今後のことについて悩む「PP団」の幹部。そこに現れた『仲間』に翻弄され…カフェ・レインボーが臨時休業。みんな様子がいつもと違い…!?Upload By 荒木まち子レンジャーたちを苦しめる最大の敵、その正体は…Upload By 荒木まち子執筆後記梅雨や台風の季節、朝晩の温度差が大きい時期は発達(ビンカン)さんたちはさまざまな症状が現れてつらいですよね。ちなみに喘息持ちの私は台風の発生が天気予報よりも先にわかります笑レンジャー漫画は折り返し地点まできました。最終話まで楽しんでいただけたら幸いです。(来月はお休みします)LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月23日前回までのあらすじ小学校5年から民間の支援機関でSST(ソーシャルスキルトレーニング)やビジョントレーニングを受け始めた娘ですが、学校でのいじめの対応については校長先生をはじめとする各先生たちと、主人、私で話し合いをすることに。資料の引継ぎ漏れ、学校独自のルールなど問題解決には時間を要し、学校内での情報共有ができていないことを痛感しました。主治医が代わり支援が変わる娘が小学5年生の時、療育センターの主治医が思春期精神科の医師(新たに外部から派遣されることになった)に代わりました。それまで娘は療育センターで「様子を見ましょう」と言われていて、特に療育はなされておらず、心理士の定期的な面談のみをずっと続けている状態が続いていました。新しい主治医は若い女性医師で、診察は親子同席から親子別々に変わりました。私が家での娘の様子や学校での困りごとを話すと、主治医の表情から笑みが消えました。そして主治医は「薬を処方することもできますが、まずは環境を整えることが大切です。療育センターのスタッフに学校訪問のオーダーを出しますね。お母さんは学校側の許可を取っておいてください。それから療育センターの心理担当者に感情コントロールのプログラムをオーダーしておきますね。お薬は本人が飲むことで安心できる程度の極少量を処方します」とテキパキと看護師さんに指示を出されました。私はずっと「療育センターはただ相談をするところ」「話を聞いてくれるところ」だと思っていたので、この主治医のオーダーに大変驚きました。帰宅後、療育センターのパンフレットを読み返してみると、そこには確かに“幼稚園や保育所、学校などへの訪問支援”や“「地域との交流・連携を実施」など自立生活への支援に向けたサービスを提供する”と記されていました。私は医師のこのオーダーをとても有難く思いました。希望の光が見えるも、一気にどん底へ...療育センタースタッフの学校訪問の件を伝えると、学校側の許可はすんなり下りました。私は「これで少しは娘も落ち着くかも」と期待し、センターから訪問日の連絡が来るのを首を長くして待ちました。でもその後、療育センターからかかってきた電話に私の希望は打ち砕かれました。「ドクターからオーダーのあった学校訪問の件ですが、娘さんの通う学校と当センターとは交流がありません。学校から当センターに直接連絡がないということは、学校があまり積極的でない校風と思われます。学校から訪問依頼があったわけではないので行けるかどうかわかりません。また、心理士による感情コントロールプログラムは心理士の手が空いているときのみの対応になります」心理士のプログラムの実施についてはともかく、医師のオーダーがあったにも関わらず療育センタースタッフの学校訪問がなされないことに私はショックを受け、深く落ち込みました。立ちあがる力のもとになったのは...Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子療育センタースタッフの学校訪問が実現したのは、主治医のオーダーから3ヶ月後のことでした。くじけそうになったとき、寄り添い支えてくれた支援者の存在があったからこそ私は再び立ち上がることができたのだと思います。療育センタースタッフの学校訪問後、変わったこと療育センターの担当者は授業の様子などを見学し、娘に限らず発達障害のある生徒に有効な環境設定や対応方法を学校にアドバイスしてくださったそうです。その後、私が学校を訪れたときには、教室前面の余分な掲示物は外されていました。教室後方にはカレンダー仕様の『一ヶ月の行事予定表』が新たに貼られていて“その日の持ち物や提出物”などが記入されていました。黒板の端には「掃除の手順」が書かれた小さなホワイトボードが置かれていました。それらは自宅で使用しているスケジュールボードと同様、視覚優位の娘にはとても有効なものでした。コノビ―(conobi)記事 スケジュールボードを作ろう!カレンダーや手順表などで可視化すると見通しが立ちやすくなり、娘はスムーズに行動ができるのです。私は早速さまざまな対応をしてくれた担任の先生に感謝の気持ちを伝えました。周りの友達の変化と協力も後押しになって環境整備したからといって、すべてがあっという間に解決するわけではありません。娘は家では相変わらず母の何気ない言葉にキレたり、弟の生意気な態度に激高したりしていました。学校で腹痛を起こし保健室で大半を過ごす日もありました。でも徐々に娘に声を掛け、助けてくれる友達や「実は自分も同じようにいじめられていた」と娘に告げる友達も出てきました。コミュニケーションは苦手だけれど“人”が大好きな娘にとって、このような友達の存在はとても大きなものでした。少しずつ少しずつ娘は落ち着きはじめ、薬の服用は10ヶ月で終了しました。数年後の学校~喜ばしい変化~娘が学校を卒業した2年後に息子が同じ小学校に入学しました。その年の最初の学校便りには『地域療育センターや子ども家庭支援課など関係機関との連携もできますので、まずはご相談を』と書かれていました。かつて、交流がないので学校訪問は難しいといわれた療育センターとの連携が積極的に行われるようになったことを私は嬉しく思いました。また、この年から新たに、クラス担任を持たない主幹教諭が特別支援教育コーディネーターとして配置され、全学年を通して児童・保護者・カウンセラーとの連携を専任で担うこととなりました。“学内でキーパーソンとなる先生”の存在は、私が切望していたものでした。皆さんに伝えたいこと10年前の私は娘の障害に対する知識が皆無でした。しょっちゅう泣いていたし、傍から見たら『恥ずかしい』とか『なりふり構わない』など感じられるようなこともしてきたと思います。私は人前で話をするのが苦手ですし、すぐに落ち込む性格です。でも前例がなければ、自らが動いて最初の例をつくるしかありませんでした。支援者や医師だけではなく、学校の先生や療育センターのスタッフさんたちが動いたからこそ状況は改善されました。もしも今、学校や支援機関との関係などに悩んでいる方がいらしたら『味方』を増やすことをおすすめします。困難な状況を打開したいとき、自分一人ではどうにもできないことも支援者や協力者がいればなんとかなると思うのです。共感したり愚痴を言い合える仲間がいると元気が出ますよね。ネットの繋がりや同じ立場の者同士のコミュニティーもとても大切です。同様に、リアルでも前向きで建設的な気持ちになれるような味方や仲間をぜひ増やしていってほしいと思います。障害児の子育てをしている親御さんは皆、日々悩みとても頑張っています。世の中きれいごとばかりではありません。どうしても分かり合えない人もいるでしょう。それは仕方のないことです。皆さんには『頑張りすぎず』ときには『休みを取って』でも『諦めることなく』進んでいってほしいです。諦めさえしなければ希望の光はきっと見えてくると思うのです。発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!1話から読む↓
2021年04月21日マジョリティー隊長が隊長職を退き、悩む「PP団」幹部はマジョリティー隊の隊長が隊長職を退くことを「PP団」に伝えた前回。「PP団」の幹部は今後について悩んでいて...「PP団」幹部、今後の相談をしに出かけるが...Upload By 荒木まち子途中で遭遇した"PP団の仲間"のおせっかいに翻弄されて!?Upload By 荒木まち子執筆後記マジョリティー隊の上層団体PP団。その幹部が師と仰ぐ「ガバナー」とは一体何者なんでしょうか?ガバナー登場までもう少しお待ちください^^LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月20日前回までのあらすじ転校先の学校で、いじめや冷やかしにあうようになった4年生の娘。5年生になっても状況は変わらず、娘は次第に家で暴れるように。いつまで続くかわからない状況に途方にくれる日々が続きました。娘自身もその状況に悩み、さまざまな相談先を頼ってみたものの、解決の糸口は見出せず...インターネットやクチコミを頼りにやっと見つけた民間の支援機関との出合いで、母娘ともに少しずつ前を向けるようになったのでした。家庭での支援と学校へのアプローチ娘は小学校5年生の時から民間の支援機関でSST(ソーシャルスキルトレーニング)やビジョントレーニングを受け始めました。私も娘に適した整理整頓の方法やホワイトボードの活用、応用行動分析(ABA)に基づく娘への対応やリフレーミングなどを教えてもらいました。コノビ―コラム~スケジュールボードをつくろう!~学校でのいじめへの対応については、校長先生を交えた話し合の場を設けたほうが良いとのアドバイスも受けました。初めのうちは「学校に話し合いの場を開くお願いをするなんて大それたこと無理!」と思っていましたが、いくら家で娘のケアをしても、ほとんどの時間を過ごす学校でのいじめがなくならないことには状況は改善しません。私は勇気を出して学校に話し合いの提案をしました。話し合いは校長先生、副校長先生、担任の先生、特別支援教育コーディネーターである特別支援学級の先生、主人、私で行いました。資料共有していたはずが...!?打合せの最中に校長先生に電話がかかってきて席を外したとき、副校長先生が私に言いました。「娘さんは発達検査は受けたことはありますか?手先が不器用とのことですが、検査をすると例えば“消しゴムかけが『できない』のか、それとも『意図的に雑に消しているのか』”などがわかるんですよ」私は副校長先生のこの言葉にとても驚きました。(まさか先生は娘が発達障害だということを知らない!?)私が「転校時に過去の発達検査の資料などはすべてお渡ししていますが、先生方はご覧になったことはないのですか?」と聞くと「資料いただいているんですか!?」と副校長先生も驚いていました。娘が転校してきた年には校長先生が、翌年には学校見学の時に対応してくれた副校長先生と特別支援学級の先生も異動でいなくなりましたが、まさか娘の資料が引き継がれていなかったとは私は夢にも思っていませんでした。それまでの担任の先生の娘への対応や、校長先生が私に「困っているのはお母さんではないですか?もっと他の保護者さんとコミュニケーションを取ってみたらどうですか?」などと言った理由を私はこの時理解し、納得したのでした。―いま学校にいる先生方は娘の障害のことや、これまで家庭で行ってきたことを知らなかったんだ―問題解決には時間がかかった学校で話し合いをしたからといって、すぐに娘のイライラや癇癪が収まったわけではありません。それには理由がいくつかありました。Upload By 荒木まち子進路先のことや発達障害に関する講演会、余暇支援の情報などを特別支援教育コーディネーターの先生に聞こうとしても「特別支援教育コーディネーターは特別支援学級の担任なので、相談は在籍の通常学級の担任の先生にしてください」と言われました。私は通常学級にいながら障害に関する情報を得ることの難しさを痛感しました。一方娘も…Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子日々の娘の様子は私が担任の先生、養護教諭、スクールカウンセラー、校長先生それぞれに伝えていました。これには時間と労力をとても要しました。キーパーソンとなる先生が不在だったことが大きな原因だったと思うのですが、この時期は(学校に限らず療育センターなどでも)やたらと「個人情報の関係で…」という言葉を耳にしていたので、当時は“情報共有”や“チームで支えていく”といった意識が低かったように感じます。次回は次回は最終話、療育センターとの学校との連携のお話です。発達ナビライターによる小学校生活での困りごとエピソードをあつめたまとめコラムはこちらです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月03日レンジャーたちにもそれぞれの趣味や特技があってそれぞれのライフワークを楽しんでいるレンジャーたち。一方、マジョリティー隊にも動きがあったようで...マジョリティー隊長が隊長職を退く?『PP団』とはいったい...!?Upload By 荒木まち子マジョリティー隊をPP団に委ねた隊長、意外な本業に専念Upload By 荒木まち子執筆後記隊長の名前は『鏡 大慈』。鏡を“きょう”と読み替えると...そう、隊長は“きょうだいじ”だったのです。きょうだい児のケアやフォローもとても大切ですよね。さてマジョリティー隊の上層団体PP団とは一体...?次回はPP団のお話です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月20日前回までのあらすじ急な転校が決まり、転校先の小学校を母娘で見学。対応してくれた校長先生に「子どものことを一番に考えてくれる先生だ」と安心感を抱き、納得して迎えた転校初日でしたが...まさかの事態が発覚。見学時に対応してくれた校長先生は、異動していたのでした。校長先生の考え方や、キーパーソンとなる先生の存在の有無で、学校の雰囲気が変わってしまうことを痛感することに...転校先で、いじめや冷やかしが始まって転校した学校のクラス担任は、若くて優しい女性の先生でした。娘は先生のことは好きでしたが、クラスの雰囲気は転校前に見学したときと違って落ちつきがありませんでした。当初は「転校先で新しい友達をつくる!」とはりきっていた娘でしたが、自分からは友達に話しかけることができず、休み時間はもっぱらお絵描きをしていました。しばらくすると娘はいじめや冷やかしの対象になりました。こっそり足を踏まれ続けたり、上靴袋を隠されたり、ばい菌扱いされたりしました。また「前の学校でいじめられて転校してきた」「男子の着替えをのぞいてたらしい」など根も葉もないうわさもたてられました。娘は言い返すことができないので、いじめはどんどんエスカレートしていきました。進級後も続くいじめに、先生は5年生になると、校長先生に続いて、転校前の見学時に対応してくれた副校長先生や特別支援学級の先生も別の学校に異動になりました。クラス担任も別の学校からきた先生に代わりました。新しい担任の先生はベテランの先生でした。先生は娘をいじめた生徒を指導しましたが、いじめはより巧妙で陰湿なものになっていきました。娘は物事を順序立てて説明することが苦手です。いじめの目撃者(証人)がいないと、相手に注意ができない状態が続きました。ある日、娘は担任の先生から「もうすぐ6年生なんだから、あなたもしっかりしなさい」と言われました。娘はそれ以後、先生に相談することができなくなりました。家で暴れ始める娘に、どうしたらいいのか分からず...学校ではいじめられ、家では忘れ物や宿題のことを親に指摘される日々が続き、娘は家で暴れるようになりました。目覚まし時計を投げて壊したり、大好きな本を破いたり、足の爪が割れるほど壁を蹴ったり。怒りの矛先が弟に向けられることもありました。娘がクールダウンするまで、私は「散歩」と称して1才の息子と家の外に避難していました。その様子を見ていた近所の人からは「思春期だものね」と言われました。私はその言葉に違和感を覚えましたが、どうしたら良いのか分かりませんでした。Upload By 荒木まち子娘自身も悩んでいたこの時期、娘自身も自分が家で暴れてしまうことをとても悩んでいて、いろいろなところに相談していました。Upload By 荒木まち子しかしながらどの相談先も娘の悩みを解消することはできませんでした。やっと見つけた相談先は...当時は放課後等デイサービスがなかったので、私は民間の支援機関を探しました。インターネットやクチコミを頼りにいろいろ探した末、私達は「プロの支援者」に出会うことができました。娘はその方から「自分は悪くない」ということを学びました。私は娘の障害への理解を深めることができました。また学校へのアプローチ方法も知ることができました。支援を受け始めてしばらくすると、ソーシャルスキルトレーニングを受けている部屋から、娘の笑い声が聞こえるようになりました。久しぶりに聞いた娘の笑いに、私は心から安堵したことを覚えています。『娘がいま生きているのはその支援者に出会えたから』といっても過言ではありません。娘自身も「先生は私を救ってくれた命の恩人」と公言しています。発達障害に由来する問題の相談は、発達障害に対する理解と知識、経験がある支援者でなければ解決には導けないと私は実感しました。次回は次回は“学校への働きかけ”と“情報共有”について書いていきます。発達ナビライターによる小学校生活での困りごとエピソードをあつめたまとめコラムはこちらです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月11日主人の40才の誕生日の出来事我が家は主人の転勤などで何度か引越しをしています。その中でも娘が小学校4年生の時の引越しと転校は、彼女にとても大きな影響を及ぼしました。娘10才の12月。主人の誕生日を祝っているさなかに主人がおもむろに言いました。「あ、そういえば40才で会社の家賃補助がなくなるんだった。年度末までだからあと3ヶ月だ」私は絶句しました。当時私達が住んでいたのは家賃傾斜型賃貸物件(毎年家賃が上がるタイプ)で、主人の勤務先からの家賃補助がないと家計が苦しくなるのは明らかでした。いきなりの告白に戸惑いつつ、私達は年明けに物件探しを始めることにしました。できれば転校はしたくありませんでしたが、間取りや予算を考えると3ヶ月ですべての条件を満たす物件はなかなか見つからず、かろうじて見つかったのは隣の校区の物件でした。今までの学校に越境で通学可能なギリギリの場所ではありましたが、通学時の安全面などが悩みどころでした。最初の学校見学の印象転校先の学校の様子も知りたかったので、まずは私一人で学校の見学に行きました。その学校は一学年2クラスの少人数の学校でした。娘の在籍は通常学級でしたが、先のことも考えて私は特別支援学級も見学しました。特別支援学級在籍者は全校で2人で(知的クラスと情緒クラスの区別なし)娘の学年には利用者はいないとのことでした。特別支援学級の先生はベテランで、手厚い支援が受けられそうな印象でした。私が娘の成育歴や発達検査の結果を伝えると、女性の校長先生は「今までの学校とこちらの学校、どちらを選んでも良いんですよ。今度は娘さんも一緒に見学にいらしてくださいね」とおっしゃいました。私は「この校長先生は、子どものことを一番に考えてくれる先生だ」と直感しました。娘の気持ちを確かめると...その後、娘を連れて学校見学に行ったとき、校長先生は娘に直接質問をしました。校長先生「荒木さんは苦手なことはある?」娘「相手に強く言われると、言い返すことができません」校長先生「分かりました。もし困ったとことがあったら何でも先生に相談してね。少しずつ自分の気持ちを表現することも学んでいきましょうね」このやり取りで安心した娘は「今の学校の友達とは中学になったらまた会えるし、転校先で新しい友達をつくる!」と転校を決めたのでした。始業式当日に知った驚愕の事実!校長先生が...ところが転校先の学校の始業式に行くと...Upload By 荒木まち子見学したときに対応してくれた校長先生は、別の学校に異動していたのでした。これからどうなる!?『学校の先生に異動はつきもの。学校を選ぶ際には先生の異動のことも想定しておくべき!』ということを学んだ私。この後、私達親子は校長先生の考え方や、キーパーソンとなる先生の存在の有無で、学校の雰囲気はガラリと変わるということを知ることとなったのです。続く...Upload By 荒木まち子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月21日みんなで海を楽しんだレンジャーたち、今回は個々に過ごしているようで...前回はみんなで海に遊びに行ったレンジャーたち、そういえばブラックの姿を最近見ていないようですが...趣味の「推し活」を楽しむグリーンUpload By 荒木まち子自身の講演会も!?「推し活」の幅が広い!Upload By 荒木まち子執筆後記子育ての大先輩、明石洋子さんも「エンタメは心の栄養」と仰っているように、持久走のような子育ての中では息抜きも大切ですよね。そのためにも新型コロナの終息を願いつつ...。(荒木まち子)LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月11日今回も特技が炸裂するレンジャーたち!前回新しい技『愚行権』を習得したレンジャーたち、今回はみんなで海に出かけるようです。レンジャーたち、海へ行く!Upload By 荒木まち子ブラックが意外な特技を発揮!?Upload By 荒木まち子執筆後記当初の設定ではライフガードTシャツを着ていたイエローでしたが、娘に「お母さんは“海回の基本”がわかっていない!!」と注意され、最終的にラッシュガードとなりました(笑)お知らせLINEスタンプがリリースされました!ご家族、ご友人とのコミュニケーションツールの一つとして楽しんでいただければ幸いです。ちびキャラバージョン[カラフルレンジャー【個性派戦隊ヒーロー】]大人バージョン[個性派戦隊カラフルレンジャー イケメンVer]LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月19日かんしゃく特集!Upload By 荒木まち子小さい時のパニックやかんしゃく、娘もあるあるでした娘が初めて飛行機に乗ったのは2才のときです。目的地に着くまで娘は機内でずっと泣きっぱなしでした。隣の席の人に迷惑がかかると思い、シートベルト着用サインが消えている間、私は人がいない一番後ろの通路わきのスペースに立って大泣きし続ける娘を抱っこしていました。(地獄のような2時間でした。)2度目の搭乗のときには、当時の娘のブームだったシールブックと大量のシールを用意しました。途中でシールブックの貼るスペースがなくなってしまいましたが、飲み物の紙コップに貼ったりしてやりすごし、最後まで座席に座っていられました。その後、帰省等で母子2人で飛行機に乗るときは事前予約はあえてせず、空いている時期、時間帯を狙って空港に行き、その場でチケットを買うなどして“娘のタイミング(機嫌)に合わせた移動”をするようにしました。また、可能な限り座席(当然エコノミー)に個別のモニターが付いている機種(航空会社)を選び、機内では子ども向け番組を視聴させました。そうしているうちに娘は飛行機が好きになっていきました。小さなころには避けて通れない予防接種も、娘は大の苦手でした。注射を目の前に大泣きし、医師から「こんな状態では注射はできません。お帰りください」と言われたことも...切ない思い出です。耳鼻科では、毎度汗だくで羽交い絞めにしてなんとか治療を受けていました。歩けるようになった後も私は娘をよくベビーカーに乗せて買い物をしていました。娘は大柄な子だったので、漫画『光とともに』の表紙のような状態でした。また買い物中に飽きて騒いだりしないように、お口の中で長い間楽しめる「酢コンブ」をよくしゃぶらせていました(健康的!)飲食禁止のバスや電車では手作り絵本で時間を潰しました。今はスマホで絵本や動画などが見られて便利ですね。一番困っていたのは...当時のかんしゃく中で私が一番困っていたのは娘が『順番待ち』ができないことでした。公園での遊具の順番待ちや児童館などでのおもちゃの貸し借りのときに娘はしょっちゅうかんしゃくを起こしていました。それを裏付ける記録が幾つか残っています。「じゅんばん!じゅんばん!」が娘の口癖⁉療育センターでの親子グループ療育のプログラム修了後から小学校に入学するまでの間、娘は療育センターから紹介された大学の研究室で親子分離の療育と親同伴のグループセッションを受けていました。当時私は“療育”という言葉を知らなかったのでそこを「子育ての悩みを相談できる場所」「親子で楽しく体を動かせる場所」として利用していました。幼稚園入園前の母子分離プログラムの時の様子を研究室の先生はこのように記しています。“のりちゃんは友達におもちゃを貸して欲しいときに「じゅんばん!じゅんばん!」と言います。これはお母さんがのりちゃんに「順番ね」という言葉を頻繁に使っているためと思われます。”確かに娘は小さいころ「じゅんばん!じゅんばん!」とよく言っていました。でもその言い方では相手に“物を貸してほしい”とか“順番を変わってほしい”という気持ちは伝わりません。当時の私は娘に“順番を守ること”を教えるのに必死だったのでしょう。しかし娘には“周りに自分の意思や気持ちを伝える方法”をもっと具体的に教えることが必要だったのです。「こういう時は『貸して』とか『代わって』って言うんだよ」と。3年の歳月をかけて幼稚園在園中に通っていた月2回の親同伴のグループセッション時に、先生方とのやり取り(振り返り)で使用していた連絡帳にも『順番』にまつわる記録が残っています。【連絡帳やり取り(抜粋)】<年少の5月某日>親より―サーキットの時の順番待ちの間、つねられたりTシャツを引っ張られたりして困りました。先生より―待ち時間の過ごし方も工夫していけると良いですね。<年少の6月某日>親より―順番待ちがやはり問題。音楽に合わせて歌を歌ってごまかしてみましたが、Tシャツが引っ張られてノビノビになってしまいました。A先生より―待つこと、見ることは少しずつ声掛けをしたり共感をしたりして慣れて行ってください。B先生より―待つのにお母様がいろいろと苦労し、工夫されているのを感じました。経験していきましょうね。<年少の6月某日>親より―久しぶりに大暴れでした。まさかここまで暴れるとは。泣くだけでなく「~しない!」「~いや!」と言えるだけ進歩でしょうか?途中で帰りたくなりました。でも本人は「帰らない!」と言っていました。疲れました。こんな日もあるんですね...。他のお子さんにも迷惑を掛けてしまいました。次回からもこんなだったらどうしよう。A先生より―タイミングと気分の問題だと思います。お母様はお疲れだったと思いますがこういう経験(気分を戻して乗り越える)も大切なのでこれからも頑張ってください。B先生より―お母様は大変ですけれど、ある意味みんなに絶対見てもらえるという場での発散(ガス抜き?)だったんでしょうね。C先生より―これからもいろいろな所でこのようなことは起こると思います。大変ですがやっていきましょう!<年少の7月某日>親より―待ち時間、ひたすらお友達の名前や様子を実況中継して何とかやり過ごしました。A先生より―待ち時間も色んな工夫で待てるのはすごい!べたべた甘えん坊の時間になっても良いので色々な方法を見つけてください。B先生より―待ち時間の工夫ありがとうございます。技術も大切ですがお母様と楽しくすることを大切にしたいと思いますので、少しの間は膝の上でも結構です。C先生より―前回のことがあるのでお母様が全力でお子さんに関わっていられる様子が良く分かりました。ご苦労様です。<年少の7月某日>親より―待ち時間、何度もトイレに入ったり、おもちゃで遊んだり「疲れた。休憩」と言って立ち歩いたり、どうしたら時間を潰せるか“本人なりに”考えたようです。A先生より―待ち時間はのりちゃんにとってもお母様にとっても課題ですね。一度うろうろすることを許すと次に止めることが難しくなります。なるべく椅子に座るかお母様の膝の上で過ごせると良いのですが…がんばってみましょう。B先生より―待つこと、見ることは難しい課題ですが、親子で気兼ねなくその課題に取り組むことができる場ですのでゆっくりトライしてください。継続は力なりです。1回ずつのお母様の努力は必ず実を結びます。C先生より―待つことと自分がすることと大きく違いますが、少しずつ待ち方を工夫していってください。生活の中のいろいろな場面に繋がっていきます<年少の9月某日>親より―最近イヤイヤが治まっているせいか、順番待ちが上手にできました。A先生より―かなり上手に座っていることができました。いっぱい褒めてあげてくださいね。B先生より―椅子に座っていなくても「名前を呼ぶよ」と言うと椅子に戻れました。落ち着いていたように思います。C先生より―順番待ち拍手ですね!<年中の5月某日>親より―何でも自分でやりたい時期らしいです。できた時の達成感を知ったようです。A先生より―すっかりおねえちゃんになりましたね。できたことの達成感を味わえることもすごいことだと思います。できた時に一緒に喜び合いたくさん褒めてあげてください。B先生より―達成感を知ったというのは素晴らしいですね。できた!という思いとお母さんに褒められる喜びと両方で本人の自信につながっていると思います。私一人では無理だった娘はこのグループセッションに3年間通いました。年長になるころにはすっかり慣れて「次は何日?」と私に聞くほど楽しんでいました。徐々に『順番待ち』を学んだ娘。でも実のところ『娘が“待つこと”を学んだ』というより、療育を通じてプロの先生方に見守られ、励まされながら『親が子どもへの接し方を学んだ』というほうが正しいかもしれません。私一人ではうまくやっていけなかったと思います。療育は子どもに無理やり何かの技能を身につけさせたり、大人にとって都合の良いおりこうさんにしたりするためのものではありません。それは私が通っていたこグループセッションの『目標』をみても明らかです。〇子どもと一緒に体を動かす楽しさを感じる〇子どもの苦手なことをどう対処するか考える〇お互いの子どもの成長も喜び合うお子さんの日々の困りごとや子育ての苦労を少しでも減らすためにも保護者には身近な相談先を見つけ、どんどんプロを頼って欲しいと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月10日個性炸裂で手強いレンジャーたち!さらなる『必殺技』を求めて...!?レンジャーから送られた衣装を返しに行きますが、レンジャーたちのペースに完全に飲まれるマジョリティ隊。レンジャーの手強さを痛感します。『ケンポウ』の達人に技を習うことになったレンジャー!『ケンポウ』って...Upload By 荒木まち子武術じゃなかった...!?習得した技は『愚行権』Upload By 荒木まち子執筆後記愚行権 (ぐこうけん)・・・たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のこと。皆さんも「明日はお休みだから今日は夜更かししちゃおう♡」とか「頑張ったから自分にご褒美♪」など、少なからず経験がありますよね?私に愚行権について教えて下さった方は“普段とても頑張っているのが前提として「愚行権」があると思っています。その人なりの頑張りで良いと思います。「愚行権」だけが一人歩きするとまた違うのかなと思います。”っと仰っていました。ほんとうにその通りだと思います。(愚行権については今後も描いていきます。)次回はガラッと変わって海回です(笑)荒木まち子
2020年11月12日支援の空白期間娘には小学校1年生から4年生までの間、『支援の空白期間(支援を受けていなかった期間)』がありました。主な理由は・小学校入学と同時に引越しをしたため、それまでの受けていた療育機関からの引継ぎが上手く機能しなかった・下の子の妊娠、出産で親が思うように動けなかった・療育センターに相談しても「様子見しましょう」と言われ、療育プログラムを受けられなかった・受動型だったため、学校での本人の困り感が見過ごされていたなどでした。その間、学校の授業で必要な縄跳びや鉄棒などの練習や、定規やコンパスの練習や工夫は家で試行錯誤しながら行っていました。『読める』けれど『書けない』高学年になると、娘は漢字テストを苦痛に感じるようになりました。小さい頃から本を読むことが大好きで、多くの知識を本から吸収してきた娘でしたが、“読む”ことはできても、何度練習してもどうしても“書く”ことができない漢字が徐々に増えきたのです。娘のクラスでは国語の授業時に毎回漢字の20問テストがありました。それは“黒板に先生が書いた問題(ひらがな)を、無地の紙に漢字で書く”という形式のテストで、板書が苦手な娘には二重の苦しみでした。また、学期ごとに50問の漢字テストがあり、こちらは一定の得点が取れるまで再テストを受け続けることになっていました。娘は懸命に書き取りの練習するのですが、どれだけ練習しても書くことができない(または少しの期間は覚えていられるけれどちょっと時間がたつと見事に忘れてしまう)漢字がいくつもあり、何度も再テストを受けました。Upload By 荒木まち子練習すれば練習するほど間違えてしまう傾向さえあり…これは漢字に限ったことではありませんでした。アルファベットのbとd、pとqはほぼ100%間違えましたし、記号や図形なども家で練習しても“書けば書くほど形が崩れていく”こともしばしばありました。Upload By 荒木まち子精神的に追い詰められる娘。親子関係もギスギスし始めて...担任の先生からは「お母さん、家庭での学習をもっとさせてください」と言われました。娘は毎日遅くまで漢字の練習をしましたが、どうしても覚えることができず、精神的に追い詰められていきました。親子関係もギスギスし始め、家庭での工夫やサポートに限界を感じた私は、民間の支援先を探しました。専門家のサポートに救われる幸いにも娘は5年生の時にプロの支援者に出会い、SSTやビジョントレーニングを受けることができました。トレーニングを受けることで魔法のようにすべての問題が解決するわけではありません。でもプロフェッショナルの支援者に出会ったおかげで、親や学校の先生が娘の障害を理解し、適切な接し方やアプローチの方法、日々の生活の工夫などについての知識を持つことができたことで、私達親子の生活に一筋の光が差したことは確かです。専門家のアドバイスのもと、何度もくじけそうになりつつも学校に理解と協力をお願いし、授業毎の漢字20問テストは無地だった解答用紙→問題番号と罫線付きの解答用紙にする(クラス全体で変更)など、本人の負担を軽減する対策をとってもらうことができました。中学校への引継ぎがスムーズに娘がこの時期に受けていた専門家の指導や病院での視覚認知機能の検査結果は、その後の中学進学時の引継ぎの際にとても役に立ちました。娘に適したフォントの大きさも把握できていたので、定期テストの問題用紙や解答用紙の大きさを娘に適したサイズに拡大してもらうなどの配慮を受けることができました。Upload By 荒木まち子この時期の娘は、周りの友達と違うことをとても嫌がっていましたが、このテスト用紙の拡大については「すごく見やすい!」と喜んでいました。親子で話し合ってみると良いかも!Upload By 荒木まち子これは娘が小学生の時にビジョントレーニング指導を受けていた先生がつくってくださった『計算用のマス目プリント』です。娘が一番見やすいサイズになっていて、筆算の時に数字を重ねて書いてしまうことによる計算ミスを防ぐことができました。担任の先生に許可をもらい『マイ計算用紙』として学校にも持参していました。学生の期間は特に“できないことを必死に努力する”よりも、ちよっとした“工夫”や“配慮”で本人の負担を減らすことができるなら、その方が良いと私は思っています。高学年以上になると支援やサポートの内容や程度は親が勝手に決めるのではなく、本人の希望を聞くことが大切になってきます。見やすいと感じる文字のサイズや字体の種類、色などもそれぞれ違うので、例えば親子で“フォント”について話をしてみる機会などをつくってみると、意外なこともわかって楽しいかもしれません。ちなみに現在わが家は、私のプチ老眼の進行によって、娘と私の『見やすい文字サイズ』がシンクロしつつあります(笑)
2020年11月09日偶然会った初対面のマジョリティー隊員に対し、レッドがとった行動は...レンジャーピンクがマジョリティー隊に衣装をプレゼントするが、マジョリティー隊の隊長は返却を命じる。マジョリティー隊がレンジャーに近づいたのは、相互理解を深めるためだったことも明らかになって...Upload By 荒木まち子衣装の返却をするはずが!?レンジャーの個性に圧倒されてUpload By 荒木まち子おまけUpload By 荒木まち子執筆後記律儀なマジョリティーズは再度送られてきた衣装を着て記念撮影をしました^^別バーションのコスチュームをダイアリーにupしています☆(荒木まち子)発達ナビダイアリー
2020年10月25日コロナ禍で身のまわりにも少しずつ"オンライン化"の流れが以前コラムでコロナ禍でのインターネットの有効活用について書きましたが、さまざまな団体、自治体、学校などでのインターネットを活用した取り組みは着実に広まってきていると感じます。実際、わが子が通う学校で今年度からウェブベルマークが採用され、また文化発表会の様子の動画配信なども決まりました。日中時間が取れない保護者には嬉しい限りです。好みの講演をチョイス☆多くの親御さんがそうであるように私も障害のある子の親として、わが子の障害についてもっと理解したい、役に立つ情報を手に入れたいとずっと思っていました。でも、下の子が小さかったり場所が遠かったり時間が取れなかったりして、専門家による講演を聴きに行く機会はどうしても限られてしまっていました。それが、コロナ禍でさまざまな催しがオンライン化される中で、講演会もオンラインで開催されるものが出てきているのです。もちろんその中には、発達障害に関するテーマのものもありました。7月頃、私はいくつかのウェブ講演会の申し込みをしました。ウェブ講演会にはさまざまな種類があります。・有料or無料・リアルタイム配信or録画配信・参加に顔出しが必要なものetc...私は「無料」で「こちらの顔出しが不要」の講演会をチョイスしました。初めて“面白い”と思った講演会初めて参加したウェブ講演会はH医師の講演でした。勉強になったり、感動したり、元気をもらったりした講演会は過去にいくつもありましたが、「面白い!」と感じたのはこの講演が初めてでした。娘にも聞かせたい内容だったので、私はそばにいた娘も呼んで一緒に視聴することにしました。Upload By 荒木まち子※私達親子は「ソーシャルスキル」とは「本人が身に付けておくべき生活スキルや社会性」だと思っていました。Upload By 荒木まち子※H医師は、個性的な人たちや発達に偏りや遅れのある人たちとその家族や支援者の仲間づくり、活動拠点づくり、ネットワークづくりを支援する団体の代表理事もされています。18才以降、放課後デイサービスが使えなくなった障害者児・者の居場所が不足している現状のなか、私達親子もその必要性を切実に感じています。専門家のお話を自宅で娘と一緒に聞いて、その内容について感想を言い合う。発達障害のこと、これまでのことから現在、そして今後の生活のことまで、改めて一緒に考えられる機会にもなり、親子でとても有意義な時間を過ごせた気がします。私が聴いた講演会は、その後YouTubeにも動画が上がっていました。繰り返し視聴できるのもとてもありがたいなと思います。令和2年度発達障害者支援事業「ぽぽむ」講演会「改めて『発達障がい』とは何か考える」あらためて先生の著書を読むことに視聴後、私は早速H医師の著書を読みました。Upload By 荒木まち子H医師のことは今から10年ほど前、娘が中学生のころから知っていて、何冊か著書を読んだことがありました。でも当時、私はいじめや進路など目の間の娘の困りごとの対応に必死で、正直、本に書いてあることはそれほど心に刺さりませんでした。H医師のお話はもしかしたらお子さんがまだ小さい保護者の方にはきついと感じることがあるかもしれません。しかしながら、娘の二次障害や休職を経験した今、私はH医師の言っていることに「全くその通り!!」と強く共感しています。その後も私は、H医師のウェブ講演会は自治体や親の会、NHKが主催したものなどを、何回か視聴しました。他にも興味のある講演会がたくさん9月後半にはY医師のリモート講演会も視聴しました。こちらは医療との付き合い方をテーマにした内容で、娘には見せないほうが良さそうな内容だったので私一人で見ました。H医師の講演と同様に、自分が今まで娘にしてきたことはここが間違っていたのかも!と気付くお話少なからずありました。今後の娘に対する対応に活かせる支援方法や内容や投薬についてのお話もあり、とても有意義な内容でした。10月以降は『親なきあと』のセミナーや『きょうだい児』のウェブ会議も視聴する予定です。オンラインセミナーの注意点は?セミナーの種類によっては生配信のものもあるので、視聴時にネットの接続が悪くなると見ることができなくなってしまいます。また、資料はスマホの画像などでは見づらいことがあるかもしれないので、事前にプリントアウトしておくことをおすすめします。期間が過ぎてしまうと資料のダウンロードができなくなる場合があるので要注意です。(私は一度これで失敗しています。)数時間、誰にも邪魔されず動画を視聴することが難しかったり、聞き取れなかった箇所をもう一度見直したいという時には、開催日以降に配信される録画動画が便利です。(そういった配信がない講演会の場合は頑張ってメモを取るしかありません。)メリットいっぱい!会場に出向いてリアルで講演を聴いた方が、講師の方のお人柄もよくわかり、何倍も楽しいはずです。講師の方もリモートだと視聴者の反応が解りづらかったり、また、全国配信ともなるとオブラートに包んだ言葉遣いになるかと思います。コロナが終息した折には、リアル講演会に足を運んでみようと思っています。それでも、遠慮することなく質問やチャットができたり(私は講演会などでは恥ずかしくて絶対手を上げないタイプ)、移動にかかる費用や時間の負担がなく日本全国の講演を視聴できたりするのは、やはり大きな魅力です。他にも、人が大勢いる場に長時間いることが苦手な方や、大きな音が苦手、会場の明るさや暗さが苦手な方も、自宅からであれば聴講しやすいかもしれません。オンラインの活用にはまだまだ可能性があると思います。新型コロナウイルスによる新しい生活様式に合わせて進化した『情報収集』や『学習』のスタイルに、私も積極的に取り組んでいこうと思っています。
2020年10月20日イエローが『マジョの館』に向かい、無事にピンクを救出し...ピンクを助けに行ったイエローは、マジョリティー隊からお茶の誘いも断りあっさり帰宅。マジョリティー隊のメンバーたちは悪い人たちではなさそうですが、一体何者なのか...!?お菓子のお礼に、ピンクがマジョリティー隊にプレゼントを!?Upload By 荒木まち子マジョリティー隊の目的が明らかに...Upload By 荒木まち子執筆後記隊長の名前、鏡大慈(かがみだいじ)は違った読み方も出来ますね#^.^#同敷地内にある上層部施設への移動が馬(笑)(荒木まち子)
2020年09月28日息子が小学6年生の時の出来事小学校6年の冬、息子は季節性のインフルエンザにかかりました。病院で処方された抗ウイルス薬を服用した後も高熱は暫く続きました。夜、私と娘が話をしていると、隣の部屋で寝ていた息子が何か訴えてきました。「どうした?しんどいの?話し声がうるさかった?」娘との話を中断し息子の部屋に向かうと、息子がドアの前に立っていました。何やら不穏な様子息子はこちらの問いに答えず、唸り声を上げていました。「吐き気がするの?トイレに行く?」私は息子をトイレに誘導しましたが、背中をさすっても息子は上手く吐くことができないようでした。唸り声は徐々に大きくなっていき、息子は便器に顔を突っ込んだまま便座の蓋の開閉を始めました。「ちょっと⁉頭、挟まってるよ!危ないって!」私が制止しても息子はやめる気配がありません。唸る息子が自ら“便器怪獣に食べられてるような仕草”を繰り返すのを見て私は思いました。「これは熱せん妄かも…」知識はあったけれど1~10才台の子どもが発熱に伴って異常な行動をとる『熱せん妄(もう)』は、ニュースなどで見て知ってはいました。実際、娘が小さいときに、インフルエンザの高熱でうなされながら布団の中で足をバタバタさせていたのを(私も横で寝込みながら)目にしたことがありました。2才の幼児が布団の中で足をバタバタするぐらいなら「熱でうなされているのかな?怖い夢でも見たのかな?寝ぼけているのかな?」と思う程度ですが、11才の男子が立ち歩いて大声を上げる様子を目の当たりにすると、知識はあってもやはり動揺します。救急外来を受診幸いそのときは家に主人がいたので、叫び声を発しながら便器に頭を突っ込んで便座の蓋を開閉する息子を主人に押さえてもらい、その間に私は救急に電話をしました。救急隊の人に支えられ救急車に乗り込む頃に息子は落ち着き始め、受け答えもできるようになっていました。病院に着いて医師の診察を受けたときには日時や名前、自分がいる場所なども言えていました。医師によるとインフルエンザの流行時期だったこともあり、その日は息子と同じような症状の子どもが10人ほど救急外来を訪れ、そのうち何人かは経過観察の為そのまま入院になったそうです。息子は会話もできるようになっていたので、解熱剤を処方され帰宅することになりました。ただ、今後も同じような症状が起こり得るので、暫くは大人が傍で様子を見ているように言われました。熱が高い間は要注意熱が続いた数日間は、医師に言われた通りできるだけ私か主人が息子の傍にいるようにしました。玄関や窓はダブルロックをし、台所のコンロもロックを掛けました。熱せん妄と思われる症状はその後2回ありました(いずれも寝起きの時)。目は開いているのですが、やはりこちらの呼び掛けには応じることはありません。2度目以降は“便器の蓋パカパカ”はありませんでしたが、トイレの前で叫んだり、廊下で頭を抱えてうずくまったりしました。私は息子が落ち着くまで背中をさすりしました。落ち着くと息子は再び布団に戻り眠りました。私は息子の様子から、「身体は起きているけど脳は眠っていて夢を見ている状態なんだろうな」と思いました。熱せん妄よりも私が驚いたこと息子が回復した後、私は息子と熱せん妄を起こしたときの話をしました。本人にはその時の記憶ほとんどありませんでした。息子「最初の時だけ少し覚えてる。多分夢だと思うんだけど、部屋の中に何人か人がいて、その人の頭の上にしずくの形をした魂みたいのが見えたんだ。」私「そりゃ怖いね。逃げ出したくもなるね。」息子「でもその後は記憶ないな。俺、どんな様子だったの?ホントに大声出したりしたの?」私はそのときの様子を絵に描いて息子に見せました。すると...Upload By 荒木まち子息子「・・・。俺、障害になっちゃったのかな?」私「!?」息子「だって姉さん、暴れてた時あったじゃん。」私は息子のこの言葉にとても驚きました。暴れる=障害!?数年前、娘が高校生のとき、家で暴れていた時期がありました。息子はそのとき、小学校の低学年でした。それまでの姉からは想像できないほどの豹変ぶりを彼は目の当たりにしていました。そのときの様子がよほど印象深かったのでしょう。息子は今回自分が暴れた原因が、姉と同じように障害由来ではないかと心配したようです。それは“きょうだい児ならでは”の発想なのでしょう。私は息子に熱せん妄の説明をし、姉が暴れた原因とは違うことを伝えました。思春期の息子に対し今年中学生になった息子は、「親に自分の部屋に入って欲しくない」「友達に姉の障害の事を知られたくない」と思うようになってきています。親を疎ましく思い、友達に大きく左右されるといった典型的な思春期を迎えています。また、精神的にも知的にも息子は姉を追い越し始めてきています。息子が私に「姉さんに対してどう接したら良いかわからないときがある」と言ったこともあります。小学生の時とは明らかに違ってきています。今まで事あるごとに娘や主人に対して障害の特性について対話を重ねてきたのと同様に、これからはきょうだい児である息子に対しても、娘の障害について丁寧に話をしていく必要があると感じています。おまけ息子が回復するまで同じ部屋で寝たり、日中そばでずっと見守ったり、熱せん妄をおこした際には抱きしめたり体をさすったり、と濃厚接触をしていたにも関わらず他の家族にインフルエンザは感染りませんでした。マスク、消毒、手洗い、うがい、換気などの対策をすれば、家庭内感染の予防はできるんだなぁ、と実感できたできごとでもありました。おしまい
2020年09月16日怪しい集団について行ったピンク、果たして無事なのか!?「お菓子を食べにきませんか?」と言われて、怪しい集団について行ってしまったピンク。レンジャーたちは協力してピンクの救出を試みます。Upload By 荒木まち子ピンクがいた『マジョの館』と怪しい集団。その正体は...Upload By 荒木まち子執筆後記『マジョリティー(majority)』は「大多数」や「過半数」「多数派」という意味です。対義語・反対語は『マイノリティー』。世間一般では障害のある人がマイノリティーですが、発達ナビサイトの中では障害のある人や障害にかかわりのある人がマジョリティーですね^^(荒木まち子)
2020年08月20日気持ちを上げるために発達障害の娘は今年で社会人3年目です。今では休むことなく毎日勤務している娘ですが、就職して間もない頃は嘔吐や頭痛、腹痛などでよく会社を休んだり早退したりしていました。状況改善のためジョブコーチや地域活動ホームの相談員さんと連携・相談などをする一方で、気分が落ち込み気味だった娘のモチベーションアップのため、家庭では仕事以外の趣味や余暇の過ごし方を工夫しました。休みのときはスイーツを食べたり、カラオケに行ったりしました。また、唯一好きなスポーツ、水泳で体を動かしたりもしました。中でも、娘が小さい頃から大好きだった絵画の制作には多くの時間を費やしました。あるとき、娘が描いた絵画が、ある賞を受賞したと主催者から連絡がきました。私は娘の気持ちを上げるため、ここぞとばかり娘を褒めまくりました。Upload By 荒木まち子その様子を見ていた定型発達の弟の反応は...Upload By 荒木まち子メディアの影響もあるのかも確かに娘には凸凹があります。空間認知能力が低い。聴覚過敏がある。人とのコミュニケーションが取りにくい。計算が苦手。それでいて本から学んだ知識の量、PCスキル、勢いのある絵の描写や色彩のセンスは優れています。でもそれらが『特別な才能』と言えるほどかというと、正直“?”な感じです。息子は当時10才。まだ幼いこともあり、よくメディアなどで取り上げられる『障害のある人は、特定の分野においてずば抜けた才能がある』といった情報を鵜呑みにしていたのかもしれません。実際『ある分野で天才的に秀でた能力を持っている障害者』もいるでしょう。しかしながらそれはほんの一握りであって、娘を含め多くの障害者はそうではありません。私は娘が「得意なこと」や「好きなこと」で生計を立てていくことを望んではいません。本人が熱意と覚悟を持ってそれを希望するなら話は別ですが、好きなことも仕事になると自分の思い通りにならないことが多く、逆に辛くなるということを、娘はすでに経験から学んでいます。また、娘は体調がメンタルに左右されやすいタイプです。趣味や好きなことでストレスを発散し、精神的・身体的に落ち着いて、“毎日ハッピー!”とまではいかなくても、辛いとかしんどいと感じない日々を送ってくれたら良いな、と私は思っています。私は自己肯定感が低い娘の気分がアップして、メンタルの安定に繋がれば…という気持ちで彼女を褒めてきました。なので、息子が姉を羨ましいと感じていることに驚きました。Upload By 荒木まち子親として“同じだけ気にかけている”をアピール定型発達児・者が難なくできることに障害児・者は多くの労力を使いますし、その努力が報われないこともままあります。なので親は彼らの小さな一歩に大きな幸せを感じることがあります。でも定型発達児・者も苦労や努力をしていないわけではありません。きょうだい児より障害のある子どもの方が手がかかるため、関わる時間に差がでてしまうかもしれないけれど、“気持ちの面ではどちらも同じだけに気にかけている”ということを両者に上手く伝わるようにしていくことも、とても大切なのだと感じました。息子は運動が得意で他人とのコミュニケーション能力に優れています。読書が苦手で算数が好きです。幸いにも娘とは真逆のタイプなので、それぞれの得意分野を違ったアプローチで褒めることができます。「これからは娘が嫉妬しない程度に、息子の長所ももっと褒めていこう!」と私はこの時思いました。息子は娘と違って微妙な空気の違いを察することができるので、娘に対してするような“大げさな褒め”ではなく“ほどほどの褒め”を心掛けつつ(笑)
2020年08月13日怪しい集団に声をかけられたピンク!お菓子につられて...6人の個性豊かなレンジャーたちは、誰かがピンチのときにも協力しあって助けに向かいます。今回はピンクが知らない人たちに声をかけられて...Upload By 荒木まち子協力しあって迎えに行こう!Upload By 荒木まち子執筆後記レンジャー漫画は、娘に「絵柄が古くさい」と指摘されて描き直すことがしばしば(^_^;)修正前の“昭和っぽいレンジャー”はダイアリーにて公開中です☆(荒木まち子)
2020年07月21日女子の成人式の準備は2年前から始まる!?晴れ着のDM(ダイレクトメール)が届くようになったのは成人式の2年ほど前からでした。DMには振袖のレンタル、販売のほかに“ヘアメイクと着付けのセット”“ドレスや袴も着れる前撮り付き”“式前日、会場の近くのホテル宿泊プラン”“卒業式の袴レンタル割引”“浴衣と髪飾りプレゼント”など色々なプランや特典が記載されていました。娘は私が成人式で着た振袖を着ることを希望していたので、着物の購入やレンタルの予定はありませんでした。私達はチラシを「へぇー、今はこんな感じの振袖やヘアスタイルが流行りなんだねー」と軽い感じで流し読みしていました。その後DMの数は徐々に増していき、成人式の1年前になるとDMが届かない日は無い、というほどになりました。その頃にはチラシに目を通すこともなくなり、毎回ビニールの封筒→プラごみ、チラシ→紙ごみに分ける作業を機械的に行っていました。セールスの電話も頻繁にかかってきました。(個人情報ダダ漏れ)やはり信頼できるのは先輩ママの口コミ我が家は成人式の1年前に、近所の先輩ママに聞いたおすすめの美容院に着付けとへアメイクの予約をしました。「1年前ならまだ好きな時間を選べるけど、ギリギリになってからの予約だと早い時間(午前4時とか)しか選べなくなってしまう」という情報はとても役に立ちました。私達の地域の成人式は数万人規模のイベントホールで行われます。(住んでいる場所で午前と午後に分かれる)開始時間は入場券が届くまで分からないのですが、娘は午前の部を想定して予約をしました。初めての本格的な着付けに気分が悪くなった娘成人式当日はバタバタするだろうと思い、写真は成人式の半年前に撮ることにしました。撮影当日、予約をした美容院でヘアメイクと着付けを済ませた後、近くの写真館に移動しました。馴染みの写真館だったにもかかわらずなかなか笑顔になれなかった娘。徐々に顔色が悪くなり、終いには「気分が悪い」と言い出しました。撮影を早々に切り上げ帰宅してすぐに着物を脱いだ娘。よくよく話を聞くと、「本格的な着付けは初めてだから着崩れないようにきつめに着せてもらった」のだそうです。普段着に着替えるとすぐに落ち着き、写真撮影の様子を見に来ていた祖父母と食事に出かけるほど元気になりました。式当日のハードスケジュールを心配して...前撮り時に気分が悪くなったことから、私は娘に「成人式に親は同行できないから、何かあっても助けに行けないよ。もう写真も撮ったし式は欠席したら?」と言いました。でも娘はどうしても式に参加したいようでした。さらには、「成人式の日の夕方に、中学の同窓会があるから行こうと思う。ホテルでドレスコードがあるから髪の毛をアレンジして洋装で行く。」とのこと。朝5時に美容院で着付けをし、1時間以上かけて電車で成人式会場に行く。数万人規模の成人式会場から帰宅後、着替えてホテルでの同窓会に参加...そんなハードなスケジュールを娘が一人でこなせるか一抹の不安がありましたが、もう見守るしかありません。いよいよ成人式当日当日朝5時、私は娘を美容院に車で送りました。外はまだ暗く、美容院とコンビニだけが営業していました。美容院に着くと、既に晴れ着姿の新成人が何人もいました。Upload By 荒木まち子着付けを終えた娘に問題発生!?「着物用の小さいバッグが閉まらない」2時間後、美容院から着付け終了の連絡が来て、私は娘の着ていた服を引き取りに美容院に向かいました。前回体調を崩したことを踏まえ、娘は緩めに着付けをしてもらったようでした。体調は大丈夫そうで一安心。しかし、美容院で私と別れそのまま電車で会場に向かうはずの娘は何やらもたついている様子でした。どうしたのか声を掛けると「バッグが小さすぎて閉まらない」と言う娘。まさかと思ってバッグの中を見ると、予想通り小銭とカードでパンパンに膨れ上がった『ずっしり財布』がバッグを領占していました。その場でお財布を整理して小銭と不要なカードを私が預かり、娘は軽くなったバッグを手に会場へと向かったのでした。親の杞憂体調を崩すこともなく無事に成人式を終えた娘は軽食を取った後、洋装に着替え中学の同窓会へ向かいました。小学校高学年~中学時代は娘にとって(私にとっても)暗黒の時代です。娘は中2の途中で支援級に移籍していて、中学卒業時の謝恩会にも出席しませんでした。現在、娘は就職しているけれど多くの同級生はまだ学生のはず。娘はどんな気持ちで当時の友達と会うのだろう?もし当時娘をいじめていた同級生に会ったら…?私は少し心配でした。でも、私の心配は杞憂に終わりました。「○○ちゃんに会ったよ!髪の毛染めてた!!」「ほら、いつも優しくしてくれた△△ちゃん、覚えてる?すっごい久しぶりに会ったら眼鏡をコンタクトに変えててさ。『きゃーっ、久しぶりー!』って声を掛けてくれたよ」「××君は美容師を目指してるんだって!」「先生は相変わらずだったよ」帰宅後笑顔で矢継ぎ早に話をする娘を見て、失敗や挫折を繰り返しながらも娘が強くたくましく成長していたことを改めて感じた成人の日でした。
2020年07月10日みんなで行きつけの子ども食堂へ。ケーキを目の前に、それぞれが考えることは...個性豊かな6人のレンジャーたち。今回はお気に入りの子ども食堂に来ているようです。マスターの試作ケーキを前に、ここでもそれぞれの特性が発揮され...Upload By 荒木まち子グリーンとブルーは得意をいかして、アレンジメニューの商品化を検討!?Upload By 荒木まち子執筆後記「ま、いいか」が言えるマスターが“最強”という説も…笑ちなみにマスターの名前は、読み方を変えると違う言葉になります。(ヒント;こ⇒おと読んでみて♪)(荒木まち子)
2020年06月17日PTA委員決めは悲喜こもごも「委員を決めるのに何時間もかかった。」「委員決めの日に欠席したら委員になっていた。」「くじ引きで委員長になってしまった。」地域によって選出方法に違いはあるにせよ、PTAの委員決めは小・中学生の保護者にとって心がざわつく行事になっていることは間違いないでしょう。そもそもPTAの活動ってなんだろうPTAは「子どものために」親ができる身近なボランティア活動のひとつです。活動を通じて保護者同士の交流を深めることにもつながります。会長や副会長、書記、会計といった本部役員は前年度あらかた決まっている(正式な決定はPTA総会の承認を得たあと)ので、新学期がはじまってからは各種委員の選出です。地域により名称、選出人数はさまざまですが、わが子が通ってきた学校のPTAの委員には主に以下のような種類がありました。1.学級委員クラスごとの保護者会などを取りまとめます。給食試食会や地域学習の活動を企画します。べルマーク集計作業をします。2.校外委員校外での子どもたちの安全を守る活動をします。通学路を確認したり防犯パトロールなどを行います。地域と学校との連携を図ります。3.校内保健委員校内の環境を整える活動をします。子どもの手が届かない場所の清掃を、保護者を集めて行ったりします。4.広報委員入学式や運動会などの学校イベントや、PTA主催のイベントなどを取材して、学校の広報誌を発行します。委員決めに異変が!発達障害の娘はもう社会人ですが、わが家には今年中1になる息子がいます。中1保護者のPTA委員決めは例年入学式終了後に行われるのですが、今年はCOVID-19の影響で保護者は入学式に参加できませんでした。そのため委員選出は生徒が入学式を行っている間に体育館の外で行われたのですが、驚くべきは立候補数の多さでした。理由は明白…!?一定期間の休校と、その後の学校や地域の行事の自粛を予測し、今年の委員の仕事は少ないだろうと見越した保護者が多かったためでしょう。例年なかなか決まらない委員決めはあっという間に決まりました。Upload By 荒木まち子確かに大変といえば大変...子どものためになる活動はしたい!でもPTA活動は避けられるものなら避けたい...多くの保護者がそう思うのは「PTAって大変そう」と感じているからだと思います。確かに私もこれまで、大変!と思うことが何度もありました。私は子どもたちが小学生のときに校外委員と学級委員、謝恩会委員を経験しています。校外委員ではスクールゾーン対策協議会(通学路などの危険箇所をまとめ、警察、土木事務所、区役所などの行政担当の方、地域の方々と話し合う会)の準備のため、1ヶ月ほどほぼ毎日学校に通いました。学級委員ではベルマーク集計のときに人数が集まらず、時間内に作業が終わらなかった分を自宅に持ち帰って集計したこともありました。Upload By 荒木まち子謝恩会委員をしていた昨年度は、COVID-19の影響で、事前に準備していた会場の手配や出し物の計画をすべてキャンセルすることになりました。PTA活動は確かに時間と労力を必要とします。それでも子どものために必要なことなら皆で分担しつつ行うべきと私は考えています。本当に必要なのか疑問を感じる活動も...上記以外にも、委員はPTA主催のイベント(行事や講演会)の手伝いもします。子どもが楽しみにしているバザーやお祭りのお手伝いなどはいいのですが、平日の昼間に行われる保護者向けの講演会や勉強会の企画、参加も、委員の役割になっている(PTA連合会から学校ごとに参加人数が振り分けられる)ことに私は少し疑問を感じています。PTA主催でヨガや英語の勉強会をやったときには、参加者のほぼ全員がPTA役員や委員で、一般の保護者で参加した人はほとんどいませんでした。多様化、地域化が進んでいるこの時代、素人(保護者)がニーズを把握しイベントを企画する(内容を考え、日にちを決め、講師に依頼をし、会場のセッティングをする)のはとても大変です。慣行化している“PTA活動を活性化させることを目的とする行事”が役員や委員の負担になり、そのことが原因で保護者がPTA活動参加を躊躇してしまうのであれば、それは本末転倒なのではないかと私は思うのです。今は講演やイベントの動画配信もできます。動画配信なら日中仕事などで参加したくてもできない人も見ることができます。インターネットの有効活用も視野に入れ、今まで慣行的に行われていた行事の在り方をこのコロナ禍を機に見直していけたらいいなと思います。もちろんPTAには良いところもある!よくPTA役員や委員経験者が“PTA活動をして良かったこと”を話す際に「学校の先生方との距離が縮まる」「学校での子どもの様子がわかるよ」などと言います。学校に行く機会が増えるので、これは本当のことです。それに加えて、私は一緒に活動をした保護者と知りあいになれてよかったと感じています。PTA活動を通じて頼りになる人、懐の深い人、細かいところまで気が利く人、しっかりした人、話していてとても楽しい人、PC操作などにめちゃくちゃ詳しい人、他の人のフォローができる優しい人、行動力がある人、可愛らしい人...などなど、さまざまな魅力的を持った人たちと知りあうことができました。知りあいが増えれば学校行事のときに一人ぼっちになることもありません。地域の情報も入ってきますし、不安やちょっとした愚痴を言いあうこともできます。お互いの子どもを見守ることもできます。娘が高校から通った高等特別支援学校では進路委員と広報委員をしたのですが、そのときに一緒に活動した先輩お母さんの話はとても参考になりました。他の保護者と交流を持ったり話をしたりすることで、「障害の有無や障害の種類、その程度にかかわらず、誰もが大なり小なり生活や子育てに悩みを抱えている。悩みのない保護者なんていない」と気づき、それまで悶々としていた気持ちが晴れるという事が一度ならずありました。PTAにも良いところはたくさんあります。不要な活動はそぎ落とし、誰もが気軽に参加できるような団体になって欲しいと願っています。
2020年06月09日個性豊かなカラフルレンジャーたち、みんなで昆虫採集へ!Upload By 荒木まち子6人6色、個性豊かなレンジャーたち。第1話の「お菓子を食べたことがバレたとき」の反応もそれぞれでしたが、今回はみんなで昆虫採集へ出かけるようです。Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子執筆後記周りに迷惑をかけず、本人が楽しめているならどんな楽しみ方でも良いんです^^ブルーの技は相手にダメージを与えることはほとんどなく、むしろ微笑ましいような気がします(荒木まち子)
2020年05月18日大好きな彼の地以前のコラムでも書きましたが、私は娘が未就学時代を過ごした関西が大好きです。主人の転勤に伴って初めて訪れた土地での初めての子育て(当然障害児育児も初めて)には、確かに様々な苦労がありました。でも15年以上経った今も“出来たらまたあの土地に戻って暮らしたい”と思うほど、そこで出会った人たちは、皆温かく、私達親子に優しく接してくれました。6年間過ごしたその土地での思い出。お昼ごはんに誘ってくれた近所のおばあさん娘が3才~5才の頃、主人が単身赴任になり、私は自閉症の娘と二人きりで暮らしていました。近くに親戚もいなかったので、週末は家族で過ごす親子が多い中、私と娘はいつも二人で公園で遊んでいました。遊ぶと言っても当時の娘はほとんど独り遊びしかせず、会話も十分にできませんでした。反応がなかったり、会話が一方通行な相手に話しかけ続けるのはとても虚しいものです。そんなある日、近所に住む顔見知りのおばあさんが「うちにお昼ごはんを食べに来ない?」と声をかけてくれました。おばあさんの「子どもが小さかった頃、私の夫も単身赴任してたのよ。うちには娘さんと同じ年頃の孫もいるし、一緒にお昼を食べましょうよ」との誘いに、私は(図々しすぎないかしら?)思いつつもお宅にお邪魔をしました。娘とお孫さんが仲良く遊ぶことは当然ありませんでしたが、それでもおばあさんと同居している娘さん、お孫さんと一緒に食べた“ぶっかけそうめん”はとても美味しく、私はその味が今でも忘れられません。またあるときは...ママ友たちが助けてくれて娘のインフルエンザが私にうつり、娘と二人で寝込んでいたときには、幼稚園のママ友が食事を作って玄関先に届けてくれました。Upload By 荒木まち子夕方に男の人の声で『外から見ているよ』といういたずら電話が何度もあったときには、「怖かったらうちに泊まりにおいで」と誘ってくれたママ友もいました。娘が便器にトイレットペーパーを詰まらせ水が溢れてしまったときにはご近所のママ友がラバーカップを貸してくれました。Upload By 荒木まち子次の転勤で関東に引越した後、東日本大震災が起こりました。そのときは私からお願いしたわけでもないのに、幼稚園時代の友達が関西から水や食料を送ってきてくれました。どれも当時は入手困難なものだったので、とても有難く思いました。その優しさは『土地柄』だけではなかった!私はそれらの優しさやおおらかさはずっと関西という土地柄ゆえと思っていました。でも後にそれだけではないとわかりました。私が暮らしていたのは阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた地域でした。辛い経験したことがある人たちだからこそ、困っている人に対して自分ができる範囲で精いっぱい手助けをする精神が根付いている。そしてさらりと「困ったときはお互いさま」と言えるのだと気がついたのです。今住んでいる地域でも広がった、困ったときの助け合い東日本大震災の後、今住んでいる地域でもおむつやおしりふきなどが手に入りづらかった時期には、ママ友同士でシェアをしたり、ホームベーカリーを持っている人が手作りパンを配ったりとお互いに助け合いをしていました。そして今COVID-19が猛威を振るうなか、私達は様々な不便を強いられています。小さい子どもや障害児・者がいる家庭、病気や介護が必要な人がいる家庭、妊婦や高齢者がいる家庭、受験生がいる家庭、収入が減った家庭、などなど、それぞれの悩みと苦労があると思います。特例子会社に勤めて3年目の娘も、自粛要請の影響で出勤日数の調整が行われ自宅で過ごす時間が増えてきています。数年かかってやっと定着した生活のリズムも乱れ始めています。「自分が今できること」をして、恩を送りたいもしかしたら今後、行政の支援や取り組みなどが鈍ってくることもあるかもしれません。でも、もしもそうなったとしてもお互いに助け合いの気持ちを持って支え合いながらこの困難を乗りきることを願いながら、微力ながら私も「自分が今できること」をしていこうと思っています。かつて私達親子を支え助けてくれた人たちに直接恩返しをすることはできないかもしれませんが、私も「困ったときはお互いさま」と笑顔で言える人になって、恩を送っていきたいです。最後に私が今このサイトを通してできることは自分の障害児育児体験談を書くことや、読んだ方のガス抜きになるような漫画を描くことぐらいしかありませんが、様々なストレスを抱える発達ナビユーザーの皆さんの「生き抜くための息抜き」のお手伝いが少しでもできたなら幸いです。
2020年05月08日Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子執筆後記チビキャラにするとわかりにくいかもしれませんが、レンジャーたちは選挙権がある年齢です^^(荒木まち子)
2020年04月30日前回のあらすじ障害年金申請に必要な書類を揃え、いよいよ申請窓口に提出しに行きました。窓口の担当者さんが丁寧に書類を確認してくれて、安心して提出することができました。資料がない!療育センターでの親子セッションが終了してから幼稚園卒園までの間、娘は療育センターの主治医に紹介してもらったある大学の研究室で療育を受けていた時期がありました。その事を『病歴・就労状況等申立書』に記入しようと思い資料を探したのですが、通い始めた正確な時期の記録がどうしても見つかりませんでした。Upload By 荒木まち子ネットで確認すると、その施設も療育センターと同様、名称・建物ともに娘が通っていた頃とは変わっているようでした。「20年近く前の娘の記録は残っているかしら?毎年、年賀状などで娘の様子は伝えているけれど、先生方は娘のことを覚えているかしら?」そんな不安を抱えつつ私は施設に電話をしました。私の不安をよそに、電話を受けた先生は娘の事をしっかりと覚えていてくださいました。当時の先生方も残っていらっしゃり、娘の記録も保存されていました。療育期間やそこで行われた療育内容を確認した後、私は先生にずっと伝えたかったことをお話ししました。検査後の細やかな対応を無駄にしてしまったという後悔の念娘は今まで、必要に応じて療育センターや、教育委員会、病院などで発達検査を受けてきました。検査結果は施設によって・口頭でIQの結果のみを伝えるところ・評価点のページだけをコピーでくれるところ・詳しい検査結果を文書で添付してくれるところなど様々です。今回、娘の障害年金申請のために過去の発達検査結果の資料をすべて読み返し、私はこの研究室で受けた発達検査報告書が簡潔かつ的確でとても優れていたことに気が付きました。特に引越し直前に受けた検査結果報告書には、娘が新たな環境で直面するであろう困り感を軽減するのための手段――研究室で行った、娘に有効だった手立てや後に娘に対して必要になると思われる配慮――などが分かり易く記されていました。(報告書の一部)・ことばは平均的な発達をしているので、ことばが使えることで理解できているように判断されるが、実際にはもう少し丁寧に指導していく必要がある。特に人との付き合いに関して細かな読み込みが苦手なので、全体の指示と同時に本児が理解しているかどうかの確認が必要になる。・協応動作に関しても不器用な面があるが、これを本児はきっちりとこなそうとしている。しかしこれに速度を要求されるとかなり負担がかかると考えられる。例えば文字の形のバランスを取ることや、字の画数が多くなると形を整える事が難しくなるので、宿題の量を加減してもらったりプリントの書くところを少し大きくしてもらうなどの配慮は必要になるかもしれない。これらは15年たった今も全く変わっていない、そしてこれからもずっと変わることはない娘の特性です。大学の先生たちは娘が未就学のときから娘の将来を見越していたのです。でも当時私はその意味がよく解っておらず、せっかくの報告書を次の環境で上手く引き継ぎ活用することが出来ませんでした。先生から語られた驚きの事実私「今になって当時そちらの施設で最先端の療育が行われていたことが分かりました。あの頃は私自身、検査報告書に書いてあったことの意味もよく理解していなくて、いただいていた報告書を学校や次の療育センターで活かすことができず、“様子見”をしている間に、娘は学校でいじめにもあい二次障害も起こしました。」先生「そうでしたか。今、こちらの地域では施設の整備も進み、療育センター・幼稚園・学校・各種関係機関の連携も密になっています。実は荒木さんがこちらにいらした時期は一番大変なときだったんです。阪神淡路大震災直後で震災復興に予算が当てられて、子育て支援に関する計画が先延ばしになった時期でした。各機関連携の計画はもっと早くに実現するはずだったんですよ。」確かに街中には仮設住宅が残っていました。療育センターの建物も平屋のプレハブでした。先生の話から、私はなぜ当時の療育センターの廊下に「動かない謎のマッサージチェア」が鎮座していたのか、その理由を察することができました。でもそんな状況下でも研究室の先生方は幼稚園と連携を取り、娘にどう接したらいいかなどを幼稚園の先生に伝えてくださっていました。また、療育時には大学の実習生やボランテイアの生徒さんもセッションに参加し、障害のある子どもたちに明るく接してくれていました。私はそれで十分と感じていました。私「そうだったんですね。当時は悩んだり、それなりに辛いこともあったけれど、いま振り返るとそちらで過ごしていた頃が娘の子育ての中で一番幸せな時期だったと感じます。きっとプロフェッショナルの先生方に見守られ療育を受けることができていたからだと思います。」大人になった娘の近況を先生に報告して...私「その後、娘は何とか落ち着き今は特例子会社で働いています」先生「お母さんは、娘さんが落ち着いた一番の理由は何だと思いますか?」私「このままじゃダメだと思って、必死に理解してくれる支援者を探したからだと思います。親だけじゃどうにもならないので本当にみっともないほど、なりふり構わず探しました。辛かったけど今は二次障害があったこともひっくるめて、それが娘なんだと思っています。」先生「そこまで言えるのはすごいですね。」私「はい。15年の間に“恵まれた環境”は待っていても訪れないから自分から動かないとダメなんだと知りました。あと、私達親子は実際痛い思いをしないと学べないタチなんだなと身を持って経験しました。いっぱいいっぱい泣きましたけど、その分強くなったのかもしれません。」障害年金申請の手続きは、『子育て振り返りの旅』年金申請資料を作っていると、過去の辛かったことを思いだしたり、自分の選択を後悔したりします。ときには自分がしてきたことを恥ずかしく思ったりもします。でもふとした瞬間に実は幸せだったことに気づきます。じたばたしていた自分を辛抱強く見守ってくれていた人の存在に気が付いて、感謝の気持ちを抱いたりもします。私にとって今回の障害年金申請作業は、自分の子育ての振り返りの作業だったような気がします。今後に向けて子どもが20歳になったからといって当然子育てが終わったわけではありません。行政や支援者とのやり取りや手続き、書類の作成などは、まだ親が手伝っています。今後は一人暮らしに向けた準備も必要になってくることでしょう。少しずつで良いので親の手助けがフェードアウトできるようにしていきたいと考えています。数年後に訪れるであろう「障害状態確認届」提出の頃、娘は一体どうなっているでしょうか。そのときは本人主体で手続きが進められるような工夫をしていこうと思っています。そのときにも娘が理解ある支援者に囲まれた環境にいる事を願ってやみません。
2020年04月09日申請窓口に書類提出へ。初めてお会いした担当の方は…娘の記録を引っ張り出し、主治医や過去にかかっていた療育センターなどにも連絡をとり、申請に必要な書類を揃えた私はいよいよ申請窓口に向かいました。過去に何度か相談をしに行ったことはあったのですが、年度が替わり人事異動があったのか、当日担当してくれたのは初めて見る方でした。Upload By 荒木まち子その方は若くて柔らかな物腰の方でしたが、お話をすると経験と知識が豊富で、頼りになる方だということがすぐに分かりました。(実際、申請手続き中に他の職員さんが質問をしに来たりしていました。)Upload By 荒木まち子申請窓口では...医師が作成した『診断書』や『受診状況等証明書』を確認した後に『病歴・就労状況等申立書』の記載内容を確認しました。Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子アドバイスをもとに初診日などを変更私が作成した『病歴・就労状況等申立書』の[発病したときの状況と発病から初診までの間の状況]記入欄の“呼びかけても振り返らない、指示が通りにくいなどのことから総合病院にて聴覚検査を受けたが、異常はなかった。”という箇所を見て、窓口の担当者さんは「娘さんの場合、初診日を誕生日ではなく、総合病院の受診日に変更した方が良いでしょう」とアドバイスをしてくれました。また、状況欄に書いた『厚着をし過ぎて電車内で体調を崩し、駅の救護室に運ばれたことがある』という記述から、[日常生活状況欄]の《着替え》の4段階の評価を3→4に見直しをすることも提案されました。(『病歴・就労状況申立書』裏面・赤枠の部分)Upload By 荒木まち子災害時にも有効な「ヘルプマーク」を知っていますか?丁寧に確認してもらえて安心!『年金請求書』など、記入方法がわからない部分がある申請書類は、申請時に窓口で担当者と一緒に記入することは事前に打ち合わせ済みでしたが、『病歴・就労状況等申立書』もここまで丁寧に確認してもらえると思っていなかったので私は驚きました。Upload By 荒木まち子障害年金請求を審査、認定するのは日本年金機構です。役所の窓口では書類が全て正しく整っているかを確かめる作業をしています。ですが窓口の方が「『病歴・就労状況等申立書』を読んだ審査担当者が、状況を正確に把握できるように」と内容を一緒に確認してくれたことを私はとても嬉しく思いました。また、申請窓口の方は後の消費税アップを見越して、今後に必要になると思われる『年金生活者支援給付金』の申請手続きも同時にしてくれました。最後に戸籍課で発行した戸籍謄本を提出し手続きは終了しました。全ての手続きを終えるのには一時間ほどかかりました。申請してみて実感。障害年金請求の資料はそんな早くから準備する必要はないかも一連の手続きを終えて私が感じたのは、障害年金申請資料準備は「早ければ早いほど良い」というものではないということでした。※娘の初診日は18歳より以前でしたので、「障害認定日」は20歳の誕生日の前日です。初診日、障害認定日等によっては早めに動き出す必要がある場合もあります。「障害認定日」とは、障害の程度の認定を行うべき日をいい、請求する傷病の初診日から起算して1年6月を経過した日又は1年6月以内にその傷病が治った場合においては、その治った日(その症状が固定し、治療の効果が期待できない状態に至った日を含む。)をいう。たとえば年金申請コラム第3話で書いた、“初診の医療機関が廃業していたり、カルテが破棄されていたりして『受診状況等証明書』を作成してもらえなかった場合は2番目に受診した医療機関で『受診状況等証明書』を作成してもらう。もし2番目の医療機関でも『受診状況等証明書』が作成できなかったら3番目の医療機関…と辿っていく”という規定は、障害認定日が20歳に達した日以前である場合は、障害の程度を認定する時期は一律に20歳となる。2番目以降の医療機関の受診日から障害認定日が20歳以前であることを確認でき、かつその受診日前に厚生年金等の加入期間がない場合には、初診日の医証を追加で請求者に求めずとも、20歳前の期間で請求者が申し立てた初診日を認めると新たに規定されました。5年、10年経てば制度は変わります。(逆に時代やニーズに沿って改新されなければ困ってしまいますよね)ですので、お子さんが未就園児や小学生のころから窓口に障害年金についての相談に行ったり、焦って申請書を取り寄せたりする必要はないと思います。20歳になるまでに子ども自身や子どもを取り巻く状況、困りごとなどは刻々と変化していきます。いくら別紙添付が可能とはいえ、子どもが小さいうちからのできごとすべてを『病歴・就労状況等申立書』に書くことはあまりおすすめできません。『病歴・就労状況等申立書』では1.病院や療育センターの初診日2.通院、入院歴3.投薬履歴4.障害に起因した大きなアクシデント(怪我や事故など)と、どのように対処しても改善できない現状や“申請時の”困りごとをしっかりと伝えることが大切だからです。ブログや日記などで子どもの記録を残していく場合、『日記や日々の子育て記録』と『書類に書いた方がよい内容』をカテゴライズしておくと良いかと思います。障害年金申請よりも先に意識しておきたい『子どもの情報の引き継ぎ』娘が通っていた療育センターは利用が小学生までだったので、中学進学を機に成人まで見てくれる病院に転院しました。当時はまだサポートブックなども普及しておらず、私は転院時に受けるソーシャルワーカーとの「受理面接」の為の資料として独自に娘の療育、発達検査、通院、投薬、病歴などを年表形式でまとめた『成育歴表』を作りました。子どもは成長と共に小児科や小児精神科から思春期外来や青年期精神科に移ることが多いですが、幼年期から成人までの発達障害を一貫して診てくれる医師はなかなかいないのが現状です。転院や主治医変更を意識して成育歴のような資料を予め作っておくと、『病歴・就労状況等申立書』作成時だけでなく、放課後等デイサービスやショートステイの利用等の申し込み、役所の相談窓口の担当者が代わったときなどに子どもの説明をするのに役に立つので良いと思います。次回は年金コラム最終話これまでのコラムでは主に提出する書類について書いてきましたが、次回最終話では書類についてではなく、申請作業を進めていく中で知った新事実や、改めて気がついたことについてお話しします。
2020年03月05日前回のあらすじ娘の障害年金申請準備に取りかかり始めた私。子育てに関する過去の記録を引っ張り出し、早めのタイミングから作成に取りかかることができる『病歴・就労状況等申立書』を作成しました。『受診状況等証明書』の作成のため、初診の医療機関を検索すると『受診状況等証明書』は初診日を明らかにするための証明書です。初診時の医療機関と診断書を作成した医療機関が違う場合に提出する書類で、娘は小学校入学時に関西から関東に引っ越しをしたのでこの書類が必要でした。Upload By 荒木まち子『受診状況等証明書』作成を依頼するため、娘が未就園児のときに通っていた療育センターをネットで検索したところ、名称も場所も建物も一新していました。当時の主治医の先生も、もういないようでした。Upload By 荒木まち子ちなみに17年前の療育センターはこんな感じでした。Upload By 荒木まち子記録は残っている?ダメもとで連絡してみたら一般的にカルテの保存期間は5年から10年です。療育センター併設の診療所の看護師さんに「17年前ですと、カルテの有無の確認に少し時間がかかります」と言われたとき、私は「娘のカルテはもうないかも…」と半ばあきらめていました。学校で受けた障害年金説明会でも、・初診の医療機関が廃業していたり、カルテが破棄されていて『受診状況等証明書』を作成してもらえなかった場合は2番目に受診した医療機関で『受診状況等証明書』を作成してもらう。もし2番目の医療機関でも『受診状況等証明書』が作成できなかったら3番目の医療機関…と辿っていく。・その際には申請者(本人や保護者)が1番目の医療機関で受診状況等証明書が添付できない理由などを記入する『受診状況等証明書が添付できない申立書』という書類を作成する。と聞いていたので、娘はそのケースかもしれないと思っていたのです。Upload By 荒木まち子幸い娘が初めて受診した療育センターにはカルテが残っていて『受診状況等証明書』を郵送で取り寄せることができました。診断書作成は、長年お世話になっている医師に依頼。予約をとり、親同席で...娘には中学生のときから発達障害を診てもらっている医師がいます。(娘が通っていた療育センターは小学生までしか利用できなかったので、中学に上がるタイミングで成人まで診てくれる病院を探しました。)娘は中学2年のときにこの医師に障害告知をしてもらいました。発達障害の娘が求めたのは「居場所」。中学時代、通常学級と特別支援学級で揺れた娘がたどり着いた、高校選びの基準【わが家の進路選択 Vol.5】私達は、娘が高校生のときや就職前後の不安定だった時期にもお世話になったこの医師に障害年金申請の診断書作成をお願いすることにしました。【発達障害と思春期3】怒りの感情との付き合い方に悩む17歳の娘。夜中に家を飛び出し、向かった先は?娘は高校生の終わり頃から一人で通院をする練習をし、社会人になってからは一人で通院をしています。本人曰く「診察に親が同伴しない方が、本当の自分の気持ちを医師に話せて良い」のだそうです。(娘自身が“上手く時系列を伝えられない”と感じるような複雑な内容の伝達や相談などは、親がメモや手紙作成を手伝って娘経由で医師に渡すこともあります。)しかしながら障害年金の診断書作成に関しては成育歴の問診もあり、親の同席が必要です。診察時間も通常よりも長くかかります。障害年金申請には「障害認定日」(20歳前の障害の娘の場合は「20歳の誕生日の前日」)の前後3カ月以内に医師が作成した診断書が必要です。私達は、娘の20歳の誕生日の2カ月ほど前に診断書作成のための受診予約をしました。前もって『病歴・就労状況等申立書』と『受診状況等証明書』、過去の発達検査の結果のコピーなどを提出した上で、私は娘と共に病院を訪れました。医師は私達に確認を取りながら診断書を作成してくれました。なかでも『病歴・就労状況等申立書』の「日常生活状況欄」と似た様式(できる、できないの4段階判定)の「日常生活能力の判定欄」は念入りに確認をしました。Upload By 荒木まち子障害年金説明会や勉強会で教えてもらった通り、受付で診断書のコピー(※)をもらい、私達は病院を後にしました。※有期認定の場合、数年(1~5年)ごとに「障害状態確認届」という現況届の提出が必要になります。初回申請時の診断書の控えがあるとその際に添付する診断書の作成がスムーズになります。大変だけど、丁寧にすすめたい診断書には自立支援精神通院医療用、特別児童扶養手当用、障害児福祉手当認定用、精神障害者保健福祉手帳用など様々な種類がありますが、障害年金用の診断書は中でも一番手間暇がかかると感じました。(料金も高い)それでも、子どもの将来の生活に大きく影響する大切な書類なので、時間や労力は決して惜しんではならないと思います。次回は、準備した書類を持って役所に障害年金申請に行ったときのお話をお届けします。
2020年02月06日発達ナビライター描き下ろし!イラスト色紙をプレゼントしますLITALICO発達ナビでは、多くのライターさんにご自身の子育てのエピソードをイラストや文章で描いていただき、ユーザーの皆さまにお届けしています。今回は4周年を記念して、初めて直筆で色紙にイラストとメッセージを描いていただきました!ご希望される色紙を選んでご応募ください!「4周年 発達ナビライター直筆イラスト色紙プレゼントキャンペーン」の応募期間は、2020年1月31日(金)まで。下記の応募要項を確認の上、ぜひ奮ってご応募ください!【応募要項】■ご応募はお1人様1回までです。■当選した方には、色紙の送付先をお伺いするため2月14日(金)までにメールにてご連絡いたします。ご応募の際は必ず受信確認ができるメールアドレスをご入力ください。※ご連絡が取れない場合、期日までに送付先情報がいただけない場合には、当選は無効となります。■「個人情報の取扱いについて」の内容にご同意の上お申込ください。色紙を描いていただいたコラムライターさんのご紹介※五十音順Upload By 発達ナビ編集部荒木まち子さんUpload By 発達ナビ編集部ウチノコさんUpload By 発達ナビ編集部かなしろにゃんこ。さんUpload By 発達ナビ編集部さんUpload By 発達ナビ編集部さとこさんの色紙Upload By 発達ナビ編集部シュウママさんUpload By 発達ナビ編集部スガカズさんUpload By 発達ナビ編集部寺島ヒロさんUpload By 発達ナビ編集部ひらたともみさん
2020年01月25日前回のあらすじ娘が18歳の時に学校主体で開催された、保護者向けの障害年金説明会をきっかけに、申請のための準備を少しずつ進めようと考えた私。役所の窓口の方にもまだ早いと驚かれましたが、少し早めに過去の記録を引っ張り出し、保護者が作成できる書類の記入に取り掛かることにしました。早めに準備ができる書類『病歴・就労状況等申立書』は障害年金を申請する際に必要な書類の一つです。医療機関に記載を依頼する診断書などには有効期限がありますが、これは請求者(本人や保護者)が作成する書類なので早めに準備しておくことができます。私は隙間時間に少しずつ作成していきました。Upload By 荒木まち子どこで区切るか『病歴・就労状況等申立書』の最初の欄は発病から初診までの間(先天性疾患は出生時から初診まで)の状況を、それ以降は期間を3〜5年に区切って書くので、私は娘の経過を、1.出生時~初診まで(娘の場合は0~2歳)2.未就園の期間3.幼稚園の期間4.小学校(低学年)5.小学校(高学年)6.中学校7.高校8.就職後に分けて書くことにしました。娘の場合、一枚では欄が足りなかったので『病歴・就労状況等申立書(続紙)』を使用しました。Upload By 荒木まち子状況記入欄に何を書くか状況記入欄には、(受診していた期間は)通院期間、受診回数、入院期間、治療経過、医師から指示された事項、転医・受診中止の理由、日常生活状況、就労状況などを書くのですが、私はそれらの他に・初診まで…親が感じていた困り事(視線が合わない。抱くとのけぞって嫌がる。手をつなぐのを嫌がる。発語が遅い。)など・就学まで…療育センタ―受診の経緯、療育内容、幼稚園での様子・学生時代…障害由来の学校での困り感、学校でのいじめの様子、感情コントロールの困難さ、支援機関との連携について・就職後…新たな環境に対する不安の強さ、精神的に不安定な様子、職場で行われている配慮などを記入しました。Upload By 荒木まち子当初「なんてサイズが大きいんだろう!」と思っていた『病歴・就労状況等申立書』用紙は、娘の20年間の困りごとで、みるみる埋まっていきました。それは「よくまあこれだけのことがあったものだ」と我ながら感心するほどで、最終的には枠内に書ききれず、割愛するエピソードがでるほどでした。手書きかPC作成か申請書類作成は手書きでも大丈夫ですが、『病歴・就労状況等申立書』と『病歴・就労状況等申立書(続紙)』は日本年金機構のHPからダウンロードすることができるので、私はエクセルで作成をしました。ここで注意しなければならないのは『病歴・就労状況等申立書』と『病歴・就労状況等申立書(続紙)』では裏面が違うということです。Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子『病歴・就労状況等申立書』と『病歴・就労状況等申立書(続紙)』は、A3サイズで両面印刷をした後に、裏面の請求者署名欄に本人署名(または捺印)をする必要があります。(見本の赤丸で囲った部分)「自発的」の意味合い『病歴・就労状況等申立書』裏面には『日常生活状況』を4段階(※)の中から選ぶ項目があります。(見本の黄色枠で囲った部分)※「1」→自発的にできた「2」→自発的にできたが援助が必要だった「3」→自発的にできないが援助があればできた「4」→できなかったこの“自発的”には“すべてを自分一人で”という意味合いがあるということを知り、<着替え>の項目では一人で着替えられたとしても“自分で季節にあった服を選ぶこと”ができていなければ「1」にはならない、<食事>の項目でも食卓に出されたものを自分で食べることはできても“一人で暮らした時に栄養のバランスを考えた食事を取ること”ができなければ「1」にはならないなどの点も気をつけなければならないと思いました。なので本人が「自分でできている!」と思っていても、申立書の記入時には注意が必要です。参考になった勉強会学校での障害年金申請説明会から1年ほど経ったころ、娘が余暇支援やショートステイで利用している地域活動ホームで、保護者向けの勉強会がありました。講師は「親なきあと」相談室を主宰する、行政書士、社会保険労務士、ご自身も障害児の親でもある渡部伸さんでした。障害のある人の「親なきあと」についてのお話は、・暮らし方やお金に関すること・医療費、信託制度、成年後見人制度について・相談先や実際の事例など多岐にわたる内容でした。なかでも障害年金についてのお話は、ちょうど『病歴・就労状況等申立書』を作成していた私にとって、とても参考になる内容でした。親なきあと相談室|渡部行政書士事務所親目線は一味違う!日本年金機構(年金事務所)の方の説明会も勉強になりましたが、やはり親目線ももちあわせた先生からのお話は格別で、・『病歴・就労状況等申立書』には具体的なエピソードを書くと良い(書ききれない場合は別紙添付も可)・障害年金申請が通らなかった場合には審査請求、再審査請求などができる・働いている場合は職場からの意見書も有効など、前回の説明会では知りえなかったことを学ぶことができました。(勉強会を企画してくれた地域活動ホームに感謝、感謝です!)続く...
2020年01月07日めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
チッチママ&塩対応旦那さんの胸キュン子育て
やっぱり家が好き〜おっとぅんとみったんと私〜