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「ちょこの出産体験談」第1話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。今回は、「不妊症」と診断されたちょこさんが、妊娠に至るまでのエピソードです。「ちょこの出産体験談」第1話 結婚して1年半、赤ちゃんを授かることができずにいたちょこさん。 「不妊症」と診断され、ショックを受けながらも、子宮卵管造影検査の甲斐があって、無事妊娠することができました。 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2021年09月13日2人目を妊活中に受けた検査でさまざまな体の不調が重なり、わが家の長い2人目不妊治療が始まりました。時間やお金など多方面で不安を抱えながら2人目不妊を乗り越え、私が学んだことをお話しします。 まさか!私の体が不妊の原因?結婚4年目で長男を自然妊娠し、1歳を過ぎたころから「そろそろきょうだいが欲しいね」と夫婦で話し合い妊活を始めました。自分自身もフルタイムの仕事に早く復帰したい気持ちもあったため、できるだけ早く2人目が欲しかったのです。しかし妊活開始半年後、パート先の健診で甲状腺機能低下症(橋本病)であると診断されました。 自覚症状はなかったので正直驚きました。しかも不調はそれだけにはとどまらず、その後も子宮頚管にポリープが発見され切除し、さらには子宮内膜症も発症するなど次々と不調が重なったのです。体の不調が発見されては落ち込み、2人目も簡単にできると思っていた私は考えが甘かったことを痛感することになるのでした。 通院によるお金と時間の問題甲状腺の内服治療に加え、婦人科にも同時進行で受診する生活でした。特に妊活の治療方法は着々とステップアップし体外受精まで進んでいました。パートの仕事の合間に婦人科に頻回に通い、時には長男を連れて病院へ通うこともありました。診察までの待ち時間が長引けば、夫に長男の保育園のお迎えにいってもらうことも度々ありました。 食事を作る時間がなくなったときはお弁当やお惣菜を買ってきてもらう日も、洗濯などの家事も協力してもらわなければ家事がこなせない日もありました。そのうえ受診時にはもちろん治療費が必要なためお金がかかります。特に体外受精へステップアップしてからは金額も大きく、家計を圧迫していたのは間違いありません。 頑張りの先にはうれしい知らせ治療を始めて4年半が経過しましたが、体外受精で2人目を妊娠することができました。長男とは5歳差になりましたが、やっと授かった命を夫も長男も大喜びしてくれました。 おなかにいる小さな命のことを考えると、長男との年齢差はいくつでも問題にならないと考えを改めました。お金や仕事、家事育児と生活すべてに負担となってしまう妊活でしたが、夫と長男の助けがあってこそ授かった命だと感じています。 妊活を始めた当初は自分の体の不調から気持ちもふさぎがちになっていましたが、振り返ってみると一つひとつの不調が育児や仕事で忙しくしていた体からSOSの信号だったのではないかと思います。今回の妊活は体を気づかってくれる家族のやさしさと、定期的に健診を受けることの大切さを痛感したできごとでもありました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:利根なくる4歳男児のママ。現在、体外受精で2人目を妊娠中。休憩中の看護師。家族でキャンプが趣味で、子育てやキャンプなどの体験を綴るブログを運営中。
2021年09月02日ママの1日の生活のなかで最後に迎える大仕事、赤ちゃんの寝かしつけ。心身の成長のためにも、赤ちゃんには極力早く寝てほしい。でも、なかなか寝てくれなくて困ったことはありませんか? 今回は、わが家の息子がすんなり寝てくれるようになった意外な方法をご紹介します。 活発な息子がなかなか寝てくれない!生後10カ月を迎えたころの息子は、ハイハイもかなり活発になっていました。寝室へ行っても部屋中を動き回ったりベッドの上で転げ回ったりと、なかなか寝てくれないタイプ。 照明を暗くしてみたり、ゆったりした子守歌を歌ってみたりといろいろ試しました。しかし、興奮している息子はなかなか落ち着いてくれず、寝かしつけに毎日30分以上かかっているような状態でした。 思い切って遊ばせてみたら… ある日、いつものように寝室で転げ回る息子に対して、とやかく言わずに思い切って好きなように遊ばせてみました。すると、しばらく遊んでいた息子が突然、眠そうに目をこすりながら自らベッドへ横になったではありませんか! 具合でも悪いのかと心配しましたが、そうではありません。息子の場合、自分の気が済むまで遊んだら親がとやかく言わなくとも自ら進んで寝ることができるのだと、そのとき初めてわかりました。 「遊びたい」気持ちを無理に止めないその日以来、わが家では寝室に向かってすぐに寝かしつけるのではなく、息子が納得するまで遊ばせてから眠りへ誘導するようにしました。あまりダラダラ遊ぶようなときは止めることもありますが、その場合もキリのいいタイミングを見計らって寝床へ誘導すると、息子も素直に従ってくれるようになりました。この方法を始めてからは、寝かしつけが10分以内でできるようになりました。 絵本が好きな子、運動が好きな子、世の中にはいろいろなタイプの子がいると思います。どのようなタイプの子に対しても一人ひとりの個性に合わせた対応で、親子ともに寝る前のひとときを気持ちよく過ごせるといいなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2021年08月12日不妊治療や妊活は孤独でつらいことが多く、自然妊娠で早目に出産した友だちからは「あなたの魅力が足りないんじゃないの? 」と言われたこともありました。流産も経験して、もう私たちのところへ赤ちゃんがこないかもしれないと怖くなったこともあります。私の不妊治療と妊娠するまでの経過をお伝えします。32歳で結婚。しかし、赤ちゃんをなかなか授からず…。 なかなか赤ちゃんがきてくれない32歳で結婚した私。当時何も知らなかった私は、結婚すれば妊娠できると思っていました。しかし1年経っても2年経っても赤ちゃんがきてくれません。 夫は「36歳の友だちも40歳の友だちも自然妊娠できたんだから、大丈夫だ」と言うばかりで不妊治療をすることにはじめから大反対。夫を説得することから始まりましたが、変えようとすると疲れてしまいます。 友だちから次々と妊娠&出産報告を聞き、周りと比べては置いていかれていると孤独になる日々。生理がくるたびに泣く日々。そんな私を見兼ねたのか、ようやく夫も理解してくれ、2人で病院に通い始めました。 タイミング療法からスタートしたものの…病院で2人ともカウンセリングと検査を受けましたが、さほど悪いところはなく、タイミング療法から始まりました。4回の注射と飲み薬を試したときに熱が出て治療を中止。熱が下がってから再び病院に通い始めたら、「良い卵ができているよ。これなら妊娠できるかも」と先生に言われ、本当にその後検査薬で陽性反応が出ました! が、すぐに出血と激しい腹痛があって初期流産してしまいました。どうしてもあきらめきれず、その後人工授精にステップアップしてみましたが、妊娠しませんでした。 体外受精で妊娠できた!「あんまりガクッと気持ちが落ちていると良い卵ができないよ。少し治療をお休みして、気晴らしに短時間のパートに行ってみたら?」と病院の先生にすすめられて、1年くらい不妊治療を休んでキッチンのパートを始めました。 その職場では子持ちの主婦の方が多く、私の流産の話や、それでも赤ちゃんが欲しいという話をやさしく聞いてくれました。何より驚いたのは20代の若い子たちが案外体外受精で妊娠していたこと。私には知らない世界でパアッと視界が開けてきました。久しぶりに不妊治療を再開し、先生に体外受精に挑戦したいと前向きに伝えました。職場の方が手術を応援してくれ、何とかおなかに子どもを授かることができました。 不妊治療中は本当に不安で落ち込む日もありました。しかしパートに行き、同じ境遇、悩みを持つ仲間たちとお互い励まし合いながら情報交換していったことで、成功に繋がったのだと感謝しています。まさか私が体外受精をすることになるなんて夢にも思わなかったけど、赤ちゃんがおなかの中にきてくれただけで幸せです。パートの仲間たち、ありがとう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/おもち 著者:藤田 好美第1子、男の子を妊娠中。現在、妊娠9カ月。体外受精の移植手術を機に仕事を辞め、現在は専業主婦。
2021年08月09日不妊治療体験者の声を取材した連載、第5回目となる今回は、夫の不妊治療手術を経て不妊治療を乗り越えた霧野志保さん(31・仮名)の場合。なかなか授からない原因が夫側にあることが判明。夫の手術、職場のパワハラ、流産を経て、待望の赤ちゃんが誕生するまでのお話です。 「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは「べビカレ特集」として、妊娠、出産、子育てなどママたちを取り巻く現状やさまざまな課題を問題提起し、取り上げています。今回は「不妊治療」について。仕事と不妊治療の両立が難しい現代の「不妊治療への理解」について考えます。 「不妊」という問題を、夫婦どちらかが過剰に背負うのではなく、「夫婦2人の問題」ととらえ、不安や痛み、悲しみや希望を分かち合い、二人三脚で不妊治療を乗り越えた夫婦の物語、霧野志保さん(31・仮名)の場合、第3話です。 「もしかして着床出血?」気付いたのは夫だった暑さも和らぎ、今度は排卵誘発剤の自己注射を加えた、人工授精にステップアップすることになった。 朝起きてすぐ、おなかや太腿に針を刺す。夫は注射のための準備や朝の家事を手伝い、「痛いよね」「ありがとうね」と寄り添った。痛みに耐えるたび、わが子への思いを新たに噛み締めた。 そろそろ生理だなと思ったころ、出血があった。でもどうもいつもと違う。だらだらと出血が1週間続いた。 「着床出血じゃない? 妊娠したんじゃない?」と先に言ったのは夫のほうだった。 このころになると、夫も妊活に関する知識が増えていた。本やネットで勉強し、「着床出血」という現象まで知っていたのだ。でも志保さんは半信半疑だった。前回の流産を思い出すと、自宅で妊娠検査薬を使う勇気は出ない。また守りきれないんじゃないかーー。怖くて自分では確かめられず、病院へ行った。待望の妊娠! 無理解な女性管理職とも距離が置けるように「おめでとう」 医師は、温かい微笑みとやさしい声で、確かにそう言った。 「宝物が宿ったとわかった瞬間でした。心配と不安はありましたが、何があっても守りたいという思いを強く持ちました」。 妊娠がわかったのは2020年の1月。折しも、新型コロナウイルスが国内に広がり始めたころだった。職場である学校は休校になり、仕事はリモート中心の勤務体制に。職場で大きなストレスを抱えていた志保さんにとって、ベストな環境で妊娠初期を過ごすことができた。 妊娠中の家事は夫が積極的にやってくれた。休校が明けても心療内科で書いてもらった診断書を理由に休みを継続し、そのまま産休に入った。 「もう職場への不信感は、たまりにたまっていました。女性の管理職に流産を報告した時、『私はちゃんと2人育てたわよ』と言われ、いざ産休に入ろうとすると『妊娠は病気じゃないんだから』と釘を刺されました。タイミングよく産休に入ることができ、私は子どもを守らなきゃと思っていましたけど、結局おなかの子どもに守ってもらい、助けられたんです」 切迫早産で入院するも無事に出産、「すべてが報われた」産休直前の妊娠32週目。里帰り出産に備えて実家近くの産婦人科へ妊婦健診に行ったところ、切迫早産で即日入院に。コロナ禍で面会も許されず、ひとりで出産の日を迎えた。陣痛の痛みは、わが子の存在の重さだと感じた。「愛しいわが子をこの手に抱いたとき、すべてが報われたと思いました。この子のために強くあろうと思っていたけど、それは同時にこの子がいるからこそ強くなれるんだっていう確信に変わりました」 不妊治療を乗り越えるためには、支えとなる強い気持ちが大切こうして無事に不妊治療を乗り越えた志保さん。「支えとなる強い気持ちが大切」と振り返る。 「子どもが欲しいという気持ちを夫婦で共有することが大切です。なかなかデリケートな問題で話しづらいですが、恥ずかしさを捨てて、これからどうしていきたいか、子どもができたらどう育てていくかを2人で話し合って支え合い、行動することが大切です。不妊治療はどこまでやるのか、というビジョンも必要です。不妊治療はひとりだけではできないですから」 さらに「職場や社会の厳しい目や無理解にも負けない力」も大事だと続ける。 「私の場合、妊活の後半は『夫が理解してくれるからいい』『子どもを大事にできればいい』『職場はもういいや』と割り切ったらラクになりました。不妊治療に対する世間の理解はまだまだです。もしかすると、核家族化で“子どもは地域の宝”という意識が薄れているのかもしれません。補助金も制度もまだまだ足りないと思いました。でもわが子を自分の手に抱く瞬間、何ものにも代えがたい感動を知ります。いろいろ困難はあるけれど、あきらめないことが肝心です」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年07月31日「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは「べビカレ特集」として、妊娠、出産、子育てなどママたちを取り巻く現状やさまざまな課題を問題提起し、取り上げています。今回は「不妊治療」について。仕事と不妊治療の両立が難しい現代の「不妊治療への理解」について考えます。 「不妊」という問題を、夫婦どちらかが過剰に背負うのではなく、「夫婦2人の問題」ととらえ、不安や痛み、悲しみや希望を分かち合い、二人三脚で不妊治療を乗り越えた夫婦の物語、霧野志保さん(31・仮名)の場合、第2話です。手術は成功、人工授精にステップアップ手術は無事に成功した。日帰り手術だったが、ぐったりと疲れた様子だった。麻酔が切れるとひどく痛むようで、痛みに強いはずの夫が、珍しく顔をしかめていた。術後は1カ月ほど痛みが残った。その回復加減を見ながら、排卵誘発剤を使い、いよいよタイミング療法が始まった。 しかし、そう簡単に成果は出ない。医師のアドバイスに従い、早々に人工授精にステップアップすることになった。 「ステップアップすることにためらいはありませんでした。『やれるだけのことはやろう』って2人で決めていましたから。不妊治療を始める当初から、体外受精や顕微授精は金銭的なハードルが高くて難しいけれど、人工授精まではチャレンジするつもりでした」※体外受精、顕微授精には公的補助があります。2021年1月から体外受精には、1回最大30万円に増額された補助金がでます。2021年から、補助金に対して年収制限は廃止になりました。入籍または事実婚が必須条件です。補助金回数は、女性40歳未満は6回まで、40〜43歳未満は3回までとなり、43歳以上は対象外です。不妊治療への理解が得られない職場のストレスを抱えて人工授精への挑戦が始まる頃、志保さんは職場で大きなストレスを抱えていた。不妊治療への職場の理解が得られない、または言えないことに悩む人は多い。 そもそも不妊治療と仕事の両立は、日本の社会ではまだまだ難しい。ベビーカレンダーが行ったアンケート調査でも、75%の人が職場の理解が「ない」「どちらとも言えない」と答えている。 さらに、仕事と不妊治療を「両立できなかった」という人は約20%いた。この数字からも、不妊治療を理解し、サポートしてくれる社会づくりがこれからの重要な課題であることが見て取れる。 中高一貫校の先生として働いていた志保さん。不妊治療中の職場の人間関係は、「最悪だった」という。男性の同僚からのパワハラ、そのことを相談した女性管理職からのパワハラ。 そんな環境では不妊治療について理解を得られるはずもないと考え、治療による早退や欠勤のたびに「歯医者なので」などと嘘をついてやり過ごしたが、精神的な負担はどんどん積み重なっていった。 初めて陽性反応も初期流産でお空へ。職場ストレスを悔やむ日々そんな日が続いたある夏の日。そろそろ生理が来ると思いながらも予兆がなかったので検査薬を使ってみた。陽性を示す線がじわじわと浮かび上がってくるのに合わせて、じわじわと涙がこみあげた。夫は泊まりがけの出張で不在。喜びと驚きでいっぱいになり、メールで写真を送信した。 「今回、うまくいったみたい!」 しかし、喜びも束の間、流産という悲しみに包まれることになる。ちょうど陽性が確認できた頃、志保さんは職場であらぬ濡れ衣を着せられ、上司から密室で叱責を受けた。そのことがきっかけで気持ちがひどく塞ぎこみ、体調を崩し、吐き気と過呼吸で心療内科に通うように。そして出張先で腹痛と吐き気がひどくなり、ついに出血。 いつもと違う出血の状況だった。嫌な予感がした。急いでかかりつけ医に駆け込んだが、授かった命はもうそこにはいなかった。 「初期の流産ですね」 なじみの中年女性医師は静かに言った。 「このタイミングでの流産は、医学的に何もできないの。次に備えて薬を飲んでね。初期の流産はお母さんのせいじゃないから」 医師の言葉は、頭の中をすべるように通り過ぎていった。 「人間ってショックを受けた時は、何も考えられなくなるもんなんだなって思いました。何も考えられないまま、何日間か呆然と過ごしました。食事も喉を通らず、とにかく涙に暮れてばかりでした」 呆然としながらも、妊娠初期に受けたパワハラへの悔しさが込み上げてきた。「あの時受けた精神的ストレスが流産の原因になったのでは」と考えたからだ。「守ってあげられなくてごめんね」と自分を責めた。 「初期の流産はお母さんのせいじゃない」この医師の言葉が、闇に吸い込まれそうな心を支えてくれた。 夫は一緒に涙を流してくれた。「いつか生まれてくるわが子に、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいたってことを話そうね」と泣きながら話す夫。かけがえのない存在であることを再確認した。こうして初めて宿った命は、検査薬の陽性のラインだけをくっきり残し、風とともに夏の空に吸い込まれた。 待望のわが子を流産してしまった霧野さん。夫婦で涙を流し、悲しみを共有します。そして、次回不妊治療をステップアップすることに。 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年07月30日「不妊治療をしています」「していました」ということをなかなか周りの人たちに言いづらかったのですが、勇気を出してカミングアウトすることで、職場で配慮を受けられたり、仲間が見つかったりすることがありました。「不妊治療をしている(いた)ことを周りに伝えてよかったな」と感じた私の体験談をお伝えします。 不妊治療のため、勤務時間を調整してもらえた 不妊治療を始める前は、フルタイムのパートとして週5日、1日8時間働いていました。でも、不妊治療を始めると、治療のために休みがちになってしまいます。しかも病院からは「生理1〜3日目までに来てください」とか「次は明後日来てください」と言われるので、前もって通院の予定が立てられません。 はじめは「不妊治療するなら、仕事を辞めるしかないのかなぁ」と思ったのですが、ダメ元で上司に「不妊治療を始めたいので、勤務時間を短くしてほしい」とかけあってみることにしました。上司は驚きつつも快く承諾してくれて、短時間勤務だけど健康保険もそのまま加入し続けられるように配慮してくれました。 短時間勤務になったあとは、可能な限り勤務後の時間に通院の予約を入れるようにして、できるだけ仕事を休まないように調整し働き続けることができました。もちろんどうしても休まないといけないこともありましたが、上司も事情をわかってくれているので、後ろめたい思いをすることもなかったです。仕事を辞めなかったことで、妊娠後も働き続けることができ、産休・育休もとらせてもらって育休給付金を受給できたので、経済的にも助かりました。職場には感謝していますし、勇気を出して伝えてよかったなと思っています。 SNSで同じ悩みを持つ人と繋がった不妊治療は夫婦で取り組むものですが、一般的に通院回数などは女性のほうが多く、精神的にも肉体的にも女性にかかる負担の方が大きくなりがちだと思います。 私は不妊治療中、夫がつらさをあまり理解してくれていない気がして、気が滅入ってしまうことが多くありました。 例えば、年賀状を見ているとき。夫が「俺たちよりあとから結婚した友だちのところに子どもが生まれたんだって、早いよね」と言ってくるのです。夫に悪気はないのですが、「なんでわざわざ神経を逆撫でするようなこと言うの?」と苛立ってしまいました。 そんなときに逃げ込んだのがSNS。不妊治療中の見ず知らずの人たちと繋がり、夫への愚痴ツイートや、「つらい、しんどい」というツイートにコメントしあうことで心が晴れて、「また治療頑張ろう」という気になれました。私はSNS上では本名を公開していなかったので匿名ではありますが、治療内容や思いをオープンにすることで、心のバランスを保っていた気がします。 ママ友との絆が深まった体外受精をして第1子を授かって2年、再度体外受精にチャレンジして第2子を妊娠することができました。 そのころ公園で仲良くなったママ友と話していると、そのママ友が「うちも2人目が欲しいけど、なかなかできないからうらやましい」と打ち明けてくれました。 私が「実はうちは2人とも不妊治療で、体外受精でね……」と伝えると、ママ友は驚きつつ「いや実はうちも今クリニックに通い始めて人工授精から始めていて……ねぇねぇ、最終的にいくらかかった? 体外受精の体への負担ってどうだった?」と、 かなり会話が弾み、自分の経験をママ友に伝えることができました。悩みを共有するもの同士、絆が深くなった気がしますし、そのママ友とは引越して離れたあとも連絡を取り合う仲です。 不妊治療中はいろいろなことをひとりで抱え込んで悩んで孤独になりがちでしたが、会社にも理解ある人がいたり、周りの友だちにも不妊治療中の人がいたので、勇気を出してカミングアウトしてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/しおみなおこ 著者:矢野あい子2歳の女の子、0歳の男の子の母。子どもは2人とも体外受精で授かる。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター しおみ なおこフリーランスイラストレーター。女性向け媒体をメインに、「大人かわいい」テイストのガールズイラストを描いています。夏とワインが好き。
2021年07月27日経血量が少なく、生理周期も長めの私。平均して40日周期、長いときは60日周期だったこともあります。若いころは「ラクできてラッキー!」と思っていたのですが、妊活が現実味を帯びてくると、この生理不順に苦しめられました。 周期が長く、量も少ない私の生理事情私は、小学校高学年で生理が始まりました。このとき以降、私の生理周期は乱れたものになり、平均して40日、長いときは60日、間が空くことも。また、始まったとしても量が少なく、初日こそ量は多いものの、その後はナプキンを交換する必要を感じられないほど少量、というパターンがほとんどでした。若かった私は、こんな自分の生理の様子を、疑問視することもなければ不安がることもなく、むしろ「生理の回数や量が少なくてラッキー!」と思っていたのです。 29歳で妊活。でも必要だったのは不妊症の治療それから29歳で結婚し、間もなく妊活を始めます。が、思い出したのです。私が多嚢胞性卵巣症候群だったことを……。実は20代のころ、生理不順を改善しようと婦人科を受診したことがありました。このとき判明したのが多嚢胞性卵巣症候群。不妊につながる場合が多く、子どもを望んだときにすぐ妊娠できないことがあるので「治療することもできますよ」と医師にすすめられたのですが、当時、その予定がなかった私は「まだ先の話になりそうだな……」と思って治療を断ってしまったのです。そのため私は、不妊治療から始めなければなりませんでした。不妊治療はつらかったです。タイミング法、人工授精、体外受精とおこなったのですが、人工授精から体外受精のステップアップに現実味がなかったり、30歳目前で焦る気持ちが大きくなったり。なにより「治療をすればすぐに妊娠」と思っていただけに、なかなか妊娠しないことに精神的ダメージを受けました。 「あのとき断らなければ…」と治療の遅れを後悔それでも治療開始から2年。30歳で始めた人工授精がようやく実を結び、31歳のときに妊娠。無事、娘を授かることができました。 病名がわかって治療をすすめられたとき、「先の話だから」と簡単に断ってしまったことを後悔しています。妊娠を望まない時期であれば、低用量ピルを服用して治療する方法があることも病気をきっかけに知りました。「妊娠を希望したときではなく、もっと早くから治療を開始していれば」「早期治療で生活習慣を整えていれば」これほど苦しまずに妊娠できたかも……と思わずにはいられません。つらい不妊治療を経験したのも、根本をたどれば生理不順。ひどい生理痛や経血量が多い場合だけでなく、量が少ない、周期が長いといった症状でも婦人科を受診しておいたほうがいいよ、と若いころの自分に伝えたいです。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/赤井 華さん
2021年07月19日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は42.4万人でママたちの間でも話題になっています。今回は、46歳で12人目を出産したHISAKOさんが、高齢出産のリスクについて語る動画をご紹介! 12人目がどうしても欲しかった! まずは、12人目の不妊治療について教えてくれました。HISAKOさんは前の旦那さんとのお子さんが10人います。再婚して、11人目となる今の旦那さんとのお子さんが1人生まれただけでも最初は十分と思っていたそうです。でも、どこかで11人目のお子さんと同じ遺伝子を引き継いでいる兄弟を作ってあげたいと思ったそう。 「上の兄弟たちに失礼かもしれないけど、自分の気持ちに嘘つかんとこ!」と明るく本音を話してくれるHISAKOさん。 できることは全部やって、それから諦めようと44歳で不妊治療をスタートしました。しかし、顕微受精を5回行っても妊娠できませんでした。やれることはやったからあきらめようと言いつつ、手帳には排卵の日にハートマークをつけていたそうです。45歳の1年間はそんなふうに過ごしていました。46歳になってそれももうやめようと決めて、普通に過ごし、でも避妊はしないでいたら、なんと自然妊娠が判明! 妊娠が継続するとは思っていなかった 助産師であるHISAKOさんは、46歳での自然妊娠率、流産率などを考えて、奇跡で妊娠はできたけれども、「きっと流産するな」と思ったそうです。ところが、流産せずにお腹の子は乗り切ってくれました。 46歳の妊娠の心配は流産だけではありません。例えば、染色体異常であるダウン症のリスクは、20代であれば1万分の1ですが、35歳になると300分の1に、46歳になると30分の1になるそう。実際にHISAKOさんも出生前診断について考えました。 でも、出生前診断でわかるのは一部の染色体異常のみ。それ以外にも生まれてこないと分からない異常もたくさんある。さらに、生まれたときは元気でも、そのあと病気や怪我をすることもある。そう思ったら、「そんだけわかって、だから何なん?」と思ったそう。 来るもの拒まず受け入れるしかない 結局は、受け入れるしかないというという結果になったHISAKOさん。でも、不安がないとか、すごい覚悟があるとかそういうことではないと言います。「不安ですよ、一緒やで私も」と。今は、障害があたったりしても受け入れると思っているけど(当時妊娠28週)、実際に生まれてきたらどうなるかわからないと話しています。最終的には、出生前診断は受けないことにしたそうです。 このあと9番目の子どもが生まれてすぐに耳の検査に引っかかったこと、7番目の子どもが発達障害であること、2人とも妊娠中は何も問題がなかったことも話してくれています。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年07月11日天明麻衣子さんは東京大学文学部を卒業後、NHK仙台放送局契約キャスターとして活躍。スペインに1年弱移住しながら、一般企業勤務を経て2014年に結婚。帰国後はフリーアナウンサーとして幅広い活躍をおこなっています。また、2021年の4月からは東京大学の大学院に入学し、現在は第一子を妊娠中。7月にご出産を控えています。前回はコロナ禍の妊娠や、妊娠中に東大の大学院院を受験したときのお話などを聞かせていただきましたが、今回はコロナ禍の出産事情を中心に、お話しを聞かせてもらいました。今回は不妊治療の際、血液検査で判明したという「橋本病」についてもお答えいただきました。 不妊治療時の血液検査で判明した「橋本病」画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー2021年5月18日のInstagramで検査を受けたところ、「(※1)橋本病」が判明したとの投稿を拝見しました。妊娠中は早産や流産の原因にならないよう投薬が必要ということで、現在は甲状腺専門の病院にかかり、服薬しているそうですね。検査がキッカケで判明されたようですが、どのような検査だったのでしょうか? 天明さん:不妊治療のときにみんながやるような普通の血液検査でした。 ー甲状腺専門の病院には、どれくらいのペースで通院していますか? また、お薬はいつまで飲まなければいけないと言われていますか? 天明さん:大体月に1回ほどで定期的に通院しています。薬は出産まで飲むような形になっていて、医師からは「出産したらまた来てください」と言われています。 ー橋本病とわかってから、ご自身が現在大変だと思っていることは何かありますか? 天明さん:わりと私は症状がないほうなので、大変だなと思っていることは実はあまりないんです。毎朝起きて薬は飲んでいますが、それだけなので特に苦にはなっていないですね。 ーパパの反応はどのような感じでしたか? 天明さん:夫もあまりその辺りのことは詳しくないので「薬飲んで大丈夫ならいいんじゃない? 」という感じでしたが、普通の妊娠で通っている病院とはまた別の専門病院に通院しなくてはならないので、「ダブルで大変だね」というような感じで気遣ってくれています。 (※1)……自己免疫の異常により、甲状腺に慢性的な炎症が起こる病気です。主な症状としては、全身のむくみや無気力、だるさを感じやすい、寒がり、体重増加、便秘、かすれ声などが挙げられます。女性に多い病気で月経不順、不妊や流産の原因になることもあるため、症状がみられたら早めに病院に相談することが大切です。 産後の体の回復を考え、出産方法は無痛分娩を検討中画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー出産方法は何を考えていますか? 天明さん:私の通う病院では、実際出産するときに出産方法を選べる感じです。なので、無痛分娩でも可能なように予約はしている状況ですね。すでに、無痛分娩に関する講習を受けていて、病院の先生からは「必要になったら、いつでも対応します」という感じで言ってもらっています。 ー今の時点では、無痛分娩で出産したいと思っているのでしょうか? 天明さん:そうですね。できれば痛くない方法で出産できればありがたいかなと思っています。 ー無痛分娩で産みたいと思う理由は、出産時の痛みに対する不安だけでしょうか? 天明さん:友達が無痛分娩で何人か産んでいて、第一子、第二子で違ったという人もいたんですけど、「体の消耗具合などが全然違うし、おすすめするよ」と言われて、それを聞いていいなと思いました。やっぱり産んで終わりじゃないのと、初めての育児ということもあり、できるだけ体のコンディションが良い状態でお世話したいなと思いまして。 ーパパには無痛分娩を希望していることをお話ししましたか? 天明さん:はい。無痛にしたいというのは話しています。夫は「出産する本人に任せます」という感じで賛同してくれていますね。 ー今、コロナ禍で両親学級が中止になっているという話も聞きます。天明さんは参加しましたか? 天明さん:私は区と病院の両方で受けることができたんですが、区のほうは私だけ参加してオンラインで受けました。病院のほうは夫と2人で行ったのですが、そのときはマンツーマンで教えてくれましたね。 ー立ち会い出産などに制限をかける産院さんも多いようですが、その辺りはいかがでしょうか? 天明さん:私の通っているところは、1人だったら入れる感じです。今回初めての出産になるので、荷物どうしようとか、水飲みたいときに自分だけだとキツイかなというのもあり、サポート要員として夫に付き添ってもらう予定でいます。あとは急に帝王切開になったときなど、サインが必要だったりすることもあるかもしれないので、誰かしらいたほうがいいなぁと思っていて。 ーそうなのですね。パパは立ち合い出産を楽しみにされている感じでしょうか? 天明さん:「足手まといにならないかなぁ……」という心配そうな感じでしたね。ただ、私も出産が初めてなので、「そんな自発的にしなくていいから、頼まれたことをやってくれればいいから」という感じで伝えています(笑)。 ー里帰り出産は特に考えなかったですか? 天明さん:母が亡くなっていて、父は横浜にいるんですけど、父が戦力になるかは微妙なので……(苦笑)。あと、荷物とかいろいろ用意することを考えると、住み慣れた家のほうがいいかなぁと思いました。なので出産を終えたら、向こうが来るのか、こっちが行くのかは分かりませんが、子どもの顔を見せられたらと思っています。 みんなで子育てをして、余裕のあるママでいたいー子育てをするとき、どんなことにこだわりたいと思いますか? 天明さん:みんなで子育てをしたいな思っています。なので、私だけで子どもを独占するのではなく、子どもと夫だけの時間だったり、シッターさんとかにも来てもらって、私以外の人と過ごす時間というのを子どもに慣れて欲しいというのは若干ありますね。例えば、私もママだけど1人でカフェでお茶をしたり、本を読んで勉強するなど、自分の時間をある程度は確保したいなと思っています。 ーどんなママになりたいですか? 天明さん:なかなか難しそうですが、余裕のあるママになりたいです。使えるツールなどを使って精神的、時間的なゆとりを持ちつつ、イライラしないママになりたいです。余裕がないと子どもにも結構つらく当たっちゃう気がするので、なるべくイライラを減らしたいなと思っています。 ーこれからママになる方に、メッセージをお願いします! 天明さん:私もこれからママなる立場なので、全然偉そうなことは言えないんですけど……。不安になったり、つらくなったりすることもあると思うんですけど、ネットとかを見て救われることもあれば、逆に追い詰められてしまうこともあると思うんです。なので、最後は自分を信じることが大事だなと思います。適度に気分転換などをしながら、肩の力を抜いて一緒に頑張っていきましょう! この度は取材にご協力くださり、誠にありがとうございました! インタビューでは「余裕のあるママでいたい」と話していた天明さん。「イライラを減らしたい」と話すその表情は未来をしっかりと見据えていて、ママの顔になっているなと感じました。いよいよ、もうすぐ赤ちゃんに会えますね。産後はいろいろと忙しくなるかと思いますが、ときに肩の力を抜いて天明さんらしく頑張ってくださいね! PROFILE:天明麻衣子さん東京大学卒業後、NHK仙台放送局契約キャスター、大手外資系金融機関といった経歴を持つフリーアナウンサー。著書として「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」「東大・NHK・外資系金融で学んだ、ビジネスで成果を出し続ける本物の勉強法」「時短勉強術」などを出版。2021年4月から東京大学の大学院に入学。第一子を妊娠しながら大学院生活を送っている。 監修者:医師 横浜市立みなと赤十字病院産婦人科副部長 池谷 美樹 先生岐阜大学卒業、日本赤十字社医療センターで初期研修後、同センター常勤医師として勤務、東京慈恵医科大学産婦人科講座入局、博士号取得、国立成育医療研究センター周産期診療部勤務、日本赤十字社医療センター産婦人科勤務を経て、現在は横浜市立みなと赤十字病院産婦人科副部長。
2021年07月10日天明麻衣子さんは東京大学文学部を卒業後、NHK仙台放送局契約キャスターとして活躍。スペインに1年弱移住しながら、一般企業勤務を経て2014年に結婚。帰国後はフリーアナウンサーとして幅広い活躍をおこなっています。また、2021年の4月からは東京大学の大学院に入学し、現在は第一子を妊娠中。7月にご出産を控えています。前回は、ご自身の妊娠や不妊治療について伺いました。今回はコロナ禍の妊娠についてや、妊娠中に東大の大学院院を受験したときのお話などを取材させていただいています。また、現在妊娠中でありながら、大学院に通っているという天明さん。コロナ禍のリモート大学院生活についても、いろいろとお話ししてくださいました! コロナ禍の妊娠は、思ったほどデメリットはないと感じた画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー妊娠が分かってから、気を付けていたことは何かありますか? 天明さん:朝早い番組を担当していたこともあり、睡眠時間がわりと短くていつも5時間くらいしか寝られていなかったんですけど、なるべく6時間弱くらいは寝られるように工夫したりしていました。あとは、年末年始の時期だったので、食べすぎて体重を増やしすぎないように気を付けていました(笑)。 ー妊娠が分かってから、パパがサポートしてくれていると感じることは何かありましたか? 天明さん:重い物を持ってくれたり、家事をやってくれたりとか。あとは、私自身が結構階段とかで転びやすいんですけど、一緒にいるときには注意を促してくれたりするなど、物理的な面でサポートしてくれています。 ー天明さんご自身は妊娠してから、心境の変化などはありましたか? 天明さん:安定期に入るまでは、健診のペースとかも間隔が空いていたりとかして、普段あんまり意識することはなかったですね。ただ、安定期に入ってくると健診のペースも短くなったりとか、おなかのなかで赤ちゃんが動いたりすると、「あぁ、自分のなかに赤ちゃんがいるんだな」と実感するようになりました。 ー天明さんの場合ですが、不妊治療をされていたタイミングがコロナ禍と重なったという認識で合っていますか? 天明さん:そうですね。自分の年齢を考えて治療に取り組んでいたタイミングが、たまたまコロナ禍であったという感じです。 ー「コロナ禍だから、妊娠するのを辞めよう」と思う方もいるそうです。天明さんはコロナ禍の妊娠についてどう思いますか? 天明さん:コロナ禍であるからこそ、逆に周りも気を付けていて、よっぽど例年より衛生面にみんなが気を付けている気がします。私はどちらかというと、コロナ禍だからどうせ出歩けないし、妊娠してもいいかなぁとは思いましたね。 ーそれではコロナ禍の妊娠は、不安や葛藤は特になかった感じでしょうか? 天明さん:はい。私は思ったほどデメリットもなかったかなという感じでした。 ーそうでしたか。とはいえ、初めての妊娠ということで、メンタル的につらかったことなどはなかったでしょうか? 天明さん:安定期に入るまでは、妊娠したことを言わないほうがいいのかなぁというのがあって、言いたいのに言えないという時期がつらいなと感じました。例えば、ほかの人の妊娠や子育ての話のときに「実は、私も妊娠しているんです」と言いたいのに言えないというか、まだタイミング的に言わないほうがいいよなと思ったり……。その時期は歯がゆいなと感じましたね。うちの親とかにも言わず、妊娠のことは夫と私だけで共有していました。 妊娠中に受験! 合間に健診へ行き、さらにお仕事と多忙な日々画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー今年の4月から、東大の大学院の東大の公共政策学教育部に入学されたのですよね。妊娠しながら受験勉強をして、さらにお仕事もされ、クリニックにも通い……となると、かなり多忙な印象なのですが、当時を振り返るといかがでしたか? 天明さん:そうですね。クリニックにiPadとか持って行って、待ち時間に勉強したりはしていました。肉体的にはレポート書かなきゃいけなかったりとか、いろいろ大変だったのですが、複数のことを同時進行でおこなうことで気が紛れていたというか……。気持ちが分散していたという面ではラクだったなと思います。 ー 複数のことを同時進行にとなると、いっぱいいっぱいになってしまいそうに思うのですが……? 天明さん:妊活のことばっかりを考えるのも、個人的にはしんどいかなと思っていたので、ほかに意識が向けられるものがあって良かったと思っています。また、今回はコロナ禍ということもあり、大学院の入学試験もオンラインに変わったりとか、その場に行かなくて良かったので、時間の調整とかもしやすくて助かりました。 ー受験勉強をしながら、お仕事もされて、合間に通院していたときのスケジュールってどんな感じだったのでしょうか? 天明さん:朝の番組を担当していたのですが、それが朝9時くらいに終わるので、その後病院に行ってすき間時間に勉強をしているという感じでした。仕事のメインが朝の時間帯だったので、病院の時間帯と重ならなかったので、良かったなと思います。 ー4月から大学院生活が始まったと思うのですが、いかがでしょうか? 天明さん:コマ数的には結構取っているんですけど、私が取っている授業は全部オンライン授業なので、家で講義を受けられるのは助かっています。 画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー実際に大学院の講義を受けられてみていかがでしょうか? 天明さん:一緒に講義を受けている人と友達になるというのはなかなか難しいんですけど、スラックというSNSでグループを作って、課題で分からないことがあったら相談したりすることはできています。ほかには、海外の交換留学的な感じで、インドや中国など海外の大学の方も参加しているので、そういう人たちが受講できるのはメリットがあるのではと思いました。 ーリモート講義を受けていて、問題はない感じですか? 天明さん:そうですね。グループ作業が必要な場合は、「今週何曜日何時から空いてます」みたいなアンケートを取って、zoomでみんなでグループワークをしています。その際、Miroというオンライン上でホワイトボードに付箋を貼って作業できるツールがあるんですけど、それを使って最近はわりと作業をしている感じです。いろいろ便利なツールがあるので、結構リモートでもできちゃうじゃん! といった感じですね。 ーコロナ禍で経済政策を勉強するために大学院に入られたということですが、今学んでいることを今後どのように活かしていきたいと思いますか? 天明さん:経済番組を今仕事でやっていて、スタートアップの取材をさせてもらったりとか、経営者の方を番組に招いていたりするんですが、まだスタートアップが頑張っている領域って、規制が多かったりするんですよ。例えば仮想通貨だったり、遺伝子の研究とかだったりいろいろあるんですけど、行政の対応が遅い影響により、ほかの国が先に追い越してしまうというのがあるので、スタートアップの環境をどうやって整えていけるのか、ということを考えていけたらなと思っています。 天明さんは「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」など、効率を重視した書籍を出版されていますが、ご自身でも同時進行でいろいろなことにチャレンジしていて、とてもバイタリティのある方だなと思いました! さて、配信3回目となる次回は、いよいよインタビュー最終回! 血液検査で判明したという橋本病についてや、出産の方法などを伺っています。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:天明麻衣子さん東京大学卒業後、NHK仙台放送局契約キャスター、大手外資系金融機関といった経歴を持つフリーアナウンサー。著書として「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」「東大・NHK・外資系金融で学んだ、ビジネスで成果を出し続ける本物の勉強法」「時短勉強術」などを出版。2021年4月から東京大学の大学院に入学。第一子を妊娠しながら大学院生活を送っている。
2021年07月09日天明麻衣子さんは東京大学文学部を卒業後、NHK仙台放送局契約キャスターとして活躍。スペインに1年弱移住しながら、一般企業勤務を経て2014年に結婚。帰国後はフリーアナウンサーとして幅広い活躍をおこなっています。また、2021年の4月からは東京大学の大学院に入学し、現在は第一子を妊娠中。7月にご出産を控えています。 今回はそんな天明さんに、妊娠についてお話を伺っています! 初めて妊娠したときの気持ちについてや、不妊治療をされていたということで、不妊治療についてもお話を聞いてみました。 第一子の妊娠は、サプライズ的な驚きはなかった画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー2021年7月にご出産予定で、現在は体調のほうも良好とのことですが、妊娠初期のつわりなどはいかがでしたか? 天明さん:つわりと言うと吐き毛がしたり、匂いがダメとか、特定の物が食べられなくなることをイメージしていたのですが、そういうのは特になかったです。食べる量も変わらなかったし、特定の物だけをすごく食べたいとかいうのもなくて。ただ、あえて言うなら眠気が強かったような気がします。あと、集中力が落ち気味だったかなぁと思いますね。 ーそうだったのですね。ご自身の妊娠がわかったときは、どのようなお気持ちでしたか? 天明さん:実は不妊治療をしていたので、サプライズ的な驚きというのはなかったんです。ただ、今まで自分が妊娠できるということをイメージできていなかったので、一番始めに妊娠検査薬で陽性の結果を見たばかりのときは、どこか現実的ではない感じがしましたね。 ー不妊治療をされていたとのことですが、どれくらいの期間をされていたのでしょうか? 天明さん:病院に通ったのは1年ちょっとくらいです。タイミング法から始めたのですが、最初の体外受精で妊娠しました。 ー体外受精で妊娠されたのですね。ちなみに、妊娠報告を聞いたときのパパの反応はいかがでしたか? 天明さん:私が不妊治療を頑張っていたのを見ていたので、喜んでくれましたが、「まだまだ何があるか分からないしね」といった感じで、抑えめな喜び方をしていましたね(笑)。 無排卵月経がキッカケで通い始めたレディースクリニック画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ーお二人とも「子どもは欲しい」という考えだったのでしょうか? 天明さん:私が今年32歳で夫が39歳になるので、「お互い30代のうちに子どもが生まれたらいいね」という話は、なんとなく話していました。 ー初めてレディースクリニックに行かれたのは、何がキッカケだったのでしょうか? 天明さん:25歳のときに結婚して、妊活は30過ぎくらいから始めようかなぁとぼんやり考えていたんです。ただ、朝早い仕事をしていたのもあって、1回レディースクリニックで体をみてもらったほうがいいとは思っていて。それで、30歳くらいのときに初めてレディースクリニックに行ったんです。そのとき、内診をしてもらったんですが、それがキッカケでほかの検査も受けてみようということになり、不妊治療に進んでいきました。 ー不妊治療を進めていくにあたり、新しいレディースクリニックを探されたりしたのでしょうか? 天明さん:初めて行ったのは、家の近所の小さいクリニックだったのですが、本格的にみてもらおうかなと思ったときには、ちゃんとまた調べ直して体外受精までおこなっているところを探しました。 つらいときはアピールして、ストレスを溜めないように…ー不妊治療をおこなう際ですが、パパはどのようなサポートをしてくれましたか? 天明さん:そうですね。「金銭的なことは全然気にしなくていいよ」とは言ってくれました。ほかには、薬を飲むと結構しんどいなぁと思うこともあったんですが、そういうときには家事を変わってくれましたね。ただ、言わないと伝わらないだろうなぁと思ったので、何かあれば結構自分から言うようにしていました。 ー不妊治療中はわりと女性側、男性側で温度差が生まれたりだとか、パパがつらさを分かってくれないなど、結構治療中につらい思いをされる女性が多いと聞きます。天明さん自身は、不妊治療に悩まれたり、つらい思いをされたことはありましたか? 天明さん:私は結構しんどいなぁと思ったらアピールするほうなので、そこまでストレスは溜めなかったです。ただ、やっぱり病院もすごく混んでいるし、毎月治療のために予定を調整していくのはしんどかったので、これは精神的にもあんまり長く続けるとキツイんだろうなぁとは思いました。なので、どんどんステップアップして、なるべく早く結果を出したいなと自分で思っていました。 ーそうですか。不妊治療中は言いたいことがなかなか言えず、モヤモヤしてしまう女性も多いと聞くので、お互いなんでも言えるご夫婦の関係って素敵ですね。 天明さん:私の場合、「今月はダメだったから、パーッてお酒飲むわ~」って言ったり、「今日は疲れたからお寿司買ってきたー! 」というような感じでやっていました(笑)。夫婦でおいしい物を食べたり、一緒にお酒を飲んだりと、2人で楽しめる気晴らしをしながら、治療中は過ごすようにしていましたね。 ー不妊治療に関しては、パパは協力的だったのでしょうか? 天明さん:そうですね。ただ、注射とかは苦手なんで、採血とかはちょっと嫌がっていましたけど(笑)。ただ、近所の病院だったのもあり、「この日は空けておいて」と言うと、都合をつけて来てくれたりと協力してくれていました。 ー不妊治療が保険適用化されるといった話題が出てきていますが、天明さんはどのようにお考えでしょうか? 天明さん:自分もやってみて驚いたのですが、不妊治療ってすごくお金がかかるんですね。本当は妊娠できるのに、お金がないから諦めるというのはもったいないと思うので、私は保険適用してもらえると助かるなぁと思っています。ただ、難しい問題なんですが、その予算も限られていると思うんです。そうすると、同じ財源であったら薄く広くではなく、年齢を絞って手厚くしたほうが出生率は上がる気はしますね。 インタビューを聞いていて、自分の思いを素直に伝えられる関係性は、とても素敵だなぁと感じました。不妊治療についてもいろいろ伺いましたが、真摯に答えてくださり、ありがとうございました! さて、インタビュー2回目となる次回は、コロナ禍での妊娠についての考え方や、妊娠中に大学院を受験したときのお話などを伺っています。次回の配信もぜひお楽しみに! PROFILE:天明麻衣子さん東京大学卒業後、NHK仙台放送局契約キャスター、大手外資系金融機関といった経歴を持つフリーアナウンサー。著書として「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」「東大・NHK・外資系金融で学んだ、ビジネスで成果を出し続ける本物の勉強法」「時短勉強術」などを出版。2021年4月から東京大学の大学院に入学。第一子を妊娠しながら大学院生活を送っている。
2021年07月08日体外受精レポ 第24話 2回目の移植日の話。 アシステッドハッチングすると2万円かかりました。自分でやるかどうか決めるのかと思ったら、「やっといたよー」って感じでびっくりしました(笑)。 後にお医者さんに聞いたところ、この病院では基本的にやるみたいです。胚の凍結・融解のリスクを下げるため、孵化してない状態で凍結→融解後にアシステッドハッチングするんだって。 でも胚の成長が速すぎると間に合わないこともあるんだそうです。 前回は8分割胚(細胞が8つ)でしたが、この回は胚盤胞という細胞が100個くらいの胚を移植しました。数日でこんなに変わるんですね! 移植前に突然ひらめいた考え……ですが、スピリチュアル的な何かではなく、自分が納得して「痛い手術を受けられる理由」を見つけたって感じです。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月04日体外受精レポ 第23話 2回目の移植日が決まったときの話。 1回目は新鮮胚移植だったので、半日足らずで終わったのです。2回目は凍結胚移植で1日がかり……でもほとんどは待ち時間……ということで、有給をとって通院することになりました。 ちなみに院内はwifi完備、当日の待ち時間はずっと仕事してたよー! 次は移植日の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。※胚移植の際は、移植する胚と子宮内膜の状態を一致させるため、排卵後におこないます。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月03日体外受精レポ 第22話 胚の成長確認の話。 今回は胚盤胞まで育てたので、成長確認のために2回電話をしました。電話、指定された時間通りかけるとなかなか繋がらないんですよねー。 胚の成長が止まってたら、ここまでにかけた30万くらいのお金が水の泡。すごくドキドキします心臓に悪い時間でした。 次はまた移植の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月02日体外受精レポ 第21話 採卵のあと初詣に行ったときの話。 子授・安産のパワースポット、水天宮に行きました。私が行った年が建て直してから初めてのお正月だったようで。正直だいぶ「思ってたんと違う」感があって、思わず漫画にしてしまいました。でも淡いピンクのお守りはかわいかった! 話がそれるんですけど、実家の父がめっちゃ気が短くて行列に1分も並べない人でして。 私、男の人に待たせる場面って、すごい気をつかっちゃうんですよね。旦那も亭主関白タイプだけど、並んで待つのは全然平気みたいです。旦那は東京生まれ東京育ち、田舎者と都会人の差なのかー。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月01日体外受精レポ 第20話 2回目の採卵の話。 痛かったけど、何をするかわかっていたので、初回よりは心の準備ができてました。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月30日体外受精レポ 第19話 ストレートに採精の話です。 わが家の場合を描いてしまいました。妊活となると、夫婦生活の意味合いが今までと違っちゃいますよね……。 愛はあるんだけど、前みたいなときめきはなくなってしまって、今日に至るまでの悩みごとです。 みんなどうやって乗り越えてるんだろう~!?------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月29日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症の可能性を意識するように長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども、私は自分の妊娠をあきらめることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度目・4度目の流産でした。「もしかして、妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進むほかに道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 原因不明の不育症と経過観察不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は、今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月29日体外受精レポ 第17話 体外受精2周目の話、続き。 漫画では1人目不妊のことを描いていますが、実は2人目も同じ病院で治療しています。 1人目の治療と2人目の治療でも、違うところがいくつかありました。日々進歩している医療現場を実感。 将来さらに成功率が上がりますように……。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月27日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、いろんな方へのインタビューをスタート。今回はベビーカレンダーでも連載中の漫画家・まっふさんにお話を聞きました。 まっふさん令和元年産まれの2歳の男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊活、妊娠を備忘録としてブログにのんびり更新中。 子どもがいることで健康的になって人との繋がりもできたーいつから漫画家としてお仕事していたんですか? 【まっふさん】18歳くらいで漫画家デビューして、それからずっとフリーランスで働いてきました。仕事柄、家にひきこもって作業することが多く、さらに夜も遅くまでゲームをしたり、漫画を見たりして夜ふかしばかり。ずっと健康には悪いなと思っていたんです。不規則な生活と運動不足のせいで、一時期は自律神経がおかしくなったこともあったりしました。 ずっと家にいるので、会話も家族くらい。コンビニのレジ対応されただけで「今日は人と会話したな」と感じるくらいに会話する機会がありませんでした(笑)。 ー子どもができてから生活は変わりましたか? 【まっふさん】そうですね。子どもと散歩しているだけで、知らないおばあちゃんが「あら、いくつ〜?」って話しかけてきてくれるんです。子どもが人をひきつける力は本当にすごいなと感じました。「かわいいね〜」「お散歩いいね〜」って声をかけられることも多いし、歩いているだけで挨拶されたり。ー急に自分が社会の一員になった感じがしますよね。 【まっふさん】そうそう! そんな感じです!今まで自分ひとりの世界だったのに、子どもがいることでパッと開けた感じがして。公園に連れて行けば、子どもを追いかけるだけで軽い運動になるし、その公園で自分の子どもと同い年くらいの子どもがいれば、話しかけに行っちゃったりするし。私ってこんなに社交的だったかなって自分でも思います。 婦人科に行くのは勇気がいる…でも、気軽に行ってみてほしいー「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されて、妊活を始めたそうですが、自分が「不妊」かもしれないとわかったとき、どんな気持ちになりましたか? 【まっふさん】正直初めて診断されたときは、今すぐ子どもがほしいと思っていたわけではなかったのでピンときませんでした。自分の生理不順や不正出血、にきびができやすいのはこういうのが原因だったんだなと納得しただけだったんです。 ただ、自分の年齢を考えて「子どもが欲しいかも」と思ったときにネットで調べて、「不妊」という言葉に行きついたときは一気に焦りました。ただただ「今、始めなきゃいけない!!」って。それで、今の旦那さんにすぐに相談したんです。ー当時はまだ結婚はしていなかったんですよね。 【まっふさん】はい、同棲して2〜3年ぐらいでした。でも、すんなりOKしてくれましたね(笑)。夫も結婚するつもりはあったけど、なんとなく同棲したままになってしまっていたので、いいきっかけになったみたいです。仕事も夕方から夜中まで働くような感じだったんですが、転職までしてくれましたね。 ーその後、まっふさんは無事に妊娠・出産するわけですが、今、生理不順を自覚している女性に何か伝えたいことはありますか? やっぱり出産経験のない女性は婦人科って行くのが恥ずかしいと思うんです。私も最初はイヤでした。「生理不順くらいで…」って思うのは本当によくわかります。でも、それで行っていいんです。やっぱり一度受診してみるのは大事なこと。原因がわかってスッキリするかもしれないし、ラクにもなるかもしれない。将来のためにも気軽に受診してほしいです。 一人でいることや子どもをもたないことも正解。でも、私には子どもがいるのが大正解!時代の流れか、私の周りには未婚や子どもをもっていない友人もたくさんいます。私は一人でいることや子どもをもたないことも全然正解だと思っています。実際、楽しそうに毎日を過ごしている友人たちをみていると、毎日育児に追われ、毎日同じような日々を過ごす自分と比べて、うらやましいと思うときだってあります。だけど、子どものころから漠然と考えていた「将来は結婚して子どもを産んで…」という未来を進めたことは私にとっては大正解! それくらい子どもの存在は大きなものになっています。 「一日の終わりに子どもの寝顔を見ると疲れなんてふっとぶ!」ってよく聞くと思うんですが、あれは本当の本当です。子どもの寝顔みながらしみじみ思っちゃうんです。「産んでよかったな。最高にかわいいな。あ〜、かわいい」って。子どもの匂い嗅ぎながら、明日もがんばろうって。 旦那さんに言うと「今だけだよ」って言われるんですけど、そのたびに「ずっとかわいいを更新してるんですけどー」って言い返してます(笑)。 買わないと思っていたアンパンマンのグッズも子どもに欲しいと言われたら、どうぞどうぞと買ってしまうと笑って話してくれたまっふさん。ベビーカレンダーでは、現在「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。ぜひチェックしてみてくださいね。 ★♡★♡ベビカレ夏のマンガ祭り★♡★♡マンガ家100人突破を記念して『べビカレ夏のマンガ祭り』開催中!大人気のマンガコンテンツを増量し、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ 無料でザクザク読めちゃう!ぜひチェックしてくださいね!著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年06月25日体外受精レポ 第15話 不妊治療を義両親に言うことになったときの話。 私は最初から、子どものこと気にしてるだろうし言っちゃえばいいんじゃない~?って感じだったんです。 しかし旦那の意向があり、このときまでどちらの両親にも打ち明けていませんでした。 旦那に理由を聞くとなんとなく不機嫌になるので、ずっと話し合わずにいたんです。でも、こういう形で旦那の気持ちを聞くことができ、そんなふうに考えていたんだなととても意外に思いました。 ……読み返すと、このときめっちゃ「お前」って呼ばれてるな……。 実は子どもを産んだあたりからどんどん私が強くなり、今はほとんどお前なんて言われません。特にやめてって頼んだことないんだけどな(笑)。 次回、カミングアウト後の話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月25日体外受精レポ 第12話 体外受精1回目にかかったお金の話。成功報酬(ある程度妊娠継続し、他院紹介となった時点で成功と見なされる)制度でした。この回は妊娠しなかったので、お金がかからなかったほうです。 しかも実は、このあと助成金を申請したので、実質かかったのはその対象外の4万円程度でした。なんだ全然じゃん。……って思うけど、医療費4万円ってそれなりの額ですよね!! しかも、この病院に至るまでに検査やら何やらやってきた分のお金だってあるし……。 そして先に言うと、2回目にかかった金額はもっともーっと大きいです!体外受精、マジ金銭感覚が麻痺するー!------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月22日体外受精レポ 第11話 初めての判定日の話。成功率は、治療した病院の当時のものです。 長く治療している方からすれば、まだ一回……という感じだと思いますが、期待が大きかった分それなりに落ち込みました。当時この漫画を描きながら、気持ちを整理していました。 次回、ここまでにかかったお金の話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月21日1人目が3歳になり、4歳差で産みたかった私は、そろそろ2人目を……と妊活を始めることにしました。1人目のとき、妊活を始めて半年以内に妊娠できたため、今度もそれくらいでできるかな、と思っていたのですが……それが大間違い! 2人目不妊で排卵誘発剤が体に合わなかった私の治療法は? そして妊娠の決め手となったのは、まさかのアレでした! 私の不妊治療体験談をご紹介します。 2人目妊活。生理の異変に気づき…1人目の出産が28歳だった私は、のんびりと子育てしたかったため、2人目は4歳差にしようかな〜とのんきに考えていました。そして、娘が3歳の誕生日を迎えるころ、私はある体の異変に気づきました。あれ、なんだか生理の間隔がおかしい? それまで、28日前後の周期で7日間ほどだった生理が、24日前後で5日間ほどでくるようになってきたのです。 今思えば、そのときすぐに婦人科にかかるべきでした。もともと婦人科系の疾患を持っていたにもかかわらず、危機感が薄かったことを今は反省しています。しかし当時の私は、産後で体質が変わったのかな、くらいにしか受け止めず、そのまま半年間、婦人科にはかからず排卵検査薬を使ったタイミング法で妊活をしていました。 何もないまま半年が過ぎ、その間にも生理が3日目、4日目に大量に出血するようになるなど、様子が変わってきました。私の生理ヘンかも、とようやく婦人科を受診すると、そこで言われたのは「黄体機能不全」。医師の指導で基礎体温をつけると、私の場合、高温期が短いようでした。そうして始まった不妊治療ですが、このときはまだ、5歳差になっちゃうかなぁ、妊娠するまでにお金かかっちゃうなぁ、くらいにしか思っていませんでした。 漢方&鍼治療で体質改善を試みることに!クリニックでは、排卵チェックと排卵誘発剤の注射を打ち、タイミング法を試しました。しかし、卵子が排卵できないまま残ってしまう「黄体化未破裂卵胞」が繰り返し起こり、排卵誘発剤を使うことでかえって妊娠しにくい状況をつくっていました。 そんな折、もともと風邪を引きやすかった私は、タイミングをとるべき日に高熱を出し、内科にかかりました。先生に、「不妊治療中ですが風邪薬を飲んでタイミングを取っても大丈夫でしょうか?」と尋ねると……、「何を言ってるんだ!」と怒られてしまいました。「こんな体で不妊治療なんて無理がある、今回は諦めなさい!」と強く言われ、泣く泣く次回に見送りました。 しかしなんと、そのひと月後にもまた、私は風邪を引いてしまったのです。これではいけない、体質から変えねば!と気づいた私は、なんとなく気になっていた近所の漢方薬局へ相談することに。そこでは、漢方以外に鍼の治療もあり、先生がしっかりと話を聞いてくれる安心感もあって、しばらく通うことにしました。保険がきかず、決して安いとは言えない漢方薬と、1回4,000円の鍼治療。試しに、という気持ちでしたが、なんとそれから丸2年も通うこととなりました。 なかなか妊娠に至らず、苦手なアレに挑戦人工授精もあわせておこなっていたので、1カ月の出費がクリニックも含め6万円を超えるときもありましたが、それでも通い続けたのは、効果があったからです。子どものころから風邪を引いてばかりだった私が、漢方と鍼を始めてから真冬でも体調を崩すことなく、風邪気味かな、と思っても悪化せず治るように! これは、私にとっては奇跡のような効果でした。 しかし、肝心の妊娠に至ることはなく……。妊娠検査薬にはかすりもしない日が続きました。妊活を始めて2年半、心身ともに疲れ切ってしまい、35歳までに妊娠できなければ、少しお休みしようと考えるように。そこで、私は最後の半年間、これまでどうしてもできなかったあることに挑戦しようと一念発起! それは……、運動です。 運動の楽しさに気づき、ついに…!お恥ずかしいことに、運動が大の苦手で過ごしてきた私は、漢方の先生から「ストレッチでいいから運動するように」と最初から言われていたにもかかわらず、まったくしていませんでした……。しかし、これで最後!とスイッチの入った私は、自分でも驚くほどにのめり込みました。 起床後はストレッチ、仕事のお昼休みに15分のウォーキング、子どものお迎え前に駆け込みでジムのエアロビクラスへ、寝る前にYouTubeで妊活ヨガと、ほんの少しの時間を見つけては何か体を動かしました。それこそ、仕事中にコピー機の前でもストレッチをするくらい。体を動かす楽しみに気づき、運動が毎日のルーティンとなったころ、ついに妊娠検査薬の陽性が出ました! 信じられない気持ちでしたが、同時にもっと早くから運動をしていれば……、との後悔も。もともと冷えが強く、自律神経が乱れがちな私に必要だったのは、巡りを良くするための運動だったようです。もちろん、漢方、鍼の効果も大きかったと感じますが、一番簡単にできたはずのストレッチさえやらずにいた自分が恥ずかしくなりました。 今思えば、ウォーキングやストレッチはどの妊活本にも乗っている基本のキなのですが、苦手だからと言い訳して逃げていたんです。産後5カ月の今、寝る前のルーティンにストレッチをするよう心がけています。サボらないように、上の娘に見張ってもらいながらですが……。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ちよこ7歳と0歳の2児の母。漢方と鍼による不妊治療を経て出産、7歳差育児を楽しんでいます。子どもとのおやつ作りが趣味の元ケーキ教室講師。
2021年06月20日生後初めての眼科受診生後2カ月の息子の目やにが気になり、初めて眼科を受診したときのことです。診察時の息子の様子に衝撃を受けた体験談をご紹介します。 生後2カ月、まだまだねんねの時期だったので、診察前に寝ることは想定内だったのですが……まさか、目を開かれてライトを当てられても起きないとは思いませんでした(笑)。先生や看護師さんも、びっくりして笑っていました。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年06月18日慣れない育児に取り組み「パパ業・ママ業」に一生懸命になりすぎて、いつの間にか「夫と妻」であることを忘れていました。そんな私たち夫婦が、夫婦関係を見直すきっかけになった言葉があります。産後、夫婦喧嘩が増えた出産後、授乳による睡眠不足や慣れない育児による疲れから、ささいなことで夫婦喧嘩が増えたと感じる人も少なくないのではないでしょうか。かく言う私もその1人でした。 食事やお風呂、就寝の時間など生活のすべてが子ども中心で回っているのに、夫が今までと変わらずマイペースに過ごしていると、ついイライラしてしまうことが増えました。 「夫が1番、子どもが2番」そんな私が人から聞いた、目からウロコの言葉があります。それは「夫が1番、子どもが2番」というもの。 子どもはいずれ親から離れて巣立って行きますが、夫は老後も一生添い遂げるパートナーです。「子どものことばかりを優先して夫婦関係をないがしろにするのではなく、愛する夫への思いやりも忘れないようにしましょう」というメッセージが込められた言葉でした。 「パパとママ」であり「夫と妻」その言葉を聞いてから、私は自分の態度や姿勢を反省しました。子どもを優先するあまり、愛する夫との関係をこじらせるなんて……ということに気付いたのです。私は「ママ」である前にこの人の「妻」だったんだ、ということを思い出しました。 そして、夫の気持ちを思いやることの大切さを再認識した結果、夫も徐々に私の気持ちを汲んでくれるようになり、以前よりも絆が深まったように思います。 「夫が1番、子どもが2番」というのは極端な表現で、実際の生活では子どもを最優先にせざるを得ない場面が多々あると思います。そんなとき、私は「夫も子どもも1番」だと考えます。そもそも家族は順位をつけるものではなく、みんなが大切な存在です。そんな当たり前のことを忘れかけていた私にとって、この言葉は大きな救いになりました。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2021年06月10日現在、子どもの約16人に1人が体外受精によって生まれている。今回は凍結していた受精卵を体に戻さないことを決断した女性の物語です。ケース4、松本あゆみさん(39・仮名)の場合。 25歳で結婚し、本気で赤ちゃんを望んでから6年経った33歳で本格的に不妊治療を開始。1回目の顕微授精が成功し、35歳の夏に待望の第一子を出産。3つできた受精卵、残りは“2人分“……どうする? 凍結保存した受精卵で第2子妊娠、出産へクリニックにはあと“2人分“の受精卵が凍結保存されていた。育児休暇が終わるひと月前、凍結していた受精卵の1つをおなかに戻した。年齢を考えると、早く2人目を授かりたかったからだ。 奇跡的にすぐに妊娠。2歳差で2人目を授かり、無事に女の子を出産した。 あと1つ、3人目の「命のもと」が残っている。あゆみさんが通っていたクリニックでは、凍結保存の延長に毎年3万3千円かかる。2人目が生まれてから半年が経ち、更新月が近づいていた。 いつまで保存すべきか。2人の愛しいわが子の寝顔を見つめながら、あゆみさん夫婦は答えを探った。 3人目、周囲の強い反対にあい親子げんかに3番目の受精卵だからといって、何か問題があるわけではなかった。同じタイミングでできた3つの「命のもと」。クリニックからもらった受精卵の映像を見ながら「3人きょうだいだともっと楽しくなるんだろな」とぼんやり考えた。 でも、家族全員に反対された。夫も両親も、義父母も、妹も。みんなが3人目を反対した。理由はあゆみさん38歳、夫41歳という年齢だった。 もし3人目を産んだとしたら、成人したときに親は何歳になっているのか。すでに上の子の抱っこがきついと感じているのに、体力的な問題は大丈夫なのか。離乳食を全部手作りするほど完璧主義なのに、3人目を育てる余裕があるのか。 「すでに産まれてきた子どもたち2人と、3人目の子は何が違うの?産みたい」と泣いて訴え、珍しく父と親子げんかにもなった。しかし、周囲の言葉はどれも真っ当だった。納得せざるを得ない理由をいくつも突きつけられた。 「更新料を振り込まない」という意思表示産みたいけれど現実が厳しいことはわかっていた。そして昨年、ついに凍結保存の更新をしないと決めた。クリニックへ書類を出す必要はなく、更新料を振り込まないことが意思表示になる。曖昧なさよならが、また切なかった。 「今でもあの子も産んであげたかった、という思いは正直あります。『不妊治療じゃなければこんな思いはしなかったのに』と悔しく思うこともありましたが、かわいいわが子を授かることができたのも不妊治療のおかげ。今は感謝しかないです」とあゆみさんは明かす。「今ここにいる2人のかわいい大切な子どもたちへ、その子の分も愛情たっぷりに育てようって気持ちを切り替えて、やっと吹っ切ることができました」 子どもを望んでから8年「不妊治療は早めに進めて」と伝えたい感動の出産から5度目の初夏、4歳の誕生日を迎えた息子を手作りのケーキと大好物のオムライスで祝った。 画像提供:松本あゆみさん(仮) 「子どもが欲しい」と願ってから母になるまで8年。思い悩んだ日々は吹き飛び、今は2人のお母さんとして奮闘する。父になる前まで子どもが苦手だった夫は今、わが子にメロメロの様子。 「夫が一番変わったかもしれません。『食べちゃいたいくらいかわいいな〜』って子どもを抱きしめるんです。2人の子どもたちに恵まれて、本当に本当に幸せです。でも夫婦ともに若くないのが現実。同居する両親からも、『もっと若かったらもっと元気に孫たちの面倒を見られたのに』と言われます。不妊治療を早くに始めていれば……と常々思うんです」とあゆみさんは振り返る。 「不妊治療はとても勇気がいること。経済的にも体力的にも、精神的にもつらいです。でもその分、報われたときの喜びは言葉では言い表せません。不妊治療を迷っていたり、少しでも不妊の心配がある方がいたとしたら、早めに前へ進んでって伝えたいです」監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年05月31日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ 第9話 初めての胚移植、当日の話。培養士さんに見せてもらった胚は、まさに理科の教科書で見たアレでした。 これが人になるのね、ていうか私も元はこんなんだったのね、不思議……。 このときはまだ過程の一つひとつが物珍しくて。不妊治療の不安だけではなく、奇妙なわくわく感を感じていました。 ところで……この連載を投稿するようになってから、改めていろんな方の妊活アカを見ています。コロナの影響で体外受精の説明会がなくなったって話を見て、心が痛い……。病院にコロナ入ったら大変なので仕方ないのかもしれませんが、1日も無駄にできない治療なのに……あぁ早く収束しますように……。採卵ほど痛くないだろうと、気楽に挑んだ移植手術でしたが、私はこっちのほうが痛かったです。 でも、モニターは最後まで見ることができました。受精卵がスポッ!と入ってカテーテルを進んでいく様を、医療系のドキュメント番組みたいだなーなんて頭の片隅で考えて見ていたような気がします。 次回、判定待ちの話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月30日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
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