「とても痛い、とても痛い」2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、そう言って倒れた金正男氏(享年45)。北朝鮮の故・金正日総書記の長男で、金正恩・朝鮮労働党委員長(34)の異母兄である。 彼は白昼堂々、搭乗手続き中に毒物攻撃を受け、暗殺された。これまでにベトナム国籍の女をはじめ、実行犯とみられる複数の人物が逮捕されたが、一部は依然、逃亡中だ。 かねてより北朝鮮の体制を批判していた正男氏は、’12年に北京で暗殺未遂事件に巻き込まれ、同年4月には正恩氏宛に「私と私の家族を助けてほしい」と命乞いの手紙を送っていた。それでも、正恩氏からの暗殺命令は継続していた。「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は語る。 「現在3万人いる脱北者たちのなかに、海外で亡命政府を作り、正男氏をトップに据えようという一派がいたのです。さらに正恩氏は、米中が政権転覆を狙い、正男氏を自分の座にすげ替えるのでは、という被害妄想を抱いていました。正恩氏が脱北者の動きに過剰反応し、先手を打つ形で正男氏への暗殺指令を出していたのです」 暗殺の実行を指揮したのは、対南工作担当の人民軍偵察総局とされる。暗殺を含め、あの手この手で、命令を遂行する部局だ。元工作員だった青山健煕氏が、工作員の驚くべき訓練内容を明かす。 「大型車から小型車、オートバイまでいろんな種類の車の運転を学びます。逃げる練習もします。工作員は握手すると一発でわかりますよ。小指側の手の側面が岩のように固いから。工作員に合格するには、瓦を12枚割らないといけない。レンガだと4枚くらい。後頭部をその部分で空手チョップすると一発で相手は死んでしまいます。もちろん、女と寝る練習もしますよ」 女性工作員の場合は、色仕掛けで要人と関係を深め、情報を引き出すため、セックスの訓練が最重要とされたという。 「昔は指導役の女性が、ずらりと寝かせた工作員の女性器に、きゅうりをリズミカルに出し入れして、腰の使い方などを指南していました。なかには興奮してしまう女性もいて『相手を興奮させずに、お前が興奮してどうするんだ』と怒号が飛びました。場合によっては、ことの最中に後頭部の『ツボ』に毒針を刺し、殺すよう仕込まれます」 目的達成のためにはなりふり構わない、工作員の仕事ぶりが垣間見える。(週刊FLASH 2017年3月7日号)
2017年02月24日2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された北朝鮮・金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄・金正男氏(享年45)。犯行時間は、わずか5秒間。映画のような事件に、世界が揺れた。正男氏は01年、「東京ディズニーランドに行きたい」と偽造パスポートで日本に入国しようとしたが発覚し、強制退去になった。高倉健が出演する日本映画や漫画が好きな素顔などオタクの一面が伝えられ、世間の注目を集めた。 本誌は北朝鮮を離れ、国外を転々とした正男氏の知られざる“逃亡生活”を追った――。 ロシアとスイスで教育を受けた正男氏は、95年から北京に滞在。第一夫人の崔恵里さんとの間に最初の子、東換くんをもうけた。 「二番目の妻の李恵慶さんとは、北朝鮮で出会ったと聞きます。彼女は北朝鮮の芸術公演団にいた女優さんで綺麗な方。当時彼は北朝鮮のために設立した貿易会社の代表をしていて、その本社がマカオにあった。そこでマカオに居を構え、02年から恵慶さんを住まわせたんです。『前の奥さんが』という言い方をしていたので、恵里さんとは離婚していたかもしれません」(マカオ在住・ジャーナリスト) 正男氏の生活はブラリと買い物に出たり、家族で高級レストランに頻繁に食事に行ったりと、セレブらしい暮らしぶりだった。 「話し方もおだやかで、政治や社会情勢にあまり興味がなく、テレビのニュースもあまり見ていませんでした。食事の後はスパに行ったり、女性のいるクラブに飲みに行ったりという毎日。家に帰らず、ホテルに泊まることもあったようです」(前出・ジャーナリスト) 家族で平穏に暮らすそんな生活が脅かされ始めたのは、11年、父親の金正日氏(享年69)が亡くなってから。正男氏のインタビューをまとめた『父・金正日と私金正男独占告白』の著書がある東京新聞編集委員の五味洋治氏は、こう当時を振り返る。 「正男氏は気さくで国際社会での評判も上々でした。しかし、世襲を批判し、核実験を強行することに憂慮を示すなど、体制批判を度々口にしたことで当局からマークされるようになりました。『(北朝鮮から)警告がきたので、政治的な話はできない』と本人からメールがきたりしたので、当時から自分は狙われているという危機感はあったのでしょう」 北朝鮮に詳しいジャーナリストの太刀川正樹氏は、そのころから正男氏の周辺で北朝鮮工作員の動きが活発になっていったと語る。 「正男氏はそうした動きを察知し、12年に『私や私の家族を助けてください』と記した命乞いの手紙を、亡き父の後継者の座に着いた弟に送りました。『私たちは行くところも避けるところもなく、逃げ道は自殺だけだとよくわかっている』と書かれていたといいます」 不安定な生活から逃避するためか、正男氏の女性関係は派手だった。”三番目の妻”の徐英羅さんとのツーショットがマカオで目撃されるようになったのも、そのころから。 「英羅さんは30代半ば。スラッとしたモデルのような容姿で、国営高麗航空のCAさんをしていたそうです。マカオで高層マンションを借り、正男氏は彼女のもとに通っていました。入籍していたかどうかは不明です。当時、護衛はいませんでしたね。日系デパートでポン酢など日本食の材料を2人で買っている姿も目撃されているので、自炊していたんでしょう。正男氏にはシンガポール人女性の“4番目の妻”もいて、クアラルンプールには去年、彼女を連れて行ったという話も聞こえてきていました」(前出・ジャーナリスト) 奔放な生活を送る一方で、正男氏はだんだん追い詰められていった。北朝鮮専門のインターネットサイト『デイリーNKジャパン』の高英起編集長はこう説明する。 「彼は北朝鮮の武器輸出や投資コンサルタンティングなど外貨獲得ビジネスを行い、利益を本国に上納するかたちで命脈を保っていたと思われます。しかし近年、北朝鮮への経済制裁で海外の口座が凍結されたり、貿易がやりにくくなるなど、ビジネスは先細りになっていった。正恩氏にすれば正男氏は利用価値がなくなり、邪魔な存在となったのです」 残された恵理さんと恵慶さんとその3人の子供たち。正男氏が愛した“家族”の安否が気遣われる。
2017年02月23日