日本を代表するチェリストにして、世界最高峰の音楽の殿堂サントリーホール館長という重責を担う堤剛が、今年80歳を迎える。この節目の年を記念して、堤剛80歳記念コンサート実行委員会(KAJIMOTO内)による、『堤剛 80歳記念スペシャルコンサート』が開催されることとなった(2022年8月31日:サントリーホール)。その内容は、1942年生まれの堤剛の傘寿を祝うべく、日本中のチェリストが一堂に会するという、極めてスペシャルなコンサートだ。プログラム前半は、堤がこれまでに大事にしてきた日本の作曲家たちの作品を並べ、後半は、植木昭雄、山崎伸子、笹沼樹、新倉瞳とのチェロ・アンサンブルが披露される。そしてラストは、向山佳絵子、長谷川陽子、山本祐ノ介の3人と共に、ハイドン「チェロ協奏曲第1番」の第1楽章を演奏するという豪華さだ。これはまさに、日本のチェロ界を俯瞰するかのような“一期一会のチェロ祭り”と言えそうだ。■公演概要8月31日(水)サントリーホール 大ホール堤剛80歳記念コンサート<プログラムと出演者>・ダヴィドフ:賛歌 ほか(指揮:山本祐ノ介、日本チェロ協会チェロ・オーケストラ)・武満徹:オリオン(海野幹雄 & 海野春絵)・細川俊夫:線 II(山澤慧)・三善晃:母と子のための音楽(鳥羽咲音 & 鳥羽泰子)・間宮芳生:チェロと尺八のための「KIO」(堤剛 & 坂田誠山)・ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番(山崎伸子、植木昭雄、笹沼樹、髙橋麻理子、西谷牧人、濱田遥、掘了介、山本裕康)・クレンゲル:賛歌 op.57(堤剛、山崎伸子、新倉瞳、植木昭雄、笹沼樹、髙橋麻理子、西谷牧人、濱田遥、掘了介、山本裕康、上村文乃、上森祥平)・ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VIIb:1 第1楽章(堤剛、向山佳絵子、長谷川陽子、山本祐ノ介)■堤剛/Tsuyoshi Tsutsumi(チェロ)(C)鍋島徳恭名実ともに日本を代表するチェリスト。桐朋学園子供のための音楽教室、桐朋学園高校音楽科を通じ齋藤秀雄に師事。1961年インディアナ大学に留学し、ヤーノシュ・シュタルケルに師事。1963年ミュンヘン国際コンクールで第2位、ブダペストでのカザルス国際コンクールで第1位入賞。これまでに鳥井音楽賞(現サントリー音楽賞)、ウジェーヌ・イザイ・メダル(ベルギー)、芸術祭放送大賞、芸術祭優秀賞、レコードアカデミー賞、モービル音楽賞、N響有馬賞、日本藝術院賞、中島健蔵音楽賞、ウィーン市功労名誉金賞、毎日芸術賞(音楽部門)、文化庁創立五十周年記念表彰など多数受賞、表彰されている。2009年秋の紫綬褒章を受章。また同年、天皇陛下御在位二十年記念式典にて御前演奏を行った。2013年、文化功労者に選出。カナダ・西オンタリオ大学准教授、アメリカ・イリノイ大学教授、インディアナ大学教授を経て、現在桐朋学園大学特命教授(前学長2004~2013年)、韓国国立芸術大学客員教授。公益財団法人サントリー芸術財団代表理事、サントリーホール館長。日本芸術院会員。
2022年07月11日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大好きだったおしゃれの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。■日本の“かわいい”文化を象徴するブランド「’80年代はアパレル業界の隆盛期でもありました。なかでも若者から絶大な支持を集めた有名デザイナーといえば、『ピンクハウス』の金子功さん、『KENZO』の高田賢三さん、『NICOLE』の松田光弘さんです。今でこそ、ユニクロを代表とするシンプルなデザインが人気ですが、この3人が手がけた服は、独自性が非常に高く、ひと目でブランド名が判別できるほどでした」こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。『anan』や『non-no』といったファッション誌で新作情報を得た若い女性たちで、百貨店や原宿のブランドショップはにぎわったものだ。「特にガーリーな乙女心を満たしたピンクハウスは、のちの“オリーブ少女”たちのお手本ともなり、大きな影響を与えたのです。意外だったのは、“かわいい”を象徴するブランドにもかかわらず、ハードロックのライブ会場などにもピンクハウスファンが多く出没する、との噂があったこと。かわいい、とのギャップが大きいシーンに着て行くのも、楽しみの一つだったのかもしれませんね」■ピンクハウスへの愛は母から娘へと受け継がれている一方、その独自性の高さから“ちょっとかわいすぎて、自分には無理”と敬遠する層がいたのも事実。逆に、ハマれば極端で“ピンクハウスしか着ない”という熱狂的なファンも多くいた。「いまだに岩盤の支持層がいます。’80年代からのファンは、50代、60代になっており、自分たちが着られなくなった服を、娘に譲って楽しんでいる人もいるでしょう。また、Z世代といわれる今の若者にもレトロファッションブームが来ていて、フリマアプリなどでは、ビンテージのピンクハウスの服に、2万円、3万円といった高値がついているほどです」’16年には、約20年ぶりにラフォーレ原宿で取り扱いが復活したことも話題になった。「確かにピンクハウスは、ネットなどではなく、リアル店舗で実物を見て買いたいブランドです。全盛期のショップ店員さんは“かわいい”のツボを知り尽くし、ファンの多くが『いつも絶妙なアドバイスをしてくれて、すごい!』と、心酔していました。彼女たちは’80年代、話題の職業となった『ハウスマヌカン』の先駆者でもあったのです」ブランド立ち上げ50周年を迎えた今年、ピンクハウスは、ノベルティグッズのプレゼントをするなど、アニバーサリーイベントを展開している。【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年07月10日アイドルグループ・NMB48の渋谷凪咲が5日、都内で実施された『ストレンジャー・シングス 未知の世界 4』配信記念スペシャルイベントに出席。80年代をイメージしたレトロな水玉ワンピース姿を披露した。同作のファンだという渋谷は「(登場キャラクターの)マックスをイメージして、ちょっとウェーブをつけてみました」とニッコリ。「私、昭和歌謡がすごい好きで、80年代のアイドルさんにすごい憧れている。できることなら、80年代に生まれたかったな」と思いを吐露した。また、好きな登場キャラクターを問われて「やっぱりイレブン(ミリー・ボビー・ブラウン)が好き。自分とも戦いながらも、仲間のために、一人で恐怖の中に飛び込んで救うのはめっちゃカッコいい。(イレブンは)力を出したら鼻血が出るじゃないですか。それくらい一つのことに没頭できるのはカッコいい。私も、鼻血が出るくらい一生懸命になれる何かを見つけたい」と意気込みをあらわに。演出でイレブンのように鼻血を出す一幕も見せた。今回のイベントには、シーズン1からジョイス役(ウィノナ・ライダー)の吹替を務める園崎未恵、マヂカルラブリー(野田クリスタル、村上)、TVプロデューサーの佐久間宣行も出席。マヂカルラブリーと“大喜利が強いアイドル”と称される渋谷が、本作にまつわる大喜利対決を実施。ダスティン役のゲイテン・マタラッツォ、マックス役のセイディー・シンク、エリカ役のプリア・ファーガソンから日本のファンへ向けたメッセージ映像も会場限定で公開された。「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シリーズは、Netflixで大人気のミステリー・アドベンチャー。1980年代の小さな町ホーキンスを舞台に、少年少女たちが頻発する不可解な出来事の解決に向けて奮闘する様を描く。7月1日より、最新エピソードとなるシーズン4のVol.2が配信されている。
2022年07月05日いくつになっても、何かを新しく始めるのに、遅いことはないといわれています。始める理由は単に、健康や趣味だけとは限りません。医療従事者として働いているトナカイ(@santona_tonakai)さんは、80歳を過ぎた患者から、最近になって水泳を習い始めたと聞きました。患者は、単なる健康目的で始めたわけではないようです。もし『三途の川』に着いても、泳いで現世に戻るため水泳を始めたといいます!この発想には、思わずトナカイさんも笑ってしまったのだとか。80歳を越えた患者さん最近水泳を始めたらしく、理由を聞いたら「ターンを覚えて三途の川を泳いで帰ってくる為」と言ってて不覚にも笑ったし長生きして欲しい— トナカイ (@santona_tonakai) March 12, 2022 三途の川は、現世と、死後の世界を結ぶ場所。実際に存在するかは分からないものの、一度川を渡ってしまったら、もう現世に戻ることはできないといわれています。三途の川に、果たして引き返す場所があるかは分かりません。しかし、もし泳いで戻ることができるならと考え、患者は水泳の練習を始めたのでしょう。「三途の川を泳いで引き返す」という発想に、続々と笑い声が上がっています。・その発想の面白さが、長生きの秘訣ともいえそうだ。・ユーモアにあふれている人だなぁ。こんな歳の取り方をしたい。・めちゃくちゃ笑った!タフすぎる。患者が話した、水泳を始めた斬新な理由。生死をさまよう瞬間に、「新たに始めたことが役立つはず!」と考えて取り組みのも、日々を楽しく暮らすためのきっかけとなりそうですね。[文・構成/grape編集部]
2022年03月13日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、音楽と一緒に歩いた青春時代の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。■どんどん進化していく機能にも楽しみが「’79年、ソニーから発売された初代『ウォークマン』を家族が購入。ヘッドホンから流れてきた曲を聴いた瞬間、“こんなに小さいのに、なぜこんないい音が出るんだ!?”と衝撃を受けました」こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。開発段階では「録音機能がないテープレコーダーなど売れるのか」という反対意見もあったといわれるが、各社から同様の商品が発売され、’80年代はポータブルカセットプレーヤーの戦国時代に。「’60年代から一家に一台、大きなステレオを買う家庭が増え、さらに’70年代後半になると、自分の部屋でも音楽を楽しみたいと、ラジカセのニーズが高まりました。とくにSANYO『おしゃれなテレコU4』(’79年)や、ダブルカセットでダビング機能がついた『ダブルU4』(’82年)が大ヒット。『ウォークマン』は、さらに外でも歩きながら使えるので、音楽を聴く場所が広がったのです」同時に流行ったのが、オリジナルのカセットテープ作りだ。「みなさん、好きな曲や聞かせたい曲をテープに録音して、恋人に贈ったり、友達と貸し借りしたのではないでしょうか。どんな音楽を聴いているかで、性格やセンスがわかるものですが、『ベストヒットUSA』が流行っていた当時は、ちょっと背伸びをした小学生が、洋楽でオリジナルテープを作ったりしていました」カセットテープ自体の種類も豊富で、とくにお気に入りの曲は、ノーマルテープよりも少し高価なテープに録音したものだ。「音の違いもよくわからないのに、『メタル』や『ハイポジ(ション)』がカッコいいからと、無理して高価な金色や銀色の包みのテープを使ったりしていました」通学途中にウォークマンで音楽を楽しんでいた人も多かったが、それが社会問題にもなった。「イヤホンやヘッドホンからの音漏れが原因で電車内でトラブルになったり、歩行中に車のエンジン音が聞こえず、クラクションを鳴らされる人も見られました」そのせいもあるだろう。ボタン一つで音量を落として会話できる機能や、手元で再生や一時停止ほかの操作ができるリモコンなど、製品も進化していった。「重低音調整や、オートリバースなども次々に装備され“次の商品には、どんな機能が?”と楽しみでした。“世界のソニー”の呼称どおり、当時のソニーには、現在のアップルに抱くような期待感があったのではないでしょうか」
2022年02月06日1年の延期を経て、ついに「松本明子 presents 黄金の80年代アイドルうたつなぎ 〜うれしなつかし胸キュンコンサート〜」が開催された。(出演/松本明子、布川敏和、森尾由美、浅香唯、西村知美)日本各地から「映像でこのコンサートを見たい」という熱い期待に応えて、配信が開始された。このコンサートは、松本明子が発起人となり、同時代に活躍したスーパーアイドルたちと華々しい時代の名曲の数々をトークとともにお届けするスペシャルなコンサート。バラエティタレントのイメージが強い松本だが、83年デビューのアイドル。その前年デビューの「花の82年組」に隠れ、不遇の時代を過ごしたといい、「アイドル時代、コンサートをしたことなかったので40年目の初のコンサート」と大喜びだった。デビュー当時の衣装で登場し、デビュー曲『×♀×Kiss』をはじめ往年の名曲を披露した松本は「ワクワクして眠れなかった。アイドル時代は一度もコンサートをしたことがなかったので、うれしい」と喜びを語った。MCで当時の裏話を織り交ぜた布川はシブがき隊の『100%・・・SOかもね!』『スシ食いねェ!』の他、『ジュリアに傷心』(チェッカーズ)などを披露し、「80年代にタイムスリップしたみたいで楽しい。」と会場を沸かせた。森尾由美は『お・ね・が・い』、浅香唯は『セシル』と『C-Girl』をメドレーで歌い、西村知美は『サクラが咲いた』『眠り姫』とそれぞれ自身のヒット曲をはじめ、黄金の80年代の曲で盛り上げた。最後は全員で『なんてったってアイドル』(小泉今日子)を歌い、惜しまれつつも幕を閉じた。懐かしくもあり、当時のパワーをそのまま凝縮したようなコンサートの模様は2月3日(木)までの期間限定なので、会場で楽しんだ方も、会場にいけなかった方も、自宅やお好きな場所でぜひお楽しみいただきたい。【視聴チケット】イープラスにて販売中 【視聴料金】3,000円(税込)【視聴時間】今すぐ〜2月3日(木)23:59まで【公演概要】公演名:松本明子 presents 黄金の80年代アイドルうたつなぎ ~うれしなつかし胸キュンコンサート~出演者:松本明子(‘83年)、布川敏和(‘82年)、森尾由美(‘83年)、浅香唯(‘85年)、西村知美(‘86年)※括弧内はデビュー年 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月28日80年代ロンドンに生きる若者たちが、忍び寄るHIVの足音に翻弄されながらも今をパワフルに生きる青春ドラマ『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』。イギリス本国で放送・配信されるやいなやHIVの検査数が記録的な伸びを見せるなど、社会現象へと発展した話題作に、ミュージシャン“Years & Years”としても世界的な人気を誇るオリー・アレクサンダーが主演。大学進学をきっかけに地元を離れ、ロンドンで青春を謳歌するゲイの青年リッチーを、LGBTQ+アクティビストとしても活躍する彼はどう演じたのか。リモートインタビューを行い、話を聞いた。──90年代生まれのオリーさんは、80年代に対してどんな印象を持っていますか?僕が子供の頃は、“ダサいファッションと髪型の80年代”という見方が普通だった(笑)。でも、個人的にはスーパークールな時代だと思っている。エレクトリックミュージックなどの登場で音楽カルチャーはぶっ飛んでいたし、本格的なデジタル時代が始まる前のノスタルジーもいいよね。どこか愛着を感じているよ。──リッチーたちが暮らすイギリスの80年代にはシビアな面もありますね。マーガレット・サッチャーが緊縮財政政策を推し進め、社会はその影響を大きく受けていた。だから国自体は貧しかったのだけど、社会的・経済的な活動は活発で。ゲイのコミュニティにとっても、非常に重要な時代だったと言えるよね。その主な理由はもちろん、HIVの蔓延。当時はHIVに対する誤解や偏見があったし、ゲイやクィアに対する理解も進んでいなかった。“恐れ”が時代を包んでいたんだ。『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』(c) RED Production Company & all3media international──リッチーとご自身の人生に重なる部分はありますか?似ている部分は多いと思う。彼は役者を目指していて、18歳からロンドンに住み始めた。お芝居をしたり、ステージに立ったりすることで輝きたい。そういった大きな夢は、まさに僕自身も持っていたものだよ。もちろんすべてが同じではないけど、彼の言動の理由などを理解するのはとても簡単だった。──ちょっと気まぐれで、つかめない部分もある青年ですね。彼には常に隠し事があるんだ。セクシャリティを家族に隠していたし、HIV検査の結果も仲間たちに隠していた。現実をそのまま受け入れようとしないんだよね。その大きな原因は、自分のセクシャリティに対する恥の感情にあると思う。だから、自分をさらけ出せないんだ。僕自身、もっと若い頃はそうだった。ゲイである自分が嫌で、自分ではない誰かになろうとしていたこともある。リッチーはたまに、ジョークを言って注目を集めようとするよね。本心を隠すために。以前の僕も、同じようなことをよくしていたな。──でも、彼ほど自己中心的ではないのでは?(笑)そうだね。僕自身はもっと思いやりのある人間だと思いたい(笑)。リッチーは時々とても自己中心的で、そんな彼を仲間たちが諭してくれる。仲間を愛しているけど、たまに失礼なんだ。彼のそういった面には、正直なところちょっとうんざりした(笑)。とは言え、演じるうえで一番魅力的だったのはリッチーの複雑な人間性。まあ、人は誰でも複雑な内面を持っているものだけど、ドラマに登場するゲイのキャラクターから複雑さを感じられるのは珍しいことだと思う。『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』(c) RED Production Company & all3media internationalリッチーを演じたことで音楽活動の創作の幅が広がった──ミュージシャンとしての表現手段も確立しているオリーさんが、役者としての表現で大切にしていることは?音楽においては、曲を書くにしても、歌うにしても、ステージでパフォーマンスをするにしても生(なま)の表現が大事。ある意味、湧き出てくるものとも言えるかな。一方、お芝居も生の表現を届けるのに変わりはないけど、そのためには役にしっかりと入らなくてはいけないし、台詞も覚えなきゃいけない。もう少し脳を使う感じだね(笑)。それに、俳優としての活動が音楽活動に影響を与えることもある。このドラマもそうで、リッチーを演じたことで創作の幅が広がった。撮影現場で聴いていた80年代の素晴らしい音楽が、インスピレーションやモチベーションにつながることもあったよ。物語が持つ強力なメッセージ性からも影響を受けたしね。とてもいい相互作用が生まれていたと思う。──出演作はどのように決めていますか?出演作に求めるものはいろいろあるけど、何よりもまず、語りがいのあるキャラクターを演じたい。ゲイのキャラクターがいいな。そう考えると、このドラマのリッチーに出会えたことは本当に幸運だったと思う。こんなにも素晴らしい作品の脚本が手元に届くことって、本当に稀なんだ。登場人物たちは魅力的だし、テーマはシリアスなのにユーモアがある。脚本を読んでいても、先の展開をもっともっと知りたいと思えたよ。『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』(c) RED Production Company & all3media international──ユーモアと言えば、リッチーたちの共同生活が楽しかったです。ピンクパレス(リッチーと仲間が共同生活を送るアパート)ね!ピンクパレスのシーンは、脚本を書いたラッセル・T・デイヴィスの実体験を基にしているんだ。ピンクパレスの撮影はキャストがみんな集まることもあり、すっごく楽しかった。僕自身、実は数年前まで友人とハウスシェアをしていたんだ。いい経験だったよ。床で寝たり、夜な夜なパーティーをしたり、部屋を散らかしたりしてね(笑)。まるでリッチーたちみたいだった。自分の人生を変えた、ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』──社会に問題提起する作品であり、普遍的な青春ドラマである『IT’S A SIN哀しみの天使たち』が人生を変える1作になった人もいると思います。オリーさんにもそんな1作はありますか?もちろん!たくさんあるよ。ひとつ挙げるなら、ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』かな。ふたりの青年が旅に出て、美しい恋模様を繰り広げる。リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスが素晴らしいし、映像美にも心を奪われた。楽しめたし、喜びを感じたし、胸を引き裂かれもしたよ。本当に、魔法みたいな1本なんだ。──今後、一緒に仕事をしてみたい監督や俳優はいますか?絶対にガス・ヴァン・サント!そしてメリル・ストリープ!彼女の息子役を演じられたら最高だよ(笑)。あとは……、どうしよう。たくさんいるのに名前が出てこない(笑)。『ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾートホテル』の人たちとか?最近のお気に入りドラマだから、あの中に混ざってみたいな。取材・文:渡邉ひかる(c) RED Production Company & all3media international海外ドラマ 『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』 (全5話)スターチャンネルEXにて全話独占配信中 & Years 新アルバム“Night Call”(イヤーズ&イヤーズ『ナイト・コール』)国内盤 CD 2022 年2月16日(水)発売輸入盤&デジタルは 2022 年1月21日(金)発売・配信開始
2022年01月21日コピーライター、編集者、クリエイティブ・ディレクターとして、1960年代以降の日本におけるクリエイティブ領域の黎明期を牽引。80年代からはアートの現場でも活動してきた小池一子の功績を辿る展覧会『オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動』が、1月22日(土)より3331 Arts Chiyoda メインギャラリーなど館内数カ所にて開催される。新進作家を支える場として、1983年に小池が江東区佐賀町の「食料ビル」内に開設したオルタナティブ・スペース「佐賀町エキジビット・スペース」(1983-2000)。美術館でも商業的なギャラリーでもない非営利のオルタナティブ・スペースで、若手作家を積極的に支援していくその姿勢は、同時代の社会に向けて実践的かつ純粋な思考への希望を示唆するものだった。同展は、小池の仕事を大きく2部にわけ紹介。60年代以降に編集やコピーライト等を手掛けたパルコや無印良品のポスター、雑誌『装苑』など多数のクリエイティブワークをアーカイブ展示するほか、大竹伸朗、杉本博司、内藤礼、森村泰昌、横尾忠則ら「佐賀町エキジビット・スペース」で見出してきた作家20名による貴重な当時の作品を公開。さらに、映像ディレクターの小松真弓が制作した小池の人物像に迫る映像作品を会場内で特別上映する。芸術家やクリエイターらの表現を、領域を超え、裏方の立場で下支えするという土壌を開拓した小池の仕事を総括するとともに、同時代の芸術家やクリエイターたちの軌跡にも迫る。「PARCO感覚。」広告 1972年 AD.石岡瑛子 I.山口はるみ P.操上和美森村泰昌《批評とその愛人(4)》1989年 (c)Yasumasa Morimura大竹伸朗《Musician》1985年 (c)Shinro Ohtake, Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo【開催概要】『オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動』会場:3331 Arts Chiyoda メインギャラリー(1F)、sagacho archives(B1F)、B111(B1F)ほか会期:2022年1月22日(土)~3月21日(月・祝) 会期中無休時間:11:00~19:00 (入場は18:30まで)料金:一般1000円、65歳以上・学生800円(千代田区民は身分証明書提示で無料)特設サイト: ※sagacho archives(B1F B110)の内藤礼作品は毎週月曜日、2022年2月21日(月)〜23日(水)休廊、鑑賞は完全予約制
2022年01月05日2022年7月に満80歳の誕生日を迎える作曲家の三枝成彰。節目を記念する「三枝成彰80歳コンサート」が1月17日(月) サントリーホールで開かれる。曲目はもちろん自作で「いま最も気に入っている」という自信の2作品。ひとつはピアニスト・辻井伸行の委嘱による新作のピアノ協奏曲の世界初演。そして混声合唱とオーケストラのための大作《最後の手紙~The Last Message》(混声合唱版初演)だ。大友直人指揮・東京フィルハーモニー交響楽団の共演。この公演について、三枝に話を聞いた。「すごく難しいんですよ。僕はいつも、演奏者が弾きやすいかどうかなんて考えないで作曲するから嫌われる(笑)。でもこのピアノ協奏曲は、その僕が本当に大丈夫かなと思うぐらい難しいです」三枝成彰それはもちろん初演者の力を信頼しているゆえだろう。絶大な人気を誇るピアニスト辻井伸行(33)。彼が10歳の時、コンサート・デビューの機会を提供したのがじつは三枝だった。1998年9月、神戸で行われた「三枝成彰スペシャルコンサート」で、辻井は間宮芳生作曲の愛らしい小コンチェルト《村人たちの協奏曲》を弾いて演奏家としての第一歩を踏み出した(共演:本名徹次指揮・大阪センチュリー交響楽団)。「とても素晴らしかったですよ。でもね、『世界には君と同じぐらい弾ける子供も必ずいっぱいいる。これから頑張ろうね』という話もしました。そして彼のリサイタルを毎年開くことにしたんです」小学校6年生から3年連続で行われた三枝プロデュースによるソロ・リサイタルは、オーケストラとの共演による協奏曲公演も含む堂々たるラインナップ。辻井少年にとってプロの演奏家としての経験を積む貴重な場だったはず。三枝は「ピアニスト辻井伸行」の生みの親なのだ。4年前、三枝が音楽監督を務める「トヨタコミュニティコンサート」に出演した辻井がステージ上から呼びかけた。「三枝先生、僕にピアノ協奏曲を書いてください!」いわば公開委嘱。それが今回初演されるピアノ協奏曲だ。じっくり3年をかけて2020年に完成したという作品を、シーケンスソフトの出力音源で聴かせてもらった。咆哮するオーケストラ。激しく疾走する超絶技巧のピアノ。緊張感が張り詰める。現代音楽にアンチを唱え、40代からはあえてメロディとハーモニーの復権を掲げてきた三枝だが、新作は、いわゆる現代音楽と言える作風だ。「僕は30代で現代音楽にすごく疑問を持って、そこから15年ぐらいは劇伴などの商業音楽の仕事だけして、自分の作品を書けない時期もあったぐらいなんです。でもこの歳になって、辻井くんに書く協奏曲は現代音楽でいこうと思った。なぜかというと、彼が作品を外国へ持って行く時に、メロディやハーモニーのある曲は通用しないんですね。かつてヘーゲルが、芸術というのは時代の精神を反映していなければならないと言ったように、西欧では、今さらモーツァルトやベートーヴェン風の曲を書いても芸術的価値がないと切り捨てられる。徹底しているんですね。ただ、現代音楽でも面白くしようとした。これ、僕はすごく面白いと思っているんですよ。しかも12~13分で終わる。聴く人が我慢ができるのがそのぐらい。これを40分も1時間もやられたらツラいだろうとわかってますから(笑)。そして激しく駆け抜けた最後にトイピアノが美しいメロディを奏でる。母へ、ありがとう。と」辻井がまだ乳児の頃に、我が子の才能に気づいた母いつ子さんがおもちゃのピアノを買い与え、以来、世界的ピアニストへと成長する道のりを二人三脚で歩んできた親子の物語はよく知られている。そのきっかけのトイピアノが母の愛への感謝を奏でるという仕掛けだ。一方の混声合唱版《最後の手紙》は2010年に男声合唱曲として初演された全14曲・1時間45分の大作(混声合唱版捕作:岩井美貴)。コンサートにあわせて楽譜も出版される(ピアノ・リダクション版/全音楽譜出版社)。テキストに用いられているのは、第二次世界大戦で没した兵士たちが家族へ宛てた最後の手紙や手記を集めた書籍『人間の声』(ハンス・ヴァルター・ベーア編集、高橋健二訳編/河出書房新社)。「僕がこの本に出会ったのは芸大の1年生ですから19歳ぐらいの時。いずれ音にしたいと思っていたのですが、結局書くまでに50年。半世紀かかって作曲したんですね。カントは『判断力批判』で、文学や哲学と違って音楽にはメッセージがないと言っています。やはりメッセージのないものはダメなんですよ。そのメッセージがこの《最後の手紙》です」戦死した兵士だけでなく、捕らえられ処刑されたレジスタンスや市民たち。愛する人に残した彼らの心の叫びが、厳しい音楽をまとって痛切に胸を打つ。合唱は特別編成の80人のプロ合唱団「三枝成彰傘寿記念混声合唱団」(合唱指揮:初谷敬史)。曲ごとにナレーション(露木茂)がそれぞれの手紙の背景をフォローする。「これもほとんど現代音楽に近い作品です。近いんですが、わかりやすい現代音楽なんですよ。調性のある曲もあるし、無調の曲もあって。現代音楽に対する僕のひとつの答えがこれなんです。僕たち20世紀の作曲家の人生は苦難の道です。音楽評論家は現代音楽しかダメなんですよ。そこで評価されるためには聴衆に喜ばれないものを書かなきゃならない。悲劇ですね。僕はそれに反抗して、美しいメロディの復活ということを始めたんだけど……。うーん、それも違うなとか、いろいろ悩むんですよねえ……。僕の人生はそんな葛藤の連続です」前衛的な現代音楽を最前線で受け止めた世代だ。三枝自身、高校生の頃から、入野義朗や柴田南雄ら二十世紀音楽研究所の軽井沢の現代音楽祭に通った。この音楽祭はやがて、米国から帰った一柳慧がジョン・ケージを紹介して、いわゆる「ケージ・ショック」で日本の前衛音楽の幕を開けることになる。「高校から大学の頃は、前衛こそが作曲家の本業だと思っていましたから。ケージの偶然性の音楽も、発想としてはすごいと思います。人間が書くということを捨てたわけですから。でも、切り口としては新しいけれど、それを毎回やれるわけじゃない。できることなら100年前のヨーロッパに生まれたかったですね。そうしたら新しいことだけをやっていられた。1913年の《春の祭典》以降、無調の音楽が出てきて、多くの聴衆はクラシック音楽を見放したんですね。それとは違う切り口でなにか新しいことができるのか。僕はそれを解決できないうちに死ぬんだなと思ってるけど、次の時代には、新しい切り口でわかりやすい音楽が出てくるんじゃないでしょうか」《最後の手紙》の終曲は美しいレクイエムだ。ラテン語の典礼文〈Dona Nobis Pacem(私たちに平和をお与えください)〉が、手紙を書いたさまざまな国の人々の母語で歌われる。ピアノ協奏曲の母への感謝、そして戦争で命を絶たれた人々への鎮魂と平和の祈り。2作品とも最後は静かに昇華していく。もちろん作曲上の演出ではあるだろうけれど、そこに三枝成彰という音楽家の本質がにじみ出ていると思う。取材から帰宅後、ふと思い出して聴いた、三枝の初期作品の《弦楽四重奏のためのノヴェレッテ》(1965)。当時「難解」と敬遠され、理解されなかったという峻厳な音楽の終楽章に、始めはおぼろげに、そして徐々にはっきりと、J.S.バッハの《マタイ受難曲》の有名な受難コラール〈おお、血と傷にまみれた御頭よ〉が現れて曲を閉じる。23歳の作品から最新作までを貫くその深く静謐な祈りが、三枝の優しさ、彼の本質のように思われるのだ。《忠臣蔵》(1997)以降、ライフワークと定めて取り組んでいるのがオペラ。すでに次の作品にも取りかかっている。「林真理子さんに『常磐御前』(平家物語)の台本を書いてもらってるんですよ。アリア2~3曲だけできているんですが、台本を完成させて全体を書き始めるのは2023年になってからかな。そうすると84~85歳で初演じゃない?生きてるかな?(笑)」さらにもう一本、東京・本郷に実在した菊富士ホテルを舞台に大正~昭和の文化人たちの青春群像を描くオペラの計画も、熱く語って聞かせてくれた。「構想している時が一番楽しい。書き始めると苦しい?いや、楽しいですよ。それが生きる励みですね」創作意欲の衰える気配はかけらもない。80歳コンサートも、過去の集大成などではなく、三枝成彰の「現在」を映す鮮やかな通過点。「長老」などという言葉は、この人にはいつまでも似合いそうもない。Text:宮本明<公演情報>三枝成彰80歳コンサート2022年1月17日(月) 東京・サントリーホール大ホール開場 17:00 / 開演 18:00指揮:大友直人ピアノ:辻井伸行ナレーション:露木 茂(最後の手紙)合唱:三枝成彰傘寿記念混声合唱団(合唱指揮:初谷敬史)管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団曲目:新作『ピアノ協奏曲』~辻井伸行委嘱作品(世界初演) / 『最後の手紙~The Last Message』(混声合唱版初演)(混声合唱版捕作:岩井美貴)チケット購入リンク:プロフィール1942年生まれ。東京芸術大学卒業、同大学院修了。在学中に安宅賞を受賞。代表作として、オラトリオ「ヤマトタケル」、オペラ「千の記憶の物語」等、映画音楽に「優駿」「お引越し」「機動戦士ガンダム~逆襲のシャア~」「機動戦士Zガンダム」、テレビ番組の音楽に、NHK大河ドラマ「太平記」「花の乱」等、多数。1989年、日本アカデミー賞映画音楽部門最優秀音楽賞を受賞。国際モーツァルテウム財団の依頼で、モーツァルトの未完曲に補筆・完成したことも話題となった。オペラ作品をライフワークとして16作品掲げており、代表作としては1997年5月には、構想に10年近くをかけたオペラ「忠臣蔵」を完成・初演し、各界の注目を集めた。さらに2000年5月には愛知県芸術劇場でオペラ「忠臣蔵」改訂版を再演し、2002年1月には東京新国立劇場にて再演。2004年、プッチーニの「蝶々夫人」を下敷きとした新作オペラ「Jr.バタフライ」を初演、好評を博す。このオペラは2006年、イタリア・プッチーニ音楽祭でも再演された。これは同音楽祭における初の外国人作品の上演であり、プッチーニ以外の作曲家の作品としても初の上演ともなった。著書に「大作曲家たちの履歴書」(中央公論新社)、「三枝成彰オペラに討ち入る」(WAC出版)など。2007年、紫綬褒章受章。2008年、モノオペラ「悲嘆」、ピアノ協奏曲「イカの哲学」を初演したほか、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙The Last Message」を初演。2011年、渡辺晋賞受賞。2013年、オペラ「KAMIKAZE―神風―」を世界初演。2014年8月、イタリア・プッチーニ音楽祭にて、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版を初演。2016年1月、富山と東京にて同作品の日本初演を行った。2017年10月に林真理子の台本、秋元康の演出により、オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演。同年、旭日小綬章受章。2020年、文化功労者顕彰を受けた。関連リンク三枝成彰 オフィシャルウェブサイト:
2021年12月23日’80年代に女子中高生をとりこにしたOSAMU GOODS(R)が、今年で誕生から45周年を迎えた。’80~’90年代に青春時代を過ごした人たちにとって、懐かしくもあり憧れのブランド。それが近年の“昭和レトロブーム”で、既存のファン以外に、若い層からも支持を得て再注目されている。“再ブーム”の背景を、OSAMU GOODS(R)のライセンス業務を行うコージー本舗の神津隆行さんに説明してもらった。「’16年に40周年の展覧会が東京・弥生美術館で開催されました。若い層の来場者が多く、そこでOSAMU GOODS(R)が注目されるようになったのです。人気が決定的になったのは、翌年の『コム デ ギャルソン』さんとのコラボ企画。洋服とのコラボがとても話題になりました」神津さんによると、現在もっとも多く商品を購入する層は「20~30代の方」とのこと。その人気の理由は“普遍的なかわいらしさ”と“原田治さんのこだわり”にあるという。OSAMU GOODS(R)の生みの親・原田治さん(1946~2016年)は、東京・築地出身で多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業後、1970年『anan』創刊号でイラストレーターとしてデビュー。以降は、雑誌、広告などで幅広く活躍。OSAMU GOODS(R)は1976年に商品化された。「原田さんは10代のころに夢中になっていたハリウッド映画のニュアンスをキャラクターに加味したと話していました。アメリカンポップなデザインには、幼少期の影響があったのでしょう。そして、かわいらしさに『5%ほどの淋しさや切なさを隠し味のように加える』。そこが多くの人を引きつけている理由ではないでしょうか」(神津さん)■「昭和レトロ」アイテム5,000点のコレクターが語る魅力とは「’80年代グッズのなかでも、OSAMU GOODS(R)は私にとって別格です。原田先生の世界観や美学が貫かれた特別感、専門店でしか買えないブランド感、価格帯も高くて親におねだりして買ってもらう高級品で、あこがれのグッズでした」そう語るのは、昭和レトロアイテム5,000点のコレクターで「昭和的ガーリー文化研究所」所長・ゆかしなもんさん。「中2のときクラスで2人だけファンクラブに入っており、『OSAMU GOODS(R)のセンスのよさを知っているのは私たちだけだよね』と話していました。いま思えば上から目線なのですが(笑)。いま街で20代の女のコがOSAMU GOODS(R)を持っているのを見ると、私が訴えてきた“OSAMU GOODS(R)のかわいさは永遠だ!”という確証を得た気がして、とてもうれしくなります」そんな“OSAMU GOODS(R)の歴史を年代別に解説していく。【’70年代の特徴】初登場の’76年~’80年代初頭までは「スライスドアイ」という、目に切れ込みが入り、光が表現されているイラストが主流。全体的に細い描線でジルとジャックの雰囲気も現在とは若干異なる。【’80年代の特徴】イラストは徐々に簡略化された。’85年前後に発売されたスクールバッグは女子中高生の間でブームに。当時はスクールバッグを学生かばんのサブバッグにして持つのがおしゃれだった。【’90年代の特徴】’90年代には、よりシンプルでポップなイラストが増え、専門メーカーとの共同制作グッズも多い。人形などのレアな立体グッズも発売された。【’00年代の特徴】’76年~’90年代まではマグカップやお弁当箱、ステーショナリーといった日常使いの小物が多かったが、’00年代~現在は、メーカーとのコラボグッズが増え、衣類も登場してきた。懐かしいのにどこか新しい。OSAMU GOODS(R)の魅力は語り継がれてゆく。
2021年12月06日手入れ簡単☆大人可愛いショートボブ品のあるショートカットです!トップのレイヤーがふんわりとしたボリュームを出し後頭部の絶壁もカバーします!とても手入れ簡単で毎朝が楽ちんスタイリングです。20代30代40代50代と年齢問わずオススメです。手入れ簡単☆大人可愛いショートボブを見る手入れ簡単☆大人かわいいショートボブ手入れ簡単なショートカットです。後頭部の絶壁のお悩みも解消され襟足もスッキリしています。とても簡単におさまってくれる髪型なので20代30代40代50代と年齢問わずオススメです。手入れ簡単☆大人かわいいショートボブを見る手入れ簡単☆綺麗な大人ショートボブ手入れ簡単なショートカットです。前髪長めで顔周りの長さもゆとりがあり小顔効果抜群です!扱うのがとても簡単なショートヘアですので20代30代40代50代と年齢問わずオススメな髪型です。手入れ簡単☆綺麗な大人ショートボブを見る手入れ簡単☆レイヤーミディアムボブひし形シルエットのレイヤーボブです。リップラインの長め前髪を作りふんわりとしたレイヤーの髪型にしました。手入れ簡単で扱いやすいので20代30代40代50代と年齢問わずオススメです。手入れ簡単☆レイヤーミディアムボブを見る この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る 表参道/ボブ/ショートヘア/ミディアムヘア(@rensan12)がシェアした投稿
2021年11月05日1960年代から絵画、漫画、イラストレーション、絵本といった幅広いジャンルで活動をしてきた、タイガー立石(立石紘一/立石大河亞)。生誕80周年となる今年、その活動を振り返る大規模展覧会が、千葉市市美術館を皮切りに巡回展として開催されてきた。その最終会場として、11月16日(火)より埼玉県立近代美術館とうらわ美術館の2館で『大・タイガー立石展世界を描きつくせ!』が共同開催される。タイガー立石は、1941年に福岡県で生まれ、漫画や映画を愛する少年として成長した。1961年に大学進学のために上京し、1963年の「読売アンデパンダン展」では、玩具や流木を大画面に貼り付けた作品を発表。その後、時代や社会のアイコンを引用した絵画作品を手がけ、和製ポップ・アートの先駆けとなった。1965年からはセリフのないナンセンス漫画を描きはじめ、漫画は国境を越え、海外の雑誌でも紹介された。1969年には、イタリア・ミラノへ移住。漫画表現を応用したコマ割り絵画を描くだけでなく、当時のイタリアで建築・デザイン運動を先導していたエットレ・ソットサス、アレッサンドロ・メンディーニらと協働して、イラストレーションの仕事も行った。1982年に帰国した後は、絵本を手掛けたり、軸物や巻物といった絵画形式を取り入れたりするようになる。こうした表現の横断だけでなく、富士山、月、虎といったモチーフを繰り返し用いたり、内と外、宇宙と日常といった空間が反転・融合したり、明治・大正・昭和の歴史という時代や時間を超えていくといったように、奇想天外な作品を次々と制作。立石は1998年に亡くなるまで精力的に活動し、魅力的な「立石ワールド」を確立した。同展は、13歳の頃描いた漫画作品から遺作まで、絵画、漫画や絵本の原画、イタリア時代の資料といった、500点を超える作品や資料などが並ぶ、立石を十二分に知ることができる過去最大級の個展だ。埼玉県立近代美術館では画業の全体像を回顧。うらわ美術館では漫画、絵本にフォーカスし、紹介。現在も若い世代に影響を与えているタイガー立石の活動とその作品を、ぜひ会場で体感してほしい。《タイガー・ゲルニカ》 1970年 courtesy of ANOMALY(埼玉県立近代美術館展示)《立石紘一のような》 1964年 高松市美術館蔵(埼玉県立近代美術館展示)《観光術》原画 1982年 courtesy of ANOMALY(うらわ美術館展示)«顔の美術館»原画1994年 個人蔵(うらわ美術館展示)【開催概要】『大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!』会期:2021年11月16日(火)〜2022年1月16日(日)時間:10:00〜17:30 (入場は17:00まで)休館日:月曜日(1月10日を除く)、12月27日~1月6日料金:一般 1,100円、大高生880円公式サイト: 時間:10:00〜17:00 、金土は20:00まで(入場は閉館30分前まで)休館日:月曜日(1月10日を除く)、12月27日~1月4日 、1月11日料金:一般620円、大高生410円公式サイト:
2021年10月21日1980年代、痛烈な音楽と独特の音楽性、モリッシーの圧倒的存在感などによって、イギリスのミュージックシーンを席巻した伝説のバンド「ザ・スミス」の名曲で彩る青春音楽映画『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』から、特報&ビジュアルが解禁となった。解禁された特報映像は、1987年9月、米コロラド州のデンバー。「ザ・スミス」が解散したその日、「ザ・スミスの曲をかけろ!」とラジオ局が銃を持った1人の若者ディーン(エラー・コルトレーン)にジャックされ、それをDJがリアルタイムで放送しているシーンから始まる。長年語り継がれた「ザ・スミスファンのラジオ局ジャック事件」に着想を得た本作。映像ではパーティーに出かけ、友達と騒いでいても、内心では将来への不安で押しつぶされそうになる若者たちのやるせない姿が切り取られる。そんな中でも“SMITHS FOREVER”と書かれた布を持って集まったファン、そして「彼らの曲が僕らを救済する」とラジオをジャックしたディーンの姿から、「ザ・スミス」が当時の若者たちの代弁者となり、心の拠り所となっていたことが短い映像の中からも伺い知れる。「ザ・スミス」の音楽だけでなく、80年代のファッションや空気感の再現も見逃せない。ポスタービジュアルも、「あの夜を、永遠に忘れない――」のキャッチコピーとともに、ザ・スミス関連のものに溢れたレコードショップの中で解散を伝える新聞を手にする、のちにラジオ局をジャックするディーンや、それぞれ思いつめたような表情をする若者たち、ラジオ局DJ役のジョー・マンガニエロの姿を捉える。当時の若者たちに絶大な人気を誇っていた「ザ・スミス」の突然の解散の日に彼らは何を思い、この夜を過ごしたのか期待が高まる。『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』は12月3日(金)よりTOHOシネマズ日比谷・渋谷シネクイントほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド 2021年12月よりTOHOシネマズ日比谷・渋谷シネクイントほか全国にて公開©2020 SOTW Ltd. All rights reserved
2021年10月21日つい先日、体調不良でツアーの不参加を表明したのは、知っていたけれどこんなに急に亡くなるなんて、思ってもいなかった。ザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが死去した。80歳だった。同バンドの創立メンバーの1人であったチャーリーが8月24日、ロンドン内の病院で家族に見守られながら息を引き取ったことを代理人が発表した。現段階ではまだ死因は明らかになっていないものの、チャーリーはわずか数週間前、定期検診中に問題が見つかったことで、緊急に心臓手術を受けていた。手術は成功したと言われていたが、医師団のアドバイスにより、来月9月から開始予定の「ノー・フィルター」ツアーには参加しないことが先日発表されていた。しかし、十分な回復期間を取った後、2022年ストーンズ結成60周年を記念して、17年ぶりのオリジナルアルバムをリリースするころには、活動を再開する見込みだった。世界最高のドラマーのひとりに数えられるチャーリーは、ミック・ジャガー、キース・リチャーズと並んで、ストーンズの全てのスタジオアルバムに参加している。ジャズから影響を受けたそのスタイルで、2006年にはモダン・ドラマー・ホール・オブ・フェイムの殿堂入りを果たしていたほか、1989年にはストーンズのメンバーとしてロックの殿堂入りもしていた。1941(昭和16)年6月2日生まれ、2021年8月24日没。偉大かつ穏やかで紳士のロックドラマーのご冥福をお祈りします。
2021年08月25日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代から追いかけているアーティストの話。活躍する同世代の女性と一緒に、80年代を振り返ってみましょうーー。「’80年代までは、大衆の情報源がテレビ、ラジオ、映画、雑誌などに限られていました。だからこそ、バンドワゴン効果といって、マス媒体が発する流行に、たくさんの人が飛びつく時代だったのです。そうした時代背景の中で、絶大な人気を誇ったのがサザンオールスターズ、そしてユーミンこと松任谷由実さんでした」そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。もちろんその人気は、楽曲のよさ、アルバムの完成度の高さがあってこそ。「荒井由実として活動していた’70年代から第一線で活躍していますが、とくに’80年代は飛躍の時期でした。『SURF & SNOW』(’80年)、『VOYAGER』(’83年)、『NO SIDE』(’84年)、『ダイアモンドダストが消えぬまに』(’87年)など、名盤を挙げだしたらキリがありません」いまやサブスクが主流で“目当ての曲”しか聴かない人も多いが、当時はアルバムで“ほかの曲も含めた流れ”を聴き、ミュージシャンをより深く知れる時代だった。「ユーミンの作品はアルバムごとにテーマ、世界観があり、曲の順番もジャケットも、それに合わせて完璧に作り込まれていました。ドライブしながら聴くカセットテープは、アルバムの中で好きな曲だけを選び、好みでない曲は省くなどしたものですが、ユーミンの場合、そんな編集をしたくないほど完成度が高いと評判でした」さらにライブパフォーマンスや演出も特筆すべき点だ。「ユーミンといえば、『SURF &SNOW』として開催される、苗場などスキー場での冬のコンサートと、逗子マリーナなどのプールサイドでの夏のコンサートが、多くの年の恒例行事。サーカスやフィギュアスケートの要素を取り入れた’99年以降の『シャングリラ公演』は、ユーミンの集客力がなければ製作費が追いつかないほど、ゴージャスなものでした」ユーミン人気は、さまざまな業界にも波及効果があった。「主題歌『サーフ天国、スキー天国』をはじめ、『恋人がサンタクロース』『BLIZZARD』が劇中歌として使用された映画『私をスキーに連れてって』(’87年)が、空前のスキーブームに火をつけたといえるでしょう。人気のスキー場のゲレンデでは、リフトに乗るまでに数時間待ちが当たり前でした。映画と音楽のコラボレーションが、若者の旅行や車への消費に結びつき、経済的にもさまざまな分野に恩恵をもたらしたのです」
2021年08月23日何故かいつも気に入られるのは年上ばかりで、同年代や年下男子がよって来ないと感じることはありませんか?そんな方は、気が付かないうちに周りから敬遠されている可能性があるでしょう。もし今後、年上以外の男子と付き合ってみたいと感じているのなら一度自分の行動を振返ってみるのも良いかもしれません。そこで今回は「同年代や年下男子から敬遠される女子の特徴」をご紹介します。■ かなりマイペースみんなで楽しんでいるのに一気にその空気を壊すという行為は、懸念されがちと言って良いでしょう。さっきまで笑っていたのに、気が付いたらふて腐れているとなると、周りはどう扱って良いのか分からず付き合うのが面倒になってしまう場合も考えられます。「今度からあいつは呼ばないでおこう」とあなたの知らない所で遊びの計画が進むようになるでしょう。■ 小言が多い周りの男性のことが気になって、つい口出しをしてしまう……、そんなことはありませんか?プライドが高い男性の場合は特に、頭ごなしに悪い所を指摘されると良い思いはしないかもしれません。特に年齢が近い相手であれば、なおさらと言えるでしょう。また何度もそれを繰り返されると、その相手へ苦手意識が高まり恋愛対象からは外されてしまう場合も……。どうしても伝えたいことがあるのなら言葉を選ぶようにしましょう。■ 自分中心で行動する自分の思うように周りを動かそうとする行為は懸念されてしまうかもしれません。年上の男性であれば「ハイハイ」と上手くかわしてくれますが、そうでない男性は重くとらえてしまう場合もあるでしょう。「なんで俺達が犠牲にならないといけないの?」と関わりを避けられてしまう可能性も……。強調性や思いやりがないと、どんどん敬遠されてしまいうかもしれません。■ 誰からも愛される素敵な女性に……!相手を尊重する気持ちを持つ事が何よりも大切です。度を越すと年上男性からも見放される可能性も考えられます。誰からも愛される素敵な女性を目指していきましょう。(神伊 里砂/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年07月09日コンバース(CONVERSE)の新作スニーカー「ジャックパーセル 80 J(JACK PURCELL 80 J)」が、2021年8月に発売される。80年代「ジャックパーセル」を日本製でアップデート「ジャックパーセル 80 J」は、1980年代の「ジャックパーセル」を日本製で再現したモデルだ。2021年春夏に登場したホワイトに続き、今回はブラックカラーを用意する。膨らみがあるトウのスマイルの形状、厚みを持たせたテープ幅、生成りとグリーンの2色で仕上げたインソール、そしてポリエステルシューレースなど、随所で1980年代モデルのディテールを継承。一方でインソールには、クッション性と通気性に優れる2層構造のオーソライトを採用し、土踏まず部分にアーチを付けることで履き心地をアップデートしている。また、アッパーには、紡績から製織まで日本製にこだわる帆布「富士金梅」のキャンバスを使用。インソールやヒールラベル、カートンには“MADE IN JAPAN”の印字を施し、アクセントを添えた。詳細ジャックパーセル 80 J発売時期:2021年8月価格:19,800円カラー:ブラックサイズ: 23.0~28.0cm、29.0cm【問い合わせ先】コンバースインフォメーションセンターTEL:0120-819-217月~金曜日(土日・祝日のぞく) 9:00〜18:00
2021年07月04日飲み物が売っている、自動販売機(以下、自販機)。気軽に飲み物を買えるため、ノドが渇いた際に利用する人もいるでしょう。KIT(@STUDIOKITsan)さんは、ある日、自販機を利用したのですが…。気軽な気持ちで使えない、驚きの理由がありました。1枚の写真をTwitterに投稿し、話題を呼んでいます。おつり返却口の下に注目!投稿者さんが利用した自販機では、80円から飲み物の購入が可能。100円台で販売している自販機と比べると、安価な値段ですね。ふと、おつりをもらうための返却口を見たところ…。緊張感漂う自販機の釣銭返却口。 pic.twitter.com/rEQrpHygIB — KITさん★街乗りMTBおじさん (@STUDIOKITsan) June 15, 2021 返却口の下に、排水溝が!うまくおつりを受け取れないと、そのまま排水溝に入ってしまう可能性が高い位置に、返却口があります。投稿者さんがいうように、まさに「緊張感がただよう」返却口。多くの人が、「こんな自販機があるんだ…」と驚いた様子です。・これは緊張感しかありません…。絶妙な位置に返却口がありますね!・おつりを受け取る時、ドキドキしそうです…。失敗できません!もしこうした、排水溝の付近にある自販機を使う時は、集中力を高める必要がありそうですね![文・構成/grape編集部]
2021年06月24日FANTASTICS from EXILE TRIBEが、新シングル『STOP FOR NOTHING』を発売。地上波初冠番組では’80年代&’90年代のレジェンドたちと共演した彼らに、新曲に込めた想いと、その時代のカルチャーについて聞きました。ここでは、堀 夏喜さん、八木勇征さん、中島颯太さん、瀬口黎弥さんのインタビューをお届けします。堀 夏喜最近のFANTASTICSは、爽やかさと、’80年代の懐かしいメロディを軸とした楽曲が多かったですが、「STOP FOR NOTHING」は久しぶりのダンスチューン。“アゲ曲がきた!”という印象でした。エレクトロな曲調ながら、間奏にはエレキギターの音が入っているなどエッジと遊び心ある一曲で、すごく踊りやすいです。最近は、たとえ曲調は違えどもスマートでキレのあるFANTASTICSらしさみたいなものを感じるようになり、だんだんとグループ像ができてきているのかなと感じます。振りを作ってくれる世界さんからは、練習して一つ一つの動きを揃えることより、それぞれの個性を出しながらもニュアンスを揃え、引いて見た時に統一感のあるパフォーマンスを大事にしてほしいと言われて。難しい塩梅でしたが、このグループにはそれが合っているなと思います。「Play Back」には’80~’90年代のような雰囲気がありますが、最近、『レザボア・ドッグス』や『トレインスポッティング』など、その時代の映画をよく観ています。演技のお仕事をするようになってからですが、20年くらい前の作品なのに、今観ても近未来感があるところにびっくりします。あと、カルチャーでいうと古着ですね。何十年も前に作られた服やアクセサリーが、いろいろな人の手を渡り、僕のところに来たことにロマンを感じるタイプです。“よくここまで残ってくれたな”と奇跡的に思い、買ってしまいます。ほり・なつき1997年8月6日生まれ、愛知県出身。パフォーマー。ファッションが好きでライブ衣装の監修を手がける。メ~テレ(名古屋テレビ放送)で『ホリナツのカンムリ(仮)』放送中。シャツ¥53,240タンクトップ¥14,630パンツ¥65,560(以上ナヌーシュカ/ヒラオインク TEL:03・5771・8809)シューズ¥136,400(オールデン/ラコタ TEL:03・3545・3322)その他はスタイリスト、本人私物八木勇征今回のシングルは、表題曲も含めて4曲が収録されています。なかでも「M.V.P.」はリーダーの世界さん、(佐藤)大樹くん以外のメンバーで行った舞台『BACK TO THE MEMORIES』のために書き下ろされた楽曲です。舞台では僕が主人公を務めさせていただきましたが、劇中では僕の役柄の両親が離婚しそうになり、その危機を食い止めるため、昔の曲を聴いて恋した当時の気持ちを思い出してもらおう、というストーリーです。そのエンディングで歌ったのが「M.V.P.」。盛り上がりのピークにピッタリのアツい楽曲になっています。グループ活動で貢献できていることといえば、ライブ中のマイクパフォーマンスかもしれません。僕の荒々しい感じの声が煽りにマッチしているみたいでライブ中もファンの方を煽ることが多いんです。それに長年のサッカー経験から、“気合”も出やすいんだと思います。昨年の自粛期間中に、(中島)颯太の影響でピアノを始めました。弾き語りはできるようになりましたが、作曲もやり始めたところなので徐々にステップアップしていきたいです。いつか弾き語りをライブで披露したいし、自分が作った曲がFANTASTICSの曲になったら最高です。メンバーからいい影響を受けることはたくさんあって、なっちゃん(堀さん)は同い年だからこそ、クリエイティブ面での発信など刺激をもらえます。もっと自分も高めていかないと、という気持ちになるんです。やぎ・ゆうせい1997年5月6日生まれ、東京都出身。ボーカル。幼い頃からサッカーに励み、体力には自信がある。最近はピアノも始め、作詞・作曲にも挑戦中。シャツ¥29,700(セルフメイド/ヌビアン原宿 TEL:03・6447・0207)その他はスタイリスト、本人私物中島颯太「STOP FOR NOTHING」は、子どもたちの夢を応援するプロジェクトのテーマ曲。この世界観は、僕の実体験とも重なるところがあります。’17年にLDHのオーディションを受けた時、最終審査と第一志望の大学の試験日が重なって、そのどちらかを選ばなければいけない状況になってしまったのですが、そこで選択したのがオーディションでした。「自分を信じて、夢を叶えたい」。そう強く思えたからこそ、今があります。この楽曲は、そんなふうに“何かになりたい”という時のモチベーションを上げる楽曲になっていると思います。今作に収録されている「Play Back」では、ラップに挑戦しました。これまであまりラップをしたことがなかったのですが、レコーディングの時は歌詞に合わせて、いつもの自分とは違う強めの声で挑みました。この曲は’80年代調で“温故知新”がテーマ。その年代の音楽は、シティポップがすごく好きで、そういうテイストを取り入れた、新しい感覚の曲を、ギターやピアノ、パソコンを使って、自分でも作詞・作曲しています。曲作りもそうですが、僕はクリエイティブなことが好きで、メンバーの中でもアイデアをどんどん出すタイプです。ライブの構成やバラエティの企画など普段からすごく考えていて、思い浮かぶとメモに残しています。見た目で控えめな感じと思われることが多いですが、僕は大阪出身で、おしゃべりですし、お笑いが大好き。怖いもの知らずなんです(笑)。なかじま・そうた1999年8月18日生まれ、大阪府出身。ボーカル。幼稚園の頃からピアノ、中学1年生からギターと幼少期より音楽に親しむ。カメラが趣味で、メンバーを被写体に動画編集なども行う。シャツ¥24,200(ヒステリックグラマー TEL:03・3478・8471)パンツ¥29,000(ケネスフィールド×J.プレス オリジナルズ/J.プレス&サンズ 青山 TEL:03・6805・0315)シューズ¥25,300(ドクターマーチン/ドクターマーチン・エアウエア ジャパン TEL:03・6746・4860)その他は本人私物瀬口黎弥ニューシングルの収録曲の中で好きなのは「M.V.P.」。僕をはじめ、メンバーにも経験者が多いサッカーをモチーフにした楽曲で、どストレートな歌詞とトラックがすごくいい。泥くさくも熱い気持ちがありつつ、でも勇征と颯太が歌うことによって、FANTASTICSらしいフレッシュな感じに仕上がっています。最近、少し大人になりました。CL(LDH所属アーティストの動画配信サービス)ができてから、先輩と共演させていただく機会が増えたのですが、この間も収録の際に(小林)直己さん、(黒木)啓司さんに、「黎弥、好きにやっちゃっていいから」と言っていただいたので、すごくのびのびやることができたんです。昔はしっかりしないとと思うあまり、自分を出さないほうがいいのかなと思っていたのですが、もう取り繕わずに自分らしくいようと思えるようになりました。だから今、すごく楽しいです。CLでは自分たちで企画を考える機会も多いので、ラップやイラスト以外に、僕はバラエティの企画を考えるのも好きなんだなという新しい発見もありました。好きな’80年代カルチャーはチェッカーズさん。母が大ファンで昔から家で流れていました。僕、藤井フミヤさんに似ていると言っていただくことも多く、そのおかげでお母さん世代にも応援していただけているんです。「フミヤに似てるから、お母さんが黎弥くんにハマってる!」と(笑)。「ギザギザハートの子守唄」は完璧に歌えますよ!せぐち・れいや1996年3月11日生まれ、福岡県出身。パフォーマー。KYT鹿児島読売テレビの情報番組『かごピタ』にレポーターとして出演中。シャツ¥39,600(SYU.HOMME/FEMM/SEEING)シューズ¥141,900(オールデン/ラコタ)ハット¥22,550(カシラ/カシラ プレスルーム TEL:03・5773・3161)アイウェア¥28,380(レイバン/ルックスオティカジャパン カスタマーサービス TEL:03・3514・2950)その他はスタイリスト私物ファンタスティックス・フロム・エグザイル・トライブ2018年にデビューしたダンス&ボーカルグループ。ニューシングル『STOP FOR NOTHING』が発売中。リード曲は、EXILE HIROと佐藤可士和によるプロジェクトのテーマ曲。’80年代&’90年代をコンセプトにした冠番組『FUN! FUN! FANTASTICS』(Huluで配信中)の主題歌「Play Back」など、4曲を収録。※『anan』2021年6月23日号より。写真・森山将人(TRIVAL)スタイリスト・中瀬拓外松岡毬乃ヘア&メイク・大木利保中山伸二富樫あすか(以上CONTINUE)取材、文・菅野綾子保手濱奈美重信 綾撮影協力・AWABEESEASE(by anan編集部)
2021年06月22日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、みんなで回し読みした漫画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いころからアニメや漫画が大好き。アニメは主題歌の歌詞を、ノートに書き写したりして歌っていました。漫画雑誌は、付録も魅力でよく買ってもらっていたんですよね。紙を切り抜いて組み立てるカセットテープケースや、全員がもらえるキャラクターが描かれたポシェットに応募したりしました。4〜5年前、『弥生美術館』(東京都文京区)に寄贈したほど、当時の付録は大事に持っていました」こう幼少期を振り返るのは、落語家の林家きく姫さん(51)。漫画好きがさらに高じたのは、’79年、9歳のときに母親を亡くしたことが関係しているという。「膵臓がんでした。見つかったときはかなり進行していたようで、診断時に『あと半年くらいの命』と宣言されたそうです。悪化のスピードが本当に速くて、病院にお見舞いに行くたびに、ふくよかだった母は痩せていき、ついにはものが食べられなくなって、管につながれるように。“本当のことを言うとショックを受ける”と父や親戚が配慮したため、私は当時、病状を聞かされていなかったのですが、知っていれば、もっと母のそばにいることもできたって思うと……」母の死後、夜に父親が帰宅するまでの時間を、近所のいとこの家で過ごすようになった。「10歳以上も年上のいとこは漫画好きで、本棚にはたくさんの単行本がありました。それを学校から帰って夜まで、ずっと読むんですね。パラフィン紙に包まれてきれいに保存されていたから、汚さないように、指先に気をつけながら丁寧に読んでいました。母がいない寂しさを忘れるため、孤独を癒してもらうために、漫画を読んでいた部分はあります」夢中になった作品は、数知れない。「美内すずえ先生のホラー作品『妖鬼妃伝』(’81年)は、終電後に走る謎の地下鉄に乗ってたどり着いた異世界にまつわる話。現実に地下鉄に乗ったとき、路線の奥に続く暗闇を見て、“どこかに迷い込んでしまうんじゃないか”と怖くなったりしました。庄司陽子先生、里中満智子先生、池田理代子先生の作品もよく読みました。漫画家の先生のことを、小学生当時から“先生”と呼んで尊敬していました」同時期の漫画の中では、いとこの本棚にあった『パタリロ!』も忘れられない作品だったという。架空の島国であるマリネラの国王・パタリロが繰り広げるギャグ漫画だがーー。「ときにイギリスの敏腕諜報部員のバンコランとともに悪者と戦うスパイアクションも、見応えがありました。とにかく“パタリロ”という名前がユニークでインパクトがあるし、見た目のかわいさ、柔らかさも好き。ギャグのシーンと、シリアスなシーンではパタリロの顔がガラリと変わる。そのギャップも面白さのひとつでした」作中に織り込まれたギャグ「クックロビン音頭」は、アニメ化された際にレコードになっている。「片足立ちで、もう片方の足と両手をピンと一直線に伸ばし、体を前方に倒してTの字を作るため、かなりの体幹がないとできない踊りでしたけど、よく学校ではマネをしていました」
2021年06月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、恐怖に震えた心霊写真や怪奇現象の話。活躍する同世代の女性と一緒に、’80年代を振り返ってみましょうーー。’80年代は空前のオカルトブーム。夏休みの子どもたちは、午前中はプールに出かけ、午後はワイドショーの心霊写真のコーナー、夜は怪奇特番を楽しみにしていました。一部の小売店でも、心霊写真展などを開催していたようです」こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。それほどのブームになったのは、社会的背景もあるという。「’60年代から’70年代にかけて、日本は高度経済成長期を迎え、物質的に豊かになりました。その一方で“このまま科学技術を妄信していいのだろうか。人知を超えた大切なものがあるのではないか”と考える人も増えたのです」ベトナム戦争が泥沼化した時代、反戦運動、瞑想、サイケデリックなどに傾倒する“ヒッピー文化”も台頭。また、’69年のアポロ11号の月面着陸に人々は心を躍らせた。「UFOや宇宙人など、未知のものへの探求心がくすぐられたことも、オカルトブームの原動力になったのではないでしょうか」その言葉どおり、’70年代に入ると、ユリ・ゲラーのスプーン曲げを代表とする超能力、口裂け女やネッシー、ツチノコの目撃談など数々のブームが起こり、コンテンツも細分化されていく。「現代ではデジタル技術を使って、心霊写真など容易に加工できますが、当時は紙焼き写真。一般の人が合成するのは難しく、より一層、信憑性が高く感じられました。修学旅行などで日光の華厳の滝の前で記念撮影した際は、写真に“何か”が写り込んでいないか、探した人も多いはずです」’80年代には宜保愛子さんが登場し、「ノストラダムスの大予言」の関連本も飛ぶように売れた。だが、“地球が滅亡する”と予言された「一九九九の年、七の月」を過ぎると、ブームも下火に。「一連のオウム真理教の事件などの影響もあり、当時すでに大手メディアでは、現実社会を否定するようなオカルト番組を扱いづらくなっていた側面もあるでしょう」’00年代に入ると、『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』(’05〜’09年・テレビ朝日系)などで、オカルトとは似て非なる“スピリチュアル”が注目された。「かつて霊は“呪い”のようなマイナスのイメージでしたが、スピリチュアルでは“守護霊”など、プラスに捉えられることも多いのが特徴のひとつでしょう。物質的に豊かになり、科学技術が進歩しても、人は目に見えない“何か”に、心の拠りどころを求めてしまうものなのです」
2021年05月31日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、恐怖に震えた心霊写真や怪奇現象の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、’80年代を振り返ってみましょうーー。「運動は苦手でインドア派だったので、家ではよくテレビや雑誌を見ていました。心霊特集や怪奇現象特集にくぎ付けになっていて、いまでも好きで信じています」小・中学生時代を送った’80年代を振り返るのは、コラムニストで漫画家の辛酸なめ子さん(46)。たしかに’80年代は、テレビでも雑誌でも心霊特集が組まれていたし、とくに暑い夏の風物詩でもあった。なかでも辛酸さんが好きだったのは『お昼のワイドショー』(’68〜’87年・日本テレビ系)で、夏季に放送されていたワンコーナー「あなたの知らない世界」だ。視聴者から寄せられた心霊体験や写真を、心霊研究科で放送作家の新倉イワオさんが解説、分析する構成だった。「再現ドラマ仕立てになっていたので、リアリティがありました。いまでも覚えているのは、亡くなられた出演者の霊を呼ぶ回。私には見えませんでしたが、専門家によると“来ていた”みたいで。番組の放送は昼間なので、興味津々で見るんですが、夜、お風呂に入ってシャンプーをしているときに人の気配を感じたりして、怖くなるんですね」都内の有名中学に進学したころには、定番のコックリさんも体験。コックリさんとは、50音を書いた紙の上に置いた十円玉に、メンバー全員で人さし指などを添えて質問をすると、十円玉が50音の上を移動して1文字ずつ指し示し、その質問に答えてくれるというもの。いわゆる降霊術のひとつだ。「“その名”を言うと、呪いがかかるとかいわれているので、安易に口にはできませんが……(辛酸さんは決して“コックリさん”とは言わない)。何人かで“それ”をやっているとき、誰かが『私の行く大学は?』と質問したんですね。すると十円玉が動きだし、『あ』『お』『が』『く』と示したんです。明らかに強い意志の力を感じました」辛酸さんのオカルト熱はやまない。’80年代に一世を風靡した霊能者といえば宜保愛子さんだがーー。「かなりハマりました。宜保さんがフランスの宮殿でマリー・アントワネットを降霊した番組はいまでも覚えているくらい。漫画家になってから“Gibo&Aiko”というキャラクターが登場する作品を描いたのですが、『かわいいじゃない』と宜保さんは笑って許してくれたと、人伝に聞いています」こうした“見えない世界”への探究心はいまでも続いており、仕事で霊視や前世占いも体験。「青森のイタコに降霊してもらった亡き母が、『夢の中でも会いたいし、話がしたい。そう思ったり、考えてくれたりしてくれて、その気持ちがすごくうれしく思ったし』と、J-POPの歌詞みたいな言葉を発したのは印象的でした。前世を見てもらったこともたくさんあって、『キリストが十字架に磔にされるのを見て、嘲笑していた民衆の一人』だとか、さらに時代がさかのぼって『クレオパトラ6世』だとか言われました。ちなみに有名なのはクレオパトラ7世らしいです。『背中から切られた花魁』『纏足で逃げられず集団暴行された中国の女性』なんていう、悲しい前世もありました」幾度となく輪廻転生を繰り返してきた辛酸さん。いまも霊界との接点は感じるという。「北向きの暗い部屋に住んでいるとき、仕事をしていると激しい眠気に襲われて……。ぱっと目が覚め、原稿用紙を見ると、そこには悲しげな女性の顔が描かれていました。霊が“自動書記”をさせたのでしょうか。私が作品を描けるのも、あたりを彷徨っている霊魂が、何らかのインスピレーションを私に与えているからなのかもしれません……」信じるか信じないかは、あなたしだいだ。
2021年05月31日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に毎週楽しみにしていたドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「今朝もラジオの生放送を2時間やったんですけど、’80年代の曲は多いです。たまに’00年の曲をかけるときなんて、21年も前なのに『最新ヒットナンバーをかけちゃいましょう』みたいなノリになるんです(笑)。’80年代にテレビで見たアイドルの歌や振付、ドラマのセリフなんかも、ビデオ録画が簡単にはできなかった時代なのに、よく覚えていますよね。親に『テレビを近くで見ると目が悪くなる』と言われるくらい近づいて、集中して見ていたからなのかなあ」お笑いタレントのいとうあさこさん(50)は、幼いころからテレビが大好きだった。「’70年代は、やっぱりピンク・レディー。みんながミーちゃんをやって、私は低音が魅力的なケイちゃんのマネをしていました。『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)も、会場になっていた日本青年館が自宅の近くだったから、母親が応募してくれて何回か観覧を。会場に来ているコたちには志村けんさんが大人気でしたが、私は会場で『いかりやー!』って叫んでいました。AB型っていうのもあって、なんか変わってなきゃいけないみたいに思っていたのかなあ。“人と違う自分”にどこかニヤリとしていました(笑)」初めて美容室でパーマをかけたのは、聖子ちゃんカットに憧れたからだった。「パーマがかかりすぎて『ライオン丸』ってからかわれたなあ。フォトエッセイとかで見た聖子ちゃんの丸文字がかわいくて、当時はお習字に通っていたのに、丸文字の練習ばかりしていましたね。“原宿に行ったら、スカウトされる”って聞いて、自分の容姿も顧みず、竹下通りを何往復もしたり……(笑)」歌番組やバラエティで見るアイドルばかりでなく、’80年代に流行したドラマも、いまだに同年代の仲間との話題になるという。「当時のドラマソングをテーマにしたクイズで対決する番組に呼ばれたとき、“初めて(親ではなく)自分の意思で見たドラマは『あばれはっちゃく』(’79〜’85年・テレビ朝日系)でした”って話したら、スタジオでご一緒していた純烈の酒井一圭さんに『おれ、5代目だよ』って言われて、びっくりしました」数あるドラマのなかでも、インパクトを受けたのは、大映テレビが制作するドラマ。とくに『スチュワーデス物語』(’83〜’84年・TBS系)は忘れられないという。JALが全面協力し、堀ちえみ演じる“ドジでノロマなカメ”の訓練生・松本千秋が、村沢教官(風間杜夫)に指導されながら、当時は“スチュワーデス”とよばれていたCA(旅客機の客室乗務員)になるための研修を積み、大空へ飛び立っていくーーというドラマだが、突っ込みどころ満載のキャラ設定や演出が魅力だ。「そもそも千秋みたいな、こんなに何もできない人がスチュワーデスさんの学校に入れるわけがないじゃないですか(笑)。とくに記憶力がダメ。機内で提供するチーズの名前がまったく覚えられないんですから」ドラマでは村沢教官が“曲にのせたら覚えられる”と千秋に個人レッスン。『洒落男』のメロディで「オ〜レ〜はイギリス〜でいちばん、うまい〜といわれ〜るチーズ」と歌い始める。「まず、歌の1番にチーズの名前と特徴が出てこないんですよ。それで2番に入って、やっと青カビチーズとかの情報が出てくる。倣って歌う千秋を、村沢教官が『そいつはよかったな』『その調子だ』なんてほめるんですが、“このペースでは、絶対に間に合わないぞ”って、中学生の私でも突っ込んでいました」「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月10日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に毎週楽しみにしていたドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『スチュワーデス物語』(’83〜’84年)、『少女に何が起こったか』(’85年)など、’80年代は大映テレビが制作したドラマが人気を博しました。“大映ドラマ”とも言われるように、テレビ局ではなく制作会社の名前がメインとなるほど、過剰な演出やありえない設定などで、突き抜けた存在感を発揮しました」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。『スチュワーデス物語』では、堀ちえみ演じる訓練生・松本千秋が、驚くほど英語が苦手だったり、人前に出ると緊張してしまうシーンが思い出される。「現在のCA以上に女性の憧れの職業だった“スチュワーデス”になりたくて、『ドジでノロマなカメ』の千秋が一生懸命に努力し、少しずつ夢に近づいていくーー。その姿を“ありえないよ、こんなの”と笑いつつも、堀ちえみさんの初々しさのある演技と相まって、視聴者は応援していました」あまりの落ちこぼれぶりに最初は「何をやっているんだ」と呆れていた村沢教官(風間杜夫)が、次第に千秋に惹かれるようになっていったり、それを見て、かつて村沢教官が起こした事故のせいでピアノが弾けなくなった婚約者の真理子(片平なぎさ)が嫉妬や逆恨みをするなど、ドロドロとした愛憎劇も見どころだった。「まるで少女漫画のようなベタな展開ですが、恋愛にまつわる愛憎劇や、努力の末のサクセスストーリーなど、さまざまな要素が盛り込まれていました。さらに大映ドラマの常連俳優だった石立鉄男さんや長門裕之さんが演じる独特なキャラも、作品に厚みを出しました」ただし、現代のドラマのような複雑な伏線は、ほとんどない。「仕事に遊びに忙しく、若者の関心事が家の外にあった’80年代。だからこそお茶の間で見るドラマは、家族同士で笑ったりテレビに突っ込んだりしながら、リラックスできる内容が好まれたのです」こうした大映ドラマは、のちのテレビ番組にも影響を与えている可能性があるという。「『冬のソナタ』(’03〜’04年)、『私の名前はキム・サムスン』(’06年)など、初期ブームの韓流ドラマの展開は、大映ドラマに通じる少女漫画のテイストを感じます。浜崎あゆみさんの半生をモデルにした昨年のドラマ『M 愛すべき人がいて』で、田中みな実さんが怪演した、眼帯姿で主人公の恋敵となる強烈なキャラにも、大映イズムが受け継がれているのかもしれませんね」「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月10日タイメックス(TIMEX)から新作腕時計「タイメックス 80」が、2021年7月2日(金)チックタックなどで発売される。“80年代のゲーム”着想のデジタルウォッチ「タイメックス 80」は、1970年代から40年以上販売されてきたタイメックスの腕時計に、細かなアレンジや機能を追加した、新作モデルだ。ベースとなったのは、ブランドが誇る名作ウォッチ「クラシック・デジタル」。文字盤に刻まれたブランドロゴやグラフィックは、1980年代のアートワークやゲームなどから着想し、レトロ感とモダンさが共存するデザインに変更されている。機能面においては、文字盤全面が発光するインディグロ ナイトライト機能をはじめ、アラームやタイマー、カレンダーなどを搭載する。ゴムのように伸縮するエクスパンション&ブレスレットの2タイプまた、バンドは、ゴムのように伸び縮みするメタルエクスパンションタイプと、ブレスレットタイプの2型を用意。カラーは、それぞれゴールド・シルバー・ブラックの3色を用意する。【詳細】タイメックス 80発売時期:2021年7月2日(金)※エクスパンションバンド タイプは4月30日(金)よりAmazonにて、ブレスレット タイプは6月5日(土)よりオンタイム・ムーヴにて先行発売。販売店舗:チックタック、オンタイム・ムーヴなど時計専門店価格:・エクスパンションバンド タイプ(TW2R79000 / TW2R79100 / TW2R67000) 各8,800円(税込)・ブレスレット タイプ(TW2R79200 / TW2R79300 / TW2R79400) 各9,350円(税込)※TW2R79400のブラックモデルは発売が遅延する可能性あり。■スペックケース幅:34mmケース素材:レジンベルト素材:ステンレススチールブレス防水:3気圧防水機能:インディグロ ナイトライト、クロノグラフ、アラーム、タイマー、カレンダー
2021年05月03日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代におなかを抱えて笑ったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「スマホでイモ欽トリオさんの『ハイスクールララバイ』(’81年)をかけながら、エアドラムをたたいているようなイントロの振りつけをマネすると、5歳になる娘がすごく喜んで(笑)。で、『また、あれやって』ってせがむんです。私が’80年代にハマったものに、令和の子どももハマるんだって驚きます。それだけキャッチーで、ワクワクさせるものがあるんでしょうね」こう語るのは、タレントのはしのえみさん(47)。幼いころから、とにかくテレビが好きで、歌番組、バラエティ番組を見ては“あの中に私も入っていきたい!”と夢見ていたという。「ふだん学校では目立つことのない、ごく普通の女の子。でも、人前に立ちたい思いは強くて。母が日舞を教えていたんですが、発表会があると聞くと、いつもはやらないお稽古を急にしだすような子でした」アイドル全盛時代をけん引した松田聖子や小泉今日子を歌番組で見ては、自分もなりきった。「地元・鹿児島のテレビ局で生放送していたちびっこ歌合戦に出場したときは、松田聖子さんの『Rock’n Rouge』(’84年)を歌いました」’84年に公開された映画『生徒諸君!』は、母親と一緒に劇場に見に行ったという。「キョンキョンのショートヘアがかわいくて、私もマネしたんです。でも、もともとクセっ毛なのに短くしたものだから、チリチリに。キョンキョンとは大違いで、男子からはだいぶイジられました」バラエティ番組も好きで、とくに『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81〜’83年・フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの(欽どこ)』(’76〜’86年・テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊(欽)曜日』(’82〜85年・TBS系)は欠かさず見ていた。「『欽どこ』で、ズラリと並んだ食事を、ゲストのタレントさんが何から順番に手を付けていくか、当てるコーナーがあったのですが、私も真剣になって予想していました。『週刊(欽)曜日』の欽ちゃんバンドも大好きでしたね。音楽は歌番組のときにテレビの前にカセットデッキを置いて録音するか、貸しレコード屋さんで借りて聴くことがほとんどだったんですが、欽ちゃんの番組が生み出したイモ欽トリオさんの曲や、わらべさんの『めだかの兄妹』(’82年)『もしも明日が…。』(’83年)は自分でレコードを買って、歌も振付もマネしていました」「女性自身」2021年5月4日号 掲載
2021年04月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にみんながこぞって読んでいた本の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’65年から本格的に参戦したベトナム戦争、’70年代に2度発生したオイルショックなどで、アメリカの社会や経済は失速していました。ゆえに、レーガン政権(’81〜’89年)は豊かで強いアメリカを取り戻そうと、自国の商材や文化を世界へ積極的に発信したのです。日本でもバブル期にはディスコやサーフィンがはやり、トレンディドラマでは、人気女優がラルフローレンを着こなしました。なかでも、若者に多大な影響を及ぼしたのが、ハリウッド映画です」そう語るのは、トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。’70年代は『スター・ウォーズ』シリーズ(’78年〜)など宇宙や未来をテーマにしたSF作品が多かったハリウッド映画だが、’80年代に入ると、『インディ・ジョーンズ』シリーズ(’81年〜)といったアクション映画、『愛と青春の旅立ち』(’82年)のような恋愛映画が台頭。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85年)はSF、アクション、恋愛の3要素が盛り込まれたハイブリッド作品といえる。「インターネットが普及していなかった時代、ハリウッド映画は流行の発信源となり、日本人の生活スタイルに変化をもたらしました」たとえば、『E.T.』(’82年)で宅配ピザのシーンが映し出されたことをきっかけに、ある日本企業は宅配ピザのビジネスに参入、全国でチェーン展開を始めたほど。「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公はスケートボードの名人で、巧みに乗りこなしますが、その後、日本でもスケートボードが大ヒットしました。『カクテル』(’89年)公開時には、カクテルを作る道具一式が売れ、『ハスラー2』(’86年)を見た若者たちの間でビリヤードがはやり、プールバーが乱立したほどです」当然、日本企業もハリウッド俳優に目をつけた。「マイケル・J・フォックスがホンダ『インテグラ』のCMに出演(’89年)した際の“カッコインテグラ”というセリフは印象に残っている人も多いと思います」『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を代表とするハリウッド映画で描かれる大きな家、かっこいい車、おしゃれなダイナー、プロム(高校の卒業パーティ)の華やかさは、当時の日本の若者たちにとって、憧れの世界だった。「’80年代後半から始まったトレンディドラマや、『私をスキーに連れてって』(’87年)など“ホイチョイ三部作”と呼ばれる映画にも、大きな影響を与えたといえます。バブル期にアメリカナイズされた文化が席巻した背景には、ハリウッド映画の力があるのです」「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にみんながこぞって読んでいた本の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。’88年に出版された吉本ばななのデビュー作『キッチン』。’89年にすぐさま映画化(監督・森田芳光、主演・川原亜矢子)され、’89年3月に発売された『TUGUMI(つぐみ)』は、平成初のミリオンセラーを記録した。吉本ばななは’80年代の終わりに、文学界を彩った作家といえる。トレンド評論家の牛窪恵さん(53)は『キッチン』の《私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う》という始まりの一文が印象的だったという。「昭和の働く女性は、職場ではお茶くみ、飲み会ではお酌をするのが当たり前とされていました。バブル期に入り、そうした風潮への抵抗感もあって、多くの女性は肩パットに象徴される「肩肘張ったキャリアウーマン」に憧れました。ですがバブル終焉まで、社会は女性解放とはほど遠く、そうした女性が「オヤジギャル」と揶揄されることもあったほどです。だからこそ、当時まだ多数派だった専業主婦を連想させる『台所』が好きという表現が、逆に新鮮で、心に残ったのだと思います」物語では、祖母を亡くして天涯孤独となった主人公の女子大生が、祖母のお気に入りだった生花店のアルバイト男性と、ゲイバーを経営する男性の母親(元父親)との共同生活を通して、自分の居場所、自分らしい生き方を模索していく姿が描かれている。「ワンレンヘアで、ボディコンスーツに身を包み、ハイヒールで闊歩する“ザ・女子大生”が世をにぎわす一方で、流行に合わそうと頑張りすぎるより、自分らしく生きたいと願う女性もいました。こうした層を取り込んだ雑誌が「オリーブ」(マガジンハウス)です。アメリカナイズされたトレンドより“北欧テイスト”、キラキラしたレストランでのディナーより“おうちごはん”ーーそんな“オリーブ少女”たちが、『キッチン』を好んで読んだように思います」同時期である’87年にヒットした、現代の口語調を用いる短歌を収めた、俵万智の『サラダ記念日』にも、“オリーブ的ニュアンス”を感じるという。「手紙や交換日記に、短歌を書いて披露し合った人も多いのではないでしょうか。私も友人と《○○と君が言ったから、○○は○○記念日》と、代表的な短歌をアレンジしたりしていました(笑)」どちらの本も女性を意識したためか、装丁がおしゃれだ。「ブックバンドが大学生に人気だったので、“ジャケ買い”して持ち歩く女子大生も目立ちました」「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「今年、ついに50歳を迎え、“どうしましょうか?”っていう戸惑いを感じています。そんな私たち世代ですが、’80年代はまさしく青春そのもの(笑)。とくに高校時代に夢中になったテレビ番組は『ねるとん』です。環境的には男女共学、年齢的にも“モテ”に関してすごく興味があったころだったし」“くらたま”こと、マンガ家の倉田真由美さん(49)が思い出の番組に挙げたのは『ねるとん紅鯨団』(’87〜’94年・フジテレビ系)。通称『ねるとん』は、お見合いパーティの代名詞ともなり、男女の出会いの新たなスタイルを確立した。司会進行役は人気絶頂だった、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武。視聴者から募った男女それぞれ十数名の参加者が「ご対面」を果たした後、「第一印象」を語り、「フリータイム」で親交を深めていく。クライマックスとなる、男性から女性への「告白タイム」では「ちょっと待った」コールでライバルが出現したり、「ごめんなさい」とカップル不成立になったり、意外なカップルが誕生する「大どんでん返し」もあったりと、恋愛エンタメ要素が盛り込まれた。「どんな女性が男性ウケするのか、だいぶ勉強させてもらいました。思い返せば、’80年代はこうした情報も、すべてテレビが中心にあった時代でしたよね」もちろん倉田家でも、夜、子どもたちがお茶の間にいたのはテレビが見たかったから。「『花の子ルンルン』(’79〜’80年・テレビ朝日系)や、『宇宙刑事ギャバン』(’82〜’83年・テレビ朝日系)、ドラマでは『ヤヌスの鏡』(’85〜’86年・フジテレビ系)が当時のお気に入り。『GOGO!チアガール』(’80〜’81年・TBS系)の主役だった三原順子(現・じゅん子)さんは、不良っぽいところが好きだったのに、自民党という“宗教”を“布教”しているかのように感じる今の三原さんを見ると、悲しくなったりします(笑)」子どもが見たい番組がたくさんあったが、チャンネル権はあくまで父親のもの。「父が“ドリフ派”で、土曜の夜は『全員集合』(’69〜’85年・TBS系)を家族で見ていたから、裏番組の『ひょうきん族』(’81〜’89年・フジテレビ系)の話題にはついていけませんでした」学校での話題の中心は、前日のテレビ番組だった。「テレビの情報に敏感な子がクラスの人気者に。『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)の『○○でいいかな〜』「いいとも!」っていうやりとりをいち早く取り入れていましたね」そういえば、風邪で学校を休み、ふだんは見られない昼間の番組を見ると、優越感に浸ることができたりした。“ねるとん”が放送開始されたのは倉田さんの高校時代。「10代って、どういう環境で育つかによって、モノの見方が変わってくると思うんです。作家で友達の中村うさぎは、お嬢さま学校で育ったこともあって、ブランド主義的なところがあったそうです。私が育ったのは田舎の共学校で、女子のヒエラルキーで上位にくるのは、勉強ができたりスポーツが得意なコではなく、男子から好かれるコでした。だから“モテ”は重要なキーワード。当時、はやっていた“朝シャン(=朝にシャンプーをすること)”は欠かさなかったくらいです」「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月04日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「愛知県の瀬戸市にある田舎の高校に通っていたんですが、同じクラスに、なぜか名古屋から通っている女子が1人いて。もう、髪形やスカート丈も都会的に映って、まぶしかったんです。放課後に集まる場所ってマック(マクドナルド)しか知らなかったのに、そのコに『ジョン万次郎(バブル時代に出店が相次いだ洋風居酒屋)は?』って言われたときは“ジョン万次郎……?なんだ、それは!?”って、激しいカルチャーショックを受けました。じつは『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を買ったのも、そのオシャレなコのマネをしただけなんです」エッセイスト、女優、お笑いタレントなど、マルチな活躍をしている青木さやかさん(47)が“80年代の思い出の1冊”に挙げたのは、’82年に出版された、林真理子さんのデビュー作。このなかで《できるだけ正直にいろんなことを書こうと思ったのだが、書きすすむうちにあまりのエゲツなさにわれながら悲しくなってしまったことが何度もある》とつづる著者の、モテる女性への妬みやそねみをあけすけにしながら、女性を磨き、恋愛、仕事にも奮闘する姿が描かれたエッセイ集だ。「じっさいに購入したのは、’87年ごろ。当時は高校生だから、男の人との初めてのエッチのときに、電気を消すのか消さないのか、消す場合は誰が消すのかなど、自分より大人の話もあって、読んじゃいけないものを読んでしまっている背徳感もあったり。モテるコに対する嫉妬心みたいな、誰もが持っている性格の悪さを明るく表現していて、すごく共感できました。でも、当時は本の内容よりも、オシャレだから、という理由で、手に入れただけなんです」たしかに目を引くのは、表紙の昭和チックな女性のイラスト画、本の天地や小口が赤く染められ、持っているだけでイケてると思われる、ハイセンスな装丁。青木さんは部屋のインテリアとして、表紙が見える形で本棚に飾っていたとか。「吉本ばななさんの『キッチン』(’88年・福武書店)も、本棚にありましたね。中身はあまり理解できなかったんですが、わからないことが、むしろかっこいい感じがして。後に読むと、ああこんなに心に響く本だったのか、と」もともと、流行に敏感なわけではなかった。学校の教師をしている母親のしつけが厳しいこともあって、小学校時代は“全員集合”も“ひょうきん族”も見せてもらえなかったそう。「芸人になった後、(片岡)鶴太郎さんが『マッチでーす!』ってやってくれて、周りの芸人たちは大興奮するんだけど、私は当時を知らず、初めてなのでリアクションが遅れてしまうんですよね」中学生になり、テレビもやっと自由に見られるようになったころ、はやっていたドラマは『スクール☆ウォーズ』(’84年・TBS系)。「通っていたのは、ドラマと同じように”荒れた中学”で、毎日、どこかでガラスが割れたり、いま考えると意味がわかりませんが、隣の中学が攻めてきたり(笑)。私は字がすごくうまかったものだから、不良のコたちに、まるで親が書いたような体育の欠席届とかを、代筆してあげてたんです。おかげで、カツアゲされたお金を取り返してもらったりしました」「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月07日