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■前回のあらすじMRI検査の予約日まで不安でモヤモヤしていましたが、ある日突然もう検査が終わったと告げられました。■産院での検診で…ティッシュもなかった!!手で拭いた!!!■毎日NICUに通うけど…■振り返って今思うこと帝王切開になったこと、その他お産についての心残りや未練は全くありません。切ってもらえなかったら娘は死んでいたので。自然分娩できなかったから悔しい、陣痛知らないから楽でしょ? と言われた等々…、すべてお母さんが主語なんですよね。帝王切開は、自然に任せたら赤ちゃんが危険だから行うものであって、赤ちゃんを主語にしたらそんな言葉は出てこないと思います。赤ちゃんが無事で良かった!! ただそれだけだと思うのです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月11日■前回のあらすじお世話にも慣れてきた頃、通うのが辛く休みたいと思うようになりました。■MRI検査を待っている期間のモヤモヤ…MRIを撮らなければいけないと言われてから、12日はかかりました。今思えば、なかなか機械の空きがない=優先度が低い=急を要する容態ではないということだったのでしょうが、当時は不安が大きすぎて分かりませんでした。■MRI検査の日程が決まったのだけれど…あまりにあっけなく終わってしまいました…。よく頑張ったね!みぞれ!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月10日高校生のころから痔に悩まされてきた私。肛門の痛みにより日常生活に支障を感じた私は、婚約を機に思い切って手術をすることを決意! 手術後、痔のストレスから解放された私でしたが、出産をきっかけにまた痔が悪化して……。妊娠、出産を経て、再び痔になってしまった体験談をご紹介します。 もしや痔!? 初めて気づいた肛門のイボ私が高校生のときの話です。トイレでおしりをふいた際に、肛門からイボが1つ出ているのに気がつきました! 当時の状態は、排泄時、肛門にやや痛みを感じる程度。私は思春期であったこともあり、家族にすら相談せずに過ごしました……。 薬局でぬり薬を買うことすら恥ずかしく、ビオフェルミン錠剤を服用して便通をよくしようと努めたのです。 社会人になって悪化した痔…たまに肛門の痛みを感じるものの、痔との生活に慣れていった私。大学生時代、イボ痔であるもののさほど痛みはなく、私は肛門の悩みをあまり気にすることなく過ごすことができました。しかし、就職をきっかけに肛門の変化を感じ始めることに……。 デスクワークや飲み会が増えたことで肛門に負担をかけ、かゆみや痛みを感じるようになりました。肛門からの出血も増え、私は仕事に集中できず、日常生活に支障をきたすほどになったのです。 婚約を機に痔の手術を決意!そんななか、私はプロポーズを受けてうれしい気持ちでいっぱいに! しかし、いつか子どもが欲しいと希望していた私は、肛門の痛みにより出産に支障をきたすのではないかと悩みました。思い切ってパートナーに相談し、痔の治療をすることにしたのです。 私が通院した肛門科では週末に日帰り手術が可能で、担当医と相談のうえ「痔核結紮切除術(じかくけっさつせつじょじゅつ)」を受けることを決意! 手術後、痔に悩まされることがなく、快適な生活を送ることができました。 妊娠、出産を経て…またアレが!結婚後、初めての妊娠に喜び、痔の存在がすっかり過去のものに。しかし、出産後初の排泄時に、異変に気がつきました……。肛門に2つのイボ痔ができていたのです! 今までにないほどパンパンに膨れた痔。軽く痔に触れるだけで痛く、排泄時はあまりの肛門の痛みに涙が出ました。 産婦人科の担当医に相談したところ、妊娠・出産により痔ができることがあるとのこと。塗り薬を処方され、産後1カ月ほどはヒリヒリした肛門の痛みに耐えました。産後から3年が経過した現在、肛門の痛みはなく、しぼんだイボ痔がある状態です。 出産後、激しい肛門の痛みに苦しんだ私ですが、現在は普通の日常生活を送っています。産後、激しい肛門の痛みにどうなることかと思いましたが、塗り薬で痛みを緩和できました。痔が悪化しないように、バランスのとれた食生活や適度な運動、おしりを温めて血流をよくするなど……今は肛門に配慮して生活しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日2020年、私はコロナ禍で第1子を出産することになりました。大学病院を選んだため、コロナ対策で立ち会いはおろか、面会も一切禁止。ずっと前から夫婦で立ち会い出産を夢見ていたのでショックでしたが、あきらめざるをえませんでした。結局、他の産院に移ることもなく、そのまま大学病院で出産することに。しかし、何かいい方法はないかと病院と相談。今回私が体験した、コロナ禍だからこそできたにぎやかな出産についてお伝えします。立ち会い不可! 面会も不可!妊娠3カ月のとき、夫の仕事の都合で実家がある関西から北陸地方へ引っ越すことになり、右も左もわからない土地での出産となりました。いろいろな産院を調べたところ、コロナ禍でも立ち会いや面会が可能なところもありましたが、私の場合は体外受精での妊娠、また高齢出産ということもあって、リスクケアを重視し大学病院を選びました。 地域の中核病院となる大学病院では本来は1人まで出産に立会うことができていましたが、コロナ禍で立ち会いはおろか面会も一切禁止に。見知らぬ土地ということで会話のテンポが違うことや方言が理解できずとても孤独でした。そして誰も会いにこられないなかで初めての出産をすることになりました。 リモート立ち会いなんとか出産の瞬間を家族と共有することはできないか助産師さんに相談し、LINEのビデオ通話での中継を思いつきました。しかもLINEならグループでテレビ電話をすることもできます。お医者さんや助産師さんも携帯電話の操作や設置を協力してくれるとのこと。 まずは、事前に夫や関西にいる家族の総勢5名でLINEグループを作成。参加者にはビデオ通話がかかってきたら出てもらうようにあらかじめ打ち合わせしておきました。 LINEが可能にしたにぎやかな出産分娩室に移動する直前、とてつもない痛みに襲われながらも、なんとかグループLINEのビデオ通話ボタンを押すことに成功! 携帯電話スタンドを持ち込んでいたので顔だけが映る角度に病院の方々に設置してもらい、いざ出産! 分娩室に移動してから約1時間後、携帯電話からみんなが送ってくれる声援に励まされながら、無事長男を出産することができました。病院の方に協力していただき、ぐったりする私の横でみんなのうれしそうな声が聞こえてきました。 リモート立ち会いの良さコロナ禍以前、大学病院のルールでは1人まで出産に立会うことができていました。しかし今回リモート立ち会い出産によって、本来なら立ち会うことができない人数や、遠方の家族とも誕生の瞬間を共有することができました。生まれたばかりの元気に産声をあげる長男の様子を病院の方がグループLINEに映してくださり、家族全員見ることができました。 振り返ると、とてもにぎやかな出産だったなと、いい思い出です。いつか長男が大きくなったら「あなたが生まれたときはコロナ禍で大変だったけど、たくさんの人に見守られてとてもにぎやかな出産だったのよ」と話してあげようと思います。1つ改善点をあげるなら、陣痛中に通話ボタンを押すのは大変だったので、余裕のあるときにつないでいればよかったと思います。 監修/助産師REIKO著者:竹内 かなこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日■前回のあらすじ自分がまだ入院していた頃、母乳とミルクについて、かなりの葛藤がありました。■お世話にも慣れてきて…ものすごく心配していたのに、赤ちゃんがいなくて寂しかったのに、ちょっとホッとするとすぐ怠惰な性格が出てくるのでダメですね…。そうです。基本怠惰なのです。でも、怠惰になれるのはある程度娘の容態が安定してくれていたから…。先生に、看護師さんに、娘に、家族に感謝せねばなりません。■NICUに通うお母さんたちそれぞれの事情ちょっとホッとしました。赤ちゃんに対して無条件に「大好きー! 愛してるー! 」となれる時期は限られていました。かわいいのはかわいいんですが…。体がしんどくて休みたかったけど、そんなこと言ったら母親失格と思われそうで、言えませんでした。でも、やはり私が心身ともにゆっくり休めるのは、周りのおかげであり、すごく贅沢だと思います。余談ですが、退院から一年半以上経ったある日のこと、全く関係のない用事でこの病院のNICUの前を通った時、ボロボロと泣いてしまいました。自分でも驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月09日不妊治療や妊活は孤独でつらいことが多く、自然妊娠で早目に出産した友だちからは「あなたの魅力が足りないんじゃないの? 」と言われたこともありました。流産も経験して、もう私たちのところへ赤ちゃんがこないかもしれないと怖くなったこともあります。私の不妊治療と妊娠するまでの経過をお伝えします。32歳で結婚。しかし、赤ちゃんをなかなか授からず…。 なかなか赤ちゃんがきてくれない32歳で結婚した私。当時何も知らなかった私は、結婚すれば妊娠できると思っていました。しかし1年経っても2年経っても赤ちゃんがきてくれません。 夫は「36歳の友だちも40歳の友だちも自然妊娠できたんだから、大丈夫だ」と言うばかりで不妊治療をすることにはじめから大反対。夫を説得することから始まりましたが、変えようとすると疲れてしまいます。 友だちから次々と妊娠&出産報告を聞き、周りと比べては置いていかれていると孤独になる日々。生理がくるたびに泣く日々。そんな私を見兼ねたのか、ようやく夫も理解してくれ、2人で病院に通い始めました。 タイミング療法からスタートしたものの…病院で2人ともカウンセリングと検査を受けましたが、さほど悪いところはなく、タイミング療法から始まりました。4回の注射と飲み薬を試したときに熱が出て治療を中止。熱が下がってから再び病院に通い始めたら、「良い卵ができているよ。これなら妊娠できるかも」と先生に言われ、本当にその後検査薬で陽性反応が出ました! が、すぐに出血と激しい腹痛があって初期流産してしまいました。どうしてもあきらめきれず、その後人工授精にステップアップしてみましたが、妊娠しませんでした。 体外受精で妊娠できた!「あんまりガクッと気持ちが落ちていると良い卵ができないよ。少し治療をお休みして、気晴らしに短時間のパートに行ってみたら?」と病院の先生にすすめられて、1年くらい不妊治療を休んでキッチンのパートを始めました。 その職場では子持ちの主婦の方が多く、私の流産の話や、それでも赤ちゃんが欲しいという話をやさしく聞いてくれました。何より驚いたのは20代の若い子たちが案外体外受精で妊娠していたこと。私には知らない世界でパアッと視界が開けてきました。久しぶりに不妊治療を再開し、先生に体外受精に挑戦したいと前向きに伝えました。職場の方が手術を応援してくれ、何とかおなかに子どもを授かることができました。 不妊治療中は本当に不安で落ち込む日もありました。しかしパートに行き、同じ境遇、悩みを持つ仲間たちとお互い励まし合いながら情報交換していったことで、成功に繋がったのだと感謝しています。まさか私が体外受精をすることになるなんて夢にも思わなかったけど、赤ちゃんがおなかの中にきてくれただけで幸せです。パートの仲間たち、ありがとう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/おもち 著者:藤田 好美第1子、男の子を妊娠中。現在、妊娠9カ月。体外受精の移植手術を機に仕事を辞め、現在は専業主婦。
2021年08月09日初めての出産を終えて4カ月。夫の仕事の都合もあり、義母がひとり暮らしをしている夫の実家で同居を始めました。私は妊娠するまで高齢の方たちと一緒に仕事をすることも多く、年配者との付き合いには不安はありませんでした。そのため、初めての同居も「大丈夫だろう」と義母対策の準備は何もしないで新生活を始めたのです。しかし、職場と生活の場はまったく別物で、トラブルが多発。私もストレスを抱えるようになってしまいました。話し出したら周りが見えなくなる義母おしゃべり好きな義母。しばらくひとり暮らしの期間があり、しゃべり相手に飢えていたのか、しゃべり出したら止まりません。見たもの、聞いたものはすべてしゃべらなければ気が済まないとばかりにしゃべり続けます。 特に子どもの食事の世話をしているときや、帰宅直後に玄関で話し始められるのがつらい! 子どもの世話や片付けが進まないのも困りますが、私の状況を一切考えずにしゃべり続ける義母の態度は、私をないがしろにしているように感じさせました。 話を遮ってみたら…私の心を安定させるため、今後も義母と良好な関係を築くために我慢するのをやめよう! と決めました。もちろん、時間や気持ちに余裕があるときは、義母のおしゃべりの相手になります。 けれどそうではないときは、「子どもの食事の世話をしているからあとでもいい?」などと理由を添えながら話を遮ることにしたのです。もちろん、あとで義母のおしゃべりに付き合う時間をつくり、「さっきはごめんね、それでどうなったの?」と声をかけるようにしました。 今のところは順調!しゃべるタイミングが悪かったと気付き、はじめは気まずそうにしていた義母。けれど次第に「話したいことがあるのだけれど、あとで話をするね」と義母から言ってくれることも出てきました。 そうなると義母が私を尊重してくれているように感じることができ、悲しくなったりイライラしたりすることが激減。私も言葉の選び方を気をつけるようにしたら、義母に対して気を配れるようになり、やさしく接することができるようになっていきました。 義母は年長者であり、しかも私は新参者。職場のように私が遠慮をして義母を立てれば良いと考えていました。けれど子育てをしながらとなると、うまくいきません。この件以来、「私もこの家族の一員なのだ。家庭運営を積極的にしよう」と腹が据わりました。 著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年08月08日■前回のあらすじ哺乳力が十分でないのと、母乳の出も悪いので授乳時間が憂鬱に…。ミルクでもたくさん飲んでくれるほうが安心します。■母乳かミルクか…? 葛藤の日々時系列は前後しますが、母乳が出なくて悩んだ時のお話です。最終的にミルクにしよう! となる前に色々と葛藤がありました。母乳がだんだんと出なくなってくると、母乳前提の世の中に生きにくさを感じてしまいます。ありがたいことに、母乳で育てなきゃおばさんには遭遇したことはありませんでしたが…。■母乳に関する情報に惑わされる帝王切開数日後~自分の退院までの頃は、日々この連続でかなり葛藤していました。■母乳かミルクかよりも大事なのは…母乳かミルクかについては、賛否両論あると思います。でも、母乳を諦めざるを得なかった人、母乳を選択しなかった人に、母親失格とか、母性がないとか、そんなふうに思ってほしくないです。堂々とミルクを選択したと宣言しても許される世界になってほしいですね。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月08日■前回のあらすじ退院に向けて授乳指導が始まりました。初めての授乳はとても難しくて…。■憂鬱に感じてしまう授乳時間面会時間以外は全部哺乳瓶でミルクを飲んでいるのだから、当然ですよね…。その不利な条件でもゆくゆく直接母乳に切り替えられるように地道にやるべきなのですが、2週間以上搾乳のみだったということもあり、どうにも出が悪く…。基本、胸のマッサージは少なかったです。次女の時は出産からこの病院だったので、その時は思い切りやってもらえました。おそらく、長女の時は私は患者の保護者であり、患者ではないからでしょう。というわけで、長女の時は自己流でした。■母乳にこだわらないという考え最初からミルクくれと言ったらくれたのでしょうか。でも特別な理由もないのに最初からミルクくださいと言って何か思われたくなかったので言えませんでした…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月07日■前回のあらすじ自分の退院後、母乳を届けるため毎日娘のもとへ。娘は管がすべて取れて無事GCUへ移動しました。■退院へ向け、いよいよお世話が始まる授乳があんなに難しいなんて、この時の私は知る由もなかった…。退院までにこれができてもらわないと困るという目標がありまして、GCUに移ってからというもの、そのメニューをこなしていました。私は、自分が退院するまで赤ちゃんのオムツを替えたことがなかった(管だらけだった)ので、オムツを替えてくれと言われたとき、「え? 私が? 」ってなりました。お前の子だろ…!血中酸素濃度を測る機械はまだついており、赤ちゃんが泣くとそれが鳴るため、最初はいちいちビビっていました…。幸い、呼吸は管が取れてからは安定していたので、心配は杞憂に終わりました。■授乳指導を受ける最初の10秒くらいは吸うのですが、すぐに諦めてしまう娘…。1週間ほど鼻チューブから栄養摂取の生活だったのでしょうがないのですが。看護師さんもなんとか咥えさせようとしてくれましたがしかし…。あの…行き場のない感じ…。焦りが募ります。■初めての授乳に苦戦…ヘトヘトにとにかく遅れを取り戻すために、色々やりました。ここでは直母(直接母乳を飲ますこと)が大事なようで、面会に行ったらまず直母! 直母! でした。家でもマッサージや搾乳を欠かさずにと言われました。毎回母乳を吸わせる前と後で体重を量って母乳量を把握していましたが、なぜか授乳のあとに体重が減っていたりすることもあり、徒労感が酷かったです…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。※病院によって対応が異なる場合があり、すべてのケースには当てはまりません。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月06日産後ケアとは?出産前と出産後では、ママの身体や環境が大きく変わったという方も少なくありません。赤ちゃんのお世話で生活リズムも不規則となり、心身に不調を感じるママもいることでしょう。そこで近年注目されるようになったのが、ママに寄り添いながら心と身体の回復をサポートする産後ケアです。産後ケアでは、ママがしっかり休息をとり、気力と体力に満ちた状態で育児できるよう支援します。サポート内容はママの身体のケアから悩み相談、育児指導、赤ちゃんの預かりなど多岐にわたり、ママが心穏やかに子育てできる環境を整えてくれますよ。産後ケアはどこで受けられる?いつからいつまで利用できる?自治体による産後ケア事業2021年(令和3年)4月1日に「母子保健法の一部を改正する法律」が施行され、自治体による産後ケア事業の拡充が図られました。全国の自治体では子育て世代包括支援センターを中心に、地域の病院や助産所と連携してママや赤ちゃんへの支援を実施しています。民間企業による産後ケアサービス産後ケアを行う民間のサービスも多く登場しています。民間サービスには家事代行やきょうだいのお世話までを請け負う訪問型や、食事やエステ付きの産後ケアが受けられる滞在型施設などがあり、料金や時間に応じたプランが選べます。出産直後から産後1年まで出産を経たママの身体が妊娠前の状態に戻るまで、通常6~8週間ほどかかるといわれています。この期間を「産褥期」といいます。従来の自治体などが行う産後ケアは、この産褥期を含む出産後4ヶ月頃までのママを対象に実施されてきました。しかし現在では、入院期間が長期化する場合やママのメンタルヘルスケアの重要性について見直され、産後ケアを利用できる期間は出産直後から産後1年までに延長されています。産後ケアはなぜ必要?母体の回復を助ける分娩後の子宮は産後9~13日ころにはお腹の外から触ってもわからないほどに収縮し、産褥期が終わるころには元の大きさに戻ります(※1)。さらに、骨盤底筋群の緊張は4~8週頃には回復するといわれています(※2)。一方で、一日に何度も行う授乳やおむつ替え、抱っこといった動作は身体への負担が大きく、産後半年を経過しても尿漏れや腰痛などのトラブルを抱えているママも少なくありません。長期にわたる痛みや不快感を予防するためにも、産後すぐからママが身体を休めるためのサポートが必要です。マタニティブルーズの解消出産が終わり胎盤が排出されると、妊娠を継続するために増加していた女性ホルモンが急激に減少します。こうしたホルモン量の変化や産後の疲れから、精神的に不健康な状態にあると感じているママは半数近くにのぼります(※3)。不安感やイライラ、不眠、集中力の低下といったマタニティブルーズの症状は、産後3~5日ごろにあらわれはじめ、産後2週頃には改善するといわれています(※4)。しかし、なかにはマタニティブルーズから産後うつへと移行する人も存在します。産後うつは出産後2~3週間後以降に発症の傾向がみられることから、産後のできるだけ早い段階で産後ケアを受け、心の負担を解消することが大切です。自治体による産後ケア事業とは?産後ケア事業の対象となる人自治体による産後ケア事業は、産後に心身の不調や育児不安を抱えていたり、家族や親せきから育児のサポートが十分に受けられなかったりなど、支援を必要するママを対象にしています。医療的な助成制度ではないため、ママや赤ちゃんが感染性の疾患にかかっていたり、医療的な治療が必要だったりする場合は利用できません。2021年4月の母子保健法の改正にともない、利用者の選定基準や利用時期が変更されているため、期間や対象などの利用条件については住んでいる自治体の最新情報を確認してみましょう。産後ケア事業の種類実際に産後ケアは、助産師・保健師・看護師による専門的なサポートが受けられます。自治体によっては保育士や管理栄養士といった専門家を配置していることもあります。産後ケアの実施方法には自宅に助産師が訪問する居宅訪問(アウトリーチ)型、提携する医療機関や助産所を日帰りで利用する通所(デイサービス)型、施設に宿泊する短期入所(ショートステイ)型の3種類があります。利用料や利用できる日数は自治体によって異なります。産後ケアセンターがある地域も各自治体では妊娠前から育児期にかけ、子育て世代に対しする支援を途切れることなく実施できるよう、さまざまな取り組みが行われています。産後ケア事業における産後ケアセンターの開設もそのひとつです。公的な産後ケアセンターを整備することで、医療機関、保健所、子育て支援機関などとの連携が生き、必要な情報や支援策を必要なタイミングで届けられます。民間のサービスよりも安価で支援を受けられるのも魅力です。すでに東京都世田谷区、埼玉県和光市、千葉県浦安市、山梨県などでは産後ケアセンターが活用されており、全国でも整備が進められる予定です。産後のママを支えてくれるプロたち産後ドゥーラ産後ドゥーラとは、一般社団法人ドゥーラ協会の講座・研修を経て認定を受けた女性の専門家です。妊娠中から出産後一年半までのママの気持ちに寄り添い、子育てや家事をサポートします。「これをやって欲しい」という明確な希望がなくても、ママの声に耳を傾け、安心できる環境を作ってくれます。提携する自治体やクリニックでサポートを受ける方法と、個人契約で利用する方法があります。産後ケアリスト産後ケアリストとは、一般社団法人日本産後ケア協会の認定を受けた専門家です。専門的な知識と技術、経験で産後のママを支えます。心、身体、家事、育児、情報提供による包括的なサポートで質の高いケアサービスを提供し、子育ての良きアドバイザーとしてママに寄り添ってくれますよ。産後ヘルパー産後ヘルパーは産後のママと赤ちゃんやその家族のお世話をする専門家です。自治体の産前・産後ヘルパー派遣事業のサービスとして、自治体が委託した事業者から派遣されるケースと、民間の産後ケアサービスを利用するケースがあります。保育士などの国家資格やホームヘルパーなどの民間資格を持つ人が対応する場合が多く、事業者によって対応可能なサービス内容が異なります。事前にサービス内容を確認し、自分に合った事業者を選ぶようにしましょう。産後ケアを利用して産後のトラブルを防ごう身体の痛み、睡眠不足、思い通りにいかない不安や苛立ちと、産後のママには身体的にも精神的にも大きな負担がかかっています。産後のトラブルが慢性化しないうちに、専門的なケアを受けて心も身体もリフレッシュしたいですね。特に産後のママはひとりで悩みを抱えて孤立してしまいがちです。漠然とした悩みでも、豊かな経験を持った人と話しているうちに解決することもありますよ。産後ケアのサービスをじょうずに利用して、穏やかに育児を楽しみましょう。※この記事は2021年7月時点の情報をもとに作成しています。掲載した時点以降に情報が変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。
2021年08月06日5人出産した母から、出産までに時間がかかったり、難産だったという話を聞いたことがありませんでした。また、私より先に出産を経験した妹も、陣痛から十数時間かかったものの、安産だったと聞いていたので、私も当然2人と似たような出産体験になるんだろうなと安心しきっていました。そんな私が体験した出産までの道のりについてご紹介します。 「今日中に生まれますよ!」を信じて妊娠38週4日の朝6時、便意にも似た痛みを数分おきに感じたので早速病院に連絡。7時に病院へ到着し診察を受けると、子宮口がすでに開き始めているので「今日中に生まれそうだよ!」と助産師さんからうれしい言葉が。 でも、よく考えるとその時点で「今日中? そんなに時間がかかるんだ」と疑問に思ったものの、その言葉を信じて、あとちょっとで生まれるんだと期待に胸を膨らませていました。陣痛も7分おきにきていましたが、痛みはさほど強くなく、まだまだ笑って過ごせる程度でした。 激しい陣痛、でも子宮口が開かない!その後、子宮口がなかなか開かず、結局今日中に生まれるという予想とは裏腹に日をまたぐことに。そのころには、陣痛の間隔は4分おきになり、腰を押してもらわないと痛みに耐えられないほどまでになっていました。 早く分娩台に移動して陣痛から逃れたい!と願っていたものの、まだまだ子宮口が開いていないから分娩台へは行けないと言われるだけ。深い眠りに落ちても激しい痛みで目が覚め、また収まると眠るを繰り返し、とうとう朝を迎えました。 陣痛開始から32時間後、分娩台へ!午後2時、数分おきにくる激しい痛みを伴った陣痛に耐えながら、子宮口が10cmと十分に開いたので、助産師さんから分娩台に行けるという言葉をようやくいただきました。 陣痛が身もだえるような痛みになってから実に15時間後、寝ずに腰を押してくれていた夫も疲労困憊のなか、ようやく分娩台に上がることに。しかし、やっと終わると思ったのも束の間、今度は陣痛の間隔が12分おきになり始めたのです。 最後の最後に陣痛促進剤の投与私の疲労がピークに達していたため、陣痛の間隔が狭くなるのを待てないという判断から、陣痛促進剤を打つことに。陣痛促進剤を打って効き始めるまで1時間ほどかかり、その後、陣痛の間隔が狭まってから約30分後、無事に第1子を出産することができました。 分娩中はつらい陣痛とおさらばできるという喜びのほうが勝っており、つらいというよりは、やっと終わるというワクワクのほうが強かったです。 出産前、いろいろな方から出産体験を聞きましたが、自分のお産は体験するまでわからないと痛感しました。また、私の場合は出産そのものよりも陣痛のほうがはるかにつらかったことがとても意外でした。私は現在、第2子・第3子となる双子を妊娠中です。どんなに長くかかろうと終わりのない出産はないので、愛しいわが子に会うため、出産に向けて今から心構えをしておこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:山口まなみ2歳の女児の母で、5月には双子を出産予定。韓国人の夫と家族3人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2021年08月05日■前回のあらすじ元気な赤ちゃんたちの泣き声を聞くたびに寂しさが込み上げてきましたが、看護師さんに救われました。そして私は無事退院しました。■NICUへ通う日々絵では省略しましたが、全員マスクをしています。看護師さんとの連絡ノートは、持って帰っても良いとの記述を見逃して、ずっと病院に置いていたので、前半全て看護師さんのターンでした…。■GCUへ移動した娘管が取れてGCUへ移動し、ついにワンステップクリア!これから退院に向けて、様々な試練が課せられます…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月05日■前回のあらすじ娘の呼吸器が取れました。まだ管はたくさんついているけれど、初めて娘を抱っこすることが出来ました!■娘のそばにいられない寂しさが襲うおそらく、この病院で私が一番重症だったので、ナースステーションの前の部屋にされたのですが、ナースステーションの隣が新生児預かり室だったので、赤ちゃんの泣き声を聞くのは相変わらず複雑な思いでした。■看護師さんの言葉に救われるおそらくこの時が一番どん底でした。余談ですが、この病院には赤ちゃんとお母さん両方を診る2週間検診というものがあり、みんな赤ちゃんを連れてきているのに、自分だけひとりだったので、その時もとても辛かったです。■そして退院の日…とても良い産院でした。看護も手厚く、たくさん寄り添ってもらいました。体重のお米は、特定を避けるためのフェイクです。似たようなお祝いの品をいただきました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月04日■前回のあらすじひとりで病室にいると、ネガティブなことばかり頭に浮かび、がんばる気力もなくなってしまいました。■改めて思い知らされる現実…仕事仕事と言っている割に、子どもを保育園に預けていない理由がこの辺にあります。普通に健康に産まれていたら、0歳児入園なども視野に入れていたのですが、この状態では私が無理でした。■娘にある変化が…!抱っこできて本当に嬉しかったです。呼吸器が取れてかなり安心したのを覚えています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月03日現在3歳になる娘を産んだときの話です。初めての出産を控えて、不安でいっぱいだった私。しかし実際は、不安に思っていたことが嘘のように、むしろ「気持ちよかった!」と感じるほどの経験となりました。そんな、私にとって人生で一番感動的な出来事となった出産の体験談です。※コロナ禍前の体験談です 陣痛開始~入院妊娠39週4日目の朝6時、不規則なおなかの張りで目が覚めました。「これは陣痛かな?」と半信半疑で、一応陣痛アプリで間隔を測るものの、間隔はバラバラ。午前中は約20分おきにやってくる痛みに耐えつつ、作り置きのおかずを作ったり、入院バッグの中身を確認したりして過ごしていました。 このときは痛みが続く時間は1分程度。痛くなったら立ち止まり、「もうすぐ会えるのかな?」と赤ちゃんに話しかけてやり過ごしました。そして15時ごろ、一気に陣痛が8分間隔になり、慌てて病院に電話。夫に車で送ってもらいました。 いきみ逃しは呼吸に集中!病院に着いて内診を受けると、子宮口は4cm開いているとのことで、そのまま入院となりました。陣痛が来ない時間は楽しく夫と喋ることができました。そして陣痛がきたら、ひたすら呼吸に集中します。心がけていたのは、長く細く息を吐くこと。助産師さんからは、妊娠33週ごろに参加した出産教室で、5m先のろうそくをそっと消すイメージでと言われていました。 そして赤ちゃんのことを想像し、「じょうずだよ〜。ゆっくり出ておいで。怖くないよ。もうすぐ会えるかな? 楽しみだね。お母さんは痛くないよ」など、赤ちゃんを応援をする声かけをしていました。その間、立ち会いをしていた夫には手を握ってもらったり、うちわで扇いでもらったりなどのサポートをお願いしました。 出産は人生最大の感動的な出来事になったそうやって呼吸と声かけをしていると、だんだん陣痛が赤ちゃんとの対話のように感じられるようになりました。「赤ちゃんが話しかけている」と思うと、痛みはあるものの愛しく思えて、あまり苦になりませんでした。 「よく叫ばないで平気ね」と助産師さんに驚かれたほどです。そして20時ごろ、娘を無事出産することができました。産後すぐ、立ち会った夫に「気持ちよかった!」と言ったことは今でもはっきり覚えています。 私の場合、リラックスした出産シーンをひたすら思い浮かべて呼吸と声かけに集中したことが、「気持ちよかった!」と思える出産に繋がったのだと思います。そして第二子も同様に実践した結果、陣痛から出産まで慌てることなく、リラックスして産むことができました。この経験から、自分に合ったリラックス法を知ることがとても大切だなと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:佐藤ちえみ京都在住、2児の母。おしゃべりが大好きな3歳娘と、よちよち歩きの1歳息子に癒やされる日々を送る。育児や京都観光のジャンルを中心に、フリーのライターとして活動中。
2021年08月02日■前回のあらすじ娘の主治医から容態について詳しく話を聞くことに。先生の誠実さに少し安堵できたのでした。■一人になると、また落ち込む日々…常位胎盤早期剥離で検索して、改めて赤ちゃんと自分が危ない状況だったのだと知りました。助かる確率は50~70%。でも、後遺症が残る確率については明確に見つけられませんでした。あくまでも確率の話であり、それが私たちのケースに当てはまるかは別問題なのに…。それでも藁をもつかむ思いで希望にすがりたかったのです。誰かに「あなたもあなたの赤ちゃんも助かったのだ」と言ってほしくてたまらなかったのです。■搾乳も頑張る気力がなくなってくる赤ちゃんの人工呼吸器がなかなか外れないこともあり、ネガティブになる毎日…。産後のホルモンバランスもあって、毎日泣いていました…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月02日■前回のあらすじ複雑な気持ちのまま赤ちゃんに会いに行ったけれど、いざ目の当りにしたら嬉しくて涙が止まりませんでした。■赤ちゃんへの接し方に戸惑いを感じていたけれど…ほとんどのお母さんが経験される気持ちかと思うのですが、「こいつ、本当に私のお腹の中にいたのか…」という不思議な気持ちと、どうやって接したらいいか分からない…という何とも座りの悪い気持ちが混ぜこぜでした。副耳がついていたの可愛かったなぁ。ひとつは自然に取れて、もうひとつは骨が通っていなかったので、根元で縛って取ってもらいました。■主治医の先生から話を聞く先生とお話ししました。右も左も分からず、夫や母から伝え聞くのみだったので、お話できて本当に良かった。実際はもっと質問しています。■初面会終了、誠実な先生に感謝とても安心感のある先生でした。NICU内は機内モードであれば、スマホの持ち込みは可能でした。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月01日■前回のあらすじ僅かな母乳を毎回娘に届けてくれる母に、大変な思いをさせてしまって申し訳なく思ってしまいます。■赤ちゃんに会いに行けることになったけれど…急に会いに行けることになって、戸惑いが大きかったです。しかし、助産師さんたちの反応を見るところ、私はそんなに病んでいたのかなぁと思いました。実際、病んでいたわけですが…。■複雑な気持ちのままNICUへNICUのバリケードは厚かったです。扉があって手洗い、消毒、そして絵では描いていませんが、両親もマスク装着が義務でした。備え付けの使い捨てマスクが置いてあり、この日から面会に来る日はその都度つけていました。現在、コロナウイルスの影響によりNICUは両親の面会すら制限があるそうで、胸が苦しいです。コロナウイルス感染対策は病院によって対応が異なります。すべてのケースには当てはまりません。■本当はずっと会いたかったんだ…!夫はNICUにだいぶ慣れていました。会社帰りに毎日寄ってくれていたからです。このときばかりはとても頼もしく見えました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月31日■前回のあらすじ母乳指導が始まりました。初乳はとても微量でしたが、助産師さんたちはとても褒めてくれて…。■喜んで世話を続ける母母は孫が生まれてくるのを本当に本当に楽しみにしていました。独身の頃も早く結婚して子どもを産め産め言うタイプだったので、若干鬱陶しくもあったのですが、いざ産んだらそれはそれは手厚く世話をしてくれました。こんなことになって母が落ち込んだりしないか心配だったのですが、むしろ私が動けないことをいいことに、嬉々として必要なものの買い出しに行ってくれました。■母乳に関してネガティブな気持ちはない母乳に対してこだわりはありません。娘の現状を考えるとそれどころではなかったので、母乳のことまで考える余裕はありませんでした。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月30日■前回のあらすじ健康な赤ちゃんの泣き声を聞くと辛くなるので部屋に引きこもり、子育て関係のSNSをすべてシャットアウトしました。■初めての母乳マッサージ入院2日目から母乳指導が始まりました。赤ちゃんを産んだら母乳が噴き出た! とか、そういう話を耳にしていたのですが、私は全くそんなことありませんでした。胸の張りは生理中くらい。失血のせいなのかよく分かりませんが、それでも微量ながら母乳が出た時は驚きました。人体の神秘…。胎動を感じ始めた時も神秘を感じましたが、つくづく出産ってすごいです。■初乳の量は…普通はどれくらい出るものなのでしょうか…?※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月29日待ちに待ったわが子が誕生し、喜びも束の間、子どもの顔に“あざ”があると気づいたのは、生まれた翌日のことでした。子どもの顔にあざがあるなんて妊娠時には想像もしておらず、当時の私はとてもショックを受けました。ここでは、その後にあざを除去するために受けた、レーザー治療の体験をお伝えしていきます。 あざだと気づいたのは…出産して数時間後から母子同室だったため、娘の顔を「かわいいなぁ」と見ていたのですが、そのときまぶたの上の一部分が赤くなっていることに気づきました。生まれたばかりの赤ちゃんの肌は薄く、赤っぽく見えるのでそのせいだと思っていました。しかし翌日、医師から「まぶたが赤っぽくなっているのは生まれつきのあざ。1カ月健診のときにまた相談してみてください」と告げられたのです。 1カ月健診後、皮膚科を受診娘のまぶたのあざは1カ月健診を迎えるころになっても薄くなったり消えたりせず、むしろ少し赤みが増していました。1カ月健診では、医師から「お母さんが気になるようだったら早めにレーザー治療をしている皮膚科に相談してみてください」と言われ、母子健康手帳に「瞼(まぶた)に血管腫あり」と記入されました。 その後、子どものあざのレーザー治療を扱っているクリニックを受診したところ、「このあざは時間が経っても消えないあざなので、レーザー治療をおすすめします」との診断でした。そのため、娘は生後3カ月でレーザー治療を始めることになりました。 レーザー治療を受ける受診する医療機関によりますが、娘が受診したクリニックでは0歳からレーザー治療が可能でした。「生まれて数カ月の赤ちゃんの顔にレーザーを当てるなんて大丈夫なのだろうか」と心配しましたが、先生も看護師さんも幼い子どもの治療に慣れており、丁寧に説明してもらえたので安心して任せることができました。レーザー治療自体はゴムではじかれたくらいの痛みがあると説明され、塗り薬の麻酔薬を使用してもらいました。娘はレーザーを当てられたときは泣いていましたが、治療終了後はケロリとしており、帰宅後も機嫌が悪くなるということはなくてよかったです。 レーザー治療、その後 その後、経過を見ながら計三度のレーザー治療をおこないました。一度の治療で劇的に変化することはありませんでしたが、徐々に赤みが引いていきました。三度目のレーザーが終わった時点でかなり薄くなっていたので、「この先は少し時間を置いてから、また考えましょう」ということになり、現在2年が経過。あざはほとんどわからないほど、薄くなっています。 あざに気づいたときはとても不安な気持ちになりました。しかし過剰に心配せず早めに医師に相談し、適切な処置を施してもらえてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:幸村あゆ5歳と2歳の兄妹の母。販売職、事務職を経て現在は子育てをはじめとする様々なジャンルの記事を執筆。子ども服やママファッション、インテリア、整理収納を研究するのが趣味。
2021年07月29日第7話の今回は、独身時代の記。 毎日深夜遅くまで残業する多忙な会社員生活を送り、ストレスで生理不順に。どんなに一生懸命働いていても、男性社員が女性社員に対して勝手にキャリアや仕事を制限していて、モヤモヤ……。 【ママ戦記】第7話 「仕事続けながら、当たり前のように結婚して、子どももいていいな……」 「働くことと子どもを持つことが矛盾していなくていいな……」 子どもを妊娠し、産み、育てることで、少なからず仕事を休む必要があるワーママたち。多忙な独身時代は、キャリアを中断しなくていい男性をうらやましいと思ってしまうことも……。 ◆◆◆ もうのはなこさんの思いに、Instagramのコメントでは「ものすごくわかります!」「健康を優先してキャリアを失ったけど、子どもに出会えたのでよかったです」「教科書に載せるべき内容」など、共感の声が多数寄せられていました。 女性妊娠、出産、子育てがキャリアの邪魔をしない。そんな世の中が当たり前になるといいですね。著者:イラストレーター ものうはなこ2歳男子と夫との3人暮らし。 フルタイムで働くワーママ。 妊娠・出産・共働き育児をテーマに、 日々を記録する漫画を描いております。
2021年07月29日■前回のあらすじ入院中、子宮の戻りを確認するための処置や歩行訓練をし、母体の回復に努めます。■元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえると…ここの病院は基本的に無事に産まれたら母子同室で、お風呂の時や夜間のみ新生児室に預けるという形式でした。出歩く余裕ができて周りが見えるようになると、その新生児室が自分の部屋の前にあることに気づき…。みぞれは喉に挿管されているので泣けません。私はこの時、みぞれはもう泣けないかもしれないと思っていて、元気な赤ちゃんの声を聞くのがとても辛かったです。■黒い感情が沸き上がる夫婦で幸せそうに新生児を抱いたり、カンガルーケアをしたり、普通のコットですやすや眠っていたり…。そういったものを目にすると胸がズキッと傷んで泣きそうになるので、精神衛生上良くないと思い、見るのを一切やめました。■自分を責めないように…私のせいで…という感情より、後遺症が残ったらどうしよう! とばかり思っていました。産んですぐに離されたからいまいち母性というか、どこかピンと来ていなかったのかもしれません。今も私のせいだとは思いません。仕方ない! 事故だし!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月28日妊娠中は大きなトラブルもなくマタニティライフを楽しんでいた私ですが、出産したのは4,400gのビッグベビー。出産当日は、それまで問題ないと言われていたのが信じられないくらいの難産のフルコースでした。ここでは陣痛の始まりから、思いもしなかった帝王切開での出産までの体験談をお話しします。 妊娠31週、逆子が直ったと思ったら…標準よりも大きめとわかったのは、妊娠31週を過ぎたころ。逆子と言われていたわが子の向きが直った日の健診です。この時点ですでに2,000gを超えており、初めての出産に不安を感じつつも、普通分娩での出産に問題はないとの医師の言葉に穏やかな日々を過ごしていました。 出産前最後の健診では推定体重が3,046gと大きめだったものの、私自身も3,000gを超えて出生しているのでそのぐらいなのかな?ぐらいの気持ちでいたのを覚えています。 13時間の陣痛の末、緊急帝王切開に4日の予定日超過で迎えた、出産当日。陣痛が始まり病院へ。最初はパパがサポートしてくれることへの感謝もできるくらい余裕がありましたが、時間経過とともに意識がもうろうとし、破水。3時間の陣痛の末、エコーを見た先生から告げられた言葉は、「身長150cmの体では普通分娩は難しい」でした。 そこから緊急帝王切開に切り替え、無事に元気な男の子を出産しました。生まれた瞬間の力強い産声と、先生や看護師さんの「ここ数年で一番大きい」とどよめきが起こったときは、感動と驚きと笑いに包まれた瞬間でした。 無事に出産。周りからの反応は?私は出血が多く貧血はあったものの、母子ともに健康で初めての子育てに必死になる毎日が始まりました。誰が見ても大きいわが子にかけられる言葉はさまざま。 時には、「妊娠生活の管理」や「病院側の診察が悪かったのでは?」と悲しい言葉もかけられたけれど、それよりも「きっとお母さんのおなかが居心地がよかった」「大きい子は育てやすい」。そんなあたたかい言葉に救われて、子育てに前向きになれました。 妊娠中のトラブルの有無にかかわらず、出産、そして子育てで起こることは想定外のことばかりです。大きさに不安を感じ、時には自分自身を責めてしまうことがありましたが、無事にわが子が生まれてきてくれたこと、大きいということをプラスに捉えてくれた周りの言葉に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:伊藤 美里3歳の男児の母。多忙な夫との3人家族で、ほぼワンオペ育児を楽しんでいる。料理と子どもが好きで、食に関する情報や自身の子育て経験を中心に執筆活動中。
2021年07月27日■前回のあらすじとにかく娘のことが心配な私は検索魔と化します。そのせいで不安と恐怖でいっぱいになった私を先生たちが励ましてくれました。■母体の回復具合は…傷も相まってとても痛かったです…。しかも、1日に何回もこの確認兼マッサージがあり、かなり苦痛でしたが、日に日に痛みは減っていきました。そして…描いていませんが、血栓予防のポンプも外れています。1日目は「もうこれ死ぬかも」「回復することはあるのか」と絶望的な気分でしたが、3日も経つと痛みも気分もだいぶ良くなってきました。人間の体ってすごいなぁ…。少し元気になったタイミングで看護師さんや助産師さんからは「できるだけ歩け」と促されましたが、「できる限り歩け! できなくても歩け!」と言わんばかりの勢いでした。(被害妄想かもしれませんが…)それほど、血栓や癒着は怖いんでしょうね…。そして、昼食後に再トライしてようやく…。■血圧が下がらない…今まで血圧は妊娠中でも100/60くらいをずっとマークしていたのに、手術の夜、一気に160/120程度まで上がったようでした。こういうケースは妊婦高血圧と言うのでしょうか?急に血圧が上がったことにより、胎盤早期剥離が起こったのかもしれないと言われました。退院する頃には普通の血圧に戻っていたのですが…。余談ですが、血圧が高いのにすごい貧血でした。二つは同時に成立しないイメージだったので、看護師さんに聞いて驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月27日現在2歳の次男を出産したときのことです。自宅近くの人気産婦人科で分娩予約をした私。きれいな個室に入院できるというのが売りの産婦人科でした。妊婦健診のときに個室を見学すると、大きな窓からさわやかな風が入り、トイレや洗面台もある広々としたお部屋で、「赤ちゃんとこんな素敵なお部屋で過ごせるなんて楽しみだな」と胸をときめかせていました。でもいざ出産したときには、想定外の展開になってしまいました。 看護師さんから衝撃のひと言出産予定日前日の朝、陣痛が始まり入院。その日の正午ごろに次男が誕生しました。出産直後、私は分娩台で会陰を縫ってもらいながら「早く素敵な個室でお昼寝をしたいな」なんてワクワクしていました。 そのまま分娩台で少し体を休ませたあと、看護師さんが迎えにきてくれ、車椅子に乗りました。すると看護師さんから「出産ラッシュでお部屋が空いていないので、別のお部屋に行きますね」と衝撃の告白をされたのです。 狭くて暗い処置室へ連れて行ってもらった部屋のドアには「処置室」と書かれ、室内にあるのはベッドと小さなテレビのみ。狭くて圧迫感がありました。小さい窓が天井近くにあるだけで、薄暗い印象。トイレや洗面台はないため、お見舞いにきた人が使う共用のトイレまで歩いて行かなければなりません。 看護師さん曰く、私の出産日の2日前が出産ラッシュだったとのこと。20室ほどある個室が、私が入院する直前に埋まってしまったのでした。看護師さんからは「個室が空き次第移動できるので、それまで我慢してほしい」と言われました。 本当に移動できるのか不安「ちゃんと個室分の予約金を払ったのに」とか「いつ個室へ移動できるんだろう」とイライラしてしまう一方、「出産ラッシュは誰のせいでもない」という気持ちもあり、モヤモヤ……。 病院スタッフの皆さんは、入院患者が多くていつも以上に仕事が大変だというのもわかるので、不満も言えません。結局、2晩を処置室で過ごし、母子同室が始まる日の朝、やっと個室へ移動できました。次男との同室生活は、予定通りの個室で過ごせたのが救いでした。 想定外の入院生活になってしまいましたが、退院時に個室分として払っていた予約金が数万円返ってくるという臨時収入もありました。このお金で少し質のいいおむつなどを買えたので、今では結果オーライかなと思えるようになりました。 監修/助産師 REIKOイラストレーター/そら著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年07月26日■前回のあらすじ先にNICUで赤ちゃんの様子を見てきた夫に話を聞きました。低酸素性虚血性脳症で脳にダメージを負ったかもしれないようで…。■大丈夫と言われても信用できない私は…「検索魔になる」一番ダメなパターンです…。これでだいぶ精神を削られました…。それでも、娘の置かれている状況がどうしても知りたかったのです。■不安に押し潰されそうな私を救ってくれたのは…救われる瞬間はまだまだありました。先生と助産師さん、看護師さんには本当に良くしてもらって、感謝しかありません。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月26日■前回のあらすじ赤ちゃんに付き添っていた母から赤ちゃんの容態を聞きましたが、失血で意識が朦朧としていたので頭に入ってきませんでした。■赤ちゃんの容態を見てきた夫写真の赤ちゃんは挿管されていました…。なぜ…?■赤ちゃんに下された診断とは…こんなことになるまで、全く知らなかったことばかりでした。なぜ挿管されてしまったのか理由が分からず、脳に後遺症があるから息ができないのでは…?とずっと考えていました。体重は、2500gよりあと数グラム程度足りませんでした。惜しい!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月25日【ママ戦記】第4話帝王切開で出産後、退院に付き添うかどうか夫とモメつつ、ようやく退院。しかし、退院直後に、さっそく限界が訪れることに……! 「もういやだあああああああーーーー!!!!」 退院直後、突然赤ちゃんと二人きりになり、ミルクの作りかたがわからずに火傷をしてしまったものうさん。 ヒリつく手、何もやってくれない気の利かない夫、泣き叫ぶ新生児の声……。心身ともに追い詰められてしまいます。 産褥期のママは、ホルモンバランスの急激な変化によって、いつもよりイライラしやすくなったり、涙が止まらなくなることもあるそう。まさに、そのホルモンが猛威を振るっているようなエピソードです。 そんなママの心情をよそに、夫はさらにやらかしてしまいます……!!! ※哺乳瓶を消毒するときは、トングや菜箸を使って哺乳瓶を取り出すなどして、やけどをしないように気をつけましょう。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ものうはなこ2歳男子と夫との3人暮らし。 フルタイムで働くワーママ。 妊娠・出産・共働き育児をテーマに、 日々を記録する漫画を描いております。
2021年07月25日先輩ママから便利とよく聞く「バウンサー」。赤ちゃんが生まれる前や生まれたあとすぐに購入を検討する人も多いと思います。でも、実際にバウンサーが必要なのか、またどんなバウンサーを選べばいいのか悩みますよね。そこで、おすすめのバウンサーや選び方…
出産準備で購入を検討するもののひとつ、ベビーベッド。決して安くはない買い物になりますので本当に必要なのか?使う期間は? と悩まれる方も多いと思います。場合によってはレンタルのほうがお得になることもあります。そこで、先輩ママたちの実体験やお…
2人目までは一人っ子より兄弟がいたほうがいいと思って産めても、3人目となると迷ってしまうママも多いと思います。育児や経済的負担だけでなく、仕事をしているママにとってはキャリアが途切れてしまうことも悩みのひとつです。そこで、3人目を産んで良…
病院で正式に妊娠と診断されると、気になるのが母子手帳。お住いの自治体から交付され、生まれる前から母体や赤ちゃんの健康状態、経過などを記録します。妊婦さんの必須アイテムである母子手帳の取得時期から、かわいい母子手帳ケースに関することまで、母…
女優の小雪さんが利用したことから産後ケア施設はもはやママたちの新常識になりつつあります。最近では、卓球の福原愛さんも台湾の産後ケアセンターに1ヶ月滞在したそう。出産で体にダメージを受けた女性の体に必要な産後ケアのポイントと、自宅でできるマ…
何か月も続くつらいつわり。人によって症状が違うこともあり、まわりの人にはなかなかその苦しみがわかってもらえないのが余計につらいところ。そんなつわりについて、タイプや乗りこえ方をまとめました。プレパパに読んでもらいたい内容もあるので、ぜひご…
妊娠36週を過ぎるといよいよ臨月。マタニティライフも残りわずかです。臨月になると、出産準備や産後の不安でストレスを感じる人も少なくないそうです。今回は臨月のストレス緩和方法や過ごし方についてまとめました。臨月、またはまもなく臨月を迎える妊…
親の手を借りて体を休められる里帰り出産ですが、意外とストレスになるなど、いいことばかりとは限らないようです。里帰り出産のメリットデメリット、また成功させるために必要な準備についてまとまめました。いつからいつまで帰るべき? 何を用意していく…
我が子の誕生に立ち会うのは、感動的。出産に立ち会いを希望する旦那さんも多いでしょう。しかし、実際に出産の場に立ち会うとなると、夫として「自分に何ができるのだろう」と疑問に思う人も。立ち会い出産にまつわる、夫と妻、それぞれの本音と希望をまと…
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