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好きな物事ほどなかなか「終わり」「切り替え」ができなくて困る日々自閉症と知的障害のある息子、Pは遊んでいるときや、テレビを見ているときなどに、こちらがそろそろ終わりにさせたいと思っても、終わりの意味を理解していなかったので、まだ自分が納得するタイミングではないのに急に終了されることで癇癪につながるということがよくありました。例えば集団療育中に、自分の好きなおもちゃで遊んでいるときに、次の設定を行うためにおもちゃは片付けないといけないという場面があります。そんなときに先生やお友達が片付けを始めたとしてもPは「片付けないといけない」という周りの状況や空気が理解できていないので、まだ遊びたいという自分の気持ちの方が勝り、片付けを促すと癇癪が起こってしまいました。Upload By みん療育で教えてもらった方法は?そんなPに有効だったのは「10数えたら終わりにする」という方法でした。何かを終わりにする前には必ず10数え、最後に「おしまい!」と言うのですが、言葉で指示をするだけではなく指を上に向けて開いた両手をすぼめながら下におろす、「終わり」を意味する手話でのジェスチャーで同時に視覚支援もしていました。最初のほうはそんなことをされても意味が分からなかったPは勿論大泣きしていましたが、泣こうがわめこうがおしまいと言ったらおしまいという形を徹底し、おしまいと言われたら必ず終わらないといけないことを理解するまでスモールステップで何度も繰り返し教え続けました。ここで重要だったのは、ただ「おしまい」にするのではなく、その前に「10秒数える」ということです。この10カウントがあることで、終わりの予告にもつながり、10秒の猶予があることで突然終わらされるという不安が少し解消されるのです。Upload By みん10カウントを積み重ねると…それを理解し始めてからは、10数えたら「おしまいにされる!」と気づき、数字を読み始めるだけでも泣いたり怒ったりするようにもなって来ましたが、泣きながらもおしまいと言われたらおしまいしないといけないことが少しずつ身についてきたので、自ら終わらせたり片付けたりするようにもなって来ました。このようにおしまいが理解できるようになってからは、かなり切り替えがスムーズにいくようになり、出先でそろそろ帰りたいというときなどにもずいぶんラクになりました。Upload By みん今ではもう10数えなくてもおしまいの一言だけでも終われるようになって来ましたが、それはこれまで「終わり」を理解するために何度も行った10カウントの積み重ねがあったからこそだと思っています。執筆/みん(監修:鈴木先生より)今回のような10秒ルールや感情を抑える6秒ルールなど、カウントを利用する方法が多くみられます。時間のルールはスポーツや将棋などの世界でもみられます。プロレスの場外にいられる時間、テニスのサーブを開始するまでの時間、将棋の指すまでの時間などなどです。人間は時間を決められると何とかやろうと努力できるのです。秒単位だったり、分単位だったり、日単位だったりとさまざまな時間に私たちは日常において縛られているのです。今回のお母様の工夫でよかったことは、「視覚支援」・「おしまいという徹底」・「スモールステップ」です。時間というルール以外にこういった工夫を重ねるといいでしょう。
2021年09月27日自閉症(自閉スペクトラム症)とは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン自閉スペクトラム症は先天的な発達障害の一つで、・社会性と対人関係・コミュニケーションの困難・行動や興味の偏りの2つの特徴があると言われています。略称としてASD(Autism Spectrum Disorder)と呼ばれることもあります。社会性と対人関係・コミュニケーションの困難とは① 対人-情緒的な相互性の障害例)他者の感情の読み取りや予測が難しい、思い込みが激しい、共感性が乏しいなど② 非言語的コミュニケーションの障害例)目を見て話さない/話すのが苦手、目線を合わさないまま会話する、声が大きい(小さい)、他人との身体的な距離感が分からないなど③ 発達水準に相応した仲間関係を築くことの障害例)遊びのルールへの固執、皮肉やお世辞を理解できない、曖昧な表現が理解できない、言葉を字面通り捉えるなど行動や興味の偏りとは① 常同的または反復的な身体の運動、物の使用、または会話例)おもちゃを一列に並べる、物をずっと叩いたりする、言葉のオウム返し、独特な言い回しなど② 同一性への固執、習慣への頑ななこだわり、または言語的・非言語的な儀式的行動形式例)ほんの小さな変化への苦痛、移行することの困難さ、思考の柔軟性のなさ、質問を繰り返す、儀式のような毎日の挨拶などの決まった習慣、同じ食べ物を食べ続けるなど③ きわめて限定され執着する興味例)車や乗り物、恐竜など好きなものに関する情報や知識を集めることにこだわる、何時間もかけて時刻表を書き出すなど④ 感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ、環境の感覚的側面に対する並外れた興味例)痛みや体温に無関心に見える、特定の音、触感に対して逆の反応をする、対象を過度に嗅いだり触れたりする、光や動きを見ることに熱中するなど自閉症(自閉スペクトラム症)の原因は何?自閉スペクトラム症とは、さまざまな要因が関与して起こる先天的な脳機能障害です。自閉スペクトラム症の原因に関しては諸説あり、医学的にはっきりとした原因は分かっていませんが、脳や心身が発達する時期に、何らかの先天的な遺伝的要因に加えてさまざまな環境要因が相互に影響し合って生じた脳機能障害が原因になると考えられています。つまり自閉スペクトラム症は生まれ持った障害です。以前は「テレビを見過ぎたから自閉症になった」とか「親の愛情不足で自閉症になった」と言われたこともありますが、親の育て方やしつけのせいではありません。また、自閉スペクトラム症を完全に治療することはできません。しかし、幼児期に関しては、お子さんによって症状の出方が変化することもあり、早期からの療育による効果も期待されます。周囲からの理解や環境づくりなどを進めることで、本人の困りごとを解消し、得意なところを伸ばすことで発達の促進ができます。
2021年09月26日きょうだい児の私の経験私の7歳上の兄には重度の自閉症と知的障害があります。物心ついたときから共同生活を送っていたので、私にとって障害のある人は当たり前の存在として受け入れていました。Upload By スガカズ兄に話しかけるときは、質問するときや依頼するときが大半なのですが、兄は私が言った内容と同じ言葉を繰り返すなどはできますが、自分の考えを言語化して相手に伝えることはできません。ですが私は、ずっと一緒に暮らしていることもあり、オウム返しだけで、兄の気持ちをくみ取ることはできました。会話はできなくても相手の特性を理解すれば、コミュニケーションを図れるということを、自然と学んでいたのでしょう。兄は他害はなく、いつも自分の世界で遊んでいるようでした。独り言は頻繁にあったし、時折自分の頭を軽く叩いたりすることはありましたが、いつもニコニコと楽しそうに笑っていたのが印象的です。当時はまだ「障害者差別解消法」自体がない時代で、障害のある人への世間の風あたりは今よりも強かった記憶があります。Upload By スガカズ兄と一緒にいて厳しい言葉や距離をおかれることも…。きょうだい児目線で経験したこと家族で喫茶店に入った日のことです。兄は目を離すとすぐいなくなるため、家族で外食をするのは年に数えるほどでした。久しぶりの外食で、私はとてもうれしかったのを覚えています。ですが、そのあとすぐ悲しい気もちになりました。私たちが店に入るやいなや、店員さんは兄の存在に気がつき、様子をうかがい始めました。初めての場所で不安になりやすい兄は、席を立ったり同じ言葉を繰り返していました。その様子を見て、私たち家族をにらんで、「黙らせてください」「もう帰ってください」と言いました。店内にはほかにお客さんがいなかったこともあり、兄に落ち着きがない様子があっても安心していたのですが、店員さんの言葉に「何もトラブルは起こしていないのに…」と、複雑な気持ちになりました。外を歩けば兄のことを、上から下までじろじろ見てくる大人もいたり、近くにいた人から距離を置かれたりもしました。幼いとき私は、そのことに気がつきませんでしたが、小学校低学年くらいになると距離を置かれているとハッキリ理解できるようになりました。Upload By スガカズその後私は成人し、仕事のため上京。結婚、出産を経て現在兄とは全く別の人生を歩んでいます。子どもが通っている保育園の近くに福祉園があり、障害のあるお子さんや大人の方を見る機会が多いのですが、兄と重なり懐かしい気もちになります。5年ぶりに兄と再会。そのとき自分がもった感情にショックを受け…5年前、私の母が亡くなり葬儀のため現在住んでいる東京から実家のある大阪に帰ることになりました。そこで5年ぶりに、兄と再会しました。親なきあとの生活のため、兄は障害者支援施設に入所していました。障害者支援施設に入所したあとしばらくして私は結婚、出産、仕事…と、自分の生活を優先していたので施設に顔を出す機会がなかなかなく…本当に久しぶりの再会でした。兄は普段はなかなか自由に外出できないのですが、特別に葬儀に参列できることになったのです。(支援員さんにも同行していただけました)Upload By スガカズ私は懐かしくなり兄と久しぶりに会話をしました。…が、自分の感情の中で徐々に違和感がふくれあがってきたことに気がつきました。実家を離れて10年以上、重度障害のある兄と一緒に暮らしていなかったせいか、兄とどのようにコミュニケーションをとったらいいのか分からなくなっていたのです。Upload By スガカズUpload By スガカズそれに加えて、一番悲しくなったのは、離れて暮らしたり会わないことで、「自分の現在の環境とは別の人」という感覚になってしまったという部分です。私は夫と結婚する前に、実の兄に障害があることは伝えていましたし、そのことに関して思うところはあったのかも知れませんが、黙って受け入れてくれました。また、義両親にも兄のことを伝えてはいて、温かく受け入れてもらえたのですが、夫の家系には障害のある人はおらず、「口には出さずとも、不安に思うところはあるのかも知れない」という疑いに似た気持ちが自分の中にあることに気づいたのです。また、わが家の長男と次男は発達障害がありますが、私の兄とは特性が異なり、コミュニケーションをとることができます。息子たちは、兄のような重度心身障害のある人とは普段触れ合う機会がありません。長男が生まれたばかりのころ一度、長男を連れて入居する兄に面会をしたことがあるのですが、覚えているわけもなく…。子どもたちには「お母さんのお兄ちゃんには重い障害があるんだよ」と、兄の話をときどきしていましたが、実際に初めて会うとなると、驚くのかもしれません。そんな周囲の反応を心配している今の私は、「自分が子どものときに感じた、兄を見る周囲の目や冷たい態度」と、もしかすると同じなのではないか?と思えてきて、とても悲しい気持ちになりました。子どものころ、「あんな冷たい大人にはなりたくない!障害が重くても関係ない。一緒にいても全然気にならない。私にとって、この環境が『普通』なんだ」と、思って育ったはずなのに…。実際のところ兄と会ったからといって私たち家族の関係は全く変わりませんでしたし、兄は今も昔も私にとって大切な家族です。ですが、再会した日にはそういった複雑な感情が芽生えてしまったのは事実で、自分のことが情けなく、心の中で自分自身を責めていました。そして、時間をかけて自分のなかにある複雑な気持ちを整理する過程で、子どものころに感じていた「周囲からの冷たい目や態度」は、「それぞれ環境が違うから、態度に出す出さないは別として、思うのは仕方のないことなのかもしれない」と、少しずつ…少しずつ腑に落ちていきました。それぞれ別の人生を送るなかで、「きょうだい児」の私ができることUpload By スガカズUpload By スガカズ先日久しぶりに兄が入居する施設に電話をし、兄の様子を聞きました。風邪もひかず元気に楽しそうにしていると聞き、とても安心しました。今度環境が整えば、WEB会議上で兄と面会できることになりました。私と兄はお互いの人生があるので、昔のように一緒にいることはもうきっとないでしょう。ですが、これからも兄にとって暮らしやすい環境のなかで、「のびのびと健康で長生きしてほしい」と心から願っています。執筆/スガカズ(監修:三木先生より)すごく複雑な感情が丁寧に描写されていてお話に入り込めます。子どもとして原家族の中でお兄さんと「一緒に」人生を送っていた当時から、「大人になった自分の」人生への大きな変化ですね。変わっていく自分に戸惑いつつも、その「チクっと」をしっかりと自分で受け止めて前に進んでいく姿勢はとても素敵だと思います。
2021年09月25日得意不得意の差がとにかく極端!発達障害のある人は「本人の中での得意不得意の差が大きい」とよく言われますが、私もそうでした。小学校6年のときに塾の二教科テストで、国語学年トップ、算数学年でビリっけつ、二教科平均でちょうどまんなかという成績をとり、職員室がざわついて「伝説的成績」と言われたことがあります。言葉を使い、理屈を突き詰める分野のことがとても得意で、逆に、単純に暗記したり、決まりごとにとりあえず従って計算したりすることがとても不得意でした。教科としては国語・英語が得意で、数学・歴史が苦手だし、とても苦痛。30歳を過ぎて知能検査を受けたところ、私は言語理解能力が極端に高く、理屈や意義がわかるとモチベーションが上がるたちである一方、単純な作業をミスなく大量に進めていくことが極端に苦手なことがわかりました。数学は、もし小学校のころに理屈を突き詰めて教えてくれる専門性の高い先生と出会えていたら、むしろ好きな科目になっていた可能性があります。けれど、苦手な手書きで計算を進めなければいけないこともあいまって、私が数学が苦手だったことは納得がいきます。知能検査のときの心理士さんに「暗記科目が苦手だった」と言ったら、「そのはずです。理屈で理解したことは覚えられますが、単純にバラバラなものを丸暗記するのは非常に苦手なはずです」と言われました。いろいろな人生経験も経て、世界の歴史上の出来事を理屈やストーリーで理解し、歴史の知識を身につけることの意義も知った今となっては歴史は魅力のある科目ですが、当時は単なる暗記科目で、苦痛なことこのうえありませんでした。逆に大好きだったのが国語と英語。興味の赴くままに楽しんでいるだけで、いつも自然とトップクラスの成績がとれるような感じでした。言語能力の高さを存分に発揮していたのでしょう。国語の先生に「あなたの文章は誤字脱字が少なすぎて気味が悪いほどだ」と言われたこともあります。英語がくれた楽しみ英語は本当に楽しんで学びました。中学3年生ぐらいになると、覚えた基本的な英語の知識を使ってビートルズやハリウッド映画のテーマソングなどといった有名な洋楽の歌詞を我流に翻訳したり、英語の詩めいたものや日記を書いたりして楽しんでいた記憶があります。新しく知った言葉をとっかかりに、どんどん世界が広がり、世界の解像度が上がっていくのです。たとえば「ステンレス」はstain-less(サビが-少ない)、サビにくい金属なんだなとか。缶は英語ではcanだから同じ音だな、関係あるのかな? とか(ちなみに、漢語から日本語に入ってくるときにcanの音があてられたというのが今の定説のようです)。授業中に辞書を「読む」ことが趣味に。語彙が広がっていったこんな調子だったので、学校での英語の授業は簡単で退屈に感じられることがありました。そんなときは辞書を開いて、語源とか語の成り立ちについて書いてある説明部分を読み込んでいました。そうして私はだんだん、単語を要素に分解してそこから理屈で意味を覚えていく方法を身につけました。「リバーシブル」はre-versi-ble(再び-耕す-できる)、くり返し耕すようにして表面を入れ替えられる=ひっくり返せるモノなんだな、とか。ほう、versiの元の形はなんだろう、verseか、詩の一節と同じ言葉だな、畑の畝(うね)という意味もあるな、畝を耕すようにして言葉を紡いでいくという意味なんだろうな、とか。こうした知識を学校では習うことはありませんでしたが、英語の単語は丸暗記するのではなく、分解したり語源を考えたりと楽しんで理解しながら、暗記が苦手な自分の課題を克服して語彙を広げていきました。もう1つ例を挙げてみましょう。英語では「pa」って「手のひらに関わること」を表すことが多いんですよ。paはもともと手のひらを表す要素で、そこから転じて、人間が手や技巧を加えたものも指すようになったようです。pat(たたき込む)paw(動物の手足のひら)pattern(型、様式、図案)paste(練り物、ペースト)pasta(パスタ。もともと上の練り物の意味ですね。「ロゼット洗顔パスタ」のパスタもこれです)辞書を「読む」のは私にとっては鼻血が出るほど知的興奮を刺激してくれるものでした。目を輝かせ笑みを浮かべながら辞書を読む私は、周囲に「宇樹は血眼で辞書を読んでいて気味が悪い」と言わしめるほどでした。英語辞書のほかに「読む」のが好きだったのは理科系の図鑑です。特に恐竜などの古生物や、秘境に住む珍獣、珍しい植物、土中の微生物、体内や細胞内の活動などといったイメージをくすぐるページを開いて、それらがさかんに活動する様子を詳細に想像するのが何より楽しかった。私はこの楽しみを誰も止めないでいてくれたおかげで、計算ができないのでテストではそんなに高い点はとれないものの、理系科目が大好きな子に育ちました。腑に落ちて学べる方法を得たことで、もっとも得意で好きな科目へ言語理解能力が高い一方で理屈抜きに丸暗記することが苦手な私にとって、勉強のモチベーションを上げるコツは「情報を理屈やイメージで絡めて腑に落とす」ことでした。理屈を理解する。イメージを喚起する。それらで知的興奮を刺激し、知識に触れることを苦痛なことではなく楽しいことにする。私の場合、その科目を勉強すること自体が楽しい状態になれば「なんで◯◯なんて勉強しなきゃいけないの?」などといった苛立ち混じりの問いが口をついて出てくることもなくなります。辞書や図鑑に「こだわる」子を放っておいたらそれにしか興味を持たなくなってしまうのでは? と不安に思う保護者の人もいるかもしれません。ASD児であった私の個人的意見ですが、その子の興味が向くことをやめさせずに、没頭させてあげてほしいなと思います。辞書や図鑑を開いて理屈やイメージの世界で遊ぶのは、私にとって生きるうえでの大きな喜びでした。私はたぶん、辞書や図鑑と遊びながら、定型発達の子どもが友達と外で駆け回って遊ぶのと同じような喜びと輝きをつぶさに体感していました。幼いころから周囲になじめず生きづらかった私には、そうした内的世界の豊かさは、生きるうえでの不可欠な支えでした。あと、オタク的気質のある私が感じるのは、何かにこだわって突き詰める性質は、よくも悪くも教育ではどうにもならないということです。その子の生まれ持った興味の方向性や能力バランスによって、オタクにならない子はどうやってもならないし、なる子はどうやってもわが道を行くのだろうと思います、私のように笑。その子が大人になったとき、その豊かな内的世界を資源として楽しみながら生きていけるなら、素晴らしいことだと思います。私は今、オタクで幸せですよ。文/宇樹義子
2021年09月24日小6になり、少しずつ中学校を意識した学びがスタートUpload By かなしろにゃんこ。ADHDとASDのある息子が小学校6年生のころ。このころから小学校では教科ごとに専門の先生が授業をするようになったり、中学校の授業を意識させる学びがスタートしました。秋からは提出物の練習も始まり、毎日ノートを提出。提出していない子には先生が一生懸命促していました。…していましたというか、はい、うちの息子が提出を促されていた張本人です。「その日の授業の板書ができているか放課後先生に見せてくださいね! 」と毎日言われても平気で提出せず帰る息子……(汗)小6の2学期の個人面談、担任の先生からのアドバイスUpload By かなしろにゃんこ。そんな小学校6年生のときの2学期の面談で、担任の先生から中学生になってからの家庭での指導について、とってもためになる話がありました。「息子さんが中学に入ったら今とは別人に感じられるかもしれません。今のかわいい僕ちゃんから、急に大人の男の人に見えてくることもあります。力も強くなってくると思うので、お母さんは力では勝てなくなるかも。ケンカでは逆にやられないように気をつけてくださいね」と初っ端からドキッとするようなことを言う先生。小学校6年生の息子は、まだまだ私に甘えて膝にのってくることもありましたので、別人に感じるなんてすぐには想像ができませんでした。ほかにも「もし人間関係のトラブルなど学校で起きたことは、学校の先生と生徒で解決できる年頃になってくるので基本的には口を出さずに見守ってください」など、先生がおっしゃったことはどれも大事なことだと思い、私はしっかり記憶しました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。また先生はこんなことも教えてくれました。「中学生になると無口になってきて、お家ではあまりしゃべらなくなる傾向の子もいます。その場合は、子ども経由で学校の情報が入ってこなくなってしまい、困ってしまうことがしばしばあります。その一方で、学校であったことなどを普段から積極的に話す子もいます。ですからお子さんがお家でしゃべらなくなる傾向がある場合は、同じ中学に通うお家でもよくお話する子と仲良くなり『お家でよくお話しする子→その子の保護者→自分』のルートを築いておくと学校での出来事などを把握しやすくなります。『必ずしなければならない』という訳ではありませんが、このような方法も有効ですよ」そう話す先生も、実は思春期の子育て経験者の大先輩でした。先生のお子さんは中学では保健室にこもりがちになっており、その様子を知るすべがなかったことで、ケアが遅くなってしまったそうです。そんな経験から小学校6年生の担任になると保護者にこの話をするようにしているとのことでした。半年後、中学生になった息子はUpload By かなしろにゃんこ。半年後、中学生になった息子は当時の担任の先生が言った通りになりました。もう私の膝の上には乗らないし、声変わりはしてくるし、本格的な反抗期に突入してニコリともせず、私が話しかけてもうっとうしそうにして、無視するようになりました。当時の担任の先生から教えてもらった通りに同じ中学校に通うお家でもよくお話をするという女の子のママから、息子の中学校での様子を教えてもらいました。息子の良いことも悪いことも第三者の言葉から聞くことになり、心が痛いこともありましたが、ほかの人からの評価を知ることができました。猫背で立たないことや寝ぐせを直すことなど、身だしなみや立ち振る舞い、言葉遣いなど、同じ学年の子の意見や、息子の様子を教えてくれる子のママからの助言がきっかけになり、息子本人が気づいていない直したほうがいいことを改善するように促すことができました。問題が起きたときも基本的には中学校に任せて、担任の先生から報告があったときだけ関わるようにしたことで、息子は何かあったとき信頼している担任の先生に相談するようになっていきました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。もう包み込む愛情で守ってあげる年齢ではなく、息子が困ったときに相談をするのは信頼できる先生や先輩、友人になっていったのだとわかり、保護者としての役割が変わってきたことを感じた瞬間でした。今振り返ると、小学校のころは息子のやることに口も手も出せたから、実は子育ては楽だったのかもしれないと感じています。口も手もほどほどにしないといけない中学生の育児は、さじ加減が難しいと思いました。私はおいしいご飯の提供など、家庭でのサポート役に徹してアレコレ口を出さずに見守るしかないのかもしれないなと思いました。小学校6年生のときの担任であり、思春期の子どもを育てる先輩でもあった、先生の経験からの意見があったらこそ、息子が中学生になる前にちょっと先の未来を予測し、心構えができたので、慌てずに息子の思春期を乗り切れたと思っています。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:三木先生より)思春期の見守りはつらくもあり歯がゆくもあるものです。態度の悪いわが子にイラっとさせられながらも、心配なので無視もできず…。でもかなしろさんのように普段は見守りつつ、ちゃんと情報収集して必要なときだけはしっかり考えを伝える、というメリハリの利いた関わりは有効だと思います。
2021年09月23日困るのは、怪我や病気で体調を崩すことUpload By かさはらあやこ現在4歳3ヶ月の息子は、知的障害を伴う自閉症です。会話をすることができず、意思の疎通が困難です。そんな息子を育てるうえで困るのが〝怪我や病気で体調を崩すこと〟。感覚の鈍磨さのためか、40度近い高熱があっても元気に走り回っていたり、痛いことや苦しいことがあったときも的確に伝えることができなかったり。そのため、発見が遅れ、気づいたときには酷くなっていたということが多々あります。今でこそ、〝体温調節の機能がうまく働かないので気をつけてあげなければいけない〟と意識ができますが、赤ちゃんのころは暑い寒いで泣いたりすることがなく、快も不快も全くわからない状態でした。そのため「ちょっと…この子、汗だくじゃないの!着させすぎよ!!」と周囲に指摘されるようなこともありました。怪我をしても絆創膏の類いはすぐに剥がされ、傷が気になって触るので、3日で治るような傷も完治まで数週間かかり痕が残ります。火傷をしたときも、火傷をしたと気づくまでに時間がかかり、どこが患部なのかわからず処置が遅れ、感覚過敏のため冷やすことができずに酷い水ぶくれになってしまい…そばにいた父親を責め、夫婦喧嘩になりました。癇癪、パニック、大暴れUpload By かさはらあやこほんの少しの鼻詰まりでも、眠ることができず朝まで大癇癪。病院に向かう車窓から建物が見えただけでパニック。駐車場で逃げ回り、院内では車椅子の高齢者の膝に飛び乗って座る、他人の飲みかけのペットボトルを奪い、診察室では大暴れ。日頃から偏食があるため栄養が偏りやすく、睡眠時間も短いためか普通の風邪をこじらせてしまうこともあります。息子が風邪をひくと、親子共々、本当に本当に疲弊します。だから、過保護と思われても、できるだけ怪我をさせるのは避けたいし、絶対に風邪をひかせたくない…!と思いながら生きています(無理だけど)薬を飲ませるのも大ごとUpload By かさはらあやこ2歳〜4歳の現在進行形で、薬を飲ませることも大変です。風邪をひくたびに、1日3回7日間も、どうやって飲ませよう…と悩んでいます。最初は成功していた〝好きな食べ物に混ぜて入れる方法〟は、薬を入れたたことがバレて一切食べなくなってしまったり、偏食が進んでくるとまったく通用しなくなりました。〝普段食べさせない甘いものに混ぜて入れる方法〟も、成功するのはせいぜい2日間で、すぐに飽きてしまったりバレたり。それでもなんとか、騙し騙し服用していた薬。3歳を過ぎたころは、察知する能力が高くなり、とうとう何に混ぜても口を開かず、どんなに工夫をしても飲めなかった時期でした。飲まないことで回復が遅れ、イライラして怒って…。イライラする自分に疲れて嫌気がさし、あるとき、飲まなくても別に死ぬわけじゃない。〝飲まなければいけない〟ではなく〝飲めたらラッキー〟と思うようにしたことで、だいぶ心が軽くなりました。しかし、風邪をこじらせて、風邪薬を2週間服用しても治らず、7日間最後までしっかり飲み切らないといけない抗生剤が処方されたときは、必死に抵抗し全身の力で暴れるわが子に馬乗りになり、口を無理矢理に開いて飲ませなければならず…。いままでゆっくり時間をかけて積み重ねてきた信頼関係のようなものが、この朝昼晩の行為によって崩れてしまうのではないかと不安に思うほど大変でした。実際、このあと2週間ほど不安定な状態が続いたので、もう二度と飲ませたくありません(無理だけど)親としての願いUpload By かさはらあやこ息子、そして家族のためにも〝怪我や病気で体調を崩すこと〟をできるだけ避けるには…。日頃からよく観察し、想像力を働かせ、危険がありそうなら回避したり、くしゃみが多いな とか、食欲がないな など、少しの変化を気にするようにしたり、転んだ・ぶつけたなどの園で起きたどんなに小さなことでも、できるだけ教えてもらうようにお願いしています。そして私は、肉体的にも精神的にも共倒れしてしまうことがすごく多いので、息子が体調を崩し始めたな、と思ったら、栄養ドリンクを飲んだり。睡眠時間をいつもより長くとれるように意識して早めに寝てみたり。無理はせず母親である自分の体調管理を徹底するようにしています。試行錯誤の4年間。転んで怪我をしたら、息子に傷を見せないように隠し、かさぶたが痒くなってくるころにはこまめに保湿するなどして絶対に触らせない。風邪をひいたら、1日3回の薬を朝晩の2回にしてもらう。など、精神的な負担を減らすコツを掴めるようになってきました。憂鬱だった風邪薬は、粉薬を少量の水で練る技術が巧妙になり、混ぜるものによって水分量をコントロールすることで悟られずに飲ませることができるようにもなってきました。この先、せめてどこが痛いとか、苦しいということだけでも自分の方法で他人に伝えられたり、納得して傷の手当てができたり、薬が飲めるようになってくれることを願っています。執筆/かさはらあやこ(監修:井上先生より)自閉症のあるお子さんの場合、自分の身体の調子や痛みを言葉で表すことができなかったり、お薬を飲ませるのに親御さんが苦労しておられる体験をよく聞きます。かさはらさんが書いておられるように、予防や投薬は大事なのですが、なかなか思ったようにいかない現実もあります。治療の内容やプロセスを絵カードにして事前に提示することで子どもの不安をやわらげる方法もありますので、親御さんの余裕があるときに徐々に試してみましょう。
2021年09月22日1歳ごろから通い始めた療育園親子通園の療育園に通い始めてから、園の先生の行動や習慣から学んだことがあります。例えば、否定の言葉はなるべく使わずに「走らないで」ではなく「歩きます」と、して欲しいことを端的に言うことです。これは、5年以上経った今でも私の身に染みついています。耳から入る情報が伝わりにくい娘にはとても合っているようで、してほしくないことやこれからの予定を伝えるときは、このような伝え方をするとスムーズです。先生から学んだ「褒める」Upload By kotoまた、「とにかく褒める」ということも学びました。どうしても「できないこと」に意識が行ってしまいがちでしたが、先生たちは「できないこと」を決してとがめることなく、逆に「少しでもできたこと」に目を向けて、子どもをたくさん褒めてくれました。最初のころは、「そんな、大袈裟では」と、嬉しい反面、照れ臭いなと思っていた私も、いつの間にか先生と一緒に子どもを褒めちぎるようになっていました。子どもの良い所に気づきやすくなり、親子で自己肯定感を高めることにつながったと思います。水に触れることができたら褒め、教室に入れたら褒め、シャボン玉に反応できたら褒め…。とにかく、悪いことをしない限りは褒めるようになり、この習慣は今でも続いています。ただ、4歳を過ぎたころから、なんでもかんでも褒めて良いものか少し悩んだりもしました。「しつけ」のために、何度言ってもできないときは叱る必要があるのではないかと思うようになったからです。ワガママにつながったり、褒められて当たり前になってしまったりしないかも気になりました。そこで、「娘の成長の程度(特性含む)」と「叱る叱らないのメリハリのつけ方」のバランスを、先生と相談しながら調整していきました。ペアトレを受けることに!Upload By kotoこうして、親子通園や集団療育で学んだ経験が家でも大いに役立っているのですが、やはり「うちの子にしか当てはまらない困りごと」もたくさんあるのが現実です。園以外の場所(家庭や外出時など)での困りごとは、自分で考えて対処するしかないのですが、それでもどうにもならないことが増えてきて…。娘が4歳くらいのときに、当時診ていただいていた小児科を通して、ペアレントトレーニングを受けることにしました。1対1で1時間ほど、毎月専門家の方に個別で指導やアドバイスをいただきました。私は現在、SNSで子どもの発達について発信していますが、これもペアトレの先生から「SNSで発信すること」を勧められたからです。精神面で孤立しがちな発達凸凹子育てなので、同じような悩みを持つ人たちと繋がりたいと相談したときに提案され、今では多くの人と繋がることができて良かったと思っています。視覚優位の娘には「見せない収納」Upload By kotoペアトレでは、家庭で実践できる対処法も個別の悩みに合わせて教えていただきました。例えば、娘は視覚優位で、目から入ってくる情報が多いと混乱したり多動や衝動性が強く出る場面が多くありました。先生に相談したところ、娘に適した家での収納方法を教えていただきました。それまでは、子どもが玩具を取り出しやすく、片付けやすいようにと「見せる収納」をしていました。そのせいか、娘は玩具を出したいだけ出して、すぐに足の踏み場もない状態をつくってしまっていたのです。当然、食事中も玩具が気になってウロウロ。何をしていても、玩具が気になって着替えもお風呂もなかなか進みません。そこで教えていただいた「見せない収納」を実践。玩具だけでなく、絵本もフタのある箱やケースに入れて、遊ぶとき以外は見えないようにしました。もともと、なるべく不要な物は置かないようにしていたので、娘は退屈して癇癪が悪化するのではと最初は「見せない収納」にドキドキしましたが、意外にも好きな玩具の入っている箱を探すことを楽しんだり、遊び終わったら箱に戻すという片づけまでするようになったのです。視界から入る刺激が減って、子どもの頭の中まで少しスッキリしたような印象でした。あとで気がついたのですが、療育園ではメイン活動をする教室はガランとしていて、玩具などは別の部屋に置かれているなど、なるべく見えないように工夫されていたなと思います。こうしてペアトレを受けることで、具体的な対処法を教えてもらうだけでなく、先生に成果を報告することで子育てへのやる気ももらえていたのでした。執筆/koto(監修:鈴木先生より)“Not unable, but able”これは米国の障害者自立支援の所長が言った言葉です。「できないことよりもできることに目を向けよう」という意味です。先日閉幕したパラリンピックでは不自由があってもそれを乗り越えて今の自分でできるスポーツを精一杯やっているアスリートの姿が印象的でした。ただ神経発達症(発達障害※)では成長とともにできないことでも少しずつできるようになることがあるので、スモールステップでできないことも克服していく努力は必要です。ペアトレの基本は「傾聴&承認」です。お子さんがどういうことにチャレンジしたいか聴いてあげて、少しでもできたら褒めて承認することが大事です。※編集部注現在は、発達障害という名称ではなく神経発達症と表記されるようになっています。
2021年09月20日思いをわかってもらうために人は、他人のことにはあれこれ気がついても、自分のことはわかっているようで、実はよくわかっていないところがあります。疲れ具合や顔色など、周囲から指摘され、そうかなぁと思い至るなんてことは少なくないはずです。育児や家事、仕事を優先している間は、体の痛みや食事、睡眠の具合がちょっと不安定でも、後回しにしたりして、身体の不調に鈍感で、一息ついたときに、変調に気がつくようなことです。子どもの場合、楽しいことがあれば、多少の不調感は一時的に隠れてしまうようです。研修医時代の遙か昔、総合病院でローテーションで夜間救急対応をしたとき、夕方から夜にかけて、発熱したり体調を崩す子どもとよく出会いました。小児科の先生から、子どもは夜になってから体調がくずれるもの、と教えてもらい、「どうして昼間に受診してくれなかった」という言葉を飲み込んだ記憶があります。また、自身の体の不調感だけでなく、気持ちのつらさを言葉に表しにくいのも子どもにはよくあります。3歳の子が「最近、いろいろと人間関係で悩んで」とか、小学生が「この学びが将来においてどのような意味があるのか」と言葉にすることは、ほとんどないかもしれません。言葉にしていないからといって困っていない、悩んでいないわけではありません。僕自身振り返ると、大嫌いな運動会の前夜に奇妙な喘息発作に襲われるという経験を毎年のようにしていました。さあ、明日だという切迫したときに、僕は参加したくない思いを発作に置き換えていたのです。すると、周囲に気づいてほしいのは、喘息発作のつらさより、運動会に参加したくないという僕の思いのほうだったのです。つまり、子どもは言葉よりも体で、あるいは行動で、その思いを表出することが少なくありません。そのためには、気がついてほしい大人に対して、いやでも気がつくほどの目立つ症状であること、容易に解決しない症状であること、そして大人がとても慌てて困り果てるほどの症状であることが絶対条件になります。それでも気づいてくれない場合、さらに症状は激しくなるわけです。僕の場合は、共働きの両親が、疲れて寝付く夜から深夜が病院にも連れて行けず、もっとも困り果てる時間帯だったのです。例えば園や学校に行きたくないとき経験上多いのは、寝るまでは元気だったわが子が、起床から不調を訴えることです。お腹が痛いとトイレにこもる、頭が痛いと布団から出て来ないなどです。朝起きができない、眠たいという訴えは、だって夜にずっと携帯を見ていたから、ゲームや映像を見ていたから、ということになると、症状でなく自業自得となります。大人にとって原因がわかっていると、起きられないことよりも、ゲームなどを早く終えるように、ちゃんと寝るように言っても、したがってくれず、結局は叱られることになります。言動では、ぐずったり癇癪をおこしたり、イライラして大声を上げたり、慌てて困り果てることにもなります。ここで、腹痛や頭痛を軽減する方法、あるいは癇癪を抑える方法を試行錯誤しても、ほとんど解決しないはずです。子どもにとって、わかってほしいのは、これらの「症状」を取り払うことでなく、園や学校に行きたくない思いのほうです。これを「症状にある本当の意味」と言います。症状をSOSとして捉えることができると、SOSというサインより、その意味が大切なはずです。なので、僕はこうしたサインを持って相談に来られた親子に対して、園や学校に行かない日にそのサインが登場するかどうか確認し、もしお休みのときはサインもお休みしているときは、『体と心が休ませて』と言っていると解釈します。そしてその子に「明日から症状がなくてもちゃんと家で休んでくださいね。1週間、学校(園)には行ってはいけませんよ」と伝え、「次に来たときにその1週間の様子を教えてね」とお願いします。この公認されたお休みの間、多くの子どもは、症状が薄まり、次回相談に来る前日から症状が強くなることがあれば、学校(園)に行くことが大きな負担であるという仮説が成り立ちます。時に、それでも症状が改善しない場合もあり、そのときは、それ以上に「今を生きる」ことに難しさを痛感していると仮説します。ただいずれにしても、症状を無理になくすことより、どうすれば、生活が楽になるかを検討します。休んで多少なりとも楽になったときは、症状でなく、その学校(園)の生活のなにが負担かを確認します。学校(園)は、①そこで学ぶこと、②そこにある友人関係、③担当してくれる大人との関係が、いかにうまくいっているかで良い場所かどうかがわかります。僕はこの3点について子ども本人に確認し、負担に感じている項目を探ります。あとは当然のように、登校(登園)よりも、そこにある課題の解決を関係者を交えて一緒に考え続けます。親の悩みそれでも親は、SOSとわかっていても、乗り越えてほしいという思いもあります。子どもが歩む道で、大きく躓かせたくないという思いから、SOSに目をつぶり、それに屈せずに強くなってほしいと願うものです。先の公認の休暇を僕が提案したとき、一番親が「あー、いっちゃった。これで堂々と休んでしまう。困った」と思われているかもしれません。だから「最初の2日は黙ってみていたのですが、3日目にお医者さんはああいったけど、そろそろ行ってみない?と確認してしまいました。案の定、症状が強くなりました」と、わかっているけど、焦ってしまうものです。そこで、僕は、どうして、そこを乗り越えることが難しいのかについて、親と一緒に考えていくことをします。すると、以前から実はこういったことが苦手、あれが苦手というエピソードを教えてもらうことになります。横断的な理解が主だった僕に、縦断的な情報が加わり、さらに僕たちはこの子理解を深めることができるのです。SOSはヘルプサインと同時に、その子に近づくチャンスをくれるものでもあるのです。「そんなふうに考えているんですね」、「子どもだと思っていたけど、ちゃんと考えていることがわかり、ちょっと安心っていうか、すごい子だったんだと思いました」と感想を述べる親もいます。目の前のことだけでなく、その子の思いに近づけたことは、ある意味親にとって喜びでもあります。それも一瞬で、やはりしばらくすると「そろそろ登校(登園)しないと、これから先が心配で」、「いつまで待てばよいでしょうか」と、当然の悩みと焦りが再び登場します。親であることの大変さ、悩み、痛みは、そうそう簡単には消えないということも、重々承知しているのですが、ゴールが見えないことの不安は、当然僕にもあります。僕も次の一歩を先走りして、子どもから「先生も同じ大人なんですね」というような目で見透かされるときが幾度もあります。生きる上での悩み時に、単に学校とか園とかの生活空間に対してではなく、「生きるって、生き続けるって、辛いな、苦しいな」と感じてしまう子もいます。具体的に表出するのは思春期前後でしょうが、実際はかなり小さい年齢から、苦しさを抱えているようです。この場合は、当然休んだところで症状は消えません。このときは、その子が向き合う3つ(学習、友人、担当者)への向き合い方でなく、ずっと抱え込んでいた、自身にある違和感、日々の生活に対するなじみにくさ、が表面化したわけですから、根源的な危機感を、よくSOSとして出してくれたことを内心感謝しつつ、こちらも焦らず、一緒に迷いの森を歩み続けようとします。その仮説でこの子と向き合おうとすると、その子が周囲とどう関わるかより、その子が自分自身とどう向き合っているかに焦点を移動して、付き合う準備をします。実は体からのSOSの場合も心のSOSと思い込んでいたことが、本当は体の不調から来ているとわかることもあります。多くは実際の障害から生活が成り立ちにくくなっていることがあります。例えば、どうしても改善しにくい睡眠状態のとき、本質的な睡眠障害が睡眠記録などから判明することもあります。情緒不安定が、当初は対人面の負担からと思っていたところ、甲状腺ホルモンの異常からであったこともあります。ついつい心の負担からのSOSと決めつけてしまい、体からのSOSであったことを見失うことのないようにしないといけないなぁと痛感します。親だからわかるSOS親でもわからないSOSそもそも、わが子の変に気がついて受診、相談するときに、親はすでのわが子のSOSを受け止めているわけです。親だからわかること、わかるからこそ、そこから足を前にだしてほしいと願っていること、わかるからこそ、次の手立てに躊躇していること、実際、診察室で出会ったときは、子どものSOSに気がついているのです。僕はその『気づき』をより明確にするためのお手伝いをしているにすぎません。あとはそのSOSにある本当の意味を、あれこれ一緒に考えていく作業となります。本当にわからないと感じている親も、「わからない」ということに思いを巡らせているので、わからないことをわかっているのです。すると一番の問題は、ただただ本当になにも伝わっていないときでしょう。ある状態に対して、親が慌てたり、困り果てていないとき、そんなときは、他の誰かに気がついてほしいと思います。医療は来る方を待っている仕事です。保育教育は、子どもの変化に常に感知するアンテナを持っているところです。その関係者の情報と医療福祉が、どう繋がるか、そこに最後の課題があると思います。
2021年09月19日年長さんになってから、プレッシャーを感じるようになった次女次女は保育園で、「ものすごく恥ずかしがりやで引っ込み思案な子」と言われ続けながらも、楽しく過ごすことができていました。ただ、年長さんになってからは、いろいろプレッシャーを感じ始めていました。そのせいか、保育園への行き渋りが出てきたり、給食が食べられなくなったりと、今まで見られなかった問題が出てくるように…。そんな中、なるべく小学校という環境に慣れるようにと、長女の学校行事などの際は次女も一緒に小学校へ連れて行くようにしていました。長女の運動会、来年入学する年長さんに向けたプログラムに参加Upload By まりまりもちろん長女の小学校の運動会にも参加。長女の通っている小学校では毎年、翌年度入学してくる年長さんのためのプログラムが1つ用意されています。プログラム内容は、「スタート→6年生の待つ箱の前へ行く→箱の中から好きな手作りおもちゃを選んで→ゴール」という、いたって簡単なもの。ただ、そのプログラムの時間になって、次女を連れて行こうとしたところ、押しても引いても説得しても、全く動こうとしないのでした…。Upload By まりまりUpload By まりまりもちろん今までの次女の性格から、大勢の人前に行くのが嫌なんだろうとは思いました。でも、ちょっと走っておもちゃを貰ってくるだけのこんな簡単なことができなくて、これから小学校でやっていけるのか⁉ と、私自身に焦る気持ちもありました。「いつもの保育園ではできることなんだから、やらせればできるはず!」と、次女の背中を押して、半ば無理やり連れて行ったのでした…。楽しそうに参加している子たちの中で…Upload By まりまり無理やり連れて行ったものの、端から見ていると、緊張で固まり、一人でどんよりした雰囲気の次女…。結局次女は一人で立ち尽くしていて最後までスタートできず、先生に背中を押されてやっと動き出したのでした。何とか6年生の前に行くも、どのおもちゃが良いか言えず、6年生が手渡してくれたものを持って立ち尽くす次女。6年生に引っ張られ、先生に背中を押されてやっとゴール…。とにかく自分で動けない。ほかの同年代の子が楽しそうにスイスイとこなしている中、自分で動けない次女を見て、「やり方が分からない訳じゃないのに、なんでこんな簡単なことができないんだ?」と、私はもどかしい気持ちになっていました。今思えば…Upload By まりまりこのころは、「なんでこんな簡単なことができないんだ??」「引っ込み思案にしてもほどがあるでしょう!」と、本当はやればできるのに、次女がやりたくないためにわがままを言っているのではないかと正直イライラ…。なので、余計「小学校で困らないようにしなくちゃ!」と私の気持ちばかりが焦って、次女にとってはわりとキツいことを言っていたと思います…。その後、場面緘黙かもと分かったときに、次女の行動に対して「話さない」・「動かない」じゃなくて「話せない」・「動けなくなることもある」と知りました。今思えば、私の理解ない言葉が次女に余計にプレッシャーを与えていたんだろうな~と…。わが家は小学2年生で場面緘黙の診断が出ましたが、もっと早く次女の行動に対して理解できていたら、もっと違った対応ができて、次女も安心して過ごせたのかも…と今さら思う母でした…!執筆/まりまり(監修:初川先生より)多くの子が楽しく活動する場面で、うちの子だけ緊張と拒否を呈していたら…お母さんからしたらとても焦りますし、困惑されますよね。多くの子が楽しそうにしていて、そして保護者の方ご自身が幼いころに楽しかったと思う活動だとしたら、きっとこの子にとっても楽しいはずに違いない、と想像するのは当然のことです。とはいえ、よくよく考えてみると、物事に対する思いは人それぞれで、緊張したり不安に思ったり、参加するより見てるくらいでいいと思ったりすることは意外とあるものです。のちに場面緘黙の診断が下りたとのことですが、場面緘黙に限らず、お子さんが能力としては「できる」けれども、「やらない・やれない」という展開になることはあります。「どうしてやらないの?」というところで思考停止することなく、「もしかしたらこういう場面は苦手なのかな?」などさまざま思いを馳せてみると、うまくいかない場面の捉え方が変わってくるかもしれません。
2021年09月18日ひたすら追い掛け回す日々むっくんの多動は歩き始めた生後10ヶ月ごろから始まったように記憶しています。何か気になるものが目に入ったら一直線! 私がついてきているかなんて確認もせず突っ走る。よく言えば好奇心旺盛な子ですが、車道への飛び出しやぶつかりなどの危険を回避するために神経をすり減らしながら「少しはじっとしてよ!」と怒っていたような記憶があります。いつも追いかけていないといけないため、誰かと子育ての会話もできませんでした。ときどき、ほかの子と自分の子を比較して落ち込むというエピソードも聞きますが、比較しようにもほかの子の様子を観察することもできず、幸か不幸かそういう落ち込みも感じられない。そんな幼児時代でした。Upload By ウチノコ身の安全が守れないむっくんは動きたいときに抱っこや手つなぎで行動を制されると癇癪を起こし、手を振り払って車道へ飛び出しそうになることもありました。当時は逃げられないように苦肉の策でこんな手のつなぎ方をしていました。Upload By ウチノコしかし、このつなぎ方にもデメリットがありました。それは、とっさに手が離せないため、子どもが腕を引っ張られすぎて肘に亜脱臼を起こし肘内障になってしまう可能性があること。むっくんはとても力の強い子な上、痛みの感覚が少し鈍いところがあるので、自分で怪我をしないよう加減することが難しく親側が加減を判断する必要がありました。Upload By ウチノコ手を離せば危険、手をつなげば肘内障で本当に困りました。肩は抜けにくいので上腕固定でつかまった宇宙人のように歩いたり…。2歳過ぎにはむっくんの安全を守る自信がなくなり、親子で家に引きこもりがちになりました。幸いむっくんは外出が好きではない子だったので、外に連れ出さない私はダメな親だと、私が自己バッシングしていたくらいでむっくんはご機嫌で過ごせていたことが幸いですね。Upload By ウチノコ今思う多動の理由当時は何故突然走り出してしまうのか、出先でじっとできないのかわからず。なんで私はこんな大変なんだろう?しんどいしんどい、つらいつらい。と思っていました。だけど今はその理由がわかるような気がしています。むっくんは8歳の今でもさまざまな刺激に対して不安を感じやすく、感覚過敏の強い子です。見るもの、触るもの、聞こえるもの、全てが初めての幼いころは今よりもっと過敏だったのだろうと思います。例えば初めて行った場所でよくわからない音が聞こえたら、不安になり確認したくなるのは当然です。見たことのないものがあれば、安全を確認することで安心できると思います。Upload By ウチノコ私はその刺激が何なのかを知っているから不安も感じないし、刺激に気づきもしません。だけど過敏なむっくんは小さな刺激にたくさん不安を感じて反応してしまい、それが「多動」という状態を招いていたのだと考えています。本当にしんどくて、つらかったのは私ではなくてむっくんだった…だから外出を好まなかったのだと今ならわかるのです。感覚過敏を知ってからむっくんは3歳のときに発達障害の診断を受けました。その後は発達障害を知り、感覚過敏を知り、私の接し方を変えることができたおかげで大変さはずいぶんと変わりました。私が接し方を学ぶ前の1歳半と、学んだあとの3歳児検診ではこんな変化も見られました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコUpload By ウチノコもちろん年齢の違いはありますが、ああ、こういうことだったんだなと。この子はずっとただ調べたかった。ただ確認したかった。ただ安心したかっただけなんだなと、今はむっくんのことをそんな風に捉えています。無知だった自分への後悔当時の私は発達障害のことも感覚過敏のことも知識がなく、むっくんの世界を理解しようとしませんでした。自分のことばかり考えて、むっくんの行動を一方的に押さえつけました。当時の写真や映像には不安そうな顔のむっくんが写っていて、自分の無知が申し訳なくて情けなくて涙が出てきます。仕方なかった。だけどもし、むっくんの目線で世界を見る努力ができていれば・・・もっとほかにやりようがあったとも思うのです。むっくんの多動は6歳ごろに落ち着きました。いろいろなことを知り、知識で自分の行動をコントロールできるようになったのだと思います。そのころ手のつなぎ方を一般的なつなぎ方に戻しました。久々にすべての指でぎゅっと握ったむっくんの手は、大きくて分厚くてしみじみと成長を感じました。今もときどき必死で握りしめたあの小さな手を思い出して、もっと楽しめばよかったと寂しくも思うこともあります。だけど、今のむっくんは昔の自分の多動話を聞くとものすごく喜んでくれて、それがなんだか私の救いになっているのです。Upload By ウチノコ執筆/ウチノコ(監修:三木先生より)服装や手のロックなど、できることを一通り試す姿勢は素晴らしいですね。そういう不安や葛藤を自分たちで乗り越えてきたからこそ分かることもあると思います。こういう痛みをおぼえているからこそ、手が大きくなったことを実感する喜びもひとしおなのかもしれませんね。
2021年09月17日小学2年生の夏休みUpload By taekoASD長男のミミ、小学2年生の夏休み。1年生のときと比べて宿題が増えました。学校から配布された宿題の中に自由に書き込める予定表があったので、その予定表に全ての宿題の「やる日」を書き込み、予定表を見ればその日に何をすればよいか分かるようにしました。そうすればミミも分かるし、私が宿題を把握するのにも役立つと思ったからです。1年生のころの宿題にはなかった「タブレット端末を使って毎週末日記を提出する」という宿題もありました。紙とデジタルに分かれていて母は混乱してしまいましたが、毎週日記を提出することができました。小学校が夏休みの間、ミミは学童で過ごします。ところがミミは学童に苦手な子がいて、夏休み以前からその子がいる日は学童へ行くのを嫌がっていたので心配していました。夏休みの前半、ミミが苦手な子がいる日の登室を頑なに嫌がり1日休むことにしました。弟のふーは保育園に行くし、私やパパも仕事。平日は規則正しく過ごすという生活習慣を身につけてほしい思っているので、ミミも学童を休むなら、家でも学童に行っているときと同じようなタイムスケジュールで過ごすルールにしました。決まった時刻に宿題をして、学童に行っている時間帯はテレビを観るのもなしにして過ごしました。Upload By taekoそんな夏休みの前半が終わるころ、家族旅行へ。わが家は帰省する田舎がないのですが、せっかくの夏休みなので、自然に触れたり行き先でのアクシデント?を経験して家族での思い出を作りたいと思っていました。混雑を避けてお盆前に仕事の夏休みを取り、旅行を計画。以前インターネットの動画共有サービスで見た小学生くらいを対象にした遊園地に行こう、とミミにパソコン画面を見せながら説明しました。「うん、いいけど」と、そのときミミはそっけない返事でしたが、内心とっても喜んでいたようでした。そのあと旅行の行き先としてプールの案も見せてみましたが、ミミの気持ちは遊園地一択。Upload By taeko感覚過敏があるミミは、長時間乗り物に乗ると酔ってしまいます。車は普段乗らないので余計に体調が悪くなってしまいます。行き先はなるべく近くにしたけれど、目的の遊園地までは、電車のほか1時間バスに乗る必要がありました。当日、ミミはやはり行きのバスで涙を流して苦しんでいました。パパも子どものころ旅行での車酔いの経験があり、ミミを優しく介抱してくれ、なんとか目的地に着くことができました。遊園地には自然体験をできる場所もあり、ミミがやりたがったので釣り体験をしました。感覚過敏があるため、普段から手が汚れることを嫌がるのですが、予想通り釣り竿は持ちませんでした。でも、釣りするところをよく見ていたミミ。釣りを始めてすぐ突然の雨が降ってきて、小屋に避難したりもしました。そのあとは釣れた魚を塩焼きに。偏食があるのでミミは魚の塩焼きも食べませんでしたが、これも想定内。ミミなりのペースで釣りを体験できたんじゃないかなと思います。ほかにも旅行中には大浴場の使い方や、夕食のバイキングでいつもとは違うルールを経験して、たくさんのことを学びました。朝、森を散策したときには大きなニホントカゲを見つけて興奮!普段できないことを体験できた旅行になりました。旅行のあとは、再び学童で過ごす夏休み。旅行の前ミミは、苦手な子がいると学童に行くのを嫌がっていましたが、旅行のあとは苦手な子がいる日も「行く」と言って登室しました。ある日、帰宅後ミミに話を聞いてみると一日楽しく過ごしていたようで、苦手な子とも一緒に遊んだことを話してくれました。苦手な子と言い合いになることもあるけど、ミミは自分の気持ちを言葉で伝えているようです。そのあとも学童に行き渋ることはなく、ミミはがんばっているんだなと感じました。2年生の1学期にトラブルがあり登校班を変えることになった相手のAくんとも、今では学童で卓球をして遊ぶこともあり、先日は学童から一緒に帰宅してきました。でもミミはAくんと一対一での関わりは苦手なようで「今日は1人で帰っていい?」と一緒に帰るのを断ることもあるそう。1学期はミミがAくんの嫌がることを一方的に言うことがあり不安なところもあったけど、親は心配しなくても子どもは成長していくんだな、と思いました。学童では外部の人を呼び楽しい企画もしてくれました。それまで学校で何をしていたか聞いても「忘れた」「何もしてない」と答えることが多かったミミですが、学童であったことを帰宅後に話してくれるようになりました。ミミ、2年生の夏休み。寝る時間は守り、朝も自分から起きるのを待ちました。宿題もたくさんあり、はじめてのタブレット端末での宿題もありましたが計画的に進めることができました。タブレット端末を見る時間も1回30分にして、勉強に使うならほぼ制限なしに。学童は、苦手な子がいるから嫌だとお休みする日もあったけど、振り返ってみると、夏休み中もミミは規則正しい生活を送ることができたなと思います。1学期には不安なところもあったお友達との関わり方でしたが、夏休み学童で過ごしたミミは、苦手な子ともほどよい距離感で付き合えるようになってきているようです。家族旅行や、お友達との関わり、学童での経験など、ミミは夏休みを通して周りの人がなにを考えているかちょっとだけ気になるようになったのかもしれないと思いました。急成長の夏休みになりました。Upload By taeko執筆/taeko(監修:三木先生より)家でも学童と同じスケジュールで過ごすのは効果的な取り組みですね。予定がはっきりしていたり、時間の枠がしっかりとあるのは分かりやすいと思います。一方で、普段と違う経験が子どもをぐっと成長させることもあります。できないことも含め、そのプロセスをゆっくりと見守ってもらえて良かったのではないでしょうか。
2021年09月14日長男には連絡帳の必要性をあまり感じなかった自閉症のPは、二人きょうだい。3歳上に兄がいます。長男が幼稚園へ通っていたころは、連絡帳はありませんでした。毎日送迎のときに担任の先生とお会いしていたので、必要なことがあれば直接話すことができたし、長男からも園であった話を直接聞いて、大体の様子を把握することができていたので連絡帳の必要性をあまり感じていませんでした。Upload By みんでも、次男のPはバス通園なので担任の先生に毎日会えることもなく、直接話す機会は懇談のときか電話で話すときくらいになります。それにこちらからいくらPに尋ねても、園であったことを話してくれることはありません。コロナ禍で園へ見学にも行きづらくなった今、Pの園での生活や様子を知るためには、毎日の連絡帳が欠かせなくなりました。Upload By みん何気ない日常こそ先生と伝え合う必要があると感じた連絡帳には、体温、体調、排泄、睡眠時間、食事の内容などを書く欄のほかに、私が書く「家庭での様子」と、クラスの先生たちが書いてくれる「園での様子」の欄があります。そこにはPの何気ない日常を書くことが多いのですが、そんな何気ないことからだからこそ大切な情報交換がたくさんできていることに気がつきました。例えば私が「Pが最近このようなメロディーを口ずさむようになったのですが、何の歌なのかが分かりません」と連絡帳に書いた日には、先生が「きっと今クラスで歌っている○○という歌だと思います」と教えてくれるので私はその歌を知ることができ、家でもPに歌って聞かせてあげることができます。また、先生のほうが「P君がいつもこんな行動をしているのですが、職員みんなで不思議に思っています」と書いていたときは、私が「それなら△□の真似をしているんだと思います」と返事をして、先生たちにもPの行動の意味を知ってもらうこともあります。どんな些細なことでもお互いが疑問に思うことや、気づいたことなどを連絡帳に書くことで、一見するだけでは分かりにくい自閉症のPの気持ちや行動を一緒に考え、想像し、これかもしれないという答えを導きだすことができ、Pの不思議な行動や、不思議な言葉への理解にもつながるようになりました。実際、私がPへの対応に困ったときに「そう言えば連絡帳に書いてあった、あの話かもしれない!」とヒントになったことも多々ありました。Upload By みん連絡帳はPの支援のヒントを見つける『辞書』私にとって連絡帳は、現在のPの好き、嫌い、生活習慣、ルーティン、こだわり、できるようになったことなどを先生たちと一緒に共有することで、自分のことを説明できず、会話もできないPへの支援につなげるための「辞書」のようなものになっているような気がします。連絡帳は、日々更新されどんどん積み重なって行きます。それらを家庭では「育児のヒント」に、園では「保育のヒント」になるよう、これからも先生と一緒に連絡帳でのやり取りをしていきたいです。Upload By みん執筆/みん(監修:鈴木先生より)まさに連絡帳は支援のヒントを見つける「辞書」であり、かつ後には保育時代のいい思い出にもなります。担任次第ですが小学校以降でも続けることができます。私のクリニックでは「医療支援ファイル」と題して学校の担任の先生&親&主治医が共有できるファイルを作ってもらって、いい意味での三角関係を築いています。初めは問題点が多く、たくさん記入されていても段々問題点がなくなり担任の書く内容も少なくなっていきます。私が病院勤務時代にも同じようなことをしておりました。ICUやNICUなどに長期入院中のお子さんの日々の様子を看護師や主治医が連絡ノートに書いてなかなか面談できない親御さんへのメッセージにしていました。親御さんも主治医の前では言えない自分の思いも綴ることができます。いわば交換日記のようなものです。コロナ禍で会うことが制限されている今だからこそ、連絡帳や医療支援ファイルをもっと活用していけばいいのではないでしょうか。
2021年09月13日いじめられる私に父は「『将来作家になって加害者について実名で書く』と言え」と…私がいじめに耐えきれず両親に相談したのは5年生のとき。母は泣いて寝込んでしまい、父は「学校に行き続けないと将来路頭に迷うぞ」と私を怖がらせました。私はその後、父の助言(?)のもと、学級会でクラスのみんなへの反撃に出ることになります。「あなたたちが私にしていることは人権侵害であり、憲法に違反しています。私は将来作家になって、あなたたちが私に何をしたか実名で書くつもりです」教室は騒然となりました。「ひどい、そこまでしなくたっていいじゃないか、そうだそうだ」という声があがります。「そもそも宇樹さんはあれとかこれとか、みんなに嫌な思いをさせているのだからいじめられて当然だ。そうだそうだ」…担任の教師はその状況をみて、「はい、喧嘩両成敗ね」と言いました。クラスのほぼ全員からの継続的ないじめに対して被害者がたった一度必死の反撃に出たのを、担任教師が対等な喧嘩の文脈で収めてしまったのです。私がいじめられたのには確かに私の側に発達障害とか家族の奇異さなど原因の一部がありますが、本人に原因があるからといっていじめていいわけではありません。何にしろ、みんな恐れをなしたのか、私へのいじめは少しマシになりました。しかし同時に、私はみんなからなんとなく敬遠され、空気のように扱われるようになりました。「触るとヤバい奴」というカテゴリに入れられたようです。私は話しかけてくれる友達が一人もいないまま小学校を卒業しました。このときのことはずっと心に深く刺さっていて、結局私は今年、小学校時代のことも含めて自分の半生について描いた私小説を出版しました。さすがに登場人物はすべて仮名にしましたが…父が私に入れ知恵した内容自体が間違っているとは思いません。ただ、彼は身体が大きくスポーツ万能で、いるだけで周囲を圧倒できる自分が声高に言うのと、成績はいいけど身体が小さくひ弱で、動きののろい私が言うのとでは周囲からの受け止められ方が違うであろうことには思いが至らなかったのだろうなと今は思います(もちろん、「誰が言うか」によってときに差別を行う周囲に非があることは確かだと思いますが)。しかし、私はまだ幼かったですし、ASDの素直すぎるところを発揮して、当時は父の言うことを鵜呑みにして実行してしまいました。いじめに対する本人による牽制としては効果的だったかもしれませんが、私は代わりに孤独を深めていったのでした。小説の出版については、「当時から宇樹さんの文章力には、みんなが一目置いていたのだろう」「悔しさを努力に向けて本当に小説を書いたのは立派」といったコメントをいただいたこともあります。ちょっと報われたような気もしましたが、私としては、単にあのとき私を「一人で勇敢に戦う孤独」から救い出してくれる優しい誰かの手が欲しかったなと思うばかりです。いじめを懸念し中学受験、「今に成績が落ちる」と嫉妬する母私は私立の中高一貫進学校に進学することになりました。「このまま地元の公立校に進むと義子はいじめ殺されるかいじめを苦に自殺する、私立にやってくれ」と、兄が両親に頼み込んでくれたおかげです。好成績を活かして推薦で進学できた私。塾には6年生のときに1年弱通っただけでした。父は私に「うちみたいに塾代や学費をポンと出せるところはそうそうないんだぞ」と小言を言いつつうれしそうで、素直すぎた当時の私にはちょっと意味がわかりませんでしたが、いま思えば父は私の好成績と自らの高収入が誇らしかったのでしょう。進学した中学校は優秀なお嬢さまたちが集まるところでした。「小学校のときと違って努力しないといけないよ、あなたは真ん中くらいかもしれない」と言われましたが、最初の定期テストで私は学年トップクラス。母はこれを見て「最初だからよ。次には順位が落ちるはず」と笑いながら言いました。でも次にもトップクラスをとる私。それを見て「次には落ちる、きっと次には」と言い続ける母。まるで私の成績が落ちることを望んでいるかのようでした。何度もそのやりとりを繰り返して、そのうち私の成績が落ちないことを悟ったのか、今度はついに、私の成績がいいことに関して嫌味を言うようになりました。「勉強ができればそれでいいと思うな」「あなたは頭はいいかもしれないけど人間力が足りない」などといったことを言い連ねるのです。娘はライバルでトロフィー母は私に成績を落としてほしいのかと思いきや、どうもそういう単純な話でもなさそうでした。彼女は私の成績の良さに嫌味を言う一方、私が周囲から褒められたり賞をとったりするとすごく嬉しそうにするのです。ある授業参観の日、母は私に文句を言われました。「家庭科で縫ったエプロンが廊下に張り出されてないじゃない。あなたは裁縫が上手だからきっと優秀作品として張り出されてると思って、◯◯さん(ママ友)に自慢しようと楽しみにしてたのに。がっかりだわ」私は手先は器用なのですが、ともかく早く完成させたいという衝動性に負けて雑に作業を進めたため、そのときのエプロンはあまり高い評価を受けなかったのです。母は元来おっとりした人で、こういう文句もいつもどおりおっとりした口調で言います。このため、私は彼女のこうした文句が親の振る舞いとしてはおかしいことに長いこと気づきませんでした。素直に、「母を喜ばせられなくて申し訳なかったな」と反省していたのです。最近、母のこうしたところについて子どものいる知人に話したところ、「ありえない…」と絶句されて驚きました。仮に似たようなことを思っても絶対口に出さない、子どもにとって良くないから、と続けて言われ、かなりショックでした。いま振り返ると、母にとって私は自分の栄誉として使える便利なトロフィーでありつつ、自分を超えてはほしくないライバルだったのだと感じます。大人になってわかったのですが、母は「おとなしくて目立たず、華やかな1位に周囲の注目を持っていかれる」ことについてトラウマを抱えているようでした。母には歳の離れた弟(私にとって叔父)がいて、彼はやんちゃで騒がしくて怒られることも多い一方、優秀で、容姿にも人目をひきつけるような派手さがありました。どうも母は、弟に良きにつけ悪きにつけ周囲の大人の関心をかっさらう弟に複雑な感情を抱いていたようです。母は派手な顔ではないけれど美人だし、いつもだいたい2番手3番手ぐらいの成績は収めていたのに。同性ということもあり、自分の延長のように思える娘が1位だと、自分が1位になれたようで嬉しい。でも娘が1位だと、1位になれない自分が再び否定されるようで苦しい… 母はそういった心持ちの中にあったのでしょう。加害意識のない加害の危険性振り返るに、私は子ども時代は両親からの悪意のない加害や、少しポイントのズレた接し方の影響を受けていたように思います。父は父で良かれと思って私に入れ知恵をしたのだろうし、母は自分が娘に加害をしていることも、自分が娘に対して感じていたであろう葛藤のことも自覚できていませんでした。むしろ、母は自分のほうが被害者だと感じていたきらいがあります。特に子どもへの加害の場合、加害意識のない加害やマルトリートメント、また一見して加害に見えない加害のほうが悪影響が大きいように思います。また、DVの場合、加害者のほうが被害者意識でいっぱいであるケースが多いことはよく言われます。両親の側に加害の意識がない加害的行為については私自身、モヤモヤとしながらも「良かれと思ってやってくれているのだから」「これも愛情なんだろう」と必死に思い込んで過ごしていました。けれど、そのときについた傷は、上に書いたように今もしくしくと痛むのです。母がもし、私を殴りながら「お前のせいで自慢できなかったじゃないか!」などと金切り声で叫んだりしていたなら、私も早くからそれが加害だと気づくこともできたでしょう。もちろん明確な身体的虐待のほうがいいなんて言うつもりは毛頭ありませんが、分かりにくい精神的虐待には特有の跳ね返しづらさがあると感じています。逆にいえば、ついカッとなって手をあげてしまったけれどすぐに深く反省して子どもに謝り、殴ったのを子どものせいにせずに自らの責任として負う人や、「自分は子どもに加害してしまうかもしれない」と不安に思い、自分の行為や態度を常に反省するようなタイプの人は、どちらかというと子どもにとって安全な親でいられるのではないかと思います。自分が加害するかもしれないという自覚や意識があれば、何か起きてもすぐに行動や態度を変え、原因が自分の中にあると気づけばその対処へと向かうことができるでしょう。親と子どもは、親と子どもであるというだけで力の差があり、そこには常に加害や虐待のリスクがあります。それは特に個々の人が悪いとかいったことではなく、構造の問題です。かつて子どもだった者として、小さな子どものいる人には、常にそうした構造の問題について気づきを持っていてほしいなと思います。文/宇樹義子(監修:三木先生より)こうしてご自身で振り返りをされることも、癒しの一つになることがあります。ただ辛く振り返るだけではなく、「あのときこうして欲しかったんだよね」と考えることで、幼いころの自分が癒されるかもしれませんね。ただ、自分一人でそれをやるのはつらいもの。必要であれば、遠慮せず専門家の力を借りても良いでしょう。
2021年09月12日中学2年生の長男の「勉強や進路について」の悩みUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)長男がせっかく入学した学校を変えたいと言い出しました。勉強へのモチベーションが影響しているようですUpload By スガカズスガカズ(以下、――)わが家の自閉症スペクトラムとADHDのある長男の進路と勉強について相談したいです。最近まで、「ゲームプログラマーになりたい」と言っていたのですが、1ヶ月前急に、「将来定食屋を開きたいから学校を変えたい」「今やっている勉強って意味あるの?」と言い出しました。ものづくりの仕事に精通しそうな工業大学付属の中学校に進学したのに、コミュニケーション能力が重要で、マルチタスクが必要そうな接客業への希望に、正直私は困惑しています。どうやら勉強へのモチベーションも関係していそうです。中2なのでいろいろと悩みの多い時期だとはわかっていますが、本人にどうやって現状を納得してもらえるでしょうか?三木先生:中2は難しい年頃ですよね。長男くんはどんな特性があるのでしょうか?――知覚推理指標が高くパズルや工作など、一人でもくもくと一つの作業に打ち込むことが好きです。社会秩序は守れるのですが、周りの状況を理解したり自分の考えをうまく伝えることが苦手です。勉強では、文系が苦手で理数系はまだ大丈夫な方ですが、その中でも得意不得意はかなりばらつきがあります。小学校のころからそういった特性を見てきたので、本人がやりたいことを応援したいのはやまやまではあるのですが、「定食屋はこの子に合った職業ではないのでは…」と、どうしても感じてしまいます。そういう点で言うと今の学校は理数系で、文系よりも理数系のほうが得意な長男には合っているように思いますし、長男と似た性格の子も多く、友達も増えてコミュニケーションの幅が広くなったと感じます。環境としては最適だと思うので、母親としてはできる限り今の学校に通い続けてほしいと思っているのですが…。三木先生:なるほど。ただ、長男くんの特性や意向を考えたときに、「(勉強を)やりたくない」と思ったらやらないんじゃないでしょうか。――そうです。ちょうど今、否定したい時期みたいです。こういう時期は、親として静観してあげたいという気持ちがあるのですが、長男の特性を考えると「こっちより、あっちのほうがいいんじゃない?」と意見するのも親の支援だし、子どもへの理解でもあると考えています。ただ、無下に否定するのではなく、「定食屋を開きたいならまずは料理する機会を増やしてみよう」と長男に提案をして、学校のお弁当を本人がつくるようにしたり、日曜の家族の昼食は長男につくってもらったり、と料理をする経験の場はつくるようにしています。嫌がっている様子はないのですが、あまり本気ではないようにも見えます。普段、長男が本気の場合は明らかに目がキラキラしているので…。どうやら、進路に関しては「勉強への逃げ道」として利用しているようでもあるんです。本人も「勉強から逃げたい気持ちもある」と言っていました。ほかの学校(高校)に変えたからといって、定食屋のスキルが身につくかと言われると疑問があるので「まずは今の学校に通い続けて、調理の専門学校にいく(大学は内部進学しない)のがいいと思うよ」と伝えてはいるのですが…。Upload By スガカズ三木先生:勉強するしないに関しては、日本の教育就労システムが難しくしていますよね。勉強がある程度できればOKで、勉強以外はOKとしない仕組みなので。ただ、「定食屋」といった風に、内容で絞るのはそのあと仮に失敗したときに修正が難しくなると思います。本人の意向も大事にしたいところですが、そこは大人が間に入ってうまくコントロールしてあげる必要がありそうですね。子どもの進路への親子の向き合い方Upload By スガカズ三木先生:例えば定食屋になって何を実現したいのか?もくもくと作業するのが好きなら料理じゃなくてもいいのでは。そこを大人と一緒に見極めていくことが重要だと思います。方向性を見据えるために抽象度を上げた彼の願望を知って、理解したら親としてほかの選択肢も提示できると思います。一生懸命一緒に考えた結果、もし違う方向にいったとしても彼の気持ちがやわらかくなるのでは。実は私は、もともと医者がやりたい訳じゃなくて、「困っているご家庭の方々を笑顔にしたい」というのが抽象的なモチベーションなんですよ。Upload By スガカズ三木先生:今の年齢でもできる実践を積んでおいたり他者からの話を聞くのも良いと思います。例えば抽象的な願望が「もくもくと何かを作りたい」というものであれば、もくもくと作っている人と、もくもくと作っていない人に「仕事の楽しいところ、大変なところ」をインタビューしてみるのもいいかも知れませんね。――そういえば私の職場の元同僚に、システムエンジニアからサンドイッチ屋さんに転身した人がいます。エンジニアから接客業(起業)なので、開業する際に自分で店のウェブサイトを作って集客したり、顧客分析をして結果繁盛しているので、元同僚の話から得られることは多そうだと思いました。三木先生:それはいいですね! 丸腰(思いつき)で定食屋をやって繁盛する確率って低いのではないかと思うんですが、その同僚の方からは、一度社会人をやってから起業してみてよかったという意見も聞けるんじゃないでしょうか?スポーツ選手なんかは小さいころからやっていないとできない職業ですが、定食屋の経営は、人間的に成熟してからでもいい職業ですからね。まわり道をしたほうが特長や付加価値がでてきますし。長男くんが成長していく中でこの先「思ってたのと違う」という経験は出てくると思います。たくさん親子で悩んで乗り越えましょう。子どもの勉強への親子の向き合い方Upload By スガカズ三木先生:先ほども言いましたが、長男くんの特性や意向を考えたときに、「やりたくない」と思ったことはやらないと思います。それに、「これをやるとだれでも勉強するようになる!」という魔法の支援はないんですよね。――そうですね。私からできることってあまりないと思っていて…。先ほどの進路のお話にあったように、根回しして他者から言ってもらうのはどうかなと思うんですが。例えば家庭教師の先生に「とはいえ勉強も大事だよね」と言ってもらうとか…。Upload By スガカズ三木先生:本人が気を許していたり尊敬しているなど、「この人なら」と思える相手にお願いするのはいいと思います。あとは、「勉強したくないから言ってるんじゃない?」という印象も含めて、保護者は一歩下がって見ていきましょう。子どもって「親にこれを言ったら嫌がる」と分かっていることって、正直に言わないということが多いので、子どもの意見をはなから否定してしまうと、「勉強が嫌」とも言わなくなりますから。「勉強は嫌でいいけど最低限これはやってね」という「枠の提示」は必要です。枠を提示をしながら、時間をかけて本人のやる気の芽を見つけてあげましょう。――分かりました。お話を聞いていて思ったのですが、総じて親子関係を悪化させる発言は避けて、あまり干渉しすぎず普段ニコニコしているのがいいのだろうなと思いました。否定するべきか肯定するべきか悩んでいたので、「嫌なのは分かるけど、最低限これだけはやってね」と提示をしてもいいと言ってもらえたので少し安心しました。「勉強が嫌」「学校を変えたい」と言ってくる今の状況は、「多少なりとも私を信頼しているのかな?」と思うようにします。感想その後、長男とこれからの進路や勉強について話をしましたが、先生のお話にあった、「抽象度を上げた願望」を深堀りするまでには至っていません。思春期ということもあるのか、「あまり深く考えないようにしている」という様子が伺えるので、もうしばらく様子を見てみます。しかし、枠の提示をしたところ「高校行かないで、すぐ働きたい」と言いながらも理解はしてくれているようでした。「がんばって勉強する」と言っているときもあって、やはりコロコロ言っていることが変わりますが、私も長男の気持ちを受け止める努力はしていこうと思います。親の熱量と子の熱量は、近いほうがよいと思っているので、あまりしつこく話をもちかけて、「やる気の芽」をそぐ形にならないように、長い目でこれからも見守っていこうと思います。執筆/スガカズ
2021年09月10日癇癪を起こした息子をほったらかして家から飛び出しましたUpload By かなしろにゃんこ。こんにちは、かなしろです。ADHDと広汎性発達障害がある息子は、気性が荒く幼少期から癇癪持ちでした。過去に癇癪のときの息子の気持ちなどをコラムに書いたことがありますが、今回は私がしていた「息子が癇癪になったときの対策」についてお話ししたいと思います。息子がまだ3歳だったころ、遊びの中でうまくいかなかったとき息子は、頻繁にプンプン腹を立てていました。オモチャを投げたり、足を踏み鳴らしたりして、体全体で怒る息子の様子を見て「なんでこの子はこんなにイライラしているんだろう?」と不思議でしたし、怒っている子と同じ空間にいると、とってもイヤな気持ちになって子育てがつらく感じてしまっていました。ミニカーを並べて遊んでいて、思っていた場所に置けずにずれたりするとキーキー怒り出してしまう息子。そんな息子に「怒らないの、大きな声を出さないの、泣かない」などと私もついつい口を出してしまっていました。口を出すと息子はさらに泣いたり叫んだり、余計に怒ってしまいます。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。当時私は「癇癪」という言葉がどんな状態を表す言葉なのかよくわかっていませんでした。だから息子はうまくいかないとよく怒るけど、本人の経験不足から我慢が足りずに怒っているだけで、大きくなったら癇癪はなくなるものだと思っていました。しかし息子のうまくいかなかったときのイライラや爆発する怒りは、成長しても収まることはなく、「これが癇癪というものなのか!」と知りました。そんなある日、我慢の限界が来て…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。癇癪持ちは治らない!おもちゃの線路がうまくはめられない、時間内にクリアしないといけないゲームは焦ってできない……など、できなかった場合「そんなこともあるよね」と諦めることができない息子。あるとき癇癪を起こした息子がイヤで、私は息子の視界から少し離れました。すると息子は、(なぜ母はいなくなったのか?)と気になったのでしょう。怒るのをやめてポカーンとしていました。少し離れたところから息子の様子を見ると、息子のさっきの怒りは鎮まっていました。これは効果がある、息子が癇癪を起こしたら離れるといいのかも!Upload By かなしろにゃんこ。それから、息子がうまくいかなくて怒っているときに離れることができない場所では、徹底的に「見ざる聞かざる言わざる」にしてみました。(もちろん、荒れた息子が人の迷惑になったり、危ない行動をとらないように視界の端で気にしながらですが)そうすると、干渉しないことで息子の場合は早く怒りが治まることがわかりました。私が機嫌をとろうとして関わると余計に荒れてしまう。息子自身沸きあがる自分の感情をどうしたらいいのか分からずに、戦っている形が「癇癪」なのかもしれません。癇癪に同調して寄り添う姿勢ももちろん大切だと思います。ですが、今まで息子が癇癪を起したときに、私が無理に止めるような関わり方をしていたせいで、怒りが長引いていたのかもしれないな、と思いました。Upload By かなしろにゃんこ。この経験をきっかけに、癇癪は息子自身の心の問題で、もしかしたら親が必要以上に干渉しなくてもいいのかもしれない。怒りや喜びなど、本人がいろいろな感情を味わい、それが成長につながっていくのかな、と思うようになりました。癇癪のときにどうしてほしかったか、その後成長した息子本人に聞いたコラムもありますので是非読んでみてくださいね。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:三木先生より)大人のコンディションが悪いときは、寄り添っても逆効果になってしまうこともよくあります。寄り添いと見守りを大人のコンディションによって使い分けるのはとても良い方法だと思います。つまるところ、「しんどいときは無理をしない」で良いのかもしれません。
2021年09月09日生後10ヶ月から動き回っていた太郎太郎は生後10ヶ月ごろから1人で動き回っていた。とにかく元気で休む暇なく歩き回っていた。動きが激しく追いかけるのに必死な毎日。1つのおもちゃで集中して長いこと遊ぶことが少なく、おもちゃで遊んでいてもすぐに癇癪を起こしていた。周りの反応や表情を見ることも少なく、動き回っていた。私は小さい子どもと触れ合う機会もあまりなかったため、子どもとはこういうものなのかと思いながらも「大変だ」「きつい」「育て難い」と思っていた。育児に対して「体力的にきつい」とは言えるけど、わが子に対して「育て難い」と思うことさえもしてはいけないという思いがあり周りに打ち明けきれずにひた隠しにしていた。(この考えは、さらに自分を苦しめていたことに後ほど気づくことになります)Upload By まゆんUpload By まゆん保育園の運動会での出来事1歳7ヶ月のころ、保育園で開催された運動会。保護者の膝上にわが子を座らせ同時に身体を横に揺らしたり、向かい合ってぎゅーっと抱擁したりする親子の触れ合いのプログラムがあった。プログラムに参加している同学年の親子は、落ち着いて音楽と先生のアナウンス指示に合わせ楽しそうに参加していた。わが子と目を合わせニコニコしたり、抱き合ったりとお互い笑顔になっていた。Upload By まゆん私たち親子はというと…太郎は指示に合わせて、私の膝上になかなか座ろうとはしなかった。膝上に立とうとして足をパタパタさせたりしていた。何とか座らせることはできたが、落ち着きがなくずっと、もぞもぞそわそわ(しかし、めっちゃ笑顔)Upload By まゆん続けて先生が「手を握りましょ~」と言うと、周りは保護者が子どもの手を取ると、子どもはそれに誘導されるように手を握って音楽に合わせることができていた。太郎のもぞもぞそわそわはどんどんエスカレート。ニコニコしながら私の膝上に立とうとしたり跳ねようとしたり、全く手も取れなかった。私とは一切目も合わさなかった。「もう…ちょっと落ち着いてくれ…手を取ってくれ…目を見てくれ…」と落ち着きがない太郎に疲れを感じ、周りからどう思われているかな…なんて考えている私がいた。Upload By まゆん太郎は私と触れ合うことがうれしくてずっとニコニコしているのに、私は太郎の笑顔をまっすぐに受け止められていなかった…。母の直感Upload By まゆんこのころから、周りとの「違い」を少し感じ始めていた。そしてこの時期、私は看護師として病棟勤務から外来勤務へ部署異動した時期でもあった。小児科の発達相談外来にも助っ人として少し携わる機会があった。発達相談では、保育園~小学校低学年の子どもについての相談が多かった。その外来に来ていた子どもたちは、注意力が続かなかったり、静かに座っていることが難しかったりする様子が見られた。医師の呼びかけに「はい!」と返事はするものの、医師の目は見ず、違うところに意識はいっているようだった。Upload By まゆんここから私は「もしかして…」と考えるようになっていった。この時期に発達外来の医師に太郎の相談をしていましたが、1歳7ヶ月で年齢も低く評価が難しいとのことで、しばらく経過をみることになっていました。たしかに1歳や2歳の時期はみんな元気に動きまわってて、周りからはなんの問題もないように見えたと思います。しかし、日常生活をずっと一緒に過ごしている私は、ハッキリとはわからない「何か」にずっとひっかかりがありました。「何かが違う」「でもなんだ」という母親の直感というものをずっと感じていました。この活発さは子どもだからか?いや、それにしても……という風に。看護の世界でもあるのですが、「看護師の直感」というのは重要視されています。同じように、親としての直感と言うものもあるのではないかと思います。根拠は明確ではないが何かが違うという直感、その直感を無視せずに誰かに伝えたり、相談したりするということは私が経験した子育ての中では重要なポイントになっています。執筆/まゆん(監修:井上先生より)自閉スペクトラム症に関しては、近年、2歳代で診断するシステムが確立しようとしていますが、一般にはまだ十分に普及していません。2歳以下の場合は、まゆんさんのような気づきはあるものの、どこに相談をすればよいか分からなかったり、相談に行くことがためらわれたりといったことがあるかもしれません。最初から医療機関に相談することに不安や抵抗がある場合は、お子さんの特性に合わせた子育てについて、園の先生や子育て支援センターなど身近な方や機関に相談してみてはどうでしょうか。
2021年09月08日2020年(社会人3年目)の春。コロナ禍の娘コロナ禍で外出の機会が減ったことで娘は、普段からよく利用していたSNSにさらにのめり込むようになりました。このころSNS上は、ギスギスとした書き込みも増えているように感じました。影響を受けやすいところがある娘は、そんなネガティブな投稿を見ないように、自らSNSから離れる努力を何度かしていました。でも、どうしても“見てしまう”ことがやめられず、よくイライラしたり落ち込んだりしていたのです。また緊急事態宣言のステイホーム期間中、SNSで共通の趣味を通して知り合った人から、娘に頻繁に連絡が来るようになりました。娘の勤め先は勤務形態がシフト制になり出勤日数は減っていましたが、それでも頻繁なメールや出勤前日の長電話は、少しずつ娘の負担になっていきました。Upload By 荒木まち子2020年夏、娘は体調を崩し…娘は体調を崩しました。不調の原因は何だと思うか本人に訊ねると「いろいろ重なってると思うけど、一番の原因はSNS上のトラブルだと思う」とのことでした。彼女は不眠や倦怠感を訴え、趣味にも関心がなくなり無気力になりました。そして仕事中にフラッシュバックを起こし、ジョブコーチから体調が戻るまで休職することをすすめられました。過去にも娘は入社1年目のときにも体調を崩し、会社を一定期間休んだことがありました。そのとき娘は、過去にお世話になった支援者や出身校の先生、学生時代に通っていた放課後デイサーサービスなどを訪ね、いろいろな人に相談をしました。支援者の方々がカンファレンスの場を設け、チームで娘を支えてくれたこともあり、娘はそのときは何とか復活することができました。でもコロナ禍では、なかなかそうはいきません。以前のように出歩くことが難しいため家にいる時間が多く、話し相手はもっぱら私でした。予定のない日は昼まで寝ている → 夜眠れない → 朝起きられない…娘の生活のリズムは徐々に崩れていきました。症状が悪化会社を休んでいる間、娘は不調の大きな原因であるSNSを一切見ませんでした。趣味にも打ち込めない。唯一、他人とのつながりだったネットも遮断。行くところもすることもない。会社に通っていないので話し相手は母親である私だけ。時間と体力が有り余る娘の相手を一日中するのは、それはそれは大変でした。気分のアップダウンも大きく、楽しそうに話していたかと思えば、急に落ち込んだりする娘に振り回され、私は対応に手を焼きました。「会社や仕事が嫌いなわけではない。けれど体調を崩して会社を早退してしまうことが申し訳ないと感じている。かといって以前のようにフルタイムで働く自信がない」娘には嘔吐や希死念慮の症状も出始めました。長引く娘の休職に心身ともに限界を迎えてしまった私それまでは私は、“家を娘にとって居心地の良い場所にしよう”と努めていました。娘の話し相手になったり、平常を心掛けて接したり。ときには娘の気持ちが上がるように、意識して盛り上げるような発言をしたり。でも娘の休職が長引くにつれて私にも疲れが出始め、会社とのやり取りや支援者との連絡、娘の体調・経過記録をつける作業が徐々につらくなっていきました。入社1年目のときに構築された娘を支えるチーム体制があるのにも関わらず、娘が自ら支援者に相談しようとしないことにも歯がゆさを感じました。「娘は、受動型でもともと自分から行動を起こすタイプじゃない」「不調の大きな原因が仕事上のことではなくプライベートなことだったので支援者に相談しづらかったのかもしれない」「コロナ禍で以前ほど身動きが取れないから仕方ない」私はなるだけポジティブになろうと自分を鼓舞しました。でも、だんだん「どうして娘は私にしか相談しないのか」「支援者に直接会うことはできなくても電話やメールでも相談はできるはず」「家には娘以外の家族もいる。私が娘だけにつきっきりになるわけにはいかない」「学生なら“あと何年間で卒業”といった終わりがある。でも卒業後の人生はずっと続く。この状態は一体いつまで続くのか」と思うようになり気分がふさぐようになりました。そして娘が休職して1ヶ月ほどが過ぎたころから、私は何もする気が起きなくなってきました。娘の経過観察の記録も、病院のつきそいも、娘の話し相手になるもの嫌になってしまったのです。実際嫌になってやめてしまったのか、疲れ果ててできなくなってしまったのか、その辺りの記憶は曖昧です。記憶が抜けているということは、当時の私は相当まいっていたのでしょう。私は支援者の方々に「疲れて果ててしまいました」と連絡をしました。動いてくれた支援者の方々。そして…それからは、卒業校の先生と基幹相談支援センターの支援員さんが娘の対応をしてくれるようになりました。娘の卒業した高等特別支援学校は、卒業後3年間は就労定着支援を担うことになっていました。(4年目以降は地域や民間の就労定着支援事業所に移行する)娘はこの年ちょうど卒業3年目で学校の支援が受けられる最後の年度でした。3年の間に娘を知る先生の多くが別の学校に異動になっていましたが、幸いにも娘と相性が合う先生がまだ学校に勤務していました。支援者の皆さんはかつて構築したチーム体制で、娘のケアにあたってくださいました。それまで私が段取りしていた娘との面談も、私を通さず直接本人やり取りをしてくれるようになりました。しばらくすると娘自身も私の変化に気がつき始め「家が居心地悪い」と言うようになりました。そしてコロナの感染対策に注意を払いながら、支援者に相談に行くようになりました。一方で私も、支援者との面談を行い『暫定6ヶ月』という休職期間を、ただ漫然と過ごすだけではなく、娘が前向きになれるような見通しや目標を“失敗した場合のフォローも考慮しつつ”考え始めました。それが『グループホーム入居』に向けた取り組みでした。その具体的な内容はまた別の機会に書いていこうと思います。執筆/荒木まち子(監修:三木先生より)このケースで一番ポイントになっているのは、娘さんが「家が居心地が悪い」とちゃんと思えたこと、言えたこと、そして自分から解決のためのアクション(支援者に相談するために出かける)が取れたことです。自分自身で何がしんどいか分かること、それを解決するために人に頼るという選択肢が取れたことは娘さんの武器ですね。
2021年09月07日障害ではなく個性なのか。発達障害のある子どもを育てる親の思いお子さんに障害がある親御さんが、「うちの子には障害はない、個性的なだけ」と言っているのを耳にしました。このように話す背景には、わが子の発達の凸凹を障害ではなく個性と捉えて、「前向きに育てていこう」という気持ちから出ている言葉かもしれないと感じました。個性だから特別視はしない!? 園での対応知り合いが、わが子が通う保育園に「うちの子は発達障害があるかもしれないので、特別な配慮をしてほしい」とお願いしました。すると、園側から「それは個性の一つですよ。どの子も性格も違い個性があるのですからお宅のお子さんだけ特別扱いは出来ません。みんなと一緒に分け隔てなく保育をしていきますから」と言われたそうです。この場合は、「個性」という言葉が、「特別視せずに平等に見る」とか、「配慮をしない」という意味で使われています。「個性」という言葉を使うとき、その背景にある思い・考えは、人や場面によって異なっているようです。自閉症の息子を育てる、私の思い私自身は「障害か個性か」の論争にはあまり関心がありません。あえて言うならば、「障害そのもの=個性」ではなく、障害によって、むしろ自閉症や知的障害によって、息子の個性が見えづらくなっているような気がします。こんな絵を描いてみました。私は、個性の上に大きく障害が被さっているように感じています。Upload By 立石美津子もしわが子に障害がなかったら…妄想する息子に障害がなかったら、あなたはどんな性格、個性をしていたの?お母さんと普段どんな会話をしていたの?定型発達の20歳だったら、彼女くらいはできていたかな?友達と週末は出かけたりしていたのかな?こんな風に思い始めると切なくなります。けれども、息子から知的障害と自閉症を取り去ったら、息子ではなくなってしまうのでそれはそれで嫌だと思うわがままな母親です。Upload By 立石美津子障害=個性、ではないと思うから現代の医学では発達障害について、採血などの検査で明確に数値が出て、それだけで客観的に「はい、発達障害です」とわかるような生物学的マーカー(指標)はありません。そのため、どこまでが個性でどこからが障害か、の線引きが難しいのかもしませんし、育てている親にとっても分かりにくい部分です。そもそも個性は、万人に存在します。それは、障害の有無に関わりません。障害のある子どもの親に対して第三者が「障害のある子は天使よね」などと、「障害そのもの=性格」のような言い方をしているのを耳にすることがあります。私自身もそのように言われたことがあります。でも、そんな型にはまったものではないと思います。知的障害、ダウン症、自閉症…、確かにそうやって「障害名」ごとに分類したときに、ある程度共通する先天的な特性はあるでしょう、けれど一人ひとりが育つ環境の中で、優しかったり、好奇心旺盛だったり、いたずらだったり…、さまざまな性格が形成されていきます。「障害そのものがイコール個性だ」としてしまうのは、違うのではないかなと思うのです。(監修:鈴木先生より)私はいつも外来で「障害は個性ではなく“特性”と考えてください」と保護者のみなさんに話しています。個性であれば外来受診する必要性がなくなります。自閉スペクトラム症+ADHD+二次障害によってその人本来の姿が見えなくなっていると考えていいと思います。ADHDなどを治療すれば本人や家族の肩の荷が下り、自閉スペクトラム症の特性は治らなくてもそれ以外の要素を軽くすることはできるのです。自閉スペクトラム症を完全に取り去ることはできません。周りの人たちに発達障害を理解してもらい、発達障害の特性と共生していけばいいのではないでしょうか。
2021年09月05日ADHDの診断・検査Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDの診断ができるのは、専門医だけです。子どもの場合は、大学病院や総合病院の小児科・児童精神科・小児神経科や発達外来などで受けることができます。いきなり外来の予約をとるのはハードルが高いときには、保健センターや児童発達支援事業所、かかりつけの小児科などに相談するのもおすすめ。診断を希望することを伝えれば、医療機関を紹介してもらえるでしょう。診断では、子ども本人への面談や検査のほか、家族への聞き取りも行われます。ただ、通常1回の受診で確定診断に至ることはありません。それは、他の発達障害や自閉スペクトラム症との区別や、併存があるかどうかの判断が非常に難しいためです。発達障害の専門機関は他の病気に比べるとまだ少ないものの、発達障害者支援法などの施行によって年々増加しています。日本小児神経学会の「発達障害診療医師名簿」では、発達障害の診療を行える医師の一覧を確認できます。日本小児神経学会「発達障害診療医師名簿」診断を受けるタイミングや目安は?定型発達の子どもでも2~3歳ごろまではじっとしていることが難しく、集中力も長く続かないものです。乳幼児期は、ADHDの症状かどうかを見極めるのはむずかしいとされています。このため、診断を受けるのは4~5歳ぐらいからが多くなっています。4~5歳になると、多動や衝動性のほかにも言葉の遅れ、不器用などの特性が明らかになることが多く、また集団行動をするときの課題もだんだんと分かってくるからです。受診をする一つの目安は、日常生活に支障をきたすことがあるかどうか。・同じ世代の子どもと比べて、著しく不注意・多動性・衝動性に基づく行動が多い・不注意・多動性・衝動性の症状のために、友達とトラブルになりやすい・学校の授業についていけない、学力の低下が著しい例えば、こうした困りごとがあれば、一度、専門機関を受診してみるとよいでしょう。また、本人には困った様子がなくても、保護者や周囲の人が強く感じている場合も診断を受ける目安になります。診断・検査の流れは?ADHDの診断は、医師の問診がメインになります。子ども本人に自宅や学校でどのような生活を送っているのかを詳しく聞いたり、本人の様子を見たりして、症状や特性を判断します。また、保護者との面談では、これまでの生育歴・既往歴・家族歴などの聞き取りも行われます。正確な情報を得るために、保護者や担任の先生にチェックリストを記入してもらうこともあります。併せて発達検査や心理検査を行い、総合的に判断します。こうした問診は1度ではなく、何回かに分けて行われます。正確な診断のためには、時間をかけてじっくり子どもの特性や症状を見極めることが不可欠! 子どもがリラックスして医師と話せるよう、病院に行く前には「明日は先生とお話するよ」など、あらかじめ予定を伝えておくといいですね。診断に必要な準備や持ち物は?普段の行動や学校での様子なども、診断のための大切な情報です。医療機関を受診する前に、「不注意」「多動性」「衝動性」のADHDの3つの特徴がどのくらい現れているか、本人の状態を把握しておきましょう。資料として役立つこともあるので、日常生活でのようすがわかるメモを持参するのもよいでしょう。医療機関から持ってくるように、と言われるものには、たとえば次のようなものがあります。□担任に記録してもらった学校での様子のメモ、連絡帳など□保育園や幼稚園時の連絡帳□通知表□母子手帳□子どもの自筆のノート診断に必要な持ち物は受診する医療機関によっても異なります。持ち物や事前の準備については、予約時に確認しましょう。
2021年09月04日子どものころの自分が見えるときウチノコ(以下、――):息子は癇癪がすごく激しくて攻撃的で、どうにも私の心のコントロールを保つことが難しいときがあります。息子の特性も理解しているし、パニックになっているだけと頭では理解できるのですが、心がついていかないときがあって。『こんなにお母さんにしてもらってるのに、どうして我慢できないのよ!』と、まるでむっくんと同い年の子どものような幼い感情に支配されるときがあるんです。落ち着いてから、なぜ私はこの子の言動にこんなに揺さぶられるのだろうと突き詰めて考えると、子どものときの自分の傷つきが見えてくることがあって…三木先生:あ~…なるほど…Upload By ウチノコ――私は厳しい両親に子が従うという形の家庭で育ってきたので、息子を見ていると「私はこんなこと許されなかった」「こんな目線で考えてもらえなかった!」と、息子に妬み…そう嫉妬がでてきちゃうのかな。そんな子どもの自分をどう癒すかという課題を感じていて。どうしようもないとも思うのですが、どうしましょうか(苦笑)三木先生:いや~、内にある子どもの自分の存在に気がつきましたか! そこまで考えられているってことは、自力でできるとこまでたどり着いてしまった感はありますけど…。――えぇ~、でも我慢できなくて暴れたい!壁殴りたい!とかなっちゃうこともあるんです(泣)三木先生:それはね【壁を殴るかどうか】ではなくて、結局【どういう方法で発散するか】という方法論の話なんです。要は【安全に暴れる方法】を考えて解決していけばいいんですよ!――えっ!?三木先生:例えば何かを殴りたいのなら、そこになぜかサンドバッグがあればいいんです。ソファーでも、クッションでもなんでもいい。できたらお子さんには見えない場所でやれたらなおいい。見られるとモデルになってしまいますからね。殴っていいものを家の中に設置することを真剣に考えたらいいんです。子どもの自分が出てきて起こす行動を、社会的にOKなものにしていく設備や装備を整えていくんですよ。――なるほど…Upload By ウチノコ三木先生:その感情の高ぶりを、自分たちの気の持ちようだけでスッキリ解消なんてできないと思うんです。短期的、中期的には、まず行動が起きたとしても困らない状態をどうつくるか、というところに注力していくといいんじゃないかと思います。――そうか…実は先日我慢できなくて『お母さんは家出します!』って夫に子を任せて車に乗って飛び出して(笑) 一人になって落ち着いて、私何やっているんだろうって泣きながら途方に暮れたのですが…三木先生:いいじゃないですか家出! そうやっている自分を許してあげたらいいんじゃないかな? だってしょうがなくないですか?――…うん(涙)三木先生:一番大事なのは行動が起こったときに、物理的、精神的な致命的なダメージを自分にも子どもにも与えずにすむ環境整備をすることなんです。家出するなら『お母さんは今日1時間家出するけど、必ず帰ってくるからね』と冷静なときに前振り説明しておけば子どもは傷つかずに済む。それでいいんです。そういう目線で考えてみませんか?Upload By ウチノコ――そうか…そうすれば家出しても子ども側の不安感は和らぎますね。三木先生:そう!それで、ここまでは外向きの対策です。あとは自分自身に何をしてあげるのかっていうことですね。それは、自分の中に沸いてくるネガティブな感情を、嫉妬も含めて『そうだよね、そう思うよね』って自分に言ってあげられるかってことなのかな。子どもの自分に対して『本当はこうしてほしかったんだよね』って、実際に口に出しても、心の中で言ってあげてもいいんだけど。Upload By ウチノコ――うん、うん(涙)三木先生:そうすれば子どもの自分が『だって、つらかったんだよ!』とわがままを言える。それをまた『そうかそうか』と自分で聞いて、癒して治めていく。夫婦共にそういったことに理解があれば、お互い役割をもって癒し合っても良いのかもしれませんし、苦しすぎるときはカウンセリングも良いです。心の状態が良い悪いにかかわらず、周囲に言いにくいことやネガティブな感情を正直に吐き出せる場所を確保しておくのは良いですよ。特にカウンセラーさんがいらっしゃる場所がおすすめです。――ありがとうございます。本当の相談になってしまってなんだかすみません。話せてとてもよかったです。三木先生:いやいや、大切だと思います。自力で解決できることなのか、もうどうにもできないことなのか、見極める。無理なものはさっさと諦めて『ムリー!』って言って、自分を許してあげるって大事ですよ。真面目に頑張ろうとすると【~すべき】に捕らわれるんですよね。自分で自分を追い込んで、ますます子どもに適切に関われず、また自分を責めるという悪循環に陥ってしまう。心の苦しさも気づいてしまったら『全部解決するべき!』と思いがちかもしれませんが、それを抱えたまま生きていくのもあり。ごまかせるのなら、死ぬまでごまかし続けるのもありかもなって思うんです。もちろん、苦しくなってそれができなくなったら癒してってもいい。何ごとも【~べき】を手放して、柔軟に考えていけたらいいのかなって僕は思いますよ。あとがき三木先生の柔らかな思考にものすごく癒されました!私も「~べき」の呪いから解放されたいと願いつつも、無意識の「~べき」に縛られることがあります。できるときはですが、もっと肩の力を抜いて、どんな自分も肯定して息子と向き合っていけたら素敵だなと思える時間となりました。執筆/ウチノコ
2021年09月03日成長に伴い形が変わっていく”コミュニケーションの困りごと”フリーランスの児童精神科医、三木先生に息子コウを育てる上での迷いや疑問についていろいろとお聞きしました。今回は、コウの成長に伴って起きてきた”コミュニケーションに関する困りごと”について。Upload By 丸山さとこ今までは、一方的なコミュニケーションが目立ち、話が通じないと思うとムキになったり冷めてしまったりすることも多かったコウ。そんな彼も、小学校5年生になってからは「落ち着いて会話できるようになった」と言われることが増えてきました。そんな今だからこそ、コミュニケーションをとる上で浮き彫りになってきた問題や課題もあります。本人もそのことに対しては少し気にしているようで、「僕は人の意図・気持ち・空気が読めない、察せない」と言うようになりました。そんなコウに対しては、「まずは“言われていることを聞く。聞かれていることに答える。”今は、それをしていないことによるトラブルが多いように見えるよ」と伝えています。学校で教わることの多い「人の気持ちを想像しましょう」「場の状況を理解できるようにしましょう」などの話とは違ってしまいますが、「水泳に例えるなら、みんなは今クロールをしている段階。コウはまだ水に顔をつける段階だから、まわりとは違ってもそこから頑張ろう」と彼には話しています。Upload By 丸山さとこしかし、それでいいのかと迷う気持ちもあり…その部分を三木先生にお聞きしました。三木先生:「顔を水につけるところからだ」と言う考え方は正しいと思います。人とコミュニケーションを取るのには段階があって、まず最初は「相手を“人という存在”として認識する」ことが必要です。丸山(以下、――)コウは相手を“人”というより“機能”だと思っていたと思います。以前お母さんは「僕を世話する役割の人」だと思っていたということを言っていました。Upload By 丸山さとこ三木先生:「相手の存在を認識して初めて"機能"の背景に“人”がいること、そして、その存在とコミュニケーションを取る必要性を理解することができます。最近のコウくんは、"機能"の背景にある“人”の存在を認識したからこそ、コミュニケーションに行き違いがあることを自ら認識し始めたということですね。ただ、最終的にたどり着きたい「気持ちを知りましょう」と言うアプローチができるようになるためには、段階があります。まず何が必要かというと、“相手が言ったことを字面通りに受け止めて、きちっとした場所に打ち返す”ということです。それができていない段階で、「気持ちを知りましょう」と言っても、相手の気持ちを理解しないまま、本人が勝手に相手の気持ちを想像して考えた主観的な返しになってしまうので。Upload By 丸山さとこ―――その通りだと思います。1年生のときは友達にも突っ込まれるくらい何でも文字通りに受け止めるコウでしたが、その後周囲が成長して、文字通りではなく言葉の後ろに意味が込められているような会話や、会話の中であえて言ったり言わなかったりするような会話をするようになると、コウもそれを中途半端に取り込み始めました。周りと同じように「自分のする会話から、相手に意図を汲み取ってもらう」ことを試みようとしてもうまくいかずに「嘘つき」と言われたり、事実を述べていても人の心を引きつけられなかったりと上手くいかずに「何で自分だけ!」となっていました。先生がおっしゃったようなコミュニケーションの段階を数年かけてやってきた感じです。三木先生:なるほど。”見聞きしたパーツを、そのまま取り込めてしまったがゆえに起きた”トラブルですね。学校生活の中でみんなが学んでいる「気持ちを知りましょう」を今のコウがそのまま取り入れるとチグハグなことになってしまいますが、その「気持ちを知りましょう」自体は間違ったことではありません。コウが学校で覚えた誤学習の中には”覚えた内容そのものは間違っていない”ものも多くあります。それらのように学校でどうしても覚えてしまう「望ましくない学習」に対してどうしたらいいのか、三木先生に伺いました。Upload By 丸山さとこ三木先生:最初に学習内容の基本をカチっと入れちゃってもいいと思います。あとはニュアンス調整でやっていければ。いわゆる「ちゃんと教えてくれる人」を求めていくとカウンセラーとかに頼るしかなくなってくると思うのですが、本来思春期の子は、そういう人から学ぶことは少ないですよね。例えば友達とか先輩とか、顧問とか。支援も探しつつ、本人の生活上のコミュニティーや人とのネットワークとかをどうやって充実させていくかみたいなところに重点を置いてもいいと思います。――そのつながりをコウが自力で作るのは難しいかもしれません。三木先生:コミュニティーやネットワークの利点を本人に一回説明してみるっていうのも手ですけどね。そのほうが自分自身の人生が楽になるから、自分から積極的に働きかけてみるのはどうかな?って。そして、その途中でたぶんトラブルがあるから、そうなったら親でも先生でもまぁ誰でもいいですけど、本人がそのことを相談できるようにして『今回のコミュニケーションのどこに問題があったか』っていうのを都度フィードバックしていくと、コミュニケーションスキルのアップにもなるし、ネットワークの充実にもなるので。そういうものを自力で獲得する経験を積めるといいですよね。”自分で学習していき、発展していく力”を獲得すること三木先生のお話にたびたび出てくる「自分で学習していき、発展していく力」のことを、私も大切な要素だと思っています。今だけではなく、人生これから先もそれがあれば、時間はかかっても大体の物事は解決していくだろうと考えているからです。その力をこれから得ていけるといいなと望む一方で、道はなかなか険しそうだなとも思っています。「なぜだろう?どうしたらいいんだろう?」と考える練習中のコウが、今後「自分で学習していき、発展していく力」を獲得していけるようになるために、家庭で行える接し方にはどういうものがあるのでしょうか。Upload By 丸山さとこ―――コウはコップに汲んだ水をこぼしたときに「普通に歩いていただけなのに水がこぼれた!」という発想になりがちです。で、詳しく聞いてみると「水がいっぱいだったから」と言います。今は、そんな彼に『そこまでわかるようになったんだね。なら、もう一歩考えると水をこぼさず運べるようになるんじゃないかな?』と伝えているところです。三木先生:今の話だと、二言三言「振り返るきっかけ」を与えてあげれば、回りそうな感じはありますね。―――「どうしてこぼれたの?」と聞かれれば「いっぱいだったから」と答えますし、「どうしたらこぼれなかったと思う?」に対しては「少し減らせばよかった」と考えることはできています。以前だったらこのような会話が成り立たなかったと思うので、今の段階でも成長は感じますが、今後もこのような感じで続けていっていいでしょうか?三木先生:とりあえずそうですね。もうちょっと進んでいけば、最初の問いを立てるところからやっていけばいいかもしれないですね。Upload By 丸山さとこ―――その「問いを立てる」ということが鍵だな…と思います。毎年読書感想文を書くときには、コウの書いた感想に私が「問い」を投げかけて、それにコウが答えたものを最後にまとめていくという方法をとっています。それも最初は『問いに答えること』まですべて二人三脚だったのですが、今では私の「問い」にコウ自身が答えることができるようになりました。その次の段階として、先生のおっしゃる「自分で問いを立てる」ということがあるのだなと感じます。「問いを立てる」ということの掘り下げや、「問いを立てる」ための練習になればと思い、作文や文章作成系のドリルを解くようにしているのですが、何かほかに彼の助けになるようなものはありますか?「理解していないが作業はできる」と「本質が分かって作業ができる」の両輪を回すことが大切三木先生:「人のフリを見て」じゃないけど、自分のことを俯瞰で見るのは結構難しいです。だけど、人のことを俯瞰的に見るのは比較的簡単なので、そういった構造の理解を先に進めておくってところですかね。―――では、ある意味でドリルも「構造を理解するのに役立つ」というところでしょうか?三木先生:あぁ、そうですね。あとは、“作業として手順を覚えたのでできるようになった”みたいな要素もありますよね。そこは(理解を進めるのと共に)平行してやっておいたほうがいいですね。「本質が分かっていないけど作業はできる」ということと「本質を理解しながら作業ができる」ってことって全く別のことではなくて、何か分からないけどやっていった中で「あ、つまりこういうことね」という本質に気がつく…みたいなことがあると思うので。Upload By 丸山さとこ三木先生:「分かんないからやらなくていいや」とすると、本質への理解が育っていかない。それだけではダメなんですけど、作業自体ができていないと本質にも気づきにくくなってしまうので。作業としてできることを先に進めておくっていうのは、成功体験的にもアリかなと。それを理解ができないからと、やらせないのは本人にとっても「苦手」や「嫌い」につながってしまう可能性もあります。今回三木先生のお話を伺って、“自分で学習していき、発展していく力”を獲得することについての理解が深まったと思います。「問いを立てる力」によって物事を振り返ったり考えたりしつつ、「本質が分かっていないけど作業はできる」と「本質が分かって作業ができる」の両方を並行して進めていくことで体験から学んでいくことができるのだということが分かりました。執筆/丸山さとこ
2021年09月02日90%以上の保護者さまが不安を抱える進路選び。一人ひとりのお子さまが自分に合う学校と出会い、前向きな選択ができるようイベントを開催。「一人ひとりに合った進路選び応援セミナー」は、発達ナビユーザーの皆さまにいただいたお声から立ち上がった企画です。以前発達ナビで行ったアンケートで、90%を超える発達ナビユーザーが進路選びについて悩みや疑問を抱えていらっしゃることが明らかに。少しでもこの不安に寄り添う取り組みをしたいと思い、今回のイベントを開催することにしました。Upload By 発達ナビ編集部さらに、中3生保護者さまが検討されている高校は、半数以上が通信制高校やサポート校という結果に。Upload By 発達ナビ編集部合わせて、以下のようなお悩みや疑問もいただきました。「通信制高校は、わが子に向いている選択なのだろうか」「高校卒業後にはどのような将来が考えられるのだろう」「不登校で学習に遅れがあり、内申点も取ることが難しいが、どんな進路の選択肢があるのだろう」「発達障害や不登校の子の進学事例をもっと気軽に知りたい」特にお子さまが不登校の保護者さまからは、よりお悩みが深いご様子が伝わってきました。そこで「一人ひとりに合った進路選び応援セミナー」では、通信制高校・サポート校による学校紹介と、不登校に悩まれるお子さま・保護者さまをサポートする教材・サービス紹介の2部構成でお送りします!専門家に進路選びや不登校支援について質問ができるトークライブや、通信制高校の仕組みについて解説する時間も!コロナ禍で、実際に学校を訪れることもなかなか難しいご時世。ぜひオンラインで気軽に情報が得られる機会として、ご活用ください。Upload By 発達ナビ編集部■日時:9/25(土)10:00~17:00後日アーカイブ配信あり。■参加費:無料■形式:YoutubeLive配信■参加方法:事前申込必須■内容:専門家講演、通信制高校/サポート校による学校説明会、学習教材・サービス紹介など■対象:小学校高学年~中学生のお子さまの保護者さま向けイベントですが、ご興味のある方はどなたでも参加できます。※予定のため、今後変更となる場合もございます。それでは、情報盛りだくさんなコンテンツをご紹介!どこか一つだけのセミナーのご参加も可能ですので、気になったセミナーがあったらぜひお気軽に参加登録してくださいね。登録された方全員に、当日の視聴用URLと後日アーカイブ配信の視聴用URLをお送りします。Upload By 発達ナビ編集部専門家特別講演:不登校の子・発達が気になる子の進路選びQ&A専門家による特別講演は、皆さまからのリアルなご質問にお答えするトークライブ!鳥取大学大学院教授・臨床心理士の井上先生と、元N高等学校副校長で現場経験豊富な上木原が、皆さまの不安や疑問にお答えします!通信制高校についてはもちろん、その他の選択肢についても触れながら、お子さまの進路を考えるヒントをお届けします。・進路選びにおける親子のコミュニケーションのコツ・情報収集の際に見ておくと良いポイント・高校卒業後の進路の選択肢など、保護者の皆さまからのご質問をもとにお話しいただく予定です。「うちの子に向いているのはどんな高校だろう」「子ども自身が行きたいと思える高校と出会うために、何ができるだろう」そんなお悩みを抱える保護者の方へ、考え方のヒントをお届けします。親子ともに納得のいく高校選びをするために、専門家の話が聞けるこの機会をぜひご活用ください。ただいま事前質問を受け付けておりますので、ご質問がある方は、参加登録の際にフォームにご記入ください!(時間の都合上、すべてのご質問を取り上げることは難しい場合もございます)Upload By 発達ナビ編集部井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 / 公認心理師 / 臨床心理士/専門行動療法士 / 自閉症支援士エキスパート / LITALICO研究所 客員研究員応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のための様々なプログラムを開発している。Upload By 発達ナビ編集部上木原孝伸LITALICOライフ事業部事業企画・開発責任者大手教育企業で講師としてのべ3,000名を超える生徒の指導に携わった後、学校法人角川ドワンゴ学園にてN高等学校の開校準備から参画。同校の副校長を4年間務めた。未来の教育についての情報を広め、一人ひとりの子どもと適した環境へのスムーズなマッチングを行うことを目指し、現職へ。日々保護者の方と向き合い、お子さまの個性に合った教育や進路に関するご提案を行っている。未来を描く通信制高校合同説明会:各高校の特徴や魅力をご紹介「一人ひとりに合った進路選び応援セミナー」第1部は、通信制高校・サポート校の皆さまにご登場いただき、学校説明会を開催します。一口に「通信制高校・サポート校」といっても、特色は各校さまざま。それぞれの学校ならではの特徴や魅力を聞いて、ぜひお子さまの特性や興味関心と合いそうな学校がないか探すきっかけにしていただければと思います。それでは、今回ご参加いただく学校の皆さまをご紹介いたします。Upload By 発達ナビ編集部ルネサンス高等学校グループは開校から16年目、ICT教育をいち早く導入したオンラインハイスクールです。全国にルネサンス高校(茨城)・ルネサンス豊田高校(愛知)・ルネサンス大阪高校(大阪)の3校があり、国内外どこからでも入学可能です。基本となる登校日数が年4日の通信Webコースは先生のサポート体制に定評があり、進捗管理システムを使い効率的に支援・声かけを行っています。また、各地のキャンパスで開講する通学コースの利用も可能です。なかでも話題のeスポーツコースはルネ高を代表する人気コースとなっています。Wスクールコースでは外部スクールを活用して早期に専門分野の習得を可能としています。Upload By 発達ナビ編集部説明会では、通信Webコースでのサポート体制は?人気のeスポーツコースは具体的にどんなことをしているの?放課後等デイサービスとの連携ってどういうこと?など、ルネサンス高校の持つサービス内容を知っていただくことで、失敗しない高校選びのお役に立ちたいと思っています!ブロードメディア株式会社 ルネサンス高等学校グループUpload By 発達ナビ編集部「自分のペースで勉強したい」「確実に高校を卒業したい」「できれば大学に行きたい」山手中央高等学院なら、それが可能です。なぜなら当学院は【自分で学び方が選べる、新しい通信制】だから。キャンパスに通う『通学型』のほか、先生が自宅に来てくれる『訪問型』、パソコンやタブレットで学ぶ『オンライン型』から、自分に合った学び方を選べます。どの学び方でも、授業は先生とのマンツーマン。集団型授業では不可能な《自分に合わせた授業》をしてくれるので、確実な高校卒業も、大学進学も目指せます。1対1の学びだからこそできる手厚いサポートで、生徒さまにとことん寄り添い、共に未来を切り拓きます。Upload By 発達ナビ編集部「通信制って本当に大丈夫?」「どんな学び方が合ってるんだろう?」「マンツーマン授業ってどんな感じ?」「本当に大学に行けるの?」説明会ではそんな疑問を掘り下げながら、当学院の授業やサポートを詳しくご説明いたします!山手中央高等学院がご提案する【新しい学びのカタチ】を、ぜひ一度ご覧ください!株式会社アルファコーポレーション 山手中央高等学院Upload By 発達ナビ編集部みんなと同じに飽き⾜りない、自由と自立を求める君に、45年の歴史ある名⾨塾が本気で創ったオンライン⾼校。少⼈数の対話型教室で深める教養探究と実学…驚きと感動の「ワオ︕」な学びを楽しむ未来学園。従来の「学校・教室・一律の集団授業」では難しかった「自分の好きな分野を早く、深く学びたい」を実現するために通信制オンライン高校として設立しました。新しい時代を生き抜くためにワオ高校では「教養探究」を必修科目として設定しています。自分で調べ、自分で考え、みんなで「答え」を作り出していくことで実社会で求められるスキルを養います。また、大学進学や起業、海外留学、データサイエンスなどの各種オプションプログラムを設置しています。Upload By 発達ナビ編集部今回は、2つの企画をご用意しています。1つは、国数英理社の学び直しへの不安とは関係なく、優等生も吹きこぼれも落ちこぼれも皆が熱中できる、ワオ高校ならではの実学と教養を一気に体験していただく授業体験。これが高校の授業?!と驚かれることもあるかもしれません。当日はお子さまも保護者の方も学ぶ楽しさを実際に体験していただきながら、ワオ高校が考える未来型の学びをご紹介させていただきます。2つめは、「個別最適化」をキーワードに、お子さま一人ひとりに合わせた進路選択の考え方を、国家資格キャリアコンサルタントと共にお伝えしていく企画です。未来の社会情勢を踏まえ、いわゆる「繊細さん」や「ギフテッド」など多様な個性が自己肯定感を高めて活躍していくための方法をご提案します。学校法人ワオ未来学園 ワオ高等学校Upload By 発達ナビ編集部全国にキャンパスを持つ通信制高校「クラーク記念国際高等学校」について知れるセミナーをお届けします。内容に関する詳細は決定し次第掲載いたします!楽しみにお待ちください。学校法人創志学園クラーク記念国際高等学校今を支える個別のまなびセミナー:学習支援や心のケアについて情報をお届け「一人ひとりに合った進路選び応援セミナー」第2部は、不登校や、学校への行きづらさを感じているお子さまの保護者さまに向けて、ホームスクーリングに適した学習教材や、日中の居場所となるフリースクール、発達障害や不登校の子の指導に特化した学習塾など、お子さま・保護者さまの今を支えるための情報をご紹介します。実際のお子さまの事例をもとに、不登校のお子さまへの接し方や導き方をお話する予定です。早速、第2部に登場する学校・企業の皆さまをご紹介いたします。Upload By 発達ナビ編集部学習教材「すらら」の学習者数が2020年12月末時点で約33万人となりました。お子さん一人ひとりに合った学習が求められる時代、「無学年方式」はこれからの教材トレンドです。全国学習塾1,016校、学校1,026校が採用し「勉強のプロが認める教材」としてブランド先行しておりますが、それに迫る勢いで家庭学習サービスとしてのご利用者も年々、増えてきております。家庭学習の利用者の半数以上が不登校、発達障害、2020年も多くのお子さまを導くことができました。2021年も是非、注目いただけたら嬉しく思います。Upload By 発達ナビ編集部本セミナーでは、保護者さまから絶大な支持を得ている「すららコーチ」の先生をお招きし、不登校からの高校進学事例も交えながら「すらら」が選ばれる理由をご紹介します。さらに、当日イベント内でご案内するアンケートに回答された方には漏れなく500円分のギフト券をプレゼント!株式会社すららネットUpload By 発達ナビ編集部キズキ共育塾は、発達障害・不登校・中退などの方のための学習塾です。1対1の完全個別指導で、小学生内容から難関大学受験レベルまで対応。過去10年間で、3000人の卒業生が「次の一歩」に進んで行きました。担当講師は、お子さん一人ひとりの特性・学力・目標などに最適な人を設定。授業内容は、ご希望や特性などに応じて、「ゼロからの学び直し」「志望校対策」「苦手分野対策」「勉強習慣の確立」「学習計画のサポート」などさまざまに対応。授業や勉強の方法自体も、特性に合わせてカスタマイズします。授業では、進路・悩みの相談やメンタルケアもできます。勉強に不慣れな方は、趣味の話や雑談も行い、リラックスして勉強ができるよう寄り添います。Upload By 発達ナビ編集部セミナーでは、これまで数多くの発達障害・不登校経験のあるお子さまと向き合ってきた経験をもとに、・不登校や発達特性をお持ちのお子さんの進路の選び方や時期別の動き方・実際の生徒さんの進路事例・特性に合わせた学習対策やメンタルサポートのケーススタディなどをご紹介いたします。進路選択の時期が迫っている方も、まだ先だけど早めに情報収集しておきたいという方も、ぜひご参加ください。株式会社キズキキズキ共育塾Upload By 発達ナビ編集部「未来のジブンが好きになれる高校」明蓬館高等学校に、中等部が誕生しました。学び辛さや生き辛さのある生徒のためのSNEC(Special・Needs・Education・Center / スネック)とCONEC(Coder’s NeuroHACK Center / コネック)には、支援員やスクールカウンセラーが常駐して「支援と伴走」の下、生徒たちは興味関心を大いに伸長させながら社会進出に向けて輝いています。そんな明蓬館高等学校が作る中等部では、一人一人が自分のペースでICTを活用しながら、学びの中で自己肯定感を高めています。上級生と一緒に高校卒業や、その先の進路に向けて学習をしたり、特別講座にチャレンジしています。「安心して安全な環境で挑戦できる」を毎日実践するのが明蓬館高等学校の中等部です。Upload By 発達ナビ編集部セミナーでは、実際の学校での活動の様子や生徒の声などをご紹介します。また、ロボットプログラミングやプログラミング言語の学習を通じて、自分の「好き」を見つけられるような中等部CONECコースについてもご案内いたします。スペシャルニーズを持つお子さまに学習支援と心理支援を届ける明蓬館の取組みを、ぜひ知っていただければ幸いです。明蓬館高等学校Upload By 発達ナビ編集部不登校や引きこもりがちなお子さまがいるご家庭向けの勉強会です。復学や居場所など、学校に行かない選択をした子へのサポートや、中学以降の進路の選択肢について解説します。1.不登校支援の選択肢フリースクールや訪問教室など、不登校のお子さまへの支援の選択肢や選ぶ際のポイントを解説します。2.中学以降の進路の選択肢義務教育以降の高校進学の選択肢として、通信制・サポート校や高等専修学校、チャレンジスクールなど、不登校に理解のある進路を幅広く知ることができます。3.教育にまつわる準備教育資金やお子さまの自立後に必要になってくる費用など、現実的な準備についても解説します。Upload By 発達ナビ編集部専門学校/高校での指導経験を持ち、発達障害のお子さんも多く通うプログラミング教室「LITALICOワンダー」でも活躍中の講師が、プログラミング学習の方法や効果について、発達障害のお子さんの成長事例を交えてご紹介します。実際に授業で用いるツールを使った授業のデモもお見せします。プログラミングってなんだか難しそうだけど、どんなものなの?プログラミングでどんな力が育まれるの?発達障害のお子さんでもプログラミングに挑戦できるの?という方におすすめのセミナーです。プログラミングを活かした進学実績などもご紹介します。イベントの全体をもっと詳しく知りたい!という方は、特設サイトもご覧ください!さらに、今後も随時メールマガジンやSNSを通して最新情報をお伝えしていきます。こちらもお楽しみに!たくさんの方のご参加を、心よりお待ちしております。
2021年09月01日10代の自殺をストップしたい!不登校新聞発「緊急アピール」LITALICO発達ナビ牟田暁子編集長(以下――)今回の「緊急アピール」では、10代の自殺を止めるためにできることを発表していますが、宣言した背景について、サイトにも書かれていることから、もう一歩詳しく教えてもらえますか?■緊急アピール◎「学校へ行きたくない」という訴えは命に関わるSOSです。◎命を守るために「行きたくない」という訴えを見逃さないでください。◎より多くの命を守るため『TALKの原則』に沿った対応をお願いします。NPO法人全国不登校新聞社石井志昂さん(以下、石井):昨年、10代の自殺者数は1980年代の統計調査開始以来、最多の数字を記録しました。なぜ増えたのかと言うと、これはあきらかに新型コロナの影響です。ウイルスに感染したことや、家庭の経済的困窮ではなく、コロナが子どもの心に直接影響していることは、文部科学省の有識者会議でも指摘されています。Upload By 発達ナビ編集部――グラフを見ると、2020年の数字は2019年より若干下がっているくらいでほぼ横ばい、そして今年ぐっと上がっていますね。石井:そうです。「小中高生の自殺者数・上半期の推移」の暫定数字が今年は234と、昨年・一昨年を大きく上回っていて、さらなる過去最多を記録更新するかもしれない、という勢いです。夏休み明けを含んでいない数字なのに、です。これは記者会見を開いて訴えなければと強く感じました。もうひとつ、月別のグラフも見てください。Upload By 発達ナビ編集部注目してほしいのは、2020年は6月の数字が上がっていること。これは1回目のコロナ休校明けの月です。そして、8月にもう一度ピークがきていますが、夏休みを短縮していた学校が多かったので、例年9月にあったピークが8月にきています。このように、長い休み明けと子どもの自殺はリンクしています。休み明けに自殺者数のピークがきてしまう。かつてない危機が子どもに襲い掛かっているということなのです。「TALKの原則」が、広く知られるようになってほしいUpload By 発達ナビ編集部石井:今、10代の前半を含めてということは小学校4年生から、若者の死因のトップは自殺です。病気よりも事故よりも多いのです。どこの子どもでも起こりうることだから、自殺予防を家庭の中で取り組むことが特別なことではないと思ってほしいです。――家庭でできる自殺予防、それが「TALK」の原則ですね。石井:はい。精神医療の現場では広く知られている原則です。とるべき行動の4つの頭文字をとっています。( 文部科学省『教師が知っておきたい「子どもの自殺予防」』より抜粋)Tell言葉に出して心配していることを伝えるAsk「死にたい」という気持ちについて、率直に尋ねるListen絶望的な気持ちを傾聴するKeep safe安全を確保するいじめがあると思ったら、安全の確保を最優先して、学校に行かせないでほしいと思います。この子のことは目を離せないと思ったら、目を離さない体制をつくる。仕事で忙しいかもしれないけれど、子どもの安全を優先して確保してほしいということです。――「Ask」に関してですが、死にたいとまで思い詰めている子どもには、聞くことがかえってトリガーになってしまうのではないかという心配もあるのですが…。石井:気持ちはわかります。でも、真摯な態度で聞けば、これは有効だと言われています。「死にたい」と言った人に、本人の気持ちを楽にさせようとして「死にたいなんて大げさに考えないで」と言ってしまうと、死にたいくらい苦しい人は、気持ちを軽く扱われたと思ってしまいます。「死ぬなんて考えるな」と言われると、「死なないでほしい」という思いは届かず、「死にたいほどつらい気持ちを否定された」と受け取ってしまうのです。――死を肯定しているのではなく、「死にたいくらいつらい」という部分に共感するのですね。石井:そうです。そのくらい、「つらい思いをしていたんだ」というところを汲んでほしいんです。――大人はつい、子どもに対して正しいことを言わなくちゃと思ってしまいがちなんですが。石井:もし、「死んで楽になりたい」といわれれば「死んでも楽にはならないよ」と言いたくなってしまうかもしれないですね。でもそれは逆効果。まずは「死にたいほどつらい」と言う気持ちに共感してほしいです。自殺をストップするための「TALKの原則」は、医療現場で言われている大原則。一般の人に浸透するには時間がかかるかもしれないけれど、社会通念を変えるためにも、拡げていきたいと思います。自殺予防のために、家庭の中で実際にできる具体的な行動は?Upload By 発達ナビ編集部――今、子どもの自殺は病気や事故による死よりも多いという現状はわかりました。家庭の中で気づいてあげる方法は?石井:子どもは、「学校に行きたくない」と言葉で表現するまえに、SOSが体から出るんです。その代表的な5つが、「体調不良」「食欲不振」「情緒不安定」「宿題が手につかない」「不眠」です。このうち、親が気づきづらいのが「不眠」。親も寝ているから、子どもが起きているか寝ているかわからず、子どもが朝なかなか起きられないという結果だけを知ることになります。そこで、「夜、何してたの?」と聞けば、子どもはスマホ、ゲームと答える。だけど本当は、子どもとしては学校で起こった苦しいことを思い出して眠れず、いやなことを考えないためにスマホやゲームに逃げているということもあるのです。だからここで、「スマホやゲームなんかしているから」という方向で叱るのではなく、「不安があるから眠れないのかな?」ということを考えてほしいです。そして、この5つのSOSに複数当てはまるようだったら、心のケアをしてあげてほしいです。――心のケアはどのようにしたらいいんでしょう?石井:まずは、「様子を見ていて不安なんだけど、何かある?」と率直に聞いてみてください。それと同時に、しばらくは甘やかしてあげてください。好きなようにさせて、休ませる、風邪をひいたときと同じ対応です。そうすると、そのうちに子どもは少し元気が出てきます。苦しいことは言うことすらつらいので、言う元気をためるために休ませることが必要なのです。話してくれて原因が見えたら、例えば学校に原因があるなら少し休むなど、対応を考えていけばいいでしょう。――なるほど。こういうことって、親以外にも言える人がいるといいのかもしれませんね。石井:それが一番いいですよね。思春期は特に、親にだけは言えないということもあるから。私もそうでした。私の場合は、フリースクールのスタッフにたくさん話を聞いてもらいました。ぜひ試してほしいのは、カウンセリングです。スクールカウンセラー、メンタルクリニックのカウンセラー、WEBカウンセリング協会などを利用している人もいます。不登校経験者のカウンセラーもいます。ただ、相性があるものなので、一度話してみて話したくない人には話さなくていい、ということも伝えておきたいところです。まず子どもに自分の気持ちを存分に話してもらう。そのとき、聞き流していてもOK――話を聞くときに、親の側の対応の仕方やどんな言葉をかけるのがいいか教えていただけますか?石井:どういう言葉をかけるか、という前に、まずは話をひたすら聞いてあげてほしいです。ある女の子は、複雑な家庭環境で、学校ではいじめを受けて不登校になって、大変な状況でフリースクールにたどり着きました。フリースクールでは、スタッフを相手にずっと自分の話をしていました。私もそのころ、そのフリースクールにいたので、私のほうが「それもう聞いたよ!」って言いたくなるくらい。それでもスタッフはじっと、ずっと聞いていました。この「聞いてくれる」というのが大事。その子は、「たくさん自分の気持ちを聞いてもらって、はじめて自分を救おうと思えた」と言いました。苦しいときにどんなに「こうしたほうがいい」という提案をされても、自分を救うような行動ってとれないものです。苦しい気持ちを誰かに聞いてもらってようやく、自分で自分のことをなんとかしようと思えるようになるのです。――傾聴、大事ですね。石井:そうですね。傾聴は大切なんですが、そこで親御さんに知っておいてほしいのは、日常の中で子どもの話を聞くときは、「ふり」でもいいということ。子どもの話は、気持ちがまとまっていないから長くて、同じ話を繰り返します。話していることの背景まで考えて、じっくり聞くのが理想ですが、日常生活の中ではいつもそこまではできないでしょう。話7割から半分くらい聞いていればいいです。「そうか、そうだね」「うんうん」と言って「聞いている感じ」が出ていれば大丈夫です。ふだんから、そうして話しやすい状況をつくっておくことが大事です。だからといって、子どもが話す相手が人形ではダメなんですよね。やはり生身の人間に聞いてもらわないと。相談できることが大事、そのきっかけづくりは?Upload By 発達ナビ編集部――石井さんの新刊著書『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』にも、「子どもは雑談したがっている」とありますが、雑談できる関係性がないと「TALKの原則」の1番「Tell」もできないですね。何を言っても諭されない、雑談ができる関係性、大事ですね。石井:このまえ、いいなと思ったのは、ラジオ番組「田村淳のNewsCLUB」に出演したときに、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが話してくれたエピソード。もうすぐ5才の娘さんがパパと相談するときは階段の10段目で、横に並んで話すことにしている、と。相談したいときは、「ちょっと階段いい?」と言うそうです。娘さんの相談は「ごはんを食べていると机の下にもぐりこみたくなる」ということで、淳さんは「そうだね、でもごはん食べてからね」と答えた、というかわいい話もあります。この「階段いい?」というシステムは、いくつもの心理学的にいいことが詰まっている例なんですよね。相談する場所を決めることで相談しやすくする、「相談」ではなく「ちょっと階段」という言葉でやわらげること、それから、横並びで話すこと。いくつも心理学では◎とされていることです。「勉強しなさい」って言わなくなったら、親子の関係性がよくなった!Upload By 発達ナビ編集部――言われてみれば、私も子どもと雑談するとき、横並びですね。新型コロナの時期に入って、息子とはよくしゃべるようになったんですよ。石井:高3の息子さんがお母さんとしゃべる、というところがすごい!――中学時代はあまり口もきかなかったんです。それが、私のリモートワークが増えたので、私が働く姿を息子が見るようになったんです。「意外と母さんちゃんと働いているんだね」と思っているみたい。それと同時に、息子が帰宅したときに母親がいてホッとするということもあるのかな。友達との外出もままならなくなって、ほかに話相手がいないからということもあるかもしれないけれど(笑)石井:すごくいい関係じゃないですか。――あと、「勉強したの?」って、私が言わなくなったんですよね。息子の中学受験のときは100%私の力を注いで息子を見ていたんですけど、私も自分の趣味ややりたいことを楽しむようになったんです。それから、休校になってテストが9ヶ月間もなくなってしまって、「勉強しろ」と言うタイミングを失ってしまった(笑)結果、親子の関係性もよくなったし、自主的に勉強するようになったんですよね。石井:自主的にというのは大事。勉強、勉強って追い込まれるストレスがなくなって、やる気が出たのかもしれませんね。――勉強って言う代わりに、私の趣味のコーヒーを淹れてあげるようになったんですよ。息子も「お母さん、コーヒー淹れて」と言って、コーヒーを飲んだらまた勉強する、という感じになっています。石井:会話になってますもんね、「コーヒー淹れて」って。「勉強したの?」って質問形だけど注意されていてコミュニケーションになっていないんですよね、実は。ところで、もしかして息子さんは勉強をさかのぼってやってみたりしましたか?――いえ、息子の場合はしていないと思います。勉強をさかのぼると、やる気が出るんですか?石井:そうなんです。コロナ休校で途中から勉強がわからなくなってしまったときに、今の学年の単元をやろうとするとできなくてますます焦るという状態になった子も多いはずなんです。そういうとき、自分で理解できる1~2学年前の単元までさかのぼってやってみる。すると「これならわかる」「これもできた」という小さな成功体験を積むことができて、やる気につながるんですね。「2年生の2学期なのに、やっていることは1年生の春の単元をやる」という状況は、一見、勉強が遅れているように見えます。でも、学年はとっぱらって見たほうが実はいい。どこがどうわからないのかが問題なわけですから。みんなのペースに合わせることって、学力向上には効率が悪いんですよね。徹底的に個別最適化することで、実は勉強はできるようになっていくはずだと思います。「子どもを信頼する」がキーワード――この本を読んでいて思ったのは、信頼というか、「この子は大丈夫」と信じることが大事なんだなということでした。私も息子のことを必死で見ていたときって、見ていないとダメになっちゃうんじゃないかと、信頼しきれていなかったんだなと思います。石井:「信頼」は一大テーマですね。今回の本では、教育学者の汐見稔幸(しおみ・としゆき)さんと、角川ドワンゴ学園理事の川上量生(かわかみ・のぶお)さん、ぜんぜん方向性が違う方々との対談を2つ収録していますが、双方から「信頼」という言葉が出ました。汐見さんのような教育学者が「子どもを信頼して」というメッセージを出すのはわかるんです。さらに川上さんも「子どもを信頼して、学習カリキュラムを進めるペースを任せる」と言ったことに、ちょっとした驚きがありました。この学習カリキュラムの決め方が、子どもからのニーズを集めたそうなんです。現実的なニーズとして子どもを「信頼」することの大切さがあらわれていたということなんですね。――私も実感として、子どもを信頼してまかせるようになったら、子どもが自分で勝手に勉強するようになったんですよね。石井:たしかに典型的ですよね、「勉強したの?」っていえば勉強しないし、「コーヒー淹れようか?」って言ったら勉強するようになった、っていう。――私が関わらなくなったら、息子は変わった。こちらが距離を置いたときに、信頼されたんだと子どもも感じたんでしょうね。石井:親から期待されることは誇らしいことだけど、子どもにとってはそのまなざしが苦しかったり、重圧になったりすることもある。そうではなくて、もっと風通しよく、雑談しながら親子で気持ちを交わしていけるといいんでしょうね。まとめ石井さんの著書『「学校に行きたくない」と子どもがいったときに親ができること』は、不登校の子どもに限らず、親子関係がスムーズになり、子どもがのびのび育つために必要なことがたくさん書かれています。それは石井さんの思いだけでなく、たくさんの子どもにも大人にも、話を聞いてきた中から生まれた言葉たちでした。自殺予防のために知っておいてほしい「TALKの原則」は、重く、特別なことのように見えますが、実は日常生活の中の何げなく交わされる雑談の中から生まれやすいということがわかります。アドバイスすることはわきに置いておいて、その子の気持ちにまずは耳を傾けることから、家庭でできる自殺予防は始まるようです。Upload By 発達ナビ編集部取材・文/関川香織撮影/鈴木江実子「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること
2021年09月01日家族旅行での、食べもの問題こんにちは。加藤路瑛です。僕自身、感覚過敏の特性があることから13歳のときに「感覚過敏研究所」を立ち上げ、感覚過敏の課題解決に取り組んでいます。当事者目線、特に子どもの視点で感覚過敏について話していきたいと思います。感覚過敏があると家族旅行で親がどのような工夫をしているのか、僕の視点を通して感じることをお伝えします。前回、感覚過敏の僕が小学校や中学校での宿泊学習でどのような苦労をし、そのような支援をうけたのかをコラムに書かせていただきましたが、今回は「家族旅行」ならではの問題などを書いてみたいと思います。Upload By 加藤路瑛味覚過敏による偏食があると旅先での食事に悩むと思います。3、4歳のころは、子ども歓迎のペンションや民宿に泊まることが多かったようですが、宿で出される食事がほぼ食べられず、おやつで空腹を紛らわせながら、親は観光の途中で僕が食べられるメニューがあるレストランを探すことに苦労したそうです。そのような経験を数回経て、親は旅行では食事がつかない素泊まりできる宿を探すようになったようです。部屋にキッチンがあるタイプのホテルやコンドミニアムを探し、朝と夜は親が料理をしてくれました。どんな食事だったか思い出せませんが、親の話では、ご飯を炊いてハムやたまご、レトルトカレーなど簡単な献立だっだそうです。部屋で食べる安心や親が作ってくれる安心感を感じていたのだろうと思います。僕が食べられないことで、親がそのような苦労や工夫をしていることには気がつけませんでした。旅行先では、部屋で(親が)料理してくれるものを食べるか、ファミリーレストランで食べていたので、実は、ホテルで食事が出るということを知らないでいました。旅行で食べ物に困ったという記憶もありませんでした。中学生になったころ、ようやく周囲が見えるようになり、多くの人がホテルや旅館では料理も楽しみの1つであることを知るようになりました。そして、ホテルを探している親が、「この料理おいしそう!」とスマホやパソコンを見ながら話しているシーンを何度も見るようになりました。「こういうところは、路瑛が大きくなったら2人で行こう」と言うような会話もしていて、「あ、両親はホテルや旅館の料理を食べたいのに僕のために我慢してくれているのだな」と気づきました。出典 : 中学に入ってからの家族旅行では、心の中で「ごめんね」と思う回数が増えてきたと思います。せっかくの旅行にきているのに、昼ごはんに食べたいものがなく、コンビニで食べ物を買って車の中で食べているときなどは特にそう感じました。僕は、レストランなどに入らずに車の中で食べられるものだけを選んで食べていられる状態がストレスがなく快適です。でも、いつでも食べられるコンビニ食やファーストフードのハンバーガーなどを車の中で食べている様子を見ると、「親には美味しいものを食べてもらいたいな」と心が少しチクッと痛みました。その土地でしか食べられないものや、その場所にしかないお店もあります。それなのに僕は、そのようなお店に入るのは嫌だなと思ってしまう。親は僕の好き嫌いの傾向は理解してくれているようで、「この店に入ろう」と無理やり連れて行くようなことはしないので、「行きたくない」というようなワガママを言ったこともないのですが、せっかく旅行にきているのに、その土地の名物を食べようともしない自分を残念に思うこともあります。味覚が過敏で偏食傾向が強いと旅先での食べ物には困ると思います。親は、子どもが食べられるものを探し、自炊できる宿泊先を探したり、素泊まりにしたりすることが多いと思います。食べられるもの、食べ慣れたもの、知っているお店の食べ物があると安心です。せっかく旅行に来たのだからと土地の名物を食べることを強要しないようにしてもらいたいと思います。出典 : でも、矛盾していますが、せっかく旅行にきたその土地の名物が何なのかは教えて欲しいなと思います。広島に行ったときに広島焼きを見ました。大阪に行ったときは、僕は食べなかったけど、親はたこ焼きを食べていました。自分は食べられないけど、その土地の名物を実際に見ることは知識にも経験にもなると思います。小学生のころの旅行の食べ物の記憶は少ないですが、中学1年で福岡に行ったときに、博多ラーメンに挑戦しました。熱海に行ったときに、刺身も挑戦してみました。このように食べ物に挑戦した記憶は、ほとんど食べられなかったとしても、自分から挑戦した記憶としてよい思い出になりました。子どもが自分から挑戦してみようかなと思えるような、土地の名物紹介は大事だなと思いますし、僕の親は食べられなくても、「ナイス挑戦!」と褒めてくれ、嬉しく感じていました。周囲の状況や自分の状況が把握できるような年齢になると、自分が食べられないことで、親が旅行での食事を楽しめていない現実に気がつくかもしれません。とはいえ、自分自身はなかなか食べられないのですが…。子どもが小さいときは難しいと思いますが、親が旅先での食事を楽しめる方法があるといいなと思います。例えば、コンビニやスーパーなどで子どもが食べられるものを買って、親は、テイクアウトできるその土地の名物を買ってホテルの部屋で食べるのもありだと思います。旅先での、ニオイの問題出典 : 中学生のころ、温泉旅館に泊まったときに、脱衣場に芳香剤やアロマオイルのような香りのするものが置いてあって、気持ち悪くなったことがあります。連泊している宿でしたが、次の日は僕は大浴場には行かず、部屋のシャワーですませました。せっかく温泉に来ているのにもったいないことです。これは、自分で不快の原因が脱衣場のニオイだと判断でき、また自分でシャワーでいいと対策を考えらえる年齢だったからできたことです。もし、これが小学生での出来事だったとしたら、僕は気持ち悪くなった理由も分からず、ただ「気持ち悪い」しか言えなかったかもしれません。そうしたら、体調が悪いのかとか、食べ物にあたったのかなどと親は焦ってしまうかもしれません。または、「早く出たい」とお風呂に入ったばかりなのに出ようとして親をイライラさせてしまっていたかもしれません。子どもが温泉を嫌がるとき、脱衣場のニオイが嫌だったのかもしれませんし、温泉のニオイ自体が苦手なのかもしれませんし、シャンプーなどの香りがいつもと違って嫌なのかもしれません。ニオイではなく、湿度やお湯の温度、照明やシャワーの圧力、反響する音などが不快なのかもしれません。出典 : 僕はニオイの弱めの温泉は結構好きで露天風呂も入るのが好きです。でも、やっぱり、部屋のお風呂に入るほうが気が楽でした。ちょっと大きくなってから、露天風呂が部屋についている宿があることを知りました。まだ泊まったことはありませんが、部屋に露天風呂があったら、落ち着いて入れるように思います。家族風呂もいいと思います!ほかにも、古い旅館やホテルの埃っぽいようなニオイが苦手でした。レンタカーのニオイも苦手でした。ただ、小さいころは、不快な理由は表現できなかったので、今、振り返って「そう言えばあのときに嫌だったのは、車のニオイだ!」と気がつくことがあります。僕の親は旅先でたくさんの体験をさせてくれました。カヌーやシュノーケリング、ゴーカートや乗馬などの体を動かすものから、金箔貼りや草木染め、和紙作り、ガラス吹きなどのクラフトもたくさんしました。工場見学もたくさんしました。Upload By 加藤路瑛たいていは楽しい記憶として残っているのですが、つらかった記憶として残っているのは醤油作りです。発酵した大豆の香りなのでしょうか?体験中に気持ち悪くなって休ませてもらったことがあります。醤油は普段も使っていたので、自分で作るのを楽しみにしていた分、最後までやれなくて悲しい気持ちになりました。Upload By 加藤路瑛嗅覚は記憶を司る脳の領域に近く、香りと思い出はセットで記憶されやすいと言われているそうです。楽しい旅行の思い出が嗅覚過敏があることで、少し嫌な記憶になってしまうのは残念なので、お出かけの前にニオイの想定もして回避できるものは回避できるといいと思います。浴衣は着られない。肌触りの問題旅館に泊まるときに宿泊客のために用意されている浴衣。ちょっと憧れるのですが、生地が痛く感じました。シーツの素材も「なんか嫌だな」と思ったこともあります。生地に敏感な子どもの場合は、パジャマは持参がいいでしょうし、タオルケットなど普段使っているものを持っていくと安心して寝られるかもしれません。僕は小さいころは「服は痛いもの」だと思っていました。みんな我慢して着ていると思っていたので、旅先で服が嫌だと抵抗したり、怒ったりした記憶はありませんし、親に聞いても、特に問題がなかったと言っています。旅行先の体験として、シュノーケリングをしたり、乗馬をしたり、ゴーカートに乗ったりと衣服やマスク、ヘルメットなどを装着していました。親から見て嫌がった様子はなかったそうです。不快感がありながら着ていたのか、不快感を認知できていなかったのか、それとも不快感は感じてなかったのかは記憶がありません。ただ僕の場合は靴下以外は、我慢しなければならない状況なら我慢して身につけられる状態です。ですので、楽しみのほうが強くて衣服やヘルメットなどの不快感は我慢できる状態だったのかもしれません。Upload By 加藤路瑛ただ、このように書くことで、感覚過敏は我慢できるものと勘違いされることが心配です。僕の場合は、触覚にくらべ、味覚、嗅覚に関しては我慢することが難しいです。そもそも味覚と嗅覚の刺激を避けて行動しています。人によって、過敏の度合いも違いますし、我慢できる範囲も違います。レジャーで身につけなければならないものが耐えられない苦痛という場合もあります。ライフジャケットやヘルメットなど命を守るものをつけるのが難しい場合もあります。子どもが着用を嫌がったら、無理せずその体験は諦めるということも大事だと思います。Upload By 加藤路瑛テーマパークでの、光や音の問題Upload By 加藤路瑛遊園地やテーマーパークは楽しい音楽が大音量で流れています。僕はテーマパークのパレードの音が大きすぎて、見終わったころはかなり疲れてしまいます。頭痛もあったと思います。はじめてパレードを見た時は僕は泣き出したそうです。それを見て親は僕のことを「怖がりやさん」と判断したようです。真実はわかりませんが、大音量にびっくりしたのでしょう。視覚過敏は僕はあまりないと思っていますが、テーマパークや遊園地の夜は明かりがキラキラと光っています。人によっては眩しいだけでなく、目に刺さるような痛さでしょう。でも、光や音が刺さるように痛いなんて親は気が付けないでしょう。親はテーマーパークは子どもが喜ぶものと思っているようですが、僕は5歳の時に「もう行きたくない」と自分で宣言したそうです。楽しく家族旅行をするためにUpload By 加藤路瑛小さいときは、自分の不快感の原因に気が付けないことが多いです。そして、不快感を伝える言葉も知らないので、「嫌だ」「帰る」みたいな表現になってしまうかもしれません。僕も旅先で「おうちに帰りたい」と泣いて親を困らせていたようです。親の立場になれば、子どものためにと連れてきたのに、楽しんでくれずに帰りたいばかり言えば、がっかりすると思います。でも、小さいときのアルバムを見るのは僕は好きです。小さいころの記憶は少ないほうですが、アルバムを見ながら、自分が行った場所の景色や体験したものをリアルに想像して楽しんでいます。感覚に関しては本当に人によって違いますし、逆に、「これは無理だろう」と思うものが大丈夫な場合もあるかもしれません。なので、あまり心配したり神経質にならずに、親が子どもに体験してもらいたいこと、見せたいもの、連れて行くたいものは是非やってみてほしいと思います。そういう繰り返しの中で、家族旅行のいいパターンが見えてくると思います。Upload By 加藤路瑛やはり、親との旅行は安心できますし、楽しめることも多いです。友達と行くとなると「せっかくの旅行なのにレストランで食べられないかもしれない。遊園地には行きたくないな」と楽しいイベントに水をさしかねません。そういう不安が友達との外出にはあります。でも、親との旅行は、自分の苦手な部分をわかってくれているので安心です。そして、神経質とも思われがちな感覚過敏のある僕に付き合ってくれて、いろんな場所に連れていってくれた両親には感謝しています。いつか、高級旅館の料理を部屋で家族と一緒に食べて、部屋についている露天風呂にゆっくり入るのが僕のささやかな憧れです。執筆:加藤路瑛出典 : (監修:鈴木先生より)感覚は一般には五感として知られています。医学的には聴覚・触覚・嗅覚・味覚・痛覚です。電車に乗ると聴覚・触覚・嗅覚(+視覚も)の問題があり、自家用車でしか移動できない人もいます。聴覚過敏は今回の事例では大音量だけでしたが、ほかには学校の音楽の授業や先生の怒鳴る声、赤ちゃんの泣き声、集合住宅の近隣の音、映画館や運動会のスピーカーの音、バイクや工事現場の音、さらにセミの鳴き声まで嫌がるお子さんが多いです。触覚過敏は身に着けるものが多く、腕時計や学校の制服・靴下を嫌い、半袖から長袖への衣替えを嫌い、いつも同じジャージを着て登校しています。逆に古い毛布の感触が良くて手放せなかったりします。嗅覚過敏は今回の事例のような脱衣場や車内等のニオイの他、香水、食べ物、コップ、魚など一般には気づかれないようなニオイにも反応します。味覚過敏は給食の好き嫌いで残すことが多く、特にサラダやキノコ類が苦手なお子さんが多いです。味というよりはご飯の見た目や臭いなど様々な感覚過敏が複合している場合があります。この場合、学校の許可が得られれば保護者が作ったご飯を持たせることで解決しています。無理やり食べさせるのではなく、どうしたら食べられるかの工夫が重要なのです。偏食があっても無理はしないでください。最近ではニオイのない納豆や野菜も出回ってきました。自分なりのルーティーンを見つけ、不安なく生活できる工夫をしていけばいいのではないでしょうか。
2021年08月31日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日3・4・5歳児の異年齢混合クラスの年長さんに進級!ものすごく小さな園だったので、次女がいた異年齢混合クラスも10人程度の小さなクラス。この環境が次女にとても良く合っていて、このクラスで年中までお友達と毎日楽しく過ごすことができていました。次女は「ものすごく引っ込み思案でおとなしい子」ではありましたが、それまで保育園に楽しく通えていたのと、去年の担任の先生がそのまま持ち上がりだったので、私としては進級に対してあまり心配していませんでした。そして、ついに年長さんへ進級となり、進級後すぐも特に問題なく過ごせていました。…が、しばらくたってから、次女に変化が出てきたのです。Upload By まりまり年長さんで、初めて保育園への行き渋りが出てきたUpload By まりまり最初は「行きたくない~」と、グズグズしている程度。行きたくない理由を聞いても具体的には出てこないし、保育園に行ってしまえばお友達と楽しく過ごせていたので、「環境も変わったし、こんなこともあるよね…」と、受け止めていました。そのうちに、行きたくないとシクシク泣く日もでてきましたが、私自身仕事もあったので、「休ませる」という選択はせずに、何とか励ましながら、ごまかしごまかし連れて行っている日々でした。保育園の給食が食べられなくなった次女は同じころに、今まではモリモリ食べられていた保育園の給食を嫌がり始めました。それまでは、離乳食のころからよく食べる子で、大きな偏食もなく、「食べない」ことで困ったことはなし。食べすぎるくらいだったのに、ここにきて「保育園のお肉イヤ~」「野菜嫌い~」と…。(今までモリモリ食べていたのに、今さら…⁉)と驚きました。給食を嫌がるようになり、保育園で食べる量は減っていきました。それでも家での食事は普通に食べていたので、保育園に行きたくないがための一時的なわがままで、そのうち治まるだろうと考えていたのでした。でもある日、次女が、給食で嫌いなものを頑張って食べた結果、嘔吐してしまったのです。体調が悪かった訳ではなく、嫌いでも先生に言えず、無理に口にした結果でした。その話を先生と次女から聞いて、「わがままじゃなくて、本当に食べられないんだ…」とやっと気づくことができました。次女はとにかく周りに気をつかう子で、とても責任感が強く頑張り屋な一面があります。私や先生から「少しでも食べて」と言われて、真面目にとても頑張っていたようです。その上、自分から「いりません」とか「減らしてください」と言えなかったので、こんな結果になってしまいました…。Upload By まりまり給食が食べられない次女への先生の対応Upload By まりまりこのあとも食べられない状態が続いたので、担任の先生とお話して「給食の前に先生が次女に個別に確認して食べられないものは減らすこと・無理をしないで残しても良いこと」にして、次女自身は就学に向けて「自分で食べられないものを聞かれたときにちゃんと言うこと」の練習を始めました。結局、給食を食べる量は増えませんでしたが、自分で量を調節することは徐々にできるようになりました。このとき、私自身もかなり心配して、先生にいろいろ相談していましたが、先生から「食べることは本来楽しいことのはずなので、食事の時間を楽しくできたらと思っています」という言葉をいただいて、とても気が楽になったことを覚えています。その後、小学校に入学して、給食はどうしているか…?そして、このときから、現在(小学4年生)まで、給食があまり食べられない状態はずっと続いています。今までの小学校のクラスの給食の指導では、「全部食べなくてはいけない・残してはいけない」といった厳密なものはなく、「残すよりは先に減らす」という感じできています。保育園のときに練習していたことに近いので、何とかやっていけるか?と思っていましたが…。結局、2年生のころまでは、次女が自分で苦手なものを先に減らしたり、先生に言ったりすることはできず…さらに「残すことは悪いこと」という風に言われていたプレッシャーを過度に感じていて、頑張って無理に食べていたようです。でもやはり、どうしても食べられないものはあって、その結果、次女が考え出した方法は、「食べられない(飲み込めない)ものを口の中に入れたまま家まで持って帰ってくる」なのでした…。Upload By まりまり場面緘黙で学校で話せないので、誰にも分からなかったのでしょう…。次女の話を聞くと、教室ではまず恥ずかしくて吐き出せないし、学校のトイレに行くのも怖いしで、結局口に入れたまま帰ることになっていたようです。私からも、「こっそりティッシュに出せない?」とか「トイレにサッと行ったらどう?」とかアドバイスしていましたが、それができないから本人は困ってるんですよね…。先生にもお話しして、「給食を減らしたり、残したりしても大丈夫」と本人に伝えますが、人と違うことをして目立つのが嫌だそうで、そうできないことも多くありました。4年生の今はやっと慣れてきて、減らしたり残したり、自分で何とか調節できるようになっています!執筆/まりまり(監修:三木先生より)少しずつ慣れてきたようでよかったです。自分から上手く言えない子の場合は、保育園の先生がしてくださったように「大人の側から確認してあげる」という対応と、その背景にある考え方としての「食事は本来楽しいもの」という感覚はすごく大事です。食事も遊びも学びも、本来は楽しいはずのもの。それがそうでなくなってしまった時は、行動がプレッシャーや義務にならないように考えてあげられると良いですね。
2021年08月30日息子に家事手伝いとして役割を与えている「ゴミ捨ての仕事」息子が特別支援学校高等部の学生だったときの話です。血が滲むくらい手足の爪をむしっていたので、「ばい菌が入るから、止めなさい!」と注意しました。この私の言葉でスイッチが入ってしまい、家の中で暴れました。パニックを起こしつつも、自閉症のある子の特性なのか、決まった時刻19時46分になったら、マンション地下にあるゴミ捨て場に、ゴミを捨てに玄関から出て行きました。(うちのマンションはゴミ捨て場にはいつ持って行ってもよいことになっています)いつもなら1分くらいで戻ってくるのに、いつまで経っても帰ってきません。5分くらい経過したでしょうか?管理人室から、「息子さんがパニックを起こしています」と連絡がありました。さらに、共用部でパニックを起こしているときに、マンション他の住人の方が通りがかり、苦情も出てしまったとのことでした。息子には、知的障害のある自閉症があることを管理会社に伝えています。苦情が出たとき、その住人の方には、私の代わりに息子の障害のことを説明してくれたようです。私からも後に謝罪しました。パニックには理由があったでも、こういうことが起こると、しんどいです。精神的に疲れます。「なんで、暴れるの!」と頭にきてしまい、私の方が暴れたくなります。ところが…翌日、学校からの連絡帳を見たら職業訓練のための“身だしなみチェック”の項目があり、そこに「爪は短くする」と書いてありました。これで爪をむしっていたことに気づいたのです。 強迫性障害もある息子は真に受け、必要以上にむしっていました。息子なりの理由があったのです。それなのに私は「むしったら、ばい菌が入る!」とやみくもに叱ってしまいました。そして、矛盾した指示を受け、混乱した息子はパニックを起こしてしまいました。学校に電話をして相談そこで、担任に電話してトラブルの状況を伝えました。更に「学校からの指示をきちんと守って、爪を短くしようとしていますが、手も足の爪も毎日むしっています。先生からも、この状態はやりすぎであることを、うまく伝えてくださいませんか?」とお願いしてみました。担任から「全体注意したことを、自分にも当てはめたんですね。『○○㎜は残す』とか『○○㎜になったら切る』では曖昧でわかりにくい指示だったのかもしれません。なので、学校に爪切りを持ってきてもらい、毎月10日・20日・30日に切る方法ではどうでしょうか」と提案がありました。そして、翌日。帰宅した息子が持ち帰ってきた連絡帳には次のように書いてありました。「昼休みに担任と一緒に爪切りをしました。まだ自分では切らず、担任と一緒に切りました。切る必要のない爪の長さも確認しました。繰り返し確認することで自分で切らなくてもよい長さがわかってくると思います」キメ細かくて、有難いと感じました。人の行動には必ず理由があります。頭ごなしに注意しないで「なぜそれをするのか」を考えなくてはなりません。「私はまだまだ修行が足りないな!」と思った出来事でした。執筆/立石美津子(監修:井上先生より)このエピソードのように、長年子育てをしていても、子どものパニックの原因については分からないこともあると思います。特にその原因となる出来事が、時間的に離れていると気づきにくいものです。爪噛みに関しては、感覚過敏や暇つぶしで続けてしまっているお子さんもいます。それぞれの行動が起こりやすい状況を振り返りながら、個々の原因に応じた支援を考えていくことが大切です。
2021年08月29日うちのADHDとASDがある息子リュウ太は医者が大の苦手!Upload By かなしろにゃんこ。うちのADHDとASDがある息子リュウ太は、病院が大の苦手!予防接種のときは暴れてしまい、大人が2人で押さえていないと注射ができません。押さえると「ヤダーーーー!ヤダーーー」と診察室でも大きな声で叫び出してしまいます。そんな息子の様子を見たお医者さんに「この子は根性がない、お母さんが甘やかすからだ」と叱られたこともあります。私は心の中で(甘やかしてないっつーーーーの!! 恐怖心が人一倍強いだけだっつーーーーーの!!)と思いつつも、息子のパニックで困ってしまうことがたびたびありました。だから予防接種は、毎回気合いを入れて行きます。しかし息子のメンタルが崩れているときは、泣き叫んで暴れまくって受けられないこともあるので、いつも『受けられなくてもまた次に挑戦すればいいんだ』と言う寛容な心を持つことも大切にしています。Upload By かなしろにゃんこ。治療に対して何をされるのかわからない恐怖は誰にでもありますが、息子のリュウ太の場合は、治療の恐怖に立ち向かおうとするとお腹が痛くなったり、ガチガチに固まってしまうほど。(こんな子が虫歯になったら歯科の治療を嫌がって大変なことになりそうだわ…)と未来予測をしていた私は、息子の歯を毎晩きちんと磨くことにしていたのです。どの家庭にもある光景かもしれませんが、歯磨きを嫌がる息子の四肢の動きを母の足で封じて歯磨きの仕上げを行ったり、歯磨きせずに寝てしまわないように声をかけて促したりと、いろいろと注意をしてきました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。それなのに…歯医者に引っ張って行かなければならないときが来るなんて…。それは、リュウ太が小学校6年生のとき。学校で行われる歯科検査で奥歯に虫歯判定が出てしまいました。そのころPTA活動をしていた私は、同じくPTA活動をしているママ友からリュウ太との関係をたびたび心配されていました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害のあるリュウ太は、座って授業が受けられない子として有名でした。リュウ太の特性をよく理解していなかった同学年の保護者からは『ほったらかしで育てられているから落ち着きがなく授業を受けられない子』なんだと思われていたようで、PTAで知り合ったママ友には「リュウ太くんって虫歯大丈夫?ちゃんと治療してるの?歯磨ききちんとしてる?」とか「仕事ばかりしていないできちんと子どもの話聞いてあげないとダメだよ」と質問のような、変な心配をされました。そのママ友とはそんなに仲良くないので子育ての相談をしたことはなく、わが家のことは何も知らないはずなのですが、なぜかわが家が子どもをほったらかしにしている前提で話をされました。Upload By かなしろにゃんこ。このような質問をされると一番困ります。「心配しているのよ!」という形はとっているものの、わが家の実態を聞き出そうとしていることが分かるからです。『うちの子、虫歯はないですよ』『仕事ばかりしてないですよ』と私が答えると、そのママ友が期待していた返答ではなかったのか質問攻めから引き下がってくれましたが、私はそのママ友が人の家庭の不幸ネタを探しをしているように感じてしまい、とてもイヤな気分になりました。うちが子どもをほったらかしにしている家庭だと思われていたのも悲しいものがありました。そんなとき、歯科検査で虫歯判定が…。「虫歯ないです!」とそのママ友に言った手前、「1本だけ奥歯にありました!」と言うのも悔しいので、意を決して虫歯の治療することにしました。まずは、初めての歯科診療をモーレツに嫌がる息子の説得するところからスタートです。息子が「歯医者に行くくらいなら虫歯になってもいい」と主張してくるので大変です。説得は数分では終わらず、なんと3日間もかかりました。普段の会話では、息子のほうがしつこいのですが、このことはあと回しにしないほうが良いと考えて、私はしつこさ覚悟で短期間で連続で説得を行いました。(母の本音は『あーめんどーい、はぁ~しんどーい』)Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太には虫歯が小さいうちなら治療は痛くないことを伝えて安心させ、小学校6年生が歯科で暴れたら恥ずかしいことも伝えました。説得の末、イヤイヤですが歯科に行くことができて、治療台に乗ることもできました。ガチガチに緊張してお腹が痛くなっていましたが、小学校6年生ともなると理屈が通じるため、わりとすんなり医師の指示にも従ってくれました。そして、歯を削ることもなく治療はすぐに終了。なんと虫歯ゼロで学校の歯科検診は誤診だったことが分かりました。息子が暴れることなく診察できたことで、私はホッと胸をなでおろしました。(喜)リュウ太本人も歯にドリルをあてられなくてホッとしたようでしたが、初めての歯科診察に緊張したのか帰宅後は腹痛でトイレに直行。(弱っ)とは言え、今まで病院の治療のとき大暴れだった息子がわりと落ち着いて診察できました。さすが小学校6年生のオニイサンです。そのあと息子は初めて行った歯科の治療ベッド周辺を「なんかアニメに出てくる操縦する場所みたいでかっこよかった」と述べておりまして、(そんなこと言えるなんて余裕じゃん!?)と母は思いました。Upload By かなしろにゃんこ。それからもリュウ太は朝と夜の歯磨きをきちんと続けていたのですが、10代後半になり、夜に外出するようになってからは就寝前の歯磨きができていないこともあるようで…今後が心配です。しかし息子も大人になったので、そこはもう自己責任です。大事に磨いてきた歯、何物にも代えがたい価値があると思います。「これから先も一生歯を大事にしていって欲しい」と母は願うのでした。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)周囲の先輩ママからのプレッシャーとお子さんのお医者さん嫌いでとても苦労された時期だったと思います。医療受診に不安の高いお子さんの場合、『心理的プレパレーション』と言ってこれから行う治療の目的や手順を絵カードや写真カードや人形を使って事前に説明したり、実際の治療の場でもカードや人形を見せながら行ってもらうなどの支援があります。実施している現場は限られていますが、親御さんと医者が協力して自作することもできますので、相談してみても良いかもしれません。
2021年08月26日お手伝いカードで、お金を稼ぐことを学んだ娘。わが家では、2年前からお手伝いカードというものを導入しています。一回のお手伝いで、スタンプを一つ押し、20マス(一枚)で500円と交換というシステムです。小学5年生になる広汎性発達障害の娘は、このお手伝いカードを長い間続けていて、もう何度も欲しいものをお手伝いカードで貯めたお金で買っています。Upload By SAKURAお手伝いはたくさんしてくれるようになり、お金を稼ぐ大変さもわかったおかげか簡単に物をねだらなくもなったし、いいことだらけです。欲しいものがあるときは、頑張ってくれるけど…しかし・・・ずっと続けてはいるものの、お手伝いに対する意欲は、不安定。欲しいものがあるときは、自分からお手伝いを見つけて自主的に動いてくれますが、特に欲しいものがないときは言われたら仕方なくやってくれる・・・という感じです。Upload By SAKURA最初のうちは、これでも満足だったのですが、正直・・・もう5年生。中学生も近づいてきたこともあって、常に自主的に動くというお手伝いもしてほしいのが、本音です。察してほしい!でも…しかし、娘は特性上、察するというのが苦手で「状況を見る」「気を利かす」ということができません。Upload By SAKURA家庭内では、場合によって状況を伝えて「こんなときは、こうしてくれたら助かるんだよ」と、繰り返し教えるようにしていますが、なかなか自分から動くことはありません。Upload By SAKURA将来的にも、いつかは自分で気がついて、動くことが必要になってきます。その力を身につけるためにも、「察する」「自分から動く」という練習もしてほしいと思っていました。「察する」より先に「自分から動く」習慣づけ。夫に相談すると…Upload By SAKURA「察する」より、「自分から動く」の部分を習慣化したほうがいいと言われました。そこで、時間帯によって必要なお手伝いを理解してもらうため、「毎日やるお手伝い」を決めることにしました。いきなり複数のことを頼むと持続できないため、まず決めたのは、朝と夜、食事の前の支度のお手伝いでした。Upload By SAKURA朝ごはんのときは、「私が準備をしている間、マーガリンやジャムを出す」夕ごはんのときは、「私が準備をしている間、箸を並べる」この2つを、固定のお手伝いにすることにしました。これだけは、求めてしてもらうことではなく、自分から動いてほしい。そのことを娘に説明し、さっそく実行してもらうことにしました。朝は勝手にやってくれるけど、夕方は難しい。朝のお手伝いに関しては、起きたらやる・・・という習慣が身につきやすかったようで、何も言われずに、すぐに自分から動けるようになりました。Upload By SAKURAしかし、夕飯のときは…Upload By SAKURA時間が不規則なことや娘の自由時間なこともあって、ゲームをしていたり本を読んでいたり、テレビを見ていて、娘は忘れてしまうことがほとんどでした。声かけを繰り返し、パターンを覚えてもらう。何か…娘が思い出したり、気がついたり、習慣づける絵カードなどの工夫が必要かな~と考えたのですが、Upload By SAKURA夫からのアドバイスで、このお手伝いに関しては、補助アイテムを使うことはやめました。その代わり、気がつくようヒントは与えることにし、「あーさん?ママごはんの用意してるけど、何するんだっけ?」「あれ?何かない・・・」と言った声かけや、咳払いをして気がついてもらう・・・ということを繰り返しています。しかし、やはり察することが苦手な娘。なかなか気がつかず「え?なに?呼んだ?」と言ったり、こちらが何を言いたいかがわからず、硬直したりすることも多々あります。Upload By SAKURAただ、今は練習。この時間帯に私が何に困るか、何を手伝ってもらったら楽になるかを時間をかけて覚えてもらい、ここからパターンを増やして教えていければ将来的にきっと役立つと信じ、同じことを毎日繰り返しています。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)お手伝いを自主的にお母さんや家族の状態を見て、察して行うことはとても困難な課題だと思います。SAKURAさんの実践のように、状況に寄らず具体的にするべきことを固定化するのも1つの方法です。さらにもう一歩踏み出すためには、お父さんの言われているようにカードなど視覚的な刺激ではなく、あえて言葉を使う方法があります。同じ言葉による指示でもいくつかのステップがあります。「箸を並べましょう」という直接的な指示⇒「お母さんが準備しているよ」などの間接的な指示⇒咳払いのような状況に注目させる非言語的・間接的な指示です。もちろん、お手伝いができたあとはたくさん褒めてあげることが大事になってきます。一生懸命なお母さんと、状況を客観的に見ながらアドバイスをされるお父さんの役割分担はとても素晴らしいと思います。
2021年08月25日周囲がヒヤヒヤしっぱなしだった小学校低学年時代Upload By スガカズわが家の次男はADHDがあり、衝動性が抑えきれずにヒヤヒヤする行動にはしることが頻繁にありました。高いところによじ登ったり、危険な遊びをしたり…。私は「自然豊かな地域のほうがのびのびと育つのだろうな」「一度大きな失敗をしないと自制心が育まれないかもしれないな」と何度も思いました。Upload By スガカズ次男は、衝動性と探究心から、「やりたい!」と思ったことは親がいくら「危ないからダメ」「お母さんは次男の体が心配だよ」と言ってもなかなか聞く耳を持ちませんでした。小3になって転機が…。きっかけは、親の言うことを無視したために起こった大失敗Upload By スガカズ小3はギャングエイジと呼ばれる時期ということもあり、学校では授業を受けたがらなくなったり、家庭ではきょうだいゲンカも多く、次男の情緒は不安定なことが多かったです。また、小学校に隣接している学童も「つまらない…」と言って、行きたがらなくなりました。次年度には小6の長男も中学校にあがるため、一緒に留守番する機会がかなり減ります。次男一人にして親が働きに行くことは危険だと思い、放課後等デイサービスの利用に向けて動き出した矢先に事件は起こりました。Upload By スガカズその日、私はリモートワークではなく会社に出社していました。すると昼3時ごろ隣に住むママから着信がありました。どうやら次男がケガをして家の前で大泣きで座り込んでいたようです。私はケガの状態と経緯を聞き、急いで帰宅しました。私が帰るまでの間に隣に住むママは次男のケガの応急処置をしてくれていました。帰宅してすぐ病院へ行き、診察をしてもらいました。幸い2週間ほどで塞がる傷だったのですが、傷口は目をそむけたくなるほど…。私は本人や周囲の人から、ケガをした経緯をさらに詳しく聞き、「まさかこんな目に合うとは思わなかっただろうな…かわいそうに」「とはいえ、一歩間違えば重大事故になっていた…」と、複雑な気もちになりました。やってはいけないとあれほど言っていたのに…Upload By スガカズ数年前から子どもや大人の間で人気の、前後2箇所にキャスターを一つずつ備えた、二輪構成のスケートボード「キャスターボード」という乗り物があります。キャスターボードはわが家にもあり、パパの所有物で、借りたいときに子どもたちが「貸してほしい」と頼むルールです。キャスターボードは遊びながら楽しくバランス感覚を養え、安全な場所で使えば子どもの外遊びにもぴったりです。ですが、次男はまだうまく乗りこなせないこと、わが家の周辺は坂道が多いこと、キャスターボードはパパの所有物であることから、「お父さんが大事にしているものだし、危ないから勝手に使ってはいけないよ」と口酸っぱく伝えていました。ケガをした日、友達と遊ぶ約束をした次男はパパのキャスターボードをどうしても使いたくなり、内緒で使うことにしたようです。しかも遊んだ場所は、坂道…。下った先には交通量の比較的多い道路です。案の定、操縦ができなくなり、歩道の段差で転倒。道路の端まで飛ばされてしまったようでした。さらには本人にとって追い打ちが…。ケガをして取り乱してしまった次男は、内緒で借りたキャスターボードを現場に置いたまま自宅に帰ってしまいました。放置されたキャスターボードは誰かに持ち去られたようです。私はこの時点で、次男が後悔している様子が見られたし、命あっての物種なので、どうしても叱る気にはなれませんでした。しかし、お父さんは次男に対して激怒しました。Upload By スガカズ当時は「反省しているのだから、そこまで強く叱らなくても…」と次男の精神面を心配しましたが、のちに当事者同士だからこそ叱ったほうがよかったのだろうと理解しました。いつもは強く叱られると反抗しがちな次男でしたが、このときばかりは落ち込んでいました。一週間ほどして、キャスターボードは近所で乗り捨てられているところを次男の友達が見つけて知らせてくれました。本人にとって恐い経験になってしまいましたが、それ以降、人がダメだと言っているものを勝手に使ったり、危険な遊びをすることはかなり減りました。あれから2年経ちましたが、本人も当時の傷痕を見ては、「あれは本当に恐かった。もう同じことは絶対にしない」と、振り返っています。執筆/スガカズ(監修:井上先生より)これをすれば完璧!というような子どもに絶対失敗させない支援はありません。小さな失敗から学んでいくことは自然なことなのですが、スガカズさんの体験のように、一歩間違えば大事故になると言う学びは避けたいものです。失敗してしまったときの対応のコツは本人が深く反省していればそれに対してさらに追い打ちをかけるようなことはぜず、反省に共感しながらもどうすればよかったかを一緒に考えていくことです。とは言え親も感情的になってしまうので、スガカズさんのようにお母さんとお父さんでうまく役割分担することも大事だと思います。
2021年08月24日子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族