子育て情報『「学校に呼び出された母は、私に”気にするな”と言った」60年を経て今思うこと』

「学校に呼び出された母は、私に”気にするな”と言った」60年を経て今思うこと

インタビュー[前編]・[後編]で、「家族は社会の原点」と教えてくれた柴田愛子さん。

編集部はどうしても、「愛子さんの原点」について、聞きたくなってしまいました。

そんなわけで、「家族」をテーマに追加インタビューを実施。愛子さんの土台を育んだ家族の情景を、ご本人の語りそのままにお届けします。


子どもの頃は、「自分」を停止していた

私は5人兄弟の5番目だったの。

だから、小さいときは観察力はあったけど、活発な子ではなかったわね。

庭に池と砂場があって、午後になると近所の子どもがみんな集まって来る家だったけど、近所に女の子の友だちがいなかったから、お人形遊びとかはあまりしなかったかな。

その代わりに、いつも3歳上の兄の後ろにくっついて遊んでいて、めんこしたり、探検したり。

庭の草を摘んで、ひとりでおままごともした。幼稚園や保育園は行かなかったの。

「学校に呼び出された母は、私に”気にするな”と言った」60年を経て今思うことの画像

出典 : Upload By コノビー編集部

それで初めて学校に行ったから、どうしていいかわからなくて、「しばたあいこ」って書いてあるところにただ座ってて。

消しゴムがころころ落ちちゃっただけで困って泣くような、そんな子だったのよ。

もうね、その頃は自分を「停止」してた。

小学校6年の間に自分から手を挙げたことって、2〜3回くらいしかなかったんじゃないかな。

中学に行ってもあまり変わらなくて、今も同窓会で私のこと知ってるのは3〜4人くらいよ。

私は観察してたから、みんなのことものすごく覚えてるけどね。


「愛子はピアノがあるから、大丈夫よ」

「学校に呼び出された母は、私に”気にするな”と言った」60年を経て今思うことの画像

出典 : Upload By コノビー編集部

でもね、そんな私を支えてくれたのは、親だと思う。

割と放っておかれたんだけど、母がひとつだけ言ってくれていたのは、「人間好きなことひとつあれば生きていけるから」ってこと。

それしか言わなかった。

そのとき4年生で、私はピアノが好きだったから「愛子はピアノがあるから大丈夫よ」って。

それは、職業にするってことじゃないのよね。

当時はそれがどういう意味か全然わからなかったんだけど、そのときに漠然と、「あ、大丈夫なんだ」って思ったのよね。
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出典 : Upload By コノビー編集部

それからよく覚えているのは、親が学校に呼び出されたときのこと。

私は忘れ物は多いし、遅刻もするし、先生に呼ばれたのよね。

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