黒澤明監督の名作映画『生きる』をリメイクした映画『LIVING(仮)』が、2022年以降に公開される。黒澤明『生きる』イギリスを舞台にリメイク1952年に公開された映画『生きる』は、還暦直前に余命半年を告げられた役人が、人生を見つめなおす姿を描いた黒澤明監督の代表作。リメイク版の映画『LIVING(仮)』では、第二次世界大戦後のイギリスを舞台にストーリーを展開する。ノーベル賞作家カズオ・イシグロが再構築リメイク版の脚本を手掛けたのは、小説『わたしを離さないで』などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロ。監督はオリヴァー・ハーマナスが務める。ビル・ナイが主演主演は、『ラブ・アクチュアリー』『ナターシャの歌に』などで知られ、ジョニー・デップ製作・主演作品『MINAMATA−ミナマタ−』への出演も記憶にあたらしいビル・ナイ。その他、Netflix作品「セックス・エデュケーション」のエイミー・ルー・ウッド、『パーティで女の子に話しかけるには』のアレックス・シャープ、トム・バークなどが出演する。【詳細】映画『LIVING(仮)』公開時期:2022年以降出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク原作:「生きる」脚本 黒澤明 橋本忍 小國英雄監督:オリヴァー・ハーマナス脚本:カズオ・イシグロ音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ製作:Number 9 Films
2021年12月19日黒澤明監督の『乱』で、日本人女性として初めてアカデミー衣装デザイン賞を受賞したワダエミさんが、13日に亡くなったことが明らかになった。84歳だった。ワダさんの訃報は「The Wrap」などアメリカの多数メディアも伝えている。ワダさんは20歳のときに演出家・監督の和田勉さんと結婚。画家を目指していたが、勉さんとの結婚をきっかけに舞台や映画の衣装デザインを手掛けるようになる。日本映画では市川崑監督の『鹿鳴館』、大島渚監督の『御法度』など、海外映画ではピーター・グリーナウェイ監督の『プロスペローの本』『ピーター・グリーナウェイの枕草子』、チャン・イーモウ監督の『HERO』『LOVERS』などの衣装デザインを担当した。映画のみならず、舞台やオペラの衣装も手掛け、93年のオペラ「オイディプス王」でエミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞した。Photo by Bryan Chan/Los Angeles Times via Getty Imagesツイッターではファンが「『乱』は私の大好きな映画の一つです。エミ・ワダの衣装は大変美しく、この素晴らしい映画に命を吹き込みました。どうか安らかにお眠りください」「エミ・ワダは、アカデミー衣装デザイン賞を受賞した人の中でも、最もその賞にふさわしい人だった」とワダさんに追悼メッセージを送っている。(Hiromi Kaku)
2021年11月22日秋田発、東京初出店の“文庫カフェ”コーヒーは朝昼晩で異なる味を提供秋田名物「こおり水」とは秋田から東京初出店。「本と珈琲とインクの匂い」を感じる“文庫カフェ”とは商業施設内の一角にありながら、懐かしさと異彩を放つ外観が目を引きます東京「日本橋髙島屋S.C.」の新館4Fに【黒澤文庫】がオープンしました。宮城県仙台市の【青山文庫】、秋田県秋田市の【赤居文庫】に続き、3店舗目となる今回は東京での初出店です。ここは、「本と珈琲とインクの匂い」を感じるカフェをコンセプトに、どこか懐かしさを感じさせる店構えと、一杯一杯丁寧に抽出したハントドリップ珈琲が楽しめます。本や雑貨、壁掛け時計に囲まれた郷愁漂う店内。座席は、カウンター席、中央の大きなテーブル席、2~4人掛けのテーブル席があります“文庫カフェ”とは、その名のとおり、たくさんの本に囲まれた図書館や古書店のようなカフェのこと。店内には至るところに書籍が書籍が飾られていて、すべての本を読むことができます。その並べ方には特徴があり、一般的なカテゴリー分けとは異なり、なんだか個性的。例えば、店内の中央テーブルには「ゴリラ」、「ノーベル賞」、「くじら」、「アインシュタイン」と、様々なカテゴリーの本がまとめて配置されていて、ゴリラに関する本を手に取ったことのない私は、その意外性に思わず興味をそそられてしまいました。そんなテーマの雑多さは、新しい本に出合えるワクワク感をも感じさせてくれます。中央テーブルにある「ゴリラ」のコーナー文庫の貸出コーナー(2週間/50円)もありますもちろん、こちらのウリは本だけではありません。一杯一杯丁寧に抽出したハントドリップ珈琲もお店のイチ推しのひとつ。中でも『黒澤文庫ブレンド』(660円)は、コーヒー豆の輸入や販売を行っている「ミカフェート」のJose(ホセ)・川島良彰氏とコラボレーションした、スペシャルブレンドです。『黒澤文庫ブレンド』。ライトボディの「グッドモーニングブレンド」、しっかりとしたボディがありながらもコーヒーの果実味も感じられる「アフタヌーンブレンド」、深煎りならではのコクが楽しめる「ナイトブレンド」、各660円『黒澤文庫ブレンド』は朝・昼・夜で使用を変えていて、オープンから12時までは「グッドモーニングブレンド」、12時~17時までは「アフタヌーンブレンド」、17時~閉店までは「ナイトブレンド」と、訪れる時間帯で味と香りの変化を楽しむことができます。『こおり水』や『モーニングセット』など、気になるメニューがたくさん!コーヒー以外にもさまざまなメニューが楽しめます。まず、夏の暑い日に食べてほしいのが、秋田の夏の風物詩「こおり水」。昭和初期の秋田にあった老舗店の夏の名物だったかき氷のことで、そのレシピを継承。少し溶け始めた貫目氷を薄く削ることでふんわりきめ細やかな氷の食感を表現し、優しい甘さの白滝シロップを混ぜるなどして、その味わいを忠実に再現しているそう。定番メニューの『あずき白玉こおり水』715円『抹茶こおり水』825円『レモンこおり水』825円。他にも『コーヒーこおり水』825円、『梅酒こおり水』660円、『カルピスこおり水』660円、『カルピスぶどうこおり水』660円、『いちごこおり水』715円、『グレープフルーツこおり水』825円この日は『レモンこおり水』を頂いたのですが、ふわふわとした氷の舌触りと、さっぱりとした爽やかな味わいが暑い夏にピッタリでした。他にも、『あずき白玉こおり水』などの定番メニューに加えて、『コーヒーこおり水』や『レモンこおり水』など自家製シロップを合わせた全9種をラインナップ。店内にあるガレットの焼き台で焼き上げる『ガレット/コンプレット』990円『苺とホワイトチョコのマウンテンケーキ』869円※1日5食限定また、朝限定の嬉しいサービスも。毎朝10時半~11時までの30分間、ドリンクを注文した人のみ、「グッドモーニングセット」が無料で食べられます。セットの食事は、トースト3種(ゆで卵がついた『グッドモーニングトースト』、チーズ×蜂蜜の『ハニートースト』、毎朝変わるトッピングを楽しめる『月替わりチーズトースト』)から1種と、『ひと口デザート』、『小倉あんバター』、それに『ストロベリーヨーグルト』or『フレンチドレッシングのサラダ』が選べます。これが無料なんてとてもお得ですよね。アイスコーヒーの氷が溶けても味が薄まらない客席の目の前で注がれる、喫茶店名物のレモン水ほかにも、焙煎にこだわったコーヒーメニュー、『焼きカレー』(935円)や『煮込みスパゲティ』(935円)、『コーヒー小豆醤油ロールケーキ』(440円)や『黒澤文庫のシベリア』など、ボリューム感と手作りにこだわったオリジナルのフードメニューも数多く揃います。ショッピングの合間に、昭和レトロな文庫カフェでほんの少しの間、時間を忘れて昭和へトリップしてみてはいかがでしょうか。黒澤文庫【エリア】銀座【ジャンル】カフェ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】1,001円~1,500円【アクセス】日本橋駅
2021年08月06日秋田市と仙台市にある文庫カフェが、7月27日東京に初出店しました。カフェの名前は〈黒澤文庫〉。"「本と珈琲とインクの匂い」を感じる文庫カフェ"をテーマにしたレトロで落ち着く空間と、豊富なドリンクとフードメニューを体験してきました。一歩足を踏み入れると百貨店の中とは思えない独自の世界観がそこに。〈黒澤文庫〉は、宮城県仙台市にある〈青山文庫〉と秋田県秋田市の〈赤居文庫〉の3号店です。〈黒澤文庫〉がオープンしたのは、日本橋高島屋S.C.新館の中。お店に足を踏み入れる前からレトロとスタイリッシュが組み合わさった独特の雰囲気にワクワクしてしまいます。店内奥にある机は、ついさっきまで誰かが文章をしたためていたよう。ガシャンと音を立てて動きそうなタイプライター。宮沢賢治の直筆原稿。武者小路実篤の絵。自由に持ち帰れる文庫用のブックカバーとしおりは、デザインも洒落ています。お店に入ってまず目に入るのは、タイプライターや黒電話、地球儀、そして使い込まれた机など懐かしい道具たち。壁には、小説家で画家でもあった武者小路実篤の絵や、東北は岩手県出身の作家、宮沢賢治の直筆原稿が掛かっていて、ゆっくり眺めたくなってしまいました。文庫カフェだけあって、たくさんの本も並んでいます。お店にいる間は自由に読んでOK。窓際のカウンター席に並ぶ文庫本は、気に入ったら1冊100円で購入することもできます。オリジナルのしおりと文庫用のブックカバーが用意されていて、自由に持ち帰れるのもうれしいサービスです。氷や水が載ったワゴンカートは、ウイスキーの提供にも活躍。接客も雰囲気たっぷり。席につくと、スタッフさんが水や氷を載せたワゴンカートと一緒にやってきて、お冷を出してくれます。スタッフは皆さん、珈琲農園の作業着をイメージしたつなぎ姿。このつなぎのユニフォームはその日の天気や気温で違う色のものを着ることになっているそうです。こだわりのコーヒーは〈ミカフェート〉とコラボ。インパクトのあるドリンクメニューも。朝昼夜の3種類ある「黒澤文庫ブレンド」は660円。大きめのカップにたっぷり入っています。〈黒澤文庫〉のこだわりは、豊富なメニューにも。オーダーが入ってから豆を挽いて、ハンドドリップしてくれるコーヒーは、コーヒーハンター、Jose 川島良彰さんの〈ミカフェート〉とコラボ。「グッドモーニングブレンド」、「アフタヌーンブレンド」、「ナイトブレンド」と時間や食べ物との相性を考えたブレンドが用意されています。たっぷり入ったコーヒーは、冷めてしまったら温めてもらえるそう。寒い地方のお店らしいサービスにほっこり。ドリンクのメニューもバラエティに飛んでいて、フラッペカプチーノやアイスココア、コーヒーにアルコールを合わせたカクテルなども用意されています。「クリームソーダ」880円。インパクトがあって、写真映えもばっちりなのは、炭酸水が入った背の高いグラスに、たっぷりのソフトクリームとコーンがのった「クリームソーダ」。ソーダの色は、その日の天気や気温によって変わるのでお楽しみに。フランスの「ガレット」と秋田のかき氷「こおり水」が並ぶフードメニュー。「ガレット コンプレット」990円。「ガレット」は客席から見える位置で焼かれます。「焼きカレー」935円。フードメニューのいち押しは、フランス、ブルターニュ地方の郷土料理「ガレット」です。店内が見渡せる場所で1枚ずつ丁寧に薄く伸ばして焼かれていて、香ばしい香りが店内を漂います。「ガレット」は5種類ありますが、チーズと卵、ハムが入った「コンプレット」が代表メニュー。生地が薄くてもサイズが大きなガレットは、なかなかの食べ応えです。ほかにもあつあつの「焼きカレー」や「チーズトースト」など、喫茶店らしい食事メニューも用意されています。「珈琲醤油小豆ロールケーキ」440円。「珈琲醤油小豆ロールケーキ」はふんわりしたロールケーキの生地の中に醤油が混ぜ込まれています。確かに色は醤油を感じさせますが、あまり味は気にならず、むしろ小豆とクリーム、そして外側に巻かれたクレープ生地のおいしさが全体をまとめています。「あずき白玉こおり」825円。このほかスイーツは、トッピングが目を引く6種類の「シフォンケーキ」や、秋田では夏の風物詩として知られる「こおり水」が夏の限定メニューとして用意されるなど、バラエティ豊かです。一歩足を踏み入れると、さまざまなメニューとお店の雰囲気とともに、ほっとする時間を過ごして欲しいというメッセージを感じる〈黒澤文庫〉。お天気や時間によって起きる変化や本のラインナップなど、何度行っても新しい出会いを感じられそうです。〈黒澤文庫〉東京都中央区日本橋2-5-1 日本橋高島屋S.C. 新館 4F03-6225-256010:30~20:00(19:30LO)休は日本橋高島屋S.C. 休館日に準ずる公式サイト
2021年07月29日内海桂子さん内海桂子さんは2020年8月22日に97歳で大往生。81年にわたって芸人の道を全うした。「芸の道を極めたことが評価され、紫綬褒章と勲四等宝冠章を受章。晩年まで舞台に立ち続けた、現役最年長芸人でした」(スポーツ紙記者)浅草の演芸場『東洋館』の近くにある洋食店『ヨシカミ』が、大のお気に入りだった。「毎月のように通ってくださいました。出番の日は出演後に後輩の方々と4、5人でいらっしゃって、カツサンドやポテトフライなどをつまみに打ち上げ。漫才コンビ『ナイツ』のおふたりを連れてきたこともありますね」(店主の吾妻弘章さん)プライベートでも、夫婦で食事に来ていた。夫の成田常也氏は24歳年下で、内海さんが77歳だった1999年に結婚。マネージャーとしても彼女を支えていた。「ご夫妻でいらっしゃるときは、いつも決まってステーキ。2人で来ると旦那さんが師匠を気遣っていて、仲のよさが伝わってきました。晩年でも食欲はあって、とても元気な様子でした。師匠はオン・オフの切り替えがなく、いつも“芸人・内海桂子”としての矜持を貫いてましたね。声をかけられると握手でも写真でも応じちゃう。みなさんあっての芸人だって、いつも口にしていました」(吾妻さん)下町の自宅周辺では、彼女の死を悼む声が聞こえてきた。「元気なころは毎日、旦那さんと散歩。会う人みんなに挨拶して、太陽のような人だったよ」(近隣に住む女性)地域のイベントや近所の人の結婚式にもまめに参加する、地元愛の強い人だった。「旦那さんは少し前に倒れたみたいで、今は杖が手放せない。自宅は階段がつらく以前、桂子さんの事務所だった近くのエレベーターつきマンションに移ったそう。自宅は誰もいないけど、お孫さんたちが住むって話も聞いたね。3階に大きな稽古場がある立派なお家だよ」(近隣に住む男性)■成田氏に「偲ぶ会」を聞くと12月上旬の昼下がり、成田氏を訪ねると、ちょうどリハビリに出かけるところで、夕方に電話で話を聞いた。ーー晩年の様子は?「今年の頭に『東洋館』での出番がありましたが、それが最後の舞台となりました。そのときはまだ元気でしたね」成田さんは、4月に脳出血で倒れ回復したものの、今も闘病中だという。「孫たちにも会ってません。本当にリハビリの毎日で、会う時間も余裕もないんです」空き家となっている自宅についても、何も決まっていないと話す。「何の見通しも立っていません。孫たちが住むって話も聞いていないし、私に言えることはありません」ーーコロナ禍で偲ぶ会もできませんが……。「ご時世のことは、どうにもなりませんからね……当然、開けたらいいと思いますけど、こればっかりはどうにも」気っ風のいい内海さんの声がもう聞けないなんて、あまりにも寂しすぎる。
2020年12月27日黒澤明監督の『生きる』(1952年)が、『Living』(原題)としてイギリスでリメイクされることになった。「The Hollywood Reporter」などが伝えた。監督は、2011年に『Beauty』(原題)でカンヌ国際映画祭のクィア・パルムを受賞したオリヴァー・ハーマナス、脚本は日系イギリス人小説家で、ブッカー賞とノーベル文学賞の受賞者カズオ・イシグロ(「わたしを離さないで」)に決定。イシグロ氏は「私たちの多くは毎日長い時間、机やパソコンの画面の前に固定される生活を強いられています。新型コロナウイルスが発生してからはなおさらです。そんななか、全体像を見ようとすると、自分のがんばりがどれだけ役に立っているか可視化できず、悩んでいる人もいます。そういった人たちの心に響く物語になると信じています」と語っている。『キャロル』のプロデューサーコンビのスティーヴン・ウーリー&エリザベス・カールセンが製作を行い、「黒澤プロダクション」も関わる。主演は『ラブ・アクチュアリー』で英国アカデミー助演男優賞、『ナターシャの歌に』でゴールデングローブ主演男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞したビル・ナイが務める。共演者にはNetflixの「セックス・エデュケーション」でエイミー役を演じているエイミー・ルー・ウッドが決まっているという。『Living』の舞台は1952年のロンドンで、主人公は第二次世界大戦後に公務員として働くウィリアム。机の上に山積みになっている書類仕事を目の前にしながら、彼は病により余命わずかだと悟る。死を目前としたウィリアムは、単調な人生に意味を見出だす冒険を始めるのだった。『Living』は来春、イギリスで撮影開始予定。(Hiromi Kaku)
2020年10月16日内海桂子さん8月22日に亡くなった内海桂子さん(享年97)。「死ぬ間際になっても、ハーハーフーフー苦しむことなく、目をつむる寸前まで私は元気だと思う。92歳にもなれば、具合が悪い日だってありますよ。でもね、弱音は絶対吐かない。年をとったからって、自分を甘やかしちゃダメなんです」内海さんが5年前、『週刊女性』に語っていた独自の“死生観”とはーー。■働いて稼ぐことは当たり前だから私の学歴は小学校3年生中退。母親が実父と別れて、実家の理髪店で働いていた職人さんと再婚したんだけど、その人の稼ぎじゃ家を借りる敷金20円が払えない。だから「私が奉公に出る」と言って、神田のそば屋で働き始めました。仕事は3つ下の坊ちゃんの子守り。数えの10歳で親を助けていたんですね。4回結婚した母は、いくらお金を渡しても1週間で「なくなっちゃった」と言う人でね。でも、恨んだりはしていません。働いて稼ぐことは当たり前だと思っていたから。12歳のとき、「生きていくためには何か習い事をしたほうがいい」と母にすすめられて、三味線と踊りを習いました。月謝は自分で稼ぎます。近所の鼻緒屋さんで下駄や前壷を糸で留める仕事をして1日10銭。ひと月3円稼いで、月謝に1円50銭。残りは全部親にあげました。そのうち、近所の芸人夫婦から三味線と踊りの腕を見込まれて、地方巡業に連れて行ってもらえることになった。これが漫才師になった原点ですよ。最初は靴を並べたり、洗濯をしたり、世話をしているだけでちっとも芸人にしてくれなくてね。念願の漫才初舞台は、妊娠した奥さんの代役。打ち合わせもなく、突然だったけど、16歳でデビューできました。ところが、浮世の苦労は続くもの。地方を一緒にまわるうち、相方にお手つきにされて19歳で子どもができた。24歳のときも父親のちがう子を出産したけど、稼いだ金を全部ヒロポン(*)に使っちゃうような男でね。*ヒロポン=太平洋戦争下に使用した覚せい剤の一種■“生きる”とは仕事をするってこと空襲で家が焼け、漫才をする場所がほとんどなかった時期は吉原で団子を売ったり、浅草のキャバレーで女給をしたりして、稼げるところならどこへでも行った。はっきり言って、経験してきたことは全部、今でも役に立っています。人間生きていて無駄はない。『苦労嫌うな苦は身の宝苦労しようじゃ蔵が建つ』ってね。ただ金を稼ぐだけじゃなく、経験が財産になって、今も現役の芸人でいられるんでしょうね。自分の寿命なんて考えたことなかったけど、80代は災難続きでした。2度骨折をして、乳がんの手術も受けた。がんと診断されて“死”が頭をよぎらなかったと言えば、そりゃ嘘になりますよ。でもね、煩ったことはないんです。余計な心配なんてする暇なく「舞台に戻らなきゃ」と思うから、寝ちゃいられませんよ。“内海桂子”という看板を出せば、ほかに間に合う人間はいません。私にとって、生きるってことは仕事をするってことなんですね。64歳のとき、今の亭主と出会って私の人生はまた新しくなった。未婚のまま2人の子どもを育てたけど、惚れた腫れたで結婚したのは彼が初めて。24歳も年下だけど、いびり合いっこしながら毎日仲よくやっています。亭主の稼ぎで生活するのも初めてね。男に食わせてもらったことはなかったから。だけど、人生やっぱり男があって女がある。亭主を見ていると、今でも「この顔の子どもを産めたらいいのになぁ」って思いますよ。ここまで一緒に生活してきたんだから、死んだ後もそばにいたい。墓があると安心しますね。3年前、松が谷の行安寺に新しく墓を建てたんですよ。安藤の姓を後世につないでいきたい思いもあります。死後のことは基本的にはお任せしていますが、葬儀に必要な銭だけは用意しています。たぶん足りるでしょう。48年間コンビを組んだ相方の好江ですら先に逝ったきり蘇ってこないから、死後の世界があるかなんてわからない。でも、死んだら終わりってことはないですよ。人は死んだ後も生きた証を残すから、歴史が積み重なっていく。■酒を割るように死ぬまでに私の“仕事”をまねしてくれる人がいたらいいなと願っています。私だって100年前の漫才を見て覚えて、今もやっている。時代が違えば考え方が変わるのは当然。ただ、昔を活かすことができる人間は生きるのも楽なんですよ。今の人たちはちょっと歴史を軽視して自分の判断だけでやるようなところがある。焼酎をいろんなもので割るように、昔と今の時代を掛け合わせてやればいいんですよ。そのためにも、「こんな風変わりな90歳もいた」って世に伝えていくことが生きている私の義務。ただ年をとればいいってもんじゃない。『酒は1合ご飯は2膳夜中に5回もお手洗い百まで8年訳はないみなさまどうぞ宜しく願います』※週刊女性で連載していた『生きるって死ぬって……いま伝えたいこと』の取材で92歳当時に語ってくださったお話を再掲載したものです。
2020年09月09日2017年、三越劇場で当時94歳とは思えないほど力強く三味線を弾いていた内海桂子さん「死んだら終わりってことはないですよ。人は死んだ後も生きた証を残すから、歴史が積み重なっていく」そう週刊女性に語っていた内海桂子さん。8月22日、多臓器不全のため都内の病院で息を引き取っていた。その人生は波瀾万丈のひと言。「1922年に千葉の銚子で生まれました。家計を支えるため、小学校を3年生で中退し、働き始めたそうです。12歳のときに母親のすすめで三味線と踊りを習い始め、稼いだ少ない給料から月謝を払っていた」(スポーツ紙記者)16歳で漫才師としてデビューしたが……。「桂子師匠は当時、珍しかったシングルマザーのはしりでした。19歳のときに相方芸人の子どもを出産。24歳のときには別の男性との子どもを出産。1人目は妻子持ち。2人目は働かず、桂子師匠の稼ぎを覚せい剤に使ってしまうようなダメ男。だから女手ひとつで子育てすると決めたが、空襲で演芸場が焼けてしまった。それで団子を売ったり、キャバレーで女給をしたり、子どものためには何でもやったそうですよ」(同・前)戦火を乗り越え“シンママ”として子育てをしながら力強く働いた。1950年には14歳年下の内海好江さんとコンビ『内海桂子・好江』を結成。「粗削りだった好江さんを本当に厳しく指導したようです。ほかの漫才師から“鬼ばばあ”と言われるほど。その後、人気漫才コンビとなり1982年に漫才師では初となる芸術選奨文部大臣賞を受賞したのです」(芸能デスク)だが、好江さんは1997年に61歳という若さで他界。相方を失っても《私にとって生きるってことは仕事をすること》と語り生涯現役を貫いた。■77歳の時に24歳年下夫と結婚パワフルに働き続ける桂子さんが、週刊女性で人生の秘訣について教えてくれたことも。「私だって100年前の漫才を見て覚えて、今もやっている。昔を生かすことができる人間は生きるのも楽なんですよ。今の人たちはちょっと歴史を軽視して自分の判断だけでやるようなところがある。焼酎をいろんなもので割るように、昔と今の時代を掛け合わせてやればいい」大正、昭和、平成、令和の4時代を生きた、桂子さんだからこそ語れる言葉。晩年は度重なる病気やケガに見舞われたが、それを支えたのが77歳のときに結婚した、24歳年下の夫だった。3年前に取材した際、身体の不自由な桂子さんをうれしそうに支える姿が印象的だった。今冬で結婚21年を迎えるが、その幸せな夫婦生活も終わりを告げた。取材時に披露してくれた都々逸では、「酒は1合ご飯は2膳夜中に5回もお手洗い100まで6年訳はない」と歌っていたが、今年9月12日で98歳だった。「東京五輪を見届け、100歳で現役の芸人でいるのが夢と語っていたのですが……」(前出・芸能デスク)100歳まで、あと2年と少しだった。
2020年09月01日8月22日に亡くなった内海桂子さん(享年97)。実は本誌97年10月28日号で、桂子さんは相方・好江さん(享年61)との48年にもわたる漫才生活を回想。好江さんが亡くなってすぐの取材だったが、多くの思い出を語ってくれていた。38年、16歳で漫才師になった桂子さん。そのデビューは夫婦漫才ユニットの、女性側の代役というものだった。そして12年後の50年、好江さんと漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成した。結成当時、好江さんは14歳!そのいっぽう両親はどちらも漫才師という“サラブレッド”でもあった。そのため、桂子さんは「厳しくした」と語っている。「なまじ楽屋を知っているものだから、偉い浪曲の先生にふざけたりしたら、鼻持ちなんないガキになってしまう。だから、きびしくしましたよ。『内海桂子は鬼ババだ』って言われたもの」しかし、その厳しさがたたったこともあったという。「NHKの漫才コンクールに3回も落っこって、『こっちは15年もやってんだ。おまえが悪いんだよ!』って言ったら、夜中に睡眠薬飲んじゃってね。飲みすぎたからよかったんだけど、適量だったら死んでいたんだって。お母さんに申しわけなくてね。一晩中、好江ちゃんのそばに座っていましたよ」活躍をし続けるなか、ギャラの配分のことで揉めることもあったという2人。また好江さんは自身が結婚した66年頃、1人の仕事を増やそうとしていたと桂子さんは明かしている。そうして紆余曲折あった2人だが83年、女性漫才師として初となる芸術選奨文部大臣賞を受賞することに。桂子さんは、そのときに好江さんから言われた言葉を忘れられないと教えてくれた。「そんなこんながあったわけだけど、あの賞をいただいたとき、あの子はじめて舞台の上で、『お姉さん、ありがとう』と言ってくれたの。『お姉さんがいろんな面でやってくれたから』ってね」しかし97年10月、好江さんは胃ガンで死去。桂子さんはそれまで好江さんの病状を何も知らされていなかったため、ショックが大きかったようだ。「亡くなる日の朝、マネージャーから電話があって、行ったら、痩せた瀬戸物の人形のようになって、ふとんに入っているのよ。もう冷たくなって……。あたしはくやしくて、腹が立って、思わず『馬鹿!』って叫んでしまったの」14歳上の桂子さんよりも先に、好江さんが逝くとはーー。その衝撃を堪えながらも桂子さんは当時、「あたしは生きてる間はしゃべりつづけますよ。芸人として、あの子のぶんまで生きてしゃべります」と宣言。さらにこう語ってくれた。「死んだら死んだで、閻魔さまの前で漫才をやらなくちゃ。三味線を持って行って閻魔さまの前だって、好江ちゃんと2人で精いっぱいね」好江さんが亡くなって約23年。逝去した桂子さんは、久しぶりの再会を喜んでいることだろうーー。
2020年08月31日漫才師・内海桂子(本名・安藤良子)さんが22日に多臓器不全のために97歳で亡くなったことを受け、同じ所属事務所のお笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良と南原清隆が28日、事務所の公式サイトで追悼コメントを発表した。内村は「突然の訃報にとても 驚いています。お会いする度 未熟な私にもいつも優しく寛大に接してくださいました。あの笑顔を忘れません。師匠、本当にありがとうございました。心より ご冥福をお祈り申し上げます」と感謝。南原は「デビュー前の頃、桂子師匠を見て芸人としての生き方、厳しさを学ばせていただきました。これからも長生きされて色々な事を教わりたかったのに残念でなりません。舞台で三味線を弾き、歌い笑う、ありし日のお姿を偲びつつ、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。内海さんは1922年に東京に生まれ、50年に内海好江さん(97年死去)と漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。58年にNHK漫才コンクールで優勝し、82年には漫才師として初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞した。最近では漫才界の最長老でありながら、浅草演芸とマセキの後輩である弟子のナイツに愛嬌あるキャラクターをイジられるなどして広い世代に知名度を集め、独特の言い回しによるTwitterも話題だった。
2020年08月28日漫才師・内海桂子(本名・安藤良子)さんが22日に多臓器不全のために97歳で亡くなったことを受け、弟子のお笑いコンビ・ナイツの塙宣之と土屋伸之が28日、所属事務所の公式サイトで追悼コメントを発表した。塙は「『言葉で絵を描きなさい』」師匠から何度も教えて頂いた指導です。誰より漫才を愛した師匠でした。意志を継いでいくので安心してゆっくりと休んでください。本当にありがとうございました」と感謝。土屋も「とにかく舞台が好きで、お客様への愛情に満ちた師匠でした。最後まで芸人として力強く生ききったその姿を間近で学ばせて頂くことができて、僕らはきっと日本一幸せな漫才師です。本当にありがとうございました」と思いをつづった。内海さんは1922年に東京に生まれ、50年に内海好江さん(97年死去)と漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。58年にNHK漫才コンクールで優勝し、82年には漫才師として初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞した。最近では漫才界の最長老でありながら、浅草演芸とマセキの後輩である弟子のナイツに愛嬌あるキャラクターをイジられるなどして広い世代に知名度を集め、独特の言い回しによるTwitterも話題だった。
2020年08月28日手を繋いで歩く、内海桂子さんと夫でマネージャーの成田常也さん(’17年)撮影/佐藤靖彦漫才コンビ『桂子・好江』で人気を博し、女性漫才師の第一人者として活躍した内海桂子さんが22日、多臓器不全のため都内の病院で亡くなった。97歳だった。大正11年生まれ、昭和、平成、令和という4つの時代を駆け抜けた桂子師匠。昭和13年に漫才師としてデビューし、芸歴は81年。長きにわたり第一線で活躍し、1989年には紫綬褒章、1995年に勲四等宝冠章を受章し、まさに国宝級の現役最年長芸人だった。プライベートでは、1999年、77歳のときに当時53歳だった成田常也さんと結婚。成田さんからの猛アプローチから始まり結ばれたという2人の結婚は、ふたまわりもの“年の差婚”として話題を呼んだ。そんな成田さんは今年4月に脳出血で倒れ、別の病院に入院中だったという。だが、8月に入って奇跡的な回復を見せ、27日に近親者のみで行われた密葬には参列することができたという。『週刊女性』は3年前、94歳だった桂子師匠を取材。そこでも2人は、夫婦として仲睦まじい様子を、また芸人とマネージャーという関係で阿吽の呼吸も見せていた。取材で語られていた2人の微笑ましい“ラブロマンス”とはーー。週刊女性2017年7月11日号に掲載した、桂子師匠の生き様に迫った「人間ドキュメント」の中から一部抜粋、再掲載する(以下、本文は掲載当時のまま)。◆◆◆■300通にも及ぶ“手紙攻勢”桂子さんのマネージャーであり、最愛の夫でもある成田常也さんは現在70歳。彼女より24歳年下である。新潟生まれで、小学校のころからラジオで聴く漫才や漫談、落語が好きな少年だった。中でも、内海桂子好江や林家三平が大好きだったと言う。「僕は三味線の音が好きだったんですよ。実家が魚屋をやっていて、よく家で宴会が開かれ、小さなころからお酒のお燗(かん)の役を務めていました」当初、成田さんは、てっきり芸人筋の方だと思われていた。見た目のとぼけた風貌も浅草の芸人らしい。ところが実はさにあらず。成田さんが、桂子さんと初めて出会ったのはアメリカの会社員時代。桂子さん64歳、成田さんは40歳で未婚だった。日本航空系の会社勤務のエリートである。そこでは「日航寄席」という演芸会が年に何度かアメリカ各地で開催され、成田さんは日本から芸人を呼ぶ仕事を任されていた。憧れの内海桂子好江コンビは、いつか呼んで生で芸を見てみたい芸人ではあった。「よし、接触してみよう」と成田さんは思い、内海桂子の連絡先に国際電話を入れてみた。電話口に出たのは、桂子さん本人だった。帰国し、桂子さんの家を訪ねたのだった。そのとき、成田さんは、桂子さんが成田さんの思い描く芸人のイメージと違うことに気がついた。「ちゃらんぽらんじゃないと思いました。そして、言葉に真実味を感じた。さらに、着物姿が美しかったことにも惹かれましたね」結局、アメリカでの公演は実現しなかったのだが、それから成田さんの手紙攻勢が始まる。1年間で300通。毎日のように、桂子さんの家に成田さんの手紙が届いた。当時、娘とその孫と同居していた桂子さんは、当時のことをこう思い出す。「孫がね、毎日手紙を持ってくるんです。また、この変な人から手紙が来てるよ、とね」300通を超える手紙の、最後の1通に成田さんはプロポーズの言葉をしたためた。そして、アメリカで一緒に暮らさないか、と打ち明けたのだった。しかし、師匠の返事はノー。「そりゃそうさ、あたしがアメリカなんかで暮らせるわけはない。浅草の家には娘も孫も母もいるわけだしね。みんな、あたしがいないと干上がっちまう」。普通ならば、ここで断念するのだろう。だが、成田さんの情熱は少しも衰えることなく、「ならば私が東京に行きましょう」と切り出したのだった。長年勤めたアメリカの優良企業のポストを捨てる覚悟を決めたのだ。そして成田さんが帰国。同居生活が始まった。当初は、桂子さんの「仕事のない人とは暮らしたくない」という理由から、成田さんは家具会社の社長室長の仕事をしていたが、2年後には桂子さんの仕事をサポートすることに。同居当初は「遺産狙いじゃないか」などと言われた成田さんだったが、次第にその誠実ぶりが家族に認められていった。成田さんより5歳年上で結婚には反対だった桂子さんの長男も、病床での最後の言葉が「母をよろしく」だった。そして同居から15年が過ぎた’99年、2人は島根県の出雲大社で結婚式を挙げ、その模様はテレビで放映されたのだった。■とにかく仕事をしているのが一番楽しい「師匠は舞台の時間を守らないんですよ」と言うのはナイツの塙宣之さんだ。「しゃべってるうちに話が終わらなくなっちゃうんですね。“師匠、時間です”と言っても耳が遠いから聞こえないし、そんなときは3段階でやめさせる。最初は舞台袖から懐中電灯で光を当てる。まだダメなら緞帳(どんちょう)を下ろしちゃう。それでもダメなら僕が舞台に出て行って着物の袖を引っ張って連れ戻すんです(笑)」売れっ子漫才師・ナイツは、2001年から桂子さんに弟子入りしている。初対面はどんな印象だったのだろうか。土屋伸之さんが言う。「大御所なので、怖い人だと思ってました。でも、自分の祖母とおんなじで優しいおばあちゃん。おそらく昔の弟子には厳しかったんでしょうね」桂子師匠は基本的なことを教えてくれると塙さんは言う。「手取り足取りという指導ではなく、とにかくお客さんの前に出るときはちゃんとした格好で出なさい、とか。だから僕らいつもスーツなんです。あと、これは僕らにまさに足りないんですけど、“芸を身につけなさい”ということ。唄だったり、楽器だったり、踊りだったり……。だから僕らは必要なとき(踊りをやらなければならないとき)に稽古をつけてもらいに行ったり、習ったりしてますよ」東京都台東区竜泉──。浅草にもほど近い下町情緒の残る一角に、桂子さんと成田さんが住む家がある。食事は、朝昼兼用の1食と夕食の2回。用意はすべて成田さんの仕事だ。「といっても、お惣菜を買ってきて、お味噌汁はインスタント。今は美味しいものがありますからね」と成田さん。毎晩、1合の晩酌が何より楽しみ。桂子さんがぼやく。「ホントは、もう少しお酒が飲みたいのに、この人が1合しか持ってこないの。知ってるんだから、上の部屋に1升瓶がいっぱいあんの。あたしは、絵や字を描くのも好きだけど趣味じゃない。だって売れるんですもの。とにかく仕事してるのが一番楽しいね」仕事は、月に6回ほど浅草の東洋館に出演。ほかにテレビや地方での仕事もある。あとはリハビリに励む毎日だ。塙さんがあきれながら言う。「最近“東京五輪では、100歳になっておかないといけない”なんて言い出してる。だから今年で96、97とか平気で嘘を言うんですよ。すごい芸人根性なんだけど、まあ立派な詐欺ですからね(笑)」『人間ドキュメント』取材・文/小泉カツミ
2020年08月28日2020年8月28日、漫才コンビ『内海桂子・好江』で人気を博し、漫才界の大御所として活躍した内海桂子さんが同月22日に亡くなっていたことが明らかになりました。内海さんは97歳でした。所属事務所のマセキ芸能社は、公式サイトで以下のように発表しています。関係各位弊社所属の内海桂子が2020年8月22日23時39分、多臓器不全のため永眠いたしました。(享年97歳)ここに生前に賜りましたご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせ申し上げます。ご遺族の意向により、通夜及び葬儀は、近親者のみにて執り行なわせていただきました。誠に勝手ながら、ご香典・ご供花・ご供物の儀も、固くご辞退申し上げます。マセキ芸能社ーより引用大正11年生まれの内海さんは、漫才活動のほか、映画やドラマ、バラエティ番組などにも出演。社団法人漫才協会の会長も務めていました。また、1989年には紫綬褒章を受章するなど多くの功績を残しています。ネット上では、内海さんへの追悼コメントが多数寄せられました。・内海師匠、大往生ですね。母を見ているようで大好きでした。安らかにお眠りください。・本当に楽しい漫才と、素晴らしい三味線を聞かせていただきありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。・こちらの世と同じように好江師匠とあの世の人を笑わせてくださいね。長きにわたり漫才の第一線で活躍し、多くの人に笑顔や幸せを届けた功績は語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月28日芸人の内海桂子(本名・安藤良子)さんが22日23時39分、多臓器不全のために亡くなっていたことが分かった。享年97。28日、所属するマセキ芸能社が発表した。遺族の意向により、通夜・葬儀は、近親者のみで執り行われた。内海さんは1922年に東京に生まれ、50年に内海好江さん(97年死去)と漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。58年にNHK漫才コンクールで優勝し、82年には漫才師として初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞した。最近では漫才界の最長老でありながら、浅草演芸とマセキの後輩である弟子のナイツに愛嬌あるキャラクターをイジられるなどして広い世代に知名度を集め、独特の言い回しによるTwitterも話題だった。最後のツイートは、今年4月10日に「そう簡単には成果は出ないのだろうが、電車も道路も街中ガラガラになる位みんな頑張っているのに感染者数がうなぎ上りに上がっているのはどうゆうことなのか全くちんぷんかんぷん。感染検査が多くなった故なのか等中々細かく説明してくれる人が少ない。各自の勝手な判断がより多くの分裂を起こしそう」と、新型コロナウイルス影響を危惧するものだった。
2020年08月28日黒澤明監督作、映画『羅生門』の公開70周年を記念した展覧会が、国立映画アーカイブ 展示室にて、2020年9月12日(土)から12日6日(日)まで開催される。その後、2021年2月6日(土)から3月14日(日)までは、京都府京都文化博物館 総合展示室を会場に実施予定だ。日本映画界の巨匠、黒澤明の代表作『羅生門』1950年に劇場公開された映画『羅生門』は、今でこそ、黒澤明の代表作として知られるが、当時国内では、大ヒットにはならなかった。しかし、黒澤明の芸術的な野心が認められ、 1951年9月には、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、1952年3月には、米国アカデミー賞名誉賞を受け、国際的な評価を確立。黒澤の、ひいては日本映画の水準の高さを世界に知らしめ、戦後復興の象徴とも言える作品となった。『羅生門』を“徹底解剖”、名優たちにも注目『羅生門』の凄さは、黒澤の卓越した演出力はもちろん、それまでの日本映画の作り方を革新した数々のスタッフワークにある。さらに、出演キャラクターの人物像をくっきりと創造した三船敏郎・京マチ子・森雅之・志村喬といった名優たちの存在もまた、『羅生門』を“代表作”にした所以だ。本展では、世界初展示の品も含め、名スタッフの功績をデジタル展示も用いて紹介するほか、名優にも注目する。さらに、ヴェネチアでの受賞をめぐる当時の資料や、この映画が世界に与えた影響についても触れる。第1章:企画と脚本『羅生門』は、名脚本家・橋本忍が、デビュー前に書いたシナリオをもとにした作品であり、完成までには多くの変転があったという。第1章では、芥川龍之介作品への着目から始まったアイディアが映画の企画となり、ひとつの映画シナリオへと結実するまでを紹介し、橋本忍の脚本術を紐解く。第2章:美術第2章で焦点を当てるのは、製作時から話題となっていた映画美術。一見安上がりな企画だった『羅生門』が、撮影準備中、黒澤のイメージが膨らむことで、通常の予算を上回る巨大なものとなった、その背景に迫る。第3章:撮影と録音太陽に向けられたカメラや近隣の水道を止まらせるほど大量の水を使った雨のシーンなど、『羅生門』の撮影は、唯一無二のエピソードをもつ。第3章では、撮影の宮川一夫、スクリプターの野上照代の撮影台本を使った新しいデジタル展示の試みや、関係者のインタビューを交えながら、撮影の秘密を明かす。第4章:音楽『羅生門』前後の黒澤作品の音楽を手掛けた早坂文雄は、優れた作曲家というだけではなく、黒澤の創作活動にも影響を与えた。有名なボレロ形式のテーマの楽譜スケッチなど、貴重な資料を通じて、第4章では、映画の構成を活かした早坂独自の創作術をかいまみる。第5章:演技第5章では、限られた登場人物と複雑な構成を持つ『羅生門』を成功させた、俳優たちの多大な貢献に着目。時代を超えた名俳優たちが、本作にどのように向き合ったかを三船敏郎と志村喬の撮影台本や、京マチ子旧蔵写真アルバムなどで紹介する。第6章:宣伝と公開第6章では、初公開からヴェネチア国際映画祭受賞後の凱旋上映やリバイバル公開など、国内上映の軌跡を追う。特に、劇場公開オリジナルポスターや公開直前に開催された特別試写会など、金獅子賞受賞前の『羅生門』を伝える貴重な資料を揃える。第7章:評価と世界への影響1951年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞は、世界が日本映画を“発見”したと同時に、日本映画界が世界に通用する自らの実力に気づくきっかけとなった。最終の第7章では、ヴェネチア映画祭出品の経緯とともに、受賞後の反響と影響を多角的に紹介する。三船敏郎の生誕100年記念展では『羅生門』上映も関連企画として「生誕100年 映画俳優 三船敏郎」も2020年10月2日(金)から10月22日(木)まで同館の長瀬記念ホール OZUで開催。戦後日本映画を代表するスターとして活躍しながら、監督、プロデューサーとしても活動し、世界中に多大な影響を与えた三船敏郎の軌跡を追う。同企画では、『羅生門』の上映も実施される。【詳細】公開70周年記念 映画『羅生門』展(Rashomon at the 70th Anniversary)会期:2020年9月12日(土)~12月6日(日)会場:国立映画アーカイブ 展示室(7階)住所:東京都中央区京橋3-7-6休室日:月曜日開室時間:11:00~18:30(入室は18:00まで)料金:一般 250円、大学生 130円※シニア・高校生以下及び18歳未満、障害者(付添者は原則1名まで)、国立映画アーカイブのキャンパスメンバーズは無料※料金は常設の「日本映画の歴史」の入場料を含む※学生、シニア(65歳以上)、障害者、キャンパスメンバーズはそれぞれ入室の際、証明できるものを提示※国立映画アーカイブの上映観覧券(観覧後の半券可)提示で1回に限り一般200円、大学生60円※2020年11月3日(火・祝)は料金無料■巡回展 京都会場会期:2021年2月6日(土)~3月14日(日)会場:京都府京都文化博物館 総合展示室住所:京都府京都市中京区東片町623-1※展示内容は一部変更になる場合あり【問い合わせ先】TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
2020年08月22日アンダーカバー(UNDERCOVER)の2020年秋冬ウィメンズコレクションは、同シーズンのメンズコレクションのイメージソースにもなった黒澤明の傑作とも言われる『蜘蛛巣城』がインスピレーションとなった。ウィメンズコレクションでは、主人公・鷲津武時に寄り添い、彼を翻弄した妻・浅茅を表現している。主人公・武時を翻弄し続けた妻・浅茅とは『蜘蛛巣城』は、合戦で手柄をあげた主人公・武時が、森で出会った老婆の予言を発端に欲望と狂気に溺れていく物語。武時が精神崩壊したその裏には、妻である浅茅の存在があった。浅茅は、その中で夫である武時の野望の裏で、自身の野望も満たそうと企み、彼を翻弄していく。映画の世界を再現する“和”のディテール物語の舞台は戦国時代。その世界観を顕著に表すのは和服のディテールで、それは、肩衣のようなフリルの装飾、着物のような重なりのガウンコート、袖丈が長く振りのあるアウター、袴のようなシルエットのワイドパンツといった具合に表現されている。コートやワンピースには、帯のような腰ひもが取り付けられ、バックスタイルには“結び”が存在する。浅茅といえば、怜悧で美しい妻である一方、どこまでも不気味であり、それが『蜘蛛巣城』をより印象深い作品にした要因でもある。今回のコレクションでは、アンダーカバーの真骨頂であるグラフィックの掛け合いによって、そんな彼女の魅力が引き出されている。特にゴシック的なエッセンスが強く、着物のようなシルエットのガウンは、ダブルフェイスのストライプ柄。オーバーサイズのムートンジャケットは、ダークなレースプリントをあしらった。シルエットも同じく中世ヨーロッパを想わせ、特に象徴的なのが取り外し式の袖だ。リボンを結び取り付ける片袖は、パフスリーブなど大胆なシルエット。チェック柄の中綿コートはバックロングの余韻たっぷりで、まるでトレーンを引くドレスのような雰囲気を纏う。パニエとチュールで膨らんだドレスルックは、裾にかけては大胆なグラフィックを纏いながらも、トップにはフェザーを無数にあしらうことで、まるで不穏な霧に包まれる風景すら浮かびあがらせた。
2020年05月09日株式会社ディノス・セシール(本社:東京都中野区)は、人気園芸研究家の吉谷桂子さんと、園芸のプロも愛用するトップレベルの土・有機肥料ブランド「Biogold®(バイオゴールド)」とのコラボレーションアイテムとして、薄めずそのまま使えるスプレータイプの活性液「バイオゴールドミスト」を、ディノスで展開するガーテンアイテムのカタログ「GARDENSTYLING(ガーデンスタイリング)VOL.39」の発行に先立ち、ディノスオンラインショップで、2020年3月6日に新発売しました。植物との暮らしが、もっと楽しい時間にこのたび新登場の「バイオゴールドミスト」は、人気園芸研究家の吉谷桂子さんの監修のもと、天然成分の「アミノ酸」を従来品より高配合し、日本の土に少ないとされる「マグネシウム」も配合した、植物用活性液です。ミスト状ならではの微細な粒子によって、葉裏や葉先まで栄養が行きわたるため、使うごとに葉が目に見えていきいきとします。早朝か夕方1日1回の散布でOKな手軽さも魅力。コンテナ栽培でも、ハーブの香りや果実の実付きがアップするため、植物と過ごす時間がもっと楽しくなります。高い安全性が認められた有機JAS規格別表適合資材です。同条件で栽培のガーデンレタス。ミストを使うと生き生き。■有機JAS規格別表1適合資材バイオゴールドミスト・1本…2,400円(税抜)・お得な2本組…4,600円(税抜)容量…500cc(1本)00日本製◆吉谷桂子さんプロフィール英国園芸研究家、ガーデンプロダクトデザイナー。7年間英国に滞在した経験を生かしたガーデンライフを提案。さまざまなイベントや雑誌などに出演するほか講師を務め、著書も多数。また、国際バラとガーデニングショウやレストランの植栽デザインを担当。2013年春にファッションブランド「shadeYOSHIYAKEIKO」を立ち上げた。◆Biogold®(バイオゴールド)株式会社タクトが開発。植物の基本である「根」に着目し、「白く太い根に育てる」「生きた土壌を作る」ことを目指した土・肥料・活性液で、業務用として20年以上の実績を誇り、世界中のプロフェッショナルが愛用。自然由来の天然素材で薬剤や防腐剤を一切使用しておらず、使用すると土壌内の有用菌が増加し、使い続けていくことによって土壌がどんどん豊かにふかふかになっていく特徴がある。このほかにも「GARDENSTYLING(ガーデンスタイリング)VOL.39」では、ガーデニングのシーンで活躍する、吉谷桂子さんとコラボレーションしたオリジナルのエクステリアや雑貨類を豊富に展開しています。オーガニックカラーのテーブル今ガーデニングの本場イギリスでは、ガーデン用家具のトレンドは、植物を邪魔しないオーガニック(ナチュラル)カラー。クラシカルデザインのテーブルで洗練された空間に。■アンティーク風テーブル・小(幅70奥行70高さ72cm)…26,500円(税抜)・大(幅120奥行70高さ72cm)…35,000円(税抜)耐水性・耐久性に優れたバスケット一見ラタンに見えますが、ラタンの素材感を精工に再現したポリプロピレン製のフェイクバスケットです。ツールボックスとしての使用や、内側にヤシマットやシートに排水穴を開けて敷けばプランターにも。■ラタン調バスケット5,980円(税抜)幅43奥行30高さ36cmおしゃれな植物名プレート吉谷さんが英国でよく目にするという、植物名を書けるプレートを商品化。華やかさのある鉢に合うハンギングタイプと、ハーブ栽培のキッチンガーデンに合うストレートタイプの2種類をラインナップしています。金属に書けるタイプのマーカーやチョークで記入し、メラミンスポンジで簡単に落とせます■プランツネームプレート8本組2,800円(税抜)タイプ:ストレート、ハンギングガーデンスタイリング2020-2021Vol.39概要■販売期間:2020年3月6日(WEB先行発売)~2021年6月30日■掲載アイテム:ガーデン、エクステリアをベースとした雑貨、ファニチャーなど◆カタログ発行日:2020年4月1日◆版型:A4変型版◆総ページ数:92ページWEB SHOP※プレスリリースは以下のURLからPDFでもご覧いただけますプレスリリースPDF<お客様からのお問い合わせ先>ディノスハートコールセンターTel:0120-343-774(9時~21時、携帯・PHS可)企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2020年04月17日仕事人間の市民課長・渡辺勘治が、胃がんを患ったことを機に、自らの人生を見つめ直していく黒澤明監督の傑作『生きる』。その初ミュージカル化が決定し、市原隼人が渡辺の息子・光男役でミュージカル初出演を果たす。【チケット情報はこちら】20代前半、ブロードウェイでミュージカルに興味をもちつつも、自らにはむかないとこれまでオファーを断ってきたという市原。今回そんな彼の背中を押したのが…。「30歳を超えたころ、自分が守りに入ったなと感じる瞬間があったんです。その時、すごく悔しくて、寂しくて、自分は何をやっているんだろうと。そこからもっと何かを掴みにいきたいという欲が出てきて。ただ実を言うと、これも1度はお断りしているんです。でも“俺また守りに入った!”と気づいて、追いかけるようにやることを決めました」その初ミュージカル作品が『生きる』であったことは、「素直に嬉しい」と市原は顔をほころばせる。「内容とは反するかもしれませんが、僕は見ていてとても興奮するんですよね。すべての人物が生き生きとしていて、映る世界がすべて楽しそうで、どの場面を見ても生活感や人間味が溢れんばかり。さらに一生懸命愛情を込めて息子を育て、その幸せを大切にし続けた父の想いが、胸の奥まで突き刺さってきて…。さらに今回はミュージカルということで、メロディという表現方法がより人の感情を動かすのだと、事前のワークショップを通して学びました」光男の父・勘治をWキャストで演じるのは、市村正親と鹿賀丈史のふたり。「それぞれ違う生き方をしてこられた方々だというのはすぐに感じられましたし、きっと出来上がる舞台もまったく違うものになると思います。ただ根本にあるものはおふたりとも同じで、ずっと何かを大事にし続ける、守り続けるものがあって、しかもその守り方がとても優しい。あと市村さんはとにかく楽しい方です。気がついたら市村ワールドに引き込まれていて、ずっと居たくなるほど(笑)。鹿賀さんは言葉は少ないですが、現場のすべてを見られている、とても真摯な方という印象です」市原にとってターニングポイントになりそうな舞台だが、観る者にとっても忘れられない感動の1作となりそうだ。「老若男女問わず、気軽に楽しめる舞台だと思います。それでありながら、生きることがより楽しく、より深くなる舞台。この機会を逃すのは本当にもったいないと思いますので、ぜひ劇場に遊びにいらしてください」ミュージカル「生きる」は10月8日(月・祝) から28(日)まで、東京・TBS赤坂ACTシアターにて。チケットの一般発売は6月9日(土)午前10時より。なお、現在、プリセールを実施中。受付は6月8日(金)午後11時59分まで。取材・文:野上瑠美子
2018年06月08日映画監督・黒澤明の没後20年を記念し、彼の代表作のひとつである『生きる』が、珠玉のキャスト、スタッフによりミュージカル化される。今秋の開幕を前に、都内で製作発表が開かれ、Wキャストで主人公の渡辺勘治を演じる市村正親、鹿賀丈史らが登壇した。会見冒頭にはキャストが劇中ナンバー4曲を生披露。まずは小説家役であり、ストーリーテラーの役割も担う新納慎也が、オープニングナンバーの「運命の曲がり角」を歌う。『生きる』をどうミュージカル化するのか、というのは恐らく多くの人が抱く疑問だろう。しかしこの1曲を聴くだけで、ミュージカルとしての『生きる』の道筋がくっきりと浮かび上がってくるよう。その繊細ながらも力強いナンバーは、これから始まる物語への期待感を大いに高めてくれる。続いてヒロイン・小田切とよ役のMay’n、唯月ふうか(Wキャスト)が歌うのは、アップテンポなナンバー『ワクワクを探して』。さらに新納とのWキャストで小説家を演じる小西遼生が、渡辺にとって大きな転機となるナンバー『人生の主人になれ』を熱唱する。そして最後に市村と鹿賀のふたりが登場。あの名シーンを彷彿とさせるブランコをバックに、本作を象徴する昭和の名曲『ゴンドラの唄』を哀愁たっぷりに歌い上げる。そんなふたりの歌声に、一般公募で招待された150名のオーディエンスも聴き入っていた。その後は作曲・編曲のジェイソン・ホーランド、演出の宮本亜門、歌唱披露した6名に加え、渡辺の息子・光男役の市原隼人、渡辺の上司である助役役の山西惇が一堂に会し、それぞれ作品にかける思いを語った。演出の宮本は、「これは悲しい作品ではありますが、“生きる”という喜びを心から味わえる作品。古いどころか、むしろ今の人々の心に一段と訴えるものが出来ると思います」と意欲を見せる。市村はかつて自分が演じる渡辺と同じく胃がんを患っていたことを挙げ、「こういう役がきたのも、芝居の神様の采配かな」と感慨深げ。鹿賀も「いい年齢の時に、本当にいい作品に巡り合えた。ぜひ自分のものにしたい」と意気込む。また市原は、体調が優れない自分の父親から教わったという「動けるうちにいろんな世界を見た方がいい」との言葉に背中を押され、これまで避けてきたミュージカルへの出演を決めたという。世界進出も視野に、ミュージカルとなって新たに生まれ変わる名作『生きる』。黒澤ファンならずとも必見の舞台になりそうだ。取材・文:野上瑠美子
2018年04月11日展覧会「国立映画アーカイブ開館記念 没後20年 旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより」が、旧・東京国立近代美術館フィルムセンターの国立映画アーカイブにて、2018年4月17日(火)から9月23日(日)まで開催される。「旅する黒澤明」展では、世界的な映画史上の巨匠・黒澤明監督作品のポスターを、黒澤明研究家である槙田寿文の所蔵品より84点紹介。西欧諸国やアメリカをはじめ、東欧、アジア、ラテンアメリカ、中近東など世界30か国のポスターを一度に見られる貴重な展示となる。また、黒澤明監督と海外との関わりを示す資料など61点も展示し、その卓越した国際性にフォーカスを当てる。展覧会最大の目玉は、日本初展示となる、1962年の作品『七人の侍』の8枚組ポスター。西ドイツの名デザイナー、ハンス・ヒルマンによる、238×332cmにも及ぶ大作だ。また、黒澤作品として実現しなかった外国との合作映画『トラ・トラ・トラ!』のスタッフ用ジャンパーから、同じく映画化に至らなかった『黒き死の仮面』の英語脚本、各国の映画宣伝ツールであるプレスシートやロビーカードまで、レアな品々を一挙に公開。世界の視点から、黒澤明監督作品の魅力を体感することができる。【開催概要】国立映画アーカイブ開館記念 没後20年 旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより会期:2018年4月17日(火)~9月23日(日)休室日:月曜日、8月7日(火)~12日(日)、9月4日(火)~7日(金)開室時間:11:00~18:30(入室は18:00まで)会場:国立映画アーカイブ ※旧・東京国立近代美術館フィルムセンター 展示室(7階)※2018年4月1日(日)より「東京国立近代美術館フィルムセンター」から「国立映画アーカイブ」に名称を変更。住所:東京都中央区京橋3-7-6料金:一般 250円(200円)/大学生 130円(60円)/シニア・高校生以下及び18歳未満、障害者(付添者は原則1名まで)、MOMAT パスポート所持者、東京国立近代美術館及び国立映画アーカイブのキャンパスメンバーズは無料※料金は常設の「日本映画の歴史」の入場料を含む。 ※()内は20名以上の団体料金。※学生、シニア(65歳以上)、障害者、キャンパスメンバーズはそれぞれ入室の際に、証明できるものを提示。※国立映画アーカイブの上映企画を観覧した当日に限り、半券の提示により団体料金を適用。※2018年5月18日(金)は、「国際博物館の日」(毎年5月18日)を記念して展示を無料閲覧できる。■トークイベント ・マンハッタンの KUROSAWA―アメリカの黒澤明事情開催日:7月21日(土) 講師:平野共余子(映画史家、元ジャパン・ソサエティ映画部門ディレクター)・展示品解説―映画ポスター史の視点から開催日:8月25日(土) 講師:岡田秀則(当館主任研究員)・クロサワはどのように世界で発見されたのか?-展示資料の読み解き方開催日:9月8日(土) 講師:槙田寿文(黒澤明研究家、本展出品者)■『生きものの記録』ダイレクトプリント上映上映日時:第1回 4月17日(火) 19:00/第2回 4月21日(土) 13:00【問い合わせ先】TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
2018年04月05日5月21日、日本橋・三越劇場で『90なんてまだ若い!内海桂子・桂米丸』の舞台が始まった。昭和2年に百貨店の中の劇場として誕生し、以来、古典芸能や演劇、落語会、コンサートなど多彩な文化を発信し続けてきた三越劇場が、今年90周年を迎える。これを記念して行われた実演イベントのひとつが、この舞台。芸人生活79年の内海桂子さん「とにかく仕事をしているのが一番楽しいね!」撮影/佐藤靖彦ちなみに桂米丸さんといえば、『笑点』の前司会者、桂歌丸さんの師匠にあたる。大正14年生まれの92歳。新作落語の名手として知られ、その飄々(ひょうひょう)とした芸風は、現在も寄席で健在である。飴(あめ)色に光り輝く木製の天井、アールデコ風のデザイン、いかにも老舗らしい劇場は400人を超える中高年の女性客でいっぱいだった。若い司会者と桂子さんが掛け合いの漫才を始めた。演目は『銘鳥銘木』。これは100年前から伝わる漫才のひとつで、桂子さんの十八番(おはこ)である。「銘鳥銘木、木に鳥とめた」「なんの木にとめた?」「松の木にとめた」「なに鳥止めた?」「つるどりとんまらかして、それそっちへ渡した」「受け取りかしこまって、なかなかもってがってんだ!」それからも「なんの木にとめた?」「箒(ほうき)にとめた」「ほうき?」「ちりとりとんまらかして、それそっちへ渡した………」「ウイスキ(木)にとめた」「サントリーとめた」とダジャレと機転の応戦は続く。さらに、桂子さんにとっては孫、いや、ひ孫世代の若手の芸人たちが登場し、桂子さんと銘鳥銘木の掛け合いを始め、拙(つたな)い若手芸人の「滑り」に場内は爆笑の渦に包まれた。長身の若手芸人たちに取り囲まれ、見下ろされる格好の桂子さんだが、臆することなど微塵もない。「あんたら、若いだけで何にもできないんだから」と容赦ない。ひときわ甲高くよく通る彼女の声はマイクを通さずとも、こちらの耳に響いてくる。そして、桂子さんのひとり舞台──。舞台の中央のイスに彼女が三味線を持って座り、慣れた手つきで調弦を始める。彼女の横には、大きなスケッチブックが置かれていた。そこには、自身の似顔絵を添えた都々逸(どどいつ)が書かれていた。《生命(いのち)とは粋なものだよ色恋忘れ意地はりなくなりゃ石になる》「これ、私が左手で書いたんですよ」というと会場から「ほぉー!」という声と大きな拍手がわき起こる。「あたしゃ、16から漫才やって、94まで休んでないの」しゃべりながらも、三味線を弾く手は休めない。ちんとんしゃんとてちんとん……。時折、明らかにトチる。客席に笑い声が起こるが、本人はいたって真顔でかまう様子はなし。そして、甲高い艶のある声で歌いだす。ボードが裏返ると、そこに新たな都々逸が書いてある。《石に成っても、俺らは違う。菜漬梅干し沢庵石に成って百歳までは生きてやる》《九四ですよ酒は一合、ご飯は二膳夜中に五回もお手洗100まで6年わけはない皆様、どうぞよろしく願います》内海桂子──、1922年(大正11年)9月12日生まれ、御年94歳である。レジェンドなどという言葉では物足りない、まさに国宝級の女芸人だ。弟子の好江と組んだ漫才コンビ「内海桂子好江」は約半世紀にわたって人気を集め、好江の没後は、漫才協会会長、さらに現在は漫才協会名誉会長として長く東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役芸人として都々逸や漫談、軽口などさまざまな昭和の演芸を今なお広く演じ、人気を集めている。また、80歳を過ぎてからいくつかの大ケガや大病を乗り越え、現在、寄席でもその体験談を披露している。さらに’10年からTwitterのアカウントを取得、自らの言葉で1日数回、発信を続ける。◇◇◇今年1月8日、浅草・東洋館の仕事の帰り。タクシーを降りた桂子さんは、縁石に足をかけた途端、躓(つまず)き転倒してしまった。道路に四つん這いになり、しばらく動けなかった。痛い、痛いと訴える彼女のためにマネージャーで、ご主人の成田さんは、救急車を呼ぼうとするが、彼女はそれを制止。「だって、近所の人に悪いだろ」。そこで、成田さんは彼女を抱きかかえ自宅まで連れ帰った。これが初めての事故ではない。成田さんは床に寝かせて様子を見ることにした。5日後、痛みが引かなかったため、成田さんは桂子さんをかかりつけの聖路加病院に連れて行った。そこで診断されたのは腰の骨折。入院し4時間に及ぶ手術が行われた。通常2か月の入院が必要だったが、1か月後に『徹子の部屋』の収録があったために、1か月で無理やり退院。このとき、桂子さんは珍しく洋服姿で出演した。ケガのせいで着物が着れなかったためだが、番組の最後で、徹子さんがそのことに触れると、そこで「実は、あたし骨折して入院してたんです」と初めて告白したのだった。桂子さんは、救急車が嫌い、車イスが嫌い、薬が嫌い、いつまでも元気でいるように見られたい。だから、つい頑張ってしまうのだ。■壮絶なる芸人人生「本名は安藤良子といいます。父親は深川の籐(とう)職人、母は本所の理髪店の娘でした。2人が20歳のころに駆け落ちして大正11年に私が生まれたんです。世田谷の小学校に入学し、その後は父親がどこかに消えたので、台東区田中町(現・日本堤)の祖父の家で暮らしました」と桂子さん。母はその後、新しい夫と一緒になるが、借家の敷金20円が払えず、桂子さんは小学校を3年で中退し、進んで老舗の蕎麦屋に子守奉公に出る。「子どもだってお金が稼げる」、「人間、動けばお金になる」という思いが幼い彼女の身体にはすでにしみ込んでいた。年季は5年の予定だったが、頭にケガをさせられて、2年足らずで家に戻ることになる。奉公から戻された彼女は母親に「ひとりで生きていくには何か芸事を身につけなさい」と言われ三味線と踊りを習い始める。とはいえ、近所の鼻緒屋で仕事を自分で探してきて、1か月に3円稼ぎ月謝に1円50銭、残りの半分は親に渡していたのだ。さて、それなりに三味線も踊りもできるようになったころ、漫才師・高砂家とし松が千葉で演芸巡業の話を母に持ってきた。そこで桂子さんも人数合わせで駆り出された。仕事はビラ配りや楽屋の始末、人手が足りないときには助っ人で舞台に出たりもした。巡業は約1か月。そこで桂子さんはいろいろなことを学んだ。その後しばらくして、あの高砂家とし松が再びやってきて、今度は桂子さんに漫才の相方をやってくれと頼み込んできた。相方である女房が妊娠して舞台に出られなくなったためだった。「私の傍(そば)で『夕暮れ』(江戸端唄の1曲)を三味線で弾いてくれるだけでいい。目いっぱい給金は弾むから」と、とし松。そして浅草・橘館の舞台に立つ。漫才師としてのデビュー。昭和13年、16歳の春だった。大学卒の初任給が月20円の当時、彼女の初任給は35円。もっともお金の管理は、親に任せていた。「この当時は漫才ブームが起こり、とし松と私のコンビは、代役のつもりが3年以上も続き、トリを務めるほどでした」そんな中、とし松との間に子どもができ、19歳で長男を出産。17年にはとし松とのコンビを解消。その後、戦時色が強くなる中、「三桝家好子」の芸名で、いろんな相方と組んで漫才の舞台をこなし、満州などの外地へも慰問に行ったのだった。戦後は、漫才以外にもキャバレーの女給から団子売りまで、なんでもやって稼いだ。このキャバレー時代に「桂子」の名がついたらしい。桂子さんは、もう1人、父親のいない子どもを産んでいる。それは、次の相方との間にできた娘。この相手とは5年ほどの夫婦生活の後、別れた。現在、桂子さんには孫が6人、ひ孫は7人いる。■内海桂子好江の漫才で一世を風靡1983年の内海桂子好江が舞台に立つ映像が残っている。演目は『日本酒物語』。緑の着物の桂子さんに、淡いオレンジの着物の好江さん。2人とも背中に三味線を背負っている。2人のちゃきちゃきの江戸弁が心地よい。桂子さんが道徳的・常識的な役割でそこに破天荒な好江さんがツッコむというスタイル。日本酒にまつわる話を繰り広げながら、時折、政治ネタも織り込んでくる。いつの間にか、好江さんがどんどん脱線しいっきに啖呵(たんか)を切るのが、このコンビの真骨頂。最後は三味線で都々逸を披露して締め。会場は大きな笑いであふれていた。現在、東京の寄席でナンバーワンの人気を誇る弟子のナイツの笑いとも通じるものを感じる。桂子好江の代表作ともいえる『オペラは楽し』などの作者は、売れっ子作家の神津友好氏。いかに桂子好江が注目されていたかがわかる。桂子さんと好江さんがコンビを組んだのは1950(昭和25)年。好江さんは、漫才師の両親のもと、9歳から舞台を踏み、女剣劇や父娘漫才を経て、桂子さんのもとにやってきた。このとき桂子さんは28歳、好江さんはまだ14歳だった。「好江ちゃんは、三味線を持ったこともなく、着物もうまくひとりで着られないような娘さんでした」だから初めは桂子さんが着付けを手伝っていたのだが、あるとき「これからは自分で着なさい」と宣言。もたもたしている好江さんを待たずにひとりで舞台に出たこともあった。しかし好江さんは必死に努力して、やがて桂子さんより着付けが早くなった。その後、内海桂子好江は人気を集め、’82年には漫才師としては初めての芸術選奨文部大臣賞を受賞する。その後、好江さんは辛口の批評が人気を集め、テレビのコメンテーターとして活躍するようになる。長年、舞台の演芸をやってきて、テレビのバラエティーとはなじまない桂子さんとは次第に距離が生まれ、コンビの芸を見る機会は激減していく。そんな’97年、相方の好江さんが61歳という若さで亡くなってしまう。好江さんが亡くなる少し前、「2人は仲違(なかたが)いした」という風評が立っていた。桂子さんに内緒で、自分だけの仕事を増やしていたのも事実だ。そのことについて桂子さんは、「若いころからずっとまるで『鬼ばばぁ』のように好江ちゃんにはずいぶんきついことも言ってきました。彼女が自分を主張したくなったのも当然でしょう。だから、あたしも彼女の活躍の場が広がるよう後押しをしていたんですよ。これからというときだったのに、本当に残念だった」■ケガと病気のデパート冒頭に、今年1月の事故のエピソードをお伝えしたように、桂子さんは80歳を境に次々とケガや病気に見舞われている。それまでは、医者とは無縁の人生。健康保険証を使ったことがないのが自慢だった。「そりゃあ風邪だってひいたし、気分のよくないことだってあった。けど、子どものころはお医者さんにかかるような贅沢(ぜいたく)は許されなかったし、芸人になってからは舞台に穴をあけてはいけないというのが一番だったからね」ところが83歳になって、初めて骨折という憂き目にあう。これが桂子さんの厄災の幕開けとなった。’05年2月19日。この日、桂子さんは、神奈川県横須賀市の社会福祉法人からの依頼で仕事に出かけた。そして、東京駅でのこと。JR山手線から横須賀線に乗り換えで降りたホーム階段の途中で、足を踏みはずして33段転げ落ちてしまったのだ。転落を阻止しようと踊り場で右手をついたその瞬間、全体重がかかった右手首の中で、「グシャッ」と何かがつぶれる感覚がして激痛が走った。駆け寄ってきた成田さんに、桂子さんは「手がブラブラしている」と訴えた。真っ先に考えたのは「仕事」のこと。これまで、どんなことがあっても1度も仕事や高座を休むことはなかったが、このときばかりは仕事をキャンセル。救急車を呼び、以前足を捻(ひね)ったときに受診した東京駅から近い聖路加国際病院へ。この病院は、その数年前に道路の凹(へこ)みに草履を取られて足を捻ったときにお世話になっていた。このときの診察券を持っていたのが功を奏し診察を受けられたのだ。レントゲンを撮ると案の定の右手首骨折。整形外科の当直医からはギプスをすることを提案されたが、それでは何か月も三味線を弾くことができないので拒否。手術後は、早く三味線を弾けるようになりたいという一心で、つらいリハビリも頑張った。金属のプレートをいくつも埋め込んでいるため痛みが強かったが、鎮痛剤は一切飲まなかった。また、用意された車イスも断った。「内海桂子が車イスに乗っていた」などと言われたら、芸人生活はオシマイだと思ったからだ。手術から約1週間で退院へ。余談だが、キャンセルした横須賀市の仕事には、まだ駆け出しだったナイツの2人を先に差し向けていた。「桂子師匠の一大事」に2人は急きょ舞台を務め無事、大きな同情の拍手をいただいたのだった。ナイツの土屋伸之さんがその当時の気持ちを話してくれた。「何をやったのか、全く記憶にないんですよ。普通なら師匠のケガのことを心配するはずなのに、自分らのことで頭がいっぱいでした(笑)。もちろん、僕らにとってはいい経験になりましたけどね」その後、’07年には乳がんが発覚し切除。同時期に、右足の大腿骨転子部骨折になるも、入院も手術もせずに自己流リハビリで回復。さらに、そもそも右目がほとんど見えなかったのだが’11年、左目に白内障が発覚。悩んだ末に手術し事なきを得た。同じ年の8月、今度は肺炎。それも国立演芸場での連続5日間公演の真っ最中だった。このときの桂子さんのレントゲン写真は、両方の肺が炎症で真っ白。死に至っても不思議ではない値だったが、「薬を飲んでくれるまで動かない」という看護師に根負けし、しかたなく薬を全部飲んだ。すると、みるみるうちに症状がよくなり、1週間後には、真っ白だった肺が、正常に戻ったのだ。■ふた回り年下の夫とのラブロマンス桂子さんのマネージャーであり、最愛の夫でもある成田常也さんは現在70歳。彼女より24歳年下である。新潟生まれで、小学校のころからラジオで聴く漫才や漫談、落語が好きな少年だった。中でも、内海桂子好江や林家三平が大好きだったと言う。「僕は三味線の音が好きだったんですよ。実家が魚屋をやっていて、よく家で宴会が開かれ、小さなころからお酒のお燗(かん)の役を務めていました」当初、成田さんは、てっきり芸人筋の方だと思われていた。見た目のとぼけた風貌も浅草の芸人らしい。ところが実はさにあらず。成田さんが、桂子さんと初めて出会ったのはアメリカの会社員時代。桂子さん64歳、成田さんは40歳で未婚だった。日本航空系の会社勤務のエリートである。そこでは「日航寄席」という演芸会が年に何度かアメリカ各地で開催され、成田さんは日本から芸人を呼ぶ仕事を任されていた。憧れの内海桂子好江コンビは、いつか呼んで生で芸を見てみたい芸人ではあった。「よし、接触してみよう」と成田さんは思い、内海桂子の連絡先に国際電話を入れてみた。電話口に出たのは、桂子さん本人だった。帰国し、桂子さんの家を訪ねたのだった。そのとき、成田さんは、桂子さんが成田さんの思い描く芸人のイメージと違うことに気がついた。「ちゃらんぽらんじゃないと思いました。そして、言葉に真実味を感じた。さらに、着物姿が美しかったことにも惹かれましたね」結局、アメリカでの公演は実現しなかったのだが、それから成田さんの手紙攻勢が始まる。1年間で300通。毎日のように、桂子さんの家に成田さんの手紙が届いた。当時、娘とその孫と同居していた桂子さんは、当時のことをこう思い出す。「孫がね、毎日手紙を持ってくるんです。また、この変な人から手紙が来てるよ、とね」300通を超える手紙の、最後の1通に成田さんはプロポーズの言葉をしたためた。そして、アメリカで一緒に暮らさないか、と打ち明けたのだった。しかし、師匠の返事はノー。「そりゃそうさ、あたしがアメリカなんかで暮らせるわけはない。浅草の家には娘も孫も母もいるわけだしね。みんな、あたしがいないと干上がっちまう」。普通ならば、ここで断念するのだろう。だが、成田さんの情熱は少しも衰えることなく、「ならば私が東京に行きましょう」と切り出したのだった。長年勤めたアメリカの優良企業のポストを捨てる覚悟を決めたのだ。そして成田さんが帰国。同居生活が始まった。当初は、桂子さんの「仕事のない人とは暮らしたくない」という理由から、成田さんは家具会社の社長室長の仕事をしていたが、2年後には桂子さんの仕事をサポートすることに。同居当初は「遺産狙いじゃないか」などと言われた成田さんだったが、次第にその誠実ぶりが家族に認められていった。成田さんより5歳年上で結婚には反対だった桂子さんの長男も、病床での最後の言葉が「母をよろしく」だった。そして同居から15年が過ぎた’99年、2人は島根県の出雲大社で結婚式を挙げ、その模様はテレビで放映されたのだった。■とにかく仕事をしているのが一番楽しい「師匠は舞台の時間を守らないんですよ」と言うのはナイツの塙宣之さんだ。「しゃべってるうちに話が終わらなくなっちゃうんですね。“師匠、時間です”と言っても耳が遠いから聞こえないし、そんなときは3段階でやめさせる。最初は舞台袖から懐中電灯で光を当てる。まだダメなら緞帳(どんちょう)を下ろしちゃう。それでもダメなら僕が舞台に出て行って着物の袖を引っ張って連れ戻すんです(笑)」売れっ子漫才師・ナイツは、2001年から桂子さんに弟子入りしている。初対面はどんな印象だったのだろうか。土屋伸之さんが言う。「大御所なので、怖い人だと思ってました。でも、自分の祖母とおんなじで優しいおばあちゃん。おそらく昔の弟子には厳しかったんでしょうね」桂子師匠は基本的なことを教えてくれると塙さんは言う。「手取り足取りという指導ではなく、とにかくお客さんの前に出るときはちゃんとした格好で出なさい、とか。だから僕らいつもスーツなんです。あと、これは僕らにまさに足りないんですけど、“芸を身につけなさい”ということ。唄だったり、楽器だったり、踊りだったり……。だから僕らは必要なとき(踊りをやらなければならないとき)に稽古をつけてもらいに行ったり、習ったりしてますよ」東京都台東区竜泉──。浅草にもほど近い下町情緒の残る一角に、桂子さんと成田さんが住む家がある。食事は、朝昼兼用の1食と夕食の2回。用意はすべて成田さんの仕事だ。「といっても、お惣菜を買ってきて、お味噌汁はインスタント。今は美味しいものがありますからね」と成田さん。毎晩、1合の晩酌が何より楽しみ。桂子さんがぼやく。「ホントは、もう少しお酒が飲みたいのに、この人が1合しか持ってこないの。知ってるんだから、上の部屋に1升瓶がいっぱいあんの。あたしは、絵や字を描くのも好きだけど趣味じゃない。だって売れるんですもの。とにかく仕事してるのが一番楽しいね」仕事は、月に6回ほど浅草の東洋館に出演。ほかにテレビや地方での仕事もある。あとはリハビリに励む毎日だ塙さんがあきれながら言う。「最近“東京五輪では、100歳になっておかないといけない”なんて言い出してる。だから今年で96、97とか平気で嘘を言うんですよ。すごい芸人根性なんだけど、まあ立派な詐欺ですからね(笑)」取材・文/小泉カツミ●こいずみかつみノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理毋出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』(文藝春秋)がある。*記事のタイトルで、内海桂子さんの年齢を本来「94歳」であるところを「92歳」と表記してしまいました。訂正してお詫び申し上げます(2017年7月3日15時45分)
2017年07月02日現在製作中のウェス・アンダーソン監督の最新作『Isle of Dogs』(原題)。日本を舞台にしたストップモーション・アニメーションとなる本作のアイデアには、黒澤明監督の名作と伝説のストップモーション・アニメーションが影響を与えているという。このたび、日本のファンに向け、アンダーソン監督本人からその件にまつわるコメントがシネマカフェに到着した。全世界で大ヒットし、アカデミー賞最多9部門ノミネート、最多4部門受賞の『グランド・ブダペスト・ホテル』(’14)の製作陣が再結集する本作は、2018年に全世界公開予定。全編にわたり日本を舞台とし、失踪した愛犬を探す少年と犬たちの壮大な旅と冒険を、『ファンタスティック Mr. Fox』(’09)と同じくストップモーション・アニメーションで描き出す。声優陣には、ビル・マーレイ、ジェフ・ゴールドブラム、エドワード・ノートン、ハーヴェイ・カイテル、ティルダ・スィントンほかアンダーソン監督作品常連の豪華俳優たちに加え、新たにスカーレット・ヨハンソン、グレタ・ガーウィグ、ブライアン・クランストン、リーヴ・シュレイバー、コーユー・ランキン、オノ・ヨーコら多彩な才能が集結する本作は、ただいま絶賛製作中だ。先日、海外ニュースサイト「IndieWire」でのインタビューにおいて、最新作『Isle of Dogs』のアイデアの源泉について語ったアンダーソン監督。アンダーソン監督がまず挙げているのが、60~70年代にTVアニメ(ストップモーション・アニメーション)として一世を風靡した「ランキン・バス クリスマス スペシャル」。日本では「ルドルフ赤鼻のトナカイ」でもお馴染みだ。アーサー・ランキン・Jr.とジュールズ・バスによる「ランキン・バス・プロダクション」のもと、日本の人形アニメの第一人者・持永只仁(MOMプロダクション)が人形製作を手がけた。アンダーソン監督は、この作品を子どものころに夢中で見ていたそうで、「いつか自分でもあんな作品(人形アニメーション)を作って見たかったんだよ」と語っている。そして、もう1つアイデアの源泉として挙げているのが、黒澤明監督。本作を制作にするにあたり、黒澤監督への熱烈なる敬愛を余すことなく表明しているアンダーソン監督は、「新作『Isle of Dogs』は黒澤作品からの影響のほうが(ストップモーション・アニメーションより)大きいかもしれないね」と断言。そこで、今回特別に日本のファンに向け、アンダーソン監督本人にお気に入りの黒澤作品を聞いてみると、「もちろんお答えするよ!挙げるとすれば、『天国と地獄』『悪い奴ほどよく眠る』『酔いどれ天使』かな」と、意外にも混沌とした社会を見つめた人間ドラマやサスペンスが並ぶ。また、1つめに挙げた「ランキン・バス・プロダクション」は、日米合作作品も多く残しており、のちに関連会社が宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』の制作母体となったことでも知られている。黒澤監督同様、宮崎監督作品にも深い敬意を持っていると常々明かしているアンダーソン監督の日本文化への愛が伝わってくるコメントだ。日本を舞台というだけでなく、日本のエンターテインメントの源流にまで視野に入れた最新作で、どのような世界が展開されるのか期待が膨らむ。『Isle of Dogs』(原題)は2018年、公開予定。(text:cinemacafe.net)
2017年03月23日黒澤明監督が手掛けた1985年公開の映画『乱』が、この度デジタル修復を行い、『乱 4K』として4月1日(土)より公開されることが決定。これにあわせて、初出しビジュアルと予告編も到着した。戦国時代。猛将・一文字秀虎は七十歳を迎え、家督を3人の息子に譲ろうとする。乱世にも関わらず息子たちを信じて老後の安楽を求める父に異を唱える三男の三郎を、秀虎は追放してしまう。だが一の城と二の城の城主となった太郎と次郎は、三郎の案じた通り、秀虎に反逆し、血で血を洗う争いが始まる。その陰には、実の父と兄を秀虎に殺された太郎の正室・楓の方の策謀があった…。『乱』は、構想10年、製作費26億円をかけて挑んだ黒澤監督の晩年の最高傑作。キャストには仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、原田美枝子、宮崎美子ら日本映画を代表する俳優たちが登場し、アカデミー賞ほか国内外の映画賞を多数受賞するなど大ヒットを記録した。そして今回、2015年に最先端技術でデジタル修復を行い、本作の圧倒的なスペクタクルと映像美を、4Kクオリティの素晴らしい画と音で楽しむことができるようになっているという。そしてこのほど公開されたビジュアルと予告編は、今回の上映のために新たにデザイン・編集した初出しの完全オリジナル。ポスタ-ビジュアルは、激しく壮大な騎馬合戦を背景に、鬼気迫る表情でたたずむ仲代さんの姿が目を引くインパクトのある作りに。また予告編では、寺尾さん、根津さん、原田さん、ピーターなど豪華キャスト陣も加わり、ダイナミックで色彩豊かな映像や、愛憎にまみれた家族同士の争いを展開する名シーンの数々が盛り込まれている。世界を代表する巨匠が自ら、「ライフワーク」だと宣言した究極の反戦ドラマ。迫力たっぷりの4Kで体験できるこの機会を、ぜひ見逃さないでいて。『乱 4K』は4月1日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMAほか順次公開。(cinemacafe.net)
2017年02月09日佳境を迎えた大河ドラマ「真田丸」とともに、先週9月22日(木・祝)より全国公開され、話題を集める『真田十勇士』。本作で印象的な衣装の数々を手がけた、黒澤明監督の長女である黒澤和子によるデザイン画の数々が、いち早くシネマカフェに到着した。本作は、“天下一の名将・真田幸村の伝説は、実は猿飛佐助に仕組まれたものだった!”という大胆な発想をもとに、壮大な世界観とアクション、濃密な人間ドラマを描ききる新たな時代劇エンターテインメント。関ヶ原の戦いから14年。天下統一を目前にした徳川家康と、復権を狙う豊臣家の対立を背景に、“天下に並ぶ者なし”の名将・真田幸村の実像(?)と猿飛佐助や霧隠才蔵ら“十勇士”の活躍を描き出す。総勢500名以上のエキストラが参加した広大な土地での大規模ロケや、大阪城、出城・真田丸の巨大なセット。そして、役者が体当たりで挑んだアクションは、ハリウッド大作も負けず劣らずの臨場感で早くも話題を呼んでいる。そんな本作で、縦横無尽に動き回る猿飛佐助役の中村勘九郎ら超豪華キャスト陣を華やかに彩るのが、黒澤和子が手掛けた色鮮やかな衣装たち。黒澤さんは、1988年から“黒澤組”の衣装を担当するようになり、90年『夢』で衣装手伝い、『八月の狂詩曲』(’91)、『まあだだよ』(’93)、さらに山田洋次監督『たそがれ清兵衛』(’02)、フランソワ・ジラール監督『シルク』(’07)、北野武監督『アウトレイジビヨンド』(’12)、三谷幸喜監督『清須会議』(’13)、是枝裕和監督『そして父になる』(’13)などの衣装を手がけ、世界的にも高い評価を集めてきた。最近では、大人気連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の衣装監修も担当している。本作では、真田の家紋としてお馴染み「六文銭」が入った佐助の真っ赤な甲冑をはじめ、くノ一の火垂(大島優子)が身に着けている青い衣装や、淀殿(大竹しのぶ)の絢爛豪華な着物など、彼女の手掛けた衣装の数々は、身にまとった個性的なキャラクターたちをより魅力あるものにしている。目にも楽しい衣装の数々にもぜひ注目してみて。『真田十勇士』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)
2016年09月26日『七人の侍』と『荒野の七人』を原案に、いま新たに7人のアウトローたちを描く『マグニフィセント・セブン』。このほど、『七人の侍』を監督した世界の巨匠・黒澤明監督の命日となる本日9月6日(火)に、本作の予告編とポスタービジュアルがついに解禁!さらに主演のデンゼル・ワシントンとクリス・プラットから、コメント映像も到着した。西部開拓時代。ローズ・クリークの町の人々は、バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サーズガード)の支配下で絶望的な日々を送っていた。エマ・カレン(ヘイリー・ベネット)は、賞金稼ぎのサム(デンゼル・ワシントン)を中心に、ギャンブラーのジョシュ(クリス・プラット)、流れ者、スナイパーなど7人のアウトローを雇う。町を守るために立ち上がった彼らは、いつしか自分たちの目的が、金のためだけではなくなっていることに気づく――。世界の名だたる巨匠が師と仰ぐ黒澤明監督の代表作『七人の侍』(’54)と、その舞台を西部開拓時代のメキシコに移してリメイクした名作ウェスタン『荒野の七人』(‘60)が、いま改めて個性豊かな豪華キャスト陣で現代に蘇る本作。メガホンをとったのは、デンゼルの主演作『トレーニング デイ』『イコライザー』や、ジェイク・ギレンホール主演の『サウスポー』で、男たちの重厚なドラマを描いてきたアントワーン・フークア監督。今回、『七人の侍』『荒野の七人』、どちらのDNAも受け継ぎながら、初のリメイク作品を手掛けている。ついに解禁された日本版予告編では、無慈悲にも街を荒らされ、嘆く女性エマのセリフから始まる。主演を務めるデンゼルが演じるサムは、「復讐を望む?」と問いかけるが、彼女は「正義を復讐は手段よ」と決意の眼差しを向けている。続く映像では、サムの華麗な銃さばきが目を惹くが、そこで「もう閉店なのか?」と話す男ジョシュを演じるのが、『ジュラシック・ワールド』など話題作に引っ張りだこのクリス。彼が演じるジョシュは、愛嬌たっぷりでコミカルではありながら、おとこ気も感じさせる愛すべきキャラクターだ。そして、「Heavy Young Heathens」の「House of the Rising Sun」がクールに流れる中、イーサン・ホークやイ・ビョンホンらが演じる最強のワルたちが次々に暴れまわる! 「ド派手にやろうぜ」のセリフ通り、銃撃戦、爆発、ナイフさばきなど、怒濤のアクションシーンが連発。賞金稼ぎ、ギャンブラー、スナイパー、ハンター、暗殺者、流れ者、戦士。個性豊かな7人のアウトローたちが、彼らの流儀で悪を裁いていくさまをスタイリッシュに映し出していく。デンゼルとイーサン、そしてフークワ監督といえば、『トレーニング デイ』以来、実に15年ぶりとなるタッグ。デンゼルにとって初めてのアカデミー賞主演男優賞をもたらした監督でもあり、本作ではどのようなコンビネーションを見せてくれるのかは要注目。ストーリーの詳細はいまだ謎に包まれているが、この予告編の迫力には期待が高まらずにはいられない。また、アカデミー賞の前哨戦として知られる第41回トロント国際映画祭でのオープニング上映、現在開催中の第73回ベネチア映画祭でのクロージング上映も決定しており、世界的にも大きな注目を集めている本作。デンゼルとクリスの息の合った様子も伺えるコメント映像から、まずは確かめてみて。『マグニフィセント・セブン』は2017年1月27日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月06日映画『マグニフィセント・セブン』が、2017年1月27日(金)に公開される。1954年に公開された黒澤明監督の映画『七人の侍』。そして、その舞台を西部開拓時代のメキシコに移し、1960年にハリウッドリメイクされた名作ウェスタン『荒野の七人』。これら最高峰の作品たちを原案にリメイクしたのが本作である。監督は『トレーニング デイ』『イコライザー』『サウスポー』など、重厚な男たちのドラマを描いてきたアントワーン・フークア。主演には『トレーニング デイ』『イコライザー』のデンゼル・ワシントン、『ジュラシック・ワールド』のクリス・プラット、『6才のボクが、大人になるまで。』のイーサン・ホーク、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』のイ・ビョンホンなど、国際色豊かな豪華キャストが集結する。なお本作は、2016年のトロント映画祭ではオープニング作品、ヴェネツィア映画祭ではクロージング作品として評価を受け、アメリカ初公開では初登場第1位のヒットを記録している。全て本物の巨大セットで撮影し、可能な限り実際のスタントを演じたというリアル感あふれるアクション作品だ。■ストーリーバーソロミュー・ボーグ(ピーター・サーズガード)の支配下で、ローズ・クリークの町の人々は絶望的な日々を送っていた。そんな中、エマ・カレン(ヘイリー・ベネット)は賞金稼ぎのサム(デンゼル・ワシントン)を中心としたギャンブラー ジョシュ(クリス・プラット)、流れ者、ガンの達人など7人のアウトローを復讐のために雇う。町を守るために立ち上がった彼らは、いつしか自分たちの目的が金だけではなくなっていることに気付く。【作品詳細】『マグニフィセント・セブン』(原題:The Magnificent Seven)公開日:2017年1月27日(金) 全国ロードショー監督:アントワーン・フークアキャスト:デンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホーク、イ・ビョンホン、ヴィンセント・ドノフリオ配給・宣伝:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2016年07月10日さまざまな分野を縦横無尽に活躍するエイジレスな女性たち。彼女たちが好きな人・空間・コトには、ずっと探していた「キレイ」のヒントが隠されているはず。 “KIREI interview” では、そんな彼女たちのキレイの秘密を探ります。裏地 桂子さん / ギフトコンシェルジュギフトコンシェルジュとして雑誌・TVなどでもおなじみの裏地桂子さん。忙しい日々の著述業やお仕事のかたわらで、美しくあることへの気配りはもちろん、周囲への心配りも驚くほどきめ細やか。すでに8冊もの著書を発表するパワフルウーマンでありながら、常にしなやかでチャーミング。会うたびに輝きを増す彼女の「キレイ」の秘密を探ります。裏地桂子 Keiko Uraji ギフトコンシェルジュ。クリエイティブコーディネーター。草月流師範。1996年より、『Grazia』『メイプル』『和樂』などの女性誌でライター、コーディネーターとして活躍後、衣食住ライフスタイル全般に精通した知識とそのセンスを生かし、プロデュース、ブランディングなどを数多く手がけている。食通、きもの好き、京都好きでも知られ、講演会やトークショー、執筆活動にも力を入れている。著書に『わたし好みのHAPPYデザインギフト100選』(小学館)、『ほめられきもの宣言』(小学館)、『贈る心得。ご縁結びのスイーツ』(講談社)など多数。昨年10月ワニブックスより刊行した『ごきげん力 8つの育て方』も話題に。裏地桂子ホームページ www.uraji-keiko.com― 会うたびにキラキラ度があがっているように思うのですが、どんなことを日々心がけているのか、スキンケアや美容法なども含めて、そのいくつか教えていただけるでしょうか?先ほども※お話ししたように、自分の「ごきげん力」を育てるために常に “好きのあぶり出し” をしています。分かりやすい例で言えば「香り」。好きな香りって纏っているだけで気分が上がるでしょう? そのくらい身近なものから、なんでもいいから「好き!」と感じることをあぶり出していく作業。香り以外は、たとえば好きなハンカチ、箸置き、なんでもいいの。ノートとかにひたすら好きなものを書き出しておけば、落ち込んでいる時や気分が沈んでいる時の特効薬になってくれるんですよ。※【前編】記事 それから、良質な睡眠をとること。睡眠って考えてみれば人生の約1/3を占めるのだから、その環境をしっかり整えることってものすごく大切なことだと思うの。以前睡眠で悩んだ時期があって、その時以来「ラークオール」のマットレスを使ってます。季節を問わず、とにかくこのマットレスさえあれば上質な眠りが得られるというものすごく快適なマットレス。ちょっとお高いのだけど、長い目でみればそうでもないって思えてくるくらい、もはや私の生活においてなくてはならないもののひとつになってます。あと、睡眠繋がりでもうひとつ、IWATAの羽毛の靴下もとってもおすすめよ。よく寝るときは靴下を脱ぎなさいって言うけれど、足先が冷たいとなかなか眠りにつけないでしょ? これはおやすみ専用ソックスで、羽毛がふんわり足全体を包み込んで足首までポカポカにしてくれるの。冷え性の人にはとにかくおすすめしてます。お風呂に入るのは朝って決めてます。お風呂がとにかく好き。朝のばたばたがひと段落して家でひとりになった時間、バスタブにお湯を張ってお気に入りのオイルやバスソルトを入れて「あ~、私って幸せ!」と思いながらお風呂に浸かっている時間が、とにかく最高に好きなの。「ごきげん力」の源にもなっているのね。今愛用中のバスソルトは大好きな「JO MALONE」と、キャピタル東急のアメニティになっているこちら。チェリーブラッサム(桜)の香りがものすごくリラックスできて、ぜひ商品化して欲しいのだけど今のところは非売品なので、キャピタルを定宿にしている知人にお願いして譲っていただいてるの。― ヘアケア、スキンケアで愛用されているアイテムも教えていただけますか?▼「john masters organics」のヘアケアアイテムもともと少しクセっ毛なので、オーガニック過ぎるのは好きじゃないの。キシキシするのが多いでしょう? 「john masters organics」(ジョン マスター オーガニック)は洗い上がりがきしまないし、香りも好み。あと、高過ぎないのもいいのよね。▼「SYNACTIF」のスキンケアいまスキンケアはクレ・ド・ポー ボーテのスキンケアライン「SYNACTIF(シナクティフ)」が基本。シンプルステップが好きだから、洗顔のあと、保湿液+日中美容液、保湿液+夜用美容液。それぞれ2万円くらい。ちょっと高いかな? と思うのだけどたった3アイテムのシンプル2ステップだから許せてしまう。塗ってみるとすぐ分かると思うけれど、とにかくぐいぐい中に入っていく感じで圧倒的な浸透力。これに変えてから肌が変わったってよく言われるようになったの。1度使ってからもう手放せなくなってます。▼「クレ・ド・ポー ボーテ」のSPF付きハンドクリームこれね、SPF18なの。ハンドクリームでSPFついてるのはなかなかないでしょう? でも手って実はいちばん無防備に紫外線を浴びているパーツ。SPFはついていて然るべきものだと思うの。これはSPF18に加えてPA++。しかも日焼けによるシミ・そばかすを防ぐ美白有効成分も入っていて至れり尽くせり。ものすごく賢い。香りもちょっと嗅いでみて!良い香りでしょう? 塗ってるだけで気分も上がるし、いいことづくめのアイテムよ!メイク遍歴のなかでいきついた、私的優秀コスメたち― メイクアイテムでは、どんなものを愛用されていますか? 私、ある時からファンデーションを塗るのをやめたんです。肌に確実に負担をかけている気がして…。現代は秀逸なコスメがたくさんあるので、ファンデーションをぬらなくても肌の質感は上げることはできるはず、というのが信条。メイクの中でもとくに大事だと思うのが最後の仕上げのステップ。ドゥ・ラ・メールの「ザ・イルミネーティング パウダー」は化粧ポーチにも入れて持ち歩いてるのだけど、メイクの最後に大きめブラシでぱぱっと塗るだけで顔全体につや感を出してくれる。勝手に「魔法の粉」って呼んでます(笑)「さぁ!」と気持ちを押してくれる魔法の粉ですね。ファンデーションをやめたので、洗顔は洗顔フォーム派。使っているのはもうずっとディオールの「DIOR SNOW」オンリーです。これも泡のきめ細やかさと洗い上がりが理想的なのね。メイクアイテムでもうずっと愛用しているのは、IPSAのコントロールパウダーとコンシーラー。アイカラーやライナー、チークはどれもBOBBI BROWN。最近、口紅はゲランの「KISS KISS ローズリップ」N'R371。お着物のときは(お着物に負けない発色の)N'R329を愛用。どれもあれこれ本当にいろいろ試したうえで行き着いたわたしの「好き」なアイテムばかり。教えたがりなので、自分がいいと思ったものはなんでも公開してしまうの(笑)― ありがとうございます! 本当に裏地さんのお肌って思わず触りたくなるくらいきめ細やか。この艶感を目の当たりにすると、どれもこれも説得力があり過ぎますね。思わず前のめり気味にメモしてしまいました(笑)最後にひとこと、読者へメッセージをお願いします。自分の「ごきげん力」を養うクセをつけることってそんなに難しいことではないはずなんです。ひとつ言えるのは、「ごきげん」は人に移るということ。つまり、ちゃんと自分のごきげんをとってあげれば、もれなく周りをハッピーにすることもできる。だから「大手を振ってもっと自分を甘やかしてあげてね」と、みなさんに声を大にして伝えたいです!(インタビュー・文:松浦明) ギフトコンシェルジュ 裏地桂子さん 「ごきげん力」と「キレイ」の源はここにあり! 【前編】はこちら>> 『ごきげん力 8つの育て方』(ワニブックス刊)前向きになりたいと願っているのに、何か心が晴れない。いつもなにか不安に苛まれている。“揺れやすい”女性たちの心に一筋の光が差し込むような感覚で、思わず一気に読み上げたくなる一冊。「自分のご機嫌をとれるのは自分だけ」「好感度をあなどるなかれ」「言霊(ことだま)は私の守り神」「その『いつか』はいつくるの?」気になる章はどこから読んでもOK。マル高出産で子育てと仕事の両立に奮闘中の私自身(インタビュアー)も元気をいただいた一冊です。
2016年01月29日さまざまな分野を縦横無尽に活躍するエイジレスな女性たち。彼女たちが好きな人・空間・コトには、ずっと探していた「キレイ」のヒントが隠されているはず。 “KIREI interview” では、そんな彼女たちのキレイの秘密を探ります。裏地 桂子さん / ギフトコンシェルジュギフトコンシェルジュとして雑誌・TVなどでもおなじみの裏地桂子さん。忙しい日々の著述業やお仕事のかたわらで、美しくあることへの気配りはもちろん、周囲への心配りも驚くほどきめ細やか。すでに8冊もの著書を発表するパワフルウーマンでありながら、常にしなやかでチャーミング。会うたびに輝きを増す彼女の「キレイ」の秘密を探ります。裏地桂子 Keiko Uraji ギフトコンシェルジュ。クリエイティブコーディネーター。草月流師範。1996年より、『Grazia』『メイプル』『和樂』などの女性誌でライター、コーディネーターとして活躍後、衣食住ライフスタイル全般に精通した知識とそのセンスを生かし、プロデュース、ブランディングなどを数多く手がけている。食通、きもの好き、京都好きでも知られ、講演会やトークショー、執筆活動にも力を入れている。著書に『わたし好みのHAPPYデザインギフト100選』(小学館)、『ほめられきもの宣言』(小学館)、『贈る心得。ご縁結びのスイーツ』(講談社)など多数。昨年10月ワニブックスより刊行した『ごきげん力 8つの育て方』も話題に。裏地桂子ホームページ www.uraji-keiko.com― 先日刊行された著書『ごきげん力』ですが、ページをめくるごとに勇気をもらうメッセージやキーワードが次々と飛び込んできて、「ああ、今この本を読んで本当によかった!」という清々しい読了感。「悩みも心配ごともたくさん。だって人間だもの」というくだりから「そうかぁ。そうよね!」と。相当前のめり気味に読ませていただきました。嬉しいわ。本当に書いているとおり「どうしていつもそんなに元気いっぱいなの?」「悩みごとなんてないでしょう?」ってよく言われるの(笑)過ぎた今だから振り返ってそう思えるのだけど、30代ってまだまだ若いのよね。とにかく体力があるし、周囲から評価もされるようにもなってキャリアもどんどん磨かれて。続いて訪れる40代は、私自身は雑誌のライターを辞めていまのキャリアへとこぎ出す大きな転機となった時期で、それこそ「いけいけどんどん」。新しいことへの挑戦が次から次へと繋がって、変化していくこと自体が楽しくて仕方がなかった時代。でも、いざ「50代」に突入するとなった時、正直想像できないことだらけだったの。明らかな体力の変化に戸惑うことも多かったし、とにかく不安だらけ。でもいちいち落ち込んでいても仕方がないないでしょう? 上を見ればきりがないし、下を見ても仕方がないのよね。そう思って、自分なりにあれこれと試行錯誤しながら「いつまでもキラキラしていたい!」という目的に向かって行き着いた解決策が、この本の主題にもなっている「ごきげんに暮らす」ことだったんです。― これまでの書籍は、贈り物や手土産のテーマや、京都好き、食通、着物などご自身の「好き」が主題でした。今回の『ごきげん力』は今までにないアプローチですよね。本書を書くに至ったきっかけは何だったのでしょう?最近よく若い女性から人生相談を受けるようになって。おしなべて感じるのは、30代は焦っている人が多い。揺れているのよね。私だってそうだったもの。だからご相談を受けるたびに思うんです。今、世の中はセルフコントロールの時代。自分のことは自分にしかわからないのだから、どんどん自分のことを知る作業を重ねるべきなのよって。でも、話を聞いているとみな大体自分で答えを決めているの。私がしてあげられるのは、背中を押してあげることなんだな~と。本書を書く原動力になったのは、自分自身が紆余曲折してたどり着いた答えを共有することで、揺れているもやもやした気持ちや悩んでいる背中を押してあげれるかも! と感じたからなんです。― 本書ではマーカー片手に読みたくなるほど、心にすとんと落ちるキーワードがたくさん登場するのですが、なかでも「好きのあぶり出し」ということばには、膝を打つ女性たちも多いように思います。現代の荒波をくぐって前向きに生きていくには強いセルフコントロール力が必要だと思うんです。まず第一に「私って幸せ!」と思えることはものすごく大切で、そう感じることが多ければ多いほど「ごきげん力」を養うことができると思うんです。本書でも書いてますが、 “好きのあぶり出し” はマスト作業なんですよね。ものすごくシンプルな作業で、頭に思い浮かぶ「好き」なことを何でも良いから紙に書き出していくんです。このステップを踏むと、「どうすれば自分が喜ぶのか」を知ることができるでしょう? たとえ何かで落ち込んでも「そういえば私、朝からお風呂に入ってシャンパン飲むのが好きだったじゃない?」って。そうやって少し自分を甘やかしてあげると「心のリカバリー」が早いんです。― 裏地さんは会うたびに「これものすごくいいわよ!」って、コスメでもなんでも惜しみなく情報公開してくださるんですよね。なおかつその情報がものすごく信憑性があって、どれもこれもすぐ買いに走りたくなるものばかり。50数年生きてきた分、失敗もたくさん。だからその試行錯誤の末に出会った良いものはどんどん人に共有していきたいって思うんです。本に書いていることも含めて、自分が本当に良いなと思ったものはできるだけ多くの人と共有したい。すべて「お福分け」だと思ってるんです。 【後編】へ続く>> (インタビュー・文:松浦明)★裏地さんインタビュー記事【後編】では、「キレイ」になれる愛用品の数々をご紹介! 【後編】はこちら>> 『ごきげん力 8つの育て方』(ワニブックス刊)前向きになりたいと願っているのに、何か心が晴れない。いつもなにか不安に苛まれている。“揺れやすい”女性たちの心に一筋の光が差し込むような感覚で、思わず一気に読み上げたくなる一冊。「自分のご機嫌をとれるのは自分だけ」「好感度をあなどるなかれ」「言霊(ことだま)は私の守り神」「その『いつか』はいつくるの?」気になる章はどこから読んでもOK。マル高出産で子育てと仕事の両立に奮闘中の私自身(インタビュアー)も元気をいただいた一冊です。
2016年01月29日TVアニメ『ハマトラ』シリーズの総集編となる映画『Fw:ハマトラ』(『フォワードハマトラ』/11月14日より2週間限定公開)の前売りおよび来場者特典のイラストが30日、公開された。『ハマトラ』シリーズは、TVアニメ、漫画、ゲームなどで展開されるメディアミックス作品。TVアニメとしては、2014年1月から3月にかけて『DRAMAtical Murder』(14年)のNAZの制作で第1期が、同年7月から9月にかけては『がっこうぐらし!』(15年)や『乱歩奇譚 Game of Laplace』(15年)を手がけるLercheの制作で第2期『Re:_ハマトラ』(『リプライハマトラ』/14年)が、それぞれ放送された。2014年の神奈川・横浜を舞台として、特殊能力保持者が巻き起こすノンストップアクションを描いてきた。本作では、主人公・ナイス(逢坂良太)とその相棒のムラサキ(羽多野渉)による新規ナレーションを追加。同時上映として、オリジナルSDアニメ『劇場版 ミニはま』も公開される。このたび発表されたのは、『がっこうぐらし!』の第4話から第12話までで総作画監督を務め、『機巧少女は傷つかない』(14年)の5つのエピソードで作画監督を担当した、黒澤桂子氏が本作のために描き下ろしたイラスト3種。いずれも色紙風カードの特典となる。31日より発売がスタートする前売り特典は、ナイスとムラサキのデザイン。そして、11月14日から20日まで配布となる来場者特典第1弾には、バースデイ(福山潤)とレシオ(中村悠一)が、同月21日から27日までの配布の第2弾にはアート(神谷浩史)とスキル(渕上舞)が、それぞれ描かれている。いずれのイラストもTVシリーズではなかなか見られなかったキャラクターたちの優しい表情が印象的な仕上がりになっている。さらに、11月1日にはdTVにて、翌日2日からはAT-Xで、『ミニはま』のシリーズ配信も開始。こちらは、私立はまとら学園を舞台に、TVシリーズで馴染み深いキャラクターたちによって繰り広げられる、ゆるい日常コメディになるという。
2015年10月30日GA文庫より刊行中の『最弱無敗の神装機竜(さいじゃくむはいのばはむーと)』がTVアニメとなって2016年1月より放送される。ここでは新ビジュアルとメインキャストを紹介しよう。■『最弱無敗の神装機竜』 - イントロダクション遺跡から発掘された、古代兵器・機竜。かつて、最強の機竜使い≪ドラグナイト≫と呼ばれた亡国の王子・ルクスは、滅ぼされた旧帝国の罪を背負い、様々な雑用を引き受ける事で恩赦を受けていたが、何故か機竜使い≪ドラグナイト≫育成のための女学園に入学することになり……!? 王立士官学園の貴族子女たちに囲まれた、"最強"の学園ファンタジーバトル、開幕!!TVアニメ化にあたり、監督を安藤正臣氏、シリーズ構成を柿原優子氏、キャラクターデザインを黒澤桂子氏、3DCG制作をオレンジ、アニメーション制作をラルケが担当する。注目のキャスト陣は下記の通り。ルクス・アーカディア …… 田村睦心リーズシャルテ・アティスマータ …… Lynnクルルシファー・エインフォルク …… 藤井ゆきよフィルフィ・アイングラム …… 久保ユリカセリスティア・ラルグリス …… 種田梨沙アイリ・アーカディア …… 小澤亜李TVアニメ『最弱無敗の神装機竜』は2016年1月より放送開始予定。そのほか詳細はアニメ公式サイトをチェックしてほしい。(C)明月千里・SBクリエイティブ/最弱無敗の製作委員会
2015年10月14日