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幼稚園に入るまで、家族以外の名前を覚えられなかった長男。ある日…Upload By モンズースー長男は、毎週会うお友達や児童館のスタッフさん達の名前をなかなか覚えることができませんでした。幼稚園に入園してからも、先生やお友達の名前を覚えられずにいましたが、ある日・・・Upload By モンズースー最初に家族以外で覚えられたのは担任の先生の名前でした。そしてその次に覚えたのが「ムラヤマさん」。しかし私は当時ムラヤマさんが誰なのかわかりませんでした。実は私も顔や名前を覚えるのは苦手です、毎日一緒に幼稚園に通っていてもまだ名前の覚えていない他のクラスの先生がたくさんいました。なのでムラヤマさんも他のクラスの先生なのかな…と考えていました。でも私もほとんど長男と一緒に行動しているのに、知らない先生がいるのは不思議でした。数日後、担任の先生から給食の様子を教えてもらった時に謎が解けたのです。謎が解けた!「ムラヤマさん」の正体は…Upload By モンズースームラヤマさんの正体は「給食を作って下さっている調理師さん」でした。長男は偏食があり、食べられるもののが少ないです。それでも苦手なものを食べたり、残さず食べたりすると、いつも「ムラヤマさん」がとても褒めてくれたそうです。だから長男は大好きなムラヤマさんの名前を覚えられたんですね。ムラヤマさんのおかげで給食が好きになり、入園してから食べられる料理や食材がすごく増えました。幼稚園では療育だけでなく食育も学ばせていただいたのだと思います。その後同じクラスのお友達、ママ達、他のクラスの先生、他の調理師さんや栄養士さんの名前も覚えることができ、長男の世界が少しづつ広がっていきました。大好きなムラヤマさん。いざ本人に会うと長男は…Upload By モンズースーそんなムラヤマさんですが、長男は恥ずかしくて上手にお話できない事も多いようです。これからもっとたくさんの人に出会い、名前を覚えて色々なお話ができたらいいなと思います。
2017年03月31日「できること」を増やしたい!発達障害のある子どもを持つ親心出典 : 自分の子どもが発達障害だと診断を受けたならば…。「発達障害児でもできること」「発達障害児の発達を促すこと」を血眼になって探すのが、親心なのかもしれません。私もその1人でした。発達障害児を育てていると、どうしても出来ない部分ばかりが目についてしまいます。「協調運動ができない」「手先が不器用」「跳び箱やマット運動ができない」「字をマスの中におさまるように書けない」「きちんとした姿勢を維持できない」…他の子どもと並べては、「うちの子だけこんなこともできない…」と落ち込む日々が続いていました。「出来ることを褒めてあげて」と育児本には当たり前のように書いてあります。けれども、保育参観やちょっとした行事で「できない息子」を目の当たりにするたびに、「一体どこを褒めればいいんだろう…」という気持ちにすらなります。そんなとき、インターネットには心ひかれる文言が出典 : そんなどん底の気分になりながらも、「なんとか息子のできることを増やしたい」と思いネットを検索してみます。すると、キラキラときらめく言葉たちが並んでいるのです。「発達障害児向け○○!」「○○は発達障害児の発達を促してくれます!」「○○をすれば、発達障害は治る!!」こんな煌めくような魅力的な言葉たちが、私の親心をがっちり掴んでしまいました。「発達障害向け」の文言をみると居ても立っても居られなくなり、私はすぐに申し込みのメールを書き始めていました。それがどんな内容の習い事や塾であっても、息子に意思を確認することはありませんでした。これが原因で、私がしてしまった失敗を2つ、ご紹介します。出典 : ネットでの検索に取りつかれていたころ…私が一番に心惹かれてしまったのは、「発達障害を治す能力開発塾」でした。この「発達障害を治す」という触れ込みに惹かれてしまうのは私だけではなかったようで、中には新幹線や飛行機に乗って相談に訪れる人も後を絶たないそうです。ところが相談に伺ってみると、その塾の目標は「子どもを支援級に入れないこと」でした。私は当時、まだ小学校就学後のことまで考えてはいませんでした。その目標が果たして本当に適切かどうか、まだ分かっていなかったのです。その塾が何を目指しているのか、発達障害児がどう育っていくことを望んでいるのかという点について意見が合致しない場合は、私は入塾はやめたほうがいいと思いました。結果的に、入塾はお断りしました。「発達障害児向け」「発達障害が治る」という文言だけに飛びついてしまい、実態をきちんと把握していなかった失敗例です。出典 : 他にも、「これは発達障害児の発達に良い」「前頭前野の発達を促す」という言葉に、私は飛びついてしまいました。そんな私を突き動かしたのが、「乗馬は発達障害の発達に良い」「カヌーは発達障害児の発達に良い」という情報でした。私は息子を連れて、発達障害児を対象とした乗馬教室とカヌー教室に出かけました。その教室では他に参加する子どもたちもみんな同じように特性がある子どもたちだったため、息子だけが浮いてしまうこともないだろう…という期待もありました。ところが…。感覚が過敏な息子は、馬の臭いと大きさと肌触りにパニックです。泣いて泣いて暴れて暴れて、止まらなくなってしまいました。そんな息子を横目に、他のお子さんたちは悠々と馬に乗っています。カヌーはカヌーで、救命胴衣の感触にパニックになり大泣き。さらに、前日雨が降って川岸がぬかるんでいたのが嫌だったようで、足に泥がつくたびに大泣き。ここまで来て、こんなに息子を泣かせて、自分はいったい何がやりたかったんだろう…。私は帰りの車でため息しか出ませんでした。この教室以後、息子は馬が怖くなってしまい、今でも馬に近づけません。大切なのは、「発達障害児向け」ではなく「息子向け」だった出典 : 数え切れないほどの失敗を繰り返して、私が学んだのは、大切なのは「発達障害児向け」ではなく「息子向け」のものを選ぶことだということでした。いくら「発達障害児向け」と銘打ってあっても、息子に合った環境整備がされているとは限りません。いくらそのアクティビティ自体が発達障害児の発達に良いとしても、息子は盛大なパニックを起こし、それが失敗体験になってしまいました。逆に、発達障害児対象のアクティビティでなかったとしても、息子に合った環境整備がきちんとできていれば、息子は楽しくこなすことができます。成功体験につながることもあるでしょう。「発達障害児向け」「発達障害児の発達に良い」というのは、あくまでも理論的な話です。脳回路の話などが出てくると、どうしても飛びついてしまうのが親心。でも、理論と実践は違うのです。適切な環境整備と子どもに「やりたい」という気持ちが少しでもあれば、それが一番「その子の発達に良い」ことなのだということを忘れてはいけないのだと思います。
2017年03月30日生後5か月の息子。発達障害の娘が5か月だったころと比べてみると…Upload By SAKURA私はいま、広汎性発達障害の娘(6歳)と、息子(5か月)の育児の真っ最中です。発達障害がある娘が5か月のころと、息子の今を冷静に比べると…こんなにも違うのか!と驚くことばかりです。「手のかからない」赤ちゃんだった娘無表情で、笑わず、声もほとんど出さなかったので、部屋はただただ静かでした。Upload By SAKURA基本的に動かないことが多く、寝返りもしませんでした。結局寝返りをしたのは、7ヶ月になってお座りが出来るようになった頃でした。Upload By SAKURA生後5か月頃になると、夜泣きがほとんどなくなり、夜まとまって寝てくれるようになりました。私も朝までぐっすり眠れる日が多かったです。Upload By SAKURA一人にしても泣かず、してほしくないことをしない子だったので、全体的に手がかかりませんでした。Upload By SAKURA一方、生後5か月の息子の様子は…人と目が合えば笑い、あやすと笑い…とても愛嬌のある息子。声もよく出します。Upload By SAKURA息子が寝返りしたのは、生後4か月の時でした。寝返りができるようになった途端、自分で自由自在にコロコロ転がって動き回っています。Upload By SAKURA息子は夜泣きがすごいです。ひどいときは一時間に一回泣くので、私は常に寝不足状態…。Upload By SAKURA抱っこしないと寝ない…抱っこから降ろすと泣く…目の前にあるものを片っ端から掴む…一人にすると泣く…などなど、要求が多く、娘に比べるととにかくとても手がかかります。Upload By SAKURA正反対の子どもたち…どちらも可愛い我が子!娘は手がかからず楽でしたが、赤ちゃんらしさはありませんでした。息子はすごく手がかかりますが、赤ちゃんらしい赤ちゃんです。二人は本当に正反対で、それぞれ違った面白さがあります。こんなに真逆の子を育てる機会をもらった私は、幸運です(笑)。これから、娘の成長と共に、息子もどんな子になるのか…楽しみです。
2017年03月29日ADHDの息子、ついに高校を卒業!Upload By かなしろにゃんこ。ADHDのある息子が先日、工業科の専修高校を卒業しました。小学校のときは、聴覚過敏のために教室にいることができず、授業中は静かな廊下で寝そべっていたり、みんなが勉強する中一人お絵かきをしたり工作をしたりして過ごしていた息子。高校に入学した時は、一日休んだら授業が分からなくなってしまうというような高校でついていけるのか?と心配をしていたものです。そんな息子もついに卒業。これまでの12年間をつい振り返り、懐かしくなってしまいました。問題だらけだった、12年間の学校生活。そんな息子もこんなに成長しましたUpload By かなしろにゃんこ。小学校ではクラスの子と同じことができるか、仲良くできるのか…中学校でもみんなと同じレベルの勉強を理解できるのか…いつも何かしら心配していた12年間でした。しかし中学3年生くらいのころから、「失敗したけれど、こうやって工夫したよ!」「こうやって回避できたよ!」という報告をするようになりました。高校生になると、アルバイトを経験したり、計画して地方に遠出をするようになり、失敗や周りに迷惑をかけながらもいろいろなことをやり遂げてきました。高校3年では運転免許取得を目指して教習所に通い、真面目に勉強したことも大きな成長です。やればできる!ということが分かったり、ピンチを自分でなんとかできるようになったことを感じてきたため、思えば心配する気持ちは少しづつ減っていったな~と思うのでした。Upload By かなしろにゃんこ。息子が発達障害の診断を受けたばかりの頃は、「この子をなんとかしなくては!」と焦っては悩んでいました。あのときの自分に、「高校卒業できたよ!」と言って安心させたい。笑なんとかなった!とは言っても、いつもギリギリの綱渡りです。悩みは尽きないかもしれませんが、高校を無事通えたことは嬉しいことなのでした。今日は息子の晴れ姿を見られる日…だったのに!!!Upload By かなしろにゃんこ。なのに…卒業式は寝坊して参加できないダメ母でした。笑
2017年03月28日発達障害の特徴がもとで幼稚園を辞めた息子出典 : 春を迎えるにあたり、新しいステージへ進む準備で慌ただしくなってきましたね。息子が途中退園することになった幼稚園でも、3月中旬に卒園式が行われたそうです。息子には、他人との境界が曖昧であるという発達障害の子に見られる特徴があります。たとえば、自分ではなく他のお友だちが叱られていても、自分が叱られているように受けて止めてしまいます。また、とにかく叱られないように気を使うあまり過度に緊張してしまうのです。このことが原因で、息子は幼稚園を退園することになりました。詳しくは、以前コラムにも詳しく書かせていただいています。そんな初の雰囲気の中、ふと娘の卒園式の様子が頭をよぎりました。当時の娘は「1年生になったら〇〇ができるようになりたいです!」と堂々と発表していたことを覚えています。もしも息子が退園せずに卒園式に出席していたら、どんな夢を語ってくれたのでしょうか。それを知ることができないのはちょっぴり寂しい気もします。それでも幼稚園を辞めてしまったことに後悔はありません。退園してから毎日楽しそうに過ごしている息子を見ているとそう実感します。それよりも気にかかっていたのが、小学校への入学です。小学校に入学すれば、幼稚園以上に困難や緊張を経験するかもしれません。息子にはどんな選択肢があるのか、私は何度も考えました。小学校に「行く」「行かない」も息子にゆだねることに出典 : 「もうすぐ一年生だね!」「ランドセルは何色にしたの?」「お友だちたくさん作って、しっかりお勉強しないとね!」そんな風に声をかけられることが増えた息子。本人も「もうすぐ一年生になるから、もうお兄ちゃんだよ!」と嬉しそうに返しています。でも、後でこっそりと「でも小学校には行かないかも知れないけどね」と私にささやきます。去年の秋頃から、「小学校に通う」ということについて何度か息子と話をしてきました。うちでは日頃から「自分が安心して過ごせる場所以外は、無理をして行かなくて良い」と話してあり、小学校に行く行かないもその延長で考えています。息子は「小学校も先生に怒られるから行かないことにする」と言うこともあれば「1回ぐらいは行ってみようかな」と返事をする事もありました。息子なりに小学校で起こることを想像して、自分がどうするか迷っていたのだと思います。小学校の先生方とも何度か話し合いを行いました。先生たちは「自ら学校に行きたいと思った時が無理なく通えるタイミングなのだろうから、息子さんの意思を尊重しましょう」と言ってくださいました。なので私も「行ってもいいし、行かなくてもいい」というスタンスで気長に息子の気持ちが固まるのを待っていたのです。息子の出した結論。それを尊重する理由は…出典 : 息子が数ヶ月かけて出した答えは、「やっぱり、学校には行かない」というものでした。ランドセルを背負った初々しい姿は見られないのか・・・。という気持ちはもちろんあります。お友だちとわいわい学校へ通っているお子さんたちを眺めて、どうしてあの輪の中にうちの子は入れないんだろう?と考えると少しさびしくもなります。それでも、一番強く思うのは息子の人生を決めるのは息子自身であるべきだということです。安心して遊んだり学んだりできる環境に身を置くことが、息子が一番成長できる手段なのだと私は信じています。レールを外れることは不安。大切なのは「どう生きるか」出典 : 幼稚園を辞めるときに、「今から逃げていて、小学校は?中学校はどうするつもりですか?」と言われたことがありました。確かに息子は、この国で暮らす多くの方が進む道を通らないことになります。レールを外れるということに不安はあります。でも、レールに乗ったとしても幸せになれる保証はどこにもありません。ならば、今から自分で考えて、いろんな選択肢の中から自分にあった道を選ぶ練習をしてもいいのではないでしょうか。大切なのは、どこで生きるかということではなく、どう生きるかということだと思うのです。今私が親としてできることは、たくさんの選択肢があることを、子どもに提示してあげることなのかもしれません。「小学校に行く場合は全力でサポートする」「小学校に行かない場合は家庭で勉強面をサポートする」「フリースクールや療育施設に通ってみる」「やりたいと思ったことは何とか実現できるように家族で協力する」など、選択肢は無数にあります。成長するにつれ、息子が選ぶ道は変わってくることでしょう。そうしたら、またたくさんの選択肢を一緒に探し、息子が選んだ道を全力で応援する。合っていなければ、何が合っていないのかをきちんと分析し、新たな道を探す。いつの場合でも、基準になるのは息子自身が安心して過ごせるか、やりたいことに向かって努力できる環境であるかどうかだと考えています。そうしているうちに、きっと自分の足で歩いてくれるようになると私は信じています。これからも明るく楽しく子どもたちをサポートしていきたいと思います。
2017年03月28日学校に行くたび、「あの時の僕」に出会う「JERRY BEANS」の講演ライブは、多い年で年間約130件にのぼる。小学5年生から中学3年生まで、ずーっと学校に行けなかった自分が、大人になってからこうして全国の学校を回るようになるなんて、人生って本当に不思議で面白いなと思う。不登校だったからといって、いま学校を訪ねること自体にしんどさはない。だけど、子どもたちの前で講演をする時は、やっぱり辛くなる。何回やっても慣れない。でも心や命を伝えることに慣れてしまったらダメだと思う。だからいつも必死で伝えている。どんな年代、どんな学校の子どもでも、講演に行くたびに、「あの時の僕」と似たような子どもに出会うから。周りの子どもとの違いを感じ、常に独りぼっちで孤独な感覚を抱えている子どもたちに。今でも人に発信することは苦手で、始まる前は毎回怖くなる。講演で話していると自分も涙が出てくる。でも前を見ると、子どもたちやお母さんたちも泣いている姿に気づいて、「あぁ、僕はこの怖さに向き合わなあかん」って気持ちになる。自分の経験を伝えることで、明日死のうと思っていた人が、明日もなんとか生きていこうと思えるようになってくれるのなら、恐怖と向き合って発信していこうと決めた。学校の先生だって、決して完璧じゃない出典 : 年生の居残り授業で僕に「字が汚い」といった当時の担任とは、卒業するまで話す機会もなかった。だけどその先生は、卒業式のときに僕への謝罪の手紙を書いてくれていたのだ。その手紙は母がずっと持っていて、長らく読むことができなかった。当時、僕がまだ不安定だったから、先生の気持ちを知って自分を責めたらいけない、と思って預かっていたそうだ。講演活動を始めた頃に、ようやくその手紙を受け取った。「君の気持ちがわかってあげられずごめん。」その手紙を読んだ時に、「あぁ、きっとこの先生も、必死に子どものことを考えてくれていたんだろうな」と気付き、涙が溢れてきた。思いが真剣でも、その伝え方やタイミングがずれてしまっていることって、たくさんある。それは誰にでも起こる、人間らしい失敗にすぎなくて、先生だって例外じゃない。子どもも先生も親も、完璧を目指す必要はない。自分の弱いところを隠さずに、他人に見せていけばいい。そんな思いを、今たくさんの人たちに伝えている。「かわいそう」と言われた人にしか言えないことがあるうまく言えないけど、自殺をするような人って、ある意味勢いがあるのかなって、思う。僕も、自殺を図った日の朝、起きてすぐに「あ、今日死ぬ日や」と思い立った。深く考えることなく「あ、今日でぼくは終わる」って。だけどそこで死ななかったから、母親が止めてくれたから、ここにいる。死なずに生きていたから、不登校だった時間も、振り返れば「大切な時間」に変わっていく。僕の心の中は、今でも不登校の頃のままかなって思う時もある。不登校の僕は、周りから「かわいそう」って思われていた。でも、「かわいそう」って思われた経験が、今の活動に活きているんだと思う。「かわいそう」と言われた人にしかわからないこと、言えないことがある。だからこそ、今死のうと思っている人に、一秒でも長く生きてほしいと思う。辛い気持ちのまま人生を終わってほしくない。その一秒後に出会えるかもしれない喜びを信じて。その気持ちがあるから、みんなの前に立つことができる。僕はこれからも、この活動を続けていく。あのときの僕のように、苦しい想いをしている人、自ら死のうとする人が、一人でも少なくなることを願って。
2017年03月27日世界自閉症啓発デーとは出典 : 世界自閉症啓発デーは2007年12月18日にひらかれた国連総会において、カタール国のシェイカ・モーザ・ビント・ナサ・アル・ミスネッド首長妃殿下の提案により決議された記念日です。毎年4月2日を世界自閉症啓発デーにすることが世界共通で定められました。さらに日本では、4月2日から4月8日は発達障害啓発週間と決められています。世界自閉症啓発デーにはそれぞれの加盟国が、自閉症のある子どもについて、家族や社会全体の理解が進むように意識啓発の取り組みを行うことなどが求められています。現在、日本には自閉症についての偏ったイメージやあいまいな情報が数多く存在しています。自閉症は脳機能の発達の仕方が少し異なることから生じる発達障害です。「心を閉ざす」病気ではありませんし、育児の方法や環境など後天的な原因で生じるものでもありません。自閉症のある子どもは一見ふしぎな行動をとることや、感覚が過敏なことがあります。そのため、育てにくさがあり、適切な接し方が難しい場合があります。また周囲の子が自閉症について知らないために、自閉症の子独特の行動や感性を必要以上に避けてしまうことも少なくありません。しかし周囲の自閉症についての理解や支援が十分であれば、自閉症であっても住みやすい環境で障害をあまり感じずに生活することができます。大人のなかでも、実は自閉症であるのにそのことに気づいていない人がいます。そのため、必要な支援を受けられず、自閉症の二次障害であるうつや不安障害などの精神疾患にかかる人も多くいます。世界自閉症啓発デーは、自閉症に関する理解を深めたり、自閉症のことについて知ったりすることで、自閉症のある人を含めたすべての人が過ごしやすい世界を実現していくための日です。世界自閉症啓発デーに行われる「ライト・イット・アップ・ブルー(Light It Up Blue)」とは出典 : 世界自閉症啓発デーのシンボルカラーは青色です。青色は「癒し」や「希望」をあらわすと言われています。ライト・イット・アップ・ブルー(Light It Up Blue)は世界自閉症啓発デーに合わせて、世界中のランドマークや名所旧跡を青色でライトアップするイベントです。ライト・イット・アップ・ブルーはニューヨークに本拠地のある世界最大の自閉症支援団体「Autism Speaks」が2010年にはじめたのが起源です。ライトアップだけではなく、さまざまな取り組みが行われています。現在では、誰でも参加できる活動として世界中に広がっています。2016年は7大陸157ヶ国がライト・イット・アップ・ブルーに参加しました。日本でも169ヶ所でライトアップが行われました。今年は、日本国内192ヶ所でライトアップされる予定です。ライトアップの様子を2分程度の動画で紹介します。世界自閉症啓発デーを自閉症について理解を深める日にしよう出典 : 世界自閉症啓発デーは自閉症についての理解を深め、世界に広く知ってもらうことを目的にしています。ぜひ、世界自閉症啓発デーをきっかけに、記事や書籍を読んで自閉症に関する知識を得たり、自閉症を描いた映画を見たり、自閉症の理解を深めてはいかがでしょうか。この章では自閉症について説明します。自閉症は先天的な発達障害の一つで、社会性と対人関係の障害、コミュニケーションや言葉の発達の遅れ、行動や興味の偏りの3つの特徴が発達段階で現れると言われています。自閉症の原因は、まだはっきりとは解明されていませんが、先天的な脳機能の偏りであると考えられています。親の育て方や接し方、愛情不足によって自閉症になるのではないことが医学的にわかっています。また、自閉症の根本的な治療は現在のところできませんが、親や周りの人が環境を整えたり、接し方を変えたりすることで、症状や困りごとを緩和できる場合も多いと言われています。もともと自閉症は、広汎性発達障害という発達障害カテゴリーの一つと分類され、知的発達の遅れを伴うカナー症候群や、知的発達の遅れのないアスペルガー症候群などとは区別されていました。しかし近年は自閉症とアスペルガー症候群などは明確に区別することができないのではないかということから、これまで広汎性発達障害のサブカテゴリーとして分類されてきたいくつかの発達障害をまとめて、「自閉症スペクトラム(ASD)」と呼ばれるようになったり、診断されたりするようになりました。◇社会性・対人関係自閉症の人は、会話の途中に目線を合わせることや相手の身ぶりや表情から心情を読み取ることが苦手な場合があります。そのため、周囲から空気が読めないと思われたり、他人に興味がないように見られたりする傾向があります。雰囲気のわずかな変化を察したり、比喩やたとえを理解したりすることが苦手なので、自閉症のある子に対してはあいまいな表現を避けてはっきりとわかりやすい言葉だと伝わりやすくなります。◇コミュニケーションや言葉の発達の遅れ言葉を習得するのが遅い場合があったり、たとえや皮肉を理解できず言葉通りの意味を受け取ってしまったりすることもあります。ほかにも、自分の話したいことを話してしまうなどの行為がみられることもあります。相手に自分の気持ちがうまく伝わらず、もどかしい思いをしてしまうこともありますが、本人が理解しやすく伝えやすい方法を工夫すれば、コミュニケーションが取りやすくなります。周りの人もあいまいな表現を避けたり、絵や写真などの視覚的な表現をすることで伝わりやすくなる場合もあります。◇行動と興味の偏り行動と興味に偏りがあり、毎日決まった行動をとることを好む傾向があります。予定外のできごとや初めての経験に対して嫌悪感を抱くことがあります。その一方で、自閉症の人は自分の興味のあることに熱中する傾向もあります。自分の興味のある物事をとことん調べ、深く専門的な知識を活かして活躍している人も少なくありません。自閉症のある人が困っている具体的な事例をいくつか紹介します。自閉症の症状は幅広く、全員が同じ症状を発症するわけではありません。◇いつもどおりじゃないことに対して強い不安にかられる自閉症のある子どもは、自分のおもちゃがいつもの場所においてなかったり、授業を受ける教室が普段と異なったりすることに対して不安に感じます。誰でも、いきなり言葉が通じない見知らぬ土地で一人になったら先行きがわからず不安になると思います。自閉症のある子どもは、想像することが苦手なため些細に思われることでも今後の見通しがつかず不安に思ってしまいます。この不安を取り除くために、自閉症の子が見通しがたてられるように絵や写真を使って今後の流れを示すといいでしょう。◇感覚過敏たとえば、味覚過敏がある場合、特定の味付けや食材を食べると砂やゴムを食べているように感じてしまうこともあります。聴覚障害だと、人ごみでのざわつきが耳元で楽器を鳴らされているように感じて耳をふさいでしまう人もいます。感覚過敏のもとを減らしたり避けたり、落ち着くことができるスペースを確保すると、感覚過敏のある人が生活しやすくなります。周りの人は、自分とは感覚の受け取り方や物事の感じ方が違うことがあると理解することが大切です。◇全身運動が苦手自閉症の子は、脳からの指令がうまく手足に伝わらず、不器用になってしまうことがあります。テレビで見たスポーツ選手のうごきをその場ですぐ再現できないように、自閉症の子は座る・歩く・走るなどの動作がうまくできないことがあります。自閉症のある子ども一人ひとりにあわせて、療育を行ったり発達課題を設定したりすることが大切です。世界自閉症啓発デーに参加してみよう世界自閉症啓発デーへの参加の仕方をいくつか紹介します。出典 : 出典 : ライト・イット・アップ・ブルーでライトアップされた施設を見に行ったり、自閉症のシンポジウムに参加したり、各地域で行われているイベントに参加したりしましょう。各地域でのライトアップ予定地は以下のサイトから確認できます。世界自閉症デーライトアップ施設一覧/世界自閉症啓発デー日本実行委員会各地域自治体の啓発取り組みは以下のサイトから確認できます。世界自閉症啓発デー自治体の活動/世界自閉症啓発デー日本実行委員会出典 : 月2日に青い服を着たり、ネクタイを青にしたり、アクセサリーでワンポイント青を取り入れたりしましょう。SNSのプロフィール写真に青色のフレームを付けるなどもいいかもしれません。世界最大の自閉症支援団体Autism Speaksが、TwitterとFacebookのプロフィール写真に世界自閉症啓発デーのデザインをいれるサービスをしています。利用してみてください。 Speaks Light It Up Blue Frame / Autism Speaksメッセージを募集しているイベントもあります。応援や共感の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。NPO法人あっとオーティズムのサイト上では、セルフィサインをダウンロードすることができます。印刷して、署名するだけですので気軽に参加してみてください。セルフィサイン/NPO法人あっとオーティズムUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン世界自閉症啓発デー日本実行委員会の公式サイトでは、応援メッセージを募集しています。以下のサイトで、過去の応援メッセージを見たり、応援メッセージを投稿したりすることができます。応援メッセージ/世界自閉症啓発デー日本実行委員会4月2日~8日は発達障害啓発週間でもあります出典 : 日本では4月2日から4月8日までは発達障害啓発週間とされています。この発達障害には自閉症以外の障害も含まれています。たとえば、学習障害(LD)やADHD(注意欠陥・多動性障害)があります。自閉症を含む広汎性発達障害と学習障害、ADHDの複数の傾向がある人も多くいます。発達障害かどうかは明確に線引きできるものでなく、グレーゾーンの方も多くいらっしゃいます。そのため、発達障害の診断を受けていない人のなかにも発達障害の特徴的な行動や思考のくせが見られることは珍しくありません。まとめ出典 : 近年、発達障害への正しい理解が進んだり社会的関心が向けられたりし始めましたが、まだまだ十分だとは言えません。自閉症がどのような障害で、どのようなことに気をつけるべきかを理解するまでは時間がかかるかもしれません。また、自閉症のある人の特性や困りごとは個々に違います。しかし自閉症について知ったり身近に感じたりする中で、自閉症のある人一人ひとりのことを考え、一緒に過ごしていくことができれば、自閉症のある人もない人も、生きやすい世界になっていくかもしれません。世界自閉症啓発デーを通して、自閉症をはじめ発達障害への自分自身の理解を深めたり、発達障害の認知の輪を広げていきましょう。
2017年03月27日ボク、普通のお父さんですけど、一緒に話をしてもいいですか?出典 : 姫路まさのりさんは、「ダウン症は不幸ですか?」という番組(ABCラジオ)の制作に携わり、ラジオ放送番組部門最優秀賞を受賞された放送作家・ライターです。今回のコラムでは、姫路さんの書籍・処女作となる『ダウン症って不幸ですか?』をご紹介します。姫路さんはライフワークとしてダウン症のあるひとたちと向き合い、社会に発信しています。しかし姫路さん自身は福祉や教育に携わる支援者でもなく、ご自身にダウン症があるお子さんがおられるというわけでもありません。また私も同じく、ダウン症があるわけでも、ダウン症がある家族がいるわけではありません。いわゆる「当事者」ではないという共通点を持つ人による書籍という点で、同じ距離感に立って読み進めることができました。ダウン症の子どもを持つ家族、それぞれの真実出典 : 『ダウン症って不幸ですか?』では、5つのご家族の物語がインタビュー形式で掲載されています。姫路さんの筆致は柔和でくすっと笑える部分も多く、取り上げているご家族の情景はとても暖かです。私にとっても、感動し共感を覚えるシーンというのは、ありふれた日常的なエピソードの部分でした。第2章に書かれている2つ目のご家族、梶原さんの娘さん・文乃ちゃんとそのクラスメイトとのラブラブ仲良しシーンは、自分自身の小学校時代を思い出して「ふふふ」と笑いがこみ上げてきたほどです。私にとってダウン症がある子との原体験は、同じ学校でお昼休みに一緒に遊んだA子ちゃんです。普通に喋ったりトランポリンで遊んで…というほのぼのとありふれた日常の記憶です。お昼休みが終わっちゃうのが惜しく、後ろ髪惹かれ、特別支援の教室を後にする前にぎゅーっとみんなでハグをする…そのぬくもりを思い出しました。ひとと触れ合った暖かさというのはいつまでも心に残り、そのことが物事を考え行動する起点にもなります。世代にもよると思いますが、このように日常にダウン症がある子がいる生活を経験している人は少なからずいらっしゃると思います。しかし、それがどんな感じだったか話してシェアしたり、この本のように当事者やご家族以外がまとめた経験談を読む機会というのは、あまり多くはないかもしれません。私も自分の原体験を思い出すきっかけを得て、引き込まれるように読み進めましたが、特に姫路さんが文中で「ダウン症のある子どもはまるでコタツの様な存在。温かくひとなつっこさに引きつけられ子どもたちが自然に寄ってきてしまう」と言っていたのはとてもうなづけました。それは一般的な「ダウン症がある子どもは天使のような存在」と恣意的に美化する文脈とは違います。"普通のお父さん"として等身大でダウン症のある子どもたちと向き合った姫路さんならではのユーモアとやさしさに溢れた表現だと思います。ありふれた日常の情景なのに、どうして胸が熱くなるのか出典 : この本を読まれた方は、ダウン症がある子と関わった自分の原体験をふと思い出すような、優しい気持ちになるエピソードにたくさん出会えることでしょう。もちろんその原体験が特にない方にとっても、胸を熱くさせる部分がとても多いと思います。たとえば、第2章のおおとりを飾る喜井さんご家族のエピソード。ダウン症がある娘・晶子さんの仕事帰りを待っている、定年退職されたお父様。晶子さんから毎日かかってくる「帰るコール」。そして時間ぴったりに始まる二人の晩酌、冗談を飛ばし合いながら楽しむ様子は、ありふれた日常の情景です。それなのに、毎日がそうして巡っていること自体になぜか目頭が熱くなりました。私が流すこの涙は一体何でしょうか。ありていにいえば「やっぱりどこかで偏見があった、ごめんなさい」という、社会を構成するひとりとしての懺悔の涙、なのかもしれません。書籍の冒頭、姫路さんが引いている新出生前診断の示すショッキングな数字とその分析が端的に示すように、実際のダウン症のあるひととの生活像と、妊婦の立場でイメージするそれとのギャップは、決して小さくはないのが現状です。新出生前診断をめぐっては、賛否両論含め様々な見解が混在する昨今ですが、新出生前診断を受けるか受けないかの選択をする前に、姫路さんのこの書籍を読んでもらいたい。いまここ・現在の日本で、こんなに幸せを分かち合いながら暮らす家族がいるという事実こそ知ってほしい、そう願ってやみません。「ダウン症って不幸ですか?」大規模調査が示す当事者の答え。そして私たち読者は…出典 : 厚生労働省は2015年、日本ダウン症協会の全面的な協力のもと,予算を投じ全国的なアンケート調査を行いました。このアンケートはDown症候群がある人の家族からの調査と, Down症候群を持つ本人の自己認識に関する調査の二つを行った。本調査の結果, Down症候群がある人では,多くの人が高校を卒業して働いているが,就労においては収入の問題が存在した.一方,Down症候群がある人は,幸福感を持ち,周囲との人間関係にも満足している状況が認められた.DSのある人の多数が自己肯定感を有していることが明らかになったのは,社会において重要な情報になったと考える.---出生前診断における遺伝カウンセリングの実施体制及び支援体制のあり方に関する研究つまり、姫路さんの書籍タイトル「ダウン症って不幸ですか?」に対する答え、厚生労働省は「NO」と明言しています。さて、わたしたちはどのようにこの結果を受け止めるべきでしょうか。答えのヒントは姫路さんの書籍の中にちりばめられています。インタビューをしたご家族の力強い言葉に触れてみてください。「ダウン症って不幸ですか?」その答えはこの本を読み終わったのちに読者の皆さんの心の中にみつかるでしょう。それを楽しみに、ぜひ読んでいただきたいです。Upload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)書籍名:『ダウン症って不幸ですか?』著者:姫路まさのり発行:宝島社価格:本体1300円+税『ダウン症って不幸ですか?』(著) 姫路 まさのり
2017年03月26日ADHD長男の服装センスが想像のナナメ上だった件。寒い中、公園に遊びに行ったときのことです。Upload By ラム*カナあらっ。ダウンなのにズボンにインにしている子がいるなぁ。と思ったら…Upload By ラム*カナ長男のセンスよ…そしてさらに…Upload By ラム*カナ色々な箇所にズレが生じている長男なのでした。
2017年03月25日構音障害とは?出典 : 人は、下顎(したあご)・舌・唇・軟口蓋(なんこうがい)などを動かし、声の通る道の形を変えることで話しことばを生み出します。この、話しことばを生み出す過程を「構音」と言います。「構音」は、一般的には「発音」と呼ばれています。ことばの発達は、一定の決まった順序でおおむね進んでいきます。同様に、構音の発達にも順序性があり、年齢に応じた発達段階があります。以下、発音を獲得する年齢のおおまかな目安です。2~3歳代:ア・イ・ウ・エ・オ、タ・テ・ト、パ行、マ行、ヤ行、ン3~4歳代:カ行、ガ行、ナ行、チ、チャ行、ダ・デ・ド、ハ行、ワ4~6歳代:サ行、ザ行、ツ、バ行、ラ行出典 : 「構音障害」とは、同じ発達年齢の人が正しく発音できる音を習慣的に誤って発音している状態を指します。もちろん、幼い子どもたちはうまく発音できないことばがあります。周囲のお子さんと比べて多少不明瞭な発音があっても、身近な人とであればコミュニケーションを図ることができている場合「問題はない」と思われることもあるでしょう。ですが、その発音がうまくいかない背景に、発音に関わる器官や発達を支えるものに何らかの課題が隠れている可能性があります。また、成長するとともに、発音がうまくいかないことで地域や集団におけるコミュニケーションや学習に支障をきたしてしまったり、自信を無くしてしまったりすることがあります。発音の誤りや不明瞭さの原因は一人ひとり異なるため、背景を丁寧に探る必要があります。そして、適切なアドバイスや治療、指導を受けることで改善する可能性が広がります。そのため、早期に専門機関に相談し、専門家のサポートを受けることが大切になってくるのです。「構音障害」は発達障害や知的発達の遅れなどを合併している場合もありますが、本記事では合併の場合を除いた純粋な構音障害について述べていきます。構音障害の原因による分類出典 : 構音障害には、原因が特定できる場合と、そうでない場合があります。特に子どもの構音障害の場合、様々な要因が重なり合っていることが多くあります。◇器質性構音障害生まれつき、あるいは事故や病気など後天的な理由により、唇・舌・口蓋(こうがい)・顔面などの形に問題があり、うまく発音ができない場合をいいます。・口蓋裂・口唇裂・口唇口蓋裂先天性異常のひとつで、日本では500人~600人に1人の頻度で発現します。口蓋とは口腔内の上の部分、口唇とはくちびるをさします。乳幼児から就学時までの期間中に何度か手術を施し、同時にことばの指導を行うことで、現在では80%以上が正常構音を獲得できると言われています。・舌小帯(ぜっしょうたい)短縮症先天性異常のひとつで、口腔底から舌の下面へ走っている小帯(舌の裏側のスジ)が舌の先に近く付着していて、舌の動かしづらさがある状態です。保険適応で手術や訓練をすることができ、多くの場合、正常構音を確立できると言われています。出典:「口蓋裂・構音障害」日本聴能言語士協会講習会実行委員会(共同医書出版社)・その他の器質性構音障害器質性構音障害には、鼻咽腔閉鎖不全症や口腔腫瘍等による発語器官の切除後に生じるものなどもあります。◇運動性構音障害脳卒中や頭部外傷、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、ジストニアなど、神経や筋に病変が生じることにより、話すことに必要な運動機能が障害される場合をいいます。構音障害だけではなく、声やリズム・速さ・アクセント・イントネーションの異常を併発することもあります。◇聴覚性構音障害聴覚の障害により、正しい構音を獲得することが難しい場合を、聴覚性構音障害という場合があります。器質性構音障害には、鼻咽腔閉鎖不全症や口腔腫瘍等による発語器官の切除後に生じるものなどもあります。参考:「口蓋裂・構音障害」日本聴能言語士協会講習会実行委員会(共同医書出版社)◇機能性構音障害構音にかかわる器官の形態、神経や筋、聴力に問題が見出されない、また、その他の疾患や障害が無いにもかかわらず構音に問題がある場合、機能性構音障害に分類されます。主に幼児期にみられます。自然治癒が望めない場合も、早期に指導・訓練を受けることで改善する可能性が広がります構音障害なのかな?と思ったら専門家に相談を出典 : 構音障害は、成長とともに自然に治る場合もありますが、気になる場合は園や学校の先生、子育て支援センターや児童発達支援センターなどの専門機関に相談してみましょう。言語聴覚士(ST)などの専門家に相談できる場合があります。また、言語聴覚士協会のホームページから言語聴覚士のいる施設を検索することができるので参考にしてください。参考:こども発達支援センター杉並区参考:(社)日本言語聴覚士協会ホームページ全国の施設検索医師などに、ことばの問題を相談することもできます。受診できる病院の科は以下の通りです。・小児科・耳鼻咽喉科・脳神経外科・神経内科・形成外科・リハビリテーション科・言語外来を設置している各科構音障害の原因は様々であり、医師や言語療法士などが相談や検査などを行い一人ひとりの背景を探り、それに応じた対処法がみつかることもあります。参考:国立特別支援教育総合研究所「子どものことばについて相談すると、一体どんなことを聞かれるんだろう」と不安に思う親御さんが多いと思います。気がかりなことやお子さんの様子をメモに書いておくなど、事前に準備しておくと良いかもしれません。ここでは例として、耳鼻科の言語外来で言語聴覚士が行う聞き取りや検査項目をあげます。1.生育歴などの聞き取りこれまでの育ちや現在の様子についてお聞きします。大きな病気やけがなどの有無、身体やことば・発音の発達はどのようであったか、現在のお喋りやコミュニケーションの様子、本人の自覚などと合わせて、親御さんが心配していること・気がかりなこともお聞きします。2.構音検査お子さんの構音の状態を捉えるために、検査を行います。3.その他の検査・聴力検査:聴力に問題はないか・構音にかかわる器官の形態や運動をみる検査:鼻・唇・舌・歯・顎・喉などの形や動きをみる・言語発達の検査:ことば・コミュニケーション発達の検査、発達検査や知能検査の言語性課題など上記のような、構音検査以外の検査も行われます。4.鑑別診断構音障害といえるのかどうか、また、他の疾患や障害(知的障害・ことばの遅れ・聴覚障害など)の有無を判断します。以上のような聞き取りや検査を行うことで背景や原因を探り、その後の対応を見極めます。参考:「新版構音検査」参考:「子どもの発音とことばのハンドブック」山崎祥子/著(芽ばえ社)構音障害かなと思ったら、アドバイスはどこでもらえるの?言語聴覚士とは?出典 : ことばや構音については、診断の有無にかかわらず、言語聴覚士(ST)と呼ばれる専門家からアドバイスや指導を受けることができます。言語聴覚士は、一人ひとりに合わせたやり方で、ことばや構音の育ちをサポートしてくれます。家庭での接し方や、本人の気持ちを尊重しながら楽しくできる練習方法へのアドバイスも期待できます。発達ナビの以下のリンクを参考になさってください。言語聴覚士がいる施設出典 : ◇公的機関のサービス・教育・療育施設子どもの場合、「ことばの教室」などと呼ばれる小学校などの通級指導教室や特別支援学級、特別支援学校、児童発達支援などの療育機関などで言語療法を受けられる場合もあります。園や学校に相談するか、自治体に問い合わせましょう。健診や就学前健診で個別に相談できる場合もあるようです。その後、面談や審査など、所定の手続きに従います。地域によっても制度が異なりますので、お住まいの自治体に問い合わせましょう。・医療機関主治医の指示により言語聴覚士のアドバイスや指導を受ける際、健康保険が適用される場合があります。医療機関に問い合わせてみましょう。・福祉施設施設・地域によって異なりますので、各施設や自治体の定める手続きをとります。大人の構音障害の場合、訪問リハビリテーションなど介護保険の適用になる場合もありますので、福祉窓口、ケースワーカーや民生委員に相談してもよいでしょう。◇民間の教室などことばに関する指導を行う民間の教室です。利用する場合は、施設に直接申し込みを行います。発音を育てるために家庭でできること出典 : 家庭での生活や遊びのなかで、お子さんの様子を観察し、楽しく練習する機会を作りましょう。◇構音器官をどのように使っているか構音に関わる器官は、ことばを話す以外にも使われています。例えば・息を吸う、吐く・息を吹きかける・口を開ける、閉じる・噛む・なめる・のみこむなどがあげられます。これらの様子を観察してみましょう。周囲のお子さんと比べてうまくいかない、力が入らない、あるいはどこかに力が入りすぎる場合は、その様子を記録しておくと良いでしょう。口を閉じる練習・いろいろなものを噛む練習・息を長く吹く練習などが有効な場合と、余計な力を取り除くためまずはリラクゼーションの練習が必要な場合とがあります。お子さんによって取り組むと良い動作が違うため、これまでの記録とともに専門家に相談し、アドバイスをもらいましょう。◇音への意識を高める、聴く力を育てる遊びを通じて、音に注目する力、音に耳を傾ける力を育てましょう。・しりとりしりとりは効果的なあそびです。ルールの理解が難しい場合は、絵や写真、ひらがなやマス目などを手がかりとして見せながら、無理ない範囲で一緒にやってみましょう。「さかな」「なす」「すいか」「からす」などの絵カードや文字カードを用意します。カードを指しながら「さかな」と言った後、「な・な・な…」と言いながら次に続くカードを探すのも良い方法です。・かるたかるたも、音への意識を高める遊びです。正しい札を選んだあとに、1文字ずつ指をさしながら一緒にゆっくりと文章を読んでみるのも良いかもしれません。・じゃんけんすごろくサイコロの代わりにじゃんけんを使ってすごろくをします。グーで勝ったなら「ぐ・り・こ」、チョキなら「ち・よ・こ・れ・い・と」、パーなら「ぱ・い・な・つ・ぷ・る」と言いながら1文字ずつ進みます。大きな紙にスタートとゴールを描き、その間をマス目でつないだすごろくを親子でするのも良いでしょう。階段を使って、勝った人が出した手に応じて1段ずつ進むゲームもあります。◇コミュニケーション手段の確保構音の獲得や改善に効果的な方法を探る一方で、「自分の思いを伝える」という機会を確保することも大切です。話しことばに限らず、表情や視線、ジェスチャーや指さし、写真や絵、文字や記号などあらゆる手段を使って伝えたい思いを相手に伝える経験を積み重ねることは、コミュニケーションの力を育むうえで不可欠です。まとめ出典 : 構音を獲得するまでには、様々なステップがあります。お子さんの構音の育ちにつまずきがあると感じられる場合、言語聴覚士など専門家にアドバイスや支援を得ることが近道といえます。周囲よりも構音の育ちが遅いと、親御さんもお子さんも焦りや苛立ちを感じるかもしれません。「それは違うでしょ!○○って言いなさい」と指摘し言い直させてしまうこともあるかもしれませんが、それだけでは喋ることそのものを嫌いにさせてしまう可能性があります。上手に発音することだけではなく、様々な人と関わりコミュニケーションすることが楽しいと感じられるような工夫も取り入れながら、成長を応援する姿勢も大切かもしれません。専門家と相談しながら、実践できる方法を探り、取り組んでみましょう。参考:「子どもの発音とことばのハンドブック」山崎祥子/著(芽ばえ社)参考:井出歯科医院
2017年03月24日幼稚園の先生に話しかけることすらできなかった息子。それが今ではこんなことまで…Upload By モンズースー発達障害の疑いがある息子。家族意外と会話をすることができず、幼稚園に入園しても先生とお話をすることができませんでした。言いたいことがあるときには「お母さん○○って先生に言って」と私を介して話をしていました。ですが入園して1学期が終わる頃には担任の先生とお話ができるようになり、その後クラスの友達やママ、他のクラスの生徒や先生ともお話ができるようになりました。今では家で話せない家族の愚痴まで先生に話しています。長男の世界が広がってくれたのはとても嬉しいのですが、「家庭内の話はあまり話して欲しくないな…」なんて思ってしまいました。
2017年03月24日「何も話さなくていい」。安心して自分のままでいられる初めての友人「JERRY BEANS」のベース、八田くんと出会ったのは、僕が自殺未遂を母親に止めてもらった後のこと。親に連れられて、双子の弟の史朗と一緒に参加した、「不登校の親の会」の集まりだ。そこに八田くんもいた。八田くんとの関係は、今まで思っていた「友人関係」とは全く逆だった。友人というのは「自分のことを話せる相手」だと思っていたけど、そうじゃなかった。八田くんとの間では、「自分のことを話さなくてもいい」安心感があった。当時は、まだ不登校とか自殺のことを話せる気持ちがじゃなかったけど、八田くんは何にも聞いてこなかった。ただただ毎日遊んでいるだけで、それが居心地良かったのだと思う。僕も、八田くんの不登校についてなど聞かなかったし、聞く気にもならなかったというのがその時の気持ちだ。弱さを受け容れてはじめて、「親に愛されている」と思えるようになる出典 : 仲間ができてから、僕の生活は大きく変わった。それまではずっと家から出られなかったのに、八田くんと出会ってからは、弟の史朗と3人で毎日のように外出するようになった。生活が変わって、だんだんと自分の気持ちも変わってきた。初めは、学校の友だちに会いたくないからコソコソしていたけど、そのコソコソした気持ちすらも楽しめるようになっていった。それから、いい意味で色々なことを諦められるようにもなってきた。「こういうことも人生の大事な経験やし、みんな人間なんて未完成なんやな」って、そう思えるようになった。弱い自分をしっかり受け止めて、だれかに頼ることは、決して悪いことではないのだと思う。一番大きな変化は、「親に愛されている」と思えるようになったこと。それまで、親がぼくらのために戦ってくれている姿を見て、親は完璧な存在なんだと思っていた。けど、そうじゃなかった。実は母親も、後に鬱になったり、父親も失踪したことがある。親は親で、必死でがんばっていたんだ、誰にだって人間らしい弱い部分があるんだということがわかってきて、「みんな、同じ弱い人間やん」って思えるようになった。それでようやく、親との心の距離が近づいていった。そんな経験があったから、今はどんな状況の人に出会っても、それはその人の人生に必要なことなんだって、受容できるようになった。「人間同士、今日も生きてるわ~」なんてね。明けない夜は辛い、それでも歩いていける「JERRY BEANS」のボーカルを務める、双子の弟の史朗は、僕とは対照的な性格だ。同じく不登校を経験してはいるけど、もともと活発で友達もたくさんいた。双子というのは不思議な存在で、どっちかが本物でどっちかがニセモノみたいに思えることがある。僕は、史朗に比べて友達も少なかったから、完全に自分が史朗のコピーだと思っていた。だけど今では、弱い部分も含めて、自分は自分なんだって受け止められるようになった。僕は化粧もして、奇抜な民族衣装を着ているけれど、これもきっと僕の性格や人生の表れ。自然がもともと好きだった上に、不登校の時、ジブリの『もののけ姫』を20回以上も観ていたものだから、きっと『もののけ姫』の世界に引きこもっていたんだろうな。自然のなかにいるような格好が安心する。そのせいで、どんどん奇抜さが増していくけど(笑)。今でも性格はけっこうひねくれていて、「必ず夜は明ける!」なんていう言葉は嫌いだ。「いやいや、明けてないから、いま辛いんやし!」みたいに思ってしまう。だけど、明けない夜―不登校の時期があっても、例え困難な状況があっても人生は不思議で自分の想像以上の事が起こる。それは良いことも悪いことも両方あるけれど、少なくとも良いほうもちゃんとあるんだから生きてさえいればゆっくりでも歩んでいけるんだということは、僕の経験や唄を通して知ってほしいと思う。こんな格好のおかげで、不登校の子どもたちに会うと笑われることが多い。「いやいや雄介さん、めっちゃ元気やん!僕引きこもってもそこまでならへんわ」って。いま、辛い思いをしている子たちに、僕の姿を見て「そんな時期があってもそこまでなる!?」って、笑った驚いたりしてくれれば、それでいいかな。
2017年03月23日幼稚園が決まった直後、発達障害の診断が下りた、3年前のあの日。出典 : 月、ついに別れの季節です。3年間お世話になった幼稚園を、息子は卒園します。思い返せば、息子の発達障害の診断が下りたのも3年前。地元でもかなり人気のある幼稚園に入園が決まって家族全員胸をなでおろしていたときに、息子に発達障害の診断が下りたことを、私は鮮明に覚えています。それは、入園3ヶ月前の1月のこと。既に1日入園などで酷いパニックを起こすなどしていた状況でした。「とにかく診断が下った以上は黙って入園させるわけにはいかない…。」私と夫は診断が出た後にそのまま入園予定の幼稚園に向かい、状況を説明することにしたのです。不安に押しつぶされそうになりながら幼稚園へ…すると…出典 : 幼稚園に向かう道すがら、私の頭にいくつものも不安がよぎります。私は夫に何度も問いかけました。「入園を断られるかもしれないね」「黙ってたほうが良かったんじゃないかな」「せっかく、入園できることになったのに」「入園が断られたら、またイチから探さなきゃだね」私の問いかけに対して、夫は何度も「大丈夫だって…」と返事をしてくれました。でも、私と同じ不安な思いを抱いていたのだと思います。不安に押しつぶされそうな中、幼稚園に到着。幼稚園の先生方に息子の発達障害についてお話したところ、入園を断られるどころか、先生方は一生懸命メモを取って息子のへの対応を検討してくださいました。息子の特性に配慮した保育ができるように、知恵を尽くしてくださっていたのです。入園してから知ったことですが、他の園が断るような重度自閉症児やアレルギーのある子も差別なく受け入れ、先生方は他の子と変わらず全力を尽くして保育をしてくださる幼稚園でした。泥まみれになりながら思いっきり遊べる環境で、少しずつ成長!Upload By モビゾウ幼稚園では、毎日泥まみれになるまで遊ばせてくれます。裏山には園長先生手作りのアスレチック、園庭は掘り返し放題、水流し放題、どの子どもも帰る頃にはぐちゃぐちゃのヌットンヌットン状態です。感覚過敏で泥を触れず、ぬかるみに足が入ってしまうだけで大泣きしていた息子も、あっという間に泥まみれになって帰ってくるようになりました。この幼稚園では、年長の後半になるまで「お勉強」や「早期教育」のようなものは一切しないのも特徴で、息子にとっては良い環境だったのかもしれません。幼稚園に入ってから、靴は3ヵ月に1回は買い替えなければならないほどドロドロになって帰ってきました。ちょっと疲れた日は、砂に埋もれて空を眺めるのだそうです。紺色の制服が真っ白になって帰ってくる日は、大抵空を眺めていた日です。真っ白になってしまった制服も、泥まみれで穴があいてしまった靴も、見るたびに私は幸せでした。Upload By モビゾウ適度な負荷の大切さ。発表会が息子を成長させてくれた。出典 : 息子の幼稚園は、各行事に力を入れていることで有名でもあります。1つの行事のために、1ヵ月以上前から子どもたちは練習に練習を重ねます。特に年長さんの行事は大人から見ていてもすごいレベルです。「うちの息子は年長に上がる前に挫折するかも…」と私はいつもドキドキしていたものです。そんな心配をよそに、先生方は「ほんのちょっと頑張れば乗り越えられるぐらいの負荷を与えてみる」ということに気を配ってくださいました。「苦行に近いような負荷を与えてしまうと、子どもの自信にはつながらない。これならちょっと頑張ればできるかも、ということをやらせるようにしている」とのことでした。息子は何度も「もう無理~」と言ったそうですが、そのたびに先生方は息子にカレンダーを見せてくださったそうです。「あと何日だね」と言うと、息子は「頑張る~」と起き上がったそうです。それでも身体が疲れてどうしようもないときは、職員室のベッドで眠っていたそうです。決して特別扱いはせず、けれども適度な配慮をして頂けたと思います。そして最後の発表会で、息子は笠地蔵のおじいさん役をやらせて頂きました。それまで本人の負担を少しでも軽くするように、劇ではなるべく大勢でめだたない役をしていました。しかし、この最後の発表会は、セリフも多く出番も多い、主役をやらせて頂いたのです。これは息子にとって大きな自信になったと思います。年長になった息子が、卒園式を前に言ったことUpload By モビゾウ充実している息子の姿を見ても、もしかして辛さを隠しているのではないか、という私の気持ちがなくなることはありませんでした。感覚過敏の息子にとって、泥まみれになるのは実は嫌だったんじゃないか、行事のたびに荒れることが多かったから、本当はものすごく辛かったけど黙っていたのかもしれない…。英才教育系の園のほうが本人に合ってたかもしれない…。私の頭の中には常にそんな心配がありました。ところが、卒園式を前に、息子がこんなことを私に聞いてきたのでした。「お母さん、幼稚園の先生ってどうやってなるの?」「僕は将来幼稚園の先生になって、この幼稚園に戻りたい」「先生たちもお友達も、みんな僕を助けてくれた」「あんな風に、僕もみんなを助けたい」これを聞いて、私は涙が止まらなくなってしまいました。「そっか、楽しかったんだね、本当に楽しかったんだね」「みんなに助けてもらったんだね。幸せだったんだね」3年間、息子がどんな思いで毎日を送ってきたか、息子の言葉で私にはわかりました。4月からは小学校1年生。今までとは勝手の違うことがたくさん出てくるでしょう。息子にとっては辛いことも増えていくかもしれません。でも、幼稚園の3年間で得た自信の貯金で、きっと乗り越えていけると私は信じています。息子の新たな門出の日は、もうすぐそこです!
2017年03月23日特別なニーズにもこたえる、通信制サポート校「しんあい高等学院」って?出典 : 今春から大阪府大阪市に設立される通信制サポート校「しんあい高等学院」。日本でもまだ珍しい発達障害のある子どもたちの受け入れに特化した通信制サポート校です。これまでの通信制サポート校と、一体どのような違いがあるのでしょうか。しんあい高等学院/明蓬館SNEC 大阪・玉造入学試験には作文と心理検査結果の提出、そして子どもと保護者それぞれの面談があります。事前に障害特性・認知特性・学習特性などを見極めたもとで授業カリキュラムを作成していきます。入学前から生徒ひとり一人のニーズを見極め、万全な受け入れ態勢を作っています。もし心理検査を受けたことがない場合は、見学や入学相談とあわせて専門職員による検査を受けることも可能です。SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーションセンター)とは、特別支援教育のための通信制サポートシステムです。このシステムは、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」で有名な東田直樹さんや、学習障害の理解を広げる活動を行っている講演家の南雲明彦さんなど社会で活躍している人たちを輩出した、福岡県にある明蓬館高等学校の日野校長によって発案されました。専門職員による面談・心理検査を通じ、入学前の検査結果をもとに個別のニーズにあわせて支援・指導計画を作成し、学習面を中心に身辺自立や人とのかかわり方、就労観など将来を見据えた訓練を含めてサポートをしていきます。また、進級にともなう試験も点数評価だけでなく各自にあわせた提出課題をつくることで着実に学習の定着をおこなっていけるようにしているのも特徴です。学習環境に関しても、通信制なので年1回(4日間)のスクーリング以外はサポート校への通学と自宅学習を自由に選ぶことができます。ひとクラスで一斉授業を行うのではなく、本人の望む環境で課題に集中することができる点は魅力的です。ただ高校に通うのではなく、それぞれの個性を生かせるような教育を目指しているのです。東田直樹オフィシャルウェブサイト南雲明彦オフィシャルウェブサイトそして何より注目したいのは、高校には臨床心理士・社会福祉士・特別支援の知識を持つ専門スタッフが常駐している点。学力面だけでなく生活支援もあわせたサポートを目的として動いてくれるので、思春期特有の問題があったとしてもすぐに相談できるところが魅力的です。気になる卒業後の進路もしっかりとバックアップする体制をつくっています。大学や専門学校への進学支援はもちろんのこと、就労の際は連携先の企業とのインターンシップ制度を用意していたり就労継続支援へつなぐこともできるようになっているのです。明蓬館高等学校品川・御殿山SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーションセンター)学院長にインタビューしました学校を運営するのは法人事業で福祉に15年携わってきた真田明子学院長。今回、発達障害に特化した通信制サポート校を開設するに至った経緯について、発達ナビ編集部がインタビューを行いました。Upload By 発達ナビニュース―なぜ「しんあい高等学院」を設立しようとお考えになったのでしょうか?真田明子さん(以下、真田さん):わたしたちは15年間、福祉事業に携わってきました。2006年からは児童デイサービスを開始し発達障害のお子様や親御様と接する機会が増える中で、高校以降の進路があまり用意されてない現状に気付いたんです。そんなとき、明蓬館高等学校のSNECを知り、ぜひ関西でも同じような高校が作れないかと思いたちました。―これまで関西にはSNECのような発達障害のお子さんをサポートするような高校はなかったのですか?真田さん:実は、関西は全国で比べても通信制高校が多い地域なんです。発達障害や不登校のお子様は自然と通信制高校に進学する流れができていたので問題があまり表面化しなかったんですね。ですがその裏で、進学後に最後まで通えずまた不登校になってしまったというケースも、多く発生していたのです。その大きな要因は、お子様の障害ケースに合わせられる専門家がおらず、適切なサポートを受けられなかったからではないかと推測しています。―だから、SNECサポートシステムの通信制サポート校の設立が必要だったんですね。真田さん:そうですね。しんあい高等学院には、臨床心理士や社会福祉士などの専門資格を保有した職員を常に配置しています。教育面だけでなく生活面のサポートも行っており、お子様が困っていればすぐにこちらからフォローを入れられるようにしています。―とても手厚いサポートが受けられるようになっているんですね。なぜ、ここまで万全のサポート体制を敷いているのでしょうか?真田さん:SNECサポートシステムを考案した明蓬館高等学校の日野校長から、以前こう言われました。「多感な思春期こそ大切にしなくてはならない」と。10代に受けた考えや環境は後々大きな影響を及ぼします。この時期をしっかりサポートすることにより生徒たちが安心して社会に出られるようにしたい、と。この考えに非常に感銘を受けまして、本校でもその精神を大切にするため発達障害に詳しい専門スタッフをおくようになりました。今後も本校のように遠隔授業を用いてサポートできるような通信制サポート高校が全国に広がり、より多くの支援を必要としている子どもたちに届けばと考えております。これからの新しい通信制サポート校のカタチに期待出典 : 真田学院長にインタビューした際、このようなこともおっしゃられていました。「海外では不登校という概念自体がない国もあるんです。」学校に通うということ自体を目的とせず、どういう学び方ができるかを本質的に探っていくという考え方が根付いていれば、子どもが「不登校」かどうかを問題とする必要もなくなるのでしょう。しんあい高等学院のように「それぞれの発達にあわせた学び方」を掲げる高校が全国に広がり、新しい学びの選択肢として定着していけば、子どもたちの進路にも新しい道が開けていくのではないでしょうか。しんあい高等学院、入学についての詳細はこちら
2017年03月23日ある晴れた日…娘が教えてくれたことUpload By SAKURAそう…晴れだって、当たり前じゃない!娘にこのことを教わった私は、晴れた日には太陽に感謝するようになりました。そんな娘に、感謝!Upload By SAKURA
2017年03月22日友達との遊びでも刺激を求め続ける、ADHDの息子出典 : わが家には、自閉症スペクトラム+ADHDと診断されている6歳の男の子がいます。息子は基本的に自分から進んで他人と関わるということはなく、幼稚園でも「友達に誘われれば遊ぶ」「たまたま隣にいた誰かと遊ぶ」ということが多かったようです。積極的に関わって来てくれるお友だちに関しても『仲良しのお友だち』という意識はないようで、誰と遊んでいたかもすぐに忘れてしまいます。楽しそうにしているのは、ADHDの特性の一つでもある「刺激を求める」という部分が満たされるからではないかと考えています。そしてその「刺激を求める」という特性が、一歩間違えるといじめの原因になってしまうのではないかと思う出来事がありました。ある日プールで見た、友達と「遊ぶ」息子の様子出典 : 先日、水泳教室で泳ぐ練習をしている息子を眺めていた時のことです。10人ほどのグループレッスンで順番待ちをしている際、後ろにいた女の子たちが息子に声をかけ、楽しそうに遊び始めました。そのうち、女の子の一人が息子の持っていたビート板を取り上げたのです。息子は「新しい遊びが始まった!」とばかりにぴょんぴょん跳ねてビート板を取り返そうとしました。女の子は隣の女の子にビート板を渡し、息子はいつまで二人の間を行ったり来たりしましたが、なかなか取り返せません。そのうちに、女の子が息子の頭をビート板で叩き始めました。やめて、という素振りを見せながら逃げる息子。女の子はケラケラ笑いながら息子を叩き続け、その様子を見ていた隣の女の子も同じようにビート板で息子を叩きはじめました。息子は水に潜って逃げます。でも女の子は息子をビート板で上から押さえつけます。息が続かず水面に顔を出したいけれど、押さえつけられて出れず、息子はもがいていたのです。担任の先生は順番が回ってきた子を指導しており、監視員はあいにく反対側にいて気づいていません。私が慌てて別フロアのスタッフに止めてもらうようにお願いに走っている間も、それは何度も繰り返されたそうです。ようやく注意が届き、一連の行為は治まりました。しかし驚いたことに、息子はまだその女の子たちと遊ぼうとしています。遊びがエスカレートし、いつの間にか暴力を受けていたり、命が危険にさらされているということに気がついていないのです。息子はどうすれば「嫌なことをされている」ことに気づいて、逃げることができるだろう出典 : 女の子の行為にも問題はあります。しかし、刺激を受けて喜んでいる息子の様子が、行為をエスカレートさせてしまったという側面も見逃してはいけないのだと思います。決して「いじめられる方にも原因がある」という意見を受け入れているわけではありません。発達障害やその疑いのあるお子さまを抱える小学生のお母さん方から、「周囲から自分の子どもがいじめられていると報告を受けて、自分の子どもに話を聞いてみても『遊んでいるだけ』という返事ばかり」「トイレやロッカーに閉じ込められたり、殴ったりされても笑っている」という話を何度も聞いてきました。そのたびに、子どもが「自分が今どういうことをされているのか」という視点を持つことは、とても大切なことだと思うようになったのです。息子の場合も、「いじめ」が始まる前段階で、「こいつは何をしてもいい奴だ」という認識が周囲に行き渡ってしまうのを阻止する必要があります。そのためには、ADHD要素の強い息子の「刺激を受けると無条件に喜ぶ」という部分に何らかの働きかけをしていかなければならないと思いました。ではどうすれば、「嫌な事をされている」ということに気づき、行為がエスカレートする前にその場から逃げたり、毅然とした態度でNOが言えるようになるのでしょうか。出典 : 家に戻ってから、息子と話をしてみました。私「今日、水泳教室で女の子と遊んでいたね」息子「うん!ビート板をね、取られたの。返してって言っても返してくれないんだよ~」私「頭も叩かれてたね」息子「バンバンってね、二人でやるから逃げたんだけど追いかけてくるんだよ~」私「水に潜って出られなかったでしょ?」息子「そうそう!僕が逃げられないように邪魔するんだよ~」息子はあくまでも「遊んでいた」としか認識していないようで、のんびりと楽しそうに話しています。私「あのね、叩かれて痛くなかった?」息子「もちろん、痛いに決まってるよ」私「息が出来なくて苦しくなかった?」息子「そりゃ苦しいよ!いっぱい体を動かしたけど出れなくてさ~」私「あのね、あなたは自分の大切な人に痛いことや苦しいことをする?」息子「え、そんなの絶対にしないよ?」私「そうだよね。でも今日はずっとそんなことをされてたでしょ?」息子「うん、そうだよ。あれ?おかしいね?」私「それはね、遊んでるって言わないんだよ。あなたはずっと嫌なことをされていたんだけど、わかる?」息子「そうなの?だからやめてって言ってもやめてくれなかったの?」私「そうだね。お友だちっていうのはね、あなたのことをちゃんと大切にしてくれる人だと思うの。痛いことや苦しいことをしてくる人はお友だちじゃないよ。すぐに離れないとダメだよ」息子「逃げても追いかけてきたら?」私「そんな時はね、周りの人や大人に助けを求めてるんだよ。プールの場合だったら、プールサイドに上がって先生を呼びなさい。どこかの道だったら、知らない人にでもいいから『助けて』って言ってごらん?ずっとママが助けてあげられたらいいけど、そうじゃない時もあるでしょ?自分の身は自分で守る練習をしていかないとね!」息子「わかった!今度から痛いことと苦しいことをする人からは逃げたらいいのね?」母親の私が、今の息子に伝えられること出典 : たった一度の話し合いで、息子が刺激を受けて喜ぶのを止められるとは思っていません。これからも他の子どもたちからの悪ふざけを、喜んで受け取ってしまうことがあるかもしれません。「強い刺激を受けて喜ぶ」というのは脳の構造の問題で、幼い息子がそれを理性でコントロールできるはずがないからです。それでも今、私が親として息子に伝えられることは何だろう。息が出来ずに水中でもがいている息子を何度も思いだし、胸が張り裂けそうになりながら考えました。「あの時、君はいじめられていたんだよ」私は息子にそうはっきりと伝えました。殴る蹴る突き飛ばすなどの暴力行為、心を傷つけるような暴言を吐かれる、やめてと言ってもからかわれ続けるなど、今の時点で私が「嫌がらせ」「いじめ」だと思うものを紙に書いて教えました。「遊び」と「いじめ」の違いが自分のなかでも曖昧な上、刺激を受けて喜ぶ特性を持つ息子には、どんな行為が嫌がらせやいじめなのかをきちんと教えておかなければならないと思ったからです。今から繰り返し情報をインプットすることによって、いつか「あれ?これは嫌がらせをされているのかな?」と気づく場面が出てくると思います。その時には、その場所や人から離れたり助けを求める必要あるので、その方法も合わせて伝えておくことにしました。なかなか改まってお子さまと「いじめ」についてお話をする機会は少ないと思いますが、子どもがいついじめの被害者になったり、逆に加害者になってしまうのかは、誰にもわかりません。わからないから、情報をしっかりと伝えておくことが必要なのではないかと思います。もうすぐ新学期が始まります。周囲の環境やお友だち関係ががらりと変わってしまう今が、お子さまとゆっくりとお話しをされるいい機会かも知れませんね。
2017年03月21日ADHDの息子に、ケガを見せるとどうなるかと言うと…Upload By かなしろにゃんこ。指を包丁で切ってしまったときなど、その場に居合わせた家族にケガの様子を一応報告するものですが、我が家の高校生の息子は「痛い話は聞きたくない」とシャットアウトします。人の心配くらいしておくれよ!と言いたくなるのですが、息子にその理由を聞いてみると、自分なりに目の前の人の痛みを感じているからこそ、見たくない・聞きたくないという姿勢になると教えてくれました。どうしてそんなに「痛い」に共感するの?その背景にはある事件がUpload By かなしろにゃんこ。息子が人の痛みに敏感な理由は小学校1年生のときの事件にありました。学童クラブで遊んでいたときに、引き戸を思いっきり開けて戸の間に手を挟み、薬指を切断する事故をしているのです。幸い指は手術でつながりましたが、手術が開始されるまでの3時間近く痛みと闘い我慢をしていたことがツラい記憶となり、彼のトラウマになったようです。過去の記憶がフラッシュバックする…戸の開け閉めに慎重になったADHD息子の苦難Upload By かなしろにゃんこ。そのケガからは、注意欠陥がある息子でも戸の開け閉めは用心深くなりました。戸の開け閉めをしている人を見ると、「大丈夫かな?」と心配してしまうそうです。私が立て付けの悪い戸を乱暴に開けたときも、「そっと開けて!」と注意してきます。Upload By かなしろにゃんこ。誰かがケガをすると自分のケガの記憶と重なってしまいフラッシュバックが起こることもあるそうです。夜にケガの映像が頭から消えなくなって、なかなか眠れなくなることもある、と話してくれたことがあります。それまでは、痛い経験はその後の注意につながって、注意欠陥があるADHDの息子にとっていい結果になるのでは?と考えていました。でもあまりに大きいケガをしてしまうと、極度の心配性になって心の傷となるのですね…。
2017年03月21日不登校は、「乗り越える」ものじゃない。僕たち「JERRY BEANS」は、全国の小中学校を回って、講演と音楽ライブを組み合わせた「講演ライブ」という活動を実施している。講演ライブを行うのはほとんどが道徳や人権の授業で、僕たちの不登校経験をもとにメッセージを伝えている。多い年は年間で約130件。こうやって書くと、「不登校経験者が過去を乗り越えて教育活動へ…」という感動ストーリーに見えるかもしれない。だけど、僕の中では、不登校っていうのは「乗り越える」ようなものじゃない。学校に行くと“講師”や“先生”だなんて呼ばれるけど、正直、心は今も“当事者”だと思っている。自分が特別な経験をしているとは思っていないし、「人に元気を与える」なんて言えるほど立派な人間じゃない。でも、講演に行くたび、当時の自分と同じような悩みを抱えている人に出会う。「自分と一緒の思いを持って生きている人がいるんだ」って知ってもらえたら、その人の気持ちがほんの少しでも楽になるかもしれない。そう思って活動を続けている。そして何より僕自身が出会った人たちに沢山心や命について教わったから。そのことを伝えたい。「どうして人と違うんだろう…」自分のペースを認めてもらえなかった幼少期出典 : 子どもの頃から他人に自分の気持ちを伝えることが苦手で、友達もずっといなかった。同じく不登校を経験している、双子の弟の史朗とは、そこが違うところ。史朗には友達がたくさんいた。幼稚園の時は、毎日親に引きずられて泣き叫びながら通園していた。小学校1年生になって、泣き叫ぶことはなくなったけれど、はじめて他人と自分との距離というか、違和感があることに気づいたんだと思う。楽しいのに笑顔になれなかったり、悲しいのに涙が流れなかったり。うまく表現できないまま、自分の気持ちを置いてけぼりにしてしまう、そんな冷めた子どもだった。自然が大好きで、段ボールで秘密基地を作って自然の中で遊んだりしていた。アースカラーの民族衣装を好む、今のファッションスタイルにもつながっているかもしれない。学校でも好きな授業は理科。とにかくマイペースな性格だった。学校にいて一番しんどかったのが、そんな“自分のペース”をまわりに認めてもらえなかったこと。自分では行きたいと思って登校するんだけど、時間が違うというだけで出席を認められなかったり、絵を描くことが好きで特に妖怪やホラーを好んで描いていた。その絵を見て、腫れ物をさわるように扱われたり。当時、不登校は本当に珍しいことだったから、先生も友達もそれを認めること自体が難しかったんだろう。今だからこうやって振り返ることができるけど、当時はわけもわからずしんどかった。自我が不確定でぼんやりしていて、なんとなく「人と違う」ってことしかわからなかった。毎日の居残り授業。先生の一言で、ついに心が折れる出典 : 年生の時、ある日学校に行こうとすると腹痛が襲ってきた。病院にいっても原因不明。でも、翌日からも身体のあちこちが痛くなって、それからは毎日遅刻して学校へ行くようになった。3年生から5年生までの2年間は、遅刻しながらも登校を続けていたけれど、だんだん自分が悪いことをしているような気持ちになっていった。同級生から「どうしたん?」とか「なんで遅れてくるん?」と軽いノリで聞かれるけど、うまく答えられない。医者に行っても「病気でもなんでもない」と言われるから、身体は本当に痛いけど、嘘ついていると思われたくなくて、何も言えなかった。そのうち、周囲の子からも「ズルしてる」って思われるようになって、遅刻する前よりもますますひとりぼっちになった。その疎外感といったら。5年生の頃、勉強が遅れていたので、担任の先生と1対1で放課後にも勉強するようになる。熱血先生で、毎日居残り授業をすることを、帰りの会でみんなの前で宣言するような人だった。そんな状況が、ますます僕を限界に追い込んでいったんだと思う。ある日の居残り授業で、その先生に「字が汚いな」と言われたとき、完全に心が折れてしまった。先生には、励ましてくれる味方でいてほしかったのに、その一言で全人格を否定されたように感じたんだろう。今思えばきっと先生に悪気はなく、むしろ僕の事を思って言ってくれていたんだと思う。翌日から、僕は不登校になった。「今日は終わりの日だ」睡眠薬を飲もうとしたその瞬間学校へ行かなくなると、罪悪感で自分を責めるようになった。先生や親にとって、自分は迷惑な存在で、「ここには自分のいる価値なんてないなぁ」と思っていた。しばらくして、いじめを苦に自殺をした少年のニュースをテレビで観て、“自殺”に興味を持つようになる。「もう僕は愛されていないし、愛される資格なんてないから、いなくなった方がいい、みんな喜ぶやろうな。誰か一人でも泣いてくれるんかな。」そんな考えが生まれるぐらいに迷走してしまっていて、自殺を愛されるための方法の一つだと思うようになった。「今日は終わりの日だ」ある朝、ふとそう思った。母親が飲んでいた睡眠薬をこっそり部屋に持って行き、自殺をしようとした。全く怖さはなく、むしろ無感情だった。睡眠薬を飲もうとしたその時、ものすごい音がして、扉が開いた。母だった。いつもと違うぼくの様子に、母は感づいていたのだ。母はすぐに僕をもの凄い力で抱きしめた。そしてボロボロに泣きながらこう言った。「学校に行かへんて死ななあかんほど悪いことなんか?あんたが元気に生きていてくれたら、それだけで十分なんや。あんたが何をしたって、誰がどう思ったって、お母さんはあんたの味方やねんで」そう言ってずっと僕を抱きしめてくれた。怒られると思っていたのに、自分は愛されてないと思っていたのに、どうして……。ボロボロと泣く母の涙に自分の背中が濡れていく。今までほとんど感情が出てこなかったのに、気づけば僕も、止められないくらいめちゃくちゃに泣いていた。
2017年03月20日特別支援学校高等部に入学した、自閉症の息子。その時間割を見てみると…出典 : こんにちは。『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』の著者の立石美津子です。2000年に生まれた、知的遅れを伴う自閉症の息子は2016年4月7日に特別支援学校高等部に入学しました。息子が高等部入学したばかりのころ、私は時間割を見て驚きました。「あれ?数学、国語はこんなにちょびっとなの?」そこにあったのは、作業、作業の連続の時間割でした。Upload By 立石美津子特別支援学校高等部は正式には高校ではありません。就労するための職業訓練校的色彩が強いです。障害も重い子、軽い子がいます。それぞれの能力に合った就労先を見据えて、園芸班、紙工作班、清掃班、接客班、事務班などに分かれて訓練しています。仕事=つらい?息子が学校で習った内容は…出典 : ある日、息子が学校から持ち帰ったファイルを開いてみると、「仕事頑張ります」と書いてありました。社会に出るということも仕事の意味もわかっておらず、ただ担任に言われたことをそのまま写してているような気がしました。何だか切なくなりました。Upload By 立石美津子更にそのファイルには、仕事に関する穴埋め式の問題が入っていました。○のなかに回答を書くものです。問題:高等部を卒業したら?○○→○○をもらう→生活する息子が書いた答えには、「働く」「給料」の文字が入っていました。問題:お給料をもらうためには、仕事をしなくてはならない!仕事は遊びではないので○○仕事や嫌な仕事もある○○には「辛い」という文字が入っていました。Upload By 立石美津子息子の精神年齢は5歳くらいです。この穴埋め問題の意味をどれくらい理解しているのでしょうか。先生が模範解答として示したものを、そのまま書き写したんだと思います。確かに書いてあることは正しいことなのですが…。障害のある息子にとって、仕事はただつらいだけ?社会に出れば学校時代のような見守られる環境ではなく、厳しい面もあります。嫌でもしんどくてもやらなくてはならないことも多々起こります。でも…。「‟仕事は辛い“と最初にインプットしないでほしい。仕事が始まる前から‟苦しいもの”という先入観を持たせないほしい」と思いました。仕事をするのは給料のため、生活のためだけではありません。息子には卒業後、障害があってもやり甲斐や張りのある毎日、「こんな僕でも誰かの役に立っている」という充実感を持ちながら働いてほしい。そう感じました。「仕事は楽しい、だから頑張って技術を身に付けて仕事ができるように頑張ろう」そんな穴埋め問題だったら良かったのに…と母として思いました。働くことはゴールではない。むしろ、その先の人生のほうがもっと長い出典 : 特別支援学校高等部では、生徒達がきちんと就労できるよう、訓練することに必死です。でも、就労はゴールではありません。それから先も人生は続きます。むしろその先の方が学校生活よりもずっと長いのです。企業は法定雇用率に基づいて、障害者を雇うようになりました。2013年からは、従業員数が50人以上の会社は、雇用する労働者に占める身体障害者・知的障害者の割合が2%以上になるよう義務付けられています。このパーセンテージは、将来もっと上がると言われています。厚生労働省『平成25年4月1日から 障害者の法定雇用率が引き上げになります』企業は義務として障害者を雇いますが、企業の側に障害に対する理解が十分あるとは限りません。例えば“アスペルガー症候群”の人にはどのような特性があり、物事をどう捉える傾向があるのか、正しく把握している人が企業にどれだけいるでしょうか。このような状況だと、孤立し虐められ退職してしまう障害者も多くなるでしょう。一方で親御さんの中には、「どうか子どもが今日もクビになりませんように」と神棚に祈っている人もいます。そこには、わが子が将来一人で生きていくためには、職場になんとか雇用されていてほしいという切実な願いがあるのだと思います。そんな親の気持ちを知った子どもが、合わない職場でも嫌と言えず、働き続け、もがき苦しむという場合もあるかもしれません。就労できたからといって、その先の人生が保障されているわけではないのです。だからこそ、特別支援学校も「訓練して、就労させて、はいさようなら」とならないでほしいんです。卒業後のフォローはあると学校側からは聞いていますが、ずっと見ていてくれるわけではありません。障害のある子に対して、長期にわたり見守る制度が充実することを願っています。Upload By 立石美津子毎朝、慣れないネクタイの制服で悪戦苦闘している息子です。これも就労訓練の一貫なのかもしれません。そして、「ああ、どんどん年齢を重ねないで就労なんて考えないでずっと可愛い子どもでいてほしいなあ。」「毎日楽しい学校生活のようなことを一生経験できる場があったらいいなあ」なんて思ってしまうのでありました。Upload By 立石美津子『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』2016年、すばる舎
2017年03月19日興味のあることしか覚えられない娘。嫌いな「社会」、どう勉強する?出典 : 視覚優位の傾向があるけれどそれが生かせるのは興味のあることだけ。これが、当時小学3年生だった娘に対する私の認識でした。実際、形を覚えて書き写すのは得意ですが、興味のないことはなかなか覚えられません。小学校の科目の中でも、「社会」が嫌いだという娘。そんな娘がが日本の都道府県を覚えられるようになるまでのあの手この手を、このコラムではご紹介します!娘の視覚優位を生かそう!ケータイアプリを駆使してみるも…社会の科目が嫌いな娘がまずは地図に慣れ親しめるよう、早くから地図のアプリなどを使わせていました。「あそんでまなべる日本地図パズル」は、日本地図の型に都道府県のピースをはめ込んでいくもので、視覚優位の娘はあっという間にスラスラと解くようになりました。Upload By SONOあそんでまなべる日本地図パズル(Android版)あそんでまなべる日本地図パズル(iOS版)それならと、姉妹品の「あそんでまなべる日本地図クイズ」も勧めてみました。こちらは都道府県名と県庁所在地がクイズ形式で出てくるのですが、こちらは嫌だと拒否。嫌なものは仕方がありません。あそんでまなべる日本地図クイズ(Andoroid版)あそんでまなべる日本地図クイズ(iOS版)スラスラ解けるようになったものはつまらないそうで、日本地図パズルも使わなくなりました。ゲーム性の高い「地図エイリアン」を勧めてみましたが、こちらはゲームのノリに合わず拒否…。周りの子たちが楽しそうにやっていても見向きもしませんでした。「とりあえず日本地図パズルができるってことは、結構覚えているってことだよね、形を覚えるのも得意だし…。」そう思って一旦地図学習は幕を閉じた娘小3の春でした。地図エイリアン(Andoroid版)地図エイリアン(iOS版)興味のないことは、やっぱりなかなか覚えられない!思考錯誤の末、辿りついた勉強法は…出典 : しかし小4冬休みの宿題で「(都道府県名を)5個しか書けなかったー」という結果に。やっぱり興味のないことは覚えないんだね…と思いつつ、対策を考えました。「またアプリで地図の勉強をやってみようよ~」と言ってみるものの、娘は「ヤダ」の一言。5個しか書けなかったということは、覚えるまで毎回何十個も分からないものがあるということだよね…。娘が日本地図を覚えるまでの苦痛を考えると、毎回分からなかったところを調べさせたり書き写させたりするのも心苦しい。しかもそれって効果あるのかな…?というよりますます地図嫌いになっちゃうかも!?私はしばらく考えました。そうだ!沢山じゃなくなればいいんじゃないの?私「地方に分けてやってみようか」娘「いいけどどうするの?」私「白地図を探してみるよ」調べてみると、地方別に印刷ができる白地図のページがありました。テクノコこれだと北海道は東北地方とは別の用紙、沖縄も沖縄と先島諸島で一枚で九州地方には入ってないけれど、ひとまずはこれでいいかな…娘に話すと「北海道と沖縄だったら1問だけで満点だね。キャッキャッキャ」と笑っていましたが、まんざらでもない空気になってきたので、東北地方からプリントしてあげました。Upload By SONO結果は6問中4問正解。宮城県は何とか思い出しましたが、静岡はそんな寒いところじゃありませんよ。都道府県記憶術、番外編。好きなもので覚えるのがイチバン!?そうそう、実は娘はお笑いコンビの「ラーメンズ」が好きなので、ちょっと各都道府県に失礼なところはありますが、「不思議の国のニポン」を何度も見ておりました。娘は「主食さくらんぼ、おかず西洋梨、おやつ…」と聞くと「将棋の駒!」と即答できるのに、「山形県」は覚えられないんですね。エピソード記憶の方は、しっかり残っているというのに…どの形の県がどこにあるかも覚えているようなので、あとは何県かを覚えればいいことになります。地方別にプリントしながら、エピソード記憶を結び付けていこうと思いました。いまや嬉々として県庁所在地を覚える娘。大切なのは子どもに合った勉強法を探すことUpload By SONO漢字への取り組みでも分かったことですが、なかなか覚えられないことでも何度も出会ううちに記憶が定着してきます。そして、定着できた記憶はそう簡単には消えません。娘は定着するまでに時間がかかるので、毎日少しずつ取り組むことがいいようです。定着したものが増えることによる負担の軽減と、少しずつ取り組むことによる負担の軽減が効果的でした。日本を一周するころには、北海道・東北地方、九州・沖縄地方のまとまったプリントのサイトも見つけました。最近リニューアル公開されて見やすいページになっています。小学校社会科問題集都道府県暗記用無料白地図&ミニテスト娘に見せたところ、「答え書くところが別でやりにくい」とのことでしたが、「学校で問題解く時も、地図の上じゃなくて回答欄に書くよね。その力も必要だよ。」と言うと納得してくれました。ワーキングメモリの少ない子は、問題の場所と回答欄が違うと解き辛いそうです。コグトレ(認知機能強化トレーニング)の「あいう算」などをしてみると、苦手さが分かったりトレーニングができたりするそうですよ。コグトレ研究会こうして年末から取り組むこと1月ちょっと。漢字まで完璧にとはいきませんが、娘は全ての都道府県を覚えました。そして、できるようになったことの嬉しさから「県庁所在地も覚える」といい1週間足らずで覚えています。県庁所在地を覚えようという時には工夫も見られました。「都道府県と同じ名前のところはどれくらいあるかな?」と、地図にマーカーで印を付けていました。苦手だからとあきらめていたら見ることは出来なかった娘の楽しそうな姿に、苦手を感じずにできる形の勉強法を探すことの大切さを学びました。
2017年03月19日ADHDな長男と、みんなと同じことができる次男。それぞれのトイレ事情は…フリーダム度が高いADHD長男と、みんなと同じことができる次男。日常生活の色んな場面でそれぞれの性格や色が出てきて面白いのですが、トイレに関しても真っ二つに分かれてます。次男はと言うと…Upload By ラム*カナ電気を消すことも、ドアを閉めることも、手を洗ってくることも忘れず出てきます。パーフェクト!一方ADHDなフリーダム長男は、Upload By ラム*カナとりあえず色々忘れ、Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナある意味パーフェクトでした!(唯一やってきたことと言えば、「出した」ことだけでしたね。)
2017年03月18日毛糸のチクチク…みんなは平気でも、私は耐えられない!Upload By モンズースー子どもの頃、毛糸でできた衣類はほどんどダメで冬でもセーターやマフラーは使いませんでした。兄弟や友達は何も気にせず着ていましたが、私はそれらを着ると痛くてがまんできませんでした。Upload By モンズースー逆につるつるした素材の衣類や布団は大好きでした。中でもお気に入りだったのがシルクのパジャマ!子どもが着るとだいぶ違和感がある素材とデザインでしたがすべすべでとても気持ちが良かったので大好きでした。人によって感覚は違うもの。不快だと感じる人の気持ちを想像したいUpload By モンズースーその後高校生くらいから周囲に合わせてセーターやマフラーを着用するようになりましたが、今でもあまり好きではありません。毛布は不快ではありませんが、綿の布団の方が好きです。成長して気にならなくなったのもあるのかもしれませんが、以前に比べ素材が不快で無いものが多くなったのも理由な気がしています。よく「セーターがチクチクして痛い」なんて聞きますが、同じセーターを着ても不快に感じる方と平気な方がいますよね。人によって感じる感覚とは違うものなのに、不快に思わない人は気持ちが理解できず「わがまま」などと考えてしまうこともあります。つい自分の感覚で考えてしまいますが、人それぞれの感じ方は違うのだと思います、言葉ではうまく表せなくても「不快」な感覚で困っている子もいるのではないかな…と思いました。
2017年03月17日軽い気持ちで始めたバイトで、自分の発達障害に気づくことに出典 : まず、どうして私がコンビニでアルバイトをすることになったのか、説明したいと思います。娘が小学校2年生の時に不登校になり、私は保育士の仕事を退職することになりました。それから約2年半の間、私は在宅で内職程度の仕事をするくらいで、ずっと家で娘と過ごしていました。この後、娘はアスペルガー症候群であると診断されます。そして娘が5年生になる頃、娘の主治医から「そろそろ、お母さんパートに出られても大丈夫ですよ」と言われたことが、私がアルバイトをはじめようと思うきっかけになります。それは、娘がアスペルガー症候群と診断されて1年が経ったタイミングでもありました。いきなりフルタイムの仕事をするのは心配だったので、近場のコンビニでバイトをすることにしました。今までやってきた仕事は事務・パソコン系と保育系のみ。でも、私の頭の中では「コンビニのバイトだったら私にでもできるだろう」という考えがありました。しかし、それはあまりにも甘い考えだったとすぐ知ることになります。 そして、自らも発達障害であることに気づくきっかけにもなりました。やることありすぎ!多彩過ぎるコンビニの仕事内容出典 : さて、コンビニのバイトってどんな仕事をするのでしょう。実際に私が経験した内容をまとめてみました。・レジ打ちもはやパソコンといっていいくらい高度なレジ。現金だけでなく、クレジットカード、Quoカード、Icoka、Suicaなど電子マネーも扱います。 交代した時にレジのお金を合わせるのもバイトの仕事。・タバコ販売ものすごい種類のタバコの名前を覚えるのは大変。番号が付けられているので「〇番」と言ってくれると助かるんですけどね。・公共料金や携帯料金など代行収納これはものすごく数が多いです。手早くしないといけないのに処理に時間がかかることや、1度に何件も出してくる人も多く、控えを確実に渡し、店舗控えも保存しないと大変なことになるので気を使いました。・切手・収入印紙販売たまに注文が入るので、やり方を忘れてよくオタオタしてました。・チケット発券お客様がスマホで見せてこられる番号を入力してコンサートのチケットなどを発券します。これもレジや連動する機械の操作を覚えるのが大変でした。・おでん・中華まん・揚げ物の調理中華まんと揚げ物は一年中。冬場はそれにおでんの調理が加わります。残っている品物の数や廃棄のタイミングも考えながら調理しなければなりません。おでんも何時にだしを入れ替えるなどマニュアルがあるので、かなりバタバタしました。不器用な私はよく火傷したものです。・掃除交代してレジのお金合わせが終わると、一人は掃除に入ります。床だけでもホコリ取り、水拭き、乾拭きを3回。さらに、店内のあちこちにあるガラスを磨き、外回りの掃除、灰皿の交換、トイレ掃除をこなさなければなりません。しかも、45分以内で終わらせないと大変怒られました。・品出しおにぎり、弁当、パン、ほかにもいろいろな大量の商品がシフト中に1回は納品されます。それをチェックする機械にかけて商品名と数を確認しながら、素早く棚に補充していきます。また、新聞も別に納品されますので、それも台帳にチェックして素早く棚に補充します。・コンビニコーヒーの販売2012年からコンビニの入れたてコーヒーの販売が活発になり、私がバイトしていた店でも導入されることになりました。導入時にはメーカーの本部から来た人に研修を受け、導入してからはキャンペーンで大忙しでした。・その他コピー機やATMの使い方をご案内することもありました。レジでじっとしていることは許されません。ちょっとでもヒマができたら商品をきれいに並べ替えたり 、お菓子の補充をしたりとやることは無限にあります。努力しているのにどうしてもできない。私のやらかした失敗の数々出典 : そんな過酷なコンビニで、私がうまくいかなかったことを紹介します。・仕事が遅い、手際が悪いバーコードを読み込んでレジをするわけですが、バーコードが商品のどこについているのか全然覚えられず、商品をくるくる回してお客様に「ここよ」と指摘されることもしばしば。袋詰めも遅く、必死で早くしようと思っているのに「アイスクリームが溶けちゃう」と怒られることもありました。掃除のやり方は、まずオーナーの奥さんから細かく指示がありました。でもそのやり方では45分では終わりません。同じシフトに入るバイトは私を含めて2人なので、「いつまでも掃除してられたら困る」と先輩バイトに怒られました。でも、みんなはどうやって手早く終わらせているのかどうしてもわかりませんでした。「適当でいいのよ」と言われてもその「適当」がわかりません。・ミスが多い代行収納でお客様に渡す控えを忘れたり、お弁当を温めるときにソースまで温めてしまい爆発寸前になったりと、ミスには事欠かず。常にメモを持ち歩いて、ミスを書きだして繰り返さないよう気を付けたのですが、それでもミスは減らすことができませんでした。・仕事が覚えられないマニュアルを読みこんだり、先輩に教えられたことはメモして、そのメモを清書して読み返したりしましたが、仕事を人並みのスピードで覚えることはできませんでした。おそらく、作業量が多すぎてメモするくらいでは追い付かなかったのでしょう。業務内容が私の処理できる限界を超えていたので、努力でカバーするのは無理だったのだと思います。・マルチタスクに弱すぎるレジにいるときにも、揚げ物のチェックをしたり、値下げの用意をしたりと仕事はいっぱいだったのですが、一つの仕事をすると他のことを忘れてしまったり、熱中するあまりお客様に気づかなかったりしました。初めて経験したパニック状態で発達障害と気づくきっかけに出典 : 「もう無理かも」と思いながら仕事をしていたある日のことです。その日のことはなんだかもやがかかったようでよく覚えていないのですが、とても店は忙しく、私は例によって仕事でミスをして先輩に怒られていました。その時にお客さんからも声をかけられ、なんというか私の脳みそはそこで焼き切れたようです。先輩の言葉もお客さんの言葉も日本語として聴き取れなくなりました。意味のない音がワーッと向けられているような感じで、頭はグラグラ、身体がスーッと冷えていくような感覚になり、しゃがみ込むか、その場から逃げたくなりました。だけど、根性で「とにかくレジを打つんだ」と作業しているうちに、徐々に元の感覚が戻ってきてパニックは収まりました。おそらく周りの誰にも気づかれることはなかったと思います。この出来事があり「あれ、私が困っていることって娘の診断に当てはまるわ」と思い至り、発達障害の検査を受けようと決意したわけです。そして受診した病院で、私自身も発達障害であると診断を受けました。4ヶ月目で退職勧告。そして私の出した結論。出典 : バイトを始めて4ヶ月目のことです。仕事を終えてバックヤードへ戻るとオーナーの奥さんから「話がある」と言われました。「実はね、あなたのことで困っているの。普通のバイトの子に比べて仕事を覚えるのが遅くて、もうこの段階ではみんなできていることがあなたにはできていない。一緒に組んでいるバイトの子も困ってるようだし…。どうしてあなたは成長しないのかしら?」叱責されるわけでもなく、しみじみと本当に困ったという風に話す様子を見てすっぱり決めました。「実は、最近検査を受けて発達障害があると診断されました。私はこれ以上、この仕事で成長することはできません。だからもう辞めさせてください。」もういくら頑張っても無理だというのが私の結論でした。そして、それはあっさりと受け入れられました。頑張っても、頑張ってもできないことがある。今まで認められなかったけど、この仕事で初めてその事実を受け止めることができたのでした。これからコンビニで働こうと思う人へのアドバイス出典 : 最後に、私が働いた店は特に売り上げがいい店で、勤務時間は昼の1時~夕方5時という業界では忙しい時間帯でした。よく下見をして、あまり忙しくない、本部直営店舗ではない店を探したり、バタバタすることは少ない深夜の時間帯などのシフトに入ることで対応できる人もいるかと思います。私も、勢いで決める前にネットなどでよく情報を集めておけばよかったと思いました。繰り返しになりますが、この経験が私が発達障害と向き合うきっかけを作ってくれました。決して良い思い出ではありませんが、自分の特性を知り、「頑張っても、頑張ってもできないことがある」という学びを得ることができた時間だったと感じています。
2017年03月17日療育センターを舞台にした演劇、「わたしの、領分」わたしの、領分療育センターを舞台に、発達障害がある子どもにかかわる「心理士」の視点で描く、演劇『わたしの、領分』。2年前の初演で好評を博し、このたび再演が決定しました(3/28~4/2 東京・下北沢/小劇場楽園)。LITALICO発達ナビでは、公演に先立って、演出の松澤くれはさんにインタビューを行いました。Upload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)松澤 くれは(まつざわ くれは)脚本家・演出家。1986年、富山県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。演劇ユニット<火遊び>代表。芥川賞作家・中村文則氏『掏摸[スリ]』の舞台化にはじまり、『殺人鬼フジコの衝動』『天帝のはしたなき果実』『くるぐる使い』など、人気小説の舞台版を手がける。オリジナル作品では「あなたとわたしが[We]に近づく物語」をテーマに、言葉で分かり合おうとしながらも分かり合えないことを受け入れる、人間の生き方を一貫して描く。現実のような生々しい会話劇で、観客の日常につながるラストシーンを目指している。大学院を卒業し、都内の療育センターに配属されたばかりの心理士・萩野は、発達障害児を中心に面談を行っている。「いつか治りますよね?」「うちの子を障害者にする気か!」 親たちは口々に言いながら、救いを求める眼差しを彼女へ向ける。認識の齟齬から生じる軋轢に悩みつつも、萩野は実直に、進むべき道を探してゆく。ある日。定期面談を終えたはずの青年が、センターにやってくる。勤務先での生活を嬉々として語る彼に、まとわりつく悪意の存在。青年が起こした傷害事件は社会を巻き込んだ「自閉症をめぐる問題」 へと発展し、偏見と差別が膨らみ続けるなか、萩野は一人「こころ」と対峙する。世界のあいまいさを許容して生きるための。はるかから、わたしの物語。療育センターの心理士が紡ぐストーリー誕生のきっかけ出典 : 編集部(以下、編):はじめまして。今回療育センターを舞台にしたお芝居『わたしの、領分』再演ということで、ぜひお話を伺えたらと思います。まずはじめに、このお芝居を作るそもそものきっかけは何だったのでしょう。松澤くれはさん(以下、松):もともと、僕の知り合いに療育センター勤めの心理士がいたんです。その人から現場サイドの悩みや葛藤を知る機会がありました。そのときはじめて「支援する側にも葛藤や悩みがある」ということを知りました。療育施設という場所には常々舞台として関心があったのですが、そこでの話というと、既存のものはどうしても親御さんや子ども当人からの視点で描かれがちで。療育施設には心理士さんもいます。知人の話を聞いて「心理士の視点から書きあげることで新しい作品がつくれるんじゃないか」と思ったのです。もともと僕は作品を創るときに「視点を変える」ということにこだわってきました。別な角度、いわゆるニッチな視点ですね。うちが手掛けた他の作品でも、例えばオリンピックを描く時、ドーピング商品を選手に売るバイヤー視点でつくるなど取り組んできました。視点を変えて紡ぎだすことによって、新しい問題提起が何かみえてくるのではないかとは常に考えて素材を選んでいます。今回の作品の着想もその範疇(はんちゅう)で生まれました。「当事者意識」の境界線は?発達障害の子どもとその周縁をどう描いてゆくのか出典 : 編:既存のイメージから視点を変えて芝居を紡ぎ出すということですが、今回、療育センターの職員と発達障害の子どもという題材の中で、どのようなテーマを持たれていたのでしょうか。松:「当事者意識」というものに対する興味関心です。「当事者」という言葉はよく使われますが、一体、どこからどこまでが当事者なんだろう、と。たとえば発達障害のある本人がいて、その親御さんまでが当事者なのか、それとも支援にかかわるすべての人もふくめるのか…。実際、劇中でも「あなたに足りないのは当事者意識だ」というシーンがあるんですが、じゃあ、あなたはどうなんですか?と、問い返すこともできる。何があれば「当事者だ」と言えるのか…心の持ち方なのか、血が繋がってることなのか、本当は誰も定義できないからこそ、難しいのだと思います。本人がどれだけ相手を思って行動しても、「いや、あなたは部外者だ」と言われてしまえばそれまで、何もできないというもどかしさがある。その、定めきれない「当事者意識」の境界線を作品で描くには、なるべく広く関係性を作るべきだと思ったんです。子どもと子どもの親がいて、民間のセラピスト、センターの人、ドクター、心理士の夫、などなど。自分は当事者なのか?と悩みながらも相手にかかわっていく、あるいは、この人は当事者ではないと相手に思いながらも頼っている、この状態やそんな関係性そのものを描きたいと思ったのです。編:なるほど…では、劇中の登場人物たちがその人なりの「当事者性」を追求していくような形で物語が進んでいくのでしょうか?松:いえ、自分が当事者と思っているか思ってないかは、バラバラに設定しています。それぞれのシーンで、観る人が「『当事者』というものを考えることに直面する」ように演出しています。たとえば、「息子を障害者にするつもりか!」「あなたに足りないのは当事者意識だ」といった台詞を聞いたときに、ハッとする人もいるかもしれないし、疑問を持つ人もいるかもしれない。観る人それぞれが考える余地を残して、シーンを描いています。編:「これが当事者だ」と答えを出すというより、当事者性そのものを”考える”ために劇がすすむようにしているということですね。松:そうですね。基本的に答えを出したり作り手のメッセージを出していくタイプの劇は作っていないんです。登場人物の悩みそのものを持ち込み、悩みと悩みがぶつかり葛藤がおきる、人間関係のうまくいかなさ、その場面をそのまま提示していこうと。その中で、互いに争わず、妥協ではない前向きな折り合いをつけるにはどうするか、今この瞬間の現実の悩みをどうするかを、描いていきたいと思っています。そもそも80分の劇で人間の悩みなんて簡単に解決できないとも思っていますしね。稽古中、セリフにつまづいて黙ってしまう役者を褒めます。その訳は…Upload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)編:役者さんとは普段どのようなコミュニケーションをとりながら稽古をしているのですか?松:「嘘はつかないでほしい」と、まず最初に言っています。セリフがあるからって言わないでほしい、言えないのに言わないでほしいと言っています。セリフを覚えてないわけでなく、うまく出なかった。そんな時には立ち止まって、なぜ出なかったのかを考えてほしいと伝えています。なんでその演技ができないのかということを考えてほしいんです。とりあえずで無理やり話を進めないで、セリフを言うきっかけを探してほしいって言っています。ピンとこないセリフがあったら、じゃあ今どんな気持ちになっているのかを共有して前段階から演技を考えていきます。なるべくお互いにごまかさない、その代わり稽古なんだから失敗していきましょうと。そう伝えると、ホントにセリフ言わない人も出てくるんですよ。そこからは、この人物がセリフを言う動機はどこにあるのか、どれくらいのイメージを持ってやっているのか、お互いのイメージをすり合わせるようにして進めていきます。編:松澤さんが今のような演出スタイルをとることになったきっかけはなんですか?松:そうですね。人はそれぞれ違う、という意識がそうさせたかもしれません。自分と他者という違いに少しずつ気付いてきた時期があって。昔は男主人公でやっていましたが、一挙手一投足が気になりすぎてしまって、役者にも細かく指摘し過ぎてしまうんですね。だんだん、「このままじゃ駄目だ」と思うようになって、女主人公の芝居にチャレンジしたんです。そしたら、女性のしぐさに対してなかなか想像が及ばず、わからないことだらけだったんです。そこで気づいたんです。そもそも演出家も役者も、芝居に挑むバックボーンが違うし、みんなバラバラの意思や体を持っているのだということに。でもそれは、一緒に芝居を作っていく上では、実は大した問題ではないんですよね。大事なのは同じ目標を持って、ひとつのことに向かうこと。そこに至るまでに各々が違う役割を全うすればいいだけ。そこから今のような演出スタイルや、役者とのコミュニケーション方法が築かれていきました。編:人はみんなバラバラで、違った意思を持っている。当たり前のことなのに、人はつい自分の信念や、一般的な社会通念にとらわれてしまう…発達障害のある人の中には、そんな周囲からのプレッシャーに苦しんでいる人も少なくないと思います。演出家、役者、監修者、一人ひとりの「ちがい」を前提として芝居をつくりあげていくスタイルは、きっとこのテーマにぴったりの手法なのだと感じました。自分のフィルターは、視点が異なる他者との密なかかわりで、外していけるUpload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)編:今回の作品の話に戻りますが、創作していくうえで、松澤さんの築いたスタイルはどう生かされましたか?役者さんにとっては、発達障害のことや心理士の仕事は未知の世界でしょうし、イメージしにくいところからのスタートだと思うのですが。松:初演の稽古の際、きっかけになったできごとがあります。くまさんがいて、うさぎさんがいて、箱にビー玉を入れるという、子どもへの発達検査のシーンでのことです。最初は、検査で子どもが間違えてしまったことで生じた、発達障害の可能性に対して、両親が失望するという台本にしていたのです。しかし、父親役の役者の意見からは「間違えてしまった子どものことは、僕には正常に見えた。子どもだから複雑な指示に従えないのは当たり前だと思います」といったのです。そこで活路が見えました。こうなるから、こうとこだわらず、なるべく自分のフィルターをはずして、バラバラにして組み立てていくようにしたんです。実際に演じる役者さん、監修をしてくれた心理士、自分と視点が異なる他者の視点を取り入れていくことで、リアリティが生まれていきました。そんななかで、たとえば観客席の最後列から聞くと声が聞き取れない役なども出てきました。登場人物のテンションもそれぞれ違うので、役ごとにバラツキをもたせたのです。普通のお芝居だと、なるべくはっきり、後ろまで声が通るようにしますよね。でも今回、それをやらなかった。あと、余談ですがうちは円陣も組みません。そしたら同じテンションになっちゃうから。それではリアリティを消してしまいます。そこまですると演出がバラバラに見えることもあるかもしれません。しかし、現実では同じテンションはありえないんです。揃えてしまうことではリアリティは生み出せないことになります。なるべく誰かのペースに巻き込まれないでと、役者には言ってます。ストーリーばかりを勝手に進めないようにと。正しいと思ってなくても言ってほしい。自信のなさでもいいので、なるべく決めつけずに進めてほしい。だから達成感がない芝居だと役者から言われることもあるんですけどね(笑)。伝わりにくい「生きにくさ」の正体。観客に「いたたまれない…」と思わせる、ぎりぎりの表現を生み出すには出典 : 編:テーマにかかげてある「生きにくさ」を身体表現と会話劇で繰り広げるのは大変だと思いますが、どういう点で苦労しましたか?松:一般的には芝居って筋書きが決まっているものなので、稽古すればできるようになるじゃないですか。出来不出来はともかく、とりあえずストーリーは追えると思うんですよ。でも、それだけでは安定してしまう。だからぎりぎりを攻めてほしいと、役者さんに伝え続けました。セリフをとちってほしいというわけではないんですが、ぎりぎりまで忘れているんだけどぽろっとセリフが出てくる、それぐらいの状態でいてほしいと。そこでリアリティがでてくるので。矛盾と戦い続けることで出来るようになっていくことですよね。稽古していることを稽古していないことのようにやること。100回練習したことをはじめてやるかのようにやる。「生きにくさ」とは、「うまくいかなさ」ですからね。たとえば、ここで突然御二方(発達ナビ編集部員)に怒られたとするじゃないですか。インタビュー受けなきゃよかったな、早く帰りたいなぁ、言ったこと間違ってたのかなという気持ちになって、ここにいにくくなると思うんです。「いたたまれなさ」です。そのあり様をそのまま舞台上に、その気持ちで立ってもらいたいと思っています。やっぱりお芝居って、自分の出番で自信を持って体を大きく動かしてセリフをバシッということができるほうが気持ちいいんですよ。自分も役者だったんでわかるんです。そっちのほうがある種の安心感があるというか。でも目指すのはそっちじゃない。ここ全然うまくいってない、相手との掛け合いがうまくいってない、っていうときほど「今日よかったですね」って僕は言いますし、逆に役者が「今日は調子いいぞ」と思っているときほど駄目で、「今日は予定調和でした」と言いますね。演劇によっていろいろなジャンルがあるので、秒単位で筋書きが決まってるようなものでこういうことをやるのは駄目ですが、「わたしの、領分」のようにありのままを見せるような芝居では、その人自身がちゃんと傷ついてその場にいたくないという気持ちになることが大切だと思ってます。心のどこかで本当に「ここにいたくない」と思うことが大事なんです。そういうところが身体表現の大事なところなんじゃないかと思います。いるとき、いなくちゃいけないときの境目を分けてふるまうことも大事です。いなくていいときはすぐ舞台上から去ることも大切ですね。編:戸惑うお客さんもいるんでしょうね。松:芝居に親しんできた人は斬新にみえるらしいですね。現代口語演劇の延長線でやってきているので、それに親しんでいる人は受け入れられると思います。アンケートで、「私がいつも観ている帝国劇場より声がでてない」とか(笑)、「結論がない、結論を出せ」といわれることもあります。もともとある価値観を変えることはなかなかむずかしいし、それこそ多様性を認めろというのも押しつけでありエゴでもあります。でもこういう人がいるんだということを知るというのはいいと思っています。登場人物にどこか自分と共通した変なところが見えてくるといいと思います。たとえば、作中に登場する心理士も変な人が多くて、ちょっとずれてるところを持っていることが多いように描きました。登場人物の荻野もシャーペンのカチカチする音がきらいで、年の離れたドクターにおもわず切れてしまうことがあったり。それをお客さんもみて「ここわかる」「ここわからない」と自分の中にもある変わったところと重ねながら観てもらえたらと考えています。相模原殺傷事件の匿名報道への憤り。少しずつ歩き続けようと、すぐ再演を決めたUpload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)編:少し話を社会的な事象の時系列から掘り下げて、作品の真相に迫っていきたいと思います。2015年に初演があって、その後、相模原障害者施設殺傷事件がありました。そして今2017年に再演することになったわけですが、松澤さんの中であの事件は偶然の重なりといえますか?どう事件を咀嚼して再演するにいたったのでしょうか?松:誤解を恐れずに言うと…ついに起きたかと思ったんですね、相模原は。ヘイトスピーチや優生思想が最近増えており、それに賛同する人が増え一定の共感を得てしまい社会に浸透しつつあったところでこの事件が起きました。その中での匿名報道、やっぱりそうなったかと思いました。遺族に配慮した、と言って19名全員の被害者名を警察が伏せたというのがそのような社会になってしまっていることの表れで。伏せざるを得ないのが社会の在り方なんだなと思いました。19名全員の遺族が出さないでくれといったわけではないのに、とっさにそのような判断がくだってしまうという。そこには顔がないと思うんですよ。命を奪われて、そのあとに冥福を祈るというときに「個」をはく奪されてしまう。被害者たちは、19という数字になってしまう。まだそういう社会なんだ、平気でそういう判断を下して「悲惨な事件でしたね」という感想で終わってしまう。その近くにいた人だけが解決しないまま問題意識を持っている状態になってしまう。それで、すぐ再演を決めたんですが、再演を決めた後もすぐに批判されたんですよ。「あなたが芝居して何が変わるんですか?」「お金儲けしたいだけでしょ」と言われて。そこに当事者意識の違いを感じました。被害者じゃなければ語れないのであれば、何も変わらないと思うんですよ。結局見て見ぬ振りを続けていく、ひどい事件が起きたね、終わり、にするわけにはいかない。何よりああいう犯人を出さないようにするためにも、あまり議論が尽くされない中での匿名報道などにも待ったをかけるように働きかけていかないといけないんじゃないかと思ったんですよね。そこで再演に関してですが、まず相模原事件が起きたあとに設定を変えたんです。現実に起きた事件をないがしろにできないので、名前は出してないのですがその事件の後だとわかるようにしています。なので時系列は2016年にしました。あとは、ラストシーンを変えました。初演を見た人はびっくりするくらいの全く別物になると思います。まったく見え方が変わるはずです。タイトルも変えたんです。「わたしの、領分。」だったのを「。」をとったり。この違いからこの作品の意味がわかってもらえたらと思います。初演は、立ち止まることが大事、というイメージでしたが、再演は、少しずつでいいから歩き続けよう、というイメージにしています。これは初演から2年たって変わった心境と思ってもらえるといいかもしれません。編:これまでお話を聞いていて、松澤さんが手掛けるお芝居は、非日常の娯楽というよりは、むしろ日常の延長の中にある芝居というような印象を受けます…松:芝居のラストシーンがお客さんの日常につながっていってほしいんですね。家に帰った時にじわじわ効いてきてほしい。演劇は新しい視点をお客さんにあたえることができると思ってます。芝居をみて、「心理士っていう仕事があるんだ」くらいの感想でもいい。あるいは、街中で発達障害かもしれないなという人を見かけたら、見て見ぬふりではなく「あ、昨日のお芝居で…」と思い出してもらえるなら嬉しい、ほんの一歩でもいいので、今まで自分の中になかったものを受け入れるキャパシティが広がれば、と願います。日常忙しい親御さんにも、肩の力を抜いて楽しんでもらいたい出典 : 編:発達ナビは発達が気になるお子さんの保護者の方向けメディアです。何か直接伝えたいことはありますか?松:ここで今、取り立てて伝えたいことはないんですよね。というのも、この芝居は終わる物語ではないので、メッセージも答えもないありのままのものなので。親御さんたちは、ご自分やお子さんに引きつけて見られる部分もあるとは思いますが、一方でまた別のお話、別の人生であると、少し離れて肩の力をぬいてみてもらえたらと思います。こういう生き方もあるんだ、こういう人もいるんだ、というふうに感じ取ってもらえたらいいなと思ってます。編:普段育児に忙しくしている方々も、少し肩の荷をおろせる時間になるといいですね。松:そこまで言い切れるかどうかはわからないんですが、きっと日常で悩みやご負担も多いと思うので、普段なかなか自分のことにかまえずにいるなかで、演劇を純粋に物語として見てもらい楽しんでもらえたらと思います。心理士と親御さんの面談シーンを第三者として見るってのもあまりないと思うので。編:本当に楽しみな舞台ですね。本日はお話ありがとうございました!インターネットを通じて様々なプロジェクトへの活動サポート・寄付ができるクラウドファンディングのプラットフォーム「CAMPFIRE」にて、「わたしの、領分」の公演規模拡大、地方公演の実施に向けた資金を募るプロジェクトを実施中です!わたしの、領分クラウドファウンディングUpload By 平澤晴花(発達ナビ編集部)わたしの、領分松澤くれはプロデュース『わたしの、領分』2017年3月28日(火)~4月2日(日)@小劇場 楽園作・演出松澤くれは出演者善知鳥いお岡村いずみ江幡朋子尾﨑菜奈倉冨尚人今駒ちひろ野下真歩早山可奈子坂内陽向宮川智司柴田淳(ブラックエレベータ)室田渓人(劇団チャリT企画)濱田龍司(ペテカン)スタッフ舞台監督:吉倉優喜舞台美術:小林裕介音響:葉暮呉一郎照明:タカハシカオリ小道具:定塚由里香宣伝美術:イラスト…谷川千佳/デザイン…milieu design制作:森永たえこ協力:特定非営利活動法人アートシアター株式会社アイビー・ウィーウォーターブルー株式会社大沢事務所株式会社スチール・ウッド・ガーデン株式会社パワー・ライズ(有)No.9UTYリベルタ(五十音順)製作:「わたしの、領分」製作委員会公演日程2017年3月28日(火)~4月2日(日)タイムテーブル3/28(火)19:303/29(水)19:303/30(木) 15:0019:303/31(金)19:304/1 (土) 14:0018:004/2 (日) 13:0017:00※上演時間は約80分を予定しています。※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は30分前からです。※開演10分前までにお越しいただけない場合、キャンセル扱いとなる場合がございます。チケット前売り4,000円 / 当日券4,300円(全席自由席・日時指定)お問い合わせpro.watashi@gmail.com050-5319-3493(森永)
2017年03月16日発達障害のある息子。疲労がピークに達したとき、何が起きるかと言うと…発達障害の息子は、周囲の刺激に敏感で疲労がたまりやすいです。そのため、疲労や不安がピークに達する前に刺激から遠ざけることが大切です。疲労と不安が限界値を超えてしまうと、パニックに繋がってしまうからです。疲労や不安がそこまでたまっていない状態の息子はこんな感じです。Upload By モビゾウ・目がきちんと合う・会話が成り立つ。こちらの問いかけに対して、適切な答えを返すことができる。・身体の芯がしっかりとして、私と手をつなぎながら普通に歩くことができる。当たり前のことばかりのように聞こえるかもしれません。しかし、周囲の刺激によって息子に限界値以上のストレスがかかり、体調が悪くなると…Upload By モビゾウ息子は突然、ぜんまいの壊れたおもちゃのように、ぴょんぴょんと飛び跳ね続けるようになります。足はひたすらぴょんぴょん。手はフラフラと脱力気味になり、お化けの手になります。Upload By モビゾウこうなると周りが見えていませんから、近くにあるいろいろな物や人に次々にぶつかってしまいます。そして、パニックに陥ってしまうのです。「落ち着きがない子」と呆れていたけれど…飛び跳ねるのは理由があった。出典 : かつては目の焦点が定まらず飛び跳ね続ける息子を見て、「なんて落ち着きのない子なんだろう…」と呆れていました。けれども、息子に聞いてみると、飛び跳ねているときは、自分の手や足がどう動いているのか、よく分からなくなっているのだそうです。発達障害の子どもはボディイメージが弱いとよく言われます。自分の手足がどこにくっついていて、どんな風に動いているのか、頭で把握しづらいのです。これが疲労や不安が限界値を超えてしまうと、全く何が何だか分からなくなるのだそうです。手はどこだ、足はどこだ、と混乱して、頭がフラフラになっていくのだそうです。跳ねているのは、自分の混乱を少しでも収めようとする必死の動きなのです。決して、ふざけて落ち着きがなくなっているわけではないのです。つらいのは誰よりも本人。息子の場合の対処法はUpload By モビゾウ息子の場合、体調が悪くなったときにそのままにしていると事態は悪化する一方です。限界値を超えてしまうまえに、刺激の少ない静かな部屋や空間に連れていき、大好きな車のおもちゃで遊ばせるようにします。息子も、お尻を突き出して車を下から覗き込みながら、無我夢中で車を並べていきます。そのうちに、疲れた頭も少しクールダウンし、パニックという最悪の事態は避けることができます。ただ、お出かけ先によっては必ずしもクールダウンできる場所が用意されているわけではありません。よって、我が家ではまず以下のことを徹底しています。・発達障害児が刺激に弱いということを十分考慮し、大きな音や過度の光はないか確認して、本人の限界値を超えないように環境設定する・予測できない状況で不安になると、一気に体調が悪化するため、事前予告はしっかりと。・人とのコミュニケーションは強要しない。挨拶ひとつでも、息子には大変な負担になることを忘れない。しかし上記のような配慮を徹底しても、体調が悪くなって飛び跳ねてしまうときもあります。そのようなときのために、下記のような対策もしています。・お気に入りのおもちゃを必ずいくつか持参する(部屋の隅っこでそれをいじっているだけで落ち着くため)・紙と色鉛筆を持っていく(手をひたすら動かすと身体の動きが落ち着くことがあるため)・YouTube動画をしばらく見させる多動対策のポイントは、「動きを止めさせる」のではなく「別の行動をさせる」ようにするということです。疲れが限界に達して身体がバラバラになるような感覚は、叱っても治るものではありません。「静かにしなさい!」「じっとしなさい!」と言えば言うほど、息子はどうしたら良いのか分からなくなるのです。ですから私は、おもちゃやYouTube動画などをフル活用しながら、「これなら動かしても良いよ」と促します。まずは環境設定、それでもダメならクールダウンできる場所を探すこと、それもダメなら別の行動を促してみると良いかもしれません。
2017年03月16日言葉を失った自閉症児が言葉を取り戻す!実際にあった話2歳の時に突然言葉を失ってしまった、自閉症の少年・オーウェンが、家族の愛情とサポートのもと、大好きなディズニー・アニメを通じて徐々に言葉を取り戻していった様子と、障害を抱えながらも底抜けに明るく、前向きに社会と向き合い、自立を勝ち取るまでの現在の彼の姿を、ユーモアたっぷりに、そして感動の涙とともに描く映画「僕と魔法の言葉たち」が、4月8日(土)よりシネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開されます。発達ナビ編集部はこの映画にご招待頂いたので一足お先に鑑賞してきました。今回はこの「僕と魔法の言葉たち」の魅力をレポートします。自閉症であるオーウェンの頭の中をアニメーションで描き出すUpload By 発達ナビニュースこのドキュメンタリーの主人公・オーウェンは、サスカインド家の二男として生まれました。生まれたときには発達に問題は見られなかったのですが、2歳の頃から突然言葉を発さなくなります。そんな彼についた診断は、広汎性発達障害・自閉症。両親はショックを受けながらも、彼を大切に育てていました。映画は、このドキュメンタリーの主人公で自閉症者のオーウェンが、卒業を控え社会に出る直前の学校の授業風景からはじまります。彼が言葉を失い、そして取り戻す過程。言葉を取り戻した後も、学校でのいじめなどといった困難や、自立や失恋、そして親亡き後というこれから起こりうる困難。これらを現在の風景やインタビュー、過去のホームビデオ、そしてディズニーアニメーションとオリジナルアニメーションで臨場感豊かに、前向きに描き出します。オーウェンの自閉症傾向が強く、言葉を発さなかった時期でも熱心に見ていたディズニービデオ。彼にとってディズニーの物語は、目の前の人や社会を理解するための枠組みとなりました。ディズニーアニメ特有のオーバーなアクションや豊かな表情は、自閉症の彼にとっても理解しやすい物語だったのです。オーウェンにとってディズニーアニメは、自分自身と外界をつなげる媒介のような存在。この映画の見どころは、このオーウェンの外界との媒介であるディズニーアニメとオリジナルアニメーションを使うことで、逆に外界の私たちが彼の想像力豊かでオリジナリティ溢れる頭の中の世界をかいま見たように感じられる表現がなされているところだと感じました。オーウェンを支え続け、彼を変化させた家族の深い愛Upload By 発達ナビニュースオーウェンが発する、意味をなさないと思われた言語がじつはディズニーアニメのセリフだったことに気付いた両親。父がオーウェンの大好きなディズニーキャラクターのパペットを使い、キャラクターになりきって話しかけたところ、キャラクターに受け答えをしました。医者から無理だと言われても、彼の特性や興味に気付き、諦めず、粘り強く語りかけていった結果、オーウェンはディズニーのセリフを使って家族とコミュニケーションを取れるようになっていきます。この家族には、大変なことも多いですが、真ん中に愛のある家族だと感じました。そんな家族の姿から、前向きになる勇気をもらいます。また両親はもちろんのこと、兄のウォルトとの関係が素晴らしいです。未来を不安に思いながらも、弟を守ろうとするウォルトはオーウェンにとってはヒーローのような存在。兄として、時に友として、オーウェンにさまざまなことを教える様子はとてもほほえましかったです。ひとりの発達障害の人の青年期を真正面から描いた作品Upload By 発達ナビニュース「人生の意義なんて誰が決める?」これは作品の中でオーウェンの母親が言っていた言葉です。本作の中でオーウェンは学校の卒業を控え、実家を出て自立をする準備をし、それに伴う就職活動やはたまた恋愛など、障害のない人と同じように、彼オリジナルの人生の幸せを見つける旅路に出ようとしていました。この作品では、オーウェンは自閉症者として特別扱いの描かれ方はしていません。同じように悩み、壁にぶつかり、思考錯誤する青年でした。そしてオーウェンにとって挫折も必要であることを重々承知し、見守りながらも自分の足で人生を歩かせようとする両親の姿にも心打たれます。4月上旬より全国順次公開!「ぼくと魔法の言葉たち」は、4月8日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開となるそうです。詳しくは公式HPをご覧くださいね。ぼくと魔法の言葉たち【監督】ロジャー・ロス・ウィリアムズ(アカデミー賞®短篇ドキュメンタリー賞受賞作『Music by Prudence』)【原作】「ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと」(ビジネス社・刊)【製作】ジュリー・ゴールドマン『アイ・ウェイウェイは謝らない』 / ロジャー・ロス・ウィリアムズ【出演】オーウェン・サスカインド / ロン・サスカインド / コーネリア・サスカインド / ウォルト・サスカインド2016 年 / アメリカ / 英語 / 91 分 / カラー / DCP / 原題:Life, Animated / 日本語字幕:松浦美奈 / 後援・字幕監修:一般社団法人日本自閉症協会配給・宣伝:トランスフォーマー(TEL:03-5457-7767)©2016 A&E Television Networks, LLC. All Rights Reserved.※記事中の挿入動画及び画像すべてに関して
2017年03月16日発達障害の娘は、2歳半になっても言葉を発することがなく…Upload By SAKURA娘の発達に初めて遅れが見られたのは2歳半の頃。「ママ きて」などの単語をつなげた二語文はおろか、単語さえほとんど話さない状態でした。このことを相談したカウンセラーの先生からは「たくさん話しかけて、たくさんの言葉に触れさせるようにしてください」と言われます。この言葉を聞いて、「私の普段の話しかけが足りないのかもしれない…」と思った私は、毎日、たくさん娘に話しかけました。この状況をなんとか変えたい一心で、娘を毎日外に連れ出し、いろんな刺激が得られるようにしました。Upload By SAKURAしかし、私がいくら話しかけても反応なし。娘が話すことはありませんでした。何をしても無駄なのでは…?疲れ果てた私に先生がかけてくれた言葉。Upload By SAKURA私の必死な話しかけは全く効果を見せず…。もう毎日の努力に疲れてしまいました。そんな時、言語の先生に「何をしても無駄な気がしてきました…。」と、今の正直な気持ちを打ち明けたのです。すると先生は、「響いてないように感じるかもしれないけど、ちゃんと届いてるから、話しかけることをやめないで!」「水と一緒でね、今は溜めてる時期なの。そのうちにあふれてくる時期が来るから。水を止めてしまったら溜まらないから、こぼれないでしょ?だから水を出すこと(話しかけること)をやめないでね!」と言ってくれました。この言葉に励まされ、私は考え方を変えることができたのです。「すぐに効果が出なくてもいい」と思えるように。Upload By SAKURA私は、すぐに結果を求めようとすることをやめました。そして、「今やっていることは、何年も先に響いてくるんだ!」と自分に言い聞かせ、反応がなくても、とにかく娘に話しかけ続けました。花を見て…「お花、きれいだね~」と言い、毎日毎日、娘に「大好きだよ」と言い続けました。そして、3年がたった今では…Upload By SAKURAたくさん話しかけることを始めてから3年が経った現在。娘は花を見ると必ず「おはなきれいね~」と言い、1日に何度も何度も「ママだいすき」と言ってくれるようになりました。あの時、たくさん話しかけるのをやめないで、あきらめないで本当に良かったと思います。そして、今も続けている言語の訓練。この訓練もきっと、3年後、4年後につながると思いながら、気長に続けています。
2017年03月15日いざ支援級へ進学!と思いきや…就学相談の担当者から1本の電話が出典 : 発達障害のある長男の進学先選び。発達が気になるお子さんがいるご家庭の多くの例に漏れず、一悶着二悶着・右往左往ありましたが…結果的に長男の「支援学級」進学へと方向性は決まっていきました。就学相談でも支援級の方向性でまとまり、学級の体験も完了。あとは委員会でお墨付きをもらって進学先決定!お疲れ様!!…のつもりでした。毎年恒例の家族旅行の途中で、就学相談担当者の方から留守電が入っていました。「お話があるので、折り返しお電話いただけますか。」いつもなら用件も留守電に入れてくださる方なので、「これはちゃんと話さなければいけない事態に違いない…」。そんな予感を抱えながら折り返しの電話を入れました。見学時の長男の振る舞いが理由で…委員会には支援学校を勧められる出典 : 折り返して掛けた電話口で、担当者の方から告げられたのは、「委員会で検討した結果、支援学校をお勧めします」との言葉でした。どうやらヒアリングや発達検査の段階では支援級が適切とされていたのですが、支援級に体験に行った際に長男が暴れてしまったことに引っかかったようで…。支援学校が適切との判断が下りたようです。そして色々と電話で説明を受けた最後に担当者の方がこう仰いました。「追って書面で通知が届きますが、決断されるのはご家庭ですから。」そして届いた書面。そこにあった言葉は…我が家としては、「自分たちの視野だけで子どものことを決めず客観的な意見を取り入れながら子育てを」と思っていたので、委員会の判定は受け入れ、支援学校進学へとすぐに気持ちを切り替えました。そしてそんな折に届いたのが、先日の電話で伝えられていた『通知書』です。封筒の中にはA4の紙が一枚、そしてそこあったのは、Upload By OKASURFER『特別支援学級(固定)不適切』の文字。わかってはいたけれど…強く強く拒絶されたような気持ちでした。支援級への進学が難しかったことはショックじゃない。傷ついたのは「不適切」という言葉出典 : 我が家は別に判定を不服だと訴えるつもりもないし、騒ぐつもりもありません。それでも「不適切」という言葉は「とにかく黙ってろ」というような有無を言わさない強さがありました。告白してもいないのに酷く振られたような理不尽な気持ちもこみ上げます。これがもし「支援学校に適しています」という通知であればどれだけ前向きになれたか。自分の子どもを「不適切」とされて、落ち込まない親がいるでしょうか?支援学級への進学が難しかったことはショックでもなんでもなかったのに、「不適切」という言葉はとてもショックでした。そこまで拒絶しなくったっていいのにな。もやもやした気持ちは今でも残っています。まずは教育機関から、伝え方を見直してみてほしい。出典 : 障害のある子どもを育てる中で、「走らない!」→「歩きます」「そんなことしないの!」→「〇〇をしようね」というように、「肯定的な言葉がけ」がとても大切だと言われてきました。それは教育の現場でも同じはずです。そして教育機関であるからこそ、一つ一つの言葉に教育的な信念を持って欲しいと思うのです。特別支援学校は、支援学級に「不適切」だとされた子どもたちが「仕方なく」通う場所でしょうか?決してそうでは無いと私は思います。そんなイメージを作らないような取り組みを、教育機関にはしてほしいのです。障害者差別解消法が施行されていくぶん月日も経ちました。そろそろ昔のテンプレートを見直してみてほしい。ほんの少し言葉尻を変えるだけで障害や支援に対して前向きな気持ちになれるのだと知ってほしい。今はそんな気持ちでいっぱいです。
2017年03月15日忘れ物や衝動性で怒られてばかりのADHDの息子。唯一褒められることそれは…Upload By かなしろにゃんこ。普段は衝動性や忘れ物の特性があり、怒られることがとにかく多いADHDの息子。そんな彼にも唯一褒められることがあります。それは、なんといっても「好き嫌いがなく、出されたものは全て食べるところ」!嫌いなものありません!恐い存在の父親から「食べ物を大事にしろ!残すな!」と小さい頃から厳しくすりこまれ、食事のマナーもきちんとしていました。行儀よく、食べ残さないのは素敵!でも褒めるたびに不安なこともあって息子は「食べ残さない自分」をすごく誇らしく思い、自信を持っているようです。食事に敬意を払い、絶対食べ残さない姿は私も嬉しいので、よく褒めています。しかし褒めれば褒めるほど、その反応に気になることもあって…Upload By かなしろにゃんこ。どうやら息子の頭の中はこんな風になっていたようです。Upload By かなしろにゃんこ。その厳しいマイルール、他人に押し付けるのはちょっと待って!発達障害がある子の中には、親の意見を疑わずにのみこんでしまう子もいると聞きます。夫や息子の考えも基本的には間違っていません。でもだからといって、偏った考えや厳しいマイルールにとらわれないでほしい。自分には厳しくしてもいいけれど、他者は優しい目で見てほしい。そう思った私は、息子に「体が小さい子は給食を全部食べれない場合もあるよ!」「体調が悪くて食欲がない人もいるよ」「歯が痛い人は泣く泣く残しちゃう場合もあるよ」と他人の状況を想像できるように教えました。「そういうこともあるのか…そういうのは仕方ないよね」と、その時は素直に納得できたようでした。Upload By かなしろにゃんこ。それでもやっぱり気になる!クラスメイトの食べ残しに息子は…Upload By かなしろにゃんこ。様々な理由や体調が食事に影響すると少し理解はしたようです。しかし、あいかわらず給食の時間に目の前に残された食べ物のがあると気になって仕方がない息子。なんと!クラスの女子の残したものを食べていたというので驚きました。そんなことしたら女子引くだろっ!(笑)
2017年03月14日「ママ、靴下脱いでもいい?」私の許可を求め続ける、アスペルガーの娘出典 : 「ママ、お茶飲んでもいい?」「ママ、このおもちゃで遊んでもいい?」「ママ、工作でセロテープ使ってもいい?」「ママ、靴下を脱いでもいい?」春から小学4年生になるアスペルガーの娘。毎日何度もこのような「許可」を母親である私に求めてきます。私「あなたはどう思うの?」娘「お茶は飲むためにあるから、別に飲んでもいいと思う」私「ママもそう思うよ。みんなが飲むためにお茶を沸かしてあるんだから、いちいち聞かなくても好きなときに飲めばいいんじゃないかな?」そんなやり取りをすると、娘もその時は納得するのですが、また「ねえママ、喉が渇いたからお茶飲んでもいい?」が始まります。挙句の果てには「靴下を脱ぐ」という行動にまで許可を求めてくるので、いちいち対応しなければならないこちらの神経もすり減ってきます。一体どうして娘は執拗に「許可」を求めるのでしょうか?そこにあったのは、「もう2度と傷つきたくない」という娘の切実な思いだった出典 : 疲れ果てた私は、娘と話し合ってみました。「ねえ、どうして『ママの許可』が必要なの?」「もう自分でいろんな事をしっかりと考えられるようになっているんだから、許可を取る必要はないんだよ?」「自分で考えて行動して、もし失敗しちゃったら、その時にどうすればいいのか一緒に考えてみようよ」すると、娘から思いがけない答えが返ってきました。「私も考えてみれば、靴下を脱いじゃいけない理由なんてないと思う」「でも、前に勝手に靴下を脱いでママに怒られたことがあってすごく悲しかった」「もうあんな辛い思いをするのは絶対に嫌だから、先に聞いて安心してから脱ぎたいの」確かに4~5年前、娘がまだ幼稚園生の頃、ピアノのレッスンを先生のお宅でしてもらっている最中に娘が靴下を脱いだことがありました。その時私は、「汗いっぱいの靴下を触った手でピアノを弾くと汚れて迷惑でしょ!」「どうしても脱ぎたかったらママが脱がせてあげるから、今度からママに言いなさい」と叱ったのです。あの時の叱責が娘を傷つけたのでしょう。娘は「靴下を脱ぐ」という行動を起こそうとするたびに辛い感情が胸をよぎり、「もう二度とあんな思いをしたくない」という強い思いから、私の許可を求めるようになったのです。同様のことがいろんな場面であったのだと思います。セロテープを床に貼りまくって叱られたこと、自分でお茶を飲もうとしてこぼしてしまったこと、好きなおもちゃを出して遊んでいたらお出かけ前だったので「ダメでしょ」と注意されたこと…。それに加えてアスペルガーの娘は、つらい記憶をいつまでも忘れられないという特性を持っています。他の子どもだったら遠い記憶として消えていくはずの数々の出来事が、娘の中では消化されずに燻り続けます。その結果、「また叱られるかもしれない」という恐怖心と人知れず戦っていたのです。自分のことは、自分で決められるようになってほしい。我が家で採用したのは…出典 : 娘と話し合っているうちに、「もう許可は取らなくていいんだよ」と諭すだけでは不十分だと気付きました。娘の「また怒られるかもしれない」という不安を取り除かなければ意味がありません。そこで、「許可を取る」という行動を別の行動に置き換えてみることにしました。私「今度からママは、『〇〇してもいい?』って聞かれたら、『ダメ』って言うことにするね」娘「えっ!?どうして?」私「許可を取るっていうことは、相手に自分の行動を委ねるっていうことでしょ?それは『ダメ』でも受け入れますっていうことじゃないかな?」娘「確かにそうだけど…。じゃあお茶を飲みたいときや靴下を脱ぎたいとき、どうしたらいいの?」私「そうねぇ。これからは、許可を取るんじゃなくて『提案と確認』にしてみたらどうかな?」娘「提案と確認?」私「そう!例えば『今から〇〇で遊ぼうと思うんだけど、お出かけの予定はなかったかな?』とか、自分が不安だと思っていることをママに確認してみるの。それだと、ママはあなたが何に不安を感じているかが分かるし、あなたは自分の行動を自分で決めることができるようになると思うの。」娘「自分で決めるの?」私「そりゃそうだよ!自分の時間は自分のもの。自分の人生も自分のもの。誰かの許可を取らなきゃ生きていけないなんて、そんなのおかしいよ。自分で考えて行動する。誰かに手伝ってもらったり、予定を変更してもらう時は、それをきちんと確認したり伝えたりする。そうやって、自分の人生は自分の足で歩いて行かなきゃ楽しくないよ!」娘「そっか!なるべくがんばってみる!」こうして、わが家では『許可』制度の変わりに、予定の変更を提案したり、自分の選んだ行動で不都合が起きないかの確認をしていくシステムを採用することになりました。少しずつだけど…これが「自立」への第一歩!出典 : もちろん、すんなりと今までの行動が改善されるわけではありませんので、まだまだ娘が「許可」を求めてくることはよくあります。娘「今日の夜、映画を観てもいい?」私「ダ~メ!」娘「えっ!?あ、そっか!えっとえっと、今日の夜、映画を観ようと思うんだけど、何かやらないといけないことが残ってなかったかな?」私「やらないといけないことは全部終わったよ!後は映画の時間を逆算して、お風呂を済ませれば自由に過ごしていいと思うよ」娘「そっか!そうだよね!じゃあ、8時までにお風呂から出てきて映画を観ようっと!ママ、ありがとう!」はじめの頃、娘は「ダメ」と言われると傷ついた顔をしていました。でも段々とこのやり取りに慣れてきて、少しずつ「私はこうしようと思う。不都合はない?」という確認ができるようになってきました。今は私への提案と確認になっていますが、この思考回路が定着すれば、大きくなったときに『自分自身への提案と確認』という形にスムーズに移行できるのではないかと思っています。そして、なによりも自分の行動を自分で決めるという自立への第一歩を踏み出せたのではないかと思います。子どもたちが何度もしつこく確認を行ったり、許可を求める背景には、外から見ただけではわからない大きな不安や恐怖が隠れている場合があります。「何度言ったらわかるの!」と声を荒げる前に、少しでもその不安を取り除ける方法をお子さんと見つけ出せるといいですね。
2017年03月14日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト