという。オニールは「目は開いていたけれど、彼女は何も言わなかった。でも、その目からは、彼女が私たちがいることをわかっているのが見てとれた」と、People誌の取材に気丈に応えた。ファラのご冥福をお祈りいたします。(text:Yuki Tominaga)3年前のエミー賞授賞式にて、「チャーリーズ・エンジェル」のメンバー、ケイト・ジャクソンとジャクリーン・スミスと共に登場したファラ・フォーセット(写真左)。© Reuters/AFLO
2009年06月26日