「発達障害」について知りたいことや今話題の「発達障害」についての記事をチェック! (47/98)
お嬢様向けの進学校を受験小学校は地元の公立に通っていた私。成績が良く、家が裕福なために嫉妬を買うだけでなく、運動が苦手だったり、言動が突飛だったりする…… 良くも悪くも目立つため、周囲とまったくなじめませんでした。児童からはいじめを、教師からは虐待を受けるうち、高学年になる頃には二次障害を発症していました。周囲が中学の進学をどうするかと考え始めた頃。しつこいいじめを受け、特性上体力的にもきつい中で毎日登校するだけで精一杯だったのもあってボーッとしていて、私はなんとなく「自分も地元の中学に行くんだろうな」と思っていました。そんなあるとき、地元の公立中学に通う兄が、涙ながらに両親に直訴します。「義子を私立に入れてやってくれ!」地元の公立中学は荒れていて、ひどいいじめも横行している。義子がそんなところに行けばいじめ殺されるか、いじめを苦に自殺するかのどちらかだ、と兄は言うのです。いじめの内容とはたとえば、女子生徒の長いスカートを全部めくり上げて裾を頭の上で結ぶというもの。当然下着は丸見えで、一人で体勢を立て直すこともままなりません。このいじめは、頭の上で結ばれたスカートが巾着袋を絞ったように見えるため「きんちゃく」と呼ばれていたそうです。「義子を私立に入れてやってくれ」 …公立中学生だった兄が、両親に涙の直訴兄の涙ながらの訴えに両親は深刻な表情になり、「それでは義子に合いそうなお嬢様向けの進学校を探そう」ということになりました。私は子ども向けのスーツを着せられ、母に連れられていくつもの学校を見学してまわりました。両親も兄もみな自分のために動いてくれていたのに、当時の私は自分の障害に自覚もありませんし、どこか他人事のように感じていました。「みんながそう言うなら、まあ私は私立に行くのだろうな。疲れるなあ、面倒くさいなあ」ぐらいの感じでした……。結局私の進路は、推薦で中高一貫のお嬢様向け進学校に決まりました。塾には作文対策などのために半年ほど通っただけです。内申もペーパーテストも良かったため、おそらくかなりの好成績での入学でした。当時感じた、「似た属性の人たち」で集まることの大事さ私は徐々に、「似た属性の人たちで集まることって大事なんだなあ」と感じるようになりました。みなある程度以上裕福な家の子なので、私の家が多少裕福だからといって目立つことも妬まれることもありません。最終的に東大などの最難関大学を目指す子が集まっているその進学校では、勉強ができることがいわゆるスクールカーストを上げます。私はここに移ったことで、本人は変わっていないのにスクールカーストが最下位から最上位に上がったのです。基本的にみんなどちらかというと運動が不得意だし、運動ができることがスクールカースト上重視されないので、体育でバカにされることもありません。小学校のときのように休み時間に運動を強制されることもなく、本を読んでいればむしろ熱心で立派だとされました。コミュニケーション障害からくる言動の突飛さから、気づくと数人のグループから敬遠されていたり(私抜きでこっそり休みの日に遊びに行っていたりする)、数人のグループから軽くコソコソと噂話されるようなことはありましたが、いじめと言えるほどのことは起きませんでした。それどころか、何やら様子がおかしいと思っていると、「宇樹を複数の子で奪い合いをしていた」ということも起きました。近くで見ていた子によると、「宇樹は成績がいいだけじゃなくて何事にも一家言持ってるし、独特なところがあって面白いから、近くで見ていたいんでしょ」とのことでした。いずれにしろみな上品で、誰かに嫉妬したり誰かの足を引っ張ったりということよりも自分のやるべきことに集中しようというタイプだったので、学校全体としてあまり深刻な人間関係トラブルは起きませんでした。初めて経験する、「呼吸がしやすい」世界小学部から高等部まであるその学校。入学式のときに小学部の子たちがみんなきっちりとした立ち居振る舞いで式典をこなしていたことに両親は心底驚き、希望に包まれたそうです。ボーッとしていた私も、入ってすぐに、何やら空気が違うことに気づきました。みんなおっとりと、かつきちんとしている。「呼吸がしやすい」感じがしました。「みんなレベルが高いから、そのうち少しぐらい成績が落ちるだろう」と言われていた私でしたが、定期試験では学年上位を取りつづけました。いじめられるかもとビクビクしていると、周囲の子たちがまっすぐに「すごい!」と尊敬の眼差しで見るので、狐につままれたような気持ちになりました。「この3位の宇樹義子って私の友達なんだよ!」他のクラスの子に自慢する子。「いつも上位とってる宇樹義子ってどの子?」と他のクラスから見にくる子。「ここでは、『勉強ができることはいいこと』なのだな」と気づきました。ああ、幸せだなあ、と思いました。片道2時間近くの通学は体力的につらかったけれど、確かに私立に来てよかったと思ったのです。のちに、自分が恵まれていたことを知るボーッとしたまま中高の良い環境を享受しただいぶ後になって、私は自分がとても恵まれていたことに気づきます。20代後半で学習塾講師のアルバイトをしたとき、公立の中高では自分が中学高校の頃にしてきてもらったような指導をしてくれていないことを知りました。国語の分野でいえば、私は中高で、評論文用語集の暗記、百人一首や文学史年表の暗記などを授業に組み込んでやらされていました。それが当時はすごく嫌でしたが、私が出会った公立の学校に通う子は、そういう副教材や試験対策が世の中に存在すること自体も知らなかったのです。私は、進学校の成績優秀な生徒として、「東大京大・早慶上智のどこに入るか」みたいな価値観を当たり前としていました。そして、過労で倒れたりしながら必死に受験勉強に打ち込んで、難関私大に進学…… そうした生き方が、私の少女時代の過ごし方の唯一最善の答えだったとは、今は思いません。詳細は過去記事に書いています。ただ、中高の時期に一度は「楽に呼吸できる」環境に属させてもらえたことで、私は文字通り生き延びられたとは思っています。教養的な面でも大きなアドバンテージをもらいました。あのままうっかり公立中学に行き、自分に合わない環境を強いられていたとしたら、私は兄の言うとおりに死んでいたかもしれません。兄とはその後関係性がとても悪くなってしまいましたが、私を私立に進学させるよう両親に進言してくれた点について、私は兄に深く感謝をしています。当時、妹の将来のために思いつめて泣いたほどの彼が、長男として、また(当時発覚していなかったものの)発達障害児のきょうだい児として背負っていたものの大きさ、そのことにまったく思いが至らず他人事のように思っていた自分のことを思うと、今更ながら申し訳なくて胸が苦しくなります。本人の「楽」と「利」だけを考えてこれを読んでくださっている方は、お子さんに診断が出ているとか、ご自身が子どもの立場かといったあたりだと思います。中学への進学を考える時点で発達障害がわかっているというのは、私の世代から見れば大きなアドバンテージです。世の中にはいろいろな意見があります。「社会の多様性を学ばせるために学校は公立に行かせるべき」「男女が混じっているのが自然な社会の状態なんだから共学に行かせるべき」という意見もある。いっぽう、「いまだ男性優位に作られている世の中では、教育を受ける間だけでもジェンダーロールに邪魔されない環境で生きるため、女の子は女子校に行ったほうがいい」「個性の強い子には、その子の個性を伸ばすために個性の強い私立に行ったほうがいい」という意見もある。また、最近知ったところによると、関東の大都市圏での公立・私立のイメージと、地方での公立・私立のイメージは逆だったりもするようです。私にはたまたま、関東圏の私立中高一貫女子校が合っていましたが、どういった学校が合うかはその子によって本当にさまざまです。私はASDだったのもあって、こうした規律が厳しくて「勉強=善!」みたいな環境が楽に感じましたが、ADHD特性の強い子や、LDがあって苦手教科の多い子にはそうとうに窮屈だったろうなとも思います。今はフリースクールなどの選択肢も増えてきています。保護者の方々にはぜひ、世間の常識にも、私の体験談にも左右されることなく、本人にとってもっとも楽で利になる環境のために、情報を集めていってほしいと私は願っています。
2020年10月16日娘が発した「発達障害だから無理」の一言に、怒りがこみ上げて...前回の続きです。広汎性発達障害の娘が、言った「発達障害だから無理」という言葉。ここまで、難しいことも、やり方を変えながら娘と一緒に頑張ってきた私にとって、この言葉は使ってほしくない言葉でした。私はこの言葉に対して、つい感情的に「言い訳にして、最初から諦めたら駄目だよ!」と言ってしまいました。冷静になってから、言葉を言い換えて、「いろんなことが時間をかけて、できるようになったんだよ。だから最初から諦めないでほしい。」という説明をしました。諦めてほしくはないけれど、追い込みたくもない。私は、娘がこれから先、「発達障害だから諦める」という考え方をしてほしくないと思っていました。Upload By SAKURAしかし、娘にとってそんな私の思いは重荷になるかもしれない…私は娘の逃げ場を奪う言葉をかけてしまったのではないか…Upload By SAKURAそう思うと、私は娘にどういう言葉をかけることが正解だったのか、自分の思いもあわせて、わからなくなっていきました。娘の気持ちは・・・?気になるけれど・・・その後、娘は「発達障害だから無理」とは一切言わなくなりましたが、もしかしたら、言わないように我慢しているのではないか…とだんだんと心配になっていきました。Upload By SAKURA言ってほしくないといったのは自分なのに、言わなくなった娘の心境が気になり、矛盾した感情が渦巻いていました。娘の変化。そんなやり取りから1週間ほど経った、ある日のこと。テレビで『発達障害』の文字を見つけた娘は…Upload By SAKURAその人がどんな特性があるのかを気にしたり、自分との違いを見つけたりしました。その目は、真剣でした。娘にどのような心境の変化があったのかはわかりませんが、私は、娘の中で『発達障害』の捉え方が少し変わったように感じました。もしかして、私がモヤモヤ考え悩んでいるうちに、娘は自分の中でどんどん変化していっているのかもしれないと思い、しばらく見守ることにしました。予想してなかった自己肯定。それから数か月経った、ある日のこと…Upload By SAKURA娘は発達障害がある自分のことを、自己肯定をしたのです。私は嬉しくなりました。自分のことを「すごい子」だと言える娘のことを誇りに思いました。それから私は、いつも思っていることを言いました。Upload By SAKURAそう言った、娘の表情は、輝いて見えました。常に寄り添っていく。発達障害告知前は、どう言ったらいいかを悩み…告知後は、どう捉えていくかを心配…きっと、ひと段落着いたように思っている今も、次の何かが起きる過程の期間なのでしょう。Upload By SAKURA告知したから終わりではなく、これから先、娘が自分を肯定し続けられるよう、私たちは寄り添っていかなければならないと感じました。
2020年10月14日今までのゲームに対する価値観が変わるかもしれない、全く新しい「ゲームの習い事」をご存知ですか?「ゲームで遊んでいる時くらいに夢中で勉強してくれたらいいのに…」そんな風に思われたことがある方に、ぜひご紹介したい習い事があります。勉強に集中することは苦手だけど、ゲームだったら時間を忘れて夢中で続けられる。それだったらゲームで遊ぶ時間自体を、学びの時間に変えることができたなら、家にいながら自分らしく学びを深めていけるはず。その想いで、ゲームが本来持ち合わせている「学びの可能性」を最大限引き出そうとしているのが、日本初のゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』。プロゲーマーになるためのトレーニングではなく、ゲームを通じて脳を鍛えたり、コミュニケーション力を高める教育プログラムです。今人気のゲームをそのまま活用して、その中でプロのコーチが学びを掘り下げてくれます。Upload By 発達ナビ編集部eスポーツの注目度がかつて無いほどに高まるなど、ゲームの可能性への期待感が高まる中で、もしかするとまだゲームに対する抵抗感を持たれている方もいるかもしれません。ただ元々、ゲームはそれ自体に学びの要素を内包していて、例えば目標を自分で定め課題を解決していく問題解決力だったり、現実では難しいスケールのものをつくる創造力、クリアした時の達成感が生む自信など、様々な力を自然に育むことが出来ます。『ゲムトレ』によると、実際にゲームを通じて集中力や情報処理能力など、脳の力が高まるという研究結果もあると言います。Upload By 発達ナビ編集部一方で、一人の世界でゲームをしていると学びが顕在化されにくく、おうちの方としても何をしているか分からずに心配になることもあるはず。だからこそ『ゲムトレ』では、トレーナーがお子さんのゲームでの学びを引き出し、また他の子どもたちと一緒に学ぶことを誘導していきます。Upload By 発達ナビ編集部そんな『ゲムトレ』だからこそ、発達障害や不登校のお子さんが受講し、それぞれの個性を現在進行形で伸ばしています。そこで本日は、ADHDとASDの傾向があり、不登校の小学6年生のお子さんを持つおうちの方の体験談を通して、『ゲムトレ』のどんな部分がお子さんの成長に寄り添っているのか見ていきます。そこには、発達ナビユーザーの中で同じような状況にある方にとって、一筋の光となるような成長ストーリーがありました。不登校になった彼にとって、『ゲムトレ』が心の拠り所となっています「不登校になった時にずっと家でゲームばかりしていて。そんな息子を肯定してあげたい自分がいたんですよね」Fさんの息子さんは、小学5年生になる頃から学校に行くことが辛くなってしまい、不登校になりました。学校に行きたい気持ちはありながらも授業での字の読み書きが難しくなってしまい、他の子どもたちと同じように出来ないことが辛くて、外に出ることが怖くなってしまいます。苦しい状況の中で自信も失って、「間違っていると思うんだけど…」が口癖となり、否定されて傷つくことを恐れて人との関わりも避けるように。大好きだったサッカーの習い事も、通えなくなりました。そんな時に、外に出られない彼の心の安定剤になっていたのが、ゲームだったと言います。「ゲームの時間を、この子の先に何かが見えてくる形に変えてあげたかったんです」他の習い事は受けるのも難しい中で、小学5年生の終わりから『ゲムトレ』を始めることに。試しに体験会に申し込んでみると、授業を終えた彼は興奮気味に「すっごい面白かった!」と話してくれたそうです。そして始めた『ゲムトレ』は、彼の世界の中の大きな場所を占めるようになりました。Upload By 発達ナビ編集部「お兄さんみたいな存在の先生と、ゲームで打ち解けられる友達の存在が、彼の世界を広げてくれています」週1回のペースで、現在は大人気ゲーム『マイクラ』と『フォートナイト』のトレーニングを受けています。基本的にゲーム毎に同じ先生が教えてくれて、最大3人の生徒で参加します。授業時には同じリビングにいるようにしていますが、基本は一人で楽しく受けているそうです。ライン通話を繋いで対話をしながら、先生が引率する形でゲームを進めていきます。ゲームのランキングでアジアの上位の先生もいて、プロにしか教えられない専門的な知識やテクニック、考え方を学ぶことが出来るようです。参加するのは同世代の子どもたちで、同じように学校に通えない子も参加しています。「今日は何がやりたい?」とみんなで目標を決めて、それに向かって材料を集めたり謎を解いたり課題をクリアしたりと、同じゲームの世界で協力し合わなければいけません。「コミュニケーションが、ゲームを通してハードル低く実践してみられるのが彼には良かったみたいで」『ゲムトレ』では一人でゲームをやるのではないという所が肝で、協調性も必要となるため、コミュニケーション力が育まれるきっかけとなります。授業の終わりにはおうちの方にラインで学んだことが送られてくるので、ゲームの学びと成長が常に可視化された状態になることも安心です。Upload By 発達ナビ編集部「ここで普段もゲームで遊べる友達が出来たことも、彼の変化として大きかったと思います」顔の見える関係性の中で、少しずつ対人関係の自信も取り戻していきました。同じトレーニングに参加していた2つ年下のお子さんと、『ゲムトレ』以外でも遊ぶ関係になり、お互いに刺激し合うように。好きなことで繋がり、ゲームという共通言語を持てる友達は、学校にも見つからなかった、かけがえのない存在となりました。少しずつ、少しずつ。彼はここから、彼の世界を再び広げ始めています。世界への一歩を踏み出した彼は、自分の言葉で夢を話せるようになりました「今必要なことって誰もが苦もなく覚えようとしますよね。彼にとってはその原動力となったのがゲームだったんです」『ゲムトレ』を通した半年での大きな変化で、文字が読めるようになったことがあると言います。国語の教科書の2行を読むのも辛くてたくさんの時間を必要としていた彼は、ゲームを通して文字への抵抗を無くしていきました。ゲームの中にはテキストも多く存在し、それが読めなければ先に進むことができません。学校の授業ではつまずいてから先に進めなかった彼ですが、大好きなゲームだからこそ彼は自分から勉強して、日本語はもちろんアルファベットまで読めるようになったと言います。もちろんゲームの中で読み方を教えてくれる先生の存在も大きかったようです。漫画や本にも興味が出てきたようで、ゲームの世界を通して学んだことがゲームの世界を飛び越えた日常でも、成長としてあらわれてきています。Upload By 発達ナビ編集部「日常の中でも自信が芽生えていて、自分の考えを相手に伝えられるようになったんです」トレーニングを受ける中で、ゲームのランキングもAにステップアップし、偶然家に来た友達にゲームを教えてあげていたと言います。今の彼の口からは、「間違っていると思うんだけど…」という言葉は出ませんでした。ゲームで育んだ自信やコミュニケーション力が、想いを言葉にする力を支えてくれています。「思えば以前は私自身も、学校に行かせなきゃというプレッシャーがありました。でもそうじゃなくたっていいって、『ゲムトレ』が心を軽くしてくれた気がします」それはやはり、『ゲムトレ』を通した彼の成長を目の当たりにしているからに他なりません。不登校で学校に行けないのであれば、家での時間を成長の時間に変えてあげればいい。そう信じさせてくれる変化を、彼は今見せてくれています。Upload By 発達ナビ編集部「最近、プロゲーマーになりたいと言い出したんです。自分の目標を話したことなんて無かったので、本当に嬉しくて」将来プロのゲーマーになるにしても、そうじゃ無かったとしても、今この瞬間に大好きなゲームに打ち込み学ぶ経験が、きっと大きな財産になると考えていると言います。大人になったらゲームだけじゃ生きてはいけないかもしれない、それは本人が自然と理解していくことで、その時はきっとゲームに代わる熱中できる何かを、見つけられるはず。そしてなんと、今彼は自分の意思でフリースクールに通い始めるようになり、サッカーの習い事も少しずつ再開できるようになりました。「ゲームを通して、彼は確かに多くのことを吸収して変わりました。そんなお子さんが増えるといいなと思います」もちろん必ずしもゲームが無くても、学びの機会を見つけられるお子さんたちはいます。でも彼のように、夢中で取り組める大好きなゲームだからこそ、無理なく学ぶことができるという同じ状況のお子さんもきっと多いはず。ぜひ、彼と同じように、まずは体験会から始めてみてはいかがでしょうか?Upload By 発達ナビ編集部「ゲームで学ぶ、だから夢中になる」。新しい学びの形を体験してみませんか?Upload By 発達ナビ編集部ゲームで学ぶという、全く新しい成長のカタチ。ゲームを通した健全な成長を応援できるように、『ゲムトレ』では様々な試みも取り入れています。Upload By 発達ナビ編集部新しいからこそ、まずは一度体験してみることで、お子さんの反応を確かめていただきたいと思います。彼のような成長の機会がきっとあるので、ぜひこの機会に新しい習い事の選択肢の1つとして、検討してみてください。『ゲムトレ』はこれからの未来に、囲碁や将棋を習うように、ゲームを習う文化をつくっていくと言います。学びのハードルを下げてくれるゲームというものを通して、お子さんが成長のきっかけをつかんでいただけることを、願っております。Upload By 発達ナビ編集部
2020年10月13日私には現在小学3年生の長男がいるのですが、発達障害であるADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が下りたのは小学校2年生のときでした。さらに3年生になった今年、自閉症スペクトラムの診断が下りたのです。私は、小学生になるまで長男の障害を見つけてあげられなかったことを後悔。乳幼児健診のとき、こうしておけばよかった! と思ったことをお話しします。 1歳半健診では育てにくさを伝えられずハイハイをし始めたころから活発な長男でしたが、1歳になるころには多動が目立ち始めていました。他の子とちょっと違うなと感じつつも、気にするほどでもないと思うなかで、1歳半健診の日を迎えました。 1歳半健診の質問項目に「育てにくさを感じますか?」とあったのを見て、一瞬戸惑う私……。買い物先や支援センターでよく脱走し、かんしゃくがひどいことに悩んでいたからです。 しかし育てにくいレベルに入るのかわからず、悩みながらも「いいえ」にマルをしたのです。このとき「はい」または「わからない」にマルをしていれば、支援に繋がったのかなと思います。 3歳児健診でも育てにくさを伝えられず!その後長女が生まれ、育児に奮闘しているうちに年月が経ち、長男の3歳児健診の日を迎えました。3歳になるころにはお喋りもじょうずになり、手先も器用になってきていた長男。一方で相変わらずかんしゃくが酷く、2歳下の妹を叩いてしまうこともしばしば……。 しかし私は3歳児健診での問診票でも、「育てにくいですか」の質問に悩み、「いいえ」にマルを付けてしまったのです。さらにあらかじめ相談内容を固めていなかったため、悩みをどう伝えたらいいのかわからず健診は終了。私はまたもや悩みを伝えられないまま、健診をスルーしてしまったのです。 次男のおかげで保健師さんに相談でき…3歳児健診を過ぎると、市の乳幼児健診の場はありません。仕事が忙しくなったこともあり、日々の家事、育児をこなすだけで精一杯の私……。そして長男が小学校に入るころ、転機が訪れました。わが家に次男が生まれたのです。 育てやすい次男ですが体が小さく、4カ月健診で経過観察となってしまいました。おかげで市の保健センターから、よく電話がかかってくるようになりました。長男のかんしゃくに悩んでいた私は、すがるように保健師さんに相談することに! すぐに専門的な相談施設を紹介され、小学2年生になったころにADHDの診断が、さらに1年後に自閉症スペクトラムの診断が下りました。 長男の幼児期を振り返ると、後悔するのはやはり乳幼児健診で悩みを伝えられなかったことです。伝えるべきか迷う程度の悩みでも、困っているなら相談するべきだと思いました。今では主治医や臨床心理士さんに相談しています。次男が3歳児健診を迎えるときには事前に悩みをリストアップし、細かく相談したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年10月12日280人以上が読みたい!と回答した「パニック・かんしゃくへの対応」Upload By 発達ナビ編集部発達ナビユーザーに行った「どんなコラムが読みたい?読みたいテーマを教えて」アンケートでは、900人以上が回答、そのうち、280人以上が「パニック・かんしゃくへの対応」が読みたいと回答しました。そこで発達ナビでは、2020年10月を「かんしゃく特集」月間とし、連載ライターによる「かんしゃくやパニック」がテーマのコラムを配信しています。ここでは、それらのコラムをまとめてご紹介します。連載ライター陣が描きおろし!わが家の「かんしゃく」青年期にさしかかった長男のかんしゃくの理由は、学校でのストレス、思い描くようにはできない自分への落ち込みでした。家庭で心がけたこととは――。小学校へ入学したばかりの次男は、家でイライラしがち。さらには長男とぶつかってしまい、家の中はいつもピリピリ。どう対応したらいいの?と悩んでいた母にヒントをくれたのは、当時2歳だった娘でした。5年生になる息子は、かんしゃくを起こす時期と静かにパニックを起こす時期を繰り返してきました。そんな6年間、母は二人三脚で寄り添ってきました。そしてようやく、息子が口にした言葉とは――。発達ナビではほぼ毎日、共感できたりお役立ちするコラムを配信中!コラム読み放題のほか、ブログ機能のあるダイアリーや、会員同士が交流できるQ&Aやコミュニティなども使えます。
2020年10月09日子どもの「困った行動」を伝えられても困る親たち「〇〇くん、給食のとき、ひとりだけ先に食べ始めてしまうんです」「〇〇さん、いつも出された宿題をやってこないんです」発達に課題のある子の親御さん方は、担任の先生からこんなことを言われたことはないでしょうか?給食や宿題に限らずとも、お子さんのなんらかの「困った行動」を指摘された経験はありませんか。先生としては、学校内での子どもの困った行動を保護者が知らないのはまずいだろう、という判断で言ってくれているはずです。しかし、言われた保護者は内心、こんなふうに思うかもしれません。「給食のときに先に食べ始めてしまうって、学校で起きたことでしょ。そんなことを家庭に言われても困る」「出された宿題をやってこないと言われても……だって、どんな宿題を出されているのかわからないし」保護者から先生へ、具体的な行動レベルのお願いをたとえば、出された宿題をやってこないお子さんのケースを考えてみましょう。中には、口頭で言われただけでは何が宿題に出されたのか理解しづらい、さらに宿題を書いてある板書を書き写すのにも時間がかかる、というお子さんもいるものです。そんな中学1年生のお子さんをお持ちのある保護者の方は、担任の先生に対して、次のようなお願いをしてうまくいきました。「うちの子は板書されたものを書き写すのに時間がかかってしまいます。先生にお願いがあるんですけど……それぞれの教科の先生が出された今日の宿題をまとめて、教室のうしろの黒板に書いていただいて、放課後までそのまま板書を残しておいていただけませんか。子どもには、時間をかけてでも書き写すようにさせますから」このように具体的な行動レベルのお願いは、保護者から先生に対して有効なやり方です。たとえば、「うちの子、先生からほめていただいた次の日、すごくやる気になって、宿題をすごく頑張るんです。何かひとつでもほめていただけると、もっと頑張ると思うんですけど……」と「お願い」するのです。「宿題をしない子」から「毎日宿題をする子」へ保護者から教師へ、具体的な行動レベルのお願いをしたわけです。これでお子さんは「宿題をしない子」から「毎日宿題をする子」に変わることができました。お子さんの特性については、親御さんのほうが先生よりもわかっているはずです。特に発達障害についての知識は、先生よりも親のほうが豊富という場合がしばしばあります。親御さんから先生に対して、「うちの子は口頭の指示だけだと理解しづらいんです。なので、こういう工夫をお願いできませんか」と「お願い」してみてください。学校には「合理的配慮」(障害のある子どもが平等に教育を受けるために、必要かつ適当な変更・調整を行うこと)をする義務があり、教師には配慮する義務があります。保護者からお願いをされたら、(学校生活の中で実現可能な配慮かどうかは検討・相談が必要ですが)断る教師は少ないはずです。もし①担任に伝えてうまくいかなかったら➡②学年主任➡③特別支援担当➡④教務主任➡⑤校長という順に伝えていきましょう。少なくとも、ひとりは優秀な教員がいるものです。できる先生とダメな先生の違いできる教師なら、「子どもがこうすれば理解しやすいんですけど……」と保護者から提案を受けたら(無理ではない提案や要望ならば)快諾してくれることでしょう。ある先生は、保護者からのリクエストをさらにアレンジして、授業中に板書をする際には、大事なところに傍線を引いてくれるようになりました。「そこだけ写せばいいからね」と、子どもにこっそり耳打ちしてくれたのです。次第に、この板書のルールを、学年の先生全体でも共有してくれるようになりました。力があってできる先生は、保護者からの具体的なお願いに協力的です。「あの保護者は、子どもが学校でうまくいくように力を貸してくれている」とありがたく受け止めます。一方、ダメな先生ほど、保護者からのリクエストは「めんどくさいもの」「クレーム」と受け止めがちです。近年は若手の先生が増えています。経験の浅さゆえにお子さんの困りごとに気づかないケースもあります。そんなときこそ、保護者から先生に、先ほどお伝えした「具体的な行動レベルのお願い」をしてみてほしいのです。子どもの担任がダメ教師だったら?最後に、「子どもの担任の先生は、ちょっとダメかもしれない」「ちょっと心配だ」と思う保護者の方向けのアドバイスです。それでも、「担任との関係をあまり壊したくない」という思いがあるのであれば、学年主任や生徒指導主任の先生に相談してみるといいと思います。あるいは、スクールカウンセラーに相談してみるのもいいでしょう。スクールカウンセラーをしているのは、公認心理師、臨床心理士、精神科医、大学の臨床心理学専攻の教員などです。カウンセリングや心理学に関する専門家です。現在、公立のすべての小中学校にスクールカウンセラーが配置されています。子どもたちの悩みを聞くのみならず、保護者と学校の先生をつなぐパイプ役も職務のひとつです。守秘義務がありますので、相談内容が学校に筒抜けになるということはありません。どの先生に相談するかを迷ったら、まず第三者的なポジションのスクールカウンセラーに相談し、その中で「どの先生に相談したらよいか」をカウンセラーに相談してみてはいかがでしょうか。次回は、保護者の方が気になる「先生への要望は、どこまでが正当でどこからが過剰になるの?」という話題について考えていきたいと思います。【著者プロフィール】千葉大学教育学部講師、助教授を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。 臨床心理士、公認心理師、上級教育カウンセラーなどの資格を持つ。「教師を支える会」代表。 著書に『教師の悩み』(ワニブックスPLUS新書)、『教師の資質』(朝日新書)、『プロカウンセラー諸富祥彦の教師の悩み解決塾』(教育開発研究所)、『孤独の達人』(PHP新書)、『男の子の育て方』『女の子の育て方』(ともにWAVE出版)、『図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80』『教師の悩みとメンタルヘルス』『教室に正義を!』(いずれも図書文化社)など多数。
2020年10月06日「先生、ウソつき…」小2で不登校、診断は広汎性発達障害Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載3回目となる今回、愛知県名古屋市の高校に通う森本陽加里さん(18)と母・奈生子さん(47)に話を聞いた。陽加里さんが小学2年の頃、上級生が下級生に嫌がらせをする「いじめ」が校内で起きていた。「いじめられている子がいたら守らなくてはいけない」と先生から言われていた陽加里さんは、その教えの通り友達を助けた。しかし標的がすぐさま陽加里さんに変わってしまったため、先生に相談したという。「(自分が)やられるようになったから、『助けろ』って言ってた先生に『助けたらいじめられました』って言ったら最終的に『自分の身は自分で守りなさい』とか言われちゃって。先生、ウソつき…ってなっちゃいました」(陽加里さん)慕っていた先生からの心ない言葉に失望。それから学校への足取りは重くなり、不登校になった。着替えることも食事を取ることもままならず、授業時間中は自宅で録画した吉本新喜劇の同じ回をひたすら見続けたり、韓国海苔をかじりながら国会中継を眺めていた。一方で、日が落ち始めると異常なまでに元気を取り戻していたと母・奈生子さんは振り返る。「その頃はもう夜が寝れなくて。今思うとおかしかったですよね。ベッドの上で寝る時間になるとピョンピョン飛び跳ねて『キャー!』とか奇声発したり……。多分、次の日に学校があるっていうプレッシャーで寝れないんでしょうけど、もう興奮状態になっちゃってて。それで心療内科に通い出して、睡眠導入剤をもらって寝かせてました」(母・奈生子さん)その後、陽加里さんは広汎性発達障害という診断を受けたのだった。Upload By 桑山 知之娘が見た母の涙と変化二人三脚で生きる矛盾したことに折り合いをつけて進めていくことや、人の表情や言葉の真意を理解することがうまくできなかった陽加里さんは、通級で社会性を身に付ける「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」を始めることにした。さらに母・奈生子さんは、文献を読みあさり陽加里さんの特性を理解したうえで「スモールステップ」を始めた。目標を細分化し、小さな目標を達成する体験を積み重ねながら、最終目標へ近づけていく方法だ。「着替えができないなら『着替えをしましょう』じゃなくて、例えばパジャマを脱ぐ、自分が着るものを持ってくる……ってやっていくと、行動ってすごく細かく分かれるんですよ。全部完璧にできなくても『今日はパジャマ脱ぐとこまで自分でできたじゃん!』って褒める。『じゃあ服はお母さんが着せてあげるわ』とか。そういう感じで細かく行動を分けていって、達成できたらまずそこで褒めるんです」(母・奈生子さん)「着替えることができないって思ってんの?って。今までパジャマを脱いだだけで褒めてもらったこともないのに、何を褒め始めてるんだ?って思って最初は嫌でした(笑)。でも根気よく向き合ってくれて、お母さんすごいなって思います」(陽加里さん)最初は陽加里さんも、対応が急に変わり、事あるごとに褒めてくる母・奈生子さんの姿に動揺した。しかし、奈生子さんによる小学校への働きかけなどもあり先生はバックアップ。「今日はここで僕とハイタッチしたからOK。明日は校門まで入ろうね」と、カレンダーに目標を書き込み、達成できたらスタンプを押すなど、歩みを揃えてくれたという。陽加里さんは少しずつできることが増えていき、再び通学できるようになった。Upload By 桑山 知之実は発達障害の診断が出る前、母・奈生子さんは陽加里さんの目の前で声を上げ大泣きする姿を見せていた。当時、思うようにできない子育てのストレスから心は限界に。「二人でどこか遠くまで行ってしまおうか」と思うくらい切羽詰まっていたという。しかしその後、奈生子さんは「娘が発達障害だと言われ、道が開けた」と話す。「今までの怒りはこの子のために怒ってたんじゃなくて、全部自分のために怒ってたんだ……って。それまでは、この先この子と生きていく術はないと思って、どこか田舎で学校行かなくても暮らしていけるようなところへ引っ越した方がいいんじゃないかとか色々考えてて。でも発達障害なら手があるじゃんと思って。自分の感覚や常識がこの子にスッと入るものだと思って育ててきてたから、発達障害って分かった瞬間に、ここを切り離そうと思ったんです」(母・奈生子さん)「娘のために時間を掛ける」と決めた母・奈生子さん。スモールステップを献身的に実践したほか、選択肢を与え本人に選ばせる方法を取った。自分の思うように娘が行動しなくても、決して怒らずに諭すような形で、自分の状況や事情も相手が理解するまできちんと説明した。こうした奈生子さんの変化に対し、陽加里さんは「人間味を感じた」という。「まず、親は泣かないものだと思ってたので、『あ、泣くんだ……』って。そのあとくらいから、お母さんが変わったなっていうのは分かりました。今までの人と違う!って思うぐらい違いました。人間味が増したというか、納得感がありました。『お母さんは今こういう状態にあって、こういう風に私にしてほしくて、でも妥協案としてこういう案があって、どっちか選ばせてくれるんだ』みたいに」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之中学で2度目の不登校に陽加里さんは中学入学後、最初のテストで数学の学年順位はなんと1位、学級委員も務めるなど順調すぎるくらいの滑り出しだった。土日はダンスにも打ち込んだ。しかし程なくして、仮入部したバスケットボール部で先輩から目を付けられた。やがて再び不登校となったが、高校へは進学したかった。小学校時代の校長先生の「中学校は行くことを目的とするんじゃなくて、高校へ行くための手段にしなさい」という言葉もあり、中学2年のときに愛知県内の私立高校がブースで学校説明をするイベントに参加した。そこで名城大学附属高校という学校に出会う。「名城のブースの人に今の状況を説明したら、『今から頑張れば大丈夫だよ』ってすごくポジティブに言ってくれて。おいでみたいな感じに言ってくれたから、ここ素敵!って思って。その後オープンキャンパスで国際クラスの説明のときに、探究活動で自分が興味のあるテーマを調べて、プレゼンテーションをするっていうのがあったんです」(陽加里さん)関心事を自由に深掘りする。好奇心の強い陽加里さんにとってぴったりなカリキュラムだった。しかし推薦でしか入学できないことを知り、母・奈生子さんは最大何日欠席したら推薦が貰えないのかなどを調べ上げ、陽加里さんの目標までの道のりを具体的に細かく描いていった。学習塾にも通いながら、無理をしすぎないよう適度に休みを入れた。前例がない中で無事に推薦をもぎ取り、志望校へと進学した。入学後はカナダやニュージーランド、バリ島での海外研修にも参加。「遅刻や早退、欠席の数はギリギリ」だと奈生子さんは苦笑するが、娘の成長ぶりを肌で感じているのは間違いないだろう。Upload By 桑山 知之発達障害でも通える学校とは…ビジコン壇上でカミングアウトもし高校に進めなかったら起業していたと話す陽加里さん。学校に毎日行けず、将来社会人になっても毎日同じ時間に同じ場所へ行くのは難しいと感じていたようだ。それをふと高校1年の終わりに思い出した。「高校は楽しいんですけど、起業したい思いは抜けてませんでした。じゃあ何で起業するんだろう?って思って。そこで、海外研修はそれぞれテーマを設定してたんですけど、全部それを『特別支援教育』でやってたから、自分はなんとなくその辺に興味があるんだなって思って。それで『あっ、発達障害が自分にあるから、多分そこ(学校教育)が気に入らないんだろうな』みたいな」(陽加里さん)コミュニケーションがうまく取れない。感覚過敏があり、チャイムの音や朝日の眩しさが苦しい。数えきれないほどの我慢をしながら、陽加里さんは学校に通っていた。「しんどかった自分が行ける学校ってどんな学校だろう」「行きたいって思える学校ってどんな学校だろう」と考えた。そして“発達障害の悩みを抱える生徒らを支援するアプリ開発”というビジネスプランを携え、高校生ビジネスプラン・グランプリ(主催:日本政策金融公庫)に出場。悩んだ末に勇気を振り絞り、これまで隠してきた自身の発達障害を壇上でカミングアウトした。「自分に発達障害があって、それが自分の中できっかけになったっていうことを言おうか言うまいか、めっちゃ悩みました。でも、私が喋りたいことを喋ろうって思って。このアプリに対しての想いはこういうところからあって……っていう筋がちゃんと通った話をしたいと思いました」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之自分自身を差別していたあの頃…いまは「ご褒美の人生」陽加里さんはビジネスコンテストの壇上でカミングアウトする前、友達数人には直接伝えていたという。「陽加里は陽加里だから」。そのときの友人らの言葉に涙が止まらなかった。「初めてお母さんから発達障害について説明されたとき、『あっ、違うんだ』って悲しかったんです。自分で自分を差別してたっていうか、自分のことを発達障害って重荷に感じてて。友達に言うときも、発達障害って言葉をこの子の前で口にしたらどうなるのかな……とかすごく思いました。でも、一番気にしてたのは自分でした」(陽加里さん)コンテストの結果は審査員特別賞だった。地元紙でも大きく報じられた。陽加里さんの障害を知ったクラスメイトも、泣きながら抱きしめてくれたという。Upload By 桑山 知之現在、学校生活における発達障害児の生きづらさをなくすアプリ「Focus on」は実装に向け開発中で、このうち個人カルテの機能だけを別立てした「Focus on《mini》」がすでにリリースされている。そんな陽加里さんの「なりたい女性像」は、母・奈生子さんだという。いま、発達障害がある自分についてどうか訊くと、間髪入れず目を輝かせながらこう答えた。「めちゃ良かったと思います。だって、なんかこんなに色んな経験することないから。お母さんにもずっと言われてるよね。 “ご褒美の人生だね”って」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年10月04日「社会性秩序」だけど、「周りに認められたい」Upload By スガカズ当時小4の長男には学校での悩みが主に3つありました。●人に強く言われて真に受けて落ち込む。●学校生活を送る中で先生に助けを求めたいが(タイミングや認識のずれが原因で)うまくいかない●勉強のレベルが上がりつまずくことが増える泣きながら「もう学校にいきたくない…」ともらす事もありました。長男の怒りの矛先が、当時小1の次男に向けられる時は大変です。良く目にしたのは長男が癇癪を起こしている時に、次男が「なんで泣いてるの?」と長男を見ると、長男が「見るな!」と怒るパターンです。長男は辛いときの自分を見られたくない。次男は家族が泣いているのを気にする。それぞれの言い分でケンカが始まってしまいます。この頃は次男も小1の壁にぶち当たっている時期なので、理不尽な事を言われると次男も癇癪を起こしてしまいます。兄弟ゲンカを仲裁してそれぞれにフォローする日々。どうにかならないものかと私は悩んでいました。療育センターで小児精神科の先生に相談Upload By スガカズ長男と次男が通っている療育センターで小児精神科の先生に相談しました。「長男くんはもうすぐ10歳。青年期に入っているんです。脳が成長している証拠ですよ。」成長だと言われて少し安心しました。青年期の子どもには、二次的障害を出来るだけ減らすために心の揺れがあった時に本人が立ち直りやすいように守ってあげる必要があるとアドバイスしていただきました。自己肯定感を高めるために心がけた事Upload By スガカズ「自分は守られていると気付き、自信を持ってもらい自己肯定感を高めてほしい」そう思ったので、好きなことは無理にやめさせませんでした。長男は「○○が作りたい!」と思ったら、家や学校で何時間でも没頭するタイプで、それが学校で言われる原因ではありますが、失敗も経験しながら、好きなことと上手く付き合っていくのが大事だと感じました。この頃は授業中に勉強しながら工作をする姿が目立っていたのですが、工作をしながら授業を受けると耳からの情報を得やすい事が判明しました。周りから見ると工作をしているだけに思われがちなのですが、授業に耳を傾けているのです。逆に苦手なことは、割り算の筆算や漢字でした。どうやら「学校に行きたくない」という原因の一つが、勉強につまずいている事が大きい様で、担任の先生に教えてもらいたいのに、様々な要因からそれが叶わないと言っていました。本人は勉強をやりたくない訳ではないので、話し合いの中で私が「塾を始めてみたらどうかな?先生に聞けなくて悲しい場面が減ると思うよ」というと、涙をふいて「うん。分からないのは嫌だし始める」と答えました。家庭学習でサポートし続けられるのであれば良いのですが、わが家の場合は子どもが4人いて、私が長男に常に付き添うことが難しいし、きょうだいがいる環境の中で勉強をするよりも塾に通わせる方が合っていると感じました。癇癪や落ち込んでいる時Upload By スガカズ癇癪や落ち込んでいるときは無理にやめさせず、しばらくしてから話しかけます。少しクールダウンしてから癇癪の理由を聞きだします。そして、その後は学校の先生に電話で報告していました。例えばある日は、クラスの子に「邪魔だ!」と言われて工作を投げられたと怒っていました。ヒアリングしてみると学活の時間に机を端に移動するのが遅れてしまった(工作を続けていた)事が原因の様でした。「休み時間以外は工作をバッグの中に入れておこう」「クラスメイトは机を移動させてほしかったんだね」「長男が周りの状況に気付くにはどうしたらいいんだろうね」「時々顔を上げて視点を変えてみるのはどうかな?」など、話しました。こういった行動を繰り返し行いましたが、少しずつ本人の行動に変化が。周りの人の気持ちを理解して、その中で自分がどう動くべきか考える姿勢が見られるようになりました。親がイライラしないために、離れる事も大事Upload By スガカズ一番大事だと感じたのは、静観して本人に必要な時に関わること。癇癪をはじめ、本人の課題と付き合うには親もそれなりに労力が必要です。「私が〇〇しなきゃいけない」と思い詰めるとストレスの原因にもなります。適度に親が離れて自分の時間を楽しむのは大事ですね!
2020年10月01日期間限定配信!オンラインで学べる、「自閉症スペクトラムの人へのコミュニケーションの支援」Upload By noe.tokudaこの講義では、知的に遅れのある方からそうでない方まで、さまざまな年齢の方の具体例をご紹介しながら、穏やかに自己肯定感をもって暮らせるためのコミュニケーション支援について紹介しています。具体的には、理解面・表現面の支援の原則から、援助要請や相談する技術の育み方といった実践的な支援まで幅広く学ぶことができます。講義中は、スライドを用いて講師が解説を進めていきます。Upload By noe.tokudaオンラインでのセミナーを録画したものが、期間中何度でも閲覧することができ、自分のペースで学習を進めることができます。また、期間の最終日には、オンラインで講師に直接質問できる時間もございます。【実施概要】動画の視聴可能期間:2020年 10月17日(土)~10月31日(土)質疑応答(自由参加):2020年10月31日(土) 14時~14時30分【講師】飯塚直美さん(言語聴覚士/よこはま発達相談室・よこはま発達クリニック)【費用】4,950円(税込)【お問い合わせ先】mail : seminar@ypdc.nettel : 045-942-1160一般社団法人 発達精神医学・心理学研究会 セミナールーム大人も子どもも、障害のあるなしも関係なく一緒に楽しめる「カラフルライブフェスティバル」が開催!クラウドファンディングも実施中!Upload By noe.tokuda11月1日に、埼玉県の埼玉会館にて、地域交流型の音楽イベント「からふるライブフェスティバル」が開催されます。「からふるライブフェスティバル」は、大人も子どもも、障害のあるなしも関係なく一緒に楽しむことができるフェスティバルです。昨年度に引き続き2回目の開催になります。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、イベント当日のステージは無観客で、動画撮影を行い、後日、ユーチューブで配信する予定です。また、会場となる埼玉会館では地域の障害者施設による物販や展示を、対面で行います。からふるライブフェスティバルは、「知る・繋がる・楽しむ」をコンセプトとして、音楽を合言葉に集まった、さまざまな人たちが音楽やパフォーマンスを共感することで、今まで接点のなかった“繋がり”を作りだすことを目的としています。今年は無観客での開催にあたり、クラウドファンディングも実施中。支援者へのリターン品として、障害者就労支援施設で製作したグッズや食品を用意しています。【実施概要】日時:2020年11月1日(日曜日)11時~15時(予定)場所:埼玉会館 小ホール&ホワイエお問い合わせ先:colorful.prj@gmail.comアートライフブランド「HERALBONY」が「RAYARD Hisaya-odori Park」にてサステナブル・ミュージアムを開催Upload By noe.tokuda「福祉を起点に新たな文化をつくりだす挑戦」と銘打ったサステナブル・ミュージアムが3か月限定で名古屋に出店します。サステナブル・ミュージアムは、店内壁面を障害のある作家のアートで装飾し、展示終了後に装飾は廃棄されることなく、アートバッグに生まれ変わる。そんな循環型プロダクトを多数展開するショールームとなっています。運営するのは世界を目指すアートライフブランド、HERALBONY。ヘラルボニーは知的障害がある人の無数の個性に着目し、彼ら、彼女らが持つさまざまな「異彩」を、さまざまな形で社会に送り届けようとしています。その取り組みの一つとしてオープンした今回の美術館型店舗。ミュージアムでは、ART NECKTIEをはじめとした「HERALBONY」のアートプロダクトを展開しつつ、名古屋初出店を記念した「BRING x HERALBONY」、「MODECO x HERALBONY」の限定コラボレーション商品及び企画をご用意しております。【実施概要】◆SUSTAINABLE MUSEUM期間:2020年9月18日〜12月27日場所:RAYARD Hisaya-Odori Park(ヒサヤオオドオリパーク)〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目15番10号先営業時間:10:00〜21:00定休日:不定休
2020年09月30日新連載!3歳発達障害息子の子育て、葛藤の日々を綴る現在3歳3ヶ月の息子、1歳5ヶ月の娘を育てています。息子のいっちゃんは、中度知的障害を伴う自閉症スペクトラムです。指ちゅっちゅタオルボーイ、発語はありません。産まれた時からあまり泣かず、寝てばかりで母乳を飲むこともないので、早いうちに母乳は出なくなりました。呼びかけても反応せず、あまり動くこともなく。もしかして...と思ってからはっきりと状況がわかるまでは、黙々と検索をして調べたり、そんなはずはないと息子を信じてみたり、何故こんなことができないのかと叱りすぎて自己嫌悪に陥ったり、とても苦しい時間を過ごしてきました。Upload By かさはらあやこ『ぜんぜん普通の2歳じゃん』見えない困難に追い詰められたこともUpload By かさはらあやこ『ぜんぜん普通の2歳じゃん。しつけがされていないだけでしょう?2歳を過ぎたらもう色々わかるんだからしつけなきゃ。』私が実姉から言われた言葉です。もちろん悪気があってではなく、「発達障害があるかも...」と悩んでいる私に対し、心中を推し量っての発言だと思います。自閉症は、その言葉のイメージから誤解を受けることも多いですが、自閉症の症状の程度、知的障害の程度も人によりさまざま。見た目で障害が分かりにくいこともあり、周囲から「しつけのできていない子」と非難され、祖父母を含む親戚、夫でさえも昔は当たり前に居ただとか、個性だとか、大袈裟だとか言ってくる。実母は、どうしてこうなっちゃったんだろうねぇ?と言い放ち、挙げ句の果てに、「身体が丈夫なんだからいいでしょう」って、いや、そういうことじゃない。Upload By かさはらあやこ発達障害についてメディアが取り上げるようになったり、認知が高まってサポートしてくれる機関が増えたりと、少しずつとりまく環境は良くなってきている、とは聞きます。でも、まだこの障害について正しく診断し、適切なアドバイスのできるお医者さんは足りないそうです。相談機関も不足しています。地域によっては病院を選べなかったり、100キロ以上も離れていたり、数が少ないため診察を受けるのに数ヶ月以上待たなくてはいけなかったり。子どもを産んでからよく、「子育ては大変だけど楽しいでしょう?」と聞かれます。......楽しい?タノシイ???大変と思うばかりの毎日で、その楽しさがわからず、自分は親として何かが欠けているのではないか?と悩んだりもしました。思うようにならないことの多い子育てです。必要な支援を受けにくい環境、適切な助言をしてくれる専門家が少ない状況...しかも、親兄弟や親戚に、正しい理解をしてください!勉強してください!とも言えない。めちゃくちゃストレス!!だからせめて、自閉症児とその家族の置かれている状況や、自閉症の特性を、なんとなくでいいから知っていただきたい...そんな想いで、これまでSNSに子どもとの日々を投稿してきました。幼稚園に通い始めた息子、成長中の日々をお届けしますUpload By かさはらあやこ癇癪が強くなり、特性が目立ちはじめる2歳頃...産まれてから2年以上、毎日夜泣きでまともに眠ることができず、全く意思の疎通を図れない。息子は一体何者なのか。精神的にも身体的にもすっかり参っていた私。そんな私を支えてくれたのは、療育で関わる先生方はもちろん、担当の保健師さん、話を聞いてくれた友人、SNSで情報を与えてくださる同じ境遇の方々でした。障害を受け入れ、特性を理解し、環境を整えてあげる必要があることに気づくまで、たくさん悩んで、たくさん泣いて、たくさん時間がかかってしまいました。いっちゃんは3歳から幼稚園に通っています!SNSで投稿をするようになってからは、目撃するたびに心が痛くなっていた特性を愛おしいと思えたり、 クスッと笑えるようになったり。息子の成長を通し、うちの子も同じ!と愛おしく感じていただいたり、自閉症ってこんな感じなんだ、こんなことに困っているんだと知っていただいたり...そんな風に思ってくれる方が少しでも増えるようなコラムがお届けできればと思っております。よろしくお願いいたします!
2020年09月30日わかりやすく事例や対処法を紹介!ーー『ADHD 注意欠如・多動症の本』本書では、「落ち着きがない」、「衝動的に行動する」、「不注意で忘れ物が多い」といった特徴をもつADHDの子どもとの付き合い方を紹介しています。ADHDの子どもは、特性ゆえに学校や家庭での生活で失敗やトラブルを経験することも多く、ストレスを抱えることが多くなりがちです。ときには、そういったストレスが学業不振や、うつ病、いじめなどの重大な事態につながることもあります。本書は、漫画と豊富なイラスト、読みやすい文章で、症状から対応策まで徹底的にわかりやすく解説しています。生活リズムの整え方や、やる気の育み方、ゲームやスマホとの付き合い方といった日常生活に即した具体的なアドバイスが盛りだくさん。子どもたち本人のメッセージも掲載しており、保護者や教育関係者の方にぜひともおすすめしたい一冊となっています。書いてみると子育てがラクになる!『発達障害の子どもの行動が変わる魔法の子育てノート』発達支援の専門家として長らく子どもを育む仕事をしてきた、藤原里美さんによって書かれた本書。「これまでにたくさん自分も失敗をしてきた」と著者の藤原さん。しかし、失敗を繰り返す中で、「こうしたらうまくいく」方法をたくさん見つけることができたと言います。本書にはそんな、失敗から学んだ子育ての工夫がもりだくさん。この本は、「知る」、「理解する」、「行動する」、「評価する」、「できる」といった5つのステップを想定して作られています。本の中には、実際に自分で記入できるスペースが豊富に設けられており、志向を整理しながら本を読み進めることができます。ぜひ、発達障害のあるお子さんをお持ちの保護者の方に読んでいただきたい一冊です。幼稚園や学校で話したいのに話せない「場面緘黙」の子どもの支援がわかるーー『イラストでわかる子どもの場面緘黙サポートガイド~アセスメントと早期対応のための50の指針』家庭ではしゃべることができるのに、幼稚園や学校などの集団の中ではことばを発することができない、「場面緘黙」。小児科で院長をつとめる金原洋治さんと、長野大学社会福祉学部准教授の高木潤野さんの共著である本書は、そんな場面緘黙の子どもたちの理解を深め、具体的にどう支援・指導したらいいかを書いた本です。学校の先生向けに書かれた本ですが、保護者にとっても、学校と連携して子どものサポートをするために役立つことがたくさんある本です。理解して見守るというだけでなく、実際にどういう方法で子どもと向き合ったらいいか、場面ごとのサポート方法が書かれている本書。場面緘黙の子どもが、話したいのに話せないつらさから楽になるために役立つ一冊です。ほめて伸ばすってどうやるの?がわかる!ーー『マンガでわかるペアトレ』ペアレント・トレーニング(ペアトレ)とは、子どもの行動に焦点を当て、好ましい行動を増やしたり、好ましくない行動を減らしたりする接し方を保護者が学び、練習するプログラムです。本書は、著者である、らせんゆむさんが自身の体験をベースに、ペアトレはどういうものかを漫画で楽しく分かりやすく描いた一冊です。「保護者が子どものために頑張る」イメージがあるペアトレ。しかし、らせんゆむさんはペアトレの理解を深めていく中で、「もっと力を抜いて子育てをしてもいいんだ」という穏やかな心境に変わっていったといいます。本書は難しいと思われがちなペアトレについて気軽に楽しんで実践できる本となっており、発達障害などの診断のあるなしにかかわらず、親子の関係をもっとよくしたいと望んでいる方に幅広く読んでもらいたい一冊です。発達障害の困りごとをすべて網羅!--『発達障害サバイバルガイド 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』本書は、自身も発達障害がある著者の借金玉さんが、自らの経験から得た「生き抜くコツ」を解説しています。キャッチコピーは「世界一意識が低くて、世界一役立つ本」。その名の通り、暮らしを楽にするハックがこの本には満載です。本書では、「ものを片づけられない」、「集中が続かない」といった特性的な悩みにも触れながら、「貯金ができない」、「マルチタスクが無理」といったADHD当事者が実生活で抱えがちな悩みにも、対処法を提示しています。借金玉さんはタイトルにもなっている「サバイバル」について、「サバイバルとは、より快適で、ラクで、優雅な生活」と語っています。発達障害のある成人の方に読んでいただきたい一冊です。
2020年09月29日先輩ママからのアドバイス。放課後等デイを2か所にするメリット放課後等デイサービスを複数利用することになったきっかけは、私が仕事を始めたことでした。同じように障害のあるお子さんがいて、仕事をされているママ友に相談したところ、「仕事を始めるのなら、デイサービスをもう1か所探してみた方がいいよ。1つのデイサービスを毎日利用できるとは限らない」とのアドバイスが。Upload By シュウママなるほどと思いました。今利用しているAデイサービスは、平日はほぼ見てくださっています。でも定員がオーバーして受け入れてもらえない日もあるかもしれません。そう思ったので私は、ママ友が通わせているBデイサービスを紹介してもらったのです。Aデイサービスにも事情を説明すると、「わかりました。大丈夫ですよ」と快く理解していただきました。Upload By シュウママ2か所の放課後等デイサービスと契約すると、月々の利用負担額が倍になるのではないか?そう思っていたのですが、市役所で確認をして驚きました。世帯の負担上限月額を超えて支払わないですむよう、デイサービス間で利用負担を「上限管理」で調整してくれるのだそう。 1か所利用の時と同じ金額で、2か所利用できるということですね。Upload By シュウママそれを聞いて安心しました。そうして実際仕事を始めてみて、やはり助かったことがありました。つい最近のことです。Aデイサービスの近くの小学校で新型コロナが発生したのです。そのため周辺のデイサービスも閉鎖を余儀なくされることに。Aデイサービスが休止になり、急遽Bデイサービスの利用をお願いして、なんとか仕事を休まずにすみました。Upload By シュウママこれは本当に助かりました。その子にあったやり方でただ複数の放課後等デイサービスを利用することで、お子さんによっては負担になることがあるかもしれません。放課後等デイにはそれぞれ特徴があるので、一つに決めて、一貫したやり方で指導してもらう方が向いているお子さんもいることでしょう。長男の通う放課後等デイは、Aデイサービスはリトミック、竹馬、などといった決められたメニューがあり、集団行動を重視します。Bデイサービスはたくさんのおもちゃが置いてあり、子どもたちは各々好きなことをして自由に遊びます。クッキングの時間が設けてあり、みんなでおやつを作ったりもします。それぞれに個性があります。このような2つの状況にうまく適応できないお子さんもいらっしゃるかもしれません。あくまでこれは、我が家にとっての利点という意味です。ご参考程度にとどめていただければと思います。
2020年09月29日イエローが『マジョの館』に向かい、無事にピンクを救出し...ピンクを助けに行ったイエローは、マジョリティー隊からお茶の誘いも断りあっさり帰宅。マジョリティー隊のメンバーたちは悪い人たちではなさそうですが、一体何者なのか...!?お菓子のお礼に、ピンクがマジョリティー隊にプレゼントを!?Upload By 荒木まち子マジョリティー隊の目的が明らかに...Upload By 荒木まち子執筆後記隊長の名前、鏡大慈(かがみだいじ)は違った読み方も出来ますね#^.^#同敷地内にある上層部施設への移動が馬(笑)(荒木まち子)
2020年09月28日むっくんの小学校生活Upload By ウチノコ一人で行かせるかどうか、悩ましい登下校問題。我が家は、むっくんの交通ルールに対する理解と友達へのかかわり方への不安が拭えず、当分の間登下校に付き添うことに決めました。父、母、祖母で協力して送迎しているものの少し大変です。ただ、思わぬメリットもありました。送迎することで先生に毎日会え、諸々相談がしやすいことや、登下校中に親子並んで歩くおかげで、むっくんと良いコミュニケーションが取れているように感じています。学校に慣れる段階にいる今は、送迎の大変さよりもメリットの方が大きいように感じています。また、登下校中に親がいることで友達付き合いに影響がでるかも?と心配していましたが、家に迎えに来てくれる子や、登下校中に会ってそのまま一緒に登校する友達もいて、問題なさそうです。むっくんの小学校には同じ保育園出身の子が多く、私たち親とも顔見知り。そのためか、お友達は親がいても気に留めず過ごしてくれています。だけど、友達が気にかけてくれても、むっくんは日によって友達を受け入れられる時とそうでない時があります。特に調子の悪い日はトラブルも起こしがちなので、今は親が近くで様子を見極めて、友達とのかかわり方をフォローをすることが必要だと感じています。Upload By ウチノコむっくんは現在、特別支援学級で給食を食べています。苦手な食べものが多い子ども達が集まっているので、「給食はどうしているのだろう?」と思っていたのですが、どうやら「クラス全員の力を合わせて完食を目指す」というシステムとのこと。むっくんが苦手なシイタケは、代わりにシイタケが食べられる友達が食べてくれる。そして友達が嫌いなピーマンはむっくんが食べてあげる。むっくんは嫌いな食べ物のことよりも「友達の役に立っている!」と給食をポジティブに受け止めており、このシステムは素敵だなぁと感動しました。Upload By ウチノコ休憩時間にむっくんは、外で遊んだり、教室で過ごしたり好きなことをして自由に楽しんでいるようです。グラウンドで交流学級の友達と遊ぶ日もあるようで、上級生にからかわれて怒って帰ってくることもあります。また、むっくんの特別支援学級の教室は図書が充実しているので、疲れている時は静かに本を読んで過ごしているそう。疲れやすいむっくんにとって、自分の調子を見極めて休憩時間をどこでどう過ごすか考えるのも、大切なことだと感じています。Upload By ウチノコ「少しでも濡れたら着替える」というこだわりがあり、水濡れが我慢できないむっくん。保育園と違い、小学校では着替えの常備は難しいかなと不安だったのですが、学校に相談すると「着替えるだけで安心できるのなら、置いてもらえる方が助かります!」ということで、上下、下着、靴下を常備させてもらいました。週に1、2回は着替えて帰ってきますが安心です。更にじっと座ることが苦手なむっくんをサポートする、座った姿勢を補助するグッズも二つ返事で許可がおり、家庭から持参したものを椅子に設置してもらっています。このあたりの受け入れ態勢は、私が小学生のころとはずいぶん変わったなぁと感動するばかりです。Upload By ウチノコ私の場合、保護者としての所属は交流学級ではなく特別支援学級になっています。特別支援学級全体からも何名か役員を選出するのですが、むっくんの小学校では特別支援学級では高学年の親御さんが役員を担当することに決まっていました。「低学年の親御さんは何かと大変だから…」という理由のようで、先輩方の温かい計らいに涙・・・。私もむっくんが高学年になったときは、潔く引き受けたいものです。Upload By ウチノコゆっくり、でも確実に成長中前後編でお届けした、むっくんの小学校生活。学校によって様子やシステムには違いがあるので、全ての小学校に当てはまるわけではないと思いますが、少しでも特別支援学級での生活をイメージする参考になると嬉しいです。入学前は通常学級と特別支援学級どちらにするか悩み、自分の選択に不安もありましたが、むっくんを理解し大切にしようと思ってくださることが伝わってきて、今では特別支援学級にしてよかったと心から思っています。むっくんも「学校行きたくない!」と大騒ぎする朝もありますが、基本的には学校楽しい、先生もクラスメイトも大好きという感じです。最近では今まで以上の成長を感じることもあり、これからもむっくんの成長をゆっくり見守っていきたいと思っています。Upload By ウチノコ
2020年09月27日色々な趣味をキラキラと楽しむコウの影に佇む人は…?Upload By 丸山さとこゲームや将棋や折り紙に始まり、イラストに工作、プログラミングや手芸など…と多趣味なコウですが、現在のように趣味を楽しめるようになるまでには長い道のりがありました。今回は、好奇心旺盛で物作りが大好きな一方「不器用さ」や「集中力のムラ」や「心の折れやすさ」のあったコウが、「楽しい!」に気付けるようになるまでを振り返ってみたいと思います。“単調な遊び”が楽しかった小学校低学年を過ぎると…?保育園入園前までは“物を並べること”と“回転する物を見ること”が好きだったコウは、保育園から小学校低学年まではお絵描きと工作とブロック、そして乗り物のオモチャが好きでした。Upload By 丸山さとこ周囲に比べると遊び方が幼く、鉄道レールを組んで遊ぶ時も立体交差や切り替えレールなどの複雑な要素は使わずに、ただ長く単調なコースを作って遊んでいました。中学年になってからはゲームと将棋とイラスト作成と工作を楽しんでいたコウでしたが、少しずつ「求める(刺激の)レベル」と「実際に自分ができることのレベル」が合わなくなってきました。Upload By 丸山さとこ折りたい折り紙が難しくてできない。やりたいゲームが途中から進めない。自分の絵を『下手だな~』と感じてやる気がしない。そんなこんなで、コウは次第に趣味に対する興味を失い「つまらない、何もすることがない」と迷走するようになってきました。「何か楽しいことしたーい」と言いながら惰性でゲームと動画視聴を繰り返す状況が続いていたため、親が関わることで「楽しい」を促すことにしました。楽しいに気付くためには根気が必要!?一度集中し始めれば根気よく取り組むことができるコウですが、「上手くいかない」が続くと癇癪を起こしたりパニックになったりしやすい子でもあります。Upload By 丸山さとこ『今は“できない”ことも、できない状態のまま試行錯誤しつつ経験を積み重ねていくことで“できる”になっていく』ということ自体はコウも理屈としては理解しています。ですが、ボンヤリとした「できる」に対する見通しよりも「できていない」というリアリティのある今に流されやすく、「できないー!」「やってるけど全然ムリ!」と泣き出してしまいます。これは趣味や遊びに限らず、鉄棒・縄跳び・自転車・九九などの「新しいことを覚える(身に付ける)」状況で毎回起きていることなので、親の方も泣き崩れるコウのことを“お馴染みの途中過程の1つ”と捉えて、「最初は大体こんなものだよ、大丈夫だよ」となだめ励ますようになりました。コウが努力や練習でつまずいていたとしても、それらを代わりにやってあげることはできません。私が自転車に乗ってもコウが乗れるようになるわけではありません。折り紙でつまずいた工程を折ってあげれば「その折り紙」は完成しますが、「それが折れる自分」にはなれないので、コウは「これは僕には折れないんだ…」としょんぼりしてしまいます。Upload By 丸山さとここのように「もうダメだ!僕にはできないんだ…」と絶望までの距離が短い(そして沈み方が深い)コウですが、泣いたり絶望したりしながら頑張る努力家でもあります。そんな彼が少しでも希望を持って取り組めるように、私も一緒に二重飛びの練習をしたり、折り紙をしたりするようにしています。「ここをこうするとできるよ」と実際に見せながらアドバイスしたり「あー、分かる。ここ難しいよね」と共感したりしながら一緒に試行錯誤し努力を重ねていくことで、コウも「何とか前向きに取り組むことができた」そうです。“乗り越えられる自信”は、ゆっくり少しずつすぐに「もうダメだ…!」となってしまうコウも、今では「少しだけ持ちこたえられるようになった」と言います。Upload By 丸山さとこ「1人だと心が折れた時にそのまま倒れてしまうところを、お母さんが支える柱になってくれていた。今は、その柱が『過去の経験』になってきたなと思う」と振り返る彼に、“過去の経験”の柱は、どういうものでできているの?と聞いてみると、「『前にもこうやって絶望してたけど頑張ったら大丈夫だったし、できなくってもどうにかなるわけじゃない』ってことが分かってきた」と笑って答えてくれました。「一回泣いて『もうダメだー!』ってなってから、『ハァ、やるか』ってなる(笑)」とのことで、彼なりに“見通しが立たず絶望しやすい自分”との付き合い方を構築していっているのだなーと感心しました。Upload By 丸山さとこ“いちいち泣かずに頑張る”のも成長なら、“泣きながら『ハァ、やるか』と言って頑張る”のも成長なのだとコウに教えられているなと思います。私もコウと同じように趣味のゲームや編み物で心が折れることがあります。そんな時は彼を見習って、一しきり落ち込んだ後は涙を拭いて「ハァ、やるか」で頑張りたいと思います!
2020年09月25日告知後の質問には、とことん答える。広汎性発達障害の娘は、現在小学4年生。私たちは、娘が小学4年生になる少し前(小学3年生の時)に、発達障害の告知をしました。告知時、娘は思ったよりあっさりとしていて、説明は意外にもスムーズに終わりました。しかしその後、何度も発達障害について聞くようになった娘。私たちは、娘が発達障害について聞いてくる限り、答え続けました。たとえ同じ質問でも、娘からの言葉を全て受け止めることが、娘が発達障害を受け入れるまでの大切な過程だと思っていたからです。Upload By SAKURA私たちの言葉は、娘の自分の発達障害に対しての受け止め方に、きっと大きな影響を与える…娘がどういうかたちで「発達障害」を受け入れるか気になっていた私は、一つひとつ言葉を選びながら答えました。気になっていたのは、障害の受け入れ方。私が気になっていた、娘の「発達障害の受け入れ方」。それは、主に、発達障害を、いろんな「できない」の言い訳にしてしまうのではないか…チャレンジする前に、いろんなことを諦めてしまうのではないか…という部分でした。Upload By SAKURAもちろん、告知時にそう捉えないための説明は丁寧にしたつもりですし、マイナスに捉えないために明るく話すという努力はしました。しかし、娘本人がどう解釈したか、奥の部分は私にはわかりません。もし、今後娘が苦手なことに直面した時に、発達障害であることを言い訳にしてすぐ諦めてしまったら、私はどう話してあげればいいのか…ずっと考え続けていましたが、まったくいい考えが浮かばず…Upload By SAKURAその時がこないことを祈りながら、娘の様子を見ていました。「発達障害だから無理」の言葉に、思わず…それからしばらく経ち、娘が小学4年生になった、ある日のこと。宿題の間違いを直すようにいうと、イライラした娘が…Upload By SAKURA「私は発達障害だから間違っちゃうの!無理なの!」と言いました。私は瞬間、お腹の底から気持ちがこみ上げるような感覚になり…考えるより先に言葉を発していました。Upload By SAKURA自分でも驚くほど、次々と口から出てきた言葉。言った後、私はハッとしました。何か変なことを言ったのではないか…娘に強く言い過ぎたのではないか…慌てて自分の頭の中で、今言ったことをリピートしていました。予想外の自分の言動に、自分でパニックになっていました。親としての切実な思い。娘は少し黙った後…「わかった」と言いました。Upload By SAKURA私は、思ったより自分が強く言っていたように感じ、娘に申し訳なくなりました。なぜあんな言い方をしてしまったのだろう…冷静になって、自分の言ったことの真意を考えると…Upload By SAKURA私はきっと、娘が言った「発達障害だから、無理」という言葉に、腹が立ったのだとわかりました。発達障害でも、できないことはないと、娘と共に頑張ってきた日々…方法を変えてクリアしてきたことを思い出して、「発達障害だから、無理」という言葉に対して、強く『それは違う!』と思ったのです。これまでもこれからも私は娘の成長を信じているし、家族はもちろん学校や放課後等デイサービスの先生たち、娘に関わる人たちもたくさん支えてくれる。周りの力も借りながら、自分の可能性を否定せずに成長していってほしいのです。話をしてみたものの…私は、落ち着いた後、娘ともう一度話をすることにしました。Upload By SAKURA落ち着いていた分、今度は丁寧に説明できました。娘は「わかったよ。大丈夫。」と言いました。その表情は、いつもと変わりませんでしたが、私は、自分の言葉が娘の価値観や考え方を思わぬ方向に持っていってしまったのではないかと、心配になりました。私の「諦めないで欲しい」という思いは、娘にとって重くなるのだろうか…娘に無理はしてほしくないけど、諦めないで欲しいというこの思いは、もしかしたら自分勝手すぎるかもしれない。そう思うと私は、なんと言葉をかけることが正解だったのか、再び考え込んでしまうのでした。【続く】
2020年09月23日新連載、ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで発達障害当事者であり、『発達障害グレーゾーン』などの著書を持つライターの姫野桂が聞き手となり、ミドルエイジの発達障害当事者の生き方をインタビューする連載がスタート。連載第1回は、2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。2020年4月には、自身の生い立ちや、精神科医の岩波明先生による発達障害の解説、ご夫婦での対談も収録した書籍『僕が手にいれた発達障害という止まり木』(幻冬舎)も上梓しました。「文字がうまく読めないのに落語家になれるの?」と、疑問を抱いた方もいるかと思います。今回は、花緑さんの幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。番組視聴者からのメールで発達障害を自覚姫野(以下、――):花緑さんは、ディスレクシアと診断されているとお聞きしました。ディスレクシアの場合、文字そのものがうまく認識できなかったり、書く際に鏡文字になってしまったりすることもありますが、花緑さんの場合はどのような症状があるのですか?柳家花緑さん(以下、花緑):僕は、ひらがなだけならまだ読めますが、漢字が混ざると読み書きが難しくなります。カタカナも、急いで読み上げようとすると、途中で止まってしまいますね。読み間違えも多くて、その読めるはずのひらがなも「たしなみ」を「たのしみ」と読んでしまったり、仕事で「田町」に行く予定が「町田」に行ってしまったりしたこともあります。特に、緊張しているときや疲れているときは、読み間違えが増えるんですよ。それに、普段なら読める字が急に読めなくなることもありますし、読めても書けない漢字もあります。例えば、「発達障害」という文字も、練習すれば書けるようになるけれども、10日後にはもう忘れているかもしれない。文字が記憶にとどまりにくいんです。また、ディスレクシア以外にADHDの傾向もあります。人と話していて、自分だけがガーッと喋りすぎてしまったり、忘れ物が多かったり……。このような性質も、疲れているときほど強まりますね。――ご自身の症状と、それが起きやすい状況について、とてもよく把握されているんですね。花緑さんが「発達障害かもしれない」と思ったのは、とある番組出演時の、視聴者からのメールがきっかけだと著書に書かれていました。花緑:そうなんです。2014年に出演した番組で、小学校時代の5段階評価で「1」と「2」ばかりの通知表を見せ、「こんなにひどい成績だったけれども、今は弟子もいて、落語を何百席も覚えている落語家です」と話したんですね。それを観た視聴者の方から、「番組で話していた内容が、うちの子とそっくりです。もしかして、花緑さんもディスレクシアではありませんか?」というメールが事務所に来たんです。――そのメールを読んだときは、どう思われましたか?花緑:そのときは、発達障害についてまったく知らなかったし、「障害」というレッテルを貼られるようですごく抵抗があったので、「ちょっと待ってくれ、やめてください」と思いました。だから、「番組では出さなかったけど、主要5教科以外の音楽や図工の成績はよかったし、僕はディスレクシアではないと思います」と、やんわりとお返事したんです。そうしたら、「教科書をあまり使わない教科の成績がいいのも、うちの子と一緒です。やはりディスレクシアだと思います」と返信をいただいて(笑)。気になってディスレクシアについて調べてみると、あまりにも自分に当てはまることが多かったんです。そこで、「ああ、自分は発達障害なんだ」と受け入れられました。43歳のときですね。――ディスレクシアだと気づいたのは、つい最近のことだったんですね。先ほど主要5教科の成績が悪かったとおっしゃっていましたが、学校での勉強は、やはり大変なことも多かったのでしょうか?花緑:小学校2年生の時点で、すでに授業についていけなくなっていました。宿題をするのも難しかったんですが、そうなると、宿題をやっていることが前提の次の授業にもついていけなくなるじゃないですか。みんなが宿題を出している様子を見て、提出できないことに後ろめたさを感じましたし、「人にはできることが自分にはできないんだ」と、自信を失うばかりでしたね。さまざまな授業の中でも、国語の授業での音読は地獄でした。文字を認識するのに時間がかかるので、つっかえつっかえでしか読めず、クラスのみんなに笑われる。今だったら、「他の子が読みたがっているからそっちに回してください」「来月中旬には読みますから」なんて冗談を言えますが、当時はそんな気の利いたことを言えないし、拒否もできません。恐怖心と共に震えながら読んでいました。Upload By 姫野桂文字を介さずに練習できる落語に救われた――そのような経験があると、勉強することが嫌になってしまいそうですね……。ですが、音読で嫌な経験をしたことのある花緑さんが、人前で話をする職業に就いたのは興味深いです。落語はいつから始めたのですか?花緑:小学4年生のときには、祖父であり師匠でもある、5代目柳家小さんの稽古を受けて、落語の初舞台を踏んでいました。祖父が人気者だったので、祖父と一緒に出た落語会は注目され、ワイドショーでも「小さんの孫、デビュー!」などと報道されていましたね。叔父も落語家でしたし、祖父のお弟子さんがうちに住み込みで手伝いをしに来ることもあったので、落語はすごく身近なものでした。特別上手だったわけではないと思いますが、名人には違いない祖父の真似をしていたので、子どもながらに落語っぽくはできていたのだと思います。周りにも褒めてもらえました。つまり、僕にとっての成功体験は落語だったんですね。落語に救われたと言っても過言ではありません。もともと人を笑わせるのが好きでしたし、学校ではできない体験を落語を通じてできたので、楽しかった覚えがあります。だからこそ、中学に入る前に、母に「部活をやるなら落語家にはならない。落語をやるなら部活には入らない。どうする?」と選択を迫られたときには、ほぼ悩まずに落語の道を選びました。――落語を覚える際に、文字が読めないことは妨げにならなかったのですか?花緑:落語は「口伝」といって、対面でしゃべる稽古を通して伝わっていくものなんです。師匠がしゃべったものをICレコーダーに録音して、文字に起こすこともありますが、基本的にはその人の覚えやすい方法で覚えていく。僕の場合、小学生の間は書き起こすこともなく、ひたすら繰り返ししゃべって覚えていたので、文字の読み書きは必要なかったんです。ひらがなでメモを取るようになったのは、たしか中学生以降だったと思いますね。社会で通用するのかという不安。人間国宝の孫であることもプレッシャーに――部活ではなく落語を選び、落語の稽古を積んでいったことで、同級生とは少し違う道を進み始めたのではないかと思います。感覚のズレなどは感じませんでしたか?花緑:中学生のときまでは、あまり感じませんでした。でも、卒業して、僕が本格的に落語の前座修業に入ってからは、少しずつ感覚の違いは出てきましたね。例えば、話すのが好きな近所の友人たちと夜遅くまで話す中で、この先の人生についての話題になったとき。そういうときに、自分がストーンと相手の急所を突くようなことを言ってしまうんですね。そうするとみんなびっくりしちゃって……。友人が高校に通う間、僕は大人と一緒の社会で修行をしているので、どうしても話題がずれたり、自分が少し先に大人びていくような感覚はありました。――中学卒業後、すぐに社会に飛び込むことへの不安はありませんでしたか?花緑:当時のことはあまりはっきりとは覚えていないのですが、やっぱり不安はあったと思います。自分がどこまで通用するかわからない不安と、祖父が5代目小さんであるがゆえの不安という、二つが大きかったですかね。例えば、落語をやっていく上では江戸時代の知識が必須ですが、僕は学生のときから歴史に興味が持てず、全然知らなかったんですよ。落語を話すときに必要な情報を得ようと調べても、発達障害の特性で文字も読みづらいし、好きなこと以外はなかなか頭に入らない。これまでの経験から、自分は他の人と同じように勉強ができない、劣っているんだという思いもあったので、社会でどこまで通用するだろうという点は不安でした。Upload By 姫野桂――もう一つの、おじいさまに関連する不安というのは、どのようなものだったのでしょうか。花緑:自分が受けている評価は、祖父の存在ありきなんじゃないかという不安があったんです。祖父は落語協会という大きい団体の会長でもあったので、周りの人から見た自分は「業界で一番偉い人のお孫様」。当時は自分に自信がないし、実際に実力もまだまだだったので、チヤホヤされるのが嫌でした。1人の落語家として、他の人と同様に見てほしかったんですね。その一方で、これはせっかくのチャンスなんだから、うまく乗っていかないと失礼なのではないかという変な気遣いもありました。――花緑さんはその後、22歳という戦後最年少で真打に昇進したんですよね。花緑:はい。普通は落語家に入門してから、見習い、前座、二つ目、真打という4つの階段を、大体15年位かけて上がるのですが、僕は7年で一番上まで上がっちゃったんです。他の人からどう見えていたかはわかりませんが、冷静に自分で振り返っても、すごく才能があるというわけではなかったと思います。機が熟していない状態での昇進で、ド下手でこそないものの、中途半端な実力でしたね。名声に反して、常に自信はありませんでした。「小さんの孫」として生きていかないといけないのだけれど、そこにあぐらをかかずちゃんとやっていくにはどうしたらいいかを常日頃考えていて。なにかやらなきゃという気持ちが、自立したいというところにも向かいました。――自立ですか。具体的に、どのようなことをされましたか?花緑:真打になる前、実家で暮らしていた21歳の頃から、家に毎月5万円ずつお金を入れ始めました。その頃にはすでに一人暮らしをしたかったのですが、親に「一人暮らしなんてできない」と止められてしまって。それが悔しかったので、自分も自立できるんだというところを態度で示そうと、家にお金を入れ、自分に関する家事は自分でするようになりました。真打になったときには、自分で引越し屋に電話をして、強行突破で一人暮らしを始めました。自由になりたいからということで、自由が丘で(笑)。――自分一人でも生活ができるようにしていったのですね。その結果、自信はつきましたか?花緑:うーん、自信が芽生えてきたのは、30歳前後かもしれません。落語のCDを出したり、有名なテレビ番組に出演したり、初めての書籍出版の話をいただいたり……。一気に有名になり、生活も変わりました。ですが、本当の意味で自信がついたのは、42歳でディスレクシアについて知り、自分は発達障害なんだと受け入れてからだと思います。Upload 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姫野桂能力差を努力不足だと思わなくなった――発達障害であることを受け入れたことで、花緑さんにどんな変化があったのでしょうか?花緑:発達障害は先天的なものですから、読み書きが不得意で勉強ができなかったのは自分のせいじゃなかった、努力不足というわけではなかったんだと思えるようになったんです。もちろん、これからより良くできるようになることもあると思っていますが、なんだか初めて自分の両足で地面に立ったような気分でした。そこからは、自分の感覚を素直に言葉にし、自分をさらけ出せるようになって、オープンマインドになりました。子ども時代からのつらかったことが傷にならないように、自分で心のケアもしていったような感覚があります。2017年、46歳のときに書籍で発達障害を公表してからは、さらに楽になったような気がしますね。仕事の際に余計な緊張をせずにすむようになったので、相手も緊張させず、いい雰囲気で仕事をしやすくなりました。――人との関わり方も変わってきたんですね。花緑:はい。人に対する見方が変わったところもあると思います。僕は今10人の弟子を抱えているのですが、本当に十人十色なんですよね。例えば、15分の落語を覚えるのに、1週間で覚える人がいれば、半年かかる人もいる。その差がそのまま努力の差というわけではなく、習熟には個人差があるのだと考えるようになりました。発達障害であれ健常者であれ、そのような差があるのだということは、自分自身を通じて学びましたね。――今、花緑さんがより生きやすくなるため、困りごとを解決するために取り組んでいる工夫などはありますか?花緑:ナレーションなどの仕事の際は、あらかじめクライアントさんに頼んで、台本にルビを振ってもらっています。また、作家さんに書いてもらった落語の新作台本は、妻がルビを振ってくれていますね。そういったサポートには、とても助かっています。発達障害を受け入れることで回復できる自信――今、発達障害について悩みを抱えている子どもたちに、なにか伝えたいことはありますか?花緑:発達障害かもしれないと思いつつ、受け入れられずに悩んでいる子がいるのであれば、「僕は、受け入れてから楽になったよ」と言いたいです。己と向き合うことに怖さを感じるかもしれませんが、自分の特性を知って初めて、自分の取扱説明書を手に入れられます。対処の工夫ができるようになるのはそれからなので、まずは知る勇気を持つのが大切ですね。そのようなときに、周りのサポートや、同じような特性を持つ人の情報が得られると、自分の特性を受け止める衝撃が緩和されるのではないでしょうか。――花緑さんは、落語家という自分に合う職業を見つけられましたよね。働き方についても、なにかアドバイスがあればお願いします。花緑:自分に向いている職業に出会うためには、好奇心を持っていろんな職業を発見することが大事だと思います。意識の持ち方で、物事の見え方は変わるものです。例えば、「今日のラッキーカラーは赤です」と、朝のニュース番組の占いで聞いた日には、いつもの道を歩いていても、これまで気づかなかった赤い看板などが次々に目に飛び込んできますよね。そんなふうに、意識的に身の回りの仕事に目を向けることで、関心の持てる職業が見つかるのだと思います。そこで必要になる好奇心は、「自分はダメなんだ」と自信をなくしている状態では、なかなか湧いてこないと思うんですよね。だからこそ、発達障害を受け入れ、「これは症状によるものなんだ、自分が悪いわけではないんだ」と思えるようになることは大事だと思います。自信が回復して、心の土台がしっかりできたときに視野が広がり、今後のことにも興味を持てるようになるのではないでしょうか。――興味を持った仕事と、自分の特性上向いている仕事が違う場合もありますよね。たくさんの仕事が目に入るようになったときに、自分に合った仕事はどうやったら見極められると思いますか?花緑:最初から「一生これをやるんだ!」とは決めず、つまみ食いするようにいろいろと試してみるのも一つの手だと思います。興味を持ったらアルバイトなどで体験してみて、向いていないと思ったらまた次を試せばいいと思うんです。僕も前座時代に、師匠の身の回りの手伝いをしながらあちこちついて行きました。そのときに、苦手な「空気を読む」という経験ができたのもよかったと思っています。自分と似た特性を持つ人の本を読むのもいいですよね。同じような症状の人が、こんな業界で働きながらちゃんと生活できているんだと知ることは、希望になると思います。落語家は少し特殊な職業だと思われるかもしれませんが、僕が出した本も、その助けになれば嬉しいです。Upload By 姫野桂発達障害を受け入れたことで新たな自信を獲得した花緑さん。どうすればより生きやすくなるのか、一歩踏み出すための勇気を花緑さんにもらった気がします。もちろん、自分の特性を理解し、受け入れ、付き合っていく道のりは人それそれですが、花緑さんをはじめ、発達障害と共に生きる先輩たちのライフストーリーの中には、一人ひとりが自分らしい生き方を見つけるヒントがきっと散りばめられているはずです。今後も、さまざまな生き方・働き方をしている方々のインタビューをお届けしていきますので、どうぞお楽しみに。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子2020年10月4日(日)14:00配信開始チケット料金:3000円Upload By 姫野桂フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)。Upload By 姫野桂
2020年09月23日息子の友人、おじいさんに席を譲られた!息子が特別支援学校高等部の頃のことです。子ども達が同じ放課後等デイサービスに通うママ2人と私とでお茶をしました。息子(17歳)は自閉症、A君(16歳)、B君(18歳)にはダウン症があります。小学校の頃から同じ放課後等デイサービス、同じ特別支援学校高等部に通っていました。10年以上の長い付き合いなので、結構突っ込んだ会話もドンドンできる気の置けない関係です。Aママ「ちょっと聞いてよ。この間、息子がバスで立っていたら、おじいさんに席を譲られそうになったらしいの」(A君は、当時、一人で公共のバスを使って下校していました)私「それで、本人はどうしたの?」Aママ「『いいです!』って断ったみたい。この話を息子から聞いたとき『やっぱ、“世間からは障害者だから大変だ”って見えるんだ~』と思い、悲しくなったよ!」Bママ「うちの子だったら、きっと『ありがとう!』」と言って席に座っちゃうかも!」私「外見から『障害がある』と分かるのも、理解してもらいやすいと思うから、私はうらやましいよ。本人が言葉に出したり積極的に伝えようとしなくても、周囲の人がSOSに気づいて、救いの手を差し伸べてもらいやすいでしょう。うちは見た目ではわからないから、バスの中で奇声を発したり、落ち着かないと怒鳴られてしまい、それでまたパニックを起こして…」Aママ「そうなのかあ…」もちろん、ダウン症のある子にも知的重度、軽度があり、身体面でも心疾患があったり、身体が弱い子もいたりします。そんな知識があって、おじいさんは「席を譲ろう」と思ったのかもしれません。でも、A君は元気一杯の子でした。このことを実家の母(80歳)に話したら「私だったらダウン症の子がいても席は譲らない」と言っていました。人それぞれです。「普通」として扱われる見た目ではわかりにくい発達障害児は、ぱっと見は定型発達のように見えます。息子は知的障害がある自閉症(IQ37 療育手帳3度)ですので、グレーゾーンではありません。それでも、「障害があるので色んなことが難しくてできないので宜しくね」とママ友に伝えても、容姿を見て「そんなことないじゃない、普通じゃない、しっかりしているじゃない」と数えきれないくらい言われました。誤解もある・NHKの番組で放送していたのですが、成人しているダウン症のタレントさんが居酒屋でビールを頼んだら「ビール飲ませても大丈夫なのかな」と店主が悩んでいたそうです。(年齢ではなく、「ダウン症の人にアルコールは大丈夫なのか」と思ったようです)・心疾患があり、4歳の子をバギーに乗せていたママ。「まあ、立派な足があるのにお嬢ちゃん、ママに甘えないで歩かないとダメよ」と言った見知らぬ人から言われていました。・内部疾患(心臓機能障害、腎臓機能障害、呼吸器機能障害)があるため電車の優先席に座っていた若者に対して「年寄りに譲りなさい」と言わんばかり前に立っている年配者がいました。(ヘルプマークを付ける方法もありますが、まだ世間には浸透していません)障害特性はあるけれど、性格はみんな違う「自閉症の子は秘めた才能がある」だとか「ダウン症の子はピュアだ」とか「これこれこういう障害の子は○○である」と思われていることがあります。確かに障害による特性はありますが、そんな型にはまったものではないと思います。何故なら、みんな一人の人間ですから…。生まれ持った気質や育った環境で全く性格が違ってきます。そんなことを感じたママ友との会話でした。同時に、「こんな突っ込んだ話が出来るママ友がいることは幸せなことだ~」と感じたお茶の時間でした。
2020年09月22日■前回のあらすじ完母にこだわるあまり口にするものに恐怖を感じたり、息子が生きているか毎晩不安になったり…、気の休まらない日々が続くのでした…■産後の方が不安が大きい! そしてまた新たな不安が…月齢に応じて出来ることが、少しでも出来ていないととにかく不安。生後2ヶ月ですでに発達障害を疑ってしまい、ますます眠れなくなりました…。■息子の発育のことを、夫に相談してみたら…気になって仕方なく気付けばつい検索している自分に嫌気がさします…。毎日不安な気持ちを否定せずに聞いてくれる夫の優しさに救われましたが夫と話せない時間は相変わらず不安な気持ちのままでした…。私に今できることは…何かできることはないかと、発達支援センターにメールを送ってみましたがやはりこの月齢では療育を受けることができず…。しかし丁寧で親切な対応に少し安堵し、自分なりに家でできることを探してみました。次回に続きます。※発育に関しての見解は筆者個人の体験によるものです。 【同じテーマの連載はこちら】 湯本もゆのオドオド手探り育児 この連載の全話を見る >>
2020年09月18日ITを活用したメンタルケア最近はメンタルケア用のアプリが豊富に出揃ってきています。このごろ、病院での治療や家でのメンタルセルフケアに認知行動療法を使うことが普及してきています。スマホ向けのアプリと認知行動療法は相性が良いようで、メンタルケアの分野では特に認知行動療法系のアプリが多くみられます。認知行動療法の感情日記を再現した感情ログ機能や、心のバランスをとるためのマインドフルネス瞑想のガイド音声が揃った、しっかりした内容のアプリとして「Awarefy」があります。これまでも、感情ログ単体のアプリや、瞑想用のガイド音声単体のアプリはあったのですが、Awarefyのように総合的に認知行動療法を行える、充実した無料の日本語アプリは今までにありませんでした。感情の記録やマインドフルネス瞑想といった、少し敷居の高いセルフケアの敷居を下げてくれます。私はこのアプリを使い始めてから、感情ログと瞑想をかなり習慣化することができました。ガイド音声はわかりやすく、不安をどうにかしたいときや深く眠りたいときなど、シーン別にたくさん用意されています。子どもが落ち着かないときなど、一緒に音声を聴いてリラックスすることに誘ってみるのもいいかもしれません。感情ログは感情を色で分けてグラフ化してくれるのでぱっと見てわかりやすく、一週間ごとの総合レポートも出してくれて、振り返りに便利です。参考:awarefyAIを搭載した会話アプリとして「SELF」もあります。AIというと冷たく不自然そうな印象がある人も多いと思いますが、会話してみるとかなり丁寧に作り込まれていて、会話していくうちに想像以上に気持ちが落ち着いていくことも多いです。会話相手のAIは、情報提供系、癒し系、悩み相談系、猫など複数揃っています。使っていくうちにデータがたまっていって、「悩んでるって言ってたけど最近はどう?」とか聞いてくれたりします。一日や一週間の振り返りを手伝ってくれたり、性格分析の機能もあったりします。本人がAIとの会話だけでどうにもならない悩みや状況を抱えていることがわかった場合、適切な専門家や助けにつながるように促してくれることも。すでにカウンセラーや精神科医師とつながっているけれど、きょう、今晩がつらいんだ! しかも相談できる友達もいないし、友達がいるけど誰もつかまらない! みたいなときってあると思います。私の場合、そんなときにSELFを使ってみると大きな助けになってくれました。相手が人間ではないので、夜中だろうが、100回頼ろうが「悪いな」と思わないですむのも助かりました。TwitterなどのSNSは愚痴の吐き出し場所として便利ですが、悪意のある人たちが荒らしにきたり、子どもの心の隙や無知につけこんで利用しようとすることもあります。子どもが愚痴のこぼし先に困っているようなとき、さりげなくSELFについて教えてあげるのもいいかもしれません。参考:SELF発達障害があると気持ちの切り替えが難しく、何時間も過集中したり過緊張に陥ったりすることが多いです。あちこちに注意が散ってしまって今なにをしていたのか忘れてしまったりすることも。服薬や環境調整とあわせて「マインドフルネス」の練習をしてみると、少し気持ちの切り替えや集中の維持に良い影響が出てくるかもしれません。マインドフルネスとは、「いま・ここに気づいていること」という意味です。目の前の行為だけに夢中になって没入してしまうのではなく、たとえば「あ、私はいまこのように没入しているな」と気づく。こうした気づきがあるだけで、漫然と没入しつづけていた状況に少しだけ距離をとることができ、少なくとも没入が強まっていくばかりの悪循環を起こさないようにコントロールできるようになります。こうしたマインドフルネスを助けてくれるのが「マインドフルネス・ベル」です。マインドフルネス・ベルとは、マインドフルネスを促すベルのこと。一定時間ごとに仏壇のお鈴のようなベルがチーーンとなるので、このベルが鳴った瞬間にそれまでにやっていたすべてのことをいったん中断して、ベルの残響が響き終わるまで呼吸に集中します。過集中を起こしているときなど、せっかくノッているときに邪魔が入る感じで少し煩わしいのですが、できるだけ忠実にマインドフルな瞬間を作っていくと、だんだんと心身が楽になっていることに気づくと思います。先の記事でも、スマートスピーカーの項で「行動を修正せよという注意をするとき、感情の乗った人間の声よりも、感情の乗っていない音のほうがよいので、スマートスピーカーは行動修正に向いている」とお伝えしました。マインドフルネスベルの場合も同じことが言えます。子どもが過集中を起こしているときに「ほら、また過集中起こしてるよ!」と言うよりも、マインドフルネスベルをチーンと鳴らしたほうがスッと伝わる場合があるかもしれません。マインドフルネスベルは、マインドフルネスを実践している僧院では一定時間ごとに本物のベルが鳴らされているのですが、マインドフルネスベルのアプリでは、設定した時間ごとにスマホからベルの音が鳴ります。アプリは複数あるので、使いやすいものを探してみてください。参考:Mindfulness Bell参考:Mindfulness Bell参考:MindBell発達障害があると、疲れやすかったり、睡眠の質のコントロールがうまくいかなかったりします。私も日中に少しでも緊張が続いているとテキメンに睡眠の質が落ちるのがわかるので、睡眠に関しては試行錯誤の日々です。センサーで心拍や振動を計測して睡眠の記録をとってくれるアプリもあります。長く記録を取りつづけるほどに、日中の活動状況が睡眠の質にどのように影響してくるのかがわかってきます。ログを見ながら生活のしかたを調整していけるようになるので、とても助かっています。睡眠ログはパッと目で見て理解できるカラーのグラフなので、主治医に見せて薬の調整に使う、ということもできます。Garmin Connect MobileGarminの活動量計(後述)と連携させて使います。活動量計で計測した心拍や身体の動きから眠りの深さや長さを記録してくれます。参考:Garmin Connect MobileSleep Cycleスマホ単体で使える睡眠記録アプリ。寝床にスマホを置いて眠ることで、寝返りの振動から眠りの深さを推測し、記録をとってくれます。参考:Sleep Cycle参考:Sleep CycleITを活用した身体のケア活動量計とは、常に身につけておくことで心拍や動きなどのヘルスケアデータを計測してくれるデバイスのことです。活動量計にはいろいろありますが、私が愛用しているのはGarminの腕時計型の活動量計です。Garminの活動量計にはBody Batteryという独自の機能が搭載されています。Body Batteryは心拍の傾向や動きからその日の体力の残量を推測して表示するもの。質のよい睡眠を十分にとって目覚めたときの体力を100とし、疲れ切った状態を5として、今どの程度疲れているのかを表示してくれます。発達障害のある人には、自分の疲れやストレスを感じ取ることが苦手な人も多くいます。まめにBody Batteryを確認しておけば休憩をとるタイミングがわかり、突然倒れたり眠り込んだりしてしまうことを防げるようになります。ログを長くとるほど、自分がどんな場所でどんなことをしていると疲れやすいのかの傾向がわかってきます。ストレス度が目で見てわかるので、疲れやすさを抱えながらうまく自覚して言葉で訴えることのできないお子さんのいる人は、こまめに一緒にいまのBody Batteryを確認するようにしておいたり、本人にも自分で確認するように教えておくとよいと思います。Garminの活動量計には子ども向けのものもあるので、探してみてください。高精度なセンサーを身体のモニタリングに生かした活動量計やフィットネスゲーム、運動のための敷居を下げてくれるスマートスピーカーなど、身体のケアに使えるITはたくさんあります。参考:Garmin vivosmart4運動習慣ってなかなかつけづらいですが、ゲームを使って楽しく演出すればハードルも下がるかもしれません。なかなか外出しづらい昨今、こういったゲームで皆で運動を楽しむのもいいですね。発達障害があると筋力が弱かったり、自律神経のバランスがとりづらかったりします。私の場合、生活の中に意識的に運動を取り入れることを意識していると明らかに心身の調子がよくなるので、できるだけ運動をするようにしています。(運動ができないほどに調子を崩してしまった場合にはまずは休息に専念するのがおすすめです)Nintendo Wii fitヨガやボクシングエクササイズなどができます。参考:Nintendo Wii fitNintendo Switchダンスエクササイズゲームなどができます。参考:Nintendo Switch習慣化しづらい活動の習慣化しづらさって、その活動を始めるときのハードルの高さが関わっていると思いませんか? たとえば、ラジオ体操を毎日やろうと思っても、スマホの音楽アプリを開いて再生したり、テレビをつけて録画してあるラジオ体操を再生したり、って考えるだけで面倒くさい……けれど、スマートスピーカーがあれば、「ラジオ体操第一を流して」とか話しかけるだけです。私はスマートスピーカーのAmazon Echoを自宅に導入したおかげで、いくら努力しても続けられなかったラジオ体操が習慣化できました。ほかには「ディスコミュージックを流して」と話しかけてノリのいいディスコミュージックをかけてもらい、ストレッチや有酸素運動をしています。参考:Amazon Echo dot参考:Google home発達障害があると体幹が弱く、いつも緊張していて深い呼吸ができない→ 筋肉も発達せず緊張もとれない という悪循環を起こしがちです。「体幹 ストレッチ エクササイズ」「呼吸筋 ストレッチ トレーニング」など、動かしたい場所に関するキーワードで検索してみましょう。ストレッチしながら軽い筋トレになる、道具のいらない簡単なものが特におすすめです。
2020年09月17日息子が小学6年生の時の出来事小学校6年の冬、息子は季節性のインフルエンザにかかりました。病院で処方された抗ウイルス薬を服用した後も高熱は暫く続きました。夜、私と娘が話をしていると、隣の部屋で寝ていた息子が何か訴えてきました。「どうした?しんどいの?話し声がうるさかった?」娘との話を中断し息子の部屋に向かうと、息子がドアの前に立っていました。何やら不穏な様子息子はこちらの問いに答えず、唸り声を上げていました。「吐き気がするの?トイレに行く?」私は息子をトイレに誘導しましたが、背中をさすっても息子は上手く吐くことができないようでした。唸り声は徐々に大きくなっていき、息子は便器に顔を突っ込んだまま便座の蓋の開閉を始めました。「ちょっと⁉頭、挟まってるよ!危ないって!」私が制止しても息子はやめる気配がありません。唸る息子が自ら“便器怪獣に食べられてるような仕草”を繰り返すのを見て私は思いました。「これは熱せん妄かも…」知識はあったけれど1~10才台の子どもが発熱に伴って異常な行動をとる『熱せん妄(もう)』は、ニュースなどで見て知ってはいました。実際、娘が小さいときに、インフルエンザの高熱でうなされながら布団の中で足をバタバタさせていたのを(私も横で寝込みながら)目にしたことがありました。2才の幼児が布団の中で足をバタバタするぐらいなら「熱でうなされているのかな?怖い夢でも見たのかな?寝ぼけているのかな?」と思う程度ですが、11才の男子が立ち歩いて大声を上げる様子を目の当たりにすると、知識はあってもやはり動揺します。救急外来を受診幸いそのときは家に主人がいたので、叫び声を発しながら便器に頭を突っ込んで便座の蓋を開閉する息子を主人に押さえてもらい、その間に私は救急に電話をしました。救急隊の人に支えられ救急車に乗り込む頃に息子は落ち着き始め、受け答えもできるようになっていました。病院に着いて医師の診察を受けたときには日時や名前、自分がいる場所なども言えていました。医師によるとインフルエンザの流行時期だったこともあり、その日は息子と同じような症状の子どもが10人ほど救急外来を訪れ、そのうち何人かは経過観察の為そのまま入院になったそうです。息子は会話もできるようになっていたので、解熱剤を処方され帰宅することになりました。ただ、今後も同じような症状が起こり得るので、暫くは大人が傍で様子を見ているように言われました。熱が高い間は要注意熱が続いた数日間は、医師に言われた通りできるだけ私か主人が息子の傍にいるようにしました。玄関や窓はダブルロックをし、台所のコンロもロックを掛けました。熱せん妄と思われる症状はその後2回ありました(いずれも寝起きの時)。目は開いているのですが、やはりこちらの呼び掛けには応じることはありません。2度目以降は“便器の蓋パカパカ”はありませんでしたが、トイレの前で叫んだり、廊下で頭を抱えてうずくまったりしました。私は息子が落ち着くまで背中をさすりしました。落ち着くと息子は再び布団に戻り眠りました。私は息子の様子から、「身体は起きているけど脳は眠っていて夢を見ている状態なんだろうな」と思いました。熱せん妄よりも私が驚いたこと息子が回復した後、私は息子と熱せん妄を起こしたときの話をしました。本人にはその時の記憶ほとんどありませんでした。息子「最初の時だけ少し覚えてる。多分夢だと思うんだけど、部屋の中に何人か人がいて、その人の頭の上にしずくの形をした魂みたいのが見えたんだ。」私「そりゃ怖いね。逃げ出したくもなるね。」息子「でもその後は記憶ないな。俺、どんな様子だったの?ホントに大声出したりしたの?」私はそのときの様子を絵に描いて息子に見せました。すると...Upload By 荒木まち子息子「・・・。俺、障害になっちゃったのかな?」私「!?」息子「だって姉さん、暴れてた時あったじゃん。」私は息子のこの言葉にとても驚きました。暴れる=障害!?数年前、娘が高校生のとき、家で暴れていた時期がありました。息子はそのとき、小学校の低学年でした。それまでの姉からは想像できないほどの豹変ぶりを彼は目の当たりにしていました。そのときの様子がよほど印象深かったのでしょう。息子は今回自分が暴れた原因が、姉と同じように障害由来ではないかと心配したようです。それは“きょうだい児ならでは”の発想なのでしょう。私は息子に熱せん妄の説明をし、姉が暴れた原因とは違うことを伝えました。思春期の息子に対し今年中学生になった息子は、「親に自分の部屋に入って欲しくない」「友達に姉の障害の事を知られたくない」と思うようになってきています。親を疎ましく思い、友達に大きく左右されるといった典型的な思春期を迎えています。また、精神的にも知的にも息子は姉を追い越し始めてきています。息子が私に「姉さんに対してどう接したら良いかわからないときがある」と言ったこともあります。小学生の時とは明らかに違ってきています。今まで事あるごとに娘や主人に対して障害の特性について対話を重ねてきたのと同様に、これからはきょうだい児である息子に対しても、娘の障害について丁寧に話をしていく必要があると感じています。おまけ息子が回復するまで同じ部屋で寝たり、日中そばでずっと見守ったり、熱せん妄をおこした際には抱きしめたり体をさすったり、と濃厚接触をしていたにも関わらず他の家族にインフルエンザは感染りませんでした。マスク、消毒、手洗い、うがい、換気などの対策をすれば、家庭内感染の予防はできるんだなぁ、と実感できたできごとでもありました。おしまい
2020年09月16日むっくんの通う特別支援学級についてむっくんはADHDと自閉スペクトラム症の診断を受けていますが、発達検査上は大きな凸凹はなく、数値的にも通常学級に通えると言われていました。しかし、感覚過敏や感情のコントロール、対人コミュニュケーションの苦手さが親として心配だったことから、小学校と相談の上、特別支援学級の情緒級に在籍するに至りました。むっくんの通う小学校の特別支援学級は全部で4クラス。1クラスの定員は8名で先生は各クラス2人です。むっくんのクラスには1年生3人と5年生3人が所属しています。1年生3人は交流学級でも同じクラスです。運営上の理由もあってのクラス編成だと思われますが、移動教室の多い特別支援学級生活の中で、同じ友達と行動を共にできることがむっくんの安心に繋がっているように感じます。Upload By ウチノコまた、5年生も同じクラスなので、授業以外の場面でずいぶん上級生に面倒を見てもらっている様子。異なる学年の子と日常を一緒に過ごすというのは、刺激も多くおもしろいなぁと思いながら見守っています。むっくんの小学校生活特別支援学級では主に算数と国語の授業が行われています。先生1人で3人の1年生を指導しており、子どもの状態によってはヘルプの先生が来てくれることもあるようです。むっくんは情緒級なので、教科書、ノートなどの教材は全て通常学級と同じものを使用しています。また、各教科の授業回数、授業内容も通常学級と同じです。ただ、課題プリントなど、先生がオリジナルで作成する教材は交流学級とは違うものを使用しているようです。授業中の様子については、せっかちで課題を終えるのが早いむっくんはみんなの課題が終わるまで待つことが苦手だそう。待つのは嫌だと怒り、機嫌が悪いと課題の間違いをやり直すことも難しく、先生の指導に反発することも多いようです。今は無理にやらせるのではなく、先生との信頼関係を築きながらゆっくり本人のペースで進めてもらっています。おかげさまで夏休みには怒りながらも、指摘された間違いを直せるようになっていました。また、注意深く文章を読むことが苦手なむっくんが、文章にえんぴつを当てて、読み飛ばしを防止している姿には感動しました。個人の得意不得意を考慮しての指導が伺えます。Upload By ウチノコ特別支援学級に所属する子どもは、通常学級にも所属することになります。これは、交流学級と呼ばれる特別支援学級から通常学級に戻って授業を受ける時間があるためです。交流学級での科目は、体育、音楽、図工、生活など。むっくんの小学校では交流学級の時間には、必ず特別支援学級の先生が付き添う仕組みになっています。むっくんは集団の中でスムーズに授業を受けることが難しいときもあるので、この仕組みは親としてはとても安心です。Upload By ウチノコそんな交流学級についてむっくんは、「人が多くて疲れるから嫌だ。」と愚痴ることもあれば、「楽しい!」と話すこともあり、本人のペースで学んでいるようです。ただ、音に敏感なためか音楽の授業は辛いことが多いようで、どうにも参加することが難しいときは授業を受けずに特別支援学級に戻り、休ませてもらったこともあります。辛いときに静かに過ごせる場所が確保されているという安心感があるからこそ、少し疲れても交流学級を頑張れているのかもしれません。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ特別支援学級の友達とはとても仲良く過ごしている様子です。特に同級生に対しては「一番仲良しの友達!」と嬉しそうに話してくれます。積極的に人と関わるタイプではないので、また、長時間過ごさない交流学級では友達を作ることが難しいかと思っていたのですが、意外とむっくんの名前を覚えて声をかけてくれる子もいてホッとしています。Upload By ウチノコ次回に続きますさて、ここまではいかにも学校らしい部分についてのお話となりました。とは言っても学校によって、様子やシステムには違いがあると思います。全ての小学校に当てはまるわけではないと思いますが、少しでも生活をイメージする参考になればと思っています。さて、次回は学校生活に付属する登下校や給食、休憩時間などについて詳しくお届けします。Upload By ウチノコ
2020年09月14日\チェック!/うちの子どうしたら勉強してくれる?こんな場合はオンライン学習が合うかもUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフ「学校の勉強に集中できない」「マイペースすぎて学校を窮屈に感じている」というお悩み。LITALICOライフの勉強会や個別面談でも、よく耳にします。Upload By LITALICOライフオンライン学習ってどんな学習スタイル?過去の学年の学び直しもできる2019年、文科省は「GIGAスクール構想」を打ち出しました。タブレットやインターネットを使い、それぞれのお子さまに最適な学習スタイルを実現させる構想です。オンライン学習の良い点は、自分のペースで進められること。そのため、苦手な科目を重点的に学んだり、好きな科目を先取りして学ぶこともできます。大人数で同じペースで進めることが苦手なお子さまも、主体的に取り組める良さがあります。Upload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフ通学するスタイルのオンライン学習もある!「オンライン学習」というと、どんなものを思い浮かべますか?学校から帰ってきた放課後、自宅でタブレットなどで学習する…というイメージもあるかもしれません。実は今、授業そのものがオンライン化しているものもあります。高校の選択肢では「通信制高校」はずいぶん認知されてきましたが、中学でも一部出てきました。家で一人でもくもくと机に向かうスタイルのものもあります。一斉指示が通りにくかったり、周りがガヤガヤしていると集中できない、というお子さまには良いかもしれません。先生やお友だちと関わるタイプだと、スクールに通学し、自習室で自分のペースで進めるスタイル、家で、ビデオ会議を用いて朝礼やグループワークをするスタイルなどもあります。Upload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフオンライン学習はあくまでも選択肢の一つ。他の選択肢や、お子さまに合った環境の整理は、無料勉強会でお伝えしていますもちろん、オンライン学習は、あくまでも選択肢の一つです。学習方法や合うと感じる環境は、お子さまによってそれぞれです。Upload By LITALICOライフLITALICOライフでは、保護者さまに向けた無料勉強会を開催中です。オンラインでの開催なので、ご自宅からご参加いただけます。「グレーゾーン向け 個性を伸ばす「中学・高校受験」発達に特性のある子にあった個性を伸ばす進路の選択肢勉強会」では、STEAM教育やものづくりの特色がある学校、海外留学についてなど、多様な学びの環境についてもお話します。「個別でより具体的に話したい」という場合は、勉強会参加後に希望すると、個別面談で進路や教育費など幅広い話をすることもできます。Upload By LITALICOライフ「不登校の支援と将来への準備」がテーマの勉強会は、不登校だけではなく、“お子さまが学校を行き渋っている”“不登校ではないけれどさまざまな選択肢を知りたい”、という方にもおすすめです。義務教育以降の高校進学の選択肢として、通信制・サポート校や高等専修学校、チャレンジスクールなどについてもお話します。Upload By LITALICOライフどの勉強会でも、チャットで質問できる機能や個別面談の案内をしています。少し興味がある、という方はお気軽にご参加ください。LITALICOライフでは、幼児教育や中学・高校受験、キャリア支援など、さまざまな専門領域をもつコンサルタントが、年間2,000以上のご家庭へ勉強会や個別面談を行っています。これらの知識やノウハウを基に、より多くのご家庭の困りごとや将来への不安を、少しでも「安心」に変えていけるような情報をお届けするメルマガを配信しています。想定配信内容・発達障害のある子にあった進路や自立に関するヒントやイベント情報・発達障害のある子の特性や個性を活かす手立てやお役立ち情報・読者からの子育てのお悩みQ&AなどUpload By LITALICOライフLITALICOライフはお子さまとご家族が「自分らしい人生」を歩んでいくために障害分野とファイナンス、その両方の専門家としてライフイベントやライフプランの見直しを相談できるパートナーです。社会資源やサービス・お金の知識といった幅広い内容を身につけることができる勉強会や、専門領域をもつコンサルタントとの個別面談・プランニングを提供しています。Upload By LITALICOライフ
2020年09月13日授業中にぼんやりしている子のつらさこれまで私は児童精神科医として少年院に勤めながら、自治体の教育相談、学校コンサルテーションなども行ってきました。教育相談の場を通じてお子さんの知能検査などを行うこともあり、その際に、お子さんの「見る・聞く」といった認知機能に弱さが見つかれば、それが学業不振につながっている可能性を保護者の方に説明してきました。すると、保護者の方の多くは、「それじゃあ、この子が授業中にぼんやりしていたり勉強が苦手なのは、ふざけていたりなまけたりしているせいではないのですね」と納得がいった様子を見せます。なかには、それまでの子どものつらさに思いをはせてか涙を流される方もいらっしゃいます。認知機能に弱さがあるのはどうしたら?そのあと、決まって保護者の方から受けるのはこんな質問です。「認知機能に弱さがあるのは、どうしたらいいですか?」しかし、そうたずねられても、以前の私は、なかなかいいトレーニングを紹介できずにもどかしい思いを抱えていました。当時も書店に行くと「見る・聞く力を育てる」という書籍もありましたが、効果検証が不足していたり、包括的に力をつけさせるものではなかったり……。学習ソフトやオンライン教材で「見る・聞く力を育てる」トレーニングを提供しているものもありますが、とても高額であったりしました。そこで、私自身が約5年間にわたり、当時勤務していた医療少年院でトレーニングを実施し、少年たちに対して手応えの得られたトレーニングを『コグトレ』として提供するようになったのです。認知機能を強化する『コグトレ』『コグトレ』とは、「認知○○トレーニング(Cognitive 〇〇 Training)」の略称です(○○には「ソーシャル(社会面)」「機能強化(学習面)」「作業(身体面)」が入ります)。コグニティブ(Cognitive)とは日本語で「認知」のことで、社会面・学習面・身体面から包括的に子どもたちを支援するプログラムが『コグトレ』です。認知機能強化もその1つです。私たちは、五感(「見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる」の感覚)を通して外部から入ってきた情報を処理しています。これが「認知機能」です。認知機能によって、自分の置かれている状況を認識したり、言葉でコミュニケーションをしたり、問題解決の手段を考えたりして、日常生活を送っています。先生の言うことも聞き取れないことも認知機能が弱いと、学習や対人関係にも弊害が生まれます。例えば、見る力が弱かったら、板書を写せなかったり、漢字の書き取りができなかったり、算数のうっかりミスにつながっているかもしれません。聞く力が弱かったら、先生が言っていることをきちんと聞き取れないこともあります。もしも、お子さんがまじめに勉強に取り組んでいても、テストでいい点が取れない、苦手意識がある、覚えられないというケースでは、認知機能のどこかにつまずきがある可能性があります。認知機能は、子どもの見る力、聞く力、想像する力といった、いわば「学習の土台(スポーツでいう基礎体力)」なのです。分かっていなくても「はい」と答える子の心理相談を受けたお子さんのなかには、先生の言うことが聞き取れていないのに、「分かりましたか?」という問いに、とりあえず「はい」と答えてしまうような子もいました。その子なりのプライドで、「分かっていない」と周囲に知られるのが嫌なのです。そうなると、あとになってできていないことが発覚したときに「ウソつきだ」「ふざけているんだ」「なまけたいからだ」などと誤解を受けてしまいかねません。授業についていけない子が「コグトレ」をすると教育相談では、市内の学校から、授業についていけない、黒板が写せない、漢字を覚えるのが苦手、計算が苦手といったお子さんが、保護者とともにやってきます。年齢はだいだい小学2~3年生が多く、なかには高学年のお子さんも見えます。わが子の発達を心配してわざわざ相談に来られるくらいですから、やはりなんらかの課題が見つかります。多いのが境界知能(明らかな知的障害ではないものの支援が必要な水準)や能力の偏りといったものです。その後は、お子さんの発達の特徴をより詳細に見るために、『コグトレ』のワークシートの問題をやってもらいます。計算が苦手、漢字を覚えられない、黒板を写せない背景「まとめる」「点つなぎ」「形さがし」といった課題シートに取り組んでもらいますと、黒板が写せない、漢字を覚えるのが苦手、計算が苦手といったお子さんは、いずれかの、またはすべてのシートがうまくできないことが多いです(課題シートの例題は、追って紹介します)。「まとめる」問題で、5つまとめて囲む力がなければ、繰り上がり・繰り下がり計算のときに必要となる「数を量としてみる力」が育っていないため、計算が苦手になってしまいます。「点つなぎ」問題で、見本を見ながらそれを模写することができなければ、漢字はもっと難しいのでなかなか習得できないでしょう。漢字を覚えられないのは、「形を認知する力」が育っていないことが原因の1つです。また、「形さがし」問題で、いくつもの点々のなかから三角形や四角形を見つけることができなければ、場所や大きさが変わってもある形を認識できる「“形の恒常性”という力」が育っていないと考えられます。“形の恒常性”が育っていないと、黒板に書かれた図形などをノートに小さくまとめて写すといったことが難しいのです。できないことの練習で苦しい子どもこういった「数える」「写す」「見つける」といった基礎的な認知能力の弱さが背景にあれば、どうしても勉強についていくのが難しくなります。しかし学校では、計算が苦手ならばひたすら計算ドリルを、漢字が苦手ならばひたすら漢字のドリルをやらせる場面もあるでしょう。そんなふうに苦手を克服させようとしても、子どもは苦しいだけかもしれません。計算や漢字といった学習の土台には、「数える」「写す」といった基礎的な認知機能が必要なのです。そして、基礎的な認知機能はトレーニングにより高められる可能性があります。子どもが楽しい「コグトレ・パズル」を紹介それでは次に、お子さんがもっと楽しんで取り組めるように再編した『コグトレ・パズル』の問題から、いくつか紹介しましょう。まずは「数える」問題からです。以下の問題は、5人のオバケ(コバケというキャラ)を5人ずつ、〇でかこんでいく「まとめる」問題です。数のまとまりを感覚的に身につけていきます。Upload By 宮口幸治「写す」の「点つなぎ」問題は、見る力の基礎力を強化していきます。以下の問題は「点つなぎ」で正確に形を見る力をつけていきます。漢字や黒板の書き写しのトレーニングになります。Upload By 宮口幸治「見つける」問題では、見る力の応用力を強化していきます。以下の問題は「形さがし」です。Upload By 宮口幸治また、「同じ絵はどれ?」では、複数ある絵のなかから同じものを見つけることで、物事を見るときに共通点や相違点を把握する力をつけていきます。Upload By 宮口幸治最後に、「想像する」問題です。以下の問題「スタンプ」ではイメージを反転させる力を強化します。ほかにも、他者視点で考える力、論理的な思考力、時間的思考力を強化する問題もあり、幅広い思考力や推理する力、物事を判断する力をつけていきます。Upload By 宮口幸治これらの問題は、スピードが遅いせいで時間内に課題を達成できないお子さん、記憶力は悪くないはずなのに暗記が苦手なお子さんの処理速度のアップや記憶力のアップも期待できます。また、中学生や高校生でも教科学習にミスの多いお子さんにも、力になることでしょう。ぜひ一度お試しいただければ幸いです。
2020年09月12日学校では教えてくれない、発達障害当事者の「将来」の描き方「進路や職業を考えろと言われるけれど、自分には何ができるのか分からない」年若い、発達障害当事者の友人から、そんな悩みを聞かせてもらったことがあります。「中学、高校、大学と進むにつれて支援が薄くなっていく。我が子の将来をどう考えればいいのか」発達障害のあるお子さんを育てる保護者の方から、そんな不安をお話しいただいたことがあります。発達障害者支援法が制定されてから15年が経ち、「発達障害」という概念やその特徴に対する認知は高まってきました。学校での特別支援教育や、児童発達支援・放課後等デイサービス、就労移行支援といったさまざまな福祉サービスも少しずつ、ですが着実に、充実してきたと言えるでしょう。しかし、思春期・青年期の子ども・若者たちの進路や職業選択に関するサポートはまだまだ手薄いのが現状です。世の中にはさまざまな職業があり、生き方がありますが、このような生の声は学校では教えてくれません。「他の多くの人と同じような人生を送ることはしたくないし、できない、しかし何がやれるのか分からない」「好きなことはあるけれど、自信がなくて諦めざるを得ない」と嘆く子どもたち・若者たちも少なくないと思います。そこでこの度、発達障害の診断のあるミドルエイジの先輩方から思春期の後輩たちに向けた、仕事・人生に関するアドバイスやメッセージを届けていく『すてきなミドルエイジをめざして:発達障がいのある子どもたちの人生設計のために』(仮)という企画をスタートしました。職業やライフスタイル、診断や特性、年齢もさまざまなミドルエイジの発達障害当事者の先輩方のインタビューを重ね、学苑社(特別支援教育関連図書を発行する出版社)さんからの書籍出版を予定しています。今回、LITALICO発達ナビとの連動企画として、書籍出版に先がけて、ウェブ上でのインタビュー記事連載をお届けします。職業も特性も多種多様。ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで記念すべき連載第1回は、落語家の柳家花緑さんのインタビューです(2020年9月23日に記事を公開します)。Upload By 鈴木悠平2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。研究者、事務職、整備士、バーテンダー、作家、心理士、ショップ店員などなど、これからご紹介するインタビュイーの方々の職業や働き方も多種多様です。働き方や生き方に、万人に通じるたったひとつの「正解」というものはありません。「発達障害だから」こういう仕事ができる・できないと決めつけることもできないし、するべきではないと思います。だからこそ、この連載では「答え」を提示するのではなく、多様な先輩たちの多様な生き方と、そこに至るまでの考え方や道のりをなるべく丁寧に共有していきたいと考えています。「これから」を考える思春期・青年期の若い発達障害当事者の皆さんが、自分らしい生き方を考える上での「ヒント」を、それぞれに見つけてもらえるような、そんな連載・書籍にしていきたいと思います。ぜひお読みいただき、感想をいただければ幸いです。企画メンバーからのメッセージ連載企画をスタートするにあたって、企画メンバーからのメッセージです。Upload By 鈴木悠平皆さんの将来の夢はなんでしょう?この企画では、発達障害のあるミドルエイジの人の仕事や生き方にフォーカスしていきます。自分のやりたいことと自分のやれることのギャップに悩んでいる人、障害があることを理由に夢を諦めようとしている人、また子どもの将来に不安を持つ保護者の方にはぜひお読みいただきたいと思います。連載で取り上げられる職業の中には一見、発達障害がある人には向いてなさそうな仕事で活躍している人もいます。自分の特性に周りの環境をいかに合わせるか、先輩達の工夫から「発達障害」の考え方自体が変わるかもしれません。プロフィール:鳥取大学医学系研究科臨床心理学講座教授 LITALICO社外取締役専門は、応用行動分析学、自閉症と発達障害への支援、臨床心理学、特別支援教育。 ペアレントトレーニングシステム、強度行動障害研修プログラム、不登校支援プログラムなどの支援プログラムを開発し、LITALICOジュニアのプログラム監修も務める。学生時代はオフロードバイクにテントを積んで各地を放浪、長らく続いたバイク乗り行動も最近は周囲のご批判から黄色信号。大人になりきれないアラフィフ。井上研究室ホームページ井上雅彦TwitterUpload By 鈴木悠平思春期はどんな人でも悩む時期です。発達障害の特性のある方は、さらに人付き合いや家族のこと、進路で頭がいっぱいになってしまうこともあるでしょう。実際、私も何をやりたいのか、やりたいことがあっても実際にそれで食いっぱぐれずに生活していけるのか、不安だらけだった時期がありました。誰に相談すればいいのかも分かりませんでした。でも、これからご紹介するミドルエイジの先輩たちならば、きっと乗り越えるためのヒントを何かしら知っているはずです。連載、どうぞご期待ください。プロフィール:フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)趣味はサウナと読書、飲酒。姫野桂TwitterUpload By 鈴木悠平進路のこと、仕事のこと、将来のこと。未だ来ずの「未来」のことなんか分からない。「早めに考えてしっかり準備する」なんてこと、僕にはとても出来ませんでした。今もあんまり分かっていません。これから連載を読んでくださる皆さん、特に、思春期・青年期の若い世代の皆さんには、だからどうか、焦らずじっくり、考えたり悩んだりする時間を大事にしてほしいなと思います。今回の企画では合計8名のミドルエイジの先輩方のインタビューをお届けしますが、参考になることもあれば、ならないこともあるでしょう。全部を無理に取り入れようとする必要はありません。でも、たくさんのインタビューの中から、何か1つでも2つでも、皆さん一人ひとりにとって「お守り」となるような、言葉や考え方が見つかると嬉しいな、と思っています。楽しんでもらえると嬉しいです。ぜひ感想もお聞かせくださいね。プロフィール:文筆家/インターミディエイター® 1987年生まれ。株式会社閒 代表取締役。LITALICO発達ナビの初代編集長として、2016年〜2019年4月までの3年間、発達ナビユーザーの皆さんと一緒に歩んできました。現在は独立し、文筆・研究を中心に活動しています。ADHD/ASD混合型。体調を崩したり色々ありながらも、仲間たちと助け合いながら無理なく健やかに働き続ける方法を模索中です。閒 - あわい -鈴木悠平TwitterUpload By 鈴木悠平年を重ねるにつれて、支援は薄くなっていく――これは障害のある子どもを育てる私にとっても常に心のどこかで不安を感じ、懸念していることです。そしてそれは保護者の方が多く感じていることだと思っています。「才能を生かして自立すればいい」と言われ、なぜ障害のある子ばかりがそう言われなくてはいけないのか、そのように吐露してくださった保護者の方は一人や二人ではありません。「手に職を」と言われ、まだ将来の夢も描き切れない幼いうちから職につながる進路選択を迫られることへの悩みを話してくれた中学生もいました。生き生きと等身大で暮らす当事者の取材を通して、将来に悲観することなく、今を大切に生きる道しるべを届けられたらと願っています。プロフィール:LITALICO発達ナビ編集長。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大学卒業後、約15年大手出版社で雑誌・書籍の編集に従事。その後、事業会社の広告宣伝部を経て現職。子どもは高校生と小学生の2人。長女には先天性の重度知的・身体障害がある。発達ナビ上でのダイアリーへの投稿、コラムへのコメント投稿、編著メンバーのSNSへのリプライなども大歓迎です。
2020年09月11日友達付き合いは“コウのペース”で少しずつUpload By 丸山さとこ読書・工作・折り紙などの1人遊びが好きなコウですが、友人と遊ぶことも大好きです。学校の休み時間も家と同じように本を読んだり絵を描いたりしていることが多いようですが、たまにクラスメイトと絵を描いたり話をしたりすることもあるようです。今ではそんな風に自分なりのペースで友達関係を育んでいるコウですが、3歳頃までは公園や児童館で会う子ども達に興味を示すことはなく、むしろ避けて通ることもあるくらいでした。幼児期のコウの友達との関係は?相手が大人であれ子どもであれ人間にあまり興味を示さなかったその頃のコウは、行動が激しく声も大きいためか基本的には子どものことが苦手なようでした。大人しい子であれば近くにいることはできましたが、関わることはありませんでした。Upload By 丸山さとこ「同年代の子どもと接することを強要しても仕方ない。興味が出るのを待とう」と考えた私は、積極的に仲介をすることはしませんでした。とはいえ、「子どもという存在が見慣れないものになると“興味を持つきっかけ”も生まれないかもしれない」とも思ったため、コウにとって強いストレスにならないよう、ある程度空いている時間帯に公園や児童館へ行っていました。そうしてあまり子どもとの関わりがないまま保育園に入園したコウは、反応が乏しく大人しいことからおままごとに誘われるなどして、意外にも集団での遊びに参加していました。おままごとは家でも自発的に行うことの多い遊びだったことから、コウにとっても落ち着く作業になっていたようです。彼にとってのおままごとは“関わり遊び”というよりは“知っているシーンの再現遊び”だったようで、特に他の子と話をすることもなく黙々と料理を作ったりしていましたが、周囲もまだ幼児であることから大きく浮かずに一緒にいることができたようです。あまりしゃべらず大人しかった3歳までから一転、4歳になったあたりから語彙が増え始めたコウは、5歳頃から思うようにいかない時にブリッジをして怒るようになりました。Upload By 丸山さとこある程度会話で意思を伝えられるようになってきたことで、かえって「思うようにならない!」と感じることも増えてきたのかもしれません。この頃はまだ同級生とケンカが成立する程のコミュニケーション力はなく、突然1人で怒りながらブリッジを始めることが彼なりの怒りの表明だったようです。「意思を伝えるということは高度なコミュニケーションなのだな…」と思ったことを覚えています。そんなコウも、年長になる頃には一緒に図鑑を見たりふざけあったりする友達ができたようです。迎えに行くと誰かと遊んでいる姿を見ることも多くなりました。小学生になり、友達と行動を共にできるクラスメイトの中で…小学校入学後も、まだ学年全体に幼さの残る1年生の1学期までは“同じところに集まってワイワイやっている”だけで何となく友人関係が成立していましたが、夏休みが明けた頃から少しずつ周囲とズレが出てくるようになってきました。Upload By 丸山さとこ2年生にもなると、たとえ気の合う子と遊ぶのであっても、「友達と行動を共にする」ことや「ルールを擦り合わせて共有する」ことが必要になってきます。皆が違う遊具に移動する際に声をかけられても「僕はこれをしていたいから」と言いその場に留まるコウです。そんな“協調性の無さ”から同級生の中でも浮いていることが目立つようになってきました。私は、学校でのクラスメイトとの関係については“いじめ”でない限りは直接的な介入はしませんでした。授業中のグループワークなど、協力を得られず課題を進められないのであれば義務教育に支障が出ているということで介入の必要があるかと思いますが、休み時間に誰とどう過ごすかは、子どもの自由だと考えているからです。親から見れば些細な事に思えることでもコウ本人がいじめだと感じていることはありますし、“いじり”なのか“いじめ”なのか微妙だなと思う時もあります。そのような時は担任の先生に事実の確認や見守りをお願いしたり、スクールカウンセリングにて相談をしたりしていました。「こんな時どうする?」を一緒に考える日々コウは今までSSTを受けたことはありません。近くに通える施設が少なく、月に1度病院にてカウンセリングを受けながら空くのを待っている状態です。Upload By 丸山さとこその為、カウンセリングにて相談をしている他は、私がただの親子関係として「こんなことがあったんだよ」「お母さんはこういう時どうしたらいいと思う?」を聞いたり答えたりしているだけです。私自身もASD・ADHDの成人当事者です。コミュニケーションは全く得意ではありませんが、年齢分の経験があることから少しだけ「こうじゃないかな?」「こういうことが起こっているのかもしれないね」と“お母さんはこう思うよ”の範囲で話すことはできます。「遊んでいた友達が移動する時にコウが付いていかないのであれば、その子はまた新しく遊ぶ相手を確保しなくちゃいけなくなるね。そうしたら、その子は次からどうする?」と聞くと、コウは「うーん…『最初から違う子に声をかけたらずっと遊べる』ってなるか…」と答えます。そうして状況を推測して共有した後は、コウに「どうしたい?」と聞くようにしています。コウが「それなら僕も1人で遊んでいた方が自分のペースで遊べていいな」と思うのであれば、それに対するメリットとデメリットを並べて一緒に考えてみます。友達の繋がりを持っておかないとサッカーやキャッチボールなどの1人ではできない遊びの時に困るかもしれません。自分にとって都合の良い時だけ仲良くしよう!とはいかないからです。Upload By 丸山さとこ一方、あまりに無理をして友達のペースに合わせていると、「ちっとも楽しくないし疲れる!」となってしまうかもしれません。そうして考えていくと、「こういうところはもう少し周りに合わせた方が良さそうだな」とか「これは譲りたくないな。どうやって伝えたらいいのかな?」とか、「遊びの好みやテンポが合う子と一緒にいた方がいいんだな」ということが分かっていきます。もちろん、現実はそこまでシンプルではありません。特に、中学年以降になると“相手も本当は嫌だけど我慢をしている”とか、“力関係でNOを言いにくい状況である”など、色々と難しい場面もあるとは思います。それでも、「そういうパターンの可能性もあるよ」という経験を重ねていくことでトラブルの原因や対処法を理解していく部分はあるようです。資源回収などで色々な学年の子ども達が集まった時の様子を見ると、大体2~3学年下の子どもと丁度足並みが合うようで、本当は年齢に縛られず「コミュニケーション能力の発達段階が丁度合う相手」と関わる場があると良いのかもしれないなと感じています。5年生となった現在でも年齢より幼いコミュニケーション力からトラブルを起こすことはしばしばありますが、時には先生などの大人だけでなく、クラスメイトや上級生が仲裁に入ってくれることもあります。Upload By 丸山さとこまた、趣味をいくつか持つようになったことで、それをきっかけにクラスメイトとの交流が生まれることもあるようです。ゲームや将棋やScratch(プログラミングソフト)など趣味が合う友達と遊んだりしているようです。趣味があると余暇の過ごし方も少し豊かになるようです。無理強いにならない範囲で、新しいものに触れる機会を作っていけたらいいなと思っています。
2020年09月08日20代半ばで知った広汎性発達障害…診断を受けたのは就職後Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載第2回は、愛知県名古屋市でグラフィックデザイナーとして働くノビさん(38歳・男性)に話を聞いた。ノビさんは愛知県内の大学を卒業後、印刷会社のデザイナーとして就職した。しかし、ある程度のカリキュラムをこなしていれば一定の評価を得られる学生時代とは違い、入社後ほどなくして壁にぶち当たった。「手が遅いんです。仕事にも時間がかかって、すごく残業してたんです。先輩に『そこまでやんなくていいよ』『うまく手を抜けよ』って言われるんですけど、手を抜くと肝心なところをすっ飛ばしちゃったりして、めちゃくちゃ怒られる。『うまく手を抜く』、その“うまく”ができなかったんです」その後、仕事を辞め個人でデザイナー業を始めようとしたが、それも失敗した。どうにもうまくいかなかった。何かがおかしい。そんな折、大学時代に同じゼミだった友人と再会する機会があった。彼は発達障害だった。「多分お前もそうだと思うから、診断受けてみろよ」。そう言われるまま、ノビさんはクリニックに足を向けた。そこで、広汎性発達障害という診断を受けた。20代半ばだった。発達障害の診断は「許されたような感じがした」Upload By 桑山 知之ノビさんは学生時代、勉強こそ多少できる方だったが、算数だけは異常に出来が悪かった。そして何より、誰かと一緒に何かをやるという楽しみがあまり理解できなかった。「大学時代の友達に久しぶりに会ったら、『学生のときは修行僧のようだった』と言われました。自分の中で正しいと思っていることは譲らないというか、会話を楽しんだり雑談が苦手というか…」思い返せば、幼いころから対人コミュニケーションには難があったノビさん。保育園ではみんながジャングルジムで遊んでいるのを見て「何が楽しいんだ」と思っていた。中学・高校では、仲の良いグループ以外の人間とはほとんど親しくすることができなかった。複数のコミュニティをまたいでいる友人は輪を広げていき、それに乗っかることができなかったノビさんは、やがて遊びに誘われる機会が減っていった。だが20代半ばで発達障害の診断を受け、心が穏やかになったという。「どちらかというとポジティブに受け止めたところがあって、正直ホッとしたんですよ。コミュニケーションもうまくいかなかったことが多くて、自分の努力が足りないとか、自分に責任があると思ってたんですけど、『障害です』『先天的なものです』って言われたときに、なんかこう許されたような感じがしたんですよ」Upload By 桑山 知之3歳児検診で「傾向あり」…伝えてほしかった発達障害というのは、“見えない障害”である。それゆえ、親が自身の常識や価値観を押し付けてしまい、子どもが苦しんでしまうことがままある。発達障害の特性が少しずつ見えてくるのは、3歳児健診であったり、幼稚園や保育園などといった集団生活であることが多い。早期に我が子の特性を理解したうえで親が接していくことで、併発しがちな二次障害を防ぐこともできるだろう。ノビさんは、診断について家族に対し思い切って打ち明けてみた。すると意外な言葉が返ってきた。「けっこう自分としてはそれなりに覚悟を持ってカミングアウトするつもりで、あるとき折に触れて話をしたんですよ。そのときの母の反応が、『あぁ、なんかね、そんな感じだよね』みたいな。なんかそんな気がしてたっていうノリだったんですよ」実はノビさんの母は、おそらく3歳児検診の際、「発達障害の傾向がある」と指摘されていたという。ただ、その段階では保育園で友達と揉めているなどの問題が起きていたわけではなかったため、様子を見ようということになり、そのまま進学、就職まで至ったらしい。その過程でも時折、例えば高校の進路を決めるときには自然がいっぱいあるところがいいんじゃないかという「謎の提案をしてきたこともある」と回顧する。Upload By 桑山 知之「(発達障害かも知れないと)わかってたんならもうちょっと何かこう、訓練とか何かあったんじゃないの?こっちはそれなりに苦労してるんだよ?っていうモヤモヤとした気持ちはありましたね。親は自由な考え方なので、こうじゃなきゃダメとか、レールを敷くような感じは全然なくて、放任主義なんです。それはそれでよかった部分もあるんですけど、もっと関わりがあってもよかったかなと。関係性が薄かったんです」我が子に発達障害かも知れないと伝えることのストレスは非常に大きい。ひょっとしたらノビさんの母はあえて“伝えない”という形を選んだのかも知れない。またそれは我が子を思っての選択だったのかも知れない。しかし成人後、ノビさんは確かに生きづらさを抱えてきた。これはあくまで結果論ではあるが、子どもが生活するうえで違和感を覚えていないか、親はアンテナを張っておく必要があるのかも知れない。再就職失敗、そして離婚…挫折から人の気持ちが分かるようにUpload By 桑山 知之“修行僧”のようだった大学生のころから、ノビさんには恋人がいた。「恋愛偏差値が低すぎた」ため、彼女の方からグイグイと来てくれたのがよかったという。やがて社会人になり24歳で結婚。しかし、個人での事業もうまくいかず、再就職を決意した。「新卒の就職活動と違って、再就職はレールがあるわけではない。面接で自分は必死にアピールしてるつもりでも、面接官から『お前さぁ、今のままでいいと思ってんの?』と説教されて帰ってくる。そうすると、夜の公園でブランコにもたれながら泣いちゃうんですよ。『何やってんだ自分は』って。抑えきれなかったんです」自分自身にそこまで感情の起伏がないため、他人の気持ちが理解できなかったノビさん。人が泣いているのを見ても、本当なのかと疑っていたという。しかし、再就職での挫折を受け、思わず涙をこぼす日々が続いた。それとほぼ同時に、離婚することになった。「本当に胸が潰れるような気持ちをそこで初めて経験しました。あのとき、あの人たちが言っていたつらい気持ち、苦しいとか悲しいっていうのはこれなんだというのが、そこで初めてわかったんです。今までは“自分の中での正しさ”を大事にしていたんですけど、“相手がどう思っているか”を大事にした方がコミュニケーションがうまくいくんだなって」発達障害の僕が生きるための“工夫”診断を受けたことで就労移行につながり、そのままその運営会社に就職したノビさん。現在はさまざまな受託事業のチラシを制作するデザイナーとして活動している。聴覚過敏で特に気になる「人のガヤガヤ声」を遮断するため、最近ではライフル射撃の選手が使うような耳栓をしているという。「努力というよりは、工夫するって感じですね。僕は発達障害以外にもてんかんの持病があって、薬を1日4回飲まないといけないんです。そこで、薬を1錠飲んだら、右腕から左腕にこのブレスレットを1本移していくんです。忘れないようにするっていう努力だとつい忘れちゃうので、仕組みを作るようにしました。このルールを伝えている人なら『朝飲んでないんじゃないの?』とか指摘をしてくれるんです。『この時間は全部左腕にないとダメなんじゃないの?』みたいな」つい忘れてしまうのであれば、仕組みやシステムを変えて、工夫する。診断を受け入れたからこそできる行動だ。他にも、仕事のタスクを付箋で貼っていく中で、優先順位が上がるとその付箋の位置を変えていくことで、見過ごさずに取り組めるといった方法を紹介してくれた。「前にインターネットで見た呟きで、すごいグッと来たものがあって。『みんなすごく我慢してるんだからお前も我慢しろ』って、よくあるセリフじゃないですか。でも、みんなが我慢してるんだったら、システムが悪いでしょって。障害って、みんなが当たり前にできることができないからこそ、“工夫”でなんとかしようと思ってます」Upload By 桑山 知之取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年09月03日「どうしてほかの子はできているのに、自分の子どもはできないんだろう?」幼少期は特に発達速度に個人差があることから、親は“できないこと”をネガティブに考えてしまいがち。ウーマンエキサイトで連載中のSAKURAさんも、そんな思いをして苦しんだひとり。娘のあーさん(現在9歳)は、発達障害(自閉スペクトラム症(※1))で言葉の発達が遅れていたため、周りの子とくらべてしまうことがあったそう。そんな日々を経て、SAKURAさんがわが子の“苦手”や“生きづらさ”と向き合い、奮闘する姿をつづった子育ての記録が書籍 「うちの子、個性の塊です」 になりました。■ママに興味がない子どもがいるの?赤ちゃんの頃からあまり泣かず、ひとり遊びが上手で手が掛からなかったというあーさん。2歳半のとき、子ども支援センターで面談の機会が訪れます。部屋に入るなりひとりで遊びだし、SAKURAさんの元に戻ってこないあーさんを見た先生は、こんな言葉を放ちます。「お母さん、気付いていないかもしれませんけど、これはけっこう問題ですよ。この子はお母さんに興味がないんです」。この衝撃の言葉を聞き、「今まで娘と過ごしてきたすべてを否定されたような気持ちになった」と言うSAKURAさん。そんな彼女が、いつも連載で描いているようなユーモアたっぷりの育児ができるようになったのはなぜなのか。その足跡を書籍からたどります。■なんでうちの子はできないの?発達の遅れを指摘されてからのSAKURAさんは周りの子とあーさんをくらべては「落ち込む日々が続いた」と言います。しかし苦しい日々を過ごした末、SAKURAさんは気付きます。「自分がいくら落ち込んでもあーさんがよくなるわけではない」ということを。当時、あーさんの主治医から言われた言葉もSAKURAさんを楽にしました。「みんな生まれ持ったそれぞれの個性があるんです。発達障害のある子は、その個性がたくさんあるから目立つ。だから娘さんは“個性の塊”なんですよ」。この言葉によって、SAKURAさんはあーさんの“個性”を「楽しもう」と思うようになったと言います。物事への強いこだわりも見方を変えると面白いと感じたり、苦手なものにはあーさんに合ったやり方でサポートしていけばいいのだとポジティブに考えられるようになったのです。■かんしゃくを起こす娘にイライラ…言語の発達に遅れがあったあーさん。4歳頃になると、自己主張やこだわりが強くなって、かんしゃくを起こすことも。一度泣き出すとSAKURAさんの声も耳に入らなくなり、泣き止まずイライラ…。そこで主治医に相談すると、あーさんは「自分の気持ちを表現することが苦手だから泣く」とのこと。そして、「“気持ちの代弁”と“気持ちの同調”をしてみてください」と言われます。怒り出したときは「そっか~、〇〇だったんだ~。〇〇したかったんだ~」など気持ちをまず代弁すること、そして「わかるよ~。ママもそうだったよ~」と同調することで、子どもは「お母さんはわかってくれたんだ」と知り、気持ちを落ち着かせることができるというのです。「これを繰り返していくと信頼関係の土台ができ、お母さんの話も落ち着いて聞けるようになりますよ」と。SAKURAさんが実践したこの方法は、目に見えて効果があったと言います。何度か繰り返しているうち、泣き出してもすぐSAKURAさんの提案や要求を聞いてくれるようになったそう。この方法は、癇癪を起しやすい子や自分の感情をうまく伝えられない子にも効果があるように思えます。■小学校の通常学級は、私のエゴ?あーさんが小学校に入学する際、知的な発達の遅れがなく、主治医にも「通常学級でいけると思います」と言われたこともあり、通常学級を選んだSAKURAさんご夫婦。しかし入学後、授業についていけない部分が出てきて担任からの報告や相談が増え、お友だちともトラブルが起きるように…。たとえば、文章が書けず白紙のまま固まってしまう、お友だちから自分がやっていないことを責められても「私じゃない」と主張できず責められてさらに泣く…など。でもあーさんは、「学校は楽しい」と話し、SAKURAさんはこの状況をどう判断すべきか悩みます。そして、担任から2年生の進級時に特別支援学級(※2)に転籍することをすすめられます。しかし、夫は娘のコミュニケーション能力を上げるためには大人数の通常学級に在籍したまま通級指導(※3)を受けるのがいいのではないかと言います。娘が学校生活を楽しく過ごすには、どれを選択すべきなのか? 周りの意見を聞くうちにSAKURAさんにはどれが正解なのかわからなくなっていきます。この進級問題でSAKURAさんが見せる、子どもにとって何が最善なのかを模索する姿。それは、わが子のために必死で考えることこそが重要なのだと教えてくれます。■個性を楽しむ育児がもたらすものさまざまな困りごとを克服していったSAKURAさん。その様子を読んでいると、子どもの個性を認め楽しむことでただ問題を解決するだけでなく、それ以上にプラスの要素が生まれているように感じます。“個性”を肯定されることで子どもが得る安心感、親子の絆、家族の笑顔…。そして、SAKURAさんの姿勢はあーさんの物事の捉え方にも大きく影響していて、それは彼女の生み出すポジティブでやさしい言葉に表れています。そんな育児を実践するSAKURAさんの書籍は、発達障害の子どもを持つ親だけでなく、子どものちょっとした苦手やこだわりに悩む親たちにも参考になるのではないでしょうか。最後に、SAKURAさんにインタビューさせていただきました。――初めて娘さんの発達の遅れを指摘されたとき、どんなことを思いましたか?「なぜうちの子が」と現状を受け止められず、なぜこうなったかばかりを考え、「私のせいだろうか」 と自分を責めていました。 私の場合、娘を妊娠するまでも、不妊治療をしていたこともあって、「やっと妊娠して、出産して、憧れていたお母さんになれたのに! なんで私がこんな目に…」と思っていました。――ほかのお子さんとくらべて落ち込んでしまったとき、どのようにして気持ちの切り替えをしていましたか? また、その頃の自分に声を掛けるとしたら、どんな言葉を掛けますか?娘の場合、しゃべらないので親子のコミュニケーションがほとんど取れず、他の親子を見るといつも暗い気持ちになっていました。しかし、その暗い気持ちや、悲観的な感情は、持ったところで娘にとってのプラスにはまったくなりませんし、落ち込むことが娘に対して失礼だと考えるようになってからは、落ち込まなくなりました。その頃の自分に声をかけるとしたら…、「大丈夫~! いつかコミュニケーション取れるようになるよ~! 小学4年生の今、ちょっとうるさいなって思うぐらい、しゃべってるよ~!」ですかね(笑)――よく父親の方が子どもの発達についての理解に否定的になると言われていますが、SAKURAさんご夫婦はとても理解しあっている感じがします。お子さんについてパートナーの理解が得られない場合、どうしていけばいいと思いますか?このことはよく聞かれるので、旦那とも話すことが多いです。旦那は「自分の子どものことなのに理解しないって気持ちが、逆によくわからない」と言います。子どもの発達障害について否定的なお父さんは、向き合い方がわからないのだと思います。「俺の子がそんなはずない」とか「知られたくない」とか…。しかし自分の子どもだとしても、クローンではありません。自分と違った一人の人間なのです。その子が生まれたありのままを受け入れるしかない…。そのことに気がつかないと、結果子どものためにはなりません。わが子が将来、自分で生活できるようにするために、今何ができるかを考えてほしいと思います。――最後にSAKURAさんと同様に子育てに悩むママたちに言葉をかけていただけますか?私も現在進行形で、「子育てに悩むママ」です(笑)。毎日毎日子どもたちの要求をこなし、疲れ果てて、「ちょっとYouTubeでも見といて…」とか言って、ソファーに横になっちゃう親です。だから他のママさんたちにメッセージを贈れるほど立派な人間ではないのです。「やるときはやる!」「だらけるときはだらけきる!」で乗り越えましょう! …としか言えません(笑) 「うちの子、個性の塊です」 ([著者] SAKURA,[監修] 井上雅彦/すばる舎 ¥1,540)自閉スペクトラム症の娘あーさん(9歳)を育てる母SAKURAさんが、さまざまな悩みを抱えながらも娘の個性と向き合ってきた様子を、挿絵と4コマ漫画を交えながら描いたエッセイ。母SAKURAさんと、いつも妻の気持ちを理解しサポートしてくれる父、心のやさしい長女あーさん、甘えん坊の長男きーさんの4人家族による愛情たっぷりのエピソードが満載で、読む人をハッピーにさせてくれる。SAKURAさんのブログ: 「うちの子、個性の塊です~マイペース娘の療育日記~」 ウーマンエキサイトの連載: 「うちの家族、個性の塊です」 ※1.自閉スペクトラム症脳に生まれつきある先天的な発達障害のひとつで、特徴として社会的コミュニケーションの障害、限定された興味を持つと言われている。※2.特別支援学級障害のある子ども一人ひとりに合わせた教育を行うため設置された少人数学級のこと。※3.通級指導教室比較的障害が軽い子どもが、通常学級に在籍しながら、その子に合った小集団や個別の指導を受けられる学級のこと。
2020年09月02日初めての夏休みUpload By taeko夏休みが始まり、朝から一日中学童で過ごす生活になりました。夏休みの宿題はプリント13枚ほど、読書3冊~、休校期間中から育てていたアサガオの観察日記2枚、夏休みの出来事の絵日記2枚、防災マップを家族と話し合う課題がありました。今まで学童の学習時間には宿題をせず、市販のドリルをやっていました。市販のドリルはご褒美のシールが男の子向けのカッコいい絵柄で、それが目当てで同じドリルを持ってるお友達と競っているらしく…その調子でドリルを頑張ってほしい!そこで、夏休み期間中も学童ではドリルを、自宅で宿題をすることにしました。朝食後に「時計の針が何になったらやる?」とミミに聞いて、決めさせてから宿題の読書とプリントを1枚(表裏)やることに。Upload By taeko学童では一緒に遊ぶお友達がいるみたいなので心配していませんでしたが、ある日ミミは「学童に行きたくない」と言いました。迎えに行くと汗びっしょりになる程楽しんでいるのに、なぜ行きたくないのか理由を聞くと「家で遊んでいたい」とのこと。色々と疲れてるのかも?と思い、一日だけ休ませることに。私とパパは家にいるけど仕事をしているからミミと一緒に遊べないこと、私はオンラインで打ち合わせがあるから、その時は静かにしてねと伝えました。弟のふーは保育園に行っているのでミミ1人で過ごしてもらうことに。1回30分位と決めた動画を見終わると、やっぱりまだ1人ではいられず、ちょこちょこ話しかけて来るので私は仕事に集中できず...。打ち合わせ中も落ち着かず私はそわそわ。察してくれた部長がチャットで様子を聞いてくれて、「お子さん、学童楽しめるといいね」とフォローしてくれてホッとしました。ミミは学童を休むと、お友達に会えなくて退屈になることが分かった様子。私も仕事しながら小学1年生と過ごすのはまだまだ大変であると痛感したのでした。Upload By taeko学童を休ませた日、自主的にドリルをやりたいと言うミミ!ヤル気がある今がチャンス!でも私の仕事は就業時間が決まっているので、時間の融通が効きやすいパパに見てもらうよう頼みました。けれど、ミミは予想通り数分で涙を流して私の所へ。パパに聞くと、「ダメな所を注意してたら、勝手にあっち行った」とのこと。私は何も言わずにミミのフォローへ。Upload By taekoパパはよくいえばブレない性格。ミミへの言い方を優しくして欲しいとか、「ダメ」という言葉を「○○してごらん」と具体的に指示して欲しいとか、療育的な対応のアドバイスは一切聞いてくれないので、私も求めないことにしています。パパの言葉などによって自己肯定感が下がるようなことが起きたら、パパはミミのためを思って言っているのだと伝えるけれど、「僕はダメなんだ...!」と何度も否定しては落ちていくループ状態に...。私は「そうか~。でね...」と他の話題に変えて、ミミを切り替えます。Upload By taeko感情的になってケンカすると、ミミが「自分のせいでパパとママはケンカしている」と思ってしまうので避けたいところ。私がいつも通りにしていると、いつの間にかパパとじゃれていて拍子抜け。さっきあんなに怒ってたパパと、怒られて涙だったミミだけど、心配要らなかったようです。特別な夏休みだからこそUpload By taeko新型コロナや暑さで外出するのも大変だけど、この状況を楽しみたいものです。家にいる時間が長くなったこともあって子ども達に動画を見せるようになり、私も子育てや自己啓発についての動画を見始めました。参考になる所はどんどん取り入れていきたいなあと思います。
2020年08月31日6歳までに脳の神経系統が大人の90%に発達すると知り、脳を発達させるメニューを知りたいコーチ。ですが、未就学児に集中させるのは難しいですよね。飽きて一人でほかの事をしだす子もいるし、この年代に教えるにはどうすればいい?というご相談です。今回のご相談に池上さんが提案する、子どもたちが楽しんで取り組める「遊び」の要素を取り入れたメニューとは。これまでジェフユナイテッド市原・千葉の育成コーチや、京都サンガF.C.ホームタウンアカデミーダイレクターなどを歴任し、のべ60万人以上の子どもたちを指導してきた池上正さんが送るアドバイスを参考にしてみてください。(取材・文島沢優子)(写真は少年サッカーのイメージです。ご相談者様、ご相談内容とは関係ありません)<<技術はあるのに「1対1を組み合わせた」単騎攻撃ばかり。連携のイメージをつけさせる指導法を教えて<お父さんコーチからの質問>スクールで未就学児を指導しています。6歳頃までに脳の神経系統は大人の90%にも達すると聞いたので、脳を発達させるためにいろんなことにチャレンジさせたいのですが、いかんせん集中が続かない年代なので、練習にあきたり、一人で違う事を始めることもあります。まだ始めたばかりの子たちで、中にはゲームでの接触を怖がったりして積極的にボールを追えない子もいるのですが、この年代におすすめの練習はありますか?<池上さんのアドバイス>ご相談いただき、ありがとうございます。おっしゃる通り、脳の神経系統は6歳頃までにぐんと発達します。このあたりの概論は日本サッカー協会のB級ライセンスを取得する際に学びますね。では、6歳までに発達する90%とはどんなことでしょうか?■遊びの中で身体の動きをスムーズにすることもできる例えば、手の指が一本ずつ折れる。グー・チョキ・パーができる。そのような基本的な動きが該当します。そこから、例えば「右手がグーで左がパーをやってごらん」と言われると、ちょっと難しく感じる子どもが出てきます。さらに、その右手グー、左手パーと違うものを出している状態から「グー・チョキ・パーの順番で変えていこう」となったら、ひとつずつずれていくわけです。(大人でも難しかったりします)そうなると、左右違う動きがなかなかできません。そんな基本的な動きを、遊びのなかで行うだけで、身体の動きはスムーズになります。例えば、鬼ごっこ。鬼ごっこには、本当にいろんな動きが含まれています。鬼が来た。鬼が右に行こうとしたのを見定めて、左に動いてタッチを避ける。もしくはかわすためにしゃがむ。動いている場所に、石とか、椅子とか、何らかの障害物があればそれをよけたり、飛び越えて動く。そんなふうにたくさんの遊びの要素をもったものをメニューに取り入れると、スムーズな動きが自然に身についていきます。■サッカーボールを使った左右バランスの取れた発達を図る方法もまた、幼児期にできるものとしては、サッカーボールを手で使うメニューがあります。右手と左手、両方で交互に投げさせます。右で投げるときは右で投げる姿勢と動きに、左は左のそれになります。6歳くらいで始めると、利き手で投げる動作をたくさんやっていないので、左右どちらも簡単にできるようになります。利き手と逆の手で投げる不自由さを感じないので、子どもは抵抗なく交互に試るからでしょう。ずっと利き手ばかりで投げていると、利き手のほうがスムーズなので逆の手で投げたがらなくなります。これは大人もそうですね。これは、足でも同じことが起きます。6歳以下の幼児の頃から両方の足で蹴ることを遊びの中でたくさんやってみてください。そうすると、左右バランスのとれた発達が図れます。■あまり気負わないこと、大人が義務感をもってしまうと「遊び」が楽しめない少年サッカーでは、小学3年生くらいからコーディネーションのようなトレーニングをしていますね。そんなふうに考えてやってみてください。そして、気をつけたいのは「6歳になるまで90%成長してしまうから、今のうちにいろんなことをやろう」と大人が気負わないことです。あくまでも楽しく遊ばせてあげてください。何かの本に書かれている通りにやらせなくてはと大人が考えてしまうと、遊びでやっているはずが遊びでなくなってしまいます。もっと簡単に考えると、幼児期はスキップくらいで十分です。それより上、小学3年生くらいであれば、スキップしながら手を回す。手を叩きながらスキップする。身体全体をスムーズに動かすメニューですね。ほかにも、サイドステップをしながら手を回したり、道具を使う「ラダー」などさまざまあります。ネットで検索すればたくさん出てくるでしょう。ただし、そういった運動を長い時間やる必要はありません。ちょっと経験するくらいの程度でいいのです。足がクロスするような動きの入ったものも3年生くらいからやるといいでしょう。■遊びの要素はとても重要、「我慢」ではなく楽しくて続けられることを意識して「遊びの要素」はとても重要です。大阪教育大学の先生で「子どもの遊び」の研究をされていた方が、子どもが本当に楽しいと感じたものはいつまででもやると言われていました。ノコギリで丸太を切ることにハマってしまった子どもは、30分くらい一心不乱で切り続けます。幼児の集中力は、興味関心と関連があります。楽しくなれば、ずっとやります。大人は、小さい子はすぐ飽きてしまうと思いがちですが、彼らは集中力がないわけではありません。日本人の「集中力をあげる」というイメージですぐに浮かぶのは「我慢・忍耐力・根性」です。ここを改めなくてはいけません。子どもは楽しいものを提供すれば喜んで取り組みます。サッカーも、最初に一番楽しいはずの「試合」から入らないから、そんなことが起きるのだと思います。多少気が弱いとか、相手とぶつかりそうになったらやめるといった傾向があっても、試合はこんなことなんだよ、ボールの取りあいがあって、点が入るとうれしいよね、ということが伝えられたら子どもは変わっていきます。その点で、年齢が下がれば下がるほど、すべてが楽しいものになっている必要があります。指導者も同様の対象です。「あのコーチとやるのは楽しい」という評価が、コーチのありかたにつながってほしいと思います。ところが実際は「楽しい」よりも「勝たせてくれるかどうか」みたいなことがコーチの評価になりがちです。「積極的にやれ」「逃げるな!」と叱ったりする場面を見ることはまだ多いです。しかしながら、子どもにはそういう面があることを理解しておいてほしいのです。「いま、逃げなかったらどうなると思う?」と問いかけて、解決の方法を子どもと一緒に見つけ出すことが求められます。■「無理しなくていいよ」と言ってあげることが大事(写真は少年サッカーのイメージです。ご相談者様、ご相談内容とは関係ありません)じゃあ、どんな練習だったら、怖くないかな?こんなふうに一度やってみる?と、少し強度を下げたり、違う形でやるメニューを提供してみることで、子どもたちは克服できる。3年生、4年生になって、子どもがぐっと変わったりしませんか?そこまで待ってあげましょう。この子は弱気だと決めつけたり、無理やりやらせる必要はありません。サッカーが嫌いになってしまいます。「ぼく、できない」と言ったときに「無理しなくていいよ」と言ってあげること。何回かでできなからといって、その子の一生が決まるわけではありません。長い目で見てあげてください。6歳の子が何かができなければ「じゃあ、来年1年生になったらまたやるか」と言ってあげてください。池上正(いけがみ・ただし)「NPO法人I.K.O市原アカデミー」代表。大阪体育大学卒業後、大阪YMCAでサッカーを中心に幼児や小学生を指導。2002年、ジェフユナイテッド市原・千葉に育成普及部コーチとして加入。幼稚園、小学校などを巡回指導する「サッカーおとどけ隊」隊長として、千葉市・市原市を中心に年間190か所で延べ40万人の子どもたちを指導した。12年より16年シーズンまで、京都サンガF.C.で育成・普及部部長などを歴任。京都府内でも出前授業「つながり隊」を行い10万人を指導。ベストセラー『サッカーで子どもがぐんぐん伸びる11の魔法』(小学館)、『サッカーで子どもの力をひきだす池上さんのことば辞典』(監修/カンゼン)、『伸ばしたいなら離れなさいサッカーで考える子どもに育てる11の魔法』など多くの著書がある。
2020年08月28日細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!