インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガをご紹介します。30代のアラフォー娘がいるおーちゃん。ある日、テレビ電話で「生理前の食欲がやばい!」という娘の悩みを聞きます。30代娘のぜいたくな悩みとは生理前の食欲や肌荒れの悩みを打ち明ける娘を前に、「50代の私にはとうに過ぎ去った悩み」と、心でつぶやくおーちゃん。50代の母から見れば、30代なんてまだまだピチピチだと思うのですが……そんな娘にも30代ならではの悩みがあるようで……!?30代の娘も、いろいろと悩みはあるようです。思い起こせば私も30代になって肌のシミを見つけてショックだった記憶があります。しかし50代になってみると、30代なんてまだまだピチピチ!そんなに悩むことじゃない……(笑)。ぜいたくなもんで、幼いころは「大人っぽく」を目指し、年を重ねると若く見られたい。満足することなんてないんですよね〜。そんな娘によると、ベスト年齢は25歳とのこと。そうかなぁ〜。30代40代なんて女盛りだよ〜。50代になるとそう思うようになるからね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/おーちゃん(54歳)孫ラブおばさん。10歳年上の夫と2人暮らし。長女(32歳)、次女(30歳)、長男(27歳)の3人の母親で、8歳の孫を溺愛中。Instagramとブログで家族の話を更新中。ブログ「娘ときどき孫日和~子離れ奮闘記~」。Instagram:@ohchan_65
2023年11月08日高齢者を狙った犯罪が、新聞やニュースで毎日のように報道されています。要介護3の母が住む実家にも詐欺の電話がかかってきたり、知らない会社なのに「点検のために家の中を見せてください」という業者が来たり、危険を感じる出来事が何回かありました。その都度私が対応してきたので大事には至らなかったのですが、それでも防げなかった事件についてお話しします。何ごと? 兄からかかってきた緊急電話ある日の夕方、母の介護をしに行った兄が、実家から電話をかけてきました。「母が家に訪ねてきた業者に何かを売ってお金をもらったと言っている。私では何がなくなったのかわからない。お前が見てくれないか」と言います。私は慌てて実家に向かいました。心の中では、「やられた!」と叫んでいました。毎日、誰かが母のお世話をしに行くように気を付けていたし、住宅街で人目もあるから今回のようなことは起こらないだろうと思っていたのです。実家に着いて母に事情を聴いてみると、玄関からではなく、母のいる部屋の軒先まで来たそうです。「不要なアクセサリーがあれば買い取りますので、その鏡台の中にありませんか?」と言われ、話のじょうずな感じの良い青年だったらしく、母もなんの警戒もせず見せてしまったそうです。そこには私の結婚指輪がありました。母のお世話をするときは、どうしても汚れ仕事が多くなるので、汚さないように外してケースにしまっておいたのです。確認してみると被害に遭ったのは、私と母の指輪でした。要介護3の母は鏡台の中に何があるかよくわかっていないため、深く考えず、見知らぬ人に引き出しごと渡してしまったようです。110番したけれど、返ってこない結婚指輪迷わず110番しました。大切な結婚指輪です。何とか取り戻したい。事情を説明すると、今回の買い取りは明らかに違反だそうです。まず、出張買い取りの場合は、事前に相手方に家を訪ねる許可を得ないといけない。また身分証を携帯し、買い取った場合は売主に領収書を渡す必要があるとのことでした。許可なんて与えてないし、領収書などありません。テーブルに置いてあった現金2,000円だけです。そう訴えましたが、連絡先がわからなければ手の打ちようがなく、仮に領収書があったとしてもその会社が実在するとは限らないとのこと。こういった不用品買い取りのトラブルは頻発しているらしいのですが、なかなか取り締まるのは難しいそうです。幸い家の中には入って来なかったらしく、被害は指輪だけで済みました。母も無事でしたし、その程度で済んでよかったと思うしかありません。今後はできるだけこのような犯罪に巻き込まれないよう、警察の方に有効な防犯対策をお聞きして、私の結婚指輪は諦めるしかありませんでした。「良い人たちだったよ」 無邪気に笑う母母は昔のことはよく覚えていて、同じ話を何回もするのですが、短期記憶が低下しおり、毎日通っている私たちが来たこともすぐに忘れてしまいます。今回は、不用品買い取り業者が帰ったすぐ後に兄が来たので覚えていたらしく、うれしそうにもらった2,000円を見せてくれたそうです。もう少し行くのが遅れていたら母は何も覚えておらず、何があったか私たちにはわからなかったと思います。母が覚えていなければ、私の結婚指輪もまさか業者に渡っているとは考えないので、なくしたと思い警察に電話することはありませんでした。母の持ち物はほとんど把握していますが、警察に「その指輪はいつまでありましたか?」と聞かれたら答えられません。 今回、私の結婚指輪もなくなったので、自信を持って警察に相談できました。母の指輪だけだったら、母が自分でなくしたかもしれないので、110番はできなかったと思います。また、業者もお年寄り相手の話がじょうずらしく、母は感じの良いお兄ちゃんたちだったと言っていました。高齢者自身が犯罪に巻き込まれていると自覚していないことも多く、周囲も気付きづらいかもしれません。早い段階でわかったのは幸運でした。まとめまさか私の留守中に、知らない人が母のいる部屋まで庭を横切って来るとは想像していませんでした。24時間母のそばについているわけにはいきませんし、私が持ち物をすべて管理するのもためらわれます。高価な品ではなくても母にとって大切な思い出の品であり、本人の財産でもありますから。ただ、高齢者が巻き込まれる事件が頻発しているのも事実。高齢者の持ち物管理はなかなか難しい面もありますが、今回の経験を踏まえ、一層注意して母の介護を続けたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/きびのあやとらウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年11月08日疲れたときに感じていた右奥歯の痛み。一時的な歯痛だと思いそのまま放置していたら、徐々に硬いものをかむと痛みを感じたり、冷たいものが歯にしみるなど、症状が悪化していきました。もしかして虫歯? と思い歯科医を受診したら、原因は予想外のことで……。一生自分の歯でごはんを食べるために、私が実践した歯の対策をお話しします。まさか加齢で歯が欠けるなんて特に疲れているときに生じていた右奥歯の違和感や痛み。以前、指摘されたことがある寝ているときの歯ぎしりや歯の食いしばりが原因だと思い、それほど深刻に捉えていませんでした。しかし、そのまま放っておいたら、右奥歯の痛みがだんだん強くなり、飲食をしているときに歯がしみて右でかめなくなることも。右上奥歯がグラグラしてきたため、虫歯を心配して歯科医を受診しました。痛みを感じる右奥歯の2カ所をエックス線検査をして診察を受けたら、虫歯ではなく歯が欠けていると診断されました。 えっ、特に硬いものを食べたわけではないのになぜ? と質問をしたら、加齢とともに歯や歯茎がもろくなるというショックな現実を聞かされました。とりあえず、歯が欠けた箇所だけ保険適用の範囲で治療をし、歯がしみる個所は痛み止めをもらい様子を見たら改善されたので、再びそのまま放置していました。歯ぎしりが原因で知覚過敏に欠けた歯を治療した後は、特に何もせずに放っておいたある日。副業のWebライターで、「歯ぎしり」に関するライティングの案件を担当しました。身内や友人に寝ているときの歯ぎしりを指摘されたことがあったため、まさに自分の悩みの解消になると思い、関連サイトをいろいろと調べてみました。調べていくうちに、自分が直面した歯が欠ける、歯がしみるなどのトラブルは、寝ているときの歯ぎしりが原因なことがわかりました。たしかに、朝起きたときに顎のこわばりを感じたり、奥歯を食いしばったような違和感を感じることがよくありました。 歯ぎしりによる歯への負担は相当大きく、自分の体重の2倍から5倍もの力がかかるらしいのです。実際に、歯が欠けたり、歯がすり減って知覚過敏になったり、歯周病などの歯のトラブルだけでなく、顎や肩にも負担がかかり顎関節症や肩凝り・頭痛などを引き起こす要因にもなるそうです。改めて、歯ぎしりの怖さを実感して、以前に購入したものの、使用を中断していたナイトガード(マウスピース)を就寝時に装着することにしました。歯ぎしり対策にナイトガードを装着以前、寝ているときの歯ぎしり対策に、歯科医にすすめられたのがゴム製のナイトガード。ナイトガードとは、睡眠時の歯ぎしりによる歯の磨り減りを予防するために装着するマウスピースのことです。 自分の歯型に合わせて作ったナイトガードを就寝時に使用していました。朝起きたときの顎のこわばり感や奥歯の痛みは緩和されましたが、ゴムの装着感に馴染めずにたった数カ月のみで使用を中断。たかが歯ぎしりと軽視していた結果、気付かないうちに歯が欠けたり歯がしみるなどのトラブルに直面しました。実は放っておくと怖い歯ぎしり。副業で「歯ぎしり」の記事を執筆したことで、歯や顎へのトラブルだけでなく、頭痛や肩凝り、睡眠の質を下げるなど体のさまざまな部分に悪影響を及ぼすことを学びました。 今は再度、歯ぎしりの対策に、ナイトガードを装着して就寝しています。装着時の違和感は否めませんが、大切な歯を守るマストアイテムとして活用しています。まとめ自分の歯ぎしりを自覚していましたが、歯のトラブルに直面するまで「たかが、歯ぎしり」と軽視していました。しかも、歯ぎしりが原因で歯が欠けたことは無自覚のまま。 歯を失ってから取り戻すことはできないため、歯ぎしりの原因であるストレスをためない生活習慣、歯のケアを怠らないことを心がけたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。イラスト/sawawa著者/いずみ(54歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2023年11月07日5年間にわたり、車で1時間半かけて実家に通い両親の介護をしていた私。自分も年齢による体力の限界を感じつつ、アルツハイマー型認知症の父と車椅子生活の母を介護する日々は悩みの連続でした。しかし、2023年に2人とも他界。少しばかりの後悔と、やれるだけのことはやったという思いが入り混じっています。父の物忘れが始まってから、要支援と認定されるまでについてお話しします。★関連記事:父のおかしな行動は物忘れ?父のおかしな行動が見られ始めたのは、父がちょうど80歳のときでした。そのころ、私たち家族は夫の転勤のために遠方に在住。兄も車で実家から5時間かかるところに住んでいましたが、私の住まいよりかはまだ兄のほうが近く、あるとき「父がちょっとおかしい。話がかみ合わないときがある」と連絡して来ました。そこで、まずは地域包括センターに相談することに。高齢の両親は2人暮らしなので、定期的に連絡や自宅訪問をしてもらえるように依頼しました。また、私や兄の心配解消のために物忘れ外来に父にしぶしぶ通院してもらいました。当時はまだ物忘れ検査の結果やMRIで撮影した脳の萎縮状態も年齢相応の症状だったため、私も安心していました。しばらくして夫の転勤のため、私たち家族も実家の隣県(車で1時間半)に引っ越し。今思い返せば、引っ越しの日に父から10回以上も電話の着信があり、そんなに電話しないでと怒ってしまったのですが、すでに認知症の症状が表れていたのだと思います。また、私の子どもは当時小学4年生で、まだひとりで留守番を長時間したことがない時期でした。土日なら子どもを夫に預け、1泊でゆっくり両親の様子をうかがいながら、掃除や洗濯、料理をして帰ることもできましたが、地域包括センターは平日の昼間のみしか営業していません。両親共に介護対象者なので保護者は私になり、月1回の訪問・打合せ時には、朝子どもを送り出してから車で出発し、子どもが学校から帰宅する15時には戻るという中距離介護が始まりました。アルツハイマー型認知症診断「自分はおかしくない! 以前も異常なかった!」と主張する父を病院に連れて行くだけでも大変でしたが、「私も付き添うから、まずは物忘れ外来に再度通院してみよう。そんなに自信があるなら、正常という結果が出ればそれでいいじゃない」と何とか説得して病院に。しかし、病院も平日昼間と土曜日午前中しか開いていないので、必然的に土曜日の午前中になり、金曜日の深夜に出発し1泊して翌日の土曜日に診察という生活を定期的に続けました。土日対応していただける病院がほしいと何度思ったことか……。個室に呼ばれたので嫌な予感はしたのですが、診断はアルツハイマー型認知症でした。車の運転をやめさせなければならない、要介護認定を受けたほうが良い、どうやって父を説得するのか、1年後はどうなるのか、3年後は私のこともわからなくなるのか……。頭の中をいろいろなことがぐるぐると巡っていました。父に「介護認定審査を受けるよ」と言っても「必要ない」という返答しかないので、私と兄で相談し、私が申し込み、父には「ちょっと審査だけ受けてみるよ」と事後報告にしました。運転卒業~介護審査で要支援に最優先すべき課題は、父の運転をやめさせること。これがひと苦労! 「まだまだ運転できる! 田舎では車がないと不便だし、運転にも自信がある!」という父を説得することは非常に難しかったです。何カ月かかけて説得し続けた内容は、1「運転をやめてくれれば、私が買い物や病院に運転して乗せて行くよ」と車の鍵を預かり、「運転卒業」の寄せ書き色紙を家族で作成2「車も売れるうちに売ったほうが良いよ」と、ディーラーに査定の予約3「バスで駅まで行く方法もある」と、バスの時刻表と駅まで行く方法を教える4「町の巡回バスもある」と、バスチケットを購入し、乗車方法を教える5「近くなら自転車ですべて行くことができる」と、自転車屋に一緒に行き、自転車修理と購入を検討特に1の車の鍵を預かることは父も納得せず、怒っていましたが、仕方ありません。凶器になり得る車だけは持たせることはできなかったのです。しかし、時間をかけて父が徐々に車生活から離れられるように。そして、介護審査から1カ月後、「要支援2」という判定が出ました。まとめ私は、父の尊厳を尊重しつつ介護へと導くことが非常に難しかったです。何せ本人は丈夫で「自分は正常だ、認知症ではない!子どもの世話などにはならない」と本気で思っているのですから。私の父の場合、「要介護認定の審査に申し込み」「運転卒業」までの道のりが長く険しかったように感じます。父の承諾を得たとは言え、これだけでも心苦しく、父を傷つけてしまったかもしれません。実父だからこそ多少強引に事を進めましたが、「やれるだけのことはやりきった」と今では思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/まるさかな(50代)50代の主婦。夫と息子の3人暮らし。猫、音楽、B級グルメ好き。夫の転勤、パート勤務、不妊治療を経て出産・育児でひと息ついたと思ったら、両親の介護に突入。
2023年11月06日私は2018年から胃痛がひどく、胃潰瘍(いかいよう)一歩手前のびらん性胃炎と診断され、定期的に通院して服薬治療をしていました。2020年ごろからは症状は落ち着き、通院も3カ月に1回となり、2022年の6月にもうそろそろ薬をやめても良いかどうかを見極めるために胃カメラと血液検査を受けた私。その結果、意外な事実が判明しました。問題は中性脂肪?胃カメラ検査後、診察室に呼ばれ結果を聞くことに。「胃は問題ないですね。ただ血液検査がね」と検査結果が印字された紙を差し出され、「中性脂肪のところにHと記載されていますよね。基準値が30-149なのですが、あなたの場合278とかなり高いです。検査前日に食べた物の影響ということもありますし、一時的なのかもしれないですが、念のためにまた3カ月後に検査をしましょう」と言われました。このときの私は「おそらく一時的なものだろう」と能天気に構えていたのですが、3カ月後の9月の検査では、中性脂肪の値はさらに上昇して、なんと300超えに。「こうなると動脈硬化などの問題が出てくるので。12月に血液検査と一緒に頸部エコーをおこなって首の血流の状態を見ましょう」と言われ、がく然となりました。12月の頸部エコーの結果、首の血流の状態は幸い異状なしでしたが、中性脂肪は372とさらに上昇。医師からは「現時点では動脈硬化にはなっていませんでしたが、これからどうなるかわかりません。今でしたら薬を飲まなくても運動と食生活での改善が可能です。甘い物、脂っぽい物を控えて適度に体を動かすようにしてください」とアドバイスを受けました。気になっていた体重増加40代後半から体重が着々と増え始め、痩せにくくなった私。48歳から50歳まで勤めていたパート先では、1日平均1万2000歩前後歩いているにもかかわらず、当時の私は身長159cmで体重57kg前後。少し危機感を覚えつつも「今は更年期が始まり代謝が落ちて太りやすい時期なのだから仕方がない。とりあえずこれ以上太らないようにしよう」と自分に言い聞かせていました。しかし50歳でパート先を替えると、駅から近い職場でデスクワーク中心だったので、1日あたりの歩数がかなり減りました。またストレスも多く食べることで発散しており、体重が一気に62kgまで増加。そうなるとそれまで着ていた洋服は当然きつくなり、そして似合いません。おなか周りの厚みが増した自分の姿を鏡で見ては「私ってこんなに大きかった?」とため息をつき、痩せようと決意するもののうまくいかず投げやりになるという悪循環を繰り返していました。しかし今回のことで、太っているせいで健康上にも深刻な問題が出てくるかもしれないと判明。私は52歳にして真剣に痩せることを考えるようになりました。ダイエット開始医師のアドバイスを基に、運動と食事の観点からどうすればダイエットできるかを考えました。運動については、正直体を動かすことはあまり好きではなく体力にも自信がないため、まずは無理をせずコツコツ続けることを重視。1日8000歩以上歩くことを目標にし、パートの日は帰宅時にひと駅手前の駅で下車して歩きました。また、肩凝り、腰痛対策を兼ねてストレッチを毎晩おこなうようにしました。食事についてはスマホのダイエットアプリを使い、その日食べた物を入力してカロリーと各栄養素の摂取量を管理しました。その結果、今まで自分がどれだけたくさんの糖質と脂質をとっていたのかがわかり、驚くことに。それと同様に驚いたのが塩分量で、足のむくみが気になっていたのですが、原因はここにもあったのかなと思いました。わが家は夫が甘い物が大好きで、毎日のように何かしらのお菓子を買って帰って来ていたのですが、週末のみにしてもらいました。食事はお米、パン、めん類を控え、野菜を多くとることを心掛け、調理の仕方も極力油を使わず、ゆでるようにしました。たんぱく質は魚中心、肉なら鶏肉のむね肉やささ身肉を多くし、納豆、豆腐、もずく、めかぶを意識して食べました。また、便秘解消を兼ねてヨーグルトを食べたり、コーヒーに食物繊維入りの粉末を混ぜたりするようにしました。まとめそのようなダイエットを3カ月ほど続けたところ、2023年3月の検査では中性脂肪は167まで下がっていました。医師からも「基準値を少し上回っているけれどこの数値なら問題なし」とのお言葉をいただきました。さらに2023年6月の検査では中性脂肪は基準値内となり、体重もスローペースですが減少し、2023年9月時点で58kg前後となっています。50代になり、今後のことを考えると健康でいたいという気持ちが強くなり、そのためには日々の生活習慣の積み重ねが大切であることを理解する良い機会になったと受け止めています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/さくら著者/ブルームーン(53歳)30代でシングルマザーになり、50代で再婚。
2023年11月05日1人目出産の後、諦めかけていたころに授かった息子。長女とは9歳離れ、私は41歳で出産したため、息子関係で知り合うママ友たちは一回り以上若いママもちらほら。子育ての話ならともかく、学生時代に流行った歌などの話題になると、ジェネレーションギャップが露呈してしまいます。戸惑うこともありましたが、時間をかけて学習し、彼女たちとのちょうど良い距離感を見つけることができました。41歳の出産で出会った世代の違うママ友「妹か、弟が欲しい」。幼稚園生だった娘にそうお願いをされるようになり、考えるようになった2人目。当時すでに30代後半に差し掛かっていたため、2人目を作るのであればなるべく早くしなければと焦る気持ちもありつつ、娘が幼稚園に上がったタイミングで始めた仕事も忙しくて、ざわざわしながらきちんと向き合わずに日々を過ごしていました。今思えば、もっと計画的にするべきだったのかもしれませんが、当時の私には新米ママと妻と社会復帰ですでにキャパオーバー。考える余裕がありませんでした。自分自身の準備不足もあったのかもしれません。その後、すぐに妊娠反応はあったものの結局流産。自信をなくして、2人目問題にはフタをしたり、やっぱりちょっとフタを開けてみたりしているうちに月日は流れ、40歳の大台にのったある日、すっかり諦めかけていた2人目を授かりました。血圧がずっと高かったり、体重増加のため健診で注意されたり、いろいろなトラブルに見舞われながらも、なんとか無事に息子を出産して始まった2人目の子育て。そこで出会ったのが世代の違うママ友たちでした。幼稚園で生まれた彼女たちとの密な関係出会いは息子が入園した幼稚園でした。息子の子育てが始まって仕事は辞めていたので、ママ同士の親睦を深めることが目的の「ママランチ会」にも積極的に参加して、仲良くしたいと思っていました。やんちゃな息子が迷惑をかけていないか心配もありました。そんな親睦会を経て何人かのママたちと仲良くなり、グループラインもできました。早めにお迎えをしてみんなで公園で遊ばせたり、お迎え前に誘い合わせてお茶をしたりして長時間一緒にいることが増えると、次第に話題が子どものことから自分たちのことに。青春時代の話になると、私だけ聞いていた歌が違うわけです。「たのきん」や「聖子」「おニャン子」にアメカジという私と、「アムロ」「浜崎」に厚底ブーツのママたち。最年少の30代が目前というママには「たのきん?」と疑問形で聞き返されて、調子にのって話さなければよかったと激しく後悔しました。でも、だからといって仲間から外されるわけでもなく、彼女たちと一緒にクリスマスやハロウィーン、お誕生日会など、子どもが喜ぶイベントを開催して、今振り返っても楽しい思い出がいっぱいあって、子どもには幸せな幼少期を作ってあげられたと思っていました。若いママのSNSに反応するのに疲れて息子のために。そんな思いから続けてきた彼女たちとの密な関係も、幼稚園卒園を目前にふと考えました。このまま、ずっとお付き合いを続けて仲を深めていけるのかなと。子どもの笑顔が見たくて、彼女たちと多くの時間を過ごしてきましたが、常に会話には気を付けていましたし、距離が近くなり過ぎてしまい、楽しいけれど正直疲れてしまうことがあったのです。一生懸命真剣に子育てをしている彼女たちに食材や習い事について教えてもらうことも多く、尊敬していました。じゃあ、何がこんなに疲れさせるのかと考えたとき、結局、距離感が違うのだと気付いたのです。彼女たちが好んで使用していたインスタグラムなどのSNSでのコミュニケーションも、私にはうまく付き合えませんでした。常に更新されていないかを気にかけて、投稿に「いいね」を押して反応しないと投稿者は気にするのではないか。LINEもそう。既読を付けずに内容を読む方法など知らないため、とにかくすぐに返事をしなきゃと眠い目をこすって、いただいた文章と同じくらいの長さの文章を送った日々。放っておくとグループチャットの未読通知が500件を超えていたり。そういう学生のような「付き合い方」にすっかり疲れてしまったのです。SNSとの付き合い方を自分なりに整理無理をすることはない。そう思い、仕事を始めるので忙しいと彼女たちには伝え、まずはSNSのパトロールをするのはやめました。あんなににぎわっていたグループラインは、卒園後もう誰も利用しなくなりました。もしかしたら私以外のメンバーで新しいチャットルームが作られているのかもしれませんが、それならそれで良いと思っています。インスタグラムやフェイスブックなどのSNSには鍵をかけて、フォロワーを増やすことも、まめに投稿することもせず、時々友人の誕生日にコメントを入れるぐらい。緩く付き合っています。まとめ現在、息子は小学2年生。小学校で知り合ったママたちは働いている人が多いので、会ったらお互いの仕事について職場では話せない本音を吐露したり、学校での様子について、子どもを介して知った情報をシェアしたりして、とても居心地が良いです。密な時代を共に過ごした幼稚園のママたちとも時々会って話をしますが、距離を保ってじょうずに付き合えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2023年11月05日ある日突然、外国人の夫の姉がわが家に来ることになりました。私にとっては青天の霹靂(へきれき)。「日本に仕事を探しに来る。幸い日本語が話せるので仕事が見つかるはず。最短で3カ月ここに一緒に住むけれど、ずっといるわけではないと思う」とのこと。なぜそんな重要なことを私に聞かずに勝手に決めるの!? それと「最短で3カ月」とは!? 「最長3カ月」ではなく「最低3カ月」って!?姉と住むことがなぜダメなのか?という夫の言い分家族と住むというのは夫の国では当然のこと。自分が結婚していようがいまいが、家族親族は困ったときはお互いさま。住むところがなければ自分の家に住まわせるのです。しかし、それが結婚して日本に住む家族にも適用されるとは思いませんでした。聞けばまずビザなしで滞在可能な3カ月間の滞在。その後はビザを更新していき永住の予定で、義姉はすでに航空チケットも取ってあとは来るだけとのこと。「怒髪天(どはつてん)を突く」とはこのことで私は言葉を失いましたが、夫の言い分は「なぜ姉が来ることがいけないのか? 何も豪華な食事を与える必要はない。一緒に住んで同じ物を食べるだけなのになぜいけないのか」。どうして事前に私に言ってくれなかったのかという質問については謝るばかり。2LDKで1つは子ども部屋、1つは私の仕事場兼夫婦の寝室という狭い家なのに……。そしてついに夏真っ盛りの暑い日に義姉はわが家にやって来ました。着いて早々、疲れた、眠いとリビングのソファへ。思春期で難しい年ごろの息子はいつもの居場所を取られ、自室へこもってしまいました。私までもが他の部屋に行ってしまっては感じが悪いと思い、リビングの食卓にずっといることに。初日から気疲れしました。ささいなことがストレスに。他人と暮らす難しさ私は在宅で1日中仕事をしています。夫の話では、義姉は明日にでも仕事を探しに出掛けるということでしたが、ずっと家にいるのです。しかもわざわざベランダに出て、大きな声でスマホで電話をします。家はマンションのため、ベランダの声は隣近所の迷惑になると説明し、やっと家の中で電話をすることを了解してもらいました。夫は仕事で、夜遅くにならないと帰ってきません。子どもが学校に言っている間、私と義姉は2人きりです。他人が家にずっといるというのは、気が落ち着きません。また、ひとりなら簡単に済ませられる昼食も、ある程度は気をつかわねばならず、こちらも疲れました。義姉も気をつかったのか、部屋の掃除をしてくれたのですが、トイレの中まで掃除機を使ってしまい、それをそのまま和室に持ってきて畳を掃除。文化が違うだけでどちらが間違っているということではないのですが、私にとってそれはどうしても衛生的ではないと感じることなので、これも説明し、掃除は私がすることになりました。あれはだめ、ここはこうしてなどと説明するよりも、自分がしたほうが手っ取り早いと思ったのですが、このようなささいな不満が、日ごと積もり積もっていきました。ただでさえ更年期でつらいのに…眠れない日々ちょうどそのころ私は更年期障害に悩まされており、夜中に何度も目が覚めてしまい睡眠が十分に取れないこともあって、仕事の合間によく横になっていました。少しでも眠ることができれば良いのですが、すぐそこに義姉がいると思うと、なかなかリラックスすることができず、私の体調もだんだん悪くなっていきました。夫が休みの日に義姉を連れて出掛けてくれたので、その日だけは少し休むことができました。このとき私は、日常の生活が精神の安定の上に成り立っているということに改めて気付いたのです。朝起きると、他人のにおいがする。義姉が寝ているリビングと、キッチンはつながっています。子どものお弁当を作るため私は朝5時に起きますが義姉はそのまま寝ているので、寝ているすぐ横で子どもと私は朝食をとります。私は起きた直後から疲労しており、常に眠く、フラフラの状態でした。夜遅く帰宅した夫と積もる話があるのはわかるのですが、義姉の大きな声が寝入りばなの私には非常に耳障りで、何度か「もう少し小さい声で話してもらえないか」と言ったこともあります。そのたびに、私と、夫・義姉の間に深い溝ができていくようでした。まとめ私は1日の仕事が終わった後、義姉と談笑する精神的ゆとりも肉体的余裕もなく、ただ疲労して就寝、夜中に何度も起きて朝5時起床を繰り返すのみでした。ただでさえ体の変化や気分のゆらぎを感じやすい更年期に、家に他人が入り込んで来るということは、想像以上に精神的につらいものだとわかりました。その後、私の兄を挟んで夫、義姉と話し合い、義姉が夫の知人の家に移ることが決まり、義姉との同居は終止符を打ちました。夫も実際に生活してみて、これはとても長く続けられないとわかったようでした。結局義姉は仕事が見つからず、一年後に帰国。義姉には申し訳ないですが、私はこれで心底ホッとすることができたのです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/平田昭子(57歳)東京生まれの東京育ち。校正の仕事が休みの日は、映画や読書を楽しむ。最近は着物にもはまっている。父の認知症をきっかけに、高齢者と病気について考えるようになった。
2023年11月04日遠距離にある実家で、父が倒れ緊急入院。嚥下障害(えんげしょうがい)が悪化し、胃ろう(胃に穴を空けてカテーテルを介して直接栄養を摂取する方法)か静脈栄養で栄養補給するか、このまま低栄養状態で様子を見るかという判断を迫られる事態になりました。意識のはっきりしない本人に意思確認はできず、選択は母と兄と私にゆだねられました。日ごろ離れて暮らす家族が話し合った体験談です。父が救急搬送、即入院私の実家は遠く、車でも電車でも片道10時間はかかる距離。80代の父と母が2人で暮らしていたのですが、夏の盛りに「夕べ父さんが倒れて緊急入院した」と、私と同じく他県に住んでいる兄から連絡が入りました。どうにか駆け付けようとしたところ、兄から詳しい情報が入りました。「肺の感染から高熱が出て動けなくなったらしい。命に関わる危機はとりあえず脱したって。仕事の都合がついたから、明日から行ってみる」とのこと。とりあえず実家から3時間ほどの隣県にいる兄が帰省し、母と合流しました。しかし、新型コロナ感染対策の続く病院では面会が制限されていて、母と兄は数日たっても父と会うことができませんでした。病院からの連絡によると、熱は下がり意識はいくらかあるものの低栄養状態にあり、このままでは回復は難しいとのこと。肺の持病もあるので、いろいろ検査をしているということでした。家族にゆだねられた決断仕事の都合で自宅に戻った兄と入れ替わるように私が実家に到着すると、「病院からさっき連絡があってね。明日にも家族面談できませんかって」と母。母はかなり疲弊している様子でした。兄は来られず、母も体調が悪かったので、面談には私がひとりで行くことになりました。病院では、医師から「お父さまは今のままでは栄養を十分にとることができずに衰弱していきます。検査の結果、嚥下(えんげ)に障害があり肺に持病もあるので、今後口から食べるのは危険でしょう。感染症の懸念はありますが、早急に手術して胃へ直接栄養物を入れる穴を作る胃ろうにするか、血管にカテーテルを埋め込んで栄養液を補給する静脈栄養に切り替えるかです」と伝えられ、本人に意向を確認できない状態なので、急ぎ家族で判断してくださいと言われました。私は実家に戻り、母に聞いた通りを伝えました。そして電話越しの兄も交え、夜遅くまで3人で話し合いました。父は以前、「母さんの(母の作る)ごはんが食べられなくなったら終わりでいいからな」と話していました。でも、実際そのときを迎えてみて、私たち3人は、食べられなくなってもいいから父には少しでも回復して生きていてほしいと願うばかりでした。ただ、母はため息をつき、じっと考え込んでいました。父の意向を聞かないまま父の体のことを決められないと。母の苦悩と願いに寄り添う父に会わないまま判断を下すことに抵抗を感じている母に、翌朝私は提案しました。「お父さんに会えるように、病院に頼んでみようか」と。すると母はすっと顔を上げ、強くうなずきました。すぐ病院に、「特別に父に会うことを許可してほしい。治療方針を決めるために必要なのです」と申し入れ、どうにか許可を得ることができました。病院に着くと、母はベッドで目を閉じる父に呼びかけました。布団の中で痩せ細った父の足をさすりながら、反応のない父に何度も「胃ろうって知ってるよね? 血管から栄養をとる方法もあるんだって。そのどっちかでいい?」「まだ、もう少し頑張ってくれる?」と繰り返しました。結局、もうろうとしていた父からはっきりした回答を得ることはできませんでした。でも、母は父に会って言葉を掛けたことで決心がついたようです。病院には胃ろうか静脈栄養のうち、可能なほうの措置でお願いしますと伝えました。父なら私たちの「生きていてほしい」という願いを受け入れてくれるだろうと思えました。まとめ父はその後、結局カテーテルを埋め込んでの静脈栄養となりました。栄養状態が少し改善して、週1回母が訪れると、呼びかけにうなずく程度には回復することができました。今はこの状態の父を受け入れ可能な介護施設を探している段階です。今回、遠距離にいて漠然と老親の健康を祈るだけの段階は過ぎたと実感しました。距離はあっても家族で話し合う時間を取ることが大切だと思える体験でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/あさみ(55歳)平日はお勤め、週末は農業。夫、子ども、義父母と暮らしている。多忙でも趣味やスポーツの時間はなるべくキープ。育児、介護、町の行く末までいろいろ気になる。
2023年11月04日23歳で実家を出て以来、母とは時々会う程度。そのため、母の様子に大きな変化を感じてはいませんでした。ところが実家で母と同居をすることになり、よくよく母の様子を見るようになると、性格も言動も随分と変わっていることに気が付きました。毅然(きぜん)とした態度やプライドの高さは残っているものの、老化により、明らかに以前のバリバリ現役であったころの母とはまったく違う様相になっていました。生き生きしていた母の様子が変わってしまい…私が成人するころまでは、尊敬する人は誰かと聞かれると「母です」と答えていました。私の母は、あの年代にしては珍しいリケジョで、国内最高レベルと言われる大学出身です。大学時代は周りのほとんどが男子で不便な面もあった半面、教授や周りの生徒にはやさしくしてもらったとか、その大学で父と知り合ったとか、母の学生時代の話もよく聞かされました。父と一緒に興した会社でマネージメント業務を担う傍ら、自分の専門分野でもフリーで活躍するなど、生き生きと活躍していました。 私の母はほとんど家にはいなかったので、私も小学生のころから夕飯は私たちきょうだいで作るのが日常となっていました。スマートな体形を維持し、オーダースーツを着こなし、真っ赤な口紅をひいて朝出勤していく母の姿は、子ども心に格好良い自慢のお母さんに思っていました。私が高校生のころには、私の友人たちからも母が憧れの存在と言われるなど、母は一目置かれる存在でした。ひとりで父の介護を背負っていた母そんな母が仕事を離れたのは、母が40代後半のとき。父が46歳で倒れて要介護となってからでした。うちの母はきっぱりと仕事を辞め、父の介護に専念する道を選択し、それはもう完璧だったと思います。父の入院している病院で、同様に家族が倒れて介護をしなくてはならない状況となって嘆いている人を勇気付けたり、施設での対応に改善提案をしてその施設の制度を変えたり、業者に対して改善提案をしたものが業者の製品開発につながったり。気が付くと、父のような病気の人の看護・介護対応方法についての研究誌への寄稿を依頼されたり、大学病院から家族介護についての講演を任されたりするようになっていました。私はそんな母の対応を見ていて、最初はそこまで自己を犠牲にして父の介護に専念する必要があるのか疑問であったものの、何事も自分にも他人にも厳しく完璧にこなす姿勢には脱帽していました。でも、そんな過酷な介護生活が長くなるにつれ、母の心身への負担は大きく、老化が一気に進行していきました。毎日、自分よりも重たい体の父を起こしたりする作業で、母の足腰は常に痛みを抱えるようになり、時間的な制約が多いためにストレスでいつも疲れた表情で、以前の生き生きとした母とは様相も変わってきたのでした。老化は誰にでもやってくるものであるものの、介護疲れでそれが一層進んでいるようで、ふびんに思いました。母の性格や言動が変わってきて…その後、父が亡くなりひとり暮らしとなった母は、過去の経歴を生かした事業を始めていました。ただ、母は70代後半になるので、年齢的に以前のようにバリバリと働くという感じではなく、趣味の延長のような働き方でした。そんな折、私たち家族が母と同居をすることになりました。すると、以前は見たことがない母の姿をたびたび見かけるように。特に家の中で、電話で誰かと話した後やテレビでニュース番組などを見た後に、やたらと怒っていることが多いのです。世の中に不満が多いのか、結構な勢いでひとりで怒っています。動作も遅くなり、言葉も昔ほど流ちょうではなくなり、そのせいか性格や言動まで変わったように感じました。まだ自分のペースで仕事もして普通の生活をしている母ですが、おそらくこれからはもっと今までのようにはいかなくなるでしょう。私自身も心身の老化を感じているさなかで老いつつある親を目の当たりにし、これからの自分の仕事の仕方や親の介護などを意識するように。また、自分自身も、残りの人生を有意義に過ごすべく、ただ流されて過ごしているだけの生活を変えなくてはと思いました。まとめ自分の親が高齢になり、親との関わり方とともに自分の生活設計について、考えなくてはならない時期に来ています。これからやって来るであろう親の介護にも備えるために体力をつけておくこと、財力をつけておくこと、情報収集力を身に付けておくこと、この3点が大事かと考えています。そのために、ランニングや筋トレといった体力作り、無駄な支出を見直して預金口座の整理をするなど将来の貯畜計画、介護経験者や介護業界の仕事をしている知人からの情報収集などを始めました。長いようで短い人生、あっという間に何もしないで過ごしてしまわないよう、自分の体力と相談しながら、自分自身も悔いのない人生を過ごしたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/輝歩 (51歳)勤続約30年となる会社員を務める傍ら、ファイナンシャルプランナーとストレッチインストラクターの副業をこなすシングルマザー。
2023年11月04日最高に暑かった2023年の夏。90歳になる義母はデイサービスで週に2回お風呂に入れてもらっていたのですが、暑さのせいでおむつかぶれとあせもに悩まされました。そこであるアイテムを購入し、自宅でもシャワーをしてあげるようにしたところ、おむつかぶれやあせもが治まり、おむつの臭いも軽減しました。そんな私の体験談を紹介します。週2回の入浴では足りない義母はこれまでに2回脳梗塞(のうこうそく)を発症し、車椅子生活をしています。1度目の脳梗塞発症のときに、退院後に自宅でお風呂に入れるようにお風呂場に手すりを付ける工事をしました。そのおかげで、義母は手すりにつかまり家族の介助を受けながらなんとかお風呂に入ることができていました。しかし2度目の脳梗塞の退院後は手足の力も弱まり左半身のまひもあるため、とうとう湯船に入ることができなくなりました。そのため今はデイサービスで週に2回お風呂に入れてもらっています。あれから3年たちますが今までは週2回のお風呂で大丈夫だったのですが、2023年の夏はあまりの暑さのせいでおむつかぶれとあせもを発症してしまいました。ケアマネージャーに相談病院であせもの薬をもらって付けていたのですが、なかなか良くなりません。ケアマネージャーさんにも相談したところ、「シャワーチェアを買って土日に家でシャワーしてあげたらどうですか」と言い、使いやすいシャワーチェアを教えてくれました。シャワーチェアもいろいろなタイプのものがあります。車輪が付いていてそのままお風呂場へ移動して使える物もありますが、それはわが家にとっては高価なので、プラスチック製で軽く、持ち運びにも便利な折り畳み式のシャワーチェアを選びました。シャワーチェアを使い、シャワーでスッキリシャワーチェアが届いたので、早速次の休日にそれを使って義母をシャワーでスッキリさせてあげることに。そのシャワーチェアは両側に肘掛けが付いており、その肘掛けが直角に上に曲げられるようになっています。シャワー中、体を真っすぐに保つために肘掛けはあったほうが良いですが、車椅子からチェアに移動するときには肘掛けがじゃまになるので、この仕組みは便利でした。また座る部分の真ん中に溝があり、座ったままでもおしりのほうまで洗うことができました。シャワー後に素早く体を拭いてあげると義母もスッキリした顔をしていました。その後、あせもの部分に薬を付けて終了です。しばらくの間、土日のどちらかに自宅でシャワーチェアを使ってシャワーをしてあげることを続けたところ、おむつかぶれとあせもが良くなってきました。義母もかゆみがなくなったせいで、よく眠れるようになったようです。おまけにおむつの臭いも軽減されました。まとめ自宅介護ではできることに限界がありますが、介護のお助けグッズを使えばできることがぐんと増えると実感しました。今回は、シャワーチェアを購入したことで、義母のおむつかぶれやあせもも治まり、不快さを軽減してあげることができてよかったです。寒くなるとシャワーはできなくなると思いますが、また暑い時期には自宅でのシャワーをしてあげようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年11月02日40代、50代ともなると気になってくるのが「がん」。中でも婦人科系のがんは、女性ならではのものでやっぱり気になるものです。今回は、50代が発症年齢のピークの子宮体がんに注目。かかりやすいタイプや原因、症状、治療について産婦人科医の駒形依子先生に聞きました。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。「子宮体がん」ってどんな病気?不正出血から始まり、進行すると全身に転移することも子宮体がんは、がんの中でもどんな特徴があるのでしょうか。「子宮の奥には妊娠すると胎児が宿る体部があります。この体部にできるのが子宮体がんです。初期症状は不正出血で、茶褐色や黒い血液が一定量出ます。おりものに混じることもあります。生理痛のような下腹部の鈍痛や性交時に下腹部が痛むこともあります。進行するとおなかが張る感じが強まり、最終的には子宮からリンパ節、腟、腹膜、肺などにがん細胞が転移することもあります。すべてのがんの中での死亡率は高くないものの、婦人科系がんでは一番発症率が高いがんです。50代からの発症数が急増するのが特徴です」(駒形先生)。どんな女性がかかりやすい?1.閉経後50代から発症数が急増するのはなぜなのでしょうか。「子宮体がんは子宮内膜の細胞が炎症を起こしてがん病変することから始まります。閉経後の子宮内膜は、微量の女性ホルモン(エストロゲン)にも敏感に反応してしまう性質を持っています。 閉経後でも分泌されるエストロゲンに子宮内膜が長い時間さらされることで炎症を起こし、がんになっていくのです。卵巣が働いている間は黄体ホルモン(プロゲステロン)が子宮内膜を保護してくれるので、閉経前には子宮体がんの発症が少ないのです。生理は子宮内膜を厚くさせて剥がすことで炎症が起きるのを防ぐ役割もあるのです」(駒形先生)。2.肥満肥満も高リスクの1つですが、なぜなのでしょうか。「エストロゲンはエストロン、エストラジオール、エストリオールの3種類で構成されていますが、このうちエストロンは脂肪細胞から分泌されることがわかっています。つまり、脂肪細胞の面積が大きければ大きいほど、つまり太っていれば太っているほどエストロンが分泌されやすくなります。閉経後、エストロゲンに敏感に反応しやすくなった子宮内膜にこのエストロンが反応して炎症を起こしがんに変化する可能性が考えられます」(駒形先生)。3.未産妊娠・出産経験がないことも高リスクになるのですね。「子宮内膜はエストロゲンにさらされればさらされるほど炎症を起こしやすくなります。妊娠・出産・授乳中は生理がなく、子宮内膜がエストロゲンにさらされることがありません。一方、妊娠・出産経験のない女性はそれだけ子宮内膜がエストロゲンにさらされる機会が増えるので、リスクが高いと言われるのです」(駒形先生)。不正出血があったらすぐ受診?出血の原因を探るためにも受診を一度でも、また、少量でも不正出血があったら受診したほうが良いのでしょうか。「不正出血=子宮体がんというわけでなく、出血にはいろいろな原因が考えられます。1回だけだから、少量だからと自己判断することなく、受診してほしいですね。子宮体がんの検査は、まず経腟超音波検査で子宮内膜を調べます。そこで子宮内膜が厚くなっている場合は細胞診、組織診(細胞をより多く採取して調べる)と進みます。子宮体部の細胞診、組織診は痛みが強いので、まずは超音波で検査します」(駒形先生)。そして、超音波検査は見るタイミングが重要なのだとか。「子宮内膜が厚くなっているかどうかを見るのですが、生理前だと、生理の準備で厚くなっていることがあります。超音波検査は生理直後がベストです。よく、生理直後はにおいや血液が残っているかもといったことを気にする方がいますが、医師は慣れているので大丈夫。それよりも検査が遅れて進行してしまうほうが良くありません。医師とよく相談してスケジュールを組んでください。不正出血など症状があれば保険適用で検査を受けられます。病院やクリニックにより異なりますが、子宮体部細胞診は3,000〜5,000円程度、経腟エコー検査は3,000円程度で受けることができます」(駒形先生)。早期発見が大切「子宮体がんは早期発見できれば予後が良いとされています。初期ならば子宮と両側付属器(卵巣・卵管)を取り除く手術と薬物療法で済みますが、進行すると子宮の周辺のリンパ節なども取り除く必要が出てしまいます。また、手術をしても再発の可能性があるため、5年以上は経過観察をおこないます。進行した段階での手術をした場合は腟、骨盤内など局所での再発のほか、肺や肝臓といった局所外へ再発する可能性も高くなるので、子宮体がんは早期発見がとても大切です」(駒形先生)。まとめ駒形先生によれば、閉経後かなり時間がたっている女性は不正出血があるとびっくりして受診する人が多いそうです。一方でまだ生理があったり、月経不順の40代、50代女性は「いつもの生理不順か」くらいで見逃してしまいがちなのだとか。子宮体がんは一般的な子宮がん検診の対象になっていないので自分で見つけるしかありません。心当たりのある方は早めに受診してみてはいかがでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(49歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。イラスト/村澤綾香著者/監修/駒形 依子 先生2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
2023年11月02日現在90代の義母を介護しています。歯医者さんに入れ歯の調整で自宅に来ていただいたのをきっかけに、月に一度口腔ケアを受けるようになりました。口腔ケアを受け始めたら、入れ歯の調子も良くなり嚥下(えんげ)機能が改善したお話を紹介します。義母の入れ歯の調子が悪くなり…脳梗塞(のうこうそく)の後遺症で体の左側にまひがあり、食べ物を飲み込みづらくなっていた義母が、入れ歯を入れると痛いと言いだしました。そこで、入れ歯を作っていただいた歯医者さんに連絡して、家まで来て診ていただいたところ、飲み込む力が弱くなったせいでかむことが減り、歯茎の形が変わってきたとのこと。歯茎の形に合うように入れ歯の樹脂の部分を削ったり、樹脂を付け足したりして調整していただきました。そのおかげで、入れ歯を入れて食事をしても痛みなく食べられるようになったようです。口腔ケアを開始するそのとき、歯医者さんに口腔ケアを受けることを勧められました。なんでも口の中には細菌がたくさんいて、常に清潔にしておかないと病気の原因になることもあるのだそうです。それまでは義母に食事の後にうがいをさせるくらいだったため、早速、次の週から口腔ケアをお願いしました。まず入れ歯を取ってから、専用の柔らかいスポンジブラシで口の中の汚れをかき出していただきました。歯がなくなり歯の根っこだけが残っている状態の歯茎の中にも小さなごみがたまっているとのことで、小さなブラシでかき出します。さらに舌の上にも細菌がいっぱいあるとのことで、舌の上も舌専用ブラシでやさしくこすってもらい、最後に口腔用の濡れティッシュで口の中を拭いてもらいました。義母も口の中がスッキリした様子でした。口腔機能改善の効果も歯医者さんによると、口腔ケアをすることで唾液の分泌が良くなり、しいては飲み込む機能の改善にもつながるのだそうです。さらに、誤嚥(ごえん:食べ物や唾液が気道に入ること)の予防にもつながるとのことでした。また、口の体操も教えていただきました。まず大きな口で「あ・い・う・え・お」とゆっくり発音。これを10回繰り返します。さらに「パタカラ」「パタカラ」と50回ほど早口で繰り返します。先生によるとこの口の体操をすることで、のどの筋肉が鍛えられ飲み込む力が改善されるだけでなく、顔の血流も良くなって、脳にも刺激が伝わり認知症予防にもつながるのだそうです。まとめ最初のうちは週1回、半年たった今では月1回ずつ口腔ケアを受けていますが、そういえば最近義母が食事中にむせ込むことが少なくなったような気がします。脳梗塞の後は流動的な物しか食べられなかったのですが、半年たった今では、果物やトマト、かぼちゃ、じゃがいもなど柔らかい物ならかんで食べられるようになりました。今後も口腔ケアと口の運動は続けていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年10月31日インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガをご紹介します。ある日、50代のおーちゃんは、自身の手を見てつぶやきます。「手の甲を見れば老いがわかると思わん?」。その話題で同世代の職場の同僚と盛り上がります。互いを褒め合い、高め合うふとした瞬間に口から出たおーちゃんの言葉に、同僚は「それ、言えてるよね~」と共感してくれます。そこから2人はお互いの良いところを口に出し合い、褒め合うのでした。2023年の夏は連日の猛暑が続き……。それが原因なのか、自分の腕から手の甲にかけて日焼けの吸収がものすごい。そして明らかに老化を加速させてしまった自分のお手入れ不足に後悔していました。早速、職場でその件の話題を同僚に振ったところ共感してくれる上に励ましのお言葉(笑)。そしてそれはお互い掛け合いとなり、褒め合って終わった……という、あと味の良い1日でした。改めて自分をポジティブにしてくれる相手が側にいることのありがたみを感じたのでした!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/おーちゃん(54歳)孫ラブおばさん。10歳年上の夫と2人暮らし。長女(32歳)、次女(30歳)、長男(27歳)の3人の母親で、8歳の孫を溺愛中。Instagramとブログで家族の話を更新中。ブログ「娘ときどき孫日和~子離れ奮闘記~」。Instagram:@ohchan_65
2023年10月30日数年前に実家の父が急死して、要介護3の母が家にひとりになってしまいました。ケアマネージャーと相談してデイサービス、ホームヘルパーなどの介護サービスを利用しようと思いましたが、本人が嫌がりました。父が急に亡くなって、母もショックを受けているのだろうと思い、私がしばらく同居することに。結局、私は同居に疲れ果てて家に帰るのですが、その原因は……。夜中に大音量でテレビを見る母と眠れない私母が要介護認定を受けていることはもちろん承知していましたし、同居する前も毎日のように実家に通って家事を手伝っていたので、自分では母の状態をほぼ理解しており、うまくやっていけると思っていました。しかし24時間一緒にいるとなると話はまったく別だったのです。母は昔からテレビが大好きで夜更かしタイプでしたが、同居を始めたときには昼間はうつらうつらしていて夜になると起き出すという完全な昼夜逆転生活になっていました。聴力もかなり低下していて、テレビの音量をどんどん上げてしまい、気付いたら音量が90を超えていたということもしばしば。ただでさえ、同じことを何度も聞かれたりささいなことで何十回も呼ばれたりしてイライラしていた私は、昼夜を問わず大音量のテレビの音を聞かされて、ますますイライラするようになりました。2階で眠っていても、夜中に目覚めた母が急に大音量でテレビをつけて、何度も起こされます。せめて昼間はデイサービスを利用してほしいと思っても、母は外に出たがりません。ひとまず、私の睡眠不足を何とかしなければ。そう思ってネットで調べてみると、高齢者の音に困っている人のためのスピーカーがあることを知りました。私は、早速近くの電器店に行きました。高齢者向けテレビスピーカーを購入全国展開している大きな電器店に行ってみると、目的のスピーカーはフロアの隅のほうに何種類か置いてあるくらいで、一度は通り過ぎてしまいました。あまり需要がないのかな?などと考えつつ売り場を見てみると、Bluetoothで連携するものやコードのあるもの、首に掛ける形状のものなどがありました。価格も数千円から数万円とさまざまです。電器や機械が不得意な私はかなり悩みましたが、結局、テーブルの上に置いてテレビとコードでつなぎ、ダイヤルで音量操作するタイプのスピーカーを選びました。コード式は足に引っ掛けて転んでしまう危ない側面もありますが、要介護3の母はほとんど歩けないので危険性は少ないと判断。音量をダイヤルで回すシンプルさと、昔からなじみのあるコード式、そして税込み3,000円ほどという価格の安さが購入の決め手となりました。家族だけでなく、近所も巻き込む音問題スピーカーを母の前のテーブルに置くと、音量は少し改善されました。しかし、気が付くと母がテレビのリモコンで音をさらに大きくしてしまったり、スピーカーのボリュームを動かしてしまったり。私がテレビとスピーカーの両方から音が出るように設定してしまったので、聞きづらかったようです。私も何とか夜眠れるように工夫しました。耳栓を装着したり、家の中でも静かな場所を探したり、夜は車で寝れば良いかと真夜中に布団を持って車で寝ようともしました。でもある日、あまりのテレビのうるささに、母を大声で怒鳴りつけてしまったのです。「もう限界」と、夜は家に帰ることを兄に相談したところ、朝と夕、介護に入ってくれることになりました。このままだと私が壊れると思ったようです。しかし、私が出て行った後にご近所から夜間のテレビの音で眠れないと苦情がありました。注意する私がいなくなったので、どんどん音が大きくなっていたようです。後からわかったのですが、スピーカーからのみ音が出るように設定すれば、本人だけに良く聞こえるようになるようでした。そこですぐに設定変更し、音量ダイヤルを固定しました。そのおかげで現在は騒音の問題はひとまず収まっています。まとめ介護というと、排泄や家事などを思い浮かべますが、私が今回苦しんだのは、思ってもいなかった「音」というトラブルでした。自分の家だけでなく、周囲の家にも迷惑を掛けてしまうため、音は大きな問題でした。私は何かあったときのためにご近所の方と電話番号を交換していたので、苦情が来た際、早めに対応できてよかったです。今回のことで、ひとりでは在宅介護は難しいと実感。自分が元気なうちから相談できる人をなるべく多く持つこと、日ごろから介護の情報に敏感でいること、いつか介護される自分のためにも、母を通していろいろなことを学んでいきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月29日嫁いだ片田舎で義父母との同居生活。どうにか折り合いをつけながら、四半世紀を超えました。子ども3人が社会人となり子育てはひと段落したものの、今度は遠方の実家で老々介護状態となった自分の両親が気に掛かるように。行きたいけれど、「嫁」の私は高齢の義父母がいる家をなかなか空けづらい。それでも娘として、実家の両親に今のうちにできることをしてあげたいと思って行動した体験談です。実家に暮らす80歳代の両親が老々介護に25年前、私は結婚と同時に片田舎にある夫の実家に住み始めました。慣れないことだらけでしたが、3人の子どもを授かり育て、気の強い義母、寡黙な義父との関係もそれなりに築きつつ暮らしてきました。それから25年。今や子どもたちは成人し、子育てもひと段落。そして急浮上してきたのが、私の実家の老々介護問題でした。実家では80代の父と母の2人が穏やかに暮らしていたのですが、父ががんを患い入院することに。手術、治療を経て自宅に戻りはしたものの、今度は肺の持病が判明した上に動脈硬化(どうみゃくこうか)や糖尿病の傾向も見られ、日常生活はどうにかなるものの、さまざまな注意が必要な状態となりました。私の実家は遠く、車でも電車でも片道10時間は要する距離。頻繁に顔を見に訪れることはできません。1人いる兄も同じく遠方で家庭を持ち働いており、両親の日常の世話をすることは困難です。結局、父の介護は比較的元気な母が一手に引き受けることに。住んでいる地区の当番なども、母ができる限り対応するようになりました。ですが、母も高齢ですから徐々にひとりでの対応が難しくなったようです。父を定期診療に連れて行っても医師の説明が頭に入らず混乱するといった精神的に不安定な状態が見られ、とうとう病院から直接兄の携帯電話に連絡が来ました。「老々介護には限界があります」と。両親のために娘の私ができることは結局、実家の両親は、訪問介護を受ける、ヘルパーさんに来てもらうなど、社会保険制度を取り入れることになりました。私と兄は連絡を取り合い、少しでも今のうちに「娘」「息子」として両親のためにできることをしよう、お互いにこれからは実家へ行く機会をできるだけ増やそうと話しました。ただ問題は、義父母と同居している私は、なかなか「実家に行ってきます」とは言いづらい雰囲気だったことです。実家への帰省については、子どもが小さいうちは正月やお盆はまず義実家で過ごすことを優先し、そのあと自分の実家に行くようにしていました。夫と子どもと私の5人、最低2泊はするので一大行事でしたから、義母からは「お里行きに舞い上がってるねぇ。こっちは留守中に親戚が来たり、いろいろあるのに」と度々嫌みを言われることがありました。「『里に帰る』とは言わないもんよ。嫁はこの家の者だから『里に下がる』と言うんでぇ。私なんか『実家に下がらせてください』、と三つ指突いて頭を下げて、日帰りだったよ」と言われたときは、「……昔は、そうだったんですねぇ」と答えるのが精いっぱいでした。実家へのお土産や小遣いなどを持たせてはもらいましたが、あまり気持ち良く見送ってもらえていないと感じていました。そういったこともあって、子どもたちが大きくなってからは、あまり実家に行かなくなっていました。私が実家へ行きやすくなるために取った対策3つ今回、どうすれば実家に行きやすくなるのか。いろいろな感情が渦巻く中、考えた末に私が取った方法は、主に3つでした。1. 実家の老々介護状態について、ちょくちょく義父母に話してみる「お義父さんお義母さんは畑仕事もされるし、まだまだお元気ですけれど、実家の父はあれこれ持病があり、母も精神安定剤を飲んでます。ヘルパーさんは来るけれど、ほんとヨボヨボ、世間で言うもはや『老々介護』の状態です」と。事実を世間の事情と絡めて話すと高齢の義両親も理解しやすいらしく、「それそれ、近所の○○さんとこも高齢者2人きりの暮らしで大変らしいわぁ」とうなずいていて、共感を得やすいようでした。2. 実家へは私ひとりで行く夫は仕事があるということで、連れて行きません。義実家にとっては夫がいるという絶大の安心感があるようです。実家でも、むしろ私1人なので両親とのコミュニケーションに集中できました。3. 夫には義父母としっかり付き合ってもらう夫には日ごろから積極的に義父母と過ごしてもらうようにしました。買い物に連れて行くのも、ごひいきの歌手のコンサートに連れて行くのも夫が担当。義父母がしている畑仕事にも積極的に関わってもらうようにしました。私が留守の間は義母に頼るだけでなく、夫も家族分のお弁当を買うなど、それまで気に掛けていなかった家族の食事のことも考えてくれるようになりました。夫が積極的にコミュニケーションを取ってくることに義両親はとても機嫌を良くしているようでした。これらの対策を地道に試みた成果なのか、義母から最近、「あっちのご両親は大変みたいやし、ちょくちょく顔出してあげたらどう? 遠いからあんたも大変やろうけれど 」との言葉をいただきました。まとめ実家両親の介護のために「嫁」の私が義実家を留守にするには、夫の協力が不可欠でした。今回のことをきっかけに、それまで義両親に対してあまりやさしくなかった夫が義両親との関わりを増やしたことで義両親は喜び、私も家を留守にしやすくなりました。夫と私、こうして離れる時間は増えましたが、お互いに協力し合っている感覚は逆に増した気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室イラスト/山口がたこ著者/あさみ(55歳)平日はお勤め、週末は農業。夫、子ども、義父母と暮らしている。多忙でも趣味やスポーツの時間はなるべくキープ。育児、介護、町の行く末までいろいろ気になる。
2023年10月28日今年50歳になったのをきっかけにバッグの中を見直し。ブランドに振り回されるのではなく、“自分の好き”だけにこだわったモノだけを入れるようにしました。そしてファッションも50歳をきっかけに“壊れ”始めました(笑)。もはやブランドも骨格診断もパーソナルカラーも関係なし。服も自分の“好きなもの”だけを着るように。これが実に快適でご機嫌なのです! ライターの中田ぷうが50代ファッションについて新提案します。ブランドから離れることになった決定的な事件20代のころはファッション雑誌の編集者だったこともあり、当時全盛を極めていたニューヨークブランド「TOCCA」や「DKNY」、「ケイトスペード」、「アルマーニエクスチェンジ」に「バーバリー」など着ていました。そして個人的に日本人デザイナーも好きでしたので、コシノジュンコさんの服も買ったりして……。しかし今から20年前のことです。“コシノさん”のニットを着て、当時まだ生まれて間もない上の子を抱っこしていたとき。「ぐえっ……ふ!」とげっぷをされたと同時にダイナミックに吐かれ、ニットの肩の部分がミルクだらけに!「ギャー! コシノさんのニットがぁぁぁ!」と思ったときにはすでに遅し。どう洗濯してももうにおいが取れず、処分することに。多分、最大のきっかけはこれだったと思います。この事件以降、「高い服など“今の私”には必要ない!」と思ってしまったんですね~(笑)。以来20年間、自分の服に求めるのは、着やすさ動きやすさ洗濯のしやすさがすべてでした。50代、似合うかどうかよりも“好き”が大切そしてそこから20年。子どもたちの教育費に莫大なお金がかかるようになり、「お安さ」も大切な要素として加わっていったのです。そして今は、その中から、自分が「好き」と思えるものだけを着るようにしています。仕事柄、骨格診断をしてもらったり、パーソナルカラーを受けたこともありました。“ファッション迷子”さんにとって、こうした診断もいいと思います。でも50歳になった自分にとっては、もう必要ありません。似合う・似合わないよりも“自分がどれだけ好きか”のほうが大切だからです。それに自分の“好きなもの”って自分を形成しているものだから、自然となじんでいるんですよね!ユニクロのシャカパン&Tシャツを“制服”にまた冬になれば変わるかもしれませんが、もはや1年のうちの半年は暑い季節となってしまった日本、私のファッションのベースは、ユニクロの「エアリズムコットンオーバーサイズTシャツ(5分袖)」1,990円とユニクロのシャカシャカ素材のボトムス。そして少し肌寒くなってきた最近は、この“ベース”にシャツやニット、スウェットを合わせています。こちらはシャツを合わせたスタイリング。このデニムシャツは、「ユニクロ」とイネス・ド・フレサンジュとのコラボ商品で、かなり前のものですが気に入ってずっと着ています。そうなんです! たとえ「ユニクロ」の商品でもこうして本当に「好き」なものであれば、何年にも渡って大切に着続けるんですよね~。50代、もっと色を楽しみたい!私も典型的な日本人なので、やはり黒・紺・茶色・グレーなどのダークカラーが好きで、この手の色の服ばかりを持っていました。しかしここ数年、人生の後半戦、もっと色を楽しみたい!と思い、カラフルなアイテムを取り入れるようになりました。色の効果ってすごくて、明るい色を着ると気分も表情も不思議と明るくなるんですよね~!また年を取るとどうしても顔色が落ちてくるので、ダークカラーではなく明るい色を着たほうがいいとスタイリストさんたちも言いますよね。今シーズンは、「COCA」で蛍光に近い発色のグリーンのニットを購入。1,990円でした。“ミニオンおばさん”と言われても平気(笑)こちらは「ワークマン女子」で購入した蛍光イエローに近いスウェット1,500円。数年前から黄色、大好きなんです! なぜならダークカラーのファッションの中、いいアクセントになってくれるからです。しかしこれを着た途端、子どもたちが「うわっ! 『ミニオン』だ! “ミニオンおばさん”が来た~!」と大笑い。ふん、何とでもお言い!こうしたファッションの関する揶揄は、よくありますよね~(笑)! 子どもや家族に言われる程度ならば笑って済ませられますが、他人に言われると傷ついてしまうこともあるかもしれません。私などは気にしませんが、この揶揄が怖くて新たなファッションに挑戦できない、という人を今までたくさん見てきました。でもそんな人たちには、ぜひ102歳のファッショニスタ、アイリス・アプフェルの言葉を覚えておいてほしいのです。「洋服について誰かに何か言われても傷ついたことはない。自分の喜びのために着ているのだから」そうなんです。もちろんTPOは大切ですが、普段のファッションは自分が喜べて、幸せになれればいいんです。だから“ミニオンおばさん”と言われようが、このイエローのスウェットを楽しみますよ~! なぜなら着ていて私自身がウキウキするからです(笑)。今まで着たかったものにも挑戦!今までとくにスカル柄に興味はなかったのですが……、海外のサイトでハロウィン向けのアグリーセーターを見ていたら、「スカル柄のニットって、着てみたいかも!」と思い購入。これが想像以上にベースのコーディネートに合わせやすくよかったのです。勇気を出して挑戦してよかった……! こうした“興味あるファッションの挑戦”も50歳を機にどんどんしてみたいと思っています。靴下は最高のアクセサリー!今でこそ何を言われようが気にせず好きなものを着ていますが、やはり昔は、本当は好きな元気な色や明るい色を着る勇気がありませんでした。そこでまず取り入れたのが靴下。当時、お仕事をご一緒したカメラマンの方が、服装はベーシック&ダークカラーなのに、いつも靴下だけが派手だったりポップだったりして「おしゃれだなぁ!」と感心! 私もまず靴下から“色モノ”デビューをしました。靴下って、まるで見えないようでいて、実はかなりの“チラ見せの美学”があり、それがものすごくおしゃれに感じさせるんですよね。今でも元気色の靴下は大好きで、「ファミリーマート」でいつも買っています。まとめこの年になって、やっとファッションは“自分自身が楽しむもの”という感覚を実感できるようになった気がします。アイリス・アプフェルの言葉でもう1つ好きな言葉があります。「流行は買うことができるけれど、スタイルは自分が有するものよ」そうなんです! 自分のスタイルは自分のもの! だからこそ好きなスタイルを楽しみませんか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/中田ぷう(50歳)業務スーパーやカルディ、コストコなどに詳しいフードジャーナリスト。著書に子どものごはん作りの闘いを描いた「闘う!母ごはん」(光文社)がある。育ち盛りな高校2年生と小学3年生のママ。
2023年10月27日私は40代のときに胃炎になり、胃カメラで調べてもらったことがあります。その結果、見つかったものは……。ピロリ菌の除菌胃カメラの結果見つかったのは、ピロリ菌(胃の中に棲みつく細菌)と小さい腫瘍でした。そこで早速、ピロリ除菌のための薬を処方され、1週間ほど飲み続けました。しかし、その後の検査でうまく除菌できていないことがわかり、私は落ち込みました。それから2次除菌することになり、そこでようやく除菌に成功しました。さらに小さな腫瘍は消えてきれいになっていたようです。除菌後に体調回復「胃炎の原因はやはりピロリ菌だったね」と内科の先生に言われました。除菌が成功してからは、胃炎に悩むこともなくなり、身も心もすっきりした気分でした。まとめピロリ菌から胃がんなどにつながる可能性があると聞いたので、早期発見のためにも健康診断などでもおこなっている胃カメラ検査を定期的に受けたほうが安心だと思いました。(50代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/まげよ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年10月23日私と白髪との付き合いが始まったのは、25歳ごろ。初めは額の生え際の一部分に塊になって白髪が生えてきました。「え! いつの間に~」と驚きましたが、私の父親が若白髪だったこともあり、「仕方ないかぁ~」と諦めていました。20代ということもあり、「若白髪なの~」なんて友だちにはのんきに笑っていたことも。これから長~い間白髪に悩まされるなんて、このときは思いもせず……。さまよえる白髪染めビギナー30代前半、前髪で隠れていた白髪が少しずつ増えていき、風が吹いて前髪が持ち上がると、みんなの視線が私の額の生え際にロックオン!そして30代半ば、ますます白髪が目立つようになると、私と話す人は必ず生え際をチラ見しながら会話するようになったのです。それが私に白髪染めを決心させた最大の理由でした。白髪染め初心者の私は、美容室で染めてもらうという考えが浮かばず、セルフ染めをしようと試したのが、市販のクリームを2種類混ぜて塗るベーシックなタイプ。今は改善されているかもしれませんが、そのころのこのタイプの白髪染めはにおいがキツく、においに敏感な私には不向きでした。その次に試したのは、髪や体に使えるハーブとして話題になっていた「ヘナ」です。少し植物のにおいが強いですが、染めている間、森林浴をしていると思えば大丈夫。40日くらいの間隔で染めて、セルフでもソコソコの仕上がりだったので、数年続けました。その後30代後半になると、染める間隔が30日周期に。ちょうど仕事も忙しくしていたころで、段々増えていく白髪を月に1度、自分で染めるということをかなり負担に感じ始めました。途中、シャンプーのたびに染まるというシャンプーとトリートメントを使ってみましたが、私の場合は徐々に染まるタイプの白髪染めでは追いつかない白髪の量でした。ヘナで染めるときも「染めてきれいになれる~」というワクワク感ではなく、「あ~、また染めなきゃ。面倒だなぁ~」に変化していくことに。もうお手上げ!40代でついに手放したセルフ染めそれまで、10年以上のお付き合いがある美容室には、カットだけをしてもらいに半年に1度くらいの割合で通っていました。あるとき、親戚の披露宴に出席するので美容師さんに髪形を相談したところ、「ヘアマニキュアをやってみない?」と提案されたことが、私が美容室で白髪染めをするきっかけになったのです。少し明るい色をオーダーして、おしゃれに染まると気分も上がり、しかも美容室で染めてもらうと本当にラク! 今までヘナを塗ってラップで頭を包んで、1時間くらい放置し、途中来客でもあったらどうしようとハラハラしながらのセルフ白髪染めにはもう戻れない! それ以来、ずっと美容室でやってもらうようになりました。時々美容師さんと相談して、年齢を重ねて白髪率もアップしたことから、髪の表面だけをコーティングするヘアマニュキュアから、髪にやさしく髪の芯まで染めるオーガニックハーブの白髪染めに切り替えました。最近のカラー剤は香りもよく、染めている間もリラックスできるのがうれしいです。そして椅子に座ると何も言わなくても、私の好みを知っていてくれる美容師さんが、ササっと手際よくカラー、トリートメント、カットとしてくれるので、今では月に1度の私の癒やし空間になっています。グレイヘアブーム到来!でも…テレビなどで「グレイヘア」という言葉を耳にするようになりました。白髪を隠すのではなく、活かそうということらしいです。でも、白髪染めをした髪をすべてグレイにするには1年ほどかかります。そこに至るまでの中途半端な時期をどう乗り切るかというのが、「グレイヘア」への最大の難関。それを乗り切った方をテレビで拝見しましたが、煩わしい白髪染めから解放されて、「グレイヘア」に合うおしゃれを楽しんでいらっしゃいました。それを見たとき、私もグレイヘアブームに乗っかるべきじゃないかと本気で思い、しばらく白髪染めを我慢して、ターバンや帽子などで白髪を隠し外出してみました。しかし、2カ月くらいで断念。また元の白髪染めライフに戻りました。アラフィフ世代の誰にでもグレイヘアが通用する訳ではないことに気付いたのです。普段、私は紫外線対策にUVクリームを塗り、眉毛を描いておしまいという簡単なメイク。ファッションもモノトーン中心。これでグレイヘアだと全体がぼんやりして、逆に実年齢よりかなり老け込んで見えるように。グレイヘアにはきちんとお化粧した顔が似合うと私は思います。またグレイヘアが似合う年齢になってから考えることにします。まとめ今はいつかグレイヘアになることを考えて、以前より少し明るめのカラーで染めてもらっています。根元が白髪になったときにあまり目立たないようにするためです。そうやって少しずつ明るい色に慣れて、そのうちグレイヘアになっていくという方法を美容師さんと相談して決めました。さぁ、これから私の髪はどんな変化をしていくのでしょうか。髪は長~い友だちとはよく言ったものです。白髪だって大切に付き合っていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/よしこ(55歳)更年期真っただ中で若干不調。毎年の人間ドックの結果が怖くなり、この症状にはこの食べ物がいいとテレビの健康番組が言えば試してみるアラ還世代。料理大好き、パン職人、ライターのお仕事も楽しんでいます。
2023年10月22日インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガをご紹介します。おーちゃんの小学生の孫は、大の猫好き。今では2匹の猫を自宅で飼っています。今となっては娘のほうが猫愛にあふれているようで……。猫との暮らしが活力に2匹の猫と暮らす娘親子。猫たちとの生活は娘に日々の活力を与えるほど、その影響力は絶大。しかし、娘親子以上に愛猫にハマっていたのは……!?2022年から猫との暮らしを始めた娘親子。今では孫よりもどっぷり沼っている娘……(笑)。家事は後回しで猫を眺める日々です。そして2023年の春、2匹目も参戦。なおさら娘の猫愛は止まることがありません。確かに猫のマイペースぶりには癒やされますものねぇ〜。その気持ちもわからないでもないのですが、ちょっぴり心配にもなるレベル……(汗)。そんな矢先、娘宅にお泊まりで出かけた私。2匹で寄り添って寝ているその姿にハートを射抜かれてしまいました!そうだった!猫好きなのは私! 娘も孫も紛れもなく私の遺伝なのだと納得した出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/おーちゃん(54歳)孫ラブおばさん。10歳年上の夫と2人暮らし。長女(32歳)、次女(30歳)、長男(27歳)の3人の母親で、8歳の孫を溺愛中。Instagramとブログで家族の話を更新中。ブログ「娘ときどき孫日和~子離れ奮闘記~」。Instagram:@ohchan_65
2023年10月18日まさか自分の身に、「夫の急死」などという事態が降りかかってくるとは思いませんでした。いつもどおり仕事に行って帰って来た夫が、その夜トイレで倒れて亡くなってしまうという突然過ぎる展開。心の準備も何もあったものではありません。一夜にして大黒柱を失い、高校生の息子たちとの母子3人家庭になってしまったのです。お気楽な専業主婦だったのが…独身のころから会社を経営していた夫が、私より5歳年下の49歳という若さで急性心不全のため亡くなりました。それまで夫の会社の事務をちょこっと手伝うだけのお気楽な専業主婦だった私が突然、会社の整理、死亡による手続きなどいろいろおこなわなければならなくなったのです。急にのしかかってきたプレッシャーにあたふたするとともに、これからは私が息子たちの日常を守っていかなきゃいけないんだという現実を前に、どう考えても夫の死を悲しんでばかりはいられない状況でした。会社の整理が終わったら、私も新たに収入を得る道を探さないと! でも、20年近く実務から遠ざかっている更年期女子を誰が率先して雇ってくれる? すぐに職を得るのは難しいかもしれない。では、今後の生活をどう変えていくべきかを考えてみました。まずは節約、今までの無駄づかいを見直しとりあえずの収入が見込めないのだから、これはもう支出を抑えるしか道はない。まずは現状を分析してみて、すぐに減らせそうな支出を洗い直しました。◎定期購入しているサプリや化粧品を解約40代に突入してからエイジングケアが気になり、ついついエイジングケア用の商品を試してみては定期購入を続けていた私。「これだけは手放せない!!」というサプリ1種類だけ残して、他はすべて解約したら月額約10,000円の支出減。◎携帯電話のプランを見直し夫の携帯電話には仕事の相手先から連絡があるため、すぐには解約が難しいので、名義変更のついでにプランを見直しました。高校生の息子2人とタブレットの分もプランを見直して月々のデータ量を減らしたところ、これまた約10,000円お安くなりました。今までなんてもったいないことを!他にも、洗濯機や食器洗浄機は電気代の安い深夜に使ったり、調味料など使い切れなさそうな食材は買わないようにしたり。日々の生活を見直してみると、節約できるポイントが山ほどありました。大反省です。人生を楽しみつつ収入を得る方法を模索夫が突然亡くなってしまったことで今後の生活が不安なのは当然ですが、その一方で「人生こんなに急に終わっちゃうのね……」という現実を目の当たりにすると、さすがに人間あれこれ考えました。55歳になった今「何かやり残したことはないか」とか、自分は「本当は何がやりたいのか」とか。実は今こうやって記事を書いているように、私は文章を書くことが大好きで、現在WEBライティングを勉強中です。自分のブログを立ち上げて、それで収入を得られるようになるのが理想ですが、現実はそんなに甘くないはず。思うように収入につながらない場合は、別のアクションを起こす必要も出てくるでしょう。ですが、とりあえず夫の会社の整理が終わるまでしばらくかかるので、その間は好きなことを仕事にできるようにチャレンジしていくつもりです。まとめ夫が突然亡くなってしまって母子家庭になり、最初は不安しかありませんでした。今ももちろん不安のほうが大きいですが、とにかく今できることをするしかありません。息子たちとのこれからの生活を守るために、大々的な節約と新たな収入源を模索しながら、人生の後半を充実させたいと思っています。最後に、「人生いつ終わるかわからない」という現実に改めて気付かせてくれた、そして今まで仕事一筋で頑張ってくれた夫に心からの感謝を。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/こふじ(55歳)2020年2月に夫が急死して、高校生の息子2人との母子3人家庭に。大黒柱を失ってアタフタしながらも、節約や新たな収入源を模索中。
2023年10月18日40代に入ったころから頭頂部に見え始めた白髪。とうとう老化が始まったのか……とショックを受けつつも、なんとかしなければ!と白髪との闘いを決意。多種多様な白髪対処法を試した結果、私がたどり着いた所とは?白髪数本時代はチョッキンチョッキン最初に白髪が生え始めたときはほんの数本程度だったので、「これなら染めるよりはチョッキンすればなんとかなるだろう」と安易な気持ちで白髪の毛をはさみで切り落としていました。本当は根元から抜いてしまいたい気持ちもありましたが、抜いてしまって生えてこなくなると、将来的に髪の毛が薄くなるのではないか……という恐怖感が。とりあえず一時しのぎで乗り切ろうと考えておこなった行動でした。しかし、この方法がずっと有効なはずはなく、白髪をチョッキンし続けるうちに頭頂部にツンツンした短い髪の毛が生えてくるように。「このままではいけない!」と思うようになりました。増える白髪と本気で格闘すべきときが来た!そのころ、美容院にカットに行く機会があったのですが、やはり美容師さんからは「白髪が増えてきているなら、切らずに染めたほうがいいよ」とアドバイスをもらうことに。そのとき、私はどんどん増えていく白髪を切ることはやめよう!と決心したのでした。髪の毛を良い状態に保ちたいと望んでいた私に、美容師さんは「白髪用ヘアカラーでの白髪染めは髪の毛が傷むのでヘアマニキュアがおすすめ」とアドバイスしてくれたので、まずは自宅で染めてみることに。たしかにヘアマニュキアは一度できれいに染まるし、髪の毛も傷まなかったのですが、とにかく自分で塗るのが面倒。その上、持ちが悪いと感じたので、他の方法も試してみることにしました。いろいろなカラートリートメントを使ってみたり、それも面倒になったときには、いよいよ白髪染めのみをやってくれるヘアカラー専門店に飛び込んでみたり。どの方法が自分の白髪との付き合い方でベストだと感じるのか、試行錯誤の日々が続きました。ひととおり試した後の白髪との付き合い方結局、カラートリートメントは使い方が悪かったのか、毎日使っても思うようにならないため一時保留。ヘアカラー専門店は安価で手早く染めてくれて、ヘアトリートメントやヘッドスパもしてもらえるなど大満足。ただ、しばらくすると髪の毛がきしんだ感じがするのに気付き、こちらも続けるか再考することにしました。その後、行きつけの美容院に行くと、やはり美容師さんに髪の毛の状態が前と違うことに気付かれたので、これまでの白髪との格闘具合を報告することに。「白髪用ヘアカラーは髪の毛の色素を抜いてから色を入れるからきれいに染まるけれど、髪の毛はどうしても傷むよ」と言われ、ヘアカラーも断念。アラフィフの私にとっては、きれいに白髪が染まることと同じぐらい、髪の毛を良い状態に保つことも大事なのです。結局、試した方法すべてを比較すると、私の場合はちょっと持ちが悪いけれどヘアマニキュアで染める方法が一番しっくりきました。染めてからしばらくして白髪が数本見えてきたときは、白髪隠し用のスティック状ヘアマスカラを使ったり、パウダー状の白髪隠しを塗ったりするなどして一時的に対処しています。まとめいろいろ試した結果、白髪の染まり具合だけではなく、髪の毛を良い状態に保つことも重視してヘアマニキュアを使うことにしました。今後、白髪の生え具合や髪の毛の質や状態によっても違ってくるかもしれないので、これからもいろいろと試してみて、自分に合った方法を見つけていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/さっちこっち(51歳)子どもたちもほぼ手が離れ、只今自分探し真っ最中の平凡な主婦。体の衰え、やる気の無さなど、更年期ならではの不調を感じつつも、アンチエイジングに役立つ情報を仕入れるべく日々奮闘中。愛犬との散歩が日課。
2023年10月17日閉経を挟んだ前後5年間を「更年期」といいます。更年期には女性ホルモンの分泌が減り、心身ともにいろいろなゆらぎがあると知られています。豆腐などに含まれる大豆イソフラボンは女性ホルモン様作用があるとされ、長らく注目されてきましたが、女性ホルモンが減る更年期には、健康と美容のためには大豆イソフラボンを積極的に補う必要があるのでしょうか。アンチエイジングに詳しい、美容専門医の黒田愛美先生に聞きました。教えてくれたのは…監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。大豆イソフラボンはたくさんとったほうが良い?大量かつ継続的に摂取すると健康面に影響が一般的に更年期というといつごろで、どのような変化があるのでしょうか。「日本人の平均閉経年齢はおよそ50歳です。その前後5年間、10年間を更年期と呼ぶので、平均的には45歳から55歳くらいです。この時期は女性ホルモンのエストロゲンの分泌が減り、健康面でも美容面でもさまざまな不調が出やすくなります。美容面だけで言えば、女性ホルモンの減少は、肌の弾力を保つコラーゲン繊維やエラスチン線維の変性による機能低下、皮脂分泌減少による肌の乾燥などを招き、シワやたるみを進行させるなどの肌トラブルの原因になります」(黒田先生)。大豆イソフラボンは、女性ホルモンと似た作用をすると聞いたことがあります。更年期に女性ホルモンが減るなら、大豆ホルモンで補ったらよいのかな?と思うのですが……。「大豆イソフラボンは化学構造が女性ホルモン(エストロゲン)と似ていて、エストロゲン受容体(エストロゲンレセプター)に結合することから、女性ホルモンに似た働きをヒトに及ぼすかどうか研究が進められています。女性ホルモンは、肌の組織に潤いを与えるなど美容効果が認められています。しかしここで注意したいのは、大豆は健康面でいくつか指摘されている点があるということです。大豆にはさまざまな栄養が含まれていますが、ゴイトロゲン、フィチン酸、トリプシン阻害物質といった物質も含まれています。ゴイトロゲンは甲状腺機能異常のリスクが高まることがわかっており、フィチン酸はミネラルの吸収を阻害する物質。トリプシン阻害物質とは消化を抑制する物質です。もともと大豆は消化しにくい食品として知られています」(黒田先生)。それでは、大豆はとらないほうが良いのでしょうか。「いえ、今紹介した物質はごく微量で、通常量の大豆摂取ではまったく問題ありません。大豆を大量に、かつ継続的に摂取することが問題となります」(黒田先生)。大豆はどのようにとるのが良い?発酵食品をとりましょうなんとなく大豆のイメージが悪くなってしまいましたが、日本人は毎日、大豆を何かしらとっていると思います。いかがでしょうか。「どんな食品もメリットとデメリットがあります。大豆も同じです。そして、先ほど紹介した健康面に影響を及ぼす可能性がある物質の一部は発酵させることで、構造が一部変わります。大豆食品は、発酵させたものを積極的にとるといいでしょう。日本人がよく食べる、大豆の発酵食品は味噌と納豆ですね。特に意識しなくても日本人は大豆を十分にとっています。頑張ってたくさんとる必要はないのです」(黒田先生)。味噌と納豆を選ぶときに注意点はありますか。「味噌は、だし入り味噌でなく、大豆とこうじ、塩だけが原材料のものを選ぶようにしましょう。添加物は腸内環境を乱す原因となるからです。納豆は、ひきわり納豆のほうがビタミンKが豊富なのでおすすめです。遺伝子組み換えの食品は、まだ人体への影響が明らかになっていないため、避けたほうが無難です」(黒田先生)。豆乳も発酵食品が良い?ヨーグルトメーカーで作った黒田先生の特製豆乳ヨーグルト。出典)黒田愛美オフィシャルブログ「Health & Beauty Room …ヨーグルトにすれば乳酸菌もとれます豆乳も発酵させたほうが良いのでしょうか。「前述した物質は豆乳にも含まれているので、私はヨーグルトにしてとっています。豆乳に乳酸菌を加えてヨーグルトメーカーに入れ、室温27℃くらいの場所に36時間置けば完成です。今は豆乳ヨーグルトも市販されていますが、砂糖など添加物がないものを選ぶと良いでしょう。大豆イソフラボンの女性ホルモン様作用は、骨粗しょう症、乳がんなどの予防効果が期待される一方で乳がんを発症した人の再発リスクも指摘されています。また、大豆イソフラボンの効果は出やすい人と出にくい人があることがわかっており、その差はエクオールという物質に変換できるかどうかにあります。腸内にエクオール産生菌という菌があるかないかで差がついてしまうのです。大豆イソフラボンの健康効果については、まだ解明されていないことも多いので、大量に摂取するというのではなく、これまで通り摂取していれば問題ないと思います」(黒田先生)。まとめ大豆食品の中でも、味噌汁は1日1杯は飲む、という人も多いでしょう。味噌は発酵食品なのでリスク物質は含まれませんが、塩分が多く含まれています。なんでもとり過ぎはよくないと肝に銘じたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(51歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/黒田 愛美 先生美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。Zetith Beauty Clinic医師(東京都中央区銀座4丁⽬2-17銀座111レジャービル13階)。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著書に『アスリート医師が教える最強のアンチエイジング』(文藝春秋)。
2023年10月16日40代・50代になると肌や体形、疲れやすさなど「歳を取ったな」と思うことが増えるもの。老化現象、年だから、と諦めていませんか。老化現象を加速させる物質として知られているのが活性酸素ですが、この活性酸素をある物質と結合させると水になる、ということをご存じでしょうか。アンチエイジングケアの最新事情に詳しい美容専門医の黒田愛美先生に、その「ある物質」について教えてもらいました。教えてくれたのは…監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。老化の素・活性酸素とは?過剰発生すると体中をさびさせる年を重ねれば老化が進むのは当たり前ですが、同じ年齢でも若々しい人、老けて見える人がいるのはなぜなのでしょうか。「老化を加速させるのは『活性酸素』という物質です。活性酸素は、私たちが生きていく上で欠かせない酸素が体内に取り込まれ、代謝される過程で自然に発生する物質です。自然に発生するくらいの量なら問題ないのですが、活性酸素が体内に過剰に発生してしまうと体にさまざまな悪影響を及ぼすのです。活性酸素は細胞を酸化させ、さびさせ、つまり体中を老化させる働きを持ちます。シミ、シワ、たるみなど見た目の老いだけでなく、がん、動脈硬化、高血圧、糖尿病など病気の原因にもなります。活性酸素が増える原因には紫外線や放射線、大気汚染、たばこやアルコール、薬剤の摂取、過度の運動や強いストレスなどが挙げられます。 また酸化されやすい脂肪を多く含むスナック菓子や、揚げてあるインスタントラーメンのような加工食品も活性酸素を増やす原因になります。ですから、まずは紫外線対策をしっかりして運動をする場合は適度にする、といった心がけがアンチエイジングには有効です」(黒田先生)。活性酸素を水に変える物質とは?水素を取り入れることで活性酸素は無害な水になる健康と美容に効果があると一時期「水素」がブームになりましたが、いかがでしょうか。「活性酸素(OH)と水素(H)と反応することで水(H2О)に変化します。老化の原因となる活性酸素は、水素をとることで無害な水になるのです。現在、その効果については研究が進められていますが、美容面、医療面とも続々とエビデンスが発表されています」(黒田先生)。水素は気体ですが、どのようにとるのが効果的なのでしょうか。「おすすめしているのはサプリメントです。水素は非常に蒸発しやすく、一般的な水素水から十分な量の水素をとるのはなかなか難しいです。サプリメントなら、マグネシウムなどの物質に水素を吸着させ、体内で水素が発生するように設計されているので、効率よく摂取することができます。ただ、まだ水素のサプリメントはドラッグストアなどで多く流通していないのが現状で、美容クリニックやオンラインショップで購入するケースが多いようです。私が監修しているサプリメント『サビルナ』にも水素が含まれており、クリニックやAmazonで販売しています。そのほか、一般社団法人 水素治療研究会が監修するサプリメントもあります。予防医学の医師が監修したサプリメントが安心だと思います。オンラインショップにはいろいろな水素関連の商品が販売されていますが、選ぶ際には不要な添加物が大量に入っていないかを確認してください。また、『GMP認定工場』で作られたかどうかも指標になります。GMPは医薬品や医薬部外品、健康食品などの製造に対して設けられている規範ですが、そのうち健康食品に関しては、GMPの認定を受けることで適正な製造管理と品質管理が徹底された『GMP認定工場』として認められます」(黒田先生)。必要な量は?続けないと意味がない?黒田先生が愛用している水素吸入器。出典)黒田愛美オフィシャルブログ「Health & Beauty Room …現在の研究では多ければ多いほど効果的とされている水素をとるにあたり、1日に必要な量というのはあるのでしょうか。「推奨する量についても、現在研究が進められていますが多くとればとるほど効果は高いとされています。一般社団法人 水素治療研究会のサプリメントも、1カプセル40mgから80㎎に増量してリニューアルされています」(黒田先生)。毎日とったほうがよいのでしょうか。「毎日とったほうが、活性酸素がたまりにくい体質になるためアンチエイジングには効果が高いと思います。ですが、疲れたときや肌の調子が悪いときなどピンポイントでとるのでも良いでしょう。私はサプリメントのほか、水素を直接吸入できるマシンも使っていますが、仕事などで忙しくて毎日は続けられていません!まずは生活に取り入れてみて、その効果を自分の体で確かめてみてほしいですね」(黒田先生)。まとめ水素が体内にあれば老化物質が水に変化する、と聞いたときは驚きました。黒田先生も、4~5年前からサプリメントや吸入で積極的に水素を取り入れているそうです。私も今すぐ試してみたくなりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(51歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/黒田 愛美 先生美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。Zetith Beauty Clinic医師(東京都中央区銀座4丁⽬2-17銀座111レジャービル13階)。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著書に『アスリート医師が教える最強のアンチエイジング』(文藝春秋)。
2023年10月15日53歳で田舎に移住してから車での移動が増えたため、体重が6カ月で7kg増。急激に太ったのが原因か、歩くたびに膝の痛みを感じるようになりました。最初はただの関節痛だと思い、湿布を貼る程度の応急処置をしていましたが、歩けば歩くほど膝の痛みが強くなるばかり。尋常ではないと感じ整形外科を受診したところ、思わぬ診断を受けました。私が受けた診断と膝のケアについて紹介します。私を襲った膝の痛みの原因は2021年のコロナ禍に田舎へライフシフトしたことにより、電車通勤などのストレスから解放された半面、歩く機会が激減し運動不足に。都会では、最寄り駅までの徒歩、駅の階段の上り下りなど、軽い運動する機会があったため、それなりに体形を維持していましたが、田舎へライフシフトして6カ月で体重7kg増の激太り。当然、激太りした体重を支える足の筋肉も衰え、歩くたびに膝に痛みを覚えるようになりました。初めは大したことではないと軽く考え、市販の湿布などで応急処置。その後、歩くにつれ膝の痛みがどんどん増すばかりだったため、近所の小さな整形外科にかかりました。膝が痛くなった経緯や体重が急激に増えたことなどを話したら、膝に体重の負荷がかかったために生じた関節痛ではないかと言われました。なるべく運動をしないようにとアドバイスされ、湿布と痛み止めをもらいました。とりあえず、医者に言われたとおり、歩くことを控えて湿布を貼っていたら、膝の痛みが徐々に改善されたためそのまま放置していました。整形外科で股関節の被りが浅いと診断その後、膝の痛みが再発してしまいました。再発のきっかけは、友人に誘われて中山道の宿場町を歩いて巡る3泊4日のツアーに参加したことでした。歴史的な建物に気を取られて、山道を歩いて巡ることを深く考えずに参加したせいで、現地に到着して歩き始めてから大後悔。中山道のアップダウンがある道のりを毎日歩き続けたせいで、膝だけでなく股関節の痛みがピークに。舗装された道路でも歩くときは、常に山登りのストックが手放せなくなり、後半は足を引きずりながら何とか完歩。 その後は、床座(ゆかざ:床に座ること)で右膝を曲げて座ることができなくなり、右足は常に伸ばして座る状態に。さらに、膝がジンジン痛くて眠れなくなることも。足を引きずって歩くことが多くなり、同僚にすすめられた地域で評判の整形外科を受診しました。 問診のほかにエックス線検査を受けた診断は、生まれつき股関節の被りが浅いため、骨盤が体重を関節の適切な部位で十分に支えきれなく、歩行バランスが崩れて膝に負担がかかるということでした。また、そのことにより股関節軟骨の一部への負荷が強くなり、さらに体重の負担が積み重なって、軟骨が擦り減り痛みが生じているとの見解も。 それって高齢女性に多い変形性股関節症? 私まだ54歳なのに、とショックを受けました。腸腰筋を鍛えて膝の痛みを改善私が診断された股関節の被りの浅さには、特にこれといった治療がないらしく、「えっ、一生この関節痛と向き合わなくてはならないの?」とかなりのショックを受けました。年齢による筋肉の衰えも原因の1つだと言われ、医者に対症療法ですすめられたことが、腸腰筋を鍛えることでした。腸腰筋は、上半身と下半身をつないでおり、足を持ち上げる、体を曲げるなどの動作に関わる重要なインナーマッスルです。私の場合、体重の増加と運動不足や、無理な姿勢の在宅パソコン作業が原因で、腸腰筋が凝り固まって腰、股関節、膝に負担がかかっていたようです。 腸腰筋を鍛えるために、筋トレ嫌いの私でも簡単に取り組めて継続できるセルフケアを、自分でYouTubeで検索。床にごろんと寝っ転がり、膝を曲げたり脚を太ももから上げ下げしたり、太ももの前側、後ろ側、内側の筋肉を鍛える自己流ストレッチを実践しました。例えば、寝ながらできる膝の可動域を拡げるストレッチや、座りながらできる膝のお皿周りのストレッチや、横になりながら大腿四頭筋を鍛えるストレッチなど。 お風呂上がりのリラックスタイムに、YouTubeを見ながら3分から5分程度の超簡単なストレッチを実践しています。まとめ50歳を過ぎて見た目だけの老化だけでなく、関節やインナーマッスルまで衰えを実感したことで、改めて54歳という年齢との向き合い方を考える必要があると痛感しました。 若いころは50代の体力の限界を想像することができなかったように、今後の60代、70代の自分がどう健康でいられるか、とても不安であり未知な部分です。健康でなければ人生は楽しめないことが自論のため、まだまだ大丈夫だと過信せずに、将来に備えて継続可能な簡単セルフケアを続けていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/中村光伸先生(光伸メディカルクリニック院長)整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。著者/いずみ(54歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2023年10月13日ただでさえ加齢で乾燥しやすい肌に、紫外線ダメージが目に見えてくる秋。これから冬に向かうとともに大気が冷えて乾燥すると、肌はさらに乾燥することに……。そこで大切なのが保湿ケア。美容専門医の黒田愛美先生に、特に40代・50代が気を付けたい保湿ケアのポイントを教えてもらいました。教えてくれたのは…監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。秋は紫外線ダメージがシミやシワに表れやすい?夏の強い紫外線を受けた肌はどんどん老化夏に浴びた紫外線は秋になってダメージとなって表れるのでしょうか。「紫外線を浴びた直後にも、赤みなど肌トラブルは出ますが、シミやシワとなって少しずつ目立ってくるのが秋です。紫外線を浴びると、肌の細胞内に活性酸素という老化促進物質が大量に発生します。活性酸素は肌の細胞を傷つけて、バリアー機能を低下させてしまいます。そしてバリアー機能が低下すると肌から水分が蒸発しやすくなり、乾燥が進みます。秋は肌の乾燥が進む季節。保湿をしっかりおこなうことが大切です」(黒田先生)。40代、50代は特に乾燥が進むのはなぜ?年齢とともに皮脂腺が減少しているため秋から肌が乾燥するのは若い人も同じだと思うのですが、40代、50代はやはり若い人より乾燥が進みやすいのでしょうか。「40代、50代の肌のほうが断然乾燥しやすくなっています。その理由は、皮脂腺の量の違いです。皮脂腺は肌から皮脂を分泌する組織ですが、思春期から増加し、年齢ととともに減少することがわかっています。40代、50代になると皮脂腺の活動が低下することで乾燥が進みやすくなるのです。そして、肌が乾燥すると角質層の水分量が減少して、バリアー機能が低下してしまいます。さらに、皮膚表面の水分量が少ないことで皮膚が折れ込まれ、戻らなくなることでシワが発生しやすくなります。また、乾燥を補うために皮脂が過剰に出て、乾燥しているのにベタベタすることもあるなど、乾燥はさまざまな肌トラブルに派生しやすいのです」(黒田先生)。やりがちな保湿のNGケアは?肌に摩擦や刺激を与えるケアはNG40代、50代は特に肌が乾燥しやすいのですね。それではどのような保湿ケアが良いのでしょうか。やりがちなNGケアはありますか。「多いのは、コットンを使ったNGケアです。化粧水を含ませたコットンを肌の上でたたく化粧水を含ませたコットンを肌の上ですべらせる肌に摩擦や刺激を与えると角質層を傷つける原因にもなるのでNGです。洗顔ブラシも避けて、手で洗ったほうがいいでしょう。摩擦になりにくいコットンを肌の上に置くコットンパックやシートパックはOKです。あと多いのが、洗顔のNGケアです。朝は洗顔せずにふき取り化粧水だけで済ませるノーメイクの日もダブル洗顔するふき取り化粧水は、コットンが肌に摩擦を与えるのでNG。なお、朝は洗顔料で洗顔しなくても、水でさっと流して保湿するだけでOKです。年齢肌は特に、洗い過ぎると肌に必要な皮脂や常在菌まで除去してしまい、角質層(もっとも外側にある肌の層)も傷つけてしまいます。ダブル洗顔もその危険性があります。ただし、メイクをしっかりして、オイルクレンジングでオフした後などは、ダブル洗顔が必要です。肌に汚れが残っていると肌荒れの原因になるため、必ずダブル洗顔をおこないましょう」(黒田先生)。保湿コスメを選ぶときのポイントはありますか?「防腐剤や界面活性剤、アルコールなど肌に刺激となる添加物が入っていないかどうかは必ずチェックしてください。40代、50代なら、今は幹細胞(失われた細胞を再び生み出して補充する能力を持った細胞)を使ったコスメが注目されています。ヒトの細胞を培養した液の上澄みをコスメに用いたものですが、実は私も使っています。加齢によるトラブルを細胞レベルで修復するコスメとして話題になっています」(黒田先生)。まとめ最後に、黒田先生は「どんなに良いコスメを使っても、インナーケアがしっかりされていないと効果が薄くなってしまいます。便秘や下痢をいつもしているなど腸内環境が乱れている人は、そこから見直す必要があります」とアドバイスしました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(51歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/黒田 愛美 先生美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。Zetith Beauty Clinic医師(東京都中央区銀座4丁⽬2-17銀座111レジャービル13階)。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著書に『アスリート医師が教える最強のアンチエイジング』(文藝春秋)。
2023年10月12日45歳のときに子宮筋腫で子宮と卵巣を全摘出した私。このことにより、生理がなくなったことへの喜びも一転、その後に待ち受けていたのは過酷な更年期症状でした。更年期症状について周りから理解してもらえず苦しむこともありました。子宮と卵巣を全摘出してから始まった、私の更年期症状体験記を紹介します。40歳過ぎから出血と生理痛に悩まされる私は40歳を過ぎたころから、生理のたびに出血量が徐々に増えていくようになりました。大きなナプキンを使用しても漏れ出るほどの量だったのです。そのうちめまいがひどくなり、病院に行って診察を受けると、最高血圧が80mmHg、最低血圧が40mmHgで重度の貧血だと診断されてしまいました。増血剤を処方してもらい、しばらくそれで対処しながら生活していました。 それから3年ほどが経過して生理痛もひどくなってきたので、病院に行って診てもらうことに。内診をしてもらうと小さな筋腫があると言われました。しかし、年齢から考えると筋腫が大きくなる可能性は低いと言われ、そのまま様子を見ることにしました。その間にも生理でもないのに下腹部が痛くなったり、めまいの頻度も多くなったりと、立っていられないほどのだるさを感じるようになりました。その症状は、普通に生活できないほどのレベルでした。 大学病院で子宮と卵巣を全摘出思い切ってかかりつけではない、産婦人科クリニックに行って診察をしてもらうことに。私が住んでいる地域では評判の良いクリニックだったので、何か手立てを考えてくれると期待していきました。内診をしてすぐに子宮摘出をしたほうが良いと診断されました。筋腫はすでにリンゴ大くらいに大きくなっていて、筋腫が変性している可能性があるとのことでした。急いで対処しなければならない状態だそうで、近くの大学病院を紹介されて診察を受けました。幸いにも子宮肉腫(しきゅうにくしゅ:子宮の筋肉や間質などの組織から発生する悪性腫瘍)にはなっていませんでした。ですが、空き状況を見てなるべく早く子宮と卵巣の全摘をしなければならないと言われ、それから2週間後に入院。次の日に開腹手術がおこなわれました。主治医からは、卵巣を摘出すると女性ホルモンが生成されなくなり、更年期症状が出るかもしれないが、もし残しても卵巣がんなどを発症する可能性もあります、と言われ思い切って摘出することに同意。更年期症状よりも卵巣がんのほうが心配で摘出したのですが、事態はそううまくいきませんでした。以前主治医からも「更年期症状を甘く見ないでくださいね」と言われていましたが、私は「ただホットフラッシュで暑くなるだけでしょ」と高をくくっていたのです。更年期の症状は悪化していく一方最初は生理から解放されたことがうれしかったように思い出されます。手術後しばらくは、ホルモン剤を処方されて飲んでいたため、目立つ症状も表れませんでした。しかし、ホルモン剤を飲まなくなってしばらくしてから、徐々にホットフラッシュが始まり、イライラも始まってきたのです。ホットフラッシュはそれまで1日に数回程度だったのが、1時間に1回になり、さらに症状が表れる前兆として動悸が激しくなり、気持ちが悪くなって過呼吸に似たような気の遠くなる感じがありました。最悪の状態では動けなくなってしまい、1日中寝ているといった日が続くようになってしまいます。家事もろくにできなくなり、罪悪感が増し、症状はひどくなって行く一方。友人が心配して、心療内科への受診を勧めるほどでした。自助グループへの参加が回復につながった抵抗はありましたが、しかたなく友人に紹介してもらった心療内科に通い、抗うつ薬を処方されて、ある程度症状が改善したので、3年ほど続けた薬をやめました。それでもまだ精神的につらい日々が続いていたのです。そんな中、何よりも改善につながったと思ったのは、同じような悩みを持つ人たちの通う自助グループへの参加です。「自分だけではない」と実感し、気持ちがラクになったことが何よりの薬だったようです。家族に訴えても、中々わかってもらえなかったストレスも積み重なっていたようです。自助グループで悩みを打ち明けることを繰り返していくうちに、症状が徐々に軽くなっていきました。完全に回復したわけではないのですが、生活に支障を来たさない程度にまで回復したことはたしかです。まとめ卵巣を摘出したことで起こったひどいホットフラッシュやだるさなどが、抗うつ薬で改善されましたが、それでも精神的に落ち込みました。その後、自助グループに参加して話をしたことで、精神的な落ち込みも回復し、普通の生活に戻れたと思います。これからもこのような症状は続くかもしれませんが、気持ちに張りを持って1日1日を気分良く過ごせるように、自助グループへの参加は続けていきたいです。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/Mrsjunko(55歳)結婚した当初から建築関係の会社を営み、2人の男の子と1人の女の子を授かる。45歳で子宮筋腫から子宮と卵巣を全摘、その後更年期が始まることに。体調の変化に四苦八苦しながらも、夫との2人暮らしを満喫している。趣味はおいしいものを食べて海外ドラマを見ること。
2023年10月11日あと2年で、結婚20年。先を歩く友人たちから聞いていたとおり、結婚生活はまさに山あり谷ありでした。10年ほど前に夫が独立して個人事業主になったことで突然一緒に働くようになり、お互い見たくない顔を見せ合う場面も多々。そんなこんなで、今ではすっかり会話の少ない夫婦に。パンドラの箱がいくつも転がっているのに、お互い喧嘩するのが嫌で見て見ぬふりを続けてきたわけですが、コロナ禍の自粛期間をきっかけに少しずつ関係が変わってきたという体験談です。自粛期間をきっかけに夫婦関係が変化出会って20年すっかり変わった夫婦関係共通の趣味を通じて知り合った夫と私。初めて会ったのは25歳ぐらいでした。当時の私はやりたかった職に就いて充実した日々を送っており、しばらくは友人関係のまま発展することはありませんでした。その後、20代後半に差し掛かり、婚期を意識するようになったころに再会し、そこからは結婚まではトントン拍子で30歳の秋、ゴールインしました。よく「結婚はゴールじゃない。始まりだ」と言いますが、今振り返るとまさにその言葉のとおり。もうすぐ20年を迎える私たちの間にも、実にさまざまなことが起きました。2人の子どもを授かりましたし、夫が独立開業をして個人事業主になったことも、私たちにとっては大きな出来事でした。夫婦で経営するとなると、だんだんと話すことはお金の話、税金の話、ローン返済の話と、どれもあまり楽しくないネタばかり。私は現実路線、夫は理想論と価値観の違いも露呈してお互い譲らず、徐々にお互いの口数が減っていきました。話しても無駄。そんな気持ちがだんだんと大きくなっていったのです。自粛期間中に不眠や動悸がひどくなり…そんなどこかピリッとした夫婦関係のまま、新型コロナウイルスの影響による自粛期間に突入しました。夫は現在はフリーで働いているので、勤務日数が減るとその分収入も減ってしまいます。週6日働いていたのが週2日に減り、その他は自宅待機となりました。この先、一体どうなるのか。先の見えない現状への不安をなんとか軽くしようと、私はいつもの倍以上の仕事を引き受けて、朝から晩まで机の前にかじりつくことになりました。子どもたちの世話はしますが、それも最低限。とにかくお金をなんとかしなくてはと焦る気持ちでいっぱいでした。そのころから不眠になり、やっと仕事を終えてベッドに入ってもなかなか寝付けなかったり、夜中にふと目が覚めて、そこから夜明けまで眠れなかったりする日々が続きました。当然朝が来ても疲れは取れず、気持ちも沈みがちになり、急に動悸がすることもしばしば。ふと離婚の二文字が頭をよぎるときすらありました。そんなある日、いつものように机に向かっているときに、やはりわが家の屋台骨は私ではなく夫なのだと気付いたのです。一緒に働いていたときも正義はこちらにあると信じ、夫の考えにじっくり耳を傾けることができず、常に批判的だった私の態度が今の夫婦関係を作ったのだ。体力的にも精神的にも限界に達した瞬間、唐突にそう自覚したのです。自粛期間を経て少しずつ関係に変化がずっと微妙に距離を置いてきた夫婦でしたが、このままではいけない。恐らくそれは夫も感じていたのでしょう。なんとかしようと1日中机から離れない私の様子を見ているうちに思うところがあったのか、その日「夕飯はどうするの?」と毎夕様子をうかがいに来る時間になっても夫は現れず、気付いたらキッチンに立ってスマホを片手にレシピを見ながら夕飯を作り始めていたのです。私たち夫婦の場合、膝を突き合わせてとことん話をすることで変わったわけではありませんでした。ですが、お互い限界を迎えたこの日、偶然にも同じ方向に向けて舵を切ったのだと思います。それでも夫とはその後、自粛期間中に2回ほど大喧嘩をしました。自粛期間で収入が不安定になったせいで精神的に追いつめられ、不眠や動悸に悩まされていると思っていましたが、実際にはその不安を誰とも分かち合うことができずにいたことが、私を追い詰めていたのです。どちらもきっかけはささいなことでしたが、普段言えなかったことをお互いに全部吐き出したことも関係改善へのステップになりました。まとめまだ時々夜中に目を覚ますことがありますが、おおむねよく眠れるようになりましたし、原因不明の急な動悸も徐々になくなってきています。最近は、毎朝夫がコーヒーを淹れてくれます。「どうぞ」「ありがとう」から始まる新しい朝の習慣は、いつまで続くのかわかりませんが、夫が淹れてくれなくなったら、今度は私が2人分淹れようと思っています。まだまだこの先もいろいろなことが起きることでしょう。それでもこの自粛期間で得た気付きは、さまざまな場面で思い出すと思います。肉体的にも精神的にも相当にきつかった代わりに、得たものは大きかった。あうんの呼吸の夫婦になれるよう、これからも努力していきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2023年10月10日虫歯がなく歯科医院にほとんどかかったことがない夫。日ごろから丁寧に歯磨きをしていて、歯に関しては自信があったようです。それが、ある日突然感じた歯痛をきっかけに、あれよあれよという間に40代半ばにして5本もの歯を失うことに! 駆け込んだ歯科医院で告げられたのは……。虫歯がないことが自慢の夫私自身、定期的に歯のメンテナンスに通っていた両親の影響もあり、若いころから3カ月に1度のペースで歯科医院に通っていました。歯科医院では、歯磨きで取り除けなかった歯垢(しこう)や歯石のクリーニング、歯茎の状態や虫歯のチェックをしてもらっています。虫歯があっても初期段階だったため、その場で治療が済んだこともありました。虫歯は放っておくとどんどん進行するので、早期発見はとても大切です。歯科医院でのメンテナンスにメリットを感じていた私は、夫にも勧めてみることに。しかし、普段から丁寧に歯磨きをしていて虫歯がなく、自分の口内環境に自信があった夫は、私が何度勧めてもメンテナンスに行きませんでした。私にしてみれば、たった3カ月に1度のことなので「行けばいいのに」と思いますが、困っていない夫は「歯が痛い訳でもないし、困っていないから」と行く気はなさそう。たしかに見た目はとてもきれいで、虫歯で歯が痛むといったこともなさそうです。その日を迎えるまでは、日常生活に支障はなかったのですが……。「歯が痛い!」ある日突然襲われた痛みある日突然、歯に強い痛みを感じた夫。仕事帰りに慌てて歯科医院を受診しました。鎮痛剤で痛みを抑えながら歯科医院に移動し、診察を受けるころには歯がグラグラしていたそうです。歯科医師から告げられた病名は歯周病。歯茎の状態はとても悪く、痛みを感じていた歯は抜歯することになりました。歯周病は、歯周病菌が原因で起こる歯茎の感染症。歯周病菌は、歯周ポケットと呼ばれる歯と歯茎の隙間にたまった歯垢に潜んでいて、炎症が奥まで進むと歯を支えている骨を溶かしてしまう怖い病気だそうです。歯周病は、歯茎にのみ炎症が起きている歯周病の前段階である「歯肉炎」から、「軽度歯周炎」「中度歯周炎」「重度歯周炎」と4段階で進行するとのこと。歯肉炎の段階であれば、適切な歯磨きや歯科医院でのメンテナンスで健康な歯茎に戻るそうです。しかし、軽度歯周炎の段階では出血などの自覚症状が見られるものの、深刻に考えず放置しているうちに進行してしまうことも多いようです。中度・重度の歯周炎になると歯茎が痩せて歯が長く見えるといった、見た目の変化もありますが、毎日見ている自分の歯茎の変化には気付きにくいもの。夫は出血などの症状を軽く見て放置し、歯茎の異変にも気付かなかったため、骨が溶けて歯が抜け落ちてしまうという事態を引き起こしたのです。歯のメンテナンスに通う習慣があれば、軽度の段階で発見できる歯周病。また、虫歯治療の際にも歯茎の状態をチェックできるそうですが、夫の場合は虫歯がなく歯科医院に行く機会がないことが裏目に出ました。その後、歯科医院でクリーニングを受けましたが、ほかの歯も抜け始め、結局40代半ばで5本の歯を失って部分入れ歯を作ることに。その後も歯科医院で治療を続け、歯の痛みは治まったようです。部分入れ歯を作ってからは、入れ歯洗浄剤で定期的に洗浄をしたり、金具を調整してもらったりと、メンテナンスが面倒だと夫は言っていました。また、食べ物が挟まって痛みが生じるなど、やはり自分の歯とまったく同じという訳にはいかないようです。改めて実感!予防の重要性歯の表面はとても丁寧に磨けていると歯科医院で褒められた夫ですが、歯周ポケットには歯垢や歯石が付着していたそうです。歯を失うというショッキングな事態になり、改めて予防の重要性を実感した夫。また、歯磨きで取り切れなかった汚れが歯周病の原因だと知って、プロの手に任せることも大切だと気付いたとか。「これ以上歯を失いたくない!」と、あれほど私が勧めても行かなかったメンテナンスに通うことを決意したようです。今では3カ月に1度歯科医院に通い、クリーニングや歯茎のチェックをしてもらっています。以前は面倒に感じていた歯科医院でのメンテナンスも、その場で次回の予約を取って帰るので負担なく通えているようです。まとめ歯をどんどん失っているときの夫は本当につらそうでしたが、現在は歯茎の状態も改善して現状を維持できているようです。しかし、失った歯は元どおりになることはありませんし、部分入れ歯になって不自由を感じることもあるとか。私は若いころから歯のメンテナンスに通う習慣がありましたが、夫を見て予防の重要性を再確認しました。夫の様子を見ていた高校生の息子も歯周病の恐ろしさを感じたようで、以前は面倒くさいと言っていた歯のメンテナンスにきちんと通っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。マンガ/☆まかりな☆著者/樫原有香(50歳)高校生の息子を持つアラフィフ。現在は整理収納アドバイザーの資格を生かして、オンラインを中心にした仕事をしている。たまの息抜きは、友人を招いて自宅で開催するホームパーティー。
2023年10月08日私は52歳で 医師から甲状腺疾患である「橋本病」の診断を受けました。医師のアドバイス通りに、仕事も私生活も無理し過ぎずに続けたまま適切な治療をすること4カ月。なんと血液検査の数値がすべて正常値になり、橋本病から回復したのです。私が橋本病をなぜ改善することができたのかをお話しします。むくみで動かすことができない体私は2023年の春、顔や体のむくみ、手足のしびれ、ろれつが回りにくくなるなどの症状を自覚しました。昨年、私は母親を亡くしてストレスを抱えていましたし、仕事や育児の疲れが出ているのかもしれないと経過を見ていました。しかし、なかなか体調が改善せず、思うように体を動かすこともできませんでした。不安を感じた私は、かかりつけの皮膚科医に相談し、その後、内科を受診。「橋本病(甲状腺機能低下症)」を発症していることが判明しました。そのときに受けた詳細な血液検査の結果では、「悪玉コレステロール(LDLコレステロール)」値が基準値をはるかに超え、「甲状腺刺激ホルモン(TSH)」の値が振り切れている状態でした。また、他にも複数指摘をされた数値があったのを覚えています。昨年9月の健康診断時の体重と比べて体重は8kgほど急激に増え 、抜け毛も気になっていました。疲労感が強く、休日はなかなか起床することができませんでした。周りからは「ハアハア息が切れてときつそうだ」とか「耳の聞こえが悪くなっていないか?」と言われることもありました。「橋本病」の診断を受けたことで、原因と症状のすべてが糸でつながっていくようでした。服薬治療と生活習慣の見直し最初は、本当にごくわずかの薬の投薬治療から始まりました。使ったのは「チラーヂンS(甲状腺ホルモン剤)」という薬です。医師からは「この薬の量じゃ全然足りないけれど、体がビックリするといけないから、少しずつ薬の量を増やして、様子を見ていきますね」と言われました。2週間ごとに通院し、問診と薬の処方を受けました。医師から「仕事も無理をしないようにね」と言われていました。橋本病の症状を自覚するまでは、外で動き回ることも夜遅くまで起きて仕事をすることも多々ありました。しかし、「健康なくして、仕事はおろか何もできない」と一念発起。まずは体調を回復させることを優先し、自宅で過ごす時間を多くしました。仕事も思い切って早い時間で切り上げ、睡眠時間を十分に確保することを心掛けました。私は数年前、仕事と家事・育児の合間に勉強をして、国家資格である「衛生管理者」の資格を取りました。衛生管理者とは、労働環境における衛生全般の管理をする者であり、その資格です。仕事の効率化・生産性向上、そして、「健康管理と仕事復帰への道のりを自身で管理できてこそ衛生管理者だ」と自分を奮い立たせました。食事も、栄養バランスを考えたメニューを決まった時間にとるようにしました。また生活面においても、アクセルとブレーキをうまく使い分け、安全な運転を心掛けました。血液検査の結果、すべてが正常値へ7月に入ったころ、体が動きやすくなってきたなと実感し始めていました。薬の量は、最初4月に受けた検査結果の数値から考えるとまだまだ足りていない量だったのですが、6月以降、増えていませんでした。そして、通院の間隔は3週間に1度へと間隔が長くなっていきました。定期的に甲状腺の数値のみの検査も受けていましたが、その結果と私の状態を見て、医師が「また詳細に血液検査をしてみましょう。薬の量は増やさずこのままで」とのこと。私は「ん? この薬の量で様子を見るの?」と疑問に思いながら、血液検査の結果が良くなっていることを願っていました。お盆前に検査結果の説明と薬をもらいに病院を受診しました。そのときに医師から「コレステロール値が正常値になっているよ。甲状腺刺激ホルモンの値も正常値! すべてが正常値になっているよ!」と、検査結果の用紙を見せてもらいました。言われた私も、うれしさ8割、信じられない驚き2割の状態でした。次回の受診は2カ月後となり、定期的に検査をしてこの調子で良好な結果だと、3カ月後、半年後、もっと長い間隔での受診となるそうです。医師いわく薬を1週間ほど飲み忘れると体に不具合が出てくるだろうとのことなので、薬との付き合いは今後も続くと思いますが、適切な診断と治療、そして生活習慣の見直しで、ここまで回復できたことをうれしく思いました。まとめ私は「橋本病」を発症して、心身ともにきつい体験をしました。しかし、適切な診断を受け、生活習慣を見直し、適切な療養をすることで、「橋本病」から回復することができました。今回の経験で、「何事も、健康あってこそできること」だと実感。生活や仕事においてもつい無理をし過ぎる傾向があるので、体からの警告だったのではないかと思っています。当たり前に規則正しい生活をすることの大切さを身をもって実感することとなりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/ちびむす(52歳)マスコミで働いていた両親に似て、仕事に真っ黒になるきらいがある。衛生管理者の資格所持者。仕事と健康の両立を図ろうと奮闘する一児の母。
2023年10月07日インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガをご紹介します。30代の娘宅から帰るとき、最低限のメイクを済ませて帰ろうとしていたおーちゃん。ひとまず眉毛だけ描こうか……と鏡を見ると、改めてほうれい線やたるみが目につきます。これも生きた証し!?年齢とともに深く刻まれたほうれい線や毛穴の開き、さらに顎から首にかけてのたるみが気になるも、「これも私の年輪……」と受け入れようとしていたところ、娘からのダメ出しが入り……!?仕事の日は、パパッと眉毛を描いてリップを塗ってそそくさと出勤する日々を繰り返しています(正味5分足らずのメイク時間)。この日は、娘宅で孫と猫に癒やされた後、夜わが家に帰る支度をすることに。久々に鏡に映る自分の顔を眺めてみると、ほうれい線が深く刻まれ普段老眼でしかめているせいか眉頭にもシワがくっきり。口元の皮膚はキメが粗く、毛穴が全開。アンチエイジングなんてしゃれた性分ではないので、「これも生きた証し……私の年輪」と受け入れていたところ、隣にいた娘からメイクのやり直しをされました!毎度のことですが、メイクをする娘はなぜか厳しいキャラに豹変(ひょうへん)してダメ出しの嵐。正論過ぎて、反省するしかありません……(笑)。そんなこんなで、その夜バッチリメイクでわが家へと帰って来た私。「もったいないよ……。でもありがとう」メイクを落としながら、娘に感謝した1日でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/おーちゃん(54歳)孫ラブおばさん。10歳年上の夫と2人暮らし。長女(32歳)、次女(30歳)、長男(27歳)の3人の母親で、8歳の孫を溺愛中。Instagramとブログで家族の話を更新中。ブログ「娘ときどき孫日和~子離れ奮闘記~」。Instagram:@ohchan_65
2023年10月06日