「発達障害」について知りたいことや今話題の「発達障害」についての記事をチェック! (88/98)
親の会で偶然出会った大学の先生。その研究内容に興味津々!出典 : 読み書きが苦手なお子さんの場合、どんな学習方法やツールを選べばいいのか?悩む親御さんも多いと思います。今回は、お子さんの苦手に合わせてカスタマイズが可能な、パソコンやタブレット端末で利用できる図書の1つ「デイジー教科書」というものをご紹介したいと思います。以前、発達障害の親の会で「マルチメディアデイジー教科書」の研究をしている、大学の先生とお会いする機会がありました。私はこの研究に興味を持ち、勉強会に参加させていただくことに。これは、パソコンやタブレット端末で使う電子書籍の1つで、音声と文字と画像を同時に再生することができます。先生はこのシステムを利用し、教科書を読むことが苦手な子どもの、読んで理解する力を伸ばす研究を行っています。会場ではiPadに入れたものを体験したのですが、操作も簡単で直感的に使えるので、スマホなどに親しんでいる今の子どもたちには、とても使いやすいだろうな…と感じました。娘にも触らせると、説明書も読まずにどんどん使いこなしていましたよ。「すごい簡単」と言っていました。デイジー教科書でどんなことができるのでしょうか?その多機能ぶりがスゴいUpload By ヨーコマルチメディアデイジー教科書でどんなことができるのか、簡単にご紹介します。これは、パソコンやタブレットで教科書や一般図書を再生することのできるシステムです。その使いやすさの秘密は、①文字・音声・画像を同時に再生する②音声で読み上げる部分の文字がハイライトされる③読むスピードを変えることができる④文字の大きさ・文字色・背景色も細かく変えることができる⑤章・節へのジャンプも簡単などなど、1人ひとりの理解力に合わせ、再生方法がカスタマイズできる点にあります。娘は中1の英語と国語の教科書、1冊の絵本の英語版と日本語版を使っています。娘にディスレクシアはありませんが、小2から不登校なので、英語は読めません。しかしデイジー教科書なら、今どこを読んでいるのかハイライトで表示しながら、音声で流ちょうな発音の英語が流れてきます。また、普段聞きなれない難しい古文なども読みあげてくれるので、苦手意識を持つことなく、興味深そうに音声を聞いていました。読むことが苦手な子が使った場合、どんな効果が期待できるの?出典 : まず、読むことが苦手なお子さんには、以下のような困りごとがあるようです。・読むときの大半は、一字一字拾い読みになる・字を飛ばしたり、間違った読み方をする・読めても、内容が理解できない・授業がわからないから、学校に行きたくなくなる・紙の教科書が読めないだけで、自分は勉強ができないと思いこんでしまうデイジー教科書を使うことで、以下のような効果が期待できるそうです。・音読の困難さが軽減される・子どもが自分で、勝手読みに気をつけやすくなる・教科書に振り仮名を振るなどと言った、保護者の負担が軽減される・予習で使っていた場合、授業中につきっきりにならず、担任の負担が減る学校で使うことを認められなかった場合、自宅で活用しても出典 : 娘が籍を置いている中学校で、電子教科書の話をしたところ、先生方はその存在を知りませんでした。他の方の話を聞いていても「お宅のお子さんだけ特別扱いはできない」「教員に知識がないので」といった理由でタブレットの持ち込みを断られるケースもまだまだ多いようです。学校で使うことができれば1番いいのですが、無理なら家庭で使うだけでも大きな効果が期待できるようです。特にオススメしたいのは、授業の前に家で予習に使うことです。あらかじめ音声読み上げで内容を把握しておくことで、授業中の理解度が全く違ってくるのだそう。娘は不登校ですので、家庭学習のみに使っています。これまで、教科書を見るのも嫌がっていた娘ですが、「iPadに教科書がまとめて入っているから便利。だから勉強しやすい。」といっています。九九を覚えたり、日記を書いたりという取り組みと合わせ、週に3、4回勉強しています。利用は無料。実際に使ってみましょう出典 : マルチメディアデイジー教科書 申請方法1. 上部URLを開くと、「デイジー教科書申請フォーム」という赤いボタンがあるのでそれをクリックします。2. 申請フォームを開き、名前、メールアドレス、自分で決めたパスワードを打ち込んで登録すると、申請できる状態になります。(丁寧な説明がのっています)3. 申請理由は、「読み書きが困難なため」でOKです。保護者でも、使う本人でも申請できます。1度承認されたら、教科書の追加は簡単です。4. 申請が承認されると、約1週間以内にメールが届きます。それで手続きは終了です。ちなみに申請できる教科書は、現在の自分の学年とそれから下の学年の分です。たいていの教科書会社に対応しているので安心ですね。パソコンでデイジー教科書を使うためのソフトは、「デイジーポッド3」というものを使います。このソフトで教科書データのダウンロードから再生までできるようになっています。以下のURLからソフトをインストールしてみてください。 PC で使用する場合実際にダウンロードして操作してみました。デイジーポッド3をダウンロードして立ち上げると、申請の承認メールに書いてあるログイン名と自分で決めたパスワードを入力する画面になります。入力すると、こんな画面が出てきます。Upload By ヨーコまず、ダウンロードタブをクリックして、教科書を選んだところです。ページの左隣にチェックを入れ、ダウンロードボタンを押します。ダウンロードが終わったら、再生タブを押します。するとダウンロードした教科書の見出しが出るので、好きなところを選んで再生ボタンを押します。もちろんiPadでも同じような手順で使うことができます。iPadで利用したい方は、以下のURLをご参照ください。 / iPhone / iPod touchで使用する場合勉強嫌いでも、ツールを変えれば好きになるかも!?出典 : DAISYのホームページでは、わかりやすい動画も載っていますので、ぜひチャレンジしてみてくださいね。我が家では、マルチメディアデイジー教科書を取り入れたことによって、ちょっとした隙間時間に教科書を読むことが増えました。それがきっかけで、ノートとペンを使った学習にも抵抗がなくなってきたように思います。
2016年11月25日就職して3ヶ月後、自分が「発達障害かもしれない」と初めて知る出典 : 私は小学生のときに学習障害の診断を受けていました。しかし母は障害のことを私に伝えていませんでした。勉強するうえでの困難や友達関係は次第に改善されていったので、母をはじめとする周りの大人たちは、私の障害は「完治した」と思っていたようです。しかし私は会社で働き始めてから「自分が発達障害かもしれない」と気付くことになりました。学生時代、様々な困難はあったものの無事大学へ進学した私は、システム開発業の技術者を目指して勉強し、卒業後は望み通りシステムエンジニアとして就職しました。しかし、働き始めて2~3ヶ月後、早くも壁にぶつかりました。それまでの研修では特に問題無かったのですが、実際にシステムの開発作業を行い始めると、ほかの社員と関わることが多くなったためか、トラブルが多発しました。トラブルの内容は、・作業指示を他の人よりも詳細に話さないと理解できない・私の話の要点が分かりづらい・話の行間や雰囲気を察せず、上司の意図を誤解してしまうといった、コミュニケーションに関することでした。自分でもどうしたらいいのか分からず困っていると、上司から「発達障害ではないか?」と指摘されました。「発達障害」という障害の存在を知ったのは、この時が初めてでした。さらに母からも、私が過去に学習障害の診断を受けた経緯を聞き、自分のことについてもっと知る必要があると考えた私は、精神科医の元で発達障害の検査を受けることにしました。受け入れられなかった診断結果。「健常者」として生きることを選ぶ出典 : 発達障害の検査を受けることを、私はあまり深刻に考えていませんでした。なぜなら、母から「障害は完治している」と聞かされていたため、ちょっとした対処法で解決できると思っていたからです。しかし検査の結果を見て主治医が行った提案は、「今の仕事を辞めて障害者雇用で再就職する」というもの。私は大いに困惑しました。私は、「確かに仕事は上手く行ってないけれど、辞めるほどのことではないだろう」「上手く行っていないことを障害のせいにするのは、自分の苦手なことから逃げることだ」と考え、主治医の提案を受け入れられませんでした。また、家族に相談すると、「私に障害があるわけがない」と全員の見解が一致しました。こうした周囲の声もあり、私は主治医の診断を受け入れず「健常者」として生きることを選びました。そして、働いているうちに「自分が発達障害である」ことはすっかり忘れたのでした。解雇、そして再就職活動出典 : 自分が発達障害であることを忘れて仕事に励んだ日々の中では、成果を出せたときもありました。しかし、それよりも多くの失敗が続きました。会社は努力している私を見て、様子をみてくれていましたが、4年近く経っても問題である「仕事上のコミュニケーション」はうまくできないままでした。そしてついに、私の解雇が決定しました。解雇を宣告された時は、とても悲しかったのを覚えています。しかし、私はこれ以上頑張って挽回出来る見込みを自分でも感じられませんでした。また、解雇に無理やり抵抗して、会社にしがみ付いているだけの人生も嫌だと思い、解雇を受け入れました。再就職に向けた活動は難航しました。ハローワークで求人票などをチェックしましたが、「コミュニケーションに関する能力不足」が理由で解雇された私を雇ってくれる所なんてあるのかと途方に暮れ、全くと言っていいほど再就職活動は進みませんでした。私は次第に家にこもるようになりました。「このままだと精神を病む事になるだろうな」とぼんやり考えていました。人生に、絶望していました。迫りくる自分の無気力に対する不安。一か八か、わずかな希望に賭けるUpload By 穹峰蒼志引きこもり気味の日々を過ごしていたあるとき、私は1つの新聞記事を目にしました。それは、不登校で引きこもりだった少女が地球一周の船旅に出て前向きになるという内容でした。この記事を読んだ私は、家族の声が届かず、インターネットもつながらないような海の上で自分の人生を考えたいという思いと、私も長い旅を経て何かが変わるかもしれないという希望を持ちました。その船旅に出ることは私にとってやはり大博打でした。一応地球一周の船旅を企画しているツアーの中では格安ですが、それでも130万円以上の費用がかかります。貯金で払うことは可能でしたが、当時無職で再就職のあても全く無い私は、この旅で何かを得られなければただ散財するだけになってしまいます。しかし、「このままだと確実に気力を失って、死が待っている」と感じた私は一か八か賭けてみることにしたのです。世界中の人々との出会い、広がりゆく視野Upload By 穹峰蒼志Upload By 穹峰蒼志私はわずかな希望に賭けて、地球一周の船旅に出かけました。さて、地球一周の船旅と聞くと、リッチで高級、ゴージャスといったイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか?残念ながら私が参加した船旅は、それとはかなり程遠いものです。しかし、この船旅は私も含めてほとんどの方が退屈していませんでした。というのも、乗船者自身が船内でイベントを企画する「手作り感満載」な船旅だったからです。ゴージャスでこそないものの、娯楽を自分達で作り出す過程はとても楽しいものでした。私はこの旅で、幅広い世代と交流し、世界各国を巡り様々な人々と出逢いました。「失業中」という事実に、家族や友人達との間では私は気まずさや負い目を感じていましたが、船には似たような境遇の人もいます。社会とうまく関われない人間は私だけではないのだと知り、どこか安心できました。旅を通して、国や人種や宗教の違いを目の当たりにして、私は”人間には多様な生き方がある”ということを肌で感じました。私の視野は、確かに広がり始めていたのです。同性愛者の友達のカミングアウトを聞いて、人生が変わった出典 : 船旅の中で、ついに私の人生を180度変える出来事が起こりました。ある日、同性愛者や性同一性障害の方々が自分達の事をカミングアウトする船内イベントがありました。カミングアウトをした人たちの中には、私がよくお世話になっている方もいて、私は衝撃を受けたのです。「どうして同性愛者である事を告白したのですか?隠しておけば良さそうなのに、告白するのは怖くはなかったのですか?」と私はその人に聞いてみました。それに対する答えは、「同性愛者である自分を知って離れていく人がいても仕方がない」というものでした。その人は、同性愛も含めてありのままの自分を受け入れていたのです。この出来事がきっかけで、「私は私の全てを受け入れていただろうか?」と考え始めました。そして、過去に受けた発達障害の診断についてもう一度考え直しました。今までの私は、都合の良い自分しか見ようとせず、不都合な自分のことを無視していたと気付いたのです。発達障害の診断を受けた当初、診断を認めれば出来ない事や失敗した事を障害と紐付けて、逃げることになると思っていました。しかし、本当は自分の障害と向き合わないことこそが逃げることだったのです。こうしてようやく私は、自分の発達障害に目を逸らさずに向き合う決意をしたのです。障害があることを理由に、将来の可能性を狭めないで出典 : 以前、発達障害のお子様を持つ保護者の方から、以下の相談を受けたことがあります。「子どもが将来やりたいことを、親としては応援してあげたいと思いますが、やはり難しいのでしょうか?」私は障害の有無が問題では無いと思います。障害の無い人でも、やりたいことを実現できていない人もいます。重要なのはやりたいという気持ちと、何ができるかの把握だと思います。私は以前システムエンジニアになりたくて、休日も惜しんで勉強をしました。でも仕事で十分な成果を出すことはできませんでした。もし得意・不得意分野を把握し、それらが障害の特性からくるものだと分かっていれば、不得意なことへ必要以上に時間を割かず、成長しやすい得意分野を伸ばすなど、何かしらの対応ができたかもしれません。どうか障害がある事だけを理由に、将来の可能性を狭めないで下さい。できない理由や失敗した原因を安易に障害のせいにしていると、いずれ何もできなくなってしまうと思います。でも、自分の障害上の特性を理解すれば、活路を見出せるかもしれません。障害者雇用で働くことを決意した私ですが、その道のりにも様々な困難が伴いました。しかし、発達障害を受け入れた私にとってその困難は乗り越えられないものではなく、無事に再就職してから3年半が経ちました。次回は、発達障害を受け入れながら働くとはどういうことなのかを振り返ってみたいと思います。
2016年11月24日息子の記憶の仕方は独特。それが彼を苦しめていた出典 : みなさんは楽しかった出来事などを、すぐ思い出せる方ですか?発達障害のある息子は、とても不思議な記憶の仕方をしています。「特に困ったこともなくて楽しかった」という出来事があった時、「楽しかった」という気持ちだけはぼんやりと記憶するのですが、そこで見た物、一緒にいた人、やったことなどについては、ほとんど忘れてしまうのです。一方で、「とても嫌だった」「叱られた」「辛かった」という出来事は詳細に記憶しています。それらは、何年経っても記憶から薄れることはありません。そのときの風景、周りの人の言葉、匂いや天気まで、まるで頭の中で映像が再生されたかのように明確に思いだせるのです。発達障害児によく見られると言われる、白黒思考(0か100かで極端に物事を評価してしまう)が追い打ちをかけ、嫌なことが1つでもあると、他の楽しかったことは全部無かったことになるようです。この記憶の仕方が、切り替えの苦手な息子を長い時間苦しめ続けることになります。その出来事について思い出し始めると、嫌な気分からの気持ちの切り替えがなかなかできません。「でも、楽しいこともあったよね?」と私が聞いても、残念ながら彼の記憶は嫌な思い出に支配され、楽しい記憶など全く出てこないのです。私は長いこと、息子の内面に沸き起こる、嫌な記憶のフラッシュバックに悩まされました。数年前のことを、まるで昨日のことのように責められたり、愚痴られたりすることばかりだったからです。あの頃の私は、出かけるたびに息子に嫌な記憶を蓄積させていた出典 : 過去を振り返ってみると、一時期の私の行動は、息子にとっての「嫌な記憶」を増幅させるような行動だったと思います。親として「息子にいろいろなことを経験して欲しい」と焦るあまり、様々な場所に息子を連れて行っていたのですが、出先でパニックを起こされてしまうことが何度もありました。息子は、知らない匂い、うるさい音、知らない人、雑踏などの不快な要素が重なると、真っ青になって座り込んでしまいます。そのたび私は「なんでそうなの!?」と息子を叱りつけてしまいました。いろんなことを経験して欲しいという親として当然の思いが、息子には届かない…私はいつもいつも情けなくて、怒鳴ったり涙を流したり、息子をなじったりしていたのです。すると、当然息子の記憶は「お母さんに叱られた」という風に残っていきます。そして、鮮明な嫌な記憶に苦しめられるだけではなく、「また自分はできなかった」という自信喪失へとつながっていったのです。息子を叱りつける私を見て、療育の先生から提案が出典 : そんな私と息子との関わり方を変えてくれたのは、療育の先生の提案がきっかけでした。療育ではいつも、同じグループのお友達と楽しく過ごす息子。ですが、私が先生と面談をしている間、高いところに登って飛び降りたり、大声をあげてお友達と喧嘩をしたりすることがしばしばありました。ADHDがあり、待つことや人の話を聞くことが苦手な特性から、面談が終わるのを待つことが苦痛だったのでしょう。ところが私はやはり例のごとく、「ママは先生とお話ししてるんだよ」、「静かにして」などと、声を荒げてしまったのです。出典 : そんな私の様子を見ていた療育の先生から、ある日、こんな提案がありました。「面談の時間はナシにしましょう。お母さんは相談があったら、紙に書いてきてください。」「療育を『楽しかった!』という気持ちで終わらせるのが何よりも大切なんです。最後に叱られる形で終わらせるのはやめましょう」実はこの提案は、発達障害児に何かを取り組ませる際にとても大切なことだったのです。ただでさえ状況の変化や新しいことが苦手な発達障害児です。取り組みに対して嫌な記憶を残さず、出来事を「楽しかった!」という記憶と結びつけることが息子の成長にとって必要なことなのだろうとわかった上での、先生から提案だったのでしょう。「楽しかった」という記憶の積み重ねが自信に繋がる出典 : 息子の場合、楽しかった出来事の内容自体は、ぼんやりとしか記憶できません。それでも、「楽しかった!」という"気持ち"はしっかり残っています。そして、それを積み重ねていくことが、彼にとって自信になるということもわかってきました。「よく覚えてないけど、すっごく楽しかった!!」「自分は楽しむことができた!」という気持ちです。取り組んだことに対して「楽しかった!」という記憶がたくさん残っていれば、次に新しいことに取り組むことを怖がらなくなります。昔は新しいことに取り組むたび、泣きわめいていた息子は、今となっては「あれやってみたい!」と自分からどんどん提案できる子になりました。
2016年11月24日私がいなくなってもーシングルマザーの私が子どもたちに遺したいもの出典 : 私は、子ども4人を育てるシングルマザーです。4人の子どもたちは、下は11歳から、上は18歳まで。4人中3名に発達障害や難病があり、本人に告知もしています。自分の特性ゆえに悩んだり、学校環境とうまく合わず不登校になったりもしましたが、子どもたち一人ひとりが、それぞれの方法、それぞれのペースで育っていってくれているのを見守るとともに、母である私も色々学ばせてもらっています。一方で、シングルマザーの私がいつも考えるのは、親亡き後ー私がいなくなった後のこの子たちの人生のこと。過去に出産時の事故で軽い脳梗塞も経験し、現在も後遺症が残るなか、いつ、また倒れるかも分かりません。常に「死」を意識しながらの子育て。そんな私がわが子に遺したいと思っているもの。今日はそんなお話をしたいと思います。私があなたに遺すもの: 「他人に相談する力」出典 : 私が子ども達に残したいもの。それは、「困った時には他の人に頼る、相談する力」です。人生は思いのほか短い。その人生を少しでも幸せに生きる為にも、頑張りすぎないようにすること。そのためには、上手に他の人の力をお借りすることが大事だと思っています。困ったことを誰にも相談せずに1人で解決しようとすると、もの凄く多くのエネルギーを使い消耗してしまいます。結果、体調を崩してしまう事もあるかもしれません。「自分は〇〇で困っています。助けてください。(手伝ってください)」と言えるように。子ども達には「困った時には周りの人に聞きなさい。困った時は頼っていいんだよ。」と伝えています。そのためにも、まず私から子どもたちの手本になるように実践しています。「お母さんは、風邪ひいて体調悪いからゴミ出ししてくれたら助かる。お願いできる?」「お母さん1人で外出は寂しいから付いてきてくれる?」と伝えたりして、母自らがわが子に頼ることを通して、見本を見せるようにしています。私があなたに遺すもの: 「あなたをよく知る支援者たち」出典 : 私が次に子ども達に残したいものそれは、「子どもたちの存在を知っている人たちと、支援者」です。私は、子ども達の発達障害を隠さずに、周りにどんどん伝えています。それには意味があります。発達障害のことをどんどん話して伝えていくことで、発達障害のある人への偏見を減らしていくことと、発達障害について知りたいと思う人を増やすこと、そして、発達障害のある人たちへの支援方法を知ってもらうことです。発達障害のことを伝えるのに、血液型を伝えるぐらいの感覚で伝えられるようにする事が私の希望です。それから、私がいつかこの世を去った後、子ども達が困って誰かを頼った時には、誰かが子ども達の支えになってもらえるようにと願ってのことです。いつまでも私が側で見守ることはできません。いつかの日の為にその体制を残したい。お陰様でこの地域では、子ども達の理解者は増えてきました。「気にかけてもらえている」これはとても大切な事だと思っています。私があなたに遺すもの: 「一人ひとりへの遺言書」出典 : これから私が子ども達に残したいもの。それは「子ども達一人一人に当てた遺言書」です。私は元々、文章を書くのは好きでした。幼い頃には、定期で家族新聞を書いて子ども部屋に張っていたぐらいでした。見たこと聞いたこと、感じたことを言葉にして残しておくのが好きな子でした。遺言といっても暗いものではなく、生きるための力が湧くような言葉集のようなものです。自分で生きていく上で胸に留めておいてほしいことを、一人一人の特性に合わせて、書き残しておきたいと思っています。いつか辛い時に読んでくれたら嬉しい。それは発達障害のある子ども達を育てているからこそ、私の中に心配する気持ちが大きいからこそなのでしょう。これから少しづつ、子ども一人一人に向けた言葉をノートに書いて残しておこうと思っています。私があなたに遺すもの: 「自分を認めて生き抜く力」出典 : 最後に、子ども達には何があっても自分たちで「生き抜く力」を、今から育んでいってほしいと思っています。そのためには、まず何より「自分を認めていくこと」が必要になると考えています。時に人生は、予期せぬことが起こります。私もまさか自分が脳梗塞をして、そこから鬱病になるとは思ってもいませんでした。その後にまた鬱病を再発した時には一家心中をしようかと考えてしまうほどに追い詰められました。そんな時に助けになったのは、周りの支えでした。辛いという自分を認め、「私は辛いので助けてほしい」と言えたことが良かったのです。子ども達に身につけてほしい、「生き抜く力」とは、「とにかく頑張る」ということでは決してありません。辛い時にこそ、どこかに味方は必ずいると信じられる心。そして、自分の気持ちを周囲に伝え、助けてもらいながらしなやかに生き抜いていく力を持つことが大切です。生きていれば、心配すること、不安なことは沢山ありますし、それがゼロになることはありません。だからこそ、むやみに心配したり、やみくもに頑張るのではなく、いい意味で諦めること。自分の現状をあるがままに認め、必要があれば周りに頼ってでも生き抜いていってほしい。そう願います。---子ども達と過ごせる残りの時間も先が見えてきました。だからこそ、発達障害のある子ども達の子育てを楽しみながら、子ども達に遺せるものはまだまだあると、私も生き抜いていきたいと思います。
2016年11月24日発達障害のある5歳の娘。だんだん周りの子との違いが目立ってきた広汎性発達障害がある5歳の娘は、言葉の発達に少し遅れがあります。3歳ぐらいまでは周りのお友達との差も少なく、少し接したぐらいでは娘に障害があることはわからなかったと思います。でも4歳を過ぎると、初対面の人でも娘のしゃべり方や雰囲気に違和感を感じたり、「あれ…?」と思われることが増えてきました。Upload By SAKURA誰に、どこまで、どんなふうに話せばいいのだろう?Upload By SAKURA相手が娘に対して「あれ…?」と思った時、私も外から見ていてそれに気づきます。その相手が初対面の人や、それほど親しくない人の場合…娘の障害について話すべきなのかとても迷います。いきなり「娘には障害がある」と話したら、どうリアクションしていいか困ってしまうのではないか。そして困ったリアクションをされたら、私もなんと言っていいかわからなくなってしまう。実際娘の障害のことを話してみて、「あ、言わなきゃよかった」と思うことがよくあります。Upload By SAKURA試行錯誤の結果、私が実践しているやり方は…Upload By SAKURAいろいろ試した結果、今は…「あ、うちの子、言葉に遅れがあってね~聞き取り辛かったらごめんね!」とさらっと明るく話し、そしてすぐに話を変え、相手にリアクションする隙を与えないようにしています。それ以上聞きたくない人は、そのまま話を流してくれますし、「え?どういうこと?」と思った人は、聞き返してくれます。そういう人にだけ、障害のことや詳しい話をするようにしています。娘のことを、いろんな人にわかってほしいから私は娘の障害のことは、恥ずかしいと思っていませんし、障害について話すことは苦ではないです。むしろ娘のことを理解してもらえるためなら、いくらでも詳しく話したいと思っています。ただ、それを聞いた相手を困らせたくないという想いがあります。今は幼稚園の3年間でできたお友達や、ママ友にはうまく伝わり、娘のことを理解してもらっています。しかし来年は娘も小学生…。新しい出会いもあり、娘の障害について話す機会がどんどん増えていくでしょう。娘のことを理解してもらえるよう、私自身努めていきたいと思います。Upload By SAKURA
2016年11月23日それまでなんとか小学校に通っていた長男。3年生になったとたん、授業が変わり…出典 : 小学校入学直後から「学校いかれへん!」となった長男も、支援級の先生のサポートを受け、2年生からはずいぶん授業に参加できるようになってきました。しかし、小3の1学期からまた「学校に行きたくない」と主張するようになりました。付き添ってよく観察してみると、・授業の内容・授業のスタイル・支援の体制こうした進級に伴う3つの変化が絡み合った結果、ストレスが起きている様子でした。自分の意見を自覚できるようになったのはいいけれど、しんどさは変わらず出典 : 授業内容の変化で1番大きかったのが、じっくり考える問題が増えたことです。例えば算数では「筆算」がその1つ。パッと答えが出るものは得意なのですが、こつこつ積み上げ、答えを出していくことが苦手だという特性があるのです。授業のスタイルもそれに伴い班で話し合うグループワークの比重が大きくなりました。社会の「みんなで学校周辺の地図を作ろう」という単元では、それぞれが調べてきたものを持ち寄り、1枚の大きな紙に書きこんでいきます。「ここはもうちょっと北じゃない?」「違うよ」と、意見が合わないとイライラし「じゃあ、もう知らない!」やめてしまう長男。2年生の時は、あまり周りを見ずに主張していた面もあったのですが、3年生になると「自分がいたら地図作りが進まない」と廊下に出るようになりました。出典 : 自分の意見がはっきり自覚できるようになってきた影響は国語にも現れました。例えば「朝食を摂ると元気になれる」という説明文では、「朝食を摂っても学校に来たらしんどくなるよ!」ということが気になって、落ち着いて取り組めません。また、ホームルームのテーマが「運動会に向けて」の時では、みんなが「どうやったら心を1つにしたダンスができるか」と話し合っているときに、そもそも「どうして運動会をするの?ぜんぜん楽しみじゃない」という思いが抑えきれないのです。みんなの前で本音は言えないということがわかっているので、やっぱり廊下に出ることになります。ホームルームではまとめプリントに意見を書いて提出するという形での参加となりました。支援体制の変化も原因の1つだった。自立を促したい気持ちはあったけれど…出典 : 年生の時はずっと支援級の先生が付いてくださったので、私は登校後、「よろしくお願いします」と帰ることができました。授業でふと疑問に思ったことも、支援の先生にすぐ聞く事ができていたので、集中ができず授業が嫌になりかけても、面白く盛り上げつつ気持ちが途切れないようにしてくださっていたのでしょう。しかし、3年生になると支援級の先生がもう1人別の学年のお子さんと掛け持ちになり、教室にいてくださる時間が半分になりました。その結果、「できない」「わからない」があっても自分で判断して行動する必要が増えますが、1人で考えていると「やらない」方向にいってしまったようです。教室に入れない長男をそのままにして立ち去りにくいことが増え、そうこうしているうちにズルズルと付き添う日も増えてきました。知的なデコボコは大きくても、「遅れ」として見えにくい場合「中学年になったら自立の方向へ」というのは慣例であり、また予算の都合も仕方ないと思いますが、「うーん、やはり1人で過ごすことは時期尚早だったか…」と痛感したのです。それでも学びたい気持ちはあるようで…長男の「やりたい!」を引き出してくれたのは幼虫観察だった出典 : とうとうある日、好きなはずの理科も嫌と言いだしました。「どうして蝶の幼虫の観察をしないの?班で1匹、しかも学校にいる時間だけの観察なんてつまらない」というのがこのときの原因でした。とはいえ、幼虫の生態は気になっていた長男。ある日のこと、自宅の庭にやってきた幼虫を見つけ、「飼ってみようかな」と言いだしたのです。私はその一言を聞き、すかさずOKを出しました。その後、旅行にも持っていくほど熱心に観察していた長男。写真を撮り、羽化するまで自宅で飼いました。観察してわかった生態はレポートにしてまとめ、先生に見せました。「すごく面白かった。さなぎになる前に1回だけ液体を出すの、1番びっくりした!」と報告していました。好きなことは思い切りやりたいタイプの長男。風の実験では「本音では、器具が壊れるほどやり倒したい」。植物を育てるのも「種まきから種取りまでやりたい」。こうした好奇心は、教科書に載っていようが載っていまいが関係なしです。この子には、みんなとは違うやり方で学ぶのが合っているのだな…ということが、よりハッキリ見えてきました。好きなことから学ぶスタイル。それは「学校を使った」家庭学習!出典 : 学校は、こうして発見した長男の学習意欲を発揮する場となりました。たとえば、学習した内容をプリントにして持っていき、学校の先生に報告して「家族以外の人から知識を得る」「コミュニケーション力を伸ばす」機会にしてみるのです。これについて先生方はありがたいことに、「面白いことやってるね」と言って下さることが多いです。「学校に来てもしんどいねん!」とハッキリ口に出す長男に対し、交流級の先生はがっちり受け止めるタイプなので「そうか。まあでも、1日に1回は顔を出して、今やってることを教えてよ」と言います。「どうやったら学校で過ごせるか、一緒に考えていきましょう」とふんわり、でもあきらめずにいてくれるのが支援級の先生。掃除や給食など、集団行動での振る舞いは学校でなければ学びにくいことだと、私自身も感じています。そんなわけで、なんだかんだ言いながらぼちぼち通学も続けています。出典 : 学校に行っても授業に入りにくいときは、廊下においてある机で、できそうなことをやります。みんなが今どんなことをやっているかを知るというのも、学習を進めるエンジンとして活用しています。このスタイルは、学校を「使いながら」の家庭学習と言えるかもしれません。弱みと強みは表裏一体。最近の口ぐせは「学校いらん」から「どうしてみんなは『普通に』授業を受けられるんだろう?」に変わってきました。周りが見えるようになってきたのは成長だと思います。学年が進むにつれ、授業も長男も更に変わっていくはずです。支援の体制をどう希望、提案していくかも含め、多くの人を巻き込みながら、できるだけ楽しくやるようにしていきたいと思います。
2016年11月23日反抗期のADHD息子は、機嫌のいいときと悪いときの差が激しくて…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDの息子は、現在反抗期の真っ最中。学校から帰ってくると、機嫌の悪そうな日が多くなってきました。特にイヤなことがあった日はムッとした顔で帰宅して、カバンを投げて「うぜー」「やってらんねー」「クソが!」と荒っぽい言葉の数々を言いまくります。私は家の居間で仕事をしているので、息子の吐く毒をもれなく聞く羽目になるんですが、そうすると気が滅入ってしまい仕事に集中できなくなってしまいます。そうかと思うと逆に機嫌がいい日は、ニコニコして楽しそうによくしゃべります。私が忙しくてもお構いなしで「聞いて聞いて!」と長話!機嫌のいいときと悪いときの中間がないんです。親にも子どもにも、1人になる時間は必要!Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。機嫌の悪い息子を家で迎えるのはツライな~と思い始めてから、「その時間は顔を合わせないようにしたほうがいいのでは?」と思い、仕事を一度中断して買い物に出るなどして工夫するようにしました。私も息子も一人でいたほうがいい時間があると考えたのです。買い物から帰ると息子の気持ちも少し落ち着いています。でも今度は代わりに、部屋に脱いだ制服や靴下や食べたもので散らかっていて、結局は「コラー!片づけろ!」とキレるんですけどね…(笑)。
2016年11月22日聞いて理解することが苦手な息子は言い間違いも多い。しかし見て理解する力は高く…出典 : 自閉症スペクトラムとADHDの診断を受けている息子は、耳から入ってくる言葉(聴覚言語)の認知が弱いため、何度口頭で説明しても正確な言葉や意味、その内容を理解するのに時間がかかります。マクドナルドをポテトナルドと言ったり、ファミリーマートをチキンマートと言ったり、聞いていてクスッと笑えるような言い間違いは息子のチャームポイントでもありますが、幼児期を脱すると困ることがたくさん出てくると思います。例えば…・話を聞いていても、内容がよく理解できない・内容が理解できないから、話をするのが面倒になる・言い間違いを指摘されるのが嫌で、話さなくなる・思っていることを相手にきちんと伝えられないなどなど、実際起こるかどうかは別として、たくさんの弊害が考えられます。一方で、視覚優位(目で見る情報の認知が強い)な息子は幼いころから目で見る言葉に興味があり、早くから文字を読むことができました。6歳になった今では、小学校3年生レベルの漢字を簡単に読むことができます。せっかく言葉が好きなのに、聴覚言語の認知が弱いせいで、それを使いこなせなくなるのはもったいないな…。どうすれば、耳から入った言葉をきちんと認識することができるのでしょうか。聞いて理解する力を伸ばしたい!解決策は突然訪れた出典 : そう悩んでいた矢先、ひょんなことから息子にぴったり合った方法が見つかりました。それは、子ども向けの映画をみんなで観ていた時のことです。息子「ママ、あの字が下に出てくるやつ、出せないの?」私「えっと、英語で映画を観るときに日本語が出てくるやつ?」息子「そうそう!あれを出してほしいの!」私「あれは字幕っていうんだけど、日本語で見てるのに出すの?」息子「うん!あれ(字幕)があると何て言ってるか僕にもわかりやすいんだよ!」なるほど!目から鱗というか、どうしてそこに考えが及ばなかったのか!と目の覚める思いでした。字幕ってスゴい!息子は自分で理解しやすい方法を知っていたようです出典 : 息子は耳から入ってくる言葉を理解するのは難しいですが、目から入ってくる文字を理解するのは得意なのです。それならば、英語で観るときに限らず常に字幕を出しておけば、息子は正確な情報を手にすることができます。そうして、今まで何回も観た映画や録画していたテレビ番組を、字幕付きで見直す日々が続きました。すると…「○○って言ってると思ってたけど、●●って言ってたんだ!」「△△って、こんな字を書くんだね!知らなかった!」「ああ、ここは悲しんでいたんだ。わかってなかったよ!」そんな感想を言いながら、息子は今までぼんやりと入っていた情報を、きちんと頭の中で整理しているように見えました。今では、全ての番組を字幕付きで表示しています。字幕を付けてから、テレビを見ている際の「今なんて言ったの?」「誰が喋ったの?」という息子の質問攻撃はぴたりと治まりました。Upload By GreenDays中には字幕のつかない番組もありますが、子ども向けにはきちんとルビを打った字幕がついていることが多いです。この機能は、ひらがな・カタカナがスムーズに読めるようになった、聞いて理解するのが苦手なお子さんには、とてもよいサポートアイテムになるのではないかと思います。テレビのメーカーによって字幕の表示方法は異なると思いますが、チャレンジしてみたい方は、一度ご自宅のテレビのリモコンや取扱説明書を確認してみてくださいね。字幕をつけてから言葉への興味がいっそう深まった出典 : 字幕をつけるようになってからおよそ2週間。息子に少しずつ変化が表れました。今まであまりなかったことですが、言葉についての質問がどんどん増えてきたのです。息子「ママ、『空想』ってどういう意味?」私「どんな字を書くか知ってる?」息子「うん、お空に想うって書いてあった。」私「そう。こんな字だったよね!」と、実際に紙に字を書きながら説明します。私「これはね、本当は起こっていないことを、頭の中の広い場所で考えることだよ。お姉ちゃんとごっこ遊びしてる時に、よく『これは嘘だけど、僕はお父さんで、会社から今帰ってきたところね~!』とか言ってるでしょ?あれも空想だよ。頭の中で考えた空想の世界を、お姉ちゃんと一緒にわけあって遊んでるってことなんだよ。」息子「へえ!そうだったんだ!じゃあママ、『もたれる』ってどういうこと?」私「それはね、自分じゃない何かに寄りかかることだよ。」息子「寄りかかる?」私「そう。例えばこんな風に、今ママは壁に背中をつけてるでしょ?これは自分で立ってるんじゃなくて、壁に『もたれて』立ってるの。どこにも体がついていなければ『もたれてない』、体のどこかが壁にくっついていれば『もたれている』っていう事なんだよ。」出典 : 息子「へぇ~!初めて知った。」私「これはどう?」(壁に体をつける)息子「もたれてる!」私「じゃあ、これは?」(壁から体を離す)息子「わかった!もたれてない!」こんな風に、1つひとつの言葉を丁寧に知りたがるようになりました。今まではその瞬間に「どういう意味だろう?」と思っていても、はっきりとした言葉として息子の頭に残っていなかったので、質問することもなく通り過ぎていたのでしょう。目で文字を見ることによって、自分の知らない言葉が何であるのかがはっきりとし、頭の中に文字が残ることにより、後からでも質問ができるようになったのです。言葉を理解する方法はいろいろ。迷ったら子どもの得意な方法で!出典 : これから先、学校の授業など耳からの情報だけで何かを処理しなければならない場面が、たくさん訪れることでしょう。それでも、耳から入ってくる言葉をあらかじめ知っているか知らないかによって、理解度は大幅に変わってくると思います。なるべく正確な言葉と意味を、息子の得意な方法で蓄積していくこと。これが、私と息子の新たな目標となりました。ADHDの息子は集中力が短く、絵本を渡すと絵に興味を奪われて高速でページをめくってしまうので、正確な言葉を覚えるには適していません。いろいろ試した結果、息子に向いているのは展開が早く、文字情報が記載されているドラえもんなどの学習漫画と、映像に字幕がついているものが合っているようです。興味のあるテレビ番組や漫画で、しっかりと言葉を覚えてることができれば、やらされている感もなく、長く続けられそうな気がします。正確な言葉を知ることは、きっと子どもの自信にも繋がると思います。耳から入る情報に弱いお子さんにもぜひ1度、テレビの字幕や簡単なマンガなどを試してみてくださいね。
2016年11月22日「発達障害の特徴」って言われても…息子に当てはまってるのか、全然わからない!出典 : 発達障害という言葉を初めて聞いたとき。「もしかしたらこの子も…?」と考えた私は、「発達障害の子どもの特徴」と言われるもののチェックリストに息子の行動が当てはまるかどうかを確かめてみました。例えば、「こだわりが強い」。…「こだわり」?「こだわり」と聞いても「こだわりの逸品」というフレーズくらいしか思いつかなかった私は、「息子にはんなもの無い無い!」とまったくピンときませんでした。それから、「回転するものが好き」。…「ぐるぐる回ること?」いやぁ、子どもってぐるぐる回りたがる時期みんなあるよねー?他には、「環境の変化に弱い」。劇的に環境変わったのは、息子が3歳のときの引越しくらいかな?うーん、そのころはまだ小さかったしなぁ…他には幼稚園入園?母子分離も全く平気だったし、これもあてはまらなそう。などなど、「発達障害の特徴」と実際の息子の行動とをどう重ねて良いやら分からず、診断云々の前にこんなところでいきなりつまづいてしまいました。そんな私が「発達障害って、こういうことだったんだ!」と腑に落ちるきっかけとなったある2冊の本をご紹介します。発達障害って言われても、どうもピンとこない!そんなときに出会った2冊の本出典 : まさか!うちの子アスペルガー?―セラピストMママの発達障害コミックエッセイアスペルガー症候群と診断された息子さんがいる、佐藤エリコさんのコミックエッセイです。この本の中のある1ページに、「そういうことだったのか!」と納得したのです。Upload By Chie私もまさにコレでした(笑)。本当にこのお母さんと同じように、車輪を回す息子の様子を特におかしいとも思わず見ていました。発達障害の子どもの特徴として、「回転するものを好み、回転するものをじっと見つめる」などと書いてあるのをよく目にしますが、まさか息子の遊びがそういう表現・言い回しでチェックリストの中に存在するとは思いもしなかったのです。出典 : ベンとふしぎな青いびん―ぼくはアスペルガー症候群 (あかね・新読み物シリーズ)こちらの本は、物語のような読み物になっています。うるさいことが苦手、突然新しい家へ引っ越すことへの不安、限定されたモノへの興味や情熱、深い知識…この本を読んで、発達障害のある本人の考え方や目線、行動の意味などが本当によく分かりました。そして、周囲の大人たちの接し方など参考になるのはもちろん、お話としてもとても微笑ましく読みやすい内容です。アスペルガー症候群のある主人公のベンが遭遇した困難を息子に当てはめて、「こんなことが起きたらどうする?」と息子に尋ねることで、やっと息子の行動の意味や、実はこんなことも苦手だったのかと気づくことができました。もっと早く気づけたかも…そう思うこともあるけれど出典 : これらの2冊の本はどちらも「アスペルガー」に焦点を当てたものになりますが、息子の主たる診断名は「ADHD」です。ですがこうして調べてみると、「ADHD」も人それぞれで、アスペルガーや他の発達障害の特徴も息子の場合は多く持っていることがわかります。私はこうしてこの2冊を読んで初めて、息子の行動が発達障害の傾向に重なることを見出していきました。普通の育児書や母子手帳、健診時の問診票にも、「発達障害の特徴」として抽象的な表現ではなく、もっと実感として手に取るように分かる書き方がしてあったら、もしかしてずっと前に気付いて疑うことができたのでは?と思ったものでした。「発達障害」ということにとらわれ過ぎるのも良くないと私は思うのですが、発達障害って結局どういうこと?と実感が湧かず、わが子の姿と重ねられずに悩んでいるときには、こうした本もオススメですよ。
2016年11月20日もうすぐ卒園式を迎える、ADHDの長男。環境の変化は苦手だけど…いま小学1年生の長男が、まだ年長だった今年の2月のことです。Upload By ラム*カナご機嫌で、卒園式で歌うのであろう歌を口ずさんでいました。「卒園」そして「入学」…、これは今まで一番大きな環境の変化でした。ADHDのある長男は、もともと環境の変化にすこぶる弱い子でした。そんな長男が卒園式の練習をどう思いながらやっているのか少し心配になり、聞いてみました。Upload By ラム*カナあれ?以外にアッサリとした返事。あ…、この子のことだから「“そつえん”ってなに?」ってことも充分にあり得るな!なんて思っていたら…長男の答えは…眩しすぎッ!!Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナUpload By ラム*カナ予想の遥か上を行く大人びた発言に、度肝を抜かれました…!思えば、多動が激しいまま幼稚園に入園した長男。この3年間で「妥協」ができるようになったり、座っていられるようになったり、苦手な活動も嫌がらなくなったりと、様々な成長を見せてくれました。でも卒園に対する長男なりの捉え方はなんとも素敵で、今までに以上の成長を感じたのです。「嫌なものは嫌!!!」と毎日何回も何回も大泣きしていた長男が、こんなに感情を柔らかく調節できるようになったなんて…とてもとても嬉しかったです。感激屋さんで涙もろい子なので、もしかしたら本当は寂しくて寂しくて、感情が押しつぶされそうだったのかもしれません。でも、自分なりに考えて、寂しくならないように心をシフトチェンジしたのかもなぁ、なんて感じました。
2016年11月19日声の大きな長男は、歌を歌うのが大好き!でもここで…?Upload By モンズースー声の大きさをコントロールすることが苦手で、常に大声で歌い話す長男。元々声も大きい方なので、普通に話しているだけでも大声に聞こえてしまいます。電車の中や病院の待合室など、静かにしてほしい場所でも大声。そのたびに「静かに!」と伝えても、「静かにすること」をイメージするのが難しいようでした。かといって周囲の目も気になり、その都度声をかけてはいたのですが「話したい」「歌いたい」気持ちを抑制してしまうとストレスがたまるようで、後からその不満が爆発し、大暴れすることが増えました。いろいろ試した結果、手で「小さい」を見せたとき、ようやくイメージができたようでした。聞くより見るのが得意な長男には、目で見た「小さい」の方がイメージが伝わりやすかったようです。手のサインを繰り返していくうちに、「小さい声」を意識できるように!ひそひそ話しのような声も出せるようになりました。他にも、長男の通う支援の幼稚園では、数字の得意な子にテレビの音量のように数字で伝えたり、生き物が好きな子には動物で大きさを伝えていたりもしていました。伝えにくい声の大きさのコントロール、こんなやり方も1つの方法なのかもしれません。
2016年11月18日「どうしたら一緒に遊べるの?」わからなくて独りぼっちだった幼児期出典 : 私と娘は親子揃ってアスペルガー症候群です。娘の診断をきっかけに、私も42歳で診断を受けました。今回は、私の学生時代を振り返りながら、その特性ゆえに友達作りで苦労したお話をご紹介します。私の母に言わせると、私は昔から友達ができない子どもだったそうです。幼稚園は1年しか行きませんでしたが、入園したとたんにつまづいてしまいました。いつの間にかクラスの子たちは打ち解けて自然に遊んでいるのですが、どうしたらああなれるのかもわからず、「一緒に遊ぼう」の一言が言えなくて、1人で遊ぶことが多かったのを覚えています。というか、仲良く友達と遊んだ記憶がないんですよね。先生は厳しい人で、松ぼっくりを蹴って遊んでいたら「松ぼっくりさんがかわいそうでしょ!」と怒られたことを覚えています。どうして松ぼっくりがかわいそうなのかいまだにわかりません…。幼稚園が楽しいとは、1度も思ったことはありませんでした。自分の言いたいことが言えない…!キレると拳で反撃していた小学生女子出典 : 小学校に入ってすぐに、印象的な出来事がありました。女子数人に次々に悪口を言われたのですが、悔しくて言い返そうとしても頭が真っ白になって何も思いつかないのです。悔しさのあまり、思わずその子たちを突き飛ばすと、帰りの会で「先生、ヨーコちゃんが○○ちゃんを突き飛ばしました」と言われました。先生は真相を確かめずに「ヨーコちゃんは謝って下さい」と言いました。私は悪口で何倍も心にパンチを受けたのに…。このときの「ごめんなさい」で、「女の子なんて大嫌い!!」「もう女の子とは関わらない!」と私の心は決まりました。それからはできるだけ男の子を相手に遊んでいたのですが、男子からもからかわれたりすることが多く、言葉で言い返せない私は暴力を振るうようになりました。気が付けば弟子入り志望の下級生が出てくるほどのケンカ常習犯に。友達が殴られたときも、問答無用でその男の子を投げ飛ばし、先生に追いかけられてトイレに逃げ込んだことを覚えています。でも、いつもそういうことばかりしていたわけではありません。一応女の子のグループにも入っていました。でも、仲間外れや分裂を繰り返し、自分たちだけにしかわからない言葉でしゃべったり…女の子同士の独特の付き合い方には、嫌悪感しか感じられなかったです。だから小学生時代もいい思い出はほとんどなく、卒業できてホッとしたのを覚えています。部活に没頭した中学校時代。他者との価値観の違いにはドライに対応出典 : 中学では剣道部に入り、すっかり武道の面白さに目覚めた私。なぜかと言えば、型から入り型で終わる武道は、アスペルガーである私の特性にとても合っていたのです。仲間と協力し合わなくても完結するのが、心地良かったですね。一緒に部活に入った子たちとも、最初は仲良くなって中学生らしく長電話を楽しんだりしていたのですが、部活に対する熱意の違いでいつの間にかぎこちなくなり、ライバル関係になってしまいました。昔から、人間関係が辛くなってきたらバッサリと切ってしまうか、自分から去っていくかのどちらかの方法ばかり選んできました。我慢してまで守りたい人間関係ではなかったし、修復する方法もわからなかったのです。友達は一応いたけれど、失って立ち直れなくなるほど執着を持ったことはありませんでした。キレやすさは相変わらず。でも、ルールに縛られずに過ごせた高校時代出典 : 高校は自由な校風で私服通学でした。同じ中学から進学した子はほとんどおらず、地元の狭い世界から解き放たれ、やっと一息ついたという感じでした。高校ではテニス部に入り「普通の子らしく」頑張っていましたが、先輩からの理不尽な嫌がらせにキレて、1年の夏休み明けには退部してしまいまいました。頭にきても手を出すことは中学でやめたのですが、カチンと来たときに言葉で相手に気持ちを伝えることは、いまだに苦手です。「なんでやねん!」と毎回思いますし、悔しい気持ちもあります。こうなると、行動に出るまでです。「黙って我慢する」「服従する」という言葉は私の辞書にはありません。大人になってもその傾向は変わらず、理不尽だと思ったら怒ってやめる、ということを繰り返してました。だんだん少しは「我慢する」ようになりましたが、それでも私の我慢の許容量は人よりはるかに小さいのです。出典 : 高校2年生から、学校の中にいるのが嫌になってしょっちゅう抜け出すようになりました。居場所は近所の喫茶店や、大きな公園、パチンコ屋。同級生と話すより、喫茶店のママやマスター、公園にいる路上生活の人と話したり、パチンコ屋の閉じられた世界に身を置く方が楽しかったのです。高校は3年間同じクラスで担任も一緒でした。担任の先生は途中から登校していつの間にかいなくなる私を気にかけ、親と話したり、私と話す時間を取ってくれました。「お母さんがしっかりしているからこの子は大丈夫」と親に言ってくれ、私が下手な嘘をついても、何もかも見抜いていながら泳がせてくれた先生には本当に感謝しています。もし当時、世間体やルール重視の指導をされていたら、私はきっと高校を中退していたことでしょう。大学生になり、始めて知った「人と付き合う楽しさ」出典 : 地元を離れ、他府県の大学に入った私。最初は友だちもできず寂しくて「別の大学に入り直そうか」と思ったくらいでしたが、軽音楽部に入ってから毎日が楽しくなりました。部活では、個性的な仲間と無理することなく打ち解けることができましたし、そこで初めて「しゃべり方が怖い」など、私の欠点を真っすぐに指摘してくれる人にも出会うことができました。下宿先では、夜通し友達とまじめな話をしたり遊びに行ったりと、「学生らしい」生活を堪能して、初めて人といることの楽しさを味わうことができたように思います。ありのままでいられる人間関係だってある。不登校の娘にも知ってほしいこと出典 : きっと、大学くらいになると友達付き合いが成熟してくること、友達も大人になって「ちょっと変わった子」の私と向き合う余裕ができたからなのでしょう。だからもし叶うことなら、娘にも大学に行って、友達とバカなことをしたり羽目を外す楽しさを味わってほしいなぁと願っているのです。大学時代の、成熟していながらも何事にも縛られない付合いって、この時期にしか味わえないものだと思うから。
2016年11月18日息子の障害は言えない…周囲からの批判的な目に怯えていた私出典 : 皆さんは、子どもに発達障害があるとき、入園予定の幼稚園や保育園、習い事などで、障害についてカミングアウトしますか?私は必ず、「うちの子は発達障害があります」という話を、一番最初に言います。けれども3年前、息子に診断が下りたばかりの頃、私は息子に何をやらせるにも、発達障害ということを周囲に隠していました。その理由は、「発達障害と知られたら断られるかもしれない」「周りから差別されるかもしれない」「私の育て方が悪いと言われるかもしれない」といった恐怖心があったからでした。そして、息子の特性が絶対にバレないように…ということに集中し、常に気を張っていました。ただでさえ息子が発達障害であるとわかり、自分自身がそれを受け入れるのに必死になっているときです。その上他人からこれ以上傷付けられたら、自分がどうなってしまうかわからなかったのです。私は、私と息子を守るため周囲に診断の結果を隠していました。でもそれは、私たち親子を逆に傷つける結果になったのです。障害を隠して入会したトランポリン教室。しかしパニックを起こした息子は先生に叱られ…出典 : 私は診断名や特性を隠したまま、近所のトランポリン教室に息子を連れていきました。発達障害の子にはトランポリンが良いと聞いていたからです。ところが、息子は連れていくたびにパニックになりました。プロ仕様のトランポリンは、かなり高く飛ぶことができるのですが、重力不安のある息子には異常な恐怖だったようです。そこで、先生が息子の体を支えて一緒に飛ぶようにしてくれたのですが、息子は触覚過敏があるため、他人に身体を触れられることをひどく嫌います。終いには苦痛のあまり、ぎゃーぎゃーと泣き出してしまったのです。こうして息子は、パニックになるたびに先生に叱られていましたが、それも仕方ない話です。息子の特性がわかっていなければ、この様子はただの我儘な子にしか見えないからです。先生に「ちゃんとやりなさい!」と叱られるたびに、息子はパニックになって部屋中を駆け回り、物を割ったり落としたり。教室内では、「とんでもない問題児が来たよ…」という冷えびえとした視線が突き刺さりました。ある日息子が大暴れし、教室を辞める決意をした私。思わず口から出た本音に先生は出典 : 回目のトランポリン教室で、息子は先生から身体を触られた途端にパニックになり、大暴れした拍子に鼻血が出て止まらなくなってしまいました。1時間のレッスンのうち、50分以上を鼻血の処置をしながら息子をクールダウンさせる時間に費やしました。私は頑張っていた心がポッキリと折れ、帰り際に先生に教室を退会する旨を伝えました。「この子にはとても無理そうなので退会させて頂きます。実はこの子、自閉症スペクトラムの診断がおりてまして…。ここで一緒にやらせて頂くのは難しかったようです。すみませんでした。」そう私が謝ると、先生は「えっ!」と驚いた顔をし、そして言ったのです。「どうして最初に自閉症スペクトラムだと教えてくださらなかったのですか。知っていれば、ちゃんと対処法がわかったのに。うちの教室、自閉症の子をたくさん見た経験あるんですよ。声のかけ方だって、変わってきたのに。」私はそのとき始めて診断名を隠していたことで息子のことも自分のことも無用に傷つけ、先生にも迷惑をかけてしまっていたということに気付きました。入会前にカミングアウトしていれば…!!私はそのとき、初めて自分のミスに気付いて、涙が止まりませんでした。そのときにはもう、息子はトランポリン教室に恐怖心を持っており、これ以上続けることができない状態になっていました。断られる恐怖はまだある。しかし、障害をオープンにすることで合う場所もきっと見つかる出典 : トランポリン教室での失敗を踏まえ、今では幼稚園や習い事に入るときだけではなく、小さなイベントや病院での診療などのときでも、必ず「この子は発達障害があります」ということを最初にお伝えするようにしています。それでも、「断られたらどうしよう」という怖さはいつもあります。でも、断ってくるところに無理して参加させても、もっと傷つくことになるだけだと思うのです。利用サービスの中には、他の子と区別をせずに指導する習い事もあります。けれども、息子がパニックになったときなどに、指導者があらかじめ「この子はこういうことでパニックになりやすい」と知っていてもらうことで、私も息子も十分救われるのです。傷付くことを怖がって隠していても、もっと傷付くことはたくさんあります。それよりも、カミングアウトしても「大丈夫、一緒に頑張りましょう」と言ってくれる人や環境を見つけることの方が、発達障害児の育児はずっと実りあるものになります。
2016年11月17日こんにちは、親子でADHD(注意欠陥・多動性障害)をやっています、ママライターの木村華子です。ADHDが発覚した息子の学校生活を改善させようと、話し合いを行ったときのこと。「木村くん(息子)は、提出物や持参物の忘れ物が多くて……」 そう困った顔で笑う担任の先生を見て、私は息子より先に自分自身を責めました。息子がもらってくる学級通信は、下の子の保育園関連のプリントや仕事で使う資料関係の書類、封筒から出して重ねたクレジットカードの請求書などの山に埋もれて、毎月自然消滅していくような状態。「なんか、最近クラスの子たちがペットボトル持ってきてるんだよね……」と息子が言えば、書類の山から学級通信を発掘し、ヨレヨレになったプリントに記載された“図工の授業でペットボトルを使います”の文字を見つけて驚愕し、慌てて近所のコンビニへ走り、朝から飲みたくもないジュースを飲み干して息子にペットボトルを持たせる……。そんな家庭環境であれば、当然忘れ物も多くなるでしょう。私たちはまさに、“忘れん坊親子”でした。全てのケースに当てはまるわけではありませんが、ADHDの原因には遺伝性や家族性が関わることもある と言われています。ADHDのお子様を持つママの中には、わが家のようにご自身もADHDであるケースも珍しくはないでしょう。そんな親子にとって、忘れ物を減らすことは他人が思う以上に困難なことです。今回は、脱・忘れん坊親子を目指した私に効果的だった解決策を紹介いたします。ADHDでなくても、忘れ物が気になるという方にオススメしたい簡単な工夫です。●ADHDの人は具体的で細かな目標をたてるべき!ADHDの人は、ぼんやりとした目標を実現させることがとても苦手です。たとえば、小学生時代より忘れ物が多かった私は、周囲の大人たちから「提出物や持参物を忘れないために、学校で配られたプリントはきちんとチェックしておくべき」という助言を何度も受けてきましたが、大人になるまでそのアドバイスが役立ったことはとうとうありませんでした。どのように“きちんとチェック”すればいいのかが分からなかったからです。これはADHDの子どもへ指示を出す際にも言われることですが、ADHDの人にやるべきことを理解させる(あるいは本人が理解する)ためには、目標を達成させるために行うべき“具体的で細かな”ステップを伝える(または本人が定める) 必要があります。学校関連や仕事などなど……多様な書類の整理にADHDママが対応するためには、無理のないシステムを生活の中に組み込むことがポイント。プリントが家の中で迷子にならないような工夫を凝らせば、“忘れん坊親子”の汚名返上も夢ではありません。●プリントの内容を必ずチェックし実行できるステップ●(1)わが子から必ずプリントを回収するわが子もADHDであった場合、このステップから難易度が高くなります。ランドセルの中には常時“プリント用ファイル”を入れておき、学校で受け取ったプリントはもれなくファイルに入れて持って帰るように伝えましょう。わが家では、「学校の机の中は、迷子のプリントが0枚になるように……」と伝えています。また、点数の低いテストややり忘れた宿題を見つけてお子様を叱ってはいませんか?これを繰り返すと、叱られることを恐れてプリントを隠してしまう癖がつきます。どんなプリントであっても、怒りたい気持ちを抑えて渡してくれたことを褒めてあげてください 。●(2)受け取ったプリントは決められた入れ物に収める子どもから受け取ったプリントは、決められた入れ物(専用の箱を作ったり、決められたファイルを用意したりしてください)に収めましょう。子どもからプリントを受ける夕暮れ時は、主婦にとって1日の中でも特に忙しい時間でもありますね。洗濯物を取り込んだり、夕飯を作ったり、小さな子がいればお風呂に入れて……何かとバタつくこの時間帯に、無理に処理しようとする姿勢がケアレスミスの元になります 。ひとまず受け取ったプリントを失くさないこと、きちんと保存しておくことを優先させてください。●(3)プリント整理の曜日を決めて、落ち着いて処理するプリントの内容をチェックする曜日を決めましょう。わが家では、毎週土日に主人を巻き込んでプリントチェックの時間を設けるようにしています。「文字ばかりが並んでいるプリントを読むのが苦手……」という方は、私のようにパパの手を借りてみることもオススメです。そこで重要なプリントとそうでないものを仕分けしてください。学校ごとに違いはあるでしょうが、私の場合は以下を基準に分けています。【重要なプリントの例】・毎月発行される学級通信・記入欄や切り取り線があるなど、提出が求められる内容のプリント・社会科見学や授業参観など、イベントのおしらせ系【あまり重要ではないプリントの例】・地域で開催されるイベントのおしらせ・ほけんだより・給食だより明らかに重要ではない・不要である場合は、手元に残して重要なプリントと混ざってしまうリスクを回避するためにも捨ててしまいましょう 。●(4)重要なプリントの行き先まず、提出する系のプリントはその場で即記入し、ランドセルの中に入れてしまいましょう。私の場合ですが、後回しにしてしまうと確実に忘れます。そのほかのプリントは、カレンダーに貼り付けてしまう のがオススメ。たとえば25日に行われる社会科見学のプリントであれば、カレンダーの25日の欄にセロハンテープで貼ってしまいます。ファイル等にしまい込んでしまうと、その行事やプリントの存在を忘れてしまうことがありませんか?せっかく仕分けた重要なプリントを、目視し続けられる場所にキープして当日まで忘れないための工夫です。その月の予定や持参物について記載された学級通信も、日常的に目に触れる場所 に掲示しておきましょう。回覧板で回ってきたプリントや仕事関連の書類、締め切りのある手続きのお知らせなども、同様にカレンダーに貼り付けておくと忘れにくくなります。●(5)スケジュールは1週間単位でママには学校関連以外にもさまざまな予定が入ります。仕事や家庭の行事、地域での当番などなど……それらをスケジュール帳にまとめている方も多いでしょう。私も、以前から月ごとの予定を手帳にまとめていました。しかし、手帳に書いただけでは忘れん坊が治らなかったのです……。そんなとき、大人の発達障害をサポートする支援センターで目から鱗の解決策を教わりました。まず、100均などで販売されている小さめのホワイトボードを手に入れます。ホワトボードには、1週間分のやるべきことを記入しましょう。やるべきことが終わるたびに、書いてある予定を消していきます。週末には、ホワイトボードが真っ白になる状態を目指してください。たったこれだけです。このホワイトボードは、冷蔵庫など毎日イヤでも目に入る位置 に貼り付けておきましょう。月単位や年単位など長期的な計画を実行するのが苦手な私ですが、1週間を完璧に過ごすという目標にハードルを下げると今までが嘘だったかのように忘れグセが改善されました。ひと月や1年だって、細かな1週間、1日が積み重なったものです。今日を完璧に、今週をミスなく過ごすことを目標にしてみてください。●ママも一緒に苦手克服を目指そう!学習障害の症状は人それぞれ異なります。ここで紹介した方法が合わないママもいらっしゃるかもしれません。もし「もっと自分にマッチした対処法を探りたい!」という場合は、お住まいのエリアにある相談窓口で発達障害のサポートを受けることを検討してみてください。子育てや仕事などなど……大人にはさまざまな書類が付きまとうもの。子どもの忘れん坊グセを正すことはもちろん大切な教育ですが、子育てはママ自身の“苦手”や“できないこと”を振り返るいい機会 であるのかもしれません。子どもを産んだからといって、即立派な母親になれるわけではありませんね。自分ができないことをわが子に教えることは難しいものです。そんなときは自分を棚に上げて子どもを叱り飛ばすのではなく、ぜひお子さんと二人三脚で苦手克服を目指してみてはいかがでしょうか。【参考リンク】・相談窓口の情報 | 発達障害情報・支援センター()●ライター/木村華子(ママライター)
2016年11月16日発達障害のある娘の子育て、夫にたくさん助けられてますUpload By SAKURA広汎性発達障害のある5歳の娘がいる我が家。大変なことも多い娘の育児をがんばることができている理由の1つに、超ポジティブな夫の存在があります。夫は娘の療育にとても協力的です。娘の苦手なところを理解し、得意なところ・いいところを褒めるように接してくれます。娘想いで、なんてできた人なんだと思っていますが…この人、自分のことにも超ポジティブなんです(笑)。そのプラス志向な性格は、私とはまるで正反対で…。基本的にネガティブな私は…Upload By SAKURAUpload By SAKURA悪いことだけが強烈に残り、凹む…。良いことまでもとらえ方が、ひがみっぽくなってしまいます(笑)。それに比べてプラス思考すぎる夫。どれくらいポジティブかと言うと…Upload By SAKURAUpload By SAKURAUpload By SAKURA勝手に記憶を書き換え、悪く言われたことは完全に消え去り、良いことだけが頭に残ります(笑)。こんな夫のポジティブな考え方…うらやましいものです。見習わなければ!
2016年11月16日大好きなオモチャにいつも夢中な息子…発達障害があるなんて思いもしなかった現在高校生の息子・リュウ太はADHDがあります。息子がまだ小さいころ、私は息子が発達障害だとは思いもしませんでした。でも今思うと、「発達障害かも?」というサインは小さいころからあったのです。たとえば保育園へお迎えに行ったとき、息子はいつも…Upload By かなしろにゃんこ。保育園に迎えに行くと息子は、だいたい寝そべって大好きな車や電車のオモチャを並べていました。私が声をかけるまで自分の世界にどっぷりなんてこともよくあり、迎えに来たことに気が付き嬉しそうにするときもあれば、遊んでいるのを誰にも邪魔されたくない様子のときもあります。登園したときも、私が教室から出ていくことはお構いなしで、息子は大好きなおもちゃに一直線。そんな息子を見て私は「泣いて追ってこられるよりもいいかな」と何も心配していませんでした。ある日保育園の先生がそれとなく教えてくれた、息子の発達障害のサインしかしある日、保育園の先生がこんなお話をしてきました。Upload By かなしろにゃんこ。みんなでお遊戯をしたりお片付けをしたりするときに、先生が息子の名前を呼んで指示しても、オモチャ遊びに夢中で反応がないことがあるというのです。「名前を呼んでも反応しない」というのは、発達障害の子どもにあらわれる特徴でもあります。Upload By かなしろにゃんこ。息子に障害があるなんて思っていなかった私は、先生の意図に全く気付かず…Upload By かなしろにゃんこ。保育園の先生は息子の発達障害を疑っていて、私にそれとなくサインを教えてくれていたのかもしれません。でも息子が発達障害なんてこれっぽっちも疑っていない私は、先生は「リュウ太君、もしかして耳が悪いんじゃないですか?」と心配してくれているのかとすっかり勘違いしていたのです。それどころか、Upload By かなしろにゃんこ。なんて安心しきっていました。発達障害の子どもは、名前を呼んでも反応しないことがあると知ったのは、息子が発達障害の診断を受けた小学校4年生のときでした。保育園の先生は病名を告知する立場にないので、遠まわしにしか伝えられなかったのだろうな~と思うと、それとなく伝えてくれた先生に後で申し訳ない気持ちになりました。「お子さんは発達障害かもしれません」というのは親には本当に伝えにくいことだと思いますので、先生という立場の方はご苦労されているかもしれませんね。今では「私もあのときもっと突っ込んで先生に質問すればよかったのかな?」と思っています。
2016年11月15日私が抱いていた不登校のイメージは、ネガティブなものだった出典 : 皆さんは「不登校」という言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか。私はとても暗いイメージを持っていました。人の目を気にし、暗い部屋でじっと息を殺して暮らしているような、そんな勝手な想像を漠然と抱いていました。しかし実際に子どもたちが「不登校」になり、家で過ごす様子を見ていると、その言葉のイメージとのギャップに戸惑いを覚えるようになりました。不登校の様子は以下の記事をご参照ください。子どもたちの様子に「不登校」という言葉は似合わない学校や幼稚園に行かなくなってから、子どもたちはとてもよく笑うようになりました。毎朝必死で登校し、疲れ果てて帰宅していた頃には1度も見たことのなかった、のびやかな笑顔です。こんなに明るい「不登校」があったのか!と、自分でも驚いています。現在2万5千人ほどいると言われる小学生の不登校児。もちろん、その家族の数だけさまざまな過ごし方がありますので、私が抱いていたイメージのようなご家庭もあるのかも知れませんが・・・。実態を知らずに勝手なイメージを抱き、それを固定させるのは本当によくないな、と自分に言い聞かせています。とにかく、とても明るく家で過ごしている子どもたち。私たちは、学校や幼稚園に行かずに家で過ごすことをマイナスイメージの強い「不登校」ではなく、ポジティブなイメージの「ホームスクール」と呼ぶことにしました。不登校児童生徒数の推移(文部科学省)それでも娘の不安は尽きないようで…出典 : 小学3年生の娘が学校に行かなくなって初めの半月ほどは、何も言わずにやりたいことをやらせてみました。読書が好きな娘は1日中本を読み、人目が気にならない時間帯に庭で遊び、自由を満喫していました。学校へのストレスが原因でチック症状がたくさん出ていたので、自由に過ごすことで少しでもそれが軽減されればと思っていたのです。そうしているうちに、娘が自分から「お勉強をしなくてもいいのかな?」「お友だちはどんどん先へ進んでいるのに」と言うようになりました。それならばと、国語・算数・理科・社会・音楽・図工・体育の7教科を毎日30分ずつ時間を決め、勉強することにしました。これは、元来自由時間を過ごすことが苦手な娘には、とても良いやり方でした。「何をしてもいいよ!」と言われると、何をすればいいのか決められず、ただただぼんやりとした時間が過ぎていき、娘自身もそれに焦りを覚えていたからです。30分ごとに鳴るアラームに合わせて予定表を確認し、「よし!次は社会だからあの本を読んでみよう!」「あ、次は体育だからDVDを観ながらダンスをするね!」とくるくる動き回る娘は、本当に楽しそうでした。ルールに厳しいアスペルガーの娘。「ホームスクール」は特性への対応を学ぶいい機会に出典 : ある日、図工の時間に「絵の具で絵を描きたいけどいい?」と尋ねられました。私「もちろん!それがホームスクールの醍醐味だからね!」娘「でも、絵の具を使ったら30分で終わらないと思うんだけど・・・」私「それだったら、予定を変更してみてもいいんじゃない?やりたいことが見つかったら、思い切りやったらいいよ。ここは学校じゃないから、絶対にスケジュール通りに動かないといけないことなんてないんだよ。臨機応変にね!」娘「わかった!」娘はその後の予定を2つキャンセルし、たっぷり1時間半、画用紙に向かって絵の具で絵を描き続けました。こうして、たとえ予定を立てていても、やりたいことが見つかった時には少しずつ予定を変更しながら毎日を過ごせるようになりました。出典 : 「急な予定変更に弱い」「決めたルールは頑なに守る」という特性を持つアスペルガーの娘ですが、これを機に「まあいいか!」と割り切れる瞬間が少しずつ増えてきたように思います。今はまだ、自分で決めたスケジュールの変更を許せるようになった段階。これが少しずつ広がって、他人の都合でスケジュール変更が行われた時も、怒ったり泣いたりせずに「まあいいか!」で乗り切れるようになってくれればいいな…と思います。時間を自由に使えるのも、ホームスクールならではの良さ出典 : そうこうしているうちに、「今日は1日絵を描いて過ごしたい」「今日は1人になって読書に専念したい」「今日はずっとアイロンビーズをやりたい」と言うようになり、いつの間にか30分区切りのスケジュールを立てることはなくなってきました。学校に行かなくなってすぐは、学校のお友だちに遅れないように、学校の進捗に合わせて勉強しておかなくては!という意気込みが私にも娘にもあったように思います。でも最近は、せっかく思い切ってレールを踏み外したのだから、学校の進捗にこだわることはなく、思い切り好きなことに没頭するほうが人生が豊かになるんじゃないかな?と思うようになりました。ただしテレビやゲームといった、誰かが作ったものを一方的に受け止めるようなものに時間を費やすのはもったいないので、ゲームは1日30分、テレビも決まった時間に親と一緒に観るようにしています。今は芸術の秋・読書の秋ということで、1日中LaQで何かを作ったり、本を見ながらひたすら新しいおりがみに挑戦したり、アイロンビーズであらゆるモチーフを作ったり、テーマを決めて図書館で借りた本をたくさん読んだり、同じ映画を何十回も観たり・・・。そんな風にしながら毎日を過ごしています。勉強もしないと!という気持ちは、漢字検定に挑戦したり、算盤や学研などの習いごとに通うことで解消するようにしています。まだまだわが家のホームスクールは始まったばかり。これからどんな風に変化していくのか、私自身の楽しみでもあります。 (ラキュー)ルールから外れて1番不安なのは子どもたち。だからこそ、楽しい時間を大切にしたい出典 : 不登校になって、どのように過ごせば良いのかわからない、というお声をよく耳にします。わが家では「子どもの笑顔が引き出せることかどうか」を最優先に考えています。その時にやりたいことが見つからなければ、「こんなのがあるけどやってみる?」「こんなイベントがあるけど行ってみる?」と声をかけ、子どもが興味を持ったものだけを一緒にやってみるようにしています。そうすることで、少しずつではありますが、子どもたちの世界を広げていくことができるのではないかと思います。そして、親子が一緒に没頭できる何かを見つけることができれば、喜びを共有できる瞬間や会話が増え、子どもは「この家にいていいんだ」「学校に行かなくても楽しんでいいんだ」「お母さんは私の気持ちを分かってくれるんだ」という安心感に包まれて過ごすことができるようになるのではないでしょうか。子どもだけに合わせるのではなく、親も一緒に楽しめる何かを見付けることができるといいですね。
2016年11月15日この子に一体何が起きているの?出典 : 子どもの発達が気になったとき、そして「もしかして何か障害があるのではないか」と疑い始めたとき、みなさんはどんな心境だったでしょうか?我が子に障害があると考えたくないという保護者の方もいると思いますが、私は「必要なら早く子どもをサポートしてもらえる場所に繋がりたい…」という気持ちでいっぱいでした。私の住んでいる地域では、3歳にならないと発達障害の診断は出ないということでしたが、1歳半健診を受けた際に紹介された「療育センター」で相談に乗ってもらうことにしました。療育センターと聞いても、知識のなかった当時の私には、何をする所か全くわかっていませんでした。とにかく子どもの今の状態が知りたい一心だった私。うちの子は発達に問題があるの?他の子と何か違うの?そんな気持ちが渦巻きながら、療育センターの予約日までの数ヶ月を過ごしていました。待ち遠しかった療育センターでの相談。最初に面談したのはソーシャルワーカーさんだった出典 : 初めて療育センターを訪れた日、息子は2歳になっていました。最初に話を聞いてくれたのは、ソーシャルワーカーと呼ばれる人でした。「 医師と私たちを結ぶ、『何でも屋』と思って頂きたい。」そう言われたのを覚えています。あらかじめ書いてきて下さいと貰っていた問診票や生活記録表を渡しながら、私たち親子(夫、私、息子)とワーカーさんとの4人で和やかな4者面談を行いました。生活記録表には、生まれてからの成育歴を記しました。また、問診票には睡眠が乱れていることや、偏食、衝動性でどれほど苦労しているかなど、母親目線での育てにくさを記入しました。面談では問診票の確認のほか、夫から見た息子の様子も聞かれました。そのあいだ息子は、用意されていたオモチャや私が用意していたお気に入りグッズでその場を過ごしました。面談が終わると、ワーカーさんから「それでは医師の診察になりますね」と言われました。いよいよ始まった息子の診察。医師の分析、視点の違いに驚き!出典 : その後、医師の待つ別室へと息子と入室しました。部屋に入ると医師が1人、他にもう1人女性の保健師さんがいました。医師は初めに主人と私に笑顔で挨拶をした後に、「お子さんの様子を少し拝見しますね。簡単なテストのようなものもします。」と言い、1歳半健診でやるような型はめや絵本、クレヨンでお絵かきなどをしました。検査に使う道具や絵本、絵の描いてあるカードなどは、医師が指示を出すタイミングまで、白い布に覆われた棚の中に隠してありました。整理された環境…それはまさに、子どもが落ち着いて目の前のことに集中できるよう工夫された部屋でした。こうして、検査段階から既に療育への第一歩が始まっていたのです。その後、一通り息子の課題や検査が終わり、先生が言いました。「実はドアを開けた瞬間から息子さんがどこに注目するのかを見ていました。息子さんの場合は、真っ先に物に注目していましたね。通常というと語弊があるかもしれませんが、このくらいのお子さんであれば、入る時点で周囲を警戒する子がまぁ、一般的には多いんですよ。息子さんはそうですね…人ですね。人への関心が少ないお子さんではありますね」私は、先生のこの言葉に衝撃を受けました。なぜなら、これまでの子育ての中で私が気になっていたことは、落ち着きがないとか、偏食・不眠という「目に見えて気になるところ」だけだったからです。発達の遅れというのは行動だけではなく、目に見えないこと(感受性)にも注目するのですね。やっと子育ての相談ができる…身構える私。そして下された診断名は出典 : いよいよ、医師と私たち夫婦との面談です。特に私は身構えていました。「やっとこの子に起きていることがわかる…!」この日が来るまで、何度眠れない夜を過ごし、何度涙を流したか…。医師から告げられたのは、以下でした。●注意関心の向け方に偏りがある・人より物に関心がある●発達に凸凹がある・目で見て理解する力はある(視覚優位)・意図、意味、気持ちや状況、ルールや人との距離など、見えないものをイメージする力が弱い●コミュニケーションの困難さ・相手の意図を理解してコミュニケーションする力が弱い「この、3つの観点から総称して『自閉症スペクトラム障害』と言えます。そこに交わるカタチで、様々な障害が関わってきていたりもするのですが、お子さんの場合はADHDの傾向が既にあります。ただし、未就学児に対する診断は下せないことになっていますから、ADHD(仮)と思ってください。」医師は時おり穏やかに、でも強くきっぱりと言いました。「この子にはきっと何かある…」わかってはいた。でも現実を突き付けられたショックは大きくて出典 : うちの子は自閉症スペクトラム障害なんだ…。障害と名のつく診断を貰ってしまった…。その直後、しばらく呆然としたのを覚えています。そして、気付いた時に私は泣いていました。声もなく、ポロポロ涙が止まりませんでした。主人も冷静を装いながら、私の背中を一生懸命さすってくれていました。医師は更に続けました。「診断名というのは、あくまで名前です。総称のようなもの。これから先、診断名としては一生取れることはないかもしれないけれど、息子さんはまだ小さい。これからの関わり方次第で、とても伸びるお子さんだと思いますよ。賢いのね、彼。とても賢いわ。将来が楽しみ。だから、一緒に向き合っていくお力になれればと思います。」そう締めくくりました。支えになった夫の存在。そして始まったのは新しい未来だった出典 : 「診断名としては一生取れることはないかもしれないけれど」医師のこの言葉は、悪意からではなく「大丈夫。我々もサポートします。未来をみよう!」という気持ちからだったのだと思いますが、この時の私は、この言葉だけがずっと頭から離れませんでした。主人は、滅多に動じない人ですが、流石に悲しそうな表情でした。私が感情のまま泣いてしまったことで、それをどうにかしてあげなきゃ。家族を支えなきゃ。という気持ちでいっぱいだったようです。こうして私たち家族の、療育と向き合う日々が始まるのでした。その様子は次の記事で書きたいと思いますので、宜しければお付き合いください。
2016年11月14日ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは?出典 : ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは、人が社会で生きていくうえで必要な技術を習得するための訓練のことです。人は生まれてからたくさんの人と出会います。その関わりの中で無意識的に、「してはいけないこと」、「した方がいいこと」などの暗黙のルールを身につけていくのです。ところが発達障害のある場合などは、それらをスムーズに身につけられないケースがあります。たとえば、「ゲームのルールが守れない」というのも一つの例でしょう。「周りの人がこうしているから自分もこうしよう」と自然に判断できたり、「ルールは守らなければいけない」と注意をされてすぐに改善できるようであれば、SSTは必要ありません。その集団内での行動の善し悪しを周りの様子から推察したり判断することが苦手で、注意をされてもなお同じことを繰り返してしまう場合においてSSTは有効な改善手段となりうるのです。SSTでは、ゲームのルールが守れるようになるという目標に対して「ゲームは負けることもあるということを知る」「負けても楽しいという感覚を身につける」「悔しくても自分の感情をコントロールする」といった小さなステップを作ります。その一つひとつの過程を丁寧に踏み、ゆっくりと社会性を身につけさせていくのがSSTなのです。ソーシャルスキルトレーニング(SST)はどこでだれが行ってくれるの?出典 : は病院や療育センターで専門家から受けることもできますが、学校や家庭など、どんな環境でも行うことができます。そのため、 SSTを実施できる人もトレーナーやセラピストなどに限られません。学校の教師や保護者など、日頃から子どもと接している人でも、日常的にSSTを取り入れることは可能なのです。しかし、子どもの特性や支援の内容によっても、最適なトレーニング方法は変わってきます。それぞれのケースに合わせて実施場所、実施者を適切に選択していくと良いでしょう。ちなみに民間企業・団体で受講するときの相場は、運営形態にもよりますが、1回あたり4500円~10000円程度のことが多いようです。特定非営利活動法人広島クリニカルソーシャルワーク研究所ripple(リプル)ソーシャルスキルトレーニング(SST)の対象出典 : は、社会で人と関わりながら生きていくことに困難を伴う人全般を対象としています。たとえば、・指示を理解したり、判断したりするのが苦手・得意なことと不得意なことに大きく偏りがある・自分の行動をコントロールするのが苦手・人とのコミュニケーションが苦手・運動が苦手・情緒が不安定などがこのSSTの対象です。ここでは主に子どもに対するSSTを取り上げていきますが、SSTは子どもだけではなく大人が受けられるものもあります。ソーシャルスキルトレーニング(SST)の方法出典 : の中には多くの実践方法があります。今回はそのうちのいくつかをご紹介します。ゲームには「ルールを守る」「勝ち負けの結果を受け止める」「仲間と相談や協力をする」などの多くのソーシャルスキルの要素が含まれています。子どもが楽しみながら社会性を身につけることができるのでとても有効な手段です。指導の担当者は、それぞれの子どもにとって何が目標なのかを常に意識しながらゲームを進めていくことが重要となります。ディスカッションやディベートは、相手の意見をしっかりと聞きつつ、自らの意見を述べる必要があるため、言葉のキャッチボールをする訓練としてすぐれています。子どもが興味をもてるテーマ選びや、参加人数、時間などを考えながら行うと良いでしょう。どんな場面でどんな振る舞いをすればいいのかということを、指導担当者や子ども同士が実際に演技したり、人形を用いて演じることで、実際の場面での適切な振る舞いを学んでいきます。対象となる子どもにとって、現在課題となっている言動や場面を、多少アレンジしながら行うのがより効果的です。工作、調理など、「何かを作って遊ぶ」「何かを作って食べる」といった楽しいゴールに向かう過程で、ほかの人との相談、役割分担、助け合いといった、社会生活に必要なスキルを学んでいきます。ワークシート、絵カード、「ソーシャル・ストーリー」などを用いることで現在の子どもの課題になっている言動を、意識化していくこともSSTの方法の一つです。ソーシャル・ストーリーとは、絵と、その絵が表す出来事が短い文章として書かれたテキストで、その文章を子ども自身が読むことで(文字の読めない小さい子どもの場合は大人が読んであげることで)、その場面での振る舞いを学べるというものです。これらで扱う場面や題材は、目の前の子どもの行動に合わせてきちんとアレンジし、オリジナルなものを作ると効果的です。このように、SSTはさまざまな手段を通して実践をすることができます。次はさらに具体的なSSTの例について日常生活と対人関係とに分けてご紹介します。日常で取り入れられるソーシャルスキルトレーニング(SST)出典 : あいさつは、人とのコミュニケーションには欠かせないものです。ところが子どもの中にはどこでどのようにあいさつをすればよいかが分からなかったり、あいさつの言葉を口に出すのが恥ずかしかったりと、さまざまな理由からあいさつができない子どもがいます。適切なタイミングで適切なあいさつの言葉を発することができるようになるためには、「大人が積極的にあいさつをする」こと、「あいさつを強要しないように気をつけること」が大切です。「あいさつをすることは気持ちがよいこと」「相手の気持ちが嬉しくなること」ということを子どもが肌で感じられるような環境を作っていくとよいでしょう。公園の遊具に乗るとき、バスに乗るとき、お店に並ぶときなどに、つい並んでいる人の間に入ってしまったり、「一番」じゃないといやだと駄々をこねてしまったりする子どもがいます。一番であろうとすること自体は決して悪いことではありません。しかし順番を守ることができないと、そこからけんかに発展してしまったり、相手から嫌な印象を持たれてしまったりとトラブルになってしまう可能性があります。そうならないために大人ができることは、「日頃から自分が順番を守り、その姿を子どもに見せる」、「子どもが順番を守れたときに褒める」、「一番じゃなくても大丈夫だということを伝える」などです。順番を守れなかったからといって叱るのではなく、自然に順番を守れるようになるために日々の生活から習慣を身につけていくことが重要です。対人関係におけるソーシャルスキルトレーニング(SST)出典 : 子どもの中には、相手の気持ちを理解することが苦手な子どもがいます。相手の表情から気持ちを読み取ることが苦手だったり、共感するということが苦手だったりと理由はさまざまですが、時にはそれが人とのかかわりにおいてネガティブに働いてしまうことがあります。そんな子どもがうまく相手の気持ちを読み取れるようになるために、多くのSSTの方法が考えられています。たとえばゲームを用いたもの、ロールプレイを用いたもの、絵カードを用いたものなどです。「嫌なことをされたとき自分はどう思うか、その嫌なことを実際にされている相手はどんな気持ちか」を考えたり、今相手が考えていることを意識的に想像したりする訓練をすることで、実際の生活でも自然と相手の気持ちを理解できるようにサポートをします。上記に挙げたように、相手の気持ちを理解することが難しい場合などは、相手を傷つける言葉を言ってしまったり、相手にとって興味のない話をひたすら話し続けてしまったりという言動につながってしまうことがあります。相手の気持ちをくみ取り、適切な話題・話す時間・使う言葉を選んで進めていく会話は、多くのステップを含んだソーシャルスキルなのです。多くの要素を含む会話だからこそ、その訓練は「決められた質問(自分の名前など)に答える練習をする」というものから「「シナリオに従って言葉のキャッチボールの練習をする」というもの、「おしゃべりタイムを設けて振り返りを行う」というものなど多岐にわたります。ソーシャルスキルトレーニング(SST)で大切にしたいポイント出典 : 多くの所でさまざまな指導者によって実践されているSSTですが、SSTを行うためには気をつけたいポイントがあります。ここではそのうちの2つをご紹介します。社会性を身につけている大人から見ると、社会のルールに従うことのできていない子どもの行動は目につくものとしてとらえられるかもしれません。しかし、子どもにとって叱られたり注意をされたりすることは嬉しいことではありません。それどころか、叱るという行為は社会性を鍛えるのに逆効果の場合もあるのです。できないことを叱るのではなく、できたことを認めて褒めるということが子どもが楽しみながら自然に社会性を身につけていくのに重要なポイントなのです。冒頭でも述べたようにSSTを必要とする子は、生まれてから育っていく中で自ら周りの人を観察して、社会性を身につけていくのが苦手な子どもです。そのため、一般的に当たり前だと思われる会話や行動・思考が自然にできないケースが多く見られます。同時に、その子がそれまで積み上げてきた「当たり前」も存在します。その当たり前を変えるのには長い時間と、多くの小さなステップを踏まなければなりません。指導する側に立つ人は、長い目で物事をとらえ、ゆっくりと成長を見守っていく姿勢が必要なのかもしれません。まとめ出典 : 今回は子どもの社会性を訓練するSSTについてご紹介しました。SSTには多くのトレーニング方法があるため、今回紹介したものはごく一部です。しかしSST全体において言えるのは、一つの目標に対して多くのステップを作り、一歩一歩進んでいくことが大切だということです。上で少しふれたように、たとえば「会話が苦手」という一つのケースの中には、「相手の気持ちを読み取ることができない」「相手の言っていることの意図が汲み取れない」「自分がどんな言葉を使って返答したらよいかが分からない」というような多くの要素が含まれています。最初から「会話がうまくなる」という急激な変化を求めるのではなく、苦手なことを一つひとつ解消しながら本人の感じる「生きづらさ」に対応していけると良いでしょう。
2016年11月13日ハンパなく記憶力が悪いADHDな長男。でもある日、こんなことが…!ADHDの長男は、興味のあることとないことの差がものすごいです。人の名前や日々のスケジュールなど、興味のないことは全く覚えることができません(笑)。その高低差が私は大好きなのですが…長男がまだ年中さんだったころ、めずらしくこんなことがありました。Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナささやかな喜びを感じていた私…しかし翌朝、見事に裏切られるUpload By ラム*カナUpload By ラム*カナ園児服に着替えたのに…さらなる追い打ち!Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナ昨夜の「あしたはっぴょうかい」宣言は一体なんだったのか…。どうやら一晩経つと色んなことが抜けてしまう癖(どんな癖!)があるみたいなんですが、今回も見事に抜けてしまったみたいです。しかも、制服着てるのに、どこ行くか聞いちゃいますからね(幼稚園だよ!)。忘れん坊の度が過ぎて可愛いです。そんなズッコケた朝でしたが、発表会本番はとてもがんばっていました。時々宇宙と交信する(ぼーっと天を仰ぐ)ことはありましたが、きっとやりたくなかったであろう発表会の練習をこなし、そして覚え、ちゃんとステージで披露することができた…100点以上の出来栄え!ズッコケたり感動したり、忙しい1日なのでした。
2016年11月12日砂遊びが大好きなのに…Upload By モンズースー長男は砂遊びが大好き。でも、砂が手に付くのは不快なようでした。雨上がりや奥深くの少し湿った砂はすぐに手に付いてしまいます。それが許せない長男は、砂遊びの最中に何度も何度も手を洗いに行くのです。砂場と手洗い場を行ったり来たりするので、好きな砂遊びがなかなか集中できません・・・。手を1人で上手に洗えない不器用さもあり、砂遊びを楽しめずに終わりの時間が来てしまうと、満足できずに毎回号泣して暴れました。Upload By モンズースーそんな長男も、楽しく遊ぶ上級生の様子は気になるようでした。最近では洋服を汚さずに遊ぶよう指導する幼稚園も多いみたいですが、長男の通う支援の幼稚園は自由に遊ばせてくれます。砂に全身埋もれても、泥に水に漬かってもOK!長男はそんな楽しそうな遊びに参加したいけど、できずにいるように見えました。そんな様子に気付いた先生。上手な誘導で少しづつ砂遊びの幅を広げてくれたのです。最初は裸足で乾いた砂の上に立つところから始め、足を砂に埋めたり、砂の山に登ったりして遊んでいるうちに、あまり手を洗いに行かなくなりました。そんな長男が、今では全身泥まみれになって遊んでいます。パンツまでドロドロになり、学校でシャワーを借りて着替えてから帰ります。洗物は増えますが、楽しくのびのび遊べるようになったことが嬉しいです。毎回どろだらけの洗濯物を楽しみにしています。
2016年11月11日私の障害が娘にバレた!でもちょっと誤解しているようで…出典 : 娘がアスペルガーと診断されたのは小4のとき。その2年後に私も同じアスペルガーと診断されました。不登校でもあった繊細な娘には、ショックが大きいだろうと思い、告知はまだしていません。私は、自分がアスペルガーの診断を受けた後、張り切ってアスペルガー症候群の関連本を何冊か買い込んできては、部屋に思いっきり放置していました。それを見つけた娘がビックリした顔で「ママってメンヘラちゃんやったん!?」と詰め寄ってくるではないですか。私「ちょっと待て。メンヘラちゃんってなに?」娘「ママ、手首切ったりしてない?大丈夫!?」どんな斜め上の誤解なんだ(笑)。娘の解釈に驚きつつも、アスペルガーにそんな印象を持っていたことにショックを受けました。よく考えてみると、こういう誤解の仕方ってインターネットのサイトを見てる人にありがちなことなんですよね。そして内心「参ったなぁ、君も一緒なんだよ。こんな誤解してちゃダメだよなぁ」とため息をついたのでした。そう、娘への告知をのばし延ばしにしているうちに、自分の方が先にバレてしまったのです。これはどうしたものか…と、けっこう悩みました。そうだ!私の体験談を娘にシェアしてみよう!出典 : そこでまず私が思いついたのは、「そうだ、私を通してアスペルガーのことを理解してもらおう。そうすればいつか告知したときも自分のことを理解しやすくなるはず」というアイデアでした。それからというもの、特性がらみの困りごとを、日常会話にさりげなく取り入れるようになりました。「会社で上司に次々とやることを言われたんだけど、覚えきれなくて困った」「仕事で話しかけられても、周りがうるさいとその人の声だけじゃなくて全部聞こえるからわからなくなる」「一緒に買い物行ったとき、目の前にあったものをママは見つけられなかったでしょ?あれも特性なんだよ」「2つ以上のことを一緒にやろうとすると混乱する」人間関係の困りごとも話しました。「どうしてかわからないけど、いつも何ケ月か勤めると周りの人に嫌われてるんだよね」「嫌われていると思ったら、心のシャッターが下りるのよ」「空気が読めなくて変な人と思われてるみたい」解決法は教えてあげたくてもなかなか教えられませんでした。だって私自身、何も解決していないから。ただ、障害者職業センターで習ったことや、感動したことは「落ち着いて練習したら、失敗したことを上手に謝ることができたよ」などと伝えていました。娘は「ふーん」と聞き流しているように、そのときは見えました。今度は娘が自分を疑いだし…しかしそこで思わぬ本音が。出典 : そんなある日、突然娘が「ママ、私ってアスペルガーなの?」と聞いてきたのです。私の話にいろいろ思うところもあったのでしょう。嘘がつけない私は、あたふたとして「うーん、そうかもしれないなぁ」と言ってしまいました。でも、娘はそれ以上突っ込んできませんでした。「ねぇ、もしアスペルガーだったらどう思うの?」と私が聞くと「障害者にはなりたくない」と言ったのです。私自身は障害者手帳も取って、障害者として生きていく決意を娘にも明らかにしていたのに、この言葉はショックでした。気になりながらもよくよく聞いてみると、娘にとっての障害者は「言葉で意思の疎通ができない人」のことだったようです。彼女は保育所の年長のとき、保育所の先生がボランティアでやっているダンス教室で、予告なしに重度の障害を持った子と引き合わされました。話しかけても反応してくれない、無言で笑いながら抱き付いてくる、その様子に強い恐怖を感じてしまったようでした。このことを私の支援者に相談したのですが、「その引き合わせ方に問題がありましたね。言葉で言い聞かせるよりも、これからの人生での中でゆっくり理解していくしかないと思いますよ」と言われました。そして、娘の支援者・主治医などと相談した結果、もう少し彼女の自己肯定感が上がってきて、アスペルガーだということを冷静に受け止められる時期が来るまで、告知はしないことになったのです。これから娘に聞かれたら、「お医者さんに聞かないとわからない」と答えるよう、アドバイスされました。障害名は関係ない。1人の人間をあるがまま受け止める素直さに感動出典 : 娘はきっと、自分がアスペルガーだとわかっている気がします。時には疑い、時には否定しながらも、心のどこかではわかっている。でも認めたくないという風に見えます。そんな彼女ですが、ある日私のことをこう言ってくれました。「ママは自分のことアスペルガーって言うけれど、私にとっては『ママはこういう人』というだけで、『ママはアスペルガー』だとはいちいち思わないよ」障害名が付いた特性持ちの人ではなく、1人の人間として見てくれている…。この言葉は涙が出るほど嬉しかったです。今では誰よりも私の特性を理解し、さりげなく助けてくれるようになりました。その力を活かし、いつか自分の特性を深く理解して、助けを求められるような人に育ってくれたらいいな、と願っています。
2016年11月11日「疲れた…」楽しいはずの場所やイベントも、息子にとっては頭の痛くなる場所になっていた出典 : 音に敏感に反応する、と聞くとどんなイメージを抱きますか?特定の音にすぐ反応してしまう、いつもイヤーマフをしている、などでしょうか?息子にも音に対する過敏さがあるのですが、どうやらちょっと違うようなのです…。発達障害児の息子とお出かけをすると、1時間も経たないうちに「疲れた」「もう帰る」と真っ青な顔をして座り込んでしまうことがよくあります。そのたびに、「ええ!?まだ1時間も経ってないんだけど!!」と、家族の怒りが爆発することもしばしば。息子のこの疲れやすさには、聴覚過敏が大きく関係しているということに、途中で気付きました。疲れてくると、いつも耳を塞いで路上に座り込みます。ぐったりと脱力してしまった息子の顔を見ると真っ青で、しきりに頭痛を訴えるのです。後で落ち着いてから話を聞いてみると、「太鼓の音で頭が割れそうだった」「人の歌声のせいで頭痛がした」「機械の音が嫌だった」など、音のせいで頭が痛くなっているということがわかってきました。かと思えば、ケロッとしたりゲラゲラ笑ったり…他にも大きな音やうるさい場所はたくさんあるのになぜ?出典 : 息子は耳が敏感で、それがお出かけ先で彼を疲れさせてしまうということがわかったため、私はいつも耳栓やイヤマフなどのグッズを欠かさず携帯しています。少しでも大きな音が周りにしていたら、息子に「耳栓する?」と聞いています。また、その場にいることを決して強要しないようにもしています。特に、お祭りや花火などは危険です。ただでさえ人が沢山いて、視覚・触覚の刺激が息子にとって辛いことに加え、太鼓やお囃子、花火の爆発音などは9割アウトです。お祭りはまず楽しめない前提で、なるべく行かないか、すぐに帰れる体制を整えてから出かけています。ところがこんなに聴覚過敏に悩まされている息子ですが、とんでもない大音量でもケロッとしていたり、むしろゲラゲラ笑っていたりすることもよくあるのです。例えば、目の前を駆け抜ける救急車や消防車のつんざくようなサイレン音。工事現場の重機の音。映画館の大音量の音楽を聞いても疲れる様子は見られません。また、公文の教室で周りの子どもがワイワイ騒いでいる環境でも、あまり気にせず集中して勉強ができます。周囲の音を気にしてオロオロしているのは私だけ。息子は大人でさえもうるさく感じる音を、全く意にも介していないことがよくあるのです。一体これはなぜなのでしょう。えっ!?そうだったの?息子が嫌がるのは特定の音じゃなかった出典 : どうも息子の聴覚過敏は音量そのものが問題ではないような気がする…、そう思った私は、ある日息子に聞いてみたのです。「息子くんはどんな音を聞くと頭がガンガンするのかな。教えておいてもらえると助かるな」すると、息子はこう言ったのです。「どの音がダメ、とかじゃなくて、不安な気持ちになったときに、周りの音で頭が痛くなる」これ、実は私にとってすごい発見でした。息子は特定の音が嫌だったわけでもなく、音量が大きいことが辛かったわけでもなかったのです。聴覚過敏は、「不安な気持ちでいっぱいいっぱいになっている」ときに生じるパニックの一形態だったのですね。ですから、息子の聴覚過敏への対応は、「嫌いな音・大きな音を取り除くこと」ではなく、「不安になる状況を取り除くこと」が大切なのだとわかったのでした。排除すべきは「音」じゃなく「不安」だった!出典 : 聴覚過敏は不安が高まったときに出てくる症状なので、まずどこかに出かける際は不安要因を特定することが大切です。例えば、息子が9割方座り込んでしまうお祭り。これは、人の多さや屋台で並ぶことなどのストレスが積み重なっているのが原因で、聴覚過敏が発動します。コンサートや発表会などは、「じっとしなければならない」というストレスが限界にまで達し、ステージ上の音に耐えられなくなります。また、次の見通しが立たないような状況でも、聴覚過敏が発動しやすくなります。病院などに連れていくと、受付の放送の音すら嫌がることがよくあります。これは、病院という場所で何をされるかわからないため、極度の不安状態に陥っているためだと思われます。聴覚過敏に対応するためには、まず不安要因を特定すること。不安な気持ちが和らげば、少々の音も耐えられることが多いです。それでも不安やストレスでいっぱいになってしまうことはあるでしょうから、外出時は必ず耳栓やイヤマフは忘れないように携帯しましょう。
2016年11月10日発達障害の娘、フレンドリーなところは長所でもあるけれどUpload By SAKURA広汎性発達障害の娘は、初めて会った子でもどんどん近づいていき、ぐいぐい話しかけます。お店などのキッズスペースに行くと、必ず大きな声で自己紹介。娘の行動は間違っているわけではありませんが…いきなりこれをやることで、必ずと言っていいほどその場を凍りつかせます。よく言えばフレンドリー…しかし、空気が読めないという発達障害の特徴でもあります。どんどん話しかける娘の行動に、周りのお友達は引いてしまい…Upload By SAKURAUpload By SAKURA娘にとっては、自己紹介が終わればもうはい!これでもうみんなおともだち!「いっしょにあそぼー!」「なにやってるのー?」「ねえ!なまえは?」と相手が嫌がってもお構いなしで話しかけていきます。Upload By SAKURAUpload By SAKURAしかし、娘の度が過ぎる行動は、他のお友達から浮いてしまい…そんなしつこい娘を避けるように、娘の周りの子たちはいなくなってしまいます。「あれ?なんで?どこいくの?」と言う娘を見るとなんだか痛々しい気分になります。「1人で遊びたかったのかもね」「いきなりだったからびっくりしちゃったかもね」とフォローの言葉をかけますが、親としては内心悲しく…凹む日もあります。しかし、このフレンドリーさは娘の長所!これから先、良いこともあると信じて、今は周囲の状況を理解できるように促す日々です!
2016年11月09日こんにちは。エッセイストでソーシャルヘルス・コラムニストの鈴木かつよしです。筆者の中学高校時代の友人で、“絵を描くことが大好きな子”が3人いました。それぞれ描く絵のモチーフも技法も違うのですが、共通するのは3人とも時間さえあれば(時に、絵を描いていてはいけないときでも)いつでも絵を描いていたこと。 3人とも人とのコミュニケーションはあまり得意でなかったこと。そして3人とも、いってみれば“気が利かない”人間であったことです。3人が医師の診断を受けたと聞いたわけではないので無責任なことは言えませんが、3人とも陰で「発達障害ではないか」と言われるような個性を持った人たち で、その後1人は“巨匠”と呼ばれる漫画家になり、1人はイタリアに渡って世界的なカーデザイナーになり、もう1人もその世界では知らない人がいないほど有名なメカニックデザイナーになりました。ちなみにこの3人や筆者が通った中高は、“変わり者”を許容してくれる学校ではありました。精神科医で小児科医でもある竹川敦先生は自身が院長を務める仁和医院のホームページの中で、『発達障害児から自由人へ、そして天才へと変わっていった ような人たちこそが、現代のこの便利で文化的な世の中を作ってくれた』という主旨のことをおっしゃっています。今回は、知的な遅れはない“高機能広汎性発達障害”と思われる子が天才へと育っていける環境はどうすれば意識して作ることができるのか、精神科医の見解を参考にしながら考えてみたいと思います。●国立の大学生の10人に1人は発達障害竹川先生は仁和医院のホームページで発達障害を、『いわゆる対人コミュニケーション能力、問題解決能力、臨機応変さ、想像力や気を利かせる能力などの低下を認めるものの総称』と定義しています。そしてそれは『遺伝的な脳の構造の問題なので治るものではない 』とし、『自分の性格傾向を周囲の人に説明できるようになること、生き方の工夫をすることが治療である』と述べています。障害の程度や重複の有無、生活環境や年齢などによっても症状は違ってくるため、一言で発達障害といっても相当に多様な精神医学的概念であるということができるでしょう。知的な遅れがなく普通に日常生活が送れるためにあえて専門医の診断を受けることもない“高機能広汎性発達障害と思われる人”も含めると、『発達障害は今の学童の5%、国立の大学生の10%はいる 』と、竹川先生は指摘しています。●海外の先進国では発達障害者の長所を伸ばす教育が普及しているこのような発達障害の人たちの中には実は歴史上の偉人や天才と呼ばれるような人がとても多いという事実を、精神神経科や児童精神科を専門とする医師のほとんどが認めています。前出の竹川医師も仁和医院のホームページの中で、・トーマス・エジソン・スティーブン・スピルバーグ・ビル・ゲイツ・ウォルト・ディズニー・トム・クルーズ・アルベルト・アインシュタインといった人たちの名前を出して発達障害であるとしていますし、筆者の友人の精神科医では、・マイケル・フェルプス・スーザン・ボイル・スティーブ・ジョブス・ジョン・F・ケネディなども発達障害であったと言う人もいます。こうしてみると海外の人に発達障害の偉人や天才が多い印象を受けますが、それは印象にとどまらず事実である と断言する児童精神科のベテラン臨床医で、杉山登志郎先生というわが国における高機能広汎性発達障害の権威がおられます。杉山先生は2009年11月1日発売の『ビッグイシュー日本版130号』の中で、次のような主旨のことをおっしゃっています。『実際のところ発達障害の天才や偉人は多い。代表的な例としてはやはり物理学者のアインシュタインだろう。本人の言による症状から、自閉症スペクトラム障害が疑われる。これは自閉症、アスペルガー症候群、その他の広汎性発達障害などの診断が明確にはつけにくいケースまでを一連の連続体としてとらえた概念である。「発達障害」という言葉は特に「社会的な適応障害」を伴うものを指す場合が多いため、私は高機能広汎性発達障害のことは「発達の凹凸(おうとつ)」と言うほうがしっくりくると考えている。凸(とつ=長所)の部分を活かせる分野 に出逢え、理解のある企業に就職できたり理解のある組織や団体と契約できたりした場合には、健常者では考えられないようなスケールで才能を発揮することがある。ただ、海外の先進国では凹凸の凸の部分を伸ばすための特別教育が実施されているのですが、日本ではその考えは根づいていない。凹(おう)の部分をサポートしながら長所を伸ばしていく 。そんな教育体制が望まれます』●さらなる多様性と共生重視の教育をいかがでしょうか。絵を描くことが大好きだった筆者の3人の旧友たちはたまたま日本では珍しく“変わり者”に寛大な私立学校に通えたのでその才能を存分に伸ばすことができましたが、一般論としてはわが国の教育体制の中に発達障害の子がその長所をとことん伸ばせるような理念が根づいているとは言い難い ように思えます。それでも筆者は、日本の戦後教育はそれ以前の時代(戦前・戦中)と比べれば計り知れないくらい質が良くなり、発達障害の人への理解も進んだ“始めの一歩”ではあったであろうと思うのです。なぜならば、そうでなければアスペルガー症候群であることを公表している『いま、会いにゆきます』で有名な小説家の市川拓司さんやADHD(注意欠陥多動性障害)を告白しているバンド『SEKAI NO OWARI』のボーカリスト・Fukaseさんのような人たちが、発達障害のために何かと叩かれながらも周囲の友人たちの理解を糧に今日の成功を手にすることはなかった はずだからです。多様性を認めて共生するという考え方が戦前や戦中より教育現場において遥かに浸透していたからこそ、市川さんやFukaseさんの才能をわたしたちも楽しむことができるようになったのです。発達障害の人が天才へと育っていける環境は、さらなる多様性の重視、共生の理念の浸透にかかっているのだろうと思います。【参考リンク】・20.発達障害について | 仁和医院ホームページ()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)
2016年11月08日学校でのストレスが思わぬ方向で現れた息子。どうしよう…出典 : 小学校入学直後から「学校いかれへん!」となったショックで、まるで赤ちゃん返りしたかのように母親から離れられなくなった息子は、気に入らないことがあると、暴れるようになりました。「学校に行ってみようよ」「あかんで!」「お風呂に入ろう」「いらん!」「もう寝る時間だよ」「起きてる!」…何を言っても反抗、途方に暮れる日々が夏休みまで続きました。学校には付き添い通学で少しずつ慣れることにしましたが、ゼロ歳の妹の世話や家事もあり、日々を過ごすだけで精一杯です。少し気力があれば学習のフォロー、また2年生からの特別支援学級入級への手続きをしなければ…と、くたくたで笑顔も出ない状態でした。そんなとき、9月に家族と訪れた病院の待合室でふと目についたのが、花風社の『自閉っ子、こういう風にできてます!』という本でした。この本を見て、「もしかして、息子もこんなふうに世界を見てるのかも?」と思ったのを覚えています。児童精神科の医師に聞いてもはっきりと答えてもらえなかった、「自閉症スペクトラム」の世界観に触れ、その謎が初めて少し解けたように感じたのでした。私はそれから少しずつ、自閉症について気になることを、本で調べるようになりました。1冊の本が、息子とのコミュニケーションを変えてくれた出典 : 夢中になって読んだ本の1つが、『伸ばそう!コミュニケーション力―不器用でも、体力なくても、友だちいなくても、今日からできるワクワクトレーニング』(花風社)です。このを読んだとき、息子を観察してうっすら感じていた「言葉のやりとりも学習も、全て『身体が動くかどうか』がキモかもしれない」という思いを強くしました。中でも「ボールの投げ合いっこ」という遊びにピンときました。私はさっそく息子と試すことに。「投げるでー、取ってや!」と声をかけて、投げてみました。すると、反抗的だった息子がこちらを向いて取ってくれたのです。今度は「お母さんに向かって投げ返して。」と言うと投げ返してくれました。息子と向き合えている、考えるより先に体が動いてる、いいかも!と直感で思いました。だんだん慣れてきたら「今から100回、投げ合いっこしよう」と伝え、始まりと終わりをくっきりさせました。狙いはコミュニケーション力で、ボール投げの上達ではありません。「お母さんがつかみやすいように投げ返してね。」こちらも子どもの真正面に、とりやすい球を投げるようにしました。このように、「やりとりする経験」がただただ楽しくて、夢中で積み重ねられる。遊び×スポーツにこんな力があったのかと、目からうろこでした。まずは「楽しさ」を大事に!ってことであんなモノもこんなモノも投げてみる出典 : ボール投げで使うのは、ボールだけではありません。投げるものはその時々で決めます。百円ショップのボール、ビーチボール、タオル、赤ちゃん用のやわらかい布のボール、ムササビのぬいぐるみ、紙飛行機というときもあります。いろいろ面白がって投げてるうちに、「次はこれ」と、息子自身が自分でボールを決められるようになってきました。テレビを見るのをやめてほしいな、宿題をやってほしいなというときも、とりあえず投げてみる。まずは楽しく、注意をこちらに向ける。それから話をすると、少しこちらの話を聞いてくれるようです。小3の現在、ペットボトルをバットに見立てて打ち返すことを思いつき、やってみるようになりました。うまくできなくてもパニックにならずに「次投げて!」と言えるようになった息子。クラスメートとのチームプレーにはまだまだほど遠いですが、コミュニケーション力は伸びてきていると感じています。コミュニケーション力がついてきたら、いろいろな力が伸びてきて…出典 : 九九の暗唱の宿題も、キャッチボールを組み合わせ、交互に言いながら投げ合いっこをする、というスタイルにアレンジ。これは大人も脳トレになります。他のアプローチもいろいろ試したので、これだけのおかげとは言えませんが、だんだん本も読めるようになりました。おそらく眼球コントロールに慣れたのだと思います。以前は読み飛ばしが多く、意味が理解できずイライラしていたのですが、正直ここまで成長するとは、想像できませんでした。また、1度だけ怒りながら投げ合いっこしたこともあります。その日はどうしても私の気持ちが収まらないことがありました。一緒に遊んで切り替えようと思ったものの、やはり言いたいことを言わずにはいられなかったのです。私:「どんなに嫌なことがあっても、暴れれば『やらなくて済む』って思ったら、間違いだからね!」と思いっきり強いボールをなげます。息子:「アタマではわかってるけど無理やねん」ボールが返ってきました。私:「それでも自分で自分を止められるようにならなきゃ」とまたバシッ。半泣きになりながら全力で投げ返す息子。ずいぶん強い球を受けられるようになったな、叱ってるのに褒めたくなった、不思議な時間でした。身体を使ったコミュニケーションは、親子だけのものじゃない出典 : キャッチボールを通じて、息子と少しずつコミュニケーションが図れるようになってきた私は、進級時に新しく担任になった先生にもこのことを伝えました。「時間のあるときに、息子とボール遊びしてもらえませんか?言葉じゃなく身体で感じるほうが、ぐっと関係を結びやすいタイプです」と。その後、ゴム縄くぐり、片足立ち、押し相撲など他の遊びも、思い立ったらすぐ、いろいろやるようになりました。遊ぶときは親も本気で競います。お互い運動音痴なので、笑えます。できないこと、困ることはまだまだたくさんありますが、1つひとつ積み上げていけばなんとかなるかも。難しいボールが取れた時の息子の「どや顔」を見ていたら、そんな気がしてきます。
2016年11月08日中学生のADHD息子との朝は、いつも闘い!Upload By かなしろにゃんこ。毎朝アニメキャラの髪型のような、派手な寝ぐせのあるADHDの息子。不器用なので、寝ぐせ直しのスプレーや櫛を使って上手に寝ぐせを直すことがもともと苦手なのですが、息子は寝ぐせの場所を教えてあげても直そうとはしません。「身だしなみ」が面倒くさくてたまらないようなのです。ヒゲも生える年頃ですから、身だしなみを気にして欲しい親心から口うるさく言ってしまいますが反抗期の誰にも指図されたくない気持ちと重なって注意すると過剰に反抗してきます。息子流!?身だしなみに対する考え方は…Upload By かなしろにゃんこ。集団生活では、周りに不快感を与えないための身だしなみもマナーだと伝えると、「学校に行くだけで、そんなの関係なくね?」「見た目がよくないだけで文句を言うヤツのほうが悪い」「そんな小さいことにこだわっていたくない」と、あぁ言えばこう言う…言っても言っても聞き入れてもらえませんでした。高校生になると、色気が出てきたのか!? 徐々に自分から格好を気にするようになりましたが、オシャレ度はまだまだな息子なのでした。
2016年11月08日自分の物を使われると激しく怒る娘。それは食卓の座席ですら許されない!出典 : わが家には8歳の娘と6歳の息子がいます。共に自閉症スペクトラムの診断が下りていますが、娘はアスペルガー、息子はAHDHの傾向が強く、そのタイプは全く違います。娘と息子の関係は、最近とても良好になってきました。両極思考の激しい娘が、今まで「敵」に分類していた息子を「味方」に入れてくれたことで、家の中に2人の笑い声が響くようになったのです。もちろん、お互い余裕がない時には罵り合い、ケンカになる事もあります。その中でも、娘の口からよく飛び出すのが「お姉ちゃんの物に触らないで!!!」という言葉です。例えば娘が勉強している最中、息子が食卓の娘の座席にちょっと腰をかけたときなどは、その瞬間に「そこはお姉ちゃんの席!自分の席に座ってちょうだい!」と怒りモードに突入してしまうのです。娘の怒りの対象は息子だけでなく、母親である私以外の人物が娘の物を使用したときに、強いストレスを感じます。「これ使わせてね」ときちんと断りを入れてからだと、何とか許そうとはするのですが、「いいよ」と答える時の娘の顔はひどく歪んでいます。「今使っていないんだからいいでしょ?」と諭してみますが、「そういう問題じゃない」という答えが返ってきます。どうして自分の物に他人が触れるということに、そこまでストレスを感じるのでしょうか?思考回路がそっくりな私と娘。そして、思い当たった2つの答え出典 : ちなみに、私と娘は思考回路がそっくりで、なにか物事が起こった時に、同時に同じ言葉を発することがよくあります。そこでまず私が、自分の物を他人に使われて猛烈に嫌だと感じるのはどんな時なのか?、想像してみました。思いついた答えは2つありました。出典 : まず1つ目は、物に対する思い入れが強すぎるということです。私も娘も色に対するこだわりが強いので、全く同じものでも色が違うだけで、その物の扱いが変わってきます。例えば色違いの毛布が2枚あるとします。気に入った色の毛布に包まれると、それだけでとても幸せな気分になりますが、気にいらない色の毛布は、包まれることを想像するだけでとても居心地が悪く、手に取ろうとも思いません。両極思考が激しいので例え同じ毛布でも、色によって大切な宝物になるか?どうでもいい存在になるのか?が、決まってきます。そして宝物となった毛布は、それが目に入るだけで自分を幸せにしてくれる大切な存在となるのです。娘にとって、その気持ちを理解してくれるのは思考回路が似た私だけであり、自分と同じように大切に毛布を扱ってくれる母親に使われるのは構わないようです。しかし自分と同じように、大切に毛布を扱ってくれない他人に手を伸ばされるのは、とても心配なことなのだと思います。出典 : 警戒心が強く、嗅覚過敏も合わせ持つ娘。大切な毛布が元の状態で返してもらえるのか、汚れたり傷つけられたりしないか、いつもと違う匂いがついてしまわないか、常に見張っていなければなりません。色にこだわりのない人からは「どっちでも一緒でしょ」とよく言われますが、私たちにとっては雲泥の差があるのです。毛布の例を挙げましたが、私と娘は、家にある全ての物にこの「大切な宝物」か「どうでもいいもの」なのかの判定を行っています。色、形、匂い、思い出…。様々な要素が判定材料となり、他人に触れられたくない「大切な宝物」は山のように存在します。私は子育てをしているうちに、自分のことより子ども優先の生活になったので、最近マシになりましたが、娘は宝物に囲まれて幸せな反面、常にそれが壊されないか気にかけなければならず、苦しいだろうな…と思います。出典 : つ目に、自分の安全地帯を他人に侵されたくない、という気持ちがあります。警戒心が強いタイプの私は、ここなら大丈夫という「安全地帯」を常に探して生きているような気がします。例えば、ショッピングモールでトイレに行く必要があったとき。特にこだわりのない方なら、1番近いトイレに入り、その時に空いている個室を何のためらいもなく使われることでしょう。しかし、私にとっては1度利用した経験のあるトイレこそが安全地帯で、その他のトイレはよくわからない不安に満ちた場所です。よほどのことがない限り、いつも決まった場所のトイレに足を運び、右から何番目の個室を使う、というのも決まっています。当たり前のことですが外とは違い、自分の家というのは全て知った場所、全て使ったことのある物ばかりなので、私の人生の中で最大の安全地帯です。私も娘も極力外出を避ける傾向にありますが、それは安全地帯である家の中で過ごすことで、未知の場所に対するストレスに左右されず、のびのびと息ができるからだと思います。出典 : 家の中でも、「自分の場所」「自分の物」というのはきちんと決まっています。お風呂上りに使うバスタオルも家族で色分けしてありますので、洗濯が追いつかずに誰かのものを使わなければならないときは、それが例え大切なわが子のタオルであっても、かなり躊躇します。自分がいつも座っている定位置というのは、家の中でもとりわけ安心できる場所です。そこから見える景色、その椅子に座った感触、右側にあるもの、左側にあるもの、全てをきちんと把握してあるからです。私と娘にとっては大切な「安全地帯」ですが、夫や息子にはもちろんその境界線が見えるはずもなく、「今は使っていないのだから構わないだろう」とあっさり侵略してきます。大切な安心できる場所が誰かに荒らされている(ように私たちの目には映る)のを見た瞬間、やはり大きなストレスがかかり、怒りに直結してしまうのだと思います。2つの理由は娘にも当てはまっていた。では、どうすればその辛さは楽になるのだろう?出典 : 理由に見当がついたところで、さりげなく娘に「こんな風に思うことある?」と、私が思いつく2つの理由を例に出し、聞いてみました。すると娘は「よくぞわかってくれた!やっぱりママは私の唯一の理解者だ!」と満面の笑顔でしたが、このままでは周りも娘自身も生き辛く感じることでしょう。長時間一緒にいる家族だからこそ、理解し合い、譲り合って過ごせたら、お互いが楽になるはずです。まずは私が架け橋となり、息子には「これはお姉ちゃんが大切にしているものだから、触らないようにしようね」と、どれがお姉ちゃんにとっての宝物なのかを教えるようにしています。他人の感情をくみ取るのが苦手な息子にとっても、一番身近なお姉ちゃんの感情を学ぶことはとても良い経験になってくれると思います。いずれは人と共有できるように…出典 : そして娘には、●この感覚は、皆が持っているわけではないということ●物を大切にし過ぎるあまり、大切な人を傷つけてしまわないようにすること●「これは私にとってとても大切なもの」と自分で他人に伝えられるようになれればいいことを話している最中です。これから少しずつ娘が許容範囲を広げ、自分の「安全地帯」に誰かを招き入れることができるように、「ここは絶対に人を入れたくない場所」を1つに絞り、皆と共有できる場所を増やせるよう、工夫を重ねていきたいと思います。
2016年11月08日小学生になると出される宿題。一体何のためにやるもの?出典 : みなさんは「宿題」と聞くとどんなイメージを抱きますか?嬉しいもの?イヤなもの?イヤだけどやらなくちゃいけない?我が家は長男の宿題に本当に悩まされました。嫌がる子どもに、無理に取り組ませる宿題。そのたびに子どもも親もヘトヘトになると、「一体何のためにここまでしなくてはいけないのだろう…」と思うことも。今回は1冊の本をご紹介しながら、子どもに合った家庭学習のありかたについて、考えてみたいと思います。現在小5の長男は、読み・書き・計算に困難さを持った「学習障害」と診断を受けています。それでも就学相談の時点では、IQが平均以上ということ、言語性が高くおしゃべりが達者だったことなどから、普通級への就学を勧められ入学しました。学校では、音読や漢字の書き取り練習、計算の宿題が毎日出されます。読み書きと計算が苦手な長男は宿題を前にするたび大泣きし、自分の頭を自分で叩きながら取り組んでいました。このように、私たち親子が学校生活の中で1番苦しんだのが、宿題だったのです。親の思い込みが、子どもを追い詰めていた出典 : このままではいけない…と思った私はその後、就学相談や担任の先生と相談をしたり、通級学級に入級したり、宿題の量を減らしてもらったりなどの対策を取りましたが、状況は一向に変わりませんでした。当時の私は、「宿題はみんなしなくてはいけないものなのだ。」と考えていました。担任の先生からも「量は減らしていいので、みんなと同じものをやってください。」と言われたこともあり、「みんなはもっとやってるんだよ、減らしてもらったのだからわがまま言わずにがんばりなさい!」と、大泣きする長男叱り、やらせていたのです。しかし、心の中ではずっと思っていました。音読や漢字の書き取り・計算は本当に彼にとって、毎日しなくてはならないものなのだろうか?もっと、彼に合ったやり方、彼に合った課題や目標でもいいんじゃないだろうか…?と。そんなとき出会った運命の本。私たち親子を救ったその内容とは…出典 : そんなとき、出会ったのが『宿題なんかこわくない』という本でした。『この世から宿題がなくなったら、親も子もどんなに楽しい時間を過ごせるだろう。宿題が引き起こす親子バトルの相談を受けるたびに思います。勉強が子どものストレスでなく、楽しいものにするために、我が子に合った方法をこの本から手に入れてください。』(NPO法人福祉広場理事長池添素さん)図書館で手に取った1冊の本。その裏表紙にあったこの一文に、理解者をやっと見つけたような救われた気持ちになりました。本に教わったのは「子どものための」学習のありかた出典 : 私はすがる思いでこの本を読み込みました。内容を一部ご紹介します。『宿題ができないからといって、その子が怠けているとは限りません。宿題ができないのには、理由があります。そして宿題ができなくても、勉強がまったくできないわけではありません。宿題のことを、そんなに重大に考えないでください。』『苦労して宿題をさせても、それに見合うほどの学習効果があるわけではないし、苦しいイメージばかりが増えて、子どもをますます勉強から遠ざけてしまうことさえあります。』では、なぜ先生は宿題を出すのでしょうか。『お母様方は先生に当然の要求のように「学力をつけてください」とお願いします。(中略)先生もまた「学校としての成績を上げよ」と教育委員会や校長から命令されて、さらに宿題を課していきます。その結果、親も先生も「宿題をやらなければならない」と子どもを追い込んでしまうのです。』本来なら、子どものために、子どもに合わせて用意されるべき家庭学習が、大人の都合で「宿題」として出されているのかもしれませんね。出典 : もしそうなら、子どもに合わせた形で用意してあげてもいいのではないでしょうか?この本では、学校でよく出されている漢字/計算/音読の宿題について、子どもたちが苦手意識を持つのはなぜか?を、丁寧に解説しています。そして、学習のやり方次第で、子どもたちが「できた!」という満足感を持ち、学習効果をあげることができる、ということも教えています。さらに、「学習障害的な傾向の子どもたち」「ADHD的な傾向の子どもたち」「自閉症スペクトラム障害の子どもたち」それぞれの特性に合わせた課題の設定の仕方、支援の方法も説明されています。『勉強をその子ができる形にしてやることで、子どもは自然に力を伸ばすことができます。また、時期がくれば自然と力を伸ばすこともあります。だから、子どもを勉強に合わせるのではなく、勉強を子どもに合わせてやればよいのです。小学校に入学し、気を張って1日を過ごして帰ってきた子どもに追い打ちをかけるのではなく、家に帰ったらほっこりさせてやりたい。だから、まずは「宿題なんかできなくても大丈夫」と考えてあげてほしいのです。』宿題への考え方を変え、長男に合った方法を試すことに。すると大きな変化が出典 : この本に勇気付けられた私は、宿題に対する考え方を変えました。そして、教育相談や検査機関の医師と相談を重ねた結果、長男に合う学習方法や環境を見つけることができたのです。その様子については、以下の記事をご参照下さい。その後、特別支援学級へ転学した長男は、彼のペースに合わせた学習を用意してもらい、自信をもって毎日取り組んでいるようです。宿題についても、担任の先生と相談をして「タブレット学習」「漢字の読みカード」「ビジョントレーニング」をさせてもらっています。始めるときも以前のように大泣きせず、「おやつの前にさっさとやっちゃうね~!」と、自分から取りかかるようになりました。当時は長男に無理をさせてしまいましたが、努力ではカバーしきれないことを無理にさせるのは、足が不自由な人に「みんなは100メートル走なのに、あなたは50メートルにしてもらったのだから、がんばってみんなと同じように走りなさい!」と言っているのと同じことなのだと、今は反省しています。「子どもを勉強に合わせるのではなく、勉強を子どもに合わせてやればよい」それがこれほどの効果をあげるとは、正直驚くほどです。もちろんそのためには「学校に全部おまかせ」ではなく、「先生とよく相談をする」「家庭で用意できることは用意する」といった、家庭での努力も必要です。学校では、大勢のそれぞれ個性の違った子どもたちをまとめながら、先生方は日々努力して下さっています。そのことに感謝をしながら、自分の子どもに合った学習方法や支援について相談・お願いをしていく姿勢が大切だと思います。親として大切にしたいのは、子どもの頑張りを理解すること出典 : 先日、私のブログでこの本の紹介をしたところ、あるお母さんからこんな嬉しいコメントを頂きました。「宿題なんかこわくない。今読んでます!息子の事をわかりたいと思っていても、やはりどこかで自分基準でしかわかってあげられてないなぁ~と、つくづく感じます。今日もなんやかんやありましたが、なんだかとても息子が愛おしい!息子はこんな風に生活してるんだ!と抱きしめてあげたい気持ちになりました。素敵な本を、紹介していただき、ありがとうございます!」子どもなりに頑張っていることに気が付くことで、愛おしさが募ってくることってありますよね。たくさんの親子が、毎日をストレスなく楽しく過ごせるように。この本が、その助けとなることを祈ります。
2016年11月07日4月からの就学先、親子の願い通り特別支援級に決定!でも周りの反応は…出典 : 我が家の娘は来年から小学生になります。就学先を決める就学相談の結果、「特別支援学級固定制が望ましい」との判定を受け取りました。娘はもともと、「人が少ないクラスがいい」と強く希望していました。私は娘の兄が過ごしていた通常学級を例に出しながら、・支援学級は、通常学級とは違った形の少人数のクラスだということ・支援学級でも、通常学級で一緒に過ごす機会などもあることなどを何度も聞かせ、意思の確認を行っていました。希望通りの結果になり、娘もホッとした様子でした。しかし私たちが喜んでいる一方で、特別支援学級へ就学になったことを周囲の人に伝えると、中には「え?!そうなの…(お気の毒に)」といった感じの反応をもらうことが何度かありました。どうも「特別支援学級に行く」ということは、「みんなと一緒では勉強についていけないかわいそうな子」というイメージでとらえられているようです。特に娘の場合は、「そんな風には見えないのにそれまた何で?」「やっていけそうなのに、どうしてわざわざそんな所に入れるの?」と疑問に思われているようでした。確かに一見すると問題なさそうに見える娘。でも本人に希望を聞いてみると出典 : 確かに娘は一見何の問題も「無さそうに見える」タイプかもしれません。発達検査の数字を見ると、大きな凸凹がありますが総合値は107と知的能力は平均的です。生活面も自分のことは自分でそれなりにできていますし、問題がないというよりむしろしっかりしているように見えます。たぶん、就学相談で私が特に何も言わなければ、通常学級への就学が決まっていたことでしょう。でも、そんな娘に、どんな学校に行きたいか聞いたときのことです。私「どんな学校がいい?」娘「人が少なくて、静かな学校がいい。」私「どうして人が少ないほうがいいの?」娘「だって、うるさいと疲れるでしょ?それに、お友達がいっぱいだったら困っても先生に言えない。」私「そうなんだねー。あと、先生が『〇〇してください。』って言ったときはどうかな?言われたとおりにできそう?」娘「んー。私は言われたことと違うことをしたり、何を言われたか分からなかったりするでしょ?いっぱい人がいたら教えてもらえなくて嫌だ。…ねえママ、いっぱいって何人くらい?幼稚園のクラスより多いの?」私「30人とか、35人とかかな?今のクラスより多いねぇ。」娘「人が少ないクラスは?」私「多くても多分8人くらいかな。」娘「8人!?そんなら絶対少ないクラスの方がいい!」迷いがなかったわけではない。それでも「娘を支援級に」と考えた理由出典 : 娘は、自分が大勢の中にいるとき、時には一対一でも指示が受け取りにくいことやうるさいのが苦手なことなど、自分がどんなことに困っているのかを幼いながらも自覚していたのです。私はそんな娘を頼もしく思いましたし、こうして一緒に確認することができたのは、私が支援級を希望する大きな動機にもなりました。私はそんな彼女が出来るだけ楽しく、心を壊すことなく通学できるということを最優先に考えました。そして娘が個性を持ったまま伸び伸びと成長するためには、通常級は厳しい環境になるというのが私の結論でした。娘は独特な感性を持っていると同時に、とても繊細な一面があります。ちょっとユニークな彼女が周りに溶け込めなかったとき、その自覚と感情などが言葉に繋がって、私に伝えられるようになったときはもう傷は相当深いものになることや、ちょっとしたことが二次障害に直結するだろうということは、私も主治医も予想するに難くありません。もちろん私も決して迷いがなかったわけではありません。「考えすぎかも」「過保護で心配性すぎかしら」と思ったこともありました。支援級だと送り迎えが必要だったり、自立活動などの時間が入るため勉強が遅れがちになるであろうことや、中学でも支援級だと内申がつかない可能性なども耳にします。それでも私が「娘を支援級に入れたい」と思ったのは、そこが娘にとって一番居心地のいい環境だと考えたからです。大切なのは、「子どもにとって」一番過ごしやすく、能力を最大限発揮できる環境を選択するということだと思います。子どもにとって過ごしやすい環境であれば、それだけトラブルや問題を回避することができ、親のストレスもそのぶん減らせるのではないでしょうか。支援級や支援学校に入ることは、本当に「かわいそうなこと」なのだろうか?出典 : おそらく私と同じように色々な心配をし、さまざまな葛藤や思いの中をグルグルと彷徨いながら、たくさんの考えを経て就学や進路を決めている保護者の方はたくさんいると思います。これだけの思いを経て出した選択なのに、「支援級」や「通級」「支援学校」などに通うことは本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか?残念ながら、周囲の方々の中には「支援級」「通級」というものをご存じない方や、正しく理解していない方もまだまだ多数いらっしゃるかと思います。私も、私の親世代の方にはなかなかどういうものかを伝えることができず、最終的に「昔でいう障害児学級みたいなものだよ。」と説明したことがあります。でもそうすると「この子たちは『障害児』ではないでしょう?昔はこんな子いっぱいクラスにいたのに…」などとまた一から堂々巡りの説明に疲れてしまいました。他にも、その必要性を感じていながら我が子を支援学級や支援学校にへ入れることをためらい、家族の理解も得られず、ひとり我が子や学校と向き合い続けてる方もいらっしゃるでしょう。私のように周りの反応にモヤモヤしてしまったり、凹むこともあるかもしれません。ですが、それぞれに考え抜いて出した結論に、自信を持って良いと思うのです。私たちの結論や期待に十分沿えることができる教育環境であって欲しいのはもちろん、通級・支援級・支援学校に対する正しい理解や認識が広まり、子どもたちが、そしてその親たちが何の引っかかりもなく当たり前の選択としてそれらを選べる社会であってほしいと思います。
2016年11月06日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト