多くの人々が、海外作品を鑑賞する際にお世話になっている日本語字幕。映画業界で働く人々にお仕事について根掘り葉掘り話を聞く【映画お仕事図鑑】。今回、登場してもらうのは先日、公開を迎えたヴィゴ・モーテンセンの初監督作品『フォーリング 50年間の想い出』の日本語字幕を担当した高内朝子 。高内さんと言えば、近年では『20センチュリー・ウーマン』、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』などの話題の映画、さらに大人気ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」の字幕を担当。またMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)において、初めて女性ヒーローが単独で主役となった『キャプテン・マーベル』では、女性登場人物のセリフでほとんど“女性言葉”が使われていないことが大きな話題を呼んだ。映画『フォーリング 50年間の想い出』を例に、字幕制作のプロセスや苦労、やりがい、さらに時代と共に変遷する字幕の言葉遣いについてなど、たっぷりと話を聞いた。「なんとなく」で始まった字幕翻訳の仕事――まずは高内さんが字幕翻訳者になったきっかけ、経緯について教えてください。これが結構たまたまというか(笑)、「なろう!」と思っていたわけではなく流れなんですよね…。もともと「お話」や本が好きで、さらに小学生の時に『グーニーズ』に夢中になってからは海外の映画や音楽にも目覚めたものの、それが将来の仕事に結びつくとは考えていませんでした。大学時代には交換留学でイギリスに1年弱行ってたんですが、帰ってきたら周りの就職活動も一段落しているという状況だったんですね。イギリスでは美術史を専攻していて、いまでは珍しくないですが、当時はあまりなかった、従来の白人男性が作った歴史ではない、フェミニズム的な視点であったり、様々な人種の視点も反映した美術史というのを勉強していました。その関連で映画理論のクラスも取った覚えがあります。それが面白くて、大学院で勉強してみようかという気持ちになって、一切、就職活動をしないで卒業してしまったんですが、院試に落ちてしまい(苦笑)、受け直そうか? どうしようか? という感じでアルバイトをしてたんです。いまよりももうちょっとのんびりしていた時代だったんですね(笑)。それで「一度くらい働いてみて、それからまた決めよう」と思って、好きな本や美術に触れて働きたいという気持ちで、なんとなく出版社や美術館で働きたいと思ってたんですが、そんな簡単にうまくいくはずもなく…(苦笑)。結局、小さなアートギャラリーで働くことが決まったんですが、その直後に新聞で見つけたのが、制作会社の「字幕スタッフ募集」という採用記事で、なんとなく面白そうだなとピンときて、そこを受けました。最初に決まってたギャラリーは平謝りで辞退して、字幕制作のスタッフとして働き始めたんです。最初は「ちょっとやってみるか」という気持ちだったんですが、結局そこで11年ほど働いて、それからいまに至るという感じですね。――では字幕翻訳についてはその会社でゼロから学ばれたんですね?そうですね。最初の5年ほどは「字幕ディレクター(演出)」という仕事で、人の翻訳のチェックや、クライアントとの打ち合わせ、スタジオ作業などをしていたんですが、そこで流れを覚えて、自分でも字幕の翻訳をやってみたいと思うようになりました。当時その会社には数人の社内翻訳者がいて、私に対しても「じゃあやってみれば?」という感じで(笑)、それから5~6年、社内翻訳者として仕事させてもらって、その後、独立いたしました。――字幕制作の世界には、字幕制作の会社に属している「社内翻訳者」と「フリーランス」とどちらもいらっしゃるんですか?そうですね。とはいえ、フリーランスが圧倒的に多いとは思います。ただ大きな制作会社であれば「翻訳部」みたいな部署があり常時、何人かの翻訳者を社員として抱えているところもあります。私のように制作会社に勤めて、仕事を覚えて独立する人間もいますし、いまはいろんなスクールがあるので、そこに通って仕事を紹介してもらったりしながら、少しずつ仕事を増やしていくという方も多いと思います。『フォーリング 50年間の想い出』メイキング――字幕翻訳者の需要というのは多いのでしょうか? ずっと以前、ある字幕翻訳者さんが英語の映画の字幕翻訳に関しては、ごく少人数で回っているとおっしゃっているのを聞いたことがありますが、近年はNETFLIXなどの配信サービスも拡大し、劇場映画以外のコンテンツの量も増えていて、こうした需要も変化しているのではないかと…。翻訳者の正確な人数などは私もわかりませんが、NETFLIXなどの作品の数は毎月ものすごいですから、確実に以前と比べて仕事の量は増えていると思います。私は配信サービス以前、ちょうどDVDが流通し出した頃に会社に入ったんですね。翻訳も最初はDVDの特典映像のような仕事が多くて、名前が出ないようなものばかりでした。いまは、配信サービスが増えて、翻訳者名が出るもの出ないもの含め、翻訳の仕事はますます増えていますね。スクールも盛況だと聞いています。――先日、公開を迎えたヴィゴ・モーテンセン初監督作『フォーリング 50年間の想い出』の字幕も担当されていますが、こうした劇場公開の映画の場合、依頼から制作、納品までどのような流れで仕事を進めていくのでしょうか?劇場映画の場合、配給会社から直接、私のようなフリーランスの字幕翻訳者に依頼が来ることもありますが、多くの場合は間に(字幕の)制作会社が入っていて、そこから話をいただきます。今回の『フォーリング 50年間の想い出』も制作会社さんからの依頼ですね。納期も作品によって違いますが、今回は2週間ほどいただきました。まず“素材”と呼ばれる映像とスクリプト(脚本)をもらいます。最近の翻訳者はたいてい持っている字幕制作ソフトというものがあるんですが、そこで映像と自分が入力した文字を出して、どういう感じで字幕が出るかを目で確かめることができるんです。作業としてはまず“ハコ割り”と呼ばれるプロセスがあって、このセリフのまとまりでひとつの字幕にしようというのを決めて、原語を区切っていきます。続いては“スポッティング”という、ハコ割りどおりに字幕を出すためのタイミングを入力していく作業です(制作会社にお願いできるケースもあります)。タイムコード入りの映像と組み合わせながら、字幕制作ソフト上で(字幕の)イン点、アウト点というのを決めていくと、この字幕にだいたい5秒かけられるとか、この字幕は1秒半しか使えないといった秒数や文字数が表示されるんです。それを終えたら翻訳作業に入ります。作品によって訳しながら調べなくてはいけないことが非常に多い場合は交渉して少し翻訳の期間を延ばしてもらうこともあるんですが、今回の『フォーリング 50年間の想い出』に関してはそこまで引っかかる部分もなかったので、わりとスムーズに、10日前後で翻訳の作業ができました。『フォーリング 50年間の想い出』その後、制作会社のチェックが入ります。その過程で例えば「ここは横字幕になっていますが、テロップが入るので縦にしましょう」という修正(※縦の字幕になることで表示できる文字数は減る)が入ったり、「このシーンは字幕が俳優の顔にかかるので、もう少し右に寄せましょう」といった指摘が入ったりします。表記のミスなどについてのチェックもありますし、表現に関しても「もう少しわかりやすく」というリクエストが入ったりもします。その後は“シミュレーション”または“プレビュー”と言われる作業で、制作会社や配給会社の担当者さんと共に少し大きめの画面で字幕をチェックし、気になった部分などを修正していくプロセスがあります。それを経て初号試写(※関係者向けの試写上映)があるんですが、やはり大きなスクリーンで見ると、小さなソフトの画面や作業用映像で気づかなかった部分が見えたり、単純に話者が見えてなかったけど、違う人が喋っていたりと、新たな修正ポイントに気づく場合もあります。そこで必要があれば最終的な修正をして、私の仕事はひとまず終わりとなります。――劇場映画の場合、TVドラマやDVDよりも字幕に費やせる文字数は少ないそうですね?そうですね。DVDや配信のドラマなどの場合、わからなかった部分を戻って見直すことができますが、劇場映画の場合はその1回きりとなってしまうので、ひと目で見やすく、わかりやすい字幕が求められます。大きなスクリーンで映像を堪能してもらうためにも、文字数はなるべく少ないほうがいいのですが、わかりやすさのためにどうしても入れなくてはいけない言葉、情報もあったりして、なかなか難しいところで、そこはいつもせめぎ合いですね。昔から「1秒4文字」ということは言われるんですけど、それもカタカナなのか? それとも漢字なのか? よく見る文字列か? めったに見かけない言葉なのか? ということによって違います。それから(映像を含めた)画面全体の情報量が多いシーンだと、あまり文字を入れすぎると読み終わらないまま終わってしまうので、そういうところでは字数を減らしたり…。幸い、いまはソフトを使って文字数を減らしたり、増やしたりといろんなパターンを確認できるので、様々な要素を考慮しながら制作しています。――そういった字幕制作ソフトなど、ツールの部分の進化で、高内さんが仕事を始められた頃と比べ、仕事が進めやすくなった部分も大きいのでしょうか?そうですね。それこそ昔は、頭の中で映像と字幕の組み合わせを想像しながら翻訳をして、その後、“仮ミックス”という字幕が仮で入った映像を制作会社から受け取って、初めてどんなふうに字幕が表示されるのかがわかったんです。いまはソフトを使えば最初からわかるので、その点は楽ですね。そういう意味では、先ほど説明した“スポッティング作業”というのは、以前は私たちの仕事ではなくて、字幕翻訳者はあくまでも翻訳をするだけだったんです。そこは逆に、ソフトができたことで仕事が増えてしまった部分ですね(笑)。映画を観る人を信頼して翻訳する――高内さんが、字幕翻訳を行なう上で、大切にしていること、特に気をつけていることはどういったことですか?やはり、いかに血の通ったセリフにするか? という点ですね。いまは英語が理解できる方も昔と比べて格段に増えて「字幕が原文と違う!」といった声を聞くこともあるんですけど、基本的には世代を問わず日本語話者に向けて、リアルな日本語で心情を伝えるということを一番大切に考えています。直訳に限りなく近い翻訳もあれば、少しお節介で親切な翻訳もあって、それによって観る方の好き嫌いも分かれると思います。訳し方は作品や観客のターゲット層によって多少、変えることもありますが、私はなるべく読みやすく親切にと…もしかしたらちょっとお節介気味な方かもしれません。もちろん、これはあくまで「どう訳出するか」の問題で、内容を勝手に単純化したり、原文にない要素を加えるという意味ではありません。作品によって、扱っている題材の専門家の方が観ることもあれば、そのジャンルに詳しくはないけれど映画が大好きでよく観ている方もいます。私自身、能力を超えたような作品にやっとの思いで取り組んでいることも多いですし、観てくださる方を信頼して、侮らないで翻訳することを心がけています。難しい専門用語や、微妙で繊細なニュアンスの表現をどうするか?というのは常にあって、もちろん制作会社や配給会社と相談しながら決めていきます。作品と登場人物にぴったりくる言葉を…と言うとごく当たり前のことなんですが、観てくださる方は自分よりもすごいんだ!ということはいつも念頭に置いて臨んでいます。――字幕翻訳者さんによって、訳し方の“個性”というのは出てくるものですか?そうですね。以前、仕事で他の方の翻訳を見る機会が多くありましたが、(人それぞれ)違うものだなというのは感じました。ジャンルごとに得意な分野があったりもして、ドキュメンタリーが上手なのにコメディになると「あれ?」という翻訳をする方もいて(笑)。決して間違いがあるわけではなく、正確な字幕ではあるんですけど。――他の方の制作をした字幕を読んで「このフレーズをこう訳すのか!」と驚いたりも…。ありますね。例えば、俳優がものすごくたくさん喋っていても、字幕で表現できる文字数は本当に少ないので「そうか、こういう思考でこの字幕に到ったんだな…」という翻訳者の思考の回路が同業者だからこそわかるところもありますし。――先ほど、作品によってはリサーチも必要となるとおっしゃっていましたが、言葉の問題というより、社会の制度や法律、文化や慣習の違いで、なかなかぴったり当てはまる訳語がない場合もあるのでは?そうですね。「ハウス・オブ・カード」などではいろんな省庁や部署の名前なども出てきますが、日本で似たようなものがある場合、それを当てはめてしまいたくなるんですが、やはり似て非なるものですから。私自身が、そういう(日本とアメリカの)違いなどを知るのを好きですし、あの作品の視聴者もそういう部分に興味のある方が多いと思うので、そういう場合はなるべく原語の意味、現地の情報がそのままきちんとわかるように訳すようにしています。私自身、何かの専門知識を持っているわけではないですから、例えば理系や金融の知識が必要な場合は、詳しい友人に尋ねたりもします。以前、釣りの用語を釣具屋さんに尋ねたこともありましたし、ネジの種類がわからない時に、東急ハンズまで行って、店員さんにいろいろ伺ったこともありました。中古レコードの用語がわからなくて、アメリカの中古レコード店のサイトからメールで質問させてもらったこともありましたね。とはいえ、あまりに専門知識が全般にわたって必要な場合は、制作会社と相談して、「監修」という形で専門家の方にお願いすることもあります。「ハウス・オブ・カード」でも政治用語はしっかり監修していただきました。「ハウス・オブ・カード 野望の階段」――高内さんがこの仕事をされていて、やりがいや面白さを感じる部分はどういうところですか?言葉にもともと興味があるので、言葉について常に考えられることが面白いですね。あとは自分が担当した作品が話題になったり、大きな劇場で掛かるのはもちろん嬉しいんですが、私自身が地方の出身で、もっといろいろな映画を観たい…という思いで十代を過ごしていたので、自分の担当した作品が地方で上映されているのはすごく嬉しいですね。――最初に「なんとなく」この世界に入って、その後、フリーランスになって続けていこうと思えたのには、特別な喜びや面白さが感じられたからなのでしょうか?そうですね。外国語のセリフでも、やり方しだいで登場人物の細かな感情、心情をいくらでも日本語でリアルに伝えられると思いますし、それがうまくいったときの喜びはすごく大きいです。また私自身はかなり飽きっぽいんですが(苦笑)、そのときどきでいろんな作品に出会えるんですね。駆け出しのころは、ホラー映画に対して苦手意識があったんですけど、ホラーの巨匠たちの新作シリーズみたいなものを担当することになって、過去の様々な名作を観ましたし、仕事でカンフー映画を観まくった時期もありました。アメリカの政治のことは「ハウス・オブ・カード」でさんざん勉強させてもらいました。単語レベルで知らないことばかりだったので、こんなにも自分の能力を超えていると感じる仕事はなかったですが、腹をくくって向き合って、本当にすごい脚本を前に(ケヴィン・スペイシーの件は今も非常に悔しく、怒りが湧いてきますが…)「これをどうしたら日本語で伝えられるのか?」とプレッシャーもすごかったですけど本当に勉強になりました。『MINAMATA―ミナマタ―』最近では、ジョニー・デップ主演の『MINAMATA-ミナマタ-』を担当して、英語のセリフ自体は専門用語というよりも心情を表すような言葉が多かったんですが、それでも関連書籍などで水俣病の背景をできるかぎり勉強することで、選ぶ訳語が確実に変わってくるんですよね。ここ数年、東京国際映画祭の仕事もさせてもらって、今年はコソボの女性監督の『ヴェラは海の夢を見る』という作品(※グランプリを獲得)を担当したんですが、ここでもコソボについていろいろ勉強して…という感じで、飽きずに今までやってきました。――新しい言葉や流行語、若者の言葉などに対してもアンテナを常に張っているんですか?大好きですね(笑)。映画やドラマっていろんな人物が出てくるので、正しい日本語の知識が必要なのはもちろんですが、例えばバラエティやお笑い、ニュースでどういう言葉が使われているのか?ネットでいまどんな言葉が使われているのか?若い子たちが聴く音楽の歌詞はどんな感じなのか?とか、わりと何でもかんでもミーハーに首を突っ込んでいます。それをすぐに訳に取り入れないまでも、押さえておくようにはしますね。流行ってる言葉でも「これなら字幕にも使えるかな?」とか「これはさすがに字幕では無理かな…」などと考えます。“罵詈雑言”セリフをどう訳す? あえて“ゲイ”という言葉を使わなかったワケ――今回、高内さんが字幕を担当された『フォーリング 50年間の想い出』はヴィゴ・モーテンセンが自身の経験を取り入れつつ、父と息子の関係を現代と過去に分けて描いています。本作の字幕制作において、大変だった部分や工夫されたところなどを教えてください。この映画はとても美しい作品ではあるんですが、主人公の父親・ウィリスの言葉遣いが汚くて(苦笑)、罵詈雑言が非常に多くて、訳していく中でネタ切れになりかけましたね…。英語って罵詈雑言のバリエーションがものすごく豊かなんですけど、日本語はそこまででもないんですね。厳密に言えば、もう少しいろんな表現ができなくはないんですが、字幕にしてしまうと読みづらかったり、あまりにも下品になってしまったりということもあって…。とはいえ、主人公をはじめ周りの人たちが毎回、お父さんの言葉に凍り付くので、それなりにインパクトのある言葉にしなくてはいけなくて、その兼ね合いは難しかったですね。『フォーリング 50年間の想い出』ヴィゴが演じた主人公のジョンはゲイですが、このお父さんは「ゲイ」という言葉を使うようなタイプの人ではないので「ホモ」とか「オカマ」とか、本来であれば避けるような攻撃的な言葉が合うんですよね。とはいえ、これらの言葉を字幕で使うべきか…?という思いもあって、制作会社にも相談し、配給会社の判断に委ねましょうということになったんですが、結局は原語のセリフを尊重して、そのまま汚い言葉を使うことになりました。それ以外では、家族関係が複雑な作品ではあるので、関係性を説明するセリフに関して、観客の方がわかりづらくないようにと苦心しましたね。あとは、3世代の物語なので、例えばウィリスが若い頃、1950~60年代に登場する妻・グウェンのセリフではいわゆる“女性言葉”を使っていますが、現代のパートの孫世代のセリフは「おじいちゃん、○○だよ」という感じで、無理に女性言葉を使わずに訳しています。罵詈雑言が多かったのは事実なんですけど(笑)、脚本自体がとても美しくて、それを素晴らしい俳優たちが演じて、心情がこもっていたので、そんなにこちらでひねって何か特別なことをしようというのはなく、そのまま素直に日本語にすれば、良い字幕ができるかなという思いはあり、そこまで苦労なくできたと思います。社会の変化と共に変わっていく字幕翻訳時代背景や文脈を踏まえてあえて女性言葉使う場合も――女性言葉についての話が出ましたが、高内さんが担当された映画『キャプテン・マーベル』の字幕で、女性登場人物のセリフに女性言葉がほとんど使われていないことが大きな話題になりました。社会の変化によって、女性の言葉の訳し方は変わってきているのでしょうか?私自身、この仕事を始める前から「字幕って女性言葉が多いな」というのは感じてはいました。翻訳を始めてからも女性言葉を多用するということはなかったんですが、とはいえそういう文化圏の中にいることで、習慣といいますか、あまり考えずに使っていた部分はありましたね。ただ、やはりここ何年かですかね? 字幕翻訳の世界で、というよりも社会的にそういう機運が高まってきたこともあり、自分の中でも違和感が強くなって(女性言葉を)減らすようになってきたとは思います。『キャプテン・マーベル』で言うと、主人公について考えた時、この人が日本語話者だったとしたら? と想定したら、ああいう言葉遣いが自然だったので、決して苦労して、意識的に女性言葉を減らしたというわけではないんです。今回の『フォーリング 50年間の想い出』もそうですけど、昔の時代設定であったり、保守的な社会が舞台の作品であれば、それは変わりますし、実際、私の母の世代であれば友人と話す時も「○○よね?」といった言葉遣いは自然にすると思うので、そこは大切にしたいですし、「女性言葉は絶対に使わない!」と思っているわけではないです。作品やキャラクター、文脈によっては、女性言葉が話者の皮肉や何らかの意図を表すものになったりもするので、あえて使うという場合もあります。『フォーリング 50年間の想い出』――今回の『フォーリング 50年間の想い出』の主人公はゲイですが、LGBTQの登場人物の日本語字幕は、本人の性自認や話し方次第で、口調やニュアンスを変えたりするのでしょうか?NETFLIXの「クィア・アイ」などでもいろんな人が出てきますよね。例えばあの作品に出ているジョナサンは自分を“ノンバイナリー(※男性・女性の性別二元論にのっとったいずれかの性別を自認しない人)”で、自分の性別が揺れていると言っていて、服もときどきすごくフェミニンな場合もありますよね。LGBTQに限らず、女性でも友達同士だとすごくくだけた調子になることもあるし、男性だって場合によって「俺」と言ったり「僕」となったりしますよね。それと同じで、LGBTQの方に関しても、そんなにきっちりと決めなくてもいいのかなと思っています。トランスジェンダー(※出生時に割り当てられた性とは別のジェンダーを自認する人)ではないゲイの男性でも状況によって口調を使い分ける方もいますし、時にかわいらしさを表現しているようなシーンであれば、柔らかい訳し方にしたりということはあると思います。男性の「俺」とか「僕」といった表記も、ディレクターによっては統一しようとする方もいますし、あまりに登場人物が多い場合など、キャラ付けが必要になってくることもありますが、とはいえ無理に統一しなくてもいいとは思いますね。繊細に、その時のニュアンスを大切にしていけばいいのかなと思っています。『フォーリング 50年間の想い出』メイキング――最後になりますが、字幕翻訳者や映画業界での仕事を志している人に向けて、アドバイスやメッセージをいただければと思います。そうですね…私自身が、たまたまというか、“流れ”でここまで来てしまったので、そんなにたいそうなことは言えないんですが(苦笑)、(進路が決まらなかったりで)いろいろ思い悩んだりしていたこと、ウジウジしながらも見たり、触れたりしたもの、家族や友人たちとの会話、過去の経験が全て今の仕事の糧になっていると思います。私の場合、あまりにもやりたいことや興味がとっ散らかっていたんですが、たまたまこの仕事に出会って、飽きずにここまで続けてこれたのでラッキーだったなと思うんです。ですので、後々、何が役に立つのかわかりませんし、私が最初は美術や出版業界に入りたいと思いながらこっちに来たように、いま、映画や字幕制作の仕事をしたいと思っている人でも、すぐ近くにもっと面白いものや、向いている仕事があるかもしれません。ひとつひとつの縁を大切に、何にでも興味を持って、面白がってみるのが大事なことなのかなと思います。※一部引用元:イラストで学ぶジェンダーのはなし みんなと自分を理解するためのガイドブック/フィルムアート社(text:Naoki Kurozu)■関連作品:フォーリング 50年間の想い出 2021年11月12日よりkino cinema横浜みなとみらい・立川髙島屋S.C.館・天神ほか全国にて公開© 2020 Falling Films Inc. and Achille Productions (Falling) Limited· SCORE © 2020 PERCEVAL PRESS AND PERCEVAL PRESS INC. · A CANADA - UNITED KINGDOM CO-PRODUCTION
2021年11月25日ドキュメンタリー映画『僕が跳びはねる理由』が2021年4月2日(金)より角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国で順次公開される。自閉症者が見て・感じている世界を疑似体験会話のできない自閉症という障害を抱える作家・東田直樹が13歳の時に執筆した書籍『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)。今まで理解されにくかった自閉症者の内面の感情や思考、記憶を分かりやすい言葉で伝えた内容が大きな感動を呼び、34か国以上で出版された。『僕が跳びはねる理由』は、そんな世界的ベストセラー『自閉症の僕が跳びはねる理由』を元に映画化したドキュメンタリー映画。本作では、自閉症と呼ばれる彼らの世界が“普通”と言われる人たちとどのように異なって映っているのかを、世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して明らかにする。さらに、斬新な映像表現や音響効果を駆使することで、自閉症者が見て・感じている世界をあたかも疑似体験しているかのように体感できる作品に仕上げた。世界各国から高い注目を獲得また同作品は、世界最大のインディペンデント映画祭としても有名な第36回サンダンス映画祭のワールド・シネマ・ドキュメンタリーコンペティション部門で観客賞を受賞、2020年に開催されたバンクーバー国際映画祭では、長編インターナショナルドキュメンタリー部門観客賞&インパクト大賞をW受賞するなど、世界各国から高い注目を獲得した。作品詳細『僕が跳びはねる理由』公開日:2021年4月2日(金)~角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国で順次公開原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)監督:ジェリー・ロスウェルプロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー原題:The Reason I Jump/2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch字幕翻訳:高内朝子字幕監修:山登敬之配給:KADOKAWA
2021年03月29日Upload By 発達ナビ編集部自閉症者の独特な世界観を表現した作品編集部(以下、――) 映画の原作となったエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症者の内面の感情や思考を分かりやすい言葉で伝えたことで注目され、34か国以上で出版され、117万部を超える世界的ベストセラーになりました。書著を書こうと思われたきっかけを教えてください。話せなかった僕が気持ちを伝えられるようになってから、母は僕の行動について「なぜ、そんなことをするの?」と、ことあるごとに聞くようになり、僕の説明を聞いては驚いていました。僕の行動の理由が分かるようになり、僕に接する母の態度に余裕が出てきたと思います。僕は母に尋ねられなければ、自分の行動を言葉にすることはなかったのではないでしょうか。なぜなら、それが僕にとっての日常だったからです。僕の世界が母の世界と違うと知ってから、僕が見たり感じたりしている世界を母に伝え、母からは“普通”と呼ばれている人たちが見たり感じたりしている世界について教えてもらうようになりました。当時の母は僕の行動の理由を知り、親子関係がよりよくなったと感じていたようです。自閉症者である僕の気持ちを知ってもらうことで、自閉症者に関わる人たちの気持ちが少しでも楽になればと思い、この本を出版しました。――映画は「自閉症と呼ばれる彼らの世界が“普通”と言われる人たちと、どのように異なって映っているのか?」を世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して追い、明らかにしていく内容でした。著書がこのような形で映画化されたことについて、どのように思っているか教えてください。すばらしい映画にしてくださり、制作者のみなさまに感謝しています。僕は、自閉症者の生きづらさや独特な世界観について文章で表現しましたが、ジェリー・ロスウェル監督は映像で表現してくださいました。多くの方にこの映画をご覧いただき、自閉症とは何かということについて考えていただければうれしいです。――本作では、自閉症のある人が世界をどのように感じているのか、視覚や聴覚で伝えている描写がありました。東田さんが完成した映画の映像を見て、感じたことを教えてください。とても芸術的な映像だと思いました。自閉症者が見ている風景のように描かれている場面がありましたが、僕が日常のすべてにおいてこのような風景を目にしているわけではありません。僕は著書の中で世界の見え方について「最初に部分が目にとびこんできます。その後、徐々に全体が分かるのです。」と書いていますが、僕の視界にそう映っているというよりは、意識の向け方がそういう感じだということです。意識というのは本人にしか分からないものだと思っていました。意識下で起きていることを映像で表現し、それを見ている人に自分の視界で起きているかのような錯覚を起こさせる映画の技術に感動しました。Upload By 発達ナビ編集部「繰り返し行動」「動きを制御できない不安」、言葉にするなら――「不安に感じるとき、繰り返し行動を行うと安心する。不確かさから自分を守ってくれる」という言葉がありました。映画のなかでも、ある女の子がキラキラしたひもをいつも持っていて、集中している時は平穏、目を離すとさまざまな刺激が飛び込んでくる描写があります。東田さんも、繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのでしょうか。また、どのようなことをすると気持ちが落ち着きますか?繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのではなく、さまざまな刺激が飛び込んでくるために繰り返し行動をしてしまうのです。どちらが先でも同じではないかと思われるかもしれませんが、繰り返し行動は、したくてしているのではないという意味では、自分を守るために繰り返し行動をしてしまうという表現の方が、自閉症の人の心境をよく表しているのではないでしょうか。僕も刺激には弱いです。気になる音や風景が目に入ると、自分を落ち着かせるために、いつも見ている絵本や昔の写真を見たり、手で耳をふさいだりしていました。今は、周りの刺激にもだいぶ慣れました。――発達ナビを読んでいる人たちのなかには、お子さんが突然家を飛び出してしまったりすることにどうしたらいいか悩んでいる人もいます。東田さんもよく家を出て外にいらっしゃったと言います。外に飛び出すことで得たかったものはなんですか?外に出ることで自分が何かを得たかったわけではなく、脳が僕にそう指令を出すのです。外に出てしまったら、あとは歩き続けるだけです。赤い靴を履いた女の子のように、僕はただ目的地に向かって足を動かします。目的地といってもどこを目指しているのか、自分でもよく分からないのです。自分がどうなるのかなんて考えませんでした。自分の行動を自分でうまくコントロールできないというのは、なぜこんなことをしているのか、自分でも説明できない状況なのだと思います。僕の場合は、警察に保護されたり、車にひかれそうになったりしたことで、勝手に外に出て行かなくなりました。――東田さんは、記憶は線でつながっておらず点としてばらばらに存在し、突然思い出されるといいます。そのような時間の感覚を持っていることで大変だと思う点、逆に良いと思っている点等があれば教えてください。大変だと思っているのは「前にやったでしょ」「もう忘れたの?」などと注意されることです。普通の人たちは、これくらい覚えているのは当たり前という前提のもと、僕たちが記憶していないことに対して、叱ったり怒ったりします。けれど記憶というのは本来、意思の力だけでどうにかできるものではなく、脳の機能も関係しているものではないのでしょうか。僕がこんな文章を書けることを不思議に思われる方もいますが、僕が言う「点のような記憶」というのは、記憶が線のようにつながらないだけで、場面ごとの記憶はあるということです。場面としての記憶があれば、言葉や知識そのものは増えていきます。僕の記憶で良かったと思っているのは、過去から現在、どの地点においても、自分という人間の存在感が変わらないことではないでしょうか。小さい頃の自分も今の自分もそれほど変わらないのです。過去に思いをはせ遠い昔を振り返るというよりは、自分がたくさんいるようなイメージです。自分という人間がこの世に無数にいるような感覚は、時間を超越しているとも言えるでしょう。フラッシュバックに怯えることもありますが、もしかしたらこれは、四次元を体感している状態なのかもしれません。――自分の体や行動を制御できない不安はありますか?そのような不安から守るためにしていることがあれば教えてください。僕は、体の機能に問題がないにもかかわらずみんなのように動けない自分のことを、「壊れたロボットのようだ」と表現してきました。大人になった今も、あまり違いはありません。指示に従うことも、集団行動も上手くできないのです。じっとしていることさえ苦痛です。そんな自分を不安に思う気持ちはずっと続いています。特別な対策はしていませんが、失敗してもそれほど落ち込まなくなりました。なんとかなると、自分で自分を励ませるようになったからだと思います。――「人間にどれだけ否定されても、自然は僕を抱きしめてくれる」という表現がありました。東田さんはどのように自然とふれあい、感じてきたのでしょうか。光を浴びれば僕の体は分解し、分子となって周りに飛び散るような感覚になります。風が吹けば風よりも速く走りたくなり、水中に潜れば自分に手足がついているのを忘れてしまいます。僕は自分が人であることが、いまだに信じられません。人の中にいる自分より、自然の中にいる自分の方が安心できるからです。嫌なことがあったら空を眺めます。流れる雲やまたたく星を見ているだけで、気持ちが癒されるのです。自閉症者として、人として、自分に向き合うUpload By 発達ナビ編集部――思ったことを会話で伝えられないことで、人とのコミュニケーションに苦労されてきたと思います。そんななか、人との関わりで癒されたり救われたりした経験はありますか?僕が心から信頼しているのは家族です。僕がここまで元気に生きてこられたのも、家族の支えがあったから。自分が信じた道を歩くことの大切さを身をもって教えてくれた母には、感謝しています。父からは、世の中にはさまざまな価値観が存在するということを教わりました。学校の先生も、僕に優しかったです。僕が友達に笑われることはあっても、いじめられることはありませんでした。先生は僕をいつも気にかけてくれていました。僕が人を嫌いにならなかったのはこのような経験も影響していると思います。僕はコミュニケーションでずっと苦労していますが、人との関わりを拒絶しているわけではありません。むしろ、人にとても興味を抱いています。――人の、どのようなところに興味があるのですか?人はいつも正反対の性質を持って生きています。「善と悪」「やさしさと厳しさ」「期待する気持ちと失望する気持ち」…どんな人もさまざまな一面を持っています。誰でも自分の気持ちに正直に生きたいと願う気持ちと、人として正しくありたいという気持ちの間で揺れ動いているし、それは僕も同じです。だから、そんな思いは自分だけではないと知ることで、僕は未来に希望を感じるのです。僕の悩みも自閉症だからではなく、人として生まれたからだと思えるからです。――映画に出てきたある自閉症の方は、文字盤で意思を伝えられるようになる前の学校教育について、苦い思いを語っていました。東田さんは、受けてきた教育についてどのように感じていますか?僕は小学校時代、5年生まで地域の学校(通常学級)で学びました。ただし、授業中も母がずっと付き添ってくれていました。小学校6年生から中学3年生までは特別支援学校に通い、高校は障害のある生徒も受け入れてくれる通信制の学校に在籍しました。普通の学校も特別支援学校も、一長一短があったと思います。子どもには教育を受ける権利があります。どんな人生を歩みたいのか、学校の選択も含め本人が決められれば理想だと思っています。――東田さんは、どのようにご自身の学校を選択してきたのでしょうか。学校は、基本的に自分で選択してきました。小学校では、とにかくみんなと一緒に勉強したかったです。けれどもだんだん周りが見えるようになり、他の人との違いに気づき始めたのです。自分はいったい何者なんだろうと、思春期の入り口で深く考えるようになりました。みんなとの違いは努力だけではうめられないことも知りました。当時は、みんなのことがまぶしかったです。そこで小学6年生から特別支援学校に転校することを決めました。小学校の卒業まであと1年、せっかくだから頑張ったら?と言われたこともありましたが、将来のためにも、自分で自閉症という障害を受け止めるべきだと思いました。特別支援学校では、自閉症である自分と向き合うことができたと思います。世界中の自閉症者が、自分らしく生きられるように――発達ナビの読者は、主に保護者や支援者です。自閉症など、特性がある人の保護者、支援者に対して伝えたいことがあれば教えてください。当事者にとっては、自分のことを心配し、気にかけてくださる方々の存在が生きる希望につながっています。人が生きるうえで最も大切なものは、希望ではないでしょうか。どうすればできるようになるのかを考えることは大切ですが、そのためにも次も頑張ろうと思えるよう応援をしてあげてください。――映画に出てくる自閉症の人たちを見て、何を感じましたか?僕が気になったのは、やはり自閉症であるために差別されている人たちがいるということです。人は生れながらに平等で誰もが幸せに生きる権利を持っているはずです。そして、幸せかどうかを決めるのは、周りの人ではなく本人だと思います。世界中の自閉症者が自分らしく生きられることを祈っています。そして、これからもどうして差別が起きてしまうのか考えていきたいです。――自閉症のある人とまわりの人たちには、どの様な対話が必要だと思っていますか。また、どの様な人に対話へ加わってほしいですか。特別な対話はいらないと思います。ただ普通の人たちとは少し違う人たちも、社会の中にいることを知ってほしいのです。「どの様な人に対話に加わってほしいですか」というご質問には、「どなたでも」と僕は答えます。――今日はありがとうございました!インタビューを終え、東田さんの繊細かつ独特な感受性と、人に対する温かいまなざしの伝わってくる言葉の数々が印象に残っています。著書では自閉症者の見ている世界観が言葉で的確に表現されていますが、映画では映像と音声で、その世界観を体感することができます。ぜひ鑑賞してみてください。※インタビューは、東田さんにお送りした質問事項に文章で回答していただく形と、オンライン対面で質問してその場で文字盤を使いながら回答していただく形の2つをとりました。この記事は、その両方の回答をあわせて執筆しています。Upload By 発達ナビ編集部東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が原作となった映画、『僕が跳びはねる理由』 が、4月2日(金)より、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開。東田さんが文字でつづった自閉症のある人の感じている世界を、東田さんの言葉と美しい映像とともに描いた作品。アメリカをはじめ、さまざまな国で暮らす自閉症当事者の暮らしや夢、友情などを丁寧に取材している。原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)監督:ジェリー・ロスウェルプロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス/編集: デイヴィッド・シャラップ/音楽: ナニータ・デサイー原題:The Reason I Jump2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch/字幕翻訳:高内朝子/字幕監修:山登敬之/配給:KADOKAWA
2021年03月26日