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「私を育てるのは、大変?」娘から突然質問されて...広汎性発達障害の娘(小学4年生)は、自分が小さいころの話を聞くのが好きです。小さいとき、なかなかしゃべらなかったことや、表情がなかったこと…療育に通った話も、娘が聞いてくることは、何でも話すようにしています。ある日、娘と小さいときの話をしていた時のこと…Upload By SAKURA「私を育てるのは、大変だった?」と聞いてきました。これまでのことを思い出してみても、娘の子育ては正直言って、大変でした。でも、ただひたすら大変で、辛かったわけではありません。そこには楽しさもありました。Upload By SAKURA一筋縄ではいかない娘の子育ては、大変でしたが、その一つひとつ勉強になることばかり。発達障害に無知だった私は、娘のおかげで、発達障害についても学ぶことができました。"娘がどうしたらできるようになるか"を考えるのは何だかんだで楽しいし、それを解決できる療育グッズをつくれたとき、大きな達成感もありました。ずっとできなかったことが、長い時間をかけてできるようになったときの感動は、娘以外の子育てでは味わえなかったと思います。娘の子育ては、まとめると「大変で、楽しい」のです。娘から見た、ママは…そんな風に見えていたの!?話し終えると、娘は私に、予想していなかったことを言いました。Upload By SAKURAまさかわが子にこのセリフを言われると思わず、思わず吹き出してしまいました。「子育てに苦労してなさそう」は、他の人から言われると、ちょっと複雑な気持ちになるセリフ。しかし、わが子に言われると、不思議と嫌ではありません。私は終始ニコニコして菩薩のように、子育てしてきたわけではありません。むしろその逆。Upload By SAKURA娘のパニックの対応ができず、一緒にパニックになったこともあるし…娘との話し合いの中で伝えたいことをわかってもらえなくて、泣いたこともありました。もしかしたら娘には、そんな記憶はないのかもしれません。でも、親が苦労して大変な思いをしていた記憶なんて、できればない方がいい。親が笑っていた記憶だけ残ってくれているなら、万々歳ではないでしょうか(笑)私はそう感じました。Upload By SAKURA「育ててくれてありがとう」と、普通結婚式で言われるであろうセリフを、9歳の娘から言われたことも、予想外でした。私の子育ては、まだまだ続きます。引き続き、娘に「子育てに苦労してなさそうなママ」と思ってもらいながら、頑張りたいと思います(笑)
2020年11月18日出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。「ちょっと待って」「ちゃんとやって」「キチンとして」…日常生活や、学校生活の中でよく使われる言葉ではありますが、小さな子だけでなく、こんなアバウトであいまいな表現が、イメージしにくくてピンと来ない子、イマイチ伝わりにくい子は案外多いんじゃないでしょうか。だって、「ちょっと」や「ちゃんと」って、目には見えませんからね。でも、”超・具体的に”、声かけを翻訳するだけで、どんな子にもガゼン、伝わりやすくなると思いますよ。そこで今回は、家庭でも園・学校でも即!使える、あいまい言葉の「声かけ変換」のコツを直伝します。「ちょっと」「もうすぐ」「だいたい」は、具体的な時間や目安を出典 : あいまいな言葉を子どもに伝わるように翻訳するコツは、「見えないものを具体的にイメージし、それを相手と共有できるようにすること」です。通常、「時間」や「相手の気持ち」などは、目には見えませんし、「適量」や「適度」などは、その人によって感覚が違います。更に「適切な行動」などになると、その人の主観や価値観次第でも変化するのではないでしょうか。そこを、人生経験の少ない小さな子や、空気を読むのが苦手な合理的なタイプの子などに、「察して、推し量るべし」と求めるのは、少々ハードルが高いことだと思います。そこで、子どもが経験値を積むまでは、こちらと同じイメージを共有できるように、具体的な数字・目安・行動などで伝えることで、分かってくれること、実行できることも結構多いんですよ。まずは、「ちょっと」「もうすぐ」など、時間に関する基本の伝え方から。Upload By 楽々かあさん例えば、お出かけ前に「早く、早く!」なんて、何度も子どもに急かされると、こちらにも都合があるので「ちょっと待って」と、連発したくなりますが…「ちょっと」とは、あとどれぐらいの時間なのかが分かるように、「あと3分待って」「9時45分になったら、出かけよう」など、具体的な数字を入れて伝えると納得しやすいでしょう。この時、まだ時計が読めない小さな子や、なかなか時間を意識しにくい子などは、スマホのゲージ付きのタイマーアプリや砂時計など、「時間が見えるようになっているもの」を併用して見せるとGood!また、ハッキリとした時間が伝えにくい場合には、「かあちゃんが、この洗濯物をたたみ終わるまで待って」など、具体的な行動などで区切りや目安を伝えてあげると納得できることも。運が良ければ、お子さんが一緒にお手伝いしてくれるかもしれませんしね。Upload By 楽々かあさん子どもは待つのが苦手なことが多いもの。ましてや、楽しみなことが目の前にあったら、「ワクワクし過ぎて、待ちきれない!」のは尚更でしょう。また、いつまで待てばいいのか分からなくて不安になったり、漠然と待っているとどうしたらいいのか戸惑ったりすることも。そんな時に、「もうすぐだから」と、大人がうまいことお茶を濁そうと思っても、子どものほうは、なかなか納得してくれないこともあります。例えば、人気のお店や映画などの長蛇の列に並んでいる時には、「あと、〇人だよ」「今、◯番目だよ」など、時間同様、人数や回数などの具体的な数字を伝えて、「ゴールが見える」ようにすると安心できるかもしれません(事前予約や座席指定をしたり、空いている時間帯や場所を選んだりするのも、お互いに疲れないための賢いテです)。この時、整理券や番号札などがあると、なお分かりやすいのですが、お店で配ってない場合はメモ帳などに番号を書いて渡してあげると、落ち着けることもあります。小さな子には、指で見せてあげるだけでも違うと思いますよ。また、「〇〇して待ってようか?」など、具体的な待ち方を提案したり、予めゲーム機やマンガなど、その子の好きなものを持参したりなどして、待ち時間に「何をして待てばいいのか」がハッキリしていると、結構気長に待てることも(大人だって、応接室でお茶菓子を出されたら、多少の時間は大丈夫ですよね)。そして、大人と子どもの時間感覚は違うので、「冬休みまで、もうすぐだから」など、大人にとっては数週間後の話も「もうすぐ」かもしれませんが、子どもにとってはとてつもなく先の話に感じられることも。こんな時は、一緒にカレンダーを毎日斜線で消していったり、メモ帳パッドで日めくりカウントダウンを作ってあげたりするのもいいかもしれません。出典 : 例えば、子どもが宿題などで、些細なことにこだわって、なかなか自分で今やっていることを終われないときに、親が助け舟を出すつもりで「だいだいでOK」なんて言ってあげても、真面目で完璧主義タイプの子などは納得できないことも。そんなときには、「だいたい」とは、何%くらいのことなのか、ひとまずの目安を具体的な数字で伝えてあげるだけでも、気持ちに区切りをつけやすくなるでしょう(時間に余裕のある時には、本人が納得できるまでトコトンやらせてあげるのも、いいと思います)。この時、ワークなどの課題に1ページずつふせんを貼って「今日は、ふせん◯枚取れれば大丈夫」とか、優先順位をつけた一覧表を作って「最低限ココまでできれば、十分だよ」などと、ひとまずの合格ラインを引いてあげると、安心できる子もいるでしょう。また、宿題などで、完璧さを求め過ぎてなかなか終わらず、子ども本人も悩んでいる場合などは、あえて「字を雑に書く練習」をしてみたり、「ココだけは完璧に」「ココからは、"できれば"でOK」など、時間をかけて一緒に「妥協ラインを引く練習」をしていくと、その子も少しラクになれるかもしれません。「ちゃんと」「しっかり」「キチンと」とは、どんな行動なのかを「ちゃんと」「しっかり」「キチンと」などの言葉も、その人それぞれの主観や価値観次第で、「どの程度が合格ラインなのか」が変わってきますし、どんなことをすれば「ちゃんと」になるのか、「具体的な行動」をなかなか明確にイメージできない子もいます。ここは、どんな行動をすればいいのか、何ができていればいいのか、こちらが想定している「ちゃんと」の「中身」まで取り出して、具体的に翻訳して伝えると動きやすくなるでしょう。出典 : 「もう!男子〜、ちゃんと掃除やって!」…なんて、学校の掃除の時間の班行動などで、しっかりさんタイプの子が大変そうにしているときもあるでしょう。みんなで何かをする場面で、単独行動を取りがちな子や、他人事のようにぼんやりしちゃう子などには、「誰が、どこからどこまで、何をやればいいのか」それぞれの子の担当する範囲や役割を明確にして、具体的な行動で「個別に」お願いすると、自分から"ちゃんと”動いてくれるかもしれません。とはいえ、最初から、ここまで子ども同士に期待するのはハードルが高いので、まずは周りの大人が声かけのお手本を見せてあげると、しっかりさんも助かるんじゃないでしょうか。大人が目の前で繰り返し声かけのお手本を見せていると、自然と子ども達がマネしてくれること、いつの間にか身に着けてくれることも、多いと思いますよ。出典 : 大人が子どもに対して「しっかりしている」と感じるとき、その子は自分で判断して、「自分が何をしたらいいのかが分かり、それを実行できている」ことが多いのではないでしょうか。逆に言えば、「やるべきこと」を把握し、それを実行できれば、どんな子も”しっかり”できるかもしれませんね。つまり、子どもに”しっかり”やって欲しいときには、「今やること」「次にやること」「何と何ができればいいか」等を確認できる声かけなどをするといいでしょう。この時、一緒に「やることリスト」に書き出したり、計画表を作ったり、ふせんなどを使って物事の優先順位づけをしたり…と、頭の中の整理整頓ができるようにすると、先のことを見通して動くことが苦手な子でも、実行力がUPすると思います。こうして、最初は大人の声かけで促されつつも、「有言実行できた」経験値を貯めていくと、次第に自分で判断し、"しっかり”できるようになってくるでしょう。Upload By 楽々かあさん例えば、子どもの服装や姿勢をだらしないと感じて、大人が「キチンとして」と、注意したとしても…子ども本人が、周りからどう見られるのかをあんまり意識していない場合、「キチンと」しないといけない場面でも、その場に合った適切な服装や行動ができないこともあります。でも、その子に悪気はなく、単に知らない・気づいていないだけのことも多いので、「どういった服装や行動をすれば、キチンと見えるのか」を、具体的に伝えればOK!その際、写真・動画や、大人や友達などが目の前で”キチンと”している具体的な「実例」を見せるのも、分かりやすくていいと思います。また、既に「キチンとする」とは、どうしたらいいのかは(知識として)知っているけど、”今がそのタイミング”だと気づいてないこともあります。この場合は、「周りの人の服装を見てごらん」「ここでは、どうすればいいと思う?」等と、周りに気づかせたり、適切な行動を思い出せる声かけをしたりすると、”キチンと”してくれるでしょう(まあ、その子が「シャツをインするのはダサいから、絶対ヤダ」等と、強固な意思を持って”あえて”そうしている場合は、この限りではありません)。このように、見えない空気が見えるように、あいまいな言葉を「超・具体的に」翻訳する声かけを意識すると、”ちゃんと”分かってくれること、”しっかり”"キチンと”できることだって多いんです。できるようになってきたら、あいまい言葉にも慣れるように…出典 : …とはいえ、周りの人達みんながいつもそんな風に、親切に丁寧に言ってくれるわけではありませんよね。そこで、「超・具体的に」翻訳する声かけで、子どもが「どうしたらいいのか」だんだん分かってきたら…あえて「ちょっと」「だいたい」「ちゃんと」などをフツーに使ってみて、あいまいな言葉の表現にも、徐々に慣らしていくといいでしょう。そして、実際にそれができたら、「そうそう、それくらいが”だいたい”」とフィードバックしたり、うまくできなかったら、「もう”ちょっと”こうしてくれる?」等と微調整したりして、あいまいな言葉のイメージを子どもと共有できるようにするとGood!こうして、少しずつ手を離していくと、少々空気を読むのが苦手な子でも、だんだんと「通訳なしでも大丈夫」になっていくと思いますよ。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2020年11月17日ご家族の悩みや不安の解消をサポート「発達ナビPLUS」とは?Upload By 発達ナビ編集部「発達ナビPLUS」は、発達が気になるお子さまの保護者さま向け子育てサポートサービスです。「うちの子の困った行動の原因が分からない…」「どう対応すればいいか分からない…」「子どものことで頼りになる相談先がない…」など、子育てにおける不安やストレスを抱えている保護者さまを、精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士など、発達支援にかかわる専門家チームがオンラインでサポートします。具体的には、以下の4つのサービスを提供しています。・毎月専門家に相談できる「個別ケース相談」・さまざまなテーマで毎週開催「オンライン勉強会」・すぐに実践できるヒントがたくさん「子育てヒント動画」・教材・支援ツールが7,000点以上「特別支援の教材」【個別ケース相談】毎月専門家に相談できる!Upload By 発達ナビ編集部\【個別ケース相談】の特徴/✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能発達が気になるお子さまの子育てについて、頼りになる相談先が身近になく、おひとりで奮闘されている保護者さまも多くいらっしゃいます。発達ナビPLUSでは、毎月安定して専門家に相談できる体制を整えています。✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討すべてのご相談に対し、適切な分野の専門家がケース検討を行います。相談フォームにご記載いただいた内容から拝察されるお子さまの困った行動の背景や原因を分析し、分析に基づいた適切な手立てをご提案します。✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く回答文字数に制限はなく、ご相談内容に対して必要な分だけ回答をお送りしています。原因分析の考え方や手立てについて、保護者さまでも分かりやすいように詳しく解説します。平均で、1通あたり約3,300文字の回答をお送りしています。【オンライン勉強会】さまざまなテーマで発達支援の専門家が登壇!Upload By 発達ナビ編集部\「オンライン勉強会」の特徴/✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇医師の先生方を含めた支援経験豊富な専門家陣が、毎月さまざまなテーマで登壇します。講師に対してチャットで質問することもできます。✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題「日程が合わない」「急用が入った」など、興味がある勉強会に参加できない場合もご安心ください。実施する勉強会は録画し、サイトにアップしていますので、お時間があるときに自由に視聴ができます。過去1年分の動画が見られるため、過去開催のものもチェックできます。✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー毎週開催しているからこそ、単発のイベント等では扱えないような、細いテーマ設定で踏み込んだ内容までカバーしています。発達支援の理論から具体的な支援方法の実践まで、保護者さまにも分かりやすいように専門家が解説しています。短時間で見れる【子育てヒント動画】や便利な【特別支援の教材】も!Upload By 発達ナビ編集部さらに、日々の子育てに役立つヒントをご紹介している短い動画集「子育てヒント動画」の視聴や、全国の支援の現場で活用されている教材サイトから「特別支援の教材」を自由にダウンロードして活用することもきます。【無料】サービスのオンライン体験で\お得なクーポンGET!/「発達ナビPLUSちょっと興味あるけど、よくわからない…」という保護者さま向けに、【無料】のオンライン体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が50%OFFになるクーポンをプレゼント中!
2020年11月17日発達障害の長男は、赤ちゃんのときから「寝ない子」でした。長男を産む前の私は、子どもは一度寝たらぐっすり寝るものだと思っていましたし、寝付くときも30分くらいで寝るものだと思っていました。しかし、いざ育児が始まると現実はあまりにも違っていたので、もしかしたら長男は「寝ない子」ではないかと感じるようになりました。そのときの私の思いや、長男が寝なかった理由などについてご紹介します。 とにかく寝なくて大変だった乳児期長男は生後6カ月から保育園に入ったのですが、30分くらいしか昼寝をしないので保育園の先生がとても心配するほどでした。家でも授乳中には寝るものの布団に寝かせるとすぐに起きてしまうのです。1歳を過ぎても昼も夜もなかなか寝付かず、2時間近くゴロゴロ転がってばかりで全然寝ないので、私のほうがだんだんイライラ……。長男が寝ないことへのストレスと、成長への影響の不安がどんどん募っていきました。 寝なくてもいいやと発想を変えた結果1歳を過ぎてもあまりに寝ないので、疲れ果てた私は発想をガラリと変えてみました。保育園に行くために夜8時半には寝かせたかったのですが、寝る時間にこだわることをやめました。 それまでの私は、長男を寝かしつけたあとに、家事を済ませたり自分の時間を過ごしたりしていたのですが、それをすべて夕食後にすることにしたのです。そして夜10時になったら長男と一緒に寝てしまうスタイルに変えてみました。お互いに好きな時間を過ごせるようになったので、私のストレスも減っていきました。 長男が寝たくない理由とはその後しばらく経って、長男が年長のときに寝なかった理由を聞いたことがあります。理由は2つありました。1つ目は、「音とか光が気になって眠れない」。もう1つは、「起きていれば、もっとおもしろいことがありそうだから」でした。なるほどと思いました。長男は感覚過敏があり、蛍光灯が苦手です。そして音にもとても敏感なのです。起きている間は自分の興味のあることに熱中しています。私が起きていれば、長男も「何かおもしろいことを見つけて遊べる」と思っていたのでしょう。 小学5年生になった今でも、睡眠時間は少ないほうだと思います。「子どもは早く寝るもの」という大人の理想に当てはめず、長男のペースに合わせることで、私の気持ちが「寝られないものは寝られないんだ」と割り切ることができました。感覚過敏がある、発達障害という特性があることで、当時は不安を感じてしまっていたのです。寝る時間が少ないということは、理想の生活習慣を身につけるには本当は良くないのかもしれません。しかし、長男の成長を信じてやっていこうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2020年11月16日未就学の娘、コト子との日々をお届けします!Upload By koto初めまして。現在、未就学の娘(コト子)を育てているkotoです。コト子は、得意なことと苦手なことの高低差が激しい自閉症スペクトラムです。注意欠如多動性障害でもあり、破天荒な毎日を過ごしています。私がコト子の異変に気づいたのは出産直後。まだ入院中のときでした。母乳拒否、触るだけでギャン泣き…。コト子の健康状態は良好だったので、周りのお母さん達と比べ、自分のお世話が下手なせいだと思っていました。Upload By koto抱っこすら拒否するコト子に「何かが違う」とモヤモヤして...そこから1年近く、ずっと『何かが違う。赤ちゃんとはこんなに大変なのか?』とモヤモヤする日々。目は合わない、呼んでも振り返らない。起きているときは、ほぼ怒っているか泣いているコト子…。抱っこしてあやそうにも、抱っこ拒否。唯一泣き止んでくれるベビーカーに乗せて、ほぼ立ち止まらずに朝から歩き続ける毎日。人との交流もできなくなり、とにかく1日を終わらせるのに必死でした。Upload By kotoいつか私の方を向いてくれたら...1歳から療育園へそんな日々が続く中、買い物に出かけた先でふと、他のお母さんの様子が目に入りました。片手で赤ちゃんを抱っこしながら買い物をしていたそのお母さん。片手に抱かれた赤ちゃんは、しっかりとお母さんにしがみついていたのです。コト子は抱っこすら拒否するのに...そのときに強く感じたのが「私はこの子に必要とされていない」ということでした。そこから、コト子のためにやれることをやって、いつか私のほうを向いてくれたら...という思いで、1歳になってすぐ療育園に通い始めたのです。そこは朝からお弁当を持って通園し、午後まで親子で集団活動を行う園でした。困り感のタイプは違えど、こんなに沢山の仲間がいる!と、勇気付けられたのを覚えています。親子で色んな経験をして、いつの間にか、私に触られても怒らなくなったコト子。4年経った今では、当時の困り感が嘘のようです。ただ、やはり何も困り事が無くなる訳ではなく…。次から次へと、新たな課題が出てきます。でも、1人で悩んでいたころとは違い、今では園の先生達や、理解ある人達がいます。Upload By koto同じ悩みを抱く人との繋がりが、心の拠り所に普段はSNSでコト子との日々を発信しているのですが、SNSで発信しようと思った理由はシンプルです。コト子が赤ちゃんのころ、インスタで必死に『同じ様なタイプの子』を探していました。でも、どこを探してもニコニコの赤ちゃん達と、キラキラした素敵なお母さん達が多くて...写真からも、穏やかな雰囲気が流れていました。激しく落ち込んだ私は、SNSを避けるようにさえなっていました。更に困り感の強い時期を経て、少しSNSを見る余裕ができたときに気づいたのが、『もしかしたら、今まさにあのころの私の様な子育てを、検索している人がいるかも』ということ。そんな人たちの力になればとそう思って、少しずつ投稿していきました。SNSは、医師やペアレントトレーニングの先生の勧めでもありました。同じような悩みを持つ人達との交流や、情報交換がしたいと相談していたからです。地域にそういった人達の集まりを見つけられなかった私は、SNSで沢山の人達と繋がることができました。私は療育のプロでもなく、今でも子育ては分からないことだらけです。でも、同じように頑張っている人達がいる。同じように心が折れそうな人達がいる。感情のジェットコースターのような日々でも、深夜でも、誰かがいつもそこにいてくれる。少しでも、誰かのためになれば、と思って始めた投稿ですが、私の心の拠り所にもなっています。発達ナビのコラムでも同じように、情報や交流を求めている方々とつながっていけたらと思い、コト子との生活をお届けしていきます。まだまだ手探りの毎日ですが、よろしくお願いします。
2020年11月16日最難関私大に進学はしたけれど……私は、中高一貫の私立進学校から、いわゆる最難関私大へ進学しました。学歴カーストの中、いじめとは無縁に過ごすことができた中高6年間については、以前のコラムでもご紹介した通りです。過酷な受験勉強を経て大学に進学した春。私は、大学受験で無理しすぎたせいで心身ともに燃え尽きていて、「もう一生勉強したくない」みたいな気分になっていました。当時は精神科とつながっていませんでしたが、今思えばすでに離人感や抑うつなどの二次障害が出ていて、「毎日を寝て起きるだけで精一杯」という感じでした。履修登録はてんやわんやでした。それまで受動的に授業を受けるだけだった私にはカルチャーショックでしたし、ほかの学生とコミュニケーションをとりながら情報を集めなければいけなかったからです。履修登録の疲れもさめやらぬ中で授業が始まります。そこで私は自分が文学にまったく興味を抱けないことに気づいて、愕然としました。私が進んだのは、小説家になりたいと志向する人が多く在籍するコース。過労で倒れてまで入った最難関大での四年間を棒に振るかもと怖くなりました。今思えば私は、「義子ちゃんは小説家になるのよね、なるのよね、なるのよね?」という母の気持ちにおもねって進路を選択していたのです。自分の興味に正直になって理系の大学に進めばよかった、と後悔しました。センター試験では理系の難関大に受かっていて、あとは得意な小論文を書けば受かるところでしたが、辞退してしまっていたのです。服装や化粧に対する強迫観念に苦しむように思い返してみると、服装や化粧といった容姿や身支度に関することについて、母との間で葛藤を抱えて育ったのが私でした。小学生のころまでは、母の好みのお嬢様風のピンクのフリフリの服や、祖母の手編みのセーター(上質のウールなのよと言い聞かせられましたが、感覚過敏の私には苦痛でした)などを着せられてとても嫌でした。一人だけ流行に沿っていないうえ、ほかの子のものより上質なこともわかるので、学校でいじめられるという理由もありました。皆と同じ量販店の服やキャラものの服が着たいと言うと、母は「こっちのデパートのものやおばあちゃんの手作りのほうが品質もいいし素敵なんだからこっちを着なさい」と言います。母は、私が思春期に入って自分の好きなように化粧したり服を選んだりしようとするとだんだんうるさく口を出すようになりました。髪をブラウンに染めたら「あなたは肌が白くてきれいなんだから髪なんか染めたら台なし」、エスニックな格好をしていたら「そういう服はお母さん好きじゃないわ、もっとお嬢様らしいフワッとしたものを着たら」など。母に気に入られる格好をしたい、でも若い女性として、人から今どきのお洒落で可愛い女の子と思ってもらいたい。そういった葛藤にさらされ、答えが見つからない中で、私はだんだん身支度にやたらと時間をかけるようになっていきました。「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えで頭がいっぱいになるのです。クローゼットからあふれるほどに服があるのに、「着られる服がない」。母から「お母さんの思い出の服だから」「とても上質なものだから」と押しつけられたお下がりがクローゼットの大半を占め、そのほかは私が試行錯誤しながらこづかいで買い集めた服でした。ストレスからか顔中にニキビができていて、それをどう隠すかにも腐心しました。私は、もともと昼夜逆転傾向だったことに加え、身支度に3,4時間かけるようになりました。家を出られるようになったころには夕方で、結局出かけるのを諦める、ということが続き、不登校気味になりました。当時、これが強迫性障害だなどとは思いもしませんでしたが、最近になって強迫性障害が専門の先生にかかるようになり、これが「整理整頓強迫」という、少しマイナーな症状だと知りました。整理整頓強迫は、自分の身の回りのものごとが思ったとおりに仕上がらないと繰り返しやり直してしまうものです。当時の私が強迫性障害が専門の精神科医にかかっていたら診断が出ていたと思います。身支度に関する整理整頓強迫には、醜形恐怖や対人恐怖といった、「人からどう見られるか」に強い不安を抱く恐怖症が関わっているそうなのですが、私にはまさに、こうした醜形恐怖や対人恐怖がありました。上に書いた「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えがそうです。母はそんな私を、無遠慮に批判したりからかったりするようになりました。「ファッションショーじゃないんだから」「ナルシスくんみたい。よっぽど自分の顔が好きなのね」とか。私は「自分は実際にはまったく逆の理由で身支度にかけているのだ」「半分ぐらいはあなたのせいだ」と母に伝えたかったですが、どうせ通じないだろうと考え、諦めたまま過ごしていたのです。家からなかなか出られない私と、喜ぶ母。「こんな時間が永遠に続けばいいのに」そんなふうにして大学に行けずに苦しんでいていた私ですが、私の心中をそっちのけにして、母はあからさまに喜んでいました。学校に行けずにいる私をつかまえては、嬉しそうにテーブルに両肘でほおづえをついて、いろいろな話に半日付き合わせるのです。そしてある日母は、うっとりと目を潤ませて「なんて幸せなの、こんな日が永遠に続けばいいのに。ねえ、ずっと一緒に暮らそうよ…」と言いました。私はその瞬間、母に対して強い嫌悪感と絶望を抱きました。「この人は母親なのに、娘には娘の人生があると理解していない」と感じたのです。どうやらいろいろな生きづらさを抱えてきたらしい母にとって、「最難関私大の文学部に進み、将来が小説家として有望な娘を持つ自分」の姿は、自分の夢が叶ったような幸福感をもたらすものだったようです。(彼女が「あなたに小説家になるように望んだのは、小説家が自分の夢だったけどなれなかったから」と告白し、まったく悪びれずにテヘッと笑ったのは、私が30になるころでした)同時に、学歴の面で彼女を超えてしまい、彼女よりも若く、自由な時代に生きる私に、彼女は嫉妬も覚えていたのかもしれません。だから自分の支配下に戻したくて、私の容姿をあれこれコントロールしようとしたのだと思います。つまり、母が私に対して発していたメッセージは、以下のようなダブルバインドです。「有能で美しく、親の私のトロフィーであれ、私の夢を叶えろ。でも私のプライドが傷つかないように、親の私より有能だったり、美しく幸せであったりしてはいけない」親の幸せのために、自分は不可能を可能にしなければならない…私が深く動揺し、心を病んだのも当然だったと思います。この年、私は秋口に同級生の男性とつきあうようになります。この男性はまもなくデートDV傾向を示すようになりました。私は彼と別れようとしましたが、彼は暴力と脅しで私を支配します。家に帰ろうとすると彼は私を脇に抱え、無理やり引きずって自分の下宿に連れ帰ろうとしたり、駅前で大声でわめいたりするので、当時は彼に従わざるをえませんでした。彼は離れているときは何十回も電話をかけてきたり、夜中でも応答することを求めます。要求に応えないと暴力をふるうのです。夜中でも男性と電話している私のことを、「男にうつつを抜かしている」と判断した母は、ここに書けないほどひどい言葉で私を批判するようになりました。そして、彼女も私に何十回でも電話をかけてくるようになります。私は、ストーカー(男性)と家庭内ストーカー(男性に嫉妬する母)との間でぎゅうぎゅうと両腕を引っ張られてちぎれそうかのような状態になっていました。感覚過敏を抱えて1時間以上の道のりを騒がしい都内まで通う体力的負担もあいまって、私はますます家に帰りたくなくなります。この後の展開は次の記事でお伝えします。
2020年11月15日はじめまして、ハル11歳ですUpload By bethハルは多動を伴う発達障害、自閉症スペクトラム(知的障害あり)と診断されています。療育手帳は2度。これから母である私ベスが、そんなおもしろ子どもハルの世界をご紹介していきます。Upload By bethUpload By beth2秒前に話しかけてきていたのに、もう振り向くといないです。さながら忍者のようです。とにかく興味先行型というか、なにかに気を取られればそちらに行かずに済みません。警察に捜索願を出したことも過去10回以上...。あれ...もっとかな...記憶が(白目)。ですが本人の頭の中にはしっかりと地図が入っているようで、うろたえることなく1人で過ごし、気が済んで戻ってくることも。慌てていないため、周囲の方々に「迷子」と思っていただけないのですよね。「多動で迷子になる」ピークは、3歳〜8歳ごろ。高いところ(大木のてっぺんや電話ボックスの上)にいるハルを見つけては、降ろしていました。最近は落ち着いたのか、はたまた自重が重くなったからか笑、高いところに登ることは減りました。Upload By beth感受性が豊かなほうで、自然の中で四季を感じたり生き物を愛でたりしています。気候の良い日は本当に日向ぼっこをしている野生動物のように気持ちよさそう~にしているので、そんな過ごし方をハルに教わったりしています。とてもファンタジーな世界で生きているようで、トトロやラピュタの世界にいたり、アンパンマンの世界にいたりするようです。満月をとってくれと頼まれたことも笑。Upload By beth家族の紹介も少しだけ。弟イツは理系で独自の考えがあったり、小学生らしいあほな部分もあったりするおもしろ子ども。妹ぴっぴは真面目なタイプで、小柄ながらいつも筋トレをしている天真爛漫な女の子です。パパは冷静沈着ローテンション、でもいつもふざけています。替え歌やマニアックなモノマネの研究に勤しんでいます。たまに真剣な相談をすると、1番欲しい言葉をくれます。私ベスは、まあまあぽんこつ人間です...。なんでもおもしろがれる才能はあると自負します。Upload By bethただいまと同時に「いっちゃんは!?」と探し、弟イツとハグ。イツもハルが大好きなようで2人は兄妹愛がでっかいです。そしてパパの帰宅時には、いつも感動の再会のようなテンションで『無事でよかった!?』と言います。でもそうだよね。ほんとみんないつも無事で帰ってきてくれるのは当たり前ではない、尊いことだよね。よかった。ハルありがと!Upload By beth私やパパのメンタルが落ち込んでしまうような日は、必ずといっていいほどハルもメンタルがくずれてしまいます(離れた場所にいても)。なにかをキャッチしてしまうのかもしれません。ハルのすごいなぁと思うところは、そんなちょっとした第六感?みたいなところです。自分で植えたみかんの種の発芽の日を当てたり、近所のカメの冬眠が明けた日を知っていたようにその日に会いにいったり。いろいろなエピソードがあります。思春期にさしかかってきたハルと一緒にUpload By bethハルは現在11歳。少し思春期にさしかかってきたのか、パニックになってしまう頻度が増えて手を焼く日もあります。どうやら、ハル自身が納得いかないと感じられることが増えたのかなと思います。小さな頃は淡々とスケジュールに沿っていたので楽ではあったけれど、いまのこの変化も成長だと思ったりします(思えない日もあります...!)いままでも、これからも。ハルはハルのまま、ハルの世界の日々を素敵なまま重ねていって欲しいです。もちろん弟妹たちも。そして、完璧な良いママにはなれないけれど、私も私のまま一緒に暮らしていきます。
2020年11月14日特別支援学級、実際はどんなところ?「特別支援学級」とは、障害のある子ども一人ひとりに応じた教育を行うために小・中学校に設置されているクラスです。最大8名の少人数クラスで、子どもの発達や障害の程度に応じた指導を受けることができます。(呼び名は特別支援学級やなかよし学級など、さまざまです)■特別支援学級のメリット・手厚い指導を受けられる可能性が高い・発達や障害に応じたカリキュラムが受けられる可能性が高い■特別支援学級のデメリット・集団行動を学びにくい・通常学級と学習カリキュラムが異なるため、学習の差が出やすい学級の選択は、お子さまの発達や特性に合わせて考えることが大切です。しかし、特別支援学級は全ての小学校・中学校に設置されているわけではなく、なかには遠くの学区に通学しなくてはならないケースもあります。指導内容や体制についても、学校ごとにばらつきがあるのが現状です。子どもが特別支援学級に在籍している、または在籍を検討している方は下記のようなことで悩まれることが多いようです。【子どもが特別支援学級に在籍している、検討している方の悩みごと】・学区をまたいででも在籍するべき?・指導・学習内容を具体的に知りたい・サポートや要望(合理的配慮)はどこまで求めていいの?・友だちづくりや、人間関係を学ぶことはできる?・内申がつかないと聞いたけど、卒業後の進路はどうなる?実際のところ、どうなのでしょうか。特に中学校卒業後の進路は、義務教育が中学校までのため、自ら選んでいく必要があります。特別支援学校と高等学校の進学率、半々にUpload By LITALICOライフ小学校に入るとき、「手厚い学級が良い」と思い特別支援学級を選択。そのまま中学校も特別支援学級…と進んでいくと、高校進学を考える時期に、内申がなく高校受験が難しくなる…という話があります。すべてがそうではありませんが、実際にそういった経験をした方もいるようです。実際のところ、特別支援学級に在籍した子どもの中学卒業後の進路は、どうなのでしょうか?上の図は文部科学省の「学校基本調査」より、中学校が特別支援学級だった子どもの卒業後の進路をまとめたものです。ここから、この10年間で卒業後の進路が大きく変化したことがわかります。10年前の2010年は、7割の子どもが特別支援学校に進んでいました。高等学校に進む子どもは約2割と、少数派でした。しかし2019年になると、特別支援学校に進む子どもと高等学校に進む子どもは、約5割ずつと半々になりました。高等学校に進学する特別支援学級の子どもは、この10年間で約2倍になりました。中学卒業後の選択肢は広がってきています。高卒の資格をとれる通信制高校も増えてきています。10年前と比べて選択肢が増えてきているからこそ、お子さまの将来の可能性も視野に入れながら、最新の情報をもとに学級選択をすることが大切です。文部科学省「学校基本調査 /卒業後の状況調査 中学校」令和元年度版、平成22年度版とはいえ、うちの子の場合は?最新の情報が得られる勉強会も活用してここまで、特別支援学級にまつわるよく耳にするお悩みや、実際の数字データをご紹介しました。しかし、特別支援学級の体制や選択できる進路は、住んでいる自治体やご家庭によってさまざまです。お子さまの特性や好み・考え方もそれぞれです。進学予定校の特別支援学級の現状や、お子さまとの相性など、実際の見聞も参考にしながら考えていきたいところです。将来の可能性もふまえた総合的な判断について、相談しながら整理するのも一つの方法です。そこで、LITALICOライフでは、特別支援学級についての情報や、卒業後の進路の選択肢まで、最新の情報がわかる勉強会を開催します。また、勉強会参加後に希望を出すと、後日、個別相談をすることもできるので、「わが子の場合は?」についての疑問や不安もご家族だけで抱え込まずにすみます。就学時の学級選択、進路相談、お子さまの将来の自立まで、相談経験豊富なスタッフがおりますので、ぜひ勉強会後にお申し込みを検討してみてください。特別支援学級卒業後の情報や、いま準備しておきたいことが勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「支援級卒業後の進路(全国版)」は、特別支援学級に在籍する方の卒業後の進路の選択肢について、広く知ることができる勉強会です。子どもが特別支援学級に在籍している、または在籍を検討している方にとって、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話ししています。【特別支援学級 卒業後のこんな情報がわかる!】・高校進学に内申点が必要か・公立高校での特別支援教育の取組み・通信制高校/サポート校とは・高等専修学校とは・特別支援学校 高等部とは・進路選択するときに手帳が必要か・高校卒業後の生活に関して(仕事やお金)【通級】が気になる方は…⇒無料勉強会『「通級」の活用と進路の選択肢』LITALICOライフは、お子さまとご家族が「自分らしい人生」を歩んでいくために障害分野とファイナンス、その両方の専門家としてライフイベントやライフプランの見直しを相談できるパートナーです。社会資源やサービス・お金の知識といった幅広い内容を身につけることができる勉強会や、専門領域をもつコンサルタントとの個別面談・プランニングを提供しています。ぜひ皆さまにご活用いただきたいと思っています。
2020年11月13日教授に相談できなくて…卒論が書けず引きこもりに三重県出身の戸田さん。三兄弟の末っ子として生まれ、義務教育から高校卒業後、一年間の浪人を経て近畿大学農学部(奈良市)へと進学した。つまずいたのは、卒業間近の論文執筆時だった。「卒業論文がありまして、その作成がうまくいかなかったっていうか……考察とかそういう部分がうまく文章が書けなくて。そこから引きこもりになりました」(戸田さん)Upload By 桑山 知之“情報を整理する”ということができなかった。奈良県内の病院の精神科を受診すると、適応障害と診断された。周囲のサポートもあり、なんとか大学は卒業できたものの、その後は実家近くの病院のデイケアに通いながら、自宅療養生活を送った。「先生に頼りにいくという力がなかったんです。当時卒論を担当していた教授は別に怖い方ではなかったんですが、普段誰かを頼ったりしていなかったので……」(戸田さん)思い返せば「小さな頃から誰かを頼ることが苦手だった」と話す戸田さん。小学3年のころにてんかんを発症したこと、中学時代にロボコンに出場したこと、高校で吹奏楽部に所属していたこと以外、学生時代の記憶はほとんどない。戸田さん曰く「事実は覚えているが、感情は覚えていない」らしい。Upload By 桑山 知之過去に認定されていた発達障害24歳で再診断「発達障害はグラデーション状に広がっている」と言われるように、それが生活に支障が出ない人も少なくない。実は戸田さんが小学校低学年のころ、発達障害だと診断されていた。しかし、戸田さんや両親は特段気に掛けていなかった。しかし、大学卒業間近でつまずいた戸田さん。両親と同居しながら、以前の診断時に受診していた海南病院(愛知県弥富市)の精神科が運営しているデイケア施設「ネバーランド」に通った。改めて発達障害の診断を受けたのは、24歳のころだった。Upload By 桑山 知之「担当者と問答したり、数学の問題とかパズルのテストもやりました。結果は広汎性発達障害という名前がつきました。大まかに言うと、人の言っていることを理解するのが苦手なのと、優先順位をつけるのが苦手なのと、物事を文章化するのが苦手という3つが症状ですね」(戸田さん)自らの特性について話す様子は淡々としていて、どこか晴れやかな表情をしている。「自分はこういうのが苦手なのでサポートをお願いします、っていうスタンスが取れるようになりましたね」。戸田さんは、診断によって自己理解が深まったと胸を張っていた。Upload By 桑山 知之大学時代に出会った唯一無二の友人今でも支えに近大では「メダカの学校同好会」に入っていた戸田さん。「メダカの住み良い環境を作り出そうというコンセプト」だそうで、ビオトープ班に所属していたという。「ペットだと飼い殺しにしてしまいそうな感じがするので、飼うのは向いてないかなと(笑)。メダカの学校同好会では生物の調査をしたり、小規模ですが生物が入りやすいように溜池を作ったりもしました。楽しかったですね」(戸田さん)当時付き合いがあっても卒業するとほとんど縁が切れてしまったが、今でも唯一連絡を取っているのが同好会の友人。もう8年ほどの仲で、彼は宮城県仙台市で仕事をしているが、今年の頭には熱海へ旅行に行った。ゲームやアニメなど、彼をきっかけに戸田さんも趣味が広がったといい、現在の戸田さんにとって一番の支えになっていると話す。「定期的に向こうから今夜スカイプどう?みたいな感じで、複数人でオンラインゲームで遊んだり。パソコンのシューティングゲームもそうですし、今やっているオンラインのゲーム『World of Warships』もそうですし、最近アニメで定期的に毎クール観ようと思ったのも、その友人が絡んでいますし。今の趣味すべてに友人がどこかしら関わっている気がします」(戸田さん)Upload By 桑山 知之就労移行利用し就職上司「僕らが一番苦手なことができる子」厚生労働省が委託する機関で、各地域に「若者サポートステーション」というものがある。働く意向のある若者と向き合い、職場定着するまでを全面的に支援する機関で、49歳までの就労意欲のある人が対象だ。戸田さんは若者サポートステーションでパソコンについての訓練を受け、その後LITALICOワークスの就労移行を利用。現在、ネッツトヨタ愛知のデジタル推進部に所属し、各販売店で働くスタッフのサポート業務を行う。もう働き始めて2年目だ。「彼と面接したときに一番感じたのが、僕らって物を売る会社なので、対面のコミュニケーションが主になるんですよ。でも彼は逆で、文字のコミュニケーションができる子。僕らが一番苦手なことができる子だろうなって。だからすごく助かっていますよ」(戸田さんの上司)Upload By 桑山 知之「今までの人生においても、対面のコミュニケーションよりも文字情報のコミュニケーションの方が大半占めていますからね。小学校のときは2ちゃんねるをやっていましたし、中高はオンラインゲームでチャット、大学のときはTwitter。弊社ではMicrosoft Teams越しでやり取りすることが多いので、すごく質問しやすいんです」(戸田さん)大学時代につまずいたあの経験を二度としない。情報を整理するのが苦手だという自覚から、メモ帳はジャンルごとに7種類に分けて工夫するほどの徹底ぶり。新型コロナウイルスの影響でオンラインでの業務がより増えたが、自分にとってはむしろ心地いいという。今では文字でのコミュニケーションを主に置き、ストレスなく仕事に励んでいる。「僕はすごく恵まれてます」。戸田さんは、前を向いて笑っていた。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。CM内楽曲GOMESS『COMMON』は各サブスクで配信中取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年11月13日個性炸裂で手強いレンジャーたち!さらなる『必殺技』を求めて...!?レンジャーから送られた衣装を返しに行きますが、レンジャーたちのペースに完全に飲まれるマジョリティ隊。レンジャーの手強さを痛感します。『ケンポウ』の達人に技を習うことになったレンジャー!『ケンポウ』って...Upload By 荒木まち子武術じゃなかった...!?習得した技は『愚行権』Upload By 荒木まち子執筆後記愚行権 (ぐこうけん)・・・たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のこと。皆さんも「明日はお休みだから今日は夜更かししちゃおう♡」とか「頑張ったから自分にご褒美♪」など、少なからず経験がありますよね?私に愚行権について教えて下さった方は“普段とても頑張っているのが前提として「愚行権」があると思っています。その人なりの頑張りで良いと思います。「愚行権」だけが一人歩きするとまた違うのかなと思います。”っと仰っていました。ほんとうにその通りだと思います。(愚行権については今後も描いていきます。)次回はガラッと変わって海回です(笑)荒木まち子
2020年11月12日専修学校最後の年、周りはどんどん内定をもらっていくけれど...?Upload By かなしろにゃんこ。ADHDがある息子リュウ太が専修学校に通っていた最後の年、20歳ときのことでした。専修学校では来年度就職希望の学生向けに就活サポート授業というのがあって、ビジネスマナーやソーシャルスキル検定の授業、面接の練習時間などがありました。卒業する者の大半が就職を希望して就活をし、ほとんどの人が就職していくような学校でした。夏季に学校を通して企業面接や企業実習をスタートさせ、うまくマッチングしたら改めて面接試験を受けて内定が決まるという流れで、自動車整備の学校ですから多くの人が自動車関連の会社に就職していきます。少子化問題や後継者不足、人手不足の業界ということもあって就職率は99%です。秋にはほとんどの人の内定が決まり、後は卒業後に受ける整備士国家試験の勉強に打ち込むだけ。なのに息子のリュウ太は一向に就活をしようとしませんでした。先生からの電話で発覚!リュウ太の「就職はしません」宣言Upload By かなしろにゃんこ。「就活はどうするの?」と聞かれても、「まだ学校や企業側が始まってない」とか「今考えてる」とか、ウソをついてはのらりくらりとかわしていたリュウ太でしたが...実は、学校の先生に「就職はしません!絵の専門学校に行く予定です」と報告していたのでした。秋のある日、学校をさぼっていたリュウ太のことを心配して先生が連絡をくれたことで分かった事実でした。勝手に決めちゃってまったくもう、プンプン!息子の将来はどうなることやらと心配しました。息子は絵を描くことが趣味で、中学生のころから同じ趣味の仲間と繋がりたいという思いもあり、絵の専門学校に行きたがっていました。Upload By かなしろにゃんこ。専修学校でせっかく自動車整備の技術を学んだのに、就職しないなんて意味がないじゃないのーーーー!と呆れてしまいましたが、就活をどうするか⁉親子で話し合ったときに息子から「就職をしたくない理由」が他にもあることを教えてもらいました。ネットを開くと毎日目に入ってくる、働く人たちの不幸なニュースを見て、リストラやパワハラ自殺、過労死などを知れば知るほど社会に出ることへの希望が持てなくなったというのです。上司の命令に逆らうといじめられる、契約を超えるようなみなし残業を要求される!などなど、息子の社会へのイメージが強烈にダークだったのです。確かに親は子どもに多少は「社会は甘くないぞ!」と言ったりするかもしれませんが、そんなに強烈な闇を教えたりはしません。ネットに流れる情報の悪い部分だけにフォーカスして受け取ってしまっていたようでした。そんなの社会人になれば当たり前!という思いを、グッとこらえてUpload By かなしろにゃんこ。「就職しても、どうせ安い給料で一生こき使われる、そんなのイヤだ!整備士になるのがイヤなわけじゃなくって、自由な時間が持てなくなって絵が描けなくなるのがイヤなんだよっ」とやっと本音を吐き出すようになりました。そんなの社会人になったら当たり前じゃない?社会に出たらみんなそんなもんなのよ、ツライことも飲み込んでいくのよ!と言いたいけれど、発達障害がある子は心が育つのに時間がかかるから3割幼く見積もって計算するお約束を思い出しました。体は大人でも心はまだ成熟していない子どもの部分があり、働くってどういうことか、イマイチわかっていないのです。本人が言うには「社会人の心構えとか理解できないし、わかりたくもない」のだそうです。もうすぐ成人式を迎えるという時期でしたが、「わお、正直だし尖がってますな!まだ反抗期なのかしら?笑」と思ったのでした。何度か話し合いましたが、リュウ太自身に就活するヤル気が見えてこなくて、親がお尻を叩いても無理な気がしたんです。卒業3か月前の年末に「じゃぁいいよ就職しなくても」と伝えたら、すごくホッとした顔をしたのでした。Upload By かなしろにゃんこ。高いお金を払って学校に通わせたのに車業界に就職しないなんて残念で親は複雑な思いですけど、ヤル気がないのに就活しても面接官に見破られてしまって採用されないでしょうし、アルバイトでも社会で数年揉まれて「やっぱり就職したほうが生きやすい!」と気がついたときにやり直せばいいと思いました。失敗してすぐに軌道修正するのは得意のようなので、迷いながら未来の進路を探っていけばいいのかな?と捉えるようにしました。ADHDがある人は狩人特性といいますから、自分がコレだ!と思う目標が見つかると猪突猛進して努力します。でも目指す目標が大きくて手が届かないとわかると、ターゲットを変更して次の目標を探すことが得意だったりもします。子どもの頃には多動や衝動性が障害だったことでも社会に出ると、障害ではなく能力に変わることもありますから、就職だけにこだわらずに能力を発揮できる分野があるのではないか?とも考えました。就職して安定した社会人生活をスタートしてくれたら安心なんですけど、親が思うようにはいかない!ということも覚悟しました。これまでも周りの子と肩を並べて歩んでほしいと、リュウ太ができないことも無理をさせてきました。でも、できないことがあるから発達障害なんだから、できるようになるまで(本人が就職したいと思うまで)成長するのを待つしかないと思ったのでした。その後リュウ太は学校をズル休みしすぎて単位が取れておらず卒業が危ないという状態に陥り...だははは!就活どころではないじゃないのっ(笑)結局、卒業後に就活することになったのでした。♪ちゃんちゃん♩ADHDリュウ太の人生はいつもギリギリの綱渡り的なところがあります、予測不能で危うい道なんですよね、トホホ(涙)初めての就活での失敗談もいつかお話したいと思います。
2020年11月10日支援の空白期間娘には小学校1年生から4年生までの間、『支援の空白期間(支援を受けていなかった期間)』がありました。主な理由は・小学校入学と同時に引越しをしたため、それまでの受けていた療育機関からの引継ぎが上手く機能しなかった・下の子の妊娠、出産で親が思うように動けなかった・療育センターに相談しても「様子見しましょう」と言われ、療育プログラムを受けられなかった・受動型だったため、学校での本人の困り感が見過ごされていたなどでした。その間、学校の授業で必要な縄跳びや鉄棒などの練習や、定規やコンパスの練習や工夫は家で試行錯誤しながら行っていました。『読める』けれど『書けない』高学年になると、娘は漢字テストを苦痛に感じるようになりました。小さい頃から本を読むことが大好きで、多くの知識を本から吸収してきた娘でしたが、“読む”ことはできても、何度練習してもどうしても“書く”ことができない漢字が徐々に増えきたのです。娘のクラスでは国語の授業時に毎回漢字の20問テストがありました。それは“黒板に先生が書いた問題(ひらがな)を、無地の紙に漢字で書く”という形式のテストで、板書が苦手な娘には二重の苦しみでした。また、学期ごとに50問の漢字テストがあり、こちらは一定の得点が取れるまで再テストを受け続けることになっていました。娘は懸命に書き取りの練習するのですが、どれだけ練習しても書くことができない(または少しの期間は覚えていられるけれどちょっと時間がたつと見事に忘れてしまう)漢字がいくつもあり、何度も再テストを受けました。Upload By 荒木まち子練習すれば練習するほど間違えてしまう傾向さえあり…これは漢字に限ったことではありませんでした。アルファベットのbとd、pとqはほぼ100%間違えましたし、記号や図形なども家で練習しても“書けば書くほど形が崩れていく”こともしばしばありました。Upload By 荒木まち子精神的に追い詰められる娘。親子関係もギスギスし始めて...担任の先生からは「お母さん、家庭での学習をもっとさせてください」と言われました。娘は毎日遅くまで漢字の練習をしましたが、どうしても覚えることができず、精神的に追い詰められていきました。親子関係もギスギスし始め、家庭での工夫やサポートに限界を感じた私は、民間の支援先を探しました。専門家のサポートに救われる幸いにも娘は5年生の時にプロの支援者に出会い、SSTやビジョントレーニングを受けることができました。トレーニングを受けることで魔法のようにすべての問題が解決するわけではありません。でもプロフェッショナルの支援者に出会ったおかげで、親や学校の先生が娘の障害を理解し、適切な接し方やアプローチの方法、日々の生活の工夫などについての知識を持つことができたことで、私達親子の生活に一筋の光が差したことは確かです。専門家のアドバイスのもと、何度もくじけそうになりつつも学校に理解と協力をお願いし、授業毎の漢字20問テストは無地だった解答用紙→問題番号と罫線付きの解答用紙にする(クラス全体で変更)など、本人の負担を軽減する対策をとってもらうことができました。中学校への引継ぎがスムーズに娘がこの時期に受けていた専門家の指導や病院での視覚認知機能の検査結果は、その後の中学進学時の引継ぎの際にとても役に立ちました。娘に適したフォントの大きさも把握できていたので、定期テストの問題用紙や解答用紙の大きさを娘に適したサイズに拡大してもらうなどの配慮を受けることができました。Upload By 荒木まち子この時期の娘は、周りの友達と違うことをとても嫌がっていましたが、このテスト用紙の拡大については「すごく見やすい!」と喜んでいました。親子で話し合ってみると良いかも!Upload By 荒木まち子これは娘が小学生の時にビジョントレーニング指導を受けていた先生がつくってくださった『計算用のマス目プリント』です。娘が一番見やすいサイズになっていて、筆算の時に数字を重ねて書いてしまうことによる計算ミスを防ぐことができました。担任の先生に許可をもらい『マイ計算用紙』として学校にも持参していました。学生の期間は特に“できないことを必死に努力する”よりも、ちよっとした“工夫”や“配慮”で本人の負担を減らすことができるなら、その方が良いと私は思っています。高学年以上になると支援やサポートの内容や程度は親が勝手に決めるのではなく、本人の希望を聞くことが大切になってきます。見やすいと感じる文字のサイズや字体の種類、色などもそれぞれ違うので、例えば親子で“フォント”について話をしてみる機会などをつくってみると、意外なこともわかって楽しいかもしれません。ちなみに現在わが家は、私のプチ老眼の進行によって、娘と私の『見やすい文字サイズ』がシンクロしつつあります(笑)
2020年11月09日みんなはどうしてる?進路を考えるときに読みたいコラムをまとめました小学校への入学や、中学校・高校への進学は、お子さんの学びや生活に関しての大きな決断をするタイミングですよね。就学相談や進路指導など相談できる機会はあっても、わが子にとってどのような選択がよいのか、どう判断したらよいのか...悩みも多いかと思います。発達ナビユーザーに行った「どんなコラムが読みたい?読みたいテーマを教えて」アンケートでも、「進路選び」についてのコラムが読みたいとの声を多くいただきました。そこで、連載ライターによる「進路」に関するコラムをまとめてご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部【小学校】特別支援学校?通常学級・特別支援学級・通級指導?就学先をどう決めた?面談や見学を通して、どんな環境がわが子に合うのかをじっくり検討したウチノコ家。むっくん本人の気持ちも確認して、決定した就学先は...複数の小学校を見学して、クラスの人数や雰囲気などを見ながら、わが子に合う環境をイメージ。希望を提出したのは、年長の9月でした。先輩ママや家族、主治医の意見も参考に、通常学級に入学したSAKURAさん家のあーさん。最初は順調だったけれど、学習面も友達関係も少しずつ課題が見えてきて...本人にとってよりよい環境をなんども検討し、2年生からは「特別支援学級」に転籍することに。【中学校】より子どもにあった環境を考えたい。私立受験も選択肢?娘が5年生のときに考え始めた進路。小学校では通常学級に在籍しているけれど、中学校は?特別支援学級、通級指導教室、私立中学など、選択肢にあがった先をそれぞれ見学することに。小学校時代から高等部進学に至るまで、全7話の連載。まずは第1話から読んでみてください。小学校では周囲と馴染めず、いじめも経験した宇樹さん。私立中学に進学すると取り巻く環境が一変して...6年生になってから私立中学を受験することに決めた、スガカズ家の長男。どの学校がいいか、メリットとデメリットを整理しながら親子二人三脚で学校選びをしていきました。【高等学校】子どもの気持ちも尊重して選びたい、中学卒業後の進路さまざまな選択肢を検討した上で、通常学級に入学した荒木家の娘は、中学2年生で特別支援学級に転籍することに。高校選びも早くから動き出していたけれど、中学生活を経て気づいた大切なことは...受験勉強になかなか身が入らなかった中学3年生のリュウ太くんが、「行きたい学校があるから」とパンフレットを持ってきたのは『専修学校』でした。不登校の娘が、パンフレットをみて「見学に行きたい」と言った通信制高校の技能連携校。見学に行き、付設するフリースクールに週に1回通い始めて...
2020年11月08日老化による認知機能の低下と、発達凸凹は似ている?Upload By 丸山さとこ私もコウも一般的に”集中力に欠ける”もしくは”好きなことにだけ集中する”と言われるタイプです。宿題など、気が乗らない作業をするときには終始気が散っている状態になります。一方、私の母は”必要な作業であれば集中してさっさと終わらせる”タイプだったのですが、そんな彼女も「集中力が落ちてきたのを感じる。年ね…」と言うようになりました。母は、先日電話をした際にも「(集中力がない)コウの気持ちが分かるなぁ。年をとると、皆ADHDのようになっていく」と言っていました。「そうかもね。お客さんからも似たような話を聞くことがあるよ」と相槌を打った後で、「…ん?そうかな?」と少し首を傾げました。母のそれとコウのそれは、少し違うような気がしたのです。”集中力がない”と言われるのに”過集中”する人たち母の老化と、コウや私のADHDの要素は、行動自体は似ているなと思います。母が言うように、”集中力に欠け・記憶がすり替わり・うっかりミスが起きる”点はかなり近いものがあります。Upload By 丸山さとこけれど、私はコウを見ていて集中力がないとは感じません。趣味に没頭する時は過集中になることも多く、苦手な宿題であってもコウが乗っていればすごい速さで終わらせることもあります。私自身も過集中が起こりやすい方です。作業に夢中になりすぎて休息や水分補給を忘れ、体調を崩すことすらあります。私は仕事でご年配の方からお話を伺うことが多いのですが、そこで言われている”集中力がない”状態とは、”集中しようとしているが上手く集中できない”もしくは”集中するための気力体力がない”状態なのではないかと思います。Upload By 丸山さとこ一方、コウが”集中力がない”と指摘されるときの様子を見ていると、集中力がないというよりも”気が散っている”状態なのかな?という印象です。集中力を向ける方向を意識的に選ぶことが難しいようなのです。もしもご年配の方が”集中するための力が低下した状態”になっているのだとしたら、コウの場合は”集中をコントロールする力がない状態”なのかもしれません。環境調整や薬でサポートしつつ…母に上記の考えを伝えると、「分かる!」と頷いていました。「確かに、コウもさとこも集中力あるよね。気が散る要素を減らすと上手くいきやすいのも分かる。私は、気力体力の衰えから来てる感じあるわ…」とのこと。Upload By 丸山さとこ母の場合は、集中を向ける先をコントロールする方法は既に分かっていても、それを実行する力が衰えてきているということなのかもしれません。コウの場合は、集中する力そのものはあってもコントロールする力が弱いということで、そこを環境調整や薬の服用などで補いつつ、練習(療育)をしていくことが大切ということなのかな…?と、改めて思いました。
2020年11月07日現在、5歳になる長男は言葉が遅く、3歳になっても「パパ」「ママ」の発語もありませんでした。同い年の子どものおしゃべりばかりが気になり、毎日ネットで発達障害の情報を検索していました。「この子は、このまま一生おしゃべりができないのかな?」と悩んだ日々についてお話しします。 長男がしゃべらない!長男は本当に言葉が遅く、3歳になっても「ママ、パパ」もはっきりとした言葉で話すことができませんでした。言葉の理解はあり、1歳のころには「おいで」や「ちょうだい」の言葉に反応して行動することができましたが、自分の名前に反応しないなど心配な点も……。 昔のビデオを見ても宇宙人のような喃語(なんご)を話す長男の動画が残っています。最初の子どもということもあって、私はとても悩み、同級生の子どもたちが流ちょうに話すのをうらやましく見ていました。 「男の子は遅いから」「そのうち話すようになるから」という周囲の言葉を信じて待っていましたが、一向に話す気配がありませんでした。 子どもが話さないのは母親のせい?年齢が上がるにつれ、はっきりとしゃべれない長男に私はとても焦りました。他の同級生の子どもたちに引け目も感じて、一緒に遊ぶこともできませんでした。 絵本も毎日読み聞かせ、言葉掛けもしましたがそれでも発語は増えません。義理の母からは「母親の言葉掛けが少ないからだ」「保育園に入れているからだ」など心ない言葉を言われ、「私のせいなのかな……」と悩みました。 毎晩、長男が寝たあとにネットで発達障害について書かれたブログやネット記事を読み漁り、長男と同じ症状の子どもを探して一喜一憂するという日が続きました。 療育に通いみるみる話すように当時は長男とおしゃべりする夢を見るほど、悩んでいた日々でした。しかし3歳から「言語遅延」ということで療育に通い、発語の練習をおこなったところ、だんだんと滑舌が良くなってきたのです。そして、4歳の誕生日を目前に他の子たちと同じようにおしゃべりができるようになりました。 今では、幼稚園の先生に「発音が良い」と褒められるほどです。私が当時、言葉の遅い子に多いと聞いていた言葉の爆発というのではなく、本当に少しずつ、いつの間にか言葉が話せるようになっていったのです。 悩んだ日々も後悔しない結果、話せるようになった長男は、月に1度通っていた療育も「問題ない」ということで卒業しました。 「あれだけ悩んだ日々はなんだったんだろう?」「狂ったようにネット検索している間に、もっとやれることがあったんじゃないか」「もっと他の子どもとも遊ばせてあげればよかった」などと後悔した時期もありました。しかし、今は「私にとっては悩んでいたあの日々も育児の一部だったんだ」と思えるようになっています。 当時の私に声を掛けるとしたら、「この子はもう少しでしゃべるようになるよ」ではなく、「ゆっくりと見守ってあげてね」だと思います。今の私にとっては悩み抜いたことも、子育ての一環だと思えるからです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/竹内優実作画/YUDAI9℃監修/助産師REIKO
2020年11月05日チャートで自分のストレスタイプを探り、ケア方法が学べるーー『イラスト版13歳からのメンタルケア心と体がらくになる46のセルフマネジメント』子どもから大人へと成長し始める10代の心の中には、たくさんの悩みがあります。そのストレスの方向性を、「緊張のケア」、「不集中のケア」など8つの項目に分け、なぜそんな気持ちになるのか、またどう対処したらいいのかのケアについて、わかりやすく書かれているのが『イラスト版13歳からのメンタルケア心と体がらくになる46のセルフマネジメント』です。本書には、自分のストレスがどこにあるのかをチャート式でチェックできるページがあり、このチャートで、自分に必要なケアを確認することができます。そして、次のページからはケア別に1項目ずつ、気持ちの詳細をセリフの入った1コママンガと文章で示してあるので、自分の気持ちに近いものを一目で探せる工夫がされています。大人が読んでも役に立つことがたくさん登場する本書。10代の頃から「大人」の世界で生きている、今の子どもたち。大人は、自分の10代の投影だけではサポートしきれないことがたくさんあります。親子それぞれが読んで、支え合うことができる、そんな1冊です。海外事例や豊富な実践例も掲載ーー『学びをめぐる多様性と授業・学校づくり』『学びをめぐる多様性と授業・学校づくり』は、「学びをめぐる多様性」とはどういうことかをふまえ、変わりつつある社会の中で、日本における未来の教育や発達障害のある子どものためのインクルーシブ教育はどうあるべきかを考え、形にしていく手段を教えてくれる1冊です。3部構成となっており、「インクルーシブ教育」とはそもそもどういったものなのか、という基本的な部分から、欧米の実際の事例まで、幅広く知ることができます。社会のありさま、人々を取り巻く環境は間違いなく変わってきています。これからも変わっていくでしょう。その変化の中にあって、日本の「学びの多様性」そして「インクルーシブ教育」について原点回帰してみる。本書はその一助となり、未来の「インクルーシブ教育」を形づくっていく術になるでしょう。教育にかかわる、保護者の方、先生たちにおすすめの一冊です。結婚・恋愛、薬物療法まで幅広く分かる!ーー『大人の発達障害の理解と支援』本書は、発達障害・特別支援教育の理解と実践について、ひとつのテーマを深く掘り下げて解説するシリーズ「発達障害・特別支援がわかるシリーズ」のうちの1冊であり、「発達障害のある大人」に焦点を当てて、発達障害のある大人の置かれる現状の解説から、就労・生活支援、「親亡き後」、薬物療法、女性へのサポートまでと、大人の発達障害を包括的に解説した一冊です。「発達障害」という言葉が少しずつ知られるようになり、ここ数年「大人の発達障害」も注目されるようになってきました。しかし「発達障害のある大人」が抱える困難さへの理解やその支援は、まだまだ不十分です。発達障害のある大人への支援は、就労支援だけに注目が集まりがちです。しかし実際には、就労後の職場での支援や、生活の支援、余暇への支援など包括的なサポートが重要です。本書は、幸せに暮らしていくための必要な支援が幅広く解説されていることから、家族や職場に発達障害のある大人がいる人、職場、福祉施設など、さまざまな場所できっと参考になる一冊です。科学的な分析から、具体的な支援法まで幅広く網羅!ーー『保護者の声に寄り添い、学ぶ 吃音のある子どもと家族の支援:暮らしから社会へつなげるために』吃音の研究と支援に情熱を注ぐ専門家2名によって執筆された『吃音のある子どもと家族の支援』。科学的な吃音の基礎知識、陥りがちなNG対応例や、本人の意識の持ち方、周囲への理解・啓発の働きかけ方を、当事者や家族への徹底した「共感」と「傾聴」を軸に、丁寧に解説しています。また、本書には吃音に関するリアルな声も収録されています。吃音当事者である子ども、大人の体験談や、吃音がある子どもをもつ保護者のエピソードから、当事者や支援者の悩みを知ることができ、また言語聴覚士や教員による支援の事例も紹介されているため、実践的な吃音がある子どもへの支援法を学ぶこともできます。吃音があるお子さんをサポートする保護者の方や、支援員の方にぜひ読んでいただきたい一冊です。
2020年11月04日読み書きに困難あり。毎日の宿題は親子で我慢くらべUpload By スガカズ次男は読み書きに対して特に困難があります。また、勉強に限らず本人が嫌だと思ったことへは基本的にしたくない性分です。小学校に入学して始めの頃は、私が次男に音読に取り組んでもらうタイミングを見計らったり、1行目は私が読むなどして何とかきっかけを作れていました。ですがいつまでも私が関わり続けるのも限界があるし、自主的に行動する機会をつくれていないと感じていました。小3になる頃、音読に関してこの様な困難さがありました。・自ら教科書を開く気分にならない・国語の教科書は単元ごとに、音読する量が違う・読み間違い、読み飛ばししがち・勉強した内容(特に漢字)が定着しづらい他にも、学校で配られる音読カードのチェック欄で「自分を(△〇◎などで)評価される」のを嫌っているといった理由もあります。頑張ったのだから全部〇という風にすると、「こんなもんでいいんだ」と本人が思う様になりそうだと感じる場面が多く、「今日は声がネズミさん(5段階でいうと1段階)だから、声の大きさは△」といった風に正直に書いていたので、次男はいい気がしなかったと思います。(読み間違いや読み飛ばしに関しては特性なので○にしていました。)ママ友に教えてもらった「デイジー」という支援ツールUpload By スガカズ特別支援教室のママ友とランチをしていたときに、「マルチメディアデイジー教科書」というツールを教えてもらいました。公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会から提供されている、パソコンやタブレット端末で利用できる図書の一つです。子どもが通う学校の教科書(出版社)のデジタルデータ(保護者が申請して承認を得てからダウンロードが可能)にルビ振りや音声読み上げ、さらには読み上げている部分が色分けされているなど、かなり配慮されたツールです。もともと視覚障害者向けにつくられた様なのですが、発達障害のお子さんにも有効であると言われています。マルチメディアデイジー教科書について実際に利用してみると、次男の行動に変化が!Upload By スガカズ「マルチメディアデイジー教科書」をネットに紹介されている手順に従ってダウンロード。本人に使い方を簡単に説明しました。普段は自ら教科書を開く気分にならない次男ですが、タブレットに目を輝かせながら音読していました。Upload By スガカズ利用するうちにたくさんの効果を感じました。・楽しく音読(読書)ができる・音声の情報で記憶力が鍛えられる・褒めるきっかけになるタブレットなどの身近なデバイスで、さらに目や耳の情報が入りやすく読みへの困難さが軽くなっていることを実感しました。「やらせる音読」から、「すすんでやる音読」に変わりました。Upload By スガカズさらに利用していくことで、・授業に関する親子の会話が増えるという利点も感じました。音読をしているとき、あるいはする前に、自分が授業で学んだ知識を共有してくれることも。今までは、勉強が苦手な次男に授業の内容を聞いてもあまり良い反応はなかったのですが、自然に学校での授業の様子を話してくれるので、親子の会話の幅が広がったと感じました。現在はLDはあるものの、自ら教科書を開くことが多いため、困ったときに利用させていただいている状態です。これも「マルチメディアデイジー教科書」を利用した効果なのかもしれません。国語に限らず小学生だと算数、理科、社会にも対応しているので、家庭学習で、授業の振り返りをしやすいと感じています。
2020年11月03日発達障害当事者のホンネと、悩んでいる人に伝えたいこと「女性の発達障害鼎談企画」に集まっていただいた姫野桂さん、宇樹義子さん、鈴木希望さんは、成人してから診断を受け、それぞれ発達障害に関する情報発信をされています。第2弾コラムでは、「学生時代の友達関係」や「SNSとの付き合い方」についてお話しいただいたことをご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部ーー学生時代の友達関係について教えてください姫野さん:女の子は小学3年ごろから群れたがるようになりますよね。実際に私の学校もそうだったんですが、話をうまく合わせられないし、本当になじむことができなかったですね...!宇樹さん:うんうん、群れるタイプの子たちとは合わなかったですね。姫野さん:どうして、みんなで行動するんだろう?みんなで同じものを選ぶんだろう?と思っていました。鈴木さん:なぜ?ですよね笑。宇樹さん:大人の、とりあえずビール!全員ビール!みたいな笑。姫野さん:オシャレに目覚めて髪をお団子にして行った時も、女の子の集団からコソコソコソ言われて、なぜか私が先生に怒られるという…。「そういうハデな格好してくるからでしょ」みたいなことを言われて、トラウマになっています。ーー今、友達関係で悩んでいる子たちに、アドバイスはありますか?宇樹さん:そうですね、私の学校には群れるだけじゃなくて、積極的に自分たち以外を排除しようとするタイプもいたんですが、そういう子たちとはできるだけ適度な距離を保つようにしていました。小学校のころだとなかなか難しいと思いますが、「この人たちと合わないだけ」「彼らが正しいのではなくて、違うだけ」「向こうの方が数が多いだけ」と考えて、学校以外の居場所をつくるように頭を切り替えるのがいいのかなと思います。鈴木さん:本当にそうですね。私は小学校のころにいじめられたり、誰もかばってくれなかったりということがありました。中学生ぐらいから精神的にきつかったからか、てんかん発作が増えたり体調を崩したりして、あんまり学校に行けなくなって。勉強にもついていけなくなってしまいました。当時を振り返って思うのは、「みんなと仲良くしなくちゃ」と無理しなくていいんですよね。必要最低限の挨拶はして、あとは近づかないようにするという。宇樹さんと同じで、人生は学校だけではないと思うので。年齢によっては学校の世界がすべてになってしまいがちですけど、そんなことは全然ないんですよね。Upload By 発達ナビ編集部発達ナビ 女性・女の子の発達障害(3)学生時代の友達関係ーーSNS疲れの経験はありますか?宇樹さん:SNS疲れ、ありますね。だから、通知はほぼ切ってます。姫野さん:私も宇樹さんと同じで、通知は切っています!宇樹さん:あとは、タイムラインをムダに眺めない!1日に3回ぐらい見るタイミングを決めて、それ以外は見ないようにしています。特にTwitterは刺激にあふれているので、すぐに疲れてしまうんです。姫野さん:感情が揺さぶられてしまいますよね。鈴木さん:そうですよね。いろいろなものが流れてきて、ADHDのある私は刺激されてすごくおもしろいんですが、引っ張られないように気を付けています。あと、SNSに書いていることを読んで、あたかも私のことを全部わかったように接してくる人がいると、すごく疲れてしまいますね。SNSに自分のすべてを書いているわけではないのに…。姫野さん:わかります…。あとは、フォロワー数が増えるとメッセージが埋もれてしまって、必要な返信をしていなくて気まずくなってしまったこともありました。ーー通知を切る、タイムラインを見過ぎない、他に何か付き合い方のコツはありますか?宇樹さん:リアルの人間関係と一緒で、SNSも適度な距離が大事だと思います。姫野さん:距離感ですよね…!10年ぐらい前、本当にSNS中毒になったことがありました。ちょうど会社で事務職の仕事をしていた時期なんですが、とんでもなく向いてなかったんですよね。算数LDなのに経理業務もあって。会議用資料の準備を依頼されても、コピーが曲がっていたりサイズが違ったりで。よく3年間やってたなと思うんですけど、そうすると家に帰ってきてからずーっとSNS。ある日、このままではダメだなと思って、1週間SNSを禁止して、小説を書き上げたんです。それを文学賞に応募したら最終選考まで残ることができて、それが今の仕事につながっています。こんな過去の経験もあって、SNSとは自分の距離感で付き合っていけたらと思っています。鈴木さん:たしかに。あとは、SNSに過度な期待を持たない方がいいのかなと思っています。SNSならなんでもできる、なんでも与えてもらえると思ってのめりこんでしまうと、トラブルにも巻き込まれてしまうのかなと。姫野さん:本当ですね。最近は知らない人が投稿している、ネイルやメイクの動画を見るのが平和で楽しいです笑。鈴木さん:私も情報収集はしつつ、あとはヤギの動画に癒されていますね笑。Upload By 発達ナビ編集部・LITALICO発達ナビ 女性・女の子の発達障害(4)SNSいかがでしたか。友達関係もSNSも、無理をしないで適度な距離を保つことが大事というお話が印象的でした。次回は、「身だしなみ」と「母親との関係」についてお届けします。お楽しみに!宇樹義子さん発達障害当事者ライター・著者。「ため込み症者家族の会(HRAJ)」運営。高機能自閉症と複雑性PTSDを抱える。30歳で発達障害を自覚するも、心身の調子が悪すぎて支援を求める力も出なかったが、幸運にも現在の夫に助け出される。その後発達障害の診断を受け、さまざまな支援を受けながら徐々に回復、在宅でライター活動を開始。著書に『#発達系女子の明るい人生計画』(河出書房新社)。鈴木希望さん1975年新潟県生まれのコピーライター。側頭葉てんかんと自閉症スペクトラム障害、注意欠如多動性障害、算数障害の当事者で、軽度の相貌失認持ち。2009年生まれ、自閉症スペクトラム障害を持つ息子と二人暮らし。食い意地の張った料理好き。カレー大學認定カレー伝道師。姫野桂さんフリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。大学卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)。
2020年11月02日わが家の息子が、初めて発達障害の可能性を疑われたのは1歳半健診(1歳6カ月児健康診査)のときでした。市町村によって検査内容や診断方法に差があるようですが、今回は息子が発達障害と疑われた1歳半から、実際に診断が出るまでの検査内容などをご紹介します。 発達障害の可能性を指摘された1歳半健診1歳半健診では簡単な絵を見せられ、そのなかから「○○はどれ?」と質問される検査があります。息子は、市の検査と小児科の検査、どちらもその指示を適切にこなすことができず、言葉もほとんどしゃべらないことから「要経過観察」となりました。 この時期、同じような対応の子どもは意外と多いようですが、息子の通う小児科は偶然にも発達障害に詳しく、その後も定期的に検査を受けることになりました。 半年に一度のペースで実施された発達検査 1歳半で要経過観察になって以降、半年に一度のペースで「遠城寺式 乳幼児分析的発達検査」という検査をおこないました。定期的におこなうことで前回と比べることもでき、先生が子どもの様子を見ることで発達具合もわかるようです。 この検査は先生と個室でおこなわれ、指示にきちんと従えるか、言われたことがどこまでできるかはもちろん、子どもの様子や理解力なども確認されます。息子は3歳までこの検査を定期的におこないました。 発達障害と診断されたときは…実際に発達障害と診断されたのはかかりつけの小児科ではなく、その後リハビリに通うことも考慮して紹介された、リハビリテーション病院でした。小児科からの紹介状に、今までの検査結果が詳しく記されており、リハビリテーション病院では診察のみ。息子は「自閉症」の診断がつきました。 診断がつくまでの診察時間は約10分と、予想外の早さでした。その後、これからのリハビリについての説明や診断の理由などが詳しく説明されました。 発達障害の検査は大変そうと思われがちですが、私の場合はかかりつけの小児科が発達障害に詳しい病院だったので、スムーズに診断がつきました。難しいことはあまり考えず、少しでも気になることがあれば、発達障害に詳しい小児科や市の保健センターに相談してみるといいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月02日むっくんの癇癪・パニックむっくんの癇癪・パニックは2歳頃から始まり、現在も続いています。むっくんはパニックになると暴言や暴力が始まり、私の心もかき乱されるので、冷静な対応が難しい!と日々悪戦苦闘しています。最近は、むっくんのこと、私自身のことを切り分けていく必要性を感じています。それでも、年齢と共に暴力は減ってきており、最近では暴力だけはコントロールしようと、必死で自分と戦う様子も見られるようになりました。攻撃対象も誰彼構わずだったものが、最近は外では我慢して、帰宅後に私をターゲットにストレスをパニックとして吐き出す形に変化してきています。パニックをその場でどう落ち着けるか、というマニュアルはなんとなくできてきたのですが、将来を見据えて自己コントロール力をつけることに関しては、むっくんの成長にまかせるしかないというのがわが家の現状です。Upload By ウチノコどうしてパニックを起こすの?パニックを起こす理由は人によってさまざまだと思いますが、むっくんの場合、大きな要因は感情のコントロールが苦手なことと、「他者への恐怖感」からくる「疲れ」だと考えています。むっくんは感覚や周囲の雰囲気、人の持つ感情などに敏感で恐怖を抱く傾向があります。特に対人コミュニケーションが苦手なむっくんにとって、他者からの予測不可能な刺激は恐ろしく、対応に大きなエネルギーを使っている様子。結果、疲れによりいつもはできる、感情コントロールしながら人と関わることが難しくなります。すると、まるでヤマアラシのように全身から棘を出し攻撃を開始。相手を戸惑わせ退けて自分を護ります。きっかけはさまざまですが、パニックの底には「自分を護りたい欲求」があるように感じています。Upload By ウチノコパニック後のようすパニックを起こした後はすっきりして穏やかになることもあります。むっくんにとってパニックや癇癪は、どう表現するのか解らない心の苦しさを発散する効果があるようにも感じています。ぶつけられる方はたまったものではないのだけど…ただ、穏やかな時を知っていると、「普段はあれだけのエネルギーを自分で律しているのだな…」と、その苦労を感じる瞬間でもあります。Upload By ウチノコパニックをしばしばおこすむっくんですが、パニック後には「周りに酷いことをしてしまった」と理解しています。聞き分けの良い子でいようとする時もあり、周囲の反応を気にしている様子がうかがえ、パニックはむっくんにとっても好ましい発散方法ではないのだとも感じています。穏やかに戻ったむっくんとパニックについて話すこともありますが、別人なんですよね・・・。穏やかむっくんは、話すまでもなく自分の行いが好ましくないことも理解しているし、どうしたらよかったのかも理解している。更にパニックを起こしている自分に対し、恥ずかしいという感情まで持っている。こんなむっくんですが、パニックを起こすと人格が変わるので、いつもの倫理観は吹き飛んでしまうのです。Upload By ウチノコパニックを起こしているむっくんのことを、穏やかなむっくんに話しても別人に説教しているようでしっくりこない。そう思っていたらむっくんが面白いことを言いました。「あれは『ビックバンむっくん』だから・・・」むっくんの自分研究5、6歳ごろから、癇癪やパニックを起こしている自分を「ビックバンむっくん」と呼び、通常の自分と分けて考えるようになったむっくん。この頃から「自分研究してみようか!」と私が呼びかけ、むっくんが自分のパニックについて客観的に考えることを促しています。Upload By ウチノコ「ビックバンむっくん」という別人格の行いについて話し合うことで、私もむっくんも敵対するのではなく、共同研究者のような気持ちでパニックと向き合えることも増えました。自分を客観視しつつ、自己理解を深めていく。時間はかかりますがこのやり方こそ、将来のむっくんを助けうる力になるのでは?と期待しています。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ癇癪・パニックを肯定し共に生きる覚悟むっくんのパニックは、私に対する暴言や暴力で現れます。先日は夕方に「買い物に行きたいのだけど、一緒に来る?待ってる?」と聞いただけで始まり(行きたいか行きたくないか、自分の気持ちがわからず表現できなかったから)これは私の予告不足の影響なのですが、そんな時はさすがに心が折れます。暴言や暴力で負の感情をぶつけられると、腹は立つわ、悲しいわ、「なんでこんな目にあわないといけないの?」と、私まで怒りに支配され、言い争ったり取っ組み合いになる日もあります。「私は子どものころ我慢したのに…自由で羨ましい!」と嫉妬してしまい、引きこもって泣いて過ごす日もあります。しかし、視点を変えてみるとパニックはむっくんに、どうして自分はこうなんだろう、嫌われてしまう、見捨てられるという恐怖を生み出します。むっくんが叩いているのは私なのか、むっくん自身なのか。どこか自傷行為のように感じることもあり、彼の苦しみに切なくなる日もあります。Upload By ウチノコだけど、その場しのぎの対応でその瞬間はおさめることができても、本当の意味で私にむっくんを救うことはできません。感情のコントロールはむっくんがこれからも自分で向き合っていかないといけない課題だからです。この先も自分と向き合い、理解し、自分自身の好ましくないと感じている面も、否定するだけではなく、時に受け入れ、時に工夫し、折り合いをつけながら生きていく先に、幸せがあるのだと私は考えています。そのために今、私にできることは何なのか。これからも考え続けていきたいです。
2020年10月31日発達障害のある息子と一度は家族を捨てた父の共同生活を描いた映画「靴ひも」Upload By 発達ナビニュース母の突然の死により同じ屋根の下で暮らすことになった父と発達障害の息子の生活が描かれた映画が、10月17日より公開されています。明るく誰に対してもフレンドリーな一方で、発達障害があり、生活習慣へのこだわりが強く、苦手なことも多いガディ。そんなガディに対して、どう接したらいいかわからず、戸惑う父のルーベン。そんな約30年ぶりの共同生活は、せつなくも愉快な発見の連続。タイトルにもなっており、重要な場面で登場する「靴ひも」にも注目です。本作の監督を務めたのは、イスラエルの映画・テレビドラマ界で長年活躍するヤコブ・ゴールドヴァッサー。イスラエルで報道された実在の父子の臓器移植にまつわるエピソードをもとに、これまでにありそうでなかったユニークな親子ドラマをつくり上げました。ゴールドワッサー監督自身も、障害を持つ息子の父親であり、テーマが身近であるだけに困難な挑戦だったが、映画を通して人々の障害に対する意識を変えたいという情熱が制作の原動力になったと語っています。【公開予定】10月17日(土)より、シアター・イメージフォーラム ほか全国順次ロードショー中知りたい!聴きたい!障がい児者のきょうだい座談会Upload By 発達ナビニュースぜんち共済株式会社が主催する、障がいや慢性疾患、難病などのある人の兄弟姉妹”きょうだい”に関するセミナーが開催されます。セミナーでは、“きょうだい”の立場であり、きょうだいのグループを運営する4名が登壇して、それぞれの体験談や思い、家族との関係から、結婚や「親なきあと」まで、これまでのこと、今のこと、そして、これからのことを語ります。障がいのある方のご家族(親・祖父母、きょうだい他)、支援者の方、関心のある方は、どなたでもご参加ください。セミナー後のアンケート回答者には、「当日の資料」、「当日皆様よりいただいた質問への回答集」が送られる予定です。(※当日、ご都合により、視聴できない方にもお送りします。)【日時】2020年11月14日(土)10:00-11:45【申し込み期間】2020年10月10日(土)~11月13日(金)【参加費用】無料ココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催!Upload By 発達ナビニュース栃木県足利市に位置する、ココ・ファーム・ワイナリーは、知的障がいのある人たちが、いきいきと作業する醸造所です。人と自然に寄り添い続けることで、上質なワインを造り出します。そのワインは、2000年、2008年の主要7ヶ国首脳会議でも使用されました。そんなココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催します。ココ・ファーム・ワイナリーの収穫祭は、1984年からはじまり今年37回目。例年と違い、葡萄畑に集まらず、密集・密閉・密接を避け、9月1日から12月31日で開催中です。古澤巖や坂田明COCODAなどスペシャルゲストによる演奏を中心とした“オンライン収穫祭”はパソコンやスマートフォンからご覧いただけます。参加するには、ワインやグラスがセットになった「収穫祭セット」を事前に購入することが必要です。収穫祭セットを購入すると抽選でワインなどが当たるチャンスも!お家で職場で山で浜辺で・・・おひとりでも、ご家族や仲間と一緒にも・・・どこでもいつでもだれでも楽しむことができる「第37回どこでも収穫祭」です。【日時】オンライン収穫祭2020年11月14日(土)12:00~14:00YouTube配信※アーカイブ配信:2020年12月31日(木)まで【参加方法】オンラインサイトで販売されている、A~Eのどこでも収穫祭セットいずれかの購入が必要です。収穫祭セットに含まれる、収穫祭カードからオンライン収穫祭を視聴できます。11月14日(土)の配信日に視聴ご希望の方は、11月3日(火)までにどこでも収穫祭セットをご購入いただく必要があります。「LITALICO発達ナビPLUS」が無料オンライン体験会開催中!Upload By 発達ナビニュースLITALICO発達ナビPLUSでは現在、ご自宅でカンタンにサービスを体験できる、無料オンライン体験会を開催中です。進級・進路の悩み、癇癪(かんしゃく)、他害、コミュニケーションの難しさなど、さまざまな 困りごと に対して「発達ナビPLUSでどうサポートできるのか」を質疑応答が可能なオンラインのサービス体験会で説明しています。体験会はビデオチャットで開催され、参加者の顔出しはありません。スタッフの画面を共有する形でのご紹介となるため、画面操作はスタッフが行います。オンライン体験会参加者さま限定で、オンライン体験会の参加後にお申し込みをされた場合、初期コンテンツ利用料が50%OFFという特典もあります。【所要時間】1時間程度【参加方法】お申し込み後、担当スタッフよりビデオチャットでの参加方法をご案内します【開催日時】▼未就学児・11/1(日) 10:30-11:30・11/3(火・祝) 13:00-14:00・11/4(水) 11:00-12:00・11/8(日) 15:00-16:00・11/10(火) 11:00-12:00・11/14(土) 10:30-11:30・11/19(木) 11:00-12:00▼小学生・11/1(日) 13:00-14:00・11/3(火・祝) 10:30-11:30・11/5(木) 11:00-12:00・11/8(日) 13:00-14:00・11/11(水) 11:00-12:00・11/14(土) 13:00-14:00・11/20(金) 11:00-12:00▼中高生・11/14(土) 15:00-16:00
2020年10月30日長男の物を投げる、蹴るが始まったのは小学1年ごろからでした長男シュウは3歳で自閉症と診断され、なかなか言葉が出ませんでした。そのため言葉で気持ちが伝えられないもどかしさがあるためか、時折火がついたように泣き出していました。これも一種のかんしゃくかもしれません。けれど、6歳を過ぎるとぽつりぽつりと単語が出るように。それは嬉しいことでしたが、しかし、今度は泣くのではなく、かんしゃくを起こして物を投げる行為が増えていきました。Upload By シュウママ理由は全くわかりません。どうしたの?やめなさい!と叱っても聞く耳持ちません。突然キレるシュウに私はどうしたものか…頭を抱えていました。かんしゃくがひどくなった小学2~3年頃、小児精神科医に相談する小学2~3年生くらいになると、言葉数が増えていきました。自分の感情も少し表現することができていたので、かんしゃくを起こした理由もわかるようになりました。たとえば、「テレビない~!」だと「見たいテレビが休止になったんだな」というような感じです。ほかにも、「学校ない~」だと、「学校にいきたくないんだな」ということがわかります。Upload By シュウママしかし、ただ理由がわかったとしても、突然やってくるかんしゃくは防ぎようがありません。たとえば、見たいテレビが休止になったとき、「特番が放送されているから、いつも見ているアニメはお休みだよ」と説明しても効果はありません。かんしゃくを起こしている間は話が耳に入らないのです。こんな状況に、さすがにどう対応してよいのか私も困り果てて、かかりつけの小児精神科に相談に行ったのでした。先生に、シュウのかんしゃくでとても困っていると話すと「それは一番多い相談ですね」とうんうん頷かれました。そして、「衝動を抑えるのは難しいですね。とりあえずかんしゃくが起きることを前提で対処されたらいいかもしれません」とのこと。「シュウくんに投げられても大丈夫なもの、ボールとかプラスチックのものを箱に入れておいて、かんしゃくを起こしそうになったら、それを使うように促すんです。」Upload By シュウママこの話をきいたとき、私は「かんしゃくの根本的な解決は難しいんだな」と思いましたが、先生は「そのうち、自分で怒りを鎮める方法を覚えていくと思います。階段の下にうずくまって落ち着く子、布団をかぶって頭の中の嵐を鎮める子、いろいろなやり方で乗り越えていきますよ」そうおっしゃいました。言葉の発達によりかんしゃくも収まってきたけれど、5年生頃からまたひどくなって先生の教えてくれた投げてもいい箱を置く方法は効果がありました。テレビを叩いたり、スマホを投げられたりするよりは、こちらのストレスもたまりません。ただ、それも長くは続きませんでした。小学5年生くらいになると体も大きくなっていきます。すると、壁をけったりするようになりました。次第に、シュウは箱の中のものを投げても、イライラが解消されなくなっていきました。あるとき、お気に入りの服が洗濯中で別の服を着せたときでした。「服ない!」と言ってシュウが怒りはじめました。なだめようとするとシュウは椅子の上に置いてあるひざ掛けの毛布を取ってきました。えっ?と不思議に思っているとなんと毛布を噛んだのです。Upload By シュウママ見ていると噛みながら一生懸命怒りを我慢してるようでした。それはシュウが唯一自分で習得した心を落ち着かせる方法だったと思います。先生と相談しながら…衝動を抑えるのではなくけれど小学6年の今でも、かんしゃくはまだおさまっていません。毛布を噛んでかっとなった気分を静めようとしてはいますが、やはりこらえきれず壁をけって穴をあけたりしています。学校やデイサービスでは全くそういったことはなく、かんしゃくは家でのみ起こるので、やはり家だと甘えが出ているのかもしれません。現在はエビリファイという気分の高まりや興奮を静める薬を服用していますが沸点まで怒りが簡単に到達してしまうので、まだまだかんしゃくとは長くつきあうことになりそうです。Upload By シュウママ月に1回、先生と話しあいながら、効果的な方法を模索しています。
2020年10月30日当事者研究、仲間たちとの関係についてーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。インタビュー後半では、綾屋さんたちが取り組む「当事者研究」について、また活動を通して出会った仲間たちとの関係について、お話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。当事者研究を続けるのは、新たな仲間に伝えたいから――綾屋さんは、「当事者研究」をテーマに研究者として活動されていますよね。お仕事についてもお聞きしたいです。綾屋:研究職に就いたのは偶然の重なりのようなもので、わたしはいただいた仕事を一生懸命やってきているだけという感覚があります。自分たちの発達障害当事者としての経験をもとに当事者研究をするだけでなく、専門家の研究にマイノリティ当事者の視点を反映させるための研究をするのが、わたしの主な仕事です。どのようにしたらマイノリティの人たちのニーズや感覚からずれずに研究を進められるのかを突き詰めながら、組織づくりを考えたりしています。Upload By 姫野桂綾屋:学術研究のフィールドでも、自分のマイノリティ特性を研究テーマとして掲げる人はまだまだ少ないので、そういった当事者としての視点も活かせる立場での働きが求められていると感じます。例えば、無理なことはしないとか、「こういう場面では無理をしそうになっちゃうな」ということにちゃんと気づいて記録し、そこにある苦労を細かく拾ったり、普通とは異なるオリジナルの方法で同じ目的にたどりつけるかどうかトライしたりして、発表という形で外に出していくとか。こうしてさまざまな人との人間関係や利害関係が広がっていったことで、当事者研究だけでは対処できない新たな苦労が発生し、当事者研究と同時に、「ソーシャル・マジョリティ」の研究も進んだように感じています。――「ソーシャル・マジョリティ」の研究とは、具体的にはどんな内容なのでしょうか?綾屋:発達障害当事者をはじめとする社会的マイノリティの立場から、多数派社会のルールやコミュニケーションを研究するのがソーシャル・マジョリティ研究です。新しく経験する人間関係の苦労は、わからないことの連続でした。以前であれば怖くなって撤退していましたが、当事者研究で培った研究マインドや、そこで出会った仲間の存在のおかげで、そうしたわからないことに研究的に向き合うことができるようになっていました。そして、いろいろな人とのやりとりを観察し、「あの場面ではどんなことが起きていたのか」「こういうときはどこまでなら言ってもいいのか」などを後から教えてもらい、意味付けを介助してもらうことを重ねました。自分がメールの返信を担当しなければいけないときには、失礼がないか一つずつ確認してもらい、さまざまな視点があることを教えてもらいました。そのようにして3年ほどを過ごすうちに、いわゆる定型発達の人が多い社会……わたしは「娑婆(シャバ)」と呼んでいるんですが、その仕組みを頭で理解できるようになり、「怯えていたほど、シャバの仕組みも難しくないかもしれない」と思える程度にはなりました。こうした経験を、多分野の専門家と共に、研究として整理・分析して発表していくのがソーシャル・マジョリティ研究という試みです。――「シャバ」、思わず使いたくなる表現ですね。シャバのルールが自然とわかるわけではなくとも、頭で理解できれば、スムーズになる物事もありそうです。綾屋:そうですね。知識体系があるとわかったことで、重要なポイントをうっかり踏まないように気をつけることができたり、「あのよくわからないルールを使わなければいけなそうだから撤退しよう」と判断できたりと、サバイブには役立ったと思います。Upload By 姫野桂――今の綾屋さんは、自分のことも、自分を取り巻く環境のことも、学生時代に比べれば理解が深まってきているわけですよね。そうなってくると、自分自身の困りごとを起点とする「当事者研究」は一段落ついてもおかしくないように思うのですが、それでも関連活動を続けているのは、何かモチベーションがあるのでしょうか?綾屋:一段落はしましたが、新しい環境や身体の変化に直面するたびに、「今の自分には何が起きているんだろう」という問いが生まれる自分は、あいかわらずなくなりませんでした。現在のわたしは「生きていく態度」として、当事者研究が一生続くのだろうと感じています。また、それとは別に、仲間に伝えていく、という責任も感じています。自分の当事者研究がある程度終わり、生きやすくなってきたときには、これからどうするのだろうとやはり思いました。当時は「自分は一体何者なのだろう」という問いが、終わってしまった感じがして。今後に悩んでいたときに見学参加した薬物依存症からの回復施設のミーティングで、たまたま読んだ文章が、「今まで誰かにしてもらったことをありがたく思っているのなら、新しい次の仲間に返しなさい」といった内容でした。それで、「ああ、そうなんだ」と思ったんですよね。ちょうどその頃、「次はあなたが当事者グループをやる番だよ」と言われていたけれど、わたしはそんなことできないと思っていたんです。でも、そのときに「あ、やらなきゃいけないんだ」と受け入れて。今もその延長線上にいます。わたしは前に出たいタイプでもないし、人づきあいに対する負担も大きくて、当事者グループを続けて10年目になるのに、いまだに「当事者グループの運営なんて、わたしには向いてない!」と、始まる前は緊張して毎回泣きそうになっています(笑)。「みなさんにお世話になったんだし、新しい仲間に返していくんだよな…」という気持ちに動かされ、また、参加してくれる仲間たちに助けられながら、なんとか続けられている感じです。仲間と出会って得られるものがある。ただ、そこはユートピアというわけではない――これまでのお話に、「仲間」という言葉が何度か出てきましたよね。綾屋さんにとって、仲間とはどんな存在ですか?綾屋:ささやかなつながりを感じられたときに泣いてしまうくらいにうれしい存在です。ただ、しょっちゅう仲良く遊びに行くような感じではなく、数ヶ月に一度、ミーティングの中で近況報告を聞くような関係が何年も続くのが、自分にとってちょうどいい距離感の仲間ですね。依存症当事者の人たちの言葉に、「迷惑をかけられたりしても、仲間だから仕方がない」というものがあるのですが、それもすごくしっくりきます。いいことばかりをもたらしてくれるわけではないけれど、大変なときも相手の状態を想像して、受け入れられる人たち。本名も、年齢も、バックグラウンドも全然知らないこともあります。でも、その人の困っていることや考えてきたことなど、内面をわかちあえる関係です。学生時代も含めたシャバでの人間関係というものは、なんだか虚勢を張り合っていて、なかなか自分の弱さは見せられないようだな、という印象を持っています。でも、今の仲間とのつながりは弱さを公開し、自分の恥ずかしくて情けない話からスタートできる。正直すぎるぐらい正直に話しても大丈夫、という基準が共通しているのは、すごく楽ですね。「ああ、人とつながれて、自分ともつながれた」と思えたのは、本当にこの10年ほどのことです。Upload By 姫野桂――近い特性を持つ人同士なら、問題なくつながれることもあるんですよね。わたしも発達障害の当事者ですが、サバイブのためにシャバに対応していく必要性や、それによって楽になる部分があるのを理解しつつも、なぜマイノリティだけがそこに力を割かねばならないのだろうと、やるせなさを感じることがあります。綾屋:それは、本当にそうですよね。わたしはたまたまマイノリティに囲まれた場所を選べているので、職場ぐらいまでなら自分の話も認められるし、恵まれた環境にいる、助かっているなあと思います。でも、わたしの仲間の多くは、それこそシャバで障害者就労等をして、苦労しているわけで。そこにどうやってわたしたちが貢献していけるのかを考えて、今、組織側をマイノリティに合わせて変えていくためのアプローチもし始めたところです。――もし、今後の働き方や生き方に悩む発達障害当事者から相談を受けたら、綾屋さんはどんな話をしますか?綾屋:そうですね……人それぞれですし、難しいですが。先ほど話したような職場環境を変えていくための働きかけには、賛同してくれる企業も少なくはないんです。おそらく、どう対応したらいいか企業側もわかっていないような状況なのだと思います。そんな中で、長期的に考えたときに勧めたいのは、仲間とつながる場を作っていくことです。世代を超えて縦につながることと、若い人同士で横の仲間とつながることの両方が、早めにできたらいいのではないかと思います。――仲間とつながることで、何が起こるのでしょうか?綾屋:当事者研究というやり方にこだわらなくてもいいのですが、自分たちは確かにこうなんだな、ということが、似た身体を持つ人と出会うとわかるようになります。あるあるネタが見つかったり、似た人と集まっても残る違いに気づき、「この部分は障害ではなく、自分のオリジナルなのかな」と思うことがあったり。そういうマイノリティ性に関する共通点や差異は、多数派の中にいては絶対に見つけられないんです。シャバ以外の場所で仲間と出会うことで、「ああ、ここだったら自分の当たり前が、他の人にとっても当然のルールになるじゃん」と感じられることもあります。それが、自分の安心材料になっていくんですよね。例えば、以前、発達障害の当事者が集まっていたとき、準備中にマイクのハウリングが起きたんです。すると、その場にいた人がみんな、耳を塞いだり、しゃがみこんだり、ギャーッと言ったり、大騒ぎになりました。シャバだと多分、「それぐらいで耳を塞ぐの?」と思われるような状況でしたし、わたしも我慢していたかもしれないのですが、そこではわたしも含め、一斉にみんなが耳を塞いだことに何か「文化」のようなものを感じました(笑)。そういう風に仲間同士の空間では、相手と仲がいいか悪いか、相手の性格を好きか嫌いかなどを超えて、身体的な感覚を分かち合い、つながりを感じられるんですね。そんな経験があれば、自分の感じ方に素直に振る舞っても大丈夫な場所が確かにあると思えます。多数派の中だけで過ごしていると、そこのルール以外を知りにくいので、どうしても適応する方向へ動きがちです。でも、仲間と出会えていれば、自分の身体を承認できて、シャバにいるときでもちょっと適応しきらないような、工夫した対応の仕方もできるようになると思うんです。それに、仲間と一緒にいれば、大学選びやきちんと対応してくれる企業に関する情報、生活保護の取り方のルートなど、多数派の間ではなかなか話されないような情報についても、重要情報として交換できるかもしれません。発達障害に関しては、そういったコミュニティが、これからできていくところだと思います。わたしたちの世代では残された時間で達成するのが難しいかもしれないので、そこは若い世代に託したいところですね。Upload 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姫野桂――そのような仲間とのコミュニティを作っていくときに、何か気をつけたほうがいいことはありますか?綾屋:「似たような人たちで集まればユートピアになる」とは限らないのを、認識しておくといいかもしれません。シャバの中では排除されがちな人たちが集まるわけですから、そこで初めて人間関係を結ぶ場合もあるわけですよね。当然、うまくいかないことはたくさん起きます。しかし、そのときようやく、シャバではできなかった、自分たちにとって「わけのわかる」ケンカを初めて経験したり、解決の仕方を学んだりする場にもなりうるわけです。発達障害当事者の集まりでなくとも、そのような人間関係のトラブルは起こりうるものです。上の世代が手助けしたり、気を配れる部分は配ったりして一定の安全を保ちつつも、高校生ぐらいになったら、管理や監視のない空間で、仲間との関係性を味わえるような場所を自分たちで作れるようになったらいいなと思っています。――綾屋さんは、お子さんが2人いらっしゃいますよね。保護者と子の距離感については、どうお考えでしょうか?綾屋:子どもに対する愛情は十分に持ちつつも、手を出し過ぎず、見守るような距離が必要だと思います。親と子では親のほうが当然権力が強かったり、子がマイノリティでも親がマジョリティだったりするので、どんなに親が親切にしようとしても、できることには限界があるんですよね。親が一生懸命、子どもと環境を適応させようと支援することで、本人が学ぶべきことを取り上げてしまい、経験するはずだった苦労を奪ってしまうこともある。一概には言えない、匙加減が難しい話をしていますし、もちろん、マイノリティ性があるかどうかにかかわらず、ひどいいじめに合っている子どもを放っておくのは論外です。ただ、もし親が子どものマイノリティ性に対して「なんとかしてあげなきゃ」と不安に思ったり、熱心に頑張ってしまったりしている場合は、自分と子を切り離して考えて、「子どもが親以外の手を借りて対応していけるようにするためには何をするべきか」を考えることが重要だと思っています。そのときに子どもが頼れる相手として、仲間や、医師・教師・カウンセラーなど親以外の支援者もいますし、介助者を利用する方法もあります。家庭で親がなんでも先回りしてやってあげてしまうと、自分主体で動く力を子どもが養うことはできません。例えば、ある程度、言葉を扱えるお子さんであれば、将来的には本人が主体的に「ご飯作りをお願いできますか」「片付けを手助けしてほしいのですが」と自らのニーズを伝えていけるような関係や距離でやっていけるようになるのが理想かもしれません。周囲の人々の目の厳しさやしがらみ、親としてきちんとやれているのだろうかと不安な気持ちはわかります。わたしも暗中模索で今までやってきました。それでも、仲間とつながるためのサポート等のできることはしながらも、子は子でやっていけるように、親と子を分離していく意識を持っていたいです。(終わり)和やかな語り口で濃厚な話をしてくださった綾屋さん。幼い頃の「自分自身のわからなさ」を、大人になってから時間をかけて受け入れていくまでの、苦労や発見を教えてもらえた気がします。綾屋さんとシャバ(マジョリティ)との関係性も、興味深いものでした。マイノリティの仲間とつながった後には、シャバと交わることで学べるものや新たに知れることもあるかもしれません。Upload By 姫野桂取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月29日3歳、言葉が少し出るようになったころの癇癪。今でも記憶に残っている癇癪…今回は3歳のときのお話をしたいと思います。娘は3歳ごろから、少しずつ言葉が増えていきました。しかし、会話でのコミュニケーションはまだまだ難しく、娘のしたいこと、言いたいことを言葉で探るのは至難の業でした。GWのお出かけのときのこと...3歳のGW中のことです。当時、娘は(髪をとかす)くしのおもちゃがお気に入りで、どこへ行くのにも持ち歩いていました。この日のお出かけ時も、持って家を出た娘。家を出て、最初にガソリンスタンドへ寄り、その後、何軒かお店に行った後、娘が急に泣き出しました。Upload By SAKURA大きな声で、泣き叫ぶ娘。私たちは娘がなぜ泣いているかわからず、困り果ててしまいました。癇癪の原因は…当時、自分がしゃべれる言葉を、精一杯使い、必死に泣き続ける娘。Upload By SAKURAその言葉から、くしのことを思い出し、確認してみると、娘が家を出るときに持っていたはずのくしがありませんでした。私たちは慌てて荷物や車の中を探しましたが、見つかりません。Upload By SAKURA3歳当時の娘は、少し言葉が通じるようにはなっていましたが、「いつまであったの?」「どこで落としたの?」という質問には答えられませんでした。どこで落としたか、見当もつきません。私は「くしは諦めて…」と言いましたが、聞く耳をもたず…。癇癪を起し、ひたすら叫び、泣き続けていました。もうこうなったら手が付けられません。私たちは、寄ったお店に戻ることにしました。Upload By SAKURA店員さんに落し物がなかったか聞いたり、商品棚の隙間を探したりしましたが、まったく見つかりません。そして、家を出てから最初に寄った、ガソリンスタンドへ。ここで私は、出発前にごみを捨てていました。もしかしたら、ごみと一緒に捨ててしまったのかもしれない…周りの視線を浴びながら、ガソリンスタンドのごみ箱の中を必死に探しましたが、見つかりませんでした。諦めるしかない…その時…Upload By SAKURAこれだけ探してなかったのだ…仕方ない……なーんて、当時の娘には理解できるはずもありません。探している最中も、癇癪を起している娘のわめき声と、必死になだめている夫の姿が見えます。Upload By SAKURA見つからなかった…という結末は、避けなければならない…絶対に見つけないといけない!最後の望みをかけ、ガソリンスタンドの店員さんに、くしの落し物がなかったか聞きに行きました。私の切羽詰まった状況が伝わったのか、スタンド内を探してくれた店員さん。そして…Upload By SAKURA店員さんの活躍で、無事くしが見つかり、娘の癇癪をおさめることができたのでした。娘の持ち物は、「持っているか」をこまめにチェック。もちろん、なくして困るものは、持っていかないのが一番いいのですが、「持っていきたい」というのも、娘のこだわり。このころは、置いていくよう説得しても通じず、無理やり取り上げるとさらに癇癪を起してしまいました。私たちにできるのは、娘が外出時持っていくものが、ちゃんとあるかどうかを、こまめに確認することでした。この件があって以降、私たち夫婦は、娘の持ち物に関しては注意するようになり、娘が持ち物から手を離した時は、すかさず自分たちで保管し、こっそり管理するようになりました。Upload By SAKURAそして、持っていったものがなくならず、無事に帰宅した時は、2人でほっと胸をなでおろしていたのでした(笑)Upload By SAKURA続く…
2020年10月28日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。自分の身体や他人との「つながれなさ」を感じていた綾屋さんが、自分を理解し、社会とつながっていくまでのプロセスをお話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。子ども同士の「暗黙のルール」がわからなかった――綾屋さんは、発達障害のある人を中心に当事者研究を行う会「おとえもじて」の発起人で、ご自身も大人になってからASDの診断を受けていますよね。幼少期はどのように過ごされていましたか?綾屋紗月さん(以下、綾屋):3〜4歳の頃、家では、「なんでこんなに自分の思っていることが両親に伝わらないのだろう」「どうしてわたし、いつも泣いているのかな」と感じていました。父に怒られたわたしは悔しくて泣くのですが、後から「あのとき、あなたはこういうつもりだったんだよね」と通訳のように言葉にしてきて。「わかってるんだったら、なんでさっきあんな風に怒ったんだよ」と腹が立って、余計に泣いてしまうようなこともありました(笑)。母はわたしが何を考えているのかが本当にわからなかったようで、「この子も大きくなれば、自分のことを自分で説明できるようになって、生きやすくなるだろう」と思いながら育てていたらしいです。それでもどうにか家庭の中ではやっていけたのですが、幼稚園に入ってからは、子どもたちの間にあるルールや、今何が起きているのかがよくわからなくて。ちょっと怯えながら様子を見ているような状態でした。Upload By 姫野桂――集団の「暗黙のルール」のようなものの難しさを、幼稚園ですでに感じ取っていたんですね。綾屋:他の子たちが遊んでいる輪に、わたしが「入れて」と言ったら「ダメ」と言われるけど、他の子が言うと「いいよ」と言われる。他方で、何も言わなくても自然と一緒に遊び始める子もいて。どうしたらあんな風に加われるのかがわかりませんでした。先生の指示に従うのも難しかったですね。手順が明確でない説明がだらだらと続くと、まず何から始めればいいのか、具体的な行動が把握できないし、そもそも園内では音がすごく反響しているようにわたしには聞こえていたので、聞き取るのがとても難しくて。わからないから質問をすると、「さっき言ったでしょ」「ちゃんと聞いていなさい!」と怒られてしまいました。――ちゃんと聞いていたにもかかわらず、そのように怒られてしまうのはつらいですね……。小学生になって、変化はありましたか?綾屋:小学校に入って過ごす校舎が変わっても、音がワンワンと反響して聞き取りづらいのは続きました。人との関わり方については、成長するにつれてだんだんわかるようになるだろうと予想していたので、ますますわからなくなったのにはちょっと驚きましたね。「もしかすると、いじめだったのかな?」と思うようなこともあったのですが、嫌なことをされたら反撃したりもしていたので、ある意味ではやり過ごせていました。集団のルールのようなものがあるらしいことや、自分がそのルールを理解していないので仲間はずれにされているようだ、ということは感じていましたが、わたし以外にもいろいろな人が順に仲間はずれの対象になるのが見えていたので、そんなに気にすることでもないのかなとも思っていましたね。――綾屋さんはその後、中学受験をして私立の女子校に進学されたんですよね。綾屋:はい、中高大一貫でエスカレーター式の私立女子校に入りました。いじめのようなものをさほど気にしていなかったとはいえ、「自分には友達ができないなぁ」ということを気にしてはいたんですよ。そんなときに、親が「勉強ができる子たちのところに行けば、お友達ができるかもしれないよ」と中学受験の話をしてきたので、そんなものかなあと信じて近くの私立を受験し、進学しました。「自分は一体どうなっているんだろう」という疑問――中学に入って、人との関係に変化はありましたか?綾屋:わからなさは、むしろ増しましたね。小学校の頃とは違い、やり返したら大変なことになりそうだと感じたので、攻撃されないようになるべく無難に動くようにしていましたが、孤立していました。今になって振り返れば、周囲の環境にも原因があったのだと考えることができますが、当時は「人とうまく関われないのは、自分のせいなんじゃないか」と自分を責める気持ちにもなりました。人間関係に向かう以前に、「自分は一体何者なんだろう」というような感覚があったんですよ。ものの見え方や聞こえ方、たくさんの人の中にいるとすぐに具合が悪くなってしまうこと。そういった他の人との「ズレ」に、一つひとつ気づいては驚いていました。自分の身体との付き合い方もわかりませんでしたし……。自分のことも、自分を取り巻く社会のことも混沌としていて意味付けができない。檻の中に閉じ込められているような窮屈で息苦しい感覚でしたね。それは30歳を超えて、仲間とつながるまで続きました。Upload By 姫野桂――学生時代からさまざまな症状があったようですが、「心療内科を受診してみよう」といった話は持ち上がらなかったのですよね?綾屋:親から言われたことはなかったですね。「心療内科」ができたのはわたしが成人してからですし、当時は「発達障害」という言葉もメジャーではありませんでした。そもそも父方の家系には強烈な特性をもつ人がたくさんいて、むしろわたしはマイルドなほうだったんですよ(笑)。だから、親も単に「神経質な子」ぐらいに捉えていて、病院に行くなんて考えつきませんでした。ただ、わたし個人としては、「この原因不明の心身の具合の悪さを抱えて、社会で働くことに耐えられるわけがない」と就職をあきらめていたので、大学を卒業する頃、覚悟を決めて精神科を受診しました。しかし「あなたは大丈夫ですよ」という言葉と、体に合わない大量の薬を処方され、「医者でもわたしの困難を見つけてくれないのだ」と思い、それ以上、医者に期待するのをやめました。ASDという「物語」を通じて、これまでの記憶が整理された――綾屋さんは大人になってから発達障害の診断を受けたとのことですが、そのきっかけを教えてください。綾屋:書店で見かけて手に取った本の中に「自分によく似た体験が載っている!」というものがあって、それがASD当事者の書いた本だったんです。それまでも心理学などの専門書は読んできましたが、そこには当事者の視点から見たことは書かれていませんでした。専門家が使っている言葉が具体的にどんな体験を指し示しているのかピンと来なくて、自分のことを書かれているという意識も持っていませんでした。「コミュニケーション障害と言ったって、別に親との日常会話は成立しているしなぁ」などと思っていたんですよ。でも、その本に書かれている具体的な経験には、自分と重なる部分が多かった。ASDの診断を取ることで人とつながれるようになるのなら、自分にも診断がほしいと思い、31歳のときに医療機関を受診しました。ASDと診断されたときは、特にうれしくはありませんでしたが、少しホッとしたような感じでした。――診断を受けたことで、何か変化はありましたか?綾屋:記憶に時間軸ができました。それまでは、わたしの記憶は瞬間ごとの写真を平面にぶちまけたように散らばっている状態だったんです。それが、自分の中にASDという「物語」を得たことによって、「ああ、幼稚園のときはこういう理由で大変だったんだ」という風に意味付けができるようになりました。ばらばらだった記憶が一直線に並び、今の自分にしゅーんとたどり着いていくような感覚でした。そのときに過去から現在へ続く「時間」というものがわたしの中にできたのだなと思っています。とはいえ、学生時代に同級生にされたことなど、まだ自分の中で疑問が残っていて意味付けができていないものは、今でも整理されておらず、時々バーンと写真のように頭に浮かぶことはあります。――一部ではあるものの、幼少期からの「わからなさ」が、少し解消されたのでしょうか。周囲には、診断について話されましたか?綾屋:親や当時の夫、つながりの残っていた高校・大学時代の同級生には言いました。親は「それで何が変わるの?」という感じで、ピンと来ていませんでしたね。夫はその後離れていきましたが、今から振り返れば、そもそもお互いにいろいろなことを共有できていなかったんだなと思います。親戚には親から話が伝わり、わたしの研究活動も知っているので、困りごとを抱えている子どもたちの相談を受けることはありました。いとことは「わたしたちの特性って、ただの家系だよね」「『ちょっと変わった子』ぐらいだったのに、社会的にマッチしてないことになっちゃったね」みたいな感じで話しますね。Upload By 姫野桂――現在も、感覚過敏の症状はあるのですよね。何か対策されていることはありますか?綾屋:人がいるところに行きたくても、無理だなと思ったら早めに引き返すとか、耳栓をするとか。具合が悪くなってきたら、とりあえずその場で15分ぐらい寝て、帰宅するだけの力を回復させる、などはしています。あともう一歩行きたいというときに、自分のキャパシティを踏まえて「いやいや」と撤退することが増えましたね。「実際はそんなにいいものじゃないよ」と言われても、ワイワイ楽しんでいるところを見ると惹かれるんですよ。先日も学生街の駅付近で盛り上がっている人たちを見かけて、面白そうにしているなあと近くに寄ってみたら、思ったよりもドロドロした感じであまり楽しくなさそうで。「遠くから見ると楽しそうでも、近くではこんな感じなのかあ」となんだかしょんぼりして帰ったり(笑)。わたしは「セクシャルよりソーシャルが好物です」と表現しているのですが、触れるだけで痛い感覚過敏の特性も影響しているのか、恋愛などのセクシャルな関係への欲望よりも人の輪に入っていくというソーシャルなことへの欲望が強いんです。今は、適度な社会的なつながりを仕事を通じて得られているので、それがすごく幸せですね。(後編に続く)「自分は一体何者なんだろう」と、ずっと違和感や疑問を抱いて生きてきたという綾屋さん。自分の経験に意味付けをし、記憶を整理することができたのは、同じASD当事者の物語との出会いがきっかけでした。インタビュー後編では、綾屋さんが取り組む「当事者研究」について、そして、研究を続ける中で出会った仲間たちとのつながりについてお話しいただきます。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月28日ゲームの話が楽しすぎて…Upload By 丸山さとこコウは時々嘘をついたり誤魔化したりすることがあるのですが、詰めが甘くバレることも多いです。というのも、コウがつく嘘は大抵が”その場しのぎ”のもので、計画性や「相手を信じ込ませるためのストーリー作り」というものがちっとも練られていない嘘ばかりなのです。(私が気付いていないだけで、バレていない嘘もたくさんあるのだろうなと思います。)ゲーム管理アプリを使っていることはコウも承知しているので、少し考えれば「やってないよ?」がバレることなど明らかなのですが、コウはそこまで考えることなく”今、都合の良い答え”をつるっと口から出しているようです。Upload By 丸山さとこそのため、”自分が知っていない筈のこと”や”相手に知られていない筈のこと”を調整することができず、「楽しくおしゃべりをしようとしていたら嘘の自白になっていた!」ということもしばしばです。”他者視点”や”他者の信念”を理解しつつ衝動性をコントロールしなくては上手な嘘はつけないのだと考えると、「バレないように嘘をつく」という行為は結構高度な行いなのだなぁと思ったりします。コウも、「嘘をつくと、ろくなことにならないな…」ということ自体はよく分かっています。わが家は宿題をしていなくても「今からやりなさい」と言われるだけですし、ゲームも宿題や片づけが終わっていればOKです。Upload By 丸山さとこ「嘘をつかないと酷く叱られたり、やりたいことをやれなかったりする」という状況でもない上に、「嘘をつくと後々損をする」のですが、それでも『誘惑には勝てない』と言います。「誘惑に勝てないのなら仕組みや人の力を借りた方が良いのでは?」と提案した結果、「お母さん(お父さん)、預かってください」と預かりをお願いするという形になりました。子どもの世界を知るきっかけに年齢が大きくなればなるほど親の声は届きにくくなりますし、トラブルの規模も大きくなりがちです。ゲームをすることで「目先の都合が良い安易な嘘をつくコウ」が今の内に露わになったのは、良いことだなと思います。Upload By 丸山さとことはいえ、今後親の側がどう対策しようが、コウの方が友人やネットなどから「すり抜ける方法」を学んでいくのだろうなと思います。長い間続くであろうイタチごっこに対し、親の側が早めに覚悟を決めておく時期なのかもしれません。そうして「親の世界」と「子どもの世界」がどんどん離れていくであろう思春期に入りかけの今、ゲームという話題を通じてフラットに話せる時間があるのは、ありがたいことなのかもしれないな…と思うこの頃です。自分が夢中なゲームや教室で流行っている動画などについてイキイキと話すコウを見ていると、「現役小学生の今」が少しだけ垣間見えるようで面白いなと感じます。Upload By 丸山さとこ『令和の現代っ子だな~』と感じる話しぶりの中に時々現れる「ん?今またそれが流行ってるの?」という古いワードに謎を感じながら、今日も子どもとゲーム談義に花を咲かせる一家です。
2020年10月26日3歳息子のかんしゃく、長いときには1日続くことも自閉症と中度知的障害のある3歳の息子は、眠いのに上手く寝付けない時や、寝起き、遊びが思い通りにいかなかったとき(うまく並べられない)突然起こる嫌なことを避けられなかったとき(聞きたくない音を聞いた)いつもと違う状況(旅行や行事)体調が悪かったり、怪我をしていたり、気圧や気候、温度や湿度が少し変わったとき…上記のような理由で癇癪を起こし、1〜2時間、長い時は3〜4時間、もっと長い時は一日中、怒って泣いていることがあります。息子は発語もなく、意思の疎通も全くできないので、その時々で「きっとあれが嫌だったんだろう」など理由を推測してみるものの、真相は一切わかりません。Upload By かさはらあやこだんだん余裕がなくなり、私までイライラすると...息子の癇癪が始まると、最初こそ理由を考える余裕があるものの、激しい泣き声と甲高い奇声が混じり、暴れてのたうちまわり、妹に対して攻撃的になったり…自らを噛んで傷付けたりすることもあります。耳の奥に響く声で、気が滅入るほど泣き続けるので、だんだんと耐えられなくなり、私までイライラしてきます。でも、イライラして感情的に叱ってしまうのは火に油を注ぐも同然。母親である私がイライラすると、癇癪はおさまるどころか、イライラのエネルギーは他の家族にも伝染していきます。兄と妹のダブル泣きが発動して生き地獄状態に陥ったり、私が夫に当たってしまい夫婦仲が悪くなったり、何もいいことがありません。癇癪にスマートに対応するには、母親であるわたしの精神状態がとても重要になってきます。イライラしないことが一番の解決策!Upload By かさはらあやこかんしゃくが起きたら...「スルーすること」も対応の1つ!?とりあえず、イライラする前の段階で、体調が悪くないか、熱や怪我の有無などを確認します。これといった原因が無いのであれば、療育の先生が教えてくれた〝なにか違う刺激を与える〟ことを試します。水を飲ませてみたり氷のカケラを口に入れてみたりタオルでくるんでみたりだきしめてみたりトントンしてみたり…←拒絶されるできることをやった後、それでも泣き止まない場合は、布団やクッションなどを床に配置し安全を確保して、スルーします。スルー力、大事。Upload By かさはらあやこUpload By かさはらあやこアイテムだってフル活用!療育の先生に聞いたポイントは奇声や泣き声があまりにも激しく妹が眠れない時や、週の後半で私も疲れが溜まっていて、スルーにも耐えられないと感じたら、イライラが爆発する前に、息子の気持ちを落ち着けるアイテムに頼るようにしています。我が家の場合、現在は視覚が一番効果的なので好きな映像を観せたり、または歌を聴かせたりして落ち着かせます。あまり観せるのはよくないって専門家が言っている?そんなことを気にしていたら、こちらがやられてしまいます。長引かせてお互いに疲弊するほうが良くない!療育の先生曰く、ここで大事なのは、子どもにコントロールされないことなのだそうです。以前は決まった時間に映像を観せることをルーティン化したり、アイテムに頼りすぎていたりしたために、それが原因で癇癪になってしまうことがたびたびありました。今は映像を観て気持ちの切り替えができたら、さりげなくOFFにするようにしています。また、「癇癪を起こせば好きな映像を観せてもらえる」とインプットしてしまわぬよう、癇癪が起こった時だけ観せるのではなく、ごはんをたくさん食べられた日や幼稚園を頑張ったあとなど、楽しい気分の時も観せる時間をとるようにしています。Upload By かさはらあやここのコラムを執筆するにあたり、過去の癇癪を振り返り、写真や動画で確認したところ、2〜3歳までの癇癪がそれはもう凄まじく、毎日のように癇癪と夜驚が起こっていました。今、大変なお母さんたち!決して一人で頑張らないでください。つらかったら、周囲に相談し、愚痴ってください。そしてアイテムを上手く使い、子どもにコントロールされることなく、このつらい癇癪を乗り越えましょう!!
2020年10月26日子育ても四半世紀、学校や世の中で変化したことは?Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ「発達障害」という言葉は、四半世紀子育てをしている私にとって「まだ新しいもの」という感覚があります。第一子の長男が小学校に入学したころは、「座れない・人の話が聞けない」と、授業を妨害している児童とみなされ、厄介者というようなレッテルを貼られる場面が多くありました。そのため、幼稚園や家庭でどんなしつけをしてきたのかを問われ、親が呼び出されることも珍しくなかったと思います。Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ発達障害という言葉は知られるようになったけれど…あれから学校でも、社会全体でも「発達障害」という言葉が知られるようになりました。ですが、発達障害の当事者や家族は楽になったか…というと、本当にそうだろうか?まだまだ理解も配慮も足りていないのではないだろうか…と考えてしまいます。それはこの先も、社会とともに、試行錯誤することになるのでしょうね。
2020年10月21日コロナ禍で身のまわりにも少しずつ"オンライン化"の流れが以前コラムでコロナ禍でのインターネットの有効活用について書きましたが、さまざまな団体、自治体、学校などでのインターネットを活用した取り組みは着実に広まってきていると感じます。実際、わが子が通う学校で今年度からウェブベルマークが採用され、また文化発表会の様子の動画配信なども決まりました。日中時間が取れない保護者には嬉しい限りです。好みの講演をチョイス☆多くの親御さんがそうであるように私も障害のある子の親として、わが子の障害についてもっと理解したい、役に立つ情報を手に入れたいとずっと思っていました。でも、下の子が小さかったり場所が遠かったり時間が取れなかったりして、専門家による講演を聴きに行く機会はどうしても限られてしまっていました。それが、コロナ禍でさまざまな催しがオンライン化される中で、講演会もオンラインで開催されるものが出てきているのです。もちろんその中には、発達障害に関するテーマのものもありました。7月頃、私はいくつかのウェブ講演会の申し込みをしました。ウェブ講演会にはさまざまな種類があります。・有料or無料・リアルタイム配信or録画配信・参加に顔出しが必要なものetc...私は「無料」で「こちらの顔出しが不要」の講演会をチョイスしました。初めて“面白い”と思った講演会初めて参加したウェブ講演会はH医師の講演でした。勉強になったり、感動したり、元気をもらったりした講演会は過去にいくつもありましたが、「面白い!」と感じたのはこの講演が初めてでした。娘にも聞かせたい内容だったので、私はそばにいた娘も呼んで一緒に視聴することにしました。Upload By 荒木まち子※私達親子は「ソーシャルスキル」とは「本人が身に付けておくべき生活スキルや社会性」だと思っていました。Upload By 荒木まち子※H医師は、個性的な人たちや発達に偏りや遅れのある人たちとその家族や支援者の仲間づくり、活動拠点づくり、ネットワークづくりを支援する団体の代表理事もされています。18才以降、放課後デイサービスが使えなくなった障害者児・者の居場所が不足している現状のなか、私達親子もその必要性を切実に感じています。専門家のお話を自宅で娘と一緒に聞いて、その内容について感想を言い合う。発達障害のこと、これまでのことから現在、そして今後の生活のことまで、改めて一緒に考えられる機会にもなり、親子でとても有意義な時間を過ごせた気がします。私が聴いた講演会は、その後YouTubeにも動画が上がっていました。繰り返し視聴できるのもとてもありがたいなと思います。令和2年度発達障害者支援事業「ぽぽむ」講演会「改めて『発達障がい』とは何か考える」あらためて先生の著書を読むことに視聴後、私は早速H医師の著書を読みました。Upload By 荒木まち子H医師のことは今から10年ほど前、娘が中学生のころから知っていて、何冊か著書を読んだことがありました。でも当時、私はいじめや進路など目の間の娘の困りごとの対応に必死で、正直、本に書いてあることはそれほど心に刺さりませんでした。H医師のお話はもしかしたらお子さんがまだ小さい保護者の方にはきついと感じることがあるかもしれません。しかしながら、娘の二次障害や休職を経験した今、私はH医師の言っていることに「全くその通り!!」と強く共感しています。その後も私は、H医師のウェブ講演会は自治体や親の会、NHKが主催したものなどを、何回か視聴しました。他にも興味のある講演会がたくさん9月後半にはY医師のリモート講演会も視聴しました。こちらは医療との付き合い方をテーマにした内容で、娘には見せないほうが良さそうな内容だったので私一人で見ました。H医師の講演と同様に、自分が今まで娘にしてきたことはここが間違っていたのかも!と気付くお話少なからずありました。今後の娘に対する対応に活かせる支援方法や内容や投薬についてのお話もあり、とても有意義な内容でした。10月以降は『親なきあと』のセミナーや『きょうだい児』のウェブ会議も視聴する予定です。オンラインセミナーの注意点は?セミナーの種類によっては生配信のものもあるので、視聴時にネットの接続が悪くなると見ることができなくなってしまいます。また、資料はスマホの画像などでは見づらいことがあるかもしれないので、事前にプリントアウトしておくことをおすすめします。期間が過ぎてしまうと資料のダウンロードができなくなる場合があるので要注意です。(私は一度これで失敗しています。)数時間、誰にも邪魔されず動画を視聴することが難しかったり、聞き取れなかった箇所をもう一度見直したいという時には、開催日以降に配信される録画動画が便利です。(そういった配信がない講演会の場合は頑張ってメモを取るしかありません。)メリットいっぱい!会場に出向いてリアルで講演を聴いた方が、講師の方のお人柄もよくわかり、何倍も楽しいはずです。講師の方もリモートだと視聴者の反応が解りづらかったり、また、全国配信ともなるとオブラートに包んだ言葉遣いになるかと思います。コロナが終息した折には、リアル講演会に足を運んでみようと思っています。それでも、遠慮することなく質問やチャットができたり(私は講演会などでは恥ずかしくて絶対手を上げないタイプ)、移動にかかる費用や時間の負担がなく日本全国の講演を視聴できたりするのは、やはり大きな魅力です。他にも、人が大勢いる場に長時間いることが苦手な方や、大きな音が苦手、会場の明るさや暗さが苦手な方も、自宅からであれば聴講しやすいかもしれません。オンラインの活用にはまだまだ可能性があると思います。新型コロナウイルスによる新しい生活様式に合わせて進化した『情報収集』や『学習』のスタイルに、私も積極的に取り組んでいこうと思っています。
2020年10月20日ドッジボールを断ってケンカに。帰宅後に始まるグチ大会...Upload By かなしろにゃんこ。発達障害がある息子リュウ太は、小学校で周りの子たちとうまく交流ができませんでした。休み時間にドッジボールに誘われても断ってしまいます。断ると、「人数が足りないのに協力してくれない」と周囲の子から言われてケンカになったりして、余計にみんなと遊びたくなくなるそうで...午前中のケンカのイライラが帰宅後も尾を引いてしまい、「アイツあんなこと言いやがって!そっちが悪いクセに!ブツブツ...」と30分から長いときは2時間続くグチ大会でした。この子のグチ、長すぎ!短くするにはどうしたら?Upload By かなしろにゃんこ。3年生から6年生までは、ほぼ毎日学校であったイヤな気持ちを家に持ち帰っていました。私はそんなリュウ太のグチを、仕事や家事に手を動かしながら聞いていたのですが、ある日、この子のグチは長すぎるな~?どうやったら短くなるんだろう?と考えました。思い出したのは、お兄ちゃんが悩んでいたときのことそこで昔あったあるできごとを思い出しました。夫の連れ子のお兄ちゃん(リュウ太の異母兄弟・5歳年上)が5年生のとき、お稽古事がやりたくなくて悩んでいたときのことです。お兄ちゃんと一緒に喫茶店に行ってじっくり話を聞いたことがあるのですが、私はそのときにお兄ちゃんの悩み事を聞きながらメモを取っていきました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。子どもは悩んでいることを自分でうまく説明できませんから「うん、うん、それでどうしてそう感じたの?」「それはどういうときにイヤなの?」と質問し、メモに書いて整理しながら話を聞いたところ、お兄ちゃんは話しながら泣きはじめたのです。でも泣いて話をしたらスッキリしたみたいで、その後は明るく元気になりました。たまっていた心の泥が流れ出た感じでしょうか。私も1時間じっくり聞いたことで、子どもの苦手なことや特性も見えてきたんです。そのときのことを思い出して「そうだ!リュウ太にも同じことをやってみよう!」と思いました。メモを片手にインタビュー!見えてきたリュウ太の気持ちは...Upload By かなしろにゃんこ。メモを取りながらリュウ太だけを見て「うん、うん、それでどうなったの?」と話を聞きました。時系列で話すことや人間関係などを説明することができないので、私がインタビュアーになりきり、質問をしていきます。リュウ太も私がメモを取って聞くことで、普段のグチから少しだけまともに説明するようになりました。きっと真剣に聞いている私の姿を見ながら話すことで、聞いてもらうことって気持ちがいい!と目覚めたのかもしれません。そして、いつものグチでは分からなかった、周りの子とケンカしてしまう理由やリュウ太の特性も見えてきました。Upload By かなしろにゃんこ。ドッジボールをやりたくない理由は、①輪の中心にいる子たちが自分たちに有利になるようにルールを変更してしまうからつまらない。②新しいルールがすぐに理解できないし、人が勝手に決めたルールに従うことがイヤだ。③ボールを狙った場所に投げることができなくてバカにされてイヤだ。④逃げることも苦手だからみんなから攻撃の的にされることがイヤだ。➄教室で絵を描いていたいときに誘われるから断っている。⑥断ると文句を言われるから仲良くしたくない。などと、いくつかあることがわかりました。学校であったことは詳しく聞いてみないとわからないものだなと思いました。普段のグチだと「アイツムカつく」などと文句しか言わないので、原因が見えてこなくてわけが分からなかったのです。私はリュウ太に、校庭で元気にみんなとドッジボールしてほしいと思っていましたが、それはリュウ太にとってハッピーなことではないと分かりました。Upload By かなしろにゃんこ。フェアな遊び方ができていない場所にムリに入っていかなくてもいいと思ったのです。それに休み時間の過ごし方は自由なんだから、絵を描いて過ごしたいならそれでもいいですよね。私はリュウ太に、断ることもあっていいことを伝えて、ケンカにならない断り方も説明しました。それでもしばらくはケンカになっていたようですが…やれやれ。それからはグチが長くなる案件については、片手にメモで『お母さん記者』になりきって、悩みを聞くことにしました。子どもの話をだまってじっくり聞いてあげることって、心のケアになるのかもしれないと思いました。胸にたまったものを吐き出したら少しは生きやすくなるかな?とも思います。
2020年10月20日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト