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Q.発達障害がある子どものソーシャルスキルトレーニングとは?A.ソーシャルスキルとは「対人関係や社会生活を営むために必要な技術・能力」のこと。このスキルを身につけるために行うのが、ソーシャルスキルトレーニングです。発達障害がある子どものソーシャルスキルというときは、具体的には「挨拶ができる、友達と仲良く遊べる、人の話が聞ける、自分の気持ちを伝えられる、気持をコントロールできる、トラブルが起きた時にどうすればいいかわかる」などを指すことが多いです。Upload By 発達障害のキホン発達障害がある子どもの中には、ソーシャルスキルを自然に身につけていくことが難しい子どもがいます。このスキルが不足していると、人間関係をスムーズに構築したり維持することが難しくなったり、社会生活の中でトラブルが起きやすくなります。そのために、人との接触が減ったり、失敗体験を積むことが増え、孤独感を感じたり、うつなど二次障害につながってしまうこともあります。ですが、ソーシャルスキルはトレーニングによって一定レベルは身につけていくことができます。トレーニングは次のような方法で行うことが多いです(※コーチング法の場合)。1.教示スキルが必要な理由や、身につけるとどのようなメリットがあるかについて言葉や絵カードなどを使って伝えます。2.モデリングお手本を示したり、不適切な例を見せてどうすればいいか考えてもらいます。3.リハーサル先生や保護者などを相手にロールプレイします。4.フィードバック子どもが適切な行動ができたらほめ、不適切な場合はどうすればよかったのかを分かりやすく伝えます。5.般化学んだスキルを、実際の場面でも発揮できるようにしていきます。社会生活の中でスキルを発揮できるよう、園や学校などとの連携、協力も大切です。発達障害がある子どもは、まわりの様子を観察しながら社会性を身につけていくことが苦手な傾向があります。例えば、「クラスメートとの会話が苦手」という課題の背景には・相手が話しかけてきていることにうまく気づけない・相手の意図していることが汲み取れない・自分の気持ちをどのように伝えたらいいかわからないなどさまざまな要素が含まれている可能性があります。指導する側は、どこに課題があるのかを見極め、スモールステップで目標を設定し、トレーニングをすすめることが大切です。
2021年08月22日小学校時代のいじめのときに感じた違和感私はいじめられっ子で、小学校のときは卒業までずっといじめられていました。授業や集団下校などで作る班に入れてもらえずたらい回しにされる、運動が苦手で「クラスの足を引っ張る」ことを責められ罵倒され、ときには暴力を振るわれる。目の前でヒソヒソと噂話をしながら嘲笑される。バイキン扱いされ、私の触ったものに対していちいちエンガチョが始まる。給食を配ってもらえない、教室に入っただけで「きもい、臭い、空気が腐る」などと騒ぎ立てられる…。思い返すに、そんななか母は私にとって「精神的な意味で保護者として機能してくれない」人だったように思います。たとえば、私は小学校に上がる前、セロハンテープのことをセロタンテープと言い間違えていました。小さな子どもがよくするような可愛い言い間違いですが、母は私のその言い間違いに気づいていながら指摘してくれませんでした。このため私は小学校に上がってから「小学生にもなって赤ちゃんみたい」と笑われ、いじめられることに。なぜ指摘してくれなかったのだと問うと、母はテヘッと笑いながら「だって可愛かったからそのままにしておきたかったんだもの♪」と言いました。当時はモヤッとしただけでしたが、今となっては「母は保護者として子どものためを思うことよりも自分の欲求を優先していたし、そうすることに疑問も感じなかったのではないか」と思います。また、小学校5年のある日、私は耐えかねて両親に「いじめられるから学校に行きたくない」と打ち明けました。母はみるみるうちに目に涙をため、泣き出してしまいました。「悔しい! 自慢の娘なのに!」と叫びます。彼女は私を慰めるとかいった行動に出ることもなく、そのまま泣きながら寝室に駆け込んで、数日寝込んでしまいました。父は父で、私の両肩を掴んで「いいか、よく聞け。1日休んだら二度と行けなくなる。小学校を卒業できなくなる。そうしたらお前は将来路頭に迷うぞ。だから学校には行きなさい」と言います。その当時は自分が感じた絶望の詳細を言語化はできませんでしたが、「お父さんには怖いことを言われる、お母さんのことは泣かせてしまう、だからもう彼らには悩みを打ち明けられない。私はたったひとりで生きていかなきゃならないんだ」と思ったのを覚えています。ASD特性もあいまって、父の「1日でも休む→ 将来路頭に迷う」の言葉を鵜呑みにした私は、それこそ命がけで登校しつづけ、皆勤賞で小学校を卒業しました。クラスメートが遊びに来ないわが家よく思い出してみると、私にはクラスメートがわいわいと家に遊びに来た記憶がありません。クラスメートが私の家を訪れなかったのは、私がスクールカースト最底辺のいじめられっ子だったという理由だけではないかもしれません。大人になってからだんだんに知ったところによると、私の家はいわゆる「近所で有名な、ちょっと変な家」だったのです。まだ周囲のほとんどの母親世代が専業主婦かパートタイマーだった1980年代後半に、母は都内の職場で正職員として働いていて、いつも華やかに化粧して通勤していました。家は父の収入だけでも十分に食っていけるほど裕福で、私が小学校に入るころには、周囲から見上げるような大きな輸入住宅が建ちました。こうしたことだけでも周囲から浮いていたと思うのですが、わが家には父方の祖母という困り者がいました。祖母は退屈すると周囲に加害して楽しむ悪い癖がありました。訴え出られれば刑事事件になりかねないこともやっていたようですし、加害の対象は私たち孫にも及んだのです。たとえば、ご近所さんが大切に育てている菊の花を見ごろになると大量に刈って盗んでくる。毎年です。この事実は、祖母が老人保健施設に入所したあと、被害者の方が震えながら話してくれたことで何十年越しに発覚しました。確かに幼い頃からの記憶をたどれば、祖母は秋になるとどこかから大量に菊の花を抱えて帰ってきていました、楽しそうな顔をして… 被害者の方が耐え忍んできた怒り苦しみや、それは立派な器物損壊や窃盗ではないかということを思うに、こちらも震えました。たとえば、悪くなった食べ物や害になるものをわざと家族に食べさせ、食べた家族が苦しむ顛末を見届けて楽しむ。母は梅酒を梅ジュースと偽って飲まされ、急性アルコール中毒。兄は悪くなったハムを食べさせられて下痢、私はわざと不潔に管理した牡蠣を食べさせられて嘔吐下痢。父だけは何度やられても丈夫さで跳ね返していますが…。伯父に来た見合い話がせっかくまとまりそうになったのを、「こんなドン百姓に息子をやれるか、オラは家族だ!」と叫んで破談にする。近所のスーパーの店員に難癖をつけて騒ぐ。古いほうの家をきちんと管理せず、草はぼうぼう、壁や屋根は剥げ放題、庭にはいろいろなガラクタが散乱しているので、同じ敷地内にゴミ屋敷と立派なお屋敷が混在したようになり、ちょっと異様な雰囲気を醸し出していました。私がいじめを受けたことは周囲から浮きがちな自分自身の言動にも原因があると思います。でも、家族の言動が「あの家は変な家」「あの子と仲良くすると危ない」と周りの保護者に思わせ、それがその子どもたちに伝わっていじめ的な空気の醸成にもつながったのではないかと今は思います。悪いことに、私の家族の誰一人として、私の受けるいじめを悪化させる方向には作用しても、軽減させる方向には動くことがなかった。それが、私がいじめに苦しみ続けた理由の大きな一つなのではと思います。今、夫と「機能不全ではない家庭」を築いて孤独な中でいじめに耐え続けた私がギリギリ壊れないでいられたのは、祖父の存在があったからです。祖父は、家族の中で唯一、私を無条件に愛してくれる存在でした。おとなしい人で、彼がいじめ自体をどうこうすることはできませんでしたが、私が泣いていればよしよしと抱きしめてくれ、いつまでも遊びにつきあってくれ、好きなお菓子をいくらでも与えてくれ、私を膝に乗せて一緒にテレビの時代劇を見てくれた彼は、私のかけがえのない安全基地だったのです。ただ、その祖父も私が小6のときに亡くなってしまいます。家族内に頼れる存在がなくなってしまった私は、次第にはっきりした二次障害に苦しむようになっていきました。ティーンから20代を重い心身症状に苦しんだ挙句、母との生活に限界を感じて31歳でいまの夫のところに身を寄せた私は、いま初めて「安心できる家庭」を味わいながら暮らしています。夫はつらいときもそうでないときも、どんなときも笑顔で抱きしめてくれます。私が参っているときは、彼は照れながらも、私が大切な存在であり、信頼し合える家族であること、生涯一緒に暮らしていこうねということを伝えてくれます。私の好きなお菓子を買ってきてくれたり、優しい味の汁物を作ってくれたりもして、私はそれで心から安堵するのです。夫は私にとって、祖父がくれたような無条件で精一杯の愛をくれる人。その愛に支えられて、私は今日も生きていこうと思えるのです。執筆/宇樹義子(監修:井上先生より)子どもの成長や適応にとって家族の果たす役割は大きいものです。しかし子どもにとってよりどころとなる親や家族もさまざまな困難を抱えておられる場合があります。宇樹さんの回想のように、子どもは抗おうにも困難な場合があります。親以外の方にもヘルプを出せる環境をぜひ作ってあげてほしいと思います。また、大人の方で親と心理的・物理的にどのような距離感で接していけばよいのか、トラウマが生じている場合の対応などについては専門機関での相談を受けられることをお勧めします。
2021年08月22日ADHDの子どもには適切なサポートが不可欠!Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDの特性は、日常のさまざまな場面で「困った」「うまくいかない」という経験につながることがあります。「変な子」「問題児」とレッテルを貼られてしまったり、「もっとがんばりなさい!」と叱責されてばかりでは、子どもはだんだんと自信を失ってしまいます。また、保護者も同様に、子育てに難しさや疲労感を感じて悩んでしまうこともあるでしょう。ADHDのある子どもも適切なサポートや治療を受けることができれば、悪循環から抜け出して能力を伸ばしていくことができます。本人や周囲の人がADHDの特性を理解すれば、困りごとを回避し、対策していくことも十分に可能です。そのためにも、ADHDを疑ったら早めに専門機関に相談すると共に、早い時期に専門医の診断を受けましょう。専門家からのアドバイスを受けることで、保護者もわが子にもっと向き合いやすくなり、適切なサポートができるようになるはずです。「ADHDかも」と思ったら、まずは身近な専門機関へただ、いきなり専門医を探して受診するのはハードルが高い、と感じる人も多いでしょう。そこでおすすめなのが、身近な専門機関の無料相談窓口を利用することです。相談できる専門機関をチェック!□保健センター□子育て支援センター□児童相談所□発達障害者支援センター□児童発達支援センター□児童発達支援事業所地域の保健センターや子育て支援センターなどは、これまでも健診などで利用したことがあるという方も多いでしょう。自宅近くの専門機関なら、気軽に訪れることができますね。また、かかりつけの小児科や、乳幼児健診の際に相談することもできます。専門機関ではどんな相談ができる?児童相談所、発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所は、初めて利用するという方も多いでしょう。簡単にそれぞれの施設の特徴を見ていきましょう。0〜17歳の児童を対象として、保健相談・発達障害などの心身障害相談を行う施設です。必要に応じて発達検査を受けることもできます。また、医師や児童福祉司、保健師、児童心理司、言語聴覚士などの支援や療育を受けたり、アドバイスをもらうこともできます。療育手帳の申請受付、判定、発行を行うのも児童相談所の役割です。発達障害者支援センターは、発達障害児への支援を行う専門的機関です。ADHDをはじめとした発達障害のある子どもとその家族に対して、日常生活や家庭でのサポートなど、さまざまな相談に応じてくれます。直接相談を行っていない場合も、お住まいの地域の保健、医療、福祉、教育などの関係機関への紹介、福祉制度やその利用方法も教えてくれます。児童発達支援センター、児童発達支援事業所は、どちらも主に小学校就学前の6歳までの障害のある子どもが通い、支援を受けるための施設です。日常生活の自立支援や機能訓練を行ったり、保育園や幼稚園のように遊びや学びの場を提供したりと、障害児の支援を専門に行っています。発達や子育てに関する相談にも乗ってもらえます。発達障害についてはもちろん、子育てについても相談できる専門家は、ADHDのある子どもを育てる親にとって頼りになる存在。困ったことや不安なことがあれば、親子で抱え込まずに相談しましょう。
2021年08月21日伝わるように伝えるということウチノコ(以下、――)むっくんと暮らしていると、私の言いたいことが思うように伝わらない結果、本人が怒られたと感じて癇癪を起すことがあるんです。そこで生活する中でむっくんの琴線に触れにくい言い回しを意識しています。例えば夕飯前の「お菓子ちょうだい」に対して「今はダメ」と言うと【怒られた】と受け止めて癇癪を起しやすくなってしまうのですが「明日の3時ならいいよ」って返すと、癇癪起こさないんです。これって特殊なのでしょうか?Upload By ウチノコ三木先生:へぇ!それで納得してくれるんですね。「そんな先は嫌だ!」とはならないのですか?そんなに見通しが立つのだろうか…?――見通し…どうだろう、ひょっとしたら見通しよりも「ワード」縛りかもしれません。「ダメ」って言葉や「あとで」なんかが大嫌いなんです。それでそこを避けて、「明日の3時」と時間を具体的に伝えて「いいよ」っていう許可の言葉で伝えることで怒られていないと思うのかもしれません。三木先生:ああ~!なるほど、それはありえますね。Upload By ウチノコ――ありえますか!でも大変なんです、同義語を探す国語問題みたいで。私に余裕がないとできないし、言いながら「私、屁理屈を言ってるなぁ」って思うんですけど、なぜかむっくんは納得するという。三木先生:あ!屁理屈!!屁理屈であるという認識は良いです。要は相手の論のどこを押さえれば落ち着くかを、とにかく考え続けるってことになるんですよね。僕はあるタイプのお子さんの親御さんに「性格悪くなってください」っていう話をすることがあるんです。要求に対しての答えを「ダメ」だけではなく、『何が』『どうなって』『こうだから』『ダメ』と、理屈でねちっこく順を追って説明することで理解させてあげてくださいって。そのほうが入りやすい子や、そういう関係性もあるんですよ。――なるほど…友達にこの言い回ししちゃうと嫌われちゃうな~って思っていましたが(笑)私と息子はそういう関係性だと思えばいいのか。三木先生:いろいろ試して論を繋いだ結果、「これが一番本人が落ち着ける」に達したのならアリだと思います。仮に、子どもがおやつを食事前に食べたがったとして、親の発する「今はダメ」という言葉の奥には、「今は食事前、夕飯食べてほしいから許可できないけど、明日にはまたおやつを食べることができるよ」という意味が含まれている。そう言った曖昧な背景や状況などの隠れた情報をその子と共有できていなかったり、その子にとって意味の分かりにくい言葉を使うくらいなら、誰がどう読んでも伝わる形で、見えない部分も理解できるように細かく本人に伝えていく必要があるんじゃないかと思いますよ。Upload By ウチノコ――確かに丁寧に理屈で伝えるほうが伝わる子なんですよね。でもあんまり頑張るとお母さんの話は長い!うるさい!って言われちゃうけど(苦笑)三木先生:(笑)様子見ながら、ときに短くしたり、伝わらなければ長くしたり、それを何度も繰り返すうちに、本人も全体の構造が分かってくるとこもありますからね。――確かに以前よりは分かってきているかも。でも先は長いなぁとも思います…三木先生:繰り返すことで理解できていくこともありますからね。ただ、繰り返してる間に年齢が上がっていくから、あれこれやったのが良かったのか、単純に本人が成長したのかどっちなのか分からないという。――あ~!それあります。なんかむっくんに起こる変化って、私がどうこうじゃなくて、結局全部本人の成長のような気がするんですよね~。三木先生:お!そこのまなざしは持っていてもらうとすごくいいと思います。私がこれを頑張ったからこの子はこれができるようになった!と思う親御さんは危ういというか、つまずきやすいんです。私は果たしてどれくらいできただろうか、全部この子が頑張ったからだって思えるほうがいいんじゃないかな。――そっか……そっか!よかった~(笑)なんだか自信つきました!ありがとうございます。Upload By ウチノコいつもなら深刻になってしまう癇癪の話が、笑いながらできたこと。それがなにより嬉しい時間でした。癇癪は困るからしないように子どもを変えなくては!という思考ではなく、私はこの子が理解しやすいように、落ち着けるように、言葉を選んで発信しただろうか?という視点を忘れずにこれからもむっくんに関わっていきたいと思います。執筆/ウチノコ
2021年08月20日止まらなかった指摘Upload By taekoミミが1年生のころにも、Aくんに「○○が違うよ」などの指摘をすることが多く、Aくんのお母さんから「班を変えてもらいたい」と要望がありました。スクールカウンセラーさんの助言もあり、そのときは、ミミに伝えて登校班の並び順を変えようと提案しました。ミミは「相手の嫌がることは言わない」と言ったので、様子を見ることにして登校班は変えませんでした。でもミミの指摘は止まらなかったのです…。2年生の5月の朝、登校班の待ち合わせ場所でミミが「Aくんの隣はイヤだ」と小さな声で言いました。小さな声で言えたことを褒めたのですが、私の見えないところでミミがAくんに聞こえるように「Aくんの隣はイヤだ」と言っていたようで、子どもたちを見送った後にAくんのお母さんから呼ばれて「登校班を変えましょう」と言われました。そしてとうとう登校班を変えることになりました。Upload By taekoミミのAくんへの指摘グセは一度や二度じゃなく、何度もAくんの嫌がる言葉を言っていました。それはイジメに当たるかもしれない。少なくとも相手はそう感じていたと思います。Aくんのお母さんは、学校の先生にもミミの指摘グセのことを相談していました。それでも改善されなかったのだから、ミミの登校班を変えてほしいとAくんのお母さんが要望するのは、自分の子どもを守るために当然かも?しれません。担任の先生には1ヶ月前に、登校班を変えることができるのか確認したことがありました。先生の早い対応のおかげで、その日のうちに登校班の変更をすることができました。Upload By taeko登校班が変わることをミミに伝えると…帰宅したミミに、来週から登校班が変わること、好きじゃない子がそばにいたら少し距離を置くこと、「キライ」と思っても直接言わず私に教えて欲しい、といつも以上に真剣に伝えました。ちょっと落ち込んだ様子だったけど、少し時間が経つといつも通りになりました。新しい登校班のメンバーを確認していたら、同じクラスのCくんがいました。それをミミに話すと、「Cくん、イヤなことを言ってくるからイヤだ」そう。ミミが今度は言われる立場になるのかも。もしかしたら良い経験になるかもしれないなと思いました。Cくんのほかにも、年上のDくんと学童で関わりがあったらしく「Dくんがいるのか…」とミミ。Upload By taeko新しい登校班からの登校が始まると…「Dくんめ!!」とミミは、すごい敵対心。Dくんは年上の余裕?なのか、ミミを相手にしません。登校班で歩き出すとミミはかかとを踏まれて「何で踏むんだよ!」とピリピリ。わざとじゃないよ、と私が伝えてもミミは「わざとだよ!!」とイライラモードです。何が足りないんだろう?分かりやすい愛情表現が必要なのかな?私はミミを抱きしめました。私が無意識に発する言葉がミミをキズ付けているかな…。Upload By taeko新しい登校班の連絡網にミミの特性(ASDであること、通級に通っていること)を伝えて、何かあったら知らせて欲しいと送りました。前の登校班ではミミが同じ登校班の子にイヤな思いをさせてしまっていたけど、今度はイヤなことをされる側になるのかも。ミミはイヤかも知れないけど、逆の立場になり、いろいろ経験になるチャンスだと思いました。何かあったらそのときにまた考えよう。登校班を変えたことで私は心のうちで少しだけホッとしています。いろいろな立場を経験することは親子共に経験になるはず。ミミは私のために登校班を変えてくれたのかも〜と都合良く考えようと思っています。Upload By taeko執筆/taeko(監修:初川先生より)これはとても難しいテーマだなと思います。ミミくんにとっては、苦手な子と隣になることは嫌なことで、不安や落ち着かない気持ちになるのでしょう。それを「イヤだ」ということはある意味とても大切なサインを出していることです。しかし言われる側もまた子どもなので、それによって嫌な気持ちがうまれてしまいます。対応の一つとして、「イヤ」に代わる表現をたくさん準備しておくことはできるかもしれません。「心配だ」と不快な気持ちを表現してもよいですし、「○○さんと隣になりたい」という代替案を言えてもいいかもしれませんね。もう一つとしては、環境調整もあり得ます。登校する時点でミミくんはストレスフルな状態になっていますが、登校後に影響はあるのでしょうか。お母さんが既に見守りながら一緒に登下校しているのであれば、まずは班から半分離れてお母さんと一緒に行くか、あるいはお母さんも一緒に登校班に入ってしまうかして、心穏やかに登校することを検討してもいいかもしれませんね。心にゆとりがないと、苦手な子の嫌な部分だけが目につきやすいものです。安心して過ごす中で苦手な子の別の側面(優しいところなど)にも気づけるとよいのではないかなと思います。
2021年08月19日先生からの”さり気ない支援方法”は予想外のもので…!?Upload By 丸山さとこ学校に通っていると、ノートやプリントなど”子どもから学校への提出物”がたくさんあります。息子のコウは、小学校入学以来それらの提出物を出さないことがしばしば問題になっています。宿題の方は、朝一斉に集めることもあり年々出し忘れが減ってきているそうですが、授業中に配布と回収を行うプリント類は未提出が目立つようです。そんなコウに対して先生は声掛けをしてくださるのですが、回収し終わってから声をかけるとクラス内で目立ちますし、提出物が一斉に集まるときはコウが出しそびれていても気づきにくくなってしまいます。そこで、担任の先生は提出物を集めるにあたって『名簿順に提出するルール』を作ってくださいました。『丸山』は名簿順で一番最後。これによってコウが提出物を出していないことに先生が気づきやすくなりました。Upload By 丸山さとここれもまた『その子一人ひとりに合わせた支援』なのかも?定番の支援方法として紹介される支援には、普遍性が高く汎用性に優れたものが多くあります。それにより、支援を必要とする当人や周りの支援者たちは優れた支援方法を共有でき、本当に素晴らしいものだと感じます。しかしその一方で、実際に学校内での支援を望む際には、それら定番の支援方法を活かすのが難しいこともしばしばあります。先生のポリシーとかみ合わなかったり人手が足りなかったりすることもありますし、支援を受ける子ども本人が「みんなと違うと嫌だな」「目立ちたくないな」と思う場合もあります。Upload By 丸山さとこそんな中、「集団への指示が通りにくい児童に対して個別に声をかけて促す」という定番の支援を、集団への支援と合わせてさり気なく行うために作られた「名簿順に提出する」ルール。たまたま今年はクラス名簿の最後尾だったことで行えたその支援方法は、来年以降は使えないものかもしれません。けれども、その「今年限定で行える支援」は、現在のコウに合わせて考えられたピッタリの支援と言えるのだろうと思いました。担任の先生が考えて下さった工夫と細やかな配慮を、とてもありがたいなと感じました。Upload By 丸山さとこ余裕をもって支援を行えるだけのマンパワーがあったり、子どもたち一人ひとりがそれぞれの違いを認めて支援を受け入れられるのであれば、それはとてもよいことだと思います。それを念頭において目指しつつ、「実際に今できそうなこと」や「支援を受ける子ども当人の気持ち、その子の周りにいる子どもたちの気持ち」も大切にして、”そのときのその子に合った支援”を実現していけたらいいな…と思うこのごろです。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)クラス全体に有効なユニバーサルな支援のほかに、個別の支援としての合理的配慮があります。このような合理的配慮を選択する際に、コウくんの体験のように本人にとっての受け入れやすさという視点も必要になります。例え最初は考えた支援がフィットしなくても、先生とコミュニケーションしていくことで、よりよい支援に調整していけると良いと思います。
2021年08月18日生活習慣をつけるのは難しい!睡眠障害がひどい娘(ASDあり)は、起きる時間がまちまちなので、何時に何をやるという生活習慣のつけ方ができません。起きてすぐ顔を洗って歯磨き、朝ごはんという流れのあるものはまだよいのですが、次に寝るまでの間にどこかでやらなければいけないものについては、どうしても「ふんわり」してしまうよう…。本人も「何かやり残したことがあるんじゃないか」と寝る前に不安になり、眠れなかったりするんです。「睡眠時間を整えれば、すべて解決するよね?」という話なのですが、それが一番難しいのです。ママお手製「毎日やることカード」登場!Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ中学1年(12歳)の冬休みから使い始めた「毎日やることカード」。中学3年(14歳)のGW終わりまで、1年半ぐらい活躍しました。最初はやったりやらなかったり、またひっくり返すのを忘れたりしていましたが、半年ぐらい続けたら習慣化してきました。わからなくなったら見る、そのためだけのカードだから…やってみて意外と大事なポイントだったなと思うのが、このカードの内容が「やらないといけない」ことではないということ。カードがペラペラの紙に手描きでぱっぱと描いたものだったことも、よかったのではという気がします。これらが、適度な緩さを生んで、いっちゃんも構えずに「書かれていることをやったらひっくり返す」という作業に気軽に取り組めたようです。Upload By 寺島ヒロ嬉しい誤算?自分でタスクをやりくりできるように!目的は親の決めたタスクをこなすことではなく、いっちゃんが「まだやらないといけないことがあるんじゃないか?」と思って、不安にならないようにしたいということだったので、やってないことを叱ったり、急いでやらせたりはしませんでした。そのうち、いっちゃんはカードを見ながら「今日はほかにやりたいことがあるのでこれはやらない」「今日はこれとこれを端折って、明日のために早く寝る」などと、自分で決めて、カードを伏せて置くようになりました。もちろん何もない日はちゃんとタスクをこなします。意図してやったことではありませんでしたが、カードをいっちゃんが自分でやりくりすることで、少しずつスケジュールを管理する力も身についてきたようです。執筆/寺島ヒロ(監修:初川先生より)やることを視覚化しておくと、本人も周囲も確認できるのでとてもいいですね。本人にとって周囲からの余分な声掛けも減るので、自分で自分の行動をコントロールできている感覚も育つと思います。ASDのあるお子さんに限らず、ADHD傾向のお子さんにも有効です。そして、「絶対にすべての項目をやらねばらない」という設定ではなく、あくまでも確認用として導入したことも思春期以降のお子さんであったり、こだわりに転化しそうなお子さんにはよかったのだと思います。カードを自分で運用できるまでに育っているのは何よりです。
2021年08月17日少しでもハラハラ要素を減らしたい!Upload By koto娘の癇癪や多動、危険行為が激しかった1~4歳前ごろ。例えば、ガラスを割ろうとしたり、玄関から外に出ようとしたり、家具に登ったり、テレビを叩いたり…。動き回り、次から次へと手を出すので、たとえ家の中でも気を抜くことは許されませんでした。それに加えて、謎のこだわりや強い要求など、感情を爆発させ続ける娘。あまりに泣き声や絶叫する声が大きくて長いので、通報されるのではないかとハラハラしながら過ごしていました。そんな中で、少しでも心が乱れる機会を減らすためにした、対策の数々。まず、食器はすべてプラスチックやメラミン、木製の物など割れにくい素材に替えました。大人が使う物もすべて割れない食器に。娘のコップは、マグを卒業してもずっとフタつきの物を使い、娘が不注意でコップを倒してもこぼれず、落としても割れる心配がない物にしました。パンクするかもしれないと思ってUpload By kotoまた、断捨離を行い、触って欲しくない物や危険な物を極力なくし、安全な玩具以外は置いていない、ガランとした家にしました。テレビ付近には人工芝を裏返したもの(踏むと痛いので近づかなくなる)を置き、ベビーゲートもあちこちに置いて、自分がトイレへ行くときなどは少し目を離しても大丈夫なように、できる限りの工夫をしていました。それでも、「最低限のことをするために少し目を離せるようになった」だけ。少しの休憩やリラックスするほどの時間は取れません。娘が寝ているときに、SNSで同じような思いをしている人の投稿を見つけたり、療育で知り合った人と励まし合ったりすることで少し気が紛れるようになったのですが、今思えば、当時は娘の感情にまっすぐに向き合い、すべて受け止めようとしていたように思います。それでは、母親といえどもキャパオーバーして当然です。夫は帰宅が夜になることも多く、私1人ではパンクしてしまう、そう思ったころから、理解ある友人に声を掛けて会ってもらったり、安全対策万全の療育園の園庭で遊ばせたりして、積極的に少し気を抜く時間をつくるようになりました。”耳でつながる”外の世界Upload By koto私が唯一、子どもの様子を見ながらできた気晴らしは、ワイヤレスイヤホンでラジオや音声配信を聴いたり、音楽を聴くことでした。子どもと2人きりの家の中でも、他人の声を聞いたり、好きな曲を聴きながら寝かしつけ等をすることで、少しリラックスした気分を味わうことができたのです。有線のイヤホンは、娘が気づくので使えませんでしたが、無線で片耳だけで聴けるイヤホンは、つけていることに気づかれにくく、もう片方の耳は娘の声や動きの音を拾えるので、安全かつ快適に気晴らしをすることができました。私が現在、ライブ配信や音声配信をさせてもらっているのも、自分自身がそういったことでかなり救われた部分があるからです。目を離せない、息抜きできない、手を離せない…。そんなときでも、耳は外の世界と繋がっている。コロナ禍で密室育児になりがちな方たちにも、オススメのリラックス方法です。執筆/koto(監修:井上先生より)kotoさんのお子さんのように、家の中で物を壊すなどの危険な行動をしてしまい、親御さんが1日中片づけてまわらなければいけないという悩みはよく聞きます。kotoさんが工夫されたように、被害を最小限にしたり、暴れていい場所を限定したりといった環境調整をすることが有効なのですが、インテリアを変えるなどの部屋の整理や断捨離は思い切りが必要になります。インターネットを通じて同じ立場の親御さんと支え合う、旦那さんなど周囲の応援を求める、自分自身の余暇を工夫してリラックスすることも大切です。この記事を参考に、できるところから始めてはいかがでしょうか。
2021年08月16日Q.「早期療育」とはなにをすることですか?A.発達障害がある子どもに対して早期からその子に必要な支援を開始することです。早期から支援をおこなうことで、発達を促進し適応状態を改善することで、不登校、抑うつなど二次的な問題を予防することができると言われています。Upload By 発達障害のキホン発達障害は脳の機能障害と考えられていますが、その原因は詳しくは分かっていません。障害特性自体を治療することは難しいものの、その子にあった環境を整え、必要なスキルを早期に獲得することで、社会生活における困難さが起こりにくくなります。早期療育には、自閉症スペクトラムに関しては、ABAと言われる応用行動分析の手法を用いたもののほか、自然な文脈の中でコミュニケーションスキルを発展させるDSP、当事者とその家族を対象とした障害支援プログラムである包括的介入とも言われるTEACCHなどさまざまな手法がありますが、子どもに関わる際に共通のポイントがあります。・スモールステップでスキルを学習すること・見通しを持つなど、安心して過ごせる生活環境をつくること・日常生活の中で学んだスキルを使用する機会をつくること・保護者も共に関わること早期療育には家族参加が欠かせません。保護者がどのように関わればいいのかは、子どもの療育を担う発達支援施設の専門家や、療育施設などで行われるペアレントトレーニングなどで学ぶことができます。
2021年08月15日怖がりのADHD息子。今夜も心霊番組で眠れない!Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は怖い話が大好きです。夏になると放送される心霊番組は必ず食い入るように見ています。心霊番組が好きなのかと思いきや…実際はノミの心臓か!というくらい臆病で、視聴中には私に寄り添ってきて「お母さん側にいて」と腕を組み、ドキドキしながら見ているんです。毛布を持ってきて、それにくるまりながら見ることもあります。Upload By かなしろにゃんこ。怖がっていても目は画面にくぎ付けで…私はと言うと、息子がくっついているからかすごく暑い!案の定、そのあとは物音にいちいち怯えて震えたり、もちろんトイレは一人で行けません。「お母さん、ぼくがトイレから出るまで見ていてね」と言う息子。「一緒にいればいいんでしょ?」と言うと「そうじゃないんだ、僕がトイレでお化けに襲われないように僕を見てて!」と言うんです。(お化けなんて現れないから大丈夫だっつーの!)と思うのですが、息子は心霊番組に影響されてしまって想像してしまうんでしょうか?「壁からお化け出てくるかもしれないから」と訴えかけてきます。(出てこないから心配すんな!)と思いますけど、本人は怖い気持ちの中で必死にトイレに入っているようです。Upload By かなしろにゃんこ。そうなると、もうお風呂も一人で入れなくなります。「ぼくがお風呂に入るのを見ていて」と先ほどと同じことを言ってドア開けて入ります。風呂場の湿気がガンガン居間に入ってくるので、とても困ります。大迷惑です(笑)最終的に怖くて眠れなくなるので電気を点けたまま寝ます。(TVに出てきた恐ろしい話が自分にも起こったらどうしよう…)と考えてしまって、なかなか眠れないと言います。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。成長した息子の当時の心境を聞いてみたら…?そこまで生活に困り感が出るくらいならば見なければいいのに?と思うのですが、イヤだと思いながらも興味が勝ってしまいやめられないのだそうです。発達障害のある子は感覚の過敏や思考の偏りから「お化けや幽霊を怖がる子が多い」と聞きますが、これも特性からくるものなのでしょうか?大きくなった息子にその心境を聞いてみたところ「スゴイ刺激が欲しいときもあるんだよ。不安になる気持ちとワクワクするような好奇心が混ざった複雑な…ザワザワした感じを楽しむというか。本物の幽霊を見てしまうような霊感が全くないから余計に『見ちゃったらどうしよう…』と想像して不安定な気持ちになるけれど、完全な恐怖感という訳でもない。不安定になりたいときが自分の中にあるっていうことかな?」と言っていました。Upload By かなしろにゃんこ。ほどほどでやめておけばいいのだろうけれど、ついついのめり込んでしまって夢中になってしまう。番組が終わっても自分のリアル現実世界で怖いことが起こるような気がしてしまう。心霊系だけはフィクションとして処理できない自分がいるようです。Upload By かなしろにゃんこ。母は心霊系が怖くないのでよく分かりませんが、要はドキドキする自分のアクションごと楽しんでいるということでしょうか?夏休み期間中は学校もないので嫌なことも少なく、精神的な調子が良いからそう思うのかしら?「でも怖い番組の影響で今も寝るときに真っ暗だと眠れないから、常夜灯を点けて寝ることにしている。怖い番組を見たあとのトイレは心を無にして素早く済ませ、スマホで楽しい動画を見ながら寝落ちすることにしている」と自分で恐怖心を克服して眠る工夫ができるようになったのは良いとして、大人になったのだからいい加減心霊系に慣れなさいよ!と思っています(笑)執筆/かなしろにゃんこ。(監修:初川先生より)怖くてドキドキするのも度を越えなければ楽しいことですね。ただ、年齢が幼いうちは、事実と作り物の区別がつかなかったり、発達的な特性がある場合は一度そういった番組にフォーカスしてしまうと途中で興味関心を自分でそらすことが得意ではなかったり、怖い状況に合致する情報(例 何気ない物音をお化けの音ととらえる)を多く取り込みがちであったりします。結果として自分でも想像以上に怖い思いをしてしまうことがあるのでしょう。見終わったときの気持ちや行動の変化を一緒に振り返って、それでも見たいか、それとも今はやめておく(もっと大きくなってからにする)など、親子で話し合ってみてもいいかもしれませんね。
2021年08月14日食事に強いこだわりがある息子Pはいつもと同じ決まったものしか食べません。たとえ種類や見た目は同じものだとしても、特定のメーカーのものでないと食べない、この店のものでないと食べないなど、強いこだわりがあります。例えばフライドポテトも、切り形や揚げ方、塩加減が違うだけで食べなかったりするので「いつも食べている同じもの」「見た目が同じもの」「味や食感が均一でイメージしやすいもの」でないと安心して食べられないのだと思います。Upload By みん偏食に悩み、いろいろ工夫はしてみたけれど…偏食に悩んでいたころは、何とか食べられるものを少しでも増やしたいと考え、材料を細かく切る、好きなものに混ぜる、見えないようにこっそり入れておくなどいろんな工夫をしていましたが、Pは味や食感にはかなり敏感で、ほんの少し食べ慣れないものが混ざっていたら、まず口には入れないし、もし口に入れることができたとしても、かむ前にすぐに吐き出してしまいました。その上今まで食べられていたものですら警戒して食べなくなってしまっていたので、もう料理に混ぜ込むなどの工夫をするのは一旦諦め、とにかく食べられるものが苦手にならないよう、飽きないようにと心がけています。Upload By みんそしてこんな風に考えるようにもなりました。もし私が異国へ行った時に食べ慣れない食材が、食べ慣れない味つけで出てきたとき、それをすすめられてもすんなり食べることはできるのかな?きっと初めてのものだから警戒するだろうし、食べ慣れるようになるまで時間もかかるかもしれない。そして帰国したら「やっぱり食べ慣れた日本食が一番安心だし美味しい!」と感じるんじゃないかな?と…そう考えるとPもきっとそれと同じような気持ちで、食べたくないものを無理矢理すすめられても余計に警戒するだろうし、本人がちゃんと見て触って嗅いで、納得してから口に入れないと安心して食べられないんじゃないかと思うようになりました。食べ慣れないものをすすめめられる気持ちを考えてみるUpload By みん食べることに対して出来るだけ良いイメージが持てるよう今は全体的な発達も心がけるそれからは無理に本人にすすめたりはせず、食事がテーマの絵本を見せたり、おままごとをして遊んだりしながら食事場面以外での関わりも大切にしています。また食事中も私が美味しそうに食べている様子を見せ、タイミングを見て「食べてみる?」と促したり、たとえ口には入れなくても食べ物の匂いを嗅がせたりしています。いつか自分から食事に興味を持ち、「食べたい!」と思って口にできるものが1つでも増えることを願いながら見守っています。Upload By みん執筆/みん(監修:三木先生より)ご本人の『食べられない気持ち』を想像してみるアプローチは素敵ですね。大人側の基準だけで判断せず、何事も『この子なりの理由があるんじゃないか』と想像してみるのはとても大事なことですし、理解のきっかけになることもあります。また、最後の例のように周辺領域からアプローチする方法も有効です。
2021年08月13日娘が望む、放課後の過ごし方。前回の続きです。習い事(琉舞)前に、体調不良を訴えていた娘。娘には合っていなかったと感じ、やめることになりました。それから現在(小学5年生)まで、一つも習い事はしていません。今、習い事をまたやりたいか聞いてみたところ…Upload By SAKURA娘は、自宅でのリラックスタイムを大切にしたいようでした。私は、好きなことを習い事にすればそれ自体がリラックスタイムになると考えていたのですが、自宅で過ごす時間と、通う時間は違うようでした。好きな習い事=好きな時間になるわけではない?自分のときのことを思い出してみると…Upload By SAKURA私は、習い事の中に好きなこともあって楽しい時間として過ごせましたが、どういう時間が心地いいか、癒されるかは、人それぞれ。娘には、自分の好きなことを思う存分できる『自宅での時間』がリラックスタイムで、急かされずにゆっくりと過ごす生活リズムが、合っているのだと思いました。経験はさせてあげたい!しかし、娘の好きな時間を過ごして欲しいと思う反面、いろいろな習い事でいろんな経験をして、その中から自分の興味のあることを見つけて将来につなげて欲しいという気持ちがありました。Upload By SAKURA習い事をしないままだと、もしかしたら出合えないことがあるかもしれない…。親として、いろんなことを経験させてあげる役割を、どうやって果たせばいいのかという不安もありました。しかし、そのために、娘の望まない日々を過ごすのは、違う…。そこで私は、娘にこんな話をしました。Upload By SAKURAいつか興味のあることが出てきたら…発育の成長段階では、刺激も必要だし、いろんな人と関わることや経験を積むことはとても大事だと思います。しかし、成長するに従って、本人が心地よい時間の確保も大切。本人が嫌だと感じたり、自分の望む時間の過ごし方が出てきた場合は、その通りにしてあげることも必要だと感じました。リラックスした時間を過ごしていくうちに、本人が少しでも興味を持ったことは「楽しそう」という思いだけでは終わらせず、負担にならない程度に経験させてあげたい。親として、その中から将来につながるものを見つける手助けをしたいと思っています。
2021年08月11日グループホーム入居に否定的だった娘親亡きあとを見据え、将来娘にはグループホームに入居して欲しいと考えていた私。でも当の娘はグループホーム入居にはずっと否定的で「もし家を出るならグループホームではなくアパートなどで一人暮らしをしたい」と言っていました。グループホームに入居した会社の先輩から「グループホームは自由がきかない」「音がうるさい」などの話を聞いたせいもあったのか、娘はグループホームにあまり良いイメージを持っていなかったようです。一人暮らしをすることを想像してみる高等特別支援学校のカリキュラムで学んでいたとはいえ、実家暮らしの娘には、仕事から帰宅した後、自分で食事や洗濯、掃除などをすることがどれだけ大変なのかや、『家賃』『食費』『光熱費』『交際費』『交通費』など実際一人暮らしをするのにはどれくらいお金がかかるのかなどが、リアルに想像できないようでした。お気楽親子⁉社会人になってから娘は給与の一部を食費として家に入れていました。携帯電話の料金と任意保険も自分の給与口座から支払っていました。残った給与は自分の趣味やおやつ代などに充てていて、娘の部屋は大好きなキャラクターグッズや漫画で溢れていました。私は「自分で働いたお金で買ったものだし他人に迷惑をかけているわけではないので問題はない」「趣味は大切」「仕事を続けるための活力になるのだったらむしろ良い!」と思っていました。このころは私も娘と同様『いつかは』家を出て自立できたら良いなぁ、程度に考えていたのです。同志でもあるAちゃんのお母さん娘が社会人2年目のとき、私は娘の同級生のAちゃんのお母さんと会う機会がありました。Aちゃん一家は高等特別支援学校入学時に学区外から引っ越してきました。引っ越し前の入学説明会には学校の近隣に住むおじいさまが来ていました。娘の同級生の中には途中で学校を辞めた生徒が何人かいました。辞めた理由はさまざまですが、自分でアルバイト先を探すような自立心が旺盛な生徒さんたちは比較的早い時期に学校を辞めていきました。退学した生徒と仲が良かったAちゃんは、いろいろと悩んでいた時期がありました。私の娘も学校を辞めたいと言っていた時期があったので、私とAちゃんのお母さんは在学中、親としての悩みをお互いに話したりしていました。当時私たちは主治医やカウンセラー選び、子どものメンタルの安定のための趣味の充実の工夫、セラピーなどを模索していました。私たちは、特性を持つ思春期女子の子育てに奮闘する『同志』のような関係でした。娘から「Aちゃんが一人暮らしをしている」と聞いていた私は、そのことをお母さんに尋ねました。Aちゃんは高校卒業後入社した特例子会社を一年ほどで辞め、別の仕事をしながら親元を離れて暮らしているとのことでした。一般的には「親元を離れて暮らしている」と聞くと「すごい!」「自立してる!」「良かったね!」と感じることでしょう。でもそこに至るまでのお母さんの並々ならぬ苦労を私は知っています。また、障害のある子どもの転職や引越しにはさまざまな段取り取りが必要です。特例子会社を退職するときの手続き。就労先を斡旋してくれた学校との連携。就労支援事業所の利用や、生活保護をうけるかどうか。グループホームの見学や体験。転出・転入の手続き。福祉関係の引き継ぎ。引っ越し作業。etc…それらには時間と労力を要します。高校入学時からのお母さんのさまざまな苦悩を見てきた私は、彼女の複雑な心境も痛いほどよく分かりました。そして成人しているとはいえ20才そこそこの障害のある女の子が親元を離れて暮らすことへの心配もーー。モヤモヤする母ゴコロ彼女はご主人やきょうだい児たちから「お母さんは過保護だ」と言われたそうです。私たち母親は、子どもが小さいころからわが子の苦労やつまずきを減らそうと試行錯誤を繰り返してきました。トラブルの際には矢面にも立ってきました。さまざまな困難に直面し、ときには傷つき、子どものかんしゃくや自傷を目の当たりにしたりにしながらも必死に毎日を過ごしてきました。確かに私たちには“心配癖”が付いてしまっているのかもしれません。でも長い間、人並み以上に手のかかる子どもの世話をし続けてきた私たちは、『過保護』や『過干渉』と言われることに何だか納得できませんでした。もしかしたらこの気持ちは父親やきょうだい児には理解してもらえないのかもしれません。ずっと先のことだと思っていた「わかる、わかる、その気持ち!!」と深く共感しつつ話を終えた私たち。でもこのとき私は、「うちの娘はまだ家を出ていく気は無いようだし。初期費用(※)も貯まってないし。まずは仕事を続けることが目標かな」と考えていました。私も娘自身も、その後一年足らずでグループホーム入居に向けた動きが始まり、親子ともども悩むことになるとは露ほども思っていなかったのです。※グループホーム入居に向けては引っ越し費用などを含めて100万円程お金を貯めてからの入居が好ましいと言われている(諸説あり)執筆/荒木まち子Upload By 荒木まち子(監修:三木先生より)いろんな時間を共にしてきたお母さんの方がどうしても心配しすぎてしまうんじゃないかと不安になることはありますよね。ただ荒木さんの場合は、ご自身の心配を振り返りながらお子さんの問題ときちんと分離して悩まれているようですので、安心していっぱい悩んでもらって大丈夫だと思います。
2021年08月10日Upload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)医療と教育の連携問題。次男のときどうすれば良かった?Upload By スガカズわが家のADHDのある次男は小学1年生のとき、親と学校側との連携がうまくいかなかった経験があります。通常学級に在籍していたのですが、次男自身も、先生と意思の疎通がうまくいかずにもどかしい思いをしたことが、たびたびありました。また、クラスには次男のほかにも発達凸凹があるお子さんが複数いたこともあり、ケンカなどのトラブルが絶えませんでした。特性も少しずつ落ち着いてきた現在、改めて当時を振り返ると「医師と担任と私とで直接情報共有やアドバイスができる場を作れたらよかったのかも…?」「でも、そもそもどうアプローチすればよかったの?」そんな疑問が出てきたので、今回三木先生に「医療と教育の連携」について質問をしました。スガカズ(以下、――)次男が小学校1年生の頃、学校でのトラブルが多く悩んでいました。もう少し学校との連携がうまくいっていたらよかったのではないかと思うのですが、医師と教育者(担任、スクールカウンセラー、特別支援コーディネーターなど)が直接話をする場を設けることは可能なのでしょうか?発達障害のある子を育てるにあたって、医療と教育での直接連携ができれば学校側により正しい理解を得られるのではないか…と。私は当時の雰囲気から「連携は難しいだろうな…」と勝手に判断していたのですが、三木先生が監修されているコミック『リエゾン~こころの診療所〜』の1巻で、医療と教育が連携しているシーンが登場したのに驚いて…。三木先生:私の働くクリニックでは、学校に出向いてケース会議を行うことはしていませんが、患者さんの在籍する学校関係者が、患者さんとご家族と一緒に診療の際に同席されることがありますよ。主に自傷、他害、脱走など、重要度の高いお子さんです。――なるほど…。現在小5(ADHD)の次男が小学校に入学したときはお友だち関係でのトラブルも多く、クラスにも迷惑をかけていると感じていたので…どのあたりまでが「重要度が高い」とされるのでしょうか。三木先生:どんな状況だったのしょうか?なかなか発達障害についての理解が得られにくく…Upload By スガカズ――次男については、もともと就学前健診の際に「ADHDの可能性が高い」と学校側に特性を伝えていました。実際入学してみると次男と同じクラスに、あるクラスメートが2人いました。1人は境界領域知能のお子さん、もう1人はわが家と同様に、就学前健診で発達障害があると伝えていた家庭のお子さんで、結果的に発達障害のある子が通常学級に3人いるという環境でした。次男を含めたこの3人はいつも一緒に行動をしていたようです。一緒なのはいいのですが、ケンカも頻繁に起こるため、授業が中断したり、集団行動がとれなくて3人で授業を抜け出したりと、日常的に困ってしまう状況が起きていました。校長先生や担任の先生を交えて話し合いなどもし、「健診で次男の発達の凸凹について伝えていたと思っていたのですが、クラス分けに配慮などはなかったのでしょうか」と質問をしました。担任の先生は初耳だったようで、私は『クラス配置は障害について考慮されていなかった』ようだと感じました。三木先生:それは確かに学校も大変かもしれませんね。――はい、先生方も大変だったと思います。当時の担任の先生は子どもとの関わりなど並々ならぬ努力をされたと感じてはいるのですが…。先生も困っていた様子は伺えましたし、私たち親へ提案をしたり、投薬などを勧めてくれたり、いろいろとできることを模索しているのはわかりました。それでも私たち親との知識の差を感じてしまい…。三木先生:通常学級の先生の障害への知識は、ほか(特別支援学校など)と比べると不足しているのは仕方のないことです。投薬ですべてが解決するわけでもないですしね。もちろん投薬することで特性が穏やかになり問題が解決することもありますが、現場の根本的解決には環境調整が重要ですからね。――そうなんです。なので、「あのとき医療と教育の連携をできていたのなら、先生方も正しい知識や理解を得られたのかもな」「私を含む三人の子どもの保護者も、あそこまで気に病まずに済んだのかもな」と感じています。学校と先生に相談したい場合、どうアプローチすればよい?Upload By スガカズ三木先生:保護者側の目的を明確にした上での提案はしていっても全然OK!先ほど話しましたが、連携するパターンとしては、診療時間に担任の先生が同席をして話をすることが多いです。プレーヤーの種類は、担任、スクールカウンセラー、養護教諭、学年主任、特別支援コーディネーターがあり得ます。気合いの入ったところだと、副校長なんかも来院されることがありましたよ。「学校がどれくらい困っているか」によって人数も種類も違ってきます。――なるほど。次男のようなケースだと、かなり関わっていただいた担任、特別支援コーディネーターあたりかな…。三木先生:学校は基本的に「医療とつながりたい」と思っています。その中で「直接つながりたい!」というニーズがどれくらいあるか見極めて、ニーズを引き出す声かけが重要なのかなと。情報共有をしたいのか?アドバイスがほしいのか?など、クリアにしてから医師に提案してみるといいと思います。提案される側が気まずい状況にならないために、提案する側は明るくふるまってみてはいかがでしょうか。もし事情があって提案が断られても、受け流すくらいの軽い気持ちでいましょう。そうすると別の支援が必要になった際にも提案がしやすいですし、断った側も身構えない状況がつくれますよ。――確かに軽い気持ちでいた方が今後のためにもよさそうですね。それと、うちの次男の場合だとクラスに発達障害のある子が3人いたし、わが家が断られたとしてもAくんBくんの主治医にも相談することで、さらっと提案してはいるけど熱い気持ちが伝わったのかもしれません。4年前の私にアドバイスしてあげたいです…!感想担任の先生とは1年限りの付き合いですが、子どもは小中学校に在籍しているので、保護者と学校の関係は続きますね。できれば学校とは足並みを揃えていきたいものです。「とは言っても、先生も忙しいから時間をとってもらうことは迷惑になるかも…」と遠慮してしまいましたが、学校の先生ももしかすると同じ気持ちを抱いている場合もあるのかも…。よりよい支援のためと理解してもらうためなら、結果がどうであれ、勇気を出すことでこの先の関わりに活きていくかもしれません。次男が中学校にあがった際の参考になりました。執筆/スガカズ
2021年08月09日Q.ポジティブ行動支援(PBS)について教えてくださいA.日常の中で「子どもができていること」「がんばっていること」に着目して支援する方法です。不適切な行動を叱ったり罰をあたえるのではなく、適切な行動や不適切な行動をしていないことをほめたり認めることで、望ましい行動を増やしていきます。また、一人ひとりの行動だけでなく、その周囲の人々や環境もアプローチの対象とし、持続的な効果を生み出すための仕組みを考えていきます。Upload By 発達障害のキホン近年の研究で推奨されている関わり方である、PBS(Positive Behavior Support, ポジティブ行動支援)。ポジティブ行動支援(PBS)では、「適切な行動ができていることや、不適切な行動をしていないこと」をほめたり認めたりすることに加え、保護者も含めた子どもに関わる周囲の人々にアプローチし、子どもが力を発揮しやすい環境を整えます。PBSを用いて子どもと関わることにより、子どもの問題行動が減ったり、保護者のストレスが減るといった研究結果も報告されています。療育施設や園・学校などのみでなく、家庭でもこの方法を取り入れることで、子どもが力を育みやすい環境をととのえることができます。具体的にどのように関わったら良いのかがわからない保護者に対して、ペアレントトレーニングなどで関わり方を伝える取り組みもされています。参考:日本ポジティブ行動支援ネットワーク
2021年08月08日ADHDの症状は2歳ごろからUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDは先天性の発達障害です。学習や対人関係、社会生活に困難を抱えることが多いため、ある程度成長するまではなかなか障害に気づきにくいのも特徴のひとつです。ADHDと診断された人たちの中には、乳児期にも「なかなか寝付かない」「寝返りが多く、落ち着きがない」「抱っこされることを嫌がる」などの傾向があった、と振り返る声も。ただ、このような行動は定型発達の赤ちゃんにも見られるもので、一概にADHDと結びつけることはできません。ADHDの特性がはっきりしてくるのは、早くても2歳ごろからです。「じっとしていられない」「かんしゃくを起こすことが多い」「ものを壊したり、乱暴な遊びを好む」などの様子から、専門機関に相談したり、医療機関を受診して気づくケースが多いようです。また、3歳児健診のときにADHDの疑いがあるということで、フォロー対象になることもあります。2~3歳の時期に多く見られる特徴は、多動性や衝動性であると報告されています。落ち着いて座っているのが苦手、電車やバス、公共の場など、静かにするべき場所でも騒いでしまうなど、多動性の特徴は親にとってもヒヤヒヤするもの。周囲の視線が突き刺さり、肩身の狭い思いに苦しんだ経験を持つ方も少なくないでしょう。ADHDと診断されるのは7歳ごろからが多いADHDの特性がよりはっきりとあらわれるのは、幼稚園〜小学校に入学する7歳ごろです。ADHDの診断を受けた時期も、就学前の7歳ごろからが多いと言われています。低年齢のころは「ADHDの疑い」として確定診断をせずに、慎重に診断・検査を行う医療機関もあります。また、大人になってからADHDと診断される人もいます。ちょっと変わった子、問題児として扱われ、本人の性格の問題として見過ごされてきたものの、社会に出てから仕事や対人関係で困難を抱え、受診に至ることも多いようです。最近ではADHD(注意欠如・多動性障害)という名称が広がり、発達障害への認識が広まってきたことから、子ども時代に診断を受ける方も増えているといえるでしょう。ADHDの主な症状は?チェックリストで確認!ADHDのある人によく見られる困りごとの一部を紹介します。ADHDの症状は「不注意」「多動性」「衝動性」の3つですが、これらの症状は関係しあったり、重なったりしている場合も少なくありません。Upload By 発達障害のキホン年齢や環境によっても現れる特性や困りごとは異なります。また、ADHDの特性があるからといって、必ずしも生きづらさや困難を抱えるとも限りません。ただ、もし上記のリストの特性や困りごとに当てはまるものが多く、長期にわたって日常生活や学校生活に支障が出ている場合は、相談機関に相談をしてみるのがよいでしょう。思春期になるとADHDの特性による多動は減少傾向思春期になると、授業中にふらふらと立ち歩いたり、会話の流れを無視して突然周りの人に話しかけたりといった、幼児期や小学生時代に目立っていた行動は落ち着いてくることが多いようです。その一方で、発達障害のある子どもは、思春期に入ると劣等感を抱きやすい、という傾向も報告されています。中学、高校では校則や定期テスト、部活動、さまざまな行事など、規律を守って集団行動をする場面が増えていきます。また、第二次性徴をきっかけに、他者との違いも意識し始める時期です。思春期特有の悩みに寄り添いながら、自分自身の得意なところにも目を向けることができるように、サポートしていくことが大切です。
2021年08月07日個別の教育支援計画ってなに?個別の教育支援計画とは、障害のある子どもに対して関係機関と連携し、切れ目のない教育支援を継続して実施するために学校が中心となり作成される個別の計画です。個別の教育支援計画では、子ども本人や保護者の現在の困りごとや願い、将来に向けた希望、教育上必要な合理的配慮などについて、学校のみでなく、家庭、 医療、福祉などが共通理解を図り、それぞれの場における支援目標や内容と関連づけながら計画に記載をします。「平成15年度から実施された障害者基本計画 においては、教育、医療、福祉、労働等の関係機関が連携・協力を図り、障害のある児童の生涯にわたる継続的な支援体制を整え,それぞれの年代における児童の望ましい成長を促すため、個別の支援計画を作成することが示された。この個別の支援計画のうち、幼児児童生徒に対して、教育機関が中心となって作成するものを、個別の教育支援計画という」(小学校学習指導要領(平成29年告示)開設総則編より引用)個別の教育支援計画の対象者は誰?現在、通級による指導を受けている子ども、特別支援学級や特別支援学校に在籍している子どもについては作成が義務付けられています。通常の学級に在籍している子どもについても、作成することが推奨されています。このことについて、平成29年及び平成30年に改訂された小中学校や高等学校の学習指導要領では、次のように示されています。「今回の改訂では、特別支援学級に在籍する児童や通級による指導を受ける児童に対する二つの計画の作成と活用について、これまでの実績を踏まえ、全員について作成することとした。また、通常の学級においては障害のある児童などが在籍している。このため、通級による指導を受けていない障害のある児童などの指導に当たっては、個別の教育支援計画及び個別の指導計画を作成し、活用に努めることとした」(小学校学習指導要領(平成29年告示)解説総則編より引用)参考:小学校学習指導要領(平成29年告示)解説総則編 | 文部科学省なぜ個別の教育支援計画が必要なの?障害のある子どもの生活の場は学校のみでなく、家庭や地域があります。例えば放課後等デイサービスなどの福祉施設、さらに、医療による支援を受けている場合もあります。個別の教育支援計画を作成することで、それぞれがバラバラの支援をするのではなく、生活場面全体を視野にいれた包括的かつ一貫した教育支援を実施することが必要です。作成の際には、現在の困りごとや制約のみに焦点を当てるのではなく、例えば3年後どうありたいか、何ができるようになっていたいか、など長期的な視点を持つことで、 子ども本人、ご家庭、 学校、各種関係機関で目指す方向性を共通理解することができます。また、個別の教育支援計画を進学時・進級時に引き継ぐことで、切れ目のない教育支援を実施するために活用していくことが大切です。なお、個別の教育支援計画の作成にあたっては、多くの関係者が関与することから、保護者の同意を事前に得るなど個人情報の適切な取扱いに十分留意した上で、情報共有をすることが必要とされています。個別の指導計画との違いは?通級による指導を受けている子どもや特別支援学級に在籍している子どもについては、個別の教育支援計画と共に、個別の指導計画の作成も義務付けられています。個別の指導計画とは、子ども一人ひとりの実態に応じて、きめ細やかに各教科等でどのような目標に基づきどのような指導をするか、またどのように教えるか、などを記載している計画です。個別の教育支援計画は関係機関と連携を図り、長期的な視点を持ちながら作成しますが、個別の指導計画は、子どもが在籍している学級の教育課程に基づいて、1年ごと、1学期ごとの学校における学びを具体的に記述する計画です。個別の教育支援計画の項目令和3年に文部科学省から「個別の教育支援計画の参考様式について」各自治体に通知が出されました。本通知においては、統合型校務支援システムなどのICTを活用して、学校内外で必要に応じて個別の教育支援計画のデータを蓄積や共有ができる仕組みの必要性を踏まえ、個別の教育支援計画の参考様式を示しました。Upload By 野口あきな参考:参考資料(「障害のある子供の教育支援の手引」関係) p.422 p.424-425個別の教育支援計画作成のポイント1.本人、保護者と共に本人を中心とした計画を作る計画は学校が中心となり作成するものの、計画の主体者は子ども本人と保護者です。そのため、子どもや保護者の願いや困りなどを置いてきぼりにした計画にならないことが大切です。子どものわかる方法でご本人のニーズを聞き、計画に反映しましょう。例えば言葉でのやりとりが難しい場合は、絵や写真、選択肢などを活用することで、子ども本人の希望を聞くことができます。2.関係機関と連携し作成・共有する平成30年に、家庭・教育・福祉の連携を推進する「トライアングルプロジェクト」の報告がなされました。このプロジェクトにおいて、学校と放課後等デイサービスが連携する方法の一つとして、個別の教育支援計画を通して連携をすることが明記されました。Upload By 野口あきな放課後等デイサービスなどの関係機関における支援内容を確認し、学校での支援内容についても共有をすることで、連携や役割分担をしながら、一貫した教育支援をすることができます。前述の通り、情報共有の際はご本人・保護者に希望を尋ねた上で連携をする必要があります。3.合理的配慮について記載する2016年に施行された障害者差別解消法において、合理的配慮を提供することが義務付けられました。教育における合理的配慮とは、学校で過ごしたり学んだりする上での困難さがある場合に必要な個別の配慮や調整することを指します。子ども本人が学校生活を送る上でどのような配慮や調整があったらより過ごしやすく、学びやすくなるかについて子ども及び保護者と話し合い、合意した合理的配慮の内容を個別の教育支援計画に記載しておきましょう。合理的配慮は障害のある人の権利として、学校のみでなく、受験時や就労時にも使える制度です。特に受験の際などは、これまでにどのような配慮を学校で受けてきたか?が根拠となり、そのような根拠がない場合は配慮を受けることが難しい場合もあります。そのため、個別の教育支援計画において、どのような合理的配慮を現在受けているか、を記載し引継ぎをすることが大切です。4.定期的に見直して更新する個別の教育支援計画は1回作って終わりではなく、定期的に見直すことが大切です。1年に1回は変更点がないか見直すことをお勧めします。例えば子どもの状況が変わったり、支援機関が変わったりすることがあります。その場合は修正を加えることで更新をしましょう。5.進学先に引き継ぐ障害のある子どもや保護者は、学級や学校が変わるとまた0から情報共有をしなければならないことが負担になっていることがあります。過去の支援内容に関する記録がないために、これまで受けてきた支援が継続して受けられない場合もあります。切れ目のない支援のためにも、本人及び保護者の意向を尋ねた上で、進級先・進学先に計画を引き継ぐことが望ましいとされています。おわりに本記事では個別の教育支援計画の定義やどのような内容が含まれていることが望ましいかについて書きました。子どもを中心とした一貫した支援のために、個別の教育支援計画を活用してみてください。執筆/野口あきな
2021年08月06日息子の場合私の息子は知的障害を伴う自閉症です。現在20歳、療育手帳(愛の手帳)を所持しています。就労移行支援事業所まで一人で電車を乗り換えながら通所することや、簡単な家事手伝いは行うことができます。一方、こだわりが強く、時にはパニックを起こして暴れることもあります。息子は、小学校入学前、知的障害があること、着替えなどの身辺自立がまだ出来ていなかったこともあり、特別支援学校への進学を選択しました。知的障害があるのに小学校、中学校を通常学級のカリキュラムの中で過ごしてしまうと、出来るようになるであろうことも身につかない恐れがあると考えたからです。息子の障害の程度を考えたとき、教員数と担当児童数の割合にも不安がありました。Upload By 立石美津子※個別の教育支援計画・個別の指導計画については、通級による指導の対象者も策定義務あり※自治体の予算により、担任以外に補助員がつく場合もある※特別支援学校教員免許支持率は全国平均であり、地域によっても異なる特別支援学校に入学してみると息子のクラスは教員2名に対し児童5名でした。すぐに個人面談があり、個別の教育支援計画と個別の指導計画が作成されることになりました。私から「靴ひもを結ぶ練習をさせたいので、蝶結びをマスターさせたい」と伝えると、個別の指導計画の中に“紐結びを習得させる”と記載されました。担任の先生は息子のために教材を作り、毎日個別学習の時間で練習させてくれ、2週間でできるようになりました。Upload By 立石美津子特別支援学級のある小学校へ転校小学2年生のとき、東京都の指導主事の巡回があり「そろそろ特別支援学級に転校させてもいいのではないか」と言われ、近くの公立小学校の特別支援学級に3年時から転校しました。息子のように特別支援学校に入学をしても、発達の様子に合わせて、途中から特別支援学級のある小学校に転校することもあります。我が子の状態や教員数、支援内容の情報を集めて、子どもに合った環境を選択をするのが良いと思います。知的障害がない場合現在の制度では、知的障害を伴わない発達障害児の場合、情緒障害特別支援学級への入級をすすめられることがあります。知的障害がない場合は、知的障害特別支援学級への進級は認められない場合があるので注意が必要です。通常学級に在籍し、通級や特別支援教室(東京都の制度)を利用している場合、“個別の教育支援計画・個別の指導計画”が立てられます。これらを利用していない場合は個別の教育支援計画の作成は学校側に義務化されていませんが、診断があれば作成していただけるよう学校に申し入れることもできます。また、通級制度の利用を検討することもできます。サポートブックを活用学校の先生方は、自閉症についての知識は持っているでしょう。ですが、我が子については0歳から育ててきた親のほうががよく分かっていることも多いと思います。苦手なこと、得意なこと、パニックを起こした時の対処法などを担任に伝えておくとよいと思います。そこで、サポートブックをつくり、連携してみるのはいかがでしょうか。サポートブックに記載するのは下記のような内容です。・成育歴・子ども本人の特性(どんなことが苦手で、どんなことが得意か)・子どもが理解しやすい指示の伝え方・パニックを起こしたときの対処法・絶対に食べられない給食メニュー・絶対に避けてほしいこと(急に音楽を鳴らすのではなく事前予告し、小さな音から徐々にボリュームを上げる等)・保育園・幼稚園からの細かい申し送り・主治医や療育施設からのアドバイスの共有(発達検査・心理検査の結果を渡す)・クラスメートとの相性(どのようなタイプの友達が苦手なのか、どんなタイプの子とウマが合うか)書籍やネットの資料をドーンと渡すことは控え、分かりやすくまとめたものを渡しましょう。「知られたくない」と思わずに親は順番的には先に亡くなるので、子どもの人生に伴走し続けることはできません。ですから、子どもの障害を家族の中だけで隠すのではなく担任、ママ友、地域、クラスメートにカミングアウトし、地域や支援者とつながりをつくっておくことが大切だと思います。スペシャルな教育息子が小学校に入学したとき特別支援学校は“養護学校”、特別支援学級は“特殊学級”という名称でした。息子が小2になったとき学校教育法が変わり特別支援学級・学校という名称に変わりました。特殊な子どものための教育という発想ではなく、子ども一人ひとりの状態(教育的ニーズ)に合わせて特別な支援を行うという方針をあらわした名称となったのです。スクールバスに書かれた「○○特別支援学校」の名前を見て「特別に支援されるなんて、嬉しいな…」私はそんな感覚を持ちました。私は成人した知的障害者の移動支援の仕事をしているのですが、特別支援学校の卒業生でもある利用者の方が「僕はスペシャルスクールに通っていたんだ」と言っていました。「なんて素敵な言い方なんだろう」と思いました。執筆/立石美津子(監修:井上雅彦先生より)保護者にとって、お子さんの就学先・進学先は子育ての中で大きな悩みになります。一般的な学校・学級の特徴を知るとともに、お子さんが通う地域の学校を実際に見学したり、いろいろな人の意見を聞いたりすることで情報を集め、最終的にお子さんにとってより良い判断をされることが望ましいです。また、コラムにあるように、学校・学級を決めても、お子さんの発達によって最適な教育環境を選び直すこともできます。サポートブックについては、「~してほしい」という要求の文体より「~していただけると、~できることが多いです」という書き方が望ましいでしょう。家庭と学校でお子さんの様子が違うことがあるので、先生が実際に経験されたことをもとにサポートブックを更新していくと良いですね。
2021年08月06日発達障害がある子の中学卒業後の進路の選択肢わが子の発達状況や特性に合った進学先を選ぶには、まずどのような高校があるのか、それぞれどのような特徴があるのかを知っておく必要があります。ここでは、発達障害グレーゾーン~軽度知的障害があり中学校で特別支援学級を選んだ場合、進学先としてどのような選択肢があるのか、それぞれの高校の特徴などを紹介します。学校選びの際に留意したいのが「大学受験資格」が得られるのかと言うことです。障害者枠での就労の場合は、大学受験資格については考慮する必要はないかもしれませんが、大学進学を検討している場合は考慮する必要があるためです。(また、高等専修学校や特別支援学校卒業後、一般枠での就職を希望する場合、学校卒業時に「高卒」とみなされるのかについては雇用主の判断となりますので、就業の際に確認が必要です)【卒業後高卒認定される学校】高卒認定とは、その名の通り『高校を卒業した』という認定です。・普通科高校(公立・私立)・専門高校(実業高校)・単位制高校・定時制高校・通信制高校・チャレンジスクール(4年制)これらの学校は卒業と同時に高卒認定が与えられます。【卒業後高卒に準ずると認定される学校】卒業時に高卒認定に準ずるとみなされる「大学受験資格」を得ることができる学校もあります。・高等専修学校文部科学大臣が指定する課程を修了した場合、高等学校卒業者と同様に大学入学資格が与えられ、その他の進学についても高等学校卒業者と同等に扱われます。学科により、専修学校の高等課程には1年制~5年制までさまざまなコースがあります。調理学校などは1年制が多く、准看護は2年、理美容学校などは2年以上、そのほかの学校については3年制が多くなっています。高等課程の3年制を卒業すれば専門課程(専門学校)に入学することもできます。大学や短期大学へ進学も大学入学資格付与の指定を受けている学校を卒業すれば可能です。高等専修学校とは?文部科学大臣指定専修学校高等課程一覧(平成30年3月28日現在)・特別支援学校高等専修学校は卒業と同時に大学入学資格が与えられますが、特別支援学校についてはさまざまな学校や科があり、制度上は特別支援学校卒業で大学受験資格は得られますが、大学側が定めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合もあります。特に知的の特別支援学校については入学前に確認が必要です。【短大卒に準ずる資格を取得できる学校】・高等専門学校卒業後「準学士」の学術称号と、高専の専攻科や大学への編入資格が得られます。大学・短期大学、高等専門学校、専門学校の制度の比較国立高等専門学校の学校制度上の特色Upload By 発達障害のキホン大学入学資格を得るためには以下の条件のいずれかが必要となります。①高等学校又は中等教育学校を卒業②特別支援学校の高等部又は高等専門学校の3年次を修了※特別支援学校については大学入学資格は得られますが、大学側が定めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合があるので入学前に確認が必要です。③指定された専修学校の高等課程を修了④高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)での合格大学入学資格について文部科学大臣指定専修学校高等課程一覧(平成30年3月28日現在)制度上は特別支援学校卒業で大学入学資格は得られます。しかし、特に知的障害高等特別支援学校、知的障害特別支援学校高等部の場合は自立活動なども多いため、志望する大学側が定めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合があります。したがって、入学時点から大学進学に合わせた教育課程を個別に編成してもらえるかどうかを学校側と話し合っておく必要があります。卒業後進学を考えている場合は入学前に事前に卒業までに取得できる単位数などの確認をしておく必要があります。学習指導要領「生きる力」知的障害高等特別支援学校とは、知的障害の生徒を対象に、高等部のみ設置している学校です。職業技術科や職業学科、産業科などさまざまな科に分かれ、職業生活に必要な能力や技術を高めるために実践的なカリキュラムを行っており、知的障害特別支援学校高等部よりも就職に特化した学校となります。就職率が高い、就職先とのミスマッチが少ない、学校と企業とのパイプがあるなどのメリットがあります。学費は、公立の場合は公立普通科高校と同じ、私立はその学校のカリキュラムや校舎などの施設によります。卒業と同時に大学入学資格を取得できますが、上記にもある通り、就業にむけた実践的なカリキュラムのため、大学側が定めた科目の単位を取得していない場合があります。大学進学を希望している場合には入学時点から教育課程を個別に編成してもらえるかどうかを学校側に相談しておきましょう。【卒業時に取得】・大学入学資格:〇(大学側が定めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合があるので注意が必要)平成30年度新特別支援学校高等部学習指導要領等説明会における文部科学省説明資料(3/3)知的障害特別支援学校高等部とは、小学部から高等部まである、いわゆる小中高一貫特別支援学校の高等部です。知的障害高等特別支援学校と同様に卒業すれば大学入学資格を取得できますが、大学受験を希望している場合には高等部入学時点から大学進学に合わせた教育課程を個別に編成してもらえるかどうかを学校側に相談が必要です。一貫校となっていますが、多くの学校が中学部、高等部からの入学も可能です。【卒業時に取得】・大学入学資格:〇(大学側が定めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合があるので注意が必要)平成30年度新特別支援学校高等部学習指導要領等説明会における文部科学省説明資料(3/3)病弱特別支援学校高等部とは、慢性疾患などで、義務教育終了後も医療・生活上の規制を必要とする生徒、または高校入学後の発病や病状の悪化により学校生活への制約を余儀なくされた生徒が通える、医療や生活管理体制の整った高校です。適切な学習集団を確保する観点からも、近隣の高校と連携を図りながら、校内外でさまざまな学習を行うのが特徴です。療育手帳が取得できない知的レベルの生徒でも、普通科高校では必要な配慮が受けられず通えない場合の選択肢となる学校といえます。卒業すれば大学入学資格を得ることができます。【卒業時に取得】・大学入学資格:〇病弱・身体虚弱教育:文部科学省普通科高校(公立・私立)とは、いわゆる全日制あるいは定時制の高等学校のことです。平成30年度から言語障害、自閉症、学習障害、ADHD、弱視や難聴などの障害のある生徒に対し、通級による指導が制度化されました。しかし、47都道府県の中でも実施校に大きなばらつきがあり、東京都立高校は2021年から導入されています。また、支援体制が不十分な場合もあるため、過去の特別支援学級からの入学歴の有無を確認したり、個別相談を受ける、通っている人の話を聞くなど、学校の支援体制がわが子に適したものであるかを事前に調べる必要があります。学費は、公立は卒業までに約50万円、私立の多くは公立の倍以上はかかります。卒業と同時に高校卒業資格が取得できます。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇高等学校における通級による指導の制度化及び充実方策について(報告)概要専門高校・実業高等学校は、農業、工業、商業、水産、家庭、看護、情報、福祉など職業教育を主とする学科を設置する高等学校です。各分野に特化した専門的なスキルが学べるので、普通科高校に比べ就職率が高いのがポイントです。学費などは普通科高校とほぼ同様ですが、実習などで使う専門の道具などは別途購入が必要となってきます。平成30年より高等学校においても通級の制度化が始まり、専門学校も同様となりました。しかし、普通科高校と同様に実施にばらつきがある、専門教科・科目については必修科目となるので学校の支援体制、実習内容などに苦手な項目がないか、苦手な項目により必修単位が取得できないことはないか、などは事前に調べておく必要があります。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇専門高校の現状(専門高校に関する諸データ)専門高校紹介高等学校における通級による指導の導入について単位制高校とは、学年による教育課程の区分を設けず、決められた単位(74単位)を取得し、単位認定試験とスクーリング(ある程度決められた日数学校に通えばいい)で高卒資格が得られる高等学校のことです。昭和63年度から定時制・通信制課程で導入され、平成5年度からは全日制課程でも設置が可能となりました。必修科目にとらわれず、自由に単位を選べるのが特徴です。学費は、公立・私立で大幅に変わってきます。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇就労などを理由に全日制高校に通うことができない人の教育の受け皿として始まった高校ですが、不登校や特別な支援を必要とする生徒、睡眠障害など心身に何らかの問題を抱える生徒も多く通っています。毎日登校するという点は全日制高校と同じですが、登校時間帯を・夜間定時制・昼間二部制…昼食を挟み、朝と昼の時間帯に行う・三部制…9時~13時、13時~17時、17時~21時のように三部に分けるの3種類から選べる学校が増えています。学費は、公立は年間およそ20万円弱、私立はその約2~3倍となっています(授業料と学校徴収費〔給食を含む学校が多い〕)。3年制と4年制がありますが、いずれも卒業と同時に高卒資格が得られます。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇通信制高校は、自宅学習がメインで、単位取得(74単位+ホームルーム30単位)で高校卒業資格が得られます。空いた時間で好きなことをしたり、登校日を自分で選べるなどのメリットがあります。単位制高校との大きな違いは、必修科目がある、高卒資格を取得するには単位認定試験とスクーリングに加え、レポート提出が必須になります。サポート校は、通信制の高校生の卒業をサポートする「塾」のような存在です。連携している通信制高校に籍があり、連携先の通信制高校卒業で高校卒業資格を取得できます。サポート校のみでは、高卒資格は取得できません。卒業や大学受験、資格取得など自分に合ったサポートを選べますが、通信高校+サポート校費用のダブル負担がかかり、公立と私立では学費に6倍もの差が出てきます。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇※通信制高校の場合高等専門学校(高専)は、5年制で一般科目と専門科目をバランスよく配置した教育課程で、技術者に必要な教養と体系的な専門知識を身につけることができます。5年制ということもあり、卒業までの学費はおおよそ150万~240万円となっています。5年間の本科を卒業後(短大卒と同じ扱い)、さらに2年間専攻科でより高度な技術教育を学ぶことも可能です。専攻科を修了すると学士の学位(大学学部と同じ)を得ることができます。卒業後の進路は多岐にわたりますが、倍率が非常に高いのが難点といえます。【卒業時に取得】・高卒認定:3年修了時に同等の資格を得られる・大学入学資格:卒業時短大卒扱い参照:国立高専機構 豊田高専高等専修学校は、工業・農業・医療・商業など8分野にわたりバラエティーに富む職業教育を行っています。3年制で基本的に高校卒業資格は得られません(何校かは可能)が専門課程(専門学校)への入学が可能です。小学校や中学校の間にすでに「やりたいこと」「就きたい職」が決まっている生徒には向いている学校といえます。また、不登校や高校を中退した生徒を積極的に受け入れる学校もあります。学費は専門的分野によって差があり、平均して150万~200万円程度かかりますが、奨学金制度があります。高校卒業認定は得られませんが、修業年限が3年以上、総授業時数が2,590時間(74 単位)など条件を満たせば文部科学大臣が指定した学科の修了者は、高等学校卒業者と同様に大学入学資格が得られることになっています。【卒業時に取得】・大学入学資格:〇(文部科学大臣が指定した学科の修了者の場合)専修学校高等課程・一般課程と特徴・資格取得チャレンジスクールは、小・中学校時代に不登校経験を持つ生徒や高校を中途退学した生徒が新たに目標を見つけてチャレンジするための都立高校です。三部制・定時制・単位制の総合学科の高校で、現在5校とチャレンジ枠併設の1校があります。卒業と同時に高校卒業資格が取得できます。定時制のため通常は卒業までに4年間必要ですが、単位制でもあるので、授業を多く履修すれば3年間での卒業も可能です。学費は都立高校に準じています。【卒業時に取得】・高卒認定:〇・大学受験資格:〇フリースクールは、不登校の生徒が学校以外で学んだり友達と過ごしたりできる居場所ですが、公的な機関ではなく個人や民間企業、NPO法人などによって運営されています。入学資格を設けていない、異なる年齢の子どもが集まっているので学校のような決まったカリキュラムがないという特徴があります。高校卒業資格を得るには、高卒認定試験(旧 大検)に合格する必要があります。フリースクールの形式や規模によって学費(授業料)は変わってきますが、ひと月3万円前後のところが多いようです。高卒資格は取得できないため、大学へ進学をする場合には高卒認定試験を受ける必要があります。【卒業時に取得】・高卒認定:×・大学入学資格:×過去10年での進学率の変化10年前の2010年は特別支援学級に在籍する子どもが(特別支援学校以外の)高校に進む割合は約2割でしたが、2019年には約5割と2倍以上に増え、特別支援学校に進む子どもと高校に進む子どもが約5割ずつと半々になりました。文部科学省「学校基本調査 /卒業後の状況調査 中学校」平成22年度版文部科学省「学校基本調査 /卒業後の状況調査 中学校」令和元年度版中学校の特別支援学級から高校進学者が増えた背景には、情緒障害特別支援学級の在籍児童生徒数が近年大幅に増加していることが影響していると考えられます。そしてこれに伴って受け入れる高校側も必要に応じて別室での受験や、試験時間の延長、問題用紙の文字の拡大や読み上げ機能の使用など、受験の際に障害や特性に合わせた配慮を実施したり、通級教室を設置したりする学校も増えてきていることも理由に挙げられます。特別支援学級と一言で言っても特性や障害種別により複数のクラスがあります。それぞれのクラスによって進学率などは変わってきます。すべてのクラスにおいて高校への進学率が増えたという訳でもないので注意が必要です。特別支援学校高等部やフリースクールに進む場合は内申は必要ありませんが、そのほかの学校の多くは内申が必要となってきます。普通科高校の中でも、都立(市立・県立)高校のほとんどは内申が必要です。私立や専修、専門学校の中には内申は関係なく入学試験の点数や書類のみで合否を決める学校もあります。なお、入学試験にあたって内申が必要な場合について、通常学級の生徒と同様の中間・期末テストを受けていない場合は通常学級の生徒とは異なる評価の内申になる場合があります。進路選びのポイント高校で「支援体制がしっかりしている」「障害や特性に合わせた個別カリキュラムが組まれている」というような学校はまだ少ないのが現状です。その中でも、・子どもが学校に合わせるのではなく、子どもを理解し、配慮できる「子どもに寄り添った学校」か・特性や障害からできないことやゆっくりな部分にはじっくりと見守り、今できていることを伸ばしてくれる環境か・教職員が保護者の話を聞いてくれる姿勢があるか・必修科目や実習の内容に苦手なものはないかを見極めることが大切です。学校見学や説明会に足を運ぶ、資料を取り寄せるなどして、なるべくたくさん情報を収集しましょう。実習内容が必修科目になっている場合が多いのでオープンキャンパスなどであらかじめ聞いておくことも重要です。診断がある場合、入学試験でどのような合理的配慮をしてもらえるかなど、事前に話をしておくことも大切です。単位制でない場合、1科目でも欠席日数が既定の日数を超えてしまうと原級留置となりますが、学校によっては、診断があれば配慮がある場合もあります。学校に質問をするほか、通っている子どもや保護者の生の声を聞くことで、困りごとなどへの実際の対応や配慮・支援の様子なども知ることができます。子どもの将来のQOLを上げるためにも、できるだけ「失敗体験」をさせない進路先を選ぶ方がベターです。特性を抱える子どもは、「失敗体験」を重ね続けることで挫折感が強くなり、つまずいてしまうケースも多く見られるからです。就職できても、就職先とのミスマッチがあったり定着率が悪く職を転々としてしまう、というケースも出てきます。科が細かく分かれているか、実践的なカリキュラムが多いか、子どもの特性に合った職業選択を考えてくれるか、職業への連動性が高い指導をしているか、企業とのパイプはあるか、ということも大きなポイントになってきます。グレーゾーンや軽度知的障害の場合、家族や周囲の大人たちが「特別支援学級の生徒は特別支援学校へ」という流れが普通だと思ってしまうことが多く、内情をよくわからないまま特別支援学校に入学してしまうケースも少なくありません。特別支援学校に進んでみて、物足りなさや周囲とのギャップを感じて不登校につながることもあります。子どもとよく話し合い、子どもの意思を尊重しながら進路を選択することが大切です。進路先でつまずいてしまったらせっかく悩み考えて結論を出した進学先でも、子どもの性格や特性に合わず、不登校や二次障害などにつながってしまうこともあります。もしも進路先でつまずいてしまった場合どう対応したらいいのか、そのために保護者が準備できることを解説します。高校の通常級に在籍している発達障害が疑われる児童のうち、平成22年~26年度の間に平均7~10%の児童が不登校になるというデータが出ています。高校で不登校になる理由としては、・学習や実習についていけない・友人との人間関係がうまくいかない・「なぜできないの?なぜ行けないの?」という親からのプレッシャー・発達障害に対する理解がないなどが挙げられます。不登校になってしまった場合、「無理に学校に行かせない」「先生と相談・連携して学びやすく生きやすい環境を作る」ことも選択肢としてありますが、「その学校にこだわり続けない」「環境を選び直す」ことも必要です。なお、単位制の高校でない場合は、欠席日数が既定の日数を越えてしまうと原級留置(留年)となることも認識しておく必要があるでしょう。発達障害者支援に関する行政評価・監視結果報告書「不登校になってしまったけど、この学校は手厚いからもう少し頑張ろう」「せっかく好きなことができる科に入れたから、もう少し様子を見よう」などと進学先にこだわり続けることで、親子で苦しくなる場合もあります。中学生活の様子を担任の先生に聞いたり、わが子の特性や障害の程度を改めて見直したうえで、なるべく多くの高校の情報を収集して複数の選択肢を持っておき、子どもに提示できるようにしておくことも大切です。中学卒業後の進路決め、それはその後の子どもの「長きにわたる将来」につながる重要な選択になってきます。子どもの将来につながる教育や指導をしてくれるかどうか、支援体制はあるのか、入学の選考方法はどうなっているのかなど、事前の情報収集がとても大事になってきます。そして、「発達障害や特性のことをすべて伝えたら受からないかも」と不安になる方が多いようですが、障害があることを理由に落とされることはありません。充実した高校生活を送るためにも、卒業後の将来を考えるうえでも、子どもの障害や特性を包み隠さず学校側に伝えることがとても重要になってきます。また、親子で進路を相談すると衝突して考えがまとまらない、というケースもあります。その場合は保護者だけで抱え込まず、第三者や専門家に相談してもいいかもしれません。「この先子どもがどういうふうに生きていきたいのか」という将来像から逆算して、子どもにとってベストな環境を考えていきたいですね。執筆/田崎美穂子
2021年08月05日小学校1年生夏休みの宿題Upload By まゆん夏休みに、アサガオの絵を描く宿題があった。ある日、アサガオもきれいに咲いていたため太郎に「アサガオの絵を描こう」と誘った。すると、太郎の顔は一瞬で曇った。太郎は保育園時代から何かを見て描くことが苦手だった。このときも、スムーズにはいかないだろうなとは感じていた。それでも太郎はアサガオの前に座って観察をしていた。が…Upload By まゆん太郎は「ううう」「うあああああ」「むずかしい」「むずかしい」と言いながら身体を反らせたり、寝転がったりしていた。しかし決してアサガオの前からは逃げようとはしなかった。悶えながらも眉間にしわを寄せ、真剣にアサガオと向き合っていた。Upload By まゆんUpload By まゆん太郎にこのくねくねはどこの部分か尋ねると、顔をこわばらせ、答えなかった。答え方がわからないのかと思い、具体的に指を差してこう質問した。Upload By まゆんUpload By まゆんUpload By まゆん太郎は、ゆっくりとアサガオの花びらの縁を指さした。私は気づき、そしてハッとした。「たしかに、そうだ」Upload By まゆんこの花びらのくねくねのリアルさを太郎は一生懸命描こうとしていた。「難しい」とうなっていた理由がわかった。アサガオの花弁はくねくねしていて、それをもっとクローズアップして見てみるとさらにくねくねしていた。太郎はきっとそこまで観察していたに違いない。3時間も…。Upload By まゆんこのほかにも「木を描いてください」という課題で、「難しい」「難しい」と言いながら描いたのは木の根っこというエピソードもあります。全体像をとらえることが苦手で、細かいところに焦点をあてがちな太郎は、私とは全く違った物の見え方をしているのではと感じました。細かくものを見るため、「難しい」という言葉が出るのはあたり前なのかなと思ってます。しかし全ての絵が苦手ではなく、想像画は得意としてます。想像画では太郎の世界を楽しく、私を魅了させるほどのかわいい絵を描いてくれます。肉眼で見たものを模写することが苦手なようで、スケッチの授業でも先生の手助けを受けながら描いていました。このアサガオの絵も結局太郎の画力が追いつかないこともあり、私と一緒にシンプルなアサガオを描いて学校には提出することになりました。シンプルなアサガオは、太郎にとってはアサガオに見えていなかったようで「全然違う…」とつぶやいていたのを覚えています。親子ともども悩みながら、新しい発見ができた夏休みとなりました。執筆/まゆん(監修:井上先生より)アサガオというものを全体像としてとらえるのではなく、花の特徴の細部をとらえることができたのは、研究者のような視点ですね。周りの方は、こうしたとらえ方ができることを否定せずに、その子の強みとして認めてあげることが大事だと思います。一般的なフレームで描かせたい場合は、対象物を写真に撮ってアプリなどで輪郭線がはっきりした絵に加工したものを見せると、描けるようになることが多いです(字が書けるお子さんの場合)。ただ、そうすると個性を活かせなくなってしまうかもしれませんね。
2021年08月04日1つ下のゆいちゃんとお友達に近くの公園に母さんと娘より1つ下のお子さん(当時1歳半)が遊んでいて、何気なくお話しし連絡先を交換することになりました。それからお互いのお家を行き来する仲に。当時娘は2歳半ごろで単語がちらほらしか言えませんでした。2語文なんてまだまだ先の時期でした。そのお子さん家に遊びに行ったときのこと。お子さん(ゆいちゃん)は少しの2語文や、娘の知らない単語などたくさんお話ししていました。Upload By とまぱんUpload By とまぱんUpload By とまぱん私は出かけ先ではいつ娘が爆発するか分からなくて、話しかける余裕なんて全然ありませんでした。常に気を張っていつも無言だった私。家の中でも娘の癇癪にやられて話しかける気力がありませんでした。家でも外でも声掛けを十分にしていなかったと思います。子どもの発達の遅れは親のせいではないとよく言われますが、私はこのとき娘の言葉の遅れは私のせいだ…と落ち込みました。ゆいちゃんと発達の差は言葉以外でもゆいちゃんと娘との差は言葉以外にもありました。それは情緒的な部分です。娘がゆいちゃんのおもちゃで遊んでいると、ゆいちゃんは一緒に遊びたくて娘に近づいてくれます。しかし娘は、それを邪魔しにきたと思ってしまうのです。親としては子ども同士で楽しく遊ぶ姿を見たいのですが、娘にはまだ難しいようでした。Upload By とまぱんゆいちゃんが近寄ると激しく奇声をあげる娘。ときにはおもちゃを投げることもありました。一応娘なりにゆいちゃんに当たらない方向に投げているものの、物を投げることはとても危ないしいけないこと。娘を強く怒るとヒートアップしてもっと激しくなってしまうのですが、ゆいちゃんとお母さんがいる手前しっかり怒らなくてはなりません。「おもちゃ投げちゃダメ!危ないでしょ!」と怒りますが、ヒートアップが怖くて強く怒れない私。はたから見たらもう少し怒ったほうがいいのでは、と思われていると思います。でも強く怒るとその分娘が激しい癇癪を起こし、それを見たお母さんは引いてしまうのではとそれも恐れていました。いつも娘が癇癪を起こすと、どうすることが正解なのか咄嗟に判断がつかず、頭の中はいつもテンパっていました。遊ぶ時間は大体3時間くらいでしたが、その3時間はとても長く感じ、お別れしたあとはひどい疲労を感じてました。そんな娘の様子にゆいちゃんママの反応は...?ゆいちゃんのお母さんはとてもいい人で、そんな娘を穏やかな様子で見てくれました。ゆいちゃんもこんな激しい娘にも関わらず「お姉ちゃん、お姉ちゃん」となぜか懐いてくれました。とてもありがたいのですが、それとは裏腹に遊ぶ度に必ず癇癪を起こす娘。それを毎回必死に抑える私。お菓子を与えたり、しまいにはタブレットで動画を見せたりして抑えました。おもちゃで遊ぶゆいちゃんと、一人で動画を見る娘。何のために一緒にいるのか分からないときもありました。徐々に疲れていき遊ぶ間隔を空けることにUpload By とまぱんゆいちゃん親子と遊ぶようになり、私はこんなことを考えてしまうようになりました。ママ友というのは子どものためでもありますが、このとき近所にママ友がいなく孤独で娘とずっと二人っきりがつらい時期でした。そんなときにできたママ友。とても嬉しかったものの、一緒に遊ぶことによって心身ともに疲れていき、徐々にゆいちゃん親子と遊ぶ間隔を空けていきました。それから娘が幼稚園に入園し、ゆいちゃん親子と遊ぶ機会が減りました。今娘はゆいちゃんの家を通ると、「ゆいちゃん家行きたい」とたまに話しています。以前より癇癪が少なくなり、おもちゃを譲ることも覚えたのであのときよりは仲良く遊べるかもしれません。子どものためにほかの子と関わることは大事かもしれませんが、難しいときは無理せず、子どもにとってよいタイミングで遊ぶのがいいのかもしれません。執筆/とまぱん(監修:鈴木先生より)文部科学省が提唱しているインクルーシブ教育のように、最近の研究では発達障害のあるお子さんが定型発達のお子さんと一緒に学んだり遊んだりする環境は良いとされています。大切なのは、お友達の親御さんにも、お子さんの特性をよく説明して発達障害の理解をしてもらうことです。
2021年08月03日物心ついたときから生きづらかった私は発達障害があると大人になってから診断されました。幼少期は私も家族も、私に発達障害の特性があると気づいていませんでした。そんな私が幼稚園ぐらいのころのことです。私はなぜか古ぼけてカビ臭い離れの部屋で父方の祖母と寝かされていました。祖母は私のことを邪険に扱いました。私が母を恋しがって泣くとあからさまに面倒くさそうな反応をしたり、幼児の私にもわかるような狸寝入りをしたりする。いっぽう両親と兄は新しい母屋で川の字になって寝ていたので、私は「自分は悪い子だから両親から嫌われているんだ」と思っていました。あとから母に聞いたことには、「自分が小さいころおばあちゃんに育てられて幸せだったから」というのが、母が私を祖母(母にとっては義母)に任せた理由でした。虚弱で神経質な身を押して都心までフルタイムの仕事に出ていた母は、週末になると毎度のように寝込んでいました。子ども二人の世話を十分できるような余裕がなかったのでしょう。また、「祖母に育てられた自分は幸せだったのだから、娘も祖母に育てられたら幸せに違いない」という思い込みもあったのかもしれません。父は昔でいう典型的な企業戦士で、有能でよく働きますが家族との情緒的な交流というとてんで苦手でした。今から40年近く前、家父長制的な雰囲気のまだ色濃く残っていた家族の中で、娘に十分なケアを施さない妻(私の母)と母親(私の祖母)の代わりに自分が、と思うには至らなかったようです。友達が行っているようなファミリーレストランに行きたかった私が小学生になったのはちょうどバブルの時期。家の近所にはカジュアルなファミレスがどんどんできました。クラスメートは皆、「このあいだあそこのファミレスに行ってお子さまセットを食べたんだ」などと自慢しあっていました。その様子を見た私は「私もみんなみたいにファミレスでお子さまセットを食べたい」と父に頼むのですが、毎度「ああいうレストランにわざわざ出かけて(高級でもない食事を)食うなんて」と一蹴されるのです。バブルの空気に乗ってあっという間に出世した父。戦後の貧しさを見ながら育ち、自分の努力で今の豊かさを勝ち取ってきたと信じていた彼は、妻子には贅沢なものを与えたいと思っていたのでしょう。高級レストランでの顔色を読みあう食事そして、私たちが連れていかれるのは和牛や伊勢海老といった贅沢な食べ放題や、仲居さんのいるような個室の高級料亭、コース料理のレストランなどでした。私と兄はデパートで買ったちょっといい服を着せられ、テーブルマナーを小声で教えられながら席に着きます。ここでほぼ毎回、父が胸を張って言う台詞がありました。「いちばん高いものを食え」。私は「うちはそんなに金持ちなんだ」と少し誇らしくなると同時になんだかモヤモヤします。それでもASD特性があり、額面通りに解釈する私は、それならばといちばん高いものを注文するのでした。兄はそんな私に顔をしかめながらほどほどに高いものを注文するのが常でした。珍しくて美味しいものをお腹がはちきれそうになるほど食べながら、私がとても不思議だったのが、父が伝票を私たち子どもには見せようとしないことでした。「ものの値段について子どもに気にさせたくない」と言うのです。よくわかりません。いちばん高いものを食えといつも言う父こそが、いつも真っ先に子どもに(特に大人の顔色を気にしがちな兄に)ものの値段について気にさせているように思うのですが…いま思えば、このようなところに「たくさん稼げていることを自慢したいけどあまりあからさまにやると下品かな」という葛藤が見えると感じます。私があの場でどの程度の値段のものを頼み、料理や伝票に対してどんな反応をすればよかったのか、正解はいまだにわかりません。正解がわからないのが私がASDがあるからなのか、それとも父の子どもに要求することのハードルが高すぎるからなのかもわかりません。高くて美味しいものを食べさせてもらえたことは感謝しています。しかしそもそも、子どもを連れての外食が「家族サービス」であるならば、子どもに(無意識にせよ)感情労働させようとするのではなくて、当のサービス相手である子ども本人の意向をできるだけ汲むことをメインにしてほしかったなと思ったりします。外食先で「空気」が悪くなる祖母には、その場を自分の支配下に置いていないと我慢がならないようなところがありました。私たち子どもがなんだかんだでそれなりに外食を楽しみ、機嫌よくはしゃいでいたりすると、祖母は必ず何かしら騒ぎを起こすのです。「素うどんでいい!」と言い張ったり、「こんなものまずい!」と騒ぎだしたり、給仕の人に「帰る!」と叫んだり。周囲の客が何事かと振り返るほどの大声で騒ぎ立てるものだから父が「いい加減にしろ!」と怒鳴り、それで店中がシーンとなってしまったり…これは実は私自身はほとんど具体的には覚えていなくて、大人になってから父がこぼしていた話です。私の中には、「よくわからないけど外食に行くと必ず何かでお父さんが怒り出して嫌な気持ちになる→ 外食≒嫌だ」という記憶として埋まっていました。祖母は家族が幸せそうにしているのを見ても楽しくなかったのでしょう。突飛な言動をしてでも、みんなが自分に注目してくれないと不満だったのだろうと思います。今でこそ私は祖母のことをこのように分析できるようになりましたが、当時は誰も、祖母の不機嫌や突飛な言動の理由を理解できませんでした。彼女に対して嫁の立場である母は、なおさら強く出られなかったことでしょう。私たち家族はしだいに外食に行かなくなりました。父は単に忙しいのだと言い張っていましたが、彼にもやはりどこか違和感や嫌な気持ちがあったのだろうと今は思っています。高級な食事より欲しかったのは当たり前の団らん今私は、休みになると夫に近所にあるファミレスに連れて行ってもらいます。そして800円と1000円のランチをじっくり比較して選び、クーポン券でドリンクバーを無料にしてもらいます。吟味して選んだとはいえ、常に美味しいものばかりに当たるとは限りません。それでも「これは好みじゃなかった、前回のあれは当たりだっけど今回は外れだったなー」などと言い合いながら二人でゆっくり食事を楽しみます。夫は最初「せっかくの外食なのにファミレスでいいのか?」と不安げでしたが、私が「ファミレス『が』いいの、そういうとこにあなたと一緒に行くのが嬉しいの」と言い続けていたら、そのうち休みの日に二人でファミレスに行くことは普通になりました。義母や義姉、義兄とのつきあいで和食ファミレスに行ったりもしますが、驚いたことに(?)食事の最後まで誰も怒り出したりしません。そして、ファミレスでの食事でもみんなとなんでもないおしゃべりをしながら食べたら、なぜかとても楽しく心癒やされるのです。私は実家を離れ、新しい家族に身を置くことで「自分に欠けていたのはこれだ、安全で穏やかな団らんだったのだ」と気づきました。リラックスし、信頼の中で接することのできる人たちとの食事や外食は、それだけで人間の芯の部分を温めるような力を持っていると感じます。栄養バランスや料理自体の美味しさは確かに大事です。けれど私は、それ以上に大事なのが、ともに食事するメンバー同士の関係性と心身の状態だと思っています。ワンコインのファミレスでもいい、レトルトのカレーでも100円のお惣菜でもいい、食卓につくみんながリラックスして安心感のなかで食事ができればそれでいいのです。とても大変な幼少期を過ごされたようですね。しかし大人になってきちんと振り返り、出来事とある程度距離を取れていますね。旦那さんとのやり取りでも丁寧に自分の思いを自分の思いを伝えられているのは素晴らしいと思います。(監修:児童精神科医 三木 崇弘先生)
2021年08月02日Q.ペアレントトレーニングって?A.発達障害がある子どもとのより良いかかわり方を学びながら、日常の子育ての困りごとを解消し、子どもの発達促進や行動改善を目的とした、保護者向けのプログラムです。Upload By 発達障害のキホンペアレントトレーニングでは、子どもが言うことを聞いてくれない、何度叱っても同じことを繰り返す、かんしゃくを起こすことが多い、言葉が遅い、危険な行動をどう止めたらいいかわからないなど、発達が気になる子どもの子育てで起きやすいことがらについて、どのように対応すればいいかを学びます。当初は、知的障害や自閉症スペクトラムを対象として、支援機関で行われている子どもへの療育を家庭でも行うことで、家庭での般化を促進し定着を促し、療育の効果をアップさせたり維持させたりすることが目的とされていました。日本では、ADHDを対象として、ご家族の日常生活の困り感を軽減するためのプログラムとして広がり、これらが合わさって独自に発展してきました。現在の日本でペアレントトレーニングを行っている団体は複数あります。一つは、各都道府県に設置されている発達障害者支援センターや教育センターなどの行政機関です。また、病院などの医療機関や、大学に付属している心理センターなどでも実施をしているところがあります。近年は、各地の親の会や支援団体が運営するNPO法人、民間の事業所、個人開業者などで実施をしているところも増えています。参考:日本ペアレント・トレーニング研究会
2021年08月01日わが家の第1子は、幼稚園入学直前に自閉症スペクトラムの診断を受けました。私はショックで何も手につかず、不安で涙が出てくることも……。それでも、幼稚園が始まってみると問題行動を起こし、その対応に追われ、泣いている暇さえなくなりました。そんな幼稚園時代、困り事はいろいろありましたが、特に目立った行動への対応の仕方についてご紹介します。 じっと座っていられない本人を観察してみると、「座っていないといけない」ということを理解しているけれど、そのことをふと忘れて席を立ってしまっているように感じました。そして、ただ座っていなさいというのは苦痛のようで、「座って色塗りをしなさい」など課題をつけると座っていられることが増えました。 さらに、自閉症児の特徴として、先の見通しがたたないと不安になるとも言われています。そのため、「時計の長い針が〇にくるまで」といったようにゴールを明確にして座る練習をしました。 覚えるのが苦手幼稚園では「のり、はさみ、画用紙を用意して」など、複数の指示がありますが、それを覚えるのが苦手なようです。自閉症児の特徴として、聴覚より視覚のほうが指示が入りやすい子もいるようですが、わが子は発達検査の結果をみても、聴覚のほうが優位なようです。 それなのに、なぜ覚えて行動に移せないのか観察してみると、指示の声はBGM化して覚える気がないようです。そこで、要件を話す前に「〇〇君」と声をかけて意識を集中させてから要件を伝えると、覚えられることが多いとわかりました。 音に過敏! 運動会どうなる?当時、あまり意識していなかったり、経験もそうなかったので不思議だったのですが、運動会の練習を始めると嫌がる、脱走するということが起きていました。今思えば、運動会のダンス、組立体操の太鼓の音が苦手なようでした。これについては、当時の私の勉強不足でなすすべがなく、どうしてあげることもできず……。 今なら、苦手な音があることがわかりますし、イヤーマフを使うなどの方法も思いつきます。健常な私たちには理解できない不快感のなかで戦っていたのかと思うと、申し訳なくなります。 発達障害の診断を受けるまでは子育てに希望をもっていましたが、いざ発達障害と診断され、しかもそれは治らないと聞いたとき、一時期はどん底の思いでした。それでも、わが子のためにと療育の本で知識を深めたり、発達検査の結果や目の前にいるわが子と向き合うことで、少しずつ理解が深まっていき、サポートに繋げることができたと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:小林 香穂自閉症スペクトラムの13歳の長男と、グレーの10歳の次男のママ。療育、育児、学習サポートの面で試行錯誤しつつ、その経験を執筆中。「それぞれが居心地のいい場所作り」を目標としている。
2021年08月01日発達障害のある息子にキャンプを体験させたいと思い…Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太、小4の夏休みのことです。その春にリュウ太が発達障害の診断を受けてから、私は発達障害に関する本を読んだり、インターネットで発達障害がある子の情報を調べたりしていました。その中で発達障害や身体の障害がある子がボランティアの人と過ごすキャンプがあることを知りました。2泊3日と短い期間だったので、周りの人とうまく付き合うことが苦手なリュウ太もギリギリ参加できるかな~?と思い、私はリュウ太をそのキャンプに行かせたくなりました。Upload By かなしろにゃんこ。「フィールドワークをしたり、川遊びをしたり、知らない子同士でも楽しめるのではないかな?」「仲間と協力してできるワークなどがあるんじゃないかな?」と一人考えてはワクワクしていました。参加させる気満々でリュウ太に「夏休みだからキャンプ行かない!?」と伝えると…「お母さんが行かないなら行きたくない、それに山に興味ないな~」と答えが返ってきました。息子は人見知りがなく、自分が好きな電車や車のイベントでは遠くまで一人で出かけられる行動力もあったので、参加を期待していたのですが…母親から離れて一人で泊まりに行く勇気はないとのこと…トホホ。夏休みに家族でハイキングへ!夏休み中、行くところは市民プールとショッピングモールのオモチャ屋ぐらいです。コンクリートに囲まれた場所じゃ感じられない空気や感触を知って欲しい!自然の中でいろいろな体験をさせてあげたい気持ちがむくむく湧いてきました。リュウ太が山に興味がなくても連れていってしまえば、それなりに良い刺激になるんじゃないかしら?と思い、長野県の上高地に家族でハイキングに行くことにしました。Upload By かなしろにゃんこ。上高地という場所は自然保護のためにマイカー規制があり、山の中に入るための専用のバスがあります。そのバスに乗ってご機嫌な息子。このあと、生まれてから歩いたことがないくらいの長い距離を歩くことになるとは知らず…。しかし、普段から怠惰で面倒くさいことが大キライ、疲れることが苦手で長距離を歩くことがないリュウ太も上高地の美しい池や湿地、山々が新鮮だったようで「こんなところがあるんだね」と感動してくれました。土や河原、木の遊歩道を歩き川の流れの音を聞いて川の水を触り楽しそうにして順調に歩いていたので、ハイキングコースの折り返し地点・目的地にすぐ到着しました。夫の提案に「息子がついていけるのか!?」と不安になり…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。夫が「ここから少し歩くけど、さらに奥のほうに歩くと美味しいイワナの塩焼きが食べられるポイントがあるから行こうか!」と誘います。イヤなことからすぐに逃げるし、体力のペース配分ができないのでくじけやすいリュウ太を、私はそんなに頑張れないと思っていたので、折り返し地点からバスに乗って帰ろうと提案しました。しかしリュウ太は調子が良かったのか「イワナ食べたい!」と歩く気満々になっていました。夫が言う「少し歩くと」は嘘で、実際は歩いてきた3キロメートルの距離と同じ距離を歩かなければなりませんでした。途中でぐずられたら最悪だな~…リュウ太のぐずりは、グチが止まらず無気力になってわめきはじめる超一流のぐずりです。疲れて歩かなくなる10歳の息子を背負って歩くようになるのかな?と最悪の結果を考えて、私はイヤな気持ちになっていましたが、心配をよそにハイキングコースをどんどん歩いてイワナの塩焼きポイントに到着してしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。たくさん歩いたからお腹もすいていたからでしょうか、竹串のイワナにかぶりついて「塩焼きのイワナ美味しい!もう1匹食べたい」と満足そうでした。いつも魚を全部食べないリュウ太ですが、イワナを2匹もたいらげて帰りのバスに乗るバス停までさらに3キロ歩き、その日は合計8キロメートルも歩きました。リュウ太にしてみたら上出来を超えての『奇跡』でした。おんぶして帰ることを想定していたので帰りのバスターミナルまで到着したときは普段息子を褒めたりしない夫が「頑張ったな!よく歩いたな」と珍しく褒めていました。リュウ太には内緒ですが、正直お母さんはスタミナ切れでバテバテで「もう歩きたくない」と心の中で悲鳴(泣)Upload By かなしろにゃんこ。大成功のハイキング。当時の気持ちを息子に聞いてみたUpload By かなしろにゃんこ。リュウ太はお父さんに褒めてもらったことが嬉しかったようです。ハイキング大成功でした。そのときに撮影した写真です、まだ疲れる前のはしゃいでいる息子(10歳)でございます。このコラム原稿を書くために当時の気持ちを息子に聞いてみました。「たくさん歩いてキツかったけど、それよりもきれいな場所を歩いてイワナがうまかったり、楽しかったり、達成感あったよね」なんだそうです(笑)街中だったらきっと歩けない距離だったと思います。自然の中だとナゼか頑張れちゃうんだってリュウ太を通して私も学びました。そしてリュウ太は本当は頑張れる子だったんだ!と言うことにも気がついた母でした。(監修:三木先生より)自然に触れることとリュウ太くんが自分から「やりたい!」と思えることが重なった、素敵な体験でしたね。普段ならできなかったことができた経験が自信になると良いですね。そしてお母さんもお疲れ様でした(笑)
2021年07月31日ADHDってなに?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDは先天性の発達障害「人の話をじっと聞けない」「集中力が続かない」「気になることがあると、後先を考えずに行動してしまう」、こうした行動は、多くの子どもに見られるもの。まだ自分の気持ちを上手にコントロールすることができず、その場にそぐわない行動をとったり、大人から見るとわがままに見える振る舞いをしたりするのも、子ども時代にはよくあることですね。子どもたちはさまざまな経験を積み重ねるなかで、叱られたり、周囲の反応から学んだりしながら、少しずつ社会生活に適応していきます。ところが、ADHDがある子どもの場合は、毎日のように忘れ物をしたり、パッとほかのことに気を取られてしまったり、じっとしていることに苦痛を覚えたりといったことが続きます。本人が努力してもなかなか改善が難しいため、だんだんと集団生活に困難を感じたり、生きづらさを抱えたりするようになることも少なくありません。ADHD(注意欠如・多動性障害)とは、不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(考えずに行動してしまう)の3つの症状がみられる先天性の発達障害です。平成24年に文部科学省が行った調査によると、通常学級に在籍している児童生徒のうち、行動面で著しい困難を示す子は3.6%程度と言われています。これは、ADHDの診断がある子の数ではありませんが、通常学級の中に行動面の問題を持つお子さんが多くいることが伺えます。ADHDの3つの症状ADHDの具体的な特徴を見ていきましょう。1.不注意による症状・忘れ物が多い・何かやりかけでもそのままほったらかしにする・集中しづらい。ただ自分がやりたいことや興味のあることに対しては、集中しすぎて切り替えができない・片づけや整理整頓が苦手・注意が長続きせず、気が散りやすい・話を聞いていないように見える・忘れっぽく、物をなくしやすい2.多動性による症状・落ち着いてじっと座っていられない・そわそわして体が動いてしまう・過度なおしゃべり・公共の場など、静かにするべき場所で静かにできない3.衝動性による症状・順番が待てない・気にさわることがあると、乱暴になってしまうことがある・会話の流れを気にせず、思いついたらすぐに発言する・他の人の邪魔をしたり、さえぎって自分がやったりするADHDの3つのタイプとそれぞれの特徴ひとくちにADHDといっても、症状の出方は人によって異なります。不注意が強く出る人もいれば、多動性や衝動性が強い人もいます。診断の場では、ADHDは大きく3つのタイプに分けられます。また、性別によっても多いタイプが変わると言われています。1.多動性-衝動性優勢型多動と衝動の症状が強く出るタイプです。・授業中でも構わず歩き回ったり、体を動かしてしまったりするなど、落ち着いてじっと座っていることが苦手・ちょっとしたことでも大声をあげたり、乱暴になったりしてしまう・思いついたことをすぐに口に出してしまうため、不適切な発言をしたり、自分の話ばかりしたりしてしまう全体的にみると「多動性-衝動性優勢型」の割合は少ないものの、男性(男の子)に多くあらわれることがわかっています。2.不注意優勢型不注意の症状が強く出ているタイプです。・気が散りやすく、物事に集中することが苦手・やりたいこと、好きなことに対してはとても集中して取り組むが、切り替えが苦手・忘れ物やなくし物が多い・片づけが苦手・ぼーっとしているように見えて、人の話を聞いているのか分からない忘れ物が多いのは、ADHDの子どもばかりとは限りません。とくに幼いころは、ADHDでなくても忘れ物をしたり、長時間の集中が苦手だったりする子どもも多いもの。そのため不注意優勢型のADHDは気づかれにくく、大人になってから診断されることもあります。このタイプは、女性(女の子)にあらわれることが多いと言われています。3.混合型多動と衝動、不注意の症状が混ざり合って、強く出ているタイプです。・多動性-衝動性優勢型と不注意優勢型のどちらの特徴も併せ持っていて、どれが強く出るかは人によって異なる・忘れ物やなくし物が多く、じっとしているのが苦手で落ち着きがない・ルールを守ることが苦手・順番を守らない、大声を出すなど衝動的に行動することがあるADHDの原因は脳の機能障害ADHDは生まれつきの脳の機能障害です。ただ、その症状が起こる確かな原因はまだはっきりと解明されていません。近年の研究から、ADHDは行動をコントロールしている神経系に機能異常があると考えられ、脳の前頭前野との関連が有力視されています。脳が働くためには、ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質が必要です。しかしADHDの人の場合、神経伝達物質がうまく運ばれず、そのために「不注意」「多動」「衝動」の3つの特徴があらわれると考えられています。また、前頭前野の働きが弱いと、五感からの刺激を敏感に受け取りすぎてしまいます。感覚を過剰に感じるために、集中することや論理的に考えることを苦手としやすい、という説もあります。ADHDは親のしつけが原因ではない親の育て方やしつけが発達障害の原因である、と言われていたこともありますが、これは大きな誤解です。また、ADHDは外見からその特徴が分かりにくいため、本人の努力不足と決めつけられてしまうこともよくあります。周囲から理解されず、責められたり、非難されたりということが続けば、子どもの自己肯定感は下がるばかり。「ほかの子みたいにできないから自分はダメなんだ」と自信をなくしてしまったり、「また叱られちゃうかもしれない」と萎縮してしまったりすることも。こうした経験が重なると、ADHDの症状がより強くあらわれたり、うつや不安障害、不登校、ひきこもりなど、ほかの症状や問題行動が引き起こされたりすることもあります。これをADHDの「二次障害」と言います。一方で、「興味のあることをとことん追求できる」「行動力がある」など、ADHDの特性を生かして活躍している人もたくさんいます。ADHDの子どもたちが自分らしくのびのびと育っていくためには、本人はもちろん、周囲の人がADHDの特性を理解し、適切なサポートをすることが大切だといえるでしょう。
2021年07月31日情報が頭の中で書き変わる、集中している対象以外の情報が脳に届かないUpload By 発達ナビ編集部牟田暁子LITALICO発達ナビ編集長(以下――)小島さんはご自身にADHDの特性があると公にされていますが、ご自身の特性を感じるエピソードについて教えていただけますか。小島慶子さん(以下、小島):今日も、リアルの取材だってわかっていたのに、家で原稿を書いているうちに、オンライン取材だと頭の中で予定が書き変わっていたんです。昼過ぎにマネージャーから「15時から中目黒での取材、頑張ってくださいね」と連絡が入って、「あ!リアル取材だった!」と思い出してあわてて支度するという。スケジュール管理が難しくて、何重にもリマインダーを用意しておかないと、こんな風に情報が書き変わったり、抜け落ちたりするんです。――それは子どものころからですか。小島:そうです。なんで間に合わないんだろう、どうして勘違いしたんだろう、これは魔法?と思うくらい。情報がすぐ書き変わってしまうのはもしかしたら、ワーキングメモリーが弱いからかもしれません。そして、過集中になっているときには、集中している対象以外のことについて横から何か言われても、脳に届かない状態なんです。ただ、過集中のときも、私はどうやらリアクションは普通らしくて、何か言われると「わかりましたー!」と返事をしている。それで相手はこれで伝わったと思っているけれど、私の頭には入っていないという具合です。見たもの聞いたものが目と耳で止まっていて、脳まで届いていない感覚です。――今はスマホなどでさまざまなリマインダーがありますが、子ども時代や学生時代はどうされていましたか。小島:大事なことは紙に書いて壁に貼ったり手に書いたりしていましたけど、それでもうまくいかないこともありました。私が子どもだった1970年代から80年代当時、まだ発達障害はほとんど知られていなかったので、とにかく困った子どもだと思われていました。面白そうなことを見つけると、後先考えずにそっちに行ってしまったり、不用意な発言で友達を傷つけたり、場がシーンとなっちゃったり。いわゆる空気が読めない子どもだったから、いじめのターゲットになったこともありました。もちろん、いじめは発達障害の特性があったからというだけでなく、転校生だったことや背が高いことなど、複合的な要因によるものだと思いますが。そうした経験があって、「どうやら、思いついたことをそのまま言ってはいけないらしい」などと、うまくやっていくための工夫を、傷だらけになりながら学習してきました。「助けて」と言えない環境だった子ども時代――そんな小島さんは、家庭の中でどんなふうに育てられたのでしょうか。小島:私の親は1930年代生まれで、子育てしていたのは1960~90年代。発達障害のことなんて知られていないし、私みたいな子どもを育てるのはほんとに大変だったろうと思います。だけど、あとから思うと、子どもが発達障害であろうとなかろうと、「なんで普通にできないの?」と聞かれるのはかなり重たいことでした。私は、“わがままでひねくれていて、すぐご機嫌ななめになってしまう子ども”。母は、「どうして慶子はこんなに育てにくいのかしら」と悩んだのでしょう。よく「なんで普通にできないの」と言っていました。母も苦しかったでしょうし、両親を責めることはできませんが、適切な言葉がけではなかったと思います。子どもの私にしてみたら話を聞いてほしいのに、「ひねくれている」といわれて話を聞いてすらもらえなくて、ますます機嫌が悪くなるという悪循環でした。――「普通」って重い言葉ですよね。小島:今考えると、両親が「普通」と呼んだものは青い鳥みたいなものでした。多分、みんながニコニコ笑っていつも仲良く、何のトラブルもない家庭を「普通」とイメージしていたんだと思います。両親は東京の貧しい家庭に育ち、家族との関係でも苦労していました。戦争で空襲や疎開を経験し、戦後は日本の経済成長とともに、一歩一歩豊かになってきた人たちです。あんなに貧しかった自分たちが、マイカーやマイホームを手に入れることができたという喜びがあったのだと思います。だからこそ、ホームドラマに出てくるような絵になる素敵な家庭への憧れが強くあって、あの時代の集団幻想みたいなものを「普通」と呼んだのかもしれません。暗黒の中学時代、生まれ変わろうとした高校時代Upload By 発達ナビ編集部――中学校、高校時代は、どのように過ごしてこられましたか。小島:人間関係がうまくいかなかった中学3年間は、暗黒時代でした。自分も世界も全部消えればいいのにと思っていました。私が通っていたのは私立の中高一貫校で、当時はいわゆるバブル全盛期。とにかく周りのみんなが眩しく見えたんです。お金持ちのうえに、可愛くておしゃれで成績もよくて、あげくに性格もいい、そんな子たちが羨ましくて。授業中に前に座る友人のセーラー服の四角い襟をジーっと見つめて、じっとり鬱々としていました。「妬ましい…」って。でも、中学3年生になるころには妬むのに疲れちゃって。一貫校だったんですが、高校になったら校舎も移るし、「よし、生まれ変わろう」と決意しました。で、人に好かれる友人の会話をじっくり観察したんです。ほほう、このタイミングで笑うんだ、ここでそういうリアクションするんだ…と学習しました。高等科になって、学習したことを実践。まずは挑戦しやすそうな、“無口な人”になる。生来のおしゃべりである私にとっては新鮮な体験でした。とにかく黙る。誰かに話を振られるまでは口を開かない、ニコニコしてただ「おもしろーい」と言うだけ。たった1ヶ月、無口チャレンジをやったところで、「慶子ちゃん、おとなしいよね」なんて言われるようになったんです。中等科3年間の私のトンガリぶりを見ていたはずの同級生たちが、たった1ヶ月で私を「おとなしい子」だと信じてしまう。人はこんなに簡単に、評価を変えるものなのかと思いました。そこで次に、笑い方や発声、リアクションも変えてみました。古典芸能と同じ。「型」から入って、次第に自分のものになっていくのですね。あとから思うと、これは衝動性をコントロールするためのひとつの効果的な方法だったんじゃないかと思います。無口な人とかふわふわした人とか、どの型もうまくいくようになって、そうか、相手や状況によって使い分ければいいんだ!と学びました。1年が終わるころには、いちいち考えずに今と同じように普段の自分を出しても、トラブルが起きなくなって、友人たちに受け入れてもらえるようになりました。自分の特性をコントロールするコツをつかんだということかもしれません。働き始めて、自分と向き合う――働くようになってからはどうでしたか。困っていたことだけでなく、認めてもらった経験についても聞きたいです。小島:私が選んだアナウンサーという仕事は毎日が変化に富んでいて、単調な仕事が苦手な性分に合っていました。油断すると喋りすぎるという特性については、アナウンサーの研修や現場での失敗を経験して、過剰な部分を刈り込んでととのえて調整することができるようになりました。テレビやラジオの仕事は、自分がしゃべる姿や声を後で客観的に観察できるので、特性を把握するのにとても役立ちました。当時はスマホなんかないですから、自分の姿を画面で見る機会があるのは、せいぜいホームビデオくらい。テレビ画面で客観視することで改善すべき点がわかり、だんだん人への伝え方が洗練されていきました。勤めていたTBSには、テレビだけでなくラジオがあります。声だけのメディアでは、台本ナシでもとめどなくおしゃべりができるという、いわば過剰な部分がかえってプラスになりました。ラジオで「この人おもしろい」と認められて自信をつけるという経験をもとに、映像がある場合のしゃべり方、つまりテレビでは何を言葉で伝え、何を仕草や表情で伝えるといいのかを研究しました。最初は荒削りだし、面白いけど弾け過ぎとも言われましたが、それを大目に見てくれたりアドバイスしてくれたりする人がいました。放送局には極端な人がたくさんいましたし、それを面白がるおおらかな空気もありました。アナウンサーという仕事は、自分の特性をプラスに転化しやすい環境だったのですね。とても幸運だったと思います。――アナウンサーになろうと思ったのはいつごろですか。小島:大学1年生まではいわゆる“玉の輿”に乗るつもりでいたんです。でも、当時付き合っていた年上の彼氏にふられて大失恋しました。銀行に内定していた人だったんですが、気づいたら「どうしよう、次は商社の人かな、広告代理店かな」と相手の肩書きばかりを気にしている自分がいて、浅ましさにうんざりして。じゃあ、年収と社会的信用は、男の人に頼らず自分で手にしよう!と思ったんです。それなら思い切り純粋に恋ができると(笑)そこで、当時はまだ少なかった女性が男性と対等に働けるマスコミ業界、その中でも学科試験より実技試験重視のアナウンサー、という選択になりました。テレビに出るのは楽しそうでしたしね。いちばんの理由は経済的自立でしたが、子どものころから国語の音読が好きで、学芸会のナレーターをやったら楽しかったという理由もあります。目立ちたいけど主役は恥ずかしいという、屈折した自己顕示欲ですね(笑)自己嫌悪感の強さから病気を経験し、それが発達障害の診断を受けるきっかけに――そんなふうに活躍されていた小島さんが、発達障害の診断を受けようと思うまでのことを教えてください。小島:私は長い間、摂食障害という病気でした。親の過干渉がしんどくて15歳ごろから始まり、18歳の失恋で悪化。もともと自己肯定感が低かったのが、さらに自己嫌悪が強くなってしまった。一人でいるときは、つい自分のことを考えてしまうでしょう?それは嫌いな人とずっといるのと同じこと。それで、自分を忘れるために食べてしまう。食べていると無心になれたんです。過食で太り、これではアナウンサーの試験も受けられないと思って、今度は吐くようになった。過食嘔吐を繰り返しながら、アナウンサー試験を受け、就職後も食べ吐きしながらテレビに出ていました。給料は食費に消え、そんな自分に嫌気がさしてますます悪化。今思うとあれは、自分と折り合いがつかない生きづらさをやり過ごすための自傷行為でした。アナウンサーの仕事を選んだのには、実はもうひとつ理由があります。アナウンサーになって有名になって、たくさんの人に褒められるようになったら、自分のことを好きになれるかもしれないと思ったんです。見た目も性格も、自分で自分を好きになることは無理だけど、他人が好きになってくれたら認めてやることができるんじゃないかと。でも、人前に出れば出るほど自分がすり減っていくのです。仕事では、メンタルの渇きを癒すことはできませんでした。30歳で出産してからは、過食嘔吐している暇がなくなって摂食障害はおさまりました。でも、育児の過労や仕事復帰の不安、実家との関係、夫婦関係などが積み重なり、33歳で不安障害という病気を発症しました。そのときからお世話になっている精神科の主治医からは、摂食障害も不安障害も根っこにあるものは同じだと言われました。平たく言えば、生まれ持ったさまざまな特性に加えて、安心できる居場所がない中で育ったことが影響しているということでしょうか。人間は複雑な生き物ですよね。不安障害の症状がほぼ寛解してからも、折に触れて主治医のカウンセリングを受けていました。主治医は発達障害が専門でもあったことから、生育歴などを話すううちに「もしかしたら」と気付いてくださったんです。それで、最終的に41歳のときに診断を受けました。――周りの人にもオープンにしようと思ったのはどうしてですか。小島:家族やマネージャーには、初めから話していました。自身の障害についてエッセイで書いたのは、発達障害という言葉がなんだか雑に使われているなと感じたからです。発達障害という言葉が世の中に広まるにつれ、「うちの子のクラスに発達障害の子がいるんだけどね」と眉をひそめる人や、「うちの子がそうだったらどうしよう」と不吉なことのように恐れる人に出会うことが多くなり、かと思うと自己診断で、発達障害は天才の証拠!みたいにアピールする人もいて……。なんだか“雑”だなあと思ったのがきっかけです。発達障害の一つであるADHDにもいろいろな人がいる。私の場合はこうだけど、みんながみんな私みたいではない。10人いたら10人違う発達障害を、不吉なものとか天才とか極端な話で括らないでほしい、と。そうしたら、思いのほか反響が大きかったです。Upload By 発達ナビ編集部大人になって上手になった、助けを求めること――小島さんが、今のように強く生きられるようになったのは、どうしてでしょうか。小島:けっして強くはなっていないですよ。私は大嫌いな自分が許せなかったけれど、もうしょうがないと思うようになって、それで折り合いをつけたのです。嫌いな自分、すぐ死にたがる自分と友達になったというか……、ずっと二人三脚です。今も、ずいぶんいろんな人に頼って、話を聞いてもらっています。いちばん話を聞いてくれるのは夫。カウンセラーや友人、子どもたちもよく話を聞いてくれます。「今日さあ、どんよりしちゃって、元気ないんだ」とか「また時間を間違えちゃったんだよ」なんてこぼすと、励ましてくれます。大人になって、助けを求めることが上手になりました。不安障害になったときに、臨床心理士さんや精神科医の先生に恵まれて、たくさん助けてもらった経験から、つらいときには「頼れば誰かが助けてくれる」と学習したのです。頼っていいんだな、って。子どものころの方がつらかったですね。家族の中では、相談して弱みをさらして受け入れてもらうという関係は難しくて、根っこのところでは誰にも頼れなかったから。ネガティブ思考の沼に落ちたときときは、「こんな状況で思いっきり不幸な未来ばかりを思い描いているんですけど」と誰かに言ってみる、すると「それは認知がゆがんでいますよ」と返してくれる。そうかなあ、この人がそう思うだけかもしれないぞと思って、違う人にも相談してみると、「ちょっと妄想に振り回されてない?」と言われる。何人かから同じようなことを言われるうちに自分を俯瞰する視点を得て、沼から這い上がれる。こういうことの繰り返しです。――SOSを出せるのは大事なことですよね。小島:本当にそうですね、助けてと言えばちゃんと助けてくれる人っているんだ、という経験から学んだことです。もし今つながっている人が助けてくれなくても、ほかの人は信用できるかもしれない。一つずつは何気ない言葉でも、いろいろな人の言葉がだんだん集まって、自分を支えてくれることもある。一人のスーパー救世主に頼るのはその人に完全に依存することになってしまうので共倒れのリスクがあるけれど、気軽にちょっとずつ頼れる人をたくさんつくると、生きやすくなるのだそうです。「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を、今悩んでいる人には伝えたいです。頼っていいんです。生身の人間でなくても、本や映画や音楽の中にも、ちょっとずつ自分を支えてくれる言葉は見つかるはずです。――子どもも「助けて」のサインを出せるようになることが大事かなと思います。小島:そうですね。息子たちには、「助けて」と言える技術を伝えてきました。親はいつも全力で子どもたちの力になりたいけれども、思春期の子どもなどは、親には言いたくないこともあるでしょう。だから、「つらいときはつらいと言っていいんだよ。私たちはいつでも力になるけど、もし親以外の人がいいときは、学校の先生でも友達の親でもいい、スクールカウンセラーや、この人だったらと思える信頼できる大人に、相談していいんだよ。お医者さんもいる。必要ならいつでもつなぐよ」と伝えてきました。――うちの息子はすぐに私を頼ってくるんですが、それは息子のいいところだったのかもしれないですね(笑)。私は恥ずかしくて親に頼ることはできなかったから、余計にそう思います。小島:素晴らしい!信頼されているんですね。安心して弱みを見せられる場所って、子どもにも大人にも必要ですよね。読者には、日本ではまだ発達障害に偏見があって心ないことを言う人もいるけれども、助けてくれる人もたくさんいるし、必ず助けてくれる人につながる方法がある、と伝えたいです。お子さんに「困っていることはない?助けてほしいときはいつでも言ってね。一緒に考えて、頼れる仲間を探してあげるからね」と常日頃から声をかけるだけでもいいと思います。もし、今タイムマシンがあったら、子どものころの自分のそばに行って「私でよければ話を聞くよ」って言ってあげたいですね。Upload By 発達ナビ編集部取材・文/関川香織撮影/鈴木江実子(注釈)摂食障害や不安障害は、発達障害のある人は併存のリスクは高いですが、発達障害がすべての原因ではありません。(監修:井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授)
2021年07月30日1歳での入園後、保育園での生活は?入園後、保育園の生活自体には、わりとスムーズに慣れた次女。…というか、あまりに良く適応できていて問題を起こさないので、先生から「次女ちゃんは100点満点!」と言われるほどでした。さらに、次女と1歳児クラスの担任の先生とがとても良い信頼関係を結ぶことができていて、次女自身が何かあるとすぐにその先生に無言で訴えかけ、「何かあったらこの先生に訴えたら大丈夫!何とかしてくれる!」と、安心して過ごせていたようです。ただ、運動会や発表会などでは、ずっと不安そうにしていて泣いてしまい、先生に抱っこされているか、手をつないでもらうかして何とか参加している状況でした。Upload By まりまり順調に2歳児クラスに進級したけど、できなかったことが…1歳児クラスのときの担任の先生が、一人持ち上がりで2歳児クラスの担任となり、小さい園でクラス替えもないので、ほぼストレスなく進級できた次女。毎日楽しそうに保育園に通っていて、先生やお友だちともコミュニケーションが取れていたし、一緒に遊ぶことができていました。そんな中、2歳児クラス最初のイベントである、夏祭りのダンスの練習には、どうにも参加できず…。Upload By まりまりUpload By まりまりたぶん、大きな音と騒がしい感じが怖かったんだろうと思います。(音に少し過敏さがあり、これは今も苦手なので)それに対して担任の先生は、無理に参加させずに見学させてくれていました。Upload By まりまりただ見ているだけでなく、その後無理なく、「先生が手を持ってみんなと離れたところで踊る → 先生と一緒にみんなの近くを歩くだけ…」と段階づけた対応で気長に待ってくれました。すると…Upload By まりまり安心して取り組めたおかげで、夏祭り直前に、やっとみんなと一緒に踊ることができるように…!初めてみんなと一緒に踊れた日、次女はうれしくてうれしくて、帰宅後に「次女ちゃんおどったの~!」とハイテンションに家族に報告してくれました!家でもかつてないくらいダンスを披露してくれて、このとき、よほどうれしかったんだろうな~と…。この経験が、かなり次女の自信になったようで、これ以降の保育園での運動会や発表会も泣かずに参加できるようになりました。先生方が次女のペースをよく見て、本人が納得いくようにじっくり対応してくださったおかげで成功体験を積むことができました!次女が通っていたのが、子どもに対して先生の人数が多い園(それが自慢の保育園でした)だったので、先生方も余裕をもって対応できる状況だったのではないかなと思います。こういう成功体験があったことと、自信となる体験を何度も積ませていただいたことで、小学生となった現在も、場面緘黙の症状がありながらも、運動会や発表会などには何とか参加できているんじゃないかな~と思っています。園の丁寧な対応に感謝ですね!本人の気持ちに寄り添い、気持ちがついていくペースで少しずつ進めてくれたことが成功の要因だったと思います。こうしてスモールステップで成功体験を積んでいくと、苦手なことでもだんだん取り組めるようになるという好例です。
2021年07月30日発達が気になる契機わが子の発達が気になるきっかけにはどういったことがあるでしょう。母親としての感覚育てていて、なんとなく違うように感じていたとか、上のきょうだいと比べてという、感覚もあるようです。もっとも初めての子どもは、こんなふうな感じかなと思っていた、という方もおられました。言葉が出る前に、なんとなく関わっても反応が薄いということを気にされていたり、そんなときにたまたま来ていた実家の母から指摘されて、やっぱりと思ったり。もっとも、実家の母が大丈夫だよと言ってくれたことでちょっと安心したという場合もあります。実際、のちに健診や医療機関で診断された親への聞き取りでも実際は2歳前後までに、なんとなく気がついていたという話が多いようです。ママ友との関わりのなかで子育てが孤育てにならないように、出産した産科医院で知り合ったり、近所や友人を通してママ友となり、そこで一緒に話したりすることで、それとなく、わが子の様子を比べてみたりして、心配したり、気になったりして。健診会場でそれまでのなんとなく、どことなく心配はしてきたのですが、1歳半健診会場で担当保健師さん等からの言葉や助言から、やはり、と思ったり。さまざまな情報から最近は子どもの育ちに関した書籍やネット情報が沢山あります。検索してみると、自分と同じような悩みを持って半歩先を歩いていた方の情報と出会い、そこからどんどんと広がって、という流れなど。いずれにしても、その多くは密やかにでも家族、特に主たる養育者が、なんとなく違う、という感覚を持っていたというのが僕の臨床現場で得た所見です。ただ、そのわが子に感じた「違う」という感覚に直面するか、もう少し様子を見たいと時間をかけるか、日々揺れながら、迷いながら、一喜一憂しながら日々を送っているような印象はあります。僕は、養育者の方が診察室に来られたときに、どのような思いで日々を過ごされてきたかを、最初の出会いや表情、仕草から思いを馳せます。そのうえで、よく決心して来て下さいましたねと向きあったり、できるだけ淡々と話を聴いたり、安心を提供するような思いを込めて対応します。かなり早い段階で気になっていた、気にされたとしても、それを医療の中へ持ち込むまでには、それぞれの養育者のなかでの戸惑いや葛藤があると、いつも僕は診察室で実感します。関係者との関わり診察するということは『診断』することになるので、養育者にとっては、わが子の現状を医学的に知ることになります。ですから受診したことで、ある程度の先が見えて、改めて関わりを考えたり、当然ショックを受けたりします。医師から診断を受けた親の心理は、以前から、ショックからはじまり、否定し拒否を経て、哀しみと怒りという感情を抱き、そのあとに原因を突き止めようとして、結果気持ちが落ち込む、再度哀しみと怒りに戻りながら一喜一憂していくと言われています。実際、養育者の思いは、健診の時期、入園前後、そして就学を迎え、入学後と、子どもの生活する場所の様子や、関わる方々からの意見や助言によって、常に揺れ動きます。ほっとするときもあれば、とても落ち込むようなこともあるでしょう。友達との関わりから学習の様子と、その心配のテーマも年齢や状況によって、変化していきます。診察室での相談もこうした折々の家族の揺れや子どもの育ちの様子によって、相談の間隔が縮まったり、伸びたりします。子どもの様子を見ながら、すこしでも具体的な関わりを提案したり、現状を『この子のそだち』から理解し、その意味を一緒に探ったりしていきます。それ以上に大切なものは、その子が生活する保育所、幼稚園、学校での生活ぶりであり、そこの関係者との関わりだと、僕は思っています。最近は、現場の先生がたの障害察知感覚は、非常に優れていると思いますが、察知したことと、関わり対策の整備には、若干の開きがあるように感じています。発達が心配だから医療機関に相談するように言われてきました、診断がおりれば加配の先生がつくので、今まで以上に細やかな対応ができます、と言われ受診しました、という方もおられます。そもそも親のほうもなんとなく気にされていたので、どこかで「やっぱり」という思いと、ここでの生活がどれほど豊かになるのかは不明なままで医療機関での受診を勧められたことに、不安や不満を抱えながら、診察室にいらっしゃることもあります。特別支援教育がスタートしたころに、僕はあちこちの教育現場の先生方に「発達障害」の研修を行っていました。当時は知的に遅れのない自閉スペクトラム症や、ADHD、またいわゆる学習障害についての理解が決して充分ではなく、教育現場も大きく戸惑っていたと感じています。しかし、当時はそれでも通常学級で、どうやって向き合い教育を提供したらよいのかに尽力していたように思います。当時、学校現場に足を運び、教室の様子を見せてもらい、教師と一緒になって、関わり方を模索していました。それがどうも最近は、いかに個別支援を提供するか、という流れになっているような気がします。診断がつけば、できるだけ配慮し、できるだけ個別に対応し、というような流れになっているように感じています。確かにかつては暗中模索のなかで、子どもたちの関係性にも細やかに対応することが求められ、教師は同じ教室のなかでの対応に疲弊していました。最近は、登校時間を調整したり、クールダウンできる部屋が整備されたりして、個別の対応が強化されているように感じます。最近の子どもたちの言動は、一つの視点では把握できないような複雑な様子を呈してきたような印象もあります。育ちのなかで後天的に形成されるべき関係性が作られにくくなっているようにも感じます。また、家族が抱えている課題も複雑な場合が少なくないように感じます。もっともこれは、それぞれ相談を持ちかけられる医療現場によって、その感覚も異なるかとは思います。ただ、僕の臨床では、子どもと同時に、養育者へも相応の配慮ある支援が強く求められてきたように感じています。親同士、家族全体を視野に入れた、総合的な支援策を検討する必要が求められていると痛感することも少なくありません。実際、子どもの相談を続けている途中、きょうだいや養育者が、当事者として診察を希望される場合が増えてきている印象があります。それぞれが相応の課題を抱え、個々に生きにくさを感じているのかもしれません。こうした複雑な状況のなかで、今目の前の子どもを真ん中にし、保育・教育の現場と養育者、家族との連携が改めて整備されることが求められています。さらに最近では子どもが利用している児童デイサービスなどの機関との連携も求められています。ここに医療がどう関与するか。僕はそれぞれに一定の距離を置いて、それぞれの良さを引き出しながら、折り合いをつけ、できることを大切に、できないことは無理強いしないで、今より、その子が生きやすくなる、楽しくなるような生活作りのために、関係者の連携、むすびめ作りのお手伝いをしたいと思っています。連携に思う僕は、子どもの育ちには、医療だけでは、まったく役不足だと思っています。それ以上に、日々の生活を支えるには他職種の力が必要だと痛快しています。文字通り、総力戦での支援です。そのおかげで、僕は実際同業者よりも多職種者の友人のほうが多くなりました。それでも、最近の多職種者との繋がりにくさには、危機感が募ります。実際に、他の職種の方の守備範囲や力量を知るには、僕も現場に行ったり、お会いしてお考えを聞いたりする必要があります。異職種であるため、僕の常識が通じないという異文化体験もたくさんしました。でもそのおかげで、支援の多様性ということを学ぶことができました。結果的に、同業者よりも他職種の友人のほうが多くなりました。ただ、こうしたことを20年以上行って来て、僕は他職種者との連携の難しさ、むすびめ作りの難しさを痛感し、危機感を募らせています。これは、これまで情で成立していた繋がりの衰退なのか、組織的、構造的なつながりへ移行への狭間なのでしょうか。僕は、つながりあうことへの衰退に成らないことを祈るしかありません。僕が今も大切にしている他職種の方々と手を組み、協働作業をしようとするときの心構えは、以下の7つです。1.互いの職場に足を運び、それぞれの仕事の内容・職場の雰囲気・大変さに身と心を寄せ、できるだけ理解するようにしたい2.相手の職場の仕事に就いた場合を想像したい3.己の職場の専門用語はできるだけ使用せず、日常の言葉で話をすることのないように注意したい4.出会ったときに「ご苦労様。お互い、大変ですね」と声をかけ、相手をねぎらい、くれぐれも、苦言・提言という会話をしない5.関係者の助け合い・支え合いは、支援する方々を支える基になると信じる6.それぞれの専門的立場を尊重し、尊敬したい7.支援する方々の「今の心」、「未来へ向うための生きがい作り」を最も大切にしたい連携とは、単に専門性に裏付けられた技術のやりとりではなく、人と人との関わりから作られるネットワーク、精神的絆(むすびめ)で成り立っていると思っています。そして、傷みを抱え、生活に立ち往生したとき、この見えない絆が、支えてくれることを、僕は身をもって体験してきました。そのなかで、最近生じてきた危機感に、どう関わっていくか、今最大の課題ですが、とりあえず、出会ったときに、いやな感情を相手に生じさせない配慮だけは行い続けたいと思っています。よく養育者の方に、相手とけんかだけはしないようにしましょうね、と伝えていますが、これは、僕自身にもいえることです。また次に会えるために、最初の出会いに心を込めたいと思います。
2021年07月29日わが子の急激な成長を期待ばかりしていた私…Upload By みん療育を始める前の私は「療法士の先生が療育をしてくれるんだから、きっとすぐに効果が現れてどんどん言葉を発したり、いろんなことができるようになるのだろう!」と期待ばかりしていました。でもその様子を何度見学しても、先生は毎回毎回同じようなことを繰り返しているだけで、療育というよりは先生と遊んでいるだけのように見え、これが半年も待った療育?と最初は疑問に思っていました。周りにいるPよりも少し大きい子どもたちの様子を見ていると、その子たちは椅子に座って机の上で勉強のような療育をしているのに、何でうちの子はこんな遊びのようなことばかりしているんだろう?と不安に思ったりしていましたが、この考えは間違っていたとあとで気づかされることになります。Upload By みん先生たちは個別に支援計画を立ててくださるのですが、保護者からのニーズだけではなく、子どもの様子を把握し、検討した上でその子の発達段階や性格に応じた療育をしてくれていたのです。そのようなことを何も知らなかった私は、初めての要望では「単語が増えてほしい」「スプーンやフォークが使えるようになってほしい」などと当たり前のように言っていたのですが、そのころのPはまだまだそれらを目標にできる発達段階ではなかったのです。いきなり単語が出たり、道具が使えたりするようになるわけもなく、まずは現在できること、分かること、認知や概念がどれだけ育っているのか?など子どもの全体的な発達を知り援助することが必要でした。先生は最初にPとの信頼関係をつくり、先生と関わりたいという気持ちを育て、その上でこの先必要となる療育をする為の「土台づくり」をしてくれていたのです。でも対人関係が苦手な自閉症のPは、月に数回、数時間だけのやり取りだけでは簡単に信頼関係を築くことはできません。何回も同じ場所へ通い何回も同じ人と同じようなことをすることでやっと先生と関わりたい、伝えたいという気持ちが芽生え、信頼関係の土台ができ、そこから次のステップへとつなげることができるのです。療育は想像していたものとは違っていたUpload By みん早期療育の大切さが分かった現在はこのように先生の狙いや目的などが分かり、その効果が半年後一年後に目に見えて現れるようになってからは、私も前とは違った視点で療育を見学できるようになりました。先生が何ヶ月も何年もかけてPに土台をつくってくれたことで、現在は私が療育を始める前に思い描いていた、座ってお勉強のようなこともできるようになりました。なぜ早期療育が良いという声を聞くのか?を振り返って考えてみると、必要な手続きや待ち時間の話だけではなく、療育を受ける為の「土台づくり」にも時間がかかるからなんだと分かりました。何でもいきなり成長するというわけではなく、スモールステップで積み重ね全体的な成長があるからこそできるようになる。そしてこのように個別にも対応してくださることでP本人に合った必要な療育を一緒に考えながら進められるので、親の私にも目標や狙いが分かりやすく、とても勉強になっています。Upload By みん「遊んでるように見えるだけ」ってこと、ありますよね。僕も初めて療育を見たときは「え、これ大丈夫なの?」って思いました(笑)場所も人も発達も、安心感や土台がしっかりあって初めて次のステップに進むことができますよね。
2021年07月29日細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!