体外受精レポ 第11話 初めての判定日の話。成功率は、治療した病院の当時のものです。 長く治療している方からすれば、まだ一回……という感じだと思いますが、期待が大きかった分それなりに落ち込みました。当時この漫画を描きながら、気持ちを整理していました。 次回、ここまでにかかったお金の話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月21日1人目が3歳になり、4歳差で産みたかった私は、そろそろ2人目を……と妊活を始めることにしました。1人目のとき、妊活を始めて半年以内に妊娠できたため、今度もそれくらいでできるかな、と思っていたのですが……それが大間違い! 2人目不妊で排卵誘発剤が体に合わなかった私の治療法は? そして妊娠の決め手となったのは、まさかのアレでした! 私の不妊治療体験談をご紹介します。 2人目妊活。生理の異変に気づき…1人目の出産が28歳だった私は、のんびりと子育てしたかったため、2人目は4歳差にしようかな〜とのんきに考えていました。そして、娘が3歳の誕生日を迎えるころ、私はある体の異変に気づきました。あれ、なんだか生理の間隔がおかしい? それまで、28日前後の周期で7日間ほどだった生理が、24日前後で5日間ほどでくるようになってきたのです。 今思えば、そのときすぐに婦人科にかかるべきでした。もともと婦人科系の疾患を持っていたにもかかわらず、危機感が薄かったことを今は反省しています。しかし当時の私は、産後で体質が変わったのかな、くらいにしか受け止めず、そのまま半年間、婦人科にはかからず排卵検査薬を使ったタイミング法で妊活をしていました。 何もないまま半年が過ぎ、その間にも生理が3日目、4日目に大量に出血するようになるなど、様子が変わってきました。私の生理ヘンかも、とようやく婦人科を受診すると、そこで言われたのは「黄体機能不全」。医師の指導で基礎体温をつけると、私の場合、高温期が短いようでした。そうして始まった不妊治療ですが、このときはまだ、5歳差になっちゃうかなぁ、妊娠するまでにお金かかっちゃうなぁ、くらいにしか思っていませんでした。 漢方&鍼治療で体質改善を試みることに!クリニックでは、排卵チェックと排卵誘発剤の注射を打ち、タイミング法を試しました。しかし、卵子が排卵できないまま残ってしまう「黄体化未破裂卵胞」が繰り返し起こり、排卵誘発剤を使うことでかえって妊娠しにくい状況をつくっていました。 そんな折、もともと風邪を引きやすかった私は、タイミングをとるべき日に高熱を出し、内科にかかりました。先生に、「不妊治療中ですが風邪薬を飲んでタイミングを取っても大丈夫でしょうか?」と尋ねると……、「何を言ってるんだ!」と怒られてしまいました。「こんな体で不妊治療なんて無理がある、今回は諦めなさい!」と強く言われ、泣く泣く次回に見送りました。 しかしなんと、そのひと月後にもまた、私は風邪を引いてしまったのです。これではいけない、体質から変えねば!と気づいた私は、なんとなく気になっていた近所の漢方薬局へ相談することに。そこでは、漢方以外に鍼の治療もあり、先生がしっかりと話を聞いてくれる安心感もあって、しばらく通うことにしました。保険がきかず、決して安いとは言えない漢方薬と、1回4,000円の鍼治療。試しに、という気持ちでしたが、なんとそれから丸2年も通うこととなりました。 なかなか妊娠に至らず、苦手なアレに挑戦人工授精もあわせておこなっていたので、1カ月の出費がクリニックも含め6万円を超えるときもありましたが、それでも通い続けたのは、効果があったからです。子どものころから風邪を引いてばかりだった私が、漢方と鍼を始めてから真冬でも体調を崩すことなく、風邪気味かな、と思っても悪化せず治るように! これは、私にとっては奇跡のような効果でした。 しかし、肝心の妊娠に至ることはなく……。妊娠検査薬にはかすりもしない日が続きました。妊活を始めて2年半、心身ともに疲れ切ってしまい、35歳までに妊娠できなければ、少しお休みしようと考えるように。そこで、私は最後の半年間、これまでどうしてもできなかったあることに挑戦しようと一念発起! それは……、運動です。 運動の楽しさに気づき、ついに…!お恥ずかしいことに、運動が大の苦手で過ごしてきた私は、漢方の先生から「ストレッチでいいから運動するように」と最初から言われていたにもかかわらず、まったくしていませんでした……。しかし、これで最後!とスイッチの入った私は、自分でも驚くほどにのめり込みました。 起床後はストレッチ、仕事のお昼休みに15分のウォーキング、子どものお迎え前に駆け込みでジムのエアロビクラスへ、寝る前にYouTubeで妊活ヨガと、ほんの少しの時間を見つけては何か体を動かしました。それこそ、仕事中にコピー機の前でもストレッチをするくらい。体を動かす楽しみに気づき、運動が毎日のルーティンとなったころ、ついに妊娠検査薬の陽性が出ました! 信じられない気持ちでしたが、同時にもっと早くから運動をしていれば……、との後悔も。もともと冷えが強く、自律神経が乱れがちな私に必要だったのは、巡りを良くするための運動だったようです。もちろん、漢方、鍼の効果も大きかったと感じますが、一番簡単にできたはずのストレッチさえやらずにいた自分が恥ずかしくなりました。 今思えば、ウォーキングやストレッチはどの妊活本にも乗っている基本のキなのですが、苦手だからと言い訳して逃げていたんです。産後5カ月の今、寝る前のルーティンにストレッチをするよう心がけています。サボらないように、上の娘に見張ってもらいながらですが……。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ちよこ7歳と0歳の2児の母。漢方と鍼による不妊治療を経て出産、7歳差育児を楽しんでいます。子どもとのおやつ作りが趣味の元ケーキ教室講師。
2021年06月20日生後初めての眼科受診生後2カ月の息子の目やにが気になり、初めて眼科を受診したときのことです。診察時の息子の様子に衝撃を受けた体験談をご紹介します。 生後2カ月、まだまだねんねの時期だったので、診察前に寝ることは想定内だったのですが……まさか、目を開かれてライトを当てられても起きないとは思いませんでした(笑)。先生や看護師さんも、びっくりして笑っていました。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年06月18日私は27歳から35歳までドイツに住んでいました。そこで、目の当たりにしたドイツの生理事情にカルチャーショック! 生理に対する私の考え方を大きく変えるほど、影響を受けました。 初対面の私に「タンポン持ってる?」ドイツに住んでいたころ、飲み会の席でこんなことがありました。その方はドイツ人女性で、私は初めて会った人。彼女はその日突然、生理になったようで、席についている全員を前に「ねぇ、タンポン持ってない?」と聞いて回ったのです。初対面の私にも堂々と聞いてくる姿に、まずびっくり! ちなみに、そのとき私はタンポンは使ったことすらなかったので、持っていないことを伝えました。そして後日、この出来事をスペイン人の友人に話したのですが、友人は「私がタンポンを使ったことがない」ということのほうを不思議がり、「なぜあんな便利なものを使わないの?」と逆に聞いてくるのです。私は友人の質問に驚きつつも、「そんなに言うなら……」と、次の生理のときにタンポンを使ってみました。すると、確かに便利! 彼女たちに影響されて使い始めたものですが、本当に「なんで今まで使ってこなかったんだろう」と感じ、今では毎月使うようになりました。 「生理中でも検診に行くべき!」と熱弁する同僚またあるとき、ドイツ人の同僚に「今日は午後から婦人科検診があるんだけど、生理がきたからキャンセルしなくちゃ……」と、口にしたことがありました。実は以前、日本で定期検診を受けようとしたところ、生理中ならキャンセルするよう言われたことがあり、自分のなかで「生理期間中は検診が受けられない」と思い込んでいた私。それゆえの言葉だったのですが、同僚は「意味がわからない」という困惑顔。そして「生理中でも行くべき!」と説いてくるのです。少し不安に思いつつも、彼女の説得もあって緊張しながら婦人科へ行き、受付で「生理中なんですけど……」と恐る恐る告げたところ、「そうですか」のひと言だけ。何を緊張していたのだろうと、拍子抜けしました。 ドイツ生活で生理への意識が大きく変わったこのように、私は、ドイツでは生理について、日本よりオープンな雰囲気を感じました。そして、ドイツでの生活は、私の生理に対する意識を大きく変えました。生理だけではありません。婦人病や不妊治療も同様です。日本では初対面の人に生理の話をすることはまずないと思いますし、デリケートな不妊治療の話題であれば、親しい間柄でもなかなか踏み込めないでしょう。でもドイツでは、不妊治療の話題も婦人病の話題も、まわりの友人・知人は普通にしていたのです。センシティブな問題もタブー視しない考えや姿勢に、私は大きく影響を受けました。 帰国した現在、私は不妊治療を経て、妊娠中です。妊娠に至るまでには、2度のタイミング法をトライしたのち、多嚢胞性卵胞症候群、精子欠乏症、私の年齢が37歳という要素が重なったこともあって、すぐに顕微受精へ移行しました。不妊治療中は生理中でも内診があり、それに抵抗を感じる人が多いと聞きましたが、私は一度、ドイツで経験しているので、心理的な負担をあまり感じることなく受診できました。 私が抵抗なく不妊治療が受けられたのも、早期に顕微受精を決断できたのも、ドイツ生活で受けた影響があったからかな、と思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/せな なつこさん
2021年06月14日慣れない育児に取り組み「パパ業・ママ業」に一生懸命になりすぎて、いつの間にか「夫と妻」であることを忘れていました。そんな私たち夫婦が、夫婦関係を見直すきっかけになった言葉があります。産後、夫婦喧嘩が増えた出産後、授乳による睡眠不足や慣れない育児による疲れから、ささいなことで夫婦喧嘩が増えたと感じる人も少なくないのではないでしょうか。かく言う私もその1人でした。 食事やお風呂、就寝の時間など生活のすべてが子ども中心で回っているのに、夫が今までと変わらずマイペースに過ごしていると、ついイライラしてしまうことが増えました。 「夫が1番、子どもが2番」そんな私が人から聞いた、目からウロコの言葉があります。それは「夫が1番、子どもが2番」というもの。 子どもはいずれ親から離れて巣立って行きますが、夫は老後も一生添い遂げるパートナーです。「子どものことばかりを優先して夫婦関係をないがしろにするのではなく、愛する夫への思いやりも忘れないようにしましょう」というメッセージが込められた言葉でした。 「パパとママ」であり「夫と妻」その言葉を聞いてから、私は自分の態度や姿勢を反省しました。子どもを優先するあまり、愛する夫との関係をこじらせるなんて……ということに気付いたのです。私は「ママ」である前にこの人の「妻」だったんだ、ということを思い出しました。 そして、夫の気持ちを思いやることの大切さを再認識した結果、夫も徐々に私の気持ちを汲んでくれるようになり、以前よりも絆が深まったように思います。 「夫が1番、子どもが2番」というのは極端な表現で、実際の生活では子どもを最優先にせざるを得ない場面が多々あると思います。そんなとき、私は「夫も子どもも1番」だと考えます。そもそも家族は順位をつけるものではなく、みんなが大切な存在です。そんな当たり前のことを忘れかけていた私にとって、この言葉は大きな救いになりました。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2021年06月10日結婚して2年、なかなか子宝に恵まれず2年間不妊治療に通い続け、2度の化学流産を経験。不安と喜びの妊娠期間を過ごし、やっと会えた息子。 次の日、小児科の先生から告げられた言葉は、出産したばかりの私にはあまりにも衝撃的でした。 念願の妊娠、出産! だけど…結婚後、なかなか子宝に恵まれず、不妊治療に通い始め、タイミング法をおこなっていましたが、2度のつらい化学流産を経験しました。「神様があきらなさい」と言っている、と本気で思っていました。 半分あきらめながらも治療を続け、超音波検査で赤ちゃんの入った袋が見えたときの感動は、今でも忘れられません。2回化学流産したこともあり、妊娠中はちゃんと育ってくれるか不安でしたが、特に問題なく順調に経過し、あっという間に出産を迎えました。 初めてのことでもうろうとしながらも、無事に出産。夫も立ち会ってくれ、私たちにとって忘れられないものとなりました。病室に戻り2人で喜んでいたのですが、息子の呼吸が安定しないため、保育器で様子を見ることに。私も夫も不安でしたが、それ以上に生まれてきてくれてやっと会えた喜びのほうが大きく、次の日からの母子同室を楽しみにしていました。 ところが、次の日の朝、医師から「午前中いっぱい様子を見て、大学病院に転院するか決めます」と言われ、祈るような気持ちで午前中を過ごしました。息子に何が起こっているのか? どういう状況なのかわからず不安でいっぱいでした。お昼前、小児科の先生から告げられた言葉は、私たち夫婦にとって衝撃的なものでした。 大学病院で検査?「呼吸が安定しません。専門の所で見たほうが安心なので、今から転院しましょう。 それと、染色体異常の可能性があります。検査をしたほうがいいでしょう」。 言葉が出ませんでした。昨日まで、生まれてきてくれたこと、不安だけど楽しみな育児、「早く抱っこしたい」と夫と2人で話していたことが、なんだか夢のようでした。 それから、1時間もしないうちに救急車が来て息子は大学病院へ。夫も手続きのため、追いかけるようにして大学病院に行ってしまい、産婦人科の病室で部屋にひとり。あまりの展開に状況が飲み込めず、泣くことしかできませんでした。 しばらくして戻ってきた夫とは、何を話していいかもわからず、2人ともお互いに心配かけまいと「大丈夫、きっと大丈夫」と声を掛け合うことしかできませんでした。 それから退院まで、できる限り搾乳して昼から夕方まで息子のいる大学病院に会いに行き、産婦人科に戻って休むを繰り返していました。 おっぱいは張って痛いのに息子はそばにおらず、他の人の赤ちゃんの声で眠れない……。入院中、先生やスタッフのみなさんにとても良くしていただいたのですが、ひとりで産婦人科に入院していることがとてもつらかったです。 検査結果は…息子より一足先に私が産婦人科を退院し、3日後に大学病院を息子が退院することに。 息子の退院の時点では検査結果は出ておらず、後日結果を聞きに行くことになりました。 初めての育児、丸1日を息子と初めて過ごすことに不安もありましたが、何より息子を抱きしめることができて、うれしかったです。 慣れない育児に悪戦苦闘しながら、毎日はあっという間に過ぎていき、息子が生まれて1カ月後、大学病院に検査結果を聞きに行く日が来ました。 夫婦2人とも眠れぬ夜を過ごしたかと思います。 結果は「21トリソミー(ダウン症候群)」でした。 先生がいろいろ説明してくれたことがほとんど耳に入らず、帰りの車の中では、ただぼんやり外を眺めていました。 本当に自分の息子がそうなのだろうか? 何かの間違いでは? そんなことを延々と考えていたような気がします。 息子はもう生後3カ月を迎えました。 正直、今でも結果を完全に受け入れることができているかは自分にはわかりません。ですが、800〜1,000人に1人の確率でしか生まれない「ダウン症候群」。そんな息子に選ばれた私は、息子が教えてくれること、息子からしか学べないことがきっとあり、私しかできないことがきっとあると思い、毎日の子育てに奮闘しています。 涙が出ることもあるけれど、「私が今悩んでも不安が息子に伝わるだけ。息子が思い悩んだときに一緒に悩んで考えよう」と思い前向きに育児に取り組んでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:塩田 沙織現在、3カ月の息子の育児に奮闘中。育休前は、介護福祉士として病院勤務。
2021年06月09日現在、子どもの約16人に1人が体外受精によって生まれている。今回は凍結していた受精卵を体に戻さないことを決断した女性の物語です。ケース4、松本あゆみさん(39・仮名)の場合。 25歳で結婚し、本気で赤ちゃんを望んでから6年経った33歳で本格的に不妊治療を開始。1回目の顕微授精が成功し、35歳の夏に待望の第一子を出産。3つできた受精卵、残りは“2人分“……どうする? 凍結保存した受精卵で第2子妊娠、出産へクリニックにはあと“2人分“の受精卵が凍結保存されていた。育児休暇が終わるひと月前、凍結していた受精卵の1つをおなかに戻した。年齢を考えると、早く2人目を授かりたかったからだ。 奇跡的にすぐに妊娠。2歳差で2人目を授かり、無事に女の子を出産した。 あと1つ、3人目の「命のもと」が残っている。あゆみさんが通っていたクリニックでは、凍結保存の延長に毎年3万3千円かかる。2人目が生まれてから半年が経ち、更新月が近づいていた。 いつまで保存すべきか。2人の愛しいわが子の寝顔を見つめながら、あゆみさん夫婦は答えを探った。 3人目、周囲の強い反対にあい親子げんかに3番目の受精卵だからといって、何か問題があるわけではなかった。同じタイミングでできた3つの「命のもと」。クリニックからもらった受精卵の映像を見ながら「3人きょうだいだともっと楽しくなるんだろな」とぼんやり考えた。 でも、家族全員に反対された。夫も両親も、義父母も、妹も。みんなが3人目を反対した。理由はあゆみさん38歳、夫41歳という年齢だった。 もし3人目を産んだとしたら、成人したときに親は何歳になっているのか。すでに上の子の抱っこがきついと感じているのに、体力的な問題は大丈夫なのか。離乳食を全部手作りするほど完璧主義なのに、3人目を育てる余裕があるのか。 「すでに産まれてきた子どもたち2人と、3人目の子は何が違うの?産みたい」と泣いて訴え、珍しく父と親子げんかにもなった。しかし、周囲の言葉はどれも真っ当だった。納得せざるを得ない理由をいくつも突きつけられた。 「更新料を振り込まない」という意思表示産みたいけれど現実が厳しいことはわかっていた。そして昨年、ついに凍結保存の更新をしないと決めた。クリニックへ書類を出す必要はなく、更新料を振り込まないことが意思表示になる。曖昧なさよならが、また切なかった。 「今でもあの子も産んであげたかった、という思いは正直あります。『不妊治療じゃなければこんな思いはしなかったのに』と悔しく思うこともありましたが、かわいいわが子を授かることができたのも不妊治療のおかげ。今は感謝しかないです」とあゆみさんは明かす。「今ここにいる2人のかわいい大切な子どもたちへ、その子の分も愛情たっぷりに育てようって気持ちを切り替えて、やっと吹っ切ることができました」 子どもを望んでから8年「不妊治療は早めに進めて」と伝えたい感動の出産から5度目の初夏、4歳の誕生日を迎えた息子を手作りのケーキと大好物のオムライスで祝った。 画像提供:松本あゆみさん(仮) 「子どもが欲しい」と願ってから母になるまで8年。思い悩んだ日々は吹き飛び、今は2人のお母さんとして奮闘する。父になる前まで子どもが苦手だった夫は今、わが子にメロメロの様子。 「夫が一番変わったかもしれません。『食べちゃいたいくらいかわいいな〜』って子どもを抱きしめるんです。2人の子どもたちに恵まれて、本当に本当に幸せです。でも夫婦ともに若くないのが現実。同居する両親からも、『もっと若かったらもっと元気に孫たちの面倒を見られたのに』と言われます。不妊治療を早くに始めていれば……と常々思うんです」とあゆみさんは振り返る。 「不妊治療はとても勇気がいること。経済的にも体力的にも、精神的にもつらいです。でもその分、報われたときの喜びは言葉では言い表せません。不妊治療を迷っていたり、少しでも不妊の心配がある方がいたとしたら、早めに前へ進んでって伝えたいです」監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年05月31日現在、子どもの約16人に1人が体外受精によって生まれています。今回は凍結していた受精卵を体に戻さないことを決断した女性の物語です。ケース4、松本あゆみさん(39・仮名)の場合。 産婦人科クリニックを受診するものの、あゆみさんの体に特に異常はなし。特に問題はないのに、薬を飲むことに抵抗を感じ、通院を辞めてしまったけれど……。 不妊治療を決意するも初診まで3カ月待ち現状が変わらないまま、あゆみさんは33歳になっていた。本気で赤ちゃんを望んでから6年。高齢出産となる「35歳」が近づいていた。漠然とした不安が、いよいよ大きな焦りとなって襲いかかって来た。思い悩むあゆみさんに寄り添ってくれたのは、またしても母だった。 「近くに不妊治療専門の評判のいいクリニックができたってお友だちから聞いたから、行ってみたら?」 母が紹介してくれたクリニックは、県外からもたくさん人が集まる有名クリニックだった。連絡すると、初診の前に説明会に参加しなければならないとのこと。その説明会が2カ月待ちだった。 ようやく順番がめぐってきた説明会には、県内外から40人ほどが参加していた。人数の多さに圧倒された。質問をする人、熱心にメモをとる人。みんな真剣だった。説明会後、初診の予約を取ると1カ月先だった。質の高い不妊治療を、これほど多くの人が求めているという現実を知った。 「風疹の抗体が少ない?」不妊治療が始められない焦りようやく本格的な通院が始まった。夫婦で検査をすると、あゆみさん側に思いがけない検査結果が出た。 「風疹の抗体が少ない」 子どものころに風疹のワクチンを打っていたはずだったが、「まれに抗体が低下してしまうことがある」と伝えられた。厚生労働省によると、妊娠20週頃までに風疹ウイルスに感染すると、胎児の目や耳、心臓などに障がいを持つ「先天性風疹症候群」にかかる可能性がある。2013年を中心に国内で流行し、45人の先天性風疹症候群の患者が報告された。不妊治療に入る前に、ワクチンを接種することになった。ただし、接種後2カ月間は妊活や不妊治療はできない。 初診まで3カ月かかった挙句、ワクチンで2カ月待機。今すぐにでも授かりたかったのに、5カ月近く足踏み状態が続いた。夏に受けた説明会から季節は流れ、街はクリスマスでにぎわっていた。 人工授精にチャレンジするも3連続失敗……待ちに待った不妊治療が始まったのは年末。早々にタイミング法は諦め人工授精に移行したものの、3回連続で失敗。3回目が終わったとき、医師から体外受精と顕微授精(顕微鏡下で精子を卵子の中に注入する)をすすめられた。 結論から言うと、授からない原因は夫にあった。 夫側の検査結果が良くなかったのだ。精子の質や量、動きがあまりよくないという結果だった。けれども夫を責めることはできなかったし、今もそのことを直接口に出したことはない。 人工授精のチャレンジはまだ3回だったが、成功の可能性が高くなる体外受精にステップアップすることに、大きな迷いはなかった。ただ、覚悟はいるなと思ったという。 「体外受精になると卵胞を育てるために自己注射が必要になるんです。筋肉注射も始まります。負担が増えるのは私ばかりなので、それなりの覚悟が必要でした」 画像提供:松本あゆみさん(仮) 夫は「そこまでしなくていいよ。2人だけの人生もいいじゃん」と気遣ってくれた。でも江戸時代から続く実家を継ぐ使命感と、“跡継ぎ”を求める親戚からのプレッシャーも感じていた。 「夫に養子にまで来てもらったのに、私の代で途絶えてしまうのは耐えられなかったんです。それに子どもが好きでしたから、少しでも早く授かりたいと思いました」 不妊治療を通し、お互いのやさしさで支え合うように治療がステップアップしたことで、あゆみさんの負担は明らかに増えた。1日2本の自己注射、5種類の薬の服用、そして貼り薬。皮膚が弱いあゆみさんにとって、貼り薬もなかなかの苦痛だった。妊娠しやすい時期にかけて貼る枚数が増えていき、多いときはおなかや腕に8枚。体中貼り薬だらけだった。 通院回数も増えた。予約していても毎回3時間待ち。通院は変則的で、診察してみないと次にいつ診察すべきかわからず、計画的に仕事を休めないのもストレスだった。そんな不満を夫にぶつけても、いつもやさしく耳を傾けてくれた。 「自分のせいだ」と夫なりに責任を感じていたのかもしれない。通院も嫌な顔一つせず付き添ってくれた。夜勤明けで一睡もしていないときもあった。だから自宅で自己注射するときは、できるだけ夫のいないときにこっそり打つようにした。「痛い思いしておなかや太ももに注射を打ってる姿を、夫に見せつけるのも悪いなって思いました。夫が自分を責めてしまいそうだと思って」 あゆみさん夫婦は、不妊治療を通して絆が深まっていった。お互いへの感謝や思いやり。やさしさで支え合うようになっていた。 全身麻酔で採卵 顕微授精も1回目で成功全身麻酔で卵巣から卵胞を取り出す、採卵の日を迎えた。やはり夜勤明けの夫が一睡もせず付き添ってくれた。結果、質のいい卵胞がたくさん取り出せた。 いよいよ次のステップは、精子を卵子に振りかける「体外受精」と、顕微鏡で拡大しながら医療の手で受精させる「顕微授精」だ。もう医療に委ねるしかなかった。 翌月、クリニックを訪れると医師が晴れやかな表情で言った。「顕微授精、うまくいきましたよ!受精卵として成長してます。3つあるうちの一番いい受精卵を、おなかに戻しますからね」 すぐには実感が湧かなかったが、クリニックは受精卵の映像を用意してくれていた。細胞分裂した受精卵が3つ、それぞれ動いていた。夫婦2人で食い入るように見た。受精卵を1人、2人と表現。命のもとを実感映像を見せてくれた担当者は、受精卵を1つ、2つ、と数えるのではなく、1人、2人と表現した。 どきっとした。 「1人、2人という言葉を聞いて、あぁ、ここにあるのは”命のもと”なんだって実感しました。これを私の体に戻せば妊娠できるかもしれないって思うと、感動が込み上げてきました」 採卵から約2カ月、受精卵をおなかに戻す時期がやってきた。処置はあっという間に終わったが、「私のところに来てくれたんだ」という感動が体の底から湧いた。心なしか体がぽかぽかし、神秘的な気持ちになった。 次の受診日、診察室へ入るや否や医師がこう言った。「おめでとうございます。陽性です」 クリニックを出てからようやく実感が湧き、涙が止まらなくなった。母にもすぐ電話した。受話器の向こうから、母のやさしいすすり泣きが聞こえた。 母子手帳をもらうころ、クリニックを卒業した。最初に参加した説明会からちょうど1年。同じ季節でも、クリニックの外の景色はまるで違う色に見えた。妊娠の経過も順調で、予定日を10日過ぎ、吸引分娩で元気な男の子を出産した。35歳の初夏だった。 無事に待望の第一子を妊娠、出産したあゆみさん。しかし、凍結している受精卵をめぐり、夫や親族と揉めてしまう事態に。果たして、その理由とは?監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年05月30日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ 第9話 初めての胚移植、当日の話。培養士さんに見せてもらった胚は、まさに理科の教科書で見たアレでした。 これが人になるのね、ていうか私も元はこんなんだったのね、不思議……。 このときはまだ過程の一つひとつが物珍しくて。不妊治療の不安だけではなく、奇妙なわくわく感を感じていました。 ところで……この連載を投稿するようになってから、改めていろんな方の妊活アカを見ています。コロナの影響で体外受精の説明会がなくなったって話を見て、心が痛い……。病院にコロナ入ったら大変なので仕方ないのかもしれませんが、1日も無駄にできない治療なのに……あぁ早く収束しますように……。採卵ほど痛くないだろうと、気楽に挑んだ移植手術でしたが、私はこっちのほうが痛かったです。 でも、モニターは最後まで見ることができました。受精卵がスポッ!と入ってカテーテルを進んでいく様を、医療系のドキュメント番組みたいだなーなんて頭の片隅で考えて見ていたような気がします。 次回、判定待ちの話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月30日年齢、仕事、体力、経済力―――。子どもを産み育てることへの希望と不安は紙一重です。立ちはだかるさまざまな現実。そして「もう一人産みたい」と願う気持ち。第2子、第3子を考えたとき、揺れる気持ちにさいなまれる女性は少なくありません。 不妊治療で得られた複数の受精卵(胚、以下同)を凍結保存している場合はなおさらです。既に存在している受精卵をどうすべきか。きょうだいをつくるために、子宮に迎え入れるのか。 病院やクリニックに凍結保存の延長をお願いするのか、しないのか。多くは夫婦の判断に委ねられます。 悩んだ末、凍結していた3つ目の受精卵を体に戻さないことを決断した女性の物語です。ケース4、松本あゆみさん(39・仮名)の場合。 16人に1人が体外受精で授かる命、第2子以降のために凍結保存も可能卵子を一度体の外に取り出し、医療の手助けによって体外で受精させる体外受精。生殖医療の進歩により体外受精を行う不妊治療(ART=高度生殖補助医療)で、毎年多くの命が授かっている。 日本産科婦人科学会のまとめによると、2018年にARTで誕生した子どもの数は、過去最多の約5万7千人だった(注1)。この年に生まれた子どもの16人に1人が体外受精によって生まれたことになる。 1回の採卵で採取した複数の受精卵で兄弟姉妹を作ることも考えられる。凍結された受精卵は、夫婦が希望すると1年保存され、1年ごとに更新を確認される。つまり、保存を延長するかしないかは、夫婦の判断ということにもなる。 家を継ぐため夫を養子に 「授かることは当たり前だと思ってた」現在、4歳と1歳の2児の母である松本あゆみさん(39・仮名)は、いったん凍結した受精卵で2人の子どもを授かった。 25歳で3つ年上の夫と結婚。周囲より結婚は早く、「いつか授かるよ」と夫婦2人で気ままな新婚時代を過ごした。ただ、あゆみさんの実家は江戸時代から続く旧家。名を継ぐために夫を養子に迎え入れたこともあり、子どもを産むことは“当たり前”と考え、子どもが生まれたら実家の両親と同居するつもりだった。 「子どもは好きだし、お墓を守らなきゃいけないし、子どもがいない人生はまったく想定していませんでした。20代後半には自然妊娠するだろうと思っていましたから、“不妊”という言葉すら意識したことはありませんでした」とあゆみさんは振り返る。 健康なのに薬? 抵抗を感じて不妊治療を中断ところが現実は違った。授からないまま時は過ぎ、気付けばもう30代に。自分より後に結婚した同僚は、既に育休から戻って来ていた。妹は2人の母親に。まるで自分だけ時が止まっているようだった。「誰よりも早かったはずなのに……」自然妊娠を望んでから数年経っていたが、毎月生理はやって来た。誰よりも心配してくれたのは、実家の母だった。何でも正直に話せる親子関係なので、子どもが授からないことは伝えていた。「不妊治療」という未知の世界へのきっかけをくれたのも、母だった。 「一度受診してみたら?」 31歳のとき、母に促され近くの産婦人科クリニックへ。検査の結果、あゆみさんの体に特に異常はなかった。ほっとした。でも、「とりあえず薬を飲んでください」と排卵誘発剤とホルモンの内服薬を処方された。 「え?薬?って抵抗がありました。特に問題はないって言われたのにって。母も薬飲んでまで頑張らなくてもいんじゃない?って言ってくれて。そこで通うのをやめちゃったんです」とあゆみさんは悔いる。 (注1)参照/日本産科婦人科学会雑誌第72巻第10号 表11 治療法別出生児数および累積出生児数 2018年 次回、不妊治療専門クリニックに通うことを決意したあゆみさん。しかし、思いもよらない事実が発覚することに……!監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年05月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月29日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ 第8話 採卵後、培養士さんから説明を受けました。自分の卵子を見るって不思議な体験でしたね~。当時、流行りなのか?妊活を扱うテレビ番組が多くて、「芸人が精子検査する」という企画を度々見ました。でもさすがに卵子はなかったなあ。ちなみに、見た目が良い卵子が必ずしも「質の良い卵子」とは限らないのです……この後の治療で、それを思い知ることになります。 そして、胚の成長待ちのときの話。病院の方針で、持病や年齢など特別な事情がない場合、最初の治療ではは8分割胚を凍結させずに移植という流れでした。この、卵子を受精させて胚を育てるっていうのがすごい技術らしくて。お金がめっちゃかかるんですよねー! 次回、胚移植のために病院へ行く話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は、第一子のお子さんを授かるまでの不妊治療のお話について、取材させていただきました! つらかった不妊治療…。母のひと言で気持ちが吹っ切れた!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー第一子のお子さんは、体外受精で授かったと伺いました。どのような経緯で不妊治療を始めることになったのでしょうか? 杉山さん:結婚をしたのが36歳だったので、婦人科系の機能がちゃんと動いているかどうかを調べたほうが良いと思い、婦人科にチェックをしに行ったんです。その当時は「何の問題もない」と言われ、その言葉通り、その後すぐに妊娠することができたんですよね。ただ、その後、赤ちゃんの心拍を確認する前に流産してしまって……。そのときはすごく落ち込みました。でも、赤ちゃんが1度来てくれたのだから大丈夫だろうと思っていたんですが、その後なかなか授かることができなかったんです。 ーそこから不妊治療をされたんですね。 杉山さん:はい。結果として人工授精を4回チャレンジしました。すべてに失敗し、そのたびにショックを受け、気持ちがすごく疲れてしまったんです。できると思っていたのにできずに、こんなにも妊娠することが難しいんだと実感した瞬間でした。さらに高齢でしたし、それまでも選手として身体も酷使していたので、そういうことが不妊に繋がっているのかなと思い、一度気持ちが相当落ちてしまった時期があったんです。 ーどうしてもネガティブになってしまいますよね。 杉山さん:そうなんですよね。なので、一度不妊治療を1年くらいお休みして、体質改善することに切り替えました。趣味を取り入れる形で、自分が「心地良いな」「楽しいな」と思えることをやっていこうと思い、ベリーダンスに挑戦したり、冷え性を直すために、針治療やびわの葉を温める温灸をしたりしました。さらに、夏野菜は体を冷やす作用があると言われているので、夏野菜を控えるようにしたり。苦痛にならない程度に、体が喜ぶようなことを実践していきましたね。でも、その反面、次のステップとなる体外受精をして、“できなかったら、もうダメかもしれない”という恐怖があり、その一歩をなかなか踏み出せずにいたんです。主人も、弱気になっていた私をずっと見てきたので、「もう1回やってみようよ」とは言わなかったんですよ。そんなとき、私の母が主人と不妊治療について話すことがあったみたいで、主人から私の状態をすべて聞いたうえで、母は「最後までやってみればいいじゃない? 」と軽く言ったそうなんです。ただ、主人は「自分の口からは愛にそれは伝えられないから、もしそう思うんだったら、直接愛に電話して伝えてあげて」と言ったみたいで。その後、母から電話がかかってきて、「愛ちゃんらしくないじゃない。最後までやってみて、ダメでもいいじゃない。何がダメなの? 」と言ってくれて。私自身その言葉を聞いて、何を躊躇しているんだろうと心の底から思えて、気持ちが吹っ切れたんです。 ーお母さんの言葉が背中を押してくれたんですね。 杉山さん:そうなんです。そこから、ダメでもいいじゃんと思えるようになって。できなかったらできなかったで2人の人生を選べばいい訳だし、全部やってみて悔いが残らないほうが得策だなと思ったんです。そこからはすぐに行動に移せるようになって、1回目の体外受精を行い、そこで妊娠することができました。“今まで何を悩んでいたんだろう”って、後になった今なら言えるんですけど。当時は、女性として授かれなかったらどうしようというマイナスなイメージが先行していて……。それぞれの人生だから、授かれなかったら、それはそれでいいやって思えれば良かったんですけど、当時はそうに思うことができなくて……。でも、考えてみればチャンレジしないで、後になってやっておけばよかったと後悔するほうが、よっぽど後悔として残るなぁと思ったので、あのとき意を決して試すことができて、すごく良かったと思っています。 最初から最後まで寄り添ってくれたパパには感謝しかない画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーお話を聞いていると、パパは杉山さんのことを考えて発言などをしてくれる方なのかなと思ったのですが、不妊治療中はどのように支えてくれましたか? 杉山さん:不妊治療って女性のほうが、どうしても負担が多くなってしまうように思うんですよね。それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。 ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか? 杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。 ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。 杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。 ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか? 杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。 今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。「女性として授かれなかったらどうしよう……」と目に見えないプレッシャーを感じ、負のループに陥っていた愛さんを救ってくれたのは、お母さんの言葉だったそうですが、そのエピソードを聞いて、改めて母の存在って偉大だなぁと考えさせられました。さて、次回は不妊治療中に愛さんが取り組んでいたという、選手時代から継続しておこなっているある方法についてお送りさせていただきます。次回が配信最終回です。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月28日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第7話 採卵日の朝。このときの採卵は朝イチに割り振られたので、早く起きなきゃいけなくて大変でした。男性側の採取は、病院でおこなうか、自宅でとってブツを女性が持ち込むか選べます。私たちは、仕事の都合もあり自宅にしました。……普通みんな、セルフで採るよね?初めての採卵、とにかく怖かったです……! 手術室に入って怖さMAXに。 「え? ここ、麻酔せずに自分の足で入るとこじゃないよね!?」って思いました!手術室に入ったときにシーンはあの恐怖を伝えようと思って、めっちゃ頑張って描きました。我ながらなかなかの再現度だと思ってます(笑)。初採卵の手術台では、びびりすぎて下半身が浮いちゃって、看護師さんにキレ気味に注意されたのを覚えています(笑)。無麻酔採卵について。この病院は細い針を使っており、かつ低刺激で一度に採れる卵子が少ないため、基本的に痛みはそれほどでもないという説明でした。でも採卵の痛みは、個人差があるようです。 漫画を描きながら他の人のブログを読みまくりましたが、痛い人は本当に痛いみたい。みんなが楽って話ではないです~!次回、採卵の結果発表です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。 そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚! 現在は妊娠中ということで、今回は第二子の妊娠についてやコロナ禍の妊娠・出産をどういう風に捉えているのか、いろいろとお話を伺ってみました! 第二子の妊娠発覚! 一番に来た感情は”驚き”だった…!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー今年の2月15日にオフィシャルブログで第二子の妊娠報告をされていますが、初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 杉山さん:妊娠が発覚したのが昨年の11月くらいだったのですが、本当にビックリしました。年齢も年齢なので、もう子どもは欲しくてもできないと思っていました。なので、特に妊活もしておらず、妊娠が分かったときは、ただただびっくりしましたね。とにかく驚きが一番に来ました。ただ、時間の経過とともにじわじわと喜びがこみ上げてきましたが、高齢出産になるので、何が起こるかわからないため、慎重な気持ちで毎日を過ごしていました。コロナ禍での妊娠でしたが、そこまで戸惑いなかったです。今は無事に7カ月が経ち、力強い胎動を感じられる喜びを感じています。 ー旦那さまの反応はいかがでしたか? 杉山さん:主人もものすごく驚いていました。私自身も、最初に生理が来なかったときは、閉経したのかなと思ったくらいだったんです。でも、様子を見ているうちに、だんだん胸のあたりが気持ち悪くなって、なんとなく1人目のつわりの感覚を思い出したんです。それで妊娠検査薬を試したら陽性で……。ただ、1人目のときは本当に苦労して授かったので、今回の自然妊娠が信じられず、違う種類の検査薬でもう一度試したんですが、そこでも陽性だったので、2人で「あぁ、良かったねぇ」という風に安堵し、妊娠を喜びました。 ー息子さんには報告をされたのでしょうか? 杉山さん:何が起こるかわからなかったので、安定期に入るまでは話さずにいました。まだ5歳なので、いろんな人におしゃべりしてしまうんですよね(笑)。ただ、私たちは正直第二子に関しては諦めていたのですが、息子は一人っ子というのが物足りなかったらしく、家族の中でも一番に第2子を望んでいたんです。何かあるたびに「いつ妹とか弟ができるの? 」とよく聞かれていたので、言ってしまったらうれしさの余りたくさんの人に言ってしまうことが想像できたんですよね(笑)。なので、大々的に公表する2、3日前に伝えました。 ー報告後、息子さんの反応はいかがでしたか? 杉山さん:すごく喜んでいて、テンション上りまくっていました(笑)。私自身も6歳下に妹がいるので、当時の喜びを覚えていますし、小さなママ気取りでいろいろお世話していた記憶があるんですね。息子も弟か妹ができるというのを知ってから、お兄ちゃんという意識が高まって、「お世話したい」という気持ちが出てきたようで、しっかりしてきたなという印象がありました。 コロナ禍の今…不安になりがちだけど、考えすぎないことも大切画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーコロナ禍で妊娠に気付いたことに対して、戸惑いなどはなかったですか? 杉山さん:戸惑いはなかったです。こんなときに来てくれた子だからこそ、力強い子なんだろうなと思っていました。ただ、普段の妊娠でも薬を飲めなかったりと体調管理には気を使うのですが、コロナ禍なのでより気をつけないといけないなと意識が高まりましたね。 ーコロナ禍での妊娠、出産となりますが、どんなことに気を付けていますか? 杉山さん:自分の中で行動は気を付けていたので、そこまで心配はしていないんですよね。とはいえ、変異種や変異株が流行ってくると妊婦も重症化しやすいと聞いたので、ちょっと怖いですが。でも、無駄に心配してもいいことはないので、開き直って、基本的なことだけを気にかけるようにしています。 ー今の時期に妊活や妊婦生活を戸惑う人も多いと思うのですが、杉山さんはどう思いますか? 杉山さん:コロナ禍の妊婦健診や不妊治療って、どうしても1人になってしまっているので、不安も増えると思うんです。でも、STAY HOMEが当たり前になってきた今、家族で一緒の時間を感じられる貴重な期間だと思うんですよね。これまであわただしく時間に追われていた生活を一度リセットして、考え直すいいきっかけにもなりますし、そこで家族の絵がイメージとして湧いてくるのであれば、そこまで怖れることもなく、妊活に取り組むのは、すごくいいことだと思いますね。 ー考えすぎないことも大事ですよね。 杉山さん:そう思います。心配ばかりしていると、気持ちがマイナスの方向に働いてしまうことがあるんですよね。ちゃんと普段から気を付けていれば、結果もちゃんと伴ってついてくると思っています。 子育てして思うのは、「想像を絶する楽しさがある」ということ画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー子育てに対する考えのすり合わせなどは、どのようにされていたのですか? 杉山さん:実は妊娠中に、仕事と並行して大学院に行っていたんです。なので、てんやわんやで目の回る大変さで、当時のことをあまり覚えていないんです(笑)。ただ、落ち着いてからは、主人と話し合いながらルールをしっかり決めて、向き合うようになりました。主人とは育った環境も違いますし、子どもに対しての接し方、考え方も違うのでぶつかることもありますが、その都度早めに話して解決することを大事にしています。 ー ”一緒に育てている”という感覚が強いご夫婦なんですね。 杉山さん:そうですね。すごく強いです。主人は私が子どもに対してしていることを絶対に否定しないし、私も否定しないというのをルールにしているんです。そこで違和感を覚えたとしたら、子どもが寝たあとにちゃんと話し合い、すり合わせをするようにしています。そこでどちらかが否定し、責めるのを見せることで、子どもが、パパのほうに、ママのほうに味方に付くというのはダメだと思うんですよね。 ー お子さんが生まれて良かったと思う瞬間は、どんなときでしょうか? 杉山さん:子どもがいるのといないのとでは、生活自体が異なる物だと思いますが、息子の存在すべてが私に喜びを与えてくれているのだといつも思います。子どもの成長を見たり、共に成長していきたいと思ったり、彼の中で自分を垣間見たとき、すべてが感謝の瞬間です。 ー すごく素敵ですね。望んで家族ができたからこそ、今思うことはどんなことでしょうか。 杉山さん:想像を絶する楽しさです(笑)。息子に人生を広げてもらっている実感があるんですよ。生まれる前は夫婦2人で、独身のときは1人でという選択肢ももちろんある世の中なので、それぞれの人生で自分らしく輝けるということが一番幸せなことだと思うんです。ただ、私自身の選択としては、パートナーを得て、そこで子どもを授かることで広がりができたので、子どもには本当に感謝しています。 インタビュー配信1回目となる今回は、青天の霹靂だった第二子の妊娠や、コロナ禍の妊娠・出産についてなど、いろいろ話していただきました! 今回の取材で印象に残ったのは、「子育ては想像を絶する楽しさ」と話していたことでした。この言葉から、子育てを全力で楽しんでいることがすごく伝わってきて、とっても素敵だなと感じました! さて、配信2回目となる次回は、杉山さんが「すごくつらかった」と語っていた不妊治療のお話がメインになります。次の配信もぜひご覧くださいね! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月27日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第6話 体外受精、豆知識的な話。これはあくまで私が3年前に治療した病院での話です。 そして、採卵日前日の夫婦の会話。体外受精を経験された方、採卵方法を初めて知ったときに衝撃を受けませんでしたか? 私はかなりショックでした! 「えっ針刺すの? そこから?? マジでみんなやってんの? いや無理無理ムリ~!」って感じでした!!!ので思わず漫画にしてしまいました。 次回、採精と採卵の話です。マイルドに描きました~。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月27日体外受精レポ第5話 体外受精、最初の周期スタート!この病院は、1周期目は薬をまったく使わない「完全自然周期」でした(全員ではないそうです)。通院日が決まるのは、毎回1~2日前。大変でした。 幸い私は病院と職場が近かったので、検査だけのときは朝イチで予約をとり、少し遅刻して出社していました。理解してくれていた職場に感謝です。 そして、1回目の採卵日が決まった日の話。 このときは、薬で卵子の数を増やさない「完全自然周期」だったので、投薬は坐薬と点鼻薬だけでした。点鼻薬……5,000円もしたよ……。 治療当時は他の方のブログを読みまくってました。治療方針によっては、採卵まで毎日薬を飲んだり注射をしたりして、卵子の数や排卵の時間を調整するんですね。次回、体外受精に関する豆知識?な話ですー。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月26日妊活をおこなうにあたっては、女性だけでなく男性側の協力も必要だと言えます。なぜなら、妊娠できない原因は男性側にある可能性もあるからです。妊活がなかなかうまくいかない場合は、男性側の生活習慣や食事・サプリで摂取する栄養素を見直してみると良いでしょう。そこで、この記事では妊活に取り組んでいる人に向けて、男性不妊の概要と男性が気を付けたほうが良いことなどを紹介します。 男性不妊とは? 男性器と精子の役割妊娠するためには、女性の卵巣内にある卵子と男性器から放出される精子が出合わなければいけません。男性器は主に睾丸と陰茎から成り立っています。睾丸は男性の生殖腺であり、男性ホルモンや精子を作り出す器官です。作り出された精子は勃起した陰茎が射精をおこなったときに放出されます。陰茎は精子を女性の腟内に送り込むための交接器官の役目を持っているのです。 射精された精子は腟内を泳ぎながら卵管を目指します。一般的に一度の射精で数億もの精子が放出されますが、卵管にたどり着けるのはそのうちの100万分の1に過ぎません。つまり、精子に特段の異常がないケースでも卵子の周囲までたどり着けるのは、およそ100程度なのです。そのため、精子の動きが鈍かったり、精子数が少ない状態で射精したりすると、妊娠する確率はさらに低くなります。また、放出される精子は卵子に到達すれば必ず受精するというわけでもありません。 卵子に到達した精子は受精するために、卵子内に侵入を試みます。そのため卵子に近づくと先体反応と呼ばれる形状に変わらなければいけないのですが、うまく形状を変えられない奇形精子が多いと受精がスムーズにできません。精子は数が多ければ多いほど卵子まで到達する可能性は高くなりますが、質が悪いと結果的に受精できないケースもたくさんあるのです。無事に受精できた場合は、卵子はその他の精子を侵入させないために、卵子の殻を厚くします。そして卵子は雌性前核を形成し、雄性前核となった精子と一緒に細胞分裂を繰り返して子宮内膜に着床し、赤ちゃんになっていきます。 つまり、男性不妊と言われるものの症状は大きく分けて2つです。1つ目は精子が放出されない(作られない)症状で、「無精子症」や「乏精子症」などが挙げられます。2つ目は「精子無力症」などの精子の運動効率が悪い症状です。精子の数は正常な人と変わらないのですが、運動効率が悪いため卵子まで到達することができず、結果的に妊娠できません。これらの症状は造精機能障害と呼ばれ、ほとんどの男性不妊の原因です。造精機能障害は先天的に病気を持っている人もいますが、後天的になるケースもよくあります。後天的に発症するケースの原因は人それぞれ違いますが、ストレスやアルコール、喫煙といった生活習慣が大きな影響を与えているケースも珍しくありません。 妊活のために男性が気を付けたいこと先天的に造精機能障害にかかっている場合は、病院で治療を受ける必要があります。しかし、後天的に造精機能障害になった場合は生活習慣が影響しているケースも多いので、日常生活を見直すだけで症状が改善する可能性はゼロではありません。 男性不妊の原因となりやすい生活習慣で、まず挙げられるのは「喫煙」です。喫煙をするとニコチンの作用で血管が収縮し、脳や皮膚といったさまざまな場所で血流を悪化させます。結果的に男性の精子の運動効率を悪化させてしまう恐れが高くなるので、妊活中はできるだけ喫煙を控えたほうが良いでしょう。また、陰茎が勃起するためには、血液が陰茎に集まらなくてはいけません。喫煙をして血流が悪くなると、陰茎が満足に勃起しなくなる「ED(勃起不全)」にかかることもあるので気を付けましょう。 妊活のために男性が気を付けておきたい2つ目の項目は「過度なアルコールの摂取」です。実際に何人もの研究者がアルコールが精子に与える影響を取り上げており、過度なアルコールの摂取が悪影響を与えることを証明しています。適度な量ならばそれほど問題はありませんが、毎日飲むようだと精子の量が減ったり、質が悪くなったりするので週に2日程度は飲まない日を設定しましょう。なお、アルコールと同じ飲み物では、カフェインを豊富に含むコーヒーの悪影響を心配する人も多いでしょう。しかし、結論からいうとコーヒーが精子に悪影響を与えるという科学的な証拠は見つかっていません。むしろ、適度に飲むことでコーヒーに含まれる抗酸化作用でアンチエイジングには効果的です。飲み過ぎには注意しながら摂取してみると良いでしょう。 男性が気を付けておきたい最後の項目は「薬の影響」です。特に注意するべきなのは、ドラッグストアなどで販売されている男性用育毛剤だと言えます。男性の薄毛の原因の1つとして、男性ホルモンの影響が挙げられます。男性用育毛剤に含まれている「フィナステリド」という成分には、薄毛の原因となる男性ホルモンを押さえる働きがあるのです。しかし、睾丸では男性ホルモンと同時に精子も作っています。つまり、男性ホルモンを作る働きが鈍ることで、精子を作る働きも鈍ってしまうのです。結果的に精子の量が減ってしまい、妊活に影響が出るケースがあります。医師から薬を処方してもらうときはもちろん、市販の薬を購入するときも気を付けなければいけません。 妊活のためにサプリや食事などでとりたい栄養素は?脂質や糖質の多い食生活ばかりを送っていては、栄養バランスが崩れて精子の量や質に悪影響を与えます。ビタミンやたんぱく質なども含めたバランスの良い食生活を心がけましょう。妊活のために男性が食事やサプリで摂取しておきたい栄養素としては「オメガ3脂肪酸」が挙げられます。オメガ3脂肪酸はナッツや魚類に多く含まれ、良い精子を作るために効率良く働いてくれる栄養素です。また、海苔やわかめといった海藻類に多く含まれる「葉酸」は精子のDNAが損傷することを防いでくれる効果が期待できます。 そのほかにも、精子数の増加に役立つ「亜鉛」は貝類や牛肉からたくさん摂取することが可能です。具体的な料理名でいうと魚介類やナッツ、チーズなどがふんだんに使われる「地中海料理」は男性不妊に効果的だと言えます。魚介類を摂取することでオメガ3脂肪酸と葉酸、亜鉛のすべてを効率よく吸収できるので、普段は肉好きだという男性も妊活中は魚介類を中心とした食生活を送ってみましょう。ただし、共働き世帯など、日常生活で忙しい夫婦の場合は毎日手のかかる魚介類料理を作るのも大変です。そのようなときは、無理せずサプリで不足した栄養素を補うようにすると良いでしょう。 一方、精子量が減る食事として妊活中は敬遠しておいたほうが良い食事は、高脂肪の肉類やお菓子、加糖飲料が挙げられます。これらの食事をたくさん食べてしまうと、精子量の減少や活動効率の悪化といった妊活にとっては悪影響を与える可能性があるので、食べ過ぎには気を付けましょう。ただし、あまり我慢しすぎてストレスが溜まってしまうと、精子数や質に悪影響を与えるかもしれません。どうしても我慢できなかったときは無理せず食べて、足りない栄養素をサプリで補う方法を取り入れるのも方法の1つです。 まとめ男性不妊は後天的なものの場合、生活習慣が影響している可能性があります。喫煙や飲酒といった日常生活を見直して、妊活に取り組んでみるとよいでしょう。また、精子数の増加や活動効率を向上させるためには、葉酸や亜鉛といった栄養素を摂取すると効果的です。サプリや食事を見直して、妊活に励んでみてはいかがでしょうか。 イラスト/sawawa監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。
2021年05月22日体外受精レポ 第4話 体外受精開始前に、甲状腺の検査をしろって言われてしてきた話です。 このとき言われた橋本病ですが、今日に至るまで特に症状がなく、なんだかよくわからないです……。 しかし不妊治療って……こういうちょっとした検査ですごくお金かかりませんか? 採卵や胚移植で数十万円かかったときは、もう腹をくくっているので、逆にそんなもんだと納得できるのですが。 ちょっと診察してもらって5000円とか8000円とか払うと、地味に精神的ダメージくらいます……私だけかな(笑)。 次回、やっと体外受精の周期が始まります~! ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。※不妊症の中でも原因不明の不妊症の方の場合では、通常に比べ甲状腺抗体が4倍高いと報告されています。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月20日体外受精レポ 第3話 体外受精初受診!な話です。行ったらすぐ始まるのかと思ったら、検査を全部パスしないといけないルールでした。 旦那は3ヶ月くらい前に他病院で精子検査をしていたため、この日は話を聞いただけ。検査未実施の場合は、クリニック内の採精室で採るんだそうです。 ちなみに私たちはこの日までの検査で特に異常はなく、いわゆる原因不明不妊……。でもそれは原因がないわけではなくて、女性側の見つけられない部分に原因があるってことみたいでした。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。※不妊症の中でも原因不明の不妊症の方の場合では、通常に比べ甲状腺抗体が4倍高いと報告されています。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月19日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。 ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみのなか、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました!※コロナ禍前の体験談です。 現在娘は7歳、息子は2歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児のなか戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月18日体外受精レポ 第2話 体外受精の説明会に行った話です。私たちが行ったのは、おそらく都内で最も有名な体外受精専門クリニックの系列の説明会でした。 体外受精について、ある程度は自分で調べてから行ったのですが、説明会で初めて知ることも多かったです。 お金と時間と、あと特に女性の心身への負担と、大変なことばかり!と思いました。 体外受精を始める年齢に関する描写について……今思うと、たぶん私たちは、不妊治療しなきゃ!という焦りをかなり早めに感じたほうだったのではと思います。 次回は、専門クリニック初日の話です~。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事に記載のデータは、3年以上前にぶちねこなみさんが説明会で聞いた病院独自のものになります。※体外受精には、シャーレ上で卵子と精子を出合わせる方法と顕微鏡下で細いガラス管を用いて精子を卵子に注入し受精させる方法があります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月18日Youtube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は25.5万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、なぜHISAKOさんが12人のお子さんを産んだのかをお話しする動画をご紹介! どうして12人も子どもを産もうと思ったの? 元々子どもがめっちゃ好きというHISAKOさん。看護師として小児科病棟で働いているときには、入院している子どもたちの隊長として、子どもたちの先頭に立って採血などに連れて行っていたそう。そんな経験と元々の体育会系の性格から、「みんな3人くらい子ども産むんだったら、私は5人くらいいける!」と思っていたそう。 でも実際は、第一子は産んでから可愛いと思うまでには時間がかかったそうです。助産師という仕事をしていたからか、赤ちゃんを仕事の対象としか思えず、「なんで家に帰ってもおむつ変えたり、授乳したり仕事みたいなことをしてるんだろう」と半年くらいは思っていたそう。しかも、出産には58時間もかかるほど難産だったそうです。 ここで「2人目は大変そうだからやめておこう」とならないのがHISAKOさんのすごいところ。「こんなに大変な出産はなかなかないわ、ってことは、第二子産めるわぁ」と思ったそうです。しかも、予言かのように第二子はたった3時間で生まれたというから驚き。そして、第二子を産んだ直後に「あ、3人目いけるわー」って思ったそうです。 こうして年子で3人の子どもを育てるようになったHISAKOさん。その後、体調が崩れて4人目はなかなか授からず、4人目の不妊治療をしようと思ったそうです。 1人目でも4人目でも関係ない! 不妊治療に行った際に先生に「なんで4人目が欲しいの?」と聞かれて、「子どもが欲しいっていう気持ちは1人目でも4人目でも、数とか関係ないんす。ただ欲しいっていうそれだけなんです」と熱く語ったというHISAKOさん。 そのときは、子宮卵管造影と通水検査をして、無事に4人目を妊娠・出産することになりました。その後、5人目を出産し、目標は達成。1人目からの5年間は専業主婦だったこともあり、5人子どもを産んだあとはまた助産師として病院に復帰をしようと思っていたそうです。 しかし、実際に自分が子どもを5人産んで育てて、出産後退院するときのママたちの不安な気持ちや、子どもが1歳になるまで疑問なことだらけなのに聞く人がいない孤独感などを知って、「子育て中のママってめっちゃしんどい」ということに気づいたそう。 そして、そんな産後のママに寄り添うことができるのは、5人子どもを産んで育てている自分だからこそできるんじゃないかと思いました。そこで、いずれ開業することを考え、地域の母子訪問などから復帰を開始したそうです。 3年半後に妊娠した6人目、そして後半チーム! 5人の子育てと助産師としての仕事に追われる中、頭をかすめた6人目。「仕事もしないといけない。でも、子どもも…」そんなことを思いつつ3年半が過ぎたある日、妊娠が判明。そして、6人目出産したあとHISAKOさんはこんな気持ちになったそう。 「ポツンと離れて6人目やったんですよ。なんか6人目ちゃんがひとりっ子みたいに思えて、すごいかわいそうに思えてきて」 「あかんわ、後半チーム!」って思いました。 すごいです! この前向きな姿勢! そして、実際に6人目をきっかけに7人目、8人目を出産。こうなったらと後半チームを完成すべく9人目、10人目まで出産します。このとき、年齢も40歳になっていたこともあり、さすがのHISAKOさんも10人目で本当に終わりにしようと考えたそうです。 ところが、10人目を産んだあとにまさかの離婚。 さて、このあと12人目を産むことになる経緯は、ぜひ動画を見てみてください。40分の長編動画でありながら、150万回再生以上なのは、見た人みんなが圧倒されるHISAKOさんのパワーがあるからこそ。 HISAKOさんの軽快な関西弁トークはおもしろく、後半少し泣ける話も出てきます。44歳で12人目の不妊治療をスタートするきっかけなども見応えあります!妊娠中のママも産後のママもみんなが共感や尊敬できる部分があると思うので、ぜひチェックしてみてくださいね。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年05月11日1人目が生後10カ月を過ぎたころ、2人目を考え始めた37歳の私。夫の意見や周りのアドバイスを聞くたびに、2人目妊娠のタイミングがわからなくなりとても悩みました。しかし、助産師の姉の言葉で不安や迷いが消えました。そんな私の体験談を紹介します。 2人目に対する夫婦の考えもともと生理不順で産婦人科に通院していた私は、1人目は予想外の自然妊娠で喜んでいました。しかし産後10カ月を過ぎるころ、私が37歳であることや、産後に再開した生理が今まで以上に不順だったこともあり、2人目も自然妊娠できるか心配になってきたのです。 夫は「1人目が自然にできたんだから2人目も大丈夫だよ!」と楽観的。私たち夫婦は2人目も強く希望していたのですが、「年の差は関係なくきょうだいをつくってあげたい」という私と、「3歳は年を離さないと子育てが大変」という夫と意見は異なっていました。 他人の言葉に揺れる私2人目をどのタイミングで考えればいいか悩んだ私は、友人や姉妹に相談してみました。上の子と5歳差で2人目を妊娠した妹は、「意外にも2人目不妊は多い。特に年が離れると。私も不妊で通院した」と話していて、私は「やっぱり早めに2人目考えなきゃ」と焦り始めました。 また、2歳差の2人の子どもを持つ友人に相談してみると、「2歳差は育てるのが本当に大変! 私があなたの年齢なら3歳は間隔をあけるわ」と。アドバイスを聞くたび、どうしたらいいのかわからなくなりました。 助産師の姉の言葉悩み始めた私は、一旦2人目を考えることをやめることに。ある日、助産師の姉と何気ない会話のなかで「赤ちゃんは授かりものだから。来てくれたときがタイミングよ」と話してくれ、私は目が覚めた思いがしました。 「私はいろいろ自分たちの都合を考えていたけれど、そのこと自体間違っていたのかも」と思うようになったのです。それから2人目計画を立てることをやめ、避妊もせず、すべて自然に任せることにしました。 2人目妊娠判明! 夫は…2人目妊娠を意識することをやめた矢先、まさかの自然妊娠が判明! 避妊はしていないものの、生理不順でいつ排卵しているかわからなかった私自身、こんなに早く妊娠するとは驚きでした。 3歳差を希望していた夫は、「えー! 早すぎ」と報告したときは若干焦ったようですが、「2歳差でも3歳差でもそんなに変わらないよね」と今では家族が増えることを楽しみにしています。 私は2人目妊娠のタイミングを、私自身の状況や上の子との年の差を考えてたくさん悩みました。しかし私の場合、「赤ちゃんを授かったときが私たちのタイミング」と考えることで2人目妊娠に対する不安や悩みが軽減され、結果的に今赤ちゃんを授かれたことを夫婦2人でとても喜んでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月07日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。夫に内緒で検査を行うと、「単角単頚」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形だと発覚。果たして、妊娠は叶う……!?新たな不妊専門クリニックへ、医師の言葉が励みに考え方を変えれば、妊娠の可能性がゼロではないということでもあった。きっと今の医療の技術でなんとかなる。妊活に非協力だった夫は、検査結果を聞いて「これからはやれることは一緒に頑張ろう」と協力を誓ってくれた。 新たに職場近くの不妊治療専門のクリニックへ通うことになった。最初の受診から紹介を繰り返し、5軒目にたどり着いたクリニックだった。そこで出会った50代の女性医師は「まだまだよ!」と明るく励ましてくれた。 「これまでの検査結果がすべてじゃないから。あせらないで。一般的な治療を始めるわよ」と。 その明るさがうれしかった。「先生との相性がいい!ここは当たりかも!」と直感した。この医師との出会いが、うつむきがちだった夏美さんの考え方を変えてくれた。 夫がすぐには検査を承諾してくれず……治療を始めるにあたって、夫の検査が必要になった。夏美さんが住む東京都では、不妊検査や治療にかかる費用の一部に対し、助成金が出る(対象者のみ。詳しくは「東京都福祉保健局」へ)。夏美さん夫妻の場合、夫も検査を受ければ約5万円の助成金が出る。夫は子作りに協力するとは言ったものの、いざ自分の検査となると、なかなか一歩が踏み出せない。「1週間考えさせてくれ」 夫なりに考えた末、検査を受けることを決断。夫側に問題はなかった。 医師と夫の言葉で吹っ切れた未来像でもすぐには授からない。わかってはいたが、現実を目の当たりすると落ち込む。夫に泣きすがると、非協力的だと思っていた夫から思いもしなかった心のうちを聞いた。 「俺は子どもが欲しくて夏美と結婚したんじゃなくて、夏美と一緒にいたいから結婚した。最終的に子どもができなくても俺は良いけど、夏美が子どもを望むなら一緒に病院に行こう」 はっとさせられた。子どもが欲しくて、頭がいっぱいになっていた。 「そっか。この人と結婚したいから結婚したんだったよな。このまま2人の生活もいいな」と素直に思えた。 医師の明るい励ましと、夫の言葉のおかげで、夏美さんは吹っ切れるようになった。荒んでいた心はポジティブに。「このまま2人暮らしなら、豪華な旅行も行けるかも」と新たな未来を思い描けるようになった。 休日は2人で鎌倉の海へドライブに行き、神社を巡っては2人の幸せな未来を願った。でも諦めたわけではなかった。「最後の1回」という条件付きで、子授けで有名な神社で祈祷してもらったり、ネットで調べた真偽不明のおまじないをこっそり試したり。 でも、どんな生き方になっても、行く先の道には明るい未来が待っている気がした。奇跡の妊娠で医師や看護師も拍手、無事に出産そろそろ人工授精も視野に入れていた矢先のこと。生理が3週間来ていないことに気づいた。強めの花粉症の薬を飲んでいたので、そのせいだと思っていた。一本だけ残っていた検査薬を試すと、陽性反応が出た。 「びっくりして家で思わず叫んじゃいました。すぐに検査薬を、スマホで写真を撮って、夫や母に送っちゃいました」 クリニックで調べてもらうと、既に胎嚢が確認できた。 「先生も看護師さんたちも、拍手して喜んでくれたんです。本当にうれしくてうれしくて。しばらくにやにやが止まりませんでした」 その後、大学病院に転院。子宮が小さいことから懸念されていた妊娠経過も順調だった。小さかった子宮は一般の妊婦と同じように膨らみ、立派に命を育んだ。 2020年11月、逆子による予定帝王切開で、約2,600グラムの元気な女の子を出産。産後も順調に過ごしている。妊活から2カ月で不妊の検査と治療を開始し、治療から4カ月で授かった夏美さん。 「私の場合は、早めに検査して本当によかったです。それからいい先生との出会いも大きかった。夫の言葉で気持ちを前向きに切り替えられたことも良かったと思います」と振り返る。 現在、生後4カ月のわが子の寝顔に癒される日々を送っている。 「すやすや気持ちよさそうに眠ってる顔を見ていると、力が湧いてきます。育児が大変でもがんばれるなって。2人目も授かったらうれしいけど、あせらないでやっていこうかな」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月30日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。果たして……?妊活から2カ月、夫に反対されながらも1人で産婦人科へ夫の理解を得ることは容易ではなかった。妊娠はそんな簡単なものじゃない。正しい情報を集めていた夏美さんは、強く反論したかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、その場はそれきりの話し合いで終わらせた。 「反論したかったけど、これから先、夫婦関係が気まずくなってしまう方が危険だと思って。悔しかったけど引き下がりました。でもわたしが安心したかったので、1人で産婦人科へ行きました」 一歩目は踏み出しやすかった。向かったのは、生理痛で10年近く通っていたかかりつけの産婦人科クリニック。主治医は顔なじみのおばあちゃん先生だった。話しやすく、生理の状態も知ってくれていた。まずはタイミング法を試しながら、検査を進めることになった。 気絶しそうな人生最大の痛みを味わうことに通常、不妊治療の検査は男女ともに行われる。日本生殖医学会によると、女性側は①内診・経膣超音波検査、②子宮卵管造影検査、③血液検査が一般的な検査とされている。 夏美さんの場合、第一段階として行われた検査の一つが「通水検査」だった。子宮内にカテーテルをいれて生理食塩水を注入し、卵管の通り具合を調べる検査だ。一般的に麻酔を使用しない検査で、「多少の痛みは伴います」と説明を受けて臨んだのだが、ここで人生最大の痛みを味わうことになる。 激痛どころじゃない、気絶しそうな痛みだった。 「究極の痛みで、便が漏れてしまいそうなほどでした。寒くて怖くて……。顔面蒼白になってしまいました」 カルテに書かれた「不妊症」の文字、頭が真っ白に ここで夏美さんの“嫌な予感”は確信に変わったという。わたしの体に何かが起きているーーー。 普通の検査でこれほど壮絶な痛みを感じるなんて、きっと体に何か原因があると直感したという。その日は何も診断が出ず、結果が出るまで1週間を待った。翌週、結果を聞きに訪れた診察室で、予想だにしない言葉が医師の口から出た。 「片方の卵管が見えません。通りが悪すぎるから、ちゃんとしたところで調べないと」 不妊治療専門のクリニックを紹介され、卵管の造影検査をすることになった。同学会によると、子宮卵管造影検査とは、「X線による透視をしながら子宮口から造影剤を注入し、子宮の形や卵管が閉塞していないかを見る検査」のこと。さらに子宮の形態を詳しく調べるため、総合病院で子宮のMRI検査も受けた。1人で検査結果を聞きに行くと、医師のカルテには「不妊症」の文字。 震えた。 不妊症の原因が明らかに!思わぬ事実が発覚説明の前から頭が真っ白になった。医師は淡々と説明した。 「普通の人は卵管が2つあって、子宮は鶏の卵くらいの大きさがあるけれど、あなたの場合は卵管が1つしかありません。子宮は半分くらいの大きさでとても小さいです。もし妊娠できたとしても、体が異物だと思って流してしまう可能性があります。 妊娠したあとも大変だから、大きな病院で診てもらってください。まずは妊娠しないと話が進まないから、不妊治療専門クリニックに紹介状を書きますね」 夏美さんの子宮は「単角単頚(たんかくたんけい)」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形で、通常の半分の大きさで小さく、片側に寄っており、2つあるはずの卵管が1つしかなかった。長年悩まされた生理痛の原因でもあった。 病院の帰り道はふらふらだった。本当は誰かにしがみつき、声を出して泣きたいくらいだった。 ポケットに、飴が1粒入っていた。袋を開ける手と飴をなめる口が、小刻みに震えていた。これからどうしよう。 込み上げる涙と一緒になめた飴の甘みが、これでもかというくらい心にしみた。とりあえず夫にLINEを送った。 「家でちゃんと聞きます。とりあえずおつかれさま」 短い文章から、夫の動揺も伝わってきた。 ◇ ◇◇ 夫に内緒で行った産婦人科。そして発覚した子宮奇形。まずは妊娠のために、不妊治療専門の病院へ通うことになった夏美さん。 次回、不妊治療の結果が明らかに! 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月29日「仲良く夫婦生活を送っていれば、赤ちゃんは自然に授かるだろう」。妊娠についてそう考えている人は少なくありません。しかし、健康な夫婦でも排卵1回あたりの自然妊娠率は約20-30%程度と言われています。若くて健康でも1年の排卵のチャンスはたった12回。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 自然な妊娠を望む年上夫は非協力的。気持ちのすれ違いに涙「あぁ、疲れた」 その日、夫は仕事から帰るなり、大げさに疲れをアピールしてきた。その日、というのは妊娠しやすいタイミングの日。ネットや妊活アプリで調べ、予め伝えておいたが、明らかに拒絶していることが伝わってきた。 「今日もだめか……」 夏美さんは、疲れた夫を責めることもできず、すれ違う気持ちを抱えて1人静かに泣いた。 現在、生後4カ月の女の子を育てる夏美さん。絶望と希望の間でさまよった不妊治療期間を経て、今は穏やかな日々を送っている。 27歳の時に13歳年上の夫と結婚。夫の年齢も気にして、結婚前から「すぐに子どもは作ろうね」と語り合い、ハネムーンから妊活をスタート。ところが2カ月経ってもいつも通りに生理が来る。 「そのころは妊娠に関する知識がなくて、すぐに授かると勝手に思っていたんです」と夏美さん。同じ時期に結婚した同僚たちは、次々に妊娠を報告していた。 夫にいいタイミングを伝えるも「そういうのは自然にできるものだから。欲しい欲しいと思うと逆に妊娠できないよ」と非協力的な言葉が……。夫とのタイミングが合わず、日に日に焦りは増していった。 寝込むほどの生理・・・もしかしからできにくい?と不安に毎回、生理は苦痛でたまらなかった。腹痛、腰痛、頭痛に加えて多量の出血。学生時代は寝込むほどだった。実家近くの産婦人科クリニックに長年通い、痛みを緩和するための低容量ピルを処方してもらっていた。妊活に備えてピルの服用はやめていたが、市販の痛み止めに頼りすぎることも。 人より重い生理が気になってネットで調べると、不妊と結びつく情報がいくつか引っかかった。「もしかしたら、自分は赤ちゃんが授かりにくいのかもしれない……」。胸がざわざわした。 日本産科婦人科学会では、不妊を定義する期間として、「1年間が一般的」と定義している(妊娠を望む健康な男女の間に授からない期間)。しかし問題が考えられる場合は、すぐに治療を開始するよう勧めている。 頭に浮かんだ「不妊治療」の文字、しかし夫は……夏美さんの頭には、妊活から2カ月の時点で「不妊治療」の文字が浮かんだ。妊娠するチャンスは1回の排卵でたった数日間しかない。排卵は月に1回、1年で考えるとたった12回だ。このままではあっという間に年を重ねてしまいそうな気がした。 ところが赤ちゃんは誰もが自然なタイミングで授かると思い込んでいる夫。ネットの書き込みでも、夫と同じ意見を多く見かけた。通院したいと相談すると、予想通りの反応が返ってきた。 「行く必要はないよ。自然に任せたいんだ」◇◇◇妊活には非協力で、しかも不妊治療の検査へは「行く必要がない」と言う夫。果たして、夏美さんの妊活はどうなるのでしょうか。 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月28日私が31歳、不妊治療をしていたときのことです。私は普段、生理は7日で終わるのですが、そのときは8日目にまた出血がありました。生理痛のように下腹部もだんだん痛くなり、ついには冷や汗や吐き気まで……。激痛でのたうち回り、気づけば病院に救急搬送されたのです。不妊治療にはこんなリスクもあるんだと知った出来事です。 不妊治療は、精神的にも肉体的にもしんどいものです。そして、まさか自分にもこのような副作用が起きるとは思っていませんでした。 ちなみに、そのときに飲んでいた排卵誘発剤は服用をやめて、別の薬を処方してもらうことになりました。そして、今では第一子を妊娠中です。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO--------原案/たなかまさぽんさん作画/コジママユコイラスト制作者:イラストレーター コジママユコマンガ作家、イラストレーター。北海道出身、現在は関東で夫と二人暮らし。WEBを中心に、自身の経験を元にしたマンガを発表しています。女性向けメディアでイラストレーターとしても活動中。
2021年04月26日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー8千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さんの難ありパイのお話を連載でご紹介していきます。ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー8千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さん。「出産レポ」、「産後レポ 入院編」、「産後レポ 自宅編」に続いて、「難ありパイ」シリーズ〈チビコーの卒乳編〉をお届けします! これにて難ありパイのお話は終了です〜!!長いことお付き合いいただきありがとうございました。 最後の授乳、まったく泣きませんでした。が、この投稿を描いてて泣きました……。当時の記録を見て、最後の授乳の前日に撮った自分専用動画を見て、涙がポロリと……。授乳は、それだけ思い出深いものだったんだろうなぁ。いつもと違ってポエミーな感じで失礼します。 自分専用の授乳動画を見てると、いい思い出ができたな〜と思います。母乳のメリットうんぬんじゃなくて、ただただ幸せな時間だったなぁ、と。 難ありパイのお話は、母乳育児を推進する内容ではございません!ストレスのない授乳方法が、母子ともに一番だと思います!!授乳中のみなさんにとって、幸せな授乳ライフとなりますように! 監修/助産師REIKO画像提供/HYPかなこ(@hyp_kanako) 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年04月11日うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
子育ては毎日がたからもの☆