NHKのBSP4Kで14日(後9:00)、BSで18日深夜(=19日前0:25~)に放送される韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』第2話。これまでのはなしと第2話のあらすじを紹介する。同ドラマは、呪われた世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンと、家族殺害犯にされた娘ミン・ジェイ[チェイ]が陰謀と謎を解き明かしていく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。イ・ファン役をパク・ヒョンシク(『ドクタースランプ』『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』など)、ミン・ジェイ[チェイ]役をチョン・ソニ(『寄生獣 -ザ・グレイ-』など)が演じる。第1話では、王位継承者、世子(セジャ)であるイ・ファンは3年前、兄のウィヒョン世子の死によってその座に就いたが、王宮ではファンが兄を殺したという噂が流れていた。ファンは1年前に肩に毒矢が刺さり右腕が動かなくなったが、それも幽霊の呪いだと使用人たちは噂していた。王妃の叔父に当たる右議政(ウィジョン)チョ・ウォンボは、将来、王としてこの国を率いる世子のファンが健康であることを証明すべきだと主張。そのため、王の代わりにファンが狩りに参加することになった。ファンの幼なじみのハン・ソンオンは結婚が決まり、許嫁(いいなずけ)のミン・ジェイ[チェイ]を開城(ケソン)に迎えに行くことになっていた。ところが、ミン家の一家がチェイに毒殺され、チェイが逃亡したという知らせが入る。何か事情があるに違いないと考えたソンオンは、部下に命じチェイを捜させる。一方ファンの元には、ミン家に贈り物を届けさせた使いの者が道中で亡くなったという知らせが入る。不審に思ったファンもまた、側近のテガンにチェイについて調べるよう命じる。チェイは開城の役人に追われ、崖から川に転落するが何とか助かり、別々に逃亡していた侍女のチャン・ガラム[カラム]を訪ねる。チェイはカラムの兄から兵士の衣服を借り、巡回していた兵士たちの隊列に紛れることに成功。世子が出ることになった狩りに同行することになる。第2話では、狩りのさなか、ファンと話す機会をうかがっていたチェイは、亡き父に届いたファンの密書のことで会いにきたことを告げることができた。ファンはすぐに家族殺害犯として逃亡中のチェイだと気づき、ひそかに捕らえる。狩りの後、ファンが祝詞(しゅくし)を書こうと筆を持った手に突然、血が流れる不可解な事件が起こる。王宮に戻ったファンは、無実を訴えるチェイを自ら尋問する。ファンは密書を送っていなかったが、チェイが自分しか知るはずのない「呪いの書」のことを話し出す。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月14日NHKのBSP4Kで7日(毎週日曜後9:00)から放送が始まった、韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』(2023年、全20回)。4日遅れて今夜(11日深夜※毎週金曜前0:25~)からBS(2K)での放送もスタートする。吹替版は日本初放送となる。同ドラマは、呪いに苦しむ王位継承者と家族殺害の罪をかぶせられた名家の娘が、互いを救うために陰謀と謎を解き明かしていく、切なくも心ときめく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンは、人知れず「呪いの書」に苦しめられていた。3年前に世子になった直後、こつ然と現れた呪いの書には、ファンがその座につくために兄を暗殺したと記され、さまざまな災いに見舞われたあげく廃位され死を迎える、と予言されていた。1年前、呪いの言葉の1つが現実となる事件が起きた。それ以来、疑心暗鬼に陥っているファンの前に、呪いは人間の陰謀だと断言する女性が現われる。友人ハン・ソンオンの許婚(いいなずけ)で、亡き恩師の娘ミン・ジェイ(=チェイ)だ。だが、チェイは婚姻目前に家族全員を殺害した汚名を着せられ追われる身だった。無実を訴え、家族の死の真相を調べたいと助けを求めるチェイ。最初は懐疑的だったファンだが、チェイの類まれな推理力を認め、内官のふりをさせ、そばに置いてかくまうことにする。ファンの呪いの謎を解くことができるのはチェイ、チェイの汚名をすすぐ 機会を与えられるのはファン。ファンとチェイは2人だけの秘密を守りながら、互いを逆境から救い、隠された真実にたどりつくことができるのか?世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンを、Netflixで配信中の『ドクタースランプ』や『ハピネス』、ディズニープラスで配信中の『サウンドトラック』などで人気の韓国俳優パク・ヒョンシクが、ドラマ 『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』以来の時代劇で本領を発揮する。ファンの友人ハン・ソンオンの許婚(いいなずけ)で、婚姻目前に家族全員を殺害した汚名を着せられ追われる身となり、ファンの助けで内官コ・スンドルとして身を隠しながら、家族の死の真相と、ファンの呪いの謎に挑むミン・ジェイ[チェイ] を、日本の漫画原作の韓国ドラマ『寄生獣 -ザ・グレイ-』(Netflixで配信中)で主役を務めたチョン・ソニが演じる。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月11日名古屋に実在するミニシアター、シネマスコーレを舞台にした『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が3月15日(金)、全国公開される。シネマスコーレの創設者は、“ピンク映画の巨匠”と呼ばれたのち、一般映画の名作も多く手掛け、大島渚の『愛のコリーダ』などのプロデューサーとしても知られる、今は亡き監督・若松孝二。映画館経営に乗り出した監督とスタッフの奮闘記、映画に賭けた青春ドラマだ。『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』とにかく若松孝二監督が、おもしろい。本音とタテマエ、おとなはふたつの顔を使い分ける、なんてことがあるが、この映画の若松監督はすべて本音で開けっぴろげ。いつもサングラスをかけて、強面。だけれど、東北弁と東京弁がミックスされたしゃべりは、朴訥で、どちらかというとコミカル。話は乱暴だが、実がある。この作品の前作は2018年に公開された『止められるか、俺たちを』。60年代、ピンク映画の巨匠といわれ、独特の映画製作集団を率いる若松監督を中心に描いた青春群像劇だった。本作は、その10年後を描く。前作に引き続き、若松孝二役を演じているのは井浦新。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008) 以降、若松監督の全作品に出演している彼だからこそ表現できる、監督の人となりや、くせ。井浦の実年齢が近くなっているからか、まさに憑依、と言いたくなる“怪演”だ。物語は、1982年、名古屋の駅裏にシネマスコーレという映画館を作った若松孝二監督と、彼から声をかけられ支配人になった木全純治(東出昌大)。映画館を手伝いながら監督を志す金本法子(芋生悠)。そして、若松監督に弟子入りしたいと相談する予備校生・井上淳一(杉田雷麟)。映画は、この4人を中心に展開する。この井上くんこそ、本作の企画・脚本・監督を務める井上淳一。そして木全さんも企画・プロデュースを担当している。つまり、当事者によって作られた映画。事実は小説よりも奇なり。もちろん、デフォルメもされているだろうし、多少は盛っていると思うけれど、笑いのツボがたくさんあり、全編を通じて、映画への愛がびんびん伝わってくる。インディーズ映画の監督は、作っても上映する場所に苦労する。それなら自分で映画館を持とうと考えた若松孝二。「世界でも映画館を持っているのは、俺くらいだろう」と、胸をはる。なぜ、名古屋で?ときかれると、東京も大阪も家賃が高いから、と現実的だ。それでも映画館経営は赤字の連続。金勘定で追われる日々である。東出演じる木全支配人も、若松監督と並ぶ魅力的なキャラ。池袋・文芸坐のスタッフだったが、結婚を機に郷里の名古屋に帰り、流行し始めたビデオカメラのセールスマンをしていたところを、若松監督から声をかけられた。井上淳一監督によると「対立とか葛藤がない」人。確かに、独立経営のミニシアター、名画座の支配人さんはこういうタイプが多いように思う。芯から映画が好きで、映画館に来るお客が好き。そんな温かさが伝わってくる東出昌大の演技が素晴らしい。シネマスコーレは、やむなくピンク映画の封切館になって何とか経営が軌道にのる。文芸坐育ちの木全さんは、週の何日かを名作映画の上映にあてたい。そこで経営者の若松監督に直訴する。このやりとりが傑作だ。この映画は、登場人物だけでなく、映画館で上映する映画のタイトルからなにから、すべて実名で描かれている。例えば、大林宣彦監督作品の特集上映を企画した木全さんに、若松監督は「大林の映画なんてお客がはいるわけないだろう」と怒ったりする。当時の映画館といえば、1981年に新宿に「シネマスクエアとうきゅう」ができ、83年には六本木に「シネヴィヴァン六本木」、86年に渋谷の「シネマライズ」開館と、ミニシアターのブームがきていた。アジア映画にも注目が集まり、日本でも自主映画やピンク映画出身の新しい才能が出始め、活況を見せ始めていた。若松監督はそのブームをいち早く察知し、流れに乗ろうとしたのだろう。その頃の映画館をとりまく空気がうまくでていると感じた。ノスタルジーかもしれないが、コンプライアンスとかパワハラとかに神経質ないま観ると、おおらかで、のんきな空気があった。予備校生だった井上に若松監督がアドバイスをするシーンが印象的だ。「そんなに映画監督になりたいなら、うちに来なさい(「来」にアクセント)。ただうちは給料はだせない(「せ」にアクセント)。まず大学に入り、仕送りで暮らしなさい。映画の勉強をうちでしたら、4年で映画監督にしてあげる」。おとながちょっぴりやんちゃだった。希望がほの見えた、そういう時代の、映画の青春!文=坂口英明(ぴあ編集部)(C)若松プロダクション
2024年03月11日藤井道人が監督・脚本を務めた日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』より場面写真が解禁された。台湾の超人気スター俳優シュー・グァンハン演じるジミーと、日本の若手実力派女優、清原果耶演じるアミが【日本×台湾】【18年前×現在】を舞台に紡ぐ、切なくも美しいラブストーリー。本作のタイトルにちなみ、「18×2 LETTER」として、毎月18日に本作の新情報が解禁となることが決定。その第一弾としてこの度、【18年前の台湾】で青春のひと時を過ごすジミーとアミの姿や、初恋の記憶を辿るために【現代の日本】を旅するジミーの姿を、2か所の美しい情景と共に映し出す場面写真8枚が解禁となった。台湾の場面写真には、初めて訪れた台湾の観光地で一人旅を満喫するアミの姿や、バイクの2人乗りデートでジミーとアミが互いに想いを寄せ合う様子、そして「願いが叶う」と有名なランタンに2人の想いを乗せて空へと飛ばすジミーとアミの姿など、どこか懐かしさを感じさせる2000年代の台湾を舞台に、甘酸っぱい恋と2人の青春の1ページを切り取ったような微笑ましいシーンの数々が映し出されている。そして日本の場面写真には、18年後、36歳になったジミーが東京の駅構内で人混みの中にいる姿や、アニメ「SLAM DUNK」のオープニングに登場する踏切で“聖地巡礼”に訪れる様子、さらに初恋の記憶を辿る旅の道中で意気投合した18歳のバックパッカー・幸次(道枝駿佑)と連絡先を交換する様子など、日本の美しい風景や旅の道中での出会いが映し出されている。2人が共に過ごした幸せな日々を映し出したかのように温かみのある台湾の場面写真と、大人になったジミーが一人で旅をする切なさがにじむ日本の場面写真。その色味の対比から、18年前の台湾で過ごした思い出と、現在の日本を旅するシーンが印象的に行き来する本編への期待が高まる。『青春18×2 君へと続く道』は5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年02月18日2月23日(金・祝) 公開の映画『ソウルメイト』より、主人公たちの青春時代が切り取られた新カット6点が公開された。本作は、第93回アカデミー賞国際⻑編映画賞にノミネートされた『少年の君』のデレク・ツァンによる単独監督デビュー作『ソウルメイト/七月と安生』の韓国版リメイク。ミソ(キム・ダミ)とハウン(チョン・ソニ)は、小学生からの大親友。絵を描くのが好きな2人は、性格も価値観も育ってきた環境も違うが、大切な存在だった。しかし、ジヌ(ピョン・ウソク)との出会いが2人の運命を大きく変えていく。想い合いながらもすれ違い、疎遠になっていた16年目のある日、ハウンはミソに“ある秘密”を残して忽然と姿を消してしまう。思いもよらない壮絶な半生が紐解かれるとき、“2人だけの秘密”が明らかになる。公開されたのは、ミソとハウン、そしてハウンの恋人・ジヌの3人が“海デート”を楽しむ様子を含む計6点の新カット。じゃれ合う様子や制服姿で表情を決めるミソとハウンの姿など、“ソウルメイト”の何気ない日常が切り取られている。「同世代3人ということもあり、共演シーンの撮影はとても楽しかったことを覚えています」と振り返るダミは、海での撮影シーンが最も心に焼き付いているそう。「撮影だということを忘れるくらい楽しく遊びました。本当に高校時代に戻ったような感じがしました」と明かす言葉の通り、幸せそうにはしゃぎながら遊ぶ3人の姿がエモーショナルに映し出されている。このシーンをダミ同様にお気に入りとして挙げているウソクは、3人の関係性の変化について触れながら想いを込める。「その後(徐々に)それぞれが感情的に深刻になりつらくなっていくので、その幸せだった瞬間を、ジヌとしても僕としてもずっと覚えていたいと思いました」。温かさの中にどこか切なさが入り混じるようなシーンが多い本作だが、物語の舞台として撮影が行われたのは韓国の最南部に位置する済州島。済州島は1年中気候が穏やかなことから“韓国のハワイ”とも呼ばれ、自然豊かなリゾート地としても有名だ。済州島での撮影はキャストたちの心にも深く刻まれているようで、それぞれ次のように思い出を振り返っている。「(済州島では)美味しいものをたくさん食べに行きました。撮影期間中、ソニさんが私の隣の部屋だったので、お互いに必要なものがあれば貸し借りして、部屋では色々な話もしました。ささやかなことではありますが、とても幸せな時間を過ごしました」(キム・ダミ)「済州島の空気と風景は、⻘春の姿と似ているところが多く、それを全身で感じながら撮影に臨むことができました」(チョン・ソニ)「シナリオを初めて読んだとき、済州島での撮影がとても楽しみでした。やはり撮影のときは心に迫るものがありましたし、済州島ならではの色感がとても美しく、撮影が終わって4時か5時くらいに食事に行く途中で見える夕焼けが本当にきれいだった記憶があり、癒されました」(ピョン・ウソク)<作品情報>『ソウルメイト』2月23日(金・祝) 公開公式サイト: CLIMAX STUDIO, INC & STUDIO&NEW. ALL RIGHTS RESERVED.
2024年02月09日幾田りらが、新曲「青春謳歌」を発表。映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章の主題歌となる。幾田りら×あの「青春謳歌」“小説を音楽にするユニット”YOASOBIのボーカル・ikuraとしても活躍している幾田りら。新曲の「青春謳歌」は、主人公の小山門出の声優も務める映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章の主題歌として書き下ろした楽曲だ。映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』主題歌にフィーチャリングアーティストは、作中で主人公の親友である“おんたん”こと中川凰蘭の声優を務めるあの。作品で描かれる“絶対的”な二人の青春と日常を思い起こさせる、エモーショナルな楽曲となっている。なお、前章の主題歌は、本作とは逆にあのが幾田りらをフィーチャリングアーティストとして迎えた「絶絶絶絶対聖域」。激しいディストーションサウンドとデスヴォイスにより、作中の終末感を表現した楽曲だ。幾田りら コメント後章の主題歌として「青春謳歌」という曲を書き下ろしさせていただきました。デデデデを読み終えた時、門出とおんたんのはちゃめちゃでくだらない日常が、とてつもなく愛おしくてたまらなくて、二人の会話が聴こえてくるような曲を書きたいと思っていました。どんな未来がやってこようと何があろうと二人は”絶対”なのだから、きっと全てを抱きしめて、青春をかき鳴らし続けているはず。そんな願いを乗せて、遊び心をふんだんに詰め込んで、楽曲が完成しました。映画の中で門出とおんたんとして生きた私たちだからこそ歌えるうたになったのではないかなと思います。ぜひ前章後章あわせて、楽曲と共にデデデデを楽しんでいただけたら嬉しいです。作品情報幾田りら 新曲「青春謳歌」※映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章 主題歌リリース日:未定
2024年01月28日“息が合う”ことの難しさと喜びを描く、吹奏楽青春譚。山本誠志さんによる『宇宙の音楽』をご紹介します。本作のタイトルになっているのは、吹奏楽の超難曲とされる曲。宇宙(たかおき)零はこの曲を聴くと、病室と消毒液の匂いを思い出す。有望視されるトランペット奏者だった彼は、持病のぜん息で夢を阻まれてしまったのだ。「吹奏楽の本質は“息を合わせる”ことですが、それができない主人公にしようと思いました。僕も小さいときに軽いぜん息を経験しているので、感情を込めて描けるかなという思いもあったんです」と、著者の山本誠志さん。零はあえて吹奏楽部がないはずの高校に進学するが、創部したての吹奏楽部と、部長で独特の感性を持つ星野水音(みお)と出会い、彼女の導きで指揮者を志すことに。「音楽はひとりでできると思っていた零が、ほかの奏者がいないと成立しない指揮者になる。その過程を通して、人と共にいる喜びを知る姿を描こうと意識していました」挫折を味わっているものの、音楽の才能に溢れる零は生意気で理屈くさく、社交的なタイプではない。そんな彼が1年生ながら、創部して日が浅いチームを指揮者としてまとめようとしても、もちろんそう簡単にはいかないのだが、それぞれの巻で見せ場となるのが演奏シーン。読み手も呼吸を重ねながらページをめくっていく高揚感を味わえる。「海外では吹奏楽をウィンドバンドと呼んだりするのですが、息が集まって風が吹き抜けるような爽やかさや力強さを表現したかったんです。マンガの大前提として音を出すことができないので、音以外の周辺の部分を丁寧に描くことを心がけていました。それこそ音楽以外の場面で、たとえばマンガを描いていても編集さんと息が合う瞬間があったりするので、そういう感覚も後半のほうでは特に大事にしていましたね」演奏の難しさと喜びが生き生きと表現されているのは、山本さん自身が吹奏楽経験者であることも大きいだろう。本作が連載デビューになるのだが、これまでも一貫して吹奏楽を題材にしたマンガを描いてきた。「『アイシールド21』や『SLAM DUNK』のようなスポーツマンガに対する憧れと、中学で始めた吹奏楽に夢中になる気持ちが重なって、好きなマンガで、好きな吹奏楽を広めたいと思ったのがきっかけです」そんな山本さんにとっても指揮者は未知の部分が多い存在で、チャレンジングな設定だったようだ。「スポーツでいったら監督的な立場なので、高校生だと学生が指揮棒を振ること自体が少ないんです。でも責任が重いぶん、最も成長できるポジションなのかなとも描きながら思ったので、この作品を機に指揮に興味を持つ人が増えたらいいですね」山本誠志『宇宙の音楽』3音楽と孤独に向き合っていた少年が、再び皆で奏でる喜びを味わう青春物語。コンクールを控え練習に励むなか、最大のピンチに遭遇する最終巻を見届けよう。講談社836円©山本誠志/講談社やまもと・まさしマンガ家。「先輩とクラリネット」で月刊少年マガジン新人賞準入選。最新作は「ホルンは後ろに鳴く」。自身もクラリネット奏者。※『anan』2024年1月24日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・兵藤育子(by anan編集部)
2024年01月24日11月3日(金・祝)から有楽町よみうりホールにて、とびきりポップな青春ミュージカル『スライス・オブ・サタデーナイト』が開幕した。主演を務めるのは河下楽(AmBitious)。これまでにも主演舞台の経験はあるが、ミュージカルは初挑戦となる。30曲を超えるロックナンバーを生バンドが演奏する、底抜けに明るくてパワフルなゲネプロの様子をレポートする。1960年代イギリスの、とある地方都市。土曜日の夜がやってくると、地元の人気店「CLUB A Go-Go」に若者たちが集い、一夜のボーイミーツガールがはじまる。運命の相手を心待ちにしたティーンエイジャーたちが、店内で赤裸々な恋愛模様を繰り広げるストーリーだ。河下が演じる17歳の主人公リックは恋愛に奥手で、気になる女の子であるシャロン(熊谷彩春)になかなか声をかけることができない。河下は他の共演者から「素顔と役の境界線が見えない」と言われるほど、無邪気で愛嬌のあるリックを素直に演じている。やがてリックとシャロンが心をかよわせるデュエット曲では、運命の相手を見つけた二人のときめきが溢れており、観客をあたたかい気持ちにさせてくれる。そんな初々しい二人とは対照的に、他のカップルたちはセックスにドラッグにと問題が続出する。昨今のコンプラ重視の風潮はどこ吹く風とばかりに、思春期の暴走をかなり攻めた演出で笑いに変えている。ツイッギー風のレトロ可愛い衣装やヘアセットも見どころだ。ゲネプロ後の会見では、河下が「見に来てくださるお客様を絶対に後悔させない自信があります!」と意気込みを語った。写真撮影では、登壇したキャストみんなで河下をギュッと抱きしめるように集合し、カンパニーの誰からも愛される河下のキャラクターが垣間見えた。劇中でキャストが客席に降りてくるシーンが多く、観客にも大いに参加してもらう演出となっている。約30年前の上演時にリックを演じ、本公演で若者たちを見守るクラブオーナーのエリック役を演じている川平慈英が「あなたが私たちのメンバーになっているかもしれません。遠慮することなく、日頃のストレスを全部出し切ってほしい」と言うように、「CLUB A Go-Go」のにぎやかなサタデーナイトを楽しんでほしい。東京公演は11月3日(金・祝)~19日(日)、有楽町よみうりホールにて。取材・文:北島あや
2023年11月07日青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!【『3年B組金八先生 第2シリーズ』(TBS系・’80年)】武田鉄矢が演じる坂本金八が3年B組の学級担任を務める人気シリーズの第2弾。当時、社会問題化していた校内暴力を正面から扱い、加藤優(直江喜一)が警察に連行される場面や腐ったミカンの方程式はあまりに有名。「コロナ禍前まで、毎年のように新年会やお花見の会など、『金八先生』の同窓会をやっていたんです。最近は年齢的にも亡くなる方がいらっしゃって、悲しい集まりになることもありますが……」こう語るのは、第2シリーズに出演した伊藤つかささん(56)。中学2年生のときに受けたオーディションでは、ドラマで輝きを放った沖田浩之さんも一緒だった。「中2の私から見たら、背が高くて、高3だったヒロくんは大人。竹の子族として雑誌にも出ていたので、周りの女のコたちもキャーキャー言っていました。第1シリーズのたのきんトリオに続くスターになるのはヒロくんだって、みんなが思っていたんです」撮影はハードだった。平日にTBSでリハーサルやスタジオ撮影を行い、土曜・日曜はロケがあったという。「でも、すごく楽しかったです。たまにマッチさん(近藤真彦)がスタジオ見学に来たりすると、大変な騒ぎに。学校にいるみたいな雰囲気だから、後からスタッフさんに聞くと『抑えるのに大変だった』そうです」■生徒の緊張をほぐすため金八先生が下ネタを全国の中学校で校内暴力が社会問題化していた時代。第2シリーズで存在感を放ったのは、周囲の生徒に悪影響を及ぼす“腐ったミカン”として、教師から排除された不良少年・加藤優だ。「警察に連行されるシーンもありますが、加藤を演じた直江(喜一)くんは、実際はすごく優しいお兄ちゃん。ヒロくんと同じ高3でしたが、年下の私のことをかまってくれて、休憩時間に屋上でバドミントンをしたりしました」一方、ひかる一平は伊藤さんを子ども扱いしていたという。「『子ども用の白いパンツをはいているんだろ』なんて、いつもからかわれていました(笑)。川上麻衣子ちゃんは、私よりも1つ年上なのですが、すごく大人っぽくて。撮影が深夜までかかったときは、家が一緒の方向だったから同じタクシーで帰ることも。麻衣子ちゃんはヒロくんの相手役だったので、ファンからカミソリや髪の毛、いやがらせの手紙が届くと嘆いていました」金八先生を演じた武田鉄矢は、本物の先生のようだった。「撮影に入る前は、生徒の緊張をほぐすために、ときには下ネタを交えて笑わせてくれます。人見知りだった私は、なかなか『先生、先生』といって近づけないタイプでしたけど(笑)」撮影現場は、青春時代を過ごした思い出の場所なのだ。「撮影が終わったとき、“卒業アルバム”をスタッフが作ってくれたんです。ところが取材でアルバムをお貸ししたら、そのまま戻ってこず……。お心当たりのある人は、返却してください」【PROFILE】伊藤つかさ’67年、東京都生まれ。幼少期から子役としてドラマに出演。’81年にはアイドル歌手としてデビューした。’06年に20年ぶりに歌手に復帰、舞台、CMなど多方面で活躍している
2023年10月14日青春漫画『君は放課後インソムニア』が実写映画化される。石川県七尾市を舞台に、不眠症に悩む高校生の曲伊咲(まがり・いさき)と中見丸太(なかみ・がんた)が物置状態となっていた学校の天文台で出会うことで物語が展開していく。悩みを共有することで、互いの心が近づき、大切な存在になっていく過程を丁寧に描かれている本作。実際に撮影も七尾市で行われ、より原作の世界観に近いものとなっている。大人もキュンとする青春物語。伊咲を演じる森七菜と丸太を演じる奥平大兼の話から、その魅力を紐解く。丸太は「すごく愛おしい登場人物」――まずは、お互いの役に対しての印象はいかがですか?森七菜(以下、森)いいやつです!伊咲ももちろん丸太に守られているところはあるんでしょうけど、伊咲が守っている部分もすごく多いので、意外と守りたくなる系男子なのかな、と思います。不器用だし、大抵のことは半分ぐらい失敗しちゃうし。奥平大兼(以下、奥平)確かにね。森だけど、やると決めたら絶対にやる。一生懸命だからすごく愛おしい登場人物だなと思って見ていました。――森さんは原作の大ファンだとお聞きしました。原作での丸太と比べていかがでしたか。森わりとそのままのイメージなんですよね、奥平くん。ファンとしても、すごく魅力的に演じてくれたな、という気持ちでいます。生身の人間になって、より身近にいる人に感じられるようになりました。奥平嬉しいですね。伊咲は……丸太のセリフにもあるんですけど、すごくかっこいい存在。僕も学生時代に伊咲みたいな人がいたらどういう学校生活を送ってたんだろう、と想像したりもしました。これぐらいの年のころに、原因は違ったとしても、悩みを共有できる人がいたことは丸太にとっても大きかったと思うし、本当にかっこいいの一言に尽きますね。――お互いの印象はいかがですか?撮影の中で変わっていきましたか。奥平変わった?森変わった!奥平それこそ最初は全然話さなかったんですよね。僕もちょっと人見知りしていたので。最初のころの印象ってどんなんだった?森静かで、消極的なイメージがあって。奥平へぇ。森だけど、撮影の最初のころ、クラス全員を集めて輪になって、みんなで自己紹介する時間があったんですよ。奥平あー、あったね。森地元の高校生もいて、すごく緊張している子もいたんですけど、それぞれの自己紹介に対して、例えば、吹奏楽部です、って言ったら、そこについて何か質問をするんですよ。私はどうしよう、と思っていたので偉いな、って。奥平これは行くしかないな、と思った(笑)。森多分、全員、戸惑っていたと思うんですよ。初めて会った人に質問するって難しいのに、率先してやってくれて。本当にいろんな人のことを考えて動いているのか、単純に人に興味があるのか。そのときはすごいな、と思いました。奥平そういう意味だと、森さんのイメージは変わらないかな。これ、何回も言ってるんですけど、初めて会ったときにすごく笑っていたんですよ。森日本アカデミー賞のとき?奥平そう。覚えてないでしょ。森覚えてないんですよ。自分のことを見て笑ってたって言いふらすんです。奥平いやいや(笑)。僕も緊張していたので、もしかしたら記憶が違うかもしれないんですけど、こっち見て笑ってて。「あれ、なんか顔に何かついてるのかな」って心配になりました。アカデミー賞なのに。そのあと、『世にも奇妙な物語』で一緒になったんですけど、そのときもあんまり話さなかったんですよね。だから、どういう人なんだろうって。僕は積極的に話しかけられるタイプじゃなかったので、この映画の撮影が怖いな、と思っていたんですけど、実際に話してみたら……不思議なところはあんまり変わらないかな。実は人見知り。だけど今回は嫌でも仲良くなれた――人見知りというワードが出ましたが、同年代が多い現場ではすぐに溶け込めましたか。奥平いや、本当に無理ですね(笑)。それこそが一番怖いのが、年下の子なんです。――へえ!奥平年下の子ってやっぱり、年上の僕に対して敬語を使うじゃないですか。別に使われなくてもいいんですけど、僕は距離を作りたくなって、敬語を使うんです。だから必然と距離が縮まらないというか。同い年だったらタメ口を使ってくれる子もいるし、年上の方だったら.僕に対して敬語は使わないので。年上の人には結構甘えられるので平気なんですけど。同年代はそれができないんで、大変ですよね。――今回はいかがでしたか。奥平今回は撮影に入る前にみんなで会う時間があったので、多少は話せました。それに1ヶ月間、同じ場所にみんなでいるので、ちょっと下手な表現ですけど、嫌でも仲良くなれるというか(笑)。でも、確かに最初はすごく無理して喋ってたかもしれないですね(笑)。――お仕事でいろんな方と会われると思いますが、人見知りだと自覚している分、前のめりで行かなければいけないところもありそうですね。奥平もうめちゃくちゃ前のめりになっています。別の映画の撮影のときに、やっぱり年が若いので、日常生活で圧倒的に敬語を使う時間のほうが長かったんです。だから敬語に慣れすぎて普通に敬語なしの言葉で、話せなくなったときがあって。同年代の子に話すときも不自然になっていました(笑)。そのときの現場では、監督であろうがスタッフさんであろうが、敬語禁止というのがあったんですけど、なかなか自分から積極的に動いていかないと、直らないな、という自覚はあったので、今回も意識的に頑張ってみようかな、というのは思っていましたね。「役」と「自分」を重ねて生まれた実写ならではの人物像――お互いのお芝居についてはいかがですか。役者として素敵だな、と思ったり、現場での立ち居振る舞いが魅力的だな、と思ったエピソードがあれば。奥平伊咲が、初めて自分の不眠の原因について話すバス停でのシーンでは、「役者さんだな」って思いましたね。雨のシーンだったんですけど、雨降らしが大変で、結構時間がかかったんです。前半だけ撮って、カメラアングルなどを探っていたりしたので、後半を撮るまでに時間が空いてしまって。でも、森さんはずっと集中していましたね。実際、お芝居をしていてもすごく楽しかったですし、自分が納得いく芝居をしていたので、すごいな、と思いました。それ以外のところではめっちゃふざけてたけど(笑)。森なんでそれを挟むの(笑)。奥平お互い、そこはね(笑)。でも、お芝居するときはちゃんと集中するし、スイッチも入るし、女優さんなんだな、と思いましたね。かっこよかったです。森それこそ、そのシーンは漫画を読んでいたので、そのシーンの理想があったんですよね。理想にたどり着こうとする気持ちが強すぎて、全然うまく行かなかったんです。ダメだと思って、もう何回も何回もやらせてもらっていて、私が伸び悩んでるところに、奥平くんが自分もテンション上げたりして盛り上げてくれたから……って変な言い方かな。奥平いや、わかる、わかるよ。森気持ちのボルテージをぐっと上げようとしてくれたんです。いろんな人のことを見てお芝居してる人なんだなって思いました。独りよがりじゃないというか。それは、新たな発見でもあり、嬉しかったですね。――理想のシーンに近づけようとしてうまくいかなかった、というお話でしたが、原作があるものだとキャラクターがすでに作り込まれているので役作りも難しいかと思います。どのように工夫をされたんでしょう。奥平演じていて気づいたんですけど、もちろん役はできているし、丸太の感覚は理解してやっていますし、ちゃんと丸太を意識しよう、ということはあります。でも、やっぱり現場で、僕としてもちゃんと生きていないと、決まったリアクションになるんですよね。言い方はよくないですけど、役に対しての理解があって、そこに愛があれば誰でもできることだと思うので、自分の中にちゃんと落とし込まないと良くないな、と思いました。その瞬間を丸太としてももちろんそうですけど、僕の感覚も両立して生きていこう、ということはすごく意識しましたね。森本当に何回も読んでいる漫画だから、コマが頭に浮かんじゃうんですけど、仕草を同じにしてみたり、助けてもらった部分もあります。でも、奥平くんと言ったことと同じになりますけど、原作と全く同じようにしたいという気持ちが強すぎると、「そうなっちゃった人」になりたいのに、「その行動をするために生きてる人」になってしまって。少し感覚として違うんですよね。好きだからこそ、自分としての気持ちと、伊咲としての気持ちと、お客さんとしての気持ちの比率はすごく難しかったです。――撮影が進んでいって、関係性が作り上げられていく中で、腑に落ちた部分もありましたか。森何気ないシーンは日々、重ねていくにつれて、だんだんリラックスはしてきました。でも、例えば、雨のシーンとか、自分が原作で見ててグッときたシーンは、緊張しました。「秘密」っていう決めゼリフもそうですね。奥平そうだったの?全然わかんなかった。森どれ使われるんだろー!ってずっと思ってた。奥平あれいいよね。――役作りの中で共通点を探していくっていうイメージなんでしょうか。奥平僕は、できるだけ感覚を高校生に戻そうと意識していました。監督も少し若返ってほしい、っておっしゃっていたんですよね。どうやってるんだろうと思いましたけど……なんとなく自分なりにちょっと感覚を若返らせて、なおかつ丸太の抱えてるものをきちんと理解しようとしました。例えば、寝れないことに関しては、とりあえず、寝てみないとか。寝れないのと寝ないとは違うんですけど、とりあえず寝ていないときの感覚で1日過ごすと、どういう状態になるのかはやってみないと分かりませんでしたし。でもそれ以外は、演じながら出来た感覚でやってました。森伊咲と共通点が多かったので自分にならないように、あくまで伊咲であるように、ということが今回難しいかもしれないと思ったのでそこは意識してやりました。あとはやっぱり感覚ではね。本心でセリフを言えるまで、いろんなことを理解したいなと思っていました。でも、やっぱりそういうところはやってみないとわからないので初日は手探りで、やっていましたね。――青春は本当に短い期間だからこそ、どの年代の方が見てもときめくものがあるかと思います。青春映画に出演される際に気をつけていらっしゃることはありますか。森ほかのキャストは現役高校生も多かったですけど、奥平くんも私も高校生ではないので。でも、全員が高校生の気持ちを思い出せるようにしたいな、と思っていたので、みんなでゲームをしたり、他愛もないことを話す時間は大切でした。奥平青春映画に出演するのが初めてなので、あんまり分かってないんですけど、確かに高校生の気持ちは大事にした方がいいのかな、とは思っていますね。でも、高校時代にそんなにちゃんと高校生をしてなかったのでわかんないんですけど、そういうのは大事だなと思います。――原作を読んで、ちょっと想像を膨らませたり。奥平そうですね。でも原作からは作品の空気感を結構勉強させてもらったことが大きいですね。高校生感は頑張って思い出したりとか、街中ではしゃいでる高校生を見て、こういう感じなのかな、と想像したりしていました。変化を楽しみに映画を観に来てほしい――今回の作品は伊咲と丸太が出会って、世界が変わっていく様子に多くの人がキュンとするのではないかと思います。実際にお2人が「世界が変わった」と思うような出会いはこれまでにありましたか。奥平いっぱいありますね。小さいころで言ったら、ブルース・リーに出会って空手をやり始めましたし。あとは、別の作品になるんですけど、『ヴィレッジ』という映画のプロデューサー・河村光庸さん。初めて出演した 『MOTHERマザー』のプロデューサーさんで、僕を育ててくれた方の1人です。河村さんとの出会いは自分の中ですごく大切なものとしてあります。世界が変わったというか、この業界に入るきっかけ、お芝居に出会うきっかけをくれた人なので。初めての作品に携わってくれた方々とたまに会うんですけど、今回もこの現場で一緒だった方と久しぶりに会ったんです。そういう人と会うとすごく嬉しいですし、最初を知ってくれている人、生で見てくれている人はすごく大切な存在なので、嬉しいですよね。初めての現場での出会いはすごく大切な出会いでした。森岩井俊二さんです。私がこの世界でやりたいって思った方向を決めてくれた人です。岩井さんの過去の作品を見てやりたい、と思って、出演させてもらってさらにその想いをつくして今まで生きてきました。――これからこの作品に出会って世界が変わる方もいらっしゃるかもしれません。そんなみなさんにメッセージをお願いします。奥平現役の高校生の子は共感できるところが、たくさんあると思いますし、大人の方も自分の高校時代を思い出して見るのも、それはそれでなんか楽しいのかな、って思います。僕たちが石川県七尾市で撮影したその時間を見ていただけるだけですごく嬉しいですし、それを見て何を思うかは人それぞれですけど、いろんな感想を聞きたいですね。森映画の中で「半径3m以内のことしか変えられない」って言っていましたけど、七尾市にいるたった2人の話なので、本当にそのぐらいの周りの幸せの話です。でも、物理的な距離じゃなくて、心の距離で半径3m以内って、大体自分の大切な人で埋まるぐらいだと思うんです。そのぐらいの距離の人たちへの気持ちや、半径3m以内が変わる映画になってるので、変化を楽しみに来てくれたらなと思っています。取材・文:ふくだりょうこ撮影:友野雄
2023年06月19日青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!【『ふぞろいの林檎たち』(TBS系・’83~’97年)】四流大学に通う仲手川良雄(中井貴一)、岩田健一(時任三郎)、西寺実(柳沢慎吾)の就職や恋愛への葛藤を描いた青春群像劇。パート1からパート4まで制作され、脚本家・山田太一の代表作の1つに。「高校3年生の夏休み、劇作家の寺山修司さんの舞台オーディションを受けに行ったのが縁で、寺山さんのもとに稽古に通うようになりました。すごくかわいがっていただいて、映画にも出演させていただきました。そんな寺山さんが、あるとき友人の山田太一さんが大学生のドラマを描くというのを聞きつけ、ご本人に『このコを出してくれないか』と、私の出演を頼んでくださったんです。そのドラマこそが『ふぞろいの林檎たち』でした」こう語るのは、高橋ひとみさん(61)。一流大学に通いながらも、心が満たされず、マッサージパーラーで働く女子大生・伊吹夏恵役を演じた。「寺山さんは『素晴らしい役だから、これでやっていけなかったら、テレビの世界は諦めなさい』とおっしゃっていました。山田太一さんや演出家の前でセリフの読み合わせをした帰りには寺山さんのところに直行。『山田はなんて言っていた』と聞きながら、稽古をつけてくれました」■厳戒態勢で臨んだ体当たり撮影撮影現場は、まるで学校にいるようだった。「中井貴一くん、柳沢慎吾くん、手塚理美ちゃん、時任三郎くんなどみんな同年代ですからね。2日間リハーサル、2日間スタジオ、2日間ロケというスケジュールで、休みはほとんどなくずっと一緒。一人暮らしをしていたさぶちゃん(時任)の家にみんなで押しかけて枕投げをしたりと、思い切り青春を味わいました」高橋さんは、体当たりの撮影にも挑戦した。「貴一くんがお客さんとして店に来て、私が個室で上半身を脱いで接客するというシーンがありました。撮影は備え付けのカメラで行い、その様子を映すモニターも、ほかの人が見えないようにするなど、配慮していただきました。でも、無事に演じ終えると守衛さんが『すごくよかったよ!』と褒めてくれたんです。どうやら、守衛さんの見ていたモニターには映ってしまっていたみたい(笑)」女優として成長する姿を、寺山さんはどのように見たのだろうか。「じつは1話が放送される前に他界されたんです。私は泣くシーンを撮影するというタイミング。寺山さんに“ひとみは泣く演技なんてまだできないだろうから、僕のことを思ってしっかり泣きなさい”と導かれているような気がして。そんなこともあったから、私の一生の中でも、いちばん思い出に残っている作品なんです」【PROFILE】高橋ひとみ’61年、東京都生まれ。’83年に『ふぞろいの林檎たち』でテレビドラマデビュー後、多くのドラマ、映画で活躍。TBS開局70周年記念舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」に出演中
2023年06月18日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった歌手の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「ホリプロタレントスカウトキャラバンの審査員特別賞をいただいたことで、高校入学を機に単身上京。すぐに仕事が忙しくなったので、たまに友達とカラオケに行ったのは大事な思い出。あゆ(浜崎あゆみ)の曲は取り合いでした。ホームシックにかかったり、自信をなくして落ち込んだり、元気が欲しいとき、あゆの曲がいつもそばにありました」そう’90年代を振り返るのは、タレントの新山千春さん(42)。幼いころから、ドラマと歌番組が大好きなテレビっ子だったという。「2つ上の兄がいて、小学生のころから一緒にドラマを見たりしていました。いちばん覚えているのが、5年生のときに見た『101回目のプロポーズ』(’91年・フジテレビ系)。幼な心に“このドラマは絶対ヒットする”っていう予感がしたので、VHSのビデオデッキで全部録画しておいたんです。まだ実家にビデオテープがあるはず」ドラマを何度も見て、セリフを書いて覚えたりもしていた。「浅野温子さんの役名、矢吹薫もメモっていました(笑)。ドラマの中でショパンの『別れの曲』を弾く場面があるのですが、実はとても難しい曲。ピアノ教本の難易度表でも最も難しいFランクだったと思います。当時の私はまだ初心者レベルだったので、とにかくたくさん練習しました。そのおかげで、今でも弾けるんです。浅野温子さんが髪の毛をかき上げて、コーヒーカップについたリップを指で拭う姿には見入ってしまいました。そのころから“いつかドラマに関わる人になりたい”という思いが募るように」禁断の恋を描いて話題となった野島伸司脚本のドラマも記憶に残っているという。「『高校教師』(’93年・TBS系)の桜井幸子さんは、透明感があるんだけど、どこか儚げな女子高生を演じていて、心に残っています。森田童子さんが歌う主題歌『ぼくたちの失敗』(’76年)も印象的。私にとってひと世代前の曲でしたが、今のZ世代のコが’90年代の曲を聴くような感覚なのかもしれません。名曲は、いつ聴いても心に響くものですよね」中学生になって入部したソフトボール部は、県大会に出場するほどの強豪だった。「放課後も遅くまで練習。千本ノックや滑り込みをしているので、いつも傷だらけ。練習中は水を飲むこともできない時代、いつも帰宅するころにはくたくた。テレビに癒してもらっていました」■心に響いた“あゆ”の寄り添ってくれる歌詞’95年、中学3年生のときにホリプロタレントスカウトキャラバンに出場したのもテレビがきっかけ。「『南くんの恋人』(’94年・テレビ朝日系)に出ていた武田真治さんの大ファンでした。今でこそ筋トレでムキムキというイメージですが、当時は女性的な面もあって。それなのにすごく鋭い目つきだから、雑誌の写真を見ているだけで引き込まれていました。いまは“さん”づけですが、当時は“武田真治に会いたい!”という思いで、同じ事務所のオーディションを受けたんです(笑)」地区予選を勝ち抜き、本選に駒を進めたところで、憧れの武田真治と対面できた。「本選では一人ひとつの質問ができたのですが、ほかの出場者が演技にまつわる質問などをしているのに、私はファンとして心残りなく青森に帰りたかったので『目を見て千春ちゃんって言ってください』とリクエスト。夢がかなって号泣しちゃったんです。そのあと、社長に呼ばれて『ファンの集いじゃないんだぞ』と怒られてしまいましたが(笑)」グランプリは逃したものの、新山さんは審査員特別賞を獲得しホリプロに所属。高校進学を機に上京した。「最初は友達もいないし、標準語も話せない。毎日、『青森のお刺身はおいしかった』『津軽弁を思いっきりしゃべりたい』と思っていました。撮影現場でも怒られてばかり。そのつど、すいませんと謝るのですが、『ここは元気なシーンなんだから謝るな』って、また怒られたこともありました」故郷を離れ、慣れない環境で、次々に来る仕事をするのに精いっぱい。大きな渦にのみ込まれそうになっていた時期に聴き込んでいたのが、浜崎あゆみの曲だった。「高校生のときにファーストシングル『poker face』(’98年)を聴いてから、ずっと新曲をチェックしていました」なかでも『A Song for xx』(’99年)は忘れられない曲。「自分の居場所がわからず不安を抱いている人に、“一人じゃないよ”と寄り添ってくれるような曲。青森から出てきて間もなく、自分の感情を出せる友達が少なく、仕事でも怒られてばかりと自信を失っていたから、心に響いたのだと思います。“いつか、こんなふうに同性から支持される人になりたい”という目標もできました」ライブにも足を運んだという。「曲も感動的ですが、衣装の華やかさが本当にすごくて。ネイル、靴、アイラインの引き方まで、すべてが完璧でかわいい。ファッションも全身プラダとか全身ミュウミュウとか。身につけるものは次々に流行アイテムになっていきました。私も、『SEASONS』(’00年)のジャケットでかぶっていた帽子を買ったりしていました」失恋したときには『teddy bear』(’00年)、気持ちを上げたいときには『Boys&Girls』(’99年)を聴いた。「『Boys&Girls』はモノマネ番組に出演したときに歌ったほど好きな曲。青春時代に聴いたあゆの曲を、いまでもカラオケで歌い続けています」【PROFILE】新山千春’81年、青森県生まれ。ホリプロタレントスカウトキャラバンを機に芸能界入りし、’96年の映画『お日柄もよくご愁傷さま』でデビュー。多くのドラマ、バラエティ番組に出演する。青森市観光大使を務めたり、YouTubeチャンネルを開設するなど、マルチに活躍している
2023年05月21日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大流行したアイテムの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ポケベルを使っていたのは、中学3年生くらいから、ほんの2~3年だけ。そのあとはPHSに切り替えてしまいました。でも、その短い期間は、交友関係がどんどん広がっていった時期。ポケベルは欠かせないコミュニケーションツールでした」こう語るのは、お笑いコンビ、メイプル超合金の安藤なつさん(42)。音楽やお笑いへの興味が広がっていった’90年代、いつも手にしていたのはポケットベル(ポケベル)だったと振り返る。「’90年代に入ったころに魅了されたバンドといえば、たま。『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身ですが、私は小学生だったので、深夜に放送されていた番組は見ていませんでした。たまのことは、CMや音楽番組で知ったのだと思います。『さよなら人類』(’90年)は、特に気になった曲でした。小学生の私には意味のわからない歌詞も多かったのですが、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれます。それに、ビートルズのようにメンバー全員が歌うんですけど、4人それぞれが個性的な声やイントネーションで、心を引きつけられました」電気グルーヴ、たまと同じくイカ天出身バンドの人間椅子にものめり込んだ。「人間椅子は3ピースのバンド。素人の私に演奏の技術的なことはわかりませんでしたが、音の厚みや、小説を読んでいるかのような歌詞の重厚さが、めちゃくちゃかっこよく感じられて。今でもファンで、’19年にはデビュー30周年のライブに行きました」テレビ番組に関しては、小学校高学年から中学生にかけて見ていた『ウゴウゴ・ルーガ』(’92~’94年・フジテレビ系)が印象に残っているという。「好きすぎて、毎日ビデオに録画していたくらい。トマトちゃんというCGのキャラクターが、子どものウゴウゴくんとルーガちゃんの2人に『結婚している人を好きになった』みたいな相談をするんです。“朝の子ども番組なのに、大丈夫!?”と心配になるほど斬新」お笑いに興味を持ち始めたのもこのころ。「深夜番組を見られるようになってからは、ウッチャンナンチャンさんの『UN FACTORY カボスケ』(’95年・フジテレビ系)や、ナイナイさんや雨上がり決死隊さんが出ていた『急性吉本炎』(’95年)、『慢性吉本炎』(’95年~’97年・ともにTBS系)は欠かしませんでした。中学2年生のとき、アンラッキー後藤さんという女性ピン芸人のファンになりました。あるあるネタを怒りながら叫ぶというネタなんですけど、それがめちゃくちゃ面白くて。『相方に逃げられたー!』というのがツカミで、足元には『相方募集中』と書かれたフリップが。真に受けた私は相方になりたいと手紙を書いたほどです。そんな手紙にもアンラッキー後藤さんは『じつは大学を卒業したらほかのお仕事につくので、お気持ちありがたいですけど』と、真面目な返答をくださいました」■10円で済むように“ベル打ち”の速さを練習中学から高校にかけては、音楽やお笑いなど、自分の好きなことを追いかけていたという。「ビジュアル系バンドの犬神サーカス団(現・犬神サアカス團)にハマり、はじめてのオールナイトライブを体験。中学生だったので、『このライブだけは行かせてください』と親に頼み込んだんです。定時制高校に入学してからは、あるバンドのローディー(アーティストの楽器を管理するスタッフ)として働いていました」ライブではお笑い芸人とつながることもできた。そして、自身もお笑いライブに参加するように。そんな時代に、仲間との連絡に使っていたのがポケベルだった。「ドコモのセンティーという人気機種を持っていました。数字だけしか受信できず『14106(アイシテル)』みたいな語呂合わせがはやったのは私たちより少し上の世代で、文字メッセージを受信できるタイプでした。でも、入力の仕方が独特で、五十音に対応した2桁の数字で文字を送るんです。1行目の1文字目の『あ』は『11』、2行目の5文字目である『こ』だったら『25』というように」こうした“ベル打ち”の速さも競い合っていた。「家の電話がダイヤル式だったので、公衆電話を使わないとダメ。お気に入りのテレカに穴を開けるのは嫌だったけど、使わなきゃベルが打てないという葛藤がありました。でも、チェッカーズのテレカは、どうしても使えなくて……。時間がかかるとテレフォンカードの残高が減ってしまうので、10円で済むように気合を入れて早打ちの練習をしました。それに、当時は公衆電話がめちゃくちゃ混んでいたんです。後ろに行列ができていると、焦って打ち間違えたりすることも。一文字打ち間違えただけでも、電話を切って最初からやり直すしかない。すぐに打ち終わったときは、“速いっしょ”とドヤ顔で電話ボックスから出ていました」そこまでの努力をしながら、送るメッセージといえば『イマナニシテル?』というようなたわいもないことばかり。でも、どんな用件でもベルが鳴るとうれしいし、誰からだろうと期待して画面を見てしまった。「遊ぶときやライブの待ち合わせなど、人と人がつながれる手段。ポケベルのおかげで、行動範囲が広がりました」お笑い芸人と知り合い、自身も芸人の道へ。「流れ流れて現在のサンミュージックに所属しました。うまくいかずにやめようと思ったときも、カンニング竹山さんが『やめることはないと思うよ』と言ってくれて、今に至るんです」ポケベルは、安藤さんの世界を一気に広げてくれた魔法の道具だったのだ。【PROFILE】安藤なつ’81年、東京都生まれ。’12年にカズレーザーとのお笑いコンビ、メイプル超合金を結成。’15年のM-1グランプリで決勝に進出するとテレビ出演が急増、多くのバラエティ番組で活躍する。20代のころから介護職の経験があり、’23年には介護福祉士の資格を取得した
2023年05月14日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた映画の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「『ショーシャンクの空に』(’95年)は、いまだに『泣ける映画』や『好きな映画』のランキング調査で上位に入るほど、人々の心に残っている名作。じつは私にとっても五指に入るほど好きな映画なんです」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。日本で公開されたころ、注目されていた映画は『パルプ・フィクション』(’94年)や『フォレスト・ガンプ』(’95年)で、同作の期待度はそれほど高くなかった。「刑務所が舞台で、登場人物のほとんどが男性ということもあって、女性は当初、敬遠したのかもしれません。また、当時のハリウッド映画に求められていた派手なアクションがあるわけでも、人気俳優が主役を務めているわけでもありません。いまでこそ名優と名高いモーガン・フリーマンも、まだ名前が売れ始めたころでした。そのため、興行的に成功とまではいえなかったとされています」■“借りて見る”時代に口コミが生んだ不朽の名作ただ、口コミによって徐々に人気が出て、映画館よりもレンタルビデオで見る人が多かった。「学生時代にアルバイトをしていたレンタルビデオ店の後輩から『すごい勢いでレンタルされていくので、追加発注したほどです』と聞かされた記憶があります」物語は、妻とその愛人を射殺した疑いをかけられた元銀行員を中心に、刑務所での男同士の友情、そして人間ドラマが描かれている。「ホラー小説で有名なスティーヴン・キングの原作なので、怖い内容だと思って見た人もいたようですが、囚人たちの心情を丁寧に描いたヒューマンドラマ。元銀行員の主人公は、囚人仲間からいじめや性暴力を受けたり、彼のスキルに目をつけた小ずるい刑務所長から不正に加担させられたりしますが、長い年月を経て、刑務所を脱獄し、所長の不正を白日のもとにさらします。弱者が勝利する爽快な結末が、不況の日本で、より人気を集めたのでしょう」昨年5月には、24年ぶりに地上波の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送された。「私もコロナ禍、テレビで久々に見ました。図書係になった主人公が、刑務所でオペラ『フィガロの結婚』のレコードを流し、囚人たちが感動するシーンでは、閉鎖空間で人の心を打つ芸術の力を再認識しました。日本政府はコロナ禍で芸術家をあまり救済せず、活動自粛に苦しむアーティストもいたので、より考えさせられたのです。見返すたびに、新たな発見や気づきを与えてくれるーー。そんな名作なのだと思います」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2023年05月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「“結婚して専業主婦になる”のが、高校生になるころまでに描いていた将来像でした。ところが、レンタルビデオ店で偶然手にした『ショーシャンクの空に』(’95年)の影響もあり、弁護士になろうと法学部を受験。親は相当驚いていたと思いますが、あのとき思い立ったから、今の私があるのだと思っています」こう語るのは、弁護士の大渕愛子さん(45)。母方の祖父は検事、父方の従兄弟が裁判官など、親戚には法曹関係者が多い。「でも、父は会社員でしたし、母は専業主婦。幼いころは、“女性の社会進出”もさほど叫ばれていませんでしたから、母も私には働くよりも、家庭を守ることを望んでいたのでしょう。そもそも、部屋にこもって勉強したり本を読んだりするタイプではありませんでした」アイドル全盛の’80年代は、歌番組に夢中になっていた。「なかでも中森明菜さんや石川秀美さんが大好きでした。明菜さんは不良っぽさというか、ちょっと陰のある雰囲気がカッコイイなと感じていたし、秀美さんは純粋に美しい」小学校高学年のときに見た、トレンディドラマの原点ともいわれる『抱きしめたい!』(’88年・フジテレビ系)は「私のドラマ史に残る作品」というほど印象に残っている。「ダブル浅野が人気絶頂のとき。浅野ゆう子さんの都会的なファッションにあこがれました」物語では、浅野温子が演じるもう一人の主人公が、スタイリストとしてバリバリ働く独身女性として描かれている。「仕事を持って自立していて、恋愛もしている。すごく自信があるから、言葉にも力があるんですよね。キャリアウーマンになる想定などしていない私にも、“働く大人の女性って、こんなにカッコイイんだ”と思わせる女性像が描かれていました」中学受験を経験し、都内にある女子大付属の中高一貫校へ進学。「テニス部に入部して、中1、中2のときは、朝練、放課後の練習と、かなりのめり込んだのですが、中3から高校生にかけては外の世界に目が向くようになって、テニス部の交流試合や大会を通して知り合った他校の友達と遊んだり、友達同士で、他校の学園祭に行ったりしていました。’90年代はカラオケボックスが人気だったこともあって、かなり頻繁に通っていた記憶が」友人たちはアイドルの曲を好んで歌っていたが、なぜか大渕さんは竹内まりやや中島みゆきなど、大人の女性が聴くような曲が好きだったという。「中島みゆきさんの『悪女』(’81年)や竹内まりやさんの『シングル・アゲイン』(’89年)、『告白』(’90年)はけっこう暗い歌なのですが、私の知らない世界や感情が描かれていて、想像力をかき立ててくれました。歌を通して、さまざまな“経験”をしていたのです」■進路に迷っていた時期に転機となった2本の映画トレンディドラマ全盛だった時代、『振り返れば奴がいる』(’93年・フジテレビ系)も忘れられない作品だ。「病院を舞台に、織田裕二さんが演じる天才肌の医師・司馬江太郞と、石黒賢さんが演じるチームの結束を重んじる努力型の医師・石川玄との対立が描かれていました。どちらも魅力的なのですが、“いい人”そうな石黒さんにより感情移入。石川先生は病気で亡くなり、司馬先生も過去の対立相手に刺されてしまう衝撃的なラストだったので、いまだに忘れられないドラマになっています」医療や法廷がテーマの作品を好んで見ることが多くなった高校時代、自身の進路を決めかねていた。高2の3学期に進路を決めるのですが、そのままエスカレーター式に併設の四大や短大に進んでいいのか……、具体的に将来の夢が抱けずにいました」そんな時期に見た、2本の映画が大きな転機となった。「1本は『告発』(’95年)という映画。貧しい少年が妹のためにわずか5ドルを盗んだ罪で25年の刑期が言い渡されて、極悪人が収容されるアルカトラズ刑務所に」主人公は刑務所でいじめを受け、ついには囚人を殺してしまう。「そこで弁護士が登場、逆に刑務所内での虐待の事実をつまびらかにしアルカトラズ刑務所を告発。そして、ついには閉鎖に追い込むという実話を基にした物語」もう1本の映画が『ショーシャンクの空に』だ。妻とその愛人を殺した容疑で刑務所に入れられた銀行員の、ショーシャンク刑務所での過酷な生活が描かれている。「絶望的な状況のなか、自暴自棄にならず、有能な銀行員としての知恵をフル回転させて立ち回り、仲間や看守の信頼を得ていきます。少しずつ偶然が重なって、脱獄という目的を達成。噓みたいな展開ですが、とてもリアルに描かれていて、難局でも自分の頭脳で乗り越えていく主人公にくぎ付けになりました」大渕さんも、自分で道を切り開くための知識やスキルを身につけたいと思い立った。「法律や裁判を扱った映画が好きだったことと、親戚に法曹関係者がいたことが重なり、弁護士になりたいという道を見つけることができました」併設の女子大への進学をとりやめ、法学部に絞って大学受験。大学在学中に、司法試験に初挑戦し、パスしたのだった。「今のようにSNSやYouTubeで情報が得られなかった’90年代、映画や本、ドラマなどが世界を広げてくれました。なかには、人生を変えてくれるほどの作品に出合うこともあるのですね」【PROFILE】大渕愛子’77年、東京都生まれ。大学在学中に司法試験に合格し、弁護士として活動。’10年に独立して法律事務所(現アムール法律事務所)を開所した。『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)にレギュラー出演していたことも。俳優の金山一彦と結婚し、3児を育てるママでもある
2023年05月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「トレンディドラマ全盛期の’80年代後半から’90年代にかけて、もっともヒット作を連発した脚本家といえば、野島伸司さんがあげられるでしょう」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。’63年に生まれた野島伸司氏は、大学中退後、目的を見失った生活を送っていたという。「過去のインタビュー記事を見ると、青森県の缶詰工場に住み込みで働いていたことがあり、その工場の生活に耐えられず寮を飛び出して東京へ向かう途中、たまたまドラマの脚本募集の告知を目にしたそうです。その後、飲み屋さんで知り合った女性に『若いのに、夢はないの?』と問われ、その場しのぎで『ドラマの脚本を書きたい』と口をついて出たとのこと。そこから一念発起して脚本の道へ。まったくツテもないなか、有名脚本家のもとに作品を持ち込み、その人にフジテレビのプロデューサーを紹介してもらったといいます。野島さんの人生も、またサクセスストーリーのドラマのよう」■キラキラよりどんより。ドラマを変えた分岐点’88年にフジテレビヤングシナリオ大賞に輝き、『君が嘘をついた』(’88年・フジテレビ系)で初めて連ドラの脚本を担当。「当初は『愛しあってるかい!』(’89年・フジテレビ系)など、いわゆるトレンディドラマらしい脚本を描いていましたが、『愛という名のもとに』(’91年・フジテレビ系)では自死やパワハラをテーマとして扱い、徐々に社会問題や人間の暗部に焦点を当てていきます。大きな転機となった作品は、教師と生徒との恋愛、近親相姦、同性愛を扱った『高校教師』(’93年・TBS系)ではないでしょうか」あまりに激しい内容に、テレビ局には多くのクレームが入った。「今でいう“炎上”ですが、反響があればあるほど、視聴率が上がりました。ここから『野島作品』のスタイルが確立します。野島さんのドラマの特徴は、初回から数話先まではテンポよく、暗いテーマにもさほど時間を割きませんが、最終回に向け、どろどろした人間の暗部に斬り込みます。こうした手法も生かし、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(’94年)『未成年』(’95年)『聖者の行進』(’98年・ともにTBS)とヒットを続けました」「僕は死にましぇ~ん」「そこに愛はあるのかい?」「同情するなら金をくれ」など、主人公の決めゼリフが流行語になることも多かった。「華やかでおしゃれな男女の恋愛を描くトレンディドラマの時代が終わり、暗く影のある作品が求められるようになった’90年代前半。野島さんは、その分岐点をつくった脚本家ではないでしょうか」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2023年04月09日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、読みふけったマンガの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『SLAM DUNK(以下、スラムダンク)』(’90~’96年・集英社)は本当に大好きな作品で、年末年始に北海道に帰省するときの楽しみは、実家にある、色褪せてしまった単行本全31巻を読破すること。大きなサイズの完全版もありますが、単行本のちょうどいい厚さと、手になじむ柔らかさが好き。『スラムダンク』を読むことで、私が味わえなかったキラキラの青春を疑似体験できたし、人生において大きなチャンレンジをする決意もできたんです」こう語るのは、法学博士で信州大学特任教授の山口真由さん(39)。’90年代は“暗黒時代”だったと振り返る。「小学校高学年から中学生のころって、同調圧力が強く、美醜に対しても敏感ですよね。私は小6からニキビが増えて、妹から『遠くから見てニキビが目立つ人だなと思ったら、お姉ちゃんだった』と言われたくらい。“私なんてモテるわけがない”と自信がないから、おしゃれをしたいのに、あえてテクノカットにして“私には関係ない”という態度をとって、傷つく前に勝負を避けていました。スクールカーストも下のほう」つらい学校生活を忘れさせてくれるのは、本の世界だった。「児童書を卒業してから、’90年代に愛読していたのはシドニィ・シェルダンの翻訳本。私は本選びに失敗するのがすごく嫌なタイプ。翻訳本なら、少なくとも本国で人気のあった作品が選ばれているはずですから」『ゲームの達人』(’87年)、『真夜中は別の顔』(’90年、ともにアカデミー出版)など、次々と読破していった。「シドニィ・シェルダンの作品は『超訳』といって、自然な日本語に訳されていました。1行に文字が詰め込まれていないし、会話が多く改行も頻繁で読みやすいんです。上下巻に分かれているものも多く、“読んだ感”も味わえる。でも、殺人があったり、登場人物が不倫していたりという内容なので、親はいい顔をしません。父が借りてきた本をこっそり隠れて読んでいました。学校は楽しくなかったけれど、本がそんな日常から別の世界に、私を連れていってくれました」■登場人物たちの成長していく姿が感動的な『スラムダンク』学校では、まったく自分を出せず、まわりの目ばかりが気になっていた。「休みの日は、キャスケットやかわいいTシャツを着て出かけたいのですが、クラスの男子に見られようものなら、翌日の学校で『昨日の山口、ウケる』とかからかわれるから着られませんでした。中学時代にはやったルーズソックスも、イケてるコたちがはいているような長いルーズソックスは気が引けるので、それよりも短いもの。トイレに行くときも、誰と一緒に行けばいいのかばかり考えてしまう。順番に仲間はずれにされるのでビクビクしていたし、『真由、うざいから無視しよう』という友達の手紙のやりとりを見ては落ち込む。そんな自分も嫌で、つねに“自分を変えたい”と思っていました」『スラムダンク』に出合ったのは、そのころだ。「クラスでも人気だったので、どうやら『スラムダンク』というマンガが面白いらしいと知って、アニメから見始めました。すぐに原作が読みたくなったのですが、『少年ジャンプ』はなかなか買う勇気が……。単行本が出るたびに、妹とお小遣いを200円ずつ出し合って買っていました」物語はバスケ初心者の主人公・桜木花道の成長を軸に描かれているが、チームの仲間など、魅力的なキャラクターに引き込まれた。「流川楓はモテる見た目でバスケもうまいけれども、自己中心的で味方にパスを出さない欠点がある。作品に出てくるキャラクターはみんな、スーパーマンではなく何かしら欠点やコンプレックスを持っていました。そんな完璧ではない仲間たちが、お互いを補いながら、一歩ずつ成長していく姿が感動的。等身大のキャラがたくさん登場するし、誰かしら自己投影できるキャラが見つかるので、これほど支持された作品になったのだと思います」なかでも目が離せなかったのは三井寿。センス抜群の元中学MVPだったが、湘北高校に入学後まもなく負傷、同級生でライバルの赤木剛憲の活躍を前に挫折して、不良グループとつるむように。「バスケ部をメチャクチャにしようとしたこともあったけど、仲間に迎え入れられ選手として復帰しました。でも、2年もブランクがあったせいで体力がないんです。それで試合中、息切れして体が動かず、朦朧としてしまうことも。もう腕も上がらないはずなのに、何度も打ち慣れたシュートは美しい弧を描いてゴールへと吸い込まれ、『この音が…オレを甦らせる何度でもよ』とつぶやく名シーンは、強く印象に残っています」もがきながら本来の自分を取り戻そうとしている三井の姿を見て、“自分を変えたい”と思っていた山口さんは、大きな決断をした。「誰も私のことを知らない場所に行かないと、自分を変えることはできないと思って、東京の高校を受験することにしたんです」祖母の家に世話になり、親元を離れた高校生活をスタートさせた。新しい環境に身を置いたことで、徐々に自分を変えられたという。「北海道ではバスケ部のマネージャーなんておそれ多くてなれませんでしたが、東京の学校ではサッカー部のマネージャーに。大学進学、就職とその後もチャレンジは続きましたが、高校で上京したときほど、大きなものはありません。その最初の一歩を後押ししてくれたのが『スラムダンク』の三井寿なんです」【PROFILE】山口真由’83年、北海道生まれ。東京の高校を卒業後、東京大学に進学。法学部卒業後は財務省、弁護士事務所勤務などを経て、現在は信州大学の特任教授。近著に『世界一やさしいフェミニズム入門早わかり200年史』、『「ふつうの家族」にさようなら』などがある
2023年03月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「アムロちゃんとは同学年で、同じ沖縄出身。そんな共通点があるから、アムロちゃんの歌にいつも自分を重ね合わせてきました。ラストコンサート『Finally』も、チケットが当たって見に行けたんです。『じゃあ、またね』と、特別なことは何も言わずにステージから降りたのもアムロちゃんらしく、今でも、また会えるような感覚でいます」こう語るのは、医師の友利新さん(44)。’90年代を振り返ると、人生は安室奈美恵の楽曲とともにあったという。「高校に進学する15歳まで、沖縄県の宮古島で育ちました。いまでこそ宮古島というとリゾートのイメージですが、私が育った当時は離島の田舎町。テレビでリアルタイムの放送が見られるのはNHKだけで、民放の番組は、だいたい東京の2週間遅れ。だから、『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)の結果を知るのも、2~3週間後になってしまいます。雑誌も船便で運ばれてくるから、東京の発売日よりだいぶ遅れていました」とくに愛読していたのは今井美樹や有森也実、はなが“シスターモデル”として活躍していた『mc Sister』(婦人画報社/現・ハースト婦人画報社)。「ファッションばかりでなく、原宿のショップ紹介やグルメ記事など、さまざまな東京の情報が詰めこまれていました。あとは宝島社の『CUTiE』も、毎号楽しみ。バンドブームだったので、『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身のジッタリン・ジンが大好きでした」ファッションや美容に興味を持ち始めた中学3年生のとき、子宮内膜症と診断された。「病院の先生からは『将来、子どもができなくなると困るから治療しようね』と、当時では標準的な治療法だったホルモン剤を飲むことになったんです」医師の「体重が増えたり、ニキビができるかもしれないけど、頑張ろうね」という言葉どおり、副作用に苦しんだ。「体重は15キログラムくらい増えて、顔中にニキビが。朝起きると、ニキビがつぶれて枕に血がついていることもありました」宮古島の中学校を卒業し、沖縄本島の高校に進学するために引っ越しをしたときのこと。2歳上の姉が空港に迎えに来てくれたが、容姿の変わってしまった友利さんを見つけられなかったという。「姉はかわいくて、学校ではファンクラブがあるほど。学校では“入学してくる妹も、かわいいに違いない”と噂になっていたようで、私を見てみんな“え!?”という顔をしていました。“全然気にしていないよ”という態度をとっていましたが、いつも容姿にコンプレックスを抱いていたんです」■人生の節目、節目で勇気づけてくれた安室奈美恵の歌そんな悩みを抱えていた高校3年生のとき、安室奈美恵が『TRY ME~私を信じて~』をリリースした。「こんなにスタイルがよくて、かわいくて、歌えて踊れる人がいるんだと衝撃を受けました。踊るといっても、アイドルの振付のようなものではなく、本格的なダンス。自分と同じ年齢ということもあって、アムロちゃんの歌を聴くと、自分を信じようと思えたり、勇気づけられたりしました」その後出会った医師の治療により病状が回復し、体重や肌荒れも落ち着いた。そんな経験が、もともと抱いていた医師への夢を後押しし、高校卒業後は東京女子医科大学へ進学。「東京は人が多いのですが、だからこそ孤独を感じやすかったです。学校の勉強も大変で、なかなか先が見えずに葛藤を抱いていた19歳のころに聴いていたのが『SWEET 19 BLUES』(’96年)でした」医学部の勉強はハード。前期・後期試験の1カ月前から、毎日大学の図書館が閉まる夜10時まで勉強していた。「それほど優秀な学生ではなかったので、勉強には苦労しました。図書館からの帰り道に、MDに録音した『Don’t wanna cry』を聴いて気持ちを高めていました」大学がある場所が、お台場に移転する前のフジテレビに近かったこともあり、通学中にドラマの撮影現場を目にすることがあった。「月9ドラマ『バージンロード』(’97年・フジテレビ系)のロケを見たときは感動。ドラマの主題歌が、アムロちゃんの『CAN YOU CELEBRATE?』ですから!」それから数カ月後、安室は20歳で結婚・妊娠を発表、’97年の『紅白歌合戦』で同曲を歌ったのち、1年間の産休に入ったが、翌年の紅白で復帰した。「ママになって、ちょっとふっくらして戻ってきたアムロちゃんは、本当に素敵でした。スーパースターで、結婚・出産も経験して、またステージに戻ってくる。すべてを諦めずに手に入れる姿に、すごく衝撃を受けたし“私も!”と影響を受けたんです」医師になった友利さんは、恩師から「友利くんは、一人の患者を診るだけでなく、多くの人に何か発信もできるのではないか」とアドバイスされたこともあり、医師としてメディアにも出るという新たな挑戦をすることに。「当時、女性の医師でメディアに出ているのは西川(史子)先生くらいだったので、やっぱり不安はありました」メディアに出れば、厳しい意見が寄せられる。だが、そんなときに勇気づけてくれたのは、やはり安室だった。「私なんかが“アムロちゃんみたいに”なんていうのはおこがましいですが、『Chase the Chance』で感じた“夢は、見たり語ったりするだけじゃなくて、努力をして手に入れなければ”という気持ちでやってきました。アムロちゃんには、生き方まで教わったんです」【PROFILE】友利新’78年、沖縄県生まれ。医師免許取得後、内科医として勤務し、のちに皮膚科医に。医師として勤務するかたわら、’04年に第36回ミス日本コンテストで準ミス日本を受賞。3児のママとなった現在も多くの情報番組でコメンテーターとして活躍している
2023年02月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、衝撃を受けた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ジブリ作品は昔から大好きで、何度もテレビで見ていました。とくに初めて映画館で見た『もののけ姫』(’97年)は衝撃的。これをきっかけに映画館に行くようになり、エンタメの世界への興味をさらに強くしたんです」こう語るのは、タレントの安めぐみさん(41)。芸能界へのあこがれは、幼いころから抱いていたという。「すごくテレビっ子で、歌番組が始まると、内気な性格にもかかわらずコタツの上にのって、踊ったり歌ったりしていました。“いつかはテレビに出てみたいな”と、ずっと思っていました」歌番組、ドラマ、お笑い番組、なんでも好きだった。「小学生のころ、クラスでは光GENJIやSMAPが人気で女子の話題になっていましたが、私の興味は男性アイドルよりもお笑い番組。志村けんさんの『だいじょうぶだぁ』(’87~’93年・フジテレビ系)や『風雲!たけし城』(’86~’89年・TBS系)は欠かさず見ていたし、『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年・フジテレビ系)の、人気アイドルが全身タイツ姿で登場する“モジモジくん”のコーナーも大好き。『浅草橋ヤング洋品店』(’92~’96年・テレビ東京系)で、周富徳さんたち料理人が繰り広げる中華料理対決にもすごく興味がありました」最初に親に買ってもらったCDは、今はなき細長いパッケージが特徴のシングルCDだった。「『ADブギ』(’91年・TBS系)の主題歌だった楠瀬誠志郎さんの『ほっとけないよ』(’91年)か、観月ありささんのデビュー曲『伝説の少女』(’91年)のどちらかだと思います。そのまま保存するのか、折り曲げて保存するのかで迷っていました(笑)。観月さんのことを知ったのもテレビの歌番組。とにかく脚が長くて、顔もすごく小さい。“なんてキレイな人なんだ”と、雑誌のグラビアページを切り抜いたりしていました。ずいぶん後になって、観月さんとお仕事をご一緒したり、お食事をする機会があって、奇妙な感覚に。昔からのファンですと伝えると、『アリガトウ!』ってサバサバした感じで返してくれるのも、観月さんらしいです」当時、ティラミスに続いて人気となったナタデココの存在も、テレビで知った。「CMの“ナタデ・コ~コ”というフレーズは、今でも耳に残っています。わが家の冷蔵庫にはナタデココが常備されていたほど、あの硬さと軟らかさの中間にあるような絶妙な食感のとりこに。最近、タピオカ屋さんに行ったのですが、長時間並んだのに、あまりの懐かしさから、タピオカではなくてナタデココをトッピングしてしまいました」■自然の雄大さへの畏れを感じた「もののけ姫」小・中学生時代は、友達同士で映画館に行くことができず、映画はテレビで見るものだった。「最初に見たジブリ作品は『天空の城ラピュタ』(’86年)。子どもにもわかりやすい冒険活劇。主人公のシータとパズーが、トーストの上にのせた目玉焼きをシュルッと食べるシーンがあるのですが、それがなんともおいしそうで。母にねだって同じものを作ってもらいました。ジブリ作品は、料理の描き方がすごく上手で、見ているとおなかがすいてくるほど」それからは、テレビで放映されるジブリ作品を見逃さなかった。「『となりのトトロ』(’88年)は、ネコバスなどのファンタジーなところも魅力ですが、サツキとメイの姉妹愛がジーンときます。『魔女の宅急便』(’89年)の、キキとトンボが二人乗りした自転車が、倒れるようにコーナーを回ったりして疾走するシーンは、本当に風が吹いてくるような迫力」ジブリ作品特有の臨場感を味わうため、初めて映画館に足を運んだのは、高校1年生のときに公開された『もののけ姫』だった。「電車に乗って立川(東京都)の映画館に行ったと思います。高校生にとって、友達と一緒に映画館に行くなんてかなりのイベント。すごくワクワクしていたことを覚えています」期待どおりの映像と、壮大なスケールで描かれる物語の世界に入り込んでしまった。「人間と自然や動物との関わり方がテーマになっている作品。動物がしゃべるシーンも多くありましたが、なかでも人間に恨みを持つモロの君役の美輪明宏さんの声には、凄みと迫力がありました。それに、タタリ神に呪いをかけられたアシタカのあざが大きくなって、ウネウネと蛇のように体に巻きつくシーンがあったり……。人間の力では到底太刀打ちできない自然の雄大さに、畏れのようなものを感じました」映画を見終わった後は、当時、はやっていたプリクラを友達と撮って、2時間ばかりカラオケボックスで歌って帰った。「それからは映画を見に行く機会が増え、アニメ映画だけでなく『タイタニック』(’97年)のような洋画も映画館で見るように。小さいときからテレビっ子で芸能界に興味を持っていた私は、映画を通じてさらにエンタメの世界に引きつけられ、エキストラ事務所に登録してみようと思ったんです」芸能活動はドラマの通行人役から始まり、事務所のすすめでグラビアにも挑戦した。「初めて“安めぐみ”としてテレビに出たのは、東北のローカル番組のアシスタント。その番組でMCを務めていたのが、今の夫(東貴博さん)なんですよ」その10年後に別番組で再会して交際に発展し、’11年に結婚。「今は小学校2年生の娘と、ジブリ映画を見ています。でも、内容的に難しい『もののけ姫』を見るのは、もうちょっとお姉さんになってからになるんでしょうね」【PROFILE】安めぐみ’81年、東京都生まれ。’99年に「第10回YJ全国女子高生制服コレクション」で準グランプリを受賞後、タレント・ナレーターなど幅広く活躍。’11年、タレントの東貴博と結婚、’15年に長女を出産。現在『土曜はナニする!?』(フジテレビ系)に準レギュラーとして出演中
2023年02月19日平成ウルトラシリーズを手掛けてきた特撮の旗手、小中和哉監督の自伝的青春映画『Single8』から本ビジュアルが解禁となった。本作は、映画作りに情熱を燃やす高校生たちが繰り広げる恋と友情を描いた70年代の青春グラフィティ。1978年夏、高校生の広志は日本で公開されたばかりの『スター・ウォーズ』を観て大興奮!自分も巨大な宇宙船を撮りたいと8ミリカメラを手にする。映画作りへの熱い想いはいつしかクラスメイトたちを巻込み、文化祭の出し物で監督作品が上映されることに。こうして忘れられない夏休みの撮影が始まった――。主人公の広志には、主演映画『許された子どもたち』で第75回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞を受賞、ドラマ「ファーストペンギン!」にも出演した注目の新鋭、上村侑。広志をサポートし共に奔走する友人の喜男と佐々木に、ホリプロ初の男性ダンス&ボーカルグループ「WATWING(ワトウィン)」で活躍する福澤希空と桑山隆太。広志が密かに思いを寄せ、映画のヒロインを申し出る夏美に、『ベイビーわるきゅーれ』で話題をさらった高石あかりとフレッシュな若手俳優が集結する。監督は、平成ウルトラシリーズを手掛けてきた映画監督・小中和哉。「8ミリ映画作りに熱中した青春時代を映画にしたい!」と抱き続けていた念願の企画を実現。仲間と一緒に情熱を傾け、一からモノづくりをすることの尊さを描いた極上の青春映画が誕生した。今回解禁となった本ビジュアルは、8ミリフィルムの穴をデザインにあしらい、8ミリカメラのシルエットの中で主人公たちがポーズをとっているもの。シンプルながらも抒情的でノスタルジーを感じさせるビジュアルとなった。また、是枝裕和、黒沢清、樋口真嗣ら第一線で活躍する同時代を生きた映画監督たちと、「ウルトラマン」シリーズ初代ヒロイン、科学特捜隊「フジ・アキコ」隊員を演じた桜井浩子からも応援コメントが到着。「不思議なワクワク感に満ちていました」と語るのは是枝監督。「単純なノスタルジーではなかったのは、小中さんの中に自らの原点をもう一度確かめたいという強い前向きな動機があったからではないかと勝手に想像して嬉しくなりました」とコメント。黒沢監督は「ああ、懐かしい。撮ってるときは何が写っているのかさっぱりわからないのが8mm自主映画だった。だから、出来上がった作品はいつも予想もしないものになる。あれがスタートだった」と自らの実体験を回顧。樋口監督も「あの日々を生きていた何者でもなかった自分たち。そんなもの作ったところで何か変わるなんて保証もなく、それでも説明出来ない何かに突き動かされていたあの日々。そいつは甘いけれど、とても苦い」と、当時の思い出に浸ったことを明かす。そして「小中さんのルーツが分かりました」と語る桜井さんは、「初めの一歩の息吹を感じさせてくれる貴重な作品でした」とコメントを寄せている。【『Single8』公開記念小中和哉監督特集開催決定】公開を記念して、横浜にある映画館シネマノヴェチェントにて、小中監督の自薦5作品を8日間にわたって特集上映することが決定。オリジナル版とリメイク版、初の同時上映となる『星空の向こうの国』、ウルトラシリーズの劇場版代表作『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』と『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア超時空の大決戦』、兄で脚本家の小中千昭とタッグを組んだ『VAMP』の計5作品を上映する。『Single8』は3月18日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次公開。「小中和哉特集」は2月19日(日)~2月26日(日)シネマノヴェチェントにて上映。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Single8 2023年3月18日より公開©️『Single8』製作委員会
2023年01月27日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、映画館で見た洋画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「映画『タイタニック』(’97年)は、劇場やレンタルビデオ、テレビの再放送で何回も見ました。公開当時、カラオケに行くとテーマ曲のセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』(’97年)で大盛り上がり。私は、レオナルド・ディカプリオがスターになる以前の作品からファンだったので、そんな“レオ様ブーム”のなか“前から目をつけていた”と、妙な優越感を持っていました(笑)」こう振り返るのは、タレントで女優の井上晴美さん(48)。高校入学を機に上京してから多くの映画に刺激を受けたが、生まれ育った熊本の故郷は、東京とは正反対の田舎町だった。「刺激どころか、近所にはコンビニもありませんでした(笑)。小学生、中学生のときはスイミングスクールに通っていたので家に帰るのが遅く、『ザ・ベストテン』(’78~’89年、TBS系)の放送終了にやっと間に合うくらい。いつもランキング上位だった(松田)聖子ちゃんは見られたので、あのフリフリの衣装に憧れました」漫画も好きだった。妹のあさりと姉のタタミの姉妹ゲンカなどが描かれている『あさりちゃん』(’78~’14年、小学館)を愛読。「私にも2歳上の姉がいたから、激しく共感していました。中学生のときに、友達のお姉さんに薦められて『ホットロード』(’86~’87年、集英社)にハマりました。女子中学生と暴走族の男のコとの恋愛を描いた作品ですが、まだ恋愛経験のない私にとっては、とても大人の世界に思えて」年を重ねるごとに、憧れのアイドルも成長していった。「フリフリ衣装だった聖子ちゃんが、『抱いて…』(’88年)を歌うころには大人キャラになっていたのに驚き、“人って変わっていくものなんだな”と感じました」同時期に注目していたのが、中山美穂だった。「衝撃だったのが『毎度おさわがせします』(’85年、TBS系)。エッチなセリフやシーンがあって、アイドルに演じさせていいのだろうかと思うくらい。当時はテレビで洋画や2時間ドラマなどを見ていると、今では見られないような濃厚なラブシーンがあって、お父さんがチャンネルを変えたりすることもありましたよね」中山美穂は、その後も『ママはアイドル』(’87年、TBS系)や『君の瞳に恋してる!』(’89年、フジテレビ系)など多くの人気ドラマで主演を飾った。「いろんな役を演じ分けられるし、ドラマだけでなく歌番組やCMなど多方面で活躍する姿を見て、アイドルになりたいと思うようになったんです」中学時代から熊本県の芸能プロダクションに所属し、モデルの仕事を始めた。「たまに東京に撮影に行くことも。とにかく大都会で“何かを成し遂げるなら、こういう場所なんだろうな”と思っていました」■同じ年のディカプリオの演技力に感動’91年、16歳のときに単身上京。間もなく『桜っ子クラブ』(’91~’94年、テレビ朝日系)のメンバーに選出され、テレビデビューを果たした。「所属事務所が原宿にあったので、竹下通りにもずいぶん行きました。ただ、スタッフから『クレープは太るからダメです』とくぎを刺されてしまって……。“アイドルは食べちゃいけないんだ”と、ちょっと残念でした」まだ若くて人生経験も乏しかったが、その分、さまざまなものを吸収できた。「尾崎豊さんが『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年、フジテレビ系)で、『太陽の破片』(’88年)を、まるでお芝居をするように歌う姿に、すっかり魅了されました。尾崎さんの曲に出合って、表現することにより興味が湧いたんです」’92年、尾崎さんの追悼番組をきっかけに、さらに多くの楽曲を聴くように。「『15の夜』(’83年)や『卒業』(’85年)は、あのころの私の気持ちを代弁してくれているかのよう。すごいカリスマ性も感じました。一方で、一緒に仕事をしていた尾崎さんを知る撮影スタッフからは、『ふだんは礼儀正しくて、偉そうなところがなく、楽しくご飯を食べたり飲んだりする普通の青年』と聞いていたので身近に感じる面も。すごく不思議な存在です」尾崎さんとともに、刺激を与えてくれたのは映画だった。「上京してから映画館に行くことが増えて、仕事帰りにタイミングが合えば、スタッフさんと『ちょっと行ってみようか』ということも。人と行くと、自分では興味のないジャンルのものも見たりするので、新しい発見があります」そこで出合ったのがレオナルド・ディカプリオ。最初に見た作品は、映画出演4作目となる『ギルバート・グレイプ』(’94年)だ。「当時はまだ無名で、たまたま私が好きなジョニー・デップやジュリエット・ルイスが出演していたから見た映画。ところが、作品ではディカプリオの存在感が圧倒的で、まるで主演のよう。知的障害のある少年という難しい役なんですが、かわいい表情をしたかと思うと、ハンサムな顔に豹変したり、カメレオンのようにたくさんの顔と表現を持っているんです。同じ年なのに、この演技力はすごいと感動」『ロミオ+ジュリエット』(’96年)や『タイタニック』も、もちろん映画館まで足を運んで見たし、レンタルビデオも借りた。そして『ザ・ビーチ』(’00年)にいたっては“聖地巡礼”するほど。「撮影されたのは、タイの小さな船を乗り継いで行くような島。ディカプリオがいないことはわかっていながら、私も独身だったから“もしかして”という思いも」作品のたびに、さまざまな表情や演技を見せてくれたディカプリオの存在は、井上さんがその後、女優の仕事を増やしていくにあたり、糧になった。「美しいだけでなく、不格好な部分もあるから、人間らしさがにじみ出て、キャラクターに命が吹き込まれる。アイドル志望の私にも、お芝居するのってカッコいいなと思わせてくれる存在でした」【PROFILE】井上晴美’74年、熊本県生まれ。’91年にアイドルとしてデビューしたのち、『ナースのお仕事』(’96年、フジテレビ系)や映画『フリーズ・ミー』(’00年)など女優としても活躍。’05年に国際結婚をし、3児の母となる。’11年に熊本県に移住、子育てをしながら女優業もこなしている
2023年01月22日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「私がデビューして間もないころ、写真家のアラーキー(荒木経惟)さんに誘われて、役者仲間たちと六本木のバーへ行くと、そこに宮沢りえさんとりえママが!上京したばかりで、田んぼから出てきたカエルのような私はイモくさい服装だったのに、りえちゃんはモダンなアニマルファーのかわいらしいミニワンピ。りえママから『りえ、何か弾いたら』と促されてグランドピアノを弾き始めると、大騒ぎしていた私たちは静まり返り、その存在感に圧倒されてしまいました」デビュー当時の思い出を語るのは、女優の鈴木砂羽さん(50)だ。女優として活躍するため、劇団で研究生をしていたころ、宮沢りえから目が離せなかったという。「“表現者になりたい”と志す土台を作ってくれたのは、小学1年から習い始めたモダンバレエ。県下(静岡県)ではいちばん大きな教室で、年に1回は大きな市民会館で舞台に立っていました。人前でスポットライトを浴びて演じた経験は大きなもの」舞台の上では積極的だったが、ふだんの学校生活はインドア派、1人でいることが多かった。「両親が画家ということもあって、絵を描くのが好きでした。漫画も好きで、一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』(’81年~、集英社)や池野恋先生の『ときめきトゥナイト』(’82~’94年・集英社)を読んでは、キャラクターを描き写していました。クラスの友達はジャニーズに夢中でしたが、私は『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年、日本テレビ系)にどハマり。再放送やレンタルビデオで何度も見返し、魔法の力を借りて東京に行ってアイドルになる女の子を主人公にした『ラブリードリィ』というオリジナルの漫画を描いたほどでした」高校卒業目前の’90年代初め、砂羽さんは進路に迷っていた。「モダンバレエを続けたことが表現をする自信になっていたし、高校時代に自主映画を製作した経験から、演技の勉強をしたいと思ったんです。憧れの桃井かおりさんや樋口可南子さん、安田成美さんとゆかりのある女子美術大学を目指し、当時はそんなに難易度が高くなかった短期大学部の服飾デザイン系の学科に入学することができました」■三井のリハウスのCM以来、宮沢りえに夢中上京後は、芸能プロダクションが併設されている俳優養成所の門をたたいた。演技のほかにも、歌やダンスなどひととおり習うことができ、女優を目指す野心の強い人たちも集まっていた。「でも、何か違うと感じて……。親にお金を出してもらっていたので1年間は通ったのですが、わりとブランド志向だった私は、“名門に行ってもっと勉強したい”と文学座を目指すことに」当時、朝ドラヒロインの登竜門ともいわれた文学座には、研究生の募集に数千人が集まったが、見事に合格。「研究生として所属することが決まり、女優になるという夢が近くなったような気がして、短大は1年で中退しました」宮沢りえの『Santa Fe』が発売されたのも、ちょうどこのころだった。「当時、トップアイドルが脱ぐなんて初めてのことじゃないですか。それだけでも衝撃的なのに、写真は健康美そのもので、めちゃくちゃきれい。そもそも、私は高校時代に見た三井のリハウスのCM以来、りえちゃんに夢中でした。ありえないくらいかわいくて、実在するのか?本当に人間なのか?と考えて呆然としてしまうほどの美少女。お母さんが日本人でお父さんがオランダ人というハーフなんですが、かなり日本人に近い。こんなハイブリッドな美しさは、逆さになってもかないません。うらやましいを通り越した存在」写真集発表後、砂羽さんにとって宮沢りえは女神のような存在へ。「カラオケで友達が小室哲哉さんプロデュースの『ドリームラッシュ』を歌っているのを聴くだけでテンションが上がりました」さらに女神は、貴花田(現・貴乃花光司)との婚約を発表し、彼女を驚かせた。「婚約のニュースをバイト先のスナックで知って震えるくらい動揺しました。それからですね、りえちゃんだけでなく、なぜかりえママからも目が離せなくなったのは」テレビのワイドショーや女性週刊誌では逐一、りえやりえママの動向が報じられた。「表紙に『りえ』という文字を大きく打ち出していた『女性自身』も毎号欠かさず、当時通っていたお風呂屋さんで読みました。りえちゃんが“お寿司を8貫食べた”という報道ひとつにも、いちいち感動していました」砂羽さんがまだ駆け出しのころ、市原悦子さんと宮沢りえが親子役を演じる『花嫁介添人がゆく』(’90~’96年・フジテレビ系)というドラマシリーズにゲスト出演する機会に恵まれた。「私なんかがおいそれと話しかけられる存在ではありませんでした。でも、あのころ、寿司を8貫食べたという記事があったのに、今は週刊誌で激ヤセと報じられるなど、すごく心配で……。それで私の出番が終わったとき、思い切って手紙を渡したんです。ただ、その内容が“一連の報道を聞いて心配” “話を聞いてあげたい”というようなことを長々と書いた偏執的なもので、今振り返ると恥ずかしさしかありません」’90年代はずっと風呂なしアパートで過ごすほどの貧乏生活が続いたがーー。「お風呂屋さんのお母さんが見かねて卵やキャベツをくださったり、俳優の仲間が貧乏アパートに来て、朝まで怪談話をしたり、ボロボロの中古車でドライブしたり……。毎日が楽しくて豊かでした。そんな20代の経験が女優に生かされていると思います」人生経験を重ね、女優として成長した砂羽さんは、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(’11年、NHK)で再び宮沢りえと共演することに。「撮影時は、りえちゃんとごく普通にお話しすることができました。あの手紙の送り主と、私が結びつかないことを、今でも祈っています(笑)」【PROFILE】鈴木砂羽’72年、静岡県生まれ。’94年に、荒木経惟の写真集を原作とした映画『愛の新世界』で主演デビュー。その後も舞台、テレビドラマで幅広く活躍するかたわら、特技を生かして漫画誌でコミックエッセイの連載も。’22年の『相棒21』にて、14年ぶりに亀山薫の妻・美和子役に復帰した
2023年01月03日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「物心ついたときから歌に囲まれて育ったのですが、聴くジャンルは演歌とアニソンのみと、かなり偏っていました。そんな私が中学生のときに小沢健二さんの存在を知り、J-POPにも興味が。それをきっかけにロックをはじめ、いろんなジャンルを聴くようになりました。私の音楽の世界が大きく広がったのは、小沢さんのおかげです」こう語るのは、声優で歌手の水樹奈々さん(42)だ。歌を歌い始めたのは、父親の影響だという。「父は昔、歌手を夢見ていたのですが、かなえることができず……。その夢を娘の私に託すように、『おなかの中にいたときから、いろんな音楽を聴かせてもらっていた』と母が言っていました」自宅で流れる音楽は、昭和演歌。5歳のとき、自治会の会合で初めて人前で歌ったのは高峰三枝子の『南の花嫁さん』(’42年)という懐メロだった。「母お手製の白いドレスを着て披露すると、おじいちゃん、おばあちゃんが『こんなちっちゃな子が歌ってくれるなんて』って、すごく喜んでくれたんです。それがうれしくて“もっと歌いたい”と思うように」ちょうどそのころ、父親が自宅の一室を使ってカラオケ教室を始めた。「新しいもの好きだから、当時は最先端だったレーザーディスクカラオケや“集音性が優れている”と自慢をしていたドイツ製のマイクを導入。夜な夜な、近所の大人たちが歌の練習をしている様子を見ているうちに、『私もやりたい!』とお願いして父のレッスンを受けるように」中学生になるころには、数々のカラオケ大会やのど自慢大会に出場し、地元では有名な存在に。「イベントなどで歌うと、おひねりがもらえることがあったので、それをお小遣いとして貯めて、漫画の単行本や、中古のゲームソフトを買っていました」ゲームやアニメに熱中したことで、歌手だけでなく、声優という新たな夢も見つかった。「じっくりと主人公を成長させるロールプレイングゲームが大好きで、『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズに夢中になりました」熱中するあまり、親にゲーム機を隠されてしまったことも、’90年代あるあるだ。「でも、子どもには独特の嗅覚があって、ひな人形がしまってある、1年に一度しか開けないような押入れにゲーム機が隠してあるのを見つけて、両親の留守中に遊んでいました。せっかく強い敵を倒したのに、両親が急に帰ってきてしまい、データを保存できないまま電源を抜いて慌てて隠したことも。アニメは『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年・日本テレビ系)の時代から大好き。おもちゃのステッキを買ってもらって、こたつの上で主題歌を歌って踊ったり。『美少女戦士セーラームーン』(’92~’97年・テレビ朝日系)は欠かさず見ていたし、『スラムダンク』(’93~’96年・テレビ朝日系)の主題歌だった大黒摩季さんの『あなただけ見つめてる』(’93年)もよく歌っていました」■寄り添ってくれたのはMDに録音した“オザケン”の楽曲アニメだけでなくゲームからも、声優の仕事に興味を持つきっかけを与えられた。「当時はキャラクターの声が入ったゲームは少なかったので“将来、声が入るようになったら、このキャラを演じてみたい”って思うようになったんです」同級生は光GENJIやSMAPの話題で持ちきりだったが、水樹さんが興味を示したのは演歌とアニソンのみ。「’90年代の初めは歌番組自体が少なく、私が見ていたのは『ふたりのビッグショー』(’93年~’03年・NHK)と、年に1回の『紅白歌合戦』くらい。J-POPに触れる機会はほとんどありませんでした」そんな水樹さんが小沢健二を知ったのは、’94年ごろ。「たまたまテレビを見ていたら、シャンプーのCMで『ラブリー』(’94年)という曲が流れてきて“なんてオシャレで、面白い曲なんだ!”と(笑)。それまで演歌とアニソンばかり聴いていたので、世の中にはこんなジャンルもあるんだと、急いでレンタルCDショップに。それからは、一度聴いたら忘れないようなポップでキャッチーなメロディに魅かれ、『愛し愛されて生きるのさ』(’94年)、『戦場のボーイズ・ライフ』『痛快ウキウキ通り』(ともに’95年)など、過去の作品や新曲をチェック。彼女のことを『仔猫ちゃん』と呼ぶような、小沢さんの王子様的なキャラクターも面白くて。しかも東大出身ということで“さすが頭のいい人は違う!”って思ったりしていました(笑)」’94年、「10周年記念全国歌謡選手権大会」に優勝したことをきっかけに、東京の芸能プロダクションと契約し、高校入学とともに上京した水樹さん。念願の歌手デビューへの第一歩を踏み出す。「高校は芸能コースに通っていたのですが、クラスメートが華々しく芸能界で活躍する一方、私はなかなか芽が出ず……。学校は皆勤賞でした」高1の夏、同じ事務所に所属していた日髙のり子さんの勧めで、声優のサマースクールに参加した。「すごく楽しくて、声優も目指したいと思って専門学校へ。歌手と声優になるためにダブルスクール状態でした」学校の行き帰り、寄り添ってくれたのはMDに録音したオザケンの楽曲だ。「中学時代には気付くことができなかったけれど、大人になるにつれ小沢さんのすごさを痛感。ポップな曲調のなか“このままでいいのか”と若者に訴えかけるような、パンクなメッセージが差し込まれているんです。曲作りも、弦楽器と管楽器の使い方やコーラスワークなど、’60~’70年代のソフトロックといわれる洋楽の要素や、ジャズやソウルのテイストもちりばめられていて、すごく計算されています。聴けば聴くほど、音楽が好きになっていきました。それに……」と、魅力を上げたらキリがないよう。オザケンの曲は、その後、’00年に20歳で歌手デビューした水樹さんの、大きな糧になっているのだ。【PROFILE】水樹奈々’80年、愛媛県生まれ。’97年にプレイステーション用ゲームの声優としてデビュー。多くのアニメ作品で活躍する一方、声優として初となるドームコンサート、『紅白歌合戦』出場を果たす。12月21日にブルーレイ&DVD『NANA MIZUKI LIVE HOME×RUNNER』を発売
2022年12月18日12月1日、 『「現代用語の基礎知識」選 2022ユーキャン新語・流行語大賞』が発表され、「青春って、すごく密なので」が選考委員特別賞を受賞し話題となった。そこで今回、この冬公開の“密な青春”を存分に味わえるアニメ映画を、“スポーツ”“恋愛”“友情”の3つの青春カテゴリー別にご紹介する。スポーツで青春といえば…『THE FIRST SLAM DUNK』(公開中)『THE FIRST SLAM DUNK』(C)I.T.PLANNING,INC.(C)2022 SLAM DUNK Film Partners「青春って、すごく密なので」を発したのが、高校野球で優勝した仙台育英学園高等学校の須江監督だったように、密な青春といえば“スポーツ”。そこでひとつ目にオススメするのは『THE FIRST SLAM DUNK』だ。週刊少年ジャンプ(集英社)で1990~96年に連載された井上雄彦による少年漫画を原作に、バスケットボールに熱狂する高校生たちの青春を描く。現役の学生よりも、かつての青春時代にブームになっていた漫画だからこそ、今の大人たちが密な青春時代を過ごしたあの頃に戻れるような作品と言えるかもしれない。恋愛で青春といえば…『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』(12月17日公開)『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』(C)赤坂アカ/集英社・かぐや様は告らせたい製作委員会“いちゃつく”は密の代名詞。ということで、密な青春といえばもちろん“恋愛”も欠かせない。ふたつ目にオススメするのは、ふたりの天才高校生による恋愛頭脳戦を描いた人気TVアニメシリーズの後日談、アニメ映画『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』。秀知院学園の生徒会で出会った副会長・四宮かぐやと、生徒会長・白銀御行。長きにわたる恋愛頭脳戦の末、お互いの気持ちを伝え合い、初めてのキス。しかし明確な告白には至っておらず、恋人同士になるかと思われたふたりの関係性は曖昧なまま、お互いをより強く意識して、クリスマスを迎えることに……。現役学生にドキドキの青春を味わっていただきたい。友情で青春といえば…『かがみの孤城』(12月23日公開)『かがみの孤城』(C)2022「かがみの孤城」製作委員会鏡の中のお城という特殊な世界で、中学生7人だけで過ごす密な青春。ときにはケンカしたり励まし合ったりしながら、友達同士で助け合い、何かを成し遂げる。彼らの友情が引き起こす奇跡を描くアニメ映画が『かがみの孤城』だ。當真あみ、北村匠海ら豪華キャストが声優を務める。原作は辻村深月の同名小説。誰もが感じたことがあるだろう思春期の言葉にできない複雑な気持ちを見事に描写しており、映画でも現役の学生たちには自分事として、大人たちはかつての青春時代を思い出し、親ならば自身の子供が見ている世界を疑似体験できそうだ。また、登場人物がほとんど中学生ながら学校の中ではなく、鏡の世界というまったく別の世界で物語が進むため、子供も大人もこの映画を観れば、新たな世界に飛び込み、新たな友情を育みたくなるかもしれない。3作品それぞれに描かれる“密な青春”。コロナ禍で密な青春をあまり体験できなかった学生たちも、また密な青春を思い出したい大人たちも、ぜひ映画館の大画面で堪能してみてはいかがだろうか。『THE FIRST SLAM DUNK』公開中『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』12月17日(土)公開『かがみの孤城』12月23日(金)公開
2022年12月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いときはバレエ漬けの毎日。テレビを見る時間がなく、アイドル時代のキョンキョンさんは知らなかったんです。だから、実際にお会いしたときも『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年、フジテレビ系)で見た、全身黒タイツ姿の“モジモジくん”の印象が強くて(笑)。とんねるずの番組の影響って、本当にすごいですよね」そう話してくれたのは、タレントで服や小物のデザインも手掛ける神田うのさん(47)。4歳までインドネシアのジャカルタで過ごし、帰国後にクラシックバレエに出合ったという。「母によると、バレエを一緒に見に行って『私も踊りたい』と言ったことから習い始めたそう。私は誕生日が3月28日で、4月生まれの同級生とはほぼ1年遅い生まれ。お勉強もできないし、身長も頭ひとつ分低いから、“人より劣っている”と感じていましたが、バレエだけは唯一、自信が持てるものでした」一方、バレエで磨かれた体形は人目を引き、モデル事務所からスカウトされることも多かった。「’89年、14歳のときにモデル事務所へ所属。母は芸能界に入ることに反対していたので“バレエを優先する”ことが条件でした」放課後の時間はバレエとモデルの仕事で占められ、中学・高校時代は友人とともに過ごす時間が限られていた。「それにしゃべりだしたら止まらないタイプ(笑)。クラスメートからも『うの、しゃべらないで。もうちょっとおとなしくしようね』と諭されることも。何か言っても『まあ、うのだから』と許されるところがあったのは、浮いた存在だったからだと思います」そんなうのさんが、友人と盛り上がれる数少ない共通の話題が、とんねるずだった。「『ねるとん紅鯨団』(’87~’94年、フジテレビ系)や『みなさんのおかげです。』は学校で必ず話題になるので、絶対に見なきゃいけない番組。観月ありさちゃんや宮沢りえさんのような売れっ子のアイドルが出演していたし、“モジモジくん”や“仮面ノリダー”もすごく面白くて!芸能の仕事をするようになってダウンタウンさんとご一緒させていただいたこともありましたが、’90年代、中・高校生だった私にとって、お笑いといえばとんねるずでした」こうした共通の話題があったからこそ「ちょっと変わったコ」だったうのさんも、クラスに溶け込むことができた。「たまの休みや、空いた時間には、はやっていたカラオケボックスに友達と一緒に行きました。松田聖子さんはアイドル時代よりも、海外進出した後の『きっと、また逢える…』(’92年)が私たちの世代。ほかにも、プリンセスプリンセスやドリカム、摩季姉(大黒摩季)のヒット曲を歌ったりしていましたね。でも、基本的に私は歌うよりも踊るほうが好きだったので、友達が歌っている横でタンバリン片手に盛り上げる役でした」■歯に衣着せぬ言動が受け入れられ数々のバラエティ番組に出演モデル業も順調で、17歳から『プチセブン』(小学館)の専属モデルに。「専属モデルのわりには、バレエのコンクールと撮影日が重なるとバレエを優先させていたので、使いづらいモデルだったはず」年齢を重ねるごとに、大きなCMのオーディションに合格しても、バレエのためにキャンセルするケースが増えてきた。「私がやるはずだったCMが流れているのを見て、悔しい思いをしたことも。それで、19歳のころからバレエをフェードアウト、芸能の仕事に集中するようになったんです」独特の歯に衣着せぬ言動が受け入れられ『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)など数々のバラエティ番組に出演。「ちょうどテレビに出始めたころ、『ねるとん紅鯨団』の芸能人大会に出演しました。よゐこのお2人が『お願いします』『ちょっと待った!』と言ってくれたのですが、私は1人を選ぶという感覚がなくて『どっちとも~!』と言ってしまって……。それから“ぶっとんだ奴”と思われるようになったみたい(笑)」『オールナイトフジ・リターンズ』(’94年)、『なるほど!ザ・ワールド』(’81~’96年、ともにフジテレビ系)など人気番組の出演を通して芸能界の友人に恵まれると、いつしか木梨憲武とプライベートでも遊ぶ関係に。「コンちゃん(バブルガム・ブラザーズのBro.KORN)ファミリーの憲ちゃん、ヒロミ兄、定ちゃん(定岡正二)とかとは、週5回くらい、仕事が終わってから集まっていました。当時のテレビ業界はまだまだ元気で、毎晩のように青山や西麻布、六本木に繰り出して、クラブに行った後、焼き肉食べたり……。貴さんにも食事に連れていってもらったことはありましたが、私がいつも憲ちゃんと一緒だったから、誘いにくいところがあったのかも」連日深夜まで遊んでいたが、木梨夫妻に子どもができてからは「面倒みないといけないから、帰んなきゃ」と中座することもあったという。「あるとき憲ちゃんに電話すると、(安田)成美さんが出て『今、子どもをお風呂に入れているの』と教えてくれて。仕事が忙しくても、ちゃんとパパをやっていることがすごく素敵で、まさに“大人の見本”でした」こうした交流があり『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の人気コーナー・木梨憲武バレエ団や、高校生時代から好きだった『みなさんのおかげです。』の食わず嫌い王決定戦などにも呼ばれた。「足の靱帯を痛めてつけていたギプスが取れるタイミングで、オークション番組の『とんねるずのハンマープライス』(’95~’98年・フジテレビ系)からオファーがあったんです。何を出品するのかと思っていたら、何週間も足につけていたギプスを出せっていうの!とんねるずの番組の収録はいつも楽しいのですが、あんなことはもう勘弁してほしいですね(笑)」【PROFILE】神田うの’75年、東京生まれ。14歳のころからモデルを始め、『笑っていいとも!』をはじめとする多くのバラエティ番組で活躍する一方、ストッキングや下着、ウエディングドレスなど自身のブランドを数多く立ち上げ、ファッションデザイナーやプロデューサーとしても成功を収める
2022年12月04日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「’80年代後半から’90年代にかけ、とんねるずはテレビ界を席巻しました。なかでも、フジテレビのバラエティ黄金期を支えたといっても過言ではないでしょう。とくに石橋貴明さんは、それまでの常識とはかけ離れた言動や行動をとる当時の若者、『新人類』(流行語)を象徴するような存在でした」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。石橋貴明と木梨憲武は、’82年に『お笑いスター誕生!!』の出演を機にデビュー。コンビ名も「とんねるず」とした。「本格的に売れたのは『夕やけニャンニャン』(’85~’87年)や『オールナイトフジ』(第2期’83~’91年、ともにフジテレビ系)に出演してから。観覧客を相手にノリで乱闘したり、若い女性アイドルにエッチな質問をしてみたり、目上の人にもズバズバモノを言ったりと、大人が顔をしかめるような新人類ぶりが若者の支持を集めました」番組の企画力にも目をみはるものがあった。「恋愛至上主義だったバブル時代に放送された『ねるとん紅鯨団』は秀逸。素人の性格と特徴を絶妙な言葉でスパッと言い当てる能力が高く、意中の女性に告白する男性出演者にとって、頼れる兄貴的な存在となっていました」■面白ければ“なんでもアリ”が学校の「笑い」を独占芸人の枠にとどまらず、歌手、俳優としても注目された。『情けねえ』(’91年)で日本歌謡大賞を受賞し、子どもたちの間で大人気となった『ガラガラヘビがやってくる』(’92年)はミリオンセラーを記録。マルチタレントの元祖であるビートたけしを彷彿とさせる存在に。さらに『とんねるずのみなさんのおかげです。』では、『仮面ライダー』や『北の国から』、トレンディドラマのパロディコントが人気に。若き日の松嶋菜々子が下ネタコントに登場したことなどは、今でも語り草だ。「女性タレントをきわどいコントに起用する手法は、その後のバラエティ番組へ影響を与えました。また、人気の芸能人ばかりでなく、世間的には無名の番組スタッフのモノマネをしたり、業界ネタや業界用語でちゃかしたりして笑いにする内輪ネタも、とんねるずが得意とするところ。悪ノリにも受け取られますが“楽しくなければテレビじゃない”という当時のフジテレビのノリがあったからこそ、成立したのかもしれません。舞台や営業で鍛えられた芸人とは異なり、“なんでもアリ”だったテレビによって成長したスターといえるでしょう」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年12月04日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」から誕生したTOP7の初来日公演「日韓GFSC Charity Campaign 青春スター×15th Special KMF 2022」の東京2部公演が、10月8日にABEMA PPV ONLINE LIVEで配信。13人全員が集合した特別コラボは、まるでミュージカルと話題になっている。毎年秋、K-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」も出演した新人K-POPアーティストの登竜門KMFと「青春スター」がタッグを組んで開催される同イベント。韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなったカズタ率いる「n.SSign」(エヌサイン)をはじめ、計13人が集結。序盤、カズタさんが登場し「青春スター」の#2にてエンジェルミュージシャンたちを唸らせた、「2PM」の「My House」を披露すると、会場は黄色い歓声に包まれ、コメント欄でも「鳥肌が止まらない」「最高すぎる」「もう泣きそう」と感動の声が寄せられた。また、TOP7が全員集合し、「One Voice」「Another Day of Sun」をコラボレーションで披露すると、「画面が幸せ」「まじで天国」「青春スターの感動再び」「みんなでこれを作り上げてくれたと思うと感動しかない」と言った声が寄せられた。そして、特別企画「ABEMA生配信スペシャルトーク」が行われ、Twitterに寄せられた質問の中から「日本に来て、何が食べたいですか?」と尋ねられると、「n.SSign」の末っ子チャン・ヒウォンは「寿司が食べたいです」、シンガーソングライター派からデビューが決定したリュ・ジヒョンとボーカル派からデビューが決定したキム・テヒョンは「ラーメンが本当に食べたいです」と答える。また、「n.SSign」のメインボーカルユン・ドハが清水翔太の「花束の変わりにメロディーを」のワンフレーズを日本語で生歌唱する一幕も。さらに、とある歌詞をリズムに合わせて、前の人よりも高い音域で歌い、どこまで高音が出るかに挑戦する「クレオパトラゲーム」では、シンガーソングライター派とボーカル派だっただけあって驚異的な高音を披露し、最後のヒョン・シニョンまでバトンが渡り、大成功を収めた。そんな、本配信は11月7日(月)23時59分まで視聴が可能となっている。初の来日公演を終え、カズタさんは「めちゃくちゃ緊張していましたが皆さんの歓声で緊張がほぐれて“あ、俺かっこいいんだ”といつものナルシストを発揮できました」と感想を明かし、「僕たちはまだまだ日本で沢山の活動をしていくので期待していてください」とコメント。12月4日(日)&11日(日)に開催される「n.SSign × "n.CH WORLD Live 2022" in Japan」にて「n.SSign」の再来日も発表された。(cinemacafe.net)
2022年10月11日青春映画『恋人はアンバー』が、2022年11月3日(木・祝)より公開される。“ニセモノの恋人”を演じる2人を描く青春映画映画『恋人はアンバー』の舞台は、1995年、同性愛が違法でなくなってから2年後のアイルランド。同性愛者への差別や偏見が根強く残る田舎町で、男性に恋する男子高校生エディと、女性しか愛せない女子高生アンバーが、期間限定で“恋人”のフリをする。学校から⼀緒に帰ってみたり、エディの両親にアンバーを紹介して恋⼈であることをアピールしてみたり、2⼈が恋⼈のフリを始めると、そのニュースは学校中を駆け巡り、思惑通り公認のカップルに。クラスメイトからゲイやレズビアンだと疑惑を持たれることもめっきり減った卒業間近、アンバーの誘いで授業をサボって、都会のダブリンへ繰り出す2⼈。ゲーセンで仲睦まじい写真を撮り、クラブで酔いしれ、⾃分たちを知る⼈が誰もいない都会で、開放的な時間を⼼から楽しんだ。しかし後⽇再びダブリンを訪れた時、ある事件が起きてしまい、2 ⼈の間に埋められない溝ができてしまう…。セクシュアリティの悩みや差別、偏見といった社会的テーマを描きながら、チャーミングかつ爽やかなテイストで、若者2人の青春を映し出す。メインキャストにフィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー■エディ...フィン・オシェイ自身がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣。⼥性とキスをしたことがないだけで「ゲイか︖」とからかわれるような保守的な⽥舎町で、周囲にセクシュアリティを隠したまま平穏に卒業するために、アンバーと“ニセモノの恋人”になる。高校卒業後については、「今のままでいい」と消極的。■アンバー...ローラ・ペティクルーレズビアンであることを隠している、エディのクラスメイト。趣味も性格も異なるが、“ニセモノの恋⼈”としてぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、2人はかけがえのない存在に。消極的なエディに対し、アンバーは高校卒業後、町を出ようと考えている。賞レースでも話題に2020年に封切られた映画『恋人はアンバー』は、アイルランド版アカデミー賞と評される「アイリッシュ映画&テレビ賞」で8部⾨にノミネート、2部⾨で受賞。過去に、『セッション』でデイミアン・チャゼル、『ウィンド・リバー』でテイラー・シェリダン、『ライトハウス』でロバート・エガースらが評価された「カメリメージ映画祭」では、最優秀監督デビュー賞にもノミネートされ、話題を集めた。<映画『恋人はアンバー』あらすじ>同性愛者への差別や偏⾒が根強く残る⽥舎町で、⾃⾝がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメイトのアンバー。家族や同級⽣にセクシュアリティを悟られないように平穏に卒業を迎えるため、2 ⼈は“ニセモノの恋⼈”を演じることに︕︖ 性格も趣味も全く違う2⼈だったが、ぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、唯⼀ありのままの⾃分をさらけ出せる、かけがえのない存在になっていく。しかし、⼀緒に訪れた都会・ダブリンで、特別な出会いを果たし、新しい世界に触れた2⼈は、“理想的”だったこの関係にも終わりが近づいていることに気づいてしまい…。【詳細】映画『恋人はアンバー』公開日:2022年11月3日(木・祝) TOHO シネマズ シャンテほか全国公開監督・脚本:デイヴィッド・フレイン出演:フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ワード、シモーヌ・カービー原題:Dating Amber挿入歌:PULP「Mile End」、Brenda Lee「You Can Depend on Me」、U2「All I Want Is You」、GIRLPOOL「Cut Your Bangs」ほか2020年/アイルランド/92分/ビスタ/5.1ch
2022年09月16日「A24」が配給、実体験に基づく“暗黒時代”を笑い話として映画化した『Never Goin’Back』(2018年)が、邦題を『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』として12月より公開決定。メイン写真1点が解禁となった。高校を中退した親友同士のアンジェラとジェシーは、兄とその友人と4人で共同生活を送っているが、バイト三昧の日々でも、家賃を払うのがやっとの極貧生活を送っている。だが、ジェシーの誕生日に1週間のビーチリゾートのバカンスをプレゼントしたいアンジェラは、家賃代のお金で2人分の夢のチケットを購入する。不足分の家賃を稼ぐために無茶苦茶な追加シフトを入れるも、家に泥棒が入るわ、兄のせいで刑務所に入れられるわ、 誤って大麻入りクッキーを食べてハイになるわ、挙句の果てにバイトもクビになりそうに…。2人の追い求める憧れのバカンス、テキサスのリゾートビーチへ無事に辿り着くことは出来るのか!?監督オーガスティン・フリッゼルの実体験を笑い話として映画化2018年のサウス・バイ・サウスウエスト映画祭でゲームチェンジャー賞にノミネートされた本作。監督のオーガスティン・フリッゼルは、俳優としては15年以上ものキャリアがあるが、本作で長編映画監督デビューを果たした(続く2作目のフェリシティ・ジョーンズ主演『愛しい人から最後の手紙』は日本ではNetflix配信中)。テキサス州ダラスで育った彼女は、15歳で両親に捨てられたも同然となり、毎月の家賃の当てもなく、友人と一緒に困難な暮らしを送ってきたことから本作の着想を得ている。夫で、『グリーン・ナイト』『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(ともにA24作品)監督のデヴィッド・ロウリーと出会い、短編映画を製作するようになり、あの暗黒時代を笑い話に変えようと本作を撮影したという。旬の若手俳優のW共演に注目主演はマイア・ミッチェルとカミラ・モローネ。マイアはディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーの『ティーン・ビーチ・ムービー』や、同時期に公開されたティモシー・シャラメ主演の『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』の出演などで注目を浴びる長いキャリアを持つオーストラリア出身の若手俳優。また、レオナルド・ディカプリオと交際報道が話題となったカミラは名優アル・パチーノの継娘で、「VOGUE」誌の表紙も飾ったモデルで、ブルース・ウィリス主演の『デス・ウィッシュ』などでも知られる。旬の若手俳優のW主演による、パワフルガールズムービーがついに日本に上陸する。『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』は12月、TOHOシネマズ シャンテほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Never Goin’ Back/ネバー・ゴーイン・バック 2022年12月よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開© 2018Muffed Up LLC. All Rights Reserved.
2022年09月08日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」からデビューが決定したTOP7が出演する初来日公演「青春スターTOP7初来日公演! ~日韓GFSC Charity Campaign 青春スター × 15th Special KMF 2022~」の東京2部公演を、「ABEMA PPV ONLINE LIVE(アベマ ペイパービューオンラインライブ)」にて独占生配信。「n.SSign(エヌサイン)」のカズタからコメントが到着した。「青春スター」は、「ABEMA」にて放送された日韓男女グローバルオーディション。世界中から厳選された108人がK-POPアーティストを目指して奮闘する姿や、ステージパフォーマンスなど成長過程をリアルに放送。精鋭たちのなかからデビューするTOP7が決定すると、視聴者からは祝福の声があがり「早くみんなに会いたい!」「デビュー組には脱落したみんなの分まで頑張ってほしい」と言ったコメントが寄せられていた。このたび「ABEMA PPV ONLINE LIVE」にて独占生配信する「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は、毎年、秋にK-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」「NCT 127」「NCT DREAM」なども出演した新人K-POPアーティストの登竜門「KMF」と「青春スター」がタッグを組んで開催するイベント。日本や韓国で、すでにデビューしているかのようなハイレベルなパフォーマンスが話題となり、韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなった沖縄出身のカズタ率いる「n.SSign」をはじめ、実力派の計13名が大集結。その本公演を「ABEMA PPV ONLINE LIVE」で配信するにあたり、当日は「ABEMA生放送コーナー」を設置。TOP7のメンバーが、ゲームにチャレンジしたり、事前に視聴者から募集するメンバーへの質問やリクエストにステージ上で答えるなどの特別コンテンツを予定。TOP7に質問したいことや、リクエストは「青春スター」の公式Twitterにて募集中となっている。今回の初来日公演に向けて、「青春スター」内でも活躍した「n.SSign」のリーダー、カズタは「今回、僕がリーダーと言う役割を受け持つ事になりました。最初聞いた時は、僕にできるだろうか?と心配でプレッシャーが大きかったですが。メンバーのみんなが、僕を助けながら、しっかりついて来てくれるお陰で、僕にも自信がつきました」と明かし、「僕は本気でn.SSignの最初のスタートを日本で成功させたいと思っています」と語り、「僕たちもKMFのためにたくさん準備しているので、たくさんの応援をよろしくお願いします!」とエネルギッシュにコメント。「PRODUCE 101」シリーズの辛口トレーナー、元「SISTAR」のソユさんが「オーディションを見たなかで1番」「このレベルは初めて」と称賛したり、「もうプロ…」「天才?」とプロの先輩ミュージシャンや視聴者をうならせたTOP7たちの圧巻のステージに期待していて。出演者:青春スターTOP7■アイドル派(n.SSign):イ・ハンジュン、カズタ、チャン・ヒウォン、チョン・ソンユン、パク・ヒョン、ヤン・ジュニョク、ユン・ドハ■ボーカル派:キム・テヒョン、ヒョン・シニョン、ペク・ヒヨン■シンソン派:キム・ジョンハン、キム・プルム、リュ・ジヒョンABEMA PPV ONLINE LIVE「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は10月8日(土)18時30分(開場)/19時30分(開演)より独占生配信。(text:cinemacafe.net)
2022年09月08日