2人のお子さんを持つママが、ママ友との関係で悲しい思いをした体験談です。これまで仲の良かったママ友に2人目の妊娠報告をしたあと、なぜか疎遠になってしまったそうです。1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう? なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信がきましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 作画/やましたともこ著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2024年03月13日3歳を過ぎたころ、急に娘の身に起こった「熱性けいれん」。私は娘の症状を初めて目の当たりにし、顔が青ざめ言葉が出ませんでした。娘が熱性けいれんを発症し感じたことやすべきこと、やってはいけなかったこと……実際に身をもって経験したことをお伝えしたいと思います。 いつもの風邪の症状と思っていると突然に出かけた日の夕方に、鼻水と咳が出始めた3歳の娘。週末ということもあり、病院は休診。熱もなく軽い風邪症状だろうと思い、翌日に病院へ行く予定でした。 夜になると37.4度の微熱も出ましたが機嫌は悪くなく、子どもは夜に熱を出しやすいと把握していたので、気にせずそのまま就寝しました。ところが……。 1時間ほど経ったあと、私はふと目覚め、娘の様子を見て驚愕しました。娘は手足をビクビクとけいれんさせ、唇は紫色になり泡を吹いて失神していたのです。 指示を仰ぐため小児科救急へ電話娘の身に何が起きているの? 目の前にある光景は現実? 起きてすぐの私には娘の状態がまったく理解できず、頭が真っ白になってしまいました。そして我に返り、失神している娘の意識をまずはしっかりさせなくてはと思い、私は震える手で娘の体を軽く揺すったり声を掛けたりしました。 私の声に目を覚ました夫は娘を見て驚き、焦っていたと思います。夫が目を覚ましたことで少し冷静さを取り戻した私は、携帯を手に取り小児科救急相談窓口に電話を掛けました。 救急病院へ。何が必要なのかわからない小児科救急相談窓口で娘に起きている症状を看護師さんに伝えると、むやみに動かしてはいけないと指示され、そのまま救急に繋いでくれました。救急車が到着するのを待って、けいれん時の症状と時間を伝え、病院へ向かうことになりました。付き添いが必要なので、私は慌てて保険証や医療証、財布を準備し救急車を待ちました。 そこで、焦っていると忘れがちな持ち物があるとわかったのでご紹介したいと思います。 必要なものは貴重品以外にもあった!救急隊の方が寝室から娘を運び、私は娘の付き添いのため慌てて準備した貴重品等を持って救急車に乗り込もうとしました。そこで救急隊の人に呼び止められ「持ち物は貴重品以外にも必要な物がありますよ。言いますので準備してください」と言われたのです。 子どもの靴に靴下、院内での診察待ちや会計時、帰宅時に羽織る私と娘の防寒具などでした。軽装で過ごしていた自宅から救急車で病院に、しかも娘は抱えられて車に乗り込んだので靴や靴下を履いていないということにも頭が回っていなかったと気がつきました。 お医者様いわく、発症時は子どもを横に向け呼吸しやすくし、けいれんの時間を計り、どのような状態だったのかメモしておくことが大切なのだそうです。いざけいれんしているわが子を目の前にするとパニックになってしまいますが、しっかりしなくては……と感じた体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/佐藤ひより作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2024年03月11日妊娠初期に強い腹痛があったママ。妊婦ということで痛み止めの薬を服用するなどの処置は難しいと言われ、ひたすら耐えるしかありませんでした。そんなときに上司からかけられた温かい言葉で励まされたそうです。妊娠判明と同時に起こった不調の1つに、強い腹痛がありました。医師からは「卵巣が腫れていますが、経過観察で問題ありません。妊娠初期ということもあって痛み止めの薬も処方できません。大変ですが、耐えてください」とのコメント。つわりと相まってつらかった妊娠初期の体験談です。 妊娠判明、そしてつわり私が妊娠に気がついたきっかけは、強い倦怠感でした。少し動くだけで立っていられないほど疲れてしまい、これはおかしいぞと思ったことを覚えています。月経も少し遅れていたので妊娠検査薬を使うと、しっかり反応が。入籍から半年、そろそろ子どもが欲しいねと夫と話していたころだったのでとてもうれしかったです。 妊娠判明からほぼ同時期につわりの諸症状が起こり始めましたが、つらいものの耐えられないほどではありませんでした。 「妊娠は病気じゃない」の意味つわりも吐き気やめまいなどでつらかったものの、デスクワークの仕事ができないというほどではありませんでした。しかし、腹痛はまっすぐに歩けなくなるほどの痛み。椅子に座っていることもできず、仕事を早退したり、休んでしまう日が続きました。もちろん家事などまったくできません。 体調の悪さからメンタルも弱っていき、次第に自分がダメな人間だと感じるようになっていきました。しかしそのとき、職場の上司からかけてもらったひと言に救われました。 「妊娠は病気ではないというのは、医師や他人が治すことができない、あなたが安静にするしかないということ。仕事も家事もしなくていい。つらいときは休みなさい。申し訳ないと思わなくていい」 上司からかけてもらった言葉と理解ある同僚に助けられ、早退と欠勤を繰り返しながらもどうにか妊娠初期を乗り越えました。妊娠13週を過ぎたころ、つわりも腹痛も次第に治まっていきました。 それからも妊娠期間中、しばしばマイナートラブルに見舞われることがありました。そのたびに「妊娠は病気じゃないから、私が私とおなかの赤ちゃんを第一に考えた行動をしよう」と心がけ、無理のない妊娠生活を送りました。腹痛はつらかったですが、何かと無理しがちの私にとっては必要な経験だったと思えました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/かねこゆかり作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2024年01月21日現在2人目妊娠中、3歳の長女を育てています。先日義母がスマホを持つようになり、友人にすすめられるがままにSNSなどを始めました。最初はよかったものの、義母のSNS熱がだんだんと高くなり、長女の個人情報が危険に晒される事態にまでなってしまいました。 交友関係の広い義母がスマホを持った!義母は社交的で交友関係の広い人です。その義母がガラケーからスマホにかえました。スマホにかえたときには、「これで少し連絡が取りやすくなるな」くらいにしか思っていませんでしたが、これが思わぬトラブルのきっかけに……。 問題になったのは義母のメディアリテラシーの低さ。それまで義母とインターネット上の個人情報の扱いについて話したことがなかったのでわからなかったのですが、そもそも義母はインターネットがどういうものかよくわかっていなかったようでした。 事件1:孫をSNSで公開スマホにかえた義母は、友人からすすめられてTwitterを始めました。最初は家の近くに住む友人とだけ交流し、そのなかで写真を公開したりコメントしたりしていたそうです。しかし、次第に昔の友人とSNS上でつながったりするなかで、SNS上での活動の幅が広がり……最終的には、孫である長女の写真を名前つきで全世界に公開していました。 それを知った私と夫で、すぐに投稿を削除させてことなきを得ました。義母はSNS上で公開することを、「市の広報誌に孫が載る」くらいのことだと思っていたそうです。その事件から、SNSで孫の写真はNGというルールができました。 事件2:勝手に孫の動画を送るピアノ講師の義母は孫が歌ったり、楽器を触っていたりするところをよく撮影していました。それを友人に送っては、「スゴイ才能なの」と自慢していたようです。しかしそれだけで物足りなくなった義母は、友人のツテを使って、幼児の音楽指導で有名な先生に孫の動画を送信。 後日友人経由で「素晴らしい」と言われたらしく、喜んで私たち夫婦に報告してきました。しかし自身の孫とは言え、親の許可なく他人に動画を送ったことに私たち夫婦はモヤモヤ。そのため今後はやめてもらうように約束しました。 私自身はSNSをほとんど使わないので、スマホにした時点では義母のこうした行動が予測できませんでした。ひとまず義母とは話し合いをおこない、事態は収拾しましたが、今後また同じような事件が起こるかもしれないので、義実家に行ったときには毎回、義母のSNSの動向を確認するようにしています。 作画/やましたともこ 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2024年01月10日上2人はスピード出産すぎたため陣痛がどのようなものなのかわからず、心の準備をする時間もバースプランの出番もなし。何が何だかわからないまま出産し、気付けばわが子は私の胸の上でした。今回3人目にして初めて「出産ってこうやって進んでいくのか」「陣痛なう!」ってこんな感じなのか、と実感しました。 そして、したかったことが全部叶った!と思えた出産のお話です。スピード出産すぎて陣痛がわからない1人目、2人目の出産時のことです。私はなんだかおかしい?と思って産院に行き、着いてから1人目は30分後、2人目は10分後に出産しました。到着時には子宮口全開大、いきなり痛みMAXだったので、10分間隔、5分間隔のような「陣痛なう」というものを味わった経験がありませんでした。 母子健康手帳に記載されている分娩所要時間も1時間弱。雑誌で見る平均的なお産の進み方とはまったく異なり、「これから産むんだ!」という心の準備ができなかったこと、会陰切開の痛みやおっぱいトラブル、マタニティブルーズなどの産後の体の変化についていけず、1人目のときは産後うつにもなりました。 3人目にして陣痛のイメトレ助産師さんと今回のバースプランを話していたとき、上2人の出産時間を伝えると顔色が激変!! 「陣痛何分間隔ではなく、少しでもおかしいと思ったら連絡してきてね」と言われ、改めて陣痛とはどんな感じなのかを経産婦のママたちに聞いたり、雑誌を見たりしながらイメージトレーニングしました。 妊娠38週ころから恥骨痛も限界に達し、出産予定日1週間前の夜中2時前、その“おかしい感じ”がついにやってきました。 これが「陣痛なう」!?おなかに違和感を覚え、間隔を計ると2分間隔。痛みはないものの、トイレに行くとおりものに血が混じっていたので、2人目の幼稚園のお弁当を念のために作ってから産院に連絡。「今までのことがあるから念のためにきてね」と言われ、家族を起こしてみんなで出発しました。 産院に着いて内診すると、子宮口が5cm開いているとのことで入院となり、その後破水。1人目・2人目のときと変わらず痛くもないし「生まれるのかな~?」と話していると、徐々に痛みが強くなり「これが陣痛なう?」と私は感動! 助産師さんは、私の「陣痛なう」発言に大笑いしていました。 次は「出産なう」! 「陣痛なう」発言からしばらくすると、どんどん痛みが強くなり、いよいよいきみ開始。分娩室は和室で、時代劇で見るような綱がぶら下がっていました。この綱につかまることで力が入りやすくなります。いきむタイミングで綱を引き、赤ちゃんの頭が出てくる感覚や痛み、「産んでいる」ということを3人目にして初めて実感しました。 そして、上の子どもたちも含めた家族に見守られて無事長女が誕生しました。性別を聞いていなかったので、女の子とわかった瞬間みんなで大喜び!! 初めての「陣痛なう!」を経験し、3人目にしてこうして陣痛が進み、出産が始まっていくんだと実感。そして家族みんなに立ち会ってもらい、バースプラン通りの理想の出産を体験することができました。心の準備をしながら出産に臨めたので気持ちも穏やか、心身ともに産後の回復が一番よかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 原案/石井けいこ作画/やましたともこ
2023年05月28日待ちに待った赤ちゃんとの対面は、今まで味わったことのない感動と幸せを覚えました。しかし休む間もなく育児が始まります。初めて経験する育児に戸惑ったものです。今回は出産から1カ月の間に悩んだこと、振り返って感じたことをお伝えします。「私、育児に向いていない…」そう思った1カ月間赤ちゃんが生まれて1カ月間、一番つらかったことは、「睡眠不足」です。そして「赤ちゃんが泣いている理由がわからないこと」も大きな悩みでした。 さっき授乳したばかりなのに泣く赤ちゃんを見て、「どうして泣いているの?」とイライラするばかり。ストレスもたまり、母乳も思うように出ません。何もかもが悪循環に陥っているようで、「育児に向いていない」とまで思うようになりました。 誰でも最初は新米ママ出産から1カ月の間は、慣れない育児と睡眠不足の狭間でいろいろな壁に直面しました。家事をするのもひと苦労!「育児がスムーズに進まないのは、すべて私に原因があるのかもしれない」と気分は沈む一方でした。 でも、私と同じように初めての育児に励む友人たちの話を聞くと、つらい思いをしているのは自分だけではないことに気づきます。誰でも最初は新米ママ。自分を責める必要は1つもありませんでした。 何もかも完璧にこなす必要はなかった睡眠不足、母乳が出ないなど、出産直後の悩みはたくさんありました。それでも、悩んでいる間も赤ちゃんは成長していきます。出産から1カ月が過ぎると赤ちゃんが少しまとまって眠ってくれるようになった、母乳の出がよくなったなど、少し変化があらわれました。 時間が悩みを解決してくれることもある、そう感じました。だからこそ、何もかも完璧にこなそうとする必要はなかったのだと思います。 食材宅配などをじょうずに利用して、家事や掃除などの負担を軽減することも、自分が抱える負担を軽くするポイントでした。ズボラでいることも必要だと割り切ることも大切だと思いました。 監修/助産師 松田玲子 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 原案/田中由惟作画/やましたともこ
2023年05月08日出産した病院でわが子の1カ月健診を受けたときに、頭頂部付近にある大泉門がほとんど閉じていると小児科の医師から指摘を受けました。それに加えて、全身の緊張が強い傾向にあるとのこと。まさかわが子が1カ月健診で異常が見つかると思っていなかったので、驚き、動揺して頭が真っ白になりました。1カ月健診で大泉門がほとんど閉じていた個人差はあるものの、通常1歳半前後で閉じ始めると言われる大泉門がわが子はとても小さく、1カ月健診のときにはすでに閉じかけていました。医師の説明によると、大泉門が早くに閉じると頭蓋骨が大きくならず、成長とともに大きくなる脳を圧迫して発達に影響が出てしまう可能性があるとのことです。 しかし、まだかろうじて大泉門が少し開いているので、少しずつでも頭囲が大きくなっていけば問題はないとのこと。経過観察をしていくことになりました。 かかりつけ医への受診産院では病名は聞いていませんでしたが、家に帰って母子健康手帳を確認すると、1カ月健診の記録欄に「軽度筋緊張亢進疑い」と書いてありました。どのような状態なのか気になりネットで検索したところ、脳への障害につながる情報が多く、不安でいてもたってもいられなくなった私。上の子が通っているかかりつけ医へ相談に行きました。 そこでは、まだ月齢が小さすぎて今の段階で診断することは難しく、大きい病院で検査してもわからない可能性も高いので、もうしばらく様子を見ましょうと言われました。 市の3カ月健診生後3カ月半のとき、市の3カ月集団健診を受けました。そこで1カ月健診のときに受けた指摘について説明し、筋緊張が強いことなど気になっていることをすべて小児科の医師に相談しました。 先生は丁寧に答えてくれ、診察の結果、大泉門は閉じかけているが、1カ月健診のときよりも頭が大きくなっているとのことでした。また、全身の筋緊張も確かにあるが、1カ月健診のときよりも状態はよく、安心していいとの診断でした。そして、念のため1カ月後に同じ先生に再診してもらえることになりました。 4カ月健診そして3カ月健診の1カ月後、大泉門は閉じていないか、頭は大きくなっているか、筋緊張は和らいでいるかなどを前回と同じ小児科の先生に見てもらいました。 頭は1カ月前よりも1cm大きくなっているので安心していいと言われ、やっとほっとすることができました。筋緊張も前ほどはなくなっていました。筋緊張も、寝ているときと起きているときとでは多少変わり、月齢が小さいときには判断が難しいため1カ月健診で経過観察になったのだろうとの説明を受けました。今後は月齢とともに頭が大きくなっているか家庭で様子を見ていくようアドバイスをもらいました。 1カ月健診で要観察になり、そこから経過観察の3カ月がとても長く感じました。指摘を受けたときは不安でいっぱいでしたが、生後半年経った今は発達に問題もなく、順調に頭も体も大きくなっています。今も念のため、1~2カ月に1回、市の育児相談で身長・体重と頭囲を測り、様子を見ているところです。子どもを育てていく中で不安はつきものですが、今後もわが子の成長を喜びながら、楽しく子育てをしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2023年05月07日大学生のときにお付き合いしていた彼との一夜でコンドームが外れてしまい、念のためにアフターピルを処方してもらいに行きました。その際の産婦人科で医師から言われたショッキングなひと言が、今でも忘れられません。10年近く前のことですが、当時を振り返ってお話ししたいと思います。 コンドームが外れた! どうしよう…彼とするときはいつもコンドームをつけて避妊していたのですが、ある晩途中で外れてしまったことがありました。今思うと外れただけで何もなかったのですが、私は初めてお付き合いした相手で経験もなく、とても動揺してしまったのです。 彼の「コンドーム外れちゃったんだけど大丈夫?」の言葉に、私はだんだん大丈夫ではない気がしてきました。 念のためアフターピルをもらうことに問題ないとは思いつつ、私と彼は翌日アフターピルを処方してもらうことにしました。処方してくれる病院や副作用などを調べている私に、彼は心配しながらもしきりに謝ってくれたのを覚えています。 私はなんとなく後ろめたいものがあったので、家から電車を乗り継いで30分くらいのところにある産婦人科を受診することにしました。産婦人科に行くと2人で決めてからは、彼とずっと気まずくなってしまい苦しかったです。 医師に言われた思いがけないひと言コンドームが外れた翌日の朝早くに、私と彼は産婦人科へ。受付や問診票の記入は特に問題はなく淡々と終わりました。診察の順番になって、私ひとりが呼ばれ、「ひとりで呼ばれて、何を聞かれてどう答えたらいいのだろう」と不安でした。 しかし私が着席すると同時に、50代くらいの男性医師は「これだから若いのは困るんだ。ちゃんと後先考えて避妊をするように」と言い、私が何も言う間もなく診察は終わったのです。 予想しなかった展開に呆然としてしまい、何も言い返すことができませんでした。診察後アフターピルを処方されたのでその後生理は来たのですが、私の気持ちは晴れないままでした。 私と彼はコンドームで避妊をしていました。性交時の状況(レイプかそうでないか、避妊はしたかなど)を伝える機会はなかったのですが、それなのに何も聞かずこのように決めつける医師がいることに驚きでした。 原案/桜場紫作画/やましたともこ
2023年05月06日長男の育児が落ち着いてきたとき、夫婦の間で2人目はどうしようかという話になりました。長男のときは「夫婦2人の子どもが欲しい」と素直に思えたのに、2人目のときはすぐにそうとは思えませんでした。その理由と実際に2人目を産んで感じたことをお伝えします。 「次は女の子!」勝手な言い分に唖然長男が生まれたとき、近所のおばさんがお祝いを持って訪ねてきてくださいました。「元気な赤ちゃんね」と言ったあとで、「次は女の子がいいわね。女の子はいいわよ」と自分の子育ての話を始めたので、私は唖然としてしまいました。なぜなら、私を産んだ母が「男の子を産めなかった」と祖母から責められているのを何度も見てきたからです。母の代わりに男の子を産めたとまでは思っていませんが、男の子だったからそういうことを言われずにすむだろうとは思っていたのです。ですが、勝手な他人の言い分に私は2人目に対するプレッシャーを感じてしまい、素直に産みたい!とは思えなくなってしまいました。 2人目を同じようにかわいがれるのか?初めての育児で、思った通りにならない息子にイライラしてしまうこともありながら、すくすくと成長して笑顔を見せてくれるようになった息子に、私たち夫婦はもうメロメロ。 この子にきょうだいがいたら、一緒に遊べるだろうなぁとは思うものの、「遊び相手」として生まれてくる2人目のことを思うと、なんだかかわいそうになってしまい、2人目を産むということがさらにハードルが高いものとなってしまいました。 そんな葛藤の末に生まれた第2子は…!私がきょうだいと年齢が離れていることもあり、年齢の近いきょうだいがいいと思っていたので、悩みながらも2人目を計画し、すぐに妊娠しました。生まれたのは次男。女の子ではありませんでした。でも……信じられないぐらいにかわいかったです。大きく生まれた長男に比べて小さな次男は、まるでぬいぐるみを抱っこしているような重さで、その次男を抱っこしたり、ほっぺたをツンツンしたりする長男もまたかわいい……! 感覚としては別の生き物のようでした。 「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、産んでからも悩みは尽きません。とはいえ、私たち夫婦のところにやってきた赤ちゃんをかわいいと思えるかどうかというのはいらぬ心配でした。2人の子どもが元気に育ってくれていることを自信に変えて、堂々と男の子のママに勤しんでいきたいと思っています! 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年03月24日娘が小さいころ、義母はよく洋服を買って送ってくれていました。私は受け取るとまず娘に着せて写真を撮り、「いつもありがとうございます」とお礼のメールをしていました。でも肝心の「もう結構です」のひと言が言えず、いつもモヤモヤ。今では笑い話なのですが、新米ママでもあった当時は本当にストレスを感じていたのです……。 とにかく量が多い!義母が「服を送る」という場合、靴下4足、タイツ2足、セーター3着、スカート4着、コート1着という「福袋?」とツッコミたくなるほどの量で送ってきます。しかもサイズはいつも大きめ。「ジャストサイズになってきたかな?」というころには季節が変わり、まったく袖を通す機会がないこともよくありました。 「かわいい服を見るとつい買っちゃうのよ」という義母の気持ちはわかるのですが、季節とサイズの合ったワンピースを1枚だけ送ってくれるほうがよっぽどありがたいのに……といつも思っていました。 フリル尽くしの服が多くて…普段はシックな色合いを好み、センスのよい義母なのですが、孫の服となると話が違うようでした。色味も柄も私ならば決して選ばないようなインパクトの強いものばかり。特にフリルにこだわりがあるのか、ありとあらゆるものがフリル付きでした。 スカートはもちろん、靴下の履き口、Tシャツの裾や襟ぐりにいたるまでフリル尽くし。当時の娘はこんがりと日焼けしていて髪も短く、お世辞にもフリルが似合う見た目ではなかったのですが、きっと義母には違うように映っていたのでしょう。 英字プリントが気になってしまう当時は夫の海外転勤で英語圏で生活していたので、英字プリントの服に困った経験も。あるとき「Love me! Touch me! Feel me!!(愛して 触れて 感じて)」と印字されたTシャツが届きました。日本にいたらそこまで気にならなかったかもしれませんが、英語圏で暮らす娘に着せるのはためらってしまいました。 デザインとしてかわいいと思って義母が選んでいるのは理解できるのですが、せめて意味のチェックくらいしてほしかったな、なんて思ってしまいます。 今思えば義母が送ってくる服を、「娘に着せなければいけない」と私自身が思い込んでいたことがモヤモヤの原因だった気がします。気にせず私が着せたい服を娘に着せていればよかったのに、そうしない自分へのいら立ちから義母の行動をストレスに感じていたのです。娘が成長し自分で服を選ぶようになった今は、「そんなこともあったね」と笑い話になっています。 作画/やましたともこ著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年11月26日現在2人の子どもを育てているママです。義父はいつもジェントルな良識派。私たち家族にも干渉しすぎることなく、あたたかく見守ってくれる理想的なお舅さんです。でもそんな義父でも時折自分を抑えられなくなるのか、孫への想いが暴走することがあるのです。 写真館の予約は任せなさい義父にとって初孫となる娘のお宮参りを計画していたときのことです。神社でご祈祷後、両家で会食を予定していました。私は娘との初めての本格的な外出になることから、持ち物だけでなくおむつ替えの場所や授乳のタイミングに関して、事前に綿密な計画を練っていました。 ところがお宮参りの数日前になって突然義父が、「写真館の予約をしたから」と言い出したのです。お宮参り当日にスタジオで家族全員の記念撮影をしたいと主張する義父。記念にと思う義父の気持ちもわかりますが、私は娘への負担を考えてなるべく外出時間は短くしたいと考えていたので、「急に何を言い出すの!?」と内心不服でした。 ドリルと本を少し送りましたよ娘が文字を理解し始めた4歳のころ、義父から荷物が届きました。中身はドリルと絵本です。まだ娘はようやくひらがなを読めるようになった段階なのに、その先のカタカナ、文章の読み書きまでのドリルがそろっていました。事前に「ドリルと本を少し送りましたよ」と連絡はもらっていましたが「どこが少しなの!?」と突っ込みたくなるほどの量。 ありがたくは思うものの、結局のところ娘にドリルをやらせるのは私……。毎日の子育てで余裕がなかった私は、なんだか余計な仕事を押し付けられたような気がしてしまい、どっと疲れてしまいました。 通信教育を申し込んだからさらに娘が大きくなり、小学校入学が目前に迫ったころ。義父が独断で娘のために通信教育教材を申し込んだのです。さすがにこれには私も黙っていられず、夫経由で即解約を申し入れました。 義父の「孫のために何かしたい」という想いは十二分に理解しつつも、教育に関しては親である私たち夫婦が主導権を持つことを明確に示したかったからです。義父の想いを無下にした形になり心苦しくもありましたが、親として譲れない一線だったので後悔はしていません。 義父母がわが子へ干渉することを煩わしく感じてしまうこともありますが、私にとって大切なわが子は義父母にとっても大切な孫。関心を持って関わってくれることに感謝を忘れたくないと思っています。親としての譲れない一線は明確にしつつも、これからも義父母には一緒に子どもたちの成長を見守ってほしいです。 作画/やましたともこ著者:岩田美玲2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月24日2歳の娘さんが突然始めた、ママさんのおまたのにおいを嗅ぐ行動。最初は放っておいたそうですが、なかなかやめてくれないその行動をどうにかしようと働きかけてみたそうです。現在2歳の娘を育てています。娘は2歳になったころから、時々私の股のにおいを嗅ぐような仕草をするようになりました。今のうちだけだろうと思っていたのに、何カ月経っても思い出したように股のにおいを嗅ぐので、このままではまずいと思いやめるように働きかけることにしました。 なぜか股のにおいを嗅ぐ娘娘が2歳になったころ、何がきっかけというわけでもないですが、娘がふざけて私の股に顔を近づけてきました。私が軽い気持ちで「きゃーやめてー」と言うと、娘はおもしろがって何度も私の股に顔を近づけてきます。 これをきっかけに、娘はふと思い出すと座っている私の脚の間に顔を入れ、「くんくん」と嗅ぐようになりました。そのうち飽きるだろうと思っていましたが、半年経っても娘はにおいを嗅ぎにくるので、次第に私も「まずいかもしれない」と思い始めました。 これ、外でやったらどうしよう…なかなか飽きない娘の恥ずかしい遊びに、ふと「これを外でやられたらまずいな」と思い始めました。「私以外の誰かに同じようにしていたらもっとまずい」とも考えるように。しかし最初に私がふざけて対応してしまったこともあり、娘は一連の流れを遊びだと思っているようでした。 そのため、反応を変えて「もうやめて」「ダメ!」と強めに言ったり、無視したりしてみました。そうしても、もう次のときには忘れてまた繰り返し、言い方を変えた効果はありませんでした。 真剣に言い聞かせてみた結果娘が2歳10カ月のとき、3歳児にする性教育の記事を参考にして、真剣に話してみようと思い立ちました。そこで娘がまた同じように股に顔を近づけたとき、真剣な顔で話をしてみました。「ここはね、大事な場所だから触ってほしくないんだ」「お母さんも、娘ちゃんもそれぞれ触られたくないところは嫌だって言っていいんだよ」。 1回言っただけでは娘もわからなかったようですが、何度か同じ話をしてみるとようやく「わかった!」と言い、そこからにおいを嗅ごうとはするものの、「嫌だ?」と聞き、私が「嫌だな」と言うとやめるようになりました。 私が最初におもしろい反応をしたこともあって、股のにおいを嗅ぐのが娘にとっては単なる遊びとして定着してしまいました。2歳ではまだまだ良いこと悪いことの境界線があいまいです。そのためやってほしくないことはきちんと真剣に伝えることが大事なのだなと思いました。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月22日現在2人目妊娠中、3歳の長女を育てています。先日義母がスマホを持つようになり、友人にすすめられるがままにSNSなどを始めました。最初はよかったものの、義母のSNS熱がだんだんと高くなり、長女の個人情報が危険に晒される事態にまでなってしまいました。 交友関係の広い義母がスマホを持った!義母は社交的で交友関係の広い人です。その義母がガラケーからスマホにかえました。スマホにかえたときには、「これで少し連絡が取りやすくなるな」くらいにしか思っていませんでしたが、これが思わぬトラブルのきっかけに……。 問題になったのは義母のメディアリテラシーの低さ。それまで義母とインターネット上の個人情報の扱いについて話したことがなかったのでわからなかったのですが、そもそも義母はインターネットがどういうものかよくわかっていなかったようでした。 事件1:孫をSNSで公開スマホにかえた義母は、友人からすすめられてTwitterを始めました。最初は家の近くに住む友人とだけ交流し、そのなかで写真を公開したりコメントしたりしていたそうです。しかし、次第に昔の友人とSNS上でつながったりするなかで、SNS上での活動の幅が広がり……最終的には、孫である長女の写真を名前つきで全世界に公開していました。 それを知った私と夫で、すぐに投稿を削除させてことなきを得ました。義母はSNS上で公開することを、「市の広報誌に孫が載る」くらいのことだと思っていたそうです。その事件から、SNSで孫の写真はNGというルールができました。 事件2:勝手に孫の動画を送るピアノ講師の義母は孫が歌ったり、楽器を触っていたりするところをよく撮影していました。それを友人に送っては、「スゴイ才能なの」と自慢していたようです。しかしそれだけで物足りなくなった義母は、友人のツテを使って、幼児の音楽指導で有名な先生に孫の動画を送信。 後日友人経由で「素晴らしい」と言われたらしく、喜んで私たち夫婦に報告してきました。しかし自身の孫とは言え、親の許可なく他人に動画を送ったことに私たち夫婦はモヤモヤ。そのため今後はやめてもらうように約束しました。 私自身はSNSをほとんど使わないので、スマホにした時点では義母のこうした行動が予測できませんでした。ひとまず義母とは話し合いをおこない、事態は収拾しましたが、今後また同じような事件が起こるかもしれないので、義実家に行ったときには毎回、義母のSNSの動向を確認するようにしています。 作画/やましたともこ 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月22日2人目は何歳差で産むのが良いのか? ママ友ともよくそんな話題になっていたころ、「3歳差は入園・入学が重なるから大変だよ」と複数人から聞き、深い考えもなく、ならば2歳差でと妊娠・出産してみたところ……。マタニティ期間の苦悩私には11月末生まれの長女と、1月生まれの次女がいます。長女は2歳1カ月でお姉ちゃんになりました。マタニティ期間に大変だったことは、長女を抱っこできなくなることでした。当時1歳半の長女はまだあまり歩けず、抱っこをせがまれることがよくありました。 けれど私は貧血で通常の暮らしもつらいときがあり、抱っこしてあげたり、してあげられなかったり……。おなかが大きくなってからは切迫早産の不安があり、まだ小さい長女が満足するまで抱っこしてあげることができませんでした。 0歳と2歳の育児はドタバタ次女誕生後、ちょうどトイレトレーニングをしていた長女。トイレの間隔が短かったので、次女のおむつ替えや授乳などをしているときでも、「トイレ!」となることが多く、あっちこっちにお世話をしにいかなければならず、体力的に大変でした。 また、長女は3歳まで夜泣きがあり、授乳で泣く次女に母乳をあげながら泣くので、1年間は夜にあまり眠れませんでした。 2歳差と3歳差の大変の違い私の周りで言われていた「3歳差は大変」は、行事が重なることや金銭面で一度にお金が出るという部分が大変という意味でした。 2歳差は行事や支出はタイミングがずれますが、まだ自分のことを自分ですることができない、うまく気持ちを伝えられない時期の2歳の長女と、何にも自分でできない0歳の次女との生活は忍耐と体力がかなり必要でした。愛情を持って接していましたが、私自身も毎日がいっぱいいっぱいになり、イライラしがちでした。 眠れない日々が続いたときは、2歳差で出産したことを後悔するときもありました。けれどもそれは2歳差だからではなく、子どもの性格にもよるものも大きく、同じように出産した友人とはまったく悩みが違い、何歳差だから良いとかラクというのはないんだと気がつきました。金銭的なことは予想できますが、育てる際の大変さは何歳差であろうとしてみなければわからないと思いました。 原案/横山まい作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2022年11月21日妊娠初期に強い腹痛があったママ。妊婦ということで痛み止めの薬を服用するなどの処置は難しいと言われ、ひたすら耐えるしかありませんでした。そんなときに上司からかけられた温かい言葉で励まされたそうです。妊娠判明と同時に起こった不調の1つに、強い腹痛がありました。医師からは「卵巣が腫れていますが、経過観察で問題ありません。妊娠初期ということもあって痛み止めの薬も処方できません。大変ですが、耐えてください」とのコメント。つわりと相まってつらかった妊娠初期の体験談です。 妊娠判明、そしてつわり私が妊娠に気がついたきっかけは、強い倦怠感でした。少し動くだけで立っていられないほど疲れてしまい、これはおかしいぞと思ったことを覚えています。月経も少し遅れていたので妊娠検査薬を使うと、しっかり反応が。入籍から半年、そろそろ子どもが欲しいねと夫と話していたころだったのでとてもうれしかったです。 妊娠判明からほぼ同時期につわりの諸症状が起こり始めましたが、つらいものの耐えられないほどではありませんでした。 「妊娠は病気じゃない」の意味つわりも吐き気やめまいなどでつらかったものの、デスクワークの仕事ができないというほどではありませんでした。しかし、腹痛はまっすぐに歩けなくなるほどの痛み。椅子に座っていることもできず、仕事を早退したり、休んでしまう日が続きました。もちろん家事などまったくできません。 体調の悪さからメンタルも弱っていき、次第に自分がダメな人間だと感じるようになっていきました。しかしそのとき、職場の上司からかけてもらったひと言に救われました。 「妊娠は病気ではないというのは、医師や他人が治すことができない、あなたが安静にするしかないということ。仕事も家事もしなくていい。つらいときは休みなさい。申し訳ないと思わなくていい」 上司からかけてもらった言葉と理解ある同僚に助けられ、早退と欠勤を繰り返しながらもどうにか妊娠初期を乗り越えました。妊娠13週を過ぎたころ、つわりも腹痛も次第に治まっていきました。 それからも妊娠期間中、しばしばマイナートラブルに見舞われることがありました。そのたびに「妊娠は病気じゃないから、私が私とおなかの赤ちゃんを第一に考えた行動をしよう」と心がけ、無理のない妊娠生活を送りました。腹痛はつらかったですが、何かと無理しがちの私にとっては必要な経験だったと思えました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/かねこゆかり作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2022年11月20日息子も1歳になり、ひとり歩きも少し安定してきたころ、家の前で息子を遊ばせていたときに起こった事故でした。ほんの少し目を離した瞬間に息子が側溝に落ちてケガをしてしまい、私は息子の手当てをしながら自分の対応に後悔したのを思い出します。それ以来、たぶん大丈夫!と思わず、よりいっそう注意するようになりました。ほんの一瞬のことで思わぬケガにつながってしまうんだと実感した、私の体験談をお伝えしたいと思います。 きっと大丈夫だろうという気持ちよちよち歩きの息子と一緒に、家の前のお花にお水をあげていました。私の家の周りには25cmくらいの深さがある側溝があり、カバーされていません。息子は側溝から離れた場所で、しゃがんで石を拾って遊んでいました。集中して遊んでいるように見えたので、ホースを片付けるために壁で遮られた庭へ一瞬だけ入りました。 ほんの5秒くらい目を離しただけでしたが、急いで出てきて息子に目をやるとまさに側溝へ向かって歩き、落ちる瞬間でした。「危ない!」と叫び駆け寄りましたが届かず、息子は側溝に転落してしまったのです。 側溝に落ちてしまった息子側溝にうつぶせになる形で倒れ、息子は大泣き。慌てて抱き上げると、息子の口元が血で真っ赤になっていました。出血が多く、ぱっと見てどこをケガしているのかわからない程でした。 急いで家の中に入り流水で洗って改めて見てみると、上唇が5mmほど切れて、上唇の裏の筋が切れて出血している状態でした。タオルを押し当てて止血しながら、泣き叫ぶ息子を抱きしめて「手当してるから大丈夫だよ」と言うしかなく、ごめんねという気持ちでいっぱいになりました。 ほんのちょっと目を離しただけなのに傷が小さく、出血もすぐに止まったため、家で様子を見ることにしました。唇のケガ以外には打撲などはなく、少しほっとしました。ただ唇の腫れが引いて傷がふさがるまでの4~5日くらいの間、いつもはしっかり食べる大好きなごはんもひと口ずつ食べては痛そうに顔をしかめて少ししか食べられず、見ているのがつらかったです。 ケガから半年以上経ち、話せるようになった息子は、その溝を見て「ここドーンって落ちた、痛い痛いよ」と言います。小さかったのに鮮明に記憶に残っているようで、本当に怖い思いをさせてしまったんだと胸が痛いです。ほんのちょっとだからと自分の用事を優先せずに、どうしたら息子にとって安全でベストかを考えて行動すべきでした。 ちょっとだからと済ませてしまいたい用事があったとき、私はそれを優先させてしまったために息子にケガをさせてしまいました。大事には至らなかったけれど、息子は怖い経験としていまだにしっかりと覚えています。1歳という活動範囲が増えていくけれどまだまだ理解が不十分な時期。自分で思っている以上に注意して見守らないといけないんだなと実感した私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2022年11月20日3歳を過ぎたころ、急に娘の身に起こった「熱性けいれん」。私は娘の症状を初めて目の当たりにし、顔が青ざめ言葉が出ませんでした。娘が熱性けいれんを発症し感じたことやすべきこと、やってはいけなかったこと……実際に身をもって経験したことをお伝えしたいと思います。 いつもの風邪の症状と思っていると突然に出かけた日の夕方に、鼻水と咳が出始めた3歳の娘。週末ということもあり、病院は休診。熱もなく軽い風邪症状だろうと思い、翌日に病院へ行く予定でした。 夜になると37.4度の微熱も出ましたが機嫌は悪くなく、子どもは夜に熱を出しやすいと把握していたので、気にせずそのまま就寝しました。ところが……。 1時間ほど経ったあと、私はふと目覚め、娘の様子を見て驚愕しました。娘は手足をビクビクとけいれんさせ、唇は紫色になり泡を吹いて失神していたのです。 指示を仰ぐため小児科救急へ電話娘の身に何が起きているの? 目の前にある光景は現実? 起きてすぐの私には娘の状態がまったく理解できず、頭が真っ白になってしまいました。そして我に返り、失神している娘の意識をまずはしっかりさせなくてはと思い、私は震える手で娘の体を軽く揺すったり声を掛けたりしました。 私の声に目を覚ました夫は娘を見て驚き、焦っていたと思います。夫が目を覚ましたことで少し冷静さを取り戻した私は、携帯を手に取り小児科救急相談窓口に電話を掛けました。 救急病院へ。何が必要なのかわからない小児科救急相談窓口で娘に起きている症状を看護師さんに伝えると、むやみに動かしてはいけないと指示され、そのまま救急に繋いでくれました。救急車が到着するのを待って、けいれん時の症状と時間を伝え、病院へ向かうことになりました。付き添いが必要なので、私は慌てて保険証や医療証、財布を準備し救急車を待ちました。 そこで、焦っていると忘れがちな持ち物があるとわかったのでご紹介したいと思います。 必要なものは貴重品以外にもあった!救急隊の方が寝室から娘を運び、私は娘の付き添いのため慌てて準備した貴重品等を持って救急車に乗り込もうとしました。そこで救急隊の人に呼び止められ「持ち物は貴重品以外にも必要な物がありますよ。言いますので準備してください」と言われたのです。 子どもの靴に靴下、院内での診察待ちや会計時、帰宅時に羽織る私と娘の防寒具などでした。軽装で過ごしていた自宅から救急車で病院に、しかも娘は抱えられて車に乗り込んだので靴や靴下を履いていないということにも頭が回っていなかったと気がつきました。 お医者様いわく、発症時は子どもを横に向け呼吸しやすくし、けいれんの時間を計り、どのような状態だったのかメモしておくことが大切なのだそうです。いざけいれんしているわが子を目の前にするとパニックになってしまいますが、しっかりしなくては……と感じた体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/佐藤ひより作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2022年11月18日2人のお子さんを持つママが、ママ友との関係で悲しい思いをした体験談です。これまで仲の良かったママ友に2人目の妊娠報告をしたあと、なぜか疎遠になってしまったそうです。1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう? なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信がきましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2022年11月18日娘が水ぼうそうで、保育園を1週間休まなければならなかったときのこと。正規職員で休みづらい立場にあった私は、さまざまなつてを頼り、娘を預けて仕事へ。熱があってつらそうなのにママがそばにいてあげられなくて「ごめんね」と、頑張った娘に「ありがとう」と感じた体験談です。突然の発熱と発疹娘が1歳のある日、発熱で保育園から職場に連絡がきました。その日はすぐに帰宅し早く休ませたのですが、夜のうちに手足やおなか、背中に発疹が出てきてしまったのです。 次の日、仕事を休んで病院へ。水ぼうそうという診断でしたが、困ったことにすべての発疹が乾燥して感染の危険がなくなるまでは、保育園に登園できないとのこと。目安は1週間……。翌日からの仕事のことを思うと、途方に暮れてしまいました。 仕事が休めない! 義母を頼る毎日突然の早退と休暇で勤務体制に穴を空けてしまったので、さすがに翌日も休むわけにはいきませんでした。さらに、それ以降の日も正規職員の私が出勤しないと仕事が回らない状況でした。夫も激務の職場のため、簡単には休めず……。 そこで、近距離に住む義母に来てもらい、娘を看てもらうことに。義母はとてもよく看病してくれて助かるのですが、まだ熱があって具合の悪そうな娘を置いて仕事に行くのは「ごめんね」と後ろ髪を引かれる思いでした。 最終手段は近所の人!!2日連続で看病に来てくれた義母でしたが、3日目は都合が悪く来れませんでした。しかし、私もその日こそ職場で大事な案件があり、午前中は休むことが難しかったのです。他の親族は頼れず、病児保育も登録しておらず……。 窮地に追い込まれましたが、ふと、日ごろから付き合いのある近所の人に頼れるかなと思いました。娘のことをかわいがってくれ、お宅にも遊びに行っていた関係だったので、無理を承知でお願いしてみたのです。すると、ありがたいことに快諾してくれ、ほっとひと安心でした。 ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね娘は、近所の人に預ける日には、発疹が乾燥してきてあとわずかで完治の状態でした。朝、機嫌よく預けられたものの、仕事中「寂しがっていないかな」と心配でなりませんでした。 幸い、午前中で仕事を切り上げることができ、お昼には迎えに。娘は近所の人によくしてもらって元気に過ごせたようでしたが、「なかなか一緒にいてあげられなくてごめんね」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 周りの手助けに恵まれ、娘を預かってもらって仕事を無事こなせたことは本当にありがたかったのですが、やっぱり具合の悪いときに、親がそばにいてあげられない時間が続いたことが心苦しかったです。それと同時に、日中ママがいないなかで義母や近所の人と落ち着いて過ごして、よく頑張ってくれたなと娘にも感謝でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO作画/やましたともこ 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月09日私は4歳、2歳の息子、生後6カ月の娘のパパです。2人の息子とはよく一緒に公園へ行きます。長男は現在補助輪を外して自転車の練習中。その一方、ひとりでボール遊びをしている次男。気づけば長男の相手ばかりしてしまっていました。そんな次男に「いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……」と感じた体験談をご紹介します。公園に行くのが日課私と2人の息子は公園に行くことが日課の1つとなっており、仕事が終わって帰ると「パパ、公園に行くよ!」と元気よく迎えてくれます。仕事が遅くなってしまったとき、雨が降ったとき以外は毎日公園に行っています。 いろいろな遊具がある中で、公園では2人一緒に遊びながら、サッカーボールを蹴ったり、ブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりしていました。 長男が自転車の練習を始め、ひとりで遊ぶ次男いつも公園では一緒に遊んでいた2人の息子ですが、長男が4歳になったときに補助輪を外して自転車に乗る練習を始めました。もちろん最初はうまく乗れず、私は長男につきっきり。 練習している間、私は次男がひとりで遊ぶ様子を遠目で見ることしかできませんでした。しかし、特に不満そうな表情もなく、ボールを蹴ったり追いかけたりして遊んでいたので、私も安心して自転車の練習に付き合っていました。 「もう帰る!」と泣く次男公園に行っても、私は自転車の練習に付き合うことが多くなりました。練習は最初の10分だけと決めて、その後は息子たちと3人で遊んでいました。しかし、いつものように自転車の練習をしていると、急に「もう帰る!」と泣き出す次男。理由を尋ねると、「自転車イヤ。にいにばっかり!」と……。 私はひとりで不満なく遊んでいた様子に安心していましたが、このとき初めて次男はひとりで寂しい思いをしていたことに気づきました。いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……と思いました。 次男にとっては、公園ではいつも長男とパパと3人で遊んでいたにもかかわらず、ひとりの時間が増えてしまっていました。「不満はないのかな?」と思っていましたが、やはり寂しく感じていたのだと申し訳なく思いました。これからは、自転車の練習中も次男に声をかけながら見守り、練習後は次男がしたい遊びで思いっきり遊んで寂しい思いをさせないようにしていきたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 作画/やましたともこ著者:西川しょた普段は看護師として勤務する5歳と3歳の息子、1歳の娘の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年08月04日上2人はスピード出産すぎたため陣痛がどのようなものなのかわからず、心の準備をする時間もバースプランの出番もなし。何が何だかわからないまま出産し、気付けばわが子は私の胸の上でした。今回3人目にして初めて「出産ってこうやって進んでいくのか」「陣痛なう!」ってこんな感じなのか、と実感しました。 そして、したかったことが全部叶った!と思えた出産のお話です。スピード出産すぎて陣痛がわからない1人目、2人目の出産時のことです。私はなんだかおかしい?と思って産院に行き、着いてから1人目は30分後、2人目は10分後に出産しました。到着時には子宮口全開大、いきなり痛みMAXだったので、10分間隔、5分間隔のような「陣痛なう」というものを味わった経験がありませんでした。 母子健康手帳に記載されている分娩所要時間も1時間弱。雑誌で見る平均的なお産の進み方とはまったく異なり、「これから産むんだ!」という心の準備ができなかったこと、会陰切開の痛みやおっぱいトラブル、マタニティブルーズなどの産後の体の変化についていけず、1人目のときは産後うつにもなりました。 3人目にして陣痛のイメトレ助産師さんと今回のバースプランを話していたとき、上2人の出産時間を伝えると顔色が激変!! 「陣痛何分間隔ではなく、少しでもおかしいと思ったら連絡してきてね」と言われ、改めて陣痛とはどんな感じなのかを経産婦のママたちに聞いたり、雑誌を見たりしながらイメージトレーニングしました。 妊娠38週ころから恥骨痛も限界に達し、出産予定日1週間前の夜中2時前、その“おかしい感じ”がついにやってきました。 これが「陣痛なう」!?おなかに違和感を覚え、間隔を計ると2分間隔。痛みはないものの、トイレに行くとおりものに血が混じっていたので、2人目の幼稚園のお弁当を念のために作ってから産院に連絡。「今までのことがあるから念のためにきてね」と言われ、家族を起こしてみんなで出発しました。 産院に着いて内診すると、子宮口が5cm開いているとのことで入院となり、その後破水。1人目・2人目のときと変わらず痛くもないし「生まれるのかな~?」と話していると、徐々に痛みが強くなり「これが陣痛なう?」と私は感動! 助産師さんは、私の「陣痛なう」発言に大笑いしていました。 次は「出産なう」! 「陣痛なう」発言からしばらくすると、どんどん痛みが強くなり、いよいよいきみ開始。分娩室は和室で、時代劇で見るような綱がぶら下がっていました。この綱につかまることで力が入りやすくなります。いきむタイミングで綱を引き、赤ちゃんの頭が出てくる感覚や痛み、「産んでいる」ということを3人目にして初めて実感しました。 そして、上の子どもたちも含めた家族に見守られて無事長女が誕生しました。性別を聞いていなかったので、女の子とわかった瞬間みんなで大喜び!! 初めての「陣痛なう!」を経験し、3人目にしてこうして陣痛が進み、出産が始まっていくんだと実感。そして家族みんなに立ち会ってもらい、バースプラン通りの理想の出産を体験することができました。心の準備をしながら出産に臨めたので気持ちも穏やか、心身ともに産後の回復が一番よかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 原案/石井けいこ作画/やましたともこ
2022年05月04日出産した病院でわが子の1カ月健診を受けたときに、頭頂部付近にある大泉門がほとんど閉じていると小児科の医師から指摘を受けました。それに加えて、全身の緊張が強い傾向にあるとのこと。まさかわが子が1カ月健診で異常が見つかると思っていなかったので、驚き、動揺して頭が真っ白になりました。1カ月健診で大泉門がほとんど閉じていた個人差はあるものの、通常1歳半前後で閉じ始めると言われる大泉門がわが子はとても小さく、1カ月健診のときにはすでに閉じかけていました。医師の説明によると、大泉門が早くに閉じると頭蓋骨が大きくならず、成長とともに大きくなる脳を圧迫して発達に影響が出てしまう可能性があるとのことです。 しかし、まだかろうじて大泉門が少し開いているので、少しずつでも頭囲が大きくなっていけば問題はないとのこと。経過観察をしていくことになりました。 かかりつけ医への受診産院では病名は聞いていませんでしたが、家に帰って母子健康手帳を確認すると、1カ月健診の記録欄に「軽度筋緊張亢進疑い」と書いてありました。どのような状態なのか気になりネットで検索したところ、脳への障害につながる情報が多く、不安でいてもたってもいられなくなった私。上の子が通っているかかりつけ医へ相談に行きました。 そこでは、まだ月齢が小さすぎて今の段階で診断することは難しく、大きい病院で検査してもわからない可能性も高いので、もうしばらく様子を見ましょうと言われました。 市の3カ月健診生後3カ月半のとき、市の3カ月集団健診を受けました。そこで1カ月健診のときに受けた指摘について説明し、筋緊張が強いことなど気になっていることをすべて小児科の医師に相談しました。 先生は丁寧に答えてくれ、診察の結果、大泉門は閉じかけているが、1カ月健診のときよりも頭が大きくなっているとのことでした。また、全身の筋緊張も確かにあるが、1カ月健診のときよりも状態はよく、安心していいとの診断でした。そして、念のため1カ月後に同じ先生に再診してもらえることになりました。 4カ月健診そして3カ月健診の1カ月後、大泉門は閉じていないか、頭は大きくなっているか、筋緊張は和らいでいるかなどを前回と同じ小児科の先生に見てもらいました。 頭は1カ月前よりも1cm大きくなっているので安心していいと言われ、やっとほっとすることができました。筋緊張も前ほどはなくなっていました。筋緊張も、寝ているときと起きているときとでは多少変わり、月齢が小さいときには判断が難しいため1カ月健診で経過観察になったのだろうとの説明を受けました。今後は月齢とともに頭が大きくなっているか家庭で様子を見ていくようアドバイスをもらいました。 1カ月健診で要観察になり、そこから経過観察の3カ月がとても長く感じました。指摘を受けたときは不安でいっぱいでしたが、生後半年経った今は発達に問題もなく、順調に頭も体も大きくなっています。今も念のため、1~2カ月に1回、市の育児相談で身長・体重と頭囲を測り、様子を見ているところです。子どもを育てていく中で不安はつきものですが、今後もわが子の成長を喜びながら、楽しく子育てをしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2022年05月04日大学生のときにお付き合いしていた彼との一夜でコンドームが外れてしまい、念のためにアフターピルを処方してもらいに行きました。その際の産婦人科で医師から言われたショッキングなひと言が、今でも忘れられません。10年近く前のことですが、当時を振り返ってお話ししたいと思います。 コンドームが外れた! どうしよう…彼とするときはいつもコンドームをつけて避妊していたのですが、ある晩途中で外れてしまったことがありました。今思うと外れただけで何もなかったのですが、私は初めてお付き合いした相手で経験もなく、とても動揺してしまったのです。 彼の「コンドーム外れちゃったんだけど大丈夫?」の言葉に、私はだんだん大丈夫ではない気がしてきました。 念のためアフターピルをもらうことに問題ないとは思いつつ、私と彼は翌日アフターピルを処方してもらうことにしました。処方してくれる病院や副作用などを調べている私に、彼は心配しながらもしきりに謝ってくれたのを覚えています。 私はなんとなく後ろめたいものがあったので、家から電車を乗り継いで30分くらいのところにある産婦人科を受診することにしました。産婦人科に行くと2人で決めてからは、彼とずっと気まずくなってしまい苦しかったです。 医師に言われた思いがけないひと言コンドームが外れた翌日の朝早くに、私と彼は産婦人科へ。受付や問診票の記入は特に問題はなく淡々と終わりました。診察の順番になって、私ひとりが呼ばれ、「ひとりで呼ばれて、何を聞かれてどう答えたらいいのだろう」と不安でした。 しかし私が着席すると同時に、50代くらいの男性医師は「これだから若いのは困るんだ。ちゃんと後先考えて避妊をするように」と言い、私が何も言う間もなく診察は終わったのです。 予想しなかった展開に呆然としてしまい、何も言い返すことができませんでした。診察後アフターピルを処方されたのでその後生理は来たのですが、私の気持ちは晴れないままでした。 私と彼はコンドームで避妊をしていました。性交時の状況(レイプかそうでないか、避妊はしたかなど)を伝える機会はなかったのですが、それなのに何も聞かずこのように決めつける医師がいることに驚きでした。 原案/桜場紫作画/やましたともこ
2022年05月03日待ちに待った赤ちゃんとの対面は、今まで味わったことのない感動と幸せを覚えました。しかし休む間もなく育児が始まります。初めて経験する育児に戸惑ったものです。今回は出産から1カ月の間に悩んだこと、振り返って感じたことをお伝えします。「私、育児に向いていない…」そう思った1カ月間赤ちゃんが生まれて1カ月間、一番つらかったことは、「睡眠不足」です。そして「赤ちゃんが泣いている理由がわからないこと」も大きな悩みでした。 さっき授乳したばかりなのに泣く赤ちゃんを見て、「どうして泣いているの?」とイライラするばかり。ストレスもたまり、母乳も思うように出ません。何もかもが悪循環に陥っているようで、「育児に向いていない」とまで思うようになりました。 誰でも最初は新米ママ出産から1カ月の間は、慣れない育児と睡眠不足の狭間でいろいろな壁に直面しました。家事をするのもひと苦労!「育児がスムーズに進まないのは、すべて私に原因があるのかもしれない」と気分は沈む一方でした。 でも、私と同じように初めての育児に励む友人たちの話を聞くと、つらい思いをしているのは自分だけではないことに気づきます。誰でも最初は新米ママ。自分を責める必要は1つもありませんでした。 何もかも完璧にこなす必要はなかった睡眠不足、母乳が出ないなど、出産直後の悩みはたくさんありました。それでも、悩んでいる間も赤ちゃんは成長していきます。出産から1カ月が過ぎると赤ちゃんが少しまとまって眠ってくれるようになった、母乳の出がよくなったなど、少し変化があらわれました。 時間が悩みを解決してくれることもある、そう感じました。だからこそ、何もかも完璧にこなそうとする必要はなかったのだと思います。 食材宅配などをじょうずに利用して、家事や掃除などの負担を軽減することも、自分が抱える負担を軽くするポイントでした。ズボラでいることも必要だと割り切ることも大切だと思いました。 監修/助産師 松田玲子 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 原案/田中由惟作画/やましたともこ
2022年05月01日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第451話/最終話。どんな仕事よりも育児がとても大変だったと感じていたやましたさん。子育てをしているすべての方への応援のラストメッセージです!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 私は娘たちが赤ちゃんだったころ、毎日こう思っていました。 「られれもひ〜から られら らふうれれ……(※誰でもいいから誰か助けて)」 夫婦2人の赤ちゃんにも関わらず、私の方が毎日あまり眠れず、私の方が自分の仕事を犠牲にして、私の方が一人でもがき苦しんでいる。そう思っていました。 長女が生まれてしばらくの間は、不満があればパピーちゃんにすべて伝えてケンカをしたりもしましたが、途中からはケンカをする余力すらなくなってしまい、私がすべての欲望を捨てれば、私がすべて犠牲になれば、何とか丸く収まるんだと考えるようになりました。実際、この一見ネガティブで不健康な方法で、私の心はまずまず落ち着きました。 今までの人生で味わったことのない、どんな仕事よりも、はるかに大変だった「育児」 なぜ、こんなに大変なことなのに学校では何も教わらないのか、今でも不思議でなりません。その「育児」をしているお母さんたち(ママだけじゃく、パパやおばあちゃんたち育児をしているすべての方!)そのみんなを心の底から尊敬しています。 以前、一緒にお仕事をしたことがあったライターさんから「日記書くみたいな感じで……」と声をかけて頂いてから始まったこの連載。451話の今日でお別れです。 連載が終わっても、娘たちが大きくなっても、わたくしやましたともこは、永遠に育児に奮闘するお母さんたちを応援し続けて行きます。今までありがとうございました。 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年02月12日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第450話。Yちゃんのお母さんが亡くなったことをきっかけに、自分自身の健康を考えるようになったやましたさん。子ども達のためにもまだまだ死ぬわけにはいかない……!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんが亡くなってから、いろんなことを考える機会がありました。自分の命は自分だけのものじゃないと思うようになりました。こんなちっぽけな私でもN子とKTにとっては唯一無二のお母さんという大切な存在なんだと気付きました。 私は今、毎年、健康診断を受けています。その結果、胃や大腸にポリープが見つかり、お医者さんに「ゆくゆくはガンになるタイプのポリープだったから見つかってよかったですね」と言われたことも何度かありました。他にも子宮ガン検査では要精密検査になったり、大阪市の人間ドックでは腎のう胞が見つかり、何年かに一度経過観察をしています。 「要精密検査」となるたびに、心臓が飛び出しそうになりますが、今、毎日子ども達と楽しく過ごせているのは、健康診断のおかげだと思っています。 N子とKTのためにも、まだまだ死ぬわけにはいかない!毎年健康診断を受けて、自分の命を大切にしていきたいと思います。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週2回お届けしています!著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年02月09日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第449話。Yちゃんのお母さんが亡くなってからも、変わらず仲良しなYちゃんとN子ちゃん。ふとした会話でつい涙が……。ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんが亡くなったころ、N子と私は、お母さんが亡くなるってどういうことなのか話をしました。夜寝るときにお母さんがいないこと、病気でしんどいときにもお母さんがいないこと、そして、どんなに会いたくても二度と会えないこと、Yちゃんが今どんだけ寂しくて不安な気持ちなのか想像して話をしました。まだ幼かったN子ですが、彼女は彼女なりに何か考えるところがあったと思います。 月日は流れ、今、小学4年生になったYちゃんとN子。相変わらず2人は仲良くしています。 同じ習い事をしていることもあり、私が見学やお迎えに行くと、Yちゃんは私を見つけるとかけよって来てくれます。そして、その日あったうれしかったことや、嫌だったことなど、いろんな話をしてくれます。そんな光景を、N子はいつも微笑みながら見守ってくれています。 たとえN子自身が話したいことが沢山あったとしても「Nは帰ってからいっぱい聞いてもらえるから」とYちゃんを優先してくれています。 せめてN子がYちゃんに優しい子に育ってくれてよかった。そう思っています。 家に帰ると今度は寝るまでN子とKTの話を聞くようにしています。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週2回お届けしています!著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年02月05日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第448話。Yちゃんのお母さんの葬儀に参列したやましたさん一家。いつも通りの笑顔のYちゃんを見かけて、ふと考えました。もしわが子だったら……?ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんのお葬式には家族全員で参列しました。 保育園からほど近い斎場に、パピーちゃんとN子とKTと4人で一緒に向かいました。 道中、私はYちゃんのことを考えていました。大勢の大人がみんな黒い服をきて暗い顔をしてる姿を見るのは怖いんじゃないか? みんなが泣いていて不安にならないのか? お焼香の匂いは大丈夫なんだろうか? ちゃんとごはんは食べてるんだろうか? いろんなことを思い、早くYちゃんにN子の顔を見てもらい少しでも安心してもらいたいと思いました。 私たちが並んだ長い行列がゆっくりと進み、やっと最前列に座るYちゃんを確認することができました。Yちゃんは大人用のパイプ椅子にちょこんと座って、無表情でお焼香する大人達を眺めていました。そして、人混みの中にN子を見つけると、少し安心した様子でこちらを向いてニコリと笑い手を振ってくれました。 その笑顔は、お母さんが亡くなる前と何一つ変わらない笑顔でした。 幼い娘を2人残し、亡くなったしまったYちゃんのお母さんの無念は計り知れません。 もし、私だったら……。もし、わが子だったら……。考えても考えても私には想像すらできませんでした。ただ、私が今、子ども達とこうして過ごせているという事実がとても眩しいものだと気づくことができました。 すぐ「抱っこ〜」と言ってくる甘えん坊のKTに「私は膝が悪いから」と言わずに、たくさん抱っこしてあげよう。「見て見て!」ばっかり言ってくるN子には「仕事の邪魔やから」と言わずに、手を止めて何を見て欲しいのか見てあげよう。 そして、とても大好きだと毎日2人に伝えよう。 そう思いました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週2回お届けしています!著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年02月02日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第440話。ときが経ち、長女N子ちゃんは年長さんに。その年の保育園の夏祭りでの出来事です。パピーちゃんがYちゃんのお母さんのある異変に気付きました。ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんと友だちづきあいをさせてもらってから3年ほどが経ち、Yちゃんも我が家の長女N子も年長さんになりました。YちゃんとN子は同じ小学校に進学することもあり、一足早く小学生になったYちゃんのお姉ちゃんの話を教えてもらったりしながら、これからも同じ感じでお付き合いが続いて行くんだろうなと思っていました。 春が終わり、夏になり、子ども達が大好きな夏祭りがやってきました。 最初に異変に気付いたのはパピーちゃんでした。 Yちゃんのお母さんを見つけたパピーちゃんが真剣な顔で「Yちゃんのお母さんむっちゃ痩せてへん?」と言ってきたのです。 そう言われてみると……。とYちゃんのお母さんを見てみると、確かにかなり痩せて見えました。服がダボダボだったことに加え、心なしか、顔までもいつもより小さく見えました。 夏なのに長袖にストールを巻いた彼女の姿は、最初にヨガに誘ってくれたときの、あの健康的な姿とは少し違って見えました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年01月05日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第439話。イベントへのお誘いを断るようになったやましたさん。その後のYちゃんのお母さんとのお付き合いは…?ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんのお友だち団体が主宰するイベントへの参加を断るようになった私。それでも娘同士が仲良しだっとことや、家が近所だったこともあり、その後も、保育園から一緒に帰ったり、お互いの家で子ども達を遊ばせたりする機会が増え、普通にママ友がするようなことをする間柄になりました。 Yちゃんのお母さんと2人で過ごすときには、ワンコイン系のイベントに参加させてもらった時にお友だちから放たれていた「子育て楽しもうぜキラキラ〜」みたいな感じは全くなく、いたって普通に、気負わずまったりと過ごすことができました。 Yちゃんには2つ上にお姉ちゃんもいたので、時には、2人の娘を育てている子育ての先輩として色んなことを教えてもらうこともできました。 保育園なので、お仕事をしながらの育児。お互いに忙しかったこともあり、よい頻度で適度に会うことができたのも私にとっては良かったのかもしれません。娘たちは同じ小学校に進むし、これからYちゃんのお母さんとは長〜い付き合いになるんだろうなと思っていました。あのときまでは……。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2022年01月01日うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
子育ては毎日がたからもの☆