衆議院議員の野田聖子氏が22日も自身のアメブロを更新。息子・真輝くんが1人でコンビニで購入した品についてつづった。この日、野田氏はブログの更新頻度について「しばらくアップ出来ずの反省」とコメント。「国会は終盤、参議院での法案審議中。与野党問わず、こどもたちへの熱い思いを受け止める毎日です」と近況を報告した。続けて「自宅では、どヤンチャなムスコさんの子育てに迷走してる鉄母なり」と育児に奮闘している様子で述べ、「泣く男笑う男」と真輝くんのそれぞれの様子を写真で公開。「パパ特製自家製マヨネーズのポテサラ、新!」と夫が作った料理について言及し「献立、無限大なり」とコメントした。また「成長の記録」として「本日、パパの小銭を(無断で)もらって、ひとりでコンビニにて茶を購入しました」とペットボトルのお茶を手にする真輝くんの姿を公開し「今後は事前通告を義務化しました!」とつづった。
2022年05月23日衆議院議員の野田聖子氏が14日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんが毎朝やっていることを明かした。この日、野田氏は「ムスコさんは5時起き!今週は、4時起きもあった…」と真輝くんが起床する時間について説明。以前は「起きるやいなや、パパママを道連れにしてた」と述べるも「最近は、ひとりでもそもそ、人工呼吸器や酸素、加湿器の電源オフにして、トイレ行って、テレビの前へ」「椅子に座り、左手にスマホ、膝の上にタブレット」と朝の真輝くんの行動を明かした。続けて、真輝くんが毎朝「ママ…そろそろおきたら…しごと、はやいでしょー」と自身を起こしにきてくれるといい「おかげで毎日、余裕綽々、出勤するよ!」とコメント。「鉄母の目覚まし時計の音源は、ムスコさんのレアな歌声」と説明し「たまには、聴いてみたいなり」とつづった。さらに「最近のムスコさん」と述べ「真剣な顔をしながら、お笑いをみてる」とスマートフォンを見つめる真輝くんの姿を公開。「最近のムスコさん、あんまり笑ってくれない」といい「思春期の入り口かい?」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月15日メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有の妻で元レスリング世界女王の山本聖子さんが11日に自身のアメブロを更新。義父の行動に驚いた出来事を明かした。この日、聖子さんは「母のカフェが無事オープンしました」と報告し「沢山の方からのお花本当に感謝しております」とコメント。「その中に主人のお父様からもありました」と義父から贈られた花もあったそうで「本当にありがたいねって姉と話していた」と明かした。続けて「その30分後に主人のお父さん達が母のカフェまで駆けつけてくれました」と義父が母親のカフェを訪れたことを報告。「ええ!って姉妹でびっくり家族でびっくり」と義父の行動に驚いた様子でつづった。最後に「お父さんからは父と母の写真などが送られてきました」と義父から送られてきたという父親で元レスリング五輪代表の山本郁榮氏の写真を公開。「本当に嬉しいサプライズありがとうございました」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「オープンおめでとうございます」「素敵なサプライズ」「嬉しいですね」などのコメントが寄せられている。
2022年05月13日メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有の妻で元レスリング世界女王の山本聖子さんが10日に自身のアメブロを更新。ダルビッシュへの態度を反省した出来事を明かした。この日、聖子さんは「怒涛の週末を乗り越え平和な月曜日に週末を振り返る」と切り出し「母の日のプレゼントもう一つありました」「試合から帰ってきた主人からお花」と試合帰りのダルビッシュから花をプレゼントされたことを報告した。一方で、娘について「何故か深夜に2時間起きたり」と述べ「数分置きに水を要求。サングラスしてお喋り、サングラス無くす、サングラスどこ?!とママに探させるwの繰り返し」と説明。寝不足の中、子ども達を公園にも連れて行ったりしていたといい「ゾンビの様だった私ボソっとありがとうと言っただけ。。」とダルビッシュにそっけない対応をしてしまったことを明かした。また「夜寝る前にやっと疲れが取れたか眠気が取れたか自分の態度を振り返り反省」とダルビッシュへの態度を反省したことを明かしつつ「それでもずっと優しかった」とコメント。最後に「メッセージで再度お礼をしました」と述べ「ありがとうを表現する余裕がなかった」と申し訳なさそうにつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月10日衆議院議員の野田聖子氏が6日に自身のアメブロを更新。食事ができない息子・真輝くんの代わりにしたことを明かした。この日、野田は「こどもの日」というタイトルでブログを更新し、真輝くんについて「精力的に思い出作り。ママと女子プロサッカーパパとはプロ野球」と説明。「そして…念願の…富士スピードウェイ!」と静岡県『富士スピードウェイ』に足を運んだことを報告した。続けて「出来なくても、観ること、がモットー」と述べつつ、自身について「かなりグロッキー」と告白。「こどもが主役、ですから」とコメントし「こどもの日、食事出来ない彼に代わって、もぐもぐしましたぁ」と報告した。また『富士スピードウェイ』で撮影した真輝くんの写真を複数枚公開。最後に「もう無理、寝るわ~」という真輝くんのセリフを明かし「まだ、8時前なり。寝る子は育つ!」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月06日衆議院議員の野田聖子氏が5月1日に自身のアメブロを更新。緊急事態が発生した際の息子・真輝くんの反応をつづった。この日、野田は「連休。とはいえ、ムスコさんは明日とか6日とか、小学校へ行く。だから、自宅近辺での、思い出作り」と述べ「初日は、鉄母の日帰り出張に同行、神戸。女子プロサッカーのスタジアムにある、音に過敏なこどもたちのための観戦ルーム視察」と説明。「あわせて、プロになることでの女性たちの経済的自立の取り組み」とつづり、スタジアムでサッカー観戦をする真輝くんの様子を公開した。続けて「ちょっと我が家では緊急事態が発生したけど、パニックにならず落ち着いてるムスコさんに安堵」と報告。「パパなし2人旅もどうにか、こなせるように」と述べつつ「帰りの飛行機、揺れたんで、ずっとママの手をぎゅっと握り続ける彼は、まだまだベイビー!」と明かした。さらに「チャンピオンと!」と元サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の澤穂希さんと真輝くんの2ショットを公開し「ママもサッカー選手だったことを、君は知らないが…」としみじみコメント。「仕事は疲れるにゃ、移動中の爆睡!」と爆睡中の真輝くんの写真とともにつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月03日「聖子さんは5月に大阪で開催されるディナーショーに向けて、ボイストレーニングなどの準備に励んでいるそうです」(音楽関係者)4月9日と10日に都内のホテルで開催されたディナーショーで歌手活動を再開した松田聖子(60)。昨年12月に娘の神田沙也加さん(享年35)が急逝して以来、初めてファンの前に姿を見せた聖子だが、万感の思いでステージに立ったようだ。「ディナーショーの冒頭でのMCで聖子さんは、ファンへの感謝を述べ、心配をかけたことを謝罪。そして声を震わせながら沙也加さんとの思い出を振り返り、『私は沙也加の歌声が大好きでした。今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています』と語っていました。その後、’11年の『NHK紅白歌合戦』で母娘共演した際に歌った曲、坂本九さんの『上を向いて歩こう』を涙ながらに歌い上げました」(ディナーショーを訪れた客)ディナーショーを終えると、6月からは全国ツアーも予定されている。「3月に配布されたファンクラブの会報で、聖子さんは『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』と明かしていました。ツアーでは’11年のカウントダウンライブでデュエットした『瑠璃色の地球』や、『冬の妖精』を歌う構想があるといいます。また沙也加さんがデビュー前に作詞した『恋はいつでも95点』や、沙也加さんが作詞に加えて作曲も担当した’06年の『bless you』なども候補に挙がっているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出とともに再び歌手として歩み始めた聖子。ファン待望の計画も進んでいるという。「年末には毎年恒例のディナーショーを開催する方向で調整が進んでいます。さらにこのディナーショーに向けて聖子さんは新曲を準備するつもりだとか。自身が作詞・作曲を手がける予定でいるそうです」(前出・音楽関係者)’80年にレコードデビューしてから、コンスタントにシングル曲を発表してきた聖子だが、’16年以降はリリースが途絶えていた。「聖子さんはすでに曲作りに着手していると聞いています。沙也加さんに対する思いや、母娘の思い出などを歌詞に込めた作品になるといいます。同時に6年ぶりのシングルとして発表することも検討を重ねているそうです。ディナーショーが行われるのはちょうど沙也加さんの一周忌の時期になるはず。ファンクラブの会報には、『沙也加は私が前に進むことを望んでいると思う』と聖子さんは綴っていただけに、前に進んだ自分の姿を見せたいという思いもあるのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)愛娘との“歌姫の契り”に突き動かされ新曲制作を決意した聖子。彼女が沙也加さんに向けた曲を作るのは今回が初めてではない。’97年に娘への思いを込めたシングル『私だけの天使~Angel~』を作詞・作曲している。もし、新曲が誕生すれば、25年ぶりのこととなる。「『私だけの天使』は神田正輝さん(71)と離婚した3カ月後にリリースされた曲です。聖子さんは当時、自らのプライベートを明かすことはほとんどありませんでした。そんななか『私だけの天使』の歌詞には、家に帰ったらパジャマ姿の沙也加さんが笑顔で出迎えてくれたことや、疲れたときに肩をなでてくれたことが描写され、支えてくれる娘への感謝が歌われていました。娘を題材にした曲だと判明したときは熱心なファンから驚きの声が上がりました。聖子さんは神田さんと離婚したことで、相当なショックを受けたそうです。そんな聖子さんにとって、当時唯一の支えが沙也加さんでした。娘への思いを込めた歌を作ることで、離婚の傷心から癒されたといいます」(前出・音楽関係者)■去年のぶんも歌う…母娘思い出の紅白へ今回の沙也加さんにささげる新曲の制作は、今の聖子の心を救う“リハビリ”になっているのではと、前出の音楽関係者は言う。「聖子さんはディナーショーの本番直前に沙也加さんも使用していたスタジオを訪れました。思い出に触れることで、沙也加さんに力を借りようと思われたのでしょう。そんな聖子さんが今回、沙也加さんに贈る曲を作ることは、楽しかった日々をしのぶとともに、自分の考えや感情を整理することにつながると思います」愛娘への“鎮魂歌”の準備に励む聖子だが、その新曲をどうしても披露したいと望んでいる場所があるようだ。「昨年、出演できなかった『NHK紅白歌合戦』です。もろもろの調整もしつつ、ぎりぎりまで聖子さんが出場する方向で話が進んでいました。ですが、やはり気持ちの切り替えは難しく、最終的に聖子さん自身が歌えないと判断して辞退することになったのです。聖子さんはそのときに気持ちをくんで対応してくれたNHKに感謝しているそうです。『去年歌えなかったぶんも歌いたい』と今年の出場を熱望しているといいます」(NHK関係者)さらに、紅白は沙也加さんとのかけがえのない時間が詰まった大切なステージだ。’11年に紅白初出場にして母娘共演が決定した際のインタビューで沙也加さんは、「母は本当におめでとうと何度も言ってくれてハグしてくれた」と親子で喜びを分かち合ったことを明かしている。「’14年の紅白で沙也加さんが『Let It Go』を歌っているところを見て、聖子さんは号泣していました。そんな思い出が詰まった舞台にもう一度“ふたり”で立つことは、聖子さんにとっても意義深いものとなるはずです。還暦を迎えた節目の年ということもあって“大トリ”で出場する可能性も十分あると思います」(前出・NHK関係者)「沙也加へ届け」、その一心で聖子が歌う新曲なら、日本中の人々の心を震わせることだろう。
2022年04月26日衆議院議員の野田聖子氏が24日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんのマイブームを明かした。この日、野田氏は「夕方、帰京」と述べ、真輝くんの迎えに行ったことを報告し「たった1日会えなかっただけなのに、彼の顔みたら、嬉しい…」としみじみコメント。「パパからの贈り物」と夫から貰ったスニーカーの写真を公開し「お揃い22センチと23.5センチ。いつの間にか、デカくなってる!」と驚いた様子でつづった。また、真輝くんについて「最近、マイブームはバイクのヘルメット」と明かし「まずは、ジュニア仕様」とヘルメットを被った真輝くんの姿を公開。「まだ、買わないよ~バイクないからさ」と真輝くんに呼びかけ「ちゃんと、マナーを守ってかぶりもの、ですね」と述べ、ブログを締めくくった。
2022年04月25日メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有の妻で元レスリング世界女王の山本聖子さんが20日に自身のアメブロを更新。シーズン中のダルビッシュのためにしていることを明かした。この日、聖子さんは「旦那さんが家にいる(シーズン中)我が家の朝」と切り出し「起きて朝ごはん食べて出発までは全て寝室で行います」と朝の様子を告白。「旦那さんの睡眠を守るために」「その方が子供達も注意されないし、私もハラハラしないから」と理由を明かした。続けて「今の家はとても私達の生活に合った動線」と述べ「ありがたい」としみじみコメント。長男について「朝7時までには自分の事を90%済ませて弟妹を見るために寝室に来てくれる」と明かし「その間に朝ごはんお弁当、スナック、水筒の用意を母がキッチンでできるという仕組み」と説明した。最後に「今日は給食の申し込み忘れもなく子供達の忘れ物もなく無事に家に戻り」と述べ「くうちゃんれいちゃんとベッドでしばらくゆっくり」と愛犬達の写真を公開。「よしお風呂にでも浸かろ」とコメントし、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素晴らしい」「緊張感が伝わります」「聖子さんすごい」「応援しています!」などのコメントが寄せられている。
2022年04月22日衆議院議員の野田聖子氏が16日に自身のアメブロを更新。新型コロナウイルス感染から回復し現状を報告した。9日のブログで、野田氏は自身と息子・真輝くんについて「去る1日に陽性後、5日には投薬終わりました」と明かし「症状ありません。毎日、平熱、異常なし」とコロナ感染後の経過を報告。8日に真輝くんが受診したところ「OKでました」といい「異変なければ、12日から、鉄母は国会復帰、ムスコさんはやっと6年生として学校復帰」と今後のスケジュールをつづっていた。この日は「しっかり元気取り戻し、親子再稼働中」と近況を報告。真輝くんについて「6年生の漢字の宿題に、連日四苦八苦…」と明かし、自身については「延期してもらったこども家庭庁設置法の来週からの審議に向け、準備中…」と説明した。続けて「互いに遅れを取り戻すため、毎日、マックス生きています」とつづり、真輝くんとの2ショットを公開。「たくさんの方々からの、お見舞い、励まし、支援に心から御礼申し上げます!」と感謝を述べ、ぬいぐるみを抱く真輝くんの写真とともに「マリオがいつもベッドで一緒。おかげで治りが早かったかもね」と嬉しそうにつづった。また「何はともあれ、まずは健康管理」と述べ「幸い後遺症なく」と安堵した様子でコメント。最後に「夫特製のナポリタン!」と夫が作った料理や「千葉県出張のご褒美。好物の落花生シリーズ」と菓子などの写真も公開し、ブログを締めくくった。
2022年04月17日2022年4月14日、モデルでタレントの滝沢カレンさんが自身のInstagramを更新。昭和の時代に流行した『聖子ちゃんカット』を披露し話題を呼んでいます。滝沢カレンの聖子ちゃんカットに「誰?」の声も『聖子ちゃんカット』とは、その名の通り、歌手の松田聖子さんがデビュー当時にしていた髪型のこと。松田さんの人気を表すかのように、当時の若い女性の間で『聖子ちゃんカット』が流行しました。滝沢さんは、雑誌の企画で『聖子ちゃんカット』をはじめ、さまざまなヘアスタイルを披露。地毛ではなくウィッグを使用した撮影だったとのことで「1日に数人の人生になれた気がします」とつづっています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 滝沢カレン/KAREN TAKIZAWA(@takizawakarenofficial)がシェアした投稿 人気モデルとしてさまざまな雑誌で活躍している滝沢さんですから、どんな髪型も似合ってしまうのは「さすが」のひと言。バラエティ番組での滝沢さんとは大きく異なる印象に、ファンからは「一瞬、誰なのかが分からなかった」と驚くコメントも寄せられました。・パッと見、誰か分かりませんでした!すごく素敵です。・髪型だけで、こんなに変わるのですね…。・聖子ちゃんカットの写真、どなたなのか識別できず思わず確認しました。独特ないい回しなど、少し不思議な日本語でタレントとしてもブレイクした滝沢さん。しかし、写真の中でさまざまな表情を見せる滝沢さんの姿は美しく、モデルであることを改めて実感させられます![文・構成/grape編集部]
2022年04月15日「チケットは発売と同時に即完売。落ち込んだ様子を見せることなく歌い上げた聖子さんに多くのファンが涙を流していました。聖子さんはMCで沙也加さんのことについて『今でも信じられない』と語りながらも『私は沙也加の歌声が大好きでした』と話す表情はとても穏やかでした」こう語るのは、4月9日に都内で行われたディナーショーの会場にいた長年の聖子ファン。松田聖子(60)が約4カ月ぶりにステージに戻ってきた。愛娘・神田沙也加さん(享年35)が昨年12月18日に急逝して以来、音楽活動から遠ざかっていた聖子だが、3月7日に歌手活動再開を発表。昨年末に中止したディナーショーの振替え公演を4月と5月に行い、6月からは5会場を回る全国ツアーも予定している。歌手復帰に際して、聖子は新たな決意を述べていた。「聖子さんは活動再開発表と同じタイミングに送付したファンクラブの会報誌で、沙也加さんへの思いを綴っています。そこでは、沙也加さんを失った行き場のない悲しみを吐露しつつも、“沙也加は心の中で永遠に生き続ける”と思い直し、再びステージに立つ覚悟を決めたことが書かれていました」(前出のファン)そうして迎えた復帰初舞台のディナーショー。聖子は入念な準備をして、臨んでいたという。「活動再開が決まってから聖子さんは気持ちを切り替え、ボイストレーニングなどを再開し、急ピッチで準備を進めていたといいます。ファンに少しでも楽しんでもらうため、ディナーショー直前には連日、ショーのスタッフを自宅に招き、綿密な打ち合わせを重ねていたそうです」(音楽関係者)本誌もディナーショーを成功させるべく奔走する聖子の姿を目撃している。本番数日前の4月上旬。聖子は自宅からほど近い都内の撮影スタジオAを訪れていた。「60年以上の歴史を持つ老舗スタジオです。スチールから動画まで幅広く対応しており、多くのアーティストから重宝されています。聖子さんもサンミュージックから独立した’89年ごろから現在まで愛用しており、神田正輝さん(71)との離婚発表会見もここで行っていました」(音楽関係者)このスタジオA、聖子にとってただの撮影場所ではない。沙也加さんとの“思い出”が詰まった大切な場所なのだ。長年、聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「私がスタジオAで聖子さんと沙也加さんを見たのは、沙也加さんがSAYAKA名義で歌手デビューした’02年ごろでした。芸能界に入ったばかりの沙也加さんが、大先輩でもある聖子さんの仕事ぶりを見学しにきていたのだと思います。印象的だったのは、沙也加さんがスタジオで少しはしゃいだときに、聖子さんが“遊びじゃないんだから!”と注意したんです。その後、すぐ聖子さんは衣装を着て歌の撮影に入ったのですが、その様子を見た沙也加さんは小さな声で“カッコいい……”と漏らしていました。母として怒った後に“歌手”になった聖子さんを見て思わず口に出たのでしょう」その後もスタジオAでたびたび聖子と沙也加さんの姿を見たというYAHIMON氏。驚くことに、2人の間にですきま風が報じられていたときも、スタジオAで“秘密の交流”が続いていたという。「沙也加さんが結婚式を控えていた’17年5月初旬の話ですが、聖子さんがスタジオAでコンサートの準備をしていたところに、沙也加さんがフラッとやってきたのです。どうやら沙也加さんはお菓子の差し入れを持ってきていたようで、聖子さんは“うれしい!”と感激した様子でした。不仲がささやかれていた時期なので、2人の周囲から離れるスタッフもいましたが、聖子さんと沙也加さんは気にせず話していました」母娘の“思い出”がつまったスタジオをディナーショーの本番直前に訪れ、歌手として再始動した聖子。沙也加さんとの“約束”を果たすべく、前を向いているようだ。「6月からのツアーでは、沙也加さんとの思い出の楽曲を歌う予定でいるといいます。’11年末のカウントダウンライブで沙也加さんとデュエットした『瑠璃色の地球』や沙也加さんが13歳のときに作詞した『恋はいつでも95点』などが候補に入っているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出を胸に、聖子はふたたびステージに立つ――。
2022年04月12日松田聖子(60)が4月9日、ディナーショーで復活を果たした。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35歳)を亡くした聖子。『日刊スポーツ』によると「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌って参ります」と涙ながらに宣言し、’11年の『NHK紅白歌合戦』で沙也加さんとデュエットした『上を向いて歩こう』を熱唱したという。本誌は“歌手・松田聖子”が復活するまでの姿を目撃してきた。今年1月下旬、沙也加さんの四十九日を目前に控えた聖子は完全予約制の美容院に訪れていた。「沙也加さんが亡くなってから、聖子さんはふさぎがちになっていました。自宅から出ることはほとんどなく、沙也加さんの遺骨を眺めてばかりいたそうです。しばらく自分の身なりを気にする余裕もなかった聖子さんにとって、一つの“節目”を前に髪を切ることは大事な意味があったでしょう」(知人)1月30日には、沙也加さんの四十九日法要が営まれた。実母である一子さんや夫のK氏とともにワゴンから姿を現した聖子。うつむきながらも、落ち着いた足取りで寺へと向かっていった。「実はこのお寺、Kさん一族の菩提寺なんです。聖子さん一族の眠る福岡のお墓で法要を行うこともできたはずですが、新型コロナの感染が拡大するなか、親族一同で遠出するのはリスクが高い。聖子さんは『1人でも多くの親族に来てほしい』と考えていたため、最善の選択肢としてこのお寺を選んだのでしょう」(前出・知人)そして3月上旬、聖子は“思い出の地”を訪れていた。それは、老舗のデパートだ。「このデパートは聖子さんの自宅から近いこともあり、数十年にわたって贔屓にしているところ。コンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほどです。 そして沙也加さんが幼いころから、このデパートに2人でたびたび足を運んでいたと聞いています」(音楽関係者)沙也加さんとの縁も深いデパートで、しっかりとした足取りを見せていた聖子。活動再開を発表したのはその直後、3月7日のことだった。「ファンクラブの会報で聖子さんは『“もう前に進めない”と思ったこともあった。でも、沙也加との思い出を振り返るうちに、“悲しんでいるだけではいけない”と思うようになった』と明かしていました。前向きな決意をしたことで、ようやく今回のディナーショーは開催されたのです」(前出・音楽関係者)再び歌い始めた聖子。その美声を、沙也加さんも喜んでいるはずだ。
2022年04月11日2022年4月9日、歌手の松田聖子さんが、東京都内のホテルで、ディナーショーを開催しました。2021年12月18日に、娘であり、俳優や歌手として活躍していた神田沙也加さんが、35歳という若さで急逝。松田さんは、同月31日の歌番組『紅白歌合戦』(NHK)の出演を辞退し、自身の公演を中止するなど、活動休止状態が続いていました。約4か月ぶりの活動となる、ディナーショーの冒頭で、松田さんは沙也加さんについて、このように想いを語っています。ステージ序盤、「私の娘は天国に旅立ちました。突然のことで現実を受け止められず…今でも信じられない気持ちです」と報告。「沙也加は小さな頃から歌が大好きでした。おもちゃのマイクを持ち、私の『Rock’nRouge』を歌っていました。それが昨日のようです」と振り返った。サンケイスポーツーより引用その後、「私は沙也加の歌声が大好きでした。今も彼女の歌声は私の中に響いています」と、涙をこらえながら天井を見上げた、松田さん。続けて、「これからも皆さんの温かい応援を胸に、感謝の気持ちを忘れずに、この先もずっと頑張って…沙也加と歌ってまいります」と語りました。松田さんの言葉に、ファンからは約30秒間の温かい拍手が送られています。松田さんの活動復帰について、さまざまな声が上がりました。・心の傷は、ずっと癒えることはないのだろうと思います。それでも『松田聖子』として立ち上がる姿に涙が出ました。・深い悲しみの中、中止していたディナーショーから再開するところが、さすがプロだと思いました。ずっと応援しています。・親として、我が子を失うことほど、つらいものはない。心が壊れてしまわないよう、無理はしないでほしい。・まずは1歩を踏み出すことができたのですね。本当にすごいと思います。悲しみは尽きないけれど、前を向こうとする姿を応援したい。今後、2022年5月に大阪府のホテルでディナーショーを、また、同年6月からは全8公演の全国ツアーに臨む、松田さん。癒えることのない深い悲しみを抱きながらも、再出発した松田さんを、多くの人が応援しています。[文・構成/grape編集部]
2022年04月11日衆議院議員の野田聖子氏が9日に自身のアメブロを更新。新型コロナウイルスに感染した息子・真輝くんのその後の様子を報告した。4日のブログで、野田氏は「1日の朝、前の晩から少し咳がでていました」と述べ「自宅で抗原検査したところ陽性。PCR検査をし、陽性。自宅療養となりました」と説明。「同日、ムスコさんも陽性。夫はその後、陽性」と真輝くんと夫の感染も判明したことを明かしていた。この日は、自身と真輝くんについて「去る1日に陽性後、5日には投薬終わりました」と明かし「症状ありません。毎日、平熱、異常なし」とコロナ感染後の経過を報告。8日に真輝くんが受診したところ「OKでました」といい「異変なければ、12日から、鉄母は国会復帰、ムスコさんはやっと6年生として学校復帰」と今後のスケジュールをつづった。続けて「現在、ムスコさんの有り余るストレスとのバトル」と近況を報告し「なだめたり、笑わせたり、叱ったり…仕事の電話には、必ずからんできます」と説明。一方で「ま、やむを得ない」とコメントした。また「ママのまねして、テレワーク」とタブレットを見つめる真輝くんの様子や「つまらんよー」と床に寝転がる真輝くんの姿を公開。さらに「パパのまねして、ゲーマー」とゲームのコントローラーを左手で操作する様子も公開し「左手だけでは、なかなか完走出来んね、残念」とコメントした。最後に「お、やっと寝てくれそう…」とベッドで横たわる真輝くんの写真とともに報告。「明日もおうちで、あばれるクンでも、元気だから、よし」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年04月10日メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスにトレードで移籍したダルビッシュ有の妻で元レスリング世界女王の山本聖子さんが5日に自身のアメブロを更新。ダルビッシュと相談し決めたことを明かした。この日、聖子さんは「夕方にサンディエゴから車でアリゾナに着きました」と報告し「実は今年はMLBがロックダウンしたりで、キャンプも通常より短い日程」と説明。ダルビッシュと相談し「この短すぎる期間で子供達が学校を移るのはより大変なるだろう」と思ったそうで「今年は私と子供達はサンディエゴにいました」と明かした。続けて「車でサンディエゴからアリゾナに子供達と会いに来てます」とダルビッシュに会いに足を運んだことを説明。大量の荷物の写真とともに「前回も今回も食材や調味料を抱えて」と述べ「できる限りパパにご飯を」とコメントした。また「子供達の楽しみにしてる野球の練習の予定も日曜日までしっかりとこなしてから」と滞在中の予定を明かし「今日からアリゾナで少しゆっくりのんびり過ごします」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「最良の選択されたんですね」「素晴らしい!!」「今夜はゆっくりご家族でお過ごしください」などのコメントが寄せられている。
2022年04月06日衆議院議員の野田聖子氏が4日に自身のアメブロを更新。新型コロナウイルスに感染した息子・真輝くんの容体が安定したことを報告した。この日、野田氏は「4月1日、新型コロナウィルスに感染」と自身が新型コロナウイルスに感染したことを明かし「同居の夫、息子も、陽性でした」と報告。真輝くんについて「容態が安定してきた」といい「このブログを通じて、たくさんのお見舞いに感謝し、私の不在を支えてくれている皆さんに御礼申し上げます」と感謝をつづった。続けて、自身について「1日の朝、前の晩から少し咳がでていました」と述べ「自宅で抗原検査したところ陽性。PCR検査をし、陽性。自宅療養となりました」と説明。「同日、ムスコさんも陽性。夫はその後、陽性」と真輝くんと夫の感染も判明したことを明かした。さらに「1日、2日は高熱と全身の痛みで動けません。3日から微熱と倦怠感」と症状について説明。真輝くんについては「最初無症状」と明かすも、その後に高熱を出したといい「自分のことより、こどものことが心配で、なんともならん日々」と回想。「今日、ようやく親子とも拷問から解放された感じ」と現状を報告した。また、真輝くんの主治医からは「大丈夫」と言われたことを明かし、自身と夫についても「的確な処方で、快方へ向かっています」と説明。最後に「がんばろう、あと少し」と前向きにつづり、ブログを締めくくった。
2022年04月05日メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスにトレードで移籍したダルビッシュ有の妻で元レスリング世界女王の山本聖子さんが29日に自身のアメブロを更新。三男に出た不調のサインについてつづった。この日、聖子さんは「今日は三男のくちびるに出来物が…」と切り出し「本人は至って元気ですが、コレは不調のサイン」とコメント。「完全に体調崩れる前に幼稚園お休みさせました」と報告し「不調のサイン見逃して風邪まで行ってしまうこともあるけど、我が家はなるべく分かり次第できる限りその手前の不調のサインで休ませます」とつづった。続けて「風邪引くと数日かかるけどその手前で休めたら風邪の時より休む日も短いから」と説明し「そんな今日はゆっくり三男とデート」と三男と出掛けた様子を公開。「ゆっくり誰もいない公園に行きゆっくり遊び自然に癒されランチも外でゆっくり食べました」と明かした。最後に「楽しかった」と満足そうにコメントし、ブログを締めくくった。
2022年03月30日衆議院議員の野田聖子氏が26日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんが5年生を修了し感涙したことを明かした。この日、野田氏は「ムスコさん、迷走しながらも、無事に5年生終わりました!」と報告。「鉄母がよろけてばかりなんで、夫、学校の先生方、福祉や医療のみなさん、岐阜や東京の仲間たちが彼を支えてくれました!」と感謝をつづった。一方で、真輝くんについて「本人はしれっとしてます」と述べつつ「鉄母は感涙」と自身は涙したことを告白。「え?もうすぐ6年生…」と感慨深い様子でつづった。続けて「ママとのデートキッザニア!」とコメントし、真輝くんと子ども向けの職業体験型テーマパーク『キッザニア』に足を運んだことを報告。警察官の衣装を着用した真輝くんの姿を公開し「あなたのおじいちゃん、警察官だよ」と呼びかけた。また「ガソリンスタンド勤務!」と述べ、サービススタッフの衣装を着用し仕事をする真輝くんの様子も公開。最後に「シメはやはり、バス乗車」とバスを待つ真輝くんの様子とともに「撮影担当の鉄母、疲労困憊なり」とコメントし、ブログを締めくくった。
2022年03月27日衆議院議員の野田聖子氏が20日に自身のアメブロを更新。切なかった息子・真輝くんの一言を明かした。この日、野田氏は「三連休」と切り出し「初日は、徳島県出張」「2日目は、ラジオ録音」「3日目は、母子の時間、の予定」とスケジュールを説明。真輝くんについて「学期末だから、持ち帰り荷物多い」といい「ガシャガシャになってるから、整理整頓」と報告した。続けて、真輝くんが「学童で、誰かに、ばかっていわれた…」と呟いたそうで「せつないよ」と吐露。「ともに、上を向いて歩こうぜ!」と前向きにつづった。また「鉄母、テレワーク中」とテレワーク中の自身と真輝くんの2ショットを公開し「そばで邪魔しない君が、好き」とコメント。「ツンデレだけど、最強の彼氏です!」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月21日昼下がり、都心から少し離れた閑静な高級住宅街にある老舗デパートの地下駐車場に車が止まる。中から現れたのは松田聖子(60)。聖子はブラウンを基調としたチェック柄のコートに身を包み、化粧っ気はない。しかし、その表情はどこか決意に満ちた様子。そして、聖子はしっかりとした足取りで愛娘との思い出が詰まった“聖地”へと歩いていった――。神田沙也加さん(享年35)が突如、この世を去ってからまもなく3カ月。父の神田正輝(71)はMCを務める情報番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)への出演を休むことなく気丈に続け、2月5日にはファンが沙也加さんに追悼メッセージを送ることのできるウェブ上の専用ページが開設された。いっぽう聖子は昨年12月21日に札幌で行われた葬儀後に報道陣の前でコメントして以降、一切の芸能活動を休止。しかし、百日忌も迫る3月7日、ついに沈黙を破る。歌手活動を再開するのだ。「聖子さんは公式サイトで昨年12月に中止した東京と大阪でのディナーショーの振替公演を4月と5月に行うことを発表。8日には、6月から5会場で全国ツアーをスタートすることも明らかになりました」(芸能関係者)本誌は聖子が復帰するまでの一部始終を目撃している。1月30日に都内の寺院で営まれた沙也加さんの四十九日法要に聖子は実母の一子さんや神田らと参列。その数日前には、完全個室のサロンで髪を整えていた。そうした道程を経て、復帰を宣言した聖子。活動再開発表と同時に届きはじめたファンクラブの会報誌で、聖子は秘めていた胸中を明かしている。あるファンは言う。■「もう前に進めない…」「会報誌では4ページにわたって、沙也加さんを失ってからの聖子さんの生活や今の率直な気持ちがつづられています。聖子さんには沙也加さんがもういないことを今でも信じられないという気持ちがあり、“もう前に進めない”と思ったこともあったそうです。しかし、沙也加さんとの思い出を振り返っていくうちに、“私が悲しんでいるだけではいけない”と思うようになり、活動再開を決意したといいます。終盤では、ツアーでファンに会えることに対して“こんなにうれしいことはありません”とも書かれていました」長年にわたって聖子を取材し、会報誌も読んだという芸能リポーターの城下尊之さんは、聖子の気持ちをこう分析する。「聖子さんは声が出ないときは喉に直接注射を打ち、コンサート中に暴漢に襲われた後も休むことなくステージに立ち続け、どんな時でも『松田聖子』を完璧に表現してきました。そんな聖子さんでも、今回の沙也加さんの件で紅白出場を辞退し、活動も休止しました。ここ数年少し距離を置いて見守り続けてきたなかで、沙也加さんが亡くなってしまったことは、さすがの聖子さんにも耐えきれず、前を向くまでにこれだけの時間を要したのでしょう」今も深い喪失感を抱えながらふたたび歩き始めた聖子。そんななか、冒頭のシーンを目撃したのは、活動再開を発表する直前の3月上旬の週末。聖子が訪れた老舗デパートは、彼女の芸能生活には欠かせない大切な場所だという。「自宅から近いこともあって、数十年にわたって贔屓にしているデパートで、聖子さんもコンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほど。常に注目を集める聖子さんにとって、ここでの買い物は数少ないリフレッシュできる時間で、行き詰まったときにもよく訪れていたそうです」(前出・芸能関係者)そして、幼い沙也加さんを連れていくこともしばしばあったと、前出の城下さんは言う。「聖子さんは沙也加さんが幼いころからよく2人でこのデパートに行っていたと聞いています。当時、多忙を極めていた聖子さんですが、沙也加さんと買い物している間は、貴重な母娘2人だけの時間だったのではないでしょうか」■「これからは沙也加と一緒に歌っていく」活動再開宣言の直前に思い出が詰まった“母娘の聖地”を訪れた聖子。当時の記憶をたどることに“再出発の誓い”が込められていると、音楽関係者は言う。「会報誌には、歌手としての沙也加さんへの気持ちも書かれています。聖子さんも沙也加さんの透き通ったまっすぐな歌声が大好きだったと明かし、志半ばで歌手活動を終えた沙也加さんの無念に思いをはせています。そして、続ける形で聖子さんは“これからは沙也加と一緒に歌っていく”とつづっていました。活動再開を決断したものの、まだまだ聖子さんの悲しみは癒えておらず、以前と同じように歌えるのかという不安もあると思います。そんななか、発表直前に沙也加さんとかけがえのない時間を過ごしたデパートに行き、在りし日の思い出に触れることで、自らの気持ちを整理していたのではないでしょうか」東日本大震災が起こった’11年の『NHK紅白歌合戦』に沙也加さんと出演し、2人で坂本九さんの『上を向いて歩こう』を披露した聖子。前出の音楽関係者はふたたびの“母娘共演”にこう期待を寄せる。「聖子さんは紅白での共演をとても喜んでおり、またいつか2人で一緒に歌いたいとずっと願っていたといいます。2人でステージに立つことはもうできませんが、今後、聖子さんが沙也加さんの歌っていた曲を自身のコンサートで歌うこともあるのではないでしょうか」思い出のデパートで母娘の永遠の絆を再確認し、ステージに上がる決意を新たにした聖子。10日に還暦を迎え、まさにメモリアルツアーとなる。沙也加さんの思いを乗せた歌声が響き渡る日はすぐそこだ――。
2022年03月16日衆議院議員の野田聖子氏が14日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんが大学病院で検査した結果を報告した。この日、野田氏は「先日、大学病院での検査」と真輝くんが検査を行ったことを明かし、検査項目について「心電図胸部レントゲン超音波エコー検査」と述べ「今回は合格!ついでに体重も増加!」と報告。「ホッとしました…」と安堵した様子をつづった。一方で「相変わらず、気管切開、胃ろう、人工呼吸器とはお別れ出来ませぬ」と述べるも「よしとしよう」とコメントした。また「鉄母は、国会で、委員会あちこち、です」と自身の近況を明かし「あちこちガタもきてますが、ムスコさんの歌声で癒されます…」「いや、惑わされるかな?」とお茶目につづった。最後に「彼の休日…ママの仕事お手伝い、らしい」と真輝くんの休日の過ごし方について述べ、「爆睡の二人。お互い、どうにか、頑張ってるよね」と車中で眠る自身と真輝くんの姿を公開した。
2022年03月15日「聖子さんは常に“松田聖子”なんです。レコーディングの休憩中でもオフモードにならない。決してスイッチを切らないからオーラが醸し出されるのかもしれません。でも、意識して作っている感じはない。自然な振舞いなんです。こちらからすると、富士山の頂上を仰いでいるような気分でしたね」聖子の不変のアイドル性をそう証言するのは、アルバム『Baby’s breath』(’07年)などに携わった、歴代編曲家シングル総売り上げ2位の記録を持つ船山基紀氏(71)だ。3月10日、松田聖子(60)が還暦を迎えた。デビューから現在までアイドルを全うし続ける彼女の原点をたどると「修学旅行撮影禁止事件」や「ウソ泣きの真実」など新証言が次々と飛び出した――。アイドル・松田聖子の誕生には幾多のドラマが重なっていた。’78年4月、「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州地区大会で優勝。カセットテープで歌声を聴いたCBS・ソニーの若松宗雄ディレクターは素質にほれ込み、いくつかの芸能事務所に声を掛けたが、色よい返事がもらえない。そこで翌年、若松氏は桜田淳子などを輩出していた「サンミュージック」に写真とカセットテープを持参した。同社の名誉顧問である福田時雄氏(91)が振り返る。■「カセットデッキ持参で単身上京の度胸が気に入った」「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。’80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成した。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね。その後に聖子一人で福岡から事務所に乗り込んできた。その度胸も気に入りました」聖子は持参したカセットデッキのボタンを押して歌い、高評価を得る。今度は、福田氏が芸能界入りに猛反対する公務員の父親を口説くため、実家まで飛んだ。「父親は『一人では上京させられない』とかたくなでしたが、『社長の自宅で面倒見ます』と説得したら折れてくれました。不思議なことに、家族が反対するコのほうが芸能人として伸びる。聖子が紅茶を運んできたとき、テーブルに置いた後もお盆を胸に抱いたまま廊下に正座していた。父親が許すまでは絶対に動かなかった。教育が行き届いている家だと感じました」同じころ、サンミュージックの先輩である渋谷哲平(60)は福岡・久留米でサイン会をしていた。その休憩時間に聖子と福田氏が一緒に楽屋を訪ねてきた。渋谷は言う。「福田さんから『今度ウチに入る蒲池法子ちゃんだよ』と紹介され、近くの喫茶店から出前を取った。僕らは紅茶にしたんですけど、聖子さんは確かクリームソーダかパフェを頼んだんです。普通の人だと『私も同じで』と周りに合わせるけど、初対面で堂々と自分の食べたいものを言える。芯のあるコだなとすごく記憶に残りました」事務所入りは決まったが、サンミュージックには「新人は1年に1人」という方針があった。「来年春のデビューは無理だから、高校を卒業したら東京にいらっしゃいと伝えた。なのに、夏休みに出てきちゃったんです」(福田氏)意志の固い聖子は久留米信愛女学院を中退し、独断で上京。2学期からは東京・堀越高校の芸能コースに編入。相澤社長宅に下宿しながら、堀越に通っていた渋谷はくしくも聖子と同級生になった。「僕の部屋に聖子さんが入ることになり、マネージャーと一緒に隣のアパートに引っ越しました。聖子さんは当時中学生の僕の妹と仲よくなり、同じく下宿していたポップコーンという兄妹デュオと4人でよく遊びに出掛けていた。デパート屋上での男性アイドルのサイン会に一緒に行ったりしたそうです。聖子さんは優しくて妹にミニーマウスの人形をプレゼントしてくれたこともありました」高校の修学旅行で北海道に行ったとき、渋谷は“最強アイドル誕生”の瞬間を目撃している。「まだデビューしていないのに、何人もの男子が『蒲池と写真撮りたい!』と大行列を作ったんです。堀越だから芸能人は珍しくないのに騒ぎになるほど人気があった。聖子さんは気さくに応じていました。あまりに人が並んでいたから、先生が『男子と女子が一緒に写真を撮ってはいけない!』と禁止令を出したほどでした」秋にはドラマ『おだいじに』(日本テレビ系)で太川陽介(63)の恋人役をつかみ、芸名の松田聖子で出演。徐々に名前が浸透していく。「『新人は1年に1人』という原則を破ってでも、聖子を早くデビューさせたいという雰囲気も社内に出てきた。それくらい“売れる歌声”を持っていました」(福田氏)デビューが決まってテレビ局や出版社へ挨拶に出掛けるとき、高校3年生の聖子だけでなく、マネージャー陣もPRで学生服を着た。水着のグラビアにも挑戦した。「月刊誌の『平凡』が乗ってくれてデビュー直前に伊豆大島で水着を撮りました。まだ寒い時期だったけど、本人は震えながらも一生懸命やってくれました」(福田氏)だが、その写真はボツに……。「当時の編集者が『砂浜の色がどうもよくない。白い砂浜にしよう』と言って結局千葉でもう一度撮り直したんです。そういうときも聖子は愚痴をこぼさない。すごくやる気があったし、積極的に何にでも挑戦するコだった。さまざまなタレントを見てきましたが、いちばん根性があるコです」(福田氏)(取材・文:岡野誠)
2022年03月10日衆議院議員の野田聖子氏が6日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんへ伝えたいことを明かした。この日、野田氏は「伝えること」というタイトルでブログを更新し「ウクライナの人々の苦しみを息子に伝えられない悲しみ」とコメント。真輝くんとニュースを毎日見ていることを説明する一方で「彼の知的能力では、理解できない」とつづった。続けて「戦争はこわい、人が亡くなる、悲しいこと」ということは伝わっているといい「すべての命、大切はわかるよね」とコメント。真輝くんが「おれ、いっぱいオペしたから」と言っていたことを明かし「平和な世界を!」と願いをつづった。また「あたりまえの日常こそ、命あればこそ、幸せ」と述べ「友人がこっそり撮った一枚…宝物」と後ろ姿の家族ショットを公開。最後に「どんなにしんどくても、あなたとの時間は必ず守りますから…」と真輝くんへの思いをつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月07日衆議院議員の野田聖子氏が23日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんが小学校でスピーチを行った結果についてつづった。この日、野田氏は「ムスコさんの小学校での、卒業進級祝う会」と切り出し「自宅ではギャーギャーうるさい」と真輝くんについて説明。一方で「スピーチの声、ちっちゃ…」とスピーチの声が小さかったといい「きんちょうしたわ~」と真輝くんが言っていたことを明かした。続けて「週末、オトコ二人旅」「久々のぼっち」と1人で週末を過ごしていたことを報告。「なんか落ち着かなくて…」「首痛リハビリ兼ねて、長風呂」と過ごし方を明かし「ずっと、昔好きだった唄、聴いてのぼせた」とつづった。また「ドレスコードフォーマル」と述べ、ジャケットを羽織った真輝くんの姿を公開。「鉄母はこれみて、がんばるのだよ」とコメントし、待ち受け画面のスクリーンショットも公開した。最後に「父息子不在の日、母のところへ、差し入れ」と母親との2ショットを公開。「似てきたな、私たち」とコメントし、ブログを締めくくった。
2022年02月24日衆議院議員の野田聖子氏が18日に自身のアメブロを更新。息子・真輝くんからエールを貰ったことを報告した。この日、野田氏は「まだ、寝違え首痛とバトル中」と切り出し「1ヶ月…整形外科、マッサージ、カイロプラクティック、鍼、湿布、スプレー、と。お世話になりまして」と首の痛みに悩まされている様子を説明。「現在は、鎮痛剤とセルフもみもみ」と現状を報告した。続けて「久々のレントゲンでは、我が身の加齢、無惨!」と述べるも「国会では、毎日、真剣勝負」とコメント。「おばはん、がんばれ!とムスコさんのエール」と真輝くんからエールを貰ったことを明かした。さらに「気を紛らわすため、読書」「気を紛らわすため、ネトフリ」と説明。「寝る子は育つもう限界なりショット、いただきました!」と眠そうな表情を浮かべる真輝くんとの2ショットを公開した。最後に、就寝中の真輝くんの写真も複数枚公開。「寝る子は育つ妖怪ウォッチ風」「寝る子は育つおなじみスケルトン風」「寝る子は育つマリオといい夢みてね!」とそれぞれの写真にコメントした。
2022年02月19日1月下旬の夕暮れ時、都内の閑静な高級住宅街に止まった一台の車。運転手がドアを開け、静かに姿を現したのは松田聖子(59)。聖子は洋館を思わせる一軒家の玄関前で足を止めると、出迎えに現れた小じゃれた風貌の男性とともに家へと入っていく。その表情は愛娘の位牌を抱いていたときより、どこか落ち着いたようにも見えた――。神田沙也加さん(享年35)の訃報から、1カ月半。近しい人々は少しずつ悲しみの淵から立ち上がろうとしていた。「父親の神田正輝さん(71)は、沙也加さんの死後も司会を務めるレギュラー番組に一度も休むことなく出演し続けています。’19年に離婚した元夫の村田充さん(44)も沙也加さんが飼っていた愛犬を引き取り、自宅でともに生活する様子をSNSで定期的に投稿しています」(芸能関係者)しかし、神田とともに参列した昨年12月21日の葬儀後、聖子は一切の消息を絶っている。「今年は還暦を迎えるので、大規模なツアーも計画していたそうですが、それも一旦白紙になったそうです。ふさぎがちになり、自宅からほぼ出ずに生活しているといいます」(音楽関係者)不仲説が報じられたこともあったが、傍目からはうかがい知れない強い絆で結ばれていた母と娘だけに聖子の喪失感は計り知れない。そんななか、本誌が目撃した冒頭の聖子の外出。この日、聖子が訪れたのは知る人ぞ知る美容室だった。「カリスマ美容師が顧客と一対一で向き合う完全予約制のプライベートサロンです。顧客がリラックスできることに徹底してこだわり、定休日や営業時間も定めず、時間をかけて丁寧に施術することで知られています。ほかの客が居合わせることもないので、芸能人で通っている人も多数いると聞いています」(美容関係者)約2時間後の午後8時過ぎ、美容師に見送られながら一軒家をあとにした聖子は車に乗り込み、帰路についた。個室サロンでひと時の休息を満喫した聖子。聖子に訪れた心境の変化について知人は言う。「まもなく沙也加さんは四十九日を迎えます。法要を行うかは聞いていませんが、しばらく自分の身なりを気にする心の余裕もなかった聖子さんとしては、一つの“節目”を前に髪を整えることで、少しずつ前に進もうとしているのではないでしょうか」◆前を向き始めた聖子を、家族もそばで優しく見守っている。神奈川県の大学病院で教授を務める夫のK氏は多忙な業務のかたわら真摯に妻を支えているようだ。「Kさんも沙也加さんと親交があっただけに相当ショックを受けたそうですが、“自分が落ち込んではいられない”と考えているそうです。出勤する回数を可能な限り減らして、自宅で聖子さんのメンタル面のケアをしていると聞いています」(K氏の知人)そして、最もそばで聖子を気遣っているのが89歳になる同居実母の一子さんだという。「昨年6月ごろから聖子さんは自宅の建て直し工事を始めており、隣接するもう一軒の自宅で生活する聖子さんの身の回りの世話を一子さんがしているそうです。近年、一子さんが体調を崩すことが増えたこともあって、聖子さんは少しでも一子さんが暮らしやすいようにと、建て直しを決意したといいます。沙也加さんの死後、憔悴してほとんど外出できない聖子さんに代わって、一子さんが買い物に出かけることも多く、聖子さんの好きなバタークリームケーキを注文したこともあるそうです」(前出・聖子の知人)献身的に聖子を支える一子さんだが、娘との関係はずっと順風満帆だったわけではない。「聖子さんが’12年にKさんと再婚する際、一子さんは当時“愛人”と報じられていた男性マネージャーとの関係を清算するよう、聖子さんに忠告しました。しかし、聖子さんは聞く耳を持たず、一子さんが役員を務めていた当時の所属事務所『ファンティック』を飛び出し、新事務所も設立。当時、一子さんは聖子さんの自宅で生活していましたが、同居を解消。親子関係が断絶したのです」(前出・芸能関係者)そんな2人に雪解けが訪れたのは4年ほど前。「一子さんが’18年3月に年齢のことも考え『ファンティック』の役員を退任。そんな一子さんの姿を見た聖子さんは『私が母の終活を支える』と、ふたたび自宅に一子さんを呼び寄せ、同居を再開したのです」(前出・芸能関係者)’18年8月、本誌の取材に対して一子さんはこう語っていた。「私を娘はいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、1人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」断絶を乗り越え、母の人生と向き合った聖子。今度は一子さんが聖子が発する“心のSOS”に応えていると前出の知人は語る。「沙也加さんと聖子さんと3人で生活していた時期も長かった一子さんは、2人のことを誰よりもそばで見ています。それだけに、娘を失って今まで見たことないほど落ち込んでいる聖子さんのつらさも痛いほどわかるのでしょう。高齢の一子さんを心配する聖子さんの呼びかけで再開した二世帯同居ですが、一子さんは“今度は私が聖子を助ける番”と考えているそうです。また一子さんは聖子さんのいちばんのファンでもあります。聖子さんが少しでも前向きに還暦を迎え、歌手活動を再開できるためにも、できることを精いっぱいしているのではないでしょうか」母の“逆介助”を力に、聖子は少しずつまた歩き始める――。
2022年02月01日ミュージカル『ボディガード』に出演する、新妻聖子さんにお話を伺いました。一昨年、大阪で初日の幕が開いてすぐコロナ禍の影響で、わずか5回の公演で中止となったミュージカル『ボディガード』。2年の時を経て、このたびようやく再上演が決まった。「私が出演できたのはわずか2回。状況は理解していましたけれどやり切れない想いがあり、本来迎えるはずの東京公演初日には涙が堰を切ったように溢れて、私はそんなにやりたかったんだなぁって思いました」じつは新妻さんの出産後のミュージカル本格復帰となるはずだった。「育児も舞台もどちらも諦めたくなくて、子供を寝かしつけてから歌詞やセリフを覚えて、振りを練習したりしていたんです。これまで常に悔いのない人生だと思ってきましたが、この公演をもう一度やり遂げるまでは死ねないと初めて思いました」原作映画でも印象的に使われたホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」は劇中でも披露される。「この作品は翻訳も素晴らしくて、ひと言ひと言、お客様が登場人物に感情移入できる言葉を、日本語の微妙な機微も加味しつつ選びながら、ホイットニーの原曲の持つR&Bのグルーヴ感もちゃんと活かせるようになっているんです。これまで自分のコンサートでも何度も歌っている楽曲でしたが、レイチェルとして生きながら歌っていると、これまでまったく感じたことのない感情が湧き上がってくる。他の楽曲も含め、この作品を通じて数々の名曲と出合い直すことができました。今再び作品と向き合うなかで、新たに表現したいことも泉のように溢れて溢れて…早く演じたくて仕方ない(笑)」先日のFNS歌謡祭でも、圧倒的な歌唱力とパワフルな歌声を披露してくれた新妻さん。「ずっと歌手志望でしたが、なかなかそこに繋がるご縁がなく、一度その夢を諦めかけた私を拾ってくれたのがミュージカル界でした。出合えていなかったら私は絶対に今ここにいないと思うので、一番感謝しているし帰ってくる場所でもある。この作品はミュージカルの中でもわかりやすく楽しめる作品ですし、新しくミュージカルに出合ってくださる方がひとりでも増えたら嬉しいです」ミュージカル『ボディガード』世界的に活躍する歌手で女優のレイチェル(柚希、新妻、May J.)の元に頻繁に届く脅迫状。彼女の身を案じ、ボディガード・フランク(大谷)が雇われるが…。1月21日(金)~31日(月)大阪・梅田芸術劇場メインホール2月8日(火)~19日(土)東京・東京国際フォーラム ホールC演出・振付/ジョシュア・ベルガッセ出演/柚希礼音、新妻聖子、May J.(トリプルキャスト)、大谷亮平ほかS席1万3500円A席9500円B席5500円ほか梅田芸術劇場・大阪 TEL:06・6377・3800東京 TEL:0570・077・039(共に10:00~18:00)にいづま・せいこ1980年10月8日生まれ、愛知県出身。『王様のブランチ』リポーターを経て2003年にミュージカル『レ・ミゼラブル』で注目される。近作に『王家の紋章』など。ブラウス¥47,300スカート¥53,900(共にエリザベッタ フランキ/エスケーシー TEL:06・6245・3171)※『anan』2022年1月26日号より。写真・土佐麻理子スタイリスト・小堂真里ヘア&メイク・丹羽寛和インタビュー、文・望月リサ(by anan編集部)
2022年01月25日「沙也加さんが亡くなってから1カ月、聖子さんは今も憔悴しきっています。一部では花を飾った祭壇で、沙也加さんに語りかける日々を送っているとも伝えられました」(芸能関係者)昨年12月18日、仕事で訪れた札幌市内のホテルから転落死した神田沙也加さん(享年35)。突然の訃報に日本中が悲しみに覆われたが、愛娘を失った母・松田聖子(59)の心痛は計り知れない。「沙也加さんの急逝を受けて、開催予定だった5件のディナーショーが中止になりました。『第72回NHK紅白歌合戦』も、出場の方向でギリギリまで話が進んでいたものの辞退。聖子さん自身が、『今は歌えない……』と漏らしたそうです」(前出・芸能関係者)悲嘆に暮れる聖子。今年3月で満60歳となる。「聖子さんは一昨年、デビュー40周年を記念した全国ツアーが予定されていたものの、コロナ禍で全ての公演が延期に。そして去年、なんとか40周年を記念したコンサートツアーの開催にこぎ着けました。今年も還暦の節目に大々的なツアーを計画していましたが、現状は全て休止になりました。聖子さんは本来、新しいことに意欲的です。デビュー40周年の際には、ホラー映画の監督業に挑戦。還暦では新譜でファンを驚かせたいと考えていたそうです。しかしこちらも事実上ストップしているといいます」(音楽関係者)昨年10月、『news23』(TBS系)に出演し、「デビューから41年間、変わらず“歌を歌えること”に幸せを感じている」と語っていた聖子。彼女が再び歌う日は訪れるのだろうかーー。「実は昨年末中止となったディナーショーを、今夏に再び開催する構想があるそうです。それが活動再開の場となるでしょう。常に支え続けてくれた多くのファンの目の前で歌うことから再出発するのが、歌手としての自分の責務だと考えているのです。聖子さんは、以前『ファンのみんなの前で歌うとエネルギーをもらえる』とも語っていました。夏のディナーショーでファンと万全の状態で再会するため、最低半年は心身を休ませ、鎮魂の期間にあてたいと考えているそうです」(前出・音楽関係者)心に大きな穴があいた聖子。しかしどんなときでも歌とファンが、彼女を支えているーー。
2022年01月19日「斎場で悲しみの対面をした聖子さんは、眠っているような沙也加さんの表情に嗚咽していたそうです」(音楽関係者)昨年12月18日深夜、神田沙也加さん(享年35)が公演で訪れていた札幌市内のホテルから転落死した。50センチに達する大雪が降り積もった日だった。3日後の21日夕方、愛娘の位牌を胸に札幌市内の斎場で会見を行った母・松田聖子(59)と父親の神田正輝(71)。顔面蒼白の聖子は、集まった報道陣を前に、こう声をふり絞った。「本当にみなさまお寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」2人は、その日のうちに別々の便で東京に戻ってきた。スタッフの先導で先に飛行機を降りてきたのは、聖子の母親だった。うなだれた様子がその失意を物語っている。その後ろに聖子が続いていた。聖子もまた茫然とした表情だった。その胸には濃紺の布で包まれた娘の遺骨が抱えられていた――。これまで聖子と沙也加さんは幾度となく確執が伝えられてきた。だが、2人は心底では固くつながっていたという。デビュー当時の聖子と仕事をしていたカメラマン・YAHIMONときはる氏は証言する。「沙也加さんが17年12月の舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』に出演したときのことでした。別の女優さんの楽屋で私自身が9年間、実母と会っていないと話をしてから、その女優さんの後押しもあり、面識のある沙也加さんの楽屋にご挨拶に行ったんです。沙也加さんからは神妙な顔で、『ちょっと聞こえちゃったんで申し訳ないんですけど……子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!』と言われたんです」沙也加さんは同年5月に村田充(44)と結婚。母娘不仲説が報じられていた時期で、YAHIMON氏は彼女の発言に驚いたという。「その翌日、私は母に会いに行き、3カ月後に母は他界しました。沙也加さんの励ましがなければ、私は母とは会えていませんでした」■「母親が、私を一番愛してくれている」翌年、同舞台の愛知公演に出演していた沙也加さんに感謝を伝えに行くと、こう言われたという。「私、生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んでたりしていたんですけど、やっぱり母親が一番つらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私を一番愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」そんな娘の思いは聖子にも伝わっていたのだろう。空港でも聖子は遺骨を両手で愛おしそうに抱えていた。前出の音楽関係者は言う。「聖子さんは愛娘を突然失った余りの悲しみに、自宅で遺骨をしばらく保管しておくのでしょう。かねて聖子さんは霊感が強く、信心深い方ですから、娘さんのお墓をどうするか熟慮しているといいます」聖子の父の葬儀は一家のルーツでもある福岡県柳川市の菩提寺で執り行われたという。「蒲池家は江戸時代、柳川藩の系譜を継ぐ由緒ある家系で、この菩提寺の創建者でもあったといいます」(地元紙記者)だが、前出の音楽関係者は言う。「ただ、福岡となると東京とは距離があり、日常的に墓参できなくなってしまいます。また、沙也加さんの成人後に再婚した今の旦那さんのお墓に入れる可能性は限りなく低いでしょう。父親の神田さんの実家のお墓に入れた場合は聖子さんは一緒にお墓に入れなくなってしまいます」■神田の母が眠る寺の関係者は「(納骨は)こちらではない」と…東京都新宿区内にある名刹には神田の母で女優の旭輝子さん(享年77)が眠っている。同寺の関係者は、沙也加さんの遺骨がここに入る話は聞いていないと話す。「沙也加さんのことはショックですし、私たちも心配しています。ただ今回のことで神田さんからこちらに連絡はありません。(納骨は)こちらのお墓ではないと思います。神田さんをお見かけしたのは2年ほど前ですが、連絡をいただくこともありますし、定期的に来てくださっているようです。神田さんはしっかりお墓を守っています」前出の音楽関係者は続ける。「そういう事情も踏まえ、沙也加さんのお墓を新たに造ることも選択肢に入っているようです」終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんは、わが子に先立たれた親の心理をこう指摘する。「お子さんを先に亡くされた場合、気持ち的にすぐに納骨しないことが多いので、しばらくは手元に置くと思われます。ただ、新たに沙也加さんのお墓を造るということは十分考えられます。今は昔と違い、実家のお墓に入る決まりはありません。沙也加さんのお墓を造っておいて、後から聖子さんがそこに入るという形もできます。聖子さんからしたら、娘さんと一緒のお墓に入りたい希望はあるかと思います」父親の神田と分骨する可能性もあるという。「親である聖子さんには『何もしてやれなかった、何もできなかった』という後悔があると思います。だからお墓という形で、少しでも何か良くしてあげたいという気持ちは強いはずです。通える場所にお墓を用意することが、娘にとってもいいと考えるのではないでしょうか」昨年12月18日のディナーショーを最後にステージから下りた聖子は『紅白』出場も辞退した。「当面はライブやメディア出演を一切予定していないと聞いています」(映像関係者)前出のYAHIMON氏も言う。「私の師匠で、聖子さんもお世話になったカメラマンが亡くなったときも事務所関係者が『彼女は悲報を聞くと、絶対に影響が出る』と話していました。聖子さんは非常に繊細な方ですので、しばらくお休みすると思います」愛娘のために自分は今、何ができるのか――。光を求めて、聖子の涙の奔走は続く。
2022年01月05日