連載小説「眠らない女神たち」 第二話 『多面的トレード』(前編)
あるいはデパ地下でテイクアウトして、自宅で丁寧に淹れた飲み物とゆっくり楽しみたかった。
もう数ヶ月そんなゆっくりとした時間は過ごしていない。私は自然とため息をついていた。
「お疲れですねぇ」
台紙を鞄にしまった市村さんが声をかけてきた。
「ちょっと忙しくてね」
私はパンプスを脱いでスリッパに履き替えた。もう少し仕事をまとめてから帰ろう。
「なにか手伝えることはないですかぁ?」
彼女の語尾を伸ばすこの喋り方が、最初は苛立ちを覚えたものの今ではすっかり慣れてしまった。逆に会議や打ち合わせの席でハキハキと話す彼女に物足りなさを感じるほどだ。
喋り方も歩き方も彼女は少し変わっている。でも異常ではない。化粧っ気のない顔と今まで染めたことのないベリーショートの黒髪、ネイルもしない。
なのに私が髪をちょっと切ったり、新しいネイルやメイクをすると絶対に気付く。
そして一言二言褒めてくれる。
彼女が『ちょっと変わっている』タイプでなければ、私は毎日敗北感にさいなまれただろう。
「こっちは平気。市村さんは余裕なの?」
妙に冷たい声になった気がした。
ハッと市村さんを見たが彼女は平然としていた。