「妊娠 チェック」について知りたいことや今話題の「妊娠 チェック」についての記事をチェック! (13/52)
妊娠39週のある日、わこさんはひどい腰痛や発熱などの症状があり、病院に行き、そのまま帝王切開で出産しました。その後わこさんは「腎盂腎炎(じんうじんえん)からくる敗血性ショック」と診断され、ICUに入室。わこさんの体は、リハビリなどを経て良くなっていき、退院しました。出産のときに赤ちゃんの心拍が低下し呼吸も止まっていたとのことで、脳に障害が残るのではないかと不安だったわこさん。医師から脳の検査結果を聞き、ひとまずその心配はなさそうだとわかり、安心しました。赤ちゃんと一緒に退院した日娘の退院日が決まり、最後の2日間は親子そろって同じ部屋で過ごした。 退院の前に、母子同室で1泊。新生児のお世話に追われ、ほとんど寝られないまま朝を迎えました。覚悟はしていましたが、こんなにも一晩中やることがあるのかと驚きました。 その後、いろいろありまして、退院時間まで分娩室で待っていてと言われて、移動。出産のときは帝王切開だったので手術室でしたし、まさかこんなタイミングで分娩室の中に入れるとは思いませんでした。切迫早産で入院していたときと分娩室の見学をさせてもらったときと、あわせて2回も(しかもそれぞれ違う病院)分娩室に入れたのは貴重な経験をさせてもらったなと感じました。 また、夫は仕事だったので、退院の付き添いは父でした。最後に病院の前で写真を撮ってもらい、私と娘の入院生活は終わりました。 ◇◇◇ 妊娠してから出産まで、さまざまな困難を乗り越え、これから赤ちゃんとの生活が始まるわこさん。家族でいっぱい写真を撮って、たくさんの思い出を作っていってほしいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年11月25日妊娠37週に入ると、いつ陣痛がくるのかドキドキしていました。わが家の場合は、私の緊張とは裏腹にパパは呑気に構えていて、その温度差に腹が立ってしまうことがありました。今回は、私が妊娠37週に入ってからパパにしてほしかったことをご紹介します。お酒を控えてほしかった!私はもともと切迫早産気味で、張り止めの薬を臨月まで服用していました。そのため、出産が予定日よりも早くなるかもしれないと、日々ドキドキしていました。パパは「37週に入ったら、生まれるまでお酒は飲まない」と張り切ってくれていたのに、「今日は大丈夫やろ?」と、根拠のない自信からビールをあける姿に悲しくなりました。 仕事で疲れている気持ちもわかりますが、もし陣痛が起きたら運転もできないし、もう少し考えてほしいところでした。 2人の時間を大切にしてほしかった!赤ちゃんが生まれると、生活の中心は赤ちゃんになってしまいがち。夫婦2人の時間はなかなかとれません。赤ちゃんが生まれるまでの最後の2人の時間は、子ども連れでは行けない食事に行ったり、近場に出かけたりすればよかったと思いました。 パパが飲み会でいないときに陣痛がきたらどうしようと不安になることもあるので、パパが一緒にいてくれるだけで安心できます。もっと2人の時間を大切にできたらよかったと感じています。 車の運転をしてほしかった!妊娠37週になると、大きくなったおなかの影響で座ることも苦しい状態です。まして車の運転となると、おなかがつかえて運転しにくい! あまりシートを倒して運転することもできないので、運転するのもひと苦労。 パパは運転するのがあまり好きではなく、出かけるときの運転は私。妊娠37週に入ってからも相変わらずで、私が頼まないと運転してくれませんでした。 妊娠37週に入ると、楽しみと不安が入り混じって、情緒が不安定になりがちでした。夫婦2人で話し合って約束ごとを決めたり、パパにしてほしいことは言葉で伝えるようにして出産に挑めるとよかったなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中麻奈/女性・主婦。元保育士で1児の母。現在は育児に専念するため専業主婦。自身の経験をもとに妊娠や出産、子育てに関する記事を執筆中。趣味は手芸。イラスト:(c)chicchimama ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年11月23日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年11月22日YouTube「なかよしだいかぞく」は、パパ31歳、ママ29歳と8人のお子さん(2021年11月時点)との生活が見られるチャンネル。登録者数が約36万人もいる人気の大家族の9人目妊娠報告動画です。210個の餃子に春巻きに八宝菜など大迫力の晩ごはん作りも。210個の餃子作りスタート!いつも通り晩ごはんを作りながらの報告が一番自分らしくできるということで、まずはこの日は、210個の餃子作りをスタート! 今晩のメニューは、それ以外に八宝菜、棒棒鶏、春巻きまで作るというから驚きです。 さっそく大量の餃子を作っていきます。餃子の具は、鶏ひき肉・白菜・ニラ・春雨なんだそう。あっさりしていてたくさん食べられる餃子ということで、ママはポン酢をつけて食べているそうです。 具材をみじん切りにしたあと、大量の具材を混ぜていきます。見てください、この量! ボウルに山盛りの具材なので、当然ながらなかなか混ざりません(笑)。それでも、少しずつ懸命に具材を混ぜていきます。よく混ぜたら、冷蔵庫で寝かしておきます。 八宝菜を作りながらの妊娠報告次は、八宝菜を作ります。材料を切りながらどんどん炒めていきます。さてさて、本題の9人目ちゃんですが、予定日は3月とのこと。体調も精神的にも波があってつらいこともあったそうです。そんな様子を見て、パパが買い物に誘ってくれたりと気遣ってくれたそう。パパ、素敵ですね! 今は安定期に入って、胎動もわかるようになったそうです。「何人目でも愛おしい」というママ。あっという間に、八宝菜もお鍋にいっぱいできました! 最後に棒棒鶏&春巻きを作りますちなみに、この動画が投稿される時点では性別はわかっていませんでした。お鍋では棒棒鶏の鶏が茹でられ、春巻きの皮に大葉とベーコンとチーズを乗せて包みながら、おなかの子の性別サプライズ発表もありかも…と考えるママ。どちらにしても楽しみですね! さぁ、ここからいよいよ餃子を包んでいきますよー!5倍速で餃子が包まれていきます! どうして餃子って包むのはめんどくさいのに、包んでいるのを見るのはこんなにワクワクするんでしょうか? コメント欄には、「妊娠中に8人の子育てと家事をこなして、こんなにおいしそうな料理を手作りで毎日出すなんて、ただただ尊敬いたします」「凄すぎて言葉がでない」というごはん作りのコメント以上に、「9人目妊娠おめでとうございます」の声がたくさん。 その後、2022年3月に9人目のお子さんを出産された際の密着動画がアップされています。今後も大家族ママとして配信してくださるそうなので、楽しみに見守りたいですね。 画像提供・協力/なかよしだいかぞく 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2022年11月21日2人のお子さんを持つママが、ママ友との関係で悲しい思いをした体験談です。これまで仲の良かったママ友に2人目の妊娠報告をしたあと、なぜか疎遠になってしまったそうです。1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう? なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信がきましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2022年11月18日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 辛田さんから「あおばちゃんと同じ、○川町に家を建てようか迷っててねー」と、引っ越しするかもしれないという連絡がきました。 その連絡を見たあおばさんは、「一生のお付き合い……!? 子どもが同じ小学校に!?」「今メールを無視したら、将来長男に何をされるかわからない……」と、ぐるぐる考えてしまいます。 「うまく付き合っていかないと……!!」 そう思ったあおばさんは、辛田さんの引っ越しが確定したわけではないのに、焦って返事をしてしまいました。それ以降も辛田さんからの連絡は続き、あおばさんのメンタルは弱っていきました。 そんなつらい日々の中でも、幸せな気持ちになるある報告が。花野さんの赤ちゃんが生まれたのです! しかし、あおばさんには気になっていることもありました。美山さんからの連絡が、途切れてしまっていたのです……。赤ちゃん7カ月だよね?まだできなくて大丈夫なのかな… 美山さんからの連絡が途絶えた後、あおばさんは美山さんに連絡をしようと思って、何回かメール文を考えたのですが、「自分から連絡するのは……」と思い、しませんでした。 美山さんのことを気にしている間も、辛田さんからのメールは届いていました。その中で、もっともつらかったのが子どもの成長についての話題です。 あおばさんの息子はこのとき7カ月。寝返りや、お座りはまだでした。しかし、辛田さんの娘は6カ月で、すでにお座りやずりばいをしているとのこと。さらに辛田さんはあおばさんの息子のことを「7カ月だよね? 大丈夫なのかな。心配だね」と言いました。 4カ月健診から、経過観察で1カ月ごとに保健所に通っていたあおばさんにとって、辛田さんのひと言ひと言は、胸にグサグサと刺ささるものだったのです。 ◇◇◇ このとき、あおばさんは、美山さんに連絡を取りたい気持ちでいっぱいだったそうです。ただ、触れられたくないタイミングだったら……などと考えてしまい、結局自分からは連絡をしなかったのだとか。妊娠・出産に関しては相手の状況がわからず、声をかけていいのか迷うこともありますよね。みなさんがあおばさんの立場だったらどうしますか? 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月17日敏感肌スキンケアメーカーの株式会社ナチュラルサイエンス(本社:東京都中央区、代表取締役社長:小松令以子)では、妊娠中でも安心して使用できる保湿剤によるスキンケアの重要性に着目し、その安全性および有用性を検討するために、研究を実施いたしました。本研究成果は、歴史ある医薬論文・医薬情報投稿誌「診療と新薬」に掲載されました。【概要】妊娠すると母体には体型、内分泌代謝系、血管、免疫系などに大きな変化が起こり、皮膚においても、乾燥、アトピー性皮膚炎の悪化等の変化が生じると報告されています。そのため、妊娠中でも安心して使用できる保湿剤によるスキンケアが重要と考えられます。本研究では妊娠32週までの健常な妊婦31名(25~43歳)を対象とし、試験品である無香料・低刺激・高保湿のボディ用クリーム(ママ&キッズ ナチュラルマーククリーム)を4週間、朝晩2回使用させ、安全性と有用性を検討した。試験項目は、皮膚科専門医による皮膚所見、機器測定およびアンケート調査を実施し、試験開始時と4週間後の前後比較を行いました。その結果、皮膚所見において、乾燥スコアで有意な改善がみられ、機器測定においても角層水分量や経皮水分蒸散量などに有意な変化がみられました。また、試験品使用による有害事象は1例もありませんでした。これらのことより、試験品であるボディ用クリームは、妊娠中に安全に使用することができ、妊婦の皮膚を健やかに保つために有用であると考えられました。【結果】妊娠32週までの健常な妊婦31名(25~43歳)を対象とし、試験品を4週間、朝晩2回使用させ、使用前と4週間後を比較しました。医師による皮膚所見の乾燥スコア、角層水分量、経皮水分蒸散量、皮脂量、皮膚弾力性の有意な改善がみられました。また、試験品使用による有害事象は1例もありませんでした。【考察】試験品を4週間連用することで、角層水分量、皮脂量の有意な増加や経皮水分蒸散量の有意な減少がみられたことより、試験品である保湿クリームを塗布することで、角層水分量と皮脂量を増加させ、バリア機能を改善することができたと考えられる。また、有害事象は1例もなかったことより、本試験品は妊娠中の肌を健やかに保つために安心して使用ができると考えられました。※試験期間:2021年3月から2021年4月の4週間※試験品:試験品は株式会社ナチュラルサイエンス社製「ママ&キッズ ナチュラルマーククリーム」を使用した。保湿成分(ヒアルロン酸、セラミド、アミノ酸)、エモリエント成分(カレンデュラオイル、ア ルガンオイル)、その他ツボクサエキス、コラーゲン、低分子エラスチン等を配合した無香料・無着色・低刺激性のクリームである。■論文についてタイトル:妊婦に対するボディ用クリームの安全性および有用性の検討筆者名:田中聖子 1)・小谷野豊 1)・安藤希 1)・藤浪未沙 1)・佐藤嘉純 1)・小松令以子 1)・小池田崇史 2)1)株式会社ナチュラルサイエンス、 2)芝パレスクリニック掲載誌:「診療と新薬」(2022; 59: 522-528) <参考>株式会社ナチュラルサイエンスとは敏感肌スキンケアメーカーであるナチュラルサイエンスは、赤ちゃんと一緒に使える低刺激のスキンケアを中心に、肌本来の力を引き出すスキンケアやサプリメントなどの研究開発・販売を行っています。特にブランドの中心である「ママ&キッズ」は皮膚科・小児科・産婦人科の協力のもと開発を行い、低刺激性を実現。またその効果を確かめるため、大学病院や皮膚科での臨床テストを実施するなど、徹底的に品質をチェックしています。ママ&キッズ ナチュラルマーククリームとは助産師と先輩ママの協力により生まれた大人気の妊娠ボディ用クリーム。デリケートな日本人妊婦さんにうれしい無香料・無着色・低刺激処方です。全身にぬって、弾力、柔軟性、うるおいケアができます。無香料・無着色・低刺激・パラベンフリー・鉱物油フリー・石油系界面活性剤フリー。▼製品詳細 ■株式会社ナチュラルサイエンス 会社概要商号:株式会社ナチュラルサイエンス代表者:代表取締役社長 小松 令以子本社:東京都中央区新川1-22-11所在地:東京都江東区北砂3-4-27設立:平成8年8月8日事業内容:化粧品・医薬部外品・歯みがき粉の企画・研究・開発・製造・販売、健康食品・食品の企画・開発・製造・販売、エコロジー・子ども商品の企画・開発・販売資本金:10,000,000円ホームページ: 【一般のお客様からのお問い合わせ先】株式会社ナチュラルサイエンスTEL: 0120-122-783(フリーダイヤル)URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月17日私は長男、長女、次男の3人の子どもの母です。長女の育児休業中、次男を妊娠しました。育休の延長も考えましたが、仕事から離れる期間が長くなってしまうと思い、妊娠5カ月で仕事復職したときの体験談をご紹介します。育休中の妊娠育休の期間が残すところ3カ月のときに、次男の妊娠が判明しました。会社の上司と相談して育休の延長も考えましたが、仕事から離れる期間が長くなってしまうことを考慮して、一度復帰してから産休をもらうことにしました。 職場復帰した直後は、体の変化がほとんどなく順調でしたが、間もなくつわりがスタート。無理のないよう、不調を感じたときは、産院にも相談しながら仕事に取り組むことにしました。 妊娠中期の体調管理仕事に復帰してから1カ月ほど、つわりによる吐き気と頭痛がありました。職場の理解があったこともあり、休憩時間を設けながら仕事に取り組むことで、大きく体調を崩すことはありませんでした。 日々の体調管理として、血圧と体調の変化も記録。体調不良で仕事に影響を及ぼすことがないよう、睡眠時間の確保、バランスの良い食事、適度な休息に気をつけて過ごしました。 妊娠後期の体調管理妊娠7カ月になるころにはつわりはおさまり、胎児の成長に合わせて腰痛や便秘、おなかの張りの症状が現れるようになったので、体調管理を心がけ、骨盤ベルトも着用することに。 また、職場での関係を良好に保てるよう、同僚への連絡や報告をおこなうと同時に配慮への感謝も。毎日の体調変化の記録は、体調管理や家族への配慮、仕事のバランスを保つために体調を整えたり休憩をとったりする際にもとても役立ちました。 自ら決めた仕事復帰でしたが、つわりや体調の変化で仕事が思うようにできないことも……。自分の調子が良いときと悪いときの違いを知っておくなど、体調管理の大切さを実感した期間でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:簗田智花/30代女性・会社員。4歳の長男、2歳の長女、1歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。イラスト:マメ美 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年11月16日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。 妊娠37週目で無事退院することができたあおばさん。しかし、破水してしまい3日後に病院に出戻り……。 そして、病院に到着して16時間後に、あおばさんは元気な男の子を出産しました。 出産を終えて夫が家に帰った後、すっかり存在を忘れていた辛田さんから、出産直後のタイミングを狙ったかのように「あおばちゃん久しぶり! 元気だった? まだ入院してるのー?」という質問攻めのメールが届いたのです。 あおばさんが質問に返事をすると、辛田さんは満足したのかメールがピタリと止まりました。 辛田さんから「おめでとう」「お疲れさま」という祝福や労りの言葉がなかったことに、あおばさんは少し切なくなってしまいました。辛田さんが写真送ってって言ったのに… 出産を終えて、初めての子育てが始まりました。時間が経つのはあっという間で、長男の誕生から3週間が経ち、長男は頻繁に泣くようになりました。 そんなある日、夜泣きであまり眠れなかったあおばさんの元に、辛田さんからメールで出産報告が届きました。 出産のお祝いを送ったあおばさん。その後、辛田さんから「あおばちゃんの赤ちゃんの写真も見たいなー♡」と言われて、2枚ほど送りましたが、まさかの既読スルー。そして、1カ月後。辛田さんからまたメールがきたのです。そのときあおばさんは息子の夜泣きと、母乳をあまり飲んでくれないことに悩んでいて、辛田さんに返事をすることができませんでした。返事をしないことに、申し訳なさを感じていたあおばさんでしたが、「入院時期が被っていただけの関係だし、自然消滅するだろう……」と、思っていました。 しかし、数日後に辛田さんからメールが届きました。その内容に、あおばさんは驚くことになるのです……。 ◇◇◇ あおばさんが息子さんの笑顔の写真を送ったのに、辛田さんからは既読後も返信がありませんでした。「赤ちゃんの写真も見たい」と言われたから送ったのだし、無視は寂しいですよね。 そして1カ月後には辛田さんから何事もなかったかのように連絡が来たようです。あおばさんはモヤモヤの連続で、いっそ自然消滅したいと思ったのでしょうね。みなさんがあおばさんの立場だったら、どんな風に対応しますか? 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年11月15日妊娠がわかり、義母や義父に報告をしたときのお話です。私には3人の子どもがいますが、妊娠したときの反応は毎回なぜか出産することを反対するような言い方なのです。同じ母親として疑問を抱くほどの発言をされ、不信感が募ってしまった体験談をお話しします。妊娠判明! 実父母は喜んでくれました最初の妊娠はまだ夫と結婚をしておらず、「できちゃった婚」になりました。実父母に赤ちゃんができたことを話すと、自分のことのように喜んでくれたので一安心。冬に妊娠したこともあり、「これから寒くなるからしっかり温めないと!」とか、「無理しちゃダメよ」と気遣ってくれました。両親から受ける愛情の深さに、初めての妊娠でもあまり不安を感じずに過ごせそうな気がしました。 義母に報告したときの衝撃のひと言私の両親が喜んでくれていたので、同じように喜んでくれると思って義母にも報告をしました。しかし妊娠したことを伝えたときの義母のひと言は、「堕ろしなさい」だったのです。その言葉のあとに続いたのが「私も昔、堕ろしたことがあるけれど、早いうちなら体に害がないから大丈夫よ」という言葉。信じられない言葉にショックを受け、何も言えなくなった私に、義母は淡々と堕ろす手順を話し始めたのでした。 夫とはまだ結婚をしていませんでしたが、これから入籍し、産んで育てていきたいと思って2人で報告に行ったのに、まさか「堕ろせ」と言われるとは思いませんでした。私が妊娠したとき、夫はまだ社会人になったばかりで、試用期間中でした。義母は夫の仕事が続くかもわからないので、そんな状態で赤ちゃんを育てていけるのかと心配だったこともあると思います。しかしいきなりの想定外の言葉に、夫も私も戸惑いを隠せませんでした。 義母を説得してくれた夫私も夫も赤ちゃんを産んで育てていきたいと強く思っていました。義母に本当に育てていけるのか? と問われ、「何があっても俺が守る!」と最終的に夫が義母を説得してくれたのです。私は初めての妊娠で不安だらけでしたが、そのとき「この人となら赤ちゃんを育てていける」と確信しました。しかし、義母は赤ちゃんが生まれるまでは人間として見てくれないのではないだろうか……と不安になったときのことが今でも忘れられません。 現在、そのときの子どもは4歳になり、その下に2人子どもが生まれて毎日とても幸せです。4歳でもしっかりお姉ちゃんをしている娘を見て、あのとき義母に従わず堕胎しなくてよかったと心から思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年11月14日原黒ゆうこさんの幼稚園のママ友トラブル体験談をマンガ化! ユウコさんの娘、むーちゃんが入園した幼稚園でできた、初めてのママ友・ミカさん。意気投合し、第2子の妊娠をミカさんだけに話すほど、ユウコさんは心を許していました。しかし、幼稚園の他のママを批判するミカさんに、ユウコさんは違和感を抱き始めます。ある日、ミカさんから「むーちゃんが時々、私の娘に意地悪するみたいなんだよね」と告げられ……!?砂場で楽しそうに遊んでいる、ユウコさんの娘・むーちゃんと、ミカさんの娘・みきちゃん。そんな2人を横目にミカさんは、「むーちゃんが時々、みきに意地悪してるみたい」と告げます。突然のことに動揺するも、「ごめんね」と謝るユウコさんに、「いや、あのさ……」と、ミカさんが続けた言葉は……。 「娘が意地悪されているのは事実」勝手な言い分に目が点… 「もっとむーちゃんのこと見てあげないと」ユウコさんに第2子ができて舞い上がっているから、むーちゃんに目がいっていない、と諭そうとするミカさん……。 「赤ちゃんができたことはうれしいけど、むーちゃんをないがしろになんかしてないよ」 反論するユウコさんに、 「妊娠で浮かれてるママを見て、むーちゃんは不安なんだよ。子どもって自分が思ってるより、親のこと見てるからさぁ」 と、不気味な笑みを浮かべて言い切るミカさん。ユウコさんの言葉は届かず、一方的な意見を押し付けてくるのでした。 この場合、本当に善意なの……?と疑ってしまいそうになるママ友の言葉ですが、実際に第2子の妊娠で上のお子さんのケアについて悩むママも多いのではないでしょうか。きょうだいを子育て中の皆さんは、第2子を妊娠中、上のお子さんにどういったケアや言葉かけを意識していましたか? 作画:松本うち 著者:マンガ家・イラストレーター 原黒ゆうこ2人の子持ち主婦。実話を基にしたマンガをInstagramに投稿中。出産してから毒親育ちだと気づく。
2022年11月13日4年間毎日義母から「孫はまだなの?」と言われ続け、夫の助け舟にもイラつくようになったつくし。ある日、義母が「娘が妊娠した」と報告。義理の妹の妊娠を喜ぶと、「あなた悔しくないの?」と言ってきて……義母に“不妊の自覚があるか”と問われたつくし。「普通、妊娠はすぐできるもの」とため息混じりに言う義母が続けて「これからはガンガン口出しさせてもらいますから。まずは外へのお勤め禁止」と、衝撃の行動制限を言い渡され……!? 夫との子どもは欲しい、だけど… 「え? 今の仕事やめろってことですか?」「そうよ! 仕事なんてストレスのもとですからね!」焦るつくしに強い剣幕で命令し続ける義母。 「夕飯だって7時って約束なのに、最近残業残業ってごはん作るのサボって……あなたも結婚したんだから、少しは奥さんらしい生活をして、不妊治療に専念しなさい」「このまま仕事続けたら、あなた一生子どもできないわよ? それでもいいの? 後悔しない?」 子どもは欲しい、だけど……「仕事はあなたを支えてくれる……」亡くなった母の言葉が頭にチラついたつくし。 仕事を簡単に捨ててしまって良いのだろうか?「これからうちの家業も忙しくなるし、前からあなたにも手伝って欲しいと思っていたのよ」「それにあなただって本当は子どもがほしいんでしょ?不妊治療は早ければ早いほど良いから。つくしさんなら仕事とうちの跡継ぎ、どっちが大切か、わかってくれるわね?」義母に力強く肩を掴まれるつくし。 お母さん……私どうしたらいい? 不妊の検査もしていないのに、“仕事を続けたら一生子どもができない”と脅す義母。さらに家業は手伝わない予定だったのに、仕事を辞めたら手伝う羽目になりそうです。不妊治療自体は早くスタートした方が妊娠できる確率が上がると言われていますが、仕事を辞めることは必ずしもマストではありません。義母の勢いに負けて、つくしは仕事を辞めてしまうのでしょうか……? 著者:マンガ家・イラストレーター ツムママ息子とパパと家族3人で暮らしているお絵かきママ。インスタグラム、ブログ【ツムママは静かに暮らしたい】で漫画を投稿しています。
2022年11月12日子どもを持ってから、私はパパに対してイライラすることが増えました。そのうち、いつまでも妊娠・出産前と同じ考えをしていると無理が出てくるのだと気付き、パパに対して私がしていた“3つのこと”をやめました。イライラを解消するために、私がやめた3つのことを紹介します。 パパの帰りを待つ同棲時代から、夕食は夫婦で一緒に食べるようにしていました。しかし、パパの帰宅時間は一定ではないうえに遅い日が多い。妊娠・出産してから、そんなパパの帰りを待つことが、かなりのストレスになっていました。 パパを待つことで就寝時間が遅くなったり、家事を中断する必要があったり。夫婦仲の向上を目的としていたはずなのに、私のイライラが増して逆効果になっていました。思い切ってやめて、待つストレスをなくしました! パパの予定を元にしたスケジューリングわが家のパパは「今日は絶対○時に帰る」と言っていても、よく数時間オーバーします。私は「それなら子どもを見てもらって夕食は○○を作ろう。お風呂もお願いして、その間に○○をしよう」と予定を立てるのですが、もちろん全部パー。考えた時間も準備も全部ムダです。 仕事なので仕方ないけれど、私も人間なのでやっぱりイライラします。パパの予定は話半分以下で聞き、基本的にはパパがいない前提で予定を立てるようにしてからは、そのイライラがなくなりました。 自分を基準にした考えパパは何度言っても直らないことがたくさん。子どものテープタイプのおむつは締め過ぎ、離乳食の温めは激熱。しかも何度も繰り返すのでかなりイライラしていました。私にとっては当たり前のことが、パパにとってはそうではないようです。 そこでパパが仕事で頭をフル回転させているうちに、私のお願いごとなんてどこかへ行ってしまっても仕方ないと考えるようにしました。どんなことでも、手伝ってくれたらラッキー。気持ちに感謝しようと思っています。 余裕があるころは笑って許せていたことも、子どもができて状況が変わると許せなくなったりします。子育てを続けるうちに、イライラしないで済むよう、それまでの習慣を臨機応変に変えていくことも大切だと気付きました。 監修/助産師REIKOイラストレーター/そら著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。
2022年11月11日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日今回は、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。つわりがあった時期は、食べられなくなってしまい、4kgも体重が落ちてしまいました。しかし、つわりが終わると、今度は体重がみるみるうちに増えていって……!? つわりの時期は全然食べられなかったのに… ※厚生労働省では、ふつう体型の人(BMI18.5以上、25.0未満)の目安は10~13kgとしています。 今回も引き続き、妊娠中の思い出話です。 妊娠中に強く思ったことが、体重管理の難しさ!! 妊娠してすぐのころ読んだ育児書には、私の体重ですと「増加体重の目安は7〜12kg」と書かれていました。(※現在は改正されています) 当時の私は、「赤ちゃん自体は3kgくらいだし、5kgくらいに抑えられるだろう!」と軽く思っていました。 そしてつわりのせいで、さらに4kgほど体重減。 尚更、元体重から7〜12kgなんて増えない!と高をくくっておりました。 けれど、安定期に入ってつわりが落ち着くなり、ごはんがおいしくておいしくて……みるみるうちに体重が増えていきました。 それから生まれるまでは、「あと3kgしか増えられない」「もう増えられない」と、常に体重増加に怯える日々でした。 妊娠中は食欲も体質もいつもと違うし、体重管理が難しい!!と、心から思いました。 監修/助産師 REIKO 著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月07日「Twitterで人と出会うなんて、怪しすぎる」。5年前の自分ならそう思っていたと思います。結婚を機に知らない土地に住み始めると、待っていたのは味気ない生活。子どもが生まれるとなおさら人恋しくなりました。そんな私に仲良しのママ友を作ってくれたのが、驚くことにSNSの「Twitter」でした。結婚を機に地方移住。不安が重なる産後関東で正社員をしていた私は、結婚して地方に住むことになりました。最初こそワクワク感があったものの、実際に過ごしてみると友だちがそばにいない生活は味気ないものでした。子どもができる前は、私は頻繁に実家に帰っていました。 産休まで仕事をしていたので寂しさを紛らわせていましたが、初めての妊娠・子育てでは不安が伴う毎日。そんな私が助けを求めていたのが、Twitterの“ママアカウント”と呼ばれる人たちでした。 妊娠中、Twitterが情報収集に役立った初めての妊娠・出産で不安だった私は、Twitterに“マタニティアカウント”や“ママアカウント”というジャンルがあることを知り、アカウントを作ってみました。最初は特に誰かとの交流もなく、「今日の健診も終わった!」など、何気ないツイートをするだけでした。 同じ時期に出産予定の人をフォローしていたので、妊娠中から産後に渡って、みんなの様子や便利な育児グッズなどを知ることができました。初めての妊娠だったため他の妊婦さんが発信する情報は役立ちましたし、「妊娠・出産のつらさはみんな同じなんだ」と思えた私は、気持ちがラクになり、穏やかに過ごせるようになりました。 Twitterで知り合ったママ友と会うことに!Twitterのママさんとやりとりするようになったきっかけは、私が出産したときに「おめでとう」コメントをたくさんもらったことでした。それを機に私のツイートにコメントしてくれる人が増えたので、自然とやりとりするようになりました。 Twitterのやりとりに慣れたころ、私は同じ地域に住んでいる人がいることを知りました。ある日、「地域の遊び場に一緒に遊びにいってくれませんか」というツイートが。「ぜひご一緒させてください!」と返事してみると、そのツイートをしたママさんが返事をした人を集めて、4組ほどの親子と会うことになりました。 心地よい関係で、2年経った今でも遊ぶ仲その交流をきっかけに、定期的に同じメンバーで子育て支援センターで会うようになりました。近所というわけではないので生活圏は重ならず、「しゃべりたいときに会えて、日常のことはツイートで知ってくれている」、そんな心地よい関係になりました。 2年経った今でも交流は続いていて、お互いの家で遊ぶことも。自分の子どもの成長だけでなく、ママ友の子どもたちの成長も楽しみのひとつになりました。最近では子どものことだけでなく、仕事のこと・家族のことを話せる良き友人として付き合っています。 Twitterでの出会いに最初は不安もありました。しかし「慎重に距離を縮めていき、マナーがある人同士であれば友だちになれる!」というのが今持っている私の考えです。私にとって気の合うママ友との出会いは、自分の気持ちをいつも打ち明けているTwitterにありました。 著者:松澤うみ2019年生まれの息子と夫と3人暮らし。夫の転勤で地方移住。現在webデザインを勉強中。
2022年11月06日わが家には4人の子どもがいますが、たまたま子どもたちの生まれた年に身内に不幸があり、葬儀や法事が重なりました。そのことをまさか私のせいにされるだなんて……。何気ない義母の言葉に私たち夫婦がショックを受け、義母との関わり方を考え直した体験をお話しします。なぜか生まれた年に重なる葬儀長男が生まれてから半年後に義母側の祖母が亡くなり、長女が生まれる1週間前に義父側の祖母が亡くなりました。もともと祖母たちは持病があって入院していたので、葬儀や法事にはできるだけ出席し、滞りなく済んだと思っていました。 やがて、上の子たちが大きくなってきたので家を買うことになり、それと同時に義父母と同居することに。ところが同居して間もなく、義父にガンが見つかりました。その後3人目を妊娠。妊娠したことを義父母に報告すると、まさかの言葉が返ってきたのです。 耳を疑う義母からの言葉……妊娠の報告をしたあと、義母から「本当に産むの? 上の子たちが生まれた年に祖母たちが亡くなったのよ。次は誰が? ちゃんと考えて!」と言われたのです。 義母が義父にガンが見つかったことを心配しているのはわかっていましたが、まさかこれまでの不幸を私の出産のせいだと思っていたことに大ショック! これには夫も、「うちの子のせいにしているなんて!」と怒りを隠せませんでした。 その後次女が生まれ、義父は闘病で入退院を繰り返しましたが、なんとか日常生活を送れるようになっていました。 義両親と別居してから数年後義父母と同居して3年、生活リズムや考え方の違いがあり、これ以上は無理と夫が別居を申し出、義父母は実家に帰っていきました。それから数年後に私は4人目を妊娠、出産しましたが、義父母とは絶縁状態。ましてや夫も、以前ひどい発言をした義母に対し「あんな考え方をする人たちに報告しなくていい」と言って義妹にだけ報告し、義母たちには直接連絡しませんでした。 しかし、その2カ月後に義父が他界。また義母に何か言われかねないと思いながらも、葬儀に参列しました。絶縁状態だったこともあり気まずい雰囲気の中、義母と久しぶりの再会。夫も私もどう接していいかわかりませんでしたが、4人目の次男を抱っこした義母は、「来てくれたよ!」と眠っている義父に話しかけていました。事情を知っていた親戚も「赤ちゃんがいてくれてよかった」と言ってくれました。 本当にたまたま重なった不幸ではありますが、当時子どもが生まれたのはわが家だけではなく、義妹も同じ時期に出産していたのです。それなのにまさかの考え方をしていた義母に驚きを隠せませんでした。初孫をかわいがってくれた時期があった反面、義母の本当の気持ちがわかり、同居や別居を経て、それ以来距離をとって付き合うようにしています。 著者:松田みさと/女性・ライター。2004年生まれの長男、2007年生まれの長女、2015年生まれの次女、長男とは15歳差の2019年生まれの次男の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2022年11月06日今回も、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。妊娠初期のころ、産休の取得が1カ月半前から取れることを知ったこむぎさん。そのころは、「1カ月半も自由とか何しよっかな~」と考えていました。しかし、いざ妊娠して半年を迎えると、考えがかなり変わっていて……!? 妊娠初期と半年後では、考え方が全然違っていて… 今回も妊娠中の思い出話です。 妊娠、出産、育児……どれにしても、経験してみて、初めてわかることばかりだと実感しています。 振り返ってみて、「あのころ私は何もわかってなかったなぁ。勘違いしていたなぁ」と思うこともしばしば。 今回の話も、その1つです。 妊娠したころの私は、産休に入るのは1カ月半前からと聞いて、「結構前から休めるんだな」などと思っていました。 けれど実際におなかが大きくなってくると、おなかの重みだけではなく体調の悪化やしんどさが山ほどあり……。「1カ月半前なんて遅すぎる!!」と、心から思いました。 妊娠したころは「今のうちに好きなことをしておこう!」と思っておりましたが、実際は体がしんどすぎて、「早く生まれてほしい」と願うことしかできませんでした。 監修/助産師 REIKO著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月03日月間500~600本以上配信されるマンガ記事のなかから、今年ママたちに最も読まれたマンガ作品を発表する「べビカレマンガ大賞」。マンガのテーマ別にTOP5を発表します。今回は「妊娠・出産マンガ」から、受賞作品1位から5位を発表します!妊娠、出産はすべて奇跡ーー。ママたちの妊娠、出産にまつわる体験談マンガ。巨大児や早産児の妊娠、出産エピソードや、病気を乗り越えたお話など、さまざまな体験談がランクイン!全話無料でイッキ読みできますので、ぜひチェックしてみてくださいね! 妊娠・出産マンガ TOP51位2人目は巨大児でした作者:ミロチ ■あらすじ巨大児だった第二子の妊娠〜出産の体験談マンガ。妊娠中ストレスで難聴を経験。妊娠中に「おなかの子は巨大児」だと医師に言われて、急きょ出産間近で大きな病院に転院することに……!? 2位930グラムのいのち作者:鳥野とりこ ■あらすじ息子のねこ太くんの出産・保活・発達障害に関する体験談をマンガ化! 27wで930グラムのねこ太くんを出産したときのエピソードです。 3位コロナ禍出産、母子共に命が危なかった話作者:わこ ■あらすじコロナ禍で出産したわこさんは、ご自身と赤ちゃん両方の命の危機を出産で体験しました。ご自身の体験をマンガで紹介します。 4位いくらの初産!3750g出産レポ作者:いくら ■あらすじ夫婦共働きで、3人の子どもをほぼワンオペしていた数年前。家事育児に無関心な夫を更生させるには、育児以上の苦労が待ち受けていた! こっさんさんの過去の実体験エピソードをマンガ化! 5位妊活レベル1 まっふの冒険記作者:まっふ ■あらすじ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中のまっふさんの体験談。お子さんを授かったときの妊娠中のエピソードを紹介しています。 「妊娠・出産マンガ」部門1位は、ミロチさんの「2人目は巨大児でした」が受賞しました。第二子を妊娠したあとのつわり、ストレスによる難聴、コロナ禍での立ち会い出産制限、巨大児のさまざまな影響など妊娠中のママにはぜひ読んでいただきたい作品です。 11月10日(木)には総合1位の「べビカレマンガ大賞」を発表します! ベビーカレンダーでは「妊娠・出産マンガ」のほか、「夫婦関係マンガ」や「ママ友トラブルマンガ」、「育児マンガ」など毎日たくさんのマンガを配信中! ぜひ読んでお気に入りのマンガを探してみてくださいね♪
2022年11月02日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。旦那さんの提案で購入した花の苗に、「苗のつぼみは花が咲いたけれど私は……」と自分の妊活状況と重ねつつ話しかけるりほさん。また赤ちゃんに会いたいという一心で、妊活を続けていたのですが…… 結果を見ても浮かれないと心に決めて… 流産を経験してから半年が経ったころ。病院の先生にすすめられて、毎日基礎体温を測るようになっていました。 基礎体温の高い日が続いたため、「もしかしたら……」と、妊娠検査薬を試すことに。 「もし……もし陽性が出ても浮かれない!!」「妊娠していたとしても、何が起こるかわからないから冷静に! 落ち着いて受け止めます!」と祈りながら自分を抑えつつ、結果を待ちました。 その結果は……陽性! 「ダメだ、やっぱりうれしいよ」 浮かれない、と決めていても、やっぱりうれしくて、思わずうれし涙がこぼれてしまうのでした。 そして後日、産婦人科を受診し、無事に長男のハルくんがおなかに宿ったことがわかりました。 次回、どんなに痛くても、苦しくても、ママは絶対に大丈夫だよ! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年11月02日今回は、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。妊婦健診時に「切迫早産」と診断されたこむぎさん。医師からは、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまって……!? 妊婦健診時に「切迫早産」と診断されてしまい… 今回は少し前にさかのぼって、妊娠中のお話です。 妊娠7カ月になったころ、健診で「切迫早産」と診断され、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまいました。 それまで「妊婦でもウォーキングなどをして、なるべく運動したほうがいい」と聞いていたので、突然「動いてはいけない」と言われてビックリしたのを覚えています。 最初のうちは「ずっと寝てられるなら楽じゃない?」「寝転がったままでも本とか読めるし、好きなことしよう!」などと思っていましたが……。 「体は元気なのに、動いてはいけない」というのは思っていた以上につらく、数日経つころには、すっかり心が荒んでしまいました。 次の健診で「子宮頸管が伸びたので、動いても大丈夫」と言われたときは、本当にうれしかったです。 けれどその後、正期産の時期が近づくと、今度は「なかなか産まれないこともあるから、たくさん歩いて赤ちゃんが降りてくるよう頑張ってね」と言われ……。 動いちゃいけないの!? 動いたほうがいいの!?と、振り回された妊娠時代でした。 監修/助産師 REIKO著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月01日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2022年11月01日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。初めての妊娠が終わってしまった……悲嘆に暮れるりほさんが、日常を取り戻していった方法とは? 旦那さんの提案は… 1週間後、再び病院へ行くと、そこにはおなかが大きい妊婦さんがいっぱい。 その幸せそうな姿を見て、暗い気持ちになってしまう……。 そんなりほさんを励ますように、旦那さんが「このあと、お花買いに行かない?」と提案してくれました。 かわいらしいお花を育てながら、少しずつ日常を取り戻していったのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月31日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、思いがけず妊娠が判明! しかし、その翌朝、思わぬ事態に……!翌朝、目を覚ますとなぜか全身汗でびっしょり! しかも、なんだかおなかが痛い。トイレへ行くと、出血が! 急いで近所の病院へ歩いて向かいました。 え? サラっと言った医師の言葉に放心… 「多分流産だと思うけど」 えっ……いま、サラッとなんて言った? 医師の言葉に頭が真っ白に……! 昨日確かに見たはずのかわいい豆粒は、どこにもいなくなっていた……。 「まさか……嘘だ」 からっぽになってしまったエコーを見つめ、涙がぼろぼろとこぼれ止まらない……! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月29日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。健診の順番待ちのときに、美山さんが見せてくれたのは、体外受精の移植を撮った動画でした。 美山さんは、モニターに写しだされた移植の様子を、動画に収めていたのだと言いました。それを見たあおばさんは感動して、思わずウルウルしてしまいました。 あおばさんは、美山さんに「男の子と女の子どちらが良いとかありますか?」と聞きました。すると、美山さんが入院前のお話をしてくれました。ある日大量の出血があった美山さんは、救急車を呼びました。救急車が到着する間、泣きながら「あぁ、もうダメだ」と何度も思ったと言います。 しかし、おなかの中の赤ちゃんは生きていてくれました。「だからこの子が元気に生まれてきてくれたら、ただそれだけでいい」と美山さんは言いました。美山さんのその思いに、あおばさんはジーンときてしまいます。 健診が終わり部屋に戻ると、退院する日が近いことがうれしいのか、ご機嫌な辛田さんの姿が。美山さんが同じ部屋に入院してきたときから、美山さんのことを無視してきた辛田さん。 いよいよ退院のあいさつのときがやってきましたが、最後まで、美山さんのことは無視してあいさつもせず、病室を去っていきました。 それからしばらく3人で平和な入院生活を送っていたあおばさん。ある日の深夜、カーテンの向こうに、足音とひそひそ声が聞こえて目が覚めました。すると、美山さんの泣き声も聞こえてきて……!? 堪えるような泣き声を聞いてしまって… 切迫早産で入院してから1カ月半が経ち、あおばさんは妊娠37週に近づいてきました。ある日ロビーで、大きくなったあおばさんのおなかを触り、「ここまでたどり着けるのかな」と小さな声で美山さんが言いました。 それから数日後の深夜。足音と静かな空間に響くひそひそ声で、あおばさんは目が覚めました。そして、看護師さんと思われる人が病室から出ていったあと、美山さんのベッドからカーテン越しに泣き声が聞こえてきました。 あおばさんは、美山さんに話しかけることができず、自分のベッドの周りをうろうろしていると、同部屋の花野さんから連絡が。 花野さんは最初のほうから起きていたようで、美山さんに何があったのかを教えてくれました。 「美山さん、出血したみたい」 そのメッセージを見たあおばさんは、前に美山さんが話してくれたことを思い出しました……。 ◇◇◇ そして、お産にはいろいろな兆候があるようですが、たとえば、少量の出血が見られたら、「おしるし」の可能性があり、数日以内に陣痛が来るかもしれないそうです。妊娠37週に入ったら、いざ出産というときに慌てずにすむよう、心の準備をしておくとよさそうですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年10月29日6年の交際を経て結婚。最初の1年くらいは2人でのんびり過ごそうか、なんて言っていたら入籍から3カ月後、思いがけず妊娠が判明!さっそく翌日、夫と一緒に産婦人科へ行くことに。 このちっちゃい豆粒が…! 妊娠がわかった日の夜、家に帰るとお花が飾られたテーブルには、渾身のハヤシライス、妊娠本まで! 妊娠を喜んで、一緒に祝おうとしてくれる旦那さんのやさしさに感動……! しかし、この夜が赤ちゃんと過ごす最後の夜になるなんて、このときは知る由もなかったのでした……。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月27日私は先月、第3子を出産して3人の子育てに日々奮闘しています。妊娠中から気がかりだったのが、毎日の夕食の準備です。今回の出産では、私は里帰り出産をしない選択をしたので、産後に待っているワンオペ育児タイム。それに備えて、妊娠中に少し頑張ってみました。0歳児を抱えたワンオペ育児タイム私は現在、中学2年生の娘、年少児と生後1カ月の息子を育てています。次男の出産にあたり、上の子たちの学校や保育園があるので、里帰り出産はしませんでした。夫は家事・育児に協力的ですが、夜勤もあるシフト制の勤務のため、昼間から寝かしつけの時間までいないことも多々あります。 そんなワンオペ育児で大変なのが、夕食の支度です。長女はダイエット中なので「炭水化物を控えめにするから副菜多めにお願い」と言っているし、長男は保育園から帰ってきたときには眠くてぐずっているので、とにかくラクに早く食事の準備をすることが重要になってきます。 分娩予定日前にストック作り次男は計画分娩で分娩日が決まっていたので、分娩予定の3日前から私は食事のストック作りを始めました。カレー、シチュー、ミートソース、コロッケ、ハンバーグなど、メインになり、冷凍できる物をたくさん作りました。魚や肉は下味をつけてカットしておき、あとは焼くだけ・揚げるだけの状態に。 他にも、にんじんしりしりやほうれん草を茹でた物、切干だいこんやきんぴらごぼうなどの副菜も作り、冷凍できる野菜はカットして冷凍しておきました。レトルト食品もたくさん買い込み、とにかく出産後2週間ほどは夕食の支度がラクにできるように備えました。 次男を出産。産後の生活は…次男を出産して、現在は生後1カ月ですが、自分で作った冷凍ストックにとても助けられました。次男は夜もよく寝てくれるほうですが、それでも夜中の授乳もあり寝不足なのと、体が完全に回復していないためか、体力・気力があまりないのが現状です。 そんなとき、夕食が焼くだけ、解凍するだけで準備が終わると考えただけで、気持ちにゆとりができます。また、家にいるときの自分の昼食としてもレトルト食品や冷凍ストックが活躍してくれています。 臨月の大きいおなかで、キッチンに立ってたくさんの冷凍ストックを作るのは大変でしたが、冷凍ストックにかなり助けられているので、妊娠中に頑張っておいてよかったと思っています。過去の自分に「大変だったけど、ありがとう!」と伝えたいくらいです。 著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月24日妊娠39週のある日、わこさんはひどい腰痛や発熱などの症状があり、救急車で病院に行くことに。そして、そのまま帝王切開で出産することになり、出産。その後「腎盂腎炎(じんうじんえん)からくる敗血性ショック」と診断され、わこさんはICUに入室しました。わこさんの体は、リハビリなどを経て徐々に良くなっていき、無事退院。そして出産後初めて、娘のキキちゃんを抱くことができました。 医師から娘の病状を聞き…毎日、娘がいるNICU(新生児集中治療室)に通いました。 娘は体重が軽かったこともあり、私の退院よりさらに1週間入院することに。コロナ禍でしたが、娘が入院しているNICUは、予約をすれば1時間の面会が可能でした。 また、私が入院しているときに、娘の脳のMRI検査をすると伝えられていたのですが、その結果が医師から伝えられました。 脳の重要な部分に損傷はなく、ひとまずは安心して大丈夫とのこと。 出産のときに心拍が低下し、呼吸も止まっていたらしいので、脳に障害が残ってしまうのではないかと不安でいっぱいでしたが、ひとまずその心配はなさそうだとわかってホッとしました。 ◇◇◇ 1日1時間、娘・キキちゃんの授乳やお世話をしに病院へ訪れていたわこさん。1時間という短い時間では「母になった実感がない」と感じていたわこさんでしたが、みなさんは「私、お母さんになったんだなぁ」と感じることができたのはどんなときでしたか? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年10月23日2人の子育て中に3人目を妊娠。でも、その子はお空へ帰ってしまいました。何も手につかない……そんな日々をしばらく過ごしたあと、妊娠が判明。その妊娠生活で、不思議な、そして私にとって衝撃的な夢を見て……。誰にも話さず、自分の中だけで大切にしてきた体験談を、ここで初めてご紹介します。自分を責め続けた流産の経験「そろそろ3人目が来てくれたらうれしいね」。長女が4歳、次女が2歳だったとき、夫とそんな話をしていました。当時は仕事が忙しく、なかなか子どもとの時間も取れない中だったけれど、家庭も仕事も大切にしたいと頑張っていました。 そんな中、妊娠が判明。まだ心拍が確認できたばかりの、小さな小さな命に、私と夫はとても喜びました。「まだまだ小さいし、妊娠4カ月くらいに子どもたちには伝えよう」と夫婦で話して、「男の子かな? 女の子かな?」など、気の早い想像をしていました。 ある日の仕事中、おなかに一瞬チクンッと痛みが。「あ、何か痛いかも。でも、気のせいかなぁ」。次の日が健診だったので、そのときに伝えたらいいかと思い、そのままにしていました。そして次の日。おなかの痛みがあったことを伝えると「初期はそんなことあるからね。見てみようねー」とやさしい笑顔の先生。私も、何も気にせず診察を受けていました。 ……でも、診察の時間が長い。先生はずっとモニターを見て、何もしゃべりません。だんだんとドキドキしてきました。「え、大丈夫だよね……?」。私が心配していると、「残念だけど……心臓が動いていない」 。稽留(けいりゅう)流産でした。先生は、「赤ちゃんの異常による流産で、仕方がないこと。あなたは何も悪くないよ」と慰めてくれました。 でも、どうしても「仕事をセーブしていれば……」「昨日すぐ病院に行っていれば……」「私の栄養が足りなかったのかな……」といろいろなことを考えてしまい、自分を責める言葉ならいくらでも出てきてしまう状態でした。夫にも「ごめんね、ごめんね」と謝りました。子どもたちにはなんと伝えればいいかわからず、妊娠したことも、流産したことも伝えられませんでした。 夢で会えた大切な息子数日仕事を休まないといけないため、職場にも伝え、 仕事に復帰してからも、しばらく涙が出てくる日々でした。「1人目じゃないから、悲しみは少ないよね」「上の子たちがいるからいいよ」。こう言ってくれる先輩や同僚の言葉にも何とも言えず、「私が悲しむのは、ぜいたくなのかな」と思い、当時はそのことも苦しかったです。 でも、しばらくして、だんだんと前を向かなきゃと思っていた、そんなとき。妊娠が判明。前回のことがあったので、うれしい気持ちの半面、怖い気持ちもあり、1人目、2人目以上に慎重に妊婦生活を送っていきました。 いよいよ臨月というところまできたある日。産休に入り、ゆっくり過ごしていた9月の終わり。昼寝をしていた私は不思議な夢を見ました。私は双子を妊娠していて、陣痛が来たところ。急いで病院に行って、分娩台へ。数時間後、男の子と女の子の双子が生まれた……という夢でした。 その夢から覚めてすぐ、「あ、あの子だ」 と思いました。そう、お空に帰った子です。私が今、妊娠しているのは女の子。夢で出産した男の子は、空に帰った子だと思ったのです。そのときに、「おなかにいる子を産むとき、この男の子も一緒に産もう」。そう決心しました。 そして、この男の子に「翼(つばさ)」という名前をつけました。この名前は、以前夫が「男の子が生まれたらつけたい」と言っていた名前でした。 息子に伝えたい「ありがとう」の気持ちそして、いよいよ出産の日。陣痛が来たのは、ちょうど日曜日の17時過ぎ。夫と子どもたちと一緒に病院へ行きました。「もうすぐ会えるね。一緒に頑張ろうね。翼くんも一緒に頑張ろうね」。おなかの赤ちゃんに話しかけ、いざ分娩台へ。初めて里帰りをしない中での出産で、初めての病院というのもあってドキドキしていました。 分娩台にあがって、「ふぅ」と息を吐き、上を見つめました。するとそこには、天井一面、空の壁紙だったのです。「あ、翼くんがいる」。そう思いました。「翼くん、見てくれているんだね。ありがとう。一緒に頑張ろうね。生まれてきてね」。心で語りかけながら、おなかをさすりながら、無事に女の子を出産。そして、私の中で翼くんも一緒に出産しました。 とてもとてもかわいい女の子。夫も子どもたちも立ち会って喜んでくれ、とても幸せなお産でした。三女を妊娠中、夢を見たこと。それが双子を出産する夢だったこと。そして、分娩室の天井が空の壁紙だったこと。すべてきっと偶然なんだろうけど、私にとって幸せに包まれた偶然でした。 現在、三女はもうすぐ4歳。そして、四女も生まれました。4姉妹のわが家。喧嘩も絶えない毎日ですが、賑やかな日々です。きっとお空で、わが家の黒一点、翼くんが笑って見てくれているのかな、と思っています。この話は、誰にもしたことがない私だけの話。いつか子どもたちが大きくなったら、家族で青空を見ながら話せたらいいなと思います。 ただの偶然が重なったことに、意味はないのかもしれません。ただの「変な話」かもしれません。でも、私の中で「翼くんを出産できた」と思えたことは、とても幸せな瞬間でした。「妊娠、出産は当たり前ではない。目の前にある幸せを見つけて大切にする」。……そんなことを息子から教わった気がします。 監修/助産師 松田玲子著者:マチコ9歳、7歳、3歳、1歳の4人の母。今年の目標は、「眉間の皺をのばすこと」。子育てに悩みながら泣きながら、9年目に突入。文章を書くことが大好きで、エッセーやコラムを書くことが夢。
2022年10月22日初めての出産を控え、いつ生まれるんだろうとドキドキの毎日。しかし、正期産の時期を前に頻繁に起こるおなかの張りにより、医師に自宅安静を言い渡されました。そして妊娠36週に生まれてしまい、早産だった息子に対し、人一倍気を遣って過ごしていたころのお話です。2,200gで生まれた息子おなかの中ですくすくと育っていく息子。愛しくて仕方がなく、エコー写真を見ては「早く会いたいなあ」と思っていました。しかし妊娠後期から頻繁におなかが張るようになり、妊娠35週には出血もあったため、医師から自宅安静の指示が。 結局妊娠36週に早産児として生まれた息子は、体重2,200g程度の低出生体重児でした。息子が生まれた直後から助産師さんや担当の医師が、慌ただしくしていたのを覚えています。 罪悪感からひとりで無理をしていた毎日周りの子と比べるのはよくないと思いつつも、小さい息子を抱っこしては、正期産の時期に産めなかった自分を責め、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 退院後、ネットで早産児は病気にかかりやすかったり、発達が遅れたりするかもしれないリスクがあるという情報を目にした私は、「この子を大きくできるのは私だけだ、病気にかからないようにしなければ」という気持ちに。 常に健康状態を気にしたり、授乳回数を増やしたりと自分だけで毎日頑張っていました。しかし産後のボロボロな体と、夜間授乳などでの寝不足も重なって、そのころの私は心身ともに疲れ果てていました。 元気に成長していく息子に私は……夫や友だちから少し頑張りすぎだと言われても聞く耳を持たなかった私。一方で息子は生後3カ月のころには首もすわり、体もぽっちゃりと赤ちゃんらしくなってきて、あやしたりするとよく笑うようになりました。そして生後6カ月にもなると寝返りや、ひとりで座ることもできるように。 そんな成長する息子の姿を見て、私は早産児だろうとこの子はこの子なりにちゃんと成長しているじゃないか、とだんだん思うようになったのです。それからは、周りの助けも借りて、ひとりで無理をするのをやめるようになりました。 現在では、息子も背は少し小さいものの、元気な幼稚園児になりました。今だからこそ言えることですが、早産児だからと母親が責任を感じ頑張りすぎるのではなく、もっと子どもの成長を信じて育児をすればよかったと思います。これからもこの子なりの成長を見守って、一緒に成長していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年10月19日細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!