ロックバンド『X JAPAN』のベーシストである、HEATH(ひーす)さんの逝去が、2023年11月7日に一部週刊誌で報道されました。突然の訃報に、多くの人から悲しみの声があがっています。HEATHさん報道後、Toshlが初のブログ更新HEATHさんの逝去が報じられた2日後の同月9日、『X JAPAN』のボーカルであるミュージシャンの龍玄とし(Toshl)さんは、自身のブログを更新。青空などの写真を添えて、こうメッセージをつづりました。見上げれば、空は ただただ広がっていていつまでも どこまでも大切なあなたと つながっているんだ目を閉じれば、心の中深く深く熱く、そして、静かに 清廉にありがとう が ただただ広がり続ける僕は決して忘れません。どんな時も、大切なあなたに見護られているから安心して、また一歩前へ 踏み出すことができることを、、、龍玄としオフィシャル・ブログーより引用名前は出ていないものの「大切なあなた」「僕は決して忘れません」という言葉は、HEATHさんに向けたものなのかもしれません。大切な人を突然亡くすつらさは、計り知れないもの。Toshlさんをはじめほかのメンバーも、まだ心の整理がついていないことでしょう。Toshlさんの投稿には、ファンから励ましの言葉や感謝の声が次々と寄せられました。・私たち以上につらいはずなのに、ブログを更新してくれてありがとう。ゆっくり穏やかな時を過ごせますように。・どうか無理せず、ご自身のお身体をお大事にしてください。・これからもとしさんを応援していきます!Toshlさんは、HEATHさんの訃報を受けて、追悼の意をブログにしたためたのかもしれません。天国のHEATHさんに見守られながら、これからもToshlさんはその歌声で、多くの人を勇気づけることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年11月09日「Toshlさんが先月、バラエティ番組で歌った新曲『叫 SAKEBE』の歌詞に、《虚言狂言イイ加減》《偽善平然マジ唖然》といった単語が含まれていたんです。もちろん作詞作曲はToshlさんです。放送終了後のSNSには、《完全にYOSHIKIにケンカ売ってる》《どう考えてもYOSHIKIのこと》というコメントが並んでいました」番組放送後、Toshl(57)は自らのインターネット番組でこの曲が「特定の人物にあてたものではない」と説明し、“スッキリすがすがしい人生をおくろう”という意味だと説明している。「そもそもX JAPANは、幼稚園のころから幼馴染だったYOSHIKIさんとToshlさんが小学6年生のときに立ち上げたバンドが源流となっています。高校2年生で、前身となる『X』を結成し、89年に『紅』でメジャーデビューしてトップアーティストの仲間入りを果たします。しかし97年にToshlさんが洗脳騒動で脱退。YOSHIKIさんの『代わりのボーカルがいない』という鶴の一声で解散したのです。07年に再結成して、海外での活動を次々と成功させていきますが、Toshlさんの復帰以降、それぞれのメンバーはYOSHIKIさんが統括する音楽出版社と契約する方式をとっているといいます。4年ほど前にToshlさんの出演料を巡ってトラブルがあったようで、それ以降、2人の仲は急速に冷え込んだそうです」(音楽関係者)別の音楽関係者も言う。「さらに昨年、Toshlさんが知らないとことでX JAPANが参加する新作ゲームの話が進んでいたことが決定的な亀裂になったそうです。YOSHIKIさん側は『もちろんToshlさんサイドに事前に話は通している』と、お互いの主張が食い違ってしまった。いまやToshlさんは『今のYOSHIKIとは仕事はしたくない』と近しい人たちに話しているそうです。現在、YOSHIKIさんとToshlさんのやりとりは弁護士を介して行われているといいます」Toshlのそんな怒りが『叫 SAKEBE』には秘められていたのか――。「実は原案の歌詞は“恨み節”の色合いがより濃かったようです。その歌詞には《自伝仰天ホラペテン》《遅延永遠モウ絶縁》といった一説がありました。確かにYOSHIKIさんは09年に20万部を突破した自伝を出していますが、何かToshlさんには気に入らない部分があったのでしょうか……。もろもろ検討の結果、書き直したのが、現在の歌詞になったようです」(前出・音楽関係者)Toshlの事務所に、原案の歌詞の意味やYOSHIKIとの不仲について聞いてみたが、期日までに返答は得られなかった。Toshlの叫びはどこへ届くのか――。
2023年02月11日【音楽通信】第122回目に登場するのは、圧倒的な歌声が幅広い世代に支持されている、日本を代表するシンガー、Toshlさん!小学校の全校生徒の前で歌ったことが歌の原風景【音楽通信】vol. 122その卓越した表現力や一瞬で心をつかむハイトーンボイスなど、圧倒的な歌声が多くの人たちに支持されている、日本を代表するシンガーのToshlさん。音楽活動はもちろんのこと、絵画展を開催するなど、クリエイティブな才能を発揮し続けています。近年は多くのバラエティ番組への出演によって、お茶の間でも注目が集まり、世代を超えてファンが増加しています。そんなToshlさんが、2018年から発表している名曲カバーアルバム“IM A SINGER”シリーズの第3弾となる『IM A SINGER VOL.3』を9月28日にリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――あらためてToshlさんの幼い頃の音楽環境から教えてください。母親がピアノ講師で、自宅でピアノ教室を開いていたものですから、小さい頃から家ではピアノの音が鳴っていました。ですが、ピアノを習ったことはなく、歌いたいがために独学でコードを練習するという環境。兄はフォークギターを弾いていたので、10歳ぐらいのときには、自分でも必然的にギターを弾きはじめるようになって。当時は、テレビの音楽番組やラジオの歌謡番組が好きで、よく観て聴いていた子どもでした。楽器を弾いたり、歌を歌いたいときは、当時はまだカラオケがない時代で、自分で伴奏をするしかなかったんです。その頃はアイドルが出ている雑誌『平凡』などを買うと、付録に歌本といわれるヒット曲の歌詞やコードが書いてあったので、知っている曲も知らない曲も、勝手に弾いて歌い始めた、というのが“自分で歌うことの始まり”だったと思います。――歌うことが楽しいと思った理由はなんだったのでしょうか。当時、バスに乗って下水処理場などを社会見学するような「学習旅行」というものがありまして、バスの中でみんなで歌うので、マイクがまわってくるんです。そのときに二葉百合子さんという、浪曲の歌手の方が発表した当時大ヒットしていた曲「岸壁の母」を歌ったんです。すると、大喝采を浴びまして。僕が女性の高い声でこぶしで歌うような曲を歌ったものですから、担任の先生がいたく感激をされて「あなたは今度、全校朝会で歌いなさい」と言われて、当時は全校生徒が1,500人ぐらいいたのですが、全校生徒の前で歌って1,500人から拍手喝采を浴びました。それから何度か、そういった機会を先生が設けてくださったので、何度も歌を歌って。「気持ちいいもんだな」「人前で歌うと拍手をもらえるんだ、歓声を受けるんだ」ということが、子ども心にすごくうれしかった。それが歌うということの原風景になっていると思います。――歌番組はもちろん、近年ではバラエティ番組にも参加されていますが、もともとバラエティ番組へ出演するきっかけはあったのでしょうか。歌を歌うことや人間関係について、行き詰まりを感じていた時期に、「新しいことにチャレンジしてみたい」と思ったことがきっかけですね。とはいえ、新しいことにチャレンジするときは不安もありましたが、まわりの信頼できるスタッフが後押しをしてくれたので、重い腰を上げて。そうすると「こういうオファーが来ています、こんな企画も」と、スタッフがバラエティへのチャレンジに誘ってくれたんです。最初は、僕がスイーツ好きだということを調べてくださった番組の方からの企画で、スイーツのロケをする番組でした。「スイーツのロケ?」と、最初はイヤイヤ参加していて(苦笑)。ですが、現場に行ったときに、スタッフのみなさんが一生懸命番組を作っていらっしゃる姿を目にして、考えが変わりました。その現場では、僕がテレビに出始めた頃と違って、カメラマンもアシスタントの方も、音声さんも音響さんも、ディレクターもプロデューサーも女性の方が多くて。スタッフの半数くらいの方が、女性という現場だったんです。その女性のスタッフの方々が汗をびっしょりかきながら、重い荷物を持って、一生懸命やってくださっているのを感じて、自分がイヤイヤそこにやらされる感いっぱいで参加しているのが恥ずかしくなって。みんなこうやっていい番組を作ろうと汗水たらしているのに、自分はなんなんだと。参加するには、みんなでいい番組を作らなくてはと反省しました。そこからですね。いまでも葛藤があるときもありますが、やると決めたら、音楽でもバラエティ番組でもなんでも、どんな仕事にしてもみんな真剣にやっているんだから、自分もそれ以上の気持ちでやらないとダメだと思って取り組んでいます。そこから始まったことが、いまの活動につながっています。――わが家の小学生の子どもも、バラエティ番組のToshlさんの歌を聴いて「あの歌のすごい人だ」と言っていますし、幅広い年代の方から反響があるのではないでしょうか。本当にうれしいですね。長い間歌ってきたなかで、いまが一番ポピュラリティーがあるとありがたく感じています。おっしゃってくださったように、子どもたちが応援してくれたり、「歌がうまいおじちゃん」と言ってくれたり(笑)、老若男女世代を超えたさまざまな方々の声はSNS等でメッセージを拝読することもあります。それが推進力にもなりますし、自分の殻を破って楽しくチャレンジしていくと、その先に必ず新しい感動があるんだな、と肌で感じていて。少しずつでも前に進んでいくこと、チャレンジすることは尊いことだなと思っています。ディズニー3部作が原点となったカバーアルバム――2022年9月28日に、カバーアルバムの大ヒット企画「IM A SINGER」シリーズの第3弾『IM A SINGER VOL.3』をリリースされます。前作から3年ぶりのタイミングとなりますね。いままで1年に1枚カバーアルバムを出してきたのですが、コロナ禍になりまして、全世界的に閉塞して萎縮する事態に直面して、一度アルバムの制作を延期にしていて。やっと第3弾が完成しました。歌いたいのに歌えない、届けたいのに届けられない、声を出したいのに出せないとなると、気持ちがヒリヒリしましたが、逆に、歌を歌うようになって以来一番「歌いたいんだ」という思いが湧き上がってきました。じゃあ、この状況のなかで歌うようにするには、どうしたらいいかとなったときに、今しかできないこと、今だからこそやりたいことを考えました。まず、最初に、キャンセルで空きが出ていた大きなコンサートホールをお借りして、たったひとりだけのお客さまの前で歌を歌うコンサートを開催する企画をしました。僕がお客さまになったら、たったひとりでコンサートホールを独り占めにして、推しのアーティストの歌をじっくり聴いてみたいですから。こんなこと、今しかできないな、と思いつきました。また、自粛ムードであらゆる仕事などもキャンセルとなり外出も憚れるような時期はひたすら絵を描いて、金沢21世紀美術館で美術展を、人数を制限させていただきながら開催させていただきました。どんな逆境でも匍匐前進して、運命を切り開いてやると決め、「プロジェクト運命」と名づけて、関係者の方々のご協力やファンのみなさんの心強い応援もいただきながら表現活動を続けることができました。深く感謝しています。そして今回、『IM A SINGER VOL.3』を届けることができてうれしいです。――今作には、ディズニー3部作が収録されていますね。音楽番組『題名のない音楽会』(テレビ朝日系 土曜午前10時)で披露され、同番組の司会者で俳優の石丸幹二さんとのデュエット曲「美女と野獣」、「イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに」、新たにカバーされた「スピーチレス~心の声」。ディズニーの名曲を歌いたいお気持ちが強かったそうですね。今回のアルバムに収録したい曲、歌いたい曲はたくさんあって当初悩みましたが、まずはやっぱりディズニーの曲が歌いたいと強く思いました。レコード会社の方がディズニーさんに打診してくださって、3曲歌ってもいいですよ、と言っていただいて。「3曲も歌っていいの!?」となって(笑)、厳選したのが今回の3曲です。今作は、ディズニーの音楽が、最初のスタート地点。世界中で多くの方が知っている楽曲であるということと、自分が感動した音楽であること、映画ももちろん素晴らしいということ。一番思い出深い曲は、「美女と野獣」なんです。24歳の時に、アメリカのロサンゼルスに渡って暮らしていたことがありました。その頃、ロサンゼルスのダウンタウンというエリアで、「ビューティー・アンド・ザ・ビースト」というミュージカルが公開されて。さっそく観劇したところ、ものすごく感激しまして、その後も何度も劇場に通いました。その帰り道に、ロサンゼルスのハリウッドにあるタワーレコードでミュージカルのサントラのCDも買って。その舞台で披露される英語が聞き取れるようになり、歌えるようになりたい、ということろから、自分の挑戦が始まりました。サントラを聴き込んでいましたね。さまざまな困難や葛藤の中でも、一生懸命やっていた青春の思い出もあり、ストーリーからは勇気や感動をもらって、背中を押してくれたあるいはなぐさめてくれた曲でもあって。ディズニーの中で一番好きな曲ですし、ディズニーのプリンセスの中では、(美女と野獣のヒロイン)ベルが一番憧れの女性でもあります。――石丸幹二さんとの「美女と野獣」のデュエットはいかがでしたか。石丸さんは日本でのミュージカル『美女と野獣』で、当時劇団四季にいらして、実際にビースト役を演じられた方。今回も楽しくデュエットさせていただきました。前作「VOL.2」のときに、キャッツの「メモリー」という曲を歌っていて、NHKの番組で披露するときに初めて石丸さんと出会ってデュエットさせていただいたことがありました。同年代で同郷ということでも盛り上がって、その際石丸さんが司会をなさっている「『題名のない音楽会』に出させてください」と自分からアピールしたところ、番組に何度も呼んでくださいました。また、石丸さんのラジオ番組に1か月間にわたりゲストとして招いていただき、ご縁が深くなって。石丸さんはアドバイスや心のうちを語ってくださるなど、プライベートなお話をさせていただくなかで、とても共鳴し、ともに高め合えるような関係となりました。今回デュエットで歌うときに、やはり石丸さんに歌っていただきたいと心よりお願いさせていただきました。――VOL.1と2では、男性曲と女性曲のカバーでしたが、今回VOL.3ではすべて女性シンガーのカバー曲です。選曲の決め手はどのようなものでしたか。選曲するときに、歌いたい曲ばかりで収集がつかなくなるんですよね。ただ、今回は最初に選んだディズニーの3曲が全部女性アーティストの曲だったので、まず女性の楽曲であることをカテゴリーにしようと選んでいきました。歌ってみたい曲、感銘を受けた曲などを自分で厳選していきまして、今回のラインナップになりました。絞るのが大変だったんですが、素敵な曲をみなさん歌ってもいいよ、と許可くださったので、ありがたかったですね。――カバー曲の一方で、今回はToshlさんの美しく切ないオリジナル楽曲「葉ざくら」も収録されていますが、どのようなシチュエーションで生まれた曲ですか。レコーディングを半年ほど、長い期間をかけて進めてきた間に、アレンジャーやレコード会社のスタッフの方など、みんなとコミュニケーションを取る時間を大事にしていて。僕が必ずスイーツを買っていって、レコーディング中に「モグモグタイム」と名付けて、いろいろな会話をするようにしました。そこでインスピレーションを受けて書こうと思ったのが、「葉ざくら」ともうひとつのオリジナル曲「しあわせになるんだよ」です。「葉ざくら」は、アレンジを担当してくれた川口大輔さんのプライベートスタジオでのモグモグタイムの際、遺影が飾られていたことに気づきました。「お父さまですか?」というお話から「そうなんです、こういう父でこうだった」という思い出のお話を拝聴した際、レコード会社のスタッフの方も加わって、他界した自分の父のことも思い出しながら切なくなりながら話して。一緒にいま作ってくれている大切なスタッフの思いも込めた楽曲を書きたい、そうすれば僕だけではなく、みんなの曲になるからという思いから作った曲です。「にゃんたろう」というワンちゃんを飼っているんですが、桜並木を一緒に散歩するのが好きで。その頃はちょうど桜の花が蕾から徐々に咲いて、やがて満開になり、そして散っていく桜の季節でした。葉ざくらになった頃、太い樹の幹からも、可憐な花が咲いていて、その周囲に新しい小さな芽が出ているのを見つけたんです。時の流れとともに、親から子へ、そして孫へ、さらにその先へ、連綿と続いてく命の連鎖を感じて、にゃんたろうを抱きながら何か「じ〜ん」とする感覚がありました。そこから「葉ざくら」のアイデアが生まれました。――オリジナル曲「しあわせになるんだよ」は、以前、ニンゲン観察バラエティ『モニタリング』(TBS系 毎週木曜午後8時)の企画で林家たい平さんとのコラボレーション曲としても披露されたウエディングソングですよね。そうなんです、番組のオーディション企画でたい平さんを選ばせていただきました。ふたりで歌わせていただく場合、どういうシチュエーションがいいかなと考えると、自分が好きなモニタリングはサプライズで結婚式をするとか、プロポーズするとか、新曲を披露するなら感動的なものがいいなと。たい平さんは娘さんがいらっしゃることも知り、そこで、娘さんへの思いをスタッフ複数人からもうかがって、父親になるとこういう気持ちになるんだなという思いと、自分の想いも重ね合わせ、親子の想いを書きました。――今回、カバー曲とオリジナル曲の両方を収録されていますが、歌唱する際はカバー曲よりもオリジナル曲のほうが歌いやすいなどの違いは感じるものでしょうか。歌いやすい曲というのはありません。カバーをさせていただくというのは、とてもプレッシャーがあります。本番のボーカルレコーディングの前に自分のスタジオでも練習レコーディングして、プリレコーディングを重ねています。カバー曲は、その楽曲自体や、その楽曲を歌われている歌手の方や、その楽曲のファンのみなさまになるべく失礼のないように準備をする、というのが礼儀だと思っています。楽曲を研究し、探求し、練習し、リスペクトを持って歌わせていただくために、しっかり準備をしてからレコーディングに臨みます。楽曲に対して心身を削るように深く取り組めば取り組むほど、自分へ返ってくるものも深くなるような気がしていて、それが自分の表現を進化、深化させてくれる大切なエレメントとなっているのかなとも思っています。挑戦を続け、日々何かを感じる心を大切に育む――お話は変わりますが、普段のご様子も教えてください。曲作りのお話の際もお名前が出ておりましたが、愛犬のにゃんたろうちゃんはインスタグラムにもときどき登場しますね。縁があって僕のところに来てくれて4年ぐらい経ちますが、にゃんたろうには、いつも救われています。――ワンちゃんですが、「にゃんたろう」というお名前なのですね?ニャンちゃんも好きなんですが、ワンちゃんなので(笑)。それから、にゃんたろうは「ワン」とは鳴かなくて、たまに鳴くときは「ぶ〜」と鳴きます。背中の模様だけ見ていると、ニャンちゃんにも見えるときがあります。「なんかどっちつかずだな、おまえ、犬なのか猫なのかはっきりせい!」というところからも「にゃんたろう」と名付けました(笑)。歌を歌ったり、絵を描いたり、日々クリエイティブなことをすると精神的にも肉体的にも疲弊することが多くて。そんなときに、にゃんたろうとの時間は、僕にとっての癒しであり、「にゃんくんのためにも頑張ろう!」と思えるかけがえのないパートナーです。――オリジナル曲「しあわせになるんだよ」に、「チワワの刺繍」という歌詞も出てきますよね。そうなんです、入れておきました(笑)。――音楽活動以外では、絵画展を開催されるほど絵を極めていらっしゃいますが、ご趣味というと絵のほかには、スイーツ作りでしょうか。最近はなかなかスイーツ作りができないんです。やるとすれば、料理は餃子を焼くぐらいはしますね(笑)。趣味とは言えないかもですが、絵をずっと描き続けています。先日も、何か月もかけて100号のキャンバス10枚を使用した大作の絵を完成させました。実は、数年前から山形県内に新しく建造する音楽ホールのプロデュースをさせていただいて、その会場の入り口正面に飾る絵を描かせていただきました。音楽ホールを作るという大きなプロジェクトに関わらせていただいたので、音響や音楽ホールの建築の勉強もして、プロデュースもさせていただきました。これも僕の新たな挑戦でもありました。自分でプロデュースしたコンサートホールでコンサートができることも夢のような話で、今からワクワクしています。ananwebの読者の方は女性が多いと思うので、みなさんもご興味があるかもしれませんが、実は僕、化粧品の研究をしています(笑)。これも趣味と言えるかわかりませんが、お肌のトラブルで悩んでいた時期もあり、とても興味があって。たとえばコンサートグッズなども、デザインなども含めなるべく全部自分で作るようにしています。音楽も絵もグッズなども創作作品という意味で同じだと思っていて、すべて自分でやれるところはやりたい。祖父が畳職人だったせいか、職人気質が好きで、何事にも自分の心を宿したいという気持ちがあって、それはお肌に対しても同じ。――すごくお肌がきれいですね。ありがとうございます。数年前から、「どういうものがどうお肌にきくのかな?」と、いろいろと試行錯誤しています。自分でいいものを作れないかな? と、化粧水や乳液、美容液について専門家の方にもお話をうかがったり、調べたりしています。歌でもアートでもグッズでも化粧品でも、なんでも、結局、みなさんが喜んでくださるようなものを創り出すことが楽しくて嬉しいし、それが自分の喜びなんです。――襟元のカメオも素敵ですが、こだわりがあるんでしょうか。8年ほど前に茶道を始めて、人に対するおもてなしの心や所作を学ばせていただいています。人になるべく嫌な思いをさせないよう、相手に対しての敬意が大事。身なりや立ち居振る舞いなどはできる限り、失礼のないように心掛けています。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。今回、ひとつのアルバムという作品が生まれました。たとえば『題名のない音楽会』で石丸さんと一緒に歌わせていただいた様子が先日オンエアされましたが、アルバムのレコーディングを経て、また新たに歌った「美女と野獣」は、自分の中でなんとなく成長しているようにも感じます。そうやって経験するたびに日々アップデートしてくのは、音楽も絵も、また、人との関わりもそう。ですから、常に挑戦を続けていくことにはゴールがないんですよね。日々、新しい何かに気づけたり出会えたりすることがあるので、そういう新鮮な感動を感じる心をこれからも大切に丁寧に育んでいきたいです。ananさんに出るのは30年ぶりぐらいなので、また出していただけるようにもっともっと張り切ってがんばります。取材後記ロックからポップスまで、多彩な楽曲で表情豊かに歌声を聴かせてくださるToshlさん。撮影では白いスーツを華麗に着こなし、さまざまなポーズをとってくださり、インタビューではひとつずつ真摯にお応えくださいました。圧巻の歌声は、新作でもたっぷり堪能することができます。そんなToshlさんのカバーアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・山本嵩取材、文・かわむらあみりToshlPROFILE2010年より本格的に「Toshl」名義での活動をスタート。聴き手の心をとらえて話さない圧倒的なボーカルで、名実ともに日本を代表するシンガーとして不動の地位を確立。2018年には20年ぶりのメジャーレーベル作品となる初のカバーアルバム『IM A SINGER』を全世界リリース。続編に期待する多くのファンの声に応えてリリースした、2019年のカバーアルバム第2弾『IM A SINGER VOL.2』は瞬く間にヒット。2020年には日本テレビ系ドラマ『ギルティ~この恋は罪ですか?~』主題歌「BE ALL RIGHT」を配信限定でリリースした。2022年9月、人気のカバーアルバム第3弾『IM A SINGER VOL.3』をリリース。また、2018年からは「龍玄とし」名義により表現活動において絵を描くことにも注力し、全国各地での個展を成功させた。音楽活動はもとより、バラエティ番組などへの出演により、マルチな才能を発揮。老若男女、世代を超えた新たなファン層が増え続けている。InformationNew Release『IM A SINGER VOL.3』(収録曲)01.タマシイレボリューション(Superfly)02.イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに03.美女と野獣※石丸幹二とデュエット04.三日月(絢香)05.難破船(中森明菜)06.葉ざくら(オリジナル曲)07.Hero(安室奈美恵)08.桃色吐息(高橋真梨子)09.スピーチレス~心の声10.You raise me up(ケルティックウーマン)11.しあわせになるんだよ(オリジナル曲)2022年9月28日発売*収録曲は全形態共通。*全形態ともに初回プレス分のみ封入特典あり。先着で特製トレカ(5種のうち1枚ランダム封入)付き、無くなり次第終了。(通常盤)TYCT-69244(CD)¥3,300(税込)(初回限定盤)TYCT-69243(CD+DVD)¥5,500 (税込)【DVD収録内容】「葉ざくら」MUSIC VIDEO /「葉ざくら」MUSIC VIDEO Making & Short Interview / Toshl SELF LINER NOTES OF “IM A SINGER VOL.3”/「葉ざくら」(弾き語り Live) /「桃色吐息」(弾き語り Live)/「しあわせになるんだよ」(弾き語り Live)写真・山本嵩 取材、文・かわむらあみり
2022年09月27日Toshlが、カバーアルバム『IM A SINGER VOL.3』を9月28日にリリースすることが決定した。今作は約3年ぶりにリリースされる『IM A SINGER』シリーズの第3弾。テレビ朝日『題名のない音楽会』でも披露した「美女と野獣」に加え、テレビ朝日『ミュージックステーション』の“Toshl 3択”で披露した「タマシイレボリューション」(Superfly)、昭和を代表する歌謡曲「桃色吐息」(高橋真梨子)、「難破船」(中森明菜)、大ヒット曲「Hero」(安室奈美恵)、「三日月」(絢香)といった女性シンガーのカバー曲を収録。さらに大迫力のゴスペル合唱と共演した英語詞の楽曲「You Raise Me Up」(ケルティック・ウーマン)、2019年に公開された実写映画『アラジン』のために制作された「スピーチレス~心の声」、命のはかなさ、次の生命へと繋ぐ永遠を深く歌い上げたオリジナル曲「葉ざくら」なども収録される。「スピーチレス~心の声」では、日本を代表するチェロ奏者の宮田大がソリストを務め、楽曲に重厚さと華やかさを引き立たせている。また「美女と野獣」では『題名のない音楽会』で司会をつとめる石丸幹二とのデュエットを披露し、楽曲の世界に新たな息吹が吹き込まれている。リリース形態は初回限定盤と通常盤の2形態。初回限定盤付属のDVDには「葉ざくら」のMusic Videoやスペシャルインタビュー、スタジオライブが収録される予定だ。<リリース情報>Toshl カバーアルバム『IM A SINGER VOL.3』2022年9月28日(水) リリース●初回限定盤(CD+DVD):税込5,500円●通常盤(CD):税込3,300円【収録予定曲】・美女と野獣 ※石丸幹二とデュエット・スピーチレス~心の声・イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに・Hero(安室奈美恵)・You raise me up(ケルティック・ウーマン)・三日月(絢香)・桃色吐息(高橋真梨子)・タマシイレボリューション(Superfly)・難破船(中森明菜)・葉ざくら(オリジナル曲)など【初回封入特典】特製トレカ(5種のうち1枚ランダム封入)Toshl ユニバーサル ミュージック 公式HP:
2022年07月13日X JAPANのToshl(54)が11月13日に放送された『ベストヒット歌謡祭』(読売テレビ系)に生出演し、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマ曲として名高い『残酷な天使のテーゼ』を歌った。6月に神戸で開催されたアイスショー『Fantasy on Ice 2019』でも同曲でフィギュアスケーターの羽生結弦選手(24)とコラボし、話題を呼んだToshl。番組内でも「羽生結弦が愛した世界的アニメ曲をカバー」として紹介され、Toshlは花火パフォーマンスと共に臨場感あふれるステージを披露した。さらにToshlは歌唱後、「アイスショーで羽生結弦さんにこの曲で踊って頂き、そのご縁で今日も歌うことができました」とコメント。Toshlの歌唱後、SNSでは絶賛の声が相次いで上がった。《ベストヒット歌謡祭生で聴いて1番やばかったのは圧倒的にToshi》《ToshIさんの残テステキ思い出すToshIさん、羽生くんとのショーの事話してくれた》そんなToshlは18年11月、20年ぶりにメジャーレーベルから初のカバーアルバム『IM A SINGER』をリリースした。その完成度の高さが反響を呼び、12月4日リリース予定の続編となるカバーアルバム『IM A SINGER VOL.2』が11月22日に先行配信リリースされる。同作には『残酷な天使のテーゼ』はもちろん、イルカ(68)の『なごり雪』や松任谷由実(65)の『真夏の夜の夢』といった新旧交えた名曲を収録しているという。音楽活動が活発化しているいっぽう、18年から「龍玄とし」名義で執筆家・画家としても創作活動をはじめたToshl。「今年、Toshlさんは自身の楽曲『マスカレイド』をモチーフに描いた作品展『マスカレイド・展』も実施しました。同曲は羽生選手とアイスショーでコラボし、パフォーマンスを披露した曲でもあります。Toshlさんは創作活動あたって、羽生選手の情熱的なパフォーマンスに突き動かされた部分も大きかったようです」(音楽関係者)新たな挑戦で可能性を高めていくToshlに今後も注目が集まりそうだ――。
2019年11月14日X JAPANのToshl(53)が2月1日からテレビで放映されるY!Mobileの新CM「Y!BAND結成」篇に出演。その内容はToshlがバンドを結成し、メンバーとともに“ロックなY.M.C.A.”を披露するというものだ。特筆すべきはそのメンバー。Toshlのほかにはギターに吉岡里帆(26)、たて笛に芦田愛菜(14)、キーボードは新垣隆(48)といった幅広い面々が参加。さらに“ふてニャン”までドラマーとして参加している。YouTubeで先行公開されている同CM。先生役の吉岡から、転校生としてToshlが紹介されることから始まる。Toshlの「みんな、バンドやろうぜ!」という声とともに演奏が始まり、西城秀樹さん(享年63)の代表曲「Y.M.C.A.」をロック調で披露する。各メディアによるとY!BANDの面々は新垣を“ガッキー”、吉岡を“りっほー”とあだ名で呼ぶなど始終和気あいあい。撮影が終了するころには、本物のバンドメンバーのようにすっかり打ち解けた様子だったという。異色メンバーによる“バンド結成”。Twitterでは喜ぶ声が上がっている。《Y!BAND 豪華メンバーですね!》《何それカオスwww 背後のドラムが寂しそうなので、YOSHIKIに叩いてもらいましょう!》《バンドにリコーダー、、、斬新だなw》昨今、バンドとコマーシャルという組み合わせが増えている。たとえば加藤茶(75)は先日、相模ゴム工業株式会社のコンドーム「sagami original」シリーズのCMに出演。その際、ROLLY(55)らとともにバンドを結成した。さらにToshlと同じくX JAPANのメンバーであるSUGIZO(49)も昨年4月、石川さゆり(61)やゆるキャラ・にゃんごすたーらとともに「ペプシJコーラ」のCMでバンドを結成。CM放映から1年近く経った今でも、続編を熱望する声が上がるほどだ。「こうした試みはインパクトを強く残しやすいため、CMとしての効果は大きい。また異色のコラボをすることで拡散もしやすく、『実際にライブしてほしい』との声が上がることも多いといいます。それもあって最近、バンドコラボプランは流行っているようです」(広告代理店関係者)今回の異色コラボも話題となるか!?
2019年01月31日●Toshlの脱退、解散、HIDEの死ロックバンド・X JAPANを襲った悲劇の連鎖…Toshlの洗脳、バンド解散、HIDEとTAIJIの死、そして復活。ハリウッドが製作したX JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』(公開中)で、彼らの封印された壮絶な歴史が描かれている。このたび、リーダーのYOSHIKIのインタビュー。目をそむけたくなるような過去ともしっかり向き合い、ToshlやHIDEへの思い、解散や再結成のときの心境など、静かに胸の内を語ってくれた。――「今までのストーリーを語るなんて考えただけでゾッとした」と、最初の頃はこの映画を作りたくなかったそうですが、実際に完成したものを見て、どう感じましたか?すごくインパクトのある衝撃的な映画になったと思います。そういう人生だったわけですが、実際映像になると衝撃が強すぎて、最初はどうやって反応していいかわからなかったですね…。――ネット上でも映画を鑑賞した人たちからさまざまな反響の声が上がっていますね。先日監督とインタビューしたときに、監督のもとに「自殺を考えていましたが、映画を見て生きることにしました」という手紙が届いたことを聞いて、作ってよかったなと思いました。――この映画は、壮絶なX JAPANの歴史が凝縮されていますが、1997年のToshlさん脱退、解散はやはり衝撃的でした。あらためてその時の心境をお聞かせください。あのときは僕自身もX JAPANを終えたかったんでしょうね。いろんな意味で。たぶん僕も疲れていたと思います。海外進出を掲げていたけど自分ばっかり先走ってしまって、今考えると、メンバーはその当時は日本で活動したかったのかなと。――Toshlさんの変化は、一緒にいて感じられましたか?一目瞭然でしたね。Toshlが脱退する時、HIDEは説得しようとしたんですけど、僕はもう説得しなかった。当時、僕の知っているToshlではなかったので。――言っても変わらないと思ったということですか?そういう感じもしましたし、自分自身もここでいったん終止符を打った方がいいのかなと思ったんです。――解散ライブで、すべての思いをぶつけるようにドラムをたたいている姿が印象的でした。やはり、いざ解散コンサートとなると悲しかったですね。――その翌年にHIDEさんが亡くなって…。そうですね。とどめでしたね。――今回の映画でも、YOSHIKIにとってHIDEさんは良き理解者でありプロデューサー的存在だったという第三者の声がありましたが、あらためてどういう存在でしたか?デビューする前にライブハウスを回っているとき、だいたいHIDEと僕が同じ部屋だったんですね。ある意味、家族以上の存在だったと思います。――映画では、HIDEさんがファンの方をとても大事にしていたということに焦点が当てられ、映像として紹介されていました。YOSHIKIさんの中で、HIDEさんの言葉や行動で特に残っていることは?当時はHIDEが、「ファンの人たちとの間は自分がやるので、YOSHIKIはリーダーとして突っ走ってくれ!」という言い方をしていましたね。彼がいなくなって、今度は僕がその役割を果たすようになったのですが。あとは、「一緒に引っかき回しちゃおうよ!」って言っていたことを覚えていますね。――ファンとの関係構築は、意識的に自分がやるんだと決意されたのでしょうか。そうですね。実際に自分がやり始めたら、楽しいこともいっぱいあって、ファンとコミュニケーションとることによってわかることもたくさんあるんだと知りました。●絶望からの復活、そして再結成――Toshlさん脱退、解散、HIDEさんの死で心に穴があいた状態が続いている中、1999年の「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で奉祝曲「Anniversary」を演奏したときに希望の光が見えたと。ご自身にとって大きな経験になったそうですね。大きかったですね。X JAPANが解散になり、当時は音楽をやめようかと思っていたほどだったので…。――その前後のご自身を比べてみて、どういった変化がありましたか?やはり僕は音楽で生きていくべきなんだなと思えました。――それは天皇陛下のために演奏しているときに感じたのでしょうか?「Anniversary」を作曲しているときでしょうか。X JAPANは平成元年にデビューしたので、天皇陛下の10周年は、X JAPANのデビュー10周年でもあったんです。解散して心の中でさまよっていたときだったので、作曲しながらいろいろ振り返るといろんな思いが込み上げてきました。――そこから再結成までだいぶ時間がありましたが、その間のソロ活動はどんな思いや、どんな目標を掲げてやられていたんですか?まさか当時は、X JAPANが再結成するとは夢にも思っていなかったので、作曲家としていろいろやっていこうかなと考えていました。そういう時期でしたね。――そこから2007年の再結成につながっていきますが、ToshlさんはYOSHIKIさんとご飯を食べたときに感じるものがあったとおっしゃっていました。YOSHIKIさんはToshlさんの変化を感じましたか?幼なじみのToshlをだんだんと垣間見るようになってきました。――洗脳状態から抜け出してきているなと?そこまで鮮明に洗脳されているとか、抜けられているなと思ったわけではないですが、なんとなく、こういう時間を過ごしていけば抜けられるのではないか…とは思いましたね。――幼なじみであり、バンドのメンバーであり、洗脳で離れているときもあり、そして再結成するという、ものすごいドラマのある2人の関係ですが、あらためてToshlさんはYOSHIKIさんにとってどういう存在ですか?まず、彼がいなかったら僕はこういうところにいないですね。あれだけの天才的なボーカリストが近所にいたということ自体が何かの巡り合わせなのかなと思っています。もしだれかが僕らの人生の脚本を書いてたとしたら、本当にとんでもない脚本を書いたなと思いますよ。悲劇もいっぱいあったけれど、彼は戻ってきた。どこまでが現実でどこまでが夢なのかわからなくなってしまうような人生だなと思います。すべてが信じられないような、いい意味でも、HIDEのこととかに関しては悪夢という意味でも…。――実際に再結成していかがでしたか?手さぐりだったので、再結成のときに東京ドームで復活ライブを3デイズやって、それだけで終わっていた可能性もあったと思います。それができたら次を考えようと、1個ずつ考えてきたので。先のことを考えて再結成したのではなく、とりあえずやってみようかということでした。――やっていく中で「これがX JAPANだ!」と形を再確認したり、つかんだ瞬間はありましたか?もともとX JAPANは挑戦をしてきたバンドです。僕は既成概念で固められたクラシックから自由であるはずのロックにきたときに、いろんなルールがあって、それをぶっ壊したのがビジュアル系という形態になったと思うんです。再結成の後も、海外という新たな挑戦に向かっていくことで、持続する気持ちになったんだと思います。3デイズの復活ライブが終わったときに、まだいけるかなと思えたんです。挑戦するんだったらやってみようかと。それでX JAPANは続くことになりました。――海外進出においては、どういうことを目指していましたか?最初に進出したのが香港でしたが、とりあえずやってみようという思いでした。そうはいっても、その時点でアメリカに長く住んでいたので、海外とはどういうものなのかある程度わかっていましたが。その後、北米、ヨーロッパ、南米、アジアをツアーで回って、市場があることにはいい意味でびっくりしました。いきなり香港でやったとき、1万人の会場で2デイズでしたからね。――絶対に海外で成功するんだという強い思いを感じました。TAIJI、HIDEの夢でもあったので。そして、そういう壁があると、それを打破することにすごく燃えるタイプなので(笑)、いいモチベーションになったと思います。――この映画では、死というものも考えさせられました。YOSHIKIさんは身近な人が亡くなるという経験を何回もされ、死との向き合い方、乗り越え方は変わっていきましたか?死というものがすぐそばにあるんだというのをすごく感じて生きているというか、だからこそ、今この瞬間をおもいっきり生きないといけないと思っています。明日があると思って生きていたら今日はいいと思ってしまうけど、明日がないなら今日やるしかないんじゃないかと、そういう考え方になりました。――YOSHIKIさんの人生とX JAPANの歴史…本当に衝撃的な映画でした。この『WE ARE X』という映画を見て、ひょっとしたら第2章があるのかなと思ったり、この物語は今後どうなるのかなと思ったりしました。ただあまりにも衝撃的な第1章なので、2章はもっと明るい映画になることを祈っています。――ハッピーなニュースばかりだといいですね!それはそれでつまらないのかもしれないですけど(笑)、そうなってほしいですね。■プロフィールYOSHIKIロックバンド・X JAPANのリーダーで、ドラム・ピアノ担当。1989年にXとしてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。人気絶頂の1997年にToshlの脱退宣言を機に解散し、翌1998年にHIDEが死去。解散後、YOSHIKIは1999年に「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で演奏、2005年には「日本国際博覧会(愛・地球博)」の公式イメージソングを担当するなどソロで活躍。そして、2007年にX JAPANが再結成を果たし、2008年3月に東京ドームで復活ライブを敢行。国内外問わず精力的に活動し、2014年に米マディソン・スクエア・ガーデン、2017年1月にはYOSHIKI単独で米カーネギー・ホール、さらに2017年3月3日に英ウェンブリー・アリーナでの公演を成功させ、音楽の3大殿堂制覇という快挙を達成した。(C)2016 PASSION PICTURES,LTD
2017年04月14日ロックバンド・X JAPANのToshlが、きょう17日に放送されるフジテレビ系バラエティ番組『ダウンタウンなう』(毎週金曜19:57~20:54)に登場し、12年にわたった洗脳期間の真相を明かす。Toshlは、ダウンタウンと坂上忍が、ゲストと酒の力を借りて語り合う「本音でハシゴ酒」企画で登場。今回は、おのののかも加わり、まずは、ファンの間でうわさされる「ハイトーンを出すために喉に注射」「日本ホテル協会のブラックリスト入り」「ラジオ番組でhideが火をふく」「海外ライブでファンもメンバーも失神」という"X JAPAN伝説"について、本人に確認していく。また、サングラスをかけてロックを歌うきっかけが、坂上忍にあると告白。16歳の頃の坂上の恥ずかしい映像が流れると、Toshlは「ものすごくかっこよくて…サングラスをかけて歌いたいなって思った」と話し、「サングラスは坂上さん譲りです」と意外な事実を語り出す。さらに、世間の話題を集めた洗脳騒動についても言及。「上納金は月3千万円」など、衝撃の事実をいくつも明かしていくと、松本人志も「僕も洗脳されかけた」と自身の体験について紹介する。今夜の放送では、女優の羽田美智子も登場。映画『就職戦線異状なし』での坂上との共演シーンで、NG46連発を出したというエピソードを明かす。
2016年06月17日