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2歳のお子さんにトイトレをおこなう際に「準備するものは多いほうがいいのかな」と思っていたママ。しかし、ママなりの「トイトレの目標設定」を決めたことで、ごくシンプルな準備で事足りる!と結論づけたそうです。 私は現在、4歳と1歳の2児のママです。上の子のトイトレは2歳2カ月のときにある程度は完了しました。もちろん、まだ2歳になりたてなので、なにもかもが完璧!とまではいかなくとも「誘えば排泄ができる」「日中のお漏らしは1週間に2回程度」「日中は綿パンツで過ごす」の3点をクリアできていました。私のトイトレ法はいたってシンプルで、準備したものはたったの2つ。そんな私のトイトレ法をご紹介します。 全部そろえなきゃダメ!? トイトレグッズの充実ぶりに困惑トイトレを始める前、「トイトレは準備しなければならないものが、とにかくたくさんある!」と思い込んでいました。たとえばトレーニングパンツの1つをとっても「5層タイプ」や「3層タイプ」などがあって、さらには「尿が出たのがわかりやすい紙おむつ」など……。 どのようなタイプのトレーニングパンツが娘に合うのか?と考え出したら、トイトレグッズがあまりにも充実していて、何を選べば良いのかわからなかったのです。しかし、これらグッズの合計金額を計算すると5,000~10,000円ほどとなり、「ばかにならない出費だなあ」とも感じました。 当面の目標を設定そんな痛い出費を前に、私は「最終的に上の子にどんな状態になってほしいのか」あらためて想像することにしました。そこで私は、上の子に対して「綿パンツ」で「日中お漏らしせずトイレに行ってくれる」状態になってもらうことが当面の目標決定であると位置づけ。 その目標に対して、トレーニングパンツや紙おむつといった「綿パンツになる前の練習グッズ」に関してはもう必要ないのでは?と判断し、思いきって最初から綿パンツで過ごしてみることにしました。 友人のアドバイスも参考に「綿パンツ10枚ほど」と「子どもがすぐに用を足せるおまる」の準備だけで、トイトレをスタート。さすがに最初から綿パンツなので大量に漏らされると思い、フリマアプリで格安の未使用綿パンツを10枚ほどGETしました。 おまるを選んだ理由としては、保育士の友人から「1~2歳の幼児は大人用の便器に座ると足が浮いてしまって踏ん張れないから、用が足しにくい。最初はおまるで練習するのがおすすめ」とのアドバイスを受けて、きちんと足がつけるおまるを選びました。 思い切った断捨離でストレスフリー「こんなシンプルな準備で本当に成功するのか」と当初は半信半疑でした。ところが、2歳ちょうどからトイトレをスタートさせてから、あっさりと1カ月後にはおまるで用が足せて、日中のお漏らしはほとんどない状態になりました。 ただ、元々あった「ソファ」は断捨離しました。なぜかというと、何もできていない状態から綿パンツで過ごしてもらうわけで、当然ですが、何度も部屋中を汚されることを想定しなければならなかったからです。そこは覚悟を決めました。 結局、私の場合は「綿パンツ10枚ほど」と「子どもがすぐに用を足せるおまる」の準備だけで、1~2カ月程度の短期的なトイトレは事足りました。シンプルな準備を徹底したおかげで、非常にストレスフリーなトイトレ、今となってはよかったなと感じています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月20日私が海外で結婚し、出産・育児をしていく中で、心と体の支えになってくれていたのは母でした。その母が他界したのは、私が2人目の子を産んで2カ月後のことだったのです。 ※コロナ禍前の体験談です。 産後のお世話にきてくれた母海外に住んでいることもあり、2人目の出産後は母が日本からきて1カ月間滞在し、生まれた子どものお風呂や食事作り、洗濯、上の子のお世話までしてくれました。 中でも1番うれしかったのは、上の子が短期間でもおばあちゃんと一緒に過ごせたことです。また、私自身も母親と久しぶりにゆっくり過ごせて、いろいろな話もでき、とても良い時間でした。 突然の他界母が日本に帰国して1カ月、突然その時は訪れました。母はくも膜下出血で倒れて病院に運ばれ、1日もたずにそのまま他界してしまったのです。 突然の訃報を受け入れられずボロボロと泣いている私を見て、上の子が不思議そうにしていました。母の葬儀のために帰国するにも、まだ生まれたばかりの2人目はパスポート申請も間に合わず、夫の実家に預けることに。落ち込んで泣いている時間もなく飛行機のチケットの手続きをし、慌てて日本に帰国し母と最期の別れをしました。上の子は亡くなった母に触れて「おばあちゃん冷たい……」と寂しそうにつぶやいていました。 母の存在の大きさ2人目の子どもが生後100日になるころ、49日法要のために2人の子どもを連れてまた帰国。夫は仕事で都合がつかず私ひとりでの帰国だったため、2人目をおんぶして上の子と手をつないでの飛行機や電車の乗り換え移動となり、緊張し過ぎて、実家に到着したら体調を崩してしまうほどでした。 近所に兄夫婦が住んでいるものの、実家には父ひとりなので、滞在中は食事作り、掃除洗濯、買い物まで私がひとりでしました。子どもを見ながらだったので、いなくなった母の存在がいかに大きかったかをより実感しました。 母への想いは時が過ぎても...3年過ぎて上の子が6歳になったとき、幼稚園で「おばあちゃん、家にきてほしい」と手紙を書いてきました。おばあちゃんを覚えていることにも驚きましたが、何よりも「家にきてほしい」とおばあちゃんを慕っている子どもの想いに切なくなり、「おばあちゃんはこられないんだよ」と言いながら、成長した子どもを母に見せてあげたかった……と泣きました。 そして母にしてあげられなかったこと、もっとしてあげたかったこと、いろいろな想いが数年経ってもまだあるのだとわかりました。 1人目、2人目が男の子だったため、母は「3人目が女の子だったら良いね」と話していました。不思議とその言葉どおりに3人目に女の子が誕生しました。子どもたちが元気に成長しているのも、母が見守ってくれているからのように感じます。母に感謝をしながら、家族をもっと大切にしていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:鈴木そうこ6歳3歳0歳の兄妹を育児中。韓国人の夫と結婚し、韓国の田舎で専業主婦をしている。韓国語と日本語の二重言語教育や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月19日初めての出産・育児を控え、何をおこなっておくべきか悩んだ妊娠中。私自身がおこなっておいてよかったことは、夫と“共有すること”です。里帰りをせずに夫婦2人で始まった育児でしたが、出産や育児の情報・方法を共有していたおかげでスムーズに開始できました。私が夫と一緒におこなっておいてよかったことをご紹介します。 産前に各種手続きを確認・夫とシェア出生届や児童手当などの申請に、何が必要でどうやっておこなうのかまったく認識していなかった私。そこで妊娠33週のころに私が役所へ行って手続き方法を聞き、確認した内容や、マイナンバーカードや印鑑などの準備物、役所の何階のどの窓口といったことまでメモにまとめ、夫に内容を伝えました。 提出する書類を事前に役所からもらっていたので、産後は2人で書類を書いて夫に提出をお任せできたのです。準備物も抜かりなく用意していたので、スムーズに手続きができ、産後の慌ただしいときに助かりました。 親族の連絡先を共有・産後の連絡を依頼出産報告やもしものトラブルに備えて、夫に私の実家や親族の連絡先、また、出産の報告をしてほしい親族もリストアップして書面で伝えました。 結婚から数年経っていましたが、SNSでの連絡がほとんどであったため、実家の固定電話や両親の携帯電話番号を夫が知らなかったことがわかり、確認する良いきっかけになったというメリットも。また、出産の報告は夫に任せていましたので、産後に絶え間なく届く連絡に慌てて返信する必要がなく、ゆっくりと休めました。 育児について2人で確認・練習妊娠24週のときに自治体の両親学級に参加し、さらに2人で育児用ミルクの作り方やチャイルドシートの取り付け方を確認。退院後、私が授乳している間に夫がささっと育児用ミルクを作ってくれたので非常に助かりました。哺乳びんの消毒グッズやおむつ用ゴミ箱のように使い方がやや難しいものは、使い方の紙を壁に貼っておいたので、お願いするときもスムーズに。さらに、赤ちゃんの日用品の買い物も事前に一緒に行ってよかったです。 育児用ミルクや紙おむつだけでなく、哺乳びん用の洗剤やベビー用の洗濯洗剤なども種類が膨大で悩むベビーグッズの買い物。事前に一緒に行って商品を確認していたので、産後は夫に買い物をお任せできました。ほかにも、入院中に医師や助産師さんから受けた育児のアドバイスはスマホにメモをして夫に共有していたので、情報の伝え忘れを防ぐことができてよかったです。 「紙に書いておく・スマホのメモ機能を共有する・実物を一緒に確認する」といった目に見える方法で育児準備の情報を共有していたので、何度も夫に伝える必要がなくてよかったです。夫と情報を共有しておくことで、自分にもしものことが起こったときでも、子どもや夫に迷惑がかからないと感じました。子どもが生後5カ月になった今でも予防接種や健診のことなど、育児関連のことを夫と共有するようにしています。 監修/助産師REIKO著者:田淵 未希0歳女児の母。管理栄養士の資格を取得。病院管理栄養士の経験を生かして主に栄養や食のジャンルに関わる記事を執筆中。
2021年08月17日■前回のあらすじ1年半の月日で娘はすくすくと成長し、ついにフォローアップ卒業判定の日を迎えました。果たして結果は…。■診断の結果は…先生によると、出産による後遺症が今後現れる確率は少ない。何か現れたとしても、後遺症の可能性は低いでしょうとのことでした。そして、現段階では自閉傾向、多動も見られないそうでホッとしました。学習障害(LD)だけはまだ分からないらしく、何かあったら来てくださいとのことでした。でも、ついに卒業です!■娘は今も元気にすくすく育っている!「低酸素性虚血性脳症」「重症新生児仮死」当時はこの2つの病名がついて予後よく過ごしているブログや経験談を見つけるのがとても困難でした。回復する例もあるよ、と。そして、これからもずっと元気でいてほしいと、祈りを込めて描いていました。最後までご覧いただき、ありがとうございました!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年08月17日■前回のあらすじ妊娠中から保育園について考えていましたが、フォローアップ外来の卒業を機にまた改めて考えよう、と決めました。■3ヶ月に1度のフォローアップ外来小児科フォローアップの待合では双子ちゃんによく遭遇しました。NICU時代にも1組いたし、ある程度大きい双子ちゃんもよく見かけました。(極低体重児の場合は7歳くらいまでフォローアップがあるそうです。)低体重児になる確率が普通よりも高いんでしょうね。■運命の1歳半健診…1年半の月日が流れて、私の中で「赤ちゃん」から「みぞれ」に変わりました。入院していたことなど忘れたと書きましたが、それだけ元気に育ってくれたということなんでしょうね。ありがとう、みぞれ。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月16日■前回のあらすじ1ヶ月ほど、里帰りをしました。家族のおかげで娘のお世話に集中することができました。■3人での生活が始まったもともと0歳から保育園に預けることにためらいがありました。その理由は、周りからの影響だったり、妊娠中から保活をしないといけないことだったり、産まれてみたら意外に可愛くて傍にいたかったり…。さらにフルタイム正社員でもないのに、貴重な枠をフリーランスの私なんかが…という負い目もありました。でも、仕事を辞めることは考えられなかったし、子どもが産まれてもバリバリ働きたかった。矛盾してますね…。そんな感じで気持ちがフラフラしていたところに、出生のことがあって、変な言い方ですが背中を押されました。しかしもちろん、自宅で見る真の大変さはこの時点では分かりません。案の定、後でヒーヒー言うことになります…!■フォローアップ外来で発達相談をする足しげく通いましたね~。先生もお子さんがいて、お医者さんで子育てもして…ってものすごく大変そうなのに、いつも笑顔で感じのいい先生だったので、尊敬していました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月15日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2021年08月14日■前回のあらすじ脳のダメージがまだ気になるものの、無事に退院の日を迎えることができました。■しばらくは実家で過ごすことに退院後、当初の予定通り約1ヶ月の間、赤ちゃんとともに実家に里帰りさせてもらうことにしました。ありがたいの一言です。母は放っておくとどんどんベビーグッズを勧めてくるので、そんなに要らない!と言うのに大変でした。私は私で財布の紐が固いため、母に赤ちゃんのため! と言われ、多少揉めることも…。お金なら出すから! と言われましたが、使わないまま捨てていくベビーグッズほど虚しいものはないですよね…。■里帰り育児でもてんやわんやで…ガルガル期MAXの時期に赤ちゃんが傍にいなかったので、不用意に周りを攻撃せずに済みました。その分心配でしんどくもありましたが…。ピークは過ぎたといっても、産後半年くらいまではピリピリしていたので、結局周りに当たり散らしていたかもしれません、ごめんなさい。ちなみに、夫には今も当たり散らしています…。ごめんなさい!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■娘に異変がないか、常に敏感になってしまう医療スタッフの目がないところに行くのが何より怖かったです。異変に気付けないと! という変なプレッシャーがあって、しょっちゅう娘を見て固まっていました。※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■里帰り育児も無事に終わり…上げ膳据え膳本当にありがとうございました! 最後、いい話風に描いていますが、母のこの話はもう100回くらい聞いています。私も早産だったそうです。計算したら34w5dで産まれていました。でも、今こんなに元気です!!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月14日漠然と「高齢出産」という言葉に不安を感じながら経験した妊娠・出産でしたが、振り返ってみると高齢出産のメリットもあったと感じています。年齢はどうすることもできない問題ですが、年齢を重ねて得てきた経験が妊娠・出産・子育ての糧になっていると感じます。私の高齢出産の経験をご紹介します。 自分が高齢出産だとわかり感じたこと妊娠がわかる前は、もうすぐ高齢出産の年齢になるのでできるだけ早く妊娠、出産をしたいと希望。けれども妊娠・出産の時期を自分の思い通りにコントロールすることはできません。わかっているけれど焦ってしまいます。 そして、高齢出産の年齢に差しかかったある日、妊娠が判明。高齢出産になってしまったことに対して、不安な気持ちがありました。今思うと、高齢出産のネガティブなイメージにとらわれ過ぎていたのだと感じますが、そのときはポジティブに考えることができずに過ごしていました。 高齢出産のメリットはメンタルの安定妊娠・出産・子育てを経験して気づいた高齢出産の良いところ。私にとって一番のメリットは、メンタルの安定でした。若いころには我慢できなかったであろうことがさほど気にならなくなり、何かを我慢するというストレスが少なかったと感じます。 実際、若いママと触れ合う機会では、もっと自分のことをしたいというような会話もよく耳にします。若ければ若いほど、我慢するという感覚を強く持つのかもしれないと思いました。 高齢出産のデメリットは体力低下反対に高齢出産のデメリットとして感じたことは、体力の低下です。個人的には定期的に運動をして体を鍛えていたので、体力には自信がありました。けれども、妊娠から出産までの長い間に体力はどんどん低下し、おなかも大きくなるので体を自由に動かすことができなくなっていきました。 そして、高齢出産は体力的にきついという話をよく耳にしていたので、無痛分娩も視野に入れたほうがいいと思うようになりました。 無痛分娩で体力不足をカバー無痛分娩は出産直前まで悩みましたが、陣痛がつらかったため直前に無痛分娩に切り替えることができました。入院する産院を決める際、無痛分娩が可能な産院を選んだことがよかったと思います。 実際お産は14時間ほどかかり、無痛分娩を選択したおかげで体力を温存することができました。高齢出産の知人も無痛分娩を選択したのですが、同じように「体力を温存できてよかった」という感想を持ったようです。 年齢によってそれぞれ強みが違うので、自分の強みを考えながら、できることをこなしていくことが妊娠・出産・子育てをスムーズに運ぶために必要になると感じました。若いママに体力は敵わないけれど、できる部分を工夫することで、高齢出産ママの頑張る姿を子どもに見せていきたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/キヨ著者:田中瑠美自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月13日第一子を妊娠し、初めての出産後に私が後悔したことがありました。その1つが、「断捨離」です。産前にしっかり身の回りの物を整理しておくべきだった⋯⋯と、学んだ経験をお伝えします。 出産前、甘かった私の考え妊娠時、わが家は1LDKの賃貸マンションに住んでいて決して広いとはいえない間取りでした。産後すぐは子どもの部屋も必要ないし、経済的にもマイホームの購入はまだ早いと考えていました。 出産準備においても、ミニマリストへの憧れから買う物は必要最低限に抑え、どうしても必要なら買い足そうと思っていたのです。夫婦2人の物もさほど多くなく、リビングが子どもの部屋になるくらいだから大丈夫なはず、と想像しました。まさかこんな考えが覆されるとは知る由もなく⋯⋯。 藁にもすがる思いで…いざ育児が始まってみると、初めての子育ては想像以上にてんやわんやとなりました。右も左もわからず、困ったことはネットに頼り情報収集。ママたちの体験談を見れば見るほど足りない物・欲しい物・あったら助かる物が湧いて出てきて、買い足してしまうのです。 出産前は必要ないと思っていた物も、子どもと私がお互いにラクになるならとついポチッ。さらに出産祝いもいただき、産後増えた物はおもちゃ、バウンサー、家電などなど数知れず。子育てがぐんと快適にはなったものの、部屋自体の収納スペースが少ないため収納ボックスを購入して応急処置をすることにしました。結果、部屋がとんでもなく狭くなってしまったのです。 引っ越さないと無理?!そんなわけでミニマリストとは程遠い生活となったわが家は、急きょ引っ越しを決意。3LDKで一部屋を子ども部屋と想定し、広めのリビングの家に決定しました。 大急ぎで引っ越し準備を進める中で、邪魔になっていた物に気付きました。それは妊娠前に着ていた洋服などです。子育てで自分の時間もろくに取れない環境でおしゃれを楽しむ余裕は私にはなくなっていたからです。 子どもが生まれた当時は初めてのことばかりでうまくいかないことも多く、余裕も自信もなくしてしまっていたと思います。私は便利なグッズに頼ることで時間も心もゆとりができることは確かだと感じたので、出産前に身の回りの物を整理をしておけばよかったと後悔しています。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師REIKO著者:山崎 飛鳥3歳女の子のママ。芸術系大学に在学中の学生主婦。「芸大生で学生ママ」ならではのリアルな体験を執筆中。
2021年08月13日■前回のあらすじMRIの検査結果が出ました。脳にほんの少しダメージが残りましたが、普通に子育てしていけることがわかりました。■ほんの少しでも脳のダメージが気になる…明るく励ましてくれる夫には感謝だけれど…。夫よ、子どもが小さいうちに倒れるのはシャレにならないし、定年後でも速攻介護なんて困るので、健康管理気をつけてください…!■ついに退院の日を迎え…嬉しさと不安で複雑な思いでいっぱいでしたが…、無事に退院です!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月13日1人目出産後、子育て開始とともに新築のタワーマンションを購入し、賃貸マンションから引っ越しをしたわが家。引っ越ししてからもうすぐ5年が経ちますが、購入物件としてタワーマンションを選んでよかった点とよくなかった点を、子育て世帯の生活面から見てご紹介します。 子育てするうえでのメリットがいっぱいタワーマンションで子育て生活をするなかで、感じるメリットはたくさんありました。わが家の場合は、ざっと挙げると以下のような利点があります。 ・大型マンションで自分の子どもと同い年の子が多く、お友達がたくさんできる・どこの幼稚園に通ってもマンション下が幼稚園バスの乗り場・自治会があり、子ども向けのイベントをたくさんおこなってくれる・ゲストルームがあり、両親が遊びにきたときに泊まる場所に困らない・キッズルームがあり、雨の日でもみんなで遊べる場所がある ……などです。 意外と大変な子育て中のゴミ出しの救世主なかでも私が本当にありがたく感じていることが、「各階にゴミ置き場がある」ということです。出産前、面倒くさがりの私はわざわざゴミ出しのために外に出るというのがおっくうで、ゴミは絶対にどこかに出かけるついでに出す人間でした。しかし、子連れになるとおでかけ時は子どもが走ってどこかに行ってしまったり、荷物がとても多かったりと、ついでにゴミを出すどころの騒ぎではありません。 手が空いたときに、24時間いつでも同じ階のゴミ置き場にささっとゴミを出せるという環境は本当に助かっています。また、現在2歳の息子はまだおむつをしていて、すぐにおむつゴミが大量にたまります。臭いがキツく、なかなかの重量があるおむつゴミを出すのにも非常に便利です。 時々感じるタワマンのデメリットタワーマンションでの子育てにデメリットはあまり感じていませんが、あえて挙げるならエレベーターが渋滞するということです。6歳の娘は同じマンションから通う子がとても多い幼稚園に行っているのですが、幼稚園バスの送迎時間にはエレベーターが各階停車になってしまいます。また、前に1、2度エレベーターがシステム障害で止まってしまい、家に帰るために階段を10階までのぼったことがありました。今後も災害時にエレベーターが止まる可能性を思うと、不安に感じる部分はあります。 ローンのことなどを考えると、当初新築タワーマンション購入には壁を感じる部分もありました。しかし、子育てに追われる日常のなかで、子育て世帯の暮らしやすさを考えた設備や設計に、日々助けられています。子育てするための住環境への投資としてタワーマンションを購入したことは、わが家としてはよい選択だったと感じています。 監修/助産師REIKO著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。
2021年08月12日■前回のあらすじ出産方法についていろいろな意見がある中、自分のお産を振り返り「赤ちゃんが無事でよかった」というだけで幸せなことじゃないかと感じました。■MRIの診断結果は…■医師の所見は…?これまで、色々なことがあったけれど、脳のダメージはこれから先のフォローアップの過程で診てもらえるし、成長に応じて脳も変化していくことが分かりました。何より、普通に産まれた子と同じように子育てができることに、とても安心しました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月12日■前回のあらすじMRI検査の予約日まで不安でモヤモヤしていましたが、ある日突然もう検査が終わったと告げられました。■産院での検診で…ティッシュもなかった!!手で拭いた!!!■毎日NICUに通うけど…■振り返って今思うこと帝王切開になったこと、その他お産についての心残りや未練は全くありません。切ってもらえなかったら娘は死んでいたので。自然分娩できなかったから悔しい、陣痛知らないから楽でしょ? と言われた等々…、すべてお母さんが主語なんですよね。帝王切開は、自然に任せたら赤ちゃんが危険だから行うものであって、赤ちゃんを主語にしたらそんな言葉は出てこないと思います。赤ちゃんが無事で良かった!! ただそれだけだと思うのです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月11日■前回のあらすじお世話にも慣れてきた頃、通うのが辛く休みたいと思うようになりました。■MRI検査を待っている期間のモヤモヤ…MRIを撮らなければいけないと言われてから、12日はかかりました。今思えば、なかなか機械の空きがない=優先度が低い=急を要する容態ではないということだったのでしょうが、当時は不安が大きすぎて分かりませんでした。■MRI検査の日程が決まったのだけれど…あまりにあっけなく終わってしまいました…。よく頑張ったね!みぞれ!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月10日高校生のころから痔に悩まされてきた私。肛門の痛みにより日常生活に支障を感じた私は、婚約を機に思い切って手術をすることを決意! 手術後、痔のストレスから解放された私でしたが、出産をきっかけにまた痔が悪化して……。妊娠、出産を経て、再び痔になってしまった体験談をご紹介します。 もしや痔!? 初めて気づいた肛門のイボ私が高校生のときの話です。トイレでおしりをふいた際に、肛門からイボが1つ出ているのに気がつきました! 当時の状態は、排泄時、肛門にやや痛みを感じる程度。私は思春期であったこともあり、家族にすら相談せずに過ごしました……。 薬局でぬり薬を買うことすら恥ずかしく、ビオフェルミン錠剤を服用して便通をよくしようと努めたのです。 社会人になって悪化した痔…たまに肛門の痛みを感じるものの、痔との生活に慣れていった私。大学生時代、イボ痔であるもののさほど痛みはなく、私は肛門の悩みをあまり気にすることなく過ごすことができました。しかし、就職をきっかけに肛門の変化を感じ始めることに……。 デスクワークや飲み会が増えたことで肛門に負担をかけ、かゆみや痛みを感じるようになりました。肛門からの出血も増え、私は仕事に集中できず、日常生活に支障をきたすほどになったのです。 婚約を機に痔の手術を決意!そんななか、私はプロポーズを受けてうれしい気持ちでいっぱいに! しかし、いつか子どもが欲しいと希望していた私は、肛門の痛みにより出産に支障をきたすのではないかと悩みました。思い切ってパートナーに相談し、痔の治療をすることにしたのです。 私が通院した肛門科では週末に日帰り手術が可能で、担当医と相談のうえ「痔核結紮切除術(じかくけっさつせつじょじゅつ)」を受けることを決意! 手術後、痔に悩まされることがなく、快適な生活を送ることができました。 妊娠、出産を経て…またアレが!結婚後、初めての妊娠に喜び、痔の存在がすっかり過去のものに。しかし、出産後初の排泄時に、異変に気がつきました……。肛門に2つのイボ痔ができていたのです! 今までにないほどパンパンに膨れた痔。軽く痔に触れるだけで痛く、排泄時はあまりの肛門の痛みに涙が出ました。 産婦人科の担当医に相談したところ、妊娠・出産により痔ができることがあるとのこと。塗り薬を処方され、産後1カ月ほどはヒリヒリした肛門の痛みに耐えました。産後から3年が経過した現在、肛門の痛みはなく、しぼんだイボ痔がある状態です。 出産後、激しい肛門の痛みに苦しんだ私ですが、現在は普通の日常生活を送っています。産後、激しい肛門の痛みにどうなることかと思いましたが、塗り薬で痛みを緩和できました。痔が悪化しないように、バランスのとれた食生活や適度な運動、おしりを温めて血流をよくするなど……今は肛門に配慮して生活しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日2020年、私はコロナ禍で第1子を出産することになりました。大学病院を選んだため、コロナ対策で立ち会いはおろか、面会も一切禁止。ずっと前から夫婦で立ち会い出産を夢見ていたのでショックでしたが、あきらめざるをえませんでした。結局、他の産院に移ることもなく、そのまま大学病院で出産することに。しかし、何かいい方法はないかと病院と相談。今回私が体験した、コロナ禍だからこそできたにぎやかな出産についてお伝えします。立ち会い不可! 面会も不可!妊娠3カ月のとき、夫の仕事の都合で実家がある関西から北陸地方へ引っ越すことになり、右も左もわからない土地での出産となりました。いろいろな産院を調べたところ、コロナ禍でも立ち会いや面会が可能なところもありましたが、私の場合は体外受精での妊娠、また高齢出産ということもあって、リスクケアを重視し大学病院を選びました。 地域の中核病院となる大学病院では本来は1人まで出産に立会うことができていましたが、コロナ禍で立ち会いはおろか面会も一切禁止に。見知らぬ土地ということで会話のテンポが違うことや方言が理解できずとても孤独でした。そして誰も会いにこられないなかで初めての出産をすることになりました。 リモート立ち会いなんとか出産の瞬間を家族と共有することはできないか助産師さんに相談し、LINEのビデオ通話での中継を思いつきました。しかもLINEならグループでテレビ電話をすることもできます。お医者さんや助産師さんも携帯電話の操作や設置を協力してくれるとのこと。 まずは、事前に夫や関西にいる家族の総勢5名でLINEグループを作成。参加者にはビデオ通話がかかってきたら出てもらうようにあらかじめ打ち合わせしておきました。 LINEが可能にしたにぎやかな出産分娩室に移動する直前、とてつもない痛みに襲われながらも、なんとかグループLINEのビデオ通話ボタンを押すことに成功! 携帯電話スタンドを持ち込んでいたので顔だけが映る角度に病院の方々に設置してもらい、いざ出産! 分娩室に移動してから約1時間後、携帯電話からみんなが送ってくれる声援に励まされながら、無事長男を出産することができました。病院の方に協力していただき、ぐったりする私の横でみんなのうれしそうな声が聞こえてきました。 リモート立ち会いの良さコロナ禍以前、大学病院のルールでは1人まで出産に立会うことができていました。しかし今回リモート立ち会い出産によって、本来なら立ち会うことができない人数や、遠方の家族とも誕生の瞬間を共有することができました。生まれたばかりの元気に産声をあげる長男の様子を病院の方がグループLINEに映してくださり、家族全員見ることができました。 振り返ると、とてもにぎやかな出産だったなと、いい思い出です。いつか長男が大きくなったら「あなたが生まれたときはコロナ禍で大変だったけど、たくさんの人に見守られてとてもにぎやかな出産だったのよ」と話してあげようと思います。1つ改善点をあげるなら、陣痛中に通話ボタンを押すのは大変だったので、余裕のあるときにつないでいればよかったと思います。 監修/助産師REIKO著者:竹内 かなこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日■前回のあらすじ自分がまだ入院していた頃、母乳とミルクについて、かなりの葛藤がありました。■お世話にも慣れてきて…ものすごく心配していたのに、赤ちゃんがいなくて寂しかったのに、ちょっとホッとするとすぐ怠惰な性格が出てくるのでダメですね…。そうです。基本怠惰なのです。でも、怠惰になれるのはある程度娘の容態が安定してくれていたから…。先生に、看護師さんに、娘に、家族に感謝せねばなりません。■NICUに通うお母さんたちそれぞれの事情ちょっとホッとしました。赤ちゃんに対して無条件に「大好きー! 愛してるー! 」となれる時期は限られていました。かわいいのはかわいいんですが…。体がしんどくて休みたかったけど、そんなこと言ったら母親失格と思われそうで、言えませんでした。でも、やはり私が心身ともにゆっくり休めるのは、周りのおかげであり、すごく贅沢だと思います。余談ですが、退院から一年半以上経ったある日のこと、全く関係のない用事でこの病院のNICUの前を通った時、ボロボロと泣いてしまいました。自分でも驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月09日不妊治療や妊活は孤独でつらいことが多く、自然妊娠で早目に出産した友だちからは「あなたの魅力が足りないんじゃないの? 」と言われたこともありました。流産も経験して、もう私たちのところへ赤ちゃんがこないかもしれないと怖くなったこともあります。私の不妊治療と妊娠するまでの経過をお伝えします。32歳で結婚。しかし、赤ちゃんをなかなか授からず…。 なかなか赤ちゃんがきてくれない32歳で結婚した私。当時何も知らなかった私は、結婚すれば妊娠できると思っていました。しかし1年経っても2年経っても赤ちゃんがきてくれません。 夫は「36歳の友だちも40歳の友だちも自然妊娠できたんだから、大丈夫だ」と言うばかりで不妊治療をすることにはじめから大反対。夫を説得することから始まりましたが、変えようとすると疲れてしまいます。 友だちから次々と妊娠&出産報告を聞き、周りと比べては置いていかれていると孤独になる日々。生理がくるたびに泣く日々。そんな私を見兼ねたのか、ようやく夫も理解してくれ、2人で病院に通い始めました。 タイミング療法からスタートしたものの…病院で2人ともカウンセリングと検査を受けましたが、さほど悪いところはなく、タイミング療法から始まりました。4回の注射と飲み薬を試したときに熱が出て治療を中止。熱が下がってから再び病院に通い始めたら、「良い卵ができているよ。これなら妊娠できるかも」と先生に言われ、本当にその後検査薬で陽性反応が出ました! が、すぐに出血と激しい腹痛があって初期流産してしまいました。どうしてもあきらめきれず、その後人工授精にステップアップしてみましたが、妊娠しませんでした。 体外受精で妊娠できた!「あんまりガクッと気持ちが落ちていると良い卵ができないよ。少し治療をお休みして、気晴らしに短時間のパートに行ってみたら?」と病院の先生にすすめられて、1年くらい不妊治療を休んでキッチンのパートを始めました。 その職場では子持ちの主婦の方が多く、私の流産の話や、それでも赤ちゃんが欲しいという話をやさしく聞いてくれました。何より驚いたのは20代の若い子たちが案外体外受精で妊娠していたこと。私には知らない世界でパアッと視界が開けてきました。久しぶりに不妊治療を再開し、先生に体外受精に挑戦したいと前向きに伝えました。職場の方が手術を応援してくれ、何とかおなかに子どもを授かることができました。 不妊治療中は本当に不安で落ち込む日もありました。しかしパートに行き、同じ境遇、悩みを持つ仲間たちとお互い励まし合いながら情報交換していったことで、成功に繋がったのだと感謝しています。まさか私が体外受精をすることになるなんて夢にも思わなかったけど、赤ちゃんがおなかの中にきてくれただけで幸せです。パートの仲間たち、ありがとう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/おもち 著者:藤田 好美第1子、男の子を妊娠中。現在、妊娠9カ月。体外受精の移植手術を機に仕事を辞め、現在は専業主婦。
2021年08月09日初めての出産を終えて4カ月。夫の仕事の都合もあり、義母がひとり暮らしをしている夫の実家で同居を始めました。私は妊娠するまで高齢の方たちと一緒に仕事をすることも多く、年配者との付き合いには不安はありませんでした。そのため、初めての同居も「大丈夫だろう」と義母対策の準備は何もしないで新生活を始めたのです。しかし、職場と生活の場はまったく別物で、トラブルが多発。私もストレスを抱えるようになってしまいました。話し出したら周りが見えなくなる義母おしゃべり好きな義母。しばらくひとり暮らしの期間があり、しゃべり相手に飢えていたのか、しゃべり出したら止まりません。見たもの、聞いたものはすべてしゃべらなければ気が済まないとばかりにしゃべり続けます。 特に子どもの食事の世話をしているときや、帰宅直後に玄関で話し始められるのがつらい! 子どもの世話や片付けが進まないのも困りますが、私の状況を一切考えずにしゃべり続ける義母の態度は、私をないがしろにしているように感じさせました。 話を遮ってみたら…私の心を安定させるため、今後も義母と良好な関係を築くために我慢するのをやめよう! と決めました。もちろん、時間や気持ちに余裕があるときは、義母のおしゃべりの相手になります。 けれどそうではないときは、「子どもの食事の世話をしているからあとでもいい?」などと理由を添えながら話を遮ることにしたのです。もちろん、あとで義母のおしゃべりに付き合う時間をつくり、「さっきはごめんね、それでどうなったの?」と声をかけるようにしました。 今のところは順調!しゃべるタイミングが悪かったと気付き、はじめは気まずそうにしていた義母。けれど次第に「話したいことがあるのだけれど、あとで話をするね」と義母から言ってくれることも出てきました。 そうなると義母が私を尊重してくれているように感じることができ、悲しくなったりイライラしたりすることが激減。私も言葉の選び方を気をつけるようにしたら、義母に対して気を配れるようになり、やさしく接することができるようになっていきました。 義母は年長者であり、しかも私は新参者。職場のように私が遠慮をして義母を立てれば良いと考えていました。けれど子育てをしながらとなると、うまくいきません。この件以来、「私もこの家族の一員なのだ。家庭運営を積極的にしよう」と腹が据わりました。 著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年08月08日■前回のあらすじ哺乳力が十分でないのと、母乳の出も悪いので授乳時間が憂鬱に…。ミルクでもたくさん飲んでくれるほうが安心します。■母乳かミルクか…? 葛藤の日々時系列は前後しますが、母乳が出なくて悩んだ時のお話です。最終的にミルクにしよう! となる前に色々と葛藤がありました。母乳がだんだんと出なくなってくると、母乳前提の世の中に生きにくさを感じてしまいます。ありがたいことに、母乳で育てなきゃおばさんには遭遇したことはありませんでしたが…。■母乳に関する情報に惑わされる帝王切開数日後~自分の退院までの頃は、日々この連続でかなり葛藤していました。■母乳かミルクかよりも大事なのは…母乳かミルクかについては、賛否両論あると思います。でも、母乳を諦めざるを得なかった人、母乳を選択しなかった人に、母親失格とか、母性がないとか、そんなふうに思ってほしくないです。堂々とミルクを選択したと宣言しても許される世界になってほしいですね。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月08日■前回のあらすじ退院に向けて授乳指導が始まりました。初めての授乳はとても難しくて…。■憂鬱に感じてしまう授乳時間面会時間以外は全部哺乳瓶でミルクを飲んでいるのだから、当然ですよね…。その不利な条件でもゆくゆく直接母乳に切り替えられるように地道にやるべきなのですが、2週間以上搾乳のみだったということもあり、どうにも出が悪く…。基本、胸のマッサージは少なかったです。次女の時は出産からこの病院だったので、その時は思い切りやってもらえました。おそらく、長女の時は私は患者の保護者であり、患者ではないからでしょう。というわけで、長女の時は自己流でした。■母乳にこだわらないという考え最初からミルクくれと言ったらくれたのでしょうか。でも特別な理由もないのに最初からミルクくださいと言って何か思われたくなかったので言えませんでした…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月07日■前回のあらすじ自分の退院後、母乳を届けるため毎日娘のもとへ。娘は管がすべて取れて無事GCUへ移動しました。■退院へ向け、いよいよお世話が始まる授乳があんなに難しいなんて、この時の私は知る由もなかった…。退院までにこれができてもらわないと困るという目標がありまして、GCUに移ってからというもの、そのメニューをこなしていました。私は、自分が退院するまで赤ちゃんのオムツを替えたことがなかった(管だらけだった)ので、オムツを替えてくれと言われたとき、「え? 私が? 」ってなりました。お前の子だろ…!血中酸素濃度を測る機械はまだついており、赤ちゃんが泣くとそれが鳴るため、最初はいちいちビビっていました…。幸い、呼吸は管が取れてからは安定していたので、心配は杞憂に終わりました。■授乳指導を受ける最初の10秒くらいは吸うのですが、すぐに諦めてしまう娘…。1週間ほど鼻チューブから栄養摂取の生活だったのでしょうがないのですが。看護師さんもなんとか咥えさせようとしてくれましたがしかし…。あの…行き場のない感じ…。焦りが募ります。■初めての授乳に苦戦…ヘトヘトにとにかく遅れを取り戻すために、色々やりました。ここでは直母(直接母乳を飲ますこと)が大事なようで、面会に行ったらまず直母! 直母! でした。家でもマッサージや搾乳を欠かさずにと言われました。毎回母乳を吸わせる前と後で体重を量って母乳量を把握していましたが、なぜか授乳のあとに体重が減っていたりすることもあり、徒労感が酷かったです…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。※病院によって対応が異なる場合があり、すべてのケースには当てはまりません。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月06日産後ケアとは?出産前と出産後では、ママの身体や環境が大きく変わったという方も少なくありません。赤ちゃんのお世話で生活リズムも不規則となり、心身に不調を感じるママもいることでしょう。そこで近年注目されるようになったのが、ママに寄り添いながら心と身体の回復をサポートする産後ケアです。産後ケアでは、ママがしっかり休息をとり、気力と体力に満ちた状態で育児できるよう支援します。サポート内容はママの身体のケアから悩み相談、育児指導、赤ちゃんの預かりなど多岐にわたり、ママが心穏やかに子育てできる環境を整えてくれますよ。産後ケアはどこで受けられる?いつからいつまで利用できる?自治体による産後ケア事業2021年(令和3年)4月1日に「母子保健法の一部を改正する法律」が施行され、自治体による産後ケア事業の拡充が図られました。全国の自治体では子育て世代包括支援センターを中心に、地域の病院や助産所と連携してママや赤ちゃんへの支援を実施しています。民間企業による産後ケアサービス産後ケアを行う民間のサービスも多く登場しています。民間サービスには家事代行やきょうだいのお世話までを請け負う訪問型や、食事やエステ付きの産後ケアが受けられる滞在型施設などがあり、料金や時間に応じたプランが選べます。出産直後から産後1年まで出産を経たママの身体が妊娠前の状態に戻るまで、通常6~8週間ほどかかるといわれています。この期間を「産褥期」といいます。従来の自治体などが行う産後ケアは、この産褥期を含む出産後4ヶ月頃までのママを対象に実施されてきました。しかし現在では、入院期間が長期化する場合やママのメンタルヘルスケアの重要性について見直され、産後ケアを利用できる期間は出産直後から産後1年までに延長されています。産後ケアはなぜ必要?母体の回復を助ける分娩後の子宮は産後9~13日ころにはお腹の外から触ってもわからないほどに収縮し、産褥期が終わるころには元の大きさに戻ります(※1)。さらに、骨盤底筋群の緊張は4~8週頃には回復するといわれています(※2)。一方で、一日に何度も行う授乳やおむつ替え、抱っこといった動作は身体への負担が大きく、産後半年を経過しても尿漏れや腰痛などのトラブルを抱えているママも少なくありません。長期にわたる痛みや不快感を予防するためにも、産後すぐからママが身体を休めるためのサポートが必要です。マタニティブルーズの解消出産が終わり胎盤が排出されると、妊娠を継続するために増加していた女性ホルモンが急激に減少します。こうしたホルモン量の変化や産後の疲れから、精神的に不健康な状態にあると感じているママは半数近くにのぼります(※3)。不安感やイライラ、不眠、集中力の低下といったマタニティブルーズの症状は、産後3~5日ごろにあらわれはじめ、産後2週頃には改善するといわれています(※4)。しかし、なかにはマタニティブルーズから産後うつへと移行する人も存在します。産後うつは出産後2~3週間後以降に発症の傾向がみられることから、産後のできるだけ早い段階で産後ケアを受け、心の負担を解消することが大切です。自治体による産後ケア事業とは?産後ケア事業の対象となる人自治体による産後ケア事業は、産後に心身の不調や育児不安を抱えていたり、家族や親せきから育児のサポートが十分に受けられなかったりなど、支援を必要するママを対象にしています。医療的な助成制度ではないため、ママや赤ちゃんが感染性の疾患にかかっていたり、医療的な治療が必要だったりする場合は利用できません。2021年4月の母子保健法の改正にともない、利用者の選定基準や利用時期が変更されているため、期間や対象などの利用条件については住んでいる自治体の最新情報を確認してみましょう。産後ケア事業の種類実際に産後ケアは、助産師・保健師・看護師による専門的なサポートが受けられます。自治体によっては保育士や管理栄養士といった専門家を配置していることもあります。産後ケアの実施方法には自宅に助産師が訪問する居宅訪問(アウトリーチ)型、提携する医療機関や助産所を日帰りで利用する通所(デイサービス)型、施設に宿泊する短期入所(ショートステイ)型の3種類があります。利用料や利用できる日数は自治体によって異なります。産後ケアセンターがある地域も各自治体では妊娠前から育児期にかけ、子育て世代に対しする支援を途切れることなく実施できるよう、さまざまな取り組みが行われています。産後ケア事業における産後ケアセンターの開設もそのひとつです。公的な産後ケアセンターを整備することで、医療機関、保健所、子育て支援機関などとの連携が生き、必要な情報や支援策を必要なタイミングで届けられます。民間のサービスよりも安価で支援を受けられるのも魅力です。すでに東京都世田谷区、埼玉県和光市、千葉県浦安市、山梨県などでは産後ケアセンターが活用されており、全国でも整備が進められる予定です。産後のママを支えてくれるプロたち産後ドゥーラ産後ドゥーラとは、一般社団法人ドゥーラ協会の講座・研修を経て認定を受けた女性の専門家です。妊娠中から出産後一年半までのママの気持ちに寄り添い、子育てや家事をサポートします。「これをやって欲しい」という明確な希望がなくても、ママの声に耳を傾け、安心できる環境を作ってくれます。提携する自治体やクリニックでサポートを受ける方法と、個人契約で利用する方法があります。産後ケアリスト産後ケアリストとは、一般社団法人日本産後ケア協会の認定を受けた専門家です。専門的な知識と技術、経験で産後のママを支えます。心、身体、家事、育児、情報提供による包括的なサポートで質の高いケアサービスを提供し、子育ての良きアドバイザーとしてママに寄り添ってくれますよ。産後ヘルパー産後ヘルパーは産後のママと赤ちゃんやその家族のお世話をする専門家です。自治体の産前・産後ヘルパー派遣事業のサービスとして、自治体が委託した事業者から派遣されるケースと、民間の産後ケアサービスを利用するケースがあります。保育士などの国家資格やホームヘルパーなどの民間資格を持つ人が対応する場合が多く、事業者によって対応可能なサービス内容が異なります。事前にサービス内容を確認し、自分に合った事業者を選ぶようにしましょう。産後ケアを利用して産後のトラブルを防ごう身体の痛み、睡眠不足、思い通りにいかない不安や苛立ちと、産後のママには身体的にも精神的にも大きな負担がかかっています。産後のトラブルが慢性化しないうちに、専門的なケアを受けて心も身体もリフレッシュしたいですね。特に産後のママはひとりで悩みを抱えて孤立してしまいがちです。漠然とした悩みでも、豊かな経験を持った人と話しているうちに解決することもありますよ。産後ケアのサービスをじょうずに利用して、穏やかに育児を楽しみましょう。※この記事は2021年7月時点の情報をもとに作成しています。掲載した時点以降に情報が変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。
2021年08月06日5人出産した母から、出産までに時間がかかったり、難産だったという話を聞いたことがありませんでした。また、私より先に出産を経験した妹も、陣痛から十数時間かかったものの、安産だったと聞いていたので、私も当然2人と似たような出産体験になるんだろうなと安心しきっていました。そんな私が体験した出産までの道のりについてご紹介します。 「今日中に生まれますよ!」を信じて妊娠38週4日の朝6時、便意にも似た痛みを数分おきに感じたので早速病院に連絡。7時に病院へ到着し診察を受けると、子宮口がすでに開き始めているので「今日中に生まれそうだよ!」と助産師さんからうれしい言葉が。 でも、よく考えるとその時点で「今日中? そんなに時間がかかるんだ」と疑問に思ったものの、その言葉を信じて、あとちょっとで生まれるんだと期待に胸を膨らませていました。陣痛も7分おきにきていましたが、痛みはさほど強くなく、まだまだ笑って過ごせる程度でした。 激しい陣痛、でも子宮口が開かない!その後、子宮口がなかなか開かず、結局今日中に生まれるという予想とは裏腹に日をまたぐことに。そのころには、陣痛の間隔は4分おきになり、腰を押してもらわないと痛みに耐えられないほどまでになっていました。 早く分娩台に移動して陣痛から逃れたい!と願っていたものの、まだまだ子宮口が開いていないから分娩台へは行けないと言われるだけ。深い眠りに落ちても激しい痛みで目が覚め、また収まると眠るを繰り返し、とうとう朝を迎えました。 陣痛開始から32時間後、分娩台へ!午後2時、数分おきにくる激しい痛みを伴った陣痛に耐えながら、子宮口が10cmと十分に開いたので、助産師さんから分娩台に行けるという言葉をようやくいただきました。 陣痛が身もだえるような痛みになってから実に15時間後、寝ずに腰を押してくれていた夫も疲労困憊のなか、ようやく分娩台に上がることに。しかし、やっと終わると思ったのも束の間、今度は陣痛の間隔が12分おきになり始めたのです。 最後の最後に陣痛促進剤の投与私の疲労がピークに達していたため、陣痛の間隔が狭くなるのを待てないという判断から、陣痛促進剤を打つことに。陣痛促進剤を打って効き始めるまで1時間ほどかかり、その後、陣痛の間隔が狭まってから約30分後、無事に第1子を出産することができました。 分娩中はつらい陣痛とおさらばできるという喜びのほうが勝っており、つらいというよりは、やっと終わるというワクワクのほうが強かったです。 出産前、いろいろな方から出産体験を聞きましたが、自分のお産は体験するまでわからないと痛感しました。また、私の場合は出産そのものよりも陣痛のほうがはるかにつらかったことがとても意外でした。私は現在、第2子・第3子となる双子を妊娠中です。どんなに長くかかろうと終わりのない出産はないので、愛しいわが子に会うため、出産に向けて今から心構えをしておこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:山口まなみ2歳の女児の母で、5月には双子を出産予定。韓国人の夫と家族3人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2021年08月05日■前回のあらすじ元気な赤ちゃんたちの泣き声を聞くたびに寂しさが込み上げてきましたが、看護師さんに救われました。そして私は無事退院しました。■NICUへ通う日々絵では省略しましたが、全員マスクをしています。看護師さんとの連絡ノートは、持って帰っても良いとの記述を見逃して、ずっと病院に置いていたので、前半全て看護師さんのターンでした…。■GCUへ移動した娘管が取れてGCUへ移動し、ついにワンステップクリア!これから退院に向けて、様々な試練が課せられます…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月05日■前回のあらすじ娘の呼吸器が取れました。まだ管はたくさんついているけれど、初めて娘を抱っこすることが出来ました!■娘のそばにいられない寂しさが襲うおそらく、この病院で私が一番重症だったので、ナースステーションの前の部屋にされたのですが、ナースステーションの隣が新生児預かり室だったので、赤ちゃんの泣き声を聞くのは相変わらず複雑な思いでした。■看護師さんの言葉に救われるおそらくこの時が一番どん底でした。余談ですが、この病院には赤ちゃんとお母さん両方を診る2週間検診というものがあり、みんな赤ちゃんを連れてきているのに、自分だけひとりだったので、その時もとても辛かったです。■そして退院の日…とても良い産院でした。看護も手厚く、たくさん寄り添ってもらいました。体重のお米は、特定を避けるためのフェイクです。似たようなお祝いの品をいただきました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月04日■前回のあらすじひとりで病室にいると、ネガティブなことばかり頭に浮かび、がんばる気力もなくなってしまいました。■改めて思い知らされる現実…仕事仕事と言っている割に、子どもを保育園に預けていない理由がこの辺にあります。普通に健康に産まれていたら、0歳児入園なども視野に入れていたのですが、この状態では私が無理でした。■娘にある変化が…!抱っこできて本当に嬉しかったです。呼吸器が取れてかなり安心したのを覚えています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月03日現在3歳になる娘を産んだときの話です。初めての出産を控えて、不安でいっぱいだった私。しかし実際は、不安に思っていたことが嘘のように、むしろ「気持ちよかった!」と感じるほどの経験となりました。そんな、私にとって人生で一番感動的な出来事となった出産の体験談です。※コロナ禍前の体験談です 陣痛開始~入院妊娠39週4日目の朝6時、不規則なおなかの張りで目が覚めました。「これは陣痛かな?」と半信半疑で、一応陣痛アプリで間隔を測るものの、間隔はバラバラ。午前中は約20分おきにやってくる痛みに耐えつつ、作り置きのおかずを作ったり、入院バッグの中身を確認したりして過ごしていました。 このときは痛みが続く時間は1分程度。痛くなったら立ち止まり、「もうすぐ会えるのかな?」と赤ちゃんに話しかけてやり過ごしました。そして15時ごろ、一気に陣痛が8分間隔になり、慌てて病院に電話。夫に車で送ってもらいました。 いきみ逃しは呼吸に集中!病院に着いて内診を受けると、子宮口は4cm開いているとのことで、そのまま入院となりました。陣痛が来ない時間は楽しく夫と喋ることができました。そして陣痛がきたら、ひたすら呼吸に集中します。心がけていたのは、長く細く息を吐くこと。助産師さんからは、妊娠33週ごろに参加した出産教室で、5m先のろうそくをそっと消すイメージでと言われていました。 そして赤ちゃんのことを想像し、「じょうずだよ〜。ゆっくり出ておいで。怖くないよ。もうすぐ会えるかな? 楽しみだね。お母さんは痛くないよ」など、赤ちゃんを応援をする声かけをしていました。その間、立ち会いをしていた夫には手を握ってもらったり、うちわで扇いでもらったりなどのサポートをお願いしました。 出産は人生最大の感動的な出来事になったそうやって呼吸と声かけをしていると、だんだん陣痛が赤ちゃんとの対話のように感じられるようになりました。「赤ちゃんが話しかけている」と思うと、痛みはあるものの愛しく思えて、あまり苦になりませんでした。 「よく叫ばないで平気ね」と助産師さんに驚かれたほどです。そして20時ごろ、娘を無事出産することができました。産後すぐ、立ち会った夫に「気持ちよかった!」と言ったことは今でもはっきり覚えています。 私の場合、リラックスした出産シーンをひたすら思い浮かべて呼吸と声かけに集中したことが、「気持ちよかった!」と思える出産に繋がったのだと思います。そして第二子も同様に実践した結果、陣痛から出産まで慌てることなく、リラックスして産むことができました。この経験から、自分に合ったリラックス法を知ることがとても大切だなと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:佐藤ちえみ京都在住、2児の母。おしゃべりが大好きな3歳娘と、よちよち歩きの1歳息子に癒やされる日々を送る。育児や京都観光のジャンルを中心に、フリーのライターとして活動中。
2021年08月02日■前回のあらすじ娘の主治医から容態について詳しく話を聞くことに。先生の誠実さに少し安堵できたのでした。■一人になると、また落ち込む日々…常位胎盤早期剥離で検索して、改めて赤ちゃんと自分が危ない状況だったのだと知りました。助かる確率は50~70%。でも、後遺症が残る確率については明確に見つけられませんでした。あくまでも確率の話であり、それが私たちのケースに当てはまるかは別問題なのに…。それでも藁をもつかむ思いで希望にすがりたかったのです。誰かに「あなたもあなたの赤ちゃんも助かったのだ」と言ってほしくてたまらなかったのです。■搾乳も頑張る気力がなくなってくる赤ちゃんの人工呼吸器がなかなか外れないこともあり、ネガティブになる毎日…。産後のホルモンバランスもあって、毎日泣いていました…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月02日私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!
こどもと見つけた小さな発見日誌