寝ない、飲まない事が心配だったけど、それ以外の発達はおおむね順調。Upload By 鳥野とり子わが家の息子ねこ太は現在小学校1年生。ADHDグレーゾーンで特別支援学級に在籍しています。ねこ太は在胎27週930グラムで産まれた早産児で、新生児から生後3ヶ月の頃は寝ない・飲まない・とにかくよく泣いていて、私はその育てにくさに違和感を感じ始めていました。しかし、生後5ヶ月(修正月齢2ヶ月)頃になると目が合ったり話かけるとニコニコしたり、クーイングを発するようになってきたので発達はおおむね順調なように感じていました。睡眠も、以前の全く寝なかった頃と比べると、まとめて2~3時間寝てくれる事が時々出てくるようになりました。授乳は相変わらず直接母乳を飲むのは下手でしたが、搾乳し哺乳瓶で授乳回数を増やす事でカバーしました。その結果、1日に飲む量は増え、体重もどんどん増えていきました。私は息子の育てにくさに違和感を感じつつも、このまま少しずつ睡眠も授乳量も増えていくのかなと思っていたのですが……。※編集部注:「修正月齢」について早産児の発達や成長については、実際に生まれた日ではなく、もともとの出産予定日だった日を基準に考えていきます。これを「修正月齢」といいます。授乳に集中せずにキョロキョロしたり……遊び飲み開始Upload By 鳥野とり子生後半年頃から授乳に集中せずに周りをキョロキョロ見たり、クスクス笑ったりするようになりました。やっと少し飲む量が増えてきていたのに、遊び飲みのせいで授乳量は逆戻りしてしまったのです。授乳に集中させるために、授乳の度にカーテンをして照明を落とし、部屋を真っ暗にして、他の物が目に入らない環境をつくってから授乳をしていました。それでも飲みが悪いので、寝起きの寝ぼけている時に哺乳瓶を息子の口に入れ吸てつ反射を利用して飲ませる事に。遊び飲みは成長の証と言いますが、私はなんとなくこれがただの遊び飲みとは思えず、息子の母乳への執着のなさに消えかかっていた違和感が再燃しました。首がすわらない、寝返りしない、お座りできない。一体いつになったらできるのか不安で主治医に相談するも……Upload By 鳥野とり子運動発達の遅滞は早産児にはよく見られる傾向なので、そこまで私は気にしていませんでした。しかし、NICUで教わったリハビリを毎日しているのにも関わらず、生後半年を過ぎても全く首がすわる気配がなく、寝返りもできない息子にだんだん焦りが出てきました。早産児健診の時に主治医に相談するも、「今は様子を見るしかないですね」と言われ、「確かに今できる事はないし様子を見るしかないな」と、どうにもならない現状に対してモヤモヤしたのを覚えています。友達の赤ちゃんを抱っこして驚愕。息子と全然感触が違う……!Upload By 鳥野とり子この頃、息子と同じくらいの月齢の赤ちゃんがいる友達と会う機会がありました。私は、友達の赤ちゃんを抱っこさせてもらって驚きました。なぜなら、息子と全然感触が違うんです。息子は全身がフニャっとしていて柔らかく、力もそんなに強くないのですが、私は他の赤ちゃんを抱っこした経験があまりなかったので、息子のフニャフニャ感を気に留めていませんでした。でも、友達の赤ちゃんは力が強く筋肉がしっかりしていて息子みたいにフニャフニャじゃなかったのです。「赤ちゃんとはみんなフニャフニャしているものだ」と思っていた私はビックリすると共に、やはり息子は早産の影響でかなり発育も発達も遅れているのだという現実を突きつけられてショックを受けました。モヤモヤしながらもようやく進み始めた運動発達Upload By 鳥野とり子結局息子は首がすわったのが生後9ヶ月、寝返りも生後9ヶ月、自力でお座りができるようになったのは1歳の誕生日を迎えた頃でした。他の子よりかなり遅い運動発達ですが、ようやく成長し始めたなと少しホッとしました。(しかし、ここから歩けるようになるまで、長い道のりが待っている事をこの時の私は知りませんでした……)。生後9ヶ月で首がすわり。そして、離乳食もスタート!でも……大苦戦の予感Upload By 鳥野とり子運動発達が進み始めた月齢9ヶ月頃に離乳食を開始しました。母乳への執着がないので、食へも興味が薄いかもしれないと思っていましたが、予想は的中!口に運んでも全然食べようとしないし、無理に口に入れても吐き出してしまう状態。何度か挑戦しましたが、ひと口食べさせるのがやっとなので、離乳食は中断する事にしました。ここから長い長い……とても長い食の悩みが始まるのでした。執筆/鳥野とり子(監修:室伏先生より)ねこ太くんの乳児期について、運動発達、睡眠授乳の様子など詳しく共有してくださりありがとうございました。早産のお子さんの運動発達の進み方はさまざまで、将来をご不安に思われたり、やきもきしたり、というお声をよくお伺いしますので共感される読者の方も多いことと思います。早産でないお子さんと比較すると、自閉スペクトラム症やADHDなどの症状も多いとされています。運動面に関しては、身体が柔らかかったとのことで、筋緊張低下症というものであったのかなと思います。筋肉は姿勢保持や体温調節のために、運動をしていない時でも持続的に一定の緊張(張り)が生じています。この持続的な筋肉の緊張は、脳が司令塔となり支配されています。脳からの指令のセットポイントが弱いと、筋緊張は弱い状態となり、筋肉に触れた時に全体的に柔らかく、柔軟性も高くなります。姿勢保持にも影響が生じ、立った姿勢では腰椎前弯(腰がそってお腹が出るような姿勢)や外反足(足を後ろからみた時にかかとの骨が垂直ではなく内側に倒れこんでいる状態)、座った姿勢では円背(背中が丸くなった状態)などがみられることがあります。ねこ太くんの、その後の発達やお食事を応援させていただきつつ、次回の記事を楽しみにしておりますね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2023年12月24日第1子妊娠中、妊娠8カ月ごろのお話です。突然の不幸に悲しみがありながらも、少しだけ前を向くことができた体験談を紹介します。コロナ禍での妊娠。家族と久々の再会結婚を機に夫と暮らすために県外に引っ越しました。新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令され、ゴールデンウィークもお盆休みも帰れず実家の家族に会えませんでした。 妊娠がわかったのは2020年の6月。SNSで家族とはやりとりをしていたものの顔を合わせる機会がないまま時間が過ぎていきました。私の家族は両親と兄で、両親とは連絡をとっていましたが兄とは連絡をとることはありませんでした。 緊急事態宣言が解除され、新型コロナウイルスの感染者も少なくなってきたので、妊娠7カ月に入ったあたりに実家に帰ることに。久しぶりの実家で、両親も私の妊娠を喜んでくれ、たくさん話をしました。兄とも少し言葉を交わし、今まで実家にいたときと変わらない時間を2〜3日過ごし、自宅のアパートへ戻りました。 突然の訃報に頭が真っ白……それから数週間後のこと。突然夜遅くに父からの電話。私「もしもし」 父「……もしもし。遅くにごめん。妊婦のお前に言うことじゃないが、言わないといけないことが……」と震えた声。私は胸騒ぎがしました。母が倒れたか、母方の祖母が倒れたかと一瞬で嫌な想像をしました。 私「何があった?」 父「兄が亡くなった……。心筋梗塞で倒れてそのまま……」私は頭が真っ白になりました。当時私は妊娠8カ月。妊娠後期に突入したあたりのお話です。それまでは情緒が不安定でやっと落ち着いてきたころでした。元気だった兄との突然の別れ。何が何だかわからずに実感がないまま、再び実家へ戻りました。 そこには細長い白い箱があり、中には白い服を着て目を閉じた兄がいました。話しかけても返事はなく、いつも私の名前を呼ぶ声も聞こえてきません。 兄と最後に会ったのは数週間前。一緒にDVDを観ようと約束をしましたが、私が出かけるため観られずにいました。「次帰ったらでいいか」という気持ちはありましたが、そんな日はきませんでした。私が帰る日に、「帰るね! またね!」と寝ている兄に声をかけて帰ったのが最後の会話でした。こんなことなら兄と会話をすればよかった、もっと連絡をとっておけばよかったと後悔が押し寄せました。 深い悲しみのなか近づく出産予定日葬儀が終わり兄とのお別れをし、自宅のアパートへ戻りました。すぐに妊婦健診があったのですが、切迫早産とのことで次の日に入院が決まりました。しかし、次の日に受診すると、ギリギリではありましたが自宅安静で良いことになり入院は免れました。 情緒が安定してきていたとはいえ、やはり身内との別れはつらいもの。突然のことならなおさらです。周りには悲しんでいる姿は見せまいと思っていましたが、夜になると悲しい気持ちが押し寄せて声を上げて泣く日々。普段からそんな姿は見せませんが、夫に「泣きたいときは泣いていいよ、寂しいときは寂しいって言っていいよ」と言葉をかけてもらったり、職場の人たちからもいつもと変わらない様子で振る舞ってもらいながらもささいなところで支えてもらったりして、何とか持ち堪えることができました。 それから1カ月後、里帰り出産のために実家に帰り受診をすると、また切迫早産気味に。入院するかしないかの瀬戸際でした。できるだけ家で安静にしながら過ごし、妊娠37週目を迎えました。そして予定日1週間前の夕方に陣痛がきて、次の日の朝に出産しました。 天国で兄が見守ってくれている娘の誕生日は兄の百か日でした。それから1週間後に退院。退院前日から雨が降り、朝方まで雨が降っていました。退院に向けての最後の診察が終わり、病室に戻ると雨が上がっていて、迎えにきてくれた両親と娘とともに実家へ。晴れてよかったねと車の外を眺めていると雨上がりの空に虹がかかっていました。 生まれて初めて見る、端から端まで見えるきれいな虹。兄が喜んでくれているようなそんな気持ちになり、両親にバレないようにこっそりと涙を流しながら家へ帰りました。 妊娠中の兄との別れ、切迫早産でも入院せずに済んだこと、退院の日に虹がかかっていたことを知人に話すと、「お兄さんが見守っていてくれてたんだね」と言ってくれ、きっとそうだと心が温まりました。娘に伯父さんを会わせてあげることはできませんが、きっと天国で兄が見守ってくれていると、私も前を向くことができました。 妊娠中の繊細な時期にあった悲しい体験でした。人との出会いがあるように別れもあり、それはいつ起きるかわかりません。妊娠中に起きることだってあります。ひとりじゃない、周りにたくさん助けてくれる人がいる。つらいときはつらい、しんどいときはしんどい、悲しいときは悲しいと言葉にして伝えることが大切で、私が思っている以上に私のことを想ってくれる人がいて、多くの人に支えられていると思い知ることができました。そして、娘を出産したことで、生と別れについてしっかり向き合うことができたと思います。娘が生まれて3カ月が経ちました。まだまだ大変な時期ですが、生まれてきてくれたことを日々感謝しながら育児を頑張っています。 著者:ぽむぽむ1児の母。生後3カ月の娘を溺愛している専業主婦。
2023年12月02日■前回のあらすじ退院後、いつくるか分からない陣痛におびえつつ、長女と一緒に実家でお世話になることに。そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じ、「陣痛チェックアプリ」を起動。10分間隔でおなかが張っていることが分かり…!?こんにちは、宝あり子です。■病院へ連絡陣痛計測アプリにより、10分間隔でおなかが張っていることが分かったものの、痛みはまったくなし!痛みがなく陣痛か判断ができなかったので病院へ電話し、10分間隔でおなかが張っていることを伝えました。病院から確認されたのは痛みの有無でした。さらに、おなかの張りはあるけれど痛みはまったくなかったので、これが陣痛なのか分からないことも伝えました。病院からは「1時間後にまた電話をください」ということで、様子をみることに。さてこのとき、私と娘は里帰り中で実家にいました。娘は私とは別室で大好きなおじいちゃんと一緒に寝ていたのですが…。娘もこの日はいつもとは違う何かが起こると本能で察したのでしょうか。夜泣きが激しかったです。しかし、私は娘の夜泣きは気になるものの…「これは陣痛?」「陣痛じゃない?」とオロオロしていて、娘の夜泣き対応はおじいちゃんに任せてしまいました。そして、痛みがないまま病院へ電話してから1時間が経過。 ■痛みはないのに“いきみたい”そろそろ病院に電話しようと思っていたところ、突然いきみたくなってしまいました。相変わらず痛みはないものの、陣痛間隔アプリでおなかの張りはこのとき5分間隔。慌てて病院へ電話しました。そして、「急にいきみたくなってしまった。でも痛みはない」と伝えたところ、すぐ病院へ来るよう指示が!急いで事前登録していた陣痛タクシーを呼びました。続きます。※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年10月28日次男の出産のため、長男を連れて地方の実家へ約4カ月間里帰りしました。実家へ戻った直後に切迫早産で絶対安静を言い渡され、産後も回復が思わしくなかったため、大変な日々が続きました。自宅に戻れば夫にも育児を協力してもらえると前向きに頑張っていたのですが……。一体何に使ったの…!?しかし、待っていたのはお金に悩まされる地獄の日々。なんと、里帰りしていたわずか4カ月の間に、夫が家族の貯金をすべて使い果たし光熱費も滞納。私が管理していた通帳からもお金を引き出し、挙げ句200万円の借金を作っていました。「何に使ったの?」と問い詰めても夫は黙り込み、使い道を明言しませんでした。 泣く泣く私の残りの貯金から生活費や滞納していた光熱費を支払い、夫には借金の返済に集中してもらっています。しばらく貯金もできそうになく、子どもを育てていけるのか不安しかないです。 ◇◇◇相談もなく勝手に家族の貯金を使い果たし、挙句の果てには200万円の借金をしていたとは、頭を抱えてしまいますよね。旦那さんには、同じことを繰り返さないためにお金を何に使ったのか、打ち明けてもらった方が良さそうですね。なかなか夫婦だけでは話が進まない場合は、義父母や両親、信頼できる友人などを巻き込んでみることも一手なのかもしれませんね。 作画/まげよ著者:碓井あかり男の子2人を育てるアラフォーのママ。イヤイヤ期真っ盛りの長男、ハイハイでどこまでも突き進んでいく自由奔放な次男に、日々振り回されています。
2023年10月22日■前回のあらすじ私の入院中は娘の面倒を見るため、遠方から義母が来てくれていましたが、退院を機に帰宅することに…。そのため、私は出産まで、娘と一緒に実家でお世話になりました。娘と過ごす時間に幸せを感じる私でしたが…。こんにちは、宝あり子です。■退院しても産まれる気配のない第2子切迫早産で36週まで退院ができなかったので、きっと退院したらすぐに出産でまた病院に戻るだろうと思っていました。しかし…。38週目に入りましたが、まだ産まれる気配はありませんでした。長女は38週2日目で出産をしましたが、切迫早産で入院生活も経験した次女の妊娠期間は38週2日目を超えました。切迫早産の入院生活は本当につらかったです。でも、つらい入院生活を耐えたからこそ、こうして38週を過ぎてもおなかの中にいるのかな?そんなことを考えながら、退院後の日々を長女と一緒に実家でお世話になりながら過ごしました。いつくるのか分からない陣痛におびえながら、残りわずかな長女ひとりっ子生活を続けていたのです。そして、だんだんと思い出す、痛くてつらかった長女出産時のこと…。以前、第2子出産を控えていた友人が、「1人目の出産前は陣痛や出産がどんなものか分からなくて未知の不安があったけど、2人目の出産はあの壮絶な痛みを知っちゃってるから2人目出産前の方が私は怖い」とおびえていたのを思い出しました。私も友人と同じく、長女出産時の陣痛や出産のつらさを思い出して、第2子出産前の方が恐怖でいっぱいでした。■長女出産時のことを何度も思い出してしまい…あの痛みやつらさに耐えられるのか?しかも1カ月以上、切迫早産で寝たきり生活を過ごして体力も落ちている状況。少し歩いてもフラフラするような体力の自分に出産できるのだろうか?不安しかありませんでした。そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じて起きました。痛みはまったくなかったのですが、定期的におなかの張りがくるので、「陣痛チェックアプリ」を起動。すると10分間隔でおなかが張っていました。ところが、全然、痛みはなし。陣痛なのか、ただのおなかの張りなのか…。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 (1085/1000000)
2023年09月28日2人目を妊娠しているときの話です。結婚前はやさしかった夫の信じられない言葉に戸惑い、唖然としました。夫婦円満って難しいですね……。切迫早産で入院すると夫に告げると…2人目を妊娠しているときのこと。仕事中に出血し、病院を受診しました。妊娠高血圧症候群による切迫早産と診断され、緊急入院することに。 そのことを夫に電話で告げると、「そこまでして心配してほしいのか?上の子の面倒はどうするの?一旦帰ってきて明日入院したら」と唖然とするひと言。思わず言葉を失ってしまうほど、つらい体験でした。 そこで担当医師から病状を説明してもらい、ようやく納得した様子。これから先、夫婦関係を円満に保つのは、とても難しいように感じました。結婚前は優しい夫だったのですが、パートナー選びは慎重に……ですね。 ◇ ◇ ◇ 妊娠中はお腹の赤ちゃんを気遣い、常に気を張っている方も多いと思います。この時期にパートナーから言われたことは、些細なことでもずっと覚えていたりしますよね。女性だけでなく男性も妊娠中のリスクを知って、もう少し妻に寄り添った言葉をかけてほしかったですね。 作画/森田家著者:大谷翔子2児の母。現在は育休中で育児に奮闘中。
2023年08月28日■前回のあらすじつらかった切迫早産入院生活でしたが、36週に入り退院が決定。注射嫌いな私の点滴生活もついに終了しました。そして、お迎えなしでタクシーで自宅に帰ることに…。こんにちは、宝あり子です。■娘がどんな反応をするかドキドキの退院急な退院だったのでお迎えはなく、タクシーで自宅まで戻りました。自宅では娘と義母が待っていてくれました。娘は切迫早産入院中、私に対してよそよそしくなっていたので、自宅に私が戻ってきたときの娘の反応が気になっていました。自宅に戻り、義母が出迎えてくれ、「ひよちゃん、ママが帰ってきたよ」と娘を呼んでくれました。すると…。満面の笑みで娘が出迎えてくれました!入院してからは娘を抱きしめることもほぼできなかったので、久しぶりに娘を抱きしめることができました。■退院しても自宅安静退院の喜びもつかの間…。退院できたといってもまだ36週目。自宅でも安静にするよう言われていました。私の入院中は娘の面倒を見るため、遠方から義母が来てくれていましたが、私の退院にともない帰宅することに…。そして、義母が帰宅したため、私と娘は出産まで私の実家でお世話になることになりました。 ■当たり前だと思っていた日常生活の幸せ実家でも37週までは基本は寝たきり生活。すると私が寝ている布団に娘が潜り込んできました。産まれてからずっと一緒だった娘。それが当たり前の日常生活だと思ってしまっていました。しかし、突然の入院生活で、一緒にいられることがいかに幸せなことか…。子どもの体温を感じながら寝られる幸せを感じました。退院してからしばらくの間、一緒のお布団で寝るたび思わず目頭が熱くなりました。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年08月28日現在、生後5カ月の息子がいます。切迫早産を乗り越えた矢先、別の理由で約1カ月早めに出産。そんな私の体験談を紹介します。※新型コロナ感染症が「5類感染症」に移行する前の体験談です。 自分は大丈夫だろうと油断していたそのとき、私は妊娠37週0日でした。その2日前、実家には普段は夜勤などが多く、あまり会うことのない実父がいました。実父は、会社の集まりでごはんに行っていたらしく、酔っていました。食事をしていたところから歩いて帰ってきた実父は、「寒いんだよなぁー。なんか寒気するんだよなぁー。喉も少し痛いし」と冗談交じりに笑いながら話していました。 「コロナじゃないよね、こわいなー」など他愛もない会話をして、私はその日に自宅へ帰宅。次の日、私は喉が痛くなりました。ただ喉が痛いだけで、熱などはなかったこともあり、「のど飴を舐めていればなんとかなるだろう」と、そう思っていたのです。 お医者さんの言葉に自分を責める…次の日の朝、頭痛がすることに気づきました。熱を測ると37.5度。「あぁやってしまった」と思いました。すぐ病院を探したのですが、早くても翌日しか空いていなかったため、できるだけ体を休めることに集中しました。 しかし夕方になるにつれて熱は高くなり、39.2度にまで達していました。そして、なんだか胎動が弱く感じたのです。実母に連絡したところ、「すぐに産婦人科に電話しなさい」と言われました。そのとき、すでに22時ごろだったと思いますが、電話をすると「すぐに来てください」と言われ、病院へ行きました。 いろいろな検査をしてわかったことは、新型コロナが陽性であること、そして羊水が少ないこと、赤ちゃんが危険な状態であること、ということでした。産婦人科の先生はこう私に告げました。「今から緊急帝王切開になります。ただ、ここの病院では受け入れることができないので、約1時間ほどかかりますが、対応しているこちらの病院に行ってください」と。おなかの子は大丈夫なのか不安になった私は、自分の行動を振り返り、自分を責めました。 防護服の先生に囲まれての出産1時間かけて向かった病院には、防護服を身につけた先生方がいました。夜中0時ごろに病院へ着き、約2時間半おなかの具合を検査して3時ごろにオペ室へ。私が覚えているのは、真っ白な部屋とおなかを触られる感覚。そして、息子が生まれてきたときの小さい泣き声と、うっすらと見えた息子の体です。 そこから12日間は感染対策のため、息子に会うことはできず、術後の痛みに耐える日々でした。ただ、息子に再会してからは、痛みなんて忘れるほど幸せな毎日を過ごせています。 新型コロナが流行っている中での妊娠・出産は、もともと不安なことが多くありました。しかし不安な中でも、どこかで「自分は大丈夫」と思っていたのかもしれません。結局、最後の最後でかかってしまい、新型コロナは本当に身近に潜んでいる病気なのだと実感しました。おなかの子や子どもを守るためにも、必要最低限の対策を講じたうえで生活していかないといけないと感じました。 感染したときは家族が力になってくれて、そして病院の先生たちが助けてくれました。そのことに感謝し、今後のことをしっかり考えて過ごしていきたいと思っています。あのときの痛みを忘れさせてくれるくらい、子どもは本当にかわいいです。これからも、かわいい息子と幸せな日々を過ごしていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:そら22歳で一児の母。犬2匹と一緒に幸せに暮らしています。
2023年08月18日会社の先輩が妊娠し、社内が祝福ムードに包まれる中、「妊婦でも特別扱いはしない」と宣言する上司。そしてさっそく、妊婦である須田さんに「あれ買ってきて」と指示をしました。上司の言う「あれ」を知った山本さんは怒りでワナワナ。さらに恐れていた事態が起きてしまいます。上司の命令で、重い荷物を両手に持たされたまま座らせてもらえなかった妊娠中の先輩。それが直接の原因かは不明ですが、切迫早産で自宅安静になってしまったのです! これを知った山本さんは、取引先のバイヤーさんを見てあることを思いつきました。 課長、勘違いしていません? 数日後、取引先のバイヤーと次長が山本さんたちの工場に来訪。「手土産は?」とささやく課長に、「もちろん♡」と山本さんが用意したものは……。なんと、課長お気に入りの羊羹ではなくラブリーなマカロンでした! 「妊娠中は重いもの持たない方がいいかな~と思って」 腹部をさする山本さんの説明に、激怒する課長。 「まさか君も妊娠!? 余計なことをするな! 指示された仕事もせずに特別扱いされたいなら辞めていい」 来客の面前で山本さんを叱った課長でしたが、山本さんは冷静に切り返します。 「課長、勘違いしていません? 妊娠しているのは私じゃないです」 そう、妊婦なのはバイヤーだったのです! 前回の商談時にマタニティマークに気づいた山本さん。マカロン好きも調査済みでした。さらに、一部始終を見ていた先方の次長が極め付きの鉄槌を下してくれたのです! 「彼女の気づかいは余計なことではない。気づかいもできない人の方が会社にはいらない。弊社の社員なら、そちらが辞めていただきたい」 その後、切迫早産だった先輩は無事に出産。お祝いに駆けつけた山本さんは、ことの顛末を語ります。課長はあの場で怒られただけでなく、先方の次長がメールでマタハラについて指摘したため会社の管理体制まで問われ、厳重注意されたのだとか。反省したのか、手土産についても口出ししないようになったそうです。 ◇◇◇ 先方のバイヤーも妊娠中だったことに気づかなかった課長。山本さんの購入した手土産を見て、指示と違うと取引先の前でマタハラぶりを披露してしまいました。事情がわかってギョッとする課長に、先方の次長も課長のマタハラぶりに怒りをあらわにしましたね。妊婦をいたわるこんな男性上司がいたら女性社員はうれしいですよね。課長は会社からたっぷり注意を受けたようですが、心から反省したことを願うばかりです。先輩が無事元気な赤ちゃんを出産できて、本当によかったですね。 ※妊娠中は、おなかに力が入ることで子宮が収縮しておなかの張りを感じる、出血するなど、いろいろな問題が起こる可能性があります。また、靭帯が緩んでいるため腰痛も起こしやすいと言われています。おなかに力が入ったり腰に負担がかかっていると感じたりする物は持たないようにしましょう。 著者:マンガ家・イラストレーター ぽん子
2023年08月16日会社の先輩が妊娠し、社内が祝福ムードに包まれる中、「妊婦でも特別扱いはしない」と宣言する上司。そしてさっそく、妊婦である須田さんに「あれ買ってきて」と指示をしました。上司の言う「あれ」を知った山本さんは怒りでワナワナし始めて――!? 重い荷物を持たせられたまま… 妊婦である須田さんの両手に重い荷物を持たせ、立って待つのが礼儀と座らせることもしない上司。「立つのがキツくて……」と本人が訴えているのに聞く耳を持ちません。 その夜、腹痛がひどくなった須田さんはなんと大量出血! 入院は免れたものの、切迫早産で自宅安静を余儀なくされてしまったのです。これを知った山本さんは「課長のせいですよね!」と激怒。しかしその課長は、須田さんの容態を聞いてあざけるように言ったのです。 「最近の若い女性は体力や筋力が足りない」「プライベートで遊んでいたのかな」 後日、須田さんの業務を引き継いだ山本さん。例のごとく課長の指示で重い手荷物を持たされ改めてビックリします。 「こんな重い物、妊婦に毎回何時間も持たせていたんですか!」 すぐに課長を問い詰めると……。 「特別扱いしてほしい人は会社に不要! 妊娠した時点で辞めていい」 信じられないことに、思いやりゼロの発言ばかりでした。 何を言っても理解しない課長にどうすれば良いか考えあぐねていると、取引先のバイヤー・酒井さんが現れました。来週は彼女が山本さんたちの会社の工場に来訪してくれるとのこと。そのとき山本さんは、あることに気が付いた様子。「いいこと思いついた」と何かを画策したのです。 ◇◇◇ 重い荷物を持ったまま立たされ続けた妊婦の須田さん。切迫早産という恐れていた事態が起きてしまいました……。直接の原因と断言できないにしても、課長の妊娠に対する知識不足・思いやりのなさは明白です。須田さんのことを聞いた後の発言も完全にマタハラと言えるのではないでしょうか。同じ女性として許せない気持ちの山本さん。どうにか課長にわからせることができるといいですね。 ※妊娠中は、おなかに力が入ることで子宮が収縮しておなかの張りを感じる、出血するなど、いろいろな問題が起こる可能性があります。また、靭帯(じんたい)が緩んでいるため腰痛も起こしやすいと言われています。おなかに力が入ったり腰に負担がかかっていると感じたりする物は持たないようにしましょう。 ※切迫早産とは、妊娠22週以降37週未満の時期に、早産になる危険が高い状態となることを言います。切迫早産や早産の危険性は、腟内感染や頸管炎、妊娠高血圧症候群、糖尿病、心臓病、腎臓病などの合併症のある人が高くなります。母体に無理が重なった結果であることも多いので、妊娠後期に入ったらストレスをためない、バランスののとれた食事をする、過労を避けるなどを心掛けましょう。 著者:マンガ家・イラストレーター ぽん子
2023年08月15日■前回のあらすじ31週からはじまった切迫早産の入院生活。先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。しかし、36週に入り、突然「明日退院」と告げられ…。こんにちは、宝あり子です。切迫早産の入院話もいよいよラスト。■慌てて退院準備先生に「じゃあ明日退院しようか!」と突然言われて、うれしさよりも戸惑う気持ちが大きかったです。なぜなら、この診察日の時刻は夕方で、退院は翌日の午前。もうあまり時間がありませんでした。まずは主人に明日迎えに来てもらえるか連絡をしました。すると「そんな急には休めないから今週末退院じゃダメなの?」という返答がありました。やはり急には休めないとのこと。ダメ元で看護師さんに退院日をずらせないか聞いてみましたが…。退院日は変えられませんでした。ということで、ずっと寝たきり生活だったため、ひとりで帰れるか不安でしたが、お迎えなしでタクシーを使って帰ることに。そして、病室に戻り慌てて退院準備を始めました。翌日、退院日の朝。切迫早産入院中ずっと投与していた点滴の量が減らされました。そしてNST(ノンストレステスト)でおなかに強い張りがこないかチェックがありました。「もしおなかに強い張りがきたら…」と不安でしたが、ウテメリンの量を減らしても、特におなかは張らず体調も変化はありませんでした。こうして入院してからずっと24時間していた点滴が外されることになりました。注射嫌いな私の点滴生活もついに終了です。■心残りがあった退院のあいさつ退院の手続きが終わり、看護師さんたちに退院のあいさつをしました。しかし、突然の退院だったのであいさつができない看護師さんもいたのが心残りでした。看護師さんたちから「また出産のとき、待ってるね!」と言ってもらえたのは、うれしかったです。切迫早産入院は本当につらかったですが、看護師さんたちと仲良くなれたことは良かったと思っています。看護師さんたちにあいさつをして、ヨタヨタしながら病院の廊下を歩きましたが、自分の力で歩くのが久しぶりすぎて、うまく歩けなかったです。入院中は基本トイレに行くくらいしか歩かなかったし、診察で病院内を移動するときは車椅子でした。■久しぶりの外で…ほぼ寝たきり生活で足の力が弱まっていることを実感して、「こんなに体力が落ちてて出産できるのだろうか?」という不安も出てきました。こうしてヨタヨタと歩きながら呼んでおいたタクシーのところまで歩いていきましたが、病院を出たときに…。病院の外がとても眩しく感じて、空が青かったのを覚えています。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年07月28日■前回のあらすじ24時間点滴生活で点滴をさせる場所がどんどんなくなっていき、とうとう利き手の手首に点滴をさすことに。しかし、痛みと出血により2日間でギブアップ。また、夜中に点滴が切れるとアラート音が鳴ることにも困っていました。こんにちは、宝あり子です。突然、妊娠31週で切迫早産入院となり、それからは心も体もつらい入院生活でした。■分からない退院予定日入院になったときに退院予定日は伝えられなかったので、先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。そのため入院当初は「1、2週間で退院できるかな」と思っていました。しかし…。トイレ以外、基本寝たきり生活なのにおなかの赤ちゃんの位置は下がっていました。「赤ちゃんが下の方にいるから、内診したら刺激で陣痛きそうだから、内診もできない」と先生に言われていました。入院してから1週間、2週間と過ぎていき…。自分の状況では37週の正期産に入るまで退院はできない、と察しました。37週に入るまで1日1日が長かったです。そして、ついに36週に入り、入院中週に1回行われる妊婦健診がありました。するとエコー検査で先生が…。ずっと「下の方にいる」と言われていた赤ちゃんの位置がついに少し上がりました! ■入院中、知らなかった衝撃の事実さらに先生は…。「入院した当初は赤ちゃんの体重増えなくて心配してたけど、ようやく体重も増えてきた」と言いました。入院中の妊婦健診では赤ちゃんの体重のことは言われませんでした。また入院中、母子手帳は病院が保管。私は赤ちゃんの体重が増えていなかったことを知りませんでした。先生は入院して情緒不安定な妊婦には言えなかったそうです。まさか赤ちゃんの体重が増えてなかったなんてショックでしたが、ようやく体重が増えてきたということには少し安心しました。それから、先生が…。突然「明日退院」と言いました。このとき36週と2日目でした。ずっと退院したくてたまらなかったけど、突然「明日退院」と言われたら、退院の準備もしていないので慌てふためいてしまいました。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年06月28日■前回のあらすじ長女と一緒にいたくて、早く退院したくて、入院中メソメソしていた気持ちは吹っ切れました。しかし、24時間点滴生活で腕はボロボロになり…。こんにちは、宝あり子です。■点滴が漏れた腕が痛い点滴をさしていた血管がダメになってしまうと、点滴が漏れて腕が腫れました。その腫れた腕があまりに痛くて、看護師さんに相談してみたところ…。腫れた腕を冷やすと良いとのことだったので、主人に自宅から保冷剤を持ってきてもらい、病室の冷凍庫に常備しておきました。そして、腫れた腕をこまめに冷やすようにしました。それでも点滴が漏れて腫れた腕の痛みは、なかなか引きませんでした。点滴が漏れるたびに新しい場所にさしなおしていくので、腕は点滴の痕だらけ。点滴をさし直すときは、点滴の痕がある部分は避けていたので、点滴をさす場所が段々なくなっていきました。そして…。「させる場所がなかったから、今回はとりあえず右腕の手首にさしたよ。手首だからちょっと動かすだけでも針が動いて痛いかも…」と、ついに手首に点滴がさされました。さされた瞬間から、すでに針を感じて痛かったです。 ■一番痛かった利き手の手首への点滴入院中、腕のさまざまな場所に点滴しましたが、利き手の手首は看護師さんが言ったとおり、本当に痛かったです。切迫早産の入院中は、トイレ以外に動くことができず、ベッドで本を読むか、ゲームをするか、携帯をいじることで時間をつぶしていました。しかし、手首に点滴の針がささっていると、手首を動かすたびに痛みが出るため、ゲームなどができなくなってしまいました。なるべく手を動かさないようにしていましたが、ご飯を食べるときはどうしても手を使う必要があり、針が動いて痛みが出ました。そして、ついに点滴の針がささっている部分が出血!結局、点滴を手首に刺されて2日間耐えましたが、出血してあまりにつらかったので、違う場所にさし直してもらいました。■真夜中に鳴る点滴交換のアラート■24時間点滴は腕がボロボロになるだけでなく、夜中に点滴が切れるとアラート音が鳴ることにも困っていました。夜中に点滴が切れるアラートが鳴ると…。大部屋だったので同室の人を起こさないようにコソコソとナースコールをしました。しかし、アラート音が大きく、おそらく同室の方も起きてしまったのではないかと思います。同室の人は出産してすぐに退院するため、入れ替わりが激しく、新しい人が入院するたびに、と伝えてはいたものの、いざ夜中に点滴交換になると申し訳なくて心苦しかったです。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年05月28日■前回のあらすじ切迫早産入院中、さまざまなつらいことがありましたが、長女の変化についても悩みました。ママっ子だった長女がよそよそしくなってしまったのです。こんにちは、宝あり子です。■診察中に言われた言葉よそよそしくなってしまった長女のことが気になり、長女と一緒にいたくて、早く退院したくてたまりませんでした。長女の写真や動画を見てはメソメソしていたある日の診察中に…。我慢できなくなって、先生に「退院したい」と言いました。すると先生は「その気持ちも分かるけど…」。そう言われてハッとしました。■赤ちゃんを守れるのは自分長女のことは私がそばにいられなくても、パパやおじいちゃん、おばあちゃんが守ってくれる。でも、おなかの赤ちゃんを守れるのは私だけ…。おなかの赤ちゃんも心配だったけれど、長女のことばかり考えてしまっている自分にようやく気がつきました。長女と一緒にいたくて、早く退院したくて、メソメソしていた気持ちが吹っ切れた瞬間でした。その翌週の診察時に先生と会うと…。と言われました。顔つきが先週までとは全然違ったそうです。自分では気がつきませんでしたが、入院してからずっと気持ちも落ち込んでいて不安そうな顔をしていたみたいです。こうして入院してから泣くことも多かった私ですが、ようやく気持ちが吹っ切れました。■24時間点滴でボロボロな腕しかし、「私はおなかの子を守るため入院を頑張る!」と気持ちは吹っ切れても、24時間絶えず点滴を続けている腕はボロボロでした。点滴をしていて血管に限界がくると、点滴が漏れてしまい腫れる腕。点滴が漏れたら看護師さんを呼んで、新しい場所に点滴を刺しなおしてもらうの繰り返しでした。腫れた腕はとても痛かったです。せっかく入院を頑張ると思えた気持ちも、「やっぱり早く退院したい…!!」と、腕が痛むたびに思ってしまいました。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年04月28日妊娠中期といわれる27週目。その日、突然言い渡された「切迫早産」によって長期入院が始まった私。コロナ禍で家族と一切面会できず心が荒む中、私はあるボーイズグループのオーディション番組にハマりました。そして産後、思いもよらぬ展開に……! 切迫早産でまさかの長期入院! 今でも忘れられない、妊娠27週目の健診で医師から告げられた「切迫早産です。このまま入院してください」という言葉。頭が真っ白になりながらも、生まれてくる赤ちゃんを守るため、私は妊娠27週から出産までの約2カ月間を病院で過ごすことに。 コロナ禍での入院生活は、家族とはいえ面会が一切禁止。3歳の娘と直接話すことができないままスタートした入院生活は、本当につらかったです。寝ても覚めてもベッドの上。世の中から隔絶された私は、少しでも外の情報を得るために朝の情報番組を欠かさずチェックしていました。猛暑のニュースが流れていても「そっか、今は夏なのか……」とピンとこない感じでした。そんな中、情報番組内で放送されたボーイズグループのオーディションコーナーをなんとなく眺めていました。デビューメンバーに選ばれるため、汗と涙を流して奮闘する男の子たち。ライバルを蹴落とすのではなく、歌やダンスなどできないことは助け合って乗り越え、どんどん成長していくのです。そんな姿があまりにもキラキラして見え、これから男の子を産む私にとっても学ぶことの多い内容でした。いつしか、このオーディションコーナーが入院中の私の唯一の楽しみに。 つらい入院生活も佳境を迎え「妊娠37週を迎えたら、もう産んでもいいからね」と助産師さん。その言葉は予言だったかのように妊娠37週0日に陣痛が! 助産師さんに、私はあのボーイズグループのデビュー曲を流してほしいとお願いしました。助産師さんも快く了承してくれ、私は彼らの曲に応援されながら元気な男の子を出産したのです。 出産後も「育児の応援歌」として聴いていたところ、なんと生後半年の息子が手をぶんぶん振って踊っているではありませんか! 試しに他の曲を流してみましたが、やはりあの曲だけに反応して踊るのです。これはきっと偶然ではないはず! 今では家族みんながボーイズグループの大ファンです。つらかった入院生活ですが、彼らのおかげで宝物のような思い出できました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/Pappayappa監修/助産師 松田玲子著者:中川ジュノン
2023年04月23日1人目の妊娠の際、里帰り出産をした私。切迫早産で出産予定日2カ月前に、1週間ほど出産予定の産院に一時入院したのですが、そのとき病室で意外な人物に再会しました。その再会によって出産前後に必要以上にドキドキしてしまった出来事をお伝えします。 病室で声をかけてきた人はまさかの…私が切迫早産で入院した初日、様子を見に来た助産師さんに突然「○○ちゃん?」と下の名前を呼ばれ、人違いではないかと思いつつ、その人をよく見ると見覚えのある顔でした。制服の胸に付けている名札を見て、彼女が高校時代の同級生であることを察知した私。 その助産師のAさんとは高校時代に出席番号が前後で、とりわけ仲良しだったわけではありませんが、普通に会話をする仲でした。そのときは10年ぶりの再会にお互いうれしさと懐かしさが込み上げ、楽しく昔話などをしたのですが……。 何かとお世話になる助産師さん私が入院した産院は助産師さんが固定担当制ではなかったので、毎日いろいろな人が検温に来たり、食事の準備をしてくれたりと、身の回りのお世話や入院中のサポートをしてくれます。もちろん診察のサポートも助産師さんのお仕事の1つで、入院3日目の内診の際の補助担当が、初日の問診以来のAさんでした。 産科の内診といえばショーツを脱いで内診台に上がりますが、助産師さんはその傍らで一部始終を見ています。私は普段から内診台に上がることに若干の抵抗がありました。しかし、相手は医師で、仕事なのだし、知り合いではないのだから……という思いでこなしていました。ところが突如、高校時代の同級生にその場に立ち会われるというシチュエーションになり、妙にそのことを意識してしまったのです。 入院中に気が重かったこと恥ずかしいなと思いつつ診察を終えると、最後に助産師であるAさんが股間を拭いてくれる運びに。同級生に股間を拭かれているのだと思うと恥ずかしさが込み上げましたが、相手は仕事なのだからと思い、必死にこらえました。 その後の入院生活もさまざまな場面でAさんのお世話になり、何食わぬ顔をして過ごしましたが、内心では再び内診の補助担当が彼女にならないこと、さらには来たる出産の際も、担当がAさんにならないことを切に願っていました。そこにいる人が知り合いか、知り合いでないかで何が違うのか……とも思いますが、私は出産という行為は、知り合いではない人の中でするほうが気楽だったのです。 出産は幸い別の助産師さんが担当で、大きな叫び声とともに無事に終えましたが、振り返ってみると、あの必死すぎる現場の担当がAさんではなくて本当によかったと思いました。ささいことを気にしてしまった里帰り出産でしたが、Aさんがいたことで初出産の励みになったことも事実です。今となっては、彼女と再会できたことも、初出産の良い思い出となっています。 監修/助産師 松田玲子著者:澤崎 凪1男1女の母。4歳差の姉弟の子育てに奮闘しながら、自身の体験をもとにした子育て関係記事を執筆するママライター。その他、アパレル、地域情報関連記事も執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2023年04月18日■前回のあらすじ切迫早産入院中に便秘が悪化して腹痛が起こり、つらい状況に! しかし、看護師さんに相談して何とか事なきを得たのだが…!?こんにちは、宝あり子です。切迫早産入院中、点滴の副作用や24時間点滴の寝たきり生活、便秘の悪化など、さまざまなつらいことがありましたが、長女の変化についても悩みました。■長女がすぐに「帰ろう」と言い出した長女はかなりのママっ子で、他人はもちろん、パパでも「嫌!」ってことが多々あり、私の切迫早産入院でしばらく離れることになり心配でした。そんな長女は私が緊急入院になった翌日、お見舞いに来てくれたのですが、私の顔を見た途端に泣き出してしまいました。しかし、その後のお見舞いで長女の様子に変化が!約1週間に1度、長女がお見舞いに来てくれるのですが…。病室に来た途端わたしの顔もあまり見ず、すぐに「帰ろう」と言い出しました。長女がお見舞いに来てくれる日を楽しみにしている私にとってショックでした。 ■長女の様子を看護師さんに相談すると…「突然、離れて暮らし始めたから怒ってるのかな?」「私のこと嫌いになった?」と、悩んでしまい、点滴の交換に来た看護師さんにそのことを話すと…。なんと“ママの入院あるある”とのことでした。ママが入院していて甘えちゃいけないと思って我慢する子、病院の雰囲気が怖い子など、ママ入院中によそよそしくなる子もいるそうです。長女は知らない場所を怖がるので病院という場所も怖かっただろうし、母親が点滴につながれて動けない姿を見るのも幼い子にとって不安だっただろうなと思います。ちなみにママっ子だった長女は私の入院中はすっかりパパっ子になり、パパと一緒に寝ていたそうで、パパはデレデレでした。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年03月28日■前回のあらすじ切迫早産の入院中に薬を一定の速度で投与し続ける「輸液ポンプ」を使用。しかし、そのポンプにはトイレの時間制限があり、さまざまなトラブルが起こりました。こんにちは、宝あり子です。トイレトラブルの中で困ったのが、24時間点滴をしていたときに使っていた輸液ポンプです。この輸液ポンプはずっとコンセントさしっぱなしでフル充電していても、コンセントを外すと20分足らずでバッテリーが切れて、警告音が鳴り出します。警告音がならないようにするためには、輸液ポンプのコンセントを外して、病室からトイレに行く時間、手を洗う時間、戻る時間なども含めて20分以内に終わらせる必要があります。そのため、時間を気にせずゆっくりトイレに籠ることができませんでした。■便秘が悪化して食欲不振になったそして、もともと妊娠中、便秘がちだった私の便秘はさらに悪化。便秘が続き、ついに食欲もなくなりました。寝たきり生活の中で食事やおやつの時間は毎回楽しみでしたが、便秘によりおなかが苦しくてあまり食べられなくなりました。そしてついに…。トイレで便秘と格闘していたある日、突然腹痛に襲われました。あまりに痛くて目がチカチカして、脂汗も出ました。「出さない限り、この腹痛が続くのでは?」と思い、しばらくトイレで葛藤していましたが…。 ■とうとう時間切れに輸液ポンプの警告音が鳴り、時間切れ。腹痛があり目もチカチカしていたので、トイレについていた非常時の呼び出しボタンを押せば良かったのですが、「忙しい看護師さんを便秘で呼ぶのは申し訳ない」と思い、フラフラしながら病室へ戻りました。■看護師さんに便秘のことを相談病室に戻ってからも、しばらく腹痛が続いたので点滴交換のときに看護師さんに相談してみました。すると…。私は「便秘のことで忙しい看護師さんのお手をわずらわせてしまうのは…」と思い、ずっと相談せずにいましたが、切迫早産の体でトイレで踏ん張っておなかに力を入れるのは良くないとのこと。この後すぐに看護師さんが先生に相談してくださり、薬を処方されました。その薬を飲んでいたら、便秘は無事解消しました。もし便秘を我慢してしている妊婦さんがいたら、早めに先生に相談してみてくださいね。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年02月28日私は1歳10カ月の長女を育児中の妊婦です。長女が1歳3カ月のころに、第2子の妊娠が判明しました。下の子が生まれるまでに、長女にたくさんの愛情を注いでおこうと思った矢先の出来事です。まだ1歳の長女を、満足に抱っこもできない状況がこんなにも切ないとは、私自身思ってもいませんでした……。第2子妊娠中に切迫早産の診断看護師として働いている私は、力仕事も多く、仕事中におなかが張ることが時々ありました。妊娠26週の健診で切迫早産の診断となり、入院の必要はないものの「できるだけ力仕事は避けるように」という医師からの指示。 その日から張り止めの薬も開始され、職場でも座ってできる仕事をさせてもらうこととなりました。私は長女の妊娠中も切迫早産だったため、「またか……」という気持ちと、長女のころにはなかった“切迫早産での1歳児の子育て”に対して不安を抱えていました。 両手を広げて「抱っこ!」と求める長女医師からは「あまり重たい物は持たないように」とも言われていたため、長女を抱っこするのもこれまでのようにはできません。もちろん、それを1歳の長女が理解できるはずもなく、「抱っこ!」と両手を広げて駆け寄ってくる姿に、私は心を痛めました。 私は産婦人科に勤務していた経験もあるため、切迫早産の怖さはよく知っています。そのため、これまでは保育園の送迎も抱っこでおこなっていましたが、できるだけ歩いてもらうか、ベビーカーを使うようにしたので、抱っこが大好きな長女は寂しい思いをしていたのではないかと思います。 長時間の抱っこはできないけれど…まだ生まれてから1年ほどしか経っていない赤ちゃんである1歳児は、我慢をするのは難しいと思います。そのため、これまでのように長時間の抱っこや抱っこのまま踊ったり・歌ったりはできないけれど、私なりに長女とのスキンシップを増やすことにしました。 座ったままの抱っこ、お風呂の中での抱っこ、横になったままのハグなど、たくさんたくさん長女を抱きしめるようにしています。私が十分に抱っこできない分は、夫にたくさん抱っこしてもらうなどして、長女にもおなかの子にも、私たちなりにたくさんの愛情を注いでいるつもりです。 今では私も臨月に入り、長女も少しずつおなかの赤ちゃんの存在を理解してきています。「お姉ちゃんだよ」「赤ちゃん、ねんねしてる」と、私のおなかを触りながら話す長女の姿を見るのが、たまらなく愛しいです。十分に抱っこできず申し訳ないと思う妊娠期間ですが、長女は私が思うよりも“お姉ちゃん”として成長しています。「赤ちゃんが生まれたら、たくさん抱っこさせてね」と毎日寝る前に、長女と約束をしています。 監修/助産師 松田玲子著者:安西りこ1歳の長女と夫と暮らす、平凡な看護師ママ。2023年2月に長男誕生予定。看護師としての経験、ママとしての経験をもとに、ライターとして活動中。
2023年02月11日■前回のあらすじ切迫早産入院中は退院するまでシャワー禁止でした。頭が洗えない状態が10日以上続くと不快感やかゆみが出て…。こんにちは、宝あり子です。前回は切迫早産入院中に辛かったことをお話しましたが、今回は切迫早産入院時に困ったトイレトラブルについてです。■頻尿が辛い!おなかの張り止め、ウテメリンの点滴を使いはじめたら、頻尿に悩まされました。24時間点滴をしているので夜間もトイレに行きたくなり、夜中に何度も起きてトイレに行かなければならないのが辛かった!そんなトイレはさらに私を悩ませる問題がありました。■トイレに点滴台を入れにくい問題私が入院していた病院のトイレは、個室内の広さが狭かったため点滴台がなかなか入りませんでした。トイレの個室の入り口で必死に格闘しながらなんとか点滴台をトイレの個室に無理矢理、入れる日々。そんなある日、おそらくほかの切迫早産で入院中であろう患者さんが点滴台を個室のドアの前に出しているのを見て、衝撃を受けました。これ以降は私も点滴台を個室のドアの前に出すようになりました。余談ですが、この切迫早産入院から数年後、別の病院で乳がん治療で抗がん剤の点滴をしながらトイレに行ったら個室内の広さが大きいトイレだったので点滴台はすんなり入りました。広いトイレはストレスフリーで感動しました(笑)。しかし、トイレで困ったことはこれだけではありませんでした。 ■輸液ポンプのバッテリー問題切迫早産入院中の点滴は24時間ずっと点滴です。そのため薬を一定の速度で投与し続けるために「輸液ポンプ」を使用します。この輸液ポンプはコンセントにつながっているため、トレイに行くときは毎回この輸液ポンプのコンセントを抜いてトイレに行っていました。ですが、私はこの輸液ポンプが悩みの種でした。私は妊娠中、便秘がひどくて入院中も便秘に悩まされていました。そしてトイレにこもっていたら突然…。音が鳴りだしパニック。慌ててトイレ近くのナースステーションにかけ込みました。私が便秘でトイレにこもっていたため、輸液ポンプのバッテリーが切れかけて警告音が鳴ったのです。コンセントをさせば警告音は止まるのですが、困ったことに私が使っていた輸液ポンプはコンセントから外すと20分もたたないうちに警告音が鳴り始めてしまうため、便秘で苦しいのにトイレにゆっくりこもることができませんでした。これにより、もともと妊娠中便秘がちだった私の便秘はさらに悪化してしまい…。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年01月28日こんにちは、宝あり子です。■前回のあらすじ下の子の妊娠中に切迫早産で入院になり、病室で上の子の写真や動画を見ては泣き続け…。切迫早産の入院生活はトイレ以外は基本的に寝ているように言われていました。ということで、寝たきり切迫早産入院で大変だったことを書いていきます!入院生活の中で小さなことも毎日積み重なっていくとかなりのストレスでした。■その1:退院までシャワー禁止!退院するまでシャワーは禁止。そのため1日1回、朝ホットタオルが渡されました。最初の頃はホットタオルで我慢できたのですが、それが1週間2週間と続くと心が荒んでいき…。体を拭きながら泣くこともありました。ちなみにパジャマを着替えるときには24時間つけっぱなしの点滴を外さないといけないため、自分で着替えることができませんでした。そのため、看護師さんを呼ぶのですが…。「ごめんね、忙しくて…あとでいくね!」と、看護師さんはいつも忙しそうでした。忙しそうな看護師さんを呼ぶのが申し訳なくて、自分で着替えもままならない状況が辛かったです。■その2:10日に1度の洗髪が辛い!シャワーは退院まで禁止。その代わり洗髪がありました。点滴の副作用で汗をかいたり、病室が暑くて汗をかいてしまうのにお風呂には入れません。1週間くらいたつ頃には頭がかゆくてたまらなかったです。洗髪したときは本当に心が洗われるようでした。入院した当初、洗髪は1週間に1度の予定と言われていました。そのため、次の洗髪日が待ち遠しくてワクワクしていました。しかし、いざ洗髪日当日になると…。こうして洗髪日は当初は1週間に1度の予定でしたが、その翌週以降は10日に1回洗髪できたらラッキーという状況になりました。頭を洗えないのが10日以上続くと髪の毛がベトベトギトギトするし、かゆくて本当に辛かったです…!!■その3:個室じゃないけど消灯を自分でするのが辛い!病院では看護師さんが消灯時間になると電気を消してくれるというイメージがありました。ですが、私が切迫早産で入院していたのは、個人病院だったからなのか看護師さんによる消灯はありませんでした。とはいえ、消灯時間は決められているため、自分で消灯しなければならない状態でした。何が困るかというと“病室の誰が消すか…”ということ。私の病室には切迫早産の患者がいなかったので、同室のほかのベッドの方は出産してすぐに退院。入れ替わりが激しかったので新しい人が入院するたびに、病室の誰が消すか決めるのが面倒だったので、この病室にずっと入院している私が消灯していました。消灯すること自体は別によいのですが、毎回新しく病室に入ってきた人に消灯の話をするのと、毎日消灯の時間に「電気消してもよいですか?」と同室の方たちに確認するのが地味に大変でした…。なんだか病室の主みたいになっていました。同室に切迫早産の方がいたら励まし合ったり、いろいろなお話ができたのですが、切迫早産仲間が同室にいなかったのは、さみしかったです…。周りが出産してすぐ退院していくのが羨ましくてたまりませんでした。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年12月28日第2子の妊娠中、妊婦健診も特に問題なく過ごしていた私。しかし妊娠32週で突然切迫早産と診断されてしまいました。緊急入院の翌日に出産となったのですが、医師も助産師さんも私も驚いたエピソードを紹介します。 妊娠32週で突然、切迫早産に第2子妊娠中、出血があり病院を受診すると、切迫早産と診断されそのまま入院に。すぐ内診や血液検査、モニターで赤ちゃんの状態を確認しました。その後医師から診察結果の説明を受け、「赤ちゃんはおそらくすぐに生まれる状況ではなく元気だが、今は絶対安静が必要で、容態が安定すれば1週間ほどで退院を目指せる」とのこと。 また、もしすぐに生まれてきた場合、まだ呼吸器官が未熟なため今日と明日の2度、念のため私がステロイド注射を打つとのこと。注射は24時間空けて打つ必要があり、すぐに当日分を注射してもらいました。「すぐには生まれなそうだけど、なんだかエライことになってしまった……」と、どこかこの急展開についていけていない自分がいました。 大丈夫と思っていたら、翌朝に陣痛が説明ではすぐに生まれる可能性は低いとのことでしたが、翌朝なんだかおなかが痛いような……トイレに行くとまた出血がありました。助産師さんに診てもらうと、子宮口が3、4cm開いていると! 腹痛は、まさかの陣痛でした。 すぐに分娩室に移動し再度医師の内診を受け、モニターを開始。そのあと子宮収縮を抑えて陣痛を逃す点滴をしましたが、午前中のうちに子宮口は5cmまで開いてきました。そのため2回目のステロイド注射を打ったらもう子宮伸縮を抑える点滴は外し、お産を進めることに! まさか緊急入院の翌日に産むことになるとは……。 もう出てる? 早くない??昼過ぎに子宮口は8cmに。15時ごろ2度目のステロイド注射を打ちましたが陣痛の間隔がなかなか縮まらず、17時の内診では子宮口がほぼ全開大となったものの、まだ陣痛は不規則です。そして18時45分に陣痛促進剤を投与し、陣痛が5分間隔になってきました。ただ痛みはまだまだ耐えられる程度。19時25分ごろ、いよいよ痛みが本格的になり、医師が内診をしたその瞬間、内診が刺激となって一気に痛みが襲ってきました。 助産師さんがナースコールで「生まれます!!!」と叫び、バタバタと複数の先生や助産師さんが駆けつけました。「いきんでいいよ!!」の掛け声でいきむと、破水した感覚が。そしてすぐに先生から「頭が出てるよ! 見える!?」と言われ、おなかのほうをのぞき込むと、なんともう赤ちゃんの頭が見えたのです! ホワイトボードを見て、驚愕!!助産師さんの声に合わせて数回いきむと「生まれましたよ! おめでとうございます!」と言われ、元気な産声が聞こえました。内診から赤ちゃんが出てくるまでが早すぎて、私は出産の痛みを感じる余裕がほとんどありませんでした。生まれた娘は2,047gと小さいものの自分で呼吸ができ、検査を受けるため小児科へ移動しました。 分娩室は回復室も兼ねているLDRだったため、出産後の処置が終わると私はその部屋でひとりで過ごすことに。そのとき、ふと壁のホワイトボードを見て驚きました。ボードには破水・子宮口全開大・出生・胎盤とそれぞれの時間が手書きで記されていたのですが、「破水19:27」「出生19:31」と、破水からわずか4分で出産していたのです。まさかそんなに早かったとは、自分でも驚愕のスピード出産です……! 入院中に助産師さんとお産の振り返りがあり「先生も私たちも早くてびっくりだったよ~」と笑顔で言われ、私も驚きでしたと心の中でつぶやきました。まさかの出産、そして驚異的な速さで生まれてきた娘。スピード出産で生まれたときから親孝行だった娘は、そのまま1カ月ほど入院。妊娠週数でいうと36週で退院し、すくすくと元気に成長しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/大福監修/助産師 REIKO著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママで、長女は妊娠32週で生まれた低出生体重児。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの記事を中心に執筆している。
2022年12月28日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 同部屋に入院していた花野さんから、あおばさんに電話がかかってきました。花野さんはあおばさんに、辛田さんが作ったグループメールについて、「あおばさんは、参加しなくて良いと思います」と言いました。そして「あれはさすがにどうかと思うし……」とポロッとこぼした花野さん。あおばさんは、花野さんと辛田さんの間に何かあったことを悟りました。 あおばさんは何があったのかを教えてほしいと頼みました。 すると花野さんは出産後、辛田さんと少し前に子育てサロンで偶然出会ったときのことを話してくれました。 花野さんの息子が1歳を過ぎて歩かないことに対し、辛田さんは「うちの子は10カ月で歩いたよ。心配だね」と言ったと言います。 そして辛田さんは、そう言いつつ、あおばさんの長男が1歳半過ぎても歩いていないから、花野さんの息子くんはまだ心配しなくて大丈夫、とも言ったというのです……!私がやることはただ1つ… 花野さんは、「子どもの成長は人それぞれですから」と辛田さんに伝えました。 すると、辛田さん。「あおばさんの子どもの話を聞くと、うちの子はちゃんと成長できていることがわかってうれしい」と言ったのです。さらに、今度あおばさんの相談に乗ってあげる発言まで……。 花野さんは、辛田さんの話を聞いていることができず、そのまま帰ってきてしまったよう。 あおばさんはその話を聞いて、辛田さんをブロックすることを決心しました。そしてブロックしてから数カ月が経ちましたが、あおばさんが辛田さんに街中で会うことはありませんでした。 そして、あおばさんの息子はどうなったかというと……。 2歳の誕生日直前に、歩けるように! 「子どもの成長はその子それぞれ。成長に関してとやかく言う人と無理に付き合う必要はない」 あおばさんは元気の育つ長男の笑顔を見て、辛田さんとの関係を終わらせて良かったと、心から思ったのでした。 ◇◇◇ あおばさんは、嫌な気持ちになる人と無理に付き合う必要はないということと、子どもの成長は人それぞれということを伝えて、悩んでいる方の励みになればいいなと思ってマンガを描いていたのだそうです。 とてもやさしいあおばさんですが、今回の経験を通してたくましくもなられたようですね。これからも長男くんと向き合って、ゆったりした気持ちで子育てができるといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月30日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 辛田さんからあおばさん宛に「仕事落ち着いた?」「グループ作っといたから、あとはお願いします!」 という内容が送られてきました。 そしてあおばさんの長男が歩いていないことについて、また触れてきました。 あおばさんはそれ以降、辛田さんのメールにもグループにも返事をしませんでした。 すると数日後、辛田さんから怒涛の連絡が。自分はすぐに既読スルーをするのに、あおばさんが既読スルーをすると「返事くらいしてくれない? え、なに」と言ってくる辛田さん。あおばさんは、ブロックは最終段だと考えていました。 やがて、あおばさんの長男は自力で立てるようになり、歩くことに対して意欲的に! 成長が遅くても、人それぞれのスピードがあるので辛田さんに相談なんて必要ない。」そう思っていたあおばさんに、花野さんから電話がかかってきました。グループメールのことなんですけど… 同部屋に入院していた花野さんから、あおばさんに電話がかかってきました。花野さんは辛田さんが作ったグループメールのことを取り上げ、「あおばさんは、参加しなくて良いと思います」と言いました。 そして、焦ったように続けて花野さんは、 「あおばさんを仲間はずれにしているわけではなくて、無理に参加する必要はないと思うのです」と、言いました。 それを聞いたあおばさんは、辛田さんとはいろいろあったから参加しないつもりだということを花野さんに伝えました。すると、花野さんは「それはよかった!」と言った後、「あれはさすがにどうかと思うし……」とポロっとこぼしました。 あおばさんは何があったのかを教えてほしいと頼みました。 花野さんは出産後、辛田さんから何度か連絡があってやり取りをしたこと、そして少し前に子育てサロンで偶然出会ったことを話してくれました。 辛田さんは1歳1カ月の花野さんの息子を見て、「うちの子は10カ月で歩いたよ。心配だね」と言ったと言います。 さらに辛田さんは、あおばさんの長男が1歳半過ぎても歩いていないという話までしてきたと言うのです……! ◇◇◇ 「うちの子はもう〇〇するよ。心配だね」だなんて言われたら、発達のことを気にしていても、していなくても、モヤモヤしてしまいますよね。さらに、勝手にあおばさんの子どもの成長のことまで花野さんにペラペラ話す辛田さん……。ますます花野さんとあおばさんの心が離れてしまいましたね。口は災いの元。相手に配慮した発言を心がけたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月29日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 あおばさんと話しているときに、美山さんはあおばさんのスマホが鳴っていることに気づきました。なんと、電話の相手は辛田さんでした。 あおばさんは電話は無視しようと思い、スルーすると今度はメールが。 確認してみると、「今度みんなで会いたい」という内容でした。あおばさんは少し悩んだ結果、仕事が忙しくて行けないと断ることに。 そしてあおばさんは、美山さんに、今までの辛田さんとのやり取りを話しました。すると、「ああいうのは相手にしないのが1番よ!!」と美山さん。 お誘いを断ったにもかかわらず、2週間後、再び辛田さんから連絡がありました。なんと、スマホの連絡ツールで「切迫早産仲間グループ」というものを作って、あおばさんを招待してきたのです……。あれー?まだ忙しいのー? 「なんで急にグループが作られたのだろう?」 あおばさんがそう思っていたとき、さらに辛田さんからメールが。 「仕事落ち着いた?」「グループ作っといたから、あとはお願いします!」 という内容でした。 そして、あおばさんの長男が歩かないことをまた話題にしてきたのです。辛田さんに話すことは何もない! あおばさんはそれ以降、辛田さんのメールにもグループにも返事をしませんでした。 すると数日後、辛田さんから怒涛の連絡が。自分はすぐに既読スルーをするのに、あおばさんが既読スルーすると「返事くらいしてくれない? え、なに」と言ってくる辛田さん。辛田さんからの連絡を見たあおばさんは、最終手段としてブロックを思い浮かべました。 そのころ、あおばさんの長男は自力で立てるようになって、歩くことへの意欲が出てきていました。 「成長が遅くても、人それぞれのスピードがあるので辛田さんに相談なんて必要ない」そう思っていたあおばさんに、花野さんから電話がかかってきたのです。 ◇◇◇ あおばさんは、今まで誰かをブロックをしたことがなく、辛田さんをブロックしていいものなのかわからなかったそうなのです。辛田さんをブロックしたい気持ちが増していったようですが、躊躇してしまい結局できなかったそう。それにしても辛田さん、既読スルーされたことにめげることなくあおばさんに連絡をしてきてメンタルが強いですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月28日■前回のあらすじ突然の入院で頭が混乱している中、入院同意書の内容をしっかりと確認せずにサインをしてしまい…。こんにちは、宝あり子です。■長女と離れて過ごす初めての夜長女が生まれて以降、ずっと一緒でした。隣で長女が寝ているのが当たり前だったので、はじめて離れて過ごすことになり涙が止まりませんでした。写真や動画を見ながらずっと泣いていました。次女出産時に長女と数日離れることはもちろん分かっていましたが、まさか出産前に長女と1ヵ月以上離れることになるとは思いもしませんでした。突然の入院は私のメンタルに大打撃でした。この後、次第に入院生活に慣れて気持ちが少しずつ落ち着いていきますが、長女の写真や動画を見ると泣いてしまう日々は、退院まで続きました。一方、私が突然入院した当日、家では長女が私がよく着ていた部屋着を見て…。「ママ…」と寂しそうにつぶやいていたそうです。■入院翌日、長女との再会入院した翌日、長女と主人と私の母がお見舞いにきてくれました。長女と私の母が待合室で待っているということで、私も主人に付き添われて待合室に向かいました。私の部屋着をみて寂しそうに「ママ」とつぶやいていたものの、泣くことなく過ごせていたそうです。主人から長女の様子を聞いて私は、「いつも私から離れなかったひよこが成長したね!」と、感じつつも、「私がいなくてももう大丈夫なんだな…」と少しだけ寂しくなりました。待合室につき、長女に声をかけると…。 ■1歳の子どもが寂しくないはずがなかった…私の顔をみた途端に長女が泣き出しました。大人の私だって寂しくて泣いていました。まだ1歳の長女が寂しくないはずがありません。小さな体で必死に寂しさを我慢していたのかと思うと、私も涙が止まりませんでした。長女を抱きしめて2人でわんわん泣きました。切迫早産は基本的に寝ていなければならず、待合室での面会はしないよう看護師さんから言われました。長女とは離れがたかったですが、病室へ戻りました。入院中、上の子と離れていることが精神的につらかったです。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年11月28日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 あおばさんは同室だった美山さんと1年ぶりに再会しました。美山さんは、早産で出産した自分の体験をあおばさんに話してくれました。 美山さんの赤ちゃんは、生まれてすぐNICU(新生児集中治療室)に入院となり、たくさんの人に支えられていたとのこと。そして美山さんは、娘が生きてる今があることに感謝していると続けました。 そんな美山さんに、あおばさんは笑顔で「改めて、ご出産おめでとうございます」と伝えました。 すると、お話の最中、あおばさんのスマホに着信連絡がありました。画面を見ると、なんとその着信は辛田さんからだったのです……。もしこれを引き受けたら… あおばさんのスマホが鳴っていることに気づいた美山さん。電話の相手は辛田さんでした。あおばさんは、電話は無視しようと思い、スルーすると今度はメールが。 確認してみると、今度みんなで会いたいという内容でした。あおばさんは少し悩んだ結果、仕事が忙しくて行けないと断ることに。 そして美山さんに、辛田さんとの間で今まで起きた出来事を話しました。すると、「ああいうのは相手にしないのが1番よ!!」と美山さん。 あおばさんがお誘いを断ったにもかかわらず、2週間後、再び辛田さんから連絡がありました。なんと、スマホの連絡ツールで「切迫早産仲間グループ」というものを作って、あおばさんを招待してきたのです……。 ◇◇◇ お誘いを断った2週間後、辛田さんはスマホでトークグループを作ってあおばさんを招待してきました。みなさんも入りたくないグループにいきなり招待されて困ったという経験はありますか? スマホのおかげで簡単に連絡が取れるようになったけれど、便利だからこそ、相手の気持ちや状況などにも配慮して利用したいものですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月27日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 あたたかい何かが足の間を伝っていったとき、破水してしまったのかと思い、頭が真っ白になってその場で立ちすくんでしまった美山さん。 トイレに来た妊婦さんが美山さんに気づき、看護師さんを呼んでくれました。 診察してもらうと、破水していることが判明。美山さんは、陣痛がこないことを祈り、34週まで静かに待つことしかできませんでした。 しかし、陣痛がきてしまい帝王切開の手術をすることに。手術は成功し、無事に赤ちゃんは生まれてきたものの、産声がなかなか聞こえてきません。 美山さんが「先せ……」と言いかけると、「ほぎゃあぁっ」という赤ちゃんの産声が! このときの産声を美山さんは一生忘れないと言いました。もうダメかもって思ったこともあったけれど… 美山さんの胎盤を見た先生は、「あまり良い状態じゃなかったから、今出た方が良いって赤ちゃんが思って、今日生まれてきてくれたのかもね」と、言いました。 先生の言葉は美山さんの心に響きました。 美山さんは、赤ちゃんがNICU(新生児集中治療室)にいるとき、何度も申し訳なさと孤独感に押しつぶされそうになっていました。しかし、たくさんの人に支えられて娘が生きてる今があることに感謝していると言います。 そんな美山さんに、あおばさんは笑顔で「改めて、ご出産おめでとうございます」と伝えました。そして、「保育園どこに通っているの〜?」という話になったとき、あおばさんのスマホに、以前入院先で同室だった辛田さんから着信連絡がきたのです……。 ◇◇◇ 美山さんは、あおばさんが知らなかった1年間の中で、大変な日々を過ごしていた様子。美山さんのお話を聞くと、医師や看護師さんからの励ましの言葉に支えられたということがわかりますね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月26日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 転院先の病院でもたびたび出血があった美山さんですが、入院中に32週を迎えられ、ホッとしていました。 しかしその数日後、夜中に「ピチョン」という音で目が覚めたのです。 美山さんは寝ぼけながら、出血したのかと思いトイレで確認しましたが、血は出ておらず少し濡れていました。 気のせいかと思い、そのまま部屋に戻ろうと歩き出した瞬間、あたたかい何かが足の間を伝っていったのです……。これってもしかして破水…? 美山さんの頭の中に、「破水」の文字が浮かびました。 頭が真っ白になり、その場で立ちすくんでいた美山さんにトイレに来た妊婦さんが気づき、看護師さんを呼んでくれました。 診察してもらうと、破水していることが判明。陣痛がこないことを祈り、34週まで静かに待つことしかできませんでした。 しかし、陣痛がきてしまい帝王切開の手術をすることに。手術室で「赤ちゃん産まれます」と言われ、おなかをグッと押されました。 すると、赤ちゃんが取り上げられ、あおばさんは「おめでとうございます。女の子ですよ」と言われました。しかし、赤ちゃんの産声が聞こえてこなかったのです。 美山さんが「先せ……」と言いかけると、「ほぎゃあぁっ」という赤ちゃんの産声が! このときの産声を美山さんは一生忘れないと言いました。 ◇◇◇ 32週で破水してしまい、さらには陣痛まできてしまった美山さん。無事に赤ちゃんが生まれて産声が聞こえて良かったですね。不安でいっぱいだったからこそ、いっそう、産声が感慨深かったのかもしれませんね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月25日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 「ピコン」とスマホが鳴り、また辛田さんからメールがきたのかと思ったあおばさん。しかし、通知を見てみると……。約1年ぶりに美山さんからメールがきたのです! 美山さんは、予定日より2カ月早く出産したと言いました。そして、すぐに娘さんの写真を送ってきてくれました。 後日、美山さんと会うことになったあおばさん。美山さんから、会えていなかった1年間の話を聞きました。 美山さんは、転院先の病院でも入院中に出血を繰り返していて、妊娠32週の夜中に破水をしてしまったようで……?あともうちょっとだけおなかの中にいてね 転院先の病院でもたびたび出血があった美山さんですが、入院中に32週を迎えられ、ガッツポーズ。 「あともうちょっとだけ、おなかの中にいてね」 そう、おなかの赤ちゃんに語りかけました。 しかしその数日後、夜中に「ピチョン」という音で目が覚めました。 美山さんは寝ぼけながら、出血したのかと思いトイレで確認しましたが、血は出ておらず少し濡れていました。 気のせいかと思い、そのまま部屋に戻ろうと歩き出した瞬間、あたたかい何かが足の間を伝っていったのです……。 ◇◇◇ 美山さん、もしかして破水したのでしょうか……。助産師さん曰く、破水は人ぞれぞれで、破水した瞬間にわかることもあれば、尿漏れと区別がつかないなど、自分では破水かどうかの判断も難しい場合もあるそうです。そのため、自宅や外出先で破水したかもしれないと思ったときは、産院に連絡して指示を仰ぐことが大切なのだそう。いざというときのために、診察券番号や予定日などを控えておくと焦らずに連絡ができそうですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月24日うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
子育ては毎日がたからもの☆