「発達障害」について知りたいことや今話題の「発達障害」についての記事をチェック! (44/98)
子どもをうまく愛せない……。そう深く思い悩み、心療内科を受診した私の行き着いた先は「愛着障害の疑いがある」という診断でした。なぜ愛着障害になったのか? それは私自身の生い立ちにありました。 なぜ無性にイライラするの?私は現在2児の母親ですが、上の子どもを出産したときは実家との折り合いが悪く、里帰り出産をしませんでした。したがって、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならず、毎日とても必死だったのを覚えています。そんなストレスフルな環境で、上の子どもが1歳半くらいのときから、子どもに対して無性に腹立たしくなってしまうことがありました。 子どもは特にかんしゃくがひどいとか、何か成長に関して大きく気になることがあるといった問題もありません。冷静に考えてみれば、ごく一般的な子どもが、ごくごく普通にママに愛情を求めて泣いたり、自己主張したりしているだけなのに、それだけでもイライラしてしまう自分がいたのも事実です。 2人目もワンオペ。そして精神の限界へ本格的に上の子に対して嫌気がさしてきたのは、下の子を出産したときでした。このときも里帰りはせず、退院直後から3歳になった上の子と新生児をワンオペで見る毎日。もう私の精神も限界に達していたのでしょう。思わず感情的に怒鳴り散らしたり、またある日は突然涙が止まらなくなったり。 そんな状態が下の子を出産して半年。私の情緒は落ち着くばかりか、ますます不安定になっていき、ついに意を決して心療内科を受診することに。結果は「適応障害」と「産後うつ」。おまけに「発達障害の疑いがある」とも言われ、後日心理テストを受けることになったのです。 発達障害を調べるテストを受けた私発達障害などを詳しく調べる検査は2日かかりました。1日目は臨床心理士さんとの面談があり、具体的にどのような家庭で生まれ育ったか、また学業成績など客観的な私の過去のデータについて話したのです。2日目はIQテストや、日常生活においてどれほど困難さを感じるかの自己記入式テストをしました。 2日合わせて3~4時間ほど費やして、精密に検査をしていただきましたが、結果は「発達障害はない」との所見でした。しかし、私の症状や実親からの虐待などの出来事から「愛着障害である可能性がある」と聞かされたのです。 検査を通してわかったこと「愛着障害」とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなど適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。 愛着障害と聞かされたときは「やっぱりな」と腑に落ちる私がいました。しかし、この検査を通して愛着障害と判明したことで、今までの生きづらさの理由がわかり、それを私の子どもたちに味合わせたくないと強く感じたのです。 イライラの理由が明確にわかったことで、これからは自分のつらかった過去とも向き合いながらも、子どもたちを育てていこうと心に決めることができたので、私は検査を受けてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月16日ある日起きた急激なうつ症状2021年の3月に入ったある日の夜、突然うつ症状が私を襲いました。人生の何もかもが理不尽に感じる。怒りと悲しみと喪失感。必死に努力して身につけ、継続してきた健康的な生活習慣やセルフケアのすべてを放り投げてしまいたくなる。消えてしまいたい、どんなに死にたいと悩んだときも結局死なずに生きてきたのだからどうせ死なないんだろうけれど、死にたいと言ってしまいたい気分。鎮静剤でも打ってもらって何ヶ月かこんこんと眠り続けたい…その日の日中まではそこそこ元気に、いろいろなことにチャレンジして過ごしていたはずなのになぜ? とパニックになりました。とっさにとった緊急対応策 「人に頼る、そして寝る」私は経験上、一度ここまで気分が落ち込んで動揺した状態のときには人の手を借りる必要があると知っていました。身体のコリでも、あまりに凝っているとセルフマッサージでは間に合わないし、セルフマッサージをする気力体力も出ないですよね。心の疲れでも同じで、ひどいときにはセルフケアでは対応できなくなるのです。そこで真っ先に、かかりつけのトラウマ治療のカウンセラーの先生に現在の状況を伝え、直近のセッション枠をあけてもらいました。そして、いつも悩んだときには誰より先に悩みを相談しあっている親友にお願いして、チャットメッセージを使って少し話を聞いてもらいました。少し落ち着いてみると自分がこのところ無意識に無理していて心身ともに疲労困憊していたことに気づき、「何はなくともまずしっかり寝なければ」と思いました。それで抗不安薬と睡眠導入剤を飲み、いつも寝る前にやっているヨガもさぼって、寝落ちしてしまう直前まで先の友人に頼んで話につきあってもらいました。このうつ症状は「記念日反応」だと気づいた数日以内にかかりつけの先生のセッションを受けられるという安心感、とりあえずは親友に話を聞いてもらってパニックからは脱したこと、そしてとっさにしっかり睡眠をとったことで、私は翌朝には思ったよりも落ち着いていました。引き続き親友に話を聞いてもらう中で「しばらく緊張とハイテンションが続いたあとにガクッとうつっぽく落ち込むって、なんだか東日本大震災のときと似てるよね」と言われ、はたと気づきました。これは記念日反応かもしれない。記念日反応とは、何かの記念日のような日や時期に心身の調子が悪くなることです。災害記念日や誰かの命日、年度の変わり目や盆暮れ正月などに、関連の記憶や思いがかきたてられて調子を崩す。誕生日前後に調子を崩す人もいます。2021年3月は東日本大震災の10年目の時期です。私にとって震災から10年となる今年は、実家を逃げ出して現在の生活になってから10周年でもあります。このタイミングは年齢的にも、私が40歳を過ぎて来し方を振り返り、今後の生き方に思いを馳せるときでもありました。つまり、この春は私にとっていくつもの記念日反応が重なる時期だったのです。それに加え、去年から今年の場合はコロナ禍という特殊事情も重なっています。コロナ禍の影響で仕事の企画はいくつも流れたり延期になったりしていますし、気分転換にあちこち外出や旅行をしたりもできません。私にもほかの多くの人と同じように不安や焦り、フラストレーションがたまっていたでしょう。私はそんな中で、「それでも自分にできることをやっていこう、自己向上していこう」と頑張りすぎていたのかもしれません。自宅でフィットネスを頑張ったり、英語の勉強のしなおしにとりかかったりしていました。そうした無理が限界を超えたサインが、今回のうつ状態だったのだと思います。こうした気づきを得たことで、私の落ち込みと動揺は収まっていきました。突然の精神的危機に対する私なりの対応策記念日反応は誰にでも起こるものですし、世界的な情勢の変化によるストレスの影響からは誰も逃れられません。突然の精神的危機は「弱い人だから」起こるのではなく、誰もに起こるものだと思います。私が経験上自然と練り上げてきた、突然の精神的危機に対する対応策をまとめておきます。真っ先にやるのが、自分を助けてくれる人と連絡をとって頼ることです。かかりつけの治療者や、相談に乗ってくれたりそばにいてくれたりする信頼できる人など。助け手とやりとりする中で、まずは精神的危機によるパニックを落ち着けます。かかりつけの治療者には、できればなるべく早くに診察やセッションの予定を組んでもらいましょう。精神的危機に陥っているときはたいてい自律神経の状態も乱れていて、質のいい十分な睡眠がとれていません。まずは眠ることを優先にします。普段はできるだけ薬に頼らずセルフケアで対応している人も、このときばかりは薬に頼ってもいいと思います(必ず処方されている用量内で使いましょう)。結果的に眠れなくてもいいので、まずは薬で、逆立った神経を少しでも休めます。仕事、勉強、家事、セルフケアなど、日常の中でやらなければいけないことはたくさんありますが、精神的危機のまっただなかである今は緊急事態なので、「やらなければ死ぬこと」以外は徹底的にサボります。私は仕事も勉強も掃除も歯磨きも、ヨガも瞑想もさぼりました。私は入浴が好きなので入浴はサボりませんでしたが、人によっては入浴だってサボっていいと思います。3までのことをやっているとたいていパニックが落ち着き、当面の心身の疲れがとれます。落ち着きを取り戻した頭でいろいろ言語化しているうちに頭が整理されて、自分が置かれている状況に対する気づきが生まれます。今回私が「これは記念日反応だ」と気づいたような感じです。気づきを得たらしめたもので、もうそれは立ち直るフェイズに入ったということです。4までで立ち直るフェイズに入りはしたものの、まだ衝撃の余韻は残っています。気分や体調の大きな変調は「今までのやり方では参ってしまうよ」という心身からの大事なメッセージなので、このメッセージを少なくともしばらくの間しっかり尊重してあげます。私の場合、ダイエットを頑張っていたなら、無理してプロテインにしていたのを甘いものを心ゆくまで食べるとか、筋トレや有酸素運動を少し休んでストレッチしながら自分の身体の意外な部分の緊張に気づいてみるとか。日ごとのノルマを決めて勉強や仕事を頑張っていたなら、ノルマをつらく感じない程度まで思い切って引き下げてみるとか。大事なのが、どんな努力でも、心身の健康を保ちながら続けていく秘訣は「目標に自分を合わせていくのではなく、自分に目標を合わせていく」ことです。目標を自分にすり合わせていくと同時に「高すぎる目標に自分の心の傷が隠れていないか」も探ってみるのもとても大事です。たとえば私の場合、容姿のことでバカにされたトラウマがあるとか、いつも一番であるように親からプレッシャーがかかっていた、小さなころから有能であること以外に自信の持てる要素がなかった、とかが見つかります。二次障害も乗りこなしながら生きていく発達障害があるとただ生きているだけで発達障害のない人よりも傷つくことが多く、二次障害を負ってしまう人も多くいます。社会が発達障害者向けにつくられていない以上、私たちは今までもこれからも人よりも多くのストレスにさらされながら生きていかざるをえません。その意味で私たちは、発達障害それ自体だけでなく、二次障害とも一生つきあっていく必要があるのかもしれません。それでも私たちは障害者である前にひとりの人間として、自分の生き方に対して経験と知識を積み重ね、成長していきます。仲間たちと苦労やノウハウを分かち合いながら、二次障害も乗りこなしながら生きていきたいと私は思っています。
2021年03月16日今年度は友達がグンと増え、穏やかに過ごせた一年でしたUpload By スガカズADHDの次男は、小3までクラスメイトや先生との関わりでハラハラすることばかりだったのですが、今年度の小4は先生やクラスメイトにもとても恵まれており、穏やかな時間を過ごせました。お陰で、クールダウンがとても上手くなり、友達を想いやる姿を見られた1年だと感じています。少し前のことです。次男に、「小学5年生になるの楽しみ?」と聞くと、「楽しみじゃない」と…。「どうして?勉強が難しくなるから?」とさらに聞くと、「違うよ。だって今の先生じゃなくなるし、友達とも別々になるから。次の担任の先生と合うかわからないから。自分は怒られたら逃げたくなってしまう。だから優しい先生が良い」という次男。自分を客観的に見られる様になってきたなぁと感心しました。発達障害のある子どもたちに必要な「合理的配慮」わが家の次男の場合次男が通う小学校は、1学年の人数が120名程度。年度の人数によって3クラスか4クラスに分けられます。1クラス30~40人程度の生徒を先生1人で受け持っており、おそらく学校側の配慮があり、毎年慎重に編成が行われているのだろうなと感じます。【気づき その1】次男と似ているタイプのお友達とは同じクラスにしない方が良さそうUpload By スガカズ次男は白黒思考で、自分の意に反したことを指摘されることを嫌います。自分なりの正義感をもっており、「これは良くないぞ」と思ったときに、人に指摘してしまいます。一度、似た特性をもったお友達とクラスメイトになった年があり、お互いの意見がぶつかり合ってしまいケンカが絶えませんでした。Upload By スガカズケンカが多いなら離れることも方法の一つなのだろうと思いますが、意見がぶつかり合うとき以外は気が合うので、いつも一緒にいます。ケンカする程仲が良いとはいいますが、親としては「いつ何が起こるのか分からない」と、ハラハラ続きでした。相手のお母さまとなかなか会えるタイミングがなかったのですが、初めてお話できた日は、お互い謝り続けていました…。【気づき その2】仲が良いお友達も場合によってはクラスが別の方が良いUpload By スガカズもともと仲の良い友達と同じクラスだと、話したいことがあったときに、友達のところへフラフラ~と向かってしまいます。また、次男を好いてくれている友達(定型発達のお子さんです)もいたりして、次男の後にいつもついてくる、なんてこともありました。そのときは、保護者会でお母さまに会った際、挨拶させていただき、お互いの家庭で子どもへの指導を合せる様にしました。【気づき その3】優しい女性か、若い男性の先生が合っているUpload By スガカズ次男は人の感情を敏感に察知するところがあり、怒られていると感じた際に、自分を守るために怒りで対抗していました。特に大人から言われると、威圧感を感じるようで、怒りが倍増します。小1、小2のころは、強めに注意される経験があったのですが、クールダウンのために頻繁に校庭や廊下でうろうろしたり、悪態をついたり物にあたる行為が目立ちました。友達に近い関係を築ける男性の先生か、物言いが穏やかな女性の先生だとそのような結果にはなりませんでした。きっと次男とは反対で、優しくされるよりも怒られる方が成長するお子さんもいるのだろうと思うので、相性は人それぞれで、難しいなと感じます。ここまでざっと振り返ってみましたが、改めて自分の息子の気難しさを感じました…。毎年配慮してクラス替えをしていただいていると感じ、本当に学校の先生方に感謝しかありません。何かあったときに逐一学校に報告、相談する大切さUpload By スガカズ私は、次男に関して何かあったときは、逐一学校に報告・相談をするよう心がけています。トラブルの背景なども詳しく伝え、相談をしているからか、先生から「お子さんたちそれぞれが落ち着いて学校生活を送るためにも、クラスメートへの影響を考えても、〇〇君や●●君と違うクラスにしたほうがよさそうですね」とおっしゃっていただくことがあり、私の考えと同意見であることが多くあります。もちろん「みんな違ってみんないい」ですし、子どもに対して大人の都合を押し付けているのではないか、と心苦しくなることもあります。でもトラブルを避け、落ち着いて学校生活を送れるようにするための環境整備は、子どもの育ち、学びのためにも大切な合理的な配慮ではないかと感じています。本当に仲の良い友達であれば、クラスが違っていても放課後一緒に遊ぶでしょうし、放課後であればわが家に呼んでやりとりを見守れます。来年は小学5年生、その次は最終学年の小学6年生…と、小学校生活も残り少なくなってきました。来年度もハラハラ、ドキドキ…だけど次男にとって楽しい学校生活になると良いなと願っています。
2021年03月15日小学校時代、クラスで浮く存在だった息子Upload By かなしろにゃんこ。現在22歳のADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は、変わっている子と小学校ではクラスで浮いた存在でした。先生の指示に従って課題に取り組むことをしなかったり、授業の準備をしなかったりと授業態度がよろしくない子でしたから、保護者会では担任の先生との話し合いで「授業面では短期目標を設定して取り組んでいけるようにしましょう」と指導目安を話し合ったりしてきました。しかし自由奔放でルールを守れないリュウ太には簡単な目標でもクリアすることが難しく、小学校卒業まで、1時間目から午後の授業まで、きちんと座って授業を受けることが達成できませんでした。このままじゃ中学ではどうなっちゃうんだろう?と心配でした。担任の先生に相談したところ...Upload By かなしろにゃんこ。6年生最後の保護者会で担任の先生に相談したところ、「中学校では発達障害があっても特別な配慮は期待できないことも多いです。少しは理解がある先生が増えてきましたが、小学校のようなフォローはない場合もあります。もしご心配ならば入学前に一度学校に相談に行かれるといいかもしれません」こうアドバイスをいただきました。相談なんてしていいの?「自分ちの子どもに配慮をお願いします!」とお願いしに行くって恐れ多いな~と思いましたが、中学生活が合わなくて孤立してしまい登校拒否になる恐れも考えて、小学校の卒業式後すぐに中学校に連絡してみました。挨拶に行った校長室で言われた言葉はUpload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。校長先生と新1年生の学年主任の先生が話を聞いてくれることになり、息子と二人で校長室にご挨拶に伺いました。落ち着きがない、物忘れが多いなどリュウ太の特性を伝え、課題を忘れたり、持ち物を忘れたりしてしまうので、帰りのホームルーム後に声掛けをしていただけないかお願いしました。注意するときはパニックがおさまってからにしてほしいとか、暴れたときはクールダウンスペースに誘導してほしいなど、本当はもっとたくさんお願いしたいことがありましたが「過保護な親」と思っているだろうな…いくつも頼んだら嫌がられそうだな…と思い1つだけにしたのです。ところが校長先生からは「発達障害があっても特別扱いはしません。生徒の自主性に任せているので個別のサポートはしません」と言われてしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害の特性がある子は他にもいて、一人ひとりに配慮はできないから家庭でなんとかしてください、もし特別なサポートが必要な場合は精神科医と相談して決めるので学校が紹介する精神科に通院してください、ということでした。息子は精神科には通いたくないというし、コレはもうサポートは望めないとわかりました。学年主任のT先生は「部活をはじめて、運動などもしてみると良い変化があるかもしれませんから、様子をみながら指導しますよ」と言ってくれました。でも、きっと社交辞令だと思い、学年主任の先生の言葉をあまり期待しませんでした。Upload By かなしろにゃんこ。ところが実際に入学してみると...!?発達障害って、理解してもらおうとして伝えれば伝えるほど、過保護な親と捉えられてしまいがちです。見えない障害も障害ですから配慮を頼んでいいはずなのに、目の前でシャッターを下ろされる感じです。校長先生の言葉に、中学校ってハンデのある子にも容赦ない優しくない教育現場だったのかー…なんて落ち込み、学校に相談に行くんじゃなかったかもな~なんて思ってトボトボ帰ったのでした。ところが入学してみると学年主任の先生が担任となり、課題にはついていけていないリュウ太でしたが、学校には慣れて楽しんでいくようになったのです。Upload By かなしろにゃんこ。先生は教員には珍しい、真面目すぎない、いい意味でおちゃらけた方で、息子はすぐになつきました。先生のおもしろいエピソードを家で話すようになり、運動オンチなのにテニスにも挑戦してみよう!とテニス部にも入りました。やるべきことを指示通りにやらず、先生にこっぴどく叱られる厳しい指導も受けましたが、先生に嫌われたくないという思いがあったからか?先生の指示には耳を貸すようになっていったのでした。先生に怒られても先生の話をする様子から、学校は発達障害がある子に特別扱いはしないという方針だけれど、先生はリュウ太がクラスの中で浮かないように声をかけてくれたり、文化祭や体育祭で係りの仕事をさせて自己肯定感を上げるように取り組んでくれたりしていたことが見えてきました。入学前、学校に相談するんじゃなかった...と思っていた私ですが、あのとき相談しておいて、結果的に良かったかもしれないと考えるようになりました。中学では担任の先生と話すのは保護者会だけで、特別に指導相談もなかったため、学校の様子は子どもから聞く情報でしか分かりませんでした。ですが先生は学校の方針とは別に息子の様子をみて、「声かけ」のタイミングなどを判断して、いつも気にかけてくれていたのではないかと思います。これからお世話になる学校に「子どもに発達障害があります」と伝えるのはやっぱり勇気がいりました。どの場面でも言えば配慮がもらえるわけではありませんが、子どもの特性や苦手なこと、できないことは伝えておいたら、必要な支援を考えてくれるのかもしれないと思うようになりました。
2021年03月11日私には2人の息子がいます。次男は2歳のときに言語発達遅延、その後、自閉症スペクトラム障害だと診断されました。当時の私は発達障害についてまったく知識がなく、戸惑うばかり。夜な夜なインターネットで検索しては落ち込み、将来を悲観したり、枕を濡らしたこともありました。そんな私が障害をもつ次男にどう接してきたか、次男が二語文を話し出すまでの体験をお話しします。 言葉が減っていく次男次男の異変に気が付いたのは、2歳の誕生日を迎えたころでした。それまで順調に増えていた単語が、徐々に消えていったのです。言葉の爆発期といわれる時期に、単語を忘れていく次男。不安を感じていましたが、新たに覚える単語もあったため、私は気のせいだろうと思っていました。 そんなある日、ついに次男は「ママ」まで言えなくなってしまったのです。これはさすがにおかしいと感じ、藁にもすがる思いで市の発達相談窓口へ連絡しました。 すべての動作を言語化する市の発達相談窓口に相談すると、療育センター、専門医を紹介してもらえました。そこで私は次男を連れて、紹介してもらった専門医を受診しました。専門医からは、言葉を増やす転機となる重要なアドバイスを受けることができたのです。 それは、すべての動作を言語化すること。例えば、手を洗うときは「袖をまくって、水を出すよ。水が冷たいね。泡を付けて……」と説明しながら洗うというものです。これは、簡単に見えてなかなか精神的に大変でした。反応の薄い息子に向けて、1日中、実況中継しているようなものですから。 ついに、二語文が…!次男は電車が大好きで、駅までの散歩を日課にしていました。ある日いつもの通り電車を見に行くと、突然次男がこう言ったのです。「電車、きたね」。待ちに待った二語文。 私は目に涙をうかべながら、「うんうん、そうだね。電車きたね。きたって言えてすごいよ!」と何度も何度も次男をほめました。この日の出来事は、一生忘れないと思います。長男のときは成長過程の1つだと感じていた二語文ですが、次男にとっては本当に大きな一歩でした。 次男はその後も少しずつ言葉が増え、自分の思いを相手に伝えられるようになりました。今、4歳の次男は幼稚園の人気者。先生や友だちに愛されて、笑顔あふれる日々を過ごしています。まだ会話の受け答えはうまくはありませんが、これからもたくさん話しかけて、次男らしく元気に過ごせるようサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年03月10日まだまだ発生するパニック。広汎性発達障害の娘は、小学4年生。来月には5年生になりますが、パニックはまだまだ発生しております。特に多いのが、宿題に関する忘れ物のパニック。プリントや教科書を忘れると、この世の終わりかというくらい泣いてしまいます。Upload By SAKURA娘にとって忘れものは、この世の終わりに匹敵するほどの悲しみなのです。国語の教科書を忘れて、宿題ができない!つい先日も帰宅後、音読の宿題をしようとして、国語の教科書を忘れたことに気がつきました。Upload By SAKURAこんなとき、感情的に「仕方ないでしょ!」と言っても、娘にはあまり効果がありません。Upload By SAKURAこういうとき、私はいつも娘にどうしたいかを聞くようにしています。Upload By SAKURA希望を聞いても、叶えられないこともある。娘は、学校に教科書を取りに行きたいと言いました。しかし、この日は学校の後に放課後等デイサービスに通った日だったので、このときすでに夕方の6時すぎ...学校も閉まっているだろうし、この時間から学校に物を取りに行くことはさすがにできません。私は娘にそのことを説明しました。Upload By SAKURAどうしたいか聞きはしますが、叶えられないこともあります。一つひとつ娘の要求が不可能なことを説明していくと、今度は謝り始めます。Upload By SAKURAこの『ごめんなさい』は、私に対する謝罪ではなく、ミスをした自分が許せず、発している言葉。娘は『ごめんなさい』と言った後は、黙り込んでしまいました。できることを提案。そこで私は、一つ提案しました。Upload By SAKURA提案は、受け入れてほしいという思いよりは、ただ「こういう方法もあるよ」と教える感じでするようにしています。無理強いはもちろんしません。最終的には、時間がかかっても、娘に決めてもらいます。学校で先生に説明して...次の日、私はいつもより早く娘を学校に送りました。念のため事の経緯を連絡帳には細かく書いていましたが、まだ娘の気持ちが凹んでいたので、学校の中まで付き添いました。教室に行く途中、去年まで娘の特別支援学級の担任をしてくれていた先生にばったりあったので、経緯を説明。Upload By SAKURA娘の特性をよく理解している先生のおかげで安心した娘は笑顔になり、私は学校を後にしました。パニックが起きた後、自分で抜け出せるように。宿題を忘れるぐらい...と思われるかもしれませんが、娘にとって宿題を忘れるということは許せないこと。その気持ちが、パニックを起こしてしまいます。ただ、人生、予想外の事態はつきもの。パニックが起きないように回避することもできますが、自分でそこから抜け出す力を身につけるのも必要なことだと、私は思っています。パニックが起きたとき、そこからどうするかを自分で見つけることができるようにすることは、娘の将来に必要なことです。今はできる限りのサポートをして、同じようなシチュエーションで練習をして、娘の経験にしたいと思っています。
2021年03月10日障害がある人の就労スキルを評価!ーー『発達障害の人の就労アセスメントツール』発達障害がある人は、仕事自体はできても、いわゆる「常識」と呼ばれるような生活ルールを守ったり、あるいは良好な対人関係を築くことが難しかったりすることがあり、そのせいで就労に支障をきたす場合があります。本書のベースとなっている「就労アセスメントツール」(BWAP2)は、元々は知的障害がある人の就労課題を評価するもので、仕事のハードスキルだけではなく、ソフトスキルが把握でき、障害の程度や課題、支援ニーズを明確に見出せるツールです。障害者職業総合センター研究員を経て、多くの障害者就労問題・課題に関わってきた梅永雄二先生が手がけた本書、『発達障害の人の就労アセスメントツール』は、誰でもできる簡易なアセスメントで、職場や作業所など多様な現場で活用でき、個々の能力・特性にあった支援を行う手助けとなる1冊です。支援に携わる人など、アセスメントについて関心がある方にぜひおすすめしたい一冊です。困難に直面しても立ち直る力を育む!ーー『「たすけて!」は生きぬくための合言葉 レジリエンスが育つ たすけ合い体感ゲーム』レジリエンスとは、困難に直面して落ち込んでも立ち直る心の力のことです。そんなレジリエンスについて着目した本書。著者は、小学校の教師として多くの子どもたちと関わりながら、「子どものレジリエンス研究会」の代表も務める上島博さん。上島さんは、変化が激しい今の時代の子どもにとって、失敗してもそれを糧として成長していく、しなやかでへこたれない心の力は必要不可欠だと語ります。本書は『たすけ合い体感ゲーム』といったゲームを通じて、レジリエンスについて学べる仕組みが整えられています。ゲームをしていくうちに、「たすけて!」と声に出すのは決してはずかしいことではないことや、困っている人をたすけられたら自分も幸せな気持ちになれること、が自然とインプットされていきます。子どもの生きやすさ、成長を考えるうえで非常に参考になる一冊です。睡眠についての最新研究をご紹介ーー「発達障害当事者の睡眠困難と発達支援の研究」近年、子どもや若者の生活リズムの乱れや心身の不調が大きな問題となっています。その背景としてあげられるのが、睡眠時間の短縮や夜型化です。現代のこども・若者の睡眠困難に着目する中で、発達障害当事者の多くが何らかの睡眠困難を有していることがわかっています。本書は、そんな発達障害当事者が有する睡眠困難の実態や支援ニーズを解明し、発達支援の課題を明らかにすることを目的として執筆されました。本書は国内外の論文から、最新の睡眠困難についての研究動向を紹介すると同時に、学齢期や成人期など年代ごとに起こりうる睡眠困難について研究を深め、支援方法を検討しています。子どもの睡眠困難に悩む保護者の方や、支援に携わる方に読んでいただきたい一冊です。
2021年03月06日この街から日本の風景を変えていく。発達障害や感覚過敏のある方が暮らしやすい川崎市の取り組み「障害のない社会をつくる」。発達ナビを運営する株式会社LITALICO メディア&ソリューションズが掲げるこの理念にも通じる、「誰もが自分らしく暮らし、自己実現を目指せる地域づくり」の実践を全国に先駆けて始めている街があります。それが、神奈川県川崎市の「かわさきパラムーブメント」です。今このプロジェクトが、近い将来の人口減少社会を見据え、一人ひとりが尊重され、能力を発揮することができる環境づくりのモデルケースとして、大きな注目を集めていることをご存知でしたか?Upload By 発達ナビ編集部2016年度から継続する「かわさきパラムーブメント」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」)の開催をきっかけとして、「人々の意識や社会環境のバリアを取り除き、誰もが社会参加できる環境を創り出す」ことを理念としています。「人それぞれの個性への理解」が「心とハードのバリアフリー」につながり、「社会環境によるバリアのない暮らし」が自己実現を可能にし、「社会への参加」が当たり前となり、そのことで新しい価値が創出されていくという循環を目指すプロジェクトです。Upload By 発達ナビ編集部川崎市は、パラリンピアンとの交流をきっかけに共生社会を実現するための先導的かつ先進的な取組を総合的に実施する「先導的共生社会ホストタウン」に認定され、「心のバリアフリー又はユニバーサルデザインの街づくりの取組の継続的・加速的な実施」と「東京大会の事後交流も含めた幅広い形での相手国・地域のパラリンピアンと市民との交流」に取り組んでいます。今回はその先導的・先進的な取り組みの事例について、川崎市 市民文化局 オリンピック・パラリンピック推進室の永田光太郎さんに、お話を伺いました。Upload By 発達ナビ編集部人々の意識や社会環境のバリアを取り除き、誰もが社会参加できる環境を創り出す――まずは「かわさきパラムーブメント」が始まった背景について教えてください。以前から少子高齢化、人口減少社会の到来を見据えた持続可能なまちづくりについて議論や検討を重ねてはいましたが、その計画をさらに大きく前に進めるきっかけになったのは東京2020大会の開催が決まったことでした。川崎市では、パラリンピックを未来につながるダイバーシティとインクルージョンの象徴と捉えています。パラリンピックに重点を置き、障害のある人が生き生きと暮らすうえでの障壁となっている、私たちの意識や社会環境のバリアを取り除くことや、新しい技術でこれらの課題に立ち向かうこと、これらを「ムーブメント」として展開していくことを目指し、かわさきパラムーブメントの取り組みがスタートしました。――その中でも川崎市では、身体障害がある方の他にも発達障害や感覚過敏がある方への取り組みに力を入れているそうですね。全国的にも身体障害がある方への取り組みはハード・ソフトの両面で増えてきている一方で、目に見えない困難を抱える人たちへの取り組みはまだ実践の例が少ないのが現状です。ですので、先導的に川崎市発で発達障害や感覚過敏がある方へのサポートを全国に広めていければと、そんな想いで取り組みを進めています。今回は、「かわさきパラムーブメント」を象徴する3つの事例について、紹介させていただきます。日本初!発達障害、感覚過敏のあるお子さんのための「サッカー&ユニバーサルツーリズム」――その取り組みのひとつが、「サッカー&ユニバーサルツーリズム」と伺いました。「かわさきパラムーブメント」の取り組みにより未来へ遺していくレガシーのひとつとして、「誰もがスポーツ・運動に親しんでいるまち」があります。このレガシーの形成に向けて、JTBやANA、富士通、川崎フロンターレ等と連携し、2019年7月27日の川崎フロンターレ対大分トリニータ戦において、日本で初めて発達障害のあるお子さんを対象とした「サッカー&ユニバーサルツーリズム」を実施し、当日の試合観戦と翌日のサッカー教室にご参加いただきました。――それはどのような課題に対しての取り組みだったのでしょうか。発達障害のあるお子さんの中にはその特性から感覚過敏の方も多く、人混みや喧噪などが外出等における障壁となっていて、外出や旅行をためらってしまうこともあるそうです。またスポーツ観戦に関しても、スタジアムは歓声や音響が大きく、照明の光も強いので、そもそも観戦を諦めてしまう親子も多いとも聞いています。そんな親子の力になりたいと思ったんです。Upload By 発達ナビ編集部――多くの企業と連携したプロジェクトとなりました。元々はJTB主催のシンポジウムで、発達障害をテーマとしたパネルディスカッションで生まれたご縁から始まりました。関わるスタッフに向けた勉強会や研修を実施していただいたり、川崎市自閉症協会の方にお話をいただいてケーススタディをしたり、発達障害というものを全員で学びながら進めていきました。――企業と連携したからこそ、できたことがあったと。それぞれの企業ができることは何かと考え、ひとつずつ形にすることで最後には大きな力となりました。当日は大分からも当事者のご家族に参加いただいたので、まずANAに飛行機やツアー中の移動をサポートしていただき、JTBには移動時に限らず運営に携わるスタッフに向けた心のバリアフリー研修を行っていただきました。また、富士通には当事者ではない方にも感覚過敏の特性とそれに対する配慮の仕方を学習できるVR動画を制作してもらったほか、サッカー観戦などの貴重な体験を簡単に日記にできる「気持ち日記」というアプリを提供してもらったりと、コンテンツ面で力を発揮していただきました。Upload By 発達ナビ編集部――お子さんにとって、スタジアムで直接サッカーを観戦するという、得難い体験になったのではと思います。そうですね。会場となった等々力陸上競技場にはセンサリールームを特設して、音も光も抑制された部屋で観戦できるようにしました。同時にカームダウンスペースとスヌーズレンも用意して、疲れた時に休憩できるようにもしたんです。また試合開始前には川崎市長からこの取り組みについての説明をしたり、川崎フロンターレの計らいでオーロラビジョンの選手名をひらがなで表記していただいたりしました。サポーターの方たちが歓迎の横断幕を用意してくれたのも印象的でした。――そして翌日にはサッカー教室も開催されました。当日は、前日の試合に出場してリカバリートレーニングをしていた選手も急遽参加してくれて、思う存分サッカーを楽しんでもらう体験をしていただきました。普段見られない一面が見られて良かった、ひとつの成功体験となりその後の学校生活の中でも積極的に動けるようになったと、ご家族にも喜んでいただけたことが嬉しかったですね。Upload By 発達ナビ編集部――今振り返ると、どのような意味のある取り組みとなったのでしょうか。発達障害の当事者以外の方も巻き込んで、みんなが考えるきっかけとなったことが大きかったなと考えています。実施後も、国際ユニヴァーサルデザイン協議会主催のIAUD国際デザイン賞2019UXデザイン部門での金賞や、公益社団法人日本プロサッカーリーグ主催の2020Jリーグシャレン!アウォーズでのJリーグチェアマン特別賞の受賞など、たくさんの反響をいただきました。現在も、他の自治体などから問い合わせをいただいており、今後はこの取り組みが全国的に広がっていくことが大切だなと思っています。Upload By 発達ナビ編集部日本初!商業施設で安心して買い物を楽しむための「クワイエットアワー」――他の取り組みとして、「クワイエットアワー」についても教えてください。「サッカー&ユニバーサルツーリズム」のサッカー教室の日に合わせて、会場近くの「イオンスタイル新百合ヶ丘」に朝9時から10時まで、日本で初めての試みとなる商業施設における「クワイエットアワー」を実施していただきました。買い物を楽しんでから、サッカー教室に参加しようという提案です。――まだ「クワイエットアワー」は日本で浸透していない中での取り組みとなりました。そうですね。例えば、川崎市のホスト国である英国では、すでに商業施設でも特定の曜日・時間帯に行われているもので、感覚過敏のある方も安心して買い物ができるよう、音や光を緩和していると聞いています。感覚過敏がある方にとって、店内の音や光や匂いなどによって、生活に必要な買い物が苦痛になってしまうことがあります。この取り組みをきっかけに川崎市内、将来的には全国で「クワイエットアワー」が浸透していってほしいと願っています。Upload By 発達ナビ編集部――具体的にはどのような取り組みだったのでしょうか。店内の照明の明るさを通常時より2~5割程度暖和したり、店内に流れるBGMに配慮したり、カームダウンスペースの配置などを行いました。検討にあたっては、医師のほか、音響の専門家、当事者団体など、多くの方に意見を伺いながら進めました。Upload By 発達ナビ編集部――日本初の商業施設における「クワイエットアワー」、やってみていかがでしたか?当事者の方のサポートになるということは前提として、やはり大切なのは当事者以外の方に知ってもらう、考えてもらうことだと思っています。その意味で、普段お買い物をされている方が「クワイエットアワー」を知り、「よい取り組みですね、応援します」と言ってもらえたことは収穫でした。同時に、「少し店内が暗くて見えにくい」との素直なお声もいただき、今後も理解を広げていくための取り組みを推進していきたいと考えています。――取り組みを川崎市全体に広げたいという想いもあるのではないでしょうか。そうですね、市内の他の商業施設などに展開をしていきたいと考えていて、現在各方面から情報を集めながら進めています。構えずに参加しやすいように、例えば照明やBGMを落とすだけでもサポートになるんですよという提案をしていきたいと考えています。そして実施事例が増えていくことで、発達障害や感覚過敏について知る機会が増え、自分も何かできないかと行動に移す、そんな風に広がっていって欲しいです。マイノリティの立場で世の中を考える、「バリアフルレストラン」――最後に、今年実施した「バリアフルレストラン」についても伺わせてください。「バリアフルレストラン」とは、車いすユーザーと二足歩行者が逆転した架空の世界を体験する、「チーム誰とも(主体:公益財団法人日本ケアフィット共育機構)」によるプログラムのことです。「令和2年度共生社会ホストタウンサミットin多摩川」に合わせて、目玉となる出展のひとつとして二子玉川ライズ ガレリアで実施しました。――障害の社会モデルの一環で、マイノリティの立場を体験するための企画ということですね。はい、今の社会の多くは無意識のうちにマジョリティ優先の考え方で成り立っています。その前提をひっくり返して、世界の中で車いすユーザーが多数だったときに、どういうレストランになるのかを具現化して当事者ではない方に体験していただきました。コロナ禍ですので人数制限などの対策を万全にしながらの実施となりましたが、体験された方から貴重な機会になったとのお声をいただいています。Upload By 発達ナビ編集部――発達ナビのメンバーも参加させていただきましたが、非常に貴重な体験となりました。ありがとうございます。川崎市長も体験をしたのですが、「すごい気づきをいくつも感じることができる非常に貴重な体験であり、このような機会をいろんなステークホルダーの方たちと連携しながらいくつもつくり出していきたい」とのコメントがありました。この取り組みをきっかけとして、身体障害のある方もそうですし、発達障害や感覚過敏がある方についても、当事者以外が自分事で考えたり体験したりしてもらうための取り組みを続けていきたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部――東京2020大会の見通しは不透明ですが、一旦は「かわさきパラムーブメント」の区切りを迎えることになります。もちろん東京2020大会はきっかけのひとつでしかないので、今後も培ってきた考え方を広げて、どのように推進していくかを議論しているところです。時代の流れと共に常に視点は更新しながら、川崎市としての軸はブラさずに、レガシーを形成するために一歩一歩着実に取り組んでいきます。――発達ナビの読者の皆さんにも、メッセージをお願いします。川崎市では、街の物理的なバリアフリーの実現はもちろん、「心のバリアフリー」についても浸透させていくことで、発達障害や感覚過敏のある方にとっても暮らしやすい街づくりを目指していきます。私たちの取り組みを知っていただき、ぜひ川崎にお越しいただきたいと思います。そして何より、川崎市が始めた「誰もが自分らしく暮らし、自己実現を目指せる地域づくり」の取り組みについて、ぜひご友人や暮らしている街の人たちにも伝えて広めていただきたいと思っています。この活動が川崎市だけではなくて全国に広がっていくことが、真に多様性を受け入れる社会の実現に繋がると考えているからです。真の共生社会の実現に向けて、ともに歩んでいきましょう。「かわさきパラムーブメント」についてご興味をお持ちいただき本当にありがとうございました。2024年に100周年を迎える川崎市、その取り組みをたくさんの方に知っていただきたいから「かわさきパラムーブメント」の考え方や取り組みには、発達障害や感覚過敏の当事者の方も、当事者でない方も、この社会で暮らす全員にとって多くの学びや発見があります。川崎市が踏み出した一歩が少しずつでも広がっていくことが、これからの社会には必要なはず。多様性を受け入れる街が、ひとつ、またひとつと増えていくことで、「障害のない社会」はきっと実現していきます。ぜひ皆さんにも、もっと取り組みについて知っていただき、近くの誰かに伝えていただけると幸いです。サッカー&ユニバーサルツーリズムの取り組みを動画で見る!
2021年02月26日外国にルーツを持つ子どもの人口変移日本に暮らす外国人は、年々増え続けています。2020年12月に法務省が公開した統計によると、2012年12月時点で約203万人だった在留外国人の総数は2019年12月時点では約293万人となり、7年間で約90万人増えていることが分かっています。そして、在留外国人の人数は今後も更に増える見込みだと言われています。そんな中で、外国にルーツを持つ子どもたちの、特別支援級・特別支援学校への在籍率の高さについて指摘されることが増えてきました。ある調査では、全児童生徒のうち特別支援学級に在籍する日本人児童は2.25%程度であるのに対し、外国人の子どものみで見た場合は5.01%と、日本人児童生徒の約2倍の割合で外国人児童生徒が特別支援学級に在籍しているというデータが示されています。私は、人口の8人に1人(総数およそ4400万人)が移民であるアメリカに、私自身も移民として長年住んでいました。アメリカの国家資格である Speech-Language Pathologist (CCC-SLP)という資格を取得し、言語病理学の専門家として発達障害、先天性の疾患、後天性の脳障害によるコミュニケーション障害や嚥下障害を抱える子どもや成人の検査・評価を行い、訓練や指導も実施していました。また、言語心理学も専門としており、アメリカの大学で外国語としての日本語教育にも携わっていた経験があります。現在は、LITALICOジュニアでシニアスーパーバイザーとして、支援のスーパーバイズや研修を行っています。そしてまた、外国にルーツを持つ子どもたちの支援に特化したプログラムの開発なども行っています。このコラムでは、言語的・文化的に多様なバックグラウンドを持ち、発達障害の可能性も疑われる子どもの支援について検討していきます。外国にルーツを持つ子ども達の抱える困難さ現在日本に住んでいる在留外国人のうち、20歳未満の子どもは約35万人ということが分かっています。2018年に実施された文科省の調査では、今現在日本に住む外国にルーツを持つ子ども達のうち、約5万人が日本語での日常会話が十分にできなかったり、日常会話ができても学年相当の学習言語が不足していることで学習活動への参加に困難さが生じており、特別な日本語指導が必要な児童生徒とされています。言葉の分からない異国の地で学校に通い、現地で生まれ育った同級生と一緒にさまざまな活動に参加することの困難さは想像に難くないでしょう。また、外国にルーツを持つ親御さんにとっても、自分自身が受けた母国の教育システムとは異なる日本の学校に自分の子どもを通わせるとなると、日々の学校生活の中でどんな活動が行われ、お子さまがどのように毎日を過ごしているのか想像しにくく、大きな不安を抱えている人が多いのではないでしょうか。そして、外国にルーツを持つ児童生徒を取り巻く環境として顕著なのが、冒頭でも触れた特別支援学級・特別支援学校の在籍率の高さです。これは移民の多い諸外国でも見られている傾向で、米国でも、英語を第二言語として話す児童生徒の中で特別支援を受けている児童生徒の割合は、ネイティブスピーカーで特別支援を受けている児童生徒の割合よりも高くなる傾向が知られています。なぜこういったことが起こるのか。それは、バイリンガルの児童の言語スキルや知能を正確に測ることの難しさにあります。ある研究では、発達心理検査の一つであるWISC-IVを外国にルーツがある子どもに対して施行したところ、対象児童の第二言語(日本語)で施行した場合は、母語(ポルトガル語)で施行した場合に比べて低いスコアが算出されたという結果が出ています。このように、第二言語で発達心理検査を受けた結果、誤って発達障害の診断を受けてしまう「過大診断」と言われるケースが多く存在します。一方で、発達心理検査の結果子どもが抱える困難さは認められたものの、検査の結果が振るわなかったのは第二言語で検査を受けたことの影響だと考えられ、適切な診断に繋がらないという「過少診断」のケースもあると言われています。こういった背景もあってか、外国にルーツを持つ子どもの支援に関わる際に、ほとんどのご家庭が直面する問題に「家庭内で何語を使うべきか」という疑問があります。子どもに発達障害の診断が下っている場合はもちろん、診断がない場合でも、子どもの発達に不安を抱えている家庭において、「子どもの言語発達を促し、スキルを育むためには、一つの言語に絞った方が良いのではないか」という疑問を持つことは、ごく自然なことだと言えるでしょう。また、ご家族が今後長きに渡って日本に住むことを予定している場合は特に、今後の居住地となる日本で話されている言語である日本語が一番重要だという想定のもと、日本語力を最優先で伸ばすべきなのではないかと考える方も多いようです。しかし、現地語である日本語の獲得を優先させるあまり母語を蔑ろにすることは、長期的な目で見ると、外国にルーツを持つ子ども達と親の間の絆である母語をなくすこと(母語喪失)につながります。母語喪失により、親子間のコミュニケーションが難しくなり、親子の関係構築にネガティブな影響があることも指摘されています。世界規模でみると、人口の約半数が複数の言語を話す「マルチリンガル」であると言われており、複数言語環境下で育つことが子どもの言語発達にどういう影響があるのかは、世界各国のさまざまな言語の組み合わせで研究がされてきています。ここでは、そういった研究で分かっていることを紹介していきます。参考:外国にルーツをもつ児童の発達アセスメントと言語の問題について | 松田真希子・中川郷子(著),(2017)複数の言語を聞いて育つことで子どもが「混乱」することはない複数の言語を聞きながら育つと、今何語を話されているのか理解できず複数の言語を切り分けて理解することができないのではないかという説がよく聞かれますが、複数言語下で育つ子どもがさまざまな言語を聞いているときの行動や脳波を分析した研究では、新生児や幼児であっても、複数の言語を聞き分けており、異なる反応を示していることが分かっています。また、バイリンガルの子どもや大人が二つの言語を混ぜて使う「コードスイッチング」という現象がありますが、これも、どちらの言語を使ったらよいか分からないから混同しているというわけではなく、一方の言語では伝わりにくい概念などを他方の言語で的確に伝えるために、複数の言語をうまく使い分けているという解釈が実情に近いとされています。参考:Evidence of Early Language Discrimination Abilities in Infants From Bilingual Environments | Infancy, 2(1), 29-49. | Bosch, L.&Sebastián-Gallés, N. (2001)発達障害のある子どもの言語発達においても、複数言語環境の悪影響はないASD(自閉症スペクトラム)、発達性言語障害、知的障害のあるモノリンガルの子どもとバイリンガルの子どもの言語発達を比較した複数の研究で、バイリンガル環境自体が発達障害を持つ子どもの言語発達に悪影響を及ぼすことはないという結果が出ています。これは音声言語だけでなく、社会的コミュニケーションの点においてもバイリンガル環境自体が不利に働くことはないとされています。例えば日本語と中国語を使用する環境で育った子どもと日本語だけを使用する環境で育った子どもを比べたとき、語彙数などには差が見られることも多いです。しかしこれは、多くの場合一時的な差と言われています。また、比較している語彙数に関しても、バイリンガル環境で育った子どもの日本語語彙数とモノリンガル環境で育った子どもの日本語語彙数を単純に比べると前者の方が少ない傾向があっても、バイリンガルの子どもが第一言語と第二言語のそれぞれで知っている語彙数を合計した場合、バイリンガルの子どもの方が語彙数が多いという結果が見られています。このことから見ても、言語発達をさまざまな観点から包括的に分析すると、バイリンガル環境で育つことが悪影響を及ぼすことはないというのが、多くの研究で立証されている結果です。参考:Comparative language development in bilingual and monolingual children with autism spectrum disorder: A systematic review | Journal of Early Intervention, 39(2), 106-124. | Lund, E. M., Kohlmeier, T. L., & Durán, L. K. (2017)参考:Bilingual children with primary language impairment: Issues, evidence and implications for clinical actions. | Journal of communication disorders, 43(6), 456-473. | Kohnert, K. (2010)参考:The language abilities of bilingual children with Down syndrome. | American journal of speech-language pathology. | Bird, E. K. R., Cleave, P., Trudeau, N., Thordardottir, E., Sutton, A., & Thorpe, A. (2005).親の第一言語で子どもに話しかけることが、子どもの言語発達に良い効果をもたらす子どもの将来を考えると居住国の言語を習得することが最優先なのではないかという認識のもと、家庭内での使用言語を日本語に絞るようアドバイスされるケースが少なくありません。しかし、親が得意としない第二言語のみを家庭内で使うことは、期待されている第二言語の上達には繋がりにくいとされています。第二言語で話すとなると、親から子に語りかける自然な発話の量が減り、使う語彙や文型も限られてしまい、子どもが触れる言語のモデルが量・質ともに下がってしまうからです。一方で、親の第一言語を家庭内で育んでいた場合、親から得る言語のインプットがより豊かになり、言語発達だけでなく、認知的能力にも良い効果が見られています。また、家庭内で親の第一言語を使ったコミュニケーションを促すことで、親子関係の向上にも繋がり、情緒面のサポートにも繋がるとされています。更には、家庭内で第一言語を使って第一言語の土台を強くすることで、読み書きのスキルが上がり、学齢期以降に学習面で必要となる複雑な概念などの理解もしやすくなり、学習によって得た知識は第二言語へも汎化されるという研究結果が出ています。このように、親の第一言語を家庭内で使用し外国にルーツを持つ子どもの母語支援をすることがさまざまな良い影響を及ぼすということが分かっており、居住国の言語のみに絞る減算型支援ではなく、加算型支援が諸外国でも進められているバイリンガル児童の支援の方向性と言えます。外国にルーツを持つ子ども達の持つ背景や成育歴は非常に多種多様です。何語をどのぐらいの割合で、どんな場面で使っているのか、周りにいる大人の言語習得度はどれぐらいなのか、生まれたときから二言語に触れていた「同時バイリンガル」なのか、それとも後から第二言語に触れるようになった「後続性バイリンガル」なのか…というように、一口に「バイリンガル」と言っても、さまざまな状況が複雑に絡み合って子どもの発達に影響を与えています。外国にルーツを持つ子どもや家族のルーツはアイデンティティそのものです。彼らのアイデンティティを否定することなく、育みサポートしていく方法を、それぞれの家庭の環境に合わせて考えていけると良いでしょう。このシリーズでは、今後複数回にわたって、外国にルーツを持ち発達障害の疑いがある子ども達やその家族の支援について、異文化理解、言語発達理論、第二言語習得論といった観点から検討していきます。参考:What clinicians need to know about bilingual development. | Seminars in speech and language (Vol. 36, No. 2, p. 89), NIH Public Access. | Hoff, E., & Core, C. (2015)参考:在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表| 総務省参考:「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成 28 年度)」の結果について | 文部科学省参考:外国にルーツをもつ特別支援学級在籍児童の複言語能力に関する調査研究|松田真希子(金沢大学 国際機構 准教授)
2021年02月19日「オンラインまなびフェスタ2021」特設サイトがオープンしました!発達に凸凹があるお子さんの「まなび」の形は十人十色。良いものってなんだろう、なにが子どもに合うんだろう。悩むことがたくさんあると思います。そんなあなたのお役に少しでも立ちたくて、いろんなことを一気に知るためのイベントをつくりました。プロや専門家から学べる。良い商品やサービスと出合える。そんな特別な一日をお届けします。Upload By 発達ナビ編集部先日も開催決定をお伝えした、「オンラインまなびフェスタ2021」。発達ナビユーザーの皆さんが、出演する専門家や企業のことを知っていただき、もっと当日を楽しみにお待ちいただけるように。「オンラインまなびフェスタ2021」の全てが分かる、特設サイトを心を込めてつくらせていただきました。当日ご登壇いただく専門家や企業を一挙公開していますので、内容をご確認いただきどの講演を視聴するか、今のうちから考えていただけると幸いです。Upload By 発達ナビ編集部【開催概要】●日 時 2021.3.7(日)10:00~17:00●場 所 インターネット環境のあるところなら全国どこからでもご参加できます。●参加費用 無料(要事前参加登録)●主 催 LITALICO発達ナビ●参加方法 参加登録された方に、視聴用のURLをお送りいたしますので、パソコンやタブレット、スマートフォンからご参加ください。●視聴について どうしても当日ご参加いただけない方は、アーカイブでの視聴も可能となっています。当日は、各タームで参加するセミナーを選び、視聴することが可能です。どれも専門家や企業の方が、発達が気になるお子さんがいるご家族のために準備を重ねた特別な内容ばかり。たくさんの情報にまとめて触れることができるので、この日を境にお子さんの学びへの環境や姿勢、関わり方が大きくアップデートされるはず。Upload By 発達ナビ編集部当日企業コラボセミナーに参加いただいた方には、豪華プレゼントが当たるチャンスも!プレゼントの詳細も、特設サイトで公開しています。参加するためには事前の参加予約が必要となりますので、特設サイトよりぜひお申し込みください。発達ナビユーザーの皆さんと、「オンラインまなびフェスタ2021」を盛り上げていけることを楽しみにしています。たくさんのご参加を、心よりお待ちしています!
2021年02月17日人間関係でトラブルだらけだった私が、幸せな家庭生活を送れる?私は生まれ育った家庭では特性の理解をしてもらうことはできず、苦しい記憶ばかり残っています。学校生活でも友人関係はうまくいきませんでした。ですから、そんな私が結婚し、幸せな家庭生活を送れるようになるとは、想像もできませんでした。ですがいま、私は夫との穏やかでリラックスした生活を味わっています。 一緒に暮らすようになった当初のぶつかり合いを経て得た、私の夫との共同生活上の3つの秘訣をお伝えします。1.「私のトリセツ」を共有する私には発達障害に伴うさまざまな特性があり、ちょっとしたことで疲れやすかったり、日常に必要な作業の得手不得手が激しかったりするなどの傾向があります。これらの特性をうまく乗り切るために、私は夫との間で徐々に「私のトリセツ(取扱説明書)」のようなものを共有するようになりました。私はワーキングメモリが小さくてシングルタスク傾向なので、一度に複数のことを訊かれたり指示されたりすると、混乱してミスをしたりフリーズしたりしてしまうことがあります。なんでもパッパッと手際よく済ませることができる早口の夫とは最初ここの調整に苦労しました。最近は私たちの間で「一度に複数のことを訊かない/指示しない」は普通のこととして浸透しましたが、先日少し面白いことが起きました。私がヨガをしているときに夫が何かちょっとややこしい質問を私にしたのです。私がとっさにピタッと止まって「ごめん、いまメモリが足りない!」とだけ絞り出したら夫は「なるほど、わかった(笑)」と答え、すぐに意図が通じました。要するに私は、同時に複数のことをしたり考えたりすることが苦手なのです。私には聴覚過敏があるので、基本的にはテレビも必要なときにしかつけません。音楽も好きなのですが、どんなに好きな音楽でも小一時間聴いていると耳が疲れてきて、止めてしまうぐらいです。しかし、夫はテレビをつけたまま作業したり、さらにはテレビをつけたままPCで動画を流しながら作業したりするのが平気です。むしろ多少雑音があるぐらいのほうが落ち着くぐらいとのこと。私は複数の音楽や番組が耳に入ってくるのが短時間でも耐えられないので(頭がパンクしそうな感じがします)、夫がうっかりテレビとPCで動画を同時に流しているときは「ごめん、どっちか消して」と頼みます。彼はほとんどの場合、なんの気なしにテレビとPCで動画を同時に流しているだけなので、「ああ、すまんすまん」と快く応じてくれます。私は何かと疲れやすいので、外出や旅行はかなりゆるいスケジューリングにしてもらっています。「半日出かけたら半日休む、翌日は出かけない」「旅行では移動に疲れてしばらく動けなくなることを織り込み済みで予定を組む」といった感じです。一緒に暮らすようになった当初、夫は土日となると良かれと思って立て続けにあちこちに連れていってくれたのですが、毎度体調を崩す私を見ていて「もしかして体力的にきつい?」と訊いてくれました。夫の善意がありがたいだけに少し無理して出かけていた私も安心して「実はきついんだ」と話し、半年ぐらいのうちになんとなく大丈夫なペースが掴めるようになりました。夫は音楽や賑やかなイベントが好きで、やはり一緒に暮らし始めた当初、一生懸命一緒に連れていってくれました。でもやはり、聴覚過敏のある私には音の大きなイベントは長くて2時間が限界。2時間半や3時間となるとみるみる顔色が悪くなってぐったりし、帰り道でひどい片頭痛に襲われる私を見ていて、夫も私が本当に大きな音が苦手なのだと理解してくれたよう。半年ぐらいたつ頃には、いろいろと配慮してくれるようになりました。音の大きなイベントは2時間までにする。クラシックコンサートなどできるだけ音の静かなものにしたり、できるだけスピーカーから遠い席を選んだりする。私が耳栓をつけながら楽しむことを許してもらえる会場にする。上記の条件に当てはまらないイベントへは、夫は一人で行ったりほかの友人知人と行ったりするようになりました。どうも最初は、家に私を一人で残して出かけることを悪いと思っていたようなのですが、ぜんぜん構わないよと伝えたら安心してくれたようです。夫はフットワークが軽い人なので、突然「いまからどこどこに出かけるよ」と言われても平気なたち。でも私は違います。体調を崩しやすい私は、どういう行程でどういうところにどれくらい行くのかと照らし合わせていろいろと準備が必要だからです。「今日どこどこに行かないか」と言われるたびに「そんなに急に言われても…」と渋っているうちに、だんだん私たちの中でルールができていきました。外出はできるだけ当日には言い出さない。短い外出は前日まで、遠出は最低3日前までに伝える。どういった乗り物にどれぐらい乗るか、行き先の環境(音、光、人出、ニオイ、暑さ寒さなど)などの見通しがつくように説明する。私はそれを聞いて、持っていく薬や服飾品、体調の調整などをします。泊りがけの旅行ともなると1週間前から体調の調整に入ったりします。こうした工夫の結果、外出の最中や外出から帰ってきたあとに体調を崩すことがほとんどなくなりました。とはいっても泊りがけの旅行などすると疲れてしまって翌日は1日寝ているような状態にはなりますが…私は自分のこだわりが発揮できるため掃除と洗濯が得意ですが、料理はマルチタスクで体力を使うためにどちらかというと苦手です。夫は真逆で、掃除洗濯が苦手、料理が得意で特に人にふるまうのが大好き。というわけで、私たちは互いの得手不得手をふまえ、掃除洗濯は私、料理(と食材の買い出し)は夫、という形で家事を分担しています。多忙な夫に気を遣って無理して私が食事を作ろうとしていた時期もあったのですが、結局は私の負担がやたらと大きくなってしまう割には夫の助けにならないことがわかったのでやめました。私が部屋と衣服を清潔で快適に保ち、夫が温かくて美味しく栄養バランスのよい食事をつくる。わが家の家事はこんな形で回っています。2.屋内環境には妥協しない私は些細な環境の変化で体調を崩してしまいやすいので、屋内環境の快適さの優先順位はかなり高くしています。たとえば、遮光・遮熱カーテンをうまく使う。窓から入ってくる眩しすぎる光や西日、夏の暑さなどを、遮光・遮熱機能のあるカーテンで防ぎます。夫は「せっかく昼間なんだから開けていたらいいのに」と言いますが、そこは説明して妥協してもらっています。最近、部屋のシーリング照明にも、調光・調色機能つきのLED照明が出てきています。こうした機能つきのLED照明に変えてから片頭痛が少なくなったように思います。私が特に夕飯後は暗めの黄色っぽい光に調光するのを夫は暗くて不便だと思っているようですが、そこも妥協してもらっています。たまに夫の部屋に入るとまぶしくて目がチカチカします(笑)LED照明には人によって合う合わないがあるようですが、私には、高周波の音が聞こえるし熱も発生しやすい蛍光灯よりもLED照明のほうが合っていたようです。住む部屋自体も、できれば暑さ寒さが激しくないような物件を選ぶようにしています。出費はかさみがちですが、窓がペアガラスだったり建物の断熱がしっかりしていたりすると、季節や朝晩、部屋ごとの室内環境の差が小さく抑えられます。空調も、この気温がいいとかこの湿度がいいとか、エアコンの風はうるさいからだめだとかあるので、加湿器を置いたり自室の暖房はオイルヒーターにしたりするなど工夫しています。3.食事どきの団らんを大事にする夫は忙しい人ですが、できれば毎日、食卓でリラックスした会話の時間を持つように工夫してくれています。夫は食べるのが早く、皿洗いも食べ終わった食器からどんどんやってしまうタイプですが、ひととおり自分の分を洗ってしまうと再び食卓につき、私が食べ終わるまでいろいろおしゃべりしながら座っていてくれます。夫が遅くなったりして夕食が一緒にとれないときも、極端に遅くないかぎり私はなんとなく起きて待っていて、夫が晩酌しながら食べる食卓に私もつきます。最近そういう晩酌時間のつきあいもできていないな、というときには、なんとか週末の日中に二人でお茶を淹れて一緒にお菓子を食べながらおしゃべりしたりもします。お互い、実家ではこうした食卓でのリラックスした団らんの時間を持てずに寂しい思いをしてきたので、ここは二人ともとても大事にしているところです。一時期、夫が単身赴任していたときはこうした「食事どきの何気ない無駄話」が共有できず、何か用事があるとビデオ通話で用件だけ話して切るような生活を続けていたときは、なんとなく気持ちがすれ違ってとても寂しかったし喧嘩も多かったのを覚えています。発達障害があっても幸せな家庭生活を実現することはできる発達障害のある人はさまざまな特性を抱えているので、人と穏やかな共同生活が送れるのか心配な人は多いかもしれません。しかし、私は組み合わせや互いの努力によって、発達障害者が誰かと幸せな家庭生活を得ることは十分可能だと思っています。少なくともここに一例、発達障害があっても幸せな家庭生活を実現した例があるので、どうぞ希望を持って工夫していってほしいと思います。
2021年02月07日「いや!いや」と言葉で示すことができる2歳児、できなかった息子私はいま、ファミリーサポートの仕事で定型発達のお子さんを預かっています。そこで気づいた、0歳の定型発達児と自閉症のある赤ちゃんとの違いは以前コラムでも書きました。その中からいくつか抜粋すると…・親が迎えにくると嬉しそうな顔をする。・散歩のとき、よその子がいると関心を持つ。(喜んだり、怖がったりどちらかの反応)・私が手を広げると「抱っこしてほしい」のポーズをとり、手を広げる。これらは、預かっているお子さんが自然と行い、息子が幼いころはしなかったことです。先日のコラムでご紹介した以外にも、大きな違いを感じることがあります。そこで今回は、定型発達の2歳児と息子が2歳だったころの違いについて書きたいと思います。私が「靴下履こう」と言ったら「いや!」、「だったら裸足でいよう」と言うと「いや!」「公園に行こう」と言ったら「いや!」、「だったらおうちにいよう」と言うと「いや!」親にとっては自己主張が出てきた辛い嫌々期なのかもしれませんが、これも立派な会話で成長のあかしなのだと思います。息子には魔の嫌々期はなく、世の中すべてが嫌。言葉で「いや」と言う前に、自傷やパニックを起こす毎日で私は疲労困憊の日々を過ごしていました。自閉症の息子ができず、定型発達の2歳児が自然とできている5つのことを挙げたいと思います。Upload By 立石美津子1、大人の表情を読み取り気持ちを理解する発達障害がある人には、「検討しておきます」の字面だけとらえて、行動してしまうことがあります。言葉だけでなく、その場の空気、相手の声のトーンや顔つきを見て、断りなのか、歓迎なのか判断できないで、トラブルが起きがちです。Upload By 立石美津子成人した息子も、相手が嫌がっている素振りをしているのに、それが理解できずに、しつこくしてしまうことが今でもあります。それに比べて、目の前の2歳の子は生まれて2年足らずなのにも関わらず…机の上にのったときや、触ってはならないものを触ったとき、私が言葉ではなく「あれ?あららら?」といつもと違う低い声、いつもと違うゆっくりした話し方で示す、すると大人の表情と声のトーンを即座に読みとって、ばつが悪そうな顔をして、「やっちまったな…」という顔つきをします。言葉ではなく、相手の表情を読み取っている証拠、すごい能力です。2、ごっこ遊びができるままごとの道具を本物にみたてて、お皿に物を置き、食べる真似をしているのです。見立てて遊ぶことができるのは、想像力が発達している証拠です。絵本に載っている食べ物を、つまんで口元に持っていくと本物に見立てて食べる真似もできます。Upload By 立石美津子3、人の真似をする良いことも悪いことも、人の真似ばかりします。友達が石を投げていたら投げます。テレビの画面の子どもが踊っていたら歌や踊りの真似をします。真似ができるのは人に関心がある証拠です。言葉も人の真似をしてドンドン増えていっています。4、泣き真似をする公園で転んで痛くて泣いた子。1分以上たって、痛みは引いているのにも関わらず構ってほしいのか大人の気を引こうとして、泣き真似をし続けていました。(←涙が出ていないことで判断できます)5、質問に的確に答える「これ、だあれ?」と私自身を指さして聞くと、可愛い舌っ足らずの声で「たていしゃん」(←立石さんの意味)と答える2歳児。息子は小学生になっても「これ、だあれ?」と私が自分の顔を指して聞いても、「お母さん」ではなく「鼻」と答えていました。中学生になってタクシーに乗ったとき、運転手さんから「僕のお名前は?」と聞かれたときも自分の名前を言わず、「山田太郎」とタクシーの運転手のネームプレートを読み上げていました。相手の立場になって話を捉えることができないので、その場にあった答えがなかなかできないでいます。家を出るとき、「行ってきます」ではなく、いまだに「行ってらっしゃい」と言いながらドアを開けて出ていきます。とはいえ、息子も成長しています。もちろん定型発達の人とは違いますが…大きな成長の一つに、アンガーマネジメントがあります。パニックを起こした後の感情のコントロールができるようになりました。Upload By 立石美津子他にも、・トイレットペーパーがなくなったら、芯を捨てて次に使う人のことを考えて、新しいものに取り換えてくれます。相手の身になって考えることができているのか、「芯だけになったら取り替える」というルーティーンになっているのか、ともかく替えてくれます。・新聞を取りに行く、洗濯物を干す、カーテンを閉める、家の中のゴミ箱のゴミを集めるなど、決められた家事は文句ひとつ言わずに、やってくれます。成長しています。息子が成人してもまだ比べる病に侵されている私ですが、「いつまでも他の子と比べていないで、目の前の青い鳥に気が付かないとダメだな…」とシミジミ思います。Upload By 立石美津子
2021年02月04日自分の好きな時間に、好きな場所で学ぶことが実現できるN高とN中等部中学や高校は定められた時間に学校へ行き、決まった授業を受け、夕方までを学校で過ごす。これまではそんなスタイルが当たり前のように受け入れられていました。でももし、好きな時間に好きな場所で学ぶことができたら…。それぞれが持つ可能性はもっともっと広がるかもしれません。それを実現したのがN高等学校(以降N高)です。N高は、インターネットと通信制高校の制度を利用した新しい高校として2016年に開校しました。N中等部が開設したのが2019年のこと。通学コースからのスタートでした。その1年後、2020年にはインターネットを駆使して学ぶネットコースがスタート。現在は通学コースとネットコース合わせておよそ1,000人が学んでいます。N中等部は、社会で求められる総合力を身につけるための実践型学習を行うプログレッシブスクール。N中等部には、生徒たちが教養、思考力、実践力を身につけるためのさまざまなカリキュラムが用意されているのです。N中等部の特色のうち、代表的な4つを紹介します。1つめが「21世紀型スキル学習」。社会に対して生徒が創造力を発揮していくために、思考スキル、コミュニケーションスキル、情動スキルなどを身につけるためのカリキュラムです。2つめの「コーチング」は、生徒が目標を見つけ、それを達成することができるように自発性を養うためのもの。1対1の面談でコーチングを行っています。3つめが「一流のプロフェッショナル講師による映像授業で学ぶ国語、数学、英語の授業」です。生徒たちは、決められた時間や場所ではなく、好きな時間、好きな場所で学習を進めることができます。4つめが「プログラミング」。初心者から学べる実践的なカリキュラムでプログラミング思考や技術を学ぶことができるのです。多様なニーズに応えるカリキュラムで、社会のなかで生き抜く力を養う今回は、N中等部のネットコースのスタッフと生徒お二人にインタビュー。まず、N中等部設立の背景や、理念、そして生徒への思いなどをN中等部ネットコース運営部部長 熊谷桃子さんに伺いました。Upload By 発達ナビ編集部編集部(以下、――)まずは、N中等部の理念について教えていただけますか?熊谷さん:ITを駆使した未来の教育をつくるということをコンセプトに、社会で求められる総合力を備える生徒を育てたいという思いを持って生徒たちと接しています。既存のフリースクールなどは「居場所」という役割を大切にしているところが多いと思います。N中等部では、生徒にとっての「居場所」であることはもちろん、さらに生徒たちが社会に出てからきちんと生き抜ける力を育むための多様なコンテンツを用意しています。――N中等部の一番の特徴はどんなところでしょうか?熊谷さん:通学コースとネットコースの両方があり、ネットコースは日本全国、あるいは海外に在住であっても、どこにいても学ぶことができる体制をつくっています。N中等部は学校教育法第一条に定められた中学校ではないので、中学校に在籍したままN中等部で学ぶ形になります。中学校に籍を置いて全ての活動をN中等部で行っている生徒もいますし、中学校に通って、部活もやりながら夕方からN中等部で学ぶ生徒もいます。さまざまなニーズに応えることができるというのが一番の特徴です。――無学年制をとっていると伺いました。熊谷さん:はい。中学1年生から3年生まで学年に関係なくクラスが構成されています。中学1年生だけれどプログラミングのスキルが高い生徒もいます。その場合は上の学年のクラスメイトに教えたり、数学が苦手な1年生に3年生が教えたりしている様子も見られますね。年齢や学年にとらわれず自分の得意なことはシェアして、苦手なことは周りから助けてもらうというスタイルが確立されています。――授業のカリキュラムについて教えてください。熊谷さん:ネットコースでは週に二度、一斉学習時間というものを設けています。これはZoomを通じて行う授業のことで基礎学習やプログラミング学習、21世紀型スキル学習などをクラス全員で行うものです。担任のほかに、大学生のティーチングアシスタントが加わり、30人の生徒につき、最大6〜7人のスタッフが入ります。その他は自由選択の時間。それぞれが学びたいことを学ぶ時間としていますが、具体的に学びたいことがまだ決まっていないという生徒は、専用オリジナルアプリ「N予備校」での学習を進めています。Upload By 発達ナビ編集部――21世紀型スキル学習とはどのようなものですか?熊谷さん:自分を知り、思考力を高め、チームで協働する力を学ぶためのオリジナルカリキュラムです。自己認識を促したり、不安や落ち込みの対処、アンガーマネージメントなどを学んだり、傾聴や観察などのトレーニング、デザイン思考やアート思考、倫理思考のトレーニングなど、その内容は多岐に渡ります。またその学習方法もさまざまで、個人で学ぶこともありますが、オンライン上で複数名のワークショップやダイアローグ形式で進むことが多いです。担任や生徒同士がネット上で議論をするなど、ひとつのことにみんなで取り組みながらスキルを獲得していきます。――21世紀型スキル学習は生徒の皆さんにどのような影響を与えているのでしょうか?熊谷さん:たとえば、絵を描くことが大好きで一生それをやっていたいと思っていても、絵がうまいだけでは仕事にならないという側面があります。絵を描くということ以外の部分、たとえば他者とコミュニケーションをとったり、自分をうまくモチベートしていったりということが必要です。そういったスキルを養うことで、好きなことを一生好きでい続けられるのではないかと思っています。――発達に特性がある生徒へのサポートはありますか?熊谷さん: N中等部では自学自習を基本としながら、一人ひとりに合った学びを一緒に考えるというのをすべての生徒に対して行っています。たとえば学習をするうえでの困難があれば、それを解決できるように一緒に方法を探します。発達に特性があるなしに関わらず、すべての生徒たちに行っているので、特別なサポートは行っていません。でも、一人ひとりときちんと向き合うということがおのずと発達に特性がある生徒へのサポートにもなっていると思います。一人ひとり多様な夢や、やりたいことを持つ生徒たちをサポートしたいと語る熊谷さん。そんな熱いスタッフが揃っているところもN中等部の特長のひとつ。この後の生徒インタビューでも、スタッフとの関わりがN中等部の魅力だという話がありました。ネットを通じての関わりのなかで、生徒たちは熊谷さんをはじめとするスタッフや先生方との深い絆を築いているようです。目標を達成するためには、どうしたらいいのか。自分で考えて進められるように、コーチングでサポート続いて、ネットコースの担任をしている小杉 優茉 先生にもお話を伺いました。Upload By 発達ナビ編集部――どのような生徒が在籍されているのでしょうか?小杉先生:本当にさまざまな生徒がいます。 プログラミングに興味を持って入ってきた生徒もいますし、21世紀型スキル学習に興味を持っている生徒も多いですね。そもそもN高に進学したいから、というきっかけでN中等部を選んでいる生徒がほとんどだと思います。――生徒たちと接するうえで心がけていることはありますか?小杉先生:生徒たちとは一斉授業の時間のほか、1ヶ月に一度コーチング面談を行っています。面談では、生徒が悩んでいること、生活習慣や学習のことなどテーマを決めて話をするんです。コーチングのスタイルで話をするなかで、何が目標なのかを明確にして、それを達成するためには何をやればいいのか、どうやるのがいいのかなどを相談しながら、自分で考えて進められるようにサポートすることを心がけています。――どんなときに生徒の成長を実感しますか?小杉先生:多種多様な職業体験プログラムを用意していて、希望する生徒が参加できるようにしています。この職業体験を通して成長する生徒はとても多いですね。また、みんな自分に合ったツールを使ってしっかりと自己学習しているので、本当にすごいなと思っています。今までの学校ではなかなか学習に手が出なかったけれど、N中等部の動画学習だと自分に合っていてしっかり学習できるようになったなどという声を聞くととても嬉しいです。――保護者からの声で印象的なものはありますか?小杉先生:21世紀型スキル学習でコミュニケーション法や他者との関わり方を学んだことで、家庭での家族との関わり方も変わってきたという話を聞きました。また、N中等部には多様な考えの生徒や、さまざまなバックグラウンドを持ったスタッフもいます。そのなかで過ごすことで、これまで囚われていた「普通」から自由になったという話もありました。好きなものを好きだと言っていいんだ。絵を描くことが好きとか、アニメが好きとか自分のことを発信していいんだと生徒が話していたと聞いたのが印象的です。一般的な中学校とは違う、コーチングというスタイルで生徒たちと向き合う小杉先生。決して先生と生徒という画一的な関係ではなく、一人の人間として生徒を尊重している様子がとても印象的でした。同じ時間に同じ教室で、同じ学年のクラスメイトと学ぶ。当たり前を取り払った先に見える可能性最後にN中等部で学ぶ中学3年生の久保さんと中学2年生の鈴木さん(仮名)にお話を伺いました。――N中等部で学ぶことを選んだ理由を教えてください。久保さん:先にN高を知り、絶対にここで学びたいと思いました。そのときにN中等部が開設することを知ったんです。N高と同じ理念の元で中学生のうちから学べるならそうしたいと思って入学しました。鈴木さん(仮名):中学生でも何かお金を稼ぐ方法はないかなと考えていたときに親からプログラミングスキルがあると稼ぐことができそうだと教えてもらいました。それで興味を持ち、ぜひ深く学びたいと思ってN中等部を志望したんです。――N中等部の魅力はどんなところですか?久保さん:インターネットでさまざまなことに取り組むことができたり、無学年制なので学年を気にせずいろいろな人と関われるところです。私は北海道に住んでいるのですが、日本中に、そして海外にも友達ができました。生徒同士はもちろん、先生や大学生のティーチングアシスタントの皆さんなど誰でもフラットな立場で話をすることができます。鈴木さん(仮名):N中等部はインターネットで学習を進めたり、コミュニケーションをとるので、良い意味で人との距離感が取れるところがいいと感じています。 自分のなかにあるラインを踏み越されることがなく、とても過ごしやすいです。また先生や他のクラスメイトたちがフレンドリーで接しやすいところも魅力だと思います。これまでの学校では分からないところがあっても授業を止めて質問をするのは難しかったのですが、今はSlack(※)で簡単に聞けるのも嬉しいです。※ビジネスチャットツールのこと――この学校で成長したのはどんなところですか?久保さん:これまでは負の感情が出てきたときに自分を責めすぎていたと思います。でも21世紀型スキル学習で、たとえば怒りは人間の本能で危険を察知したときにそれを回避するために出てくる感情だと学び、すべての感情に理由があることを知りました。そのことで、負の感情が出てきても自分を責めすぎなくなりました。自分について深く知ることができたのが成長できた理由だと思います。鈴木さん(仮名):以前の学校では、つい人の顔色を伺ってしまい 自分の感情や考えを出すことができませんでした。でも今は自分の考えをまわりに伝えるなど、自分を出すことができていると思います。それは、21世紀型スキル学習で自分の心や感情について学んだからだと思います。――今後の目標を教えてください。久保さん:以前、職業体験をしたときにプレゼンがあまりうまくいかないという経験をしました。そこで、どうすれば人にきちんと伝えたいことが伝わるかなどを自分で学んでいます。N中等部で行われるLT(※)大会に出ることも決めたので、それに向けて頑張っています。私はこれからN高に進み、やれることはすべてやって、そのなかで自分がやりたいことを見つけられればと思っています。(N中等部の)ティーチングアシスタントもやってみたいので、N高を卒業した後は大学に進むつもりです。※LT:Lightning Talkの略で5分程度の短いプレゼンテーションのこと鈴木さん(仮名):N高に進学していろいろなことに挑戦したいです。 プログラミングを学ぼうと入ったN中等部ですが、実は時間を友達と過ごすことに使っていて、まだプログラミングで稼げるほどには学べていなくて…。仕事としては、翻訳に興味があるんです。外国の人の気持ちや感情を日本語で伝えることに憧れがあります。好きでよく見ているアメリカ人のYouTuberが発信していることをもっと理解したいので、英語の勉強にも力を入れたいと思っています。これまで当たり前だった、同じ時間に同じ教室で、同じ学年のクラスメイトと学ぶというスタイルを取り払ったN中等部。その取り組みから、「当たり前」のその先に大きな可能性があるということを感じました。運営部の熊谷さん、担任の小杉先生が生徒たちをリスペクトしている姿が印象的で、またしっかりと自分を持って、自分の言葉で考えを発信できる久保さんと鈴木さんにも驚かされました。N中等部の取り組みはまだ始まったばかり。これからもその挑戦に注目していきたいと感じました。
2021年02月01日神経発達症のある子どもとメラトベルメラトベルは、6歳から15歳までの神経発達症(主に自閉スペクトラム症)のある子どもに対して処方される薬です。6歳未満および16歳以上の患者への安全性は確立されておらず、それらの年齢の人には保険診療で処方できない薬です。また、新薬のため令和3年5月末までは2週間分しか処方できません。神経発達症のある子どもは、寝つきが悪い、夜中に何度も目が覚めてしまうなどの睡眠障害で悩むことが少なくありません。睡眠障害に伴う睡眠不足は、神経発達症の多動や過活動、興奮状態、怒りっぽいといった症状を強めることもあり、日中は目覚めていても眠気が強く集中力を欠いてケガの元になることもあります。しかし、夜になると元気になり、興奮状態に陥り眠れず、近年では電子メディアを見ることで光(ブルーライト)が目に入り、余計眠れなくなるという悪循環に陥るケースも増えています。メラトベルの有効成分であるメラトニンそのものは、海外ではドラッグストアなどで購入可能ですが、これまで日本では神経発達症のある子どもの睡眠障害に対する医薬品は承認・販売されていませんでした。そこで、ノーベルファーマ株式会社が2013年から同剤の臨床試験を開始。2020年に販売が開始となりました。どのような仕組みで睡眠に効果があるの?メラトベルの成分は、身体のなかで分泌するメラトニンというホルモンです。メラトニンが作用することで眠くなるのです。そもそもメラトニンは、脳のなかの松果体でつくられるホルモンで、概日リズム(サーカディアンリズム)の調節をする働きをし、眠りを促す作用があります。メラトニンの分泌は、視覚で感じる明暗の周期によってコントロールされており、血液中の濃度は午後のおやつ時と夜間に高くなるといわれています。その時間帯は眠気が出るため居眠り運転等による交通事故が多いというデータもあります。メラトニンはパイロットやCAなど時差のある職種で時差ボケを防ぐ目的としても用いられています。人間は朝陽を浴びることで視交叉上核にある体内時計がリセットされ、そのおよそ15時間後にはメラトニンが分泌され眠くなる(睡魔)というリズムがあります。夜にメラトニンが分泌されて眠くなると子どもの手は熱くなり、体内から熱を放出することで体温を下げて眠りの準備に入るのです。メラトニンは光によって抑制されます。子どもが夜眠くなっても親と一緒にTVやゲームなどの電子メディアを見続けることによって脳が目覚めてしまい、その結果、入眠時刻の遅延が生じ、概日リズム(サーカディアンリズム)が乱れるというケースも増えています。リズムが乱れることで子どもは興奮しやすく、怒りっぽくなることもあります。6歳から15歳の自閉スペクトラム症に伴う睡眠障害のある子どもに対して行った臨床試験の結果、メラトベル投与2週間後の電子睡眠日誌による記録で、寝床に入ってから眠りにつくまでの時間(入眠潜時)が短縮し、統計学的に有意であるということが認められました。メラトニン | 厚生労働省 e-ヘルスネット使用方法・用量は?メラトベルの使用方法・用量は以下の通りです。・使用開始:0.5g(メラトニン1mg)・用法:1日1回就寝前・最高用量:2g(メラトニン4mg)※新薬のため令和3年5月末までは2週間分しか処方できません。メラトベルは、6歳から15歳までの子どもに処方される薬です。用量は0.5g(メラトニン1mg)から2g(メラトニン4mg)までです。最初の処方時には、0.5g(メラトニン1mg)から使うことが基本となっています。3ヶ月程度経過したら継続投与するかどうか再評価していきます。※SSRI(セロトニン再取り込み抑制剤)とは一緒に服用することができません。服用するタイミングは就寝前(寝たい時間の直前)です。食事と同時や食事直後の服用は、最高血中濃度が低下する事例が臨床試験において確認されているため、避けることが望ましいです。メラトベルの副作用や注意点国内での臨床試験で確認された主な副作用は、傾眠4.2%、頭痛2.6%、肝機能検査値の上昇が1.3%でした(308例中)。メラトベルは比較的副作用が少ない薬ですが、起床後も眠気が続いたり、めまいがしたりといった症状が副作用として出る場合があるので、保護者が子どもの活動内容などについて、十分に配慮する必要があります。メラトベルを服用しているあいだは、高いところに登るなどの遊びや行動、自転車などの運転にも注意を払った方が良いでしょう。また、小学校高学年以上の年齢の場合には、危険性の高い電動工具などの機械操作は避けるようにしてください。思わぬ事故につながる可能性があります。また、一度眠った後に起床して何かをする予定があるときは、服用をやめることが必要です。副作用として気になる症状が出た場合には、早めに医師に相談し、服薬量の調整や、場合によっては服薬の中断や薬の変更なども含めて、指示を仰ぎましょう。また、睡眠障害改善のためには、薬だけに頼らず、併せて生活習慣を見直していくことも大切です。小児の睡眠障害の治療では、睡眠習慣に関する指導が重視されています。前述のように、メラトニンは昼間の分泌は少なく、夜間に多く分泌されることで、眠りへと導いてくれるものです。昼間に太陽の光をたくさん浴びて活動しておくなど、基本的なことが安定した睡眠のためにとても重要です。心がけたい項目は以下のものです。・朝の日の光を浴びる・朝ごはんを食べる・昼間、体を動かす・夜は早く寝る、寝る際には部屋を暗くする(常夜灯も消す)メラトベルの臨床試験でも、服薬と合わせて睡眠習慣に関する指導が行われています。このように生活習慣を整えながら、そのうえで睡眠が改善されなければ治療方法を医師と検討していきましょう。他の睡眠導入剤との違いメラトベルは、前述した通りメラトニンを成分とした薬です。2010年から発売されていたロゼレムは、メラトニン受容体に作用する薬です。メラトベルは体の中でつくられる「メラトニン」そのものが有効成分なので、より自然に作用し、睡眠を促してくれるといえます。安全上、受容体作動薬は小児にはまず適応されません。また、ロゼレムは本来大人用の薬ですが、メラトベルは6〜15歳の子ども用の薬という特徴もあります。さらに、メラトベルは自閉スペクトラム症やADHDなどの神経発達症のある子どもにのみ認められている薬です。それ以外の子どもの睡眠導入剤としては処方されていません。神経発達症に関わらない子どもの不眠症に対してはわずかに入眠を改善するという報告のみで、処方対象になっていないのです。まとめ今回は2020年6月に発売された、6歳から15歳までの神経発達症のある子どもに対して処方される入眠改善薬『メラトベル』をご紹介しました。これまで、自閉スペクトラム症などの神経発達症のある子どもの睡眠障害については数多く報告されていたものの、その症状を改善する薬はこれまで日本では販売されていなかったのです。2019年には小児神経学会から「神経発達症に伴う睡眠障害に対するメラトニンの早期承認」についての要望書が厚生労働省に提出されるなど、メラトニンの有効性に対しては以前から大きな期待が持たれていました。メラトベルが発売されたことで、神経発達症のある子どもの睡眠障害が改善され、またその家族のQOLが向上することも期待されています。治療薬の選択は主治医と相談のうえ、主治医の指示に従ってください。また、睡眠障害には薬だけでなく、生活リズムを改善することも重要です。子どもの特性に合わせてできるだけ、家族がサポートをしつつ生活習慣を整えることも大切です。参照:メラトベル顆粒小児用 0.2% に関する資料 | ノーベルファーマ株式会社
2021年01月28日■ 前回 のあらすじ娘に上履きを履かせようとするも断念。何度通っても泣き続ける娘を見て心が折れそうになり…。■先生が教えてくれた些細な変化■ずっと願っていたことがついに…!小さな子どもって、こんなにふわふわで温かいんだなぁ…としみじみしました。何も進歩がないように思えていた療育園での生活でしたが、koto子の世界が少しずつ広がり、私の夢も叶えることができました。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月28日■ 前回 のあらすじ療育園での生活は何もできずに終わる毎日…。落ち込んでいると先生に声をかけられて…。■療育園3日目、最初に訪れた難関後日、上履きをマジックテープでガバッと開くタイプのものにしたらなんとか履けました!■療育園に何回通っても、泣き続ける娘上履きが履けなくても、まだ何もできなくても、その子のペースに合わせて見守ってくれるとても有難い環境。それでも、何度通っても泣き続けるkoto子を見ると心苦しくもありました。すると園長先生に声をかけられて…。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月27日■ 前回 のあらすじようやく夫に大変さを理解してもらうことができ、ついに療育園へ通えることに…!■療育園初日、ショックを受ける右も左も分からず、koto子は暴れまくり、初日はショックを受けた記憶しかありません…。■療育園2日目、空気のような存在?みんな同じ悩みを抱えているはずなのに、普通に集団活動をしている…。koto子を周りの子たちと比べずにはいられない…そんな状況でした。すると、帰り際に声をかけられて…■2人ぼっちだと思っていたけど…慣れない場所でいきなり馴染める子なんていない…。koto子が自分から参加できるようになるまで見守り、あえてそっとしてくれていたんだと気付きました。そしてこの一言に、とても救われた気持ちになりました。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月26日■ 前回 のあらすじ改めて夫に娘を預けて出かけることに。しかし、帰ってくるとそこにいたのは…。■ようやく娘の大変さが理解された普段から人に弱みを見せない夫が、私の母を頼るほど大変な思いをしたということ…。そして大変さを理解し、私に時間を作ってくれようとする夫の気持ちが嬉しかったです。■夫の「療育園」に対する考えが変わったこうして、療育園にいくことを了承してくれた夫。最後まで強がっていましたが、koto子が困り感のある子だとしっかり理解してもらえました。そして、koto子のためにもいち早く何かをしてあげたい気持ちでいっぱいでした。■療育園に連絡すると…ついに療育園へ通うことになりました!そしてこれから、色々なことが巻き起こります…!あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月25日■ 前回 のあらすじ娘の世話が余裕だと言う夫に、もっと子育てにかかわって欲しいと伝えると…。■夫の休日、また娘を預けることにそこにいたのはなんと…。私の母を呼んで一緒にkoto子お世話していた夫。でも、誰かに頼りたくなる気持ちはすごく分かる…!ようやく、夫も気付いてくれたようです。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月24日障害児ママの葛藤第2話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。2話目は、夫のネガティブ発言に激怒したり、療育について知った頃のお話です。 夫の「うちの子は異常なんだ」発言に…いやー、怒ってばっかだったな、このころ。今もだけど(笑)。夫にも、子どもにも、まったく余裕なかったです。 もしかしたら今、あーがこんなに言うことを聞かないのは、私があのときこんなこと言ったかもしれん、とか私があのときスマホに夢中だったからかもしれん、とか私があのときばあばに預けちゃったせいかもしれん、とかあれこれ考えては焦っていました。 「療育」という選択肢 Uくんが療育に通っているという事実は、今後のわが家の動向にもかなり影響が出てきます。ありがとう、Uくん母! うちの子、普通…じゃない? 母の葛藤 感情的に大きな声を出しても、あーの心の奥に届いている感じはまったくしませんでした。ただただ、叱られているからおびえているだけ。 でも、無理な要求をしているつもりでもなく、必要以上な「良い子」を求めているつもりもなく、話しかけたら答えてくれるとか、ただ「普通」の行動をしてほしかっただけだったんです。 大人からしたら理解できない、いや、他の子どもからしても理解できないであろう反復行動を延々繰り返す遊びを「もうやめようか?」と提案したら大かんしゃくを起こしたりとか、とにかく普通の言葉が通じない長男にほとほと疲れてしまっていた。 3歳半ばでしたが、1歳・2歳のイヤイヤ期が永遠に続いている感じで、終わりは来るのかと毎日憂うつでした。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月24日■ 前回 のあらすじ夫に娘の育児を任せてみたものの、余裕な顔で「全然大変じゃなかった、毎週見れるよ」と言い始め…。■少しでいいから自由な時間が欲しい!激務に追われる夫のストレス発散だったので、ジムに行くことはこれまで口出ししませんでした。しかし、ここまで余裕な態度を取られたらそうはいかない…!koto子のことをもっと理解して欲しい、その一心でした。■夫の本音…?なに…?夫の本音がポロっとこぼれました。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月23日■ 前回 のあらすじ娘の現状を知らない夫に理解してもらうために、ひとりで育児を任せてみることにしました。■娘を夫に任せ病院へひとりで外を自由に歩ける開放感も束の間、家では大変なことになっているはずだと大急ぎで帰ったものの…。夫に「余裕だった」と言われたときは、考えすぎ? 私が育児下手なだけ? とさらに混乱しました…。■娘の子守が余裕!? 一体どうやって…当時めまいの症状があった私には、ドライブは危なくてできませんでした。余裕そうな顔で「毎週見れるよ」と言う夫に私は爆発寸前だったのです…。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月22日■ 前回 のあらすじすぐの入園は難しいとのこと。まずは入園するために夫に相談することに…。■激務の夫は娘の現状を知らない…夫に少しでも休んでもらうために、育児はほぼ自分でやってきた。だから、夫はまだkoto子の困り感を知らないのです…。■夫に理解してもらうためにとった私の作戦とは夫はオムツ替えやミルクなど、一通りのことはやったことはありましたが、完全にひとりで子守をするのは初めてでした。果たして、夫は本当に「楽勝」で子どもを見ることができるのか…!?あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月21日■ 前回 のあらすじ普段の娘の様子や、今まで感じていた不安を園長先生にお話しすると…。■園長先生からの言葉は…残念ながら定員一杯ですぐの入園は難しそうでした。まだ発達障害かどうかもわからない段階でしたが、娘のためにも療育園に通わせたい。そのことを夫に相談すると、まさかの大反対…!? あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月20日短期留学時、クラスメートとぶつかる大学3年のとき、私はアメリカの大学に短期留学をしました。私の所属する大学とアメリカの大学の提携のもと行われる短期留学プログラムです。私が学んだのはテクニカル・コミュニケーションという、論理的なコミュニケーションを学ぶ科目で、授業は英語で行われました。英語が得意で理屈っぽかった私にとって、テクニカル・コミュニケーションという分野はとても知的好奇心を刺激されるものでした。人の表向きの言葉と内心がどこかズレていて「空気を読む」スキルが必要な日本と違って、アメリカでは言うほうも聞くほうも言葉のままに解釈します。また、アメリカの大学では学生は勉強熱心なほうがカッコいいと捉えられていて、学生同士の初対面の挨拶には必ず「あなたの専攻は何?」という問いが含まれました。そうした日本とアメリカの文化の違いもあって、私は水を得た魚のようでした。レポートなどでも毎回トップクラスの好成績をあげていました。しかし、そんな私に対して陰口を浴びせる日本人学生のグループがいました。一番前の特等席で教授に質問しては「Good question!」とか言われている私の背中に向かってヒソヒソと「きもい」とか「がっついてるよね」とか言うのです。嫌がらせを先導しているのは一人の女子学生でした。仮にAさんとします。Aさんたちグループは私の所属大学の、テクニカル・コミュニケーションを專門とする講座から単位取得にあたっての義務として送り込まれてきた人たちでした。あとになって思いましたが、自分たちが普段からみっちりトレーニングしているテクニカル・コミュニケーションの分野にぜんぜん関係ない学生が紛れ込んできて自分たちそっちのけで注目を浴び、好成績をあげたら、そりゃあ皆が面白くないのも自然なことかもしれません。こうした私が嫉妬を受ける背景があったことに加え、Aさんと私は本当にたまたまですが知り合いで、悪いことにもともと折り合いの悪い同士でした。高校のとき同じ高校に通っていて、クラスメートになったことがあったのです。高校の頃、数人で強固な仲間意識のあるグループをつくり、いつもなにやら私には理解できない内輪ネタで耳打ちしあったり大きな声で盛り上がったりしいるのがAさんで、私はよく彼女たちのことを非常に冷ややかな目で見ていました。当時発達障害の自覚がなかった私は「ねえ、何がそんなに面白いの? ちょっと静かにしてくれる?」ぐらいの突っ込みをしたような記憶があります。大学生になってもAさんはいつも群れて行動する人で、「いかにも日本人学生らしい」振る舞いをしました。教室の後ろのほうに固まって座ろうとして、教授がもっと前に来なさいと繰り返し促しても顔を見合わせてニヤニヤしながら「やだーあ」と引いた態度をするだけ。教授が授業中に当ててももじもじして「わかんないですー」みたいな答えをするし、質問を促しても誰も手を挙げない。私はAさんたちの振る舞いが同じ日本人として恥ずかしかったし、教授に悪いからと思って、彼らの代わりに前に座り、質問をしていたところもあったのです。でもAさんにとって私は、高校からの因縁も含めて「憎き宇樹!」ぐらいの感じだったのかもしれません。嫌がらせを先導するのはいつもAさんでしたが、私はAさんのいないところでAさんのグループの名前も知らないぐらいの女子2人と行きあったときに挨拶してみたら無視されたりして、ずいぶん嫌な思いをしました。結局、あるときあまりにAさんの陰口が執拗なので、いいかげん私は怒り心頭で全員の前で自分の意見をまくしたてました。あなたたちが私を嫌っているのはわかっている。だったら個々人が直接文句を言いにくればいいじゃないか。それができないから群れて嫌がらせするなんて情けないと思わないのか。そちらにとっては義務で仕方なく来ているから仲間同士の絆も大切なんだろうが、こちらは勉強がしたくてわざわざお金を払って来ているんだから、こういうやる気のある学生の邪魔だけはしないでもらいたい… こんな感じだったと思います。「やだー、きもーい…」とAさんは隣の子に小さい声で言って、以来、私に嫌がらせはしてこなくなりました。代わりにまるでそこに私がいないかのように振る舞うようになりました。私はざまあみろと思いましたが、自分の対応がこれでよかったのかはあまり自信がありませんでしたし、互いが平和に暮らすために互いのことを無視しなければいけない学生たちってなんだか寂しいなと、とても後味の悪い思いが残りました。私のことが気に食わないからといって集団で嫌がらせをしたAさんの行為は間違っていたと思います。そこについてはAさんは批判されてしかるべき。また、私が勉強を頑張り、教授を気遣った行為自体は間違っていなかったはずだと思います。けれど私も私で、発達障害ゆえに「何よりも仲間との絆の感覚を優先する」という感覚が理解できていませんでした。自分の発達障害に自覚もなかったゆえに、高校の頃からずっと、Aさんに対してあまりに冷たい視線を浴びせていたように思います。Aさんにとっては私の視線が何か彼女のコンプレックスを刺激するものであったり、悪意ある攻撃と感じさせるものであったりしたのでしょう。「発達障害があって空気が読めないから嫌がらせされてしかるべき」という話ではなく、もっと早く自分の発達障害について知っていれば、同じAさんと私でももう少しうまく、互いに攻撃的にならずにつきあえたのではないかと思うのです。そう思うとなんともやるせない気持ちになります。就職活動の時期にも対人面の問題が就職活動でも徐々に対人面の問題点が浮き彫りになっていきました。大学名と成績のおかげか書類審査は通るのですが、どこの面接に行っても落とされてしまうのです。質問に対して事実を答えただけで面接官が怒りだしたり、あなたは思想的に偏っているから危険分子だと言い立てられたり、就活本のとおりに頑張ってやったことに呆れられたりして全部落ちてしまう。同じ時期、通っていた就活スクールのクラスメートとも複数回喧嘩になりました。私はマスコミを目指していたためマスコミ就活スクールに通っていたのですが、彼らとどうにも反りが合わないのです。一度めは、私がクラスメートから「非国民」と言われて激怒した案件。当時Jリーグが流行っていました。私が「世の中の人たちが急にほっぺたに日の丸を描いて熱狂しだした様子が気持ち悪い」と言ったところ、「それって非国民じゃね?」と言われたのです。その男子学生は新聞社を目指しているということだったので、私は怒りに震えながら「非国民という言葉の重みをわかって言っているのか。これからジャーナリストになっていく人間がそんな安易な感覚で非国民という言葉を使っていいのか」と返しました。二度めは、やはりJリーグに絡んである女子学生が「あの国の審判がズルをしたから○○人は嫌い」と言い出して、やはり私が激怒。「どうしてある国の一個人が悪いことをしたからといってその国の国民全員を嫌いと言ってしまえるのか。これからマスコミで仕事をしていく人間としてそんな感覚でいいのか」と返したのでした。いずれの場合も相手は「は? 何が悪いの?」といった感じで、なんとなく私が悪者となって排除されてしまいました。何より解せなかったのは、マスコミ各社にどんどん内定を得ていくのが彼らばかりなのだということ。私は、非常に有能な仕事人として出世した父に、小さい頃から「常に有能で個性的で、強く、周囲を蹴落としてのし上がる者であれ」と教えられて育ちました。また発達障害があったため、自分が知らぬうちに巻き込まれているパワーゲームについての洞察を欠いていました。女性、それも私のように身体が小さく動作の緩慢な女性が、「有能さと個性」を前面に押し出し、周囲を蹴落としてのし上がろうとするような態度でいたら。父のような大柄で数々の武道を極めた屈強な男性がそうした態度でいるのとは、世間的な風当たりの強さがまったく違う。こうした世間の風潮が正しいかどうかは別として(私は間違っていると思いますが)、それは残念ながら事実です。私は結局のところ、どこかの会社に入ってジェネラリストとしてスキルを磨いて… というようなキャリアパスは向いていなかったと思いますし、こうしてフリーで物書きをできている今の自分の立ち位置に満足しています。でも当時、私に発達障害の自覚があって、自分の振る舞いが周囲にとってどのように受け取られうるのかということについて知識だけでもあったなら、もう少し平穏で、自分も周囲もいたずらに傷つけないですむ学生時代を送れたのではないかと思っています。就職しても挫折は続く結局、私が就職試験に通った唯一のところは予備校経営の会社でした。その会社は社内に出版部があったし、その頃には「こんな自分を採ってくれるところならどこでもいい」という気持ちになっていたからです。しかし、その会社はいわゆるブラック企業でした。ひとりに3〜5人分の仕事が降りかかっていて、常に社内は上層部からしててんてこまい。残業代は見込み分がもともと手当としてついていてそれ以上は出ないうえ、タイムカードを切ったあとにも仕事を続けるという慣習も定着していました。毎日12時間以上会社にいる日が続き、事務作業に加えて生徒の担任業務60人分を任され、焦りすぎて頭は真っ白。30人いた同期が2ヶ月で半分になり、私は7月になってついに倒れて、そのままその会社を辞めました。その後1年ぐらいぽつぽつとバイトをしては辞めるような生活をしたあと、私は父のコネである大学の任期つきの事務職員の職を得ます。「あのお父さんの娘だ」という周囲のプレッシャーから私はすぐに体調を崩しました。神経性の下痢と抑うつ傾向に悩まされ、1年間に2回休職。短い間に休職と復職を繰り返しながら私は、先輩から遠回しに服装のことを注意されて「決まってるなら職務規定に書いておいてもらわないと」と返したり、「自分で仕事を探せ」と言われて学生が頻繁に出入りする部屋のドアを急に磨きだしたりと、自分としては大まじめなのですが今思えば実に発達障害者らしい言動に出ました。想像していたことではありましたが、この年の年末近くになって私は上司に呼び出され、「君の来年度の契約更新はできない」と告げられます。どうにもうまくいかない自分なりの懸命の努力で就職してみたところで、なぜか何もかもうまくいかない現実。大学職員をクビになったあともあれこれバイトや職にチャレンジしましたが、いつも職場の人と気まずくなったり、体調を崩したりして辞めてしまう。奮起して新しいところに応募しても、年を追うごとに書類審査さえ通らないことが増えていきました。自分の能力についても体力についても自信を失った私は、だんだんと家族以外の人と話すことに怯えるようになりました。電話をかけねばならないとなると動悸がして手が震えてきて、何度もシミュレーションしては怖くなって電話をかける手を止めて先延ばしにしてしまう、ということも続きました。体調が悪い日が増え、もともと不安定で私にとって懸念事項だった母の状態もさらに悪くなっていき… 私は少しずつ出かけられない日が増えて、ひきこもりニートの道に進んでいってしまったのです。年生まれ、佐藤愛: 女の人生、ある発達障害者の場合 Kindle版
2021年01月20日『わが子が生きやすい世界』って何だろう?姪っ子から学んだこと自閉症と知的障害を持つわが家の息子ほぺろうは、人とコミュニケーションを取ることが苦手です。目も合わなければ応答もままならず、他人との「やりとり」はほぼできません。それ故ひとり遊びが多く、人と関わりながら遊ぶことはあまりないです。普通に見ればコミュニケーションの取りにくさは「扱いにくさ」でもあると思うのですが、そんなほぺろうのことをすごくかわいがってくれる人がいます。それは...私の姪っ子!現在中学生の彼女はほぺろうが生まれたときからかわいがってくれているのですが、その様子はほぺろうの障害が判明して特性が出るようになっても全く変わらないのです。Upload By ぼさ子「扱いにくいとか思わないで、普通に接してくれるのありがたい」と思う私に、姉(姪っ子の母)は「特に意識してないだけだよ~。近所の子ども達にもこんな感じだもん」と言うけれど、いやいや、それってすごいことだよ!Upload By ぼさ子ところが姪っ子の場合はもともと子ども好きとは言え、ほぺろうに対して「障害があるから」とか「可哀想だから優しくしよう」などという考えではなく、誰に対してもいたって普通。ボランティアとも違う、その姿勢はまさに...Upload By ぼさ子特に意識してないのは、イコール『当たり前に受け入れている』から。『わが子が生きやすい世界』...。もちろん成長の努力は惜しみませんが、『いろいろな境遇を当たり前だと思ってくれる世界』を私は望んでいるのだと姪っ子を見ていて気づきました。『自分とは違う存在・考え方があって当たり前』というボーダーレスな社会であって欲しい...。それが『多様性社会』であり、障害者に限らず、すべての人にとって生きやすい世界なのかもしれません。目標は『メガネの存在』!?私達はメガネをかけている方々の存在に何の違和感も持っていません。今その存在を特に意識していないのは、視力に不自由を抱える多くの人達が『必要性』を訴えてきた歴史の成果なのだと思います。もしメガネがなければ、今も彼らは視覚障害者として就職も普通の生活も困難だったかもしれません。それが今では、メガネはおしゃれアイテムだったりモテ要素だったり...。メガネの存在は『当たり前』であり、『ノーマライゼーション』を体現してくれた実例ではないでしょうか。Upload By ぼさ子障害者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会最近読んだ、とある記事の一説に『障害者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会である』とあり、感銘を受けたと同時にすごくハッとさせられました。というのも、ほぺろうの将来を憂いてネガティブだったころの私は、自分達親子の存在がただただ世の中の迷惑にならないように身を小さくして生きていかなければ...と思っていて「自分達の必要を望むことはワガママ」「周りに合わせるのが義務」と考えてきたからです。でも、この言葉に触れて私は「そうか、障害が社会の役に立てるなら堂々と訴えてもいいのかも!」という前向きな力をもらうことができました。社会にとって役立つ『当たり前』になったとき、その必要を訴えてきた障害の存在も『当たり前』になっているかもしれません。今の私にできることまだまだ発展途上ではあるけれど、今は昔より発達障害への理解や支援が進んでいて、私やほぺろうもその恩恵をありがたく受けています。きっとそれは、ご本人や親御さん、支援関係者の皆さんなど発達障害に悩んできた先輩達が声を上げ続けてくれていたおかげに他ならないのだと思います。私の存在は地球に対して“砂一粒”くらいのちっぽけさですが、ほぺろうや将来の誰かに繋がったらいいなと願い、ほぺろうの記録や情報を発信し続けていこうと思います。そして『わが子が生きやすい世界は、みんなも生きやすい世界』を叶えるには、いろいろな境遇が『当たり前』として受け入れられることを望みつつ、他人に望むだけでなく私自身もいろいろな境遇を受け入れる気構えが必要なのだと思います。Upload By ぼさ子
2021年01月20日■ 前回 のあらすじ初めて人に共感してもらえたことで、この療育園に通いたい気持ちが強くなり…。■園長先生との面談で…※参照: vol.7「何か違う…」 娘に感じていた違和感の正体がハッキリわかった瞬間 療育園の先生はどう感じられたのか、すごくドキドキしていました…。園長先生の答えは…?あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月19日■ 前回 のあらすじ療育園に通うことに、初めから自信のある親子はいないと園長先生に教えられます。するとある女の子がやってきて…■話しかけてくれた見知らぬお母さん■初めて出会った、同じ気持ちを持つ人私と同じ思いで日々頑張っている人たちがここにはいるんだ…。初めて一筋の光が見えた気がしました。でもここは療育園。支援が必要とされる子しか通えません。果たして、園長先生の判断は…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月18日■ 前回 のあらすじ療育園を案内して頂くと、私の想像とは違い、娘のような困り感のある子どもはいないように見えました。■園長先生に言われたのは…「頑張ってきたんですね」その言葉にハッとさせられ、どれだけ心に響いたか…■初めはみんな同じ、不安を持っているふと、園長先生のところにお花を持ってきた可愛らしい女の子。一見、困り感のない子に見えたのですが…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月17日■ 前回 のあらすじ偶然見つけた年齢制限なしの療育園に問い合わせてみると、見学させてもらえることになりました。■園長先生が園内を案内してくれることに娘が暴れていてもまったく動じず、自然に対応してくれたことにほっとしました。しかし、園内の様子は私が勝手に想像していたものと、遠くかけ離れていたのです…■私が目にした光景は…ルールを守って遊べて、危険なこともせずに遊べている園の子どもたちを見た瞬間は、ネットで集めた情報はあてにならない…それが正直な感想でした。しかし園長先生が私に言った言葉、その意味は…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月16日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト