「妊娠 症状」について知りたいことや今話題の「妊娠 症状」についての記事をチェック! (15/65)
原黒ゆうこさんの幼稚園のママ友トラブル体験談をマンガ化! ユウコさんの娘、むーちゃんが入園した幼稚園でできた、初めてのママ友・ミカさん。意気投合し、第2子の妊娠をミカさんだけに話すほど、ユウコさんは心を許していました。しかし、幼稚園の他のママを批判するミカさんに、ユウコさんは違和感を抱き始めます。ある日、ミカさんから「むーちゃんが時々、私の娘に意地悪するみたいなんだよね」と告げられ……!?砂場で楽しそうに遊んでいる、ユウコさんの娘・むーちゃんと、ミカさんの娘・みきちゃん。そんな2人を横目にミカさんは、「むーちゃんが時々、みきに意地悪してるみたい」と告げます。突然のことに動揺するも、「ごめんね」と謝るユウコさんに、「いや、あのさ……」と、ミカさんが続けた言葉は……。 「娘が意地悪されているのは事実」勝手な言い分に目が点… 「もっとむーちゃんのこと見てあげないと」ユウコさんに第2子ができて舞い上がっているから、むーちゃんに目がいっていない、と諭そうとするミカさん……。 「赤ちゃんができたことはうれしいけど、むーちゃんをないがしろになんかしてないよ」 反論するユウコさんに、 「妊娠で浮かれてるママを見て、むーちゃんは不安なんだよ。子どもって自分が思ってるより、親のこと見てるからさぁ」 と、不気味な笑みを浮かべて言い切るミカさん。ユウコさんの言葉は届かず、一方的な意見を押し付けてくるのでした。 この場合、本当に善意なの……?と疑ってしまいそうになるママ友の言葉ですが、実際に第2子の妊娠で上のお子さんのケアについて悩むママも多いのではないでしょうか。きょうだいを子育て中の皆さんは、第2子を妊娠中、上のお子さんにどういったケアや言葉かけを意識していましたか? 作画:松本うち 著者:マンガ家・イラストレーター 原黒ゆうこ2人の子持ち主婦。実話を基にしたマンガをInstagramに投稿中。出産してから毒親育ちだと気づく。
2022年11月13日4年間毎日義母から「孫はまだなの?」と言われ続け、夫の助け舟にもイラつくようになったつくし。ある日、義母が「娘が妊娠した」と報告。義理の妹の妊娠を喜ぶと、「あなた悔しくないの?」と言ってきて……義母に“不妊の自覚があるか”と問われたつくし。「普通、妊娠はすぐできるもの」とため息混じりに言う義母が続けて「これからはガンガン口出しさせてもらいますから。まずは外へのお勤め禁止」と、衝撃の行動制限を言い渡され……!? 夫との子どもは欲しい、だけど… 「え? 今の仕事やめろってことですか?」「そうよ! 仕事なんてストレスのもとですからね!」焦るつくしに強い剣幕で命令し続ける義母。 「夕飯だって7時って約束なのに、最近残業残業ってごはん作るのサボって……あなたも結婚したんだから、少しは奥さんらしい生活をして、不妊治療に専念しなさい」「このまま仕事続けたら、あなた一生子どもできないわよ? それでもいいの? 後悔しない?」 子どもは欲しい、だけど……「仕事はあなたを支えてくれる……」亡くなった母の言葉が頭にチラついたつくし。 仕事を簡単に捨ててしまって良いのだろうか?「これからうちの家業も忙しくなるし、前からあなたにも手伝って欲しいと思っていたのよ」「それにあなただって本当は子どもがほしいんでしょ?不妊治療は早ければ早いほど良いから。つくしさんなら仕事とうちの跡継ぎ、どっちが大切か、わかってくれるわね?」義母に力強く肩を掴まれるつくし。 お母さん……私どうしたらいい? 不妊の検査もしていないのに、“仕事を続けたら一生子どもができない”と脅す義母。さらに家業は手伝わない予定だったのに、仕事を辞めたら手伝う羽目になりそうです。不妊治療自体は早くスタートした方が妊娠できる確率が上がると言われていますが、仕事を辞めることは必ずしもマストではありません。義母の勢いに負けて、つくしは仕事を辞めてしまうのでしょうか……? 著者:マンガ家・イラストレーター ツムママ息子とパパと家族3人で暮らしているお絵かきママ。インスタグラム、ブログ【ツムママは静かに暮らしたい】で漫画を投稿しています。
2022年11月12日子どもを持ってから、私はパパに対してイライラすることが増えました。そのうち、いつまでも妊娠・出産前と同じ考えをしていると無理が出てくるのだと気付き、パパに対して私がしていた“3つのこと”をやめました。イライラを解消するために、私がやめた3つのことを紹介します。 パパの帰りを待つ同棲時代から、夕食は夫婦で一緒に食べるようにしていました。しかし、パパの帰宅時間は一定ではないうえに遅い日が多い。妊娠・出産してから、そんなパパの帰りを待つことが、かなりのストレスになっていました。 パパを待つことで就寝時間が遅くなったり、家事を中断する必要があったり。夫婦仲の向上を目的としていたはずなのに、私のイライラが増して逆効果になっていました。思い切ってやめて、待つストレスをなくしました! パパの予定を元にしたスケジューリングわが家のパパは「今日は絶対○時に帰る」と言っていても、よく数時間オーバーします。私は「それなら子どもを見てもらって夕食は○○を作ろう。お風呂もお願いして、その間に○○をしよう」と予定を立てるのですが、もちろん全部パー。考えた時間も準備も全部ムダです。 仕事なので仕方ないけれど、私も人間なのでやっぱりイライラします。パパの予定は話半分以下で聞き、基本的にはパパがいない前提で予定を立てるようにしてからは、そのイライラがなくなりました。 自分を基準にした考えパパは何度言っても直らないことがたくさん。子どものテープタイプのおむつは締め過ぎ、離乳食の温めは激熱。しかも何度も繰り返すのでかなりイライラしていました。私にとっては当たり前のことが、パパにとってはそうではないようです。 そこでパパが仕事で頭をフル回転させているうちに、私のお願いごとなんてどこかへ行ってしまっても仕方ないと考えるようにしました。どんなことでも、手伝ってくれたらラッキー。気持ちに感謝しようと思っています。 余裕があるころは笑って許せていたことも、子どもができて状況が変わると許せなくなったりします。子育てを続けるうちに、イライラしないで済むよう、それまでの習慣を臨機応変に変えていくことも大切だと気付きました。 監修/助産師REIKOイラストレーター/そら著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。
2022年11月11日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日今回は、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。つわりがあった時期は、食べられなくなってしまい、4kgも体重が落ちてしまいました。しかし、つわりが終わると、今度は体重がみるみるうちに増えていって……!? つわりの時期は全然食べられなかったのに… ※厚生労働省では、ふつう体型の人(BMI18.5以上、25.0未満)の目安は10~13kgとしています。 今回も引き続き、妊娠中の思い出話です。 妊娠中に強く思ったことが、体重管理の難しさ!! 妊娠してすぐのころ読んだ育児書には、私の体重ですと「増加体重の目安は7〜12kg」と書かれていました。(※現在は改正されています) 当時の私は、「赤ちゃん自体は3kgくらいだし、5kgくらいに抑えられるだろう!」と軽く思っていました。 そしてつわりのせいで、さらに4kgほど体重減。 尚更、元体重から7〜12kgなんて増えない!と高をくくっておりました。 けれど、安定期に入ってつわりが落ち着くなり、ごはんがおいしくておいしくて……みるみるうちに体重が増えていきました。 それから生まれるまでは、「あと3kgしか増えられない」「もう増えられない」と、常に体重増加に怯える日々でした。 妊娠中は食欲も体質もいつもと違うし、体重管理が難しい!!と、心から思いました。 監修/助産師 REIKO 著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月07日「Twitterで人と出会うなんて、怪しすぎる」。5年前の自分ならそう思っていたと思います。結婚を機に知らない土地に住み始めると、待っていたのは味気ない生活。子どもが生まれるとなおさら人恋しくなりました。そんな私に仲良しのママ友を作ってくれたのが、驚くことにSNSの「Twitter」でした。結婚を機に地方移住。不安が重なる産後関東で正社員をしていた私は、結婚して地方に住むことになりました。最初こそワクワク感があったものの、実際に過ごしてみると友だちがそばにいない生活は味気ないものでした。子どもができる前は、私は頻繁に実家に帰っていました。 産休まで仕事をしていたので寂しさを紛らわせていましたが、初めての妊娠・子育てでは不安が伴う毎日。そんな私が助けを求めていたのが、Twitterの“ママアカウント”と呼ばれる人たちでした。 妊娠中、Twitterが情報収集に役立った初めての妊娠・出産で不安だった私は、Twitterに“マタニティアカウント”や“ママアカウント”というジャンルがあることを知り、アカウントを作ってみました。最初は特に誰かとの交流もなく、「今日の健診も終わった!」など、何気ないツイートをするだけでした。 同じ時期に出産予定の人をフォローしていたので、妊娠中から産後に渡って、みんなの様子や便利な育児グッズなどを知ることができました。初めての妊娠だったため他の妊婦さんが発信する情報は役立ちましたし、「妊娠・出産のつらさはみんな同じなんだ」と思えた私は、気持ちがラクになり、穏やかに過ごせるようになりました。 Twitterで知り合ったママ友と会うことに!Twitterのママさんとやりとりするようになったきっかけは、私が出産したときに「おめでとう」コメントをたくさんもらったことでした。それを機に私のツイートにコメントしてくれる人が増えたので、自然とやりとりするようになりました。 Twitterのやりとりに慣れたころ、私は同じ地域に住んでいる人がいることを知りました。ある日、「地域の遊び場に一緒に遊びにいってくれませんか」というツイートが。「ぜひご一緒させてください!」と返事してみると、そのツイートをしたママさんが返事をした人を集めて、4組ほどの親子と会うことになりました。 心地よい関係で、2年経った今でも遊ぶ仲その交流をきっかけに、定期的に同じメンバーで子育て支援センターで会うようになりました。近所というわけではないので生活圏は重ならず、「しゃべりたいときに会えて、日常のことはツイートで知ってくれている」、そんな心地よい関係になりました。 2年経った今でも交流は続いていて、お互いの家で遊ぶことも。自分の子どもの成長だけでなく、ママ友の子どもたちの成長も楽しみのひとつになりました。最近では子どものことだけでなく、仕事のこと・家族のことを話せる良き友人として付き合っています。 Twitterでの出会いに最初は不安もありました。しかし「慎重に距離を縮めていき、マナーがある人同士であれば友だちになれる!」というのが今持っている私の考えです。私にとって気の合うママ友との出会いは、自分の気持ちをいつも打ち明けているTwitterにありました。 著者:松澤うみ2019年生まれの息子と夫と3人暮らし。夫の転勤で地方移住。現在webデザインを勉強中。
2022年11月06日わが家には4人の子どもがいますが、たまたま子どもたちの生まれた年に身内に不幸があり、葬儀や法事が重なりました。そのことをまさか私のせいにされるだなんて……。何気ない義母の言葉に私たち夫婦がショックを受け、義母との関わり方を考え直した体験をお話しします。なぜか生まれた年に重なる葬儀長男が生まれてから半年後に義母側の祖母が亡くなり、長女が生まれる1週間前に義父側の祖母が亡くなりました。もともと祖母たちは持病があって入院していたので、葬儀や法事にはできるだけ出席し、滞りなく済んだと思っていました。 やがて、上の子たちが大きくなってきたので家を買うことになり、それと同時に義父母と同居することに。ところが同居して間もなく、義父にガンが見つかりました。その後3人目を妊娠。妊娠したことを義父母に報告すると、まさかの言葉が返ってきたのです。 耳を疑う義母からの言葉……妊娠の報告をしたあと、義母から「本当に産むの? 上の子たちが生まれた年に祖母たちが亡くなったのよ。次は誰が? ちゃんと考えて!」と言われたのです。 義母が義父にガンが見つかったことを心配しているのはわかっていましたが、まさかこれまでの不幸を私の出産のせいだと思っていたことに大ショック! これには夫も、「うちの子のせいにしているなんて!」と怒りを隠せませんでした。 その後次女が生まれ、義父は闘病で入退院を繰り返しましたが、なんとか日常生活を送れるようになっていました。 義両親と別居してから数年後義父母と同居して3年、生活リズムや考え方の違いがあり、これ以上は無理と夫が別居を申し出、義父母は実家に帰っていきました。それから数年後に私は4人目を妊娠、出産しましたが、義父母とは絶縁状態。ましてや夫も、以前ひどい発言をした義母に対し「あんな考え方をする人たちに報告しなくていい」と言って義妹にだけ報告し、義母たちには直接連絡しませんでした。 しかし、その2カ月後に義父が他界。また義母に何か言われかねないと思いながらも、葬儀に参列しました。絶縁状態だったこともあり気まずい雰囲気の中、義母と久しぶりの再会。夫も私もどう接していいかわかりませんでしたが、4人目の次男を抱っこした義母は、「来てくれたよ!」と眠っている義父に話しかけていました。事情を知っていた親戚も「赤ちゃんがいてくれてよかった」と言ってくれました。 本当にたまたま重なった不幸ではありますが、当時子どもが生まれたのはわが家だけではなく、義妹も同じ時期に出産していたのです。それなのにまさかの考え方をしていた義母に驚きを隠せませんでした。初孫をかわいがってくれた時期があった反面、義母の本当の気持ちがわかり、同居や別居を経て、それ以来距離をとって付き合うようにしています。 著者:松田みさと/女性・ライター。2004年生まれの長男、2007年生まれの長女、2015年生まれの次女、長男とは15歳差の2019年生まれの次男の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2022年11月06日今回も、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。妊娠初期のころ、産休の取得が1カ月半前から取れることを知ったこむぎさん。そのころは、「1カ月半も自由とか何しよっかな~」と考えていました。しかし、いざ妊娠して半年を迎えると、考えがかなり変わっていて……!? 妊娠初期と半年後では、考え方が全然違っていて… 今回も妊娠中の思い出話です。 妊娠、出産、育児……どれにしても、経験してみて、初めてわかることばかりだと実感しています。 振り返ってみて、「あのころ私は何もわかってなかったなぁ。勘違いしていたなぁ」と思うこともしばしば。 今回の話も、その1つです。 妊娠したころの私は、産休に入るのは1カ月半前からと聞いて、「結構前から休めるんだな」などと思っていました。 けれど実際におなかが大きくなってくると、おなかの重みだけではなく体調の悪化やしんどさが山ほどあり……。「1カ月半前なんて遅すぎる!!」と、心から思いました。 妊娠したころは「今のうちに好きなことをしておこう!」と思っておりましたが、実際は体がしんどすぎて、「早く生まれてほしい」と願うことしかできませんでした。 監修/助産師 REIKO著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月03日月間500~600本以上配信されるマンガ記事のなかから、今年ママたちに最も読まれたマンガ作品を発表する「べビカレマンガ大賞」。マンガのテーマ別にTOP5を発表します。今回は「妊娠・出産マンガ」から、受賞作品1位から5位を発表します!妊娠、出産はすべて奇跡ーー。ママたちの妊娠、出産にまつわる体験談マンガ。巨大児や早産児の妊娠、出産エピソードや、病気を乗り越えたお話など、さまざまな体験談がランクイン!全話無料でイッキ読みできますので、ぜひチェックしてみてくださいね! 妊娠・出産マンガ TOP51位2人目は巨大児でした作者:ミロチ ■あらすじ巨大児だった第二子の妊娠〜出産の体験談マンガ。妊娠中ストレスで難聴を経験。妊娠中に「おなかの子は巨大児」だと医師に言われて、急きょ出産間近で大きな病院に転院することに……!? 2位930グラムのいのち作者:鳥野とりこ ■あらすじ息子のねこ太くんの出産・保活・発達障害に関する体験談をマンガ化! 27wで930グラムのねこ太くんを出産したときのエピソードです。 3位コロナ禍出産、母子共に命が危なかった話作者:わこ ■あらすじコロナ禍で出産したわこさんは、ご自身と赤ちゃん両方の命の危機を出産で体験しました。ご自身の体験をマンガで紹介します。 4位いくらの初産!3750g出産レポ作者:いくら ■あらすじ夫婦共働きで、3人の子どもをほぼワンオペしていた数年前。家事育児に無関心な夫を更生させるには、育児以上の苦労が待ち受けていた! こっさんさんの過去の実体験エピソードをマンガ化! 5位妊活レベル1 まっふの冒険記作者:まっふ ■あらすじ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中のまっふさんの体験談。お子さんを授かったときの妊娠中のエピソードを紹介しています。 「妊娠・出産マンガ」部門1位は、ミロチさんの「2人目は巨大児でした」が受賞しました。第二子を妊娠したあとのつわり、ストレスによる難聴、コロナ禍での立ち会い出産制限、巨大児のさまざまな影響など妊娠中のママにはぜひ読んでいただきたい作品です。 11月10日(木)には総合1位の「べビカレマンガ大賞」を発表します! ベビーカレンダーでは「妊娠・出産マンガ」のほか、「夫婦関係マンガ」や「ママ友トラブルマンガ」、「育児マンガ」など毎日たくさんのマンガを配信中! ぜひ読んでお気に入りのマンガを探してみてくださいね♪
2022年11月02日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。旦那さんの提案で購入した花の苗に、「苗のつぼみは花が咲いたけれど私は……」と自分の妊活状況と重ねつつ話しかけるりほさん。また赤ちゃんに会いたいという一心で、妊活を続けていたのですが…… 結果を見ても浮かれないと心に決めて… 流産を経験してから半年が経ったころ。病院の先生にすすめられて、毎日基礎体温を測るようになっていました。 基礎体温の高い日が続いたため、「もしかしたら……」と、妊娠検査薬を試すことに。 「もし……もし陽性が出ても浮かれない!!」「妊娠していたとしても、何が起こるかわからないから冷静に! 落ち着いて受け止めます!」と祈りながら自分を抑えつつ、結果を待ちました。 その結果は……陽性! 「ダメだ、やっぱりうれしいよ」 浮かれない、と決めていても、やっぱりうれしくて、思わずうれし涙がこぼれてしまうのでした。 そして後日、産婦人科を受診し、無事に長男のハルくんがおなかに宿ったことがわかりました。 次回、どんなに痛くても、苦しくても、ママは絶対に大丈夫だよ! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年11月02日今回は、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。妊婦健診時に「切迫早産」と診断されたこむぎさん。医師からは、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまって……!? 妊婦健診時に「切迫早産」と診断されてしまい… 今回は少し前にさかのぼって、妊娠中のお話です。 妊娠7カ月になったころ、健診で「切迫早産」と診断され、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまいました。 それまで「妊婦でもウォーキングなどをして、なるべく運動したほうがいい」と聞いていたので、突然「動いてはいけない」と言われてビックリしたのを覚えています。 最初のうちは「ずっと寝てられるなら楽じゃない?」「寝転がったままでも本とか読めるし、好きなことしよう!」などと思っていましたが……。 「体は元気なのに、動いてはいけない」というのは思っていた以上につらく、数日経つころには、すっかり心が荒んでしまいました。 次の健診で「子宮頸管が伸びたので、動いても大丈夫」と言われたときは、本当にうれしかったです。 けれどその後、正期産の時期が近づくと、今度は「なかなか産まれないこともあるから、たくさん歩いて赤ちゃんが降りてくるよう頑張ってね」と言われ……。 動いちゃいけないの!? 動いたほうがいいの!?と、振り回された妊娠時代でした。 監修/助産師 REIKO著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月01日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2022年11月01日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。初めての妊娠が終わってしまった……悲嘆に暮れるりほさんが、日常を取り戻していった方法とは? 旦那さんの提案は… 1週間後、再び病院へ行くと、そこにはおなかが大きい妊婦さんがいっぱい。 その幸せそうな姿を見て、暗い気持ちになってしまう……。 そんなりほさんを励ますように、旦那さんが「このあと、お花買いに行かない?」と提案してくれました。 かわいらしいお花を育てながら、少しずつ日常を取り戻していったのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月31日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、思いがけず妊娠が判明! しかし、その翌朝、思わぬ事態に……!翌朝、目を覚ますとなぜか全身汗でびっしょり! しかも、なんだかおなかが痛い。トイレへ行くと、出血が! 急いで近所の病院へ歩いて向かいました。 え? サラっと言った医師の言葉に放心… 「多分流産だと思うけど」 えっ……いま、サラッとなんて言った? 医師の言葉に頭が真っ白に……! 昨日確かに見たはずのかわいい豆粒は、どこにもいなくなっていた……。 「まさか……嘘だ」 からっぽになってしまったエコーを見つめ、涙がぼろぼろとこぼれ止まらない……! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月29日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。健診の順番待ちのときに、美山さんが見せてくれたのは、体外受精の移植を撮った動画でした。 美山さんは、モニターに写しだされた移植の様子を、動画に収めていたのだと言いました。それを見たあおばさんは感動して、思わずウルウルしてしまいました。 あおばさんは、美山さんに「男の子と女の子どちらが良いとかありますか?」と聞きました。すると、美山さんが入院前のお話をしてくれました。ある日大量の出血があった美山さんは、救急車を呼びました。救急車が到着する間、泣きながら「あぁ、もうダメだ」と何度も思ったと言います。 しかし、おなかの中の赤ちゃんは生きていてくれました。「だからこの子が元気に生まれてきてくれたら、ただそれだけでいい」と美山さんは言いました。美山さんのその思いに、あおばさんはジーンときてしまいます。 健診が終わり部屋に戻ると、退院する日が近いことがうれしいのか、ご機嫌な辛田さんの姿が。美山さんが同じ部屋に入院してきたときから、美山さんのことを無視してきた辛田さん。 いよいよ退院のあいさつのときがやってきましたが、最後まで、美山さんのことは無視してあいさつもせず、病室を去っていきました。 それからしばらく3人で平和な入院生活を送っていたあおばさん。ある日の深夜、カーテンの向こうに、足音とひそひそ声が聞こえて目が覚めました。すると、美山さんの泣き声も聞こえてきて……!? 堪えるような泣き声を聞いてしまって… 切迫早産で入院してから1カ月半が経ち、あおばさんは妊娠37週に近づいてきました。ある日ロビーで、大きくなったあおばさんのおなかを触り、「ここまでたどり着けるのかな」と小さな声で美山さんが言いました。 それから数日後の深夜。足音と静かな空間に響くひそひそ声で、あおばさんは目が覚めました。そして、看護師さんと思われる人が病室から出ていったあと、美山さんのベッドからカーテン越しに泣き声が聞こえてきました。 あおばさんは、美山さんに話しかけることができず、自分のベッドの周りをうろうろしていると、同部屋の花野さんから連絡が。 花野さんは最初のほうから起きていたようで、美山さんに何があったのかを教えてくれました。 「美山さん、出血したみたい」 そのメッセージを見たあおばさんは、前に美山さんが話してくれたことを思い出しました……。 ◇◇◇ そして、お産にはいろいろな兆候があるようですが、たとえば、少量の出血が見られたら、「おしるし」の可能性があり、数日以内に陣痛が来るかもしれないそうです。妊娠37週に入ったら、いざ出産というときに慌てずにすむよう、心の準備をしておくとよさそうですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年10月29日6年の交際を経て結婚。最初の1年くらいは2人でのんびり過ごそうか、なんて言っていたら入籍から3カ月後、思いがけず妊娠が判明!さっそく翌日、夫と一緒に産婦人科へ行くことに。 このちっちゃい豆粒が…! 妊娠がわかった日の夜、家に帰るとお花が飾られたテーブルには、渾身のハヤシライス、妊娠本まで! 妊娠を喜んで、一緒に祝おうとしてくれる旦那さんのやさしさに感動……! しかし、この夜が赤ちゃんと過ごす最後の夜になるなんて、このときは知る由もなかったのでした……。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月27日私は先月、第3子を出産して3人の子育てに日々奮闘しています。妊娠中から気がかりだったのが、毎日の夕食の準備です。今回の出産では、私は里帰り出産をしない選択をしたので、産後に待っているワンオペ育児タイム。それに備えて、妊娠中に少し頑張ってみました。0歳児を抱えたワンオペ育児タイム私は現在、中学2年生の娘、年少児と生後1カ月の息子を育てています。次男の出産にあたり、上の子たちの学校や保育園があるので、里帰り出産はしませんでした。夫は家事・育児に協力的ですが、夜勤もあるシフト制の勤務のため、昼間から寝かしつけの時間までいないことも多々あります。 そんなワンオペ育児で大変なのが、夕食の支度です。長女はダイエット中なので「炭水化物を控えめにするから副菜多めにお願い」と言っているし、長男は保育園から帰ってきたときには眠くてぐずっているので、とにかくラクに早く食事の準備をすることが重要になってきます。 分娩予定日前にストック作り次男は計画分娩で分娩日が決まっていたので、分娩予定の3日前から私は食事のストック作りを始めました。カレー、シチュー、ミートソース、コロッケ、ハンバーグなど、メインになり、冷凍できる物をたくさん作りました。魚や肉は下味をつけてカットしておき、あとは焼くだけ・揚げるだけの状態に。 他にも、にんじんしりしりやほうれん草を茹でた物、切干だいこんやきんぴらごぼうなどの副菜も作り、冷凍できる野菜はカットして冷凍しておきました。レトルト食品もたくさん買い込み、とにかく出産後2週間ほどは夕食の支度がラクにできるように備えました。 次男を出産。産後の生活は…次男を出産して、現在は生後1カ月ですが、自分で作った冷凍ストックにとても助けられました。次男は夜もよく寝てくれるほうですが、それでも夜中の授乳もあり寝不足なのと、体が完全に回復していないためか、体力・気力があまりないのが現状です。 そんなとき、夕食が焼くだけ、解凍するだけで準備が終わると考えただけで、気持ちにゆとりができます。また、家にいるときの自分の昼食としてもレトルト食品や冷凍ストックが活躍してくれています。 臨月の大きいおなかで、キッチンに立ってたくさんの冷凍ストックを作るのは大変でしたが、冷凍ストックにかなり助けられているので、妊娠中に頑張っておいてよかったと思っています。過去の自分に「大変だったけど、ありがとう!」と伝えたいくらいです。 著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月24日妊娠39週のある日、わこさんはひどい腰痛や発熱などの症状があり、救急車で病院に行くことに。そして、そのまま帝王切開で出産することになり、出産。その後「腎盂腎炎(じんうじんえん)からくる敗血性ショック」と診断され、わこさんはICUに入室しました。わこさんの体は、リハビリなどを経て徐々に良くなっていき、無事退院。そして出産後初めて、娘のキキちゃんを抱くことができました。 医師から娘の病状を聞き…毎日、娘がいるNICU(新生児集中治療室)に通いました。 娘は体重が軽かったこともあり、私の退院よりさらに1週間入院することに。コロナ禍でしたが、娘が入院しているNICUは、予約をすれば1時間の面会が可能でした。 また、私が入院しているときに、娘の脳のMRI検査をすると伝えられていたのですが、その結果が医師から伝えられました。 脳の重要な部分に損傷はなく、ひとまずは安心して大丈夫とのこと。 出産のときに心拍が低下し、呼吸も止まっていたらしいので、脳に障害が残ってしまうのではないかと不安でいっぱいでしたが、ひとまずその心配はなさそうだとわかってホッとしました。 ◇◇◇ 1日1時間、娘・キキちゃんの授乳やお世話をしに病院へ訪れていたわこさん。1時間という短い時間では「母になった実感がない」と感じていたわこさんでしたが、みなさんは「私、お母さんになったんだなぁ」と感じることができたのはどんなときでしたか? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年10月23日2人の子育て中に3人目を妊娠。でも、その子はお空へ帰ってしまいました。何も手につかない……そんな日々をしばらく過ごしたあと、妊娠が判明。その妊娠生活で、不思議な、そして私にとって衝撃的な夢を見て……。誰にも話さず、自分の中だけで大切にしてきた体験談を、ここで初めてご紹介します。自分を責め続けた流産の経験「そろそろ3人目が来てくれたらうれしいね」。長女が4歳、次女が2歳だったとき、夫とそんな話をしていました。当時は仕事が忙しく、なかなか子どもとの時間も取れない中だったけれど、家庭も仕事も大切にしたいと頑張っていました。 そんな中、妊娠が判明。まだ心拍が確認できたばかりの、小さな小さな命に、私と夫はとても喜びました。「まだまだ小さいし、妊娠4カ月くらいに子どもたちには伝えよう」と夫婦で話して、「男の子かな? 女の子かな?」など、気の早い想像をしていました。 ある日の仕事中、おなかに一瞬チクンッと痛みが。「あ、何か痛いかも。でも、気のせいかなぁ」。次の日が健診だったので、そのときに伝えたらいいかと思い、そのままにしていました。そして次の日。おなかの痛みがあったことを伝えると「初期はそんなことあるからね。見てみようねー」とやさしい笑顔の先生。私も、何も気にせず診察を受けていました。 ……でも、診察の時間が長い。先生はずっとモニターを見て、何もしゃべりません。だんだんとドキドキしてきました。「え、大丈夫だよね……?」。私が心配していると、「残念だけど……心臓が動いていない」 。稽留(けいりゅう)流産でした。先生は、「赤ちゃんの異常による流産で、仕方がないこと。あなたは何も悪くないよ」と慰めてくれました。 でも、どうしても「仕事をセーブしていれば……」「昨日すぐ病院に行っていれば……」「私の栄養が足りなかったのかな……」といろいろなことを考えてしまい、自分を責める言葉ならいくらでも出てきてしまう状態でした。夫にも「ごめんね、ごめんね」と謝りました。子どもたちにはなんと伝えればいいかわからず、妊娠したことも、流産したことも伝えられませんでした。 夢で会えた大切な息子数日仕事を休まないといけないため、職場にも伝え、 仕事に復帰してからも、しばらく涙が出てくる日々でした。「1人目じゃないから、悲しみは少ないよね」「上の子たちがいるからいいよ」。こう言ってくれる先輩や同僚の言葉にも何とも言えず、「私が悲しむのは、ぜいたくなのかな」と思い、当時はそのことも苦しかったです。 でも、しばらくして、だんだんと前を向かなきゃと思っていた、そんなとき。妊娠が判明。前回のことがあったので、うれしい気持ちの半面、怖い気持ちもあり、1人目、2人目以上に慎重に妊婦生活を送っていきました。 いよいよ臨月というところまできたある日。産休に入り、ゆっくり過ごしていた9月の終わり。昼寝をしていた私は不思議な夢を見ました。私は双子を妊娠していて、陣痛が来たところ。急いで病院に行って、分娩台へ。数時間後、男の子と女の子の双子が生まれた……という夢でした。 その夢から覚めてすぐ、「あ、あの子だ」 と思いました。そう、お空に帰った子です。私が今、妊娠しているのは女の子。夢で出産した男の子は、空に帰った子だと思ったのです。そのときに、「おなかにいる子を産むとき、この男の子も一緒に産もう」。そう決心しました。 そして、この男の子に「翼(つばさ)」という名前をつけました。この名前は、以前夫が「男の子が生まれたらつけたい」と言っていた名前でした。 息子に伝えたい「ありがとう」の気持ちそして、いよいよ出産の日。陣痛が来たのは、ちょうど日曜日の17時過ぎ。夫と子どもたちと一緒に病院へ行きました。「もうすぐ会えるね。一緒に頑張ろうね。翼くんも一緒に頑張ろうね」。おなかの赤ちゃんに話しかけ、いざ分娩台へ。初めて里帰りをしない中での出産で、初めての病院というのもあってドキドキしていました。 分娩台にあがって、「ふぅ」と息を吐き、上を見つめました。するとそこには、天井一面、空の壁紙だったのです。「あ、翼くんがいる」。そう思いました。「翼くん、見てくれているんだね。ありがとう。一緒に頑張ろうね。生まれてきてね」。心で語りかけながら、おなかをさすりながら、無事に女の子を出産。そして、私の中で翼くんも一緒に出産しました。 とてもとてもかわいい女の子。夫も子どもたちも立ち会って喜んでくれ、とても幸せなお産でした。三女を妊娠中、夢を見たこと。それが双子を出産する夢だったこと。そして、分娩室の天井が空の壁紙だったこと。すべてきっと偶然なんだろうけど、私にとって幸せに包まれた偶然でした。 現在、三女はもうすぐ4歳。そして、四女も生まれました。4姉妹のわが家。喧嘩も絶えない毎日ですが、賑やかな日々です。きっとお空で、わが家の黒一点、翼くんが笑って見てくれているのかな、と思っています。この話は、誰にもしたことがない私だけの話。いつか子どもたちが大きくなったら、家族で青空を見ながら話せたらいいなと思います。 ただの偶然が重なったことに、意味はないのかもしれません。ただの「変な話」かもしれません。でも、私の中で「翼くんを出産できた」と思えたことは、とても幸せな瞬間でした。「妊娠、出産は当たり前ではない。目の前にある幸せを見つけて大切にする」。……そんなことを息子から教わった気がします。 監修/助産師 松田玲子著者:マチコ9歳、7歳、3歳、1歳の4人の母。今年の目標は、「眉間の皺をのばすこと」。子育てに悩みながら泣きながら、9年目に突入。文章を書くことが大好きで、エッセーやコラムを書くことが夢。
2022年10月22日初めての出産を控え、いつ生まれるんだろうとドキドキの毎日。しかし、正期産の時期を前に頻繁に起こるおなかの張りにより、医師に自宅安静を言い渡されました。そして妊娠36週に生まれてしまい、早産だった息子に対し、人一倍気を遣って過ごしていたころのお話です。2,200gで生まれた息子おなかの中ですくすくと育っていく息子。愛しくて仕方がなく、エコー写真を見ては「早く会いたいなあ」と思っていました。しかし妊娠後期から頻繁におなかが張るようになり、妊娠35週には出血もあったため、医師から自宅安静の指示が。 結局妊娠36週に早産児として生まれた息子は、体重2,200g程度の低出生体重児でした。息子が生まれた直後から助産師さんや担当の医師が、慌ただしくしていたのを覚えています。 罪悪感からひとりで無理をしていた毎日周りの子と比べるのはよくないと思いつつも、小さい息子を抱っこしては、正期産の時期に産めなかった自分を責め、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 退院後、ネットで早産児は病気にかかりやすかったり、発達が遅れたりするかもしれないリスクがあるという情報を目にした私は、「この子を大きくできるのは私だけだ、病気にかからないようにしなければ」という気持ちに。 常に健康状態を気にしたり、授乳回数を増やしたりと自分だけで毎日頑張っていました。しかし産後のボロボロな体と、夜間授乳などでの寝不足も重なって、そのころの私は心身ともに疲れ果てていました。 元気に成長していく息子に私は……夫や友だちから少し頑張りすぎだと言われても聞く耳を持たなかった私。一方で息子は生後3カ月のころには首もすわり、体もぽっちゃりと赤ちゃんらしくなってきて、あやしたりするとよく笑うようになりました。そして生後6カ月にもなると寝返りや、ひとりで座ることもできるように。 そんな成長する息子の姿を見て、私は早産児だろうとこの子はこの子なりにちゃんと成長しているじゃないか、とだんだん思うようになったのです。それからは、周りの助けも借りて、ひとりで無理をするのをやめるようになりました。 現在では、息子も背は少し小さいものの、元気な幼稚園児になりました。今だからこそ言えることですが、早産児だからと母親が責任を感じ頑張りすぎるのではなく、もっと子どもの成長を信じて育児をすればよかったと思います。これからもこの子なりの成長を見守って、一緒に成長していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年10月19日ご自身や家族が精神疾患かな?と思ったらUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホン診察はどのように行われるの?精神疾患とは、なんらかの脳の働きの変化により心理的な問題が生じ、感情や行動などに著しいかたよりがみられる状態のことです。もしご自身や家族が精神疾患の症状が出ていたら専門機関の受診をおすすめします。診察では、医師はまず患者本人およびその家族から、主訴(何に困っているのか)、現病歴(いつからどのような症状があり今に至っているのか)、既往歴(以前かかっていた病気のこと)、家族歴(家族の精神疾患、ないし同じ症状の人がいるか)、生活史、家庭環境や職場環境などを聞き出します。次に、集めた情報や診察室で観察される症状、さらには病院によっては検査結果などから、総合的に診断を決めていきます。おおむね以上のような流れで進みますが、医師により異なる手順をとる場合もあります。各診療科の特徴精神疾患をみる診療科は精神科や精神神経科、心療内科や神経内科など、かなり名称にばらつきがあります。精神科と心療内科の診察の対象となる病気は、現時点では明確な区別はありません。ただ、心療内科には「内科」とついていることからも分かるように「身体症状」に対する対症療法などの経験が豊富な医師が多いようです。精神科、精神神経科、神経科は、名前が異なりますが診ているのは精神科医です。精神症状なら精神科医の方が経験豊富ですが、医師の資質・経験の差が大きい場合もあるので、自身にあった医師を見つけることが重要です。心療内科は、心理的な問題が原因で、頭痛、倦怠感、不眠、胃潰瘍などの身体的な症状が出ている場合(いわゆる心身症)を対象としています。神経内科(脳神経内科)は、脳や脊髄、神経、筋肉の病気を主な対象としています。認知症やてんかんなどは精神科だけでなく神経内科(脳神経内科)でも診ています。一般的には看板ごとに以上のような住み分けがされていますが、診療科名からどのような病気を対象としているのか確かめにくいこともあるので、あらかじめ電話やホームページで確認するとよいでしょう。どの科においても薬の「飲み心地」などについて話し合えるのが、「良医」であることの1つの指針となります。不安なことや、悩みがある場合、気軽に相談できる病院を選べるとよいでしょう。精神疾患の治療法精神疾患の治療法は、大きく分けて身体的治療と心理的治療の2つに分かれます。以下、それぞれについて紹介いたします。代表的なものが、薬物を用いた薬物療法です。他に、高照度光刺激療法、修正型電気けいれん療法、経頭蓋磁気刺激法(けいとうがいじきしげきほう)などの身体に物理的に働きかける療法もあります。身体療法とは対照的に、心理的な手段を用いて患者の心身に働きかけるもので、さまざまな理論・アプローチがあります。たとえば、認知に働きかけて気持ちを楽にする「認知行動療法」、精神分析を基本として、患者の問題や時間、場所などの条件にあわせて行う「精神分析的心理療法」、重要な他者との関係を見つめ、その対処法を見つけていく「対人関係療法」などが代表的です。医療機関で精神科医が行う面接や心理的治療を「精神療法」、心理士が行うセラピーを「心理療法」と呼ぶことが一般的です。まとめ精神疾患の経過は人によってさまざまです。今はネットなどでいろいろな情報を調べることは出来ますが、悲観的になりすぎないことが必要です。ご自身が精神的な不調に長らく苦しまれているのなら、少し勇気をだして一度医療機関を受診することをおすすめします。自分だけでは分からなかった解決策が見えてくるかもしれません。また、家族がこころの不調で悩んでいると、周りの人、とりわけご家族は責任感を感じてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、精神疾患の原因は複合的なもので、決して一つではありません。たとえ家庭内に少し問題があったとしても、それだけが唯一の原因ではないのです。ご自身を責め過ぎず、疲れを感じた場合は休むことも必要です。一人で抱え込まないためにも、医療機関や福祉サービス、家族会などに救いの手を求めましょう。
2022年10月16日精神疾患とは?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホン精神疾患とは、なんらかの脳の働きの変化により心理的な問題が生じ、感情や行動などに著しいかたよりがみられる状態のことです。この意味合いで、一般に「心の病」や「精神病」「精神障害」などと呼ばれるものを、より医学的に言い表すときに使われることが多い用語です。ですが、精神医学の領域においても「精神疾患」という言葉は、普遍的かつ確立された定義がありません。使われる場面や診断基準、医師によっても定義や概念にばらつきがあり、いまもなお見解の違いで議論が行われることもあります。精神疾患の症状は?精神疾患の症状にはさまざまな種類がありますが、そのほとんどは精神疾患でない一般の人でも経験するよくあるものです。ちょっとした気分の落ち込みや漠然とした不安感を経験したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?疾患であるかどうか医師の診断によって決まるのは、症状の組み合わせと症状の程度、そして症状が続いている期間です。また疾患名ごとにそれぞれの度合いや組み合わせは異なります。以下において、精神疾患の代表的な症状の一部を紹介します。症状それ自体は健康な人にも生じうるものであって、これがあるから精神疾患だ、ということではありません。あくまでも参考程度にとどめていただき、もし少しでも不安になった場合は専門機関に相談するようにしましょう。・抑うつ気分:憂鬱・むなしい・もの悲しいなどの気持ちになり、気力がでない状態。・幻覚:実際には刺激や対象が無いのに、それについて生じている知覚のこと。幻聴が代表的だが、幻視、体感幻覚などもあり、幻聴にもさまざまな種類がある。・妄想:根拠が無い非合理で訂正不能な思いこみ。本人は妄想とは認識しにくい。・離人:自分が自分であるという実感がしない、あるいは外界と自分との間に奇妙な隔たりを感じてしまう状態。・強迫:止めたい気持ちがありながらも、一方でそれをやらなければ気が済まないようにも感じ、同じ思考や行為を繰り返してしまうこと。精神疾患の原因は?遺伝との関係はあるの?原因の一つとして挙げられるのが「本人の特性と環境のミスマッチ」です。精神疾患の成り立ちを説明するモデルとして、ほとんどの精神疾患にあてはまるといわれているのが、ストレス脆弱(ぜいじゃく)性モデルです。すなわち「その人が元来もっている病気へのなりやすさ(脆弱性)と、病気の発症を促す要因(ストレス)の組み合わせにより、精神疾患は発症する」という仮説です。ここでいう脆弱性とは、遺伝などの先天的な要素と、どのような環境でどのように対応してきたかという後天的な要素により決まるといわれています。一方、ストレスには家庭や職場、学校における人間関係といった日常的なものだけでなく、戦争、災害、家族の死などがありますが、個人により何にどの程度ストレスを感じるかは異なります。思春期という、身体が急激に変化する時期は思春期であること自体がストレスの要因にもなりえます。同じストレスを受けた場合でも、精神疾患を発症する人としない人がいるのは、その人がもつストレスへの脆弱性が低いか高いかによると考えられます。・遺伝のしくみ遺伝には、親から病気の遺伝子を受け継ぐ場合と、親から正常な遺伝子を受け継ぎながら子どもの代で遺伝子に変異が起こる場合(突然変異)があり大きく3つに分かれます。・メンデルの遺伝法則に従って遺伝する単一の遺伝子の異常・複数の遺伝子が作用した上に環境要因も加わり発症する多因子遺伝・突然変異によるもの精神疾患のなかでも遺伝が関与するもののほとんどは、多因子遺伝によるものと考えられています。言い換えれば、特定の病気を引き起こす遺伝子というものはなく、誰もが持っている複数の遺伝子の組み合わせにより、脆弱性が左右されるということです。・遺伝だけが発症を左右するわけではない脆弱性(病気のなりやすさ)には遺伝も関係しますが、環境も大きな要因の一つです。精神疾患のなかでも遺伝の影響が強いとされる統合失調症でさえ、遺伝だけが発症の原因というわけではありません。実際、双生児を対象にして、「一方が統合失調症を発症した場合にもう一方が発症する確率」を調べた研究では、遺伝子が完全に一致する一卵性双生児でも48%、遺伝子が通常のきょうだいと同じ程度に異なる二卵性双生児の場合は17%という結果が出ています。この結果は、遺伝の影響だけが発症原因ではないことを意味すると同時に、その人を取り囲む環境が発症に関係する場合もあることを示しています。参考:6.社会と精神医学|日本医学会 100 周年記念シンポジウム原因探しは必ずしも解決につながらない自分の病気の原因を探し求めても、解決につながるとは限りません。仮に、遺伝や、親の育て方などの環境が関与していることが分かったとしても、そもそも一つないし少数の要因だけで病気が発症するわけではありません。目立つ要因があったとしても、必ずそれ以外にもいくつもの要因が病気の発症には関与しているものです。まして、その要因が今更変えられないものであるなら、そこにとらわれていても解決にはつながらないのです。過去ではなく未来に向かい、今何ができるのかを考えることが必要なのではないでしょうか。
2022年10月15日私が長男を妊娠中のころのお話です。妊娠初期を過ぎて体調が落ち着いた妊娠5カ月ごろ、病院で性別を確認してもらうことができました。義母に早く報告したくて、私はウキウキしながら性別を伝えました。すると、義母から信じられないことを言われたのです……!!妊娠5カ月で、性別が判明!私が長男を妊娠中のころのエピソードです。妊娠5カ月のころ、病院で性別を確認してもらうことができました。その日の夜、義母に早く報告したくてウキウキしながら会いに行きました。義父母にとっては初孫です。孫の誕生をとても楽しみにしてくれていたため、義母に性別を早く報告したかったのです。 「お義母さん、性別わかりましたよ!」と私が言うと、「ほんと??」と義母。私は、「はい! え~と、男の子です!」と言いました。すると義母は……。 義母の反応に絶句「え、ほんと?」とまた聞き返すのです。 私は「はい! 男の子でしたよ」と再度伝えました。すると今度は、義母は「えー、なんで?? やだ私は女の子かと思ってたー。女の子がよかったのにー!!!」と言ったのです。 私は思わず絶句してしまいました……。義母は「どうした?」とよくわかっていない様子。けれども私はしばらく絶句したままでした。 あれから13年…本当にショックすぎて、言われた瞬間も、帰りもずっと無言でした。夫はその会話は聞いていなかったようで「どうしたの?」とずっと聞いてきていましたが、私は放心状態。帰って泣きながら夫に話しました。そのあと夫が義母に怒りの電話をしたようですが、私は13年たった今もまだ忘れられません。 男の子でも女の子でも、一緒に喜んでもらえると思っていたので、思ってもいない言葉をかけられショックが大きかったです。 もう、義母は覚えていないかもしれませんが、きっとわたしは一生忘れられないと思います。義母はそこまで深く考えて発言したわけではないと思いますが、私のように深く傷つくこともあるのだなあと実感。特に妊娠中や産後の状態はセンシティブになっている時期でもあります。このことを教訓として、私も発言には気をつけたいと思った出来事でした。 著者:虎ママ13歳、9歳の2人の息子の母です。今現在反抗期真っ只中の中2男子と、小3男子の子育てに毎日奮闘しています。
2022年10月14日4人の子を出産しましたが、4人目は切迫早産で2カ月間の入院など、それぞれの妊娠・出産で大変な出来事がありました。つらくて大変だったエピソードの中でも最も衝撃的だったことは、まさかのあのつらさでした……! 妊娠中の大変だった出来事現在、4人目が生まれて3カ月になります。これまで4人の子どもたちを妊娠・出産しましたが、出産前後にはそれぞれ違った大変な出来事がありました。第1子の長男の妊娠時はとにかくつわりがつらく、当時の体重から5kg以上痩せました。分娩時は痛みで意識を失いかけ、吸引分娩に。出産後は翌日からの母子同室を数日間、拒否するほどのお股の激痛で何もできませんでした。「一生このまま走ることは無理だ」と、思ったほどでした。 第3子の長女のときは、夕飯のときに陣痛が来ました。夫は仕事で家におらず、徐々に強くなる痛みの中、しっかり子どもたちに夕飯を食べさせて、後片付けをしました。そして、事前に登録しておいた陣痛タクシーを呼び、長男、次男を連れて入院バックを抱えてタクシーに乗りました。病院までお願いすると、事前登録をしておいた陣痛タクシーでしたが、運転手さんは病院の場所を知りませんでした。激痛の中、道案内しながら病院まで行くことに……。 第4子の三男のときは、妊娠・出産に慣れ、余裕を感じていました。しかし、3人の子育てをしながら妊娠28週で妊婦健診に行くと、まさかの切迫早産との診断! そのまま緊急入院となったのです! 子ども3人のお世話は義母と夫にお願いしました。コロナ禍でお見舞い不可の時期だったため、誰にも会えず寝たきりの生活を2カ月間過ごすことに。長女の入園式にも出席できず、つらい日々でした。 最も衝撃的だったのは…それぞれ大変な経験をしましたが、4人の中でも最も衝撃的だったのが、第2子の次男の妊娠時! 1人目から年が離れての2人目の妊娠でした。第1子のときと違い、仕事をしていなかったこともあり気持ちに余裕がありました。つわりに対しても「いずれ必ずよくなる」と前向きに過ごしていました。 しかし、妊娠6カ月を過ぎたころから、体のあちらこちらが痒くなり、いつの間にか、頭皮から足首まで全身、蚊に刺されたような痒みと発疹が! アレルギーの飲み薬や塗り薬なども処方してもらいましたが、まったく効果がなく……。妊娠性痒疹かもしれないということでした。朝から晩まで痒みがおさまることはなく、唯一効果のあったのは氷まくらでした。身体中、冷やすことで痒みを抑えられました。 本当に妊娠はそれぞれ違う…冬場は痒みと、寒さに耐え、掻きむしって全身血だらけになりながら、産後2カ月間ごろまで過ごしました。まさか6カ月間も、毎日全身、蚊に刺されたような痒みが続くとは……。4人の出産を経験した中で1番つらくて、こんなことがあるんだと感じた衝撃的な出来事でした! 第2子に起こった体の変化は、他の3人の子どもたちの妊娠時にはまったくなかったものでした。妊娠、出産は人それぞれ違うと言いますが、同じ母親でも体の変化が違うものなのだと、はっきりと証明できた出来事でした。 関連記事:「た、助けて!」産院を退院し、夢に見た家族3人暮らしの始まり…と思った矢先、股から大量の出血が! 関連記事:「つわりは気のせい」傷つき、毎日つらかった私は妊娠をやめたいと思い自己嫌悪に。そして出産すると… 監修/助産師 REIKO 11歳(小6)、6歳(年長)、4歳(年少)、0歳(生後3ヶ月)の4人を子育て中の専業主婦
2022年10月12日カサンドラ症候群とは?どんな症状なの?原因は?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンカサンドラ症候群とは?カサンドラ症候群とは、家族や友人などの身近な人に自閉スペクトラム症(ASD)があることでコミュニケーションが難しく、対立や人間関係での満足感の低下、心的ストレスから不安障害や抑うつ状態に陥っている、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの心身症状が起きている状態を指す言葉です。特に妻や夫といったパートナーに起こる場合が多いといわれていますが、自閉スペクトラム症(ASD)のある子どもを育てる親がカサンドラ症候群になる場合もあります。なお、世界的に広く用いられている精神疾患の診断基準『DSM-5』(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版)には記載がなく、医学的な疾患名ではありません。カサンドラ症候群以外にも、「カサンドラ情動剥奪障害」「カサンドラ状態」などと表現されることもあります。カサンドラ症候群の症状自閉スペクトラム症(ASD)やカサンドラ症候群に関する研究が多くある英国の心理療法家マクシーン・アストンによると、カサンドラ症候群には以下の要素があるとされています。・少なくともいずれかの家族に、自閉スペクトラム症(ASD)特性などによる、共感性や情緒的表現の障害がある・ 家族との関係において情緒的交流の乏しさを起因とした激しい対立関係、精神または身体の虐待、人間関係の満足感の低下がある・精神的もしくは身体的な不調、症状(自己評価の低下、抑うつ状態、罪悪感、不安障害、不眠症、PTSD、体重の増減など)がある参考書籍:アスペルガーのパートナーと暮らすあなたへ:親密な関係を保ちながら生きていくためのガイドブックさらに、カサンドラ症候群の命名者シャピラの定義では、ここに「その事実を他の人に伝えても理解をしてもらえない、信じてもらえないこと」が加わります。カサンドラ症候群の原因カサンドラ症候群を引き起こす発端には、身近な人の自閉スペクトラム症(ASD)の特性によるトラブルがあるといえます。では一体、カサンドラ症候群の発端となる自閉スペクトラム症(ASD)の特性とはどのようなものなのでしょうか。自閉スペクトラム症(ASD)には「社会性と対人関係・コミュニケーションの困難」「行動や興味の偏り」といった特徴があるといわれています。表面上は問題なく会話できるのですが、その会話の裏側や行間を読むことが苦手です。明確な言葉がないと理解がむずかしく、比喩表現などをそのままの意味で鵜呑みにしてしまう傾向があるため、人の言葉を勘違いしやすく、傷つきやすい面があります。具体的な例としては、曖昧な表現が苦手だったり、不適切な表現を使ってしまうことなどがあります。また、場の空気を読むことに困難さがあり、相手の気持ちを理解したり、それに寄り添った言動が苦手な傾向にあります。そのため、社会的なルールやその場の雰囲気を無視をしたような言動になりがちで、対人関係を上手に築くのが難しい場合がみられます。具体的な例としては、気持ちの理解が苦手なことで相手を傷つけたり、自己中心的と思われる言動や行動をしてしまうことなどがあります。いったん興味を持つと過剰といえるほど熱中する傾向があります。法則性や規則性のあるものを好み、異常なほどのこだわりを見せることもあり、その法則や規則が崩れることを極端に嫌う傾向があります。一方、この特性は逆に強みとして活かすこともできます。具体的な例としては、自分のルールがあったり、興味のあることに対して話し続けてしまうことなどがあります。周囲の人たちは、自閉スペクトラム症(ASD)の特性だと分かっていても、自閉スペクトラム症(ASD)のある人と接していくうちに、うまくコミュニケーションがとれないことに自信をなくしてしまったり、周囲に相談しても理解をしてもらえず、孤独を感じてしまう場合があります。特に、家族は毎日の生活の中で接する機会が多く、家族であればなおさら、心を通わせたいと思う気持ちは強いでしょう。それが難しいときストレスを感じるのは、ある意味当然のことかもしれません。その結果、体調不良や抑うつ状態に陥ってしまうことがあるのです。イラスト/taeko
2022年10月10日現在、第一子を育てています。初めての妊娠中、出産前に「まさかこんなことが!?」となった衝撃の体験談を紹介します。 パンツが濡れている感覚が…そのとき私は妊娠37週でした。夜間の3時ごろ、パンツが濡れている感覚がありました。そのころは尿が漏れることも度々あったので、特に気にせずトイレに行くと、パンツに少量の血がついていました。 少しの出血なら大丈夫と聞いていた私は、「大丈夫だろう」と思いつつ、とりあえず夫に報告しました。 私が初めての妊娠なので、夫も「大丈夫?」と心配していましたが、私は「大丈夫」と返しました。友だちからも「出産前に出血があった」と聞いていたし、すぐ治まると思っていたのです。 しかし、その1時間後、またパンツが濡れている感覚があり、再びトイレへ行くとまたパンツに血がついていました。心配になった私は、お世話になっている産婦人科に電話し、状況を伝えました。 「見ないとわからないので、心配なら来てください」という言葉に逆に冷静になり、様子を見ることにしました。しかし、それからまた1時間後、また出血がありました。 突然の破水に戸惑い…その日は土曜日で、夫は休みでした。出血が続いて心配になった私は、早朝から夫に産婦人科に連れて行ってもらいました。そのとき、私も夫も特に何も問題ないだろうから、見てもらったらすぐに帰れると思っていました。 コロナ禍だったので、私ひとりで助産師さんに診てもらいましたが、特にまだ大丈夫とのことでした。正直、痛いとしか聞かない出産に怯えていたので、ほっとしました。 しかし、先生の診察を待っていたとき、大量に何かが漏れる感覚がありました。「尿? 出血?」と、私は混乱。「あの、また出血があったみたいで」とおろおろしながら助産師さんに伝え、すぐ先生に診てもらうことになりました。 そして、パンツを下ろすと、そこには水分が大量に出ていました。私は状況が把握できず、「尿?」と思っていましたが、先生に診てもらうと「破水ですね」とはっきり言われ、即入院が決まりました。 万が一に備えることも大事まだ出産に対する覚悟ができておらず、私は混乱していましたが、夫に連絡して入院することを伝えると、「え? 生まれる? え?」と、夫のほうがもっと混乱していました。 コロナ禍で、夫は産婦人科にいることはできず、助産師さんに入院セットを渡してそのままひとりで家に帰りました。そして、なんとか無事に長女を出産することができました。 妊娠37週だったので、まだまだ出産は先だと勝手に思っていましたが、「妊娠中は予想がつかない出来事があるんだな」ということがよくわかりました。万が一に備え、入院セットを持ち歩くなど対策を講じることも大事なんだなと、あらためて思いました。 監修/助産師REIKO 0歳を育てる新米の母。現在は子育てをしながら専業主婦をしています。
2022年10月09日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談をご紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし……初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は……妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月09日8歳双子、5歳、3歳の4人の母です。共働きでどうにか子育て中。四者四様の子どもたちと過ごす毎日はとっても賑やかです。 眠りづわりがつらすぎて…妊娠すると眠気が強くなる「眠りづわり」の症状が出る私。びっくりエピソードは、双子の男の子を出産した1年半後、第3子を授かった妊娠初期に起きました。 当時、双子は1歳半。私は妊娠2カ月でしたが、つわりの症状はしっかり出ていました。復職していたので、平日は仕事。家ではまだまだ赤ちゃんと大差ない双子を追いかけ回してお世話をし、週末はもうくたくた……。 でも、夫は週末も仕事なので1日ワンオペ。それに加えての眠りづわり……。 早く起きなきゃ…!ある土曜日のお昼前、「お母さんもう無理、ちょっと休ませて~!」と、布団に横になりました。双子が楽しそうに私の上によじ登り、乗り越えていきます。でもそれにすら勝てないほどの眠気。そのうち双子はテレビを見始めました。 「そろそろごはんの用意をしなきゃ……」「おむつも替えなきゃ……」 そう思いつつも、なかなか目が開きません。そのうち双子が揺さぶりに来ました。「あぁ、おなかすいたんだよね、お昼だもんね……」。でも起きられない。頭の芯がとろけそうなほど眠いのです。 タイプの違う双子双子の騒ぎ声を聞いて、ようやく意識がはっきりしました。「ごめん、おなかすいたよね、ごはん食べようね」と言いながら体を起こすと、兄の顔に黒い何かが点々と……。 「えっ何? どうしたの?」と驚きながら床に目をやると、そこにはなんと……、皮ごとかじられたバナナが!! どうやら、おなかが空きすぎた双子の兄が台所からバナナを取ってきて、皮が剥けないのでそのままかじりついたようです。 弟のほうはというと、「ボクはそんなの無理でしゅ……」というかのように、心なしか遠巻きに見守っていたのでした。 「ごめんごめん」と謝りながら兄の顔を拭い、床を掃除しましたが、対照的なふたりの様子に思わず笑ってしまいました。今もそのときの、顔も服もバナナまみれになって雄叫びをあげる兄と、「うわー……」という表情をした弟の写真が残っています。 今ではふたりとも小学生になりましたが、やっぱりタイプがまったく違う双子です。そのときおなかにいた娘は5歳になり、一番下には3歳の男の子もいます。みんな食べるのが大好きな、仲良し4人兄弟。 将来の食費がおそろしいです……! ※時期にあってない大きさの食材を与えると、そのまま飲み込み、喉に詰まって窒息する危険があります。必ず時期にあったものを与えてください。また食事中はお子さんから目を離さないようにしてください。 8歳双子、5歳、3歳の4人の母です。共働きでどうにか子育て中。四者四様の子供たちと過ごす毎日はとっても賑やかです。
2022年10月08日義母は、身長が私とほぼ同じです。そんな義母に、妊娠前から「ごはんちゃんと食べてるの?」、妊娠中には「もっと食べなきゃ!」「産後は、痩せてると育児できないよ」と、会うたびに体重のことを指摘され、嫌な気分になりました。「義母と、親しくしたいけれど、嫌なことは嫌だ」と正直に私の気持ちを夫に伝え、義母との良好な関係性を築けるように義母と私の間に入ってもらいました。私の体重を気にする義母……義母は、身長150cm、40kg前後の私に「体重何kgくらいあるの?」と会うたびに聞いてきます。ごはんはしっかり食べているし、保育士をしているのでよく体を動かすこともあり、さらに体質も関係しているのか私は太ることができません。 義母は妊娠前・妊娠判明直後、産後も私に体重を聞いてきましたが、それが大きなストレス。保育士をしていることもあり、子育てをしていくだけの体力はしっかりあると思っていました。産後、子どもを見にきたときの義母からのひと言目は「何kg増えたの?」でした。 体重で決めつけられるのが苦痛妊娠中のことです。安定期に入り、義実家にも妊娠したことを報告しました。すると、「私は、産後痩せちゃって子どもをお風呂に入れられなかったのよ。だから太ったほうがいいのよ!」と、痩せていると子どもを支えられないと、義母は決めつけてきました。 義母は、過去の自分の経験から心配しているのだと思いますが、考えを押し付けられているように感じました。「最低でも42kgはないと、子育てしていけないよ!」と具体的な数字まで出してきましたが、体重や体調は人それぞれ。妊娠中は、義母に会うのが嫌になってしまいました。 我慢できず、夫に打ち明けた結果せっかくのうれしい出来事の妊娠・出産なのに、体重のことばかり気にする義母に、私は会いたくなくなってしまいました。夫に「私は、義母に体重を指摘されることがすごく嫌だ。仕事では保育士をしているし、痩せているけれど子育てはちゃんとできるよ!」と義母に対する怒りをぶつけました。 夫は、そのことを義母にそれとなく伝えてくれたようで、息子が1歳になった今でも時々言われますが、子育てを楽しむ心の余裕ができたこともあり、以前ほど気にならなくなりました。 義母との関係を悪化させたくなく、体重の指摘、義母の経験を押し付けられることを我慢していました。体力や体重は人それぞれという考え方はない義母。我慢しすぎず、もっと早く夫に伝えればよかったなと思いました。息子が生まれ、義母と会う回数が増えました。良好な関係を築いていくために、私が我慢すればいいと考えていましたが、夫に頼ることもときには大切であると実感しました。 著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年10月05日大変だっだ不妊治療からの待望の妊娠。妊娠したら幸せな毎日が待っているかと思いきや、毎日具合が悪い苦しい日々でした。もちろん幸せな瞬間もたくさんありましたが、思い出すのは苦しい日々ばかり。なんとつわりが出産まで続いたのです。自分で自分の体調管理ができないことが、こんなにつらいとは……。当時の気持ちを思い出しながらマンガを描きました。 出産まで続いたつわり 妊娠してすぐにつわりが始まってとても具合が悪い日々でした。つわりは出産まで続き、妊娠中、調子のいい日が1日もありませんでした。自分で自分の体調管理ができないことがこんなにつらいとは……。けれど、わが子を見ると、かわいくて、苦しかった日々が嘘のようです。妊娠中、毎日つらかったけれど、「産んでよかった」と心から思います。 著者:リコ不妊治療を経て妊娠、出産しました。やんちゃで独特の感性を持つ繊細な4歳の男の子と大自然の中で暮らしています。息子の忘れたくない愛おしい出来事を絵日記に残しています。Twitter:@fuddyxxduddy30
2022年10月04日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト