歌手や俳優、デザイナー、音楽プロデューサーなどマルチに活動する篠原ともえ(45)が、自身のインスタグラムを更新し、ドレス姿の写真を投稿した。インスタでは「#ジョルジオアルマーニ」とし、海を背にした写真を公開。髪をまとめて、モデルポーズを決めている。これにファンは「落ち着いた女性になって、洋裁に没頭してる姿が、たまらなく良いです」「え、シノラーちゃん?ビックリした~!セクシーな女性になりましたね~」「篠原さんにずっと憧れています。どんどん輝いていく姿がかっこいいです」「かっこいいです!などと反応している。
2024年04月20日歌手や俳優、デザイナー、音楽プロデューサーなどマルチに活動する篠原ともえ(45)が、自身のインスタグラムを更新し、エレガントなドレス姿の写真を投稿した。インスタでは「ハーパーズバザーの撮影にて、ジョルジオ アルマーニ2024年春夏コレクションを、アルマーニ/カーザのインテリアに囲まれた空間で撮影しました」と報告。続けて「Harper’s BAZAAR Digitalにて本日より全ルック&動画コンテンツが公開されております。波動を描くような光沢感や美しいカラーパレットをお楽しみください」と伝えた。投稿された写真では、ドレス姿で美しいボディラインを見ることができ、ファンは「すてきです高校生の頃から憧れてます」「ブルーのドレスを纏ったともえさん、凛としていて息をのむ美しさです」「内面からの美しさが全面に出てて…何とも息を呑む美しさ」「誰かと思っちゃいました!めっちゃすてき!」「わぁ…1枚目、言葉を失う…きれいだなぁ」などと反応している。
2024年04月17日子どものころから毎月の生理は比較的順調でした。しかし、45歳の半ばごろ長期の旅行から戻ったときにふと気付いて驚きました。「今月、生理が来ていない……」。妊娠の可能性はなかったので、旅行の疲れや時差などが理由だと軽く考えていました。そんな私の生理不順の様子と対処法についてお伝えします。驚いた!初めての大量出血45歳のころ、ある日生理が来ていないことに気付きました。それから生理が再開したのは、約2カ月後の夜でした。「やっと来た!」と安心しながら就寝したのもつかの間、その数時間後に重い生理痛のような鈍い痛みを下腹部に感じて目が覚めました。慌ててトイレに駆け込むと、通常の2日目よりはるかに多い出血量。痛みと驚きでしばらくぼうぜんとするしかありませんでした。夜用の大型ナプキンを2枚重ね、タンポンも使ってやっとの思いでベッドに戻るものの、ほんの10分後には布団まで汚してしまうほどの量だったのです。こんなに多いのは初めてでした。その後3~4周期ほどはほぼ2カ月ごとの生理だったのですが、出血量はまるで2カ月分の生理が1度に来ているかのように多いものでした。痛みも強く、期間も長かったのでその間は本当につらかったです。それ以降の生理周期は少しずつ、早く来たり遅れたりと不規則になっていきました。期間も量も一定ではなく、しばらく不安定な生理が続きました。友人も同じような体験をしていたそのころ、同じ年の友人と話す機会があり、生理のことを話してみたところ、彼女も同じような体験をし、同じように苦労をしていることがわかりました。また、いろいろな症状について話し合い、それぞれスマホで検索をして対処法を探し合いました。私が見つけたのは、再び大量出血が起きたとしても、安心して過ごせそうな2つのアイテム。これはその後、出血量が多かったときにとても役立ちました。私の場合、下腹部痛や腰痛などのPMSがあるので数日後に生理が始まりそうだというのはなんとなくわかります。そのため、PMSが始まった日はすぐにこの2つを準備して、外出や睡眠に備えるようにしています。ショーツ型ナプキンとペットシーツ私が見つけた便利アイテムのまず1つ目は、「ショーツ型ナプキン」。これはその名の通り、ショーツの形をしたはくタイプの生理用ナプキンです。前側と後ろ側がほぼすべて吸収シートで覆われていて、ショーツとナプキンが一体化しているもの。漏れの不安がかなり軽減されます。一見おむつのようにも見えるのですが、家族に服を着た後ろ姿を撮影してもらったところ、ゆったりとしたパンツやスカートを着用すれば後ろから見てもわかりません。生理中に外出しなければならない日も、普通のナプキンと併用することでそれほど心配せず出かけることができています。そして2つ目は、「ペットシーツ」です。もともと室内飼いのペットがトイレ替わりに使うためのものなので吸水力抜群! しかも1度吸収したものが漏れ出す心配もありません。睡眠時にこれをシーツの上に敷いてから寝ることで、布団を汚す心配から解放されるので、安心してぐっすりと眠ることができます。何より100円ショップでも買うことができるので、気分的にとてもラクです。まとめ生理が不順で量が多いときは外出時や睡眠時、特に私は出張や旅行などがとても心配だったのですが、このアイテムのおかげで不安が解消されました。一度は介護用品の使用も考えてなんとなく気持ちが重くなっていましたが、ペットシーツは購入時も使用時も、かわいい子犬や子猫を思い出すことでなんだか明るく感じてしまうのが不思議です。今も生理は不安定ですが、今後はきちんと受診をして医師にも相談していきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。【粒来先生からのアドバイス】生理中に大量出血が見られる過多月経は、ホルモンバランスによるもの以外に子宮筋腫、子宮腺筋症、子宮内膜増殖症などが考えられます。疾患がなくても高度な貧血になっている可能性があるため、必ず婦人科受診をしてください。著者/望月かおり(49歳)気持ちが落ち込むことが増えてきたので、前向きになる方法を探しつつ、趣味を増やそうといろいろな習い事を始める。既婚、自宅でリモートワーク。猫と犬が大好きで、保護した猫2匹も家族として一緒に暮らしている。
2024年04月06日『OPULENCE Volume4』が、5月19日(日) に東京・Zepp Shinjuku(TOKYO)で開催される。『OPULENCE』は、世界的なドラァグクイーンたちによる豪華なショーと、クラブイベントのような演出やサウンド、照明を組み合わせた、日本最大級のドラァグショー。4回目の開催となる今回は、米テレビ番組『ル・ポールのドラァグレース』オールスターズシーズン2で優勝した「Alaska(アラスカ)」、初のオーストラリア人クイーンとして人気を博した「Courtney Act(コートニー・アクト)」と、番組初の途中退場となりながら、その後ドラァグスターとなった「Willam(ウィラム)」が出演する。チケットの一般発売は3月30日(土) 10時より開始される。<公演情報>『OPULENCE Volume4』5月19日(日) 東京・Zepp Shinjuku(TOKYO)開場18:00 / 開演19:00※ミート&グリート:17:00~出演:アラスカ、コートニー・アクト、ウィラム一般発売:3月30日(土) 10:00~()※URLは受付時間以降有効公式サイト:
2024年03月28日45歳を過ぎ、白髪の増加に歯止めがききません。周りを見れば、みんな白髪なんてないように見えてしまいます。一体どうしたらいいの? そんなふうに悩む私と白髪との格闘と、きれいなママだと思われていたい私の奮闘をお伝えします。白髪との付き合いは30代から私が本格的に白髪を意識しだしたのは30歳ごろからでした。第1子を出産したのが32歳のときなのですが、そのころには白髪が生えていました。私の髪の毛は結構しっかりとした太くて硬い黒色の直毛です。なので、白髪もしっかりと太く、黒髪に混じってキラッと光ります。そのたびに毛抜きで抜いては、目立たないようにしていました。そして、まだおしゃれ染めで白髪はごまかせていましたし、ヘアアレンジを楽しむ余裕もありました。30代後半からの白髪染めデビュー35歳を過ぎたころからこめかみあたりに白髪が増えてきました。毛抜きで抜くのも限界で、このまま抜き続けたらハゲになってしまう、と言いようのない恐怖を感じていました。39歳で第2子の出産を迎えたとき、私はおしゃれ染めを諦めて白髪染めを選択しました。そのころには白髪を抜くことはやめました。白髪染めを使った直後はストレスが軽くなるのですが、1週間もするともうわずかに白いものがこんにちはと顔を出してきます。大体1カ月もすればしっかりと白髪が復活し、髪の毛をアップスタイルにする勇気も奪われてしまいました。白髪が加速する40代ネットで調べてみたところ、40代の白髪率は髪の毛全体の20%程度だそうで、だいぶ目立つようになるというコラムを見つけました。私の白髪率はもう少し高い気がします。このまま50歳を迎えたら、私の髪の毛はどうなってしまうのでしょうか? グレイヘアにはまだ早いし勇気がありません。まだ子どもに「お母さんはきれい!」と思われていたいです。現在、私の白髪染めの頻度は2カ月に1回程度で、そのたびに美容師さんに嘆いています。最近、眉毛に白髪が1本生えているのを見つけて絶望しました。そういえば母親も白髪が多くて、子どものころ抜くのを手伝わされた記憶があります。そして、今の母親の髪の毛はグレイヘアです。まとめ母親が30代後半から40代にかけて白髪が増えていたこともあり、私の白髪は遺伝だったのかなと思います。くよくよしても仕方なかったんだ、と開き直りました。今はこまめにリタッチしてごまかしつつ、うまく白髪と共存していく道を探っています。こんなに悩んでる時期を越えて、早く白髪染めでごまかすのはやめて、グレイヘアのおばあちゃんになりたいです。きっと無理して染めている今よりも私に似合う気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/所 とうこ(45歳)高校卒業後、専門学校へ進学。看護師として20年以上のキャリアを持つ。趣味は映画鑑賞。
2024年03月25日42歳ごろから、遊ぶことすら疲れるようになったというA・Sさん(45歳)。気付けば休みの日は1日の大半をソファーの上で過ごすことも。疲れない体を作るために始めたホットヨガも、ある理由でやめてしまったそうです。ひと休みが多すぎて何も進まない~〈A・Sさん・45歳の場合〉40歳を過ぎて、ちょっと仕事する、ちょっと掃除する……「ちょっと〇〇する」とすぐに疲れる私。 月~金曜日の仕事はなんとか乗り切れるよう時間配分とペース配分をして過ごしますが、お休みの日はもう気が緩み、何をするにも時間がかかる。朝起きてごはんを食べたらひと休み、食器を洗って疲れてひと休み、洗濯物を干してひと休み……。何か1つするたびにひと休みするので、時間がいくらあっても足りません。おいおい! 休んでいる時間のほうが長いじゃん!と自分に苦笑いしてしまいます。疲れない体になるはずが…前日は子どもの運動会だったこともあり、「ごちそうを作るぞ~」と張り切ってスーパーでたんまり夕食の食材を買い込み、帰宅。 ところが食材を冷蔵庫などに片付け始めたら、疲れが一気にやってきて、結局、外食することに。「お母さん、運動会に出てないのになんで疲れてるの?」と子どもに言われる始末。本当に情けないです。自分でもこの状況をどうにかしなければと思い、「疲れない体」になるために始めたのが「ホットヨガ」。隣の駅前にオープンしたばかりで、キャンペーン中ということもあり入会金ゼロ。これはやるしかないとすぐに飛びつきました。ちょっと動いただけで汗をかけて、動きもあるので、これなら「疲れない体になれそう」と3カ月間は熱心に通いました。ところが冬になり寒さが厳しくなると、隣の駅まで行くのが疲れる、服を着替えるのが疲れるとなり……。結局、退会。残されたのは、リバウンドして太った体重2kgだけ。寝ても覚めても疲れていて…もう本当に救いようのない私です。以前なら、連休になると旅行したり、ドライブに行ったり遠出するのが当たり前でしたが、ここ最近は渋滞が疲れる、人混みが疲れるという理由で旅行もできていません。この状況をなんとかしたいと思うですがなかなか難しいです。なにせ、休日は昼下がりにソファーでウトウトして目覚めたときに「疲れた~」と伸びをしていましたから。これには夫も苦笑。疲れていないときっていつだっけ? 最近、考えてもこの答えが見つかりません。でも、こんな私にも一筋の希望の光があるんです。それは知り合いの看護師の重鎮(70代)の方が言っていた「更年期を超えると、気力も体力も回復して疲れ知らずになるわよ」という言葉。だから今はただの体力温存時期と考えて、思う存分休むことに徹していきます。まとめ起きているときはほとんど疲れている私。疲れない体になるために通い始めた習い事も3カ月で挫折しました。70代の人生の先輩の「更年期を超えると疲れ知らずになる……」という言葉を信じて、今は長い人生の中で体力温存期間だと思って休んでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/取材・文/茂原好子(43歳)8歳女児、6歳男児の母。出版社勤務を経て、出産を機に看護師資格を取得。病院に勤務したのち、看護師編集者に。
2024年03月07日更年期を迎える45歳ごろから急に抜け毛・薄毛が気になるようになりました。これほど急激に起こるとは予想もしておらず、一時はとても悩みました。しかし私の場合、これらに対するストレスを解消することで薄毛の進行を止めることができたのです。今では髪にボリュームが出てくるまでに改善した体験談を紹介します。恐ろしくなるほどの抜け毛におびえた日々私はもともと髪の毛が太く多いタイプでした。しかし、45~46歳ごろから急激に抜け毛が目立つようになったのです。シャンプーのときに指に驚くほど抜け毛が絡まったり、普段でも髪をかき上げるとパラパラッと抜け落ちるといった具合でした。その結果、自分でもはっきり確認できるほど短期間に髪のボリュームが減っていきました。髪が長いと抜け毛も多く感じられショックが大きいため、思い切って短めにカットしました。すると髪自体も細くなりコシがなくなってきたので、全体がペッタンとしたイメージに。そして、いつも抜け毛が気になっていたせいか、朝起きると髪がすべて抜けていたという悪夢を何回か見たこともありました。美容師さんにも相談しましたが、やはり更年期に入り女性ホルモンのエストロゲンが低下することで、急激に薄毛になる女性もいるとのこと。そんな状態でなんとかしなければと思うようになったのです。もしかしたらストレスが原因かも?だんだん心が折れそうになり、まず考えたのが髪専門クリニックでの治療でした。しかし、料金が高いというイメージがあり、あまり積極的になれませんでした。そこで敵を倒すにはまず敵を知ることが大切だと考え、ネットや本で原因を調べました。その結果、遺伝、更年期などによる女性ホルモンの低下、シャンプー剤やシャンプーの方法の問題。さらに、食生活、睡眠、血流、ストレスなどさまざまな要素が深く関わっているようでした。自分なりに改善できることはすべて実践してみようと思いましたが、シャンプー剤をはじめ食生活、睡眠、頭皮マッサージなどは自分なりにどれもこだわって、すでに実行していたことだったのです。遺伝や女性ホルモンの低下などに対しては簡単に自分で改善することはできません。ただ、ストレスという言葉がやけに気になりました。私にとって抜け毛・薄毛の悩みはとても大きなストレスだと感じていたからです。とはいっても心のコントロールは簡単ではありません。しかし、このストレスを解消する努力をしてみようと考えたのです。ストレスの解消は意外なことだったストレス解消のためアロマオイルを利用したりいろいろ試してみましたが、抜け毛・薄毛に対する不安や恐怖は根本的なところを解決しない限り解消されないのだと感じました。そこで自分は何がそんなに不安や恐怖を感じているのかということを自問自答したのです。結局、私の不安や恐怖は髪が薄くなった自分の姿に対してだということに気付きました。そこから発想をガラッと変えて、気に入った部分ウィッグを使ってみようと思ったのです。現在の技術は非常に進んでいるため、とても自然にボリュームアップをすることができました。すると今まで家に閉じこもりがちだった私が、外出したいと思うようになったのです。そして抜け毛・薄毛に対する不安や恐怖はどんどん消えていき、「もし全部抜けたって、どうってことないわ」という気持ちにまでなれました。すると、1カ月ぐらいの短期間で抜け毛が急激に減りました。抜け毛に対するストレスがより抜け毛を加速させていたようです。それから3年ほどたち、現在では抜け毛はまったく気にならないレベルとなり、髪のボリュームも出てきて部分ウィッグが必要なくなってしまいました。まとめ今回のように更年期に起こる女性ホルモンの低下は特に異常なことではないそうです。そして、それに伴ういろいろな症状に対してもあまり不安を持つと、逆にその不安で押しつぶされてしまい、実際に体調の変化も出てしまうことがあると痛感しています。今まで私はストレスというものを「気の持ちよう」と軽視していましたが、今回のことで体にも影響を及ぼすものだということも学びました。そして、ガラッと発想を変えることでストレス解消ができることも知ったのです。これからも更年期でいろいろな変化が出ることもあると思いますが、それは自然の流れと受け止め発想を転換しながらうまく乗り越えていきたいと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/Sakura(49歳)子どもは独立し今は夫と2人暮らし。大好きなアクセサリー作りを仕事に。収入は少ないけど好きなことなので意外と気に入っている。
2024年02月11日45歳を過ぎてからやたらと出まくる「おなら」。若いころはめったに出なかったのに、なぜこんなにガスがたまるようになってしまったの? あるとき健康診断の検便で「要精密検査」の判定が! まさか、おならは良からぬことの前触れなのでしょうか。アラフィフ女子がおなかの不快感に悩まされる体験談です。人間空砲。私の朝は「おなら」で目覚めるここ数年の私の朝は「おなら」で目覚めます。夜、寝ている間にパンパンにたまったガスが、腸内で耐えきれずに「バフッ! 」と暴発。それが私の目覚まし代わりです。夫は早起きなので、隣にいないことを確認すると、ホッと胸をなでおろす毎日。その後も、朝食を食べて「ブブッ」、ウォーキングの最中でも「バフッ」、ソファに寝そべりながら漫画を読んでいるときも「ボフッ」、ちょっと腰の位置をずらそうと動いた瞬間に、意に反して「ボン! 」とやらかすこともあります。そして夫婦生活のときにも……。下腹部が押されて、もうたまりません。夫に気付かれているのか確認したことはないのですが、何の音なのかわかっていないかもしれません(苦笑)。なぜこんなに空気圧強めのおならマシーン「人間空砲」になってしまったのでしょう。前日にさつまいもを食べたなど、食事のせいではありません。若いころはめったにおならなどせず、するにしても音を鳴らず「スーッ」と涼しい顔でしていたはずなのですが……。あるとき健康診断の「検便」で再検査に50歳のとき、毎年の健康診断のオプションに「検便」があったので、軽い気持ちで受けてみようと、電話予約のときに「検便検査」を追加してもらいました。後日郵便で、必要書類と一緒に検便の容器が2本送られてきて、2日間に分けて便を採取しました。健康診断の当日に提出し、検便のことはすっかり忘れていたのですが……。潜血ありでまさかの「要精密検査」の判定に! 今まで大きな病気をしたことがない私は、再検査も初めてのこと。当日は車の運転ができないのは何となくわかりますが、同意書を書かされたり、成人した大人でも「保護者同伴で来てください」と注意書きがされていたりと、仰々しい内容に驚くやら怖いやら。夫に会社を休んでもらうほどのことではないので、母に一緒に来てもらいました。市立病院の内科医はイケメン男性で、この人におしりの穴に医療器具を入れられるのかと思うと、恥ずかしさを通り越して不思議な気分だったのを覚えています。 大腸がんは問題なし、おならはなぜ…?内視鏡を入れるのがうまくいかなかったのか、痛いのなんの!「 痛い痛い! 」「我慢して! 」とやりとりしているうちに、私も気持ちが吹っ切れて何でも話せる気がして、例のおならの件も聞いてみました。医師は「では見てみますね」と解説しながら検査をしてくれました。腸壁が少し赤く炎症があるけれど、特に腫瘍も見られず何も問題ないとのこと。医師は最後に「あっ! 」 と小さく叫び「ここに痔があります」と。この私が痔とは……。医師のはにかんだ顔が忘れられません。その後の診察でも、特に問題は見られなかったと医師は語り、おならが頻発するのも、年齢による腸の機能の低下ではないかとのことでした。女性には多いのだそうです。この検査で少しだけ組織を取り検査しましたが、がんの兆候はなく、検便の潜血は痔によるものだったようです。帰宅後、ネットで、年齢による腸の機能の低下とおならの関係を調べてみると、すぐに「更年期」の文字が見つかりました。女性ホルモンの低下から自律神経が乱れ、腸内環境が崩れやすいのだそうです。「50歳前後でやたらとおならが出る人がたくさんいる」と書かれていて、自分だけではないのだとホッとしました。 まとめアラフィフになり、やたらとおならを暴発する体質になってしまった私が、たまたま健診の検便検査で「潜血陽性・再検査」の判定となり、大腸カメラの精密検査を受けに行きました。医師と大腸カメラを見ながら直接おならの件を聞けたのは、良い機会になったと思います。小さな痔こそあれ、大病ではなく安心しました。しかし、ここでも私に付きまとう「更年期障害」の影が……。おならの頻発は更年期のせいだったのでしょうか。ネットで調べると、同じようなおなら症状の更年期の方がたくさんいると知りました。更年期とは、もはやお友だちとして付き合っていくしかなさそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/サトウユカ著者/こぴあ(50歳)園芸店店主。園芸ライター。県の里親として虐待児童の一時保護など児童の福祉に携わる。主に1歳前後の里子がお泊りに来るので、日々奮闘中!
2024年02月10日45歳を過ぎた私は、ストレスや疲れから生理不順になり、もしやホルモンバランスが崩れているのかなと考えるように。そんなとき、黒い食べ物が健康や美容に良いようだということを知りました。肌や体を整え、美肌を目指し、老化を防ぎたい! そんな思いを胸に、食生活に黒い食べ物を積極的に取り入れてみることにした体験談です。驚き!きくらげは肌を整える食材だった黒い食べ物はたくさんありますが、その中で私が注目した食材はきくらげ。きくらげは美肌食材の1つのようでした。きくらげには黒きくらげと白きくらげがありますが、黒きくらげは肌に栄養を運んでお疲れ肌に効く食材といわれ、白きくらげは肌に潤いをもたらすので美肌を目指すのに持ってこいの食材だということです。問題は、きくらげをどう食べるか。私はいつもの料理に乾燥きくらげをプラスして食べてみました。黒きくらげは、わが家では豚肉と野菜炒めに入れて食べています。これは家族全員に好評! 白きくらげはサラダに入れて食べたり、味噌汁や野菜スープなどに入れたりしています。乾燥きくらげは、水に漬けて10分くらいでかなり膨らみます。黒と白の両方とも食物繊維が豊富で、カロリーは控えめなのにこれを食べるとかなり満足感が得られました。そして、最近は吹き出物が顔にできなくなり、肌の調子は良い感じです。黒ごまで貧血予防し、髪ツヤを取り戻す黒い食べ物の1つ、黒ごまは体や髪に栄養と潤いを与えてくれる食材といわれていますが、それだけではなく、白髪にも良いと知りました。最近、白髪が増えてきた私にはぴったりな食材だと思い、黒ごまも摂取することに。1日大さじ1~2杯を目安にとるようにしています。とはいっても、以前は黒ごまをあまり食べたことがなかった私。なので、最初は毎日飲んでいる豆乳にすった黒ゴマときな粉をトッピングして飲んでみました(写真参照)。するとこれがとてもおいしくて自分的に大ヒット! おいしくて美容と健康に良いならうれしい限りなので、それ以来飲み続けています。料理では、おひたしや味噌汁などに黒ごまを使っています。おひたしは、ゆでたほうれん草などの青菜にすった黒ごまと醤油を振りかけるだけ。簡単でとてもおいしい副菜ができ上がります。味噌汁は、黒ごまを振りかけて食べています。今のところ、急に白髪が減ったということはないですが、とり続けることで肌や髪の調子を取り戻したいと思っています。黒酢でストレスを解消して疲労回復へ!黒酢には、普通の酢よりも筋肉や髪などを作る天然アミノ酸が凝縮され、ストレスを解消し、リラックスさせてくれる効果があるそうです。また、代謝を促進し、疲労回復に努めてくれるようです。私は酸っぱい系が好きなので、黒酢は全然平気。年々疲れやすくなった私にはもってこいのアイテム。私の黒酢の使い方ですが、1番はピクルスを作って食べています。耐熱容器に好きな野菜、黒酢、砂糖、水を入れて、電子レンジに入れて数分加熱するだけ。これでピクルスが完成! 暑い時季はよく食べて、疲れを吹き飛ばしていました。あとは、醤油と黒酢を混ぜてポン酢風にしたものを焼き魚にかけて食べています。大根おろしとも相性が良いので、焼き魚に大根おろしを乗せて、この黒酢と醤油のブレンドをかけて食べるのも好きです。まとめ40歳を過ぎたころから、少しのストレスや疲れから思うように体がコントロールできなくなってきました。45歳を過ぎた今では、若いころのように無茶をしても大丈夫ではないことを認識。自分の年齢に合った生活スタイルを取り入れることがベストだと気付きました。ごぼう、焼きのり、干ししいたけ、ブルーベリー、黒砂糖などとにかく黒い食べ物はたくさんあります。この先も体の不調とうまく付き合っていくためにも黒い食材と併せていろいろな食材をバランスよくとっていきたいと思います。それにより、元気な体や美肌を目指し、少しでもなりたい自分に近づけて、笑顔がずっと続く毎日を過ごしていきたいと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ひぃさん(46歳)結婚を機に専業主婦へ。毎日ウォーキング、腕立てふせ、柔軟体操、腹筋などをしてるけれど、同じ回数をこなすのが年々大変になってきて体力の限界を感じている。無理なく体型を維持することができないかを模索中。
2024年02月07日私は20代のころ、職場の先輩から聞いた「若いときに近視だった人は年を取っても老眼にならない」という話を長い間信じていました。しかし、45歳を過ぎ、少しずつ老眼の症状が出てきた私は、その話がウソだったことに気付いたのです。10代から近視眼鏡生活10代後半から近視がひどくなった私は、毎日眼鏡をかけて過ごしていました。コンタクトに憧れて眼科医に相談すると「ドライアイがひどいのでコンタクトは勧められない」と言われ、眼鏡生活を続行。最初は眼鏡があまり好きではなかった私ですが、世間で「メガネ男子」「メガネ女子」という言葉が流行り、安くて質の良い眼鏡を売っているお店が増えたことで、眼鏡もファッションの一部だと考えるように。フレームの形や色の違う眼鏡を数本買いそろえ、洋服やメイクに合わせて眼鏡を使い分けながら毎日の眼鏡生活を楽しむようになりました。20代のころに聞いた話20代のころ、職場の先輩から聞いた、「若いときに近視だった人は老眼にならない」という話。年を取って老眼になってきたら遠近両用眼鏡に買い換えなければ……。遠近両用メガネは高いって両親が言ってたな……と、老眼に対してネガティブな印象を持っていた私にとって、その話は朗報でした。その話が何の信憑性もないものだとは知らず、「私には老眼鏡の必要がない!」と、心の中で小さなガッツポーズをしていました。40代に突入するとそれから月日は流れて45歳を過ぎたころ、少しずつ目の見え方が変わってきたことに気が付きました。読書をしていると文字がかすんではっきりと見えず、スマホは目から少し離さないと文字が見えず、書類に文字を書く欄さえもよく見えなくなっていたのです。これはまさか老眼!?と驚き、インターネットで老眼について調べました。すると、20代のころに聞いた「若いときに近視だった人は年を取っても老眼にならない」というのは間違った情報だったことがわかったのです。20年近く信じていた職場の先輩の言葉が、一瞬にしてひっくり返りました。まとめ長い間信じていた「近視は老眼にならない」が偽情報だったことはショックでしたが、不思議とネガティブな気持ちはありませんでした。今はデザインが良くかわいい老眼鏡がたくさん売っているし、遠近両用眼鏡も昔のようないかにもという、ごついレンズではありません。「次はどんな眼鏡を買おうかな」と、買い換えることが楽しみになっています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/吉野 詠美福岡県在住。専門学校を卒業後、技術系事務、経理、BAなどの仕事を経験。趣味は、コスメ・メイク・スキンケアなど美容の探求、読書、アニメや海外ドラマ鑑賞、投資(主に外国為替取引)など。
2024年02月05日若いころから自慢だったデコルテ。それなりにお手入れをしてきたはずなのに、45歳ごろ気付けば小さな首イボが出現していました。慌てて病院へかかると、加齢性のイボだと言われてダブルのショック。治療には時間もお金もかかると言われたため、病院治療は諦めて自身でおこなったセルフケアについてお話しします。首に感じる痛みの原因は首イボだった若いころからよく褒められたデコルテライン。鎖骨が見えるデザインの洋服を好んで着ていたため、1年中日焼け止めを塗り朝晩のお手入れは、顔同様に化粧品や美容液でおこなっていました。ところが40代半ばに差し掛かったころ、時々首に痛みを感じるようになりました。何かに引っかかっているかのような痛みに異変を感じ、鏡でよく見てみると極々小さい首イボができていたのです。その首イボが洋服の繊維に引っ掛かり、痛みを感じていたというわけです。仕事帰りに皮膚科を受診すると「スキンタッグ」と呼ばれるイボだと言われ、主に加齢が原因のことが多いとのこと。たしかに母も私もイボができやすい体質ではあり、これまでにも治療をおこなったことがあったので、想像もしていなかったというわけではありません。ですが、40代半ばで加齢が原因と言われると、イボ以上になんだかショックでした。皮膚科の先生からは非常に小さなイボだけど、一つひとつ治療するとなるとそれなりにお金も時間もかかると言われ、当時、大学進学を控えた息子を抱えている私には金銭的にも時間的にもそんな余裕はなく、おうちでできるセルフケアを頑張るしかなかったのです。首イボ対策第1弾「ピーリングジェル」母と私は体質が似ていて、かかる病気も似ています。30歳以上離れている母親と同じ悩みだなんて情けないのですが、顔にできたイボがかゆいと言っていた母に相談してみることに。母は元看護師で、70歳過ぎまで現役で働いていたので知識があるものと期待していましたが、口から出るのはテレビショッピングの商品ばかり。家で1日中テレビがついている状況なので仕方ないとはいえ、自分の首のためなので、自分でネットで情報を探してみることにしました。加齢により厚くなった角質を、ピーリングで除去することによりイボがケアできるのでは? と考えた私はピーリングジェルを試してみることにしました。杏エキスの入ったジェルをお風呂に入る前に塗り込み、軽くこするとポロポロと角質も落としてくれるという触れ込みの商品です。私はもともと皮膚が強いわけではないので、皮膚が薄い首は頻繁にピーリングをやると逆効果になると思い、1週間から10日に一度くらい取り入れてみました。使用し始めて1カ月が過ぎたころから少しずつ効果が見えてくるように。すべてのイボが消えた! というほどではないものの首のザラザラ感が消え、時々おこなうピーリングで古い角質が取れ、首だけでなく同時におこなっていた肘や膝もツルツルになりました。首イボ対策第2弾「ハトムギサプリ」続けて取り入れたのがハトムギエキス入りサプリです。ハトムギはイボに効くという話を聞いたことがあったからです。たくさんの口コミを見て試しに購入したのですが、正直思った以上に私には効果がありました。毎日1粒ずつ飲んで、1週間を経過するころには効果を実感。といってもイボが消えた! とかではありません。イボができると肌にかゆみも出たりして、寝ているうちにかいてしまって出血していた! なんてことが今までよくありました。特に夏、汗をかく季節になるとかゆみが強くなる気がするのです。そんなかゆみがまず治まり、イボ自体も小さくなりました。母からも「ひどかった首がずいぶんきれいになったね」とやさしいのかやさしくないのかわからない言葉をもらったくらい、自他共に効果を感じたサプリでした。ただ完治したとかではなく、ひどいものはつまめるくらいだったイボが小さくなり、衣類に引っ掛かることもなくなったという程度です。それでも一時は首を見られるのが嫌で、首が隠れるようなデザインの洋服ばかり着ていたのがうそのように、デザインを気にせず洋服選びができるようになりました。まとめ52歳になった今も続けているのはサプリのみです。この7年間の間になんと30回も購入していました。それは効果をある程度実感できたからだと思います。ピーリングは肌が薄い私には少し負担が大きいかも? と思い、今は使用していません。現在も薄いシミのような平面のイボはあるものの、多くを望み過ぎず、せめて現状より悪くならないようにサプリを飲んでいるといったところ。それ以外にも紫外線対策をおこなったり、寝る前は顔同様のケアをしたりと多方面で努力を重ねています。この先さらに年齢を重ねて、美容・健康面の両方で気になる箇所は増えていくでしょう。経済的にも時間的にも自分の身の丈にあったケアを続けていけたらいいなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/マメ美著者/sara(52歳)22歳で出産後、27歳で離婚。以降一人で仕事と子育てを両立してきたシングルマザー。ようやく子どもも就職し、安心した矢先に大病を患い現在経過観察中の身。忙しい仕事や家事、親の介護など日々のストレス発散は、大好きなお酒とKPOP。そんな趣味を、いつまでも楽しめるよう健康管理に努めている。
2024年01月18日40代になっても同年代に比べたらまだまだ若い気でいる私。更年期なんて自分には無関係な話だと興味もありませんでした。しかし45歳を過ぎると体に違和感を感じるようになりました。更年期症状といえば生理に異常が起こることだと認識していたので、突然始まった起床と同時に起こる手指のこわばりが更年期症状と関係があったとは思いもしませんでした。朝起きると指が曲がって伸ばせないある朝、いつも通りにベットから起き上がって、寝室のカーテンを開けようとカーテンに手を伸ばした瞬間にピリッとした痛みを両手の指に感じました。まるで低周波治療器の電流の刺激のような感覚でした。ゆっくりと指を伸ばすと指は開くことができるのですが、ピンと伸ばすことができません。こういう症状は高齢者でよく聞くのでまさか自分が? と不安な気持ちになり、何かの病気ではないかと心配になりました。これが更年期症状?ちょうどそのころ、勤めていたパートを辞めて次の仕事を探している最中でした。子どもも手がかからなくなり、日々の家事も手際よくできるようになっていたので時間的な余裕ができていました。もしかしたら仕事もせず、ゆったりと暮らす生活が更年期症状を招いているのではと思いました。そこで更年期症状とはどういったものがあるのか検索してみることにしました。原因について調べてみると…調べてみると、手指の関節の違和感や痛みなどの症状を訴える人の9割は女性で、そのほとんどが更年期の人だそうです。産後や授乳期にも見られることがあり、いずれも女性ホルモンのエストロゲンの減少が原因になっているとのこと。指が動きにくいという症状をそのまま放置しておくと、7〜10年かけて関節の変形が起こり、60代にはそのまま関節が固まってしまうとありました。これはすぐに対策せねばと、エストロゲンと似た作用をする大豆イソフラボンの代謝産物のエクオールのサプリを購入し、毎日飲み始めました。1年以上続けて飲んでいますが、手指のこわばりは一切なくなりました。まとめ毎日の生活は同じことの繰り返しで、子どもが大きくなるとさらに日々の暮らしにメリハリがなくなり、自分自身が老けているという感覚が薄れてきました。しかし確実に体は老いていて、更年期は生理がなくなるだけでなく、他の部分でも不調が表れるということを肝に銘じておかないといけないと思いました。気付いたときにすぐできる対策をするだけで、5年後、10年後の体調も変わってくると思うので、体をいたわるよう心掛けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/大橋らむね小売業を中心に事務職や飲食店でパートとして勤務。体を動かすことが好きで、日々ウォーキングをおこなっている。
2024年01月11日子どものころから新聞を読むことが大好きだったのに、45歳を過ぎたあたりからなんだか読むだけで目が疲れるようになりました。ついに老眼が……と思いつつ、老眼鏡に頼りたくない私。目をいたわるためにあれこれ考え、「穴開き眼鏡」という不思議な眼鏡にたどり着いた私の体験談です。ついにやってきた…老眼!子どものころから大好きな新聞。当時私は学校に行く前と帰宅後1日2回、新聞を読んでいました。そのとき欠かさず読んでいたページは社会欄です。そのページにあるテレビ欄、4コママンガ、事件などに興味津々でした。そして、アラフィフになった現在。お気に入りのページは年齢とともに変化するものの、地域の情報やイベント欄を中心に、総合やスポーツ、地域経済や政治、メディカルなどに目を通すのが日課になっていました。家事の合間、コーヒーを飲みつつ新聞を読むのが私のリフレッシュタイムです。視力はよかったので、ずっと裸眼で過ごしていました。ところが、45歳を過ぎたころです。新聞を読むことがだんだんつらくなってきたのです。読み終えるまで時間がかかり、疲労感も出るようになりました。「これは、もしかして老眼……」、ついに私にもやってきたのです。「穴開き眼鏡」でピントが合いやすくなったどうしても老眼鏡に頼りたくない私は、裸眼でやり過ごせる方法はないかと考えました。まず試したのは、できるだけ明るいところで昼間でも照明をつけて物を見るようにしました。次におこなったのは「完全自己流の目のマッサージ」です。具体的には、自分の指で眉間や眉の上、こめかみ、目の下など眼球の周りをやさしく押します。そして、極め付けは夫からもらった「穴開き眼鏡」です。近視の夫はこの眼鏡の存在を15年くらい前から知っていて時折使っていた様子で、目について悩んでいた私にすすめてくれたのです。穴開き眼鏡は別名「ピンホール眼鏡」と呼ばれ、レンズ部分に複数の小さな穴が開いています。近視の人が物を見るとき目を細めることがありますが、それと同じ効果が得られるとか。要するに、ピントが合いやすくなるようです。実際、この眼鏡をかけながら文字を見ると、ぼんやりしていた文字がハッキリと見えるようになります。ただ、眼鏡を外せば再び文字がぼやけます。色も形も機能も不思議な穴開き眼鏡ですが、困ったときに使っています。老眼が進むのは60歳まで!?その後、私は裸眼で過ごしたり、見えづらいときに穴開き眼鏡を使ったりしていました。しかし、夫は「老眼鏡をかけないと老眼が進んで、目が見えなくなるのでは?」と心配していました。そこで1年前、アレルギー性結膜炎で眼科を受診したときに、先生に老眼について質問してみたのです。「先生、老眼でも眼鏡を作らず頑張っていても問題ないですか? 目の病気になることはないですか?」と聞くと、先生は「そういうことはないけれど、目がものすごく疲れますよ」と言いましたそんなとき、「60歳までは老眼は進むがそれ以降は止まる」という内容のテレビ番組を見たのです。老眼の進行が終わるまでまだ10年もあり、目の疲労も考えると老眼鏡の購入を検討したほうがいいのかなと思い至りました。まとめ穴開き眼鏡の色は黒。中心部にポツポツと穴が開いているので、見た目はなんとも奇妙。ちょっと恥ずかしさもあります。しかし、サングラス風だな……なんて思って鏡の前でポーズを決めてみると、意外とかっこ良く、明るく前向きになれました。ただ、目の健康を考えると老眼鏡を使ったほうが良いと思うので、時間があるときに眼科を受診して老眼鏡を作りに行こうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。【田辺先生からのアドバイス】老眼によって近くの物が見づらい場合は、専門家に自分の目の状態をきちんと調べてもらった上で適切な眼鏡を装用したほうが見る環境が良くなります。適切な眼鏡を使わないと必要な調節ができないので、目の疲れやかすみが起こることもあります。老眼は誰もがなるもので40歳ごろから始まり、自覚し始めるのは45歳ごろからが多いです。60歳になると老化しきるので老眼の進行は止まりますが、それまでは適切な眼鏡で目をいたわるのがおすすめです。著者/ミント(49歳)主婦。趣味はガーデニングで、家の庭や室内でいろいろな木や花を育てており、日々癒され中。
2024年01月07日40歳前半のころは、老眼=高齢者というイメージを持っていました。だから当時45歳の自分とは無関係で、まだまだ先の話だと……。老眼という言葉すら、頭の中にはなかったのですが、ある日突然、自覚することになるのです。印刷会社に「文字ぶれ、写真ぶれが多い」と指摘私の仕事は編集&ライター。ある雑誌の最終記事をチェックしているときのことです。「何これ~! ひどいな、この印刷。半ズレが多すぎるよ!」とイラッ。半ズレというのは印刷用語で、簡単に言うと、写真や文字がブレているように見えること。その半ズレがすべてのページにおいてあり、最終チェックでそうなるのは大変困ります。なので、印刷会社に「版ズレ正す! すべてのページ!」と書いて戻したのです。ところが次の日、印刷会社から連絡がありました。半ズレではないとのこと。編集部の別の者がその記事を確認したのですが、半ズレではない! でも、私が見ると半ズレ。なんでなんで? すごく不思議でした。文字のぶれは老眼だった…なんと半ズレの原因は、自分自身の目にありました。そう、老眼だったのです。老眼というのはご存じのとおり、近くの物が見えにくくなるのですが、徐々になっていくため、自分では気付きにくいもの。よくある老眼チェック法は、小さい字が読みにくくなったり、本やスマホを目を細めて見るようになったりしたときと言いますが、私の場合は文字の二重見えでした。45歳のときの話です。こんなことから老眼が判明するなんてびっくり! 私にとっては衝撃でした。老眼=高齢者=わたしぃ~!!! ショック、ショック、大ショック! 老眼と知って切なくなりましたが、今となっては笑い話にできるので、まあ年を取るのも悪くないかな(笑)、とおのれに言い聞かせています。友人は眉間のシワと疲れ目から老眼判明!ちなみに友人の場合は、47歳のときに老眼が判明。目の疲れが頻繁になったことと、眉間のシワが濃くなったことでわかったのです。なんでもピント調節のため、目にギュッと力を入れて目を細めて文字を見ていたらしく(自然にしていたので、自分では気付かなかったとか)、それが原因で眉間にシワができたそうです。そして、その目の動きで疲れ目がひどくなり、原因を探ろうと眼科に行ったら老眼と判明したのだそう。まとめ老眼のチェック法といえば、文字が小さく見えるようになることや、本やスマホを見るときに手元から離すようになるなどがありますが、実際に自分で気付いたのはそれ以外のことでした。文字がかすれる、二重に見える、目が疲れやすい、眉間のシワが濃くなるなど人それぞれ多様なのだと実感しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/かなよし(50歳)少し前までぽっちゃりさん。そのせいで30代に見えたのにやせたら胸のサイズダウン&顔やせで老化が加速。スリムになった体形はキープしつつ、以前のように戻るために、食事と筋トレでコントロール中。最近は若見えメイクに興味津々です。
2023年12月08日メイクとスキンケアで加齢による悩みを解決11月28日、メイクアップアーティストのレイナさんによる新刊『45歳からの自分を好きなるメイク』が主婦と生活社から発売された。A5判、128ページ、定価は1,650円(税込)となっている。1978年生まれのレイナさんは、産婦人科医の高尾美穂さんや、故・瀬戸内寂聴さんなどの文化人、幅広い年齢層の女優やタレント、一般女性のメイクを手がけ、雑誌の美容企画の監修、メイクイベントへの出演、コンサルティングなどで幅広く活躍中である。鏡の中の自分が変わると景色が変わる鏡の中の自分と向き合うことから始まる朝。もう何十年も続けてきた習慣なのに、だんだん鏡を見ることが億劫になってきた、自信がなくなってきたという女性も多いのではないだろうか。仕事、育児、介護など、自分以外のことに忙しく、やがて鏡を見たくなくなっている自分に気付くことになる。しかし、鏡を見ることはとても大切なことなのである。うつむいてしまいがちな時には、メイクを少し変えれば、気分は上向いていくはず。鏡の中の自分が変われば、見える景色も変わってくるものなのだ。新刊では、大人の女性たちに向けて、もう一度自分と向き合うことを楽しめるようになるメイクとスキンケアを解説。財布にやさしくて大人の女性向けのドラッグストアコスメ、低コストで高機能な最新コスメなども掲載されている。(画像はプレスリリースより)【参考】※45歳からの自分を好きになるメイク ‐ 主婦と生活社
2023年12月08日転勤族の私は、45歳にして初めて食堂のない単身寮に住むことに。今まで寮の食堂や妻の手料理頼みだった炊事を、初めて自分でおこなうことになりました。毎日3食外食を続けるわけにもいかない事態に困った私は、意を決して料理にチャレンジ! いざ始めてみると意外とハマってしまって……。初めて食堂のない生活をきっかけに自炊することに高校卒業後すぐに就職した私。転勤の多い職場で、短くて3年もするとすぐに引っ越しを繰り返すという生活も、もうじき30年になろうとしています。私の務めている会社は、独身寮と単身寮に食堂がついている場合が多く、寮を利用している間は食事の準備に困ったことがありませんでした。高校時代の同級生であった妻と結婚してからは、妻に食事を作ってもらっています。そういった事情もあり、実家を出てからこれまで、私はほぼ自炊というものをしたことがありませんでした。そんな私に、ある転機が訪れます。妻と離れて単身赴任することが決まったのです。しかも今回の住まいは、会社が単身寮として借上げている一般的なマンションの一室。食堂もなければ備え付けの家具や家電もありません。困った私は妻と相談し、新社会人の初めての1人暮らしのごとく、家電や家具など生活に必要なものを一通り買いそろえることになりました。その際、小さなフライパンや片手鍋など、袋ラーメンや冷凍食品が簡単に調理することができる程度のキッチン用品も購入。こうして45歳にして初めての自炊生活が始まったのでした。やっぱり外食が一番…と思っていたけど住み始めた当初は、好きなものを熱々でおいしく食べられる外食が一番良いと思っていました。妻に都合を聞かずに後輩と飲んで帰れたり、ふらっと立ち寄った居酒屋でひとりお酒を引っかけて帰ったりと、充実した単身赴任ライフを過ごしていた私。しかし、そんな生活も1カ月を過ぎるころには飽きてきて……。後輩にも家庭があるため、いつでもごはんに付き合ってもらえるわけではないことも、外食生活が行き詰った理由の1つでした。そうは言ってもおなかは減ります。「そういえば片手鍋を買ったんだっけな」困った私は、ふとキッチンの戸棚で眠っている、買った当時のまま一度も使っていない片手鍋のことを思い出しました。その日、私は初めて鍋でお湯を沸かして袋ラーメンを作りました。その作業が意外と楽しく、次には野菜を切って入れてみたり、付け合わせに買ってきた肉をフライパンで焼いてみたりと、家で作るたび、味を変えるためにしていた作業は少しずつ料理らしくなっていきます。さらに酒のつまみも作ってみようと、スマホで簡単なレシピを探して見よう見まねで作ってみると、驚くほどおいしいことに気付きました。妻が作っていたものや購入したものもおいしかったのですが、自分で作ると好みの味になることもあり、さらにおいしさが増すのです。ついに私は毎日自炊をするようになり、さらには週末に妻の待つ家へ帰ったときにも、自ら料理を作るようになったのでした。家でも料理するようになった夫に、妻の反応は?家に帰ったときにも料理をするようになった私の変化に、妻は驚きます。しかし、次第に「すごいね!」「これおいしいね!」「次はこんなものが食べたい!」と私のレベルアップしていく料理の腕前を褒めるだけでなく、次に帰ってきたときに食べたいものまでリクエストするようになったのです。妻の反応に気を良くした私は、平日は単身赴任先で料理の腕を磨き、週末は家に帰って成果を披露するという生活を楽しむようになりました。たまに仕事の都合で帰れないときがあると、妻から「今週は帰ってこれないの? ごはんどうしようかな、面倒だな」と笑いながら言われるようになったのは、さすがに私もうれしさとおかしさで笑ってしまいました。どうやら妻は私の作る料理にハマったらしく、できることなら毎日作って欲しいと思っているようなのです。妻にそう思ってもらえることは単純にうれしく、作った料理を褒めてもらえる気持ちよさや今まで任せきりだった炊事の大変さ、その仕事をいたわることの大切さに気付くきっかけとなりました。まとめ45歳にして初めて料理の楽しさや大変さ、食べた人に褒められるうれしさを知りました。こんなことがなければ、死ぬまで料理に挑戦することはなかったかもしれません。また、料理を毎日作ってくれていた妻が、毎回「おいしい?」と尋ねてくる気持ちを理解できたのも、今回の単身赴任が良いきっかけとなりました。今後は料理を続けながらも、妻に任せきりになっていた他の家事にも挑戦してみると、案外楽しさを見つけられるかもしれないなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/山本 さつきパパが大好きな息子と毎日格闘しているママライターです。たくさんの情報をわかりやすく伝えるべく、日々スキルを磨いています。
2023年11月30日多くのテレビドラマや映画、CMなどに出演してきた、俳優の小西真奈美さん。独特の透明感や、ふんわりと柔らかいイメージで、作品を彩ってきました。そんな小西さんは、2023年10月27日で、45歳に。同月28日、小西さんは自身のInstagramで、ファンから寄せられたお祝いの声に応えるよう、近影写真とコメントを公開しました。「ずっと変わらない」「素敵」などの声が寄せられた、実際の写真がこちら。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 小西真奈美 manami konishi(@manami.official)がシェアした投稿 緑豊かな場所で、優しくほほ笑む小西さん。透明感や、やわらかい雰囲気がそのままで、とても45歳には見えません!小西さんは、45歳になった心境を、次のようにつづっています。もし90歳まで生きたとしたら、折り返し地点、来ましたね。年齢を重ねるごとに思うのは、内側がより深く、豊かな人になっていきたいと思っています。日々、色んなことを学んだり、チャレンジしたり、そのことが、大切な人たちが毎日を健やかに笑顔で過ごしていく為の材料に少しでもなれていることが嬉しくて、益々、学ぶ意欲が湧いてきます。やっぱり大好きな人たちには、毎日、笑っていてほしいですからmanami.officialーより引用「もし90歳まで生きるとしたら、折り返し地点」という言葉とともに、小西さんは、自身がこれまで歩んできた人生を振り返った様子。「内側がより深く、豊かな人になっていきたい」と、今後についてつづっていました。小西さんは最後に、「みなさんがこれからも健やかで、笑って過ごせることを願っています」と、ファンに向けてメッセージを送っています。【ネットの声】・小西さんの笑顔に救われています。お誕生日おめでとう!・透明感を持つ小西さんが大好きです。その清らかさよ、永遠に!・ますます魅力的になっている!小西さんの、いつまでも変わらない、やわらかな雰囲気と美しさは、内面からあふれる魅力なのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2023年10月30日45歳を過ぎたころから、それまでもたまにあった物忘れが頻繁に起こるようになりました。用事で家の2階に上がっても、2階に行くと用事を忘れている。人の名前や固有名詞がすぐに思い出せないので「それ」や「あれ」に置き換えてしまう。そんなことが、増えてきたように感じていました。そして50代へと近づく今、以前ネットの記事で読んだ脳神経内科医推奨の「5行日記」 を思い出し、物忘れの改善を期待して実践してみることにしました。脳の機能を活性化する「5行日記」とは?物忘れが気になり始めた当初は、認知症の始まりかと心配になりネットで調べましたが、用事があったことそのものではなく、用事の内容を忘れてしまう場合は加齢による症状の1つだとわかりました。 それにより、今のところは認知症ではないので大丈夫だろうと安堵 。ただ、これをきっかけに今後、年を取って認知症にならないために、今から何か対策をしようと思うようになりました。そこで、もうじき47歳になる私は、以前から興味があった脳神経内科・認知症専門医推奨の5行日記を試すことにしました。5行日記とは、1日5行の日記をつけ続けることで脳の働きを回復させるという脳トレの方法。事前に作っておいたフォーマットに沿って5つの内容を手書きでノートに記します。私の場合は、次の5つを書くことにしました。・天気・服装・食べた物(朝昼夜)・何をして過ごしたか・1日を終えての感想ルールに従って毎日同じ項目について書き、機械的に書ける項目もあれば、しっかりと脳を使って書く項目もありますが、書くのは全部で5行だけというところに取り組みやすさを感じました。早速、新しいノートを購入して日記を書き始めました。スタート早々に壁にぶつかり現実を知る初めて日記を書いた日のことです。自分でも驚きましたが、1日目からいきなり壁にぶつかりました。就寝前に日記を書くのですが、朝食や昼食はもちろん、ほんの数時間前に食べた夕食さえもサッと思い出せないのです。また、毎日同じような服を着ているせいか、「あれ……今日は何を着ていたかしら? 」と、記憶をたどろうとしても思い出せません。最終手段として、脱衣所で脱いだ服を見て判明するという散々な結果に。特に朝食はパン派でいくつかバリエーションがあり、どの種類のパンを食べていたのかを思い出せませんでした。これには、もう若くはないのだなと年齢を感じずにはいられず、ひとり焦燥感に駆られる夜。最初からこれでは先が思いやられるなとへこむ一方で、頑張って取り組んでみようという意欲が湧いてきました。そして、意識をして見たり食べたりしていないと、記憶ができていないということがわかってきました。今日したことや1日を過ごした感想は割とスラスラ出てきますが、記憶をたどるスピードがとても遅いのです。また、普段は電子機器に頼って変換している漢字を、脳を使って思い出しながら書くので手書きの大切さを改めて感じました。書くことに慣れていくうちに効果を実感日記を書き始めて3日目までは、やはり食べた物や服装を思い出すのに苦戦しました。ですが4日目以降になると、思い出すのにかかる時間が短くなってきたことを実感。意識して覚えるように心掛けたせいもあるのか、脳が思い出すことに少しずつ慣れてきていると感じました。日記にある何をしたかの項目に在宅ワークの業務内容を書くときは、作業の進行状況や予定などを1度整理できるので、備忘録代わりになり便利だと思いました。また、その日おこなう予定だった家事ができたかどうかなども日記で確認ができるので、日常生活の指針のような役割も果たしてくれています。10日目を過ぎたころには、書き終えるのにほんの数分しかかからなかった日も! 服装や食べた物も、思い出す時間がだいぶ短縮されました。2週間がたった現在では、天気が曇りから昼過ぎに雨に変わった、夕食のお味噌汁は昨日の残りだったといったこまかい部分まで思い出せるように。最初の3日間と比べると考えられないような、大きな進歩でした。少しの取り組みでも脳に変化が表れ、活性化されていると感じるのでうれしいです。このまま日記をつけることを習慣化していこうと思います。まとめたった5行程度の日記を書くことで本当に変わるのかな……と最初は半信半疑でしたが、普段の生活に役立つことも多いので、試してよかったと思いました。肝心の物忘れへの効果ですが、今までは思い出せないままになっていたことが、少し時間をかければ思い出せるようになり、少なくとも忘れっぱなしが減ったと感じました。いつか取り返しのつかないミスをしてしまうことを心配していたので、今後も5行日記を習慣化すればそれを未然に防げるような気がします。自分の生活を俯瞰するのも良いものだと感じました。これからも5行日記を続けて、加齢に負けないように脳の働きを回復する努力をしていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/あめあがりのにじ (46歳)映画と音楽をこよなく愛する小学生女児の母。娘とお互いの推しを応援することが楽しみ。 心と体のアンチエイジングをゆるりと実践中。座右の銘は「雨垂れ石を穿つ」。
2023年09月21日45歳のころから、急に動悸を感じるようになりました。最初はストレスのせいだと思いあまり気にしていませんでしたが、頻繁に動悸を感じるように。一時は心臓が悪いのかと悩みました。しかし、病院で検査したところ心臓に異常はなく、原因は更年期障害でした。45歳ごろから急に動悸を感じるように動悸の原因はストレスではなく更年期私が初めて動悸を感じたのは、45歳のときです。仕事中、急に心臓がドキドキして、脈が速くなり、息が少し苦しくなるような感じがしました。動悸は20分ほど続きました。ずっとパソコンの前で座っている仕事なので、動悸がするのはおかしいと思いました。それでも、初めのころは仕事中に動悸を感じることが多かったので、ストレスのせいで一時的なものだと思い、あまり気にしていませんでした。しかし、動悸を感じる頻度が徐々に増えてきました。最初は1カ月に1度程度だったのが、ひどいときには数日おきに動悸を感じるようになりました。仕事中だけでなく電車の中や家事の最中などにも突然動悸がすることがありました。それでも当時は自分が更年期だという発想はなく、心臓の検査をしたほうが良いと考えました。母親と祖母に心臓疾患があるので、私も心臓には気を付けたいと昔から思っていたのです。そこで、近所の循環器内科を受診しました。心電図やレントゲンの検査を受けましたが、異常なしとの診断でした。そして医師から、「心臓に問題はありません。動悸はもしかしたら年齢的なこともあるかもしれませんね。少し様子を見ましょう」と言われました。年齢的なことと言うときの医師の少し遠慮したような口調に、はっとしました。もしかして更年期? すぐに婦人科のウェブサイトなどを検索し、動悸も更年期障害の症状の1つであることを知りました。同世代の友人や先輩女性に相談してみる更年期の話は、周りの同世代の友人や、年上の先輩から聞いたことがありました。でも、私の周りではホットフラッシュや発汗に悩んでいる方が多く、更年期といえば急に暑さを感じたり汗をたくさんかいたりするのだという印象を持っていました。そのため、自分の動悸を更年期と結びつけるまでに時間がかかってしまいました。「更年期が始まったのかも」と同年代や少し年上の女性の友人たちに相談してみました。友人たちはそれぞれサプリや漢方薬などで対処していて、特に「命の母A」が私の周りでは人気がありました。私も早速「命の母A」を試してみることにしました。大豆イソフラボンが女性ホルモンのエストロゲンと似た働きをするという話も聞き、納豆や豆乳などを毎日とることにしました。「命の母A」を飲み、大豆製品を毎日とることで、不安感が少し解消されました。しかし、そのような生活を3カ月ほど続けても、動悸が改善されることはありませんでした。動悸が始まると息苦しくなり、仕事や家事に集中できなくなります。いつどこで動悸が起こるかわからないこともストレスでした。動悸のことで悩み続けることが嫌になり、思い切って婦人科で相談をしてみることに決めました。ホルモン補充療法(HRT)を開始乳がん検診で利用していた婦人科に更年期外来があることを思い出し、予約をして受診しました。そこで動悸のことを相談し、ホルモン補充療法について教えてもらいました。更年期になると視床下部に負担がかかることで、自律神経の働きが乱れ、動悸が起こることもあるそうです。ホルモン補充療法(HRT)は、更年期に急激に減少する女性ホルモンを薬で補う治療法で、効果には個人差があるという説明を聞きました。副作用やリスクについても説明してもらいました。そのことを理解した上で、副作用への不安よりも今の動悸を改善したいという気持ちが強かったので、ホルモン補充療法を試してみたいと医師に伝えました。そして、ホルモン補充療法のために必要な検査を受けました。血液検査と乳がん・子宮がん検診、問診がおこなわれました。1週間後に検査の結果が出て、問題がなかったため飲み薬を処方してもらいました。服用から1カ月ほどで動悸を感じないように飲み薬は2種類あり、毎日決まった時間に、医師から指示されたスケジュール通りに飲む必要があります。処方してもらった薬を飲み始めて1カ月ほどで、動悸を感じなくなりました。現在も定期的に婦人科で診察を受けながら、半年ほどホルモン補充療法を継続しています。今は動悸はもちろん、ほてりや発汗などの更年期らしい症状を自覚することはほぼありません。ホルモン補充療法を受けている間は3カ月に1回婦人科で診察があり、薬はそのときに問題がなければ処方してもらえます。また、長期的に継続するためには1年に1度がん検診や血液検査などの検査を受ける必要があります。定期的に婦人科を受診することで、安心してホルモン補充療法を受け続けることができています。まとめストレスや心臓の不調のせいだと思っていた動悸の原因は更年期でした。動悸が起こると息苦しく、仕事や家事などに集中できず悩んでいました。動悸がいつ起こるかわからないことにもストレスを感じていました。私の場合はホルモン補充療法を知り、薬を飲むことで動悸が改善されて本当にラクになりました。思い切って婦人科で相談してみてよかったです。ホルモン補充療法を受けている間は定期的に婦人科へ通うことになるので、気になる症状があれば相談できるのも安心です。これからも婦人科の先生と相談しながら、ホルモン補充療法を続けていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。マンガ/あさり著者/もめん(46歳)高校生の娘が1人の働く母。世界中のおいしいものが食べたい。特に甘い物が好き。おいしく食べるために常にダイエット中。食べること以外の趣味は、語学学習、読書、ヨガ、散歩。
2023年09月16日45歳を過ぎたころから、朝早く目が覚める日が続きました。寝る時間は変わらないのになぜか起きてしまうのです。ついには目覚まし時計をかける必要がなくなりました。早く起きるようになった当初は体調でも悪いのかと不安になったものです。しかし、体の調子はそれほど悪くもなく……。若いころは7~8時間睡眠が必要だった私が20代、30代のころは1日に7〜8時間寝ないとその日はずっと頭がぼーとしていました。家事も仕事も本調子でできず、なるべく睡眠時間を確保できるように気を付ける日々でした。あまりにも眠いときは、昼寝をしてなるべく体と頭を休ませるようにもしていました。夜は23時には布団に入り、朝は6時か7時に起きるという生活です。このころの私はよく動き、子どもを追いかけて走っているような毎日で体力勝負のときでもありました。よく体を動かす毎日だったから、よく寝ないと体が休まらなかったのかもしれません。目覚ましよりも早く起きてしまう…よく眠ることが体に合っていると思っていた私は、45歳を過ぎたころから始まった早起きに戸惑ってしまいました。23時ごろに寝ても5時ごろには起きてしまうのです。ある日突然ではないのですが、なかなか寝つけない日が続いたことがあり、それから数週間は不規則な睡眠時間となったのです。これがきっかけかはわかりませんが、これまでとは異なる睡眠時間となりました。しばらくは昼間に眠くなったり夜早く寝てしまったりしました。このような日が続き、体の具合が悪いのではと何とか元の生活に戻そうと湯船にゆっくりつかったり、好きな音楽を聴いてリラックスしたりして過ごしましたが、気持ちばかり焦って心からリラックスできていなかったように思います。しかし、数週間このような生活が続き、朝早く起きることに慣れると、朝にまとめて家事をしたり仕事をしたりして過ごしています。朝早く起きたことでできた時間を有効活用し、少し生活にゆとりを持てるようになったと感じています。 朝早く起きる生活で昼間に眠くなることはたまにありますが、ふらふらになることはありません。睡眠時間が短い生活に慣れて、体も順応していったのだと思うようになったのです。友人のひと言で加齢による変化だと気付く友人と近況を話していたときのことです。私が「最近、早く起きるんだよね」と話すと、友人が「それってお年ごろかもね」と。思わず「え?」と心の中で驚きましたが、45歳という年齢なので「そうかもしれない」と納得したことを覚えています。 ネットで40代の睡眠について調べてみると、病院や製薬会社のサイトで40代はプレ更年期や更年期などにより、体質が変わるとありました。その記事を読むと、年齢と共に睡眠時間も減るとのことです。たしかに、昼間に眠くなることはあっても、朝起きたときにだるさは感じません。おそらく睡眠時間は足りているのでしょう。 やはり加齢による睡眠時間の変化なのだと思うようになりました。早く起きるようになったきっかけが、精神的にいろいろとあったから体調が優れないのかと不安に思う時期もあったことを友人に伝えると、「そんなこともあるよね」と話してくれて心が軽くなりました。 体の調子自体には問題がないため、早朝に目覚めることが気にならなくなりました。睡眠不足を感じて、体に影響があるとなれば話は別となりますが、そのようなこともありませんでした。まとめ45歳を過ぎたころから朝早くに起きるようになり、睡眠時間が足りない生活をしているのではと不安に感じました。特に初めのころは、昼間に眠くなったり夜早い時間に寝てしまったりと、これまでとは違う生活スタイルとなり戸惑いました。 しかし、友人から加齢が原因かもしれないといわれたことと、記事で加齢による睡眠時間が減ることが紹介されているのを見て、不安に思うことはなくなりました。朝早く起きたことで生まれた時間を今は楽しんでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/Y.N.(44歳)大学生の子どもが2人。自宅で過ごすことが多くなり、パン作りやお菓子作りに励む。季節感を取り入れた生活が好きで、フルーツシロップ作りもしている。
2023年09月14日45歳ごろから始まった尿漏れ。50歳になった今も解決はしていませんが、たとえ漏れても漏れなくても、毎日尿漏れパッドを使うことで日常を送っています。尿漏れが起こったきっかけと、尿漏れによって運動するのもおっくうになった経験をお話しします。★関連記事:「出ちゃった…」40代更年期から急増する尿漏れ。どうして? 緩和できる?【医師監修】最初の尿漏れはくしゃみから始まった末っ子を産んだのは私が42歳のとき。その数年後から悩まされている症状があります。お恥ずかしいのですが……「尿漏れ」です。最初は、くしゃみをするときにいきんだ瞬間、尿漏れがありました。量としては多くはないのですが、若いママ友たちと公園で子どもたちの遊ぶ様子を見ているときだったので、理由をつけて急いで帰宅し、下着を取り換えました。出産後に尿漏れになる人が多いともうわさで聞いていたので、あまり深くは考えず、そのうち治るだろうと思っていました。しかし尿漏れは治まる気配がなく、その後何度もくしゃみのときにちょろっと、そして大声で笑ったときもちょろっと漏れるのです。セーフとアウトもそのとき次第。しばらくはおりものシートをつけて「ないよりはまし」としていました。漏れの不安から運動ができなくなったこのまま尿漏れ対策をしないでいると大変なことになると思ったのは、ダイエットを兼ねて子どもと近所をランニングしようというときでした。ランニングしていると軽く尿漏れしてしまうのです。またあるとき、家の前で子どもと縄跳びをすることになりました。「何回跳べるか競争しよう!」と子どもと一緒に跳び始めた瞬間にも尿漏れしてしまったのです。「着地した瞬間に漏れてしまうのなら、もう運動なんて何もできなくなるじゃない!」。そのとき自分のなかの「若さ」が失われてしまったような衝撃を感じました。恥ずかしくて友だちにも相談できないし、どうしよう……。なぜ尿漏れするのか知りたくて、ネットで尿漏れの原因を調べてみると、骨盤底筋の筋力低下と書いてありました。検索結果の中にトレーニング方法も見つけられたので定期的におこなってみましたが、それでも私の場合は尿漏れがなくなるわけではないなと感じました。尿漏れパッドのおかげで不安が解消尿漏れするたびに家に帰って下着を取り換えることはできないと判断した私は、ナプキンのような尿漏れパッドを購入して、いざというときの尿漏れに対応することにしました。まさか自分が自分のために尿漏れパッドを買う日が来るとは思っていなかったので、最初は買うことが恥ずかしかったです。しかし、今売られている尿漏れパッドは生理用品ともあまり違いがないようなパッケージで、とてもよく水分を吸収してくれます! たちまち私の頼れる相棒になってくれました。尿漏れパッドは15cc用、30cc用、50cc用……などと受け止められる水分の量が違っています。自分ではどのくらいの量を漏らしたか「何cc」という単位でわかるはずもなかったので50cc用のパッドからつけ始め、もう少し薄くても大丈夫だと思ったので30cc用にし、最近は15cc用をお守り代わりに毎日使っています。まとめ尿漏れパッドを使い始めてから、「多少漏れることがあってもパッドが受け止めてくれるから大丈夫」とゆったり構えながら日々を送ることができるように。突然出るくしゃみにも、もう不安は感じません。また生理が始まっても、尿漏れパッドを毎日着けていれば下着が汚れることもなくなり、良いことずくめです。ただ、いくら尿漏れパッドを着けていても、尿漏れの心配があると、なかなかスポーツには前向きになれません。このまま体を動かさなくなるとより一層老いてしまうような気もするし、パッドを着けながらスポーツは定期的にしたほうが良いのだろうな……。そんなふうに感じながら、日常を送っている今日このごろです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。【駒形先生からのアドバイス】更年期は、主に膀胱の弾力性の低下、女性ホルモンのエストロゲンが減少することによる骨盤底筋の脆弱化、体重の増加といった3つのことから尿漏れしやすくなります。エストロゲンの減少は止められませんが腟を鍛えることで尿漏れを緩和することができます。骨盤底筋運動の一種である「腟トレ」をぜひおこなってほしいと思います。毎日続けてみましょう。まずは、フェイスタオルを1枚用意します。①フェイスタオルを縦半分に折って横の端からくるくると巻きます。②服の上から①の巻いたタオルを会陰(股)に当てて、椅子に座ります。③タオルが当たる部分を意識しながら、タオルを挟むように意識して、会陰にクッと力を入れます。イラスト/サトウユカ著者/みやまこ(49歳)夫と小学生2人、物忘れがひどくなりつつある実母との生活。高齢で産んだ子どもはまだまだ手がかかる、母は毎日同じことを聞いてくる、夫は「かまってちゃん」でてんやわんやのワンオペ状態。最近めっきり疲れやすいし、作業効率も落ちてきているし、目はしょぼしょぼで白髪もしっかり。家族に隠れてお菓子を食べながらサスペンスドラマを見ているときだけが唯一の休息。
2023年07月19日24歳で結婚したものの、子どもを持たないまま45歳に。子どもは好きでしたが、子どもを持つことに踏み切れないまま年を重ねても、30代までは大きな不安はありませんでした。しかし40代になり、老後が見えてきて、ふと「お墓や家はどうする?」と考えるように。気になるのは2軒の持ち家と、少し離れた場所にある父親と兄が眠る自分の家族のお墓のこと。老後に向けて、持ち家とお墓のことで悩む私の体験談を紹介します。★関連記事:「仏壇はなくせないよ!」実家の処分にあたり、仏壇問題が浮上して… #墓じまいできるかな? 1明確なビジョンがないまま結婚した結果当時交際していた人との結婚を、私の母親が半ば強引に決めてしまったのが23歳のときでした。「どうしてもお婿さんがほしい」と母親が暴走してしまったのです。本人たちも知らないまま、母親が暗躍して両家の顔合わせがおこなわれてしまい、結婚が決まりました。あまりのことに私も夫も呆然としていたのが今でも忘れられません。本気で拒否すれば、結婚しないという選択肢もあったでしょう。しかし私たちは、そのまま素直に結婚しました。本人同士が特に結婚に対するビジョンがないままに結婚したのは、あまり良いことではなかったと今は感じます。そして夫婦の間で、子どもを持つかどうかという話し合いすらなく10年が過ぎたのです。幼いころから「将来は介護してもらうから」という理由で、私は実家から出られませんでした。介護をするために生まれてきたのだろうかと考えるほど、繰り返し言われ続けていたのです。母親への反発も大きく、私は「自分が子どもを持つこと」に消極的でした。「それでも子どもが欲しい」と思えるようになったのは30代半ばを過ぎてから。その考えを夫に話したところ、「子どもは苦手だからいらない」と言われてしまったのです。結婚の段階で明確な話し合いもなかったので、ある意味では仕方のないことだと思いました。ただ、問題は持ち家と、家族の眠る「お墓」。夫には婿養子に入ってもらったため、私の父や兄のお墓です。45歳になり真剣に老後を考え始め…20代、30代のうちは、あまり家やお墓について深刻には考えていませんでした。時々ふと「将来どうするんだろう」とは感じていましたが、あまり向き合わないようにしていたのです。夫は問題を先延ばしにしてしまうところがあり、話し合おうとしても「うーん」で済ませたいタイプ。子どもの件でも、何度か話し合おうとして「うーん」と言われ続けていたのです。「子どもが欲しくない」という結論を引き出せたのすら、30代終わりのことでした。家やお墓について話をしようとしても、やはり「まだ良いんじゃない?」と言われてしまいます。しかし、もう45歳。若いうちは時々しか感じなかった不安が、最近は強く襲ってくるようになりました。きちんと対処を考えなくてはならないと思うようになったのです。家の中には、家具や持ち物も数え切れないほどあります。私たち夫婦に何かあったとしたら、誰かが片付けなければならないでしょう。「誰か」と言っても、思い当たるのは2つ年下の妹だけ。あまり年が離れていないため、遺品整理ともなると、妹にも難しい可能性があります。考えなければならないことは山積みです。迷惑をかけないためにはどうするべき?お墓について調べたところ「永代供養」という方法が使えそうでした。永代供養は、遺骨や供養を寺院にすべて任せるというもの。身寄りがいない方や、跡継ぎがいない家で取る方法のようです。跡継ぎがいないため、わが家では永代供養を依頼するのがベストになるでしょう。老後の資金のほかに、永代供養の費用を用意しなくてはなりません。家は、現在住んでいる家と、誰も住んでいない空き家を所有しています。空き家は売りに出しているのですが、場所が悪くて買い手が付きそうにありません。不動産会社に相談しているものの、まだまだ時間がかかりそうで頭を悩ませています。現在住んでいる家についてはどうするべきか、まだ決めかねているところです。40代・50代のうちは、まだ住み続けていても大丈夫だろうとは思っています。子どもがいなくても介護はサービスを利用する方法があります。しかし、そのためには資金が必要です。家の売却だけで足りるかは不明であるため、貯蓄に励む必要があります。家もお墓も、何も考えずにいると、妹やその家族に迷惑をかけることになってしまいます。今すぐに結論を出さなくても良いとはいえ、きちんとしておかなくてはなりません。まとめ子どもがいたとしても、母親のように「介護要員」として考えるつもりはありませんでした。ただ仮に子どもがいたなら持ち家をどうするか、お墓をどうするかという不安は感じなくてよかったかなと思います。夫婦での話し合いは1度切り出したものの、話が進まなかったため、保留になっています。とはいえ、漠然と話し合っても仕方ないという考えに思い至りました。同じような状況の人たちがどうしているのかも気になるところ。永代供養については調べ済みであるため、今は家の売却について少しずつ調べています。ひとりで決めるものでもないため、まだまだ時間はかかるでしょう。簡単に解決する悩みではないと感じますが、少しずつ対策を取っていくつもりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/レン(45歳)音楽と犬を愛するライター。ビーグルの女の子と一緒に、のどかな田舎暮らしを満喫中。今年から肩凝りの悪化と寝汗に悩まされている。
2023年05月24日もし40歳で妊活を始めたら……?大人気マンガシリーズ、今回はハルさん(@haru_natsu20220101)の投稿をご紹介!「40歳で妊活始めました」第45話です。【前回までのあらすじ】40歳のハルさんは、パートナーができ妊娠したものの、流産してしまいます……。しかし、その後しばらくして結婚が決まり、妊活を検討するハルさん。しかし妊活に対して積極的ではないものの、勉強以外なら協力的なパートナー。そんなハルさん夫婦は初めてクリニックに行き、講習と初診を受け……。パートナーが戻ってきて……パートナーは楽しそうで……誤:調度→正:丁度苦手な内診台を前に……初診では、嫌な内診台での検査もありました。気持ちを上げるために、ふざけつつ着替えて切り替えるハルさん。そして結果を待つ2人ですが、なかなか呼び出されず……。
2023年04月06日俳優の金子貴俊さんは、2023年1月17日に、45歳の誕生日を迎えました。誕生日当日は用事があったのでしょう。金子さんは前日に家族からサプライズで祝ってもらった様子を、Instagramに投稿。もんじゃ焼きを提供する飲食店や、カラオケに連れて行ってもらい、家族からの祝福を喜んだといいます。特にカラオケでは、息子さんの歌声に感動したとのこと。投稿されている動画からは、金子さんたち一家の仲むつまじい様子が伝わってきます!※動画はInstagram上で再生できます。 この投稿をInstagramで見る 金子 貴俊 Takatoshi Kaneko(@takatoshi_kaneko)がシェアした投稿 家族だけでなく、友人たちにも祝ってもらったという金子さん。「感謝と幸せな気持ちに満たされた、感動の1日になった」と、振り返っています。金子さん一家の様子に、多くのファンも心が温かくなったようです。・とても楽しそうですね!きっと、幸せに満ちた1年になるのではないでしょうか。・いくつになっても、人から祝ってもらえると嬉しいですよね!・素敵なご一家!息子さんたちの誕生日も、楽しそうな様子なんだろうなあと思いました。金子さんは、大好きな家族や友人たちにお祝いをしてもらい、思い出に残る誕生日となったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月17日今まで順調だった生理周期が、45歳のときに乱れる経験をしました。日本女性の平均閉経年齢が50.5歳であるという知識はあったため、このまま終わるのかと焦りながら待っていたところ、45日後にはやってきました。これをきっかけに、自分の体に何が起こり、閉経までどうなるのか道筋を知りたくて調べたこと、そして2年後の今、私の生理事情がどうなっているかをご紹介します。★関連記事:「閉経時期が気になる!」初潮年齢や出産経験、ホルモン補充療法と閉経年齢は関係ある?【医師監修】生理が来ない間の体調変化と生理中のこと45日間も生理が来ないという生理周期の乱れが起こる前の4カ月間の生理周期は、23、26、26、24日と、一般的なものより若干早めでした。そのため、まさか生理が45日も来なくなるとは思ってもおらず、いつも通りに待っていたのです。しかも、そのころに頭痛や下腹、腰に痛みがあり、全体的に体調が悪く、これはPMS(生理前症候群)と思われる症状でもありました。にもかかわらず、出血は1滴もなかったのです。その後、前回の生理から45日がたってやってきたのですが、ホッとしたのもつかの間、いつも以上に激しい生理痛との戦いでした。四六時中ひどい頭痛で、貧血時のようなめまいがあり、下腹と腰に激痛が走り、常に眠気が襲ってきたのです。それに対して、出血は思ったより少なく、2日目が多めだっただけで、3日目以降は一気に減少し、その後1週間以上ダラダラと少量の出血が続きました。閉経までの道筋を調べてみた生理が45日間も来ないことを体験したことで、閉経に向かっていることが現実味を帯びてきた私は、終焉(しゅうえん)までの道筋を知りたくなり、複数の産婦人科医の記事を検索してみました。35歳以上になると、徐々に卵巣機能が衰えていって女性ホルモンの分泌が不安定になり、40代半ばの更年期に突入すると、生理周期が短くなったり長くなったり、出血量も多くなったと思えば少なくなったりと、一層不安定になっていくそうです。当然、閉経までの道筋は個人差がありますが、50歳くらいで閉経(治療をせずに生理が1年以上ない状態)を迎えるそうです。自分に照らし合わせてみると、たしかに第2子の妊活をしていた30代後半に生理周期がすでに短くなり23から26日周期でした。その後、37歳で妊娠・出産し、また通常の28日周期に戻りましたが、42歳ごろから再び短くなっていきました。そして、45歳で生理周期が45日空いたのです。閉経に向けてするべきことは45歳にして何もしなければ、どんどん卵巣機能は衰えて、いつ閉経を迎えてもおかしくないことに気付いた私は、少しでも長く元気に卵巣を機能させるにはどうすべきか調べてみました。ポイントは9つあるそうです。生活習慣を見直す、基礎体温を測る、無理なダイエットをしない、適度な運動を心掛ける、バランスの取れた食生活にする、生活に楽しみを見つける、過度の飲酒や喫煙はしない、下腹部を冷やさない、かかりつけ医を持つ。検索後、心を入れ直して生活を変えようと思ったのですが、忙しさにかまけて何もできずにいました。それでも周期は短いものの、生理は毎月来ていましたが、46歳になった途端、生理周期がぐちゃぐちゃになり、体も激太りしてしまったのです。そこで、睡眠を確保し、食事を整え、毎日適度な運動をおこない、飲酒を控え、下腹部の冷えにも注意を払うようにしてみました。残念ながら生理周期は整わず、47歳になった今は3カ月に1回の生理周期となっています。着実に閉経へのステップは進んでいますが、生活を整えたことで、体重や体脂肪が落ちて活発に動けるようにはなりました。まとめ50.5歳で閉経するということは知っていたとはいえ、いざ自分の身に生理が来ない! という現象が降りかかってくると、想像以上に焦り戸惑いました。やはり、閉経までの道筋を事前に知っておくことは大切だと思いました。人生100年時代に突入しようとしている今、女性には閉経後に50年もの長い生活が待っています。そう、閉経は一通過点に過ぎません。第2子妊活中からお世話になっている産婦人科で、毎年定期健診をしっかり受けて、これからも長く続く人生を健康に過ごしたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。著者/竹みか(46歳)小4男子と高1女子の母。食べるのも作るのも大好きぽっちゃりオバチャンでしたが、半年前に一念発起。ダイエットに目覚め、体重15kg、体脂肪率7%落とすのに成功。今も絶賛継続中!
2022年10月20日子どものころから毎月の生理は比較的順調でした。しかし、45歳の半ばごろ長期の旅行から戻ったときにふと気付いて驚きました。「今月、生理が来ていない……」。妊娠の可能性はなかったので、旅行の疲れや時差などが理由だと軽く考えていました。そんな私の生理不順の様子と対処法についてお伝えします。★関連記事:「大量出血が続き、いつ来るかわからない…」40代になって生理不順や体調不良に悩まされるように【体験談】驚いた!初めての大量出血45歳のころ、ある日生理が来ていないことに気付きました。それから生理が再開したのは、約2カ月後の夜でした。「やっと来た!」と安心しながら就寝したのもつかの間、その数時間後に重い生理痛のような鈍い痛みを下腹部に感じて目が覚めました。慌ててトイレに駆け込むと、通常の2日目よりはるかに多い出血量。痛みと驚きでしばらくぼうぜんとするしかありませんでした。夜用の大型ナプキンを2枚重ね、タンポンも使ってやっとの思いでベッドに戻るものの、ほんの10分後には布団まで汚してしまうほどの量だったのです。こんなに多いのは初めてでした。その後3~4周期ほどはほぼ2カ月ごとの生理だったのですが、出血量はまるで2カ月分の生理が1度に来ているかのように多いものでした。痛みも強く、期間も長かったのでその間は本当につらかったです。それ以降の生理周期は少しずつ、早く来たり遅れたりと不規則になっていきました。期間も量も一定ではなく、しばらく不安定な生理が続きました。友人も同じような体験をしていたそのころ、同じ年の友人と話す機会があり、生理のことを話してみたところ、彼女も同じような体験をし、同じように苦労をしていることがわかりました。また、いろいろな症状について話し合い、それぞれスマホで検索をして対処法を探し合いました。私が見つけたのは、再び大量出血が起きたとしても、安心して過ごせそうな2つのアイテム。これはその後、出血量が多かったときにとても役立ちました。私の場合、下腹部痛や腰痛などのPMSがあるので数日後に生理が始まりそうだというのはなんとなくわかります。そのため、PMSが始まった日はすぐにこの2つを準備して、外出や睡眠に備えるようにしています。ショーツ型ナプキンとペットシーツ私が見つけた便利アイテムのまず1つ目は、「ショーツ型ナプキン」。これはその名の通り、ショーツの形をしたはくタイプの生理用ナプキンです。前側と後ろ側がほぼすべて吸収シートで覆われていて、ショーツとナプキンが一体化しているもの。漏れの不安がかなり軽減されます。一見おむつのようにも見えるのですが、家族に服を着た後ろ姿を撮影してもらったところ、ゆったりとしたパンツやスカートを着用すれば後ろから見てもわかりません。生理中に外出しなければならない日も、普通のナプキンと併用することでそれほど心配せず出かけることができています。そして2つ目は、「ペットシーツ」です。もともと室内飼いのペットがトイレ替わりに使うためのものなので吸水力抜群! しかも1度吸収したものが漏れ出す心配もありません。睡眠時にこれをシーツの上に敷いてから寝ることで、布団を汚す心配から解放されるので、安心してぐっすりと眠ることができます。何より100円ショップでも買うことができるので、気分的にとてもラクです。まとめ生理が不順で量が多いときは外出時や睡眠時、特に私は出張や旅行などがとても心配だったのですが、このアイテムのおかげで不安が解消されました。一度は介護用品の使用も考えてなんとなく気持ちが重くなっていましたが、ペットシーツは購入時も使用時も、かわいい子犬や子猫を思い出すことでなんだか明るく感じてしまうのが不思議です。今も生理は不安定ですが、今後はきちんと受診をして医師にも相談していきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。【粒来先生からのアドバイス】生理中に大量出血が見られる過多月経は、ホルモンバランスによるもの以外に子宮筋腫、子宮腺筋症、子宮内膜増殖症などが考えられます。疾患がなくても高度な貧血になっている可能性があるため、必ず婦人科受診をしてください。著者/望月かおり(49歳)気持ちが落ち込むことが増えてきたので、前向きになる方法を探しつつ、趣味を増やそうといろいろな習い事を始める。既婚、自宅でリモートワーク。猫と犬が大好きで、保護した猫2匹も家族として一緒に暮らしている。
2022年10月10日9月6日、名古屋・御園座で開催中の『氷川きよし特別公演』で45歳の誕生日を迎えた氷川きよし。本公演は、18世紀のフランスにタイムスリップするお芝居とコンサートの豪華2本立て!お芝居で氷川演じる、メークと顔芸がすごい老婆のババロアはすっかり人気者となっている。公演の合間には、お芝居の舞台となったフランスの国旗をモチーフに作ったトリコロールカラーのバースデーケーキと花束が贈られ、「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。共演者の曽我廼家寛太郎(63)が「90公演完走まで頑張りましょう!ついていくので!」とエールを送ると、氷川が「ついてきて! 私といると運気があがるから!」と会場の笑いを誘う場面も。また、福岡で暮らす母に「産んでくれてありがとう」と電話をしたことも明かした。
2022年09月20日45歳を過ぎてからやたらと出まくる「おなら」。若いころはめったに出なかったのに、なぜこんなにガスがたまるようになってしまったの? あるとき健康診断の検便で「要精密検査」の判定が! まさか、おならは良からぬことの前触れなのでしょうか。アラフィフ女子がおなかの不快感に悩まされる体験談です。★関連記事:「最近、おならをコントロールできない…」原因は? 改善策はどうする?【医師監修】人間空砲。私の朝は「おなら」で目覚める下品な話で申し訳ないのですが、ここ数年の私の朝は「おなら」で目覚めます。夜、寝ている間にパンパンにたまったガスが、腸内で耐えきれずに「バフッ! 」と暴発。それが私の目覚まし代わりです。夫は早起きなので、隣にいないことを確認すると、ホッと胸をなでおろす毎日。その後も、朝食を食べて「ブブッ」、ウォーキングの最中でも「バフッ」、ソファに寝そべりながら漫画を読んでいるときも「ボフッ」、ちょっと腰の位置をずらそうと動いた瞬間に、意に反して「ボン! 」とやらかすこともあります。そして夜の営みのときにも……。下腹部が押されて、もうたまりません。夫に気付かれているのか確認したことはないのですが、何の音なのかわかっていないかもしれません(苦笑)。なぜこんなに空気圧強めのおならマシーン「人間空砲」になってしまったのでしょう。前日にさつまいもを食べたなど、食事のせいではありません。若いころはめったにおならなどせず、するにしても、音も鳴らず「スーッ」と涼しい顔でしていたはずなのですが……。あるとき健康診断の「検便」で再検査に50歳のとき、毎年の健康診断のオプションに「検便」があったので、軽い気持ちで受けてみようと、電話予約のときに「検便検査」を追加してもらいました。後日郵便で、必要書類と一緒に検便の容器が2本送られてきて、2日間に分けて便を採取しました。健康診断の当日に提出し、検便のことはすっかり忘れていたのですが……。潜血ありでまさかの「要精密検査」の判定に! 生まれてこの方大きな病気をしたことがない私は、再検査も初めてのことです。当日は車の運転ができないのは何となくわかりますが、同意書を書かされたり、成人した大人でも「保護者同伴で来てください」と注意書きがされていたりと、仰々しい内容に驚くやら怖いやら。夫に会社を休んでもらうほどのことではないので、母に一緒に来てもらいました。市立病院の内科医は、はにかんだイケメン男性で、この人におしりの穴に医療器具を入れられるのかと思うと、恥ずかしさを通り越して不思議な気分だったのを覚えています。 大腸がんは問題なし、おならはなぜ…?内視鏡を入れるのがうまくいかなかったのか、痛いのなんの!「 痛い痛い! 」「我慢して! 」とやり取りしているうちに、私も気持ちが吹っ切れて何でも話せる気がして、例のおならの件も聞いてみました。医師は「では見てみますね」と解説しながら検査をしてくれました。腸壁が少し赤く炎症があるけれど、特に腫瘍も見られず何も問題ないとのこと。医師は最後に「あっ! 」 と小さく叫び「ここに痔があります」と。この私が痔とは……。医師のはにかんだ顔が忘れられません。そのあとの診察でも、特に問題は見られなかったと医師は語り、おならが頻発するのも、年齢による腸の機能の低下ではないかとのことでした。女性には多いのだそうです。この検査で少しだけ組織を取り検査しましたが、がんの兆候はなく、検便の潜血は痔によるものだったようです。帰宅後、ネットで、年齢による腸の機能の低下とおならの関係を調べてみると、すぐに「更年期」の文字が見つかりました。女性ホルモン低下から自律神経が乱れ、腸内環境が崩れやすいのだそうです。「50歳前後でやたらとおならが出る人がたくさんいる」と書かれていて、自分だけではないのだとホッとしました。 まとめアラフィフになり、やたらとおならを暴発する体質になってしまった私が、たまたま健診の検便検査で「潜血陽性・再検査」の判定となり、大腸カメラの精密検査を受けに行きました。医師と大腸カメラを見ながら直接おならの件を聞けたのは、良い機会になったと思います。小さな痔こそあれ、大病ではなく安心しました。しかし、ここでも私に付きまとう「更年期障害」の影が……。おならの頻発は更年期のせいだったのでしょうか。ネットで調べると、同じようなおなら症状の更年期の方がたくさんいると知りました。更年期とは、もはやお友だちとして付き合っていくしかなさそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/サトウユカ著者/こぴあ(50歳)園芸店店主。園芸ライター。県の里親として虐待児童の一時保護など児童の福祉に携わる。主に1歳前後の里子がお泊りに来るので、日々奮闘中!
2022年09月07日2022年6月15日、声優の竹内幸輔さんが、病気のため逝去していたことを、所属事務所『KeKKe Corporation(ケッケコーポレーション)』がウェブサイト上で発表しました。所属事務所によると、竹内さんが亡くなったのは同月8日。45歳という若さでした。弊社所属俳優竹内幸輔儀(45歳)令和4年6月8日病気のために永眠いたしました。尚、葬儀告別式はご遺族の意向によりご親族のみにて執り行われました。ここに生前中のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げるとともに、心より哀悼の意を表します。KeKKe Corporationーより引用竹内さんは、アニメ『テニスの王子様』に天根ヒカル役で演じていたほか、『ゴールデンカムイ』『家庭教師ヒットマンREBORN!』など、数々の作品に出演していました。また、竹内さんは、2005年までお笑いコンビ『あばれヌンチャク』として活動。当時、相方であったお笑いタレントの桜塚やっくんは、2013年に交通事故で亡くなっています。竹内さんの訃報に、悲しみの声が上がりました。・まだ45歳…若すぎる。ご冥福をお祈りいたします。・『あばれヌンチャク』のファンでした。お2人とも若くして亡くなってしまうとは。悲しいです。・ご本人もまだまだ、やりたいことがたくさんあっただろうなと思うと、胸が苦しくなる。お悔やみ申し上げます。竹内さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2022年06月15日45歳を過ぎたころから、それまでもたまにあった物忘れが頻繁に起こるようになりました。用事で家の2階に上がっても、2階に行くと用事を忘れている。人の名前や固有名詞がすぐに思い出せないので「それ」や「あれ」に置き換えてしまう。そんなことが、増えてきたように感じていました。そして50代へと近づく今、以前ネットの記事で読んだ脳神経内科医推奨の「5行日記」 を思い出し、物忘れの改善を期待して実践してみることにしました。脳の機能を活性化する「5行日記」とは?物忘れが気になり始めた当初は、認知症の始まりかと心配になりネットで調べましたが、用事があったことそのものではなく、用事の内容を忘れてしまう場合は加齢による症状の1つだとわかりました。 それにより、今のところは認知症ではないので大丈夫だろうと安堵 。ただ、これをきっかけに今後年を取って認知症にならないために、今から何か対策をしようと思うようになりました。そこで、もうじき47歳になる私は、以前から興味があった脳神経内科・認知症専門医推奨の5行日記を試すことにしました。5行日記とは、1日5行の日記をつけ続けることで脳の働きを回復させるという脳トレの方法。事前に作っておいたフォーマットに沿って5つの内容を手書きでノートに記します。私の場合は、次の5つを書くことにしました。・天気・服装・食べた物(朝昼夜)・何をして過ごしたか・1日を終えての感想ルールに従って毎日同じ項目について書き、機械的に書ける項目もあれば、しっかりと脳を使って書く項目もありますが、書くのは全部で5行だけというところに取り組みやすさを感じました。早速、新しいノートを購入して日記を書き始めました。スタート早々に壁にぶつかり現実を知る初めて日記を書いた日のことです。自分でも驚きましたが、1日目からいきなり壁にぶつかりました。就寝前に日記を書くのですが、朝食や昼食はもちろん、ほんの数時間前に食べた夕食さえもサッと思い出せないのです。また、毎日同じような服を着ているせいか、「あれ……今日は何を着ていたかしら? 」と、記憶をたどろうとしても思い出せません。最終手段として、脱衣所で脱いだ服を見て判明するという散々な結果に。特に朝食はパン派でいくつかバリエーションがあり、どの種類のパンを食べていたのかを思い出せませんでした。これには、もう若くはないのだなと年齢を感じずにはいられず、ひとり焦燥感に駆られる夜。最初からこれでは先が思いやられるなとへこむ一方で、頑張って取り組んでみようという意欲が湧いてきました。そして、意識をして見たり食べたりしていないと、記憶ができていないということがわかってきました。今日したことや1日を過ごした感想は割とスラスラ出てきますが、記憶をたどるスピードがとても遅いのです。また、普段は電子機器に頼って変換している漢字を、脳を使って思い出しながら書くので手書きの大切さを改めて感じました。書くことに慣れていくうちに効果を実感日記を書き始めて3日目までは、やはり食べた物や服装を思い出すのに苦戦しました。ですが4日目以降になると、思い出すのにかかる時間が短くなってきたことを実感。意識して覚えるように心掛けたせいもあるのか、脳が思い出すことに少しずつ慣れてきていると感じました。日記にある何をしたかの項目に在宅ワークの業務内容を書くときは、作業の進行状況や予定などを1度整理できるので、備忘録代わりになり便利だと思いました。また、その日おこなう予定だった家事ができたかどうかなども日記で確認ができるので、日常生活の指針のような役割も果たしてくれています。10日目を過ぎたころには、書き終えるのにほんの数分しかかからなかった日も! 服装や食べた物も、思い出す時間がだいぶ短縮されました。2週間がたった現在では、天気が曇りから昼過ぎに雨に変わった、夕食のお味噌汁は昨日の残りだったといったこまかい部分まで思い出せるように。最初の3日間と比べると考えられないような、大きな進歩でした。少しの取り組みでも脳に変化が表れ、活性化されていると感じるのでうれしいです。このまま日記をつけることを習慣化していこうと思います。まとめたった5行程度の日記を書くことで本当に変わるのかな……と最初は半信半疑でしたが、普段の生活に役立つことも多いので、試してよかったと思いました。肝心の物忘れへの効果ですが、今までは思い出せないままになっていたことが、少し時間をかければ思い出せるようになり、少なくとも忘れっぱなしが減ったと感じました。いつか取り返しのつかないミスをしてしまうことを心配していたので、今後も5行日記を習慣化すればそれを未然に防げるような気がします。自分の生活を俯瞰するのも良いものだと感じました。これからも5行日記を続けて、加齢に負けないように脳の働きを回復する努力をしていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/あめあがりのにじ (46歳)映画と音楽をこよなく愛する小学生女児の母。娘とお互いの推しを応援することが楽しみ。 心と体のアンチエイジングをゆるりと実践中。座右の銘は「雨垂れ石を穿つ」。
2022年05月30日