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株式会社アドリブワークス(本社:愛媛県今治市代表取締役:山岡健人以下アドリブワークス)は、株式会社薄墨羊羹(本社:愛媛県松山市井門町代表取締役社長:中野恵太以下薄墨羊羹)、えひめ活き生きファーマーズ株式会社(本社:愛媛県西予市代表取締役:元屋地真悟以下えひめ活き生きファーマーズ)と共同で開発したお野菜パウダー入りの乳幼児向け羊羹、「おやおやようかん」を6カ月から食べられるはじめての和菓子として販売を開始いたします。おやおやようかん開発の背景150年の歴史を誇り、過去には全国菓子博覧会の最高賞「名誉総裁高松宮賞」を受賞するなど、数々の名誉ある賞を受賞し、松山銘菓として観光土産や手土産需要として親しまれている薄墨羊羹。昨年から続く新型コロナウイルスの流行により、先述の需要が減少。新たな市場を開拓するべく、今までの商品開発の在り方を大きく見直し、また、これまで紡いできた羊羹を後世に残すべく、子供たちが「はじめて食べる和菓子」として商品開発を始めました。そのパートナーとして、愛媛県の野菜を知り尽くしたえひめ活き生きファーマーズと、地方創生事業に取り組む弊社とタッグを組むことに。商品コンセプトパパママの手間を省きかつ、自分の子供にも食べさせたい安心安全でおいしい商品にするだけでなく、やっぱりおやつの時間は1日の中でも特別なので、楽しい時間になるようなコンセプト開発を行いました。乳幼児への食事は、ついつい「食べさせること」に意識が行きがちですが、楽しい時間も子供たちの成長に欠かせない栄養です。会話のきっかけになるように、商品名を「おやおやようかん」という子供が好きな言葉を選びました。商品説明●こだわりの白あん羊羹の主原料であるいんげん豆は、食物繊維、ビタミンB1、カルシウム、カリウム、鉄、亜鉛、マグネシウム等のミネラルやアミノ酸等、バランスよく含まれ、お子様の栄養補完として抜群の食材です。また、お子様の発達段階の舌にちょうどいい甘さを実現するために、通常の羊羹では使わない「きび砂糖」を使用。このきび砂糖はお子様の腸内環境を整える善玉菌のえさ、オリゴ糖も含まれるだけでなく、ミネラルたっぷりでこくが深い味わいです。●愛媛県産のお野菜羊羹には、愛媛県内の契約農家の方々が丹精込めて作ったお野菜をふんだんに使用。お野菜の旨味や栄養を凝縮させ、舌触りが滑らかになるように、パウダーやペースト状にしてから丁寧に練りこんでいます。無添加・無着色・無香料なのに、お野菜本来のおいしさ、甘さが感じられ、見た目もカラフル選ぶのも楽しみの一つに。お野菜の種類は、「とまと」、「かぼちゃ」、「みかん」、「ほうれん草」、「紫いも」の5種。アレルギーフリーの安心安全なおやつです。●食べられる「もなかスプーン」ご兄弟やパパママの小腹も満たすように、国産のもち米で作られた、もなかスプーンをセットに。もなかのパリパリ感や音、ふやけていく様子がおもしろいので、おやつの時間がより一層楽しいものに。パッケージのこだわりパッケージには、忙しいパパママでも「おやっ?」と目に留まるようなテキスタイルに定評があるテキスタイルデザイナー、Sarahbelさんを迎え、「おやおや?うさぎさんがいるよ!」といった会話のきっかけになるような、かわいい動物たちを描いて頂きました。サラベル商品セットのご案内おやおやようかん6種セット+もなかスプーン6セット2,000円(税込・送料別)セット内容:とまと1個、かぼちゃ1個、みかん2個、ほうれん草1個、紫いも1個、もなかスプーン6本(写真左からとまと、かぼちゃ、みかん、ほうれん草、紫いも各1個、もなかスプーン6本)【原材料】とまと:さとうきび糖(さとうきび(沖縄県産))、手亡豆、とまとパウダー、粉あめ、寒天かぼちゃ:手亡豆(北海道)、さとうきび糖(さとうきび(沖縄県産))、かぼちゃパウダー、粉あめ、寒天みかん:みかんペースト(愛媛県産)、さとうきび糖(さとうきび(沖縄県産))、手亡豆、粉あめ、寒天ほうれん草:さとうきび糖(さとうきび(沖縄県産))、手亡豆、ほうれん草パウダー、粉あめ、寒天紫いも:さとうきび糖(さとうきび(沖縄県産))、手亡豆、むらさき芋パウダー、粉あめ、寒天各80gもなかスプーン:もち米(国産)お買い求めは、愛媛県松山市にある薄墨羊羹店舗、またはオンラインショップにて。薄墨羊羹本店:愛媛県松山市大街道1丁目2-2薄墨羊羹本社工場店:愛媛県松山市井門町1331-1薄墨羊羹Anketteフジグラン松山店:愛媛県松山市宮西1丁目2-1薄墨羊羹Anketteフジ宇和島店:愛媛県宇和島市恵美須町2丁目3-28上記直営店以外にもいよてつ高島屋、松山三越、各交通機関お土産物売り場等でも販売しています。(一部取り扱いのない商品がございます)薄墨羊羹オンラインショップアドリブワークスオンラインショップ株式会社アドリブワークスについて「起業や副業を”日常”にして、すべての人々が自由な人生を歩むことのできる世界を作る。」ひとつの生活圏に縛られず、心の赴くまま様々な場所を巡り(Vacation)、出会った人々とモノ・コトを共に作り(Collaboration)、人が人として生きることでより良い世の中になる(Innovation)。私達は、そんな新しい働き方、ワーケーション【Work×-ation】を日本から世界へ広めていきます。会社概要会社名:株式会社アドリブワークス(英文名:adlibworksinc.)代表者:代表取締役山岡健人愛媛事務所:〒791-8061愛媛県松山市三津3-6-223F関西事務所:〒542-0076大阪府大阪市中央区難波5-1-60NambaSkyO27FWeWork設立日:2018年3月12日株式会社アドリブワークス問合先:「おやおやようかん」担当栗山yoriko.kuriyama@adlibworks.com件名に「おやおやようかん」とご記入ください。企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2021年02月15日MHD モエ ヘネシー ディアジオ株式会社の取り扱いブランド「ヘネシー X.O」の150周年へのオマージュとなる、建築界の巨匠フランク・ゲーリーによるスペシャルコラボレーションボトルを2020年10月7日より限定発売します。1765年に創業してから250年以上の歴史を持ち、世界で最も愛されるコニャックとしてその存在感を発揮し続けるヘネシー。その中でもリッチでパワフル、かつ極めて滑らかな味わいを持つ「ヘネシー X.O」は、今年で150周年を迎えます。その長きにわたる歴史へのオマージュを表現するべく、建築界の巨匠フランク・ゲーリーとのコラボレーションが誕生しました。フランク・ゲーリーはヘネシーのレガシーとなるヘネシー X.Oのボトルを、ゴールドとガラスの素材で包み込むようなデザインのデキャンタとしてマスターピースに仕上げました。それはまさにフランク・ゲーリーの型にはまらない美のセンスにより、ヘネシー X.Oの持つ大胆な味わいの感覚が1つの世界として表現されました。また、今回はヘネシー X.Oの特別なデキャンタだけではなく、150周年を記念するスペシャルデザインの限定ボトルもフランク・ゲーリーによるもの。デキャンタに合わせたゴールドの色合いがヘネシー X.Oの持つ優美な世界観にさらに彩りを与えています。フランク・ゲーリーは、ヘネシー X.Oのマイルストーンを刻む今回のコラボレーションについて、「ヘネシーのボトルは、それ自体がアートピースである。香り、味わい、雰囲気を感じ嗜む。それだけ繊細な世界をさらにクリエイティブな次元へ昇華するための作業は決して簡単ではありませんでしたが、ヘネシー X.Oの持つ歴史と、その感覚のストーリーを共鳴できるものとして今回の作品で表現しました。」と語りました。ヘネシー X.O 150周年 マスターピース by フランク・ゲーリーフランク・ゲーリーの造形は、一際目を引く、今にも動き出しそうなデザインです。床は歪み、壁はうねり、曲線が行き交い、技術を超えた、視覚から感覚へ訴える世界観は、建築の可能性を広げ、見る人へ高揚感を与える異才の産物です。今回のヘネシー X.O 150周年 マスターピース by フランク・ゲーリーはフランク・ゲーリーのこれまでの建築物と同様に、彼の哲学、情熱、好奇心により形を成しました。ヘネシー X.Oのリッチでパワフルな味わいだけでなく、ヘネシーのメゾンが培ってきた歴史やサヴォアフェールなども含めたヘネシーメゾンのすべての環境から得るインスピレーションを表現しています。水のシンボルはメゾンの敷地内を流れるシャラント川、豊富に実るブドウやコニャックの土壌など、ヘネシーにまつわる全ての要素がそのデザインソースとなりました。ボトルは24金でコーティングしたブロンズの素材をシワ加工したマテリアルに覆われています。そして割れ目のような形をしたガラス素材のグロリファイアー(ボトルのディスプレイ台座)の上に置かれ、メゾンのインスピレーションである水と光を表現しています。ヘネシー X.Oのセカンドスキンと表現されたこのマスターピースは、フランク・ゲーリーの哲学とアイデアを形にするまでは多くの技術と繊細な作業、高いクラフツマンシップを要しましたが、それはまさしくヘネシーのマスターブレンダ―たちの高いサヴォアフェールに深く通じています。光をふんだんに取り込んだマスターピースこの作品に命を吹き込むには、ヘネシー誕生の地であるコニャックを訪れ、多くのインスピレーションを得ました。コニャックで造られるヘネシー特有のパワーを表現するために、クシャッとしたギャザーのようなデザインを取り入れることで、動きのある活き活きとしたものにしました。今回のデザインのために選んだ素材は適度に光を取り入れ、それだけでも佇まいのあるオブジェとして成り立つように考えました。それはヘネシー X.Oのボトルとは思えないような存在感になったことでしょう。<フランク・ゲーリー>へネシー X.O1870年、世界で初めて“eXtra Old”の名が与えられた伝説的なコニャック、ヘネシー X.O。その起源は、ヘネシー家がごく親しい家族や友人のために秘蔵してきた年代物のオー・ド・ヴィー(原酒)を、三代目当主モーリス・ヘネシーが特別にブレンドしたことに始まります。1947年には、ヘネシー家直系のジェラルド・ド・ジョオフルが、ブドウの房をモチーフとした現在のボトルをデザイン。コニャック地方上位4地区の畑から収穫されたブドウのみで造られた約100種類のオー・ド・ヴィーがブレンドされ、リッチでパワフル、かつ極めて滑らかなスタイルが特徴です。商品名: ヘネシー X.O フランク・ゲーリー リミテッドエディション発売日: 2020年10月7日(水)価格 : 2万4,600円(税抜き)容量 : 700mLアルコール度数: 40度へネシー X.O 7つの味わいSWEET NOTES(包み込む甘味)オレンジのほのかな甘さやアプリコットの繊細な酸味を思わせる、砂糖漬けフルーツのような甘美に包まれる。RISING HEAT(眩い灼熱)じっくりとオーク樽で熟成させたオー・ド・ヴィー(原酒)の複雑な味わいが、強く立ち昇る魅惑的な熱い感覚とともにゆっくりと口の中に広がる。SPICY EDGE(際立つスパイス)スパイシーさが際立つ。微かなチョコレートのニュアンスと絡み合ったピリッとした感覚が唇から口の中へと広がる。FLOWING FLAME(流れるフレア)暖かい波が押し寄せ、やがて静まると、口の中にまろやかな感覚が溢れる。豊かさ、官能を感じる。CHOCOLATE LULL(チョコレートのふくよかさ)徐々に親しみのある味わいに気づく。それは濃厚なダークチョコレートのふくよかな味わい。微かに甘く、絹のような滑らかさ。WOOD CRUNCHES(オークノート)バニラを含んだオークノートが突然訪れる。その大胆かつ複雑な味わいは強い存在感を示すも、姿を消す。INFINITE ECHO(永く続く余韻)消え行くオークノートは永く続く余韻に残る。オー・ド・ヴィー(原酒)のブレンディングや長期熟成のプロセスの複雑さのように、様々な味わいと感覚はまるで終わりがないかのように共鳴し合う。Frank Owen Gehryフランク・オーウェン・ゲーリー1929年カナダのトロントに生まれる。高校を卒業した後、1947年に家族とともにロサンゼルスに移住する。そこで彼はロサンゼルス・シティー・カレッジの夜間クラスに通い、美術と建築を学ぶ。また、南カリフォルニア大学にも通い、美術史や陶芸を学び、建築学士号を取得する。結婚後に徴兵されるが、除隊後はハーバード大学デザイン大学院で都市計画を学ぶ。1969年~1973年には家庭用家具”Easy Edges”のラインを製作する。1960年代よりロサンゼルスに戻り活動する。彼の建築はポストモダンなシェイプ、大胆で独特な制作で知られるようになる。1980年代からは住宅から商業施設、オフィス、複合施設など幅広く設計を手がける。1989年には建築界のノーベル賞とも呼ばれるプリツカー賞を受賞する。その後も数えきれないほど多くの賞を受賞し、世界でも有数の高い評価を受ける作品を残す建築家として、その名が知られている。現在でも精力的に活動を続けるフランク・ゲーリーはアブダビのグッゲンハイム美術館、フィラデルフィア美術館(アメリカ)やルマ財団(フランス、アルル)なども含めた複数の建築プロジェクトに取り組んでいる。また、コロンビア大学建築大学院教授を務め、同時にハーバード大学、イエール大学UCLAでも教鞭を執っている。著名な建築物・ウォルト・ディズニー・コンサートホール(アメリカ、ロサンゼルス)・ナショナル・ネーデルランデン・ビル(チェコ、プラハ)・ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン、ビルバオ)・フォンダシオン ルイ・ヴィトン(フランス、パリ)フォンダシオン ルイ・ヴィトンArtist (C) Gehry Partners, LLP and Frank O. GehryPhoto (C) Iwan Baan 2014主な受賞歴・1989年 プリツカー賞・1992年 高松宮殿下記念世界文化賞・1999年 AIA ゴールドメダル・2000年 RIBA ゴールドメダル・ 2014年 アストゥリアス皇太子賞 芸術部門企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年09月28日世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が来日する。その凄さは、なんといってもメンバーの質の高さ。スポーツに例えてみれば、スター選手ばかりを集めたバスケットの“NBAオールスター”といった趣だ。全員がソリストとして通用するだけに、そのステージに接して最初に驚くのがオーケストラから放出される音の大きさだ。もちろん大音量のみならず消え入るようなピアニッシモに至るまでを、一糸乱れぬ精緻なアンサンブルによって描き出すあたりは流石ドイツ。ポルシェやメルセデスを生み出した世界最高峰の工業技術にも通じる圧倒的な完成度が目の前に展開されるのだ。この世界最高の楽器とも言えるベルリンフィルを指揮する今年のシェフは、インド出身の巨匠ズービン・メータだ。プログラムに用意されたR.シュトラウス、ベートーヴェン&ブルックナーという、これまたコテコテのドイツ音楽を、自由自在にドライブする事間違いなし。車の世界においては、日本の速度規制によって本来の性能を味わうことはなかなか難しいことではあるが、音楽の世界では心配無用。リミッターなしのベルリン・フィルを思う存分堪能できるチャンス到来!●公演概要11月13日(水)愛知県芸術劇場 コンサートホール11月14日(木)、15日(金)フェスティバルホール11月19日(火)ミューザ川崎シンフォニーホール11月20日(水)、21日(木)、22日(金)サントリーホール●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、1882年に自主運営楽団として創立。以来、世界で最も優れたオーケストラの一つとして長きにわたり評価されている。オーケストラの初公演は1882年10月17日、楽員たちによって選ばれたルートヴィヒ・フォン・ブレナーによる指揮のもと行われた。それから5年後、当時の名興行主であり、楽団設立当初よりオーケストラの運営面を支えていたヘルマン・ヴォルフの導きにより、ハンス・フォン・ビューローが初代首席指揮者に就任。彼はベルリン・フィルをドイツにおける一流オーケストラの水準へと一気に向上させた。その後を率いたのはアルトゥール・ニキシュ。1895年から1922年まで首席指揮者を務め、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、シュトラウス、ラヴェル、ドビュッシーなど多岐にわたるオーケストラのレパートリーを確立した。ニキシュの逝去後、弱冠36歳のヴィルヘルム・フルトヴェングラーが首席指揮者に就任。古典派やドイツロマン派の作品を得意とすると同時に、ストラヴィンスキーやシェーンベルク、バルトーク、プロコフィエフといった近現代曲にも取り組み、レパートリーを拡大した。しかしながら、第二次世界大戦によりフルトヴェングラーは指揮者としての活動を奪われ、終戦後間もなくレオ・ボルヒャルトがその任を担うが、1945年8月、悲劇的な誤解によりアメリカ歩哨に射殺されてしまう。その後、若きルーマニア人指揮者セルジュ・チェリビダッケがオーケストラを率いることとなった。1952年、フルトヴェングラーの首席指揮者へ復職が認められ、1954年の逝去までその任を務めた。また、戦後の1949年、空襲により崩壊したベルリン・イエス・キリスト教会が再建され、当時のオーケストラの新しい本拠地として寄与したほか、音響が非常に優れていることから現在もオーケストラの活動を支えている。1955年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが終身首席指揮者兼芸術監督に就任。以後数十年にわたりオーケストラと確固たる関係を築き、唯一無二の音と演奏スタイルを発展させ、ベルリン・フィルの名声を世界中に轟かせた。そして1989年10月、新しい首席指揮者に任命されたクラウディオ・アバドは、あるテーマのもとに、伝統的な作品と現代作品という対照的な作曲家を組み合わせたプログラミングを考案。また、楽員による室内楽活動の奨励に加え、オペラのコンサート形式演奏会を取り入れるなど、オーケストラにさらなる特異性と多様性を与えた。アバドの退任後はサー・サイモン・ラトルが首席指揮者兼芸術監督に就任、2002年9月から2017‐18シーズンまでその任を務めた。彼との契約は、オーケストラが若い世代で最も成功している指揮者を獲得したことに留まらず、重要かつ革新的な方針を展開するに至った。民間組織としてのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団財団が創設されたことは、最先端の組織構造を生み出し、音楽家たちの経済的生命線を確保しながら、創造力のある発展のために幅広い機会を与えている。また、同財団はメインスポンサーとしてドイツ銀行の寛大なるサポートを享受。この援助は、サー・サイモン・ラトルが舵取りをしていた時代に作り上げられた教育プログラムに1つの焦点を当てており、特に若い聴衆たちの育成に専心するなど、オーケストラの活動の域はより広がりを見せている。その献身的な取り組みに対し、ベルリン・フィルとラトルは芸術団体として初のユニセフ親善大使に任命された。2009年には「デジタル・コンサート・ホール」を立ち上げ、インターネットを通じてベルリン・フィルのライヴ演奏会や過去の記録を定期的に配信し、世界の聴衆たちがテレビやパソコン、スマートフォンやタブレットなどを通じて演奏を楽しむ機会を提供している。2012年春には、数十年続いたザルツブルク・イースター音楽祭での最後の演奏を遂げ、2013年からバーデン=バーデンで新しい音楽祭の歴史の幕を開けるなど、新しい試みを続けている。2014年、オーケストラの自主レーベル「ベルリン・フィル・レコーディングス」を創設。オーケストラの演奏による傑出したコンサートの数々を、最高の技術と編集によって記録に留めることを目的としている。最新盤はサー・サイモン・ラトル指揮による『ベルリン・フィルアジア・ツアー2017~ライヴ・フロム・サントリーホール』で、首席指揮者として最後のアジア・ツアーにおける演奏が収められており、非常に高い評価を得ている。2015年6月21日、ラトルの後任としてキリル・ペトレンコが楽員による多数票を得て次期首席指揮者に選出された。2019‐20年シーズンよりそのポジションに就任する予定である。●ズービン・メータ(指揮)(C)Wilfried Hosl1936年ボンベイ(現ムンバイ)生まれ。著名ヴァイオリニストでありボンベイ交響楽団の創設者でもあった父メーリ・メータより音楽の手ほどきを受ける。ボンベイの医大予科で学んでいたが、1954年ウィーン国立音楽大学指揮科に入学、ハンス・スワロフスキーに師事した。1958年にはリヴァプール国際指揮者コンクール優勝、タングルウッド音楽祭のアカデミーでも受賞するなどすぐさま頭角を現し、1961年までに既にウィーン・フィル、ベルリン・フィル、イスラエル・フィルを指揮。以来、これら3のオーケストラとは50年に及ぶ関係を築いている。これまでにモントリオール交響楽団音楽監督(1961- 1967)、ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督(1962-1978)、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督(1978-1991、ニューヨーク・フィルの歴史において最長在任期間)、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団首席指揮者(1985-2017)を歴任。1969年音楽顧問に就き1977年より音楽監督を務めるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団とは3,000公演以上も取り組み、ツアーも5大陸に及んでいる。1981年には終身音楽監督に任命されているが、ちょうど在任50周年を迎える2019年10月に、音楽監督を退任する意向が発表されている。オペラ指揮者としても名を残しており、1963年モントリオールにおける《トスカ》でのオペラ・デビュー以来、メトロポリタン・オペラ、ウィーン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座、シカゴ・リリック・オペラ、フィレンツェ歌劇場、ザルツブルク音楽祭などに登場、1998年から2006年まではバイエルン国立歌劇場で音楽監督を務めた。2006年10月にはバレンシアにソフィア王妃芸術宮殿(バレンシア州立歌劇場)を開館、2014年6月まで同地で毎年行われる地中海音楽祭の総裁も務め、スペインの前衛パフォーマンス劇団”ラ・フラ・デルス・バウス”とともにフィレンツェ歌劇場との共同制作による《ニーベルングの指環》のツィクルスにも取り組んだ。メータは、シカゴ・リリック・オペラとバイエルン国立歌劇場とも同作品のツィクルスを行っている。数々の名誉にも輝いており、カール・ベームから遺贈された「ニキシュ・リング」をはじめ、フィレンツェとテルアビブの名誉市民や、ウィーン国立歌劇場(1997)、ミュンヘン国立歌劇場(2006)、ウィーン楽友協会(1997)の名誉会員にも選ばれている。また、名誉指揮者の称号も多数、ウィーン・フィル(2001)、ミュンヘン・フィル(2004)、ロサンゼルス・フィル(2006)、フィレンツェ五月音楽祭歌劇場(2006)、シュターツカペレ・ベルリン(2014)、バイエルン国立管(2006)から授与されているほか、2016年にはナポリのサン・カルロ劇場より名誉音楽監督にも任命されている。日本の皇室からも2008年10月に高松宮殿下記念世界文化賞が授与されており、2011年3月にはハリウッド大通りに名前を刻まれた星型プレートを獲得。2012年7月にはドイツ連邦共和国より功労勲章(大功労十字章)、2013年9月にはインド政府より「タゴール文化調和賞」を授与された。一方、教育の分野にも情熱を注ぎ、才能ある若手音楽家の発掘と育成への支援を世界中で続けているほか、弟のザリン・メータと共にボンベイのメーリ・メータ音楽財団の共同代表を務め、200人以上の子供たちに対してクラシック音楽の教育を行っている。また、テルアビブのブッフマン・メータ音楽学校はイスラエルの若い才能を育て、イスラエル・フィルと密接な関係を構築。現在、シュワラムとナザレにて地元の教師やイスラエル・フィルの団員たちと共に、アラブ系イスラエル人の若者を指導するという新しいプロジェクトも進行している。
2019年11月07日新元号「令和」も決定し、天皇陛下が退位される4月30日まで2週間あまりとなった。退位後の約1年半は品川区の高輪皇族邸に仮住まいされることになっている。高輪皇族邸は’73年に高松宮邸として建てられた。鉄筋コンクリート造りの地下1階、地上1階建て。高松宮妃喜久子さまが’04年に亡くなられるまで住まわれていたが、その後は空き家になっていた。「仮住まいの期間に、現在は皇太子ご夫妻がお住まいになっている赤坂御用地の東宮御所が改修されます。両陛下は’20年末までにその東宮御所に引っ越しされる予定です。改修後の東宮御所は、退位した天皇の住居として『仙洞御所』と改称されます」(宮内庁関係者)高輪皇族邸では改修工事が進むが、両陛下は「リフォームは最小限に」と希望されていた。「両陛下はできるだけ現状のままお住まいになりたいとおっしゃったそうです。国民の負担を極力少なくしたいというお考えなのでしょう。計画されていた運動場や陛下の魚類研究施設も、両陛下のご意向で取りやめになりました」(皇室ジャーナリスト・山下晋司さん)両陛下は引っ越されてから、運動のために皇居の多目的ホールに通われる予定だという。高輪皇族邸は高いビルに囲まれた土地なので、目隠しのための植林が進められている。ほかに邸内の空調設備の取り換えや屋根の防水などが主な改修工事だ。当初約8億4千万円だった予算は、5億円台半ばまで縮小された。「ご退位までお忙しい日々が続きますが、両陛下はお時間を見つけられては私物を確認されているそうです」(宮内庁関係者)皇居からのお引っ越しは大規模なものになるようだ。両陛下の前回のお引っ越しは’93年12月。赤坂御所(現在の東宮御所)から吹上御苑に新築された御所に移り住まれたが、その際に運び出された荷物は2トントラック延べ約100台分。引っ越し全体の予算は約4千万円だった。「陛下のご研究関係の資料や両陛下の蔵書、ご家族の思い出の品など、かなりの量になるはずです。最終的なお住まいとなる現在の東宮御所に倉庫が新設されます。そちらに直接運び込むもの、仮住まいの高輪皇族邸に運び込むもの、この仕分けなどもされているでしょう」(山下さん)
2019年04月13日「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」’59年4月10日午後2時30分に始まった、皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレード。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のり。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。当時、渡邉みどりさん(84)は日本テレビ入社3年目の新米中継スタッフだった。日本テレビのカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えた。渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した。初めて一本立ちのディレクターとして手がけたのは、ご成婚10年の記念番組だ。以降、5年、10年の節目ごとに特別番組を制作した。民間から皇室入りした美智子さまは、乳母制度を廃止し、家族で生活を共にする温かい家庭を基盤とした新しい皇室づくりを目指された。しかし、古くからのしきたりを重んずる皇室方や女官からの風当たりは強かった。そんな美智子さまの苦悩に焦点を当てた渡邉さんの番組は、視聴者の共感を呼び、毎回、高視聴率を記録した。見方を変えれば、渡邉さんの番組は、皇室と民間の距離を縮めようと努められた両陛下の“援護射撃”になっていたのではないだろうか。渡邉さんの人脈と取材網は広く、物おじしないエネルギッシュな姿勢は、周囲の人をも動かした。高松宮喜久子妃にはかわいがられ、ダイヤがちりばめられた門外不出のティアラに触れたこともある。両陛下のご結婚25周年のときには、美智子さまの実弟、正田修氏の単独インタビューに成功。このときは、面識のあった当時の日本テレビ副社長・氏家齊一郎氏に最後のひと押しをお願いし、取材の承諾をもらっている。’85年7月、ロンドン留学中の浩宮さま(当時)のコンサートを取材したとき、演奏終了後に渡すはずの花束を若い女性スタッフが1部終了の拍手のなかで渡してしまうというハプニングが起きた。渡邉さんは、そんなときも機転を利かせ、会場に飾られていた花瓶の花で急ごしらえの花束を作って、終演までに間に合わせている。「花瓶の花だったから、花束がびしょぬれなんです。それでも、宮さまはえんび服がぬれるのもいとわず、笑顔で受け取ってくださった。それこそが、陛下と美智子さまから授かった帝王学だったのでしょう」収録後、スタッフとともにご挨拶にうかがい、渡邉さんがスタッフ紹介を始めると、浩宮さまはこうおっしゃった。「渡邉さんとは上野でお会いしているじゃないですか。あのときのテープ、大切にしています」「テープ」とは、その5年前、浩宮さまが上野のコンサートで首席ビオラを担当されたとき、渡邉さんのチームが撮ったものだ。そのとき浩宮さまのほうから、録音テープとビデオテープを所望されたという。そんなささやかな皇族方とのやりとりも、激務の渡邉さんを支えていた。「実は、美智子さまと4分ほど懇談させていただいたこともあります。’09年11月のことでした」日本記者クラブ創立40周年のパーティに両陛下がご臨席になり、渡邉さんは、代表者に選ばれて懇談の機会を得たという。渡邉さんは、すでに日本テレビを退職し、文化女子大学で教壇に立っていた。教えていたのは「女性学」。美智子さまの生き方に焦点を当てた講義だった。美智子さまとの懇談の内容は、くわしくはオフレコということだが、「私のことを学校で教えてくださっているのでしょう?」と、お優しい笑みを浮かべられていたという。報道の現場を離れた渡邉さんの動向まで、美智子さまは把握してくださっていた――。皇室はまもなく大きな節目を迎えることに。「次の皇后になられる雅子さまは、お手本となる美智子さまがあまりにご立派でいらっしゃるので、大変だと思います。頭のよい方ですから、とりあえずは美智子さまのお手本にならい、そこから新しい時代に合った皇后になっていただきたいと思います」新天皇即位のパレードは、10月に予定されている。「新しい時代のパレードも、ぜひ、この目で見届けたいですね」
2019年04月05日紀子さまが1週間のご予定でオランダをご訪問されていた10月下旬――。キャメル色のライダースジャケットを羽織り、足元にはレオパード柄のパンプス。そんな“肉食系ファッション”で東京都内のコンビニに現れたのは、秋篠宮家の次女・佳子さまだった!リラックスされたご様子で店内をご覧になると、ネット上で音楽などを購入できるiTunesカードを手にレジへ。精算を終えた佳子さまは「お待たせ♪」と言わんばかりの笑顔で、1人の男性のもとへ駆け寄られた――。30代後半とおのしき精悍な顔立ちの男性は、佳子さまの恋人……ではなく“側衛”と呼ばれる皇宮護衛官だ。ただ、ほほ笑み合う二人はまるで親しい友人同士のような距離感。皇族と護衛官の関係について、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんに話を聞いた。「ご公務の場で、皇族方が護衛官と仲良くお話しされることはまずありません。しかしプライベートでしたら、その護衛官との関係にもよりますが、皇族方から話しかけられることはあります。もっとも高松宮殿下や三笠宮殿下のように、護衛官が側にいるのを望まれなかった方もおられました。佳子内親王殿下は、側にいる護衛官の存在を当然のことと受け止めていらっしゃるのでしょう」その翌日もコンビニに立ち寄られていた佳子さま。佳子さまのこうした行動の背景には“小室さん問題”があると語るのは宮内庁関係者。「秋篠宮家の方針として、お子さまの意思を尊重されてきた紀子さまですが“小室さん問題”はその方針まで揺るがしているのです。最近では佳子さまの交友関係にも目を光らせて、私生活の“締め付け”も強くされているそうです」紀子さまがオランダご訪問で不在というこの時期、佳子さまは翌日もコンビニへ。自由な外出もままならない中、コンビニでのひととき、そしてイケメン護衛官との談笑が佳子さまにとって数少ない息抜きの時間なのかもしれない――。
2018年10月30日京都で生まれたテーラーメイド銀座マロニエゲート内にある「ONLY 京都 TAILOR」は、オーダーメイドのスーツ専門店。熟練した職人が手仕事で作り上げるスーツが揃います。自分の体にフィットする運命の一着を探してみて。ほかにはない運命の一着を「ONLY」は京都生まれの紳士服テーラー。第25回日本紳士服技術コンクールにて、最高位である「高松宮技術奨励賜杯賞」を受賞した中西 浩一氏が創業しました。ブランド名の「ONLY」は、「ほかにないもの」という意味を表しています。お客様にとっての最良のスーツづくりを日々心がけ、「着る楽しみや喜びを感じてもらえるように」との思いが込められています。好きを追求できる「テーラーメイド」裏地や、ボタン、ステッチなど、自分好みにカスタマイズできる「テーラーメイド」。世界各国から厳選した良質な生地、時代に合ったスーツのスタイル、ボタンや裏地などディテールまでこだわりほかにはない一着を作ることができます。注文後、自社工場「オンリーファクトリー」で生地の裁断や縫製まで一貫して行われ、約2週間で手元に届きます。シンプルな「ミニマルオーダー」オーダースーツ特有の細かいオプションがなく、シンプルにオーダースーツを作れる「ミニマルオーダー」のサービスも。マスターテーラーの中西氏が厳選し、開発した生地を中心に、ビジネスからフォーマルまで幅広いシーンで活躍する豊富な生地が揃っており、1号から23号まで幅広いサイズ展開があることも魅力のひとつ。ミニマルオーダーは約2か月で手元に届くので、早めの準備がおすすめです。敷居が高いと思われがちなオーダーメイドスーツですが、「ONLY」では採寸専用の「ゲージ服」をフィッティングするだけで、素早く的確なサイズを知ることができます。環境が変わる春こそ、ビジネスシーンの切り札になる運命の一着を探してみてください。スポット情報スポット名:ONLY 京都TAILOR マロニエゲート銀座1店住所:東京都中央区銀座2-2-14 マロニエゲート銀座1 B1F電話番号:03-5159-6202
2018年05月08日銀座エリア最大の商業施設、ギンザ シックス(GINZA SIX)が開業1周年を記念し、4月2日から5月6日までの期間、「GINZA SIX 1周年プロモーション」を展開。≪ Like a flock of starlings work in situ ≫ Daniel Buren 2018 ※イメージ© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1226ギンザ シックス建物中央の象徴的な大きな吹き抜け空間では、50年以上にわたり世界を舞台に活躍するフランス人アーティスト、ダニエル・ビュレン(Daniel Buren)が、銀座の新たな顔となる新作インスタレーションを担当。彼のトレードマークである、8.7センチの赤と青のストライプ模様の旗、計1,500枚がアトリウムを彩る。なお、開業時より同館を象徴するアート作品として親しまれてきた、前衛芸術家の草間彌生によるオープニングインスタレーション「南瓜」は、3月21日まで展示期間が延長される。また、彼の作品は銀座の街へも飛び出し、全長約1,100メートルの目抜き通りである中央通りをアートジャック。ギンザ シックス中央吹き抜けのインスタレーションと連動した90枚のフラッグが、4月2日から5月6日まで街を彩る。《半円から円へ:色彩の旅》 展示風景、ボコタ近代美術館、ボコタ、コロンビア、2017年© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1226ダニエル・ビュレンは、フランス生まれの美術家。1965年から自身の論理に基づいた8.7センチ幅のストライプ模様の作品を数多く制作。その作品は絵画、彫刻、壁面、建物など幅広いメディアに展開され、いままでに数千点以上の作品を制作してきた。1986年にはフランス代表としてベネチア・ビエンナーレに参加し「金獅子賞」を受賞。また、2007年高松宮殿下記念世界文化賞受賞(絵画部門)。近年では、2016年にフランク・ゲーリー設計のフォンダシオン ルイ・ヴィトンの美術館建築をジャックし、話題となった。日本でも横浜トリエンナーレ2005、茨城県北芸術祭(2016年)など数多くの芸術祭や恒久設置を行っている。「GINZA SIX親子能体験教室」※イメージ「GINZA SIX 薪能特別公演」と題し、能楽最大流派である観世流の能の世界を堪能できる場として、初の試みとなる薪能特別公演を屋上のGINZA SIXガーデンにて開催。5月4日の公演では、観世清和(二十六世観世宗家)が出演する。同日には日本の伝統芸能である能を身近に感じることのできる「GINZA SIX 親子能体験教室」も開催。能面などに実際に触れ、親子で謡や舞いの稽古が受けられる参加型のワークショップ。現代アーティスト・小松美羽同館内の店舗では、1周年を記念した限定商品の展開や、国内外のアーティストとブランドがコラボレーションし、特別なイベントや展示を実施。4階のOKANOでは、現代アーティストの小松美羽が1周年を祈念し「小松美羽 GINZA SIX 1周年祈念ライブペイント」を開催。1周年イベント開催期間中は、4階の店舗では、小松の狛犬の作品をOKANOの佐賀錦織で表現した「五徳狛犬」のタペストリーの限定販売も実施される。2階のDELVAUXでは、4月29日と30日に、同ブランドのスカーフデザインや商品案内のブックレットなどのイラストを手掛けるヴァレンティン・デ・コートによる「ライブドローイング」を実施。ライフスタイルや趣味、家族構成などから、その場で一人ひとりのパーソナルに合わせた唯一無二のイラストに仕上げてプレゼントする。6階の銀座蔦屋書店では、4月中旬から下旬に“日本のデザイン”をテーマとしたアートイベントを開催。各分野のコンシェルジュがセレクトした書籍やアイテムを販売する他、トークイベントも開催予定。World Footwear Gallery5階のライカGINZA SIX店では、3~6ヶ月周期で、様々な写真家がライカで撮影した作品を展示、販売。3月20日からは柏木龍馬氏による作品を展示。同じく5階のWorld Footwear Galleryでは、4月2日から5月6日まで“COLOR”をテーマに、アーティストとアルチザンに焦点を当てた展示を開催。アート作品としては、草間彌生の版画ではない本物の絵画作品と、故人で草間彌生の元パートナーであるジョゼフ・コーネルの作品等を展示し、入札方式での販売も予定している。また、アルチザンによるディスプレイでは、革靴への色染めを行う国内のカラリストの第一人者による色染めのオーダーメイドの紳士靴や、オーダーメイド靴を手がける職人によるアーティスティックなレディース靴や漆を使用した様々な色彩のヒールの展示を予定、実際に商品をオーダーすることも可能。開業1周年を記念し、ワールドクラスクオリティのブランドが限定となる特別商品も展開。ファッションアイテムの他、ライフタイル、ビューティー、そしてグルメなど様々なブランドが限定商品を販売する。CARVENまた、限定ポップアップショップもこの期間に合わせて開催。3階のカルヴェン(CARVEN)では、3月28日から5月1日まで、2018年春夏コレクションよりクリエイティブ・ディレクターにセルジュ・ルフューを迎えた新生CARVENのポップアップショップを開催。フローラルバードプリントやパームプリント、ストライプなど、プレイフルでユーモア溢れるパッチワークプリントに仕上げたキャンバストートバッグをギンザ シックス限定カラーで発売。4階では、クレ・ド・ポー ボーテ 「ア ラディアント デイ」と題し、3月28日から5月1日まで、シーンや気分に合わせて自分自身をエンパワーする最高のリップアイテムに出会えるポップアップストアをオープン。名入れしたリップアイテムをスペシャルボックスに入れた特別なギフトも販売する。地下2階のコンフェクション(Qonfection)では4月3日から29日まで、3階のステート オブ エスケープ(STATE OF ESCAPE)、4階のヘザーブランウンギャラリー(Heather Brown Gallery)では5月2日から29日までそれぞれ限定ポップアップストアをオープンする。開業から1年が経ち、文化の発信地“銀座”の新たなランドマークとして定着してきたギンザ シックス。2年目を迎え、これからもさらに、身近にアートと触れ合える機会を創出し、ここでしか味わえない上質な体験を届けていく。
2018年02月20日様々な分野の第一線で活躍する人物に迫るドキュメンタリー番組「情熱大陸」。今夜4月16日(日)の放送では世界的に高く評価される日本刀作りの天才、刀鍛冶の吉原義人(よしはらよしんど)に密着。その匠の技と日本刀人気に迫る。1943年東京都葛飾区に生まれ、幼い頃から弟と共に刀鍛冶であった祖父の初代国家(くにいえ)に師事。1965年に文化庁認定刀匠になると、高松宮賞初め数々の賞を受賞。39歳のとき史上最年少で刀鍛冶の最高位である無鑑査認定を受けることになる。東京都無形文化財保持者であり、海外への積極的な啓蒙活動や後進の指導など刀剣界の発展に尽力、次期人間国宝に最も近い職人といわれる吉原さん。名刀を擬人化したゲーム「刀剣乱舞」の人気がきっかけで、各地の刀剣展に若い女性が押し寄せるなど、ちょっとしたブームとなっている日本刀だが、「日本刀は武器であって、武器ではない」と語る吉原さんに言わせれば刀は本来、それだけ強く人を惹き付ける魅力を持つものだという。そんな吉原さんのもとに源氏の流れを汲む兵庫の神社から、国宝中の国宝として名高い名刀「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」の現代版を作って欲しいという依頼が舞い込む。1,000年前の奇跡の名刀と対峙、「魂の一振り」に挑む吉原さんに番組が1年にわたり密着。当代随一の現役刀鍛冶、吉原さんの息を呑むような技術と日本刀の崇高美を余すところなく伝える。現在若い女性を中心に巻き起こっている“刀剣ブーム”のきっかけとなった「刀剣乱舞」は、2015年にサービスがスタートしたPCゲームが人気となり、同年にはミュージカル化、翌2016年にはTVアニメ「刀剣乱舞-花丸-」の放送開始と立て続けにクロスメディア展開、その人気と勢いはとどまるところを知らない。本作のミュージカル作品にはドラマ「男水!」や「レンタルの恋」にも出演している黒羽麻璃央や、「テニミュ2ndシーズン」の主役・越前リョーマ役や「弱虫ペダル」のドラマと舞台両方で小野田坂道を演じ主演を務めた小越勇輝らが出演。舞台版でも「弱虫ペダル」や映画『行け!男子高校演劇部』の鈴木拡樹、数々の2.5次元舞台に出演している佐々木喜英といった注目の俳優たちが多数出演している。また今年に入ってその勢いはさらに加速。3月には新作ミュージカル「三百年の子守唄」が東京と大阪で上演されたが、続いて新作舞台「義伝 暁の独眼竜」が東京・天王洲銀河劇場で6月1日(木)より上演される。7月からは新作TVアニメ「活撃 刀剣乱舞」もTOKYO MXほかにて放送開始となるほか、TVアニメ「刀剣乱舞-花丸-」2期シリーズも2018年1月に放送を控えるなど、今後も続々新コンテンツが展開予定となっている。生みだされるまでの工程から独特の様式美まで、“武器”としてだけでなく“芸術品”として高い価値を持ち日本刀の魅力と歴史を知ることができる今夜の「情熱大陸」は4月16日(日)23時25分~TBS系で放送。(笠緒)
2017年04月16日窪塚洋介と浅野忠信がアカデミー賞監督マーティン・スコセッシとともに記者会見に登壇し、話題を呼んだ『沈黙-サイレンス-』。スコセッシ監督が、長年温めてきた原作小説の映画化への熱い思いとキャスティングへの自信を明かしていた本作から、窪塚さん、浅野さんが劇中で演じるキャラクターの場面写真が解禁となった。遠藤周作による戦後日本文学の金字塔「沈黙」(新潮文庫刊)を、『タクシードライバー』『ディパーテッド』などで知られるスコセッシ監督が映画化した本作。監督が1988年に原作と出会ってから28年、読んだ瞬間に映画化を希望し、長年に渡り温め続けてきたという待望のプロジェクトだ。江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教(信仰を放棄すること)したとされる師の真実を確かめるため、日本にたどり着いたポルトガル司祭の目に映った想像を絶する日本を舞台に、人間にとって本当に大切なものとは何かを、壮大な映像で描き出す。去る10月19日には、日本美術協会主催の高松宮殿下記念世界文化賞授賞式への出席のため来日したスコセッシ監督と、窪塚さん、浅野さんによる記者会見を実施。監督が「遠藤周作の原作との出会いから28年、家族のような日本人のキャストたちと、特別な経験ができた」と語った会見の余韻も冷めやらぬ中、窪塚さん演じるキチジロー、浅野さん演じる通辞(通訳人)の場面写真が2点解禁された。棄教したとされる師(リーアム・ニーソン)の真実を確かめ、布教するために日本を目指す若き司祭ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は、長い旅の中継地であるマカオで日本人キチジローと出会う。窪塚さんが演じるこのキチジローは、2人の司祭を長崎へと導くガイドとなり、その後のロドリゴの軌跡に重なって登場し、信念に生きようとする司祭と対比をなしていくキーパーソン。人間の弱さを抱えるキチジローを演じた窪塚さんに対してスコセッシ監督は、「力強く演じているだけではなく、心から正直に演じていて、役を心底理解していた。目の前でキチジローが作り上げられていくのを目の当たりにした」と絶大な信頼を寄せていた。今回解禁されたのは、山中で木の枝を持ったキチジローの姿をとらえた場面写真。髪は長く伸びてボサボサ、ヒゲを蓄え、原作中に「襤褸(ぼろ)をまとったこの男」と表現されているとおり、身につけている着物はかなりくたびれている様子だ。一方、通辞役の浅野さんは、長崎奉行にとらえられたロドリゴに棄教を迫る通訳として、流暢な英語を披露する。浅野さんの場面写真は、長崎の奉行屋敷での姿をとらえたカットで、背筋を伸ばして鎮座し、凛とした佇まいで誰かを見つめるその視線が印象的。「監督とのオーディションで言葉を超えた感覚を共有できた」と語る浅野さんに対し、監督は「彼はキチジロー役のオーディションを受けたが、過去の出演作品を観て、通辞役が良いのではないかとオファーした。結果はパーフェクトだった」と明かしている。遠藤周作が原作執筆にあたりテーマにしたのは、“人間の弱さ”。強い信念を持って日本にたどり着いた若き司祭ロドリゴに、執拗にまとわりつくキチジロー。一方、狡猾な言葉を繰り出してロドリゴの信念を屈服させようとする通辞。監督も太鼓判を押す窪塚さんと浅野忠信が演じる2人の日本人は、物語の鍵を握る重要なキャラクターといえそうだ。『沈黙-サイレンス-』は2017年1月21日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年10月25日日本ならではの美と技が織りなす伝統工芸の世界。伝統工芸の保存と後継者の育成を目的とし、公益社団法人・日本工芸会が開催する国内最大の公募展「日本伝統工芸展」が日本橋三越本店で始まった。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸という7部門の重要無形文化財保持者の最新作を始め、一般公募作品より厳正な審査を経て選ばれた入選作品約600点が展示されている。昭和29年3月に始まり、今年で63回目を迎える「日本伝統工芸展」。日本工芸会の副理事長であり、漆芸の重要無形文化財保持者である室瀬和美さんは「普段使いの道具から美の極致の芸術品まで、幅広い層の作品があることが工芸の魅力です。その魅力を国内はもちろんですが、海外にもっと発信していきたい。工芸を“craft”と訳したこともありましたが、日本独自の文化“kogei”として海外へ伝えていきます」と語った。今年の「日本伝統工芸展」では、7部門すべてに受賞作品が存在している。これはなかなか珍しいことだそう。まずは大賞ともいえる日本工芸会総裁賞の丸山浩明作「蝋引楓造象嵌飾箱」(ろうびきかえでつくりぞうがんかざりばこ)が展示されている木竹工エリアへ。柔らかな曲線や水紋のような木目が印象的な作品は「木目の美しさを出すために、漆ではなく蝋引きで仕上げました。内側の箱は黒漆で仕上げ江戸小紋のフランス縞を線象嵌であしらっています」と丸山浩明さん。普段は、木工職人として木の椅子などを手掛ける丸山さん。同作品は8ヶ月かけて完成させたそうだ。「曲線を出すのが難しかった」と日本工芸会総裁賞を受賞した丸山浩明さん。英語でJapanと称される漆。日本美を代表する工芸である漆芸部門では、山岸一男作・沈黒象嵌合子「能登残照」(ちんこくぞうがんごうず・のとざんしょう)と寺西松太作・蒔絵箱「夜景」に注目。山岸さんの作品からは能登の海に沈んでいく夕日が、寺西さんの蒔絵箱からは日本海の漁火の光景が浮かんでくる。昔から変わらぬ日本の風景美がどちらの作品にも描かれている。漆芸の重要無形文化財保持者の室瀬和美さんが手掛けた蒔絵螺鈿飾箱「春映」。桜が川面に映しだされる様を描いている。出品数が群を抜く陶芸部門。九谷焼ベテランの田島正仁作・「彩釉器」(さいゆうき)、京都で作品を手掛ける加藤清和作・藍三彩「1670」(らんさいさい「いちろくぜろなな」)、若手女性作家の高橋奈己作・「白磁水指」(はくじみずさし)の3作品が受賞している。なかでも日本工芸会新人賞を受賞した「白磁水指」は、ほとんどの作家が大きな作品を出品するなか、両手におさまるほどの小さな作品。しかしフォルムのおもしろさ、プリーツのような造形など小さな水指に込められた美の技巧は、観るものに強い印象を与えるはずだ。着ることで完成する“芸術”、着物が飾られた染織部門へ。受賞作の海老ケ瀬順子作・穀織着物「海に聞く」(こめおりきもの「うみにきく」)、穀織(こめおり)とは米粒を並べたような文様の絹織物。植物染料で染めた透明感あふれる水色、穀織の間に施された絣が海の波を感じさせて、まさに“海に聞く”というイメージを想起させる。重要無形文化財保持者の鈴田滋人さん作・木版摺更紗着物「舞花」。白粉花(おしろいばな)が着物一面に咲き誇っている。そしてガラス、七宝、硯、玉、屏風など幅広い分野をカバーする諸工芸ゾーンへ。高松宮記念賞を受賞した松本三千子作・省胎七宝鉢「蒼海」(しょうたいしっぽうはち「そうかい」)。金属製の下地(胎)を用いた通常の技法に比べて、下地を酸で腐食させて表面の七宝部分だけにする省胎七宝焼きには高い技術が要される。青々とした海に果てしなく続く波の動きも、その技あっての表現なのだ。審査・鑑査委員の白幡明さんの「剥貫蓮弁の蓋物」。木を削るようにガラスを削り出し、ガラスの柔らかさを表現。最高峰の工芸を手に取るように近くで鑑賞でき、受賞作品についてはイヤホンガイドで解説を聞くことができるので、この機会に伝統工芸の美と技を体感してほしい。そして万が一、手に入れたくなった場合もご安心を。展示されている工芸品は、ほぼすべてが販売品(非売品もあり)なのだ。芸術の秋、日本橋で伝統工芸に触れてみませんか?【展覧会情報】第63回日本伝統工芸展会場:日本橋三越本店 本館・新館7階ギャラリー住所:東京都中央区日本橋室町1-4-1会期:9月21日~10月3日時間:10:30~19:30(最終日は18:00まで)入場無料
2016年09月23日2013年にハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーが、がん対策のひとつとして、自らの乳房と卵巣の摘出手術をしたことが話題になりました。彼女の選択については賛否両論ありましたが、がんへの恐怖はセレブであっても同じなのですね。2011年の国立がん研究センターによる統計によると、生涯でがんにかかる確率(累積罹患リスク)は、男性は62%、女性は46%です。つまり俗にいわれる「日本人の2人に1人はがんになる」というのは、決しておおげさな数字ではないということがわかります。実際にがんで死亡するのは圧倒的に60代以降ですが、それでも「万が一」を考えて、若いうちからがん保険などに加入する人は少なくありません。事実、20代だと5人に1人、30代になると5人に2人ががん保険・がん特約(全生保)に加入しているというデータがあります。しかし、そこまで備えても、本当にがんになったときに平静でいられる人はごくわずかなのではないでしょうか。おそらくほとんどの人が、「なぜ自分ががんに?」と事実をすぐには受け入れられないことでしょう。がん患者にクスリではなく、言葉を処方する「がん哲学外来」という社団法人団体があります。そこからうまれた「がん哲学外来メディカル・カフェ」は、2008年以来、またたく間に全国に広まり、いまや90ヶ所にものぼるといいます。がん哲学外来の理事長を務める樋野興夫先生に、処方される言葉について、また、メディカル・カフェというローカルな場の持つ力についてお聞きしてきました。■うつ的症状がでたときはどうすればいいのかがんと宣告されて、初めから笑っていられる人など、まずいないでしょう。それどころか、笑いが消えてなくなる人がほとんどではないでしょうか。実際、がん患者の3割にうつ的症状があるといわれるそうです。樋野先生はいいます。「そんなときは、1時間、部屋に閉じこもって深刻に考え込むといいんです」「その心は?」とお聞きすると、「人間は、1時間以上は深刻に考えられない生物なんです。1時間もすると、部屋を出て、ちょっとお茶でも飲もうかという気分になるんです。中途半端に悩むから、一日中悩むことになる」とのこと。これは、普通の悩みにも効き目がありそうですね。■クオリティ・オブ・デスという新しい価値観2008年以来、3,000人以上の患者さん・ご家族に言葉を処方してきた樋野先生。十人十色の患者さんに、それぞれに合った言葉をどのように選んでいるのでしょうか。「頭の引き出しのなかにある、若いときに読んで感銘を受けた言葉や自分が心得としている言葉をポンポンいっているだけ」だそうです。「患者さんの風貌や顔をみていると、『この人にはこういう言葉がいい』という発想が出てくるんです」そんな樋野先生が患者さんに贈る言葉は、ときにドキッとするものもあります。「あなたには死ぬという仕事が残されている」こんなことをいわれると、初めはショックを受ける人がほとんどですよね。「いまの日本で死は日常から切り離されています。クオリティ・オブ・ライフはあっても、日本にはまだ死の質を高めるという意味のクオリティ・オブ・デスはまだないのです」その観点からすると、「死は悪いものではない」という考えなのでしょうか、とお聞きしたところ、「悪いものというよりは、仕方のないもの、不条理なもの」というお答えが返ってきました。ただ、患者さんが若かったり、子どもがまだ小さかったりした場合、なかなかそう割り切れるものではないと思います。その点をもう少しお聞きすると、「それはもう不条理だから、なんのために生まれてきたのか、考えるしかないのです。自分の人生を残された人へのプレゼントとして生き切るという意味で、死ぬという仕事と言っているのです」と教えていただきました。がんはそれに向き合うきっかけに過ぎない、ということなのですね。■心の痛みに対応するには傾聴だけでは不十分メディカル・カフェでは、言葉についで、「対話」を大切にしています。病院や、ときには家庭でさえも得られない「対話」を求めて、患者さんはカフェに集います。樋野先生によると、対話とは、たんなるおしゃべりではなく「心と心のコミュニケーション」。対話は、最近注目されるようになった「傾聴」ともまた異なるそうです。「傾聴は話を聴くことが中心で、聴き手が話す割合は全体の二割程度」であり、「心の痛みに対応するには傾聴だけでは不十分」と樋野先生は考えます。カフェでは、他人の意見の否定や非難はしない、カフェで知った情報は他言しないなどの決まりがあるので、患者さんの尊厳やプライバシーは守られます。病院でも、家庭でも埋められない、医療や心の隙間をうめる仕組みとしてのメディカル・カフェは、その必要性のためか、いま全国でどんどんその数が増えているそうです。カフェの運営には医療事業者をはじめ、多数のボランティアが関わり、がん患者以外にも、がんを克服した人や、がん患者の家族も訪れることも少なくありません。*がん哲学外来で実際に処方されてきた言葉をあつめた『あなたはそこにいるだけで価値ある存在』が、先月KADOKAWAから出版されました。一読して、がん患者でなくとも、心に響く言葉ばかりだと思いました。どう生きるか、またどう死ぬかを見つめるのに、早すぎることはありません。どうぞ手にとってみてください。(文/石渡紀美) 【取材協力】※樋野興夫・・・1954年、島根県出身。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、医学博士。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォックスチェイスがんセンター、癌研究所実験病理部長などを経て、現職。一般社団法人「がん哲学外来」理事長。癌研究会学術賞、高松宮妃癌研究基金学術賞、第一回「新渡戸・南原賞」などを受章。『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(幻冬舎)、『がん哲学外来へようこそ』(新潮新書)、『いい覚悟で生きる』(小学館)、『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など、著書多数。 【参考】※樋野興夫(2016)『あなたはそこにいるだけで価値ある存在』KADOKAWA※一般社団法人 がん哲学外来※最新がん統計-国立研究開発法人 国立がん研究センターがん対策情報センター※平成25年度「生活保障に関する調査」-公益財団法人 生命保険文化センター
2016年05月14日ブラジルのモダニズム建築の父、建築家のオスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)の日本初の大回顧展「オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男」が、10月12日まで東京都現代美術館で開催されている。同展では、オスカー・ニーマイヤーのほぼ1世紀に渡る建築デザインの活動を、図面、模型、写真、映像などによって紹介。代表作のひとつであるブラジル・イビラプエラ公園の30分の1の模型も、約500平方メートルのアトリウムの大型空間で展開している。オスカー・ニーマイヤーの日常や創造の秘密が見れる映像資料や、首都・ブラジリア建設の詳細なドキュメントも展示される。なお、会場は「SANAA」によって、ダイナミックでモダンかつ有機的な曲線でデザインされた。ブラジル国内の主要な建築の設計を手掛け、そのユニークな創造性で高い評価を受けたオスカー・ニーマイヤーは、過去にアメリカ建築家協会ゴールドメダル、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞など数多くの賞を受賞。国民会議議事堂や大聖堂などの首都・ブラジリアの主要な建物設計を行った1950年代の国家の大プロジェクトにも参加している。【イベント情報】「オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男」会場:東京都現代美術館 企画展示室地下2階住所:東京都江東区三好4-1-1会期:7月18日~10月12日時間:10:00~18:00(7月~9月の金曜は21:00まで、入場は閉館の30分前まで)料金:一般 1,100円、:大学生・専門学生・65歳以上800円:中高生 600円:小学生以下 無料休館日:月曜日(9月21日、10月12日は開館)、9月24日
2015年08月07日東京都・清澄白河の東京都現代美術館は、ブラジルのモダニズム建築の父、オスカー・ニーマイヤーの回顧展「オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男」を開催する。会期は7月18日~10月12日(7月21日・9月24日・月曜休館、7月20日・9月21日・10月12日は開館)。観覧料は一般1,100円、大学生・専門学校生・65歳以上800円、中高生600円、小学生以下無料。同展は、2012年に104歳で亡くなる直前まで精力的に設計を続けていた伝説的なカリスマ、ニーマイヤーのほぼ1世紀にわたる建築デザイン活動の全貌を、図面、模型、写真、映像などによって紹介するもの。会場では代表的な建築物を様々なサイズの模型で展示し、代表作のひとつであるイビラプエラ公園の30分の1の模型は、約500平方メートルのアトリウムの大型空間でダイナミックに展開される。また、会場デザインはニーマイヤーに大きく影響され、彼を敬愛してきたSANAAによるもので、ブラジルの光をおもわせる白を基調として、ダイナミックでモダンな有機的曲線で会場を構成しているという。そのほか、ニーマイヤーの日常や創造の秘密をみせる映像資料、壮絶ともいえる首都ブラジリア建設の詳細なドキュメントも展示されるということだ。オスカー・ニーマイヤーは、ブラジル国内の主要な建築の設計を手がけ、そのユニークな創造性によって、内外で高い評価をうけ、アメリカ建築家協会ゴールドメダル、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞など数々の建築賞やレーニン国際平和賞を受賞。代表的な仕事としては、首都ブラジリアの設計が挙げられる。1950年代国家の大プロジェクトである、首都ブラジリアの主要な建物設計(国民会議議事堂、大聖堂など)にたずさわり、ニーマイヤーは創造性豊かな都市をつくりあげた。この成功は建築という概念を超えた歴史的イベントとして、ブラジルの名を世界に知らしめ、ブラジリアは1987年世界遺産に登録された。「建築にとってアートはとても大切です」と語っていたニーマイヤーは、幼いころからドローイングを得意とし、描いた絵をじっとながめてそれが存在するようにたちあらわれると感じていたという。ニーマイヤーのデザインは、フリーハンドの大胆さと自由さ、女性の身体に例えられるように有機的でダイナミックな曲線、生命感とモダニズムの幾何学の調和を特徴としており、その未来的な形は日本の建築家にも多くの影響を与えてきたということだ。
2015年06月15日5月30日公開の映画『あん』のプレミアム試写会が26日、東京・元赤坂の明治記念館で行われ、樹木希林、永瀬正敏、河瀬直美監督、原作のドリアン助川が出席した。ドリアン助川の同名小説を世界が認める河瀬直美監督が映画化。小さなどら焼き屋の求人に応募したハンセン病を経験したことのある一人の老女を主人公に、生きることの意味を描く。この日は特別来賓として高円宮妃殿下がご出席したほか、安倍晋三首相夫人の安倍昭恵さんらも参加した中、主演の樹木は「平成になってやっとハンセン病が世に受け入れられるようになりましたが、それよりもずっと前の昭和23年に高松宮宣仁親王はマスクもせず防御服も持たないで多磨全生園にいらしてハンセン病の方と握手をしている記録があります。国よりも先にそういうものを開いて下さったことに感謝して今日はこの場に立っております」とあいさつ。原作者の助川は「この物語を書きだしたのが7、8年前で12回書き直し、期待していた大手出版社から切られてしまいました。お話を聞いたハンセン病の患者の皆さんの期待を裏切ることになると酒に潰れたこともありましたが、日本を代表する俳優さんや監督さんによって素晴らしい映画となって誕生しました。本当に幸せに思っています」と感慨深げだった。本作は先の第68回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門のオープニングフィルムとして正式出品され、世界の映画人から大喝采を浴びた。4人はカンヌから帰国したばかりで、同映画祭の感想として樹木が「最後に終わってタイトル(エンドロール)が出たら逃げたいと思ってました。そしたら先に拍手が始まり、素敵な洋服を着てバレリーナみたいな河瀬さんが私の手を差し伸べてきてから『勘弁して』と思いました。それぐらい恥ずかしかったです」とコメント。また、ドリアン助川が「映画が終わったら1,000人ぐらいの方が形式的な拍手ではなく、心のこもった拍手をされていました。あのスタンディングオベーションの渦中にいれて幸せでしたし、確実に弾みが付いていると思いますよ」と話すと、河瀬監督が「一気に弾んでいきましょう!」と日本でのヒットに期待を込めた。映画『あん』は、5月30日より全国公開。
2015年05月27日原美術館は20世紀を代表する巨匠の日本初個展となる「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」を開催する。期間は5月23日から8月30日まで。サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)は、50年代前半に作家としての活動をスタート。当時のアメリカでは抽象表現主義が席巻しており、一見子供の落書きにも見える即興的な作風は、その影響によって育まれた。やがてアクションペインティングを発表するようになると、手で描くという身体的所作によって、内なるエネルギーを即興的かつ激情的に表現。57年には拠点をローマに移し、この地に伝わる神話や歴史、文学作品をモチーフに取り入れるようになる。その後、79年にニューヨークのホイットニー美術館で回顧展が行われると、これを機にトゥオンブリーの名は一躍世界に知られるように。晩年には高松宮殿下記念世界文化賞、ヴェニス ビエンナーレ金獅子賞、レジオンドヌール シュヴァリエ勲章などを相次いで受賞している。トゥオンブリーの作品では即興的に描かれる線と絵具の飛沫に、文字、数字、記号などが無秩序に組み合わされている。今回の展示ではそんな彼の作品の中でも、ドローイングやモノタイプといった紙の上に描かれた作品にフォーカス。即興性、速度、劇場、直感といった個性がストレートに感じられるような作品がそろった。なお、今回の展示は03年にサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で開催された展覧会を、原美術館の空間に合わせて再構築したもの。同展では生前のトゥオンブリーが自ら作品の選定に携わっており、後に欧米の主要な美術館を巡回すると大きな話題となった。今回の展示会場では53年から02年にかけて制作された約70点の作品を展示。更に、群馬県渋川市にある別館「ハラ ミュージアム アーク」でも、同期間にトゥオンブリーの作品の一部が公開される。【イベント情報】サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡会場:原美術館住所:東京都品川区北品川4-7-25会期:5月23日から8月30日時間:11:00から17:00(祝日を除く木曜日は20:00まで。入館は閉館の30分前まで)料金:一般1,100円大高生700円小中生500円休館日:月曜日(7月20日は開館)、7月21日
2015年04月04日ディープインパクトやウオッカ、さらにはブエナビスタなど、語感や響きの良い いわゆる"かっこいい"名前が多く見られる競走馬。ところが競走馬の中にはそれらとは一線を画す、個性的かつユニークな名前を持つ馬も存在します。そこで今回は、思わず「なんだこりゃ?」となってしまうような珍名競争馬たちを紹介します。名前についてのちょっとしたエピソードもありますので、トリビアとしてもご活用アレ。■珍名その1 ステキシンスケクン読んで字のごとく、あの島田紳助氏が名前の由来です。馬主さんがご友人だそうで、名前をつける際に、ご本人から承諾を得て命名したそうです。しかもこの馬、名前だけでなくいくつも重賞競争を勝つなど実力も十分。長期にわたって活躍したこともあって抜群の知名度を誇る珍名馬です。■珍名その2 ハシッテホシーノこちらもタレントのほしのあきさんが名付け親ということで、何度かテレビ番組で紹介されたことのある競争馬です。ちなみに、この馬の主戦騎手だった松岡騎手が負傷し、その代役に抜てきされたのが、現在ほしのあきさんとお付き合いをされているとうわさの三浦皇成騎手。もしこのままふたりがゴールインすれば、まさにキューピッドホースということになりますね。■珍名その3 エガオヲミセテ競馬ファン以外にはあまり知名度のない馬ですが、なんと馬名の歴史を変えた一頭なのです。その快挙とは、名前の中に"ヲ"が入っていること。’97年から条件付きで使用することが可能になり、その第1号がこの馬なのです。かわいらしい名前で女性からの人気も高い馬でしたが、残念ながら休養中に牧場火災で焼死。多くのファンが悲しみにくれました。■珍名その4 オレハマッテルゼ不慮の死を遂げたエガオヲミセテの弟馬。この馬を管理する音無調教師は開業以来、なかなかG1レースを勝つことができませんでしたが、’06年に見事G1レースの一つ高松宮記念を制覇。"待っていた人"に最高の勝利を届けた孝行珍名馬です。■珍名その5 ウラギルワヨおおよそ競走馬名とは思えない名前ですが、これでもちゃんと審査にパスして登録されているのです。肝心の競争成績は4戦0勝。いい意味での裏切りもありませんでした。■珍名その6 キゼツシソウ10回出走して一度も勝利なし。馬券を買って応援していたファンが気絶しそうになった珍名馬。競馬好きでもなかなか知らない"通"な珍名馬なので、大いにひけらかしてください。■珍名その7 キヲウエタオトコここまで来るとネーミングセンスうんぬんではない気がしますね。貴重な"ヲ"の文字が使用された現役馬なので、興味のある方はぜひ競馬場に。■珍名その8 モチ自らの名前をアピールするかのごとく、正月すぐのレースを2連勝したアピール系珍名馬。特に2勝目は人気薄からの勝利で、多いにファンをわかせました。でも暖かくなると戦績はイマイチ。今年こそは暖かくなっても勝ってほしい!ほかにも、『ワナ』に『メロンパン』、さらには『オソレイリマス』や『コレデイイノダ』なんて名前の馬も存在します。これらの珍名馬が出馬するレースは実況が非常におもしろいので、機会があればぜひ聞いてみてください。「内側から一気にキゼツシソウ! さらに外からモチが迫る!」なんてことをまじめなアナンサーの声で聞かされたら「競馬なんてどうせギャンブルでしょ?」と冷たく思っている人でも爆笑必至です!今年も6月になれば新米競走馬たちが続々と登場します。その中にはどんな珍名馬たちがいるのでしょうか?いまから楽しみでなりません!(貫井康徳@dcp)【関連リンク】【コラム】競走馬の命名の基準ってあるの?どんな名前でも良いの?【コラム】競馬場へ行こう!女子でも競馬を楽しめるコツ(初心者さん向け)【コラム】知っておきたい競馬用語
2011年05月28日