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発達凸凹の困りごとを解決するヒントが分かる『でこぼこポン!』Upload By 発達ナビニュース発達障害や、発達に凸凹のあるお子さんが、社会生活で大切なスキルを学べる番組『でこぼこポン!』。2021年3月、12月の放送で大きな反響がありました。そして好評の声を受け、この春NHK Eテレでレギュラー放送が決定。放送時間は、火曜日午前 8:35~8:45(再放送:木曜 午前 7:20~7:30)。いよいよ2022年4月5日(火)から放送スタートします!『でこぼこポン!』は、お笑い芸人・俳優の鳥居みゆきさんが演じるはかせの「でこりん」、はかせの年の離れた友達「ぼこすけ」、不思議な生き物「ポン」の仲良し3人が繰り広げるドタバタ劇。発達に凸凹があるお子さんにとってよくあるシチュエーションや、そのサポート方法を描いたドラマを中心に、テレビの前で一緒に遊べるゲームやダンスなどの楽しいコーナーも通してお子さんの発達をサポートします。第1回の放送から「でこりん」役として出演する鳥居みゆきさんにお話を伺いました。Upload By 発達ナビニュースーー昨年3月、12月の「でこぼこポン!」放送後の周りの方からの反響はいかがでしたか?鳥居みゆきさん(以下、鳥居さん):周りの発達障害のある子どもを育てる親御さんは、今までカミングアウトしづらかったらしいんですね。それが、「でこぼこポン!」が放送されたあと「実は言ってなかったんだけど…」って話してくれる人が結構多くいました。その話を、私がまた「結構カミングアウトしてくれる人が増えたよ」と伝えると、それでまたそれぞれ安心してくださって。みんなに「すごく気が楽になった」と言われました。実は、私の親戚の子どもにも発達障害のあるんですけど、昔は「何で?」と思っていた行動も、「でこぼこポン!」を通して客観的にみることができてその行動も「あっ」と理解ができたんです。それに特性による行動って、みんなもあてはまることの延長だったり、それが強いか、弱いかだったりするだけなんだなと思いました。私も自分の親から「落ち着きがないな」とか「何でそんなことで怒るの?」とか「何ですぐパニックになるの?」とか、小さいころからよく言われてました。それもあって「でこぼこポン!」で取り上げる困りごとは、みんなそれぞれあてはまることじゃんって思って。だから私も「今まで何で(周りの人たちを)理解しようとしてなかったんだろう」と思いました。私も今回でこりん役をやらせていただきましたが、でこりんだけでなくて、ぼこすけの悩みとかも全部あてはまってて(笑)。「でこりん」みたいにみんなが発明品をつくることができるわけじゃないけど、こういう考え方をすればいいんだって言うのが分かりました。ーー番組を楽しみにしている方たちへのメッセージをお願いします。私の身近な人は、これまでの放送がきっかけでカミングアウトしてくれた人が結構いたんですが、カミングアウトすることだけが正しいというわけでないのかなと思うんですよ。だから別に「言う・言わない」はそれぞれだと思うんですけど、「でこぼこポン!」を通してちょっとでも気が楽になってくれたら、と言うか、そんなにあんまり「気が楽」とかも考えず、「でこぼこポン!」を楽しいなと感じてくれるだけでもいいなと思っています。ストーリーに出てくる「この発明品、おもしろいなあ」でも。みなさんに番組をフランクに楽しんでいただけたらなと思っています。4月5日放送「声の大きさ調節の発明品」Upload By 発達ナビニュースレギュラー放送の初回は2022年4月5日(火)午前8:35~8:45に放送。その気になるあらすじをご紹介します。〈あらすじ〉友達と電話をしているぼこすけ。「いま電話中だからね」と、でこりんに静かにしてもらうように促しますが、でこりんは大きな声で話をしてしまいます。「電話中とは聞いたけど、静かにして、とは言われなかった」と、でこりん。どうやらでこりんは、場面によって「適切な声の大きさが違う」 ということが分からないみたい。そこで、図書館や公園など、さまざまなシチュエーションで どんな大きさの声が適切かをロールプレイして試せる発明品をつくることに…仲良しだけど、いつでもうまくいくわけじゃない…!そんな「でこりん」「ぼこすけ」「ポン」の3人の関わり合いは発達が気になる子どもたちが毎日を過ごすためのヒントがいっぱいです。学びになるだけでなく、すべての人がみんな違った個性をもっているからこそ楽しい!ということに改めて気づくきっかけになるはずです。ぜひご覧ください!放送予定<NHK Eテレ>本放送 火曜 午前 8:35~8:45(初回放送 4月5日)再放送 木曜 午前 7:20~7:30※クリックすると発達ナビからNHKのホームページに遷移します
2022年04月04日小3でついたアダ名は「忘れ物の女王」Upload By 桑山 知之筆者と広野さんとの出会いは2019年に遡る。ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材のため、連絡を取ったのがきっかけだった。底抜けに明るい性格について触れると、広野さんは「このくらいじゃないと生きていけない」と笑い飛ばした。その言葉の重みに、筆者の胸が苦しくなったのを今でも覚えている。Upload By 桑山 知之広野さんは幼少期から、目の前にあるもの以外はすぐに忘れてしまう子どもだった。小学校に入ってからは管理しなければいけないものが増え、何かをこなすことは「全く無理だった」。宿題を出され、その場ではやる気でいても、家に帰れば宿題を出されたことすら忘れている。翌日提出を求められて初めて思い出す。小学校2年生の通知表に「忘れ物が多い」とはっきり書かれ、3年になると周囲からは「忘れ物の女王」とアダ名をつけられた。「どうしてみんなができるのか分からないんですよ。頑張らなきゃいけないんだけど、どう頑張ったらいいのか分からない。困るんですよね、『ちゃんとやって』って言われると。ちゃんとやっているつもりなので。一人だけ違うことしてたりするんですけど、それを問題だとも思っていない。だから怒られますよね」(広野さん)Upload By 桑山 知之学校のあちこちには、広野さんの持ち物が散らばっていたという。5年生ぐらいのころには、遠足で河原に行った際、飯盒炊飯でカレーをみんなでつくって食べるとき、広野さんは肉を持ってくる係だったが、肉を忘れてしまい、広野さんの班だけベジタブルカレーになってしまったこともあった。成績や勉強よりも「生きていくこと自体が難しかった」といい、時間に遅れないようにするなど社会生活に食らいつくのに必死だった。片づけできず夫から罵倒…「私はいても意味ない」地元の中学を経て静岡県内の高校を卒業後、青山学院大学に進学。当初は国語の教員になろうと思っていたが、LD(学習障害)の傾向があるのか、時折、字が正確に書けないことがあった。ずっと続けて文字を書いていると、例えば「春」の横棒が四本になってしまうことがあるらしい。「これでは黒板の字が不正確になってしまう」と思い、教師の夢を諦めた。落ち込んでいたところ、ゼミの教授の紹介で、都内の大学病院の教授の秘書になった。しかし、当時は自身がADHDとは知らず、自分のスケジュールの管理も難しく、何より察して動くことが全くできず、とんちんかんなことばかりしてしまい、周囲から「使えない」と言われ、思い悩むことも多かったという。Upload By 桑山 知之「若いときは、できなくても頑張らなきゃいけないとか、頑張ったらできるかもしれないとか、そういう気持ちが強かったんです。でも半年でおかしくなっちゃって。電車に乗っていられなくなったり、起きたら午後だったり、色々できなくなっていきました。生きていてもしょうがないと、思いつめていました……」(広野さん)生きることもできず、死ぬこともできず、「しんどい」毎日を過ごしていたが、23歳で当時交際していた男性と“デキ婚”。実家の両親からサポートを受けながら家事や育児に勤しんでいたが、やはり片づけがどうにも苦手だった。家の中は物で溢れかえり、食卓には書類などが大量に積まれ、食事を摂ることもままならなかった。そして29歳のころ、鬱病と診断された。Upload By 桑山 知之「旦那からは『こんな家に帰ってくる俺の気持ちになってみろ』とか『お前、一日家にいて何してるんだ』とか言われて。そのときは診断も受けていなかったので、『私はいても意味ないな』ってどんどん落ち込んでいきましたね。頑張って専業主婦をしていたときが一番つらかったです」(広野さん)そんな中、2000年に刊行された『片づけられない女たち』(WAVE出版/サリ・ソルデン著)を読み、驚いた。自分によく似た人がこんなにいる。そして、対処方法がある。そこから、発達障害というものがあることを知り、同じ悩みを抱える人とともに当事者グループをつくって理解を深めた。「最初は自分がとにかく喋りたいからつくった」と笑うが、家庭の悩みなどを打ち明けられる居場所ができたのだった。「言い訳だ」夫から度重なる暴力、そして離婚30歳を過ぎてからADHDと診断を受けた広野さん。発達障害のことを夫に打ち明け、「家事を一緒にやってほしい」「手伝ってほしい」と伝えたが、「そんなのは言い訳だ」と理解してもらえなかった。むしろ、診断を打ち明けたことをきっかけに、夫との関係は余計に悪化。物を投げられ、時には暴力を受け、外に出られないぐらいひどいあざが顔面にできることもあった。「自分が(夫の)ストレスの捌け口になっていたんだと思います。私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)Upload By 桑山 知之夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。Upload By 桑山 知之「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」とも指摘している。できないことは恥ずかしいことじゃないUpload By 桑山 知之広野さんはなぜこれほどまでに明るく前向きなのか。どうやら心理学の勉強をした上で、「訓練をした」という。「世の中落ち込むことばかりでうまくいくことよりも失敗することの方が多いんです。でも、いちいちそれを真に受けて反省して頑張ろうと思っても、また失敗しちゃうんです。そんな人生を普通のメンタルでやっていけない。いちいち落ち込んでいたら生きていけないだろうってことで、それを転換して、できる方に目を向けるように、自分を変えていきました。とにかく、自分が快適に生きていける状態がどこか?が大事であって、みんなと同じようにできるかは関係ないんです」(広野さん)できないことを「否定しない」。それは2人の娘の子育てでも実践していた。娘には、自身の障害のこともオープンに話した上で、スーパーの惣菜を買うなど家事をなるべく減らし、対話の時間を増やした。時には、娘が母である広野さんのサポートにも回った。現在、長女(25)はIT企業でデザイナーの仕事に就き、次女(23)は海外の大学に進学し、心理学を学んでいる。Upload By 桑山 知之「個を重視する世の中になりましたよね。個の時代というか。発達障害のある人たちが受け入れられるような方向に行っている気がします。でも、例えば子どもに発達障害があると診断されて、周囲に分かってもらわなきゃとか、説明しなきゃとかやっちゃうと、子どもの自尊心が下がるんですよ。あ、人と違っちゃいけないんだ、って。でも開き直って、文句ある人は近寄ってこないで!ぐらいでいいんです。分かってくれる人とやっていけばいい。大人が変わらないと子どもが変わりませんから。発達障害のあるなしに関わらず、娘たちにはやりたいことを自由にさせてあげたいと思ってきましたし、すべての子どもたちにそういう環境があることを願っています。発達障害のある子どもが生まれるということは、楽しいんだって思ってほしいです」(広野さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生から)広野さんのお話のように、発達障害がある人に対する支援や制度、仕組みは少しずつ充実してきています。しかしながら、現在そうした支援や制度を利用しようとすると、その多くは発達障害があるという診断や障害者手帳などが必要です。これを第一段階とすれば、その次の段階は発達障害の診断がなくても、その支援を必要とする人が必要な時にいつでも受けられるような支援や制度が広がっていくことではないかと思います。このような「障害という診断を必要としない社会」から最終的に「障害のない社会」につながっていくのだと思うのです。
2022年03月28日学校では何度も話し合いを重ねていましたUpload By 吉田いらこゆいの勉強の遅れについては学校と何度も話し合いを重ねていました。遅れている子も取りこぼさず見てくれようとしている学校には感謝しています。その中で、担任の先生から「ゆいさんは現在の算数の授業についていくのはとてもキツそうです」と言われたことがありました。ゆいは授業をまじめに聴いてはいるのですが、理解できていませんでした。それでも、必死に授業のノートを取ろうとしていました。しかし、それさえも間に合わないのです。ゆいがノートを取り終わる前に板書は消され、次に進んでしまいます。現在の授業はゆいにとってはかなりのハイペースで、ついていけないのでした。Upload By 吉田いらこ私は今までゆいの成績が悪いことに一度も残念な顔をしたことはありません。ましてや叱ったことなんかありません。勉強はそこそこでいいから、毎日を楽しく過ごしてほしかったのです。Upload By 吉田いらこテストの結果や成績表を見ても「これだけできていたら充分!また次に頑張ろうね!」と明るく言うように努めてきました。それでも本人はいつも浮かない顔をしていました。親が何も言わなくても、自分が周りの子に比べて勉強が苦手なことはゆい自身気づいていたようです。Upload By 吉田いらこ「わたしはバカなの」勉強の遅れが目立ち始めてからのゆいは…「わたしはバカなの」ゆいは自分のことをそう言うようになったのは、勉強の遅れが目立ち始めてからでした。こう思わせるようになったのも私の責任だと感じています。いくら頑張っても勉強についていけず、毎日の算数の授業がつらかったのだと思います。今となっては、私があのときやるべきだったのは「頑張ろう」と励ますことではなく、早急に周りに相談してゆいに合った環境を探すことだったのだと分かりますが…。遠回りをしてしまったなと反省しています。Upload By 吉田いらこ診断が下り、私が決めた「現在のミッション」発達検査を受け診断が下りた現在、私のミッションは「ゆいがつらい思いをせずに学校へ通うこと」になりました。将来のことを考えると不安でいっぱいです。とくに就職がどうなるのか分かりません。勉強をすっぱりとあきらめていいのか…など考えればキリがありません。けれど、ゆいには笑顔で学校に通ってほしい。そう思っている私にとって、目の前の課題は今のところこれなのです。ゆいの通う小学校は「特別支援学級在籍」となっていても、みんな普段は通常学級で過ごします。そして、国語や算数などサポートが必要な科目だけ、特別支援学級の教室に集まって受けることになります。(※)保護者の私と学校の先生との間で話し、算数の授業だけは特別支援学級でサポートを受けるのがベストではないかという結論になりました。あとはゆい本人がどう思うかです。わたしはゆいにお試しでサポートを受けることを提案してみました。その結果は…?また別の機会に描きたいと思います。※自治体によって異なります執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)自分ができないことが分かってしまうというのは、ご本人にとってもとてもつらいことだったと思います。ただ、どこまでが限界でどこからは要支援なのかは、じっくり取り組んでみないと分からないことも多いです。子どもにつらい思いをさせないことも大切なのですが、しっかりと「できなくなるところまでやり切ったか」も同じくらい大切です。そこまでいったからこそ、今のように「つらいなく、でもしっかりと学びになるギリギリはどこか」を探していけるのだと思います。
2022年03月21日癇癪と発達障害って関連はあるの?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンたびたび癇癪が起こるからといって発達障害があるというわけではありません。ですが発達障害のある子どもに強く見られる傾向が癇癪が起こるきっかけと絡んでいる場合があります。自閉スペクトラム症、ADHDなど発達障害のある子どもによく見られる4つの傾向と癇癪の関係自閉スペクトラム症のある子どもには、感覚過敏がある場合が多くあります。周りの子が大丈夫な刺激でも過敏に反応して癇癪を起こしてしまうことがあります。また、自閉スペクトラム症のある子どものこだわりや不安の強さによって、普段と違うことが起きたり、突然の予定変更に気持ちがついていかず、癇癪に繋がってしまうこともあります。強い癇癪の背景には、言葉の理解と表出の発達に関するアンバランスさが影響している場合があります。また、知的障害を合併する場合は言葉の発達全般に遅れが見られたり、身振りや手振りなど言葉以外での表現も苦手であることで、その伝わらないもどかしさや要求を伝えるための手段として、癇癪を起こしやすくなると考えられます。このほかにも感覚の過敏性がある、決まったパターンが乱れることが苦手(同一性保持)、余暇の乏しさなどが、癇癪の背景にある場合もあります。私たちは、自分の意思と相手の意思の両方を考えながら、時には譲ったり、自分の願いを優先させるために交渉したりして、他人との関わりの中で生きていきます。発達障害のある子どもたちは、他者の意思と自分の意思を調節することが難しい傾向があります。自分と他者の意思を調整するためには、まず相手の気持ちを把握した上で、「これぐらいなら譲れる(または要求できる)」という2つのステップが必要です。自閉スペクトラム症といわれる発達障害のある子どもの場合、まず最初に必要な相手の気持ちや意図を理解するというステップを通過することが難しく、そのために自分と相手の意図を調節するための材料を持ち合わせていない状態に陥りやすいのです。こだわりがある、他人のペースに合わせるのが苦手、ということもあります。また、ADHD(注意欠如・多動性障害)がある場合は、「やりたい」という気持ちを抑えるのが難しいために、相手の気持ちが分かったとしても、その気持ちを譲ることができないことと、感情がすぐに表面化することで、爆発的に怒ってしまうことがあります。成長するにつれて人は自分のストレスを減らすために工夫を行います。発達障害のある子どもたちは、この自己調整や衝動性のコントロールを行うことが難しい傾向があります。このような行動の工夫を行うことが苦手なので、不快な状況をそのまま経験することになり、ストレスが蓄積されていきます。最後には自分の気持ちをコントロールすることができずに不満や怒りが爆発して癇癪を起こすことがあります。まとめ癇癪の原因は必ずしも子どもに発達障害があるから、というわけではありません。ですが発達障害のある子どもに強く見られる傾向を知っておくことで、子どもに癇癪が起きたときにより良い対応が取れる可能性があります。イラスト/かなしろにゃんこ。
2022年03月05日人づき合いが苦手な息子は、中学校でもトラブル多発Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子、リュウ太。小学生のときは、意見が合わないと周りの子と衝突してしまい、うまく人間関係を築けなかったり、人づきあいの悩みがありました。不器用な息子を見ては、親の私も心配で悩んでいました。小1から小6まで息子は、「からかい甲斐がある」と同じ学年の男子からケンカを売られることが頻繁にありました。息子がからかいに対してすぐ反応するのを面白がっていたようです。そんな息子も中学生になると気の合う友達ができて、グループ行動になり、楽しい学校生活を送っていました。しかし、仲の良い友達以外の人との小競り合いは中学校になってもありました。息子は、目立ちたがり屋で、状況を考えずに大声ではしゃいでしまうところがあります。そんな息子をよく思わない同級生もいて、それがトラブルに発展してしまうことがよくありました。違うクラスの話したことがない同級生から、突然文句を言われることもあったようです。息子は「なんで急に関わりがあまりない人に文句を言われなくちゃいけないんだろう?」と家に帰ってきてはいつもグチを言っていました。中2のころ、大けがをするトラブルがUpload By かなしろにゃんこ。人づき合いが苦手な息子は、小学生のときは同級生に暴力をふるってしまうというトラブルが何度もあり、親子でその謝罪ばかりしていました。そのときに「今後は何があっても絶対に暴力はふるわないこと、手を出さないこと」を約束しました。ケンカっぱやい息子ではありますが、中学生になってもそのことだけは、ずっと守ってくれていました。そんな中2のころ、息子は当時足を骨折していたにもかかわらず自分よりも体格のいい男の子とトラブルになり、さらにケガさせられてしまいました。息子は手は出さなかったものの、相手を言葉で挑発して刺激してしまったのです。息子は「お母さんとした『相手に手は出さない』って約束を守ると、逆に自分を守れないよな~」と不満気でした。このトラブルでは、相手のお子さんが学校から厳しく指導される案件となりました。Upload By かなしろにゃんこ。相手は、わが家まで親子で謝罪に来てくれました。息子とトラブルになった同級生は(オレは謝りたくない)というような顔をしていて、頭を軽く下げた程度の謝罪でしたが、保護者の方は誠心誠意謝罪してくださいました。私は、「ケンカは両成敗」「相手がけがをしてもおあいこ」と思っています。ケガをさせてしまった方だけが悪いとは思っていないので、謝りに来てくれた保護者の方には「うちも悪いんです。すみません」と言いました。「申し訳ない…」と頭を下げる相手の保護者の方の気持ちがとても分かるので責める気になれませんでした。小学生のころは、息子が友達に手を出してしまい謝罪をするということばかりでしたが、このトラブルで”けがをさせられた親”の立場になりました。息子にはヒドイと思われるだろうと思い、本人には話せませんでしたが、「うちの子が傷ついて悲しいな、イヤだな」という気持ちよりも、「息子が相手にケガをさせたのではなくてよかった」とホッとしてしまったのが本心でした。ケンカになる前に感情をコントロールするUpload By かなしろにゃんこ。このトラブルのあと、ケンカを売られても怒らずに気持ちをコントロールする方法を改めて息子と話し合いました。息子は、性格上イラっとしたときにスルーすることはできないけれど、相手に嫌なことを言われたら文句で返すことはやめて、“相手にしたくない”という態度で受け流すことにすると言いました。その甲斐があってか、文句を言われたり、「からかいがいがある」と思って声をかけられたりしても、あまりケンカにならずに済むようになっていきました。Upload By かなしろにゃんこ。それでもなお、ケンカを売られるようなことがなくなったわけではありませんでしたが、受け流すことで相手とこじれることはなくなりました。全てをうまくコントロールができるわけではなく、売られたケンカの3割くらいは受け流すことができたというレベルですが、“腹が立って、相手を強く攻撃したい気持ちが消えずにイライラしてしまっていた”という以前に比べて、息子はだいぶ我慢できるようになりました。息子に聞いたところ、ケンカを仕掛けてくるような人は「退屈でイライラしてしまう幼稚な人」というキャラクターに置き換えることで、感情のコントロールが少しずつできるようになったのだそうです。それからしばらくして息子は中3になり、卒業前はなんと、中2までしょっちゅうケンカをしていた子とゲームの話で盛り上がり、家に遊びに行くほど仲良くなりました。もしかしたらお互いに気になっていて素直に仲良くなれずにケンカという関わりになっていたのかもしれないな?なんて思いました。中学は人づきあいで子どもの気持ちもいろいろ複雑になりますが、その後、わが家では息子に「つき合いのコツ」だけを提案して、あとは本人に任せるという方法にしました。反抗期なので、親のアドバイスに対して「干渉してくるなよ!」と息子は文句を言っていましたが、あとから「お母さんのアドバイスは大事な場面で取り入れてた」と教えてくれました。Upload By かなしろにゃんこ。現在、23歳になった息子は23歳になった現在、息子は、混んでいる商業施設などの駐車場で2台分の駐車スペースに斜めに停めている(通称:番長停め)人に腹が立って仕方がないんだそうです。そんなときには「車の持ち主は、トイレのために急いでいて、きちんと停められなかった可哀想な人」というキャラクターに置き換えて「怒りの気持ち」を「笑い」に転換する方法でイライラしないように工夫しているそうです。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)感情のコントロールは、とても大きな課題だと思います。本人は頭で理解していても、その場では感情をコントロールするのが難しいということはとても多くあることだと思います。かなしろさんのお子さんが言われるように、怒りの感情が起き上がりそうになったときに怒りの対象をユニークな捉え方に変換するというのはとてもいい方法だと思います。また受け流し方を具体的に学ぶこともすごく大切です。それも具体的なセリフを考えてあげるのはお子さんにとってすごく分かりやすいと思います。またうまく感情がコントロールできたとこに対して周囲の人が「よく我慢したね」と伝えるように、肯定的な態度で接することもとても重要だと思います。
2022年02月28日発達の後退?保育園から言われた言葉Upload By まる初めて息子から言葉が出たかな?と思ったのは1歳半すぎ。「バイバイ」や「デンシャ」「アンパンマン」のようなことを言っていた気がしていたのだが、2歳ごろに気がつくとそれらの言葉すら発しなくなっていた。これに関して保育園から「発達の後退が見られる」と言われたときはとてもショックを受けた。発達って後退するの…?もっと話しかけないといけなかったの?などの考えが頭の中をぐるぐる回っていた。しかしその後相談をした支援センターのSTさんに「そもそも発語があったか分からない。なんとなくそう言っているように聞こえていただけの可能性もあるから、発達の後退と言われたことは気にしなくていいよ」と言われほっとした。確かにバイバイに対して毎回「バイバイ」と答えるわけでもないし、「デンシャー!」と言っていた気がしたのもほんの数回だ。ただそうなると2歳過ぎてまだ1つも単語がでてないのかぁ…と新たな不安が生まれたのだ。なかなかない発語に焦るママUpload By まるそれから数ヶ月後、息子は簡単な発音のオウム返しをするようになった。「ぶー」や「ママー」などの一文字だけのオウム返しで、気分がのっているときにしかやってはくれない。一日一回やってくれればいい方だ。一文字だけのオウム返しでも、出てきてくれたことが嬉しくてこちらも必死になる。「ママーて言ってみな!ママー」と言ってくれるまで風呂場でしつこく詰め寄ったり、抱っこしてほしくて手を出して待っている息子に対して「ッコー!(抱っこ)って言ってみな!ほらっ!ッコー!!言うまで抱っこしないよ!」と無理強いして泣かせてしまったりした。私は何をしているんだろう…焦ってイライラしてしつこくして、息子に対して申し訳ない気持ちが溢れ、泣いている息子を抱きしめながら私も泣いた。ついに出た!初めての単語Upload By まる初めて自信を持って言葉が聞き取れたのが2歳11ヶ月のころ。保育園からの帰り道に車でバス停の横を通り過ぎたときだった。「ほらバスがいるねー。バース」その道を通るときは決まって同じことを言っていたので、なんの気もなしにいつものように独り言のつもりだった。「パフ」と息子が言った。え、うそでしょ??私がまた「バス」と言うと「パフ」と返してくれる。ええええええええ!言えるの??急に??本当に急でびっくりした。あれだけ毎日喋りかけていたことが無駄じゃなかったんだ、この子は喋れるようになる。喜びと安心感で泣き叫びながら帰宅した。好きなものから広がる言葉Upload By まる「パフ」が出てから数ヶ月、ものすごく単語が増えてきた。オウム返しも最初は一文字しかできなかったが、徐々に真似する文字数が増えていっている。驚いたのは大好きな電車の種類を覚えたり、電車の塗装から色を覚えだしたりしたことだ。黄色い電車が来ると「キイロー!」青い電車が来ると「アオー!」と叫んで教えてくれる。そしてついに、電車を見ながら初めての二語文「デンチャ、バッバーイ!」が出てきた。これも突然だったので駅のホームで驚き、泣きながら息子を抱きしめたのを覚えている。好きなもの、興味があるものから世界は広がっていくんだと実感し、今では休みのたびに電車を見るために駅へ行っている。これからの成長が楽しみUpload By まる現在は単語は少しずつ増えていっているが、二語文は増えないし会話をすることもまだまだできない。「◯◯はどこ?」などの問いかけにまったく答えられない状態だ。前の私ならこの状況に焦りを感じていたかもしれない。でも一年前にはまったく出ていなかった単語が、今はどんどん増えている。私が焦っても仕方ないし息子は確実に成長しているのでゆっくりと見守っていきたい。私も心に余裕ができて成長したなぁと思う。また数ヶ月後、一年後にはどんな言葉を話しているか、どんなやり取りができるようになっているか今から楽しみだ。(執筆/まる)(監修:初川先生より)発語の遅さについてのご心配、臨場感を感じながら読ませていただきました。共に過ごす時間が長い家族だからこそ、保護者からすると、不明瞭な言葉・音であっても、それなりに聞き取れてしまうけれど、あたらめて考えてみると言葉と呼べるほどのものではないかもしれない…という不安をお持ちの保護者もいらっしゃるかと思います。体はすくすく育っているのに、言葉が出ないままだったらどうなるんだろうという不安は、発語の遅いお子さんを育てている保護者の方にとって強烈に感じられることもあり、焦るのも自然なことに感じます。ただ、まるさんも語られているように、お子さんに迫ったところで発語できるわけでもない(だからこそつらい面もありますね)。具体物の名前を教える、子どもに分かりやすい言葉を聞き取りやすく話すなど、言葉が育つ土壌を地道に耕しながら、また、言語聴覚士の先生などのご助言もうかがいながら、言葉が発せられるときをゆったりとした気持ちで待てるといいですね。まるさんの書かれているように、お子さんはお子さんのペースで成長していると思います。保護者の方はそこをぜひ見逃さず喜べるといいなぁと思います。
2022年02月22日担任と加配の先生から発達検査を提案されてゆいは勉強のつまずきや友達がなかなかできないなどあり、担任の先生と加配の先生から「発達検査を受けてみては?」と提案があり、発達相談センターに連絡を取ったのが4年生の3学期。すぐに検査をお願いしたのですが、予約が取れるのが一番早くて3ヶ月後と言われ驚きました。実際に検査を受けたのは5年生になってからです。Upload By 吉田いらこゆいに発達検査を受けることを言うと…検査の数日前、ゆいに発達検査を受けるよう話をすると「私がバカだからそのテストを受けるの?」と落ち込んでいました。焦って違うと説明しましたが、私の言葉が全く響いていないようでした。もうこの年齢になると、学校で友達と比べて、自分にはできないことが多いのではないかと少しずつわかってくる年齢なのだと思います。ゆいは完全に自分はダメだと思っているようでした。どれだけ親が訂正してもそのように受け止めてしまうんだな、と悲しくなってしまいました。確かに原因としては勉強につまずきがあるから発達検査を受けることになったのだけど、自分のことをダメな子だとは思ってほしくない。高学年になり、いろいろな物事を理解できるようになったゆいに発達検査を受けることに対してどのように説明したらよかったのか。今でも正解が分からず、悩んでいます。Upload By 吉田いらこ発達検査の結果は発達検査当日は学校を休み、新版K式という検査を受けました。発達検査を受けることに対して落ち込んでいたゆいでしたが、当日は落ち着いて検査を受けられたようでした。 そして検査の結果は『通常より2年程度の遅れがあり、療育手帳の申請対象に当たると』いうことでした。このときに、事態は自分が考えているよりもっと大ごとなのだと分かりました。ちょっと勉強が苦手なだけだと思っていたのに…うちの子は手帳が発行されるくらい遅れがある…?胃がギュッと縮まった感覚がありました。Upload By 吉田いらこただひとつ、このときに『療育手帳ってなに?』という疑問があったのですが、質問できませんでした。そのことを質問する余裕もないほど頭がいっぱいになっていたのです。この時点では、障害者手帳は聞いたことがあっても療育手帳というものがあることは知らず、療育手帳が知的障害のある子に発行されるものだというのは、帰宅後にネットで検索して知りました。(※自治体によって「療育手帳」の名称が違う場合があります。)参考:療育手帳について(厚生労働省)Upload By 吉田いらこ検査結果の説明のときにはっきり「軽度の知的障害があります」と言われるのではなく「療育手帳を申請できます」と言われるのが私としてはキツイいなあと感じました。手帳を取るか取らないか、保護者が自由に選べるということなんですよね。これがまた、『わが子を障害者にするもしないも保護者次第』と言われているようで、自由に選べる反面、責任が重くしんどいなと感じました。一通りの説明が終わったあと、スタッフの方に「この結果についてどう思われますか?」とクールに問われたのですが「どうと言われましても…」と固まってしまいました。そのときの私は事実を受け取ることだけで頭がいっぱいで、感想どころの話ではなかったからです。Upload By 吉田いらこでも逆にスタッフの方がとても事務的だったのが、私にとっては嬉しかったです。淡々と事実だけを説明してくださる、それだけでいいのです。説明された側は少なからず動揺している状態なので、ここで変に慰められたり、励まされたりしていたら感情の壁が決壊して大泣きしていたと思います。Upload By 吉田いらこまた、この日検査を受けた発達相談センターでは、発達障害の診断までは下りないと言われたので、後日発達障害の診断をしてくれる個人クリニックを探すことになりました。やっと見つけて予約を入れましたが、ここでも一番早くて検査は3ヶ月後と言われ、どこも混んでいるのだなと笑ってしまいました。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)いらこさんが仰っているように、検査の前にお子さんに検査の内容を説明するのは難しいですね。発達検査や知能検査をするメリットは単に数値を得るだけでなく、検査結果を支援に活用できることです。目から入る情報処理は得意だけど耳から入る情報は苦手など、自身の知的能力の強みや苦手さの特徴がわかることで、適切な支援や配慮に役立てることができます。検査からわかる具体的な認知特徴や適切な支援について教えてもらえるとよいと思います。相談機関や発達検査、知能検査の種類によっても異なりますが、ある程度は答えてもらえると思います。すぐに質問をする余裕などないときには後日改めて問い合わせをしても良いと思います。
2022年02月21日今までの健診では「問題なし」Upload By taekoミミの弟、ふーは4歳。1歳半健診のときは、発達に関してなど特に何も言われませんでした。しかし兄のミミにASDがあるので、ふーも同じ可能性があるかも知れないと思い私は保健所の方に「少しでも息子に気になる所があったら教えて欲しい」と伝えました。すると半年後にフォロー健診をしてもらえることに。そのフォロー健診でも特に問題はない、とのことでした。ふーは保育園では帽子をかぶることを嫌がったり、冬の散歩時に上着を嫌がるというところがありましたが、ひとまず安心しました。ほかのふーの様子というと……、コロナ禍では3歳以上はマスクの着用を求められることが多いですが、頑なに嫌がるところがあります。電車内ではしぶしぶつけるけど、マスクから鼻が出ています。4歳になった今もオムツ。指しゃぶりとタオルは乳児のときから手離せません。でも、小学生になるまでには落ち着けばいいかなと思い、私自身はそれほど深刻に考えてはいませんでした。ある日、保育園の先生にUpload By taekoそんなある日、保育園の先生から療育をすすめられました。ふーの発達に関して、あまり悩んだり困ったりはしていなかったので、療育をすすめられたときは正直ショックでした。この子のどこが気になるの?? 兄のミミが保育園のころと比べたら、ふーは神さまにしか見えないほどに手のかからない子! お迎えに行くと笑顔で駆け寄って来てくれる!! ミミはお迎えに行っても帰るまでに30分かかることがしょっちゅうだったから、すぐ保育園から帰れるふーのことが信じられない! こんな仏さまのような子! いつも笑ってミミと遊び、ミミもふーの反応がうれしくて喜ぶ、とても良いきょうだい関係!こんなに手のかからないおだやかな子どもがいるのかと、私は毎日感動しているほどです。それなのにどこが気になるの? ほかの子どもはもっともっと育てやすいの?!(でも……、ふーはミミと比べて大人しくおだやかだけど、本人は帽子やマスク、上着と戦っているのかも…)と、私自身を落ち着かせ、善は急げと、1ヶ月半後に療育の面談を予約しました。面談の結果、療育が必要になったら仕事を休む口実ができたと喜ぼうと思っています。Upload By taeko私は子どものことについては、わが子の二人のことしかよく知りません。保育園の先生は何年もたくさんの子どもを見ているから、先生の指摘は適切なのだと思います。ふーに何が必要なのか、できるだけ早く見つけてあげたいと思っています。Upload By taeko執筆/taeko(監修:鈴木先生より)私の外来に初診する患者さんには二通りのケースあります。自分自身や保護者が困っていて受診するケース、もう一方は自分自身や保護者は困っていないが園や担任など周りが困っていて受診をすすめられ受診するケースです。前者は、お子さんや保護者の困難を改善・対処したいという意思があるので通院を継続し治療にも同意されるケースが多いのですが、後者の場合は神経発達症(発達障害)がある可能性を否定されたいという思いで受診する保護者もおり、診断をしたあと、通院が途切れてしまうというケースもあります。今回、taekoさんが保育園の先生からの指摘を受け入れ、早期療育につながったというのはとてもよかったと思います。1歳半児健診や3歳児健診で異常がないからと言っても神経発達症(発達障害)の可能性がないとは言い切れません。また、母子手帳の「子育てに困っていますか?」という質問項目で「いいえ」以外に〇をつけても適切にフォローされているケースはまだまだ少ないという現状があります。担当の医師や保健師が少しでも保護者の話に耳を傾けてくれれば、早期介入が可能となるケースも後を絶ちません。今回は保育園の先生の知識と経験により早期に指摘されたことで療育につながったラッキーなケースだと思います。今の日本の健診システムにおいて、診察では主に身体における発達を診ることが多く、心における発達まで診られることが少ない現状なのです。保育園の先生もtaekoさんに言うまでは、言っていいのかどうか悩んでいたのではないかと思います。しかし、今回お子さんの発達に関する現状を適切に伝えられたという背景には、園長先生の理解や園の環境のよさもあるのではないかと思いました。
2022年02月12日学校の研修での質問私は、学校から研修講師を依頼されることがあります。そうした研修時、先生方から「集団行動がとれない生徒にはどう対応すればよいですか」、「椅子に長く座っていられない生徒にはどうすればいいですか」などの質問を受けることがよくあります。それらの質問を聞いて思うことは学校の先生方は、・椅子に座っている。集団行動がとれる。勉強ができるなどの枠組みの中で捉えている・算数、国語、運動などオールマイティにできる子が評価される世界で生きているもちろん、そうではない先生もいますが、一定の枠組み内で評価すること以外は想定していない先生方も確かにいます。リフレーミングしてみる先生方にも、そして親御さんにも伝えたいこと、それは、リフレーミング(=枠組みを変える)してみるということです。・集中力がなくて、椅子に座っていられない=さまざまなことに興味関心が行く・給食で好き嫌いが多い=味がわかる敏感な舌を持っているので、将来料理人になる素質があるかもしれない「捉え方を変えてみると学校生活の中では問題視されることでも、才能を発揮するかもしれません。だから、学校での評価が低いことは気にしないで、リフレーミングして明るい未来を想像しましょう!」このように親御さんには伝えたいところなのですが…人生の初めの段階で長く一緒に過ごす大人、特に担任の先生は子どもの人生に大きな影響を及ぼします。また、学校は日中一番長く過ごす場所です。そこで、担任の先生からの評価が低く、自信を失くしたり、自己肯定感が低くなったりしたら、卒業後に認めてくれる人が現れたとしても回復はなかなか難しいかもしれません。褒めポイントを変えてみる生徒を叱ることが多い先生方に伝えたいことは、「褒めポイントを変えてほしい」ということです。例えば・給食をおかわりする・寝癖がついていない・誰よりも早く学校に到着している(※忘れ物魔でも)・蝉とりがうまい・風邪をあまり引かない・砂場で泥団子を上手に作れるほんの小さなことでも、子どもが頑張っていること、一心に取り組んでいることなどを褒めてほしいと思うのです。また、支援が必要な児童ばかりに関わっていると、ほかの児童は「えこひいきしている」と感じるかもしれません。そして、大人の注意を引こうとする行動をするかもしれません。中には、「先生、○○君が席を立っています」と「チクリ魔」と化してしまう生徒もいるかもしれません。ですから、それぞれの生徒に合わせて、褒めポイントを変えてほしいと思います。生徒は「自分のことをよく見てくれている」と感じ、変わってくると思います。中高生以上で、自己肯定感が低い場合先生方から以下の質問も受けました。「二次障害までは至らないけれど、中高生や大人になって自己肯定感が低い場合どうしたらよいですか?」中学生にまでなってしまうと、それまでの人生で「自分はできないという経験」を積み重ね過ぎているので、できなくても、それごと受け止めてくれる人に出会うことが大切になるのではないかと思います。自分の適性に合っていない職場で働いて叱責されることが続くと失敗体験を重ねてしまいます。例えば、あまり人とのコミュニケーションが得意ではないのに、接客や営業職についたり、野球やサッカーなどのチーム競技の部活に入ったりしないで、一人で黙々と作業ができる仕事に就いたり、個人プレイのスポーツに取り組むのがよいのではないでしょうか。自己肯定感を壊されてしまうような場に「努力すれば何とかなる」、「気合で乗り越える」と鼻息荒くして、これからは跳びこまない方がいいと思います。子どもの特性を理解し、「定型発達児に近づけよう」として子どもにとって苦手なことをばかりをしいないことが、その子どもの将来にわたっての生活の質を高めることになるのではないでしょうか。学校の先生方には、子どもをリフレーミングしてみてほしい、そして小さなことでも褒めてあげてほしい。叱責ばかりで自信を喪失させ、二次障害をおこさせない関わり方をぜひ意識していただきたいと思っています。(監修・鈴木先生より)神経発達症(発達障害)のあるお子さんは、保護者や理解のない担任など周囲の大人たちから叱られる場面が多く、自尊心が低い状態となっている場合がよく見受けられます。ADHDのあるお子さんは6歳から治療ができるので、早期介入によって自尊心を下げないようにしていくことが肝心です。私の外来では、神経発達症(発達障害)のあるお子さんに対して、部活は一人でもできる、またはシングルスのあるスポーツを勧めています。今は部活の数も少なくなっているので、実際には美術部や吹奏楽部(パーカッション系)に入部しているお子さんが多くみられます。宿題などに関しても特別支援学級に在籍するお子さんに対してはハードルを下げ、交流学級とは異なった独自の宿題を出すことで達成感を味わらせることが重要です。そのお子さんに何ができるか、「Not unable, but able」の精神が学校を含めたその子を取り巻くコミュニティーの中に根付くことを願っております。一方、「外れ先生」ももしかしたら被害者と言えるのかもしれません。今まで神経発達症(発達障害)の研修も受ける機会がなく、相談できる上司にも巡り合わなかったのかもしれません。各市町村の教育委員会が定期的な神経発達症(発達障害)の研修会を“きちんと”やって少しでも理解してくれる先生を増やしていくしかないのではないかといつも考えています。教員ファーストではなく、生徒ファーストの考えをすべての学校の先生方に持っていただきたいと常々思っております。
2022年02月11日「できる」「できない」のギャップが気になったら私は、発達が気になる子どもたちの幼児期や学齢期の心理的支援の仕事に長年携わってきています。1992年から在籍した横浜市総合リハビリテーションセンターでは、児童精神科医の佐々木正美先生、発達精神科医の本田秀夫先生とともに20年以上、発達障害のある子どもや大人の支援に取り組みました。その中でたくさんのご本人・ご家族との関わりから教わった、ライフステージを通じて大切にしたいことの中から、今回は幼少期の子どもに対して家庭で取り組みたいことをお伝えします。お子さんが就学を迎える際など、ライフステージの変わり目では特に、お子さんの「できる部分」と「できない部分」のギャップが気になったりしませんか?保護者のみなさんが「できるようになってほしい」「できることを増やしたい」とお感じになるのは当然のことと思います。また「できる」を増やすための働きかけは、お子さんにとってもプラスになります。そこで、働きかけにあたって、ぜひ気をつけてほしいことがあります。それは、お子さんのペースに注目することです。「マイペース」という言葉がありますね。私たちは誰もが「自分に合ったペース」を持っています。そのペースは、人によって違います。テンポよくどんどん取り組みたい人、時間をかけてじっくり取り組みたい人…みなさんも自分にとって心地よい、ゆとりを持って取り組めるペースをお持ちではないでしょうか。そのことは、お子さんも同じです。自分のペースを崩され周りに合わせてばかりの状態が続くと、どうですか?「ゆっくり過ぎて、つまらない」「急かされて、とても焦った」…おそらく、ストレスが溜まることでしょう。マイペースと聞くと、よくないイメージがあるかもしれませんが、マイペースを保障されることは、実は心の健康にとって、とても大切なことなのです。幼少期(幼児期~小学校低学年)のお子さんは、「自分に合ったペース」がどれくらいなのかを、よく分かっていません。自分のペースが乱れたときに、周囲に対して「もっと早くして」または「ちょっと待って」など、大人のようにパッと伝えることもできません。ですから、お子さんが自分のことを分かって伝えることができる年齢(おおむね小学校高学年以降)までは、周りの大人がその子の「マイペース」をよく理解して合わせてあげること、すなわち「保護的な環境」が大切です。保護的な環境の中でこそ、お子さんは安心感を持ってさまざまなことにチャレンジしたいという気持ちになります。苦手なこと、できないことでも「やってみよう!」と思えるようになるのです。幼少期に取り組みたいことUpload By 日戸由刈お子さんの発達が気になるとき、家族は何から取り組んだらよいのでしょう。言葉の発達を伸ばすための声かけ?手先を器用にするための練習?いえいえ、家庭の中でもっと簡単にできる、とても基本的なことがあります。たとえば幼少期では、家族の「ちょっとした」コミュニケーションを心がけてほしいのです。朝、起きたときに「おはよう」という言葉を交わす、物を取ってもらったときに「ありがとう」と返す、うれしいこと・楽しいことがあったときに「よかったね!」「楽しかったね」「うれしいね」と分かち合う。日常場面には、人間関係を良好に保つような「ちょっとした一言」があふれています。これらを丁寧に使ってみてはいかがでしょう。お子さんの中には、繰り返し教えても、こうした一言がパッと出てこない子もいます。教えても身につかない…と否定的に考えるのではなく、「いつか、使えるようになるだろう」という気長な構えで、保護者のみなさんがお手本を示し続けてください。「ちょっとした一言」は、魔法の言葉です。日常場面で、繰り返しこうした言葉に触れることで、お子さんの中に「人間関係って、こういうものなんだな」という土台がつくられていきます。幼少期のお子さんを育てている保護者の方には、まだピンとこないかもしれませんが、実はこの土台こそが、生涯を通じてお子さんに大きな影響を与えます。これは20年余りの現場経験の中で、たくさんの親子を見てきて感じていることです。ちなみに、「ちょっとした一言」は、家族の関係を円満にする効果や、保護者のみなさん自身のイライラした気持ちを切り替える効果もあります。ぜひ試してみてください。幼児期、学齢期、青年期…どのステージでも大切なこととは幼少期から青年期まで、多くのお子さんとその保護者を支援してきた過程の中で学んだ、ご家族とお子さんとの関わりを、このたび書籍にまとめました。新刊『発達が気になる子の子育て10か条ーー生活スキルやコミュニケーションを伸ばすコツ』では、幼少期の関わりの基本を、「ちょっとした一言」についての第1条のほか、第7条までにまとめました。また、第8条から第10条では、小学校高学年から青年期までの子育てで大切にしたいことにも触れています。高学年以降については、別のコラムでそのエッセンスをご紹介したいと思います。幼児期、学齢期、青年期のどのステージにおいても大切なことを、ギュッと詰め込んだ1冊ですので、それぞれのお子さんのペースに合った育て方のヒントとして、ご参考いただければ幸いです。執筆/日戸由刈
2022年02月08日家庭は「落ち着けない場所」アルコール依存の父とDV母Upload By 桑山 知之manaさんは、公務員の父親と保険などの営業を行う母親のもとで、2人姉妹の長女として育った。父親はアルコール依存症、母親は包丁を突きつけたり首を絞めてきたりと、たびたびmanaさんに暴力をふるっていたという。喘息などアレルギーにも悩まされた。家庭は「落ち着けない場所だった」と振り返る。「母親に崖に連れていかれたこともありました。家出もよくしていたんですよ、母親は。ただ、そういったことも最近まですっかり忘れていたんです。母親の影響もあって、私のメンタルがやられていたのかなって思い至るようになりました」(manaさん)Upload By 桑山 知之授業中も、椅子に座っていられない不快感や衝動があり、とても苦痛だった。中学1年から不登校気味になり、15歳で小児科の「思春期外来」を受診した。診断は「心身症」。25年以上前の当時は発達障害の認知が今ほど進んでいなかったこともあり、ストレスによるものだと医師から言われた。普通科高校に進んだが、中学3年のころに無理して登校していた影響などから、過食のため胃腸の調子が悪くなり、夏休みの宿題に着手できなかったことがきっかけとなって退学し、通信制高校を転々とした。「自分は人と違う」と自覚した。その後、福祉の専門学校に進み、発達障害について学ぶ機会があった。教科書を読み進めれば読み進めるほど、自分にあてはまることが多かった。家でその話をすると、「知らんほうがいいこともある」と父親に諭された。物をよく失くすなど、どうやら父親も発達障害の特性が見られたらしい。manaさんが26歳のころ、父親はアルコールの飲みすぎなどが原因で、食道ガンにより亡くなった。母親に相続の放棄をさせられたため、遺産を受け取ることはできなかったという。28歳で診断生きづらさと向き合ってUpload By 桑山 知之専門学校を卒業後、高齢者施設に半年ほど勤めたが、父親が倒れてからは仕事を辞め、看病をしていた。父親の死後、就いたのはコンビニ店員のアルバイト。マルチタスクを処理する能力が求められるため、ADHDがある人は苦労すると言われる職種だが、manaさんにはこれが合っていたという。のべ13年間働き、トレーナーも経験した。「バイトで来る人にもいろいろな方がいて。店の様子を把握しながら、その日の進行管理を考えつつ、レジ打ちしつつ、発注書を書いたり、レンジをチンする40秒の間にほかのことをやったり。なぜだかわからないんですけど、自分の傾向がたまたますごく合っていたんですよね」(manaさん)Upload By 桑山 知之専門学校の実習先で知り合った男性と、28歳のころに結婚。その後、ADHDかつ双極性障害だと診断を受けた。また、言語性IQと動作性IQに明らかな違いが見受けられた。不注意で忘れ物が多く、家が散らかってしまうこと、聴覚過敏のことも、特性だと思えば肩の力を抜いて生活できるようになった。現在、8歳の長男と4歳の次男、夫と4人で暮らしている。スマホは紛失補償のある保険に入り、夫や妹がGPSを見られるようにしているほか、予定を詰めないために小さな手帳を使っている。財布がわりの透明なケースは、著名な料理家がジップロックを使っているのをテレビで見て参考にした。Upload By 桑山 知之「家は極力モノを少なくしています。荷物もいっぱい持つとなんだか訳がわかんなくなって落としちゃうので、そもそも減らすっていうか、カバンを小さくしました。学生時代は登山用のリュックサックで登校していたんですよ(笑)」(manaさん)福祉×アートで世の中をより良く学生時代、家庭の方針でテレビはNHKしか見ていなかった。好きだったのはドキュメンタリー。「いろいろな人が世の中にはいっぱいいる」と興味が湧いた。マイノリティと言われる人々の生きざまに、自然と惹かれていた。そんな中、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』をテレビで見て、「生きることを認められている」気持ちになった。育児がひと段落し、昨年夏には障害者支援施設で働いた。しかし猛暑の中頑張りすぎてしまったためか、パニック発作が出た。“日本一暑い町”多治見市は、感覚過敏のmanaさんにとってなかなか酷である。来年度からは、多治見市が委託する「母子保健推進委員」として活動する予定。無理をしすぎないよう調整しながら、障害のイメージを「ポジティブに変えたい」と話す。Upload By 桑山 知之「自分にも見えない障害があって、周りにもそういう人がたくさんいるわけで。もっといろいろなことを知って、パッと見ではわからない困りごとがある人と、行政やサービスを結ぶ活動をしていきたいです」(manaさん)気軽に話せる相手がいなかった幼少期。誰かに助けてもらうという選択肢すらなく、今も当時の記憶は断片的なまま。子どもを社会全体で育てていく、そのチームの一人になりたい。それが当面の目標だ。中でもアートが大好きだというmanaさん。子どものころには、鼻血を出すまで集中して絵を描いていた。引きこもっていたころも、アートに支えられた。「アートには力がある」。福祉とアートをつなげる仕事ができたらと、一歩を踏み出していく。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)専門学校で福祉を学んだり、実際にその分野で働いたり、子育てを経験する中で、ご自身の特性や診断に向き合ってきたということは、同じような特性や診断のある人や支援に対して非常に役立つだろうと思います。障害者支援の仕事は、一方では利用者の方々の得意なことにスポットをあてていく仕事だと思います。そういった視点はmanaさんにあっているのではないかと思います。ただ、福祉や支援サービスの現場は過酷な面もあり、合理的配慮が得られにくい場合もあります。ご自身の特性を踏まえて、働く時間や内容をアレンジするなどして、ご自身が無理しすぎない環境を整えることも大切です。職場の中で理解や配慮が得られるようにしつつ、当事者であり支援者であるということを活かし、またご自身の得意な分野でmanaさんらしい仕事を続けていっていただけるよう応援しております。
2022年02月02日「なんでうちの子が発達障害なんだろう……」。息子の発達障害という現実をなかなか受け入れることができずに苦しむばよさんでしたが、ひとまず療育相談センターへタロちゃんを連れて行き、検査やトレーニングをおこないました。その後、小学校入学するにあたって「通常級」か「支援級」か、葛藤することに。ばよさんの答えは……?! 「誰のため…?」 療育相談センターは市の施設で、平日しかやっていませんでした。もし仕事が平日休みじゃなかったら、どうしていたんだろう……。会社辞めていたのかな??などとたまに過去の自分に思いをはせます。 ひとたび気持ちがストンと決まり、ご近所の仲良いママたちに何もかもすっかり打ち明けたら、気持ちが軽くなってオープンマインドになれました。何をあんなに私は悩んでいたんだ?とすら思えます。 市の教育委員会による就学相談会が開催され、特別支援級が望ましいとの通知を受けます。 「できれば通常級に入れてやりたい……」と悩みましたが、「一番大事なことはなんだ?」と改めて考え直したばよさん。 「タロに合ってるんだからいいじゃん」 ストンと気持ちが決まりました。 仲の良いママたちにも打ち明けることができ、気持ちが軽くなってよかったですね! 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター 星河ばよ
2022年01月31日知らない国への旅に似ている、暗闇での体験発達ナビ編集長牟田暁子(以下――)ダイアログ・イン・ザ・ダーク、実は5年ほど前に、息子と一緒に体験したことがありました。今回、あらためて体験したのですが、暗闇に入る前に緊張していることに気づき、「この感じ、知っている」と思ったら、学生時代に予備知識のほとんどない未知の国に行った経験に似ていたんですね。風景の予想もできない、どんな文化があるのかもよくわからない国に入国する前のような、そんな気持ちでした。私の学生時代はパソコンもスマートフォンもなく、今ほど情報がなかったので、特に。ジブラルタル海峡を船で渡ってモロッコに入国する前の、不安感と好奇心と興奮が織り交ざったような気持ちに似ていました。ですが、暗闇の中に入ってみると、私、すごく喋っていたんですよね。一緒に体験したみなさんと声を掛け合っていました。普段の生活ではこんなに知らない人に向かって話しかけることなんてないなということも思いました。これも、見知らぬ国を旅するときに似ていました。街の様子をよく知らないから周りの人に話しかけるし、知り合った旅人同士協力しながら宿を見つけたり、次に行く街を相談したり…。Upload By 発達ナビ編集部志村真介さん(以下、志村):知らない人にただ話しかけるだけではなく、「ここに段差があるよ」とか、相手に対して安全な情報を発していませんでしたか?これは別に誰かを助けてあげないといけないルールだからそうするのではなくて、必要な情報だから共有しようとしていたのではないでしょうか。もしこれが、「病気や障害のある人を助けよう」というメッセージが根底にある体験だったら、「楽しんではいけない」と思う人がたくさんいそうです。でもそうではなくて、あくまで「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はエンターテインメント、楽しむ体験なんです。暗闇というのはこれまで、人間がものすごく恐れていたもので、火を焚き、灯りをともすことで安心を得てきたのです。人は、明るいところ、都市に集まるものでした。ところが、都市の中にこの暗闇をつくって体験するというのは、真逆のことです。そこで怖いはずの暗闇を体験した人はみんな、人の体温を感じたとか、自分と人との境界線が曖昧になった、と話します。暗闇をポジティブに変換できる装置となったのです。これは(ダイアログ・イン・ザ・ダークの)開発者、アンドレアス・ハイネッケによる大発明だと思っています。――たしかにそうですね。暗闇をポジティブに変換する装置、まさにそうでした。目に見えない壁をなくしていくのはダイアログ=対話Upload By 発達ナビ編集部――そもそも、ダイアログを日本で開催しようと思われたのは、どうしてですか?志村:ダイアログは、ドイツの哲学者・アンドレアス・ハイネッケが1989年に始めた活動で、現在世界50か国で開催されています。私が最初にダイアログについて知ったのは、1993年の日経新聞に掲載された小さな記事でした。その記事が伝えていたのは、ウィーンの自然史博物館を真っ暗にして、普段の生活で目を使わない(視覚障害がある)人がその中を案内して、最後にはバーがあってみんなでお酒などを飲むという内容でした。普通、展示物を「見せる」博物館が何も「見せない」、なのにチケットは完売。しかもハイネッケは、世界中にこれを展開しようとしている。その当時、私はマーケティングの仕事をしていたので、目に見えることが付加価値だと思っていました。だから、すでに成熟しているヨーロッパでは、物ではなく、時間や人との関わりといった目に見えない付加価値を提供して、お客さまがチケット代を払って楽しんでいるというのが、ものすごい衝撃だったんですね。その記事を見て、新聞社経由でハイネッケに手紙を書き、ようやく日本で初開催できたのが1999年。そのときは常設ではなく単発のイベントとしての開催でした。そこから今に至るまでも、たくさんのことがありました。――目に見えない付加価値を提供すること、2020年代の今、ようやく理解できるようになってきたと思いますが、1990年代当時はまだまだ考えにくいことでしたよね。志村:ハイネッケがダイアログをスタートした1989年というのは、東西ドイツの壁が崩壊した年。それから30年ほどの時間が経った今、物理的な壁はないけれど、人にはそれぞれ目に見えない壁がある。それはそれぞれの人の思い込みによる壁なんですね。障害の有無とか、男女の違いとか、国籍の違いとか、さまざまな違いが人を分け隔てています。ダイアログには、暗闇の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、無音の静寂を聴覚障害者がアテンドする「ダイアログ・イン・サイレンス」、高齢者との対話「ダイアログ・ウィズ・タイム」がありますが、これらのダイアログ・シリーズが挑戦していることは、こうしたそれぞれの思い込みによる壁を溶かしていくことなんですよね。宇宙飛行士から見た地球には国境線は見えません。それなのに分けてしまうのは、何らかの固定観念とか既成概念があるから。それを1回リセットするために、ダイアログ・シリーズがあります。――ダイアログ・シリーズはエンターテイメントですよね。こうした社会課題に取り組むプロジェクトは、一般的にはまじめに学ぶものが多いと思いますが、「楽しむ」という形も新鮮です。志村:ソーシャル・プロジェクトには、さまざまなアプローチがあります。イソップの「北風と太陽」の北風タイプの、厳しい現実を突きつけていくアプローチもあるでしょう。一方でダイアログの場合は、太陽タイプで、楽しみながら見えない壁を壊していきます。だから、ソーシャル・エンターテインメントと呼んでいます。自分とは違う世界の人だと思っていた視覚障害者や聴覚障害者と一緒に遊ぶことによって、彼らの文化に興味がわいたり、向こう岸にいる人ではなく地続きにいる人だったと理解したりしていく。楽しみながら、主語を「私」から「私たち」と変えていく、違う文化の人も包含していくような体験になることを目指しています。「いま、ここに、私がいます」を実感する暗闇Upload By 発達ナビ編集部――異なる文化に対して、その国の人と友達になると印象が変わるという体験は、これまでにもありました。暗闇に入る前に緊張したのは、知らないから怖かった、ということもあるのでしょうね。志村:そうですね。知ることで怖さがなくなっていくのは、たとえば留学がその体験に似ていると思いますよね。知らない土地のことを知りたくて留学するわけです。でも実際に留学してみると、今度は逆に質問されることがあります。「あなたはどこから来て、あなたはどういう考え方で、その背景にあるあなたの国の文化はどういうことなのか」と。自分自身について聞かれるわけです。それと同じことが、暗闇でも起こります。50ヶ国で行われている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の暗闇の中で、アテンドは必ず「あなたはどこですか」と質問します。すると、どの国の参加者も、多くが共通して言うセリフがあります。それは「私はここです」。ふだん私たちは「今ここにいる」と意識していないことが多いのではないでしょうか。「昨日あのとき、こうすればよかった」とか、「あと1時間したら出かけなくちゃ」とか、過去と未来に行ってしまって、「今ここ」にいないんですよね。でも、暗闇の中にいると「今ここ」しかなくて、過去も未来もありません。それは「本当の自分はここにいます」という、とても本質的なことでしょう。これを今読まれている方が、「あなたは誰ですか」と聞かれたとき、「発達障害のある子どもを育てる親です」という言い方もあるかもしれませんが、それは「あなたは誰ですか」という問いとは本来関係ないことなのです。たとえば「視覚障害者の山田さん」と言うと、「視覚障害者の」という枕詞がついた時点でその人に対する見方にバイアスがかかります。本質的な山田さんは単なる山田さんで、その山田さんの一部として目を使ってないという特性もあるということ。発達障害のある子どもを育てているという一面があったとしても、それがその人の人生の中核ではありませんよね。そういう「今ここにいる私」というものを、暗闇では体験することになるのです。―「ADHDのある○○さんのお母さん」ではなくて、自分自身に戻れる場所なんですね。子育てする中では、子育て優先で自分の時間は持てない、楽しむ余裕はないと思っている保護者の方も少なくありません。でも、「私自身」として楽しいと感じることをしていていいんだよ、どうしていると私は幸せなんだっけ、ということを思い出す場所になりますね、この暗闇は。対等な関係になれるからこそできる、本質的な対話Upload By 発達ナビ編集部――なぜ、暗闇の中だと、そういう本質的なことがスッと入ってくるのでしょうか。志村:それは情報を引き算しているからなんです。ふだん、学んだり楽しんだりするときは、情報を足し、掛け合わせて盛り込んでしまうのが、暗闇では情報がそぎ落とされる。日本文化は、引き算のじょうずな文化だと思っています。たとえば、俳句のように。言葉を短く、五七五の中に凝縮しますよね。本質的に、どこに心が動いたかという表現が、得意なのではないでしょうか。ハイネッケは、ラジオ局で目の見えないジャーナリストとともに働くことになったときに、ダイアログ・イン・ザ・ダークの原点を考えつきました。仕事が終わって部屋を出る前に電気を消すと、日常生活で目を使う人は右往左往して出口を探すけれど、目の見えないジャーナリストはスタスタ帰っていく。助けるべき存在だと思っていた人が、部屋の灯りが消えただけで、自分を導いてくれる人になるという瞬間だったそうです。漆黒の暗闇をつくると、助ける側と助けられる側の立場が入れ替わるというだけではありません。視覚障害者も、私たちも、同じように目を使わないのです。そこで対等になります。対話は、対等な関係でないとできません。ダイアログでは、その対等になれる空間をつくっているのです。その空間があるからこそ、本質的なところに入っていきやすいのではないかとも思います。子どもたちのダイアログ体験を、未来の社会が変わる力にUpload By 発達ナビ編集部――ところで、2022年はどんな活動を展開していくのでしょうか。志村:今、「こども5000人たいけん!」プロジェクトを進めています。海外のダイアログは、国が子どもたちの学校教育の一環として展開しているところが多いのですが、日本ではまだです。小学校4年生ぐらいになると、人と違うところがかっこ悪く感じるようになることが多いでしょう。また、違うところがある子どもをいじめたりしてしまうこともある。そうした時期に、ダイアログを経験してもらいたいと願っています。そこで、まず佐賀県がふるさと納税を使い、2,000人ほどの県内の子どもたちに、学校教育として取り入れてくれました。そのときの子どもたちへのアンケートでは、ダイアログの体験後に自己肯定感が上がるということが分かりました。「あなたの希望はいつか叶うと思うか」、「自分に満足しているか」といった質問の回答が、体験後にはポジティブな方向に変化していました。ただ、こうした結果があっても、全国の学校で実施するに至るには時間がかかります。私たちは昨年クラウドファンディングを実施しましたが、そのときに、子どもたち5,000人に無料体験してもらうということを、リターンにしました。「こども5,000人たいけん!」によって起こる、10年後の未来の社会をみなさんがイメージして支援してくださいました。このプロジェクトは昨年から徐々に始まっていますが、今年5,000人に達成させたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部――それは楽しみですね。こうした取り組みに、コロナ禍の影響もありましたか?志村:コロナによって、人と人との距離感が変わりましたよね。見えない壁は、厚くなったとも思っていました。ところが、(一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ )代表理事の志村季世恵は、「マスクをしている恋人同士がマスク越しでキスをしているのを見たの。それって、3年前にはなかった風景じゃない?」と言ったんです。相手のことを思うからこそマスクを外さない姿。たしかに愛の伝え方は、すごく変わりました。病院でもこれまでは、愛する人の手をにぎって最期のときを過ごしたのが、ガラス越しになったりモニター越しになったりしています。でも、伝えたいことは同じ。「愛している」「ありがとう」といったシンプルなことで変わらないはずなんです。コロナによって愛の「伝え方」が変わったことを、ダイアログで再認識してもらえたらと、2月14日まで「LOVE イン・サイレンス」、「LOVE イン・ザ・ダーク」を開催しています。――気持ちの伝え方の変化、たしかにありますね。そして、たくさんの変化が、この約2年の間にありました。志村:ヨーロッパの13世紀にペスト菌やスペイン風邪がはやり、最悪の事態に陥ったあと、14世紀には人間性復興、ルネッサンスが起こったように、ここからまた新しい芽が出るはずだと信じています。コロナで1回リセットされたあと、立ち上がっていくのは、健常者だけでもないし、さまざまな障害のある人だけでもない、男性だけでも女性だけでもない。イメージで言うと、城壁のようにさまざまな形と大きさの石が重なり合い、お互いに摩擦を起こしながらも繋がり、しなやかでありつつ強靭になっていく。そんなイメージが、まさに多様性、ダイバーシティではないかと考えています。これまでとは、方程式が変わった気がするんですね。――今までなら、学校に行って学ぶ、会社に行って働くのがあたりまえだったから、障害のある人は通学・通勤だけでも大変でした。それがリモートが可能になったら、誰でも家で学べるし、働ける。働きやすさ、暮らしやすさが見直されて、みんなが力を合わせていくような社会構造に変わっていくことが望まれていますね。志村:障害のある人は、何らかの状態に適合しないということでもあります。でも今は、すべての人が学校や会社に通えないとか旅行できないとか、全員が適合できていない状態。今は全員がボーナブル、脆弱性を持っています。だから、社会が変わることによって自分がハッピーになると考えるのではなく、社会に内在している自分が変わることで、周りが変わって社会が変わるということを考えたいですよね。ダイバーシティについて考えるとき、外側から見るのではなく、自分も含まれているということを忘れずにいたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部文/関川香織撮影/鈴木江実子言葉の壁を超えて、人はもっと自由になる。純度 100%の真っ暗闇の中で、見ること以外の感覚を使い、驚きに満ちた発見をしていくエンターテイメント。体験を案内するのは、普段から目をつかわない視覚障害者のアテンドです。視覚以外の感覚を広げ、新しい感性を使い、チームとなった方々とさまざまなシーンを体験します。1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれ、これまで世界 50ヶ国以上、800万人以上が体験。日本では 1999年に初開催し、これまで 23万人以上が体験しました。現在は東京・竹芝のダイアログ・ミュージアム「対話の森」で体験が可能です。※詳細ボタンをクリックすると発達ナビのサイトから一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティのサイトに遷移します1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェロー等を経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークの日本開催を主宰。1993年日本経済新聞の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会う。感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。2020年8月、東京・竹芝「アトレ竹芝」内にダイアログ・ミュージアム「対話の森」をオープン。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)
2022年01月29日とっても育てやすい子でした!11年前に生まれてきてくれた長女ゆい。何の問題もなく、すくすくと成長していきました。首が座って、お座り、ハイハイ、つかまり立ち…普通に夜泣きがあって、普通にイヤイヤ期があって。そして普通に時期が来ればおさまっていたので、特に心配することもなかったです。性格は大人しめで発語も問題なく、年齢ごとの健診で指摘されることも何もありませんでした。母子手帳の発達項目にはすべて「できる」に○をつけて「悩みは特にない」って書いてたっけ。まさに育児書通り、平均的な成長をしていたと思います。…といっても、私はかなり大雑把な性格だから、いろいろなサインを見落としてた可能性は大いにあるけどね。勉強の遅れが目立ち始めて…Upload By 吉田小学校3年生あたり、勉強の難易度が上がってきてからどんどん授業についていけなくなりました。国語は特に漢字が苦手で、書く文章はほとんどひらがなでした。先生にも「文字というよりカタチでとらえて書いている感じがします」と言われたことがあります。算数は、文章問題を前にフリーズするようになりました。いったい何を問われているのか、意図が読み取れないといった感じです。テストは真っ白で提出することが多くなっていました。参観日に算数の授業を受ける姿を観たときは、先生の話を明らかに聞いておらずボーっとしていたので焦りました。今思えば、サボっているのではなく先生が何を言っているのか理解できなかったんですよね。呑気すぎる私もちょっと焦りだして、通信教育や個別指導塾に行かせてみたけどあまり効果はなかったな…。そして小学4年生になったとき、担任の先生に呼び出され、「発達検査を受けてみませんか?」と言われて…調べてもらったところ、○軽度知的障害○ASD○場面緘黙(ばめんかんもく)があると教えていただきました。周りは厳しい…Upload By 吉田診断が出て、将来のことがものすごく不安になっちゃいました。なにか社会的支援はあるの?仕事ってどんなものがあるの?そこからは、スマホにかじりついて検索する日々。LITALICO発達ナビも、このときに読みまくっていました。私は焦っていましたが、家族は…Upload By 吉田夫はこんなんだし、Upload By 吉田義理の両親はこんな感じ…ついにはお世話になっているスクールカウンセリングの先生に「先のことを考えすぎですよ(苦笑)」と言われて、一旦立ち止まることにしました。Upload By 吉田そんなゆいですが、学校や本人と話し合い、小学校5年生から算数だけ通級へ通っています。勉強についていけず自分に自信をなくしていたゆいに元気が戻ってきたのが一番の収穫でした。でもこれから先、もっといろんな壁が出てくるだろうし、親としてはいつまでも心配してしまうけど、これはきっとどんな家庭でも同じことだよね。わが家も勉強や今後の進路、将来の就労はどうなるんだろうと不安は尽きませんが、たくさん悩み、笑いながら成長していきたいと思います。それには夫の協力も欲しいところだね(単身赴任で月イチの帰宅しかできないけど…)そんな日々をここでつづっていけたらと思いますのでよろしくお願いします。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)子どものこととなるとついつい先のことまで心配してしまうのが親というものです。でも、先を見すぎて今を見失うことが往々にしてありますよね。スクールカウンセラーさんのコメントでそれに気づけたことはとても良かったと思います。そしていらこさんがおっしゃるように、実は子育ての悩みの本質は「どの家庭でも同じ」なんですよね。障害があるといろいろとそのせいだと考えてしまいがちなのですが、とってもフラットで素晴らしい視点だと思います。
2022年01月28日保育園の参観日しのくんは3歳8ヶ月。発達障害グレーゾーン、視覚優位タイプの男の子です。その日は、保育園の参観日。子どもたちは保育園の教室で先生のピアノに合わせてダンスをしていました。私は、(しのくん、できるかな?)と、ドキドキして見守っていました。しかし…Upload By keikoUpload By keikoUpload By keikoUpload By keiko参観をする保護者の中から私を発見するなり、すぐ側に来てしまい、そのまま私のところにいようとする、しのくん。クラスのほかの子どもたちは、先生のピアノに合わせて踊っていて、保護者の元へ来たのはしのくんだけでした。しのくんに「みんな踊ってるよ。しのくんも行っておいで」と声をかけると、そのときは教室の中へ戻りますが…すぐにまた「ママー!」と言って、私の元へ戻るというのを繰り返していました。参観ではしのくんが保育園でみんなと過ごしている様子を見たかったのですが、この日はそれが見られず残念だったので、後日、私は言葉の教室の先生にこの出来事を相談しました。後日、言葉の教室の先生に相談すると…Upload By keikoUpload By keiko先生に「こっそり見てみるのはどう?」と言われ、目から鱗が落ちました。「ママのことが大好きだから、そりゃママの側に来ちゃいますよ。そんなときは物陰からこっそり見るといいかもしれません」という先生の言葉に(なるほど~)と思いました。私は子どもから隠れて参観日に参加するということを考えてもみなかったので、「しのくんがママを見つけなければ、ママのところに駆け寄ってはこない」という、当たり前の事実に気づくことができませんでした。言葉の先生に助言をいただき、次からの参観は「こっそり物陰から見てみよう!」と思いました。そして、次の保育園行事は運動会今回はしのくんの様子を「こっそり物陰から見る」という作戦だったのですが…Upload By keikoなんと運動会は座席指定でした。しかも…Upload By keiko私の席は保護者席の最前列だったのです!!そのため、「こっそり物陰から見る」ということができませんでした。運動会ではこの作戦はできませんでしたが、保育園の先生にも相談して次こそ「こっそり物陰から見る」というのをしてみたいなと思っています。いつか、しのくんが保育園のみんなと過ごしている様子を最初から最後まで参観できる日を楽しみにしています。執筆/keiko(監修:初川先生より)お母さんの姿が目に入ったら、そちらに来てしまう。まさにそうですね。そもそも参観日の様子がいつもの様子であるかどうか、というところもだいぶ怪しくはありますね。参観日の様子はあくまでも「参観日の様子」です。保護者がたくさん見に来ている状態で、いつもと同じ様子になる子もいますが、そうではなくて、いつもより頑張ってしまう子も多くいるものです。お子さんの様子を見ようとしたときに、保護者の方ご自身が「刺激」となって、いつもとは違う様子を見せる場合は往々にしてあることです。「こっそり見る」ことの良さはできるだけいつもの環境を保った中で、様子を見るということですね。ぜひこっそり見に行ってみてください。
2022年01月20日気温がコロコロ変わる沖縄の、難しい体温調整。広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)の娘は、小学5年生。私たち家族は、沖縄県に住んでいます。沖縄は、南国というイメージ通りで基本的に一年中暖かく過ごしやすいですが、寒くなるときは突然。夏からいきなり寒くなり、冬になるという感じ。秋がありません。また、冬になり一度寒くなっても、次の日には気温が24度まで上がったりするので、昨日は長袖+上着だったのに、今日は半袖一枚という日もあります。今の時期も、一日の中でコロコロ気温が変わるので、朝と夜は寒いけど、昼間は暑いなんて日もしょっちゅうです。Upload By SAKURA暑くないのに、クーラー・・・?沖縄の夏は長いため、だいたい5月から10月下旬までは、クーラーが必要不可欠。わが家も夏場は、クーラーをつけています。昼間はリビングだけつけ、寝るときは、クーラーの冷風が届かない、娘が寝る部屋もつけるようにしています。そして、娘の部屋のクーラーは、いつも娘が寝る前に自分でつけ、それからベッドはいるというのが夏の間の日課でした。Upload By SAKURAその日課が、5月から10月下旬まで続いていたある日…もうクーラーは必要ないかな~と感じるようになったので、昼間もクーラーを切り、家中の窓を開けて扇風機だけで過ごしていました。Upload By SAKURA夜になり、娘は、寝るために自分の部屋に向かいました。しばらくして様子を見に、部屋に行くと…Upload By SAKURA娘は、窓全開で、クーラーをつけていました。Upload By SAKURA最初は、つい間違えたのかと思ったのですが、翌日の夜・・・Upload By SAKURAまたクーラーをつけていた娘。今度は窓を閉めてはいましたが、涼しいときはクーラーをつけないでほしい・・・。私は、提案のような言い方ではなく、今度は「つけないで」とはっきり伝え、具体的な方法も伝えました。しかし、さらに翌日の夜…Upload By SAKURA娘はクーラーをつけていました。Upload By SAKURAパターンを覚えるのが早く、習慣化しやすい娘なので、長く続いた習慣が抜けきれず、ついついクーラーのリモコンを手に取ってしまうのかもしれない…。そう思ったので、結局クーラーのリモコンを娘の部屋に置かないようにしました。寒いのに、扇風機!?それから扇風機だけの日々が続きましたが、ある日…肌寒さが突然やってきました。窓を少し開けるだけで十分で、扇風機をつけると寒すぎると感じる気温。その夜、娘が寝たかどうか部屋に様子を見に行くと…Upload By SAKURA娘は、窓を全開にし扇風機を強にして、ガタガタ震えていました。Upload By SAKURA行動を選ぶこと、組み合わせることが苦手。娘は、体感で「暑い」「寒い」は感じることができますが、そう感じたあとの行動が、分からないようでした。自分が感じた気温から、「窓を開ける(閉める)」「扇風機をつける(消す)」「クーラーをつける(消す)」など、いくつもある選択肢の中から、自分の暑さのレベルに合わせて、ぴったりの行動を選んだり組み合わせたりするということが、娘にとってはとても難しいのです。Upload By SAKURA今までは、その日の気温に合わせて、寝る部屋の環境は、私たちが整えてあげていました。そのあとに、娘が「暑い~」とか「寒い~」とか、言ったときは微調整もしてあげていたので、まさか自分の体感で判断することがここまで苦手だとは思いませんでした。改めて、娘の苦手に気がついた出来事でした。この苦手は、なんとかするべきだろうか…そう考えていたとき。私たちは、もう一つの娘の苦手に気がついたのです…。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)感覚過敏性や感覚鈍麻性があって、暑い・寒いの感覚がほかの人と違っているお子さんもいます。感覚の違いというのは多くの親御さんにとって自分の感覚にないことなので悩ましいと思います。また、あーさんと同じように暑い・寒いが感じられたとしても、適切な対処をすること、例えば厚着をしたり服を脱いだりする、扇風機とクーラーと窓の3つを使い分ける、などが難しいお子さんもいます。適切な水分補給なども難しいという子がいます。手立ての一つとして、「〇度以上になったらスイッチを入れる」「〇度~〇度の間は、窓を開けて扇風機にする」といったように、肌感覚ではなく具体的な数字、温度や時間を手掛かりに推奨される行動を決めて紙に書いて「見える化」するなどがあります。もちろん、体調が悪いときなどは融通をきかせないといけませんが、一旦は獲得しておいて、普段こうだけど体調や状況に合わせて変えようというのはその次と考えるのも手かと思います。こだわりも関係していると思うので、自分で判断や調節するのが難しい場合も、大人になるとできるようになることも多いようです。
2022年01月19日一般社団法人たけのこ(本社:大阪府箕面市、代表理事:浅井 猛雅)は、オンラインでの早期発達支援プログラム「おうちLIBO -ONLINE-」の受付枠の増枠が決定いたしました。コロナ禍を考慮して、また全国のお子様・保護者様からのご要望を受け開始した「おうちLIBO -ONLINE-」は、2021年10月のサービス開始から大変ご好評いただき、受付枠の上限までお申し込みがございました。この度、制度を整え、人員を充実させることで、受付枠の増枠が可能になりました。一般社団法人たけのこは「科学的根拠に基づく質の高い発達支援の提供」を理念に掲げて、お子様の可能性を広げる児童福祉事業・就労支援施設を運営しています。おうちLIBO -ONLINE- 1おうちLIBO -ONLINE- 2【日本で唯一!米国の早期発達支援プログラムを活用!】LIBOでは、アメリカの大学で研究によって効果を立証された早期発達支援プログラム(PRTやJASPERやなど)を日本の文化や教育課程に合わせてアレンジして支援を行います。日本には、発達障害支援でオンライン療育を取り入れた施設は一桁ほどしかありません。その中でもアメリカの専門的で、科学的効果の実証されたプログラムを提供できるのは現時点ではLIBOだけだと自負しています。【高度な専門性を持つスタッフが対応!】LIBOでは、お子様の発達を正確にアセスメントして、一人一人に合った科学的根拠に基づく早期発達支援プログラムを提供しています。所長は帝京大学の黒田 美保教授で、長年幼児期における対人コミュニケーションの発達支援研究を続けています。また、LIBOでは心理士の資格を持つ発達支援の専門家が親身になって丁寧に支援させていただきます。【医療機関や療育施設からの推薦多数!】言葉の遅れやコミュニケーションの難しさ、社会性の発達に不安があるお子様に対して「より専門的な発達支援を受けさせたい」という保護者様のニーズが増えています。0歳から6歳までの幼児期は脳の発達にとって重要な時期です。お子様の持っている力を引き出し、可能性を広げることを望む保護者様が、医療機関や他の療育施設から「効果的な早期発達支援を求めるならLIBOに通ってはどうか」と紹介されて、私どもの施設にいらっしゃいます。【オンラインにより、コロナ禍の非接触や遠方のご家族にも対応可能に!】LIBOのサービス内容はそのままに、オンラインでの対応が可能となったことで、日本全国のお子様やご家族に早期発達支援が可能となりました。外出が困難なご家庭や遠方にお住まいの方、コロナ禍で外出自粛や非接触を心がけるご家庭でも支援を受けていただけるようになっています。また、ご自宅への職員の派遣を行う「おうちLIBO -VISIT-」も同時に開始し、こちらもお問い合わせなどが徐々に増えてきております。【おうちLIBO -ONLINE-の概要】ご自宅と教室をオンライン会議システムZoomでつなぎ、心理士の資格を持つ職員がマンツーマンで発達支援を行います。お子様の成長を促す関わり方を習得していただくため、ご家庭での様子を見せていただき、イヤホンマイクを通してお子様への適切な声掛けや対応を伝えます。また、お子様の発達に合わせた目標と、保護者様の関わり方などについてフィードバックし、次回までの簡単なホームワークを出して、効果的な関わり方を習得できるように保護者様へのコーチングを行います。4~5歳を対象にしたアカデミック・ステップでは、自ら学ぶ力をはぐくむことを目指します。社会性やコミュニケーションの力を伸ばすことを大切にしながら、同時に、小学校入学を目標に認知力を高める課題を実施し、数や文字などの学習にも役立てるものです。増枠開始日: 2022年1月17日対象 : 0歳から6歳までのお子様とご家族詳細 : 【おうちLIBO -VISIT-の概要】心理士の資格を持つ職員がご自宅に伺ってマンツーマンで発達支援を行います。お子様の成長を促す関わり方を習得していただくため、ご家庭での様子を見せていただき、お子様への適切な声掛けや対応を伝えます。また、お子様の発達に合わせた目標と、保護者様の関わり方などについてフィードバックし、次回までの簡単なホームワークを出して、効果的な関わり方を習得できるように保護者様へのコーチングを行います。お子様とセラピストのマンツーマンで行い、小学校に向けた準備として遊びの中に学習の要素をとりいれていくことが可能です。増枠開始日: 2022年1月17日対象地区 : LIBOから公共交通機関で30分程度詳細 : 【施設概要】施設名: 自由が丘こころの発達研究所LIBO所長 : 黒田 美保所在地: 東京都目黒区自由が丘2-22-3 Lotus Calyx 102電話 : 03-5726-9975URL : おうちLIBO -ONLINE- 3【会社概要】会社名: 一般社団法人たけのこ所在地: 大阪府箕面市萱野5-12-1代表 : 浅井 猛雅電話 : 072-736-8727URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月18日子どもを褒めて伸ばすのがよいと言うけれどUpload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)の診断を受けたのは小4のときでした。息子の療育などを通して、褒めることで自己肯定感が育まれることを知り「なるべく気をつけて声をかけよう」とは思っていました。ですが、だんだんと反抗期に突入していった息子はイライラしていることが多く、特性から忘れ物やなくし物も多いことで私もイライラしてしまい、息子を素直に褒められないことが多くありました。Upload By かなしろにゃんこ。「褒め方が分からない」「褒めるところが分からない」と思っていた私でしたが、クリニックでペアレントトレーニングを受けていたときに「君は息を吸って吐いているだけで完ぺきなんだ、生きているだけで素晴らしい」という究極の褒めに達したお母さんもいるんですよ!と教えてもらいました。それを聞いてからは「なんだ、どんな些細なことでも褒めちゃっていいのね!」と思い、素直に息子を褒められるようになっていったと思います。(自画自賛ですけど、笑)Upload By かなしろにゃんこ。そんなとき、発達障害の自助会で出会った当事者の先輩から親や周りの大人から受ける傷つく言葉に「こんなふうに言われたら嫌!」とか、逆に「親からこう伝えられていたら変わったかもしれない」など、いろいろな話を聞きました。(※事前に掲載の許可をいただいております)そこで聞いたこんな意見が印象に残りました。「子どもの意見になんでも反対しないでほしい」「親の言う通りの進路を歩めないからといって全否定しないでほしい」「わざとらしく褒めないでほしい」「偉人=発達障害というケースを比べて自分に期待しないでほしい」大人が放った言葉一つで心が大きく揺れてしまうことがあるのだと知り、息子への声かけにも応用してみようと思いました。息子に合った「自己肯定感を育む関わり方」とはUpload By かなしろにゃんこ。そして、息子が小5年生くらいのときから自己肯定感を育むために「リュウ太の意見尊重しますよ!」作戦をスタートしました。それは、息子が言った「意見」に乗っかること。夕飯何が食べたいか聞いて「オムライスがいい」と言ったら、私は「リュウ太のそのアイデアいいね!オムライスにしよう!」と息子に夕飯のメニューなどを決めてもらうことにしました。意見に賛成する言葉を伝えると息子は嬉しそうでした。また、それまで褒めるとき私は手をたたいて褒めていたのですが「その言い方マジキモイ」と息子に言われてしまったので、高学年になった息子に合わせてクールな、さりげない言い方に変更しました。「お!ソレいいじゃん」や「カッコイイね」とか「へ~うまいじゃない、やるね~」など。そのほうが本心で肯定している感じに伝わると思いました。Upload By かなしろにゃんこ。息子が大人になってから言っていたのですが「大げさに褒める言い方は、オレにヤル気を出させるために褒めてる感が伝わってきて本心じゃないなって思ってた」と。年齢や性格によっては、絶賛よりも同意程度がいいのね~と息子から教わりました(笑)当事者の先輩の意見であった「偉人=発達障害と比べられたくない」というものに対しては、私はあえて使ってみることにしました。息子に偉人のようになれ!とは思っていないので、「こんな人もいるんだって」程度に起業する社長さんや研究者、芸能界などアイデアや瞬発力が必要な分野で活躍している発達障害がある先輩たちの話をしました。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDがあるから失敗を恐れず再チャレンジができることや、豊かな発想を発信できること、好奇心旺盛で気になったらコツコツ探求、研究ができる能力があることなど、発達障害のいいところをたくさん伝えました。息子が誇らしげに聞いてくれたことが嬉しかったです。子どもを褒めようと意識するようになったときに、(うちの子、褒めるところがこんなに少ないなんて…)って思ってこともありましたが、息子と話しているうちに「この子にもいいところいっぱいあったわ!」と気がついていきました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。細かいことを気にしないで失敗しても「いっけね☆」とクヨクヨしないところなどは、本来いいところ! 忘れ物なくし物が多いマイナス面と同じくらいいいところもある!今では、「発達障害がいけないわけじゃない、世の中に発達障害があるからこそ新しい物づくりや産業が栄えたかもしれないよね!」なんて話も親子でしています。初めのうちは発達障害の悪いところばかり見てしまったいた私ですが、徐々に考えを改めて息子自身のいいところに注目できるようになっていったような気がします。息子の自己肯定感も中学からはそんなに下がることがなく、明るくのびのびと好きなことを好きなだけやる人に成長できたんじゃないかな~って思います。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)思春期になると、褒め方も年齢に合わせて変わっていきますよね。子どもの話を最後まで聞き、受け止めることはすばらしいことです。たとえ、子どもの意見が間違っていたとしても一旦最後まで聞き受け止めることが「褒めること」以上に大切だと思います。また、かなしろさんのように見方を変えることで子育ても随分楽になると思います。子どもが言われて嫌なことは障害があってもなくても同じかもしれません。子育てをする保護者みなさんが応用できることだと思いました。
2022年01月08日大好評企画「児童精神科医 三木先生に聞いてみた!」まとめ第二弾漫画『リエゾン ーこどものこころ診療所ー』の監修や、発達ナビでもコラムの執筆などでおなじみのフリーランス児童精神科医の三木崇弘先生。今回はそんな三木先生とママコラムライターさんが対談した大好評企画「児童精神科医 三木先生に聞いてみた!」コラムをまとめてみました。第二弾でご紹介するコラムのテーマは「言い争いにならない伝え方」「不登校と将来」「進路問題」「障害告知」「子どもと親の距離感」「衝動性」などなど…気になるコラムはぜひリンクをクリックして読んでみてくださいね。当たり前が分からない!息子が理解しやすい伝え方は?おもちゃを拾ってくれた大人を見て「おもちゃとった!」と大騒ぎになってしまったむっくん。もしかして"当たり前"のことが分かってない?発達障害のある息子の癇癪。納得するのに必要なのは…!?小さなころから癇癪が起きがちなむっくん。ウチノコさんが家庭で行ってる対策や三木先生のアドバイスは役に立つものばかりです。中2発達障害長男。進学しても進路や勉強の悩みは尽きず…中学2年生のASDとADHDのある長男くん。理系の私立の中学に進学し、本人の環境にも合っているのに「進路を変えて定食屋になりたい」と言い出して…!?小5ADHD次男への障害告知のタイミング次男くんも小5になり、そろそろ障害告知をする時期が近づいているのかも…と思うスガカズさん。障害告知、障害受容などどのように考えていったらいいのか三木先生にお聞きしました。親は発達障害のある子どもをどこまでサポートしたらいいの?まだまだコウくんにはサポートが必要だと考えているさとこさん。でも一体どこまで関わっていいのかサポートの加減に悩んでいて…。衝動性からの「ついやっちゃった」への対応への理解と付き合い方ASD・ADHDのあるコウくん。理屈では理解していても「ついやっちゃった」「なんとなく」と衝動性で動いてしまうこともしばしば。そんなときに親としてできることとは…?三木先生のコメントには今後の子育てのヒントがたくさん三木先生の優しさと、ときに鋭さのあるコメントに「なるほど…!」と感じる方も多いのではないでしょうか。三木先生とママライターさんたちの掛け合いの様子も楽しい対談コラムです。各ママライターさんたちの描く三木先生の似顔絵も必見!
2022年01月02日感覚過敏のある人に起こる、それぞれの感覚ごとの症状Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン刺激の感じ方は個々によりさまざまで、症状も多岐にわたります。感覚の偏りが引き起こす具体的な症状とはどのようなものなのでしょうか。ここでは、五感と呼ばれる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、体の動きをつかさどる固有感覚、体のバランスをつかさどる平衡感覚について、それぞれに分けてお伝えします。視覚人は多くの刺激がある環境でも、注意を向けたい刺激を無意識的に選ぶことができます。しかし、視覚過敏がある場合には、全ての刺激情報を均等な濃さで受け取ってしまいます。ビビッドでカラフルな色のものや、たくさんのものがある場所は苦手なことが多くあります。視覚過敏でない人にとっては気にならないような光や白いものが、視覚過敏のある人にとっては目に突き刺さるほどまぶしいことがあります。蛍光灯の光や、テレビやパソコンの液晶画面、白い紙など苦手なことが多いです。授業中に席を離れてしまうなどの子どもの行動の背景には、感覚の偏りがある可能性があります。聴覚賑やかな場所にいると疲れやすいなどが聴覚過敏の症状です。聴覚過敏の症状が強い場合、耳をふさぎたくなるほど耳の奥が痛くなったり、頭痛が起きたりするような身体的な痛みを伴うことがあります。人によって気になる音は異なりますが、例として、女性の甲高い声や、休み時間のチャイム、合奏の音、掃除機などの機械音などが挙げられます。選択的に音を拾い集めるのが困難になってしまい、音の刺激に対して適切に注意を向ける処理ができないために起こります。一生懸命聞こうとしていても、たくさんの音が聞こえてしまうので本人は混乱しています。逆に聴覚への反応性が低い場合には、音を聞き取ることができないために、結果的に授業中に上の空になったり、呼びかけても応じなかったり、またテレビの音を大きくしたりといった様子が見られることがあります。嗅覚少しのにおいを過敏に受け取ってしまうことが嗅覚過敏です。少しのにおいでも過剰に受け取ってしまうあまり、ストレスが増加します。においに耐えられなくなって、吐いてしまうこともあり、ひどい場合には身体的、精神的ともに支障をきたすことがあります。逆に、嗅覚の鈍感さが見られる場合には、適切ににおいを感じることができません。においが分からないと、味も分かりにくくなるので、嗅覚と同時に味覚の感覚にも支障をきたすことがあります。味覚味覚に感覚の偏りが見られる場合、多くの人にとって美味しいと感じられる味がそうではないように感じたり、変わった味を好むようなことが見られることがあります。例えば、特定の味に対して、非常に強い不快感を感じたり、味が混じることを嫌がり、分けて食べたがったり、食べ物、飲み物の苦みや酸味を過剰に感じたりします。結果的に食べ物の好き嫌いの差が顕著で偏食の傾向が見られるようになったり、刺激的な味を好むゆえに調味料や香辛料で過剰に味付けすることがあります。食べ物に関する感覚は味覚のほか、におい、食感、色、といったさまざまな感覚が関係していることがあります。一人ひとり原因が異なるので注意が必要です。触覚触覚が過敏な場合には、皮膚に触れる刺激を過剰に感じて不快感が生じます。触ることができないものとしては、のりやねんど、スライムなどのぬるぬる、べたべたするものや、たわし、毛糸、洋服のタグが代表として挙げられます。また、自分から触ることは平気でも、人から触られることが苦手な子もいます。触覚に対する過敏さからくる反応として、以下のような例が挙げられます。・特定の肌触りの服を嫌がる/好む・爪切り、耳かきを嫌がる・自分からは人懐っこい関わりをするのに、触れられることを嫌がる・触ることのできないものがある(よって、遊び・活動の幅が制限される)触覚の鈍さが見られる場合には注意が必要です。というのも、触覚が鈍いときには、痛覚(痛みを感じる感覚)、温覚(温度を感じる感覚)も同時に鈍いことがあるからです。温度、身体的な痛みを感じることができないと、身体の異変に気がつかず、その結果適切な対処をできないこともあります。例えば、転んで怪我をしたときにも、本来ならば病院に行って手当をしなければならないはずなのに、その痛みや怪我をしていることに気が付かず、即座に適切な治療を受けることができない場合もあります。自傷行動は感覚の過敏性や鈍さから起こるだけではありませんが、自分が感じることのできる刺激を求めるあまり、血が出るまで腕を掻いたりかんだり、嫌な刺激から逃れたいために頭をぶつけるなどの自傷行動を行ってしまうこともあります。固有感覚固有感覚とは、筋肉の張り具合や関節の曲げ伸ばしを感じとる感覚です。自分の体の位置や動きを把握する役割があります。固有感覚につまずきがあると、筋肉に対する刺激を過剰に求める「感覚探求」が生じると言われています。固有感覚が直接の原因ではないこともありますが、以下のような行動があげられています。・強く足踏みをする・体の一部を動かし続ける(常同行動)・他人に思いっきりぶつかる、激しく関わる平衡感覚平衡感覚とは体のバランスをとるときに働く感覚で、主に姿勢のコントロールや体のバランスを保つことに関わっています。平衡感覚が鈍い場合には、体の揺れや傾きを自身で調節することが難しく、例えば、頭を振りながら走ったり、ぐるぐる回ったり、回る遊具やブランコなどが大好きで離れようとしなかったりすることもあります。逆に、平衡感覚が敏感な場合には、動きの刺激に対して恐怖心や不安を持ってしまうこともあります。例えば、ブランコや高い場所に行くことを嫌がったり、頭を傾けたり体が傾いたりするのを嫌がったりします。感覚の偏りの原因は? 発達障害と関係があるの?感覚に偏りが見られる原因はあいまいではっきりとは分かっていませんが、中枢神経系(辺縁系や視床下部など)における感覚情報処理の問題によるのではないかと考えられています。感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉スペクトラム症(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いと言われています。発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情を持つことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、定型発達の子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうことがあります。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりすることもあります。それらの行動の背景に感覚の偏りがあるかどうかを見極めることは大切なことです。このような刺激に対して、環境を調節したり、適切にコントロールしたりすることができれば、本人の不安やストレスが軽減できるようになります。※記事中のような行動があったとしても、感覚の特性だけが原因とは限らないので注意が必要です。専門機関で相談されることをおすすめいたします。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年12月30日私の息子は3歳半健診で、「発達障害の疑いがある」と診断されました。結果的に、その1年後の健診で「発達障害ではない」と診断されましたが、息子の幼過ぎる行動を見るたびに、発達障害と親のしつけについて考えさせられた私の体験談をお伝えします。3歳半健診で色が答えられない私の夫は外国人で、私たち家族は長い期間を国外で過ごしています。息子の周りで日本語を話すのは私だけでした。 あれは日本に帰国し、3歳半健診を受けたときのことです。「この色は何?」という質問に、息子は答えられませんでした。私は相談室に入り、医師に「息子は日本語が苦手なだけです」と話をしました。その後もさまざまなテストを受け、できることもあればできないこともありましたが、最終的には「発達障害の疑いがある。様子を見ましょう」と医師に言われてしまいました。 発達障害? 親のしつけのせい?息子はレゴブロックを組み立てたり、本の内容を覚えたりする点ではほかの子よりも優れているところもありました。そのため、息子が店で走り出したり、大声で怒り出して止まらなくなったりしても、手のかかる子だと思う程度でした。 ところが周りからは、私の息子への対応が甘過ぎる、しつけが悪いと言われることもありました。そう指摘され、息子に厳しく接することも。そのため、3歳半健診で「発達障害の疑いがある」と言われたとき、「本当に発達障害かもしれない」という思いと、「いや違う、私のしつけのせいだ」という思いから毎日悩みました。 息子の個性と親のしつけを考える 1年後の健診で、息子は「発達障害ではない」との診断を受けました。テスト結果は、同年代より優れている部分と劣っている部分の両方がありましたが、普段の生活でも、ほかの子より優れている部分と劣っている部分の差が大きい息子。以前はその劣っている部分を直そうと、厳しくしつけをしていました。 私はその視点を変えることにしました。周りからのプレッシャーもありましたが、今は息子の個性を大事にして優れている部分を伸ばそうと考えています。 息子は、いまだに幼い子のように自分の感情を強く出します。それは、のちに発達障害と診断されることになるかもしれません。でも、私には息子の優れた部分もきちんと見えています。今はその個性を大切にしたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:シュストルじゅんこ二児の母。海外で結婚し、2人の男の子を妊娠・出産。異文化を楽しみながら子育てをしている。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年12月24日小学2年生だった次男がいじめにあう発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなっていくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの、猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。Upload By 桑山 知之「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きがわかるようになったという。息子が苦手なことは自分も苦手――自身も発達障害の診断をUpload By 桑山 知之次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが、息子の担当医によれば「間違いない」という。こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を忘れたらいつも学校まで届けた。「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやってあげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)Upload By 桑山 知之思い返してみれば、猫ママさん自身も子どものころ、空気が読めなかった。周囲の様子をきちんと理解できていなかった。相手の表情や、何を喋っているか、あらゆる情報が今でもほとんど思い出せない。でも母親や教師からはよく怒られた。当時を知る高校の同級生からは「あのころはマシンガントークがすごくつらかった」とも言われた。どうやら、しょっちゅう友達の間に割って入って自分の話をまくしたてていたらしい。発達障害一家だからこそわかること「ゆっくりだけど、みんな学んでいる。」これはドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の中に差し込まれたコピーだ。猫ママさん一家も、決して例外ではない。Upload By 桑山 知之社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いんじゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)Upload By 桑山 知之苦しんで育ってきた自分だからこそ、息子3人が一体どういったことに苦しんでいるのかがわかる。そのサポートをしながら、親がレールを敷くのではなく、本人の意思を尊重してきた。そのうえで、子育てにおいて大切なのは、「何ができるか」ではなく、「愛される人間であること」だという。「いちいち他人を敵に回すようでは、困ったときに助けてあげようと思ってもらうことはできません。逆に、できることが少なくて手がかかっても、いわゆる憎めない人には、ピンチのときに誰かが必ず助けてくれると思うんです。特性ゆえにわからないならなおのこと努力が要るのではないでしょうか。そのためには、障害を受容し、許容することが大前提になるのだと思います。まず親が一番最初に、わが子をしっかりと受け止め、許容すること。できないことを受け止め、その中で一緒に歩いていくこと。そしていつか必ず『手を離す』覚悟を持って」(猫ママさん)長男は25歳になり工場用機械を作る会社に就職。次男は21歳で名古屋のアパレルショップで働いている。三男は全日制の高校に通う1年生だ。猫ママさんは10年前から、発達障害や家族のことを知ってもらおうとブログなどを通じて発信を続けている。特性と躁鬱の症状で仕事は途切れがちだったが、現在はクローズ(※障害があることを申告せずに一般雇用で就労すること)でサポート側として2年半継続して勤務している。ゆっくりだけど、みんな学んでいる。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文/桑山知之取材協力/若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・三木先生より)「誠意をもって生きること」「愛される人間であること」はすごく大事ですね。どういった苦手さを持っているかももちろん人生に大きく影響するのですが、その困難に直面したときに誰かに助けてもらえたり許してもらえるようなキャラクターだったり振る舞いができたりすることは、実は何よりも強い武器なのかもしれません。
2021年12月22日小学3年生のころUpload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子リュウ太が小学校3年生のときに親子で教育相談所(※)に通っていたときのことを書きたいと思います。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。ほっとできる場所がなかった息子Upload By かなしろにゃんこ。このころの私は、勉強にやる気を出さない息子に対して、嫌がっている塾に無理やり行かせたり、宿題ができるまで厳しく接してしまうこともありました。同じ年頃の定型発達の子どもと同じように課題に取り組めるようにしなければならないと焦っていたのです。思い返すと厳しすぎる親だったと思います。一方でこのころの息子は、家庭では勉強のことなど厳しく言われ、学校ではお友達とのトラブルが多発していました。家庭でも学校でもほっと安らげるときがなかったのではないかなと思います。今思えば、特性が原因でうまくいかないことを親も理解できていなかったために叱られたり、友達とトラブルになったりしていたのだと分かります。しかし、まだ子どもの特性とその支援がよく分かっていなかったこの当時、イライラしている息子に対してどうしたらいいのか、どこに頼ったらいいのか私自身とても悩んでいました。そんなとき小学校の担任の先生の勧めで、地域の教育相談所に親子で通うことになりました。これが私たち親子の最初の公的な支援機関との関わりでした。そこで母の私は相談員の方と育児の相談・カウンセリングを受け、その間に息子はサポートルームで指導員さんと過ごしていました。※地域によって相談室・サポートルームの有無や利用のしくみは違うため、お近くの教育相談所(または教育センター)にお問い合わせください。サポートルームでは息子が過ごしていたサポートルームは、6帖ほどの畳の部屋でオモチャがたくさん置いてありました。そして優しい指導員さんがいて、一緒に遊んでくれます。どれでも好きなオモチャで遊んでよく、どんな遊び方をしてもOKでした。子どもが遊びを通して「自己肯定感を育む」場所なのだそうです。Upload By かなしろにゃんこ。そこでは、指導員さんは息子がやることに一切否定的なことを言いませんでした。「そうだよ、それでいいんだよ!その遊び方や考え方でいいんだよ!」と絶賛してくれるのです。学校ではトラブルが多発し、家では母や父にガミガミ叱られることが多かった息子にとって、最高の場所だったようです。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。私の育児相談やカウンセリングをしてくださった相談員の先生は、私が話す家庭の情報から今の息子にとって必要なことを導き出し、サポートルームで”息子が安らげる時間”を提供してくれたのだと思います。小学校3年生から5年生の2年間、隔週1時間お世話になりました。Upload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときUpload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときに「リュウ太くんはもう大丈夫、ほかにもこの場所に来るのを待っている子がいるからバトンタッチしようね」ということで、サポートルームに通わなくなりました。最後の日に息子は「ここ好きだったのに寂しいな…」と言いました。息子に発達障害があるかもしれないと分かってから、いろいろな支援機関に足を運びました。息子は親に連れられて仕方なく支援機関に通っていた感じに見えたのですが、このとき息子がサポートルームに毎週来ることを楽しみにしていたんだと分かってほっこりしました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。Upload By かなしろにゃんこ。息子をまるごと受け止めて接してくれたサポートルームの方々と、その場所が好きだったいう息子の様子を見てから、私は公的な支援機関を頼ることに抵抗がなくなりました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。この経験から、現在も息子にも「困ったら公的な支援機関に相談しようね!」と気軽に話すことができるようになりました。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)子育てに行き詰ったときについ感情的になってしまったりすることは多いと思います。また、支援機関に行くことは勇気が必要ですし、その間お子さんはどうしようと悩むこともあると思います。かなしろさんが体験されたように、保護者もお子さんも支援してもらえる場所もあります。地域によって相談室やサポートルームなどの有無やしくみは違うため、すべての教育相談所(※)がかなしろさんが体験されたようなシステムをもっているとは限らないので、お近くの相談できる機関や親の会などから情報を得るといいかもしれません。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。
2021年12月21日「助けて」運良く空きがあった発達クリニックへ2歳の後半からほぺろうの癇癪は悪化。一日のうち10回は癇癪が起爆し、一回につき1時間ほど引きずるという毎日を繰り返し、当のほぺろうも、つき合わされる私も満身創痍でした。さすがの私も「成長を待てば何とかなるものではないかも」と察し、誰かに助けを求めなければと思い始めました。調べてみると、ちょうど近所に発達クリニックがあったので意を決して電話。一般的に発達クリニックは予約を取るのが大変だと聞いていたので、半年は待つことを想定していましたが、運良く「2週間後に空きがあります」との返事に私は飛びつきました。Upload By ぼさ子初めて訪れた発達クリニック。病院っぽい佇まいを見ただけで、ほぺろうは案の定、大号泣!!パニックを起こし、抱きかかえるのも至難の業でした。待合室に検査の人が来て「こんなに泣かれては検査できません。本当に今日検査しますか?」と聞かれました。そう言われて「発達検査って、泣かない子しか受けられないものなの!?」と頭をよぎりましたが、当時の私は発達クリニックをよく知らなかったので、この時点で「ほぺろうは発達クリニックでも手に負えないんだ」と愕然としました。でも今日を逃したらもう予約は取れないと思った私は、「すみません、すみません…やれることだけでもお願いします」と必死にお願いしました。Upload By ぼさ子ほぺろうに検査は到底できないので、暴れるほぺろうを抱えながら行った”保護者の聞き取り調査“。待合室中にほぺろうの泣き声が響き渡り、ほかの患者さんやクリニックに申し訳ない気持ちで心が折れそうでした。検査の人にも「今日は無理じゃないですか?」と何度か声をかけられましたが、当時の私はほぺろうの困りごとを助けてほしくて「聞き取り調査だけでもお願いします!」と必死でした。しかし、やがてベテランらしきスタッフが登場し強い調子で言われました。「こんなに泣くなんて、すごい声」と。お子さんは連れてこないでさらに、「聞き取り調査の結果は10日後に出ますが、説明が泣き声で聞こえないのでお子さんは連れてこないでください」と言われました。結果が出る日は夫にもほぺろうを預けられないことが分かっていたので、「どうか子ども連れでもお願いします」と私は頭を下げましたが、「無理なら諦めてください。その日しか予約は取れませんよ」と言われてしまいました。そして当日、嫌な顔をされると分かりつつ この日しか話を聞けないということなので、号泣するほぺろうを抱えて再び来院。待合室に入るなり、「詳しい説明はいらないでしょう」と言われてしまい、そのまま追い返されるように帰りました。Upload By ぼさ子「今 本当に困っているけど、ほぺろうもしんどいし周りにも迷惑かけるから、ほぺろうに手がかからなくなる日まで診察は諦めるべきなのかな…」そのときすでに心身擦り減っていた私は、何が正しい判断か分からなくなっていました。そして「私たち親子は、発達クリニックにも助けてもらえない存在なんだ」と、ますます孤独が深まりました。Upload By ぼさ子クリニックが変われば対応も変わる時が経ち、その後、引越しを機に現在お世話になっている発達クリニックを発達支援センターより紹介してもらいました。そこでもほぺろうは変わらず大号泣。申し訳なさすぎて、以前の発達クリニックでの経験から「次回から先生のお話だけの日は、息子を夫に預けてきた方がいいですか?」と恐る恐る聞いてみました。すると先生が、「お子さんの様子を見るのも診察のうちなので、なるべく連れてきてほしいです」と仰ってくださり、存在を否定されなかったことに私は目頭が熱くなりました。Upload By ぼさ子医療・療育関係のみなさまへの願い初めて発達クリニックを訪ねてから数年が経ち、優しく親身になってくれる方々にたくさん出会うことができました。今なら「初めて行った発達クリニックは、配慮がなかったな」と思うことができますが、何も知らなかった当時の私は、発達障害のある子を助けてくれるはずの機関に見放されるなんてと思い詰めていました。あのような対応は滅多にないと信じたいですし、現在お世話になっている発達クリニックのような対応が一般的なのかもしれません。『もしかして発達障害?』とわが子の発達に心配を抱える親子は、おそらく診断が出る前が一番精神的に不安定なのではと想像できますし、心身がすでにボロボロになっている可能性が高いと思うのです。医療機関や療育関係のみなさまにとっては、数多くいる相談者の中の一組かもしれません。でもその一人ひとりの親はわが子を心配し、とまどい悩み必死です。どうか保護者の気持ちにも寄り添っていただけたらと願ってやみません。Upload By ぼさ子執筆/ぼさ子(監修:初川先生より)あぁ、なんと最初のクリニックのひどいこと…!!拝読しながら衝撃を受けました…!困っているから受診しているのに、そんな親子をさらに追い詰めて、一体何がしたいんだと怒りすら湧いてきます…。同じ支援者界隈の人間として、つらい思いをさせてしまったことをお詫びしたいくらいです。ほんとにもう…!さて、しかしながら、残念な支援機関や医療機関が存在するというのは、私も各所で耳にすることです。それを回避する方法として、一つには、地域の相談機関や子育て支援機関にまず相談して、その中でおすすめの医療機関など地域の情報を得るという方法があります。行政の相談窓口だと、特定の医療機関をおすすめすることは実は難しいことですが、それでも実際には、「このあたりの人がよく受診する医療機関」については教えてくれたりします。ぼさ子さんが最後のイラストで描かれているように、「子どもの安心って親の安心からつくられる」はまったくその通りです。保護者の方をまず支えるのが支援機関の最低限の務めだと思います。クリニックであれ、相談機関であれ、最初に訪れる際にはとても勇気が要ったことと思います。「相談に来てよかったです」や、「あのとき勇気を出してよかったです」と感じていただけるのが支援者の使命だと多くの支援者は思っています(なのにほんとに、どうしてあんなことに…!)。みなさまが良き支援者・機関と出会えることを祈りつつ、支援者として気が引き締まるお話でした。
2021年12月17日発達ナビPLUSがもっと使いやすく、もっと見やすくリニューアル!Upload By 発達ナビ編集部発達ナビのプレミアムサービス「発達ナビPLUS」では、スマホ1つで発達支援の専門家とつながり、ご家庭のお悩みを解決までサポートするオンラインサービスです。「発達ナビPLUS」は、約1年半のあいだサービスをお届けする中で、たくさんいただいたユーザーのみなさまのお声をもとに、2021年12月にリニューアルしました!今回は、サービスの内容やリニューアルしたポイント、またユーザーさまからのうれしいお声も紹介していきます。満足度98%!専門家による個別アドバイスが届く。Upload By 発達ナビ編集部発達凸凹子育ての「こんなときはどうすればいいの?」に幅広くお答えします。 支援経験豊富な専門家が、保護者さまのお困り内容を整理し、お子さまの発達状況や環境情報などの分析と、分析に基づく個別最適な手立てをアドバイスします。Upload By 発達ナビ編集部■ 相談カテゴリが追加!今までも、子育てに関連するお悩みはどんなことでも受け付けていましたが、特に多くのご相談がくるカテゴリについては、新しくカテゴリとして、導入しました!■ 過去の相談と回答が一覧で見やすく!過去のご相談の流れを一覧ですぐに見返しやすくなりました。また、一覧にある過去の相談から「継続相談」を開始しやすくなりました!「相談がびっくりするぐらい丁寧で、ありがたいです。下の子が小さくなかなか相談機関に行けないので、オンラインがすごく助かります。また自分のいい時間にゆっくり相談したい内容を書いたり読んだりできるのがいいです。ありがたい支援システムをつくっていただきありがとうございます。(ASD, ADHD・小学生の保護者さま)」「学校で起こったお友達とのトラブルや、困り事を相談しています。具体的な事例を入力するだけで、専門家の先生が整理してくださり、トラブルや困り事の根本の部分をあげて、さらに具体的な対処法や練習法を教えてくださいます。(ASD, ADHD・小学生の保護者さま)」「一般的には、医師や心理士の予約には時間もかかりまた話したいこともあまり話せなかったりしますが、発達ナビPLUSだったら、文章にして相談できるのでいいです。面と向かって話さないで相談できる場所は、リアルな相談場所に行くまでの支えになります。(ASD,知的障害・未就学児の保護者さま)」その場でチャット質問もできる!ライブ配信Upload By 発達ナビ編集部ここでしか聞けない、幅広く、細かいテーマ設定で、医師・心理士など専門家が疑問を解消するライブ配信では、事前の質問に加え、その場でチャット質問も受け付け、専門家が答えていきます!リアルタイム参加できなくても、録画動画での視聴も可能です。「ライブ配信の録画は、悩んでいることの最新のものがながれることが多いので本をみるより分かりやすくいいです。(ASD, 知的障害・未就学児の保護者さま)」「主にライブ配信や録画動画を利用させていただいていますが、配信内容がカテゴリ別になっていて、子どもの状況や特性に合った内容を自分で選んで視聴できるので、知りたい情報がすぐに見つかり、とても役立っています。内容も充実していて、心理士や作業療法士など、専門の知識を持った方が講師をして下さるので、とても勉強になります。(ADHD・小学生の保護者さま)」「子供の対応の仕方で迷った時に、その時に必要な過去の配信を検索して観て、専門家の意見を学んでいます。通級指導教室、療育にも通っていますが、それぞれの先生の意見を聞いて、発達ナビPLUSの配信動画、を観て自分の意見をまとめてから対応するようにしています。(ADHD・小学生の保護者さま)」解説動画、教材・支援ツールなどがカテゴリ別に見つかる!Upload By 発達ナビ編集部さまざまなお悩み別に、5分~15分でわかる解説動画や、7,000点以上の教材・プログラム、よみもの(記事)にアクセスできます。 今の悩みに合ったコンテンツを手軽に探せます。過去に開催したライブ配信もお悩み別に探せます。Upload By 発達ナビ編集部■ おすすめ機能・お気に入り機能が追加!お子さまの年齢情報をもとにした、おすすめ機能がつき、よりご自身にあった情報が見つけやすくなりました。さらに、「あとで見たい!」と思ったコンテンツを保存♡できる、お気に入り機能も追加!■ カテゴリ検索で、今ほしいコンテンツがすぐに見つかる!画面右上の虫眼鏡マークから、お困りカテゴリを選択し、今困っていることに答えるコンテンツにすぐにアクセスできます。大きいカテゴリが12種類、小さいカテゴリが56種類あるので、あなたの今の悩みがきっと見つかります。「支援にあった教材がダウンロードし放題なので、きょうだいそれぞれ、その子に合わせて使用させていただいています。(ASD, ADHD, LD・小学生の保護者さま)」「支援教材もよくチェックしています。どんな力が身につくか、スモールステップで示されており、また、画像付きなのでとてもわかりやすいです。(LD・小学生の保護者さま)」「解説動画では、実践を含めてわかりやすく説いてくれるので親にとってはとても有難いです。(ASD, ADHD, 知的障害・小学生/高校生の保護者さま)」ライフステージマップで先の見通しまで安心にUpload By 発達ナビ編集部未就学から学齢期、思春期、成人と、ライフステージが変わるごとに、必要な情報や困りの内容も変わります。今後を見据えた情報を一目で把握できるようになりました。マップから直接、解説動画やよみものなどのコンテンツにアクセスすることもできます!入会特典で3万円分の相談がついてくる!発達ナビPLUSは、リニューアルを通して、発達が気になるご家庭の子育てに、より確かな安心を届けてまいります。入会特典として、発達ナビPLUSの相談チケット実質3万円分がついてきます!くわしくは、サイトをご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部
2021年12月16日どう接したらいいのか分からない1~2歳のむっくんは言語発達や身体的な発達は一般的な目安通り進んでいましたが、歩くようになったころから多動が強くなり、じっとすることが難しくなりました。何かに興味を示したら、手を振り払って道路に飛び出そうとしたり、手が振り払えないように強く握っていると今度は自分の腕が抜けるまで引っ張ったり。いつも本気で追いかけていないと身の安全を守ることができませんでした。また偏食、入眠の難しさや、たびたびの激しい癇癪に途方に暮れることもありました。私は育児に疲弊しきって、1歳半健診で医師に相談しましたが元気な子だねと言われただけ…。2歳過ぎには当時住んでいた市の育児相談先にも相談しましたが、お子さんから離れる時間をつくりましょうというアドバイスのみ。このころは出かけることも億劫になり、自宅でひたすら子どもへの接し方をネット検索していたように思います。Upload By ウチノコ発達障害があるに違いないあるときふと思い立ち、困っている内容に『発達障害』というワードを組み合わせて検索してみました。すると次々とヒット!当時の私はむっくんに発達障害があるか否かには興味はなく、とにかく現在の困り感を緩和したい気持ちでいっぱいでした。ようやく求めていた情報に出合うことができて、未来が明るくなったような気持ちさえしたものです。Upload By ウチノコただ当時は夫の転勤で引っ越したばかり。慣れない土地で勇気を出した相談も「大丈夫」と言われてしまい、心が折れていました。再び第三者に相談する勇気が持てないまま、日々をなんとかやり過ごしていたように思います。そんな中、夫が3年間海外に行くことになり、私は子どもと共に実家に身を寄せることに決めました。住み慣れた土地に戻り、両親の助けが得られるようになったことから少しずつこわばっていた心もほどけていきました。Upload By ウチノコ集団生活の始まりやがて3歳になった息子は園での集団生活を始めます。すると、家庭以上に接し方の難しさが目立つようになりました。教室から脱走はしょっちゅうで、そもそも自分の席に座りつづけることが周囲の子どもたちのようにはできませんでした。製作などみんなと同じ活動を行うことを嫌い、自分の好きなように自由にふるまうことも多かったようです。癇癪も相変わらず起こしやすく、先生や周囲の子に手が出てしまうこともありました。Upload By ウチノコただ入園したことで、息子への関わり方の難しさを保育士さんと共有することができました。私はやっとむっくんのことを安心して第三者に相談できるようになったのです。保育士さんに相談するうちに発達障害がある子のための支援がいろいろとあることを知りました。支援体制を整えるためには専門の病院にかかり息子に必要な手立てをアドバイスしてもらうことが必要だと知り、3歳過ぎにやっと専門病院にかかることができたのです。診断の先にあったものその後、むっくんは自閉スペクトラム症(ASD)とADHDの診断を受けました。さらにむっくんは感覚過敏が強く、つらい思いをすることが多いだろうとの指摘を受け、今まで関わりが難しかった理由を私はやっと知ることができました。Upload By ウチノコむっくんのように理由の見えにくい癇癪や他害が目立ってしまうと、周囲から繰り返し叱責されるなどの「無理解による不適切な対応」を受けやすくなります。結果それが本人を苦しめることになり、ますます状況が悪化することもありえます。診断前は、私もたくさん「不適切な対応」をしていました。だけど、診断を受けて発達障害を学ぶことで、息子への「不適切な対応」を少しずつですが変えていくことができました。また、保育園では保育所等訪問支援などの専門家による支援を受けて、適切な対応の周知や環境改善を行っていき集団生活での状況も確実に変わっていきました。診断のおかげで、周囲の大人が知識を得て変わることができ、むっくんのつらさが和らいで状況が変わっていったのだと思います。今、悩んでいる方へ育児の悩みを人に相談することは、なかなか勇気が必要です。その上、多動があると子どもから目を離しにくいため落ち着いて相談する時間さえ取りにくかったり、他害は周囲の目が気になってしまい相談しにくいこともあります。私はなんとか相談したものの受け入れられず、結局孤立を選びました。だけど、孤立は人を必要以上に追い詰めます。追い詰められた中で状況を変えることはとても難しいです。だから、私は発達障害があるか否かを考えるよりも、まずは安心して相談できる場所や人を諦めずに探すことが大切な気がするのです。私が保育士さんに出会えたように、理解してくれる人は必ずどこかにいます。今、育児に悩んでいる方が安心して相談できる誰かと繋がっていることを私は願っています。執筆/ウチノコ(監修:鈴木先生より)本来はすべての自治体で専門的に相談できることが理想ですが、なかなか医療とのつながりがありません。診断することで「不適切な対応」が少しでも変えられれば、早期介入・診断が重要となります。本来なら1歳半や3歳児健診のようなメジャーな健診で専門医につなげる必要があるのですが、人脈などのパイプが担当医や担当保健師さんにないと「様子を見ましょう」という決まり文句で経過を見ないで終わっている現実があります。自治体で専門医による定期的な神経発達症の勉強会が行われていないことが問題なのです。
2021年12月16日保育園で開催された生活発表会でしのくん2歳10ヶ月のころ、保育園で開催された生活発表会で劇をしました。劇が始まって、私はしのくんの登場を楽しみに、ドキドキしながらカメラを構えて待っていました。ところが…Upload By keikoUpload By keikoしのくんは、登場するなり保護者席のほうへ走りだしてしまいます。そして、演技もしないでそのまま退場してしまいました…。同じクラスのお友達は、みんなきちんと劇に参加しています。セリフを言って、演技もして、最後は上手に歌も歌っていました。私は、同じクラスのお友達との違いに衝撃を受けました…。例え退場してなかったとしても、しのくんはセリフを言うこともできなければ、演技もできず、歌も歌うことができなかっただろうと思いました。私は、しのくんに「発達の遅れ」があると分かってから、知らず知らずのうちに、ほかの子にできて、しのくんのできないところばかり探していたんだと思います。このとき、今までだったら気にしないでこれた「ほかの子との差」をとても深刻に感じてしまいました。そして、周りの保護者の目も気になりはじめ…Upload By keikoUpload By keiko実際にこっちを見ているパパやママを見たわけではありません。今思えば私の被害妄想が暴走して、そんな気がしてしまっただけだったと思います。しかし当時の私には、このとき、みんながこっちを見ていて、みんながしのくんのことを「なんでできないの?」と思っているんじゃないか?と疑心暗鬼になってしまい、勝手に一人で悲しくなっていました。悲しくなって、初めて「保育園の行事に参加したくないな」と感じた瞬間でした。そして、劇が終わった帰りの廊下でも…Upload By keikoUpload By keiko先生方が口々に「しのくん!頑張ったね!」と声をかけてくださいました。しのくんは笑顔でとても満足そうだったのに、私の心の中は違いました…。Upload By keikoせっかく先生方が声をかけてくださっているのに、私は心の中で「何もしてませんけどね」と思ってしまって、早く立ち去りたくてしょうがありませんでした…。帰りの廊下がひどく長く感じました。【あとがき】当時の私は、ほかの子と比べてしまって、「しのくんは、あれもできないこれもできない…どうしよう⁉︎」と頭がいっぱいでした。しかし、あれから一年経った現在は、しのくんの「できないところ」ではなく、「できるところ」を見られるようになって、勝手に思い込んで勝手に悲しむということはなくなりました。それに、しのくんの様子を見ていると、先生方から本当に可愛がってもらっているのを感じますし、クラスの子とも仲良くしていると担任の先生から教えてもらって、今では、母子共々、保育園の行事を楽しんで参加しています。もちろん、今でもほかの子と比べてしまってショックを受けることも少なからずありますが、しのくんにはしのくんのペースがあるので、それに寄り添って一緒に歩いていこうと思います。執筆/keiko(監修:井上先生より)園の行事でお子さんが思ったように演技ができなかったり、逸脱してしまったりということを見るのは保護者としてつらいことだと思います。また一方で、お子さんの「頑張ったよ」という誇らしげな表情をみると、よけいにつらくなってしまったのかもしれません。園の先生が「頑張ったね」と声をかけてくれるのは、純粋にそんな子どもの達成感に寄り添ってくれているのだと思いますが、そのときの自分としてそれが素直に受け入れられない気持ちが生じてくるのは当然だと思います。周りからの目が気になってしまうという親の視点から、純粋にお子さんの視点に立ってみれるようになるには、多くの時間と勇気が必要であったのではないでしょうか。きっと周りのさまざまな先生方やご家族や友人の寄り添いの存在があってkeikoさんが今の思いに至られたのだと思いました。
2021年12月11日子どもの”発達障害がある可能性”に気づいた、私の母のケースUpload By 丸山さとこ私には発達障害のある小6の息子がいます。また私自身、大人になってから(息子が生まれる前)自分に発達障害があることが分かりました。息子のコウは、幼少期から「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの発達障害あるあるの行動がよく見られましたが、私は3歳児健診まで息子に発達障害があることに気がつきませんでした。一方で私の母は、私の幼少期に「娘には発達障害があるかもしれない」と感じていたそうです。今回は、私自身の幼少期と母が感じていたことについて書きたいと思います。私と発達障害の関係の始まりは、私が幼児だったころにさかのぼります。今よりもずっと発達障害に関する情報が少なかった昭和50年代でしたが、私の母は「娘は何かしら発達に障害を抱えているのではないか」と感じていたそうです。幼いころの私について、母は「言葉の発達は早いものの言葉づかいが子どもらしくなかったり、力は強いのに歩く姿が不器用でよく転んだりしていたのが気になっていた」と言います。その母は、『さとこが少しでも歩きやすいように』と”少しでも軽い靴を探す”などの工夫をしていたそうです。Upload By 丸山さとこ幼いころの私に対して、コミュニケーションの遅れは特に感じたことがなかったそうです。しかし「とにかく子どもらしくないような違和感があった」「甘えない・後追いをしない・大喜びをしない・おままごとをしない、などの行動に引っかかりを感じていた」と母は振り返って言います。幼いころのコウのように「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの、分かりやすい発達障害がある傾向は見られなくとも、母は私の”日常の中のささいな姿”に対して違和感を覚えることが増えていったそうです。Upload By 丸山さとこ健診で総合病院に行った際など、母は何度か娘の発達に関する違和感について医師に相談してみたそうです。しかし「知的にも順調に発達しているし動作にも問題は見られない」と言われ、”不安症な母親への軽い子育てアドバイス”をもらってその場は終わったそうです。私はその後、成人してから発達障害(ASD・ADHD)の診断を受け、現在ではADHD治療薬を服用しています。今になって振り返れば、幼い私に対して母が抱いていた違和感は正しかったわけです。Upload By 丸山さとこ保育園に入園してからの私は、”指示の通らなさ”や”こだわりと見られる行動”によって集団の中でも目立っていたそうです。現在の基準であれば「発達障害がある可能性」を指摘されたかもしれません。ですが、母が違和感を抱き始めたのは私が未就園児のころであり、集団の中での違和感が目立つよりも、もっと早い段階の話だったのです。『なぜ違和感に気づくことができたのだろうか?』と先日改めて母に聞いたところ、意外な…けれど、とても腑に落ちる答えが返ってきました。”自分の子ども”以外の子どもと接することで、分かることもある!?現在60代の母が若かったころは今より子どもの数が多く、近所や親戚の子どもを預かったり見かけたりすることもかなり多かったそうです。公園や広場や園で見かける姿とも少し違う、子どもたちの”家庭での素の姿”を目にする機会も多かったため、経験から漠然と『個性はいろいろあるけれど、子どもには大抵こういうところがある』という”一般的な子ども像”を持つに至っていたのだと思う…と母は言いました。Upload By 丸山さとこ「だから、さとこを育てていて『子どもなら多かれ少なかれするはずの行動をとらない』ことが引っかかったんだと思う」「発達障害の知識はなかったけれど、とにかく子どもらしくなくて妙だな~…と感じていたよ」…と続く母の話を意外に思いつつ、同時に「あ~、でも、ちょっと分かるかも! そういえばそういうことあったな!!」と思い、私はヒザを打ちました。コウが小学生になったころ、未就園児だった親戚の子を預かったことがあります。そのときに「これが定型発達とされる子どもか~!」と発達の違いに驚いた経験があったからです。私も、大人になってからコウ以外の子どもに関わった経験がなかったわけではありません。親戚の子どものお守りをしたことや、友人の子どもと遊んだ経験はありましたし、コウが産まれてからは公園でほかの子どもの様子を見ることもありました。けれども、当時の私はコウとほかの子どもを比べたり周りを見たりする発想が(今以上に)乏しかった気がします。私自身に発達障害があるから…ということも理由かもしれませんが、単純に、初めての子育てで周りを見たり比べたりする余裕がなかったからなのかもしれません。Upload By 丸山さとこそんな私であっても、3歳児健診のおかげでコウが発達障害である可能性に気づくことができたので、「今の時代でよかったな~」と思います。周囲と比べて焦らなくてもよいと考えてはいますが、その時々のコウの発達状況における"必要な手立て"が見つけられるように「『周りの様子』と『コウの現在位置』を見ることは大切なんだな~!」と思う私でした。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)幼児期は女の子の場合、男の子よりコミュニケーションの発達が早い傾向があるため、発達障害の特性は目立たないケースが多く、今のお医者さんでも女の子の発達障害を早期に診断するのは難しいものです。お母さんがこの当時、さとこさんの発達の偏りに気づいていたということは、周りの人と比較するだけでなく、さとこさん自身を本当によく観察されていたのだと思います。同じ母という立場で、自分の母親と子育ての話をする中で、これからもプラスのヒントが見つかるといいですね。3世代のよい親子関係性が築けているのがすてきだと思いました。
2021年12月09日ドキドキしながら児童発達支援センターへ電話2歳になったころから本格的に気になっていた娘の発達。いつか追いつくかもしれないという淡い期待と、現実を知るのが怖いという理由から、なかなか相談をする勇気が出ませんでした。そして娘が2歳10ヶ月のころ。ついに相談する決心がつき、ドキドキしながら電話をかけました。※児童発達支援センターは、地域や種類などによって機能に違いがあります。詳しくは、お住まいの地域にお問合せください。Upload By とまぱんUpload By とまぱん相談員さんに娘の心配ごとを一通りお話しし、児童発達支援センターに出向く日にちが決まりました。自分の悩みを伝えることができてとてもスッキリしたのと、私の悩みを否定することなく明るく聞いてくれて安堵したのを覚えています。ソーシャルワーカーさんからの聞き取りいよいよ娘と児童発達支援センターへ。当日ソーシャルワーカーと呼ばれるスタッフさんから聞き取りがありました。聞き取りはこのような内容だったと思います。●出生時の様子●歩き始めた時期などの発達具合●食生活(好き嫌い)などなどソーシャルワーカーさんから聞き取りをされている間、娘はおもちゃで真剣に遊んでいました。子どもを見守るほかのスタッフさんもいましたが、スタッフさんとは遊ばずに一人で黙々と遊ぶ娘。しばらくしてスタッフさんが娘をくすぐるとキャッキャとうれしそうにしてました。スタッフさん「可愛いわね~!きっと泣いても可愛いんだろうね」スタッフさんはそう言ってくれましたが、泣いたら人一倍手に負えない娘。私は心の中で「泣いたら決して可愛くないんだよな…」と思いました。聞き取りが終わり家に帰ろうとしたとき。娘「ぎゃーーー!!」まだおもちゃで遊んでいたい娘は、大声をあげてひっくり返りました。娘の暴れように息を飲むスタッフさんたち。スタッフさんたち「これはお母さん大変だわ…!」初めて誰かにつらさを共感してもらい、危うく泣きそうになりました。医師の診察前回の聞き取りから2ヶ月後、次は医師の診察。娘、夫と私の3人で行きました。部屋に入ると医師の前にある椅子にストンと座る娘。Upload By とまぱん子どもに人気で娘も大好きなとあるアニメキャラクター。娘は、ほかのキャラクターの名前は言えるものの、なぜかこのキャラターは2歳半を過ぎても言えなかったのです。Upload By とまぱん「○○はどこ?」といった質問はすべて指差しで答えていました。いくつか娘に質問をしたあと、次は私たちに質問をしました。指差しはいつごろだったか、友達と遊んだりはするか、などなど。最近の娘のことは答えられるのですが、昔のことは覚えておらず、ほとんど感覚で答えてしまいました。あとで過去の写真を見て調べてみると、1歳前半でできてたものを2歳と言ってしまったり、たびたび誤って答えていたことが判明。診察前に、娘の発達具合を赤ちゃんのころからちゃんと振り返っておけば良かったと後悔しました。発達具合はどれくらい?発達検査と結果医師の診察からまた1、2ヶ月後、発達検査を行いました。家では椅子に長い時間座っていられないので、当日はちゃんと検査ができるか心配でした。心理士さんは娘の気がそれないよう、明るく声をかけながら進めてくれました。「これはなに?」といった言葉で答えるテストは2つしか答えられず。それ以外のテストは娘なりに頑張ってやっていました。私は娘の様子を横で見ていたのですが、これはできそうだというものが意外にできなかったり。これはできないだろうなというものが意外にできたり。娘の知らない面を見ることができました。検査から1ヶ月後、検査の結果が出ました。全体的な発達指数はやはり平均以下という結果に。娘の発達具合は平均より10ヶ月の遅れとなりました。心理士さんは関わり方のアドバイスと娘の苦手とする部分を教えてくれました。ついに医師からの診断結果発達相談の電話をしてから半年後、やっと診断結果が出る日がやってきました。ちゃんと冷静に聞ける自信がなかったので、夫と二人で行き、娘は夫の両親に預けました。緊張しながら部屋に入ると医師からはひとこと。Upload By とまぱん心理士さんからアドバイスなどはされましたが、診断名が出るのかなどの話はしませんでした。私はいくつか医師に質問をしました。私「娘は軽度知的障害ということでしょうか」医師「現在の指数的にはそうです」私「今後、指数が上がる可能性はあるのでしょうか」医師「あります」そして私はずっと気になっていたことを質問しました。私「娘は自閉スペクトラム症でしょうか?」医師「違います」医師からはこのときこう言われましたが、現在通っている療育の先生いわく、自閉スペクトラム症の特徴はいくつか見られるとのこと。診断名がつく段階ではないけど特性がある、いわゆる発達障害グレーゾーンなのかなと私は思っています。話は戻り、続けて療育の話になりました。医師「療育は希望しますか?」私「はい、やっぱり言葉がゆっくりなので通わせたいです」医師「それでは週3・1回あたり1時間、民間の個別療育を行うといいでしょう」こうして娘は週に3回、幼稚園と併用して療育に通うことになりました。4歳になった娘は今娘は今、幼稚園の先生やお友達、療育の先生に支えられながらたくさん成長しています。言葉も驚くほど増えました。入園当初は行きしぶりが激しく、時々休ませながらマイペースに行かせていました。今も幼稚園や療育に行きたくないと言う日もありますが、娘なりに気持ちを切り替えて頑張っているようです。娘の発達を一人で悩んでいましたが、あのとき勇気を出して相談して良かったと思います。周囲の力を借りて子育てしてもいいんだと気づかされました。発達のゆっくりな部分だけどうしても目に入ってしまっていましたが、気持ちにゆとりが生まれた今。娘には長所もたくさんあることに気づかされました。診断あるなしにかかわらず、これからも娘の性格や特性を尊重しながら向き合っていけたらと思います。執筆/とまぱん(監修:井上先生より)お子さんの発達が気になってから相談機関に電話をかけるまで、多くの親御さんが悩んだり不安な気持ちと葛藤したりされると思います。とまぱんさんも、電話をかけるときや医師と初めて面談をされる診察場面では、不安や緊張があったことが伝わってきました。早期の療育は子どもの発達に有効であると言われています。発達障害などの診断がなくても、地域の発達相談で療育機関につないでもらうことができますので、気になる方はお問合せされると良いと思います。
2021年12月03日発達障害のある子どもにどんな対応をすればいいのか私は児童精神科医として30年以上、発達障害のある子どもたちの診察を続けてきました。今回は、発達障害のある子どもの育て方を考えるきっかけとして、3つのクイズを用意してみました。お子さんをイメージして「うちの子の場合は」「自分だったら」と考えながら、答えを選んでみてください。Q1. 集団遊びに入ろうとしないときは、どう対応する?幼稚園に、いつも一人で遊んでいる子どもがいます。みんなで園庭に出て遊ぶとき、ほとんどの園児は自然に集まってボール遊びなどを始めますが、その子どもは一人で虫を探したり、葉っぱを集めたりします。クラスメートや先生に誘われても、集団遊びに入ろうとしません。どんな対応をすればよいでしょう?A1. 全員参加型の遊びを企画して誘うA2. その子の興味を引けるよう、いろいろな遊びに誘ってみるA3. 一人で遊びたい気持ちを尊重する出典 : 親や先生は一人遊びをしている子を見ると、「友達づき合いが苦手なのかな」「どうすれば、みんなと仲良く遊べるようになるだろう」などと考えてしまいがちです。でも、「楽しく遊ぶこと」と「仲良くすること」は分けて考えましょう。遊びの目的は「楽しむこと」です。「仲良くすること」ではありません。楽しく遊んでいるうちに、気の合う仲間と親しくなることがありますが、それはあくまでも結果です。最初から仲良くしようとして遊んだわけではありません。遊びの場面では「楽しむこと」を大事にしましょう。というわけで、正解は3です。子どもが一人で虫を探したいと思っているのなら、その思いを尊重してあげてください。ただ、2のような対応も決して悪くありません。いろいろな遊びに誘ってみると、子どもが興味を示すこともあるでしょう。そうやって遊びの幅が広がっていくこともあります。無理やり誘うのはよくありませんが、声をかけるのはよいと思います。1の全員参加型も、機会をつくること自体はよいのですが、強制参加にならないように注意しましょう。Q2. 一人だけ先に給食を食べてしまうとき、どう対応する?小学生の例です。給食のときに、ある生徒は、一人だけ先に食べ始めてしまいます。先生には「みんなの準備が終わって、全員そろって『いただきます』と言ってから食べるんだよ」と言われていますが、自分の分が準備できると、つい手が出てしまいます。どんな対応をすればよいでしょう?A1. イラストや写真で手順表をつくって、それを見せながら教えるA2. マナーを覚えていけるように、何度でも同じことを教えるA3. 別室で待機してもらい、給食の準備が終わったら呼んでくる出典 : おすすめの対応は1と3です。口頭で何度も指示をしても伝わらない場合、1のような形で別の伝え方をしてみるとうまくいくことがあります。発達障害のある子どもには、話し言葉よりも書き言葉やイラスト、写真などのほうが理解しやすい場合があります。また、暗黙の了解を察するのは苦手だけれど、しっかり説明されれば理解できるという場合もあります。いろいろな伝え方を試してみてください。2のように、じっくりと対応するのもよいのですが、話し言葉を聞き取るのが苦手だったり、聞いて覚えても時間がたつと忘れてしまったりということもあります。何度試しても難しい場合には、別の方法に切り替えたほうがよいでしょう。3は一見、教えることを放棄した対応のように見えるかもしれませんが、これもひとつの正解です。教わったことを忘れてしまう場合や、好きな食べ物が目の前にあると衝動に負けて手が出てしまうケースもあります。その場合には環境を変えるのも一つの対応法になります。発達障害のある子どもは、さまざまな困難があるから、発達障害だと診断されます。何度教えてもうまく伝わらない場合には、「この子にとってなにが難しいのだろう」「どんな伝え方をすれば理解しやすくなるのだろう」と考えることが大切です。そうやって考えていった結果、伝え方ではなく環境を変えようというのも、一つの解決策になるわけです。「環境を変える」という意味で言うと、私は「みんなで一斉に食べ始める」というルール自体を変えてしまってもいいのではないか、とも思います。Q3. 勉強が苦手で宿題に時間がかかる場合の解決策とは?勉強が苦手で、宿題にすごく時間がかかってしまう小学生がいます。親や先生にいろいろとサポートしてもらってもうまくいかず、鉛筆を持つことさえ嫌になってしまいました。子どももストレスを抱え、親や先生もイライラするようになってきています。どんな解決策があるのでしょうか?A1. 親も疲れてしまうので口出しをやめて、本人のペースを見守るA2. 難しすぎるので親が手伝うA3. 宿題が多すぎるので、親から先生に「減らしてほしい」と相談する出典 : おすすめの対応は3です。この場合、子どもはなにも悪くありません。宿題の設定の仕方に課題があります。宿題が適切な量や難易度で出ていれば、子どもは30分もかからずにパパッと済ませられるでしょう。宿題に時間がかかり、鉛筆を持つことさえ嫌になるということは、宿題の設定を見直すべき状態です。3のような形で先生に宿題を減らしてもらうか、それが難しければ、親が宿題の量を調整することも考えましょう。私はそもそも子どもたち全員に同じ量の宿題を出すことは意味がないと思っています。勉強が好きであれば、宿題がなくても自分から勉強するでしょう。勉強が嫌いならば、宿題が負担で勉強がさらに嫌いになってしまうかもしれません。「宿題はいらない」という解説を読んで、みなさんは「そうは言っても勉強はしっかりさせなくては」「宿題で学習習慣をつけることは大事」と感じたかもしれません。確かに、常識的に考えればそうでしょう。「着替えや食事のようなことはあとで学んでいけるけれど、勉強で遅れが出てしまっては将来に響く」と考える人もいるかもしれません。しかし私はそのような考え方を聞くと、「まずは身のまわりのことを教える必要がある」と思います。子どもにとってもっとも大切なのは、基本的な生活習慣です。発達障害のある子どもの場合、生活習慣は特に大事です。着替えや食事などの基本的な生活習慣を自分なりにできるようになっていかないと、それこそ将来に響くと考えています。発達障害のある子どもにとって、一番大事なことクイズと解説のなかには「給食に手が出てしまうなら別室で待機する」「宿題が嫌なら量を減らす」といった、やや極端な対応法も紹介しました。そんな極端に思える対応の根底にあるのは「子どもを主役にする」という考え方です。発達障害のある子どもには、さまざまな特性があります。大多数の子どもたちと同じやり方をしていては、うまくいかないこともあります。そんなとき、親や先生が常識的なやり方や、大人がよいと思うやり方を優先して、子どもに無理をさせていては、その子どもはいつまでたっても自分らしいやり方を見つけられないのではないでしょうか。発達障害のある子どもの個性はさまざまです。このような解説を参考にしながら、使えそうなアイデアをピックアップしてみてください。
2021年12月02日子育て楽じゃありません
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