声優事務所の81プロデュースが、2023年2月17日にウェブサイトを更新。所属声優の1人である津久井教生(つくい・きょうせい)さんが、筋萎縮性側索硬化症(通称:ALS)の進行を受け、気管切開の手術を行ったことを明かしました。津久井さんは1992年から、ニャンちゅう役としてNHKのさまざまな番組に出演していましたが、症状の進行を受け2022年11月に降板を発表。世代を超えて愛されてきた、ニャンちゅうの声優交代は世間に衝撃を与え、たくさんの惜しむ声や応援する声が上がりました。津久井教生、ALS進行で発声が困難な状況に国によって指定難病に登録されている、ALS。身体を動かすために必要な筋肉が萎縮することで、呼吸すら困難になってしまう恐ろしい病気です。以前からALSの治療を受けていた津久井さんは、今回、気管切開の手術を行うと同時に人工呼吸器を装着。それによって、声を出すことができなくなってしまったといいます。津久井さんの今後について、事務所は「今できることを模索し、これからも責任をもってマネジメントを続けていきたい」とつづりました。声優の仕事をしているにもかかわらず、声を失うつらさは、想像を絶するものでしょう。津久井さんはYouTubeに動画を公開し、想いを明かしています。動画の概要欄で「ALS罹患者としては、ここからがスタートな気がします」と前向きなコメントをしている、津久井さん。文章を読み上げる機能を使い、現状や今後について、動画を通して「ゆっくりと前に進みたい」という気持ちを多くの人に発信しました。今回の前向きな姿勢で難病と闘っている津久井さんに、多くの人からエールが寄せられています。・動画を見たら、以前と変わらない優しい笑顔で涙が出た。前向きな姿が本当にかっこいいです。・本当に心の強い人だなあ。声が出せなくなっても、ずっと大好きです。・声を仕事にしている人が声を失うのは、とてもつらいと思う。でも、命がご無事でよかった。どんなに大きな壁にぶつかっても、今できることを考えて努力する姿は、たくさんの人に勇気を与えてくれたようです。そして、全国から寄せられたエールは、津久井さんに元気を与えていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年02月17日美容家の佐伯チズさん(76)が3月23日に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患したことを公表した。「美のカリスマ」として活躍するチズさんの難病公表に、衝撃が広がっている。チズさんは同日ブログに掲載した動画で、「半年ほど前から右脚に違和感を感じ、昨年末には思うように動かすことができなくなりました」と経緯を語った。「この50年間、馬車馬のごとく頑張って参りました。入院や点滴もしたことがなかった」と明かしたチズさんは、「自分の健康、元気。これがあってこそのキレイだということを忘れないで」と訴えた。続けて「『夢は薬、諦めは毒』私はもう老春ですが、皆さんはまだ青春です」とし、「私まだまだ負けないわよ。皆さんに言ったことは続けていきますよ。だから一緒についてきてください」と力強く呼びかけた。現在は車椅子で移動しているというチズさんだが、「ひとりでも多くの方をキレイに」と願う気持ちは不変だ。その懸命な姿勢は、84年に死別した夫の存在も大きいようだ。「42歳でご主人を亡くしたチズさんは、美容に手がつかないほど落ち込みました。そんな時、友人から紹介されたクリスチャン・ディオールで働き始めることに。定年まで勤め上げられたのは、ご主人が生前に『弱音を吐かず頑張りなさい』と励ましてくれたおかげと語っていました」(美容誌関係者)そのいっぽうで、チズさんは定年後、別の苦悩が生じていた。17年11月に本誌で、家族のように慕っていたマネージャーに裏切られたことを明かした。会社や多額の資産を失ってしまったが、チズさんならではの“使命”に気付いたという。「『きれいにしてさしあげたい』と、お客さまの肌と対話するときは、ほかのことなんて考えられない。やっぱりお客さまあっての自分なんです」不屈の精神で難病に立ち向かおうとするチズさんに、多くのエールが寄せられている。《こんな時でも凛としている彼女を心から尊敬します》《佐伯チズさん、辛いですが 負けないで下さい。 応援しています》《「夢は薬。諦めは毒。」素晴らしい言葉。凛としていて今もお綺麗です。少しでも回復することを祈っています》
2020年03月23日「彼がALSと診断された約2カ月後に、プロポーズされました。心配する母の反対もありましたが、『彼と結婚したい!』という私の思いは変わりませんでした」色白の頬に柔和な笑みをたたえて話すのは武藤木綿子さん(35)。木綿子さんの夫・将胤さん(32)は、大手広告代理店「博報堂」の広告マンだった’14年10月、27歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の宣告を受けた。ALSとは体を動かす運動神経が変化して、だんだん壊れていく疾患。手足をはじめ体中の筋肉が少しずつ動かなくなっていき、声を出すこと、食べ物をのみ込むことさえ難しくなり、やがて自発呼吸もできなくなってしまう。その原因は解明されておらず、有効な治療法も開発されていない。日本では患者数が1万人ほどで、発症してからの平均余命は「5年ほど」とされている。発症からすでに6年ほどたった現在、将胤さんは呼吸障害や、食べ物が喉に詰まる嚥下障害による窒息などの事故を防ぐため、気管切開と胃ろう(おなかに通した管から栄養を摂取すること)をしており、経口の食事ができない。さらに手足も動かなくなってきており、自立歩行ができないため電動車いすで移動している状態だ。「結婚は彼がALSを発症してから。病気がわかっても、ポジティブに前を向く彼の夢をいっしょに実現していきたい!と強く思えたからでした」木綿子さんに支えられた将胤さんは、活動の枠を広げていく。「つらいのは・思うように・出したいときに・声を出せないことです。ラジオ(番組のパーソナリティ)や・フェス(東京・新木場STUDIO COASTで12月22日に開催される「MOVE FES.2019」)も・あるのに……」将胤さんが’17年に博報堂を退社して立ち上げた社団法人「WITH ALS」事務所の一室で、電動車いすに腰掛ける彼が、ゆっくりと口を開く。一語、一語、ときおり咳込みながら、気管切開の影響でかすれる声を懸命にふりしぼろうとしているのがわかる。ちょうど晩ごはんの時間だったので、木綿子さんが将胤さんに胃ろうを行う。その後、木綿子さんはスマホを持ち出し、夫のほうに「あ・い・う・え・お?」と問いかけ始めた。木綿子さんが「お」と言ったときに、将胤さんは右目でウインク。このように何回かのやりとりをして、将胤さんがウインクしたときの文字をスマホに打ち込み終わると、木綿子さんは再生ボタンを押した、すると……。「おなか・が・おもい」将胤さんとまったく同じ声質が、スマホのスピーカーから流れた。ふたりで一緒に笑い転げる。ちょっと食事の量が多かったよう。「これが、彼が共同開発したソフト『コエステーション』です。発語できなくなる恐れのある人がサンプルをあらかじめ取っておけば、本人の声がいつでも再生できるシステムなんです」東芝デジタルソリューションズが開発した「コエステーション」。あらかじめ10通りほどの例文を読みインプットすることで、アプリが音声合成。文字を入力すると本人の声で話してくれる。木綿子さんが説明すると、将胤さんは続けてその意義を力説する。「声が出なくても、意思を伝える手段は探せばいくつもある。その手段を前向きに考えて、決してあきらめてはいけない。有効活用できるテクノロジーを見つけて、多くの患者さんに使ってもらえる環境を作ることが僕の使命です」できることが少なくなっていくのがALSの特徴だが「その現状を打破したい!」という希望が、夫婦ふたりの結束を強固にする。「将胤さんと結婚して、『限界を作らない生き方』を教えられました。ALSは確かに残酷な病気ですが、夫婦の絆はより強くなりました。彼の夢が無限であるように、私も子どもを産む=母になることもあきらめずにトライしていきたいですね」ふたりの肩越しに、夫婦で合言葉にしている「ノーリミット、ユアライフ(人生に限界はない)」の文字が輝いて見えた。
2019年11月29日「彼がALSと診断された約2カ月後に、プロポーズされました。心配する母の反対もありましたが、『彼と結婚したい!』という私の思いは変わりませんでした」色白の頬に柔和な笑みをたたえて話すのは武藤木綿子さん(35)。木綿子さんの夫・将胤さん(32)は、大手広告代理店「博報堂」の広告マンだった’14年10月、27歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の宣告を受けた。ALSとは体を動かす運動神経が変化して、だんだん壊れていく疾患。手足をはじめ体中の筋肉が少しずつ動かなくなっていき、声を出すこと、食べ物をのみ込むことさえ難しくなり、やがて自発呼吸もできなくなってしまう。その原因は解明されておらず、有効な治療法も開発されていない。日本では患者数が1万人ほどで、発症してからの平均余命は「5年ほど」とされている。発症からすでに6年ほどたった現在、将胤さんは呼吸障害や、食べ物が喉に詰まる嚥下障害による窒息などの事故を防ぐため、気管切開と胃ろう(おなかに通した管から栄養を摂取すること)をしており、経口の食事ができない。さらに手足も動かなくなってきており、自立歩行ができないため電動車いすで移動している状態だ。「結婚は彼がALSを発症してから。病気がわかっても、ポジティブに前を向く彼の夢をいっしょに実現していきたい!と強く思えたからでした」寝ずの介助などもしながら、将胤さんと走り続けた4年間。木綿子さんは将胤さんからプロポーズされたときのことを振り返った。「大学時代にスカウトされて舞台女優やモデルとして活動していました。25歳を過ぎたあたりから、限界を感じるようになって。その後、資格を取ってエステティシャンをしていた’13年の夏に、彼と出会ったんです」仕事帰りの行きつけのバーで、店のバーテンダーに紹介されたのが将胤さんだった。「彼は社会のためにしたいこと、そのために学生時代から取り組んでいる活動などを、熱心に語ってくれました。『自分のアイデアで社会を明るくしたい』と。そのひた向きさに、年下のかわいらしさを感じて引かれたんです」何度も食事をしているうちに、「結婚を前提に考えている」と彼に言われたのだという。気持ちの結びつきが強くなるなかで、木綿子さんには心配なことが少しずつ、増えていく。「彼は身長178センチ、体重78キロで、ガッチリとした体躯でしたが、手足がしびれたり、何もないところでつまずいたりと、身体的な不調が見られるようになったんです。『寝ないで仕事することもある』という多忙さからくる疲れかと思っていたんですが……」交際して丸1年以上がたった’14年10月27日に、将胤さんは難病ALSの「宣告」を受けた。「彼は、私に知らせずにひとりで検査や診察を受けていました。『不調はきちんと治してから結婚したい』という思いだったと思います。そして、セカンドオピニオンのために受診した東北大学病院で、病名を告げられたんです」診断された直後の将胤さんは、木綿子さんに電話で報告している。そこでは「やっぱりALSだったよ」と平然と言ったそうだ。「ものすごい葛藤があっただろうに、気持ちの切り替えがすごい人だなと私は思った。『ALSの啓発活動は僕のミッションだ!ALS患者として担うことになった役割を果たすんだ』明るく話していた彼の口調に『この人、すごい人だ!この人といっしょの人生を歩みたい』と決心しました」それでも後から「じわじわと悲しみが襲ってきた」と木綿子さん。「結婚の話に加えて、『子どもは何人ほしい?』とか『名前はどうしよう?』と話していました。でもALSとわかった後は、そういう話はしなくなりました」そして、その年の12月13日、木綿子さんの31回目の誕生日に、将胤さんのプロポーズを受けた。「絶対幸せにします。結婚してください!」決意が揺るがなかった木綿子さんは後日、プロポーズを受け入れることを母に報告。母もいったんは喜んでくれていたというが……。「数日すると電話がかかってきて、『やっぱり病気のことが心配。お母さんは反対です』と」木綿子さんは、母の電話のあと、しばらく考えてみることにした。「でも結論が『結婚をやめる』とはなりませんでした。病気は『結婚する、しない』とは関係ない。“車いすの物理学者”ホーキング博士は20代で発症して76歳まで長生きしましたし、彼だって生きられるはずと信じていました」そして何より、「自分自身の人生に、彼が必要だ」と確信していた。「将胤さんとの結婚は、私の“前向きな人生”のスタートでもあったんです」
2019年11月29日「結婚は彼がALSを発症してから。病気がわかっても、ポジティブに前を向く彼の夢をいっしょに実現していきたい!と強く思えたからでした」色白の頬に柔和な笑みをたたえて話すのは武藤木綿子さん(35)。木綿子さんの夫・将胤さん(32)は、大手広告代理店「博報堂」の広告マンだった’14年10月、27歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の宣告を受けた。ALSとは体を動かす運動神経が変化して、だんだん壊れていく疾患。手足をはじめ体中の筋肉が少しずつ動かなくなっていき、声を出すこと、食べ物をのみ込むことさえ難しくなり、やがて自発呼吸もできなくなってしまう。その原因は解明されておらず、有効な治療法も開発されていない。日本では患者数が1万人ほどで、発症してからの平均余命は「5年ほど」とされている。発症からすでに6年ほどたった現在、将胤さんは呼吸障害や、食べ物が喉に詰まる嚥下障害による窒息などの事故を防ぐため、気管切開と胃ろう(おなかに通した管から栄養を摂取すること)をしており、経口の食事ができない。さらに手足も動かなくなってきており、自立歩行ができないため電動車いすで移動している状態だ。「彼がALSと診断された約2カ月後に、プロポーズされました。心配する母の反対もありましたが、『彼と結婚したい!』という私の思いは変わりませんでした」’15年9月5日、ふたりは軽井沢で結婚式を挙げた。「自分らしい生活ができない、そして、支える家族の負担が増す。自分も家族も心身ともに疲弊してします……それがALS患者本人と家族の闘病の現実です」結婚して4年半、木綿子さんは、これまでに抱えてきた大きな困難を思い返していた。「彼より早く起きて、夜は彼より遅くに寝ます。デスクワークでも人一倍疲れる彼は、ソファで寝てしまうと脱力して、起きて立ってもらうのもひと苦労です。私は入浴中でもお風呂から『起きてる?』と声をかけるんです」慣れないうちは、着替えひとつスムーズに進まず、髪形を整えるのも、将胤さんの「こだわり」を木綿子さんがわからずに、衝突したという。「私だって一生懸命やっているのに……と思ってぶつかり、家を飛び出したこともありました。私が不眠になってしまったり、胃炎で通院したり、物に当たったり……『私がなんとかしなくちゃ』という思いが強すぎて、いっぱいいっぱいになっていた」いわば「ワンオペ介助」の状態に陥っていたと木綿子さん。若くしてALSを発症したため、40歳以上から適用される介護保険が使えないという厳しい現実も夫婦を苦しめていた。しかし、ここからふたりの困難を乗り越える挑戦が加速する。「車いすを購入するのも自己負担です。それでも夫は保険適用できない人たちのために、カーシェアシステムをヒントに、クラウドファンディングで資金を募って次世代型電動車いす『WHILL』を4台購入し、レンタルシェアサービスを始めたんです」さらに、将胤さん自らが行政と交渉し、障害者総合支援法に基づく公的支援「重度訪問介護」を受けられることになった。それにより、’17年4月に、1日3時間からスタートして、現在では20時間、ヘルパーに来てもらえるという支援が実現して、今日に至っているのだ。「ALS患者は、いずれ24時間の介護態勢が必要になってきます。そのために彼は、『将来起こることを想定して、先手、先手で対応策を』と考えているんです」木綿子さんに支えられた将胤さんは、活動の枠を広げていく。東京・新木場STUDIO COASTで12月22日に開催される「MOVE FES.2019」は、将胤さんが’17年に博報堂を退社して立ち上げた社団法人「WITH ALS」代表として総合プロデューサーを務めるイベント。ALS患者のみならず、すべての人が有限な時間の中で生きているということ、それでも強いVISIONがあれば、どんな人生だって無限に切り開けるというメッセージを打ち出す音楽フェスだ。将胤さんの脳波をコンピューターで読み取り、テキスト化してラップの演奏を行う近未来型「BRAIN RAP」もお披露目される。「声が出なくても、意思を伝える手段は探せばいくつもある。その手段を前向きに考えて、決してあきらめてはいけない。有効活用できるテクノロジーを見つけて、多くの患者さんに使ってもらえる環境を作ることが僕の使命です」(将胤さん)
2019年11月29日ニャンちゅうの声優を務める津久井教生(58)が10月1日、筋萎縮性側索硬化症・ALSと診断されたことを公表した。ブログに「出来る限り前に進む」とつづった津久井。その前向きな姿勢にエールが相次いでいる。8月25日、ブログで「3月くらいから違和感を覚えて、4月&5月に顕著に体調不備があらわれ病院に通っていた」と明かしていた津久井。「なにぶんにも病名がはっきりしないので、ドクターの皆さんたちにおまかせしてしっかりと診てもらいます」とつづり、検査入院するとも伝えていた。「名無しのごんべぇの病気」などとつづってきた津久井だが10月1日、ブログでALSと診断されたことを報告。「症状も個人差が激しく、かなりきつい病気ですが… なんと今のところ『声』だけは無事の状態でいます」「事務所と話を重ねて、家族の力も借りて『出来る限り前に進む』感じで歩き出すことにしました」とつづった。また「神様が色々なものを残して下さったので、そこを大事にしながら、そして治療法が無いのであれば、ドクター・理学療法・作業療法の方たちと活路を見つける勢いで進んでいけたらと思っています」と明かし、「皆さま、今後とも応援をどうぞよろしくお願いします」と結んだ。Twitterで《たくさんの皆さんにご心配をおかけしていますが、私(津久井教生)の病気のことについて書いてあります》と投稿し、ブログを告知した津久井。ツイートは2日で1万件のリツイートと1.1万件の“いいね”を記録するほど大きな反響を呼んでいる。そんな難病を公表した津久井に、声優仲間からエールが送られている。「らんま1/2」の早乙女乱馬役や「名探偵コナン」の工藤新一役を務める山口勝平(54)は《教生さんの心中をお察しするとたまらないものがありますが、前を向く姿勢に、勇気をいただきました。応援しています!また仕事でもご一緒出来ますように》と送り、「美少女戦士セーラームーン」のセーラーヴィーナス役・深見梨加(56)は《治る魔法かけといた 信じて》とたくさんの絵文字をつけて応援。津久井は《応援パワーいただきました、バッチリと前に進みたいと思います♪ また何かでご一緒しましょう♪》《治る魔法にかかりました♪ バッチリと前に進みたいと思います♪》とそれぞれにリプライしている。3日にもブログを更新し、「発表から一夜明けて、ニュースにしていただいたおかげで、素敵な応援がたくさん届いていて驚きました」とつづった津久井。続けて「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」(NHK Eテレ)の収録に参加したと明かし、「本当に歩くのに難がある以外は元気なのです」と報告。さらに「なかなか知られていないALSに関してもこれから勉強して、自分に起こっていることを皆さんに発信できればとも思っています」とし、「津久井教生は『ALSとつきあいながらしっかりとお仕事や生活をしていく』つもりです。そして…これからも仲間たちと楽しいものを作っていければと思います」と意気込んでいる。難病となりながらも「出来る限り前に進む」「ALSについて発信していく」とし、さらに「ALSとつきあいながらしっかりとお仕事や生活をしていく」と前向きな気持ちをつづった津久井。ネットではその姿勢にエールが上がっている。《小さい頃はニャンちゅうを観て育ちました。あの独特な声がとても好きです。難病ということでとても心配ですが、発声は可能とのことでほっとしています。大変だとは思いますが出切る限り続けていただけたらと思います》《神がかりとかあまり信じない方だけれど、声だけは大丈夫というのが津久井さんの声を必要としている人が多いからこそのようにも思えるので、病気に負けずにいい声を聞かせ続けてほしいです》《津久井さんの頑張る姿が励みになる人がきっとたくさんいます。応援しています!》
2019年10月03日京都大学と和歌山県立医科大学による共同研究グループはこのほど、神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因タンパク質の異常構造を、特異的に認識して分解する仕組みを発見したと明らかにした。ALS病態の解明と治療法開発へつながる可能性があるという。同研究は、京都大学大学院 医学研究科の漆谷真准教授らのグループが実施したもので、英国科学誌「Scientific Reports」誌に掲載された。筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、随意運動を司る神経がほぼ選択的に死滅し、全身の筋肉の萎縮と筋力低下を進行性にきたす神経難病。重篤な神経難病の一つであるが病態は不明で、根治的な治療法も存在しない。ただ、以前からALSの病巣に異常凝集物が蓄積する現象は知られており、近年 「TDP-43」というタンパク質が主な成分と判明したことから、治療標的として注目を浴びている。研究チームは今回、がん関連タンパク質「von Hippel Lindau(VHL: がん抑制遺伝子の一つ)」と「Cullin2(CUL2)」からなるユビキチンリガーゼ複合体が、ALSで出現する病的なTDP-43と結合し、ユビキチン化とプロテアソームでの分解を促進することを発見した。標識した TDP-43タンパク質を「ユビキチン・プロテアソーム系」(ユビキチンという小さなタンパク質を標識に用いて、標的となるタンパク質を特異的に分解するタンパク質分解機構)に必要な分子を含む細胞破砕液と混ぜてユビキチン化反応を起こし、ReCLIP法という方法でユビキチン化の過程でTDP-43と架橋剤で結合させられたタンパク質を回収。結合を解離させた後に質量解析を行い、アミノ酸配列を同定した。さらに、同定された分子が病的なTDP-43のユビキチン化や分解、さらにALSの病態とどのように関連するかを調べるべく、培養細胞の遺伝子導入実験や独自の抗体を用いたALS患者組織の組織化学解析を行った。質量解析の結果、VHLとCUL2からなるユビキチンリガーゼ複合体が、ALSで出現する病的なTDP-43と結合し、ユビキチン化とプロテアソームでの分解を促進することを発見した。また、TDP-43分子の中で異常構造の目印となる配列(246番グルタミン)を特定。一方で、培養細胞ではVHLタンパク質のみが過剰になると、むしろTDP-43は異常に蓄積し、病的な凝集および封入体形成を促進するというALS病態の悪化を再現した。さらにTDP-43 の機能が低下すると、VHLタンパク量が増加することが確認されたという。ALS患者脊髄の観察により、VHLは「オリゴデンドロサイト」というグリア細胞(神経細胞の周囲にあり、形態維持や栄養補給を行う細胞)内の細胞質に存在し、「グリア細胞質封入体(GCI)」と呼ばれる病的な封入体で異常なTDP-43と共存しており、VHL/CUL2の機能不全が同細胞の凝集体形成の背景にあることが示唆された。以上の結果より、正常人が持つTDP-43タンパク質がALS発症に関係する異常構造体に転換した際に、それを認識し排除する仕組みが存在し、その一つがVHL/CUL2 複合体であることが示されたという。
2016年01月15日リース・ウィザースプーンとレニー・ゼルウィガーが18日(現地時間)、ロサンゼルスでALS(筋萎縮性側索硬化症)撲滅を目指すチャリティ・ウォークに参加した。リースとレニーのパブリシストを務めるナンシー・ライダーがALS患者であることから、2人は彼女へのサポートの意を込めて、「チーム・ナンシー」とプリントされたTシャツを着て、2マイル(約3.2キロ)のウォーキングに参加した。リースはインスタグラムにナンシーとのツーショットをアップし、「私の大切な友人、ナンシーが2年前にALSと診断されました。治療研究を支援するために、どうか、#WalktodefeatALSに寄付してください。大好きよ、ナンシー。みんなでこの恐ろしい病を倒しましょう!」とコメントを添えた。「チーム・ナンシー」にはリースの娘のエイヴァと夫のジム・トス、レニーの恋人でミュージシャンのドイル・ブラムホール、コートニー・コックスと娘のココ・アークエットも参加。約2,000人の参加者の中にはチャリティ・ウォークにはマイリー・サイラスの姿もあった。(text:Yuki Tominaga)
2015年10月20日先日、第87回アカデミー賞にてジュリアン・ムーアに「主演女優賞」をもたらした『アリスのままで』の共同監督リチャード・グラッツァーが、現地時間3月10日、ALS(筋委縮性側索硬化症)のために亡くなっていたことが分かった。63才だった。本作は、若年性アルツハイマーに冒された言語学者であり、妻、そして母である女性アリスを主人公にしたリサ・ジェノヴァによる同名原作小説を、グラッツァー監督とパートナーのウォッシュ・ウェストモアランド監督が脚色し、映画化。少しずつ記憶や知識が抜け落ちていくアリスを熱演したジュリアンは、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞(ドラマ部門)、英国アカデミー賞から女性映画批評家協会賞まで、本年度の賞レースにおいて「主演女優賞」をほぼ総ナメにした。グラッツァー監督は1952年1月28日に生まれ、ロングアイランドで育ち、ヴァージニア大学を卒業。ウェストモアランド監督と共同で、サンダンス映画祭で「グランプリ(審査員大賞)」「観客賞」のW受賞を果たした『Quinceanera』(06/原題)、トロント国際映画祭で称賛されたケビン・クライン、ダコタ・ファニング共演のアクション俳優エロール・フリンの伝記映画『The Last of Robin Hood』(13/原題)などの脚本・監督を手掛けてきた。2011年、本作の企画立ち上げの後にALSと診断されてからも、懸命に製作に取り組み、現場ではi-Padを使ってスタッフやキャストへの指示を出しながら撮影を行っていたという。本作は、若年性アルツハイマー病を患うアリスを自分自身に置き換えながら描いた渾身作であり、ジュリアンもオスカーの受賞スピーチで、授賞式直前に急きょ入院した監督について言及していた。配給会社のソニークラシックの共同経営者マイケル・ベーカー、トム・バーナード両氏は、「たぐいまれな才能を持つ彼と共に働き、彼を知る全ての人にとって、大いなる喪失だ」とコメント。また、公私にわたるパートナーであったウェストモアランド監督は「非常にショックを受けている。リッチと私はソウルメイトであり、共同製作者であり、親友であり、私の人生でもあった」と語り、「この4年間、彼のALSとの闘いを見守り、私だけではなく、彼を知る全ての人がその品位と勇気に刺激を受けた。この苦しいときの中、『アリスのままで』を世界に送り出す機会を得たことは、安らぎでもあった。彼はこの映画に全身全霊をかけて打ち込み、こんなにもたくさんの人々を感動させたことは彼にとって喜びだったと思う」と、悲しみのコメントを発表。ジュリアンも自身のTwitterを更新、監督について語ったNYタイムズの記事とともに「i love you richard.」という言葉を寄せている。(text:cinemacafe.net)
2015年03月12日