「発達障害とは」について知りたいことや今話題の「発達障害とは」についての記事をチェック! (12/24)
年々難易度の上がる、娘の疑問への説明。広汎性発達障害の娘は、9歳(小学4年生)です。わが家では、娘に対して、物事の理屈や、意味を説明することが、よくあります。小さいころは、娘が知っている少ない数の言葉で説明することが難しかったのですが…Upload By SAKURA小学生になってからは、学年が上がっていくたび、質問の内容も、説明の難易度も上がっていき…Upload By SAKURA頭をフル回転させねば、説明しきれないことが、増えていきました。ごはんが遅かった娘が、言った言葉。引っかかったけれど…娘はごはんを早く食べるのが苦手。私たちは、娘のやる気を出させようと、娘の食事のときに、30分以内に食べ終わったら、ゲームをしていいという約束をしています。ある日、娘が約束した時間までに、ごはんを食べ終わらなかったときのこと…。Upload By SAKURA私はすぐ、その言い方が引っかかりました。しかし、娘の言った言葉に対して、私の引っかかりを、どんなふうに話せばいいか…考えがまったくまとまりませんでした。動いた夫!私も絵でサポート!どう話していいか、考えがまったく浮かばなかった私が固まってしまったとき、夫が話し始めました。Upload By SAKURA何も発言できなかった私は、せめて手助けを…と、白い紙を手に取り、会話を聞きながら夫の話を図にして、2人ところに持っていきました。Upload By SAKURAなぜ、嫌な感じに聞こえる?夫の上手な説明。Upload By SAKURA娘への説明はわが家では、必要不可欠。しかし、すべてを私一人で対応することはできません。いつもは私がメインで娘の対応をしていますが、実は説明も説得も夫の方が上手。しかし、普段夫は私のやり方を優先してくれ、特別前に出ることはありません。夫は、私の脳が思考停止になりつつあるときに、私の様子を見てそれを察し、進んで説明をかって出てくれます。私は、夫の気づかいと、行動力と、説明力のおかげで、年々難易度が上がっている娘への説明を、なんとか乗り越えられています。娘への説明も、夫婦二人三脚。夫も同じ気持ちなようで…Upload By SAKURAこういうことを2人で対応するたび、子育て、療育というのは2人で乗り越えるものだと強く感じ、夫がいつも協力的であることに、感謝しています。これから、娘が中学生…高校生と、進級するたび、言葉を駆使してしなければいけない、大変な説明もあるでしょう。引き続き、夫と二人三脚で頑張っていきたいと思います。
2020年11月25日「私を育てるのは、大変?」娘から突然質問されて...広汎性発達障害の娘(小学4年生)は、自分が小さいころの話を聞くのが好きです。小さいとき、なかなかしゃべらなかったことや、表情がなかったこと…療育に通った話も、娘が聞いてくることは、何でも話すようにしています。ある日、娘と小さいときの話をしていた時のこと…Upload By SAKURA「私を育てるのは、大変だった?」と聞いてきました。これまでのことを思い出してみても、娘の子育ては正直言って、大変でした。でも、ただひたすら大変で、辛かったわけではありません。そこには楽しさもありました。Upload By SAKURA一筋縄ではいかない娘の子育ては、大変でしたが、その一つひとつ勉強になることばかり。発達障害に無知だった私は、娘のおかげで、発達障害についても学ぶことができました。"娘がどうしたらできるようになるか"を考えるのは何だかんだで楽しいし、それを解決できる療育グッズをつくれたとき、大きな達成感もありました。ずっとできなかったことが、長い時間をかけてできるようになったときの感動は、娘以外の子育てでは味わえなかったと思います。娘の子育ては、まとめると「大変で、楽しい」のです。娘から見た、ママは…そんな風に見えていたの!?話し終えると、娘は私に、予想していなかったことを言いました。Upload By SAKURAまさかわが子にこのセリフを言われると思わず、思わず吹き出してしまいました。「子育てに苦労してなさそう」は、他の人から言われると、ちょっと複雑な気持ちになるセリフ。しかし、わが子に言われると、不思議と嫌ではありません。私は終始ニコニコして菩薩のように、子育てしてきたわけではありません。むしろその逆。Upload By SAKURA娘のパニックの対応ができず、一緒にパニックになったこともあるし…娘との話し合いの中で伝えたいことをわかってもらえなくて、泣いたこともありました。もしかしたら娘には、そんな記憶はないのかもしれません。でも、親が苦労して大変な思いをしていた記憶なんて、できればない方がいい。親が笑っていた記憶だけ残ってくれているなら、万々歳ではないでしょうか(笑)私はそう感じました。Upload By SAKURA「育ててくれてありがとう」と、普通結婚式で言われるであろうセリフを、9歳の娘から言われたことも、予想外でした。私の子育ては、まだまだ続きます。引き続き、娘に「子育てに苦労してなさそうなママ」と思ってもらいながら、頑張りたいと思います(笑)
2020年11月18日ご家族の悩みや不安の解消をサポート「発達ナビPLUS」とは?Upload By 発達ナビ編集部「発達ナビPLUS」は、発達が気になるお子さまの保護者さま向け子育てサポートサービスです。「うちの子の困った行動の原因が分からない…」「どう対応すればいいか分からない…」「子どものことで頼りになる相談先がない…」など、子育てにおける不安やストレスを抱えている保護者さまを、精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士など、発達支援にかかわる専門家チームがオンラインでサポートします。具体的には、以下の4つのサービスを提供しています。・毎月専門家に相談できる「個別ケース相談」・さまざまなテーマで毎週開催「オンライン勉強会」・すぐに実践できるヒントがたくさん「子育てヒント動画」・教材・支援ツールが7,000点以上「特別支援の教材」【個別ケース相談】毎月専門家に相談できる!Upload By 発達ナビ編集部\【個別ケース相談】の特徴/✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能発達が気になるお子さまの子育てについて、頼りになる相談先が身近になく、おひとりで奮闘されている保護者さまも多くいらっしゃいます。発達ナビPLUSでは、毎月安定して専門家に相談できる体制を整えています。✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討すべてのご相談に対し、適切な分野の専門家がケース検討を行います。相談フォームにご記載いただいた内容から拝察されるお子さまの困った行動の背景や原因を分析し、分析に基づいた適切な手立てをご提案します。✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く回答文字数に制限はなく、ご相談内容に対して必要な分だけ回答をお送りしています。原因分析の考え方や手立てについて、保護者さまでも分かりやすいように詳しく解説します。平均で、1通あたり約3,300文字の回答をお送りしています。【オンライン勉強会】さまざまなテーマで発達支援の専門家が登壇!Upload By 発達ナビ編集部\「オンライン勉強会」の特徴/✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇医師の先生方を含めた支援経験豊富な専門家陣が、毎月さまざまなテーマで登壇します。講師に対してチャットで質問することもできます。✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題「日程が合わない」「急用が入った」など、興味がある勉強会に参加できない場合もご安心ください。実施する勉強会は録画し、サイトにアップしていますので、お時間があるときに自由に視聴ができます。過去1年分の動画が見られるため、過去開催のものもチェックできます。✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー毎週開催しているからこそ、単発のイベント等では扱えないような、細いテーマ設定で踏み込んだ内容までカバーしています。発達支援の理論から具体的な支援方法の実践まで、保護者さまにも分かりやすいように専門家が解説しています。短時間で見れる【子育てヒント動画】や便利な【特別支援の教材】も!Upload By 発達ナビ編集部さらに、日々の子育てに役立つヒントをご紹介している短い動画集「子育てヒント動画」の視聴や、全国の支援の現場で活用されている教材サイトから「特別支援の教材」を自由にダウンロードして活用することもきます。【無料】サービスのオンライン体験で\お得なクーポンGET!/「発達ナビPLUSちょっと興味あるけど、よくわからない…」という保護者さま向けに、【無料】のオンライン体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が50%OFFになるクーポンをプレゼント中!
2020年11月17日発達障害の長男は、赤ちゃんのときから「寝ない子」でした。長男を産む前の私は、子どもは一度寝たらぐっすり寝るものだと思っていましたし、寝付くときも30分くらいで寝るものだと思っていました。しかし、いざ育児が始まると現実はあまりにも違っていたので、もしかしたら長男は「寝ない子」ではないかと感じるようになりました。そのときの私の思いや、長男が寝なかった理由などについてご紹介します。 とにかく寝なくて大変だった乳児期長男は生後6カ月から保育園に入ったのですが、30分くらいしか昼寝をしないので保育園の先生がとても心配するほどでした。家でも授乳中には寝るものの布団に寝かせるとすぐに起きてしまうのです。1歳を過ぎても昼も夜もなかなか寝付かず、2時間近くゴロゴロ転がってばかりで全然寝ないので、私のほうがだんだんイライラ……。長男が寝ないことへのストレスと、成長への影響の不安がどんどん募っていきました。 寝なくてもいいやと発想を変えた結果1歳を過ぎてもあまりに寝ないので、疲れ果てた私は発想をガラリと変えてみました。保育園に行くために夜8時半には寝かせたかったのですが、寝る時間にこだわることをやめました。 それまでの私は、長男を寝かしつけたあとに、家事を済ませたり自分の時間を過ごしたりしていたのですが、それをすべて夕食後にすることにしたのです。そして夜10時になったら長男と一緒に寝てしまうスタイルに変えてみました。お互いに好きな時間を過ごせるようになったので、私のストレスも減っていきました。 長男が寝たくない理由とはその後しばらく経って、長男が年長のときに寝なかった理由を聞いたことがあります。理由は2つありました。1つ目は、「音とか光が気になって眠れない」。もう1つは、「起きていれば、もっとおもしろいことがありそうだから」でした。なるほどと思いました。長男は感覚過敏があり、蛍光灯が苦手です。そして音にもとても敏感なのです。起きている間は自分の興味のあることに熱中しています。私が起きていれば、長男も「何かおもしろいことを見つけて遊べる」と思っていたのでしょう。 小学5年生になった今でも、睡眠時間は少ないほうだと思います。「子どもは早く寝るもの」という大人の理想に当てはめず、長男のペースに合わせることで、私の気持ちが「寝られないものは寝られないんだ」と割り切ることができました。感覚過敏がある、発達障害という特性があることで、当時は不安を感じてしまっていたのです。寝る時間が少ないということは、理想の生活習慣を身につけるには本当は良くないのかもしれません。しかし、長男の成長を信じてやっていこうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2020年11月16日教授に相談できなくて…卒論が書けず引きこもりに三重県出身の戸田さん。三兄弟の末っ子として生まれ、義務教育から高校卒業後、一年間の浪人を経て近畿大学農学部(奈良市)へと進学した。つまずいたのは、卒業間近の論文執筆時だった。「卒業論文がありまして、その作成がうまくいかなかったっていうか……考察とかそういう部分がうまく文章が書けなくて。そこから引きこもりになりました」(戸田さん)Upload By 桑山 知之“情報を整理する”ということができなかった。奈良県内の病院の精神科を受診すると、適応障害と診断された。周囲のサポートもあり、なんとか大学は卒業できたものの、その後は実家近くの病院のデイケアに通いながら、自宅療養生活を送った。「先生に頼りにいくという力がなかったんです。当時卒論を担当していた教授は別に怖い方ではなかったんですが、普段誰かを頼ったりしていなかったので……」(戸田さん)思い返せば「小さな頃から誰かを頼ることが苦手だった」と話す戸田さん。小学3年のころにてんかんを発症したこと、中学時代にロボコンに出場したこと、高校で吹奏楽部に所属していたこと以外、学生時代の記憶はほとんどない。戸田さん曰く「事実は覚えているが、感情は覚えていない」らしい。Upload By 桑山 知之過去に認定されていた発達障害24歳で再診断「発達障害はグラデーション状に広がっている」と言われるように、それが生活に支障が出ない人も少なくない。実は戸田さんが小学校低学年のころ、発達障害だと診断されていた。しかし、戸田さんや両親は特段気に掛けていなかった。しかし、大学卒業間近でつまずいた戸田さん。両親と同居しながら、以前の診断時に受診していた海南病院(愛知県弥富市)の精神科が運営しているデイケア施設「ネバーランド」に通った。改めて発達障害の診断を受けたのは、24歳のころだった。Upload By 桑山 知之「担当者と問答したり、数学の問題とかパズルのテストもやりました。結果は広汎性発達障害という名前がつきました。大まかに言うと、人の言っていることを理解するのが苦手なのと、優先順位をつけるのが苦手なのと、物事を文章化するのが苦手という3つが症状ですね」(戸田さん)自らの特性について話す様子は淡々としていて、どこか晴れやかな表情をしている。「自分はこういうのが苦手なのでサポートをお願いします、っていうスタンスが取れるようになりましたね」。戸田さんは、診断によって自己理解が深まったと胸を張っていた。Upload By 桑山 知之大学時代に出会った唯一無二の友人今でも支えに近大では「メダカの学校同好会」に入っていた戸田さん。「メダカの住み良い環境を作り出そうというコンセプト」だそうで、ビオトープ班に所属していたという。「ペットだと飼い殺しにしてしまいそうな感じがするので、飼うのは向いてないかなと(笑)。メダカの学校同好会では生物の調査をしたり、小規模ですが生物が入りやすいように溜池を作ったりもしました。楽しかったですね」(戸田さん)当時付き合いがあっても卒業するとほとんど縁が切れてしまったが、今でも唯一連絡を取っているのが同好会の友人。もう8年ほどの仲で、彼は宮城県仙台市で仕事をしているが、今年の頭には熱海へ旅行に行った。ゲームやアニメなど、彼をきっかけに戸田さんも趣味が広がったといい、現在の戸田さんにとって一番の支えになっていると話す。「定期的に向こうから今夜スカイプどう?みたいな感じで、複数人でオンラインゲームで遊んだり。パソコンのシューティングゲームもそうですし、今やっているオンラインのゲーム『World of Warships』もそうですし、最近アニメで定期的に毎クール観ようと思ったのも、その友人が絡んでいますし。今の趣味すべてに友人がどこかしら関わっている気がします」(戸田さん)Upload By 桑山 知之就労移行利用し就職上司「僕らが一番苦手なことができる子」厚生労働省が委託する機関で、各地域に「若者サポートステーション」というものがある。働く意向のある若者と向き合い、職場定着するまでを全面的に支援する機関で、49歳までの就労意欲のある人が対象だ。戸田さんは若者サポートステーションでパソコンについての訓練を受け、その後LITALICOワークスの就労移行を利用。現在、ネッツトヨタ愛知のデジタル推進部に所属し、各販売店で働くスタッフのサポート業務を行う。もう働き始めて2年目だ。「彼と面接したときに一番感じたのが、僕らって物を売る会社なので、対面のコミュニケーションが主になるんですよ。でも彼は逆で、文字のコミュニケーションができる子。僕らが一番苦手なことができる子だろうなって。だからすごく助かっていますよ」(戸田さんの上司)Upload By 桑山 知之「今までの人生においても、対面のコミュニケーションよりも文字情報のコミュニケーションの方が大半占めていますからね。小学校のときは2ちゃんねるをやっていましたし、中高はオンラインゲームでチャット、大学のときはTwitter。弊社ではMicrosoft Teams越しでやり取りすることが多いので、すごく質問しやすいんです」(戸田さん)大学時代につまずいたあの経験を二度としない。情報を整理するのが苦手だという自覚から、メモ帳はジャンルごとに7種類に分けて工夫するほどの徹底ぶり。新型コロナウイルスの影響でオンラインでの業務がより増えたが、自分にとってはむしろ心地いいという。今では文字でのコミュニケーションを主に置き、ストレスなく仕事に励んでいる。「僕はすごく恵まれてます」。戸田さんは、前を向いて笑っていた。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。CM内楽曲GOMESS『COMMON』は各サブスクで配信中取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年11月13日チャートで自分のストレスタイプを探り、ケア方法が学べるーー『イラスト版13歳からのメンタルケア心と体がらくになる46のセルフマネジメント』子どもから大人へと成長し始める10代の心の中には、たくさんの悩みがあります。そのストレスの方向性を、「緊張のケア」、「不集中のケア」など8つの項目に分け、なぜそんな気持ちになるのか、またどう対処したらいいのかのケアについて、わかりやすく書かれているのが『イラスト版13歳からのメンタルケア心と体がらくになる46のセルフマネジメント』です。本書には、自分のストレスがどこにあるのかをチャート式でチェックできるページがあり、このチャートで、自分に必要なケアを確認することができます。そして、次のページからはケア別に1項目ずつ、気持ちの詳細をセリフの入った1コママンガと文章で示してあるので、自分の気持ちに近いものを一目で探せる工夫がされています。大人が読んでも役に立つことがたくさん登場する本書。10代の頃から「大人」の世界で生きている、今の子どもたち。大人は、自分の10代の投影だけではサポートしきれないことがたくさんあります。親子それぞれが読んで、支え合うことができる、そんな1冊です。海外事例や豊富な実践例も掲載ーー『学びをめぐる多様性と授業・学校づくり』『学びをめぐる多様性と授業・学校づくり』は、「学びをめぐる多様性」とはどういうことかをふまえ、変わりつつある社会の中で、日本における未来の教育や発達障害のある子どものためのインクルーシブ教育はどうあるべきかを考え、形にしていく手段を教えてくれる1冊です。3部構成となっており、「インクルーシブ教育」とはそもそもどういったものなのか、という基本的な部分から、欧米の実際の事例まで、幅広く知ることができます。社会のありさま、人々を取り巻く環境は間違いなく変わってきています。これからも変わっていくでしょう。その変化の中にあって、日本の「学びの多様性」そして「インクルーシブ教育」について原点回帰してみる。本書はその一助となり、未来の「インクルーシブ教育」を形づくっていく術になるでしょう。教育にかかわる、保護者の方、先生たちにおすすめの一冊です。結婚・恋愛、薬物療法まで幅広く分かる!ーー『大人の発達障害の理解と支援』本書は、発達障害・特別支援教育の理解と実践について、ひとつのテーマを深く掘り下げて解説するシリーズ「発達障害・特別支援がわかるシリーズ」のうちの1冊であり、「発達障害のある大人」に焦点を当てて、発達障害のある大人の置かれる現状の解説から、就労・生活支援、「親亡き後」、薬物療法、女性へのサポートまでと、大人の発達障害を包括的に解説した一冊です。「発達障害」という言葉が少しずつ知られるようになり、ここ数年「大人の発達障害」も注目されるようになってきました。しかし「発達障害のある大人」が抱える困難さへの理解やその支援は、まだまだ不十分です。発達障害のある大人への支援は、就労支援だけに注目が集まりがちです。しかし実際には、就労後の職場での支援や、生活の支援、余暇への支援など包括的なサポートが重要です。本書は、幸せに暮らしていくための必要な支援が幅広く解説されていることから、家族や職場に発達障害のある大人がいる人、職場、福祉施設など、さまざまな場所できっと参考になる一冊です。科学的な分析から、具体的な支援法まで幅広く網羅!ーー『保護者の声に寄り添い、学ぶ 吃音のある子どもと家族の支援:暮らしから社会へつなげるために』吃音の研究と支援に情熱を注ぐ専門家2名によって執筆された『吃音のある子どもと家族の支援』。科学的な吃音の基礎知識、陥りがちなNG対応例や、本人の意識の持ち方、周囲への理解・啓発の働きかけ方を、当事者や家族への徹底した「共感」と「傾聴」を軸に、丁寧に解説しています。また、本書には吃音に関するリアルな声も収録されています。吃音当事者である子ども、大人の体験談や、吃音がある子どもをもつ保護者のエピソードから、当事者や支援者の悩みを知ることができ、また言語聴覚士や教員による支援の事例も紹介されているため、実践的な吃音がある子どもへの支援法を学ぶこともできます。吃音があるお子さんをサポートする保護者の方や、支援員の方にぜひ読んでいただきたい一冊です。
2020年11月04日発達障害当事者のホンネと、悩んでいる人に伝えたいこと「女性の発達障害鼎談企画」に集まっていただいた姫野桂さん、宇樹義子さん、鈴木希望さんは、成人してから診断を受け、それぞれ発達障害に関する情報発信をされています。第2弾コラムでは、「学生時代の友達関係」や「SNSとの付き合い方」についてお話しいただいたことをご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部ーー学生時代の友達関係について教えてください姫野さん:女の子は小学3年ごろから群れたがるようになりますよね。実際に私の学校もそうだったんですが、話をうまく合わせられないし、本当になじむことができなかったですね...!宇樹さん:うんうん、群れるタイプの子たちとは合わなかったですね。姫野さん:どうして、みんなで行動するんだろう?みんなで同じものを選ぶんだろう?と思っていました。鈴木さん:なぜ?ですよね笑。宇樹さん:大人の、とりあえずビール!全員ビール!みたいな笑。姫野さん:オシャレに目覚めて髪をお団子にして行った時も、女の子の集団からコソコソコソ言われて、なぜか私が先生に怒られるという…。「そういうハデな格好してくるからでしょ」みたいなことを言われて、トラウマになっています。ーー今、友達関係で悩んでいる子たちに、アドバイスはありますか?宇樹さん:そうですね、私の学校には群れるだけじゃなくて、積極的に自分たち以外を排除しようとするタイプもいたんですが、そういう子たちとはできるだけ適度な距離を保つようにしていました。小学校のころだとなかなか難しいと思いますが、「この人たちと合わないだけ」「彼らが正しいのではなくて、違うだけ」「向こうの方が数が多いだけ」と考えて、学校以外の居場所をつくるように頭を切り替えるのがいいのかなと思います。鈴木さん:本当にそうですね。私は小学校のころにいじめられたり、誰もかばってくれなかったりということがありました。中学生ぐらいから精神的にきつかったからか、てんかん発作が増えたり体調を崩したりして、あんまり学校に行けなくなって。勉強にもついていけなくなってしまいました。当時を振り返って思うのは、「みんなと仲良くしなくちゃ」と無理しなくていいんですよね。必要最低限の挨拶はして、あとは近づかないようにするという。宇樹さんと同じで、人生は学校だけではないと思うので。年齢によっては学校の世界がすべてになってしまいがちですけど、そんなことは全然ないんですよね。Upload By 発達ナビ編集部発達ナビ 女性・女の子の発達障害(3)学生時代の友達関係ーーSNS疲れの経験はありますか?宇樹さん:SNS疲れ、ありますね。だから、通知はほぼ切ってます。姫野さん:私も宇樹さんと同じで、通知は切っています!宇樹さん:あとは、タイムラインをムダに眺めない!1日に3回ぐらい見るタイミングを決めて、それ以外は見ないようにしています。特にTwitterは刺激にあふれているので、すぐに疲れてしまうんです。姫野さん:感情が揺さぶられてしまいますよね。鈴木さん:そうですよね。いろいろなものが流れてきて、ADHDのある私は刺激されてすごくおもしろいんですが、引っ張られないように気を付けています。あと、SNSに書いていることを読んで、あたかも私のことを全部わかったように接してくる人がいると、すごく疲れてしまいますね。SNSに自分のすべてを書いているわけではないのに…。姫野さん:わかります…。あとは、フォロワー数が増えるとメッセージが埋もれてしまって、必要な返信をしていなくて気まずくなってしまったこともありました。ーー通知を切る、タイムラインを見過ぎない、他に何か付き合い方のコツはありますか?宇樹さん:リアルの人間関係と一緒で、SNSも適度な距離が大事だと思います。姫野さん:距離感ですよね…!10年ぐらい前、本当にSNS中毒になったことがありました。ちょうど会社で事務職の仕事をしていた時期なんですが、とんでもなく向いてなかったんですよね。算数LDなのに経理業務もあって。会議用資料の準備を依頼されても、コピーが曲がっていたりサイズが違ったりで。よく3年間やってたなと思うんですけど、そうすると家に帰ってきてからずーっとSNS。ある日、このままではダメだなと思って、1週間SNSを禁止して、小説を書き上げたんです。それを文学賞に応募したら最終選考まで残ることができて、それが今の仕事につながっています。こんな過去の経験もあって、SNSとは自分の距離感で付き合っていけたらと思っています。鈴木さん:たしかに。あとは、SNSに過度な期待を持たない方がいいのかなと思っています。SNSならなんでもできる、なんでも与えてもらえると思ってのめりこんでしまうと、トラブルにも巻き込まれてしまうのかなと。姫野さん:本当ですね。最近は知らない人が投稿している、ネイルやメイクの動画を見るのが平和で楽しいです笑。鈴木さん:私も情報収集はしつつ、あとはヤギの動画に癒されていますね笑。Upload By 発達ナビ編集部・LITALICO発達ナビ 女性・女の子の発達障害(4)SNSいかがでしたか。友達関係もSNSも、無理をしないで適度な距離を保つことが大事というお話が印象的でした。次回は、「身だしなみ」と「母親との関係」についてお届けします。お楽しみに!宇樹義子さん発達障害当事者ライター・著者。「ため込み症者家族の会(HRAJ)」運営。高機能自閉症と複雑性PTSDを抱える。30歳で発達障害を自覚するも、心身の調子が悪すぎて支援を求める力も出なかったが、幸運にも現在の夫に助け出される。その後発達障害の診断を受け、さまざまな支援を受けながら徐々に回復、在宅でライター活動を開始。著書に『#発達系女子の明るい人生計画』(河出書房新社)。鈴木希望さん1975年新潟県生まれのコピーライター。側頭葉てんかんと自閉症スペクトラム障害、注意欠如多動性障害、算数障害の当事者で、軽度の相貌失認持ち。2009年生まれ、自閉症スペクトラム障害を持つ息子と二人暮らし。食い意地の張った料理好き。カレー大學認定カレー伝道師。姫野桂さんフリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。大学卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)。
2020年11月02日わが家の息子が、初めて発達障害の可能性を疑われたのは1歳半健診(1歳6カ月児健康診査)のときでした。市町村によって検査内容や診断方法に差があるようですが、今回は息子が発達障害と疑われた1歳半から、実際に診断が出るまでの検査内容などをご紹介します。 発達障害の可能性を指摘された1歳半健診1歳半健診では簡単な絵を見せられ、そのなかから「○○はどれ?」と質問される検査があります。息子は、市の検査と小児科の検査、どちらもその指示を適切にこなすことができず、言葉もほとんどしゃべらないことから「要経過観察」となりました。 この時期、同じような対応の子どもは意外と多いようですが、息子の通う小児科は偶然にも発達障害に詳しく、その後も定期的に検査を受けることになりました。 半年に一度のペースで実施された発達検査 1歳半で要経過観察になって以降、半年に一度のペースで「遠城寺式 乳幼児分析的発達検査」という検査をおこないました。定期的におこなうことで前回と比べることもでき、先生が子どもの様子を見ることで発達具合もわかるようです。 この検査は先生と個室でおこなわれ、指示にきちんと従えるか、言われたことがどこまでできるかはもちろん、子どもの様子や理解力なども確認されます。息子は3歳までこの検査を定期的におこないました。 発達障害と診断されたときは…実際に発達障害と診断されたのはかかりつけの小児科ではなく、その後リハビリに通うことも考慮して紹介された、リハビリテーション病院でした。小児科からの紹介状に、今までの検査結果が詳しく記されており、リハビリテーション病院では診察のみ。息子は「自閉症」の診断がつきました。 診断がつくまでの診察時間は約10分と、予想外の早さでした。その後、これからのリハビリについての説明や診断の理由などが詳しく説明されました。 発達障害の検査は大変そうと思われがちですが、私の場合はかかりつけの小児科が発達障害に詳しい病院だったので、スムーズに診断がつきました。難しいことはあまり考えず、少しでも気になることがあれば、発達障害に詳しい小児科や市の保健センターに相談してみるといいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月02日発達障害のある息子と一度は家族を捨てた父の共同生活を描いた映画「靴ひも」Upload By 発達ナビニュース母の突然の死により同じ屋根の下で暮らすことになった父と発達障害の息子の生活が描かれた映画が、10月17日より公開されています。明るく誰に対してもフレンドリーな一方で、発達障害があり、生活習慣へのこだわりが強く、苦手なことも多いガディ。そんなガディに対して、どう接したらいいかわからず、戸惑う父のルーベン。そんな約30年ぶりの共同生活は、せつなくも愉快な発見の連続。タイトルにもなっており、重要な場面で登場する「靴ひも」にも注目です。本作の監督を務めたのは、イスラエルの映画・テレビドラマ界で長年活躍するヤコブ・ゴールドヴァッサー。イスラエルで報道された実在の父子の臓器移植にまつわるエピソードをもとに、これまでにありそうでなかったユニークな親子ドラマをつくり上げました。ゴールドワッサー監督自身も、障害を持つ息子の父親であり、テーマが身近であるだけに困難な挑戦だったが、映画を通して人々の障害に対する意識を変えたいという情熱が制作の原動力になったと語っています。【公開予定】10月17日(土)より、シアター・イメージフォーラム ほか全国順次ロードショー中知りたい!聴きたい!障がい児者のきょうだい座談会Upload By 発達ナビニュースぜんち共済株式会社が主催する、障がいや慢性疾患、難病などのある人の兄弟姉妹”きょうだい”に関するセミナーが開催されます。セミナーでは、“きょうだい”の立場であり、きょうだいのグループを運営する4名が登壇して、それぞれの体験談や思い、家族との関係から、結婚や「親なきあと」まで、これまでのこと、今のこと、そして、これからのことを語ります。障がいのある方のご家族(親・祖父母、きょうだい他)、支援者の方、関心のある方は、どなたでもご参加ください。セミナー後のアンケート回答者には、「当日の資料」、「当日皆様よりいただいた質問への回答集」が送られる予定です。(※当日、ご都合により、視聴できない方にもお送りします。)【日時】2020年11月14日(土)10:00-11:45【申し込み期間】2020年10月10日(土)~11月13日(金)【参加費用】無料ココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催!Upload By 発達ナビニュース栃木県足利市に位置する、ココ・ファーム・ワイナリーは、知的障がいのある人たちが、いきいきと作業する醸造所です。人と自然に寄り添い続けることで、上質なワインを造り出します。そのワインは、2000年、2008年の主要7ヶ国首脳会議でも使用されました。そんなココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催します。ココ・ファーム・ワイナリーの収穫祭は、1984年からはじまり今年37回目。例年と違い、葡萄畑に集まらず、密集・密閉・密接を避け、9月1日から12月31日で開催中です。古澤巖や坂田明COCODAなどスペシャルゲストによる演奏を中心とした“オンライン収穫祭”はパソコンやスマートフォンからご覧いただけます。参加するには、ワインやグラスがセットになった「収穫祭セット」を事前に購入することが必要です。収穫祭セットを購入すると抽選でワインなどが当たるチャンスも!お家で職場で山で浜辺で・・・おひとりでも、ご家族や仲間と一緒にも・・・どこでもいつでもだれでも楽しむことができる「第37回どこでも収穫祭」です。【日時】オンライン収穫祭2020年11月14日(土)12:00~14:00YouTube配信※アーカイブ配信:2020年12月31日(木)まで【参加方法】オンラインサイトで販売されている、A~Eのどこでも収穫祭セットいずれかの購入が必要です。収穫祭セットに含まれる、収穫祭カードからオンライン収穫祭を視聴できます。11月14日(土)の配信日に視聴ご希望の方は、11月3日(火)までにどこでも収穫祭セットをご購入いただく必要があります。「LITALICO発達ナビPLUS」が無料オンライン体験会開催中!Upload By 発達ナビニュースLITALICO発達ナビPLUSでは現在、ご自宅でカンタンにサービスを体験できる、無料オンライン体験会を開催中です。進級・進路の悩み、癇癪(かんしゃく)、他害、コミュニケーションの難しさなど、さまざまな 困りごと に対して「発達ナビPLUSでどうサポートできるのか」を質疑応答が可能なオンラインのサービス体験会で説明しています。体験会はビデオチャットで開催され、参加者の顔出しはありません。スタッフの画面を共有する形でのご紹介となるため、画面操作はスタッフが行います。オンライン体験会参加者さま限定で、オンライン体験会の参加後にお申し込みをされた場合、初期コンテンツ利用料が50%OFFという特典もあります。【所要時間】1時間程度【参加方法】お申し込み後、担当スタッフよりビデオチャットでの参加方法をご案内します【開催日時】▼未就学児・11/1(日) 10:30-11:30・11/3(火・祝) 13:00-14:00・11/4(水) 11:00-12:00・11/8(日) 15:00-16:00・11/10(火) 11:00-12:00・11/14(土) 10:30-11:30・11/19(木) 11:00-12:00▼小学生・11/1(日) 13:00-14:00・11/3(火・祝) 10:30-11:30・11/5(木) 11:00-12:00・11/8(日) 13:00-14:00・11/11(水) 11:00-12:00・11/14(土) 13:00-14:00・11/20(金) 11:00-12:00▼中高生・11/14(土) 15:00-16:00
2020年10月30日3歳、言葉が少し出るようになったころの癇癪。今でも記憶に残っている癇癪…今回は3歳のときのお話をしたいと思います。娘は3歳ごろから、少しずつ言葉が増えていきました。しかし、会話でのコミュニケーションはまだまだ難しく、娘のしたいこと、言いたいことを言葉で探るのは至難の業でした。GWのお出かけのときのこと...3歳のGW中のことです。当時、娘は(髪をとかす)くしのおもちゃがお気に入りで、どこへ行くのにも持ち歩いていました。この日のお出かけ時も、持って家を出た娘。家を出て、最初にガソリンスタンドへ寄り、その後、何軒かお店に行った後、娘が急に泣き出しました。Upload By SAKURA大きな声で、泣き叫ぶ娘。私たちは娘がなぜ泣いているかわからず、困り果ててしまいました。癇癪の原因は…当時、自分がしゃべれる言葉を、精一杯使い、必死に泣き続ける娘。Upload By SAKURAその言葉から、くしのことを思い出し、確認してみると、娘が家を出るときに持っていたはずのくしがありませんでした。私たちは慌てて荷物や車の中を探しましたが、見つかりません。Upload By SAKURA3歳当時の娘は、少し言葉が通じるようにはなっていましたが、「いつまであったの?」「どこで落としたの?」という質問には答えられませんでした。どこで落としたか、見当もつきません。私は「くしは諦めて…」と言いましたが、聞く耳をもたず…。癇癪を起し、ひたすら叫び、泣き続けていました。もうこうなったら手が付けられません。私たちは、寄ったお店に戻ることにしました。Upload By SAKURA店員さんに落し物がなかったか聞いたり、商品棚の隙間を探したりしましたが、まったく見つかりません。そして、家を出てから最初に寄った、ガソリンスタンドへ。ここで私は、出発前にごみを捨てていました。もしかしたら、ごみと一緒に捨ててしまったのかもしれない…周りの視線を浴びながら、ガソリンスタンドのごみ箱の中を必死に探しましたが、見つかりませんでした。諦めるしかない…その時…Upload By SAKURAこれだけ探してなかったのだ…仕方ない……なーんて、当時の娘には理解できるはずもありません。探している最中も、癇癪を起している娘のわめき声と、必死になだめている夫の姿が見えます。Upload By SAKURA見つからなかった…という結末は、避けなければならない…絶対に見つけないといけない!最後の望みをかけ、ガソリンスタンドの店員さんに、くしの落し物がなかったか聞きに行きました。私の切羽詰まった状況が伝わったのか、スタンド内を探してくれた店員さん。そして…Upload By SAKURA店員さんの活躍で、無事くしが見つかり、娘の癇癪をおさめることができたのでした。娘の持ち物は、「持っているか」をこまめにチェック。もちろん、なくして困るものは、持っていかないのが一番いいのですが、「持っていきたい」というのも、娘のこだわり。このころは、置いていくよう説得しても通じず、無理やり取り上げるとさらに癇癪を起してしまいました。私たちにできるのは、娘が外出時持っていくものが、ちゃんとあるかどうかを、こまめに確認することでした。この件があって以降、私たち夫婦は、娘の持ち物に関しては注意するようになり、娘が持ち物から手を離した時は、すかさず自分たちで保管し、こっそり管理するようになりました。Upload By SAKURAそして、持っていったものがなくならず、無事に帰宅した時は、2人でほっと胸をなでおろしていたのでした(笑)Upload By SAKURA続く…
2020年10月28日子育ても四半世紀、学校や世の中で変化したことは?Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ「発達障害」という言葉は、四半世紀子育てをしている私にとって「まだ新しいもの」という感覚があります。第一子の長男が小学校に入学したころは、「座れない・人の話が聞けない」と、授業を妨害している児童とみなされ、厄介者というようなレッテルを貼られる場面が多くありました。そのため、幼稚園や家庭でどんなしつけをしてきたのかを問われ、親が呼び出されることも珍しくなかったと思います。Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ発達障害という言葉は知られるようになったけれど…あれから学校でも、社会全体でも「発達障害」という言葉が知られるようになりました。ですが、発達障害の当事者や家族は楽になったか…というと、本当にそうだろうか?まだまだ理解も配慮も足りていないのではないだろうか…と考えてしまいます。それはこの先も、社会とともに、試行錯誤することになるのでしょうね。
2020年10月21日お嬢様向けの進学校を受験小学校は地元の公立に通っていた私。成績が良く、家が裕福なために嫉妬を買うだけでなく、運動が苦手だったり、言動が突飛だったりする…… 良くも悪くも目立つため、周囲とまったくなじめませんでした。児童からはいじめを、教師からは虐待を受けるうち、高学年になる頃には二次障害を発症していました。周囲が中学の進学をどうするかと考え始めた頃。しつこいいじめを受け、特性上体力的にもきつい中で毎日登校するだけで精一杯だったのもあってボーッとしていて、私はなんとなく「自分も地元の中学に行くんだろうな」と思っていました。そんなあるとき、地元の公立中学に通う兄が、涙ながらに両親に直訴します。「義子を私立に入れてやってくれ!」地元の公立中学は荒れていて、ひどいいじめも横行している。義子がそんなところに行けばいじめ殺されるか、いじめを苦に自殺するかのどちらかだ、と兄は言うのです。いじめの内容とはたとえば、女子生徒の長いスカートを全部めくり上げて裾を頭の上で結ぶというもの。当然下着は丸見えで、一人で体勢を立て直すこともままなりません。このいじめは、頭の上で結ばれたスカートが巾着袋を絞ったように見えるため「きんちゃく」と呼ばれていたそうです。「義子を私立に入れてやってくれ」 …公立中学生だった兄が、両親に涙の直訴兄の涙ながらの訴えに両親は深刻な表情になり、「それでは義子に合いそうなお嬢様向けの進学校を探そう」ということになりました。私は子ども向けのスーツを着せられ、母に連れられていくつもの学校を見学してまわりました。両親も兄もみな自分のために動いてくれていたのに、当時の私は自分の障害に自覚もありませんし、どこか他人事のように感じていました。「みんながそう言うなら、まあ私は私立に行くのだろうな。疲れるなあ、面倒くさいなあ」ぐらいの感じでした……。結局私の進路は、推薦で中高一貫のお嬢様向け進学校に決まりました。塾には作文対策などのために半年ほど通っただけです。内申もペーパーテストも良かったため、おそらくかなりの好成績での入学でした。当時感じた、「似た属性の人たち」で集まることの大事さ私は徐々に、「似た属性の人たちで集まることって大事なんだなあ」と感じるようになりました。みなある程度以上裕福な家の子なので、私の家が多少裕福だからといって目立つことも妬まれることもありません。最終的に東大などの最難関大学を目指す子が集まっているその進学校では、勉強ができることがいわゆるスクールカーストを上げます。私はここに移ったことで、本人は変わっていないのにスクールカーストが最下位から最上位に上がったのです。基本的にみんなどちらかというと運動が不得意だし、運動ができることがスクールカースト上重視されないので、体育でバカにされることもありません。小学校のときのように休み時間に運動を強制されることもなく、本を読んでいればむしろ熱心で立派だとされました。コミュニケーション障害からくる言動の突飛さから、気づくと数人のグループから敬遠されていたり(私抜きでこっそり休みの日に遊びに行っていたりする)、数人のグループから軽くコソコソと噂話されるようなことはありましたが、いじめと言えるほどのことは起きませんでした。それどころか、何やら様子がおかしいと思っていると、「宇樹を複数の子で奪い合いをしていた」ということも起きました。近くで見ていた子によると、「宇樹は成績がいいだけじゃなくて何事にも一家言持ってるし、独特なところがあって面白いから、近くで見ていたいんでしょ」とのことでした。いずれにしろみな上品で、誰かに嫉妬したり誰かの足を引っ張ったりということよりも自分のやるべきことに集中しようというタイプだったので、学校全体としてあまり深刻な人間関係トラブルは起きませんでした。初めて経験する、「呼吸がしやすい」世界小学部から高等部まであるその学校。入学式のときに小学部の子たちがみんなきっちりとした立ち居振る舞いで式典をこなしていたことに両親は心底驚き、希望に包まれたそうです。ボーッとしていた私も、入ってすぐに、何やら空気が違うことに気づきました。みんなおっとりと、かつきちんとしている。「呼吸がしやすい」感じがしました。「みんなレベルが高いから、そのうち少しぐらい成績が落ちるだろう」と言われていた私でしたが、定期試験では学年上位を取りつづけました。いじめられるかもとビクビクしていると、周囲の子たちがまっすぐに「すごい!」と尊敬の眼差しで見るので、狐につままれたような気持ちになりました。「この3位の宇樹義子って私の友達なんだよ!」他のクラスの子に自慢する子。「いつも上位とってる宇樹義子ってどの子?」と他のクラスから見にくる子。「ここでは、『勉強ができることはいいこと』なのだな」と気づきました。ああ、幸せだなあ、と思いました。片道2時間近くの通学は体力的につらかったけれど、確かに私立に来てよかったと思ったのです。のちに、自分が恵まれていたことを知るボーッとしたまま中高の良い環境を享受しただいぶ後になって、私は自分がとても恵まれていたことに気づきます。20代後半で学習塾講師のアルバイトをしたとき、公立の中高では自分が中学高校の頃にしてきてもらったような指導をしてくれていないことを知りました。国語の分野でいえば、私は中高で、評論文用語集の暗記、百人一首や文学史年表の暗記などを授業に組み込んでやらされていました。それが当時はすごく嫌でしたが、私が出会った公立の学校に通う子は、そういう副教材や試験対策が世の中に存在すること自体も知らなかったのです。私は、進学校の成績優秀な生徒として、「東大京大・早慶上智のどこに入るか」みたいな価値観を当たり前としていました。そして、過労で倒れたりしながら必死に受験勉強に打ち込んで、難関私大に進学…… そうした生き方が、私の少女時代の過ごし方の唯一最善の答えだったとは、今は思いません。詳細は過去記事に書いています。ただ、中高の時期に一度は「楽に呼吸できる」環境に属させてもらえたことで、私は文字通り生き延びられたとは思っています。教養的な面でも大きなアドバンテージをもらいました。あのままうっかり公立中学に行き、自分に合わない環境を強いられていたとしたら、私は兄の言うとおりに死んでいたかもしれません。兄とはその後関係性がとても悪くなってしまいましたが、私を私立に進学させるよう両親に進言してくれた点について、私は兄に深く感謝をしています。当時、妹の将来のために思いつめて泣いたほどの彼が、長男として、また(当時発覚していなかったものの)発達障害児のきょうだい児として背負っていたものの大きさ、そのことにまったく思いが至らず他人事のように思っていた自分のことを思うと、今更ながら申し訳なくて胸が苦しくなります。本人の「楽」と「利」だけを考えてこれを読んでくださっている方は、お子さんに診断が出ているとか、ご自身が子どもの立場かといったあたりだと思います。中学への進学を考える時点で発達障害がわかっているというのは、私の世代から見れば大きなアドバンテージです。世の中にはいろいろな意見があります。「社会の多様性を学ばせるために学校は公立に行かせるべき」「男女が混じっているのが自然な社会の状態なんだから共学に行かせるべき」という意見もある。いっぽう、「いまだ男性優位に作られている世の中では、教育を受ける間だけでもジェンダーロールに邪魔されない環境で生きるため、女の子は女子校に行ったほうがいい」「個性の強い子には、その子の個性を伸ばすために個性の強い私立に行ったほうがいい」という意見もある。また、最近知ったところによると、関東の大都市圏での公立・私立のイメージと、地方での公立・私立のイメージは逆だったりもするようです。私にはたまたま、関東圏の私立中高一貫女子校が合っていましたが、どういった学校が合うかはその子によって本当にさまざまです。私はASDだったのもあって、こうした規律が厳しくて「勉強=善!」みたいな環境が楽に感じましたが、ADHD特性の強い子や、LDがあって苦手教科の多い子にはそうとうに窮屈だったろうなとも思います。今はフリースクールなどの選択肢も増えてきています。保護者の方々にはぜひ、世間の常識にも、私の体験談にも左右されることなく、本人にとってもっとも楽で利になる環境のために、情報を集めていってほしいと私は願っています。
2020年10月16日娘が発した「発達障害だから無理」の一言に、怒りがこみ上げて...前回の続きです。広汎性発達障害の娘が、言った「発達障害だから無理」という言葉。ここまで、難しいことも、やり方を変えながら娘と一緒に頑張ってきた私にとって、この言葉は使ってほしくない言葉でした。私はこの言葉に対して、つい感情的に「言い訳にして、最初から諦めたら駄目だよ!」と言ってしまいました。冷静になってから、言葉を言い換えて、「いろんなことが時間をかけて、できるようになったんだよ。だから最初から諦めないでほしい。」という説明をしました。諦めてほしくはないけれど、追い込みたくもない。私は、娘がこれから先、「発達障害だから諦める」という考え方をしてほしくないと思っていました。Upload By SAKURAしかし、娘にとってそんな私の思いは重荷になるかもしれない…私は娘の逃げ場を奪う言葉をかけてしまったのではないか…Upload By SAKURAそう思うと、私は娘にどういう言葉をかけることが正解だったのか、自分の思いもあわせて、わからなくなっていきました。娘の気持ちは・・・?気になるけれど・・・その後、娘は「発達障害だから無理」とは一切言わなくなりましたが、もしかしたら、言わないように我慢しているのではないか…とだんだんと心配になっていきました。Upload By SAKURA言ってほしくないといったのは自分なのに、言わなくなった娘の心境が気になり、矛盾した感情が渦巻いていました。娘の変化。そんなやり取りから1週間ほど経った、ある日のこと。テレビで『発達障害』の文字を見つけた娘は…Upload By SAKURAその人がどんな特性があるのかを気にしたり、自分との違いを見つけたりしました。その目は、真剣でした。娘にどのような心境の変化があったのかはわかりませんが、私は、娘の中で『発達障害』の捉え方が少し変わったように感じました。もしかして、私がモヤモヤ考え悩んでいるうちに、娘は自分の中でどんどん変化していっているのかもしれないと思い、しばらく見守ることにしました。予想してなかった自己肯定。それから数か月経った、ある日のこと…Upload By SAKURA娘は発達障害がある自分のことを、自己肯定をしたのです。私は嬉しくなりました。自分のことを「すごい子」だと言える娘のことを誇りに思いました。それから私は、いつも思っていることを言いました。Upload By SAKURAそう言った、娘の表情は、輝いて見えました。常に寄り添っていく。発達障害告知前は、どう言ったらいいかを悩み…告知後は、どう捉えていくかを心配…きっと、ひと段落着いたように思っている今も、次の何かが起きる過程の期間なのでしょう。Upload By SAKURA告知したから終わりではなく、これから先、娘が自分を肯定し続けられるよう、私たちは寄り添っていかなければならないと感じました。
2020年10月14日私には現在小学3年生の長男がいるのですが、発達障害であるADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が下りたのは小学校2年生のときでした。さらに3年生になった今年、自閉症スペクトラムの診断が下りたのです。私は、小学生になるまで長男の障害を見つけてあげられなかったことを後悔。乳幼児健診のとき、こうしておけばよかった! と思ったことをお話しします。 1歳半健診では育てにくさを伝えられずハイハイをし始めたころから活発な長男でしたが、1歳になるころには多動が目立ち始めていました。他の子とちょっと違うなと感じつつも、気にするほどでもないと思うなかで、1歳半健診の日を迎えました。 1歳半健診の質問項目に「育てにくさを感じますか?」とあったのを見て、一瞬戸惑う私……。買い物先や支援センターでよく脱走し、かんしゃくがひどいことに悩んでいたからです。 しかし育てにくいレベルに入るのかわからず、悩みながらも「いいえ」にマルをしたのです。このとき「はい」または「わからない」にマルをしていれば、支援に繋がったのかなと思います。 3歳児健診でも育てにくさを伝えられず!その後長女が生まれ、育児に奮闘しているうちに年月が経ち、長男の3歳児健診の日を迎えました。3歳になるころにはお喋りもじょうずになり、手先も器用になってきていた長男。一方で相変わらずかんしゃくが酷く、2歳下の妹を叩いてしまうこともしばしば……。 しかし私は3歳児健診での問診票でも、「育てにくいですか」の質問に悩み、「いいえ」にマルを付けてしまったのです。さらにあらかじめ相談内容を固めていなかったため、悩みをどう伝えたらいいのかわからず健診は終了。私はまたもや悩みを伝えられないまま、健診をスルーしてしまったのです。 次男のおかげで保健師さんに相談でき…3歳児健診を過ぎると、市の乳幼児健診の場はありません。仕事が忙しくなったこともあり、日々の家事、育児をこなすだけで精一杯の私……。そして長男が小学校に入るころ、転機が訪れました。わが家に次男が生まれたのです。 育てやすい次男ですが体が小さく、4カ月健診で経過観察となってしまいました。おかげで市の保健センターから、よく電話がかかってくるようになりました。長男のかんしゃくに悩んでいた私は、すがるように保健師さんに相談することに! すぐに専門的な相談施設を紹介され、小学2年生になったころにADHDの診断が、さらに1年後に自閉症スペクトラムの診断が下りました。 長男の幼児期を振り返ると、後悔するのはやはり乳幼児健診で悩みを伝えられなかったことです。伝えるべきか迷う程度の悩みでも、困っているなら相談するべきだと思いました。今では主治医や臨床心理士さんに相談しています。次男が3歳児健診を迎えるときには事前に悩みをリストアップし、細かく相談したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年10月12日「先生、ウソつき…」小2で不登校、診断は広汎性発達障害Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載3回目となる今回、愛知県名古屋市の高校に通う森本陽加里さん(18)と母・奈生子さん(47)に話を聞いた。陽加里さんが小学2年の頃、上級生が下級生に嫌がらせをする「いじめ」が校内で起きていた。「いじめられている子がいたら守らなくてはいけない」と先生から言われていた陽加里さんは、その教えの通り友達を助けた。しかし標的がすぐさま陽加里さんに変わってしまったため、先生に相談したという。「(自分が)やられるようになったから、『助けろ』って言ってた先生に『助けたらいじめられました』って言ったら最終的に『自分の身は自分で守りなさい』とか言われちゃって。先生、ウソつき…ってなっちゃいました」(陽加里さん)慕っていた先生からの心ない言葉に失望。それから学校への足取りは重くなり、不登校になった。着替えることも食事を取ることもままならず、授業時間中は自宅で録画した吉本新喜劇の同じ回をひたすら見続けたり、韓国海苔をかじりながら国会中継を眺めていた。一方で、日が落ち始めると異常なまでに元気を取り戻していたと母・奈生子さんは振り返る。「その頃はもう夜が寝れなくて。今思うとおかしかったですよね。ベッドの上で寝る時間になるとピョンピョン飛び跳ねて『キャー!』とか奇声発したり……。多分、次の日に学校があるっていうプレッシャーで寝れないんでしょうけど、もう興奮状態になっちゃってて。それで心療内科に通い出して、睡眠導入剤をもらって寝かせてました」(母・奈生子さん)その後、陽加里さんは広汎性発達障害という診断を受けたのだった。Upload By 桑山 知之娘が見た母の涙と変化二人三脚で生きる矛盾したことに折り合いをつけて進めていくことや、人の表情や言葉の真意を理解することがうまくできなかった陽加里さんは、通級で社会性を身に付ける「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」を始めることにした。さらに母・奈生子さんは、文献を読みあさり陽加里さんの特性を理解したうえで「スモールステップ」を始めた。目標を細分化し、小さな目標を達成する体験を積み重ねながら、最終目標へ近づけていく方法だ。「着替えができないなら『着替えをしましょう』じゃなくて、例えばパジャマを脱ぐ、自分が着るものを持ってくる……ってやっていくと、行動ってすごく細かく分かれるんですよ。全部完璧にできなくても『今日はパジャマ脱ぐとこまで自分でできたじゃん!』って褒める。『じゃあ服はお母さんが着せてあげるわ』とか。そういう感じで細かく行動を分けていって、達成できたらまずそこで褒めるんです」(母・奈生子さん)「着替えることができないって思ってんの?って。今までパジャマを脱いだだけで褒めてもらったこともないのに、何を褒め始めてるんだ?って思って最初は嫌でした(笑)。でも根気よく向き合ってくれて、お母さんすごいなって思います」(陽加里さん)最初は陽加里さんも、対応が急に変わり、事あるごとに褒めてくる母・奈生子さんの姿に動揺した。しかし、奈生子さんによる小学校への働きかけなどもあり先生はバックアップ。「今日はここで僕とハイタッチしたからOK。明日は校門まで入ろうね」と、カレンダーに目標を書き込み、達成できたらスタンプを押すなど、歩みを揃えてくれたという。陽加里さんは少しずつできることが増えていき、再び通学できるようになった。Upload By 桑山 知之実は発達障害の診断が出る前、母・奈生子さんは陽加里さんの目の前で声を上げ大泣きする姿を見せていた。当時、思うようにできない子育てのストレスから心は限界に。「二人でどこか遠くまで行ってしまおうか」と思うくらい切羽詰まっていたという。しかしその後、奈生子さんは「娘が発達障害だと言われ、道が開けた」と話す。「今までの怒りはこの子のために怒ってたんじゃなくて、全部自分のために怒ってたんだ……って。それまでは、この先この子と生きていく術はないと思って、どこか田舎で学校行かなくても暮らしていけるようなところへ引っ越した方がいいんじゃないかとか色々考えてて。でも発達障害なら手があるじゃんと思って。自分の感覚や常識がこの子にスッと入るものだと思って育ててきてたから、発達障害って分かった瞬間に、ここを切り離そうと思ったんです」(母・奈生子さん)「娘のために時間を掛ける」と決めた母・奈生子さん。スモールステップを献身的に実践したほか、選択肢を与え本人に選ばせる方法を取った。自分の思うように娘が行動しなくても、決して怒らずに諭すような形で、自分の状況や事情も相手が理解するまできちんと説明した。こうした奈生子さんの変化に対し、陽加里さんは「人間味を感じた」という。「まず、親は泣かないものだと思ってたので、『あ、泣くんだ……』って。そのあとくらいから、お母さんが変わったなっていうのは分かりました。今までの人と違う!って思うぐらい違いました。人間味が増したというか、納得感がありました。『お母さんは今こういう状態にあって、こういう風に私にしてほしくて、でも妥協案としてこういう案があって、どっちか選ばせてくれるんだ』みたいに」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之中学で2度目の不登校に陽加里さんは中学入学後、最初のテストで数学の学年順位はなんと1位、学級委員も務めるなど順調すぎるくらいの滑り出しだった。土日はダンスにも打ち込んだ。しかし程なくして、仮入部したバスケットボール部で先輩から目を付けられた。やがて再び不登校となったが、高校へは進学したかった。小学校時代の校長先生の「中学校は行くことを目的とするんじゃなくて、高校へ行くための手段にしなさい」という言葉もあり、中学2年のときに愛知県内の私立高校がブースで学校説明をするイベントに参加した。そこで名城大学附属高校という学校に出会う。「名城のブースの人に今の状況を説明したら、『今から頑張れば大丈夫だよ』ってすごくポジティブに言ってくれて。おいでみたいな感じに言ってくれたから、ここ素敵!って思って。その後オープンキャンパスで国際クラスの説明のときに、探究活動で自分が興味のあるテーマを調べて、プレゼンテーションをするっていうのがあったんです」(陽加里さん)関心事を自由に深掘りする。好奇心の強い陽加里さんにとってぴったりなカリキュラムだった。しかし推薦でしか入学できないことを知り、母・奈生子さんは最大何日欠席したら推薦が貰えないのかなどを調べ上げ、陽加里さんの目標までの道のりを具体的に細かく描いていった。学習塾にも通いながら、無理をしすぎないよう適度に休みを入れた。前例がない中で無事に推薦をもぎ取り、志望校へと進学した。入学後はカナダやニュージーランド、バリ島での海外研修にも参加。「遅刻や早退、欠席の数はギリギリ」だと奈生子さんは苦笑するが、娘の成長ぶりを肌で感じているのは間違いないだろう。Upload By 桑山 知之発達障害でも通える学校とは…ビジコン壇上でカミングアウトもし高校に進めなかったら起業していたと話す陽加里さん。学校に毎日行けず、将来社会人になっても毎日同じ時間に同じ場所へ行くのは難しいと感じていたようだ。それをふと高校1年の終わりに思い出した。「高校は楽しいんですけど、起業したい思いは抜けてませんでした。じゃあ何で起業するんだろう?って思って。そこで、海外研修はそれぞれテーマを設定してたんですけど、全部それを『特別支援教育』でやってたから、自分はなんとなくその辺に興味があるんだなって思って。それで『あっ、発達障害が自分にあるから、多分そこ(学校教育)が気に入らないんだろうな』みたいな」(陽加里さん)コミュニケーションがうまく取れない。感覚過敏があり、チャイムの音や朝日の眩しさが苦しい。数えきれないほどの我慢をしながら、陽加里さんは学校に通っていた。「しんどかった自分が行ける学校ってどんな学校だろう」「行きたいって思える学校ってどんな学校だろう」と考えた。そして“発達障害の悩みを抱える生徒らを支援するアプリ開発”というビジネスプランを携え、高校生ビジネスプラン・グランプリ(主催:日本政策金融公庫)に出場。悩んだ末に勇気を振り絞り、これまで隠してきた自身の発達障害を壇上でカミングアウトした。「自分に発達障害があって、それが自分の中できっかけになったっていうことを言おうか言うまいか、めっちゃ悩みました。でも、私が喋りたいことを喋ろうって思って。このアプリに対しての想いはこういうところからあって……っていう筋がちゃんと通った話をしたいと思いました」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之自分自身を差別していたあの頃…いまは「ご褒美の人生」陽加里さんはビジネスコンテストの壇上でカミングアウトする前、友達数人には直接伝えていたという。「陽加里は陽加里だから」。そのときの友人らの言葉に涙が止まらなかった。「初めてお母さんから発達障害について説明されたとき、『あっ、違うんだ』って悲しかったんです。自分で自分を差別してたっていうか、自分のことを発達障害って重荷に感じてて。友達に言うときも、発達障害って言葉をこの子の前で口にしたらどうなるのかな……とかすごく思いました。でも、一番気にしてたのは自分でした」(陽加里さん)コンテストの結果は審査員特別賞だった。地元紙でも大きく報じられた。陽加里さんの障害を知ったクラスメイトも、泣きながら抱きしめてくれたという。Upload By 桑山 知之現在、学校生活における発達障害児の生きづらさをなくすアプリ「Focus on」は実装に向け開発中で、このうち個人カルテの機能だけを別立てした「Focus on《mini》」がすでにリリースされている。そんな陽加里さんの「なりたい女性像」は、母・奈生子さんだという。いま、発達障害がある自分についてどうか訊くと、間髪入れず目を輝かせながらこう答えた。「めちゃ良かったと思います。だって、なんかこんなに色んな経験することないから。お母さんにもずっと言われてるよね。 “ご褒美の人生だね”って」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年10月04日告知後の質問には、とことん答える。広汎性発達障害の娘は、現在小学4年生。私たちは、娘が小学4年生になる少し前(小学3年生の時)に、発達障害の告知をしました。告知時、娘は思ったよりあっさりとしていて、説明は意外にもスムーズに終わりました。しかしその後、何度も発達障害について聞くようになった娘。私たちは、娘が発達障害について聞いてくる限り、答え続けました。たとえ同じ質問でも、娘からの言葉を全て受け止めることが、娘が発達障害を受け入れるまでの大切な過程だと思っていたからです。Upload By SAKURA私たちの言葉は、娘の自分の発達障害に対しての受け止め方に、きっと大きな影響を与える…娘がどういうかたちで「発達障害」を受け入れるか気になっていた私は、一つひとつ言葉を選びながら答えました。気になっていたのは、障害の受け入れ方。私が気になっていた、娘の「発達障害の受け入れ方」。それは、主に、発達障害を、いろんな「できない」の言い訳にしてしまうのではないか…チャレンジする前に、いろんなことを諦めてしまうのではないか…という部分でした。Upload By SAKURAもちろん、告知時にそう捉えないための説明は丁寧にしたつもりですし、マイナスに捉えないために明るく話すという努力はしました。しかし、娘本人がどう解釈したか、奥の部分は私にはわかりません。もし、今後娘が苦手なことに直面した時に、発達障害であることを言い訳にしてすぐ諦めてしまったら、私はどう話してあげればいいのか…ずっと考え続けていましたが、まったくいい考えが浮かばず…Upload By SAKURAその時がこないことを祈りながら、娘の様子を見ていました。「発達障害だから無理」の言葉に、思わず…それからしばらく経ち、娘が小学4年生になった、ある日のこと。宿題の間違いを直すようにいうと、イライラした娘が…Upload By SAKURA「私は発達障害だから間違っちゃうの!無理なの!」と言いました。私は瞬間、お腹の底から気持ちがこみ上げるような感覚になり…考えるより先に言葉を発していました。Upload By SAKURA自分でも驚くほど、次々と口から出てきた言葉。言った後、私はハッとしました。何か変なことを言ったのではないか…娘に強く言い過ぎたのではないか…慌てて自分の頭の中で、今言ったことをリピートしていました。予想外の自分の言動に、自分でパニックになっていました。親としての切実な思い。娘は少し黙った後…「わかった」と言いました。Upload By SAKURA私は、思ったより自分が強く言っていたように感じ、娘に申し訳なくなりました。なぜあんな言い方をしてしまったのだろう…冷静になって、自分の言ったことの真意を考えると…Upload By SAKURA私はきっと、娘が言った「発達障害だから、無理」という言葉に、腹が立ったのだとわかりました。発達障害でも、できないことはないと、娘と共に頑張ってきた日々…方法を変えてクリアしてきたことを思い出して、「発達障害だから、無理」という言葉に対して、強く『それは違う!』と思ったのです。これまでもこれからも私は娘の成長を信じているし、家族はもちろん学校や放課後等デイサービスの先生たち、娘に関わる人たちもたくさん支えてくれる。周りの力も借りながら、自分の可能性を否定せずに成長していってほしいのです。話をしてみたものの…私は、落ち着いた後、娘ともう一度話をすることにしました。Upload By SAKURA落ち着いていた分、今度は丁寧に説明できました。娘は「わかったよ。大丈夫。」と言いました。その表情は、いつもと変わりませんでしたが、私は、自分の言葉が娘の価値観や考え方を思わぬ方向に持っていってしまったのではないかと、心配になりました。私の「諦めないで欲しい」という思いは、娘にとって重くなるのだろうか…娘に無理はしてほしくないけど、諦めないで欲しいというこの思いは、もしかしたら自分勝手すぎるかもしれない。そう思うと私は、なんと言葉をかけることが正解だったのか、再び考え込んでしまうのでした。【続く】
2020年09月23日新連載、ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで発達障害当事者であり、『発達障害グレーゾーン』などの著書を持つライターの姫野桂が聞き手となり、ミドルエイジの発達障害当事者の生き方をインタビューする連載がスタート。連載第1回は、2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。2020年4月には、自身の生い立ちや、精神科医の岩波明先生による発達障害の解説、ご夫婦での対談も収録した書籍『僕が手にいれた発達障害という止まり木』(幻冬舎)も上梓しました。「文字がうまく読めないのに落語家になれるの?」と、疑問を抱いた方もいるかと思います。今回は、花緑さんの幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。番組視聴者からのメールで発達障害を自覚姫野(以下、――):花緑さんは、ディスレクシアと診断されているとお聞きしました。ディスレクシアの場合、文字そのものがうまく認識できなかったり、書く際に鏡文字になってしまったりすることもありますが、花緑さんの場合はどのような症状があるのですか?柳家花緑さん(以下、花緑):僕は、ひらがなだけならまだ読めますが、漢字が混ざると読み書きが難しくなります。カタカナも、急いで読み上げようとすると、途中で止まってしまいますね。読み間違えも多くて、その読めるはずのひらがなも「たしなみ」を「たのしみ」と読んでしまったり、仕事で「田町」に行く予定が「町田」に行ってしまったりしたこともあります。特に、緊張しているときや疲れているときは、読み間違えが増えるんですよ。それに、普段なら読める字が急に読めなくなることもありますし、読めても書けない漢字もあります。例えば、「発達障害」という文字も、練習すれば書けるようになるけれども、10日後にはもう忘れているかもしれない。文字が記憶にとどまりにくいんです。また、ディスレクシア以外にADHDの傾向もあります。人と話していて、自分だけがガーッと喋りすぎてしまったり、忘れ物が多かったり……。このような性質も、疲れているときほど強まりますね。――ご自身の症状と、それが起きやすい状況について、とてもよく把握されているんですね。花緑さんが「発達障害かもしれない」と思ったのは、とある番組出演時の、視聴者からのメールがきっかけだと著書に書かれていました。花緑:そうなんです。2014年に出演した番組で、小学校時代の5段階評価で「1」と「2」ばかりの通知表を見せ、「こんなにひどい成績だったけれども、今は弟子もいて、落語を何百席も覚えている落語家です」と話したんですね。それを観た視聴者の方から、「番組で話していた内容が、うちの子とそっくりです。もしかして、花緑さんもディスレクシアではありませんか?」というメールが事務所に来たんです。――そのメールを読んだときは、どう思われましたか?花緑:そのときは、発達障害についてまったく知らなかったし、「障害」というレッテルを貼られるようですごく抵抗があったので、「ちょっと待ってくれ、やめてください」と思いました。だから、「番組では出さなかったけど、主要5教科以外の音楽や図工の成績はよかったし、僕はディスレクシアではないと思います」と、やんわりとお返事したんです。そうしたら、「教科書をあまり使わない教科の成績がいいのも、うちの子と一緒です。やはりディスレクシアだと思います」と返信をいただいて(笑)。気になってディスレクシアについて調べてみると、あまりにも自分に当てはまることが多かったんです。そこで、「ああ、自分は発達障害なんだ」と受け入れられました。43歳のときですね。――ディスレクシアだと気づいたのは、つい最近のことだったんですね。先ほど主要5教科の成績が悪かったとおっしゃっていましたが、学校での勉強は、やはり大変なことも多かったのでしょうか?花緑:小学校2年生の時点で、すでに授業についていけなくなっていました。宿題をするのも難しかったんですが、そうなると、宿題をやっていることが前提の次の授業にもついていけなくなるじゃないですか。みんなが宿題を出している様子を見て、提出できないことに後ろめたさを感じましたし、「人にはできることが自分にはできないんだ」と、自信を失うばかりでしたね。さまざまな授業の中でも、国語の授業での音読は地獄でした。文字を認識するのに時間がかかるので、つっかえつっかえでしか読めず、クラスのみんなに笑われる。今だったら、「他の子が読みたがっているからそっちに回してください」「来月中旬には読みますから」なんて冗談を言えますが、当時はそんな気の利いたことを言えないし、拒否もできません。恐怖心と共に震えながら読んでいました。Upload By 姫野桂文字を介さずに練習できる落語に救われた――そのような経験があると、勉強することが嫌になってしまいそうですね……。ですが、音読で嫌な経験をしたことのある花緑さんが、人前で話をする職業に就いたのは興味深いです。落語はいつから始めたのですか?花緑:小学4年生のときには、祖父であり師匠でもある、5代目柳家小さんの稽古を受けて、落語の初舞台を踏んでいました。祖父が人気者だったので、祖父と一緒に出た落語会は注目され、ワイドショーでも「小さんの孫、デビュー!」などと報道されていましたね。叔父も落語家でしたし、祖父のお弟子さんがうちに住み込みで手伝いをしに来ることもあったので、落語はすごく身近なものでした。特別上手だったわけではないと思いますが、名人には違いない祖父の真似をしていたので、子どもながらに落語っぽくはできていたのだと思います。周りにも褒めてもらえました。つまり、僕にとっての成功体験は落語だったんですね。落語に救われたと言っても過言ではありません。もともと人を笑わせるのが好きでしたし、学校ではできない体験を落語を通じてできたので、楽しかった覚えがあります。だからこそ、中学に入る前に、母に「部活をやるなら落語家にはならない。落語をやるなら部活には入らない。どうする?」と選択を迫られたときには、ほぼ悩まずに落語の道を選びました。――落語を覚える際に、文字が読めないことは妨げにならなかったのですか?花緑:落語は「口伝」といって、対面でしゃべる稽古を通して伝わっていくものなんです。師匠がしゃべったものをICレコーダーに録音して、文字に起こすこともありますが、基本的にはその人の覚えやすい方法で覚えていく。僕の場合、小学生の間は書き起こすこともなく、ひたすら繰り返ししゃべって覚えていたので、文字の読み書きは必要なかったんです。ひらがなでメモを取るようになったのは、たしか中学生以降だったと思いますね。社会で通用するのかという不安。人間国宝の孫であることもプレッシャーに――部活ではなく落語を選び、落語の稽古を積んでいったことで、同級生とは少し違う道を進み始めたのではないかと思います。感覚のズレなどは感じませんでしたか?花緑:中学生のときまでは、あまり感じませんでした。でも、卒業して、僕が本格的に落語の前座修業に入ってからは、少しずつ感覚の違いは出てきましたね。例えば、話すのが好きな近所の友人たちと夜遅くまで話す中で、この先の人生についての話題になったとき。そういうときに、自分がストーンと相手の急所を突くようなことを言ってしまうんですね。そうするとみんなびっくりしちゃって……。友人が高校に通う間、僕は大人と一緒の社会で修行をしているので、どうしても話題がずれたり、自分が少し先に大人びていくような感覚はありました。――中学卒業後、すぐに社会に飛び込むことへの不安はありませんでしたか?花緑:当時のことはあまりはっきりとは覚えていないのですが、やっぱり不安はあったと思います。自分がどこまで通用するかわからない不安と、祖父が5代目小さんであるがゆえの不安という、二つが大きかったですかね。例えば、落語をやっていく上では江戸時代の知識が必須ですが、僕は学生のときから歴史に興味が持てず、全然知らなかったんですよ。落語を話すときに必要な情報を得ようと調べても、発達障害の特性で文字も読みづらいし、好きなこと以外はなかなか頭に入らない。これまでの経験から、自分は他の人と同じように勉強ができない、劣っているんだという思いもあったので、社会でどこまで通用するだろうという点は不安でした。Upload By 姫野桂――もう一つの、おじいさまに関連する不安というのは、どのようなものだったのでしょうか。花緑:自分が受けている評価は、祖父の存在ありきなんじゃないかという不安があったんです。祖父は落語協会という大きい団体の会長でもあったので、周りの人から見た自分は「業界で一番偉い人のお孫様」。当時は自分に自信がないし、実際に実力もまだまだだったので、チヤホヤされるのが嫌でした。1人の落語家として、他の人と同様に見てほしかったんですね。その一方で、これはせっかくのチャンスなんだから、うまく乗っていかないと失礼なのではないかという変な気遣いもありました。――花緑さんはその後、22歳という戦後最年少で真打に昇進したんですよね。花緑:はい。普通は落語家に入門してから、見習い、前座、二つ目、真打という4つの階段を、大体15年位かけて上がるのですが、僕は7年で一番上まで上がっちゃったんです。他の人からどう見えていたかはわかりませんが、冷静に自分で振り返っても、すごく才能があるというわけではなかったと思います。機が熟していない状態での昇進で、ド下手でこそないものの、中途半端な実力でしたね。名声に反して、常に自信はありませんでした。「小さんの孫」として生きていかないといけないのだけれど、そこにあぐらをかかずちゃんとやっていくにはどうしたらいいかを常日頃考えていて。なにかやらなきゃという気持ちが、自立したいというところにも向かいました。――自立ですか。具体的に、どのようなことをされましたか?花緑:真打になる前、実家で暮らしていた21歳の頃から、家に毎月5万円ずつお金を入れ始めました。その頃にはすでに一人暮らしをしたかったのですが、親に「一人暮らしなんてできない」と止められてしまって。それが悔しかったので、自分も自立できるんだというところを態度で示そうと、家にお金を入れ、自分に関する家事は自分でするようになりました。真打になったときには、自分で引越し屋に電話をして、強行突破で一人暮らしを始めました。自由になりたいからということで、自由が丘で(笑)。――自分一人でも生活ができるようにしていったのですね。その結果、自信はつきましたか?花緑:うーん、自信が芽生えてきたのは、30歳前後かもしれません。落語のCDを出したり、有名なテレビ番組に出演したり、初めての書籍出版の話をいただいたり……。一気に有名になり、生活も変わりました。ですが、本当の意味で自信がついたのは、42歳でディスレクシアについて知り、自分は発達障害なんだと受け入れてからだと思います。Upload By 姫野桂能力差を努力不足だと思わなくなった――発達障害であることを受け入れたことで、花緑さんにどんな変化があったのでしょうか?花緑:発達障害は先天的なものですから、読み書きが不得意で勉強ができなかったのは自分のせいじゃなかった、努力不足というわけではなかったんだと思えるようになったんです。もちろん、これからより良くできるようになることもあると思っていますが、なんだか初めて自分の両足で地面に立ったような気分でした。そこからは、自分の感覚を素直に言葉にし、自分をさらけ出せるようになって、オープンマインドになりました。子ども時代からのつらかったことが傷にならないように、自分で心のケアもしていったような感覚があります。2017年、46歳のときに書籍で発達障害を公表してからは、さらに楽になったような気がしますね。仕事の際に余計な緊張をせずにすむようになったので、相手も緊張させず、いい雰囲気で仕事をしやすくなりました。――人との関わり方も変わってきたんですね。花緑:はい。人に対する見方が変わったところもあると思います。僕は今10人の弟子を抱えているのですが、本当に十人十色なんですよね。例えば、15分の落語を覚えるのに、1週間で覚える人がいれば、半年かかる人もいる。その差がそのまま努力の差というわけではなく、習熟には個人差があるのだと考えるようになりました。発達障害であれ健常者であれ、そのような差があるのだということは、自分自身を通じて学びましたね。――今、花緑さんがより生きやすくなるため、困りごとを解決するために取り組んでいる工夫などはありますか?花緑:ナレーションなどの仕事の際は、あらかじめクライアントさんに頼んで、台本にルビを振ってもらっています。また、作家さんに書いてもらった落語の新作台本は、妻がルビを振ってくれていますね。そういったサポートには、とても助かっています。発達障害を受け入れることで回復できる自信――今、発達障害について悩みを抱えている子どもたちに、なにか伝えたいことはありますか?花緑:発達障害かもしれないと思いつつ、受け入れられずに悩んでいる子がいるのであれば、「僕は、受け入れてから楽になったよ」と言いたいです。己と向き合うことに怖さを感じるかもしれませんが、自分の特性を知って初めて、自分の取扱説明書を手に入れられます。対処の工夫ができるようになるのはそれからなので、まずは知る勇気を持つのが大切ですね。そのようなときに、周りのサポートや、同じような特性を持つ人の情報が得られると、自分の特性を受け止める衝撃が緩和されるのではないでしょうか。――花緑さんは、落語家という自分に合う職業を見つけられましたよね。働き方についても、なにかアドバイスがあればお願いします。花緑:自分に向いている職業に出会うためには、好奇心を持っていろんな職業を発見することが大事だと思います。意識の持ち方で、物事の見え方は変わるものです。例えば、「今日のラッキーカラーは赤です」と、朝のニュース番組の占いで聞いた日には、いつもの道を歩いていても、これまで気づかなかった赤い看板などが次々に目に飛び込んできますよね。そんなふうに、意識的に身の回りの仕事に目を向けることで、関心の持てる職業が見つかるのだと思います。そこで必要になる好奇心は、「自分はダメなんだ」と自信をなくしている状態では、なかなか湧いてこないと思うんですよね。だからこそ、発達障害を受け入れ、「これは症状によるものなんだ、自分が悪いわけではないんだ」と思えるようになることは大事だと思います。自信が回復して、心の土台がしっかりできたときに視野が広がり、今後のことにも興味を持てるようになるのではないでしょうか。――興味を持った仕事と、自分の特性上向いている仕事が違う場合もありますよね。たくさんの仕事が目に入るようになったときに、自分に合った仕事はどうやったら見極められると思いますか?花緑:最初から「一生これをやるんだ!」とは決めず、つまみ食いするようにいろいろと試してみるのも一つの手だと思います。興味を持ったらアルバイトなどで体験してみて、向いていないと思ったらまた次を試せばいいと思うんです。僕も前座時代に、師匠の身の回りの手伝いをしながらあちこちついて行きました。そのときに、苦手な「空気を読む」という経験ができたのもよかったと思っています。自分と似た特性を持つ人の本を読むのもいいですよね。同じような症状の人が、こんな業界で働きながらちゃんと生活できているんだと知ることは、希望になると思います。落語家は少し特殊な職業だと思われるかもしれませんが、僕が出した本も、その助けになれば嬉しいです。Upload By 姫野桂発達障害を受け入れたことで新たな自信を獲得した花緑さん。どうすればより生きやすくなるのか、一歩踏み出すための勇気を花緑さんにもらった気がします。もちろん、自分の特性を理解し、受け入れ、付き合っていく道のりは人それそれですが、花緑さんをはじめ、発達障害と共に生きる先輩たちのライフストーリーの中には、一人ひとりが自分らしい生き方を見つけるヒントがきっと散りばめられているはずです。今後も、さまざまな生き方・働き方をしている方々のインタビューをお届けしていきますので、どうぞお楽しみに。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子2020年10月4日(日)14:00配信開始チケット料金:3000円Upload By 姫野桂フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)。Upload By 姫野桂
2020年09月23日息子の友人、おじいさんに席を譲られた!息子が特別支援学校高等部の頃のことです。子ども達が同じ放課後等デイサービスに通うママ2人と私とでお茶をしました。息子(17歳)は自閉症、A君(16歳)、B君(18歳)にはダウン症があります。小学校の頃から同じ放課後等デイサービス、同じ特別支援学校高等部に通っていました。10年以上の長い付き合いなので、結構突っ込んだ会話もドンドンできる気の置けない関係です。Aママ「ちょっと聞いてよ。この間、息子がバスで立っていたら、おじいさんに席を譲られそうになったらしいの」(A君は、当時、一人で公共のバスを使って下校していました)私「それで、本人はどうしたの?」Aママ「『いいです!』って断ったみたい。この話を息子から聞いたとき『やっぱ、“世間からは障害者だから大変だ”って見えるんだ~』と思い、悲しくなったよ!」Bママ「うちの子だったら、きっと『ありがとう!』」と言って席に座っちゃうかも!」私「外見から『障害がある』と分かるのも、理解してもらいやすいと思うから、私はうらやましいよ。本人が言葉に出したり積極的に伝えようとしなくても、周囲の人がSOSに気づいて、救いの手を差し伸べてもらいやすいでしょう。うちは見た目ではわからないから、バスの中で奇声を発したり、落ち着かないと怒鳴られてしまい、それでまたパニックを起こして…」Aママ「そうなのかあ…」もちろん、ダウン症のある子にも知的重度、軽度があり、身体面でも心疾患があったり、身体が弱い子もいたりします。そんな知識があって、おじいさんは「席を譲ろう」と思ったのかもしれません。でも、A君は元気一杯の子でした。このことを実家の母(80歳)に話したら「私だったらダウン症の子がいても席は譲らない」と言っていました。人それぞれです。「普通」として扱われる見た目ではわかりにくい発達障害児は、ぱっと見は定型発達のように見えます。息子は知的障害がある自閉症(IQ37 療育手帳3度)ですので、グレーゾーンではありません。それでも、「障害があるので色んなことが難しくてできないので宜しくね」とママ友に伝えても、容姿を見て「そんなことないじゃない、普通じゃない、しっかりしているじゃない」と数えきれないくらい言われました。誤解もある・NHKの番組で放送していたのですが、成人しているダウン症のタレントさんが居酒屋でビールを頼んだら「ビール飲ませても大丈夫なのかな」と店主が悩んでいたそうです。(年齢ではなく、「ダウン症の人にアルコールは大丈夫なのか」と思ったようです)・心疾患があり、4歳の子をバギーに乗せていたママ。「まあ、立派な足があるのにお嬢ちゃん、ママに甘えないで歩かないとダメよ」と言った見知らぬ人から言われていました。・内部疾患(心臓機能障害、腎臓機能障害、呼吸器機能障害)があるため電車の優先席に座っていた若者に対して「年寄りに譲りなさい」と言わんばかり前に立っている年配者がいました。(ヘルプマークを付ける方法もありますが、まだ世間には浸透していません)障害特性はあるけれど、性格はみんな違う「自閉症の子は秘めた才能がある」だとか「ダウン症の子はピュアだ」とか「これこれこういう障害の子は○○である」と思われていることがあります。確かに障害による特性はありますが、そんな型にはまったものではないと思います。何故なら、みんな一人の人間ですから…。生まれ持った気質や育った環境で全く性格が違ってきます。そんなことを感じたママ友との会話でした。同時に、「こんな突っ込んだ話が出来るママ友がいることは幸せなことだ~」と感じたお茶の時間でした。
2020年09月22日息子が小学6年生の時の出来事小学校6年の冬、息子は季節性のインフルエンザにかかりました。病院で処方された抗ウイルス薬を服用した後も高熱は暫く続きました。夜、私と娘が話をしていると、隣の部屋で寝ていた息子が何か訴えてきました。「どうした?しんどいの?話し声がうるさかった?」娘との話を中断し息子の部屋に向かうと、息子がドアの前に立っていました。何やら不穏な様子息子はこちらの問いに答えず、唸り声を上げていました。「吐き気がするの?トイレに行く?」私は息子をトイレに誘導しましたが、背中をさすっても息子は上手く吐くことができないようでした。唸り声は徐々に大きくなっていき、息子は便器に顔を突っ込んだまま便座の蓋の開閉を始めました。「ちょっと⁉頭、挟まってるよ!危ないって!」私が制止しても息子はやめる気配がありません。唸る息子が自ら“便器怪獣に食べられてるような仕草”を繰り返すのを見て私は思いました。「これは熱せん妄かも…」知識はあったけれど1~10才台の子どもが発熱に伴って異常な行動をとる『熱せん妄(もう)』は、ニュースなどで見て知ってはいました。実際、娘が小さいときに、インフルエンザの高熱でうなされながら布団の中で足をバタバタさせていたのを(私も横で寝込みながら)目にしたことがありました。2才の幼児が布団の中で足をバタバタするぐらいなら「熱でうなされているのかな?怖い夢でも見たのかな?寝ぼけているのかな?」と思う程度ですが、11才の男子が立ち歩いて大声を上げる様子を目の当たりにすると、知識はあってもやはり動揺します。救急外来を受診幸いそのときは家に主人がいたので、叫び声を発しながら便器に頭を突っ込んで便座の蓋を開閉する息子を主人に押さえてもらい、その間に私は救急に電話をしました。救急隊の人に支えられ救急車に乗り込む頃に息子は落ち着き始め、受け答えもできるようになっていました。病院に着いて医師の診察を受けたときには日時や名前、自分がいる場所なども言えていました。医師によるとインフルエンザの流行時期だったこともあり、その日は息子と同じような症状の子どもが10人ほど救急外来を訪れ、そのうち何人かは経過観察の為そのまま入院になったそうです。息子は会話もできるようになっていたので、解熱剤を処方され帰宅することになりました。ただ、今後も同じような症状が起こり得るので、暫くは大人が傍で様子を見ているように言われました。熱が高い間は要注意熱が続いた数日間は、医師に言われた通りできるだけ私か主人が息子の傍にいるようにしました。玄関や窓はダブルロックをし、台所のコンロもロックを掛けました。熱せん妄と思われる症状はその後2回ありました(いずれも寝起きの時)。目は開いているのですが、やはりこちらの呼び掛けには応じることはありません。2度目以降は“便器の蓋パカパカ”はありませんでしたが、トイレの前で叫んだり、廊下で頭を抱えてうずくまったりしました。私は息子が落ち着くまで背中をさすりしました。落ち着くと息子は再び布団に戻り眠りました。私は息子の様子から、「身体は起きているけど脳は眠っていて夢を見ている状態なんだろうな」と思いました。熱せん妄よりも私が驚いたこと息子が回復した後、私は息子と熱せん妄を起こしたときの話をしました。本人にはその時の記憶ほとんどありませんでした。息子「最初の時だけ少し覚えてる。多分夢だと思うんだけど、部屋の中に何人か人がいて、その人の頭の上にしずくの形をした魂みたいのが見えたんだ。」私「そりゃ怖いね。逃げ出したくもなるね。」息子「でもその後は記憶ないな。俺、どんな様子だったの?ホントに大声出したりしたの?」私はそのときの様子を絵に描いて息子に見せました。すると...Upload By 荒木まち子息子「・・・。俺、障害になっちゃったのかな?」私「!?」息子「だって姉さん、暴れてた時あったじゃん。」私は息子のこの言葉にとても驚きました。暴れる=障害!?数年前、娘が高校生のとき、家で暴れていた時期がありました。息子はそのとき、小学校の低学年でした。それまでの姉からは想像できないほどの豹変ぶりを彼は目の当たりにしていました。そのときの様子がよほど印象深かったのでしょう。息子は今回自分が暴れた原因が、姉と同じように障害由来ではないかと心配したようです。それは“きょうだい児ならでは”の発想なのでしょう。私は息子に熱せん妄の説明をし、姉が暴れた原因とは違うことを伝えました。思春期の息子に対し今年中学生になった息子は、「親に自分の部屋に入って欲しくない」「友達に姉の障害の事を知られたくない」と思うようになってきています。親を疎ましく思い、友達に大きく左右されるといった典型的な思春期を迎えています。また、精神的にも知的にも息子は姉を追い越し始めてきています。息子が私に「姉さんに対してどう接したら良いかわからないときがある」と言ったこともあります。小学生の時とは明らかに違ってきています。今まで事あるごとに娘や主人に対して障害の特性について対話を重ねてきたのと同様に、これからはきょうだい児である息子に対しても、娘の障害について丁寧に話をしていく必要があると感じています。おまけ息子が回復するまで同じ部屋で寝たり、日中そばでずっと見守ったり、熱せん妄をおこした際には抱きしめたり体をさすったり、と濃厚接触をしていたにも関わらず他の家族にインフルエンザは感染りませんでした。マスク、消毒、手洗い、うがい、換気などの対策をすれば、家庭内感染の予防はできるんだなぁ、と実感できたできごとでもありました。おしまい
2020年09月16日学校では教えてくれない、発達障害当事者の「将来」の描き方「進路や職業を考えろと言われるけれど、自分には何ができるのか分からない」年若い、発達障害当事者の友人から、そんな悩みを聞かせてもらったことがあります。「中学、高校、大学と進むにつれて支援が薄くなっていく。我が子の将来をどう考えればいいのか」発達障害のあるお子さんを育てる保護者の方から、そんな不安をお話しいただいたことがあります。発達障害者支援法が制定されてから15年が経ち、「発達障害」という概念やその特徴に対する認知は高まってきました。学校での特別支援教育や、児童発達支援・放課後等デイサービス、就労移行支援といったさまざまな福祉サービスも少しずつ、ですが着実に、充実してきたと言えるでしょう。しかし、思春期・青年期の子ども・若者たちの進路や職業選択に関するサポートはまだまだ手薄いのが現状です。世の中にはさまざまな職業があり、生き方がありますが、このような生の声は学校では教えてくれません。「他の多くの人と同じような人生を送ることはしたくないし、できない、しかし何がやれるのか分からない」「好きなことはあるけれど、自信がなくて諦めざるを得ない」と嘆く子どもたち・若者たちも少なくないと思います。そこでこの度、発達障害の診断のあるミドルエイジの先輩方から思春期の後輩たちに向けた、仕事・人生に関するアドバイスやメッセージを届けていく『すてきなミドルエイジをめざして:発達障がいのある子どもたちの人生設計のために』(仮)という企画をスタートしました。職業やライフスタイル、診断や特性、年齢もさまざまなミドルエイジの発達障害当事者の先輩方のインタビューを重ね、学苑社(特別支援教育関連図書を発行する出版社)さんからの書籍出版を予定しています。今回、LITALICO発達ナビとの連動企画として、書籍出版に先がけて、ウェブ上でのインタビュー記事連載をお届けします。職業も特性も多種多様。ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで記念すべき連載第1回は、落語家の柳家花緑さんのインタビューです(2020年9月23日に記事を公開します)。Upload By 鈴木悠平2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。研究者、事務職、整備士、バーテンダー、作家、心理士、ショップ店員などなど、これからご紹介するインタビュイーの方々の職業や働き方も多種多様です。働き方や生き方に、万人に通じるたったひとつの「正解」というものはありません。「発達障害だから」こういう仕事ができる・できないと決めつけることもできないし、するべきではないと思います。だからこそ、この連載では「答え」を提示するのではなく、多様な先輩たちの多様な生き方と、そこに至るまでの考え方や道のりをなるべく丁寧に共有していきたいと考えています。「これから」を考える思春期・青年期の若い発達障害当事者の皆さんが、自分らしい生き方を考える上での「ヒント」を、それぞれに見つけてもらえるような、そんな連載・書籍にしていきたいと思います。ぜひお読みいただき、感想をいただければ幸いです。企画メンバーからのメッセージ連載企画をスタートするにあたって、企画メンバーからのメッセージです。Upload By 鈴木悠平皆さんの将来の夢はなんでしょう?この企画では、発達障害のあるミドルエイジの人の仕事や生き方にフォーカスしていきます。自分のやりたいことと自分のやれることのギャップに悩んでいる人、障害があることを理由に夢を諦めようとしている人、また子どもの将来に不安を持つ保護者の方にはぜひお読みいただきたいと思います。連載で取り上げられる職業の中には一見、発達障害がある人には向いてなさそうな仕事で活躍している人もいます。自分の特性に周りの環境をいかに合わせるか、先輩達の工夫から「発達障害」の考え方自体が変わるかもしれません。プロフィール:鳥取大学医学系研究科臨床心理学講座教授 LITALICO社外取締役専門は、応用行動分析学、自閉症と発達障害への支援、臨床心理学、特別支援教育。 ペアレントトレーニングシステム、強度行動障害研修プログラム、不登校支援プログラムなどの支援プログラムを開発し、LITALICOジュニアのプログラム監修も務める。学生時代はオフロードバイクにテントを積んで各地を放浪、長らく続いたバイク乗り行動も最近は周囲のご批判から黄色信号。大人になりきれないアラフィフ。井上研究室ホームページ井上雅彦TwitterUpload By 鈴木悠平思春期はどんな人でも悩む時期です。発達障害の特性のある方は、さらに人付き合いや家族のこと、進路で頭がいっぱいになってしまうこともあるでしょう。実際、私も何をやりたいのか、やりたいことがあっても実際にそれで食いっぱぐれずに生活していけるのか、不安だらけだった時期がありました。誰に相談すればいいのかも分かりませんでした。でも、これからご紹介するミドルエイジの先輩たちならば、きっと乗り越えるためのヒントを何かしら知っているはずです。連載、どうぞご期待ください。プロフィール:フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)趣味はサウナと読書、飲酒。姫野桂TwitterUpload By 鈴木悠平進路のこと、仕事のこと、将来のこと。未だ来ずの「未来」のことなんか分からない。「早めに考えてしっかり準備する」なんてこと、僕にはとても出来ませんでした。今もあんまり分かっていません。これから連載を読んでくださる皆さん、特に、思春期・青年期の若い世代の皆さんには、だからどうか、焦らずじっくり、考えたり悩んだりする時間を大事にしてほしいなと思います。今回の企画では合計8名のミドルエイジの先輩方のインタビューをお届けしますが、参考になることもあれば、ならないこともあるでしょう。全部を無理に取り入れようとする必要はありません。でも、たくさんのインタビューの中から、何か1つでも2つでも、皆さん一人ひとりにとって「お守り」となるような、言葉や考え方が見つかると嬉しいな、と思っています。楽しんでもらえると嬉しいです。ぜひ感想もお聞かせくださいね。プロフィール:文筆家/インターミディエイター® 1987年生まれ。株式会社閒 代表取締役。LITALICO発達ナビの初代編集長として、2016年〜2019年4月までの3年間、発達ナビユーザーの皆さんと一緒に歩んできました。現在は独立し、文筆・研究を中心に活動しています。ADHD/ASD混合型。体調を崩したり色々ありながらも、仲間たちと助け合いながら無理なく健やかに働き続ける方法を模索中です。閒 - あわい -鈴木悠平TwitterUpload By 鈴木悠平年を重ねるにつれて、支援は薄くなっていく――これは障害のある子どもを育てる私にとっても常に心のどこかで不安を感じ、懸念していることです。そしてそれは保護者の方が多く感じていることだと思っています。「才能を生かして自立すればいい」と言われ、なぜ障害のある子ばかりがそう言われなくてはいけないのか、そのように吐露してくださった保護者の方は一人や二人ではありません。「手に職を」と言われ、まだ将来の夢も描き切れない幼いうちから職につながる進路選択を迫られることへの悩みを話してくれた中学生もいました。生き生きと等身大で暮らす当事者の取材を通して、将来に悲観することなく、今を大切に生きる道しるべを届けられたらと願っています。プロフィール:LITALICO発達ナビ編集長。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大学卒業後、約15年大手出版社で雑誌・書籍の編集に従事。その後、事業会社の広告宣伝部を経て現職。子どもは高校生と小学生の2人。長女には先天性の重度知的・身体障害がある。発達ナビ上でのダイアリーへの投稿、コラムへのコメント投稿、編著メンバーのSNSへのリプライなども大歓迎です。
2020年09月11日20代半ばで知った広汎性発達障害…診断を受けたのは就職後Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載第2回は、愛知県名古屋市でグラフィックデザイナーとして働くノビさん(38歳・男性)に話を聞いた。ノビさんは愛知県内の大学を卒業後、印刷会社のデザイナーとして就職した。しかし、ある程度のカリキュラムをこなしていれば一定の評価を得られる学生時代とは違い、入社後ほどなくして壁にぶち当たった。「手が遅いんです。仕事にも時間がかかって、すごく残業してたんです。先輩に『そこまでやんなくていいよ』『うまく手を抜けよ』って言われるんですけど、手を抜くと肝心なところをすっ飛ばしちゃったりして、めちゃくちゃ怒られる。『うまく手を抜く』、その“うまく”ができなかったんです」その後、仕事を辞め個人でデザイナー業を始めようとしたが、それも失敗した。どうにもうまくいかなかった。何かがおかしい。そんな折、大学時代に同じゼミだった友人と再会する機会があった。彼は発達障害だった。「多分お前もそうだと思うから、診断受けてみろよ」。そう言われるまま、ノビさんはクリニックに足を向けた。そこで、広汎性発達障害という診断を受けた。20代半ばだった。発達障害の診断は「許されたような感じがした」Upload By 桑山 知之ノビさんは学生時代、勉強こそ多少できる方だったが、算数だけは異常に出来が悪かった。そして何より、誰かと一緒に何かをやるという楽しみがあまり理解できなかった。「大学時代の友達に久しぶりに会ったら、『学生のときは修行僧のようだった』と言われました。自分の中で正しいと思っていることは譲らないというか、会話を楽しんだり雑談が苦手というか…」思い返せば、幼いころから対人コミュニケーションには難があったノビさん。保育園ではみんながジャングルジムで遊んでいるのを見て「何が楽しいんだ」と思っていた。中学・高校では、仲の良いグループ以外の人間とはほとんど親しくすることができなかった。複数のコミュニティをまたいでいる友人は輪を広げていき、それに乗っかることができなかったノビさんは、やがて遊びに誘われる機会が減っていった。だが20代半ばで発達障害の診断を受け、心が穏やかになったという。「どちらかというとポジティブに受け止めたところがあって、正直ホッとしたんですよ。コミュニケーションもうまくいかなかったことが多くて、自分の努力が足りないとか、自分に責任があると思ってたんですけど、『障害です』『先天的なものです』って言われたときに、なんかこう許されたような感じがしたんですよ」Upload By 桑山 知之3歳児検診で「傾向あり」…伝えてほしかった発達障害というのは、“見えない障害”である。それゆえ、親が自身の常識や価値観を押し付けてしまい、子どもが苦しんでしまうことがままある。発達障害の特性が少しずつ見えてくるのは、3歳児健診であったり、幼稚園や保育園などといった集団生活であることが多い。早期に我が子の特性を理解したうえで親が接していくことで、併発しがちな二次障害を防ぐこともできるだろう。ノビさんは、診断について家族に対し思い切って打ち明けてみた。すると意外な言葉が返ってきた。「けっこう自分としてはそれなりに覚悟を持ってカミングアウトするつもりで、あるとき折に触れて話をしたんですよ。そのときの母の反応が、『あぁ、なんかね、そんな感じだよね』みたいな。なんかそんな気がしてたっていうノリだったんですよ」実はノビさんの母は、おそらく3歳児検診の際、「発達障害の傾向がある」と指摘されていたという。ただ、その段階では保育園で友達と揉めているなどの問題が起きていたわけではなかったため、様子を見ようということになり、そのまま進学、就職まで至ったらしい。その過程でも時折、例えば高校の進路を決めるときには自然がいっぱいあるところがいいんじゃないかという「謎の提案をしてきたこともある」と回顧する。Upload By 桑山 知之「(発達障害かも知れないと)わかってたんならもうちょっと何かこう、訓練とか何かあったんじゃないの?こっちはそれなりに苦労してるんだよ?っていうモヤモヤとした気持ちはありましたね。親は自由な考え方なので、こうじゃなきゃダメとか、レールを敷くような感じは全然なくて、放任主義なんです。それはそれでよかった部分もあるんですけど、もっと関わりがあってもよかったかなと。関係性が薄かったんです」我が子に発達障害かも知れないと伝えることのストレスは非常に大きい。ひょっとしたらノビさんの母はあえて“伝えない”という形を選んだのかも知れない。またそれは我が子を思っての選択だったのかも知れない。しかし成人後、ノビさんは確かに生きづらさを抱えてきた。これはあくまで結果論ではあるが、子どもが生活するうえで違和感を覚えていないか、親はアンテナを張っておく必要があるのかも知れない。再就職失敗、そして離婚…挫折から人の気持ちが分かるようにUpload By 桑山 知之“修行僧”のようだった大学生のころから、ノビさんには恋人がいた。「恋愛偏差値が低すぎた」ため、彼女の方からグイグイと来てくれたのがよかったという。やがて社会人になり24歳で結婚。しかし、個人での事業もうまくいかず、再就職を決意した。「新卒の就職活動と違って、再就職はレールがあるわけではない。面接で自分は必死にアピールしてるつもりでも、面接官から『お前さぁ、今のままでいいと思ってんの?』と説教されて帰ってくる。そうすると、夜の公園でブランコにもたれながら泣いちゃうんですよ。『何やってんだ自分は』って。抑えきれなかったんです」自分自身にそこまで感情の起伏がないため、他人の気持ちが理解できなかったノビさん。人が泣いているのを見ても、本当なのかと疑っていたという。しかし、再就職での挫折を受け、思わず涙をこぼす日々が続いた。それとほぼ同時に、離婚することになった。「本当に胸が潰れるような気持ちをそこで初めて経験しました。あのとき、あの人たちが言っていたつらい気持ち、苦しいとか悲しいっていうのはこれなんだというのが、そこで初めてわかったんです。今までは“自分の中での正しさ”を大事にしていたんですけど、“相手がどう思っているか”を大事にした方がコミュニケーションがうまくいくんだなって」発達障害の僕が生きるための“工夫”診断を受けたことで就労移行につながり、そのままその運営会社に就職したノビさん。現在はさまざまな受託事業のチラシを制作するデザイナーとして活動している。聴覚過敏で特に気になる「人のガヤガヤ声」を遮断するため、最近ではライフル射撃の選手が使うような耳栓をしているという。「努力というよりは、工夫するって感じですね。僕は発達障害以外にもてんかんの持病があって、薬を1日4回飲まないといけないんです。そこで、薬を1錠飲んだら、右腕から左腕にこのブレスレットを1本移していくんです。忘れないようにするっていう努力だとつい忘れちゃうので、仕組みを作るようにしました。このルールを伝えている人なら『朝飲んでないんじゃないの?』とか指摘をしてくれるんです。『この時間は全部左腕にないとダメなんじゃないの?』みたいな」つい忘れてしまうのであれば、仕組みやシステムを変えて、工夫する。診断を受け入れたからこそできる行動だ。他にも、仕事のタスクを付箋で貼っていく中で、優先順位が上がるとその付箋の位置を変えていくことで、見過ごさずに取り組めるといった方法を紹介してくれた。「前にインターネットで見た呟きで、すごいグッと来たものがあって。『みんなすごく我慢してるんだからお前も我慢しろ』って、よくあるセリフじゃないですか。でも、みんなが我慢してるんだったら、システムが悪いでしょって。障害って、みんなが当たり前にできることができないからこそ、“工夫”でなんとかしようと思ってます」Upload By 桑山 知之取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年09月03日6歳までに脳の神経系統が大人の90%に発達すると知り、脳を発達させるメニューを知りたいコーチ。ですが、未就学児に集中させるのは難しいですよね。飽きて一人でほかの事をしだす子もいるし、この年代に教えるにはどうすればいい?というご相談です。今回のご相談に池上さんが提案する、子どもたちが楽しんで取り組める「遊び」の要素を取り入れたメニューとは。これまでジェフユナイテッド市原・千葉の育成コーチや、京都サンガF.C.ホームタウンアカデミーダイレクターなどを歴任し、のべ60万人以上の子どもたちを指導してきた池上正さんが送るアドバイスを参考にしてみてください。(取材・文島沢優子)(写真は少年サッカーのイメージです。ご相談者様、ご相談内容とは関係ありません)<<技術はあるのに「1対1を組み合わせた」単騎攻撃ばかり。連携のイメージをつけさせる指導法を教えて<お父さんコーチからの質問>スクールで未就学児を指導しています。6歳頃までに脳の神経系統は大人の90%にも達すると聞いたので、脳を発達させるためにいろんなことにチャレンジさせたいのですが、いかんせん集中が続かない年代なので、練習にあきたり、一人で違う事を始めることもあります。まだ始めたばかりの子たちで、中にはゲームでの接触を怖がったりして積極的にボールを追えない子もいるのですが、この年代におすすめの練習はありますか?<池上さんのアドバイス>ご相談いただき、ありがとうございます。おっしゃる通り、脳の神経系統は6歳頃までにぐんと発達します。このあたりの概論は日本サッカー協会のB級ライセンスを取得する際に学びますね。では、6歳までに発達する90%とはどんなことでしょうか?■遊びの中で身体の動きをスムーズにすることもできる例えば、手の指が一本ずつ折れる。グー・チョキ・パーができる。そのような基本的な動きが該当します。そこから、例えば「右手がグーで左がパーをやってごらん」と言われると、ちょっと難しく感じる子どもが出てきます。さらに、その右手グー、左手パーと違うものを出している状態から「グー・チョキ・パーの順番で変えていこう」となったら、ひとつずつずれていくわけです。(大人でも難しかったりします)そうなると、左右違う動きがなかなかできません。そんな基本的な動きを、遊びのなかで行うだけで、身体の動きはスムーズになります。例えば、鬼ごっこ。鬼ごっこには、本当にいろんな動きが含まれています。鬼が来た。鬼が右に行こうとしたのを見定めて、左に動いてタッチを避ける。もしくはかわすためにしゃがむ。動いている場所に、石とか、椅子とか、何らかの障害物があればそれをよけたり、飛び越えて動く。そんなふうにたくさんの遊びの要素をもったものをメニューに取り入れると、スムーズな動きが自然に身についていきます。■サッカーボールを使った左右バランスの取れた発達を図る方法もまた、幼児期にできるものとしては、サッカーボールを手で使うメニューがあります。右手と左手、両方で交互に投げさせます。右で投げるときは右で投げる姿勢と動きに、左は左のそれになります。6歳くらいで始めると、利き手で投げる動作をたくさんやっていないので、左右どちらも簡単にできるようになります。利き手と逆の手で投げる不自由さを感じないので、子どもは抵抗なく交互に試るからでしょう。ずっと利き手ばかりで投げていると、利き手のほうがスムーズなので逆の手で投げたがらなくなります。これは大人もそうですね。これは、足でも同じことが起きます。6歳以下の幼児の頃から両方の足で蹴ることを遊びの中でたくさんやってみてください。そうすると、左右バランスのとれた発達が図れます。■あまり気負わないこと、大人が義務感をもってしまうと「遊び」が楽しめない少年サッカーでは、小学3年生くらいからコーディネーションのようなトレーニングをしていますね。そんなふうに考えてやってみてください。そして、気をつけたいのは「6歳になるまで90%成長してしまうから、今のうちにいろんなことをやろう」と大人が気負わないことです。あくまでも楽しく遊ばせてあげてください。何かの本に書かれている通りにやらせなくてはと大人が考えてしまうと、遊びでやっているはずが遊びでなくなってしまいます。もっと簡単に考えると、幼児期はスキップくらいで十分です。それより上、小学3年生くらいであれば、スキップしながら手を回す。手を叩きながらスキップする。身体全体をスムーズに動かすメニューですね。ほかにも、サイドステップをしながら手を回したり、道具を使う「ラダー」などさまざまあります。ネットで検索すればたくさん出てくるでしょう。ただし、そういった運動を長い時間やる必要はありません。ちょっと経験するくらいの程度でいいのです。足がクロスするような動きの入ったものも3年生くらいからやるといいでしょう。■遊びの要素はとても重要、「我慢」ではなく楽しくて続けられることを意識して「遊びの要素」はとても重要です。大阪教育大学の先生で「子どもの遊び」の研究をされていた方が、子どもが本当に楽しいと感じたものはいつまででもやると言われていました。ノコギリで丸太を切ることにハマってしまった子どもは、30分くらい一心不乱で切り続けます。幼児の集中力は、興味関心と関連があります。楽しくなれば、ずっとやります。大人は、小さい子はすぐ飽きてしまうと思いがちですが、彼らは集中力がないわけではありません。日本人の「集中力をあげる」というイメージですぐに浮かぶのは「我慢・忍耐力・根性」です。ここを改めなくてはいけません。子どもは楽しいものを提供すれば喜んで取り組みます。サッカーも、最初に一番楽しいはずの「試合」から入らないから、そんなことが起きるのだと思います。多少気が弱いとか、相手とぶつかりそうになったらやめるといった傾向があっても、試合はこんなことなんだよ、ボールの取りあいがあって、点が入るとうれしいよね、ということが伝えられたら子どもは変わっていきます。その点で、年齢が下がれば下がるほど、すべてが楽しいものになっている必要があります。指導者も同様の対象です。「あのコーチとやるのは楽しい」という評価が、コーチのありかたにつながってほしいと思います。ところが実際は「楽しい」よりも「勝たせてくれるかどうか」みたいなことがコーチの評価になりがちです。「積極的にやれ」「逃げるな!」と叱ったりする場面を見ることはまだ多いです。しかしながら、子どもにはそういう面があることを理解しておいてほしいのです。「いま、逃げなかったらどうなると思う?」と問いかけて、解決の方法を子どもと一緒に見つけ出すことが求められます。■「無理しなくていいよ」と言ってあげることが大事(写真は少年サッカーのイメージです。ご相談者様、ご相談内容とは関係ありません)じゃあ、どんな練習だったら、怖くないかな?こんなふうに一度やってみる?と、少し強度を下げたり、違う形でやるメニューを提供してみることで、子どもたちは克服できる。3年生、4年生になって、子どもがぐっと変わったりしませんか?そこまで待ってあげましょう。この子は弱気だと決めつけたり、無理やりやらせる必要はありません。サッカーが嫌いになってしまいます。「ぼく、できない」と言ったときに「無理しなくていいよ」と言ってあげること。何回かでできなからといって、その子の一生が決まるわけではありません。長い目で見てあげてください。6歳の子が何かができなければ「じゃあ、来年1年生になったらまたやるか」と言ってあげてください。池上正(いけがみ・ただし)「NPO法人I.K.O市原アカデミー」代表。大阪体育大学卒業後、大阪YMCAでサッカーを中心に幼児や小学生を指導。2002年、ジェフユナイテッド市原・千葉に育成普及部コーチとして加入。幼稚園、小学校などを巡回指導する「サッカーおとどけ隊」隊長として、千葉市・市原市を中心に年間190か所で延べ40万人の子どもたちを指導した。12年より16年シーズンまで、京都サンガF.C.で育成・普及部部長などを歴任。京都府内でも出前授業「つながり隊」を行い10万人を指導。ベストセラー『サッカーで子どもがぐんぐん伸びる11の魔法』(小学館)、『サッカーで子どもの力をひきだす池上さんのことば辞典』(監修/カンゼン)、『伸ばしたいなら離れなさいサッカーで考える子どもに育てる11の魔法』など多くの著書がある。
2020年08月28日通常学級に通わせる良さ、難しさ私は息子には特別支援教育しか受けさせていませんので、障害のある子を通常学級に通わせる良さを私は経験したことがありません。ですから本当のところはわかりません。これは例えば、双子を育てている人が「大変でしょ」と言われても、その人は双子を育てた経験しかありませんから比較するものがなく、答えようがないのと同様でしょう。もしかしたら、一人っ子でも大変な思いをしている人もいるかもしれません。通常学級に知的障害のある程度ある子どもを在籍させることで、定型発達のクラスメートから多くの刺激を受けることができるという、良い点もあると思います。地域の中に顔なじみの子ども達やその保護者がいることで、災害時など何かあった時にも気にかけてもらえたり、将来地域で暮らしていく時にも何かと安心かもしれません。けれども、残念ながら、いじめられることもあります。また、着替えなどがうまくできないと、自分から助けを求めなくてもいつの間にかクラスの子の誰かが手伝ってくれた結果、ヘルプを出す経験も積まず、また周りの人にやってもらうことが当たり前になってしまい、自立につながらないケースもあると聞きます。気をつけてあげたい、おとなしい子自己主張する積極的なタイプ、受け身のおとなしいタイプなど人間にはさまざまな性格があります。障害のある子も同様です。クラスメートを突きとばす、教室から脱走する、授業中に大声で叫ぶ――こうした行動がある場合、先生はほうっておくわけには行かず、叱ったり呼びに行ったりしなくてはなりません。行動が目立つので、そうせざるを得ないでしょう。また、本人からの「いやだ」とか「つらい」というSOSがあった時も、担任も保護者もキャッチしやすいでしょう。その問題行動が障害に起因していれば特別支援学級や特別支援教室(通級)へ行くことも検討されます。けれども、おとなしい子の場合はどうでしょう。授業がチンプンカンプンでも椅子にじっと座っている子、いじめられても黙っているタイプの子の場合、周りは本人がつらい状況にあっても、気づきにくいのではないでしょうか。クラスメートに危害を加えたり立ち歩いたりしないので、周りに迷惑をかけることもありません。その結果、問題に気づかれず、放置されてしまうケースもあると聞きます。教育虐待という言葉教育虐待という言葉を耳にしたことはありませんか?これは、「あなたのため」という大義名分のもと、保護者が子どもに課す行き過ぎた教育やしつけをすることを指します。しかしこれは、定型発達の子どもに限った話とは言えないのではないでしょうか。ある事例についてご紹介したいと思います。知的障害は中度でおとなしいタイプのAさん。義務教育の期間は保護者の意向もあり、通常学級に在籍していましたが、一般の高校受験は難しく、特別支援学校高等部に入学しました。入学してみるとAさん以外のクラスメートは、特別支援学級の出身者でした。Aさんより知的障害の程度は軽く、登校、着替えなどの身辺自立はもちろんのこと、読み書きもある程度できるようになっていました。また、「できないことは恥ずかしいことではない、わからないから助けてください」とSOSを出す教育も受けてきたので、“できないことは他人に頼る”ことも、中学までの間に学んでいました。ところが、通常学級に9年間在籍していたAさんは、Aさんにとって必要な支援をうけられていなかったため、持ち物管理、片づけ、着替え、一人登校などが身についていませんでした。きめ細かな対応には限界がある通常学級では教科書の内容を理解できるという前提で、国語、算数など授業が行われます。一クラスの人数は35人~40人、たとえ加配の先生がついたとしても基本、担任は一人でこの大人数の子どもを担当します。ついていけない子がいたら周囲や先生が「周りに遅れないように」とやってあげるなどで対応をし、みんな同じペースでカリキュラムをこなすことになります。これに対して特別支援学級では、質問のタイミングや着替え、生活のルールなど基本のきの部分から生活を作っていきます。通常学級では、丁寧な支援をしたくても、人数の関係もあり難しいこともあるのではないでしょうか。そして子どもは、黙って待っていれば、誰かがやってくれるという待ちの姿勢になってしまうこともあるのかもしれません。なによりも、わからない授業を9年の間、じっと座って受け続けていたAさんの苦痛はどれほどのものだったでしょう。さらには、身につけたい身辺自立の力は育むことはできなかったのです。自分から親や先生につらさを発信できないおとなしいタイプの子だからこそ、進級・進学先で困っていないかどうか、大人はアンテナを立てて気を付けて見なくてはならないと思います。小学校卒業までは、中学校卒業までは――いったん入学すると、卒業まではがんばろうと思いがちです。でも、子どもの様子をしっかりと見て、困っているのではないかと気づいたら、子どもにとって最適な環境を親や教師など支援者の側が速やかに用意をしてあげることが、何より子どもの力を育むのではないか。私はそう思うのです。
2020年08月22日発達障害のある私が、自立して生きていくために必要なもの発達障害があると、過集中やタスクのうっかり忘れ・先延ばしで生活リズムが乱れたり、日々小さな失敗体験を積み重ねたりしてしまいがちです。失敗に思い悩み、自己肯定感が下がり、さらに生活が乱れていく…私はそんな悪循環を繰り返していましたが、この悪循環を断ち切るのに、ITが大きく役に立ってくれました。ITは、「人にはできないタイプの支援」「人には気軽に頼めない、24時間レベルのマメな支援」を可能にします。これが発達障害者の困りごとにピタッとはまる、と私は感じています。まずは「本人や家族の困りごとを軽減してくれるITは身の回りにたくさんあるのだ」と知ることが大事です。ITを使いこなせば、発達障害児者の生活は想像以上に円滑で便利になるはずです。将来的にお子さんにITを使いこなしてもらいたいと考えるなら、まずは周囲の家族がどんどんITを活用してみて、その便利さを体感してみるとよいのではないでしょうか。生活リズムを整えようまず私がおすすめしたいのが、スマートスピーカーを、生活リズムを作る補助役として使うことです。スマートスピーカーとはAI(人工知能)を搭載したスピーカーで、声で話しかけたり事前に設定しておいたりすることでさまざまな動作をしてくれます。音声アシスタント「Alexa」の搭載されたAmazon Echo、「OK,Google」で動作するGoogle Homeなどがあります。このようなスマートスピーカーでは、時報を流すことができます。私はスマートスピーカーに、一定時間ごとに決まった文言を流してもらうようにしています。たとえば平日には以下のような感じです。9時です。洗濯は終わりましたか?10時です。少し身体を動かしましょう。10時半です。午前のお茶を飲みましょう。12時です。お昼の休憩をしましょう。3時です。お茶を飲んで一休みしましょう。4時です。作業をやめて、家事やセルフケアの準備をしましょう。7時です。夕ご飯は食べましたか?8時です。お風呂の準備をしましょう。このようにしておくと、ある程度の過集中であればハッと気がついて、そのとき移るべき次の行動に移るきっかけになります。「今日はなんだか生活のテンポが悪いな、知らないうちに時間がたっているな」というときは、時報を設定していない土日だったりします。人に「行動を修正すべきですよ」と気づかせるための刺激は、なるべく感情が乗っていないほうがいいと言われています。このため、たとえば指しゃぶりをしている子に指導していく場合、指しゃぶりに気づいたら声をかけるのではなく、ピッと機械的に笛を鳴らす方法が勧められることがあります。スマートスピーカーの声には感情が乗っていません。「機械的だ」と嫌われる場合もありますが、子どもの行動修正に関してはスマートスピーカーの機械的なところこそが威力を発揮するのではないかと思います。親が口を酸っぱくして指示しても聞かないのに、スマートスピーカーの指示にはスッと従う、という話もよく聞きます。家事・事務手続きをこなそう生活に必要な活動の中で、家事や事務手続きは、発達障害者が苦手なもののひとつです。基本的にマルチタスクで、細切れに時間をとられるものが多いからです。発達障害があると、ワーキングメモリ(情報を一時的に脳に保持する力)が小さいという傾向があります。タスクをこなすためのモチベーションにも困難を抱えがち。このため、「タスクが頭から吹っ飛んでしまう」「タスクを先延ばししてしまう」という失敗をしやすいのです。私は、こうした発達障害の特性からくる不得手を、ITを駆使することでかなり軽減できました。使うのは、タスク管理アプリ、カレンダーアプリ、スマートスピーカー。私は「Todoist」「Googleカレンダー」、Amazon Echo用の音声アシスタントアプリ「Amazon Alexa」を使っています。初めの設定がやや複雑ですが、TodoistとGoogleカレンダーとAmazon Alexaを連携させておくと、以下のような環境が実現できます。Alexaに話しかけるだけでTodoistにタスクが登録される↓Todoistのタスクに期日を設定するだけでGoogleカレンダーのスケジュールに登録される↓期日になるとスマホやPCに通知がくる発達障害者のタスク管理でもっとも重要なのは、「タスクが発生した瞬間にタスクを書き留める」ことだと私は思っています。発達障害者のタスクへの注意や意欲は、タスクが発生した瞬間の刺激で最も強く喚起される、と聞いたことがあるからです。あとで書き留めようと思っていたタスクがいつの間にか消し飛んでしまう現象は、タスク発生の瞬間の、最も忘れにくいタイミングを外してしまうから起きるのではないでしょうか。ここで大事になってくるのは、「いかにタスク発生の瞬間をとらえるか」です。タスク発生→タスク書き留め の間の敷居を限りなく低くする。これには、話しかけるだけでタスクをタスク管理アプリに登録してくれる、スマートスピーカーが最適です。冷凍してあるごはんのストックがなくなるなと思った瞬間に、「Alexa、やることリストに『ごはんを炊く』を追加して」と話しかける。そろそろ役所にあの書類を提出しなければと思った瞬間に、「Alexa、やることリストに『役所に書類提出』を追加して」と話しかける。サラダ油を使い切りそうだなと思った瞬間に、「Alexa、買い物リストに『サラダ油』を追加して」と話しかける。これだけで、まずは「タスクの消し飛び」だけは防ぐことができます。あとは私の場合、タスクが登録された先であるTodoistをPCやスマホで確認し、期日が必要なものには期日を追加してそのままGoogleカレンダーのスケジュールにも登録してしまいます。買い物リストは出先からスマホで確認しながら買い回りをします。このおかげで、その日に食べるごはんがない、役所の手続きの期日を過ぎてしまう、などといった失敗が激減しました。スマートスピーカーが我が家に来る前、私が最もストレスに感じていた家事が洗濯でした。仕事しながら洗濯をこなそうとして仕事に没頭してしまい、洗濯前につけおきしたまま忘れる、洗濯機をまわしたまま干すのを忘れる、といったことを繰り返して、干そうとしたときには午後になっていたり…こうした失敗が続くと本当にイライラしますし、「自分はなんてだらしないんだろう」と自己肯定感も下がっていきます。けれどスマートスピーカーのおかげでそんな生活も変わりました。スマートスピーカーにはタイマー機能があり、話しかけるだけでタイマーをかけてくれます。この「話しかけるだけ」というのが大きなポイントです。今までのタイマーは手元でぽちぽちボタンを押して設定する必要があり、「何かしながら設定する」ということができませんでした。けれど話しかけるだけなら、皿洗いしながらでも、部屋の中を歩き回りながらでも、「Alexa、45分のタイマーをかけて」などと、気軽にタイマーを設定することができます。スマートスピーカーのタイマー機能のおかげで、ちょっとしたときにタイマーをかける機会が大きく増え、気づいたら家事のテンポがよくなって、「自分なかなかやれてるじゃないの」と思えるようになっていました。スマートスピーカーには、タイマー機能だけでなく、指定の時間に音を鳴らしてくれるアラーム機能もあります。「1時間だけゲームしたい」「ゲームは◯時までね」といったときに、子どもに約束を守らせる手助けにもなるかもしれません。カレンダーアプリには、曜日ごとや週間ごとなどにスケジュールを繰り返す、「繰り返しスケジュール機能」があります。定期的に発生するスケジュールは、繰り返しスケジュール機能を使ってあらかじめ登録し、通知が来るようにしておくとよいでしょう。ごみの日、通院日など月レベルのものだけでなく、障害者手帳や自立支援制度の更新期限など、年単位のものを登録してもよいかもしれません。掃除のスケジュールや食事の献立も、あらかじめ曜日ごとに決めておくと、特にASDのある人は安心できそうです。◯曜日はトイレ、◯曜日はキッチンを掃除するとか、月水は肉、金曜は魚を食べる、火曜は焼き物、土曜は煮物、日曜は麺類、とか。家族ひとりひとりがカレンダーアプリのアカウントを作り、それに自分の予定を入れて互いにカレンダーを共有すれば、スマホやPCでカレンダーアプリを見るだけでお互いの予定が一覧できて便利です。私は夫と互いにカレンダーを共有しあっています。宅配が届く予定や訪問者の予定をスケジュールに入れておくのも便利です。お子さんが小さい場合、予定外の訪問者には決してドアを開けない、呼び鈴にも出ないように教えておくと、防犯上もよいかもしれません。少しお金がかかりますが、リビングの壁にGoogleカレンダー専用のディスプレイを設置し、そこに常時Googleカレンダーを表示しておくという手もあります。お子さんがまだスマホやPCを持っていない場合、家族共通のカレンダーをディスプレイに掲示していつでも見られるようにしておけると便利だと思います。自立生活をするには、毎日の食事の管理も大事です。頑張ってたまに料理できたとしても、それが毎日の食事となると別。料理もマルチタスクで体力も必要なので、一人暮らしだと食事の用意を負担に感じてカップ麺で済ませたりしがちです。今はたくさん便利なサービスがあります。お惣菜やレトルト食品、冷凍食品を使うだけでなく、宅食サービスやミールキット(届いた食材を料理するだけのキット)、食べ物のサブスクサービス(月々一定額で利用し放題など)を活用するのもひとつの手です。食材をうまく使い回せずに捨ててしまったり、栄養バランスが偏ったり料理に疲れてしまったりすることを考えると、一見割高に見える宅食サービスなどにも投資する価値があるかもしれません。お子さんのいるご家庭でも、食事にまつわる家事負担が大きくなっているときは気軽に導入してみると、お子さんの将来のための生活スキル教育になりつつ、家事負担の軽減にもなりそうです。また、お子さんが一人暮らしを始める際に利用できると、親御さんも安心かもしれません。お金の管理もきっちり発達障害があるとお金の管理にも苦労しがちです。なにしろ、家計簿をつけようとしてもともかく続かない… こういった困りごとを乗り越えるには、家計のキャッシュレス化と家計簿アプリの組み合わせが役に立ちます。まず、通販はクレジットカードで購入、日々のスーパーなどでの買い物には電子マネーを使うなどして、できるだけ家計のキャッシュレス化を進めます。そしてクレジットカードや電子マネーの情報を家計簿アプリに取り込みます。※災害などもしもの事態のため、現金は手元に数万円分用意しておくとよいと思います。家計簿アプリには自動取得機能があり、かなりの種類のカードや電子マネーなどの出入金記録を自動で取得してくれます。レシートを見ながら自分でぽちぽち入力する必要がないわけです。単に会計するだけで出入金が家計簿アプリに記録されていく…紙の家計簿の時代と比較すると驚きの便利さです。カードや電子マネーなどの種類によっては自動取得に対応していないものがありますが、その場合もレシートをスマホのカメラ機能で読み取る機能があったりと、紙の家計簿よりも圧倒的に続けやすくなっています。お金の使用状況のレポートも自動で作成してくれ、週ごと、月ごとに「今月は使いすぎています」とか「指定額以上の出金がありました」とか通知してくれるので、お金に関する自己管理の大きな助けになります。私はお金の管理に非常に苦手意識があるのですが、子どものころからこういったアプリがあったら、お金についてもっと自信を持って過ごせたのではないかと思っています。私は家計簿アプリは「マネーフォワードME」を使っています。近い将来、子ども向けのサービスを開発することも検討中だそうなので、お子さんのお小遣い管理などで取り入れてみてもいいかもしれません。服飾品の管理を乗り切ろう発達障害者が社会人になったときに苦労するのが身だしなみです。子どものうちは家族が服を用意したり、お風呂や歯磨き、散髪などを管理したりしてくれますし、制服のある学校も多いですが、大人となるとそうはいきません。お風呂や歯磨き、散髪などはタスクとして家事と同様に処理していくとして、持っている服飾品の管理はどうしましょう。実はこの分野にもITが役立ちます。私も最近見つけたのですが、「クローゼット管理アプリ」というものがあるのです。クローゼット管理アプリとは、クローゼットの中身(服、鞄、ファッション小物)を管理するアプリです。クローゼットの中身を登録しておくと、AIがその日の登録地点の気温や天気に合わせてコーディネートを提案してくれたりします。発達障害がある人の中には、「見えていないものは『ない』」という認知傾向のある人がいて、どんどん服を買い込んでクローゼットから服が溢れているのに今日出かけるための服が決まらない、ということもあります。私の場合、20代のころはこうした傾向をきっかけに身支度に悩んで何時間も費やすことが多くなり、それがひきこもりの原因のひとつにもなりました。クローゼット管理アプリは、身支度を格段に楽にしてくれます。最初のアイテム登録は大変ですが、一度アイテムを登録してしまえばAIが最低限ちぐはぐでないファッションを提案してくれるので、毎朝あてもなく鏡の前で悩む必要がなくなります。アイテムごとの使用回数も記録してくれるので、「これは1回しか着ていないから」などと、断捨離する際の判断材料も提供してくれます。整理整頓しよう生活の中で意外とスペースを圧迫するのが、「ちょっと大事な印刷物」ではないでしょうか。大きさも形もバラバラで、そのままとっておくには労力もスペースも必要です。こうしたものは私の場合、届いたらすぐにスキャンして、クラウドストレージ(ネット上のデータ倉庫)に預けてしまいます。発達障害者の場合、管理できる情報の上限が発達障害のない人よりも低いと言われています。家の中にモノや情報が増えすぎるとその人の管理能力のキャパシティを超え、結果的にどんどん散らかっていってしまう。こうした散らかる流れを断ち切るためにも、減らせるモノは減らしていくのがコツだと思います。クラウドストレージにはいろいろあるのですが、私はDropbox、Evernote、Googleドライブを使っています。詳細は仕事編でお伝えします。役に立つ本最後に、ITとは関係ありませんが、発達障害者が自立生活を送るうえで必要な生活スキルについてまとめた本を紹介しておきます。支援者向けの本ですが、発達障害の子どものいるご家族や、高校生以上のお子さんにとって参考になりそうな情報がたくさんあります。個人的に重要だと思っているのは、「ああ、こんなことも意外と練習が必要なんだな」という気づきです。本人が読んで理解できる本です。ふりがなのついた平易な文章で書いてあるので、子どもでも読みこなすことができるでしょう。災害があったときどうするか、犯罪から身を守るには、お金の管理方法など、こういう内容こそ義務教育で教えてほしいという内容が詰まっています。
2020年08月18日気持ちを上げるために発達障害の娘は今年で社会人3年目です。今では休むことなく毎日勤務している娘ですが、就職して間もない頃は嘔吐や頭痛、腹痛などでよく会社を休んだり早退したりしていました。状況改善のためジョブコーチや地域活動ホームの相談員さんと連携・相談などをする一方で、気分が落ち込み気味だった娘のモチベーションアップのため、家庭では仕事以外の趣味や余暇の過ごし方を工夫しました。休みのときはスイーツを食べたり、カラオケに行ったりしました。また、唯一好きなスポーツ、水泳で体を動かしたりもしました。中でも、娘が小さい頃から大好きだった絵画の制作には多くの時間を費やしました。あるとき、娘が描いた絵画が、ある賞を受賞したと主催者から連絡がきました。私は娘の気持ちを上げるため、ここぞとばかり娘を褒めまくりました。Upload By 荒木まち子その様子を見ていた定型発達の弟の反応は...Upload By 荒木まち子メディアの影響もあるのかも確かに娘には凸凹があります。空間認知能力が低い。聴覚過敏がある。人とのコミュニケーションが取りにくい。計算が苦手。それでいて本から学んだ知識の量、PCスキル、勢いのある絵の描写や色彩のセンスは優れています。でもそれらが『特別な才能』と言えるほどかというと、正直“?”な感じです。息子は当時10才。まだ幼いこともあり、よくメディアなどで取り上げられる『障害のある人は、特定の分野においてずば抜けた才能がある』といった情報を鵜呑みにしていたのかもしれません。実際『ある分野で天才的に秀でた能力を持っている障害者』もいるでしょう。しかしながらそれはほんの一握りであって、娘を含め多くの障害者はそうではありません。私は娘が「得意なこと」や「好きなこと」で生計を立てていくことを望んではいません。本人が熱意と覚悟を持ってそれを希望するなら話は別ですが、好きなことも仕事になると自分の思い通りにならないことが多く、逆に辛くなるということを、娘はすでに経験から学んでいます。また、娘は体調がメンタルに左右されやすいタイプです。趣味や好きなことでストレスを発散し、精神的・身体的に落ち着いて、“毎日ハッピー!”とまではいかなくても、辛いとかしんどいと感じない日々を送ってくれたら良いな、と私は思っています。私は自己肯定感が低い娘の気分がアップして、メンタルの安定に繋がれば…という気持ちで彼女を褒めてきました。なので、息子が姉を羨ましいと感じていることに驚きました。Upload By 荒木まち子親として“同じだけ気にかけている”をアピール定型発達児・者が難なくできることに障害児・者は多くの労力を使いますし、その努力が報われないこともままあります。なので親は彼らの小さな一歩に大きな幸せを感じることがあります。でも定型発達児・者も苦労や努力をしていないわけではありません。きょうだい児より障害のある子どもの方が手がかかるため、関わる時間に差がでてしまうかもしれないけれど、“気持ちの面ではどちらも同じだけに気にかけている”ということを両者に上手く伝わるようにしていくことも、とても大切なのだと感じました。息子は運動が得意で他人とのコミュニケーション能力に優れています。読書が苦手で算数が好きです。幸いにも娘とは真逆のタイプなので、それぞれの得意分野を違ったアプローチで褒めることができます。「これからは娘が嫉妬しない程度に、息子の長所ももっと褒めていこう!」と私はこの時思いました。息子は娘と違って微妙な空気の違いを察することができるので、娘に対してするような“大げさな褒め”ではなく“ほどほどの褒め”を心掛けつつ(笑)
2020年08月13日計12名様に! 日々のお子さんとの関わりに役立つ書籍をプレゼントしますLITALICO発達ナビでは、書籍レビューコラムや新刊情報コラムにて、発達障害や子育てに関する本の情報をお届けしています。今回は「夏の読書企画」と題し、発達ナビユーザーの皆さまに話題の新刊を抽選でプレゼントします!出版社のご協力のもと、発達ナビでおなじみのライターさんの著書などをご用意しました。ぜひ興味のある書籍を選んで応募してください!2020年夏の書籍プレゼントキャンペーンの応募期間は、2020年8月21日(金) 18時まで。下記の応募要項を確認の上、奮ってご応募ください!【応募要項】■ご応募はお1人様1回までです。■当選した方には、書籍の送付先をお伺いするため8月31日(月)までにメールにてご連絡いたします。ご応募の際は必ず受信確認ができるメールアドレスをご入力ください。※ご連絡が取れない場合、期日までに送付先情報がいただけない場合には、当選は無効となります。■個人情報取扱の注意事項にご同意の上お申込ください。お申込いただいた時点で同意いただけたとみなします。発達ナビでコラム連載中のSAKURAさんの著書です。SAKURAさんの長女のあーさんは、自閉症スペクトラム障害のある女の子です。本書はあーさんの9年間の成長過程をまとめたものとなっていて、幼稚園時代から小学校入学、学校や放課後等デイサービスでの出来事が綴られています。進路先選びや、通常学級から特別支援級へと転籍した際のエピソードなども。さらに、鳥取大学大学院の井上雅彦先生による解説も各章ごとに入っています。タイトルにある「個性の塊」という言葉は、あーさんの発達支援センターの先生から言われたものでした。それまで、あーさんが他の子と違うことに葛藤を抱くこともあったというSAKURAさん。しかし、この主治医の言葉によって、SAKURAさん自身の気持ちが、「娘の個性をもっと楽しもう」という前向きな方向に変わったのだそうです。そこから、SAKURAさんはあーさんが一人で行動するようになったときに困らないように、と「今できること」として療育をスタートします。この本には、そんな療育についての手がかりを見つけるヒントがたくさん詰まっています!著者は、発達ナビでコラム連載中の楽々かあさん。楽々かあさんが育児を続けるうえで、効率のいい声かけ例をまとめた自作の「声かけ変換表」が書籍化されました。自身も3人の子育て真っ最中の楽々かあさん。かつては自分も怒ってばかりでうまくいっていなかったと本の中で語っています。この本ではそんな著者の苦い経験から、どんな子にも伝わりやすい166もの声かけ変換例を、身近な話を用いて具体的に分かりやすく紹介しています。著者は「子育ては長期戦、無理なく続けられることが大事」と語っており、毎日がラクになる親子コミュニケーションのヒントもたくさん掲載しています。「お子さんに言っていることが『伝わらない』」という方は、本書をヒントに声かけを変換してみるといいかもしれません。著者は、長年にわたり発達障害のある子とその家族の相談支援に携わってきた経験をもつ、星槎大学大学院の阿部利彦教授。著書も多数あり、発達ナビのイベントでの登壇もいただいているので、ご存知の方も多いでしょう。7月に発売された新しい著書は、発達障害のある子を育てている保護者をはじめとした大人が身につけたい「応援スキル」を紹介する一冊です。本のなかで、著者は「保護者の方も自分の人生を楽しむことを忘れないでほしい」と語っています。発達障害のある子どもたちを育てている保護者だって、人間です。イライラしたり、つまずいたりしながらも、いつも子どもの一番の応援団でありたいと願っています。本書は、そんな保護者が日々子どもと接し声かけする中で思いをより適切に伝えるためのスキルを、具体例を示しながら教えてくれています。「また怒っちゃった」「こんなときはどうしたらいいのかな」と思ったときに本書を手に取れば、「次はこうやってみよう」と前向きになれるのではないでしょうか。「コミュニケーションが苦手」などと表現されることはよくあるかと思いますが、そもそもコミュニケーションとはどのようなものなのでしょうか。本書ではコミュニケーションは“双方向のやりとり“であると定義し、「社会モデル」で捉えながら、その人の特性だけではなく身近で関わる人々や環境にまで視点を向けた支援を行うことの重要性と、そのポイントについて解説しています。LITALICO研究所所長の野口晃菜さん、 LITALICOワークスのシニアスーパーバイザー・LITALICO研究所のチーフリサーチャーを務める陶貴行さんが編著、そして7名の専門家による支援事例の紹介も含んだ構成となっているので、理論と実践を結びつけて学びやすく、支援の現場で役立てられる内容が詰まっています。
2020年08月10日長男が8歳のとき、発達障害の1つである「ADHD」の診断がおりました。さらにお医者さんが言うには、自閉症の傾向も高めとのこと。生後半年ごろには育てにくさを感じていたのですが、受診に至ることはありませんでした。長男の発達障害がわかるまでの体験談と、「こうすればよかった!」と思ったことを紹介します。うちの子に限って!と思っていた私赤ちゃんのころからまったく人見知りをせず、抱くと毎回反り返っていた長男。とにかく動き回る子で、生後10カ月のころには私が疲労で倒れてしまいました。特におかしいなと思ったのが、月齢に合わせて届く通信教育のおもちゃをまったく使いこなせなかったこと。 ビデオ教材で見た子どもたちと違い、長男はおもちゃが分解できないことにかんしゃくを起こしていたのです。そこで発達の遅れを気にすればよかったのですが、私も初心者ママ。「まさかうちの子に発達の遅れがあるはずない」と思い込んでしまいました。 健診では悩みをうまく伝えられず…3歳までに何度か健診がありましたが、長男の発達について指摘されることはありませんでした。普段はかんしゃくを起こしがちな長男ですが、健診のときはたまたま落ち着いていたのです。 さらに健診では、保健師さんとママが1対1でお話する機会があります。保健師さんには長男に手がかかることは伝えていたのですが、具体例をうまく伝えられませんでした。事前に気になることをメモしておけば、スムーズに相談できたのかなと思います。 IQテストでまさかの平均値!健診をスルーした長男でしたが、何度か自主的に市の子育て相談にも行きました。そこでも問題は指摘されず、私はすっかり疲れ果てていました。そして5歳のとき、保育園の先生から市の療育室を紹介されたのです。 その療育室では、IQテストを受ける機会がありました。このときには「長男には何か問題があるはずだ!」と思っていた私は、これで何かわかるかも!とうっすら期待……。しかし結果は平均値。ここまでくると、私の育て方がいけないのでは?と思う自分がいました。 受診の希望を伝えると一気に話が進み!転機が訪れたのは、小学2年生に進級してすぐのこと。次男の1歳半健診のときに、長男のことで悩んでいると相談したのです。すると、県から委託されている相談先を紹介されました。それを聞いた私は即行動! 新しい相談先でIQテストを受けると、発達にかなりの凹凸があるとわかりました。 受診の促しはありませんでしたが、今度はこちらから受診を希望していると伝えました。そこからはトントン拍子で病院を紹介され、すぐにADHDの診断がおりたのです。 ふり返ると、こうしておけばよかったなと思うことがいくつかあります。まずは、「わが子に限って」と思い込まないこと。それから、健診では事前に気になる点をメモしておくこと。そして、親としての希望があればこちらから伝えていくことです。自分がどう思っているか・どうしたいのかを相手に伝えることは、とても大事だと学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年08月09日約600名が参加!イベントの様子を紹介Upload By 発達ナビニュース2020年7月10日、「発達障害のある子どもと周囲との関係性を支援する~コミュニケーション支援のための6つのポイントと5つのフォーカス~ 」の出版記念イベントをオンラインで開催しました。イベントには、書籍の執筆に関わったLITALICO研究所所長の野口晃菜ほか著者・編集者4人が登壇し、オンライントークセッションを行いました。このイベントには、約600名がリアルタイムで参加。発達障害がある子どものこれからの支援について、関心の高さがうかがえるイベントとなりました。なぜ、この書籍を書こうと思ったのか?Upload By 発達ナビニュース本書の企画から編集までを務めた野口晃菜さんはイベント冒頭で、「本を書くのが苦手で、様々な書籍の執筆の依頼を断ってきました(笑)」と、話しました。そんな野口さんが、今回書籍を企画からやろうと踏み切った理由は3つあるとのことでした。1つ目は、「障害のある人のコミュニケーションの困難さはどこにあるのか?」を発信したいこと。本来、コミュニケーションは「双方向のやりとり」であるため、障害のある人のみに原因があるわけではないはず。それを多くの方にこの書籍を通して知っていただきたいということ。2つ目は、野口さん自身が尊敬している支援者と彼らの支援・取り組みについて知ってもらいたいという想いから。本書では、その7人の支援者が、それぞれの専門性からの支援の事例を紹介しています。3つ目は、発達障害の子どもの支援には、非常に多くの専門家・支援者が関わっているが、共通言語がなく、それぞれの専門性が活かしきれていないという課題感から。本書はこのような想いをもとに、高い専門性がありながらも、誰でも読めるようなわかりやすさがあり、コミュニケーション支援における共通言語と共通のポイントをまとめてあります。イベントでは、著者編集者自らが、自らの専門性に基づき、一歩進んだコミュニケーション支援をするための共通のポイントについて語りました。著者らが大切にしているコミュニケーション支援のポイントとは?Upload By 発達ナビニュースパネルディスカッションでは、本書のサブタイトルにもなっている「6つのコミュニケーション支援のポイント」について、4人の登壇者が自身が特に大切だと思っているポイントを選びトークが繰り広げられました。Upload By 発達ナビニュース緒方さんは6つのポイントの一番最初のポイント”「わからないから知りたい」からスタートする”を選択しました。全ての支援のはじまりになるのは、「この子が何をどう感じているのか?」「その子のこともっともっと知りたい」「お子さんや親御さんは何が大変なんだろう?」という想いがやっぱり大事。親御さんやお子さんが歩んできた歴史を理解したうえで、支援をするということを大切にしていきたいと話しました。Upload By 発達ナビニュース野口さんが選択したのは”誰かに原因を求めても解決しない”でした。「人間、うまくいかなかったとき、どうしても誰かのせいにしたくなる」自分自身もうまくいかなかった時に、子どもや関係者のせいにしたことがあるという野口さんですが、誰かのせいにしてもうまくいくわけではなく、自分が変わらなくてはいけないと気付いたとのことです。自分に対しても同じで、ただ自責しても良い支援ができるようになるわけではないとも話しました。そんな時大切にしているのは、その人の中に原因があるのではなくて、その人と、その人を取り巻く環境の相互作用の中に何かのズレが発生しているという考え方だと言います。Upload By 発達ナビニュース陶さんは全てのポイントが大切だと言いつつも、”キラキラポイントに目を向ける”を選択。「困難を切り抜ける時、キラキラしていることで切り抜けてきている」これは、これまでの支援の経験の中で、利用者から教えてもらったとのこと。生きていくとはそういうことだとも言います。子どもだけの力、先生・親御さんだけの力では難しく、みんなでキラキラするポイントを環境調整して引き出すように支援していくことが大切ではないかと話していました。Upload By 発達ナビニュース井上さんは、”チームで支援する”を選択。お子さんが感じていることのサインを、チームで見逃さないこと。そして、お子さんの本当に伝えたいことは何なのかをチームで考えることが大切だと話しました。また、良いチームは?という問いに対し、「フラットに、違いも踏まえて対話し続けられるチーム」という回答もありました。体験していくしかなくて、気付いた人から啓蒙していくことが大事だということです。Upload By 発達ナビニュースこのレポートでは伝えきれないくらい、興味深い話が多くつまったイベントでした。ご関心がある方はぜひ、アーカイブでイベントの様子をチェックしてみてください。アーカイブはこちらからご覧になれます!Upload By 発達ナビニュース■ イベント概要 ■ ■2020年7月4日(土)に「発達障害のある子どもと周囲との関係性を支援する~コミュニケーション支援のための6つのポイントと5つのフォーカス~ 」が出版されました。これを記念した執筆者達によるオンライントークイベントが開催されました。■ 登壇者プロフィール ■ ■<野口晃菜>博士(障害科学)。小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業時に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。その後小学校講師を経て、現在障害のある方の教育と就労支援に取り組む株式会社LITALICOにてLITALICO研究所所長として、一人ひとりに合わせた支援・教育の実現のための仕組みづくり、自治体との共同研究、少年院との連携などに取り組む。文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」委員<陶 貴行>株式会社LITALICOLITALICOワークスシニアスーパーバイザー・LITALICO研究所チーフリサーチャー約15年障害のある方の就労支援に携わっている。元、障害者職業カウンセラーで、専門は職業リハビリテーション、応用行動分析、認知行動療法。公認心理師、臨床心理士も取得している。これまで、障害のある方の就労支援における応用行動分析や認知行動療法による介入や就労移行支援事業所スタッフ向けのスタッフトレーニング(応用行動分析のスキル習得)、障害者の職場定着に影響を与える要因を検討するための調査、インターネット認知行動療法の効果検討等の研究を行ってきている。現在は、アクセプタンス&コミットメント・セラピーの就労移行支援事業所における応用や、就労移行支援事業所におけるオープンダイアローグの実践を行い、その効果を検討する研究を行っている。<井上いつか>株式会社LITALICOLITALICOジュニアアドバイザー言語聴覚士医療・福祉機関で勤務後、現在フリーランス。複数の支援機関でお子さんの療育や自立支援、ご家族や指導者のサポートを行っている。<緒方広海>株式会社LITALICOLITALICOジュニアチーフスーパーバイザー公認心理師臨床心理士さいたま市にて専門職(心理)として約15年間従事。こころの健康センター(精神保健福祉センター)、障害者総合支援センター(発達障害者支援センター)、子ども家庭総合センターなどで、乳幼児から成人期までの精神保健福祉、障害福祉の分野で幅広く心理臨床業務に携わる。現職においても支援に関わる指導員への研修やスーパーバイザーの育成の統括を担当している。
2020年08月06日赤ちゃんのころから発達がゆっくりだった長男が1歳半健診を受けた際、「耳が聞こえていないかもしれません」と言われました。ショックを受けながらも紹介された耳鼻科に連れて行き、検査をした結果……。長男の発達障害に気付いたときの体験談を紹介します。1歳半健診では指示されたように長男は積み木を積む、車などの物の名前を聞いて絵を指さすなど、月齢相応のことは何もできませんでした。その結果、個別の発達相談に呼ばれることに。育て方の悪さを指摘されると思って私がビクビクしていると、保健師さんから「お子さんは耳が聞こえていないかもしれません」という予想外のひと言が伝えられました。 厳密には「声が聞こえにくいのかもしれない」とのこと。そこで専門的な検査ができる耳鼻科を紹介され、病院で検査を受けることに。 防音された部屋でおこなわれる聴力検査。その検査が終わり、伝えられる結果によってこの先の人生が大きく変わることになるとは、このときは気付いていませんでした。 そして検査が終わり、耳鼻科医から伝えられたのは「お子さんの聴力に異常はありません。発達支援センターを紹介しましょう」という結果でした。 「市の健診」→「耳鼻科」→「発達支援センター」という流れで、長男の発達障害を知ることになりました。健診での指摘は大変ショックなものではありましたが、この指摘がなければ、早くに長男の障害に気付けなかったと思います。受け入れるには勇気が必要な健診での指摘。前向きにとらえることは、結果的に自分のためにも子どものためにもなると感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/戸塚麻心作画/和田フミ江監修/助産師REIKO
2020年08月05日発達障害当事者との対談連載、スタート発達障害を描いたドキュメンタリーCM「見えない障害と生きる。」でプロデューサーを務めた東海テレビの桑山知之が聞き手となり、さまざまな発達障害の当事者と対談する連載がスタート。連載初回は、このCMにも出演したラッパー・GOMESSを取材し、「家族と発達障害」について語ってもらった。10歳の冬、診断は高機能自閉症…あだ名は“障害者”GOMESSが初めてパニックを起こしたのは、地元のバザーに家族で行ったときのことだった。楽しむ母や姉を横目に公園でうたた寝をしていたところ、ふと首に違和感を覚えた。毛虫だった。GOMESSは、毛虫が大の苦手だった。我に返ると、パニックを起こしたGOMESSは母親によって強く抱きしめられていたという。後日、家族に連れられ赴いた精神病院で、高機能自閉症という診断を受けた。その後、症状が悪化するのを見かねた母は、小学5年の春、担任教師に相談した。自閉症とはどういうものか、子どもにも分かるような資料が朝の会で配られた。「それが成功する可能性もあったと思うんですよ。でも僕の場合は違って。陰で言われてたのは、障害者とか、野獣とか、エイリアンとか……。どんどん学校に行きづらくなりました」そこから5年間にわたり不登校、引きこもり生活を送ったGOMESS。今でこそ母の支えや頑張りが痛いほど分かるものの、当時は「お母さんが余計なことをしたから」と責めてしまったと振り返る。しばらくは母もなんとか学校に行かせようとしたが、GOMESSは強く抵抗した。「本当に悪いことなんですけど、すぐに死をほのめかしてたんですよ。『そんなに言うんだったら学校に行くフリして死ぬけどね?』とか。『生まれてこなきゃよかった』とか、お母さんに直接言わなくてよかったようなこともいっぱい言いました」3歳上の姉とは、自身が引きこもる前はケンカもしていたが、やがてほとんど会話もなくなった。避けられていた。「ずっと部屋で暗い顔してる弟は嫌だったんじゃないですかね」。Upload By 桑山 知之担当医「この子にはできないことがある」親が考える“正規ルート”からの脱却静岡県内の精神病院で診断を受けたGOMESS。代表的な楽曲の一つ『人間失格』にも登場する当時の担当医師“カゲヤマ先生”のある言葉で、家族の接し方は変わっていったという。「カゲヤマ先生がいなかったらうちの家庭はダメだったと思います。お母さんたちに『この子にはできないことがあります。それはできるものじゃないです。無理なものは無理。それをきっぱりと親が諦めてください』と言ってくれたんですよ。そこから僕の生活が楽になりましたね。文字が読めないのも、頑張って読めと言われなくなりましたし、ひどい偏食も理解してくれるようになりました。いつかカゲヤマ先生にお礼を言いたいんですよね」言うなれば「お父さんはスポ根の熱血系で、お母さんは知性と優しさ」だという両親。どちらかが叱るときは、もう一方が必ず優しく包み込んでくれた。特に母は、海外の和訳本を取り寄せるほど発達障害に関する本を読み漁るなど、息子について理解を深めようと努力を惜しまなかったという。GOMESSは「親がしてくれたことはすべて自分のことを思っての行動だった」と当時を振り返りながら、「子としてはすごく理想の両親」と誇らしげに語る。「親が予定していた我が子の“正規ルート”みたいなものからの“外れ方”ってすごく大事だと思うんです。一番まずいのは、子どもが何もしなくなること。どんな形であれ、ポジティブな気持ちで何かやろうとしていることがあるんだったら、止めない方がいいと思います。ポジティブな気持ちを何かに向けてることってけっこう奇跡だから、その奇跡的なポジティブは守ってあげてほしい」進学や就職など、親が思い描く「理想」は少なからずある。しかし、それは必ずしも我が子を幸せにするとも限らない。引きこもっている間も呆けるだけでは退屈だったGOMESSは、親に見守られながら、とにかく熱中できるものを追い求め続けたのだった。Upload By 桑山 知之教科書は読めないが、五線譜は読める色んなものに熱中していく中で、「音楽」へと到達するまでにそう時間は掛からなかった。ワールドミュージックを聴けば、ラテンのリズムについて母に力説していた。文字が読めないゆえ、教科書は読めなかったが、五線譜はすぐに読めるようになった。気づけば自ら音楽を作るようになっていた。「(親としては)本当は学校行かないにしても義務教育で習うものくらいは勉強してほしかったんだと思いますけどね。これだけ熱心にやってるんだからいいか、みたいな。僕は“プレイ”よりも“クリエイト”の方が好きだから、毎日毎日色んなことをクリエイションするようになって。その中で音楽が一番ハマりました」ここでもう一つエピソードがある。「音楽に勉強的だった」頃、ゲームにも没頭していた。裕福な家庭ではなかったため、買ってもらえたのは中古で300円ほどのスーパーファミコンのソフト『RPGツクール2』。その名の通り、命令や画像・音楽を組み合わせ、オリジナルのロールプレイングゲームを作るゲームで、GOMESSはPC版も含めこのシリーズをやり込んだ。そこで音楽素材のため、曲を作り始めたのだという。結果、自作のRPGは完成しなかったが、サウンドトラックはできていた。「親がゲームを止めないでくれたんですよね。それは大きかったですね。だからポジティブな気持ちで何かやってるときは、そういう何かが生まれることがある」姉が好きだというモーニング娘。のCDも借りて聴き、衝撃を受けた。「これめっちゃファンクじゃん!すげぇかっこいい!」と、インストゥルメンタル版のテンポを遅めてビートを乗せ、ラップをする。自然とサンプリングもこなれたものになっていた。Upload By 桑山 知之家族が疲弊…ラップが人生を見つめ直すきっかけに献身的に我が子を見守り続けた親だったが、自分を責め、時に精神的に病むこともあったという。「何年も何年も手を尽くしてくれた結果、頑張った末ですね。俺もズカズカとお母さんに言っちゃうから、お母さんは自分を責め続けちゃって。お母さんが僕よりも程度のひどい引きこもりになりました。部屋から出てこないみたいな。台所とかでたまたま会って、目が合うと下向いてすぐに速足で自分の部屋に帰っていって、扉をバンと閉めるみたいな」当時は自分が正気を保つのに精一杯で、家族に支えられていることに気付いていなかった。ラップを通して、いつしか自己を客観的に見られるようになった。「CDデビューをしたり、テレビに出たり、ライブをしたりするようになってから、精神的自立が始まったのかなと思うんですよね。その辺から少しずつ。歳で言えば18・19歳から20・21歳にかけての4年間くらい。僕にとって過去の清算じゃないですけど、こういう恩恵を受けていたんだなとか、一つひとつ噛み砕いていく時間だったなと思います」第2回『高校生RAP選手権』で準優勝を収め、世間からの注目が彼に集まる中で、姉も存在を認めるようになっていた。家でブツブツとラップをしていた引きこもりの弟が、「お姉ちゃんにとっても、ようやく人として接する価値のある人間になれたのかな」と感じた瞬間だった。Upload By 桑山 知之家族を幸せにするために、僕は幸せにならなきゃいけない自身の人生は「みんなのおかげで運良く素敵になった」と語るGOMESS。一方で、母から「私があなたをフツウに産んであげられなかった」と、我が子に対して罪を感じていることを吐露されたこともあった。自分にできることは何か。答えは明確だった。「手間暇かけて全力注いで頑張って育てた息子が人様の役に立つっていうのは、きっとすごくお母さんにとって誇らしいことの一つだと思うから、実際“罪滅ぼし”はできないにしても、何かお母さんのためになると信じてやっているんです」GOMESSは、ラッパーとしての現在の活動について「罪滅ぼしみたいな気持ち」と表現する。「だから、僕は幸せにならなきゃいけないんだなって。僕が幸せになれば、お母さんが感じてきた罪悪感は消えるんじゃないかなと思うんですよね」Upload By 桑山 知之GOMESSがCM「見えない障害と生きる。」で書き下ろした楽曲『COMMON』は、Apple Musicなどで近日配信予定。本連載では、第2回以降も桑山知之が見えない障害のある人を取材し、社会で生きる上でのヒントを探っていく。平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。・2019年 日本民間放送連盟賞 CM部門 最優秀賞・2019 59th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS フィルム部門Aカテゴリー ACCゴールド・第58回JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール 経済産業大臣賞・第57回(2019年度)ギャラクシー賞 CM部門 優秀賞取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海公式サイト
2020年08月03日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト