「LGBT」という言葉を聞くことが増えたり、ジェンダーレスな人たちの活躍を目にしたりする機会が増えていませんか?「性の多様性」とはいうけれど、子どもたちにどうやって教えてあげればいいのか、悩んでいる人は多いのではないでしょうか?今回は、長崎県人権・同和対策課が発行する「多様な性への理解と対応 ハンドブック」を元に、親だからこそ知っておきたい性の多様性について、考えてみたいと思います。■性の多様性って?一般的に「性別」とは生まれ持っての性差を指します。「性別」では、男性か女性の2択だけですが、現代には、「性のあり方」を理解するために必須な3つの要素をご紹介します。<性のあり方を理解するための3つの要素>からだの性別:からだ(出生届・戸籍)の性性的指向:どういった対象を好きになるか?性自認:自分の性別をどう捉えているのか?これらの要素の組み合わせによって、さまざまなセクシュアリティが存在します。その他にも、性自認や性的指向がはっきりしない人、決めたくない人、女性とも男性とも認識していない人など、さまざまな性のあり方が存在します。この3つの要素を元に考えてみると、自分の性に違和感がない人や異性を好きになる人といった多数派の人もまた、多様な性の当事者であることがわかります。「多数派か少数派か」という2択ではなく、みなが多様な性の当事者だという事実を一人ひとりが受け止めていくことから「多様性」について考えてみるといいかもしれません。■性的少数者はどんな悩みを抱えているの?2020年に電通が行った調査(※1)によると、性的少数者は日本のなかでは8.9%という結果に。その他の調査でもおおむね10%程度の結果が多く(※)、およそ10人に1人が性的少数者であることがわかります。※国や民間の研究機関などによる統計データは、その数にばらつきがあり、はっきりしていません。2019年に長崎県が実施したアンケートから、人数の少なさや偏見、理解のなさから、生きづらさを抱えている人の実態が明らかになりました。アンケートに回答いただいたのは、トランスジェンダー85名(*1)、非異性愛者168名(*2)、性別違和感のない異性愛者435名、性的少数者 253名で、回答者は688名になります。*1トランスジェンダーの中には、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル等の性的指向の方もいますが、この調査では、そのような方も含めてトランスジェンダーに分類しています。*2本アンケートにおいて、性別違和感がなく、異性愛者以外の性別指向を選択された方このアンケートの結果によると、トランスジェンダーで43.5%、非異性愛者では45.8%の方が、「性的少数者であることが要因で暴力などを受けた経験がない」と答えています。逆をいえば半数以上の回答者は暴力などのつらい経験をしていることになり、その割合の高さには驚かされます。また、6割以上の方が、「学校の同級生・先輩・後輩など」から暴力などを受けたとしています。そして一番の理解者であってほしい家族である「父母」からの暴力などが3番目に高く、つらい現状がうかがえます。さらに、「死んでしまいたいと思ったことがある」と回答した人が、トランスジェンダーで61.2%、非異性愛者で51.8%にも上り、続いて多かったのは、「将来に希望を持つことができない」という回答でした。性的少数者であるという事実だけが影響したかどうかははっきりしませんが、この数値は非常に高く感じられます。性的少数者の人たちが抱える苦悩の一端が読み取れます。■覚えておきたい心構え3つ親としては、子どもにそうした様子が見られた場合も想定した対応の仕方として、リーフレットでは3つのアドバイスが送られています。【大切にしたいこと】●肯定的な言葉を使う●カミングアウトを肯定的に受け止める●アウティング(他言)しない具体的にどのようにすればいいのでしょうか?▼肯定的な言葉を使う性自認や性的指向を表現する言葉が多くある中で、中には性的少数者が不快に感じてしまう否定的な言葉もあります。<差別用語の代表例>「普通の人」や「ホモ」、「オカマ」、「オネエ」、「レズ」、「オナベ」、「ニューハーフ」<肯定的な言葉>「レズビアン」、「ゲイ」、「バイセクシャル」、「トランスジェンダー」これまで意識せずに使ってきた言葉には、その気がなくても相手を傷つけてしまう可能性があります。こういった情報をきちんと自分の中で取り入れていくことの必要性がわかります。▼カミングアウトを肯定的に受け止める自身の性自認や性的指向を他の人に打ち明けることを「カミングアウト」といいます。カミングアウトは大変勇気がいるため、信頼している相手だからできる場合が多いようです。だからこそ、もしカミングアウトされたら、肯定的に受け止めてあげましょう。▼アウティング(他言)しない「アウティング」とは、他人の性自認や性的指向を本人の許可を取らずに他の人に話すことをいいます。当事者が意図しないところで、個人のセクシュアリティが知られてしまうと、当事者が傷つき、精神的に追い込まれてしまう可能性もあります。SNSなどでの発信にも十分に注意したいですね。ここまで、性の多様性について、長崎県が発行したリーフレットを元に学んできました。性的少数者の中には、幼少期に学校や家庭の中で理解してもらえず、つらい思いをした人が多くいることもわかりました。性的少数者が自分の性別に違和感を自覚しはじめる時期については、56.6%が「小学校入学以前」だというデータ(※2)もあり、幼い頃から自らの性について思い悩んでいる子どもが多いことがわかります。そうした子どもたちに対して、周囲の大人がどのように受け止めるかは、その子どもの将来にも大きく影響してくるといえそうです。また、子どもに正しい知識と対応方法を教えてあげることで、子ども自身にも差別意識がなくなり、多様な性を柔軟に受け止められることにつながります。まずは親が知識を身につけ、子どもたちにも伝えていくことで、多様な性が当たり前の社会を、軽やかに進んでいってくれることでしょう。【多様な性への理解と対応 ハンドブックとは】長崎県では、多様な性のあり方への理解を深める一環として、県内の性的少数者支援団体「Take it! 虹」(ていく いっと にぃじぃ)と協働して、性の多様性に関する正しい知識や対応などについて、わかりやすく解説したハンドブックを作成。このハンドブックは「令和2年度人権啓発資料法務大臣表彰」の「出版物部門」において「優秀賞」を受賞。長崎県: 「LGBT等(性的少数者)について正しい理解をしましょう」 ※1.データ参照元:電通ウェブサイト 「電通、「LGBTQ+調査2020」を実施」 ※2.データ参照元:公益社団法人 日本小児保健協会 「性同一性障害と思春期」/中塚幹也
2021年11月05日多様性やLGBTについて知ったり、考えるきっかけとなる絵本を親子で読んでみたりするのははいかが? 言葉で説明するのは難しいテーマだけど、絵本でなら子どもが楽しく読みながら学べて、そして考えることができるはず。絵本を紹介してくれたのは、モデルで絵本ソムリエのアンヌさん。多様性とLGBTの内容がスッと入ってくるストーリーと、可愛い絵で描かれているものをそれぞれ4冊ずつピックアップ。親子でぜひ読んでみて。<contents>#01多様性がテーマの絵本4選#02LGBTがテーマの絵本4選多様性がテーマの絵本 #01世界には自分と違う見た目や価値観を持つ人がいっぱいいる!『せかいのひとびと』 世界中の人々の肌や目の色などの見た目のほか、価値観や文化など、それぞれの違いがひと目でわかる絵がたくさん描かれた絵本。子どもに限らず私たちは日常のなかで、よりたくさん目に触れたものを“常識”として認識してしまいがち。例えば、肌の色は黄色で、目の色は黒色、足は2本で、指は5本であること。それ以外は、無意識に“変わっている”と捉えてしまったり……。こちらの絵本を読み、世界を見渡してみると、みんなに違いがあること、そしてそれがおかしなことじゃないということに改めて気づかされる。子どもたちにとっての常識が広がるきっかけになるはず!アンヌさんのコメント「世界には数えられないほどの違いがあるとわかる図鑑のような絵本。鼻も、髪型も、遊び方も、信じてる神様だってそれぞれです。この多様な世界に生きることがどれほど素敵か。説得力のある言葉と繊細な絵で描かれたロングセラー」『せかいのひとびと』作:ピーター・スピアー、訳:松川 真弓(評論社)対象年齢:6歳くらいから多様性がテーマの絵本 #02同じ仲間でもそれぞれ個性がある!『みんな おなじ でも みんな ちがう』 ソラマメ、たまご、サクランボなど、同じ種類の動植物が、見開き2ページにたくさん並べられている絵本。並べられているから、同じ種類でもみんな見ためがちょっとずつ違うことに気づくはず。親子でそれぞれの違いを見つけながら、楽しく読んでみてはいかが? 人間だって同じ種類の生き物だけどそれぞれ違いがある、ということを親子で話し合いたい。アンヌさんのコメント「多様性がひと目でわかる、なるほど納得のユニークで奥の深い写真絵本。アサリの貝殻でも、ひまわりの種でも、うずらの卵でも、みんなそれぞれ大きさや柄があって違う。考えさせられます。同じということ、違うということについて」『みんな おなじ でも みんな ちがう』文:奥井一満、写真:得能通弘、AD:小西啓介(福音館書店)対象年齢:4歳から多様性がテーマの絵本 #03メガネも歯ぬけも髪がなくてもみんな個性!『ええやん そのままで』 車いすの子や盲導犬を連れている子、髪の毛がない子などがカラフルな絵で描かれており、それぞれの個性に対して「ええやん そのままで」と関西弁で肯定していく絵本。自分や他人の個性を認めることを楽しく学べる。アンヌさんのコメント「『ええやん』という関西の言葉で訳されたリズミカルな励まし。小さくたって、メガネだって、たまにはお風呂でランチしたって……。自分の個性、多様な他者を温かみとおかしみで包み込んでくれるような作品。子どもも大人もきっと自分と周りが好きになります」『ええやんそのままで』作:トッド・パール、訳:つだゆうこ(エルくらぶ)対象年齢:3歳から多様性がテーマの絵本 #04個性に悩むカメレオンの姿が描かれたストーリー『じぶんだけのいろ』 動物にはたいてい決まった肌の色があるけれど、カメレオンは行く先々で変化する。こちらの絵本では、決まった肌の色がないカメレオンが、みんなと違うということに悩んでいる姿が描かれる。カメレオンの気持ちを親子で考えながら読んでみてはいかが? 内容はもちろん、アートのようなおしゃれな絵で飾りたくなる1冊。アンヌさんのコメント「オウムは緑。ブタは桃色。みんなは自分の色があるのに、カメレオンは行く先々で色が変わります。そのことになげいていると、目の前にもう1匹のカメレオンが! 自分らしさって、なに? みんなそれぞれでいいんじゃない? 絵のタッチも魅力的な作品」『じぶんだけのいろ』作:レオ・レオニ、訳:谷川 俊太郎(好学社)対象年齢:特になしLGBTがテーマの絵本 #01王子様と王子様の恋愛ストーリー『王さまと王さま』 < 王子様が王子様に恋をして結婚する >というストーリーが描かれる。こちらの絵本の1番の見どころは、王子様同士の結婚を、王女様などの周りの人間が驚くことなく受け入れている様子まで描かれているということ。子どもたちがこれを読めば、男性同士が結婚することも“普通のことなんだ”と認識できるはず。アンヌさんのコメント「王子様と王子様が一緒になる昔話スタイルのお話だってあるべきです。何も驚くことはありません。そんなテンションの語り口と、多様性を尊重する内容はとても現代的。そしてデッサンとコラージュを用いた絵もおしゃれで見入ってしまいます! 」『王さまと王さま』作:リンダ・ハーン、スターン・ナイランド、訳:アンドレア・ゲルマー・眞野 豊(ポット出版)対象年齢:特になしLGBTがテーマの絵本 #02パパがふたりの家庭は変なことじゃない!『マチルダとふたりのパパ』 こちらの絵本の主人公、マチルダにはパパがふたり。その事実を知ったマチルダのお友達は、< ふたりもパパがいるマチルダのお家はきっとおもしろいことがいっぱいあるはず >と思い、ワクワクしながらマチルダのお家へ。でも、行ってみてガッカリ……。それは自分のお家と全く変わらない暮らしをしていたから。さまざまなカタチの家族があるということを、ストーリーを通して知ることができる絵本。アンヌさんのコメント「パールはマチルダと友達になりました。ある日、招待されてお家に行ってみると、期待はずれの展開に。どんな家族もそれぞれだけど、同じように“普通”だと伝わるチャーミングな作品です。見返しの部分にもさまざまな家族構成の絵が」『マチルダとふたりのパパ』作:メル・エリオット、訳:三辺律子(岩崎書店)対象年齢:5才くらいからLGBTがテーマの絵本 #03家族の数だけ家族のカタチがある『いろいろいろんなかぞくのほん』 シングルファーザー&マザー、おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子などなど……。家族の数だけ家族のカタチがあるということを、チャーミングな絵とともに表現した絵本。いろいろな家族のカタチがあることを絵本を通して知ることができたら、家族のイメージが凝り固まることはなくなるはず。アンヌさんのコメント「私たちの周りをよく見てみると、実際にはいろいろな家族のカタチがあるんだと目を開かせてくれる作品。ママがふたりの家、パパだけの家、それに住む家も食べるものもさまざまです。たくさんの違いをユーモアたっぷりに映し出し、違うことへの抵抗がなくしてくれます」『いろいろいろんなかぞくのほん』文:メアリ・ホフマン、絵:ロス・アスクィス、訳:すぎもと えみ(少年写真新聞社)対象年齢:小学校低学年からLGBTがテーマの絵本 #04オス同士のペンギンたちが恋をし子どもを授かるためにしたこととは……『タンタンタンゴはパパふたり』 オスのペンギン同士が子育てをする様子が描かれた1冊。オス同士なので、もちろん妊娠することはできないけれど、飼育員さんがあることをしてふたりは子どもを授かることができる。男同士が恋愛をするだけでなく、子どもをつくる問題にまで踏み込んだ、ディープな内容をやさしいタッチの絵とやわらかい言葉で表現した絵本。アンヌさんのコメント「ニューヨークセントラルパークの動物園にはいろいろな家族がいます。とりわけ飼育員の目を引いたのが、仲よしのロイとシロ。2匹のオスペンギンもみんなと同じように巣をつくり……。実話に基づいた作品ですが、動物の世界にもこういうことがあるのだという驚きがあり、そして家族は多様だという認識が自然に育つ作品です」『タンタンタンゴはパパふたり』作:ジャスティン・リチャードソン、ピーター・パーネル、絵:ヘンリー・コール、訳:尾辻かな子、前田和男(ポット出版)対象年齢:特になし教えてくれた人Anne(アンヌ)さんモデル・絵本ソムリエ。1971年東京生まれ。14歳で渡仏、パリ第8大学映画科卒。 映画、エッセイ、旅、ワインなどのコラム等の執筆を手がける。出産を期に子供の発育と絵本の読み聞かせに関心を持ち、地域での読み聞かせボランティアとしても活動中。6歳の息子に読んで聞かせた本は793冊1202話。現在所持する絵本は約1000冊。
2021年08月31日つらい思いを抱えている人にーー『明日、学校へ行きたくない言葉にならない思いを抱える君へ』子どもの自死が一番多いのは夏休み明けの9月1日…この本はそんな「9月1日問題」から子どもたちの命を守るための取り組みのひとつ、ニコニコ生放送番組『明日、学校へ行きたくない』をもとに書籍化された本です。本書では、不登校、DV被害、いじめ、将来のことなど、当事者の子どもたちや保護者、かつてそうだった大人たちの投稿を元に、「こども六法」を出版し、法教育を通じたいじめ問題の解決を目指している山崎聡一郎さん、カウンセラーとして多くの人の悩みや不安を聞いてきた公認心理士、臨床心理士信田さよ子さん、脳と心の関係を探求し、子どもの脳の発達や個性を発揮する学びについて社会に発信している脳科学者茂木健一郎さんの三人の専門家とともに一緒に考え、語る形で進んでいきます。山崎さんの「まず生の声をていねいに聞いていきたい」という言葉通り、寄せられた投稿に対して解決方法を提示するだけではなく、ひとりひとりの声に真摯に耳を傾けて寄り添うようなアドバイスが印象的な本書。学校へ行きたくない、生きづらいなど、うまく言葉にできないモヤモヤにそっと寄り添う『居場所』になってくれそうな一冊です。発達障害のある子どもとゲームの関わり方を解説『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』ICTとはどんなもの?という基本的な説明から、発達障害のある子どもとICTの関係、子どもの特性別のネットやゲームとの関係、ICTと付き合っていくために必要不可欠なリテラシー問題などを詳しく解説しています。「ゲームがうまくいかず暴言を吐く」「スマホばかりで昼夜逆転、朝起きられない」など『わが子はゲーム依存?』と悩んでいる家庭が増えています。まずは大人が子どもの世界を知り、親子でICTとうまく付きあっていくきっかけを考えてみてはいかがでしょうか。「依存かな?」と思ったときに親ができること、適切な支援方法など、これから欠かせない存在となっていくICTを前向きにとらえていくための参考になりますので、子育て中の方、学校の先生、福祉関係者の方など様々な方に読んで頂きたい一冊です。その就職活動、「得意」を活かせてますか?『ちょっとしたコツでうまくいく!発達障害の人のための就活ハック』発達障害特性のある人は就職活動においてもその特性ゆえにうまくいかないことが往々にしてあります。この本には、発達障害のある人や働きづらさを抱えた人の就職活動を支援し、発達障害支援や障害者雇用に関わるセミナーやコンサルティングを多数手がけてきた、就職のプロたちが教える就職活動をうまく進める知識や工夫、『就活ハック』が詰まっています。自分の強み、発達特性を知るところから始まり、エントリー方法や見出しなみやマナー、面接の対策など就職活動の流れを表やイラストを使い分かりやすく説明。今急増しているオンライン面接についての対策も紹介されています。発達特性別の向いている仕事一覧などもあるので、特性の苦手をカバーしながら得意を活かせる『就職ハック』が見つかる一冊です。今日からすぐにチャレンジできる!『1日5分で運動能力と集中力が劇的アップ 5歳からの最新!キッズ・トレーニング』運動能力の発達は脳の発達にもつながると言われています。子どもにとって、基本的な運動は野球やサッカーなどのスポーツにつながる運動能力をアップさせるのはもちろん、脳を適度に刺激して集中力(学力)を上げることに役立ちます。子どもからトップアスリートまでの競技サポートをするトレーナーが紹介するキッズトレーニングは、身体感覚を育てる9つのパーツ別体操、全身を協調して動かす6つの運動感覚、運動能力を上げるための12の運動機会と段階別に紹介されているので、子どもの発達状態に合った体操を始めることができます。科学的な研究結果をベースに作られたトレーニング内容は未就学児~小学生のこどもにぴったり。簡単にできて、運動能力が伸びるコツが盛りだくさんです。すべてのワークは図解はもちろん、動画(QRコード)もついているのでとてもわかりやすく、今日からすぐにチャレンジできる一冊です。性への教育と介入を伝える『性の教育ユニバーサルデザイン 配慮を必要とする人への支援と対応』人の性体験には大きな自由度と多様性があります。この本では配慮を必要とする人たちへの支援と対応、教育などを解説しています。本書は4部に分かれており、1部は性体験の自由度と多様性を各世代の人々の語りを通して紹介する『いっぱいあってな』、2部は配慮を必要とする人たちが持っている知識の現状や教え方、教材などを使った実践方法などを紹介する『教育』、3部は男性、女性それぞれの性的逸脱行動の事例とその対応を解説した『介入』、そして4部ではLGBTの人との面接などで留意すべき事項を中心にその対応の道筋などを提示していく『LGBT』で構成されています。研修会や講習会などで、実際に保護者や教員のかたから受けた質問など、気になるけど聞きづらい性の問題に対する答えがたくさん詰まっています。従来の性に関する支援書とは一味も二味も違う、性の学習法と性への介入法、そのすべてを伝える一冊です。
2021年04月03日「女の子」の枠に入れられるのが嫌。でも、「男の子」になりたかったわけではない突然だが、私の戸籍上の性別は女性である。「何を今さら」と言われてしまいそうだが、私は長年この事実に違和感を抱いてきた。私が生まれた昭和50(1975)年は、今以上にジェンダーロール(性役割)が守るべきものとして扱われていた時代である。女の子はスカートを履くのが当たり前。現在では好んで履くこともあるが、物心ついた当時は、これが嫌で嫌で仕方なかった。股下がスースーするような履き心地が心もとないというのもあるが、「女性である」という枠に組み込まれてしまうようで、何だか恐ろしかったのだ。「女の子らしい」とされるレースや小花柄などは、視覚情報としてうるさく感じられ、避けていた。かといって、男の子になりたかったわけではない。私の髪は、元美容師である母の手によって常にショートカットにされていた。私から「長く伸ばしたい」と母に願い出たことも何度もあったが、「自分で手入れができるようになってからね」と聞き流されていた。なぜ娘の願い出をいつも退けていたのかと後年質問したところ、「ショートカットが可愛いと思っていたから」と答えた。嘘ではないだろうが、おそらく面倒だったのもあると私は思う。私には3歳上の兄がいて、今ではすっかり落ち着いた2児の父親だが、学童期は多動気味な少年だった。そんな息子を育てながら、こだわりの強い娘こと私の髪を毎日結ってから送り出すなんて、自分だったら泣きながら「勘弁してください」と願い出るだろう。ショートカットで装飾の少ないシャツやパンツという出で立ちに加え、痩せてはいたが、骨ばったごつい体格をしている私は、しょっちゅう男の子に間違われていた。保育園や小学校のクラスメイトからの「オトコオンナ」というからかいも、悪気ない大人から「坊ちゃん」などと呼ばれるのも、等しく不快に感じていた。なぜ服装や髪型から「男の子である」と決めつけられ、時にはからかいの対象として扱われなければならないのか。とても理不尽に思え、泣きながらその場を逃げ去ることもあった。「女性」の枠に入れられることも、「男性」として扱われることも、私にとっては受け入れ難い。「じゃあ私は一体どっちに入ったらいいの?」そんな疑問が湧き上がってきた。「私、女の子に産んでほしいって頼んでない!」性別違和とジェンダーロールへの不満を爆発させた私。そのとき母はさて、私の母はとても朗らかかつ柔軟性のある人で、ぶつかることもありつつ、深い愛情を注いでもらっていた。しかし「男の子だから」「女の子だから」をよく持ち出す人で、3歳上の兄には許されるのに私には許されないことがさまざまあった。兄の立場からしたら、逆のこともあったのかもしれないが、ここは一旦横に置く。「男である」「女である」と断じられることへの違和感を払拭できずにいた私は、母への不満を募らせることになる。そして、それが思春期に爆発した。高校1年生の夏休みのこと。兄はすでに実家を離れ、県外で暮らしていた。両親は共働きで、それぞれ出勤してしまうまで寝過ごしてしまった私は、食後に食器をシンクに入れたまま洗いそびれ、慌てて部活動の練習へ向かった。夕方、母より後に帰宅をした私は、こっぴどく叱られた。寝坊したために自分がすべきことをこなせず、母の仕事を増やしてしまったことは申し訳ないと思い、素直に謝罪した。が、ふと(あれ?兄ちゃんも高校生のとき、似たようなことが何度もあったよな。でも、叱られてなかった…)と気づき、どうしてかと母に尋ねると、「○○(兄)は男の子だからいいの!希望は女の子でしょ!?」と一喝された。「え、何それ。私、女の子に生まれたい、女の子に産んでほしいって頼んだわけじゃないのに、どうして“女の子だから”だなんて役割を背負わされなきゃいけないの?女の子だから、女の子らしく…そう言う割にさ、小さいころの私が男の子に間違われた、嫌だ、髪を伸ばしたいって頼んでも、ボーイッシュで可愛いじゃないとかさ、私、別にボーイッシュがいいなんて思ってなかった。というか、女の子らしくしたらいいの?ボーイッシュにすればいいの?それを私に選ぶ権利はないの?ねえ?子どもは親の選択に従わなければならないの!?男か女じゃなくちゃいけないの??私は私でいてはいけないの!!?」長らく抱えていた性別への違和感と、ジェンダーロールに絡め取られて自己が失われてしまうような不気味な感覚がないまぜになって、私は一気にまくし立ててしまった。前述したとおり、普段の母は陽気で柔軟、発達障害だなんて概念すら知らなかったころから、私の特性を尊重してくれた。だから私はとても信頼していた。こんな言葉をぶつけられる程度に信頼していた。でも「女の子に産んでほしいって頼んだわけじゃない」はさすがに言い過ぎだ。母は、今までに見たことのないような、強ばった悲しげな表情を浮かべている。まずいと気づいたものの、吐き出した言葉は取り戻せない。何を言うべきか、何をするべきか、私が迷い、うろたえている間、重い空気が流れる。先に口を開き、沈黙を破ったのは母だった。「ごめん、私はちゃんと希望を1人の人間として見ていなかったのかもしれないね。これからは女の子だからとか、そういうことは言わずにちゃんと話を聞くようにしなくちゃね」きっぱりとした口調で母は伝えてくれたが、傷ついていたのではなかろうか。私は凄まじい後悔と、やっと言えて、なおかつ受け入れてもらえた安堵に包まれ、その後のことは覚えていない。以降、母との関係は良好だ。しかし、長年当たり前だと思っていた感覚から抜け出すことは容易ではない。役割を押しつけてくることこそなくなったが、私の息子について「男の子だからそれぐらいでいいの!」というようなかたちでジェンダーロールを持ち出すことがある。その度に「だからそういうのはやめてって頼んだでしょ」「あ、そうだったね、ごめんごめん」と意思表示して笑い合うことができているのだから、あの日の衝突は無駄ではなかったと思える。まだ自分が「女性」だという確証を持てない私。男女、LGBT以外にも多様な性があると知り…女性の体を持って生まれ、恋愛や性愛の感情は男性に向く事実を踏まえると、自分は女性であると捉えるのが自然だ。でもやはり、どこか据わりが悪い。身体的なことはともかく、「心が男性」だとか「心が女性」だという表現があるが、何を以て判断できるのか。基準が分からないから、私は自分が「女性である」という確証を持てないのだ。それに、現時点で恋愛・性愛の対象が男性だとしても、いつか魅力的な女性に出会って、私が恋をする可能性が皆無とも思えない。だからといって、自分がレズビアンもしくはバイセクシュアルだというのも、どうにもピンとこないのだ。2度の結婚と離婚、出産を経ても、そうした思いは変わらなかった。そしてあるとき、後に書籍化される宗方美樹(現・小池みき)さんの『同居人の美少女がレズビアンだった件。』というWeb漫画と、同作で“同居人・まきむぅ”として描かれている牧村朝子さんの『百合のリアル』という書籍に出会い、男女及びLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)以外にも、多様な性(LGBTQ+)があるということと、Xジェンダー、クエスチョニングという概念を知ったのだった。他者に判断された性別でも、男性でも女性でもないあり方を選ぶもの『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P59より性に対するあり方をまだ決めていない。もしくはあえて決めない。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)星海社P108より衝撃を受けたのと同時に、深く安堵した。男性か女性のいずれでなくてもいいし、無理に決めなくてもいいのだ、と。そして『百合のリアル』には、私が何十年も抱えてきた思いと似た、牧村さんの言葉もつづられていた。わたしの場合、「未知への恐れ」は自分自身に向いていました。自分の中の同性愛を嫌悪し、「よくわからないもの」として恐怖していたのです。(中略)この「自分が何者かわからない恐怖感」を解決するために、わたしは「同性愛者」とか「レズビアン」という言葉を欲しがったのだと思います。「男としか付き合ったことがない自分は同性愛者じゃない」とか、「女と寝たことがない自分はまだレズビアンになれていない」とか、そんなの誰が決めたのかしらっていう謎の思い込みに苦しめられながら。わたしはこの「自分の中の未知への恐怖」に、色んな名前をあてがうことで、解決を試みました。(中略)色んな言葉で説明しようとしたなあ、って思います。レズビアンとか、ファッションレズとか、バイセクシュアルとか、性同一性障害、アライだとか。けれど、どんな言葉で説明しても、結局自分は自分だったのです。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P243-246より自分を男性だとも、女性の体を持って生まれてきたにも関わらず、女性だとも自認できない状態は、正直に申し上げて恐怖だった。だからこそXジェンダー、クエスチョニングという概念を知ることで救われた。許されたような気がした。現在の私は、性自認について問われた場合、「FtX(Female to X-gender、女性からXジェンダー)」もしくは「FtQ(Female to Questioning、女性からクエスチョニング)」と答えている。とはいえ、平時はあまりこだわりがないというか、意識をしない。相変わらず「女性である」と断定されることへの違和感は消えてはいないが、「私は男性でも女性でもないけれど、男性と女性の両方があるのかもしれない。だから、女性“でも”あるのかもしれないな」と、以前よりは楽に受け止められるようになった。「男だろうが女だろうが、どんな性であろうが、私は私でしかないんだ」という確信があるからだ。もしわが子が性別違和を訴えたら、私が伝えたいこと自閉症スペクトラム障害との診断を受け、SNSなどを通じてさまざまな人と交流をするようになってから、私と同じように性別違和を抱えている発達障害当事者は少なくないことが分かった。近年、イギリスなどでは、発達障害と性別違和の関連性についての研究が進められているという。もちろん、発達障害当事者の全員が性別違和を感じるわけではないし、性別違和を抱える人が、必ずしも発達障害当事者であるとは限らない。そして現段階では、どのように関連があるのかは分からない状態だ。しかし、発達障害当事者である息子が性別違和の苦しみを訴える未来を、全く想像しないわけではない。自分にも経験があるし、おそらく私は驚かないだろう。どう寄り添えるのかはそのときになってみないと分からないけれど、彼の思いを受け入れ、肯定したい。人が人をカテゴリという器に押し込めても、それぞれのアイデンティティは、それぞれが選び身に付けるものです。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)P249より「性自認やアイデンティティは決めてもいいし、決めなくてもいい。一旦決めてから、また変わることがあってもいいんじゃないかな。何があってもあなたはあなただから」常識と呼ばれるものや、時代ごとに求められるジェンダーロールにとらわれ、迷い、悩み、母との衝突を経て理解を得てもなお、「性自認が曖昧な自分だから、母を傷つけてしまったのではないか」と自己否定をして苦しんだ私だからこそ、そんなふうに伝えたい。参考:「あなたがあなたらしく生きるために性的マイノリティと人権」活用の手引き|法務省委託 人権ライブラリー※クエスチョニングについても触れられています
2019年08月16日東京地方裁判所103号法廷にて2019年4月15日、私は珍しい体験をしました。東京地方裁判所の103号法廷という大法廷で、裁判官と満員の傍聴人の前で、子育て体験の話をしたのです。なんでそんなエライことになったのか?それは「結婚の自由をすべての人に」訴訟、いわゆる同性婚訴訟の原告の一人になったからです。2019年2月から始まった “同性カップルでは結婚ができないので困っています” と訴える裁判で、札幌、東京、名古屋、大阪の4ヵ所で、13組の同性カップルが一斉提訴をしたのです。私と麻ちゃんはそのうちの1組。ニュースでご覧になった方も、いらっしゃるかもしれません。しかし本当に、私の人生の訳のわからなさも、これでいよいよ極まれり。自分でもびっくりしています。引っ込み思案で、子どもの頃は先生に指されると、それだけで飛び上がるような小心者だったのに、なぜ私は東京地方裁判所の大法廷などという、およそ人生で縁のないハズだった場所で、話をしているのでしょう……。というわけで、事の次第を説明するには、訴訟よりずっとずっと前にさかのぼることになります。すべての始まりは、麻ちゃんの何気ない一言でした。本気じゃないよね事の起こりは9年前。麻ちゃんと結婚式をした数日後。2年がかりで作り上げ、大好きな人たちに見守られて行った結婚式の後、幸せな余韻にまだまだ夢見心地だった時のことです。「私たち、結婚式したんだね」なんて、うっとりする私を麻ちゃんがじっと見つめていました。そして、お揃いの真新しい結婚指輪の光る手を取って、こう言ったのです。「いつか裁判しようね♡」「愛しているよ」とか「幸せだよ」とか、そういうフレーズがくるはずでした。そこに突然ぶっこまれた “裁判” というワード。裁判?裁判って今言いました?えっ、聞き違いじゃないよね?裁判って、えーと、裁判?ラブラブウフフな雰囲気になる予定が、いきなりの過激ワードでフリーズです。固まった私を見て、麻ちゃんはニコニコと続けました。「ほら、だって私たち、同性カップルだから結婚できないじゃん?だから、いつかアメリカみたいな裁判を起こそうよ!ね!」“ね!”って、キラキラした目で言われたけれど、“えっ、これ、まさか本気じゃないよね!”。頼む、本気にならないで!そんな私の胸の内を知ってか知らずか、麻ちゃんはそれからも度々「裁判」とつぶやいては、私をドキドキさせました。そんな私たちの元に、ある大きなニュースが飛び込んできたのです。2012~13年の「GID・法律上も父になりたい裁判」です。GID=性同一性障害のお父さん(FTM:Female to male、生まれた時は女性として性別を割り当てられたが、性自認が男性である人)が、奥さんが産んだ子との間に父子関係が認められなかったために起こした裁判でした。嫡出推定という不思議な法律ちょっと本筋からは外れるのですが、この裁判の概要をご説明します。ややこしいのですが、ついてきていただけるとうれしいです。結婚している夫婦が不妊治療でAID(非配偶者間人工授精。つまり夫ではない人に精子提供をしてもらうこと)をした場合、生まれた子どもは夫婦の嫡出子(結婚している夫婦の間に生まれた子)という扱いになります。これは民法772条の規定(嫡出推定)によるもので、結婚している妻が妊娠した場合、実は夫以外の男性との子どもであっても、結婚している夫婦の間に産まれた子という扱いになるのです。みなさん、知っていました?現代からすると、ちょっと不思議な感じですよね? 実はこれ、民法772条の元となる規定が作られたのが明治時代で、DNA検査が想定されていなかったため、「実のところ他の男の子どもかもしれないけど、結婚している以上、その夫婦の子どもってことにしよう!その方が子どものために良いよね!」ということでできたものなのだそうです。そこでこの裁判です。このFTMの方は、戸籍を女性から男性に変更して、女性と結婚していました。しかし精子はないため、AIDで子どもを持ったのですが、戸籍上も結婚が成立している夫婦だったにもかかわらず、その子どもは嫡出子にならなかったのです。というのも、そのFTMのお父さんの戸籍に、女性から男性へ性別を変更したことがわかるような記載があるため、生殖能力はなく子どもを持てないことが明らかである以上、嫡出推定に当たらない、とされたのです。一審、二審、共にFTMのお父さんの請求は退けられたのですが、最高裁で一転。生まれた赤ん坊は、この夫婦の嫡出子である、という決定が出たのです!つまり、最高裁は“血縁関係のない子どもであっても、夫婦の間に生まれた子は嫡出子になるというのが原則である。それはFTMであっても例外ではない”という決定を下したのです。このドラマティックな裁判は、意外なところに飛び火しました。そうです、裁判、裁判と思い出したように時折つぶやいていた麻ちゃんの、裁判トリガーをガッツリ引いてしまったのです。時期尚早という言葉の意味最高裁の決定が出た後の祝勝会には、私たちも参加し、大いに盛り上がりました。FTMのお父さんのご一家に加えて、この裁判を戦った弁護士の先生方も来られていたのですが、麻ちゃんは弁護士の先生を完全にロックオン。「同性カップルだって結婚がしたいのだ、と訴える裁判はしないのか」と、にじり寄っているではありませんか!弁護士の先生の返事は、「時期尚早」というものでした。2013年当時は、まだまだ今のようなLGBTブームもなく、“LGBT”というと「何それ、サンドイッチ?(それはBLTだ!)」なんて言われていた頃。「もう少し世の中での認知が広がらないと……」という判断だったのです。「よかった、これで諦めてくれるだろう」と、私は思ったのですが甘かった。実は麻ちゃん、この時「イケる!」と思ったそうです。相変わらず意思の疎通がからっきし出来ていない私たち。麻ちゃんは、「“時期尚早” ということは、逆に “時機がくれば、やれる” ということだな!」と思ったのです。さすが、麻ちゃん。一度食いついたら離れないスッポンのような女!それから6年。色々なタイミングが重なったとはいえ、まさか自分たちが本当に裁判に関わることになるとは。人生、何が起こるかわかりません。Composition:Yoshiyuki Shimazu
2019年05月16日子育てと運営の両立ここしばらく、私も麻ちゃんも慌ただしい毎日を過ごしていました。ニュースなどでご覧になった方もおられると思うのですが、「結婚の自由をすべての人に」訴訟、いわゆる「同性婚訴訟」の原告の一人になったため、その準備に追われていました。その話も追って書くつもりですが、今回は「にじいろかぞく、のはじまり」第5回目で、これで一段落となります。もう少しだけ、お付き合いください。思いがけなく参加することになったアメリカ研修旅行で、すでになんとなく形ができてきていた「にじいろかぞく」の未来のあるべき姿を目にして、私のなかで「やろう!」という気持ちが、これまでになく高まっていました。イベントに集まってくれる仲間たちから、「私は、にじいろかぞくの一員だと思っているよ!」なんて言ってもらって、「ちゃんとした会にしなきゃ」と思うと同時に「本当にできるのか?」という不安もありました。子育てをして、仕事もして、家事もして。それだけで日常は恐ろしくめまぐるしく、常に走っているような状態です。子どもに食事を出したら、自分は台所で立ったまま食べる、という生活が長らく続いていましたし、食洗機と無洗米は常備(それは今もですが……)。ご飯を炊けなかった日のスペシャルメニューはやきそば。そんな有り様です。さらに3人の子どもの学校行事の把握に提出書類の作成、などなど、などなど、細かいことは山積み(見落とすことも度々……)。この状況で「にじいろかぞく」をちゃんとした会にするには、仲間の助けが必要でした。ノンケさんの彼女に気付かされたことアメリカ研修旅行に行く少し前、私は麻ちゃんと、ある選挙ボランティアに参加しました。漫画家でゲイである歌川たいじさん(彼の原作で映画化された『母さんがどんなに僕を嫌いでも』は、涙なしには見られませんでした。機会があれば是非ご覧ください!)が選挙に出られると聞き、「それはお手伝いをしなければ!」ということになったのです。歌川さん、こと歌さんは、私たちの心の師匠、Taqさんの店「タックスノット」で知り合い、私たちにとってTaqさん同様、同性のパートナーと “ふうふ” として長年暮らす、大好きな先輩でもありました。歌さんの選挙ボランティアメンバーは、約半分がLGBTの当事者で、残り半分がノンケさん。LGBTであろうがなかろうが気にしない雰囲気が居心地よく、チラシ配りの後に、みんなでご飯を食べに行くことも度々ありました。そんななか、仲良くなった女性がいました。彼女は夫と二人暮らしのノンケさん。しっかり者で、細かいことにもよく気がつき、ボランティアメンバーの中でも頼りにされる存在でした。年が近いこともあって、すっかり打ち解けて友達になった彼女が、歌さんのボランティアが終わった時に「にじいろかぞくにも行ってみたいな」と言ってくれたのです。彼女は本当に「にじいろかぞく」に遊びに来てくれて、あっという間に会になくてはならない人になりました。彼女のおかげで、会では交流ピクニックだけでなく、さまざまな勉強会も開催できるようになりました。会を支えるということは、実に地道な、細々した作業の積み重ねなのです。その点、彼女は本当に “よくできる人” なので、私も会のメンバーも、すっかり彼女をアテにするようになっていました。ところがある時から、彼女はなんだか元気がない様子が続きました。「心配事でもあるのだろうか?もしかしたら会のやり方が気に入らないのだろうか?」と、オロオロしながら訊いてみるのですが、なんとも歯切れが悪い。「どうしたんだろう?」と首をかしげる私たちを前に、彼女は理由を口にしたがりません。お酒を飲ませて「さぁ話して!」と迫ってようやく聞き出した理由に、私たちはびっくりしました。「あのね、私、やっぱり遠慮しちゃうところがあるんだよね。ほら、だって私だけがノンケじゃない……?」そうなのです。世間では私たちがマイノリティ。普段は大勢のノンケさんに囲まれて、自分たちのことは話しにくい。だからこそ自由に自分たちの家族や、ジェンダーやセクシャリティのことも、率直に話せる場を作りたいと「にじいろかぞく」をやっていたのですが、会ではノンケさんである彼女がマイノリティ。逆転しているのです!私やLGBT当事者のメンバーは、自由に家族やパートナーのことを話していたし、時にはセクシャリティに関わるジョークも言っていましたが、ノンケさんの彼女にしたら戸惑うことが多かったのだと、その時初めて知りました。それを彼女は「ノンケ中心の世の中で、普段は自由に話せないのだろうから。こういう話がしたくてみんな集まっているのだろうから」と、黙っていてくれたのです。そのことに、私たちは強い衝撃を受けました。いつも自分たちがマイノリティだと思い込んでいたけれど、それは違う。状況が変われば、自分たちがマジョリティになることもあるのだと気がついたのです。それは大きな衝撃でした。いつもは配慮 “される側” である私たちが、配慮 “する側” に立たなければいけなかったのです。いつも、ノンケさんに対して「なんでもかんでもノンケ前提だと思わないでくださーい」なんて思っていたけれど、「にじいろかぞく」の中では逆なのです。私たちがノンケさんもいることに配慮し、「なんでもかんでもLGBT前提だと思わないでくださーい」と言われる可能性を考えながら、話をしなければいけなかったのです!これは彼女に話してもらって、初めて見えてきたことでした。だからといってすぐ完璧に対応できたのか、というと、そう簡単な話でもありません。それから何度も、私たちは彼女の気持ちを傷つけてきたと思います。でも、それは自分たちにとって大きな気づきでもありました。ノンケさんを相手に「どうせ、話しても分かってもらえないだろうなー」と思うこともあったけれど、自分たちも分かっていないことに、気付かされたのですから……。それじゃあ困るんですよ、私たちが!ノンケさんの彼女だけでなく、「にじいろかぞく」には、すでに全国から多様な人たちが集まり始めていました。ある時、生まれたての赤ん坊を連れたご夫婦がやってこられました。「私たちはここにいてもいいですか?」と遠慮がちなお母さんの話を聞くと、「私たちは結婚していて、子どもは私たち“ふうふ”の子です。でも私はレズビアンで、パートナーはトランスジェンダーで、男性として生まれましたが、自分を男性と女性の混在だと言っています。こんな私たちでも、仲間に入れてもらえますか?」。レズビアンでありながら「結婚」という道を選んだ彼女にとって、パートナーは女性でもあるのに、世間からは当然のように「パパ」と「ママ」の「家族」として扱われる違和感。その家族の形も戸惑いも、私の想像していなかったものでした。また、あるイベントで元気いっぱいの女性に話しかけられました。彼女はあっけらかんと、自分は3人の子どもがいるレズビアンだと言うのです。しかも選択的シングル。はじめの子は当時結婚していた夫との間に生み、2番目の子は離婚後にその夫に協力してもらって人工授精で生み、さらに3番目の子は精子バンクを通して生んだというのです!固定観念に縛られがちな私は、“子どもを育てるには、つがわないと”みたいなところがあるのですが、自分の人生をどう生きて、どう子どもを育てるかは、それぞれで決めていくことなんだ、と彼女から教えてもらいました。シングルファーザーとして、子どもを育てているゲイの男性との出会いもありました。それから、代理母で子どもを授かったゲイカップルの友だちもできました。彼らは日本人とスウェーデン人のカップルで、現在、同性結婚が可能なスウェーデンで子どもを育てています(スウェーデンでは子育てをするゲイカップルが、さして珍しくないと聞いて、またびっくり)。ジェンダーもセクシャリティも関係なく、つがったりつがわなかったりも自分に合うように選びながら、育児を真ん中に置いて話せる場として「にじいろかぞく」をやっていきたい。人が集まり、ようやく形になってきて、このまま頑張りたい……と思っていた矢先、2016年、私に乳がんが見つかりました。この話は以前に書いていますが、抗がん剤治療に、片胸の全摘手術と1年半は仕事も休業し、ほとんど寝付いていました。手術が終わって半年。そろそろ「にじいろかぞく」のこともやらなくては、と思っていた時に、ずっと会を支えてくれていたメンバーから、声が上がりました。「ボランティアをやって、って小野ちゃんは言いにくいのかもしれないけど、私たちやるから。小野ちゃんが倒れたら会が終わり、じゃ困る。きちんとした会にしてほしい」。特に、LGBTであることを表に出しづらい地方のメンバーから、強い声があがりました。そこで正式に運営メンバーになってくれた6人とともに体制を整え直し、「にじいろかぞく」は会員制の任意団体として、新たなスタートを切ったのです。そして今は、子どもを産んだ経験を持つトランスジェンダーの男性が運営メンバーに加わり、さらに新しい視点を与えてくれています。毎年、会員の入れ替わりがありながら、2019年は子育てをするLGBTを中心に、セクシャリティもジェンダーもさまざまな60人強が参加してくれています。やっていることは、ほぼ育児サークルと一緒ですが、多種多様な家族が、寝転がる赤ちゃんを一緒にあやしながら喋っている様子を見るたび、「自分みたいな家族なんてどこにもいないんだ」と思っていたあの頃、夢見ていた未来のなかにいるな、と感じています。Composition:Yoshiyuki Shimazu
2019年04月02日3週間のお休みください人生で初めてアメリカ大使館を訪問し、面接を受けた私。アメリカ国務省が主催するIVLPなる研修プログラムなど、「どうせ通ることないや」と思っていたら、3週間後にまさかの「小野さんに決定しました」の連絡がありました。この頃、アメリカはオバマ政権で、LGBTが政策トピックだったこともあり、後押しされたのでしょう。さぁ、ここからが大変です。なにしろ、私は会社勤めのサラリーマン。世間的には働くシングルマザーというステータス。3週間も仕事を休むなど、普通はありえません。会社が了承してくれなければ、アメリカには行けません。当時勤めていた会社には、麻ちゃんとの結婚式の前にバレて(いや、自爆して#25 手さぐりのウエディング その2)いたので、カミングアウトは必要ないものの、いきなり「仕事を3週間も休ませてください」と言うのは、なかなか勇気が必要です。たまたま、昼休みに一緒になった上司に、切り出しました。「あのー、すいません。今度3週間ほど、仕事を休ませてもらえたらなー、と思ってるんですけど……」「は?どうかしたの?なに?病気かなにか?」「いや、全然元気なんですけど。どうやら、アメリカにLGBTのことについて勉強に行かせてもらえることになりそうで」「アメリカ!?なんだそりゃ?何しに行くんだ?っていうか、それは会社を辞めて留学するってことか?」「いや、そうでもなくて、ですね。えー。なんかですね、アメリカの国務省主催の研修に、推薦してもらっていたみたいで、実はこのあいだ、お休みいただいた時に、アメリカ大使館に面接を受けに行ってきたんですよ。そしたら、なんか通っちゃったみたいで」上司の目がまん丸になっています。無理もありません。私も上司も超庶民。近所のコンビニに、昼ごはんを買いに行こうとしている道すがら。海外なんて縁のない私たちには “国務省” も “アメリカ大使館” もパワーワード過ぎます。しばしの沈黙の後、上司が言いました。「お前……、なに言ってんの?」上司も驚いたと思うのですが、私の方がもっと驚いているわけで “人生、こんなびっくり体験があるもんだ” と思いつつ、上司にこうして話して、ようやく “あぁ、これ現実なんだ” と実感が少しずつ湧いてきました。そして、ありがたいことに「こんなこと一生に1回あるかないかだ、行ってきな!」と、上司や同僚たちは、私を送り出してくれたのです。それから出発までの半年は、大使館に呼び出されて説明を受けたり、訪問したいNPOや企業について調べたり、読んでみたい本のリストを作ったりとバタバタ。子どもが生まれてからこのかた、家を2日続けて空けたことがない私が、3週間も家を空ける。そのことに、私はとても緊張したのですが、オトコマエの麻ちゃんは「任せとけ!」と余裕の様子。小学校の高学年になっていた子どもたちも、「わー、アメリカ!お土産買ってきて!」と無邪気なもので、私は胸をなでおろしたのでした。とうとうアメリカへ旅立つ日がやってきました。旅の仲間は、2人の元国会議員と、日本のLGBT界を牽引するNPOの代表で、一流企業で働くエリートゲイ男性。そんな錚々たる方々に混じって、こんなおばちゃんが参加していることに、我ながら “なんで?” と思いましたが、ココは腹を決めるしかありません。離婚以来、期限が切れたままだったパスポートを更新し、真新しいスーツケースに荷物を詰めて、生まれて初めての3週間の研修の旅に、さぁ出発です。I have a dream!最初に着いたのは、ワシントンD.C.。折しも、キング牧師の「I have a dream」のスピーチが、ここワシントンD.C.で行われてから、ちょうど50年のタイミングで、街のあちこちで祭典の準備が進んでいました。思えば、50年前の黒人の権利が、今のようなものではなかったことと、LGBTのそれが重なります。英語の教科書で読んだスピーチから、まだわずか50年しか経っていないことに驚きつつ、まずは座学をみっちり受け、翌日の朝早くから視察が始まりました。視察1日目に訪れたのは、さまざまなLGBTキャンペーンを行っている有名なNPO。案内されたオフィスには、若い人が多く、活気に溢れていました。今でも日本では、LGBTをテーマにした大きなNPOはありません。私がアメリカに行った2013年当時、日本でLGBTに関わる仕事をしているのは、よほどの覚悟と志がある人のみ。それも、輝かしいキャリアをなげうって挑んでいるケースしか見たことがありませんでした。それがこのNPOでは、多くの当事者が自分のセクシャリティを隠さず、それどころか、それを生かして堂々と働いていました。私はもう、ただただ驚くばかりでした。「当事者以外のスタッフはいますか?」という私たちからの質問に、それまで控えめにしていた女性スタッフが、「このNPOには、さまざまな立場の人が働いています。私の場合は、私の母が結婚後に、自分がレズビアンだと気づいて、レズビアンとして生きるようになったんです。そんな母を応援したくて、このNPOに入りました」と言うのです。キレイな金髪を揺らしながら話してくれた彼女に、私は衝撃を受けました。「子どもが、親のセクシャリティを応援する?」「しかも、そのためにLGBTのNPOで働いている!?」そんな話、日本で聞いたこともありません。まだまだ日本では、「LGBTの人が子育てなんかしたら、子どもに悪い影響があるんじゃないの?」なんて心配をされていましたから、この目の前の若い女性の明るくて堂々とした姿に、心底驚いたのです。同時に、日本で子育てをしているLGBTファミリーの仲間の顔が、頭に浮かびました。彼女がLGBTの親について話す、こんな様子を伝えたら、どれだけ励まされるだろう。国が違っても、こんな風に明るくまっすぐに、親のことを応援したいと言う子どもがいることを、仲間に伝えたいと思いました。彼女に、自分も離婚をして、同性のパートナーと子育てをしていること。3人の子どもたちのことを話し、「仲間に、あなたのことを伝えたい」と拙い英語で必死に伝えたところ、メッセージ動画を撮らせてくれました。「セクシャリティがどうであるか?よりも、家族が愛し合い、思いやりを持ち合うことが大切」というメッセージを、生き生きと話してくれる彼女を見て、心が震えました。それは長い間、心の中で密かに、だけど熱烈に、望んでいた言葉でした。そんなメッセージを笑顔で話してくれる “LGBTファミリーの子ども” が、急に目の前に現れたのです。想像できないことにイメージを与えるその後も、衝撃は続きました。視察3日目には、どうしても行きたいとリクエストしていた、全米でも有名なLGBTファミリーのNPOへ。当時はボストンとワシントンD.C.に事務所を持ち、300万人のLGBTファミリーが参加しているNPOです。300万人ですよ。ものすごい数です。折しも、このNPOでは18回目となる「Family week」なるLGBTファミリーの一大イベントの準備をしている真っ最中。ビーチでのファミリー・ピクニックやキャンプ・ファイアー、親のためのテーマ・セッションなど、さまざまなイベントを1週間泊まりがけで体験できると聞き、ただただ圧倒されるばかりでした。ちょうどこの年のゴールデン・ウィークに、「にじいろかぞく」ではLGBTファミリーのピクニックを開催していました。青空の下で、さまざまなLGBTファミリーが語り合う様子を見て泣きそうになっていたのですが、自分たちのやっていることが、まだまだ本当にささやかであることを思い知らされました。ニューヨークでは、ニューヨーク州上院議員を務めるゲイの方のオフィスにお邪魔し、映画監督の夫と一緒に、2歳になる愛娘を育てている話を聞きました。また、乗り合わせた飛行機のキャビンアテンダントの男性からは、「今週、パートナーの男性と、養子を取る手続きに行くんだ」なんて話を聞かせてもらったりしました。研修では、都会だけでなく保守的な田舎にも行きます。オハイオでは、自分の連れ子2人と、同性パートナーの連れ子2人を育てているレズビアン・ファミリーに会いました。最も保守的だったオクラホマ州では、まだまだ根強くLGBTへの差別が残っているようでしたが、一方で地域に根付いたLGBTセンター(LGBTに関する情報センター)がありました。私がとても感動したのは、そのセンターにキッズルームがあったことです。カラフルな色のおもちゃや絵本が並ぶ部屋から、日常をともにする家族としてのLGBTの姿を感じることができたからです。怒涛のように過ぎていった3週間の研修。ワシントンD.C.からはじまって、ボルチモア、ニューヨーク、オハイオ、オクラホマ、最後はポートランド。おまけに数日、元議員の方と2人でサンフランシスコに立ち寄ることもできました。もちろんいい話ばかりではありません。アメリカのLGBTをめぐる課題なども、たくさん見聞きしてきました(このことについては、機会を見つけてお話ししたいと思います)。でも、これまで見たこともなかったLGBTファミリーのロールモデルを、現実に、目の当たりにさせてもらったことは貴重な経験でした。これまで“見たこともないから、想像できない”と思っていたことに、イメージが持てるようになったのです。日本の、それも狭い範囲でしか生活してこなかった私にとって、この旅はまさに人生のターニングポイント。“これでもか!” というほどの情報をもらい、私のテンションはメーターを振り切っていました。帰国してすぐに、子どもを産んだばかりのレズビアンの友人の家に押しかけ、アメリカで見聞きしたことを語りました。「にじいろかぞく」のメンバーも集まって、レズビアン・ファミリーに育てられた娘さんのメッセージビデオを見て、みんな半泣きになりながら、大いに盛り上がりました。「にじいろかぞく」には多くの仲間が集うようになっていましたが、その一方でボランティアを強要するようなことは避けたいと、私は積極的に“会”として組織化しようとしていませんでした。でも、この日のメッセージビデオが、気持ちを後押ししてくれました。「いつか、自分たちみたいな家族で育った子どもたちが“親のセクシャリティなんて、なんでもないことだ”って言ってくれたらいいよね」。頷きあう私たちに、一人が言いました。「私たちはさ、みんな『にじいろかぞく』の、もう一員だと思ってるからさ!」こうして「にじいろかぞく」は、さらに一歩前へ進むことになるのです。(つづく)Composition:Yoshiyuki Shimazu
2019年03月02日相手の気持ちや状況を理解することは、人と付き合う上でとても大切なこと。今回は、さまざまな境遇のママたちのコメントを紹介。そこから見えてくる思いを、あなたならどのように受け止めますか?ダイバーシティー=多様性、変化する家族の姿近頃よく聞く「ダイバーシティー」という言葉。直訳すると「多様性」という意味で、日本では会社における女性活用など、人材活用に関して使われることが多いようです。でも、ふとまわりを見まわしてみると、いろいろな家族の形があると思いませんか?専業主婦のママに専業主夫のパパ、共働き家庭や外国人のパパやママ、シングルマザー、障害を持つ子どものいる家庭など…。家族のありかたは千差万別です。子どもたちが育つこれからの世界では、きっともっと多様になっていくはず。今こそ、家族のありかたや付き合い方について、考えてみませんか。こういう時はどうすればいいの?幼稚園での出会いを、大切にしたいと思っているママはきっと多いはず。でも、こんなときはどう対応すればいいの?● なんでいつもパパがお迎えに来ているんだろう?と思っていたら、専業主夫のパパでした。どう話し掛けたらよいのか分からず、いまだにぎこちない接し方になっています。(岐阜県・年中ママ)● 離婚したらしく、苗字が変わった親子がいます。わが子に「どうして〇〇くんは名前が変わったの?」と聞かれ、何と答えたものか困りました。本人に聞くわけにもいかないし…。(埼玉県・年長ママ)● 日本語を話せない外国人のママ。子どもたちはどんどん仲良くなるけれど、親同士は会話も盛り上がらず…。どう声を掛けたらいいか、迷ってしまいます。(神奈川県・年少ママ)● シングルマザーの幼稚園のママ友。ランチ会に誘っても、忙しいからとたいてい断られてしまいます。かといって、誘わないと仲間外れにしているようで…。(埼玉県・年中ママ)● 障害を持つお子さんのママとの会話は気を使います。話は聞けても当事者の気持ちにはなれないので、“普通” という言葉は使わないようにしています。(神奈川県・年長ママ)こんなことがありましたいろいろな人がいるのは分かっているけれど、相手の発言や態度に悩むこともあります。そんなママの気持ち、聞かせて!● 私がシングルマザーだと知らずに、目の前で母子家庭の悪口を言う人がたくさんいます。そのせいで幼稚園では誰にも打ち明けられず、友達すら一人も作れません。(神奈川県・年中ママ)● 「なんでこんなこともできないの?」という無言の視線が一番つらいです。直接言ってもらえれば、説明することもできるのに。(大阪府・年長ママ)● パパが外国人で、子どももすぐにそれと分かる外見です。そのせいか、ほかのママたちにチヤホヤされてしまい…。子どもによくないな、と少し困ります。(大阪府・年少ママ)● わが子に向かって、「普通に見えるのにね」と言われた。今でも怒りがこみ上げるし、悲しいです。(兵庫県・年長ママ)● 言葉の遅い息子に対し、お友達が心無い言葉を掛けていたのに、その子のママは知らんぷり。子どもは仕方ないと思いますが、親御さんからは何か一言あってもいいのに…。(福岡県・年少ママ)“違う=合わない”は思い込みかも、どんな家族の形もアリ!大切なのは向き合う姿勢自分とは違う境遇の人に出会うと、どう付き合っていくか戸惑うことってありますよね。でも、〝違うから合わない〞わけではありません。自身もひとり親で息子を育てつつ、さまざまな形の家族に出会ってきた大塚玲子さんに、話を聞きました。お話を聞いたのは:大塚玲子さんおおつか・れいこ/ライター・編集者。主なテーマは「いろんな形の家族」と「PTA・学校」。ひとり親家庭や再婚家庭、里親家庭、LGBT 家族、などの取材を通し、家族の形が「なんでもアリ」の社会にするため、「定形外かぞく(家族のダイバーシティ)」を主宰する。著書は『オトナ婚です、わたしたち』『PTA をけっこうラクにたのしくする本』など。共著に『子どもの人権をまもるために』など「こうあるべき」は本当?その気持ちを疑おう幼稚園などで出会うたくさんの親子。その中には、自分とは育ってきた環境や家族構成、置かれている状況が違う人もたくさんいます。仲良くなりたいと思いつつも、実際に自分と違う境遇の人に会うと、戸惑ってしまうこともありますよね。知らないから、分からない。分からないから、付き合うことをためらってしまうこともあるかもしれません。事情を抱えた当人にしてみても、「話した方がいいのか、どこまで話せばいいのか」と悩んで周囲に打ち明けることができず、理解が得られないこともあるでしょう。そんなときは、「どんな形の家族でもいい。なんでもアリだと思ってもらいたいです。どんな家族でも上下はない、という気持ちを持ってほしい」と、大塚さんは話します。例えば、「大黒柱は男性であるべきで、働かないなんて有り得ない」と考えていれば、専業主夫の人に対してつい否定的な目で見てしまうかもしれません。でも、「こうあるべき、こうじゃなきゃおかしい」という前提が間違っていることもある、そのことに気付いてほしいと言います。子どもに恥じない大人であれ読者のコメントに、「子どもの友達の心無い言葉に傷付いた」というものがありました。反対に、「子どもたちは大人同士の付き合いに関係なく、仲良くなった」というものも。子どもたちは、良くも悪くも親の影響を大きく受けるものです。ママやパパの態度や言葉が正しいものと思い、それを自分もまねしようとします。親である大人たちは、わが子に「こう育ってほしい」「こういう行動はしてほしくない」と思うその姿勢を見せていくことが、大事なのだと思います。大塚さんは、「事情のある側も、できる範囲で伝えていったほうがいい」と考えているそう。全てを話さずに「何か事情がある」とにおわす、ゆるいカミングアウトをする程度でも、「踏み込んでほしくないことへの線引きもできるし、相手も付き合いやすくなると思いますよ」。相手を理解しようと努力し、誠実に向き合うことは、どんな人間関係だって大切なことですよね。「自分とは違うから」と最初から背を向けてしまわずに、まずは声を掛けてみることから始めてみませんか。うれしかった、助かった!ママたちの気持ち相手に対する気遣いや、理解しようとする態度は、どんな人間関係にも大事なこと。それをきちんと見せることが、関係を育む第一歩かもしれません。● シングルマザーになってから「何かあったら手伝うよ」とはよく言ってもらいますが、実際はなかなか頼りづらいです。そんなとき、「これやるよ!」と具体的に言ってもらえたのはかなりうれしかったです。(東京都・年少ママ)● 落ちつきのなさが気になる息子がいます。ママ友がとても理解のある人たちで、「少し預かろうか?」「子どもだけで泊まりに来ていいよ」など、親切に声を掛けてもらえて安心しました。(京都府・年中ママ)● 娘に発達障害があることを知った上で、仲良くしてくれるお友達とそのママたち。気さくに声を掛けてくれたり、幼稚園でこんなことをしていたよ、などうれしい情報をくれて、本当に感謝しています。(埼玉県・年長ママ)● 夫が外国人なのですが、その出身国について幼稚園の子どもたちが興味を持ってくれて、とてもうれしかったです。(埼玉県・年少ママ)illustrationSHIBATA Keiko
2019年02月07日思いがけない心の支え妊活をするレズビアン女性と出会い、とても強い衝撃を受けた私。動揺もしましたが、彼女との出会いから “子どもを持ちたい” と願うレズビアン女性について知るようになりました。よく一言で “レズビアンマザー” と括られますが、我が家のようなステップファミリーもあれば、カップルで子どもを迎える、(ノンケカップルで言うところの)初婚ファミリーもあります。このようにタイプが異なると、悩みも違うし、お互いのことを知らないものです。私がレズビアン女性の妊活の大変さについて、何も知らなかったように、血の繋がらない娘を育てる戸惑いを、彼女に共感してもらうのは難しいことなのです。自分と同じような家族を探したくて始めた「にじいろかぞく」ですが、そこに集まってきてくれるLGBTの家族というものが多様すぎて、自分と同じような家族になかなか出会わないのです。これにはちょっと焦っていました。そんな焦りを抱えていたのは、「にじいろかぞく」が想像よりもずっと肯定的な雰囲気で受け止めてもらえて、ホッとしていた時期でもありました。今から8年ほど前のことですが、世間のLGBTへの偏見は今よりもずっと色濃く、それに比例するようにLGBTコミュニティの内部でも、LGBTの人が子育てをすることに、戸惑いの空気が漂っていたのです。だから「子育てをするLGBTの集まり」なんていったら、バッシングを受けるんじゃないか?とドキドキしながらスタートしたのです。例えば、妊活をしていたレズビアン女性も、妊娠をとても喜んでくれた人がいた一方で、仲間内のレズビアン女性から「子どもが生まれたら、大人ばかりの場に子どもを連れて来てほしくない」と言われたそうです。その空気は、私もヒシヒシと感じていました。LGBTのイベントは、子どもを連れていけるような雰囲気ではなさそうだったし、子どもがいるなんて言ったら、ギョッとされたり、子どもは大丈夫なの?と心配されたり、さらには「前に男性と結婚してたのね」なんて冷たい反応もされたものです。世の中の偏見が減ると同時に、LGBTコミュニティ内に漂う緊張感も緩和されてきたように思います。こういうことって地続きなんですね。特に「にじいろかぞく」を歓迎してくれたのは、若い世代でした。「将来、自分は畳の上で死ぬことはない。誰にも看取られず、一人でのたれ死ぬ将来しか思い描けない」と、泣きながら打ち明けてくれた大学生に、「私、同性のパートナーと子育てをしてるんだよね」と言った時の、あの驚いた顔。今でも忘れられません。「子育てをするなんてこと、あるんですか!」と喜ぶその大学生に、これまで出会ったいろんな家族のこと、自分の家族のことを話せて、とてもうれしかったのです。自分たちのような家族の存在を、若い人が喜んでくれている。それは思いがけない支えになりました。さらには、ちょっとしたイベントや大学の授業で、同性カップルで子育てをしている様子を聞かせてほしいと、声を掛けていただくようになりました。最初は、本当に信じられませんでしたよ。一人ぼっちで作っていたホームページにも、連絡してくれる方が一人増え、二人増え、少しずつ仲間が増えていきました。妊活していた、例のレズビアンの友人にも子どもが生まれ、LGBTファミリーはもちろん、子どもを持ちたいと思っている若いカップルも遊びに来てくれるようになりました。そうすると「みんなで交流したい!」という声があがるようになりました。私はもともと下戸で、新宿2丁目にもなかなか縁がありませんでした。子どもがいて夜に出かけづらいので「できれば昼間、子どもを連れて集まれるようなことをしたい!」という、小さな野望を抱いていました。「子連れで楽しめて、みんなが気軽に交流できて……、そうだ!ピクニックがいい!」。このピクニックには、すっかり仲良くなった、前述の大学生も仲間たちと参加して、子どもたちの遊び相手になってくれました。そんな交流は、いつの間にか新聞の取材を受けるようにまでなっていました。徐々に会の“ような”形にはなり始めたものの、「会にしたい」とは長く言い出すことができませんでした。みんな子育てや妊活に忙しいし、なんといってもボランティアなわけです。「そんな面倒なこと、嫌だろうなぁ」と思って言い出せないまま、何かイベントをする時は手伝ってくれる仲間が、なんとなく固定化していきました。アメリカ(大使館)への道そんな頃でした。私が同性パートナーと子育てをしていることを知るゲイの友人と、くだらない話をしていたところ、彼がふと思い出したように「ねぇ、小野ちゃん。アメリカに研修に行くなんてどうよ?」と言ったのです。さして本気そうでもなかったし、子育てをするようになってから、私の狭い行動範囲はますます狭くなって、本当に半径数キロ以内で生活していました。海外どころか東京を出ることだってほとんどなくなっていて、アメリカに行くなど、あまりにも非現実的な話。だから「またぁ、夢を語ろう的なやつ?」と、気にも留めませんでした。それから数ヵ月後。その彼から「こないだ話した、アメリカの話。あれ、いけそう?」という連絡が来たのです。「ん?アメリカ?」と、すっかり忘れていた私に「ほら、こないだ話したじゃない。アメリカに研修に行く話!覚えてないの!? あの話に推薦しといたから、面接を受けてきて!」。へ?となる私に、彼は驚くべきことを言いました。なんと、アメリカの国務省が主催するIVLP(International Visitor Leadership Program)という研修プログラムに私を推薦したから、アメリカ大使館に行って面接を受けてこい、と言うのです!な、なんかえらいことになってる!?アメリカ大使館!?大使館なんて入ったこともないのに、しかも面接!?英語かな?英語だよね、大使館だもんね……。私の英語って、ディス・イズ・ア・ペン レベルなんだけど、面接受けられるの?っていうか、研修ってなに!?なんで私みたいなオバちゃんに、そんな大きすぎる話が!?っていうか、子どもは?仕事は?目を白黒させていると、間もなくアメリカ大使館の担当者から、面接の案内メールが届きました。覚悟を決めるしかありません。物々しい警備のアメリカ大使館に、一人で向かうことになりました。当日は、ものすごく厳しいセキュリティチェックで、アメリカ大使館の中に入るまでが、まず大変。アメリカ大使館に入るために横断歩道を渡るのでさえ、複数いる警備員に呼び止められるのです。「どちらに行かれますか?」、「どなたとお約束ですか?」といった具合。たかが数メートルの道を渡るのも大騒ぎ。横断歩道を渡ったら、今度は入り口のチェックでまた足止め。受付を通った後は、IDもケータイも全部預けなければなりません。大使館の中はもうアメリカそのもの。その雰囲気にがっつり飲み込まれました。職員に案内されて、部屋で待っていると、アメリカ人男性と日本人女性が現れました。堂々とした二人の様子に、こちらの緊張はピークです。まずは二人から、詳しい説明がありました。このIVLPというのは、アメリカ国務省が主催する、社会人向けの研修プログラムで、およそ3週間にわたり、アメリカ国内の企業やNPOを訪問し、視察するものだということ。研修テーマは多岐にわたり、私たちのチーム(どうやら複数の人間で視察に行くようでした)はHuman Rights、つまり“人権”がテーマであることも説明されました。あまりに珍しい状況に、緊張はピークであるものの、そもそもなぜ私なんかが呼ばれているのか全然分かりません。ただ、こんなところで面接を受けられているだけでも棚からぼた餅。通るはずもない面接だと思えば「まぁ、そんなに緊張することもないな」という気持ちが湧いてきました。こんな体験も、そうそうすることはないし、「ここは率直に話すまで」と思い、自分の家族のこと、LGBTファミリーについて思うこと、アメリカに行ったら知りたいことを話しました。一人でホームページを作っていた頃は、日本ではなかなか知ることのできないLGBTファミリーの情報に飢え、読めない英語を辞書を片手に、なんとか探しているような状態でした。アメリカに行けるようなチャンスがあるなら、LGBTファミリーについて聞きたいこと、知りたいことは山ほどあります。インターネットで見つけたLGBTファミリーの団体のこと。LGBTファミリーを扱った絵本が、いろいろあるらしいこと。さらには日本では入手できない、レズビアンのステップファミリーについての指南書があるらしいこと。LGBTファミリーのサマーキャンプがあるらしいこと。など、など、など。最後に、思い切ってこんな質問をしてみました。「なぜ、私のような専門家でもない普通の人間に、こんな面接のチャンスをくれたのか?」。すると、こう答えられたのです。「アメリカは今、同性婚で揺れています。この同性婚の問題は、家族の問題そのものです。ですから日本のLGBTファミリーの方に、今のアメリカの運動の様子を見てもらえたらと思って」。全米で同性婚が認められるようになったのが2015年6月のこと。その2年ほど前のことでした。(つづく)Composition:Yoshiyuki Shimazu
2019年02月02日さまざまな「ちがい」がある6家族の日常を丁寧に取材した長編ドキュメンタリー『いろとりどりの親子』は24ヵ国で翻訳され、世界的ベストセラーとなったアンドリュー・ソロモン氏の原作を映画化した作品です。ADHDがある息子を育てる、漫画家・イラストレーターのかなしろにゃんこ。が、この映画をルポ。映画の公開に合わせて行われた試写会や、監督来日イベントの様子を紹介します!「ちがい」と生きる家族の幸せの形はそれぞれで、胸があたたかくなる作品でしたよ。Upload By 発達ナビニュースUpload By 発達ナビニュース自閉症、ダウン症、低身長症の子どもやパートナーとその家族、重罪を犯してしまった息子と家族など、6つの家族をめぐるドキュメンタリーです。原作者でプロデューサーのアンドリュー・ソロモン氏も父親と親子出演しています。アンドリューは、同性愛者である息子を受け入れようと苦悩する両親の姿をきっかけに、身体障害や発達障害、LGBTなど、ちがいのある子どもを受け入れようと苦悩する親たちを10年かけて取材したそうです。言葉が発せず、パニックになって暴れたり自傷行為に及んでしまう自閉症のジャックと、意思の疎通が難しいと感じる両親。あらゆる療法を試した後、ようやくたどり着いた文字の「タイピング」によってジャックが家族や周囲に自分の想いを伝えられるようになったシーンは、ヘレン・ケラーとサリバン先生を思い出させます。親友3人と暮らすダウン症のジェイソン。幼少期には「セサミストリート」にも出演し、全米屈指の著名人でした。共同生活を送る3人は、「三銃士」というグループ名までつけて(笑)友情をなにより大切にしています。盃ならぬマグカップを交わして友情を確かめ合うシーンは、中年を迎えた3人がまるで少年のよう!素直で愛しくてキュン♡とすること間違いなしです。ジェイソンが幼いころは、ダウン症児への教育の可能性について全米中を説いて回った母親。一見単調にも見える、ジェイソンと母親の現在の穏やかな生活もまた、胸を打ちます。低身長症のロイーニが低身長症の人たちの大会「リトル・ピープル・オブ・アメリカ」でファッションショーに参加したり友だちを作っていく姿は母親のような気持ちになって「同じ障害がある友人ができて良かった♡」と応援したくなるし、背中を押したくなる思いになりました。低身長症の夫婦・リアとジョセフは、知的かつチャーミング。リアは「(低身長症の夫婦から)普通身長の子どもが生まれても大丈夫。だって私は、家族の中で一人だけ違ったけど、大丈夫だったから」と笑顔で語ります。底抜けに明るい二人の姿は、「ちがい」ってなんだろう、「障害」ってなんだろう、と改めて問いかけてくるようでした。レイチェル・ドレッツィン監督が来日!日本の高校生と映画について語り合う教室に潜入この映画の監督、レイチェル・ドレッツィンさんが、映画の公開に合わせて来日!さらに、日本の高校生と、映画について語り合う機会があると聞きつけて、取材をさせてもらいました。東京学芸大学附属国際中等教育学校のIB(国際バカロレア)クラスの高校2年生11名と監督とのディスカッションは、ほぼオールイングリッシュ!で進行。さらに、監督にぶつける質問や疑問は、英語力もさることながら深い共感や洞察力が感じられて、監督も「ワンダフル!」と笑顔でしたよ。参考:国際バカロレアとは | 文部科学省レイチェル・ドレッツィン監督(以下、監督):「人はさまざまなアイデンティティーを持っています。たとえば映画に出てくるリアは、低身長症ですが、女性であり、母であり、妻でもある。でも、健常者はその1つだけをピックアップしがちです」そのためには、『ちがい』がある人たちの中に積極的に入り、知ることが大切。それを伝えたかったと、映画に込めた思いを話してくれました」。ディスカッションに参加した11名の高校生は、映画を見て感じたこと、監督にぶつけたい思いを発言。監督は、その一つひとつに耳を傾け、真摯に答えていきます。今まで生きてきた中で、障害がある人たちとあまり触れ合う機会がなかったという高校生も多く「将来出会ったときに、実際には相手を肯定できないんじゃないか。そんなとき、どう向き合えばいいのだろう」という不安・危惧を口にする学生も。監督は、さまざまな人たちと実際に触れ合うことの大切さを伝えます。監督:「『ちがい』がある人の近くにいると、親密さが持てるようになります。距離があるから差別が生まれるんです。もしネガティブな先入観があるとしたら、それは親密さが欠けているから」監督自身も、登場人物の一人であるジョセフと出会ったときはぎこちなくなってしまい、どう握手したらいいかもわからなかったと教えてくれました。でも、2~3回会ううちに、彼が車いすであることも手が短いということも忘れて、レストランで自然にビールを渡していたと言います。学生からの、「障害がある人への(ネガティブだったり、不幸だと決めつけたりしている)先入観をどう変えられるのか?」という質問には、次のように語ります。Upload By 発達ナビニュース監督:「多くの人は、身近に『ちがい』がある人がいないから、そういう見方をしてしまう。多くの人は、彼らがつらいんじゃないか、生きたいように生きられていないんじゃないかと考えがち。もちろん、受容が困難な人もいるけれど、多くの「ちがい」がある人たちは、自分のアイデンティティーを誇らしく思っているし、生まれてきた自分自身を変えたいとも思っていない。『ちがい』がある人と親密な時間を過ごしてみてほしい。知らないから恐れてしまう。驚くような何かが待っていると思うから」学生たちは、疑問に思ったことも率直にぶつけます。学生:「『ちがい』がある人をあえて(映画の登場人物として)ピックアップすることは、それ自体が差別的なのでは?」監督:「親子ですら最初はぎこちなく、少しずつ受け入れていくものです。今回の映画では、極端なケースをハイライトしています。映画を通して、多くの人にとって一つのレッスンとして感じてもらいたかったのです」「ちがい」がある人が身近にいない人も多くいる。飛び込んでいけない人もいる。そんな人たちの気づきのために、見てほしいのだと語ります。また、困難を乗り越えた家族ばかりを取り上げたのでは?という学生からの問いもありました。学生:「困難を乗り越えている家族ばかりをとりあげて映画化したのでは?乗り越えられていない家族をフィーチャーしなかった理由はなぜ?」監督:「私はどの家族も乗り越えられたとは思っていません。彼らは、さまざまなシチュエーションに対して目を背けてはいませんが、乗り越えられているわけではないんです。実際、自閉症のあるジャックの母は、いまも辛い日々を過ごしていると言っている。ただ、辛くても、その中に意義を見出すことは可能だと信じている。誰もがこの物語から学ぶことができると思っています」そして、監督からも学生たちへ質問が投げかけられました。監督:「皆さんの中で、自分のアイデンティティーが日本人の部分が多いという人はいる?」学生たち:(一同、シーン)日本の学校で学ぶ、日本の学生たち。周りから見れば「日本人」としてとらえられがちな学生たち。でも、誰一人として自分が「日本人」であることが一番のアイデンティティーであると思っていなかったのです!監督:「低身長症の女性にとって、自分のアイデンティティーは一つではありません。低身長、女性、母親でもある。でも、私たちは彼女を見たときに『低身長症』だけが彼女をあらわすものだと思いがちです。一つだけのアイデンティティーでその人を決めつけないこと。マスメディアで障害がある人を描くとき、現実は違うことが多くあるものです。ステレオタイプで描いたり、大げさに描いたりしがちです。そのイメージを自分で乗り越える責任が私たちにはあると思うし、そのためには『ちがい』がある人と一緒に過ごすしかないんです。そうすると、彼らの中に、自分と同じ部分をたくさん見出すことができるはずです」そして、最後に監督から、高校生たちにメッセージが伝えられました。監督:「あなたがたと話せたことは素晴らしい経験でした!あなたたちは変化を起こせる年齢。いま、人種のるつぼといわれるアメリカでさえ、自分とちがう人に対して喧嘩をしています。今こそ、ちがいがある人を受け入れ、未来に向けて手を携えながら生きていってほしい」Upload By 発達ナビニュース監督を前に、自分たちの思いや疑問をまっすぐにぶつけていた高校生。キラキラとまぶしい高校生たちに、ディスカッションの授業を終えて感じたことを、聞いてみました!学生:「小学校のときは、クラスメートに発達障害がある子がいて、時々パニックを起こしていて。でも私たちはそれを“そういう子なのかな”ってちがいをそのまま受け止めてたんです。でも、保護者の中には“授業妨害になる”ってクレーム言ってる人もいたみたい。子どもたちは彼は特別だとか障害があるとかって意識してないのに、大人のほうが“ちがい”を意識しすぎて“ゲスト”はウエルカムじゃないって思ってたと思う。ちがいを前面に出さない、壁をつくらないことが大事なんじゃないかな」社会の中にもっと、ちがいがある人と触れ合える場所が増えたらいいという提案も!学生:「日本のマイナス点なんだけど、ちがいがある人と触れ合うのが大切ってわかってても、なかなか積極的に飛び込んでいこうとしない。ハードルが高すぎる。もっと気軽に触れ合えるような、いろんなマイノリティーが混ざっている場所が身近にあれば、受容はもっと簡単になると思う。そういうのが日常、当たり前の社会になったらいいと思う」授業を終えた学生たちからは、「ちがいがある人たちと一緒にいられる、多様な社会をつくりたい」という、あたたかくて強い決意を感じられましたよ!レイチェル・ドレッツィン監督に、単独インタビューもなんと、監督に単独インタビューする機会もいただきました!高校生とのディスカッションはどう感じたのでしょう?先ほどインタビューした高校生の発言を伝えつつ、聞いてみると…監督:「そう、大人のほうが『ちがい』を意識しすぎている…。教育って、なんのためにあるんでしょう。高等教育を行う場所であると同時に、人間として成長する場でもあるはず。多様性を認めることで、聡明になれるはずなんです。今日ディスカッションした高校生たちには、多様性を広めるプロモーター的存在になってほしいと願っています」この作品で、それぞれの親子の、“愛と受容”を伝えたかったと、ディスカッション中も口にしていた監督。次のように語ってくれました。Upload By 発達ナビニュース監督:「健常な人たちは、障害があると不幸なんじゃないかと思い込みがちですが、そうではないんです。『ちがい』がある子どもを“受容”すると同時に、子どもたちもまた、思っていた自分と『ちがう』ことを受容する。その受容は、毎日の中のさまざまなシーンで起きているんです。そして、思い描いていた形とは違うけれど、そのアイデンティティーはすばらしい贈り物であることに気づいていくんです」高校生とのディスカッションでも、「ちがい」がある人の中に入っていくことで、さまざまなアイデンティティーに気づけるし、多様性を認められるようになる、と言っていた監督。でも、すぐには飛び込んでいけない人もいる。そんな人には映画を見て、まず気づいてほしい!愛と受容にあふれた日常が描かれる『いろとりどりの親子』。ぜひ観てほしい!映画では、登場する人たちが押しつけじゃなく、自分のことを自分の言葉でたくさん語っていました。どうしたらこんな風に撮影できるの?率直な思いをぶつけてみました。監督:「トリックがあるとしたら、すべての登場人物を尊敬し、愛してたってこと。ジャーナリストと撮影対象という関係を超えて、たくさんの時間を過ごして、信頼を築けたから。それから私は最初に決めたことがあって。それは、“プレッシャーをかけないこと”、そして“こうしてほしい”って押しつけないこと」監督の愛もいっぱい詰まった「いろとりどりの親子」!徹底的に登場人物に寄り添ったからこそ撮れた6つの家族の本音と、「どんなちがいがあっても、わが子は愛さずにはいられない!」というあふれる愛。そして、幸せの形はそれぞれの家族にとってちがい、多様なんだということが伝わってくる…。ぜひこのステキな映画を親子や友人、ご夫婦で観賞していただきたいです!Upload By 発達ナビニュース映画『いろとりどりの親子』は、新宿武蔵野館をはじめ、全国順次ロードショー予定です。ダウン症、低身長症、自閉症などさまざまな「ちがい」のある6組の家族を丁寧に取材した長編ドキュメンタリー映画。原作は世界24ヶ国で翻訳されたベストセラー『FAR FROM THE TREE』。作中に登場する家族の日常は、親子の数だけ幸せの形があることを教えてくれます。■公開日:2018年11月17日(土)■上映:新宿武蔵野館ほか全国順次公開新宿武蔵野館で上映期間中の毎週火曜日、初回上映回では、声を出しても、歩き回っても、上映中の入退場も自由な「フレンドリー上映」が実施されます。詳細はホームページでご確認ください。取材・文・イラスト/かなしろにゃんこ。かなしろにゃんこ。さんのページ
2018年11月15日【イベント】家族で音楽を思い切り楽しもう!「Shining Hearts’ Party」(埼玉県)Upload By 発達ナビニュース障害のある子もない子もその家族も、赤ちゃんからお年寄りまでみんなが楽しめるコンサートとして毎年開催されています!途中で声を出しても、踊り出してもOK!解放的な雰囲気の中、安心して音楽を楽しめます。通常のコンサートでは、演奏中の出入りができなかったりすることが多いですが、当日は入退場も自由なのでお子さんと一緒に気軽に足を運べそうです。家族で良質な音楽を楽しんでみてはどうでしょう。【対象】障害の有無や年齢にかかわらずどなたでも【日時】2018年12月1日(土) 13:30~17:00【場所】和光市民文化センター サンアゼリア 大ホール (埼玉県和光市広沢1-5)【参加費】無料【申し込み】事前申し込み不要【問い合わせ】NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ「Shining Hearts’ Party16 ~奏でよう!いろ(16)とりどりのメロディー~」 | NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ【イベント】障害や難病でケアが必要な家族がいる人の生き方を考える!「きょうだいの私、結婚どうする?~リアルに語る結婚観~」(東京都)出典 : 聴覚障害、自閉症、ダウン症の当事者のきょうだい3人が登壇し、ケアが必要な家族がいる人たちの結婚について、参加者とともに考えるイベントです。「身近な人の障害、慢性疾患、難病などを理解してもらえるのか」、「結婚は諦めた方がいいのかな」などと考えたことがある人は、同じような立場の人の経験を知る機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。【対象】障害等のある方のきょうだい、保護者、家族にあたる方、支援者の方など【日時】2018年11月10日(土) 14:00~16:30 (13:30開場)【場所】NATULUCK飯田橋東口駅前店4階大会議室A (東京都千代田区飯田橋4-8-6 日産ビル)【参加費】1,500円【定員】80〜100人【問い合わせ】ファーストペンギンE-mail:mukazuko55@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*Peatixのページに遷移します【映画】ダウン症、自閉症、LGBT…さまざまな違いと向き合う親子の愛をたどるドキュメンタリー『いろとりどりの親子』が公開Upload By 発達ナビニュースダウン症、低身長症、自閉症などさまざまな“違い”のある当事者やその家族6組のありのままの姿に迫ったドキュメンタリー映画です。原作は世界24ヶ国で翻訳されたベストセラー『FAR FROM THE TREE』。著者であり自身もゲイであることでかつて両親とのすれ違いに悩んだアンドリュー・ソロモンが語り手として父と登場します。作中で紹介される家族は、不安や悩みの渦中にあった過去から、社会によって線引きされた“違い”への疑問、日々の中で育んだ希望や喜びまでを素直な言葉で語ります。家族がお互いに向ける深い愛情から、そこには、さまざまな苦悩があるのではなく、親子の数だけ幸せの形があることを感じさせてくれます。【公開日】2018年11月17日(土)【上映】新宿武蔵野館ほか全国順次公開【作品データ】2018年/アメリカ/英語/93分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/原題:FAR FROM THE TREE/日本語字幕:髙内朝子映画『いろとりどりの親子』公開【イベント】海外の取り組み紹介や子ども向けワークショップも。「アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018みんなの個性が活きる社会を!」(東京都)出典 : 学習障害の中でも読み書きに著しい困難があるディスレクシアのフェスティバルが今年も開催されます!2020年に岡山県で開かれる『アジア太平洋ディスレクシアフォーラム』に向けて理解を広めようと実施されています。シンポジウムをはじめ、子ども向けのアナログゲームなど多彩な企画が予定されています。海外の取り組みも知ることができるので、ぜひプログラムをチェックしてみてください。【対象】一般市民、教育関係者、ディスレクシア本人、保護者、支援者【日時】2018年12月9日(日) 10:00~19:00 (9:30開場)【場所】国立オリンピック記念青少年センター センター棟(東京都渋谷区代々木神園町3-1)【参加費】18歳までのディスレクシア当事者は無料、学生・保護者・ ディスレクシア当事者(19歳以上)は事前登録の場合1,000円(当日参加2,000円)、一般参加者は事前登録で3,000円(当日参加5,000円)【定員】300人【問い合わせ】アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル2018事務局(認定NPO法人エッジ内)TEL:03-6435-0402FAX:03-6435-2209E-mail:apdf.japan@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*こくちーずプロのページに遷移しますアジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018 みんなの個性が活きる社会を!| 認定NPO法人 EDGE【イベント】誰もが地域で豊かに生きるために…専門家と考える未来「サイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-」(東京都)出典 : 発達障害にかかわる医療・療育・教育といった分野の研究者や支援者が、実践例を紹介するシンポジウムです。「うちの子、少し違うかも…」というテーマで一昨年から年1回開催されてきて、今回が最終回になります。当日は、登壇者が講演やパネルディスカッションを通じて、誰もが地域の中で、豊かに生きるための医療や社会支援のあり方を参加者と考えていきます。【対象】関心のある方はどなたでも【日時】2018年11月11日(日) 13:00~16:00 (12:50受付開始)【場所】テレコムセンタービル西棟 8階 会議室B (東京都江東区青海2丁目5−10)【参加費】入場無料【定員】180人【問い合わせ】国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 社会技術研究開発センター(RISTEX)TEL:03-5214-0132FAX:03-5214-0140E-mail:otoiawase@jst.go.jp【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。11月8日締め切り*空席状況によって当日受付もあり*国立研究開発法人科学技術振興機構のページに遷移しますサイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-
2018年11月01日揺らぐ信頼と、増す苦しみ前回「つづく(正確には、続いちゃった)」と締めましたが……。続きません!本当は私たちの結婚式について書くつもりだったのですが、それどころではなくなってしまったのです。きっかけは、以前にも書いた、降って湧いたような “麻ちゃんの転職するかも騒動” でした。結局、転職話は立ち消えになったものの、「相談もしてもらえないなんて……」と思い、一気に落ち込んでしまったのです。そして、改めて身の回りを見れば、3人の子どもの育児に追われる生活は終わり(まだ1人、十分手のかかる子が残っていますが)、これまでのように “麻ちゃんと2人で協力して、なんとかしなきゃ” と気張る必要もないことに、気付いてしまいました。「これまでは、子どもがいたから家族っぽい感じだったけれど、そもそも夫婦でもないし、これからもずっと一緒にいると決まってもいない……」。そう思った途端、家の中の空気は冷え、自信を無くしていました。私って、信頼に値しない相手?長年かけて、獲得してきたと思っていた信頼は勘違い?相手にとって、自分がパートナーでいいのかなぁ?っていうか、面倒くさい女って思われてる?考えすぎて、麻ちゃんと “どう接していたか” も分からない有り様になりました。無駄な思考のループは勢いを増し、暴走を始め、ついには迷走し、ついでに瞑想し(ダジャレを言っている場合じゃないけど、やってみた)、さらにはヨガを始め、泳いでみたり、飲めない酒も飲んでみたり……したけど、スッキリしない!つまりこれは、3人の子どもたちを最優先にして、これまでパートナーとしっかり向き合った経験のなかった私たちに、“2人で生きていく” という課題が突き付けられた、ということなのです。“幸せは倍に、苦しみは半分に” なんてのは、2人の関係が良い時の話。噛み合わなくなった2人なんて、逃げ場がない分、苦しみが10倍に膨れ上がってしまいます。師匠に打ち明けた思いこうなったら、私が行くところはひとつ。パートナーシップの師匠、Taqさんこと大塚隆史さんが営む、新宿「タックスノット」というゲイバーです。Taqさんはアーティストであり、ゲイのパートナーシップについて、長年説いてこられた方です(伝説のラジオ番組「スネークマンショー」で、同性愛が全く理解されていなかった70年代から、ゲイのパーソナリティとして活躍されていました)。そして、私たちの結婚式を取り持ってくださった方でもあります。私がTaqさんを知ったのは、麻ちゃんと暮らすことになるか、ならないか、という頃。婚姻制度で結ばれない私たちが、パートナーシップをどう築けばよいのか、道しるべを探していた時に、Taqさんがミクシィで連載していた(元々はゲイ雑誌「Badi」で連載されていた内容だそうです)『トゥマン道場』に出会ったのでした。“トゥマン” というのは、万葉集で使われていた “つま” という言葉に由来するそうです。この “つま” は、妻ではありません。万葉の時代では、男女を問わずパートナーのことを “つま” と呼んでいたのだそうです。そして “つま” は、「とぅま」と発音されていたことから、Taqさんが同性同士のパートナーシップのことをトゥマンと命名し(ちょっとフレンチ!)、伝道されていたのです。Taqさんが『トゥマン道場』で語られていた言葉には甘えがなく、常にパートナーと共に生きていく覚悟を問うていました。「いつか王子様が病」から抜け出せない私には、電撃に打たれたような思いでした。幸せになりたいとか、愛されたいとか、パートナーシップってそんなことじゃ、全然ないんだ。自分が本当に望むものを見極めて、それ以外は切り捨て、主体性を持って選び取る。パートナーシップを築くということはどういうことなのか、初めて教わった私たちは、貪るように『トゥマン道場』を読みました。私は下戸なうえに、一応女性ですので、ゲイバーに一度も行ったことがありませんでした。同性カップルの迷子である私たちは、藁にもすがる思いでTaqさんと話をしたいと、3人の子どもを親に預け、麻ちゃんと緊張に震えながらゲイタウン新宿二丁目(正しくは、タックスノットは新宿二丁目と道を挟んですぐの新宿三丁目にあります)に向かい、タックスノットの扉を叩いたのです。ゲイバーという言葉からイメージされる、暗いバーカウンターの店を想像していた私たちの目に飛び込んできたのは、白い壁に煌々と眩しい電気。バーというには明るすぎる店内。そしてカウンターの向こうに、にこやかな笑顔のTaqさんがいました。ただただ「『トゥマン道場』の話をもっと聞きたい!」という、高ぶった気持ちでやって来た無知なヒヨッコレズビアンカップルを、温かく迎えてくれたうえに、私たちが子育てをしていることに、とても興味を持ってくださったのでした。当時、同性カップルで子育てをしていると言うと、LGBT当事者にさえギョッとされたり、「それって大丈夫なの?」と心配された時代です。なかなか言いにくかった子育てを、手放しに“良いこと”だと言ってもらえて、とても嬉しかったことを覚えています。それ以来、季節ごとに子どもを預けてタックスノットにお邪魔するようになり、カウンターに腰掛けては、たくさんのことをTaqさんや周りのお客さんから教えていただきました。私たちにとってはまさに師匠、迷った時の灯台のような存在です。だからこそ、パートナーシップに行き詰まったときは、ココ一択なのです。迷路の中の自分扉を開けるなり「どうしたの!暗い顔!」。初めて訪れた時と同じ、明るいTaqさんの声が飛んできました。「あぁ、みんなお見通しなんだなぁ」と、カウンターにつくなり、これこれこんなことがあり、あれが嫌だ、これが嫌だ、麻ちゃんから好かれているのか分からない、とブチまける私の話を、フンフンと聞いてくれていたTaqさん。「つまり小野ちゃんは、相談してもらえなかったことで、傷ついているのね」と言うと、「でもね……」と目を細めてこう続けたのです。「相手がこうしてくれない、ああしてくれないって言い出したら、それはもう終わりなんだけどね」終わり?その衝撃的な言葉に、目が覚めた思いでした。「そうか、終わることも、すぐそこにあるのか」、「いつのまに、こんなところにまで迷い込んでしまったのだろう」と、泣きたい気持ちでしたが、泣いている場合ではありません。大切にしてきたはずのパートナーシップを、私はいつのまにか、大切にしていなかったのです。私は話がしたくなるような相手だったでしょうか?話したい、聞いてほしいと思わせる態度じゃなかったと、初めて気が付きました。「パートナーシップは技術だ」と、Taqさんは言います。「自分を変えるとか、相手を変えるのではなく、お互いが心地良いと思えるような関係づくりの技術の獲得よ」というTaqさんの言葉が、くじけそうな自分の気持ちを、なんとか踏みとどまらせてくれました。そして、改めて気を引き締め直す日々が始まりました。Taqさんにも店のお客さんにも、「そこじゃない!」と言われたけれど、まずはダイエットから。2年前に大病をしてから「薬の副作用で太って、みっともなくなった」という思いがあったので、ここはまず、自分に気合を入れるため、痩せることに。そんなレベルなので、話したくなる相手になるには、まだまだ時間がかかりそうです。冷え切った空気は、なかなか回復しませんが、毎日が現在進行形で、試行錯誤中なのです。そんなある夜、狭い我が家の洗面所、洗濯機の前で麻ちゃんと話し合いました。お互いに泣いて、ともかく仲直りしました。根深い問題は、まだまだたくさんあるけれど、“1000回ケンカして、1000回大事なことを忘れかけても、1001回仲直りして” このまま続いていけるといいなぁ(これは、私の大好きな漫画『ハチミツとクローバー』の最終巻に収められている短編漫画『空の小鳥』に出てくるフレーズなのです)。それにしても、お互いが好きで、お互いに合わせるように努力してきたはずなのに、どこで食い違ったのか?その疑問だけは残っていました。そうしたところ、麻ちゃんがこんなことを言ったのです。「あのさ、ひとつ問題が起こった時、お互いのやり方に、お互いが合わせようとして、結局2人とも変えちゃうから、いつまで経っても距離が縮まらないんじゃない?」「な、なるほどー!そういうことだったのか!道理で、いつまでも近づけないな、と思っていました!」と、腑に落ちたのです。そして、この人のこういう頭の冴えわたったところが好きなんだよなあ、としみじみ思ったのでした。Composition:Yoshiyuki Shimazu
2018年09月04日ド直球と爆弾の沸点さて、前回は麻ちゃんとの出会いのお話でしたが、その後すぐに “どうにかなった” わけではなく、しばらく “それきり” でした。会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ち。もし麻ちゃんを好きになってしまったら?私は、自分のセクシャリティと本格的に向き合わなければなりません。それは果たして“正しいこと”なのか?そして自分が“乗り越えられること”なのか?判断を迫られるのです。そもそも “ありのままの自分なんてものが、存在するのか?” という問い。みんな多かれ少なかれ、世の中に合わせて生きているのだから、“我慢すべきことじゃないのか?” という問いも……。そんな思いが胸の中でぐるぐる回っていました。麻ちゃんと、何度かのメールのやり取りの後、軽くお茶でもしましょう、という話になりました。絶賛 “孤育て” 中だった私は、もちろん子ども連れ。その日は大雨で、ベビーカーにレインカバーを掛け、ビショビショになりながらの外出でした。子どもが生まれてから、ついぞ行くことのなかったカフェで待っていると、ツートンカラーが進行し、毛先だけが銀髪の麻ちゃんが現れました。照れ臭いやら、緊張するやらで、ぎこちなく話し始めたものの、子どもがいては雰囲気も何もあったものじゃありません。でも、子ども好きな麻ちゃんは、苦にしないどころか、むしろ子どもに夢中。私など眼中にない様子で、「子連れは嫌がられるかな……」と思っていただけに、逆に救われた思いでした。これって、どういうことなの?私は基本的に鈍く、不粋なもので、色恋の駆け引きというものができません。はっきりと言われないと分からない女なのです。そこで「ココは聞くしかない!」と、こんな球を投げてみました。「私、あなたのことが好きなんだけど、私のこと、好き?付き合ってもいいと思う?」ド直球、ストレート!こんな聞き方、普通はないですよね。アホでしょうか?しかし、それに対する麻ちゃんの回答は、極めて殺傷力の高い “爆弾” でした。「うーん、好きかと言われたら、まだ好きじゃないかなー」そう淡々と言いました。さらに続けて、こう言ったのです。「あと、ついでに “好き” とか言うのはさ、一生に3回くらいなものだよ。最初と、死ぬ時と、あともう1回くらい」なんなのでしょうか?“脈アリ?” と期待する女心を瞬間冷凍して、なんなら釘でも打とうか、というご回答。いっそ清々しいほどです。つーか「好きとか言うのは一生で3回」って!?「あの~、今、21世紀なんスけど。アンタ、武士ですか?いつの時代からタイムスリップを?」。一体、なんの悪い冗談なのか?覚悟を決めて聞いてみた私の、この見事な吹き飛びぶりを分かっていただけますでしょうか?その後もペースを乱されたまま、私たちはプラトニックな関係を続けていました。「まあ、それはそれでいいのかもしれない……」などと思っていた時でした。麻ちゃんが次なる爆弾を炸裂させました!「そろそろ、してみてさ、それによって付き合うかどうか決めたいなー」まるで、いいことを言ったかのようなさわやかな笑顔で、そう言ったのです。1970年代生まれの女性としては、さすがに「婚前交渉は……」などとは言いませんが、男性ともお付き合いしましょうという前にベッドインしたこともないし、当然女性とそういう関係になった経験もありません。そもそも、それって、“いいことかどうか、分からないなあ……” とすら思っている私にですよ、付き合うかどうかも分からないお試しセックスを!しようと!え?服の試着をするような気軽な調子で持ちかけていらっしゃる!アナタ!!ちょっと!!!ま、そんなことを言いながら、結局そこで、私は話にのったわけです。だって「もしかしたら、女の子も好きなのかも?」と、ずっと悩んできた私に巡ってきた、千載一遇のチャンスです。「ここを逃したら、もうこんな機会は一生来ないかも!」。そんなわけで、乙女ぶりたい気持ちはグッと堪えて、清水の舞台から飛び降りました。この時、罪の意識やら常識やらは吹き飛び、完全に “のるかそるか” の度胸試しでした。ついでにもう、この際ぶっちゃけますけど、それもですよ、私、女性は未経験だって言っているのに、先攻を譲られたわけですよ!やり方、知らねぇわ!光はどこだ?初体験を経て納得したのか、麻ちゃんはようやく付き合おう、と言ってくれました。ところがウキウキとお付き合いを始めたものの、徐々に関係性が曇ってきました。原因は私の罪悪感。この頃、まだホモフォビア(同性愛嫌悪)の気持ちを、根強く持っていたからです。例えば、誰かを好きになる時、その人を好きになろうとして好きになれるでしょうか?恋愛においては、まぁ滅多にないですよね。また「なぜ異性を好きになるか」なんて考えますか?考えませんよね。それは私も同じです。私はたまたま男性だけでなく、男性のような女性も好きになりますが(女性らしい女性を好きになったことは、まだありません)、「女を好きになろう」とか「男を好きになろう」とか思っているわけではなく、たまたまいいなあと思う人が、男だったり、(一応)女だったりするのです。セクシャリティは、人が選び取れるものではない。この頃の私は、まだそのことには気づいていませんでした。同性愛は禁忌だと考える家で育った私の “ホモフォビアの大嵐” と、麻ちゃんが時折投げつけてくる爆弾による “火炎地獄” 。それは戦いの連続でした。ストレスはやがて身体に出るようになり、疲労も重なって目眩がひどく、平衡感覚を保てなくなりました。気がつくとビルの屋上から下を眺めていることもありました。「子どもがいるのだから、なんとしても生きなくては」と思い、この頃は「生きてかないと」が口癖でした。そうして何度も何度も考えるなかで、「私は麻ちゃんが好きで、麻ちゃんも私が好き。なのになぜ、これほど苦しまなければいけないのだろう」と思ったのです。まぁ、麻ちゃんが “爆弾魔” なのは置いておくとして、“ホモフォビアの大嵐” を起こしているのは、少なくとも私です。本当に同性愛とは “正しくない” ものなのか、少しずつ考えたのです。そして死ぬくらいなら真正面から向き合ってみよう、そんなやぶれかぶれな気持ちに至りました。この時期、周りにいてくれた友だちには、感謝してもし尽くせません。相談や議論に何度も付き合ってくれて、時に堂々巡りを続ける私を、放り出さずにいてくれた友だちのおかげで、三歩進んでは二歩下がりながらも、理解を深められました。長い長い時間をかけて、光射す方へ進み始めたのです。やがて麻ちゃんの娘も、時折わが家に遊びに来るようになりました。子ども同士すっかり仲良くなって、「なんで今日帰っちゃうの?」というやり取りが繰り返され、麻ちゃんもまた、ファンヒーターの石油も買いに行けない私の生活力の無さに、半ば呆れて同居を申し出てくれました。なのにまだ “ホモフォビアの大嵐” から抜け出せていない私は、「ご近所の目が!」とか、「学校に言えない!」とか、心配性を爆発させて同居の申し出を断る始末。でも同時に、いつのまにか麻ちゃんと娘がいない家の中は、静かで物足りないと感じるようになっていました。お泊まりが増えていき、1泊が2泊になり、やがて同居となったわけですが、暮らし始めてみると、今度はステップファミリーとしての悩みが次々に浮上し、それからの人生、いつも大騒ぎでした。こじれにこじれた娘との関係、2人の息子、麻ちゃんの元旦那や両親、そして私の両親……。その経緯はこれまでに書いてきたとおりです。そんな大騒ぎの生活を始めて3年ほどが経った頃、私は思いついてしまったのです。「なにか、この暮らしを始めたというケジメのようなものが欲しい」。その思いは日増しに強くなっていきました。(続いちゃった)Composition:Yoshiyuki Shimazu
2018年08月04日先日、友人とロンドンでピクニックをしていたとき、ふと発達障害の話になりました。筆者の娘はアスペルガー(広汎性発達障害)で、友人がいくら話しかけても無反応なこともあるため、「ごめんね、実は…」と伝えたのがきっかけです。イギリス人の友人はお絵かきに没頭して振り向きもしない娘をじっと見直して、「すばらしいことじゃない!お絵かきが大好きなのね!」と言いました。「写真撮るよ~」と声をかけてもまったく顔をあげない娘。なにかに没頭しているときはいつもこうだが、「アスペルガーで」と説明すれば誰もがなるほどとわかってくれる。伝えておくことは重要かもしれない日本では周りと“違う”ことが懸念材料日本では、娘がアスペルガーであると伝えると、「そうなの?でも普通に見えるよ」と、よく言われます。「気にすることないよ、普通だよ」と。そう、「普通だよ。おかしくないよ」と慰めてくれる。でもその慰めは、「“普通”であることが正しい」ということが大前提にたっています。筆者にとっては娘こそが“スタンダードな子ども”であり、まさに“普通”。でもそれは一般的な“普通”と同じではないことを知っています。学校で、クラスメートに知らせてはどうだろうか、と先生がたに相談したときも、”自分たちと違う特性を持つ子”への反応を心配する声があがり、それもそうだと思いいまだにクラスの子には特に知らせていません。イギリス公立校での対応ではイギリスではこうした発達障害児への対応はどのようなものなのでしょうか。ロンドンで発達障害児のための特別講師をしていたマリア・ストリブリングさんに話を聞きました。マリアさんによると、イギリスの学校でも日本の“通級”にあたるクラスがあり、個別にそれぞれの状態に合った教育を受けることができます。場合によってはずっと個別クラスの子もいれば、普通級にとどまる子もいるそう。周りの子どもには「この子にはこういう特性があり、それは生まれつきである」ということをしっかりと教えたうえで、アスペルガーや学習障害について伝えています。そうすることで、残念ながらいじめが発生することはあるそうですが、以前に比べ「受け容れることができる子が増えた」ともマリアさんは感じていました。というのも、イギリスでは近年、どのような出生であろうとも差別をしない、という考えが広く行き渡っており、性別はもちろん人種や宗教などによる“違い”を含めて互いの理解が進んでいるそう。発達障害も例外ではなく、“違い”を人それぞれの特徴のひとつだととらえ、受け容れる傾向にあるというのです。レディ・ガガに勇気づけられる「レディ・ガガの『Born this way』という曲があるでしょ?まさにあれよね」とマリアさんは言います。その曲の歌詞には、「神はミスをしない。私は正しい道を歩んでいるのよ。私はこんなふうに生まれたの(筆者意訳)」とあります。私たちはこのように生まれた。それは直したり正したりするものではなく、ありのままでいることは“正しい”こと、という意味にとらえることができます。レディ・ガガの歌を聴いていると、後半はおそらくLGBTなどについても歌ったものではありますが、持って生まれた特性というポイントでは発達障害も同じことがいえます。そして、イギリスでもその考え方が主流となりつつあり、どんな人も自分の特性を恥じることはないと考えられているのだそうです。均質性と多様性という土壌の違い自治体による発達障害ケアは日本でもイギリスでもだいたい同じでした。アスペルガーの場合は「多くの人はこのようにすると嫌がる」といった他人の感情について学ぶもので、日本の教育内容と変わりません。ただ、イギリスと日本ではそうした人々を受け容れる側の考え方が大きく違うようです。さまざまな人種や宗教をもつ人々が混在しているイギリスでは、もともと「均質性」よりも「個性」を重要視する多様性の土壌があります。異質なものに対する耐性があるからかもしれませんが、少なくとも自分が“異質”であることに対しこちらが縮こまって遠慮しなくてもいいという環境は理想的です。前出のように、カムアウトすることによるいじめや差別の問題はまだまだ解消されてはいないようですが、それを当然のことと容認するのではなく、自分らしくあったとしても「差別をしてはいけない」という考えが多数派であることにはとても勇気づけられます。均質性が非常に重要な日本においてはこのように変わることは容易ではないかもしれませんが、世界は変わり始めている、と、レディ・ガガを聞きながら、夢見るのでした。「ケサランパサランを見つけたよ」とたんぽぽの綿毛を飛ばそうとする娘。見た目にはわかりづらい発達障害児は誤解されることも多いけれど、親から見るとやっぱりウチの子は”スタンダード”<文・写真:フリーランス記者岩佐 史絵>
2017年11月23日ティーンエイジャーが友情と葛藤の中で成長していく映画「パワーレンジャー」7月15日(土)より全国でロードショーされる映画「パワーレンジャー」をご存知ですか。日本でおなじみの5人組ヒーロー“スーパー戦隊シリーズ”をもとに、ヒーロー大国アメリカで「パワーレンジャー」としてシリーズ化され大ヒットしてきた作品が、映画化しての凱旋上映です。遡ること時は紀元前。古代の地球で世界の運命を決する、大きな闘いが終焉を迎えていた。ある5人の戦士たちによって守られた地球。そこにはやがて新しい命が芽生え、物語は現代に帰ってくる。小さな町、エンジェル・グローブで暮らす5人の若者たち。互いを知りもしなかった彼らがある日偶然にも出会い手にしたのは、超人的なパワーだった。それは、星の生命を守る5人の戦士=パワーレンジャーの力。彼らは、かつてパワーレンジャーの1人として世界を守っていたゾードンと、機械生命体・アルファ5と出会い、古代の地球で封印された悪の戦士=リタ・レパルサによって地球が危機にさらされていることを知る。しかし彼らは、突然降りかかった自分たちの運命を受け入れられず、与えられた力で“変身”することができずにいた。残された時間はあとわずか。果たして彼ら普通の高校生に、この世界を守ることができるのか?世界のために、仲間のために、5人が真に結束するとき――、ついに“その力”が目覚める。物語は、カリフォルニアにある小さな町、エンジェル・グローブに暮らす5人の若者たちを主人公にして展開されます。彼らはそれぞれ複雑なバックグラウンドを抱えながらも、ある日から戦士として地球を救う使命を課せられ、もがき苦しみながら成長していきます。映画『パワーレンジャー』公式サイトヒーロー初!レンジャー・ブルーのキャラクター設定は、自閉症スペクトラムUpload By 発達ナビニュース本作に登場するキャラクター、ブルー・レンジャーのビリー・クランストン。亡き父親との思い出の遊び場である金鉱を心の拠り所にしている、機械の扱いに長けた物静かな少年として描かれています。なにより彼の最も特徴的な設定として注目したいのが、自閉症スペクトラムがあるキャラクターという点。実は、自閉症スペクトラムのキャラクターがヒーローとして活躍するのは、ハリウッド初の試みなのだそうです。自閉症のキャラクターを起用した理由とは?Upload By 発達ナビニュース本作の見どころは、彼ら5人のヒーローは自分自身でレンジャーの能力を獲得しなくてはいけないところ。ある日突然能力が開花して大活躍するのではなく、それぞれが一人前のレンジャーになる方法を探すところからストーリーは動き始めます。奇跡の能力が与えられた強いヒーロー像をステレオタイプに描くのではなく、等身大の若者が自分の力で仲間と協力しあいながら力を合わせる姿を描くことをテーマにしているのです。「彼らの勇姿に共感してもらうためにも、作中にでてくるキャラクターは等身大である必要がある」そんな制作陣の考えから、「現代のティーンエイジャーが抱える様々な問題」のうちの一つの例として、自閉症スペクトラムやLGBTのキャラクターを登場させるに至ったのだそうです。ビリー役のRJ・サイラーが自身のキャラに触れて、こうコメントをしています。「ビリーは社会性がなくて友達がいない。でも本当は友達が欲しい。友達が欲しくてもそれをどういえば言いかわからないし、どう友達を作ればいいかわからない。だけど、今までの彼の人生にはなかった新しいグループに属するチャンスをつかみ、ビリーは彼自身を発見していく。ビリーが知っていることは科学と数式だけ。だからこれは、人を知り、繋がりを持つという、彼にとって新しいことなんです。僕はこれは大切なメッセージだと感じています。」劇場でパワー・レンジャーのみんなを応援しよう!Upload By 発達ナビニュースそんな制作秘話が込められた「パワーレンジャー」ですが、7月15日(土)より公開されます。魅力的なキャラクターたちが力をあわせて戦う姿をぜひお近くの劇場から応援してくださいね。なお、字幕吹き替え版では視覚障害のある方たちのためにバリアフリー上映が行われているようです。詳しくは公式サイトの案内をご覧ください。バリアフリー上映のご案内東映映画宣伝部TEL:03-3535-7193/〒104-8108東京都中央区銀座3-2-17(c)2017 Lions Gate TM&(c) Toei & SCG P.R.※記事中の挿入動画及び画像すべてに関して
2017年07月14日はじめまして。「a.school」(エイスクール)の岩田です。Upload By 岩田拓真私たちは、「ワクワク学ぶ人を増やしたい」というビジョンを掲げ、そのための学びの環境づくりをしている会社です。具体的には、補習塾でも進学塾でもない、探究型の学習塾 「a.school」(東京・文京区)の運営や、全国の学校や学習塾のサポートを行っています。はじまりの学校「a.school」あなた(のお子さん)は普通ですか?変ですか?出典 : 突然ですが、あなた(のお子さん)は普通ですか?変ですか?小学生や中高生の頃、クラスの中で「自分だけ、なんかちょっと違うな」と感じたことのある人、「おまえは変だ、おかしい」と直接言われた経験がある人、さらにそういったことを理由にいじめられた人まで含めると、実は少なくないのではないでしょうか?私自身も小学生の頃、喜怒哀楽が激しく、何かに没頭すると全く周りが見えなくなるタイプだったため、クラスメートと一緒に同じペースで活動することが苦手で、和を乱しては「変なやつ」扱いをされてきました。言葉で言われてショックだったこともありますが、それ以上にあの時の私を見る同級生の目は忘れられません。好きなことをやっているだけなのに、まわりとぶつかっていた少年時代出典 : 当時の私としては、ただ素直に「好きなことや興味のあることを思い切りやっているだけなのに、なんで止められたり笑われたりしないといけないの?」と思っていました。先生や同級生の目線で考えることはできず、かといって自分のことを適切にコントロールすることもできず、悶々としていました。喧嘩ばかりして親を困らせることも多かったです。喧嘩をして問題を起こしたのは私自身だし、「◯◯したらだめでしょ」という先生の指摘にはある程度納得できる部分もあったのですが、そもそも「ちょっと変だと言われる自分」が、「クラスという小さな社会」の中でどう毎日を過ごしていけばいいか、自分の何が悪くて何を改善すればいいかわからず、不安やイライラはなかなか解消できませんでした。「変な自分」が好きになる。支えてくれた人と背中を見せてくれた人出典 : 子どもの頃に苦しんできた、「変(他の人との違い)」であること。けれど、実は今「変だね」と言われると少し嬉しい自分がいます。没頭して考える姿勢は今の仕事に活かされているし、「変」だということも含めて私のことを理解してくれている人が多いからです。そして、何より「変」な自分が好きでもあります。詳細は省きますが、私自身が「変」との戦いを乗り越えられたのは、何をしても最後は味方でいてくれた母親や、世界で活躍する「変な人たち」のおかげです。スティーブ・ジョブズ、イチローといった有名人から、中高の先生や大学の先輩まで、色んな人に背中を見せてもらいました。特に、小学生の時に出会った個別指導塾の先生に言われた「君は数学の才能がある。この問題解いてみない?難しいよー」というセリフは今も心に残っています。その後たくさんの難問を私にぶつけて、数学への興味や数学力を伸ばしてくれました。理系の大学院生で、知的好奇心の強い先生でした。こういった自分自身の小さな経験から、「変なところ(=ユニークな個性)を潰されてしまう子どもを減らしたい」「人それぞれの変なところを理解しあい、活かしあえる学習環境がつくれたらいいな」と、思うようになりました。それが、今のa.schoolの活動にもつながっています。「マイノリティ」について探究しよう!子ども一人ひとりが“研究者”Upload By 岩田拓真そういう想いのもと、私がa.schoolの「探究ラボ」というクラスで今期の探究テーマに選んだのは「マイノリティ(社会的少数者)」というテーマです「探究ラボ」は、毎学期探究テーマを設定し、大学のラボ(研究室)のような形式で、小中高生が各々の興味関心に従って自由に学ぶ授業です。小学生にはちょっと難しいかなと思いながら授業を始めましたが、今では「マイノリティ」という言葉を学校で流行らせた子も出てきて、完全に私の杞憂でした。最初に行ったのは、「自分はマイノリティ(少数派)?マジョリティ(多数派)?」というテーマの議論です。例えば、左利きも10人に1人で社会の中では少数派に属します。ここでの議論が非常に面白くて、「僕、腕が変な方向に曲がるの」「私、走り方がちょっと変わっていて気持ち悪いんだよ」「僕、女の子の部分持っていると思う」と、自分の中にある「マイノリティ」な要素を、子どもたちはとても軽やかに、ユーモラスに表現してくれたのです。Upload By 岩田拓真これには私たちもビックリさせられました。「マイノリティ」という言葉を狭く捉えて勝手にネガティブなイメージを抱いているのは、大人である私たちだけだったのかもしれません。大学生メンターの女の子の「私、蕎麦屋の娘なの」というカミングアウト?にクラスは大盛り上がりで、「なるほど、そんなマイノリティもあったか」と学ばされました。そういった話し合いを通じて、マイノリティと言っても色んな種類があることを知り、誰もがマイノリティでありマジョリティでもある(誰もが変であり普通である)んだなという教室の雰囲気ができた気がします。「はじめて」との出会いが、子どもたちの心に火を点けるその後、小さい頃から珍しい病気(1型糖尿病)を抱えていた女性、男の子も女の子も両方好きなバイセクシュアル当事者の女性、マイノリティについてのオンラインメディアを制作する方々などにゲストに来て頂き、a.schoolの子どもたちと対話するセッションを設けました。ただ教室の中で学ぶだけでなく、直接人に会い、関係性ができる中で、熱が生まれ学びが加速します。Upload By 岩田拓真Upload By 岩田拓真特に印象的だったのは、話を聞いている時の生徒の反応です。わざと背中を向けながら聞いてないふりをする小学生男子、一番後ろに座ってみんなに見えない場所で真剣に話を聞く小学生女子、ゲストにこっそりと後で手紙を渡す小学生女子、実は自分なりの意見があるのに何も口にできない男子中学生、堂々と思い切った質問をしまくる女子中学生。一人一人違った態度や反応を見せています。Upload By 岩田拓真自分だけ給食をみんなと同じように食べられなかった話、同性の部活の先輩のことを好きになった話など、ゲストの方々がオープンに話す『マイストーリー』に、恥ずかしながらも心動かされている様子が読み取れました。全員がこんなに真剣にテーマに向き合うことは珍しく、それだけインパクトがあったのだと思います。その後の調べ学習もいつも以上に本気度が見られました。子どもたち自身が手がけるメディア、「マイノリティ」をどう伝える?様々な形のマイノリティについて、ゲストと話をして、自分で調べ学習を行い、みんなで議論をして学んだ後、最後に学んだことをもとにアウトプット制作に挑戦します。a.schoolの「探究ラボ」の授業の一番の目玉です。今期のテーマは『オンラインメディア』。複数チームに分かれて、自分たちが伝えたいメッセージを、メディアに込めて表現していきます。LGBTに関心を持った小学生女子3人のチームは、「LGBTの人がクラスにいても、幸せに暮らせるようにしたい!」と言い出します。「LGBTのことを馬鹿にするやつをボコボコにするメディアがいい!」(どうやって?笑)という凶暴なアイディアや、「LGBTの小中学生本人が読んで安心できるメディアはどう?」といったアイディアなど、誰に何を伝えるかをたくさん議論してアイディアを詰めました。いくら小学生でも手は抜きません。「読み手」のための表現になっているか、何度も書き直し・作り直しをして試行錯誤していきました。最終的には「ラップで楽しく伝えたい」というところに落ち着き、現在メディア制作中です。Upload By 岩田拓真他にも、動物好きの小学生のつくる「障害犬に関するメディア」や、ファッション系の大学進学を希望する高校生がリードする「LGBTとファッションから個性について考えるメディア」、身体障害に関する「マンガメディア」などが続々と立ち上がっています。小中高生だからこそのピュアな想いをどう表現しきるか!?完成が待ち遠しいです(12月22日に最終発表会を行い、生徒の作った4つのメディアをリリースします)。他人と向き合い、自分と向き合う。変化はそこから生まれるUpload By 岩田拓真まだ学期の最中でこの学びがどこに行き着くかわかりませんが、みんな自分やまわりの子たちへの理解が深くなった子が多いように感じています。学校にあまり行っていないある男の子は「私の意見をここではみんなちゃんと聞いてくれるのがいい」「いつも喋りすぎちゃうから他の人の意見も聞けるようになりたい」と言っていました。自己肯定感が上がり、自分を客観的に見られるようになった気がします。最初「全員考えが違うから、グループワークなんてできない。一人ひとりメディアを作ったほうがいい!」と私に提案してきた小学生女子3人が、「◯◯ちゃんはここやって」「いや、こうしたほうがいいよ」とお互いに協力しながらメディアづくりを行っています。あの不協和音はどこへ・・・と見違えるほどです。このように、他人との違いに小さくぶつかって、自分と他人と向き合い、少しずつ乗り越えていく。そんな経験がみんなの中に溜まっていることが嬉しいです。もっと長い目線で見た時に、一人ひとりがこの経験をどう咀嚼していくだろうか、子どもたちの「これから」が楽しみです。はじまりの学校「a.school」
2016年12月19日めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
チッチママ&塩対応旦那さんの胸キュン子育て
やっぱり家が好き〜おっとぅんとみったんと私〜
もともと妊婦健診で小さめとは言われていましたが、正期産の時期に近づくにつれおなかの中の子の体重も徐々に増えていき、先生からも「2,500gを超えたからとりあえずひと安心!」と言われていました。しかし、ひと安心の言葉をいただけた妊婦健診の次の日、妊娠36週4日で突然破水し、心の準備ができないまま出産。生まれてみれば娘は2,280gの低出生体重児でした。娘はすぐ保育器へ入り、私の部屋にくることができませんでした。 保育器から娘を眺めるだけの日々入院中の娘は保育器に入っていたため、私はお世話ができず、3時間ごとに搾乳して母乳を助産師さんに届けることしかできませんでした。1日1・2回の抱っこを除いては、保育器越しに娘を見守るだけの日々。 娘より私が先に退院することになり、ひとりにしてしまうことがかわいそうで寂しくて、泣いてしまうことも……。 助産師さんから「この子、ママのおっぱいたくさん飲んで、早く大きくなっておうちに帰りたいんだね」と励まされ、また涙。そして「娘は頑張っているのに私が落ち込んでいたらダメだ!」と気づきました。 私が唯一できたことは、娘が保育器から出たときに母乳をたくさんあげられるよう、毎日朝も夜も3時間置きに搾乳を届けることでした。 やっと退院! 直接授乳に感動の涙たくさん母乳を飲んでくれたほか、助産師さんのケアもあって何とか体重も増え、生後8日目で退院できました。 助産師さんには娘に会えない不安などを相談するたびに励ましてもらっていたので、本当に感謝しています。初めて授乳したとき、「もう搾乳して届けなくても直接飲んでくれるんだ」「私たちの間に保育器はないんだ」と思うと涙が止まりませんでした。 これから始まる育児に不安や心配はありつつも、とにかく娘と一緒にいられることがただただうれしかったのです。そして退院後、娘は順調に体重が増えていき、今では成長曲線の真ん中で体重が推移するほどの成長ぶりです。 育児ができない日々が私を強くしてくれた育児が思うようにいかないときも、「育児がしたくてもできないことのほうがつらかった」と思えば、何でも頑張れます。助産師さんに「今は、ママは休んでて。もうすぐたくさんお世話になるからねって言ってくれてるのかもね」と言われたこともありました。 娘が保育器に入りお世話をしてあげられなかった期間は、娘が私の体を休めてくれてたんだと思い、その分これからの育児に100%力を注ぎたいと思います。 妊婦健診では2,500g超えていると言われた娘は、生まれてみれば2,280g。妊婦健診での体重は正確ではないとわかっていながらも、戸惑いました。娘を保育器越しにながめるだけだった日々は一生忘れません。この先どんなに育児が大変でも、お世話してあげられることの幸せを忘れずに、娘と向き合っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ささたにあかね0歳の女の子のママ。簿記検定を取得し、学校法人で経理の経験あり。育児についてメディアやブログで執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年04月25日第一子出産後のことです。子どもを持つつもりがなかった私たち夫婦に赤ちゃんが! 産後バタバタで余裕がない中、夫の後輩に出産祝いを渡すことになったのですが…。時間にもお金にも余裕がない産後に、出産祝いを渡すことになり…第一子の出産後の話です。当時、私は30才、夫は32歳でしたが、お互い再婚だったこともあり、「子どもはいらないかな」と話しており、定職にも就かず、夫婦で自由気ままに過ごしていました。しかし、程なくして私は妊娠! 無事に第一子を出産しました。 産後は本当にバタバタで、赤ちゃんのお世話で忙しいなか、お祝い返しを探さなければならず、でもお祝い返しには思った以上にお金もかかり、身も心もあわただしく過ごしていました。 そんな矢先、夫の後輩が出産! 夫に「何かお祝いを渡したい」と言われました。でも、お祝いを探す時間もなく、素敵なお祝いを渡すには、今のわが家の財政では厳しい…。そこで苦肉の策として、うちの第一子と後輩の子どもが同じ性別ということもあり、わが子のお祝いに頂いたタオルセットを、後輩のお祝いに使い回すことになりました。 しばらくたったある日のこと、ある人から、わが家が後輩へのお祝いで贈ったタオルセットには、わが家の息子の名前が入っていたことを聞きました。私は驚くやら、恥ずかしいやら…。後輩の方にも本当に申し訳ないことをしたと思いました。 こんな失敗をしてしまったので、第二子以降は、お祝い返しもお祝いも手を抜かずに事前にリサーチするようになりました。頂いたお祝いはしっかり中身を確認することはもちろん、出産前からお返しにかかるお金や時間を頭に入れておくことが大切だと思います。 作画/加藤みちか著者:楓ママ
2024年04月24日第一子の妊娠中。切迫早産で入院していたときのこと。「生活費に使って」と、私がふだん管理しているキャッシュカードを夫に預けました。退院して明細を確認すると……。 キャッシュカードを夫に預けたら…切迫早産の症状が落ち着いたので、2週間で無事退院できました。家に戻って通帳を確認すると約10万円の引き出しが……。たった2週間で10万円。何に使ったのかと夫を問い詰めると「毎晩、同僚とメシ(飲み)に言ってた」とのこと。呆れて何も言えませんでした。 妻とおなかの子どもが切迫早産の危機にあるなか、毎晩のように飲み歩いていたと思うと……。夫は切迫早産についてきちんと理解できていなかったようです。子どもが生まれてお金がかかるというのに情けないと思ってしまいました。 もう二度と夫にキャッシュカードを持たせないと誓いましたが、第二子出産のために里帰りしたとき、やむおえず再び夫にキャッシュカードを渡しました。口酸っぱく「使いすぎに注意して」と言いましたが、蓋を開けてみるとやはり残高が底を尽きかけており……。預金のいくらかを別の口座に移しておいて良かったです。 ◇ ◇ ◇ 計画的にお金を使うことの大切さはわかっていても、実行するのは難しかったりしますよね。家計簿アプリで見える化するなど、対策しながら気をつけて使ってほしいですね。 イラスト/さくら著者:粒来 杏
2024年04月24日子どもが2歳のとき。2人目を妊娠していた私と義父母の4人でショッピングモールに行きました。お昼ごはんをどこで食べようかと話していた一瞬の隙に、子どもの姿が見えなくなり……。 一瞬の隙に息子の姿が見当たらず…義母と話していた一瞬の隙に息子がいなくなり、パニックになった私。すごく焦り、慌てて周囲を探し始めました。 すぐそばにゲームセンターがあったので、おそらくここにいるのでは?と懸命に探したところ、息子を発見。ゲームセンターにある幼児用の小さなメリーゴーランドに乗っていました。 息子の近くに見知らぬ女の子とお母さんがおり、女の子が乗ろうとしたときに息子がもう一台の馬に乗ったそうです。悪意のない涼しい顔で、ひと様のお金で遊具に乗っている息子。 無事だったことに安心はしたものの、女の子のお母さんに平謝り。お金を払おうとしましたが、「娘が乗りたいと言っていたので大丈夫ですよ」と優しい言葉をかけていただきました。息子の行動に恥ずかしいやら申し訳ないやらで、もう二度と目を離さないと誓いました。 ◇ ◇ ◇ お子さんが無事でよかったです。ショピングセンターなど子どもにとって誘惑が多い場所ではなかなか難しいですが、手を繋いで歩く、ひとりで行動しないように約束するなどで迷子を防ぎたいですね。 イラスト/シュー子著者:足立香織
2024年04月24日お買い物に行った男の子。パパに「一個だけ買ってあげるから選んでいいよ」と言われて…さて、どんなものを選んだのかな? 好きなお菓子を選んでいいよ♪ スーパーでパパに「好きなお菓子を一つだけ買ってあげるよ」と言われた男の子。 どれにしようかな〜?パパの言葉を聞いて、一生懸命お菓子を選んでいると… マイクのお菓子を見つけました♪ マイクに決定かな? どうやらマイクのお菓子が気に入ったようです! おうたを歌ってご機嫌に♪ 「あぁ〜♪」「ちゅ〜よ〜♪」 マイクのお菓子を持ってご機嫌に歌ってみます ニコニコ笑顔で歌う姿、とっても可愛いですね。 なんのおうたを歌っているのかな? マイクのお菓子が気に入った様子の男の子。レジに行く間も、マイクを持ちながらご機嫌に歌います(笑) なんのおうたを歌っているのかな?とよーく聞いてみると…「せ〜んろがつづく〜よ〜」とまたまた大熱唱♪ 「せんろがつづくよどこまでも」を上手に歌っていますよ! マイクのお菓子にテンションが上がっているのが、こちらにも伝わってきますね。 レジについてお会計。お気に入りのマイクのおもちゃを店員さんに差し出す男の子。 嬉しそうな様子はぜひ動画でご覧くださいね。可愛らしくて、思わずクスッとしてしまいますよ。 たくさんお歌が歌えるね♡ マイクのお菓子を買ってもらえてとっても嬉しそうな男の子。お家でもたくさん歌ってね♪ YouTube「むに男@munio」では、他にも思わずクスッと笑ってしまう動画がたくさん配信されています。むに男君とじぃじやばぁばとの掛け合いも大人気♪どれも癒されるものばかりで、孫愛が伝わってきますよ。また、InstagramやTikTokも更新しているので、そちらもぜひチェックしてみてくださいね。 【癒し】むにスマイルが可愛すぎる|むに男画像提供・協力/むに男
2024年04月24日私と同じ時期に妊娠していた友だちA子から「お互いの出産祝いの金額をそろえよう」と提案された私。A子の出産後、私は提案された金額通りの出産祝いを贈ります。しかし、私の出産後には……? お祝いの予算ってそろえなきゃだめ?私の出産後、A子は数人の友だちとお金を出し合って出産祝いを用意してくれました。とてもうれしかったのですが、内祝いの準備をしていた際に、いただいた出産祝いの品はA子が提案してきた予算の半額にも満たないことが判明。祝いの品の金額にこだわるつもりはありませんが、事前に予算を提案されていたこともあり、私はモヤモヤしてしまいます。遠回しにA子に電話で話を振ってみると「じ、実は私個人からも贈ろうと思ってたお祝いがあって〜」と言われ、後日おむつやおしり拭きの消耗品を追加で贈ってくれました。本当に最初から追加で買うつもりだったのかは不明ですが、結果的に同じくらいの金額になったので気持ちはスッキリしました。 出産などのお祝いは、本来は気持ちが大切だと思います。しかし今回は、予算をそろえようという話になったたことで、普段なら金額について考えないのにモヤモヤしてしまうことに。予算を決めて贈るのは私には合っていないと感じました。今後お祝いを送る際は、自分が心から贈りたいと思うものを、金額を気にせず選びたいと思います。 作画/yoichigo著者:永田えみ
2024年04月24日娘の幼稚園のお友だち家族が家を建て、その新居にお邪魔することになりました。娘も私も当日を楽しみにしていましたが、よりによって私はママ友宅へ行く前日に生理に。新しい家を汚してしまわないか、終始落ち着かずソワソワしてしまい……。 娘の友だち家族の新居へ娘の幼稚園のお友だち家族が家を建てました。以前から家を建てているという話は聞いていて、ママ友たちの間でも、「完成したら遊びに行きたいね」という話で盛り上がっていました。 しばらくして家が完成し、引っ越しも終わったとママ友から連絡が。そして、「新居に招待したい」と言ってくれ、私はママ友とやりとりをし、さっそく遊びに行く日を決めたのでした。 予定していた前日に生理にそして、ママ友宅へ遊びに行く前日。娘は「明日はお友だちの家に遊びに行くのが楽しみ」と言いながら寝て、朝起きた瞬間から「今日はお友だちのお家に遊びに行く日だ」とワクワクしていました。 私も楽しみな気持ちはあれど、ソワソワとした気持ちも。なぜなら前日に生理がきてしまい、ママ友宅へ遊びに行く当日は生理2日目だったから。よりにもよって経血量の多い2日目とかぶってしまうなんて。もし経血が漏れて新しい家を汚すこととなってしまったら……、ナプキンを替えるためとはいえ新しい家のトイレを何度も借りるのは気が引ける……と、気にかけないといけない点が多くあり、不安でいっぱいだったのです。 とはいえ、ママ友宅に行くことには変わりありません。そのため夜用のおしりまでカバーする大きめのナプキンを着け、消臭タイプのあるサニタリーバッグを持参し、準備万全でママ友宅へ行くことにしました。 経血漏れが気になって仕方ない初めてお邪魔するママ友宅。新しい家ということもあってとてもきれいで娘は大興奮です。私も「新築の注文住宅、うらやましいな~! すてきだな~!」と思いながら見学。そして、大はしゃぎで遊んでいる娘たちを見て、私は「生理で不安な気持ちはあったけど、遊びにきてよかったな」と思いました。 その後、娘たちが遊ぶ様子を見ながらママ友との会話をしている中で、いつのまにか生理であることが頭から抜けていて……。娘を抱っこした瞬間に、経血がドバッと出る感覚で「そうだ、生理中だったんだ」とハッとした私。 多い日用の大きいナプキンをしてきているので、経血漏れは大丈夫だろうと思っていても、結構な量が出た感覚があり、不安になってしまって……。 心配になって一度だけトイレを借りましたが、経血漏れはしていないようで安心。持参していた大きいナプキンに取り替え、使用済みのナプキンは持ってきたサニタリーバッグに入れ、持ち帰りました。またトイレから出る際は、便器に経血汚れが付いていないかも念入りに確認しました。 その日の滞在時間は2時間程度で、そこまで長くない時間でしたが、経血漏れを気にしはじめてからの時間は私にとって長い時間に感じました。今回はお互いにパパが仕事ということもあり、パパは不参加でした。そのため、次回はパパも参加できるホームパーティーを計画しています。次回は生理ではない日にして落ち着いてゆっくり楽しみたいです。 著者/Sugar111(佐藤幸代)作画/ののぱ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ののぱ
2024年04月24日子どもの1歳の誕生日を迎えたときのことです。私たちは、家族でささやかながらも特別なお祝いをしようと計画していました。しかし、この計画に水を差す出来事がありました。ちょっとこれは…近所に住むママ友から突然、子ども用の高価なブランド服をプレゼントされたのです。これがきっかけで、予定していたお祝いの雰囲気が一変しました。私たちは普段から質素な生活を心がけており、子どもにもその価値観を伝えていきたいと考えていました。そのため、ママ友からの高価なプレゼントに困惑してしまいました。 ◇ ◇ ◇ 夫と相談の上、感謝の意を伝えつつ、今後はこのような高価なプレゼントは遠慮したいという旨を伝えました。すると、ママ友は少し驚いた様子でしたが、私たちの価値観を理解してくれました。この経験を通して、私たち家族の価値観を大切にすると同時に、人との関係性においては率直なコミュニケーションの重要性を改めて感じました。 作画/さくら 著者:高橋絵里40代、結婚7年目の専業主婦。主人、子供2人、ニャンズ2匹の4+2人家族です。
2024年04月24日結婚してすぐに、義母から子どもを急かされていた私たち夫婦。3年にわたる不妊治療の末、第一子を妊娠しました。やっと義母のお小言から解放されると思ったのも束の間、今度は「性別はわかったのか」と問いただしてきて、そして挙句には……。 義母の決めつけ私の顔つきや妊娠してからの様子を見て、「絶対男の子が生まれる!」と決めつけた義母。私たち夫婦は性別関係なく子どもがほしいと思っていたので、顔を合わせるたびに「男の子だ!男の子だ!」と言ってくる義母にウンザリしていました。 「おそらく女の子だろう」と医師から言われたので、そのことも伝えたのですが、一切聞く耳を持ちません。 さらに、出産後に着せるベビー服を買いに行くときについてきた義母は、「私が買ってあげるから」と言って、恐竜などが描かれた服を購入していました。 前々からおなかの中の子どもの性別を勝手に決めつけられて、不快だった私。義母に言われたことを正直に夫に話すと、夫も怒っていました。 出産間際まで「絶対に男の子!私の買ったお洋服を着せてね!」と連絡をしてきた義母。 しかし、医師から告げられていた通り、生まれてきたのは元気な女の子でした。 男の子が生まれてくると思い込んでいた義母はあからさまにがっかり。未だに「男の子だと思っていたのに……」と愚痴をこぼしています。 性別がどちらであっても、健康に育ってくれることが私たち夫婦の一番の望み。夫と相談して、義母とは適度な距離を保って、じょうずにお付き合いをしようと思っています。 イラスト/きりぷち 著者:大野さとこ
2024年04月24日私は28歳の会社員。フルタイムで働いています。夫は長年実家暮らしで、家事が苦手。結婚前から「家事は妻がやるべきだと思うんだよね」と家事に非協力的な考え方でした。結婚してからも家事をまったくしないばかりか、自分が出したものを片付けたることさえせず……。家事育児を妻に押し付ける夫疲れ果てた私が手伝ってほしいと伝えたところ、「え? 何言ってんの? 結婚前に俺、家事はしないって言ったじゃん」なんて言う始末。 その後、第一子を出産。しかし夫は子どもを抱っこすらしません。 「お前は育児休暇中なんだから、1人でしっかりやってくれよ」と言い、相変わらずダラダラしています。 「寄生虫になるってこと?」自己中夫に我慢の限界!私は思い切って、夫と話し合うことに。「家事も育児も全部私が担当のまま、2カ月後に仕事復帰なんてできない」と伝えたものの、「昼間は保育園があるから大丈夫だろ? 忙しぶっているけどやってみないとわからないだろう?」と聞く耳を持ってくれません。 「手伝ってくれないなら仕事復帰は無理だから、仕事を辞めて専業主婦になる」と伝えると、「専業主婦? 寄生虫になって俺にたかって、一生暮らしていくつもり? 世の中なめてるの? 仕事辞めるなら離婚だぞ!」と言うではありませんか! ひどすぎる夫の言葉を聞き、私の堪忍袋の緒がブチン! 時代錯誤すぎる発言に思いやりの欠片もないただの自己中男だと悟った私は、溜まった不満を一気に伝えました。 「自分は何もせず、人にはすべてを押し付けて何様のつもり? 家事育児は女の仕事って、何時代の人間なの? なんで2人の子どもなのに、私1人で育ててるの?」 「俺のほうが給料が高いし、男が偉いに決まってるだろ!」 時代錯誤すぎる夫の言葉にカチン! 実は、夫のプライドを守るために伝えていませんでしたが、私は昨年出世し、今では夫よりも断然収入も多いのです。その事実を突きつけた途端、夫は慌て始めました。 男も家事育児をしなさいと言ってきたのに……私は記入済の離婚届を投げつけ、子どもを連れて家を出て行きました。事情を聴いた義両親は「何を偉そうなことを言っているんだ! これからの時代、男も家事育児をしなさいとあれだけ言ってきたのに」と激怒。無事離婚は成立し、夫は養育費を払うことになりました。 家事や育児が苦手だったとしても、やろうとする気持ちがあればできることだってありますよね。苦手だから相手に押し付けるのは単なるわがまま! 自業自得ですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月24日公式戦が始まったけど、試合があったことをチームのインスタで初めて知る、ということが何度もあった。同級生は呼ばれているのに息子が呼ばれてない。親として恥ずかしいしショック。これから頑張っても試合のメンバーに選ばれないなら移籍すべき?と悩むお母さんからご相談をいただきました。今回もスポーツと教育のジャーナリストであり、先輩サッカーママでもある島沢優子さんが、これまでの取材で得た知見をもとに、3つのアドバイスを送ります。(文:島沢優子)(写真は少年サッカーのイメージご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)<<出場時間の短い息子、興味があるバレーボールに転向したほうが良いという妻と意見が割れてます問題<サッカーママからの相談>初めまして、よろしくお願いします。息子は小学3年生で県内でも強豪のクラブチームに所属しております。2年生から公式戦も始まったようですが、息子には声がかかっていないので、試合があった事さえ知らないのです。チームのインスタで試合があった事を初めて知るという事が何度もありました。同じ小学校の友達は試合に呼ばれているようで、なんだかこの状況が親として恥ずかしく感じてきました。2年生ですでに選抜されている事にショックなのと、これから頑張っても選抜されないのではないかと不安になっております。このままこのチームに所属して練習のみに参加するべきか、他のチームに移籍するか悩んでおります。 ここからの逆転劇はありますでしょうか?毎日家でもコツコツ練習していて、確実に上手くはなっています。 サッカーも大好きで、息子はチームが好きなのでここで続けたいと言います。高学年になり、試合にも呼ばれないと同じ小学校のチームメイトから馬鹿にされたりしないかなど勝手に私が心配しています。本当に情けないのですが、アドバイスを頂けたら幸いです。<島沢さんからの回答>ご相談いただき、ありがとうございます。チームのインスタグラムでチームメイトが試合に参加することを知るなんて、息子さんはどんなにかショックだったことでしょう。ぜひ励ましてあげてください。■レギュラーだけに試合を告知するチームのやり方はおかしいとはいえ、お母さんが「なんだかこの状況が親として恥ずかしく感じてきました」という告白は、少し残念です。解釈が間違っていたら申し訳ないのですが「親として恥ずかしい」の言葉が、息子が試合に呼ばれていないことを指しているととれるからです。受け取り方はさまざまあるでしょう。しかし、私はこの「レギュラーにだけ試合告知する」というチームのやり方に憤りを感じます。少年団ではなく民間のクラブチームですから、クラブ員全員に平等なプレー機会と楽しくプレーできる環境を与えるのが本来の使命です。人数が多ければ参加する大会を分けて、子どもたちにその都度説明すべきです。それをこっそり隠れてエントリー組にだけ知らせて試合に連れていくなど、教育的配慮に欠ける以上に人としてどうでしょうか。サカイク公式LINEアカウントで子どもを伸ばす親の心得をお届け!■戦力ダウンになるからレギュラー以外帯同させなかったチーム実は、都内にあるクラブが以前、都大会の地域予選で同じことをしました。8人制です。記憶があいまいで申し訳ないのですが、エントリーが十数人。1試合のうち確か12人程度を必ず試合に出場させなくてはならないレギュレーションでした。ほかのチームはエントリーぎりぎりまでの人数を参加させ、12人出場を順守していました。ところが、そのクラブは9人しか連れてきていませんでした。レギュラー以外の子どもを出場させると戦力ダウンになるからです。■補欠だからしかたない、ではなくチームの大人に情けなさを感じてほしいあとで、そのクラブで試合に呼ばれなかった子どものお母さんから話しを聞くことができました。お母さんは「うちのクラブはガチガチの勝利至上主義なんです。試合があることを知らされなくても、私たち補欠組は仕方ないねとあきらめています」と涙ぐんでいらっしゃいました。聞けば、そのクラブは代表であるコーチの方の息子さんはJリーガー。プロを輩出したクラブとしても有名でした。さまざまなブランド力の前に、誰も何も言えない状態でした。十数年前の話ですが、いまだに同じようなことが行われていることにがく然とさせられます。息子さんが試合に呼ばれないことを、お母さんが残念に思う気持ちは私も同じ親としてよくわかります。しかしこの場合は、息子さんよりも所属するクラブの大人たちに対して情けなさを感じて欲しいです。■お子さんにはどうあって欲しい?レギュラーで活躍するのが最優先なのかここから三つほどアドバイスさせてください。ひとつめ。まずは子育ての原点に還ってみましょう。一度胸に手を当てて考えてみてください。お母さんは何のために子育てをしているのでしょうか?子どもにどうあってほしいですか?「このままこのチームに所属して練習のみに参加するべきか、他のチームに移籍するか悩んでおります。 ここからの逆転劇はありますでしょうか?」とあります。サッカーではいつもレギュラーで活躍してほしくて、そうではない息子さんを許せないのでしょうか?違いますよね?お母さんは、息子さんをサッカーのプロ選手にするために産んだわけではないと思います。それなのに、相談文には「恥ずかしい」「情けない」がたくさん並びます。息子さんに対して負の感情を抱いていることが伝わります。「私は何のために子育てしているの?」そこに注目すると、おのずとどうすればいいかが、わかると思います。■不安かもしれないが、親は我が子を肯定してあげよう2つめ。お母さん、「心配するのが親の役目だ」と昔々の子育て観に縛られていませんか?前述したように、移籍すべきかどうかと悩んだり、試合にも呼ばれないと「馬鹿にされたりしないか」と心配しています。このようにお母さんが不安になるのは、レギュラーのみ試合告知するようなクラブにいるのも理由のひとつかもしれません。息子さんのサッカー環境は決してポジティブなものではないようです。しかしながら、お母さんご自身が息子さんを肯定していないことも大きな要因ではありませんか?そうではなく、以下のように考えられないでしょうか。うちの子は試合に出られなくても、こんなにサッカーを楽しんでいる。うちの子は、コツコツと家でも練習して本当に努力家だ。うちの子は試合を知らせてくれないようなチームなのに、チームが好きだなんて、なんて寛容な人間なんだろう。そのように、お母さんが肯定することが、何よりも息子さんの力になります。逆に、心配な感情、不安な気持ちは、息子さんの自己肯定感を下げます。言葉にするとしたら「僕のことを一番知っているはずのお母さんにこんなに心配されてしまう、ダメな僕」と感じてしまうのです。自分とは違う生命を預かるのですから、誰でも不安でいっぱいです。しかし、心配してオロオロするのではなく、多少不安なところがあってもわが子を信じてあげてください。鈍感でいるか、強がること。お母さんの鈍感さや強がりが息子さんの力になるのです。そして、成果主義を卒業しましょう。いいですか?試合に出られなくて一番つらいのは、息子さんです。そこを決して忘れてはいけません。何か良いことをしなければ認められない家庭は、子どもにとって地獄とまでは言いませんがつらい場所です。サッカーや学校は評価ばかりで、ジャッジされ続ける日本の子どもにとって、家庭は安全基地でなくてはいけません。心理的安全性がある家でこそ、子どもはこころのエネルギーをチャージして意欲的になれるのです。■不安に陥りがちな「こころの癖」はどこから来るのか(写真は少年サッカーのイメージご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)3つめ。この機会に、子どもを心配してしまう自分の育ちを見つめ直しましょう。こちらから「子どもを信じましょう」「子どもに決めさせましょう」「自立させましょう」と方法論を伝えても、皆さんおそらく「わかってはいるけど、それが難しい」と思っていますよね?不安に陥りがちな「こころの癖」はどこから来るのか。何か発見したら、またメールをください。島沢優子(しまざわ・ゆうこ)ジャーナリスト。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』『東洋経済オンライン』などでスポーツ、教育関係等をフィールドに執筆。サッカーを始めスポーツの育成に詳しい。『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実そして少年は死ぬことに決めた』(朝日新聞出版)『左手一本のシュート夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』(小学館)『世界を獲るノートアスリートのインテリジェンス』(カンゼン)『部活があぶない』(講談社現代新書)『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』(文藝春秋)『オシムの遺産彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)など著書多数。『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(池上正著・小学館)『教えないスキルビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』(佐伯夕利子著・小学館新書)など企画構成者としてもヒット作が多く、指導者や保護者向けの講演も精力的に行っている。日本バスケットボール協会インテグリティ委員、沖縄県部活動改革推進委員、朝日新聞デジタルコメンテーター。1男1女の母。
2024年04月24日YouTube「ゴンとサン」はラブラドールレトリバーのゴンとサン、そして娘のユウちゃんとの日常をご覧いただけるチャンネルです。ゴンとサン、そしてユウちゃんの姿がなんとも微笑ましいですよ。今回は、サンとユウちゃんのある日の出来事をご紹介します。仲良く遊んでいたら思わぬハプニングに……!? サンの表情にも注目ですよ。大好きなユウちゃんを探すゴンとサン じーっと窓際を見つめるゴンとサン。ユウちゃんを探しています。 ユウちゃんを見つけて大興奮♪ 「あ! ユウちゃんいた!」とうれしそうに走り出すゴンとサン。 ユウちゃんもニコニコ♪みんなでお部屋を走り回っていましたが…… 勢いがよすぎて…… 楽しくてテンションの上がったサン。勢いがよすぎて、ユウちゃんに突撃してしまうハプニングに……!! サンとぶつかってしまったユウちゃん。 「うぁぁぁーーん!!!」泣き出してしまいました(涙)。 サンもユウちゃんを心配…… 泣いているユウちゃんを見て、「大丈夫かな……」という表情のサン。 放心状態のユウちゃん。涙も止まりません。 謝りたいサン ユウちゃんのそばに来て、様子をうかがうサン。「ユウちゃん、大丈夫かなぁ……」と心配している姿が、サンの表情からも伝わってきますね。 ユウちゃんも涙は出るものの、サンがわざとやったわけではないことはわかっています。 そばに来て寄り添ってくれるサンに、ユウちゃんがヨシヨシをします。 お互いを思い合っている姿になんだかほっこりしますね。 ユウちゃんの隣に…… パパの手助けもあり、ユウちゃんの隣に座ってみるサン……。少しよそよそしい2人の姿。なんともいえない時間です。 なんだか、ぎこちない…… ユウちゃんにヨシヨシされたものの……なんとなくぎこちないユウちゃんとサン。お互いに目を合わせません(笑)。 この様子、ぜひ動画でもご覧くださいね。ユウちゃんとサンの表情にも注目です。 ユウちゃん、再び笑顔が戻ってきた! 「ユウちゃん、さっきは当たっちゃってごめんね」と言っているかのような表情で、ユウちゃんをのぞき込むサン。 少し時間がたち、ユウちゃんの気持ちも落ち着いてきました。 そして…… 涙も止まり、ユウちゃんに笑顔が戻ってきました♪気持ちも切り替わったかな? 仲良く一緒に遊ぼう♪ すっかり笑顔に戻ったユウちゃん。さっそく遊び始めました! その姿を見て、サンもほっとひと安心♪ サンに絵本のシールを見せながら、2人でごっこ遊びも再開です♪ いつも仲良しなサンとユウちゃん。ハプニングは起きましたが、すぐにいつも通り一緒に遊ぶ姿は本物の姉妹のような姿ですね。これからも、みんなで仲良くたくさん遊んでね。 ※ネコ科の動物にはトキソプラズマ ゴンディという原虫(寄生虫)が寄生していて、ほとんどの哺乳類や鳥類に感染すると言われています。妊娠中に初めて感染した場合には、トキソプラズマ原虫が胎盤を通じて胎児へ移行し、先天性トキソプラズマ症を発症する場合があるので注意しましょう。 画像提供・協力/ゴンとサン監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月24日息子を産んでから17年……第2子を妊娠した私。17年ぶりの出産ということもあり、大きな不安を抱えていました。そんな出産予定日が近づいてきたある日、妊婦健診で内診を受けると、なんだかお医者さんと看護師さんがザワザワし始めたのです……。 娘の生死を分けた妊婦健診内診の結果を聞くために、椅子に座って待っていた私。主治医や看護師さんの様子がいつもと違ったので、とても不安でした。そして主治医から告げられたのは――。 「今から緊急帝王切開します」 どうやら羊水がほとんどなかったそう。赤ちゃんが苦しいからすぐに手術を、ということでした。 突然の手術決定に、私の頭は真っ白。とりあえず夫に連絡して来てもらい、頭を整理する間もなく麻酔をかけられて帝王切開で出産となりました。 生まれたばかりの娘の顔を見て、私はそのまま意識を失いました。目が覚めたときには夫がそばについていてくれたのは覚えています。 羊水がなくなってしまった原因は、主治医にもわからないそう。その日に健診に来ていなかったら、娘は無事に生まれていたかわからない、とまで言われてぞっとしました。 その日に健診を入れていた過去の自分を褒めてあげたいです。そして、定期的な妊婦健診の大切さをこれからママになる人たちに伝えていかなければ、と思いました。 イラスト/はたこ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:Ree監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月24日こんにちは◎暖かい気候になってきて気持ちがいいですね♬ 週末はお部屋を整えていこう〜ということで、今回とてもいいものを手に入れたのでblogにまとめていきますね☺︎ごちゃごちゃが解決するマグネット収納ボックス我が家の一角になるのですが、このプロジェクターセットの箱がイマイチで何かないかなぁ〜と探してました。蓋つきボックスだと仕舞い込んでしまいあまり手に取らなくなるんじゃないかなと思い、なかなか理想のものに出会えず。。部屋の一角あとこちらのワゴン上段には植物が並んでおり、葉水をするたびにプロジェクターにかからないかヒヤヒヤしてました。そこで、見つけたのがこちらのマグネット収納ボックスです◎そのまま入れ替えます。全工程1分ほどの時間でおしゃれになり埃からも守ってもらい大満足です◎インテリアに馴染みやすい4色展開色合いがとっても可愛くいい感じなのです。以前お出かけの際に撮っておいた写真ではありますが、形違いの同じシリーズのものなので色の参考にして頂ければと思います☺︎同色カラー展開でこちらはドキュメントケースという商品名になります。今回紹介したモノと同じくブルー、ブラック、グリーン、グレーの4色です。個人的にはグレーが欲しかったのですが売り切れでした。少しマットがかった色味です✳︎ドキュメントケースは小物収納に便利マグネット式で癖になる使い心地。軽量で持ち運びにも便利お値段税込330円初めからしっかり折り目がある商品なので、組み立てる?どう作ればいいの?なんて考えることもなく完成します。使わない時は折り畳んで保管しても良さそうです。5秒くらいで組み立てられます。素材は紙と磁石ということです肌触りとしてはサラッとしていて肌馴染みがいいです。マグネット式ですが、ぺったりした磁石同士を剥がす感覚ではなく片手でスッと開閉出来るのも使い勝手のいいポイントです✳︎使い道いろいろ想像が膨らむ実例紹介もうすでに買い出しを考えているのでこんなふうに使えそうだなと思ったことがあるので書いて見ます☺︎実例①こどもが大切にしているカラフルなおもちゃたちの収納。保育園で作った力作含むおもちゃ類やっぱりこどものものはカラフルなものが多くごちゃつきやすいのが悩みですよね。隠してしまえば見た目をスッキリするので相性が良さそうです◎実例②パズル、UNO、カルタなどのカードゲーム類の収納。イラストや絵が主張するモノたちこちらも同じようなテイストにはなってしまうのですが、イラストやキャラクター系ものもひとつにまとめてしまうのも有りですね☺︎おわりにこれからの時期にはピクニック用品をまとめて収納ボックスはテーブル代わりに使ったりと生活に馴染みやすくどんなシーンでも使い道がいろいろありそうですね☺︎是非見かけたら手に取ってみてください◎
2024年04月24日